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31

信仰・希望・愛も結局は、「人を群れに奉仕させる」ことが目的なんですよね。
マルクス主義の、宗教は労働者を資本化が搾取するのを労働者に許容させるための偽りだ、というのもわかります。

しかもこの時代は、その群れ…経済システム全体が、圧倒多数を放り出す方向に動いています。
この経済は、昨日まで必要とされていた膨大な人をもはや必要としないのです。
少数のビル・ゲイツと、多数の超低賃金の東南アジアなど世界の貧困国の労働者で充分動ける船になってしまったのです。

たとえ世界全体のベーシックインカムができても、先進国の中教育労働者階級がもはや必要ではないことには変わりありません。

新大陸がないこと、そして技術革新が衰えているように見えること…「科学の終わり」が「技術の終わり」になっているのではないかという心配もあります。

核融合や火星開拓ばかりの話ではなく、僕にとって関心がある分野の一つ、「未来の銃器」でそれは強く感じます。
米軍の「未来の歩兵武器」、XM-29やXM-307は軒並みキャンセルされています。
いやH&K-G11が没になったときからはっきりしていました、弓矢〜火縄銃〜フリントロック〜後装ライフル〜ボルトアクション〜自動小銃ときた進歩は、AK47で終わりなのではないでしょうか。
ブルパップや合成樹脂、ケースレスやエアバーストグレネードはどうやってもAK47に総合点で勝てないとしたら…

全ての元素、そしてその元素のありとあらゆる組み合わせ全部集めても、人間のサイズと地表の大気組成・温度・圧力で、AK47以上の武器は何をどうしても作れないのでは。
AK47のように、ベトナムのジャングルでもサハラ砂漠でもシベリアの氷原でも問題なく作動する信頼性があるケースレス弾は、炭素と水素と酸素と窒素だけで作れる圧倒的な組み合わせ全部集めても作れないのでは。
AK47のように低コスト=低いエネルギーと加工精度で作れるレーザーガンはありえないのでは…あらゆる元素の組み合わせで実現できる最良の蓄電池とレーザー発振機も、鉄の薬莢に入った火薬と鉄の弾頭に総合的にかなわないのでは。
AK47のようにろくな教育を受けていない徴兵兵士でも体力のない子供でも体格に劣る東洋人でも短期間で覚えられ、確実に使えるOICWはどうやっても無理なのでは。どんなに電子機器を小型化しても二つの銃身だけで4kgの壁を越えてしまうし、一つの大口径グレネードランチャーでは多数の弾丸を携行・装填できないし弾丸が高額になる…どうやってもAKより戦える武器にはならないのでは。

同じように、空飛ぶ自動車も無理です。
飛行機もマッハ20ではなくステルスがせいぜい、それも少しでも進もうとするとすぐに開発に膨大な金がかかって動かなくなります。
スペースシャトルの後継機もできません。

閉塞感の本質は技術の壁なのでしょうか。
なんというか、今も技術の進歩はあるのですが、それは高額な研究費・高額な弁護士代・より少ない超高学歴の研究者ばかりで、先進国の中産階級や先進国後進国問わず貧困層の救いにはちっともならない気がするのです。
そして技術そのものも本質的に行き詰っている気がしてならないのです。

その行き詰まりから、気がついてしまうのでしょうか…信仰・希望・愛、そしてあらゆるいいものは、経済が自分を使い捨てるために用意した餌であり鎖なのだ、と…

30

秋葉原事件の容疑者が

私自身にとって、あらゆる人に憎まれながら死刑で死ぬのと、あと二十年かそこら転々と、人間関係もなくスキルを上げることもない低賃金未熟練労働を繰り返したあげく、どこかでつまづいてそのまま路傍で飢え死にするのと、損得で言うならば何の変わりがあるでしょう。
いえ、これからその日まで何年かの、寒くもなければ飢えることもない拘置所暮らしを思えば、後者のほうが自由こそないけれどはるかにいい暮らしではないでしょうか。

努力すれば抜け出せるとは言わないで下さい。私と同じ境涯にある数百万人の大半は統計的に餓死することに、事実上決まっているのです。努力で抜け出せるのは統計的に少数の人だけです。
多くの人が同じ境遇でも毎日真面目に働いている?なぜそうしなければならないのでしょうか、その先に何もないのに。あの人たちには信仰か希望か愛があるのでしょうか。それとも何の報酬もなくても善良であるようにできているのでしょうか。
私には人間関係はありません。将来もなければ遺伝子を残す可能性も、日本国および人類に貢献する可能性もありません。
私のこれまでの仕事は貢献している?誰でもできる、取替えのきく仕事なのにですか?
非正規雇用者は、そして私たちのような人格破綻者は、人間の正式な一員ではない、何をしようといかなる価値もない、意味や人生を失った存在なのです。
幾人かに大きな痛みを与えたことは確かですが、なぜ与えてはならないのかわかりません。痛みを与えないで誠実に生きても何の報酬も得られません。痛みを与えた事による罰はそうせず誠実に生きた場合の将来と損得では区別がつかないのです。
ご遺族がどれほど呪っても、その呪いで私の腹が痛むこともありません。
来世があるなら別ですが、私は来世は信じません。
信仰も希望も愛もない人間に、道徳を守って生きる理由など何もないのです。

と言ったらどんな反論が来るでしょうか。
純粋な良心はないのかといわれるかもしれませんが、純粋な……何の利害もない無条件の良心の存在を全員に仮定することが正しいでしょうか?
餓死する確率は圧倒的に高い、それでも正しく生きよ、と命じることができるのは何でしょうか。
あるとすれば……二つだけ。地獄と拷問の末の残虐な死刑です。
あと偽りの希望、暴力・支配によるサドマゾ関係、一日一日を暴力と恐怖と飢餓と激しい肉体疲労で埋め尽くして思考力をなくさせて生存のみの動物的水準に落とすこと、偽りの敵を攻撃させることなども、成長がない経済で人を従順にするのに有効です。

