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31

拳銃と剣またはナイフをそれぞれ片手に持つのは二重にカッコよく思えます。
でも実用性は全くのゼロです。

漫画でも使いこなすのが非常に珍しいようで、超人設定でもめったに見ません。

ちなみに拳銃も剣も、実際の歴史上の戦場では決して主役ではありませんでした。
実際には槍や斧のほうがはるかに武器としては有効で、貴重な金属も節約できます。
だからこそ、浪費だからこそ高い意味を持つのと…人間の精神の根源的なものが剣を求めるのでしょうか。

人間が金貨にこだわるのは、ターザンが金貨をおもちゃとして好んだように…本来、人間の一切の文化とは切り離されて育った彼には金を好む必要がまるでないのに…人間自体の根源的な何かと関係があるのでは…

30

なぜ近代世界は、「一人も脱落者を出さない」ことにこれほどの努力を?
自殺を止め、犯罪者も更正を建前とし、アルコール中毒や精神疾患にも治療の努力をし、身体・精神障害児さえ社会人として自立させる努力をします。

特に刑務所や拘置所などでの自殺防止努力は驚くほどです。本来犯罪者に自殺してもらえば、まして終身刑囚や死刑囚なら大いに税金の節約、社会にとってのプラスでは?
まあ三浦氏の件でわかるように、内部での自殺は真相がどうあれ警官による口封じ殺害疑惑を反証できないから、というのもあるでしょうし、キリスト教からの類推で犯罪者の命は本人のものではなくお国のものだ、犯罪者は自分の命さえ「自分で決め」「所有し」てはならない、というのもあるのでしょうか。

やはり本質はキリスト教の自殺禁止でしょうか?神学的に人の命は神が与えたもので本人のものではないという思想?
全員を平等に包摂する…キリスト教の無条件の隣人愛からフランス革命の平等?
家族の要求があるとすれば、逆に家族がいない人は脱落させてもかまわないのでは?

社会的に排除された者、心理的に社会化されていない・非社会化されている者をどう社会にもう一度取り込むか、というのが重要なテーマになっているようですが、それは「全員無条件に社会に入らなければならない」という前提があってのことです。
逆に社会自体をある種のエリート集団と捉え、選ばれた優れた人間以外社会にとって必要ない、としてはなぜいけないのでしょう。
現に、現在の新保守・新自由主義はそれに近い傾向があるとも言われます。

特にグローバル新自由主義世界では工場も軍隊も、「ほどほどに優れた多数」を必要としていません…きわめて優秀な少数と、ある程度の数の低レベルの奴隷で機能します。
人間は使い捨てでよくなり、脱落者は安楽死が経済的に妥当なのでは?
そしていつか、完全に低賃金未熟練労働をロボットが代替できるようになったらもうほとんどの人間は不要になるのでは?

脱落者を遠慮なく安楽死させたナチズムは…理想社会にふさわしくない人間を排除する、という考えでした。
それと、グローバル新自由主義の、一部の人間以外必要ない、人間は使い捨てだ、という考えとはかなり違う気がします。

そういえば、グローバル新自由主義の目的は何でしょう。
富裕層の利益の最大化でしょうか?

ちなみに南米などでは、ストリートチルドレンを民兵が虐殺するという形で生命の社会的排除が、事実上公式の政策として行われているそうです。

29

今日地下で電車が止まり、「次の駅でホームに人が倒れている」と放送がありました。
化学兵器攻撃を覚悟しました。

そして、その場で「サリンだ!逃げろ!」と叫べばそれだけで何人か殺せる、と思うと奇妙な気分でした。
パニックはそれ自体が凶器になります。
逆にテロを防止する政策を選ぶにも、公衆の場でテロに巻き込まれたらどうすれば生き延びられるか考える上でもそれは重要でしょう。

いつでもそれはありえる…いつでも大地震で、電車が地下を通っている時に水に飲まれるかもしれない、走っている電車が吹っ飛ぶかもしれない、ビルから落ちてくるガラスの破片に喉を裂かれるかもしれない…
さらに巨大隕石の衝突、超巨大火山噴火、核戦争などリスクはいくらでもあります。

別に何もなくてもいつ脳卒中や心臓発作に襲われてもそれほど不思議ではありません。

そしてこの経済が大恐慌になったら…

28

無駄な淡水はどれぐらいあるでしょう。
アマゾンの淡水のほとんどは世界の淡水の相当部分なのに使われていません。
どれだけの大河が北極海に流れ込んでいるでしょう。
といっても、その無駄という発想が間違いで、それを無理に利用するとえらいことになるでしょうか。

コンゴ河の水の半分でもサハラ方面に送ればどれだけの…
いや、さらに理想を言えば、一方通行どこでもドアの入り口をアマゾン河口近くの潮が来ないところに沈め、出口をサハラ砂漠の真ん中に置きたいです。
ナイル河のように熱帯多雨林で水を集めた大河が亜熱帯高圧帯の砂漠地帯を縦断するのが農業生産には理想ですが、そんな都合のいい場所は地球でも少ししかないのが残念。
中南米からメキシコに、ニューギニアからオーストラリアに大河が流れていればどれほどの農業生産が可能だったか…

または極地の氷河が直接亜熱帯の砂漠地帯に至るルートがあっても大規模農業生産が可能だったでしょう。
そんなところはないですが…北極は海、南極は孤立大陸です、運がいいのか悪いのか。
インドはヒマラヤの氷河の水を亜熱帯の緯度で受けていますから、それに近いでしょうか?

