枕元の計算用紙

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31

「本当にそうしたらどうなるか」どれだけの識者が考えているでしょう。
特に保守系の、福祉はなくせ甘やかすな系の人々は。

「あなたの政策が実現されたら何人餓死しますか。何人連帯保証で首を吊りますか。何人借金が返せず社会から追放され絶望しますか。何人の女性が風俗に叩き込まれますか」と一度問うてみたいものです。

誰も餓死しない。誰もが屋根の下に暮らす。もっとも貧しい家に生まれた天才児が教育を受けられる。誰もが椅子を持ち、社会の一員として生きられるし、また社会的に恵まれていない孤立した人も死ななくていい。
それに同意できないというのは、すなわちナチスの強制収容所と同じ、この丸太を担げぬ者はガス室だ、ということです。

問題なのはいまの貧しさ以上に、「梯子に手がかかっていない」ことです。
ベトナムの平均年収の三倍稼いでいるとしても、単純労働しかしていない派遣社員に未来・希望・属する群れはないのです。
頑張っていないからだと精神論で言っても意味はない、椅子が統計的に少なければ統計的に多数が落ちるのです。
それが老いた時に起きることが予想できないのでしょうか?
ガス室ならガス室で今から建てはじめないと間に合いませんよ。

それぐらい切迫した、絶望的な事実です……氷河期フリーターもリストラ親父も、もうまともな仕事を今から学ぶことはできないでしょうし、技術水準自体がまともな仕事を減らすのです。

今も世界は急速に成長している、この空前の繁栄時代に未来を心配するのは愚かだ…という意見もありますが、それでも構造上多数の人間が実質不用になることは変わりありません。
また、技術は今が限界ではないかという不安があります。核融合は不可能、宇宙エレベーターによる宇宙太陽光発電も不可能、太陽光発電や風力発電は石油の無駄なら、石油が尽きた時点でこの近代文明は終わりです。

本当にそうしたら…についての想像力が不足しているという点では、軍隊も警察さえもなくしたいような人々も同じことです。

30

アメリカやヨーロッパ、日本もですが問題なのは「目標がない」ことです。
中国やインドだって、日本やアメリカより豊かになったら、それでどうするのでしょう。あとは高齢化と財政破綻で自滅するだけしかないように見えます。

では想像してみましょう、「いまアリアハン大陸が浮上したら」。あの位置にあの規模の大陸ができたら、世界中からどれだけの開拓者を集めることができるでしょう。
または「量子実験によって、バミューダ三角地帯から船で、人類が発生しなかった平行宇宙の地球(森ばかり、手つかずの油田もそっくりある処女地)に行ける門が開いたら」。

世界全体で急速な経済成長が起き、今排除されている職・希望・帰属のない若者もそれらを得られるのでは?
それがない現実においても、同じように「新大陸を探せば」、どうなるでしょう。

まだ冷蔵庫もエアコンも自動車も持っていない五十億かそこらの人々がいます。
無限の宇宙と広い海や砂漠、莫大な量の海水があります。地球の日光の大半、そして太陽の総放射エネルギーのばかばかしいほどほとんどは利用されていません。
それを切り開くことはできないのでしょうか?
海水で育つ塩生植物は何万種もあります。
海藻の養殖技術、広い地域に飛行機で肥料をばらまく技術は確立されています。
現在あるケブラー繊維などで、スカイフック式の軌道エレベーターは充分作れます。

ありあまる、ありすぎて投資先に困るほどの金があったのではないのですか?
その金で「2020年までに餓死をゼロにし、2030年までに化石燃料を全廃し、2100年までに六十億人をスペースコロニーに移民させて地球の森林被覆率を産業革命以前に戻す」ことはできないのですか?

人類全体が「自分たちは無力だ、世界の貧困をなくす力も宇宙を開拓する力もない」と信じてしまっていることが、今の混迷の本質だと思います。

29

僕の文章を、相手がどう読んでいるかはわかりません。
それを制御する技術を持たない僕が何を書いてもある意味無意味です。

それ以前に…僕は日本語を書けているのでしょうか。
狂人が誰にも理解不能な、何の意味もなさない文字を連ねているだけなのでは…という不安が時にあります。

28

人身御供がある社会を僕は想像できません。
ある日突然、神託一つで自分や恋人、子供が殺される社会を。

徴兵制がある社会も想像できません。
奴隷制がある社会も想像できません。

また、逆に死刑が廃止された国の住民は、死刑がある社会は想像できないのでは?
今の僕が公開拷問処刑がある社会を想像できないのと同じように。

そして、受験がない社会を想像することもできませんし、逆に向こうもこちらを想像できないでしょう。
脳直結コンピューター兼携帯電話ができれば、現在の試験は全て無意味になります。

でも今、互いの想像可能性をなくすような社会の変化がおきているかもしれません…自営業が壊滅し、格差が事実上身分になることによって。
多数の外国人が近所に住むことによって。

