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「信」についてずっと考えてきましたが、結局なにも結論らしいものはありません。
考えれば考えるほどわけがわからなくなりますし、浅学非才を思い知るばかりです。

生態系にとって腐敗菌、捕食者、毒などもまた欠かせない構成員であるように、人間社会にとっても腐敗や悪もまた欠かせないのかもしれません。
そういうのがあっても、総体としてヤクザもうまく使って江戸時代が治安維持、明治維新、高度成長ができたように社会自体が機能しさえすればいいということはないのでしょうか。

ただ、腐敗はあっても全体に「信」がある状態もあれば、ひどすぎてどこにも「信」がなく機能しない状態もあります。
後者は避けなければなりません。

仁義礼智信が社会全体で調和し、しかも現代にふさわしくそれぞれが偏狭ではなく開かれていて、人類社会全体が腐敗も醗酵のように取り込んできちんと機能させている…

個人は欲望、集団は共同体の偏狭という形で害毒を生むけれど、それがなければ社会は存在し得ないです。
もし仁義が本当に人心から失せているなら、信が生まれるはずはないです。
智だけで信を生むことはできないでしょう。

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人間社会には腐敗がつきものです。
自然にも腐敗がつきものですが、その腐敗は生物の生存に欠かせない、生態系のもっとも重要な環の一つです。
そして、その腐敗を人間は醗酵という形でうまく利用しています。
同様に、なんとか人間の腐敗もうまく利用することはできないでしょうか?

日本は江戸時代から現代まで長いこと、ヤクザを治安維持に利用してきました。
それは悪だったのでしょうか?ヤクザは全て排除…完全に更正させるか処刑するかが、どの時代であっても唯一正しい道だったのでしょうか?
ヤクザを利用してきた結果、日本は芯まで腐って機能しなかったのでしょうか?それとも腐った部分はあっても機能してきたのでしょうか?

「白河や清き流れに魚住まず 濁れる田沼今は恋しき」が社会の真実でしょうか。
それとも徹底して腐敗と戦い、透明な社会にするのが最上なのでしょうか?
麻薬戦争に対しては徹底した戦いと、麻薬の合法化とどちらが正しいのでしょう。

その他のあらゆる腐敗も、うまく利用することで社会を機能させることはできないのでしょうか?

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エネルギーの未来をハードSFレベルで考えてみましょう。

まずエネルギーを出すシステムを二つに分けます。
一つは発電所のような大規模に、主に電気エネルギーを得るシステムで、もう一つは電池、車など携帯できる小さいエネルギー発生システムです。製鉄所も大規模な施設で大きなエネルギーを出していますが、本質的に発電所と製鉄所は同じです…製鉄所の廃熱で発電することもできますし、無限の電力源があれば石炭なしで製鉄は可能です。
そして制約要因を考えます。制約要因には技術的可能性、持続可能性、実現に必要な資源、コストの四つがあります。

大きいシステムは現状では化石燃料火力発電所と原子力発電所、水力発電所が主です。現在使われている、ということは現状では上記の四条件とも優れている、ということです…持続可能性は短期間ですが。
制約要因はどれも大きな公害を抱え、火力と原子力は再生不能資源に依存、水力発電所は持続可能ですが立地…すなわち資源が限られています。

未来においてまず期待されるのは太陽光、風力発電所、バイオマスなどいわゆる代替エネルギーです。他にも代替エネルギーには地熱、波力、潮流などがあります。
制約要因ですが、まずコストがかかります。太陽電池などの生産に高いコストがかかり、面積あたり効率の低さから来るコストもあります。
持続可能性は無制限に見えますが、一部反環境論者の主張のように太陽電池などを作り、整備し、メンテナンスし、廃棄するのにその生涯に作れる電力以上の石油を消費するならば、持続可能性もないということです。技術的には問題なく改良の余地も多く、資源は(工業用水の問題以外)きわめて多くあります。

太陽光発電の応用として、宇宙太陽光発電所は効率も比較的よく上限がありません。
その宇宙太陽光発電所も、場所は地球軌道から月面、月周回軌道、水星より少し内側の公転軌道までいろいろ考えられます。
宇宙太陽光発電の最大の問題は圧倒的に高い打ち上げコストです。宇宙では寿命制限はほぼないですが、問題になるのは打ち上げに必要な石油と、中期までに回収できるエネルギーのどちらが大きいかでしょう。
コストと打ち上げ石油を減らすには宇宙エレベーターの建設を待ったほうがいいでしょうか?これは検討を要します。
月や水星に全自動自己増殖太陽電池生産ロボットを送り込めばそれだけでほぼ無限にエネルギーを得られますが、それはまだ技術的に実現されていません。

