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31

精神医学の治療は本人の同意がなければできないし、本人の治す意思がなければ効果はない…
本当にそうでしょうか?

向精神薬は病気の種類によっては相当発達しています。
それは本人の同意がなくても効果はあるのでは?

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全国民の指紋・DNAデータベース、国民総背番号制は人権侵害になると反対されています。
でもどうしてでしょう。
なぜ指紋やDNA情報などを握られたくないのでしょう。

それを利用して反体制運動家に冤罪を仕掛ける、というのなら、別にそんなものがなくてもいつでも冤罪を仕掛けることはできます。
それをいうなら盗聴法に反対するのもおかしい…盗聴法を悪用するほどひどい政府なら、法律上禁じられていようとかまわず盗聴をするはずです。

警察や自衛隊など国家権力は、法律だけは守るという仮定がないでしょうか?
とことん国家権力が悪なら、法律制度がどうだろうとひどいことには違いがないはずです。
いや、それどころかいつ警察・自衛隊が「もう法律も憲法もやめた、ただ命令に従え」というかわからないのです。
それに備えるなら、そうなった警察・自衛隊を国民が打倒できるレベルの武装と訓練を国民全体に与えるべきです。
または世界の、国家ではなく世界人民の総意で日本の民主主義が失われたと判断されたら日本を核攻撃するシステムを作ってもいいでしょう。

実際には、指紋・DNAデータベースが完備し、全ての携帯電話に緊急キー一つで位置・画像・音声を定められた緊急センターに送信でき、また持ち主の脈が止まっても緊急センターに知らせてその周辺の携帯電話の持ち主をピックアップするシステムがあれば、行きずりの犯罪はきわめて難しくなります。
本質的にはGPS・カメラ・マイクがついた携帯電話を皆が本当に使いこなせば、行きずりの犯罪はほぼ不可能になるはずです。
そういう社会は犯罪の恐怖からの自由も相当達成しており、また冤罪の可能性も現状よりは少なくていい、人権面ではより望ましい社会では?

「指紋・DNA・国民総背番号・携帯GPSによって国に把握されない権利」が理屈ぬきに侵してはならない基本的人権の一つなのでしょうか?
ならば戸籍も、基本的人権を本来は侵しているのでしょうか?

まあ問題は、多くの犯罪は顔見知りや家族間…という問題ですが、壁を破って監視・逮捕できるのは警察か市民か、それともいかなる被害も無視して家庭のプライバシーと民事不介入を聖域化するか、「監視する側も監視されている」リトルブラザーズのネットワークか……『1984年』は、虐待されている子にとっては(ビッグブラザーは邪悪だから児童虐待など放置する、という反論はともかく)希望の妄想では?

29

死刑廃止論者に対し、死刑温存論者は家族を殺され、犯人の死刑を望んでいる本村洋氏の目を見ていってみろ、といいます。
逆に死刑温存論者に対し、死刑廃止論者は冤罪で死刑にされかけた免田栄氏の目を見ていってみろ、といいます。

ではその二人と同席したら、なんといえばいいのでしょう。
僕には、「人間なんてみんな地獄に落ちちまえ!」と叫ぶほかできないでしょう。

そしてその二人は、互いの目を見ることができるでしょうか。どちらかが持論を変えるでしょうか。

一方の立場に立ってしまうともう一方を忘れてしまう…どちらもそうなっています。
感情ではなく理性に立ち、両方を満足させることはできるでしょうか。

28

被害者遺族に死刑廃止論を面と向かって言えるか…という意見があります。

それゆえに死刑が廃止できないのなら、なぜ多くの国が死刑を廃止したのでしょう。
死刑を廃止した多くの国に、凶悪犯罪に家族を奪われた人はいなかったのでしょうか?
その遺族達はどのように口を封じられ、死刑廃止に合意させられたのでしょう。

27

今ある刑務所を目的別に、

社会復帰
従来どおり、またはより理想的な更正刑務所。

福祉の最終引き受け所
現在も刑務所の外に居場所がない精神・身体障害者でもある累犯者は多数いるそうです。
そのような人々には刑務所の無茶な規律は必要ないでしょう…
その人たちの生存権の確保は、あくまで別の場で行われるべきです。
今後、引きこもり状態の人々の親が死んでいったらますますその必要性は増すでしょう…百万を自殺・餓死させ、より多くの貧困層が社会を根底から破壊する、という最悪の選択をしないならば。

