枕元の計算用紙

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高度成長以来、多くの人が「マイホーム」のために一生働いてきました。
多くの人が家を買い、建てました。
なのになぜ、今の若者も必死で働かなければならないのでしょう。
今定年退職する世代に比べて、若者はむしろ少ないのに。
多くの若者の親が家を持っているのに、なぜそんなに働かなければならないのでしょうか?

全部相続税で召し上げられているのでしょうか?
全ては泡と消えたのでしょうか?
その、苦労して家を建てた世代はほとんどが長生きしていて存命だから、若者は自分の棲家は自分で手に入れなければならない状態なのでしょうか。

その蓄積のおかげで多くのパラサイトシングル、ニート、ひきこもりが生存できているのでしょうか…それがなかったら膨大な餓死者が今までにでも出ていたはず?
さらに鉄道・ダム・道路など膨大な社会インフラが遺されているじゃないか?
建物の寿命…が短くても、土地開発の蓄積は?

30

在日韓国・朝鮮人に、農業が可能で太陽電池でエネルギー・工業も自己完結し、完全に自立できるメガフロートを与えたら彼らはそれなりのアイデンティティを得られるでしょうか。

彼らは全ての望みがかなうとしたら、どうしたいのでしょう。
日本がどの民族も、国籍を問わず平等に扱う多民族国家になればいいのでしょうか。
でもアメリカのような、と言おうとしたのですが、アメリカの「多民族国家」は単純なユートピアではありません。

29

この期に及んで民主分裂…たいした数ではないように思えますが、信頼感を奪うと言う点では、もう元々ひとかけらもないのですが、やはり大きいです。
自分の正しさを確認することが、これほど悲しくなるとは。しかもその正しさというのは小学生でもわかるレベルです…
民主党は必ず自殺点をやらかす。自民党はただ、多数議席を守って解散せずじっとしていればいい。

やはり、百年待とうがずっと自民党政権のままなのでしょうか。

やはり…選挙によらない政権交代を考えるべきですか。
武力革命ではなく、国民過半数を目標とした署名運動で全既成政党解散、全現職・元を問わぬ議員立候補自粛の救国総選挙しかない、そう結論していいのでしょうか。

28

情状で刑罰が減免されるのは当然に思えます。
でもそれは、実は憲法から見ても問題があり、非常に残酷な側面もあるのでは。

情状で刑罰が減免されるということは「心のあり方」が刑罰の対象になる、ということでもあり、内心の自由を侵しているのです。

また「警官・検察官・裁判官は演技を見抜ける」という前提も必要としているでしょう。
人の内心が分からない、という前提に立てば、いかなる情状酌量もなく行為…証拠と法定刑の関係だけであるべきです。

さらに言えば、たとえば本当にやっていない冤罪で黙秘・否認を続けていれば、拘置が延びるだけでなく有罪になったとき「反省の念に欠ける」とされて判決が重くなることもありえます。
反省を問わずひたすら法定刑だけを機械的に割り振れば、まだ冤罪受刑者にとっては社会を維持するコストだ、と納得できるのではないでしょうか…してはいないことを反省することを強要される、というのは最悪の精神的拷問です。
いや、冤罪受刑者は何がどうであっても納得などはできないでしょうが。

27

パソコンで勉強を強制的にさせることは無理でしょうか。
パソコンと飲み水とおまるを置いた、逆にそれと教科書しかない部屋から、問題を全部解くまでは出られないしパソコンの画面を切り替えることもできない、というのは?

パソコンやインターネットは有効利用できれば、非常に有効な勉強ツールになります。
でも子供は勉強より遊ぶほうが好き…それもわかりませんが、いい勉強ソフトが入ったパソコンを与えて放っておけば勝手に勉強するだろう、とは僕の経験上思えません。
つくづく、どうすれば子供に勉強させられるかは難しいです。

26

オリンピックはとりあえず…期待されていたほどの事はなく終わったようです。
もちろん愛する人を殺された人にとっては「大事」ですが、それはやったのが政府でも犯罪者でも車でも雷でも…同じかどうかは経験がないのでわかりません。

これからも中国は、北朝鮮もですが、崩壊する崩壊すると言われながら平穏無事がずっと続くのでしょうか?
それとも…その時はいつか来るのでしょうか。

25

生産性が向上し、少ない人で済むためもあり失業やワーキングプアが増え、同時に高齢化が進み、家族が崩壊しています。
なら、失業者やワーキングプアを介護に使うほかないのは自明では?

