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31

冤罪問題で、自白偏重とよく言われます。

でも、なぜ自白が証拠の女王とも言われるほど偏重されるのでしょう。
考えてみれば、「やってない」と何千回言ってもそれは嘘だとみなされるのに「やった」と一度言えばそれは証拠とされるのです。不公平じゃないですか?
嘘つきなら「やった」という言葉も「やってない」という言葉も信用できない、信用していいのは物証だけでは?
自白の結果死体など新しい物証が見つかったときのみ自白が信用できるのでは…といってもそれは捜査機関を信頼する場合であり、信用しないなら物証を隠しておいて自白させてから見つけたのだ、とも言えますが。
自白は本人にとって不利だから信頼できる、という論理は、取調べ自体の圧力の強さを考えれば長期的な不利など実質的に拷問である取調べの圧力に比べればさしたるものではないし、その判断力自体が失われる、と反論できます。

あ、捜査者の直感を全面的に信頼すれば自白を最大限に尊重してもいいでしょう。
捜査者は「犯人発見器」「嘘発見器」ともに完全である、という前提で考えれば…いや、そうなら裁判自体必要ありません。
昔の延長と考えた場合は?
科学捜査が発達しておらず、拷問も好きにできた時代はどのように犯罪捜査が行われてきたのでしょう。

また、目撃証言など「証言」は信用できるという前提で捜査・裁判は行われますが、それもどうでしょう。
もし全て…自白はおろか証人も捜査機関も嘘つきだ、という前提だとどうすればいいのでしょう。

あと根本的な問題として、推定無罪なのだから何百日拘留されても職などは保障されなければならないという原則が社会にきっちりあれば、冤罪を産む自白圧は相当軽減されるはずです。
こればかりはどうにもならないのでしょうか。

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夜警国家という表現がありますが、その「夜警」が非常に厳しいものであったら?
新自由主義・新保守主義の結合の結果はそれでは…弱者は餓死せよ、反抗は内面も含め絶対に許さない、という。
技術の進歩による、『1984年』式の管理もテロ対策を口実に進むのでしょうか?

といっても、アメリカでさえ刑務所は肥大していますが、それを軽犯罪でも即死刑にして社会どころかこの世から排除、というところまではできないようですね。
逆に刑務所から有効に労働力を搾り取るのが社会にとって…いや、余計に労働力が追加されたらかえって失業がひどくなります。
問題は刑務所のほうが外より居心地がよくなってモラルハザードが進まないかですが…

29

最近は多くの雑誌にCD-ROMやDVDがついていますが、それは雑誌のリサイクルで問題にならないのでしょうか?
それ以前に紙のコートが厚いとリサイクルに支障はないのでしょうか。

28

ホモサピエンスという生き物にとっては、イスラム教ぐらいの管理がちょうどいい飼育環境なのかもしれません。
でも…イスラム文明が科学を発達させ、太陽に寿命があることを理解し、宇宙に進出できた可能性はあったでしょうか?

また、今のこの社会とイスラム教原理主義の社会、どちらがホモサピエンスにとって正しい飼育環境なのでしょう。
さまざまな歴史的なものも含む文明・文化の中で、主観的な幸福度が最も高いのは何でしょう。

いや、大半の人が深刻な虐待を受けている、通常の家庭・社会・宗教システム自体が本来の魂を殺す、きわめて残酷な虐待なのだ、と考える心理学者から見れば…?

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世界政府が刑法においても統一され、「人類世界全体での犯罪」ができたら…と考えたとき恐ろしいのは、まず確実にアウシュビッツ否定やナチス式敬礼が犯罪化され、そして南京大虐殺や従軍慰安婦に関する異論も世界全体で犯罪にされることです。
世界統一刑法と世界統一警察は相当寛容でなければならないでしょう…逃げ場がないのですから。

で、EUではナチス肯定言論・表現・思想信条の犯罪化はどれぐらい進んでいるのでしょう。
アメリカやカナダでは?

26

安倍首相が「美しい星50」を表明、ブッシュ大統領もバイオエタノールなどに力を入れ始めたようです。
これまでどちらも環境には無関心、むしろ敵対的なイメージで見られていました…といっても、それぞれの演説を詳しく検討すれば、それなりに環境について触れられてはいます。

これはアメリカや日本を支配する勢力自体が、地球号の舵を切ったといってもいいのでしょうか?
それともこれは単なる大衆をだますリップサービスで、本気で温暖化問題に取り組むつもりなどさらさらないのでしょうか。

まあ問題は、どう実行するかということと、ビョルン・ロンボルグらの批判をどう受け止めてより現実的な近代文明の維持策を立てるか、でしょうか。
実際問題として核融合が無理なら、高速増殖炉と完全二酸化炭素固定型火力発電しかないように思えます。
できれば急いで技術を確立して欲しいのが海由来のバイオエタノールなどですが…

