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31

人がぶつかりそうになって両方同時に右に行こうとしたり左に行こうとしたり、よけようとしながら邪魔し合い続ける現象があります。
野球でも外野フライを譲り合って落としてしまうことはよくあります。

それはミラーニューロンの誤作動では?

僕はそれを抑える条件反射を訓練してあります。
人とぶつかりそうになり、その相手が行く方向に自分も動いてしまう症状が起きそうになった瞬間、自分の身体を強制的に停止させます。
同時に手を自然に差し出して衝突防止・方向指示をするのです…最低限心臓と頚動脈は守りつつ。

30

自分が間違っている可能性を考え、間違いがあれば修正する指導者のほうが長期的には有利なはずです。

でも人の群れは、自分が神で無謬だと思っている人についていきます。

科学もそうです…科学の本質は試行錯誤、「自分の間違いを修正する」強い機能です。
それに対し、宗教の本質は「自分が絶対的に正しい」であり、間違い習性機能は事実上ないか、カソリックの公会議にあるように非常に弱くしかありません。
逆にだからこそ、科学は宗教に勝てないのです。

29

隆慶一郎「花と火の帝」の未来としての明治維新、日中・太平洋戦争と降伏はどのようだったのでしょう。

岩介のような異能者は八瀬に一人もなく、天皇や忍びたちは何一つ抗わずただ流されていたのでしょうか。
それとも隆慶一郎健在ならば、明治維新において吉原忍びや松永誠一郎の子孫・松平忠輝の子孫や山人たち、そして八瀬童子たちの、新撰組や維新志士たちを向こうに回した想像を絶する活躍が見られたでしょうか。

そして日中・太平洋戦争と降伏、その後の安保や…

今回の政権交代でも、八瀬童子の暗躍はあったのでしょうか?

僕が死んだらぜひとも、未完作品の続きを読むだけでなくそれらを書いてもらわないと。

28

もし吸血鬼がいるとして、逆に十字架などキリスト教のシンボルがそれに対する武器になるはずはないのでは。
キリスト教が武器になるというのは、世界が善悪ででき、善がキリスト教で吸血鬼が悪だ、という絶対前提の上での話です。

単に吸血鬼が、「違う」だけだとしたら、キリスト教のシンボルはまったくの無力かもしれないのです。

27

糞の大半を胃に、尿を濃縮して大腸に送り込むことができれば多くの資源はリサイクルできるはずです。

糞の大半は微生物で、良質なタンパク質・脂肪が大量に含まれています。
尿の窒素化合物は人体細胞には使用不能ですが、微生物なら利用でき、タンパク質を大幅に増やすことができるはずです。

ゴキブリは体内で窒素などをリサイクルし、長時間栄養不足でも生きられるそうです。
また牛も尿素を口や胃に分泌し、植物の消化を助ける胃内微生物に食わせるそうです。

要するにそれをすると、消化吸収に時間がかかりすぎるし病気のリスクも小さくない、消化酵素耐性菌が優越したらえらいことになるからやらないのでしょう。
人類は本来食料が豊富な環境で進化し、すばやく消化吸収を済ませて活発に活動するための動物種のようです。
水に関しても汗をかくとか薄い尿とかすごい贅沢していますね。
あとビタミンCも、自力合成できなくても支障がないほど豊富な環境で進化してきたようです。

そんなのがこんな膨大な数になったのは地球環境にとってはとても不幸なことです…

26

ホラーでも勧善懲悪要因があることが多いですね。
メンバーの中で邪悪な人間が死ぬことが多いです。

邪悪な人間が勝ってしまったら凄まじい後味の悪さになるでしょう。

考えてみれば人間の邪悪に比べれば、ホラーの敵なんて可愛いもんです。
心臓発作でも死ぬときは死ぬんですから。

というか…ノンフィクション以上のホラーって誰が作れるんでしょうね。

25

二十一世紀の歴史は、アメリカと中国の対決が主になるとよく言われます。
では日本はそこでどちらにつくのでしょう。

その判断は、単純に力のみで判断するのでしょうか、それとも理念を考えるのでしょうか。
どちらでもない、どちらにつくでもない、日本は第三の大国として…と保守は言うでしょう。

でも、その日本の理念は何でしょう。
アメリカにも中国にもなんだかんだ言って理念はあります。
では日本には?それも保守の?

革新側の日本には、まあお花畑ではあっても九条という理念はあります。
それを世界に主張することは、主張するだけならできるでしょう。
でも保守側には、主張するものもないのでは?