27

石油は乏しいけれど電力が核融合・大規模宇宙太陽光発電などであり余っている未来において、どうやって現在の石油化学工業製品を得るか技術的に検討しておいては?
論理的には水と二酸化炭素から作れるはずですが…具体的な技術はあるでしょうか?

まあ石炭はたっぷりあるので当分心配はないかもしれませんが、石炭から現在の石油化学製品のどれぐらいを作れるでしょう。

あとごく素朴な疑問ですが、炭化水素がこれほど多用なら…百以上ある元素の、さらにその組み合わせは瞬時に膨大な数になる、その中にはもっといろいろないのでしょうか。

26

アンケート。イエスかノーか。

  1. 自分は正しい
  2. 自分は世界のすべてを知っている
  3. 自分の意見に反対する人間は邪悪か、または洗脳されているか、無知なだけである
  4. 自分が嫌いな人間=無知で悪
  5. 自分の意見は世論に沿っている、かつ自分と違うことを言う世論は間違っている
  6. 「君の意見には反対だが、君が意見を表明する権利は命をかけて守る」には反対
  7. 自分はどこも思考停止していない
  8. 自分はどこにも偏っていない
  9. 自分の言うとおりにすれば絶対うまくいく、最悪を考える必要はない
  10. ある日自分の考え方を根こそぎ変える何かに出会うことはありえない
  11. 自分の意見に対するはっきりした反証があれば、それは敵の謀略であり無視すべきだ
  12. 自分が**(保守、革新など立場名)であることは真実や人が餓死することより大切だ
  13. 赤木論文は邪悪であり、同情の余地はない
  14. 弱者に情けをかけてはならない
  15. 代案という考え自体が悪だ

僕?

  1. N。僕は無知だし誤りやすい人間という生物。
  2. N。どれだけ知らないか、近所の図書館の中でもどんなにわずかな本しか読んでいないか考えると頭痛がする。
  3. N。人にはいろいろある。
  4. N。人の好き嫌いと知識量、善悪は関係ない。
  5. N。僕と世論のどちらが正しいか誰が決めるのやら。
  6. N。絶対的に賛成。
  7. N。多分どこかに自分でも気づいていない、見ることを恐れている何かがある。
  8. N。とことん偏っている…誰も餓死すべきではない、いかなる意見や芸術も発表は容認されるべきだ、文明は存続し科学を基盤として進歩すべきだ…。
  9. N。多分僕の考えどおりにしてもいろいろな悲惨や矛盾は出る。
  10. N。それを恐れているが、その可能性から目をそらしてはいない。
  11. N。基本的には科学者のつもりなので、リチャード・ドーキンスの著作にあった、ゴルジ体の存在を長く認めなかった老科学者がある若手の発表で疑問の余地のない証明を突きつけられ、「ありがとう、私はずっと間違っていた」と握手を求めた話は僕にとっても夢。
  12. N。人を餓死させていい理由など何もない。
  13. N。尊厳なき餓死を一世代に強いる世界など平和でもなんでもない、壊れてしまえばいいというのは同感。「希望は、戦争。」という言葉だけに脊髄反射を起こさずよく読んで欲しい。
  14. N。誰も泣かない世界が欲しい。
  15. N。常に代案を模索したい。

というわけで上のアンケートは、僕とは全く逆の考え方をあぶり出すものです。
だからといって僕のほうが正しいとは限りません…多分世界全成人投票をしたら負けるでしょう。
そしてアンケート結果が出ることは期待していません…多くの人はこのアンケート、それに現れている僕の人格自体に対する怒りのほうが強いでしょうから。

25

進化論的に人間には多様性が求められるのでは?
パイオニアも邪悪な人も。

大体の人は群れに従って生活するべきですが、群れを出て行きたいという人が少数いれば、出て行って…ほとんどは死にますが…新しい地を見つけ、そこで暮らし始める人がいるでしょう。
そうなれば元の群れと貿易関係になって互いを益するかもしれません。
また、元の群れが大規模な天災で全滅しても、新しい群れがあるので遺伝子自体が滅びることはないです。
元々あらゆる生物には、植物にさえ、より広がりたいという性質があるものです。

邪悪な人間は…群れがまとまると邪悪な人間が有利になる、でも皆が邪悪になると群れが維持できなくなり滅ぶ、だから根絶できないのでしょうか…
人間の虫垂のように、できれば消したいけれど消すためにより小さくするとかえって虫垂炎から腹膜炎のリスクが高まるように?
また戦闘でためらいなく敵を殺せるし、スパイとしての裏切りも平気でやる邪悪な人間は必要なのでしょうか?

どちらももう事実上必要とされない、いてもらっては困る…現代の文明はそうですが、それらを減らすことができるでしょうか。
あまりにも文明の時間の短さと、進化の時間の長さは違いすぎるでしょうか?
遺伝子治療でなくすことは?

24

「どの親の子になるか」「男女」「名前」を十五歳のときと二十歳の時に選べるシステムだったら人間はどうなるでしょう。
さらにもっと幼い頃に男女の選択権を与えたら?