25

携帯電話を利用した防犯システムとしてGPSやアラームに加え、ボタン一つで画像と音声を警察直結の受付センターに送信するシステムを前から考えています。

でもさらに、国民全員一人一個専用の携帯電話にもなる発信機を配ってしまい、それが常に脈拍を計り、脈が止まったら即救急車が来るし、同時に半径百メートルにいた者全員がはっきりする、という仕組みであれば、もう人を殺して罪を免れるのは不可能に近いです。
これまでのように目撃者がいない、二人きりの状況での犯行は自殺行為…逆に動きのある大混雑の中しかありません。

24

踊るスペースのあるカラオケショップがあればいいかもしれません。
踊るのは運動としてもいいです。

問題は、歌うのは誰にでもできるけれど踊るのは大変だということです。
義務教育の体育にダンスの基礎が徹底してあるわけでもないです。
踊りの基礎を気軽に学べるシステムも必要でしょうか。

というか、人間が体を動かすということについて、あまりに普通の人は知らないです。
いや、スポーツマンも自分の競技しか知らないでしょう。

23

というか、本当にスーパーマーケットが生活するための唯一の解でしょうか?

通販システムは辺鄙な場にも便利だ、と一瞬思いましたが、なぜ食料品を自給してはいけないのでしょうか。
米・雑穀・芋・野菜、新鮮な鶏卵・牛乳・乳製品、肉、水田や貯水池の副産物として鯉やドジョウなど淡水魚が安定して十分に供給されるなら、それでいいのでは?

もちろん山地では海水魚が自給できないですし、スーパーは衣料品や生活雑貨を手に入れるのにも重要ですが、それこそそれはオンライン通販でいいでしょう。
あと問題はその土地限定の大凶作ですが、それもオンライン通販で…

できる限りの食料を比較的近い地域で自給できれば、何が変わるでしょう。
いや、衣服だって麻や絹をその場で作って手織りするという選択肢はもうないのでしょうか?
そのためには多数の職人が必要で、それは雇用にもなります。
またいいものができれば、それはグローバル市場にも売れる地場産業ともなるでしょう。
いいものができればグローバル市場にも売れる、というのは食料だって同じことです。

22

スーパーのレジ袋が環境でどうのこうの言われますが、元々なぜレジ袋に客が詰め替えなければならないのでしょう。

その問い自体の答えは、成熟近代では「客に働かせる」ことがコストを下げる切り札となります。
ファストフードのセルフサービスが代表的なものですが、スーパーマーケット自体がセルフサービスの塊です。選んだ商品を棚から取り出す、袋に詰めるを全て従業員がやったらどれだけのコストになるか想像すればわかるでしょう。

でもそれとは別に、レジを買い物かごを持って通って、なぜそれをレジ袋に詰め替えなければならないのでしょう?
レジで移され、渡される買い物かごぐるみ持って帰ることができれば、それが一番いいのでは?

いや、その買い物かご自体そのまま自転車に固定したり、または積み重ねて車のトランクに固定したりできたら買い物袋はいらないのでは?
買い物かごを盗まれるのがスーパーにとって損害になる、というなら、初めてそのスーパーに入るときに一定額を出して買い物かごを買い、それを壊れるまで使えばいいのです。

または…根本的にスーパーのシステムを革新しましょう。
買い物かご・袋は客が持参します。
全ての商品は鍵がかかった小さなドアの中にあり、店自体ふたが透明な、巨大なコインロッカーのようになっています。もちろん一度にひとつしか引き出せません。
客が商品を選んだら、掌紋か虹彩を機械に認識させて開くと、その生体情報に直結した預金口座から代金が引き落とされ、そのまま持って帰ればいいわけです。

それとネット通販のどちらが早く安いでしょうか?
また、これから体力に劣る高齢者は増えます。その高齢者に巨大スーパーを大荷物を押して一周し、袋を車のトランクに担ぎこみ、また冷蔵庫まで運ぶ体力があるとは限らないのです。
今後はネット通販式スーパーマーケットも増えるでしょう。

さらにネットが使えない高齢者向けの…考えられるのはカタログから電話で注文するか、カタログを持つ巡回員が訪問して注文を受け、翌日届けるかでしょう。

21

戦争もの、暴力ゲームを男の子に見せるのは有害だ、といいます。

では暴力ヒーローでない、どのような英雄像を見せればいいのでしょう。
イエス、そしてガンジー、キング牧師の非暴力不服従でしょうか?

それを実際にヒーロー像として、アニメやゲーム、漫画などの形で子供に与えることはできるでしょうか。
偉人伝の中のガンジーや聖者たちを子供に英雄像として与えろ?
でも偉人伝は、確かに安定して存在していますが、アニメやゲーム、漫画の代わりになるでしょうか?

