*プロローグ  自己紹介?  見回すが、暗いわけでもないのに何も見えない。肉体に不快感は感じられない。  とにかく自己紹介をしなければならない? 誰に……何に? 自己紹介を求めているのは誰だ? 何だ?  炭素ベースでない異星人だったら? 24次元のゲログベチャな怪物だったら? 剣と魔法世界の魔術師だったら? 時空やエネルギーなどの概念を絶した形容できない存在だったら? 神や天使や悪魔だったら?  相手は日本語と数学と論理はわかる、と。それを信じるしかないか。そっち側には理科年表はじめ大量の本がある、と。こっちにも欲しいけどないならしょうがない。 ***  さて、では……あなたがたが何次元の存在かもわからない以上私が生まれた宇宙から、いやそれも科学的宇宙像でしかない、その科学から説明しなければならない。キリスト教徒やなんとか族なら話は短くてよかったんだろうが。  くそ、いまの最初の言葉の「次元」「宇宙」「科学」「説明」でさえ、どれだけ私自身理解してる? ほとんどのことは、「人間なら生まれつきわかる」こと、別の存在に説明することなどできないことじゃないか? 同じ言語を話す同胞にだって、ちゃんと説明できるか? 説明したところで、受け入れる同胞がいるだろうか……人は言葉の正しさより、先に私の服装や態度や肩書で判断するものなのに?  たとえ百科事典から引用するとしても、それが相手と同じ認識になるのか、学派などで解釈が違わないか? 同じ言語で育った幼児に正しく説明できるか? 違う言語で育った同胞に説明できるか? まして、いかなる共通前提も持たない相手に説明が通じるのか? 理解するということはどういうことだ、別の存在が「理解」するということは?  少なくとも言葉と数学と論理は理解してくれる、という直感を信じるほかないが、私自身の使っている用語に対する無理解は……全部徹底的に学び直す余裕はない、あとで自分の無理解が分かったときに再検討していくしかない。最終的にはすべての単語を百科事典で再検討したほうがいいぐらいなんだな……  あと、自分が人間であること、そして私個体が得てきた情報や情報の欠如が、これから言うことに多くの偏りを与えていることは理解して欲しい。 *科学  さて、「科学」とは私が属する文明が元としている考え方……の一つだ。同胞で「科学」を考えの基盤としている人は少数だし、またあらゆる同胞にとって科学的な考えや言葉はごく一部でしかない。  科学というのはぶっちゃけていえば、後述する「試行錯誤」を数学を利用して厳密にしたものだ。細かく言葉にすれば 「現実と矛盾していない反証可能な仮説を〈科学的に正しい理論〉とする」 「観測できるもの以外は存在しない(形而上の否定)」 「物事には原因があり、あらゆる物事は原因の結果である(因果律)」 「あらゆる物は世界全体という巨大機械の部品であり、何かの機能を果たしている」 「同じ条件で実験すれば同じ結果が再現できる、少なくとも統計的には」 「世界は数学・論理できた仮説で予測・説明できる」 「目で見たもの、実験結果は世界のありのままの正しい姿で、それは誰が見ても、誰が実験しても変わらない。それが仮説と一致していれば、仮説は正しい理論である」 「一番簡潔な、数学的に美しい説明が一番いい説明だ」 「複雑なものは共通の要素を探して分類でき、何らかの法則性が必ずある」 「心と物体の世界は別で、心で何を思っても外の世界は変化しない」  などかな。ほかに思い出せればいいんだが。  まず私にもある目や耳などで世界を見る。そして見えたものを記録する。目で見えないほど小さいものや遠いものも道具を工夫して見る。  また実験をする。世界に起きる物事が複雑な場合はその中のある面だけを切り取る……たとえば落下で、重さが違っても落ちる速さは同じことを確かめるため、重さ以外の大きさや形や表面の色や形は同じ球を作って落とし比べるなどする。真空のような、普通の世界にまずないことを試してみるためにも実験する。  そういう事実、観察と実験の結果の集まりだけでもいいはずだが、普通はそれを説明する仮説を作る。その時注意するのは擬人化を避けること。科学以外では人間は何でもかんでも擬人化するが、その擬人化の替わりに科学では数学モデルを作る。擬人化についてもまた後で。  要するに正しい予知ができれば……できている限りは正しい理論、という考え方にもなるか。  普通はややこしい数学モデルがあり、それをうまく日常言語も使って理解できるようにする。ただし非常に小さい世界の物理、量子力学は日常言語ではどうしようもなくて数学でしか理解できないけど。  一般には観察するまたは実験結果を手に入れる、仮説を作る、それを精緻な数学モデルにする、その数学モデルが今まである観察や実験結果と食い違わないか調べて、食い違いがなければとりあえず正しいとする……まあ大抵はそれだけでなく、数学モデルから今まで見たことがないようなことを予測し、そんな状態を実験で作ってみたり、ありそうなところを観測したり、その実験結果と数学モデルが食い違わなければ誰もが納得する。  我々の世界には、根本的には一つの実数値として測れるものごとがけっこうたくさんあって、どの性質の数値を測っているかを次元と呼んでいる。  それが科学の正しさの根拠と言える。「科学的な真実」はなんだろうと、誰でも実験して確認できる。実は私は科学の多くをちゃんと理解していないし自分で実験して確認したわけではないが、まあ恥ずかしながら「科学的に正しいと言われている」ことは正しいと鵜呑みにする習慣がついている……全部自分で実験できるが、ものすごいカネと時間がかかって正直やってられないんだ。  あと、なぜ科学を基準にするのかと聞かれたらだけど、とにかく科学は他の方法に比べて予測が当たるし、新しく便利なものを作ることもできる。あと美的にもいい。それぞれの言葉は後で説明するよ。  でもこれから述べることは、できるだけやろうと思えば実験で確認できることだけにしたい。これから述べることの一つ一つについて、発見した人が歴史の制約の中でアイデアを思いつき、実験し、それを認めさせる苦労が一つの人間ドラマとしてある。それを略すのは残念だが、それを全部入れたバージョンを考えるととんでもない量になる。それに人類の歴史と平行して科学の歴史を積み上げることになる。 *感覚による宇宙、時間  さて、一応それが科学で、次は宇宙か。  まず私が普通に暮らしている世界を少し描写しよう。  その前の感覚かな? 前後、左右、上下、そして過去未来と四つの向き、何より基礎的な次元がある。その前ってのも、後で説明する人間の形とかからなんだよな、考えてみれば。ヒトデの延長の生物にとっては五つの方向があるだけだろう。距離・面積・体積・角度については……それも解説しなければならないのか? 勘弁してくれ。多くは人間にとって、説明不要な生来の概念とされているから説明しようとするとものすごく難しくなる。逆にもしそれがわからない子供がいるとしたら、学習が困難なのも当然か。さらに物理学や数学基礎論から徹底的に突き詰めるとこれまたとんでもなく難しい話になり、人類の現在の知を超える。  その三次元の空間に、「もの」があり、三次元で許される限りの形と大きさがある。形って言葉自体意味をなさない異星人がいるかもしれないが、どう説明すればいいやら……本質的に、人間は二つかそれ以上の「もの」を同時に認識することができる。そしてそのいろいろな要因を比較……どれぐらい違うかを情報としてとらえることができるんだ。一次元世界の記憶を持たない存在にとっても、その宇宙すべての要素を常にわかってる超存在も、複数の「もの」を比較することは考えもしないだろう。人間が認識する最も重要な要素が「形」で、それは三次元空間の……数学的に厳密にしようとしたら暴発するな。やっぱり伝達は不能だ、もしこれを、目が見えない人が点字や朗読で読んでるとしたら、「形」って言葉が同じ意味といえるのかどうか断言できない。  形を変えずに大きさを変えると、面積……ある方向からの断面積も表面の面積全部も……はサイズの二乗、体積はサイズの三乗で変わる。だから大きくなれば面積の割に体積が増え、小さくなれば逆になる。同様に、二次元に見える物事は周囲の長さがサイズの一乗つまり比例、面積がサイズの二乗で変わる。  また、「もの」の運動の自由度は前後・左右・上下への平行移動、そして直交する三軸で回転運動と、六だ。逆に「ものが動く」いや「変化する」ということが起き、我々がそれを認識しているのが、少なくとも我々のサイズでの我々の知覚だ。  運動というのもわかりにくいが、要するに認識できる範囲なら複数のものを、その相互の位置関係、また自分とのある程度の位置関係ごと認識でき、そしてその位置関係が時間にそって変化することがあり、人間はその変化そのものを主に後述する視覚で認識できる。それ自体考えてみれば二次元以上の存在でなければ不可能だし、記憶が皆無なら実質意味がない。  次元が本当に正確に三次元という定整数なのかは知らない。本当は二十六次元とかかもしれない。非常に複雑な形について数学上出てくる端数の次元があるかもしれないが知らない。また三次元では無限に関するある前提を正しいとした数学だと、ばらして組めば同じ物を二つでも倍の大きさでも何にでもできるが、人間はそのあたりは無視してる。その他面積や体積についての高度な数学がどう働いているかも知らない。  さらに言えば、人間は時空を連続的なものと把握するが、ある程度より小さいサイズでは全てが意味を失うから誤りだ。後述するが小さいスペースではとんでもない数学ルールに従うものが集まる結果、統計として実数座標時空上でものが動いているように人間が認識しているだけ。  順序がある数、連続する実数を好むのも人間のその性質からか。  そして人間は、ものが運動しているかどうかだけでなく、ものの質を見分けることもある程度できる。運動しないまま質だけが変化することもある。 「もの」は、ある時間・位置に存在する。そして複数の「もの」が接することもあり、そのときも様々なことが起きる。互いに運動していれば熱と呼ばれる状態の変化になる摩擦もあるし、形を変えることもあるし、さらに双方の質が変化することさえある。  そうそう、こう言っている「人間」、認識をしているのも、その「もの」のひとつだ。  さて、普通私たちは、非常に広い地面……でこぼこがある平面の上に暮らしているように感じている。  ただしでこぼこがない広い所で見回すと、見える限界の地平線があって、それがぐるりと取りまいているように見える。「見る」と「光」も説明は難しいな。  今私の……私たち人間の体の描写は後で詳しくやる、とにかく前という方向が個体にとってははっきりある。左右は比較的弱いが人間は区別する。ただしその「前」は「いま自分が向いている方向」でしかない。九十度右に回れば、前だった方向は左になり、左だった方向は後ろに、後ろだった方向は右に、右だった方向は前になるし、逆立ちすれば右は左に、上は下になる。ただし三次元に拘束されており、面や線や点を基準に反転する変換は気軽にはできない。  また上に移動しようと飛び上がってもすぐ落ちる……地面に引き戻され、地面にまたぶつかる。下に移動しようとしたら、今踏んでいる地面をなしているなにかを別に移動させなければならない。といっても人間だけの話だな、空を飛ぶ・樹上生活・水中・地中など色々なところで暮らす生物もいる。ああ、生物という意味もわからないか……あとで言うよ。で、普段の人間は、世界はある意味二次元とも認識している。まあ落ちるものと落ちないものがあるように見えるけど、自分自身を含めて大抵の物は何でも地面に引っ張られ、支えがなければ落ちて地面に押しつけられるから感覚的に上下は非対称に感じている。といってもそれは人間のサイズでだ。ものすごく小さいほこりなどは空気に下からぶつかられて長時間浮いている。  人間は力を使う。自分自身や、自分の外にある物を動かしたり形を変えたりできる。重い物を動かすにはより大きな力が必要になる。素材が同じなら体積と動かしにくさ、すなわち質量は比例する。同じ大きさでも、素材によって質量が違うことがありそれ、密度は素材そのものを区別する本質的な性質の一つだ。他にもいろいろな素材、色々な性質がある。 **時間、周期  そして何より時間という軸がある……それは感覚的な、はっきりと非対称なものだ。向きとか左右とか距離とか同様、時間を説明するのは非常に困難だ……もし「この説明を聞いている何か」に時間の概念がないとしたら、それを説明するのはほとんど不可能だが……私たちが感じるものさしの一つだ。  時間は「記憶」「運動(変化)」「周期」という概念とも不可分だ。また、ある程度の範囲を「全体として一気に捉える」という人間の能力がない限り、運動や変化は感知しようがないからそれらの概念は無意味になる。完全瞬間移動が一般的な現象でない世界で暮らしていることも重要なんだろう……いや、極微だと存在は確率的で瞬間移動も当たり前だから、人間がこのあたりのサイズだからできた認識だ。  確率というのも人間の考えで、「あることをたくさん繰り返すと、様々な結果が起きる。どれが起きるかはわからないが、繰り返した回数とある結果が起きた回数の比率の比率はわかる」ときのことだ。我々の世界には、そのようなことがとてもたくさんある。  で、変化は時間を用いて表現できる。ある「時点」での状態が、別の「時点」の状態と異なることを変化という、と。人間は前の時点における状態を記憶し、それと今の時点の状態を照らし合わせて違いを判断できる。  まず周期、順序と等速直線運動を理解して欲しい。たとえばこの脈拍はほぼ周期的に拍動している。等速直線運動は……時間と距離の概念がしっかりしないとどうしようもないか。くそ、また同語反復だ。  脈拍のように周期的に起きていることは、また起きると予測できるしこれまでも起きてきたと思える、というのが帰納といわれる人間の考え方で、それはあたりまえとみなされる。まあその「また起きる」のが未来、「これまで起きてきた」のが過去となる。今こうして脈が触れたが、次の脈が今こうして触れたときには「今の脈」は「過去の脈」になっており、さっきの脈が触れたときは「未来の脈」だったのが「今の脈」になった。それを線の上に規則的に印を付けてグラフ化できるし、番号をつけることができる。……線の上に、順番に印が並ぶことになる。その線の上に指を滑らせ、その指の速さを調整すれば、しるしのうえに指が来るのと同時に脈が触れるようにできる。だからそれとこれとは対応関係にあると、人間は感じる。少なくとも私は。対応関係という言葉自体、人間だけかもしれない、他者には説明できないが。  その時間を直線的として記述しているのは、等速直線運動を時間・運動距離の二成分に分解してだ。それ自体実は「科学的な」感覚で、本当は違うし昔の人の感じ方は違ったと思う。人間の主観では時間の感覚は色々違うし。でも私たちの……科学の入った日常では脈拍のような、また振り子や水晶の振動など規則的なものを基準にして、皆が共通のまっすぐ進む時間で生きているように暮らしている。  それだけで言えば、時間はどちらの方向にも区別がないように思えるが、時間には前後の区別がある。  時間の非対称性として、熱力学第二法則も重要なのだがそれは後で説明する。 **因果律  また重要な、人間にとっての大きな前提が因果律だ。 「もの」が「変化」するとき、一つの変化が別の変化を引き起こすことがよくある。  だからあらゆる物事は前にある原因の結果であり逆にはならない。また今何かしたことが過去の物事に影響を与えることはない、という観察結果が圧倒的に多いし、そんな前提で人は物を考えている。順番とも密接に関わるか。  そして時間を戻すこと、過去に行ってすでに起こってしまった事態に手を加えることは、少なくとも今の人間にはできないし、未来に対しても簡単に飛び出すことはできない。  人間の記憶、記録なども時間が一方的に順を追って連続的に進んでいるという形になっている。 *空、天体  地面から空……上を見上げると、ある一定の……約24時間と決められた時間を周期に……というか大体同じ時間なので、それを人間が24に分けただけでその数自体は10でも23でも本来何でもいいんだが……交互に明るくなったり暗くなったりする。明るいというのは色々なものがよく見える、暗いというのはあまりよく見えない状態だ。明るさは光と関係があり、明るい中でも光を通さない中空のなにかにはいると暗くなるし、そんな状態でも光源があれば明るくなる。光そのものが目に入ると、それは強すぎる明るさで目が痛むこともある。暗いところに光が当たり、明るい部分だけが形をなすこともある。  で、上を見ると、明るい時にはほとんど青地に、白や灰色の不規則なような規則的なような、占める面積も形もいろいろ変わる模様が見えるし、暗い時は白いのと同じものが暗く覆っているか、それがないところは無数の光る点が見える。その模様を雲と言い、見た感じが地上での、植物が作るような綿毛に似ている。  明るい時……昼に、白いもの……雲がなければ、どこかにとても強く光る白黄色の円盤が見え、それを太陽と呼ぶ。どうやら雲より遠くにあるらしく、雲に隠れて見えなくなる時がある。それでも空自体がかなり明るく、その光源がないだけではそれほど暗くはならない。でも空全体が雲に覆われるとどこもかなり暗くなる。  その地面から浮かぶ方向・地面の下に消えていく方向もある程度決まっている。地球の半分では一番高くなる方向を南、じっとしていればいつも陰になる方向を北、太陽が浮かぶ方向を東、太陽が沈む方向を西と呼ぶ。地球の別の場所では北側で太陽が一番高くなるがね。  ちなみに夜見える光の点の中に、かなり大きく模様のある円盤に見えかなり明るいものもあり、月と呼ばれている。ただしそれはやや長く複雑な規則に従ってあったりなかったりするし、昼間でも薄くなるけど見えることもあるし、また毎日少しずつ形を変える。  普通の目で人間が、ほぼ共通で上に見えるものは大体こんな感じだ。  ではなぜ、人間の目には見えない宇宙全体を知っているか?  ほとんどの夜見える光る点……星は、まず24時間周期で、移動しないで見ていればだいたい同じ地平線から出てきてぐるっとまわって地平線の別の地点から地面の下に隠れていく。また少しずつ出方を変える……毎晩規則的にずれ、長い時間経つと夜に見られなくなることがあり、また長い時間してから見上げると出てきたりする。ほとんどの星相互の位置関係は非常に長いこと見ていなければ変わらない。  また太陽が見えないときは地面の下を通っていること、星も地面の下を通っていたり太陽の光が強すぎて見えなくなったりするけれどいつも存在していることもわかっている。  まあそうやって天が少しずつずれて、別の周期……約365日、私たちが住む世界の多くではその周期で、太陽が一日で一番高いところに見える時にほかと比べ高くなる時期は暑く、それから低くなるにつれて寒くなり、まあいろいろあってずれはあるが一番低いときに一番寒くなり、それからまた高くなると暖かくなる、そういうのを季節という……によって、一度には見えない天全体が一年かけて見えることになる。それで、たとえば暖かくなりだした頃日暮れに空を見上げると真上に三角形の頂点をなすように星が光ってる、とかになる。  考えてみると暑くなったり寒くなったりする周期と、星が少しずつずれる周期が一致しているというのもとんでもない話だ。  それで、人間が使うことができる地球に固有な、長いのから年・月・日の三つの周期、時間の単位があることがわかると思う。日と年の比はほぼ不変で単純だが、月と年はややこしい関係だ。  時間の単位、周期という考え方自体、そんな周期がある星で進化した脳に作られたのかもしれないな。もし周期なんてものがない星だったり、連星の惑星でしかもたくさん月があるとか複雑すぎたりしたらどうなっていたやら。  たまに太陽が月に隠れて暗くなったときに星が見える……日食……から、昼も星は存在しないのではなく太陽が明るすぎて見えないだけだとわかる。  ただし、いくつかの光点……惑星は、その法則に従わない。大抵の星は、星どうしの位置を数十年かそこらの観察では変えないが、惑星はその中を不規則に動き回るように見える。でもそれは不規則に見えるが、とても長い時間観察記録すると規則性がわかる。  その規則性をかなりうまく説明できた仮説がまずプトレマイオスの天動説。光る色々な物がくっついた天が動いているというモデルで、周天円という複雑な調整によってかなりの精度で惑星の動きを説明した。そしてより高い観測精度が実現されて天動説では合わなくなり、その新しい観測結果を説明できたのが地動説……私たちが住んでいるのは平面に見えるが、それはとても大きい球の上で、その球は太陽の周りを楕円を描いて回っている、また惑星も太陽の周りを回っている、月は地球の周りを回っている……というモデルだ。地動説でも説明しきれなかったずれは相対性理論で完全に説明されている。  それからより遠くまで見える物を加工した目、普通は見えない光などを見る目などを工夫してきた。それで太陽や惑星はかなり遠くにあり、普通の星はとんでもなく遠くにあり、そして肉眼では星だと思っていたぼんやりが普通の星より更にとんでもなく遠くにあることもわかってきた。  さて、見たものと今のところ矛盾が見つかっていない仮説……科学的に正しいことを、宇宙から紹介していこう。 *次元、物理学  まず宇宙自体の、より大きな性質。  さっき言った前後左右、そして宇宙においては前後左右と区別がつかない上下の三次元の実数座標空間に対応する広がりが「空間」と言われている。それと一方的な時間の四次元時空がこの宇宙だ。ただし、時間が一方的なのは物質にとってであって、相対性理論では空間と同様の単なる実数座標として扱われ、四次元の実数が作るモデルで表現され、観測者ごとに違う。  そこにいろいろな「もの」がある。「もの」でない光や、そのほか人間には認識できない力を伝えるものもある。そして純粋な情報が「もの」や「光の類」に乗って存在している。  その「もの」は時空内のある部分を「占めて」いる。その「占める」というのがとんでもない話だ。  宇宙には速度制限があって最高速度は光速。また時間空間共にプランクスケールより短いのは意味がないという制限がある。今言った実数座標と矛盾しているが、私たちはその矛盾をいまだに解決していない。  その宇宙を支配している法則は小さいと量子力学、中ぐらいだとニュートン力学、大きかったり光速に近かったりすると相対性理論となる。  スケールを簡単に言うと、単位系とか具体的な数字は別に調べてくれればいいが、いちばん小さくそれより小さい世界について人間が何も知らないのがプランクスケールと呼ばれる大きさ。そして原子核のサイズ、原子、分子(このへんで量子力学の効果がなくなる)、微生物と人間が呼ぶ人間よりずっと小さい生物、人間自身など大型動物、それから惑星、太陽系(このへんから相対性理論が出てくる)、銀河、銀河団、宇宙全体かな。それぞれかなり大きな比がある。  それぞれニュートン力学はゴールドスタイン、量子力学はディラック、相対性理論はパウリの本が最も定評がある。まあそうでなくてももっと初学者向きの本はたくさんあるが、独習用ブックリストは後でまた。  ちなみに相対性理論、量子力学それぞれの特殊な場合として……相対性理論で光速を無限大とする、量子力学でプランク定数をゼロとする……ニュートン力学は導かれるが、相対性理論と量子力学の統一はいまだにできていない。私たちの物理学の理解は不完全なんだ。  いちばんのさわりを言葉で説明すると、ニュートン力学はどこでも共通に流れる絶対的な時間と直線直交実数座標、ユークリッド空間をデカルト座標で描写した中で、モデル化するために質点……質量が一点に集中した点に物質を簡略化して描く。実際、ものを平行移動させたければ、幾何学的に出る重心に向けて力を加えるべきだ。主に質量を持つ物体どうしに働く重力について記述する理論でもある。大きさのある物体を記述するには剛体、変形しない物体としてその回転を含めて描く。  その法則はきわめて単純で、1、慣性……静止状態も含む等速直線運動は何もしなければそのまま持続する。2、加速度……速度を時間で微分した方向を持つ量は、力という同じく方向を持つ量に比例し、質量というあらゆる物質が持つ方向を持たない正実数量に反比例する。3、力は、常に二つの物体が互いに反対方向の力を与えることで働く。  それと、逆二乗……二つの物体の重力は、質量・距離の二乗の逆数・ある定数の積で表現できる。距離の二乗ということは、三次元空間で一定の密度で全方向に均等に放たれる直線が、いろいろな距離で同じ面積を通る数と言っていい。電磁気も逆二乗の力だから似ている。それはこの世界が、知られている限りでは三次元だ、ということから自然に導かれると言っていい。  相対性理論は、ある意味非常に単純な考えだ……三つの前提を絶対的なものとするだけだ。1、真空中の光の速さは、どんな速度・加速度で動いている観測者が観測しても光速で変わらない。2、どんな速度・加速度で動いていても物理法則は変わらない。3、加速と重力は区別がつかない。  その前提から、質量とエネルギーが相互に転換できるとか高速で移動している時計は遅れるとか、重力自体が時空の幾何学的な曲率と解釈できるとか、私たちの生活上の常識とは違う結論が色々出てくるし、実験でものすごい精度で検証され続けている。まあそれがわかりにくいのは私たちの生活が、だいたい1cmから1km、速度にして時速40kmぐらいまでしか関係なく、光速とかとご縁がなかったので、脳も目も言葉もそんな用途のために発達してないからだ。  量子力学は相対性理論とは対照的に、人間から見ればとても小さい物の世界を説明するものだ。小さくなるとより大きい世界とは違って、現象が数として飛び飛び……整数倍が本質に入り、確率が支配するようになる。たとえばさっきのニュートン力学では、最初の速度と位置が分かればそのずっと先まで精密に予測できるが、量子力学では速度と位置を同時に正確に知ることはできず、確率的にしか知ることができない。またあらゆるものが、波と粒子両方の性質を同時に持つ。位置や時間の概念そのものが、特にプランクスケールになると連続的ではなくなる。  まあ細かいことの説明を、1.5m前後の大きさで育った私たちの言葉でやるのは無理だ……純粋数学の言葉でやるしかないし、それは上の教科書で学んでくれ。これまた理論と実験が、これまでずっとものすごい精度で一致している。肝心なのは、ニュートン力学は人間のサイズ前後の話であって、量子力学に従うものすごくたくさんの素粒子……といってもその粒子という考え自体が違う、人間サイズでの認識を無理に類推しているだけで、量子力学の数学での記述とものすごい精度で一致する何か……が集まって相互作用して、ニュートン力学で記述できるようなものになるといったほうが本当なんだと思う。  というか相対性理論と量子力学のどちらがこの世界の本質なのかも、私は知らない。  あと、重要なこの宇宙の法則がエネルギー保存則だ。あらゆるところに何か、正の一次元数で表せるものがあり、それは熱・光・電気・運動など色々な形で出てくるけれど、何がどう変わろうと宇宙全体で増えることも減ることもない。そして相対性理論から、そのエネルギーと質量が同じことで互いに変換できることもわかった。そういう互いに変換できる量はけっこう多い。実は情報とエネルギーも互いに変換できる。  もっと根本的なこの宇宙の法則といっていいか? この宇宙の物理法則を数学的に解明すると、その多くは数学的に高い対称性を持ち、一部の人間はそれを美と感じる。そしてこの宇宙は必要な資材とかを節約しようとする傾向がある。これはかなり漠然としたものだが、けっこう確かだ。  それと物理学にはほかに電磁気・光・流体力学・熱力学などいろいろある。必要になったらそれぞれ解説するか。 *宇宙の大きさ  宇宙自体は非常に広い。少なくとも130億光年は広い。その宇宙全体は、どの方向を見てもほぼ物理法則は等しい。そのことは……少なくとも何十億年も前、地下である現象(天然原子炉)が起きたが、その残留物を調べた結果何十億年も前でも物理法則は検出できる精度で違わなかったことが確認されている。  そしてその宇宙は、太陽とあまり変わらない巨大な光や熱を出す塊がたくさんある。その星々の多くは集まって銀河を作り、その銀河も銀河団を作る。ただし銀河の中でも、星と星との間はものすごく離れている。銀河と銀河の間もとんでもなく離れている。宇宙全体の密度はすごく低い。  また銀河や銀河団が安定するためには見える物質だけでは質量が足りない……それを補う何か、ダークなんとかがあるはずだが、それについては人間はまだよく知らない。見える物質は宇宙全体の十分の一もない、それだけ人間はこの宇宙についてわずかしか知っていないとも言える。  その銀河は、それぞれ離れて動いているように見える。気まぐれな動きではない、確かにどの銀河も気まぐれに動いてはいるが、それ以上にどの二つも互いに離れようとしている。その現象を説明しようとすれば、宇宙全体がどんどん広がっていて……最初は一点の熱い塊だった、という説明が一番きれいで正しいと言われている。 *宇宙の始まり  というわけで、その説明に則って宇宙の始まりから語るとしよう。まあワインバーグ『宇宙創生はじめの3分間』などを読んでもらうほうが早いがな。  本当に最初の最初やそれ以前はわからない。でもそのすぐ、ごくわずかな時間が経ってからならかなり詳しく分かっている。  その最初、その時空はものすごい密度で想像を絶するエネルギーが満ちていた。  そしてわずかな時間で、時空が少し変わって今のようになるために時空そのものから莫大なエネルギーが出て宇宙の大きさが指数関数の勢いでとんでもなく大きくなった……インフレーション理論と言われている。それが、この宇宙が異常なほどどこを見わたしても性質が変わらないことの、今いちばん広く認められている説明だ。  宇宙が広がっていくにつれて、宇宙を形成している四つの力ができた。最初の全部混じっている力からまず重力、そして原子核を結びつける強い力、原子核のある反応にかかわる弱い力、そして電磁気力が分かれた。  そしてそれまでは超高エネルギーの光などしかなかったのが、時空が広くなって薄まるにつれて電子など比較的軽い素粒子と呼ばれる変な物や陽子など重い素粒子ができ、それが集まってまず水素原子やヘリウム原子を作った。それが物質の始まりだ。 *原子、人間の感覚、波、光と電磁気  ああ、私たちに見えて感じられ、私たちの身体も作っている「物質」は原子という目に見えないほど小さな何かでできている。人はそれを粒と呼ぶが、本当は粒とは違い、波の性質も持っている。「ある数学で記述されるもの」を、それがたくさん集まってできた我々がたくさんそれが集まったものが動くときに見られる「粒」や「波」を調べ、数学的に記述したものがあり、たまたまそれに使われる数学が使えたからそのモデルを強引にあてはめようとして混乱しているだけだ。  人間はその大きさや形、動いているかをまず見るし、また同じ大きさと形で動いていなくても「違う」と判断する様々な知覚がある。  根源的な原子自体の種類は百二十種類ほどあり、さらにそのひとつひとつも、今知られている限りでは十数種類のより小さい何かでできていると考えられている。その原子がくっついたり離れたりして、これまた膨大な多様性を持つ分子を生み出す。  というか物質と物体についても……あらゆる「物」には形とかいろいろあるけど、いくつかの性質が明らかに同じで大きさや形が違うだけ、というカテゴリーがあって、それは同じ物質でできた違う物体、となる。逆に形とか大きさとは別の、色とか匂いとかその材料自体の性質を考えるときは物質というわけだ。  そうそう、人間の世界……人間の認識、人間に認識できるスケール、そこで意味がある数の原子の集まり……では「机に石が乗っている」ことがあるんだ。それがどれだけとんでもないことか、それが当たり前である人間には考えることも本質的にできない。  後で言うが、その「原子」というのは極端に小さく、一つ一つの原子も中心のごく小さい原子核を除いてはほとんど空っぽだ。さらにその原子核だって内部構造があり、今注目されている説ではさらにめちゃめちゃに小さいひもの振動パターンに過ぎない。  石も机もそんなものだ。なぜそれが触れ合うところから混じり合わずにそのままなんだ? なぜ気まぐれに消えない? なぜ潰れない? なぜ飛んでいかない? なぜその一つ一つの原子に、常に下に引く力がかかっている? 他にも熱・電磁波をはじめ、どれだけの平衡がある? 考えてみると気が遠くなる。  その物自体の性質も説明しておくべきだな。人間の感覚器の説明はあとになるが、それは物質と接するときにいくつかの情報を得る。まず見た目、大きさや形。音。匂い。口にすれば味、そして死ぬかどうかで毒の有無。感触、硬さと温度。  見た目というのは、眼という器官が受けた光……電磁波のある範囲の波長の、どの波長をどんな振幅で受けたかがわかる、ということだ。しかも、その見ている波長が人間の尺度から見ればかなり短いし、ものすごい短時間で処理を繰り返しているから、見ている物を時空とも非常に高い解像度の映像に分解できる。実は脳でその情報も処理しているんだが、それはあとで。形・大きさ・速度・波長を通じて表面の材質についての情報をかなり得られる。  電磁波は我々の時空にある、電場と磁場という「時空の各点と、大きさと方向がある情報の集まりとの対応関係」の中にできる波だ。といってもこれはニュートン力学を中心にした物理学での説明で、量子力学レベルだと場の概念も変わって「時空の各点」という言葉も無意味になり、光子という量子によって力がやり取りされることになるし、相対論だと空間の幾何学として重力場を解釈する。  あと光はエネルギーや情報を伝えることができ、あらゆる原子どうしのつながりを切断でき、原子の中の電子を違う状態にでき、波長によっては原子核さえ破壊する。  どんな「物」も、その「温度」……持っているエネルギー、原子の振動に応じて、まあそれぞれの原子などの性質にもよるけど光を出して熱などを交換しており、何かがある温度でありつづけるには周囲と同じ温度でなければならない。一時的には違う温度でもいられるが、ずっとそうではいられない。  またその温度は、原子どうしがくっついたり離れたりすることとも関係が深く、温度が上がるだけで別の組み合わせのほうがやりやすくなって、もの自体の性質が変わったりすることもあるし、原子のつながり方は変わらなくても形や大きさ、出す光などを変えたりすることもある。  波そのものも説明すべきだろうか? 言葉だけで簡単に説明しようとすると難しい概念なんだが。波とは、古典的にはある媒質の変化が伝わっていく現象だ。その物質の性質として「ある位置での変化は、そのごく近い周辺にのみ作用する」「どの位置の要素も元に戻ろうとする」となっている場合、一点に変化を起こすとその変化した点がその周囲に作用し、作用された周囲の点が変化して、その作用された周囲の点の周囲が……と連鎖的に起きる。  そうか、「伝わる」という言葉自体それがなければ無意味だ……我々の宇宙では、ある点はすぐ隣にしか原則として作用できないという現象が多い。たくさんの点の集まりは、その一点から始まった動きが、細かく見れば一つの点とその隣の点の相互左右しかなくても全体に伝えることができる。それは数学的帰納法や論理の推移率に似ている……いや、そっちのほうが自然のそちらの性質から……そのあたりはあまりに深遠でわからない。といっても量子力学レベルだと、情報は伝えられないものの離れた場所にあるものが繋がってることは普通だ。  さて、それは「もとに戻そうとする力」のせいで単振動かその組み合わせになるから三角関数で表現される式になる。ああ、周期的なことがたくさんあり、どれもこれも三角関数や二階線形微分方程式の式になるというのはこの宇宙だけのことだろうか。それとも我々の一部が異常に線形数学を好むだけなんだろうか、単に解きやすいから。また波はエネルギーや情報を伝えることができる。波には波長と波自体の幅があり、波長が短いほどエネルギーが大きい。波は媒質の質が変わると、方向を変える、または本来届かない所に弱い波が出るなどの性質がある。  そして観測者に向かって動いているものから出る波は波長が詰まり、逆に離れているものは波長が開く。だから、たとえば高速で遠ざかっているものは、こちらから見ると少し冷たい物が出している光に見える。  またいろいろな物質が電荷というプラスマイナスがある量を持っている。電荷を持つ物が電場の中に置かれると、その物は受ける電場と持っている電荷の大きさに比例し、電場の方向に電荷のプラスマイナスをかけた方向の力を受ける。プラスどうし、マイナスどうしだと互いを結ぶ線上逆方向に押し合い、プラスとマイナスだと引き合う。また電荷を持つ物自体が周囲の電場の電場を変えてもいる。ある点の電場は、その電荷がない場合の方向のある量に、その電荷から逆二乗で出している方向のある量を、方向のある量の足し方で足し合わせた方向のある量になる。磁気は持っている物体自体が鉄などまれで、ひとつの物の一方の端がプラス、もう一方の端がマイナスとなる。一方だけの磁荷をもつ磁気単極子は今のところ発見されていない。その電場が変化すると磁場が変化し、磁場が変化すると電場が変化する性質があり、互いに変化を引き起こすことが波になって時空を伝わっていき、それが光を含む電磁波だ。我々の世界における電荷の、知られている限り最も基本的な単位は電子の三分の一だ。  その波には色々な性質があり、まったくの真空だとそのまま通り、あとで言うが我々が暮らしている大気、またよく見る水など透明なものの中もある程度通る。透明に見えて光の一部が吸収されることもよくあり、我々の目はそれを特定の色と判断する。光は様々な物質にぶつかると、それ自体本質的には原子の中の電子と光子の量子力学的な相互作用なんだが、反射したりする。反射は光が方向を変えることと言えるだろうが、その時に特定の波長しか反射しないことがあり、人間の目はその波長を色として認識する。  あと二つの光は通すけど性質が異なる物質がある面で接していて、両方を光が通るときに屈折という現象が起きて少し光の通る角度が変わる。その時には波長ごとに屈折角が違うこともある。ちなみにそこで、変分原理という我々の世界における非常に重要な原理が見られる……屈折角はその光にとっての最短経路で決まったりするんだ。自然はそういう、なんらかの価値観で判断しているような感じがあるんだな。  また光が当たると、物体そのものが変化することもある。物体の原子そのもの、波長によっては原子核、また原子どうしのつながりを変えたりできる。だから光を「見る」ことができているわけだ。  耳も波を感じるものだが、それは大気の圧力の変化が波状に伝わっていくものを感知する。圧力がかかったり消えたりが人間から見たら早く繰り返されるのを感知できる。  匂いは空気にどんな分子……原子の組み合わせが混じっているかを分析する。味も口に入る液体や固体について同様のことをしている。残念ながらその受け取り方は、科学的なそれ、何が何%とかとはかなり違う。だが生きていく分には支障がない。  そして皮膚は触れたもの……空気も含めて圧力、温度などを感じることができる。温度は主観的には皮膚の小さい器官が熱い冷たいという情報を脳に伝えたことだ。温度と加熱とかいう言葉自体、原子レベルでは別の意味を持つ言葉で、ある程度大きい生物になって初めて意味がある。あらゆる物質の原子は動き回ったり震えていたりするが、その動きの激しさが熱で、その熱が体温に比べどれだけ高いか低いかを温度として感じている。またどの物質も、熱に応じた波長の光を出してもいるし、光を受け取って温度を上げたり、または光によって原子どうしのつながりが変わったりもする。  皮膚と、あと筋肉や関節自体……そう、まず力と圧力を感じることができる。二つのものが接して互いに、力という何かを及ぼし合うことがある。それを細かく見ると、接触している部分どうしが互いに、原子レベルでぶつかり合い押し合って圧力を加えている。気体や液体には形を保つことが弱いため、主に圧力……原子どうしが動きまわりぶつかり合い、体積あたりの数を同じぐらいにしようとする作用を働かせ合う。圧力は変化すれば波になって全体に伝わり、特に形があるもので、形を保つ作用のほうが大きければ全体に加速度が加わって移動するし、または形そのものが破壊されることもある。  それである物を持ち上げれば、その大きさを眼と皮膚感覚で理解して密度……単位体積あたりの質量がだいたいわかる。物を曲げたり押したりすれば硬さや弾力など、それを通じて水に濡れているとか色々なことがわかる。  他にも物質には色々な性質があるが、それは人間には感知できない。たとえば電場や磁場そのものを感知することは事実上できないんだ……人間が進化していくときに必要がなかったから。 *原子論と物質の相  あらゆる物体をとことん刻むと百数十の原子というそれ以上壊すのが難しい塊に分かれる。原子がくっついて分子などをつくって、その分子が結晶や線維、液体や気体などいろいろなやり方で結びついてできている。原子論自体は、昔物をとことん分割したらどうなるかと頭のなかだけで考えられたことだ。証拠はまず、とことん分解すると単純な整数比でそれ以上、相当技術が進まない限り何をやっても分解できない、素材に分かれる物質がたくさんあること。その素材が共通し、少ない種類の素材が組み合わせで多様な物質を作っていること。そして確証がブラウン運動……気体や液体のなかの小さい粒子が、何もしなくても動くことが、動きまわるごく小さい塊に叩かれているとして計算すると説明できること。今はもう原子自体を、特殊な針と電気を利用した顕微鏡で見ることができる。  気体や液体も説明が必要か……我々の生活している温度や圧力の範囲では、物質は固体・液体・気体の三つに分けると人間にはわかりやすい。液体と気体をまとめて流体としてもいい。固体は固く、強い力を加えないと変型しないし、表面も硬くて簡単には互いに混ざらない。液体は自由に変型・流動するが原子どうしが接していてねばっこく、圧力をかけても体積があまり変化しない。気体は風として以外感じられないほど軽く柔らかく、流動するし原子がばらばらで圧力に応じて自由に密度・体積を変えてそれを熱にすることもある。固体液体とも、重力がある場で溶けない、密度……体積当たりの質量が異なる異物があればそれが下に行く。いくつかの、密度が違う流体を混ぜて放置したら密度ごとに層になる。他にも高温高圧を含めると原子自体が電子と原子核に分かれるプラズマ、粉など中間的な性質を持つもの、圧力によって液体や固体が意味をなさなくなる超臨界などいろいろある。固体液体気体に分けるのは人類の環境・サイズ・時間感覚だけかもな。  多くのものは温度と圧力によって、固体→液体→気体と変化……相転移する。ただし固体から気体、気体から固体の相転移もあるし、この法則自体ほぼ圧力が変わらない人類が生活する世界でのことだ。圧力や温度が違うとそう簡単には言えない。固体には絶対ならないのとか圧力によってどれでもない状態になるとかいろいろある。あと均質なまま温度だけ変えても、普通なら変るはずが変わらないこともある。相転移にはきっかけがいる。  固体の多くは結晶という構造がある。決まった形になりやすい性質といえばいいかな。また非常に長い結晶などが、摩擦……固体どうしを一度物理的な位置を接触させて動かそうとすると、特に互いに圧力がかかったまま圧力と垂直に動かすとその動かそうとする力に、圧力に比例した抵抗がかかるんだ……でまとまった繊維という構造もある。あと結晶ではなく、実際には非常に変形しにくい液体といっていいガラス質もある。  一つ一つの原子は、上のブラウン運動もそうだが、かなりの速さで動くか、固体の場合動けないまま振動している。その一つ一つの原子の動きが気体などでは圧力となっているし、その動きの激しさが……熱力学を詳しく言うと色々違うが、直感的に熱と呼ばれる。ちなみにその熱に応じて原子の状態が少し変化し、また元に戻るときに光を放つ。例外もあるが、だいたい動きが激しいと体積が増える。  その熱は推移律で温度という客観的な数値にでき、その温度は、単純に言えば原子が止まっている状態がゼロでそれ以下にはならない。ただし原子が止まるというのは不確定原理と矛盾している……熱や温度自体が本来量子力学で理解されなければならないものだ。  その温度と圧力は原子同士がくっついたり離れたりするのにも関わる。  さて、その原子自体にも内部構造があり、とてつもなく小さく重い原子核が原子の中心にあり、その周囲を……わかりやすい像としては電子が回っていると言われるが、量子力学的な理解では全然違い、物質波が確率的にいくつかの軌道を占めている。それがどんなものかは数学的に描写するのがいちばん早いから、あとでブックリストを出す本で学んでくれ。人間が言葉でいくら直感的に描写してもほとんど無意味だ、人間の言葉自体それを描写するためのものじゃない。  原子核は陽子という電子とは逆の電荷を持つ、非常に重い粒子と、陽子と同じくらいの重さで電気的に中性の中性子からなる。電子と陽子は電気的に打ち消しあうこと、そして原子核は陽子と中性子が「強い力」で結びついており、同じ陽子の数……原子番号……なら中性子の数は大抵陽子と同じだけど違うこともある、などは知っておいていいか。原子一つ一つには原子番号・中性子数があり、あと電子の数や励起状態……原子内の電子がエネルギーを得て少し軌道を変えること……もあるか。  大体は原子番号が大きいほど、それでできたものの密度が高くなる。いくつか例外もあるけど。また原子番号や中性子数の違いで、原子核が核分裂や核融合しやすかったりしにくかったりする。だから原子全体を放射性かどうかで分類することもあるな。大体原子番号が大きかったり、中性子が陽子に比べ過不足があったりすると分裂しやすくなる。  ああ、これはけっこう重要な前提だな、「同じ名前の原子や素粒子どうしは違わない」。二つの二酸化炭素分子を区別する方法は、原理的にはない。いくらでも取り替えられる。ただし原子にも中性子の数が違う同位体があるから、それも含めてだが。  あと原子自体について、原子を分ける方法は単純な重さの原子量と原子番号があり、あと大きく分けて金属・希ガス・それ以外の三種類がある。希ガスは原子どうしがくっついて分子を作ることが原則としてない。金属は我々が暮らしている温度では水銀以外は固い塊になり、化学結合から解放して単体にすると光を通さず反射し、原子から離れた電子が多いので電気や熱が伝わりやすく、うまく強い力を加えると壊れずに変型する。  より重要な特徴が周期律。原子番号順に並べると、ある数ごと……簡単に言えば最初は2、次二回ほど8.それ以降は18ごと……に性質がとても似た元素になる。それを説明したのが上述の電子軌道理論だ。  金属も周期律に従って色々分類され、特徴がある。  原子と原子がくっつくやりかたには、電子がちょうどいい数より一つか二つ足りなかったり多すぎたりする原子どうしが、電子を放出したり吸い寄せたりして電子の構造は安定するけど電荷が偏る状態になって、それがくっつきあうものが一つ。また二つの原子が、ある意味一つの原子のように、確率的に分布する電子を共有するのが一つ。また金属に見られる、いくつもたくさん集まって動き回る電子を共有している状態が一つ。  普通に結びついている分子どうしが電気的にくっつき合うこともある。 *素粒子  ついでに素粒子についても少しやるか……電子・陽子・中性子はもう紹介したか。量子力学では光は粒子でもあるので、その光子も素粒子の一つで電磁気力そのものでもある。それだけでよさそうだが、他にもけっこういろいろある……誰が注文したんだとか植物分類学になるとか言うぐらいに。  原子核の大きさで働く、陽子と中性子をくっつけて原子核にする強い力・中性子が電子と陽子などになるベータ崩壊という反応に関する弱い力も力だから波でもある粒子として扱うことができる。もちろん重力も波でもある粒子になるはずだが、それはまだ検出されていない。またベータ崩壊では、ほとんどの物体をすり抜けるので見えにくいニュートリノという粒子が出る。  それだけでなく、電子・陽子・ニュートリノそれぞれには性質が同じで電荷が違い、互いにぶつかると光になって消え失せる反粒子がある。  さらに電子・ニュートリノそれぞれ……兄貴分、といっても人間にしか通用しない言葉か、似た性質でより重い、見つかりにくいのが二つづつある。  電子やニュートリノや光子、その同族には内部構造は今のところ見つかっていないが、陽子や中性子には内部構造がある。三つのより小さい、クオークと言われる素粒子がくっついている。クオークは単独では見られない。今のところクオークは六種類見つかっている。  いろいろな粒子を区別する「性質」には質量・電荷・寿命・スピンなどいろいろある。それぞれの本当に本質的な意味は知らないけど。寿命は状況によって結構違い、原子核の中では何億年も平気な中性子が、外に出ると短時間で壊れたりする。  あと量子力学の世界では、素粒子が動き回っている真空そのものが何もない空間ではなく、常に色々な粒子と反粒子の対が出てきては消えていく動きに満ちた世界だということも忘れないで欲しい。  力そのものは重力・電磁気力・核の弱い力・強い力が今のところ見つかっている。 *元素の成り立ち  かなり飛ばしたな、その宇宙が冷える過程で本来なら電子と陽電子、陽子と反陽子……は同じ量できて互いに打ち消し合って物質は何も残らないと考えるのが楽なんだが、なぜか私が生まれた宇宙は、鏡像や反物質がからんだ対称性がわずかに破れて「物質」が結構あり、「反物質」はほとんどない。  さて、そうしてきわめて広い時空に弱まった電磁波が充満し、そして水素原子、ヘリウム原子が飛びまわり、そして水素どうしがいくつかはくっついて分子になる……そんな状態になった。  その虚空を飛びまわる原子どうしが、自然に重力によって集まって固まり、積もってどんどん密度を増していった。その密度が限度を超えると核融合を起こし、ものすごいエネルギーを出すと同時にヘリウム以上の……酸素や炭素など重要な元素も大量に作りはじめた。第一世代の星々だ。その出しているエネルギーで、重力による圧力に対抗して形を保っていた。  核融合というのは原子が強くぶつかり合うと起きる現象で、原子核どうしがくっついて一つのより重い原子核となり、その際に大量のエネルギーを発する現象だ。  対照的に核分裂とは原子核が放っておくと分裂し、かなりのエネルギーを出しながら二つ以上の原子などに分かれる現象だ。これは純粋に統計確率の世界で、崩壊のしやすさも陽子と中性子の数によって極端に違う。  さて、その第一世代の星々は今ある星々に比べ巨大なのが多く寿命も短かった。星が大きいと核融合も急で激しく、すぐに核融合が鉄に行き着いて自分の重さを支えきれずに崩壊してしまう。鉄は核融合をしてもエネルギーを出さないんだ。  その崩壊でこれまたものすごいエネルギーが出て、原子番号……原子核の陽子の数が鉄以下の元素がたくさん、光といっしょに凄い速度であちこちに飛び去り、同時に鉄より原子番号が大きい元素もそのときのとんでもない温度や圧力で無理矢理作られてばらまかれた。  それからまた長い時間が経って、その第一世代の星々の残骸が集まった。重力でガスが集まると、元素の種類によっては冷え固まって固体になる。だがそのほとんどは一つにまとまり、第一世代の星と同じく……ほとんどはやはり水素とヘリウムだ……核融合を始める。  もちろん核融合を起こせるほどたくさん集まらないのもある。恒星の周りを安定した軌道で……この宇宙の物理学が実数の三次元空間一次元時間で、重力が距離の二乗に反比例するという法則だから大質量の周りを安定して回る楕円軌道なんてものがあるんだ、嘘だと思ったら別の次元数で計算してみればいい、うまくいかないんだ……回る小さなガスの固まりや、さっき作られた水素以外の元素が多くて冷え固まった岩や氷の固まりが回る、星系といわれるものもたくさんある。  まあ恒星が二つや三つ、互いに引き合って回る星系のほうが多いとも言われているが……そのあたりは難しい問題が多い。三つ以上の星が互いに引き合いながら回るのを計算するのも難しいし、また今私たちが住んでいる太陽系の外の星にどんな惑星があるか観測するのも遠すぎて、今急速に進歩しているけどやはり難しい。  そんな形で無数の、第二世代かそれ以降の太陽系ができた。その星は一つ一つ色々な性質を持ち、なかには寿命が長いのもあるし重くて明るく短いのもある。色も光の強さもさまざまだし、明るさが変わったりするのもある。  そんな星々がたくさん集まってまとまって回るなどして銀河を作り、その銀河がたくさん集まって銀河団ができている、ということももう話したと思う。 *太陽系  さて、では私たちが生まれた星、地球とそれが属する太陽系を紹介しよう。  第二世代以降の星の一つ、太陽があるのはごく平凡な、中心に特に多くの星が集まった固まりがあり、そこから何本か腕状の星の集まりが回っている銀河の、ある腕のやや端側にある平凡な……主系列星と呼ばれる大きさの星だ。そのあたりは星もあまり集まっていなくて、隣の星までかなり遠い。  そういう星は非常に寿命が長く百億年近くあり、そのうち数十億年は安定している。だからこそ私がここにこうしていてこんなことを説明しているわけだ。というか今まで言ったことの多くについて、少しでも物理法則などが違ったら「私はここにこうして」いない。原子核が安定に存在する、核融合が安定して起きる……いろいろなことについて、色々な力などが今の宇宙での比から千分の一でもずれるとうまくいかない、ということがものすごく多いんだ。まあそれはポール・ディヴィス『幸運な宇宙』参照だな。  その主系列星……太陽は、その莫大な重力で多くの惑星などを軌道につなぎ止め、強い光と熱、荷電粒子流などを出して惑星を温めたりしている。  目立つ大きさの惑星は、特に大きいガスの固まりが二つ……木星・土星と呼ばれる……あり、あとかなり大きい天王星・海王星の二つ。他に木星軌道の内側にやや大きい、岩と呼ばれるかなり高温でも固体であるものの固まりが太陽から順に……かなり小さく気体に取り巻かれてない水星、やや大きく非常に分厚い気体に覆われた金星、岩の固まりの中では大きく薄い大気があり、磁気によって太陽からの荷電粒子から守られ表面に液体の水がたくさんあり、水星並みに大きい衛星を一つだけ持つ地球、そして小さめで薄い大気と小さい衛星が二つある火星がある。他にも火星と木星の軌道の間にたくさんの小惑星帯、また巨大ガス惑星の外に海王星という惑星が目立ち、その外にもたくさんの比較的小さい惑星がある。まあ遠すぎて私たち人間にはろくに見えていないが。大きい惑星を回る衛星もたくさんある。  ああ、回るということ自体説明がいるか……たとえば太陽から見た地球、地球からみた月などはほぼ互いの距離を変えず、円に近い軌道を描いている。それは前述のニュートン力学から導かれる動きで、互いに強い重力で引かれあっており、一方が……地球に比べて月が……すごく軽いとして、月を地球にぶつからないようにある程度の速さでその近くを通すような速度を与え、そのまま放っておく。するとそのまま離れていくか、最後にぶつかるか、またはずっと地球の周りを月が回り続けるかのどれかになる。重力によって等速直線運動から曲げられると、その曲げられたくない力が働いて、その力と重力がちょうど釣り合うわけだ。  本当はそれは二体問題、さらにいえば他の天体も含めた多体問題だ……二体だと、その二体の共通の重心の周りを両方が回ることになる。また、その回る軌道は楕円でよく、円軌道は楕円軌道の特殊な場合と考えた方が本当だ。  その地球に私は生まれた。 *地球の誕生  地球のできかたや、私を含む生物ができるまでをざっと語ろうか。  地球は太陽系ができたとき、余りが集まってぶつかり合って固まって、太陽との重力と自らの速度である軌道を回り続けている塊の一つだ。  大きさとかの具体的な数値も必要か? それは『理科年表』に載っているし、その一つ一つの数字をどうやって出したかも調べることはできる。  さて、最初地球は大きくはなかった。たくさんの色々な物がぶつかり合い、だんだん大きくなっていった。そのぶつかるときに、運動エネルギーが熱エネルギーに転換されてかなりの熱が出るから、昔の地球は我々から見れば熱かった。石が融けるほどに。  そのなかで、今広く信じられている説として、とんでもなく大きいのが地球にぶつかった結果、地球の中のほうまでえぐり飛ばされて月ができた、というのがある。  地球は石だけではなく、大量の水や二酸化炭素その他のガス成分も含まれていた。地球が少し冷え固まるにつれて、その水は気体の大気となって地球をとりまき、冷えるに従って液体の水となり、熱い大地とぶつかって蒸発……気体の水になること……し、それが気が遠くなるほど繰り返されるうちに地球の表面が冷え、大量の水が表面にまとわりつく状態になった。全部を覆うには至らず、大気に露出した岩の塊……大陸や島もある。  二酸化炭素の多くは水に溶け、同じく水に溶けている他の元素と反応して石になった。  どの物体も、周りに比べて温度が高いと、くっついていればミクロに言えば原子が振動を伝え合う……熱伝導、間が真空なら温度に応じた電磁波を出して周りと同じ温度になろうとする。宇宙全体に今非常に低い温度の背景放射があるので、宇宙に放置された物体は理論的にはその温度まで冷える。だが太陽系にある物体は太陽からの光などを受けてかなり温められる。地球は太陽が放つ光による熱、地球内部の核分裂の熱などがあるので冷え切らない。 *地球  その融けた大量の色々な物が、重力によって密度の違いごとに分離していった……現在の地球を少し描写する。  地震などを利用して地球の深くを探った結果、いちばん深いところに鉄でできた核、それを覆う高温高圧のため流動性があるマントル、そして表面のごく薄い固体の岩が地殻となっていることがわかっている。  地球の表面の半分以上は膨大な液体の水という物質で覆われており、それを海という。水が液体なのは地球の太陽からの距離、熱を調整するガスの濃度、地球深部の核分裂による熱などのバランスが絶妙だからだ。今はもう、その温度調整の相当部分はガスの濃度がやってくれているが、そんなことができるのも地球の公転軌道が真円に近く自転軸も極端に傾いてはいないからだな。  その水はきわめて多く、地上の最も高い岩の塊の高さより最も深い海の深さがずっと大きいほどだ。その水がたまったとき地球表面の溶けやすい成分を溶かし込んだため、その海の水は塩……塩化ナトリウムなどを大量に含んでいる。  水に物が溶けるということも説明しなければならないか? 水そのものも? まったくこう相鎚も質問もなにもないと、そっちがどこまで理解しているのかわからない……どれだけ掘り下げなければいけないのかもわからない。そうなると、こっちがいかに何も知らないかばかり思い知らされる。  さて、水に覆われておらず岩石が露出している部分もあり、それは陸と言われる。その陸の表面もいろいろとある。岩石が細かくなった砂やいろいろな生物と細かい砂が集まった土など。私たちは土の上に、地球の重力で押しつけられながら暮らしている。また陸や海の表面でも、冷えて固体になった水……氷で覆われている部分もある。  地球全体を覆っているのが単純な分子でできた気体の層、現在は窒素分子と酸素分子がほとんどで微量の水蒸気や二酸化炭素、その他が含まれる大気だ。  上に行くと行くほど、ちょうど羽布団をたくさん重ねると下ほど圧縮されてつまり、上ほどふわっとしたままになるように大気が薄くなる。  そのさらに外側は、太陽からの荷電粒子などと地球の磁気がぶつかって非常に複雑な領域を作っている。その働きは目には見えないが、地球の生物のためにも重要だし、両極の近くではオーロラという美しい光にもなる。 *主要元素  くそ、ちょっと主要元素・分子についていくつか解説する必要がありそうだ。本当は130まで全部やるべきなのだろうが、それだけでとんでもない量になる。それぞれの、密度とか融点とかその他細かい情報は『理科年表』などを見てくれ。原子番号もだ。  最初に原子番号1の水素。最も軽く、普通は陽子一つの原子核と電子一つからなる。原子価は……これも説明するか、要するに電子が座れる椅子がいちばん内側は二つ、中から二つめには八つ……とあると理解していてくれ。水素は電子が一つだから二つ椅子があるうちの一つが埋まり、一つ開いている。その開いた椅子や少し余っているのが、原子どうしがくっついて分子になるのに関わる……人間が手をつなぐ手にたとえられるのが多い。同じ原子番号で、状況によって原子価が変わる原子もある。  といっても、人間が作る「丸が手をつないでいる」描写なんて、量子力学と相対性理論の極限まで理解し、分子を構成している電子の量子力学的な挙動を直接見てる奴には意味不明か爆笑か、だ。電子は確率として宇宙全体に散らばっている面もあり、また分子は常に別の形を取ったり戻ったりして、その平衡状態が平均としてある性質を示しているだけだ。  ま、というわけで水素は分子を作りやすい元素だ。  さっき説明した宇宙の成り立ちでも重要で宇宙の物質のほとんどであり、恒星の主燃料でもある。また化学……原子どうしがくっついたり離れたりするのの中核になる、酸と塩基の反応でも重要だ。  次、原子番号2のヘリウム。二つの椅子が両方ふさがっている。そういうのを希ガスといい、まず原子どうしがくっついて分子になることがない。宇宙全体ではけっこうたくさんあり、恒星の核融合燃料としても重要だけど、地上ではほとんど話に関わらない。  少し飛ばして炭素。炭素の原子価は四、それで水素や酸素、酸素と水素が組んだものなどいろいろなものとくっついて、地球における生命活動の中心になっている。その化合物の多様性は目を見張るばかりだ。  次の窒素は地球の大気の主成分。窒素どうしが二つくっついた窒素分子は、私たちが暮らしている環境……常温常圧と言われる、水が液体である温度と圧力ではほとんど化学反応がない。でも窒素と酸素と炭素がうまくくっついたタンパク質は生物そのものだ。また窒素が作る硝酸という酸は重要な酸だ。窒素一つに水素が三つくっついたアンモニアという分子も重要だ。  その次の酸素。酸素どうし二つくっついた酸素分子は大気の主成分であり、珪素などとくっついたものは地球の岩石の主成分でもある。そして水・水酸基どちらも生物にとって何より重要だし、多くの生物に関する分子の成分でもある。より重要な性質が、酸素原子は希ガス以外ほぼあらゆるものと反応したがること。そのせいで多くの金属元素は、地球の表面では酸素と結合したものとしてしか得られないぐらいだ。そのくっつきやすさを利用する生物もあるし、また生物にとって毒でもある。また酸素が三つくっついたオゾンが大気の上の方で、太陽からの光で生物にとって有害なのを取り除いてくれる。これについてもまたあとで。  少し飛ばして、実は周期表では一周して頭に出たところにあるナトリウム。その同族はものすごく反応しやすい。むしろ海水から水を除いたものの主成分である塩化ナトリウム、食塩として重要だな。もちろん生物にとっても必須で非常に重要だ。カリウムも似た性質を持ち、生物にとっても非常に重要な元素だ。  マグネシウムも酸化しやすく、海水にもたくさん溶けているし、地球の岩の成分としても重要で生物にとっての必須元素でもある。その周期表で下になるカルシウムも同様に海水にたくさん溶けている。生物にとっては炭酸などとうまくくっつくことで、扱いやすく固い素材になる。それは地球の大気の成分をコントロールし、また膨大な鉱物を生みだしてもいる。  アルミニウムはとても酸化しやすい。生物にとっては毒でしかないが、多くの岩に含まれているから地球そのものにとって重要だ。あと今の我々の文明では重要な素材でもある。  珪素は炭素と、さっき説明した周期律のすぐ下で性質が似るが、炭素ほど多様な化合物は作らない。生命にとって重要な原子どうしがくっついたりすることにはあまり関係せず、それなしで生活している生物も多いが、水で生活する小さい生物や後述する穀物には珪素を必要とするものも多い。地球そのものの素材として特に重要で、さっきの酸素と珪素がくっついたものが地球の、上の方の固い部分の主成分と言っていい。あと電気を半分通す独特の性質があり、最近の人類の工業にとっても非常に重要だ。  燐も生物にとっては必須で、それがあるかないかが地球の多くの場で生物が多いか少ないかを決めている。硫黄も同様。また硫黄の酸……硫酸は環境にもかなり重要だし、生物にとっても工業にとっても重要だ。金星や太古の地球の大気は硫酸が重要な成分だったりする。また生命の発祥にも深く関わっている。  塩素はナトリウムと並び食塩のかたわれだ。単独だと多くの原子の組み合わせを切り離す毒だが、生物の中では色々な働きをしている。  金属の代表として鉄をあげておく。地殻にも割とたくさんある元素だし、地球の核の主成分だ。また核融合と核分裂の境界になるから、宇宙の成り立ちでも重要だな。また生物にとっても非常に重要。まあそれは措いて、ほとんどは酸素などと化合しているけどそれからうまく引き離し、適度に炭素などを混ぜたりすると非常に固く……変型したり壊れたりするのには大きい力がいるし、大抵の物体にぶつかっても傷つかない物になる。しかもかなり曲げても壊れず元に戻る……弾力性もあり、うまく力を加えれば壊さずに変型したままにもできる。とことん加熱して……原子の振動を激しくしたら液体になるので重力などを利用して型に流して好きな形を作ってまた冷やして固めることもできる。人間の歴史の中では銅・錫・金・銀・鉛・水銀・プラチナ・アルミニウム・タングステンなども重要な金属だな。その性質などはその時説明するよ。 *主要分子  分子となるともうきりがないけれど、中でも特に重要なのが水と二酸化炭素と食塩と炭酸カルシウムか。ああもう本当にきりがない。主要造岩鉱物だっていくつあるんだ……人間にとって重要じゃなく宇宙でどれだけあるかを優先すべきか……  人間の側から見るとグルコース、デンプン、セルロース、リグニン、キチン、エタノール、アンモニア、脂肪酸、それに硫酸・硝酸・塩酸・水酸化ナトリウムに炭酸カルシウム……どれだけ重要なものがあるかわからんな。といってもそれぞれ、ちゃんと分子式・構造図で表現しなきゃ意味はないだろ? 名前なんてそんなに重要じゃない、ちゃんと名前を聞いたら構造図が描けるんでなくちゃ。せめて最低限どんな物質なのかいえないなら。いや、構造図でさえ電子を見ることができる存在にとっては噴飯ものだ、多くの分子は常につながりを変えている。  第一、塩・酸・アルカリ・糖・脂肪・アルコール・アミノ酸などという言葉が、本当にどういう意味なのかは簡単には説明できないし、歴史によって混乱した言葉だ……たとえば糖や酸はまず味覚から出てきて、それが学問の発達につれてどんどん意味が変わっていった言葉だ。ちゃんと化学・生理学という学問全体を勉強しなくちゃここで言葉だけ出しても意味がない。  とにかく原子同士がくっつくことが多く、それで別の性質を持つものができる。それが実に高い多様性を持っている。  くっつきかたもいくつかあり、電子を共有する、一番外の殻にもう一個電子があるとしっくりいく原子と一個だけ余っている原子が引き合ったりなどがある。分子同士が電気的に引き合う力も重要だ。  その分子があるのも、私たち人間が暮らす地表という環境が、地球の重力でたくさんの原子が集められて押し固められているからで、それがない宇宙空間だと単独の原子や、原子核と電子がバラバラになってさまよっていることもよくある。もっと強く押し固められるとまた別のものになるけど。ちょうどいい押し固められかただと、電気的につりあって安定した分子を作ろうとする傾向がある。  水、酸素一つの両脇に水素二つがくっついたものは、我々にとっては何よりも重要な物質だ。だがそれは我々にとってであって、水と炭素に依存しない生物だって宇宙のどこかにあるかもしれない。でも水が非常に面白い物質であることは変わらないだろう。形自体が変だ、一直線じゃなく必ず一定の角度で曲がっていて、電気的に非対称だ。  水の固体は多くの小さい太陽系の天体の主成分だ。また地球上でも、地表のかなりの面積を覆っているし、地表の地形を大きく変えてきている。  水の液体が特に重要だ。その中では水素と、酸素一つと水素一つの水酸基に分かれたり戻ったりしている。その「分かれたり戻ったりがつりあう」のも我々の世界では重要なことだ。とにかく水は二酸化炭素や酸素、様々な金属塩などあらゆる物体を溶かす。さっき説明しかけた溶かすという現象だが、我々がよく知っていることだが、水にいくつかの固い物体を入れると入れた物が形を失い、消えたように見える。そして水に色や味や匂いがつくんだ。ちなみに重さの合計は変わらない……ほとんど何をしても重さは変わらないし、重さとエネルギーの合計は絶対変わらない、というのも重要な物理法則だな。その溶けるというのは水が電磁気的に分子の形のせいで、全体としては中性だけど、一つ一つが磁石みたいにプラスとマイナスがくっついているような働きになり、それが物に働きかけるんだ。  困ったことに、物理法則自体は同じでもスケールごとにある意味物理法則が違うように思えるんだよな……そして違うスケールの世界は、言葉で説明するのがほとんど無理だ。この説明を聞いている誰かさんが、同じ宇宙の存在でも体長2ナノメートル・2ミクロン・2ミリメートル・2キロメートル・2000キロメートルだったらそれぞれどれだけ世界の見方が違うやら……その分子のレベルの大きさだと、分子間でも電磁気力がかなり直接働くことになる。  そして水は比熱が高い……少し温度を変えるにも多くの熱が必要になる。凍ったり蒸発したりするときにも多くの熱を出し入れする。純粋な水は電気をほとんど通さないが、何かを溶かすと通すようになるし、あらゆる物の水溶液にはそれぞれ色々な働きがある。酸やアルカリといわれる性質を持つものが水に溶けると水から水素や水酸基を奪い、奪われたのが電子を奪いたがったり押しつけたがったりして、結果金属や生物を急速に溶かしたりすることさえある。  何より変なのが、冷たくなって凍った水より、融点より少し高い水の方が密度が高いことだ。そのおかげで地球では生物が暮らすことができると言っていい……もしそうじゃなかったら、凍った水が下にたまって安定し、うまく熱が動かなくなっていたはずだ。また水は凍るときに体積が少し増える。その時にはすさまじい力を出し、岩石すら簡単に壊す。加熱されて気体になるときにも強い力を出す。  水素と酸素一つずつの水酸基も、化学的に非常に重要なものと言っていい。  水の気体、水蒸気も重要だ。多くのガス惑星でも、地球などの大気でも重要な成分だ。  二酸化炭素、炭素一つに酸素二つがくっついたのも非常に重要だ。金星や火星の大気の主成分だし、後に説明する光合成、炭素循環でも重要な役割を果たす。その固体や液体も多くの天体の重要な成分だ。炭素一つと酸素一つも地球では重要で、特に水中では海の主要な酸として色々な塩を作る。  