枕元の計算用紙

ホーム ブログ

1999年7月 8月 9月 10月 11月 12月
2000年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2004年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2006年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2007年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2008年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2009年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2010年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月

2010年8月

1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日

31

8〜18歳用のポルノは考えなくていいのでしょうか。

考えてみれば人生で最も性欲が激しい時期に、「この子達は子供だから性は存在しない」とみなすことがどれだけめちゃくちゃな間違いか。

そしてそう扱う文化は、キリスト教近代のみでしょうか?世界全体で見たら?

日本は、江戸時代以前、本当はどうしていたのでしょうか?中国は?インドは?
いや、昔は十四とかそこらの年齢で結婚していたのが普通でした。やはり西洋近代の結婚年齢の遅さ、その遅い結婚年齢まで性を容認しない規範それ自体がかなり狂っているのです。

本当は十三歳から十五歳に、可逆性避妊措置をして「仮結婚」させて十八歳で避妊措置を解除しての本結婚を許すとか、今後のグローバル経済では圧倒多数のオスに「グローバル経済で妻子を養う経済力」は得られないので十歳時点で去勢したほうがいいのでしょう。
ある程度の数の「グローバル経済で夫子を養う経済力がある」女性は、別に夫を養わなくても人工授精でいいんですし、どのみち去勢されるような非エリート雄には、去勢されていなくても魅力はないでしょう。

30

邪悪な人間が、虐待を目的として飼っているペットがどれだけいるか…それをわずかにでも考えたら発狂しそうです。

子供や妻はもちろんのこと、でもそれは最近徐々に犯罪とみなされるようになっているようですが。
地球の陸地の一割、全人口の5%ほどでは。

今どれほど多くの動物や女性や子供が、邪悪のはけ口として虐待されているかを思えば今すぐ人類など滅んでしまえとさえ思います。
そして邪悪な支配そのものを全面的になくすには、全人類の精神改造または全人類の常時監視が必要になる、そのことを思ってもまた地球など消えてしまえとも思います。

29

ゼロトレランスもまだ人間性について楽観的です。
人を陥れ、その恐怖を利用して家畜化するメンバーの存在を前提にしていません。クラスメートのカバンにナイフを入れて密告し、それを利用して脅す者を抑止する方法はありません…釈明を許さず罰するのですから。

教師側に対する信頼も過剰です。
人間にとって人を支配することは本質的な快楽です。
規制を強め、またルールを破っていないのに破ったと罰して、それに対する反抗自体…内心での反抗があったと決めつけて罰する、という楽しみを、簡単に放棄するはずはありません。
さらにルールを、絶対に人間には守りきれないものや、本質的に矛盾に満ちたものにすることで、ダブルバインドによって生徒を破壊する楽しみも放棄するはずがありません。
しかもそのすべてを、熱心な教育、生徒のためだと自分さえもごまかして。
教師が聖者であるという前提があるのでは?

そして人間は呪術的ですから、悪意がなくても規制強化によって少しでも何かがよくなれば…よくならなくとも、よくなったと思い込んで…どんどん規制を強化するでしょう。
その行き着くところは日本の学校の管理教育であり、ポルポト政権の大虐殺です。
結局は、人間は、人間が人間であること事態許容できないのです。

また、「規律を守れば人格もよくなる」を前提としています。でもそうでないとすれば反抗心が強まり見えないところでの悪行が増えるでしょう。
校庭で一対一で決闘するのと、携帯電話の陰湿な書き込みで自殺に追い込むのとどちらがいいでしょうか?
子供には悪事が必要なのだ、という観点は?

本質的には、ゼロトレランス下では、子供は世界そのものを敵対的だと感じるでしょう。

28

呪術の定義を「科学ではなく象徴的な解決手段を信じて遂行すること」とすれば、現代における恐怖を用いた管理主義的・道徳主義的立法も全て呪術となります。

呪術的でない法のほうが少ないぐらいでは?
死刑もきわめて呪術的な行動です、自覚していないだけで。

人間皆、どれほど自分たちが呪術的なのかはっきり自問自答すべきです。

27

少子高齢化は本当に問題なのでしょうか?
なぜどこの国も少子化にもかかわらず若年失業率は高まる一方なのでしょう。

本当の問題は港湾・高速道路・鉄道などインフラの整備が終わってしまい、第二新幹線を作っても金ばかりかかって経済成長しない経済になっていることでは?

それだったらなぜ、アフリカや中央アジアに新幹線を作らないのでしょう。
それらの地域は新幹線に適していないから?もう新幹線を作れば儲かる場所など、地球のどこにもないから?

そう考えてしまうと、宇宙や海を本気で開発しても、ちょうど質の悪い油田を掘っても、掘るのに必要なエネルギーの三倍程度しか出ない…昔の良質油田は掘るエネルギーと得られるエネルギーの比が何百もあった…ように、経済的に意味がないのでしょうか。

もう地球経済は終わった、ということなのでしょうか。

26

SFでのニュー・スペースオペラでは、戦艦の撃ち合いよりも、装甲宇宙服での地上戦が目立ちますね。
ロボットか、または砲撃戦が中心の戦艦を主にした日本のアニメとは実に対照的です。
砲撃戦を中心にするのも、「ホーンブロワー」の影響が強く、なんとしても「舷舷相摩して」の接近戦にしがちです。
それの映像化を日本人が見ていないのもあれですね。

宇宙兵器といえば、アニメのデザイナーは、昆虫・土壌微生物・海洋生物などの想像を絶する写真をどれぐらい普段見ているでしょう。
本当に多様なデザインがあるのに。
ダライアスは魚の類をモチーフにして大きく成功しました。他にも生物界には、顕微鏡の助けを借りればもっと多くのデザインの可能性があるはずです。