完全に暴力ものを厳禁し、非暴力不服従の英雄像だけを与えたらどんな子供、どんな大人に育つでしょう。

20

カウンターカルチャー・ニューエイジ・ヒッピー…あれは所詮左翼の一形態だったのでしょうか?
いや、左翼も、そして右翼も多様なのでは?

でも旧来マルクス主義も、ニューエイジ系やポストモダニズムも弱くなっており、やはり新保守+新自由主義の支配力は際立っています。

しかし、特に大都市の富裕層に属する者も過剰な労働で、アメリカの場合精神科医が大量に薬を処方してかろうじてやっていけている状態です。
貧困層もワーキングプアで過剰労働です。
日本もそれは同じですし、フランスも働いて豊かになろうがスローガンのサルコジ氏を選びました。
誰もが死ぬほど働き、それでも圧倒的な格差と貧困に支配される純粋資本主義社会しかないのでしょうか?

そしてそれは、どこに行くのでしょう…新自由主義が民主的に選ばれ続けるために新保守主義の援護が必要、それに対する反動がファシズム…または極端な格差・身分制度が容認する以上歴史上のファシズムとはまったく違い、軍国主義・権威主義・人権軽視は共通する化け物じみた政治思想となり、戦争に暴走していくでしょうか?
それとも…他の、信じられないシナリオもあるでしょうか。
もちろん環境問題による文明崩壊のリスクが常にあります。

19

議会で法案が可決・成立するたびに「不十分な審議」「わずか**時間の審議」といわれます。
では、十分な審議というものがあるのでしょうか?
国会の会期という概念をなくし、非常に長時間審議するとすれば、その審議の結果野党やマスコミが賛成することはありえるでしょうか?
また、法律は議会の多数で成立してはいけないのでしょうか…全野党が納得する、すなわち全員一致が必要となるのでしょうか?

要するに野党が言っているのはこういうことでは…「現在の自民党政権は悪の政権であり、それが出す法案は全て国民にとっては悪である。一つたりとも成立させてはならない。自民党政権は即刻解散し、野党に政権を譲れ。」
それが民主的でしょうか?
さらにいえば、マスコミは「与党も野党も糞だ、政治家はみんな辞めろ」と言っているようで…今すぐ共産党の独裁政権にしろ、というのがはっきり本音の赤旗以外はどうしたいのやら…あ、マスコミが政権を握る国がいい?
ふむ…君主制、貴族制、民主制にマスコミ制を加えても良いでしょうか。それとも単なる貴族制?

ちなみに、国会の会期は今必要でしょうか…鉄道もなく、郷里に帰るのに二週間かかる昔ならともかく、今は飛行機で午前中は国会、午後は地元での会合というのは簡単にできます。
またテレビ電話も発達すれば、体は地元に置いてテレビ電話で国会に参加してもその逆でもいいはずです。

18

最近の若い護憲派には、なんだか殉教者願望みたいなものを感じるのです。
日本は再び戦争への道を歩む。日本人は所詮愚民であり、もう止められない。だが自分は流されず、最後の最後まで反対し続ける。
そんな絶望感と悲壮感が合わさった感じです。

それは前の戦争で、多くの知識人が権力に迎合し、戦争に反対しきれなかったことを反面教師にしているのでしょうか?
それで自分は同じ状態になったらたとえ特高に拷問虐殺されても最後まで反対し続ける、と決意している?
でも、戦争への道を歩まないように努力するほうがいいのでは?
それはどうやっても無駄でしょうか?

また、戦争への道は一通りでしょうか?
憲法が改正されても、護憲派が思うとおりに進むとは限らないのでは…その最悪の想像を絶するほど悲惨になる可能性もあります。文明崩壊が起きたらもう護憲も改憲もないです。
でも、憲法が改正されてからでもできることはたくさんあるはずです。憲法改正の時点で全てが終わりと言うことはないでしょう。

そして戦争への道を歩まないためにできる努力は、本当に護憲を叫ぶことだけでしょうか?
たとえば彼らは一般に自民党だけでなく、民主党も全否定しています。
でもそれでどうやって平和戦争どころか改憲を阻止できると言うのでしょう。
社民(共産)党単独政権はありえない、という現実を見て、自民党が好き勝手にできないよう、国民が国の行方を選ぶことができるよう先を見てよりましな選択をすべきです。
また、世界の多くの国は軍事を憲法で認めながら長いこと戦争をしていません。そんな国になることを目指してはなぜいけないのでしょう。
日本人の資質が信用できない、というのであれば、重武装中立よりはるかに難しい非武装中立がなぜこの「好戦的な愚民」にできると言うのでしょう。

なぜそこまで絶望し、現実に背を向け、殉教を望まなければならないのでしょうか?