どれを元に戻そうとしても無駄です。
生産性を低下させれば貧困国に落ち、日本は石油も食料も輸入できなくなって凄まじい大飢餓が起き、近代国家からも転落するでしょう。
生産性が向上し、産業構造が変化すれば不要な人が増えるのも必然です。
高齢化…人口の動きは政治で最も確かに予測できることの一つです。
移民は…正気ですか、としか言えません。

家族の崩壊も、歴史の歯車を反転させるのは無理でしょう。保守派にやりたがっている人が多く、その力は意外と大きいのですが…その力が勝っても、現実から目を背けて少数を切り捨て、大規模な悲惨をもたらすことにしかならないでしょう。

問題は、介護の薄給重労働です。ここで、需要があるのに給料が上がらないという不思議が出てきます。
単純に日本は老人を介護する気はない、姥捨て山が日本の伝統で正しいのだ、を選ぶのでしょうか?
本質的には「自力で稼げない者は死ね」をこれからの国の基本原理とするのでしょうか。

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みんなが生きるために産業があるか、それとも産業のために人がいるのでしょうか。
たとえば人力車がタクシーに、植字工がDTPになって職を失うなどがあります…それらを見れば、産業のために人がいて、産業が要らないといえば放り出されるような感じを覚えます。
広義で考えれば、たとえば明治維新で士族が放り出されたことも、社会システムの変化で、ある人間集団が「不要」と言われたということです。
さらに…エンジン付きトラクターが導入されて、それまで大切に飼われていた牛馬が食肉処理されるイメージすら感じてしまいます。

でも、その…「社会システムの変化」が、人を「不要」ということが正しいのでしょうか?
たとえば団塊ジュニアの、就職力下位半分の数百万人が、多くはまじめに学校にも行き、アルバイトも勤勉にこなしているのに「不要」と言われて餓死・自殺に…よほどのことがなければ二十年後、あるいは数年後にも追い込まれるでしょう。
「努力すれば新しい時代に対応できる」については…全員がそうできるわけではありません。

まるで、人間社会の外に「産業」というものがあるような気もします。
宇宙人に占領された地球で、その宇宙人が巨大な工場を築いており、人間の中から一定数が選ばれてそこで働かされ食料を与えられる、その工場が必要ないといえば人は放り出されて餓死し、必要だといわれれば…そんなイメージがあります。
僕自身の未来予測自体にそんな感じ…餓死すれすれの膨大なスラムと、徹底的に隔絶された遺伝子改良貴族の贅沢な城砦都市があり、その都市から時々人畜狩が降りてきてはそこの「元人・人畜」を連れ去って蟹工船どころじゃない強制労働を強要し、終わったら元のスラムに放り出すかガス質送り…というようなイメージがあります。

問題は、今はその「産業」から離れて自分で土地を耕して自給自足する、という選択肢が事実上存在しないことです。
隠者として暮らそうとしても無理です…僕の昔の理想としては、山奥か無人島に隠棲してロビンソン・クルーソーに近い自給自足生活を送りながら晴耕雨読で科学研究をし、郵便だけで学会にも参加している状態でしたが、現実にその生活はどんな体力・知力があっても無理です…莫大な、ほうっておいても金が金を生む状態の資産があってもかなり難しいでしょう。

23

「まともな価格」の世界はどんなことになるでしょう。

石油や化石地下水などの再生不能資源にまともな税をかけ、未開発の熱帯雨林の伐採を厳禁して先住民の利用権を正しく保護し、奴隷労働を完全に防いだ場合のあらゆるものの価格は。
ものすごいことになるでしょうね…世界の下半分は餓死するでしょうし、日本人も二千万人ぐらいは餓死しそうです。
そう…問題は、徹底してそれをやった場合、多分世界の貧しい人々は今よりもっと悲惨なことになる可能性が高い、ということです。
現状も搾取には違いないのですが、それがなかったら…

いや、「まともな価格」、格差=搾取自体が神話…正義感が経済学をねじまげている、あれで価格としては適正だ、という意見もあるでしょう。
でもそういう考えは…再生不能資源の浪費、熱帯雨林の伐採、奴隷労働などをどう止められるのでしょう。

そう、目的は再生不能資源の浪費、熱帯雨林の伐採、奴隷労働などを止めることです。
他には何もありません…少なくとも僕は。

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普通「農業の利益=売り上げ−造るのにかかった費用」です。

でもいまや農業生産はエネルギーの問題でもあります。だからエネルギーの収支を考えれば「生み出されたエネルギー=収穫量のバイオエネルギー換算−収穫までにかかったエネルギー」です。