また世界には日本と中国のアメリカの三国しかないわけではありません。
韓国やフィリピンもあります。
ロシアやヨーロッパ、インドや中南米もあります。
アフリカやアラブもどんな形で歴史に出てくるかわかりません。

24

「非実在青少年」…要するに、規制派が諦めることはないのです。
なんとしても、「悪い漫画・アニメ・ゲーム」を世界から焼き尽くさなければ気がすまないんです。

それが信仰である宗教団体も多数います。
警察も全体が一つのカルト教団です。

要するに人間は、焚書坑儒が大好きなんです。
あと魔女裁判もホロコーストも戦場での虐殺も。とにかくそれらが気持ちいいんです。
そして、それはあらゆる感情が「正義だ」と言ってしまうのです。

だからこそ、憲法でそれを抑えるのが近代国家のあり方です…国民全員が一致し、常識がそれを求めてもやらない、それ以外に終局的にはホロコーストを防ぐことはできないのです。
いや、それでも防げるかどうかわからない、それほど人はそれらを好む、と個人的には思っていますが。

それ以前に、その憲法で民意を抑える構造さえも、規制推進派は否定しているでしょう。
憲法の構造自体が間違っている、ある種の神権政治…絶対的な善悪=自分の善悪感性であり、法はそれと一致し、誰も異議を考える者もいてはならない。
というか自分は神だ従えと叫ぶ指導者に盲従する。それは人間にとって、何百万年も前から進化してきたごく自然な群れ構造であり、最も心地よいあり方です。
多くの価値観が共存することを目的とし、内心の自由を保障し、差別・焚書を禁じる憲法構造は、人間にとって本質的に不快なのです。それはほんの数百年、地域的にもごく一部でしかない、キリスト教など多くの見えない前提でやっと維持されているものなのですから。

また道徳的に世界をよくしたい、というのは呪術的な行為の一つです。だからこそ根深いのです。だからこそ、彼らは諦めることはありません。
「悪影響を与える」という言葉の抽象性こそポイントです。それは言い換えれば、「悪霊を解放する言霊(絵にも言霊同様魔術的効果がある)である」ということなのです。性行動・性犯罪は本質的な問題ではないのです。
また規制すること、焚書の炎は魔術的には世界を浄化する正義の炎、生贄儀式であり、また法や条例を作ることはそれ自体が儀式であり、言霊による魔術です。「急々如律令」が漫画の道士が使う重要な呪文であることも思い出しましょう…律令はまさに法です。
また言葉などを規制するのは権力を見せつける作用の一つです。皇帝が即位したらその名を禁じ、全ての本からその文字を削除させるように。
「世界はよくしなければならない」「そのために何かをすればいい」「何かをすれば、それで世界はよくなる」というのは計画し行動することで生き延びてきた人類の本性に食い込んだ考えで、それは多くの儀式として行われてきました。今こうして条例や法でやろうとしていることも同じです。
人は常に世界が穢れていると感じ、それを浄化したい衝動に駆られています。心理学的な言葉を使えば、常に対象のない恐怖・憎悪を感じ、発散したがります。特にある対象を攻撃することが正義となる場合、それは何よりも快楽になります。

ああ、文化に関しては、最初から叩き潰すのが目的ですよ。権力は文化を本質的に憎みます。
「表現の自由」自体、権力は徹底的に否定しています。それは権力そのものの本質、持病であり、だからこそ脊髄反射といわれようと監視し、反対しなければならないのです。
人間そのものにとっても、はっきりと言えば自由の国よりファシズム国家のほうがずっと心地よいのです。

さらにこの条例は最初から道徳を高めるためだ、といいきっています。風潮は操作されるべきもので、操作できるものだという前提にあります。
その前提自体に反対する人間とは実質対話不能でしょう。
善悪は議論するものではなく、憲法よりも上位にあり、押しつけるべきものだ、という前近代的な権力意識もあります。「悪いものは悪い、黙って従え」が本質的なメッセージです…近代国家では本質的に許されないものです。

感情的に正しい、正義だと思えること、それが快楽になったときには疑うべきです。
でも実際には…いくら言っても通じません。それが信仰レベルで正しいと思っているのであり、しかもその人たちが圧倒的に強い権力を持っています。
それは偶然ではないです…自分は絶対に正しい、いや自分は神だと信じて感情的に叫ぶ人のほうが、人は何が正しいかわかっていないと懐疑的に冷静に訴える人より説得力は高いのです。
アフリカのサバンナでは、「ライオンだ逃げろ!」と、自分でそれを信じている必死の口調で叫んでいる声に、疑わずに従う人のほうが多く生き残り子孫を残したのですから。自分は神だと信じている人は常に勝ちます。
蟷螂の斧の感じがあまりに強いです。人間性そのものを敵に回している気がします。

僕が「正義感・魔術・道徳・法を分離せよ、それが近代憲法だ」といえばいうほど、まず「おまえに言葉を使う資格はない」というでしょう。そう、博士号もなく、新聞記者でも売れっ子作家でもない、ブログ界にもあるどの群れにも属していない僕には、本当の意味で言葉を使う資格はありません…僕の言葉は誰にも通じないのは当然なのです、肩書きがないのですから。
そして「近代憲法自体が間違いだ。悪いものは悪い。自然な正義感・神・道徳・法は一体であるべきだ」が本音である人々が、圧倒的な権力を握っており、圧倒多数であり、投票で変えられる希望がどこにもないのです。