実際には圧倒的多数は黙って自殺することを選ぶことで社会に、神風特攻と同様に貢献しているのですから、「純粋な良心」というのは結構強いと思いますけど。

もちろん、その加害者の心を忖度することは、加害者にも被害者にもきわめて失礼な、非常に有害な感情です。
人の内面はわからないのですから。

また秋葉原無差別殺人は自由意志・自己責任だ、という人は統計を見ていないのでは?
統計的にある境遇にある人の犯罪率が有意に高ければ、充分問題なのでは。
完全に自由意志自己責任か、または社会が悪いかの二分法ではなく……自由意志という仮定が社会の根本だが、基本的には人間は統計的に動く、と見なすほうが正確なのでは?

というか「立志伝による論法」は詭弁の一つにしていいのでは?
貧富の格差が激しいなどの問題も「**は努力して成功した、社会のせいにせず自分で努力せよ」ですませてしまえます。
「その境遇でも立派な人はいくらでも」というのなら、ある地域の貧困層では子供の半分が五歳までに餓死し99%が文盲で三十までに餓死か病死するとしても、百万人に一人が立派な人になるのなら容認されるのでしょうか?

基本的にそれは、論理における「存在する」と、「任意の」をやや弱めた「だいたい」の混同に他なりません。
論者を最終的に分けるのは、「大量の餓死者・まともな社会生活ができない人が多数存在することを容認するか否か」では。

そこに自助とか立志伝の言い訳は許してはならないでしょう…正面から「役立たずは餓死させろ」と言い切るほうがまだ一貫します。
その上で、物事を判断するのに必要なのは統計であり、エピソードや道徳ではないのでは。

統計はいくらでもごまかせる、と統計を批判する声も多いですけど、エピソードや道徳もそれ以上にごまかせるものです。
また統計についての、意図的かもしれない無理解もありますね。

「みんなは真面目に働いている」というのも、そのみんなは二十年後三十年後にはどうなるでしょう。生活保護も反対されていますし自治体に先立つものはなく、ベーシックインカムの政治的可能性も財政的可能性もなく、第一財政破綻は目前で成長の希望がない、たとえ成長するにしてもジョブレスリカバリーは目に見えているのです…餓死か自殺しかないでしょう。

29

全員が遠隔操作鍵のかかったホルスターに入った拳銃と毒を塗ったダガーを携帯し、携帯電話の動画か、より確実には頭部にカメラとマイクがあって、それで見ている誰かが許可を出したホルスターの鍵が解けるようにしてあれば、社会はどう変わるでしょう。
あ、訓練場でも鍵は解けます。訓練を受けていない武器は危険なだけです。

大きなペナルティがあるし、同時に周囲の人間のホルスターも解けるけれど、銃や短剣を強い力で抜けば抜けるシステムにしておけば、許可は事後にできるのでより楽です。

ウエアラブルパソコン、いや携帯電話と電子機器入りの武器を組み合わせれば、安全について全く違う次元が開けるはずです。

28

「きみが反逆者であるかどうか、きみの内心を決めるのは、きみではなくわれわれだ」
これこそ、ある種の最悪の支配の本質をなす言葉です。
魔女裁判で出される言葉であり、共産主義などの体制が人を潰す言葉であり、ビッグ・ブラザーの最も愛する言葉です。

だからこそ内心の自由だけは決して侵してはならないのです。

残念なのは、最悪の保守も、また最悪の人権主義者も内心の自由を認めていないことです。
それどころか普通の母親や教師の大半も。

27

日本人はなぜ、「友愛」という言葉にこれほどの拒否反応を示すのでしょう。
反論ではなく嘲笑であることは、論理的な否定よりも激しい感情的な拒絶であることを意味しています。

少なくとも「自由」や「平等」に対しては、「友愛」に対するほど激しい拒否反応はありません。
民主主義自体は広く認められています。

「友愛」という言葉だけが拒絶されるのはなぜでしょうか?
「友愛」というのは何なのでしょう、フランス語の原義から問えば?

日本人にあるのは「友愛」ではなく「義理人情」なのでしょうか。
といってもその「義理人情」は今あるのでしょうか?人が役所の前でアルファ化米を抱えて餓死するこの国に?自営業と農村の破壊・中小企業の疲弊で、徹底的に「義理人情」は失われつくしたのでは?
「義理人情」ももうない、儒教の仁も仏教の慈悲も仁徳天皇の憂いもない、ただ自己責任と「愛国心」だけがあるのでしょうか。

地球市民という概念に対する強い嘲笑も同様に、感情的な拒否反応に思えます。
確かにパスポートを使う際など、国家の力が強い局面もあります。
しかし中国の水質汚染からエチゼンクラゲが、森林破壊から黄砂が来るように、環境破壊に国境がないのも事実です。淡水も石油も石炭も他の金属資源も漁業資源も全て、地球全体で残り使用量は決まっており、そのことに国家は無意味です。
それに対して、自国以外を皆殺しにするという対処は現実には不可能である以上、環境破壊の面では地球市民として、パスポートを使う再には日本市民として、家族としては家で、最後の良心は自分自身の心で、と画像処理ソフトのようにレイヤーを分けて考えることはできないのでしょうか?