食塩、塩素とナトリウムは地球の海の水に一番多く溶けているものだ。人間の味の中心で、それがないとどの生物も生きられないが、多すぎると死ぬ。まあ酸素だって多すぎれば死ぬがね。食塩は固体だと立方体の結晶。電子を分けあって電子が原子番号より一つ足りないナトリウムと、一つ多い塩素になる。そうなることによって、どちらも電子の数が希ガス同様ちょうど良くなるわけだ。そういうのをイオンという。また食塩は、典型的な酸とアルカリである塩酸と水酸化ナトリウムの中和でできる「塩」の典型でもある。酸とアルカリがまたややこしい……本質的には物質間の電子のやり取りだ。  炭酸カルシウムも食塩同様「塩」だが、上述のように生物にとって重要な素材だ。  あととことんきりがないのが、炭素と水素を中心にした化合物だな。とにかく種類が多い。まあ我々人類が、液体の水を持つ地球で進化した、炭素と水素を中心にし、酸素で呼吸する生物だからそれがそんなに重要なんだろう。けど、あらゆる元素全体の組み合わせを知られる限り見回しても炭素と水素、それに酸素や窒素などを加えた分子群の多様性はずば抜けていることは確かだ。  あと酸素が二つ、窒素が二つなど同じ原子がくっついて安定しているのも重要かな。酸素分子はほかと反応しやすく、窒素分子はほかと反応しにくい。  そうそう、生物とかの話題になると「原子番号は変わらない」とみなしたほうがいい。生物は原子同士のくっつき方は変えることができるが、原子番号を変えて炭素を水素にしたり鉄をナトリウムにしたりすることはできない。もちろん無から窒素原子を作り出すこともできないし、いらないナトリウム原子は何らかの形で外に出さなければならない。 *古代地球、生命の誕生  さて、昔に戻ろう。海と冷えた大地、だが何もかもが違う。  太陽も今とは全然違う……もっと熱かったし、強い光が多かった。大気の成分も、分子酸素などほとんどなく濃い水蒸気や二酸化炭素、その他硫酸硝酸のガスなど色々だった。海の成分も今とは違った。火山活動も激しかったし、地球にぶつかる宇宙の大小の塊……隕石も多かった。  本来ならそのまま安定し、太陽と一緒にゆっくり冷えてもよかった。  だが、その色々な環境から、どのようにかはわからないがあるものが生まれた。  炭素・水素・酸素などは非常に複雑な分子を多数生み出すことができ、有機物と呼ばれる。  さらに窒素・リンなどが加わると、その複雑さ・多様性はまたはるかにものすごくなり、タンパク質と呼ばれる色々な働きをする一群の分子になる。しかもそのタンパク質は二十かそこらの基礎的な分子があって、それの組み合わせで莫大な多様性を生み出していたりする。  さらにそのタンパク質は互いに結びつき、また切り離す触媒となり、さらに他の金属などと結びつくことでもっと多様になり、いろいろなことができる。  触媒という概念も大切か……これはタンパク質でも、プラチナなどいくつかの金属などでも見られるもので、原子どうしがいろいろ反応するときに、「自分は変化せず周囲のある反応を起きやすくする」ものだ。それがあるとないとでは大違いだ。原子どうしはくっついたり離れたりしやすかったりしにくかったりし、それでエネルギーを出したり奪ったりすることもある。  さてその色々な分子の中から、「自らを複製する」非常に複雑な分子……RNAとDNA、その分子を覆う脂肪の膜、その他一緒に脂肪膜に覆われたりするタンパク質や糖などのセットが生じた。これからしばらく、主にそれら……地球型の生物について語っていこう。  ちなみにそれがどこでどう生まれたのか、私は全く知らない。人類の誰も知らない。  色々混じった昔の水、海の底に地中深くから噴き出す色々混じった水、または地中の鉱物、特に鉄と硫黄が結びついた鉱物の表面から産まれたなど色々な説がある。まためったに起きることではないのか多分一度だけで、地球上で生物といわれるものは全部同じ特徴を持っている。それ以降は起きていないようだし、別の星で起きている形跡もない。  脂肪や糖は炭素・水素・酸素の複雑な化合物。それぞれあまりに複雑で種類も多く、文脈によって定義も異なるのでここで簡単に説明するのは難しい……生物全体、有機化学全体を理解しなければどうにもならない。ここで話題にする脂質は炭素・水素・酸素などでできた分子で、地球の生物にとっての常温で液体になることが多く、また要するに非対称の棒状で一方の端は水になじむが反対側は水分子と電磁気的相互作用ではじき合う。また油どうしで集まりやすく、液体だと水に溶けず油と呼ばれるが、その量が水に比べ少なく、うまい力が働くと膜……三次元の中での二次元的な構造を作る。それが球の表面のような閉じた曲面を作ると、内部と外部を分けるものになる。生物という現象に関わっているのは燐を含む脂質だ。  その「内部と外部を分ける」というのが生物の本質の一つかもしれないな。  それにその表面というのが実に面白い、本当に多様でそれでいて美しい法則性のある様々な化学反応などがある、ということがこの宇宙の法則だからなのかもしれないが。 *熱力学第二法則、DNA、進化  さてここで、熱力学第二法則を説明した方がいい。私の故郷宇宙における、物理学の根本法則の一つだ。  数学的に厳密にやることもできるが、簡単に言えば「物質の集まりは無秩序に向かう」だ。本来なら物理法則の数式の上では、時間に前も後も区別できない。でもはっきりと前後が分かる理由の一つに、自然には事実上絶対に起きないことがたくさんある、ということがある。どんな物でも、それより熱い(または冷たい)物をくっつけると、いつかは両方同じ温度になる。逆はとてつもなくわずかな確率でしかない。二つの物が同じ温度である状態は、違う温度である状態より無秩序だからだ。より正確に言えば、その二つの物を構成する全ての原子がとれるあらゆる状態、とんでもない量になるが、数えれば同じような温度である状態のほうが、違う温度である状態より圧倒的に数が多い。  ただし、ここでは言葉がちょっと変だ。熱力学第二法則がすべての理由であるかのように言っているが、実際には「ありとあらゆるものが、熱力学第二法則に従っているように観測される」ということだ。というわけで、あらゆる科学者が熱力学第二法則は自然の絶対的な法則と見なしている。  ちなみに熱力学第ゼロ法則が温度の推移律による一意性、第一法則は要するにエネルギー保存則、第三法則は絶対零度の禁止だ。熱力学というのは、たくさんの原子が集まった物質の、熱などに関するおおまかな動きに関する科学だ。一つ一つの原子は見えなくても、その平均的な速さとか周囲に壁に与える力とかは厳密な法則に従う。ちなみに我々人間は結構大きく、ものすごくたくさんの原子が集まってできているから熱力学で考えるのがやりやすい。  で、「自らを複製する分子」というのは、熱力学第二法則に明らかに逆らっている。非常に複雑な、つまり秩序の高い分子がある……それはいずれ分解され、より単純な、つまり無秩序な分子の集まりになるだけの物のはずだ。だが、その複雑な分子が増えるのだ。そんなことを起こすためには、より強いエネルギー源というか高い秩序を持つものが絶対に必要になる。簡単に言えば、「利用者」が少し秩序を増やす代わりに「エネルギー源」がより大きく無秩序になることで、「エネルギー源」と「利用者」を合わせた全体の無秩序が少し増えれば熱力学第二法則には矛盾していない。  そのエネルギー源かつ自己複製の材料として、まわりのさまざまなものを油膜を通じて取り込み、また自然に複雑な分子を分解しようとする光や酸素など高いエネルギーを持つものから身を守ることもする。  もう少し、その「自らを複製する分子」を説明したほうがいいか。DNAは梯子のような構造で、四種類の複雑な分子が二つつながって一本の横棒を作っている。ちなみに、その四種類の分子のつながり方は決まっている……1は2としかつながらず、3は4としかつながらない。二つに切り離すことができ、その一方を材料の山に放り込めば勝手に1は2、2は1、3は4、4は3を作り出してつながり、横棒をつなげる縦棒も作って、切り離したペアと同じ物を作りだす。  それによって、デジタルに情報を記録するシステムにもなっている。二重に記録し、もしどこかに狂いが生じたら間違った側を切り離して自分自身を修正する能力があるから正確に情報を保ち続けることができる。  三重にして多数決にすればもっと正確だろうが、それがこの宇宙の元素で可能かどうかは知らないし、正確すぎて進化の余地がなくなるかもしれない。知らない。  さらに、その「自らを複製する」分子は、たしかに二重に記録しているから正確ではあるが、ときどき間違いもする。その間違いがあるからこそ多様性が生まれる……同じ分子のコピーではなく、構成成分……DNAであること自体は同じでありながら、とてつもない数の組み合わせの種類の存在を許す。  さまざまなそのDNAとタンパク質と脂肪膜と糖などのセット=細胞がある。DNAの情報は別の形で読まれることでタンパク質分子を作ることもし、そのタンパク質が周囲の様々な物体と反応することで細胞がいろいろと、全体としての複雑なことをする。そいつは表面の膜を通じて、外界の特定の分子などを入れたり違うのを出したりもするし、移動したりすることもある。色々やるが一番めざましいのは、DNAを複製してから周囲の糖や脂肪膜なども複製してしまい、細胞そのものが二つになることだ。もちろんDNAにも無から原子を作る能力はないので、周囲から材料になる原子を内部に取り込んで、原子のつながり方を変えて自分自身と同じ物を二つ作る。  DNAやそれに近い情報を持つ分子とそれをくるむ殻だけでできていて、別の生物の細胞の中身やそのDNAさえ部分的に利用して自己再生する、生物なのかなんなのかよくわからないものもある。  自己増殖だけでなく、内部の温度・特定の元素の濃度などさまざまな状態を保とうとするのもそれらの重要な性質で、それもまた熱力学第二法則違反だから別のところから秩序を余計に消費する必要がある。それで面白いのが、石などが「変わらない」のと違って生物は、一つ一つの原子を追えば常に出入りし、入れ替わっている。でも情報が維持されているので「変わらない」でいられる。結果的には自己修復が不可能な石より、入れ替わり自己複製する生物のほうが情報を長く保たせることができるわけだ。  細胞やその集まりが、崩壊せず自己増殖と外界との物質を出し入れなどを続けている状態を「生きている」といい、生きているものを「生物」と呼ぶ……生という概念自体、説明できない言葉だと思うけど。  で、そのためにはエネルギーや材料を必要としている。だからさまざまな、またはまったく同じ情報を持つ生物どうしでも、限られたエネルギーや材料を争い、またお互いをエネルギーや材料として自らに取り込むために争う……食うことをする! すでに生きているそれはバラバラに切断したり溶かしたり分解したりすると、別の生き物が生きるための材料・高秩序エネルギーになる……これが地球の生物の呪われた基本法則でね。呪いと言ってもわからないかもしれないが、あとで説明する。  資源が有限である限り、指数関数で増大する生物はほとんど瞬時に資源を使い切る。そうなるとどうしても、資源の奪い合いがあらゆる生物の本質といっていいものになってしまうんだ。生物は本質的に多くのコピーを作り、その大半が死んで、少し運が良かったり、何か優れた点があったりしたものが生き残る。ここで誤解して欲しくないのは、優れていれば生き残るとも限らないことだ。優れていても運が悪ければ、その産まれて生きていくべき環境に合っていなければあっさり死ぬ。  その争いにより、とてつもなく膨大な組み合わせの「間違った複製」の中から、よりその場に適応した複製の間違いをもつ多くの自分の複製を残して自己複製を続ける、つまり生きのびるシステム……進化が生じた。それによって、生物は非常に多くの種類の、どんどん複雑な構造や機能を持つものに分化した。  そういうわけで地球の、知る限り地下かなり深いところから大気がかなり薄くなるまでの、まあ地球全体で見れば薄い表面では、無数の多種多様なそれ……生物が移動したりしながら資源を求め、周囲に対応して移動を変えたり、外にあるいろいろな物質から特定のものを中に入れたりそれ以外が入ろうとするのに抗ったり、逆に中で色々原子の組み合わせを変えた分子を出したり、そして自分を複製して増えたりしている。 「進化」って言葉自体が人間の世界では誤解されている。一つの個体が時間が経つに連れて姿を変えていくのは「成長」変化が大きければ「変態」。「進化」は、常に百とか億とか子供ができ、そのほとんどが死ぬ環境で、親兄弟とは違う特徴がある子が生き残り、その特徴をその子の子に伝えて……と長い世代と自然淘汰の末に種自体に起きる変化だ。  あとここで「遺伝子」という概念も説明しておこう。人間の歴史では遺伝子・進化・DNAは別々に発見された。信じられない話だが。遺伝子は後述する親子、また同じ親の子に似た特徴が出ることで、実はそれはバラバラの情報だ。DNAの上の一つの、分子で描かれた文字が自己増殖しても受け継がれるということだ。ただし大抵の特徴は、DNA上の情報がいくつかそろわないと出てこない。  原則として、あらゆる生物の間には食べる・食べられるという関係がある。ある程度以上大型の、陸上の生物になるとはっきり動いて食べる生物である動物、動かず食べられる生物である植物という違いがあるが、むしろ多い生物である単細胞の小さい生物にはそんな違いなど無意味だ。海にはほとんど動かず食べてばかりの動物はいくらでもいるし、陸上にもまったく動かず他の生物を殺したりその死体にくっついたりしてその物質……栄養を吸う生き物もたくさんいる。動物が動く、というのはそれ自体、生物が生活する環境の多くが完全に均一ではない、位置によって物質の分布などがちがうことから生じることであり、完全に均一な世界にいる存在にとっては無意味なことかもしれない。  実際にはあらゆる生物は生きようと、そのすべてを使ってあらゆることをする。そうしない生物はあっというまに絶滅するから、人間の「目的のために何かをする」という考えの類推で生物を理解するのは間違ってはいない。  できることは実にいろいろあるが、一般に大きくなれば食べられにくい。また多数の子孫がいればどれかは運良く生き延びる確率が高い。体内でさまざまな化学物質を合成し、自分はそれでも生きられるようにしておけば、食べた相手は死ぬ……これは特に、知性の高い動物に主に食べられる植物や昆虫にとって有用だ。いや、あらゆる生物は、きわめて小さい生物に食われないように常に自分の中の化学物質を工夫することが必要だ。  何億年もかけて、その進化はとめどなく進んだ。  油膜……細胞膜の中に、別の膜を作ってその中にDNAを入れて保護する生物、真核生物が生じた。また別の生物を呑み込んでから、溶かして食らい尽くす代わりに生かしたまま利用し、共に一つの生物のように機能するのもできた。  最初の頃のそれは、よくわかっていないが地中からどんどん出てくる、秩序の大きい硫黄などの単純な化合物をエネルギー源として利用し、地下や水中の深く温度の高いところで生きていたと思われている。といってもその起源については何もわかっていない。 *酸素呼吸、光合成  その進化で、長い時間の中とんでもない反則をしでかしたやつがいた。  酸素は生物にとって主要な元素ではある。でも酸素原子単独・酸素が二つくっついた分子・三つくっついたオゾンのどれも、生物にとってはきわめて危険なものだ……熱力学第二法則で言えば、非常に秩序のレベルが高く、また他のあらゆる物と反応してそれをより無秩序な状態に引き下ろす能力が強いんだ。  そして太陽の光も、非常に秩序のレベルが高いエネルギーであり、ありとあらゆる物を分解して無秩序に引き下ろすものだ。  恐ろしいことに、その酸素をエネルギーを出すために用いた生物がいた。確かに色々な生物の素材から効率よくエネルギーを引き出してくれるがね。  またさらに恐ろしいことに、日光を使って水や二酸化炭素などを分解し、その水素や炭素の秩序を高めて使いやすい糖などを作ってあらゆる生物材料を作る元にし、余った酸素を吐き出すようになった生物がいた。  特にあちこちで重要なのがATPという水素・窒素・炭素・酸素・燐からなる分子だ。といってもこの分子は酸素以前から活躍してたけど。生物の色々なところで、動いたり細胞膜から過剰になっている元素を出したりするいいエネルギー源になる。呼吸でブドウ糖という一番単純な、炭素と酸素が6水素が12でできた糖と酸素、その他より単純な材料からATPを作る化学変化は生物にとって最も重要なものの一つだが、非常に複雑なので簡単に言葉にはできない。ただし生物はATPを直接大量に貯めるのではなく、ブドウ糖を組み合わせたデンプンや脂肪を貯めるのを好む。ATPは不安定だし、酸素呼吸がいつもできるという前提ならいつでも呼吸と貯めた栄養からATPは作れる。ちなみにブドウ糖は塩化ナトリウムも同様だが水に溶けやすく、そういうものはたくさん水をほしがって細胞を破裂するほど膨らませてしまう。  まあそうやって、限られた噴火口などだけにあるメタンや水素や硫黄化合物だけでなく、もっとどこにでもある日光と二酸化炭素と水だけから生物としてのエネルギーと材料のほとんどを得られるのは便利だ……あと燐や窒素などいくつかの元素が多少あれば自己再生を全部できるのだから。  要するに日光があれば、日光と水と二酸化炭素などを使ってエネルギーと生物材料と酸素を作り出すことができ、また酸素と生物材料を使って効率よく生きることができる、というわけだ。  だが、その日光を用いる過程は酸素という恐ろしい物を環境に、大量にばらまいてしまう。人間の世界で言えば排ガスに猛毒を含む超強力エンジンのようなものだ……  その結果とんでもないことが起きた。それまで生きていた生物のほとんどは死んだはずだ……大災害だ。それまでと同じ、酸素を使わない生物は酸素が届かないほど深い海の底や泥の底などでかろうじて生きのびた。  代わりに、日光を使って酸素を作る生物と、酸素を使って呼吸する生物が地球……生物が生きられるのはほとんど海だが……の主流になった。  そのときに面白いことがある。日光を使って酸素を作るのも、酸素を使って呼吸するのも、単独でやれるのはものすごく小さい生き物だけだ。もっと大きい生き物は、膜……細胞単独であっても、もっと小さい生き物を生きたまま取り込んで一緒に生き、その力を借りている。  私たち大きい生き物もそうだ。大きい細胞がそんなややこしいことができるほど、一度大きくなった細胞は進化できないのか……それとも小さい細胞を取り込んだほうが手軽だからか、それは知らないね。いや、なんでも理由を探ろうとするのがまた人間の悪い癖でね。大きい生物にはけっこう苦手なことがあって、それを小さい生物にやらせている。さっき言った光合成と酸素呼吸は細胞内の共生生物に。また大気中の窒素をとりこんだり捨てられる単純な窒素化合物を再利用したり、植物の形を支えるやたら丈夫な物質を消化したりするのは非常に小さく単純な生物にやってもらっている。自分でやればいいと思うけど、できないらしい。  その、大量の酸素が放出され、二酸化炭素が消費されたことは地球全体にも色々な副作用がある。  まず、それまで海に大量に溶けていた鉄などが、その酸素と化合して沈んだ。生物にとって鉄は、少量ですむがけっこう大事な要素だったのにそれが一気に不足した。また当時沈んだ膨大な酸化鉄は、海の底で固まって巨大な鉱床を作った。  炭素と酸素とカルシウムの固まりも膨大だ。他にもたくさんある。  さらに酸素はそれでは足りず、海に溶けきれなくなって大気に混じった。それが上に行くと酸素はオゾンになった。オゾンは日光に含まれる紫外線……波長が短くて化学結合を切り離す力が強い光……を吸収して分解し、すぐに元に戻る。それが繰り返されるから、有害な紫外線は地上に届かなくなった。  それまでは海水の防御がなければ、地上は紫外線のせいで生物にとって生きられる場ではなかったが、そうではなくなったんだ。  生物がやった環境調整は他にもある。大気中には多くの二酸化炭素もあったが、生物が光合成で大量の二酸化炭素を消費し、それと海水のカルシウムを利用して炭酸カルシウムやそれに近い物にして自分の形を支えたり、食べられないよう身を守ったり、食べるための刃物にしたりした。それが死後海底にたまり、長い年月などの力で膨大な岩石に変わっている。それは地殻にとってもかなり重要な成分だ。それで二酸化炭素を減らしたことは、地球の気温そのものを大きく変えている。 *性、多細胞生物  さらにそれまでは細胞は中のDNAが自己再生し、細胞が分裂して増えるだけだったのが、二つの同じ種類の、遺伝子の一部だけに違う特徴がある生物がくっつき、DNAの「分裂できる梯子」という性質を利用して情報を交換し、複製の失敗による進化を待たずものすごい多様性を得る方法を身につけた。多様性があれば、多少環境が変化したりしてもそれに合ったやつが生き延びることができるし、体内に入って中から食おうとする小さい生物を防ぐ方法もたくさんあるから有利なんだ。  それが二つの対によって行われる、というのも一番単純ではあるけれど、聞いているのが三つ以上の性をもつのが当たり前だったり、性がなく単独の自己複製子しかなかったりする存在だったらびっくりして不気味に思うだろうか。  ある個体が、一部の細胞からDNAの半分を持つ小さい細胞を作り、それが自分と同じ種の生物が出す同じく半分のDNAを持つ小さい細胞と合わさると、小さい完全なDNAを持つ細胞……受精卵がひとつでき、それがまた分裂を始める。いくつかのDNA塊が二つ対になったのを多数用意しておき、片方づつを選んでいくやり方もある。  大体子供は両親に似るが、同じ両親の子供でも別々に生殖されれば色々違いがある。それが性だ。  そして特に次にいう多細胞生物の場合、そうして繁殖さえ成功したら他の身体は用無しだからすべての細胞が崩壊する、死が始まった。そういう生物はちゃんと水や酸素、光や食物があり、食べられもしないし病気にもなっていないのに時間がたつだけで動くのをやめ、自然の微生物に食われるのに身を任せてバラバラにされてしまう……死んでしまう。特に人類自身も含め、人間の目に入るような大きい生き物のかなりの部分がそう、有限寿命だ。  ちなみに遺伝子交換の方法は性だけでなく、上述の小さいのを体内に取りこんで共生するのもある意味それだし、また微生物の世界ではDNAの部分が切り離され、別の微生物のDNAに混ざってそのまま、ということも結構ある。  またものすごい時間をかけて、いくつかの細胞が集まってまとまって、しかもその細胞はどれも同じDNAを持ちながらいろいろな形・機能の部品に変わって、助け合って一つの生き物になる、という複雑きわまりない生き方に進化したものがあった。  他にも海には多数の、同じ遺伝子情報を持つ動物がまとまり、しかも色々と違う形や機能に分化してちょうど同じ遺伝子を持つ細胞が協調するように暮らしている、ということをやっているカツオノエボシとかがいるな。サンゴやシロアリも個体の集団が一つの生物のようにさえ見えるし、大きな面積を占める植物の集まりが同じ遺伝子ということもある。  多細胞生物はまず生殖のために分化した細胞を作る。動物の大半は有性生殖、ごく一部の動物と植物は無性生殖もする。無性生殖しか確認されていない多細胞動物はわずかだ。  まず受精卵がしばらくくっついたまま分裂し、そのうち分裂しながら形を変えて色々な器官を作り、その器官が協働してひとつの個体になり、その個体が元と同じぐらいの大きさまで成長したらまた半分のDNAをもつ細胞を作って……というわけだ。  ああ、多細胞生物のひとつの生きているもの……個体は、ある程度以上破壊……元の形から無理な力で変型させられたり、変に加熱されたり冷凍されたり、長期間必要な水や酸素を得られなかったりすると、残りの細胞が「まだ生きて」いても機能しなくなり自然に死ぬことが多い。特に複雑な構造になるとなるほど破壊に弱くなり、簡単に死ぬ。複雑な構造と機能分化した器官どうしの助け合いがなければ、各細胞が自力で水や酸素や二酸化炭素や養分を得たり周囲の微生物に食われるのに抵抗したりできないんだな。そうなったら自然の微生物に食われるだけだ。  ああ、でも無性生殖……自分自身のコピーを生殖と似たシステムで作ることができる生物もけっこう多いか。ほかにも半分ずつが、雄雌とはっきり違いがある生物もいるし、ほとんど同じなのもあるし、一つの個体が雌雄両方の生殖機能を持つのもあるし、一つの個体が成長などによって雄になったり雌になったりするのもあるし、ほとんどの個体は生殖機能を捨てるのもあるし……実にいろいろある。  また、多細胞生物にとって、個々の細胞はそれほど重要とはいえない。再生できるだけ残ってさえいればいい、生殖さえできればいいんだ、いくつの細胞が壊れても。だから多細胞生物の中では常に、多くの細胞が死んで、また別の細胞が再生する。それで遺伝子情報や形、記憶などは同じでも、体を作る元素全部が入れ替わって、分裂も死もなくそのままの細胞などなくなる。でも個体として生きてる。その点は、個々の原子は常に入れ替わりながら情報は維持されてる細胞と似ている。  だから、考えてみると無駄な話なんだが、どの細胞にも同じ、完全なDNAが入っているんだ。人間の機械でいえば、たとえば自動車の塗料のひとかけらにも「全部品の設計データ」が入っているのと同じだ。無駄な話ではあるけど、その車の目的が「情報を運ぶため」だとしたら別に無駄じゃない……人間がやるようにトランクに一冊だけ入れていたら、それが燃えたら無意味になる。  ああそうだ、人間の側から見れば、今言ったようなことはなかなか見えない。人間には単細胞生物を目で見ることはできないから世界を構成する生物は多細胞生物ばかりだ。そしてその多細胞生物は皆子を生み、子は親に似ている。  死は性を持つ多細胞生物にとってとことん本質的なことだ、ということは忘れないでおいて欲しい。 *地球生命圏、大量絶滅  さて、多細胞生物ができたのが10億年ぐらい前だ。生物がいつ発生したのかは知らないが、大体35億年ぐらい前といわれているから半分以上は単細胞生物だけだったんだな。今も生物全体の多くは単細胞生物だよ。単細胞生物を細菌と呼ぶこともあるけど、本当は人間は微小生物についてはあまりよく知らないから、多分その呼び方は間違いが多いと思う。今更直せないことも多いけど。  そうやって地球の表面近くは、大きい生物や小さい生物がたくさん満ち溢れるようになった。実は地球のかなり深い、高温高圧の岩の中にもけっこう単細胞生物がいるらしいけど、それについては人間は知り始めたばかりだ。  最初は地上には生物はいなかったけれど、さっきも言ったようにオゾン層が日光のやばい波長を遮断してくれる……ああ、あと地球そのものが適度に大きく、中がずっと熱いからか強い磁場を周囲に作っていて、太陽からの、光速に近い速さで飛んでくる素粒子などいろいろまずいものが地上に当たらないようにしてくれている事もあるか、地上でも生物が生きられるようになってきた。あと、数億年前から海水が地球内部に引きこまれて戻らなくなっていき、陸地が大幅に増えたこともある。  生物は本質的に水を必要とするから、最初は地上でも水が流れたりたまったりしているところ、それから少しずついろいろなやり方で水を持っていったり手に入れたりする方法を学んで、地上にも生物が広がった。  でも、確かに大気や地磁気などが守ってくれてはいるけれど、宇宙・地球というのは絶対安全なところじゃない。地球自体も今言ったように中がずっと熱い……それは時々、大量の炭酸ガスや窒素・硫黄化合物とともに中の液体の熱い岩を吐き出すことがある、ということでもある。  また宇宙の、太陽の重力圏にも、そりゃ各惑星ができたころに比べてだいぶ減ったけど、たくさん不安定な軌道で飛び回る塊はある。小さいのは地殻にぶつかる前に、大気と激しく摩擦することで蒸発する。前も言ったけど、熱は原子のぶつかる速さだ……極端な速さで空気に飛び込めば、それは激しく加熱されるのと同じになるんだ。でも時たま特大のが来ると、大気との摩擦でも燃え尽きないで大地にぶつかる……隕石だ。  重力で地球と引き合って加速しているからすごい速度になっており、その速度と質量が持つエネルギーは瞬時に膨大な熱エネルギーに変わる。特に巨大なものは時には地下の熱いとこまでぶち抜いてその熱まで引っ張り出して、気体と化した岩と加熱された空気は地上の全てを焼き尽くす。大量の岩石粉も地球全体にばらまかれ、それが大気上層に浮いて日光を遮断したりする。またでかい隕石は大抵海に落ちるから、海もめちゃくちゃにかき回される。そうなるときわめて多くの生物が死ぬことになる。  太陽の光、地球の自転公転も、安定してはいるけれど完全に安定しているわけじゃない。そのわずかなぶれは、大抵は大したことないけれど時たま、大気・海水・そこの生物などが色々と関わって複雑に絡みあう中、温度や化学成分の変化が大きくなることがある。何度か地球全体が凍りついたことさえあるぐらいだ。そうなるともちろんほとんどの生物は死に絶える。  まあとにかく事実だけ語ることにしよう。地球の過去を調べていくと、何度も地球の生物の大半が死んだ大災害が起きたことは確かだ。そしてそのたびに、特に陸上の大きい動物や植物で今の人間が保存された死体を発掘しやすいもので一番目立つものの、根本的な形や子供の生み方が変わる。  ある時期は二億年も、今生きているのより巨大な動物と植物が暮らしていたが、それが巨大隕石の衝突でいきなり絶滅したりしたんだ。   ちなみにここ最近も大量絶滅の真っ最中だ。私達人類のおかげでね。  ああ、人間の目は、元々人間が知っているものしか見えない。そして昔を知ろうとすると、前に言った「カルシウム化合物などの固い部品」が石になったものが一番見えやすいから、それを持たない生物は注意しないと見えない。だから人間は昔を「どんな大型脊椎動物がいたか」だけでイメージすることが多い。それは多分、本当の姿の一面でしかないと思う……微生物や昆虫、海中生物の変遷から地質時代を区分する方がおそらくは正しいんだろう。でもそれはある意味どうしようもない。人間のものの見方が限られていることは分かっているが、人間であることはやめられないんだ。もしナメクジが泥の大文明を作っていたとしても全部水に流れてわからない、と『火の鳥』にあったっけ。 *プレートテクトニクス、大陸配置  そうそう、以前海と大陸は紹介したが、地球の中がまだ熱いからか、大陸や海底は常に動いている。非常にゆっくりで、人間の一生……地球が太陽の周りを回る時間の、長くて百倍程度ではほとんどわからないが。人間はそういう長い時間を理解するのも苦手なんだ。  動いていること自体は、それこそ宇宙から見ればこれから紹介するアフリカ大陸と南アメリカ大陸が、一枚の板から切ったものだと一目でわかるのでわかりきったことだと思うが、人間は……まあその、人間がどれだけバカかという話は後だ。  今の大陸の配置をざっと紹介しておくか。北極周辺は海で、その周りを二つの大陸がとりまいている。  いちばん目立つのが圧倒的に大きいユーラシア大陸。東西に長く、南北にもかなり延びている。  その北西辺にひとつ、南側に三つ、東側に二つ大きな半島……大陸から海に向かって突きだしている地形が延びている。西端そのものを巨大な半島と言うこともできるな。  北極海を囲むもうひとつの大陸が、北側に多くの大きい島……大陸より小さい陸地を人間は島と呼ぶ、基準はどう見てもいいかげんだ……があるアメリカ大陸。  アメリカ大陸は南北に長く、北半球と南半球を分ける赤道より少し北で極度に細くなり、また赤道ぐらいで膨らんでから南に向かうにつれて細くなって海になる。  そしてユーラシア大陸の西側から南に下ると、陸地にほとんど囲まれ、かろうじて少しだけ外の大きい海につながっている地中海という海を挟んで、ユーラシア大陸の南の西側の方のアラビア半島とごく狭い陸地で結ばれたかなり大きいアフリカ大陸がある。アフリカ大陸は南北に長い。北側がかなり広く、赤道あたりから急に狭くなって、かなりの間大体そのままの東西幅で南下し、急に狭くなって海になる。ちなみにアフリカ大陸の東のほうに、南北方向にプレートの割れ目ができかかってる。何万年という時間が過ぎたらそれは海になって、二つの大陸になるんだろうな。  ユーラシア大陸の北東部は海に突き出すように、アメリカ大陸とほぼ接している。その狭い隙間から南下すると、細長いカムチャッカ半島に接して東側を覆うように千島・日本列島と呼ばれる島が連なっている。日本列島とユーラシア大陸が囲む海に朝鮮半島が突き出ている。ついでに、西端の少し北にもやや大きい島と周囲の多数の島がある。  それから南に行くと、インドシナ半島という南東側の半島があり、そこから更に南、赤道前後にいくつか大きい島がごちゃごちゃある。  さらに南には小ぶりのオーストラリア大陸がある。  それを無視してインドシナ半島からユーラシア大陸を回ると、南側の中ほどに三角形のインド半島が突きだしている。  ずっと南は、南極点を覆って南極大陸があり、その大陸は他の大陸とかなり離れている。  全体に北側に陸が多く、南側に少ないな。  同じことだが、海を南から見てみようか……南極大陸を囲む帯状の海にアフリカ大陸南部が突きだし、かなり北側にアフリカ大陸南端・オーストラリア大陸がある。アフリカ大陸と南アメリカ大陸の間……北に行くと北アメリカ大陸とヨーロッパにはさまれる……を大西洋、オーストラリア大陸やその北の群島・インド半島・アフリカ大陸に囲まれた、赤道から南半球だけの海をインド洋、アメリカ大陸とオーストラリア大陸やユーラシア大陸に囲まれる特大の海を太平洋と呼ぶ。北に行くと、太平洋と大西洋どちらも比較的狭い隙間から北極海につながっている。  ちなみに北極海と南極大陸はともに分厚い氷で覆われている。北極海はそのうち過去形になるかもしれないが。  アフリカ大陸とユーラシア大陸を分けている地中海についてはもう述べたな。  さて、大陸や海底は動いていると言ったが、動いているだけではない。どの大陸も、ひとつの岩の塊とは限らないし、海底も一枚の岩の板とは限らない。よく見たら、地下の巨大な熱量によって複雑なプレートに別れ、互いに力を及ぼし合いながら動いている。  たとえばさっき紹介したインド半島は、本来別の小さい大陸がひたすら北に動き、ユーラシア大陸にぶつかったものだ。だからユーラシア大陸とインド半島の境界が、ものすごく高いヒマラヤ山脈と呼ばれる大地の壁になっている。  そのプレートがぶつかる所は周囲に比べて高い地形……山、特にときどき大量のガスや高熱で溶けた岩を噴き出す火山が多くなるし、地面が揺れる地震も多い。  他にも山は色々な所にある。全体に……まずアフリカ大陸とユーラシア大陸の影響で、ヨーロッパは全体に多くの山脈がある。アフリカ大陸北岸にも。  ユーラシア大陸東岸も多くの山脈・火山がある。ユーラシア大陸とオーストラリア大陸の間の大きい島々にも火山は多い。  アメリカ大陸は全体に、西岸近くおよび赤道近くで狭くなっている部分がほぼ全部、ひとつながりの山脈と言っていい。  あとアフリカ大陸はほぼ全体が、なぜかかなり高い。海岸からすぐに非常に急な地形を登らなければならない。 *気象  その海と大陸の配置、地球が球で主に太陽光で温められ、また物体自体に宇宙に熱を放射する性質があること、あとは液体の水・雲・個体の水・植物のない地面・植物のある地面それぞれ太陽の光を反射する率……アルベドが違うこと、そして窒素分子と酸素分子四対一、少し水蒸気と二酸化炭素が混じっている大気や水の比熱などを考えれば、本来は地球の気候は言わなくても予測できると思う。  まあ一応解説しておくか。  いちばん単純なこと、液体も気体も、温度が高いと体積が大きくなり、その分密度が低くなる。重力下だと密度が高いものが上、低いものは下に行きたがる。そして地球の自転軸は公転している面に、本来直交するはずだがなにかがぶつかったのか少し傾いている。でも直交に近いから地球の南極と北極はほとんど日光に当たらないので寒く、赤道は一年中温められていて暑い。でも傾いている分、両極と赤道周辺以外は熱くなったり寒くなったりする。  その寒い両極と、暑い赤道の温度差は、水も大気もなければほぼそのままだ。だが水や大気が、その膨大な温度差を減らそうとする……それこそ熱力学第二法則だ。ただし、温度が違う液体や気体の固まりがぶつかり合うと、熱力学第二法則は互いを混ぜようとするが、実際には混ざるのにかなりの時間がかかってしまい、その間混ざろうとしない二つの固まりにも見える。特に温度の高い固まりが重力から見て上にあると、非常に長い時間混ざらないことがある。  まず大気。大量の気体が地球の重力につなぎ止められている状態では、周囲に比べて温度が上がると分子の運動が活発になり、その結果密度が下がって、周囲に比べて軽くなって上昇し、そこに周囲のより冷たい大気が流れこむ。それによって、重力がない場合よりよく熱い空気と冷たい空気が接触し、早く均等になっていく。あと空気は上に行くと、その上に積もっている空気が減って圧力が下がり、密度が下がって結果的に温度も下がる。  水も、大抵の液体や気体はある程度だが同じ動き、対流をする。大気の、主に対流による流れの一部を風という。それも地上ではかなりの力を持ち、長い時間で地形すら変える。エネルギーのおおもとは太陽光、いや太陽と宇宙の温度差だ。  その対流はまず赤道で大気が上昇し、そしてその少し南北で下降する。その下降した帯のまた少し南北で上昇し、と三回繰り返して両極に至る。一気に赤道から両極に風が流れることはない……地球は球だし自転しているから。  さらに地球は自転している。だからたとえば北に行こうとすると、まっすぐ行っているつもりが少し西にずれている。その作用によって、風は南北方向より東西方向のほうが強い。特に上空には非常に強い東向きの風が流れている。  また海面近くで、いくつか一年中ほぼ向きも強さも変えない強い風が吹くことも多い。  そして海水。海水は大気に比べて単位質量・単位温度変化に必要とされる熱が大きく、膨大な熱を効率よく動かしている。それがこの複雑な大陸配置で動くわけだ。太陽光は上から来るから、常に水は上が温かく下が冷たくなり、そのまま安定することが多い。  海の表面近くを見れば、いくつかのかなり速い流れがある。特に目立つのが日本列島沖を、南西から東北のアメリカ大陸北西岸に向かう日本海流、通称黒潮と、アメリカ大陸東岸の、赤道近くのくびれた所から北大西洋に抜けるメキシコ湾流だ。海水の流れと風も相互作用する。  そして地球全体で見れば、北大西洋で大量の水が冷えて海の深い所に沈み、それが地球全体をあちこちめぐってまたメキシコ湾流になって戻ってくるまでの壮大な流れがある。  さて、大気と海の間には重要な相互作用がある。あ、言い忘れたかな……地球では雨が降る場所が多い。人間の立場で見ると、前言った雲が時々特に濃くなって、上から人間から見れば小さい液体や固体の水の粒がたくさん落ちてくるんだ。  そうなると地面は大量の水で濡れ、その水が小さい岩石の隙間にしみこんでいったり、あるいはしみこみきれず地上に流れを作り、重力に引かれて低い方へ流れていくこともある。固体の水……氷だと地面を白く覆うこともある。さらに寒い所では、氷が大量に積もっていき、そのまま氷がゆっくりと地表を流れることさえある。固体は変型しないように見えるけれど、非常に長い時間で見ると流れる固体も結構ある。  その水や氷の流れは膨大な力があり、人間から見れば長い時間の間に地面を削って地形を変えることも簡単にできるし、大量の岩石などを運ぶこともできる。それだけでなく、たくさんの水が地表より下の岩の隙間などにあって、それもゆっくりと流れている。これも生物にとってはけっこう重要だ。  その水はどこから来たか? というと、答えは海からだ。海の水が太陽の熱を浴びて暖まり、蒸発する。その蒸発した水蒸気を含んだ水が、対流で動いて上昇すると圧力が減る。圧力が減ると分子の運動が遅くなる、それは冷えると同じだ。空気は温度によって、溶かしておける水蒸気の量が変わる……温度が高いほど多くの水蒸気を含むことができ、逆に冷えると水蒸気を溶かしきれなくなる。そうしたら余分な水が液体になり、まず小さい粒になって、空気の分子のぶつかる力で浮く……実はそれが雲の正体だ。そして、もっと粒が大きくなると、地面や海面まで落ちてくるんだ。それが雨。  その雨の多い少ないが地上の生物にとっては大切だ……空気中の水蒸気や造岩鉱物内部の水を直接化学的に取り出すのはなぜか生物は苦手みたいだ。いやまあ、人間が技術でやろうとしてもすごいエネルギー使うけど。  雨が降らない地域は生物が少なく、岩盤がそのまま露出し、部分的にはそれが細かく砕けた砂で覆われた砂漠という地勢になる。  緯度で見れば、赤道周辺は非常に雨が多い……空気が暖められて上昇するから。そしてその少し南北の、空気が下降する所は恐ろしく雨が少ない。宇宙から地球を見れば黄色い筋が一目瞭然だよ。北アフリカ、ユーラシア南西部、北アメリカ、南アフリカ、オーストラリア大陸などがそういう砂漠だ。  それからしばらく割と雨が多く、それから両極はこれまたほとんど雨が降らない……両極では雪か。  また全体として、ユーラシア大陸のような大きい大陸の内陸部は雨が少ない。さっき言った、水蒸気を含む空気が大陸内部まで動こうとしても、途中で水蒸気を全部落としてしまうからだ。逆に本来雨が降らない緯度でも、海に近ければ、また小さい島だったりすれば雨が降る。  特に大陸の東岸は、地球の自転する力などによって常に海から風が吹き寄せるから雨が降る。  あと、大きい山脈があって、それに常に強い風が吹きつけている場合、風上側は常に雨が降る。さっき言った、湿った空気が上昇したら冷えて雨を降らすメカニズムが働くからだ。逆に山脈の風下は空気に混じる気体の水蒸気が、上記の上昇による冷却で絞り尽くされていて雨が降らない……中央ユーラシアはただでさえ内陸なのに、ヒマラヤ山脈に南・東からの風をはばまれている。またアメリカ大陸西岸にもそれによって多くの砂漠がある。  ちなみに生物にとってはけっこう気温も重要だ。簡単に言えば赤道近くが熱く両極に行くにつれて寒くなるが、海に近かったり、特に赤道から両極に向かう海流に近かったりすると緯度の割にものすごく暖かくなる。逆に海から離れて高緯度だと一気に冷える。  また季節によって、そして昼夜によって気温が変わるが、大体海が近いと気温の変化は小さい、海から遠いと多い。  少し長い時間で見ると、最近の地球は寒くなったり暖かくなったりする。全体に寒くて大陸の多い北半球を広く氷河が覆う時期を氷期と呼び、暖かく氷河が少ない時期を間氷期と呼ぶ。地球の今は、妙に長めの間氷期だ。 *生態系 **単細胞生物  さて、今の地球で生物がどう暮らしているか、人類を無視して少し描写しておこう。  先に理解しておくべき前提が、今の生物は大きく単細胞と多細胞、そして嫌気性と好気性……酸素があると死ぬかなければ死ぬ、光合成するとしない、などと分けられる。動かない生物を植物、動く生物を動物と前は呼んでいたが、それは人間が生物に関する知識が少なかった頃に分類法を作って、新しい知識を得ても分類法を作り直すのが面倒だからだ。そんな簡単に分けられるものじゃない。  単細胞生物には嫌気性も好気性もあり、光合成をするのもしないのもある。多様で、実に多くの化学的な道具を持っている……いろいろな化学物質を出し、いろいろなものを利用できる。沸騰寸前、いや常温なら沸騰する温度で高圧の水や高濃度の塩水、地下の岩盤など、人間には信じられないような環境で暮らせるのも多い。また増えるのが非常に早く、ちょっと適した環境があればあっというまにその環境を使い切りながら増える。  多細胞生物も大小いろいろあるけど、ほぼ好気性。光合成するものは動かない事が多い。  嫌気性菌は生物の死体やそれが積もったもの、火山から出る化学物質、それこそ地下深くの熱い所でも生きるのがいる。それ以外の、人間を含む生物は水・酸素・二酸化炭素・日光・窒素や燐など肥料分を必要とし、また水が液体である、それもかなり低いほうの比較的狭い温度でしか生存できない。  生物を分けるには他にもいろいろある。人間、それもある一地方の人間に見える範囲の特徴、たとえば動くかどうかとか、ある染料で染まるかどうかとかで分類するのがずっと主流だったが、最近はDNAなどが知られて少しはちゃんとした分類ができるようになってきている。  といっても、考えてみれば生物をちゃんと分類する、なんてすべての生物のDNAとその機能が判明しないと無理だが、人類が把握してるのはそのとことんわずかでしかない。明日また、今まで知られたすべての生物より多様な生物の世界が判明しても別におかしくない。微生物についての人類の知識は本当にわずかしかない。  今の知識で言えば、まずDNAを入れるものがはっきりしているかどうかがあり、それが以前言った太陽に頼らず地下深くや海の底で地球から出る物質を使って生きてるようなものと、それ以外のちょっと表面に壁があるものに分かれる。DNAを入れるものがはっきりしている生物はごく小さいいろいろなもの、別の生物を細胞表面を通じて食べて表面に壁があるもの、その他となる。  さらに生物かどうかまぎらわしいのに、DNAだけでそれを自己増殖させるための色々な分子を持たず、別の細胞に依存して増えるのもたくさんいる。  あ、それまでの人間が分類してた、これから説明する動物とか植物とかなんて「その他」のほんの小さな部分だけだ。地球の生物の種の多様性や生物自体の重量の相当部分は、単純な単細胞生物だということを忘れないように。 **海  ではまず海の表面近くから。ほとんどの海表面は、海水と日光はふんだんにある。だが酸素や二酸化炭素はやや少なく、肥料分は更に少ない。また深い海になると一気に日光と酸素がなくなる。  そして海水はかなり密度が高いため、その中にあるだけで浮かそうとする力が働く。また運動に対する抵抗も大きい……動きにくいが押せば移動しやすいなど。だから地上に比べて、自分の形を保つための素材の強さは小さくてもよく、重力をほぼ無視できる。ただし深海に行くとものすごい圧力にもなる。あと私はつい人間の尺度で考えるが、非常に小さい生物にとって海水は……まあ人間が大量の砂利や蜜に埋まったように、泳ぐじゃなくてかき分ける代物だろうな。  そして水は比熱が大きく、海水は普通の水より更に融点が低い。そのため海水は比較的凍りにくい。もちろん融点より冷たくなったり沸点より熱くなったりしないから、生物にとっては比較的温度変化が少ない環境でもある。  海では一般に、重い肥料分は日光が水に吸収されて届かないほど深い所にある。海水表面が冷やされる場所や季節、風が大陸岸から表層海水を引きはがす場所、海流が大陸にうまく当たる場所などでは深海の肥料分が海水表面に出る。  そうなるとまず、単細胞やごく小さい光合成をする生物が増える。かなり冷たくても問題なく繁殖する。また岸が近く水深が浅い海であれば、海底に一部をくっつけて海流などに抵抗する目に見える大きさの色々な形の海藻が光合成で育つ。  それらを食べる、動き回る小さい生物がいる。それはより大きい生物の生まれて間もない頃である場合もあるし、元々小さいこともある。  より大きい生物が小さい生物を食う事が多い。まあそれだけでなく、小さい生物が大きい生物に貼りついてその栄養を吸う……寄生も多いし、また小さい生物が大きい生物の体内で増えて大きい生物を食い尽くしてしまう……病気も多いけど。  生物のスケールが大きくなってくると、いくつかの特徴が見えてくる。人間にとって目立つのは、内部に固い骨を持ち、素早く泳ぎ回る魚と呼ばれる生物群だ。  他にもイカと呼ばれる、全体に丈夫で特に固い部分がない、長く延びた部分……腕足をたくさん持つ生物もたくさんいる。外側が非常に硬い、多くの長く伸びて動く部分……脚を持つ、カイアシ類・蟹・エビなどの生物もいる。  自分ではあまり動かず、非常に柔らかくほとんど水でできたクラゲと呼ばれる生物も多くいる。  それから海底近くでは、非常に固い殻におおわれた貝類も目立つ。他にもよく見ると、色々な形をした実に色々な生物がいる……人間はそのどれだけを知っているのかねぇ、多分ほとんど知らないだろう。  さらに言えば、非常に小さい単細胞生物や、もっと単純でDNAなどとその殻だけでできているウィルスももっととんでもない数がいる。あらゆる生物が出しているいろいろなものも含まれる。  食べるやり方もいろいろあり、たとえば今地球で一番大きい動物で海に住んでいるシロナガスクジラは、その次に大きい動物ではなくかなり小さい生物を、大量に海水を口に入れて小さい隙間がたくさんあるところを通して海水だけ吐き出すことで食べている。海水の分子は小さく、生物はもっと大きいから、その間の大きさの隙間があればそこにひっかかる。濾過食といい、海ではすごく多くの生物がそのやり方で食べている。  ああ、それから海でも地上でも、あらゆる生物の死体は単細胞生物に食い尽くされる。もちろん生きていても単細胞生物どもは材料にもエネルギーにもなる生物分子の塊である生物を食って増えようと頑張っており、どんな生物も生きているのはそれに必死で抵抗して辛うじてだ。多くは失敗するけど。そしてその単細胞生物も他の何かに食べられ、そうやって生物の食う食われるが織りなす網に戻る。食う食われるだけでなく、寄生するとか共生するとか、あと出した酸素や二酸化炭素、他にも膨大な物質を色々と利用しあったりとかものすごく複雑な関係だけど。  戻らないのも結構ある……深海にそのまま沈んでしまう死骸もかなり多く、それは深海にたまって最後には積もり積もって岩にさえなる。地上の岩のかなりの部分は生物の死骸が押し固められ、また地球内部の膨大な熱のせいで地形が変わって地上に出てきたものだ。  ついでに、海の深いところでは、エネルギーから太陽に頼っていない生物がいる。地球深くの原子番号が大きすぎて不安定で原子核が分裂してエネルギーを出す元素の、そのエネルギーが元で地中の物質が色々動き、高い秩序を持つエネルギーになる水素などが出るところで暮らしているんだ。 **地上、植物  地上では酸素と二酸化炭素と日光はふんだんにあり、窒素や燐、珪素など必要とされる元素も海に比べれば足りていることが多い。で、まず水が大抵足りない。あと温度も海に比べて極端になりやすい。また大気は海水に比べて密度が小さく、浮力も小さいので重力の影響が極度に大きい。海の生物のほとんどは、地上に置いたら自分の重さで潰れて死んでしまう。  まず中心になるのが植物。海とは違い、大型の多細胞生物が主に光合成をしている。  植物にもいろいろあり、形や繁殖法で分けられている。岩などに直接張りつく水分の多いところで育つコケ、小さい遺伝情報だけの塊を出して繁殖する時少し水を必要とする、昔は巨大な木だったのもあるシダ、植物とはいえない本体は糸状に細胞をつなげ自分では動かないものが多い菌類とともに暮らしている光合成微生物の複合体である地衣類などいろいろある。  今の地球で重要なのが種子植物といわれるものだ。体が機能分化しており、光合成は葉と言われる二次元構造の器官をたくさんつけて行う事が多い。ああ、葉が細長くなったりすごく長い一枚だけの葉があったりするのもある……ここで言っているのは一般論、大体の話ばかりだ。特に寒い地方の樹木は葉が細長くなるのが多い、雪が積もらないようにかな。あと砂漠の、分厚く水分の多い植物には葉がものすごく硬く細長い構造になっているのがある。  その葉を、地上から離れた所に茎と言われる棒状の頑丈な構造で支持している。大抵一点で葉と茎が接しており、葉は簡単にちぎれ、また生えてくることができる。かなり傷つけられても全体は死なないようにだな。茎が非常に短く、ほぼ直接丈夫な葉が地上に伸びるのも多いし、また茎が地下に伸びる植物も多くある。  その丈夫さはセルロースとリグニンと呼ばれる、水素と炭素と酸素からなる化合物が一つ一つの細胞を分厚く覆い、互いに絡みあう無数の繊維となることから生じる。植物で大型のものは茎の表面のみが生きた細胞で、内部は死んだ細胞の非常に強靭な物質が集まった木とよばれるものになる。  木でないのは草という。木は非常に頑丈な構造だから、そのまま大きくなり続けることができる。植物はより多くの日光を受ける競争をするから、地上より高い所に葉をつけられれば有利なんだが、木は草より高くなれるから有利だ。ただし高くなるのに無駄な資源を使うし、水が少なかったりするとうまくいかないこともあり、草がなくなることはない。  また植物の表面は、いろいろな物質で覆われて水の蒸発や微生物の攻撃を防いでいる。また植物の一つ一つの細胞は、まあこれはどんな生物の細胞も変わらないが、常に様々な分子を作っている。植物の細胞は、ある程度以上の生物に共通する呼吸を行う小さい構造、前に言った光合成を行う小さい構造……どちらもそれ自体が細胞とは独立して繁殖する微小生物……、細胞自体を囲む頑丈な壁、色々な化学物質の液をためる部分などが特徴だ。  多くの植物は地面から下に、様々な隙間に糸状の根と呼ばれる器官を多数伸ばす。浅いところで板状に広がるものも多いが、地下深くまで伸びるのもある。地面が大体小さい岩石……砂が集まって水分をその隙間に保ち、後で言うが生物も加わって、その造岩鉱物の性質もあって柔らかい塊になった土というものになったのが植物に適している。その砂粒の隙間などに根を伸ばし、さらに細かい根毛と言われる毛を伸ばして周囲の水・窒素化合物など肥料分を吸収し、同時に茎が倒れないように支えている。さらにその根の植物の細胞に、いろいろな微生物や菌類が入って食い合ったり助け合ったりいろいろしている。  根は地面が乾燥、要するに地球上では大抵のものにくっついている水が気体になって大気に混じって消えて小さい隙間にさえない状態でも、もっと深い所にしみこんでいる水を強引に地上まで持ち上げることもできる。高い木になると、大気圧で管で水を持ち上げる限界よりさらに上まで、分子どうしの力で水を持ち上げることができる。その管全体が、水を前に言った電磁気的な非対称性でつながった一つの塊として、上から一分子ずつ抜いていくことで下から持ち上げることができる。  また植物は茎から芽と呼ばれる若い部分を出し、それが伸びて葉や新しい茎になる。茎が増えて多くの又になることも多く、枝と呼ぶ。  そして植物の、葉が変型して柔らかくなった花と言われる部分が繁殖……前述の、二つの生殖専門細胞が遺伝子を分けあう作業をする。植物の多くはひとつの体が雄雌両方の器官を持っていて、その花から多くは粉状の花粉が出て、それがめしべに着する……受粉。自分の花粉がめしべに着けばいい植物もあるし、別の同種の植物の花粉が必要なのもあるし、雌雄が別々の個体に分かれるのもある。その花は色・匂いが普通と違い、とても鮮やかなものが多い。  受粉したら大抵花の、葉が変型した部分が枯れ落ち、小さな塊が何かに包まれて出てくる。それを実といい、それに生殖した新しい個体のいちばん幼い姿……種が入っている。その種や実の多くは周囲の環境、特に乾燥や微生物によって死なないよう護られ、また栄養分がかなり乏しい所からでも成長できるように多くのデンプン・脂肪などを蓄えている。  だからそれは動物が好んで食べるものになるが、だから植物はその内部、毒になる物質を作ったり殻を固くしたりして食べにくくすることも多い。また、食べられることを利用する植物もある……植物は自力で移動できないが、種や果実に多量の栄養を蓄えておくと、それを食べる動物がその場で食べきれない分を別の場所にもって行ってくれる。そうなるとより広い範囲に子孫を残すことができる。  植物は種で繁殖するだけでなく、地下の茎、地面に接した芽、根の一部などから複数の個体を作ることもある。とんでもなく広い範囲の植物が、地下を見たら全部ひとつながりだったということさえあるんだ。  植物の生き方の一つに、つるを用いるものがある。ほぼ自在に形を変える、長い線状の茎が地上に伸びる。それは地面を覆うこともできるし、また木や草の高い茎に、多くは円筒上に螺旋を描くように上に行く。それは自分の体を支えるための資源を節約してより高いところに葉をつけ、日光を奪うことができる。そのつる自体が木化し、さらに自分がしがみついている木を枯らしてしまうことさえある。  他にも植物には花や種の性質が少し違う裸子植物、花を作らないシダ、茎がみられず濡れた岩などに直接ついて暮らす蘚苔類などいろいろある。もちろん光合成をする単細胞生物も、水中心にあちこちにいる。  気温の変動が大きい中緯度地域では、大体気温が上がり始める頃に草なら種から葉と根を出して成長を始め、木ならあちこちの、枝分かれしている部分などから小さな葉の塊を出す。気温が下がりだす頃に生殖、つまり花をさかせ種を作り、そのまま草は死ぬか根以外の地上部を死なせ、木は葉を落として幹と根だけになって寒い時期をしのぐ。  あ、陸上にも雨水がたまっている所がけっこうあり、それは海に似た生態系を作っている。違いも多く、多くは塩化ナトリウムが少ない水だから昆虫が重要な要素だし、光合成をする植物や魚の種類もかなり違う。  で、その植物を大小の動物や菌類が食べる。食べる側にとっては、植物の多くは必要な窒素化合物に比べて単純な炭水化物が多すぎるし、体に取り込むのが難しい厄介な分子が多い。 **地上の小動物  小さい動物はかなり多様だ。後述の脊椎動物にもかなり小さいのはいるが、特に目立つのが昆虫と言われるグループ。  そのグループとしての特徴はタンパク質と同じような元素構成でできた物質などでできた固い殻で覆われて外骨格をなしていること、小さいので呼吸がわりと単純でいい、前後がはっきりして左右対称、六本の脚と四枚の羽を持つ、卵を産むことなどかな。  外骨格と呼吸の構造からあまり大きくはなれないが、とにかく構造が多様で使いこなす化学物質の種類も多い。数も種類も、地球全体で全部集めた重さもすごく多い。  特に重要なのがアリとシロアリ。赤道近くでは生態系の中心となる。生殖の仕方が独特で、女王と呼ばれる一匹の雌が大量の卵を産む。その卵からかえる雌は、餌の種類によって少数の女王候補と働き蟻と呼ばれる生殖機能を持たないものに分かれ、働き蟻は生殖には関わらずひたすら地面を掘り、餌を集めるなどする。雄は何もせず、女王候補が別の巣を見つけるために旅立つときだけ従って交尾し、すぐ死ぬ。  その住みかはそれら昆虫の大きさから見れば実に巨大で、下は地下水層に達して水を集め、全体が熱や水分や空気を見事に動かす構造になっている。シロアリは体内の微生物によって木や葉を分解し、そしてアリの一部は植物を地面を掘った巣に持ち帰って下記の土壌微生物の一種を大量に繁殖させ、大量の餌を安定して得ることができる。そして互いに色々な化学物質などで情報をやり取りし……やってることは人間以上と言っていいよ。  アリに似た社会性昆虫で、空を飛んで植物の花が出す花粉や、花が出す蜜を集めるミツバチと呼ばれるものもいる。植物にとってはその蜂の働きはけっこう重要なんだ、虫は移動して別の花に体についた花粉を運ぶことを通じて、水や風以上に遠くの仲間と遺伝子を交換する手段になり、より大きな多様性を得られる。だから栄養を集めた蜜を与え、様々な化学物質を出し、花を色々な色にして昆虫を呼び寄せることをしている。  昆虫と花をつける植物をあわせたシステムの多様性は本当に素晴らしいよ。  他にも色々な小さい動物がいる。昆虫に似ているけど羽がなくて足が八本、さまざまな「糸」を使うことが得意な蜘蛛という他の動物を食べる小動物群も重要だ。体から、空気に触れると硬くなるタンパク質を出し、それが非常に細長く、弾力性が高い棒になる。さらにそれに、生物の体が触れると離れにくくなる物質まで塗ってある。それを木の枝の間などに張って、平面の形を作り、それが濾過に似た形で飛ぶ動物を捕らえる。他にも移動や、土を固めて隠れ場所を作るなどいろいろに使う。人間にもそんな能力があれば何かと便利だったんだが。  人間は地球に住む小さい生物たちについて、あまりにわずかしか知らない。 **脊椎動物  そして大きい動物のかなり多くは、我々人間も含めて脊椎動物というグループに入る。  魚も脊椎動物の仲間だ。共通の特徴はまず進行方向は前後軸とはっきりしていて左右対称、上下非対称であること。そして内骨格、表面ではなく内部に頑丈な、カルシウム化合物やタンパク質、細胞でできた繊維をうまくつないだ棒や板になることが多い構造を持ち、それによって自分の重さを支えることができる。水中陸上問わず大型化に適した構造だ。  基本的に酸素を呼吸する。体内には血液という、水に色々な化合物が溶け、無数の特別な機能を果たす体内で単細胞生物のように振る舞う他とは切り離された細胞などとともに循環する液が流れている。酸素を運ぶそれが鉄の特殊な化合物を含んでいて赤い。脊椎動物にはサイズが大きいのが多く、外の酸素や水と簡単にふれあえない細胞が多い……そのままでは死ぬ。酸素や水を血液が運び、二酸化炭素やアンモニアなどを流し去ることで体の深いところにある細胞も生きている。血の赤い色を作っている鉄の特殊な化合物は、水に溶けられる酸素よりも多くの酸素を運ぶのが主な機能だ。他の色々な生物が、色々な血液を持っている……鉄ではなく銅を使うのもいるし、植物にも体液が流れている。  脊椎動物もまず子供の産み方などでいくつかに分かれる。ああ、人間は人間を基準に生物を分類する……多分それは、本当にいい分類法じゃない。DNAも知らなかった人間が作った分類法なんだ。だがとりあえず人間のやり方しかないか……ここで新しく生物分類法を作りだす力は私にはない。  陸上の脊椎動物は昆虫や陸生貝類に比べ大型化できる。そして脳も大型化しやすい。  陸上という環境がやや特殊だ。空気は水に比べて密度が非常に低いので、浮力・移動抵抗ともに、特に大きくなるとほぼ無視できる。そうなると重力が直接かかってしまい、自分の構造を支えるのに強い構造が必要になる。また移動するのも大変だ、水中生物や超小型生物のように周囲の流体をちょっと押せば動けるわけじゃない、強い棒で自分の体を支え、またその棒で地面を押して、その反動で体自体を動かす。しかも常に重力に対して自分の体を正しい方向にしていなければならない。またその移動法には地球自体と引き合う重力、地面と足先がずれない摩擦力などの前提が必要になる。  体表が濡れており、卵を水中に産むので水に近い所でしか暮らせないのが両生類。卵というのは植物の種と同じで、受精卵が分裂し、まだ自力で動けない状態だ。  そして爬虫類という、体表が鱗で覆われており、卵も骨に似た頑丈な殻に覆われているからかなり水から離れても暮らせる動物がいる。けっこう妙な形が多く、柔軟な棒だけで他の多くの動物にある手足がないヘビ、逆に胴体を外骨格のように骨などで覆っているカメなどいろいろいる。  ああ、どこにでも例外はいる。魚にも爬虫類にも、体内で卵から小さい子供にまでして動ける子供を出すのもいる。  あと空中を飛ぶ鳥類もいる。ああ、脊椎動物はほぼ共通に、脚が四本あるんだが、そのうちの二本を空中移動のために使っている。海と違い、大気は密度が低い……あらゆる生物の素材より密度が低いから、そのままでは重力で地面に押しつけられる。だから流体の力学を巧みに生かす……上と下で対称でない、うまい形をした板を前方に動かすと、流速の違いから上向きの力が生まれる。二本の腕をその板のようにして、それを動かして飛んでいる。  昆虫の多くも空を飛ぶけれど、昆虫のサイズだとかなり飛ぶのは楽だ。二乗三乗則……この宇宙は空間三次元だから、サイズを小さくすると少ない力で体を持ち上げることができる。また水も空気も、サイズが小さくなると粘性が強まり、それも飛ぶ助けになる。鳥のサイズで飛ぶのはかなり大変だ。だからいろいろと構造上うまくできている。  でも空を飛べるというのは非常に便利だ、敵に追われて逃げるのも食べものを見つけて襲うのも。ああ、あと子供は爬虫類と同じ固い殻の卵を産み、表面は羽毛という特殊なタンパク質が非常に細くなったのを平たく分岐させ集めたもので覆われることが多く、またほかの動物と違い周囲の気温がどうなっても体温があまり変わらない……大量のエネルギーを常に使って温度を一定に保っている。エネルギーの無駄は多いが、周囲が寒くてもすぐ動けるのは有利だ。  人間が含まれるのが哺乳類。鳥同様体温はほぼ一定。基本的に前後方向にやや長い、いろいろゆがんだ円筒形に近い胴体の前方に頭部、胴体前端の下方向に二本の前足、胴体後端の下方向に同じく二本の太目の後足、胴体後端上部に長く関節の多い尾を持っている。  子供を産む方法は二種類ある。オーストラリア大陸などに少しいるだけなのが、腹に袋……中に物を入れられる、ある固まりの表面だけの構造……を持って、最低限手足が動くなど最低限生きられる程度の小さい子を体から出し、その袋の中で育てる。そうそう、オーストラリア大陸では体内で子供を育てるシステムの哺乳類が少なかったからか、袋を作るタイプの哺乳類がたくさんいて、それがまたいろいろな形、それも体内で子供を育てるタイプに似たのがいる決まった形に進化するんだ。同じ環境だと同じ形が最適になり、同じような機能を持つ生物が、食い食われの結果協力して生態系を保つようになるんだろうな。さらに飛べない鳥とかでも似たようなことが起きる。  より広い世界で生きているのが、雌……脊椎動物のほとんどは生殖が非対称で、一方が生殖細胞のほとんどを提供、もう一方の雄はほとんどDNAの半分しか提供しない、そして雌のほうが卵に栄養を大量に提供し、卵を外に出せるまで体内で保護し、殻やその内部の暫く生きるために必要な予備栄養まで与えると圧倒的に負担が大きい側……の体内に特別な器官を作り、そこで卵に酸素や栄養をうまく与えて、完全に外界で生きられるようになるまで育ててやっと出すシステムだ。  これは生物全体の生殖戦略としては、かなり極端な少産少死だ。あらゆる生き物があらゆる生き物を食べるし、外界の環境もけっこう変わるときは変わる……この地球は、宇宙から見れば安楽だけど、狭い見方で見れば非常に苛酷な場だ。多くの生物は寿命よりずっと短い時間で死ぬ。だから生物の多く、特に小型なのはものすごくたくさんの子を生み、そのほとんどが産まれてすぐ食われるけれど少しでも生き残ったのが成長して繁殖すればいい、というやり方で生きている。でも大きくなればなるほど強くなりそう簡単には食われない。大きい動物は少ない子を産み、その子に餌を与えたり保温したりして世話をすることさえある。  そう、哺乳類の雌は一般に、産んでからも体内で流れている色々混ざった水をうまく調整し、わざわざ小さい子供の食料として与え、かなり大きくなるまで食料が足りている状態にする……それを乳という。  哺乳類の表面は繊維状の細胞やタンパク質で、かなり丈夫な皮膚と呼ばれる器官を作っており、その皮膚には特殊な細胞とその死んだのなどからできた毛と呼ばれるより丈夫な、非常に細長く弾力性に富む棒がたくさん生えている種が多い。それは毛の間に空気をためて対流が起きないようにして熱伝導をしにくくしたり、外からの打撃などを弱めたりけっこう便利だ。  パターンから言えば、ここ最近あとで言うように人類のせいでまた多くの生物が絶滅しているから、それが終わってからまた別のやり方で生殖する脊椎動物が出てきてもおかしくないんだが……どうも哺乳類のその次は想像できないな。知性・大型・戦闘力などを見るのは人間の見方であって、生物にとっては適応あるのみだ。 **土  より小さい動物も、人間の目には見えにくいが非常に重要だ。線虫をはじめきわめて多様な小さい生物が大型動物の体内、土などいたるところにある。  土という言葉自体解説が必要だろう。地球の、人間が住んでいるような地域の多くでは、地面のあまり深くない部分は独特の土と呼ばれる素材でできている。  人間のサイズと感覚器から見ると砂と違い、手にとって傾けても流れ落ちない。粒どうしがかなり互いに粘着する。完全に乾燥すると石のように固くもろくなり、大量の水を入れて混ぜると非常に粘性が高い液体のような泥にもなる。土自体、色も形も非常に多様だ。その粘着する性質自体は、造岩鉱物の一部が水や風などによって非常に細かい粒に砕かれたことによる、本質的に鉱物自体の性質であることも多い。  ただ、土には造岩鉱物だけでなく、非常に小さい生物や生物の遺体など、生物の体を構成する分子やそれが分解されたものもたくさん含まれている。それと造岩鉱物の性質が合わさって、土の独特の性質ができるわけだ。  生物が落とすのは死体だけじゃない。微生物から大型動物まで、生物が他の生物を食べたときには、完全に何も残さず吸収し尽くせるわけじゃない。どんな生物も、体のなかに実に多様な物質を作っている。特に多細胞生物となれば植物の細胞壁、動物の内骨格や外骨格、羽毛や毛など非常に固い部分も多く、それらは簡単には分解して自分の材料にすることができない。大型動物の場合一般に体内には食べたものを処理するための管……海の動物には穴が一つの袋であるものも多い……があり、食べるものを入れて内部で消化吸収して余りを出す。  消化管には多くの、単細胞も多細胞も含め非常に小さい生物が常に住んでいて、それは時に宿主の体を攻撃し、大抵は食べたものの分解や吸収を助けている。たとえば昆虫の一種、シロアリは木を食うけれど、自分で木のセルロースなどを分解するのではなく消化管内の微生物に消化させている。草や葉を食べる大きい動物も大抵そうだ。そしてその膨大な小さい生物も分解しきれなかった物と一緒に排出される……糞と呼ばれる。  特に植物由来のセルロースなどを分解するのに、さまざまな微生物も非常に重要になってくる。単細胞の微生物もたくさんいるし、多細胞ですごく小さいのも実に色々いる。  また一つの方向に細胞がつながって時に分岐してちょうど植物の根のように一定の範囲の土や木にはりめぐらされ、細胞表面から周囲の栄養を吸収し、その栄養を目で見える大きさの塊に集中して、そこからごく小さい繁殖用の塊を撒くのもいる。昔は植物とひとくくりにされてきたが、動物とも植物ともまったく違う生物だ。かなり単純な構造で、運動することもないし自分で光合成をすることもない。ただし、その中には内部に微細な藻類を共生させるグループもあり、それは単純な植物に似ている。  普段は単細胞生物として生活しているが場合によって集まって、不定形の多細胞生物のように動いて、固く環境の変化に強い繁殖のための小さい細胞もしくはその塊を撒くものもいる。  特徴だけでは動物とも植物とも言えないのもたくさんいる。  本来ならもっとちゃんと、遺伝子構造からあらゆる生物を分類して、そういうのや別の小さい生物についても動物や植物と同じように詳しく説明したいところだけど、それらについては私はあまりに知らないし、人類そのものもそれほどくわしく知ってるわけじゃないんだ。許し難い無関心だよ。  また、単純に体の細胞が活動するだけでも、二酸化炭素やタンパク質の窒素が単純な形になったアンモニアやそれをより安全にした尿素という化合物、余計な水や塩化ナトリウムなどいろいろな物質を外に出さなければならない。  また生物の一つ一つの細胞も、生物個体全体も生きているだけで実に色々なものを常に外界から吸収し、外界へ排出している。