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「テロとの戦い」と「貧困との戦い」と「圧制との戦い」は、どういう順番でしょう。
まず貧困をなくせばテロもなくなる、といっても、貧困をなくそうとする努力をテロが妨害するならどうするのでしょう。

そして貧困をなくす努力としては、市場を開放してグローバリズムに乗るのは正しいのでしょうか間違っているのでしょうか。

30

ウィキペディアに「質問」することはできないのでしょうか。
結構、知りたいことで書かれていないことは多いです。

自分で調べて書けばいいのかもしれませんが…

僕の能力はつくづく「疑問を出す」ことに偏ってしまって、解決することが全然できません。

29

お市の方と浅井長政の娘、特に淀殿茶々と徳川秀忠正室の江はいずれも権勢を誇りましたが、だったらなぜ浅井・柴田家の再興はどちらもできなかったのでしょう。

その権勢が大げさに言われていただけで、本当はそれを言いだせるほどの力はなかったのでは?

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こたつ用に外せる天板と発熱機があり、低めですが椅子が必要な高さのテーブルの周りを、動かせて断熱性の高い、座れるサイズのブロック状クッションでぐるっと囲めば掘りごたつのようにできるのでは。

クッションの外側は階段状にしておいたほうが出入りしやすいでしょう。
背もたれもあったほうがいいかも。
自由度のためには階段と背もたれは外せるほうがいいかもしれません。

足も苦しくなく暖かいはずですし、出し入れの手間も普通のコタツの倍程度ですむしょう。

ブロック状クッションもコタツ机同様、夏も使えるでしょうし。

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子供は何でも壊す生き物です。
だから壊すためのおもちゃがあればいいのに。
レゴはそうでしょうか?

大人もストレス解消は必要でしょうから、どこの職場にも叩くと悲鳴を上げるサンドバッグでもあればいいでしょうね。
壁を殴るためのグローブとか。

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児童ポルノ法が単純所持を罰するようになったら、パソコンや携帯電話に持ち主が気づかぬようウィルスとして児童ポルノを隠しファイルになるよう送り込んで密告する手を使われたら誰も罪を免れません。

さらに技術の進歩かちょっとしたアイデアで、同じくらい簡単に「誰でも殺人罪有罪に陥れることができる」ことができたら社会はどうなるのでしょう。

基本的には、無実の誰であっても密告だけで確実に死刑または拷問死になる、という状況があっては社会が成立しないように思えますが、魔女裁判時代のヨーロッパやスターリン時代のソ連…いや歴史のほとんどにおいて、誰であっても陥れて死刑にするのは簡単だった気がします。
でもどの時代もとりあえず社会は成立していました…「誰でも陥れて有罪にできる」というのは、本当は当たり前のことなのかもしれません。

これもまた、なぜ社会というものが成立するのか、という謎です。
まあそれを言うなら、なぜ生物というものが存在しうるのか、というのも謎ですが…バックグラウンド放射能、大量の遊離酸素、別の微生物などなど悪条件は山ほどあるというのに。

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テロ組織が一日一人または一家ずつ、全く無辜の一般市民をきわめて残虐な拷問の末に殺していくことを止める術はありません。
社会の底を抜くにはそれで十分では?

社会の底というのは簡単に抜けるものです。

…といっても、人間にはこれほど多様な性格人格があり、その中にはとんでもない邪悪もたくさんいるのに、社会の底が抜けていないのはなぜでしょうか。
社会には回復力も想像以上にあるのでしょうか?
それとも人類という動物の社会性が、社会の底を抜く行為を禁じているのでそれはできないのでしょうか。

24

携帯電話にさえ入っている自動作曲ソフトは無数の曲を生み出します。
その著作権はどうなるのでしょう。

たとえばシンガーソングライターが自動作曲した曲が気に入り、膨らませて大ヒットしたら、携帯電話・自動作曲ソフトメーカーの権利は?

23

極めて強力な諜報組織があれば、戦争を瞬時に終わらせることができるでしょう。

敵の前線部隊の士官全員、兵卒の半分の家族を拉致して人質にすれば、普通降伏するでしょう。
また捕虜に対して、故国の家族を利用した脅迫には誰もが弱いのでは。

あと指導者の暗殺も戦争防止にはよさそうですが、近代ではそれほど使われませんね。
逆に戦争を促進する方向の暗殺のほうが多い気がします。

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冒険小説の類で陰謀に巻き込まれた人、特に国家秘密機関に命を狙われるようになった人は、なぜとにかく隠れようとするのがパターンなのでしょう。
自分がどのように狙われているか、国が家族をどれほど残酷に殺したか一人でも多くの人に知ってもらう、ということを目的にして命を捨てて行動すればいいのに。

現実にもそれは非常にやりにくいようです…映画「シルミド」の基本部分は実話ですが、彼らはなぜ全員そろって自爆攻撃を仕掛けたのでしょうか?