別のどこか
「この社会」に順応させるのは無理、またはコストがかかりすぎる、本人が本質的に希望していない場合、「この社会」ではなく別の場を作ってそこで一生過ごさせるほうがいいのでは?
ずっと独房だけど酒・タバコ・ポルノ・運動・入浴など全体に自由、または自然の中での労働生活などが考えられます。

安楽死
人生そのものに耐えられない、生まれてこなかったほうが本人のためによかった人。
そんな人はいない、というのが現代の、「許容されるいい言論」においては当然の前提とされていますが、本当にそうでしょうか?
どうしても生に耐えられない人、生きていくだけで自分も苦しみ、社会にも悲劇を与えるだけの人には…酒の蛇口があり麻薬も使い放題の独房、将来技術として脳直結コンピューターからの無限永久快楽など、実質的に安楽死を必要とする人はいるのでは。
また長期囚は皆最初に一年間、右手側の壁は酒の蛇口と使い放題の最高品質の麻薬、左手側の壁は水の蛇口、本・運動器具を選べる独房に閉じ込め、梁からは首吊り縄を下げておいて楽な死と社会復帰を選ばせればどうでしょう。

の四つに分けたほうがいいのでは?

問題は、それを分けるために必要な「相手の本質を知る」ことです。
それが不可能だから、徹底的に画一的に扱う現行の刑務所制度しかないのでしょうか?

26

まったくのゼロから警察・刑事裁判・刑罰のシステムを考えるなら?

捜査段階では、全員の指紋・DNAデータベースと、十分に研究して発達した嘘発見器があれば、人権侵害はかえって少なくなると思います。

刑罰についても、死刑以前に懲役と罰金の現在の制度が本当に最善でしょうか。
他に現在の技術と社会でできる刑罰は考えられないでしょうか?

たとえば後遺症の一切ない純粋な苦痛は?
また、単純に犯罪事実と実名と写真を全国にマスメディアを通じて公表するだけでも、刑罰に匹敵する打撃になるでしょう。
また刺青はどうでしょうか。

また、精神医学が非常に未熟な学問なのはわかっていますが、医学的な処置はできないのでしょうか。
死刑以上に残酷な刑罰として、善人になる薬と手術は?
自分の犯した犯行を映像などで再現し、繰り返し繰り返し見せつけるのはどうでしょう。

酒の蛇口があり、麻薬も使い放題の独房で飲んで死ぬか我慢して生きるか選ばせるのは?

25

太陽光・風力発電は本当に機能しないのでしょうか。

思考実験として、石油・石炭・天然ガス・ウランがまったく出ない、砂漠と海ばかりの地域に何平方キロもの高効率太陽電池と多数の風力発電機を持っていってみましょう。
サービスとして最初の海水淡水化プラント、そして近くに鉄・アルミ・水銀・銅・チタン・粘土・石灰石・珪砂・燐・カリウムなどの良質な鉱山もつけます。
もちろん多数の労働者・技師も必要ですね。

そこで、せめて自分自身…太陽電池・風力発電機・海水淡水化プラント・送り込まれる労働者と同数の教育を受けた人間を「複製」できるでしょうか?
石油化学文明との貿易なしで…はきついかもしれないので、輸出は畜産物と燃料に限ってフェアな貿易があっていいでしょうか。
石油文明も水源なしで自立しているわけではないので、良質の水源も必要でしょうか?

鉄は電力を用い、水素で還元すればできます。さらにその鉄を利用して各種…太陽電池工場・風力発電所工場を作れるでしょうか。
また海水淡水化プラントの淡水を利用して砂漠を緑化し、農場を作って食糧を生産し、その食料で最初の労働者・技師を養い、子供を産ませ、教育して育てることは?
肥料も、空中窒素固定工場を作ることはできるでしょうか?

