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30

CDの音楽をプレイヤーで読み取るときに雑音が入る、といいます。

だったら二回読み取ってデータを比べて校正すれば、雑音は排除できるのでは?
さらに十回読んだら?

29

の最低限五者が存在しており、利害対立があります。
他にもそれぞれの家族、さらに看守の生活さえも利害に入ります。

社会そのもののためには、犯罪者はすべて即処刑するのが一番安全です。
被害者のためにもそれは一見よさそうですが、後に冤罪が判明した場合には被害者も嫌な思いをすることになるでしょう。
更正する犯罪者、また冤罪である犯罪者にとっても最悪です。

更正する犯罪者や冤罪である犯罪者、そしてその家族のためにはあまり厳しい刑罰はよくありません。
また、社会復帰の意思もあるので手厚い保護が望まれます。
そして社会に前科者に対する差別が強いのであれば、自分の犯罪暦が簡単にはわからないような制度が望ましいです。

しかし更正しない犯罪者を野に放つことを考えれば、厳しい刑罰で社会から隔離し、犯罪暦がすぐ誰にでもわかるシステムは必要でもあります。

更正しない犯罪者にとっても厳しい刑罰は望ましくない…のでしょうか?本人は早く釈放されて犯罪を再開したいでしょうが、温情主義的に考えれば一生閉じ込めるか処刑してそれ以上罪を犯せなくするほうが「本人のため」となります。

刑務所と社会の中間を設けるのは、それらさまざまな立場にとってWin-LoseではなくWin-Winになりえるでしょうか?

ここで、「更正する犯罪者と更正しない犯罪者の見分けはつく」という前提と、つかないという前提のどちらを採るかも考えるべきことです。

28

日本は明治以前は性的な寛容度が高かった、でも近代化で一気に不寛容になったとされます。
最初は法で女装・肛門性交が犯罪とされ、その法がなくなってからも警察が、たとえば女装者を虞犯者とみなして取り締まったりしたそうです。

でも考えてください、その警官もつい数年前までは、それまでの寛容な世界でそれなりに楽しんできたのでは?
それがなぜ短期間に、何の疑問もなく「キリスト教の性倫理を全国民に徹底しなければ西洋相手に恥をかく」という…形而上的正義とは全く関係のない理屈だけで激しい弾圧者になれたのでしょう。

カルト教団と考えればある程度説明ができる気がします。
洗脳システム…通過儀礼による出身集団との無意識レベルの切断、新しい道徳の徹底した刷り込みがしっかりできている、それにしてもそう考えるとあまりにも成長が早く、しっかりした信者を短期間に大量に、それも中央集権で画一的に養成できています。
さらに考えてみれば警察内部の反乱者が少ないことも異常です…それは軍隊もですが。

他の外国でも「警察を作り上げる」ことは簡単なのでしょうか?どのように?

性道徳についてはマスコミの影響も大きかったようですが、ほんの五十年かそこらでの社会の変化の大きさには呆れるほどです。
わずかな通達だけで社会をそこまで根本的に変えてしまった…変えた主体は何でしょう?
警察機構の完全さ?明治元老の圧倒的な権力?民の無意識の何か?歴史の流れ?

そして興味深いのが、警察の内部での…ある種の教義学と言えばいいのでしょうか、法律と完全に一致しているようで一致していない…道徳と法を疑問なしに混同している、でも法と警察自体の利害・組織維持が矛盾すれば法は無視される…少なくとも日本国憲法の精神は全く入っていない…
特に軽犯罪法やその前身の法体系は、事実上無制限に国民の道徳に干渉し、取り締まることを許していましたし、警察の深い部分の本音にはそれを徹底するべきだと言う使命感があります。
明治初期にはキリスト教など、そしてある時期以降は共産主義という「日本の敵」に対する対抗意識も、その法と道徳の混同に関わっていると思います。
それがどのように形成され、どのようにあれほどの強固さで維持されているか…当たり前と思われていますが結構ものすごいことなのでは?