サバイバル訓練を生かして数隊に分散して山野に潜り、手段を選ばずひそかに印刷設備を手に入れてビラを大量に印刷し、あらゆる手段で国内・中立外国に広くばらまけばよかったのに。
そのビラに国の残酷さをきちんと書き、「印刷して中立国の不特定多数に送って」と。
または放送局を乗っ取るのもよかったはずです。
そうやっていればどうなったでしょう…当時の韓国軍事政権の情報統制・海外検閲システムは完璧だったでしょうか。

やはりそれは国のためにならないから、という愛国心でしょうか…あれほど国に裏切られても処刑のときに国歌を歌ったように。

21

海外では懲役二百五十年、という刑罰もあるそうです。

でもある日、不老不死技術が当たり前になったらどうなるのでしょう。
情報も何か入っていますし。すぐ実用化はさすがに…どうでしょう。

その頃には性格矯正薬もできているでしょうか。
やはり反対が多く、また技術的にも人間の脳はどうしようもなくてそちらは動かないでしょうか?

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従軍慰安婦について、保守側がアメリカの新聞に全面広告を出しました。
護憲側も憲法九条と、それが破られてきた歴史について、世界中の新聞に広告を出せばどうでしょう。

世界ではどれだけ知られているのでしょうか。

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いっそCM専門局があってもいいのでは。
広告専門雑誌も。

また広告とコンテンツの分離、または融合はできないでしょうか?

広告フリーというのは衛星多チャンネルから週刊金曜日までありますし、広告はいらないという人も多いでしょう。
最近はアニメも、広告収入よりもDVDの販売などコンテンツ自体を賞品とする動きもあります…動画投稿サイトのために脅かされてはいますが。
というより動画投稿サイト自体がテレビ広告にとっては本質的に天敵になりえるものです。
著作権を守るため、と動画投稿サイトを潰そうとしても歴史の流れには勝てない気がします。
広告を見たければ広告専門チャンネル、見たくなければ広告フリーのチャンネルを見る、というのもありでしょう。

逆に金を払っても見たいほど素晴らしい広告は作れないものでしょうか?
ドラマにおいては本来隠すべき、小道具の商品名をわざと大きく出すことで広告として使うということもあります。
芸術としての美しさを追求すれば、それは可能なはずです。

18

なぜ研究規制が一切ない国がないのでしょう。特にバイオやナノテクノロジーで。
研究規制がない国があれば研究所がそこに移転して大発展、ということはないのでしょうか。

また、犯罪組織や軍閥の支配地域などでは、臓器売買はおろか人体実験さえ自由にできるはずです。
それが大きなイノベーションを産んで経済発展、という話は聞かないのですが。

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スーパーハイビジョンの開発という話がありますが、今のハイビジョンもまだ普及には遠いのに?

地上波デジタルは一応ハイビジョンのようですが、受像機のほうはどうでしょう…多くは従来のテレビで、チューナーで見るだけでは…それ以前に従来アナログ完全停止は本当にできるのでしょうか?

そして、なぜ次世代映像企画を両眼別映像のフル3D映像にしないのでしょう。
どうして接眼レンズ型ディスプレイが全く受け入れられないのかも不思議です。

16

救急搬送から市役所前に放り出され、備蓄用のアルファ米を与えられたのみで人に囲まれたまま、それを開封することもできず餓死したホームレスのニュースを聞いて、激しく感じたこと…

もはや国は国ではありません。
憲法25条を完全に無視し、また国は民を愛し憐れむべし、という最も深い自然法を破ったのです。
もとより憲法は警察予備隊発足時点で完全に破られ、とうに無意味な文章に過ぎなくなっていました。
25条も、相次ぐ餓死事件が示すようにとっくに空文でした。
それにこれまで気づかなかったことのほうが愚かなのです。

そして人はなんという存在でしょうか。
餓死を前にした人をこの寒空で、保温し温めたスポーツドリンクを与える程度の心配もしないでいることができるとは。
イエスの「汝の隣人を愛せ」を守る者、よきサマリア人は一人もいないのです。
もはや人に何の価値はありません。

貧しい人…全ての人は明日はわが身です…、少なくともこの国は政府・憲法によっても、人の情け・道徳によってもあなたがた…私たちを見放しました。
もう用はない、死ねと言っているのです。
ならばもう、法に従う必要もありません。倫理道徳もありません。
純粋に弱肉強食があるだけです…餓死する前に人を殺して食わないのはなぜでしょうか!
その必要はもう全くないのです。
国はこのような国であり、人はこのような人なのですから!
その手段があるなら人間全部を滅ぼしてしまっても、責める資格は誰にもありません。
君君たらずば臣臣たらず…ならば国国たらずば民民たらず、人人たらずば人人たらず!