石油の恩恵にまったく接することなくそれができるのであれば、一つ作れば砂漠沿岸に指数関数的に増やすことができるはずです。
もちろん子供が育つのを待つことはない、人は外からどんどん余剰労働者を入れてもいいのです。

逆に、油田と高山と良質の水源があれば、すぐにあらゆる工場を…いや、天然資源は十分あるのに工業化が遅れている地域はいくつもあります。
全体としてあまりいい比喩ではなかったようです。

24

「風力発電・太陽光発電は、物理法則のレベルで近代工業社会を支える一次エネルギー源には決してならない。
設備を作り、維持し、廃棄するのに必要な石油で火力発電をしたほうが石油の節約になる。

代替エネルギーなど存在しない、石油(化石燃料)だけが圧倒的に効率が高く、石油がなくなれば近代工業社会もありえない」

という命題が真か偽か、世界中の英知を集めてきっちりと検証して欲しいものです。

23

代案を出さない人たち、「ではどうすればいいか」を言わない人たちがいます。

死刑廃止論者は、被害者の心を癒す、また加害者が二度と罪を犯さないようにする現実的なコストで可能な方法を提言したことがあるでしょうか?
現在の日本社会において、死刑がどんな機能を果たしているかを検討せずに死刑を廃止するのは機能を知らない臓器を切除するのと同じではないでしょうか。
本当に機能していないことを証明するか、同等の能力を持つ人工臓器を移植するかしないでその臓器を切除するのは正しくないでしょう。

日本ではネットのアマチュアを含め政治批評家の多くは元々反自民であり、その大半が民主党も批判しています。かといって堂々と社民党や共産党を応援する者は比較的少数であり、圧倒的多数は全既成政党と、日本国民自体を全否定しています。
でもそれでは、次の選挙でどうしろというのでしょう。
そして日本はどうなればいいのでしょう…社民・共産の単独多数はありえないのです。そして民主党がつぶれれば、少なくとも一時は自民党の一党独裁になってしまうのです。
さらに言えば、そういう人の中には「代案を求める」ことにさえ否定的な人もいます。民主党の対案路線に対する批判が変な方向に発展してしまったようですが、「ではどうする」を否定したひたすらなNoはヒトラーにとってしごく心地いいものではないでしょうか。

そして最近、リサイクルはかえって環境に悪い、温暖化の心配はない、また風力・太陽光発電は石油の無駄に過ぎない…という意見も見ます。
その主張一つ一つにはかなりの説得力があります。またクライトン・ロンボルグらが指摘したように、環境保護論者が恐怖をあおるために嘘をついていることもあるでしょう。
でも、彼らはこれからの文明をどうすればいいかは言いません。
このまま好き勝手に石油を使って大量生産大量消費文明を、あっという間に百億に達するであろう人口で続けてもいいのでしょうか?
そして本当に石油が尽きたときにどうすればいいのでしょう…そのときは人類の大半が死ぬだろうが、それは自業自得で絶対避けられないからあきらめろ、でしょうか?
最大限彼らの言うようにうまくいったとして、百年後二百年後の人類文明の有様はどうでしょう。

僕自身はそれぞれについて…

死刑については僕も、できれば廃止したいです。
ただ、そのためには被害者のケア・犯罪の予防・監視システム・個人の自己防衛権・武装権の拡大・冤罪防止・犯人の更正などについて革命的に見直さなければならないと思っています。
刑務所行政自体を管理・更正から治療の側に傾け、同時に基礎精神医学に膨大な投資を行って安全だと保証できない限り世に出さないぐらいに。
また義務教育に予防精神医学を深く関わらせ、危険な人間を早期発見早期治療できるように。

日本の政治については、あくまで民主党に政権交代して政界再編を狙うか、それとも民主党以外好き勝手に投票して民主党を潰して自民党一党独裁体制を作り、それが分裂して政界が再編されることに賭けるか、どちらにしても危険な賭けで揺れています。

環境について、きちんと検討することは必要だと思っています。
しかし、最悪も考えたほうがいいでしょう…もし温暖化が明白にかなりひどいことになり、しかも石油も枯渇した場合でも、人類の大半が死ぬ事態を避ける方法を考えておくべきです。
さらに本当に風力・太陽光発電が機能しなくても、それでも誰も飢え死にしないように…ぐらい考えたほうがいいでしょう。

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環境を軸に未来ビジョンを考えると…

21

ロボット・コンピューターがある水準を越えると、富裕層にとって貧困層の労働者・兵士は必要なくなります。
そのときに、ロボット兵士による貧困層の皆殺しは起きるのでしょうか?