それどころか携帯電話、インターネットのない社会すら想像できませんが、逆にテレビっ子がテレビのない時代を想像することも困難でしょう。

27

これだから人類の発祥に関する話は怖い。
たった一つの化石がこれまでのあらゆる積み重ねをひっくり返すんですから…

だからこそ科学だともいえるでしょう。

それにしても、この化石一つで僕の頭でもひっくり返されたことがどれほどあるやら。
もっと情報が欲しいです。

26

ただ「ルーラ」または「キメラの翼」があったとしたら、世界はどれほど違う歴史をたどっていたでしょう。

情報面ではどれほど広くても世界は一体です。
古代帝国のレベルで、完璧な郵便網を容易に作ることができたでしょう。
そうなれば帝国が崩壊するのもかなり遅くなるはずです。モンゴル帝国も情報によって滅びた面が大きいですし。

逆に高速通信の存在は、守る側にも有利です。
分散した見張り塔からいち早く敵影を探知、すぐに本国に飛んで大軍を送ることができますし、精鋭部隊を先行させることもできます。
いや、高速通信の存在は外交もまた別次元にするでしょう。

交易面でも、手で持てる程度の荷物、いや船に積めるほどの荷物を高速交易できれば、それほど有利なことはないでしょう。
手で持てる重量でも贅沢な布や香料、書物などは桁外れの収益を生みます。
さらに書物をその速度で交易できれば、全てが焼かれるリスクも小さかったでしょう。

船での大量輸送が高速で、しかもまた途中の嵐や海賊の心配がない安全なものであれば、食糧の大規模交易から飢餓のリスクが大きく軽減されるでしょう。
それも社会構造を大きく変えかねないことです。

さらにもうだめだ、となったら母港に船ごと引き返せるので、航海も現実世界よりはるかに早く進展したでしょう。

他にもさまざまな呪文について同じことが言えそうです。

25

入場券・定期券などで、目的より外に電車で行き、また帰ることはキセル扱いされます。

でも、電車ががらがらで、一車両に一人か二人しかいない状況はたくさんあります。
通勤列車の逆方向もそうですし、回送も多いです。

そんな電車を、移動ではなく「エアコンの効いた環境で座ってくつろぐ」ために利用することは認められないのでしょうか?
別に半額支払ってでも。

24

ドラゴンクエストには幾つかおかしい点がないでしょうか。

まず「敵にアストロンかけて逃げる」ことができないのは謎ですね。
というか全員にラリホーが効いてるのに逃げられないこともあります。
レムオルがエンカウントを防がないのも不思議なことです。

より現実的には、弓矢・投げ槍など飛び道具を使わないこと。
クロスボウが4以降出ますが、それも剣と同じ距離無関係の武器として扱われます。
ブーメランや鞭が対集団効力を持つのが、飛び道具の概念に少しは近いでしょうか?

銃以前であっても、熊狩りに鉄の鎧と盾、鋼の剣は狂気の沙汰といわれるでしょう。
大型獣を狩るには集団、軽装備、弓矢か投げ槍などの飛び道具と槍が鉄則だったはずです。

また、馬なしで長距離の原野を旅することはできるでしょうか。人間が背負える荷物はどれぐらいでしょう?まして徒歩単身での砂漠越えは不可能です。
原野のどこにでも真水が湧くか魔法で飲み水を得ることができ、また食糧は狩りで得ているとしても……でもローレシア王子の一人旅に魔法の助けはありません。魔法の水筒と魔法の明かりは魔力が必要ない標準装備、というならわかりますが。
食糧を狩猟で得ているとしても、そのためには十キロ単位の塩を背負っていなくては肉や皮の保存ができません。その保存も魔法と考えたとしても、荷物量はあっという間にふくれあがります。
まともに旅をするなら屈強の遍歴騎士でも最低限二頭の馬と四頭のラバ、それを世話する従者一人が必要になるはずです。
いや、乳を出す家畜の群れを含んだ遊牧に近い旅の方がまだ現実的です。

それこそ、荒野を旅するのに必要な装備を頭からリストアップしてみましょうか?
本当に最低限でも寝具として十分な厚みのある防水性の革か布が一畳分ぐらいは必要です。それがどれほどの重さになるかわかりますか?というか背中に普通にたなびいているマント、あれが革であるにしてもフェルトであるとしても、何キロあるか想像したことがある人はいるでしょうか。本を詰めたリュックより多分重いでしょう。
まともに眠れるようにするならテントの分の二畳分の面積の布か、ハンモックと保温性のある寝袋か毛皮が必要になります。
雨や雪の中で何日も野営することを考えれば、中で小さな焚き火を保てるレベルのテントか、最低限の余裕があるテントと悪天候があっても木を燃やし続けられるストーブがなければきわめて危険と思っていいでしょう。どちらにしても恐ろしい重量です……合成繊維も、それどころか木綿すら期待できないのです。
毎日水源が見つかるか魔法で補給できるとしても、水筒は四リットル分ぐらいは欲しいです。もしそれがないなら、日数×人数×四リットルが生命維持ギリギリの最低限です。
塩もキログラム単位で必要でしょう。
食糧は何日分必要でしょうか?狩猟で得られるにしても、悪天候を考えてみれば三日分ぐらいは常に余計に必要です。三日分の食糧は、現代技術の粋を尽くした軍用携行食でもひと荷物です。
酒、できれば蒸留酒もリットル単位で必要でしょう。傷の治療にも重要ですし。
また食物を調理するのに鍋が必要になり、多人数だとトイレのためにシャベルが必要になります。それもアルミニウムもチタンもない事をお忘れなく。今ホームセンターに売られている鉄フライパンや中華鍋すら、その薄さとそれを可能にする鉄の均質さはオーバーテクノロジーでしょう……ダッチオーブンぐらいの重さになってしまうかもしれません。またはより現実的な、土鍋を背負って歩くのは完全に不可能です。
砂漠や雪原では燃料の入手も困難になりますが、燃料を携行することを考えるとそれこそ背筋が寒くなります。
斧か鋸も必要ですが、それは剣で代用できるでしょうか?
必要な書類も何十枚にもなるはずです。現金で物事が動くわけではない前近代では、あちこちの街に入るにも宿に泊まるにも王に謁見するにも、膨大な通行手形・紹介状を必要とします。その紙も近代紙と違って大いにかさばります。
というかそれ以前に、中世での旅では「宿屋」というのは商人階級のやや下の話であって、武装通行が認められる騎士階級なら紹介状見せて貴族の城や修道院に泊まる、というほうが普通なのですが…だから城は簡単にホテルに改装できるのです、元々多くの人を泊める機能があるので。
そして金すら、非常にかさばり重い品になってしまいます。アルミ製で軽量の一円硬貨でも二万グラムは二十キロですよ。紙幣でさえも大金になれば、銀行強盗や誘拐犯はその体積と重量に苦闘するのです。
二万ゴールドは多分、重量挙げの選手でも苦闘する代物でしょう。
一人で背負って歩くのは不可能に近いことがすぐ分かります。役畜は絶対に必要です。