この思いは、なぜか漢詩で表現したかったのですが…その力がないのが残念です。

また、本当に貧者が暴れても…純粋に国を…生業などのある人全体の集合をただの暴力集団とみなせば、圧倒的に力が無い貧者は島原の乱同様皆殺しにされ、その結果国は残った人を恐怖でまとめて強権政治を敷く理由を得られるから万々歳なのでしょうがね。

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犯罪を確実に予防できるとしても、それには心理学が今とは比較にならないほど高度に発達し、社会の成員全員に徹底した予防的心理療法を行う余裕が必要になるでしょう。
それが将来可能だと思う心理学者はどれだけいるでしょうか。

できるとしても、その心理療法を強制されたくない人はファシズムと叫ぶので、結局自由と安全のどちらを選ぶか問題が出てきてしまいます。

左側は一対どうしたいのでしょう?
犯罪は社会のせいにするのはいいのですが、社会をどう変えたいのでしょう。
経済的平等と十分な豊かさ、そして?
物質文明ではなく豊かな精神文明を求める、というのもあるのでしょうか?
でも精神文明に必要な道徳教育、まして予防精神医学は左派は反対するのでは?
あ、平和教育や人権教育など「自分達の道徳教育」をやりたいだけ…別方向の「全員の心を同じくする」でしょうか?
それとも完全な自由で精神文明は構築できるのでしょうか?

自由を求め…人の精神を書き換えることには反対しつつ、全ての人に(自分と同じように)正しい心を持ってほしい、という根本的な矛盾はどうすればいいのでしょう。

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砂漠の隊商や外洋航海では、「喉が渇いたから水を飲む」という動物にとって最も自然な欲求充足さえ、どんな罰を課してでも絶対に抑止しなければならない、殺人以上の重大犯罪なのです。

考えてみてください。先進国でもこの間まで、そして今でも世界全体で多くの人にとって、

そして先進国の生活も、確かに腹は一杯ですが、誰もが精神的に凄まじい飢餓感を覚えているでしょう。
富者は富者でどんな金があっても満足できず、貧者は貧者で富者の輝きを見上げつつ自己責任だと自分を憎むよう叩き込まれ…

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僕の人間観は、まず「人間は**な存在である」というのは合意不可能な問いである、ということです。
というより短い言葉で表現できる代物でもないでしょう。

特に「氏か育ちか」論争は宗教論争同様、結論を求めるのは不毛です。
性善説と性悪説も永久に決着はつかないでしょう。
まあ僕は氏育ち、性善悪のどちらも、どちらが正しいかという問い自体が間違っている、両方の要因が複雑にあると思っていますが。

遺伝学者・脳科学者・心理学者その他が「人間とは何か」について科学的といえる成果を出すのは、今世紀中にできるか怪しいものです。
さらに科学者が合意しても、宗教という難物があります。

人間は動物学的には「中央アフリカの森から平原に適応した群れ・雑食・K繁殖戦略サル、家畜化がみられる」です…これには科学的な異論はないはず。
家畜と言っても別に宇宙人がどうこうではなく、自然に従順で多産で新しい生活に適応した子が成功しただけ、進化の一種とも言えます。
そして、簡単に言葉で言えば「人間は矛盾した不完全な存在である」、言い換えれば「ペット化された動物同様精神を病んだ、愚かな動物」というのが僕の考えです。群れ動物でありながら個人の自我もあり、動物学的な人類の認識力は視聴覚の波長制限・心理学的な数々の罠でわかるように不完全なのですから。
読書歴からぶっちゃければ、池波正太郎とアガサ・クリスティの影響が強く、それに進化心理学の考え方を加えたものです。

人間の個体には食欲など欲望があります。
しかし群れ動物なので、愛情や承認も必要とします。それはまた支配欲・名誉欲などのきわめて強い欲望にもなり、家族に対する愛情にもなります。
特に群れ生活をしていると、群れの維持は個体・血族の安全に直結するため、進化心理学的に重要なものです。
人間は肉食性もかなり高いので獲物を狩ったり、別の群れと戦ったり、群れの内部の地位を上げるのにライバルと戦ったり暴力も頻繁に用いられます。本能という言葉の微妙さは知っていますが、人間に暴力があることは確かです。

