枕元の計算用紙

ホーム ブログ

1999年7月 8月 9月 10月 11月 12月
2000年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年1月 2月 3月 4日 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2004年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月

2005年12月

1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日

31

自分の、理想と自分が感じる現実の自分自身の自画像はどんな感じになるでしょう。
理想の自画像も、たとえば「民衆を率いる自由の女神」や荒野の預言者から一人絶対の平安を楽しむ仏までいろいろあるでしょう。
現実も、ひたすら走っていたか寝ていたか、適度に遊んでいたか自堕落だったか…色々あります。

世界全体の像も、その自画像に対応してありのままよしとできる美しい世界にもこの世の地獄などにも何にでも変わるでしょうね。

30

保守派は、自分たちの歴史観を「自由主義史観」というように、強すぎる革新勢力によって自由な言論、思考ができなかった状況を打破しようとしてもいます。

でも、戦前の世界もそれほど地獄でもなかったけれどそれほど自由でもなかったのでは。
また、保守派の希望がかないすぎてしまうと、国や共同体の価値観が強まって復活し、結局自由がなくなるのでは。

もっとも大切なことは自由を守ること、「君の意見には反対だが君が意見を発表する権利は命に代えても守る」です。
その点では、弊害はあっても今は自由だと思います…戦前より、太平洋戦争がなく敗戦のもろもろがなかった場合より、共産革命が起きていた場合より。
その自由は守らねばなりません。もし、「再びもの言えぬ時代に」というのが単なる左翼のプロパガンダでないなら僕も抵抗します。もちろん、どの側の言葉であっても。
だからこそ、あらゆる立場の人に「君の意見には反対だが君が意見を発表する権利は命に代えても守る」だけは肝に銘じてほしいのですが…

ただ、子供に両方を…あらゆる角度から歴史を見ることを教えるのは難しいかもしれません。
子供にはどうすればいいのでしょう。
しかも、学校教育だけでなく様々なメディアの影響もあるのです。それはもう排除できない、想定して戦略を練るほかありません。

29

プレイヤーは壊れているし修理するつもりもないけれど、レコードやLDをまだ持っている人は少なくないでしょう。
そのような人に、ソフトを個室に持って来てもらうか、内部に設備がある大型ボックス車で出張して最高の音質画質で視聴させるサービスがあったら結構需要はあるかもしれません。
いや、今はアダルトが主目的の個室ビデオも、ハイビジョンやそれ以上の投影式大画面ホームシアター設定と5.1かそれ以上のサラウンドを提供して名前や雰囲気も変えて健全をアピールし、普通の映画、音楽ソフトを最高の画質音質で楽しむ場にできる可能性はあります。
大金をかけて家を模様替えかリフォームし、収入のある単身者なら月に一度利用すればいいほうのホームシアターを作るより、暇なときいつでも映画を見る程度の金で名作傑作を高級ホームシアター級に楽しめれば十分ではないでしょうか。
問題はレコードは持ち運びが難しく、また傷ついたレコードは針の損耗も激しいことでしょうか。

ついでに酒肴も高級品がそろっていればもっと…おいしい酒や肴は一人で楽しむものではないかもしれません、カップル用にしたほうがよさそうです。

あ、個室ビデオをカップル用にしたら別の使用目的が生まれてしまいますね。

28

明日生きているとは限らないから…

「今日全ての欲望を満たしたい」は、社会的にも物理的にも不可能ですし、食べたいものを全部食べたら自分も破裂します。人間の欲望は全宇宙でも満足できません。

逆に全てを捨てたら?
一人だけなら涅槃に入ってもよいのですが、皆がそうして食料を作ることも子供を生み育てることも放棄したら社会が成立しません。

「この一つだけをやりとげたい」は一見よさそうですが、偏狭に陥る可能性もあります。

今を本当に生きることと、未来を見すえて共同体(身近から国、人類全体まで)、隣人のために賢明に生きることが調和すれば一番いいのですが。
さて、それにどう信仰を突っ込めば正しくなるでしょう…と、こう頭で考えちゃだめなんですけどね。

27

選挙で社会民主主義と新自由主義(再配分の肯定否定)など国の方針を選択できなければ民主主義ではない、といえるでしょうか?

