枕元の計算用紙

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31

死亡率を上げることで老人を減らす政策がとられているのでしょうか。
棄民政策ともいえます。

不要な人間を処分するには、刑務所・軍・移民・流罪・軽罪でも死刑・強制収容所(古い型の懲罰的救貧院)・自殺などが歴史的にあります。
アメリカでは刑務所、日本では自殺を用いるようです。

考えてみると「余剰人口の処分」はいつの時代もきわめて重要な政治テーマでした。
西洋・日本問わず移民・植民地政策というのは非常に重要です。受け入れだけではなく送り出す側としても。
また戦争も余剰若年人口に関わる問題のようです。
刑務所にしても、たとえば軽犯罪でも「刑期が長く規律などもなく蒸留酒・麻薬が無限に供給される、死ぬのが前提の禁固」と「刑期は短めだが規律が厳しく教育と職業訓練を受けられる社会復帰前提の懲役」に分けてしまうのもよさそうです。
いや、「経済的に無用」な存在であるニート・ホームレス・40以上のフリーター・定年後の全員に対してカードを発行し、酒(特に高純度の蒸留酒)・高純度麻薬を無料でいくらでも供給するだけでもいいのです。
いや、麻薬は隔離施設にしないと暴れる危険があるでしょうか。

棄民政策は経済成長・国益にとってプラスになるでしょうか。
それとも一時的でしかなく、長期的にはもっと悲惨になるでしょうか。

今の日本が「働かざる物食うべからず」をあくまで国是とするなら、それは本質的にアウシュビッツと違いはないということです。
死亡までの平均期間が少し違うだけです。
ならばガス室がないのは、むしろ残酷というべきではないでしょうか。

アウシュビッツを運営した官僚たちから見れば今の日本の、セイフティーネットをはずして真綿で首を絞めるように社会通念として自殺を強要するやり方は無用に残酷であり、また運営上リスクが大きいと判断するでしょう。
いや、それで暴動なしに運営できている以上、むしろ優れたやり方とみなして学ぶでしょうか?

30

なぜ企業経営は借金をしなければならないのでしょう。
その借金苦でどれほど多くの社長が自殺しているでしょうか。

ドラゴンクエストの少なくとも僕が知る3までは借金という概念はありません。
銅の剣から初めてそれで稼ぎ、たまれば銅の剣を売って鉄の槍を買い、また稼いでたまれば鋼の剣…とやっていくことで、借金などなしに稼いでいけます。

なぜまずヤスリで稼ぎ、金がたまったら旋盤を買ってそれで稼ぎ、次はNC旋盤を買って…とできないのでしょう。

29

気がついたらアメリカでも日本でも、スイスでもスウェーデンでも中国を批判できなくなる日は来るでしょうか。
中国を批判する記事が雑誌や新聞から消え、本は売れないし編集者に相手にされない…
ネットでも大手検索サイトの順位が低く無視される…

中国を批判したら事故にあうことが多くなることには?

無根拠に中国が世界を制覇することはない、と思っていないでしょうか?
そして中国がアメリカを破り、世界を制して、世界のすべての人の口をふさいで…それでどうなるのでしょう?

28

書店ではロンボルグ・クライトン以外に海外の温暖化批判論をあまり見ません。
日本人も数人に限られている気がします。
かなり狭い情報ソースが非常に売れている感じです。

僕が興味があるのは、日本人の温暖化批判論者は自然エネルギーに否定的だということです。
だから海外の温暖化批判論者で、自然エネルギーにも否定的な人はどれだけいるか関心があります。

27

「郵政選挙で右傾化した若者が小泉を勝たせた」は、俗流若者論での若者批判の中核をなす、ある意味日本のいくつめかの…もちろん八月十五日の平和の誓いも含め…建国神話になっているのでは?

その後の、「新自由主義の戦争経済・治安不安を煽っての監視社会」…も含めて。
それは本当でしょうか?

それ以前に、実は改革派の言葉を聞いていると、誰もが「セイフティーネットはきちんと」と言っています。
でも現実にはセイフティーネットはボロボロになるばかりです。
元々改革派が望んだ未来は現状だったのでしょうか?
それとも予定では、きっちりセイフティーネットが整備され、生産性の低い工業や土木などの企業は軒並み潰れて労働者は知識を用いる第三次産業に移行し、また規制緩和が進んでどんどん起業されてそれも雇用の受け皿となり、結果国全体の生産性が大きく向上する…

結果的には、従来の斜陽産業雇用や地方零細自営業を中心としたセイフティーネットがどんどん潰れ、その代わりとなる公的セイフティーネットは結局誰も作らなかったのですべてのしわ寄せは家計に行きました。それどころか財政再建の動きで、これまでかろうじてあった公的セイフティーネットさえも容赦なく削減されていきました。
生産性の低い産業から第三次産業への労働力の移行は、第三次産業が全体にIT・小売・介護などすべて超長時間サービス残業と重労働が常態化した悲惨産業と化しました。
またコンテンツ産業はやはり千人に一人しか食えないため、教育は受けたけれど食えない膨大な「夢子ちゃん」を産んでしまいました。
結局は家計の疲弊で内需低迷が続き、あらゆる産業が疲弊し、若者からは気力がなくなり、多数の職能を持たず生活の基盤がない、事実上社会から排除されている若者を生み出してしまいました。
いや、それどころか長年働いて技能を蓄積してきた勤勉な労働者でさえ、恐ろしい数が社会から排除されています。

