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31日

日本において、民主主義と自由は恩恵でしか無いような気がしました。ありえないことですが、今警察が「やはり民主主義はやめた、皆命令通りのことだけをしろ」と全ての人に監獄と同じ規則を押し付け、または被差別部落民や共産党員、非白人の外国人を皆殺しにし、国家神道への礼拝を強要し・・・と狂った政策を強制しても、武力の無い日本人には抵抗手段がありません。言論の力、非暴力不服従・・・これらは、圧倒的な暴力と、現在の技術では十分に可能な、くまなく監視カメラや盗聴機を張り巡らせた監視体制の前では無力です。ベートーベンの第九や「We shall overcome」を歌う市民の行進にはかなわない、というのは余りにもナイーブな幻想です。

アメリカなら、たとえ警察と軍隊が合同で暴走し、独裁権力を作っても独立宣言を始め市民の抵抗権がはっきりと意識されていますし、多くの市民の手に銃がありますから彼らがそれを手に取り、立ち上がれば狂った政府を打倒する可能性があります。

でも、日本人は完全に武装解除されています。だから、日本人にとっての自由、民主主義、法治国家はあくまで、警察及び自衛隊組織が正常に、憲法に従って動いてくれていることに全面的に依存している、ただ恩恵によって与えられているものでしかないのでは?

日本人の武装解除・・・同時に自治思想の排除は歴史的に、まず豊臣秀吉による検地と刀狩で武装する者を武士階級に限定し、その後明治時代に至って廃刀令により、武装権を官職にある者に限定したため、民の抵抗実力、つまり抵抗権を実行する力は完全に無くなりました。その状況は多分、半永久的に変わることはないでしょう。

では、ヨーロッパ諸国はどうなのでしょうか。フランスやイギリスのように、高度に成熟した民主主義を持っている国でも市民の武器所持は許されていないようですが・・・彼らは自分たちの抵抗権が有名無実化していることについて、何か危機感などを感じていないのでしょうか。

30日

こうあって欲しかった歴史、というのはどんなものでしょう。韓国の人にとっては?中国の人にとっては?そして日本人にとって。

韓国人にとって、歴史がどのように進んでくれればよかったのでしょう。西洋の近代化、帝国主義が無ければ一番よかったのでしょうが、それは余りにも仮定としてもとんでもなさすぎます。では、どのようなシナリオであれば日本に征服されずにすんだのでしょうか。
ありえたのは日本が明治維新に失敗、どこかの植民地になって、侵略する力など持たないままであることでしょう。そうでさえあれば朝鮮を侵略する国などどこもないから、朝鮮は幸福な平和国家のままでいられた・・・そんなわけはないです。
日本がやらなければ、ロシアかアメリカあたりが侵略していたでしょう。その結果はどうなっていたのでしょうか。僕にはその方が朝鮮人にとってよかったとは思えません。

朝鮮自身の力による近代化の成功、そして民主的近代国家になった日本、中国との東アジア同盟による平和なアジア・・・これが朝鮮人の望む歴史でしょうか。でも、朝鮮の近代化を失敗させたのはどう見ても朝鮮人自身の責任です。中国もそれは同じです。また、もし日本のように自力での近代化に成功し、自主独立を達成したとしても、そのためには必然的に女工哀史を始めとする産業革命の犠牲が多く生まれていたはずです。

日本人にとってこうあって欲しかった歴史は、やはり下からの近代化・・・始めから民主的な、農民と労働者の意思を中心にした平和で平等な社会でしょうか。で、それに独立と近代化は可能だったのでしょうか。

29日

一昨日考えてしまった、弾道ミサイルに乗ってスピード移動ちょっと宇宙旅行もあり、というのが、大陸間だけでなく東京−大阪のような比較的近い重要路線にもあると便利なような気がしてきました。それも一々ロケット燃料を使って飛ばすと勿体無いし危険なので、リニアモーターを利用して深地下から超高層の高さまで2Gで一気に螺旋軌道で加速、そのまま放り出して。落ちる時の摩擦熱に耐えられるよう、スペースシャトルのような耐熱処理をした、滑空用の翼と姿勢制御に最低限必要な程度のエンジンも積んだシャトルを用いれば、繰り返し空港への着地も可能ですし、ロケットで飛び立つよりは安全でしょう。

28日

現在、消費者金融・・・つまり高利貸が一番儲けている、と聞いて、明治時代に起きたことを思い出しました。地租改正と産業革命による家内工業の壊滅につけこんで、高利貸が零細農家の土地を大量に収奪、地主と小作人の社会を作っていきました。誰にでも、病気、火災など不慮の出費や長期的な投資の必要はありますが、その時に高利貸を利用してしまうと、経済的な余裕の少ない者は一生かかっても払いきれない借金を負い、土地などの重要な財産を手放し、実質的に奴隷化する羽目になっています。

