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31

論敵の隠れた悪しき動機をあげつらうのは禁止にしませんか?
それをいわれれば議論にならなくなります。

他にも議論を不可能にする要素は多数あります。
それは、サッカーグラウンドで落とし穴を掘るようなものでは?

何より「議論」というものはありえるのでしょうか。
人は理性的動物ではなく魔術的動物なのに。

たとえば、同じ「原発反対」でも
「ある原子が崩壊して、非常に強い光のようなものを放ってそれが、野外のプラスチックを日光が痛めるように人間の体の細胞を傷つける…原発を推進した場合のリスクは五百年につき多くて五万、平均で三万の死亡者(この数字はいい加減です)…ただし原発を推進した得はこれこれで…」という理性的科学的な議論。
「原発反対!原発反対(大声)!原発反対(涙ながらの絶叫)!!!原発は怖いです、世界を破壊します。原子力は悪魔の力です!悪魔ですよ悪魔!原発を推進する政治家や電力会社、その味方をする科学者は人類の、私たち平和を願う庶民の敵です!こんなひどい奇形児が生まれるんですよ(写真…それこそ核とは無関係でもいい)、あなたの子供だって…、それにこの被爆者のケロイドを見てください…」というように大声、負の感情を言葉に込めてそれが共鳴することを利用する、わかりやすい単純な言葉を繰り返す、映像からショックを与え、恐怖を煽る。
どちらが有効でしょうか?もちろん後者でしょう。では後者が有効だからこそ「正しい議論」なのでしょうか?

そちらが有効だというのなら、論理学の勉強よりもヒトラーの技巧を研究したほうがはるかにいいということになります。
僕はそちらは大嫌いです。

論敵の悪しき動機にしても有効だから…複雑な条件の上の正しさなどより、善悪敵味方という単純なカテゴリーのほうが人間にはわかりやすいですしね。

あと皮肉抜きに、人間は…少なくともジャングルからサバンナで狩猟採集生活をしていた頃に、「論理的に物事を考えて議論する余裕」などなかったことは確かです。
合理的でも適応できなければ絶滅するだけです。

30

農業には本質的に問題がある…補助金か超低賃金・児童労働、大量の石油や化石地下水を使わないで国際的に採算が取れる農業はどこかにあるでしょうか?

日本では何とか農業生産を増やすとか徴農とか仕事がないなら農村に行けとかいろいろいいますが、「楽で儲かる」仕事でないならどうにもなりません。
本質的に農業が儲からないとしたら、それはどうしたらいいのでしょうか?

29

人工臓器・拒絶反応が出ないよう改良した豚・幹細胞…いや、脳のないクローンからの臓器移植さえも、多少の弊害は無視して進めるべきです。

現在のように人から人への臓器移植以外にない状況は…闇の世界では人間にとって考えられる最大級の悪、人間を臓器目的に誘拐・売買・飼育する、という犯罪を引き起こしていると考えなくてはなりませんから。

そのような悪は、それこそどこぞの宇宙人が地球人を滅ぼす理由として十分だと思いませんか?

28

人間の多くが蛇や蜘蛛を嫌うのは、農業文明になってからは大きい損失だったのでは。

ジャングルで暮らしていた頃は蛇も蜘蛛も危険という判断で間違っていなかったでしょう。
でも農業を手に入れてから、人類はネズミにどれほどの作物を食われてきたでしょうか?蛇はネズミを食べてくれます。
今だってネズミ損失は小さくないのです。
確かに猫や小型犬も優れたネズミ狩人ですが、蛇はもっと狭いところにもぐりこむことができ、哺乳動物にない超感覚を使えます。
犬猫よりも家畜、特に鶏やその雛を食うことを防ぐのが難しいかもしれませんが…
また、蜘蛛…特に巣を張って待つタイプではなく自分から歩き回る蜘蛛をミツバチや蚕のように使いこなすことができていたら、害虫防除にどれほど役立ったでしょう。
特にミツバチのように社会性昆虫の性質を持ち、獲物を探し回る蜘蛛を使いこなすことができていたら、広い田畑全体の防除ができていたでしょう。

まあそれは肉食蜂にも素質があったかもしれません。
人を刺す針がなく、田畑害虫を貪欲に食べる繁殖力の大きい蜂がいたら…というかいないほうが不思議です。

小鳥も害虫防除に使える可能性がありますが、それもなぜ利用されていないのでしょう?
虫だけを食べて穀物を食べない鳥が存在しないのでしょうか?

27

たとえば男嫌いの女性がいたとして、彼女は何人の男性と知り合っているでしょう。
その人数と現在生存している三十数億との比率は?少数サンプリングで全体をつかめるでしょうか?
逆に、その少人数の中の例外的かもしれない少ない人数からのデータで、全体を判断していないでしょうか?

人は一人一人違うのに、何かの集合に入れてしまって、一人一人にその集合のレッテルを押しつける…男嫌いだけでなくあまりにも多くの差別にそれはあるでしょう。

あ、男嫌いと言っても同性愛者なら別にいいです。問題としているのは男性差別者ですよ。.

まあ僕は人類自体を差別しているので大きいことは言えませんが。

26

団塊ジュニアの多くが貧しい…ということは、将来老いた団塊世代を介護するための税金を払うこともできないわけです。
ただでさえ少子高齢化で、一人当たり負担する老人のための税金が高くなるというのに。
貧しいというのは低賃金未熟練労働しかやっておらず職業能力が低いということであり、それは稼ぐ力が弱いことであり、すなわち老いた団塊世代を養う金を出せないということです。
今の低賃金未熟練労働は高度成長期とは違い、それをがんばっていれば何年化したら新しい仕事を覚え、ちゃんと稼げるようになるわけではありません。その低賃金がずっと続き、多くは年老いて体力が衰えれば捨てられるのです。
そうなれば、自身が年老いたら自分の生活費が出せなくなることはもちろんです。
また子供を産み、生産性の高い高学歴労働者に育てることもできないということです。
無理に産んだところで低学歴の貧困層が再生産されるだけであり、国にとってはマイナスです。

それでは将来の日本の生産力はますます下がります。
この状況がなぜ是認されているのでしょう。

団塊世代を介護するためにも、団塊ジュニアのさらに次の世代の優れた担い手を育てるためにも、現在非正規労働者として希望のない低賃金未熟練労働をしている若者に、ちゃんと成長できて能力がつき賃金が上がる職を与えなければならないのです。
そうでないのであれば、誰が老人を介護する賃金を払い、子供の学費を払うのでしょう。
といっても、老人を介護する費用・子供の学費は今四十代五十代の人々も必要です。

つまり世代ごとに、最低限必要な収入・職種があるのです。介護・医療・教育が自己負担であり、職業能力が企業内でしか得られない国であることをお忘れなく。
子供が大学に行き、親の介護が必要になる高年齢層はとにかく大金と時間の余裕が必要です。
若い時代は、少なくとも安定して働けば多数が将来豊かになれるという希望が必要です。
でも実力主義で、しかも設計者と実行者の給与差が大きい第三次産業が主になると、多くの人は「その年齢でちゃんと社会の再生産に参加するのに必要な給料」が得られなくなります。
そう、ある程度は金・仕事とも「必要に応じて受け取る」面がなければ国そのものがもたないのでは?