17

護憲委員会とその下部組織である人権委員会、平和委員会、歴史認識委員会が絶対権を持つ国が理想でしょうか?
少し想像すればわかりますが、そんな国には住みたくありません。

それは道徳と憲法と政治の一体化であり、圧制だ…というのであれば、分離できるでしょうか。
護憲派は基本的人権、平和主義、国民主権は絶対的に全国民が心から信じるべき道徳であるかのように言っていますが、やはりそれは圧制でしょうか?

といっても、今の自民党の改憲派も内心の自由を絶対に守る、という気はないようです。
どちらかというと自由や権利が嫌い、道徳や義務が好きという感じはします。

自由に重きを置く勢力はないようですね。

16

国民主権、平和主義、基本的人権の尊重が日本国憲法の三原則と言われます。
でもその三つは明らかに対等ではありません。
国民は主権者ですが、今の憲法学の大勢では国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を変更することは許されないからです。

国民主権より国民主権のほうが上だというのはわけがわからないです。
憲法の変更できない原則は国民主権ではなく、民主主義といったほうがいいのではないでしょうか。
国民の主権は強く制限されている、ということでは。
より正確に言えば国民主権ではなく「一九四五年八月十五日にもう二度と戦争はしないと誓った国民」の主権であり、その後の日本人にそれを変更する主権はない、ということでは。
または、その戦争はしないと誓った国民の後継者も、一般国民以上に高い絶対的な主権を持っているのでは。

でも、だとしたらなぜ改憲条項があるのでしょう。
天皇制を廃し、自衛権否定・非武装中立を明文化した完全な憲法には改憲条項も必要ないかもしれません。

そして、国民の生命財産全てが平和主義の手段である、と規定してしまうのはどうでしょう。
絶対平和主義、非暴力不服従を憲法で明文化するなら実際にはそうなります。
「差別してはならない」「戦争を望んではならない」「侵略者のどんな残虐な拷問にも非暴力不服従抵抗を貫かなければならない」と内心を含めて徹底するよう憲法に明言、その手段も無制限にできるように定めればいいじゃないですか。
もう国民ではなく憲法が主権者で、国民の内心まで全部憲法に合わせて…『1984年』で、心から2+2=5だと思わせ、ビッグブラザーを愛させるように…洗脳するよう定めればいいじゃないですか、日本人は改憲をするような愚民なのですから。
そのほうが護憲派にとってはわかりやすいのでは?
でも生命を手段にするな、と軍備にも死刑にも反対し、内心の自由を侵すな、と日の丸君が代に反対している護憲派は多いですが…どこか矛盾していないでしょうか?

といっても、国民主権から憲法主権に移行するのも憲法の三原則は改憲不可能だから…また混乱してきました。

15

(憲法改正の)国民投票法案が可決されました。

といっても、改正は早くて三年後です。それまで安倍政権が続いている、ということはあるでしょうか?
その三年後には日本の政界は、世界情勢はどうなっていることでしょう。
その頃も自公政権が衆参両院過半数、民主党が最大野党のままでしょうか?
いくらなんでもそれはないでしょう…今度の参議院選挙で負ければ、さすがに民主党も潰れるのでは?参院選直後でなくてもその次の選挙で。
それどころか、もうイランとアメリカの全面戦争が始まっていても、北朝鮮が崩壊していても驚くには当たらないでしょう。

あと、この事態は先の衆院選の結果でもあります。
その責任はお忘れなく。

僕が強調したいのは、護憲改憲ではなく民主化と独立です。
日本が民主化され、独立していれば、たとえ憲法が改正されても「アメリカの言いなりに侵略戦争の前線に立たされる」ことはないでしょう。
どちらも絶対に無理なのでしょうか?

また、国民の投票で示される意思には信頼は置けないのでしょうか。
特に護憲派は、今の国民を愚民とみなしているようです。
でも、国民主権から憲法主権に移行しない限り、その愚民が主権者なのです。

14

サハラ砂漠の地下には、全体を緑にしてあまりある地下水が眠っているそうです。
しかしその地下水は、現在アメリカで使われているものと同様太古の化石地下水であり、使ってしまえば何百万年単位で補充できない、取り返しがつかないものです。
でも、もしそれを使ってでも砂漠を緑化すれば、気候自体が変わって雨が降って緑のままになるのであれば、やる価値はあるかもしれません。

問題は四つ。
化石地下水の使用が地盤沈下を起こし、地形を変える懸念があります。
サハラ砂漠が砂漠なのは地球の大気大循環・気候帯レベルの話であり、一時植林しても降水量が増えず、緑が持続しない可能性が高いです。
そして…現在の人間のモラルレベルでは、間違いなく降雨量を増やして緑を持続させるための植林より、持続可能性を度外視した高収益農業に取り返しのつかない資源である化石地下水を使い果たしてしまうでしょう。
またうまく緑化できたとしたら、砂漠の文化・生態系が失われるリスクもあります。