自分の毛や羽毛など、死んだ細胞を体外に捨てることも多いし、粘液と呼ばれる様々な物質が混じった液などを体外に出す生物も多く、その排出されたものを食べ物とする生物もとても多い。  さて、そういう生物から出る色々な物や生物の死体……量としては植物が多く、特にそのセルロースとリグニンが分解しにくい……が、常に土に落ちる。そうすると土の中に常に住んでいる、膨大な小さい生き物がそれを食べる。そして食べては糞や色々な物質を出す。それが集まって土ができているんだ。  その小さい生物には、空気中の窒素分子を利用できる器用な生物もいて、それが最終的に生物たちの中に窒素を取り込んでいる。海にも空気中の窒素分子を使って他の生物が使いやすい分子にする微生物がいる。  さらに土の微生物は様々な化学物質を出し、土を作っている大小の岩石、造岩鉱物をゆっくりとだけど分解することさえできる。  植物の根も、そういう小さい生物と色々な物質のやり取りをしている。根を食うのも多くいるし、それを殺す物質を根が出すこともあるし、その殺すための物質をえさにする生物もいる、さらに小さい生物を根に棲まわせ、それが空気中の窒素分子や土の中の砂を分解して作った使いやすい分子を吸収したり、細かいところにある水を吸うのを助けてもらったりもする。  植物が生活するには土に適度に水と空気が含まれているのが望ましいとされる。 **生態系の元素・エネルギー循環  陸上では土の小さい生物から木や草やその他植物、昆虫や大きい動物……といろいろな生物が生きている。大量の多種多様な生物の集まりが生き続けるには安定した成分の大気とちょうどいい温度は当然として、水と秩序の段階が高いエネルギー、水素・炭素・酸素、窒素、燐や硫黄その他元素が必要だ。元素とエネルギーはなくならない、全体は無秩序に向かう、という自然界の基本法則を忘れないように。  水は陸上では雨か地下水を利用する。そのまま利用できないほど深い地下水を植物の根が吸いあげてくれたのに頼るものも多い。  高い秩序を持つエネルギーは最終的には、日光を用いた植物の光合成に由来する。  水素・炭素・酸素は、水や空気中の酸素分子・二酸化炭素分子から得られる。より単純な、言い換えれば秩序が低い水や二酸化炭素分子をより複雑で秩序が高い糖や脂肪などに変えるために日光の非常に高い秩序のエネルギーを使っているんだ。  窒素を直接空気から得るのは多くの、特に大型の生物は自分ではできない。主に土壌内の微生物がやっているが、窒素が不足して生物が少なくなることも多い。  燐や硫黄その他諸元素は、基本的にはその場にあるのを使い続けるしかない。土壌の燐を使って植物が育ち、その植物を動物が食べて燐を吸収し、より大きい動物がその動物を食べ……最後に死んで土の微生物が分解し、それでできた単純な燐化合物を植物の根が吸収、というふうに何度も繰り返し使われる。炭素や窒素も食べられたり分解されたりと色々な生物の間を流れ、時には大気や海に帰る。  水が流れていると、そういうのが水と一緒に流れ去ることも多い。でも雨といっしょに硫黄や窒素の化合物が落ちてくることも多い……火山の噴火で地球自体から出たり、また生物の非常に細かいのが空気中に出たり、海から出たりするのもある。いつも海の表面は風のせいで揺れており、海水が細かい粒となって空気中に飛んで水分が気化して大気に混じり、海水の成分が非常に細かくなって大気に混じることがよくある。  また土壌微生物は大地の造岩鉱物自体も分解し、さまざまな元素を生物の中に入れることができる。  海と陸も色々な物質のやり取りを、主に川の多くや地下水が最終的に海に流れこむことでやっている。生物の世界から見ても実に多くの、海と陸のやり取りがある。  それだけでなく、生態系からは失われ、地球内部にとどまる生物関連元素もかなりの量に及ぶ。  海底に沈む微生物の死体の珪素やカルシウムなどの化合物が海底で押し固められ、地上の岩石になっているものも相当多い。その炭素などが地下の高温高圧によって変化してメタンなどのガスやより複雑な炭化水素原子になり、それが岩盤に閉じ込められた天然ガス・石油もある。  また古代の地球では膨大な樹木が枯れて腐らないまま地下深くに埋まり、そこでほぼ純粋な炭素の塊になった。それを石炭といい、かなり大量にある。  以上のことで分かるように、あらゆる生物は他の多様な生物の存在自体に依存している。例外があるとすれば植物や海の光合成微生物、地球そのものから出る水素や硫黄に依存している微生物だが……生物は長いこと微生物だけでやっていっていたし……  少なくとも大型の生物は植物や光合成微生物がなければ呼吸する酸素もなく、日光のエネルギーを使って大量に原子のつながりを組み替えられた食物も得られない。  また植物を食べる動物は、自分を襲って殺して食べる動物や自分たちを内部から食い尽くす微生物や寄生生物がいなければすぐに増えすぎて、自分たちの食物を食べ尽くして自滅するだろう。  大型の動物は互いに縄張りを争って一定範囲あたりの数を調節し、多すぎるのが餓死することで数を調整する。また自分たちも病気や寄生生物で死ぬことで、獲物を食べ尽くして自滅するのを防ぐ。無論意識してではなく、みんな一生懸命生きようとするけど多くは失敗してそうなるだけのことだ。  そしてどの生物も糞を出し、死んで死体になる。それを分解する微生物などがいなければ、植物が新しく固定する炭素化合物だけでは土が足りなくなる。植物や微生物は、別の微生物などが糞や死体を分解して使いやすい化合物に戻してくれないとすぐそれらが不足する。また大気中の窒素分子を使いやすくしてくれる微生物も重要だ。というか植物の細胞自体に空中窒素固定能力があるとか、光合成用の細胞内共生微生物同様にみんな空中窒素固定微生物と細胞内で共生しているとかしていれば話は早かった。  ついでに動物だって自力でセルロースやリグニンを分解できたりしたら楽だったんだが、ある程度以上大きい動物には分子レベルでできないことがあまりにたくさんある。 *人類の誕生、サル  さて、哺乳類が繁栄し、地球が寒くなったり暖かくなったりを繰り返していたある時期、アフリカ大陸中央部の赤道直下で雨が多い地域で高い木ばかりの地域から、その近くに広がった草が多いが木もある程度あり、雨が降る時期と降らない時期がはっきり分かれており、一年中まず水が固体になるほど気温が低くならない地域にかけて、あるサルの一種が進化した。  それがずっと前に、森で長い時間をかけて進化してきたことは確かだ。ただしある程度草原にも適応しており、低速の長距離移動を得意とするやや大型の群れ動物だ。ただし単純に、自分の体の成分や形を変えて草原に適応するより、むしろその特殊な生活方法に順応したといったほうがいいだろう。  これだけだと意味不明だろう? とにかくまず、その人類という動物の体を詳しく描いていこう。言い忘れてたかな、この私はそれ、人類の一個体だ。  まずサルという、哺乳類の一部について少し解説しよう。木の上で暮らす事が多い動物だ。その多くは色々なものを食べ、木の上で暮らすために複雑な運動ができる。手や足、尾で木をつかむことができる。鳥類の三次元行動が非常に有利なのは前に言ったが、森の中である程度三次元に動けるだけでも非常に有利だ。  つかむ、ということがどういうことか……それを説明するとなるととことん難しいな。  平面においてある円形を円周に触れる三点で囲む。その三角形の三つの角がすべて直角より小さければ、「その円を平行移動させて三角形のどの点も円周内に入らないようにしつつ、円を三角形の外に出す」ことができない。  三次元においては、四面体で球を囲み「つかむ」ことができることもわかるだろう。  サルや人間を説明するにはそれがけっこう重要なんだ。枝という棒状……ゆがみのある円筒を、サルの類は手や足でつかむことができる。手や足は前も言った腕脚、陸上動物が体を支え、移動するのに使う棒状の身体器官の変型した末端部だ。脊椎動物の場合、複数の関節を持つ、一本の手足につき大体五本の指がある。その指は一方向だけに曲がることができ、その指が十分長いサルなどは支持する広い部分と指先が、断面を見ると歪んだ円筒形になって棒を囲んで圧力を加え、棒が外に出られなくすることができる。それによって体を棒からぶら下げて支持することができる。木が高密度に集まった空間を三次元に利用することができるんだ。  その能力と発達した感覚器、知能によって様々な種類のサルが地球全体、特に森がある所に広く分布している。  人類の遺伝子によって作られる体の構造や機能は、まず森のサルとしての生活に適応し、その特徴を多く残しつつ広い草原に適応する最中といえる、と覚えておいて欲しい。 *人体生理 **形状、四肢  では人類についてまず全体、そして下から順に解説しようか。哺乳類の一般論をやってから人類がそれから外れている点について話したほうがいいかもしれないんだが、私はあいにく人類に生まれたせいで人類について一番学んできたから、それがどう哺乳類の標準から外れているかを語るとするか。ブタ生理学やネズミ解剖学に十分詳しければ、それを解説しつつその妙な変形として人体生理学を紹介することもでき、たぶんそっちのほうがいいんだが。  今ここにある私の体を、細胞の分子レベルから全体までよく調べてみれば、それがとんでもなく複雑でよくできていることがわかるはずだ。機械とみなしてちゃんとリバースエンジニアリングできたら、あまりの複雑さと精妙さ、いい加減さに驚嘆するだろうな。そうそう、人類ももちろん含めて今まで言った大きい生物全部は、細かく見ると非常に小さな細胞……最初に言った、ほぼ閉じた油膜に入ったタンパク質とDNAなどの塊がたくさん集まってできている。  ごらんの通り、人類の個体はほぼ左右対称の形をしている。非常に大きく見ると、下半分が二股になった垂直な太い棒だ。上から丸い頭部、それに胴体という上下にやや長い塊がつき、その塊の上、頭部とつながるやや細い首に近いところから左右対称に二本、腕という長い棒が出ている。また胴体の下端から脚という棒も胴体に平行な方向に二本出ている。  前後は非対称で、前方には多く穴の類が見られる。胴体下端にも複数の穴があり、そこの構成が異なる二種類の存在がいる……多少例外はあるが。同じ両親の子供が二つのグループ、男女にはっきり分かれるんだ、不思議なことに。  一般的な哺乳動物は、地面と平行な太い棒で、その棒を上から見て長方形と見るとその長方形の各頂点から下に棒のようなものがつながっている、あと棒の前後に少し小さい出っ張りがある、とというのが基本形態だ。前後・上下に非対称で左右対称。前から動く頭部、細めの前脚が二本、太い胴体の後ろ端から比較的太い後脚、そして胴体上後端から尾が延びている。  それぞれの機能などを下から順に説明していこう。  一番下は足。多くのサルは足も物をつかむことに用いるが、人間の場合は非常に特異な体質をしている……二足歩行だ。哺乳類・爬虫類・両生類問わず大半の大型陸上脊椎動物は四本の脚全てを使って歩行する。だから四足歩行や泳ぐ動物なら前後方向と一致する体の中心軸が人間の場合上下になり、それと直交する、腹背方向が人間にとっての前後になってしまうわけだ。  鳥類は地上を歩行するときは二本脚で飛ぶことをやめて大型化した鳥は完全二足歩行、もう絶滅した鳥類に近い大型動物群にも二本脚はあったようだからそこまで珍しいわけじゃないが。生物はある程度似た形・機能に進化することもあるから分類はまぎらわしい。まあ生物に使える分子は限られているから、その分子と地球の環境で最も合理的な形自体も限られるんだろうな。  でもやはり地上を歩くときには、普通なら脚が多いほど安定する。考えてもみろ、二本脚だと移動するのに必ず一方の脚を地面から離して空中に持ち上げなければならない。その間は一本脚だ! 不安定にも程がある。それだけでなく、移動時の多くで両腕が完全に無駄な重量で、その細胞は無駄に水や酸素やエネルギーその他を消費するんだ。動物の目的なんて要するに移動して食べ、交接して繁殖することなんだ……そのほとんどで両腕は無駄だ。他の、ずっと昔いたものやオーストラリアにいる有袋類など二足歩行を選んだ動物は腕を小さくしたが、人類は例外だ。  脚が三本接地していて三角形を作り、重心がその上にあれば安定することは分かると思う。だから本当は最小で六本脚が安定するんだ。四本脚でも少なすぎる、二本脚はもうどうしようもないと言ってもいい。  だが二本脚で直立したおかげで、本当の大きさの割に高い動物になった。動物は大体大きいものほど強いから、多くの動物が人類の強さを間違えてくれる。また、高い所に目があるとより遠くを見ることができるし、高い木の実や葉も取れる。反面、四足歩行動物のように、自分が次に踏み出す地面やそれに近い化学物質を分析しながら歩くことができない。  さて、足が地面に接するところは、手が変型してかなり前後に長い構造を取っている。骨だけ分解すればわかるが、指の数どころか骨の数まで手と一緒で、一つ一つの骨の長さや太さが違うだけだ、生物の進化はそうやる。部品数の増減は困難で、一つ一つの部品を変型させるほうが楽だ。  足の指はやや短いが、いちばん内側の指が非常に太く強くなっており、地面を強くけり出す力を与えている。地面に接する足は、四つに分散できず二つだけで全体重を受けなければならない。だから多数の小さな骨がうまくつながってアーチ……横から見て曲線になっている。そうすると、上からの力が一つの骨に集中せず多数の骨に分散し、しかも形を保つように働く。アーチという構造は実に便利で、人間の建造物でもよく使われる。  他にも自然は「使いやすい形」を色々な形で反復する。それは非常に小さい物から銀河のようにとてつもなく大きい物までいろいろある。たとえば銀河の多くは巨大な渦……多数の螺旋が中心の一点から出た形を作っているし、その渦は海や大気のような大量の流体が動くときも、そのごく小さい部分にもよく出てくる。渦の形を部分に持つ生物も多く、その多くに5の平方根に関係する数が見られる。他にも我々の宇宙がしばしば見せる形や数式、定数は実に多く、その数学的な美しさは驚くほどだ。他にも単純な分岐の繰り返しなどでできた形は、ごく小さい一部が全体に相似しているような、特殊な複雑さをそなえることがある。  それら、幾何学が宇宙や生物、人間社会にまでもたらす影響はとても大きい。  人間の足の構造は極端に長くも短くもない。てこはわかるか? 棒を通じて力を伝える、特に棒を一端を固定して回転させる場合、力を加えるところと固定したところの距離:その力で何かを押すところと固定したところの距離の比で、同じ力を加えても伝えられる力が違う……数学や論理に優れた種族にとっては自明だと思う。まあその梃子で、棒が長いと力は弱まるが、早く動く。棒が短いとその逆だ。関節間の棒を伸ばすことは苦手なのか、陸上大型動物は速く走りたければ関節を増やす。かなり多くの陸上動物が、人間の足や手に当たる部分の骨を長く伸ばし、種類によっては長く伸びた指一本の先で接地して走ることさえある。逆に地面を掘るように極端に強い力を出したければ、骨を短くする。  さてと、足は関節……二本の棒の端をつなぎ、離れないようにしつつ角度を変えて動けるようにする機構……でやや長い二本の並行する骨につながり、それが膝という別の関節につながり、膝からまた非常に太い骨で胴体につながる。  特に脚全体が胴体につながる関節は見事な構造で、脚上部の太い骨……大腿骨から出ている半球形の部品がしっかりと球形のくぼみにはまりこみ、だから本来は前後左右ものすごく自由に動く。  ああ、脚は……人間の体はどこも、まず骨と骨が関節を作るときにその関節周辺にいろいろな組織がある。柔らかめの骨に似た構造、非常に丈夫な繊維、それどころか固体どうしが触れ合うと摩擦が発生するのでそれを防ぐための液体まである。  そして筋肉という、骨と骨をつなぐ細長い細胞の塊があり、それが伸縮することによって関節が動ける方向に体が変型する……運動する。  その運動は、別の神経という化学的に電気情報を伝える細胞の、電気信号によって動く。また運動は大量のエネルギーを使う……短い時間なら細胞内のATPや糖でも動くが、すぐに限界が来る。そのためにたくさんの、前に言った血液を運ぶ肉の管があり、酸素や糖分を補充して副産物の二酸化炭素などを運び去ることもする。血管と神経は全身の、生きている細胞でできているところにはほとんど至る所に、ごく細く分岐して通っている。  そして脂肪も重要だ。人間を始め多くの生物の細胞の表面が脂肪でできているだけでなく、内部にも多くの脂肪などをためこむことができる。人間などの脊椎動物は特に脂肪をためこむことが得意で、それ専門に分化した細胞の組織さえある。その脂肪は食物が足りていないとき以外は無駄な重さでもあるが、外の温度変化や衝撃などから内部を守る働きもしている。その脂肪は簡単に増減するので、同一個体でも食事によってかなり外見が変わることもある。他にもさまざまな役割を果たしている。骨内部や脳なども豊富に脂肪を含んでいるし、脂肪組織が胴体内の内臓周辺、皮膚と筋肉の間などに多量に蓄積される。  そして表面を皮膚という器官が覆っている。やや薄く、多くの繊維細胞で強化されており、内部には外の圧力、温度変化などを感じる多数の感覚器、毛を出す、表面を守る油脂を出す、これは人類以外少数しか持たない能力だが体が熱くなりすぎたときに水が気化するときに膨大な熱を奪うことを利用して冷やすため体液の一部を出すなど多くの小さい器官がある。本来なら外側を毛で守るのが哺乳類では普通だが、人類はそうしておらず、一部を除いて毛が極度に細く短くなっている。  他の哺乳類のかなり多くは、その全身を覆う毛にいろいろな色があり、それで模様を作って個体を識別させることができるが、人類にはそれができないんだ。また毛を用いた感情表現もできなくなる。  いちばんの表面は死んだ細胞でできており、さらにそこには多数の細菌が常にいて他の細菌などから内部を守っている。人間は多数の細菌との共生体でもある。  ここで生物の体がいかにうまくできているか少し触れようか……普通の生物は、表面が少し傷ついたぐらいでは死なない。傷が大きいと血液を失うなどして死ぬが、小さければその傷の周囲の細胞分裂を早め、傷を覆ってまるで傷がなかったようにすることができる。  それだけでなく、人間の皮膚は繰り返し激しく摩擦されるなど傷ついた場合、それが十分な間隔があれば一時痛んだ皮膚が回復したとき、皮膚が厚くなってより強くなることもある。また筋肉も、無理な強度の運動をしてから休息すると、傷ついた部分が運動する前よりも強くなることがある。体のすべてが、状況に適応するために成長する……まあ限度はあるが。  人類は地球全体にたくさんいるにもかかわらず、遺伝子がほとんど変わらない。昔、巨大な火山の噴火のせいでごくわずかに減ったからだろうといわれている。  だが、遺伝子の違いは小さいけれど、外見に遺伝する違いがある群れに分かれる。といってもどの個体も交配可能だ。主に皮膚の色、強い日光から内部を保護するための色素によって区別できる。大体皮膚・体毛とも黒く体毛が曲がっている、体毛がまっすぐで黒く皮膚は中間の黄色、体毛が細く色も薄く皮膚に色素が少なく白の三種類に分けられている。ただし皮膚の色は濃いけどDNAを分析したら白いのと同じだった、というのもある。ちなみにオーストラリアあたりの人々は皮膚の色が濃いが、アフリカの皮膚が黒い人々とは遺伝子的な来歴がかなり違う。  外見の違いの割に体の機能にはほとんど違いがない。体の機能に遺伝的な違いがあるといえば、後述する牛乳を消化できるかとか血液が変で病気になることもあるけどある伝染病にかかりにくいとかはあるか。  そういう構造で移動していて、また大気と、大抵の陸地表面の構造からいって、人類は上にも下にもほとんど移動できない。上に行けば重力で地面に戻され、手や足で空気を蹴ったり下に息を吹いたりしても空気の密度が低すぎて地球の重力に勝てない。地面を掘って下に行くには、特に道具を使わなければ人間のサイズと手足の構造では地下にもぐるような穴を掘るのはかなり大変だ。また呼吸器などについての説明とも関係するが、水中で生活することもできないが、短時間なら手足を使って水面近くを泳ぐことはできる。  だから人間の生活圏は、ある程度二次元で近似される。 **生殖器、骨格続き  さて、胴体の一番下には、他の多くの陸上脊椎動物は後ろ側にもう一本、尾という、内部の骨が多数の短い棒がつながってできていていて曲がることも含め自由に動く棒があるが、人間の場合例外的にそれが非常に小さくなって、骨格にわずかに残るぐらいになっている。  また胴体の一番下には、いくつか穴がある。これは雌雄……個体が生殖に於いてどちらの役割を果たすかでかなり違う。ちなみにたまに奇形がある。性はグラデーションだとか色々人間は言うが、正常に生殖できない個体は遺伝子的には自然に消える奇形だ。胴体下端は、後ろから順に食物の消化管の末端で糞を排出する肛門が雌雄……男女共通。  それから雌は生殖時に雄の生殖細胞を注入され、また子供を出すのに用いる膣、体内の水分や塩分や窒素分などを処理して排出する尿道口が肉襞と、人間の体の多くでは極度に細く目立たなくなっているが例外的に残っている体毛に守られている。  雄は生殖細胞などを作る睾丸という臓器が露出している。冷やすためとも言われているが、非常に大きいリスク要因だ。四足歩行なら胴体全体に守られているからまだ安全なんだが、人間の場合は前下に放り出している……無謀と言っていいぐらい危険なことだ、ここはごく弱い衝撃でも激しい苦痛で行動不能、最悪死に至る。その上に、脊椎動物としては比較的大きい筒状になった棒が出ている。筒としては、恐ろしいことに尿の排出口と生殖細胞を出す生殖器を兼ねている。感染などを考えれば無茶だと思うけど、なぜか大型脊椎動物の多くはそうなっている。その棒を雌の膣に入れて生殖細胞を多く含む液を放出すると、それが雌内部の器官に入って雌の生殖細胞と接して受精卵ができるわけだ。はっきり言って同時に病原微生物も厳重に保護して交換してるとしか言いようがない、アホか設計者出てこいと叫びたくなる。でもなぜかそのシステムが進化で生き残っている。多分病原微生物の交換より生殖細胞が保護されることの方が大事だったのだろう……表皮上に生殖器官を作るよりはましかもしれないし……頑丈な膜で覆って固めた生殖細胞の塊を吐き戻した消化液で滅菌してから受け渡す、なんてことはできないか……  流れだと尿や雌の生殖器官だろうが、とりあえず骨格と外見の説明を済ませる。  体幹の背中側中央に、かなり太く多数の短い管状の骨がつながった棒、脊椎があり、その一番下は前に言った尾の名残につながっているが、その下の方は大きな骨の板をなしていて、それが体内の内臓の重さを受けとめ、また前に言った大腿骨との関節を作って脊椎とつなげている。  胴体自体はそのまま上に伸びる。目立つのは前側中央やや下にある妙な部分だ。それは哺乳類特有のものでへそと呼ばれる。それはあとで説明するよ。あと胴体前方上部の形が、雌の平均と男性の平均でやや違い、雌の場合大量の脂肪を集めたふくらみが一対ある。雌雄ともその先端に周囲と色などが違う器官があるが、機能しているのは雌だけだ。  それから上は、並行に脊椎から伸びて曲がり、上のほうのは前で融合している肋骨という多数の骨に守られている。明らかに胴体背部のほうが肋骨などが多く、守りが堅い。本来四足歩行の哺乳類は背中を外に向けており、胴体前面は普段は大地でがっちり守り、決して外に出してはいけない弱点に他ならない。というか四足歩行動物にとって、腹は胴体下面だろう。まあ人間は背中の肋骨も下のほうが弱く、折れたらすぐ内臓に刺さるようにできている。欠陥品もいいところだ。  胴体のいちばん上の背中側に肩胛骨という骨の板、また前方には鎖骨という横棒があって、その肩胛骨と鎖骨がつながった所に前の大腿骨同様半球を受ける自由度の高い関節があり、腕というもう一対の棒につながっている。腕・肩胛骨・鎖骨は直接脊椎とつながってはいないのが興味深いな。  腕もまず肩、そして肘という単純な関節と骨の棒でつながり、それから多数の骨が集まった手に達する。手には足に似た指があるが、その指は五本ともかなり長い。そしていちばん内側の親指が特徴的で、やや短く関節が一つ(他四本は二つ)、他の四本の指と向かい合わせることができる。これは上記の「つかむ」作業に実に適している。手の指がつながっている多数の骨などでできたある程度動く手のひらと呼ばれる板状の部分、親指、他の指のうちの二本があれば摩擦のない球をつかむことさえできる。また手や指には実に多くの神経と筋肉があり、非常に細かい作業をこなすことができる。  あとこれは足にもだが、指先のある側は死んだ細胞でできた固い板でおおわれており、かなり力の入る作業でもこなせる。その爪という板は動物の種類によって色々な役割をする……走ることが多い四足歩行動物はそれに地面との接触を任せ、ほかの動物を食べる肉食動物はその爪が鋭く尖って獲物を破壊することができる、など。  手の指は一方向に曲げることができ、うまく最大限に曲げれば手先が塊状になる。その拳を前に突き出せば衝撃を与えることができ、それが人間の最も標準的な「武器」だと普通思われている。だがあまりに多くの小さい骨の集合体であり、それほど頑丈でもないし威力も乏しい。同じ人の頭部を殴れば骨折の危険があるほどだ。人間は本来道具を持たずに他の生物を殺すようにはできていない……おそらく、後で詳しく言う集団内での儀礼的闘争のために進化したのだろう。あと、本来の用途は人間に近いが二足歩行は苦手な大型サルが、拳を地面について四足歩行をすることがあるから、そっちが主かな。  人類の腕は非常に動きの自由度が大きい。犬は前足で背中を搔くことはできないが、人類にはできる。それは元はといえば、人類の先祖が森で木の枝を伝い、ぶらさがって体を揺らし枝から枝に移るなどして移動していた頃の名残とも言える。それは大型化して木から下りてからも、重いものを運搬したり道具を使ったり、「ものを投げる」という特技につながった。別の用途のために進化したものが、思いもかけないことに役立ったわけだ。  人間が他の生物を殺すには、二足直立によって高いところに多くの質量があり、それがエネルギーになるから、飛びかって相手を押し倒してそのまま頭や肘を体重を乗せてぶつけるのが適しているはずだ。  そして脊椎は胴体から出て、丸い頭部につながっている。頭部は頑丈な骨の板がいくつも組み合わさって殻状になり、中に大きな脳という器官を入れて守っている。頭部上部の外側の皮膚にしっかりした体毛が生える。  実を言うと、人間の二足歩行というのはものすごく無茶だ。大型哺乳動物の基本設計は四足歩行で、背骨や肋骨を始めあらゆる骨がそれに適応している。それを無理に立たせたんだ……それこそ橋を垂直に引き起こして、ビルとして住むぐらい無茶だ。なんとか立っていられるのが奇跡のようなものだ。どれだけそのせいで起きる欠陥があるか……たとえば個体が長く生存し、筋肉や骨などが弱ったらいつも足や腰に痛みがある。他にもおいおい言うが、もし聞いているのが神なら欠陥品の苦情、できれば製造物責任法による告訴をしたいところだ。 **生殖  さて、まず生殖について説明するか。生殖細胞の交換については話した……人間については精神的・魔術的・社会的などいろいろな面もあるけど、それはややこしくなるから後回し。生殖の多くは、脊椎動物の常として雌と呼ばれる半分の個体が行う。その雌雄は受精時に遺伝子で決まるが、脳や生殖器官形成の上での雌雄が成長時に狂うこともたまにある。雌は上記の胸部の脂肪と腺……乳を出す器官……が発達し、体自体脂肪が多く筋肉が少なく雄に比べやや小型だ。内部の……それも後で言うけどホルモンや脳の構造もかなり違う。  本質的に最大の違いは胴体下端の生殖排尿器官と、雌の膣につながる下腹部奥の子宮という臓器だ。大きい袋、二つ突き出た部分がありそこに卵巣……生殖細胞を供給する腺がある。その発達は、雄もだが産まれてからやや遅れて十数年必要だ。発達して妊娠していない期間は、供給されたものの雄の生殖細胞と接しなかった雌の生殖細胞などが血液に似た液として膣から定期的に出る。それがなぜか、地球の衛星である月が公転……人間から見れば変型する周期とほぼ一致しているのが面白い所だ。それに社会的というか魔術的な意味がいやというほどある。  ちなみに人類は、他の大抵の動物と違い成熟後は常に発情している。大抵の動物は、月などで定められるある時期以外は交接せず、発情期には外見や匂いがそれ以外とは少し違って見分けられる。  さて、成熟した雌と成熟した雄が交接し、受精したら受精卵は子宮内で保護され……しそこねたら普通死ぬし、下手をすると母体も死ぬ……胎盤という器官を作る。  母と子は、確かに遺伝子の半分は共有しているがあくまで別の個体だ。だから直接血液を混ぜ合わせることはできない。だが子は酸素・栄養などを必要とし、また老廃物を除去される必要があるが、まだ乳を吸うことはできない。だから胎盤内で非常に細い血管どうしとんでもない面積でつなげずに並行させ、いろいろなものを交換している。その血管は胎児と、前に言ったへそから出た太い血管でつながっている。またある程度妊娠が進むと子宮内は羊水という体液でみたされ、羊膜という膜組織で胎児を保護する。そうして守られながら単細胞から小さな人間の姿まで、二倍二倍に増えながらゆっくりと発達するわけだ。その発達では、必要ない部分の細胞が勝手に壊れて形ができる、という器用なことさえある。  人間はかなり雌が腹部に胎児を入れている妊娠期間が長く、一年近くにもなる。胎児がかなり大型化するので腹部が膨らみ、運動機能なども大きく損なわれる……単独で苛酷な状況では生存できない。  そして出産……胎児を膣から逆に外に出し、母胎と切り離すときに最大の危険がある。人間が四足歩行から二足歩行になった最大のデメリットだ。胴体下端の骨は、内臓の大きな重量を受けとめて歩行に使われる二本の脚を胴体とつなげるという、四足歩行時代の目的とは違う目的のために強引に進化した骨の板になっている。だから出産のために必要な、股間の骨の隙間が狭いんだ!  その狭い隙間を、ただでさえ妊娠期間が長くて大きすぎる胎児の、肥大化した頭骨を通り抜けさせるんだ……無茶だ。同じ大きさの四脚哺乳動物に比べてずっと母の苦痛と消耗が激しく、もちろん母子ともに死ぬリスクも桁外れに高い。まったく、二足歩行したいならなんで有袋類や鳥類や、昔いた恐竜と呼ばれる爬虫類と鳥の中間みたいな動物から進化しなかったんだ!  ああ、生物の進化については説明した通り、要するに遺伝子情報の複製の間違いから生き延びたのが選ばれる仕組みだ。だからまったく新しい要素を合理的につけ加える、ということは生物は本質的にできない。親が持っている器官を少し変型させて作るしかないんだ。それでも驚くような変化を成し遂げることはできるし、本当に不都合のほうが大きければ絶滅するからそれがテストにはなっているけど。  ついでに言うと、そんな長い時間をかけ、母体に負担をかけて生まれた人間の乳児はそれでもまだ未発達だ。わずかでも自力で移動できるまでに二、三年、自力で餌をとれるまでに最低十年はかかる。そんな動物は他にほとんどない。  出産された小さい子供はまず母親の胸の器官から分泌される栄養豊富で微生物を殺す物質も含む液を食料として成長する。ちなみに飲んでいる間は次の子供が妊娠されにくい。 **循環  さて、次はどこから説明するか……まず循環器にしよう。  頭部の前方下に、三つ穴がある。下にある一つは大きい、関節によって開閉する口、その少し上にあまり動かせない小さい一対の穴があり、その穴の上が弱い骨に支えられて少し盛り上がっており鼻と呼ばれる。  口も呼吸に使われるが、鼻が本来呼吸で外と空気を出し入れする穴だ。三つの穴が体内でつながり、一つの大きい袋とつながっていると考えればいい。  鼻の中に入るとその中に毛が生えており、その後ろには複雑な構造がある。そこには空気中の物質を分析する器官がある。空気をどんな分子が含まれているか分析し、得た情報を匂いと呼ぶ。多くの動物では非常に重要な感覚だ。  さらに行くと、口から胴体内に向かう別の管と一時つながる、複雑な構造を作ってまた分岐する。これは人間の本質的な欠陥であり、同時に最高の道具でもある。呼吸は圧力のかかった空気の流れを作るのだが、この喉の多数の筋肉、鼻から体内の空気を通す管の中のある構造によって空気の流れを調節し、それと口の様々な構造を利用して、きわめて多種多様な空気の圧力波……音を生みだすことができる。その音で様々な情報を伝えることができるのだ。欠陥としては、空気の流れと水や食物は別の臓器が処理し、特に空気を処理する肺という臓器は敏感で水や食物を含め異物を流しこまれたら簡単に死ぬ。空気用の管も詰まりやすい。だから人間は、食べたものを間違えて空気の管に入れて死ぬことが結構ある。これも欠陥だ。  さて、空気の管は下に行き、胴体に入って二つに分かれ、似た形のかなり大きい肺という臓器につながる。その臓器は袋になっており、胴体上部を覆う肋骨周辺の筋肉や、胴体内部で上下を分けている横隔膜という丈夫な筋肉の板の力によって袋にかかる圧力が変わる。そうなると気圧……大気の、地球全体から見れば薄い層だが人間から見れば膨大な積み重ねが作る、人間は普段気づかないがかなり強い圧力があるため、それによって空気が出たり入ったりする。なぜ出入口がある管にしなかったのか……穴が二つより一つのほうがリスクが少ないとでも?  その肺はきわめて複雑な、ひたすら表面積を増やすための構造をしている。無数の袋が集まったようになっているんだ。その袋に非常に細い血管が通り、そこで血液の赤を出している鉄を含む分子が新鮮な空気中の酸素と結びつき、細胞が生きるために呼吸して出した二酸化炭素を肺の空気に戻す。だから吸った空気に比べ、吐いた空気は酸素が少なく二酸化炭素が多い。  他にも色々な臓器が表面積を増やすための構造を持っている。表面積が問題でなければ、わざわざ穴を作らなくても体表でやればいい……細菌がそうしているように。でも大きくなれば、二乗三乗則……立方体の各辺を2倍にすると相似な立方体ができるが、定義上表面積は4倍、体積は8倍になることが分かるだろう。そしてn倍だと表面積はnの2乗、体積はnの3乗になる。どんな形であっても表面積と体積の増え方は同じだ。そうなると、大きくなればなるほど表面積と体積の比が大きくなってしまうんだ。だから細菌がそのまま十倍になると、内部の体積に対する表面積が少なすぎて、表面だけではうまく外界と物質を交換できない。また人間をそのまま十倍にすると、骨が細すぎ足の裏に掛かる圧力が大きすぎて壊れてしまう。だから大きくなるには頑丈な構造に、そして必要な表面積を大きくしなければならないんだ。  次は循環系かな? その血液を利用して、酸素を全身の細胞に行きわたらせ、また二酸化炭素を回収しなければならない。また他にも水分、さまざまな栄養素、細胞に命令するためのごくわずかな物質などいろいろなものを血液を通じて全身に送る。脊椎動物は体が大きくて、表面と外界のやり取りでは奥の細胞に酸素や水分を十分に送れないんだ。  そのために、人間を含む脊椎動物は心臓という、液体に圧力をかける器官とその心臓につながる肉の管を持っている。人間はそれに似た、圧力を操作するポンプという道具を発明しており、それを心臓を表現する比喩に使っている。  その肉の管全体は、分岐を無視すれば人間の場合ひとつながりの輪であり、その一部が接近して並行しそれぞれにポンプがついている構造になる。しかも便利なことに、一つのポンプが二つのポンプの役割を同時に果たしているんだ。  さて、一つの輪だから出発もなにもない。適当な所から出発しようか、心臓から肺に向かって押し出された血液はすぐ二つの肺に分かれ、それから更に多数に分かれる。肺は上述のように複雑な多数の、非常に細い血管ばかりの袋になっていて、そこで血液の赤い色素の鉄分が酸素と結びついて赤くなる。そして無数の分岐がまた集まって二本、そして一本の太い流れになって心臓に戻る。一部が非常に細かく分かれた輪になっているわけだ。それが心臓に入り、またとても強い圧力をかけられて今度は全身に送りだされる。いくつにも分岐し、手の先足の先、頭のてっぺん、骨の中、全身のあらゆる臓器……体の血の通っている所全てにその血管の細かい分岐がある。どこを破壊しても血が出る。それがまた、肺の時と同様分岐が戻っていき、一本になって酸素が少なく二酸化炭素の多い血液を心臓に戻し、また肺に向かって出発するわけだ。実際驚くべきことだ、人間を含む脊椎動物の太い血管を出して切り、一方から大量の色をつけた水に圧力をかけて流しこめば、体のどこを切ってもその色水が出るようになるし血管を切ったもう一方から流れ戻るようになるんだ! ただし正しい側でないと難しい、外から戻る、黒っぽい血が流れている血管の多くに弁……中を流体が一方向にしか流れないようにしてある機構があり、逆には流しにくいんだ。  ああ、血液の成分についても少し。血液の多くは水であり、塩化ナトリウムなども多少溶けている。人間の体が出す様々な化学物質も多く溶けているし、そして無数の、どこともつながらず血液中を泳ぐ細胞もある。それが実に様々なことをしている。そういういろいろがあるから非常に栄養豊かな食物にもなるし、逆に栄養がありすぎるから水のかわりに飲むことはできない。体がそれを全部処理しようとして、かえって水分を失うんだ。  たびたび言っている、鉄を含む赤いヘモグロビンという色素は……名前なんてある意味どうでもいい、厳密に分子式・原子構造図を書く余裕がないんだから本当に説明してはいないんだ……血液にそのまま溶けているのではなく、赤血球という核を持たない、細胞の外の構造だけの組織の中に含まれている。あと骨の中には脂肪分の多い組織があり、特に骨盤や脊椎など大きい骨は血液の中で動き回る細胞の一部を作っている。他にも血液の中で活動する細胞を作ったり、血液に化学物質を出したりする内臓はとても多い。その役割も色々、酸素を運んだり、体内に入った細菌などを食べて殺したり、体が傷ついて血が流れ出たらその血管を固めて血が出るのを防いだり。  ついでに免疫も説明しておくか。免疫とは、前からさんざん言っている「生物は放っておくと色々な微生物に食い尽くされる」のに抵抗するシステムの総称だ。  更に言えば、上記の毒を分解するシステムと区別していいのかもわからない。今言った、体内に入った細菌などを食べて吸収したりそれ以上増えないようにしたりする血液内の他とつながっていない細胞の活動も免疫だし、血液自体に多くの微生物にとって毒になる物質が混じっているのも免疫だし、一つ一つの普通の細胞もいろいろなものを出したりして微生物の攻撃に抵抗している。  体の液は血液だけでなく、組織そのものの間にリンパと呼ばれる液が充満しており、そのリンパ液をある程度動かす管やそれを出す腺も体のあちこちにある。  ちなみに、人類は四足歩行動物が強引に二足歩行になっている……同じ大きさの四足歩行動物に比べて、血液の上下移動が非常に大きい。しかも後で言うが、いちばん血液を通しにくいいちばん上に大量の血液を要求する器官がある。だから心臓や血管にはものすごく余計な負担がいつもかかっているんだ。これも設計ミスと言えば設計ミスだよ、心臓のすぐ下であればよかったんだ。  ま、設計ミスがあれば、魚からどう変化してきたか追ってみればいい……魚の構造に由来する設計ミスさえ人間には実に多くある。  循環系の、呼吸に並ぶもうひとつの要素も説明しておくか。胴体の背中側やや下に、互いに似た形の臓器が左右対称に一つづつある。小さいが血液は大量に流れていて、その内部は恐ろしいほど細かい構造になっており、それは血液から過剰な水分や塩化ナトリウム、細胞がタンパク質を切り離した時に出した単純な窒素化合物など様々なものを抜いて血液をきれいにする。抜いたものは水にいろいろ溶けて黄色い液として二つの臓器から中央にある一つの袋に管で流し入れ、その袋から胴体下端の、前に説明した男女で違う穴から外に放出する……尿だ。非常に残念ながら、人間の腎臓には海水を飲んで長期間生活できるほどの性能はない。あればよかったんだがね。  あと血液には食事からも自分の体内の細胞からも体の中の微生物からも色々な物質が入る。それを処理するのは全身の細胞がある程度やるが、特に肝臓という胴体右下にある特大の臓器がそれを集中的にやる。特に毒を無害にするのが得意だな。人間が普通に食べるものでも実は多くの毒が含まれている……あらゆる生物が他の生物に食べられないようあらゆる毒を作るんだが、人間は一部の特に悪質な毒以外は肝臓で分解して食べても平気だ。多くの動物で、この毒は平気だがこの毒は苦手というのがある、だから残念ながら別の動物が食べているからこの草は食べられる、虫が食った跡があるからこの(実は糸状の菌類が繁殖するために出した)塊は無毒だ、とは限らない。人間はけっこう範囲が広いかな。肝臓には他にもエネルギーをためるなど多くの役割があり、一つに赤血球の分解がある。他にも脾臓という別の臓器も赤血球を分解するな。 **消化  さて、次は食物についてやるか。前に言った頭部の、関節がある口から入り胴体下の肛門から出る。  まず口から。口は人間以外の多くの、特に動物を食う動物にとっては最大の武器でもある。武器というのは要するに他の生物の体を破壊して死なせるのものか。殺した相手の体を自分の体に入れ……食べて単純な、高い秩序とエネルギーを持つ分子にして自分の体の材料や燃料にするためだ。  とても強い筋肉によって、頭蓋と下の骨が閉じたり開いたりして相手をはさむことができる。またその端の部分が、きわめて硬い歯と呼ばれる塊状のものや嘴と呼ばれる固くなった部分ででき、それを相手に食いこませ、切断し、押しつぶし、すりつぶすなど様々なことができる。色々な動物がいるから口の形や機能も様々だがね。  人類は口の武器としての面が比較的小さい。歯がつく部分が小さくなり、前に出ておらず、弱い。人間が後でいう加工をせずに食べられる生き物はごく少ない。  いや、歯の前に唇というものがある。口と歯を覆う柔らかい組織で、人間はそれにも多くの筋肉があって、それを動かして色々な感情を表現できる。また人間どうしの親密なコミュニケーションとして、唇を相手に触れさせるものもある。詳しくは後述。  口内部から皮膚ではなく、再生が早い組織が露出している。そして口の中には、舌という筋肉でできた短い棒がある。それは口に入れた食物を体内に押し込む補助をする器官だが、人間の場合それを前に言った声を出すとき、その情報の種類を増やすことにも用いられる。また舌表面には非常に敏感な化学物質を分析する小さい器官が多数あり、それは口に入れたものが食べられるものか毒か瞬時に判定する。その判定をくぐり抜ける毒もあるが、はっきり言って多くはない。口の中には水分の多い、デンプンという糖がつながった分子で植物が栄養を貯める養分を消化する消化液が少し出て、それは食物を飲み込むのを助ける役割もする。人間にとっては水分が多い食物ほど食べやすい。また舌は、多くの哺乳類は自分自身や同じ群れの仲間をこすって体をきれいに保つのにも使われる。  そして前に言ったように一時気管と交わってから、また分岐して胴体に向かう。しばらく下に行って、かなり大きい袋……胃になる。その胃は出入口が閉まって出入りしにくくでき、胃全体に強い筋肉があって自在に動き回る。いや、口から肛門までの管の全体が筋肉だらけで、それが管の径を拡げたり狭めたりの運動をし、それを波状に伝えることで食物を正しい方向に押し出し続けることができる。本来重力をあまり感じない水中で、しかも横向きに進化したのだから、重力に頼らないシステムなのは当然のことだ。  逆に害になる物を胃から口まで押し戻すこともできる。便利なことに、人間は喉の奥に物を突っ込んだりしていると反射的に食物を吐く。舌や鼻が悪すぎる味や匂いに触れたり、脳が「これは毒だ吐け」と意識の下で判断しても吐く。けっこう重要な機能だ。  胃はその動きによって物理的に食物を潰すこともするし、とても強い消化液も出す。塩素によるきわめて強い酸だ。それに耐えられる生物など存在しないから胃も体も溶けてしまうと思わせるが、胃の細胞はその酸から体を守る液を出し続けることもする。主にタンパク質を分解する。  そして非常に細長い管につながる。その管は体そのものよりずっと長く、それを折りたたんで胴体下部に納めている。  そのひとつながりの管は三つに分かれている。胃からつながる短い管、細長い小腸、やや短く太い大腸。  小腸はそれ自体胃と同じように動く。そして上述の肝臓と、膵臓という横に細長い別の臓器とつながっており、それらが出す多くの酵素を含んだ液によってあらゆる食物の成分を分解・吸収する。その吸収のための表面積稼ぎが驚くほど精巧だ。腸の内部自体無数の襞があり、その襞の表面も短い毛のような組織がある。その細胞の一つ一つからさえ毛のようなものが出ていて、その膨大な表面積の表面で様々な物質をやりとりしている。過酷な条件だからその細胞はすぐ死ぬが、あとからあとから次が増えてくる。  それだけじゃなく、人間が食べるものにはなんでもたくさんの微生物が住んでいる。その多くは胃の酸で死ぬが。腸の酸素がほとんどない環境は嫌気性微生物の天国だ。その菌が害になることもあるが、時には人間の臓器が出すものでは分解できない食物を分解して人間が食えるようにしてくれたり、人間が自力では作れない必要な物質を作ってくれたりすることもある。菌どうしも互いに食い合い、有害な菌を減らしてくれもする。皮膚表面の菌も含め、人間は単独では生きられない……無数の菌と助け合ってやっと生きていられるんだ。  小腸で糖・脂肪・タンパク質をはじめ多くの栄養分を吸収された食物の残り……といっても食べたものはほとんど吸われ、先に行くのは死んだ腸の細胞とか微生物とかだ……は太い大腸に行く。そこは特に体内微生物が多い。大腸は主に残された水分を吸収し、全部吸ったのが最後に肛門から糞として出る。  あと体内の微生物は膨大な種類の物質を入れ、色々出す。あらゆる炭素を含む複雑な化合物を使った結果出る二酸化炭素が多いが、メタンから始まってかなりややこしい物質も多数混じる。それは腸で吸収されることもあるが、肛門から出ることもある。あと飲食の時に同時に飲んだ空気も結構あり、それは口から出ることもあり、ずっと食物と一緒で肛門から微生物の出したものと混ざって出るのもある。 **神経、中枢神経系  あと感覚と神経か。多細胞生物、いや単細胞生物の内部でも情報は重要な要素だ。それこそ生命そのものが、情報を伝えるものだとさえ言える。で、特に分化した多細胞生物は、その情報を一つの細胞が得たら他の全部に伝えなければならない。運動するなら互いに、時間などを調整して強調しなければならない。人間の細胞の数は膨大だ、それを協調させるのは大変なことだ。  全身の感覚器から情報を受け取り、その情報からどう動くか判断し、そのための器官に命令を伝達するだけでも大変だし、さらに人間の体は内部の、きわめて複雑な関わりあいを持っている。  実際の機能から言おう。人間は細胞どうしの情報のやり取りに、内分泌と神経という二つの方法を用いる。他にもいろいろあるし、その二つを分けるのも正しくはないんだが。  内分泌というのは文字どおり、全身の一つ一つの細胞が出す色々な物が体内を流れ、その物に触れた細胞が反応するというやりかただ。なかでも特にいくつかの臓器が重要な物質を出す。後で出てくる脳の一部、前に言った生殖器・膵臓など各臓器……。  別に神経という、長く伸びた情報伝達専用の細胞でできた組織も体の各部を結んでいる。前に言った脊椎に開いた穴や、そことつながる頭骨内部の大きい空間に詰まっているのも神経に近い細胞だ。  特に激しい運動をする動物は、どう動くかを神経細胞に似たのが集まった脳という器官で行い、脊椎を通る太い神経から全身につながる神経に通して各筋肉の細胞に伸縮するよう命令する。それが集まって骨を動かし、体が動く。考えてみるととんでもないことをやってるよ。  神経を構成する細胞は電気と、細胞どうしが触れ合ったりごく狭い隙間だけにしていたりしている所で様々な物質をやり取りしたりして情報を伝えることができる。  そして脳や脊髄の中では、ものすごい量の神経細胞が複雑につながり、大量の情報を処理・記録してその個体が受けている無数の内外の刺激と、その個体が行う運動をつなげている。その処理にはかなりのエネルギーを使うらしく、脳と全身の重量比の割に脳は多くの血液・酸素・ブドウ糖を消費し、多くの熱を出す。少なくとも人間は脳については、最近急速に進歩はしているがいやと言うほど何も知らない……といっても肝臓や腸や皮膚について本当に知っているとはお世辞にも言えないがね。私が人類の最先端の知識のごく小さい部分しか知らないのは確かだが、人類の知識全体を含めてもほんのわずかでしかないのも確かだ。  脳の、そういう神経細胞は非常に長い枝をたくさん伸ばしていて、いくつもの別の神経細胞とつながっている。それはとんでもない数の組み合わせを産んでいる……できたり切れたりもする。  特に人間はその脳が……頭部がきわめて大きく複雑だ。また人間どうしの情報交換も複雑で、純粋に近い情報のやり取りもできる。多くの情報も記録できる。それで人間には意識というものがある。さあ大変な言葉が出た……意識という言葉をどう説明すればいいやら。  まあそれは後回しにして、人体生理の説明に徹しよう。  人類の脳そのものの解説をどこまでやるか……正直に言うと、人間全体が脳についてほとんど何も知らないし、私自身はその人類の知識のさらにわずかしか知らない。左右に分かれており、後ろの脊椎につながる部分に小さめの塊がある。奥から順に層になっていて、層ごとに働きがかなり異なる。いちばん奥は内分泌器官としても重要で、全身の細胞に血液などを通じて色々な命令ができる。  進化を、人間中心主義から……要するにゾウリムシ・魚・両生類・爬虫類・哺乳類……サル・人と順序つける考え方が強いんだが、脳についての知識はどうもそれが根本にあるんだよな。ここはその考え方で説明するのが正しいのだが、脳の奥の部分ほど原始的だ。一番奥の部分は魚類から爬虫類まで似た構造が共通して見られ、ごく単純に環境に適応して体のあらゆる細胞を調整し、食べたり生殖したりと単純な動きをすることができる。人間もそれらの機能をそのまま使っていることに注意するように。全体を新しい生活様式に合わせて再設計することは生物進化ではありえず、何かを変形して追加することしかできない。  その上に哺乳類の、やや原始的な多くに共通するものがあり、それは群れを作ったり子供に餌をやったり複雑な行動を行わせているようだ。  一番上の前方、前頭葉が肥大している生物は人間だけだ。人間の二足歩行に並ぶ特徴と言ってもいいか。その前頭葉は、それに傷を負ったが死ななかった個体の観察などにより、人間が非常に複雑な因果関係を思考して先を予測し、それに基づいて自分の行動を抑制するなど他の動物よりはるかに複雑な心理・行動を実現するのに関わっているらしい。  神経には自分の体、特に臓器を制御する役割もある。それは人間の意識、思考とはあまり関係がなく、脳の相当部分が機能していなくても勝手に行われている。心臓が血液を押し出したり、呼吸したり、消化器官が動いて食物を潰したり、皮膚が汗を出したり……実に色々なことを神経系が意識しなくてもやる。運動でも脳と無関係にやることも結構ある。ただし、人間は脳を破壊されたら、口から水と食物を入れてやるだけでは生存できない。それぐらい脳と内臓のつながりも深い。  あと脳の中では、電気信号だけでなく色々な物質を出すことで脳の他の部分に色々伝えたりするのもけっこう重要だ。そういうのがこんがらがってるんだ。  脳と神経と肉体の複雑な関わりに、たとえば敵に攻撃されていると判断したとき、体表の体温や血流・内臓の血流・感覚器・体毛など実にさまざまな部分を無意識に変える機能を挙げておこう。行動の準備などの情報に脳細胞の集まりが反応したら、脳内でいろいろな微量分子が作られ、それが脳細胞に影響して、脳細胞がまた微量分子を出して全身にも影響がある。血液を運動のために特定期間に集中させたりしてしまう。  人間は「意識と無関係に」というのでいちいち驚いているけれど、生物としては意識だろうが内分泌だろうが無関係な神経だろうが、全部同じ個体制御システムに過ぎないはずなんだが……それは人間の物の見方が偏ってるからどうしようもない。  ああ、人間の脳は同じ大きさの他の動物に比べて極端に大きい。それは本来不利だ、脳は異常に多くの酸素と栄養分を要求し、大量の廃熱も出すから。その廃熱を処理するために顔面に過剰なほどの血管があったりもする。人間以上に大きい脳をもつ動物もいくつかあるが、人間のような働きはしていないようだ、単に人間の側がバカなだけかもしれないが。 **感覚  さて最後に感覚器か。動物は外界のさまざまな情報を得て、それによって行動する。食べられる別の生き物があればそちらに移動してそれを破壊して食い、自分を食おうとする別の生き物を先に見つければ離れる方向に移動したり隠れたりして逃れる。微生物さえ、自分のいる場の化学的性質が少しでも変われば自分の住みやすい場に移動する。  そのためにはまず、周囲の外界の諸情報を知らなければならない。  その媒介にも実に色々考えられるが、その中で自分が生きていくうえで必要なものと必要でないものを分けなければならない。たとえば光が届かない地中で生きる生物にとって、光を見る器官は必要ない。どんな生物でも、ニュートリノや反陽子を感知する必要は全くなかった。だからそんな器官があってもなくても子孫を残せる率は変わらないから資源の無駄遣いで、すぐなくなることになる。生物の進化は「必要ないものは捨てる」がけっこう多いんだ。必要ないのにずっと残されているもの、どう見ても邪魔だというぐらいに肥大しているのも多いけど。必要そうだけどないものもある……たとえば陸上脊椎動物には空気中の酸素が必須だが、酸素濃度を感知する感覚器などない。まあ普通に生活していれば大気中の酸素濃度は変わらないし、もし変わったら……どう逃げようが手遅れだ。  さて、人類の感覚器に戻ろう。人間の感覚の特徴は圧倒的な視覚偏重。光によって広い範囲の物体の形や表面の反射を知ることが人間にとって最も重要な知覚だ。かなり暗くても見ることはできるが、基本的には太陽が見えて周囲が明るいときに活動し、暗くなれば守りに入って眠る。かなり嗅覚が弱いのも特徴だ。  皮膚全体に、圧力・温度を感知する感覚があることは言った。その皮膚の感覚器は、非常に強い力などが加えられて体の一部を破壊されたときに特に強い情報を脳に伝え、脳はそうならないように体に命令して行動させるし、内分泌などを通じて体全体に命令して移動しやすいように呼吸量を上げたり血を失わないよう血管を狭くさせて血の流れる量を減たいたいらしたりいろいろすることさえやる。体内もある程度、どうなっているか脳に伝えることができる……皮膚が破壊されたときと同様の感覚を、内臓の異常から感じることもある。  人間は大体同類などとの弱い接触を快いと感じ、強い圧力、極端に体温より高かったり低かったりする温度など体が破壊するような働きを痛いと感じて不快がる。  自分の運動を制御するのにも重要だ。自分が思ったとおりの動きをしているか触覚が返す情報で確かめ、修正することが人間はとても得意で、後述の訓練というものをすると恐ろしく精緻な動きができる。  他の感覚器は頭部に集中している。頭部……他の、魚類や四足歩行動物共通で、いちばん前方に感覚器と脳が集中している。昆虫もそうだな、そういえば。人間は二足歩行になったから、それがいちばん上に行ったんだ。バカな話だ、高いと言うことは位置エネルギーも最大だから倒れるだけで命に関わることもある。  考えてみると首は人間だけでなくすべての大型脊椎動物の弱点だ。確かに首、頭部を切り離し、自由に動く関節であご・感覚器がカバーできる範囲を広げるのは有効かもしれない……だがその反面の弱さを考えると、脳は体内深くに大切に納めて別の、破壊されてもすぐ再生する触手状の可動性の高い感覚器と、ものを食べるため専用の口があればよかったんだ。海の生物にはそんな感じになっているのもある。  さて、頭部の呼吸しながら空気中の化学物質を分析する嗅覚、飲食しながらその中の化学物質を分析する味覚は説明した。  嗅覚も快不快につながっている。主に脂肪などの匂いや植物の花が出している匂いを好み、窒素と水素の単純な分子など生物が小さい生物に分解されている匂いを嫌うことが多い。きわめて多くの匂いに、全身が反応して吐くこともある。そうそう、人間が二足歩行をしていることは、頭部が地面から遠いため地面に多様にある匂いのほとんどを感じることができないことも意味している。四足歩行をしている動物の多くは歩きながら、地面近くの匂いを分析できるが人間にはできないんだ。人間にとって嗅覚の重要性は低いが、他の多くの動物にとってはきわめて重要だ。  ちなみに味覚は糖分・脂肪・タンパク質・塩化ナトリウムなどを口にしてその情報が脳の奥のほうに伝わると快い感じとなる。それらを食べれば多くの秩序あるエネルギーを得られ、長期間生きられ、子孫を残せる確率が増すからだ。逆に多くの植物が作る毒や微生物が作る物質に共通する、酸や苦みも感じられてそれらを普通は不快に思う。少しだけならそれらを好むこともあるが。最も好むのが甘み、ブドウ糖など単純な糖の味だ。あと塩化ナトリウムの味も好む。他、毒として警戒すべき酸や苦味、そしてタンパク質のうまみなどを感じる。口の中自体も、暖かかったり冷たかったり、脂肪が多くて滑らかだったり水分が少なくてぱさぱさしていたり色々感じる。  他に頭部の左右に、肉などでできた薄く複雑な構造と、その奥の穴があり、それは音……空気の粗密・圧力波を感じる複雑な器官がある。左右に二つあるから音源の位置をかなり正確に調べることもできる。その構造も実に精巧だ……皮膚一枚の薄い膜から三つの小さい骨を通じて、液の中で微小な毛が振動を感じて神経の信号に変換する、人間が機械として考えたらあまりの複雑さと小ささと機能の高さに驚嘆するようなシステムがある。それによって圧力波の波長と、圧力派の源の方向や距離を感知するが、それを数値で出すことはできない。直接感じるだけだ。しかも波長が整数倍など単純な比になっていればそれも感じることができる。  それだけでなく、両耳それぞれに付随する感覚器に三半規管という、三つの互いに直交する輪からできた器官がある。それにかかる加速度それ自体を感じることができ、自分の体が重力方向……上下から傾いているか、どちらへの加速度を感じている……動いているかきわめて精密に感じることができるのだ。  そして人間にとって最も重要なのが目。目は光、電磁波の実質無限にある波長から、ある波長からそれより少し短い波長までの一部だけを見ることができる。それも、その範囲内なら波長の違いもかなり鋭敏に色としてわかるし、光の量そのものもわかる。  しかもそれを、三種類の細胞だけでやってしまう。光の様々な波長は、三種類の波長の光を組み合わせることで合成できるし、地上での日光を混ぜたのを反射させた時に見える色も、三種類の色を混ぜることで全部表現できる。  とにかくそれはきわめて高い解像度で、周囲から膨大な位置・形の情報と、色として認識される反射光の波長を通じてある程度、光を反射した表面の分子構造の情報を同時に受け取ることができる。  目は人類の場合頭部中央前方に二つ、やや接近してついている。頭蓋骨だけを見ると深いくぼみになり、その奥が細い穴で脳につながっている。そのくぼみに球に近い眼球が入り、そこから神経をそれぞれ脳に伝えている。その眼球は小さな多数の筋肉でかなり大きく動き、体も頭も……ああ言い忘れていたか、胴体を動かさないままでも頭部はかなり大きな自由度で動き、周囲を素早く見回すことができる。  外から見ると眼球はほとんど見えない。皮膚が延長し、小さい筋肉で自由に開閉するまぶたで覆われ、瞼を開けているときも細い隙間でしかない。ちなみに眼球は常に涙という体液で洗われている……しかもその涙の管、それに耳の奥からの管がそれぞれ鼻の奥とつながっていたりするんだからややこしい話だ。  眼球の構造は、要するに外から受けた光を眼球内の別の膜で入る穴の面積を決め、それから透明な曲面を持つ物体を通して屈折させて一度一点に集中させ、それから無数の光を受けた物質の化学反応を電気信号に変換する小さい細胞でできた膜に当て、その電気信号を神経を通じて脳に伝えるというきわめて複雑なことをする。その解像度は空間・時間とも人間の工学技術と比較しても恐ろしいほど高い。  光が入る穴の面積を変えるのは周囲の光の量に応じて取りこむ光の量を変えるためだ。暗いときにはたくさん光を入れたいし、明るいときに光を入れすぎると目を破壊する。  目が頭部前方に並んでいるのは一部肉食動物やサルに共通する特徴で、一度に見わたす角度は狭いが、ある範囲のものなら二つの目でずれた位置から同時に見ることができる。そうなると二つの目の間、一つ一つの目から目標で三角測量ができ、相手との距離をつかむことができる。といってもそれは脳がものすごい処理をしているんだけどな。  また人類の眼は色にもかなり敏感で、明暗の差がかなりあっても見ることができる。人類があまり深すぎないジャングル、または木のいちばん上で、また昼間も活動するように進化したからだろう……様々な色を見分ける必要があり、暗いこともあるし明るいこともある。  ちなみに人間の目が判別できる膨大な波長は、三つの色を適当な割で重ねることで全て表現できる。後に述べる芸術では実に便利だ、三種類の色を持つ粉があればそれで済む。  ただし人間は、波長ごとに「色」を感じて、その色を言葉にして頭に入れている。その言葉は群れによって違うから、たとえばこの光の波長は、というのはわからない。  色は波長が見える範囲で短いほうから紫、青、緑、黄、赤ぐらいは大体どこの言葉にもある。光が全くないのが黒、全色が強くあるのが白。それぞれの色も濃い薄いがある。紫は自然界では一部の花や鉱石にしかない。青は空や深く透明な水が日光を通した時に残って人の目に入る色で、それに溶け込むために多くの生物の表面の色でもある。緑は葉緑素の色で、光合成が盛んであり食料が多いことになる。黄色は土や砂の色で、陸上動物には当然その色の表面も多い。赤は血液・酸化鉄の色だ。それぞれ、後述する魔術においても様々な意味を持つ。  ちなみに色は光の波長だ。その波長は、いろいろな波長が混じった光を受けて、その分子がどの波長の光を吸収して熱や分子構造の変化や原子内の電子のあり方の変化に変え、また別の波長の光を放ち、どの波長はそのまま方向を変えて飛ばし、というので決まる。だからどの分子かにどんな光を当てたかでも決まるし、非常に細かい構造が一部以外の光を打ち消したりしても妙な色を出したりできる。  ここで注意して欲しいのは、感覚で得た情報はありのままではなく、脳内で処理された情報だ。たとえば目の、光を受けて電気信号に変える細胞に写っているのは眼球で反転した像だが、それを脳で処理して正しい像にしている。要するに両目それぞれの二枚の平面像を立体に補正もしている。他にも脳が行っている、受けた情報の処理は恐ろしく広い……ある意味、「現実の世界」「感覚器が受けた情報の集合」「脳が修正した世界」のそれぞれがかなり違うといってもいいぐらいだ。まあ生きるだけなら支障はない。  それに、もし画像……ある範囲を格子に分け、それぞれがどの波長の光を反射しているかの情報を受け取ったところで、そこから……たとえば木・人間にとって食べられる木の実・人間を襲う動物を見分けることができるコンピューターがどれだけ強大で非効率なものになることか。人間の脳がどれだけうまくさまざまな、単純な線の集合と色の組み合わせをパターンとして分析し、必要な情報だけを強調しているかは驚くしかないよ。  もちろん全身の神経を含めた感覚器から入力される情報は常に膨大だ。だから人間の脳は、特に意識する上では受け取った情報の大半を無視する。瞬時に意味のある情報を選び出し、強調する。ちなみに受けた情報を、精密に数字で表現することはできないといっていい。かなり訓練していても、たとえば目で見たものの長さについては簡単に間違える。  人類の体については以上でいいかな? ああ一つ肝腎なことを忘れていた。陸上脊椎動物は一般に、脳や体の性質上一定期間活動したら眠る……体を動かないようにし、支える力も極力抜いて外界からの刺激は相当強くなければ無視し、一切の行動をやめる時間が周期的にある。人間の場合ほぼ一日周期、一日の三分の一から四分の一は眠る。それは、それができなければ水や食料が得られない場合より早く死ぬほど必要だ。  その間、人間はさまざまな現実にはありえない経験を脳の中だけでしており、それを夢と呼ぶ。 *人類個体の生存条件  さて、そろそろ私も上記の眠りをしたいと脳が命じている。言葉での命令じゃなく、色々な「感じ」があるだけだ。脳の深い部分と意識の部分は、その「感じ」でやりとりしていると言えるだろう。  他にも私、人類の一個体が熱力学第二法則に逆らって細胞分裂を続け、形を保ち、動き回ったりし続けるのには色々な物体などが必要になるので、それを注文してから一眠りしよう。まあ今こうして自分が生きているということは、ある程度その条件が満たされているということでもあるが。要するに自分の、人類の飼育法を解説しているようなもんだ……飼育という言葉自体、後で説明しないとな。異星人の動物園向けの、地球人を単独で飼育するマニュアルといったところか。  まず何より、地球の今の大気とほぼ等しい窒素分子4に酸素分子1の割合。二酸化炭素は今の濃度よりそれほど高くならないように。私がこうして呼吸している以上、常に二酸化炭素は加わっているから、圧倒的な量の大気で多少の追加は無視できるようにするか、常に二酸化炭素を除去するかだ。ちなみに酸素が少なすぎても多すぎても死ぬ。  適度に水蒸気も混ぜてくれ。多すぎれば体が汗を蒸発させて体温を調整するのがやりにくくなり、少なすぎると呼吸器や皮膚から水がどんどん蒸発して不快だ。  不快というのは、脳が出している信号だが、それは感覚器の情報から「ここは適さない」と脳が判断しているということだ。その状態では生きることができない、自分が死ぬ確率が高い、子供が死ぬ確率が高い……ということだ。その状態を人は避ける行動を行う、また人の脳はその状態でなくなることを望み、そうなるよう何か行動したがる。  空気の温度も今と同じぐらいに保ってくれ。私の体は眠っていてさえかなりの熱を出しているから、それも別の低熱源に吸わせるか何かしてもらわないとな。少なくとも常圧で水が固体になったり気体になったりする温度は私には苦痛で短時間で死んで語り続けられなくなる。体温より少し低いぐらいがちょうどいい。  空気の圧力も高かったり低すぎたりすると死ぬし、音波振動もあまり強すぎるのはやめてくれ。それらには私の、人類の感覚器が対応しておらず、自力で警報を出せないものもある。進化する段階で普通にあるもの以外に対応する必要はなかったからだ。  空気のかわりに水や油、水銀などを充たされたりしたら真空にされるのと同様短時間で呼吸ができなくて死んでしまう。  もちろん空気に余計な化学物質や元素の気体や微粉末を混ぜたら、非常に多くの種類の物質で死ぬことになる。人間は腸から多少メタンなど常温では気体で大気と混じる化学物質を出し、その濃度が高くても死ぬので全部許容範囲内にしてくれ。  あと重力も、ちゃんと調整してくれているな? まあ今と同じ程度を保ってくれ。重力が大きすぎたら自分の体重を骨が支えられなくなって死ぬ。小さくても不快だ。また重力が一定でなかったら、体に余計な力がかかって耐えられる限度を超えると死ぬ。気をつけてくれ。多分重力波もある程度以上は耐えられない。  ついでに今大丈夫かどうか知らないが、できれば光の極端に短い波長のもの、各種きわめて高速のさっき説明した素粒子類が私の体に当たらないようにしてくれ。私の体はそれを感じる感覚器を持たない……人類ができるまでの長い進化で、普通に生活していてそれにさらされることがなかったからだ。だがそれは細胞の内部を破壊し、ある程度以上だと死ぬことには違いない。そうだ、もし今座っている椅子を構成する原子の原子番号が大きすぎたりそれ以下でも不安定な同位体だったりしたら、もう手遅れかもしれないが原子核が崩壊しない、化学反応も少ない……炭素か酸化鉄でできたものに交換してくれ。といっても、我々が生活している世界でもそれは少しあるから、許容範囲内であればいい。  ああ、もちろん今私の体を構成している電子や陽子の反粒子も許容範囲内にしてくれ。  電場・磁場、電圧などもできるだけ許容範囲内にしてくれ。それを感じる感覚器はないが、致命的には違いない。  ほかに私が知らない力があるとしたら、余計な力や波はかけないでくれ。物理定数も全部、もしいじれるのなら今のままにしてくれないと、私の体を構成する原子が壊れて当然機能できなくなる。  まあこの数時間、私がこうして生きてはいるんだからそんなにひどくはないんだろうけど。  それぐらいが、短い時間人類が生き続けるのに必要な最低条件だ。でも人間が長時間健康に生きていくためには他にも様々なものが必要になる。眠っている間に用意してくれ。  まず水。水素は中性子を持たないものにしてほしい、私の体を今作っている水分子程度の比なら許容範囲だが。体温前後の液状。あと純粋な水は自然界にはほとんどなく、体に悪いから少しだけ塩化ナトリウム、炭酸マグネシウム、酸素、二酸化炭素などを混ぜてくれ。ただし塩化ナトリウムが多すぎると死ぬ。水から余計な化学物質や微生物は取り除いてくれないと、ある程度は耐えられるが限度を超えると死ぬ。  それがないと十日生きられるかどうかだ。それがあれば、今の自分の脂肪などだけで十何日かは生きていけるだろう。  それ以上は生きられないし、とても苦しい……食糧が不足している状態を嫌と感じ、食料集めをさせるように脳の構造ができている動物のほうが生存率が高いというだけの話だが……ので、食料も用意してくれないか。食料は前も言ったが、人間の体を構成する細胞が自己増殖を続け、呼吸して「生」を続けるのに必要とする材料とエネルギーというか高いレベルの秩序を外界からもらうため、いくつかの物質を必要とする。  もしそちらが、特に高い技術を持たない異世界の人間なら「普通の人間の食物、新鮮な素材か、味が乏しく大量に食べられている植物を、塩と火と水だけで調理したもの」をくれ。保存食には味が強いものが多いから、毒だと判断してしまって吐く可能性がある。それだけだと比較的短期間しか生存できないから、できたら食べられているものをできるだけ多様に、その材料が生きている姿とともにそろえて、少しずつサンプルを見せて欲しい。  そちらが人間とは無縁で高い技術の持ち主なら、私の脂肪組織・血液・筋肉・肝臓の微小な一部を採取し、原子レベルで同じものを大量に……大体二十四時間に二度から三度が習慣だ、一度に脂肪と血液は私の体重の二百分の一、筋肉と肝臓は千分の一程度作ってくれ。