26

誰もが家とは別に、指紋だけで開く書類庫を用意しておくべきです。
家の火災保険と家パソコンのネット接続用パスワードなど最低限のデータだけでも。
A3の厚さ十センチもあれば十分でしょう。

それこそ地方レベルで別にしたほうがいいでしょう。

それと黄金の延べ棒もどこかに指紋だけで取り出せるようにしておきたいのですが…

25

「本当に人を愛し、憎むことができるのは仁者だけである」という論語の言葉は恐ろしいです。

君子でない僕がどんな感情を抱いても、それは偽物だということなのでしょうか。
僕がどんな感情を抱きどうふるまっても、それは何の意味もない、犬が吼えたりロボットが光ったりするのと同じことなのでしょうか。
僕の心など相手にする価値はない、無視してかまわない…そういうことでしょうか。

24

本来なら、最低でもこれぐらいの選択肢はあるはずです。

ですが日本では、従米と非武装中立以外の選択肢はいつも与えられません。
特に武装中立は、従米保守からも九条からも「非現実的」と攻撃されます。

「従米だとアメリカにどんな分の悪い戦場を押しつけられて亡国につながるかもしれない、でも武装中立は日本の条件では非現実的、非武装中立が唯一現実的なのだ」という九条の「九条現実的論」にはどんな反論が?

たとえば、それを言うなら世界のほとんどの国は独立できるはずがない…自主防衛が可能な地勢で基礎エネルギー・食料・鉄鉱石と石炭と石灰石を自給可能な国などアメリカとロシア以外にないです。

地政学的には結局どうなるんでしょうね、今後の日本は…

いや、どうしようもなく選択肢を奪われているのは沖縄です。
沖縄こそ、

の中で、武装独立という選択肢を考えることさえ誰もできない状態にあります。
非武装独立すら広く支持されているとはいえず、いたずらに日本本体に、できもしない非武装中立・日米同盟解消・基地撤廃を訴えるか、全てを諦めて現状維持かしか選択肢がないかのようです。

沖縄の不運は、一度しか日本としての国防戦争を経験しておらず、そのときに本土の捨石とされたうえに、アメリカによる占領と返還の動きがあり、しかもそのとき日本が九条を建前としアメリカに従属していたため日本が国として正式に沖縄に、「よく戦ってくれた、守り抜けなくてすまなかった、次こそは借りを返すためにも沖縄のために本土の皆が進んで捨石となろう、君たちこそ日本国防の模範だ」と言うことができなかったことです。
それで沖縄は日本の正式な一員として一体の領土を守るために戦うという実感が持てず、「軍隊は民を守らない」が標語になってしまいました。
本来なら何度も対外戦争を繰り返し、その中で「軍隊は民を守る」実績を積み上げなければならないのに、一度限りの失敗が全てになってしまっているのです。

沖縄がこれからも日本の一部であるならば、日本は沖縄を守る覚悟をしなければなりません。

あくまで沖縄にとって日本は敵、占領者でしかなかった、一つではない、のであれば沖縄は沖縄が守る覚悟が必要でしょう。
もしそれが非武装であるのなら、それは武装中立の百倍の覚悟だと僕は思います…楽な戦死ではない、家族ごと拷問虐殺される覚悟です。

逆にアメリカが沖縄を返還せず、あくまでアメリカ領として扱っていれば、沖縄独自のナショナリズムとして独立運動ができたかもしれないのですが…ハワイを含め南洋諸国やプエルトリコなど、アメリカに占領されている人々との連帯をアイデンティティとして。

23

オバマ大統領への失望が広まっているようです。
しかし、ここで考えてみましょう…「オバマとブッシュ二世はどう違うのか」。

ブッシュは、世界やアメリカを悪いほうにいろいろ変えたといわれます。
ではなぜオバマは世界やアメリカをいいほうにいろいろ変えることができないのでしょう。
法制度は同じはずです。議席構造はオバマのほうが有利なぐらいです。
ブッシュは勤勉に石油・軍産複合体のため努力したが、オバマは怠け者で平和のために努力していない、ということはないはずです。
ブッシュは賢いけれどオバマはバカだ、ということもないはずです。

これを説明できるのは、このいくつかの仮定のどれかです。

さらに思い出してみれば、このパターンは昔から繰り返されています。
アメリカの理想の象徴のようなケネディ大統領はベトナム戦争のA級戦犯です。クリントン大統領もリベラルの星とされながら何もされず、むしろ格差を広げたと批判されています。
逆にレーガン大統領は新自由主義に大きく舵を切り、戦争と格差の国を作ったと批判されています…同時に冷戦を終らせるのに力があったと高い評価も保守側から受けていますが。
そう、ここでもリベラルの大統領は左右双方に無能な戦犯とされ、保守の大統領は保守側からは高く評価されリベラル側からは悪い方向に大きなことをしたと「有能視」されるのです。

また、もし支持者の草の根の努力が問題なら、なぜ保守はそれを頑張りリベラルは頑張らないのでしょう。
保守であってもリベラルであっても、両方人間で本来ならそんなに質の違いはないのでは?
人間性そのもののレベルで、保守であれば草の根で頑張るけれどリベラルは草の根で頑張らないのだとしたら、保守が勝つのは必然では?

特に「誰でも変わらない」というのは民主主義そのもの、いやもっと深い人間の根本前提、「よい指導者は群れを勝利と繁栄に導く」に対する疑念につながってしまいます。

国というのはどの乗り物なのでしょう?
船長が舵輪を回せばどちらにでも針路を変えられる船でしょうか?
レールの上を動くだけの列車であり、中で指導者を選挙で選んだりしてもそれは、その中の人を暴れさせないための祭り…せいぜい車掌に過ぎないのでしょうか?
船といっても身軽な駆逐艦なのか鈍重なタンカーなのか、どこにでもいける汽船なのか風に流される帆船なのか、それも左右舷に間切りながら風上に上がれる縦帆船なのか、それとも風下にしか行けない古い形の帆船なのか。
列車も外の人がポイントを切り替え、中で運転士が進めたり止めたりしていますが、誰か操って人がいるのでしょうか?それとも漂流船よろしく誰も操る人などいないのでしょうか?

