枕元の計算用紙

ホーム ブログ

1999年7月 8月 9月 10月 11月 12月
2000年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2004年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2006年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2007年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2008年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2009年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2010年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2011年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2012年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2013年1月

2013年2月

 

1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日

28

ずっと、理性という言葉を言語化できませんでしたが、今思いつきました。

目的論がキーワードです。価値判断、ということもできます…これは分けられません。
そして因果を前提としています。
行動AとB。結果CとD。
行動Aを選択すれば結果C、行動Bを選択すれば結果D、と判断します。
そして、結果Cと結果Dのどちらが、「望ましい」また「目的に沿っている」かを判断します。
それで、行動AとBの一方を選択する。それが理性的な行動ということです。

さらに、その全体が言語化できる、といえばいいのでしょうか。

しかし、人間はどこまでが合理的で、どこまでが魔術か、自分で自覚できません。
判断にはすべて、感情が絡みます。
それこそ前提となる、近く情報すら感情はねじまげるのです。
偶然も重要なのに、そのことを感情は認めません…偶然は、魔術的に支配できるというのが、以前の行いや前世によって運は変えられる、というのが人間の無意識の確信ですから。

さらに、結果と行動は独立とは限らず、相互作用があります。
そこに分析の目を向ければ、本能的に嫌悪感を示し敵と認定するのです。

また、論理も理性の重要な一部でしょう。
論理というのは、あいまいさのない因果関係、人間ならほぼ全員が同意できる、言葉・図形・数式などの変形の積み重ね、でしょうか。
しかし、論理は一意的でしょうか?
同じ前提を与えられた人間は、誰もが同じ結論になるでしょうか。

数学は、前提から結果の一意性を前提としています。それが「証明」というものです。
コンパスと目盛りのない定規で角を二等分する手法を否定する人はいるでしょうか。
ユークリッド幾何学の公準を認めながら、その証明された定理を否定する人はいるでしょうか。

中国やインドの論理や数学は、それはどのようになっているのでしょう。

27

沈んだ大陸の痕跡が見つかったというニュースが。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20130226002

大陸は移動するが沈まない、は絶対の常識でした。

それも、簡単に崩れてしまうのですね。

まだ、人類の探求は何も終わっていません。
わかっていないことは山ほどあります。
世界の、土壌生物の種の、どれほどを人は知っているのでしょう。
深海をどれほど知っているのでしょう。
知るべきことはまだまだたくさんあります。

そこにはきっと、想像を絶する宝もたくさんあるでしょう。

26

ボーグ、ジャム、フェストゥムなどの「対話が困難な異星人」の側から、地球人はどう見えているのでしょう。
向こうの方が、「なんなんだこいつらは」って感じでしょう。

まず戦いたがる。諦めない。ほとんど戦うために作られた機械のような印象。
妙な情報を山ほどぶつけてくるのに、こちらからの対話要求は徹底無視。自分の精神構造を変えてチャンネルを合わせることが絶対できない。
「自分は何に盲目なのか」を考えることを断固拒否する。
ものすごく自滅的な戦闘が好き。
そのくせ意味不明な戦闘文化が山ほどあり、技術は合理性より別の論理を重視している。

25

部屋がなんだか臭い気がする…
本当に臭いか、更ににおいをたどってどこが汚れているかわかればいいのですが。
そのために訓練された犬があるとか、機械で見るとか。

需要は大きいと思いますけどね、病院や大規模飲食店、ホテルなどでは清潔は死活問題ですし。

その上にどれも、想像を絶する汚し方をする人は少数ですが必ずいますし。

24

今の日本の思想の、ポストモダンから古い左右対立構図への回帰は、もう動きが取れないのでしょうか。
これが永久に安定した状態……極相でしょうか。

左の、新自由主義・グローバリズム経済と、軍と戦前的国家主義に対する抵抗を叫ぶ声。
逆に右の、経済的には代案はないと新自由主義を称揚し、左派に対する警戒と抵抗を叫ぶ。
どちらも、自分で藁人形を用いて、それを巻き藁がわりに一人稽古をやっているだけ。

たとえ、アメリカが政治的に崩壊を起こしても?

国際政治はいくら安定しているように見えても、明日何が起きるかはわかりません。
9.11テロを予言した人はいるでしょうか?
エジプトやリビアの政権が崩れることを予見した人は?

もう、日本の思想の世界は、この現実とは関係がないのかもしれませんね。
固定客さえつなぎとめていけばいい、八十を越えた名優による超ロングラン舞台のようなものでしょうか。
宝塚のようにトップスターを卒業させ新人公演で新しいスターを育てるシステムは、必要ではないのでしょう。

23

最初の前提を選びます。
人類文明は、科学技術は、エネルギーや移動に関しては今が打ち止めでしょうか。
スペースコロニーも核融合も絶対に無理でしょうか。
もう、枯れかけた井戸、不毛の孤島でしかなく、あとは滅亡だけでしょうか。

まずそれが一つ。
少なくとも、本当に今後、エネルギーが限界なら…良質の石油の次は何もないのなら、もう経済成長などは無理で、みんなが貧しいまま大虐殺を待つばかりです。