さらにこの地球では淡水は非常に希少な資源であり、海水は無尽蔵です。
といっても実質的には、海から少し離れた内陸では海水…塩が希少資源になってしまうのが現実ですが、それを無視して…全ての淡水は海水淡水化技術で作られたと考えましょう。
そうすると「本当の生み出されたエネルギー=収穫量のバイオエネルギー換算−(収穫までにかかった機械・肥料などのエネルギー+収穫までの水を海水淡水化で得るために必要なエネルギー)」です。

間違いなくどんないい畑も、莫大なマイナスになるでしょう。
だからこそ、海水を用いて生み出されるバイオマスをエネルギーや食料として活用するべきなのです。

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淡水より海水は圧倒的に多いです。

ならなぜ、海水から食料・飼料・燃料・原料問わずバイオマスを得る方法はもっと研究・実行されていないのでしょう。
現状では魚とわずかな海藻だけ、魚も持続可能限界より過剰に獲っていて下手をすると大変なことになりそうです。

方法としては

などできることはたくさんあるはずです。

それらはこれまでの技術でも可能で、成功したときの利益も非常に大きかったはずですが、なぜそれほどされていないのでしょう。
人類全体にとっての利益を計算するシステムがないからでしょうか?

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家畜の飼料は、人間と違って栄養以外を配慮する必要はほとんどないように思えます。
日本人は歴史的に尊厳のために米を求めましたが、そんなことがないのです。
なのになぜトウモロコシ・大麦小麦が中心になっているのでしょう。
もっと効率のいい作物はなかったのでしょうか?

やはり食味は家畜飼料でも重要な要素なのでしょうか?
でも、人間にはまずいけれど家畜にとっては非常においしい飼料はないのでしょうか…家畜の好みと人間の好みはほとんど変わらないのでしょうか?

効率だけでなく、耐塩性の高さも重要なはずです。
灌漑農地に塩害はつきものですし、海岸や塩湖に近く元々塩分濃度の高い、利用されていない土地で育てばまた価値は大きいです。

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アメリカの下層には肥満が多いそうです。
安いファストフードで太ってしまうということです。

では、ファストフードよりもっと安く、体にいい食べ物を売る店があればどうでしょう。無料配給券で利用できるようにしても。
豆シチューとチーズと黒パン、豆と大麦とじゃが芋の粥とゆで卵、レーズン入り牛乳オートミール、ヨーグルトとミューズリー、出汁昆布ごとのサツマイモとカボチャと豆腐の煮物に近い味噌汁などなら多くの栄養素がそろい、ファストフードより安く提供できるのでは?
ミキサーで丸ごとジュースにして飲むのを前提にした、低コストで作れて一年中収穫できるか冷凍保存が容易な野菜や果物を開発するのも有用でしょう。

ちなみに僕の小説内で「FNJ(ファスト・ノット・ジャンクフード)」という未来の仮想企業として出しています。

また、なぜ「人間用配合濃厚飼料」や乾燥粒型ドッグフードの人間版が売られていないのでしょう。
栄養がバランスよく含まれており、安全で保存がきき、いかなる食物より圧倒的に安いならば十分価値があるのでは?

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なぜメキシコからアメリカに不法でも移民するのでしょう。
官憲に追われ、とんでもない重労働が待っているのに。
なぜメキシコにいたままでは可能性がないのでしょうか?
可能性がないとしても、なぜメキシコはいい国にならないのでしょう。

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「生存権」という思想と「選別主義」があるような気がします。
しかも、本当の「生存権」を認める人は少数です。

たとえば日本国憲法における「生存権」は日本国民限定です。
それだけで、日本国民とそれ以外で人間を選別し、日本国民でない者はどうでもいいということだからです。
本当の「生存権」は無条件全人類であるべきですが、それはかなり過激な思想とみなされるのでは。

「選別主義」は優生思想をはじめいろいろな形で、あらゆる人が持っています。
人は本質的に群れサルで、「自分の群れ」と「それ以外」を分けるのが考え方の基本ですから。
だから自分の群れのメンバーの生存は保障するけれど、それ以外は殺してもいいし餓死しているのを見ても何もしない、というのが普通です。

さらに新自由主義の世界においては、同じ国においても細かく階層を分け、下の階層の人間は「それ以外」とみなして餓死にいたる貧困、刑務所への社会的排除などを容認するのが一般的なようです。