23

オフィスの椅子は、なぜ固定式自転車であってはならないのでしょう。
また足元に、ちょうど子供用の車のオモチャのような負荷のかかるペダルを置いて、常に動かせる状態にできないのでしょう。

運動しながらの仕事は能率を増すはずです…多少冷房を余計に必要とするかもしれませんが。

貧乏ゆすりの完全な予防にもなります。

22

産業構造ごとに、貧富の分布曲線の形が違うということは?

人を上から下まで階級分けしたとき、時代ごとにどんな構成比を取るでしょう。
産業革命前は…どう分ければいいのでしょうね。

産業革命の前期、石炭・鉄鋼・鉄道・繊維が主要産業だった頃は…貴族・資本家・上層市民・労働者・農村・社会の外の困窮者それぞれの人口比はどうだったのでしょう。

石油・自動車が中心となった産業革命後期には、最上位の貴族および大学院卒指導者層が5%、士官・役員級が10%、少し技術のいる仕事をする労働者および兵士が40%、肉体労働・低賃金未熟練労働者が30%、社会の底辺の困窮者層が15%ぐらい?
ブルーカラーとホワイトカラーの違いも考えたほうがいいかもしれません。

そしてIT革命・グローバル化を経た今、排除される不要層が20%、低賃金未熟練労働が60%、士官・技師層が10%、創造者・株主・弁護士など超金持ちが10%となるのでしょうか。
でも女性・植民地のプランテーション・鉱山奴隷も考えに入れれば全然違うはずです。

本質的に、IT化が進むと社会全体の構成が、極端な格差構造になってしまうのでしょうか。

21

狩猟を模したゲームならば、たとえば広い野でロボット獲物…恐竜でも怪獣でもいい…を追って走り、投石や投槍や弓矢で仕留めるというのは人間の本来の姿でもあり、運動としてもとてもいいでしょう。
運動に耐えられるバーチャルリアリティヘルメットか、それともそれらしく見えるロボット獲物、どちらにしてもかなり技術的に難しいかもしれません。
それは一昨日考えたような、ルームランナー+弓矢でも楽しめるソフトになるはずです。

しかしそこで問題なのが、それは必然的に「人間を狩る」ソフトを生み出し、それが禁断の楽しみにならないかということです。
それに味をしめてしまった金持ちが、どこかに法が及ばない地域を作り、そこに不法移民などを拉致して実際に人間狩りを楽しまないだろうか…

でも、本当にそれが人間にとって究極の楽しみであれば、実際にどこかでやられていると考えたほうがいいでしょう。
スナッフビデオ(拷問殺人のポルノグラフィーとしての娯楽化)や闇格闘技大会と同様に。
それを止める方法は本当にあるのでしょうか?それを本当に止めるには、世界全体・全員の徹底的な監視が必要なのでは?
人間にとってそれが楽しみではない、と信じてしまうことや法をあてにするのは…そんなゲームを作らなければそんな人は出ないと信じるのも…現実から目をそらしているような気がします。

そして問題は、その可能性があるから狩猟ゲームは禁じたほうがいいのかどうかです。
人間が根源的に狩猟を楽しむ生き物…それは人類の歴史から言って確実ですし、チンパンジーを見れば同じ人間を狩ることも遺伝子レベルに刷り込まれていると思われます…ならば、ゲームがあってもなくてもリアル人間狩りは存在していると考えるべきです。
では狩猟ゲームがなければ、狩猟の楽しみに人間が目覚めずにすむ、だからリアル人間狩りはなくせる…といえるでしょうか?
なくすのは無理だ、という現実を受け入れ、減らすためとしても…狩りゲームを禁じたほうがよいのでしょうか?

この問題はポルノ、特に児童ポルノと共通する問題ですね。「人間を略奪・飼育して臓器移植用のスペアにする」という究極悪もその仲間でしょうか。
児童ポルノ…特に絵や文章も含めて…に反対する論理の前提に、児童ポルノに触れなければ児童に対する性欲は発生しない、という信念があります。
でも本当にそうでしょうか…同性愛同様、実質先天的に一定の割合で児童性愛者がいるとしたら、絵も含めた児童ポルノが一切ない状態と、絵による児童ポルノはある状態のどちらが…現実の児童の被害は少ないのでしょうか。
絵による児童ポルノで満足し現実の児童に映像も含め手を出すのを我慢している人と、絵による児童ポルノもない世界だったら犯罪を犯すことはなかった犯罪者と、どちらが多いのか…といっても一人の児童性犯罪者をどう調べても、「もし絵による児童ポルノも禁止されていれば、彼が犯罪を犯すことはなかった」ことは証明不可能ですが。
さらに絵を含めた児童ポルノを禁じても残る被害を、それ以上どうすれば減らせるでしょう…ミーガン法は再犯にしか効かない以上、初犯防止には…人権を守っては何もできないです。またどう禁じても、裏には必ずあります。

あと狩ゲームを禁じる前に、現実の狩猟はどうなるという問題もありますね。
狩猟の先に人間狩り娯楽があることを意識してしまうと、営林上欠かせない大切な仕事である狩猟自体に偏見・差別が働いてしまうかもしれません。
ただでさえ日本では穢れや仏教の戒律から、狩猟に対して偏見があるのに。