27

「日本が核兵器を開発装備している」と言ったら日本人は全員まさかと笑うでしょう。
でも日本人以外にとっては、当然ありうる深刻な脅威です。
北朝鮮の核と日本の核、どちらが恐ろしいか世界中で聞いたら誰もが日本というでしょう。

26

フランスは死刑廃止で世論の多数が反対していたのに強行した、それはいいことだ常に民意が正しいとは限らない、と反対論者は言います。
でも、同じく民意が正しいとは限らない、これが正しいんだと高速増殖炉増産・宇宙太陽光発電・ユダヤ人皆殺し・国教強制などをやられたらどうでしょう?
死刑廃止が良くてそれらが悪いのは、単純に論者の価値観に過ぎません。

この件に関しては

他にあるでしょうか。

で、死刑廃止以前に気になるのが、近代日本の刑務所・少年院の徹底した規律は、本当に正しい解なのでしょうか。
規律が人を更正させる証拠はあるのでしょうか?
それ以前に自由刑自体正しいのでしょうか?
死刑廃止の議論はあっても、懲役については議論がないようですが。
刑罰を好きに設計していいならどうしたいでしょう?

根本的に刑罰の目的は?

25

鉄の靴はなぜないのでしょう。

先に鉄が入っている安全靴はあります。鉄板入りの中敷もあります。
だったらなぜ全体を鉄にしないのでしょう。
つま先部分が曲がるようにしてあれば、あとは鉄かステンレスかアルミ合金をプレス、それを鉄なら防錆加工して、あと全体をゴムや合繊布でがっちり固めれば頑丈極まりないし踏み抜きの心配もない靴になるのでは?

他にもプレスでぱっと作れば安くなりそうなものは椅子などたくさんあります。

24

絵を含む児童ポルノを規制したがる勢力にはある種のダブルスタンダードがあるのでは。
同性愛と児童性愛を、根本的に別の現象のように扱っているのです。

同性愛はそれ自体絵や文章、脳内での空想も含めて絶対的な罪悪である。
同性愛者は多様な人のありかたの一つではない、人間ではなく悪魔、人類の敵であり、人権はない。
同性愛者は心から反省し、意思を強く持って改心すれば普通性愛者になれる。
同性愛は治療すべき、治療可能な病気である。
すべての同性愛者は根本的に邪悪であり、良心を持たない。
社会から悪い文化を消して浄化すれば新しい同性愛者の発生を防げる…

上の主張はどれも政治的に正しくないでしょう。
でも児童性愛を同性愛の代わりに入れれば、すべてが正しいとされるのです。

「生来(遺伝子と胎児期からの無数の偶然の積み重ねによって、不可逆的に)児童性愛者であるが、良心を持っており、合意なき性交が許されないことを理解しているため現実の児童との性交・現実の児童の映像を用いたポルノを拒絶する意思がある」児童性愛者の存在を想像できないことが僕には信じられません。
児童性愛とは何か、誰も考えもしないことも。
セクシャルライツ・セクシャルマイノリティを扱う本でも「児童性愛は別」とはっきり分けられています。でも本当に分けていいのでしょうか?
それを分けるためには「あらゆる児童性愛者は徹底した邪悪を併発しており、相手に対する同情が根本的に全くできない」「児童性愛は(同性愛と違い)治療可能である」ことを証明しなければなりませんが、その証明は?

ただ、こう言ったとしても対話はできないでしょう。
人間には強い「社会を浄化したい」という欲が根源的にあります。
その欲のはけ口として絵を含む児童ポルノがあるのです。
キリスト教、道徳的保守、フェミニズムなど多様な立場が、その深い怒り、根源的な憎悪をぶつけるためにどれほど反対されてもひるむことなく規制を主張し続けます。
そのような人の多くは「自分の主張が絶対に正しい」と確信しています。宗教的・道徳的・論理的・倫理的・法的それぞれ正しさが異なることを想像することもできません。
そうである以上、規制の主張が鎮まることはありません。
説得することはできません…規制を主張し反論に耳を貸さない人全員を治療することは無理です。

政治的にも保守・革新両方が規制サイドなので抵抗し続けることはできないでしょう。
というわけで、理不尽な焚書坑儒に他ならない「絵も含めた」児童ポルノ規制は遠からず起きてしまうでしょう。

それは人間の宿命というべきものなのかもしれません…が、それを諦める気持ちは同時に人間をやっていくのが嫌になる、でもあるのです。
僕は児童性愛者ではありませんが、おそらくは児童ポルノとして焚書されるマンガなどで好きなものが結構あるのです。