現在では一定限度以上の高利の禁止、給料の差し押さえ禁止などある程度法的には対策が練られています。でも、やはり結局は高利貸は・・・最後に勝つ階級である、という直感があります。もちろん昔の農民と違って現在のサラリーマンには、家がある者は家と土地、そしてそれを持たない者は仕事による定収(といっても、今後保証はされない)しかないですし、人身売買も禁じられていますから、その収奪の結果がどうなるかはっきり言えるわけではないのですが・・・。様々な資源を持つ中小企業が高利の借金(普通の資金の流れが貸し渋りで死んでいますから)で潰れ、その結果・・・だめ、吸収合併にならずに潰れる所が多いですから、独占にもならないようです。となると、結果的には経済が縮小して高利貸が太るだけでしょうか?

それにつけても、借金の持つ魔力とは一体何なのでしょう。古来無数の売春婦を作り出して命そのものを絞り尽くし、また階級構造そのものを一変させ、市民の奴隷化でローマ帝国をも滅ぼす力を見せています。そして、歴史上あらゆる国が財政赤字という名のどうしようもない借金に押しつぶされる・・・。

27日

コンコルドが落ちたそうです。でもあれ、実際僕が幼児の頃の図鑑にも載っているほどの老朽機ですから、いつかは事故を起こすのも仕方ないのかも・・・。一体どんなレベルで整備などに不備があったか、無理に離陸を強行していなかったかなど、今後の調査が待たれます。

この事故で感じたことは二つ。まず、現在のグローバル市場という名の競争至上主義社会は、安全性という面で致命的な危険を抱えているのでは?雪印や、そして今度のエールフランス社のように重大な事故を起こしたら市場によって裁かれるのだから、市場主義でも安全は保証される・・・とはならないです。その前に、余りにも致命的な事故が起きてしまいます。コストダウンの強要による過剰労働が、整備、運転全ての人の限界を超えてしまったら当然事故が起きます。また、気軽なコストダウンとして安全に関する部品調達、設計などの手抜きもありえます。そうなると、勝つも負けるも・・・それ以前に重大事故が避けられなくなるはずです。

もう一つは、コンコルドのような・・・超音速機の、より速くという思想が時代遅れとされていることです。正直、僕はコンコルドがいまだに就航していることすら知りませんでした。余りにも古いコンコルドより、はるかに速い旅客機はない、つまりもう速度は現在のジャンボジェットが限界・・・哀しくもあります。ま、単に速度を出したいなら大陸間弾道ミサイルに旅客シャトルを着け、発射時に補助ロケットを利用して加速度を耐えられる程度に落として着陸時には翼による滑空で減速すれば・・・気軽な宇宙旅行でもありますし、いいと思います。

26日

日本の今後のビジョン、目標を昔の「尊王攘夷」や「富国強兵」、「所得倍増(違うかも)」のような、四字熟語ぐらいの簡潔な言葉で表現することは無理なのでしょうか。そして、一体何がふさわしい言葉なのでしょう。

「IT」?「世界標準」?弱い、これらはごく一部の経済標語に過ぎません。何かいいのがないでしょうか・・・。

25日

今日は少し趣向を変えて・・・ふと考えて一日中笑い転げたこと。

ある日のデスラー艦;

「ヘアメイク完了です、総統」
「御苦労。戦況はどうかな?」
「ヤマト第三艦橋被弾、波動砲、第三砲塔使用不能、航行速度60%ダウン、自力脱出不可。損害は40%を超えています。後五分ほどで沈没すると思われます」
 デスラーは静かに鏡をのぞき、髪を軽くいじってモニターを見ると
「まだまだ。あの艦のしぶとさは私が一番よく知っている、艦内装飾の最終チェックを。お客様が来るかも知れない、酒と料理の吟味も忘れるな」
 モニターでは敵艦に囲まれ、集中攻撃を受けて火を吹くヤマト・・・。
「ワープ直後に一斉射撃。照準準備の最終確認。」
「全艦エネルギー充填120%、ワープ準備完了です」
「ヤマト、補助波動エンジン被弾!第二砲塔使用不可、第三隔壁まで貫通!損害94%、これ以上の直撃弾には耐えられません!」
「照準確認しました、ワープ終了から0.002秒で発射可能です」
 復唱を聞き流して軽くうなずき、
「ヤマトはまだ沈まんよ。」
 深呼吸するとデスラーはもう一度艦内を見回し、
「スタイリスト、メイクの最終確認を。大型扇風機準備いいか?」
「はっ!完璧です、総統」
「ヤマト波動エンジンに被弾、アンテナ全損、艦載機発進システムが破壊されました!もう持ちません」
「大型扇風機準備よし!」
 うなずき、軽く目を閉じて、さらに重い数十秒の沈黙・・・
「ヤマト第一砲塔、煙突ミサイル使用不可、全艦煙に包まれて生存者の有無確認不可能!恐らく艦内は全滅と思われます」
 ブリッジに、うつろに響く報告を無視して、静かに・・・ブリッジに持ち込まれた大型扇風機にあごをしゃくる。
 強い風にマントがはためく。
 そして、もう一度モニターをちらりと見、さっと手を上げた。
「全艦ワープ!ワープアウトと同時に各自の標的に一斉射撃、着弾を確認してヤマトに通信開け!」
 副官の指示と共に、各艦が一糸乱れず虚空に揺らめく。一つ一つ、空間に微かな重力波を残して消え、
「撃て!」
 ワープアウトと同時にデスラーの声、そして吹き出す火線。今しもとどめの斉射を放とうとする、敵艦に次々と命中した。
「敵艦隊損失65%」
「さらに一斉射撃、艦載機発進。通信開け」
「通信開きます。」
 ヤマトのブリッジでは、目を閉じて覚悟を決めた・・・最後の一撃が来ないことに戸惑い、次々と火球と化す敵艦に驚いて、スクリーンをふと見上げた古代の目にマントをはためかせたデスラーの姿!
「デスラー!!」
 ニヒルな笑みを浮かべたデスラー、
「会いたかったよヤマトの諸君。」