さらに言えば、今腐るほどある戦争・対ゾンビ銃撃ゲームも、人間狩りゲームと質的に同じではないか、とも考えられます。
そしてそれが、現実の殺人を減らしているのか増やしているのか…人を殺したい人がゲームで気を済ませて現実の殺人を我慢するのと、ゲームで殺人の楽しさに目覚めると同時に殺人に対する抵抗がなくなって殺人を犯すのと、どちらが多いか。これも証明不能ですが。

さらにいえば、今あるコンピューターゲームでも、パソコンでの人間狩りゲーム、CGアニメのスナッフビデオ、強制収容所経営体験シミュレーションなどとんでもない内容のものが裏であるかもしれません。
それについてはどうすればいいのでしょう…コンピューターを禁じたとしても、一度発達した技術を戻さない限りどうにもなりませんし、戻したとしても紙と鉛筆でも、口での口承でもそういう「とんでもない内容」は作れてしまうのです。

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ニコニコ動画の、僕が素晴らしいと思っているMAD動画
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm22466
が著作権上の問題で削除されました。
同じ内容の動画は
ttp://jp.youtube.com/watch?v=TKkWzZEKQyI&NR=1
で、一応画像はやや荒いですが見ることはできます。
でもニコニコ動画の高画質版は全く違う感動を与えてくれるため、その削除は僕個人にとって非常に大きな損失ですし、社会的な損失でもあると確信しています。

僕は上の動画は芸術だと思っています。
僕に「カッコよさ」だけで涙が出るような感性が残っていることを気づかせてくれた、紛れもなく感動を与えたものです。
人に感動を与える力があるものは何であれ芸術であり、その芸術は絶対に侵してはならない…僕はそう信じています。
それが著作権によって抹殺されたのであれば、今の著作権自体が間違っているのです。
実質的には焚書坑儒と同じであり、僕は焚書坑儒は絶対に許されないと信じています。
誰であれ、「何が芸術かを決める権力」は決して与えてはならない、誰であれその権力には値しない、とも信じていますから。

「芸術は絶対に侵してはならない」「何が芸術かを決める権力は人に与えてはならない」という価値観は僕だけが抱く、社会的に特異なものでしょうか?
誰も賛同しないでしょうか?

それ以前に画像の本来の著作権者、株式会社サンライズに動画の作者・ニコニコ動画・ユーザーが何らかの形で著作権使用料を払うことはできなかったのでしょうか?
また他にも、インターネットやコミックマーケットにある膨大な二次創作についても、気軽に低額のの著作権料を払って公然と使用するシステムはないものでしょうか?
逆になぜ、二次創作を作る側は著作権者に断りを入れる習慣がないのでしょうか?
たとえば僕が二次創作をするときに著作権者に連絡したら…いくら取られるのでしょう。絶対だめだと言われる、または非常に複雑な契約と億単位の金を要求されるものなのでしょうか?
僕も一か八かやってみるべきでしょうか…もうとっくに出している二次創作も含めて。

このような文化破壊が二度と行われることのないよう、著作権の関係者は猛省し、何らかの対策を考えてほしいです。
そして一人でも多くの人が「芸術は絶対に侵してはならない」という原則に賛同し、今の著作権の暴走に立ち向かって欲しいのです。
今の法的不寛容の路線が進んだら、日本が誇る膨大な二次創作芸術が全滅するという恐ろしい可能性もあるのです。
僕は今の日本の社会の、とにかく絶対遵法、若者・新文化に対する反感という社会的圧力をなめてはいません。もう暴走に入っているし、それはどこまでも進むと思っています。

19

僕は前から、ゲームセンターが本当に生き延びるにはフィットネスジム・カラオケとの一体化が必要だと思っています。

今の技術水準ですぐ実現可能なものとしては、たとえばボート漕ぎ運動器具の(使用者にとっての)正面に大画面のディスプレイとスピーカーを置き、必死でこがなければ渦に引きずり込まれて死ぬ、さらに銃型コントローラーで画面の敵を撃つガンシューティングを加えたものがあります。
ボート自体が非常に有効な全身運動です。
銃を撃つ間は漕ぐのを休み、敵を撃退したらまたひたすら漕ぐわけです…互いにいい気分転換になるでしょう。

また、固定式自転車に乗って、後ろ以外270度を大画面で(武器がぶつからない程度離して)覆い、自転車で漕いで走り回りつつ、特殊な手袋をつけて矢が飛ばないようになっていて不都合がない、強さを変えられる弓矢と、3kgから15kgの重量調節可能な両手剣で戦うゲーム兼運動設備はどうでしょうか?
とてつもなく楽しく、非常に負担の重い運動ができるはずです。特に狩猟を模したゲームは人間の本能を満たすでしょう。
ソフトも地上を走るもの、空を飛ぶものなど結構多様にできると思います。
特に両足同時に強く力をかけてジャンプを入力できれば。

ランニングマシンで角度や速さを変えながら複雑に走り、敵が出たら弓を引いたり重い剣や斧を手に取るのもいいかもしれません。
それに垂直にジャンプする必要が多くても、縄跳びのように有効な運動になるでしょう。
顔の向いた方向によってちゃんと映像を調節するヘルメット一体ディスプレイがあればもっと安価にできるかもしれません。静かな冷却ファンも必要ですか。