ここで思い出すべきなのが、野生動物は恒常的に飢え、攻撃されていることです。
そして人間は個体としての自我・欲求があり、同時に群れ動物でもあるという根本的な矛盾を持っています。
それは囚人のジレンマとして表現するのが一番簡単です。
群れを「裏切れ」ば自分の欲をより大きく満たせますが、皆がそうすれば群れごと滅びます。
また群れ仲間に暴力を振るえば地位を上げられますが、仲間をたくさん殺したら群れが弱まって滅びます。
集団で地位を上げるには、暴力以外にもさまざまな要因があり、それに「ルール」が深く結びつくという面があります。その「ルール」は言語化され、「法」「道徳」「宗教」とこんがらがっています…政教分離などはるか後世の話、世界の半分以上はいまだに反対しています。ある程度文化が発達したら「ルール」を言語化して絶対とし、個人の欲を禁じてそれに従って生き死ぬように、となり、さらに一部は近代化でその「ルール」も相対化しました。
だから自分は損をして「ルール」を守り、群れに尽くすことが、結果的に群れ内での地位を高めることもあります。同時に群れを生かすために自分を犠牲にすることも遺伝子が命じていることの一つであり、本能的な欲求でもあります。
その多くの欲、心の動きが常にせめぎあい、その中で決めて行動しているだけです。
一つ一つの欲、心の動きは進化心理学的に有利な点があったのでしょう。

問題は、人間は脳を発達させすぎ、理性と言語を得、野生状態から離れすぎたので、「本能」というべきものが事実上なく、雑多な欲と「幼児期に主に恐怖によって刷りこまれたことの集合体」しかないということです。
それは時間をかけて進化せずとも急な環境の変化にも対応できる、プログラミング型コンピューターにも似た高い順応性・汎用性をもたらします。
ですが人間の欲望は、下手に長い未来や過去を考えるため、ただ満腹で異性と睦んでいるだけでは満足できず、無限に富・集団内地位・性・力などを求めてしまいます。不老不死や世界征服まで求めては欲求不満が尽きるはずもありません。
個体の欲と群れ動物としての欲の矛盾、支配と服従の相反する欲、安心・承認・愛情などの多様な欲も面倒です。
自分も愛する者も必ず死ぬ・死ぬときは死ぬ、絶対は存在しないということをなかなか受け入れられないのも困った点です…K(かけがえのない子を大切に)が行きすぎていて、ある程度はr(たくさん産んでいくらか生き残ればいい)的に考えなければならないのを忘れてしまうことが多いです。
そして人間は不自然な文明で、事実上自分を家畜とし、しかも文化を身につけるというわけのわからないことまでして暮らしています。そのことは常に大きなストレスになっています…宗教を信じ、依存症になるのが当然なぐらいに。
なにしろ「ルール」を思考・言語という新能力や、神秘という旧能力の間違った利用でいじくり、それを宗教と不可分に絡めて積み重ねているのですから混乱も当然です。

現代の文明生活をしている人間というのは、本来の設計目的に合った生活をしてはいません。
といっても「本来の設計目的」自体が難しいです。生まれながらの人間もかなり家畜化され、不自然な人工的な文明生活にもある程度は適合していますから、完全に文明を捨てて野生で生きられる生物ではもはやありません。
まあ不自然には違いない…まるで非常に強力なコンピューターを内蔵して自律して動けるシャベルカーがあって、それに戦闘機を操縦させるようなものです。地面を掘るために作られた体・コンピューター・OS・エンジン・アーム・センサーその他は戦闘機の操縦向きに設計されたものではないのです。
無理に新しい環境・仕事に自分を当てはめていますが、本来はそのために作られてはいません。せいぜいアフリカでの旧石器狩猟採集生活が設計目的と言っていいでしょう。

そのように考えると、人間が幸福を求めるのも間違いなのかもしれません…必死でもがいてやっと生きる、いやほとんど死ぬけれど生き延びることもあり、確率が多少よかった手法が残っている…それぐらいが動物としてはちょうどいいのかもしれません。

人間個人の性格にも、それは遺伝とも育ちとも関係の少ない…統計的にはある程度あるかもしれませんが…偶然で様々な多様性があります。
遺伝子・環境・社会・幼児期文化・教育…ありとあらゆるものが複合的に関わります。
美徳の過剰による犯罪も多くあることをお忘れなく。「ルール」に従って犯罪者となったアイヒマンさえいます。また隣人愛を本気で主張・実践して犯罪者とされた人も異端者・テロリスト含め多数います。
絶対確実に善人を育てることは不可能だと僕は確信しています。たとえガンジーの子供をマザー・テレサが育てても、確率は普通より低いでしょうが犯罪者・悪人になることもありえるでしょう。
犯罪遺伝子などありません。でも社会がよければ犯罪が出ないわけでもありえません。