宇宙で更に思い出しましたが、ガンダムで恒星間移民は不可能でしょうか?
コロニーごとミノフスキードライブで。
戦争してばかりの地球圏を見捨てて、土星とか海王星とかでコロニーを築いてしまう、ということもなぜ誰もやらないのでしょう。
小型核融合炉技術があるのですから、オールト雲の天体を利用しても大人口を持続させることは可能なはずです。

ついでに。MSを運用するのに、アニメで用いられるチューブ状カタパルトから射出するのと、現実世界でヘリコプターを運用する艦のようにできるだけ平たく広い甲板、できれば空母の全通平甲板を用いるのと、どちらが便利でしょうか。
宇宙空間であっても。

25

あまりにも強い「欲しい」は、「わたしのものだ」に変じるものです。

強く望んでいることと得る権利は本来別なのですが、人間はそれを受けいれることができません。
それは行動としては犯罪となりますが、それは理性においても道徳においてもコントロールできないものがあります。

人間は本性からして犯罪者の面があるのでしょう。

24

右も左も、自分にとって都合の良いものを「本来の日本の伝統」と呼びますね。
右が伝統と呼んでいるのは明治政府がつくったもの、武家の伝統を明治以降ぶっ壊れた状態で変に解釈されたものでしかないようです。
というか多分、支配者にとって心地いい、内心も含む絶対服従が当然の支配が正当化される状態でしかないのでしょう。

左はその伝統は嘘っぱちだ、本当の日本の伝統は「平和と自然を愛する」や「死刑廃止」だといいますが、それもいいとこ取りにすぎません。
それを言うなら夜這いや村八分や人柱も伝統になります。

伝統が破壊された国の悲劇ということでしょうか。

それにしても、明治政府の性・宗教道徳とは一体何だったのでしょうね。あのどうしようもない藩閥政府は…何も考えずに肝心な部分ばかり狙ったようにぶっ壊しました。キリスト教を受け入れる気はゼロなのに性道徳だけ、下手なキリスト教より厳しく受け入れるとは…
でもまあ……全面的にキリスト教やイスラム教一色にされるよりは多分ましだったのだろうでしょうけど。

また、「現実」というのも左右とも自分だけに都合よく使う言葉です。
左側にとっては、非武装中立が唯一の現実的な選択肢です。
右側にとっては、従米が唯一の現実的な選択肢です。

双方が武装中立を排除します。
多くの現実的な選択肢の一つではなく、唯一現実的な選択肢と主張します。
パーセンテージも使えません。唯一現実的なのです。

その時点でその主張は独善的な、はっきりいって相手にする価値のない代物といいきっていいでしょう。
最低限、それぞれかかる費用がいくらだから現実的だったり非現実的だったりするか明確に出してくれるぐらいしてもいいでしょう。

「現実」という言葉も、護憲派と改憲派では別のようです。そしてどちらも、武装中立は非現実的だと全否定します…いくらかかる、何%、という程度問題ではないのです。

そして最近の、左右双方が出している本は哀れにさえなります。どちらも、恐ろしいまでに新時代に盲目です。

保守は政権交代を左翼の勝利と捉え、中身のない「保守の再建」という呪文を唱えることしかできていません。
「国体」の時代から、中身のない言葉のばかばかしさと恐ろしさはわかりきっているというのに。

革新側も期待していた政権交代に失望し、その失望をどうしていいかわからない状態です。むしろ共産党信者は楽ですね、ただ同じことを繰り返していればいいのですから。
といっても、共産党でも社民党でもない、現実の政治で力を持ちえる社会民主主義政党はどうやっても無理に思えます。

旧自民はなあなあで、仕事をばら撒くことと家族の美風による福祉でした。今更それに戻れる可能性はないでしょう。
新しい保守は福祉自体を否定します。同時に暴力性に惹かれ、軍事的強硬・犯罪に対する厳罰を求めます。金持ちから取ったら金持ちがやる気をなくすとか言いますが、それもどこまで本当だか…単に、弱者に対する憎悪に衝き動かされているような印象があります。
古い左翼は企業・金持ち・軍事費から取って福祉、という態度です。「消費税廃止」を捨てられない、重税で充実した福祉とできないのがどうしようもないです。
新しい左翼は完全に自由、しかもそれが環境も加わって物欲からも自由な個人が、直接世界政府とつながるようなビジョンです。古い日本的な「ムラ」「イエ」「天皇制国家」に対する反発だけのようです。

少なくとも宮台氏の言うように「社会を回す」という発想はどれにもないですね。
その発想ももう古いのでしょうか?では何が新しいのでしょう。

23

原理的には、呼吸・心拍ともに蠕動運動でも可能です。
スケールにもよりますが無数の鞭毛でも可能です。

プロペラやタービン、アルキメデスポンプなどは生物には難しいかも……ただし鞭毛は体から切り離された部品が軸受けにはまって回転する構造です。

今ここにある生物の姿は唯一絶対ではない、他にもいくらでも手段はあるのです。
それこそ人間の眼にある致命的な欠陥…網膜の前から欠陥が走っており盲点がある…を見てもわかるように。

22

雑種犬・猫の遺伝子は時代によってどう変わってきたでしょう。
多くの犬猫の品種がブームになり、大量に捨てられてきました。
それは野良犬猫の遺伝子に流入したはずです。

僕の、二十五年前に生まれたはずの愛犬はスピッツの血が入っているように見えました。
似た犬はいまはもういないのでしょうか?

21

子供の成長にとって、特に親との相性が悪い子供にとってはまったく別の角度からの大人との接触が決定的になることがあります。
でも現代はますます親と教師以外の大人と子供の接触を一切禁じる方向に向かっています。

それはどうすればいいのでしょう?