ちなみにある程度なら家庭用にもできそうです。
ステッパー・乗馬・ルームランナー・ボート漕ぎ・エアロバイクなど各種運動器具と任天堂Wiiを接続し、それぞれに合わせたソフトを入れるだけでもいいのです。

さらにカラオケとの統合…声を出すのを当たり前とし、ストレス解消に叫ぶなり、泣き叫ぶなり、ゲーム内の「呪文」として大声で歌うなりしてもいいでしょう。
遮音個室で、歩行運動器具で重い剣で空にしるしを描きつつステップでも踊りながら大声で歌うことで、声の大きさと音程の正確さに応じた威力の魔法も使えるなら、運動・ゲーム・楽しみとして想像を絶するほど深いものとなるでしょう。

18

世界全体で、いくらでも人間を使い捨てられる…
そう思っている人は多いでしょうが、人間が使い捨てなのは別に今に始まったことではないでしょう。
古代から奴隷制度はどこにでもあり、貧困層や囚人、捕虜その他膨大な人が使い捨てられてきました。

人間は強者の所有物、それも使い捨てなのか…それとも誰もが本質的には平等な個人なのか…本質的には道徳観、人間観の問題です。
人間は自分以外は好きなだけ使い捨てていい物でしかない。
自分も自分の属する集団の、ミツバチが群れのために使い捨てられるように物でしかないし、また自分の属する集団の人間以外はそれ以上に使い捨てていい物でしかない。
誰であろうと人間は使い捨てていい物ではなく、無条件に生きていい人である。
人間は条件を充たさない限り生きていく資格はない。…

現実には国内外問わず人間の使い捨ては止まりそうにないですが、どうすればそれを止められるか…

平等に反対する人も、別に人は一部の貴族以外は使い捨てていい奴隷だ、とは思っていない…と思いたいのですが。
完全な平等は不可能だというのは、一部貴族意外全員使い捨てに過労死させるか餓死させていい、ということではないと思います。

17

QWERTYキーボードとマウスの改良システムとして、小さいペンタブをマウスの代わりにすればより小さいスペースで作業できるかもしれません。

ペンを持ちながらパソコンのキーボード入力をすることは少し練習すれば可能です…少しだけ入力効率は落ちますが。
ワイド画面に合わせて幅10cm縦5cm程度…ノートパソコンのタッチパッドより一回り大きい程度の、精度の高いペンタブをキーボードの中央下に設けておけばいいでしょう。
そのペンの、指で握る部分から先端寄りに左右クリック、親指の上側に十字キーを配置しておけば十分操作できるはずです…キーボードからは十字キーを排除して、だいぶ楽なレイアウトにできます。
またはペンに十字キーはいらない、キーボードをペン立てに入れ、ジョイスティックのように上下左右に力を加えて十字キーの代用ができれば面白いしスペースの節約になります。
ペンはもちろんキーボードの上に収納し、またペンタブ部分の両脇に設けられた穴に差しておけます。
特にノートパソコンにこれがあれば、マウスを外付けする必要はないでしょう。スペースにおいてタッチパッドとほとんど変わらず、操作性は比較になりません。

左手を前提唱した親指スライドシフトの小型キーボードにすればものすごい省スペースが可能になるはずです。

16

「どの政党もダメだ」という、マスコミ・ネット世論を問わぬ共通認識には、権力側にとって両面があると思います。

権力側にとってのいい面として、自公政権・小選挙区制では「どの政党もダメ」というのは自公政権にとって、さらに自公政権に民主党を含めた大権力にとってとても有利だということです。
有権者は寝ていてくれ発言がその代表です。

悪い面としては、どの政党もダメ、でもなんとかしたいと思えば、武力革命という言葉が浮かんでくることです。
もちろんどの政党もダメなら武力革命しかない、というのは短絡です。少なくとも僕は国民投票規模の署名運動で選挙抜きに政界再編や全既成政党解散を迫る、と提言しています。

さて、武力革命を考えさせてはならないのが、特に公安など治安セクションの仕事のはずです。
ならばその前段階である「どの政党もダメ」論も禁ずるべきとならないでしょうか?
ではなぜマスコミ・ネット問わず「どの政党もダメ」論が抑圧されておらず、主流意見とさえなっているのでしょう。

武力革命が成功しない程度の暴動、蠢動は公安にとっては来期の予算増を要求できるので歓迎だからでしょうか?
いや、暴動が起きたとしてもそれは公安の責任になります。
言論がどうでも武器を取る前に全て潰す、公安の予算増に役に立つ程度にコントロールできる、という絶対の自信と実力が公安にあるのでしょうか?
つまり自公政権に有利、また公安の予算も増える、ただし武力革命成功は絶対無い、という権力・公安の利益が極大化される線を、マスコミや世論を動かして目指しているのでしょうか。
それとも何も考えておらず、局あって庁なし庁あって国なしで、一人一人が自分の周囲の利益だけで頑張っている結果こう迷走しているのでしょうか。

どの道日本人は暴動などという言葉は忘れているから心配ない、ということでしょうか。

もちろん「どの政党もダメだ」は、民主化を求める立場から見れば何も産まない最悪のものです。事実ではあるのですが。
といっても選挙でそれを脱する道があるかどうか…民主党を勝たせても、民主党が自爆したり大連立したりするリスクがいつもありますから。
かといって自民党が勝って、その先に民主化に向かう道があるとは思えませんが。

結局どれを選ぼうと賭けです。
民主党に投票しても自民党に投票しても、選挙以外の道を模索しても…ただし武力革命は絶対に悪い結果にしかならないでしょう。

15

自由意思、運命、選択、生まれ、育ち…どれが人を作っているのでしょう。
全部でしょうか?