船が最も奇妙です。グラフィック上は三本マスト横帆です。
でも海洋冒険小説などでは、そういう船は戦時は百人以上の乗員を要します。大砲を用いない、ただ航海するだけでもその四分の一は必要でしょう。
さらにあの行動の自在さは、ガレー船かもとさえ思えます。でもガレー船は外洋航海に適さず、帆船以上に多数の人手が必要です。
少なくとも三人では、昼夜交代も不可能です。2で三人だけで航海していたとしたら、眠る必要があればどこかに寄港して錨を下ろしていたのでしょうか?それにはあまりにも広大な大洋がありましたが……
更に人数がいれば、海上戦闘は船員たちも水兵として戦いに参加するはずですが……厳しい契約で、水夫は戦いに参加しないと決めているのでしょうか?でもそうなると、主人公が全滅したときは……
でも考えてみれば、3の下の世界で、「船をくれた港の人」が百人以上の人手を集め、優秀な士官を得て指揮系統を定め、それが勇者に従属するように確定し、その水食糧衣類まで……港の人の負担にしても勇者自身の負担にしてもあまりに莫大です。
そして勇者に、その「船長としての」訓練は誰がするのでしょう。2は海に接したローレシアの王子であり、3は海国アリアハン出身の、おそらく騎士階層出身の若者でしたが、4の主人公は山奥の村で生まれ育ち、船長としての訓練は一切受けようがありません。トルネコに全て委せていたのでしょうか?トルネコは港町出身ですからその技量があっても不思議ではありませんが。
やはり一人で操縦はできる、ほぼ完全に自動化された小型船なのでしょうか。でもその場合余計に、乗る側が高い船の技量を持っていることが必要になるでしょう。
それに、一人で操縦できる船なら一本マスト縦帆帆走描写にした方がまだ最低限のリアリティはあると思いますが……
さらに恐ろしい問題があります。近代以前の木材むき出しの船は、定期的に船を岸に乗り上げて傾けるか、潮汐と追加浮きを利用してしっかりしたドックに上げるかして、船底を定期的に清掃しなければ貝類や海藻の付着、そしてもっと恐ろしいフナクイムシの食害で短期間で行動能力を失い沈没に至ります。
当然その修理には莫大な人手、すなわち金がかかります。それは誰が?ルプガナ商人やポルトガ王が?それともローレシア王やアリアハン王が?

あと人口密度が低すぎるのも不思議ですね。世界そのものが狭いとしたら、逆に文明は維持できません。
多くの村は重要でないので入らないだけ、と思えばいいのでしょうか?

23

「はやぶさ」は小惑星衝突災害を避けるためのあらゆる技術のベースです。
また小惑星を捕獲して資源とする技術のベースです。

どこが無駄ですか?

…小惑星を地球にぶつける超兵器の基礎になるから反対といわれたら反論できませんが。

22

「生の実感」「完全な自尊心の満足」「神を見る」「神秘体験」「臨死体験」「性的快感のきわみ」「恐怖」「死刑執行直前の無罪」
などの薬があったら世界はどうなるでしょう。

禁じられることだけは確かです。

21

スターリンが死ぬとき、全人類を道連れにしなかったのが不思議です。
もし小惑星制御技術を持っていたらやっていたでしょうか。

金日成も、全人類は難しいにしてもかなりの人数を道連れにできました。
サダム・フセインも、自分の破滅を確信してからイスラエルとアメリカに大量破壊兵器をぶちこむ余裕は本当になかったのでしょうか?

彼らの「邪悪」はそれとは質が違ったのでしょうか。

今後小惑星を制御する技術が発達したとき、どこかの狂った金持ちが全人類を道連れに自殺しようとしないでしょうか?