ついでに。これは僕の人間観であり、他人に強要するつもりはないです。
「人間が群れ・雑食サル」という動物学的認識、「人間には欲がある」こと、その欲が多様で個人・集団の矛盾があること、囚人のジレンマ理論、性格と遺伝子・環境の関係が偶然の強い複合的なものであることぐらいは誰もが認められると思いますが、それすら世界人類の相当部分…科学教育を受けていない一神教徒は認めないはずです。
この人間観・世界観は科学的に正しいと確信していますが、それでもそれを押しつけることは信教の自由という最も大切な価値を侵害してしまう最悪の暴力になるのです。

12

死刑について考えてほしいこと。

11

週四十時間(週休二日八時間)なんてもう無理なんですから、世界全体で七十二時間(週休一日十二時間労働)にしてしまえばどうでしょう。
それも無理、やはり世界全体で休日なしの一日十六時間労働ぐらいなければ労働者を生かしておく価値はないでしょうか?

死ぬって?
いくら死んでもいくらでもいるから問題ないです。
世界全体で、何十億人も餓死寸前の極貧層がいる限り。
また、その何十億の極貧層がいる以上、労働時間がどんどん伸び、給料がどんどん下がるのは避けられません…マクドナルドの、マニュアルを書く側さえも。
法を現実に合わせるか、現実を法に合わせるか、どちらが正しいんでしょう。

あと、もし世界の七十億人全員が一日十六時間働くように…と考えると、そんなにしなければならない仕事が世界にあるのか疑問に思えてきます。
要するに世界全体のベーシックインカム・ワークシェアさえできれば、そんなめちゃくちゃな長時間労働は、少なくとも貧困層はしなくていいのでは?
それが絶対できそうにないのが悲惨なもので…

富裕層も忙しいのはもうどうしようもないです。
倍働けば倍の大金が入る、金以外の価値が存在しない、どんな地位でもいつひっくり返るかわからない、隣人がいくら稼いでいるかわからない、ときては働き続けるしかないでしょう。
「満足」を脳の電気刺激と薬物で与える、ということは許されそうにないですし。

10

世界全体の省エネレベルを日本並みにするだけで、二酸化炭素排出量はかなり削減できます。

その技術を無償で提供すれば、それだけで「排出権」の通貨ぐらいすぐ稼げそうなのですが。

9

今世界で何百万人餓死していても関係ない、自分と家族、友人だけが大事だ、という人が大半でしょう。
それは責められるべきでしょうか?

少なくともDNA分子は、自分の血族を残し続けることしか関心はありません…もちろん「関心」という言い方自体が不適切です。
分子には人間的な思考や感情はなく、ただ分裂し、タンパク質を生産するだけです。その集合体がなぜか、そういう行動を取ってなぜか個体全体の恒常性が維持され、繁殖し、種によっては群れが維持されるだけです。

でも人類全体、地球生命圏全体は?それが続かなければ血族を残し続けることも不可能です。
全人類のため、地球生命圏のためなら個人は犠牲にするべきでしょうか?
奉仕するつもりがない人には奉仕を強要していいでしょうか?
奉仕自体が人を奴隷にする悪なのでしょうか?

僕自身は、生命も人格も内面も、体力も知力も労働力も二十四時間三百六十五日100%全てを捧げよ、と要求するのは間違っていると思っています。
しかし世界全体に、地球生命圏の存続に無関心でよいとも思いません。
30%ぐらい、危機的状況でも最大50%の奉仕を要求する、というのが僕の考えです。

忙しい仕事がある人は週一日か年に二月か五年につき一年、比較的暇な人はその倍、失業者は四倍程度でいいでしょうか。

あと全体を優先するとどうしても反自由になりますが、内心・思想・信条・信教・言論・学問などの自由は認めるべきだと思います。
個人の好みとしても、経済・科学技術の発展…特に下のプランCには必要…のためにも。
また反自由になる理由に個人崇拝や教条主義も大きい要素ですが、人間は誰もがバカです。そのバカな人間が作った教条も大バカに決まっています。なんとか科学がある程度発達してきただけです。
だから多様性・試行錯誤でカバーするしかありません。

8

産業革命以前に戻る、マルクス主義、宗教原理主義はどれも、「みんなで貧しくなる」道です。反グローバルもそうでしょうか。

産業革命以前の世界…いや、中国やインドのグローバル化以前がどれほど貧しく、その多くが環境に対し破壊的だったかについては目をつぶっています。近代と接する前も、多くの大陸が荒廃しています。
特に貧困地域に医学や機械式井戸だけを導入したら、短期間で回復不可能なほど環境を破壊してしまいます。
もちろんマルクス主義諸国も環境には、資本主義諸国に劣らず破壊的でした。