地上でできるし無尽蔵といわれるのは核融合ですが、まだ技術的に不可能です。

意外と面白いかもしれないのが、もし運良く地球か木星、土星の近くを予想できる軌道で制御できる(惑星の運行を乱さない)程度の質量の小さなブラックホールが通りかかった場合、それを捕獲してごみや木星型惑星のガスを流し込めばその静止エネルギーの半分近くの、天然では宇宙最高効率のエンジンが得られます。
これはもしかしたら、ブラックホールの質量が小さい場合核融合より技術的な制約は小さく、自己増殖機械を用いない大規模宇宙太陽光発電よりコストも低いかもしれません。
制約要因は純粋に資源…今のところそんな都合のいいブラックホールは見当たらない、ということだけです。あと危険が大きすぎる点でしょうか。

小さいシステムは現在は蓄電池や普通の電池、化石燃料エンジンです。
期待される未来には革新的に強力な蓄電池、超伝導を利用した超強力蓄電池、水素燃料電池、究極的には反物質を貯蔵して対消滅のエネルギーを効率よく電気エネルギーに転換するシステムが考えられます。
また現在の電線を用いる技術の延長として超伝導を用いた無抵抗無損失の送電ケーブルやマイクロ波を利用した無線送電技術の革新もありえます。
どれも今のところ主に技術に制約されています。
蓄電池のこれ以上の改良はできるでしょうか?それについてはわからないです。電池は一見成熟した技術に見えますが、最近市販乾電池でも革新が起きているようですし、コンデンサーの技術革新があるという情報もありますし、超伝導を利用した蓄電池も考えられています。
水素燃料電池は技術的には実現していますが、コストと効率がまだまだ低く、触媒として希少資源を必要とするという弱点もあります。
反物質は理論的には最も多くのエネルギーを持ち歩く方法ですが、今のところ実験室でごく少量作れるだけで制御技術など夢のまた夢です。二十二世紀の技術でさえないかもしれません。

総体として、一部反環境論者は代替エネルギー、太陽光や風力、バイオマスを持続可能性から(そのほうが石油を多く消費すると)否定し、核融合は技術的に否定しています。
ならば使えるのは化石燃料を燃やす発電法だけです。
また上記の小さいシステムも、蓄電池の革新以外は期待していないようです。

環境保護論者が期待するのは太陽光と風力、小さいシステムは水素燃料電池です。これは技術的には実証されており、問題は使える資源量、コスト(社会の合意)です。
技術的楽観論者は核融合や宇宙太陽光発電に期待しています。

さてどうするのが一番いいでしょう…最悪のケースとして、一部反環境論者の言うように代替エネルギーや核融合など技術には期待できず、しかも石油も原子力ももうすぐ枯渇する、というシナリオも考えておくべきです。

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金メダルで吹っ飛ぶでしょうが、結局この堀江メール騒動で得をしたのと損をしたのは誰でしょう。
自民小泉首相側、自民反小泉、前原党首ら民主党幹部、反対する民主左派、その他、国民…アメリカや財界を考えるのは考えすぎでしょうか。
そして、この結果起きることには中途半端に終わる、民主党の執行部が左派に交代、民主党解体の三つが考えられます。

小泉首相は、堀江騒動全体や耐震偽装マンションなど様々な問題が吹っ飛び、マスコミに叩かれるのが民主党になったことで短期的には大きく得をします。
反面、民主党の執行部が左派に交代した場合、より争点がはっきりした国会、選挙となるでしょう。確かに左派に対する国民の不信は強いですが、後に検討するように情勢は流動化します。
また、憲法改正などが当面頓挫することは確かでしょう。
このままうやむやの痛み分けになり、別のサプライズで全てが忘れられる形になれば小泉首相にとっては最も得です。

自民党の反小泉派は…小泉首相の幸運に歯噛みをするだけでしょうか。
そして民主党が分裂した場合、自分たちもまた自民党を割って再編、という気力はあるでしょうか?

民主党、特に執行部にとっては切り札のはずが、いつのまにか致命的な打撃になってしまっています。なんとかうやむやにして最低限のダメージにするか、それとも大手術をするか…

このまま執行部が総辞任し、菅、横路氏ら左派に交代するとしましょう。
確かにその場合、彼らには一時的な得はありますが、次の選挙はどうなるでしょうか?
新自由主義、改革開放路線という票田は自民党の独占状態になるでしょう。その点は小泉首相が任期満了で辞めていても変わりません。
となると、民主党はより穏健な社会民主主義路線、改革の痛みや格差を責めてより平等で国民生活を重視する、同時に腐敗を徹底追及する、という路線しかないです。国際的にも反米路線になるでしょう。
問題は、それにどれだけの票があるかです。確かに国民の痛みは深刻であり、皆そのことはわかっていますが、それでも小泉自公が圧勝したのが現実です。さらにそのときには、今民主党の右派も自民党に流れ込んでいる、という可能性もあるのです。