逆に雇用の流動性を高め、実力主義にするのなら介護・医療・教育・最低生活は無条件、個人の所得とは無関係に保障するシステムにしなければ結果的に国そのものが破壊されるのでは。
多数の餓死者・介護を受けられない老人・教育を受けられない子がいる社会は許容できないのでは?国益に反しているのでは?
三つとも絶対に必要なのです。

何より能力・収入が低すぎる人間が多数である社会は誰も得をしないのでは?
それを許容するなら、それでどんな社会システムにするのでしょう。

問題は、構造改革・実力主義に際してセイフティーネットを、と構造改革派論客は主張しているにもかかわらず政策的には終始セイフティーネットが切り捨てられていることです。
年功序列をやめる、奨学金も減らすでは大半の子供が大学にいけなくなるのは自明では?

若者は甘えているという言論は、安全圏にいる高年齢の保守派にとって精神を安定させるものなのでしょう。保守派の反弱者・反若者感情はきわめて強く、あらゆる説得を受け付けないものがあります。
しかし、特に若者の資質そのものが根本的に変わったはずはありません。
単純に高い技術を蓄積でき、給料が上がる職そのものが少なくなっただけです。
誰もが普通にがんばっていて、それで多数が脱落しつつあるのです。
「仕事はどこにでもある」といいます。でもそこで勧められている職は、たとえば派遣村に居酒屋チェーンが求人に行ったとありますが、居酒屋は超長時間使い捨て労働の代名詞です。今使い捨てされる余裕はないのです、技術を蓄積して将来の体力低下と老後に備えなければならないのですから。
体力のある若い頃しかできない、技能を蓄積できない職についたところで十年後に使い捨てられるだけです。生存への道ではありません。
そして若者の多くにそのような職を強いていたら、結局十年後に税金の払い手、子供の育て手、学費負担者、介護費用負担者、そして消費者がいなくなるだけです。
若者は甘えているとか派遣村はインチキだとかいくら言ったところで、今現在技術を蓄積し、給料が上がるコースにいない若者が多数いることは事実なのです。それをどうにかしなければ、国が滅びます。

ちなみに若者一人一人がいくらがんばっても、起業は元々99.9%は失敗するし正社員としての実力人脈がなければ確実に失敗します。
資格を取る時間はなく、取ったところで新卒以外は正社員経験以外を無視する現在の就職環境では無意味です。
日本の現在の雇用慣行では、企業外の職業教育は一切評価されません。
今の仕事でどうがんばっても、非正規社員の業績は一切評価されず、技術も蓄積されません。
正社員でも、多くは給料が上がらないままで、そのままではとても子供の学費は払えず、夫婦のどちらかに親を介護させる余裕もありません。
より過酷な仕事に移っても、体力を使い果たして辞めるだけで技術の蓄積も何もありません。
がんばる先が何もないのです。すべてが昔とは違い、ヨーロッパとも違うのです。

25

ヘッドホン専用サウンドカードもあればパソコンの音をかなりよくするかもしれません。
USB、光出力などのヘッドホンアンプのほうがいいのかもしれませんが。

でも本質的には、パソコン内部の雑音とパソコン内臓光学ドライブの絶対的な性能というどうしようもない限界があります。
本当に音楽を聴くには専門プレイヤーとアンプが必要なのかもしれませんが、それは底なしに大金が必要な世界です。
中庸はどこにあるのでしょう。

またパソコン自体の、根本的な光学ドライブの性能の低さや雑音の多さという問題もあるでしょう。
ならばパソコンとは別にCDプレイヤー・ヘッドホン専用アンプのコンポを用意し、パソコンからの情報もそれに流し込めるしパソコンのハードディスクにいいプレイヤーで読み取った曲を覚えさせることもできればいいのでは。
CDなどからもいいヘッドホンに直接いい音質で音楽を届けることができますから。

さらにパソコンとの連絡を密にすれば、パソコンでDVDを読んで処理し、映像をパソコンのディスプレイで見て、音は5.1サラウンドをヘッドホン用にパソコンが処理した情報をヘッドホン専用コンポで清掃して聞く、ということもできるのでは…かなりいい擬似サラウンドになるのでは?

そう考えると、ヘッドホン専用のミニコンポがあればいいと思います。
縦横14cm、高さは14cmかそれ以下で、ある程度の品質のCDプレイヤーが内蔵されていて電源だけでヘッドホンからかなりの音質で聞ける、というのが二万・五万・十万の三段階ぐらいで。
またパソコンから光・USB・赤白のステレオライン(ヘッドホン用ミニ出力をラインに変えるケーブル同梱)で音を受け取って掃除して鳴らすこともできるし、もちろんテレビや普通の映像機器からもステレオライン入力で音を受け取り、掃除してヘッドホンに鳴らすこともできる。
また入門機レベルのCDプレイヤーとしてもライン出力でき、それにアンプ・スピーカーとつなげればそれなりに使える、と。

非常に小さいサイズで入門レベルのピュアオーディオが楽しめると思うのですが。
実際のコンポなどのヘッドホン出力にはあまりいい噂を聞かないので。

24

5.1サラウンド以上をミニステレオ出力できるパソコンで、普通に学習机に座って5.1サラウンドを楽しめるシステムが欲しいです。

いすの背もたれに固定した支柱から座った頭の少し上に直径一メートルぐらいのリングを固定し、そのリングに小さなスピーカーを5.1配置でつけたらどうでしょう。
そのリングを、トイレの便座のように角度を変えられるようにすれば座るのも楽でしょう。
目の高さより少し上なら、普通は水平目線より下にあるディスプレイを見る邪魔にはならないでしょう。
まあ椅子からは左右後ろスピーカーだけ配置して、ディスプレイを置く台を兼ねた前方センター/サブウーファースピーカーとディスプレイ左右のスピーカーでもよさそうです。
他にも支柱などいろいろ考えられますが、とにかく耳のすぐ後ろの正しい位置、かなり近くに、椅子の移動・出入りを妨げないようにリアスピーカーを置くことができれば。

パソコンのアナログミニステレオ対応の、椅子につけられるリアスピーカーと、センター/サブウーファーは結構いい商品になるかも…気軽に学習机を5.1サラウンドにできるのですから。左右のフロントはシリーズでそろえてもいいし、またどこにでも使わない左右スピーカーは転がっているでしょう。いい音楽を聴きたければそれなりにいいステレオスピーカーがたくさんあります。

いや、それ以前に学習机と椅子は、地デジ・ハイビジョン・5.1・ブルーレイパソコンの時代に対応しているでしょうか?
PC専用机も対応していない気がします。
もっと以前に、学習机はブラウン管ディスプレイにも対応できずじまいでした…今でも、ハイビジョンになればこそ、ブラウン管は見直されるべきだと個人的には思っていますが。
ブラウン管ディスプレイでフルHDであれば、やはり今のどの薄型よりいい動画が楽しめます…24〜32程度であればさして巨大すぎはしないでしょう。
さらに、複数のブラウン管を組み合わせる技術さえあればもっと薄くなるでしょう。