できれば痛みがないように一度採取し、その情報を保管してその都度コピーするように。  それを血液と肝臓はなにもせず、脂肪と筋肉は今の気圧で沸騰する水……くそ、気圧は? 人間の感覚器には厳密な気圧計がない……475Kで、450K以下の部分がなくなるまで加熱。ああそうか、Kは人間が今使っている温度単位で、空気分子の温度と運動から予測される、分子が静止してしまってそれ以上冷やせない温度の理論上下限をゼロKとし、ある気圧で水が固体から液体になる温度が273K前後、水が気体になる温度が373K前後、今の私の体温が多分273+36=309前後……逆にそんな圧力が、今の私にとってちょうどいい気圧になるわけだ。あとちょうどいい気圧を示すのには二つの円筒の下端をつなげて水を入れ、一方の円筒の上から気圧を抜くと、上が大気に解放されていて気圧のかかっている対照筒に比べ身長の六倍ほどなら引き上げられる、というのもあるかな。といってもそれは地表の重力が前提になるが。SI系を示す方が早いかな……。  多分普通の人間はこの発想は嫌がると思う、人間には後述するタブーがあるから。私も実は嫌だし吐くかもしれない。そちらがある文化圏に属する人間であれば、今の言葉は私を処刑する十分な理由になるはずだ。また、チューリングテスト……相手の知性を判定するテストの一つで、言葉の交換で人間と区別できなければ人間と同等の知性とする……私はそれは踊りや表情を考えに入れていないので不完全だと思うが……に不合格になる言葉である可能性もある。  しかしそちらが人間であれば理解して欲しい。何の共通前提もない、別次元の知性である可能性も私は考えている。それに注文するのにはこれがいちばん早いんだ、そうしないと相手が私の注文通りにいろいろ用意したとしても間違ったものを出す可能性がある。各原子の同位体比も問題だし、原子そのものに私が……私の属する人類が確認していない超対称性があり、それが異なっている可能性を完全に否定できない。同じ原子で指定通りに分子を組んでくれても、右手と左手の違い同様異なっていて食べられないことがありえる。だから今のこの私の体からコピーするのが一番簡単で確実なんだ。  ああ、あと私の腸内にたくさんいる細菌のいくつかを大量に増殖させてもらったほうがいいかもしれないが、間違った種類のをもらうと逆に死ぬ可能性が高い。どれが食糧として使えるか指定するのは無理だな。  人類が生きるのに食料として必要なのは、まず十分な量の単純な糖かそれが人間が消化できる形でうまくつながったデンプンと呼ばれるもの、脂肪、タンパク質。一応エネルギー自体は糖・脂肪・タンパク質のどれからも得ることができるが、タンパク質の素材であるアミノ酸や脂肪の素材やブドウ糖など人間が自力で合成できないものがいくつかあるのでそれは必要だ。食物としてのデンプンは水に溶けないかわりに水を吸って膨らみ、非常に柔らかい固体のようになる白い粒で、主に植物に含まれる。動物にも似た糖のつながりがあるがいろいろ違う。  それに鉄などいくつかの微量元素の、体が取りこみやすい化合物も必要になる。単体の塊をもらって口に入れても多分だめだろう。ある程度の量の塩化ナトリウムも必要だ。他にも人間が自力で合成できないさまざまな微量生体化合物……ビタミン類が必要なんだが、それぞれの分子構造を正確に指定するのは、いちいち調べるとしてもすごく面倒臭い。しかも私は、人間の知識全体が、人類の一個体を合成した栄養分の集まりだけで長期間生存させられるところまで行っているかどうか知らない。まだ人類が知らない何かがあるのかもしれない。  ついでにだが、特に人類はビタミンCという少しだけ必要な、水に溶けて高温に弱い分子を体内で合成できないので、水と腐らないようにした食料がたくさんあっても、ある程度以上長時間生きていけない。それは後で言うような遠洋航海で大きな不便になる。多分それは、人類の先祖がずっと森の植物も食べていて、それにはいつも豊富にビタミンCがあったから自力で合成する必要がなく、そこに複製の間違いが起きても問題なく子孫を残せたのだろう。複製の間違いは常にあらゆる箇所で起きるから、それが致命的でなければ増えてしまう。  というか……生の血液と肝臓があれば多分大丈夫だと思うが、「自分の体の一部のコピー」に必要な栄養分が全部含まれているか確信が持てない……  ちょっとまて、忘れてた、ポケットに……マルチビタミンミネラルタンパク入りチョコバーがあった。これを大量にコピーしてくれ。自分の肉のコピーを食わずに済んだのは助かった。  そして食べ飲むだけでなく、皮膚に多少太陽の光を浴びる必要がある。多分栄養素を作るだけだと思う……これは波長指定しないとだめか? 数字じゃ覚えてない……  さて、あと必要なのが、人間は前述のように食べて飲んだら糞尿を出す。それには大量の微生物が混じっていて、それが近くにあると微生物が出す化学物質が混じった空気を呼吸することになり、鼻がそれを感知して脳が不快を訴える。それに体が接していると皮膚が微生物によって食われ、皮膚の免疫を突破されて体内に入られる恐れもあるし、色々な形で微生物を呼吸・飲食から体内に入れると病気になる確率が高まる。  だからそれを今から衣服を脱いで出すから、出したものにまた触れずにすむようにしてほしい。そのためには、まず糞尿を排出する場所を決めること。そこに立てる微生物が少ない足場を確保し、重力か吸引力で出したものを体から離れる方向に持っていき、大量の水その他なんらかの液体で私が吸う空気から隔離するか、高熱で乾燥させるか、さっき説明した土壌に深く埋めるかしてくれ。周辺の空気も何らかの方法で隔離して、排出する場と生活の場を分けてくれるとありがたい。  ああ、その後で肛門・生殖器周辺および手指を清潔にするため、なんらかの……布や紙のような非常に隙間の多い繊維でできた材質と、液体エタノールか塩素が多めに溶けた水などが少量必要だ。ちなみに他の部分も長期的には清潔に保つことが必要だ。普通にしていても私の体表には多数の菌がいるし、私の皮膚細胞は次々に古い細胞が死に、下から新しい細胞が分裂して更新される構造になっている。また皮膚を守るためだが油脂なども出している。それらが増えた菌に食われ、だんだんと菌が多すぎ、少なければいいのだが多いと害になる種類が多い状態になる。それを防ぐには、体表を洗浄して予備に着替えなければならない。そのためには現在の衣服をコピーしたものかそんな感じの衣服と、大量の体温程度の水が最低でも必要になる。石けんがあればもっといいが、そのレシピを分子式で出すのは……私の脂肪をコピーし、それに水酸化ナトリウム……とやるか?……まあしばらくはいらない、後でまとめて説明する。  液体エタノールや塩素水も微生物を殺すにはいい。ただしそれほど大量にはいらない、特に微生物が多いものに触れた、しかも食物を食べるのに使うから特に清潔でなければない手から微生物を除くために必要なだけだ。全身の皮膚を除菌するのは前述の常在菌も殺してしまい、体にはかえって害になる。  あと鼻などからも色々な液を常に出すから、布か紙を多少用意して捨てられるようにしてくれ。私が女性だったとしたら、前述の受精し損ねた卵子の排出にともなう出血を吸わせるのにそれが必要になったはずだ。それも含め、股間にある多くの穴は排出時以外もいろいろ出しているから、清潔にするためには定期的にそこに触れる衣類を交換または洗浄する必要がある。  そして耳の穴が狭すぎて、その中に指も何も届かない。そうなるとその中に死んだ細胞がたまって詰まって不快だから、それを取り出すために……太さ1mm程度の棒、先端に半径3mm、厚さ1mm程度の円盤を、棒が円の中心を通って円が属する平面と直交するようにくっつけたのをくれ。そういう「耳かき」はいろいろあるけど、まったく共通前提がない相手に言葉だけで設計図を伝えるとなるとむずかしいよ。  あと清潔で丈夫な糸か布、または太さ5mmぐらいの棒の先端周辺から垂直に多数のこの髪の毛ぐらいの太さと弾力性があるものを生やした、ブラシと呼ばれる物があると助かる。口の中には多数の微生物がいて、その中には食べた食物の、飲みこまれなかったカスを食べながら歯に害を与えるものがいる。それを落としておかなければかなり不快だからね。  こういう清潔のためのものは私が育った群れで必要とされているだけで、それほどの清潔を必要としていない人間集団も多いと思う。  まったく我ながら注文の多い客もいたもんだ。  そして……これは不快程度かも知れないが、人間は群れる動物だ。だからできれば、いつかは同胞のところに返してくれ……と言いたいが、私個人は帰りたくない気持ちも強いな。  ではおやすみ、しばらく寝てから続けるよ。 *** *人類の誕生  再開しよう。  といってもここから言うことは、今までとは違いほとんど証拠がないことばかりだ。できるだけ証拠があることを話すようにしたいが、一々その証拠は何か……何雑誌の何年何月号の何という論文の、どこにある遺跡を何年に発掘し……そんなのを思い出すのは無理だ。  上と違って検証不能な話も多いから、与太話とみなして聞き流してくれても別にかまわない。何より来年には誰かの研究で、ここで言っていたことがまるっきりの間違いだとわかる可能性だって十分ある。上の自然科学もある程度そうだが、まあ原子より上のスケールには間違いはないだろう。  さて、人類が人になったのはいつか……それは知らない。というか「人」の定義がはっきりしない以上、その問い自体がむちゃくちゃだ。  直立二足歩行、言葉、衣類、道具、火、文化、家畜、原始農耕……それら色々な要素全部が「人」という説明できない言葉に関わっている。  どれをどんな順番でどんなふうに人類が手に入れたか、など知らない。せいぜい、アメリカ大陸にいた人類が持っていない物は、人類がアメリカ大陸に渡ったとき以降に手に入れたのだろう、と推測できる程度だ。  だから、上記のものに関して「全部得る前」と「全部得た後」しか今から想像するのは無理だ。  あと気をつけて欲しいのが、今の私が昔の人類について知っているのは、今生きている人類のDNAを調べてみたり昔の土を掘っていろいろ調べたりして知っているだけだ。だからこれまでの人類の営み全部のごくわずか、そして土に埋まって残るものしか知らない……昔の人類が、たとえば固体の水と二酸化炭素だけを用いて宇宙の彼方に行けたとしても、それは使い終わったら蒸発して空気に混じってしまうから今の人類がその遺物を見つけだすことは絶対にできない。それは反証不能な仮説になってしまい、科学の範疇から出てしまう。だからそんなことはなかったという前提で考えることにしている。前も言った、ナメクジが作った泥文明も同じだ。ナメクジの死体は化石を残さず、泥の家も車も土に戻ってしまう。  それが本当に厄介なんだ、それほどでなくても残りにくくて重要なものはいろいろあっただろうからね。 *通俗的世界  上ではこの世界を支配する物理学を説明したが、これから重要なのは「人間のサイズにとっての現実」だ。  幾何学的には空間曲率ゼロ、二点間の最短距離は直線だし三角形の角を切り取って集めれば一直線になる。  明るいといろいろなものが見えるが、暗くなるとまず色が消え、そして何も見えなくなる。風が吹き、物は揺れ、軽い物は飛ばされる。ところどころで水が流れ、雨が降る。地面は固い。水に溶けるものと溶けないもの、腐るものと腐らないもの、燃えるものと燃えないもの、放っておくと空気に混じって消えるものとそうでないものなどいろいろある。  目に見える物は大抵は触れる。遠すぎるものには、空気と熱のせいで光が曲げられてできた実体のないものもあるし、目も幻覚や錯覚があるが。  見えて触れる物はまず大きさを、自分自身の大きさと比べられる。そして手で触ると表面がどんな質か、皮膚の細胞と脳が分析し、感じとして意識に伝える。力に対して変形するか、温度が体温と比べて高いか低いか、また伝わった体温でどれぐらい素早く温度が変わるかでエネルギーあたりの温度変化まである程度、感覚であり数字としてではないがわかる。  それから上向きの力をかけると、軽い物は持ち上げることができ、持ち上げられなければそれが重いとわかる。注意すべきなのは地表では地球と相互の引力が、地球の質量と大きさが圧倒的に大きいためほとんど一様な質量のみに比例する定数になる。大きさ……体積と全体の重さから、重さの割に軽いとか重いか、というのも重要な情報だ。この重さというのは物体固有の質量とは違い、地球の質量からほぼ決まる重力の強さと空気の密度と体積で出る浮力、さらに地面と接していたら、地面とその物体の相互作用でも地面から持ち上げるのに必要な力は変わってしまう。  また力を加えると変形する物もあり、しない物もある。  そして特に均質な物は、変形しても変わらない……特にバラバラにしても変わらない性質もいろいろあり、その性質も認識できる。  人間にとっては生物であるものとないものという区別も重要になる。  熱力学・流体力学など多数の原子の集まりを記述する法則が重要になり、それも人間のサイズ・温度・圧力における性質のみに着目しなければならない。  それらを、人間の感覚に合わせて見ることも理解して欲しい。量子力学的な性質の方が本来は本質的なんだが、人間はそんなこと感知しない。気体とか液体とかなんて分子サイズで見れば意味がないが、人間にはその粘性とかしかわからないんだ。  物理については流体と固体とその中間がはっきりしていて、様々な力が重要になる。  力そのものについてもはっきりとは書いていなかった。素粒子のレベルでは、電磁気力の場合光子という粒子でも波でもあるもので伝え合い、双方の運動などを変える粒子どうしの関わりだが、それが人間に関わるサイズまで原子が大量に集まると、原子が集まったもの……量子力学的な、波でもある性質は無視できるようになる……の間はニュートン力学の作用反作用に支配され、力を受けると質量に応じて運動状態が変化する……加速度になる。相対論的には絶対的な位置や速度などなく観察者と時空の曲率の数学だけ、量子論的には位置と速度を同時に決定できないのだが、我々の大きさでははっきり基準となる大地からどう移動したかがわかる。といってもそれは人間に認識できる速度の話であり、大陸が動いたりする速度は遅すぎて認識できない。  さらに力と、力が作用した距離をかけあわせる……複雑な場合積分すると、エネルギーと同値な仕事という量になる。  またあらゆるものとものとの関わりは、実際には表面に対する圧力としてまず出る。面積で力が分散され、その圧力が全体に伝わってニュートン力学で近似できるわけだ。圧力は気体や液体でも特に重要になり、それと熱の本質は分子の衝突から理論化できる。  また衝撃力もあり、それは物理的な解析が難しい。主にものを破壊することになる。  固体に力を加えれば変型し、その変型にはつながったまま形を変えてそのまま、一時形が変わるが元に戻る、そして壊れてふたつ以上のものになるなどいろいろある。その大きな運動は、その固体の重心に質量が集中していると考えれば計算しやすい。固体が重心の周りで回転したりする時は、変形しない一様な固体と見なして計算されたモデルを作ってそれを応用する。  さらに多数の物体が絡まり合って別々に動くと、一つ一つは物理的にはっきりしていても、最初の条件が少し違うだけで結果が大きく違ってしまう現象が起き、実質予測不能になる。また非常に高い圧力・速度・衝撃などがかかり人間の寿命よりずっと長い時間があったりすると気体や液体が固体のように、また固体が液体のようにふるまうこともよくあるが、人間はそれを見ることができない。  さらに気温・大気の圧力がある範囲であること、下に引っ張る力……地球という莫大な質量との重力による相互作用……がほぼ等しいある値であることなどが、意識さえできないほど当たり前とされる。  熱も原子レベルの説明より、減ることも増えることもない見えない量が物から物へ移動しているように解釈した方がわかりやすくなってしまう。それと、別に摩擦などによる仕事と熱の交換を計算すれば大体正しくなってしまう。  この「人間のサイズにとっての現実」を言葉にし、またそれをより普遍的な物理法則から説明していくのはやってみると実に難しいな。  人類はあくまで「人間のサイズの現実」を言葉にし、それを説明する物理法則を作っていき、それが深めていく歴史を歩んできた。本来私がここでやりたいこと、一番根本的な法則から現在の世界を逆に計算することとは逆なんだよ。 **素材・道具  人類の最大の特徴の一つが、道具を作り使う「技術」を持つことだ。といってもそれは人類の独占ではない。  人類の道具と同質で精緻なものが自分の体の器官として進化しており、それを使いこなす生物は昆虫や植物、単細胞生物を見ても多数ある。  さらに、自分の体から出たものでない、周囲の環境にある物体を変化させて利用する動物も少なくない。アリが穴を掘って巣を作るのも、ある種の魚が水を吐くのも、ビーバーが木を切るのも、細胞すら持たずDNAと覆いだけの存在が別の細胞に侵入して自己増殖するのも「周囲の環境にある物体を利用し」ている。  人間が言う道具に近いものも、大型の鳥や人類に近いサルはある程度使える知能がある。  人間が道具を使うというのは、まず手足など自分の体の延長……手足や歯で行える行為と質的に同じだが、人間の力では不可能なこと……として周囲にあるものを用いること、さらにそれをより使いやすくするため、力を加えるなどして変型させて用いることだ。  その道具を作る技術は情報として貯えることができる。人類は情報の伝達にも優れており、特に群れの中で子供に情報を伝えることができるから、見つけだされた道具の作り方・使い方などの情報は知識として群れに蓄積される。  それが人類の、ほかの動物との最大の違いかもしれない……どんどん新しい知識を蓄積できる。  その前に、人間の肉体の道具としての面を見ていこう。人体生理自体は見たが、人間の道具の多くはそれを拡大延長するものだ。たとえば石を先に固定した木の棒が、拳を握った腕をより長くして拳をより硬く重くしたのと同様であるように。  人間の体でも、手と口には特に様々なことができる。   手ではものを持ち上げる、つまむ……小さく表面が柔らかい二つの面を、平行なまま互いに近づけてなにかを両側から覆って圧力をかけ、それで軽いものの位置が変わらないようにしたりする、圧力をかけて押しつぶす、固い質量を高速でぶつけて衝撃を与える、下向きに曲がった曲面を作って液体を保持するなどとても多くのことができる。上述の棒を握ることで、長さが限られた棒としての腕を長く伸ばしより重く硬くすることができる。  口も、一番前にある平たい歯で、線といっていいほど狭い領域に上下から硬い歯で高い圧力を加えてものを切断……ひとつながりだったものを二つにする、円錐形の歯で一点に高い圧力をかけ、またそれを上下からかけて固い表面を破る、指よりもっと高い圧力をかけて潰すなどいろいろできる。  体全体では体重ぐらいの質量をもつ物体を地面から上に移動させ、そのまま体に固定して共に移動することができる。  人間はそれぞれを、道具を用いてより強い力でできるようになっていった。  ちなみに、技術水準の評価としては、実はこれは別々ではないが「木を切断する能力」「土砂を移動させて構造物を作る能力」「より重いものを速く遠くへ運ぶ能力」がまず先行する。その後で、後述する色々な文化の進歩がある。  更に深い本質は「利用されていない淡水を利用する面積」「利用できる燃料の量」「最大温度」「情報・物資の移動」にある。  どのような素材が必要なのか?  長く長軸以外に変型しやすいもの……繊維……糸・紐・縄・綱  薄いもの……板、布、革、金属(薄くて更に自由に変型する、さらに染色・筆記・印刷に優れていればなおよい)  柔らかいもの……藁・繊維、粘土  固いもの……土器・石材・レンガ・木材・金属  鋭いもの……石器、金属  水に溶けない液体……生物の脂肪分・生物が化石化した複雑な炭化水素分子・その他  ものを溶かし、自由変型してから自分は空気に混じって気体になって消える液体……水、各種油  べたべたくっつくもの……生物の組成の一種、各種油など  水に溶けず、自由に変型する固体……ゴム  熱に強いもの……一部金属、石、ガラス、耐火レンガなど  熱で簡単に溶けるもの……一部金属、蝋など  液体から固体になるもの……セメント、泥、土器粘土、金属、蝋、化石炭化水素など  ほかの物質を変化させるもの……水をはじめ多種多様  エネルギー……大気中で燃焼する生物由来の物質など  色などを与えるもの  滑るもの……脂肪・化石炭化水素・ある原子の組み方でできた炭素鉱物など  それらについて詳しいことはおいおい説明していく。  さらに後に、内部の電子の動きやすさから放射能防御まで多彩な性質も求められるようになっている。また将来何が必要とされるかもわからない。  物質でできた物には、熱力学第二法則に由来する法則がある……物体は変化し、壊れていく。特に人類が暮らす陸上という環境、人間の寿命という時間スケールでは多くの素材が寿命内で、一見長持ちする素材でも人間の寿命より長い時間で見ればいつかは崩壊していく。ただし地域などにもよる。  短期間で崩壊するのは生物由来の木材などだ。特に大気中の気体の水が多く温度が高い環境だったり、よく水に濡れる環境だと、微生物が繁殖してすぐに美しさと強度を失ってしまう。生物由来などの色々な物質を塗ってある程度遅くすることはできる。  金属は利用するとき元素だけ取り出すことが多く、それは酸素などと化合しやすい。ただし、鉄などはどんどん内部まで酸化して強度を失うが、アルミニウムやチタンなどは表面だけに酸素と化合した膜ができ、それが酸素などを通さないので内部は酸化しない。また銅や金も酸素との化合はしない、ただし空気中の窒素や硫黄を含む分子とは反応する。  岩石は元々、酸化などがしつくされているので化学的には安定している。ただし、形を永遠に維持することはできない……風に飛ばされた砂などさまざまなものが常にぶつかり、また温度の変化があると、特にそれが水が固体になる温度があると、液体の水が固体になるとき膨らんで強い力を出す。また様々な生物にも壊される。  日光と空気中の酸素分子や硫黄や窒素と酸素の化合物、そして水も、長い時間はかかるが事実上すべての原子のつながりを壊していく。特に海面、空気に触れる海水が最悪だ。  それに、人間自体がいろいろなものを欲しがり、そのためにあらゆるものを壊す。 **人間界における水  人間に認識できる範囲、人間にとって重要なものの働きの範囲で、特に重要な物質である水の挙動を少し見てみよう。繰り返すことも多いが。  水の性質は上でも説明したけど、人間の体温前後かつ現在の海面近くの気圧では液体であり、それよりある程度分子運動が少ない……冷たいと固体になり、また温度を上げていくとある温度で分子の運動のほうが大気の圧力より強くなり、特に水の中に不均質な何かがあるとそれを中心に気体になって泡が出、最後には大気に混じって人間の目が見る光では透明になる。逆に大気に混じった気体から液体になるとき、液体から固体になるときも不均質な何かを必要とする。  固体から液体になるとき、また液体から気体になるときそれぞれ膨大な熱を奪う。逆に固体になるときは少し膨らみ、その際にとてつもない力を出すし、気体にするときにも熱を高い圧力にできる。  塩化ナトリウムや糖が混じると固体になる温度はかなり下がる。だから海の水は固体になりにくく、陸から塩が少ない水が流れ込むところでより固体になりやすい。  固体になるより少し高い温度のほうが固体より密度が高いことはもう説明した。  高いところだと、上に乗っている空気分子、空気の圧力が少ないため、加熱して泡が出る温度がかなり下がる。  液体であれば地球の重力に引かれて下に行きたがる。液体だからきわめて小さい隙間からでも下に行く。水を重力に逆らって止めておくには隙間がとても少ない素材で、しかも三次元的に凹の構造がなければならない。  また細かな隙間が多い素材に触れると、水の表面の分子が互いに引き合う力のために隙間に入り、なかなか出ない。植物の管は非常に細く、水の分子どうしの力を利用して気圧だけでは引き上げられない高さに水を引き上げることができる。  水はとても多くの固体を溶かす……形がなくなって自分がその色に染まる。だいたい気体にならない程度に温度の高い水は冷たい水より固体を溶かすのが速いし、そこでは原子どうしがつながったり離れたりするのが活発になる。高熱で気体になった、または気体になる温度に近いほど温度の高い、普通なら気体になるけれど地球の海面より圧力が高いため液体のまま、さらに高い温度と圧力で液体と気体の区別が意味を持たなくなったりすると、あらゆる物の分子のつながりを切り離したり違うくっつけ方をしたり、普通の気温での水がやらないさまざまな働きをする。  また溶けたものによっては、空気と攪拌すると泡になることがある。  いろいろなものを溶かすし、溶けなくても水があるだけで原子のつながりが変わったり色々することがある。  ちなみに水には溶けないが油など別の液に溶けるものもあるし、またただの水では溶けないがいろいろな物が溶けている水なら溶けたりするものもある。  水と土が混じると色々面白いことがある。少量だと土の色が変わり、種があり温度がよければ植物が生えてくる。多いと土が軟らかくなり、変型しやすくなるがある程度は形を保つので、好きな形を整形するのに適する。もっと多いと、非常に粘性の高い液体に近くなり、その状態になった地面を移動するのは人間にとってとても困難だ。さらに多いと色のついた水と区別がつかなくなるが、その状態で動かさず時間を経たせれば土の多くは沈んで下方の土と薄い色水に分離する。  水はかなり密度が高い物体であり、それに物を入れると上向きの強い力が働く。また液体に共通するが、分子の大きさまでの小さい隙間があっても低いほうに落ちていく。  空気は気体の水とある程度混じることができ、どれだけ入るかは主に温度で決まる。空気中に水が少ないと、液体の水を普通に置いてあったりしただけでどんどん空気に混じって水が消えてしまう。また植物は常に地中の水を、植物がない状態よりも多く空気中に気体にして逃がす働きをする。  逆に空気中に水が多いと、液体の水はなかなか消えない。  それは温度によるから、一日の間に昼は気温が高く夜は低いため、特に地面に近い部分は気候によって夜に、あらゆる固体表面に水が空気から出てくるし、もっと寒ければそれが氷になることもある。それは人間にとってとても不快で、死に至ることも多い。 *成長・進化補足  少しばかり、人体生理や進化について補足しておいたほうがいいだろう。  人間をはじめ哺乳類は一部の昆虫とは違い、出産後大きな形の変化はない。  生後数ヶ月は通常の食物を消化できず母乳を必要とするし、約一年は自力で行動することができず移動するには生物でないもの同様に親に運搬される必要がある。保温・免疫なども弱い。脳・運動・内蔵などが未熟なんだ。  一年から三年で立って歩くこと、見て周囲の状況を判断すること、最低限の言葉など多くのことを学習する。それから人間として生きていくのに必要な多くのことを、十年から十五年ぐらい、長ければ三十年もかけて学ぶことになる。  その学習のやり方として模倣、他人の動作や情報表示を感覚で見て自分も同じことを、それも外見のみではなく相手の目的を理解してやる、というのも重大な人類の特徴かもしれない。  十年から十五年ぐらいの間に、性的に成熟して雌雄とも生殖可能になり、運動能力もある程度大人に追いついていく。ただし雌が出産するリスクが、人類というその意味では欠陥種の標準になるのは十八年ぐらいしてからだし、また体力的に大人に追いつくのは大体十七年から二十年、脳が完全に成熟するのは二十年を少し過ぎた頃だ。生後十年ごろから二十年ちょいまでは非常に攻撃性が増し、精神的にも不安定になる。配偶者を選ぶ、場合によっては群れを離れて新しい群れを形成するなどさまざまな経験があるからでもあろう。  女性の生殖可能期間は四十から五十ぐらいまで。つまりすべて双子で無事故、養育援助を無制限に得られるとしても六十人が上限、標準では十人前後だ。昔の苛酷な環境ではその大半は死んでいただろうし、上述のように人類の出産にはかなりの無理があるので母親が死ぬ率も非常に高い。  男性は、上限としては一日三人×三百六十五日×六十年というとてつもない数の交接が可能だ。それに交接から出産に至る率を掛け合わせても膨大な数になるし、実は一度の交接で放出される生殖細胞の数は億単位だから、それを高い技術で活用すると……  最大寿命は百二十年、健康で資源に恵まれた個体の標準で八十といったところか。雌のほうがやや寿命が長い。  雄と雌の生殖可能数の違いも、多くの生物にとって本質的なものだ。  多くの生物は、まあさまざまな要因で同一個体が雄になったり雌になったり、一つの個体の体に雌雄双方の生殖器官を備えているものも多いが、雌の大きい、酸素呼吸や光合成をする共生極微生物を含むさまざまな機能を備えてDNAのみが半分しかない細胞に、逆にDNAの半分以外の大半を切り捨てた雄の生殖細胞が侵入、DNAのみが合わさって新しい完全なDNAを持った卵になる。  その後多くの生物は体内で卵をかなり細胞分裂させる。その間栄養や酸素を補充してやり、または外に出した後にも生活できるように多量の栄養を与えるために、膨大な栄養を投入することになる。雌だけが、だ。  逆に雄は常に、膨大な数の、ごくわずかな栄養分しか消費しない生殖細胞の生産だけでいい。  ここで常に「栄養(をはじめ資源)」の「投資」、そして「個体の生存」「繁殖」「繁殖関係がある別個体を含めた、DNA自体の複製成功・存続」が密接に関係しつつさまざまな異なる利害を持っていることを意識してほしい。ここは人間が理解するために経済の比喩を使うのが普通だ。  繁殖関係はDNA情報の共有率でもあり、重要だ。時には個体が死んでも、多数の遺伝子共有者を生きさせれば遺伝子の存続になることがある。  まず、雌雄の親と子が結びつく。共通の雌雄から生まれる複数の子、兄弟姉妹も強い繁殖関係を持ち、世代がより近い。特に妊娠初期に受精卵が分裂した多胎児は、DNA情報を全て共有する。親の兄弟姉妹なども繁殖関係でつながる。  繁殖する雌雄は、本質的にDNA上の繁殖関係はないが、人類は繁殖相手およびその繁殖関係でつながる集団も重視する。子は食わせるが繁殖相手には交接時以外関心を持たない動物も多数いるし、多産多死タイプなら子にも関心を持たない。  まず、特に人類は極端な少産少死で、しかも妊娠による雌の行動能力減退期間・子供が自立するまでの期間が長い動物だ。ゆえに雌は、自分とは別の個体や群れが大量の食料を「投資」してくれないかぎり子供を育てることができない。理由は知らないしそうでない方法をとる動物もいるのも確かなのだが、現実の人類は知る限り、繁殖相手の雄を中心とし、加えて繁殖相手雄の繁殖関係者も含め繁殖関係でつながる群れに、自分及び子供の食糧投資を頼ることが多い。  その性質上、特に人類のように少産少死戦略をとる生物の場合には、雄はとにかく多数の雌を妊娠させるのが最も自らのDNAの存続確率を高める行動であり、反面どの子供も本当に自分の子供か確認する術を持たない。人類が体毛をほぼ喪失していることも重要だ……多くの家畜哺乳動物のように体毛が多く、色の不均等があれば繁殖関係は一目瞭然だが、人類はそうではない。また嗅覚が極度に優れた動物も臭いで繁殖関係を見分けられるかもしれないが、人類は嗅覚も鈍い。今の人類ならDNAを調べて確定できるが、そんなことができる世界で生物は進化していない。  逆に雌はもっとも子育てのための資源を確保し続けてくれる、かつできるかぎり遺伝子の質の高い雄を選ぶのが得ということになる。また雌は本質的に、出産直後にひそかに交換しない限り親子関係は確定しているので、自分の子供を確実に育てることが自分のDNAの存続には有効だ。  またある程度視覚が発達した大型脊椎動物を中心に、「性淘汰」という概念がある。  本来それが考えられたのは、進化論と合理主義からは説明するのが困難な生物が多数、人類にとって身近に存在しているからだ。明らかに移動する役に立たない巨大な羽をもつ鳥、実用性など何もない巨大な角を持つものなどいろいろと。  ではなぜそんなものがあるか? 説明としては、雌が多くの雄から交配相手を選ぶことができるときに、その選ばれやすさにそのような羽や角があると考えられる。普通ならば遺伝子の質が高い……丈夫で、体の形が種の標準に合っていて病気などの痕跡がない雄を選べばいいが、逆に「これだけ無駄なものをつけているのに、それでも今まで生きてきた、それだけ自分は強い」というアピールが有効だとしたら? それによって無駄な羽や角が発達したのではないか? というのが今は多くの人が認めている。  また、遺伝子を支配している原子が結びつく法則自体が、ある変型をしやすいとしたら、その方向に進化してしまうこともある。逆に、進化ではどうしてもできないことも多い……チタンや非常に硬い結合をした炭素を歯や表面を覆う防護に使う生物はいない。  性淘汰は後に説明する、人類の文化や脳の構造にとってきわめて重要な要素だ。 *群れ  上記のものを手に入れる前の人類は、基本的にはサルと同じような生活をしていたと考えられる。  肉体的には完全には草原に適応してはいない……しているとしたら、立体視よりも左右を広く見ることを優先して目を左右に寄せる、足を変化させてより速く走るなどしていたはずだ。むしろかなりの技術を前提とした動物として進化していると考えたほうがいい。  どこに住んでいたか……アフリカの赤道付近、やや東側であることは確かだ。それ以上のことはわからない。  繁殖関係がある別個体を中心にして集まり、群れで生活していたはずだ。同じ、人類になる直前のサルの群れと群れがどう関わっていたかはわからない。  その「群れ」というのも説明が必要かもしれない。生物、特に動物には、同じ種で集まる生き方をとるものがある。脊椎動物にも昆虫にもその他にも。  たくさん集まっていると、水や食物が少ないときには独り占めした方がいいに決まっているから食べられる量が少なくなるとも考えられる。  でも自分を食べるほかの動物に襲われたら、群れを単独より大きい生物と見てしまって襲うのをやめる捕食者も多い。多少犠牲が出ても、たとえそれが自分自身でも、自分と、繁殖関係で結んだ場合のつながりが近く共通の遺伝子が多い群れの仲間が生きのびれば遺伝子は残る。また、一対一では絶対勝てない大きい肉食動物を、集団でなら追い払える可能性がある。  この有利というのは、「生物の目的は自己の遺伝子のコピーを多く残すこと」という、DNAの性質から考えられるものの考え方だ。ただし、物事はいいだけであることも悪いだけであることもそうない。普通はいい面も悪い面もある。というかその「いい」と「悪い」という言葉自体が……詳しくは後で。  さてと、他にも群れには有利な点がある。繁殖のための同種で性が違う仲間を見つけるのが楽になる……反面同性の競争相手も近くに多くいることがあるが。また、単独ではできないことをすることができる。アリは多数が力を合わせて土を移動させ、巨大な構造物を造りあげる。  動物が群れでいる、というのはそれほど簡単ではない。皆が勝手なバラバラな方向に動きだしたら群れにならないから、どの方向に動くか情報を共有しなければならない。他にも様々な問題がどうしてもある。  群れで重要なのは情報の伝達と行動の確定、群れの成員の判別、群れの縄張り、順位と最上位者の確定などがある。ただし群れの順位、最上位者の概念は大型脊椎動物には見られるが、社会性昆虫には見られない。  生物の、単細胞から共通する「自分の情報を複製し、結果として保つ」ことに着目すると、群れにおいて個体は細胞の原子、多細胞生物の個々の細胞と同じく、入れ替えていい存在だ。だが個体の情報についていえば、自分自身および同じ受精卵からなる兄弟姉妹、そうでない親・兄弟姉妹・子、そしてそれ以降の、生殖関係でつながる者と、徐々に共通のDNA情報は減少していく。それに応じて、本質的な重要度が変化していく。  情報の伝達は群れとして生きることそれ自体の利点と深く関わる。どんな生物の脳も……脳を持たない単細胞生物でさえ、たとえば「食べものが右にある」は、感覚器から直接処理し、そちらに向かうことができる。でも、群れなら群れの人数だけの目があり、より食べものや敵を見つけやすくなる。だが、一匹がなにかを見つけても、それがどこにあるかを脳の中の情報から別の形の情報に翻訳して全員に伝え、どう行動するか決め、皆がその決定に従わなければ無意味だ。その情報伝達が多くの群れ動物では重要だ。昆虫には、動き回って太陽を基準に餌の正確な位置を示す種もある。声、匂い、その他実に多様な情報伝達手段がある。  最上位者からはじまる順位は「群れがどう行動するか」を決めることに必要だ……バラバラに行動することを避けるため、誰かの判断に全員が従うとした方がいい。たとえ間違った決断をすることがあっても、決断できないより生きのびる確率は高い。また群れのメンバーが同種だから生殖上・食料の上で競争相手になることにも関わる。誰もが多数の子供を作りたい。特に大型陸上脊椎動物の雄は、一般に一匹で短期間に多数の雌と生殖できるから、できれば雄一匹雌多数の群れが望ましい……現実にそんな動物も多数いる。でも雄も多数いる群れを作る動物もおり、その場合最上位者の支配力や慣習、順位によってそれらを配分する。食料の配分の上でも、最上位者の確定と群れの順位は非常に重要になる。  誰が上かを決めるのに、多くの動物で相手を殺したり死ぬほど傷つけたりしないで争う方法が確立されている。二匹が接するたびに殺し合っていたら群れにならない。前述の、人間の拳が壊れやすいのも殺し合いにならずに争うことができる、という意味では適切なのかもしれない。まあ後述するように道具を覚えて台なしになったが。  注意して欲しいのが、食料にしても繁殖相手にしてもどの個体も手に届く物は全部欲しい、自分の遺伝子を増やすために。だがそのために群れが滅んだら、結果的に自分の遺伝子が伝わることも不可能になる、という深刻なジレンマが本質的に存在していることだ。  誰が群れの一員であり、誰が違うのかを判別するのも重大な問題だ。多くの動物は嗅覚が発達しているが、人類は嗅覚がかなり弱いのでそれに頼れない。  縄張りというのは群れに限らず、むしろ単独で暮らす動物一般に見られる行動パターンだ。地球上のある区域に、自分と同種の生物が入ることを生殖のための異性を除き防ぐ行動を取る。その区域の食物を独占しておけば、長期的に食物を得られる確率が高まるからだ。群れる場合は群れの成員に限り個体どうしの縄張り意識を弱め、代わりに群れ全体が一つの個体であるようにひとつの大きい縄張りを守る。  あと、昔の人類はまず間違いなく肉も木の実も草も虫も、実に色々な物を食べていただろう。身の回りのあらゆる生物について詳しい知識を持っていたはずだ。そうでなければ生きられなかったはずだし、今生き残っている孤立して狩猟採集生活をしている人々もそうしている。  あとついでに、特に大型の動物は一定の空間を認識し、その空間に自分と同種の動物を入れないようにすることを好む。  また、安全な場にこもって眠る種も多い。 **リスク・判断・偶然  動物は動いて何かをすることで生存・繁殖する。  動けば、または動かなくても時間が経つにつれて結果がある。その多くは偶然、統計確率に支配されている。それが動物が存在し、因果に支配されたこの世界での最も根本的な法則と言えよう。  単純に動くか動かないか、大抵は動く方向をいくつか選ぶぐらいはできるからどちらに動くか、で多くの選択肢から選択することになる。  それが、「生存し繁殖する」という生物の本質的な目的にかなえば種が残り、かなわなければ絶滅に向かう。  詳しくは後述するが、人間がよく間違えるのは「正しい行動」があるという考えだ。正しいと間違っているの二つに極端に考えることで、思考を節約してしまう。  人間にはなまじ豊富な感覚器と高い知能があり、行動する前に未来について思考し、その中で最も利益になる未来が予測できる行動を選ぶことができるからでもある。ならこの行動を取ったときに、食糧にありつくことも自分が食われることもどちらも、ある確率であり得る、と考えればいいのに、それは苦手だ。「信じる」のが人間には基本で、この道は絶対に正しい、食糧だけがあり自分を食う敵はいない、と「信じる」ことで行動する。  だが実際には、ある行動の結果は、特に長期になると予測できない。物理的に単純なことであっても、多数積み重なると最初の条件にどんなわずかな違いがあってもそれが大きな結果の違いを生みだしてしまう。あらゆる事は統計確率に支配されている。  また、あまりにも、多くの要因が絡むために事実上予測不能になること、偶然が生物が生きていく世界には多すぎる。  いえることは唯一つ「一つのバスケットに全ての卵を入れるな」。後述する鶏卵は素晴らしい食料だが、衝撃を受けると割れて液状の中身が流れ出し、食べられなくなる。たくさんの卵を得たとき、それ全部を一つの籠に入れて運べば一度の移動で済むから運動は節約できるし楽だが、その一度でたまたま転んでしまったり何かにぶつかられたりしたら全ての卵を失う。複数に分ければ、そのどれで転んでも全滅は免れる。  人類という、極端な少産少死自体その点ではまずいし、まして後年の近代都市以降は極度に生まれた子供の死亡率が低いため、リスクが存在していること自体忘れられてしまう。特に人間は、ちゃんと統計的・論理的にものを考えるのがものすごく苦手だし。  あと、判断は常に正しい判断と間違った判断があるように思われてしまうが、実際にはあらゆる事に損得の両面がある。 *狩猟採集時代 **人類生理から  さて、人類になった。それから何百万年も、アフリカの草原と森林の中間で暮らしていたことは確かだ。人類が進化して大体形になってから今までの、圧倒的に長い期間は似たような生活をしていたはずだ。  アフリカにもいろいろな気候・植生がある。どんなところだろう? 人体から考えてみよう。  人類は汗をかくので、水を飲まずに長期間活動できない。ただし汗は強力に体を冷やすので、水と塩化ナトリウムがたくさんあれば、同じ体重の動物で比べると遅いが非常に長い距離を移動することができる。だから一番昔の人類は、水がとても豊富な地域に住んでいたと考えられる。元々熱帯雨林は水が豊富だし……そうだろうか? 人類が最も早く知った食物に、長い茎で地上に広がったり別の木にからみついて上に登ったりして、豊富に水を含む大きい実をつける瓜の類がある……それがどこにでもあれば、それほど水が豊富な地域でなくてもいつでもどこでも水を補給して長距離移動できた。また水を運ぶための品がきわめて古くから発明されており、人類の体質が大量の水を消費するものになる前だったら? まあいい、どうせわからないことだ。  そんな感じで考えられることはたくさんある。  ではまず、上で解説した「人間が必要な物」をアフリカの森と草原の中間という環境でどう手に入れていたかを順に考えよう。  短期間生きるのに必要な、適度な酸素を含む大気とかは別に人間が何もしなくてもある。地球は非常に大きく、大気はとても多い……人間の尺度で言えば。また悪い電磁波や高エネルギー素粒子はほとんどすべて大気と地球自体が発する磁場が防いでくれる。  だが、上で注文した物と同等のものはやはり必要とされる。それをどうやって入手していたか?  水、それも塩化ナトリウムが多すぎない、また変な化学物質や微生物が多すぎない水が必要だ。まず空から降ってくる雨があるが、特にアフリカの草原は雨季と乾季がはっきりしており、雨期にはたっぷり降るが乾期にはあまり降らない。  ただし川や地下水が地面に自然に湧いている泉などがあり、そこではかなりいい水がたくさん常に手に入る。さっき言った、水を豊富に含む植物の果実や傷つけるとほとんど水である体液を出す植物そのものを利用することもあっただろう。 **食料  さて食料だが、そこら中にたくさんいるあらゆる生物が潜在的には食料になる。生物でなく食べるものは残念ながら水と塩化ナトリウムぐらいしかない。窒素と酸素や炭酸とカリウムやカルシウムの化合物などが保存や味に少し使われるぐらいか。  植物はたくさんあり、位置を変えて逃げたりしないので取りやすい。ただし一部をのぞいて消化しにくく、食べられないように多くの毒を持っている。膨大な量を考えると残念だが、固い木質は人間にはまったく消化できない。  葉や木の芽、木の皮の内側、そして花や実、地下の繁殖・貯蔵に用いられる普通より太くなった根などのいくらかは、人類がなにもしなくても食べられる。歯の構造などから見て昔の人類はそれを主に食べていたと思われる。一部の実以外には糖と、ビタミンCなど人間が自力で合成できない化学物質のいくらか、多くの微量元素が含まれている。  大抵タンパク質は少ないし、タンパク質の基本構成分子の種類が偏っている。人類の体の細胞は多くの分子を作れるが、ビタミン類やタンパク質の基本的な分子のいくつかは自力で合成できず、外から食べる必要がある。その単純なタンパク質はどれか一つだけをたくさん食べても人間の細胞にはそれを相互に変換する能力がないのでダメ、全部ある程度ずつ必要だ。逆にそれを考えると、昔の人間が何を食べていたか分かりそうなものなんだが。  土や木の中の非常に細長い体が無数に絡み合って伸び、周囲から栄養を食い、ごく小さな塊で増える生物が出す比較的大きい塊もいい食料だ。多くは猛毒があるから、知識が必要とされるがね。  動物は移動して逃げたり反撃したりするので、つかまえて殺し、丈夫な皮膚などを破って食べるのがかなり大変だ。でも脂肪やタンパク質がたくさん含まれている。  さまざまな虫は手に入れやすく、多くはそのまま食べられる。だが有毒なものも多く、安全に採集するには高い知識がいる。また一つ一つが小さいから、見つけるのは簡単だけど腹いっぱいになるまで集めるのは大変で、そのために必要なエネルギーのほうが得られるエネルギーより多くなってしまうことも多い。ちなみにそれは木や草の実も同様。さらに言えば、前言ったように土にはたくさん小さい生物がいるけど、だから土を食べて生きられるかと言うとそれは人間には辛い。エネルギーの密度が低すぎるんだ。  逆に大型脊椎動物は人間が必要とするタンパク質全部と脂肪を大量に含み、きわめて効率の高い食物だ。  自分の糞を食べる動物も多くあるが、知る限り人類はそれをしない。糞を食べることは、腸内の細菌を食べるに等しいためそれを繰り返すことで頑丈な分子の多い食物も吸収できるんだが。あと腐肉もあまり食べない。といってもそれは現在の人類の話で、とことん昔はどうだったか知らない。生肉を食うなら、腐敗というほどじゃないが十日かそこら室温で置いて、細胞自体の物質によって組織が分解され柔らかくなるのを待ったほうが消化しやすいし。  味覚について補足しておくか、人間は生きて活動するために必要なものを食べると、舌表面にある器官がそれにどんな分子が含まれているかに応じて脳に情報を送り、脳がその情報を受け取ると快や不快を感じる。そして快であればそれを再び得たいと脳が強く思うし、動物としてはそれを得るための行動を反復したがる。単純な糖・脂肪・タンパク質・塩化ナトリウムなどに対して特にそれを強く感じる。逆にこれは毒だと脳の奥が分析したら吐き、不快になって二度と食べないようにする。  ついでにそれで後述の乗り物酔いなんてのが起きる……目と耳の奥の加速度探知機の情報が矛盾したら、毒を食べたと脳の奥が判断するわけだ。  人類が道具を覚える前、より単純なサルであったころ食べていたものを現在の人類の体から推測してみよう。次に述べる調理なしで、生きているまま食べられるものだ。  まず上述の、植物の実で、特に水分や脂肪が多いもの。その他植物の葉・芽・根など。きのこ類の一部。さまざまな虫や陸上生活をする貝類。特にハチが巣に貯める蜜。小さい魚。動物の脳・骨内部の脂肪組織・内臓など。それぐらいだな。  ビタミンCやタンパク質の単純ないくつかを自力で合成できない、草や木の固い繊維をろくに栄養にできないことを考えると、植物と多分虫など小さな動物も食べていたと思われる。大量の水を常に必要とすることから水場に近いところに暮らしていたとも考えられ、なら水場にいる魚や貝も食べていただろう。  人類が大型動物の肉を豊富に食べられるようになったのは進化から見て最近のことで、それ以前の多くの植物も食べていたサルの特徴も引き継いでいる。  できれば動植物両方を食べるほうがいいが、動物質のものと、植物の中でも脂肪や糖の多い種や果実を好む。ただし動物の筋肉部のみなどタンパク質が多すぎる食事でも長期的には生存できない。  また後で詳しく言うが、人間は「動物を殺さずに得られるもの」を食べる方法も手に入れた。動物の死体の多くは骨など食べられないものなので、殺さずに得られる食べ物のほうが動物が食べる食物の量から言っても、いつでも食べられるという点から言っても都合がいい。哺乳類の乳、鳥類の卵、動物の血液、ミツバチの蜜などがそれに当たる。 **調理、石器  さてと、人間はただ生物を食べるだけじゃない。その食物を調理……なんらかの方法で大きさや原子のつながり方を変え、死なせてから長時間微生物に食われないよう保存する。  というか、ここに動物の死体が食べてくれと放り出されている。それをどうやって食べればいい?  典型的な哺乳類とすると、上で述べた人類と大体同じ、ただ二足ではなく四足で、全身を長い毛が覆っている、と考えれば間違っていないだろう。  口に丸々入るほど小さい動物、特に昆虫や陸上生活をする貝類などなら、そのまま口に入れ、歯で噛み砕いて……あごの力を利用して圧力をかけ、殻などを砕いて飲みこめる。人間の味覚には合わないことが多いが、少なくともそれで栄養を得ることはできる。だが今の、私と同じ生活水準にいる人に、口に入るほど小さい哺乳類の死体をそのまま噛み砕いて飲みこめといったら……餓死するほうを選ぶ人も多いだろう。  肉食動物が他の動物の死体を食べるには、大型哺乳類の場合は皮膚を切断できる非常に鋭い歯がある。後に説明する鋏に似て、複数の方向から狭い部分に固い歯で高い圧力をかけることで小さくても破れ目をつけ、そこに力を集中すると破れたところから破壊が広がっていく。どちらも我々の次元・物性でしばしば見られる破壊方法だ。それで比較的柔らかい腹の皮膚を切断し、まず一番柔らかい内臓から食べ、栄養豊富な血液を飲む。より頑丈なあごの持ち主は筋肉や脂肪組織や皮膚、そして骨の中の脂肪がたくさんある髄を食べる。中には死んだ肉が自分自身に含まれている化学物質によって分解され、柔らかくなるまで待って食べたり、さらには微生物に食われて変質したものを食べるものもいる。  道具を得る前の人間には、大型動物の皮膚を自分の歯と爪だけで裂くことはできなかったから別の肉食動物が倒し、食べかけている肉を横取りしていたとも考えられている。実際に自然界には、主に別の肉食獣が食べ残した腐りかけた獲物を横取りする肉食動物は多い。といってもそれにしては人類の消化能力はやや低く、ひどく腐った肉を食べるとすぐ体を壊すんだが……まあわからない。いや、多分「道具を持たない人間」なんて生きられない、人間が今の形になったときにはもう道具を使っていたんじゃないか。  動物全体で見ればその「食べ方」だけでも実に多様だ。特に小さい昆虫やそれ以下のサイズ、海の無脊椎動物は本当に多様だよ。たとえば生物の体を溶かす液を口から獲物の体内に入れ、溶けたのをまとめて吸う動物も多いし、中には胃を口から出して獲物を包むという食べ方をするのもいる。  まあそれはともかく、大型哺乳類である人類にそんな能力はないし、歯や爪も弱いが、大型動物も運がよければ食べていたと考えられる。土の深いところに埋まっていた昔の人類が暮らしていたところに、大型動物の骨が見つかっている。どうやってかというと、その近くで見つかる割れた石を用いていたと考えられている。  割れた石……石器だ。地上にはたくさん固い塊が、人間の目では見えないほど小さいのから身長の何倍もある巨大なものまである。それは強い力を与えると割れ……一つの塊が、ある面によって二つになる、二つ以上のこともあるが……その割れた面の角が鋭角をなしていることがある。  ちなみに固い物体に二つの交わる面があるとき、その境界線により柔らかいものを当てて力を加えると、柔らかいものが耐えられる限界より大きい圧力を与えられるなどして、柔らかいものが二つに分かれることがある。生物に石より硬い部分はめったにない。硬いとか柔らかいとかいう言葉は……説明するのは簡単じゃないな、切れるということも。  自然にある割れた石を使える動物ならいる。でも、人間は意図的に石を割ったりして、必要な形を作り出すことができる。  それで大型動物の肉や脂肪を口に入る大きさに切り取ることができた。  ちなみに血液もとても重要な食料資源になりえる。中の糞を除いた腸の管に、血と脂肪を入れて固め、加熱した保存食が昔から好まれている。後に血液の代わりに細かく切った肉になったのもあるが。  ついでに、進化段階の人類にとって、石器や木の棒、火など道具を使えたことは、多くの動物が捕まえることはできても食べることが難しい、体を頑丈な骨の板で覆った動物を食べることができた、という意味も大きかったと思ってる。そいつは多くの動物にとって、食べたくても骨の板をこじ開けて肉に達するのが難しい。だが動きが遅いから捕まえるのは簡単だ。そして道具を使いこなせれば、その骨の板をこじ開けて肉を食べることができる。  ここで思い出して欲しいのだが、上で私は肉を加熱するよう頼んだ。それは私が文明人で、加熱していない肉を食べることに慣れていないからかもしれないが、人類の消化能力はやや弱く、肉は加熱したほうが食べやすい。また肉についていて、瞬時に増加する微生物や寄生生物も加熱することで殺せる。より安全になるわけだ。  食べやすい、というのは結構大きい。物を食べると、体内で固い組織を壊し、細胞を壊して利用できる細かい分子にしていくのにはものすごいエネルギーを必要とする。場合によっては食物から得られるエネルギーより食物を体内で壊すエネルギーのほうが大きくなりかねないぐらいなんだ。加熱したり、細かく潰したりするとそのエネルギーを節約できる。  多くの植物のデンプンは、水を加えて加熱すると構造が変わり、人間にとっては味もよく消化もしやすくなることも重要だろう。  昔の人間は加熱するには火を用いるしかなかった。 **火、土器  火というのは地球陸上の気圧、大気の構成、重力、人間の大きさなどがからんで起きるとんでもない現象だ。  特に死んで水分が大気に溶けて失われた生物体、中でも植物が火になるのに適している。大きさも重要だ、あまりに小さいとあっという間に消えて制御できず、巨大すぎると表面積と体積の比が悪くて火がつきにくい。人間という生物の大きさはその意味でも絶妙だったな、十倍や十分の一どころか半分や二倍だったとしてもあらゆることが変わっていただろう。  前に言った石炭や石油など生物由来の炭素と水素の化合物など、本来は大半の金属や水素も火になる。ただし地球の、人類の手に届くところには、酸素などとくっついていない金属や水素はほとんど見られないが。  火が燃える、燃焼というのは要するに急速な、発熱する酸化だ。いろいろな原子どうしがくっついたり離れたりするのには常に熱や電気など様々なエネルギーの出入りがある。  酸素分子が二割ある大気に触れた状態で、そのような性質を持つ物質を、ある温度……水の沸点よりずっと高い温度……まで加熱すると、主に炭素や水素の原子がその分子から離れて酸素と結びつく。温度によって原子が結びついたりすることのしやすさが変わったりするんだ。その炭素や水素と酸素が結びつくときに大量の熱が出て、その熱が周囲を加熱する。それで温度が上がった周囲の部分で、同じような激しい酸化が始まる。ということで、酸素か酸化しやすいものがなくなるまで、その連鎖的な酸化が続くわけだ。その熱はついでに燃えるもの自体を液体・気体にし、その高熱の気体は光も放つことが多い。  ちなみに熱を帯びた気体は普通の大気の中なので密度差と重力のために上昇し、周囲から比較的低温の空気が入るから酸素の供給が続く……実は地球に重力があり、大気が温度によって密度が変わり、密度が違う気体が接していると高い密度の気体が上昇する、という条件があるからこそ燃焼なんてことが起きるんだがね。無重力じゃ燃焼は持続しないよ。  そして、特に植物の乾燥した死体が燃えると、そのときには加熱されて酸化されたり原子のつながりが変わったりして気体や細かな粒子になった物質が混じる、色のついた気体が見えて煙と呼ばれ、燃えたあとには白い、とても細かい粒子でできたそれ以上燃えない砂のようなものが残されて灰と呼ばれる。ナトリウムやカリウムなどの金属成分の単純な化合物だ。煙がなにかに当たって冷えると、煤と呼ばれる炭素の微粒子や、生物を作る分子がつながりかたを変えられた炭化水素などいろいろな分子がくっつくことがある。  灰自体も、現実にも魔術としてもきわめて多様な用途を持つ、人間にとって重要な素材だ。ちなみに動植物問わず、脂肪が燃えるとほとんど灰が残らない。  また空気がうまく供給されないで木を燃やし……本質的には、酸素供給がないまま高温をしばらく保つと、高温によって生物体を作っている分子が分解されて炭素と灰だけが黒い塊として残り、水やより複雑な分子など他のいろいろな物質は煙となって大気に混じるか周囲を汚すことがある。それでできる炭素の黒い塊は炭と呼ばれ、高級な燃料として使われる。材木に比べ微生物にきわめて強いため保存しやすく、容易に高温で燃やすことができ単位質量当たりの燃焼熱が大きく運搬効率が高く、金属の還元にも必須だし、灰が少しついているため純炭素に比べて低温から燃焼を初め、煙はもう出てしまっているので燃やしても不快感がない。灰を入れた容器で低温で長時間燃やして火そのものを携帯することも、空気を外から供給して石が溶けるほどの高温で燃やすことも、酸化金属と混ぜて加熱し高温で酸素と炭素一つづつの分子を出させて金属から酸素原子を奪うことも自在なんだ。  ちなみに、人間から見ると、あらゆる固体・液体を「燃える」「焦げる」「溶け、蒸発する」の三つに分けることができる。「燃える」ものは水が少なく、炭素と水素の化合物で生物由来が多い……本当は金属単体も燃えるが、自然界にはそれはほとんどない。「焦げる」のは炭素と水素の化合物の複雑なものが結合を熱で切り離されて多くが組み合わせを変えながら気体となり、黒く炭素が露出することだ。炎を当てれば燃えるが炎を使わず加熱すれば焦げる物質も多いし、炎でさえも焦げるだけで燃えない物質も多くある。「溶け、蒸発する」のは加熱により上記の、固体→液体→気体の普通の変遷をしてしまう物質だ。単純な化合物が多く、生物由来のものはまずそうはならない。うまく加熱すれば固体から直接気体になるのもある。  さてと、昔の人類の周囲では主に植物が枯れて乾燥したものが燃料となる。だが、最初に高温がなければならない……それはどうやって得ていただろう?  自然界に火が全くないわけじゃない。火山の溶岩が木に触れたり、また大気の風が電荷を動かして悪天候の時に超高熱が発生することがあり雷と呼ぶんだが、それで植物に火がつくこともある。水がうまく曲面になると、それが日光を曲げて、集中すると温度を上げることもあり、時にはそれが火になる温度にもなる。さらに二つの物質が触れ合ったまま動かすと動かされることに抵抗する摩擦という働きがあり、そのときに熱が出るんだが、風で木の枝が動いたりするときにその熱が出ることもある。火に順応した植物もいるよ、種が火に耐えるだけでなく、火にあわなければ成長を始めないものもある。  逆に、動物はその火を恐れる程度に火に進化として適応している。だからこそ人類は火を燃やし続けることで、人類を食べようとする別の動物を……人類以外は……遠ざけることができる。  多分とことん昔の人類は、その天然の火に枯れた植物を加え続けることで、火を持続させることができることを知ったのだろう。だが一度火が消えたら、もう火を手に入れることはできなかったはずだ。火は上記からわかるように、燃えるものがなくなる・酸素を多く含む空気が供給されなくなる・全体の温度が下がる、のどれかで消える。特に水で濡れると温度は簡単に下がる。逆に多量の空気を吹きこむ・火を高く重ねて下の火が出す熱い光と、熱によって密度が下がり上昇する空気の流れを利用するなどでより高い温度を得ることができる。  ある程度以上多くの情報を伝える人類の群れは、火を自分の手で作り出すことができた。その方法としては木を摩擦する、鉄にある種の石を叩きつける、日光を曲げて集中するなどがある。ただしそれはとても大変な作業……特に光を操作するには高い技術が必要……だから、できるだけ火を保つことを選んでいたはずだ。燃えにくく水を通さない素材でうまく火を包めば、かなり長いこと火を保ったまま持って歩くことさえできる。  あと火は非常に危険なものだ。高熱だから人間の体でも触ると細胞が破壊されて傷を負う。火で加熱された水や金属や空気なども危険だし、熱で気体が膨張したり水が気化したりすると高い圧力となり、それが強い力で閉じこめている固体を破壊し高温の物が飛び散ることもある。煙も呼吸器官を刺激し不快だし多ければ死ぬ。密閉空間で火を燃やすと出る酸素と炭素一つづつの分子も生物にとって猛毒になる。  火を制御する技術も重要だ。火は本質的に、燃料と空気があればどんどん周囲の燃料も点火し、増えていく。ある意味生物のようなものであり、生物が高い秩序のエネルギーを消費しつつ情報を無限にコピーするのにも似ている。それで周囲のすべての植物を灰にし、人間も含め動物は殺してしまう。逆に、小さい火を点火してからもすぐ消える。火が消えていると、全てを焼き尽くして制御不能と、その中間の状態を保つ、制御する。それが人間の最高の知恵だ。  たとえば水をかければ水の膨大な比熱および蒸発のときに奪う熱で一気に燃えているものが冷え、火が消える。砂をかけても空気が遮断され、酸化が進まなくなって消える。上記の、燃料・熱・酸素の三要素のどれかを断てば火は消える。  あと火をただ燃やすだけでなく、火が出す熱……ほとんどは煙とともに、熱い空気として上に上昇する……を無駄なく使う工夫も色々あるが詳しくは後述。  その火は調理・保温・物の加工・後述する光など実にさまざまな役割を果たす。  さて、その火で食物を加熱するとどうなるか? 生物のさまざまな物質が熱によって変化するので弱い力で噛みちぎれるようになり、体内に取り込む消化器官も楽になる。それに従い味もよくなり、同じ量食べてもより多くの栄養を身体に取りこむことができる。また多くの食物の中にいる寄生生物……微生物からかなり大型のものまでおり、寄生先が食われることも繁殖システムの一部になっているものもある……も死ぬので生存の確率が高まる。加熱しないと食べると有害なものを含むが、加熱するとその有害な物質が壊れて食べられるようになる生物もある。  その加熱のためにどうするか、自分の体を加熱してはならないことに注意。ただ火に近づけるのが一番単純だ。また広い葉などでくるみ、灰に埋めてその上で火を燃やし続けるのも安全でいい方法だ。土を盛り上げて中をくりぬき、その中で火を燃やして土の塊を加熱し、そこに食材を入れて穴をふさげば、土の塊に残る熱が食材を美味しく調理してくれる。平たい石の上に食物を置き、石の下で火を燃やせば食物が灰に触れずに加熱できる。  沸騰している水に食材を入れて加熱し、その水ごと飲むという調理法も人は好む。そうすると他の方法では失われる栄養分もたっぷり食べられる。特に塩と脂肪が失われない。水のかわりに油を使って加熱して食べても美味だ……油そのものを飲むのは人間の習慣にはないが。  そのためには、水は液体だからそれが重力で出て行かないよう、水を通さない、燃えにくい素材が必要とされる。それも器の形……重力があるから上は覆う必要はないが、上以外は連続的にふさがった形でなければならない。名前などどうでもいいが、そういうのを鍋とかいろいろな名で呼ぶ。  木や動物の表面……皮も、ある程度それができる。柔軟だから加工でき、水をほとんど通さず、薄ければ自分が燃える温度になるより水で冷やされるほうが早いから燃えない。貴重な皮を使えなくする覚悟があればだけど。  また地面に穴を掘り、水をためて、そこに加熱した石を入れる手もある。木の中をくりぬいたり、中空になった木や表面だけ硬く木質で中空になる実を使ってもいい。  でも皮はほかにも用途が多くあり、地面の穴だとせっかく脂肪などが溶け出た水を飲むのが大変だ。  石で作れたら最高だが、石は人間の力ではそう簡単には加工できないし、割れやすいのでうまくいかない。  いつごろ作られたのかは知らないが、その解になるのが土器だ。金属はいつごろだろうか? わからないので後述とする。本当は土器より金属の方が早いかも知れないが、わかっていないでやってる。  ある種の非常に細かい鉱物が多い土は、水を加えれば簡単に自在な形に加工できる。それを乾燥させると固くなる。乾燥させただけだと水を入れたらすぐ柔らかくなるが、火の温度で加熱すると固くなり、水を入れても柔らかくならないし火を浴びせても燃えない。  形は上だけ開いた円筒や半球の一定の厚みの表面部などが適している。球が一番単位体積当たりの表面積が小さいから、素材をそれだけ節約できるがひっくり返りやすいので何かで支える必要がある。  そして、土器は食べるときに、直接地上に置かれた食物ではなく器の上の食物を食べるという、人間特有の行動も生みだした。おそらく液状の食物を保持するために下に水が出ない形のものが必要とされ、それを他の食物にも用いるようになったのだろう。加熱された食物は手に持っていられないこともあるだろう。  その食べ物入れの清潔を保つために、またできれば多量の水、なければ砂や草や木の葉が必要される。それに使った水には食物の食べられなかった部分などが混じり、すぐに有害な微生物が増えるから飲んだりするのには適さなくなる。  火を用いない調理も結構ある。たとえば、表面が非常に強い木質にくるまれており、口では割れないような木の実も結構あるし、また色々な毒が強くてそのままでは食べたら体も壊すし味覚上不快、という植物も結構ある。  それを、たとえば木質の硬い殻がある実は、地面の大きい石の上において、別の手で持てる大きさの石を持ち上げて実の上に落とせば、殻が砕けて中身が出て食べられるようになる。上の歯と下の歯で潰すのを、それぞれ石で代替するわけだ。それもある意味調理だね。石を用いて固い実を割ることは人類以外でも、一部のサルや鳥もやる。  石器で小さく切断することもある意味調理だ。  有毒な植物を食べるのに、上記の石を使う方法で細かく砕いて大量の水で洗う、熱い灰に入れて加熱して熱と灰の化学的性質を利用する、灰と水に混ぜる、後述の発酵などで毒や嫌な味をなくすことができる。それも調理といえるだろう。  粉にして水で長期間洗ったり塩水に漬けるだけで、そのままでは有毒だったり味が悪かったりするものが食べられるようになることも多い。  また色々な味を持つ食物を混ぜることで味をよくすることもできる。今はそれがむしろ調理の主な部分だな。 **食物保存  人類は食物を貯蔵することもやる。これは人類だけでなく、アリや蜂のような昆虫も、一部の鳥も、リスのような小型哺乳類もやる。食べられる植物は一度に大量に実をつけることが多く、食べきれないのだが、それをどこかに集めて他の生物に食べられないようにしておけば量を時間に変えることができる……一度に食べる十倍の量の食物が手に入ったときに、一度に食べることはできなくても保存さえできれば十回食べることができる。翌日食物が見つからなくても食べることができ、生存率がとんでもなく上がる。  人間は食物をただ貯蔵するだけでなく、微生物に食われないように貯蔵することも得意だ。  その方法としては土に埋める・乾燥・燻製・塩化ナトリウムや糖・酸・発酵・乾燥したところに置くなどいろいろある。  ただ穴を掘って上から土をかければ、多くの動物が食べることができなくなる。水分があるほうが保存できる、たとえば栄養をためた植物の地下部分などはこのやり方で保存するのに適している。  ここで重要になるのがデンプンの性質。水に溶けないがある程度水を含んで性質を変え、また水がある状態で加熱しないと人類にとっては消化吸収しにくい。完全に水分を抜けば固くなってかなり保存できる。理想的なのは一度水を用いて加熱してから乾燥させたもので、保存できる上に調理しなくても食べられる。  乾燥は空気に触れる部分を多くし、火に近づけるか日光を当てるかして温度を上げれば、水が気体になって大気に混ざって出て行きやすくなる。上記の石器を使って薄く切れば空気に触れる部分が多くなる。水分の多い木の実、肉などはこの手でかなり保存できる。  燻製は乾燥に似ているが、日光と空気ではなく火を用いるものだ。燃えないように火からやや距離を置き、主に煙が当たるようにする。そうすると熱で乾燥し、同時に煙に混じっている複雑な物質がついて表面を固めてくれる。味が変わるし、乾燥よりも長期間保存できる。  塩化ナトリウム、塩があればそれを大量につけることで、特に肉などは保存できる。水に塩が溶けることは話したが、塩が多く溶けた水と塩が少ない水が、水を通さないが塩は通す膜を通して接すると、要するに温度とかと同様に同じ塩濃度になりたがって塩が多いほうに水が移動する。そこで圧力差が出てくるんだ。生物の細胞の表面も「水を通さないが塩は通す膜」だから、その圧力で微生物の表面が破れて死んでしまう。だから、一部の塩に耐えられる種類を除いた微生物は塩が多すぎる肉などを食べられないんだ。  同じことが、非常に単純な糖……食べると甘い単純な炭化水素の栄養にも言える。自然界ではミツバチが花から集めて貯蔵しているもの、水分の多い木の実などに多く含まれている。人間は元々その味を好むので、とても重要な資源だ。  多くの微生物は酸も苦手だから、酸に入れてもいい。もともと酸を多く含んでいる水気の多い木の実もあるし、次にいう発酵の結果酸を出す生物もある。発酵で酸が出ることもあって人間の味覚は酸は害があると判断して嫌うが、文化的に好むようになっていることも多い。  発酵というのは、その「微生物に食われる」ことを逆に使ってしまう技術だ。微生物どうしも激しい生存競争があるから、中には食べたものをうまく分解して、他の微生物にとって害になる物質を出すものがいる。そういう微生物で、その害になる物質が人間にとってそれほど害にならない、食べても人間の内臓を害さない、または加熱して無毒化できる微生物があれば、他の微生物にはやられないから保存になるわけだ。それだけではなく、微生物は固い細胞壁や繊維に守られた生物体を崩してより消化しやすい微生物細胞にしてしまうため、普通なら人間には消化できないものも食べやすくなる。  炭化水素について乱暴にいえば(デンプン→)甘い糖→エタノール→酸(酢)の順に発酵が進む。どれも人間にとってとても重要だ。  