しかし、もし軌道エレベーターに必要な、カーボンナノチューブを安価にどんな長さにでも作れる技術が、常温超伝導が、核融合炉が今日完成したとして。
それで、世界の七十億みんなが、創造的に頭を使い明日は今日より豊かになる暮らしができるでしょうか。
それとも、技術の進歩があっても、99%にはもう九九も読み書きも不要でしょうか。

スエズ運河のように、「費用はかかるけど完成すれば世界がすごく便利になる」ことは今の地球にはないのでしょうか。
それ以前に、今スエズのような場所が百あるとして、地球人にそれを掘る余力は本当にあるのでしょうか。
世界で資金が余っているし、設備余剰もひどい、失業も多い、だから余裕だと思っていましたが、本当は資金も設備も労働力も、この地球人に余力などないのでは?

22

人間は戦うことが好きです。
抵抗は無意味だ、と言えるほど強大な侵略者にも、戦い抜きます。

しかし……その、死にものぐるいの、多くの犠牲を出し続ける抵抗が、当の侵略者にとっては、まるで電池から電力を絞りだすように都合の良いことだとしたら?
人間の抵抗軍から見れば、必死の抵抗。
でもより高い立場から見れば、その抵抗自体が楽しみや、ちょっとした利益……抵抗軍が勝利することは、絶対にない……

現実に、珍しいことではありません。
パレスチナ難民が抵抗すればするほど、イスラエルの軍事予算は議会に承認され、新兵訓練では実例を元に幼児を虐殺することが正当化され、軍産複合体が肥え太るのです。

21

特に歴史上の人物は、人間個人は重要でないのかもしれません。

彼らは個人ではなく、集団の代表者にすぎないのかもしれません。
大企業の社長は、個性ある人物と考えるより、大企業の代表者であると考えたほうがいいように。

トヨタ自動車の社長個人の言動すべては「トヨタ」という企業そのものであるように、「韓信」も「アウグストゥス」も、その人個人ではなく彼が代表する人間集団、カンパニーの代表者でしかないのでは?

20

ブラジル沖で、油田開発のためにメガフロートを作る計画がニュースに出ていました。

僕もブラジルにメガフロートを、と思っていますが、用途は農業です。
アマゾン河の淡水は膨大です。そしてその多くは利用されていません。
メガフロートを、浮くタライ状にして、底に少し土を入れてアマゾンの淡水を入れて、アゾラで空中の窒素を固定して稲を育てれば…中央大西洋を覆うつもりで。
それこそ、人類全員が米を飼料に牛肉を食べ、それどころかバイオエタノールでエネルギーを使うこともできるのでは?
それができるならアマゾンを切る必要もありません。

本当に世界経済は、もうできることがないのでしょうか…そうなっては、何より問題なのは、「戦争は儲かる」より、「戦争より儲かる仕事が見あたらない」ことにならないでしょうか?
アフリカなどで戦火が絶えないのも「戦争は儲かるから」と多くの人が言いますが、戦争が儲かるからではなく、戦争より儲かる仕事がないからでは?
もっと儲かる仕事がたくさんあれば、やらないでしょう。
まあ人間は元々戦争が好きですから、戦争より儲かる仕事はあっても戦争をするかもしれませんが。

難民は、故郷に帰すよりメガフロートを耕す方が現実的なのでは?

メガフロートがなぜ歴史を動かしてくれないのか…そんなふうにこの、宇宙そのものがなっているのか…
採算が取れるメガフロートの素材がないだけなのか、それとも旧体制の陰謀なのか…

もしかしたら、我々人類は、馬鹿なことをしているかもしれないのです。
メガフロートを積極的に作らないことで。
鐙を知らなかった古代ローマの騎兵隊を笑えないほどに。

19

宇宙に、電波でメッセージを送信することは危険だ……それは反論できます。
以下、間違いがあれば指摘して下さい。

人類は数十年間ラジオ・テレビ・レーダーを垂れ流し、核実験もやらかしている。
それは事実です。

大航海時代のスペインのような、凶暴な侵略文明が近くにあったら……それが、電波送信に反対する根拠のようです。
それは、「地球外文明はその一つだけ」という仮定で考えています。
文明は、地球一つか、またはたくさんあると考えるべきでしょう。二つ目があるなら、三つ目を禁じる物理法則が何もないということですから。

そして、多数の地球外文明は多様だと思っていいでしょう。侵略文明もあるし、自閉する文明もあるし、好奇心旺盛で親切な文明もあるでしょう。
銀河系に「地球と、侵略文明の二つしかない」可能性は、「地球だけ」と「多数、多様にある」の双方より、それほど高いでしょうか?そして多数ある文明全部が一様に侵略文明である可能性は、もっと低いのでは?