さらに、これは陵辱エロゲー規制にも関わりますが、「**ポルノが存在すること自体が傷つく人」がいるのも確かでしょう。
でも「**ポルノを性的に必要とする人」もいるはずです。その人たち…特に実行していない、実写でない絵によるポルノで我慢している人たちにとって、それを取り上げられることは苦痛でしょう。

実行はおろか絵によるポルノにも触れず生涯を過ごすことだけでも辛いでしょう。自殺するか、またはどんなに法による罰が重くとも闇市場から手に入れる人も多いでしょう。
いや、被害者にとっては「内心でそのような性を持っていて、妄想している人がいる」こと自体に耐えられないほど傷つけられているのでしょう。
性を改めて改心することを求めるのは、なぜ同性愛に対してしてはならないけれど…なのでしょうか?
さらに生涯心で思うことも禁じる、妄想も禁じる、ということは完全に不可能です。
まして自分の性は悪なのだといわれることはどれほどの苦悶でしょうか。
実質、抹殺するしかないのです。

両者は共存できないのでしょうか。
公共の福祉で、どちらかに苦しい思いを強要できるのでしょうか。
それほど公共の福祉と言うのは強大な権力なのでしょうか。そんなものがあっていいのでしょうか。

そして、どちらの主張が通るとしても…それが公共の福祉という権力の天秤によってもよらなくても…結局は強いほうが弱いほうを押しつぶし、苦しむことを強要するだけではないでしょうか。
それはもう、一方がもう一方を虐殺するのとどう違うでしょう?

どちらも存在することを認め、そのあまりの矛盾、悲惨を祈るしかないのでは。

23

刑務所とシャバ…普通の社会の中間はないのでしょうか。

まず暴力団があるのでしょうか。
ヤマギシ会など各種カルトも?
普通のキリスト教のように公認された宗教も含め?

警察・自衛隊・消防などの特殊な公務員も、シャバとはかなり違う世界かもしれません。

世間か刑務所しかないと、逆に刑務所から出た人が生きられる場がないのでは?

22

大型動物が存在していること自体、ある意味パラドックスです。

前に「大型動物を一刺しで殺すことができ、その肉で子供を養える蜂」を仮想しましたが、「その肉で子供を養える」ことは必要ないのです。
自分で大型動物の丈夫な皮を破ることができなくても、蝿のウジがやってくれます。
蜂はしとめた大型動物の死体の近くに巣をつくり、いくらでも沸くウジや蝿の成虫をつかまえては巣に持ち帰ればいいのです。

ならなぜ大型動物などというものが存在できるのでしょう?
蜂と蝿そういう形で共に進化しなかったのは、蝿が蜂の巣を維持できるほど安定して「収穫」できなかった…自然界では多くの腐肉食動物がおり、それほど多くの蝿が発生する暇はなかったから?
人間以外の大型動物には毛皮や鱗があるので殺すのが難しいのでしょうか?

21

幸福実現党のチラシが入っており、冷笑して捨てました。

でもふと考えてみれば、「二大政党どちらにも飽き足らない」人が多くいることは事実です。
宗教政党に受け皿になって欲しくないのは当然ですが、もしそんな宗教政党ではなく、現在の政界では誰も言い出せないベーシックインカムや環境、方向は違いますが反米保守や重武装中立、大麻解禁などを堂々と主張する思想性と資金力のある政党が出たとしても、今の政治状況ではネーダーにしかならないからです。

アメリカで民主党共和党ともに大企業の傀儡で悪だ、第三党を出すべきだとラルフ・ネーダー氏が何度も大統領選に立候補しました。
特に重要なのは2000年のブッシュ二世とアル・ゴア氏の選挙で、ネーダー氏が立候補しなければゴア氏が勝っており、ブッシュ二世による対テロ戦争・新自由主義による格差拡大・環境問題の無視はなかったとも言われています。少なくともネーダー氏を応援する価値観から見ればブッシュ二世よりゴア氏のほうが近いことは確かでしょう…ネーダー氏から見れば五十歩百歩、同じ穴の狢だったというだけで。
ちなみに、上のブッシュ二世批判はどれも本当かどうかは知りません、ゴア氏だったらましだったかもわからないです。

同様に、日本も自民党・民主党のイデオロギーはほとんど区別がつかないため、どちらも強く批判する批判第三党が強くなるとそれは政権批判の目的で民主党に投票される票を奪ってしまい、かえって自民党を利してしまいます。