逆にこのままグローバル化を暴走させればいつかはみんな、今のアメリカ富裕層のように豊かになる、ということも無理です。
地球は有限なのですから。
またこのまま進めば、世界全体が小数の貴族と圧倒多数の奴隷に二分されるのは確実です。

道徳的には悪でしょうが、地球環境のためにはむしろ安全なのが、圧倒的な格差を固定してしまう道と、人類の大半を殺す道です。

どちらでもない道では、みんなが質の良い豊かさを得るのが最善でしょう。
車を求める心をなくすのが最善ですが、できるとは限りませんし、内心の多様性を認めない道徳の押しつけになりかねません。
現実の車は環境を破壊します。
より良いエコカーも多ければ環境を破壊します。
高度なバーチャル車ゲームは精神を破壊するかもしれませんが、環境破壊は現実の車よりずっと少なくてすみます。

7

プランA:このまま経済成長。

プランB:縮小。

プランC:別方向への技術進歩。
目標は軌道エレベーターによる、人類の大多数の宇宙移住。平行して外洋施肥など海洋開発、核融合炉も研究。
経済成長同様環境負荷が極大化するが、成功すれば地球における人類圏の負担を大幅に下げられる。
技術開発に失敗したらプランAとあまり変わらない。

プランD:近代技術放棄。B4としてもよい?

6

個人の生存欲求は、遺伝子の命令が狂った形で現れたものでしょうか。
本当は子供が成長すれば自分はもう用なしで、子孫の生存(繁殖)のためには役に立たないのに資源を消費するのは間違っています。
けれども鮭のようにそれを的確に行えるわけではないですね。

人間は自分の脳にある情報、その下位皮質の感情的なものも含め総体である個人の人格をなんとしても存続させようとしています。
本当に存続させるべきなのは遺伝子なのに。

それは自然から見れば間違っているのでしょうか?
それとも、情報がそれ自体ミームとして生存しようとしているのは間違っていないのでしょうか。

そのほかの欲も、本来自然が命ずるもののはずです。
その本質は「自族を残せ」であり、本質的には全体主義的です。
しかし生殖ができないほど群れの中での地位が低下してもまた子孫を残せないので、群れの中で地位を向上させたい、他者を支配したいというのもあるようです。
単純に刹那刹那では、自分の生存がなにより自分の遺伝子を存続させるには正しいのでしょう。

問題なのは、人間があまりにも増え、発達した結果、自滅の可能性さえあることです。
遺伝子が愚かなのか人間が愚かなのか…それともより大きな何かの意志か…できれば神なしで考えたいですが。

5

全人類の社会民主主義・ベーシックインカム、という考え方はなぜ出てこないのでしょう。

共産主義では皆が平等に貧しくなるだけだ、という批判があるでしょう。
でも人類の存続、世界人権宣言の実現、あとは自由ではなぜいけないのでしょうか?

日本国内でも、もう生活保護システムが崩壊しているのはわかっているのですから、しっかりした最低生活をベーシック・インカムと最低住居保障(どこの都市にも一定数、十分な無料住居)、公共的な職の配分システムを作ることはできるのでは?

それさえあって誰も餓死する心配がなければ、あとは完全自由主義でもいいです。
少なくとも僕は、餓死者や奴隷がなく、文明崩壊の心配もなければどんな金持ちがいてもかまいません。
それに賛同しないとしたら、世界がどうであればいいと思うのでしょう?
多数の餓死者がいなければ保てない世界なら、いっそ滅んでしまえばいいと思います。

僕は多くは求めません…全員が平等であれとは言いません。
餓死や奴隷がなく持続可能な世界であってくれ、世界人権宣言が守られてくれ、というだけです。
その最低線すら合意できないのでしょうか?

4

正義感は弱肉強食を嫌います。
しかし、弱肉強食は生命そのものの本質です。
だから弱肉強食を消すのは、生命そのものを滅ぼすことと同じです。

(イザヤ書11-6〜7)
狼は子羊とともにやどり、
ひょうは子やぎと共に伏し、
小牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、
小さいわらべに導かれ、
雌牛と熊は食い物を共にし、
牛の子と熊の子と共に伏し、
ししは牛のようにわらを食い、

は、もはや生命ではないのです…おそらくは別の電源で動く、生物を模したものに過ぎません。
わらを食う獅子はすでに獅子ではないのです。また草食も弱肉強食です。

生命が発生したとき…定説でいえば原初の地球の有機物のスープに自己増殖性分子が自然合成されたときから、それは弱肉強食を始めました。
他にあったかもしれない、もっと優れていたかもしれない別の自己増殖性分子も、生命なき有機物も、何もかも飲み込み、食い尽くしたのです。