23

アメリカ医療改革法案可決…クリントンにできなかったことをついに。

これで、オバマ大統領の、期待だけ大きいけれど実績はゼロ、という悪口は払拭されたと言っていいでしょう。
誰にもできなかった、あまりにも偉大なことが実現されたのです。

で…それでどうなるでしょう。効果が明らかになるのはどれぐらいしてでしょうか?
本当にそれほど大きな効果があるでしょうか。

22

ワンルームマンションは小さい部屋がたくさんのほうがいいのでは?
広い寝室・机兼用部屋は冬寒いですが、ベッドがやっと入るぐらいに小さい部屋ならましでしょう。

貧困層が貧困なまま快適に暮らせるようにするほうが現実的ですから、小さいワンルームマンションと、きわめて安い食材…飼料水準のトウモロコシや大麦や大豆、おから、内臓肉、パーム油など…は積極的に売り出してほしいものです。

他にも前から考えている繭も低面積で快適に暮らすには有益な技術のはずです。

あと学校のような感じで無数の、IT完備の寝棚があって風呂トイレはでかいのを共用、食事は三食給食が出る、ついでに部活もあるし有効であれば職業教育も受けられるシステムもできれば、群れとしての充実も得られて有効かもしれません。
いじめも起きるでしょうけど。

21

「持っている」の全てが「お上のお情け」であるというのは、子も取り上げられた黒人奴隷たちとどう違うのでしょう。

戦後の刀狩。ダガー。

その次は児童ポルノ…今のところは単純所持はまだOKでしょうが、単純所持を求める側は、諦めることを知らないのでまず避けられないと僕は読んでいます。
さらにあらゆる児童ポルノの疑いがある写真・動画。自分の子供の小さい頃の写真さえも。

して絵や小説も含めた児童ポルノ?
エロゲー全て?
マンガやアニメも事実上全て?
人間は自分の子供には、事実上何も読ませたくはないんですよ…昔の児童小説では、フィクションの小説さえ禁止され、実質的には神学書以外は禁じられていました。
そして「世界を浄化したい」というのも人間の本性の一つですし、これも規制派は諦めることを知らず、左右問わず規制に、道徳に反対することはきわめて困難です。

普通のナイフもいつまで許可されるでしょう。
全面規制は時間の問題のような気がします…誰が反対するでしょう?
全面禁止になったときには「反対するやつは変態だ」「これまで容認されてきていたことがおかしかった」となるでしょうね。

大型犬だって、ある程度以上悲惨な…複数の幼児が極端に悪質な人間に育てられた大型犬に殺されるなどすれば…全面規制になるでしょう。
それは膨大な命が、大切な家族同然の存在が殺されるということです。
でも日本という国はやるでしょう。暴走したらどんな叫びも届かないのがこの国です。
というより、ハンセン氏病患者など生きた人間だって容赦なかったのですから、犬に斟酌するはずはありません。

そして、次は何でしょうか?
タバコ全面禁止でしょうか…
そのときこそ、ニーメラーの詩を皆が思い知ることになるでしょう。
タバコ全面禁止となったら、日本人のきわめて多くに凄まじい苦痛が降りかかることになります。

20

労働力としての「人」が、「高い金を払って買うもの」から、「生かしておくだけの賃金さえ出せばいくらでも手に入る」ものになったのはいつごろでしょう。

いつでもどこでもそうでしょうか?
だったらなぜ奴隷商人はあれほど莫大な富を築いたのでしょう。

そして今は、史上空前の「人」が存在しています。
まあ家族ごと養えるだけの金さえ払えば集まる、現在いるところにまともな生活の基盤がない人は、この地球に三十億人ぐらいは軽くいるのではないでしょうか。

19

星の大きさと数は、統計に支配されています。
なら、核融合を起こさない木星サイズから、さらに地球サイズ、月サイズ、そして小石サイズとどんどん数は増えるはずです。

それこそ木星サイズがアルファ・ケンタウリと地球の間に何個もあってもいいでしょうし、月サイズの氷の塊などどれだけあるでしょうか。
果てしなく観測が難しいだけで。

核融合技術があれば、木星サイズを見つけてそれを巨大な核融合炉を中心にしたスペースコロニーとし、さらにイオンを一方向に電磁加速してその反動で近くの星まで移動する超巨大多世代船ができてもおかしくありません。

18

「冒険小説の主人公」の技能を学べる教室があれば、結構多くの参加者がいるかもしれません。

本当はアメリカ海兵隊を満期勤めるのが一番かもしれませんが、それはアメリカ人生まれでないといろいろ難しいでしょう。

17

アイヒマン裁判の関係者で、もし翌日アラブにイスラエルが降伏して同じ条件で裁かれたら、死刑を免れる人は何人いたでしょう。
イスラエルの英雄ということはすなわちパレスチナ人の虐殺者のはずです。