これまでずっと共産党はその立場であり、強く批判されてきました。
そして幸福実現党は論外としても、もし自民・民主、そして共産党も強く批判する、今表に出られない思想を代表する健全清新な政党ができたとしても同じことです。ネーダーが増えるだけです。
さらにそのカリスマ性が大きければ大きいほど、特にその政策の弱者保護が手厚ければ手厚いほどヒトラーの再来といわれるだけです。

僕は全現職議員、今議席がある政党すべてに徹底的に否定的です。
でもどれでもない政党・政治家に出てきてくれと祈ることも、もし僕に莫大な説得力・資金力があっても活動することもできないのです。

そういえば「与野党の動きに反対して」というのが結構あります。
それは興味深い言葉です。
反対党がなく何かが進むことがあり、しかも国民にはそれに反対する者もいるのに、それをくみ上げる議席を持つ政党が一つもないことがある…恐ろしいことと思わないのでしょうか?

まあ共産党という特異な政党がある日本の政治構造の問題でしょうけど。

ついでに、民主党が必ず勝つとも限りません。すでに何度か言っていますが、自民党が小泉・石原・橋下カードを切れば一気に逆転できます。民主党の自爆を待つのも賢明です。検察が鳩山新代表の弱みを暴いてくれることもできるでしょう。最後の手段としてとことん政権を渡したくなければ警察と自衛隊を動かして選挙をしなければいいだけのことです。自民党のほうが圧倒的に多くの札を持っているのです。

結論を言えば、つくづく日本の政治は詰んでいる…の一語です。

20

地球全体での「秩序回復」「最低生存物資の配給」「義務教育(特に環境関連、緑化などの職業訓練も兼ねる)」を人類がやろうとしないことは、地球の多くの地域での法秩序の崩壊や飢餓を容認していることはとんでもないことなのでは?
それを当たり前と思っていいのでしょうか?

また、なぜ人は車による多数の犠牲を容認しているのでしょう。
それを容認することの歴史は?

19

戦争による人材の損失は決定的ではないようです。
膨大な人材を失ったはずの日本もドイツも復興しました。

そう思えば、本当に欠かせない人材というのはないのでしょうか?

でもロシアでの大粛清はさすがにダメージがあったようですが…

また日本やドイツでも、最も質の高い人材が皆死んでいたため戦後の社会は道徳的には…というのはよく聞くことです。
でも道徳と今時の若い者はは信じられる言葉ではありません。

18

製造・流通などの技術を全く理解していない経済学者や経済官僚がいてもいいのでしょうか?
それらの知識が必要だとしたら、経済学部は文科系ではなく工学系に属するべきです。

元々経済学は大量に数学を用いますが…

本来経済学は工学、生態学…生物・地学の総合的な理解、高度な統計確率、そして心理学も理解してなければならない、非常に学際的で多数の素養を必要とする困難な学問なのでは?

というか、その経済学者を使いこなす立場である政治家や官僚の最上層部が法学部というのはどうなのでしょう…科学の基礎を知らない政治家が当選していいのでしょうか?

17

同じく良くない幼児期を過ごした一卵性の四つ子がいました。
四人とも大きくなって別に暮らしましたが、四人とも犯罪の強い誘惑にさらされました。
Aは幼児期に、一人でいたときに見知らぬ大人にあることでほめられたことがあります。それが支えとなって善い魂が育っており、犯罪を犯しませんでした。
Bは犯行を決意していましたが、前日にギャンブルで大穴が当たり、犯罪を犯さずにすみました。
Cは小さい頃、一人でいたときに見知らぬ大人に性的虐待を受け、それが遠因で犯罪を犯しました。
Dはどれもなく、単純に誘惑に負けて犯罪を犯しました。

Aは自分で選択した善人といわれるでしょう。
Bは幸運に過ぎず、潜在的には犯罪者には違いありませんが犯罪を犯してはいません。
Cは?自己責任という人もいるし、そうでないという人もいるでしょう。
Dは明白に自己責任、自分の選択で有罪とみなされるでしょう。
AとBはどう違うのでしょうか?
Bも魂の質は犯罪者に違いないから罰するべきでしょうか?
Bも罰するべきならAも幸運でしかなかったのだから罰するべきでしょうか?
そして、AとBが同じならDはどう違うのでしょうか?
ちなみにA,B,Cのどれも単純化のため一つのできごととしたましたが、実際にはどれも無数のできごとがそれぞれバタフライ効果をなしてかかわっています。
そう考えるとCとDの区別もあいまいになります。Cと同じように、Dも何らかの偶然の要因があるのかもしれません…ごく小さな、誰が見ても特別なこととは思えない日常のことが。
一卵性である必要も別にありません。単に実験の常として、余計な要因を除きたかっただけです。