僕自身は、半分ぐらいは遺伝子によってある程度の方向性が決められており、また幼児期の養育環境も大きい、けれども本質的にはパチンコやピンボールと同じくカオスだと思っています。
胎児期からの一分一秒すべて、ありとあらゆるきわめて細かい条件が複雑に作用する…事実上決定不可能、偶然の産物では、と。

ですが、罪を罰するには「本人の自由意志による選択」というフィクションがなければなりません。
まったく…人間が人間を治めること自体が根本的に間違っているのです。

14

左右とは別に「政府方針」がある気がします。
右と言ってもバリエーションが広く、本当に政府に盲従しているのは少ないのでは。

そして、絶対的自民党支持者の思想は非常に見えにくいです。
論壇誌にも出てきません。
読売新聞にはあるでしょうか?
言葉になる思想は日本の思想の一部でしかなく、大多数はまったく別の世界にいるのでは。
さらに政府方針とも違う…「妄言」や差別を支えるような、語られることのない政治思想も根強くあるのでは?
言葉にならない多数派を言葉にすることは無理なのでしょうか?結局日本を動かしているのはそれなのでは?

さらに、マスコミの左と政党の左にもずれがある気がします。

そういう…立場のわかりやすい地図があるといいのですが。今は語られない立場も含め。
単純な経済的統制〜自由、市民的自由〜権威の座標平面が多いですが、軍事的にも非武装中立〜東アジア共同体〜親米〜武装中立といろいろあるはずです。
環境についてはどうなっているのでしょう。

13

タイムマシンでの時間改変ができるとしたら、今は最善かどうかを問うべきでは?
大抵の小説では、歴史を変えるべきではないと結論します。
でも、本当にこの歴史が最善だというのでしょうか…20世紀に何億人殺されたと?

そして、今の歴史のこれからは最善でしょうか?
違う歴史のほうが、人類文明が大きな大量死・虐殺・選別なしに存続する可能性が高いと言うことは?

「今この世界は最善である」という命題が誰の心にも無意識にあるのでは。
確かに今の世界の、物理法則、物理定数および地球の諸条件はとてつもない精度です。
でもそれは、これまでに悲惨な死に方をした何億という人々にとって慰めになるでしょうか?

12

奨学金は左右問わず反対されるようです。
なぜでしょうか?
機会の平等を確保するには奨学金が一番大切なのに。

左側は、たとえば斉藤貴男氏は奨学金は権力者が出すものだ、だから奨学金によって育つ人材は当然権力にとって都合のいい人材にしかならない、と反対します。ちなみにその論理は公教育自体も否定しています…教育費を出せる権力者ではない者とは誰でしょう。
あと斉藤氏ら貧困による徴兵制を強調する人は、軍が奨学金で貧困層を勧誘するとも批判しています…だから奨学金自体も嫌うのでしょうか。でもその制度がなく、貧困層が完全に放置されたら…そのほうがいいでしょうか?
また左側が求めるのは結果の平等…誰もが同じように豊かな社会、誰もが子供の学費ぐらい出せるから奨学金が必要とされない社会です。
奨学金が下手に大きいと、親の収入を平等にする必要がなくなるので賛成できないのでしょう。
しかし、その論理ばかりで奨学金が削減されると、余計に十年後二十年後の格差は広がるのです。
根治療法に固執し対症療法に反対していては患者にいらぬ苦痛を与え、死ぬこともあるのです。医療の目的は患者の苦痛を減らし、命を助けることではないでしょうか。
オールオアナッシング…誰もが同じ収入の理想郷の夢想が強すぎ、それ以外を全部否定しては実際に最悪の世界になるだけです。

逆に右側は…要するに貴族主義・社会ダーウィニズム…エリートだけしっかり教育し、貧乏人はどうせ子供の品質もクズだから教育などいらん、と考えているのでしょうか。
エリート教育をしっかりやることと奨学金の整備は矛盾しないはずです。
また大きい政府・税金に対する反対?日本の保守は経済的な自由主義もあるのでしょうか…戦前的権威主義ではなく?
また感覚的に、「人の世話になりたくない」という…生活保護を拒否するような感覚もあるのでしょう。
でも奨学金に反対していては、機会の平等にも反対しているととられるでしょう。いくらなんでも、機会・結果とも平等を否定するのは賛成者が少ないのでは?

左右とも、本当にそれでいいのでしょうか?
僕はとにかく奨学金は必要だと考えています…それも借金じゃない、生活費も保証する全寮制学校の形で。
結果の平等は簡単ではないけれどせめて機会の平等だけでも確保したほうが、両方ないよりましです。
もう一つ、インターネットでの完全無料でちゃんと学歴も得られる教育システムが完備すれば、奨学金をある意味不要にできます。
放送大学をもっとわかりやすくし、放送中学・放送高校も整備して、無料化するのも手でしょう。
奨学金に賛成するのも、学校外教育の充実を考えるのも僕だけでしょうか?