ただ「虐殺は悪であり容認されない」と人々に伝えるにはどうすればいいのでしょうか。

16

歴史は、自らの群れを誇るためにあるのでしょうか、それとも自らの群れの罪悪を知って打ちひしがれ反省するためにあるのでしょうか。
最も根源的な歴史観の違いはそれではないでしょうか。

「日本人」は、「アジアの被害者の怨みの対象」でしかないのでしょうか。未来永劫子々孫々。
被害者が恨み続ける限り、です。日本人が反省しない限りではありません。
反省して償えば怨みがなくなるのなら、それほど簡単なことはありません。
反省に反対している人は、それを知っているからでは?
恨んでいる側は日本人を全員、何十年も拷問して皆殺しにしてもまだ飽き足らないのでは?
いや、それが終ったらあまりに深い空虚に彼らのほうが滅んでしまうのでは?

恨みとは、被害加害というのはそれほどどうしようもないものでは?

僕は「よい群れ」も「悪い群れ」もないと思っています。どの群れも独善的で自己正当化をしたがり、どの群れも征服や虐殺を好む、それだけ…道徳を無視して歴史を見るべきだと思っています。
あと、当然のことながら「今の価値観で過去を裁くな」。

15

今この世界で、「遊んで暮らして」いる人はどれぐらいいるのでしょう。

どんな水準なのでしょう。
どのように暮らしているのでしょう。

歴史的にはどのような重要性があり、今もどのような機能を果たしているのでしょう。

普通に働いているように見えても、実質的には「遊んで暮らして」いる人もどれぐらいいるのでしょう。
たとえば三百六十五日一日二十時間働いているのが当たり前の人々にとっては、そうでない人は「遊んで暮らして」いるように見えるでしょう。
逆に「遊んで暮らして」いるように思われている子育て主婦こそ、その忙しさは過労死寸前の名のみ店長より悲惨かもしれません。

14

歴史にはいくつかパラドックスがあります。

産業革命・世界制覇は何故中国でもアラブでもなくヨーロッパだったのでしょう?

何故スペインは新大陸を得たのに世界はおろかヨーロッパすら征服できなかったのでしょう?

産業革命についての説明は、要するにレイ・ヴラッドベリの短編で皇帝がただ楽しみのために竹と紙で翼を作り空を飛んだ発明家を処刑し発明品を焼いたように、統一帝国ができやすい中国では科学技術を抑圧することができ、逆に統一帝国ができにくいヨーロッパの地勢、灌漑に依存せず天水農業ができる気候によるというのが定説のようです。
ではアラブなどイスラム圏は?イスラム圏は長い間科学技術では最先端をきわめていました。それがなぜ、ある時期から極端な科学技術嫌い・進歩嫌いになっていったのでしょう?

本来ルターやカルヴァンは原理主義者、ではなぜヨーロッパの宗教改革は科学と産業革命を生み、イスラム・ヒンズー・中国などの原理主義は今も反科学なのでしょうか?
科学技術=西洋近代=キリスト教、それは事実なのでしょうか?それともそう見られてしまう、多分に呪術的な負のイメージの感染だけなのでしょうか?

新大陸を得たスペインとポルトガルが、その圧倒的な土地の広さがありながら、瞬時にヨーロッパを征服できなかったことは考えると不思議です。

それどころかその後スペインは、莫大な金銀を有効活用せず衰退しました。
同様のことは今も、アラブ諸国や一部中南米では「石油の呪い」といわれる現象として続いています。

というかあの膨大な金銀を、「まず傭兵を雇って世界を制覇する、贅沢はその後だ」と思わなかったのでしょうか?
広大な土地で農業をやって馬と人を育て、鉄・石炭資源を見つければ武器もいくらでも手に入る、それで世界征服、と考えなかったのでしょうか?
あの金銀や広大な土地と鉄・石炭資源を本当に活用できれば、イスラム・中国を含む世界征服すらたやすいとさえ後知恵では思えるのですが。

人口増につなげることができない、銃と馬と船の量産につなげることができないのはなぜだったのでしょう?
新大陸に適合した農法を見つけることが難しかったのでしょうか?赤道域は農業に適していないから?先住民から学ぶ姿勢がなかったから?製鉄・火薬製造などの技術水準の低さ?

それとも中南米帝国を滅ぼさず、残したまま従属させて朝貢金銀と兵力だけ出させるシステムにしていれば、巨大な兵力を得られたでしょうか?

元々なぜ黒人を大量に輸入するほど、現地で人を増やすのが難しかったのでしょうか?
マラリアや黄熱病など熱帯性伝染病のせい?

今の我々はアメリカ大陸にどれほどたくさんの石炭・鉄鉱石資源があるかはよく知っていますが、スペイン・ポルトガルにはそれは利用できなかったのでしょうか?

