枕元の計算用紙

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古代の技術でも、広い川かゆっくりした流れのある人造湖の水面にすのこ状の都市を作ることができれば、下水の不備で伝染病が蔓延することはありません。

水面は蚊が多いように思えますが、水系がつながっていて魚などが行き来できればほとんどの蚊の幼虫は食われます。
しかも水は城壁以上に堅い守りともなります。

問題は洪水でしょうか?それは洪水を見越してかなり高く都市を作っておくべきでしょう。または船の集合体を都市としてもいいでしょう。
あと霧も問題になりそうですね。

上水道は別に整備する必要があるでしょうか…そうなるとやや複雑になります。
住んでいるその下の水を直接くみ上げて飲食に使うものは煮沸するか酒を加える、というのも、現代人の感覚から想像すれば汚いですが、古代の基準では普通か、むしろきれいなぐらいかもしれません。その場合きわめて豊富に水がある、となります。

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本質的に、年金制度というのは平均寿命=定年=年金受給開始年齢でなければ機能しないのでは?
定年以上に生き延びてしまった人は、平均寿命より前に死んだ人の払い損を受け取るというわけです。

でも平均寿命が八十になってしまうと、定年も八十にするわけにはいかないでしょう。
そうなると根本的に違う制度を作るべきなのでは?

問題は単純なはずです、「誰もが最低限の水、食物、エネルギー、住居、情報送受信、教育、医療、介護などの権利を有する」。
それこそ憲法にも書いてあることです。
なぜそれができないのでしょう。
もはや保険の考えでは、これからの福祉は無理なのでは?

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司法権の独立というものがあります。
戦後日本では現実に強すぎる行政、憲法上最高機関と明記される立法の陰に隠れ、司法自体の影が極度に薄いです。

実際問題、特に最高裁判所は人権や平和関係では徹底的な政府寄りです…よくいえば左翼に屈せず国を守っているということですが。
左翼寄りに動くのは、せいぜい地裁レベルか、最近はそれさえなく判決に付随した意見書の類で何か文句を言う程度です。
これは、日本においては司法権の独立が極度に弱い、ということでしょうか。

ではなぜでしょう。
逆に民主主義先進国では、どのように司法権の独立を守っているのでしょう。

また、現在は情報通信技術が大幅に進歩しています。
そのことを考えると、裁判官は外国から裁判を行うことも可能です。
裁判官は身を外国に置き、日本の政府予算とは別に投資された基金の収入で生活するようにすれば、「独立」は完全に保障されます。
日本政府にできるのはわざわざ刺客を外国に送っての暗殺という、実に困難なことぐらいです。
そこまで司法権の独立を徹底させれば、判決の傾向は変わるでしょうか?

また、司法権については選挙での最高裁判所判事国民審査というチェック機能があるはずですが、それが機能した…国民審査で誰かが罷免されたことも一度もありません。
国民自体が司法に無関心なのでしょうか。
裁判員制度はその無関心を変えるでしょうか?
アメリカでは陪審制があり、また最高裁判事選びは時の政権にとって歴史の流れさえ変えてしまう最重要人事中の最重要人事です。

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DQ3の上の世界は現実の世界地図と似ています。まあ1、2も地質学レベルの過去の地球の大陸配置とちょっと関係があるようですが。

で、DQ3の世界地図を前提にしたら、世界の歴史はどうなったでしょう。
もちろん地球儀上どうなるかはいろいろ補正して(平面はメルカトル図法として考え、それを地球儀ではどうなるかを逆算すればいいでしょうか)。

生態系はDQ3のモンスターを前提にするか、それとも現実を反映させるか、また魔法の有無という問題もありますが、現実の生物・大体の分布を前提に魔法・魔物は存在しないとして。
『銃・病原菌・鉄(ジャレド・ダイヤモンド)』を参考にやったら面白くなりそうです。

アリアハン大陸の存在で海流がどう変化するか、また大陸内部に多くの大河かフィヨルド様の細い湾があるのは気候と文明をどう変えるかなど考えることはたくさんあります。

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体育で普通に弓矢、投石器(スリング…ダビデがゴリアテを倒した、小さな革切れの両端に紐をつけ、石を革切れにはさんで紐で振り回して一方を離して投げる武器)なども練習できたら面白いかもしれません。

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という命題は正しいでしょうか。どちらも生物進化論からの類推でもあります。

たとえば、人間の肉体・鉄・青銅・木・皮・麻・石…当時知られていた工業資源のリストから、現実の歴史には存在していない、現実に普及していたものより強力な武器を考えるのは不可能でしょうか?