改革派という人々は最初からこの状態を目指していたのでしょうか?
それとも単なる計算違いでしょうか?
僕は後者だと思います。計画通りに社会を変えられるほど人間は賢くないので。

あと、「日本の建国神話」を分析するのも面白そうです。
といっても、あまりに違う神話のもとで生きている少なくとも二つの巨大なグループがあります…「八月十五日に全員で平和を誓った、それ以前は極悪非道の侵略国家」と「敗北から戦後民主主義で徹底的に壊された神国」。それはもう別の国と言っていいでしょう。

さらにその二つ以外の人も多くいそうですが、その人たちが声を上げる場はどこにもありません。

26

こんな書き出しから始まる話をいくつか作れないでしょうか。
多くのSF作家で。
要するに映画「インディペンデンス・デイ」のように、ある日世界各国の都市に巨大な宇宙船が飛来し、月を丸焼けにしたり無人地帯をクレーターにしたりと強大な破壊力を見せ付けて、「十年以内に**をなくせ。さもなくば人類は宇宙の迷惑だから滅ぼす」と命じ、それ以外は何もしてくれない、と。

軍隊、原生林伐採、化石燃料消費、餓死…なくせるでしょうか?

酒や売春や賭博や殺人はなくせそうにないですが、本当にそうでしょうか?
名誉の殺人、女子割礼、寡婦殉死などは?
肉食はどうでしょう?

25

貧しい国では男は兵士、女は売春婦しか仕事がないといわれます。
アメリカの貧困層もその状態だそうです。

兵士以外に仕事がないから軍が太るのと、軍が太っているから兵士以外仕事がないのと、どちらなのでしょう。
もし宇宙人が軍隊だけを強制的に解散させ、ほかは何もしなかったら世界はよくなるでしょうか悪くなるでしょうか?

それはありえない、軍隊と私有財産と色々な思想をまとめてなくさなければならない?
そのなくさなければならない思想に、人間の根幹に関わるものがあったら無理になくそうとすると悲劇になります。

あと売春をなくすことは、どうやっても無理でしょう。フェミニストなどはなくさせたがっていますが。
でも減らす努力もしなくていい、というわけではありません。
特に強制的な部分がないよう、誰もが売春をしなくても生存できるシステムは確立すべきです。

軍隊も同じですね、なくせるかなくせないかの哲学議論より、減らすことを考えればいいんです。

24

2011年で使えなくなる古いアナログテレビを活用する方法を今から考えておけば?

ビデオやDVDのモニターとしては問題なく使えます。
レンタルできるものだけで、これから一生の自由時間全部でも見終わることはないでしょう。
ゲーム機のモニターとしても使えます。
携帯電話のモニターとしてワンセグ映像視聴・インターネットやメールができたらどうでしょう。

その携帯電話と古テレビとキーボードをつなげる装置に、ファミコンとスーパーファミコンの互換機やDVDプレイヤーも組み込めば相当なことができるのでは…中古市場でのソフトの質量はものすごいです。

というかパソコンにUSBでつなげばファミコン・スーパーファミコン・プレイステーションなどのソフトを気軽にダウンロードして合法的に使える装置があればいいのに。

23

関係ない問題をつなげるのは、社会運動ではよくありますが、有利でしょうか不利でしょうか?
薬害エイズと従軍慰安婦は一体でしょうか。環境問題と憲法九条も?

関連は確かにある、より大きな構造をとらえるという理解の面では有利かもしれません。
でも、そのすべてに賛同しない人間を排除するという不利もあるのでは?
環境に関心を持ちながら、護憲には賛成できないので排除されている人は日本にどれぐらいいるでしょう。

22

左右が同じ主張をすることもあり、そのときにはほとんど無敵です。

保守もフェミニズムもポルノ禁止では、理由は異なりますが共通です。
ではポルノを擁護できるのは誰でしょうか?

自民党が今度はアダルトゲーム禁止に乗り出すようですが、それに反対する野党があるでしょうか…だとしたらまた全員一致で、パソコンの売り上げすら引っ張る大きい業界と大きな文化を潰し、多数の失業者を出し、そして欲求不満のそれを消すことはできない性欲がどこに向かうかわからない状態を生み出すのは避けられないでしょうか。

日本では武器・大麻なども容認論が出られません。

21

二刀と一刀、どちらが有利なのでしょう。
人間にはせっかく二本手があります。
でも腰は一つしかありません。

両手で腰を入れて、倍重く長い剣を二刀の相手の間合いの外から叩きつけられれば二刀に勝ち目はないようにも思えます。

というより槍・薙刀には絶対勝てません。

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本来なら、価格は豆<チーズ・鶏卵<肉の順になるはずです。