考えてみると、アメリカ大陸には…ナイル・メソポタミア文明のような、「高山から出た大河が乾燥地帯に流れ入る」地勢がないように思えます。
農業に最適なのはその地勢です。
ミシシッピはそうでしたっけ…
アマゾンは熱帯雨林まっただなかですから、熱帯性伝染病が激しいです。水田稲作には向いていそうに思えますが、それを中心にして大量の馬を育てる、という発想はしにくいでしょう。

13

包摂は宗教的にも、全体主義的にも、福祉国家的にもなります。

そこにあるのは人間の根本的なジレンマ…人は一人では生きられない、でも人は強制的に群れに縛られるのも嫌なのです。

12

これほど世界各地で大地震が相次ぐのは偶然でしょうか?

次は日本では、とおびえているのは僕だけでしょうか…まあ、おびえてるならバックアップを海外に送っとけといいたいですがそれはしないでしょう。
それで後悔するのが今から目に見えるようです。

そうそう、カリフォルニアの人はおびえてないんでしょうか。

といっても、世界全体で巨大地震が群発する、という例はこれまであったでしょうか?

11

パソコンでは静音が重視されます。
ならば「音のないファン」こそが理想のはずです。
不可能でしょうか?

船の超伝導推進はヒントにならないでしょうか。フレミングの左手の法則を利用して、磁界中で電流を流し、それで海水を動かしてその反動を推進力とするものです。
密度が高く電気伝導体でもある海水とは違い、空気を電磁気力で動かすことは不可能でしょうか?

もちろん電磁気がパソコンを壊さないようにシールドする技術も必要でしょうが。

また音のない扇風機・換気扇があるとしても、それは高い価値を持つでしょう。

10

「世界」に、沖縄における民衆の集団自殺に関する記事があり、そこで米軍による沖縄市民に対する虐殺の話が集団自殺を誘発した、けれどそれはデマであり投降した人は安全だった、という話がありました。

僕はそこで違和感を感じました。
女子供を炎に投げこむとか子供を引き裂いて高笑いするとか、それが「南京大虐殺の記事」であれば、少なくとも「世界」読者層は疑いもしないでしょう。いや、疑うこと自体を歴史修正主義、絶対悪と呼ぶでしょう。
なぜ米軍は人を殺さず、日本軍は人を殺すのでしょう?同じ人間ではないのでしょうか?

その「おかしさ」を説明しうるのはこのどれでしょう。

9

戦後の、選択できた西ドイツはなぜ民主主義を選んだのでしょう。

ヒトラーの存在は、民主主義そのものに対する強力な反証です。
プラトンの言った、腐敗した民主主義である衆愚制が僭主を生み出す、という事態そのままです。
ならばプラトンに帰れば、結論は特殊教育を受けた貴族制しかありません。

民主主義に緊急停止システムは不要でしょうか。
憲法裁判所?
暗殺…でも暗殺が戦争や魔女狩りっぽい立法を起こしたことはあっても止めたことはありません。

まあ、ある暗殺が戦争を止めたのだとしても、それを証明することはできないのですが。

いや、西ドイツには選択の余地はなかったのかもしれません。
アメリカに占領されており、アメリカが民主主義以外の制度を認めなかった、それだけかもしれません。

でも西ドイツでなくても、どこかの国で、民主主義でも共産主義でも独裁でも王制でも神権政治でも軍事政権でもない、プラトン主義的な政体の実験はなかったのでしょうか?
あらゆる政体はテストが済んでいるのでしょうか。

8

偽善なしにホームレスのためになることを考えれば、発泡スチロール一体成型の小さい家と太陽熱調理器の無料配布でしょう。

発泡スチロールなら完全防水防風保温です。まあ湿気はありますが生命には替えられません。
大型犬の犬小屋、いや棺おけサイズでもあるとないとでは大違いです。無論呼吸穴つけて。

7

死刑廃止の重大な理由の一つを思いつきました。

これを考えると、警察のきわめて地位の高い幹部にとって、死刑はなんとしても廃止しなければならないものになるのでは?
万一この事態が起きたら、たとえば警察庁長官はどうなるのでしょう。

残酷な連続殺人が起き、大きく報道された。
犯人が逮捕され、無実を訴えていたが比較的早めに処刑された。
真相は、警察の大きい署レベルでの、真犯人が誰かすら承知の上での意図的な冤罪だった。
犯人が警察幹部・警察幹部の子弟・莫大な賄賂を出した超金持ちの子・高い政治力を持つ有力者の子弟などであり、警察は真犯人に手が出せなかったためである。
冤罪受刑者はその犯人や警官の個人的な恨みで選ばれた、または警察に用意されている“冤罪リスト”から適当に選ばれた。(極悪で強大な力を持つ警察幹部が、殺人そのものと、それを隠蔽するために適当な人間を選んで逮捕、拷問して自白させ死刑に追い込む過程そのものを二重の快楽としていた、でもよい)