で、それでどうなるのでしょう。

選挙が無意味だとしたら、それはどんなことを起こすでしょう。
やはり武力革命しかない?でも武力革命もろくなことを起こしません…いや、武力革命すら無意味なのでは?革命もまた「正しい指導者が指導すれば」という仮定にすがっている点では選挙と、いや神権政治や王制ともなんら変わりません。

日本でも…民主党政権の崩壊は、「選挙は無意味だ」という結論が補強されるのでは。それでどうなるのか…

また、本当に前の選挙でペイリンが勝っていても、更に前にギングリッジが大統領になっていても、またラルフ・ネーダーが当選していても変わりはないのでしょうか?
ケネディやルーズベルトが落選していたとしても?

22

依存症からの自由という考え方があるなら、普通の人は家族や世間に「依存症である」のでは?
DSM-4の考え方、普通に日常生活を送れているなら健康体、でいいのでしょうか。

全ての人に『春にして君を離れ』の深さで自分を見つめさせ、家族や世間、いや自己イメージそのものへの依存症から解放することの是非は?
でもそれは、ごく容易に洗脳できる状態になるので危険です。

21

小沢氏と検察で、いろいろな人たちがそれぞれの側についていますが、どう見ても小沢独裁も検察主権もろくでもないの一言です。
どっちが正義とか悪ではないです、何をどう見ても。

そして、今更だと思いますが自民も民主も最悪を通り越してどうしようもないです。
もちろん他の政党どれも。

というか対立軸がありません。
今も自民党が新自由主義、民主党が社会民主主義じゃないです。
というか本来小沢氏は日本改造計画の新自由主義者だったのが、選挙のためにばらまきに乗り換えたようなものであり、何の定見もありません。
いや、民主党自体本来は新自由主義構造改革政党だったのが、小泉氏に全部剽窃されて、さらに経済停滞と格差で新自由主義自体が不人気になって仕方なく「わけわかんないバラマキ」に移行したようなものです。
自民と民主で、新自由主義と社会民主主義を選ぶことなどできません。
まして軍事外交、消費税、環境、雇用流動化など何であれ本質的に違いなど何もない、選ぶことなどできない選挙になるのは目に見えています。

この政権交代が、日本の民主主義に対するとどめになりそうで怖いです。
更に言えば、アメリカも補選を見るとオバマ氏の神通力が落ちているようですし、このまま民主主義は息絶え貴族・神権制に移行するのでしょうか。

日本民主主義の死体から新しい何かが出て欲しいのですが…今ヒトラー候補はいるでしょうか?
石原慎太郎氏はもう年齢が年齢です。小泉元首相はどうでしょう…やる気あるでしょうか?
橋下氏が攻撃性といい若さといい可能性はありそうですが…

なんとか政界再編から新しい政党が出てきて欲しいですが、それは望み薄でしょうか。

20

あったら怖い「思想」

世界は富裕層の快楽のためだけにあり、貧困層は富裕層の家畜にすぎず何をしてもよい。
平等・人権などの全否定、徹底した現状追認。

本当はそれはかなり力を持っていると思うのです。
いろいろな皮をかぶせてあるだけで。

19

新自由主義者も、思想を主張する人はセイフティーネットの必要性を主張します。
要するに「思いやりのあるフラット主義」です。

ですが日本でも、またIMFによる改革が行われた国々でも、セイフティーネットは破壊されて弱肉強食社会となることが多いです。
日本ではそれによって「(新自由主義)改革」自体を信じる人の肩身が狭いです。
というより、日本で改革派であるにはセイフティーネットも主張しているけれど誰にもセイフティーネットも主張していることは聞いてもらえず単なる新自由主義者=格差肯定論者と扱われるか、またはこれはさすがにネットの匿名やポピュリスト政治家しかいませんが堂々と福祉を否定し大量餓死を容認する自己責任論者であるしかありません。
セイフティーネットつきの新自由主義を説得力を持って主張することはきわめて困難です。

ではなぜ、改革を進めるとセイフティーネットは機能しなくなるのでしょう。

日本では元々セイフティーネットは企業・家庭など中間団体の負担とされ、個別無条件のセイフティーネットは思想レベルで存在していませんでした。
それを作り出すことは、強い権力があってもできなかったのでしょうか?
財政のことしか考えない官僚が抵抗するから?
社会の文化レベルのことは変えるのが困難だから?
それとも新自由主義の政治家は、本音では多数の弱者が餓死し格差が固定化される社会を最初から目標とする弱肉強食・階級主義者だから?
本気で「国民の半分が餓死して財政均衡」が望ましいと思っている?

新自由主義者の理想(少なくとも口では)規制が解除されてたくさん起業され、経済成長。
古いセイフティーネットは壊すけれど新しいセイフティーネットが完備し、職業訓練で古い業界から新しい業界に移行するから貧困もない。

現実:金融が動かず起業はリスクが高すぎて廃業率のほうが高い。
古いセイフティーネットが壊れ、新しいセイフティーネットができないため貧困がひどい。
職業訓練も機能せず、新しい業界は労働条件の悪さが慢性化して生きられない。
予測される結果は二極化が身分制度となり、ゾンビ企業がブラック企業化して多数の人間が奴隷化され餓死する。

またその対抗理念も、理想と現実が食い違うことにはならないでしょうか。
というか今、本当に新自由主義に対抗する理念はあるのでしょうか?