20

肛門・生殖器がある股間は、捕食動物にとっては噛みちぎりやすい部位です。進化によってそこに装甲をつけることは困難です。
股間に痛覚神経が集中すれば、そこを噛まれないように激しく抵抗するでしょうから、生存率が上がります。

逆に捕食動物は、ますます巧妙に股間を狙います。そのほうが生存率が高いのです。

結果、野生では苦痛の量が大きくなっていきます。

そのもっと残酷なのは、誰が言ったのか忘れましたが、クモを狩るハチです…クモの神経節を絶妙に刺して麻痺させて巣に運び、生きたまま卵を産んで、その「新鮮なエサ」ができるだけ生きたまま幼虫に食い尽くされるようにする、という。
それが神の御心なら神など糞食らえとも言いたくなりますよね。

人間の価値観ではそれは悪に見えます……神の悪行、と。
僕には、それをどうにかしたければ生命のない宇宙を思い浮かべるしかありませんでした。
生命そのものが悪なのです……その価値観では。

19

今ヨーロッパは、どの考えでいるのでしょう。

18

火山噴火や大地震、大津波、大洪水などの大災害、大飢饉などにおいては、下手に助けるより皆殺しにしたほうが社会不安も起きずかかる費用も少ないのでは?
本音で言えば、前のアメリカ大統領はカトリーヌの被災者は皆殺しにして知らん振りしたかったのでは?

さらにいえば貧困層も皆殺しにするほうが社会不安がないのでは?

そんな感じで機能している社会の例はありますよ…北朝鮮という。

北朝鮮はなぜうまく行っているのでしょうね。
孔子の言葉で言うなら、武器も充分にありません。民を食わせていません。なのに…「信」だけがそれを覆うほど圧倒的にあるのでしょうか?
孔子は北朝鮮を「信」だとは言わないと思いますが。
恐怖と攻撃と神話と神格化は、充分に信の代用となり、食がないことをもカバーできるほどなのでしょうか。

17

実用自動翻訳・核融合・家事や介護をこなす人型ロボット・スペースコロニーなどの技術進歩は誰も期待していません。

実際に2100年の技術水準はどんなことになっているでしょうか?
ひたすら携帯電話の性能が上がるだけ(形は変わらない)で、基本的に今と同じでしょうか。
それとも文明崩壊で原始時代に戻っているでしょうか。
やはり背広を着ているのでしょうか。

16

考えてみれば、徴兵制といじめが合わさるとこうなります。
「何の非もなく、一方的に極めて残酷になぶり殺される、しかもそれを甘受しその場から逃げないで死を選ぶことになる可能性を甘受することが、この国に生まれたものの義務である」

新兵いじめはどこまで許容されるのでしょう?死亡率が何割まで?

そして義務に上限はあるのでしょうか?
大西洋を泳ぎ渡れない、氷の海に落ちたら数秒で死ぬ、無補給でガダルカナル島を歩きとおせないことは怠慢罪なのでしょうか?
逆に、人間に限界があり、不可能があることを認めては、義務に上限を認めては軍隊は成立しないのでは?

15

記紀神話が嘘なら、日本人はどんな神話で生きるべきでしょう。

八月十五日と憲法九条こそ建国神話、という人も多くいますが、逆にそれを受け入れられない人も多いです。

神話は不要、科学あるのみと考えている人はどれだけいるのでしょう。

といっても今からキリスト教を受け入れるのも無理な話です。
ただ、歴史の流れによってはあっさりと、創価学会などの宗教が国教になってしまうことも考えておくほうがいいでしょう。歴史に絶対はなく、転がり始めたときにはまさかと思われることが止めようもなく進むものです。

逆に、日本人のどれだけが記紀神話で生きているでしょう。
保守側にもどれだけいるのでしょうか?それとも保守側は記紀神話など信じておらず、ただ戦争したいだけ、戦時中のように威張りたいだけ、儲けたいだけなのでしょうか?
さらにきちんと、神道の本質的な部分を理解し受け継いでいる若者はどれだけいるでしょう?
穢れとか言霊のレベルは、非常に低い部分の感情…エンガチョなどいじめ、KY、ケータイホラー都市伝説などによって受け継がれているといえるでしょうか?
日本がこれからファシズム化して、それは戦中の日本と同じでしょうか…全く違うものになるのでは?

九条でも記紀でも科学でもキリスト教でもマルクス主義でもない、まったく別の、今はまだ言葉になっていない神話が実際には若者たちの間に広まっていて、ファシズム化するときにはそれが表に出てくるのでは?想像を絶する異形になるのでは。

日本の建国神話は何でしょうか?
近隣諸国に対する謝罪は建国神話になるのでしょうか?
ドイツなどは謝罪を建国神話にすることで、国が機能しているのでしょうか?

記紀神話を建国神話とする人と、八月十五日と九条を建国神話とする人は、果たして同じ国民なのでしょうか?
他の国もそのような、神話レベルの違いを抱えているのでしょうか?

14

「やつらはおれたちと違う」と言ってしまえば、人間はどんな残酷なことでもやるものです。
それがどうしようもなく大好きなようですね。

とにかく「人間は何を好むのか」だけで考えるのが一番役に立ちそうです。

13

(この文章は、アゴラで「新卒一括採用」についての投稿が募集されているので応募しようと書き始めたのですが、散漫な印象がぬぐえなかったのでこちらで発表することにします)

新卒一括採用の是非は本当に問題なのでしょうか?
まず格差問題の派生として、「正社員になれない非正規社員」「高学歴ワーキングプア(大学院を卒業したが職がなく低賃金の非正規雇用に甘んじている層)」などの問題が指摘され、その解決策として新卒一括採用・年功序列の廃止が言われています。
またよくいわれる問題として、「解雇が困難な法制度、新卒一括採用など制度的に硬直しているため、優れた者がしかるべき給与を得られず劣る者がそぐわない給与を得ることで、企業も社会も不利益を被っている。流動化すべきだ」もあります。これは企業の利益、社会全体の利益が主眼です。
後者の問いに対する答えは単純です、「市場に聞け」。そんなに新卒一括採用などが企業自体に不利益をもたらすなら、そうでない企業が市場で伸びて勝つだけのことです。
ある種の社会的ジレンマ、個々の企業は実力主義のほうが伸びるけど、関係の深い多数の企業群の中で一つだけがやったら企業群の仲間に嫌われて潰されるのでできない、という状態も考えられます。だとすれば本当に新卒一括採用の廃止が得だとしても、変革は難しいかもしれません。