いや…その条件はアメリカの大部分でも同じことです。
アメリカも、今のような無茶な農業はやめて、せっかくの地下水は森林を再生させるのに使い、その後の農業は森林の助けで安定して得られるだけの水で満足するべきです。
もし気候レベルで一時植林しても降水量が増えず、森を維持することができないなら、強引に大気中の水蒸気か海から淡水化した真水をパイプラインで引くかできるほど強力なエネルギー源を得るまで、あきらめて自然に帰すべきでは?
水が豊富なカナダから水を引く計画がある、とも聞きますが、それもひとつの手です。

13

海に近い砂漠に巨大な浅いダムを作り、そこにどんどん海水を流し込んだらどうなるでしょう。

日当たりはよく栄養塩はたっぷりあるのですから、とにかくいろいろな海の生き物が育つでしょう。
でも出口がないとどんどん水が蒸発し、塩分濃度が高まって特殊な微生物しか生きられなくなります。
出口も作ってその分も上から大量に流す形にしなければ。

また…思い切り発想を変えれば、砂漠に海水を流せばそれで育つ植物があるとしたら、それは莫大な農業生産につながらないでしょうか?

いや、砂漠を掘り下げて浅い海にしてしまうほうが早いです。
それはそれで光合成量が増え、二酸化炭素を吸収してくれるでしょう。

12

ミシシッピー河の汚染でメキシコ湾がひどく汚染されているそうです。

ただ、その汚染とは基本的には肥料です。
なら、ミシシッピー河の河口近くにとてつもなく巨大で浅い遊水地を掘れば、大量の植物が育って二酸化炭素を吸収し、かつ川の水も浄化してくれるでしょう。

また巨大な水田を作ってそこに河の汚水を流しこみ、農薬厳禁でアゾラ・合鴨・魚を利用して水稲を育てれば、あまり手入れをしなくても膨大な収穫が得られるでしょう。何より肥料がいりません。
水質浄化という目的を考えると冬も水は落とせませんから、水がたまりっぱなしの水田で種まきや収穫が確実にできる機械が必要になりますが、その収穫量を考えれば大したことはないです。
一年中水をため、農薬厳禁で合鴨と淡水魚を同時に養殖する大規模な水田を用いた水質浄化は、他にも世界中にある汚染のひどい、比較的暖かい地域の水系で使えるはずです。

メタンの温室効果のほうが高いかもしれませんが。
重金属などの影響でその米が食べられる代物でない…ということはあるでしょうか?
まあその場合は飼料、それすら危険ならバイオエタノールという手があります。

さらに宇宙に薄く軽い鏡を浮かべ、全体に日光を強くすればもっと大量の収穫が見込めます。
その鏡は地球への日光をさえぎるようにすればある程度温暖化防止にもなるでしょう。
河口近くの海に多数の海藻・貝養殖筏を浮かべるのとどちらが…いや、両方やるべきでしょう。

もちろん、河が汚染されないように元から過剰な肥料分の流入を減らするのも言うまでもありません…が、人類が存在していないのと同じ水質を保つのはもとより無理です。

11

木星などから水素など資源を得る具体的な方法は検討されているでしょうか…やはり遠すぎ、重力井戸が強すぎてどうやっても採算が合わない?
やはり太陽系で一番豊富なエネルギー源は太陽電池でしょうか。

10

僕が考えている「最弱者の十分幸福」は平等とはかなり異なります。
でも結果平等は最悪の結果しか生まないことは歴史が証明しています。
また、機会平等にこだわると、教育の画一的な部分がマイナス面として出てこないでしょうか?

僕が望んでいるのは、人の多様性と共通性をよく見て、まず共通のニーズ…衣食住(エネルギー・水)・介護・医療などの最低の生存、共通で必要な教育・情報を全員の協力で全員にきちんと与え、そして多様な人間を多様なまま尊重して各自が最大限に自らを伸ばして幸福を追求する状態です。
とにかく餓死の心配がないこと、それが最優先です。

ただ…少し深く考えると、その「全員で全員を食わせ、教育し、介護する」という原則は、新たな社会契約といえるものでさえあります。かなり重大なことかもしれません。

9

団塊ジュニア下層にとっては、実力主義自体が絶望を意味しています。
正規社員とは大卒以来の十年で、現在の賃金格差以上に大きな実力差があるのです。

その実力差がある以上、実力主義で考えれば救済策はすべきではありません。
でも十年後に餓死するのも実力だ、でいいのでしょうか?
甘やかすから実力がつかないのであって、ジャングルに放り込んでやれば誰だって必死になる…といっても本当にジャングルに放り込んだら実際には大半が死ぬのでは?
それでいいのでしょうか?