一番損をしたのは国民です。
民主党に対する失望が強まれば強まるほど、政治的な選択肢がなく絶望感、閉塞間が広がっていくのです…今第三政党を作っても、選挙では絶対に勝てないのです。
うやむやに終われば政治全体に対する失望感が強まり、比例してポピュリズムがますます強まるでしょう。
民主党が左派に代わった場合、確かに政治的選択肢はできますが…
民主党が分裂した場合にも、若手右派が自民党に流れた場合には自民圧倒多数で事実上選択肢がなくなる恐れもあります。うまく自民党が分裂して政界再編になればいいですが、それは難しいでしょう…今の自民党で、小泉マジックと公明党なしで当選できる人がどれだけいるでしょうか。
また、堀江氏の騒動全体が、株価を大きく下げたり新しい経済に対する信頼を失わせたり…マンション偽装も結局信頼喪失という大きな負の経済効果があります…して、経済自体の元気をなくしてしまう可能性もあります。
特に堀江氏には若者の代表、という感じがあったので、それが潰されたことは若者それ自体が潰される…起業など割に合わないしすべきではない、優秀なら実力主義外資系の大企業で過労死するか公務員になる、そうでなければフリーターとしておとなしい下層として愛国主義ですきっ腹を満たしていろ、という社会自体のメッセージを受け取るかもしれません。
もちろん嘘でふくらんだバブルはいつかは弾けるもので、今だったからまだダメージは少なくてすんだのかもしれませんが。

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DSM−4の、まともに生きていれば健康体だ、という基準はそれ自体狂っていないでしょうか?
特に「我輩は猫である」で語られたように、皆が狂っているのだから狂人こそ正気なのだ、として…それを安易に、皆が狂っているならお前も同じように狂って順応すればいいのだ、というのはそれでいいのでしょうか?

この世界には耐えられない、この世界のあり方は間違っているという叫びはそれ自体間違っているのでしょうか。

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メールどうこう、堀江どうこう…全て日本人にとって、非常に大きな損害を与えています。
政府、政治に対する「信」をますます破壊し、さらに政府が信じられないなら政権交代、という希望さえ破壊しています。
そして、日本はこれからどこに舵を切ればいいのか、というのはますます忘れられるのです。

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山手線でレールが沈み、ダイヤが乱れたようです。
考えてみれば、線路も道路も常にメンテナンスが必要です。
それをほとんどの人は忘れています。

途上国で多くの援助で作られたものが役に立たない理由には、そのメンテナンスが行われないこともあるのです。
インフラのメンテナンスは社会経済の本質に関わることです。

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金銀に並ぶ第三の貴金属があったら…プラチナがもっと使いやすかったら、経済史はどう変化していたでしょうか?

主に二つのレートで動いてきたのが、三つになったらどうなったでしょう。
たとえば物理学の二体問題は解けますが、三体以上は解けません…数学的により複雑な挙動をして、経済が不安定になっていた気もします。

また、鉄に並ぶ性能の金属や合金があったら歴史はどうなっていたでしょうか。

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なぜ、特に途上国の人口爆発が起きたのでしょう。
どうしていればよかったのでしょう、ワクチンと食料より先に教育だったらよかったのに。

家族計画や子供に教育を受けさせることに関心がない、または宗教的、伝統的にそれを受け入れない人たちにワクチンと食糧援助だけを与えたらマルサス的破局になるのは自明なのに。

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近所同士の送迎で子供が殺された事件について、「外国人だから」というのも排他心に訴えて物事を単純化する愚かで邪悪な言葉です。逆に「国は関係ない」というのも一部は事実でしょうが現実を無視した偽善で、「日本人が差別するから悪い」というのも日本人全員が瞬時に心の底から改心することができない以上現実的にできることは何もありません。
反差別の言論以外は認めないと言うのも、差別に逆らうことを許さないと言うのもどちらも言論弾圧であり、解決にはなりません。

むしろ近所同士での送迎さえ不安という、「信」がまた一つ大きく傷つけられたことに注目すべきだと思います。おそらく、外国人を排除すれば安心ということはないでしょう…きわめて濃密な、プライバシーもなく村八分などの負の面がある農村型共同体を回復しない限り。いや、それでも100%ではない、単に「信」を害するような事件の情報は隠蔽されるだけです。
だからスクールバスにするとか、家族が送るべきだと言っても…そのスクールバスの運転手、いや家族さえ絶対に信頼できるわけではないのですから、どんな形であっても危険はある、というのが現実なのでしょう。