またホームシアターは必要とされるスペースが広すぎます。きちんと音をとるには部屋そのものが必要とされるのです。
本質的にはリビングか専用ルームを用意すべきものです。
またインターネットなどには適していませんし、一人暮らしの学生などが使えるものでもありません。

学習机とは別に安楽椅子中心のシステム…書斎とホームシアターを兼ね狭いスペースで実現できる、ハイビジョン5.1を十分な音と映像でくつろいで楽しむのと家で本やノートを含む資料を抱えて学ぶことの両方ができる、5.1を一人が狭いスペースで聞くための、それでいて音質のいいスピーカーを中心にしたシステムも欲しいですね。
安楽椅子が肘かけごと入る幅広のパソコンラックが中心で、安楽椅子は電動の前後する低い台車に置けばいいでしょう。
その台車の後部にはリアスピーカー台があり、安楽椅子を後ろ20度ぐらいで5.1に完全に合う、ちなみに延長コード・電源つき。
パソコンラック部にディスプレイ・センター・サブウーファー・左右フロントスピーカーを置ける。もちろんパソコンやゲーム機本体も。
今のBTOパソコンはオンボードでアナログミニステレオ×4=7.1が標準ですからサブウーファーとセンターを別に単独で手に入れ、それと昔のパソコンについていたステレオスピーカーを二つつければ5.1は簡単格安に実現できます。「サブウーファーとセンターのセット」があれば一番いいのですが…
必要スペース:横1m縦2m前後で小さい5.1スピーカーがちょうどいい位置に配置され、CDラックとパソコンやゲーム機本体が左肘掛の脇ぐらいにあれば操作しやすいでしょう。
そしてその全体を、防音性のあるドアつきの衝立でカバーする。衝立のドアを開けて小部屋化したそこに入り、下がっている安楽椅子に座って電動で前進して位置について鑑賞。終わったら安楽椅子ごと下がって出る、とすれば防音もある程度できるはずです。

23

普通のパソコンにCDを入れて音楽を聞いたりDVD映画を見たりしています。
ちなみにそのパソコンは割と新しく、後ろには四つのミニステレオ出力端子(オンボード7.1対応)があります。

ここに五万円あります。
さて、何に使うのが一番音楽も映像も楽しめるようになるでしょう。
五万円のヘッドホン?
五万円のスピーカー?それも普通のステレオスピーカー?それとも5.1サラウンドスピーカー?
普通にパソコンから出力するスピーカー?それともUSBスピーカー?
三万円のヘッドホンアンプと二万円のヘッドホン?
二万円のサウンドカードと二万円のヘッドホンアンプと一万円のヘッドホン?
三万円の光入力のあるアンプと二万円のヘッドホン?

ちょっと考えるだけでスピーカーとヘッドホン、アンプやチューナーの有無、サウンドカード、ソフトなどいろいろ考えられます。
5.1サラウンドを優先するか音質を優先するかも厄介な問題です。

予算が一万円、十万円、二十万円だったらそれぞれどう使えばいいでしょうか?

それ以前にパソコンで音楽を聴くこと自体が根本的に間違っているのでしょうか。
パソコンの内部は雑音だらけなので、どうしても限界がある、と…

だとしたらコンポと単品プレイヤー+ヘッドホンのどちらがいい音を楽しめるでしょう?

もちろんヘッドホン自体の好き嫌い、部屋環境もありますね。部屋環境によってはヘッドホンが唯一の選択でもあります。

22

せっかくDVDや地デジなどで5.1サラウンドが標準とされているのに、ホームシアターの高価さがその普及を遅らせ、擬似サラウンドばかりになっている気がします。

今市場にあるホームシアターは基本的に、ピュアオーディオと同じ次元の高級品です。
なぜCDミニコンポ、CDラジカセ、ビデオデッキのように気軽で低価格なシステムが見られないのでしょうか。
安価なDVDプレイヤーはパソコン、ゲーム機、ポータブルも含めたくさん出ています。
でも特にポータブルは本質的に5.1にはしにくいですし、室内で安くかさばらないスピーカーをつないで5.1を組むことも難しいです。

最近のPCにアナログミニステレオで穴四つ、7.1まで出せるようになっているのは、パソコンをDVDやブルーレイ〜ハイビジョンディスプレイでサラウンドも演奏するシステムにしたいからなのでしょうか?
その割には、そのためのスピーカーが見当たりません。
せめて5.1サラウンド用の、五千円以下のアクティブスピーカーセットが欲しいものです。

一番問題なのは、ハイビジョンテレビは増えているのに5.1サラウンドテレビがほとんど見られないことです。
リアスピーカーの配線が複雑になるのはわかりますが、普通に市販のテレビで、買ってきたままちょっと置けば5.1が鳴るようにしないと普及しないのでは?
このままでは5.1サラウンドは普及せずじまいでしょう。
ぜひともテレビ・パソコン問わず安価な5.1サラウンドシステムに出て欲しいものです。

もっと恐ろしい問題が、ピュアオーディオとホームシアターが両立するかと言う問題です。
ホームシアターでCDを聞くことはできますが、それは「音楽を聴く」ためにはどれぐらいのレベルでしょうか?
ピュアオーディオルームとホームシアタールームを別に持つ、という究極の贅沢ができる人はそういないでしょう。
そこでもしピュアオーディオマニアを満足させられるサラウンドシステムがあれば、映画と音楽に別の部屋を用意する必要はありません。
第一サラウンドは音楽再生にもものすごい威力を発揮します。
そのあたりはもっと色々進めばよくなるでしょうか?それとも多チャンネルサラウンドの衰退という形で終るでしょうか?

21

一体型テレパソは一般に高価すぎ、また無用に薄さを追求している気がします。
安く、奥行きは20cmぐらいあるけれどスリムタワー程度には拡張性があるものがあってもいいのでは。

さらにディスプレイを含め部品も交換可能。ディスプレイが壊れたら終わり、というのが一体型の大きいデメリットです。
また、大画面ハイビジョンが安くなったら気軽に交換できればもっといいはずです。

せっかくブルーレイ再生・地デジ(CD・DVD再生はもちろん)が標準でしょうから、フルハイビジョン画面とそれなりのグラフィックはもちろん、アンプつき音源を入れて有線5.1サラウンドスピーカー標準装備で、AV機器としてもよほどのマニア以外満足できるレベルにしておくべきでしょう。小型ホームシアター…パーソナルシアターとして十分使えるレベルで。
音はこだわると上限なしに高価になりますが、必要十分な音質というのは逆に難しいのでしょうか?鳴ればいいと電源ケーブル何十万円の両極端を避けた中庸は?