考えてみれば、馬具のあぶみは麻縄や革紐でできるのに、実際に普及したのは紀元後相当遅くです。
また、「伝統的に使われたものは最適」なら、同じ気候帯における武器・防具体系は同じところまで進化するはずですが、馬に乗りながら弓を引くことの有無というとんでもない差が洋の東西であります。
鎧に好んで革を用いる日本と、鎖帷子を中心とする西洋の違いも大きいです…鉄生産力はむしろ日本のほうが大きいのに。

伝統の中にある不合理の例としては刀剣もあります。
刀剣は貴重な刃物用金属を過剰に使ってしまいます。槍のほうがはるかにコストパフォーマンスが高い武器でしょう。
にもかかわらず多くの文化圏で、刀剣が神聖視されています。

また籠手から前に剣が突き出ているパタのほうが力を入れやすく、手の延長として使いやすいのでは?
ロフストランドクラッチという一種の松葉杖のような柄の先端に刃をつけたような形にしても非常に合理的でしょう。

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DQなどのRPGの、特に1,2,3ぐらいで昔育てたキャラクターのデータを入力すると、育て上げたままの状態から始めて全く新しい、非常に広い世界で新しい冒険ができる、というシステムがあれば面白そうです。

あと1,2,3はそれぞれ、1は三国の建国、2はムーンブルグの再建、3はおそらく上の世界への帰還というアフターストーリーがあるはずです。
建国を想像するついでにフィールドを歩き回りながら、平和になったらどこから水を引いて農地に、どこを港に…と考えるのも実に楽しいです。

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今の技術なら、ファミコン+ディスクシステムの全ソフトを一つの耐久性が高いハードに入れて安価に販売することは容易でしょう。
いや、スーパーファミコンのソフトを全部入れても大したことはないでしょう。

今の、エミュレーターがまかり通り、結果的に非難しがたい犯罪が多数ある状態よりましでは?

そんなの出したら新しいゲーム機が売れなくなるでしょうか?

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スーパーマリオブラザーズ、ドラゴンクエスト、ゼルダの伝説、ロックマンなどのファミコンの中心的な傑作を生身でリアルに遊べる遊園地があれば面白いのでは?

スーパーマリオの場合は、人間(大人と子供で変える)に遊べる程度の高低差・穴の幅であのアスレチックを再現し、穴の底にはセイフティーネットを敷いて安全を確保。
線の上しか進んではならず、横によけたら反則でワンミス。
そこで、コンピューター制御の柔らかい素材で一メートルぐらいあるクリボーやノコノコが歩いてきたら。
ファイアボールはエアソフトガンの拳銃か、スーパーボール(投げつける)の入った袋で代用し、当たったら敵が横に排除されるようにすればいいでしょう。

特に再現が難しいのは水中面でしょうか?あと最後の階段を下りるのも生身ではきついでしょう。
おそらく、高低差を調整されていてもとんでもない運動量でしょうね。

他のゲームもいろいろ面白いでしょう。

また弓矢がメインの、全くオリジナルのアスレチックがあっても…あ、弓矢なら「パルテナの鏡」…は大変すぎますか。

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パソコンに数ギガバイトのフラッシュメモリを入れて、OSなど起動に必要なことはそこからやるようにしてはどうでしょう。
ハードディスクから起動するのは、ハードディスクの故障しやすさを考えれば無謀では?

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前に出していた、なぜ日本には盾がないのか、という疑問は、日本では騎馬の武士も弓を引くからだ、という単純な答えでいいでしょうか?