本当にこうだったらとても嫌かも・・・。

24日

サミットが終わりましたが、以前からの新聞、テレビの報道を見て・・・一体どうして、沖縄が平和主義の聖地でなければならないのか、強く疑問に感じました。

住民の三人に一人が犠牲に、というのは確かに凄まじい悲惨です。でも、それ以上の民間人被害を含む激戦地は他にもあるのでは?そしてその後も米軍の苛斂誅求とも言うべき軍政、そして本土復帰後も打ち続く「基地の島」の現実に苦しんでおり、だからこそ早く元の「基地のない、軍隊の無い平和な沖縄を返して」と叫びつづけているようです。少なくとも、多くのテレビと新聞がそう叫びつづけています。

ただ、その平和さ・・・琉球王国時代の軍備の薄さを始め、その平和を愛する心というのは宣伝ではないのでしょうか。単に力が弱く、薩摩の支配や琉球処分を自力ではねのけられるほど有効な武装ができなかっただけでは?また、大航海時代には軍備が無ければ常に海賊の危険にさらされることになるのに、それからはどうやって逃れていたのでしょうか。

沖縄は、とても美しい海に囲まれた、軍事上の要衝にある島です。少なくともアメリカや中国にとっては。ただ苦笑したのが、CNN.comでは沖縄という言葉をほとんど見かけず、キャンプデビットという言葉ばかりが(誤読したほど)踊っていて、単なる中等和平会談の邪魔でしかない・・・沖縄は忘れられています。目をむけられない、トラウマになっているだけという解釈もありますが。

23日はちょっとキャンプに行くのでお休みです。

22日

タウニュートリノの存在が確認され、これで質量に関わるヒッグス粒子をのぞいて標準理論の予言する素粒子が全て確認されたそうです。

頼みの太陽ニュートリノ問題(太陽から出ているニュートリノが計算に比べて少なすぎる)も、ニュートリノの質量が確認されたことから解決が見えているらしいですし・・・なんだかつまらないです。やはり標準理論の牙城が実験で崩れる日は、また理論と実験が手を携え、刺激し合って踊り出す日は当分来ないのでしょうか・・・。

21日

重犯罪をほぼ完全に無くすのは簡単です。警察の台帳に全国民及び日本にいる外国人全ての指紋とDNAを登録すればいいのです。これなら不法入国している外国人以外、即座に判明します。不法入国外国人も、取締法の運用をやや甘くする代わりに、徹底的に指紋とDNAだけは取れば、登録されていないDNAの持ち主ならそれだけでかなり絞り込めます。

交通事故を大きく減少させるのも難しくないでしょう。車にカメラとGPSなどを設置し、速度や位置など全ての走行状態を警察に送って、わずかでも違反があったら徹底して取り締まるようにすれば、つまり特に速度については形骸化している交通法規を徹底して守らせるシステムを確立すれば。ついでにシートに重量センサーを組み込んで座った全員がシートベルトを着用したことを確認しない限り(妊婦などの例外は届け出て解除できる)エンジンがかからないようにすれば・・・。