むしろ日本では保守二大政党論がよく聞かれますが、それはむしろ左翼が二大政党双方と小選挙区制自体を批判するのに用いられる言葉のようです。
逆にその左翼が望んでいるのはどのような状態でしょう…単純比例代表制で、最大でも二割以下の議席を確保する以上は不可能なのに。
また、現在社会民主主義と新自由主義の二大政党論を唱える者がどれだけいるでしょうか?そして護憲やマルクス主義、反天皇制にこだわらない穏健な社会民主主義に、二大政党の一翼を担えるほどの支持者がいるでしょうか?

さて、保守二大政党は基本的には外交経済共に同様であり、政権交代が起きても方針転換は事実上ない、としていいのでしょうか。
そのメリットは方針転換がない=政策の一貫性が保たれ、特に外交で、国自体にとって少ないリスクで政権交代を起こせることです。その場合政権交代の意味は一党支配による腐敗の清掃程度に矮小化されています。
反面、それがデメリットにもなります。二大政党共通の大方針が失敗し、有権者が反対を強めた場合、その反対の受け皿がなくなることもありえます。
要するに選挙と方針転換が切り離されるのです…現在の方針が適切である、方針転換は常に間違いであり必要になることはない、という仮定を基盤にした制度です。

本来二大政党への収斂は、非武装中立やマルクス主義、戦前回帰型国粋主義などの極端を排除し、より穏健な選択肢から国民が政権を選択できるという意味はありませんでしたか?
当初から国の舵自体は現在の小泉=前原型自由競争、アメリカ追従以外の選択肢は存在しなかったのでしょうか。

現状は…ともに幅広く多様に、極端だけは廃した政策グループを持つ二大政党双方が競い、選挙民の最大公約数政策が変化すれば双方がそれに合った政策グループの台頭で対応して両方選挙民の希望に沿う、それはそれで民主的でしょうか?
また、第三の道や環境はどこに入るのでしょう…それを求める国民世論が大きければ、自民党も民主党もそちらに向かうでしょうか?

26

どうすれば日本の有権者はまともな社会民主主義、小泉自民および前原民主=新自由主義に対するしっかりした(極端ではなく現実的な)対抗理念、政党を選択肢として持つことができるでしょう。
新自由主義と社会民主主義のどちらが正しい、というのではなく、選択肢がないことを問題にしているのです。

現在の社民党も共産党も、多数の支持は得られない、もはや宗教じみた原理である護憲や天皇制反対とあまりに深くからみあっており、またその人脈や組織の歴史自体が今や負の遺産になっています。
むしろ、今の社民党が「社会民主主義」を名乗っていること自体が、社会民主主義というそれ自体はさほど悪ではない政治思想の日本での評判を貶めている、といっても過言ではないでしょう。

ともに健全な新自由主義と社会民主主義の政権交代がない限り、第三の道など夢のまた夢です。
もちろん現在の小泉自民、前原民主も健全な新自由主義とは言いがたい面が多いです。

また、現状には自民党の右側にもあるべき政党、理念…反米保守重武装中立、東京裁判否定…も存在できません。
同様に従来型自民の公共事業重視も存在できませんし、ヨーロッパでは力を持つ環境政党も存在できません。

25

アメリカでは、キリスト教信者以外に配慮して「メリー・クリスマス」ではなく「ハッピー・ホリデーズ」と呼ぶそうです。
逆に近年ブッシュ大統領を再選させるなど鼻息が荒いアメリカのキリスト教保守派は、その風潮に反対しているそうです。

本質的にはキリスト教国でありつつ自由の国である、というアメリカの矛盾は重いですね。
結局のところ、国と宗教という厄介な問題に、はっきりした答えを出そうという方が間違いなのでしょう。あいまいなままにしておくのが一番では。
進化論を学校で教えるというのも問題になりますが、宗教は家庭で教え学校は科学を教える、それをきっちりしようと訴えるのはアメリカの国益にならない、と簡単に切り捨てることはできないのでしょうか…といっても判事自体があっち側の立場ならどうにもなりませんか。

日本は元々、クリスマスをキリスト教から切り離してしまっていますし、元々八百万の融通無碍ですから問題はないようですが…キリスト教にとってはさぞもどかしいことでしょう。
でもなぜもっと積極的に、クリスマスに福音を宣べ伝えないのでしょう…本来それが義務のはずです。
というかハロウィンは定着しているんですから、復活祭と聖霊降臨祭も普及させれば経済効果もあるでしょうに…

というか他の非キリスト教国で、日本のようにキリスト教から切り離されたクリスマスを大々的に祝うところはあるのでしょうか?
たとえば中国のディズニーランドでは?