あ、僕自身は全人類の生存権を無条件に認めます。
ただし人間以外の動物については、その心のあり方がちゃんと解明されない限り生存権までは認めることはない、ただし不要な苦痛を与えてはならないと考えています。

16

僕には
「自分(特に「枕元の計算用紙」)が無視されるのは、自分があまりにも正しいからだ(世間は間違っている、だから世間に無視されるのは自分が正しい証拠だ…「吾輩は猫である」によく見られる皮肉)」
「正しいのだからいつか認められる(むしろ女の子の「いつか王子様が」に近い)」
の二つの妙なうぬぼれが、否定しても否定しても心のどこかにあります。

単純な事実を認めることができません…僕の文章は読みにくく、内容も無知で愚かでつまらない、何よりひとりよがりで、読んでもらうための宣伝および読者に合わせて読者が読みたがることを書くことなどをまったくしていない、という事実を。

15

人は月に何十年も行っていないし超音速旅客機さえなくし、核融合も成功していない、というのは、客観的に…特にSFとの比較で見れば、人間の技術水準は予想より低いといえるでしょうか。
それとも情報技術や石油を捜して掘る技術はSFの予想よりはるかに高いと言っていいでしょうか。

人類はどうしてそういう夢を失ったのでしょう。
なぜアポロ計画から前進しようとしないのでしょう。

その夢を失うプロセスも分析する価値がありそうです。
SSC中止もちゃんと総括されているでしょうか?

何より、本当にこれ以上の技術革新は全く期待できないのでしょうか?
宇宙ではなく電子・遺伝子の方向に夢も技術革新も…ではその先には何があるのでしょう?

14

*これはアキバ通り魔事件をどう読むか!? (洋泉社MOOK) の赤木智弘氏の文章を念頭に置いています。

勤勉だから「家・車・妻子・定職=市民としての尊厳」は分相応?いや、分不相応です。正しくは「世が世なら」分相応ですが、今の世においては分不相応です。
十段階中2以上で勤勉なら(週六十時間労働程度で)「家・車・妻子・定職=市民としての尊厳」が得られたのは、高度成長期とその余波があった一時代のみ、その時代は「常」ではなく「異常な一時代」ではないでしょうか。
それ以前には生存するだけでも困難で、家などに対する奴隷的絶対服従と無制限の重労働、慢性的栄養失調が当然でした。事故、疫病、戦争、連座などの理不尽が常に生存を脅かしていました。結婚し家を営むのは富家長男のみの特権であり、他は米の飯を夢見つつ悲惨で短い生を終えたものです。「蟹工船」や「女工哀史」は今の我々が読めばひどい話ですが、その悲惨な重労働生活は江戸時代の下層民には当然、平安時代の下層民にとっては天国じみたSFでしょう。
そしてこれからの時代は十段階中5以下、また特に団塊ジュニアについては正規学校卒業時就職できなかった者が「それ」を求めるのは分不相応です。
団塊ジュニア下層らに歴史が、これからの時代が要求する「分」は、非正規低賃金未熟練労働力として五十歳ほどまで、家も車も妻子も市民としての身分も得られないだろうが口を糊するためだけでも勤勉に働き、そして五十を過ぎて用無しになったら自殺せよ、でしょう。
ちなみに就職できた者も週百時間、半分以上は無給で職場のみならず家でも働き、しかも高いコミュニケーション能力も出し続けて過労死せよ、です。
それまでの何代もの先祖達と同じく謹厳に家訓を守ってきた武士が、明治維新で突然路傍に放り出されて餓死を強いられたのと同じく、歴史は世代から個々の幸福を見れば非常に不公平なものです。まして一九五〇年代にカンボジアに生まれた者には、ただ「幸運を、楽な死を」と言うほかないでしょう。抗議先がどこにあるでしょうか。

二極化、中間層の没落は、共産圏の崩壊によって新自由主義に対抗するイデオロギーが失われたこと、世界のグローバル化によって厖大な低賃金未熟練労働者が労働市場に参入して賃金の世界的下揃えが起きていること、技術革新によって熟練労働者が少数ですむようになったこと、情報化や経済競争の激化で非効率な中間団体が存続できなくなったことなどの必然的な帰結に過ぎません。
その流れを変えたければ地球全体を福祉国家とするほかないですが、人間という愚かな種族にそれを期待するのは無理でしょう。