そして、日本に外国人が入ってきているという現実をどうするか。
あくまで外国人を追い出し、日本人だけで鎖国するのは楽ですが無理です。
差別をきちんとして、お互いに交わらないようにすればどちらも楽ですが、その場合公の場のマナーなどよほどよく練られていないと軋轢が絶えませんし、国内に事実上の外国ができると言うのは治安上問題も多いです。
差別心をなくし、ありのまま受け入れるというのは人間に期待していいことではないでしょう…人間には差別心がある、というのを前提として者を考えるべきです。もちろん残酷な差別はよくないですが、自然な情動をひたすら否定してもろくなことがないのです。
差別なく混じりあおう、隣人として受け入れようというのは、要するに日本人に色々合わせてくれという傲慢です。
もちろん日本に住みたければ日本に同化してくれ、というのも一つの道でしょう。向こうは嫌がるでしょうが。
アメリカは宗教、文化の違いを初めから前提として、法と契約、星条旗への忠誠だけでなんとかまとまっていますが、それは日本とは根本的に異なります…日本もこれからそれを学ぶべきでしょうか?ただし、日本では根本的に、日の丸君が代や天皇に忠誠心を持つ層と、逆にそれを嫌悪している層に分かれています。かろうじて国としてまとめているのが言葉と経済なのでしょうが…

必要なのは、どうやって「違う」人たちとうまくやっていくか、どのように「違う人」も含む、まず地域農村が崩壊し、今や企業共同体も崩壊した日本社会を、「信」を再構成するかです。
嘘を全て排除するのは、一見正しく見えますが危険です…自分と自分の属する共同体について理解するため、一度全ての嘘を排除して考えるのは有効でしょうが、本当に全ての嘘をなくしたらとても耐えられない現実があるだけです。
嘘と知りつつどんな嘘を選び、そしてどううまく「信」を作り出して共同体を再構築するか…難しいですが、必要でしょう。

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貧富の差が拡大したら、「貧乏人の子沢山」で出生率が回復しないでしょうか?
考えてみると、今貧しい側の若者は、結婚せず子供を生まない選択が多いのが不思議です。
貧乏人の子沢山は普遍的な人間法則の一つとさえ言えるのに。

むしろ貧乏人同士の結婚出産は「ヤンママ」「ギャルママ」など社会問題のようにとらえられています。今の社会自体に、貧乏人は結婚出産するなという暗黙の合意があるのでしょうか?
そしてそれが、実際の行動を抑えるほど強い?
避妊が容易になっているから?

もちろん貧乏人は子供にいい躾、高等教育を与える財力などがないとされます。
でも諸外国や近代以前の貧乏人もその点では同じでは?特に都市貧民層の躾はどうだったのでしょう。

最大の問題…日本の支配層は今後、多くの若年貧困低学歴労働者を必要とするのでしょうか。
必要とするなら「貧乏人の子沢山」が望ましいでしょうし、必要としていないなら貧乏人は結婚出産するなという圧力を強めるでしょう。
また、支配層が若年貧困低学歴労働者を必要と思っていなくても、それは間違った判断で実は必要だった…という可能性は?

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水爆を台所で作れるレシピがあってそれが公開されてしまったら、人類は存続できるでしょうか。
「一人の愚か者」がいつまでも出ない、ということは期待していいことではありません…絶望でしょう。

でも、さすがに台所で水爆は無理にしても、オウム程度の組織が化学兵器を作れてしまった以上、もう破局的なテロは不可避といっていいのでは。
それを前提として社会システムを組み替えることはできるでしょうか?

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生物に本当の知性があれば、自分を食べる肉食動物、自分を侵す伝染病、死体に群がる虫などにも感謝するでしょう。
種として存在するには、それら自分を殺す存在も必要なのですから。

人間は食べられることがなく、伝染病もかなり克服できています。
そうなると、どうしても人口を適正なレベルに保つことが必要となります。
でも理性だけでそれをすることが可能でしょうか?江戸時代日本の、農村での間引きと都市での結婚制限の組み合わせ以外の成功例は世界史でも少ないぐらいです。
特に宗教がその壁になることが大きいです。

また、犯罪が起きても、犯罪がおきうる社会であることに感謝するべきでしょうか?
なぜなら、犯罪をごく少なくする実に有効な手段の多くを人間はとらないからです。
全員の指紋とDNAをデータベース化する、犯罪者を全て、疑わしいものも含めて死刑にする、全員を常時監視する、法の適正手続概念自体をなくして拷問を容認するなど。
それをしないということは、ある程度の犯罪は容認しているということです、交通事故にもかかわらず車を容認しているように。

人間に自分や自分の大切なものの生死も冷徹に計算し、徹底的に進化論的、統計的、生態学的、ゲーム理論的に考える知性があれば…
でもそうではないのです。ただ、純粋理性の代わりに進化の過程で生れた様々な感情にも、何か使える要素はあるはず…一概に否定すべきものではなく。

15

社会を支える基礎には、多くの嘘が混じっています。
その嘘を信じるのもまた「信」なのでしょうか。
そして、今はある意味その嘘が暴かれつつあるのでは…それで、社会の信が失われている感じが強いのでは。

