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30

安倍首相の所信表明演説は基本的には過激ではない、スタンダードな印象があります。
それほど激しいタカ派とは見られないようにしているようです。

問題は「弱者の幸福」と「環境」について基本的に何も言っていないことぐらいでしょうか。

再チャレンジについて、昨日述べたほど徹底的ではないですが、昨日述べた問題自体はある程度認識しているようです。
格差社会批判でよくいわれる地方については分権を強調しているようですね。

農林に対する関心はいいのですが、食料自給率と、たとえば「緑の日本」の強調がなかったのが不思議です。

小泉首相の重大な欠点に教育に対する無関心があったので、教育改革は非常に嬉しいですが、宣言だけであり新しい時代にふさわしい教育の理念、という感じはないですね。
国家重視も日教組などの理解は得られそうにないです。

総合的には抑制が強く、反面具体的なビジョンという感じではないです。
さて、実際にはどうなるか…じっくりお手並み拝見ですね。
参院選挙が近いのはむしろ残念でさえあります、長期的なことがしにくいという意味でもありますから。

29

再チャレンジ、機会の平等というなら、

という抜本的な金融制度改革、

という企業側の態度の変化、そして奨学金の拡充などが絶対的に必要とされます。

でもそれが、根本的に自民党…いや日本にできるでしょうか?
日本の企業・金融の文化的な面を根底から変えるといってもいいでしょうから。

特に金融の個人保証と連帯保証は、たとえ改革したとしても現段階で過重負担を負っている者への救済措置と、以後の金融システムがまともに機能するような何かが必要となります。

28

政府も信じられない、官僚も信じられない、家庭も企業もマスコミも市民も何も信じられない…なら?
この失われた十年と言うのは、一言で言えばそんなものだと僕は感じています。

古いシステムに対する不信は育ちましたが、新しく信じられるシステムを創ることができず、結局変に姿を変えた古いものにすがっているような。

その不信のエネルギーが集中してしまったのが、小泉首相という存在なのでしょう。

27

社会システムの前提として、人間を信じるべきでしょうか、それとも信じないのが正しいのでしょうか。
性善説性悪説と似ていますが、微妙な違いもあります…善であってもお節介が悪い結果になる、というのもあり得るからです。

人間を全く信じないとすると、家庭内虐待を本当に防ぐにはプライバシーは認められません。
経済や政治など社会も今までのような形では機能しません。

26

いよいよ新政権…というか民主党党大会のはずですが、とことん影が薄いです。
肝心の小沢党首が検査入院じゃ、どうにもこうにも。

小泉政権の総括は…一言で言えば、政治不信の底が抜け、自民党も民主党も他の野党も全て否定する力が小泉氏に集中してしまっただけでしょう。
その構造は本質的に変わったでしょうか?
本当に自民党は変わったのでしょうか?日本の経済の回復は本当でしょうか?日本の構造自体に変化はどれだけあったでしょうか?
どれも簡単には結論が出せないです。

25

高い技術力というか魔法で、武力革命やテロだけは絶対にできない、その代わりいかなる思想統制もない、という状況があれば、政府側も様々な運動家の側も満足できるでしょうか?

満足できないとしたら、政府側なら思想統制そのものを国家の安全とは無関係に求めている、ということであり、運動側は武力革命か暴力そのものを求めているということになります。

24

現在石油燃料を用いているガソリンや電気などのエネルギーはトウモロコシからエタノールや水素として手に入ると言われ、バイオ燃料がブラジルなどでは盛んに研究開発されています。

では、ガソリンや電気などのエネルギー、肉のための飼料を含め、平均的アメリカ人一人の暮らしにはどれだけのトウモロコシ畑がいるでしょう。
さらに製鉄もトウモロコシ由来の水素、プラスチックもデンプンから作るプラスチック、もちろん紙もトウモロコシの茎などを原料と考え、服も木綿畑、石鹸も大豆かトウモロコシ油…とすべて畑の面積に換算して考えたら?

そしてそれを百億倍したら、地球の全耕地の何倍が必要でしょう。
さらに、そのトウモロコシ畑を現在のような化石地下水や化石燃料を用いる持続不可能な形ではなく、持続可能な農法に制限するとしたら?