地球だけなら、放送は安全なので、考えから省けます。
多数、多様な文明があると仮定しましょう。

だとすれば、今の時点で地球人文明は、情報を宇宙中に発信しています。それを回収する術はありません。
現状……ろくに地球人の文明を送信していない状態では、「うっかり発信した」電波が無数の文明の中の侵略文明に見つかり、攻撃されるのを待つばかりです。

しかし、こちらから積極的に、地球人の遺伝情報や古典文学全集の電子テキストを送れば、それは侵略文明にも参考になりますが、同時に好奇心旺盛で親切な文明がそれを受信してくれる可能性も高いのです。
そんな文明が、地球からの情報を解読し、遺伝子情報から地球人を実験室内で再構成してくれて、さらにその星からコピーした電波を発信してくれる……それが期待できるのです。
多数の侵略文明があっても、「複製再送信」文明もあるのなら、地球から電波を放送する価値は充分にあります……「地球文明の情報が全滅しないこと」を最優先価値とするなら。

さて、僕は何を間違っているのでしょう。

この地球は滅ぼされても、別の文明を中継して地球の情報が宇宙に残ってくれればいい、というのが間違い、でしょうか?
この地球だけを最優先するなら、もう何をしても無駄です。もう、人類は自分の存在を宇宙中に送信してしまいました。
今宇宙に、半径百光年近い球形に放たれている電波が、そしてボイジャーとパイオニアが、地球人のある意味保険なのです。

さらに、超光速技術も考えましょう。
まず、地球が現時点で侵略されていないので、超光速技術が存在する可能性は低い……これは言えると思います。
超光速技術があり、自分以外の文明や生命をすべて滅ぼしたがる文明は、もう宇宙全体でそれを達成しているはずですから。
地球文明の情報が全滅しないことを最優先価値とする場合、地球人にとって最も恐ろしいのは、異星人が人類が生じる前の地球を滅ぼすことです。
それはどうすることもできないし、知ることのできないことです。考える必要はないでしょう。

18

僕は、「書いてて楽しいか」と思えるような、読んでいて嫌な思いをする作品は読みたくないですし、書きたくもありません。
書くのも読むのも、頭をカラッポにできるバカな作品にしたいです。

「りぼん」「なかよし」の刺激ですらイヤです。「ちゃお」の幼稚さこそ、僕にとっては最高なんです。

17

トキソプラズマという寄生虫が、猫だけでなく人の行動も変えている、という話です。
これは人間の、自我や自由意思を根幹から切り崩す、非常に大きな発見です。

冬虫夏草と呼ばれる、昆虫に感染するカビ・キノコの類が昆虫の行動を操作する……木のてっぺんに行かせることは知られています。より高い場所で胞子をばらまくために。
ハリガネムシという寄生虫がカマキリを操り、水に近づかせて、ハリガネムシが繁殖できるようにすることも知られています。
カタツムリの目を不気味な色に変える寄生虫が、鳥にカタツムリが食べられて鳥に感染し生活環を完結させるため、隠れ場所から出るようにカタツムリを操ることも。

人間も同様に、寄生虫に操られる余地がある……

ミームという寄生者に操られている、という考えもありますね。

16

ロシアで、有史以来事実上初めてとなる、隕石による大規模な被害が。

これで少しは、スペースガードに予算が出てほしいものです。

「何千年、何億年に一度。でも起きてしまえば人類滅亡級」のことに対処するように、人間の脳はできていません。
しかし、目の前に被害があれば、危機感という感情は爆発するのが人間という生物です。

クラークの「宇宙のランデブー」シリーズでは、宇宙人が送ってきた巨大無人船に人類が気づけたのは、少し前に大都市壊滅級の小惑星被害があって監視体制が充実していたから、というのがありました。
逆にそれぐらいなければ、人類は無人で通過して観測するだけの機体だと見逃す、と言うことです。

ただ、スペースガードと、「はやぶさ」を応用した衝突防止システムは、悪用できるのが問題なんですよ。
水爆では、人類を完全に滅ぼすことは、実はかなり困難です。鉱山などで地下生活している人は核の冬も生き延びられます。
五十年もすれば地球環境は元通りでしょう。恐竜滅亡時ほどの被害ではありません。
深海や岩石深くにいる特殊な微生物には手も足も出ません。

でも、「はやぶさ」を応用すれば、ニコニコ動画の人類滅亡シリーズで用いられるような、海を全蒸発させ地殻津波で地殻の何千メートルにいる微生物も、根絶させる規模の隕石を人為的に落とすことが可能です。
今の地球で海が一度全蒸発したら、そのまま金星化は避けられないでしょう。
今の人類が知っているより深い岩石内に微生物がいても、また進化して地球を緑の星に戻すのは難しいでしょう。

今は、核以上に深刻なのです。地球全生命との無理心中が、今の人類には本当に可能なのです。

「はやぶさ」フィーバーでそれに気がついた人は他にいないのでしょうか?
まあ僕も、気がつくのに一年近くかかりましたが。

15

近代のトイレは、根こそぎ間違っているのではないでしょうか。
普通の部屋と同じ、コンクリートにリノリウム、タイルにモルタルなどの床材。壁紙。陶器の便器で水洗。
公衆トイレの場合、男性用小便器は、立つところを石材にすることも多いです。

