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いじめ自殺が今更問題になっています。
でも、僕から見ればいじめは常にあるのに、なぜこんなときしか報道されないのでしょう。

結局、事件というのは常に色々たくさんある、その中でごく限られたものしか報道されていない、ということでしょう。確かに世界中日本中、ありとあらゆるジャンルのニュースを全部報道していたらどれだけ時間があっても足りません。取捨選択は必要でしょう…でも取捨選択に大きな恣意があるのでは。

いじめはあるのです…人が人である限り。
なくそう、では隠れて陰湿化するだけです。
それで諦めるのではなく、歯止めなく暴走するのを止めるのが上策でしょう。

まずいじめは悪だという価値観を子供たちにも浸透させる…子供に卑怯を憎む価値観を、をどうすれば植えつけることができるか。
また。できれば、子供にいじめを理解させる…人間がどういう代物か理解させる。どうすればできるか。
そして。誰かに相談できれば自殺には至りません。教師だけでない上級生や地域の大人との交流が必要でしょう。何より学校という閉鎖的な空間が生活の全てになるのではなく、別の、孤独のままでいられる場やいろいろな人と関われる場があればいいのでしょう。
転校も気軽にできたほうがいいでしょう。とにかく逃げ場がないと、子供は、特に孤独だと問題解決能力が低いのですから。
なによりもを植えつけることができればいうことはないのですが。
そして、本当に悪質ないじめにはしっかりと罰があること。信賞必罰もまた必要です。

いじめのない、理想的ですがありえない状態をイメージするより、現実にいじめに対処するシステムが必要でしょう。

履修問題は…正直いって、今の受験自体がおかしいです。
それ以前の問題として、共通高校卒業テストがあったほうがいいかもしれませんね。もちろん中学、大学についても。
第一、世界史を学ばないで日本史や地理、政治経済、まして倫理が理解できるとは思えないのですが。

どの科目もバランスよく最低限は理解していて、その上で本当に得意科目はとことん伸ばすシステムがあればいいです。

30

なぜ無料でできるマメ科(またはアゾラ)緑肥より化学肥料が使われるのでしょう。
労働力?でも化学肥料の費用を人件費換算したら?

また、昔であっても、田畑に虫が増えたら近くの野山から蜘蛛やカマキリをたくさん捕ってきて放せばほとんど食べてくれる、ということはなかったのでしょうか?

29

誰かが死んだら墓地となっている地に新しく木の苗を植えてその下に遺体を葬り、その森は伐採禁止とする、というやり方の文明はなぜあまり見当たらないのでしょう。

樹木にも寿命があるからでしょうか?
でも祖先を大切にする文明でも、せいぜい四代ぐらい前の祖先までしか名前は覚えていませんから、寿命が長い木ならそれが枯れるまで世話すれば十分でしょう。

森と一体化する文明であれば、それは爆発力は低いけれど持続可能性も高いでしょう。
また、伐採が禁じられる森が村の比較的近くにあれば、防風や温度調節だけでなく、伐採せずとも枯枝、枯葉、実、樹皮、樹液の採集など多彩な役割を果たすことになるでしょう。

28

誰もが正社員になれない、それでいて正社員になれなければ見捨てられる社会がこのまま続くとしたら、逆に子供を増やして大家族制でリスクを分散するのはどうでしょう。
年金、公的介護システムが将来もまともにならない可能性も高いですし。
子供が一人だと、その子がフリーター・ニートになった場合、両親の老後は(公的システムが機能しない場合)絶望的です。

でも子供が一郎、初子、次郎、三郎、末子の五人いるとします。

そのうち一郎、初子、三郎の三人が正社員としてまともに稼いでいます。
末子は嫁に行って共働きですが週一日ぐらいは実家を手伝える近所に住んでおり、一郎と三郎は結婚して、一郎には子供が現在三人います。
末子の子供も時々預かりますし、末子が子供を連れて実家に泊り込むことも多いです。
一郎の嫁は専業主婦ですが、三郎の妻は働いておりかなり出世しているほうです。
次郎は独身のフリーターで、週二日ほどは働いてそれを小遣いとし、衣食住は家に依存して家事育児介護を手伝っています。