地球の耕地では、何人の「平均的アメリカ人」をそのような形で養えるのでしょう。
また、百億人ならばどこまで生活水準を落とせば養えるでしょう。

さらにいえば先進国人は、五十年後にはどれだけ生活水準を上げるつもりなのでしょうか。

23

再生可能林業+風力発電とトウモロコシ畑、どちらが経済的にはいいでしょう。
また環境にとってはどちらがいいでしょう。

一見再生可能林業も風力発電も持続可能性は高く見えますが、風力発電の真の持続可能性は?
風力発電が生涯に生み出すエネルギーより、生産、設置、維持、廃棄にかかる化石燃料の総計のほうが大きいという説がありますが、そうなのでしょうか?

また、今バイオエネルギーブームで、各国で大量のトウモロコシがエネルギー用に消費されているそうですが、逆にそれを飢餓解消にまわせば、ということはないでしょうか?

要するに人類は膨大な量の資源を必要とするということです。
その資源はトウモロコシのように再生可能な資源と石油のように再生不可能な資源があり、また再生可能な資源も無茶な使い方をすると再生不能になります。
そしてバイオエネルギーブームは、食料資源をエネルギー資源に転換できる、というだけのことです。

再生可能エネルギーの絶対量を決めるのは水、日光、肥沃土です。
それ自体が足りないし、使い方も悪いようです。
二酸化炭素は大抵十分あり、増やすのが難しいので無視していいでしょうか。

とりあえず僕は、現在あまり使われていない砂漠、外洋、将来的には宇宙の太陽エネルギーの有効利用を提言しておきます。

22

圧勝した安部自民党新総裁ですが、どのような政策かがいまいち見えてきません。
多数の…点数はそれほど多くないですが、一点一点が多数…本が書店の表に並んでおり、ぱらりとは目を通しているのに。

本を通じて浸透させる、というのはそれはそれで面白いです。
最も深く検討できるメディアですから。
もちろん、テレビなどでの圧倒的な知名度と人気があってのことですが。

今後の政治で、本はどのような地位を持つのでしょうか?
テレビを通り越してこれからはネットだとも言われますが、やはりちゃんとした考えには本は欠かせない存在です。
また、雑誌は?週刊誌、月刊論壇誌はそれぞれ?ラジオは?インターネットラジオは?
さまざまなメディアが今後どのような働きをすることになるか、それこそ観察すべき点かもしれません。

21

総裁選ばかり気にしていたら、タイもハンガリーも大変なことになっています。

それで日本は首相外相ともに国連総会演説さえしない、というのはどんなものでしょうか。
総裁選だから世界はどうでもいい、ということはないはずです。

さて、クーデターというものがいまだにある世界にいる…逆にクーデターらしきものが戦後全くない日本のほうが異常かもしれないぐらいです。
理由は何でしょう?
まずなにより皆が豊かな社会であること…でもそれが、格差社会化で崩れつつあるといわれています。

20

自民総裁選…といっても安部氏に確定…といわれますが、ふたを開けたら違う結果、という可能性も全くないとは限りません。

まあそれはともかく、まず安倍政権として、その場合の最善、最悪、現実的な三つのシナリオを考えてみるべきでしょう。
そしてもし小沢民主党に政権交代した場合も、その最善、最悪、現実的の三つのシナリオを。

他に考えるべきことは?
小泉政権の総括?また小泉復活のシナリオ?そして改憲、教育基本法改正?
欧米型社会民主主義というもう一つの選択肢を作るにはどうすればいいのでしょう?

19

法廷で認めうる証拠がなかった、またはどちらの証拠もある状態なら、虐殺があったという証言となかったという証言のどちらを信じるべきでしょうか?

18

人権、人間には誰にでも平等に不可侵な尊厳がある、という概念は本質的にキリスト教由来です。
たとえばヒンズー教のカースト制度はそれとは違います。

さて、人権概念が正しいとすべきでしょうか?
それともキリスト教もヒンズー教も比較可能な立派な宗教だ、ですませていいでしょうか?

僕は人が教育を受けられず奴隷状態を強要されること、選択を奪われること、餓死にせよ他の形にせよ不自然な死を本人の選択とは無関係に強要されることは許容しません。

17

ローマ法王ベネディクト16世の反イスラム発言が問題となり、イスラム圏では大きな抗議行動が起きています。
これは文明の衝突の危険もある、非常に危険な事態です。
うっかりとこのような発言が出てしまうということが、ローマ法王ともあろう人からありえるでしょうか?

もちろんしょせん人間だからポロっと失言、というだけだったかもしれませんが、例えば日本の政治では常に「妄言」といわれる失言が問題になってきました。
それは同時に、日本は悪くなかった、と公の場で堂々と発言できないほど「建前」である謝罪と反軍事が強い時代にかろうじて可能な「本音」の露出、ガス抜きでもありました。
同様にカソリックの、キリスト教の「本音」でもあったのでは?