エタノールという微生物が作る炭化水素分子は人間にとっては本来毒だが、その毒性がちょっと厄介な働きをする。人間の脳の活動を低くさせ、感覚で得た情報を処理するシステムを狂わせるんだが、人はそれを求めてしまうんだよ。人間は本来毒であるものを病気などを治す薬や、単純に快楽を得るために摂取することがとても多い。ちなみに食料をエタノールにすると、それで保存できることもあるが生存するためのエネルギーとしては減る。甘いものは発酵してエタノールになる……水で薄めた蜂蜜、水分の多い木の実、樹液にはほぼすぐにエタノールになるものが多い。またある種の草の種が芽を出すときに、デンプンなど単純な糖がいくつもくっついて水に溶けにくくなった甘くない糖を分解し、甘く消化しやすい糖にすることもできるので、それもすぐエタノールに発酵される。エタノール液だけでなく、微生物自体も味は悪いが栄養豊富だ。  エタノールやそれが発酵した酸もそれ自体大抵の微生物を殺すから、それに入れてしまうのも保存になる。  他にも哺乳類の乳も色々な形で発酵する。  特に乾燥した食物は、そのまま乾燥させておかなければならない。上が開いていると雨が降って濡れるし、土に触れさせると土から水が伝わる。また土に触れていると小型の動物、土の中で暮らす微小動物などに食われる。  後に人類が、より寒く水が固体になることがある地域で暮らすようになると、その低温と水が固体になること自体を調理として用いるようにもなった。低温では微生物の活動が衰えるし、水を含む物体が低温になると固まるとき水が物体から出ていくことがあり、それで水と物体を離すことができる。後述するジャガイモや豆製品・海藻製品を保存するのにそれが用いられたり、また長期間きわめて寒い地域では肉や魚を氷にして保存することもできた。  脂肪も加熱で細胞を壊して一度液状にして、純粋に貯蔵すると微生物に食われにくく、しかも重量あたりのエネルギーが大きいよい保存食になる。ただし残念ながら脂肪だけでは人間は生活できない。人類に限らず動物の体は、脂肪から窒素原子を必要とするタンパク質はもちろん脳や血液が必要とするブドウ糖を作ることもできないんだ。 **糞尿処理  食べて飲んだら糞尿を出す、それはどうしていただろう? さらに食器や後述の衣類を洗うのに、さらに多くの汚れた水が出る。  当時人類がどう生活していたかにもよる。同じ場所で暮らしていたのか、それとも毎日別の場所に移動していたのか。肝心なそれがわからない。  毎日別の場所に移動していたなら、糞尿を処理する必要はない。そのまま地面に出してすぐ移動すればいい。  でも同じ場所で長期間暮らしていると、どこを歩いても糞尿を踏む羽目になり匂って不快だし、伝染病が再び仲間の人間に感染して死ぬリスクが高まる。  そうなるとどうしても糞尿や食べ残しを処理しなければならない。  水があれば、そこに流してしまえばいい。糞尿で汚染された水を飲むのは味覚・嗅覚が警戒信号を発して不快だし、水を通じて広がる伝染病もあるが、水の量が圧倒的に多ければ問題はない。  土に埋めてしまうのも、匂いも封じられるし時間さえあれば土の中の小さい生物が全部食べて再利用してくれるから問題ない。  人の糞尿を好む動物がいるところに集めておくというのも手だな。そうすれば獲物をおびき寄せる餌にもなる。  火で加熱して土に混ぜても安全だが、はっきり言って燃料がもったいない。乾燥させてもほぼ安全になる。 **生物資源の加工  動物の死体は、食べる肉以外も捨てる所が事実上ない。人間の技術はそれを様々な方法で加工し、道具などにする。典型的な動物の死体がどうなっているかは、上の人間の体についての解説がほとんどそのままあてはまる。こういう考え方は人間には不快だが、人間も大型哺乳類の一種だからな。  それをふまえて見てみようか。  多少高度な技術についても説明するが、そのいくつかの技術はもっと後、定住や農耕牧畜の後かもしれない。でもわからないからここでまとめてやってしまおう。  まず表面から。皮膚は非常に強靱な、タンパク質などでできた繊維でできた、生物の表面全体を覆う曲面だ。強靱すぎるため、殺して間もないうちなら下の肉や脂肪から簡単にはがして皮膚だけにすることができる。哺乳類の多くはその表面に密に毛が生えているし、頭に角という毛や骨が固まって鋭く尖った部分がある。人間にもそれがあれば便利だったんだが。  皮膚を食べるのは大変だが、食べるのはもったいない。特に昔の人にとっては本当に貴重な素材だったんだ。  皮膚はそのままではすぐ腐り、また乾燥させると固くもろくなる。だが、それに植物などが含むある物質を混ぜると、皮膚の中のタンパク質でできた繊維が変化し、それがきわめて複雑に絡みあってそのきわめて強い摩擦で保持される素材になる。それは何年も使い続けることができる。平たく広く、引きのばす方向以外はほぼ自由に形を変え、水をあまり通さず、それでいて水蒸気は出入りでき……と非常に便利な性質を持っている。水を加えながら加熱するなどすれば厚い皮を非常に固い革にすることができ、それはかなり柔軟で加工できる板のようにすることもできる。また円形の革を、周囲からできるだけ幅を一定にして切っていくことで強靱な……何と言えばいいか、日本語では細いのから糸・紐・縄・綱といろいろ言うが、それとして使うこともできる。それは柔らかいままにすることもできるし、巻いてから硬く締まるようにもできる。  皮膚を加工して革にするには、獲物の死体からはがし、脂肪や肉を取り除いた皮膚を、一つには前も言った植物が作る毒の一つ、苦みの非常に強く水に溶ける成分を水を利用してつける方法がある。特に木の表面、樹皮部分に濃く含まれる。あと獲物の脳と火から出る煙を利用する方法もある。  毛がついたまま加工する方法もあり、それは後述する保温具として最高だ。それがなければ人類が地球中に広がることは不可能だっただろうな。装身具としても価値がある。衣類として用いるには変型する程度の柔らかさが必要で、そのためには歯で噛んだりした。  死体から皮膚をはがすのにも、皮膚から脂肪や肉を取り除くにもさまざまな形の固いものが必要で、だからこそ石や骨、後には金属を加工する必要があった。  皮膚の下や内臓にある脂肪をためた細胞の集まりは食料としても価値があるが、それを前に言ったように水を通して加熱し、水と脂肪が溶けあわないことを利用して液化した脂肪だけを集めることができる。それは保存食としても質量あたりの秩序あるエネルギーとしての価値が大きいし、薬や照明など実に多様な用途がある。  筋肉部分は主に食料だが、筋肉を骨につけている非常に強靱な線維はとても有用だ。水を含ませると伸びて加工でき、乾燥すると強く縮んで固くなる性質があるため、棒と石や棒どうしを固定するのに便利だ。  骨の中の、脳などの脂肪に富む組織は動物にとって最高のごちそうの一つだ。人間はそれほど強靱な顎を持たないかわりに、石を高い所から叩きつけることで骨を砕くことができた。また皮の加工にも使える。  そして骨の外側の固い部分は人類が最初に手にした、石や木同様にとても扱いやすい「固い素材」の一つだ。削ったりうまく折ったりすると線維の関係で非常に鋭くなることもあるし、石や木に比べて特定の方向に弱かったりしないから工夫次第で様々な形を削り出せる。その点は多くの動物にある角も同じだな。角は骨より更に固い。  走る動物の蹄と呼ばれる平たくなった爪やその周囲の組織、また不要な皮を水で長時間加熱すると、繊維になるタンパク質が大量に出て固まり、それをうまく使うと色々なものを接着する……二つの板に接着剤をはさむとまるで一枚の厚い板のように固定される……ことができる。  歯は硬すぎて加工しにくいが、だからこそ装身具としての価値があった。  内臓の多くは保存しにくいが栄養価が高い食料になる。また腸は中身を捨てて乾燥させれば紐としても使える。胃や膀胱は袋になっており、水を運ぶのに便利だ。  そして毛だけを皮膚から切り離して集めると、繊維として紐の類にすることができる。これは後述する殺さずに得られる資材でもある。  血液も保存はしにくいが消化しやすい良質な食糧だ。  昔の人間なら誰でも、動物の死体があれば何も無駄にせずに利用しつくせたんだ、私のような都市生活者・近代人という欠陥人間以外は。  ちなみに、水がいつもあるところにいる貝類は固い殻をつける。それも固い素材として利用できる。  植物にも器官や性質によって色々利用法がある。  木の表面、皮は上述の皮革加工に使うし水で加熱すると薬になるものも多い。薬というのは、要するに生物が体内に作っている様々な物質を、普通は毒だが業とそれを少し食べるなどして、それで病気や傷を治してしまうんだ。詳しくは後述。  また木の皮を使って水を加熱することも説明したし、動物の皮を加工した革ほどではないが用途の広い素材になった。  木の皮に傷を付けると中の液が出てくるんだが、それも色々な用途がある。薬になるのもあり、食料になるのもあり、火になるのもあり、油のように使える物もあり、さらに糖を含みエタノールになるのもある。木に塗る水を通さない膜になるものも、もっと違う形で使えるものもある。  木の内部、固い木になった部分は火にするのに使うし、固く長い素材として下で言う棒やその他様々な用途がある。  草の葉や茎の長い部分、木の根などから、長い繊維を取って紐のたぐいを作ることができる。  花は、人間はその匂いや色を見ると心地よいと感じるので後で詳しく言う装飾などに使う。実際にその匂いが昆虫や微生物を排除するものもある。  実……はいろいろあるな。固い、繊維が多い、水気が多く甘い、脂肪が多い、……  固く、デンプンが多いものはそのまま乾燥させればいい保存食であり、もっともよく食べる食物だ。利用できるほど繊維が多いのもある。水気が多く甘いのは潰すだけでエタノールになり、乾燥させればいい保存食だ。水そのものを得るにも貴重だ。脂肪が多いのは保存食にもなるし、脂肪自体をとることもできる。脂肪は水に浮く性質があるから、常温で固体であるものも含め水を通じて加熱すれば、水に浮いて純粋になる。  動植物問わず脂肪は食料のみならず多くの用途がある貴重な資源だ。燃料としても適しており、特に光を得るのに適している。また食物を保存するのにも使えるし、体に塗って清潔にするのにも使うし、革の手入れにも使う、いろいろな木などの素材の表面に塗ればそれを腐敗から守ることもできる。  根は薬になるのもあるし、根や実は地下の茎などに栄養が豊富で食べられるものも多い。  繊維……前述の、生物がよく体内に作る一次元方向にとても細長く弾力が強い棒、ここではさらに相互の摩擦がある程度以上強いことも条件となる……をたくさん集め、一端を固定してから棒の長さ方向を軸に回転する方向にもう一端をねじるといくらでも長く、弾力がほぼ無視できてそれ自体の伸び縮み以外は自由に動く柔軟な繊維のようになることがあって紐などと呼ぶんだが、それも人類にとって根本的に重要な資材だ。  さまざまに……どう説明していいやら、要するに二本の繊維を一本の倍近く長い繊維のようにする、色々な技術があるんだ。三次元ならではの技術だな、考えてみると。たとえば一本の繊維の一方の端……作業端と呼ぶ……を伸ばしながら同一平面で同じ方向、直角に三回曲げると、最終的にはその繊維自体にぶつかる。その時に少し持ち上げて交差させ、接触を保つと「輪」ができる。それからまた曲げて、輪を下からくぐらせ、引っ張ると輪がどんどん小さくなり、結び目と呼ばれるこぶがある一本の繊維になる。さらに、さっきの途中の輪に自分の作業端を下からくぐらせた直後の状態で繊維1を動かさず、もう一本の繊維2で同様の操作を、1の輪を通して2の輪を作るようにやって両方の作業端を引っ張って輪を縮めると、繊維12とも摩擦によって結び目が保たれる力が勝っている限り外れない一本の長い繊維のようになる。それはあまりいい結び方ではないが、結び方というのはとんでもない多様性がある。さらに棒と繊維を結ぶ組み合わせときたら……そんな簡単なものから、人間がどれほどの技術を作りだすかは驚くほどだ。  特に重要な結び方は、二本の紐を一本の紐のようにつなげるいくつかのよりよい結び、大きさが変わらない輪を作る、大きさが簡単に変わる輪を作る、棒に紐を結ぶ、棒と棒を平行・垂直に結ぶなどがある。 *衣類  ああ、温度や湿度を保つ必要もあるな。特に睡眠のために。それには衣服・住居・火などを使う。  衣服というのは皮膚を強化するものだ。人類に近い哺乳動物は毛を増やしたり減らしたりして、ある程度気候の変化に対応する能力がある。でもそれには時間がかかるが、人間は衣服を着たり脱いだりすることで一瞬でそれを行える。特に長時間獲物を追うと膨大な熱が出るから毛皮は正直邪魔で、それをすぐ消せるのはありがたいことだ。人類という動物の重要な特技は低速長距離移動だ。  保温自体を根本的に考えれば、それは人類が生活している範囲での話なのだが、空気を動かないようにすればそれが保温になる。空気は大きい塊だと対流を起こして熱を運ぶが、小さい塊で動かないようにすると熱が動かない。逆に密度が高いものが温度が高いものと低いものの間にあると、大抵それは簡単に熱を伝えてすぐ同じ温度になってしまう。空気を動かさないためには隙間が多い物体があればいい。  また水と馴染まないほうがいい。水は隙間を潰して熱を伝えやすくし、しかも水が大気に蒸発するときには膨大な熱を奪う。  鳥の羽毛や哺乳類の毛皮は空気を細かく固定し、脂肪分で水をはじくからその目的を見事に果たしている。  また移動する際に、植物の葉や茎の鋭い部分で体を傷つけることも防げる。それをさらに頑丈にすると鎧になる。  その服には上述の革や毛皮と、繊維を用いた布……フェルト・織る・編むなどがある。樹皮はちょっと乾燥したら固くなりすぎるな、繊維を取るにはいいのもあるが。後述する紙はもっと後だろうか……  要するに平たく薄く、平面方向には少しだけ伸び縮みするが丈夫で、そして他は自由に変型できる素材が欲しいわけだ。隙間が少しあって空気を含み、水を通すものもいい。人間は前述のように汗を出すから、それが蒸発できたほうが熱すぎるときには体を冷やすことができる。簡単に細く鋭い棒で貫通でき、けれどもその穴から壊れることがないほうがいいな。  そんな素材は服だけでなく、物を運搬するのにも便利だ。  フェルト、織る、編むがいつ頃どんな順番でできたかは知らない。  フェルトというのは、動物の毛をたくさん集め、水をつけて平らに固めたものだ。そうなると毛の表面は死んだ細胞で非常に複雑な構造をしているんだが、それが絡まってかなり緊密に結びつく。ちょうど革と同じだ。あまり薄くできないが簡単で丈夫だ。特に毛は脂を含んでいるから、水をはじくことができる。  織るというのは驚くべき技術だ。たぶん人類が手に入れたのはかなり後だろう。上述の細い紐のたぐいをきわめて長く、二本用意する。そして棒を二本用意し、並行に置いて……言葉で説明するのは本当に面倒だな。繰り返し棒と棒の間の空間を往復させる……棒の太さを厚みとする、仮想的な板にコイル状に巻きつけるようにするわけだ。そうなると棒も二本ではなく、四本を長方形の辺としたほうが楽だな。そうすると、無数の糸が並行に並ぶようになる。そこでもう一本の糸を、さっきの平行に巻いた糸の垂直方向から、上下上下と順に通していく。反対側まで行ったらすぐ逆方向に、一つ前とは上下が逆になるように通していく。糸だけだと面倒だから、糸の先端に棒を固定しておくと扱いやすい。そうしてから隙間をなくすように固めると、糸どうしの摩擦で固まって上述の条件を見事に満たす頑丈な平たい素材が生まれるわけだ。  編むというのも素晴らしい技術だ。前述の結ぶ技術の延長で、一本の細い紐のたぐいを、指や棒を利用して一枚の布のようにしてしまう。こちらは形の自由度が高く、袋など複雑な立体形状を一体で作ることができる。  そういう平面の素材を立体にするには、編む場合はどんな形も自由だが、板の一部を重ね、それを接着するようなことが必要だ。服は負担が大きいので接着は適さないので、縫うという技術を使う。小さい穴を開けて糸を通し、それを繰り返して糸の強度でくっつけるわけだ。  それに使う棒は「一端が一点になるまで細くなって鋭く、もう一端の近くに穴が開いている」のが望ましい。それほど複雑な形は、壊れやすい石では作れない……骨・角・貝殻など、後には金属がよい素材になる。  ちなみに革、布ともに、色をつけることができる。実用上も腐りにくくなることがあるし、後述する装飾になる。それには脊椎動物でないあらゆる小さい動物、あらゆる植物が含むさまざまな物質、さらにそれを発酵させたものに、ある種の金属元素を含む土や石を砕いたものを混ぜて反応させ、それに繰り返し布などを浸すと水洗いしても色が落ちなくなる。考えてみるととんでもない技術だ。  ちなみに服で覆うのは体だけでなく、頭と顔と足にはそれぞれ特別な配慮がいる。  頭は特に打撃に弱い。丈夫な頭蓋骨で覆われてはいるが、それでも中に弱い脳がある。だから非常に頑丈な素材で覆っておく必要がある。また目立つ場所だから、装飾上も重要だ。  顔については、普通にアフリカの草原で暮らす上では問題はないが、寒冷地で固体の水に覆われているところや砂漠では反射される日光で目を痛めることがある。だから目に余計な光が入らないように覆い、しかも呼吸を妨害しないようにしなければならない。ある程度以上寒いところでも覆う必要があるし、戦闘でも眼など急所が多いためできれば覆っておきたい。魔術的な意味もある。  足が一番肝心だ。普通に暮らしていれば足の皮は固くなるが、それでも石だらけの地面は痛い。だから人間は、厚い革など特に頑丈な素材で足を覆うことを覚えた。さらに木などのより丈夫な素材の板を足底に使うことさえする。  といっても狩猟採集民の多くは裸足だっけ……?  それらがなかったら、人間はごく狭い範囲でしか暮らせなかったろう。  ただし衣服があると問題ができる。体毛なら皮膚が生きているから、脂肪が補給され、免疫力もあり、また毛自体が定期的に抜けて更新されてある程度清潔を保つ。少し汚れを取ったりすればいい。だが死んだ物質でできている衣服は、ただ着ていると外界・着ている自分自身の皮膚から出る死んだ細胞でどんどん余計な物質がこびりつく。それには生きている毛と違って免疫がなく、どんどん微生物が増えて着ている者に害を与える。だから汚れたら交換するか、洗う必要がある。  特に問題なのが、糞尿を出すときや繁殖のため交接するとき、一時的に衣服を体から外す必要があることだ。そのときには大きな隙になる。  毎回捨てていたらものすごい資源の無駄だ。水に漬けて激しく変形させ、乾燥させればかなりきれいになる。ただし他の動物の毛で作った衣類はそれをやるとフェルトのように縮んで再利用できなくなるが、都合がいいことに動物の体毛には脂肪が残って汚れをはじくからそれほど洗わなくてもいい。  衣類をきれいにするのは飲む水よりずっと多くの水を、低い秩序にして利用不能にするということだ。  これは熱力学第二法則の応用でもある、歴史の経験則にも関わる……人類が多くの物を使い、より便利に暮らすほど多くの水・高秩序エネルギーを余分に使い、大量の廃水・廃棄物を出すことになる。  後のことだが、尿を微生物に処理させて単純な窒素化合物を作らせたり、脂肪と灰を反応させたり、そういう毒を含む植物を利用することで衣類などを洗えるようにもなったが、悪臭を伴い苦痛が大きく水をひどく汚染する仕事だった。 **住居、運搬具  野生動物の多くは巣を作る。  小さい虫の類には体内のタンパク質を糸にして巣を作るものもあるし、蜂には木を噛み砕いて体内から出した物質とあわせたり、体から室温で固まる蝋という水に強い物質を出すものもある。木に穴を開けてそれ自体に潜るものもある。  より大型の動物は自分の体から色々な複雑な性質を持つ物質を出すのは苦手だが、地面に穴を掘る、木の枝や葉を集めるなどして巣を作ることが多い。鳥の中には植物を「編む」ものさえいるし、ビーバーという哺乳動物は木を歯で切って後述するダムに似たものさえ作る。  卵を産むだけでも場所を選ぶ必要がある動物が多い。少産少死で親が子に食料などを渡し、保温するなど育てることが多くなると、産まれてすぐの子供を巣を作って保護する必要が増す。  また普段も、睡眠などは巣でやるようにするほうが寝ている間に襲われずにすむ。  人間も例外じゃない。  人類はあまりに温度が高すぎ、または低すぎると特に寝るときには不快だ。皮膚に接しているものは、大気も含めて水が多すぎてもだめだ。特に気温が低く、皮膚に、固体の氷やそれに近い温度の低い水が直接触れている状態では長時間生存できない。  岩のように、力をかけても変型しないものの上で寝るのはかなり不快だ。ただしそれも育ちによる、それがあたりまえで疲れていれば眠れるもんだ。逆に柔らかいものの上でも、ずっと動かず寝てたら皮膚から腐る。  人間の場合、動物と違って保護すべきなのは自分たちの体だけじゃない。  上記の狩猟具・石器や土器など調理具・保存食・皮革、繊維類・衣類、後述のコミュニケーションに関するものなど種類も量も多い。保存食や繊維の類は水が多いと微生物が繁殖して使い物にならなくなるし、衣類は体温を奪って不快になる。  また、空からの雨などから火を守る必要もある。だから上を平面で覆って、しかも空気は入るようにしなければならない。昔は特に火を熾すのが大変だったし。  昔の人類はどうしていたのかな……倒木がうまく組み合わさって下に雨が落ちないようになっているところを利用したり、ある程度枝を折って集めてそんな状態を作ったりしたんだろう。大木に穴が開いていたり、地形そのものが巣にしやすくなっていたりする場所を利用することもあったろう。特に急な勾配で、岩などの具合で中に入れるへこみがある場が便利だっただろう。  最初は、急な勾配のへこみを奥に掘り広げ、またへこみがないところにへこみを掘るのが最初の巣であり、土木だったのだろうか。  ある程度以降文明が発達した人間の、硬い素材を使う巣は直方体が基本なんだが、移動が多い場合は布や皮など柔軟な平面を用いるから円錐が一番使いやすい。  サルには木の上に巣を作る種類も多いが、人類は大きすぎて大抵の木は折れるし、元々人類はジャングルから離れた草原で暮らすことを選んでいる。  木の中に空間ができることも多いし、熱帯の別の木を覆って殺す木は好きな形の空洞を作れるが、人類が楽に暮らせる大きさにするには人類の寿命を越える年月が必要だ。人類は大きすぎる上に木から見れば寿命が短すぎる。  土を掘って巣を作るのもいいが、土の中は湿度が高くなりやすく水気が多い。人間の体からもかなり汗として水が出る。また空気の出入りも悪い。そうなると火の維持や保存食・繊維などを食ってしまう微生物にとって住みよくなるし、微生物に人間自体が食われるリスクが増す。また、人間のサイズを入れる土の穴は長期間維持できない。昆虫のサイズと寿命なら土の穴で寿命まで安全に生活できるが、人間のサイズだと土の構造上、穴が確実に形を保つことは期待できない。  サイズといえば、人類がもっと大型であれば体温を多少失っても無視できただろうから巣はほとんど不要だったかもしれない。でも巣がなければ、寒冷地に移動することはできなかったはずだ……分厚い毛皮が戻る進化には、人間が成熟するまでの時間ではめちゃくちゃにかかる。  それで多いのが、木の枝や皮や布を使ったりしてまず上、そして前後左右を覆う巣だ。  直方体や円錐のちゃんとした住居はいつごろから発達したんだろうか? それは知らない。  長い時間をかけたんだろうな。住む地域によって合う住居は違うし、どれだけの時間が経ったら移動したらいいかも違う。  あと人類は多くの動物と違い、地面に直接寝たり座ったりするのを嫌う。まあ巣で暮らす動物にはそういうのが多いけど。進化してきた過去において樹上生活も長いし、特にアフリカから出てより寒い地域で暮らすようになってからは、空気に混じっている気体の水や夜の温度などの性質で、地面近くは特に温度が低くなり、時には空気からあらゆるものの表面に気体だった水が液体になって出てくるし、それが固体になることさえある。  特に寝ているときには体温の調整も難しく、また布の衣服を着ていると、布は水を含む……その水が蒸発すると膨大な熱を奪うので、ますます体温が下がって危険だ。  だから地面に厚い布、毛皮、木の枝、草の茎を乾燥させたものなどを敷いてその上で座ったり寝たりしたがる。できれば地面から離れたところで寝ることを好む。  あと火で調理もでき、雨で火が消えることもなく、熱も逃げず、それでいて酸素を豊富に含む空気の供給は邪魔されず煙だらけにもならない、巣を構成する多くの可燃物に火が燃え移らない、というような場も必要になる。  同族で違う群れの攻撃から身を守る必要もある。  建築については後により詳しくやろうか。地域ごとの違いも大きいし、闘争とも深く関わる。  ちなみに人間は、基本的にごく近い血族……交配相手および親子関係がある者のみで巣を形成し、その「家族」がいくつか集まって群れをつくるのが一般的だ。  その「巣」は、火を使って調理することも重要だし、また火をうまく使い風を防げば外の気温が寒くても中は暖かい。保温においては衣服と、石を一度火で暖めて衣服の中に入れて体に当てておくのも有効な温まり方だったはずだ。  さらに、火は光る。これは非常に重要な偶然じゃないかな、火という反応は燃えて出たガスをあるかなり高い温度にするが、そのガスがその温度で出す光の波長はたまたま人間がものを見る波長だった、というのは。  だから周囲が完全に暗くてもものを見ることができ、色々作業ができる。  人間の巣について、後にどんどん発達していくのを見ていくつもりだ。  人類が定住したのは最近で、人類に近い大型サルや昔ながらの生活をしている人々の生活は、ある一定の非常に広い範囲を縄張りとし、その中で食べられるものを食べてしまったら別の場所に移動する、というものだ。  そのためには、上記の住居で保護しなければならないもの、まだ行動できない子供たちも含めて移動させなければならない。  人間の手は元々、子供を抱えるのにも使える。それを色々応用できる。  上記の衣類・皮革・土器などは「運ぶ」のにも非常に有用な道具だ。直方体や円筒のような構造を作り、それを手で抱えることができる。また、それに紐を固定して適切に結べば、より小さい力で体に固定することができる。邪魔にならず、負担が少ない形には、背中に縛りつける形、長く柔らかい筒を作って半分に折って肩に載せ、逆側の脇腹で縛る形、頭の前に回した紐から背中で支える形、頭に載せる形などがある。  本来「運ぶ」には、地面と平行な平面形、いやむしろくぼんだ形の上に載せるのが一番安定する。けれども人間にはそんな部分はない。真上を向いているのは頭のいちばん上の点と両肩だけだ。頭のいちばん上に、円周を太くしたような柔らかい素材を載せれば、その上にかなり重いものを載せて運ぶことができる。また、棒の両端に重いものを下にぶら下がるよう固定し、棒の中心を肩に載せてもかなり重いものを運べる。二人の肩に棒の両端を載せ、中心に重いものをぶら下げてもいい。  車という技術があるが、それは明らかに相当先だな。より昔からある技術としては、平たく丈夫なものを地面に置き、そこから紐か何かを伸ばして、それを歩きながら引っ張る。すると、確かに摩擦は大きいけれど動かすことはできる。できたら平たいものを、棒を二本進行方向に平行に置き、両方に直行する棒を固定して、その上に荷物を乗せて引きずれば、摩擦は棒二本分で済む。これも結構使える技術なんだ。  籠というものもとても重要な運搬具だ。上記のつるになる植物を使う。木になりかかっている状態のつるは、巻きついている木から引き剥がしても乾燥するまでは自在に形を変える。それを、ちょうど布のように、特殊な結びを複雑に使って袋状の形を作ることができる。それから乾燥させるとそのまま、適度に弾力があるけど頑丈になる。他にも弾力の強い特殊な木や草を使って同様にやることができる。また、それを浅めにすると網状の構造にもなる。狩猟採集というように、木の実・昆虫など、エネルギーの密度が高く一つ一つが小さく見つけやすいものを大量に集めるのにも有用だ。水のような流体を運ぶことはできないが、そうでないものを運ぶには土器より軽く便利だ。また詳しくは後述するが、粉状の固体をある意味ろ過するのにも便利だ。  ちなみに、普通の木材もうまく加熱して曲げて、曲がった形を保ったまま室温にゆっくり戻すと曲がったままの形になることがある。その技術もすごく重要だよ。  水の運搬も重要だ。水の運搬は、単純に「水が補給できない状態で行動不能・死に至るまでに移動できる距離」を大きく変える。上述の、保存食や薬など液体の運搬も重要だ。液体はわずかでも隙間があればそこから落ちて失われるから、籠や布では運べない。一部の革、特に上述の胃や膀胱はかなりいい。土器もだ。まあ革も土器もごく小さい穴が無数に開いているがね。  また植物で実や幹が空洞になる、または内部が非常に柔らかくて、内部を潰して除去してから乾燥させれば固い木の殻だけが残る、というものもある。特にヒョウタンと呼ばれる、そんな実をつける植物は人類にとって最も古く重要な植物の一つだ。  木の内部だけをくりぬくことができたらそれは実に便利だ。石器を用いて根気よく削り続けるのもいいが時間がかかる。また、火を制御する方法もある。火で強く加熱した木は炭素の塊になり、そうでない木より簡単に削って取り除ける。炭素になっているから、漏れにくいし反応しやすい物質などを運べる。樽・桶という重要な技術がいつごろできたか知らないけど後述することにする。  非常に大きい飛べない鳥の卵の殻、布に樹液・脂肪・植物が燃えた時に出るもの・天然化石炭化水素などを塗ったものも使える。  二人以上で協力すれば、一人では……二人がバラバラにやっても運べない重いものや大きいものも運べる。一番いいのは、二人が進行方向を一直線にして並び、両方の肩に一本の長く頑丈な棒を乗せる。その棒から籠や網、布などを縛り付けて重力に任せてぶら下げたまま歩く。これもかなり有効だ。  一番いい運び方は、水路を用いるやり方なんだが……それはいつごろから発達したんだろうか? ちょっと後回しにする。 **コミュニケーション、言語  人類の最大の能力は群れ内部のコミュニケーション……情報伝達+触れ合い、模倣だ……手先の器用さ、個体脳内の活発な精神活動も並ぶけどな。  詳しくは下の、人間の精神に関することで詳しくやるのでここでは人体生理学との関係を掘り下げる。  人間の最大の能力は言葉だ。言葉というのは基本的には口から出す音を複雑に変え、組み合わせることによって情報を伝えること。後に文字が加わるし複雑な手振りで言語と認められるものもあるが、それはかなり後になってだ。  ただしコミュニケーションはそれだけじゃない。皮膚と皮膚で接することや繁殖のための交接行為や授乳など接触、顔を微妙に変形する、身振り手振りなども非常に重要だし、絵や地図も有力な情報伝達手段になる。群れで移動するとき自分がどこに位置するか、それこそ殺し合いすら広義のコミュニケーションにはなる。  そして、人間は他者の情報や、意識とは関係のない行動、それだけでなく抽象的な目的を含めた行動を模倣して学ぶことができる。それによって、様々な情報が人間社会の中で、まるでDNAのように複製され、進化することさえあり一部ではミームと呼ばれる。  そのミームは、当の人に「それを複製し、他人に広める」行動を起こさせるように、人の脳や体の構造に合ってしまっているものがより生き残りやすいだろう。そして人間の脳・肉体そのものが限られており、過剰に複製されるものからより人間という環境に合うものがより多く生き残ってまた複製される、その点も遺伝子に似ている。  こういうこともできるか、人と人とが接しているときには、「人間が協力している」「人間が支配権争いをしている」「ミームとミームがいくつかの脳という限られた資源を争っている」「遺伝子群れが有限な資源を争っている」「小さな群れが争っている」という様々な面がある、と。  まず言葉について詳しく。人間の喉と舌と口は上述のように非常に複雑で、多数の筋肉と強力な脳によって制御され、きわめて多様な音を出すことができる。音の波長も変えられるし、波長に依存しない質の違う音も出すことができる。そのために窒息の危険という高価な代償まで払っているんだ。  その音の、口の形による一番大きな群と、口の中の喉や舌などを組み合わせて単独の、他とは区別できる音がいくつか……百前後ある。ちょうど原子のように、それが最低単位となる。本当は人間の口と喉はとても多様な音を出せるが、その全部を使うことはまずない。ほんの数十の音の原子でも、それを十個もつなげていいならそれが表現できる組み合わせが莫大になることはわかると思う。  その音の原子をいくつか短く順番を決めて組み合わせ、それに強調などを加えたものが、世界の多くのものの種類に対応する。人間の脳そのものが、世界のあらゆるものを、たとえばどの種に属する動物なのかなどを記憶して認識している。「あの首が長く斑がある動物」などとは思わず、「キリン」と直接種に名前をつけてその一員として認識するんだ。あるキリンの個体を識別する必要があるときは、別に名前を用意する。世界の、事実上ありとあらゆるもの……そして世界には実際に存在していないものも、そうして分類して認識し、それに対応する音原子の短いつながりがある。  他にも人間の動作や行動、心の動き、感覚器が受けた情報などの多くがその認識の仕方でとらえられており、それに対応する音原子のつながりがある。だがそれだけじゃなく、そのつながったのをさらに決まった規則で組み合わせることで、世界で起きた事象そのものの一面を他人に伝えることができる。人間の感覚器や脳、言語そのものの限界により一面しか伝えられないが、一面でも伝えられれば「群れが草原や暑い森で生き延びる」にはきわめて有利だ。  その組み合わせる規則には最も基本的な、世界のいかなる場所の人間でも共通する構造がある。まずあらゆる「何かに対応する音原子のつながり」全体は物体など、行動、状態の三つに大きく分けられる。それに言葉を組み立てるためだけの「音原子のつながり」も加わるし、物体側のそれを少し変形して行動側にしたりすることもよくある。  組み合わせだから、見たことがないものや実際にはありえないものも表現することができるし、人間の思考もそれに合わせるようにそういうのを考えることができるようになっている。  こういうふうに「言語」を「原子」という、全く違うものを使って表現すること自体が「たとえる」という人間特有の心の働きでもある。  その「言語」で世界がどうなっているか、自分の脳の中がどうなっているかなど多くの情報を他者に伝えることができるわけだ。さらにその組み方、言葉の原子の変化の仕方などで話す者と聞く者の群れ内の上下関係の確認、攻撃などのメッセージを含めることもできる。それどころか自分自身とのやり取りもある程度できる。脳の中で、口を動かさずに勝手に言葉だけを出すこともできるんだ。  多く表現される内容は後述する「物語」だ。個体が経験した出来事を記憶に移し、言語の形に編集する。その際に膨大な記憶から必要なものだけに削る。それを自分が学んだ言語の言葉の原子を使い、共通する順番にまとめなおす。それを他人に伝える。  受ける人はその言語情報を感覚から入力され、直接会って相手の口から出る音を聞いていれば相手が体から出す情報も同時に処理する。それによって自分自身がその出来事を見ていたり経験していたりするように移行するが、相手も自分も多くの情報を省略しているので本当にそれが相手が経験した出来事そのままと言うわけではない。ただし多くの情報が伝わっていることは事実だ。で、その情報を内部で経験にしてまた記憶し、場合によっては別の誰かに自分の言葉、または言葉そのものは受けた言葉を全部正確に繰り返しているが体で多くの情報を加えて自分の中で繰り返したり、他の誰かに伝える、ということができる。  重要な情報は「誰が」「何を(行為の対象)」「いつ(時間)」「どこで(位置)」「なぜ(因果および個体の精神内面の言語化)」「どのように」だ。ただしどれかがなくてもいいこともある。  そのような構造である言語は本質的に多様な解釈を許す。  言語自体はより抽象的に考えることもできる。声というメディアに完全に依存しているわけではなく、後述の文字、文字を電子的な情報に変換したものなどにもできるし、本来声言語が使えない耳が聞こえない人も手や身振りから、言語と同様の構造がありある程度普通の言語に訳せる総体を作っている。  ちなみに言語は完全なものではない、人間は完全だと思いたがるが。同じ言葉が、複数の具体的な状況に翻訳できることもある。言葉を受けた人間の精神状態、口から耳なら相互の関係や体が出しているメッセージも関わる。今述べているこの文章だって、あとで読んだ人がどう解釈するかわからない。  また人間の口は、言語だけでなく別の声も出せる。たとえば言語を出すための声をとても大きくすると、襲われているときなど緊急事態を知らせることもできる。それとは別だが、唇をうまく使うと、言語とは違う単純な音だが波長を制御しやすい音が出せる。  言語を習得していない小さい子供は大声で泣く、笑う、何かもごもご言うしかできないし、それは大人になっても用いることはできる。  波長やその変化も結構情報を伝えることができ、特に感情を伝えるのを得意とする。言葉と、波長の上下も組み合わせるのもある。波長や音の繰り返し、音の強弱などを組み合わせた「音楽」やそれにあわせて体を動かす「踊り」も詳しくは後述するが人類にとっては重要なコミュニケーション・表現の手段だ。  実際には、普通に言語で話しているときも、その声の波長、同時に起きる体や顔の筋肉の変化などから言語とは別の情報も大量に伝えている。  その言語によるもの以外に、たとえば「私はあなたと親しい」「あなたは私より下位だ」など、群れにおいて重要な情報を体の動き、顔の筋肉の微細な動き、それどころか服など体に後天的につけたものからも示すことができる。  身振り手振りと呼ばれる、体でものを表現することも非常に複雑で人間にとっては重要だ。言語は音声から発達したのか、それとも身振り手振りから発達したのか……両方だろう。  またそれに関する人間の体の特徴として、尾がないこと、二足歩行で複雑な前足があること、顔を少し変形させる筋肉が異常なまでに多いことがある。  多くの脳が発達し、群れ生活をする大型哺乳類には身振りとして尾を振る、または寝転んで腹を見せる「あなたは私より上位だ、私はあなたを攻撃しない」という身振りがあるが、人間にはどちらもできない。人間の場合寝転んで腹を見せるかわり、背中を見せて頭を地面につけ、手足を折り曲げて体をできる限り地面に近づけるなどの身振りが服従を意味するものとなる。要するに「相手より低く」なるのが服従、下位を意味する……ここで使っている日本語の「高い」「低い」というのが、地面からの距離、群れ内部の順位の両方を示す言葉なのがまさにそのことを示しているな。  ただ、群れ動物には同種、同じ群れの生物の近くにいたい、姿を見たい、接触したいという欲がある。特に寒いときなどは固まっていたほうが熱が逃げず暖かいからだろうか。また近くに群れの仲間がいることは、何かに攻撃されたときにはとても有利になる。  多くの群れるサルで「毛づくろい」というコミュニケーションが重視される。サルは構造上、背中などの寄生虫や汚れを自力で取り除くのが苦手なので、同じ種・同じ群れの仲間にそれを除いてもらう。寄生虫や汚れがあると死ぬ確率が増えるので、それを取り除くのを好む個体が生存して増えていったが、それだけでなく群れの統合を深めるのにも用いられる。サルは指を使うことができるが、多くの哺乳類は自分自身の手入れも含め舌を使う。  人間は基本的には肉体的な接触を好むが、毛づくろいの毛がないし、舌および唇による接触は親子・交配相手などごく密接な関係に限られることも多く、その場合きわめて強い親しみを伝え合うことになる。ただしその場合でも、他の動物でよくある排泄器官の清掃は比較的少ない。軽い唇による接触は、現代の人類の文化圏によってはある程度の親しさ程度でもある。  また人間とごく近い動物の一つが、同性も含めほとんど無差別に交接をすることによって、親しみを互いに表現し群れを維持することにも触れておこう。  また人間は、自分の体調や精神状態を体の外から観察できる部分に出すこともできる。それも情報交換だ。特に重要なのが、上述の目を洗うための体液で、激しい苦痛を感じた時などはそれが大量に出て液を受ける管からあふれる。生まれてすぐの子供にとってはそれを特定の言語のない声を複合させたものが、不快を表明し親の保護を求める重要なメッセージだ。  他にも、本来攻撃に移るときに運動能力を増すため、または打撃を受けたときに体表からの出血量を減らし内臓の修復に集中するためなどだが、人間の皮膚は感情によって血液が流れる量が変化し、それが無毛ゆえに外からはっきり観察できる。汗が出るのもある意味その面もある。多くの動物で有効な、毛が逆立つ現象もまた人間にも起きる。  また男性生殖器が肥大する、女性生殖器が潤滑のための液を分泌するなどの反応も情報となるし、激しい感情や苦痛などから糞尿を漏らすこともある。  人間は嗅覚が発達していないから人間には感じられないが、匂いに敏感な動物には人間の感情に応じたにおいの変化は明白なはずだ。  これらは意識による制御を受けないため、後述する真偽判定にある程度使える。  他にも主に嗅覚によって、集団で暮らす妊娠していない雌の、卵子の排出に関する周期が一致すること、誰かが食べたものを吐き出したらそれを見たり嗅いだりした周囲の人間も吐きたくなることなどもある。群れで暮らしている以上同じものを食べている可能性が高い、誰かが吐いたらそれは毒だということだから、だったらみんな吐けばみんな助かって遺伝子情報が存続する、というわけだ。  興味深いのが笑いという行動だ。これは制御できないこともある、独特の呼吸と声、表情の変化をともなう。快を予期したときや予期した快を得たとき、予測していなかった快、美と関連があるようであり、言葉が発達するとその高度な使い方と複雑な関係を持つ。少なくとも人間の形をしているか、または言語を用いて交渉する「何か」を人間と判定するには、その笑いを操作できるかというのは重要な基準になるだろう。  それらの方法を総合することによって、主張の内容だけでなく今の心理状態を同時に示すこともできる。  また、様々な情報を伝達するための行為が、逆にそれを出している人の心理に働きかけてしまうこともよくある。特に声は呼吸とつながっているので、その働きが大きい。意識的に呼吸を深く長くすることで攻撃を準備している心理・肉体状態を解除することもできる。  人間は技術を使うことによって、またその知能を活かしてより強力な情報交換ができるようになったことも触れておこう。詳しくは後述するが、絵と地図は人類が進化したずっと昔から単純なものはあっただろうからここで。  絵というのは、人間が視覚情報を何らかの表面に……小さな変化を作ることによって与えることだ。地面でもいいし、上記の布・革のような薄い素材なら携帯もできる。  たとえば表面を鋭い何かで破壊する、何らかの違う色の物質の液や粉を乗せて定着させる、熱や化学などで変質させるなどで目に見える周囲との違いができる。特に「液体をつけ」「それを化学変化させる」と、布や革、後述の紙などの繊維に色素が完全に定着し、長期間見ることができる。布や革を染色する技術と本質的に同じだし、それこそ布や革を染めて模様を作るのと絵を描くのはある意味本質的に同じだ。  人間にとってやりやすいのは「棒の先端を触れ、引きずる」ことだ。そうすると「棒の先端と面の接点」という「点」が動くことで「線」ができる。その「線」は数学的に抽象化されたものと違い太さがあるから、たくさん集めれば面を塗ることができる。また先端が太く、多数の毛のようなものをまとめたものだと接点が小さな面をなすから、それを引きずれば効率よく太い線、すなわち面を作ることができる。多数の毛をまとめると、その隙間に液体が入るからやりやすい。  壁や地面に木の棒の先端を押しつけたまま動かすだけでも表面を浅く破壊して細い溝を作れる。  絵の内容としては人間が視覚で見たものが脳が分析した像をできるかぎり絵にすることがまずある。ただし、目の像そのものは非常に解像度が高く、それを完全に表現するなど人間には不可能だ。それをいくつもの単純な線や、同じ色で塗られた部分の組み合わせで、極度に情報を圧縮して表現する。  それから脳が持った、より純粋なイメージを絵にすることができる。詳しくは後述するが、人間は見たものを単純な図形に抽象化する能力もあるし、さまざまな要素を集めて現実に存在しない視覚的な像を作ることができる。それを絵にすることもできるんだ。  それがどれほど高度なことか。コンピューターに、草原の中に立つライオンの写真を読ませ、それを線で表現させることがどれほど困難か。絵の持つ膨大な情報から、輪郭線を抜き出し、形を単純にして描くことがどんなに難しいか。それを見た人間がライオンを認識すること、抽象化することがどれほどすさまじい情報処理か。  ずっと昔の絵は、主に後述の呪術的な意味で使われたと思う。  さらに素材を変型させたり削ったりして、三次元でなにかの形やそれを抽象化したものを再現することもある。これも呪術では重要だ。  さらにその応用として「地図」というものがある。「地」の「図」、地表を平面的に見て、それを図にしたものだ。人間は目である程度距離を見ることができるから、見回した世界全体の、特徴的な木・地面に水がある部分・地面に露出している岩石・大きい高低差などを抽象化した単純な絵にし、互いの距離関係をある程度でも絵として再現することができる。  単純に視界全体を絵にしてもある程度使うことができる。それがないよりあるほうがずっといい。  地図があれば、たとえば「この水たまりから、あの高い地形にある岩の方向に歩けば、いつも大量においしい実をつける木が生えている」ことを簡単に思い出し、また他者に伝えることができる。非常に便利だ。  ああ、地図の発明が文明以前だというのは私が勝手に言っているだけだ。何の証拠もないよ。  絵はある程度証拠があるけど、その目的は知らない。たぶん後述する呪術だと思うけど根拠はない。本当は次元潜行艇の設計図なのにわれわれが読み方を知らないだけかもしれないが証拠はまったくない。  絵と言葉と抽象化という心の働きを合わせると後述する文字になる。  あと、最もわかりやすく、言語の壁も何もないコミュニケーションがある……暴力だ。 **同族闘争、武器防具  人類の、狩猟採集民の水準から見ても、人類に近いサルから見ても明らかなことが、人類は同族でも群れどうし常に争うということだ。縄張りを防衛する、という動物に共通する行動でもある。縄張りの、限られた食料資源を自分たちの群れで独占すれば、DNAの相当部分を共有する自分たちの群れが繁殖できる確率が上がる。本来なら食料源としても同種別群を殺す動機にはなるが、後述するように多くの人間は食人を嫌う……だが食人を嫌わない狩猟採集民も多くあり、絶対ではない。昔どうだったかはわからない。  また、上記の色々な物資を敵から奪えば、こちらで苦労して作らなくてもいいから楽だ。  そして交配に関する欲を満たすこともできる……雄が雌を暴力的に支配して交配することによって。  また、群れの内部でも地位の争いは重要であり、どの個体も少しでも地位を高めようとする。その一番簡単な方法が、より高い地位の者を暴力で屈服させるか群れから追放するか殺すかだし、逆に地位の高い者はより低い者に暴力を振るって従わせるのが生き残る術だ。  上の人類に近い、というのはDNAを知る前の人間から見ても、外見で人間そっくりだとすぐわかったし、また体を解剖してみても人間そっくりだし、DNAにも共通の情報がとても多いことからはっきりしている。  まあ同じく人類に近いのには、ほとんど同種で殺しあわない、交接行為を用いたコミュニケーションを活用するのもいるけどね。  とにかく人間は非常に暴力的で、しかも強力な武器を持っている。  だから大型動物にとっても人類にとっても、他の人類に見つけられることはきわめて危険なことだった。  また人間はいろいろな肉食動物にも襲われるから、その意味でも暴力は重要だ。  後述の狩猟具の多くは、同じ人間を殺すための武器としても使える。  また人は木や布で巣を作ることがあるし、燃えやすいものも多いから、そこに火をつけるだけでも効率よく人を殺せる。  これは人間の認識だが、戦闘は「攻撃」と「防御」に分けられる。  だから、同じく武器=狩猟具を用いる人間に殺されない、できれば殺し返す……自分を殺すことをやめさせる一番確実な方法は相手を殺すことだ……ために「防御」のためのさまざまな道具などが発明されている。  上述の住居自体、保温と貯蔵だけでなく防御のための道具とみなすことができる。  その防御のための構造を強めることもできる。  また住居を集めた、群れ全体の住居の集まりを防御する構造もある。  要するに、地面が平らだと動きやすいが、でこぼこがあると動きにくいことを使うことが多い。重力下では上下に動くには、前後左右よりずっと体力を消耗する。水・水と土が混じって柔らかくなっているところなども動きにくい。とげのある植物にぶつかっても動きにくい。  特に有効なのはすきまのない高い部分や低く水がたまった部分を小さい地形として作ることだ。単純に少し高いところにいるだけでも、そこから石を投げ落とすだけで位置エネルギーが運動エネルギーに、そして破壊のエネルギーに変わって大幅に有利だし、逆に下から上がろうとするだけで大量の体内の水や食物を使って位置エネルギーにしなければならない。  また、敵の動きを知ることも重要だ。そのために一番いいのは、たとえば平坦な草原の高い岩・大木などに誰かが常に登って周囲を見渡して警戒していることだ。まあその場合夜に攻撃されると弱いんだが……いくら火の光があっても、それで周囲を警戒するほど大量の燃料はそうない。  ただし火の存在は、人間以外の大型動物を避けるには有効だ。  これで、狩猟採集の水準の生活が理解できただろうか?  太陽が見えて明るくなれば睡眠から醒めて活動を始める。  とにかく水を確保する。  雄は動物を狩り雌は食べられる植物や昆虫を探す。いつも食物が豊富にあるとは限らず、大抵は食物の不足を感じている。狩った動物を加工し、保存食を作ったり色々な資材を作る。  火を使って食物を調理し、体を温める。  保存食や衣服や住居、石器や土器を作る。  食物が足りなくなったり、土全体から嫌な匂いがしてきたりしたら巣を解体し、できるだけいろいろ持って、ごく小さい子は抱えて群れごと別の場所へ移動し、また巣を作る。  大型肉食動物に食われ、また群れの中で身を寄せ合う。敵である人の群れどうしが殺し合い、傷つけ、雌に交接行為を強い、資材を奪い、焼いたりして破壊し、それに抵抗して反撃する。  体が汚れ不快を感じれば大量の水に体をひたし、ぬぐってきれいにする。他にも油や土など色々なものを使えたはずだ。  日が沈めばしばらくは火の光で過ごし、成熟した雄と雌が交接し、気温が低すぎれば布や皮で体を包み、住居にもぐり、火に近づいたり暖めた石を抱いたりして体温が下がり過ぎないようにして眠る。  群れの中で常にコミュニケーションをとり、色々な情報や物を分け合い、少しでも地位を高めよう、群れを維持しようとする。地位を高め維持しようとすることなどが群れの中での暴力になることも多い。  もちろん子供のほとんどは死ぬ、毎日食べられるとは限らない。育てられる食料が確保できそうになかったり、親が死んでいたり、群れが決定したりしたら生まれてすぐ子供を殺すことも多い。また別の肉食動物や別の人類の群れに攻撃されて殺され、また下で言う病気になり、水や食料が得られず死ぬこともしょっちゅうある。  人類が今の形に進化し、それから今までの年月のほとんど……数百万年間、ずっとそんな暮らしだっただろう。何よりも強く強調したいのが、人類は本来そんな生活のために進化した動物だ、ということだ。大抵の人間はそんなことさっぱりと忘れているが。 *主要病気・天敵  上の、「人間にとって必要なもの」と人体の構造から逆算すれば、人間にとって致命的な病気・傷についてある程度わかると思う。  血液や体内の水分を体重の十分の一失えば死ぬ。  皮膚の半分を火などで傷つけられれば、表面から体液が失われて死ぬ。  ある程度以上の痛みなどで、脳を通じて心臓などの機能が低下し、死ぬことがある。  脳などを破壊されれば死ぬ。  特に呼吸などに関する内臓を破壊されたらすぐ死ぬし、他の内臓でも長期間機能が回復しなかったり、体内での出血が多かったりしたら死ぬ。  多数の微生物が体内の、特に消化器や皮膚表面以外に侵入し、それが体を食いながらある程度以上増殖したら死ぬ。  各内臓それぞれ、微生物や寄生虫、外傷などで痛むとそれぞれの症状が出る。注意して欲しいのは、症状は「ある臓器が破壊された」ことを意味していることもあるが、「今戦闘中」という臓器からのサインであることのほうが多い。特に組織が赤く柔らかくなり温度も上がる現象はそれであり、全身のどこにでもよく出る。  また食べたものを口から吐き出す、また糞が極度に柔らかくなって変な色の水が噴き出すような感じになる、呼吸が瞬間的に極端に激しくなるなど苦痛を伴う状態も、有害物を体内にとどめないために体が反応しているのだ。それ自体は苦しいが、それがないよりあるほうがはるかに生存率が高い。それを逆に利用する伝染病も後述するように多いが、それでもその機能があるほうがいい。  また体温、特に頭部の温度が上がることがある。そうなると調子が悪くなり、ものも食べずじっと動かずにいたくなるし、そうしているほうが生きられる確率は高い。  皮膚表面に、いくつも周りと異なる赤く盛り上がり周囲より温度の高い部分ができることも多い。それはしばしば、嫌なにおいのする普通の体液とは違う色の液を出す。その液の存在は、体の免疫が働いていることを示している。  体のあちこちが、他より温度が高く、普段は触れないが固く膨れた塊になることがある。それも免疫が働いているときに起きる。  人体は生きているだけでかなり傷や病気から回復し、免疫や肝臓の分解機能で異物を無害にし、微生物を殺すことができる。  人間の言葉では病気と怪我は区別されるが、実際にはあまり意味はない。  その原因には ○外からの力 ○外からの、力以外の環境の変化 ○欠乏 ○毒物 ○伝染病 ○風土病 ○遺伝病 ○個体の体の中から出る ○個体の精神  などがある。  医学、人間の体、なかでもその分子単位の細かな挙動を理解する能力には、人間の目がある程度以上細かいものを見られないこと、また人間を解剖して調べることを禁じる宗教、科学的手法が組織的に使われることが稀であることなどの制約がある。  また人間の体は分子の挙動や素材に制約されているし、遺伝子が均一に近いため品種改良もほとんど無効だ。  それゆえに、医学的にできないことが実に多い。不老不死、安全確実な避妊・堕胎・男女産み分け・不妊治療、奇形防止、伝染病の予防、人体の大きな……翼をつけて飛べるようにするなど……改造、切断された手足の再生、臓器移植、精神から欲望などを取り除いたり完全な忠誠を守らせたりすること、確実な自白薬、どんな病気も治る万能薬などは科学が進歩する以前はすべて絶対に不可能だったし、多くは今でも、そして未来に期待できる科学の進歩があっても不可能だ。 **外  外からの力は、別の動物や同じ人類による暴力も多い。人類にとって最大の敵は人類自身だが、他にもアフリカの大草原には強力な肉食動物が多数おり、武器の性能が上がるまでは人類は食われる側だった。  毒を使う動物も多く、それにやられると軽い傷に見えても死に至ることもある。  また事故も多くなる……特に地面の高低が激しいところに住んだり、また木に登ったりして暮らすと落ちることがある。落ちると高さによる位置エネルギーが運動エネルギーに変わり、事実上地球という固いものを高速でぶつけられるのと同じことになって体を大きく破壊する。他にも後述のように木を切ったり岩を動かしたりもするから、そのたびになにか間違えると怪我をし死に至る。  また、人間は皮膚によってしっかり外界から守られているが、外からの力で体を傷つけると多くその守りに穴が開くので、微生物に食われやすくなる。その最悪なのが破傷風・ガス壊疽・敗血症だ。  環境に属するものには極端なところでは火による体表面の破壊と、それで体液を失い、また皮膚の守りがなくなって無防備に微生物に食われることもある。また過剰なほど高い気温・そのなかでの長時間の運動で、体の水などを過剰に失って死ぬことも多くある。  後述するが人類が広い範囲で暮らすようになると、低温によっても体が破壊され、また体温低下自体で死ぬこともある。  低温になると、まず人体は貴重な熱を奪われないように血管を縮め、体の表面・末端部への血流を弱める。またある程度以上の低温だと、それは末端部の細胞が酸素不足で死ぬことにもつながる。それも合理的ではある、手足の指を失っても一時間余計に生きのびる方が繁殖できる可能性はある。体の一部である細胞が死ぬと毒を出すことがあり、それによって死ぬこともあるし、また低温それ自体によって内臓の働きもやられて死ぬこともある。特に冷たい水に浸かると、急速に体温を奪われ短時間で死ぬ。体や衣類が水に濡れ、さらに強く冷たい風が吹いているときも大きく熱を奪われる。  人間が水中で呼吸できず、すぐ死んでしまうことも重要だ。後には呼吸する空気に火から出た煙や微粒子、石の粉などが混じって長期的に呼吸器がやられる病気も重要になった。  欠乏はもうあらかた書いた。食物・水・酸素のどれが欠乏しても死ぬ。人間が必要とする様々な元素・体内で合成できない分子のどれかが飲食物の中で足りなくなると体のあちこちが不調になり、最終的には死ぬ。  特に恐ろしいのが、加熱した保存食だけを食べ続け、死んでから短時間かつ加熱したことがない、植物や動物の内蔵を食べずに過ごしたときに出る病気で、体のいたるところから血が出てゆっくりと崩れていく。また後に詳しく言うが、美味で見た目が美しい部分だけを取りだした草の実ばかり食べることでも死に至る病気も後代になって多くの人の命を奪った。  火と住居を手に入れてからは、酸素豊富な外の空気が入らない場所で火を使うことによって、酸素不足というか炭素と酸素が一対一の有毒である分子ができてそれで死ぬことも多くあった。 **毒  毒物は自然界では実にたくさんある。ちなみに薬も過剰なら毒、多くの毒は少量なら薬になる、ということが人間の重要な経験則だ。  塩化ナトリウムのように人間には必須の栄養素や水や酸素だって過剰になったら死に至る。  哺乳類・爬虫類・鳥類の肉は無毒だ。魚にはときどき有毒なのがある。昆虫その他比較的小さく複雑な生物のかなり多くの種類には毒がある。  植物や、土や木から出る菌が集まったものにも有毒なものが多い。  また毒を武器として使う動物もけっこう多い。特に注意すべきなのが、ヘビと呼ばれる手足がなく長い棒状の胴体だけの動物で、歯から効率的に毒を敵の体内に注ぐ機構があるものが多い。  他にも外側が硬い比較的小さい生物で、口などに管状の構造を作り、それで毒を別の動物の体内に入れる動物は実に多い。音を立てて飛ぶ蜂、足が八本で糸を出すクモ、尻から毒針のついた尾を前に出すサソリなど。  鉱物にも毒は多い。後に人類が文明を発達させると、新しい毒物がどんどん人間の世界に入っていった。  また、食物が腐るときに、微生物が毒を出すこともある。別の微生物にせっかくの食物を横取りされないため、自分は耐えられるが他の微生物にとっては毒になるものを出すことが多く、その中には大型動物も殺せるものがある。  それら多くの毒は、それぞれ独特の形をした炭素・水素・酸素・窒素などを中心にした複雑な分子であり、害がある以外にも多くの用途がある。  また、人間にとって毒であるもの以外にも多くの物質が多くの生物に含まれており、たとえば人間にとっては毒ではないがほかの動物にとっては毒、というものも多いことを再度強調しておこう。 **伝染病  伝染病とは、一人がある症状を示したらそいつと接触のある、または近くに住んでいる別の人間もかかることの多い病気だ。なんらかの小さい生物……単細胞、多細胞、目で見えるほど大きいの、細胞構造すらないもっと小さいのなどいろいろ……が犠牲者の体内で繁殖し、さらに別の人にまで移動して増えることによって起きる。群れが全滅する危険があるため、遺伝子を保存するためには最も恐ろしいものだ。多数が病むという点では群れがみな同じ毒を食べたりした時、また繁殖関係でつながる群れの成員の多くが悪い遺伝子を受け継いだときにも起き、それらと区別しにくい。  伝染病は多種多様な微生物が引き起こす。微生物の大きさや種類も膨大で、その分類法も複雑だ。どう分類するのが正しいかもわからない。ちなみにいかなる意味でも生物でさえない、ある形のタンパク質に過ぎない病原すらあるといわれている、ちょっと議論はあるが。  伝染病が一人の人間から別の人間に「感染する」にも色々な径路がある。下で少し説明する呼吸を用いるのが一番感染しやすい。誰かが着た衣類を着るのも、皮膚が出した脂などに住む微生物が移動して皮膚から浸入することにもなる。糞尿が混じる水や食物を飲食するのも感染経路だし、糞尿の混じる土で手の指を汚してその指で飲食するのも感染につながる。皮膚どうしの接触も感染経路だ。特に上述の繁殖のための交接は微生物を大切に外界から保護しながら交換するようなものだ。動物の血を吸う虫も多数おり、それも重要だ。  ちなみに、症状を何も出さないが微生物を体内に入れていて感染させる者もいる。  あと伝染病のもとである微生物にとっては症状を出さないか、致命的でないほうがいい。宿主に死なれたら自分も死ぬだけ、まして群れを全滅させたら別の宿主に接触するのも難しくなる。本来伝染病にとって一番望ましい進化は、宿主となる動物全員が自然に感染しており、宿主の生存繁殖を一切脅かさない状態だ。  症状を利用して感染を拡げる微生物もある……たとえば、人間の呼吸器官は刺激されたら激しく息をして自らを掃除するが、その時に非常に細かい液の粒がたくさん出る。それを別の人が呼吸の空気と一緒に吸うと吸った人もその微生物に住み着かれる、ということがある。それで、そういう微生物の中にはうまい物質を出したりして呼吸器を刺激し、そういう激しい呼吸をさせる、という変異を起こしたものもあり、そうなると増えやすくなる……というわけだ。後述の、水分が異常に多い糞も似たような話だ。  昆虫に感染する伝染病には昆虫の脳を狂わせて「ひたすら上に行け」と命じ、木などのいちばん上に入ったところで全身を食い尽くして殺してから自分自身の……環境に耐えられるように変型し、それ一つからでも宿主にさえ入れば完全な自己増殖が可能な卵のようなものを大量にばらまく、という代物さえある。より高いところからばらまく方が広い範囲に拡がる、というわけだ。それに知性がないと誰に言えるんだ?人間は本当にそんな病気はないのか、性病の一つは……まあ知らん。  ちなみに上述のように、人類に限らずあらゆる生物は微生物に食われないよう、まして伝染病にやられないよう体内で様々な物質を作り、それ専用の細胞を分化させなどあの手この手で戦いつづけてきた。そこで重要なのが動物は、一種類の微生物にやられて死ななければ、体にあるそのための細胞が攻撃してきた微生物の特徴を覚え、また来たら前に撃退するのに使った物質などをまた出すことができるから、二度やられることはない、ということだ。またある程度他と往き来できない地域で、ある伝染病で何度も多数の死者を出しながら生きてきた人の集団は、その多くが遺伝子のレベルでその伝染病にかかりにくく、死ににくくなっている。逆に他と接触できないでずっと別々に生きてきた人間集団は、別の人間集団からなにか伝染病が感染したら一気に大量死することもある。後述するが、それが人類の歴史で最も重要な出来事、一つの群れが別の大陸全体を征服した事件の核心であり、また「二度やられることはない」という点が、ある時期から特に技術を発展させた文明の核心でさえある。  あと当たり前のことだけど、どんな動物にも植物にもそれ特有の伝染病がある。  で、人間の重要な伝染病と、それに関する生物もいくつか紹介していこう。  人類の天敵と言い切っていいのが天然痘。体温を上げ、皮膚に赤い部分をたくさん作る。呼吸からも含めて伝染しやすく半分は死に、生き延びても皮膚の赤い部分から臭い液が出てその跡が一生残ることも多く、そうなると後述する美を損なう。後述する、アメリカ大陸に前から住んでいた人をほとんど全滅させたのは主にこいつと後述のチフス類だ。ただし人間以外には感染せず、一度かかって生き延びたら二度とかからないので、後述するが世界全体を高い技術水準の文明が支配したとき完全に地球から除くことに成功した。麻疹など似た病気も多い。  結核は症状がしつこく、感染経路が多い。  インフルエンザは死亡率こそ低いが、しょっちゅう遺伝の複製の間違いを起こすから常に人間の間で蔓延している。一度極度に死亡率が高いのが人類全体に蔓延し、その時ちょうど起きていた最大規模の戦争に匹敵する死者を出したこともある。  インフルエンザに似ているのが風邪という、激しい呼吸や体温上昇などの症状をまとめた病名だ。いろいろな病原体がある。  ペストも非常に多くの人間を殺している。ある地域の歴史で大きい被害を出したから注目が大きいというのもあるが、恐ろしい伝染病であることに違いはない。  ペストは人間から人間の感染は弱く、ネズミ・ノミという二つの動物を経由した感染が主になる。  ネズミというのは比較的小型、人間の拳程度の大きさの哺乳類動物だ。知能が高く複雑な地形を垂直方向も含めて動き回ることが得意で、口の先にある長く強く伸び続ける歯を使って土でも木でもなんでもかじって穴を作り、そこで暮らすことができる。繁殖力も高い。食べられるものの範囲も広く、人間の保存食を特に好む。人間の生活が豊かになり複雑になり定住するほど増え、常に人間の身近の見えにくい所にいる。それが食ってしまう食料や衣類なども困りものだが、多くの伝染病に関わるのが厄介だ。人間や後述の家畜と違いネズミに糞尿を、人間が飲食したり着たりするものに入れるな、と頼んでも聞いてくれやしない、さらにこのペストという最悪の病気がある。  ペストはネズミだけからは感染せず、ノミという小型の昆虫も媒介として必要とする。目にやっと見えるぐらい小さく、とても高く跳びはねる。ちなみに別に凄い力とかじゃなく、ノミの身体構造が高く跳び上がることに適していて、また二乗三乗則で筋力当たりの体重が少ないからだ。まあそれはともかく、それは口を色々な動物の皮膚に刺して血を吸う。血は栄養価が高いから、接近して殺されるリスクがあっても余りあるほどだ。  で、ペストに感染したネズミの血をノミが吸って、それから次に人間の血を吸えば、ノミの中で生きているペストの微生物が人間の血液に入って増える。  皮膚のあちこちに黒い部分ができるのが特徴で、恐ろしく致死率が高い。ヨーロッパの人口の三分の一が死んだことがあるぐらいだ。  他にも人の血を吸う虫にはシラミ・ダニ・飛びまわる蚊などがある。  シラミやダニは発疹チフスという、同じく多くの人を殺してきた病気に関わる。  ちなみに、ノミ・シラミ・ダニは毛を利用して動物にしがみつくから、体毛のない人類はそれにやられにくい。人間の毛の薄さはその点で生存上有利だ、という人もいる。ただし衣服を覚えてしまったんだからそういうのにとってはもっと過ごしやすいかもしれないがね。  血を吸う昆虫で目立つのが蚊だ。蚊は流れのない水面に卵を産み……拳ほどの植物のくぼみに水がたまったところで充分だ……小さい頃はその水に澄む微生物を濾過食で食べて成長し、空を飛んで血を吸う成虫になる。  だから人間にとって、本来いつでもたくさんの生物がいて住みやすいはずの、浅い水が広い面積を湿らせている地域は伝染病が多いので死にやすい地域でもあるんだ。逆に必要もない水面は徹底して埋め、植物から遠ざかって幾何学的に単純な場所で暮らすのが、蚊を媒介にした伝染病を避けるには有益だ。  蚊が媒介する伝染病もマラリア、黄熱病など多い。どちらも気温の高い地域の病気だ。マラリアは熱を出し、それがいつまでも続き、調子が悪くなる。現代の人類にとってもきわめて重大な問題だ。黄熱病も致死率が高く、人類をとても苦しめた。  蠅も空を飛ぶ昆虫で、非常に多様。卵をどこにでも産むことができ、特に死体や糞、腐敗した植物などに産むことを好む。短時間で卵から出るごく小さい子供は膨大な微生物に食われないどころかそれを食ってしまう強さがあり、微生物以外もとても広く色々食べる。そして短時間で大きくなり、空を飛んでどこにでももぐりこんで卵を産む。  上述の、肉や皮を干したりしているところなどではちょっと油断するとすぐ蠅に卵を産まれ、小さい子供に全部食い尽くされることになる。というわけで人類にとっては常に傍にいる生物の一つだ。さらに糞を食べた直後に人の食物を食べたりするから、下で言うような飲食からの感染の元になる。まあ蠅に言葉がわかれば、自分たちは年中体中を徹底的に掃除している、人類のような不潔な生物じゃない、と言い返されそうだけどな。  また蠅の類には蚊のように口から血を吸う種類もおり、それもまた重要な伝染病につながる。困ったことに下で紹介する牛という家畜にも深く関わるから、アフリカ大陸のある地域では人が牛を飼って暮らすことがきわめて難しくなる。  つくづくアフリカ大陸は伝染病の面でも呪われているんだ……まあ当然だな、人類が何百万年か前に今の形になってから、いやそれ以前も体を流れる血の種類はほとんど変わらないまま何千万年も暮らして、その間人類の祖先のサルたちと一緒に蚊や蠅やノミや伝染病も進化してきたんだから。  赤痢、コレラ、腸チフスなどは飲食、特に水を通した伝染病で、水状の糞を大量に出させる。同時に熱などを出すものも多い。水のようになったそれはあちこちを汚染しやすいし、大量の水で薄められてもかなりの感染力を持つので感染しやすい……問題はその水状の糞には人体の水分が大量に含まれているので……水状の糞自体は毒をさっさと出してしまう、人間が生きるのに役に立つ仕掛けだが……大量に血を流すのと同じように死にやすい。他にも飲食物を通し、水状の糞を出す病気は実に多くある。  ちなみにチフスという病名はやや混乱していて、生物としての関係が薄いいくつかの病気でその名が見られる。逆に恐ろしい伝染病にチフスと名づけた、という面もあるかな。  ハンセン氏病というのは人類の精神構造の、私が一番嫌いな部分を強く引き出す伝染病だ。これで死んだ人数自体は大したことじゃない……感染力がものすごく弱いし症状を発しても多くが長いこと生き延びる。だが、この病気は皮膚を蝕み、人間の外見を変えてしまうんだ。そうなると後述の美を損ない、そして穢れ、恐怖、罪、スケープゴートといった多くの感情を呼び起こし、必要もないのに群れからの追放や様々な暴力、時に大量虐殺すら引き起こす。