それは避けられないでしょうか。
それとも、ロボットやコンピューターはその水準には至らないから大丈夫だ、と信じたほうがいいでしょうか?

また、そのロボット兵士を従えた富裕層と貧困層の全面戦争は確実に富裕層の勝ちでしょうか?
貧困層が勝ってしまう可能性はまったくないでしょうか?

そして…ロボットやコンピューターが進歩しても、富裕層と貧困層が共存することは不可能でしょうか?

また、バイオエタノールはかえって環境を破壊するものです。
食べる食料だけでなくエネルギーをバイオエタノールでやる、としたら現在よりはるかに多くの農地が必要で、原生林を破壊するほかないですし、全てを破壊しつくしても全人類が肉を食べ、バイオエタノールで車に乗るのは無理でしょう。
にもかかわらずバイオエタノールが普及しつつあるのも、やはり世界人口の多くを削減する予定があるからでしょうか…バイオエタノールは、人類の九割を殺してからなら最適解です。
それともろくに何も考えていない、政治的な…農民の票が動いているだけでしょうか?

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ひょっとしたら、新自由主義を主導している富裕層は、自己の地位だけでなく環境を維持するためあえて世界全体での格差拡大を、その結果としての経済停滞は承知で狙っているのかもしれません。

極端な貧富の差が定着し、現在の世界人口の大半を生存ぎりぎりに追い込めば、世界全体の資源消費・環境破壊・二酸化炭素放出が減る、と。
そのほうが武力でガス室に追い込んだり天然痘をばらまいたりするよりずっと人道的…でしょうか?

それ以前に機能するでしょうか?
極貧は人口増・家畜増につながり、環境破壊を招いているとのことですが。

19

新自由主義の目的が、単に富裕層が富と権力を取り戻し、独占するためだとしたら、それはどこに向かうでしょう。
富裕層の理想はどんな世界でしょうか?

完全に自由、実質的には完全な独占…
少数の貴族と大多数の奴隷?

それとも貧困層もほとんどは殺して、優秀な奴隷と機械だけ?

それとも圧倒的な格差を身分に変え、現在の自由主義から中世のような世界に切り替えるのが理想でしょうか?さらに遺伝子改造・身体改造でまったく別の種にして?

でも、一般には、豊かな人が多いほど経済成長もあり、また全体が豊かになるものですが…
といっても今は「格差が広がりながら経済成長が進む」状態も世界中で多く見られますね。
それは嘘の経済成長なのでしょうか?
それとも世界全体で、非常に大きな目で見れば格差は縮小しているのでしょうか…途上国の何十億もの極貧層の一部がほんのわずかに豊かになることによって?

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そろそろこの株価は、ここ数年心配されてきたアメリカの住宅バブルが崩れたということでしょうか。
そして原油高を背景に、世界経済全体が悪くなるでしょうか。

17

こう暑いと、こんな店があればと妄想してしまいます…冷たい麦茶とよく冷えたスイカの大玉八分の一が五百円程度で出てくる店。
他にも様々な果物が、八百屋に近い価格で出てくれば最高です。

ファミレスや喫茶店での果物は非常に高級なデザートという感覚で、クリームなどで飾り立てられ量も少なくスーパー店頭価格から見て席料を考えても桁外れに高価です。

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最もエネルギーが少なくて済む建材は何でしょう。
建材はどれもエネルギーを消費します。

日干しレンガはどこにでもただで注ぐ太陽光だけですから、一番少ないエネルギー消費ですむでしょうか?