そう考えると今後、あの発言を支持する層に注目しておかなければ。
もちろんジャーナリストやまともな政治家は宗教の融和、対話路線を守ろうとするでしょう…が、それに不満な、もっとわかりやすい、正義と悪がはっきりした…もちろん自分が絶対正義である世界を求める者もたくさんいるはずです。

16

敗戦時、多くの資料が焼かれたと兵士の手記にあります。
事実ならばそれは日本という国に対する犯罪です。国益に反します。

その中に、例えば虐殺など日本にとって不利なことが書かれてあったとしても、焼かれてしまっては事実はこうだ、と言えなくなるのです。
三十万人ではなく本当は二万人で、それも正式な命令によるものではない、と証明できない状態を作ってしまったのです。

尚、日本軍が各地で虐殺暴行を働いたとしたら、それは軍国主義者にとってこそ最も許せないことです。
軍に最も大切なのは軍規ですから。

15

「心から反省すべきだ」というのは内心の自由を無視していませんか?
いや、内心の自由は絶対でしょうか?
反省しない自由などあるのでしょうか?
また、フロイト的に心の奥に反省していない部分がある、というのは許容していいのでしょうか?
それとも人間には無意識も含め、完全に管理する責任があるのでしょうか?
また、どうすれば反省したといえるのでしょうか?

14

ウォルフレン氏らリビジョナリストの多くがブッシュ政権にも反対しているのは皮肉なことです。

本来なら彼らは、アメリカに合わせるよう改革せよと日本に迫ってきました。
でも今は、アメリカはよき模範ではないと言っています。

しかも面倒なことに、ゴアやケリーなど民主党だったらよかった、というわけでもなさそうです。
といってもネーダーというわけにもいきません。
ヒラリー・クリントンはどうなのでしょうか?

13

民主党党首選、小沢氏無投票再選…
党内で政策論議がまともにできない、というイメージを強めてしまいそうです。

ただ、もし幅の大きな議論をしていたら、それはそれでバラバラというイメージを強めるだけでしょう。
また、対抗候補が岡田、前原、横路、菅、鳩山各氏の誰であっても強い批判的な論調が予想できます。

確かに党首選による政策論議をしそこねた、というのは民主党にとって損かもしれませんが、ここは安部自民の失策待ちが一番賢明なのかもしれません。

民主党がどうしようもないのはずっと前からわかっていたことですから。

12

小泉首相を最も厳しく批判しているK.V.ウォルフレン氏と小林よしのり氏こそ、皮肉にもその小泉ブームの遠因を作ったのでは?

ウォルフレン氏の著作は日本国民に改革の必要性を訴えて広く受け入れられ、もはや説明責任、官僚批判、システム批判などは多くの国民の常識といっていいものです。
しかし中央政治ではそのエネルギーは、氏が主張する政権交代ではなく小泉首相に集中したのです。
野党のあまりのだらしなさ、というだけかはわかりませんが。
ウォルフレン氏など、日本の旧システム(特に自民党…政官財鉄の三角形)を批判する側から見れば、一度は細川政権で自民党に膝をつかせた…かに見えたら倒した側も膝が砕けて共倒れ、一瞬先に自民党がとんでもない反則で立ち上がり、どこからどう見ても自民党も崩れているのに野党がダメすぎてどちらも立てない泥仕合になり、気がついたらまるで巧妙きわまる寝技のように力を入れれば入れるほど、その力を逆用されて締め上げられる状態に思えるでしょう。

小林氏は初期は天皇、部落などのタブーと果敢に戦い、そして官僚悪玉論のキーとなった薬害エイズ事件で重要な役割を果たし、皮肉にもそのときの経験から“市民”に対する不信感を多くの人に伝え、その後新しい保守の論客として“社会の右傾化”の強力な推進者となりました。
タブー破壊、官僚悪玉論、市民不信、右傾化…どれも小泉首相の強力なエネルギー源です。

現在小林氏は保守派をもポチと切り捨て、小泉首相を厳しく批判しつつ反米を訴えていますが、それはなぜか中央政治には関係しないようです。
武装反米保守のうねりが出ないのは、小林氏の影響力が衰えているのでしょうか?
それともそれまでに社会を動かしたこと自体、単に社会が動く方向と主張がたまたま合っただけだからであり、反米保守のような社会が動く方向ではない主張はさほど社会を動かさない?
単に中央政治の特殊状況?