非正規社員の問題ですが、新卒一括採用をやめれば、彼らは正規社員として高い給料を得られるのでしょうか?
ここで根本的な疑問が出てきます……『教育は有効なのか』。そして『いい職自体が減るのが歴史の流れでは』この二つです。
教育が有効なのかというのは、ここでは要するに企業により高い給料で雇われてその給料分稼ぐのに有効かということです。
いい職というのは、ここでは「ある程度は安定しており、過労死確実な使い捨てではなく、熟練していくことによって技術が高まり給与が上がり、地域または会社など集団の一員としての尊厳も与えてくれるし、結婚して子供を育てるなど中流生活を維持できる職」です。「(椅子取りゲームの)椅子」、上昇可能性をもって「梯子」、また「ディーセント・ジョブ(尊厳ある仕事)」とも言われます。

水増し大学生、高学歴ワーキングプア、さらに創造系専門各種学校、資格専門学校、さらに高卒の多くなどが教育を受けたにもかかわらず大半は低賃金未熟練労働者のまま高齢化していくという問題になっています。
その人たちは新卒一括採用をやめれば正社員になれるのでしょうか?もう三十代後半を過ぎていても?
教育はなんであれ、教育を受けた者の生産性を高めて給与も高め、社会全体にも利益をもたらすという前提がありますが、少なくとも日本ではそうではないようです。
日本では、企業内の訓練が重視されるため企業の外でいくら勉強しても重んじられないからのようです。これは学問水準にさえ影響を与える問題でもあります。
それどころか企業内でしか通用しないスキルも多く、リストラされたら客観的に何の能力もないし、どんな勉強をしようと認められる能力にはならない絶望的な状態にもなります。
さらにバブル崩壊以降は企業内で新卒を訓練する余裕すらなくなり、熟練者をサービス残業で過労させ、また技術革新を活用し未熟練労働者比率を高めてなんとかやってしまいました。
教育を受けただけでは、企業内で長期の訓練を受けなければ使い物にならない、さらに高い教育と訓練を受けた人材自体が少数精鋭で間に合うようになったとしたら、新卒一括採用をやめたところでどうにもならないのでは?
まして非正規社員は高学歴の若者だけでなく、バブル崩壊でリストラされた高年齢男性・元々非正規しかなかった外国人や既婚女性や中卒など(現在は高卒も多くは)もありますが、その人たちも新卒一括採用を廃止し、教育すればいい職に就けるでしょうか?
さらに教育には、職業訓練という重い問題があることも付け加えておきましょう。今の日本でも、海外に倣ってワークフェア、失業給付の代償として職業訓練を受けさせてより高い職を探させよという意見もありますから。

今の教育がどれもこれも企業と解離しているだけだ、教育を改革すればいい……のでしょうか?革新的な、企業が必要とする教育をやる学校が東大以上の就職率で市場を席巻し、他の学校も真似をする、ということもないようですね。

そして今の若者の雇用問題の核心には、いくつかの指摘があるとおり「高卒のいい職」が大幅に減少したことがあります。就職氷河期も含め、本当に就職率が深刻なのは高卒なのです。社会構造、子供たちの意識構造すら変えるほどに。そうでなければ、水増し大学生も高学歴ワーキングプアも単に「高卒並みの」いい職に就けばいいだけのことです。
それには、第二次産業の衰退、IT化……要するに旋盤からロボット……によって中くらいの教育で始めることができ熟練によって生産性・給料とも高めることができるいい仕事の減少、低賃金未熟練労働に対する機械化・グローバル化による外国低賃金労働者双方の圧力による賃金下落圧、ウォルマート化によるパパママショップ商店街など自営業の崩壊など複合的な理由があり、これはもう時代の流れそのものと言ってもいいでしょう。
ここで、中小企業は人が足りないのだ甘えているだけだ、というのもよく聞きますが、中小企業は「生きられる」場でしょうか?下請け構造の悲惨は知れ渡っています。その点は介護とか農業とか、要するに第三次産業も第一次産業も、これからの産業もずっと昔の産業もいい職ではないのです。いい職は「高度成長期の旋盤工」のような職だけなのです。

もし教育が無効ならどうなるでしょう?
偏差値が高い少数大学の、さらに優秀であると同時に測定も育成も不可能な社会的能力を兼ね備えたエリート以外はいい職に就けないのが今後の現実だとしたら。
元々、教育には企業が新卒を入り口で選別するため以外の意味がなく、一流大学に入れなかったり、一流大学には入れても社会的能力がないためいい職に就けなかった、どんな形でもレールから落ちた者が、外でどう勉強しても無駄だとしたら。
新卒一括採用の廃止、雇用の流動化が格差問題に対する救いになるという論は、「高い能力を持つ非正規労働者が不当に低い処遇に甘んじている」「どこの企業も評価する実力は教育でつけられる」「真面目に勉強した人の人数分はいい職がある」「新しい業界が成長すればそこにはたくさんいい職ができる」という仮定の上に築かれているのでは?
それらの仮定が偽なら…非正規労働者の能力は実際に低いし企業が訓練することも絶対にありえない、学校に行っただけで職歴がない人は本当に実力がない、いい職は減る一方、新しい産業にいい職はごくわずかしかないなら、企業が新卒一括採用をやめたとしても、新卒者にも非正規労働者にも何の利益もありません。一線で仕事をしている人の転職のリスクが少し下がる程度の話です。
もしそうだとしたら、新卒一括採用の廃止や解雇規制の緩和は上昇をふさぐ天井を破るのではなく、多くの人の床を抜くだけ……ほとんどの人が低賃金未熟練労働者となり、実力にふさわしい途上国水準まで賃金が下落する結果しか生まないでしょう。
問題は、そうなれば誰が車を買い、子供を産んでベビーカーを買うのか、です。
また日本では、都市部で屋根の下で暮らすだけでも年に六十万は軽く必要でホームレス福祉をやる気は国にも宗教にも全くないし多少の篤志家がいても増えたらパンクするので、それ以下の国際市場価値の人間は死ぬほかありません。
さらに職業訓練が無効であれば、社会全体を支えている大きな前提が崩壊します。
失業保険や職業訓練、それどころか福祉そのものが社会にとって有益なものではなくなります。
景気が回復しても省力化や海外移転で再雇用がなく、「景気が正常ならば完全雇用」前提がなくなれば、景気回復まで良質の人材を維持…増産まで倉庫に良質の部品を置いておくように…するのが目的である失業保険は無意味になります。
農家の次男や炭坑労働者を職業訓練で自動車工にしたように、子供や元自動車工をコンピューター技師や介護士に教育してもそれらの業界全体が生きられる賃金と労働時間ではありません。
さらに大多数は低賃金未熟練労働でいいなら、高い金を費やして公教育をする必要もありません。通例言われる、「情報化社会には高い教育を受けた人材がたくさん必要」とは矛盾していますが、それは日本の話ではないようです。
国民の大半が機械や外国の極貧層と代替できる低賃金未熟練労働者にならざるをえない、要するに有用性がない、国にとっては死んだほうがいい「廃棄人」となるのです。
だとしたら新卒一括採用かどうかなど、それこそ椅子取りゲームの微妙なルールの違いに過ぎません。椅子がどんどん減っているのなら。