でも、いずれも激しい反対を受けるのは目に見えています。警察にそれだけの、巨大すぎる力を与えるのは危険で人権侵害の危険があるから、と。

この反対をする人にとって、日本は「我々の国」ではなく、「彼ら(特権階級)の国」である、が考えの原理と言えると思います。そのような制度は、「彼ら」を利するだけで「我々」を利することはない、と考えているようです。でも、だからどうしろとは・・・あまり言いません。本当に「彼らの国」なら、なんとしても「我々の国」にすることを考えなければならないはずです。ただ、可能な方法があるとは思えません。共産主義革命が成功しても、絶対に「我々の国」にはならないと確信しています。ではどうすればいいのか・・・。ただ暴きつづけ、怒鳴りつづけていても何も変わらないでしょう。でも、暴力革命はもう良い結果を生まない時代です。では、このまま犯罪とも事故とも、神のロシアンルーレットと思って共存するしかないのでしょうか。

20日

日本が本当に、完全に武装解除(自衛隊解体、在日米軍の撤退)を完成したらどうなるか、そのシュミレーションはなされているのでしょうか?特により信頼できる、アメリカの機関で。そして、そのシナリオを書く時に問題になるのが、朝鮮が統一されているかどうか、そして統一朝鮮は一体どのような立場にあるのかです。

もし朝鮮が統一されていなければ、日本の完全武装解除は韓国には不安と安心の入り交じった複雑な感情を与えるでしょう。韓国は日本の軍と政府に苦しめられていますし、常々日本の軍国主義を非難してますから、日本の武装解除を強く望んでいるはずです。反面、在日米軍まで消えてしまうと・・・その時に在韓米軍があるかどうかにも関わるのですが、いざと言う時の後方支援が弱体化するため不安感もあると思います。現在の在韓米軍と韓国軍だけで第二次朝鮮戦争を戦い抜くのは少し苦しいものがあるので。

朝鮮半島が統一されていたら、その統一朝鮮がどのような路線かが重要になります。もちろん、北朝鮮が韓国を併合して全土が人民共和国になる、と言うシナリオはありえません。おそらく現在の韓国と同じ、アメリカの影響力の強い民主主義国家になると思います。ただ、今はその具体的な形が想像できないです。特に精神的に、余りにも北朝鮮の国民は高度に洗脳されています。カルト教団の脱洗脳と同じような困難な過程を、全国民にするとなると絶望的です。そして、経済的にも余りにも疲弊しきっていて、どう扱っていいかわからないです。

僕が恐れているのが、長期的に統一朝鮮に中国の影響力が強まり、同時にアメリカが孤立主義を強めて最終的に日本と朝鮮半島から撤退する恐れです。北朝鮮の侵略に備える、というのが現在の在日、在韓米軍の重要な建前ですから、それが無くなることはアジアにアメリカが駐留する理由の大きいものを無くすことにもつながります。もし統一朝鮮から米軍が完全に撤退、前後して中国が従来の儒教的序列を言い立てて統一朝鮮に対する影響力を強めていったら・・・。その時に日本が完全武装解除をするのはどうなのでしょう。統一朝鮮としては、国家がどうしても必要とする敵を日本に設定したがるはずです。でも、そこで日本が武装解除をしたら、それで安心するでしょうか?それとも、領土的主張を欲しいままにしてくるでしょうか。

日本が完全に武装を解除した時、もちろん東アジアには巨大な力の空白が生まれます。それで一番相対的な力を増すのは、もちろん中国です。そして、台湾にとってはそれは強いプレッシャーになります。その結果台湾を占領して更に沖縄も要求するか・・・どうなるのでしょう。

19日

親子間での殺人事件が多発しています。

でも、歴史の中では親子間の殺人は決して珍しいものではないです。確かに厳しいタブーの一つですが、特に親が子を殺す権利は多くの前近代文明で許容されてきています。血縁だから家族としての親しい感情があるとは限らない、正常な家族愛は現在、むしろ少数かもしれない心理的に健康な人たちの間にしかないのです。

それにしても、一体なぜ今になって急に・・・偶然か、それとも何か、もしかしたらマスコミがそのような事件を優先して報道しているのかも?そう、殺人は常々もっと起きているはずで、そのどれを報道するかはマスコミに委ねられているのですから。

18日

企業は現在、就職の入口を極端に狭くして、ある程度使えると言う確証(実績のある即戦力)のある人を入れて使っていく形を取り、既に入ってしまった人は厳しく競争をさせて今からふるい直す、と言う感じなのでしょうか。

入り口が狭い、というのは考えてみますと、従来の日本の大学と似ています。そして、一度入ってしまえばその後はそれほど心配ない、という昔のスタイルも日本の入試重視で留年の少ない大学と似ている気がします。今はその点が変わり、もう入ってしまっている人には厳しい競争が始まっているようですが。

例えば、実際の採用予定よりはるかに多くの人を試用としてある種の、職業訓練を兼ねた非常に給料の安い、または無給、場合によっては授業料を取って研修や仕事の手伝いをさせ、その中から半年くらいかけて振るい落としをして正式採用・・・ということはできないのでしょうか。それも、週2日とか比較的時間に融通を利かせ、複数の企業に同時に試用されることも可能とか・・・。授業料を払ってもその分野の仕事を最低限身につけらられれば、特に多くの企業で落ちている社会的評価の低い就職希望学生にはありがたいと思えます。こちらから月謝を払ってでも優良大企業で半年働きたい人は多いでしょう。確かに人数が多いと目が行き渡らず、特に安全に関わる仕事で意識の低い人が失敗すると企業そのもののイメージを落とす危険性があるので無理なのかも知れませんが。