さて、今は両氏とも世論に対する影響力を失い、日本はまったく別の、彼らにとっては非常に不満な方向に進み始めているようです。
彼らは何かを間違えたのでしょうか?
どうしていればよかったのでしょうか?
歴史上しばしばある皮肉であり、歴史は人の力ではどうにもならない、命があるだけましだと思うべきでしょうか…

11

9.11テロは自作自演だ…などの、歴史を単純化する陰謀説はわかりやすい分、怖い誘惑です。
また、それは逆に、敵を大きくしすぎるために対抗できる希望をなくす可能性もあるのでは?

そして、9.11テロ自作自演説を信じないとしたら、それを信じている人の他の言論は信じていいでしょうか?
ベンジャミン=フルフォード氏ら結構重要な論客が信者なので、それを全部切っていいか迷います。

僕自身は、証明はできないことなのでどちらとも決めずに対応すべきだと思っています。意味がないです。
ただし、自作自演だとすると決定的な証拠が出た場合、リスクが高すぎるので90%以上は違うだろうとは思っています。
ただ、または何らかの群集の力で信じる勢力が支配的になる可能性も否定できません。その場合もまた、実際にはどうであっても関係ありません…真実であった場合と同じ事が起きます。

10

人に翼を与える技術があれば、与えるべきでしょうか?

何の比喩かというと、自由という視点で、人間をその固定観念から切り離し、よりレベルの高い人格になるよう強いることは、特にそれに高度な情報技術や遺伝子改良などを用いることは許されるのでしょうか?という比喩です。

遺伝子改良には多くの人は否定するでしょうが、義務教育の改善もそれになるのでは?
また、軍事教練や教会の学校などのように人格そのものの方向を誘導することは?
それも「翼を与える」に等しいのでしょうか、それとも単にくびきに慣れさせるだけ…場合によっては腕に銃を縫いこんで軍事用サイボーグにしてしまうのに等しいかもしれません。

9

再チャレンジといっても、肝心の企業が「専門学校で学んだだけのフリーター・ニート」に見向きもしない限りどうにもなりません。
起業・創造も、経営者の無限責任と連帯保証がある限り無謀というべきです。

ワークフェア…失業保険を手厚くするのではなく、何か勉強して再チャレンジするなら支援する、というのがイギリスなどのトレンドで、次期総理ほぼ確定の安倍氏が言う「再チャレンジ」というのはそれのようですが、特に日本の企業の人事課の姿勢が変わらない限り全く無意味ではないでしょうか。
企業はこれ以上正社員を背負う余裕などない…雇ったらグローバル競争に負けて潰れるだけ…ですし、正社員が欲しければまだ若い正社員経験者や新卒がいくらでもいます。

団塊ジュニアフリーター層は、もうそのことを知っています。
学ぶことの無意味さをいやというほど痛感しています。
起業も答えにはなりません…経営者無限責任と連帯保証がある限り地獄ですし、誰がちょっと勉強しただけのフリーター・ニートに資金を貸し、信用して取引するでしょう。
また、起業には何よりも社会の最低限のことをきちんと学んでおくことが必要なのです…フリーター・ニート層にないのはまさにそれ、社会の最低限と信用なのです。
で、勉強、起業ともに希望の道ではないと理解してしまい、チャレンジという言葉自体にそっぽを向いている者が多いです。
逆に若者がチャレンジという言葉にすがり、国がいくらラッパを吹いても企業側はそっぽを向いています。

ではどうすればいいのでしょうか?
このまま彼らが三十代後半から四十になり、アルバイトさえなくなった時に何百万人も生活保護を抱え込むのでしょうか?
さらに、家族も財産もないまま彼らが老いたら?

僕の構想はベーシックインカムまたは配給で最低限の生存は保障し、代わりに老人介護や地域パトロール、育児・家事補助などの地域奉仕と、国内から世界へ植林やゴミ分別などの環境奉仕、そして就職の役には立たなくとも一応さまざまな勉強を義務付けます。
それを拒否するなら生存最低限はあるけれど、電話もインターネットも、ネットを通じて供給される音楽や映画、テレビなども取り上げるということにすれば…逆に上記の奉仕をちゃんとやっていれば電話・インターネットなどが無料になり、レンタルビデオのクーポンも得られるということでもあります。

目的は団塊ジュニア下層を団塊の介護に使い、また文明自体を持続可能文明に転換するためのシステムです。
最大の問題は財源、国家予算ですが…国債残高には目をつぶるしかないのでは…もし国が破綻しても配給制だけは維持するから誰も餓死はしない、ということで。

そうでなければ結局、団塊ジュニアは見捨てて移民労働力やロボットに団塊を介護させるか、または団塊も団塊ジュニアも捨てるかということになります。
現実にはそうなるかもしれませんね…悪いタイミングで国家破産が起き、国を再建できなかった場合。

さて、他にいいビジョンはあるでしょうか?