20

高度成長期、多くの労働者が家を買いました。
なのになぜ、今も若者は住宅ローンで苦しんでいるのでしょう。

いや、その親の持ち家にパラサイトできるから何とかなっている若者も多いんでしょうね。

19

ガラス浮きをガラス鎖でつないでサンゴ礁ができる緯度の外洋に浮かべておけば、それにサンゴ礁ができるでしょうか。
それともサンゴ礁には浮力だけでなく、大地から供給される何かが必要なのでしょうか。

自分で浮くサンゴがあれば、それこそそれだけで温暖化など解決されるでしょう。
二酸化炭素を吸いすぎてスノーボールアースになるかもしれませんが。

海水で育つホテイアオイ……空中窒素固定能力を持つアゾラも二酸化炭素を吸い尽くしてスノーボールアースにできそうですけど。

といっても、今世界で無駄に捨てられている海藻ってすごい量があるそうですね。
日本でもアオサや湖のホテイアオイはすごい量になっているそうです。
また日本以外ではコンブやワカメを食べる習慣がなく、多くの国で大金かけて港をふさぐのを捨てているそうです。
全部、人間の食べる習慣は簡単には変わりませんから、家畜の飼料やバイオエネルギーに使っていけば…

というか「水質汚染」というのがおかしいのです。汚染物質の多くは…重金属やダイオキシンなどどうしようもないのをのぞいては、すべて「肥料」にほかならないはずです。
なら海藻、プランクトン、魚が増えていておかしくないのに。

せっかくの肥料を生物生産量増大として利用するには、単に浅く広く複雑な水面(淡水海水問わず)に肥料が流れるようにすればいいだけのことです。
それには陸であれば湿地保護・遊水地を兼ね通年水を張る水田、海であれば港湾機能を損なわないよう計算した人工的な干潟地帯でいいはずです。
本当に人間という種はどこまで知恵がないのやら。

18

仏教では我を捨てろといいます。

では、生命も感情も欲望も全て捨て、公のために命令に服従して死ぬ軍隊倫理は仏教道徳的にどんな状態なのでしょう。
特に自我を徹底的に破壊し殺人機械になりきった存在は。

17

典型的なコンビニ弁当ではなく、「余計なものは入れない」「ちゃんと十分な栄養を摂れる」「安価」の三点に徹したらどんなメニューになるでしょう。

それこそゆでたジャガイモとチーズでも。
マカロニにチーズ、パンにチーズもアメリカの料理としては定番です。

トウモロコシや大麦の粥もありですね。
オートミールやポリッジなど雑穀に属する麦の粥も栄養価が高いです。今は逆に高価になりますが。

貧困層向きに、自動販売機から安価で丈夫な、2kgと10kgのどちらかの袋に未精製の飼料用のトトウモロコシ・大麦・玄米・大豆・ヒヨコマメ・レンズマメなどを出すだけのシステムがあればどれぐらい食費を節約しうるでしょうか?

あと、もやしも便利ですが、自分で種を水に漬けて作ったらどうなるでしょう。
一年分のもやしを作るのにどれぐらいの種が必要でしょう。
いや、その種を自給するのにはどれぐらいの面積が必要なのでしょう。
ベランダのプランターがいくついるでしょうか?

もやし用の豆・トマト・カボチャ・なす・キュウリなどを自給するのに必要な面積はどれぐらいなんでしょうか。

弁当としては米・すり身魚・卵の三点セットが非常に便利になります。
弁当というとそれだけで漬物や梅干がないとだめという印象がありますが、それをあえてやめればかなりコストダウンできるのでは?特に手間で。

16

モラルハザードがいやだから銀行は救済できない、でも大恐慌は怖い……

だったら、国民全員に二年分ぐらいの飼料品質のトウモロコシと大麦と大豆、それに防水布とハンモックと毛布を配ってやって、「これで誰も飢え死にはしない。恐慌になってもかまわない」と宣言するというのは……
少なくとも銀行救済にかかった金額よりは安かったでしょう。

まあ本当に恐慌になったらもっとすごいことになったでしょうが。

というか恐慌になるとかそういうのは、政策でどうにかなるんでしょうか?それどころか革命でさえもどうしようもないのでは。

15

なぜ派遣法の改正ばかり言って、もっと根本的な問題である「衣食住の無条件保証」には踏み込まないのでしょう。

僕は派遣は自由で、ただし誰もが無条件で屋根・水道・電気ガス・最低限の衣類・最低限の食物は得られるシステムのほうがいいと思っています。
貧困問題は、住居・教育・医療が解決されればかなり解決されると思います。

最大の問題である尊厳、世間の中での居場所はそれこそどうにもならないですね。
それは国家の宗教的な面を強めるか、または宗教自体を強めるか…どちらにしても弊害が大きすぎます。

14

日本が原爆投下で降伏したことで、原爆が有効な戦術だと立証されました。
それは正しかったのでしょうか。

無論、最後の一人まで戦ってくれればよかったとは言えないでしょう。
そうしていたら僕も死んでいたか、最悪の場合は北朝鮮のような体制の国に生まれていたかもしれないのですから。

というか、日本は降伏すべきではなかったのでは……保守派の人が言うように魂の底から壊れてしまったのなら、いっそ最後の一人まで死んだほうがよかったのでは?
共同体の道徳が生命より本当に重いなら、現代日本は全滅しても戦い抜くべきだ、という教訓となります。