24

大雪で停電で大変なことになっています。
このリスクを考えると、やはり豪雪地帯での現在のライフスタイルは合理的なものとはいえないのでは。
たとえば電線ではなく、各戸に燃料電池を置いて分散発電する形とか。

交通も根本的に変える必要があるのでは…どうすればいいのかは浮かびませんが。

しかし、大雪というのはスキー場にとっては安心できることのはずです。
報道は被害ばかりですが、多くのことにはプラスマイナス両面があるのでは?
たとえばダムが涸れたことばかり報道し、また台風の報道ばかりする…涸れたダムが台風のおかげで一杯になったことには触れない、というように。
さすがに大地震にプラス面はないですが。

23

昔のアメリカの開拓者は、「何でも自分でやる」というのが誇りの中心です。
それは今のアメリカの文化に強く受け継がれています。

でも、自分が切り開いた大地を創ったのは自分ではないことは忘れています。
もとから大自然があったのであり、それを当然の継承者である先住民や自然自体から奪ったのです。
もちろん神に対する感謝はあったでしょうが、それとこれとは違うはずです。
生活の多くを政府などに頼らず自給自足で、というそれ自体は尊敬すべきですが、でも重要なことから目をそらした生き方でしょう。

将来もし宇宙、海洋開発が進んだ場合、そこの人たちのフロンティア・スピリットはどうなるでしょう…別星系の、地球と同様の環境をもつ惑星に移住するというケース以外のスペースコロニー、テラフォーミングなどでは、自分が住んで整備しているところははっきりと誰かが作ったところなのです。
干拓地が多いオランダがそれに近いかもしれません。

22

差別をなくすということで、外見についての差別を考えてみました。

遺伝子あるいは事故、病気によって外見を損ねた人は当然差別に苦しみ、だから差別しないでほしいと訴えます。
もちろんその苦労には同情しますが、客観的にまた極端に考えるとその要求は、結局のところ外見のマイナスには一切目を向けるな、ということです。
それは「外見美醜感覚」という人間にあるセンサーを切れということでは。

その外見美醜感覚センサーは、人間の脳の相当部分を占めているとさえ言われるほど重要なものです…表情から他人の感情を判断するシステムと深く関わります。
また、外見美醜感覚センサーを切れというのは、人間の外見を無意味にしろ…すなわち体は眠らせて高度なコンピューターに直接接続、さらにバーチャルリアリティシステムも捨てて情報だけの存在になるか、または全員外見を区別できない統一規格にせよ、ということです。
いうまでもなく、外見のプラス…美によるプラスも一切認めないということでは。

もちろん、外見で差別されてきた人も、「人類全員外見を統一規格にする」または「その外見を直す」と言われたら…
ただ、それは本音でしょうか?建前として、少なくとも日本における反差別には、これまで差別されてきたハンディキャップも素晴らしい個性なのだ、といいますから。

問題は、差別というのは人を一つの物差しに置いて優劣をつけ、また共同体の枠を定めて受容、排除を決めるものであり、区別…人の様々な資質を様々な物差しから見ること、または人間を全人的に多様な存在として捉えることと混同されることなのでしょう。

21

「明日生きているとは限らないから今日を懸命に生きなさい」という説教はよくあります。
で、「明日生きているとは限らないのだから宿題はやらなくていいし、今日中においしいものは全部食べたい」と返されたらどうしましょう。

「限らない」という言葉の論理的な意味…「ノット」「オール」を記号論理学から解説しても子供には通用しないでしょうね。
ギャンブルを比喩に使ったらどうでしょうか?
でも、子供にはいつ頃ちゃんとした論理(集合論、記号論理学)を教えるべきでしょうか…

20

保守側は改憲案に愛国心などの伝統的道徳を入れるように言っています。
その理由として、伝統的な道徳が失われているという危機感があります。

護憲側は、憲法は国家を縛るもので国民を縛るものではない、まして道徳を押し付けるのは言語道断と反対します。
でも護憲側も、日本がモラルを失ったと主張しています。
さらに憲法を道徳規範として持ち上げ、その精神に帰るようにも訴えています。
では今の日本国憲法がすでに、国民をある道徳に縛っているのではないでしょうか。
それは正しいのだから構わない、のでしょうか?