テレビ代わりですから、ビデオデッキやゲーム機からの入力も充実していることが望ましいでしょう。

あと、最近の大型デスクトップパソコンは後面に、マイク・ラインの二入力、それに四つのミニステレオ出力があります。
それぞれにスピーカー(ジャックの一つはセンター・サブウーファー)をつけて7.1サラウンドにしろ、ということなのでしょう。
でも、店頭でそのための7.1出力用スピーカーを見たことはありませんし、パソコンに標準でついているわけでもありません。
普通の…音楽の質に関心のない人は液晶ディスプレイに付属している左右ステレオスピーカーかヘッドホン、一体型なら内蔵スピーカー+ヘッドホン出力で十分とされているようですが…やはりせっかくDVD以上が使えるなら、5.1アナログスピーカーを標準にしてもいいのでは。

ただし本気で音に関心がある人は最初からパソコンは使わないか、またはパソコンにアンプをつなげて、ホームシアター化する場合にはそのアンプからサラウンド出力をするでしょう。
だったら…5.1スピーカーがあまりないなら最初から、音楽出力は関心がない人用にミニステレオ一つで十分では?
音に関心がある人用にはオプションとして、音楽用に元からある程度満足できるアンプ出力をつけたステレオ出力と、標準的なサラウンドスピーカーシステムと同一規格の出力ができる出力。またはよりいいのはパソコンは小型DVD/ブルーレイプレイヤーと割り切り、外部アンプに対する標準的な光デジタル出力をつけて音についてはアンプに任せる形なのでは?
それ以前にパソコンに、赤白黄のAV端子がまずないのも不思議です。テレビをディスプレイとして使わせないためでしょうか?

より強力高音質のヘッドホンアンプも選択できれば便利だと思います。
その上でパソコン用のサラウンドスピーカーシステムやサラウンドヘッドホンを売っておくとか。

元々パソコンで音楽を聴く、というのは狂気の沙汰なのでしょうか?
せっかく今のパソコンはテレビ・CD・DVDの総合プレイヤーになっているのに。
せっかくテレビ・CD・DVD総合プレイヤー…オールインワンAVシステムにできるのですから、元からある程度以上音をよくしておくか、せめてボード一枚のオプションで極上の音を出せるようにしておくか、専門家であるアンプ・スピーカーシステムに雑音なくデジタル出力できるようにしておくかしておいてほしいものです。
ただしせっかくDVDを見れるなら5.1スピーカーを標準で。

要するに少しかさばるけれど「安価で」「ディスプレイが交換でき」「音がそれなりによく」「5.1サラウンドも標準でしっかり聞ける」一体型テレパソが欲しい、というだけのことですが。

20

ついにオバマ就任。
いまだに信じられない、実感がないのが正直なところです。
といってもいまだに僕は、就任演説の最中に暗殺されることを心配しているのですが。
それこそ、まさに「アメリカは、人類の歴史はお前たちクズである庶民のものではない。お前たちは我々生まれながらに特別である貴族に奉仕する家畜・奴隷に過ぎないのだ」と思い知らせることになるでしょう。
それに対する反発がどうなるか…激しい暴力の爆発になるでしょうか?

この経済危機を大統領はどうするでしょう。できることはあるでしょうか?
アメリカ三大自動車会社は?
グリーン・ニューディールは機能するでしょうか?

イラク・アフガンなどの軍事的な問題は?どこまでこれまでのアメリカの政策の暗黒面に切り込むでしょうか、いや今でも中南米などで行われている闇の部分に切り込むことさえできるでしょうか?

どんな歴史的な演説になるか、とりあえず英語の教材として楽しみにしていますか。

19

アメーバは貪食…バクテリア・生物片など異物を包み込んで消化吸収して食べることができます。
人間の細胞にも、白血球などはそれができます。

ではなぜ、人間をはじめ大型動物は腸ではなく肺のような構造の消化器で、大量の貪食細胞を用いて食物を消化吸収しないのでしょう。よく噛み砕いてそれに流せば論理的には可能では?
消化吸収機能といえば、たとえばキノコの菌糸など、菌類も様々な物を高い効率で消化吸収します。
なぜ大型動物はその能力も利用しなかったのでしょう?

いや、僕が腸壁細胞の生理学に無知なだけで、細かく見ればかなり色々使っているのかもしれません。
あれはあれでとんでもない細かくややこしいことがあるようですね。

他にも細菌の持つ能力は人間の細胞も気管の繊毛など結構使っています。使っていないものも多いですが。

まあ何より大きいのが生物の二大謎…植物に空中窒素固定能力がないこと、動物にセルロース消化能力がないこと。

18

鍵盤楽器は10の音しか同時に出せません…普通に指が各五本なら。
両足を入れても十二です。

大抵の作曲家は、それを前提に音を紡いでいないでしょうか?
人類の指の数が違ったとすれば…握る機能に必要なのは三本、まれに六本指もいるしそのほうが数学的には有利…音楽は何もかも違ったでしょうか。

フルオーケストラの作曲というのはまったく別の感性があるのでしょうか、それとも主旋律の繰り返しに色々付け加えるだけでしょうか?

そしてこれからパソコンでの作曲が普通になったら?
そのためには安価なUSB電子オルガンか、または普通の文字入力用キーボードを簡単に音楽演奏鍵盤にできる、できればwindowsに標準装備されたソフトがあればいいのでしょうが、それに向けた流れは止めようがないはずです。

17

これまでの人類で、「まともな死に方」をした率はどれぐらいでしょう。

まともな死に方とは「まともでない死に方」の否定でいいでしょうか。
まともでない死に方とは以下…

乞食として長生きした場合は?

16

暗黙のルールは結構強いのでは。

SF小説では、機械に管理される理想郷は暗黒郷に転じなければならない。
遺跡探検冒険小説では、古代超文明の技術は失われるか主人公が最後に捨てなければならない。

基本的には「現状を維持せよ」「人間を信頼せよ」というメッセージです。
推理小説、特にアガサ=クリスティーにはルールをぶっ壊す名作がいくつかありますが、SFや冒険小説にもそんなのはないのでしょうか。

たとえば…タイムマシンで過去を書き換えるかどうか、と問われれば、あらゆる作品がそれを否定するでしょう。
でも、今の現状、これまでの歴史はどちらも最善でしょうか?
20世紀だけで虐殺されたあらゆる人々は、どうなってもこれ以上悪くはならないから世界を変えることを選ぶでしょう。
また、世界を変える力を得たにもかかわらず変えないことを選ぶことは、現在およびホロコーストを含む過去の悲惨を肯定すると言う不作為の罪では?