18

駅に自殺所があればいいのに。

「線路に飛び込めば遺族に数百万円の損害賠償請求が行きます。ここで死んでください」と、首つり縄とか壁に固定された拳銃とかギロチンとか筋弛緩薬とかいろいろ楽な手段を選ぶこともできて。
行列ができたら大変ですが。

ひどい?自殺の原因に手をつけない国を、選挙で選んでいるご自分のほうがずっとひどいです。

所詮この世は弱肉強食強ければ生き弱ければ死ぬ、生存権などない福祉に甘えるな、なら生きられない人が自殺するのは正しいはずです。
そして人に迷惑をかけてはならないなら、鉄道会社や通勤客に迷惑をかけるのはよくないです。
なら自殺所で誰にも迷惑をかけずに死ねるようにするのが、鉄道会社にとってはダイヤを安定させることで多くの顧客にサービスになり、自殺者も社会や遺族に迷惑をかけないので善なのでは?

自殺を肯定することが反道徳的?
でも「働かざる物食うべからず」「迷惑をかけるな」のほうが生存権より上なら、せめて迷惑をかけずに自殺できるようにして欲しいのですが。
生存権を肯定していない人が自殺を否定しても、何の説得力もありません。

17

超音速飛行は形に束縛されます。

エンジンと素材を際限なく強化して摩擦熱や自己衝撃波に耐えられても、ヴァルキリーやZガンダムはおろか、コスモタイガーやビックバイパーでさえマッハ4以上は出せないでしょう。極度に不安定になり、それを安定化させるためにものすごい無理をする羽目になります。
まして人型機のまま超音速飛行は不可能ですよ。
バリアを利用して大気を排除し、超音速で飛べる形にしているとしたらある意味勿体無い話です。

強力なエンジンを含む超技術があるなら、マッハ4以上…マッハ20とかの圧倒的な速度で、シンプルな流線型の機体でヒットアンドランに徹してはどうでしょう?
形状はどうしてもロケットや、今計画されている図では上から見て長方形や三角形の平たい形になるでしょう。細長いドアストッパーのようなものを飛ばすような想像図が見当たります。
そういう形は使えないのでしょうか?
それではやはり人型機や、マクロスやスパロボOGが前提とする異星人の機動兵器には対抗できないのでしょうか。

原潜や原子力空母、イージス艦がヤマトみたいに宇宙を飛んだらいけないんでしょうか?

実際に技術が進んだら、兵器は巨大ロボットではなく、地球大気圏では

が中心になるでしょう。

物理法則の制約がある以上、地面に触れて不整地を移動するのはキャタピラの時速100kmが上限でしょう。
革新的なエンジンがあればホバークラフトで時速300kmを出し続けることもできるかもしれませんが、特に砂漠では遠距離から容易に発見されます。ステルス戦闘機で空爆、素早く高速垂直離着陸輸送機や輸送機からのパラシュート投下で従来型のキャタピラ戦車、ある程度地面の条件がよければタイヤ車で攻撃するのが合理的でしょう。
「どこにでもいる兵器」としてのASは、結局のところ歩兵のレーザーで誘導されるスマート爆弾やバズーカに対処しきれません…一つ二つは機動性でかわせても、飽和攻撃をされたら終わりでしょう。というかガンシップやA-10、アパッチなどには弱いでしょうね。

宇宙空間では「宇宙英雄ペリー・ローダン」の球形赤道環が合理的といわれます。
または前方投影面積の小さい、細長い円筒形か。

というか今のステルスデザインを背景にした、ロボットものでないSF戦争アニメってあるでしょうか?

前も考えたことがあるかもしれませんが、本当にガンダムの技術…ミノフスキー粒子・小型核融合炉・メガ粒子砲・ガンダリウム合金…がある場合の、地球上および宇宙での最高の兵器体系は絶対ガンダムとは違うと思うんです。
脚と二乗三乗則はもちろんですが、「目で見て戦う」ならとことん細長いほうが有利なはずでは?

それを実際の軍事・宇宙工学者が検討しても面白そうですが。

16

食われて絶滅しない方法:

どれも方法というより「たまたまそうであった突然変異子の子孫たちが生き延びた」だけなんですけど。

15

家族レベルで、愛の家族と暴力の家族があり、愛の家族のほうが価値が高い……多数の本からそんな印象を受けます。

本当にそうなのでしょうか?
愛の家族は無条件にありのままの子供を受け入れ愛しているがそうでない家族は条件つきの愛、最悪なのは完全に気まぐれな攻撃しかない、などが言われます。
また理性的に作られ、押しつけられた理想像に自分を強引に当てはめているのが病理の源泉で、その下で泣いている本当の自分を愛するべきだとも。

でも保守派などで、子供は暴力で徹底的に叩きのめし、伝統の型に無理やり押しこむしかない、個性などというのはその後にそれを突き破って出てくるものだ、とも言われます。

どちらが正しいのでしょう?