結果は?
特に公衆のトイレは大きな心理負担で清掃されています。
そして何年も利用されていれば、どんどんにおいが溜まります。
少なくとも便器と床の隙間はモルタルが露出しており、汚れが染みます。
タイルでも何でもモルタル目地が露出していれば、容赦なく汚れが染みます。
便器にも、尿石やスライムがこびりつき、清掃でも落ちず匂いが出ます。
石材でも長期的には汚れは染みていきます。
それどころか壁紙素材の床もあり、そうなるともう…
そして床を掃除するのは、モップ。汚れを水で広げているだけです。

ばかげています。
便器も壁も床も、すべて使い捨てにすべきです。
防水加工され、かつ容易に堆肥化できる、安価で環境負荷の小さい素材ででき、蓋と取っ手がある使い捨ての便器に用を足し、それを水で臭い空気と便所を隔離した堆肥化タンクに放り込めばいいのです。
壁や床は、布を張って三日に一度塩素しこたま入れて洗濯するとか、または塗り土で作って汚れたら削って塗りなおせばいいのです。
それこそ、壁も床も全部ラップを張って、週に一度全交換でもいいのです。

損得で言っても、清掃人件費を大きく節約できるでしょう。

単純に、我々みんなが、バカなことをしているのです。

14

北朝鮮の核実験…

もう、あれは天災と思ったほうがいいのでは?
日本が何をしようと、核実験も核攻撃も止められない。
核攻撃されたら、しょうがないと後片付けをするだけ。

日本に何ができるでしょう?
制裁が無駄なのはいやというほどはっきりしています。
そして世界が無関心であることも。

日本に、軍事的に解決することが絶対できないことも。
アメリカがしてくれる気もないことも。
北朝鮮の崩壊は、核融合同様に何十年たってもあと五年、ということも。

あ、核融合は最近大きな進展があったそうですね。

そういえば、なぜ韓国は核武装しようとしないのでしょう。
日本と違って。

13

人間が「所有する」ことは、法よりも魔術の言語で解釈するのが適切です。
正確には、「魔術」という言葉そのものが、「感情を人間の言葉に翻訳する」僕特有の言葉といっていいですね。

人間にとって、「*を所有する」と、「*を魔術的な護符とする」と、「*を魔術的に拡大された自我の一部とする」と、「*を魔術的に、自分の群れとする」は、同じだというのが「僕の言葉」です。
群れ感情、護符、拡大自我、所有は感情的に、区別することはできません。

拡大自我には少し注釈が必要です。人間や一部のサルは、手に持った棒を、脳の神経のレベルで一部として扱います。
人間にとって自らの衣類は自分の体の一部、正確には「自我」という脳が構築した何かの一部です。
手に持っている棒もそうなります、脳神経を測ればその違いを検出できるほどに。
運転している自動車もそうです。おそらく舵輪のような感覚があれば、巨大な船もそうでしょう。
逆に、脳障害の症例として、医学的には体にちゃんとついていて血も通っている足を、「これは私の一部ではない、誰かが足を私のベッドに放り込んだんだ」と主張した人もいます。自分の間違いない体の一部なのに、脳にとってはそれは自我の一部ですらないのです。

さて、所有について……単純なこと。ずっと使っている炊飯器が盗まれ、同じ場所に、ワンランク上の新品が置かれていました。これは単なる不法侵入で窃盗ではない、と言えるでしょうか?
金銭的にはそうなります。
ですが、窃盗です。人間の感情にとっては、愛着がとても重要なので。

幼児から、泥で作って食べる振りをしている菓子を取り上げ、本物のクッキーを渡したら?また幼児が口に運んでいるクッキーを取り上げ、かわりに五倍のカロリーがあるショートケーキを与えたら?
泣き叫びます。
手にした時点で、それは幼児にとって「かけがえのない」ものなのです。

また、AとB、どちらも二食分の肉を持っているとします。
別にそのままで、どちらも問題ありません。
でも、AはBから奪いたがります。
Bは、一食分なら渡しても問題ないのに、奪われることに激しく抵抗します。その抵抗するエネルギーで、三倍の肉を得られるとしても、その抵抗を優先します。

Aは、意識的にではなく、Bその人を所有しようとしたのです。
魔術の論理では、「Bの護符を奪い魔法をかける」ことで、Bを奴隷にできます。
その一食分の肉は、Bの拡大された自我であり、魔術的な護符です。それを奪って、Bを所有する……自分の拡大された自我、群れの下位の一部として取り込み、支配する……そうしたい。だから取り上げたいのです。
そして、Bはそれが嫌だから、支障がなくても抵抗するのです。
「お前の物は俺の物、俺の物は俺の物」というのは、「お前は俺の奴隷だ」という意味なのです。

「護符の剥奪」と考えれば、国家、特にその権威を担当する学校・軍隊・刑務所が熱心に私物を没収することが、明晰に理解できます。
国家、特に権威主義的システムにとっては、「個人が自分を護符で護っている」こと自体=「国家の奴隷・群れの一員・所有物でない人がいる」こと自体が、絶対に許せないのです。
男の子のギャング集団は、新入りの「女々しい品」を熱心に剥奪し、自分の手で冒涜させます。
母親から贈られたペンダントを取り上げ、つばをかけ、本人の足で踏み潰させることで、新入りは「その家族の一員」ではなく、「ボスの奴隷」=「ギャング集団の一員」になるのです、魔術的に。
アフリカの武装集団がさらった少年兵に、その家族を殺させることと同様のことを、魔術儀式としてやっているのです。
それも同様の魔術の論理であり、軍隊が新兵を丸坊主にさせるのも、同様のことなのです。