再チャレンジも、実力格差を考えれば根本的に偽りがあるのは明らかです。
実力に差があるのですから、公平なリングを設けても結果は見えています。
実力を与えようにも、本当の…企業が認める実力は正社員としての実務でしかつかないのです。
学校にどれだけ行こうといくつ資格を取ろうと、それは実力ではないのです。
そして年齢的にも、今から実務に放り込んでも到底ついていけない、ずっと正規社員だった同世代はおろか今の新卒にも絶対に追いつけないレベルにもうなっているでしょう。

実力はないけれど、餓死させてはならない…錆びついた部品だけど何らかの形で使ってやらなければならない、社会がそう合意するのは無理でしょうか?

8

フランス大統領選、サルコジ氏当選。
といっても、日本人にサルコジ氏、ロワイヤル氏それぞれについて知っている人はどれだけいるでしょう。

フランス大統領選挙というのは、アメリカ大統領選挙やローマ教皇選挙に匹敵する世界的なイベントでは?
フランスは今の世界では大国ではないのでしょうか?
それどころか、フランスが抱える問題について自分のあまりの無知に驚いています。

さて、当選したサルコジ氏は新自由主義者で、特に日本の左派ブログからは評判が悪いようです。
まあ…どうなるかはやってみなければわかりません。たとえ民主主義でも、民主主義だからこそ、本当に前評判通りの指導者などめったにいないのです。
まして日本の左派ブログの意見はごく狭いバイアスがかかっていると思っていいでしょう。
といっても、バランスを取るための別の情報源など英語ニュースサイトぐらいしか心当たりがないのですが。

7

格差がいろいろ言われますが、求められているのは何でしょう。

結果平等?
機会平等?
最低線?
希望?
挑戦者の希望?
平均者の希望?
最低者の希望?
再チャレンジ?

6

団塊ジュニアのフリーター・ニート層の平均的な能力しかない、つまり起業または創造的な仕事で成功できない、女子の場合高収入男性と結婚できるだけの魅力もない者が、親の死後も餓死しないで天寿を全うするにはどんな条件が必要でしょう。

まず文明崩壊…世界全体の近代文明が崩壊したら世界人口の半分から九割が死ぬことになるでしょう。
日本が貿易なしで養えるのは、江戸時代の三千万に北海道、トウモロコシやジャガイモやレンゲなど新作物を考えに入れても半分でしょう。社会的弱者に食わせるものなど残らないでしょう。
まして日本にはキリスト教のような普遍宗教がないため、「世間」の外にいる者には徹底して冷たいのです。
まあもっと温暖化などがひどく核戦争なども起き、ほとんど人類全滅で石器時代まで後退すればもっとスッキリしますけど…強弱を問わずほとんど、または皆が死ぬのですから。

国家破産が起きないことも重要です。
国家破産が起きたら生活保護などは不可能になり、大量の公務員が労働市場になだれ込み、しかも経済が破綻する状態になります。そうなったらスキルのない弱者は食糧も輸入できなくなった日本で生きていく余地はないでしょう。
国家破産が起きても弱者を餓死させないことに国全体が力を入れる、と事前に合意ができていればいいのですが…それが可能かどうかも疑問ですし、今の世論の弱者に対する冷たさを考えるとその合意ができるとは到底思えません。

抜本的な政策として、介護や環境などで低スキルでも就職できる道が大量にできていれば餓死の可能性は減りますが、やはり日本社会は全体の合意として、団塊ジュニア下層を見捨てているようです。
むしろ介護に必要な労働力は移民を考えているのでは?
というより、日本の国家的意思は団塊世代、そして団塊ジュニアの介護については考えていないようです。
団塊世代が百万人介護を受けられず孤独死しようと、団塊ジュニアが百万人餓死したり自殺したりしようと、あくまで「家族の美風」「自助努力」「働かざるもの食うべからず」「財政再建」「小さい政府」「弱者に冷たくエリートに厚く」という道徳原理を守ってベーシックインカムなどは選ばないでしょう。

逆に政策としての救済なしに、働き続けられるとしたら…大半が未熟練労働力のまま、最低限の賃金は得られる仕事を継続して得られるくらいの景気が持続する、しかも文明崩壊もない…そんなことはありえるでしょうか?
そしてそうだとしても、年老いて肉体労働がきつくなってからは介護も加わるわけですから絶望的な状態になります…やはり政府が、社会全体が救済策を取らなければ天寿を全うさせることは無理です。
ましてスキルなしに年を取ってしまった団塊ジュニア下層の大半がまともに就職できるほどの、高度成長に近い経済成長は、もうばかばかしい夢に思えます。

ただし、別の救済もあります…技術的特異点が発生し、世界全体で文明レベルが爆発的に上昇した場合、弱者を食わせて同時に文明崩壊も防ぐぐらい余裕になることもありえます。