焼きレンガは木材の燃焼エネルギーを消費し、結果中東を砂漠にしました。
木材もまた、それを燃やして得られるエネルギーを考えれば潜在的なエネルギーを消費しています。
船材・金属精錬・焼きレンガ・生活燃料のほうが大きいかもしれませんが。

石材は切り出し、運搬、特に焼き漆喰を使う場合の接合にかなりのエネルギーを使いますが、それ自体を作るのにエネルギーを使ってはいません。

セメント・コンクリート・ガラスは膨大な燃料を使っています。
金属も採掘・精錬・加工にものすごいエネルギーを使います。特にアルミは電気の缶詰とも言われます。

やや原始的な泥、家畜の糞、ヤシなどの葉、皮革はほとんどエネルギーを消費しません。

木造土壁は全体にかなりエネルギーを使わない方法のようですね。

現実にはそれを用いる文化圏はないですが、穴を掘って粘土を塗って木材で補強したり、木の上に恒久的なテントを張ったりするのはどの程度エネルギーを消費するのでしょう。

15

太平洋戦争の真のA級戦犯は東條英機でも昭和天皇陛下でもなく、「世間」です。
東條首相も天皇陛下も、その「世間」の命令に流される駒にすぎませんでした…自覚の有無はともかく、いやどちらもおそらく自覚していたでしょうが。

でも「世間」は法廷に呼ばれることもなく、絞首刑になることもなく、非難されることもなく、反省することもありません。もちろん民主選挙で選ばれ落とされることもなく、政変や汚職によって首になることもなく、科学雑誌の論文のように査読されることもありません。
天皇以上に「世間」は神聖にして侵すべからざるものなのです。
それは民主主義でも独裁でも変わりません…独裁者こそ民の支持を必要とします。

ドイツでも同様です。
本当の戦犯は世間です…ヒトラーは世間が起こした波につい乗ってしまって、自分が見えなくなりかつ降りることもできなくなっただけでしょう。
本当はニュルンベルク裁判でナチ幹部を処刑するのではなく、ヒトラーを選んだ総選挙の有権者全員鞭打ち十回が正しい罰だったのでは。

官僚機構も隣組や町内会長も軍内のいろいろな立場の人も特高警察も、それぞれ様々な形で「世間」を形成し、戦いました…けれどもそのどれでもない、本当に普通の人々も「世間」の一員です。

だから僕は、「世間」に少なくとも盲信、盲従はできない、むしろ憎んでさえいるのです。
少なくとも「世間」に対する疑いは持ち続けていたいのです。
それが、あの戦争から僕が得た最大の教訓です。

14

死を防ぐためにかけられているコストは、死因別に非常に不均等です。

殺人・ガンなどには非常に大きなコストをかけています。
交通事故、世界全体で見れば餓死、マラリア、エイズなどにはたいしたコストはかけていません。

というか…「その人が死ぬのを防ぐためにいくら使われるか」が、その人の命の価値といえるのでは?
そしてそれは、信じられないぐらいに差があるのでは…特に世界全体では?
それに差があるべきではないでしょうか?それともどんなに差があってもいいのでしょうか?

13

いつも渋滞している都心の道路と、屋根があり、かなり速く動く歩道、またはスキー場のリフトのようでかなりの荷物も積めるシステムのどちらが速くエネルギー消費が少ないでしょう。
中に行くにつれて速くなる動く歩道はどうでしょう?

また、帰省ラッシュに関していえば、車ごと乗れる船や列車がもっとあれば、渋滞のストレスも化石燃料消費もかなり軽減できるのでは?

今いろいろあって原油価格が上昇し、ガソリンがものすごく高くなっていますが、それはフェリーや鉄道を利用する圧力にはまだなってはいないのでしょうか?
または旅行そのものをやめさせる力には?

本当にこのままどんどん原油価格が上昇したらどうなるでしょう。

12

西洋の大航海時代・産業革命がなかったら、中国・日本・イスラム・アメリカ先住民の文明は百年後、千年後にはどうなっていたでしょう。

日本は大航海時代の影響がなかったら鉄砲が入らないため、織田信長の勃興自体が微妙に違っていた可能性すらあります。

11

PCBなど厄介な化学物質の処理法として、

  1. 砂漠の真ん中の巨大露天掘り跡に、地下水脈からはできるだけ隔離して大量にぶちこむ

  2. 家畜の糞尿をもっと大量にぶちこんで混ぜる

  3. 乾ききらないよう、たまに水や糞尿を加え続ける

  4. たまに微生物の種類を増やすため、世界中の熱帯雨林や湿地などから泥を取ってきて放りこむ。そのままの微生物を生かすため、取ってすぐに液体窒素で急速冷却し、そのまま冷やして持ってくること。