世界を変えることがより悪い結果をもたらすかもしれなくても。

15

人の脳を九分の一食べれば体も頭もよくなるなら、みんなで十人に一人を殺して食べるべきでしょうか?
誰もがNoというでしょう。
でも実際には、少数の犠牲を皆が容認しています。
しかも自分が犠牲者になる可能性があることでさえも。

交通事故や自殺の統計を当然とみなしています。

冤罪のリスクに目をつぶり、冤罪防止に向けた司法・警察行政改革に無関心です。

大地震のリスクに目をつぶり、政策として大規模な物資の備蓄・耐震建築などにコストをかけません。

世界全体で現在でも年に一千万人を越える餓死者の存在を許容しています。

14

水素文明に対する批判は多く、水素はタンクに詰めるのが難しいとされます。
高圧でタンクに入れると、エネルギーの多くが失われるとか。

でも高圧ガス容器の、ガスに圧をかけるエネルギーは理論的には取り戻せるはずです。
ガスの出口に風車をつければいいのです。
それでちゃんとエンジンに送れるかは別問題ですが。

実際ほとんど回収されているのかもしれませんし、どうやっても回収できないのかもしれません。

液化も膨大なエネルギー損失がありますが、それも地域単位で大規模な冷蔵・冷凍倉庫に使うようにすればある程度は回収できるのでは?
まあそれは、技術の現場ではいろいろあるのでしょう。

超伝導線の周囲を液体水素で冷やし、液体水素と電気を同時に送るという面白いアイデアもあるそうです。
再生可能エネルギーで人類全体が動くには、どうしても超伝導電線が必要になりそうです。
特に海流やジェット気流など、砂漠の太陽光などの莫大なエネルギーを有効に使うには超長距離のロスの少ない送電技術が必須です。

それにしても、この世界の物理法則がある程度以上効率のいい電池の存在を許さないのが残念でなりません。
まあ物理法則そのものはわずかでも狂えば人類自体存在していませんが。

13

全世界統一学力テストがあったらどうなるでしょう。

理数系は全世界統一カリキュラムでもいいのでは?
理数系は、世界全体でどこまで行ったか客観的に評価し、また世界の全員に義務教育としてここまではマスターしてもらう、というものがあってもいいのでは?まあ三段階程度にして「人間としての最低限」「ちゃんとした知的階層としての最低限」など何段階かに分けるのもいい…
義務教育といっても一段だけではなく、段階のある義務教育でもいいのでは。

それとも数学や科学も文化・民族・国家から切り離すことはできないでしょうか?
数学は本当に宇宙のどこでも変わらないでしょうか。
生物の、「内外を分ける」性質が集合論の根源とつながっていて、だから内外の区別がない知的生物は集合論自体が理解できないとかはないでしょうか?

英語のTOEFLなどは世界統一に近いものがありますが…

12

大衆に無知を強制するには、刑罰・宗教・テレビなど娯楽的メディアのどれが最も優れているでしょうか。

人間はずっと宗教と、情報技術の不足を用いてきました。
共産圏では教育などによってイデオロギーや個人崇拝や戦闘的愛国主義を洗脳のやり方で植えつけ、恐怖と刑罰を併用して考える者を排除しました。
現在の西側諸国ではテレビなどを利用し、科学より星占いのほうが心地いいからとそちらを選ばせることに成功しています。
その先を想像したのが「華氏451度」でしょう。

インターネットはどうなるでしょうか。
科学と宗教との戦いは、一体どこに行くのでしょう。

いや、「無知」「考えない」は宗教・科学の対立軸より上にあります。
智・自分で考えることが勝利することなどあるのでしょうか。
現在の地球で、人口のどれだけがどんな世界で生きているか…パソコンを手にしている人が、読み書きができる人がどんなにわずかか。
読み書きができ、パソコンを手にしている人も、人間そのものがどれだけ無知の中にまどろんでいたがる存在か。

11

不景気、恐慌というので人員削減をどこの企業もしていますが、それではますます不景気はひどくなるのでは?
そういえば、経済において「給与」と「不労所得」のどちらが大きいのでしょう。
経済全体における給与の比率が圧倒的に小さければ人をいくら切っても景気とは関係ないといえますが。

景気とは何でしょう?
皆が金持ちになることを「景気がいい」というのでしょうか?
そう…今、たとえばばらまきに反対している人などはどうすれば景気が良くなると主張しているのでしょう。
あらゆる企業が徹底的に人を減らし、残った人が忙しくて夜も帰れなくなれば失業者は金を使わず、残った人も金を使う暇がなくて使いません。
内部留保・配当があればそれだけで景気は良くなる、給与生活者は必要ないのでしょうか?

問題は、これまで答えだといわれてきた「新分野への労働移動」は労働者をより貧しく忙しくする道でしかなかった、ということです。
農村より工場労働者のほうが豊かにはなれました。でも工場労働者の子が第三次産業に入っても…コンピューターなどはとてつもなく忙しく、デザイナーやアーティストや研究者は努力してもほんのわずかな人しか生活できず、介護などは忙しくて給料も安いです。

多くの人の生活水準が低下することがなぜ経済にとっていいのか…貴族のためにいい、というのならまだ理解できるのですが。

逆に、また多くの人の生活水準を向上させ、景気をよくして、さらに環境問題もどうにかするにはどうすればいいのでしょう。
グリーン・ニューディールが答えでしょうか?

10

「悲惨な境遇が犯罪の原因だ、犯人は悪くない(だから死刑反対)」
「同じように悲惨な状況からまともに暮らしている人のほうがはるかにたくさんいる、その人たちに対する冒涜だ、どんな境遇だろうが犯罪は自己責任だ」
僕は両方、ごく一面しか見ていないと思います。

たとえば、十人に一人が引きずり込まれるような流砂は残り九人は無事に出てきているのだから安全でしょうか?
問題は「その境遇における犯罪率が、有意に高いか否か」です。
有意に犯罪率が高くなるような境遇があれば、そのこと自体が問題なのです。
そしてその境遇はどうすればよくできるのか、という問題に切り込むべきです。

また、境遇だけが犯罪を生むわけではありません。最高の境遇に生まれ育った犯罪者もたくさんいます。
氏でも育ちでもない、人間の…予測不能な遺伝子の組み合わせと、胎児の段階から育つまでのとてつもない数の刺激が、おそらくカオス…「初期条件に鋭敏に依存」…どんなわずかなこともバタフライ効果を起こすほど複雑にからまって人格が形成され、そして犯罪を犯す前後の様々な事件・生理状態がこれまた複雑に作用して犯罪が起きるのでしょう。

でも偶然だから責任はないとは言えない…人間社会を維持するには責任が必要だから、責任があるとして処理しているのでしょう。

どうするのが正しいのか、もっと高みから見ることはできないでしょうか。

9

肉食性で特に腐肉・骨を好む家畜がいれば、食肉処理の廃物の処理はもっと効率がいい気がします。
せっかく莫大な水を消費して草の何十倍、穀物の何倍も濃縮された高タンパク・高脂肪資源を肥料にしたり焼却したりするなどなんともったいないことか。
肉食家畜に与えれば、そのタンパク質・脂肪はほぼそのままタンパク質・脂肪として利用できるのです。