またCは昔は同情され、今は攻撃されます……選択したのは本人だ、どんな境遇からでもまともに育つ人はいる、と。
ではその、選択した本人の人格は何が造ったのでしょう?
遺伝子?生育史?
それともどちらとも別の魂が生来神から与えられているのでしょうか?
遺伝子や生育史なら不運なだけ、後者なら神に責任があります。
それとも遺伝子・育ち・神のどれとも関係ない絶対的な「本人」があるのでしょうか?
偶然?そう考えるとこんなケースすら考えられます…二人の同い年の小さい子が同時に性的犯罪の犠牲になった、だがEは犯罪者になり、Fは善良に成長した…それを分けたのは、事件の翌朝の食事がEは大好きなハンバーグでFは大嫌いなにんじんを無理に食べさせられたことだったりするかもしれないし、Eはちょうど十三歳のときにそのような問題に対処する方法が書かれたいい本に出会い、F河同じ本を手に取ったのは十五歳のときでもう手遅れだった、ということかもしれないのです。
僕が思っている「微小な偶然」はそんなはっきりしたものではありません。バタフライ効果…人間が入力される、何兆バイト秒とも知れない情報のどんな微小部分かもしれないのです。
また「小さい頃の虐待」によって犯罪を犯すのが統計的に半分であっても、それは選択の問題で自己責任なのでしょうか?半分が死ぬ底なし沼から這い上がれないのは自己責任なのでしょうか?
同様に、親の年収が200万円以下の子供の3%が犯罪を犯し、500万円以上親の子供の.05%しか犯罪者にならないとしたら、それは自己責任といえるのでしょうか?
ある境遇・ある遺伝子の統計的に圧倒的多数が犯罪を犯した場合も自己責任でしょうか?
「運」がオイディプスのレベルであっても有罪なのでしょうか?
「氏」「育ち」「本人」「無数の微小な偶然」のどれでしょう?

選択をする人格自体が偶然のおかげ、と考えれば犯罪と交通事故は事実上等価になるのでは。
犯罪の加害者・被害者・社会の複合体をどう扱うのが最善なのでしょうか?それぞれは?
単純に不運の責任を取れ、という不条理、中庸と常識という非論理的な判断基準が人間社会を構成しているだけだと認めれば?
「本人」の「責任」としないと社会が崩壊するから、すべての不条理を無視して「本人」「責任」を仮定しているだけ?
別々に育った一卵性双生児には、犯罪傾向にかなりの相関があることは無視していいのでしょうか?
考えるのをやめろ、とにかく自己責任だ厳罰だ……?

一切の情状なく、ただ機械的にAとBを放ちCとDを罰するだけでよいのでしょうか?
では現在の取調・裁判・刑罰の体系は本当に唯一正しいのでしょうか?
どんな対案があるでしょう?裁判員制度なんて次元の低い話ではなく。

16

僕の魂の色が間違っているのは分かっています。
でも他人にアドミニストレイターパスワードを渡して、その書き換えを許すぐらいなら死んだ方がましです。この醜い魂のまま死にたいのです。

人間が簡単に書き換えられるならどうにでもできます…それこそ虐殺者にも簡単になれるでしょう。
正しく書き換えるのは正しいのかもしれませんが僕はごめんです。特に世間教に洗脳されるよりは死を選びたいです。
僕は支配しようという欲を見てしまいますし、それは邪悪と感じます…人間がやるなら。
運命がどうしようもなく変えていくのは仕方がないのでしょうが。

「スタートレック ネメシスS.T.X.」で、ピカードはクローンのシンゾンに「人は変われる」と言いましたが、なら逆にピカードが二十年後シンゾンや暗黒皇帝ティベリウス(善悪反転平行宇宙のカーク)よりひどい暗黒皇帝になっている可能性もあるわけです。
僕は……それが損なのは分かっていますが、本能に近いレベルで……指導されること、父性温情主義を拒否するものがあるのです。

