枕元の計算用紙

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学校体育などのスポーツテストは本質的に、車で言えばエンジン出力を競うものです。
手足のより強い筋力が求められます。

もちろんそれも重要です。特に走力、運動を続けられる能力は重要です。
しかし、力をどれだけうまく使えているか、自分の体をどれだけうまくコントロールできているかも重要では?
サスケやバーチャルアクションゲームでの能力は、スポーツテストで計れるでしょうか?

もっとバランス感覚、体の協調を重視して、たとえば泳ぎ、平均台や飛び石跳びなど、ピルエットなどダンスのごく基礎的な動作、掌底や肘や蹴りの打撃やタックルなど格闘の基本、棒やロープの昇り降りなどを追加したらどうなるでしょう?
また柔軟性ももっと高い得点をつけるべきです。

集団球技では協調性やリーダーシップ、視野の広さや判断力が重要になってくるでしょうね。
それも広義の運動能力といっていいのでしょうか?

29

アクションゲームを体験できるアミューズメントがあれば面白いのでは?
激しい運動でもある贅沢なゲームとして。

広い場を用いていいなら実際に迷宮を作り、そこを実際に動きやすくそれらしい服装、再現した剣、盾、弓矢などを持って歩き回り、実際に剣で外側は切っても大丈夫で機関部は衝撃からも保護されたロボットや…やや子供だましでよければロープの先についた人形のようなものを切り、軟式ボールなどによる攻撃をよける、というのがあれば非常に面白いのでは?
槍や斧、パチンコや弓矢など、色々な武器を入手、選択できたほうが面白いでしょう。
子供には子供向けコースもあり、カップル希望の場合は女子の体力が弱ければ魔法と弓でもプレイできるとか。
さらに下を水とクッションで安全にした上で、ロープを上り下りするなどアクション要素を高めてもいいでしょう。
狭い場しかなければ、剣でこちらはそれほど動かず飛んでくるさまざまなものを切り落とす、というのも楽しいでしょうね。

ゴルフのコースと練習場のように、まず室内で専門のインストラクターの指導で剣や弓を使えるように練習し、それから実戦の迷宮にチャレンジする、とするほうがいいでしょう。
特に日本刀、いや西洋式でも刃のある刀剣を使う場合には抜刀納刀はそれ自体技術がないと怪我をしますし。

他にも野外で、走り回りながらロボットの恐竜をレーザーで当たり判定を出す銃で狩る、というのも面白そうです。
技術によってはランニングマシンとウェアラブルパソコンの組み合わせで、バーチャルにそれを再現することもできるでしょう。

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テレビで人気のフィールドアスレチックを強化した「サスケ」「クノイチ」という競技に向いた既存のスポーツは何でしょう。
野球選手やサッカー選手には難しそうです。

27

人間を含め、あらゆる動物は生殖器と消化器が主であり、手足も脳も循環・呼吸器も、全てはその付属物にすぎません。

そのことを忘れていないでしょうか?
特に将来技術が進歩すれば、脳だけ培養してコンピューターにつなげばいい、と思っている人も多いのでは?

そして人間の消化器は、どれほど精巧な機械なのでしょう。
肝臓もそうですが、胃腸も。

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造反議員の復党問題が話題になっていますが、なぜ彼らは民主党に協力して今の、(彼らの心情からいえば)悪魔にハイジャックされた自民党を打倒する、という選択肢を考えないのでしょう。

本当に自分こそが国民のためを思って政治をしてきた。
国民のため、今の悪魔にハイジャックされた自公政権が続くことだけは阻止しなければならない。
民主党は頼りにならないのはわかるが、自分が協力する以上国を売るようなことはさせない。
そして自民党をハイジャックした悪魔たちを政治から追放したら、それからは真の政界再編で、自分たちが真の保守として自民党を再生してみせる…
なぜそう言えないのでしょう。
他にも小泉前首相の活動から自民党を追われた政治家は多いです。
本当に小泉〜安倍路線を何としても打倒したい、という勢力が全部団結すれば、なんとかなるのでは?