また、護憲側が求めるモラルはどうすれば国民に定着するのでしょう。

19

人間の脳とコンピューターの直接接続ができたとして、現実の人間社会に順応することを拒む者や更生不能な犯罪者をコンピューターにつないだままにしてチューブで生命維持だけし、本人は無限の快楽と欲望充足をコンピューターや投与される無害な麻薬から与えられ、社会は本人から血液やホルモン、肝臓など合成できないものを得る、という取引はどうでしょう。

18

石炭から石油へのエネルギー革命に、両大戦の影響はどれくらいあったでしょう。
そういえば、現在のIT革命は明らかに軍事革命と一体です。

人類が二十二世紀以降も存続するためには今起こさなければならない石油から太陽水素へのエネルギー革命ですが、残念ながらそれをやれば戦争で決定的に有利だということはないです…軍事的には石油確保のための戦争資源が不要になるぐらいで、軍産複合体にとってはむしろマイナスになるでしょう。
石油から太陽水素へのエネルギー革命を起こす動機は軍事革命でも経済効率でもなく、純粋に理性しかない…まったく絶望的な話です。

17

人は大人になるべきでしょうか?
これにはざっと考えて、

A:肉体的には必然的に大人になる。

B:社会を維持するためには誰もが大人にならねばならない。

C:幸福になるためには判断力が必要である。判断力は大人にしかない。

D:大人とは何か?それほど極端な断層があるか?

それぞれについて考えて見ましょう。

Aですが、肉体的、年齢的には大人でも精神的には子供、という人もいます。
ここではそういう意味での大人、子供について考えるべきです。

Bですが、今の人類全体はどの程度の無為徒食を許容するでしょう。
今の生産性を最大限に活かせば、人類全体が食べていくのに必要な総労働量と全員が全力を出した総労働量の差は想像以上に大きいのではないでしょうか。
また、上記の精神的な子供のままであっても、職種などを選べばある程度生産に寄与させることは可能ではないでしょうか。
国民皆兵や富国強兵で皆がお国のために死力を尽くす、という時代でなければ、いやおうなしに大人になることが必要になることはないのでは。

Cですが、この論理を逆にするとパターナリズムになります…子供は正しい選択ができないから選択をさせず、大人が代わって選択してやる、というものです。
それを年齢的には大人でも中身が子供の人にも認めるとしたら、Dが大きな問題になります…誰が判断力のある大人なのでしょうか。そしてどうやって大人を認定するのでしょうか。支配する大人が、単に支配欲に振り回された子供だったら最悪です。
また、十分な知識があった上で、自分の状況を客観的に見て大人になっても得はなにもない、と判断して子供のままでいる場合はどうでしょう。
それは間違った判断だ、そんな間違った判断をするのは子供だからだ、修正して、もっと大人の世界を学ばせるべきだ…でもそれは、「大人」=「正しい判断をしている人」=「自分と同じ判断をする人」という、二重の都合のいい飛躍があるのでは?
確かに数学もスポーツも、忍耐して基礎を積み重ねなければその面白さはわかりません。
でも、これを安易に逆にして、誰もが面白さがわかるまで忍耐して頑張れ、とやっていいのでしょうか…向いていない人にも。