弓を引くにはどうしても両手が必要で、そうなると盾の居場所はありません。
弓を主武器とするモンゴル騎兵も大きな盾は持っていなかったようです。

反面西洋の騎士は弓を引くことはないようです。イギリス長弓隊も歩兵だったようですね。
ローマやギリシャも弓は苦手だったようで、大型の盾と投げ槍を愛用していたようです。
中国も右手に武器・左手に盾というスタイルではないですね。武術では槍など長い両手武器か、左右に同じような武器を持つことが好まれるようです。戦場ではどうだったのでしょう。
また日本では槍を投げるのは非常に強く忌み嫌われていました。

しかし実際には、剣・鎧・盾でがっちり防御を固めるのと、盾を捨てて防御は鎧に任せ、両手で弓を引き、長い槍や重い刀を振り回すのとどちらが有利なのでしょう。

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ドラゴンクエストなどのRPGで、右手に剣、左手に盾という典型的なスタイルだけでなく選択ができればいいのですが。
剣と盾、両手で大きな武器、両手に一本ずつ武器から選べれば。
もちろん武器も両手用の強力なもの、両方使えるもの(片手半剣)があって…

あと飛び道具がないのも不思議です。
まず弓や投げ槍、投石器などで間合をとってもいいのでは…遠距離戦は主に魔法使いの仕事とされますが。
事実上「かわす」がない、最初から乱戦が前提というのが不思議で、そこがイメージしにくい点です。

まあそういう複雑な武器体系のRPGもあることはありますけど。

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今の技術を最大限に使った、西洋型の武器と防具はどれぐらいの威力になるのでしょう。

ダイヤモンドコートタングステン希土類合金の剣
マグネシウム合金・カーボンファイバーの鎧
チタン合金の盾
ガラス繊維強化プラスチックの兜

あとDQでは使われませんが、弓矢も現在の技術で実用だけを考えたらすごいのを作れそうです。

まあ本質的に、甲冑と銃器の時代関係…はもう突っ込まないほうがよさそうです。

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ドラゴンクエスト1、2の「ふっかつのじゅもん」と呼ばれるパスワードによるセーブは、確かに情報容量は少ないし「じゅもんがちがいます」で泣き叫ぶことになりますが、信頼性が際立っています。
二十年以上経過したDQ1、2が今でも何の問題もなく遊べるのです。

今のソフトは二十年後も遊べるでしょうか?
3で試してみ…たら無事に遊べました。

というか、可動部品がないファミコンのロムカセット自体が非常に信頼性が高いですね。
そして3のバッテリーバックアップも、保証よりはるかに長持ちしているようです。

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RPGにおいて、「モンスターを倒して金を得る」という当たり前のことは、本来は「獲物を仕留め、解体して換金・物々交換で何かを得る」ということではないでしょうか。

われわれの言葉で「モンスター」というのは、要するに動物図鑑には載っていない、異常で人間にとって危険な生き物と考えていいのでしょうか。
それとも人間にとって害になる(と思われている)普通の肉食動物全般が「モンスター」なのでしょうか。
そしてRPGなどの世界での「モンスター」の意味はどちらでしょう?向こうの世界ではありふれた動物でしょうか?

そしてそれを現実的に想像してみたのですが…

大角熊を倒した!

**は短刀を抜くとその場で大角熊の腹を内臓を傷つけないよう慎重に割き、大動脈を切ってこぼさないよう腹腔に血をためた。そして胃を切り取って中身を出し、代わりに血を入れて両側を縛った。
胃の脂肪を切り取り、さっきの戦いで負った肩と腿の傷に蒸留酒を塗ってから脂肪を塗って包帯する。HPが5回復した。
胆を注意して取って大事に保存した。

それから枝ごと細い木を切り、熊の死体を乗せて近くの水場にひきずり、本格的に解体した。
最も価値のある角を小さな鋸で切り落とした。
短刀で皮を剥ぎ、丁寧に肉や脂肪を取り除いた。
掌と舌とサーロイン・フィレを短刀と広刃の斧で切り取り、たっぷり塩をすりこんだ。
腸を裏返してよく洗う。斧で肉や背・バラの脂肪、血と塩とスパイス、近くに生えていた数種の香草薬草を刻んで混ぜて腸に詰め、生木の枝を組んでマントをかけて薄めに切ったフィレ・舌肉と一緒に燻製を作り始めた。
流木で火をおこし、もっとも純粋な腎臓や胃腸周辺の脂肪を刻んで、鉄兜を鍋代わりに煮出し、脂だけを特にいい腸袋に入れた。ついでにその火で心臓をあぶっておく。
膀胱と、股・首筋の臭腺を切り取った。運がいい、膀胱に大きな結石を見つけた。