やはり、結果的にあまりに広い共闘はどちらにとっても致命傷になるのでしょうか…非武装中立護憲と核武装容認が同じ側にいる、ということは。
しかし、だからといって野党同士の潰しあいは与党を利するだけです…

実際民主党はどうすればいいのやら。
自民党の右側に純化する、自民党のやや左の第三の道から欧州型社民を目指して純化する、あえて護憲まで左傾化して社民・共産・マスコミも取り込む、反自公なら無節操に全部糾合する、のどの道を選んでも勝てない状態です。
詰んでいるようにさえ見えます。

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人間と家畜や作物も、「利己的な遺伝子」の視点で言えば共生関係ですね。
いくつかの遺伝子の複合体として人間圏がある、という見方もできます。

24

緊急グッズは普段使え、使っているもののほうがよいでしょう。

例えばよくあるラジオと懐中電灯を一体化したものより、普段から枕元にラジオと懐中電灯を置いておき、電池の予備だけ貼り付けておけば普段使っている分使いやすいはずです。

その点カセットコンロは非常に優秀ですね、いつも使え、いざというとき使えます。

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日本では、多くの家にミキサーがある割にあまり使われていないのでは。
まあ炊飯器や電子レンジ、オーブンレンジも、その機能の十分の一も使われていないでしょう。
どれもその気になれば実にいろいろなことができるはずなのに。

反面、家でちゃんと食事を作っていない家も多いようですね。
その場合、彼らに食事を作るところの見識が問われます。
外で、本当にちゃんとした食事ができるところがどれだけあるでしょうか?

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他にも科学的にはありうる調理具の形として、高密度集合住宅を前提に、大型ボイラーを中心に据えて蒸気だけを各戸に供給するシステムがあったとしたら?
さらに発電所を中心に非常に密度の高い都市を作って、その蒸気がガスのように各戸に供給される、という形も想像できます。
例えば船では機関から出る蒸気を、風呂を沸かすなど実に多様に使っています。

蒸気でできる料理は「蒸す」に限られるようですが、鍋を間接的に加熱してご飯や味噌汁を炊くこともできるでしょう。
ご飯と味噌汁ができ、それにいろいろ蒸すことができれば、戦後の貧困を前提にすれば十分では?

また最近は、高温高圧の蒸気で脂を落としながら焼くことができる調理具が売れています。
蒸気自体の取り扱いに多少危険はありますが、火よりも安全です…少なくとも火事の危険はありません。

また、各戸に蒸気を供給すれば、暖房も非常に効率的で安全なものになります。
掃除でも、蒸気クリーナーがあるようにとても利用価値は高いです。

工場では電気同様に高圧空気が流れる…吹き飛ばして掃除をしたり、その風の力で電動と同じようにドライバーを動かしたりできる…パイプラインもありますし、流れるのはガスと電気と水道だけとは限りません。

火力・原子力発電所の近くならば、熱湯を無制限に供給するシステムもありえるのです。

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もしガスコンロが、圧力鍋とオーブンつくりつけが標準だったとして、魚をオーブンでうまく焼けるのでしょうか?

魚を焼くのに理想的なのは七輪の炭火といわれますが、ガスや電気を利用した場合のその理想的な発展形はどのようなものだったのでしょう。
現行のグリルが本当に最高だったのでしょうか?

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今の日本の家庭のシステムは最高だったと言い切れるでしょうか?

現在の台所には普通調理具としてグリル併設のガスコンロ(現在は電気も普及?)、電気炊飯器、オーブンレンジ、トースター、熱湯ポットがあります。
ですがもし高度成長期に、電気またはガスに直結した、内部を二段重ねにできる大容量の圧力鍋が発売されていたら?

圧力鍋は短時間でご飯を炊くことができます。単純加熱の電気炊飯器以上に早いです。
スピードが重んじられる戦後高度成長期では、それは大きな魅力になりえました。

もちろん省エネ効果もあり、それは石油ショック後には、特に税制優遇などの後押しもあれば非常に大きな魅力となったはずです。
保温調理器に内鍋を移す形か保温壁が内蔵されていれば、さらに省エネ効果は大きくなります。
また大きめの圧力鍋の内部が二段重ねになっていて、もう一つ内鍋を使えれば、それでおかずを作ることもできます。
当時多かった非常に狭い家では、スペースを食うガスコンロの必要がなく火事の心配もなしに、たとえばカレーライスなど完結した食事がとれる二段電気圧力鍋があれば非常に重宝されたでしょう。