同じくタンパク質・脂肪が豊富な食物ですが、まず豆は大地から直接生み出される農産物です。
チーズと肉は動物性ですが、チーズ…乳製品や鶏卵は牛や鶏を殺さなくても取れるので、飼料から肉よりずっと効率よく変換されます。
肉は骨・皮・内臓など無駄な部分が多く、家畜を殺さなければ取れないので無駄が多いです。

養殖魚、特にナマズなど淡水魚も飼料からの変換効率が高いです。
本当は冷血動物である爬虫類にいい肉用家畜があれば、それも変換効率は高いはずなのですが…初期人類がいろいろと絶滅させたのが残念です。
潜在的には昆虫も廃棄率が低く、植物から脂肪・タンパク質への変換効率が高いです。

現実には鶏卵が極端に安く、乳製品は全体に供給が弱くてやや高価、豆は特にそのままではあまり売られておらず割と高価に感じます。

養殖淡水魚は日本ではあまり売られていませんし、商業的に大規模な昆虫養殖は見られません。

それより乾燥させた大豆やインゲン豆が、五キロ二千円ぐらいで売られていたら非常にありがたいのですが。
遺伝子改良されていない、厳選された三百グラム五百円あたりの豆しかスーパーでは売られていません。
遺伝子改良された質の悪い、でもとことん安い豆を選んで買う権利はないのです。

もちろん安価な飼料品質の穀物も売られていればありがたいです。

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僕が読みたいけれど、僕の知る限り八重洲ブックセンターにもない本。

あと何とか三冊ぐらいそこらありますが、ベーシックインカムも(格差本はこれほど出ているのに)ほとんどないです。雑誌でもいくつか、ややずれたところで特集されていますが大きい論壇誌には出ていないようですし、テレビ討論ではまるで禁じられた言葉のようです。

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聞く人が全く知らない言語のいろいろな単語や文をバラバラに聞いて、「どう感じたか」を調べる実験はされているのでしょうか。できるだけ感情を消して発音した…できれば機械発音の音で。

その言語を知らない人にとって、どの単語もすべて無意味な発音節の連なりでしかありません。
でも、その音の連なりが何らかの感情を励起するとしたら…

それこそ、なぜその意味がその音の連なりなのかを解き明かすヒントにならないでしょうか。

たとえば、多くの非インド・ヨーロッパ語族と無関係な言語がある地域、特に文明と接したのがごく最近でほかと関連のない言葉を話している人たちに金と鉄を見せ、それぞれの英語名を機械発音で伝えてどちらがどちらかを聞いたら統計的に意味のある的中率になるでしょうか。
太陽や月や水でもいいです。

文字についても同様のことが考えられます。

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指輪を(左右どちらでも)人差し指・中指の先端近くにつけて、それを組み合わせてそろえたまま日本の指を空中に動かせば、それが精密なマウスポイント座標指定となる…スペースキーの下に右・左クリックキーを用意し、もう一方の手で動かすようにすれば十分使えるでしょう。

キーボードの上5cmぐらいに一つはトラックボール、もう一つは左右ボタンとホイールを別に自由に動いて固定したければ固定できる支柱で浮かせておくのも、キーボードが見えにくくなるのでブラインドタッチができることが前提ですがいいでしょう。

キーボードからマウスに手を切り替える必要がないのですから、恐ろしく利便性は高いはずです。
長時間の入力をしているとき、手の切り替えは結構面倒です。
まあ、マウスを使わない操作法を覚えればいいのかもしれませんが。

そう考えるとキーボードとマウス、というシステムは完全じゃないですね。
マウスも多ボタン(少なくとも携帯電話型テンキーぐらい)にし、キーボードも片手で完結する入力システムであったほうが…

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十本の指からはいろいろな数の数え方があります。
なのに単純に一から十までが主流です。

指を二進法にすれば二の十乗、1024にもなります。
まあこれは指の特性上、たとえば薬指だけを独立で動かすのがかなり大変ですが。

わかりやすいのは、そろばん同様に右手の親指以外の四本で4まで数えて、5で右手親指を折ると同時に他の指を開き、6で親指を折ったまま人差し指を折るから再会、10になったら右手は開いて左手の人差し指を折り、あとは左手は10の位、と同様にする数え方で100まで数えられます。

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羊肉主体のファストフードなんてあったら面白そうです。

KFCは鶏肉、マクドナルドなどハンバーガーは牛肉です。
だったら豚肉、羊肉、乳製品、鶏卵、内臓肉などそれ以外を主体としたファストフードがあってもいいのでは?

というか前から疑問なのが、KFCから大量に出るはずの内臓は一体どこに…マクドナルドもですが。
内臓と豆のシチューでも安く出してくれたらいいのに。

あ、ちなみに都市伝説のミミズバーガーは、本当にやったら牛肉の倍のコストでしかもヘルシーだそうです。

魚中心のファストフード…というかフィッシュ・アンド・チップスが気軽に手に入らないのも不思議な話です。

あと魚で…圧力鍋で骨ごと軟らかく煮た魚と、その熱い汁をかけたごはんの丼…単にこれは僕の好物です。

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保守派は「誰もが苛酷・悲惨な人生を送れ」と考えていませんか?
それとも「自分以外の誰もが」?