この場合、父親の定年前は父親、一郎、初子、三郎、三郎の妻の五つの収入があります。
そして家事労働は祖母、母親、一郎の妻、次郎の三人+末子が週一日程度。
現在介護および育児を必要とするのは祖父、一郎の三人の子供、時々末子の子供、また三郎にも子供ができるかもしれません。

将来(今は元気な)祖母や両親が介護を必要としても、その頃には子育ても少し楽になっているでしょうから一郎の妻と次郎で家事を含めなんとかなるでしょう。
子供の中で社会に適応できないとはっきりした子が家事や介護に専念してくれるかもしれません。
その場合家事、介護の戦力になりますし、制度によってはその経験から介護関係に進んで外でフルタイムの半分程度働き、あとは家族の世話という生き方もありえます。

全員がまともな収入を得られるようになるとは限らないし、子育てや介護の負担も大きい以上、大家族でリスクを分散するというのは…全員が「就職して結婚する」のではなく、それに向かない者は男女問わず家事をメインにすることができ、人生の選択肢も増えるのでは?
また、誰かが失業してもリスクを分散できるのでは?

いや、残念ながら法律上大家族制はやりにくく、また今の時代は家業というものがないので生活を支えるのが…多少リスクは分散されるといえ…不安定になるのも欠点です。
家族の序列や地位を安定させ、秩序を保つのも平等思想が普及している現在難しいでしょう。特に両親の死後、一郎が大家族の長ということに皆が素直に納得し、従うでしょうか?

大学を誰に行かせるか、というのがまた難しい問題です。
五人全員に行かせるのは大変ですし、上の場合次郎と末子の学費は実質無駄です…が、そうすると学費を現金化して渡さない限り不公平感を感じてしまうでしょう。

また、彼または彼女が就職に向くか家事に向くか、そう早くわかるでしょうか?
高卒までにわかればいいのですが。

27

海水から真水を得るには蒸留するか、ろ過装置を用意して海水を入れて圧力をかければいいわけです。もちろんろ過のほうが必要なエネルギーは少なくてすみます。

潮汐を利用すれば、満潮の側にある弁になった水門のついたダムに海水をため、圧力を出すことができないでしょうか?

26

インターネット図書館は本質的に無理でしょうか?
著作権がある限り無理に思えますが、では図書館はなぜあるのでしょう。

データは図書館の本と違ってコピーしやすい分返却が難しいですが、そのコピー自体を制御するシステムがあればなんとかなるのでは?

25

降水量の多い山地と少ない砂漠が山脈一つで隔てられるだけ、というのはけっこうあります。
ならパイプラインでつなげればどうでしょう。
規模は小さいにしても、中央アジア伝統のカナート技術はそれに似ています。
それをもっと大規模に、中央アフリカの熱帯多雨林やアトラス山脈の雪解け水をサハラに、またはヒマラヤの大量の雨をイランやチベットの砂漠に、と。

24

補選は自民完勝、ただ民主党にとって小沢党首の病気に不倫問題と悪いことが多すぎました。
北朝鮮の核実験も、小泉前首相の強運伝説が続いているかのようです。

本番は参院選でしょうが、そのときまでもつかどうか…小沢氏がまた悪い病気を出して民主党を解党するか、または民主党の持病が出て小沢氏を引きずりおろすか、というのが心配になってきました。

問題はどんな理念軸で政治が動くかです。
安部政権の曖昧さと民主党自体の本質的な曖昧さが変な具合にかみ合っているような気もします。
保守主義+自由主義の自民VS福祉+平和主義の社共で自民も福祉と平和を多分に取り入れる、という55年体制から、今はどうなるのでしょう?
安部政権は保守主義なのか、それとも(大企業の、と批判される)自由主義なのか…よく批判されるように、国家主義と新自由主義の最悪の組み合わせなのか…
それに対して民主党は本来の新自由主義と格差社会批判をどう両立させるか、一足飛びに第三の道まで行くか…