また、弱肉強食は多様性と裏腹でもあります。
その自己増殖性分子がコピーエラーによって多様な生物を形成し、それが互いに食い合うシステムになってしまったのです…その多様性と大きい目で見た相互協力によって、その「生物」は酸素を作るなどして地球の環境さえ変えてしまったのです。
それがなかったら…生命が最初からコピーエラーのないものであれば、地球はとっくに金星化していたでしょう。
そうでなくても天然の有機物を短期間に使いきって滅ぶか、また現在の海底熱水噴出孔のように有機物が供給される場があるとしても、そこにごく単純なウィルスが繁茂しているに過ぎなかったでしょう。
それらには、偶発的な小惑星衝突の結果以外地球から出ることはできません。

ついでにいえば、二つの性による生殖と死も、多様性を高め環境適応・環境改造をしやすくする重要なシステムです。

しかし、これまでは生物は適応し、環境を変えてきましたが、これからは難しくなりそうです。
太陽の寿命は半分を過ぎ、その終末には赤色巨星化して地球を飲み込みます。
またそれよりずっと前、おそらく十億年以内には日照が強まって地球が金星化するし、またプレートテクトニクスのついでに海水が地球そのものに吸収されて海が失われ、知られているような複雑な生物は滅びることになるでしょう。

その滅亡を防げるのは、人類かそれに似たシステムだけでしょう…生物がどう進化してもチタン合金の胴体からロケット燃料を燃焼噴射するようにはなりません。
別の形で微生物が宇宙に飛び出すこともあるかもしれませんが、それで安定して太陽系外までいけるでしょうか?
また、今も多くの微生物が深地下の岩盤に生きているように、白色矮星化した太陽にも適応した微生物がありうるでしょうか?

僕は人類の使命は、生命を宇宙に連れて行くことだと思っています。
まずは太陽系に地球が滅んでも自立できる生命圏を多数作り、そして播種船などで宇宙全体に。
しかも僕は贅沢なことに、人類全員の人権を保障しつつそうすることも望んでいるのです。
弱肉強食と性と死というありかたは、ある程度受け入れなければならないのでしょう。けれども人間には理性と心がありますから、単純に弱肉強食に従うのではなく、種として文明として存続しつつ人権も保障することが…これは望みすぎでしょうか?
人間はあまりに愚かですが、未来を選ぶことは…

3

日本国憲法に普遍原理が書かれていますが、もっと単純な「普遍原理」があるのでは?

2

昨日の議論で、「目的」の根拠に「僕自身の美的感覚」を据えています。
それはあまりに無茶でしょうか?
しかし、人権には「人の美的感覚」より深く還元できるものはなさそうにも思えるのです。

自然法則、科学が一人一人の人間に命じているのは

自らの遺伝子を永続させよ。
そのためにまず地球生命圏、次いで人間という種を存続させよ。
それでさらにできるなら、自らのできるだけ親等が近い親族が一人でも増えるよう努めよ

というだけのことです。
自然法則には個々人の生存権も、自由や尊厳も一言も書かれてはいません。
個々人など、「利己的遺伝子」にとっては魚の何万の卵の大人になれる一匹以外の全てや無数の働きアリ同様、遺伝子を存続させるためならいくらでも使い捨てにしていい存在なのです。

そしてひたすら自然法則に従うなら、今の人口は地球生命圏の存続のためにも人類の存続のためにも危険です…少なくとも半分、できれば十億以下まで減らすべきです。
それこそ白人富裕層が有色人種を皆殺しにし、白人貧困層も特に強健優秀な者以外は殺して奴隷化して、世界人口を大幅に削減して消費水準も調整すればいいのです。
環境破壊の問題は事実上解決し、地球生命圏はもちろん人類の存続は保証され、近代文明は何もしなくても大幅に延命できます。ある国が自国以外を皆殺しにしてもいいです。
全員を生かし、人権も保障する方針よりもはるかに確実で容易です。

しかし、何かがそれは悪だと叫びます。
全員、一人一人が生存すること、それも自由に、尊厳を持って生きることが非常に大切なことに感じられるのです。
それはもう、僕自身の個人的に形成された良心、いや美的感覚と言ったほうがいいのかもしれません。
僕ももし徹底的な部族主義・民族主義・人種主義に良心自体が形成されていたら、自部族・民族・人種以外は滅ぼすのが善だと心の底から思うかもしれません。

そしてそれに、科学という根拠がないことに危うささえ感じています。
「私はそうは思わないし良心も痛まない。私の一族だけが生き延びればよい、そして私たち一族には他を皆殺しにできる力がある」という人を説得する根拠はありませんし、戦っても負けそうですし、そうしたほうが人類が存続できる確率は高いのです。