14

日本人がある時期以降戦後民主主義のせいで子供を育てる能力がない愚か者になっているなら、そろそろ若者による犯罪がめちゃくちゃに増えてもおかしくないのでは。
それこそ小学生の半分が下級生を殺す状態になっているはずですが、そうはなっていません。

俗に言われていることでもあてにならないと思ったほうがいいでしょう。

13

書く気力はないですが、できたら面白そうな話。

主人公がある日登校したら、自分の記憶以外周囲の環境全てが違っていた…ちょうど「涼宮ハルヒの消失」のように。
そして自分と数人の、同じように記憶を持たない仲間が前世から定められた戦士であり、正義の暗殺者であったことを知る。
そして彼らは運命の導きで、極悪ないじめっ子、動物虐待からついに複数の幼児殺しまで手を染めた同級生、強姦常習犯、麻薬密売人、そして一人の悪徳政治家を巧みに暗殺する。

だがそれは全て、その政治家のせいで親を自殺させられた同級生がいじめを装って他の皆に演技をうまく吹き込んで引き起こしたやらせだった。

と思ったら、その政治家と、同級生を操った子の親の自殺の因果関係は、自殺の理由のごく一部でしかなかった…実はさらに下級生が「人間集団を操る実験」として仕組んだことだった。
その十歳の子はそのデータで「人間の操作法」を完成させ、次には…

12

あれば便利な台車の補助道具

1.4mぐらいの荷重に耐える鉄棒、レの字に約内角四五度で曲がっている。
短い方は長さ十五センチ程度、先端は保護ゴム。
曲がっているところに荷重に耐える車輪がついており、鉄棒の長い方の握る部分についているブレーキで輪を止められる。

大きい段差やエレベーターの溝などに過重な台車を通すとき、はまらないよう反対側から短い棒の先端を台車の前縁下に当て、そのままブレーキをかけたまま引いて前輪を浮かせ、ブレーキを解除して少し前進させて下ろせば前輪は溝を越えています。

単に短い方を少し延長した通常の曲がりバールでもある程度は可能…持ち上げたところでバールを蹴って外す手間はかかりますし、台車の裏側に少し傷がつきますが。

11

欲には自然な欲と不自然な欲があり、自然な欲は仕方ないが不自然な欲はなくすべきだ、そんな前提を感じます。
児童性愛や強姦などは不自然であり、文化からそれを肯定する物を除けばなくせるという確信があるようですが……

いや、それを肯定する文化が問題なのであって、となるでしょうが、ではその肯定する文化を除いたらどうなるでしょう。
もしそれらが根源的な欲だったのならば、なくすことはできないのに、存在自体が誰からも否定されているため、被害者は助けを求めることもできない状態に戻されてしまうのでは?
「楽園に犯罪はない」と同じ論理になりかねない気がします。

我々はあまりにも、いくつかの欲望に対して本当に向き合ってはいないようです。

10

織田信長の長篠三段撃ちはよくいわれます。
ちなみに史実ではないとも言われます。

でも、三段撃ちは銃でなく弓矢でも有効では?
なら弓矢の時代から、馬防柵を含めて標準的な戦法であってもよかったのでは?

弓矢は元々連射が効くから三段撃ちの意味がない?

9

「サルにもわかる人間の飼い方〜社会の種明かし」という本をわかりやすく書けたとして、それは全国民に配るべきでしょうか?

僕が書いている「自己紹介(重いテキストファイル、ダウンロード推奨)」はかなりそれに近いと思います、飼い方を具体的に詳述していないだけで。
書こうと思えば書けるでしょうね、多くのカルト・拷問・軍隊の訓練などの本を参考にすれば。

映像版として『フルメタル・ジャケット』がかなり、社会の種明かしに近いと思います。ではそれを多くの人に見せることは善でしょうか?

問題は、「人間の飼い方」は際限なく悪用できる可能性があることなのです。

8

アメリカは日本の次期戦闘機が何であればいいと思っているのでしょう。

日本に独自に戦闘機を開発されては困るでしょう。日本のただでさえ高い技術でとんでもないのを造られ、さらにそれで高まった技術を応用されたらたまったものではないです。
まあ多分杞憂で、日本は独自武器開発は輸出して世界市場と競争しないので基本的に苦手ですけど。

また日本がヨーロッパと組んでも韓国や台湾と組んでもインドや東南アジアと組んでも中国と組んでもとても困るでしょう。
日本はアメリカの戦闘機業界にとって貴重な顧客です。また日本がアジア地域で兵器開発同盟を組んだら…まあ笑ってしまうぐらい無理ですが、特に東南アジア系の顧客を失っては困ります。

F-35?それも問題が多いですね、間に合わないとかいろいろ。

アメリカは最初からF-22を作る時に、輸出向きの廉価版を作っておくべきでしたね。YF-23の一回り大きく、割と枯れた技術が多くてかなり安いのがあれば最上だったでしょう。
アメリカ自身でも使えますし。

というか、日本とアメリカが同じ戦闘機を使うのっておかしくないですか?
でも国情に合わせた戦闘機なんてスウェーデンぐらいですし、一国開発や商品の多様化が難しい戦闘機はなんにでも対応できる標準的なものになるのは仕方ないかも。

…最終的に日本が独自に、人型機を開発したら大爆笑です。

7

日本の文系大学は、経済から見てこれほど必要なのでしょうか?
文系はわずかな変わり者だけでほとんどは理系で学んで働くほうが自然では?

というかなぜイメージとして、工場の現場で働くよりホワイトカラーのほうが身分が上とされるのでしょう。
実際給料・長時間労働の両面で、前者のほうが後者より待遇は悪いのでしょうか?

というか、文系で学んだことが社会で切実に必要とされることはどれぐらいあるのでしょう。
語学の必要性はわかります。母国語読み書きの必要性も。
ならそれで、特に論理学重視で徹底的にやれば、それでいいのでは?

法律を必要とする場が多いことはわかります。
でも法学部卒はそれほど社会にとって需要があるのでしょうか?