そのまま百年も続ければ、炭素と水素と酸素と窒素と…と生物と共通する元素からできた分子ならば、いつかは分解する微生物が進化するでしょう。
本当に天文学的な数と種類の微生物が、天文学的に世代を重ねるのですから。

まあそれをいうなら、都会のゴミ捨て場からあらゆる石油化学製品を食い尽くすカビが生まれないのが不思議です。
また六十数億の人類からオプティックブラストはともかくとんでもない天才や怪物が生まれないことも。
そしてその六十数億それぞれの体内に何百億と細菌がいるし、人類の多くが、もちろん一頭一頭がこれまた数百億の腸内細菌を持つ家畜と接しているのに、その中から人類を滅ぼすようなものすごい病原菌がしょっちゅう生まれないのも不思議です。

10

人間には、「知」を求める部分と「知」に反発する部分がともにあります。
そして圧倒的に、「知」に反発する部分が強いです。

知、考えること、他人や指導者や聖典と違う考え、単純に美しいもの…それらに対する強い憎しみがあり、その多くが宗教と強く結びつきます。

9

技術の進歩はもういらない、という意見もありますが、それをしようとしたら権力が自分達に都合のいいように技術体系を制御しようとする恐れもあるのでは?

実際に、その技術の抑制をするのは市民ではなく権力のはずです。
それは別々ではない、といっても同じことです。
そこまでの権力が存在していいのでしょうか?

また、身分別に利用できる技術が違う、という未来像もありえます。

8

普通の人は気にも留めない部分の技術革新が、もしあれば決定的に世界を変える力を持っています。

革命的な潤滑剤があれば、膨大なエネルギーや素材を節約できるのです。

パイプやホース、その継ぎ手にも革命的な進歩があれば、膨大な漏水・ガス漏れなどを防止できます…世界では水道の三割は漏れているとも言われます。
それどころか高速増殖炉が可能になり、一夜にしてエネルギーが事実上無限になるかもしれないのです。常温核融合にも等しいということではないでしょうか。

7

今後技術の大きな進歩はあるのでしょうか。

核融合は?

人間以上の人工知能は?人間の脳とコンピューターの直結は?
人間にできる仕事が全部可能なロボットは?

自己増殖性ナノマシンは?

遺伝子技術による革命的な農作物・不老不死・人格改造・人間強化などは?

宇宙開発は?
軌道エレベーターは?宇宙太陽光発電は?
有人火星探査は?月基地は?水星のダイソン球殻化は?

海洋・大深度地下などの開発は?砂漠緑化は?

「成長の限界」などの悲観的な未来予測は、技術の進歩を無視しているから無効でしょうか?
それとも核融合などは原理的に不可能、これ以上の技術の大きな進歩は決してありえないでしょうか?
『科学の終焉(ジョン・ホーガン)』は「技術の終焉」にもなるのでしょうか?

6

原爆投下に「しかたない」という言葉に怒りが集まりました。
では、原爆については人は理性的に考えるべきでしょうか、それとも感情のまま叫んでいればいいのでしょうか?

理性的に考えるにしても、どこから切り込めばいいのでしょう。

あと、アメリカにおいて「しかたない」発言と同様の論理は常識の域です。
それに対し、アメリカに対して「感情的な核廃絶派」もそうでない者も、どれぐらい何かを伝えているでしょうか?
今はせっかくインターネットがあり、アメリカ人にも…少し古い「ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ・ノーモアウオー・ノーモアヒバクシャ」であっても伝えることはできるはずなのに、伝えているでしょうか?
伝えているならなぜ、「しかたない」が今でもアメリカでは常識なのでしょう。

他にもアメリカには困った常識があります…すでに従軍慰安婦問題は「人権」という建国の理念と深く結びついた常識となっており、いくら「Fact」と叫んでも聞いてもらえない、逆効果にしかならない状況になっているそうです。
その「Fact」に耳を貸そうとしたら、アメリカ人の間でも村八分になるとか。

左右どちらも、アメリカに声を届かせるにはどうすればいいのでしょうか?
より深く英語とアメリカ文化を学べばいいのでしょうか?
もっと日本の歴史、日本語、日本文化を深く学べばいいのでしょうか?