自分が幼くては鞭打たれて勉強し、若くては軍隊で地獄を見、その後身をすり減らす重労働で生きてきたのでそれが人生だと思い、そうでない者を許せないのでしょうか?
または、昔は辛い思いをしばらく耐えればそれで収入を得るか、または貧しくとも共同体に順応し、家庭を持って市民になれたからでしょうか?
だとしたら根本的な心得違いです。今の悲惨・過酷は終わらず、その先に何の希望もありません。孤独な餓死だけです。

というより、苦の最小化が望ましいのか、それとも十分な苦…いや七難八苦、限りない苦がなければ人は輝かないのでしょうか。
でも苦があまりひどければ多くは死ぬのでは?それすら当たり前?
単純に自分が一日十六時間労働をしているから一日八時間労働などという甘えを許せない、というだけでしょうか?
ならそれは、自分を一日八時間労働にすることを考えるべきでは?

保守というより階級主義者なのかもしれません。
多くの人が貧しく苦しみ、優れたものが圧倒的な贅沢をすることがよい、と感じている…
奨学金に反対が多いのも、本音では「貴族でない下賎のものが我々が払う税金で大学に行くなど許せん」レベルの感覚があるのでは?

「貧困層に対する冷たさ」の歴史を考えると面白いかもしれません。
封建制度の崩壊・産業革命による混乱で、多くの人が流民・窮民化しました。
それに対して近代西洋は浮浪罪・懲罰的救貧制度で応えました。
貧困であること自体を罪悪として扱ったのです。

なぜそんなことができたのでしょう?
まあ理屈はいくらでもいえます、貧困層は自分とは別の群れとみなす感覚がある、穢れ意識だ…とか。
考えてみれば浮浪罪という犯罪概念自体が信じられません。競争社会の敗者を罪人とするとは…罪人とは何でしょうか。

13

小沢氏辞任…でもなぜ今?
追い詰められた、という印象が強く、また検察およびメディアの力には絶対逆らえない、というメッセージになってしまったのでは?
党首討論が嫌だったから、だとしたらそれこそ呆れてものも言えないです。

しかし、どんなに小沢氏が政治家失格であろうと首相になるべきでした。たとえ一日でも。
民主党代表辞任であっても、選挙の負けであっても、小沢氏が首相になれなかったということは日本の主権者は検察ということになってしまうからです。もうそれは確定しました。
もし辞任せず、小沢氏が首相になっていたら心配だ、という立場にとっても「売国(新自由主義改憲)首相」と「検察主権」のどちらがましでしょうか?
というか元々自民と民主が究極の選択だったのに、検察主権というもっとひどい選択肢…いや、選択ではなく決まってしまいました。
究極の選択などと言っていた頃が懐かしいです…その頃は少なくとも選択はできたのですから、いかに無意味であっても!

というか辞任しろ辞任しろと騒ぎ続け、ついに辞任に追い込んだマスコミや大衆は、小沢氏が首相になれなければ検察が主権を宣言するのと同じだ、ということに気づかなかったのでしょうか。
まあメディアが自分の、検察と分け合っている主権を再確認する意味はあったかもしれません。そう考えれば検察・マスコミ主権、といえばいいでしょうか。もっと最悪です。

で、次は?
いや、そんなことどうでもいいです。民主党にも自民党にも人はいません。それこそ民主党も首相も誰でも関係ありません。自民民主問わず誰もがとことんどうしようもなくダメですし、日本の主権は検察+マスコミに正式に委譲されたのですから。
日本そのものにとっての一番の問題でしょうね、政界の人材不足と思想の幅の狭さ(反米保守の議席すらない)、民主主義の基本も理解している人が一人もいないというのは。
選挙でそれがどうにかなる可能性は…なさそうです。誰も人がいないのですから。
もしそれを変えられるような人材が出たとしても、検察に潰されるだけだとこれではっきりしましたから。

詰んだ…と思えばほっとすべきではないでしょうか。
もう民主主義の重い責任を背負い、義務を果たす必要はありません。
ものを考える必要もありません。
何も考えず、検察とマスコミに飼われていればいいのです…結果が食肉処理施設であったとしても、どうしようもないのですから考えるのをやめたほうが楽では?