少なくとも道路技師にとっての微積分ほど、自動車会社の営業にとって経済学部の知識が役に立つとは思えません。

まあ理学部数学科だって、そんなに必要なのかといわれたら肩をすくめますけど。

6

剣道=日本刀の柄の長さだとどうしても相手に正対してしまいます。
柄がもっと長ければ…短槍か長巻ぐらいなら半身でよりバラエティ豊かな戦法が可能なのに。
柄50cmでも全然違うと思います。

というより25cmの柄と70cmの刀身の刀と、70cmの柄と25cmの刃の短槍では後者のほうが安いし使いやすいし強そうなんですが。

それこそ最初から、切っ先近く三分の一の物打ちだけが有効打突だという時点で、ならそこだけ小さな薙刀でいいだろと思ったのはナイショです。

5

ケインズ理論は要するに国がぱーっと使えば経済がよくなる、ということでしょうか。
それで税収も増えて国も儲かる、と。

で、国よりも金持ちな人がいたら、その人がぱーっと使っても同じように国全体が潤い、その金持ちに倍になって戻ってくることはないのでしょうか?

貧富の格差が拡大し、少数の金持ちに莫大な富が集まっているのなら、その金持ちは経済そのものに大きな影響力を持っているはずです。
それはどう行使されているのでしょう?
やはり現金・国債利子などの価値を高めるために、デフレで不況にしておくのが彼らにとって得、だからそうしているのでしょうか?

超金持ちがいる経済は本質的にどうなるのでしょう。

4

長ズボンとスニーカーと、半ズボンと長く柔らかいブーツを脚絆で補強した物+膝当てはどちらがよいでしょう。

長ズボンはどうしても、特に濡れると膝にはりついて抵抗します。
少なくとも長ズボンで42.195km走るのはきついです。

本当に洋服は最も合理的な衣服なのでしょうか?
フルマラソン・棘だらけのジャングルの両方に対応できなければならないし、また延長に極地の極寒・砂漠もなければならないのでは。

他に、走ることができ棘から脚を守り、また湿地ではギリギリまで濡れないか、または濡れてもすぐ泥水を排除して乾くか、というかどこからでも入る込むヒルを防ぐことさえ考えなければならない…
また重ね着の拡張が容易で、非常に夜寒くなる地でも支障がない、と。
本当に最悪の場のための衣類はどんなものになるのでしょう。

3

護憲派に、改憲派で知的に誠実な人、いや善人がいることを認める人はどれだけいるでしょう。
逆に護憲派でありながら悪人(知的に不誠実な人)がいることは。
さらに逆に、改憲派で「護憲派で善人(知的に誠実な人)がいる」こと、「改憲派でありながら悪人(知的に不誠実な人)がいる」ことを認めている人は?

死刑廃止問題についても同様のことを言えます。
いや、宗教についてさえ言えます。

ここでやっかいなのが、論理的な全称と単称の問題…「任意の〜は〜である」「〜な人が存在する」がきちんと使い分けられていないことです。
「善人がいる」と「皆善人だ」は違うんですが、それが判る人がどれだけいるやら。

あと「知的に誠実」の基準が、元々護憲かどうかだったらどうしようもない…
僕が言っているのはダブルスタンダードをしていない、事実は事実として認める、人間の誤りやすさを自覚しているという程度のことです。

しかし問題は、古来の論壇で力のある人や多くの読まれているブログは、「自分は全てを知っている、自分は絶対正しい、自分の言うとおりにすれば全てはうまくいく、自分以外は全て愚かで邪悪だ」という水面下の主張をしており、それゆえに多くの人に注目されているようです。

僕は逆です……僕は多くのことを知らず、自分が間違っていることを知っており、僕の言うとおりにしてもうまくいくとは限らず、僕自身も愚かで邪悪だし僕以外の、僕と意見が異なる人にも賢明で誠実な人がいることを知っています。
だから僕の文章は誰にも読まれないのでしょう。

2

三十代後半に差し掛かった氷河期世代非正規社員層、バブル崩壊でリストラされた高年齢の会社の人間関係以外の専門的スキルがない人々は、もう「何をどうやっても使えない」ことを認めたほうがいいのでは?
社会が、

のどれをしても、個人が

のどれをしても、統計的に見ればそれらの「人材不良債権」は生活できる賃金や、群れの欠かせない一員としての尊厳を得ることはできないのでは?

などがあるのですから。

三十以上の非正規労働者は、十年後二十年後日本経済にとって役に立つ=自分の稼ぎで生きられる存在になりうるでしょうか。
ならないのであれば…ガス室・自殺・生活保護(親族扶養+自殺+生活保護)・移民(棄民・流刑)・刑務所のどれか、という問題でしかありません。軍隊では使えないでしょう。
また役に立つ存在…ちゃんと稼げる存在になるといっても放っておいてなるとは誰も思わないでしょう。

必要なのは何でしょうか?

それらのいくつかの複合?

というか「日本経済にとって役に立つ」と「自分の稼ぎで生きられる」は本当にイコールなのでしょうか。

結局のところ、生存権・憲法二十五条と、アリとキリギリス・働かざる物食うべからず・天は自ら助くる者を助く、のどちらが勝つかです。
どう見ても後者ですね。

1

根本問題群

前(2009年4月15日)には生存権と再生可能エネルギーの二つをあげましたが、その二つも複合しているし、そして上記の問題全体が複合しているように思えてきました。

太陽光・風力発電などは本当に石油代替になるのでしょうか?
また原子力は?高速増殖炉は?核融合は?
もし自然エネルギーも原子力もダメだとしたら、温暖化がひどいまたは石油が切れたら?
少なくとも大気中窒素の固定・深地下水のくみ上げなどに膨大なエネルギーを惜しみなく使えているからこそ、今の人口は食えているのです。もしエネルギーが薪炭以外なくなったら地球号の定員は…正直計算したくはないですよ。