うまく対立がしっかりできて、できればヨーロッパ型社会民主主義や緑の党、そして反米保守の出番もあればいいのですが、なかなかそうはいかないようです。

23

科学を学ぶためには、地動説を疑ってみるのも面白いのでは?
地球は動いているんだ、と教えられ、解答用紙のそこにマルをつければいいのでは、天動説でも変わりありません。

22

最低所得保障と最長労働時間を定め、無条件に守らせない限り労働世界は悲惨なままです。
勝ち組はサービス残業地獄で過労死、負け組はワーキングプアで病むか老いて仕事口がなくなったら餓死、とどちらにしても死では。
そんな世界でいいのでしょうか?

どうしてもそれが必然なのでしょうか?
グローバル化で、多数を評価する「英語力」「国際基準の専門性」(または万人に一人の非常に特殊な成功)で世界全体の労働力が一律に評価されるなら、給料は一番低いレベルに近いところに平準化されるでしょう。
そうなると、特に日本人の大半は飢餓状態で当たり前ということになるでしょう…英語ができないのですから。

逆に世界全体のレベルを上げると考えると、環境の壁がそろそろ見えてきています。
何とか解決策は…世界全体で、逆に生産構造転換と環境回復、貧困撲滅、(成人も含む)普遍初等教育、介護の充実のためのニューディール政策を行って世界全体の最低水準を満足でき、しかも持続可能に…というのは絶対誰も賛成しないでしょう。

ほかに何か解決策はあるでしょうか?

21

今国政選挙があったとして、「自公圧勝、社共微増」と「政権交代」のどちらを選ぶのでしょう。
もうひとつ、新党を結成するという手もありますが、それが多少頑張ってもネーダーのジレンマで選挙結果は自公政権維持でしょうね。
護憲だからと「自公圧勝、社共微増」を選べば、結局自民党は改憲が党是ですから最終的には改憲に至るでしょう。

しかし政権交代しても、民主党も…といっても、政権交代した場合未来がどうなるか予想できないのです。
「最悪の未来が確定」するのと「どうなるかわからないが変化はある」のと、どちらがいいのでしょう。

そして反米保守はどうすれば投票先が得られるのでしょう。
それも、政界再編に賭けるほかないのでは?

まあ、政界再編の可能性としては、民主崩壊自民一党独裁状態から、というのもありえなくはないですが。

20

人間は科学的であるより宗教的な面のほうが大きいのでは。
ホモ・サピエンス…知恵あるヒトというより、信じるヒトというほうが正しいのでは。

それがこれほどの科学的業績を上げているのは信じがたいほどです。

まあ、両極端に単純化せず、両方だと思ったほうが正しいのでしょうが。

19

「人格を否定する」という言葉はおかしいですよね。
「邪悪と認定する」「人間の範疇から排除する」「人間の一員とするに値しないほどの人格のゆがみがあると判断する」という意味では?

18

北朝鮮の核実験が失敗した成功したでわいわい言っていますが、失敗だったら日本は安全になると思っていませんか?
失敗した実験からこそ、たくさんのデータを得て次の成功につなげることができるのです。

弾道ミサイルについても同様、まともな技術者集団なら失敗から学ぶものです。
小学校の頃読んだ宇宙開発に関する学習漫画で、周回軌道に入れず弾道に終わった実験を紹介し、「じゃあ失敗だったの?」「いや、たくさんデータを得られたから成功」というやりとりがありました。

実験に本質的には失敗はありません。
失敗があるとすれば、失敗しているのに嘘をつく、特に対外的な宣伝はともかく上層部にも成功していると報告する場合は本当の失敗です。