あくまで諦めないとしたら、再び日本が民主主義を取り戻すにはどうすればいいのでしょう。
まず日本人一人一人に、民主主義を改めて教えなおさなければ…気が遠くなりますが近道はありえません。
大連立とか地方とか、今の政界のコップの嵐でどうにかなる状態じゃない、それほど日本から民主主義は失われている、いや一度も民主主義国であったことなどない、という現実を徹頭徹尾直視しなければ。

12

時代の変化で何が変わったでしょう。

たとえば、昔は「皿洗い、キャベツの千切りから店を持つ」ことができました(とされます…それも神話だったかもしれません)。
キャベツの千切りで包丁を扱う技術を身につけつつ、周囲を観察して人間関係、仕事の段取りなど多くのことを知り、また人脈と信用を得ることができました。
そして長期間単純労働に耐える精神力を見せれば、一つ一つ次の仕事を覚えて地位を上げ、最終的には自分の店を持つことができました…そのための資金を銀行や修業した店も含む人脈から得て。

ですが、それには多数の条件があり、それが今はありません。
キャベツの千切りが機械化されれば、包丁技を習得することはできなくなります。基礎的なことを単調にやることで基礎技術を身につける、という修業仕事がなくなったのです。
また町の店…独立資本の自営業が衰退し、ショッピングモールや郊外幹線道路などフランチャイズ店が主となりました。
そのこともあり、全体に営業時間が延びました。これは地味ですが大きく、家族経営店を困難にする(一家でやる店では11時〜19時、平日のうち週一日は休みが限度、フランチャイズ店は10時〜23時休日なしまたは年中無休が標準となる)とともに特に正社員の労働時間を際限なしに延ばして仕事を死を意味するものとしました。
競争が激しくなり、ますます低い人件費でやらなければならなくなりました。そうなると正社員に長時間のサービス残業をさせ、安価なパート・アルバイトを用いるフランチャイズ店が圧倒的に有利となります。
そのパート・アルバイトは一生「キャベツを機械に入れる」だけか、一部は正社員登用を受けて苛酷な長時間サービス残業をするかです。
のんびりと…生存可能な睡眠時間を確保できる、というだけでも…やっていけるところなどどこにもありません。

さらに言えば、結果が悪い者を助けるとモラルハザードになるとも言います。
でも逆に、あまりに助けなさ過ぎてもモラルハザードになるのでは?
たとえば、昔の親にとって子供が絵を描いたりギターを弾いたりしたら叱ってやめさせましたが、野球に打ち込むのは許すのが経済的にも合理的でした。
なぜなら、芸術も野球もそれで成功する人は万人に一人ですが、それ以外の人々の統計的な生活水準が違ったからです。
野球ならある程度以上努力していれば、プロ野球一軍に定着するほどの才能がなくても、スポーツ推薦による大学入学から体育会系就職枠、または企業スポーツなどで多くはかなり高い職が事実上保障されていました。
それはチャンスの試合直前の交通事故・致命的故障など突発的な不運さえフォローする、ちゃんと努力の量を見るシステムでした。
しかし絵やロックなどにそれはありません。どんなに努力していようが、千人に一人の成功者と残り999人の極貧者です。
だから野球は許し、絵は禁じるのが親にとっては合理的でした。
しかし、ある時点から野球もまた「ある程度の努力」がほぼ確実に高い職を保障するものではなくなりました。企業スポーツの崩壊です。
また統計的には少なくとも、不祥事の連帯責任の厳しさが、更に大きな「努力したのに無駄になる」リスクがあることも意識させています。

氷河期世代や今に至るまで、野球以上に「確実な」道だったはずの「真面目に勉強し、就職活動する」道さえ不確実なものとなりました。
確かに千人に一人以外は食えない、とまでは行っていません…若者の三人に一人が非正規というだけです。
でも本質的に、がんばっても落ちる人が多く出てしまい、その落ちる水準が生活不能…餓死線まで行く、という点では違いはありません。
これまではそれが非常に少なく、報道からも遠く目立たなかったため誰も「努力したけどダメ」の可能性は意識せず努力できました。
でも今はそれができなくなりつつあります。

確かに努力していないのに引き上げるのはモラルハザードを招くでしょう。
でも、努力したけれど餓死する人があまりに多く、自分もそうなる可能性を無視できなければ、その分野自体が魅力的ではなくなります…絵と野球の違いのように。
そして、どんな分野であろうと努力に関わらず多数の人が運が悪ければ餓死する、という社会もまた、多くの人は努力せず運を補強するコネクションに力を入れてしまうでしょう。
それは階級社会にもつながりますし、それも努力信者が理想とする実力による格差とは別の論理で動く社会です。

さらに、わずかなまちがいや不運で非正規雇用に落ちたら二度と這い上がれず餓死に至る、また起業しても高い確率で失敗し、金融システムがあまりに重いペナルティー(個人資産保障・連帯保証義務・親族の借金は断れず無限責任という慣習法)を課して破滅させる、そして夢を見ることに対して餓死をペナルティとする社会システムでは個々はますます保守的になり、経済発展に一番必要なイノベーションが出なくなります。

結局のところ、上記の古い「修業・自立」モデルも「受験」モデルも崩壊が見えています。
もちろん一部そのモデルで生きている人もいますが、それはもう少数ですし、その生活も着実に苛酷さを増しています。
そして過剰な過酷さは努力のモチベーションとなるより保守化によるイノベーションの低下になりかねませんし、過酷さと不安がファシズムなどの温床であることも確かです。
まずその現実を認めないことには始まらないですが、高年齢層はどうしても「修業・自立」「受験」モデルが世界観、人生観に深く食いこんでいて説得不可能となっています。
その前提で識者は政策を提言し、権力者は政策を作るのだからたまったものではありません。

11

「世間を知る」という言葉がありますが、それは「ある集団に順応する」という意味でしかないのでは?
世界には膨大な数の集団があります。
一人の人間が知ることができるのは、そのいくつでしょうか?