さらに人糞を好む家畜もいれば、衛生面でも大きいです。

というか犬がいるではないですか。
でも、犬を食用にする文明は少ないです。なぜでしょう。
豚もかなり雑食性ですが…

やはりそういうのを食わせた家畜を人が食べるのはリスクが大きすぎるのでしょうか?
それとも肉食獣は草食獣より家畜になりにくいというだけでしょうか。

いや、腐肉食・汚物食は大型動物である必要はない…むしろ昆虫・陸上巻貝・その他土壌生物のほうがあらゆる生物残渣の処理は得意です。
それを食品化するのがそれほど困難なのでしょうか?
たとえば「毒針のない、あらゆるクズを食べるスズメバチのような蜂」を品種改良で作れれば、その幼虫やさなぎがいい食料にならないでしょうか?
といってもミツバチでさえ完全無毒化ができていない…昆虫、特に社会的昆虫の品種改良は本質的に困難なのでしょうか。

8

年越し派遣村が話題になっていますが、つい最近まで警察がホームレスを公園からたたき出すのを支持していたのでは?
もしかしたら、わずかに違う平行宇宙では日比谷公園から警官が人々を容赦なくたたき出して運動家を片端から逮捕し、しかもそれがメディアでもインターネットでも主流派には批判されない、ということになるのかも。
いや、二年前ならそうだったはずです。
人は常に操られている、そう考えている方が現実的でしょう。陰謀論に偏ることなく、ではありますが。
普段のホームレス強制排除が報道されず、ネットで支持があることも、また操られているのですから。
では、今回の派遣村が警察による強制排除と、それを報道しないマスコミと支持するネットバカ保守、ということにならなかったのはなぜでしょうか?
誰がどんな方向に世論を誘導しようとしているのでしょう?いつから?

あと、今でも日本のあちこちで、日比谷公園以外で警官にダンボールハウスを叩き壊され追い出されているホームレスが多数いるのでは?
それが報道もされておらず間接的に支持されている…そうするよう操られているのでは?

そして派遣村のわずかな人数以外にも、今呻吟している人はたくさんいるのでは?
さてどうすればいいのでしょう。
世代・男女など・正社員非正規社員・公務員民間・移民・世界全体など集団ごとに不幸比べしていては話は進みません。
ただ「**は許容されない」として進めませんか?

餓死は許容されない。
屋根の下に暮らせないことは許容されない。
子供が教育されないことは許容されない。
職業能力を身に着ける希望のない単純労働者の存在は許容されない。
老いて介護医療を受けられない人の存在は許容されない。
生存できない労働条件…本来四十時間、ギリギリの最大限でも週五十時間以上の労働の常習化…は許容されない。

それは団塊ジュニアだろうと団塊世代だろうと男だろうと女だろうと関係なし、無条件に認められるべきことなのでは?

やはり世代、男女など「集団」ごとの闘争にしたほうが理論を組みやすく、説得しやすいのでしょうか。
僕も世代間闘争論がとても心地いいのは確かなのですが。

あと損得においても、労働者に賃金が出さないならどうやって内需を拡大するのか、多くの人が子供を作れる給料を得られないならどうやって次の世代を作るのかなどの問いかけは無効でしょうか?

7

新自由主義やグローバル化による貧困…または貧困の自覚は、来世なしでどのように受け入れられているのでしょう。
宗教がもっと激しくないのが不思議なぐらいです。

東側の崩壊などによる、代案がないという絶望感?
宗教もオウム事件によって否定されているから?
公正な競争という信仰?

何か憎悪の対象が必要なはずですが…国家主義や宗教原理主義?

しかも貧困がこれほど増えているというのに凶悪犯罪自体が減っているというのは一つの謎ですよ。
もしかしたら、貧困・将来の希望のない若者がこのままでは不幸の道連れ犯罪を起こすというのは間違いだったのかも…日本人は想像以上に恭順な民で、皆が「黙って死ぬ」事を選んでくれるというのでしょうか。

でも現実に毎年三万人の自殺、それに比して大規模な不幸の道連れ犯罪やテロ・暴動の欠如……本当に日本人は、自殺によって自らをホロコーストして日本の治安自体を救い、低成長時代に日本経済を適合させるという、一億玉砕よりすさまじい救国のための自己犠牲を選んでいるのでしょうか。

6

保守は弱者に冷たくなければならぬ…そんな決まりがあるのでしょうか?

弱者に辛く当たることが、深い美的感覚・道徳感覚でよいと思っている人々がいるようにも思えます。
そしてまた、若者に対していわれない差別的な意識を持っている論客も保守革新問わず多いです。

保守が自助を強調するのはいい、自分は貧しい境遇から身を起こしたことを自慢するのはいいのですが、その境遇で同じぐらい努力した人の何%が成功しているでしょう。第一その人たちは、高度成長期の日本に生まれた、たとえ貧乏でも誇り高く勤勉などを教えてくれた良い両親その他良い大人との縁を得たなど、多くの幸運に恵まれて今の成功があるはずです。
そして、「出発は貧しかったが高度成長で多くの人に物質的成功という果実が贈られた、『高度成長期の日本』」と、「出発は豊かだったけれど高度成長は終わり産業構造も変化し、産業構造自体が若者の過半数に生活できる給料を出さない『ポスト近代グローバル世界』」の違いも無視しています。
自分と友人たちは一キロの海峡を泳ぎわたった、だから誰もが過酷な人生を泳がねばならぬ…でも今の若者は二十キロ泳がなければならないのです。その違いを無視していませんか?
自分の同世代にも溺死した多くの人がいるし、今の若者もそれ以上に高い割で溺死しなければならないことも見ないことにしていませんか?
産業構造自体、歴史の流れ自体、市場自体が、先進国の多数の若者に……若者の半分近くに「お前は不要だ」と言っていることが見えないのでしょうか?見てしまうと自分の人生が否定されるから必死で目をそらしているのでしょうか?

弱者を騙った利権、それが暴走した人権侵害、共産主義のマイナス面に対する怒りは理解できますが、ではどうすれば本当にそのままでは餓死するか、もっと無惨に自殺に追いこまれる人を助けることができるのでしょう。
今は生活保護制度もあり餓死はしない……日本人は餓死や暴動の代わりに自殺しているだけです。そしてこれから、企業も国もセイフティーネットを放り出し、宗教も地域も崩壊していて家族にセイフティーネットを頼っている状態で時間が経ち、親世代が死んでいったら……確実に何十万何百万という餓死者自殺者が出ることになるのです。
人間は多数の卵のうちわずかな数以外は子孫も残せず死ぬ鮭ですか?ウミガメですか?マンボウですか?時代が決めた割合の優れた人間だけが成功し、残りは無惨に餓死するのが人間の自然でよいあるべき姿でしょうか?ある世代の人たちはほぼ全員が豊かになれた、別の世代の人間は放っておけば過半数が餓死する運命であることが見えないのでしょうか?
年老いて生き延び、富と名誉を得た人はそれで保守面をしていればいいでしょう。でもまったく自力で放り出されれば数年後には餓死することが圧倒的な確率で確定している人に、それが人の世だと突き放すというのは何様でしょうか?