第一小型化に失敗しても、密輸ルートで荷揚げすることはできるのです。
日本の海岸線の長さを考えると守りきるのは不可能です。

相手の手段を完封することはできないという前提で、どうすれば日本は核攻撃をされずにすむか、そしてもし核攻撃されたらどうやればダメージを最小にできるかが問題です。

17

よきサマリア人を実行しようとすると、

という二つの問題に直面します。
前者はキリスト教的に考えれば、その罪も含めてイエスが背負い許している、で済みますが、後者の智恵のなさは信仰だけではどうにもなりません…山をも動かし、聖霊が何が正しいか教えてくれるほどの信仰でなければ。

16

自作農→小作人→農奴と自由を失い、貧しくなるにつれて意欲が低下し、生産性が下がるのが理です。
日本やアメリカは社会が貧富に二極化していますが、その労働者層に意欲低下はないのでしょうか?

そして餓死の恐怖で働くのと、豊かになる希望で働くのとどちらが意欲が高いでしょう。

15

なぜ人間はこんなに車に乗りたがり、牛肉を食べたがるのでしょう。
どちらも本質的には必要ないのに。

また、なぜ飛行機やヘリコプター、ヨットやクルーザー、馬などは高価な富裕層向けで、中流上層に普及しないのでしょう。
どれも操作感を楽しむという点では自動車よりはるかに上のはず…自動車を求めるのが単純に操作感を楽しむためならそっちにエスカレートするのが当然と思われます。
垂直離着陸機のAV-8ハリアーが一般人向けに量産されていないことは考えてみれば不思議ですよ。

また、なぜ一般人がスポーツとして車の運転を楽しむ場があまりないのでしょう。
時速300km出るスポーツカーも日本の公道では何の価値もありません…が、そういうレース場を模したサーキットなら全力でアクセルを踏み込んでいい、という場があればとても楽しめるのでは?
もちろん事故のリスクもありますが、今のように走らせる場がなくてつい公道でやってしまって家族や他人を巻き込むのと、普段は安全運転で休日は一人でコースで飛ばすのとどちらが危険でしょうか?

他にも本質的に必要ないのに強く好まれるものは多くあります。
意外とコメもそうなのです…チベットの民族研究では、自分では稲が作れない高地で、そこで育つ穀物で満足すればほどほどの仕事で腹いっぱいになれるのに、わざわざ低いところで自分たちの作る穀物をコメと交換し、かなり悪い栄養、労働状態になってしまうということがあるそうです。

14

人間の不完全さを考えると、父権主義、温情主義も正しく思えます。
ただ問題は、その父もまた人間である、ということです。

保守主義に発展すれば、伝統は人間を越えたもので正しいとなるでしょう。
でも例えばアメリカのカウボーイ主義“伝統”のように、規模や技術水準などの変化によってそれまで正しかったのが文明崩壊を招きかねないものになることもあります。
それは間違っているでしょう。

13

環境保護に無関心な人の心理はどうなっているのでしょう…

ひょっとして、石油が尽きても神がなんとかしてくれる、と思っているのでは?
物理法則に反しない、御都合主義的展開は三つ考えられます。

●天然ガス非生物由来説。
教科書の説明「石油はプランクトンが堆積し、地質学的な長い時間をかけて高温高圧の作用でできたもので、その一部が天然ガス」ではなく、地球深くの高温高圧が直接作ったものだ、だから事実上無限にある、というものです。
問題は、その無限の天然ガスがどこにあるかですが…掘るためのエネルギー>掘ったガスのエネルギーでは意味がありません。
油田に常に補充されているのでしょうか?