一人一人を自由に尊厳を持って生かし、そして地球生命圏と人類という種を永続させること…それが僕の理想ですが、それは可能でしょうか。

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人間の「目的」。

  1. 地球型生命の存続
  2. 人類という種の存続
  3. a生物種の多様性、野生環境の保存
    b文化・文明が維持され発展すること。その必要条件として文明が持続可能であること。
  4. 個々人の人権(生存・自由・法適正手続・教育・情報送受信・医療介護)が保障されること。
    餓死や最低基準以下の貧困・奴隷や邪悪な支配、虐殺は絶対に許されない。

これはそれぞれ上位が保障されない限り、下位のものは不可能であることに注意してください。

それぞれの根拠。リチャード・ドーキンズの著作を参考にして考えています。

  1. 人間は生物である。全ての生物の本質は、その遺伝子(DNA、ミトコンドリアDNAやRNAも含む。またそれが持っているデジタル化可能な情報も含む)の自己複製である。その自己複製を続けるため、地球型の生命の存続は全生物にとって至上の「目的」である。
    個人の遺伝情報をデジタル化し、永久保存すれば「個人」の遺伝子の命令はある意味満たされるように思えるが、遺伝子には分子の面も大きいので天然のままの生命が存続することを自然は命じていると考えられる。
  2. 自種が存続しないと、各個体の遺伝子も大半が失われる。そのため種の保存はあらゆる生物種にとって重要な目的であり、生物種のひとつである人類にとっても人類という種の存続が重要な「目的」である。
    また、地球生命圏は大規模に宇宙進出することができないため、巨大隕石・太陽の寿命など宇宙、巨大噴火・プレートテクトニクスによる海水の吸収など地球自体がもたらすリスクに本質的に対応できない。そのリスクに対応して地球生命圏を守るのは人類の重要な役割と考えられるし、そのために人類は存続していなければならない。
  3. a 多様な生物種は医学などにとっても重要な、人類全体の共有財産であり、それが失われれば人類の存続可能性を低下させる。
    美的にも非常に大切である(科学的根拠なし)
    豊かな野生地域は気象などの安定など人類圏、地球生命圏の存続にとっても重要な役割を果たしている。
    b 主に科学的根拠を持たない、美的な問題。
    ただし文明があるほうが人類は存続しやすいかもしれない。特に文明がなければ、2で説明した大規模なリスクには対応できない。
    また文化的な多様性は、文明を持続させるのに必要な知恵になる可能性はある。
  4. 科学的根拠を持たない、僕個人の美的な要求である。
    目的12、すなわち遺伝子の要求が本質的に「自分の遺伝子コピーを増やすこと」であり、人類圏の活動が大きすぎて地球生命圏・人類という種の存続にとってマイナスになっていることを考えれば、「自分」の親族以外人類の多数を殺して人類圏を縮小し、また多くを奴隷にして自分と親族の子供を多数産ませ、また酷使して多数の播種船を作って自分の遺伝子を宇宙中に広めたほうがよい、という結論を科学が支持している、ということにもなる。
    全員が同じことを考えて激しく争ったら人類という種・地球生命圏・文明の存続に関わるため、それを抑制しなければならない、そのためには全員(の遺伝子)に平等な権利を与えるほうがよい、とも考えられる。
    どちらかは科学的に簡単には決定できない。また後者の議論でも、遺伝子さえ残されればいいなら従来概念通りの人権を認める必要もない。

そのために人類全員が努力すべきこと。

  1. 地球の、特にエネルギー(エントロピー)の有限性は事実。ゆえに人類圏全体が、再生可能で「目的」にリスクを負わせないエネルギーを開発する。またそれができるまでは総エネルギー量を制限し、賢明に用いること。
    具体的には
    ●宇宙空間での自立的な太陽電池の生産、できれば地球外の自立したコロニーの建築など宇宙開発
    ●太陽光・風力・(耕地は生態系を圧迫するので、現在未使用の砂漠や外洋を利用した)バイオマスなど自然エネルギー
    ●核融合など先進的エネルギー
    の開発や資源の効率的利用のための技術開発・普及に力を入れること。
  2. 巨大隕石・巨大噴火など人類圏外のリスク、人類文明自体の自滅リスクに警戒し、常時対策をとる。
  3. それでも失敗はありえるので、特に第一目的のために「生命圏・文明のr戦略」、具体的には太陽系内の地球外自立システム、そして恒星間播種船や遺伝子情報および文化資源の恒星間放送に積極的に挑戦すること。
  4. 人類圏の存在、拡大は地球の旧来の生態系にとって負担が大きいので、できれば人類は長期的には地球を出るよう努力すべき。
  5. 世界全体での基本的人権の保障。最低生活水準の確保、教育および医療介護の保障