8

もし地球とは逆に自転している星に人類が入植したら、東はどちらでしょう。

地球と同じでしょうか?
それとも朝の方向が東でしょうか?

他にも自転・公転周期や重力係数が違ったら…ま、そういうことはSFで散々検討されていますね。
ただ、SFの多くはすぐに冒険小説路線に行ってしまい、そこでの「生活」をじっくり描くことは少ないのですが。

7

ご無事で何より。

そして色々面倒になるかもしれませんが、希望ととらえたほうがよさそうです。
少なくとも天意は無かったようですね。

6

さあて…男女どちらかより、とにかく母子ともご無事で。
女子であったとしても、無事でさえあれば次があります…次を期待するのは過酷に過ぎましょうが。

(万一でなく)二一女子であったとしたら、いいかげん天意を疑ったほうがいいかも…昭和天皇御自身が男系皇統を断つと決めたか、または人ではなく本当に天がそう決めたか。

ちなみに言霊を根拠にした抗議は一切受け付けません。僕は骨の髄から言霊思想が嫌いなので。

5

二十一世紀中に、十億単位の大量死(ギガデス)は不可避でしょうか。
それを回避するには、どのような戦略が必要でしょうか。

なぜギガデスの予測と予防が国際的に大きなテーマになっていないのでしょうか。

4

農業、特に基礎になる穀物生産は人類にとって死活的に重要なのに、何か違和感があります。
先進国で生産量は圧倒的に多いのに人口比、GDP比が減少しています…なぜその大きな重要性が低下しているのでしょう。
そのことに、なぜ多くの人が関心を持っていないのでしょう。

今の、自民党の総裁選や民主党の代表戦で食料自給率や農林業についてのビジョンがあまり見られないのは?

何より、これからの百年どうやって百億を食わせていくのか、はっきりしたビジョンがどこにもないのは?

3

レゴブロックを、より個々の部品を大きく、結合の自由度を高く、素材自体を頑丈に作って家具にしたら実にいろいろなものができるのでは?
いや、家そのものを大きなレゴブロックで作ってしまったら?

それとも二乗三乗側で、レゴブロックの軽さと頑丈さはあの大きさでなければありえないのでしょうか?

2

結局…アメリカチームはいくらプロを集めても、世界で優勝することはできないのでしょうか?
負け慣れが出てしまうことで、NBAの威信が低下して戦犯探しの悪循環に陥るのが怖いです。
単純に世界のバスケ自体が大きく進化した、それもNBAが世界に開かれているからだ、と喜ぶべきですが、こう負けがたび重なるとそうもいっていられなくなるかも…

次回や次のオリンピックはどうなることやら。いい加減プロをやめてアマチュアだけで…というのも初めから負ける言い訳をしているような気もします。

1

特に途上国は軍事費に金をつぎ込んで国民を貧困と飢餓のままに、とよく批判されます。

でもおかしくはないですか?
本当に軍事的に強くなりたければ、一番賢明な道は富国強兵です。
近代産業を育てて大国の国策に左右されず、自力で近代兵器を生産できるよう努力する道を選ぶ独裁者はいないのでしょうか?
いや、もし近代兵器を買うとしても、貧乏なのに高価な兵器を買ってもっと貧乏になるのは愚かで、今は安い兵器で我慢して金持ちになることを優先し、金持ちになってから高価な兵器を買うほうがずっといいはずです。
経済大国になってから重武装化すれば無敵では?

また国民を教育し、食料も保健も充実させて健康な壮丁を多く育てる努力はしないのでしょうか?
教育は近代産業を育てる上でも、またハイテク兵器を操る優れた将兵を育てるためにも絶対に必要です。

さらに本当に軍事的に強くあるには、情報と外交も必須です。
敵を知り己を知り、また戦わずして勝つを上として、経済力と外交力をつけて周囲の潜在敵国も関係のある大国も巧みに操縦すればいいのです。
もちろんそれには強い軍事力も必要ですが、その強い軍事力は強い経済力の基礎があって始めて機能するものです。

賢明な軍国主義はなぜ見られないのか…単純に、明治時代の日本やドイツはともかく現在のがちがちに固まった世界体制では富国強兵をしようにも経済を強化すること自体が許されないからでしょうか?
あ、成長著しいアジアの開発独裁各国はそうかもしれません。
地域ごとに政治文化自体が違う、と?