団塊ジュニア下層が大量に餓死する確率を計算してみましょうか。

まず全体から技術的特異点が−5%、文明崩壊で50%、国家破産で弱者が見捨てられるのが20%、文明崩壊も国家破産もない場合が全体の20%として、このまま弱者にひたすら冷たい新自由主義・新保守主義が続くのが…そう考えていくと大量の餓死は必定のような気がします。

あ、大規模な戦争で多くが戦死すれば、少なくとも餓死はしないですみますね…いや、ガダルカナルやインパールのように、太平洋戦争での戦死の多くは餓死でしたっけ。

5

ロールモデルというか、社会の要求する一生ははこうではないでしょうか。

まず創造的な仕事を目指してがんばれ、その千人に一人の成功者が国を豊かにする。
そして千人に一人ではないその他999人は駄目ならさっさとあきらめろ。
そして社会に正社員として入る場所はないが、ニューエコノミーにはたくさんの非正規低賃金未熟練労働力が必要だから、そこで分をわきまえてものを考えるのをやめてただ働け。
親から独立したら一日八時間程度では食えないからもっとたくさん働け。親元にいる場合にはちゃんと孝行して、同時にたっぷりと宣伝されるブランド品を消費せよ。

でも年を取ると非正規未熟練労働力は用なしになり、そのころには親も死んでかじるすねもなくなっているだろう。また結婚もできず、上級正規社員にもなれなかった女子も、親が死んで介護が終わったら絶望的だ。
そうなったら福祉に頼ろうとはせず、自棄犯罪も起こさずおとなしく自殺せよ。
福祉は経済と国民道徳の健全さを阻害する悪であり、縮小して小さな政府とすべきなのだ。

逆に千人に一人の成功者、および優秀な上の人間はきちんと勉強して創る側となり、過労死するまで働け。
同時にちゃんと家庭を持ち、子供を愛国的で優秀な人材に育てよ。教育費は国は出さないから、子供を産み育てながら母親も非正規低賃金未熟練労働力として働いて出せ。
老後は(国にとって)運悪く過労死しなければちゃんと機能する家族に見てもらい、国に負担をかけないように。

で、子供はどうやって作るのでしょう…下層は結婚する経済的な余裕がなく、上層には子供を育てる時間的な余裕がありません。
論壇でも下層の結婚出産はむしろ嘆かわしいことと見られています。
彼らは結婚せず、そのまま働けなくなったら自殺することを求められているようです。
それから先の非正規低賃金未熟練労働力は移民でしょうか、それともロボット?または上層の子供の脱落者で十分でしょうか…でもそれは縮小均衡にならないでしょうか?
子育ておよび老人介護を下層に割り当てるのが合理的に思えますが、小さい政府を目指すのでそんなことはできません。
単純に先のことなど考える余裕がない、今船を沈めないために明日必要になる飲み水を捨てるようなものでしょうか?

根本的な矛盾と、あまりにも冷酷で過酷…どちらにしても、一生懸命生きて何の報酬もない…な要求に、文句が出ないことが不思議でなりません。
今、この国際的大競争の時代は、全員が船に命を捧げて死ぬほどがんばらなければ船が沈んでしまうのでしょう。

4

団塊ジュニアフリーター・ニート層の漂流は、ロールモデル…人格の手本の問題として捉えることもできそうです。

まず小市民ロールモデル…男はちゃんと妻子を食わせる企業戦士、女は良妻賢母…が否定されました。
女性にとってはキャリアウーマンというロールモデルもありましたが、それは特に優れた女子だけ、特に就職氷河期は女子求職者を徹底的に排除しました。またキャリアウーマンとなる場合には、子供をあきらめなければなりませんでした。
上記小市民ロールモデルの否定には、むしろマスコミや教育の喧伝も強い影響を与えています。
代案としての別のロールモデルが「個性」だったのでは。

個性を具体的な仕事に結びつけたのが創造的な芸術家や起業家でしょうか。
でも、実際それで食えるのは千人にひとり、特に起業で成功するには最低限の社会人としての素養が欠かせないという現実は見えませんでした。

小市民にも、たとえいまさら頑張っても十人にひとりもなれるかどうか、かといって個性で食うのももっと無理なフリーター・ニート層にどんなロールモデルがあるでしょう…
黙って使ってもらえる限り働き、使ってもらえなくなれば誰にも迷惑をかけず飢え死にする、だけでしょうか。
江戸時代の下層が参考になるでしょうか…分をわきまえろ、宵越しの金は持たない、近所は助け合え。

女子の場合にはパラサイト・シングルのまま、老いた親の介護に専念して数十年余計に生きることはできるかもしれません。問題はその後ですが。
男子も同じようには…残念ながらそのために社会通念を変えるのは難しそうです。