Dが一番難しいかもしれません。
もし大人の定義が、上にあるように「正しい」=「自分と同じ」や「社会に順応している」ことだったらとても独善的な判断が基準になっててしまうでしょう。本質的に社会に順応することが大切なのであって、その社会の質は絶対的に判断できないという相対主義的な考えもありますが…
そして、大人との境界はいろいろな意味で曖昧な気がしています…人格の成熟というのは肉体の成熟のようなはっきりしたことはないです。強引な通過儀礼がある社会でも、それで成長はストップとは限りません。
全体として、僕はそれほどこだわる必要はないけれど、年齢が子供のうちは自然に成長できるように、十分な勉強や読書、運動、経験を強制する必要はあると思います。年齢的には成人でも、それを強制する必要は…最小限は本当はあると思いますが、実際には難しいでしょう。

16

人が安心を求める心は、悪いようにしか働かないのでしょうか。

安全保障のために軍備を持ち、そのために戦争が起きてかえって安全が損なわれる。
テロが怖い、だから対テロ戦争というそれ以上のテロを行い、かえって安全を損ない、無辜を虐殺する。
犯罪が怖い、だから監視社会になって自由を失い、または人を排除してこれまた自由を失う。
治安維持、という名目で正義の批判者も取り締まり、批判を許さない暗黒社会になる。

では安心、安全を求める声には、ただNoとのみ答えればいいのでしょうか。
それとも、理想社会になれば安心であり安全だというのが正しいでしょうか…

実際、対テロについては「無視」という方針だったらどうなっていたでしょう。
報道すらもあまりしないようにし、どんなにテロが跋扈しても交通事故より確率は低い、と国民に言い聞かせていたら?

15

人を支配するものとされる者に分け、支配する者は悪で支配される者は善とするのは(階級闘争史観?)実に楽です。

でも、それでは多くのことが見落とされると思います。
たとえばオウム真理教事件からは、麻原自身が全てやったというより、狭い共同体の中で麻原の狂気が信者に伝染し、そして信者が増幅した狂気がさらに麻原の狂気を深め、と支配するものとされるものが互いに狂気を増幅しあったプロセスが読み取れます。

ではヒトラーを免責するのか、という批判もあるでしょう。
それには、ヒトラーは免責できないが、ヒトラーに投票し、心の中にユダヤ人差別を持ち、讃える声をあげてヒトラーの狂気を増幅させたドイツ一般市民は免責していいのか、と返します。
集団の狂気は誰にもどうしようもない、けれどもだからといって指導者も成員も全員免責するのは非倫理的、だが全員罰するのも無理がある…

だからそれすらかぶるのが指導者の責任だ、と考えればいいでしょうか?
それもちょっと酷な気がします。
自覚的でなく洪水同様に止めがたい歴史の流れのきっかけになってしまった存在や、実権のない単なる看板でしかなかった存在をどう責めればいいのでしょう。

14

話を読んでいて、残酷な展開に耐えられなくなったときには最後の手段として「これは話でしかない」と切り離すことがあります。
それは真なのですが、それがノンフィクションだった場合にも、また自分に降りかかってきた現実であってもそれができてしまうのが、ちょっと危険な落とし穴です。

13

アラブの石油はアラーの贈り物といわれますが、よく言って本人が知らなかった遺産、いやむしろ試練では。
スペインもそうですが、不労所得がある文明圏は長期的には衰退するものです。
ムハンマドが生きていたらこんな風に書くでしょうか、

王に男子が百八人。
王はその富をみんなに分けた。
その富は分けてもたくさんで、到底計りきれぬほど。
子供はその富に大喜び、お菓子やおもちゃ、踊りにお花。

宰相心配して言った。
世に比類なきわが王よ、あなたの知恵は比類なく、世にもあまねく言い伝う。
それが今は何という、愚かなことをなさるのか。
あなたに比べればわたしなど、知恵も富も太陽と星、
されどわたしはわが子らを、獅子にならって谷に投げ、厳しく鍛え上げている。
なぜ比類なきわが王が、子を甘やかして育てるか!