この病気に関することを思えば、私は人類の一員であること、そして私が生まれた国に生まれたこと自体が、聞いているのがどの宇宙の存在か知らないが恥ずかしくて嫌で消えてしまいたい。まあそれも、私が後述の近代の人権を尊重する文化で育てられているからなんだろうが。  本来繁殖のための交接行為から感染する病気も重要で、梅毒や新しいものではエイズがある。またある伝染病にかかった母親が妊娠出産した子供は当然それにかかる可能性が高い。それから人類がある程度進化してから、針を体に刺すということもするようになった……そうなれば二人が同じ針で自分を刺せば血液自体を混ぜるようなものだ、当然伝染病にとっては一番感染しやすい。あまりのアホさに言ってて自分で呆れたが本当だ。  エイズは現代の人類にとって、特にアフリカ大陸でマラリアと並び重大な要因だ。エイズは感染こそしにくいが、遺伝子の構造が単純で複製の間違いが起こりやすいため後述する近代的な対策が難しい。また人間が、体内に侵入した微生物を排除する、その免疫機構自体を蝕む。そうなると普通ならまず害にならない弱い微生物にも殺されるわけだ。そして感染した人間の体力と無関係で、子供や老人から殺す普通の伝染病とは違い多くの仕事ができる大人も弱らせてしまう。しかも死ぬまでに時間がかかるから、その間患者の回復を期待して与える食料などの負担が大きい。  伝染病と言えるものには目に見えない微生物だけでなく、大型の寄生生物も多くある。詳しくは述べないが、ごく最近のとんでもない生活様式の少数の人間たち以外は、常に多くの寄生虫に常に吸われている。上述のノミ・シラミ・ダニもある意味寄生虫だ。また時々寄生する生物には、ヒルという柔らかく形しかない、血を吸うと大きく膨らむ変なのもいる。消化器官に住んでいる寄生虫も実に多様だ。 **風土病  これはまあ「ある地域に住んでいる人だけに出る病気」ということだ。それにはその地域の、大地や水そのものに混じっている元素レベルの毒もあるし、またその地域だけに住んでいる動物から人間に感染するが人間と人間では感染しない伝染病、ということもある。  伝染病の、特に媒介する生物が地形・温度などに縛られてその地域から人間と一緒に移動できないこともよくあり、それも風土病になってしまう。  その地域の人間の習慣から、特定の微量物質不足が生じるため必然的に出る病気もある。 **遺伝病  遺伝自体エラーがときどきある。生きるのに必要な情報にエラーが起きたら体が正常に働かないのは当然だ。また人間の遺伝子は膨大なデジタル情報だが、そのほとんどはまったく無意味だ……逆にそれがちょっとの複製の間違いで致死的な悪い情報になることもある。  まあひどいエラーが遺伝情報にある子は、正常に大きくなって出産されること自体無理だ。産まれたときに外見ではっきり欠陥があり、運動能力や感覚や免疫に劣る個体は、非常に厳しい状態で生活する野生動物の場合生存自体が不可能だ。もちろん人類も昔は野生動物だったから、欠陥のある遺伝情報をもつ個体は死んだ。  上記の、ハンセン氏病に対する残酷な扱いも、外見に欠陥がある個体は遺伝子に欠陥がある可能性が高い、だから交配相手にしてはならない、という精神に遺伝子レベルで入っている判断でもある。  といっても、どんな動物にしても一つの欠陥もない遺伝子などあり得ない。誰もがなんらかの、多数のごく軽い遺伝病にかかっているんだ。  特に、一つの遺伝子だけではなんともないが、両親が同じ欠陥を持っているときだけなにか悪い影響が出る、というのは、同じ両親からまともな子供が生まれることも多いので消えにくい。  ただし外見と無関係な、遺伝子から来る欠陥も多くある。代表的なのが血友病という、外からの力で傷ついたとき血管をふさいで出血を止める機構に欠陥がある病気だ。  中には遺伝病でありながら、進化とも言える病気もある。ある遺伝子は、両親から両方受け継ぐと血液内で酸素を運ぶ細胞が変な形になって、酸素をうまく体細胞に運べなくなるから死にやすい。だが片方だけしか持っていないなら、上記のマラリアという病気で死ににくくなる。少数は死ぬ確率が高いが、多数がとても死ににくくなるから有利なんだ。  前述の生殖器官の異常を始め、体の内外の臓器器官の作りが普通でないものもある。 **内部からの病気  遺伝病は繁殖に関する遺伝子の複製の間違いによるが、個体の細胞も常に分裂し、死んでいる。その分裂でも当然複製の間違いがあるし、また外からエネルギーの強い光や元素、分子によってDNAの原子が分裂したり組み合わせがぶれてしまうこともあり、情報が狂った遺伝子がそのまま分裂すれば複製の間違いと同じことになる。実質誰もがかかっている広義の遺伝病がたくさんあるわけだ。  そんな細胞には、臓器としての役割を果たさずひたすら血管から栄養と酸素を受けとりながら増え続けるものもある。その場でひたすら増えるのもあるし、また血管に乗せて狂った細胞を一つづつ全身に送り、送られたのがその先でまた増殖するのもある。  本質的にそれは「元の自分の体と同じ細胞」であり、だから「異物を除去する」のが基本である免疫にとっては排除しにくい。免疫細胞はさまざまな異物と「自分」の細胞を見分けて異物を攻撃するが、その異常細胞はミクロの分子をどう調べても「自分」なんだ。というわけで多くは死に至る。そういうののほとんどは大したことが無く終わり、免疫が見分ける事ができて自然に治っているのも多いのが信じられないぐらいだ。  ちなみに伝染病ではないが、最近の高度な技術なしに伝染病かどうか見分けろと言うのも無理だ。  細胞分裂が多いところで起きやすいため、骨の髄など血液を作っている器官や消化関係の傷ついては修復されることが多い器官によく出る。日光を浴びた皮膚にも起きやすい。また傷を治すことをくり返している場に出やすいから、ある種の毒を飲食したり、また面白いことに人体と関係のない鉱物が肺に入ると、異物を排除しようと攻撃し続けてその結果そういう病気を起こしてしまう。  他にも様々な原因で、内蔵が機能を失うことがある。遺伝子にもいろいろ欠陥はできるし、受精卵から大人の体になるまでにいろいろと間違いがあることもある……というより大多数がちゃんとできている方がおかしい。  運動などの過剰な負担などもあり、それが体に様々な影響を与える。死体の骨だけを見て、生きている間どんなことをしていたかある程度分かるほどだ。  たとえば血管系や呼吸器系のあってはならないところに穴が開いていたり、胃が自分の消化液から自分自身を守るシステムが狂って自分を消化して穴が開いたり、変なところにごみがたまって微生物が増えて毒を出したり、腹の内臓が本来それが収まる部分の外に飛び出したりいろいろある。  詳しくは後述するが、ある程度以上人類が知識と技術を蓄積し、食料を得る術と社会構造を変化させると人間の中に「運動して狩猟採集をしなくても豊富な食料を常に得られる」のが出てくる。  動物としての人類はそんな環境に合わせて進化していない、常に全力で食物を求めて走り、手に入ったものは最大限に食べ、いくら努力してもほとんど常に餓死寸前、いやその多くは餓死するのが動物にとっては当然だ。  過剰なまでの食料が常に手に入り、また他にも脳が要求する快を充たすために様々な物質を飲み食いする生活……たしかにそれは飢えて常に激しく動く個体より平均寿命は長いが、限度を超えると体がそれに対応できず、様々な病気になる。ただそれらの病気の多くは、まあどの病気もそうだが、統計的なものだ。長く生きていれば体は自然に壊れる、生活習慣はその確率を変えるだけだ。  尿に多くの糖分が出て色々な病気が起きやすくなったり、また血管内で鋭い針のような結晶ができて体を中から刺して痛かったり、血管の中で脂肪などが塊になり血管がふさがって心臓や脳が酸欠になったり、肝臓から腸につながる管や尿を作る組織で硬い塊ができたり、口の中で食物の残りを餌にする微生物の出す酸に歯が溶かされたりと実に色々な病気がある。  それでも動物としての人間の脳は、二十年後の激痛より今大量に食べたいとばかり言い続けるんだ。まあ当然だ、二十年後生きている確率などごくわずか、今食べるだけ食べないと次食べられるのは三日後か十日後か、という世界で進化してきた動物なんだからな。  人間の免疫が人間自体を蝕むこともある。無害に近いものに対して上記の呼吸や体温や皮膚の異常を起こしてしまうんだ。  究極の病気は、老いと死だ。  多くの動物は、長時間生存しているだけで組織を維持するための細胞分裂になにかが起き、全身のあらゆる器官が弱くなり、運動能力が低下し、病気にかかりやすくなる。完全な健康と栄養を維持していても、最終的には全身の衰えから死に至る。多くの動物は歯を失うだけでも食物を食べることができず死ぬ。  逆に百年近くも、全ての細胞を交換しながら故障なく生きられること自体がおかしい、と思う方がいいぐらいだ。  これに関しては、知る限り例外はない。少なくとも人間は全て、最終的には死に至る。それを免れる術は今のところない。  別にそれでいい、繁殖さえ成功すれば、繁殖してその子供が繁殖できる年齢まで育てさえすれば、その個体は事実上用無しだ。実際繁殖を終えたらすぐ死ぬ生物は少なくない。  脳が記憶した大量の情報、肉体も含めて作られた経験はもったいないが、その影響が大きいのは人類ぐらいだ。 **精神の病  後述する人間の精神は、産まれた時点では事実上ゼロでそこから育てる側が色々と教え、また本人の脳も遺伝子が命じる通りに柔軟に成長する。だから発達には多くの個体差がある。  でもって、その個体差がその群れで生きるのに適さないレベルになることもあり、それは病気とみなされる。ただしあくまでそれはそのときのその群れで生きるため、という基準だ。また単純に群れの、詳しくは後述するが色々なルールを守らないのは大抵は別扱いされる。  精神については以下説明する。精神が様々な要素のバランスを失い、群れの一員としての的確な行動ができなくなればそれで病だと考えていい。まあ逆に、個体に異常はないけれど群れの都合で排除されることもあるが。  人とのコミュニケーション、自分とのコミュニケーションが原因で心のバランスを崩すことも多くあり、それはしばしば肉体の異常にさえなる。  もちろん遺伝・外傷・毒物・微生物・異常細胞など問わず肉体的な精神異常も多くあるが、外部からの影響が無視できるものも多いし遺伝子だけでは説明できないものも多い。脳というのはとことん複雑な器官だ、まともに働くほうが変なんだ。  あと詳しくは後述するが、さまざまな依存症もある。  さらに、人間の群れ全体の精神がさまざまな形で異常な行動を示すことがある。その各個体はその集団に順応しているから健康だが、全体としてみるとおかしいんだ。それは病といえるんだろうか。  というか、精神的に病気じゃないといわれる「ある集団に順応している」こと自体が、その集団という精神の病気に完全に冒されている、といってもいい。 *医・衛生  人体の生理や伝染病について解説したから、それで死ぬ率を下げる方法も分かると思う。死ぬ率を下げて群れの人数を増やすことは、少なくとも短期的には「DNAが自己増殖をする」という生命の目的に適い、それに優れた生物はより増え、後述する人間の精神もそれを求める。  あと人間の根本的な前提。全ての病気に後述する「名前」があり、多くの人が示すいろいろな症状が同じ一つの病名のあらわれであり、それぞれによく効く治療法がある。  まず伝染病から。  まず群れの中でもある程度遺伝子的な多様性を保っておくこと。全員のDNA情報が同じだと、そのDNAの穴を突く伝染病で瞬時に全滅する。群れ自体も多様性があるほうがいい。だからある程度以上離れたところに群れを分けておくのもいい……たとえその群れが敵に回ってこっちを殺すことがよくあるとしても。  そして群れの中では、伝染病を人から人に移すことを止めること。詳しくは後述するが、人が特に激しい息をしたらそれを吸わない、人の糞便や土がついた、また腐敗した水や食物は口にしない、伝染病に感染した者は最善は即座に殺して死体やその持ち物ごと焼き尽くす、次善は群れから離れた地域に少なくとも完治するまで隔離……いや、外から見て目立つ症状がなくても微生物を撒き散らし続けていることもあるので追放して水・食物などが触れないようにする。  また外の群れの人との接触もしないほうが短期的には安全だが、もし群れAが長期間他のあらゆる群れとの接触を断って何世代も過ごしていったら、Aは誰も経験していない伝染病に外の世界の人類の群れBはたっぷり経験して、それにかかっても全滅はしないよう変異した遺伝子の持ち主が多くなって……進化していて、それでいつかBとAが接触したらあっというまにAが全滅する、ということにもなるからやりすぎもよくない。  水・食物はまず人間の感性がきれいと感じるもの、そしてできれば口に入れる前に水が常圧で沸騰する以上に加熱したものを食べること。寄生虫などをよけるために体や衣類や寝具もたびたび水で洗い、日光にさらして乾燥させ、時には沸騰した水で加熱した方がいいぐらいだ。ただし衣類や寝具の、動物の毛由来のものは本質的に水洗いに適さないが。  住居などを工夫して、蠅・蚊・ノミ・シラミ・ダニなどに刺されないようにすることも重要だ。  遺伝病や寄生虫を避けるために、外見が「標準でない」個体を群れから排除することも有効だ。少なくとも繁殖相手には選ばないほうがいい。そのために人類は、詳しくは後述するが精神に美という感覚も進化させた。  くそ、そう理解してみると腹が立つが、ハンセン氏病患者にしたことはある意味間違ってない、ただしハンセン氏病の感染力の弱さを考えると不合理なまでにやりすぎ、しかも色々解明された後だったのに「伝染病患者の隔離」と「外見が美しくない者を避ける」と「穢れを忌む」が暴走し、当時の技術水準から見ても不要な虐待が横行していた、というだけだ。  では病気にかかったり、外からの力で傷を負ったりしたらどうすればよいか?  野生動物の場合、基本的には動かないで安全な場所に移動し、痛いところを舐めたり触ったりしてじっとする。痛みなどの症状がなくなればまた動きだし、できれば群れに加わる。自分自身を治す細胞の能力では足りなければそのまま死ぬまでだ。  実は人間はその、痛い部分を刺激する癖が不適な形で働くことがある……皮膚に異常があると、弱い痛みが常にあり、それを不快と感じてそこを爪など硬い部分でこすったりすることがある。そうすると皮膚に傷がつき、そこからより悪い感染症になったり、跡が残って美を損なったりする可能性がある。だが、進化する以前、分厚い毛皮のある動物だった場合には、皮膚に弱い痛みがあればそれはシラミなど寄生虫の可能性が高いから、それを掻きおとす必要があった。  ただし人間は知能が高いため、もっと複雑な治癒もできるし、逆に無価値なことを治癒行為だと思いこんでやってしまうことも多い。  かなり知能の高い動物に例はあるが、さまざまな動植物の、本来なら食べられないように体内に作っている毒を少量意図的に飲食したり、症状を示す体表に接触させたりすることもある。たとえば微生物を殺す毒をもつ植物を潰して傷口に塗ってやれば、傷口から微生物にやられることを防げる。また便が水状になる症状を起こす毒を意図的に口にすることで、別の毒や微生物を早期に体から出してしまうことができる。他にも色々きわめて複雑な作用が、様々な自然に存在する毒物にある。  傷に関して、骨が折れたときに骨の形を元どおりに整え、固い物で形を保って固定するのも重要な技術だ。  他にもかなり高度な、物理的な力を治療に使う技術がいろいろな人間の群れに伝わっている。  他にも、昔の人間は主に魔術を治療に用いていた。その多くは無効でむしろ有害だが、その中には膨大な試行錯誤による正しい治療も混ざっている。  何万、いや何百万年にもわたって人は身の回りのあらゆる植物・昆虫・動物、菌、土などを試し尽くしてきた。そのために捧げられた命がどれだけあったか、想像もつかない。その中には実際に、様々な症状をなくしてそのままだったら死ぬはずの人を健康で行動できる体に戻せるようなものも多くあった。  精神の病に対しては医はほぼ無力だ。最近はある程度効く薬が出てきたようだがね。 *人間の精神  人間は脳が発達しており、きわめて多様な行動をする。  また私自身人類の一員であり、精神が色々に働くことを常に経験している。多くの言葉が浮かび、それを口にすることもできるし、映像や音楽をある程度脳内で思い出すことも、意識的にもできるし放っておいても出てくる。  肉体が静止していても精神は働いており、それはまるで精神と肉体が別であるようにも感じられる。そのような幻覚も多いため、多くの文化圏で人間には肉体と独立して生物のように行動する精神があると解釈されているが、科学的にはその考えをとらず、精神とは人間の脳に制御された肉体が周囲の環境の刺激に反応し、また自分自身が出した情報も処理し続けることとする。  ここで問題がある……人間の精神について調べるとき、自分の精神の働きなどを参考にするか。それとも完全に客観的に、ある刺激にどう反応するかを調べる、それこそ全くのブラックボックスとみなすか。脳についての人間のわずかな知識は使えるか……  脳についての知識は、せいぜい「脳のこの部分を破壊されたけど死んでない人間で、こういう異常を示した例がある」の集まりか、それと電気や磁気で生きたままちょっと調べたぐらいだ。脳細胞の個数だけでとんでもなく多く、それがまた一つにつき多くのつながりを別の脳細胞と持っている。  また、「人間が人間の精神を言語で記述する」ことに多くの制約があるのもわかってほしい。どの群れに属しているかで考え方が異なるし、最も大きい群れの中でも心理学の説の多様性、学派の複雑さとしたらため息しか出ないよ……後述する宗教と似たようなものにさえ思える。人間の精神というのは実に多様な面から見ることができる、どのように感覚器の情報を処理しているか、内部で感じ言葉にされる何かはどうなのか、多数の人間をある状態に置いたとき統計的にどう反応するか、等々。だから私がここで言うことも、いいかげんなことだと聞き流してくれて構わない。別の知性が人類の精神をどう理解するか、私が知りたい。  本来なら人間の脳そのものを原子レベルで調べてもらう、人間のDNAから人間の脳がどう発達するかを理解してもらう、さらに多様な人間社会自体を人間としての偏見のない無数の目から観察してもらう必要があるんだろうが、それは今の人間の手に余るしここで頼めることでもない。  ここでは、主に進化心理学……人間の心のあり方を色々と並べ、それぞれが「アフリカ大陸の暑い森から草原で狩猟採集生活をしていた頃、どう役に立っていたか」を解説していこうと思う。ただしこれは、反証可能性に乏しいため科学としてはあまりいい方法ではないかもしれない。現実の人間には存在しないとんでもないことを「進化心理学的に説明する」ことさえできなくはないんだ……  そして、私は宇宙を旅する新宇宙探検船の乗員であり、発見した知的生命体についての情報を集めて報告するように考えるとしよう。そのようなことをしている人は実際の地球にはいないが、似たことをする人はいる……旅をして、新しく発見した動物や、ほかの人々と接していなかった人間の群れについて研究報告する研究者だ。  ならばまず何を見るか? 人類という動物の生理については見たから、精神については……どんな刺激を受けたらどんな応答を返すか、人間の言葉で分かりやすいのは何を好み何を嫌うか、だ。  何より忘れてはならないことは、人類はいくら脳が大きくなり、色々な技術を使ったりし、自我とか意識とかなんとかがあるとしても、大型脊椎動物にほかならないということだ。  動物である以上生存のために多くの物理条件・物資が必要とされ、この宇宙、地球陸上という環境、大きさでの通俗的な物理、感覚器・運動能力・内臓の能力に徹頭徹尾束縛されている……言い換えれば適応して進化してきている。  そして群れ動物でありながら個体の意識を持っており、群れの維持と個体・家族の利益という矛盾に迫られ、また自分という個体の意識がありながらそれが死ぬことを認識できてしまうという巨大な矛盾を抱えている。  さらにこの世界自体に、これはあらゆる生物に対してだが、有限の世界・資源と無限の欲・繁殖、そして熱力学第二法則と別の高い秩序を消費してそれに逆らう生命という食い違いがある。  それは常に多くの欲望、特に攻撃・支配・群れ内地位などの欲望になり、またそれを抑制する多くの、多くは言語化された規範との矛盾の中で生きることになった。  まず動物である以上、基本的にはあらゆる行動、それを制御する器官の働きは、少なくとも本来は生きるためのはずだ。逆にいえば、どんな心理的なことも、少なくとも祖先の群れが生き残って自分に近い遺伝子情報の持ち主が生き延びるのに役に立っていた、と考えるべきだ。  あと人間がしやすい間違いは、人間がうまくできているから何かものすごい存在によって設計された、と考えてしまうことだ。人間の肉体だって、上で散々言ったように欠点だらけだ。精神だって欠点だらけだが、とにかく多くの人にとって生きていくには十分だ、ということだ。ただしそれは当面であり、ほとんどの後述する巨大群れは長期的には自滅している。  というか人間の精神については、スティーヴン・ピンカーなどの著作を読むのがたぶん早い。  動物はまず水・酸素など・食物・適温を求める行動をとる。上で言った「必要なもの」を得たがる。  そして繁殖しようとする。  不快を除き、快を得ようとする。  さらに群れ動物では、群れを維持しつつ群れの中での地位を上げようとする。時には群れを裏切ってでも自分の利益を増やそうとする。  様々な他の種の動物、同じ種の自分以外の個体を攻撃する……攻撃は自分の縄張りに侵入者があったり、また交接相手を同種同性に奪われたりしても起きるし、また縄張り・食物・交接相手などを奪うためにも起き、それがなければ遺伝子を存続させることができない。  人類も同様だ。  ただし人類の場合、その行動を制御する脳の働きがとんでもなく複雑だ。  脳は多くの部分に分かれ、それぞれが別々の機能を担っており、それが絶対的な中心を持たずに統合されている。それはそうだ、ごく小さな領域を破壊されたら終わり、というシステムは生き残れない。その情報は脳に病気や怪我をして生きていた人の、わずかな観察から得られている。実験すればいいと思われるだろうが、科学的な医学ができてから人間を実験に使うことは禁止される傾向にある。ただし一対一とは限らず、脳そのものの中に複雑な関連がある。  これは人間の情報に関する考え方も入っているんだが、動物はまず生まれて正常な環境で育てば……小さい頃から正しい、いや自分の祖先たちと同様の環境からの感覚入力を受けていれば、それに応じて行動を起こす部分も含めた体が正しく育ち、それで感覚器が受ける情報と行動の対ができる。  それだってばかにできない。恐ろしいほど精緻になることもあり、アリやハチなどは一つ一つの個体の処理できる情報は少ないはずなのに集団でとんでもない建築物を造りあげる。  それならDNAの最低限の情報からでもほぼ確実に構成できるし、非常に小さい体に制限される情報容量でも処理できる。  複雑な動物は、ある行動や外界の状態から「不快」を受けたらそれを繰り返さず、「快」であれば繰り返そうとする。快不快に関する周囲・自己の状態を情報として「記憶」しているわけだ。  あとは何を快とし、何を不快としてそれを覚えるかが脳の中にちゃんとあれば、色々経験して死なずに済んだ個体は快となる行動を繰り返すことで生存・繁殖できる率を高めることができるわけだ。試行錯誤も結構高等で重要な行動様式で、とにかくいろいろやってみていい結果になったことを繰り返し、不快だったことは繰り返さない。それがあればより広い範囲の環境で生きられる。  動物としての人類も一番深いところはそうだ。  もちろん、単細胞の受精卵として始まってから、多細胞動物の場合分裂し、様々な器官を備えた多数の細胞の集合になるにつれて、最初からそういう行動を取るようにDNAの段階から決められている部分もある……まあその、本能という概念については色々議論があるが、多くの野生動物が大体同じ行動をし、それで生きていることは確かだ。  で、その「快」をもたらすのが、例えば温度の場合比較的狭い範囲であることに注意して欲しい。「快」をもたらすものの多くは、食料や水など生存のための資源を多く手に入れる、生殖相手になる同種生物と交接するなど、生存・繁殖の可能性を高める方向のものが多い。  それこそ単細胞の微生物でも、わずかな運動器官があれば「快」の方向に移動し「不快」から逃げようとする。いや、運動器官を持たなくても「不快」となったときには自己増殖や繁殖に必要な情報だけで水分を抜いた固い塊となって、今増えるより後で増えるようにすることさえでき、だからこの幸運かつ過酷な世界で生き延びている。  ただ人間には他のあらゆる生物と違い「意識」というものがある、と私の知っている範囲の人間は考えている。その「意識」自体はほとんど定義不能に近い言葉だ。逆に、たとえば一つのスーパーコンピューター、突然変異を起こした一匹の家畜、巨大な海の動物、巨大なアリの群れ、大木、海の無数の微生物のネットワーク、太陽表面の渦、銀河中心核、銀河団規模のダークマターなどに意識があるとしても、人間がそれを意識と認めることはどうすればできるのか見当もつかない。素数はどうだろう……でも大半の人類は素数を入力されてもわからないだろう。  一人の人間であっても、甚だしければ病気扱いされる脳の働きの個体差がある……その低い方にも意識があるのだろうか? 逆に上のほうの人には意識以上のものがあったりしないのか? 意識の概念を持たない文化圏はないのか? まったくわからない。  少なくとも人間は、光を全反射する平面を持つものによって見える自分の像と自分自身の関係を認識できる。また人間は言語を用いて思考でき、言語を持たない文化圏は今のところない。その個体から見れば、自分自身こそ世界の中心で、それ以外は……例えば目をふさげば光で見える世界が全部消えてなくなるように感じられている。  また人間は、他人が自分と同質の心を持っていることも理解でき、「自分が相手の立場だったらどう感じ、考え、行動するか」考えることもできる。それは功利的にもきわめて重要だ、たとえば「あの獲物は、自分が喉が渇いて(水分が不足して)あっちの池に行くのと同じように、そのうち喉が渇いてあっちの池に行くだろう」と考えることで先に水場の近くに隠れれば、何も考えずに見つけたら追うよりずっと高い確率で獲物を殺し、食料などを得られる。さらに現実ではないことを脳だけで空想することもできる。  最終的に人間の行動……人間の肉体が変化・運動することは「意識によって決定される」ものと「意識せずにされる」もの、その中間??が「とっさに出る」ものだ。  ただし、人間は意識無しで実に多くのことをしている。また、意識によってなにかをしているときも、その行動の細部について多くのことを無意識で制御している。たとえば「この石をあっちに投げる」こと自体は意識で行っているが、そのための綿密な運動制御は全部意識しないでやっている。  また、その意識の意識されない元になっているものとして、様々な感覚器の入力を脳の中でうまく整理して、常に世界を認識している、ということもある。その点はどの動物もやっているので、ほかの動物とその意味では違いはないと見ていいだろう。  人間は普通自分の精神を、「感情」と「理性」に分類している。感情は動物的であり、理性は人間的とされる。さらにかなり多くの人が、その上の「神秘」があると考えている。理性は言葉を重視し、論理や数学的な思考も交える。  また人間の脳は、色々な部分が別々な役割を持っているとも言われる。  人間の脳が記憶する情報自体が人間の行動の原因になることだって多い……といえば、どれだけ話が複雑になるか分かるだろうか。考える、感情が動く、行動する、その結果を感覚器で知る、それが別の感情を動かす、その感情が考えに加わって別の考えに……がぐるぐる回ったらどうなるか。さらに人は群れ、互いに情報を交換してそれをやる。  群れを作らない、より単純な構造の動物の認知・判断・行動をまず語るべきだろう。  だがそれについても、人類はそれほど知っているわけではない。  とことん単純だと、食物と繁殖をもっぱら求め、あとは呼吸・周囲の環境の温度や化学的な条件などに反応して生存・繁殖率を高めるように行動する。  さらにより複雑な動物だと、記憶と学習が発達して快を繰り返し不快を避けようとする。  動物としての認知、上述の目に入った情報を脳内で分析して世界の像にするシステムも重要だ。感覚器は人間のそれがすべてじゃなく、種によってかなり多様であることに注意して欲しい。地中に暮らしていて目が見えない、匂い=化学物質と振動と温度だけに敏感な動物もいるし、特殊な音を出してその反射を分析できる動物もいる。熱や電場を直接感知する動物もいる。陸上大型動物でありながら耳と鼻が発達して目が弱いのもいる。人間の、二つの前を向いた目と左右の耳を中心にした認識のほうが特殊だ。  ある程度複雑になると、食べること・水を飲むこと、準備ができたときに同じ種の適した相手を見つけて交接すること、種によってはある程度子供を育てること、縄張りを独占し侵入する同種生物を攻撃すること、敵と戦いまたは逃げること、不快な環境を避けることなどがはっきりした行動として出てくる。脳の中で、それらの目的に合う行動を「快」となし繰り返すように脳細胞のつながりや化学物質の出し方を作り替えてしまうわけだ。その、ある行動や状態を繰り返したがるのを欲望と呼ぼうか。  記憶と学習は、試行錯誤……あらゆることをやってみて、快だったら繰り返し、不快だったらそれを二度やらないことで、まあ自然では一度目に死ぬことも多いけど生き延びればその後生存する率が上がる。またコミュニケーションに優れた群れ動物なら、群れの仲間、特に子供にその経験を伝えることで試行錯誤による時間とリスクを短縮できる。この試行錯誤システムの存在は、人間が自分が進化してきた地域だけでなく、より広い地域の様々な気候・生物に応じて新しい生活様式を作って生き延びる力にもなった。個体の記憶で学習し、それを群れで共有する方が、新しい環境にたまたま適合した子供だけが生き残るシステムよりずっと早い。  あと必然的に、間違った学習もあることに注意するように。ある食物を食べたと同時に別の動物に襲われたことから、その無害で不快とは因果関係がない食物が不快と学習することもありえる。  記憶・学習ができると、以前快・不快があったのと似た感覚刺激に対して同様な行動を取ることができる。ここで以前の不快と同様の状態から逃げようとする恐怖という感情ができる。ただし、これは後の、文明化された人間はその恐怖とその前段階の不安に従っていればいい、とは言えなくなった。あまりにも人数が多く、あまりにも高い技術を用い、あまりにも複雑な社会を作ってからは、より小さなジャングルのサル……どころか魚だった頃から発達した恐怖や不安による判断では群れが生きられないことのほうが多くなっていった。  あと、重要なジレンマが好奇心だ……新しいなにかを見たとき、遠ざかる方がいいか近づいた方がいいか。それが生存にとって有利か不利かはわからない。いい食物かもしれないし、毒かもしれないし、自分を食べる動物かもしれない。だから恐怖も感じるが、試してみたいという好奇心も感じる。  多種多様な食物を食べる動物は好奇心に富む。人間は個体差が大きいが、全体に好奇心に富むとされる。ただし好奇心がないに近い個体も非常に多く、生後の文化も強い影響を与える。  群れ動物に必要な脳の働きには群れを維持することが加わる。群れに属することを強く「快」と感じるように脳ができていくわけだ。さらに群れの中での地位を上げること「快」となる。より繁殖の機会を増やすことにもなるから。  群れの存続に最も重要なことは「裏切り防止」だ。群れの中で群れ自体・群れの仲間の利益を無視して自分だけの利益を追求したり、群れ全体とは別の方向に移動したりする個体が多くなったら、群れが機能せず全滅につながり、群れに共通する遺伝子が失われるリスクがある。  食料もオスにとってのメスも、どの個体も群れのすべてを独占したい、自分の遺伝子を増やすため、個体の脳としては欲望によって。できれば群れが集めた食物も群れの仲間も全て自分で食べてしまいたい。でもそれをすると、群れの他のメンバーが死んで群れでなくなってしまい、自分もすぐに死ぬだろう。そうして群れが滅ぶ率が増したら結果的に自分の遺伝子が伝わらない確率が増える、という深刻なジレンマが本質的に存在している。  人間の心理・社会構造のかなり多くがこのジレンマによって作られている。  全員が、群れのことしか考えず決して仲間を裏切らない者だけで構成される群れは、群れと群れの競争では最強だ。だが生物はどれも親と少し違う子が生まれるので、中には利己的な者も出る。そうなると、裏切らないし裏切る仲間が存在することを考えもしないメンバーばかりの群れでは、利己的な者がすべてを独占することになる。  だが「利己的」という脳の構造が遺伝子を通じて群れの多数になると、皆が利己的では群れが群れとして機能せず、誰も仲間を裏切らないに近い群れに勝てず群れごと滅びることになる。  さらに「自分の群れのみに忠実、他の群れの成員はすべて食物」である場合、人類のように遠隔交易が重要になり、群れを離れて別の群れを作ることもある種には不利益が出る。別の群れを見たらすべて皆殺しにしてしまう群れの集まりは、遠隔交易で効率よく石器材料などを手に入れる群れの集まりに比べて不利だ。また別の群れでもある程度繁殖関係がある場合、その別の群れの存続は遺伝子を維持する予備となる。  だから人間の、動物として生まれつき作られている心の動きには、群れを維持するために役立つものも多い。まず言語を覚える機能もそうだし、他人を模倣する習性もそうだ。他者に支配される心の動きもそうだ。ただし群れの中で優位に立つものも多い。他者を支配すること、情報を求めることなど。あらゆる人間には支配するため・されるため両方の心の動きがあるとも言える。  また基本的には「抑止」が重要とされる。群れを崩壊させる可能性がある行動を取った個体を、群れ全体で攻撃したり群れから排除すると決まっていれば、群れを崩壊させる行動を取るのは個体にとっても不快な記憶と結びついたこと、リスクの大きい行動となる。  無論その判断ができるのも、人間に記憶があり、前頭葉が発達していて「ああすればこうなる」型の理性があるからでもある。  誰が、群れの方針に従い、群れの利益を優先して行動する、自分を攻撃しない群れの仲間だと「信じられる」……前提として行動できるか、が常に重要だ。  また人類の群れには上下関係がある。個体にとって群れ内での地位が上がることは遺伝子的にきわめて有利であり、ゆえに特に群れの同じ性の仲間と争い、できれば群れの意思決定者として、多くの個体を自分の手足や道具のように「支配」したいという欲求がきわめて強くある、言い換えれば同じ群れの他人、のみならず別の群れの人、人間以外の動物、動かない植物や生命のない物体、頭の中で抽象的に作った存在さえ支配する、または支配したと思うことは人間にとってこれ以上ない「快」となるように人間の脳は遺伝で作られている。  上の抑止も、群れを崩壊させないためというより群れの意思決定者が自分の支配を徹底するためという面もある。暴力による支配も重要だ。特に知能の高い哺乳類や鳥類は、雄どうしが接触したらどちらが上位かを決め、それが繁殖に大きく関わる。それは暴力で決めるのが一番簡単だが、後述する無駄な装飾を用いることもあるし、知能の高い群れ動物では群れ内のコミュニケーションによって戦闘力が高い雄が複数のより弱い雄に同時に攻撃されて敗れることもある。多くの動物では相手を傷つけないが暴力に近い、順位決定のための行動が発達しており、それ専門の体器官を持つ動物も多くある。前述のように、人類の拳が比較的弱いのもそれかもしれない。  人類は群れ内、後には群れ間で支配・上下を定めるのにきわめて複雑なコミュニケーションを行っている。  ただし、人間の精神は完全に群れ動物であるわけではなく、個人差はあるが自由を求める……好き勝手に欲望を満たせないこと、好きなように移動できないこと、他人に支配されることを不快とも感じる。 **感覚と認知  人間の感覚については繰り返し述べた。その感覚と脳によるその処理は、あくまで人間が、上記の大草原での群れ生活を行うために遺伝的に設計されている。  たとえば人間の目は、様々な背景からいくつかの動物の形を素早く見分ける。逆に多くの動物は、見分けられないように周囲の景色の、しばしば見られる「パターンにとけこむ」ようにしている。この擬態とそれを見分ける目の軍拡競争は、特に鳥と昆虫の間で恐ろしいまでに行われてきている……人間もそれにある程度参加している。  それによって、人間が目で得た情報を脳が処理するシステムはいくつかの動物、自然界でしばしば繰り返される円や平行線などのパターン、人間の顔などを大量の視覚情報から瞬時に見つけだし、強調することができる。またそれは人間の顔を見いだし、自分の知る顔を見分け、その表情から相手の心を読むことに過剰なまでに優れている。  ごく単純な図や自然が作った無意味な模様からも顔や立体構造を間違って認識してしまったりちょっとした図の仕掛けでほぼ誰もが同じ間違いをするほどだ。そんな誤動作はあるにしても草原で自分を食べようとする肉食獣を素早く見つけるには充分役立つ。  さらに単純な図形、三次元も含め頭の中で操作し、また簡単な数を考えることもできる。  聴覚も同様であり、パターンの繰り返しを聞きとること、人間の声から相手の心を読むことにものすごく発達している。  視覚と聴覚は意識、脳の比較的最近進化した部分との関連が比較的強いことにも触れておこう。  ここで注意しておきたいのが、人間はゆっくりと言葉で考えて行動することも多いが、実際の野生生活では、まして人類の祖先にとってはゆっくり考える暇などない。目や耳から入る大量の情報を受けてからすぐに行動しなければ死ぬ。だからゆっくり順番に考える部分より、全体から瞬時に判断する部分が、人間の脳にも根強く残っているんだ。  言葉でちゃんと筋道を立てることなく、なんとなくここは危険だ=このままだと不快なことになる可能性が高い、など感情が判断することがとても多い。  また、人間の感覚入力の情報量は常に膨大だが、人間はその大半を常に無視している。それどころか何かを予測していれば、その予測に反する感覚情報を無視し、予測通りの感覚情報があったと認識することさえある。  匂いや味は比較的意識との関係が薄い。だからこそ動物としての快不快などに強く関わる。群れ動物としても匂いや味がかなり重要だ。人間以外の動物の多くは群れの仲間を見分ける、繁殖相手を見つけるなどに匂いを多用するが、人間もある程度それはある。  皮膚および内臓の感覚は動物にとってもっとも重要だ。皮膚に食いこむ別の動物の歯と、毒や微生物による内臓の破壊だけは海の魚、いや体節や体腔すらなかった祖先からまったく変わりはしない。  特に体を破壊される感覚、「痛み」はあらゆる動物にとって根底的に重要だ。最大の「不快」であり、それを受けて生き延びたらそれが繰り返されることを強く「恐怖」する。  その痛みや恐怖は、それこそ全身のあらゆる細胞・脳の奥まで支配するものだ。実際に逃走または反撃に備え全身の細胞・器官に脳や神経の束から神経を通じたり、体液に様々な微量物質を出してそれが血液などに混じって伝わるなどして情報を送り、血液を運動に集中したり内臓に集中したりさえし、糞尿を出してしまうことさえある。最大限の声を出す、または体が意思では動けなくなるなどもある。  痛みや恐怖だけで人は死ぬことさえあるし、精神の働きが崩壊してまともな社会生活が送れなくなることもある。そんな体の反応も心の動きの一種だろう。  一時的には回復できても、長期間繰り返し恐怖に近い、戦いを準備しているような不快な状態に置かれるとそれは体の免疫などを蝕み、精神状態を変えてしまうこともある。  詳しくは後述するが、人間は、その「痛み」と「恐怖」をある程度使いこなす。それで自分の群れをまとめ、後述の家畜として他人自体や別種の動物さえ支配下に置くことができる。特に別の群れを攻撃したときに保存食などを出させるため、また罪を犯したことを自白させるためには、死なないように苦しく痛い思いをさせて相手が隠したがっている情報を出させる技術が必要になり、高度に発達している。  内臓の感覚としては呼吸ができないときの苦しさ、食物を長い間食べていないときや食べ過ぎたときの苦しさ、長く水を飲んでいないときの喉の渇きなども非常に重要だ。それがあるから必死で空気や水や食物を求め、それによって繁殖するまで生きることができたんだから。  自分がどう動いているか、筋肉や関節から知る感覚も意識はしないがきわめて重要だ。それがないとまともに動くのは非常に難しい。  あとかなり根源的な感覚として、疲労・欠乏の類も加えていいだろう。それらは、特に睡眠不足が続くと意識さえ簡単にねじ曲げる……意識はそれらを無視したがるが。  ちなみに、「快」をもたらす感覚入力に人間が「美」というものもある。特に視覚・聴覚における幾何学的・時間的な対称性と、単純さや調和、多くの植物や水面、数の世界や音楽の持つ秩序などさまざまなものに美を感じる。  個体が交配相手を選ぶ際には美がきわめて大きな基準となる。進化心理学的には、病気や寄生虫、遺伝子の奇形がなく、これまでの栄養状態がいい個体は体の左右対称性が高いためよい繁殖相手である可能性が高い、ということだろうと言われている。  笑いもそれに強く関わっているようだ。これは食物の好みやタブー同様、「同じことで笑える」ことが同じ心理構造を持つ群れの一員だという主張になるのだろうか。  ある意味、人間にはもっと多様な感覚と精神の対応、精神が作りだす世界の像があり、その一部しか意識に使われていないともいえる。  数や音楽の世界について「感覚」を持つ人もおり、逆に一般人はその感覚にほぼ盲目、というわけだ。人間は極端に視覚を優先しているが、視覚を失った人はさまざまな感覚を発達させるし、脳に何かあって普通の常識的な意識を持てない人には、数学や音楽の世界を極めて鋭敏に認識する人もいる。  基本的には、多分ほかの動物もだろうが、「注意していないものは見えない」し、「予測した物を見る」のが普通だ。普段からけっこう自分を欺し、それでなんとかやっている……そのほうが完璧に合理的な動物より、多分生存率はずっと高いだろう。アフリカの森では。 **情動  人間の、動物と共通する、理性の反語としての心の動きは情動と呼ばれる。少なくとも私が使っている日本語と学んだことのある英語では、多くの感情は数直線の両側のように大きいプラスから大きいマイナスに分けられる。ただしそれに入らない感情も多い。  動物にとってもっとも根源的なのが快と不快。そして快を欲望し、不快を恐怖し避ける。  その不快のときには、攻撃と逃走を中心に様々な選択肢がある。中には完全に動かない、というのさえある。どれが正解とも限らない。さらにその攻撃や逃走自体が快になってしまうんだから話は複雑だ。  たとえば肉食動物が食事をしていなくて不快なら獲物を攻撃して食べることが、攻撃と食の両側から大きな快となり、それが獲物に反撃される恐怖・動かないで寝ることの快を上まわるから獲物を探して襲う行動をとるわけだろう……といっても本当にちゃんと知っているかは自信がない、いいかげんな推理に過ぎない。  情動の根底には快と不快、攻撃とそれが変型した怒り、快を得たときの喜びとそれを求める欲などがある。非常に強い情動に支配されて体全体が激しい運動の準備さえする興奮、休息などの状態もある。  それに知能と記憶が高まって未来を予想することができるようになると、不快を予測したときの不安や恐怖、予測していなかった何かを知覚したときの驚き、予測していた快が得られなかったときの悲しみや苛立ち、予期していた快を得た喜び、快が続くと予期されて睡眠する時の安心、長時間刺激がないときの退屈などが加わる。  人間が言葉を使わずに簡単に他者に情報を伝える手段としては前述の笑い喜び・泣き悲しみ・攻撃や怒り・恐怖などがあり、それに付随した情動は最も重要だ。  群れ動物では群れの利害・繁殖関係が近い個体の利害・個体の利害が矛盾し、さらに情動は複雑になる。  まず群れ動物は、少なくとも群れの中の個体は識別できるほうがいい。特に裏切り者を記憶し、二度同じ相手に騙されないようにするのはきわめて有利だ。  また群れ動物以前でも、肉食動物が群れを作っている動物を追うとき、目についたものを片端から追っていると非常に不利だ。動物は運動に食物から得た秩序の高いエネルギーをもつ分子や水を消費し、熱力学第二法則で熱や秩序の低い化学物質を出してしまってそれを処理する時間が必要なので、長時間移動を続けられない……それは追われる側も同じだが、追われる側がちょっと追われては群れの別の仲間と交替して休めば疲れるのは追う側だ。それを防ぐには、群れの中から特定の個体を選び、他を無視してひたすら特定の個体だけを追えばいい。  そして、その個体識別機能と快不快が結びつくと、群れの一員について、その個体が死ぬととても不快、その個体の快不快は自分にとっても同じ快不快になる、距離を近づけておきたいし接して体温を感じたい、目など感覚の届くところにいて欲しい、異性であれば交配して繁殖したいなど一連の感情ができる……それが人間が愛と呼ぶ感情の根底だろう。  ただし愛・支配・攻撃はかなり密接なつながりがある。多くの情動は脳の中で密接につながり、実に意外な情動どうしがつながることもある。攻撃することが快になり、愛情や生殖に関する感情とつながることも多いし、逆に支配されることと繁殖と苦痛がまじって快や愛情になることさえある。  より単純な心理として、頻繁に接しているだけでそれがあることが快になり愛情になる、ということもある。  たとえば単なる石であっても、小さい頃からそれを持って暮らしていれば、生きてきたということは何度も食事ができて快を得られた、そのすべてでその石を持っていればその石と食事の快に間違った因果関係を感じてその石に愛着を持つ、ということさえある。  もちろん逆に、接すると不快になる個体もある。いや、個体だけでなく、認識・接触などで感じる快不快……好き嫌いはあらゆる個体・物・情報に関してある。  執着・嫌い=接すると不快・攻撃などが複合した感情は憎悪と呼ばれる。特に自分を傷つけたり、繁殖関係がある別個体や愛情を持つ人、群れの誰かを殺されたり、縄張りや食物や群れ内地位などを奪った時などでその相手に強く憎悪を感じ、それを敵と呼ぶ。少々のリスク・欠乏・苦痛などは度外視して敵を殺し、またその群れ仲間や繁殖関係でつながった者も皆殺しにする、という行動を、しかも強い執着で行う群れを攻撃するのはリスクが高い、だから攻撃されにくくなり、その遺伝子は群れの中で増加する。  また群れと群れとの関係が激しい憎悪による相互攻撃になることも多い。また人間は特定個人・群れだけでなく、より抽象的な概念を憎悪することも多い。  利害ではなく支配や群れ内部の権力争いから起きる憎悪もあり、しばしば群れ内部での殺し合いになる。  ただし憎悪は、一見合理的な理由なしに起きることもある。愛情も同じだが。  実際人間が色々なことに執着する心の力の強さは驚くほどだ。  もう一つ情動の重要な要素として、これはある程度客観的・科学的に分析できるが、脳の中の電気や物質の具合そのものも重要な要素だ。  快や不快、苦痛を感じているとき、攻撃を準備しているときなど様々な状態に応じて脳内では多くの神経細胞が複雑に情報をやり取りし、活動して様々な物質を放出し、全身にも大きな影響をもたらすし、また全身の状態も脳に影響をもたらす。  それは容易にものの考え方さえ変えてしまう。  激しい運動を準備して目の前のすべき事に集中した興奮、自分を否定し活動をしなくなる鬱、普段の現実と脳内の様々な感覚像の関係とは違う像を認識する幻覚、激しい飢餓や疲労や睡眠不足によって思考がなくなり単純な行動だけを繰り返す状態、激しい特に執着をともなう感情、大きな刺激や恐怖で思考や行動が不可能になるショックなどその他精神の病とも関連して様々な状態がある。それぞれ進化心理学的には意味があると思うんだが。  外からの刺激や自分の心の中から出てくる何かに注意したり、変化が乏しく変えにくければ慣れて別のことに注意を向けたり、また何かに強く集中したりする状態もどうなっているのやら。 **家族・性  人類は基本的に雄雌各一匹ずつがつがいとなり、その子供を育てる。ただし、一匹の特に力のある雄が多数の雌を支配下に置き、その子供ごと養うこともある。ちなみにどちらも、色々な動物がとる生き方だ。その繁殖する雄と雌、そしてまだ繁殖できるほど成長していないか繁殖相手がいない多数の子供、後に繁殖がほとんど不可能になった今繁殖している年代より老いたその親が集まったのが、人間のいちばん基本的な最小単位の群れ、家族だ。  個体・家族・家族が集まった群れと、最低でも三つの段階があるとも言える……この「家族」という言葉が、どれほど学問的に妥当かは自信がないが。  一匹の雌と多数の雄、というのは多くないし、混合して全く無秩序に、誰と誰が交配してもいいとなる群れはめったにない。  上記の、自分の遺伝子を増やすためにどうするのがより有利かを考えて欲しい。  本質的に雄は多数の雌と交接し、できれば別の雄に養われている雌と交接して自分の子供を他の雄に養わせれば最上だ。逆にどの雄も、自分がそれをやらされることを一番恐れる。逆に雌は最も長期間食料などをくれ続ける雄に子供ごと養われるのがいい。  人類という動物の性質……繁殖のため、雌が無力になる時期が長く、子供を産むときのリスクが高く、子供を産んでから子供が自立するまでに長い時間がかかる、などを考えて欲しい。人類という動物の性のあり方は、昆虫などを含めればもちろん哺乳類の中でもかなり特異だ。  人間の子供は生まれてすぐにでも、正常に呼吸ができるようになったら大声を上げて泣き、母親の胸の脂肪がたまって膨らんだ部分の乳を出す皮膚が変形した部分に口で吸いついて乳を吸う。  また手は何かを握りたがり、自分の体重ぐらいは支える……親の毛につかまって移動し、枝からぶら下がっていた、もっと小さいサルの時代の進化が脳に残っているのだろう。  とにかくどんな不快でも泣いて親に不快を除いてもらう……特に乳をもらうことを求めるのが生まれた直後の子供だ。大声は敵に見つかるリスクを高めるが、逆に親の関心・注目の対象となり世話をしてもらうことが多くなるため生存率は高まる。その後も、他者の関心・注目は人間にとって最大の快の一つになる。  何よりも年齢が低い子供は、親かそれに替わる個体に乳、大きくなれば水や食料を親から受けとり、また保温され、清潔を保たれていなければ生存できない。対等な作業ができるには十年は軽くかかり、後代のきわめて複雑な世界では三十年を超える。  とても小さい子供は好奇心が強く、身の回りにあるものは何でも触ろうとし、また口に入れようとする。  だがある程度大きくなると、以後はこれまで食べてきたもの以外食べなくなる。文化を身につけたとも言える。それ以降、生活における清潔水準なども変更がきわめて不快になる。  非常に幼い頃はまず感覚器や身体の運動などと脳の関係を、脳の成長を利用して作っていく。人類はあれほど産まれるとき母親に負担をかけるのに、それでも産まれたばかりの子の脳も体も全然できていない。  また幼いある時期に親の言語を聴いていると、短時間で自分も親と同じ言語を習得する。また親の様々な考え方、体の動かし方などもその時期に親の模倣を通じて覚える。泣くことや動くことを抑制することもできるようになる。  多くの文化で、親が子供にどのように行動すべきかしつける。特に重要なのがトイレ・トレーニングだ。人間は衣服を着て巣を作る。では糞尿を出すのはどうする? その時には巣の外か巣の決められた場に移動し、衣服の少なくとも腹から下を体から離す必要がある。巣も衣服も汚すことは伝染病のリスクが高いし、その匂いが不快だからだ。出す前後で清潔のための道具を使うことも多い。  ごく小さい子供はいつでもどこでも、体が消化を終えれば出すだけだ。だがある時期から、巣や衣類を汚さないように親によって許される場・衣類の状態・時間でなければ出さないように作り変えられる。  動物は快を求め不快を避ける……だから幼い頃から、正しい場所・状態で糞尿を出すなど、群れが「善」とする行動には快となる食物や称賛の言葉や皮膚接触による愛情などを与えられて賞とされ、逆に間違った場所・衣類の状態で糞尿を出すなど群れが「悪」とする行動には食物を与えない、打撃などによる苦痛、言葉、自由の剥奪などで不快にされ、繰り返すなというメッセージを告げられる=罰される。  その強制がうまく積み重なると内面化される……許されない状態で出してしまうことに対して、強い「恥」もしくは「罪」といわれる感情を覚え、また毒を食べたとき同様の吐き気のように感性自体を作られる……それは後述する穢れとも関わる。  またそのことで、学習した個体は意識によって体に命令し、ある行動を取らないようにすることもできるようになる。といっても、しつけられた人間は意識が働いていない寝ているときも、よほど調子が悪くなければ糞尿は出さないから、かなり動物としての部分にもしつけは効くようだが。  それほど人間は、快と不快・恐怖と苦痛・称賛と愛情、言葉と行動の両面を用いて子供を支配し、精神を造りあげる技術に長けている。それは生来とも言えるし、祖先から代々受け継いできた技術とも言える、それを分けるべきではない。そのプログラムは実に幅が広く、だからこそ人類は常に水が凍る高緯度地域から水がほとんど無い砂漠、赤道直下の森まで広い範囲で生きることができている。  犬猫もある程度、決められた場所以外では糞尿を出さないようしつけることができる。牛や馬については知らないし、まして家畜の野生種については知らないが、それらもある程度大小便を別の場でするように群れの中でしつけられるのだろうか。それは病気のリスクを下げ、匂いに鋭い肉食動物をごまかすなどいろいろと益があるはずだ。  その「恥」「罪」という感覚は人間の場合非常に複雑で重要な感情になる。本質的には群れから追放されること、群れ内の地位が下がること、失うこと、幼児期に遺棄されて死ぬことに対する恐怖感につながっており、人間にとって何より重要とされる。  最低限条件を満たす行動を取ることができなければ群れから追放され殺される、というのが人間の場合は特に厳しい……といっても私は人類以外の群れ動物で、どの程度群れからの追放があるのかは知らないんだが。  他にも「恥」「罪」は戦闘における名誉、労働における勤勉、法や神に対する罪悪などとも関わる複雑な感情だ。  その「恥」「罪」はまず「規範に従わなかった」ときに感じ、また気付かれれば支配者が罰する。  まず自分を支配している個体の命令に従うこと……支配者に服従した行動をすれば賞され、そうしなければ罰される。さらに直接的な苦痛による罰だけでなく、殺害や共同体からの追放などより大きな罰を約束して脅す、声や表情などで強い攻撃性を伝えて恐怖を感じさせるなども高度な罰だ。それによって服従を快とし、不服従を不快とするのが支配の基本だ。さらに有効な支配は支配者に対する愛情さえ育み、その場合には支配者の命令に矛盾する欲を感じただけで罪を感じ、自らの欲として服従することもある。後述のアイデンティティと何に支配されているかが結びついてしまうんだ。  また人類の場合、規範を言葉にすることも多く、それに破ったことを他人に知られれば罰されるし、その規範と後述の象徴が結びついて権威を形成し、それが上記の愛される支配者と同様になったときには同様に罪を感じる。  逆に言えば、その基準に照らして罰する、という群れの行動で犯罪を予防することが群れにとって最も重要なことで、罰は犯罪を予防し群れを強化するのに最も有効だと、検証もそれ以前の前提もなしにとても強く信じられている。  群れ全体が、人を善人と悪人に単純に二分化する傾向があり、罪を犯して罰されている個体や群れの成員以外を悪とし、逆に正規の群れの一員を善とみなす構造がある。  群れの規範は言葉だけでできるとは限らない。小さい群れの中で、自然発生的に、主に言葉を用いない、より動物的な感情の交換によってできる秩序は、それだけで言葉にしにくいきわめて強い規範を形成する。他と違う規範を作り、違う行動を取ることで、自分の群れを他から区別し、群れの一員を見分けるのも人間の群れ動物としての習性の一つだ。  その三つは時に矛盾することにも注意して欲しい。  そして「恥」「罪」が形成されると、賞される行動・心理=善、罪となり罰される行動・心理=悪という、ちょうど数直線になるような価値観ができ、それと快をもたらす何かに対する欲が、他の感情と並び心理の中心になる。  ただしそれが正常に形成されるとは限らない。無矛盾な規範は存在できず、また人間は細かな刺激からどうしてもこれが快・不快だ、というものがある。  そして人間は常に欲があり、自分に都合よくものを考えることが多いため、その犯罪とされることをしてしまう人は常に統計的にいる。罰を強めたり何をしても、それがなくなることはない。  本来は罪を罰するのは人間の能力が不足しているからで、本当は被害者を生き返らせたほうがいい。時間を逆行して犯行を止めたほうがいい。被害者を親族ごと去勢断種して群れの遺伝子を改良したほうがいい。加害者になるような子を新生児で見抜いて間引いたほうがいい。加害者を治療したほうがいい。もっといいシナリオを考えて全員に周知徹底したほうがいい。でもそんな能力は人間にはない、というか進化段階から、一番使えたのが「罪と罰」システムだったんだろう。人間はそういう生き物だとしか言いようがない。  ここで注意してほしいんだが、群れる動物にとって「罪と罰」システムが絶対に必然かどうかはわからない。アリ・シロアリ・ミツバチのような社会性昆虫に罪と罰のシステムは不要だ……多くの個体が生殖能力を失うことにより、群れを裏切る利得が発生しないし、それぞれの知能水準が低いからこそ、群れの最上位者が決定するのではなく無数の個体の微妙な情報交換だけで群れの行動を決定できる。  本来善悪は、人間は生物なのだから繁殖し続けるためのはずだが、それからずれていることも結構多い。人間は一貫性や合理性を求める部分もあるが、その規範全体は不整合で矛盾が多く、きわめて恣意的なものであり、親によって違うし同じ親で育てられても個体差さえある。本来は「群れが生き延びるために最適」であるはずなんだが、あまりにも余計なものが多いし、アフリカ以来移動してきているから本来別の気候条件ですべき行動も混じってる。はっきりした根拠から出た一貫した命令、とはとてもじゃないけど言えない、多くの偶然が入るいい加減なものだ。  また面白いのが、人間は糞尿を出す、異性と交接する、誰かと親しくする、雌が出産するなどいくつかの行動を「他人から隠しておく」ことを強く欲求し、それができないと強い恥を感じる。自分についての情報を他人から隠しておきたいからだろうか。逆に人はそれを、文化的に抑圧されることも多いが根源的にはとても知りたがり、笑いとも強く関わる。魔術ともそれは深く関わるな、それらの行為から得られる情報は人を呪うのにも使えるから。  人間は衣類が必要ない気候でも例外なく、衣類などで生殖や排泄に関わる器官を隠したり装飾したりする。  排泄や交接を隠すありかたは、人間にとって巣から出て多くの人と接する状態と、巣に籠もって一人だけもしくは繁殖に関わる密接なつながりがある群れ内小群れのみと接する状態を分けることにつながる。それは後に社会が複雑化しても、人間の根本的なあり方として残される。  その「見られたくない」という感情は他の、比較的大型の動物にもしばしば見られる。動物が交接行為を行い、子供を産み育てるには複雑な条件が必要である場合が多く、ゆえに移動だけ制限し、雌雄が接触できるようにし、充分に水や食物を与えても繁殖しようとしないため家畜化できなかった動物種はかなり多い。  群れの一員となるための学習は糞尿だけでなくきわめて広い範囲に及ぶ。衣類を体につけ、また外すこともきわめて複雑な指先の操作を必要とする。そして徐々に、上述の各資材を手に入れるため、体を動かすための様々な技術やより複雑な言葉を学ぶことになる。動物としても、単純に目で見て世界を認識してその通り歩くだけでものすごく複雑な脳内の協調をしている。もちろん他のどんな動物もそれができている……だから人間はそれが当たり前だと思うが、論理・数学的な情報処理をする人工物にそれをさせようとしたらきわめて難しかったりするんだ。  また、他の個体やその外のいろいろなものを模倣することができるのも人類の重要な特徴だ。模倣に似たことができる動物さえかなり少ない。  とにかく純粋な情報・体の意識しない細かな動かし方など膨大な情報を模倣などで覚えることになり、どの情報が体の動き・口に出す言葉・脳内の言葉などで出るか、常に体の欲や言葉思考の組み立て……特に自我……に応じて動くことになる。ミーム論だともっといろいろいうが、極端なことは私は言わない。まあミームも人間の精神にとって重要な要素であることは確かだが、どれだけかはわからない。  特に強い感情とともに伝えられた情報を、人は年齢を問わず真として、心の深い部分にまで染みつかせ、模倣する。逆に感情を引き起こすミームは伝播しやすい。そのような真としている情報、信じていることは個体の意識の中核にもなる。  それらのミームを表現することによって、常に「自分はこの群れに順応している正規の一員だ」と周囲にアピールし、それによって群れの一員として扱われることを求める。また雌雄……いや男女どちらの性に属するか、群れの中でどのような地位にあるかも常に周囲に伝え、それにふさわしい扱いを求める。逆にその立場から逸脱することは罰される。  模倣の一つの形として、少なくとも多くの文化で、子供は人間や自然にある動植物などや抽象的な単純な形などをしたものなどを作ってそれが生きているそのものなどのように考えてそれに後述する物語を演じさせたり、狩猟・戦争など大人がする行動を、実際にそれができる能力がないが動きだけでも模倣したり、踊ったり歌ったり、身の回りのあらゆる物に触れてみたりし、それをとても快とする。  その直接生存のために必要なものを手に入れることにつながらないが快になる行動、遊びは大人になってもかなり重要な役割を持っている。  さらに人間は「知り」「理解する」ことそれ自体を好むともいえる。反面後述するように、はっきりした群れに沿った情報群を頭に入れてしまうと、それを壊しかねない情報を知ることを不快とする傾向も強くある。  子供が成長すると両親から離れ、自分と同年代の子供たちで群れ内の小さな群れを作ろうとすることも重要なことだ。その子供の群れはなぜか、特に群れが大きくなって子供の群れが大人数になると、大人たちの群れの善悪判断に反抗して自分たちだけの規範を作る傾向が強くある。面白いのが、人間には根源的に群れの善悪判断に抵抗するところと、それに従っているところが同時にある矛盾した存在らしいと言うことだ。また攻撃性が増し危険を好むことも多い。それには性淘汰もあるのだろう。若い群れ内群れには道徳に反しようという傾向があり、道徳無視をしないほうが逆に若者の群れでは悪とされ排除されることも多い。  その頃から、他の個体の情報・心理を何でも知りたい、という感情が出てくる。それは愛情・支配・攻撃など様々な感情と結びついている。また子供どうし相互の会話も好むし、群れ内群れへの参加を許したり追放したり、群れ内群れでの地位を争ったり、他者を支配したり攻撃したり、支配から逃れて自由になろうともがいたりもする。小さい子供でも立派な群れ動物には違いないんだ。  また、人間は肉体的な能力・精神ともに常に大きな個体差がある。詳しくは後述するが、ある人間の大きい群れでは「氏か育ちか」すなわち生来の遺伝子か、それとも産まれてからの環境かが常に議論されてきた。  普通は個体差とは言われないが、「何を好むか」言い換えれば何に執着し、何を快と感じ何を不快と感じるか、ある状況ではどんな行動を取るか、何を信じているかなどあらゆる点が一人一人異なる。それは性格・人格ともいうな。  ここで問題となるのが、人類には二つの矛盾した感情があることだ……群れの一員でいたいのと、自由や勝手を求めるのと。  自分の体から来る欲望に従って食べ、糞尿を出し、眠り、移動したいという感情と、群れの一員でいたいという感情が常に精神の中でせめぎあっている。別にどちらが本物とか偽物とかは言わない。どちらも人類という群れ動物に遺伝子のレベルで組み込まれた本質だ。  その群れに加わりたい、というのと群れから出たい、というのはどちらも必要なんだろう……一部が群れから離れることは、自然の群れ動物にもある。それは極めて高い確率で死ぬことになるが、まれに生き延びて別の地で別の群れを作ることもある。そうなると、元の群れが暮らしている地域に天候の変化などがあって元の群れが死に絶えても、新しい群れが生き延びて遺伝子を残せるから、遺伝子にとっては損にならないわけだ。だから群れに加わりたい、出たいの個体差を大きくして、多くの個体は群れに留まるけれど一部は群れから出るようになった生物のほうが生存率が高い、というわけだろう。  また、人間が自由を求めるのは、群れの一員となるための教育が膨大な不快の上に築かれていることもあるのかもしれない、動物は不快を嫌うから。そして群れの一員となることは、しばしば誰かの支配下に置かれることも意味しているからだろう。支配されることは快と不快、両方が同時にある。人は「人を家畜化する」技術と「家畜化される」性情を進化レベルでもっているとも考えられる。  さて、子供は成長する。そして色々なことを学ぶだけでなく、体も昆虫ほど極端ではないが変化する。小さい頃の歯が抜けて新しい、一生生え替わらない歯が生える。そして手足が胴体につく部分、顔などの毛が太く目立つようになる。そして生殖器が変型し、雌雄とも生殖可能になる。それに応じて脳も様々に変化し、なかでも生殖をしたいという新しい、非常に強い欲望を感じる。  本来繁殖のための交接行為はそれ自体きわめて強い快感を得ることができる。  また人は繁殖を求めたとき、あらゆる異性に対して強い交配欲を持つが、特定の異性にきわめて強い、愛情・交接欲・支配欲など複雑に絡まった感情を持ち、執着することが多い。その対象を選ぶ基準は上述の美、遺伝子的な健全さを、多くは言葉にするのが難しい脳の深い部分が多くの情報を素早く分析して判断する心の働きが大きい。また群れ内部の地位、群れに対する貢献などの記憶も大きい。後述の目立つための消費も大きいし、別の群れの個体や、攻撃的な個体に好奇心で惹かれることも多い。  また実際交配相手となるまでの経過はどうであれ、つねに共同生活をしている異性にも強い愛情または非常に強い支配服従関係などを感じ、また後述の儀礼や魔術的要素、常識などを加えて共同生活を持続させる。  それらなしに雌雄とも支払う膨大なリスク・資材には耐えられないだろうし、だからそれほどその愛情は強いのだろう。  雌は最初の交配の苦痛・妊娠期の重病に匹敵する肉体の負担と当然それで運動・判断能力が低下することによる死のリスク、出産のすさまじい苦痛と死のリスク、産後子供を育てるために消費する膨大な資源を払わねばならない。またつがいをつくって母子の生活物資を負担する雄にとってもそれは大きな負担になる。  そして交配相手が別の人間と交配することに激しい怒りを感じ、攻撃したがる。その攻撃性は時に理性を吹き飛ばし、群れから追放されたり殺されたりするとわかっていてもその恐怖を上まわることが多いほどだ。怒りが激しいほど、群れが崩壊しない限度で他の成員が交配相手を奪う行動を抑止し、自分の遺伝子の維持には役立つからだ。また、群れも道徳のためにその攻撃を容認することが多い。  交接・繁殖に関する欲が人間にとってきわめて激しいのは当然だ。ただし、基本的には人間は群れを作り、他の群れ動物にもある交接の制限がはっきりと言葉にできるように決められている。  成長すると群れの中で地位を得たい、というのも重要になる。群れに参加したい、できれば群れの中で上位になり、他人を支配する立場になりたいという欲を持つ。  特に一夫多妻がある場合には高い地位がなければ交接・繁殖すること自体が事実上禁じられるのだから、遺伝子を残すためには地位を得ることが絶対に必須だ。  大体繁殖可能になる頃から、食料を集めたりする活動に本格的に参加し、さまざまな技術を習得することが求められる。  人間がさまざまな技術を習得する能力は肉体・頭脳とも極めて高い。その根底にあるのが、他者の行動や思考を模倣・推測する脳の高度な働きと、間違いを修整し、正しい行動を繰り返して脳の深い部分にも覚えさせて考えなくても複雑な行動ができるようになる能力だ。  それらの、人間の知的な部分は機能別に分かれているとも言われる。  大体は、群れでは親と同じ役割を果たすことが求められる。多くは、詳しくは後述する魔術によって子供とは違う存在であるという認識を持たされ、群れに参加することになる。  産まれた子供の多くは死ぬし、中には前述のように群れから離れてしまう個体もあるし、遺伝などで体や心がうまく働かないため子供のうちに殺されたり群れから捨てられて死ぬに任される子供もかなり多いことに注意してくれ。ただし心がうまく働かない子でも、別の利用価値があって群れに特殊な形で参加することも多い。  うまく群れに参加でき、自分の脳のより単純な動物の頃から機能していた膨大な情報を瞬時に判断する部分が選んで激しく欲したか、または親・群れが決めた相手と交接・繁殖することが認められると、大抵は巣も同じにして家族という小さな群れを形成し、子が生まれるのを待つ。それが食い違った場合には誰にとっても悲惨なことになる。まあ自分で選んでいいとなっても、欲した相手が自分を嫌っていたらもっと悲惨だが。  ただ注意して欲しいのが、特に雄は不特定多数との一時的な交接が利益になり、雌は特定の異性から子供を生み育てるあいだの資材をもらうことが利益になることだ。雄がしたいことはその相手である雌はして欲しくない。そして雌雄双方が、自分の交配相手が他の相手と交接することを望まず、強い攻撃で抑止しようとする。それで多くの争いが起きる。  そして子供が生まれ、ある程度以上自分で育てたら、人間の心は自分の子供にきわめて強い愛情を持つようにできている。多くの親が、子供のためなら長期間の欠乏に耐え、子供が死んだら激しく悲しみ、子供が誰かに殺されたら殺した者を激しく憎んで攻撃し、子供を助けるために死ぬことさえいとわない。また子供の外見も、より親や場合によっては別の大人の愛情さえ誘うようになっている。  ただし、それは子供を群れの一員、家族の一員にするという明白な目的がある。特に狩猟採集生活から遠ざかるにつれて、膨大な訓練が必要となる。