また「家・車・妻子・定職=市民としての尊厳」があれば犯行はなかったでしょうか?それも絶対とはいえません。
それは厳格な家庭などと同様、必要十分とはいえないと思います。「それ」を持たない、他の数百万人の非正規労働者がやっていないのと同様に。本人の万に一人の資質と苛酷な人生、その両方の要因が複雑に絡んで必要十分条件をなしたのでしょう。
同様に悲惨な生活を送る数百万人が犯罪も犯さず頑張っている、というのは追い詰める効果がある危険な論法ですが一面の真実ではあります。もちろん悲惨な生活を正当化していいものではないですが、悲惨な生活を送る人がいることに反対する根拠も実はありません。
犯行予防をいうなら、犯行は生来(遺伝子決定論ではなく、脳の配線ができあがる時期の無数の微小刺激で予測・制御不能と私は考えています)の資質、生活環境の(貧富いずれにもあり得る)悲惨、犯行を犯しやすい環境(凶器の入手可能性、手本の存在、他の憂さ晴らしがないことなど)が複合的に絡んで生まれるものだと考えるべきです。
明日、豊かな生活を送る一流企業の正社員から大量殺人犯が出るかもしれません。ただし、統計的に大量殺人犯は貧困層から出やすいかもしれませんが、大量殺人犯自体少ないためまともな統計処理は無理です。
事件をきっかけにした日雇い派遣禁止の流れはダガー規制同様本質的にスケープゴート探しにすぎません。もちろん事件を統計的に減らす力は、ダガー規制よりはるかに大きいでしょうし他の福利も大きいので全体に善と思えますが、善悪とスケープゴートか否かは無関係です。
より大きな問題は、犯罪によってしか世論が動かなかったことでしょうか。

格差問題は事件とは独立に論じられるべきです。いや、個人的な考えですが格差という言葉自体が不適当であり、「一線以下の絶対的貧困」及び「職能修得機会や向上希望の喪失、将来の餓死」に問題を絞るべきです。
格差というと、右側から「では平等を求めるのか、その行きつく先はポルポトだ」と言われます。でも「誰も餓死しない」事を求めてもまだ文句があるのでしょうか?「勤勉に働けば餓死はしない」のもまた二十世紀後半の話で、二十一世紀には違うのです。
特に世界がグローバル化している以上非正規労働化は止められないし、また実力格差がある以上団塊ジュニアワーキングプアを正社員とすることは、企業の合理的な経営判断としてできません。そしてこのままでは二、三十年後に厖大な生活破綻者が生まれ、確実に財政は破綻して生活保護制度は維持できなくなりその大半が餓死に追いこまれることになるでしょう。
その点は団塊ジュニアワーキングプア全員が今から改心して努力しても、椅子の絶対量が少なく、フリーター・ニート層に(企業が認める)実力がなく、実力は学校では得られず、単純労働から熟練労働につながる道が断たれた以上同じことです。
それをどうにかしないということは数百万の餓死と、その中の数千人の重大犯罪を許容するということです。
それも歴史の流れだ、仕方がないで済ませて本当にいいのでしょうか?それとも餓死・自殺は容認しつつ重大犯罪のみ防止するため警察国家化し、さらにいらない者はガス室送りにすれば一番よいでしょうか?
僕の直感としては、俗流若者論が事実上団塊ジュニア下層を「非人間化」しているから、今でも日本人が世界で年千万単位の餓死を容認しているように、社会が「人間でない」としたら黒人奴隷でもホロコーストでもハンセン氏病患者強制収用でもなんでも容認するように、数百万人ぐらい餓死しても冷然と見捨そうに思えます。

問題は単純です。無条件の生存権を認めるか否か。
他にも最低限の労働条件を全員に保証することを認めるかなどいろいろあります。
個人的には、認めないというなら人類そのものが生きていく資格すらないと思います。

未来は、未来における哲学と生存権はどうなるのでしょう。

13

パソコンが壊れたとき、なぜか年単位でバックアップをしていなかった自分に気づきました。

事実…「バックアップをしなかった自分が悪い」「多くのデータは99%失われた」「とても面倒くさい思いをする」「HDDは壊れやすい機械」

責任転嫁したい、暴れたい、泣き叫びたい、祈りたい、誰か人を攻撃(暴力、言葉の暴力、他人の不幸を願い喜ぶ…)、死にたい、大食したい、抱きしめてほしい、爆発したい、事実を否定したい、より悪い事態を考えても収まらない、タイムマシンがほしい…

まあ無事に、新しくパソコンを買って新パソコンの外付けHDDにすれば何とか読めましたが。

しかもこれほどのことも、喉元過ぎれば暑さを忘れるものでしょうか。

 

12日までパソコン故障で更新不能。