人間を支配しているのは、理屈ではなく魔術なのです。

12

人類の絶滅を避けることを最優先する価値観なら、人間の遺伝子改良は?
人類が遺伝子改良されてしまえば、それは現生人類の絶滅になる、だから反対すべきだ、となるでしょう。

これは人間の問題を考えていてはわけがわかりませんが、作物を考えればわかりやすいです。
品種改良?がんがんやれ。遺伝子組み換え?自然ではウィルスがいつもやってる。
でも単一作物は避けろ。アイルランドのジャガイモ飢饉を思い出せ。
野生種の保護は最優先。本当に厄介な疫病が出たら、多様な野生種だけが、絶滅を免れる手段だ。
地域の固有品種もできるだけ作り続けろ。遺伝子の多様性こそが、最高の伝染病対策だ。

要するに遺伝子改良大いにやれ、でも野生種を残し、多様性を増すように、です。

11

人間はどうしても視野が狭くなります。
戦争責任に対して特に良心的な人は、徹頭徹尾「アジアの被害者」に寄り添います。
その被害者の感情がある以上、応えなければならないと。

しかしそれは、「おじいちゃんは悪人じゃない、英雄なんだ」「実戦を知らないヤツだよ、虐殺や強姦を裁けるのは」という、感情は悪として斬り捨てるだけです。

さらに、世界全体の歴史を見渡せば、それでも日本の近代史は単なる侵略でしかなかったのでしょうか。
侵略であっても、日本という国が強くなり、勝利し、抵抗し、侵略する権利はなかったのでしょうか。

侵略は絶対悪だ、は日中戦争のときも国際法でそうなっていた、と言いますし、他のみんながやっていても悪は悪だ、と言われます。
しかしそれは、人間やその集団に、期待しすぎではないでしょうか?

ナチスドイツが絶対悪なら、仲間の、祖国のために自分の生命を犠牲にして戦い抜いたナチスの軍人は、悪人でしょうか?
日本が中国を侵略したのが絶対悪なら、その侵略のために苦痛を忍び、生命を犠牲にして闘い抜いた兵士は、悪人でしょうか?
コロンブスの、マゼランの船の水夫は、コルテスの部下は、悪人でしょうか?
コロンブスは悪人でしょうか?

結果だけを言うなら、ジェンナー・コッホ・パストゥール・フレミングらは極悪人です。膨大な人口増加の原因となり、それにより無数の侵略を成功させたのですから。
結果だけを言うなら、マンハッタン計画の物理学者は皆悪人でしょう。
ロペスピエールは悪人でしょうか?カルヴァンは?

今の規準。結果論。非暴力。さらにどれほど深く批判しても、無意識にすら差別・偏見・人種的優越がない。それを満たす人など誰もいません。
聖人とされる人々ですら、今の規準では多くの差別や偏見があり、奴隷制や女性差別、侵略を容認する悪人でしょう。
連合赤軍で生きるに値する人が誰もいないように。無限に、完全な自己批判を果たし、一点の悪もない、完全な革命戦士である人など、誰もいないのです。さらに結果責任まであっては、神ですら罪を免れないでしょう。

日本人に、「お前の祖父達は悪人だ。お前も悪人だ」と本当に、心の底から徹底的に納得させることは、無理です。人間にそれを求めることは無茶です。
僕に言える言葉は一つ。
人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。

ただひたすら「日本人は心から反省し謝罪しなければならない」、それを絶対の前提にして、それから逆に論を組み立てている…どんな反論も、反論しようとしたらその時点で有罪だ、許さない、それだけなら…もう、相手にするだけ不毛と言うべきでしょう。

10

新しい時代は、単純に考えればただの地獄では?

人間を分けましょう。天才、優れてる、劣ってる、の三つでしょうか。
目指すこと。独創的な道と、体育会的な物を考えない道。

古い時代は、全員を体育会的な物を考えない組織に入れようとしました。
天才は元々、独創的な道に行きたがります。優れてる人も劣ってる人も、一定数は独創的な道に行きたがります。
さて、昔も独創的な道に行って成功するのは、天才は結構多いでしょう。
優れていればある程度は成功するでしょうが、それほど多くはありません。別の資質と、さらに運も必要なのです。
劣っていて、それでも独創的な道で成功するのは、桁外れに少ないでしょう。

大半は体育会的な道で辛抱し、劣った者でも大半は家を買い結婚し、一人前の民になれました。
無論それは、左派の基準では市民とは違う、家畜的な存在です。でも日本社会では一人前として認められます。

さて、新しい時代。
新しい時代は、独創的な道のほうが体育会的な道よりもてはやされます。
そして、それまでは百人の実質全員を支えていた体育会的な道では、新しい時代では通用しない、九割は潰れる…とも言われます。