胆や角、結石はずっと保存でき、強力な魔法薬になる。大きい街ならそれぞれ300ゴールドはくだらない。
皮はよく洗い、数日以内に町に持ち込めば150ゴールドにはなる。右前足と背中をかなり切りつけてしまったが、他に傷をつけず心臓を貫けたのは幸運だった。
防水袋となる胃や膀胱、薬になる臭腺も利用価値が高く、それぞれ30ゴールドにはなる。
今は涼しい季節なので血と塩漬け肉は一週間ほど、燻製は三週間ほど、純粋な脂肪は二月は保存できる。どれも旅を続けるなら貴重な食料になるし、町では塩漬け肉は一キロあたり10ゴールド、血は15ゴールド、腸詰や燻製は30ゴールド、薬にも獣脂蝋燭にも石鹸の原料にもなる脂肪は50ゴールドにはなる。
ただし今回、塩とスパイスを42ゴールドは使った。

セミナリアの氏族は血を食べないからこの肉は売れない。向こうに見える塩湖のほとりのローレの町はセミナリアの民の勢力が強かった。
あの山を越えてファズの村に行き、肉や皮を銀、硫黄、薬草に交換し、それでローレで塩と金貨を買おう。薬になる部分もローレで売ったほうがいい金になるだろう。きちんと処理した毛皮をローレに持っていけば500にはなるだろうが、重いし一週間はかかるし厄介な青ナメクジに襲われたら台無しになるかもしれない。
ローレにはいい鍛冶屋がいるから、武器も買える期待が持てる。

脳と肝臓は保存できないので、今この場で食べた。丸二日ろくに食べていなかったのが満腹になり、HPが8回復した。時間があれば脳とクラブ樫の皮を煮た液で皮をなめすことができるのだが。
ついでに焼けた心臓も食べ、強敵への敬意を示す。徳性が3回復した。

そろそろ死肉を食らう鳥がやってくる。あれも結構厄介で、そのくせ売り物にならないから、かなりの肉を残してしまってもったいないがさっさと行くとしよう。
重いし固くて臭いが、腿肉を斧で叩き切って持っていけば今夜と明日の食事は十分だ。明日の夕暮れにはファズに着く。

という感じだったらすごく嫌では?
途中から一人称の独り言になってしまい、RPGの説明からは外れましたね。
この一連の流れを、リアルな映像で見せられたら、血に対する嫌悪が強い日本人はパニックになるのでは。
これらの技能は現代の日本人には狂気にさえ思えますが、中世ヨーロッパの地方農民はもちろん『大草原の小さな家』の世界でさえ当たり前のことだったはずです。中央ユーラシアの遊牧民も、伝統的な生活を送っている人口は少なくはなっていますが、血一滴無駄にせず家畜を処理して生活しています。
DQ3で、商人がいると獲得ゴールドが増えるというのも、素人は角しか持って行かないけれど商人はもっとも高価な胆はもちろん皮、肉の保存の仕方も知り尽くしている、というのがあるのかもしれません。

まあ、貨幣経済だけが発達しているというのがRPGの本質的矛盾でしょうが。

そういうキャンプや料理、暑さ寒さや水や食事や風呂トイレ、普通の中世社会の生活や生産技術などをきちんと再現した多ジャンルシミュレーションとしてのRPGがあれば面白そうです。小説や映画などとしても。

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電動で揺れ動く椅子に座って、乗馬と同様な運動ができる、という運動器具が流行しています。
また、最近やっとコントローラーを振るうことで剣を振る動作を再現するゲームシステムが実現してきています。

ではそれを合わせて、馬に乗ったまま剣や槍、また弓などで戦うのはどうでしょう。
西洋騎士、日本の武士、また流鏑馬、モンゴル騎馬兵など実に多様な楽しみ方があるでしょう。
それと現在の大画面技術を組み合わせたら、さぞすごいゲーム、同時にすばらしい運動になるでしょう。