始めの選抜を厳しくする、というのは確かにリスクは小さいのですが、書類に出てくる力(学歴、成績、字の印象など)は低くても意外な力を秘めているタイプが社会に初めから入れないです。これでは人材として意外性が低く総合的に高い人を選んでしまい、結局発展しにくくなる恐れがあります。また社会にとっても、非常に多くの学生が自信を失い、潰れていくというリスクがあります。

17日

僕は小さい頃から、「歴史の先が見通せる力」を目標にして色々と学んできました。しかし、特に数年前から全く物事が見通せなくなっています。その理由は、やはりコンピューターに関して無知だったことだと思えます。

また、新聞と本以外の情報源が乏しく、株価を始め数値を解析する訓練も受けられなかったこともあるのでしょう。

ただし、やはり未来を見通すことはほとんど誰にもできないことです。ほんの二、三年前の、主に経済の未来予測をしている本の大半は外れています。初めから無理な要求をしていたのかも。

16日

自転車をもっと、公共的に活用できれば便利ですし、自動車事故の危険も少なくなるかも。例えば、こんなシステムがあれば便利ではないですか?

特に大都市の地下鉄ではどの駅にもその、回収した放置自転車がいっぱいあるセンターがあります。そこで自転車を自由に拾って出る時にカードを通し、どこにでも行けます。そして、コンビニの駐車場などあちこちにある返却所にその自転車を置いてその返却所についている鍵をかけ、カードを通せば返却されて、料金が自動的に振り落とされる・・・かなり便利では?

15日

人間の理解力、知恵、理性はどこまで及ぶのでしょうか。

なぜ全知全能で善である神が悪の存在を許すのか、といういわゆる神義論の答えとして、人間は神から来る真の善を理解することができないからだ、と言う回答があります。例えば、現代人の普通の倫理感覚では一子イサクを生け贄に捧げよ、とアブラハムに命じ、ぎりぎりで撤回した神はサディストの独裁者以外の何者でもありません。でも、それは神のしたことだから人間の感覚を絶して善なのだ、となります。

また、人間は量子力学の結論を直感的に理解できません。多くの優秀な大学院生がその意味を理解しようとして潰れていった、と言う話を聞いたことがあるほど、直感的な想像とずれたものです。ただ、あらゆる現象に対してその理論が予言する数値と実験結果の、どこまでも完全な一致から、それは真に自然の法則だと認めるほか無いようです。

もし、人間の力が本当に不足しているなら、一体どうすればいいのでしょうか。聖書のほうが絶対的に真実だと、理解できないほど真実だと信じて・・・本当に大丈夫なのでしょうか。また、科学的にしていても所詮人間の理解力では理解しきれず、特に利用する際に何が起きるか本当にチェックすることもできないのだから、何をやっても害になるだけだとするべきでしょうか。

14日

考えてみるととても不思議なこと。アメリカに漂着したジョン万次郎は、一体どうやって英語を学んだのでしょうか。

日本語とオランダ語の辞書とオランダ語で書かれた日本語の文法書はオランダにあったはずですから、オランダ語の分かるアメリカ人(オランダをポルトガルに置き換えても多分)が取り寄せればよかったのかもしれません。

では、本当に始めに日本にやってきたポルトガル人は?あ、確か鉄砲伝来の時には中国人の通訳がいて、中国人と日本人は漢文の筆談で意思疎通ができますから、それででした。では、その中国人の通訳は誰から学んで、それをずっと続けていって・・・どこかで、本当に始めて西洋の言語に接触した中国人がいるはずです。もしそこに、誰か適当な通訳がいたとしても、その通訳の師の師の・・・は?また、大航海時代にアメリカやオーストラリア、そしてアフリカなど世界各地の先住民と、本当に始めて接触した人たちはどうやって言語を通じさせたのでしょう。

まず手まね、身振りがあり、それからとりあえず「何?」を覚えたら片端から物を指差して、それを何と言うか教えてもらう、という手で・・・でも、それからどうやって抽象的な言葉を理解できると言うのでしょう。今なら、例えば映画やマンガを見てもらって、それが何がどうなっているか相手の言葉で描写してもらって、という手もあるかもしれませんし、それは彼らも絵を描いてそれを読んでもらう、などと使ったかもしれません。