他人に魂の底まで手を突っこまれて書き換えられるぐらいなら、いっそいますぐ死にたいぐらいに。

15

拳というのは人間に標準的に与えられた武器に見えますが、それにしては殺傷力が弱いです。
脆く、人の頭蓋骨を殴っても簡単に手の骨が折れます。
人間を殴り殺すことも困難です。
もちろんライオンに拳で立ち向かうのは全くの無謀です。

でもその脆弱さは、鹿の角や頭突きをする恐竜の頭部のように、互いを殺すことなく群れ内部での優劣を確認するための、儀式的武器だからと考えれば納得できます。

逆に殺傷には…人間が「衣服なしに体毛がなかった」時代があったのでしょうか?
同様に「棍棒なしに弱い拳しかない」時代はあったのでしょうか。

素手で人を殺すには拳を捨て、掌底・手刀・肘・蹴り・頭突き・投げ・関節技を用いるほうが有効でしょう。
拳は別の目的でできたと考えたほうがよさそうです。
いや、本来は儀礼的闘争以前に、ナックルウオークのほうが拳の主な用途だったのでは?

逆に…ベアナックルでの殴り合いは、人間にとっては「プリインストール」システムなのでは?
特に男子については。
それを原則禁止していいのでしょうか?特に学校などで?
学校などではあまりに暴力を禁止しすぎ、それがゆがみになっているような気もします。

14

長いこと放棄されていた農地、都市部の空き地や中央分離帯や高速道路関連の草地など、雑草が高密度で茂ってどうしようもない土地を、多数の山羊や羊を放して草を食い尽くさせることができたら便利では?
大住宅地帯やゴルフコースの芝生も大変ですが、それもわずかな草食家畜を放牧すれば解決できるのでは?

三年ぐらいかけて繁殖させつつそこを食い尽くしたら別のところに回ればいいのです。遊牧と同じです。
その間、周囲は新鮮な乳製品を安価に手に入れられます。

草刈りに世界全体でかけている労力はどれくらいで、その草はどれだけの山羊や羊を養えるものでしょう。
羊だけだと比較的柔らかい草しか食べられませんが、イバラの類でも山羊なら食べられるのでは?

デメリットは声の騒音と悪臭、また逃げ出した動物による近隣の食害の問題が少しあるでしょうか?

あと農薬がしみている芝生の草を食わせた家畜の乳製品や肉は使えるでしょうか?
もし使えないとしても毛や皮革は使えるはずです。

そういえば、都市部にも結構ある草地に鹿・ウサギなどの草食動物があまり見当たらないのはなぜでしょう。
コンクリートでの分断距離が大きく野生動物には越えられないからか、それとも車の騒音をそれらが嫌うからでしょうか。
あと草食性の大型リクガメにも可能性はありそうですが、移入は危険が大きいですし在来種に都合がいいのはあるでしょうか?

13

とことん最低限の裁断縫製技術でできる服…
貫頭衣が一番簡単でしょうか?

でも布筒を作れれば、脇下から膝上まで同を覆う筒・両脚をそれぞれ覆う筒・両腕をそれぞれ覆う筒を首輪から吊り、別に細長い布で頭から肩を巻いてカバーするのは簡単な技術でできなかったでしょうか?
あ、脇下から膝上までの筒は女性もののキャミソールなどがそれですか。

他にもいろいろあるかもしれません。

オーバーオールも割と簡単なはずですが、今あまり着ている人はいないですね。
というかジーンズショップにもユニクロにもない、ということは事実上市場にないに近い?
古着のみしかなく新作はもうない?

一番単純なのがジャージ上下かも。

ズボンとシャツという洋装があまりにがっちり定着していますが、それが本当に最も合理的でしょうか?

12

戦争は資源の奪い合いだ、と言われます。

だったら核融合炉とレプリケーターと原子転換機の研究にその金…その半分をぶちこんでもいいのでは?

成功したときの報酬はでかいです。
海にさえアクセスできればですが、事実上石油も農地も必要なくなります。

そうしないのは、戦争はもっと別の、人間の根源的な愚かしさと関わっているのでしょう。
進化心理学的には人間はいつも別の群れと限られた縄張りを争って殺しあっていた…現在の狩猟採集民も戦争に寄る死亡率は高い…とかの話も出るでしょうか。

単純に何人か特別な人たちの雇用を維持するためかもしれません。

11

アフリカなど貧困地域も、近代以前に比べれば何十倍も豊かになっています。
人口と家畜がどれだけ増えたか。

で、なぜ彼らは富を手に入れたらそれで自分たちの生活水準を上げ、地域を緑化するのではなく人口や家畜を増やして緑を食い尽くすに任せるのでしょう。

といってもアメリカの農業も威張れたものではありません。

10

雑誌で連載された文章を単行本にするのはよくあります。

でもテレビで、たとえば大きい報道番組の中である事件の報道をシリーズ化されることはよくありますが、それをまとまったDVDとして出すことはあるでしょうか?