その後も真犯人は残虐な犯行を続け、何人も殺された。
冤罪受刑者が処刑された後、真相が発覚した。
証拠捏造に関わった警官集団の一人が酒の勢いで愛人に真相を全部ぶちまけ、その後にその愛人を裏切ったため、その愛人は二股をかけていた海外とつながりの強いジャーナリストに全部ぶちまけた。
さらに、冤罪受刑者の処刑後に真犯人が殺した被害者の中に、海外の要人(報道・超金持ち・犯罪組織・諜報組織など高い政治力・金・情報力の持ち主)の家族がおり、その愛人とジャーナリストはその要人に連絡したため復讐心に燃えたその要人が調査して裏を取り、世界中のマスメディアにぶちまけた。

さて、そのときの警察庁長官はどんな目にあうでしょう?
それが大丈夫と言い切るには、世界の全てのベッドにくまなく盗聴器があり、世界のどんな要人でも暗殺できるシステムが必要です。
実際に警察庁長官が目の色変えて死刑廃止運動をしたことがない、というのはそういうことでしょうか…いや、そんなことはありえないと宗教レベルで信じているだけでしょう。

というか日本で「処刑後に冤罪が発覚」したことは、少なくとも戦後には一応なさそうですね。
それが起きても日本の死刑存置論圧倒多数は変わらないでしょうか、それとも雪崩を打って変わるでしょうか。
それがないのは日本の警察が想像以上に優秀なのでしょうか。
あ、ちなみに冤罪で処刑することがない、という有能さであっても、冤罪の疑いが強まったら素早く全ての証拠を、真犯人や重要証人の暗殺、メディアに対する有効な脅迫も含めて抹消する有能さであっても、有能には変わりありません。
警察による、限度を越えた重大犯罪行為についてはくまなく内偵して当事者全員を闇から闇に抹殺し、全ての証拠を消し去る組織があり、それがすこぶる有能…ということでしょうか。

でもだったら、なぜ警察の無能さの生き証人に他ならない、北朝鮮拉致被害者家族は生きているのでしょう。拉致事件が警察および海上保安庁、いや自衛隊の無能として騒がれなかった世論の動きも考えてみれば不思議です…家族を暗殺するより世論を操るほうが楽だったのでしょうか。

そうそう、上の悪夢は警察庁長官だけでなく、一般国民に対しても重大な不利益になるんですよ。
警察に対する信頼が根こそぎ消えて困るのは国民です。

そうそう、“冤罪リスト”って実際にあるんでしょうか。
江戸時代は犯罪があって犯人が見つからなかったり、手が出せない地位の人間だったりしたら適当にそこらの無宿人を捕まえて拷問して吐かせて処刑して片付けていた、と聞いたことがありますが、同様に犯人がなかなか見つからない犯罪があったら、リストの上から順に…

6

日本は、特に刑事司法関係者などは人権に対して否定的な雰囲気が強いのに、中国のように割り切れないようです。

秩序を最優先するなら

などに徹したほうがわかりやすいのでは。

といっても、警察が公平でなければならないことはありません。
圧倒的な強者、絶対的な主人であることを普段から思い知らせる、ヨブ記の神のように「人の義しさなど一顧だにせぬ、片鱗を見ただけで圧倒されて自分の卑小さを認めてしまう」レベルの力を叩きつける、「無実の人間でも容赦なく処刑する、それが正義である」警察も十分にありえます。

そういえば日本の警察は、左右問わず取り締まっているのか左翼しか取り締まってないのかどちらなんでしょう。
右翼の言葉は届きにくいので、右翼が警察、特に公安警察をどう思っているかは伝わりにくいですね。
今も政府にとって右翼は重要な反共のパートナーなのか、それとも右翼にもいろいろあるのか、それとも左右問わず徹底して取り締まっているのか…

5

罪と罰問題はもっと深く検討すべきではないでしょうか。
進化心理学的にも。

本来、罪を罰するのは人間の能力が不足しているからでは?

本当は被害者を生き返らせたほうがいい。
時間を逆行して犯行を止めたほうがいい。
被害者を親族ごと去勢断種して群れの遺伝子を改良したほうがいい。
加害者になるような子を新生児で見抜いて間引いたほうがいい。
加害者を治療したほうがいい。
もっといいシナリオを考えて全員に周知徹底したほうがいい。

「死刑って何?」という子供の問いを徹底的に突き詰めたらどこに行くことやら。

最も簡単に言えば、この仮定…

船が難破し、何人かが無人島に流れ着いた。
全員が極度の記憶喪失で、法や宗教を完全に忘れた状態。
その島は豊かで、その状態でも水食料には困らない。
その人々の中で、一人が一人を殺した。

さあどうするか、どうすればその人々にとって最善か。

4

冤罪でもう一つ気になるのが、「冤罪をかけられたら素直に認め、心から反省するのが道徳的態度だ」という、非常に特殊な国家道徳の存在がうかがえることです。
やっていないなどと言って、「絶対に正しい」お上に逆らうなど「ふてえやつ」であり「けしからぬ」というわけです。