あ、弓もいい運動になりますから、弓単独でのゲームもあれば面白いかもしれません。
矢筈を弦に固定し、方向と張力が検出できるようにして、弓の張力も子供用から大人用まで簡単に調節できて。
パチンコのほうが簡単に再現できそうですね。

それにしても、乗馬がなぜいい運動になるのでしょう。走っているのは馬なのに。

あと、「パチンコ」にY字の枝にゴムひもを張ったスリングショットと賭博のパチンコの二つの意味があり、ついでに「投石器」も革片から二本の紐を伸ばした「スリング」と、機械的に石を飛ばす「カタパルト」の二つがある…後者を「投石機」として使い分けることもありますが…のがやたら紛らわしいのですが。

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今のフラッシュメモリの価格低下を考えれば、それを家庭用ゲーム機に用いてディスクシステムの書き換えと同様のシステムをどこのコンビニ・レンタルビデオ屋・携帯電話屋でもできるようにすればどうでしょう。
ロムカセットのスピードと信頼性、ディスクシステムの書き換え時の低コストを兼ね備えることができるのです。

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のどれが、建設・維持費・交通機の製造〜廃棄・運転燃料全部ひっくるめて重量×距離/石油の効率がいいのでしょう。

ついでに徒歩と家畜を入れてもいいでしょうか。

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一つのバスケットに全部の卵を入れるな。
と考えると、理想を言えば文明の多様性もあったほうがいいわけです。
もちろん何百万の惑星に、何百万もの文明があれば、人類が滅びることはまずなくなるでしょう。

でも最も簡単な例として、たとえばソ連独自の科学体系はそのまま存続すべきでしょうか?
確かにその「独自の」生物学に基づいた農業は失敗し、何百万という餓死者を出しました。
でも逆でなかった保障はあるでしょうか?

西側は自由主義だから正しい…といっても、西側も完全に自由といえるでしょうか?
また、中国やイスラム、中南米先住民の文明は欧米と接触しないままだったほうがよかったのでしょうか?

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「絶対犯罪がない社会」のためには、どの方向にしても人権を侵害しますね。

でも犯罪にあわないこと、安全に暮らすことも重要な人権でしょう。

また厄介なのが、家庭のプライバシーを認めたら家庭内暴力を防ぐことが本質的に難しくなります。
家庭のプライバシーというのは、親は子を可愛がるものだ、という信仰をベースにしているのです…一定の確率で虐待者がいる、という現実には故意に目をつぶって。
家庭が尊重され、プライバシーのある社会を支えるために。
虐待されている子供達は犠牲にして。

あと、監視については「監視がないことを証明できない」という問題があります。
もう少し技術が進歩すれば、ハエやカに監視カメラを入れることさえ容易になるのです。

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パンの値上げ、というのは本当に大変な事態です。

もはや日本人の主食はパンでは?
日本において米の値上げ、そして外国においてはパンの値上げは、歴史的に政情不安に直結してきました。
ミャンマー暴動も元は主食の値上がりです。

日本でも格差拡大がありますし、今はまだ本当に苦しいのはごくわずかですが、このまま格差拡大・食糧危機が進んだら本当に飢餓が広まって米騒動…結局日中・太平洋戦争にも「食えない」が大きな原因でしたし、そういうことに結びつくかもしれません。

そして日本でさえパンが値上がりするぐらいなのですから、世界全体でのパンの値上がりは凄まじいのでは…それこそ満足に食べられない層が爆発的に増えるほどに。
それは世界全体で恐ろしい動乱になってもおかしくないのでは。

10

今現実の世界と、9.11テロがなかった世界とどちらがいいのでしょう。

アメリカは愛国者法などで、自由のない愛国心ファシズムが起きたといいます。
でも反面、あのテロの直後は多くの人が生き方を見直し、家族と信仰の価値に目覚めたとも言われます。
それはマイナス面ばかりでしょうか?

また、イラクやアフガンの人たちにとっては、あのテロがなくタリバン、サダム=フセインの支配下であったほうが幸せだったでしょうか?
まあどちらも、今後前以上に悲惨な状態になる可能性のほうが高いですが。
確かに殺される確率は低いかもしれません。もう今は希望もないでしょう。
でも、9.11からのアメリカの軍事的暴走がなければ、イラクやアフガンの人々は希望を一度も持つこともできなかったかもしれません。
逆にアメリカの軍事力なしに、平和的手段でイラクやアフガンが解放された可能性はあるでしょうか?