さて、そうなのでしょうか?教育は無効で、いい職はこれからもどんどん減っていくのでしょうか?そうだとしたら、そうでなくすにはどうすればいいのでしょう?
教育を改革しますか?企業の意識を改革して、外ででも勉強できる基準で評価するようにしますか?
それとも時代全体の流れだとして「いい職」が減っているのだとしたら。多数の人が廃棄人なのだとしたら……
憲法二五条に従い生かしますか?それとも「働かざる者食うべからず」「所詮この世は弱肉強食、強ければ生き弱ければ死ぬ」「(改変されていない)アリとキリギリス」の掟に従って殺しますか?
それとも、いい職を増やす、再び高度成長を起こすことは、雇用の流動化など社会をより自由にすることで可能なのでしょうか?
または政府が高度な科学技術に積極的に投資することなどで可能でしょうか?

12

菅政権の談話ですが、一言「誰得?」
誰が得をしたのでしょうか。

菅政権は、これによって一つも支持率は上がらないと思われます。
もとより右側は徹底的に叩く…それこそ来月号の保守論壇誌のいいネタです。

でも左側も、これによって菅政権をほめることは決してありえません。「心がこもっていない、口先だけ」の一言のはずです。
菅政権は左側からも人格レベルで嫌悪されているのです。

政権が全く得をしない、むしろ叩かれることをやるのはなぜでしょう?
考えられるのは…官僚機構、としか言いようがありません。
外務省の力関係で、それはやらなければならないことだったのでしょう。
それをいうなら消費税も、支持率が下がるのがわかりきっているのに言わされた印象があります。

脱官僚をこれだけ言っている民主党がこれでは…どうやら選挙での脱官僚は絶望のようです。
でも救国大連立にしてもクーデターにしても、選挙以外の道は嫌なのでこのままのほうがまだまし…でしょうか?官僚もまた何をしでかすか分からない…諦めるしかなさそうです。

それどころか、「菅政権が何を言っても誰も真に受けない」のではなく、「日本政府がどんな謝罪談話をしようと、どんなに賠償しようと(実際賠償してきました)、心からじゃないんだから無駄」なのではないでしょうか。

では、「心からの謝罪」というのはどうすればいいのでしょう。どんな賠償をすれば心からと認めてもらえるのでしょう。
どうすれば菅首相の後継者はワイツゼッカーになれるのでしょうか。
どうやら、謝罪の後に妄言があるから、「日本は心から謝っていない」となるようです。
ではドイツのように、妄言は言論の自由の例外として刑事罰で禁じればいいのでしょうか?
いえ、それでも言う人は言うでしょう。口をふさげば石が叫びます。
というか「心からの謝罪」というからには、日本国民全員の内心が統一されていなければなりません。それって内心の自由を保障した憲法に違反しているのでは?
謝罪は憲法よりも上でしょうか。

あと賠償問題ですけど、これって…隣の家を傷つけた犯人が、「これで怪我した人の入院費にしてください」と金をもう渡したのに、隣の家の家長がその金を工場の機械に使い込んで怪我人は放置し、そのうえで「日本は賠償してない」って言っているんじゃありませんでしたっけ?
それも歴史修正主義者の妄言を真に受けているだけでしょうか?

何より、反省というのは「他にこっちの道をとるべきでした」ということでは?単純に「生まれてきてすみません、今までやった全てのことにすみません、好きなだけ叩きのめしてなぶり殺しにしてください」というのは再犯防止にはならないと思うのですが。
当時の日本や韓国に、他に道はあったでしょうか?

それを問えばすぐに、それは日本の暴虐をなかったことにしたいだけだと言われるでしょう。
でもどの民族や国も、群れも個人も、「自分の正当化」はほとんど本能に近いものです。まずそれを前提にしなければならないのでは。

そして実際問題、当時の国際情勢を思えば日本に征服されるかロシアに征服されるか、とても運がよければ自分で女工哀史や蟹工船をやるか…別に日本が最善だったとは言いませんが。
それこそ、弱肉強食が基本原理である人間そのもの、いや生命そのものに対して呪いを叫ぶほかないでしょう。
明治維新自体が間違いだった、東洋総ガンジーでなければならなかった、というのはいくらなんでも無茶だと分かりますよね?