王は喜び応えて言った。
わが愛すべき宰相よ、もしもわたしがそなたなら、まったく同じことをする。
されどわたしの王国は、富も強さも比類なし。
あたかも太陽とロウソクのごとく、同じようには語られぬ。

宰相おののきひれふした、
王の知恵の偉大さよ! わが浅知恵とは昼と夜。
獅子の谷などやすきこと、富の谷から這い上がる、その何たる難しさ!
馬に乗るなどやすきこと、富に乗って落ちぬ子が、百に一人もいるものか!
見事這い上がる御子あらば、げに国を継ぐにふさわしい。

百八の子の百人は、お菓子におもちゃで富を食い、
飲む打つ買うの三拍子。
山と詰まれた財宝も、いつしか細り失われ、あわれ路傍に倒れ果つ。

されど一人は畑を買って、多くのパンを作り出す。
王はその子に地を任す。
一人はらくだと隊商を、率いて宝を持ち帰る。
王はその子に倉任す。
一人は大きな船を買い、真珠に珊瑚を持ち帰る。
王はその子に海任す。
一人は剣と戦を習い、世に比類なき剛の者。
王はその子を将軍に。
一人は多くの本を買い、あらゆる学問身につける。
王はその子を大臣に。
一人は遠く師を求め、自らも民も深く帰依、自他の魂耕した。
王は大なるモスクを作り、副王として高く立てる。
一人は全てを貧民に、施して遠く旅をした。
王はその子を誰より愛し、副王として高く立てる。
一人は砂漠に水を引き、広く緑をはぐくんだ。
王はその子に王国を、任せてこれで安心だ。

12

ネットでの物書きや同人誌は、商業誌とは対極に一切評価を気にしないでやることができます。
売ることを最優先する商業誌が媚び、腐っていることに対するアンチテーゼとして、それは価値があるとされてきました。

しかし、読者を考えないそれは非常に独りよがりになり、どんどん腐っていくリスクはないでしょうか?
特に僕のようにほとんど批評、批判さえない状態では、どんな間違いも指摘されない…採点者がいないでテストを続けているような恐ろしさもあります。
どうすれば媚びず腐らず自分もちゃんと成長する、ということができるのでしょうか。

もちろんいいものを作っていればちゃんと見る人もいるのでしょう…単に僕が作るものが悪いだけなのかもしれません。

11

森と田畑の生産力は比較するとどうなのでしょう。

木からの食糧生産はブドウ、オリーブやアブラヤシなど油、果樹、くるみなどナッツ類が主ですが、ブナや樫類を中心にした、温帯では自然な森林からとれる大量の実を豚に、葉や下草を牛にやればかなりの量の肉を生産できるのでは。落ちた葉で育つミミズも豚のいい飼料になります。

では森から肉を作るのと、トウモロコシから肉を作るのとどちらが効率がいいのでしょう。
いや、外から水で灌漑する…すなわち上流の山地など、灌漑に必要な雨水を受け取るだけの広大な地面を加えて考えなければならない田畑と、多少地下水は必要かもしれませんが灌漑は不要な森を比べるのは不公平です。
生産力を比較するなら森と草原または天水に頼る畑です。田畑なら、灌漑に必要な上流の面積を割り引いて比較するべきでしょう。
もちろん、持続可能性は森>水田>>畑でしょう。畑を考えるならば、持続可能な限度での生産力と比較しなければなりません。

あ、森に肥料をやったらどうなるのでしょう。畑の穀物のような顕著な増収はあるでしょうか?

そして熱帯、寒帯の森林からはどんな(できれば牛、豚、鶏肉につながる)食糧生産ができるでしょう。

10

二十四時間日照がある、というのは自然にもありますね。極地の夏です。
その状態では、もちろん栄養塩の湧昇もあるのですが、海全体が非常に高い生産力を発揮します。

富栄養化した海に日光を二十四時間当てたらどれくらい光合成が増し、それがバイオマス全体の増加、水の浄化、二酸化炭素の吸収、海底への沈降の増加につながるか、一度試験してほしいものです。

昨日のに追加、砂漠地帯にある大規模な太陽発電所の夜間に日光を注ぐのも、無駄を出さないのために有効でしょう。

あ、上昇気流から雲ができ、雨が降るというのは問題でもありますが、砂漠でも雨を降らせる手段として考えればいいかもしれません。
もちろん地球の熱循環システム全体が狂ってとんでもないことになるかもしれませんが。

9日

宇宙に鏡を浮かべ、日光を集めて特定区域の日照を増やすのはどうでしょう。

汚染が激しい水系(東京湾、瀬戸内海、北海、メキシコ湾北部、黄海などの大都市に近かったり大都市を通る川が流れ込む海、周辺の経済活動が大きい湖や大河など)に、比較的弱く…24時間にして夜をなくしたりはせず、日中のみ自然日光の倍以下に増強するぐらいならともかく、それ以上は危険ですね。
24時間365日日照が得られる、という点では宇宙もそうですが、宇宙での農耕はどうなのでしょう?