13

どうやら独立心を培いたいようです。

そのためには自由競争、自己責任の強調がよく使われます。
でも現実には、日本の若者は保守化しているといわれます。競争が厳しくなると「寄らば大樹の陰」になったわけです。
考えてみれば当然のことです。
船をの外海はサメと大波、あちらこちらで手足を食いちぎられ泣き叫ぶ、うっかり船から下りたり船から放り出されたりした人々の悲鳴と血の海じゃ、必死で船にしがみつくのも当然でしょう。

さて、ではどうすれば独立心は出るでしょう。
日本での競争の激化、「厳しい環境」は、わずかでもミスをしたら人生終わりだと萎縮し、起業などしたら破滅の確率が高いと萎縮に向かわせます。
失敗したら人生終わり、と思わせる要因としては新卒至上主義・経営者個人保証・連帯保証も大きいです。
また、まったく福祉がない途上国には、血族集団の相互扶助だけが頼りとなり、出世した人が賄賂を取って親族を養い国を腐敗させる構造もあります。
そうなればそもそも競争自体がありえません。
規制緩和、福祉削減、競争社会が社会を活性化させるとは限りません。

何が違うのでしょう?
福祉を増やしても減らしても社会の活力が減る、では何が社会の活力を増すのでしょう?

新卒以外採らないこと、逆に中小企業に行かないこと、ミスを許容しないこと、連帯保証制度さえも文化であり変わるとは思えません。
その文化があっても高度成長した時代もあるのに、何が違うのでしょう。

それこそそれは、歴史そのものの上昇気流があるときだけであり、それがなかったらどうしようもないのでは?

それ以前に、若者の心理は常にいろいろ言われます。
若者に「いつまでも夢を追ってないで目を覚ませ」と誇大妄想をとがめるものも多いです。
また夢を持てという人も多く、さらに徴兵されて殴られろという人もたくさんいます。
たとえば、誇大妄想というか肥大自己愛というかそんなのから目を覚ませといいますが、目を覚まして盤面を見たらどう見ても詰んでいる、という人は、本当に目を覚ますべきでしょうか?
今の時代はそんな局面が無数にあるのでは?
全体としてみたら、ものすごいダブルバインド・トリプルバインド状態になっています。

左側も若者の心理は徹底的に叩きますね。こちらは軍靴の音とか右傾化とかで。

実際問題、今の若者の現実的な面は、ものすごく冷たく世界を見ているのでは…それこそ十歳には将来が決まっている、というレベルで。そして空気を読まなければ死ぬ、全ては敵だというように。

12

規則を厳しく言う人は、「規則さえ守ればいい」ファリサイ派なのか、それとも「規則も内心も」なのか……
後者のほうが危険です。

というかその二つを区別するのは無意味です。
徹底して規則を守ることを求める人は、「規則を破る人は内心が穢れている、罰で正せる」と無前提に信じているのです。
内心の自由を認めた上で規則さえ守ればいい、と思っている人などほとんどいないでしょう。というよりそれは権威主義と根本的に矛盾します。

逆に内心だけしか見ない、そして内心だけを徹底的に規制したがる人がいたら……背筋凍りますね。

社会全体の流れとして、厳罰主義・法遵守主義(飲酒運転厳罰など)が強まり、警察国家化の流れが指摘されていますが、それはこれからも変わらないでしょうか?
一連の検察スキャンダルで少しは流れが変わるでしょうか。

ハッキリしていることは、どう政権が変わろうと何がどうなろうと、取調べ可視化も死刑廃止もできないようだ、ということです。

できれば、規則と内心、法律と道徳の区別ぐらいははっきりして欲しいですが、それも逆の方向に暴走するのが歴史の流れでしょうか。

11

密閉性の高いドラムマガジンに薬莢なしに発射薬・信管・弾頭を詰め、自動射撃の機関部を動かすのと同じ反動やガス圧ピストンでドラムマガジンもついでに動かして次の弾を装填し、不発であれば全体を排出する…
ドラムマガジン自体の密封性を高くしておけば、問題はコックオフだけ。

実質的にはリボルバーですね、それは。かなり重量が増加するのは仕方ないです。
また弾丸交換も素早くはできません。特にショットガンやグレネードランチャーは多様な弾薬を素早く交換できるのが売りですから致命的です。

というか、リボルバーも回転弾倉ごと交換できれば早いのでは。薬莢も必要ありません。
まあ薬莢式リボルバーに比べものすごく重くなりますけど。

10

自己責任論者というのは、結局のところ統計は存在しない、正しい判断と間違った判断があるだけだ、という考えでは。
いや、もっとぶっちゃければ「文句を言わずに働き要らなくなれば死ね」だけのことでは?

偶然も統計もない、すべては、運も自己責任である…
人は元々高く作られた人と卑しく作られた人に分かれる、格差は、餓死さえも自業自得で正しいことだ…
「連中」はまったく別の劣った存在であり、生きる資格自体がない…

そんな情念が形になっただけなのでは?