11

老人と若者の相互憎悪はどうなるやら。「甘やかされた若者をたたき直せ、社会は厳しいものだ」と「老人の既得権を叩き潰せ」じゃ……グローバル化・少子高齢化という大きい流れにどう乗るか、このままでは両方悲惨なのに。

自己責任主義でいったら、これからの社会では膨大な生活破綻者が出るでしょう。暴動なしに自殺させることができれば社会は維持できるでしょうか?

といっても、技術と教育、職業訓練で本当に良くなるかはわからりません。
どのみち悲惨、もう「船を捨てろ、みんな勝手にしろ」という宣言が出ているのかもしれません。だとしたら自分だけ救命ボートにしがみつき、しがみつこうとする溺れる同胞の手を切り払って救命ボートの縁には手首が鈴なり、さらに飢えが迫れば救命ボートの中でも弱いものを殺して食う地獄絵図が人の世の常、というわけですね。

問題はこれからも技術進歩があるか、あるとしてもそれは職を作るものかです。
職を作らない景気回復では、また老人と若者の相互憎悪がひどくなる一方でしょうね。

10

高齢化とグローバル化があるから年金は持続不能…でも生活保護がある以上、年金制度を多少いじっても財政負担がそれほど大きく減るわけでもありません。
生活保護も廃止して餓死に委せて財政を再建するか…

といっても生活保護を廃止し、年金を半減し、公務員も半減したら、考えてみれば「人の収入」が半減し、内需が大幅に減って、結果的には税収ももっと低くなるでしょう。
そうなれば余計財政破綻は確実です。

グローバル経済そのものが、多数の人間の極貧と餓死を命じているとしたら?
考えてみれば若者の多数がいい職に就けず「不要」とされ貧困層に落ち、またどの国も財政が苦しく福祉国家が持続できないのはどこの国も同じです。
単純な技術革新と経済のグローバル化、労働者から消費者・投資家への力の移動は、世界全体で古い社会を食いつぶしながらグローバル経済が成長する構造になっていくようです。
でも、それが本当に古い社会を破壊しつくしたときにはおそらくペンペン草一つ残らないでしょう。

それが必然だとしたら…どうしようもないのでしょうね。
思えば歴史は常に、どの帝国も、安定し爛熟すれば貧富の差が広がり、小規模小作農が潰れて大地主とその奴隷、または年に流入する貧民になって文明そのものが衰退していきました。
それとおなじ、世界そのものに衰退する癖があるとしたら…

イギリスは植民地で衰退を免れたようですが、アメリカ、いやこの「グローバル帝国」には植民先がないようにも見えます。
いやそれは思い込みなだけで、いくらでもあるかもしれませんが。どちらなんでしょう。

9

歴史のほとんど、今でも地球の面積・人口のほとんどの人間は「奴隷として」育てられ、権威を持って命令されれば疑問なく従うのが当然です。

それこそ働いている家から家族を置いて徴用・徴兵されるのも、歴史上ほとんどの人間にとっては、権威を持ち鞭を振るって「来い」と言われるだけで諾々とついて行くのが当然だったはずです…置いていかれた家族が餓死することも含めて。
断れば残虐な死刑、下手をすれば村ごと皆殺しで見せしめとされるだけのことです。
防人歌からナポレオン戦争の強制徴募、それどころか今でもアフガニスタンやソマリアでは当然の話でしょう。

現代人は、「人は奴隷である」ことを忘れていないでしょうか?
人権など近代のフィクションでしかない、「一部の貴族以外の人間は、貴族が鞭を振るえば諾々と絶対服従するだけの家畜」が人類の歴史の多くでの唯一の真実だということを忘れているのでは?貴族と奴隷のほうが、歴史の圧倒多数、現在の地球の面積の圧倒多数で真実なのではないでしょうか?
また現代の日本人でさえ、戦前などの教育を受けた層、それどころか管理教育を受けた層でさえも、理不尽な上位者に対する無条件の絶対服従、「人は奴隷である」ことはあたりまえなのでは?

思い出さなければならないのでは……人は奴隷であり、鞭が鳴れば一日二十時間わずかな粥で働いて短い寿命で死ぬのが当然、軽犯罪どころか貴族の気まぐれ一つで残酷に殺されるのも当然の卑しい家畜だ、ということを。
女子供は家畜であり、気まぐれで殺されていい、絶対服従するだけの存在だということを。
下層労働者は奴隷であり、鞭がふさわしく、汚らわしくさっさと皆殺しにした方がいい存在であることを。

これから先進国もグローバル経済で、高い能力の持ち主意外は必要なくなるのです…ほとんどの人は奴隷として生きるかゴミとして虐殺されるかなのでは?

8

児童性愛を罪とすることについて、いくつか仮定を元にしていないでしょうか?

たとえば「恋愛をちゃんとする能力がある児童」が存在するとしたら?恋愛可能なほど精神的に成熟した個体の存在は?
辞世の美しい漢詩を残して立派に腹を切った幼児には、恋愛する資格もあったのではないでしょうか?さらにいえば選挙権すら与えてよかったのでは。
これは難しいですね、恋愛できる児童がいる、と認めてしまうと、邪悪な児童性愛者が判断力のない児童を毒牙にかけて「この子には恋愛力があったんだ」といえてしまいます。
逆に恋愛できる児童などいない、と言い切ると、もし実際に恋愛ができる児童がいた場合、その存在を圧殺することになります。
まあ女児の場合は、妊娠出産の安全も含めて考えるべきでしょう。
さらに、年齢的には成人し知能も正常、でも精神的な成熟度はどうしようもなく低い人も多くいます。というか「支配力の高い邪悪な人間」と、「それに引っかかる鍵穴を持つカモ」の問題を考えるともっとややこしいです。

要するに年齢での輪切りが救いようがないほど恣意的なのです。初潮を前提としても、脳と精神と生殖器の成熟にもまたずれがあります。脳が成熟したといえるのはそれこそ二十代も後半の話です。
合意で十七歳と、が殺人よりも重罪になるというのはただの狂気です。