賭けをしないからと言いますが、賭けたところで99%は失敗して多くの人を巻きこみもっと無惨な自殺に追いこまれるだけです。
賭けに勝った人間が賭けを勧めるより前に、その賭け自体の還元率と最悪の事態を計算すべきではないですか?
いや、これからは賭けの時代だ、レールに乗るのではなくジャングルに分け入れと言っておき、ジャングルで生き延びる力が最初からなかった、努力はしたけど運に恵まれなかった99%に自己責任だ甘えるなとか、自分探しなどするから自業自得だとか、誇大妄想でできもしないことに挑戦するからとか言っているのは何様でしょうか。自分探しも誇大妄想も若者にとっては当然のことです。
この世はしょせんジャングルだ、安心安全など国に求め人にすがるななどと若者に発破をかける保守言論も多いですが、ジャングルだということは言われた通り全員が精神的に自立して頑張っても、無視できない割合の人は無惨に餓死すると言うことです。それを容認していると言うことです。

そして今とにかく働けといっても、今は昔と違い皿洗いは将来のオーナーシェフへの道ではありません。99%はそのまま切り捨てられて五十にもなれば飢えて自殺を迫られるか、名ばかり正社員として長時間サービス残業で過労死する羽目になるのです。
統計的に多くの人が下層に落ち、自殺したり餓死したり過労死したりするのを容認していいのでしょうか?

また農家や介護などに行けという人も多いですが、なぜそれらの仕事が敬遠されているか考えていないのでしょうか…要するにそれらの仕事では寿命まで生きることもおぼつかない、と知れ渡っているからではないでしょうか?
それほど若者を、貧しく惨めに長時間重労働をする存在にしたいのでしょうか?
そうなったとしても、それはいつまで続くでしょう…まだ若く健康なうちはいいですが、老いて病んだら?
いや、今だって年老い、病んでいる貧困層は多数います。忘れてはなりませんね、貧困は若年層だけの問題ではないことを。

それだけでなく、余りに多くの人が生活不能になれば、いずれは国そのものが深い所から壊れるはずです。また保守の人たちが嫌う腐敗が深く蔓延します……成功した親族に食わせてもらう以外に生きるすべがない人が多数おり、成功者は腐敗の果実で彼らを養う義務があるのが途上国の姿です。それが、血族がマフィア化して自分たちのことしか考えず公を食い荒らす社会が望ましいのでしょうか?

いや、それどころか…人間の心には本質的に…少なくとも保守といわれる人には「弱者に対する憎悪・嫌悪」があるのでは?
革新は逆に富者を憎み弱者に同情しますが、何がその二つを分かつのでしょう。
それとも誰にでも両方があるのでしょうか?

自分が保守であることは、多数の人間が餓死したり、貧しい家に生まれた天才児が教育を受けられずじまいに終わることを容認するほど素晴らしいことなのでしょうか。
いや多くの餓死や貧困、無教育は望ましく善く世界をより美しくする、と考えているのなら…それはどういう心理状態でしょう。

僕は単純に、人が餓死するのを容認するのが保守なら保守などクソを食らえ、党利党略ばかりで現実に希望を失っている人から目をそらすなら革新などクソを食らえ、ただそれだけのことです。
容認しないと言っても全財産を差し出すわけではない、誰も餓死しない最低限の税や社会奉仕義務は受け入れるというだけですが。

5

「粉」というのは絶対的概念でしょうか、相対的概念でしょうか?
身長2000mの巨人にとっては、我々約2mの人類にとっては砂利でも粉でしょうか。
逆に身長2mmの超小人にとっては我々約2mの人類にとって粉でも砂利か岩でしょうか。
それとも、砂利サイズの石炭は粉塵爆発を起こさないので絶対的概念でしょうか。

ピッチやガラスは「非常に粘性の高い液体」であり、とんでもなく長い年月の中では普通に流れます。
地下のマントルなどもそんなものです。
液体と個体の区別も、人間の時間スケールが区別しているだけでもっと長い時間スケールをもつ存在にとっては違うのでしょうか。

人間は人間の枠組みでしか世界を理解できない…それがどんなに狭いか。

4

「こんな明日はいかが?」の、文明崩壊を回避するため世界中に配給するのに適した食料…

外洋開発をメガフロート・外洋施肥など積極的に進めているなら、海藻と雑魚と貝類が持続可能な形で大量に獲れるはずです。
その塩蔵・缶詰などを配給し、シチューにするのが多いことでしょう。

遺伝子改良作物にはどんなものがあるでしょうか。
海水で育つ稲などがあれば…さすがに「こんな明日」ではそこまでは描きませんでした、核融合をまだにしたのと同様技術進歩は今できそうに見えることだけにしたので。

あとラクダも、本当に海水を飲み、マングローブなど塩生植物飼料で育つとすれば肉・乳製品ともに有力候補です。
海水から食料を生み出せるならそれにこしたことはありませんから。

3

平和主義者はいつも「戦争を経験しない若者は平和の尊さを理解しない」といいます。
でも、それは戦争がなかったからなのですからいいことです。

平和主義者の理想としては、理想的な教育が次の世代も戦争を経験した世代に匹敵する平和主義者に育て、その次の世代も…と永遠に続くことでしょうか。
現状は理想的な教育でないから、若者は平和主義者に育っていない、と。

そのためには日本国憲法に沿う教育制度は必然的に、憲法を生み出した国民の意思(歴史的経緯無視、平和主義者側の神話に過ぎないとしても)を再生産することができる、という仮定が必要です。そして現在はそうではないという現状認識も。
それは…日本国憲法は正しいのだから、正しい教育をすれば必然的に正しい結果すなわち日本国憲法を内面化した国民ができる、と主張しているのでは?
それには日本国憲法は正しい、正しい教育をすれば必然的に正しい結果が出る、という複数の重大な仮定が含まれていますが、それは正しいのでしょうか?

日本国憲法は宗教教義と違い、それ自体の無条件の絶対的な「正しさ」を主張してはならない…そう考えることは間違っているでしょうか?
それとも法と道徳は一体であり、日本国憲法は日本における至上道徳であって、国民全員心の奥底から日本国憲法に染まっていなければならないのでしょうか?では内心・思想信条の自由は?

逆に中曽根氏など年配の保守派も「戦争を経験していない若い」政治家などを批判します。
しかし、それは人に寿命がある以上どうしようもないのでは?
それが心配なら、戦争を経験している後継者を…たとえば郷里の秀才を外人部隊に放り込んで戦争を経験させるとかして育てるか、または不老不死の薬を開発するほかないです。後者はかなり無理がありますが。
または完全前例主義…徳川幕府同様、「後継者は考えることを禁ずる」システムを作り上げるか。

2

親族扶養義務が今の日本の貧困・低福祉・生きにくさの楔では。

それがある限り、生活保護…憲法25条は有名無実で、親族…イエを単位とした自己責任主義と断言していいでしょう。
要するに、日本国は国民を食わせる義務を堂々と放棄しているのです。もとより朝日訴訟などによって「努力規定」とすることで事実上放棄していますが、朝日訴訟と親族扶養義務では後者のほうが大きいでしょう。

それと連帯保証制度。親族間の借金は破産・相続放棄など法的な救済を超えて払わなければならないという慣習法。
それらは日本の実力以上の借金を可能にする反面、多数の親族を含む人間関係を崩壊させ、人を自殺に追い込んできました。
法の外、義理を担保にした借金なので命でしか償えないという慣習法ができてしまっているのです。