3

国の政策として、今後三十五から四十のアルバイトの限界を迎え、また親が死にだすフリーター・ニート層をどうするか…
とにかく企業社会にとって、事実として彼らは必要なくなるでしょう。
でもより下の世代が少子化で、その多くが正規社員になって逆に非正規社員が減ったら必要であり続ける可能性もあります。
結局これからの社会は、大量の低賃金未熟練非正規労働力を必要とするのです。
でもそれは移民や機械化の可能性も高いですし、年取ってしまうと体力的にもそのほかいろいろな面で使いにくいです。
またいくら今新卒バブルといわれても、新卒でフリーターになる人も少なくない率で常にいるでしょう。

まあ、本当に老いた団塊ジュニア下層が必要でなくなるかどうかは不透明です。ここでは必要でなくなった場合について考えましょう。

  メリット デメリット
ガス室 治安上望ましく、低予算で可能 (世界全体で)人権概念を根こそぎなくす必要
棄民、餓死、自殺 純粋に無作為のみ、政治的・財政的に何もしないでいいから楽
死に物狂いになった万人に一人の成功者が健全に経済を引っ張る
不幸の道連れ犯罪
スラムなど治安悪化
ワークフェア 仕事があれば生活のみならず尊厳にもなる 企業が職業学校で学んだだけの正規社員未経験者を採用しなければそれまで
グローバル化による超低賃金地域との競争の構図は変わらない
最低生存のみのベーシックインカム 妥協 財政負担
役立たずを食わせることに社会的合意が得られるか?
尊厳を得られない不幸から犯罪の恐れ
十分なベーシックインカム 団塊ジュニア下層自身にとっては最善? 巨大な財政負担
社会的合意、公的保障を嫌う文化「働かざるもの食うべからず」
仕事はないため尊厳は得られない?
介護や環境など必要だが儲からない仕事を与え(強制し)てベーシックインカム 生活も仕事も得られ、仕事が尊厳になる? 巨大な財政負担
社会的合意、公的保障を嫌う文化
社会主義に近いので非効率
仕事を強制することに対する抵抗…

2

多くの若者は九十年代に入る頃、新しい生き方も夢見ました…死んだ魚のような目のサラリーマン、家庭も社会も顧みない社畜ではなく、もっと自由な生き方を。

しかし結果は、特に団塊ジュニアにとっては事実上全員が絶望です。
自由で多様な生き方を求め、フリーターになった者は今…夢を諦めたらただの職歴のないワーキングプアだ、とわかっているので夢にしがみつくか、または現実の職歴のないワーキングプアという自分を受け入れてもがくか諦めるかでしょう。
起業に走った者も成功するのは千人に一人、多くは失敗して破滅しています。
正社員になった幸運で力のある者、または起業での成功者は、忙しすぎて家庭や社会どころか果実を味わう暇もありません。

しかも…新しい生き方が間違いだったからといって、古い学歴社会・企業戦士が正しいといえばどうでしょうか?
受験勉強をしていい大学に行き、大企業に就職する…確かにそのために頑張った人は、そうしなかった人より収入が高い正社員になれた率は高いでしょう。
しかし、あの就職氷河期はそういう従順で古い価値観の者も無視できない率で切り捨てました。
古い価値観自体が壊れた、古い価値観では生きていけない…生きていけるとは限らない、生きていけるのが大多数ではない…社会になったことは確かなのです。
レール以外に生きる道などなかった…正確にはレールの外で生きられるのは百人に一人…けれど、レールに乗るのにも二人か三人に一人の厳しい争奪戦があり、またレールの上でも始終激しい競争があるというわけです。

今や切り捨てられている人はどう生きていけばいいのでしょう。
ひたすら弱肉強食の市場ジャングルに放り出しておとなしく餓死や自殺…そしてアルコールや麻薬、ジャンクフード、賭博など依存症による悲惨な死に追いこまれるのでしょうね。

1

世界ではベルリンの壁の崩壊の日、日本では細川内閣発足の日、確かに希望がありました。
世界では自由と民主主義、日本ではこの腐った社会を壊す、という希望の力が改革のエネルギーとなりました。
それで、なぜこうなったのでしょう。

ベルリンの壁の崩壊で「歴史の終わり」と思ったらそこにあるのは底なしの格差とテロ、そして温暖化による人類滅亡の危機と、それさえろくに意識されずひたすら暴走するアメリカ。
民主主義さえ多くの国で失敗しています。

そして日本は自民党政権が結局続き、気がついたら極端に格差が拡大しています。
悪いことにはそのグローバル化・新自由主義に対抗する理念さえ見出すことができません。

世界全体で、ひたすらに格差が拡大し、自由が失われ…これがあのときの希望の帰結でしょうか?
南米での反米左翼政権はその希望なのでしょうか?ネグリ&ハートが?