11

一番多くの人が引っかかるのは一番下の誘惑だと思います。
ほとんどの人は次の四半期の事や今月のノルマしか考えられないでしょう。

10

資金さえあれば発展できる科学技術分野はどれだけあるのでしょう。
今は科学技術の発展が目立ちませんが、もう限界に達しているのでしょうか?

その割には人類は、深海についても深地下についても、生物種についてもどうしようもなく知らないのですが。

まして技術については、どれぐらい可能性があるでしょうか?

太陽光・風力発電についてはどうでしょう…ものすごい投資がされているという噂がありますが、少なくとも十年以内にエネルギーの八割をまかなえる先進大国が出てくる見込みは少なそうです。
やはり自然法則レベルで限界があるのでしょうか?それとも軍産複合体や石油業界の陰謀で真面目に研究されていないのでしょうか?

他にも、携帯電話の技術ばかりが目立ちますが、可能性がある技術は無限にあるのでは?

9

「怒られているうちが花だ、怒られたら感謝しろ」というのがあります。

でも、怒る側が邪悪であって目的が(無意識的にも)怒られる側を(自分同様)不幸にすることが目的かもしれません。
また怒る側の目的が洗脳かもしれません、救うためという善意も含めて。
本人の主観では完全に「相手のため」である可能性もあります。

人間は信じられる存在でしょうか?
信じなければ教育はできない、ということが本当だとしても、それは人間が信じられる存在かどうか、という疑問には関係ありません。
願望と事実は混同してはなりません。
僕は人間が信じられる存在ではないことを前提としてのシステムを模索しています。

僕は結婚し子供を得る気は全くないですが…その子は確実に最悪に不幸になりますね、親が徹底して自分を疑い、一言一言、態度のすべてに「子供を無意識・善意であっても邪悪に支配していないか」容赦なくウィルススキャンをかけていては。
子供を、また夫自身を邪悪に支配しようとしていないか不断にチェックする夫を持った妻はもちろん。
というわけで全女性へ…間違っても僕と結婚しないように。

8

小林誠氏・益川敏英氏・南部陽一郎氏のノーベル物理学賞受賞。
昔はそれがどれほど大きなニュースだったことか…湯川博士の受賞は僕が生まれる前ですが。
今日は少なくとも号外の嵐にはなっていませんでした。
それだけ、普通のことと言っていいほど人種偏見が学会から消えたこと、日本人研究者も海外で活躍していることが伺えます。
本当は東アジア人がもっと受賞していてもいいのですが…MIT(マサチューセッツ工科大学)はメイドインタイワンといわれたぐらいですし。

今の日本において、先端基礎科学にはそれほど関心が持たれていないのかもしれませんし、かつてのように戦争で傷ついた日本の国威を発揚する必要もないのでしょうか。
それとも長い不況で、基礎科学に対する関心自体が失せたのでしょうか…実際明日の金にならないことには何の意味もない、と。
または反科学の風潮が想像以上に強いのでしょうか?

とにかくめでたいことですし、LHCも稼動したのでどんどん新しい発見が出てきて欲しいです。
科学はまだ終わっていないことを見たいものです。
確かに「これまでもらっていなかったのが不思議な」業績を上げてこられた方々ですが、逆に…それを吹っ飛ばすような、最新の実験での大発見がここ何年もないということでもありますから…

7

家族の死などの悲嘆は、最も誰にでもあることです。

でも、それに対処する心理学的な方法はほとんど知られていません。
なぜでしょう?

歴史認識問題ではしばしば、受験のために現代史をほとんどやらないことが若者からその関係の歴史を学ぶことを妨げ、無知を強いていると批判されます。
同様に非常に多くのことについて「強いられている無知」があるのでは?

でも義務教育の時間は有限です。放送電波なども有限です。
全員に学ぶことを強いることができることは、それほど多くはないのです。

6

近代と、家族・信仰には本質的な矛盾があります。

近代の代表格である工場・軍隊は共に、構成員の全面的な献身を求めます。
しかしその献身の動機として、「家族のために」とするのが一般的です。
家族を思いすぎる兵士は脱走し、家族を思わない兵士に特攻を命じるのは難しい、というわけです。

ここで疑問なのが、なぜ工場・軍隊は家族概念を否定、組織内で家畜のように子供を作らせ、品種改良もしなかったのかです。
共産圏や特殊な宗教団体が何度か試し、また奴隷制や破綻国家の武装集団も家族を解体していますが、やはり内部での再生産より誰かが産み育てた子供を徴用するほうがコストがかからないのでしょうか…植林より原生林を伐採するほうが安いように。

そして新しい時代にはその矛盾はどうなるのでしょう。
新しい時代がどのようなものになるか自体が読めていません。
ただ、非常に多くの人が不要になるという気がしています。
現在は何十億もの最貧困層から膨大な低賃金未熟練労働力を吸い上げて繁栄していますが、これからもずっと多数の人間を高密度で必要とする工場というものが残るでしょうか?
事実上人間の代わりになるロボットはできるでしょうか?

少なくとも現在は、中流の崩壊・二極化が先進,地域での趨勢です。
それは奴隷・貴族制度の再生につながるのでしょうか?