日本人が英語を学ぶ時、日本語を仲介させずに英語そのものを学ぶのは不可能なのでしょうか?現在のように英和、和英辞典中心ではなく、英語と絵の辞書?を始めに・・・むしろ幼い頃に徹底的に見て、それから例えば「不思議の国のアリス」のようなよく知られた作品の映画を徹底的に何十度も見、最低限の言葉を覚えたら英英辞典と適当な小説などを与え、その映画版で英語字幕の入ったビデオと脚本もいっしょに渡して何度も比べながら見ることで・・・それである程度分かってきたら、ごく初歩的なこと以降は英語で文法を・・・これは無理でしょうか。

13日

弁護士、弁理士、司法書士などの仕事を将来、コンピューターが行うことになる日は来るのでしょうか。

コンピューター医師はありうるのでしょうか。医師の中でも、外科ならともかく精神科はコンピューターにできるのでしょうか。これは直感ですが、精神科医やカウンセラーなど、心そのものに関わることはコンピューターには代行できない気がします。例えば、精神分析をコンピューターに行わせても、治療効果はまず上がらないでしょう。全ての連想を話す代わりに入力しても、治療者に対して特別な感情を抱く感情転移がコンピューターに対して起きるとは思えません。

それが可能かどうかの判定は、人工知能の判定基準として有名な、人とコンピューターを箱の中に入れ、情報を入力してそれに対する反応だけを出力させる(実験のために話しかける者は箱の中身を知らない)装置で判定できると思います。でも・・・本当に将来、人間の弁護士とコンピューターが区別できなくなる日は来るのでしょうか。そして、もしそうなったら・・・裁判官は?裁判官の資格は、少なくとも日本では弁護士と同じ司法試験のはず・・・三権の一つ、司法権を機械に委ねてしまっていいのでしょうか?

12日

法秩序、政府に対する信頼はどうすれば作れるのでしょうか。ロシアで闇経済が横行し、脱税がひどいのは政府が信用されていない、個人の力だけが信用されているからとのことですが、どうすれば闇を打破し、信頼される政府を創り出せるのでしょうか?プーチン大統領の言う「強い政府」を作れればいいのですが、どのようにして?そして、それはどのような政府なのでしょう。政府に税を払う代わりにマフィアに税を払ったほうがいい社会を、どのように変えていけばいいのか。

日本においても、警察や官僚など、政府に対する信頼が急速に低下しているようです。でもその結果、自分の身は自分で守るとなる様子はあまり見られない・・・いや、防犯グッズの売り上げ増加や警備産業の隆盛を見ると、少しは出てきているのでしょうか。

アメリカでは政府に対する信頼はどうなのでしょう。最終的な安全については、銃器で分かるように政府頼みではなく自分で自分の身を守る、と言う考えがあるようですが、それほど脱税がひどいとは聞きません。

11日

免許、資格などには一度取ったら一生続くものと、定期的に更新しなければならないものがあります。

運転免許は一応数年に一度、更新が必要です。もちろん、大概は単なる手続きで、もう一度全試験に合格することは求められません。逆に、特に大卒などの卒業資格など多くの資格は更新を必要とせず、一度取ったら一生維持されます。

でも、それで本当にいいのでしょうか?一度受かったらもう資格、というのが果たして正しいのでしょうか。少なくとも、今の僕に大学入試を何の準備も無しにそのままクリアすることはできないですし、運転免許の学科でさえかなり怪しいです。それなのにそのまま、実力も無いのに紙の上でだけ資格を持ちつづけていていいのでしょうか。もちろん、定期的に厳しくチェックされる資格もある事はあるのですが。

もちろん、医師免許や司法試験など、仕事に直結する資格ならそのプロとして仕事をしていれば自然に、ある程度の力は維持されるはずです。経験も加わって、試験合格時より普通はどんどん成長していくものでしょう。でも、例えば専門しか知らないでたこつぼにはまっている、と言うこともありえますから、数年ごとに力の有無を問うべきではないでしょうか。もちろん、試験の時たまたま調子が悪くて失職、と言うことがないよう、追試制度をしっかりと持った上で。

大卒などの資格も、やはり定期的に学力をチェックするシステムが無いと維持する動機が無いと思います。それで卒業もしないうちに学力が大幅に低下する、ということになるのです。そうならないように、常に充分な力があるかチェックされるべきではないでしょうか。

10日

日本軍がアジア各地で行った蛮行、米軍兵士が沖縄で行っている犯罪・・・それらは軍隊の本質であり、軍隊とそれに依存する政治精神がある限り決して防ぐことはできない、と言うのが日本の大半の新聞、本の論調です。

それは真実でしょうか?わからないのは、例えば米軍は、アメリカ本土の基地や日本の沖縄以外、そして日本以外の世界中の基地でも常習的に犯罪を犯しているのでしょうか。また、日本の自衛隊基地周辺の住民は皆自衛官の犯罪におびえて暮らしているのでしょうか?他の国の自国軍周辺は?そして、太平洋戦争が始まる以前の日本軍はどうだったのでしょうか?