それともアメリカに声を届かせることなど諦め、いや自分達で考えることもやめて「しかたない」とアメリカの言うままになるのが一番楽でしょうか?

5

これ以上進歩はいらない、これ以上科学技術が進歩し、人間の遺伝子改良などができるようになったら人間性が本質的に壊れてしまう、という意見もあります。

でもそれをいうならテレビ・電話・ラジオ・ゲームの時点でもう人間性は壊れてしまうのは避けられなかった、そこで理性を働かせてとどまるべきだったのでは?
いや…もっと以前で。

4

子供は現代の情報から隔離して育てるべきでしょうか?

365日24時間、テレビもインターネットも携帯電話もゲーム機も電話やラジオや雑誌も一般書店も決して触れることができないよう離島に隔離して育てなければならないでしょうし、それでもどこから毒は流れ込むかわかりません。現代情報に埋もれて生きている人間との接触自体厳禁する必要があるでしょう。
親とさえ、監視者の目が届かないところでの面会は許されないでしょうね。

全員生まれながらに情報から完全隔離し、現代にあふれる情報は悪なのだと洗脳しなければ、どこからでも毒は入りこむでしょう。

でも実際に、現代にあふれる情報…特にセックスと暴力は麻薬に他ならないとしたら、そこまでやる必要はありそうです。

3

自転車やバタフライナイフ同様、アニメーションもローテクで可能だったのでは?

パラパラマンガは昔からあったでしょうし、それを高速で見えるようにする工夫だけでいいのです。
のぞき窓からフィルム状に並べた絵を引っ張り、できればシャッターの引っ張るのと同期した高速開閉があれば、アニメの役割は十分果たすはずです。

それを言うならマンガも別にハイテクは必要としないはずなのですが…特に宗教を蛮族に宣教するのに、マンガはきわめて適した媒体です。

2

自由主義者は救貧は(税金でなく)富者の寄付、ボランティアで、と言います。

でも、それで足りているのでしょうか。
足りていなくても税金よりはましだ、というのなら、やはり大量の餓死、または社会の多数が希望のない状態に押し込められることさえも許容するのでしょうか。

1

やや大型(ゴーグルのようにつけたまま行動は無理)の、展望台の有料双眼鏡を無料にしたようにのぞきこむ形の超高画質ディスプレイと、きわめて高性能な5.1(または7.1)サラウンドヘッドフォンを組み合わせれば実質ホームシアターをどんな狭い部屋でも作れるのでは?

音楽・映像再生だけでなく、特にプレイステーション3はハイビジョンを前提にしたゲーム機であり、そのシステムに内蔵するか一本の線でつなげられればきわめてすばらしいゲームシステムになるでしょう。
安楽椅子とそれを一体化して作っても面白いでしょう。
そう考えれば(椅子なし、普通安楽椅子、マッサージ安楽椅子)と(音楽映像再生のみ、プレイステーション3一体、プレイステーション3・パソコン一体)の九通りの組み合わせが考えられますね。
一人用ですからパーソナルシアターといったほうがいいでしょうか。

一人でしか観られないのは欠点にも感じますが、サラウンドは本質的に完全なのは一人だけです。
また、ホームシアターは一人で利用するのと多人数で利用するのと、どちらが多いでしょうか?
そして設置面積とコスト、そして大音量でも近所・家族迷惑にならない、電気代も安くて済む、という大きなメリットもあります。
三メートルで100インチハイビジョン、5.1サラウンドのホームシアターにはどれぐらいかかるでしょう…百万円では多分無理ですし、六畳では狭いでしょう。
上記のパーソナルシアターでよほどのマニア以外は満足できる、全部80点は取れるレベルのシステムを作れればどうでしょう…初期は技術開発の蓄積がなく高価になるかもしれませんが、最終的には十万円台まで下がってもおかしくはないでしょう。そうなったらどれだけコストパフォーマンスに差があるでしょうか?
そして面積は安楽椅子つきでも三畳もいらないのです。

のぞきこむディスプレイで、三メートル先の大型ハイビジョンディスプレイと区別がつかないものと、80点は取れる5.1サラウンドヘッドホンはどちらも原理的なレベルで実現不可能でしょうか?