8

爆薬には、まあニトログリセリンのように敏感なのもありますが、普通はライターなどで普通に火をつけても燃えるだけです。

火薬なら一応爆発しますが、それも密封していなければたいした威力にはなりません。
もちろん爆薬をちゃんとした起爆剤で爆発させても、ちゃんと密封して圧力がこもるようにしないと力は半減します。

そして爆薬は、うまく整形して爆発力を一点集中すれば、対戦車ロケットのように戦車の装甲さえ貫く力を持ちます。
さらにその爆発力の集中は、原爆の起爆にも用いられるのです。

人間の感情、特に怒りなど暴力的なものも、不安定に爆発させたり無駄に燃やしたり散漫な爆発をさせるより、きちんと制御、圧縮、集中し、何かのために使うことができればいいのですが。

7

日本軍がやったことを、でっちあげてでも教える必要がある…ならば歴史教育の目的は、最終的には「人間なんてみんな地獄に落ちちまえ」と叫ばせれば成功でしょうか?
ならば世界中の人に、『幽☆遊☆白書』の「黒の章」…人類の悪行すべてを記録したビデオテープ…の、特に自国編を見せるのが理想の歴史教育ということでいいのでしょうか。
もちろん韓国や中国は何も悪いことはしていない、などということはないはずです。

6

近代全てを清算するとしたらどうなるでしょう。どれほどの道義的な問題があるでしょうか。

西洋全体で、本当に先住民と破壊した自然、黒人奴隷に謝罪、賠償するとしたら…
いや、現状復帰の義務もあるのでは?
つまりアメリカの文明産物をすべて破壊して元の原野に戻して先住民に返還し、黒人には賠償してアフリカに帰ってもらい…あれ、東洋からの移民はどうすればいいのでしょう。
またマヤ、アステカ、インカ文明は滅びており、その王族も言語も宗教も一切の文化も抹殺されていますから現状復帰自体が不可能です。
タスマニアやイースター島など、先住民を絶滅させた新世界も少なくありません。もとより生態系の現状復帰もどうやっても不可能です。絶滅種も多く、移入種の根絶も無理ですから。文字通り取り返しがつかないです。

日本は近代の植民地主義全体を清算することを求められています。
ならば世界の、他国を侵略したことがある全ての国がそうすべきでしょう。

特にアメリカは、その罪を罪として認めないためにマニフェストディスティニー、神の正義の国という無理な信念、信仰に凝り固まる、精神的に病的な状態に全体があるそうです。
世界全体、特にアメリカに「自虐史観のススメ」をやったらどうなるでしょうね。

5

大衆は愚かで、たとえばオンライン国民投票による直接民主主義などは論外だが、まともな指導者を選ぶことはできる。
この命題と「民主主義は最低の制度だ、他は論外だが(チャーチル)」が現在の議会制民主主義を支える公理で、それは自明とされます。

しかし、特に上が神話に過ぎないとしたら?
ヒトラーが民主的に指導者として選ばれたことだけでも十分な反証になるのでは。

といっても、後者を否定することができない、より本質的には人間はすべて愚かであり、にもかかわらず人間以外(以上)がないのでどうしようもないのですが。

4

持続可能性を確保し、貧困をなくすために世界全体で持続可能でない生産方式を禁止したり高額の炭素税などをかけ、フェアトレードと最低賃金を徹底したら、産業は持続可能になって貧困はなくなるでしょうか。