さて、ここで重大な欺瞞があります。
新しい時代では、独創的な道で成功した人がもてはやされます。圧倒的な富を得ています。
しかし、「絶対的な成功率は非常に低い」こと、「天才でも必ずしも成功しない、優れていても多くは失敗する、劣っていたら成功するのは何億に一人の例外」ということは、古い時代から見てもいささかも変わりません。
独創的な道で成功した人は確かに巨富を得ますが、人数はそれほど変わらないのです。

期待値というものがあります。
確率に、当たり金額をかけていった数字です。
ある賭博が、長い目で見て割に合うかどうかは、それで測ります。
逆にカジノは、期待値が自分にとって得であれば、一つや二つの負けは無視できます。
逆に客は、一生に一度のプレイならわかりませんが、一生何千回もプレイしたら、必ず損をします。
しかし、宝くじのように圧倒的に当選者が少ない賭博は、期待値すらあまりあてになりません。

特に劣った者にとって、独創的な道の期待値は、新しい時代でも、圧倒的に低いのでは?期待値が上がっても、当選者が少なすぎてそれをあてにするのは愚行なのでは?
そして生涯賃金の期待値は、いくらほとんどは潰れていくと言っても、体育会系の道のほうがずっと高いのでは?

さらに、体育会系の道の旧来型の賃金支払い組織の多くが潰れることは、単純に社会全体の賃金の期待値を、めちゃくちゃに減らしてしまうのでは?

新しい時代。
天才は期待値は上がるけど成功する確率は低いまま
優れた者。期待値が下がる
劣った者。期待値が、実質ゼロになる。
それだけなのでは?

9

ブラック企業の過労で倒れた人が、自分たちを燃料と呼びました。
燃えつきた後には何も残らないからです。

日本人の大半を、「燃料」として消費し、優れた人たちが飛行機のように離陸する……それでいい、別の選択肢はない、という見方は?

大半の人が正規の社会人になれない時代に、人が成熟しないことを責める…
そこには原因と結果の混同があります。

三割が非正規社員なのは、彼ら全員が人間的な未熟さゆえに落ちた、という説明と、だから全員人間的に成熟すれば正社員になれる、という対策、二重に間違っているのです。
単なる時代の変化、統計の問題です。

そのことを認めた上で。
新しい時代には、先進国の多くの人が、経済的には不要となります。

保守思想的には、伝統を受け継がない失格者として切り捨てるほかないでしょう。
共産主義的にも、ルンペン・プロレタリアートは不要な存在です。

では殺処分が本当に経済・国家にとって最善なのか、と考えると、まず中産階級なしで、圧倒的な豊かさは可能でしょうか?

もう一つ、本当は「自給自足生活」という選択肢も、今なら可能なのでは?

8

もうフライドポテト・フライドチキン・コーヒー・コーラの自販機は完成しています。

なのになぜ、世界は変わっていないのでしょう。
無人のファーストフードは、もう可能なはずなのに。
ハンバーガーだってすぐだと思います。

というより、カレー(できればカツカレー選択可能)や牛丼、スパゲッティも今は簡単だと思います。
買収されたコンビニ、am/pmの冷凍弁当技術は、容易に自動販売機にできたはずです。
というかあの冷凍〜電子レンジ加熱の弁当技術は結局、失われたのでしょうか。
保存料不要など多くのメリットがあったはずなのに。

自動販売機のほうが味・価格・待ち時間ともにいいはずなのに、なぜこの社会はそうならないのか…
必ずしも、効率だけで動いているわけではないのです。

7

『いま集合的無意識を、』(神林長平)で、フィクションとリアルという言葉があります。
フィクションは、リアルに対抗するための、人間の武器だ、と。

ですが、地球が一瞬で焼きつくされるようなリアルには、人間のフィクションは無力です。

フィクションともリアルとも違う、「すべての卵を一つの籠に入れるな」「生物のr戦略繁殖と進化を模倣せよ、タンポポのように多数の、少しずつ違う種をばらまけ」という道を、僕は考えているのですが……なぜそれは考えられないのでしょう。
どう間違っているのでしょう。

人間は、文明崩壊を避けるために、「正しくする」ように訴えています。
正しい船長に、正しい船員が正しく従い、正しく舵を切れば、絶対に無事に目的地に着く……嵐は禁じられた女が乗っているからで、女を海に放りこめば鎮まる。保険も救命ボートもいらない。それが人間の根源的な論理です。

それとほぼ同様ですが、「最後の審判があるのだから、明日のことを思い煩うな」という宗教も人間は好みます。

僕はそれだけでは不足だ、「すべての卵を一つの籠に入れるな」「生物のr戦略繁殖と進化を模倣せよ、タンポポのように多数の、少しずつ違う種をばらまけ」と主張しています。