「なぜ」というのは誰にも分かりません。はっきりした事実は統計だけです。その「なぜ」に、無前提に「自己責任」と入れて、式はどうなるのでしょう。
「今君がそうなのは全て自己責任だ」という人は、「今までの選択を反省してみた。すべて当時のデータでは最善の選択だった。ただしすべて運が悪かった」という人にはどういうのでしょう。
「それもまた自己責任だ」と返すとしたら、それは「運も自己責任だ」というどうしようもなく壊れた言葉になってしまいます。そうなれば、自己責任という言葉自体が事実上意味を失います……少なくとも不幸と論理的に同値になるのです。
実際には運と自己責任は勾配であり、分別は不可能と言えます。

それ以前に、生来選択能力が低いという不運もありえます。間違った方向への努力は何ももたらしません。
自分は正しい判断をしたから今の高い地位にいて幸福だ、不幸な人はすべて以前の間違った選択だ……というのは運の存在を完全に無視しています。
というより「不幸」と「自己責任」を等価にして「自己責任」という言葉の意味を失わせます。

さらに間違った選択があるにしても、それは試行錯誤であることもありえます。
最初から完全に正しい選択のみをした人以外生きる資格はない、ではムチャです。

さらに、「不利なスタートラインに生まれた人間であっても、その境涯から立派になった人はいる」となりますが、同じ境涯千人の何人がどうなったのか、統計で見ることはしないのでしょうか?
千人に一人が立派になり、残りが悲惨になるような境涯でも、残り999人は自己責任なのでしょうか。そうだとしたら、自己責任という言葉になんの価値があるでしょう。

それこそ、僕にはパチンコ台を開けて、下に落ちた玉全部を「努力が足りん」と殴りつけ、ポケットに入った玉を「よく努力した」と褒め称えて磨いてやるように思えます。
人は選択者なのかパチンコ玉なのか……少なくとも、保険業界はパチンコ玉だと思わなければ成立しません。株取引も、まともな投資家として認められるにはパチンコ玉として考えなければならないでしょう。

何より、自己責任論は貧困層にとっては道徳的攻撃、道徳と法が一体の状態での死刑判決でしかありません。
「運も自己責任だ。貧困は死に値する罪悪なのだ。生きる資格のない人間の屑だ」
要約すれば「おまえは死ぬ。悪いのはおまえだ」というだけのことなんですから。

統計的には実利にならないのです……パチンコ台の設定が変わらなければ。統計的に努力が損にしかならない実情がある以上は。
彼らが発憤して自分を見直し、一生懸命働いたり、職業訓練校に行ったり、資格の勉強をしたり、起業したりしても、統計的に多数は無駄になるのです。そういう社会システムであり、経済動向なのですから。
もし自己責任論で彼らが発憤しても、ほとんどは再び落下し、自分の失敗を責めるほかないのです。

職業訓練を主眼にした社会保障がトランポリンなどと言われますが、勉強しても就職できない社会ならそれこそトランポリンのように上がろうとして落ちるのをくり返す他はないのです。上に椅子のある二階がなければ。

彼らが自分を責めて自殺すれば福祉費用が節約できる、という公の実利があるでしょうか。
それならガス室に送ってもらうほうがまだいいですね、そのほうが被害者としての自己正当化ができますから。金もやらぬ、被害者としての自尊心もやらぬ、自分を責めて自殺せよ……人でなしとしか言いようがないです。

そのような自己責任論は、本質的に弱者を犯罪者・廃棄物・ナチスにおけるユダヤ人など「道徳的に価値がない」存在におとしめ、自分の同胞から分断します。
貧困であることは罪であり穢れている、だから同胞ではない、というのは昔からの人間の、むしろ普遍的と言うべき情念です。
努力して成功した者だけが彼らの同胞であり、失敗した者が自己責任者であるとすればただ自らを責めて傷つけるだけです。
その分断を喜ぶ人もいるのでしょう。
そして、自己責任を言う人は、社会が分断されることを望み喜ぶ人々に奉仕しているのでしょう。多分そのほうが売れるから。

でもただ売れるからだけでなく、信念でもあるのでしょう……宗教と同じでそれ自体が目的であり、検討の余地も議論の余地もない、無条件に真である情念なのでしょう。
単に彼らが確信する真理。意味を失ったトートロジー。自己責任論に例外を認めないことは、かえって自己責任論を無意味とするというパラドックスに無自覚。単なる念仏。

弱者の先には五つあります。

自己責任論で自分を責めつつ惨めに死ぬ。
自己責任論+誇大妄想で努力し、ごくわずかな成功者はいるけれど多数は失敗をくり返して惨めに死ぬ。
他を責め、依存症でもがき死ぬ。
パチンコ玉だと納得しつつ惨めに死ぬ。
そして充実した福祉、方法はともかく新しい職の拡大で生きる。

もはや選択は一つしかないようにさえ見えます…下層階級の抹殺か、圧倒的な格差社会のままか。
放置して路地に腐った死体が積もるのが当然の社会にするか、強制収容所で苦役の末に殺したほうがいいか、ガス室で安楽に殺したほうがいいか、「蒸留酒と高純度麻薬が蛇口から出る収容所」で安楽に殺すのがいいか。

「結果として低い地位にある者は、ただ世界の最貧層に並ぶだけだ。
運も自己責任。
それで生きられない者は文句を言わず、国にも家族にも迷惑をかけぬよう自発的に山奥に穴を掘って自分を埋めるのが道徳的になすべきこと、呪われた身に相応しい守るべき分限だ。
貧困層のいない美しい国であるべきなのだから」
という道徳が歴史そのものの要請ですが、本当に全員にその道徳性を要求できるでしょうか?
どこかで、圧倒的な軍事力で皆殺しにする必要があるのでは?