多くの冤罪事件で、冤罪被害者である元被疑者は、「被害者および家族への謝罪」を強要され、その多くは「心から反省し、謝罪」しています。
冤罪がはれてからさえも、本来無関係の存在であるはずの被害者の墓参を欠かさぬ人もいます。
そのようにお上が心を作り替えることが容認され、その心のあり方が正しいとされています。
さらに被害者に未だに恨まれ続けている人もいます。

結局のところ、警察・検察・裁判所・刑務所のシステムが内心に踏み込みすぎている、心から反省させるのが仕事だ、とやっていることが、冤罪になるととてつもなく厄介な問題になるのでは?

倫理として「冤罪をかけられた場合」というのは本質的に厄介なのでは……特に国家主義的な立場の人にとっては。

どう考えても正気で考えれば、疑われたらやってなくても心から反省して素直に認めろ、被害者の墓に心から頭を下げろ、というのはむちゃくちゃです。

ですが、刑罰や警察自体の目的を「真実追及」ではなく「生贄を捧げる儀式」と解釈し、かつ警察や検察を絶対無謬とすれば…その二つには矛盾があるため二重思考ですが…全て納得できます。

3

実際には、冤罪も交通事故と同じで「許容範囲を定めなければ」ならないものなのでは?
その許容範囲に入ってしまった人やその家族にはお気の毒、というしかない、その犠牲の元でこの社会は運営されているのでは。
ゲルマニウムの99.99999999と同じく0には決してできないのでは。

でもゼロにできないことは、有効な防止策を何もしないでいい、現状維持でいいというわけではありません。
社会全体で防止策を全力ですること、その上で避けられない冤罪者のために…食べた肉のために祈ると同じ、「必要な偽善」で祈る必要があるのでは?
同じように社会を維持するために必要な、交通事故・重度の奇形・犯罪自体(全国民指紋登録をしないことによって増えている分は)・世界各地での膨大な餓死と同じく、せめて意識し祈ることは必要な犠牲なのでは?

冤罪ゼロが不可能だと認めたら、有罪判決と道徳は徹底的に切り離されなければならなくならないでしょうか?
キリスト教社会では、裁判と神は密接な関係にあります。かつての西洋では死刑判決はそのまま教会としての破門宣告、地獄行き決定宣告でもありました。
その立場を貫くなら、絶対に無謬でなければなりません。
冤罪を容認するなら、少なくとも宗教的な罪は一切ないとしなければなりません。

法と道徳は、日本ではあまりにも未分離なのでは。はっきりした宗教がないから、政教分離のように一々考えることもありませんし。
しかもキリスト教の神がないかわりに、「世間に迷惑」と「穢れ」、それに「李下に冠を正さず」が事実上宗教に近いレベルの物となり、それが法と融合してしまっています。
現状の不合理が多い法制度で、法と良心を融合させることは僕にはできません。
また、良心を法に合わせる義務を認めると、アイヒマンを裁けなくなるのです。
法は世間の道徳を形にした物であり、だから絶対的に正しい道徳で、個々の良心も法=世間道徳に合わせよ、と言われても、それもまたアイヒマンを裁けなくなります。
というか法や道徳以前に、法的思考ではなく魔術的思考をしていることをもっと自覚しないと、死刑や冤罪の問題はどうにもなくなります。

冤罪ゼロが不可能だと認めると、有罪確定者は「確率は低いながら冤罪かもしれないが、今の裁判制度では有罪としか言えない存在」とならないでしょうか。
というか、現行犯以外のほとんどの有罪判決には「警察ぐるみのでっち上げでない限り」という但し書きが必要では。
警察がでっち上げようとしても不可能である犯罪はわずかでは?

また根本的に、冤罪についての考え方立場はいくつかに分かれます……

  1. 捜査機関は無謬であり、冤罪は存在しない。再審無罪判決が存在することは認識しない、またはすべて左翼の陰謀とする。

  2. 絶対に冤罪は容認できない。

  3. ある程度の冤罪は容認する、ただし有罪確定者も冤罪かもしれないことは忘れない。

  4. 冤罪による死刑がたくさんあってもかまわない。「圧倒的な力を持つ理不尽な支配者」こそ、人間にとって自然な支配者であり、人間はそれを崇拝して従うようにできた生き物だ。

  5. 被害者の怨霊を鎮めるため生贄を殺さなければならない。真犯人かどうかなど問題ではない。冤罪など当然のコスト、いや屑を掃除しているんだから社会のためになる善なのだ。

  6. 冤罪を受けるような人間は何か悪いところがあったのだろうから自業自得だ。真犯人でない証拠が見つかったとしても、罰にふさわしい悪人であることには違いない。そのまま闇に葬れ。

  7. 警官も検察官も優秀で頑張っている。だから何人冤罪で受刑し、死刑になってもかまわない。(実質内容はありません、組織内の精神論です)