実際には日本人はご飯、味噌汁、焼き魚、漬物にこだわりがありました。そのご飯以外には圧力鍋が必要でないことは確かです…煮物、煮魚にはとても便利ですが。
ただし、戦後日本では洋風食事の動きも非常に強いものがありました。
それもうまく宣伝していれば家電化した圧力鍋の普及につながったはず…確かに肉料理は普及しましたが、日本ではスライスした肉を素早く煮る、焼く、炒めるなどが主でした。
欧米ではかたまり肉をオーブンで焼く、大鍋でじっくり煮込むなどの調理法が伝統的に好まれます。
そこで適切な宣伝があったら?特にテレビドラマなどにスーパーマーケットを巻き込んで、欧米での「本物の洋食」は肉、芋、根菜などをじっくり煮た料理だ、しかもこの二段圧力鍋ならそれがご飯といっしょにあっというまにできる、と宣伝しておけば?
また肉が高いときは(その頃はまだまだ肉は贅沢)かわりに豆と根菜のシチューでも栄養はばっちりで、ポトフやチリコンカルネ、ソウルフードなど欧米のお袋の味にはそれが多くある、という宣伝も加わっていたら?

ほかにも、日本ではオーブンの普及が遅れてかわりにオーブントースターが普及しましたが、それももっと欧米の本当の食事はこうだ、と宣伝し、また安価なガスオーブンをつくる工夫をしていたら変わっていたかもしれません。
魚を焼くのもグリルではなく、そういうオーブンを使うように…ガスコンロにグリルではなくオーブンを併設するとか。
ガスコンロ自体にオーブンと圧力鍋が作りつけられていたら、ご飯+本格西洋料理にはとてつもなく便利だったでしょう。

もちろん業務用としても、圧力鍋に税制優遇や補助金をかけ、大々的に宣伝すれば、きわめて大きな省エネ効果となったはずです。
業務用炊飯専用としても、特にエネルギーの単価が高ければあっという間に元は取れたはずです。

ちなみに最近のインドでは、実際圧力鍋に内鍋を入れて二段にするのが普及しています。ご飯とダール(引き割り豆)のシチューを同時に作ることができ、それだけで伝統的な完結した食事となりますから。省エネ効果も大きいです。

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新書近刊の『若者はなぜ3年で辞めるのか?(城 繁幸) 』と『搾取される若者たち〜バイク便ライダーは見た!(阿部 真大) 』、ついでに『起業バカ(渡辺 仁)』をあわせると、もう若者は絶望するしかありません。

『若者は〜』では年功序列と成果主義の最悪の結合で構造的に若者に損をさせるだけの構造を解明し、一度しかない人生なのだからレールから降りろ、というのが結論でした。
しかしレールから降りて好きなことを仕事にしたら『バイク便ライダー』のように情熱を搾取されるのが落ちです。
起業したら『起業バカ』が示すようにほとんどは失敗して地獄を見るだけです。

もう何の希望もない、と座り込んで泣きじゃくるほかないでしょうか?特に千人に一人でない残り999人は?
誰もが、勝ち組も負け組もただ生きるためだけでも基準労働時間をはるかに越える労働を、しかも負け組は未来の希望もなくしなければならないのでしょうか?
それどころか負け組は将来、国が財政破綻したら餓死も覚悟しなければならないのでしょうか?

甘えるな、戦争にぶつかった世代はその時代に生まれただけで死なねばならなかったし、戦後復興でも皆それ以上に働いたのだ、これからの世代もそれぐらい働け、過労死やサービス残業やワーキングプアは当たり前なんだ、とにかく死ぬまで働いて無能な者は勝手に餓死しろ、と言い返されるでしょうか?

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マスコミ人を主に追いかけるマスコミがあれば面白そうです。

ハワード・ヒューズやハーラン・ポッターのようなマスコミ嫌いの大金持ちが出資して、大新聞社主から芸能レポーターまで、女関係から普段の食卓まで何もかも徹底的に。
殺人事件被害者の両親の家を囲んでいる報道陣にしつこくインタビューするのを、思い浮かべただけで溜飲が下がりませんか?