●核融合実用化かつ大量高密度の重水素資源の発見。
技術的ブレイクスルーがあり、一気に核融合が実現する、ということです。これは主に天才によります。
常温核融合フィーバーは、人類がいかにそれを祈っているかの証明でもあります。
ただし核融合技術だけでは十分ではなく、その燃料となる重水素も必要です。それが効率よく入手できなければ、地球の中心の熱やタイタンのメタン同様意味がありません。

●小型ブラックホールの地球接近。
ちょうど人類が制御できる程度の質量のブラックホールが、人類にとって手に届く近さを通ること。
しかも十分な猶予を持って観測されること。その観測には今は観測密度が低いので、偶然発見できるタイミングという御都合主義も必要です。
もちろん一つ間違えば地球滅亡の大災害ですが、技術的に余裕があれば木星などのガス、近いほうがよければ地球の近い軌道や月を周回する孫衛星軌道に乗せて、ゆっくりと適当なゴミを食わせてそのE=mc2の半分近くにも及ぶエネルギーを効率よく受け取る、と。
その利用技術にも相当なブレイクスルーが必要でしょうか?近距離ではでエネルギーは核融合炉の中性子以上かもしれない、全ての原子を破壊するX線の形で出ますし。

そこまでの御都合主義があるものでしょうか…?

それともごく素朴に、世界は無限だと思っているのでしょうか?
自分が死んだ後にどうなろうと知ったことではない、と思っているのでしょうか?
どうせ十年以内に最後の審判があるから気にしない、でしょうか?
環境論者などの主張は全て嘘だ、でしょうか?

12

家庭用ゲーム機はしょっちゅう新しいハードばかり作っている印象です。
逆に新しいジャンル、新しい人気シリーズは少ないです。

今あるハードで名作を作ると言うのは無理なのでしょうか?
今あるハードの性能は最大限に活かされているのでしょうか?

11

ふと不思議。
なぜ、密封できる食物の多くの賞味期限・品質保持期限は一年間なのでしょう。

本当に食べたら危険なのは何年後でしょうか。
保存状態によってどう違うのでしょう…穴は論外にしても暑いところ、湿気があるところ、日光が当たるところなど。

10

北朝鮮が核実験…まず問題は事実か否か。
そしてどの程度の核兵器か…弾道ミサイルに積めるのか。
最近の弾道ミサイル実験はこれと関係しているのか。

そして、この核実験によって何が変わるでしょう…
少なくとも、第二次朝鮮戦争ではこれまでも米韓楽勝とは言いがたいのは確かです。
韓国、アメリカの側から起こすのは言語道断ですし、北朝鮮から攻め込んだとしてもアメリカを的確に核で脅すことができればアメリカに手を引かせることも可能でしょう。
ミサイルに核を積んでアメリカの大都市に届かせるのはかなり難しいでしょうが、必要はないです…コンテナごと大都市に持ち込めばいいです。少なくともそれがないことを証明するのは誰にも無理です。

もう一つの問題は、国際テロ組織に核兵器が流れないか、です。
でもそれをいうなら、イランでもパキスタンでも北朝鮮でも、いくらでも生物化学兵器をアルカイダに流すことはできたはずですが、今のところは生物化学兵器テロは起きていません。
でもそれは、今後核テロが起きない保証としていいでしょうか?
少なくとも国ではないテロ組織には、大量破壊兵器の抑止は働きません。

日本の反応も気になります。
ミサイル防衛は本質的に有効性に乏しいです…もう都内のどこかの部屋に隠されている可能性を排除できない以上。

9

人間が求めるのはまず生存。
そして帰属、自由、平等、真実。

帰属と自由は根本的に矛盾していますが、人間はどちらも求めます。

平等は?平等はまず生存の要求でした…が、もしフランス革命に対して王が全国民に最低限生きられる水と食料を配給する、としていたら止められたでしょうか?

自由と平等もかなりの矛盾があります。

8

高い教育に、なぜ親の金や強制が必要なのでしょう。
本来なら公がいい図書館を整備すれば誰もが学べるのでは?