それとも世間経験値が高ければ、どこの世間に入っても簡単になじめるのでしょうか。

体育会系というのはどこの「世間」にも簡単に入れるような訓練なのでしょうか?
また、本質的にそうでなければならない…「世間」との縁を失った人間が、どこかの「世間」に後から入って再出発できる能力をつけなければ、生活する収入も得られないし尊厳も得られないので再犯の可能性が高い…刑務所の矯正はどうなのでしょう。

10

幼稚園・小学校低学年から子供に学ばせる楽器としては何が一番いいでしょう。

まずカスタネットなどリズム楽器、そしてピアニカ・ハーモニカ・ソプラノレコーダーなどを覚えています。
小学校では人数分の足踏みオルガンがありましたっけ、考えてみると贅沢です。

でもより手軽な、非常に安価な鍵盤楽器…六オクターブ程度の、乾電池で動く電子オルガンもいいと思えます。
またギターを化学工業素材を主に使って非常に安価にすることはできないのでしょうか?バイオリンは?

口笛を正確な音階で出せるように練習するのは?
それが一番気軽な「楽器」では?

とても大きい五線譜があって、そこに時間を示すコマが設定したリズムどおり左から右に動く、それに合わせて五線譜の上で指を滑らせれば音が鳴る、というほうがわかりやすいかもしれません。

パソコンの標準キーボードで音楽を入力できるプログラムがあってもいいでしょう。

9

小さい集合住宅に、滑車で二〜三畳の床を引き上げる荷物専用エレベーターがあると便利では?
人力でも、電動エレベーターほどの設備は必要でなく、階段を荷物を持って登るよりはるかに楽なはずです。

または…家屋・建築が引越し作業を前提に作られていないのはいいのでしょうか。
どうやって二階に大型のタンスや机を持っていくか、それをちゃんと考えていない家というのはどんなに豪華でも最低では?

ましてビルで、入り口からエレベーターに入らないものを上階に上げることが一切できないのはばかばかしいです。
荷物専用大型エレベーターが許されるのは相当大きいビルだけです。
それよりも滑車とロープで、壁を伝って荷物を引き上げてゆとりのある大窓から入れられる設備があれば実に楽です。

8

貧困層の収入を考えるのには賃金と、生活保護に代表される福祉だけでなく、犯罪という要素も考えなければなりません。

最低賃金より生活保護のほうが高ければ生活保護に流れるでしょう。
でもだからといって生活保護を削れば、どちらにしても生活できないので犯罪を犯すことが多くならないでしょうか?
懸命に働いても飢え死にするなら、黙って死ぬより犯罪を犯すものも多くなるでしょう。
今の日本は比較的犯罪が少ないようですが…それ自体も大きな謎です。

誰にも犯罪を犯させることなく黙って死なせるにはどのような社会技術が必要でしょう。それが政府の側にとっては理想のはずです。

また売春などは、犯罪と労働の中間と言えるでしょうか。
暴力団は労働・福祉・犯罪の三つの面があります。
他にも金が流れる方法は存外多いものです。
利子・配当、寄付、親族扶養、賄賂…

それ以前に、貧困であること、特に住む家を失うことそれ自体を犯罪とする思想が西洋に根強くあり、それが日本の法制度にも食い込んでいるのですが。

そして考えるべきなのが、普通に働いて生活するのが困難になれば家族を増やし、家族で団結すべきなのですがそうはなりません。
日本は途上国と違い児童労働市場もないですし、時代の流れ全体はますます家族を解体する方向です。
もし社会が「入り口で一万円分のチップを渡され、その日のうちに百万円分窓口に持ってこなければ殺されるカジノ」のようなものだとしたら、所持金残り五百円で残り時間十分なら、ひたすら全額大穴が唯一の適正戦略となります。
そうなるとチャレンジ…死に物狂いの起業が増えて社会が良くなる…でしょうか?
それ以上に犯罪などのギャンブルに属することが増えないでしょうか。
カジノは客として入るのではなく、その株を買うのが最もいい儲け方なのですが、その余地がないとすれば。

そういえば、時代劇などでは「せめてもの志だ、これだけあれば商売でも始めて堅気に暮らしていくのに十分だろう」というシーンがよくあります。
また店一つで四十両とかそれぐらいのようです。
四両もあれば四人家族が一年暮らすに十分だそうですので、大体二百万円ぐらいでしょうか。つまり四十両で二千万円と。
で、今の世界で、二千万円あれば出所したばかりの夫と性風俗から足を洗ったばかりの妻、どちらもろくに親戚もない夫婦が「商売でも始めて堅気に」暮らし始めることができるでしょうか。