その嘘を取り除いて社会は成立するのでしょうか?
でも、その嘘のために社会全体が滅びることさえあり、それは愚の骨頂と思えます。

14

今回の社民党の変化が、民主党分裂のきっかけになる可能性はないでしょうか。

民主党は野党内で完全に孤立しました。
次の選挙は全く社民共産両党の協力を得られず、自民党からも社民共産両党からも攻撃される立場になるわけです。さらにいえば、マスコミ論壇の支持も全く得られていない状態です。
それで頼みの綱の無党派層は小泉べったりですから、もう絶望的といえるでしょう。

そして、現在の民主党は前原党首ら新自由主義の若手幹部と、元社会党の左派とのずれが非常に大きくなっています。
新自由主義に先鋭化しても国民の支持は得られていませんから、参院選などの結果によっては左側に戻そうとする圧力が強まるでしょう。

そして、それは分裂にならないでしょうか。
前原氏ら若手新自由主義派が自民党に合流した場合、残りの民主党左派も先鋭化せざるを得なくなって社民党に合流する道を選ぶでしょう。そうしなければ、小選挙区制では望みがありません(そうしてもたぶん望みはないのですが)。
そうなると完全に55年体制の再現です。いや、微妙に違います…与党は小泉型の新自由主義改革路線、野党は第三の道を標榜しつつ実際には旧態依然左派であり、支持者数も議席数も55年体制とは比較にならない大差となるでしょう。
その状態は無視される政治的立ち位置が多く、また与野党の差が大きく開いて選挙の意味がなくなるので避けたいです。

といっても、民主党の立場でどうすればいいかを考えると…どの道を選んでも絶望的、というのが正直なところです。

面白いのが、左右どちらもどうしても坂道をすべるように先鋭化に向かう圧力があることです…それはなぜでしょうか。

13

腐敗と環境の双方に対処しうる政治経済学はないのでしょうか。

古典的な資本主義、社会(共産)主義のどちらも資源や環境は無限である、という仮定と、もう一つ人間は腐りきっていないという仮定があります。

環境を経済学の前提にすることは色々行われているかもしれませんが、さらに腐敗が必然であることを前提に加えたものはあるでしょうか?
それもないと、現実性はないです。

それとも、新自由主義は腐敗については解決するでしょうか…腐った国は国際競争で負ける、という理屈で。

12

社民党が先鋭化しました。
自社さ時代を全否定することで、それ以前の社会党に戻ったと見ていいでしょう。

そのことで、少なくとも「護憲」に固まった、先鋭化した固定層をつかむことはできます。
合理的ではあるでしょう…もしより柔軟路線に行っても、無党派層左派が社民党を信用することは、幹部の総入れ替えがない限りないはずです。
問題は、現在かなり小さくなっている「護憲」というパイを共産党と食い合うという絶望的な状況です。これ以上縮小も拡大もない、ということでしょうか。

それで反小泉、反米の受け皿となって自民民主両方と対峙することはできるでしょうか?
それは疑問です。

さて、それで民主党はどうすればいいのでしょう。
現在は小泉自民と同じパイを奪い合おうとしています。
もし民主党が改憲容認リベラル、穏健社民主義(日本型第三の道)に動いた場合に展望はあるでしょうか。

また、民主党の前原党首就任、共産党の現状維持と社民党の先鋭化で無党派層左派に多い改憲容認リベラルの投票先がなくなっています。
また、純粋な(反米も含む)保守も投票する党がなくなった状態です。
軸の中の、かなり偏った二つの場に二つづつ政党がある状態で、他の漁場はまるっきり放置されている…これは健全でしょうか?

それにしても、社民党党大会の報道は下手をすると民主党党大会の報道より大きかったような…
議席数を考えるとおかしい気もします。それだけ福島、辻本氏らがメディアで“キャラが立っている”のでしょうが。

11

誰にでも当人の記憶を奪った上で変身できる、または誰でも操れる心霊力のある、頭のいい極悪非道な殺人鬼がいて、それが公になったら、それが一人であっても社会は崩壊します。
自分の隣人、家族さえ信じられなくなるからです。

でも、スパイの世界や特殊な警察、犯罪組織のような世界こそまさにそれ…誰が裏切り者かわからない、誰も絶対的に信用してはいけない世界です。
それはどう機能しているのでしょうか。
僕にはわかるべくもありませんが、人間の直観力を信じるのでしょうか?それとも全員を完全に疑っては仕事にならないから、オールオアナッシングの考えを捨てて全員の「疑わしさ」を、100%だけはないと肝に銘じて的確に評価して何とかやっているのでしょうか?それともみんな信じることにして、裏切り者や怪しい行動をする者を排除していくという普通のやり方でやっているのでしょうか。

普通の人間は、目の前にいる人は「信用できる」か「信用できない」かどちらかです。
それで「信用できる」人だけで集まり、「信用できない」人を排除、そして攻撃することで社会を維持します。
でも、誰もが0.2%ぐらいは信用できないというような前提で社会を作ることはできないのでしょうか。まるでリスクを計算し、ゲーム理論に沿って行動する計算機の集まりのように。