「次の産業」はどこにあるのでしょう。
薪→石炭→石油、繊維→鉄道→自動車、その次は?
原子力でしょうか?
次の時代の技術。石油の次のエネルギー。次の時代にふさわしい思想・社会制度はあるのでしょうか。
その、技術進歩でエネルギーが変わり世界が変わる、というモデル自体が時代遅れでしょうか。ただ石油を食い尽くして大虐殺と飢餓地獄の末に人類自体滅びるか、原始に戻るか、または何らかの形で落ち着く、それが宿命でしょうか。
現状は、地球と物理法則が許す進歩の限界なのでしょうか。
ITは、少なくとも先進国では多くの中流層を貧しくするだけのようです。確かに世界全体で見れば膨大な極貧層がかなり豊かになっていますが、それは目に見えにくいです。
進歩モデルがなければ、新しい産業がないのなら、失業者を訓練しても無駄なのでは?

二十二世紀にはどんな技術が使われているでしょう。三十世紀には。
その時代の事物を手に入れたとして、今の我々に役に立つでしょうか。
革新的な進歩はあるでしょうか?それとも行き詰るでしょうか。
それともこの宇宙の物理法則が許す技術は出尽くしているでしょうか。
ワープなどもあるでしょうか?
行き詰るといえば携帯電話は、今の薄型携帯電話で行き詰っている気がします…オールインワンにこだわる限り。
どうしても画面とキーボードの面積が必要になり、物の形と大きさは現在と合同で、内部だけが進歩するだけです。メガネ+ヘッドホン+コントローラーのタイプ、そして脳〜コンピューター操作が実用化され、受け入れない限り。
あとコンピューター翻訳も行き詰っている分野ですね。
未来に予想される技術の一覧として考えられている

これらはすべて不可能、夢物語なのでしょうか?

そして将来の人類が生きる場は?
宇宙を生活の場にすることはなく、今のように情報技術だけを進歩させて地球を有効利用するのでしょうか?人口は先進国のように豊かで民主的になれば自動的に減るから大丈夫?千年後も月基地すらなく、二十億人ぐらいが地球だけで暮らしているだけでしょうか?
それとも軌道エレベーターなどをきっかけに宇宙に進出するでしょうか?
または技術自体を捨てて、江戸時代のように暮らすのでしょうか。
技術文明が崩壊するか人類の大半を選別して、それで技術水準の低い文明で生きるのでしょうか。

職業訓練は?
特に団塊ジュニア下層はどうするのかで、職業訓練をちゃんとしろという声もありますが、もし職業訓練が本質的にもう無効だとしたら…

のどれが正しいのでしょう?

もっと根本的に、生存権を認めるべきでしょうか?
人間に無条件に生存権はあるのでしょうか?
働いても暮らせるだけ稼ぐ能力がない人間は生かすべきでしょうか?それとも殺すべきでしょうか。

特に職業訓練が無効である場合、低賃金未熟練労働市場からも弾かれた、老いた非正規層の家族扶養から洩れる部分(多くは犯罪者?)を国が生活保護で扶養すべきでしょうか?
それとも刑務所でしょうか?
その多くを家族扶養に任せることは社会にとって過重負担にならないでしょうか?
それとも自殺を道徳的に強いるか安楽死させるかするのがよい、またはそれは避けられないでしょうか……扶養しようとしたら財政が破綻する、のであれば嫌でも死なせる他はないのです。

言い換えれば、大量の餓死者が世界全体(エネルギー・科学技術に次があるか)、日本(非正規雇用者の将来、職業訓練や生活保護の是非)であるか、です。
少なくとも今の日本に多くの非正規社員層がいて十分な年金・収入がなく子を産み育てることもちゃんとできていないのは確かです。
となれば数十年後彼らが老いたら?

のどれか、です。どれが選ばれるでしょう?
新規の生活保護を事実上出さないことにし、無条件の貧困対策を何一つしなければ、おそらく一つの法改正もなしに数百万人を餓死させることができるでしょう。僕はそれが選ばれる可能性が一番高いと思います…政治にとって最も楽だからです、ベーシックインカムや絶滅収容所はどちらも政治的に困難なのに比べて。
ただし、餓死を選ぶにしてもそれなりにあるコストを社会が払えるか…要するにアリとキリギリスだ死ねはいいにしても、キリギリスの死体を片付けるのが大変です。

というか「アリとキリギリス」「働かざる物食うべからず」「天は自ら助くるものを助く」の三つの言葉は、徹底すれば自力では稼げない、二十年後三十年後に数百万、千万単位になりかねない非正規雇用者に対する緩慢な死刑宣告です。

また貧困格差は国内問題ではありません。結局は世界全体の問題です。
エネルギーや食料が限られていてもいなくても、世界は絶対的貧困を克服するでしょうか?
それとも多数は絶対的貧困のままでしょうか。
はっきりした身分制を作り、一部の貴族以外は極貧か、わずかな貴族・多数の奴隷・残り大多数は餓死、さらに貴族を遺伝子改良したら?その方向に進むのでしょうか…少なくとも世界全体で格差が拡大することだけは確かですから。
根本的に絶対的貧困を克服すべきだという意志が人間にあるのか、あるとしてもジェフリー・サックスの処方箋で本当に治るのか…石油が出た国は高額の援助を受け取ったのと同じだが民主化もしないし近代的な産業も育っていないで本当に豊かにはなってない、援助はそんなに有効じゃない、という「最底辺の十億人」が正しいのでしょうか。

未来そのものはどうなるのでしょうか…選べるのでしょうか?何を選ぶでしょうか。