逆に、イギリスの昔のミステリでは、犯人が人を殺してでも得たいのは大抵遺産の大金であり、その大金があれば利子だけで生活できる有産階級も入れることが標準でした。
今の日本で、投資だけで安定して生活するにはいくら必要でしょう。
利子では全く無理です、特に普通預金は現在無利子に近いです。

そして今の日本では、普通に個人が始められる零細商売も、投資収入も、どちらも非常に不安定ではないでしょうか。
中小企業のシャッター通り・貸し渋り貸しはがしの地獄は今もまたすさまじいものがあるのです。
さらに何かを学んで就職する道も、新卒至上主義により大きく狭められています…三十代後半で冤罪が判明して出所した元受刑者が何かを学んで資格を取るとしたら、生活費に年百五十万と学費年百万円はかかるでしょう。学びながらアルバイトをするにしてもそれで稼げるのは現状せいぜい年五十万、別に年に二百万は必要になります。
つまり四百万かそこらは必要であり、しかもそれが極めて高い確率で無駄になるというわけです。

どうすれば「暮らしていく」ことができるのでしょうか?
ベンチャーで成功するのは千に一人、あとは新卒で大企業に入らない限りとてつもなく不安定というわけです。
これでは「これからは真面目に働いて、まっとうに暮らせよ」とお奉行様に言われても無理ですよ。

貧困がいつごろ犯罪の急増に繋がるか、それともあくまで長期で見れば犯罪は減少し続けて替わりに自殺だけが増えるか…

7

農民→産業革命時代の、筋肉主体の労働者→「モダン・タイムズ」に代表される低レベルのライン工→高度成長期の熟練労働者…
そして再び低レベルのライン工や低賃金不安定サービス業が主体になりました。
さらに、ロボットになることはないでしょうか。

ある日、マクドナルドが完全無人で動くテスト店ができる。(その前にポテトなどいくつかの部分が自動化され、その積み重ねで)
ある日、自動販売機コンビニエンスストアができる。
ある日、その自動販売機に物を供給するロボット車ができる。
ある日、駅前ティッシュ配布ロボができる。

今は単に、ロボットよりも超低賃金未熟練労働のほうが安いだけです。
でも、ロボットのほうが人間より安くなる時は来てしまうでしょう。

僕にはすでに、スーパーマーケットをはじめいくつかの業界で、無人化とは言いませんが必要な人数を半減できるアイデアはあります。
僕がそれを実現する側でなかったことは、膨大なレジ打ちの人たちにとっては幸いでしょう。
でも、僕に思いつくようなことは、他の誰が思いつき、実行に移しても不思議ではありません。

6

激しく潮が満ちてきて、半分以上は溺死が避けられない…その中で「必死で泳げ」は一人一人については正しいです。
でも椅子の数が変わらなければ最終的な生存率は変わりません。
それでも一人一人が必死でがんばったら日本経済全体は伸びるからいいのでしょうか?その際に半分が死んでもいい?それとも皆が頑張れば椅子も増えるから誰も死なずにすむ?

また、「もっと貧しい世界はあるお前たち(日本人の低所得または無職の若者)は恵まれている」ともよく言います。
でも、今の景気・就職氷河期・産業構造の変化・中間共同体崩壊の流れ・新卒至上主義・低福祉・非国家主体(教会など)福祉の無さなどを考えれば、「平均的な努力」「平均的な浪費」で、ひたすら小さな不運が重なっただけで五十前後で餓死にいたる人はこのままでは統計的に多くいるでしょう。
今でも生活が破綻して自殺している若者は多いのです。
でも、その餓死した不運な平均人の生涯収入が、全地球人の上位30%に入ったとしたら?
それは十分ありえます。
彼は恵まれていたのでしょうか、それとも恵まれていなかったのでしょうか。

ここにパラドックスがあります。
生きていられる何十億人よりはるかに多くの金を稼いでいながら餓死することがありえるのです。
最貧国の最貧地帯の平均収入の十倍でも、日本の最低生存賃金を下回ることは当然なのです。
それほど世界全体の貧富の差が大きいし、また貧しいところでは貧しいなりに多くは生きていけるシステムがあるけれど、豊かなところで貧しい人、特に最近貧困が拡大した地域では貧しくても生きていけるシステムの恩恵にあずかれないのです。

そしてより貧しい地域に行っても、それで生きられるわけではないのはもちろんのことです。
確かに外こもり…日本で何とか稼ぎ、それで海外の物価が安い地域で使い果たすまでのんびり暮らす、と言う生き方を選んでいる人もいますが、ある程度以上窮迫したら渡航費も出せず、海外で生きるノウハウもなければ無理です。
上記の貧しくても生きていけるシステムは血族などが強く、本質的に参入困難なのです。

さらに言えば、「こんな貧しい世界がある(のだから不満を言うな)」という人は、なぜその非常に貧しい世界の存在を許容しているのでしょう。

「平均的な努力」を強調しているのは、とにかく努力しろと言う保守反貧困論者が多いからです。
努力したとしても、全員が抜け出せるわけではありません。多くの人は平均的な努力ならしています。
並外れた努力を要求するのは、残り九割に死ねと言っています。
そして皆が少し努力水準を上げたとしても、統計的に一定数が死ぬのであれば実質意味がありません。

努力を叫ぶことで意味があるとすれば、全員が少しだけ努力水準を上げたことで国自体の経済が国際競争に勝ち、低い層も生きられる国になることでしょう。
でもそれにはむしろ努力のマネージメント…「国自体が国際競争に勝つ」ために必要とされる、技術革新に資金と資源と努力と才能を注ぐ社会システムの変化のほうが重要では?