1

去年はどんな年だったやら…僕個人にとってはやたらと不意の出費が多い年でした。
これが普通となったら今よりさらに節約しないとやっていられません。
そしてオバマ当選、アメリカ発の世界不況と表裏ともに大きい事件もありました。

さて今年どうすればいいか…

重要な点は二つ、「誰も食えない人がいないようにする」「食っていくための産業を整える」です。
「食える」は文字通り食うだけもこれから大変になるでしょうが、日本では屋根の下に住む・子供を学校に通わせるも加えなければまずいでしょう。途上国のように路上生活から生きていける相互扶助システムは日本にはないですし、それを作らせるわけにも行きません…犯罪・買春を国家の基盤にはできないでしょう。

誰も食えない人がいないように、現実に仕事がない人・今の仕事ではきつすぎて生き続けられない人を何とか救済するシステムは緊急で必要です。
ごくわずかな金で生活できるような生活システムの整備がまず必要です。とにかく金がなくても屋根と住所は与えなければ。
それも現在ホームレスに背を向けられている、更正思想が強い懲罰的なシステムではなく。経済変動によって職を失った人を、罪人であるかのように扱うのは間違っています。
実質無資格で気軽に応募でき気軽にやめられ、最低限の収入は得られる公共的な仕事も必要です。介護の補助や公共圏の清掃などは容易なはず…それで最低限の生活をしながら求職活動をしてもいいのです。
食自体は家賃や学費に比べてそれほど重要ではないですが、飼料品質のムギやトウモロコシ、玄米や豆類が普通に売られていれば安心感はあるでしょう。
教育も緊急奨学金が必要なはず。この不況で学費が払えず高校大学をやめている子がどれだけいるか…彼らはそのままフリーター候補であり、その多くが将来はホームレスとなる運命です。それを救済しなければ、餓死を許容するとしても犯罪は増えるでしょう。技術伝承者が必要とされているかどうかはわかりませんが、それをしなければ二十年後悲惨なことになるでしょうね。
日本の、特に高い技術力を持つ中小企業も潰すのはもったいないです。技術力が日本の生命線なのですから。

そして「食っていくための産業」…現在の世界全体、産業構造自体が一億人も食わせるものではなくなっているのかもしれません。
でもだからといって弱肉強食主義に任せては、餓死する人の悲惨以前に社会が崩壊します…日本の場合社会が崩壊せず、ひたすら自殺だけが増える可能性もありますが。
環境・IT・コンテンツ・介護・サービス業は残念ながら現状では「食わせる」力を持ちません。第二次産業から第三次産業へとも言われますが、やはり第三次産業では食えないのが現実です。
でも第一次産業では食えないのも…やはり食えるのは第二次産業だけのようですが、それは本当にどうしようもないのでしょうか。

僕は個人的には、「食っていくための産業」としては新エネルギー開発、農林業、そして介護・医療の三点に力を入れるべきだと思います。

新エネルギー開発は高速増殖炉も捨てるべきではないですが、僕は核融合・海洋開発・カーボンナノチューブから軌道エレベーターによる宇宙太陽光発電の三つの柱を考えています。
三本柱があれば二つがこけても何とかなります。
他にも二酸化炭素貯留技術・超伝導電線など高度技術によるエネルギーの可能性は数多くあります。
日本の一番の強みである超高度の基礎工業技術をここで生かさなければ。

核融合はあまり期待されてはいませんが、成功報酬の大きさは確かです。

海洋開発はこれまであまり議論されていませんが、日本海での海藻養殖いかだ構想など出てきてはいるようです。上記の「農業」も、海上・沿岸砂漠における塩生植物による農業であれば工業に近いものになるでしょう。海水で育つ稲を目標にした遺伝子研究も将来性は大きいはずです。
また人口干潟など、海洋浄化のための技術もついでに大量のバイオマスを得ることができるはずです。
メガフロートや海上風力・太陽光総合発電所が大量にできれば、それは自動車に次ぐ基盤技術の可能性もあります。
少なくとも沿岸砂漠地帯での、現生の塩生植物の海水灌漑は現在の技術で完全にできるはずです。

カーボンナノチューブを発達させ、軌道エレベーターを作り、それで宇宙太陽光発電を建造する、これも大きい可能性があり、特に超高度技術の塊ですので大量の雇用を支える力も大きいはずです。
膨大な研究を必要とする点も、現在無駄に排出されている膨大な高い教育を受けた人材を吸収する可能性があると考えられます。

まあこの新エネルギーはアメリカのオバマ大統領も熱心と言われていますが、競合するのではなく協力できるはずです。

農林業についてですが、単純に「バイオマス目的に減反水田を伝統農法で再生する」「花粉症根絶のため、大都市に近い人工杉林を広葉樹に植え替える」の二点を目標に、それも今のように3Kでしかも給料も安い仕事ではなく十分に報われ暇もある魅力的な仕事にする必要があります。
減反水田の再生も役畜の使用、アイガモ・アゾラ・魚複合農法、緑肥の活用、ムギ二毛作、サトイモなどとの輪作など低石油でできる農業を研究するのがいいと思います。石油が切れて代替エネルギーがないときに、何とか日本人だけでも食わせるにはその技術を持つ若者が多数絶対必要になります。
そして花粉症根絶は、特に都市ではそれだけで圧倒的な得票を得られるはずです。
それらができなければ、土建と工業に頼る構造では地方は終わりです。まあ地方を完全に見捨てるという選択肢もあるのでしょうが…

もちろん介護・医療に対する不安感、その従事者の重労働低賃金構造も何とかしなければ、国そのものが成立しません。
というより今の日本では、構造的に長時間重労働低賃金になってしまっている業種が多すぎます。それも介護・医療・教育・アニメなどコンテンツ・販売など将来の日本にとって必要になる部分に限って。
その構造を何とかしないと…長時間重労働低賃金が知られていると人が集まらない、それでますます長時間労働がひどくなるという悪循環があちこちにあります。ならば賃金だけでも高くして人を集め、それで労働時間を縮めなければ。

まあ、そういうことができる…どれもはっきり言って財政度外視になるのは目に見えてます…政治力などどこにもないのが最大の問題です。
日本政治については本質的に予測不能なのでコメントしたくはないですが、やはり今年は衆議院の任期満了がある…選挙自体をしない、というのは困難でしょう。
でも選挙前大連立だったら、選挙自体がないのとあまり変わらないかもしれないです。
まあ今の自民・民主体制でも選択肢がないことには変わりありません。
政権交代がどれほど意味を持つか…それが期待できないのが悲しいところです。
そういえば、アメリカでオバマ氏がどれだけやるかも、来年以降の非常に重要な要因になりそうですね。

ああ、僕は根本的に「年の区切り」を認めていません。冬至からもずれたただの一日に過ぎません(冬至からずれているのはクリスマスも同様ですね)。
日本教信者でもキリスト教信者でもないので。