あと犯罪組織、暗黒街専門マスコミも面白そうですが、それは命がいくつあっても足りないでしょう。
宗教専門マスコミはもっと危険ですね。

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「愛国心はならず者の最後の逃げ道」なら、ならず者はどうすればいいのでしょう?

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教育基本法改正…は吹っ飛びました。
ブラジル政府がアマゾン川に大規模ダム!?

ふざけるなバカヤロウ!全世界をもうけても人類を滅ぼしたら意味がないだろ、というのが正直な第一声です。

アマゾンはあくまで地球の国立公園とするべきです。
もう開発してしまった、昔熱帯雨林だった低地は数年間マメ科緑肥で地力を回復させ、十分な降水量を生かして水田とし、米・アゾラ・魚の複合二期作をすべきです。
降水量が少ない地域ならば半分森に近いアグロフォレストリーでその地に適した作物を作るべきです。
それで十分食料は得られるはずです。

もちろんアスワンハイダムも中国の三峡ダムも狂気の沙汰ですよ…。

やめてくれるのならいくら石炭火力発電をしてもいい、浄化技術なら提供するし二酸化炭素排出権もあげるから、といいたいところです。

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一般的な剣と魔法ファンタジーにおける戦士の装備として、火器以前の鋼、皮革、木材を材料とするなら理想的なのはどんな装備でしょうか?
理想の装備は状況による、というのが答えですが、最もあらゆる場合に対応できるのは何か考えましょう。

攻防のバランスに優れるとされ、とても多く用いられるのは体には体力にもよりますがフルアーマー、右手に1mぐらいの両刃の直長剣、左腕に盾というパターンです。
しかし、この装備体系はヨーロッパの騎士という、世界的に見ればやや特異な武装文化圏のものです。
またヨーロッパの騎士も戦場の主役であった時期は決して長くありません。

日本でもそうですが、戦場の主役となる武器はまず弓などの飛び道具です。
特に軽装備で多数の乗り換え馬の機動力を活かし、短いけれど強力な弓を使うモンゴル騎兵の強さは際立っていました。
まあ飛び道具は集団の強みが出る武器ですから、ファンタジーによく見られる単独行動ではそれほど強くなかったかもしれませんが。
それでもやはり戦士たるもの、弓は必要でしょう。魔法を飛び道具とする魔法戦士もよいかもしれませんが、弓と魔法は習熟のための時間はそう変わらないでしょう。

鎧ですが、フルアーマーは余りにも重く高価で、倒れたら起き上がることもままなりません。湿地や深い雪に踏み込むことは死を意味しているでしょう。
鎖帷子に主要部のみ鉄板を加え、脚と籠手をひときわ頑丈にするのがよいでしょう。両肩に盾ともなるしっかりした防護板をつけるのも有効なはずです。

さて主武器ですが、左手で盾を使う場合には右手だけで使えるものとなり、かなり制限されます。
片手長剣はその制限の中で最も汎用性が高く、それなりに合理的ではあります。
しかし、武器を両手で使う場合にはより長い武器を使うことができ、威力も段違いです。もちろん弓も両手でしか使えません。
状況に応じて両手と片手を使い分けるのがよいでしょう。そのためには比較的簡単に手放せる盾を工夫すべきですね。

剣ですが、あまり長すぎる剣はほとんど意味がありません。
ですから補助武器として接近戦用で両手で握れる30cmほどの柄があり、刃渡りは40〜50cm程度と短めで刃の幅も厚みもある剣がよいのではないでしょうか。形状は日本刀の小太刀でも突き優先の両刃でもよいでしょう。
これなら両手武器も盾も持ち込めない、非常に窮屈な洞窟探検でも十分使えます。斧でもいいのですが、本当に窮屈な場では動きが限定されます。
さらに予備として作業用を兼ねた短剣は当然必要でしょう。作業を考えれば手斧や更に小型のナイフも必要になります。

そして最も主要な武器は、かなり長く広く鋭い穂先で、鋭い鉤がついている槍か鎌槍が一番よいと思われます。
柄は簡単に、穂先も含めた全長が2mと4mにつけ変えることができればなおいいでしょう。
全長2mなら、ほとんど突き専門とすれば左手に盾を持っても片手で使えるでしょうし、威力は剣とは桁外れです。鉤がついていますから引っかける使い方もでき、刺さって抜けなくなることもありません。穂先が長い大身槍は斬ることもかなりできます。
また盾を捨てて両手で扱えば、全力をかけて高度な技術を駆使することもできます。
突くと斬るが両立でき、柄のある武器としては斧槍、薙刀という選択肢もあります。その短めのものもよいでしょう。
斧槍は重すぎて体力の消耗が激しく、技も限定されるでしょうが。
理想は短めの剣と槍を、魔法で伸縮する柄をつけて一本でまかなうことです。もちろん刃も折れる心配がない魔法をかけておくべきです。