その訓練はしばしば暴力を伴うし、それは人間本来の支配欲や攻撃欲を満たし、暴力自体が快・欲求不満のはけ口となるため、双方の個体の生まれながらの性質にもよるが子供の精神に強い不快を与え続け、矛盾したメッセージや過剰な暴力で正常な発育を妨げることも多くある。子供のための善意と思ってであることも多い。  ちなみに交配相手には制限があり、人間の多くでは「近親相姦の禁止」がきわめて重要だ。特に親子・同じ親の子どうしなど繁殖関係が近い別個体と交接すること、交配して家族を形成することは最も強く禁じられる。その理由は遺伝病防止ともされるが、それだけでは説明しきれない。後述の宗教的なタブーも大きい。  同じ群れの中での交配を禁じるケースも多く、別の群れと若い雌を交換するケースも多い。後述の経済としても意味があることに注意するように。家族のありかたが人間の根本的なあり方、考え方だとも考えられる。  あと、交配や家族形成自体、遺伝子的に間違った対象に対して行われることがある。交接したい対象が同性であることも一定の割である……統計的には遺伝子が半分、それ以後の生来の単純な因果では予測できない要因が半分だ。同性の場合生殖器ではまともに交接できないため、男性どうしだと男性の口やら肛門やらを女性器の穴の替わりにしたりややこしい方法で交接と同様な快楽を得ようとする。ただ皮膚を触れ合わせること自体群れ動物である人類にとっては快いことだし。  もちろんそれとは別に、生来性器に異常があるなどで本来女性なのに男性として育てられるとかもある。元々脳内の自分の性に対する感覚・性愛の対象・遺伝子的な性・性器の構造それぞれ別に発達するんだから、それらが食い違う個体がたまにいても仕方ない。  また養子という現象もある。ちなみにそれは人間だけでなくかなり多くの動物がたまにやる。自分たちの子でない子供を、自分の子供と同様に育てる行為だ。  繁殖関係がある群れ、特に近い子を、他は健康だが生殖能力のみに障害がある成熟した雄雌が育てることは遺伝子を残すのにある程度貢献しうる。さらに後には繁殖関係がない子まで養子にし、実子同様の愛情を示すことがあるが、それは人間がするのは遺伝子計算でなく感情に動かされるだけで、ただ近くにいる、子供が子供らしい外見・行動を取ることからも愛着を感じるように脳が設計されているからだろうか。さらに子供さえいれば、DNAでない、脳が持つミームなど記憶情報を、言葉などを通じて子供に伝えることができることも大きいだろう。  交接行為自体が強い快になり、水や食物同様強い欲望の対象になるため、後述するが様々な形で社会的に用いられる。  人間の多くの群れでは、年長者が支配権を持つ。特に親子間の支配はきわめて強い。また雄がその暴力的な優越で雌を支配していることも多い。もちろん人間には何でも例外はある。  また、人類の雄は交接行為と暴力がかなり深く結びついており、憎悪の対象である別の群れ……自分の群れの部分群れも含む……を攻撃するとき、暴力で雌の意思を無視して交接することも多い。  そして人間は、何かで死ななければそのまま年老いていく。普通の野生動物では老いは問題にならない……老いる前に常に高い確率で死ぬし、老いによって体がわずかに衰えただけでもすぐに死ぬことになる。  だが人類の群れが大きくなり、より技術などが増えると、体力が衰えるなど能力が充分でない個体も、家族の愛情があるためや後述の魔法などで役立つため、そして知識が体力と同様に群れの中で力と認められるなどしたため、食物を与えて生きさせることがより多くなった。  さらに人間の優れた知能は、あまりにも不幸なことに「自分はいずれ死ぬ」ことを理解してしまった。それで常に、人間は自分が死ぬことに対する恐怖に苦しまなければならない。ほかの動物が自分が寿命まで生きることを考えるかどうかは知らない。少なくともごく単純な脳しか持たない小さい生物は食料が得られれば、食われずに繁殖できれば大幸運だ。だが人間は、明日の食料が得られること、今夜食われずに明日の朝が迎えられることが当たり前になり、そうなると「永遠に生きたい」というむちゃくちゃな欲を持ってしまった。  でもいつかは必ず死ぬ。  死んだときには、普通の動物ならただ消えるだけだ。だが人類の場合、様々な情報や人間より寿命の長い物資、群れにおける地位などを子供が受け継ぐこともある。強い者の子は強い、と思ってしまうわけだ。  そんなふうに人は生まれ、運が良ければ成長して家族をなし、子供を育て、死んでいく。人の心のあり方もそれが中心だ。 **人格・性格  人類には個体差がある。  動物レベルの脳で何に快・不快を感じるか、どんな対象に美や性欲を感じるか、脳の中での体外認知がどうなっているか(人間の脳は運動・言語・音楽・数学・五感などさまざまな機能がある程度別々の場所に担われており、どれが優越するか、それぞれどう働くかに強い個体差がある)、自分の体がどうなっているか、それまでどんな規範を形成したか、他人との接触をどれほど好むか、独立性は、考え方の特徴は、群れの規範を守るか、支配・服従・自由などどう好むか、どんな技術を習得したか、何に向いているか、なんという名前で誰の子でどんな群れ記号を持っているか……  どんなミームが脳という限られた資源を占領しているか、という考え方から性格・人格をとらえることもできる。  もっと単純に言えば何が好きか、あと意識するしないに関わらぬ無数の記憶の集まりだな。どの状態でどんな言動を行うかの集まりとも言える。  精神の病をさまざまに分類して考えれば、そのさまざまな病を誰もが少しずつ、群れの一員として普通に暮らすのに不自由ない程度に持っていて、それぞれ病の度合いが一人一人違うともいえる。  人格・性格を決めるのが「氏か育ちか」が昔から人間の間で問題とされる。両方だ、というとなぜか両方の側から叩かれるが、それも人間の言葉思考・単純化指向の誤作動だろう。  その「氏」というのは言葉だけ見れば遺伝子なんだが、人間は個人より家族・人種・魔術的関係などを基準に考える。気に入らない者を遺伝的なつながりも含めて、いや後述する穢れでつながるすべてを皆殺しにしたり、後述する奴隷制や身分制を正当化したりしたいだけだろう。育ちというのも、人間は育て方次第でどうにでも変えられる、という「空白の石版」論として使われている。正しい育て方をすればすべての悪はなくせる、と世界を簡単にしたいんだろう。  まあ遺伝子もかなり大きいが半分程度、ほかは実質予測不能、ごく幼い頃に放棄されるか暴力的に扱われたりしたら悪影響があることが多い、統計的な影響がある程度で単純な予測は不可能、といったところだな。環境といっても単純ではなく生後の無数の微小刺激の集まりによるから統計的にしか予測できないのは当然だ。どう育てるかと本人の資質が食い違えば、正しい育て方でも裏目に出るから計算どおりに育てることは不可能だろうし。遺伝子というのも別に育った一卵性双生児……DNAが共通の子供で育ちが違う場合、精神病や犯罪などがほぼ半分は遺伝の影響がある、という程度の話だ。  ただし、その人格は適切な技術を用いれば容易に破壊できる。  人間は群れ動物であり、ある意味では後述の家畜だ。だが、家畜と違って「飼い主」も人類だ。群れが拡大し、世襲が固まると上位者が飼い主を兼ね、下位の者の精神を家畜化することが多い。  人類は七万年ほど前に巨大火山が活動したため絶滅寸前に減ったことがあって遺伝的にほぼ同じだから、「飼い主」と「家畜」が別の種にまで分かれることはなかった。今でも任意の人類どうしはその子も含め繁殖可能であり、支配者であり優秀、逆に知能が低く従順など特定の性質を品種として安定して遺伝させることもできていない。  だから同じ人間が同じ人間を支配し、家畜化するという厄介なことをしなければならない。どの人類の心にも、群れ動物としての「支配する」「支配される」両方がきわめて深い部分で入っている。  支配する側が的確に、人を支配するための行動を取れば……相手の後述する名前・アイデンティティを破壊し、圧倒的な暴力と恐怖・食料や水の不足・激しく時には意味のない運動負担・長期間の睡眠不足で極度の不快・苦痛・恐怖状態にし、信仰体系を書き換えて常に儀式的行動・装飾を強制し、単純な言葉を繰りかえすなどで常に服従のメッセージを出すことを強い続けるなどすれば人は家畜化できる。  さらに個体差が極端になると、それが群れの価値観から見て優れていれば英雄、劣っていれば群れが生きる役に立たないため不要として排除されることにもなる。ただし、優れているか劣っているかは単純ではなく、きわめて多くの要因がからむ。個人の資質も何十種類もあるし、さらにその群れではどの資質が評価されるか、その個人が産まれたときの群れの権力者の力関係や、誰に好かれるかなどによって、同じ高い資質や大きな欠陥があってもその地位は全然違う。 **自尊心・劣等感・名誉  人間は後述する自我だの意識だのいわれる何か、善悪の価値観を持ち、その価値観によって「人間自体」「自分の属する群れ」「自分自身」が「特別」だと思っている。他とは異なり、「良く」「強い」。暴力的な強さ、生命を維持する物資の多さ、群れの規範に適合した行動がとれている……恥や罪の反対、他者に愛され称賛されていること……それらが自分及び自分の群れにあると思いたがる。それも無限に、完全に。人間は世界のすべての情報を知ってはいないし、脳にそれを処理できるほどの容量はない。人間の能力はごく限られている。だが人間は自分は、自分たちは完全だと思いたがる。  また人間は自分は動物ではない、と強く考えたがる。動物のように劣った存在ではなく人間という特別に高い存在なのだ、と。どう見ても動物でしかないが。  価値観において、後述する家父長制では基本的に神>家長>成人男性>生殖能力のある女、子供>動物、穢れ・罪・恥を受けた・生殖能力がない人、悪霊の順(いくつかの不等号は事実上等号であり、逆であることすらある)に、価値が低く悪だとみなす。  自尊心、自分が特別で、恥や罪とは逆に「良い」「強い」存在であり、他人に注目され、他人を支配でき、欲しいものが手に入るなど思い通りのことができる、という考えが人間にとっては常に快であり、体の病気を防ぎ学習能力を高める影響さえある。中でも自分が群れの高い地位にいる、ということは大きな自尊心をもたらす。他人に注目され、称賛され、また何かに成功することは自尊心を満足させるし、自分の脳内の言葉で自分を称賛するだけでも自尊心をある程度満足させることはできる。  言い換えれば「自分はこの(良い・強い)群れの一員だ」「群れの上位者だ」という快の変型とも言える。  逆に失敗などでその自尊心を奪われると、大きな不快を感じ病気になることさえある。ただしその状態では、他人の言葉や暴力による訓練で簡単に人格をある程度書き換えることができるため、人間を家畜化する技術においては重要だ。人間はまるで食料を求めるように、あらゆる方法で自尊心を満たそうとする。人間の群れを制御するときにはそれに沿った方向であることが常に必要だ。  自尊とその欠如は、人間の精神の病気とされる状態とも関わる、脳の深い構造からくると思う。それが人間の社会・歴史を動かす力はきわめて大きい。  ただし、人間の欲は無限で矛盾しており、世界は有限だから、本質的に自尊心を完全に満たすのは無理だ。常に人は自尊心が満たされていない、という欠落感を感じている。  子供が自尊心を得、また学習するのにも使われる、あらゆる人にとって普遍的な心理が自分は(非常に強い・良い・群れ内地位の高い)別個体・何かと「同一である」という心の動きだ。  自尊心を高め、劣等感をごまかす手段でもある。  それは模倣とも強く関わり、まず子は最初に目にする圧倒的な支配者である親を模倣する。模倣は人間が好む魔術の一つ、変身……心を保ったまま、たとえば別の動物や他人に自らの肉体を変えることと、魔術的には実質同じだ。  人は物語を作る。誰にとってもこの世界全体が、自分を主人公とする物語だ、というのが人間の本質のひとつだ。  物語とは言葉の説明にもなるが、言葉だけではない。人の記憶の総体であり、ある程度は言葉で表現できる、「自分が」どこでどんな行動をするか……自尊心とも深く関わるから、自分がどれほど良く強いかでもある……を物語にしてしまい、それに応じて行動している。  それはある意味演技・模倣でもある。同一化の対象を演じ、自分自身を演じているとも言える。何かを演じる、というのが人類にとってどれほど重大か……私はそれをろくに理解していない。  また人間は自分自身を感覚で認識しており、それもその自我という精神構造の重要な要素となる。  さらに面倒なのが、人間の脳の構造上、どこまでが自分の肉体なのかさえ自我と関連して処理される。それには妙な柔軟性があり、服や道具、下手をすると群れの成員などすべてを、自分の身体を認識する脳のプログラムの応用変型で処理してしまうし、病気として自分の腕や脚が自分の一部だと感じられなくなることもある。その変型で、別の何かに変身したりしていると、脳の深い部分はきっちりと思いこむことができてしまう。  それら、自分の自尊心を満たす物語、自分の感覚や行動などから「アイデンティティ」自分が何であるか、という思考・感情の集まりができる。それと関連する「自我」という物語が人間にとっては一番重要になる。本来人間の心なんて、脳が周囲の情報を受け、体の細胞やそれが集まった器官がいろいろな情報を出して生存率を高める行動を取りたがり、周囲の他人とコミュニケーションし、脳が言葉を心で思う・言葉を口に出す・体も動かすなどでそれを繰り返すことを好む情報(ミーム)の集まりでしかないのだろうが。それこそ自我なんて自分を擬人化しているだけかもしれないし、また多くの対人関係・魔術的な物や架空のものとの関係も外しては考えられないものだろう。  自尊心を満たしたいときや、強い不快があってそれをなくす手段がない時、欲求と抑制が強くぶつかり合うときなど、人はしばしば実際あるものをないなどと自分をだます。自尊心を満たす結末に至る物語を作り、その一部として現在の不快があると考えることが多い。後述の象徴と人格化を用い、何かを憎悪することも多い……この不快は敵の攻撃によるものだ、反撃して敵に勝て、となる。  本質的には、現実とは異なる物語を作って自分をだますことで自尊心を満足させるわけだ。「特別ではないただの一匹の道具を使う動物が統計的な不運と未熟な投げ槍技術により獲物を逃した」という現実より、「栄光に満ちた神の子である最高の投げ槍の名手が敵の妨害によって獲物を逃した、だからその敵を殺し逃した獲物も手に入れる」という物語を作ってしまう方が自尊心を高くでき、深いところで快なわけだ。  それは長い目で見ると、実は獲物は減る……試行錯誤によって成長し、統計的な現実を見て行動したほうが統計的には多くの獲物を得られる。さらに敵とみなした相手に暴力を振るえば自分も群れも危険にさらすから、そうしない方が合理的だ。だが人間は残念ながら、そのようには進化していない。  また快をもたらす何かや、普通快ではなさそうに見えても今の心を圧倒するような行為……支配・交接行為・暴力・物の浪費・危険行動による恐怖など多数……や、精神が一時的に壊れるような幻覚性の毒物の摂取もその逃避となる。  また、その「自分を騙す」技術は、嘘をつくためにもきわめて重要だ。  嘘というのは事実と異なることを言葉などで他者に伝えることだ。これが群れ動物にとって「裏切り」であることは分かると思う。  たとえば単純な群れを作る草食動物でも、「(自分たちを食べる)肉食動物だ、逃げろ!」と、肉食動物などいないのに群れの仲間に知らせ、皆が逃げた間にゆっくり餌場の草を独占して満腹で群れに追いつくことができれば、自分の繁殖率が大きく上がる。だがそれをたびたびやられると、まず嘘をつく個体ばかり繁殖して皆が嘘つきになる。  そうなると警告を無視する個体がいれば、その個体もゆっくり餌を食べるから繁殖率が上がって増える。それで警告は無意味になり、肉食動物に食べられやすくなって群れ全体の繁殖率が下がる。  だとすると、嘘と真実を見抜き、嘘つきを罰する個体でできた群れが最上となる。人間は泣いたり笑ったり糞尿を漏らしたり生殖器が変化したり血流を通じて皮膚の色が変わったり意識していない細かな動作があったり、と感情が反映する肉体的変化、表情、言葉の情報とは別に声の調子や体の動きを瞬間的に総体として判断する脳の深い部分などが嘘を見抜くことができる。  さらにそれに対しても嘘をつくため、自分自身を騙すという更に高い心の働きまで進化してしまったというわけだ。  自己欺瞞を描いた、これは小説という人間独自の表現法だが、『春にして君を離れ』(アガサ・クリスティ)を一度読んでみてくれ。どれほど誰にでも自己欺瞞が深くあるか、人間なら恐ろしくなること請け合いだ。  また、自尊心を満たすのにもきわめて重要になるのが、自分が群れの中で高い順位、少なくとも正式の成員であることだ。群れの人間が自分に対して、言葉やその他あらゆるコミュニケーションで肯定的な感情を表現していれば自分がそうであると判断できる。またそれは許される衣類や装飾、儀式や普段の食事などでいていい場所などを示す形で、魔術ともきわめて密接に関わる。また別の成員の群れ内での地位やその行いについて話すことを人は好む。他人の地位を引き下げることはきわめて大きな喜びになる。  また対人コミュニケーションの中で、他人に対し「(自分より)地位が低い」と伝えることは、実際に武器で体を傷つけるのと同等かそれ以上の攻撃とみなされる。それは魔術・呪いでもあり、言葉、身ぶりや視線など態度、唾・泥・糞尿・泥などをぶつけることなどによって行われる。  本人及びその家族全体の、群れ内での地位は、名前に付随する重要な情報として群れの中で共有され、群れの物語の一つとなる。本人の物語にとってもそれはきわめて重要で、自尊心の最も強い支えとなる。そういうのを総合して名誉と呼ぶ。  逆にその群れ内での地位の低下は本人にとって最も不快となる。実際に地位の低下が甚だしければ群れの成員と認められず、自分も自分の親族も繁殖相手を見つけられない可能性が高くなり、最悪群れから追放される、すなわち極めて高い確率での死と繁殖率の低下にもつながる。自尊心を傷つけられること自体がきわめて大きな不快だ。  人は自分自身の苦痛や死よりも、自分及び自分の属する群れ……家族から巨大群れまで……の評価が低下して信頼されなくなり、人々の話の中での地位を下げられ、許されていた装飾や儀式での場所を禁じられ、群れから追放されることを不快に思う。  名誉は、その個体およびその家族……後に多数の群れが複合したら、群れそのもの……が「信頼できる」という意味も持つ。  群れ動物である人類にとって、群れの成員が相互に信頼できる……背中を見せても突然襲いかかられないこと、その言葉に嘘がないことなどを確信できることが何より重要だ。信頼できる相手でなければ協力してより大きな獲物を追い、ものを分け合ったり交換したりし、共に儀式に携わることはできない。  さらに後には、多数の群れやその出身者が集まって大きな行動をし、遠距離で情報や物資をやり取りするとなると、その必要性はさらに上がる。 **幸福  いつからかは知らないが、人は「幸福」を目的とすることが多くなった。  動物としての「快」とどう違うのかはわからない。  水や食料などが十分にあり、傷や病気もなく、家族が繁殖をきちんと続けられて愛情または支配服従秩序が強く、群れも強く穢れがなく、自分や家族の群れ内地位にも満足できて自尊心が満たされ、自分が善であって恥や罪を感じておらず、快があって不快がない状態、と言えばいいのだろうか。  だが人間は満足しない存在だ……たとえば、膨大な食料やきれいな水がわき出すし気温も常に快適な場で動かずに思う存分食べていても、すぐに「行動しない」ことが不快になる。  のちに言う娯楽も強い幸福感を与えるが、すぐ飽きる。  とにかく人間はすぐに移動して新しい食物を探す生活の中で進化してきて、そのために作られているようなものだから、それができなければ不快になり、幸福ではなくなる。かといって、現代の富裕な地域の富裕層として生まれてからずっと贅沢な生活をしてきた人間にとっては、人類が進化してきた半ば動物としての生活は地獄のように思えるだろう。  幸福感だけを言えば「春にして君を離れ」で描かれたような自己満足状態や、単純な命令をくれる宗教や同じことだが軍隊に盲従している状態、ひたすら激しい運動をしながら明確な目的のために行動している状態……肉食獣から走って逃げ続けなければ死ぬ状態、または脳細胞を壊して直接幸福感を感じさせる悪質な毒を注がれている状態が幸福にも思えるが、それは客観的に見ればどう見ても不幸だ。  自分が生まれた群れに順応しきっていれば幸せとも言えるが、主要宗教のテキストをそのまま読めば群れを捨てろと命じてるし、別の所では群れに従えって書いてあるからどうしていいかわからなくて不幸になるだけだ。  はっきり言えば、人間の欲は無限だし矛盾が多いから全能があっても幸福にはなれない。なにしろ人間は生来、対象なしにわき上がる強い欲・怒り・恐怖・支配と被支配などに突き上げられており、それが対象を与えられればその対象に執着する……それを得れば幸せと思えるだろうが、本当に満足できることなどありえない。 **分配・公平・ジレンマ  群れ動物でなければ、自分が手に入れた食物は自分で食べてしまえばいい。多すぎて食べきれなければ放置して腐るに任せるしかない。だが群れ動物ではそうはいかない。保存食があると、さらに分配が複雑になる。もっと複雑なことに、人類は異なるものの価値を抽象化して交換することができる。  人間には独占と公平を同時に求めるという矛盾がある。自分は独占したい。だが他人も独占したいことは同じで、争って勝てるとは限らないし、一日中争ってばかりじゃ食料を取りに行く暇が無く群れごと飢える。だから次善として公平を選ぶ……そもそも群れそのものが、皆が少しずつ欲望を抑えて、長期的に皆が利益を得るシステムだ。というか基本的に、人間は「欲を持つな」というのが最も普遍的な規範だ。  人類に近いサルの場合、ある個体に少なく別の個体に多く与えるか、どちらも何ももらえないか、では前者を選ぶ。比較的少ない量であってももらえるかもらえないかのほうが重要だ。だが通常の人間は後者、不公平な分配よりも空腹を選ぶ。公平そのものを重大な善として扱い、一時的な空腹を満たすことより優先する。ちなみに人間関係などが苦手な、ある心の状態にある人も前者を選ぶ。と言ってもその人たちはサルに近く下等だというと間違いだ、人間以上に合理的ということだから。多分論理演算機械のものすごいのも前者を選ぶだろう。  分配と所有でやっかいなのが、これについてはいろいろな立場の人間が、その立場を投影して「人間は本来所有するものだ」「人間は本来は共有していた」と主張していることだ。過去の人間は所有せず共有していた、という伝承も多いが、それも過去を理想化し所有を嫌う傾向からである可能性もある。ただ実際に、文明と接していない単純な生活をしている人たちを調べれば、ものを群れで共有しているケースもあるし、それでいて所有、少なくとも縄張りの概念ある程度見られる。  共有傾向も独占傾向も、矛盾はしているがどちらもあり、その矛盾の中で人間は生き延びてきた、としか言いようがない。  人間が、特に快をもたらすものや他人の行為に対し、数値換算して考えるようなところがあるのも重要だ。他の群れる動物にどれぐらいその要素があるのかはわからないが、人間の記憶力・個別認識の高さはその点でも高いと思う。食料などをもらったら少なくとも同じ量返さなければ公平でないと感じるし、また愛情や攻撃を含めた多くを、後述する貨幣のように定量化して取引するようなところがある。罰や生贄もひいてはその発想だ。  人は罪と罰、善行と賞がつりあうことを正しいと感じる。行為の善悪と利益の因果関係は後に言う民話の重大なモチーフでもあるし、人間にとって重要な見えない前提の一つだ。それが狂うと不公平を感じ、強い怒りを抱く。  問題は人と人との関係ならともかく、「罰」ではなく自然現象だったり、大きい群れの不安定な動きだったりするときだ。結果は制御されていないから、群れで正しいとされていることをしても悪い結果になるかもしれない。だが人間はそれを非常に嫌がり、様々な魔術的な考えを用いて世界像の方を修整する。  他にも努力と成果、恩と返礼など多くのことについて、人はすべてが公平であってほしいと思っているし、それで人間の罪悪感や嫉妬・憎悪ができているようにも思える。  基本的には分配を決めるのは群れの最上位者で、その最上位者は自分自身の欲望と群れの利益でどうするか常に難しい判断をしなければならない。特に不公平な分配をした時に起きる不満は地位を危うくし、また群れそのものも危うくする。  その「公平」という感覚は小さい規模の群れで、食料を成員に同じように分けあう、というやり方とも関係する。  大量に持っている人が群れの成員に惜しげなく食料などを与えることは一般に善とされ、それは後にも支配の重要な面となる。  大量の食糧を得た場合、狩猟であれば、獲物を得るまでの多数のできごとで、「もし彼がそうしなかったら、獲物は捕れなかったろう」がいちばん大きいこと、中でも「このことは彼にとって危険だったにもかかわらず」であることを善として獲物を独占させるべきとも感じる。だが反面、小さい狩猟採集群れは基本的に「食糧は全部等分に分け、全員が同じだけ食べる」というルールがある。  双方を満たせるのが、最も功績の高い人や群れの最上位者が全部を一時手にして、それから全部を等分に分配することだ。最上位者以外の誰かに大きな功績がある場合、功績者が最上位者に獲物を捧げ、最上位者が全員に分配して代わりに功績者に名誉を与えることが多い。群れのメンバーは食糧を与えてくれた最上位者に感謝し、最上位者への忠誠が強まる。実際、特に小さい群れ、文明化の程度が低い群れは、群れで高い力を持つ者が富を人々に与えることが多い。  人間は群れの中で、特に親しい・愛する個体に対してはその求めのみに応じて持っている食料などを与えることもある。それも人類にとってきわめて重要な要素だ。だがそれだけで形成される群れは、常に「求める」メッセージのみを発し、自分からは与えない個体が一方的に利益を得て遺伝子を増やしてしまうため維持できない。  安定するのが「もらったら返す」かつ「裏切られたら報復する」の二つだ。それは空を飛びほかの動物の血液を餌にする哺乳類にも観察される。  ここで参考になるのが、後述する論理計算をする機械の中で行われた、よく話題になるある実験だ。要するに協力すれば両方が小さい得・裏切れば裏切った方が大きい得で裏切られた方は損、というルールで、何度もその判断を多くの「こうなればこうするの集まり」にさせて誰が一番得をするか、とやったら、「最初は協力する、それ以降は相手が前にした通りにする」のがほとんどの場合一番勝つ。  ちなみにその「協力すれば両方が小さい得・裏切れば裏切った方が大きい得で裏切られた方は損」は人間の言葉では囚人のジレンマという言葉で表現されている。それは相手が裏切らない保証がないから常に裏切った方が個体にとって特になるが、裏切りは両方を群れとしてみると損になる。  他にも人間の世界では、個体にとって合理的な判断が群れにとって合理的にならない、というどちらを軸に判断すれば正しいのかわからない状態が多数ある。特に悲惨なのが共有地のジレンマ、要するに毎年一定の食料を出すが過剰に取りすぎると二度と食料を出さなくなる場があり、それを多数の人が誰でも取っていいとすると、皆が最大限に取るため二度と食料を出さなくなる状態になってしまうんだ。人間の狩猟・農業・森林伐採・漁業などあらゆる生産でそれが出てしまう……人間はそれを本当に制御する方法をまだ知らない。  あと重要な感情が嫉妬。人間は深いところでは、他人がいいものを手に入れることを喜ばない。できれば全ての食物も異性も独り占めにしたい。  特に自分が執着している欲しいものを他人が手に入れる、さらに自分が食べようとしているものを奪われることは、それこそ生存の危機にもなる不快なことだ。それを暴力同様攻撃としてとらえ、それに対して怒り・憎悪を感じ、強く反撃するのは当然のことだ。  と言っても同じぐらい、他人から奪うのもまた快感なんだから厄介な話さ。 **記憶  人類は記憶力も、ものによってかなりいい。  純粋な情報を短期間覚えるのは数語がせいぜいだが、特に物語の形にして体と結びつけると極めて高い記憶力がある。  反面、物語としてわかりやすくなるよう、また根本的に自尊心を損なわないよう複雑な事実を物語にそってねじ曲げて覚えることも多い。  あまりに不快なことは無理に忘れることもあるが、意識していないところは記憶しており重要な快不快情報にしている。  記憶のほとんどを、少なくとも意識からは忘れることのほうが人間の優れた能力だ。  映像や音声は本来膨大な情報量……動画の場合、膨大な網膜の細胞の数とごく短い再反応時間……があるのでそれを完全に記憶していたら脳細胞がいかに多くても無理だ。  ちなみに人間の記憶は、その記憶に関連した強い感情の動きがあり、よく思い出すものを思い出しやすくする。論理計算機の、情報に単純化した符号をつけてその符合の集まりから簡単に検索できるようにしたシステムとは全然違う。  根本的に、人類が後年実現した0と1に分けられる情報を扱う論理演算装置とは違って、大量のテキストの記憶・その検索はやや苦手。ただし訓練によって、特に音楽とあわせた文章なら相当量を記憶できる。 **理性・論理  人間には理性があるという。論理的に考え、合理的に因果関係を理解し、隠された秩序をつきとめ、自分自身さえ客観的に見て最善の道を選んで判断できる、と自認している。  ちなみに、これまでの文でも微生物から物理法則まで「~のために」「~という戦略を」というような言葉を使ってきたが、それは本当は間違いだ。かなり複雑な大型動物は知らないが、それ以外の植物・微生物など、まして細胞内部の分子が「~のために」などと考えることはない、逆に「たまたま~だったものが増えた」だけのことだ。  目的、「~のために」という考え方も、いくつもの行動を複雑に組み合わせて群れが必要とする物を入手するなどできる、群れの存続のために有利な考え方だ。しかも進化で脳の配線が変わるために必要な何世代もの時間よりはるかに短い時間で変化した環境に順応できる。  確かに多くの人間は言葉での思考ができ、少ない数や単純な図形なら直感的に考えられるし、かなり大きい数や複雑な幾何学も訓練によって扱うことができる。  言葉で考えられるのは大きな強みだ。言葉に様々な、抽象化された地形や動物種などを乗せていくことで、試行錯誤を頭の中でやってしまうことがかなりできる。それによって実際に何かをする危険を冒さずに、多くの選択肢を排除してより確かな行動をとることで、生存率を大きく上げてきたことも確かだ。  そのときに、様々な面を持つ複雑な現実の何かから、ひとつの面だけを取りだしてそれだけで動く抽象化された小さな世界を頭で考えたり、さらに補助的に絵や彫刻の極端に単純化されたのを用いたりすると、物事を物語として頭に入れ、どう動くか頭の中で動かして試行錯誤して予測したりしやすくなる。科学における数学的モデルも基本的にはそれだ。  ただし前提が間違っていたら全てが間違いになる。  人間の意識では基本的に「全体=部分を全部あわせたもの」だ。だが動物的な感覚・感情の動きは全く異なり、部分を足し合わせることも分析することもなく「全体」そのものとこれまでの経験の総体から直接を判断・行動する。それは非常にすばやい判断だし、大体は正しい。よく経験して思い出しやすい情報、直前に得た情報を参考にしたり、脳の情報の集まりで特に重要としているものをそのまま当てはめたりする。  分析的な思考と総合的な思考、とものの考え方自体を対立関係にして考える人も多い。  ただし人間は根本的に、確率統計だけを用いて物を考えるのが非常に苦手だ。合理的に考えていると自分では思っていても、実は様々な感情が入りこむ。元が動物だから。原因と結果の関係と、別の原因のせいで確率が同じぐらいなのもろくに区別できない。  人はどの選択をしても取り戻せないこれまでにかかったコストを切り捨てるのも苦手だ。努力を無駄にすることを嫌うし、その努力が無駄になったこと自体が悪霊による攻撃・自分の罪に対する罰などと解釈してしまう。  純粋な論理思考も苦手で、裏と対偶の区別がまともにできる人間などほとんどいない。また本来純粋な論理の問題なのに、人間を用いた話と抽象的な記号を用いた話では違う答えが多くなることもある。  といっても、それは特に巨大な群れを作り、優れた技術を使うようになると大きい欠陥となるが、数十人の群れで食べられる植物を捜し、狩りをしてさまよっていた頃は絶滅しない程度には適応していた。他の条件が同じ、完全に論理だけの人間の群れは間違いなくすぐ絶滅していただろう……前提とすべき情報が常に少なすぎるから。また論理だけの個体が出たら、群れに順応できず死ぬことになるはずだ。 **魔術  人間は、少なくとも近代人は自分では理性的だと思っている……理性が善という価値観のせいだ……が、魔術的な考え方のほうが本来のやり方だ。  私はこの「魔術」という語を、確信と自覚を持って使ってはいない。定義することさえできないし、百科事典的な定義とも一致していないと思う。ここでは、はっきり定義できない、私の中にある、ある概念をまとめているだけと思って欲しい。  魔術的な考え方というのはここでの私の言葉だが、要するに人間特有の認識・思考法から、科学的に検証されたものを差し引いた、全体として行う考え方、目的を実現しようとしての行動だ。といっても実は科学とそれほど厳密には分けられず、連続的につながっていると言っていいんだが。  魔術という言葉が一般的に指すことを分けて考えてみよう。 ○自分が「自然法則が許さない力」を使えないとわかっていながら、自覚的に見ている人を騙して自分に「自然法則が許さない力」があると思わせる見せもの。後述する娯楽の重要な要素だし、大きい群れの行動を決定する強い作用もある。 ○主に言葉によって作られた世界において、その登場人物が使っている力。 ○それが魔術だとは自覚されずに使われているが、構造そのものは魔術そのものである行為。 ○魔術だと思われていたものの実は科学的に正しい面があった行為。 ○自分に実際にそのような力があると考えて行う行為。  最後のそれについて詳しく検討する。  根本的には「特別な状態で何かを意思し適切な行為をすると、その意思どおりの物事が実現される」「人間が見たり感じたりする世界の外からの訪れがある」を前提とする。  人間の、魔術と深く関わる認識・思考法には「集合・比較・分類・関連」「二元論・数直線」「因果・目的・物語」「擬人化」「象徴」「自尊」「自我拡大・変身・所有」などがある。多分色々忘れていると思うが。  これらの考え方は人類の、動物的な脳の働きに由来する、脳から見れば現実に他ならないものも多くあるし、科学的・理性的な考え方とも深い関係があり、切り離せない。  人は自然のきわめて広い範囲の物事を分類する……複数のものを感覚器で認識して比較し、同じ特徴を持つと感じられるものを同じ集合に入れる。世界そのものを集合の中に小さな部分集合がある、その繰り返しとして考える。ちなみに4~9ぐらいの数しか人間は頭の中で楽に扱えないため、何を分類するのもそれぐらいの数だ。  まずすべてを善悪・光と闇・白と黒・男と女に二分する。それから4~9に世界を分割し、特に魔法と高い関わりがあるものをそれぞれに当てはめる。まず色、文字や数、火や水のような単純な現象、天空に見える惑星、宝石、薬草、人体の臓器、主要農作物・家畜・金属など。  人間が様々な生物を分類するのもその、集合論と共通した考えだ。似ている物は同じ集合、同じ特徴は同じ集合、同じ集合の物は同じような挙動をする、と。  それはおおむね正しい。模様が違うだけの同じ種の動物に別の狩り技術を考えるのは考える時間とエネルギーの無駄遣いだ、前に仕留めた同じ種の動物に使った技術でいい。といっても正しくないこともある……毒を持つ生物の場合特に。さらに同じ黄色だから、ある原子番号の金属・太陽・ある種の植物の花・ある地域の砂・肝臓を悪くした時皮膚に出る病状が同じ集合、というのは言うまでもなくとても違う。  地球人の数学の根本にあるのは集合論なんだが、それは地球人のこの性質からくるのだろうか? 別の星では集合論のない数学者がいるのだろうか? いや、同じ地球でも、もしヨーロッパでなくユーラシア東が近代化したなら、集合論なしに核兵器を作ることができていたのだろうか?  そして人間の記憶などのやり方が、ある物事が引き起こした感情とその頻度を使うため、どんなことでも別の物事や出来事を思い出し、それがまた……とつながることがとても多い。そしてそのつながり全体も、当然集合とされる。  また人間は、上記の「善」と「悪」のように、あることを一つの数直線……順序のある数と、直線上の配置に対応させる数の表現法……に載せるように考える。両方の極端と、その間を結ぶ線のどこかにいろいろなことが位置できるように考える。  特に厄介なのが敵味方思考。あらゆるもの……他人・物体・自然現象・言葉・感じ・数など全て、自分の味方で善か、または敵で悪だ、と感じ、それにそって考えてしまう。  13……二進法では1101、二進級数では2の3乗と2の2乗と1(2のゼロ乗)、二の指数が他のはゼロの総和という特定の比較的小さい数……が敵だ、と思ってる非常に大きな群れがある、というと、なんだかわからない聞いてる相手は笑うだろうか。  最も単純には、それこそ自分が支配していないものは全て敵で悪だ、とさえ思ってしまうものだ。  といっても人であれなんであれ、善悪に分けるなんてばかばかしい話で群れにとっての不利益も大きいだろうが、人間の動物としての感覚と思考をうまく調和させるには都合がいい。  そして人間は、物事の情報全体を瞬間的に認識する能力が動物として存在する。動物としての感じだから、恐怖や美などだが、色・匂いなど単なる情報に対しても、意識の下で感情が動いて敵味方などの判断をしてしまうし、それより少し複雑な分類に入れてしまう。  一度ある物・事・人などをある集合に入れてしまうと、その集合の単純な特徴・好き嫌いがそのすべてになってしまう。なんでもさまざまな面があるとか、同じ群れの人間でも個体差があるとかは考えない。  前述した食物などもらったら返す関係も、数学的に等しいことを求めるような心理であり、それも魔術的に重要な原則だ。  二元論でもう一つ、心身二元論がある。  人間の多くの考え、おそらく全員の深い心のありようがそうなっているんだと思うが、自分の思考は肉体とは別だ、思考と肉体は切り離せる、感覚器では感じられない人間に似ているが人間にできないことがいろいろできて意識がある存在がある、という考えがある。また人間が覚醒時感覚器で感じるこの世界とは別の世界が存在しており、特殊な状態でその世界とやりとりできる、という考えでもある。  確かに肉体の、意識的に動かせる筋肉は何も動かさずに言葉でものを考えることはできる。また、毒物や肉体的な疲労、後述する儀式、激しい心身の苦痛、眠っているときの何かの具合、巨大な自然美を見ることなどで、自分の体を認識する感覚が一時的に止まり、自分の体と感覚の普段ある一体感がなくなることもある。また世界との一体感などと表現される激しい幸福感を得られることもある。人間は実際に見ていないものを見たように感じ、実際には耳に音が伝わっていなくても別の個体の声を聞くように感じることも多いし、それが強く奇妙な考えを思い込みとして信じる人間も一定数いる。他にもさまざまな精神の病気があり、どんな人間もその諸症状を弱くさまざまな形で持っている。  それで人間の感覚・思考・判断の部分は、生きている人が普通に見ることができない、人間と同じ形の、飲食呼吸を必要としない不死の存在として肉体から分離するし、そして一部の超能力を使える者は生きているとき同様使うことができる、と考えている。  人間が死んでも、その肉体から分離できる精神活動は存続し、それらのための別の世界に行ってそこで暮らしたり、この世界で自分たちと混じって暮らしたりしている、と考えてしまう。  さらにその死んだ者が、生前使っていた死体を生き返らせたりいろいろして襲ってくる、という恐怖が人のとても深いところにある。  おそらくは、人間は死に、その肉体は脳もろとも崩壊し、知識もミームも記憶も群れの中でのその個体の有用性も全てなくなり、もうどんな快も感じられず死という最大の不快に身を任せる……また愛する人が死んだらもう二度と接することができないことがいやで、そうでない物語を作ろうとしたのだろう。  これは検証不能だ、もしそれが、現実の世界の物体と一切相互に干渉しないなら。だから科学的には無意味、むしろ偽命題として扱われる。だが、人間はそれが様々な形で現実の世界にさまざまな影響を及ぼすとも思っている。  こうして科学的には存在していないものについて語ったが、人間にとって霊、特に後述の自然物などを含めた神霊はあまりにも当然で、霊的なことと人間が意識する実在世界を厳密に区別するのは実は不可能に近い。  物事に因果関係がある、と考えることも重要だ。さらに因果を物語にするのも人間の特技だ。また近くにあるものは関係していることが多い。さらに、あらゆる物事を目的に応じて考えるのも人間の癖だ。  それに善悪が入るとさらに厄介になる。あらゆる損が、悪い・嫌いな・憎い敵の魔術による陰謀や自分の悪行に対する罰、逆にあらゆる得は自分や自分が同一化している、後述する親みたいなものが魔術で守ってくれているからか自分がいいことをしたからだ、となってしまう。  人間の絶対的な前提が、「正しいことをすれば正しい結果がある」「すべてに原因・理由がある」だ。事実としては「統計的には」、「かもしれない」を付け加るべきだ、この世界は複雑なんだから。  だから道徳的に完全であることを、群れ全体・各個体・指導者に強く求める。不快なことはなんであれ、誰かの道徳的な悪を原因として考えてしまうという魔術的思考だ。道徳と禍福の因果、道徳と「状況に適応した行動選択」と偶然の混同があまりに当たり前で誰も意識しない。群れ全体は道徳的に完全であり、ゆえに福に恵まれて当然、逆に災いは全て道徳的な悪によるという無意識的な魔術的思考がある。また悪しき個体が群れに悪を呼ぶと考えて悪と穢れの同一視がある。そして後述する、指導者は完全道徳であり、ゆえに全能であり、いかなる福も招けるという無意識の前提がある。  秩序の誤認も実に多い。たとえば木や岩の模様が人間の顔に見え、だから人間と同じく顔があって意識があり、うまくやれば会話できる、となってしまう。まあ人間が複雑な情報から秩序を見いだす能力は役に立つんだ、草の中から肉食獣を見つけることもできるんだから。  物語には「たとえ」という使い道もある。ある新しい現象を、頭の中で「理解する」ためには、自分が常に理解している現象を用いた物語と同じ構造の物語でちょっと配役を変えるだけ、というやり方で理解するのが一番いい。理解というのは「脳内で、普段の生活に使うのと同様の“モデル”として処理できるようになった」状態なんだろうか? 逆に量子力学などはそれがまったくできないから本質的に理解できないというわけか。  人間の言語自体、よく調べてみれば分かるが膨大な象徴とたとえの塊だ。  目的思考も人間のやっかいな癖の一つだ。あらゆることが、自分の物語に関係した、何らかの目的を持ったものだと考えてしまう。たとえば生物の器官は目的を果たすためにデザインされたように見えるが、上述のように目的論は本質ではない。本質は原子どうしの相互作用、より複雑な分子どうしの相互作用であり、自己複製分子の活動によって、適したものがより多く繁殖できたからでしかない。逆に目的論を使わずに人体生理学を解説しようとしたら、どれだけやっかいか見当もつかない。  人間の発想では擬人化と統合されて目的論が重要……ただし本来の目的(群れの持続)ではなく、宗教的目的に暴走することが多い。  ちなみに人を支配するにも目的は有効。目的を持った群れは統治しやすい。  擬人化というのはある考えや行動の枠組みを人であるとし、さまざまなものが、その人のやり方で感じ考えて行動する、と考えることだ。  他人の心を「自分が相手だったら」と推し量る心の理論は、人間が群れで生きるうえでも、群れどうし戦ったり交易したりしたりする上でもとても有効な適応だ。だがそれは「他人も自分と同じ肉体・精神構造を持つ人間である」という仮定がある。実際自分が石で頭を叩かれたら痛くて恐怖するのと同じく、ほかの誰もが石で頭を叩かれたら痛くて恐怖する。  人間について有用な「自分が相手だったら」仮定を人間以外の動物・植物・地形・天体にまで適用してしまうと、それは科学的には誤りだ。というか、それどころか同じ人間でも、群れが違うと何をしたら何を返すかがかなり違うことが多い。  ただし未来を予想し、思い通りの未来を作るというのは人間の観察や技術の本質にかなうことであり、必要なことだ。擬人化やそれに近い心の動きなしに、どんな物理法則も理解できるとは思えない。  だが、上でも言ったように、木や岩など自然物も人間同様に心と意識があり、対話し支配できる可能性がある、と考えてしまうとそれはやりすぎだ。でも人間の考え方の深いところはそれを前提にしている。他人を石で叩いて「食物をよこせ」と命じれば、石で叩かれて痛いのを避けるため持っている保存食を差し出すことはある。でも同じように池に石を投げつけて「魚をよこせ」と叫んでも、実際には池は魚を渡してくれない。だが人間は、そんなふうにすれば池が魚をくれると、心の底で思ってる。普通に物質的に有効な手段で魚を捕りつつ、同時に石を投げて命令することもして、物理的な手段ではなく命令の効果で魚を手に入れたと考えるのが人間の常だ。  もう少し考えすぎると、他の人間も自分自身さえも「擬人化」しているのかもしれないがね。人間は「擬人化」という形式でしか思考できない、だから自分自身も擬人化して自我とかを考え、他人も擬人化して……?群れ内で個体を判別することの暴走でもあるんだろうか、自分自身も「名前がある同一の存在としての個体」とみなすことで。  あらゆることを、人間の個体同士や群れ同士、人間と捕食者などの争いのように、暴力をふるいそれから身を守る存在であるかのように擬人化するのも人間の根源的な考えだ。  象徴というのは抽象とも関わる。私はどちらも完全には理解していないし、まったく前提を共有しない相手に説明するのは時間やエネルギーより困難だろう。  たとえばきわめて多い視神経からの情報……画像情報を、動物のある特徴を持つ種の集合やそれに対する感情と対応させたりする心の働きで、それは情報の大幅な圧縮になる。  目の前の果実や動物の、数だけを見ることもまた抽象だ……数学と抽象の関係はきわめて深い。抽象で重要なことは、人は「異なる種類のものの交換」が可能だということだ。肉と肉、石器と石器、背中をきれいにしてもらってやりかえす、それだけでなく石器と肉を交換し、双方がより得をすることができる。これができる他の動物は知らない。  ものの形の重要な部分を単純化することも象徴の一部だ。たとえば槍・雄の生殖器の筒が交接準備のため肥大し硬くなった状態・高い木・木を切って枝葉を取った棒を地面に刺したもの・火・攻撃を準備している心のあり方など非常に多くのことを「上向きの方向性のある直線」とまとめ、矢印や二等辺三角形の二等辺が長いものなどで表現することができる。元々人間は、目で見たものを素早く認識し、脳内で回転させるなど複雑な操作をするため判別したものを単純な図形の集まりにするようだが、その能力も関係していると思う。  さらにさまざまな、感情や言葉、群れや集合そのものを、ごく単純な絵・短い言葉・人物に集中してしまうことも象徴の一つの形だ。それは群れをまとめ、他から区別することにも役立つ。群れの象徴は短い言葉・後述する神話上の人物や動物・その単純化した絵・色・歌などだ、としてしまえばそれを身につけ、繰り返すことで自分がその群れに所属している、と周囲に短い時間で伝えられる。  また重要なのが、人間の言語には「名前」というものがある。言葉自体が名前から構成されていると言ってもいい……上記のさまざまな、特徴から分けた生物の多数の種。生命を持たないあらゆるもの。人間が作りだす多数の道具など。多くの人間の群れ。そして群れの各個体。それら集合に対し名前を対応させ、その名前と動作・状態そのものにつけた多くの名前を文法に沿って組み合わせることで、世界……脳内に描かれた世界と対応する言葉を作り、あらゆるものを描く。  群れは個体認識を必要とするが、そのために様々な特徴を総合し、名前をつける。その名前は本人にとってアイデンティティの核心となる……名前を変更することは、本人のアイデンティティを崩壊させるほど心に影響力がある。  名前には力がある、というのが魔術の基礎の一つだ。他に魔術の基礎には、似たものは同じ、触れると感染する、本質と物体は切り離せるがあるかな。  名前を口にしたり頭に思い浮かべたりするだけで、魔術の考え方ではきわめて大きな力をその名前をつけられたものに行使しているんだ。まあ支配する人が支配されている人を名前で呼び、何かを命じれば支配されている人はその通りにするから、支配関係のある人と人の間ではその通りなんだが、それこそ水の流れだろうが風だろうが野生動物だろうが、太陽や火山まで同じように名前を呼んで命令すれば操れると人は心のどこかで思っている。  本来言葉を使うことは魔術を使っていることでもあるんだ。さらに集中してある言葉を口に出し、思考することでより強くその魔術が使えると人は思っている。実際強い集中、強い感情を込めた言葉で命令することは人を支配するのにとても有効だ。といっても、それと同じように太陽を止められるわけではないんだが。  また名前は、分けてまとめる、階層構造を持つ集合という人間の認識法とも深く関わる。  上でも言ったが、人間は自尊心が強い……自分を特別と思いたがり、様々な能力をほしいと思う。大型草食獣のように速く走りたい、鳥のように空を飛びたい、遠くを見たいし夜でも障害物を通してでも見たい、他人が何を考えているか知りたい、未来を知りたい、どんな怪我や病気も治したいし死人を生き返らせたい、肉食獣のように強くなりたい、他人の目に見えないようになりたい、手を使わずに物を動かしたい、確率を制御して幸運になりたい、動植物や岩などと話したい、動物などに変身したい……様々な願望を言葉で理解し、その願望をかなえることができる、と確信している。かなえられる願望も結構あるけど。  その「信じる」というのが心の上では重要な言葉で、ある言葉、ある予想が現実世界と一致している、と判断し、その判断を変えない傾向が強いこと……か。と言ってもそんな単純じゃなく、もっと心の深い部分、自分自身という物語と絡んだややこしいことだ。さらにその信じることはものを見ること、考えること全般に働きかける。自分が信じていることを反証する内容の目や耳の情報さえ脳は見なかったことにする。他人の言葉も無視し、自分に対する攻撃だと判断したりすることも多い。個体の何を信じているかの集まりは、自我そのものといってもいい。そして集団の何を信じているかの集まりはもっと重大だ。  強い自尊心と、それがもたらす劣等感、欠落感は、「あれができたら」という空想を産む……人間に、裸のままではできない多くのことができること……拳では壊せない獣の頭骨を握った石で砕くように……は事実であり、それは大きな快と遺伝子の存続繁殖をもたらす。だからこそ、なんでもできる道具・手段を求める心が強い。  さらにそこで想像力という厄介で面白いものがある。それが人間特有の能力なのかどうかは知らない。存在しないことを頭の中で思い浮かべることができるんだ! 言葉そのものも、存在しないものを考えだすことができる。組み合わせで、たとえば血液の色である赤を肉食獣の毛皮につけて、さらに草食獣の角や鳥の翼もくっつけることさえできる。実際に遺伝子をそういじっても骨格が合わない、重すぎるなどで機能できない、なんてことはわからない。現実とは異なる物語を言葉や、感覚を操作した像として作り、そっちの方が現実だと信じてしまうこともできる。  能力の拡張、変身は、人類が自己を認識する脳の働きとも深く関わっている。人間は自分の、例えば手に握った棒や抱いた子を自分の一部のように認識することもできるが、その機能が変に働くと、自分の外見を変えれば自分の能力も変わるとか、外見をいじり同じ動きをすることで群れ全体が一つの存在になるとか、そんなふうに思い感じる。人間が何かを所有するのにも、所有したものと同一化した別の何かに変身する、という面が強くある。  物語で思考する癖もそれに関わる。  人間の住む世界自体がどのようにできた、なぜ自分が産まれたかも好奇心から知りたがる。あらゆることに、言葉、できれば自分を中心にした物語としての説明を求める。人の、「自分はどこからきたのか」「これは何か」などを知りたがる好奇心はとても強い。  また、その自尊心の強い物語思考は「運命」という考え方にもなる。多くの偶然である結果があっても、それが一貫した物語になったときには、物語のほうが先にあり、偶然は物語を実現するための必然だったのだ、と考えてしまう。あらかじめ人の一生は物語として定められており、その通りに進むと思っている。偶然というのは本質的に、人間の深い部分にとってとても不快で受け入れがたい考えなんだ。  具体的には、何か特別な力を持とうとしたらそれをもつものを演じ、真似ることでその力が得られると人の深い部分は信じている。たとえば鳥を演じ真似れば空が飛べる、というわけだ。実際には飛べないが、自分に嘘をつくことで飛べると信じることはできる。  ついでにだが人間は、心で思う力が強ければ、正しい行動をすれば現実を支配し変化させることができる、と考えることが多い。本当に強く何かを思うことができる人なら何でもできる、たとえば手を触れずに岩を浮かせたり触っただけで死人を生き返らせたり運命を変えたりなんでもできる、現実の人間にそれができないのは思いや必要な薬草が足りないからだ、と考えている。  言葉も重要だ。幼児が親に食べ物を求めれば受け取れるように、ただ心を言葉にし、口から出したり心の中だけで思ったりするのも、重要な魔術の行使となり、現実に言葉を口で言ったり思考したりするのは自分の精神を変容させて肉体にも働きかけ、集団で同じ言葉を大声で言い続ければ集団全体の精神状態を変容させることができる。  それが総合されたのが「神」だ。  神とは親や群れの最上位者と深い関係があると思う。  幼児の自分に乳・体温や衣服の熱・注目・愛情を与える愛着の対象で、逆らえば激しい怒りと暴力で罰し、自分よりはるかに力も強く自分にできないいろいろなことができる親。さらに群れに命令する最上位者の、支配する権力と判断する知恵。  それを更に抽象化し、どんな時間がたっても老いたり死んだりしない・なんでも知ってる・なんでもできるを加え、この世のものでない精神的な存在として、そして善の極限として、またなぜこの世界があるかという、因果説明が無限に続く疑問に対する最後の答えとして。運命という自分を主人公とした物語の著者として。  人間の姿、人間と似た心の構造をもつ。中には悪しき心を持つ神もある。  さらに原初的にはあらゆる動植物・自然現象も神だ。太陽や地上にある大量の水、地形は重要な神だ。あらゆる概念、特に後述する美徳・悪徳、他にも本当にあらゆるものを人は神とする。祖先の霊も重要だ。  その神は上で挙げたような様々な超能力を持ち人間を圧倒的な力で支配し命令するが、人間もまたその神の名を呼び、人にものを頼むとき同様、言葉で命じたり食料などを与えたり暴力で脅したりすれば神に命令できると考えているし、また歌い踊りその神の真似をすれば神に変身・一体化してその力を自分が使えるとも考えている。真似て演じることは、その真似て演じた相手になってしまうということでもある。それが究極の魔術だな、神になるということが。  この世界は目や耳で見て理性で判断するものだけではなくそういう神がある、と思う人が多いことについて少し考えてみよう。人間の感覚は視覚と聴覚だけではないし、思考は論理・言語だけじゃない、視覚と聴覚だけでも多くを切り捨てていることは言った。また、夜寝れば夢を見てありえないこと、すでに死んだ人と話すこともあるし、さらに心の個人差には恐ろしくあり得ないことが心に浮かんでしまうことも多く、普通の人間には認識できない数などについての美を一種の感覚として感じることもある。いろいろな生物の毒には脳の働きを狂わせて滅茶苦茶な感覚像を覚えさせることもある。昔の人々にとっては日常だった極度の食料や水分の不足、過剰な運動や死の寸前の激しい苦痛や恐怖も、奇妙な感覚像を感じさせることがある。  そして精神や肉体に多くの負担をかけてから非常に美しいものを見たりすると、自分が世界の膨大な光の一部であり、世界そのものが自分でそれがとてつもなく美しい、という感じを持ってしまうことが、少なくとも多くの人にある。  人間の精神の個体差も大きく、さまざまな普通の人には見えないものが見える心のあり方をもつ人も、常に一定の割合で出てくる。それは実際に存在していないものが多いが、人間の目は元々現実の外界を完全忠実に見るものではない。  それが、目に見える物の世界だけじゃなく、それ以上の神々・死後の次元があると人に思わせたのかもしれない。私自身は全部脳の副産物だと思ってるが。  それら、どんな神がいてどんな規範や生活法などを人間に命じたか、を人は「信じる」。人間はいくつかの命題を、無条件に正しいとすることで自分及び群れの物語の根拠、行動を判断する前提とする。確率的にリスクを計算して行動する判断者ではない。  ちょうど数学で、いくつかの命題を公理系として、それを前提に数学体系を作るのと同じだ。といっても、そんな構造で数学を作っているのも我々だけで、別の世界の知性は別のやり方をしているのかもしれない。  その信じていることの集まりが、人の心の重要な基盤にもなっている。  魔術的な考えとは、上記の衛生や医療も深く関わっている。  感染症を防ぐには、微生物が体内にいる人……特有の症状を出している人、さらにその人の家族や接触した人、その人々が触れたもの、生活している場、糞尿や唾液、それら全てを群れから隔離すべきだ。  さらに遺伝病と伝染病の区別は昔の技術では無理で、遺伝病は繁殖関係で伝わる。  そのことを長い経験で知り、また人間の脳自体が長い進化の中でそのリスクがあるものに不快を感じ避けるように伝染病や遺伝病をかわしてきた遺伝子によって作られた……だが人間の目は微生物を見ることはできない。  ただし、微生物に食われているものの匂い・味・色・感触などに不快を感じることはできる。それは生来でもあるし、また小さい頃からの経験……あるものを食べた直後吐き気がして腹が痛むとか、あるものを口に入れて親に叩かれたなど……の積み重ねでもある。  その不快感と、さらに伝染病・遺伝病の要素についての判断を、昔の魔術的な思考では「清浄」「穢れ」の二元論で認識し、善悪と事実上一体化させる。  その伝染病対策から穢れに接したら穢れる、遺伝病対策から穢れた人の繁殖関係がある別個体も穢れる、と考えられる。まあ正しい。  穢れていない、清浄なものは人が触れていない物、火や塩や酒……実際これらは微生物を殺す……で浄めたもの、水で洗ったもの……  あと、特に重要な穢れは死体と雌の出産に関係することだ。死体は確かに衛生上深刻な脅威だが、雌の出産や妊娠しないときの性器からの出血などを穢れとするのは、多分出産の魔力に対する過剰評価が裏返ったんだと私は考えている……人間は神聖すぎるものも避けるようにすることが多い。  その穢れを除去するのはとても難しい。それを除去する方法もあるが、その多くは塩・火・水などを用いたり群れから隔離することなどで、実際に微生物を除去する方法と共通する。  また、穢れ自体を擬人化して、悪い霊として扱うこともある。そうなると、穢れるというのは悪い霊にくっつかれている、と表現することもできるわけだ。 「彼は悪い霊につかれて皮膚が赤くなって苦しんでいる、彼は穢れている、彼は悪霊につかれている、彼が悪いことをしたからだ、だから彼が触れた物・彼の家族には近づくな、森の外に出しておけ、皮膚の赤みがとれたら塩と油を塗って全身を水に浸してから群れに戻せ、死んだら全て焼け」はそれなりに合理的な伝染病予防マニュアルだ。といっても彼の悪事と伝染病の因果関係は普通はないし、悪い霊というのは人格などない微生物だし、皮膚が赤く苦しいのは感染しない病気かもしれないが、伝染病予防策が何もないよりましだろう。  さらに、地域などを「清浄」「穢れ」に分けることもする。ある領域の中は安全で、その外は危険だとするわけだ。おそらく捕食者に対する安全を得るためだと思う。  その穢れは、他者を攻撃したり支配したりするのにも使える。呪うためには接触したものは同じ・形が同じものは同じ・名は体を表す、という魔術の原則を用いればいいわけだ。それを利用して「敵を呪う」ためには、たとえば土や木で人間の形に似せたものを作り……もしかすると、絵とかはそれがもとかもしれない……それを敵に触らせて、それからその人形を敵の名前で呼び、相手を象徴する属性をつけ……後述の文字があればなおよい……そして人形をたたき壊せばいい。そうすれば似ている・接触・名前で、その人形は敵そのものだ。だからその人形に対する破壊と同じように敵も破壊される、すぐには見えなくても敵の、肉体とは別の霊の部分は壊れている、と結論される。  これは前提にいくつか科学から見ると誤りがあるだけで、論理的にはとても正しいことに注意して欲しい。  実際「呪い・悪霊」「(魔術的に)身を護る」という言葉は驚くほど多くを説明する。  人は常に人を攻撃して支配し、群れを強めたがる。そのメッセージは言葉としても、言葉にならない体の微妙な動きからも出る。  特に人の自尊心を破壊し、家畜化する技術・言葉はとても発達しており、それは魔術の言語を用いることが多い。人の行動を支配するのを目的とすれば、人を怒らせ攻撃を誘うのも有用だ。特に臆病といわれて引き下がれば、それは自分が臆病だと認めることになる。ごく普通に会話するにも、攻撃と取られないようにするには迂回するような言葉を使わざるを得ないほどだ。  また人は常に特に対象のない恐怖・怒り・不満などを抱いており、それから身を護り安心できる状態を作ろうとする。  人の間の意識的でない攻撃とそれに対する防衛は実際には現実の、物理法則が禁じていない現象の集まりだが、あまりにも意識されない微妙な動きによるものが多い。そして魔術の言葉を用いるのが最もわかりやすく、人は魔術として意識していなくても、言葉や身振り、相手が大切なものを奪ったり攻撃したりなど魔術の方法論で他人を攻撃したり攻撃から身を守ろうとしたりしている。  もちろん呪いにも様々な方法がある。言葉だけでも、相手や相手の親・先祖・神を悪と呼んだりすれば充分攻撃・呪いになる。  呪いと穢れ、罪や恥には深い関係があり、要するに神に呪われた存在が穢れている、とも考える。犯罪に対する刑罰も穢れを排除する魔術と深い関わりがある。他にも実に多くのことにあてはまる。  ちなみに私が上で、「これが地球の生物の〈呪われた〉基本法則」だと言ったのは、生物から弱肉強食を取り除くことが不可能であり、それは私は不快だ、と言っているわけだ、といってもこうして考えを整理するまで、ちゃんとわかってたわけじゃないんだけど。  なぜそれが不快なのかというと、実はきわめて近代的な価値観に弱肉強食の否定があるが、それと生命の本質が矛盾していることに対する不快を感じていた。  除去できないという点が呪い、穢れと同じなんだ。  神と接触したり、穢れを除去したり、逆に人を呪ったりと様々な、複雑な手順をともなう行動を儀式と呼び、人類社会にとってきわめて重要な要素だ。  むしろ、人類の行動で完全に儀式でないもののほうがまれだ。  後述の様々な装飾をともなうものもあり、何か……神や後述の伝承の人物、動植物や太陽などの自然を擬人化したものなどを演じて歌い踊ることも多い。特定の言葉、歌もその一部になる。個体でやっている儀式も多くあるが、群れで飲食・歌舞・脳に働き意識を変える薬物などを利用し、多くは身体装飾を変えたり普段禁じられていることを逆に行ったりして共同で行う儀式も多くある。  そして、他人にものを頼むために食料を差し出すように、神にいろいろなものを与えることも多い。特に生き物、中でも人間という最も貴重な資源を殺し、その生命と深く関わる血を神に捧げるのが重要で普遍性が高い儀式だ。  決まった、複雑な手順で何かをすることは人に深い安心感を与える。中には心の病気として、その人の生活では大した意味を持たないことをものすごい回数繰り返してしまう人もいるし、誰もが多かれ少なかれ色々なことを決まった手順でやっている。  宗教の重要な要素に、何かをしないことを参加者全員に強要することがある。その避ける理由としては、穢れと過剰な神聖さの両面があるし、まったく理由なしに「神の命令」ということもある。  逆に特別な状況でその禁止が解除されることがある。たとえば普段は黒い服は禁じられるが、家族が死んでから三年間は黒い服を着なければならないなどだ。  宗教のタブーなどを実用的に解析すると、群れの秩序を守るための裏切り防止・嘘防止・支配の正当化・衛生・そして過剰な森林伐採や狩猟を止める、新規発明を止めるなどの機能がある。  特にある食物に関するタブーがあり、小さい頃からそれによって教育されてそれに対する嫌悪感を強く感じるように育てられていれば、その食物を食べなければならない別の宗教をもつ別の群れに参加することは事実上不可能だ。共に食事をすることは「同じ群れの一員である」という強いメッセージになる。  他にもタブーは実に複雑で、人間社会にとって深い意味を持つ。法や道徳の重要な源泉でもある。  タブーと、さまざまなものの中から何をその群れにとって重要な神とするかと関係があることもある。ただしそれは、他の群れから自分の群れを差別化するためという意味が大きいな。  そして穢れ意識の副産物……というかもっと深い部分で人間には自分、社会を清浄にしたいという強い欲望がある。不快を避けたい、支配したい、敵を攻撃したい……特に飢えや支配されている群れ内地位など嫌なことを敵のせいにして怒りに変えたい、ということだろう。  それによって、後述する様々な道徳を過剰に人々に強要するのが、人間の群れにとっては持病のようなものだ。  人の死と誕生はそれ自体がきわめて魔術的な出来事であり、それに関連する魔術もきわめて多い。  人の死は魔術的にも最大級の穢れだ……死という最大の穢れが群れに入ったということだ。  愛する人が死んだときの大きい悲しみを処理するにも、様々な魔術的な処置が必須だ。  特に家族の死ぬ前の本人に対する愛情は死んだらすぐ消えるようなものではない。本人に対する愛情と死体に対する嫌悪が強くぶつかり合って、適切な儀式がないと混乱するわけだ。  実際的には、死体は微生物に食われないよう各細胞を維持する機能を失い、微生物や蠅など一部の昆虫にとって最良の餌になるため、よほど寒かったり乾燥したりしていない限り短時間で内部から微生物が大量に繁殖する。皮膚は割と丈夫でその中で二酸化炭素などを出す微生物が多いから膨らんで最後には破裂し、きわめて不快な匂いで有害微生物を多く含む液を大量にまき散らす。蠅もものすごい数に増え、その人を死体にした伝染病も含む微生物で汚染されたまま周囲を飛びまわる。その周辺で生活するのは伝染病のリスクがきわめて大きい。またその過程は匂いも見るのも非常に不快だ……それを不快と思う遺伝子をもつ個体のほうが死ぬ率が低かった。  それを無害に処理するには、まず食べるか食べないか。  人間も所詮動物であり、その死体は上記の獲物の死体同様食用・皮革などに加工しうる。ただし人類は自分たちを特別と思い、人間をほかの動物のように資源とのみ考えることに抵抗をもつ。群れの一員に対する愛情、また霊を認めれば、死んでも全て終わりではなく死者の霊と肉体のつながりも完全に切れてはいないので、死者の肉体を傷つけて食べることは群れの一員であることに変わりない死者を攻撃することになるので群れの一員を攻撃してはならないという法による束縛が関わってしまうこともある。さらに死者を大きい穢れと見なせば、それを食料や皮革にするのは大きな穢れになる。  また実際上も、特に近い血族の人を食うのは、調理してさえも特殊な伝染病が伝わる可能性があり危険な行為でもある。特に病死だと死体そのものがきわめて危険だ。ちなみに私自身も含め、今の地球の人類のほとんどが食人を強く禁じている。だから上で、私は自分の肉のコピーを食べるという発想自体が群れに排除され殺されると言ったわけだ。  食べないとしたらまず死体を保存するかどうか。死んでも霊は残り、いつか生き返って動きだすだろう、と信じる群れも多く、その場合は死体を保存する。特に乾燥しきった砂漠では、内臓を抜いて塩などで処理し、日光で乾燥させれば何千年も保存される。反面死体がまた活動を開始し、しかもきわめて邪悪で霊的な存在になると思うことも多く、それを防ぐためにも儀式が行われる。  保存しないのなら死体をなくさなければならない。土・水・火・鳥獣などがある。土に深く埋めれば、多くの土壌生物が死体を食べ、短期間で骨だけになる。人間にとって病気になる有害な微生物も、多くは別の土壌微生物に食われる。水の流れがある場合、水に流してしまえば体内が微生物に食われて出るガスで浮くため、破裂するまで浮いたまま流れる。流れてしまえば生きている人々の生活圏からは消えるし、水中にも様々な大きさの生物がいるから有害微生物も、死体に比べて水が多い限り処理される。火で焼くのは大量の燃料を無駄にするが、微生物を全滅させるからきわめて安全だ。野外の適当な場に放置して鳥獣が食うに任せるのも短時間で安全になる。いまだにそれをやっている群れもある。  その処理は実際的であると同時に、その多くは儀式だ。その儀式には死者の霊が神に守られて安楽な国に行った、という物語が多い。  家族の誰かが死んだとき、群れの中でその家族は喪と呼ばれる特別な状態に置かれる。穢れているが、家族の誰も死なない人などいないから群れから追放するわけにもいかないため、特異な地位として喪の状態にあることを主張させ、生活できる程度に食料を得るためなどの行動も制限する。実際的には伝染病も多いから、念のための隔離としても有効だ。  喪の時には体をわざと汚すのもよくある。自分は穢れているというアピールだろうか。灰をかぶる地域も広いが、それは浄化のためでもあるのだろうか。また普段はタブーである行動を意図的に行うことが多い。霊が属する、人間の世界とは別の世界に半ば移っている、と人間の心で認識され行動するわけだ。  人の繁殖こそ最大の魔術だ。群れの存続と繁栄にも深く関わる。  それゆえに女性の繁殖能力はきわめて重視され、同時に非常に大きな穢れとして扱われる。