でも第四の……正しさ・信仰・生物の模倣のどれとも違う、別のやり方はないのでしょうか?
人間とも、生物一般とも違う、別のやり方は……

6

十ドルのチリワインが、千ドルのグラン・クリュと味が変わらなくなり……同時に、価格差が際限なく広がります。
それは、きわめて強い不公平感にもなり、不合理です。

しかし、押しとどめられない圧倒的な傾向なのです。

知識の時代、というのは、能力が高い低いですら、事実上ありません。評価の高い低いでしかありません。
その差が圧倒的なのです。

実際に収入を得るだけでも、際限なく高い能力と、加えてとんでもない幸運が必要なのです。
最高の能力を持ちながら生涯不遇に終わるのが、大半なのです。

そしてもっと圧倒多数は、能力すらなく誇大妄想だけの存在なのです。

それが、これまではごく一部のスポーツや芸能だけだったのが、社会のあらゆることに当てはまってしまうようになります。
それが、「知識社会」というものの恐ろしさです。

それで起きることは、とても単純な一言にもできます…二極化。
それを前提として、いかなる社会思想、政治思想がありえるでしょうか?
すべての前提が変わったのです。

そして希望がなくても欲望はなくならない…となると、もう安楽死しかないようにも思えます。

5

西洋の靴の形って、根本的に、とことん間違ってません?

人の足の形は全体で見ると、先が平たく後ろ端が丸い、細長い三角形。
先のほうは平たい短い辺が、斜めについている…個性はありますが。
タントーブレードをドロップハンターの、切り出しを短剣の鞘に入れているようなものです。
それどころか、先端が丸どころか尖っている靴さえあります。ノミをキリの鞘に入れるようなものです。

昔は、「鐙に足を入れるための乗馬ブーツ」と考えれば、先が尖っているのは理解できます。
でも、馬に乗らないのになぜ、靴を足に合わせるのではなく足を靴に合わせるのでしょう。

または、木をろくろでくりぬいた木靴が元だとか。

それに、普通の短靴が締めているのは、基本的に一本の帯、土踏まずから足の甲を締める靴紐がある部位だけです。
特に、足のかかとと靴のかかと部を、靴を前に出す方向に締める力はまずありません。
それがある、半ばブーツのような靴は独特の一体感があります。

この愚行は永遠に続くのでしょうか。

21世紀も、男性は背広を着ています。いくつかの未来想像図とは異なり。
22世紀も、もし来れば23世紀も、背広を着ているのでしょうか。

4

人に器用な尾と、額に頑丈な角があったら、人間の言語は全然違うものだったでしょうか?

または性能のいい楽器…口笛と手拍子だけでも、小さな笛と太鼓を持っているに等しいですよね。

音声器官がなくても…ニカラグア手話、人は手振りからでも言語を創造できるそうですが、つまり人間の音声器官が稀有なのではなく、人間の言語を創造する脳が稀有…

3

体罰に関して、人間特に子供は何なのか、でズレがある気がします。
体罰反対派は、「人間には言葉がある」を強く主張します。
逆に体罰容認派は、「言葉では分からないから体罰」です。

現実の人間……ホモ・サピエンスという動物の幼体は、むしろ体罰容認派のほうが正しくも思えます。
現実の、人類という動物は、システム1と2、腹と頭……

特に、体罰容認派が注意を呼びかけるのは、言葉で言って聞かない子がいるという事実です。
子は大抵、きわめて強い感情に支配されています。
その状態では、他人の言葉、特に自分を否定する言葉は耳に入りません。
また、目の前の教師を「敵」かつ「下位」と思っている場合、どんな言葉であれ、考えずに偽と判定し無視します。
特に、同級生集団がギャング集団と言うか、独自の規範と上下関係を確立したカルトを構成しているときには、その敵である大人の言葉は耳に入りません。
体罰が有効に見えるのは、その状態で暴力によって相手の感情を動かし、強制的に「自分が上位者だ」と示すことができるからです。
「耳に入らない子」を取り扱う適切な方法を考えない体罰反対派には、考えに穴があります。

また、体罰反対派には、「邪悪な人間などいない」という前提も感じられます。
いるのです。
邪悪な子を扱う方法がなければ、絶対的体罰禁止は悪を野放しにします。
より小さい悪を選ぶなら論理的には一貫しますが、体罰がなければ真の指導力が生じる、真の指導力があればどんな子でも改心させられる、というのはただの思考停止です。
邪悪…反社会性人格障害の子供版にも、体罰を含め罰は無効です。
しかし、公開で体罰を与えることは、特にそれで泣いたりする反応を引き出せた場合、「この子はそんなに偉くないぞ」と全員に見せる効果にはなります。
それがなければ、邪悪な子は簡単に船長不在の教室の船長となって、全員を奴隷にするでしょう。

僕自身は体罰は嫌いです。
しかし、体罰反対に欺瞞があるのであれば、それは解決すべきです。

2

体罰などの問題で思うのですが、今のこの現実の地球、そしてごくわずかな過去は、僕には想像もできないところです。

僕や、今ネットを見ている人々が知っている世界は、巨大な森の、小さなイチジクの実の中でしかありません。
食糧が豊富で外敵のいない天国。
人間には、身のまわりの世界だけしか見えません。
産まれた子を間引くことを、考えもしない世界。子が育ち、妊婦が無事に子を産むことが当たり前の世界。
自分で育てた……または隣と交換し……動物を自分の手で殺して肉や皮とすることを考えない、肉はパック入りでスーパーに売られている世界。
子が餓死することが、当たり前ではない世界。子を替え合って食うことが考えられない世界。
一週間何も食べられないことが、当たり前ではない世界。
娘を二着の服・三十キロの米と引き替えに売ることが、考えられない世界。