その装備ならば
遠距離で弓を放ち
中距離では左手に盾、右手に槍で間合いと威力を活かして突く斬る引っかけるを使い分け
高い攻撃力が必要な強敵ならば盾を捨てて両手の槍で複雑な技法を駆使し
乱戦になれば盾と短い剣の重さで腕力に任せて暴れ
もっと狭い洞窟などでは盾も槍も捨てて重く短い剣だけに頼る
と一応あらゆる場合に対応できます。
騎馬でも弓、盾+槍と使い分けられます。

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刀剣とはやや中途半端な武器です。
斬るのは斧、刺すのは槍にそれぞれかないません。

そして日本の剣道の基本は正面打ちですが、その理想というか極値は斧を両手で正面から切り下ろすことでは。
他に両手斧でできるのは、右手前の場合自然なのは自分から見て一時→七時から四時→十時です。木を切り倒すときには角度を使い分けて横から切りつけます。
刀の場合は左右の袈裟と逆袈裟、突きがありますが、どうしても十一時→四時の袈裟と逆袈裟は片手打ちに近くなります。

槍での突きは、両手で使うには半身になって横向きに踏み出しながら突くか、または右手が前の場合左腰に固定し、そのまま正面を向いて体ごと突きこむかです。
前進のほうが加速しやすいですから、一応正面を向いて左足で地を蹴って加速、着地のときに右足をひねって横向きになり、足から腰の回転と衝撃を全部槍に伝える…。
片手での槍はどうでしょう…逆手、騎馬など結構色々ありますが、最も単純には腰だめから体重を乗せ、踏み込みに腰の回転を入れて突き出す…と、空手の正拳逆突きになりますね。
片手剣もそうなりますか。またはその極端な形でフェンシングの突きか。

刀での突きは、現代剣道は半身を取らないためやや中途半端になりますね。
本当に距離を最大化するなら、左片手で左足も大きく前に出して横向き、またはフェンシングのように全身を入れなければならないでしょう。もちろん隙が大きすぎますが。

考えてみれば、薙刀…もちろん槍や斧…では横移動から切り下ろすこともできますが、刀とは微妙に異なりますね。
なぜ現代剣道が終始体を正面に向けるのか…これも不思議な話です。

そしてなぜ刀の柄が短いのかも。もっと長く、薙刀ほどでなくても長巻…いや柄が60cm程度であっても操作はより楽に、柔軟になり、しかも同じ重さと長さなら鋼も半分で済むのでは?
単に長巻は携行しにくいからでしょうか?

いや…結局のところ、人間の根本的な刃物好きが高じて、合理性を無視した結果できたものが刀剣というものなのでしょう。

あ、一つだけ刀剣の優位がありました。
実戦ではよくあるラッシュアワー状態の乱戦では、柄が長いと柄を敵に握られる心配がありますが、刀剣なら握った敵の指が切れるだけです。
でも乱戦、接近戦用武器なら脇差でいい気もしますが。

13

パソコンは地震で机から落ちて壊れることを考えていないように思えます。
できれば机にネジ止めしたいのですが。

パソコンの生まれ故郷がアメリカ東海岸やイギリスなど地震が事実上ない場所ならわかりますが、西海岸のコンピューター地帯は世界有数の地震地帯では?
それなのになぜ?