また、僕が思うには現在日本では強く否定されている、軍の精神論と愛国心も、正しく機能していれば残虐行為を防ぐことができるはずです。本当に「陛下の軍人」の誇りがあるなら、軍法で禁じられ、武士道にももとる民間人の略奪、強姦、虐殺はできないはずです。それが一体どこで失われ、史上最悪の軍隊になっていったのか。これを本当に問う人はいるのでしょうか?ほとんどの本では「軍隊だから悪逆無道は当たり前だ」であり、残虐行為は軍法が本来は禁止していた行為であることを無視しています。米軍についても同じ事のはずですが、今沖縄で起きている犯罪は多数の人間がいればどうしても不良品が混じる、ということなのでしょうか?それとも根本的な差別意識から、または上層部も見て見ぬふりをしているのでしょうか?

もちろん、正しく軍法で統御されている軍隊なら全て紳士的、と言うわけではないです。東京大空襲や広島、長崎への原爆投下は明白に大統領の命令書を受け取っての行為です。南京大虐殺に天皇から「女子供も一人も生かすな」と御爾の入った命令書があったかどうかは知らないのですが。

9日

今後、貧富の差が広がっていったら、それにより社会はどう変化していくのでしょうか?日本の言論界はその流れを何とか止めて、平等と本当の民主主義の実現を、と言っていますが、それは歴史の流れに逆らうことで不可能だと思います。

政治体制はこのままでいいのでしょうか。莫大な財産と企業としての権力を持つ新しい貴族層があるのに、それもまた同じ一票では・・・それが自然な姿でしょうか。

また教育も、その新貴族層にノブレス・オブリージュ、つまり財産と権力を持って生まれた高貴な(現在は平等思想が非常に強いのですが、彼らが自分の子供に遺伝子的な改良をするのも時間の問題でしょう)人間としての義務を教えておく、現在とは別の教育体系が出てくるのではないでしょうか。僕はそうなって欲しいとは思いませんが、避けられない事だと言う気がしています。

8日

雪印の食中毒事件で、社長が無様としか言いようの無い対応を取っています。このような時にこそ、トップの資質が問われるのですが・・・そのトップを選抜する時、最も優秀なサラリーマンがもっともいい社長とは限らない、ということは当然ですが、忘れられがちです。いい社長の資質とは何で、どうすればいい社長の素質の持ち主を見出し、育てることができるのでしょうか。また、日本では創業者の血族や官僚の天下りが社長に多く、生え抜きでもそれまでの減点法を生き延びた最もミスの無い人物が社長に就任することが多いので、厄介です。

例えば、社長としては最高でも営業部員としては最低、という才能が活かされることはまずありえないです。逆に、最も優れた営業部員がいい総務部長になるとも限らない・・・。本当に人間の資質を生かし、またどのポジションでも努力して組織に貢献できるようになった人に、しかるべき報酬を与えることがどれほど難しいことか。

それにしても一万人の被害とは・・・。今まで当然のように信頼しきっていた、スーパーやコンビニで当たり前のように利用していた大企業製のブランド牛乳が信頼できないとなったら大変なことです。

7日

七夕ですね。なのに星は見えないです。星を見る、と言うこと自体、都会人には特別な田舎に行くとかしないとできないことになってしまっています。できることなら、月に一度+七夕や流星雨など特別な日には、灯火管制をして光害を一時的にでも弱め、星を見ることができるようにして欲しいものです。光だけではなく、大気汚染もありますが。

6日

日本で労働者のパートタイマー化が進んだため、個人消費が低迷していると言われています。パートタイマーは収入が不安定で老後の保障も無く、いざと言う時のために消費を控えて少しでも貯金する、当然のことです。

でも、アメリカでは日本以上に労働者のパートタイマー化が進んでいるのに消費が盛んで景気もいいです。社会保障も、アメリカでは日本のような健康保険制度が無いなど、日本より安定しているとは聞きません。それなのになぜアメリカのパートタイマーたちは消費するのでしょうか?

彼らは後先のことをあまり考えていないのでしょうか。または不安に感じる必要も無いほど、パートタイマーでも給料がいいのでしょうか。それとも、僕が知らないだけでアメリカのパートタイマーなどには、老後を安心させられるだけの社会保障がちゃんとあるのでしょうか?

もしかしたらこれは、経済学で言う集団の錯誤の例かも知れません。日本人が消費せず、貯蓄に回すのは一見賢明に見えますが、経済全体を悪くしてしまい、アメリカ人の一見愚かに思える消費が景気をよくしている・・・?