それでできないのは訓練です、きちんと席に着く、時間を守るなどの兵士・工場労働者に必要な。

また、いい図書館があれば勉強する、とは限りません。
単なる好奇心だけでそれほど独学する子はわずかでしょう。

他にも学校のプラス面は色々あります…でもマイナス面もたくさんあります。

7

老人介護や育児を移民労働力で、という趨勢には強い反対があります。
では、逆に老人や子供のほうを、労働力が豊富な外国に行ってもらう、というのはどうでしょう。
そして、それと

のどれがいいのでしょうか。
できれば高年齢フリーター・ニート層を活用したほうが、後々社会問題が起きずに済むと思いますが…ガス室か特攻隊のほうが確かに楽は楽ですがね。

6

体育や音楽、図工の授業時間は日本ではゆとり教育でものすごく削られているそうです。
アメリカでも教育改革、コンピューターの導入で減っているようです。

安部政権は教育重視をうたっていますが、またアメリカ追随で読み書きそろばん=国数英ばかり増やしたら、ますます体育や音楽、図工が減りそうです。
決してそれはいいことではないでしょう。

5

北朝鮮の核実験宣言は、安部政権発足への牽制球でしょうか?
でもそれがどんな結果を生むか、中国やアメリカはどういう思惑があるか…

また安倍首相は従軍慰安婦問題について、河野談話を踏襲するとしたり、よくいえば無理に極右の歴史観にこだわることはしない、悪く言えば曖昧にごまかして逃げている、もしかしたら自分の歴史観と政権の歴史観は別、という態度をとっています。

なんというか、呼吸が合わないというか…何かすっきりしない気もしますが、すっきり戦争を始められてはたまらないのでこのほうがまだましかもしれません。

さらに次期国連事務総長が韓国の潘基文氏が事実上決定するなど、ある意味包囲網さえ感じます。
問題はアメリカは安部政権の側につくか、それとも日本を包囲する側になるか…歴史問題については日本は孤立を覚悟しなければなりません。

安全保障問題についても孤立はあるでしょうか?ブッシュ大統領の任期中は大丈夫…でも中間選挙、そしてその次を今から視野に入れるべきでは?

安部政権を取り巻く環境は色々複雑です。特にアメリカとの対立が決定的になったとき、自民党、民主党両方に頼もしいスペアがいるか…

4

各紙社説では、安倍首相の答弁について、特に歴史認識問題での曖昧さを責めています。

でも昨日述べたような、国家は歴史認識について中立であり、信教の自由同様個人の自由である、という姿勢は許されないのでしょうか?

3

日本が尊敬される国になるならば、歴史認識問題については三つの道があります。

一つは国際的には最も安易な道です。
徹底的に「東京裁判史観」「自虐史観」に恭順すること。
天皇自身と国会議員全員一致による全面的な謝罪宣言、それに反する言論、表現の実刑をともなう全面禁止、全面的な焚書、国際研究機関によって作られた、中国向けに限りなく近い教科書の強制など。
靖国神社の廃止、国旗国歌の改変あるいは廃止宣言も必要でしょう。
おそらく内心、思想信条、信教の自由も制限すると宣言すること、それを実現するための思想警察すら必要でしょう。
国内的にも新聞や日教組などいまだに大きな力を持つ存在は最も喜ぶ道ですが、もちろんそれは国内で抑圧による巨大な圧力を生み出し、どんな結果になるかわかりません。
国論の非常に大きな分裂を権力で抑えるという点ではファシズムと本質的に変わりありません。
民主的にこの路線が否定される可能性もあるので、民主主義さえ停止する必要があるかもしれません。でもこの路線から外れたら核攻撃、と決めておけば大丈夫でしょう。
多分、そこまでやらなければ中国や韓国は日本を認めないでしょう。

逆にそれをしないのであれば、それは二つに分岐します。

一つはより安易な道。
上記とは逆に国家として東京裁判を否定し、靖国神社の歴史観を強く前面に出すことです。
これは世界と国民やマスコミの相当部分を敵に回し、それによって国内の団結を強めて逆に言論、思想信条の自由を損なう危険、また旧敵国条項による戦争の危険さえあります。
世界全体では「東京裁判史観」が常識、当然の前提であることを無視するのは現実を見ないに等しいです。