他のさまざまな家財道具や家電製品、いや家の構造自体を地震前提に考えたらどうなるでしょう。
ひたすら頑丈に安定させるか、それとも揺れやすく柔軟にするか…

12

グローバル化による格差の結果として、三つのかなりまずい未来像が見えます。

●環境・資源について破綻が無く危機感もしぼんだ場合で、少数の、遺伝子改良で種としても分化してしまった富裕層(帝国)が、世界の大半を占める貧困層を常態化した戦争や原理主義的な宗教を利用し、厳しく支配する世界。

●環境・資源についての危機感が強まった場合で、そのために世界から中流層をなくして圧倒多数を厳しい貧困層に追いやり、環境負荷を最小化することで富裕層の贅沢と権力を維持したまま持続可能を達成した世界。
世界全体が強制収容所。

○上から分岐。それでも人類全体のパイが多すぎるので、一人一人の環境負荷は小さいけれど数の多さで相当な環境破壊要因となっている貧困層を選別・虐殺して人口全体を削減し、代わりにオートメーション化・ロボット化を進めて結果的に富裕層の贅沢を維持したまま持続可能を達成した世界。

11

バブル以降、サラリーマンを含む労働者から企業にものすごい額の金が移動したのでは?

それが所得税や消費税の増税から法人税減税や金融機関バラまきなどならわかりやすいです。

でも、実際に起きたのは多くの正社員のリストラ、そして残った者の成果主義による給与引き下げとサービス残業強化による実質時給減、非正規化による大幅な給与の減少です。
法人税減税や金融機関バラまきと違って、それはわかりにくいです。

特にリストラ、フリーターや各種奴隷的派遣社員などは増税と違い、全員を平等に襲うのではないのでわかりにくいです。
たとえばある反乱軍に対する罰として、全員鞭打ち五十回と、十人に一人を鞭打ち五百回(普通死ぬ)の違いのようなものです。後者のほうが受け入れやすいでしょう。
日本には元々、ハンセン氏病患者の隔離政策などのように、特に不運な者に圧倒的な不幸を負わせて排除し、「常民」はそれに一片の同情もないという面があります。

結果的に大増税と同じ事が起きているのでは?
または大きなマイナスのベア、給料のベースダウンで企業だけが得をしたのと同じことが?人件費全部の合計額はどうなのでしょう?
それがなければ不良債権処理は不可能で、日本自体が潰れていたのかもしれませんが。

また、自営業者や中小企業から大企業への金の流れも相当大きかったのでは…その市場を奪うという形で。

勝ち組とおだてられながらサービス残業地獄の上層サラリーマン、中小・自営業者、そして非正規社員の三者ともその構造に気がついて連帯…してもどうにもなりませんか、その不満を受け止める思想・政党がありません。
日本での社会・共産主義はある種の小宗教と化していて動きがとれず、幅広い不満を受け止めることができません。
また信者以外は今や、社会・共産主義に強いアレルギーを持っています。もちろん共産圏の崩壊を見れば、それは正しいとしか言いようがないでしょう。
ヨーロッパ式社会民主主義は、特に日本では社会党の残党が社会民主党の看板を奪ってしまったせいもあって紹介さえされることはありません。
そして、とにかく企業が生きのびなければ日本自体が潰れて皆が貧しくなるだけだ、そのためには新自由主義で生産性を高めるほかないという脅しがあり、それ自体は真実なのです。少なくとも一面の。

10

アメリカの中間選挙はやはり上下とも民主党勝利。
これは歴史の分岐点になるでしょうか?
そう考えるのはあまりにブッシュ大統領を絶対悪の中心とする単純化の罠では?
世界の趨勢、グローバル化による貧富の拡大や世界的な対テロ戦争による自由の後退などの流れを変えるのはそれほど簡単なことではないでしょう。

この選挙結果はイラク戦争の失敗に対するものだ、という論評も多いです。
では、今どうすればいいのでしょう。
そしてあの時どうしていればよかったのでしょう。
それを現実的に考えられないのであればどうにもなりません。

9

アメリカの中間選挙については明日最終結果が出てからとしましょう。

一昨日グローバル化をどこでもドアでたとえましたが、それもエネルギーとしてはタダじゃないですね。
グローバル経済もまた膨大な物流の燃料、ITのパソコンネットを動かす電気とパソコン自体と相当量の資源・エネルギーを消費しています。

どこでもドアは二十二世紀のどこかの発電所に負担をかけているのでしょうか…

8

日本では竜巻は、リビングでのんびりテレビの画面で、アメリカで起きているのを見るものです。
それが突然自分の身に起きたら、と考える人はどれだけいるでしょう。

日本で起きたのをテレビで見ていてさえ、同じように考えているのでしょうね。
災害を意識するのがいかに難しいか…

7

経済のグローバル化というのは、要するにたくさん“どこでもドア”ができた、ということでは?
それがある数を超えると、ちょうど安いチョコレートを買いたければ外国の生産工場まで直行できるのと同じで、商品も労働力も世界全体での市場価格…一番安い線まで下がることになります。