また、2000年の選挙でアル・ゴア氏が選ばれていた世界はどうなっていたでしょうか。

9

日本は平和主義といいます。
特に護憲派は、国際貢献は軍事ではなく非軍事、非国家、非武装の民間ボランティアによるものとせよ、と主張します。

ではなぜ、日本人による非武装民間ボランティアによる平和活動は、憲法九条を持たない欧米ほど活発ではないのでしょうか。
憲法九条に反対する与党自民党がずっと政権をとってきたからでしょうか?

でも本来民間ボランティアによる平和活動は、国家とは関係ないものです。

8

嘘発見器という道具は、本気で発達させれば世界を変える力があるはずです。
本来なら嘘発見器がある程度成長し、誰もが信頼する技術になっていれば、もう冤罪もありえないし犯罪が見逃されることもほとんどなかったはずです。

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』では携帯できて声に出した言葉全ての真偽を厳密に判定する嘘発見器が市販された結果、社会が崩壊して両津が責められる、という話がありました。
でも社会が崩壊した、という点では電話もラジオもレコードも同じことでは?
人間は結構柔軟に、新しい技術を基盤にした新しい世界に順応できるのでは?

社会の崩壊を恐れてあえて嘘発見器の改良を自粛しているのでしょうか?
それとも単純に、投資・研究はされているけれどなかなか進歩しないだけでしょうか?
または特に理由はないけれどなんとなく投資・研究がなされていないのでしょうか?

7

今僕がパソコンを使っていることに、どのような必要条件があるか階層別に考えてみましょうか。

僕が今していることは、ファイルをアプリケーションソフトで編集しています。
その「僕」自体、人間であり使用者です。今のところはそれも必須です。

それはパソコンというハードウェアの上で行われています。

そのパソコンが機能するには、電気やインターネットというライフラインが必須です。

またそれだけでなく、電磁気学のような物理法則も「必須」には違いありません。
それいぜんに様々な物理法則、物理定数がわずかでも変わると瞬時に宇宙が崩壊し、もちろん「僕がパソコンを使う」ことなどありえませんが。

ハードウェアを少し細分化すると、物質的にはCPUが中心となり、情報記憶装置・マウスとキーボードなど入力・ディスプレイやプリンターなど出力があります。
またハードウェアの中にも、CPUや情報記憶装置と入出力を何層もの構造でOSというソフトウェアが存在しています。

このような段階的構造は、他にも多くの物事にあるのでは?
たとえば車でどこかに行くときには…ライフラインとしての道路とガソリンスタンド、運転者、車…同様に構造化できないでしょうか?

というかその「構造」という言葉自体、僕が間違って使っている気もします。
現代哲学にはあまり詳しくないので。

でも現代哲学に詳しくなければ、多くの言葉が使えないというのはどうでしょう。
たとえば「正義」という言葉を口にするには、ロールズからフレイザー、ヤング…と膨大な文献を読まなくてはならないようです。

6

ひきこもり、準ひきこもり、ニート、フリーターなど負け組は、どんどん顔が悪くなっていくといいます。
本当に顔がわかる人がいるなら、顔が悪い者はガス室に送ってしまえばいいのでは?

でもどこまで人を信じていいのでしょう。特に警官・教師・親など、権威主義社会で上位にいる人を。
たとえば警官が、「顔が悪い」から人を射殺したりガス室送りにしたりしていい社会はかなり悲惨では?