最後に最も厳しい道。
国家として歴史観の多様性を認め、国家はいかなる歴史観も与しない、と宣言、各国を説得すること。
これは国内保守勢力も、国内外の日本の戦争犯罪を責める勢力も敵に回すかもしれません。世界各国の説得には百年かかる覚悟が必要です。
さらに靖国神社に首相が参拝する場合には丁寧な説明が必要になります。最も高い能力、おそらくは西洋的で日本の伝統にそむく能力が。
草の根の対話を強化するため、日本人一般…成人を含む…に近現代史をさまざまな立場から徹底的に教えなおすことも必要かもしれません。
これも二番目と同様戦争のリスクさえあり、また国論の分裂を確実に伴います。中国や韓国、あるいはアメリカにとってさえも第二の道以上に受け入れがたいかもしれません…この路線に対する反発は、自分たちが言論、思想信条の自由を守っていないという意味ですから。
きわめて危険で困難です。
でも、言論、思想信条の自由、歴史観の自由を守るにはこの道の他にありません。もちろん僕が求めるのはこの道です。

問題は、首相が靖国神社に参拝するか否か…どちらにしてもそれは、国がある歴史観に与しているという宣言になってしまうのです…
僕が野党党首なら安倍首相に、どの道を選ぶか質問するのですが。
また「(歴史認識は)後世の歴史家に委ねる」というのは第三の道に等しいのですか、と。

2

イスラエルがレバノン撤退。
完敗、というべきでしょうか。

正義は勝つ、次はアメリカがイラクやアフガンから撤退しろ…というのはいいのですが、本当にそうなったらそこの住民は幸せでしょうか?どうなるか想像しましたか?
もちろんイスラエルが攻撃を続けても、イラクやアフガンにアメリカが駐留していてもそこの住民が幸せというわけではないのでしょうが。

どうすれば、ただ平和に、できれば飢え死にせずに、できれば理由もなく処刑されることなしに暮らして生きたい人々はそうできるのでしょう。

アメリカやイスラエルに賛成するのも反対するのも正しい道ではないような気がします。
必要なのは強力な治安維持権限を持つ、権威がありどの立場からも信頼され、秩序を保って当座の生活を援助して自立させる力がある国連軍のようなシステムでは?

そして一敗地にまみれたイスラエルが、そしてアメリカが、どうなるでしょう。
そのことも心配です…アメリカがベトナム戦争敗北の悪影響にずっと悩まされ、国がばらばらになったような感じを持ち続けるようなことになるのはいいことではないでしょう。
なにかよりよい着地点を探すべきです。アメリカやイスラエルもある程度プライドを保ち、賢明に現実を見て自分たちの利益にもなる、それでいてレバノン、イラク、アフガンの民も平和に幸せになるような。
それが上記の国連軍かはわかりません。他に何かあるかもしれません。

アメリカ・イスラエルの国民皆が平和・自由・平等に目覚め、革命を起こして軍国主義国家を打倒、軍備も富も捨てて世界に奉仕するの期待するのはむしろ危険では?
全員が同じ思想信条になれ、という点では思想信条の自由すら認めていないということなのですから。

1

人間は自由を求める個人であり、かつ他者とのつながりなどを求める群れ動物でもある、という根本矛盾を抱えています。
また、人間は個人としても全般に愚かであり、集団としても愚行を重ねています。

そんな人間が、自由を求めていいのでしょうか?
どうすれば、特に人間全体として正しく文明を維持できるでしょうか?

特に西洋の本質である契約や刑罰、民主主義の投票権、個人の尊厳…は、人間には完全な責任能力があるというフィクションがありますが、それは正しいのでしょうか?
逆に東洋の本質は…?