問題は労働力です。

などで、特に先進国の中から下には非常に強い没落圧力がかかります。
要するに賃金の価格破壊がとめどなく進むわけです。

それは世界全体で見ると、「かなり豊かな層」から「非常に貧しい層」への所得移転という面もあるのですが、あまりにも新しくグローバル経済に入った最低労働者の給与が安く労働条件が厳しいこと…実はそれも、世界のどの先進国もかつて経験した『女工哀史』であり、彼らが貧困の罠から抜け出して成長への道を歩むために必要と言う見方もありますが…、最富裕層だけに富が集中してしまうことから強い不平等感があります。
その結果として、世界全体が90%の貧困層とわずかな富裕層に二極化し、それ以降は奨学金でわずかな天才が上昇する以外事実上身分が固定される、というのもあまりいい結果とはいえないでしょう。

しかし問題は、それにどんな対案があるかです。

やっと梯子の一番下の段に手をかけた(貧困の終焉(ジェフリー・サックス))、それまで世界経済から完全に疎外されていた世界全体の極貧層はそのままでいたほうがよかったとでも?
世界全体の極貧層も女工哀史なしに豊かになり、また先進国の中産階級の豊かさも維持でき、さらに環境負荷も全体で許容範囲に収めるなどという都合のいい展開はありえるでしょうか?

あと、アメリカや日本では、一見勝ち組に見える層も殺人的な激務を要求されますから、決して幸せとはいえないのがまた皮肉でもあります。
必要とされる能力…デザインセンスなど…が少数の人にしかないため、給料は高いけれど労働時間はものすごく長くなってしまいますから。
ちなみに、そのデザインセンスなどは並みの勉強ではほとんど意味を持たない世界でもあります。
必要とされるのはとてつもなく高いレベルの、ものすごい金をかけて勉強したエリートと、千人万人に一人の天才だけです。

両方何とかしないと、世界はどちらにしても生きるに値しないものとなるでしょう。
いや、生きることさえできない者も多くなるでしょう…六十億、まして九十億もの無産未熟練労働者を、世界は必要とするでしょうか?

6

経済的な変化の本質、農業から軽工業、それが重工業、そしてサービス業への変化…

農業時代は「食」にほとんど全員の労働の全部が必要で、さらに「衣」と「住」は農民自らがその多くはやっていた…自給自足農民が社会の中心。

それが産業革命で、まず農業の効率が高まって労働力が余り、それが「衣」や機械を生産するほうに移った、と。
「衣」「住」の分業の度合いが増した、都市化も大きな要素でしょうね。
さらに機械を中心とした重工業が発達し、農業も機械化され、化学肥料や農薬の導入でさらに効率が高まってわずかな人数でできるようになった。

その工業も効率が高まって、サービス業…すなわち農産物、機械から作られた製品やサービス自体を「運ぶ」「売る」立場の人たちが社会の中心になった…
さらに農村人口と都市人口のとんでもない逆転が起きたのも注目すべきでしょう。

でもそのサービス業は、本当に必要なのでしょうか?
全員の衣食住は、労働人口の何パーセントでまかなえているのでしょうか?
逆に村単位の自給自足で外とは交渉しない、という社会は考えられないのでしょうか?

5

仮想歴史を一つ考えます。
イースター島がまだ文明社会との接触がなく緑に覆われていた時代に、こちらは先に、史実とは違って大航海時代なしに文明を発達させていたとします。
それで衛星軌道や飛行機が発達して初めてイースター島を発見し、観察した結果、先住民がモアイを作るため木を切りすぎていてこのままでは破局に至ると判断した場合、干渉すべきでしょうか?
それともたとえ破局に至っても、イースター島固有の遺伝子資源や文化資源さえかなり失っても彼らの自治を優先すべきでしょうか?