これまでのように「誰もが信用できる」社会を維持しようとすると、そのために多くに犠牲が必要になるのがやっかいですね。
たとえば、冒頭の殺人鬼の存在自体を隠蔽するとか。
またはその必要はなくても人を排除し、攻撃するとか。場合によっては戦争やホロコースト、魔女裁判のようなことさえ必要になります。

10

現在教師の体罰が禁止されている大きい理由は、その教師に体罰ができる人格があるかどうか判定できないからではないでしょうか。
人格がある人の(いわゆる愛のある)体罰は有効ですが、サディストの体罰は逆効果です。
でも、考えてみると体罰がなく言葉だけでもかなりのことができます…どちらも。
教師に体罰ができたのは教師を社会が信頼していたからですが、それがなくなったら…本当になくなったら、教育自体事実上できなくなるのでは。

危険(邪悪)な人間と安全(善良)な人間を見分けることは不可能で、またどちらもどこにでも発生する、という真実に人はどれだけ耐えられるでしょう。

誰もが邪悪かもしれない、という前提で社会は機能するでしょうか。
警官も親もパトロールも医療関係者も教師も先輩も誰も彼も怪しいとしたら、例外なしの徹底した相互監視以外ありません。それを社会といえるでしょうか。

逆に、邪悪の存在、多少の被害…たとえば幼児が残酷に殺される事件があっても、「交通事故で死ぬ人は〜」で済ませていいのでしょうか。
自分の子供が残酷に殺されるというのはかなり多くの人が想像できる分、説得力があります。
でもそれが暴走し、暴徒化して怪しいと思える人を魔女狩りしていく、というのは許容できません。

9

もし「代替エネルギーは不可能…風力も太陽光も、それが生み出すエネルギーよりその設備を作るエネルギーのほうが大きい」が正しく、にもかかわらず石油が枯渇に向かったり温暖化の害が大きくなったりしたらどうするのでしょう。

代替エネルギーの否定は、化石燃料は実質無尽蔵でしかも温暖化はウソだ、という仮定がなければ人類は拡大の末の自滅、選別、全体での生活の極端な切り下げの三択を迫られることになります。
本当に環境を守り、人類文明を存続させるためには何が正しいのか…

半端な知識ではどうするのが最も環境にいいのか理解できずに、むしろ環境にはマイナスになることが多いリサイクルを推進してしまうことがあります。
たとえば(再生可能な)紙皿を使ってすぐ焼いてその熱を無駄にしないほうが、陶器の皿を焼いて洗って使うより環境全体に対するコストは低いかもしれないのです。
けれども工学者の独裁というわけにもいかない、どうすればいいのでしょう。

8

人間は全知全能の神ではないし自滅しかできない愚か者でもない…いろいろな面がある…
一見愚かに見える感情も、サバンナとジャングルの間で生存競争をしていたときには何かと役に立ったアプリケーションに違いないはずです。

でも、本当に今の生活…といっても、それもかなり多様ですが…に順応し、全体として環境を破壊せず、互いに信頼、安心してしかも窮屈ではなく、みんなが幸せに生きられるようにはどうすればいいのでしょうね。
宗教も大切ですが、それをあまりあてにするわけにもいかないのが厄介なところです。

7

豪雪地帯では、おもいきって冬はどんなに雪が降っても暮らせるようにすればどうでしょう。
家はどんなに雪が積もっても崩れないよう頑丈にして出入り口だけ確保し、道路も雪を無理に溶かさず雪氷の上を走るのを前提にすれば?

いや、冬は無理に通勤通学せず、できる限り家からオンラインでなんとかなるようにしたらどうでしょう。

まあ雪に埋もれるのはほんの数ヶ月ですが…
無理に東京と同じ生活にこだわらなくてもいいのでは?

6

仁義礼智信ともに、マイナス面を強くさせないためには狭い共同体の論理ではなく、人類全体に対する普遍的なものとし、そして異論に対する寛容が必要なのではないでしょうか。

仁は、それこそキリスト教で愛する「隣人」をユダヤ人に限定せず、よきサマリア人のように全ての人に開く…まあそれは墨と儒の論争がとっくにあるのですが。
義と礼も智によって磨かれなければならないでしょう。何よりも「汝自身を知れ」です…自分自身、自分の属する共同体の論理を客観的に理解する…。
智は何によって生れるのでしょう。信仰といえないのが残念です。もちろん信仰も力があるのでしょうが、信仰に頼れない者は?いや、信仰と智との関係は?