さらにラジオは?

9

現行の年金制度は「家族がいない高齢者」の存在を、事実上想定していません。
「一生借家住まい」も、一応公営住宅はありますがある程度の数は想定していません。

国民年金は満額でも一人では単身者用の家賃にすら及ばないでしょう。家賃と生活費に加えて介護費用さえ必要なのに。
本質的には国民年金は、遺産などで家兼店などを持っている自営業者、それも核家族で介護自体は嫁がやることを前提にしています。

でもこれからはそれはどれも無効になります。自営業者は経済の変化でほとんどが潰れ、家族もいないフリーターが多数老いていっているのです。
それを前提として制度を変えるより数百万人が餓死するほうがいいのでしょう。

といっても国にとって、本当にそのほうがいいのでしょうか…人道を無視して国益だけを考えても?
問題は国益より政治的な問題、政治的な実現可能性なのですが。

もう一つは、産業界は一体何人必要としているか、です。
本当に完全雇用は必要とされているのでしょうか。
その気になれば半分で世界が回るなら、半分でもいいといわれたらどうするのでしょう。
ケインズ主義で残り半分を雇うのははやらない、でも残り半分に餓死しろといったら社会が壊れかねない…それをやってみているのでしょうか?

8

優れた詐欺師・いじめっ子・拷問官・独裁者…と、善悪とは関係なく奇術師やセールスマンや占い師…などは人間の、論理とは違う動物レベルにある機能を用いるのがうまいのでしょうか。
それを利用して人をだまし(その点では詐欺師と奇術師は同じですね)、支配することができる…ただしいじめっ子や独裁者は、自分の支配欲を制御できないことが多いと思いますが。

それを使うことができれば、論理的な知能とは関係なく大きいことができるのでしょうか。
論理的な知能が高い犯罪者と、本能的な部分がとても優れている犯罪者ではどちらがより有能なのでしょうか?

7

音の評価に「美的因子」「金属性因子」「迫力因子」の三次元で評価する、というのがあると聞き、僕が漫画家の絵柄を評価するのもそうしたほうがいいかな、とも思えてきます。
さらにいえば

などが考えられそうです。
ワインのフレーバー・ホイールも参考になりそうです。

6

これからどの層の生活が苦しくなるか、それはどう富が動いたからなのか…それを僕はまだ全然理解していません。

また、今需要がなくて景気が悪いと言いますが、今の世界にまだ車や冷蔵庫やパソコンを持っていない人は何十億人いるでしょう。
ならば需要はあるのです。
彼らがそれを買うだけの金を持っていないから、世界経済からは無視されています。
どうなればよいのでしょう?

投資と経済成長が皆を豊かにするというなら、ここ四半世紀は?
圧倒的に多くの人は豊かになったのでしょうか、まだまだ貧しい人が多くいるというだけで?

でも結局、世界の多くではその経済成長を人口増加にぶち込んでしまった…
家族が五人のまま豊かになるより、極貧のまま百人に増えるほうがいい、というのが世界の多くの現実なのでしょうか。

5

実行すれば犯罪となる生暴力を描写するアダルトパソコンゲームが禁止されるようです。
僕は少なくとも鬼畜系は一切興味がない、むしろ嫌悪感が圧倒的に強いので、そんなのがなくても別に困りません。
でも「始めにナチスは共産主義を〜」を忘れはしません。
僕が好きな少女漫画まで単純所持規制されたらたまりませんので、その禁止には…自主規制だろうと法によるものだろうと…反対します。

僕は道徳的厳しさ、特に性的倫理は負の感情だと思っています。

もしゲームセンターもファミコンも、アニメもマンガも、ケータイもインターネットも、アダルトビデオも雑誌もコンビニもオートバイもなかったら?
大人が望むように、完全に健全な世界というものはどんなものでしょう。
一切の娯楽・知識が許されないタリバンがそうでしょうか。またはカルヴァンのジュネーブ?地獄です、少なくとも僕には。