5

尊厳とは?
人間であること、社会の一員であること?

通り魔などで、本当に深い問題は「尊厳」のような気がしてきました。

ただ、反格差・福祉は答えの一部でしかありません。たとえベーシックインカムが月五十万でも、それでも「尊厳」を感じられない人はいるでしょう…いや、それどころか超金持ちでも全く「尊厳」がないと感じている人は多いでしょう。
財産に関わらず、「邪悪な支配」の下にある人間には尊厳はないでしょう。

けれども一般に、貧困だと「尊厳」のレベルは低下します。
特にこれまでは低収入でも「尊厳」が得られた熟練工への道が、新しい時代には狭くなっています。
格差問題が重大であることは確かです。

そう…「尊厳」を犯すものは、「モダン・タイムズ」的な機械の部品のような労働、または勤労そのものからの排除、社会からの排除、邪悪な支配などがあるのでしょうか。
問題は現実問題として「モダン・タイムズ」的な労働はどんな社会でも必要です…ロボットの発展で必要なくなったらきわめて多くの人は、核融合炉をサービスでつけて誰もが豊かな暮らしをするに足る資源があっても「尊厳」を得られる仕事には就けないでしょう。
人間の自尊心はあまりに大きく、本質的に地球全部でも不足です…全盛期のヒトラーもその意味では「尊厳」は常に不足していると感じていたのでは…勝利した瞬間を除いて?

左派的な考えで言えば…まず収入、そして自由・平等・平和・人権が不足しているから多くの人が「尊厳」を感じられない?
いや、戦後民主主義的理想社会でも多くの人は「尊厳」を得られないと思いますよ。
全員が高い人格を持つことを前提にするのはあまりにも非現実的です。

やはり「尊厳」を与えられるのは神のみなのでしょうか?
宗教のない世界が「尊厳」のない世界?
日本においては…保守派の言う縦軸、伝統と天皇、歴史が尊厳を与えるものでしょうか?
でもそれは村落共同体を意味しているのでは?
それは確かに「尊厳」を得られる人数は多いかもしれませんが、犠牲者となる少数にとってこの世は地獄となるのです。
経済的にもそれに戻ることはできないでしょう。
人類全員キリスト教に、というわけにいかないのはもちろんです。

仕事の外での素晴らしい人間関係、収入に関わらず貢献・成長・自己実現を実感できる仕事…それは全員が得られるものではないでしょう。
それこそ収入を保証するよりはるかに難しいです。

「尊厳」については、左右とも現在の社会を厳しく批判します。
でもどちらも答えではないと思います。

僕は…人類全員が「人類文明の存続・発展」「地球全体で一人も餓死者・一線以下の貧困者を出さないこと」のための仕事を義務付けられることで、人類共同体・宇宙船地球号の一員としての自覚を持つことが「尊厳」となる、という理想を描きましたが、その世界でも「尊厳」を得られない人は多くいるでしょう。
尊厳不全感こそ人間であること、「尊厳」が充たされるのは不可能?

ただ、「尊厳」自体を与えるのは無理にしても、絶対的貧困…飢餓・住居や冷暖房や上下水の不備・教育や医療や介護を受けられないほどの貧困、法制度に食い込んだ差別などは政治的に取り除けるはずですし、容認できることではありません。
「尊厳」自体を与えることはできない、というのは…いや、どんな理由であれ十分な食料があるのに人が餓死することも、肌の色などでバスに乗れないのも容認してはならない、と確信しています。

4

人一人一人の生命は本当にかけがえのないものでしょうか?
人は社会・経済システムの家畜に過ぎないのでは?
人一人一人など、無数の卵を生んでほとんどは食われるのが前提の魚のようなものでは?
平凡な人間の脳内の情報に、本当に価値があるものはあるでしょうか?その肉体の情報や遺伝子情報には?

人工伝染病で人類のほとんどを殺していけない理由はあるでしょうか…それが最も確実な温暖化対策なのです。

3

人が人であるままでは、愚か過ぎて文明崩壊を避けられそうにありません。
人が人であるままでも何かご都合主義的幸運でうまくいくことは求めてはならないでしょう。
宇宙の物理定数と地球の諸条件だけでご都合主義は打ち止めでしょう。

でも人を変えようとするのは…全体主義にしろ、宗教原理主義にしろ、科学技術による超人類にしろ、道徳を進めて技術を放棄させるにしろ、ろくなことになりそうにないです。

科学技術で人間以上の知性を作るのは、それが人類を滅ぼさない保証がないのが問題です。

安全な道はない、賭けるしかない…でもどれに?
僕は人間の理性に賭ける勇気はないです、正直。

2

良質の科学番組は、インターネットで自由に無料でダウンロード視聴できるようにしたほうがいいでしょう。
インターネットの世界に、「誰でも幼児から博士レベルまで個別勉強で独習できる」システムが整備されていればある程度「機会の平等」は達成できるでしょうか?

1

これは恐慌の入り口でしょうか?
最悪の場合、文明崩壊の始まりにもなるのでしょうか。

今この世界がいつ崩れるかわからない…この感覚は僕が小さい頃、核戦争の恐怖やノストラダムスの大予言にさらされてきたゆえの杞憂癖にすぎないのでしょうか?
それとも理性的な判断なのでしょうか。