また、絵や文章を含む児童ポルノの禁止は、人間性に関する重大な仮定を含みます…ポルノがなければ児童性愛者は減る、という。

「児童性愛者なのは、同性愛者であることと同様に仕方がない…道徳的悪ではないし性的権利はある。
ただし現実の児童の性的権利の侵害は許されないから、欲は絵や文章で満たすように。
児童だろうが大人だろうが合意がなければ悪であり、合意があれば同性だろうが異性だろうが悪ではなく、絵や文章は何だろうが悪ではない。」
なぜそうすることができないのでしょう。
そこには、なんというか「この穢れの存在を許容したら神が世界を滅ぼす」というような迷信的な恐怖・嫌悪があるのではないでしょうか。それを法にすることは控えなければならないのですが…民主的には必然的に法とされますか。

児童性愛者=道徳的悪だとしたら、どうしたらいいのでしょう。反省はありえません、なら治療?
治療が効かなければガス室か終身刑?
でも、最終的にどうやって、隠れている児童性愛者をあぶり出すのでしょうか……魔女裁判?
実際に男性全員を呼びつけて児童ポルノを見せて勃起したらガス室、とやったら…
いえ、欧米基準の「児童」は十八歳未満。十七歳十一ヶ月の異性の裸で勃起してもガス室に送らなければならないのです。

あと動物虐待映像や拷問虐殺映像で勃起した者のガス室送りはそれ以上に賛成されそうですが、すべきでしょうか?

7

黄金像を溶かしたスペイン人と、同じ重さの純金を作業員に渡してまで黄金像のまま博物館に送るイギリス人、その時代精神の違いは?

6

非正規雇用の問題で「世間」という要因を忘れていました。

赤木氏、そして秋葉原事件の犯人の苦悶は要するに「自分は世間の正規の一員じゃない」ことです。
収入よりむしろ「世間の一員であるかどうか」、所属や尊厳という言葉よりもっと生々しい話なんですよね。

だとしたら、セーフティーネットが完備しても、会社でない世間が存在しない、また正社員でない人を正規の人間と認めない「世間の掟」がある以上は彼らは救われません。

また、もし非正規社員が正社員になれないのが、単なるスキル不足ではなく「穢れ」の問題だとしたら…そう、引きこもり期や非正規社員などの空白を、「履歴書に汚点」といいます。それが前科と同等の「穢れ」だとしたら…たとえ雇用が流動化されて正社員が解雇自由になっていても、雇用に補助金があっても、職業訓練でスキルをたかめてあっても、まともな会社が正社員として採用するはずはありません。
現実にも非正規社員のスキルは半ば意図的に低く抑えられていますが。

また、これは以前からの話ですが、特に中小企業を苦しめている「世間の掟」があります。
事業が失敗したとき、破産による借金の帳消しを容認しないことです。
連帯保証と経営者個人補償で膨大な「世間」に迷惑をかけます…それは自殺によってしか償えませんし、自殺してもまだ終わりません。
連帯保証人でさえない親族が払い、また相続放棄ができないために自殺した経営者の遺族が(特に女性は売春を強要され)奴隷化されて延々と払わされることもあります。
それでは起業はリスクが高すぎます。
また古い企業を淘汰することは膨大な人を自殺させ…現に自殺しています…またその周囲の人も破滅させ、社会を形成する人間関係ネットワークに憎悪の毒を大量に流し込むため社会的にも長期的に損になります。
それによって、古い産業の企業も淘汰されにくくなっているのでは。

ただし、旧来の会社(と会社同士のつながりの網)が作っていた世間が壊れるのはどうしようもないようです。

歴史としては、農村中心だった「世間」が近代化により、特に戦後の高度成長で会社が世間として機能した、とされます。
そして今後は?

強者は仕事と金はあります。野心を満たすこともできます。彼らは近代的個人として世間から自立できるでしょうか。
いや、それは難しいでしょう…堀江氏の失墜のように、世間に背を向けた近代的個人は、経済界にも許容されません。
強者は独自の世間を作り、その中で成功するほかないのでしょう。

弱者は?一部なら家族、地域の不良仲間などがある種の世間になるかもしれません。
でもそれも、パパママショップが潰れ、中小企業は借金によって人間関係網に毒が流しこまれて崩壊していく定めです。

それらを持たない非正規は…ファシズム?でもどんな?
国がそのかわり、会社のかわりに人の衣食を保障するのでしょうか。
それとも福祉を否定し、道徳によって落伍者を殺し、その恐怖・道徳・暴力の悪循環を暴走させ、縮小しながら維持される特権階級として「世間」構造を保つのでしょうか。

国でも企業でもなく地域だのなんだのいろいろなものが…左側がなんとなく言うような人のつながりが、自由な個を確立させつつ「世間」のかわりになるのでしょうか。

それとも…

5

より長期間の活動、重武装・重作業機器の操作を可能とする「宇宙服」が可能だとすれば……
人間のシルエットを少し大きくするパワードスーツのイメージはあります。
でもそれだけでしょうか?

確か前に、ケンタウルス型のパワードスーツは想像したと思います。
背中に、ランドセルを拡大した脚つきの巨大な機械コンテナをつけたもの。

でも他にも考えられます…ケンタウルスを更に大げさにし、「手足のついた部屋」にするとか。

空間、それこそ面積は小さいトイレ個室程度、高さだってかがんで入れる程度でかまいません。
その壁に密着し、壁に四つ穴がついています。
そこに手足を入れれば、それはそのまま袋状になって自由に動き、「手足を出して」作業できます。

逆に手足を抜いて体を完全に室内に移せば、備え付けのトイレで楽に用を足せますし、裸で体を拭いたり、パソコンで情報処理したりもできます。
その「部屋」自体も自力で動けるようになっており、手足を出している状態でも出していない状態でも操縦は可能です。
手足を出しているときは足は補助的に使うか、または手と同様に作業に用いることになります。
操縦は舌ですることになるでしょうか。