その顔が悪くなる、という問題自体はどうすればいいのでしょう…どうしようもない?
顔が悪くなるし、あらゆる実力も低下する一方である以上、いくら再チャレンジと言っても無理なのはわかりきっています。

5

都会の、ターミナル駅の通りのような非常にいい立地で、小型キヨスクやタバコ屋のようにごく狭い面積で、チョコレートやアイスクリームの専門店があればどうでしょう。
チョコレートもアイスクリームもあらゆるコンビニエンスストアで一ジャンルになっています。
そして比較的体積の小さい菓子類で人気がありますが、本来はきわめて種類が多いのにコンビニにはそのごく一部しか置けません。
店は小さいけれど、その一つのジャンルについてだけはコンビニ以上…大型スーパーかそれ以上、外国食品スーパーを合わせたレベルの、事実上ないものはないレベルの品揃えに高めるのです。
もちろんスーパーマーケットやデパートなら品揃えはありますが、行くのが大変です。
チョコ、アイスだけでなくガム、飴、菓子パン、ワッフル、クッキーなどについても同様に専門化できそうです。

その店は「かけがえのなさ」がとても高いですし、チョコレートやアイスクリームなどは常に大きな需要があります。
コンビニで漫然と選ぶ層はコンビニに行くでしょうが、「チョコが食べたい」などはっきり目的がある人はまずその店に行くでしょう。

チョコレートの場合ゴディバなど超一流ブランドのものも置きたいですね。ただし、ゴディバの中のバー三種類、玉状のものが五種類ぐらいまで限定して。
プレゼント用詰め合わせは体積を食うのでなしにしたほうがいいでしょう。

4

もし二酸化炭素封じ込め型火力発電ができたとしても、それがある量を超えたら、二酸化炭素は変化させないにしても酸素・水蒸気の濃度を変えてしまうのでは?

といっても宇宙太陽光発電や核融合発電でも地上において、太陽の入射〜宇宙への赤外線放射のバランスが崩れるリスクもありますし、リスクのない道などないです。
といっても人間が使うエネルギーなど、太陽の入射全部と比較すればわずかですが…といっても陸上生態系の中ではあまりに大きな存在感になっているので、過小評価も禁物です。

とにかく何でもやってみて、害が大きければ即やめる、それしかないですね。

3

人の心の本質の一つが「自分の属する共同体のために戦い、そのメンバーを愛し信頼する」「敵を恐れ、怒り、憎み、戦う」ことだとしたら、キリストのメッセージ…憎しみと戦い、「敵」「他」の概念を捨て、人類全体を自分の属する共同体と考えて愛せよ、という命令は人間の本質に背くのでは?

また、今は多くの児童虐待が判明していますし、暴力犯罪の多くは顔見知りの間で行われるといわれます。
ならば「自分の属する共同体の人間は無条件に信頼する」ことはもはや不可能、家族を含め誰もが低い確率ですが敵となる、という前提が必要になります。
それも人間の本質が耐えられるでしょうか?

近い人々による虐待を防ぐには生活の隅々に渡る監視システムが必要でしょう。
それに反対は多いです…が、その監視システムを設けないということは、少なくない数の児童虐待を放置しているという意味もあるのです。
監視でも放置でもない、けれども人の本性を無視したお花畑でもない道は存在するでしょうか?

人が人であること、現実にある人であることを冷静に、ありのままに見て、そして正しい…どうすればいいのやら。

2

人が何を恐れるべきで何を恐れるべきでないか…北朝鮮・中国・犯罪は恐れるべきでなく、アメリカ・軍歌の響き・資本・差別・冤罪を恐れるべきだ、と決められるとしたら、左翼側はどんなに大きな権限を持つのでしょう。
その巨大な権力を、彼らは濫用せずにいられるでしょうか?

逆に、本当に右側・政府・マスコミは、国民が何を恐れるかを自在に操っている…本当は脅威でもない北朝鮮を脅威として喧伝して九条を壊し、アメリカのために戦える普通に国にしようとしているし、また本当は増えてもいない犯罪の恐怖をあおって警察国家を受け入れさせようとしているのでしょうか?

誰にもそのレベルで支配されないには、知で有効でしょうか…たとえば統計の知識を身につけたうえで、犯罪は増加していないことを再確認するなど。
少なくとも、右側にも左側にも「支配されている」という自覚は持つべきでしょう。

1

不安・恐怖は人間を形成する本質的な感情ではないでしょうか。
不安・恐怖があるから人は社会を形成し、敵を憎み、味方を愛して団結し、権威に服従し、一時でも忘れようと万能感を求めて何かに依存するのでは?
恐怖、憎悪、愛、支配と服従、依存は一体なのでは?