ですが、今の地球の……おそらく八割以上は、そちら側です。
そして今の先進国でもつい百年ちょっと前は、そうだったのです。

人間の生命など、ペットどころか、家電製品並みの使い捨て。
女子供は家畜であり、暴力で完全に絶対服従させるのが、唯一の接し方。
死ぬまで働かせ、走らせ、餓死させても、別になんとも言われない。
気まぐれで処刑しても、それは当たり前。
想像を絶するほど深い憎しみと、現実の体験である激しい体罰で叩きこまれた恐怖と服従、それだけが現実。

今の日本も、多くの組織はそんな常識の人々が築き上げ、その伝統を大切にし、「考えるな」「これが正しい」「この組織こそこの世で最も正しく強い」と叩きこんで受け継がれてきたものです。
その組織の人々は、ある意味戦国時代の人、虐殺が当然の紛争地帯の人のようなものです。

そして、今ネットやマスコミで体罰を批判している人たちも、職場では激しい体罰や罵倒を受け、土下座して頭を踏みにじられるのが……踏みにじるのが「当たり前」ではないでしょうか?
現実は厳しいのだ、甘えるな、で済ませているのでは?
本音と建前、娑婆とここの論理で生きているのでは?

本当に法と人道では、現実世界では生きられないのでは?
ブラック企業でなければ、サービス残業がなければ単に倒産するだけなのでは?

逆に、別の意味で想像を絶する世界にいる人々もいます。
国家すら、小さな商品でしかない人々。
気軽にクーデターを命令し、何万人も処刑する独裁者を政権につけて、平気でいる人。
空から無人機で結婚式を爆撃できる人。
拷問を命令できる人。

1

僕は「宇宙船地球号に、救命ボートはない」と言ってきました。
しかし、地球外のボートほどではないですが、ちょっとした救命胴衣ぐらいはあります。

戦略原潜。
大量の核ミサイルを積んだ、人類を滅ぼすための最終兵器です。まさに悪の権化。

ですが戦略原潜は、文字通り「核戦争から生き延びる」ためにできています。生き延びて敵国を全滅させるためとも言いますが。
逆に、地球に今恐竜を絶滅させたような巨大隕石が落ちても、ベテルギウスの超新星爆発のガンマ線が直撃しても、戦略原潜は膨大な海水という強固なバリアに守られているのです。
巨大隕石が海に落ちて、その至近距離の潜水艦はやられるでしょうが、大西洋がアメリカ大陸の半分を洗う津波になっても太平洋の深海は無事でしょう。
内部で、小型原発の電力で海水を電気分解して、真水と酸素をいくらでも得て、何年も呼吸し続けることができるのです。
食糧補給さえあれば、何十年でも深海に退避していられます。

人類が滅びる理由を、神関係なしに百種類想定して、その90までは戦略原潜の乗員は助かるでしょう。
さらに、海面に顔を出さずに数十年分の食料・部品・医薬品を補給できる備蓄倉庫が海中にあれば…本当にあるかもしれません…恐竜絶滅やスノーボールアースさえ含め、98までは大丈夫でしょう。
すべての戦略原潜の乗員が助からないとしたら、それは海水が全て蒸発する事態、ということです。
それは、人類が滅びる事態を多数考えても、さらにごく少数でしょう。単純に隕石の大きさがべき乗則に従うとしたら、人類を滅ぼす規模の隕石の、さらに万分の一でしょう。
少なくとも地球の生命が繁栄しはじめてからは、一度も起きていません。

あとは、簡単なことです。
今の戦略原潜の乗員を、全部男女同数にすること。
移動能力が極度に低い、殻だけがとことん大きい原潜をいくつか作って海中深くに沈め、その中で牛・羊・犬・馬・山羊・ラクダ・鶏・鯉・モルモット・ミツバチ・カイコなど主要家畜を近親交配で滅びない程度の数育て続けること。
海面に顔を出さずに補給できる備蓄倉庫。家畜の飼料も含めて。
深海底のあちこちに、主要な作物の種籾と、主要な本の電子化ディスク、そして大量の弾薬と装甲車程度の兵器も沈めて、原潜の乗員だけが場所を知っておくこと。
それで、人類滅亡シナリオの大半から、人類は回復できるでしょう。文明を再建することも可能でしょう。

いや、破局の結果地球が暴走温暖化で金星化するという最悪の事態でさえ、寒冷地などでは人類は何千年も、少人数なら何とか生きていけるでしょう。

これ以上の皮肉はないですね。人類を滅ぼすための兵器が、人類滅亡を回避する最後の希望なのです。
実際にそこまでやっていてくれることを願いますが…軍の男性中心主義と、あと「原潜乗員を男女同数にしたら、人類が滅んでも別にいい、とこっちが思ってると敵に思われる」という戦略的解釈でやっていないかもしれません。

簡単にできることは他にもあります。
一万年後と十万年後に、地球に戻るような非常に長い彗星と同じ軌道で、世界各国の国会図書館の中身全部詰めた人工彗星を飛ばすのです。