そして信。
信がなければ社会は成立せず、生きていくこともできない…けれどももう何も信じられない…この精神的廃墟から、神によらずに立ち上がることはできるでしょうか。
神によらず、「自分を愛するように隣人を(それもよきサマリア人のように、普遍の)愛せよ」「汝自身を知れ」「君の意見には反対だが、君が意見を述べる権利を守るためには命をかける」を自発的に実践することができるでしょうか。

現代にどうやって仁義礼智信を普遍的な形で復活させることができるのでしょう。
どうすれば様々な社会的ジレンマを克服できるのでしょう。
あ、信と信仰はどれほど密接な関係なのでしょう。

5

信も不信もフィードバックがあり、互いに強めあいます。
二人の人間の間も、信も不信も強めあう力が働きます。
集団もまた、信が内向きに強めあうことがよくあります。
ちなみにそれはファシズムなど悪い方向にも働きます。

これまでの信の根拠であった農村共同体、国家神道、会社共同体も壊れた今…どうやって信を強める方向にもっていけばいいのでしょう。
何を信の根拠に置けばいいのでしょう…国家?家庭や信仰など伝統的価値?信がなかったら誰もが損をするという功利主義?市民など戦後民主主義的お題目?他に何か?

そして、どうすれば信の暴走を止めて全体として仁義礼智信をプラスの方向に生かすことができるのでしょう。
考えてみると信だけでなく、仁義礼智もそれぞれマイナス面があります。
仁はそれが共同体に限定された場合には家族の利益を公益より優先するなどの腐敗につながるでしょう。
義のマイナス面はもちろん憎悪と恐怖が戦争につながりかねないことです。身近でも犯罪に対する…それどころか不道徳に対する…憤りが監視社会や冤罪、場合によっては魔女裁判も生み出しかねません。
礼のマイナス面は儒教やインドのカースト制度のような沈滞と束縛があります。
智の反面は…智は本来各徳のマイナス面が出ないようコントロールするためのものですが、智も下手をすると絶望のもとになるかもしれません。こじつければ科学のマイナス面でしょうか。

4

シリーズ「信」再開します。
「信」がないと…家族も含めて全員を警戒対象にしなければならない、となると眠ることも許されません。
ものすごい監視コストがかかるということでもあり、それでは自由どころではないともいえます。

でも、「信」の本質は共同体です。その共同体の事実上本質に、排除や差別、憎悪と恐怖があります。
そして人間は、自分の属する共同体を高いとし、排除されるものを低い、または敵とし、人と認めず恐れ憎むものなのです。
戦後民主主義はその排除、差別を嫌うあまり、共同体自体を否定してきたのでは?
それでは「信」がなくなるのは当然のことです。
もし本当に、戦前のムライエ共同体が、高度成長による人口の都市流出、核家族化によって壊れ、そしてその核家族も崩壊し、またムライエ共同体の後継者だった会社共同体もフリーター、リストラで崩壊したなら、その共同体のデメリットを責める戦後民主主義にとってはめでたいことではないでしょうか?
その結果が孤立し、いかなる「信」もない大衆が見えない何かを恐れて政府にすすんで自分たちを監視させ、憎む相手を探して愛国心を高め、ポピュリズムにすがることであっても。
戦後民主主義は、ムライエ共同体を壊してどうしたかったのでしょう…地球全体または自由で平等な市民の日本が一つの排除なき共同体になることを夢見ていたのでしょうか?

そして、今この崩壊した廃墟にさえ思えるところから、どうやって「信」を取り戻せばいいのでしょう。
どうすれば犯罪の心配を最低限にできるのでしょう。

あ、考えてみると数学の根本である集合論自体「仲間」と「それ以外」を区別(差別)し、「それ以外」を排除することがあります…過激なフェミニズムが論理、科学自体を敵視するのもわかりますね。

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反環境反科学といわれていたブッシュ大統領が一般教書演説で代替エネルギーに力を入れたり、環境問題が深刻になっている中国でも大規模な環境保護、植林事業をしていたりと結構米中…今最も多く化石燃料を使っている…とも環境に対する関心はあるようです。
それに希望を持ってもいいのでしょうか?
環境については、他のBRICs諸国の取り組みはどうでしょう…今後はそれが鍵になりますが?

そういえば、日本にとってももっとも大切といえる一般教書演説が、日本ではほとんど…特に今はホリエモンで…報道さえされていません。
教育や環境に力を入れているその内容は、一般のイメージとはかなりかけ離れている気もしますが…ただ実際のところは予算も検討しなければならないのでしょうが…

ホリエモンだけでなく、ニュースはどうしても話題性の高いものばかり長時間、どの局も延々と垂れ流してまともなこと、他の事…特に国際政治や科学技術…がなにも出てこないのは日本のメディアの非常に重い病気です。

演説といえば、演説とはいえませんが日本では小泉首相が格差肯定発言をして、さぞ朝日新聞の社説なんかはかみつくだろうな、と思ったら少し拍子抜けでした。
僕自身は格差はあるにしても、最低限は確保して欲しい、特にホームレスや餓死はあってはならないし、公教育と奨学金も充実する必要はあると思っています。