石油に高い炭素税がかかったら、世界的に多くの、なんとか石油、電気は使えるけれど余裕がない層は石油、電気=近代文明に参加できなくなるのではないでしょうか。
それ以前に、アメリカにおける持続可能でない大規模工業的農業や奴隷的プランテーションを無くした場合、世界全体で様々な問わず食料品が大幅に値上がりし、それは貧困層にとっては死を意味しないでしょうか?
また、先進国の貧困層は肥満に悩んでいますが、食料が値上がりした場合、なんとか食べている貧困層はやせるかもしれませんが、生きていくだけで精一杯になるでしょう。
同時に食料や石油電気の値上げで非常に多くの先進国人中産階層が貧困に陥り、その人たちは高い食料でも…他に楽しみがなくて…肥満するのではないでしょうか。
最低賃金も、その結果仕事全体が少なくなって餓死者が増えたり慢性的な失業による絶望から社会不安が起きたりしたら意味がありません。

持続可能でない生産の禁止、フェアトレード、世界的な最低賃金をやるとしたら、同時に世界全員に最低限の食料、エネルギー、情報、医療を配給しなければならないでしょう。
それ以上に重要なのが、希望…すなわち仕事の機会です。

僕自身は、まず緑化…自然の再生そして沿岸や外洋での大規模な農業、宇宙開発などを公共事業として現在の大人口を吸収できる職を確保しつつ、上記の持続可能でない生産に対する高額課税、最低賃金を世界的に徹底し、かつ最低限の食料、エネルギー、情報、医療を配給することを提言します。
あまりにも人類の悟性を考えると不可能なのですが…腐敗したり世界共産主義に歪曲されたら最悪になるでしょうし。

3

人間はこれからも、邪悪で愚かな劣等種族であり続けるのでしょうか?
客観的に人類がしてきたことを見れば、邪悪で愚かな劣等種族と言われても言い返せないです。

優生学、遺伝子改良で善良で賢明な種族になるのは難しいでしょう。
または教育、啓蒙で自滅という愚行は止めることはできるでしょうか?

我々はその選択をすべきなのですが、民主的にその選択は可能でしょうか?
ゴアとブッシュがその選択だったのでしょうか、それともどちらにしても変化はなかったのでしょうか?
世界全成人投票で「これまでどおり、人類は自由な経済活動をして贅沢に生きることを目的とする」「変える、優先順位を地球生命圏の存続、人類共同体の存続、その中の最弱者の生存の順にする」で選択すればなんとかなるでしょうか?
それとも歴史の流れに任せるべきでしょうか?多分その結果は破局による、不作為の選別ですが。

2

下は本来、「持続可能でない行為、または奴隷労働は認めない」とするのが自然ですが、何故か表現を弱めてしまいました。
どちらも全面禁止はあまりに難しいからでしょうか。

で、特に公海の漁業資源で問題になる、「自分が自粛しても他の誰かがやる、だから早い者勝ち、正直者は損だ」…コモンズ問題や、「女房子供を食わせる」「借金の返済」など自然を破壊する側の論理にどう対抗すればいいのでしょう。
ただ頭ごなしに否定するだけではだめでしょう…その論理もそれなりに正しいのですから。

1日

持続可能でない、または奴隷労働による生産性は認めない。
この原則を世界全体で徹底したらどうなるでしょう。
グローバリズムが問題視されているのは、生産性向上のため持続可能でない産業形態や低賃金奴隷労働を世界中に広め、それでそんな産業を行う側も、その生産性で追い上げられる側も地獄を見る、という面が大きいです。

各国各企業のエゴを考えれば合意が得られるはずがない、というのはもちろんです。
でも他に問題はないでしょうか?

より本質的には、犯罪組織など法の外にその原則を守らせるのが不可能、持続可能でなく、過酷な労働条件による高い生産性の労働がなければ途上国が経済的に離陸する希望もないことがあります。

奴隷労働による安価な製品、持続可能でない生産様式が犯罪組織の手にゆだねられ、結果的に闇経済がふくらみ、社会が腐敗すのは廃棄物処理などで実際に起きていることです。
それを防ぐためにはどうすればいいでしょうか。

また、日本やイギリスなど成功している国もかつては奴隷労働…女工哀史の上にあります。
奴隷労働や公害を出さずに近代化し、発展した国はあるのでしょうか。

問題は多々ありますが、やはり「持続可能性」「奴隷労働禁止」の原則は非常に魅力的です。
前者は人類の長期的な生存に関わり、後者は人類が存在する価値に関わります。