結局のところ、人間観の問題かもしれません。
現在はすべてこれまでの自分の行いによる、未来はこれからの自分の行いによる…という。
僕はそんな単純ではなく、むしろパチンコ玉のように運任せの面のほうが強いと思います。
何より、はっきりとこの社会には「生活できないほど貧困」「かろうじて生活できる」「中流水準」「上流」「セレブ」と、確率分布で分けられているのです。それぞれのパーセンテージのほうが、一人一人のストーリーより重要ではないでしょうか。
確かに「努力しなければ成功しない」のは確かですが、「努力すれば必ず成功する」ではなく、それどころか「努力して成功する確率が低い産業構造」になっているのです。
その意味ではむしろ、努力より確率、運のほうが決定的なのでは?
努力を強調すると、努力しても成功しなかった人があまりにも救われず、それがあまりに多くてそのことが知られてしまうと努力する希望もなくなるのでは?

5

現在の若者のおとなしさは異常では?
犯罪率の低さ、多くが貧困に向かっているのにろくに暴動一つしない、…

警察がよほど有能なのでしょうか?
どんなデモでも徹底的に押さえ込んでいるという話ですが、普通若者は抑えれば抑えるほど暴れるものでは?
きわめて有能な暗殺部隊がおり、過激化しそうな若者はすべて闇から闇に殺しているのでしょうか?いや、人間はそこまで有能ではありえません。

いや、彼らが子供の頃の教師たちが見事だったのでしょうか。
そういえばそうです、管理教育や受験戦争…見事な成果じゃないですか。
そろって褒章ものですよ。

本当に日本人は、暴動という言葉も知らないしデモという言葉も忘れてしまっているのでしょうか?
全共闘だのがあまりにも頑張って無駄だったから、非常に強い無力感を国全体が学習してしまったのでしょうか。
それとも大きい物語がなくなったとかそういう問題でしょうか?

そういえばナチスドイツやソ連などのいろいろな絶滅収容所でもなぜ暴動は聞いたことがないのでしょう。
半ばわかっていながら従順にガス室に引かれた人々と、イスラエルで人類史上最高の勇敢さ、粘り強さ…もちろんその反面の残酷さ…で戦い抜いたのは同じユダヤ人です。
人間そのものに根本的な質的違いがあるはずはありません。遺伝子的には時代・人種に関わらず皆同じはずです。それほど教育…いや、社会文化の力が大きいのでしょうか?
破壊衝動がゲームで満たされているから?

4

プランBというものがあります。

でも、「環境を守るための無差別大量虐殺」を容認したプランC(1/7/2008ではB3)も考えられます。
そうするとあらゆる問題が、実に低コストで解決できるのです。

そちらが選ばれる可能性も高いでしょう。

3

ある程度以上のパソコンにインストールすれば、プレイステーションのようにCDに入っているゲームをエミュレートできる公式ソフトがあればいいのに。

今パソコンで非合法に行われていることが多すぎます。
エミュレーターだけでなく、動画投稿系もそうですね。他にも色々あります。
それを禁止するより、小額でも権利者に金が行くようにして合法化したほうが誰にとっても得になるのでは?

まあ互換性が高いプレイステーション系でそれがやりにくいのはわかる気もしますが。
ただし、エミュレーターにはどうしても限界があります。ちゃんとプレイしたければ公式ハードを買うでしょう。
中古なら別に高くないですし、メーカーに金が行かないのは中古ハードも変わりません。

2

平等の実験は失敗しました。

でも、逆に自由…とは言いたくない、経済的自由・格差を徹底した実験は行われているでしょうか。
かつて、そして今のアメリカの延長を想像してみましょう。

また、本当にとことん「富める者に都合がいい」政体・法制度はどのようなものでしょうか。
今のサウジアラビア?昔のインド?

あと、今は世界的に景気が悪いとか言いますが、要するに上の一割か二割が必要もないものまで買っていて景気が良かったのが、買わなくなって生産手段が余ったということでは?
残り九割か八割がそれを入手すれば、生産手段は余らないのでは?まあ資源の枯渇はありえるでしょうが。
なぜその方向に向かわないのでしょうか?

またやることといえば、砂漠を緑化するとか海を開発するとか宇宙に出るとかまだ色々あるはずなのに、なぜやらないのでしょう?

ちなみに僕は誰も餓死しない、教育・医療・介護を受けられないほどの貧困ではない、という状態を求めています。平等ではなく。

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僕が許せないこと