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これまでの日本が犯罪被害者を排除してきたのは、社会の「信」を保つためという意味もあったのかもしれません。

犯罪というものが存在しないかのように皆が考え、見ず知らずも含めて信頼する、また犯罪者も改悛すれば信頼してまた社会に受け入れる、というのは犯罪対策のコスト、監視社会の不自由というデメリットを低下させるというメリットもあるのです。
そのためには犯罪者に対する恨みを持ち続け、存在自体が犯罪の存在を強調する犯罪被害者は邪魔です。

極端に言えば、たとえば「犯罪はない」ということになっている独裁国家では被害者も家族ごと「消えて」しまうことで、犯罪の存在自体を隠蔽することになるでしょう。
実際に日本では、凶悪犯罪の被害者やその遺族が引っ越さざるを得ない状況に追い込まれることも多かったのです。
もちろん日本では穢れ思想が犯罪被害者を排除してきた、という面もあります。

更にいえば、防ぎようがないテロに対しても、「存在しないかのように」という心理制御は最もコストが低いかもしれません…テロリストが大量破壊兵器を持ち出さなければ。

「信」はあれば社会全体にとって利益になるのです。
例えば工場で「誰も盗みをしない」と従業員を信用し、従業員もその信用に応えていれば、従業員を監視するコストをかけずにすみます。
そのコストを給料にある程度還元すれば、会社も従業員も大きな利益を得ることができます。
逆に「誰もが盗む可能性がある」としてしまうと、全体に大きなコストがかかって工場自体の生産性が低下し、従業員の給料も安くなります。
にもかかわらず、それが壊れている…

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いかに社会に「信」を取り戻すか、というのを犯罪対策で考えてみましょう。

人間を、利己的かつ合理的な確率計算機と考えれば…これは古典経済の人間観です…「信賞必罰」すなわち「アメとムチ」が有効なはずです。つまり犯罪で得られる利益よりつかまって罰されるリスクのほうが大きければ犯罪を犯さない、という論理です。
ですが、それは合理的なリスク計算をしない犯罪者には通用しません。
その発展型として、日本が今向かっているといわれる重罰化、監視社会があります。
まず監視および罰の強化は、合理的な人に対する犯罪抑止力を強めます。
合理的な計算をしない犯罪者は初犯はどうにもなりませんが、監視で確実に逮捕し重罰で社会から隔離できます。

それに反対する人は、主に犯罪は社会、教育のせいであるといいます。
つまり社会がよく、教育がよければ犯罪はない、という考え方です。
これは人間をどうにも染められる白画布、または「エミール」のように自然のまま伸ばせばすばらしい人間になるはずで、邪悪は社会のゆがみが原因という人間観です。
矯正、教育刑思想もその延長でしょう。
でもどんな社会でも教育でも犯罪者はいる、本当に自由でありながら犯罪者がいない社会は成立したことがない、という反論もできます。
そして現実には多くの再犯があります。それは本当に刑務所、少年院、社会が悪いからでしょうか…日本は矯正を重視してきたのに?
本当に刑務所、少年院、社会を改善すれば再犯も初犯もなくなるかは疑わしいです。

性悪説か性善説か、といいかえてもいいでしょうか。
いや、微妙に違います。「人間は利己的である」というのと、「人間は邪悪である」というのは同じ性悪説でも違うのです。利己的であればアメとムチで抑止できますが、邪悪な人間は抑止できず、抑止機構自体を腐らせていきます。
性善説と性悪説を無理に対立させること自体が間違いなのでは?

上の双方で根本的に問題なのが、信賞必罰では合理的に考えない犯罪者、教育刑では教育が通用しない犯罪者…邪悪な人間は(重罰または完全な矯正教育があっても初犯は)止められないことです。
それを止める手段は…邪悪な人間を事前に社会から排除する、または全員が拳銃を訓練して公然携帯するというどちらもまずい方法しかなさそうです。やはり初犯はやむをえないのでしょうか。
もう一つ根本的な問題は、どちらにいくとしても機能しない場合、不足なのか過剰なのかわからない点です。
特に戦後民主主義教育について、擁護する側は不足しているから(戦前の残滓のせいで)機能しないのだ、批判する側は過剰、元々間違っているから機能しないのだ、となったりするのと同様です。

あともう一つ軸があります。権威主義か自由主義か、です。実際には重罰は、しばしば権威主義政治と相性がいいものです。同時に権威に反抗する人も必ずいます。
どんな社会も邪悪は毒液をたらす…ではどうすれば?

囚人のジレンマなど単純な数学的理論も、楽天的な教育や社会改善論も間違っているとしたら…人間は利益計算機でも白紙の画布でもない、様々なパーソナリティが混在する“人間”であるとしたら…簡単には結論が出せません。

結局「信」からは離れていきました。なかなか難しいテーマです。