というより、「なぜ冤罪は悪いの」と言われたら意外と答えられません。

大多数の人間には冤罪は無縁なコスト、それこそ小惑星衝突に対策を立てないのと同様無視するのが「普通」であるコストです。
また、冤罪をかけられるのは前科者・被差別者・広義の精神障害者などマイナス要因を持つ人間にしておけば、広義の自業自得であり社会の掃除ということで自分とは切り離せます。
自分とは関係がない人間がひどい目で会うことで、社会全体が抱く復讐心が満たせて、要するに公開処刑を娯楽として楽しめるのなら、それこそ冤罪だという叫びも含めて娯楽と魔術的儀式の中間として享受することで社会を安定させることができるのでは?

そうそう、そのように考えれば「冤罪保険」というのはないのでしょうかね。

2

元警官・元検事などが書く治安に関する本では、取り調べ可視化に反対し従来型捜査の良さを強調するばかりで、それでどうすれば冤罪が防止できるかは一言も述べていません。
冤罪については、冒頭で「もちろん冤罪はあってはならないが」だけで具体的な防止策は決して出さず、今提案されている取り調べ可視化に反対するのみです。

「再発防止を訴えているから」冤罪の再発はしないというのは、運輸会社が朝礼で普段やっている事故防止の言葉を二回繰り返して訴えれば交通事故がなくなると言うのと同じ、無意味な精神論でしかないです。完全になくす、または統計的に明白に減少させるための具体策が必要では。

本当に「千の真犯人を見逃すとも一人の無辜を罰するな」を理解しているのでしょうか?
本当は「冤罪など存在しない、冤罪とされた者も真犯人なのだ」または「冤罪は社会を守るためのコストだ、冤罪を恐れて犯罪捜査ができるか、ばれそうになっても証拠は警察検察全体で握りつぶし、万一表ざたになっても守ってやる」ではないのでしょうか?
さらにある種の精神障害者・被差別者を社会から排除する方法として広く容認されているのでは?

また、児童ポルノ、ダガーなど規制法を全肯定しており、疑問すら持とうとはしない態度も気にかかります。
僕は、世間空気=法=正義に疑問を持たない者が権力を持つことに、きわめて深いレベルから危惧を感じてしまうのです。

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津波警報が大げさすぎて気象庁が陳謝?
ふざけるな、としか言いようがありません。

死者が出なかっただけで勲章ものの大殊勲です!

この国はあくまで、おおげさな災害予告で出た被害を許容しないのですか?絶対に?
そんなことでは気象庁が萎縮して、次に大地震の予知を公表せずに大被害を出すのが目に見えています。
あくまでこの国は、大げさな予告のほうを責めて、最悪を見越した警報を受け入れることはないのですか?

よくもまあこの火山地震洪水国で、そんな心性で日本人が絶滅せずいられたものです。

最悪のそのまた最悪を予想して備えなければ、次にどんな被害が出るか…やんぬるかな、としか言いようがありません。


人間の、普段意識さえしない絶対的な前提を挙げてみましょう。

正しいことをすれば正しい結果がある(事実:統計的には、かもしれないを付け加えたほうがいい)

道徳的に完全であることを、群れ全体・各個体・指導者に強く求める。人間皆が道徳的に完全でなければならない、完全であれば栄え、完全でなければ滅ぶ。(道徳的な善悪と禍福に因果関係がある、道徳的な善悪と手段としての適正・不適正との無意識的な混同、道徳と「状況に適応した行動選択」の混同)
個体も道徳的に善であれば幸せになり、不善をなせば不幸になる。
ちなみにそれには魔術的な意味が大きい(道徳的完全=全能)。

群れ全体は道徳的に完全であり、ゆえに福に恵まれて当然、逆に災いは全て道徳的な悪によるという無意識的な魔術的思考。
悪しき個体が群れに悪を呼ぶ、悪と穢れの同一視。
道徳的に完全な個体でなければ災いをもたらすので群れの一員である資格はない。(刑罰の本質的根拠の一つ?)
群れの強い弱いは道徳次第。道徳的に高ければ勝利し、道徳を失えば滅びる。

自群れは特別である(人種・民族・人類自体)

相続(物・地位・魔術的状態)

犯罪に対する罰
今まで人殺しをしていない人はこれからも人殺しをしない、人殺しをした人はこれからもする。

よい指導者と勝利の必要十分関係

道徳の必要性

責任に関する仮定群

願えばできる、できないのは願いが足りないか努力不足・道徳的な不足(実は魔術的な穢れ)があるからで、正しく身を清めて正しく願えば、正しく魔術を行使すれば何でもできる

物理的な諸制約:人の内心は読めない、人の寿命は有限、首をはねられれば死ぬ、呼吸・水・食がなければ死ぬなど(ただし精神論側に傾くと無視されることもある、精神的に完全なら全能という前提が優先する)