自由について、自由を求める個人にはその個人だけの宇宙と全知全能を与えれば幸福でしょうか?
いえ、それだけでは孤独であり、不幸です。
慰めのために奴隷をいくら作っても孤独は変わりません。
でも自分と対等な存在を全能によって創造すれば、それからは闘争があり、自由を大きく制限されます。
勝ち負けが決まっている試合は面白くない、孤独なままです。勝ち負けがわからないからこそ面白いのですが、勝ち負けがわからない闘争にはまれば負けてしまえば自由を失います。運命の支配下にある、ということでもあります。
人間は支配を求めますが、それも対等な存在を支配するのでなければ、という矛盾があります…不完全な支配は不安、脅威であり、完全に支配してしまったら対等な存在ではなくなり、ペットを飼うのと変わりありません。
その矛盾には二つの極地があります。『1984』の心からの愛と忠誠を拷問で強要するビックブラザーと、いま一つが『ロードス島伝説』の、自分を殺そうと隙をうかがう使用人を良い退屈しのぎと喜ぶ吸血鬼です。どちらも実質的に全能ですが完全な幸福とは遠いものです。
闘争ではなく協調でも、他者の存在が自由を制限することには変わりありません。

逆に群れ生物として完全に集団と一体化するのは?皮肉にもそれは『1984』の世界では。
さらにビッグ・ブラザーがない、平等な集団の極限を考えるともっと怖いです…人間が事実上、人と異なる思考や判断をしない蟻や蜂のような存在になる、ということです。それよりも『1984』のほうがまだましでしょう。

また、超越者に導かれるほうがよいでしょうか?人間には家畜の性質が多くあり、より高い存在を求める傾向がありますから。
でも、それ…宗教の約束する天国は、果たして自由でしょうか?完全な奴隷では?それが幸福でしょうか?
そうではなく、自由がありながら集団としても機能している幸福…それが戦後民主主義の理想社会かもしれません。

さて、超越者という概念も出ました。
超越者の実在の有無はともかく、少なくとも超越者は個々人に状況にあわせて的確な命令をしてくれるわけでもないし、人間全体を目で見てわかるほどうまく導いてくれているわけでもありません。
全能で至善の神が歴史を制御している、という命題を反証するのにホロコーストでは不足でしょうか?
にもかかわらず、過去において…今でも相当部分…人は超越者を前提にして行動してきました。
神が導いているのだから大丈夫だ、と。
それが世俗化、近代化によって神が殺され、代わりに人間の理性が個人も人間全体も導く、とされるようになりました。
しかし、それは成功しているでしょうか?それについても人間全体としてはホロコーストや絶滅動物リスト、砂漠化が十分な反証になっているのでは?
民主主義も全体としての人間の判断を信じるという恐ろしい仮定の下にあります…ナチスドイツはその有力な反証では?
もう一つ、人間の独裁者という道も多く選ばれましたが、その結果はご存知の通りです。

もちろん理性ある個人も多く見られ、それが奴隷制廃止など大きな前進をもたらすこともありますが、全体としての人間は信じるに値するでしょうか?
あ、神も人間も(集団としても独裁者も)信じられない、といっても、少なくとも核戦争を起こさず冷戦を終わらせる程度の力はあったことは認めないと公平ではありません。

では、神も人間も信じないならどうすべきか…コンピューターの発達が暴走し、人間を超えたらどうなるでしょう。
手塚治虫『火の鳥 未来篇』にあるように、SFはコンピューターによる支配には否定的です…
しかし論理的には、実用的には神の存在は無視でき、人間は無能であるなら、人間以上の知性を創り出すほかないのでは?
根本的な問題は、それが本当に「人間以上」かどうかはわからないし、また本当に十分な知性なのかもわからない、という点でしょうか。
まあ、それに個人の自由を奪われるのは誰も賛成しないでしょう。
でも、非常に多くの人にとって…神を装った超コンピューターによる支配は、それがないより幸福でしょう。

また、コンピューターの指導で自分をどんどん深く…人間だけではプラトンのイデアに縛られて難しいが、それを打破するような指導で…理解し、高めていくのはそれがなく、洞窟などのイデアに縛られているより自由では?