9

北朝鮮の工作員はバッジを見せれば、警察署の目の前で幼稚園を皆殺しにしても警官全員あさってのほうを向いて敬礼しているだけ……ということはあるんでしょうか。

でなければ、拉致工作が警察によって阻止されなかったのはなぜでしょう?

8

核融合炉は簡単です。

トカマクだのレーザーだのなんだのは必要ありません。
原爆を起爆剤に用いた水爆は安定して成功している技術です。
そして、人類が多分最初に使ったボイラーは、「地面に穴を掘って水を入れ、焼いた石を放り込む」です。
さて一足す一は?

そう、キロメートル単位の大きな釜を作り、それに一秒に一個か一日に一個か知りませんが、適当な間隔で周期的に、原爆要素を最低限に抑えた小型水爆を放り込んで床からも壁からも天井からも遠い、要するに真ん中で爆発させればいいのです。
中を水で……海水でも淡水でも……満たしておけば、水は核分裂原子炉でも使われる「中性子減速材」です。
核融合炉が不可能とされる根拠は、長期間の高速中性子に耐えられる炉素材が存在し得ないことでした。
でも莫大な水ならそれが可能なのです。

水爆を断続的に放り込めば、莫大な水はすぐ加熱されて沸騰し、巨大な炉の上は高圧蒸気に満たされるでしょう。というか爆発のたびに膨大な超高圧の水蒸気が出るでしょう。
その高圧蒸気を取り出し、直接タービンに当てたらその上記に含まれている原爆要素のウラン属原子などでタービンの寿命が短くなるので二系統の管を絡ませて、冷却水を加熱して沸騰させてその蒸気圧でタービンを回し、それで冷えて水に戻したウランを含む水はまたリサイクル技術を使ってウランなどを取り出して、水もウランなどもできるだけ再利用すればいいわけです。
ウランなどを回収するために、時々下の方から液体の水を抜いてリサイクルしてやることもいいでしょう。
あとはタービンが回っていますから火力発電と変わらない、枯れきった技術です。

超巨大な釜で高温高圧を保つことが不可能でも、水の沸点百度より少し下をキープすることはできるでしょう。
ならその膨大な熱水で、アンモニアなど沸点の低い媒質を沸騰させてタービンを回せばいいだけです……効率はがた落ちしますが。

不可能だとすれば、そこまで超巨大で瞬間的な高温高圧にさらされるボイラー、桁外れのスケールの復水器と廃熱処理を人類が経験していないだけでしょう。
いや、僕が知らないだけでキロメートル単位のボイラーはすでにあるのかもしれませんし、水爆の設計次第でもっと小型化できるのかもしれません。手榴弾サイズの水爆があるのであれば従来型のボイラーでも扱えるかもしれません。
さらに燃料が連続供給でない、時々莫大な熱量と蒸気圧を発生する炉にも火力発電設備は慣れていないかもしれませんが、まあそれはいくらでも解決は可能です。極端なピークが出るときには蒸気出口に蓋をするか、規模をより大きくして間隔を短くすればいいのです。

核汚染された莫大な水をリサイクルする技術も今のところはないかもしれません。
核汚染された水が漏れるのもあるかもしれません……濃度は低いでしょうが。

あとは大量の原爆起爆型水爆を作り続ける技術・その莫大な電力生産を活用する技術がない、とも言われそうです。
超伝導ケーブルや水素パイプラインが必要になるでしょうか。
道徳的な反対はそれ以上に大きいのでしょうが、それは呪術的な衝動です。

最悪の事故は?釜全体が崩壊し、水爆何十個か分のウラン系放射能物質・水爆のエネルギーで放射性物質と化した殻の残骸や周囲の水を含む、立方キロ単位の莫大な水がどっと大洪水を起こすことです。
でもそれは、釜を地下にしてやれば問題はないです……自然に地下水系に入るのを除けば。

というか、もっと巨大なほら話として想像すれば、爆発を利用するのは人類は慣れています……ガソリンエンジンなどのピストンで。
めちゃくちゃに巨大化して中に水が詰まった六気筒エンジンが水爆で動き、さらに水冷ラジエーターもタービンにつながって電力を絞り出し、排気ガスのかわりに高圧蒸気がタービンを回し、冷やされて液体に戻された水が燃料のかわりに流しこまれてくり返される……これ以上にスケールの大きいほらもないでしょう。

またレーザー核融合炉があるなら水素原子を直接加速してぶつけ合っても良さそうですけど、そっちはどうなのでしょう。
というか電磁気装置で陽子を加速して…素粒子加速器の要領で…起爆する水爆がまだないのも不思議な話です。レーザーのほうが簡単なんでしょうか?