さらに言えば、特に若い人による、ネットとの関係も深いデモに対する警察の激しい攻撃と関係はないでしょうか。
そして飲酒運転や大麻に対する異常なほど激しい報道も。

違法ダウンロード禁止など、自由を損なう法に限って妙に全会一致が多いのも気になります。

全体として自由が失われつつある感じがします。
純粋に自由の側に立つ人がますます少ない、道徳的厳しさを求め、警察の活動が強化されることを望む世の流れを強く感じます。

4

40過ぎて役職についておらず平のままの人は、事実上「いらない」と言われているのでしょうか?

本当に雇用が流動化されて、実力だけで給料が決まるとしたら、子供が大学に行っているのに学費を出すのが無理な給与水準になる可能性が大きいのでは?
その割には今のところ、極端に大学進学率が落ちたという話は聞かないです。
やはり年功序列は強いのでしょうか。
でも団塊ジュニアの子供が高校大学に行く年代になったら、それもどうなるでしょう。

さらに生存自体の線もあります。日本の都市部で屋根の下で暮らすには、最低でも年に家賃+光熱費・税で八十万はかかります。生存自体に百万円は必要でしょうが、本当に自由な市場でその半分しか出ない、実力のない者は死ぬほかないのでしょうか?

やはりある程度、給与は「必要を満たす」ものであるか、多くのことを国が面倒を見るかでなければならないでしょう。
それは企業が…社会が「いらない」といっている人をどうするか考えることでもあるのでは。
社会が必要としない人間は安楽死、だったら非常に簡単なのですが。

根本的な問題は、年齢に応じて人は金を必要とします。
特に結婚し、子供を産み育てるという国に対する本質的な義務をちゃんと果たしている人は。
家と車、子供のランドセルから大学と膨大な金が必要なのです。
年功序列時代にはその金がちゃんと給料で与えられたとされます。
でも実際にはそれは、女性と外国人を切り捨て金を集中させ、国が多くの借金をし、そして高度成長という時代の風を前提としたものでした。
女性を社会参加させ、グローバル化で外国人も競争に参加し、国の借金に危機感が持たれ、そして何より高度成長が終わった今、戻ることは不可能です。
ならば…半分が子供を産まないことは、諦めるほかないです。

ちゃんと子供を産ませたければ、能力が低い人にも家と学費をちゃんと保障してくれないと。
家・学費・医療介護費は誰もが必要です。それを誰が出すかの問題では?
出さないというのは、それこそエルリック・サーガの「薬で火事場のクソ力出しっぱなしで船を漕がせる、早いが三日後絶対死ぬ」と同じです。

3

「乾いた雑巾を絞る」ことは正しいでしょうか間違っているでしょうか。

その努力が日本の製造業の強さを支えている、ということもできます。
同時に、それは無数の過労死・自殺を生み、多くの人の人生を地獄にしていると言うこともできます。

本質的には人生観でしょうか?それとも階級闘争?

2

ゴルバチョフ氏がいなかった歴史と今の現実と、どちらがよいのでしょう。

この問題は「個人は歴史にどれだけ影響力を与えられるか」と、「(旧ソ連崩壊はゴルバチョフ氏がいなければなかった、という隠れた前提のもと)旧ソ連崩壊は良かったのか悪かったのか」に分けられそうです。

他にもたくさんあげられます。
たとえば原子力発電がなかったとしたら、今のこの世界はどうなっているでしょう。

1

自分でも理解していなかったかもしれませんが、僕の論理の典型例はこうではないかと思います。
その最初のほうの段階で終っていたことも多いですが。

  1. ホームレスはガス室送りにしたほうがいい

  2. (そんな非人道的な、というツッコミ待ち)

  3. ガス室が非人道的?では今の、ひたすら自分の街から排除する態度(ランボーの原作の警察署長、NIMBY(自分の裏庭にではなく))、収容施設の待遇の悪さと一時性という政策システムはガス室より人道的なのか?

  4. その上で、あるべきホームレスに対する対処も提言する

  5. ただし、それが実現されないことも理解して、その理由も分析し、「皆さんはガス室容認よりもっとひどいのです」と断罪する。

また極端な選択肢をいくつか挙げることも多いです。たとえば

ホームレスを嫌悪するのは表面的にはその匂いゆえである、なら