となると、それこそ・・・単に一人一人が楽観的か悲観的か、それだけのことが経済の明暗を決定してしまう、という笑えることになっているのですね。

では日本ではどうすればいいのか・・・パートタイマー化の流れを押しとどめ、誰もが今までのように安定した会社員になれるようにするか、それともパートタイマーにも将来が安心できるように社会保障を整備するか・・・他に何か、楽観的にする手段があれば一番いいのですが。

5日

日本のミュージカルは、僕の知る限り東宝などの一般のミュージカル、宝塚歌劇団、劇団四季、そしてセーラームーンなどの少女アニメ系の四つに分かれており、それぞれのファン層がほとんど重なっていません。そのために、合計のファンの数はそれなりに多いのでしょうが、一つ一つは非常にマイナーな世界です。また、宝塚は関西、それ以外は東京にかなり限定され、例えば東京ではほとんど宝塚の話が普通の人には通じないなど、地方による差も大きいです。

なんとか、その四つが同時に一つの、それもとてつもない人気のある作品を創造、上演することができれば、少しでもファン層を重ねることができれば・・・もっとミュージカルをメジャーにすることもできそうですが。

4日

日本人は仏教徒と言っていますが、仏教について基礎的な知識だけでも持っている人は何人いるでしょうか?そして神道については?ほとんどの人は何も知らない、でも宗教ではなく習俗として、様々なタブーの集合にはしっかりとはまり込んでいると思います。

この宗教に対する無関心は戦後の、国家神道教育に対する反省で教育から徹底的に宗教を排除したから、でしょうか?それだけではなく、本質的に何か、日本人には宗教に対して根本的な無関心があるように思います。

でも、戦前戦中に示された国家神道、天皇に対する信仰の強さ・・・でも、あれは宗教だったのでしょうか?宗教ではなく、別の何かだから日本人が受け入れたのでは?僕はそれは宗教でなく、社会システムの規則体系だと思います。日本人にとっては、本来の・・・魂の救済をテーマとした宗教より社会システムの規則を守ることのほうが大切で、さらにそれに全人格を委ねることが当然のような感じがするのです。

あらゆる文明の中で事実上日本だけが江戸時代初期、キリスト教の徹底的な迫害に事実上成功したことと、この日本人の根本的な何かにとても深い関係があるような気がするのです。そう、「なぜ日本はキリスト教を拒んだか」を追求することは、とても深い日本人のあり方に対する分析になると思えます。

確かな根拠のあるエピソードではないですが、秀吉があるキリシタンに、最終的に神と自分のどちらに従うかを聞いたら神と応えた、それが迫害を始めたきっかけ・・・そう、とにかく日本の封建権力は、宗教による魂の救済、それと引き換えにした最終的な忠誠の神への集中を認めず、西洋の権力者のように神から権威を受けて支配を正当化したり、権力と宗教の最終的な住み分け(マタイ22:21「カエサル(ローマ皇帝)のものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」)を利用したりできないようです。最終的な、魂の全てを忠誠心として委ねることを求めていた?それとも日本で布教していた会派が上の原則を忘れていただけ?

3日

1kgに満たない買い物袋を持ったまま本を立ち読みしながら何時間か歩き回ったら・・・かなり激しい運動をした後のように腕の筋肉が悲鳴を上げています。弱い負担でも長時間だと大きいようです。

となると、大リーグ養成ギブスほど強くなくても身動きの抵抗があり、荷重が体のあちこちにかかっている状態で日常生活をしたら、それだけでかなり体力が増強できるかも。もし軽いスポーツを含む日常生活を水中程度の抵抗下ですごすことができたら、重力を2Gにして生活できたら・・・どれほど体力が増すのでしょうか。

2日

服装マナーのいくつかには、深い意味があるのでは、と思っていたことがあります。例えば「ポケットに手を突っ込むな」というのは、ポケットにナイフを握っているかもしれないからとか、「シャツをズボンの上に出すな」はスパイダルコのようなクリップ付きナイフや短めのシースナイフ等を隠しているのではないか、と疑ってではと・・・。多分違うでしょう。スパイダルコ以前からもこのマナーはありましたし。

1日

子供が、自分の人格や価値観を自分で決める権利はあるのでしょうか?

思い出してみると、特に僕は幼い頃から自分に対して、こうありたいというのを強く意識していました。その中できていた自分に対する規範は今でも、僕の人格に強く染み込んでいます。例えば僕がいまだに飲酒も喫煙もしていないのは、物心つくかつかないかの頃の決心をいまだに守っている結果です。

でも、幼児の判断で形成された、非常に独善的な価値観には社会と相容れないものも多いです。現に、飲酒ができないと言うのは常々、大きなハンディキャップになってしまっています。

子供の人格、嗜好、感情、価値観、規範意識などは・・・確かに自らのものが芽生えてくることもあるようですが、それを大人、特に親はどのように扱うべきか・・・伸ばすべきか、それとも破壊してちゃんと正しい、現実の社会に適合したものを叩き込むべきか。