「コクピットでの操縦」「両手をカバーしたまま殻外に出し、パワーアシストつきで手作業」「トイレ、身体のどこでもこする」の三つが、最低限の空間移動で可能なわけです。パイロットのストレス、連続作業時間は宇宙服に比べて大幅に少なくてすむでしょう。
まあ「宇宙服ではない」ことが不安かもしれませんが。

地上のものにそれに類するものは知る限り存在しませんので、実現可能性もわかりませんし、描写が伝わるかどうかも自信がありません。。

4

世代間戦争といわれますが、別に老人たちに悪意があるわけではありません……ただ「いままで通りの制度を守ろうと」しているだけです。

終身雇用・年功序列・賦課方式年金は「高度成長+人口増=ピラミッドがどんどんふくらんでいく」「老人死亡率が高い」「多くの中ぐらいの能力で熟練していく労働者を多数必要とする」が前提の制度です。

そのまま、高度成長が終わり、死亡率が下がって膨大な老人が生じ、また新しく生まれる若者が減って若者一人当たりの負荷が莫大になり、さらに超高度能力の少数精鋭と世界のどこでも超低賃金で得られる単純労働力の産業構造になり、さらに介護・老人医療が機械化できなければ破綻するのは当然のことです。
問題は、そのことを現実として受け取る能力が、国の意志決定者にまったくないことなのです。
漠然とした危機感はありますが、そのすべては見当違いの「改革」に注ぎ込まれたようです。

ちなみに老人たちも、約束のために一生働いてきたから「約束を守ってもらう権利がある」と主張するのは当然です。
また中高年正社員はパラサイト若者も含め家族を食わせるために大収入を必要としているのも事実です。

大量の自殺と餓死、介護殺人を、国家主義・家族の美風・自己責任主義が混じった道徳で強要するのが一番簡単な解です。

それをしない、老人も若者も誰も餓死させないようにしようとするなら、まず介護の完全機械化・サイボーグ技術が必要になります。
老人の身体に鉄片を埋めて磁力で重力を軽くしたのに近い状態に置いてもいいかもしれませんし、軌道エレベーターを作って無重量状態で介護してもいいでしょう。
皮膚を保護する脂を塗って暖かい海に浮かべて介護してもいいでしょう…浮力で軽いし糞尿は魚が食ってくれます。
蜂の幼虫のようにドラムに入れてゆっくり回しても床ずれは起きずにすみそうです。
一番いいのは、老人みんなをサイボーグ009に改造することです。脳がボケて壊れるまでは元気に活動してくれるので介護は不要になるでしょう…若者の職を奪うかもしれませんが。

その上で、若者に席を作るためには、現実的な職業訓練で可能な仕事をたくさん作るための技術革新がまず必要……可能かどうか知りませんが。
雇用流動化も必要ですが、席…高い賃金を与えるにふさわしい、生産性の高い職の絶対数が少ないのに流動化したら底辺への競走にしかなりません。
職そのものは少なければ職業訓練さえ答えにならないでしょう。

まあ確かに老人たちが、自分たちの当然の権利を守り通した結果は、若者が奴隷扱いされてすりつぶされ、未来がなくなるということは事実です。
誰もが前提の変化を受けいれ、その上で目的を明確化しなければなりません。

結局どちらを選ぶのでしょう……人権と平等か、それとも経済と身分と道徳か。
新しい世界は……近代的な電化生活をするのは一部貴族だけ、残りは犯罪や伝染病や不潔で社会を汚染しないよう奴隷階級として鞭打たれて超低賃金超長時間労働をして短い寿命で死んでいく社会にしかなれないのでしょうか。
特に中国が高齢化したら、何億人が餓死するでしょう。

根本的な解決手段は、サイボーグ技術の一般化で高齢者が寿命ギリギリまで活動できること、それに尽きます。
介護の大幅な機械化と言ってもいいでしょう。

3

「正義」「快」「同調」「保身」が結びついたら危険です。

なぜいじめるの、の答えは「汚いから」「いじめると気持ちいいから」「みんながやってるから」「いじめなければいじめられるから」です。

2

紛争って、国外が介入しなければ、負けた側が皆殺しになるとかいくつかの国がまとまって大帝国ができるとかで、それなりに解決するのでは?
でもそう考えるのは、いつかはまとまるのを繰り返してきた中国や日本の歴史ばかり見ているからです。
それは中国も日本も「孤島」であり、内部に大きな障壁がないためまとまるほかないからです。

ヨーロッパやイスラム時代の北アフリカは何百年も、ばらばらの北アフリカがこれまたバラバラのヨーロッパを襲って奴隷を略奪し、ヨーロッパ側はキリスト教どうし助け合おうとは全く思わずされるがままだったとか。

バラバラで泥沼紛争のまま、何百年も何千年も安定してしまう解もあるのかもしれません。
アフリカは…どう見ても障壁だらけですね。というかサハラ以南アフリカほぼ全体が、崖で外から隔離されてます。それこそロンダルキアみたいに。
南米大陸も山脈と密林で分断されてますし。

アフリカの武装勢力に「天下布武」の理想、信長や劉邦の物語を吹き込んでも多分無駄なんでしょうね…

1

「ポピュラー・サイエンス&歴史ノンフィクションのドリームチーム」によるビックバンから現代まで、全てを一通しで描きつくす「最も決定的な本」がほしくなりました。
僕が書いた「自己紹介(巨大テキストファイル、ダウンロードすること!)」こそまさにそれですが、僕が書いても間違いだらけでしょうし誰も読みはしません。
でもビックバンをスティーヴン・ワインバーグが、時空の構造をブライアン・グリーンが、進化をリチャード・ドーキンスが、人間の心と言葉をスティーブン・ピンカーが、人間の歴史全般をジャレド・ダイヤモンドが…というふうに各章を最高のポピュラー・サイエンス・ライターにして科学者たちが書いていったら?
それも文庫本一冊に収まる中学生向きと、大人向きのフルに内容のあるものの二冊。

形式としてはいくつか考えられます…

章ごとに分けると