もしUFOが同じことを考えているとしたら。
逆に、地球人を見守っているUFOは人類が自滅するようならそのまえに自治権を取り上げるか滅ぼすと決まっている、けれどもそうしないですむように、わかりにくい形で多くの人に正しい道を教えているとしたら。

そして、第二段落を人類皆が信じたら?それは人類が平和で持続可能な道を選ぶ、といういい結果をもたらしてしまいます。
現代の宗教でもあるUFO神話が人類に与えている、プラスの影響はきちんと研究されているでしょうか?
非科学的だからマイナスしかない、と思い込んではいないでしょうか?
禁酒法は機能しませんでしたが、イスラム法の飲酒禁止は機能しています…宗教の力、人が信じたいという力は科学と民主主義だけではできないこともできるかもしれません。

個人的にはその力は使いたくないのですが。

4

完全にメンテナンスの必要がないトイレはないものでしょうか。
水洗である限り難しいです…使用者が出たら部屋全体を洗い流してしまう、という形にしても汚れがこびりつくのは避けられません。

逆に、野原はメンテナンスの必要がないトイレであることを利用したら?

使用者は靴ごとはける専用の特殊な下駄で土の上の仕切られた場に入り、その場の土手と浅く掘られてある土に用を足し、そのまま出て下駄を戻す。ゴミは吊ってあるゴミ箱に入れる。
出た後仕切られた場の土は機械によって自動的に耕されて中央に浅い穴と土手がある元の状態に戻り、下駄は洗浄される。

このやり方ならどうなるでしょう。

問題。
狭く限られた土で毎回耕すだけだとすぐに有機物や水分が飽和して悪臭や虫が発生してしまう可能性はないでしょうか?
地下水汚染の心配は?
その栄養過多の土を畑のような形で使えばいいのですが…そうなるともう、江戸時代の汲み取り便所〜下肥〜田畑を自動化しただけですね。
あと、そう考えると土壌生物の活動が弱まる冬に問題が出ます。

3

人は自分の言動が本当にどんな結果を生み出すかも知りません。

「サウンド・オブ・サンダー(レイ・ブラッドベリ:『太陽の黄金の林檎』所収』)」では過去で蝶一羽踏み潰しただけでとんでもないことになりましたが、今蝶一羽踏み潰したことが同様に、将来とんでもないことにならないでしょうか?

また人間は、自分自身さえ本当には知りません。
それで自由意思なんていえるのでしょうか。

オールオアナッシングではなく、中間ととらえるべきでしょうか?

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政治的に正しい、という言葉がありますが、ならば科学的、生態学的に正しいという言葉も必要でしょうか。

といっても、まず科学において「正しい」というのは存在せず、あるのは「今のところ実験結果と矛盾しない仮説」と「数学的美」だけです。
まあまともな科学者のほとんどが合意することはたくさんありますけどね。

そして生態学的に正しいというのはどういうことでしょう…言葉にしてみるとなかなかわかりづらいです。

というか、「正しい」という言葉の傲慢さを考えると、「政治的に正しい」というのはかなり危険ですね。
かつての国教と同様、一つの絶対的な、不寛容な道徳の気配を感じます。

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情報の取捨選択こそ事の本質ですね。
その理由は、誰でも一日に二十四時間しか時間がないことでしょう。加えて人間が本を読む速度などに上限があることでもあります。

日本だけでも一日に出版される本は、どんなに頑張っても一日では全部読みきれない…どの本を読むか選ばなければならなりません。
一日二十四時間しかない、大抵テレビは一つしかなく、一つの時間に一つの番組しか見ることはできません。
他にもインターネット、読書、会話など情報収集だけでも多数の選択肢があり、常にこの時間はこの情報を得るのに使う、と選択しなければなりません。

さらにもし、世界的に情報システムが本当に普及し、六十億…いや百億人が皆情報を発信するようになったら?
人が読んだり見聞きしたりできるのは、そのいかにわずかでしょう。

情報はたくさんあり、人の時間が限られている以上、どの情報にアクセスするか選択しなければなりません。

もっと恐ろしいことに、多くの人はどの情報にアクセスするかを事実上決められています。
何時にどのニュース番組とワイドショーを見て、何新聞を取って、どの週刊誌を買って…が決まっているだけで、情報の取捨選択の相当部分を他者にゆだねているのでは?

その「情報の取捨選択」による支配というのはわかりにくく、そしてきわめて強力なのでは?