7

格差・貧困は統計から出る幻という人もいます。
では、今実際に生活が苦しい人は何人いるでしょう。
働いていても金が貯まらず、将来まともな生活ができる希望がない人は何人いるでしょう。
学んでも低賃金未熟練労働者にしかなれない人は。

格差や貧困がないというなら、このまま二十年政策を変えなければ、または竹中総理が二十年続けて改革をやり抜けば……あらゆる規制が廃され公的福祉が徹底的に削減され消費税が大幅に増税されれば、二十年後に「ライターにならなかったもう一人の赤木氏」の父親が死んだとき、彼は首を吊らずに済んでいるでしょうか。
同様の境遇にある千人のうち、何人が餓死しているでしょうか。何人がきちんと介護される老後を得ているでしょうか。何人が子供を大学にやっているでしょうか。

本当に福祉は、貧困をなくすための政策変更は、再配分は必要ないのでしょうか?

6

質のいい岩塩を荒く削って水で溶かしてもレンズはできそうです。
なぜなかったのでしょう。

他にも透明で容易に加工でき屈折率が適度にある鉱物は多数あるはずです。
レンズがあれば遠くを見ることができ、また病原体を見ることもできます。
どちらも原始時代であっても桁外れな優位をもたらします。

なのになぜ、原始時代から普通に作られていなかったのでしょうか?

5

僕が恐れているのは、想像を絶する何かです。

あらゆる悲惨は想定しています。
火事盗難から冤罪による死刑、核戦争からファシズム、大震災から小惑星激突による人類滅亡までいつも綿密にシミュレートしています。

でも、その全ての想像を絶する事態が起きるだろう、それで自殺しなかったことを後悔するだろうとも覚悟しています。

特に恐ろしいのは回心と一目惚れですか…圧倒的な感情に理性が消し飛ばされてしまう、今の自分がまるっきりバカに見えるようになり、逆に今の自分から見れば狂気でしかないことを嬉々として思い、行うようになる、ときては。

4

日本サッカーにおいて、キャプテン翼はあるところからは負の影響があるのでは。

いや、日本の本質的な風土と合わない、といったほうがいいでしょう。
あの派手なシュートの数々を、指導者が徹底的に抑圧し「ストライカーになるな、パスをつなげ、チームの細胞になれ」と教え続けたために、今の決定力不足があるのでは。

3

人身売買をなくしたい。どうすればいいでしょうか?

人身売買を公認している国はありません。暗部において行われています。
ならその暗部を縮小しましょう。

でも暗部が全くない国も多分ありません。
だとしたら、すべきなのは少ない国と多い国を比較して、暗部がより小さい国を調べてみましょう。
どこが違うのでしょうか。

人はつい、欲望そのものをなくせばとか、欲望でできている近代工業文明自体が悪いからそれをぶっ壊して共産化すればとか簡単で大きな解決策を欲しがります。
でもそれは無効です。
何か、実行可能で具体的で、少しだけよくすることを積み上げるしかないのです。

2

客観的にかつ目的論的に見たら、人類は「ガイアが自殺するために生みだした自滅機構」になってしまうかもしれません。

本来は何の目的もない、ただ「余計に自己複製していくらかは自己複製に成功する、ただしミスコピーもあり、そっちのほうが自己複製に成功することもある」…進化の積み重ねでしかないのですが。

1

大きい政府・小さい政府について、本当に「選択肢はない」のでしょうか?

政府の大きさ…要するに、大きい政府には非効率と財政破綻、小さい政府には脱落者の問題があります。
そして環境問題はどちらにもあります…アメリカもソ連も自然を破壊しました。ちなみにアフリカの独裁国も自然は破壊しています。自然破壊に関しては、正しい政体と言えるものがあるでしょうか?

●科学技術に肯定的か否定的か・環境に対する関心
●生存権を認めるか否か

などが問題となるでしょう。上が大きい政府、下に行くにつれて小さい政府という感じで(いくつか順位付けがわからないものも混じります)、

共産主義…非効率、環境破壊、虐殺や人権侵害

軍国主義…敗北、財政破綻、人権侵害

土建…非効率、財政破綻、環境破壊

介護・雇用…非効率、財政破綻

科学技術
 環境…技術否定?
 宇宙や核融合…不可能?

バラマキ…財政破綻

ベーシックインカム…財政破綻?モラルハザード?

自助共助…失敗したら?

再帰的に小さい政府・大きい社会…機能できるか?グローバル資本主義は全ての社会資本を金に換えて吸い尽くす。

警察と刑務所が圧倒的に強い小福祉…
 宗教が福祉をやる…
 道徳で自殺させる…
 福祉はせず餓死させる…身分制に陥るのでは?
 身分制…どのような道徳で?
 ガス室…国際的非難、他の弊害も?

サヨクお花畑…政府も存在しない、科学技術も否定、軍備・科学技術・支配構造を捨てることによって全員の精神構造が一変して無政府の小国寡民がそれぞれ平等で幸せにやっていける…これは多分、小さい政府大きい政府とかの枠からははみ出ています。

問題は上記の環境だけでなく、市場だけだとLHCは不可能だったでしょうし、キャンセルされたSSCを引き継ぐ市場もなかったことです。
市場の判断は正しい、それらは無益なのだ、といったらトートロジーでしかありません。
市場だけだと根本的な科学技術の前進はない、と思えますが、それもどうなのでしょうか?
それ以前に、今後根本的な科学技術の前進はあるのでしょうか。
次世代スペースシャトルもLHCも単なる無駄遣いでしょうか?