特に上述の定期的な出血や出産に付随する体液などは穢れとされる。群れの中での権力構造では女性が魔術の分野で権力を握ることもあるが、少なくとも繁殖時に戦闘力がほぼなくなるため、暴力の規模が大きい群れでは女性の地位は低下する。  また、男女とも繁殖能力は知性や戦闘・狩猟・ものづくりなどの能力と同様かそれ以上に重視される。遺伝的な欠陥などで繁殖力がない個体も多いが、それらは低い地位に置かれ、特に女性は存在自体を否定されることもある。繁殖力がないことが周囲に知られることは、恐らく人間にとって最大級の恥だろうな。  魔術・神や霊を信じることの重要な機能に裏切り防止がある。  単に人間だけであれば、誰にも見られていないときに群れを裏切っても気づかれない。だが神や霊という自分では見えないものに常に見られていると思えば裏切り行為はしにくい。まして動物としての人間には常に対象がなくても恐怖はあり、それがそれら霊という対象を得るのだから効果は強い。  人の言葉や行動の約束が間違いないという保証がなければ群れの機能は半減する。  それを防ぐ方法としては、真実でないことを言ったり約束を破ったりしたことを、相手が記憶し群れの他のメンバーに伝え、以後彼の言葉を信じ、彼と約束する者はいなくなり、そうなると群れ生活の利益のほとんどがなくなり、地位を向上させるのも難しいし食料など物資を手に入れることも難しくなる、というシステムにすればいい。  更に確実にするには第三者がいればいい。同じ群れの誰かが聞いていれば、たとえ裏切って約束相手を殺して口封じとやっても、第三者が群れに言いふらす。  さらに約束を群れ全員の前でやれば、第三者も殺す手は不可能だ。  それを拡大したのが誓いで、目に見えない監視者でもある神霊の前で約束し、さらにその約束を群れ全体に公言する。さらにそれには、約束を破ったり嘘だったりしたら強力な呪いがかかるように、と魔術的な儀式を加えることでより効力が増す。実際に呪いどおり死ぬことはなくても、当事者がそう信じていて効果があれば群れは機能するし、少なくとも強く穢れた存在として排斥されることにはなる。その誓いが変化したものに契約という考えがあり、それを破った人は全ての人に相手にされないという脅迫がかかっているし、また魔術的な脅迫も意識は普通されないが強くある。  他、群れ内の信を維持することは群れにとって何よりも重要であり、人間は主に魔術的儀式と違反者を排除することによってそれを保とうとする。  またもちろん、群れの最上位者は自分が霊や神であり、それが常に普通の人間にできる以上の力で皆を監視しており、嘘をついても隠れて行動しても心の中で考えるだけでもわかるし、自分の群れ内地位を上げようとしたら神の力で罰する、とすることでより強く群れを統制できる。  それによって、全員を殴り倒さなくても支配することができるし、より大きい群れを維持できるし、群れ内順位を物資同様確実に子供に譲ることもできる。  というか暴力だけの支配は無理がある、人類は眠らなければならずその間は無防備だ。まあ強い暴力と恐怖だけでも寝ていても逆らわないように恐れさせることもできるが。 **神話・民話・伝説  人間は言葉で世界を理解するが、その理解は主に群れの中で伝えられる多くの物語によって構成される。どの人間の群れも、非常に多くの物語を伝えている。家族によって異なる話を伝えていることも多い。物語は音楽や踊りをともなうこともあり、儀式と一体化していることも多い。  呼び方は神話・民話・伝説・俗謡などいろいろあるが、要するに群れとある意味一体化した非常に寿命の長いミームだ。  幼い頃は親から、そして群れで伝えられる。  その物語は群れがどのようにできたかを語り、群れ及び個人のアイデンティティにとても深く関わる。  世界がどのようにできたかを語る話も多い。人間は好奇心が強く、あらゆることの理由を知りたがる。だがが昔の人類は観測手段もなく、上記のような科学的な知識は持てなかったから、魔術的な物語として世界が始まってから自分たちに至るまでを描いている。  話の構造としては、ある個体にとって非常に都合のいい話が多い。  聞くものは誰もがその話の主人公と自分を重ねるため、その都合のいい話を追体験できる。  神の子孫である男が大きな富、地位とよい繁殖相手を兼ねた存在である高い地位を持つ美女、強力な武器、さまざまな超能力を得られる道具などを手に入れ、非常に強大な様々な恐ろしさを複合させた獣を殺す話が多い。そこに一度死んで復活する、生殖などの話が混じることも多い。  その発展として、不老不死を獲得するのに失敗するという構造もある。それによって過剰な欲を抑止するなど、善悪などが混じる話も多い。  動物や、時には植物や大地や山など自然物が人間と同質の精神・言語さえ備えていることも多い。  多くの知識を説明する物語も多い。魔術の使い方や禁じられていることなどが主だが、その中によく見ると多くの動物の危険性や植物の毒、危険な地形についてしてはならないことが混じっている。  ちなみにそれら昔から伝わる話は、人間の精神構造を理解するには非常に重要だ。人間にとって快い話が選ばれてきたのだから、「人間は何を好むのか」という問いに対する答えがたっぷり詰まっている。  また、体験は必ずしも物語にできるとは限らない。あまりに大きな悲惨などがあると、それを適切な物語にできず、親が子供を攻撃したり暴力的に暮らすことでそれを伝えることがある。攻撃されて育った子供は適切な物語を持てずに育ち、親の攻撃を周囲や、何より自分の子供に対して行うことで模倣する。  それがある種の文化として、家や群れの中に広がり受けつがれることも多くある。  また、人間の深い情動である「恐怖」「怒り」「悲しみ」「復讐」「笑い」「莫大な富」などはとても好まれる話だ。  興味深いのは笑いの重要性だが、それについては圧倒的に知識が不足している。特に「笑う」「泣く」ことが魔術的にどんな意味があるのかは奥が深すぎてとてもとても…… **習慣と常識  人類は根は保守的で、従来どおりの習慣を続けようとする。  これまでそれでうまくやってこれたのだから今まで群れが生き延びてきた、だからそれは正しい。  だが、長い年月の間に気候が変わったり、ある獲物や食べられる植物を種ぐるみ絶滅させてしまったり、新しい場所に移動したりしたら当然新しい状態に合わせなければならない……んだが、そう簡単ではない。むしろ今までのやり方を守って全滅することを選ぶことのほうが多いぐらいだ。たとえば氷河の上で生活することになったら、植物からビタミンCは得られない、動物の生の脂肪と血液からしか得られない。だが、脂肪と血液をタブーとする人々も多く、そういう人々は生命、群れの存続よりもタブーを選んで滅んでしまうものだ。  人間の生活、いや歴史では「試行錯誤」と「習慣」の争いも結構重要だな。  まあだからこそ、それとは違うやり方をしたがる子が少ないけど生まれて、それは群れに順応できず群れを飛びだして大抵死ぬけど少数は新しい、より新しい環境に順応して生きられる群れができてなんとか人類自体は絶滅せずにすむ、という具合だ。  というか人間は「ものを考える」ことが嫌いだとしか思えない。考えず、今まで通りに、できるだけ単純なものの考え方でやるのがものすごく人間にとっては楽であり、快なんだ。  人間の認識は束縛されている。自分の常識と異なる情報を他人から聞くのはおろか、感覚器に入ってもちゃんと意識で認識することさえきわめて強い抵抗がある。そのためには自分が見たり聞いたりした情報をねじ曲げることさえ簡単にできる。  まあ人間は癖や習慣がなければ、服を着ることすら困難だろう。  常識・前提にも、個体・家族・群れ・巨大群れそれぞれである程度別々になる。まあそれはなんでもそうだが。  もっと根本的に、人間はいくつかの命題を、無条件に正しいとすることで自分及び群れの物語の根拠とする。ちょうど数学で、いくつかの命題を公理系として、それを前提に数学体系を作るのと同じだ。といっても、そんな構造で数学を作っているのも我々だけで、別の世界の知性は別のやり方をしているのかもしれない。  群れの全員が共有している、言語表現すらできないほど当たり前のこともたくさんある。たとえば私が時間やエネルギーなどをうまく言葉で表現できないのは、それが今の人間の心のあまりに深い部分でやる考え方だからだ。  人類が人類以外と意思疎通することはないため、今私がしているように「人間以外を前提に」物事を説明しようとすること自体がありえない。そして人類が進化してきたあまりに長い間、自分の群れ以外と殺し合い以外で意思疎通することすら多くはなかった。  特に通俗的物理学に属することは、すべて再検討の必要もなく誰もが共有する「当たり前」だ。ただしそれはその群れが生活する場、この地球の表面の諸条件、人類の体のサイズだけで通用することだ。  逆に、その常識を論理・数学だけで表現しようとしたらものすごい、今の人類の技術でも処理不能な情報量になる。  もちろん群れの中で常にいきかっている膨大な、言葉や言葉でない情報である常識は実に多い。 **善悪・刑罰  人間にとって善悪というのは非常に重要だ。  動物、いや生物の本質はDNAがそれ自体を複製することだから、生物である人間にとっても本来、善というか目的は個体が生き残り繁殖し、遺伝子の一部を共有する子孫を含んだ群れが全滅しないことのはずだ。だが人類はきわめて多くの情報を伝える性質があるので、そう単純にはいかなくなっている。  人間は誰も生まれて間もなくから、「していいこと」「してはならないこと」を親などから教えられる。群れの一員として生きのびるために。それは個体の、恥・罪・穢れなどの感情と深く結びつき、良心とも呼ばれるようになる。また怒りとも強く関係し、基本的に群れの仲間、特に上位者を怒らせることはしてはならないこととなる。  それはある程度どんな群れ動物にもあるが、人類は言葉や意識があり、特に元々生きていたアフリカとはまったく違う生活環境で暮らす群れも多くある。またしていいことならないことを言語化する傾向がある。  ただそれだけではなく、支配者は感情だけで怒り罰し、行動を命じることもよくあるから、言語化された「していい」「ならない」の集まりだけではない。群れの中の任意の部分群れ、さらにその時の状況などに応じて違う、と言ってもいいぐらいだ。  さらにいえば支配者……たとえば子供にとって親が不快な感情を出したことを感じれば、そのときにしていたことはしてはならないことだ、となる。それと、その時の親のメッセージが矛盾することさえあり、その時はどうしていいかわからなくなる。ただし、人間は完全に論理的な存在ではなく、自分の行いが群れの言葉では善とされていても支配者の怒りを買い、悪とみなされて圧倒的な力で叩き潰されることもよくあり、それは支配者に対する憎しみになることもあるが、逆に最も強い形で支配者に対する忠誠や愛情になることも多くある。  していいことだけでなく、積極的にすべきことがある。特に自分の欲望より群れの利益を優先することがよいとされる。  さらに善悪には魔術的なこと、言葉によることが入り、群れが大きくなるとますますややこしくなる。  人間には様々な欲があり、常にその規範を守ることはできない。中には生来規範を守ろうとせず他人を支配することを好み長ける者もいる。また欲が強いときは、本来してはならないことだがそれをするのがより高い規範に従っているのだ、と意識の中で合理化することもある。他にも規範を破る理由としては自分は特別だからばれることはないし神も許していると考えることなどがある。それだけでなく、人間は普遍的に善をなしたいと思うと同時に悪をなしたいと思っているとしか思えない。意味がないように見えることに対する禁止があり、それにわざわざ違反して罰される者がいる。特に後に社会が複雑になると、特に若い個体が集まって社会の法を破る集団を作ることがきわめて多く見られる。  罰するためには、その個体が統合されていることが必要になるが、実際には統合された個体というのは人間が人間を擬人化しているだけだ。たとえば同じ個体でも、ある個体と接しているときと、また別の個体と接しているときでは言動や行動基準が大きく異なることがある。また人間の擬人化は、個体内部の欲などをいくつかに分け、それぞれを別の性質を持つ小さな擬人化体……たとえば「理性」と「獣欲」……としてその対立構造で個体を把握することもある。  また欲はいろいろあり、矛盾することもあるが、体は一つしかなく行動は一つしかできない。動物はどのようにそれを選択しているのか知らないし、人間も本当はどうしているのか知らない。  だが人間の何でも擬人化する考えは、擬人化された個体が「目的」のために「意志を決めて」行動している、と解釈する。  群れは、常にその違反に対して罰することをする。まず罰するのは一番小さい群れである親子間、家族での上から下。逆に言えば、群れを維持する方法として人類は、罪を罰することと富を分け与えること、魔術的な儀式を行うこと、群れの目的を定めて行動することぐらいしか知らない。  本来は罰と賞は一体で、正しく規範を守れば誉めることもある。また、公的な罰に至らず、個体どうしや家族などで、怒りの表現と謝罪・許しによって解決することもある。これは本来群れ内部の争いに過ぎないとも言える。許しというのが複雑で、怒りを抑えてこれ以上争わない、と互いに制約することと言えば近いだろうか。  この怒り・謝罪・許しも罪と罰においては重要であり、特に神概念が入ると、神の怒りに対して謝罪し償い、神がそれを許すまたは罰する、また罰した上で許す(当然群れの上位者が神でもある)という構造にもなる。その許しを求めるために生贄を捧げるなど儀式を行うことも多い。さらに罪が重い場合には、許しきれずに罪人を不可逆的に呪って穢れとなし、群れから排除することにもなる。  謝罪は自分が規範を破ったことを認め、上位者・群れ自体・群れの規範に対する服従・自分の悪い心を追い出したこと(ここで自分の精神を霊の世界ととらえ、それを善霊と悪霊による小さな群れとし、その中から悪霊を追放することができると考えられている)を表明する行為だ。悪霊が強すぎるときには群れがその悪霊を追い出す儀式を行うことにもなり、それも罰に混じる。それには、たとえば汚染された食品も加熱してある程度菌を殺し食べられるようになることがあることからの類推があるのかもしれない。  また罰には、群れ動物が進化させた攻撃に対する復讐、そして経済的な等価交換の考えも混じる。群れ内部でも、誰かが殺されるときにはそれは復讐の必要があると人は考え、殺害者を憎悪し攻撃する。また経済的な考えもあり、それで損害に対してそれを償う価値のあるもので返す発想もある。これは交換や群れでの共有の約束に違反したときに行われ、それは物を「返す」ことで償うことができる。それらが結びついて罰と呼ばれる儀式システムがあると考えるべきだ。  最大の罰は、死後の世界をいいところと悪いところにわけ、悪いところに行くと宣言することだ。この恐怖はきわめて有効で、これまで生きてきた人間の多数を強く支配し、社会を機能させている。  次いで群れからの追放。そして殺す、暴力を振るって苦痛を与える、群れ内部での地位を下げ名誉を奪う、また魔術を用いて呪うなど罰は多岐にわたる。  人間は基本的に、群れの成因を全員穢れのない存在だとしたがる。そして誰かが規範を破ることは、群れに穢れ・悪霊を導き入れたと考え、それを排除する儀式を行うし、またその規範を破ったものを群れ内で別の、穢れたままの分類にある存在として扱うことも多くある。  それらの「していい」「ならない」がはっきりしていて、してはならないことをしたら確実に罰が下される状態にあり、してはならないことをするものが群れにいない状態は秩序があるとされ、群れにとって好ましく個人も安心することが多い。ただし、それを嫌う気持ちもあり、個人差としてそれが強い者も一定の確率でいる。秩序・信関係の維持は群れの規模に関わらず群れの維持にとっては最も重要とされる。  何が悪いことかを決めるのは支配者だ。  支配・群れの最上位であることの本質は群れが肥大するごとに「善悪を定める」「情報自体を制御する」ことと「人を地位に就け、追う」ことになっていく。まあ「善悪を定める」のは神だから、それで後述する宗教群れの力が強まってしまうんだが。  善悪の基準を言語化したがるのが人の常だが、無矛盾な基準は作りようがないし、またそれが……正しく行えば何でもできる、と人が魔術的に考えることまで考えれば……どうしても混乱がある。  その基準が余りに混乱していると、まともな物語を作れなくなるが、ある程度の混乱は必然でもある。  人間の考えとして、あらゆる悪いことは自分や誰か悪い心・行いのせいであるという前提があり、罰したくなることもあり、それが基準を作ることをややこしくしている。後に文字が発明されると、言葉だけで基準を定め、しかも変更が難しくなるのでよりややこしくなる。  人間にとってずっと、道徳・宗教・魔術・法律・礼儀は一体であり、一つの価値観から事の善悪が裁かれてきた。基本的に「してはならない」ことは上位者に服従しないこと、罰など正当化されるものを除く群れの成員への攻撃が一番重い。また攻撃には、上下関係を確認するメッセージを誤ることも含む……、家族によって許されている相手以外との交接行為やそれに関するコミュニケーション、「自分は群れの一員だ」というメッセージを出していないこと、ある意味同じだが排泄や交接行為や食事における習慣など常識的な行動を取らないこと、魔術によって規定されたタブーを破ることなどがある。さらに後に群れが拡大し、複数の群れが混じって暮らすようになると支配者に対する反抗、支配神やその言葉に対する異論を言語表現すること、考えることなどさまざまなものが加わる。気をつけて欲しいのは、誰かが罪を犯したかどうかは最終的には群れが合意すればいいのであり、本人の心情や事実とは関係なくなる。  そして善悪の基準を言語化したがるのが人の常だが、無矛盾な基準は作りようがないし、またそれが……正しく行えば何でもできる、と人が魔術的に考えることまで考えれば……どうしても混乱がある。さらに人間の考えは、あらゆる悪いことは自分や誰か悪い心・行いのせいとなり、罰したくなる。  また何が「事実」かという事自体に価値判断が入る。自らの価値観・道徳体系を否定する証拠になるようなことを「事実」と認めるのはきわめて困難だ。そのような事実を出した者を、自分を攻撃する敵だと思うことさえある。  その道徳は、群れそのもの、世界そのものにも向けられることがある。この世界は悪い、改良できる、という考え方が、特に文明ができてから強まる。原始時代や古代文明ではどうだったのかは知らないが。  そこで自分の群れ内部での地位、ほかと比較して高い地位を持つ(とどの群れも考えている)群れの成員である条件としてこれまで正しい行いをしてきたと皆に認められていることも群れに留まり、地位を保つには必要とされる。群れ動物は本来注目を求めるので、他人に「よい」仲間と思われ、認められることは強い快になり、そうならないことを恐怖するのも当然のことだ。  人間の群れは必ず支配構造ができるが、支配する側と支配される側の差は絶対的なものではない。  支配する側は、支配される側を信用しないとしたら、支配される側を一日中完全に監視していたい。  でもそれは不可能だ……支配する側も眠る必要があるし、目は二つしかない。  また、人は「見られたくない」感情があり、特に排泄・交接・体の洗浄などについて見られ知られることはきわめて不快に感じる。また単純に、監視され管理されていると感じることすら不快に感じる。  たとえば後の技術が進歩した世界では、全員の体にある遺伝子や皮膚に出る個体識別情報を政府で名簿と合わせて登録することに誰もが強く反対するため、なかなか実行できない。それが実行されれば犯罪を犯して逃げおおせるのは困難であり、抑止という仮定が有効ならば抑止になるし、少なくとも冤罪を晴らすには役立つのに、それがなされない。それどころか、全員の名前を扱いやすいように数字と対応させることすらも反対が多い。  立場、性別、年齢によってしていいわるい、すべきでないが違うこともある。社会が複雑になると階級が生じ、その階級によっても従うべき規則が異なる。特に面倒なのが男性・武人の倫理だ。  人間の雄、男性というものはなぜか、ある特定の倫理の集合に強くこだわる傾向がある。全体に二種類の男性倫理があり、どちらも重んじられる。公式には前者だが、実際の、特に下位の人々の間では後者も常に尊重される。  共通するのは仲間を裏切らない、戦いでの怪我や死を恐れない、名誉を重んじる、暴力をよしとし、恐怖を感じても表に出さず、苦痛や不快を感じても感情表現をせず、従うべき相手に忠実に服従し、自分が死ぬリスクが高くても攻撃を続けることがよしとされる。他にも美を無視せよ、女子や子供を保護せよかつ(矛盾しているが)常に暴力を振るってきちんと支配せよ、嘘をつくな、などがある。それらの基準を満たしており善であると群れの成員に思われること、すなわち名誉がそのまま群れ内の地位に直結する。  上位とされるのは暴力メッセージを抑えて礼儀正しく、敵であっても敬意を払って騙さず、自らを質素かつ美しく飾り清潔で、宗教に忠実で自分の快を欲さず、飲食は少なく特に酒は飲まず、賭博や売春はせず、人に苦痛を与えることを好まず、女子供など弱者に暴力をふるわず、文字を使いこなし美を重んじる。  下位の規範は対照的に巨大肉食獣を人間なりに擬人化したような存在だ。暴力メッセージを常に出して誰にでも暴力を行使し服従を求め、声も体も巨大で礼儀を無視し不潔、飲食は誰よりもたくさん質よりも量を口にし、敵を倒すためには手段を選ばず、敵を誰よりも激しく軽蔑し憎み、文字を憎み焼き払い、美しいものはすべて破壊し生き物は殺し、女子供を容赦なく過剰に苦しめて皆殺しにし、自分の家族でも苦しめて家畜同様に従え、人を苦しめることを喜び、また宗教も軽蔑し、賭博や売春にも積極的で物をたくさん奪って惜しまず無償で仲間に配る。自分や自分の群れが攻撃されたら徹底的に復讐する。女そのもの・同性愛・臆病を同じカテゴリーとして憎み排除し、反面買春や強姦、冒涜的な魔術、浪費と破壊を群れ全体で強制的に共に楽しむ。  ちなみに人類は雄と雌のかたちが違い、雄の方が攻撃能力が優れているし、精神的にも雄の方が攻撃的だ。  問題は、人間には完全に「こうしたらこうなる」がわかるわけじゃないってことだ。さらに物事はなんにでも両面があるし、人間が得られる情報はごく限られている。だから何が本当に善なのか、人間にはわからない。人間でなくても、自然現象やほかの動物の動き、それどころか群れの心理の動きさえも、人間には完全に予測することはできない。多くが複雑……きわめて多くの要因がかかわり、そこには結果が原因の側に影響を与えて循環しながら増幅したり制御したりする過程も多く、数が増えると初期条件のどんな小さな変化も大きな結果の違いをもたらすことになる。  やっかいなのが、人間にはわからないにもかかわらず、人間は「誰のせい」という考え方をしてしまうことだ。それは本質的には上記の魔術的思考だ、結果をわかりやすい物語にまとめてしまいたいだけだ。  その「誰のせい」と罪と罰は、責任という概念にもつながる。これはかなり後世の、ある地域から出た文化の考え方かもしれないが、要するに健常な人は自由に行動を決定できる意思力を持ち、その意思による行動がなんらかの、群れにとって損になる結果をもたらしたら、意思によって決定した当人はその結果の責任を問わなければならない。また人はあらゆる地位・命令・誓約に従って、すべきことをし、失敗したときにはその責任を負って罰されねばならない、などだ。  要するにある主体による物語にしたいわけだな。現実には人は感情に動かされるから行動を決定することなどできないし、結果がどうなるかも予測できないんだが。  さらに言えば、完全に善・清浄であることは人間には不可能だ。  礼儀も非常に厄介な点だ。本質的には「自分は敵ではない」というメッセージを相手に出すための、言葉・表情・体の動かし方・体の装飾などにいたるすべての制御だ。  たとえば言葉などでは、相手に敵対しているととられないようにするため、特に否定的な情報を伝えるときには言葉をいろいろとひねったりする。  礼儀が大きく関わるのが飲食の場で、それ自体魔術的にも特異な状態だ。逆に互いに不快感を与えずともに飲食できるとしたら、同じ群れの一員であるとみなしていい。またはそれぐらい相手の群れについて詳しく知っていて、正しい行動をしているということだ。  その礼儀ができていることはそのまま「群れの正規の一員」というメッセージにもなる。 **娯楽・装飾  人類は、便利な道具も少なく生存率が低かった頃から、生存に一見役立たない余計なことをいろいろやってきた。上記の魔術に関する儀式もそうだ。  人間は少数の子供を長時間養育する群れ動物だから、息をし、水を飲み、ものを食べ、繁殖相手を捜して交接して卵をばらまくのを死ぬまで繰り返す、というほど単純じゃない。といってもそれが一番肝心だということは、よく忘れるけど間違いないんだが。  群れを維持し、個体として地位を維持し、繁殖相手に選ばれるめの膨大なコミュニケーションには生存に一見役立たないものも多くある。これは人類だけでなく、鳥などにも生存には役立たない複雑な色や形をもつ大きい体表の余計なものや発生器官があることが多い……性淘汰だ。  人間はほかの動物のように嗅覚を使わなず主に視覚を用いるため、自分が群れの一員だと示すためには皮膚または衣類に、人間に見える光で分かる変化をつけてそれで区別する。それには上述の魔術の要素も強く、典型的な思考様式はある肉食獣に特有の黄色と黒の模様を体に描き、それによって自分たちはその肉食獣の擬人化された霊を神とすると周囲に宣伝し、その肉食獣の強大な力と素早さが自分たちにもある、それもその力は悪霊にも有効であると思うわけだ。さらにその肉食獣自体の美しさを真似ることで、自分たちを美しくすることもある。  人は生まれながらの皮膚と毛、そして温度調整と鋭い刺や肉食獣の爪牙から身を守る服だけでいい、とは思わないものだ。身を美しく飾りたい、より強いなにかと同一化したい、群れで同じ外見でいたい、と強く欲する。  特に多くの資源を浪費する装飾は、自分が餓死しないだけの食料だけでなくそれだけの装飾用資源も集められる余裕がある、だから交配相手と子供五人ぐらい軽く餓死させずに食糧を供給できるし、それだけ遺伝子も優れている、だから自分を交配相手に選べば遺伝子を長く多く残すことができる、というメッセージを与えることができる。  直截に大量の食料を無駄に燃やすなどして富を見せつけることもある。  魔術的な意味も非常に強い。魔術によって肉食獣・人間の敵・伝染病などの害……悪霊とされる……を避けられるという考え方も強くあり、自分を群れにふさわしく飾ることによってそれらを遠ざけることもできる、と考えている。  そのような理屈をつけず、ただ「人類は自らを飾ることを好み、そのために多くの資源や時間を費やす」といいきってしまったほうが正しいのかもしれない。   その装飾には「体を隠す」という面もある。人類は、特に他人に見られるところで体表に何も付けず全身を露出することを嫌う。それは人類共通の無意味な魔術的なタブーだったのが今生きている全人類に、誰もなぜなのか検討もせず引き継がれてきたものか……それはわからない。少なくとも、どの衣類を必要としないほど気候のいい場に暮らす、他との接触が最近までなかった群れでも、完全に何も身につけずに生活していることはないらしい。少なくとも生殖器にはなんらかの装飾をつける。  まず皮膚表面に、土砂や植物など特定の波長の光を反射吸収してある色を見せるものをつける。皮膚を傷つけて色のついたものを入れることで一生皮膚の色を変える技術もある……これは大きな苦痛と、微生物の侵入による死のリスクがあるため、皆に対し自分の強さを強く主張できる。  頭部の毛を様々な形・色にすることも重要だ。  衣類の表側に色をつけたり、実際にあるものの形や、それを極度に単純化した図形やその繰り返しを見えるようにすることも多い。  また武器や道具、巣などにも装飾を入れることがある。それには魔術的な意味も大きい。  その飾りは大抵群れで統一されて群れとそれ以外を差別化し、また群れ内の地位を表現している。  また不思議なことに、人間はリスクを好む面がある。まったく死ぬ心配も痛みの心配もない、というのは、少なくとも一部の人間には耐えがたいのだ。  男性が群れのために危険を冒さなければならず、危険を冒せば群れの中での地位が上がることもあるだろう。  また余分な若い雄が群れから出る必要があることもあるだろう。  さらに、上記の子供が行ういろいろな、生存と直接関係のない模倣活動は魔術と密接に関係させながら成熟した大人も楽しむ。  これも人間活動の中ではとても重要な要素だ。  これらは基本的には農耕牧畜によって人間の群れが拡大してからだが、賭博・売買春・酒・依存症・占いなど人間の生活を大きく損なうほど生存とは関係のないことが社会にとって大きい要素になることがしばしばある。  また、多くの動物、特に自力で餌を得て繁殖できる前の若い個体が、生存に直接関係のない行動を快とすることがある。群れの結束を強めたり、大人の模倣をして狩りの技術を覚えたりもあるが、純粋に楽しみでもある。  まあそれについて詳しくは後述する。 **心理の罠  基本的に人間の心理、特に感情などは、アフリカの森と草原の中間で狩猟採集生活をするためには、統計的にいい結果をもたらした判断行動方法だった。だから人類は長いこと苛酷な野生で生存できてきた。  だが、それは後述する農耕を営み、巨大な群れで生活し、さらに技術を高めるにはまったく向いていない。  本来なら統計的に考えてリスクを分析しなければならないが、ちゃんとした統計は人間の脳には入っていない。人間の記憶や、視覚など感覚の情報処理もいいかげんだ。  これは昔の頭のいい人……皮肉に言えば考えを短い言葉にまとめ、それを多くの人に広まる有力なミームとすることができた人の考えなのだが、人の感覚には多くの錯覚があるのにそれを信頼し、個体の経験は宇宙・世界全体に比べあまりに小さいにもかかわらずそれをすべてとみなし、多くの人が言うことが正しいと考えずに信じる。時には明らかに間違ったことでさえ多くの人が正しいと言うだけで正しいと思いこむことさえある。そしてこれまでに重ねられた言葉、特に支配力がある人の言葉が造っている世界を世界すべてと思ってしまう。  言葉が正しいかどうかより、どちらの人の表情などに強い支配力があるかで正しい間違いの判断をしてしまうこともよくあるし、自分が好むことが真実だと思ってしまうこともある。群れの常識・他の多くが正しいと思うことを疑うことは誰にとっても難しい。  人間はものごとをありのまま情報として意識にのぼせることはできず、自分が意識していなくても出している結論を補強する情報に注目し、それに反する情報を無視・否定する。言葉も、視覚情報さえも。  たとえば地球の地図を見れば、アフリカの西岸と南アメリカの東岸が、一枚の板を切り出したものだというのは一目見れば分かる。だが、地図がある程度できてから長いこと人はそれに気づかなかったし、信じなかった……それが、それまでの「群れの世界の見方」に反している、というわけだ。  また人間は、常に不安と恐怖に支配されている。さらに群れになると、昔は有効だった不安や恐怖を伝える能力によって過剰な不安と恐怖を、冷静に統計的に調べれば大したことがなくても大きい物と感じてしまう。  さらに人間の心は器用にできていて、特に自尊心を損なったり自分の属する群れの価値や支配的情報複合体を否定されたりするよりは、別の物語を作ってしまったり、記憶をなくしたりすることを選ぶ。  多数の「いいわるい」があり、それは言葉にすると矛盾していることも多い。さらにどうするか決めるときには心の見えない部分が極めて強い役割を果たし、さらにその結果をわかりやすい物語にしようとしてまたいろいろねじまげる。  ある行動を取ると、特に群れとして決めてしまうとそれを容易に修整できない。特に自尊感情を損ない、「正しい」を否定するような情報をすべて偽とみなして無視する……それによって誰が死のうと、群れが滅びようと、だ。  また自分に都合の悪い情報を拒絶しようとすることも多く、さらに自分に都合が悪いことを言う人間を、その情報の真偽を問わず人格に対する攻撃と思うこともある。大規模な群れどうしの戦いで、指導者には見えない山向こうの味方が負けていると知らせる使者を指導者が怒りに任せて殺してしまって群れ自体の全面的な敗北につながるようなことさえある。  物語好きの厄介なことは、因果関係を見出すのがうまい反面、因果関係と相関関係の区別もつかない。 **集団心理  人間の群れは、本質的にまるで、一人一人の合計ではなくもっと別の何かのような挙動を示す。後述するように、人類が進化してきた狩猟採集生活より規模が大きい群れになると余計それがはなはだしくなる。ちなみに大抵個体より感情的で欲深でバカだ。  進化段階より大きい群れについて詳しくは後述したほうがいいだろう。  最も基本的には動物に共通する、「繁殖し、縄張りを他者から守り、他者を攻撃する」ことだ。  まず群れのメンバーは互いに模倣をして、同じように話し、着飾り、活動し、楽しみ、考えるようでありたい、という感情がとても強くある。要するにすべての成員が、基本的に同一であって欲しいわけだ。あらゆる儀式・儀礼の目的はそれだと考えられる。  ただ、考えが同一であれば新しいものを生みだし、新しい状態に適応することは困難になる。より高い情報・技術・何より科学のためには考えの多様性が必須になるのに。だから群れとしての結束を強める指向が強いと、ある程度以上の規模ではその群れはかえって弱くなる。試行錯誤さえできなくなるとその不利益はますますはなはだしくなる。  生命そのものが「情報を増やして保存すること」で、それに矛盾がある。情報をそのまま伝えることが本来の目的で、だから変化はないほうがいいのだろうが、逆に変化しないと競争的な雰囲気では敗れて消えるから多様性も必要になる。  人間自体も、変化し多様で試行錯誤しなければ生き続けられないのに、群れ全体で変化しない、完全だから試行錯誤は必要ないと思うことを好んでしまう。  また群れは常に敵を作り出し、それを攻撃する傾向がある。そこでは人間の人格を単純化し、単純な言葉で表現することが多い。  群れの中で、何か不安や不足がある時にそれを群れ内部で増幅させ、きわめて暴力的になり、同時に善悪にうるさくなることがある。善悪の判断を極度に単純にさせ、群れの内部の誰かを悪であると決めつけ、それを激しく攻撃することがよくある。  道徳は、支配欲を満足させるのには実に便利だ。悪霊を追い払うための努力によってより安全になった気もするし、同時により多くの規則があれば下の人間を罰する機会も増える。罰、人格否定をともなう叱責は自分が上位であることを確認することができ、支配欲・攻撃欲を満足させる。何の理由もなく暴力を振るうのと比べ、群れの道徳で容認され、自分自身の罪悪感もないし反撃の恐れも小さい。  特に攻撃性・支配欲が強い人間は、人をささいなことから「悪だ」と指弾することがある。しかも相手の内心にあるかないかわからない悪がある、と物理的暴力・言葉や態度による暴力を併用しながら責め続ける。そうするとやられた者の精神が崩壊することもあり、それはやる側にとってとてつもない快になる。家族間でもその構造はしばしば見られるし、後述する宗教群れ・暴力群れ・思想群れなどでも多用される。  ここでやっかいなのが、群れの中で多くのコミュニケーションがあると、特に好まれるタイプの情報が多くの成員に共有され、群れ全体を構成する物語の一部になってしまうことで、噂と呼ばれる。同様に面倒なのが、後に巨大な群れができてそれが不安定なときに多く見られる、誰にも秘密で上位の秩序維持を担当する人に、ある人が悪いことをしていると告げることだ。これは本当にそうであってもなくても罪人を作り出してしまう。何しろ噂は正しいとされることが多いため、じっさいはどうあれ「みんなが悪いといっている人は悪い人だ」となってしまう。となると悪い噂を立てられただけで群れ内での地位を下げられ殺されかねない。  人間の集団は同じ人間でも、自分の群れ以外を獲物扱いし、殺しても罪悪感を持たないのが普通だ。物を奪い、皆殺しにするか雄と子供を皆殺しにして雌だけを暴力で繁殖相手にするかだ。元々一緒に暮らしていたとしても、「やつらはおれたちと違う」、人間と認定しないことにすれば、どんな残酷なことでも平気でやる。それがどうしようもなく大好きなようだ。  後に「攻撃してはならない」という価値観が、ある生活様式をする人類の多数派に浸透するが、それと矛盾しているからどうにも違和感がある。  指導者は神なのだから完璧は当たり前、また逆に完璧な指導者は全能だから必ず群れは勝つ、と思い込んでしまうのは現実とは違うんだが、人間は大抵そう思っている。また努力すれば、正しい方法を取れば何でもできると人間は思いたがる。特にその正しさは道徳というか規範のほうに向かい、より罰を厳しくし、より多くの複雑な規範を厳しく守り、より欲望を否定し生活を不快にすれば全てがよくなると思ってる。  ただし、相当昔からでも、ある程度群れと群れとの接触はあったはずだ。よい石器の材料・塩化ナトリウムが得られる場などは広い大陸の中でもごく限られた狭い場であり、それらの交易は得になる。  また、別の群れからでも少数の人がある群れを訪れた場合、代償を払わなくても食物や休むための巣の一部を与える「もてなし」も広く見られる。ただし攻撃になることもあり、それはその群れの側では決まりどおりなのだろうが、訪ねる側にとってはどちらになるかわからないのが正直なところだ。 **人類の好み  さて、まとめとして「人類という動物が何を好むか」まとめておこう。まだまだいろいろ忘れていると思うが。  人間の中での強いミームということもできるか。 ○呼吸・水・食物・適温 ○食物:塩・脂肪・ブドウ糖など単純な糖・精製した穀物(特に米飯とパン)・水で加熱した肉、火で直接加熱した脂肪の多い肉、タンパク質の味がする加熱した水、多様な植物で複雑に味付けられた食物、酒など各種嗜好品 ○地表淡水がたくさんある地域、ただし湿地ではない ○危険を冒しそれを見てもらうこと ○魔術的儀式自体、生贄、歌舞 ○ゴシップ・殺人・恐怖の情報 ゴシップ=社会的に認められた性的パートナーがいる人がそれを裏切って別の人と交接した、実は性的・魔術的な欠陥を抱えているなど。ほかにも「地位が高い人が、本当は皆に侮辱されている、されるような状態にある」「人を道徳的に低くする」ことを人は好む。 ○過剰な物資と娯楽 ○放火・破壊・掠奪・虐殺・拷問 ○魔女裁判・焚書坑儒 ○大規模な自然破壊 ○巨大な獲物を得ること ○巨大な建造物を造ること ○禁止すること、道徳を強化すること、欲や知識を規制すること、単純な道徳がすべての答えであること ○単純な勧善懲悪 ○禁じられた恋愛 ○禁欲、道徳的に高い群れ ○運命が決められていて変えられないと思うこと ○変身、人に混じっている魔物とそれを打倒し宝を奪い返す勇者 ○陰謀論、少数の貴族(悪魔、その変形である宇宙人も含む)による絶対的な支配 ○人体実験をしている人里離れた研究所、食人生活をしている孤絶した人の群れなど ○より上位の存在に飼われること、上位の存在になって人を飼う側に回ること ○この世界は悪であり、ある日世界が滅びて素晴らしい世界がやってくる(黙示録) 変形として  ●ある日突然、全人類が一斉に改心して世界が天国になる  ●魔王を倒せば世界は楽園に戻る  ●失われた楽園、文明・科学技術自体に対する嫌悪 ***人間の基本的な考え方  人間はいくつかの命題を、無条件に正しいとすることで自分及び群れの物語の根拠とする。ちょうど数学で、いくつかの命題を公理系として、それを前提に数学体系を作るのと同じだ。  といっても、そんな構造で数学を作っているのも我々だけで、別の世界の知性は別のやり方をしているのかもしれない。 ○世界は単純な善悪に二分でき、人間も善悪に分けられる ○因果応報、良い行動や心の褒美には良い運と結果、悪い行動や心の報いは悪い運と結果 ○祈れば、思えば、言葉にして発すれば、適切な儀式をすれば確率操作を含めなんでもできる ○穢れは感染し、穢れた者は悪 ○霊の存在、人間は死んでも魂は不滅 ○個体の欲は悪。服従せよ  これが重要な前提だな。  全ては物語なので何にでも理由があり、それは自分や他人の罪や穢れ、圧倒的な存在の愛や怒りが根本的な原因だ。  人間皆が道徳的に完全でなければならない、完全であれば栄え、完全でなければ滅ぶ。(道徳的な善悪と禍福に因果関係がある、道徳的な善悪と手段としての適正・不適正との無意識的な混同)  個体も道徳的に善であれば運命として幸せになり、不善をなせば不幸になる。また道徳的に完全な個体でなければ災いをもたらすので群れの一員である資格はない。道徳的な完全は全能、成功につながる。  自分の群れは敵をのぞき道徳的に完全であり、皆は信頼できる(または自由に操れる愚か者ばかりだ)。  犯罪を容認すれば群れが滅びる。逆にそれを防ぐため、刑罰の恐怖で抑止し、また成員を道徳的に高めなければならない……逆にそれによって犯罪をなくせる。  さらに高い道徳的な完全さをもつ個体は強大な超能力も同時に持っており、群れの最上位者はそのような個体であるべきだ。  万物に霊があり、正しく交渉すれば支配使役できる。  どれぐらい普遍的なのかは知らないが、重要な前提に自由意志というものがある。  まず、人が何かを行い、その結果なにかが起きた、とする。「原因がなければ結果なし」という観念だ。  起きたことが群れにとって不利益だったり、宗教的な考えが整備されたら神から来る道徳に逆らうことで群れを魔術的に穢した……同じ事だが……場合、それに対して群れは何かをしなければならない。  要するに人間の内面を善と悪の、二人の小人間が脳内で争っているように考える。  そして「自由意志の持ち主」と仮定される擬人化された存在はどちらも縛られていないとする。  それで善が勝った場合はその人は「自由意志で善を選んだ」善人であり、悪が勝って悪しき行動をしたら「自由意志で悪を選んだのだから罰するべきだ」となる。どこで「だから」になるのかいまいちわからないが、人類という妙な生き物はそういうものだとしか言いようがない。  後述する西欧文明では「理性」というのが価値とされるようになるが、それは「理性的な行動=法に従う行動」という絶対的な仮定を置いての話だ。  快と不快によって人を支配する技術と、生贄によって群れを浄化し悪から群れを守る魔術のややこしい複合体が、罪と罰とか自由意志とかややこしいことになったんだろうな。 *人類の拡散、大絶滅  人類はつい五万年前までアフリカで暮らしていた。そのある時期、非常に規模の大きい噴火が別のところで起き、そのために大きく気候が変わって、人類は絶滅ぎりぎりの少人数においつめられた。そのため人類全体の遺伝子的な多様性は極度に少ない。  五万年ぐらい前のある時期、人類の一つの群れがアフリカ大陸を出てユーラシア大陸に移住した。  それからわずかな時間で、人類は地球の陸地のほとんどに移住した。人間は……いや、どんな動物でもだが、群れを分割し、拡がる性質がある。それがある意味暴走したんだ。  その頃は地球自体が非常に寒く、そのため地球の水分の中で氷河として陸上にあるものも多かったから海水面が低くて、それでユーラシア大陸北東端とアメリカ大陸北西端がつながっていたからでもある。  アフリカの熱帯で進化した人類が、水が凍り空から雨でなく雪が降るほど気温が低くなる時期の長い地域でも生き、拡がることができたのは衣類・住居・火などの技術があり、それを新しい地域の条件に応じて変更する創造性・情報伝達能力があったからに他ならない。裸では絶対無理だ。  その時期、たしかに地球全体でその大規模な噴火、氷河期から気温が上がったことなどかもあるが、本質的には人間のせいで世界各地で多くの大型動物が絶滅している。  そのことを考えると、人類が発生したアフリカで多種多様な大型動物が生き延びているのが不思議なぐらいだ。多分それは人類と長いことつきあっているアフリカの動物は人類を見たらうまく逃げるように進化しているだろうし、それにアフリカには厄介な病気がたくさんあるから人類もそう活発には動けない、ってことだろう。逆にそれまでの長い進化の時間、人間を見たことがなかった動物は人間を警戒せず接近し、あっという間に殺されつくしたんだろう。  だがアフリカから出た人類ときたら……それこそ、目についた大型動物はすべて皆殺しにしてきた。よほど逃げ足が速かったり、繁殖が短時間でできて隠れるのがうまかったりする動物以外は全滅した、としか言いようがない。  当時の人間は獲物も繁殖しなければならないとか限りがあるとか何も考えず、ひたすら大量に殺してきたらしい。まあいくつか、たとえば崖から落とされた膨大な大型動物の骨が見つかったりしただけだが。これ以上拡がりようがなくなって長い時間が経つと、さすがにまずいと思うのか過剰狩猟を嫌うタブーが宗教などに入るらしいが。いや、一人一人の思考はほとんどない。膨大な世代の中、それぞれはあまり考えずに目につく獲物を狩って食い、またタブーを守って暮らすようにもなるだけだ。  これまでの地球の歴史上の大量絶滅とは知られている限り違い、一つの大型動物種の暴走による大量絶滅だ。  また、これは研究途上だが、その時期に多くの大陸の森林がきわめて広い範囲で焼かれている痕跡がある。森林を焼き払って広い草原にすれば、大型動物は草原を好むため獲物が多く得られるし、後の農耕牧畜にも有利だ。  その人類の急速な拡大を支えたのがさまざまな技術だ。身の回りにあるあらゆるものを加工し、さらに加工してできた道具を使ってもっと優れたものをつくり、さらに多人数で力をあわせ……  そして、詳しくは後述するが食料を得る方法にも大きな革新があった。  まず、人類が地球全体に拡散するころ……五万年ほど前に、大型動物の狩猟が可能になり、それまでほとんど植物を食べていたのが動物を食べるようになった。  そして詳しい説明は次になるが、一万年ほど前にもっと大きな食料の革新があった……自分の管理下で、他の植物や動物が繁殖しやすいようにし、また繁殖を妨げるほど殺しすぎない、むしろ繁殖を助けることで本来いつ食料を得られるかわからない生活が、毎日食べ物があるのが当たり前になった。  同じ人間以外の動物に食われることがまずなくなった。  それできわめて規模の大きい群れが地球のあちこちにできた。ただし、小規模の群れで狩猟採集生活をしている人たちもたくさんいたし、大人数高密度でいろいろな建築を行う人間集団は、今の我々にもその活動の跡を掘り出すことができるが、そうでない生き方をしていた人々は今の我々には存在自体わかりにくい、ということもある。 *技術(高度な狩猟)  さてと、そういう新しい技術について解説していこうか。 **狩猟技術・いくつかの道具  狩猟とは要するに動物を殺して、その死体を手に入れることだ。  それには自分からあちこち移動して、手が届く範囲にある動物を殺せばいい。  でもただいい加減に歩くより、多くの動物は水や食物など自分が必要なものがあるところにいるし規則的な移動もするから、いるところを襲うほうがいい。  また獲物にしたい動物が好む餌を置いておくと、そこには獲物が向こうから来てくれる。こちらから捜すより楽だ。  さらにそこに罠を仕掛けておくというのもいい。  罠というのは、たとえば穴を掘っておいて、重力で動物がその中に落ちることがある。底に獲物が好む餌を入れておくとか、または穴の表面だけ木の枝で覆って、獲物の体重でふたが壊れて落ちるようにするとかいろいろある。人間は手が二本あるから穴から出るのが得意だけど、特に速く走るのが得意な動物には穴から出るのが苦手な動物もいる。そうなればその獲物はもう移動できず、いつでも殺せる。  前述の紐類を使ってもいい罠ができる。  他にも重量物を用いた四の字罠などいろいろあるが要するに、特別な対応をせずそこを通過した動物は移動できなくなる(または死ぬ)ように地形にいろいろと置いておいたシステムが罠だ。  動物に、自分が捕まえやすいように移動させる技術もある。これは自分ひとりではなく、群れの仲間との情報交換・連係、高度な地形把握、そして因果関係や心の理論、動物の生態についての理解など高度な知能が必要とされる。  それには音を使ったり、直接追ったり、植物に火を放ったりもする。それで地面の高低差が極端に急なところの高い所から低い所に追えば、自分の手で殺さなくても多くの獲物を得ることもできる。  で、目の前に動物がいるとする。サービスだ、移動して逃げることはないとする。どうやって殺す?  動物が死ぬ条件は上の人体生理を参考に考えればいい。人間と、特に大型脊椎動物にはそれほど大きな違いはない。大きい傷をつけて大量に出血させる、呼吸関係の臓器を破壊する、中枢神経を破壊するなどすれば死ぬ。  小さい動物であれば、近づいて首のあたりを強く押さえてやればそのうち呼吸できなくて死ぬだろう。首が長い脊椎動物であれば首を手で曲げて首の脊椎を折っても中枢神経が破壊されて死ぬ。昆虫や陸で暮らす貝類などは動きが遅いものも多く、手でそのまま口に運んでもいい。  でも自分と同じか、もっと大きい動物は? 自分より小さくても相手にも牙や爪があり、どんな反撃をされるかもわからないぞ?  人間が何も持たないサルのままだったら、基本的に「自分より大きい動物は殺せない」。まあ例外的な方法は二つある、群れで襲って押し倒し、呼吸できなくするか、または群れで脅かしては移動するのを続けさせ、相手が力尽きるのを待つ。多くの動物は移動などの運動を限界より長時間続けたら行動不能になり、死に至る。倒れさえすれば首の呼吸管や、胴体後端(四足動物にとって、人間にとっては胴体下端)の生殖器・消化管排出口など柔らかい部分から、口や爪のように鋭く硬い部分で攻撃することで死に至らしめることができる。  でも人間は道具を持っている。前に言った、手で持つ能力で石を持って、握ったままでもぶつければ、人間の手の骨より硬く重いそれの衝撃で大型動物でも死ぬ。拳を強化したわけだ。  木の棒は、人間の手を伸ばすような働きもする。手が届く距離を伸ばし、梃子の反対に先端がとても速く動くので、その先端が当たると大きい衝撃になる。高速の物が何かにぶつかると、ごく短い時間だが巨大な力が出る。  また木の棒の先端が、太いからだんだん細くなる、円錐のような構造になっているのを長い方向にぶつければ、先端に極端な圧力が集中して簡単に皮膚を破れる。棒が直角に曲がってさらに先端が細ければ、円を描く自然な動きでそれができるし、まっすぐな棒でも足で全身を進める力……体重と動く速度によるエネルギーをまとめてぶつければ強い力になる。  最初は偶然そうなっている棒を選んだのだろうが、そのうち棒を歯や上述の石器で加工することも覚えただろう。  さらに木の棒の先端に、上述の石の鋭い破片を動かないように固定できれば、石の重さと硬さと鋭さが加わってもっと威力が増す。棒の、長い方向が尖っているものを槍という。長い方向に垂直な方向が尖っているものもあり、それは斧などといわれる。これらはきわめて革新的な技術だ、自然界に存在していない、「二つ以上の異なる素材を固定して道具を作る」こと。道具を使う動物は多いが、異なる素材を複合した道具を作るのは人類だけだったはずだ。  木の多くは残念ながら、頑丈だが硬くはないので……硬いと頑丈がどう違うといわれても難しいな、物の素材としての強度を、厳密に科学的に数値化できるものにしようとするときわめて多くの単位が必要になる……槍や斧に直接成型するには適さない。  棒を、その長い方の軸に沿って直線的に動かす。またちょうど身体を固定して腕や足を振って先端に大きな円を描かせるのを棒で延長する……棒の一端を握って棒を大きく持ち上げ、もう一端で大きな円を描く。その二つの動作がすべての基本だ。  後者を用いる斧などは水平方向にも垂直方向にも使える。垂直方向のほうが重力を活用できるため、特に石のほうを重くすると威力が極度に増す。  斧などは先端の形状でいくつか用途が違うものを作ることができる。牙と同様に円錐に似ているなら柔らかいものを突き破ったり、非常に硬いが結晶構造があって特定の方向に巨大な力を加えれば破壊できるものを砕いたりするのに向く。平たい刃ならやや柔らかいものを切断でき、また重い塊なら柔らかいものを変型させたり、より硬く頑丈なものを破壊することができる。また曲がった強い棒をつけると、自分に近づける方向の力を出すことができるし、短いものは急な傾きや固体の水がある苛酷な地形で転がり落ちるのを防ぐのにも使う。その曲がった強い棒の、自分に近い方が刃となったものは比較的柔らかい植物を正確に切るのに向いている。棒自体がそうだが、てことして重いものを持ち上げたりすることもできる。  また人間の脳の、きわめて高度な運動制御はものを「投げる」ことができる。手に持った物を、全身を協調させ腕を振って高い速度にし、離すことで高速で飛ばすことができる。石だけでなく、槍を標的に刺さるように投げることすら可能だ。  それは人間の手の長さに比べ非常に長い距離を飛ぶ。反撃される危険もなく、遠くの動物を殺せるわけだ。  さらにその、遠くに届く鋭いものに、様々な植物や昆虫が食われないため(こういう「~ために」に注意、本来は「~を持つように複製の間違いされた生物は生き延び子孫を残す確率が高かった」だけのこと)に体内にためた毒を塗ることで、軽い傷でも獲物を殺すことができるようにもなった。  補助的な猟具として投槍器・スリング・ボーラ・吹き矢などもある。さらに弓矢もあるが、それは……いつできたんだろうな。それが、人類が農耕などを始めるより早かったかどうかもわからない。小さい大陸にもあるから結構古い、後述の人類の拡散より古いかも……でも拡散後各地で独立に発明したかもしれない……わからない。  ちょっと説明するか、投槍器とスリングは要するに人の手を延長する道具だ。手に棒と槍を同時に持ち、槍の鋭くないほうをもう一本の棒の、握りから遠いほうの先にある向きにしか外れないような関節構造をつけておく。それでうまく投げると、もう一本の棒の長さだけ腕が伸びたのと同じように遠くに槍を投げることができる。スリングは、上で言っているまとめた繊維の中ほどを平たく柔らかいものにし、一方の端を手に固定し、もう一方の端を軽く握り、平たく柔らかい部分に石を入れて振りまわして軽く握った方の端を投げる。ちょうど月が地球の周りを回るように、紐が石を引っ張って回転軌道に固定される……それは手を振って出せる最大速度よりはるかに速く、そこで紐を放せば接線方向にまっしぐらだ。ボーラは繊維の両端に石をうまくつけたもので、それを投げるとスリングと同じく手で投げるよりも速く、二重星のように石が互いに周りながら飛び、曲線軌道を描く単独の石より当たる誤差が大きくてもいい。紐か石が当たれば大抵獲物は行動不能になる……石は硬く重く、速く動いているから大きな運動エネルギーを持っているし、紐に当たれば石には慣性があって等速直線運動をしたがるから紐の残りが獲物に絡まる。  吹き矢は、植物には円筒の表面だけが固い筒になるものが結構あるんだが、それに先が尖った、植物の固い部分や加工した骨などを入れて、尖っていない方から強く呼吸の吐く息を吹きこむ。人間の唇の構造は筒の周囲を密閉でき、また人間は呼吸をかなり制御できるから、強い気圧を筒の中に入れて、それで中の小さい物を加速し、飛ばすことができる。どうしても威力は弱いから、毒をつけるのが普通だ。 **弓矢  まず狩猟・戦争両方に使える、最も大きな発明が弓矢だな。これはアメリカ大陸にもあるからそれなりに古いと思われる。まあ別々に発明されたという説もあるけど。  弓矢というのはごく小さな槍を高速で飛ばす技術なんだが、それに「エネルギーを貯めて変える」という原理が使われている。  かなり変型しても壊れずに元の形に戻る、しかもその変型させるに必要な力は人間の腕で充分出せる素材で棒を作る。木がちょうどそんな素材だったのは実に幸運だ。  固体に力をかけたときの変形にもいくつか種類があり、素材の性質や温度、かけた力の大きさなどで変わる。ここで挙げているのは力をかけているときに変形し、力をなくすと元の形に戻る種類の変形だ。変形の大きさと必要な力が比例し、わずかな熱以外のエネルギーは元に戻るときにうまくやれば引き出せる。ほかにも変形したまま戻らない変形、固体自体が二つ以上に分かれてしまう破壊がある。  その棒を、まず円の周囲の一部を切りとったような形にし、その両端を強い力をかけても長さが変わったり切れたりしない細紐で結ぶ。細紐が伸びきっている状態だと棒にそれ以上曲げる力はかからないが、細紐の中央部あたりに別の力をかけると、紐に角ができてその分棒の両端の間は短くなり……数学的にはこれも面白いんだが……棒は曲げられることになる。その時に力が棒の変型のエネルギーとして蓄積され、紐にかけた力を抜くと棒はいきおいよく元に戻る。それだけなら音や熱という秩序の低いエネルギーに力や変型という秩序の高いエネルギーが変わっただけだが、ここで小さい槍の刃のないほうの端を、元に戻る紐に押させてやると、エネルギーがその小さい槍……矢の速度に変わって非常に速く飛び出す。  槍を投げるのに比べ、放つ矢がより小さくていいので棒も刃も入手しやすいし、たくさん持って行動できる。また槍投げより狙いがつけやすく、遠距離に届く。さらに矢の棒の、刃がない端に鳥の羽を切ってつけるという技術ができた。それが大気中でまっすぐ飛ばないと極端に大きくなる抵抗となり、射程も命中精度も大幅に上がった。  この武器の重要性はどれほど強調しても足りない。  ちなみに本当はどうなのかは知らないが、弓は別の道具からできたものかもしれない。何もないところから火を作るのは重要な技術だが、弓を用いる方法もあるといわれる。強く張る必要はない、棒の両端を繊維で結び、その中ほどで一度交差させて小さな輪を作る。それに棒を入れ、棒の双方を軽く、位置だけは変わらないが棒の回転は妨げないように固定して弓を輪が潰れないよう棒と垂直方向に往復運動させると、棒が高速で回転する。直線の運動を回転に変換するという、最も単純で基本的な機械の一つでもある。  その高速回転する両端と固定している部分のあいだでは摩擦が集中する。表面どうしがきわめて長い距離を擦れ合い続けているのと同じだからだ。それで棒か押さえている部分が木なら粉になり、それに火がつく。  他にも楽器としても弓は使える。何が一番最初だったのかはわからない。 **水中狩猟  水中で動く獲物を捕らえるのに使う方法を説明しておこう。  水中生物、特に魚は動きが速く、簡単には捕まらない。ただし魚は攻撃する能力が弱く、水上に引き揚げるだけで呼吸ができず死ぬから、殺すのは楽だ。  上述の槍もいい。だが槍を、特に濁った水中に投げたら簡単に失われる。槍は貴重品だから、槍に紐を結びつけておけば回収できる。  また上述の長くまとめた線維の、細く強い物の先に、魚の口より小さい鋭く尖った細い棒をつけておく……棒のままでもある程度、それに魚が好む餌や、餌に見せかけた飾りをつければもっと高い確率で、魚が餌として飲みこんでしまい、棒が魚の体内に刺さって抜けなくなることがある。そうなればその線維を引き上げればいい。さらに棒を曲げるなど工夫を凝らせばもっと確実に引き上げられる。  すばらしいのが網だ。上で説明した紡いだ繊維を使い、下で説明する布にも通じる。ある意味人間が上述の濾過食者になると言ってもいい! 紡いだ繊維どうしをつないでより長い一本にする結びという技術は、結び方によっては四つの端がひとつの結び目からできるようにもできる。事実上いくつもの端を持つようにもできる。  それをちょうど、座標平面のある程度広い一部の、どちらかが整数である部分に線を引いたような構造にすることができる。そうするとたくさんの隙間がある平面状の構造になり、それを水中に入れると動物が濾過されてひっかかり、網をうまく引き上げれば水上に出せる。  また、網は四角形の繰り返しだけでなく、三角形の繰り返しにもできる。  さらにその網を蚊より細かくしてその中で生活すれば、蚊に刺されないため生存率が桁外れに上がる。 **野焼き  農耕以前の、世界中に拡散しつつ大型動物を滅ぼしていく人類が得意としていた技術に、広い範囲の地面に火を放ち、木や草を焼いていくことがある。  それによって本来は森林だった地域が極めて広い範囲で、短い草しかない草原となった。  人類は元々草原で暮らしており、目に頼り飛び道具での狩猟を得意とする。草原になっていれば獲物・人類を襲いかねない危険な肉食獣の隠れ場所がなく、便利だ。  また高い木に光を奪われない、焼かれたばかりの草原では多様な植物が繁殖するので、様々な目的に応じた有用植物を探すことができる。  注意すべきなのは、火は人類が進化してから地上に出現したものではなく、それ以前から雷などによって自然に起きるものだ。それによって巨大化した老木が死に、新しく多様な植物が地面を覆うことにもなる。火に適応した種を出す樹木すらある。  また後の農耕との関係も深い。人間は木の葉ではなく草を食べる草原の動物を家畜化し、木でも多年草でもなく一年草、または地下に栄養を貯蔵する植物を好んで利用するが、どちらも頻繁な野焼きによる草原により適応している。  さらに、後述する焼畑との関係も深い。 *技術(古代)  主に植物や虫を集める生活から大型動物の狩猟、そして「別種の生物を育てる」生活になったとき、詳しくは後述するが群れの人口規模が大きく変わった。それは人間の心のありかたさえ変えてしまう。  これらの技術はある程度行くと、それまでのようにたくさんの技術を一人の人間が同時に持っている、というわけにはいかない。それがいきつくと、一人の人間には一つの技術だけしかできない、他のたとえば獲物を解体したりはできない、ということにもなる。  また、少ない人数ではこれらの技術は維持・行使できない。必然的に、狩猟採集生活ではありえない人数の、非常に大きな群れが必要になる。  技術そのものも大幅に高まる。特に後述の文字によって情報を蓄積することができたことが大きい。移動範囲・速度・使える力・最高温度・刃の切れ味・計測加工精度などが互いを高めながらどんどん高めあっていった。  まあ詳しい社会構造の変化は後で。 *家畜  人間は、動物を見れば全て殺し、食える植物は全て食い、食物が見当たらなくなったら移動する生活をしていた。だがあるとき……おそらく何万年という時間をかけて……動物を人間の手の届く範囲から逃げないように、いやむしろ人間自体をその動物の群れの最上位者として認めさせて共に暮らすことで、群れを全滅させずに生かすことを学んだ。人類と動物の〈複合群れ〉を作ったわけだ。獲物である大型草食動物の群れと共に移動し、少しずつ狩って食べながらその獲物を襲う別の肉食動物を追い払うのが前段階だろうか?  殺した生物は食べきれなければ腐るだけだが、生きている生物が移動できず手元にあれば、たとえばしばらく食料が入手できないときに「保存された食物」と同様にいつでも食べられるわけだ。また家畜の側も、人間によって別の肉食動物からは守られ、人間の知能……遠距離を見わたす視覚、地形などの知識を図・言語にして蓄積できること……に助けられて確実に餌や水にありつけるから群れ・遺伝子を中心に考えればそれほど損はしていない。  だが、そのためには動物をある程度以上移動させないこと、生存させるために上記の「人間の生存条件」と同様なものをそれぞれの動物の種に応じて確保する必要がある、ということだ。水や空気などほとんどは共通だが、食物・温度管理・湿度、そしてその動物が繁殖する条件も必要になる。  よりそれまでと違う要素としては、狩猟生活は「弱いものを殺す」のが肉食動物の鉄則だった。まず子供を殺して食う。また年老いて弱ったものを殺して食う。だが、新しい技術を覚えた人類のように大きい群れが狩猟を行い、獲物の側もそれにあわせて進化してないと、最後の子供まで殺してしまう。それによって上述の大絶滅が起きたようなものだ。ただし普通肉食動物はそんなことを考えはしない。単に獲物を殺しつくす能力が普通はないし獲物側も共に進化してるだけのこと、たとえば人類が家畜化したいくつかの動物は世界各地で大量の生物種を絶滅させている。  だが人類は、子供を殺して食うことを抑制し、相手の群れを維持することを学んだんだ。これがどれだけ大きい叡智か、わかるだろうか。さらに家畜としてより有用な個体のみに子を産ませ、他を殺すことで人工的な進化を起こすこともする。それほど意識的ではなかったと思うが……この品種改良と呼ばれる技術は後述の作物についても同様だ。  人間にも家畜化されたようなところがある。体毛がないこと、あごなどが退化していること、従順であることなど。ただし、別に人間はどこかの宇宙人に家畜化されて作られたなどとバカなことは言わない。自分で自分を家畜化したんだ。生活が常に苦しく、十人産まれて二人生き残れば上等という生活がずっと続いていたら、群れに反抗しない子、衣服に順応した子のほうが生かされ、子孫を残すのは当然だからな。  それは、人類と家畜がともに互いを進化させていったと思わせるものがある。ただし互いを進化させるのは普通の肉食動物とその獲物でもあるけど。  家畜化のためにはその動物は群れを作る性質があり、自然ではありえない高い密度など不自然な状態でも繁殖できるような特殊な強さがなければならない。広い範囲のものを食べられる、人間の役に立つ、品種改良のためには生まれてから子供を産むまでの期間が短いこと、人間に対して攻撃的でないことなども重要だ。少なくとも昔は、人類の指示に従って自力でかなりの速度で決まった方向に移動できることも条件だったようだ。それらの条件を満たす大型動物はわずかしかいない……これはダイアモンド『銃・病原菌・鉄』の受け売りだ。  だが個人的には、体温を保つ必要がないからより少ない食料ですむリクガメなど草食性爬虫類、大型の木の葉を食べる動物、また幼虫が木の葉や木を食べて容易にとても大きくなり栄養豊富で食べやすく毒がない昆虫や陸上で暮らす貝、広範囲の汚物を良質の栄養に変える蝿の幼虫などがもっと家畜化されなかったことが不思議でならない。人間が命令しただけでその方向に、人間と変わらない速度で移動する知能がないからか? 運搬するのではなく自力でともに移動してくれるものでなければならなかった? 理由はわからない。  特にリクガメには多くの候補があったはずなんだが、昔の人類が全部絶滅させたんだろうな……というか今の、そういう見方ができる人類が、人類がアフリカから出て世界中に広がる直前の地球に行き、その動植物をきちんと調べたら家畜・作物とも今の何十倍もの種類があったはずだ。  また最も知能の高い動物の一つである全身が黒い鳥や海で生活する大型哺乳類を、その知能を活かして家畜化していないのも不思議だ。  ちなみに農耕牧畜は人間の専売特許じゃなく、一部のアリもやっている。木の葉を切って地中の巣穴に持ち帰り、それを蜜を出す昆虫の幼虫に与えたり、植物を腐らせる菌類に与え水もやってその菌類を食べたりするのがある。  家畜を維持するには、まず家畜の攻撃から自分の身を守ること、人間の支配から離れて移動したがる……逃げることを防止すること、家畜自体を別の肉食動物・吸血生物・伝染病・もちろん別の人間の群れなどから守ること、確実に繁殖させること、もちろん水や空気、動物ごとに異なる食料、生きていくのに必要な温度など、上記の人間の生存条件と同じような条件・資材を与え続けることが必要だ。  動物は自然状態では糞尿で地面が汚れれば移動してしまうが、家畜は勝手に移動させるわけにはいかないから人間が掃除をしてやらなければならない、といえばその厄介さが分かるだろうか。  また家畜に限らず、動植物は人間にとってはただ利用するだけの資源ではなかった。上記のようにさまざまな魔術的な意味を持ち、占いに用い、資源に余裕のある都市生活になると賭博や動物との闘争に発展し、美的に鑑賞するなどさまざまな社会的な機能も持つようになった。贅沢を見せつける消費のためには、色や形の改良が重視されとんでもなく派手な色をした品種も多くある。  それに付随し、多くの食用家畜について民族ごとにさまざまな食物タブーがある。  また家畜という形で別の種の動物と常に接触する生活は、当然ながらさまざまな伝染病のリスクを高める。元々人間にも動物にも感染する微生物や寄生虫も多いし、遺伝子に複製の間違いが多く進化の早い微生物は家畜から人間に感染してさらに進化して人間から人間に感染するようにもなった。天然痘は牛から、インフルエンザは鳥からの感染症といわれる。 **利用法  家畜の利用法としては大きく分けて殺してからの利用と生きているときの利用がある。  殺してからの利用は上記の通り、皮および毛皮・肉・脂肪組織・骨などの資源を活用する。  生きているときには人間の周囲で様々なものを狩らせたり、その筋力を人間が移動したり、ものを運搬したり、ものを加工したりするのに必要な力源として活用したりする。  特に興味深いのが家畜を生かしたまま食料をとり続ける技術だ。血液・哺乳動物が子供を育てるために分泌する乳汁・鶏などが産み続ける卵などは殺さなくてもかなりの期間とり続けることができる。動物を殺すといくら血一滴無駄にしないように工夫しても、特に金属の利用法が確立されて骨器の価値が低下し、長距離輸送が多くなって腐敗の早い内臓を捨てるようになってからは多くの無駄が出る。それに対して殺さないで得られる食料は家畜に与える水や食料の割に多く、しかも味が良く消化しやすい。  血液も大きな潜在力があり、地域によって使うところもあるが、それほど重要な食物とはされていない。  最も多いのが乳汁だ。乳汁は小さい子供を育てるために雌の体から分泌される体液だ。ほとんどは水だが多くの脂肪・タンパク質・糖類・人間が体内合成できない必要な化合物や必須元素化合物を含み、それとごくわずかな生の植物か動物の内臓を食べれば必要な養分全てが得られるほどだ。  それ自体は微生物にとってもいい栄養源だから短時間で人間には食べられなくなるが、水分を除いて保存食にする方法も多くある。  水を入れるのと同様な容器に入れたまま長時間動かすと、きわめて細かい粒になっている脂肪が集まって水と分離する。また動物の内臓から得られる特定の触媒タンパク質を与えることでタンパク質が分離し固まる。微生物を用いて発酵させることでも固まることがある。その固まった物は塩・発酵を加えてかなりいい保存食となる。  また乳を別の微生物で発酵させ、栄養豊富な酒にすることもできる。  この乳を手に入れたことは、人類の人口をどれだけ増やしたかわからない。  ここで面白いのが、人類の多くは乳を生で飲むのに向いていないことだ。乳の中のある糖が消化できず、消化内臓が不調になる。人類が進化していた段階では乳を食べることはなかったし、子供が母乳を飲んでいるときは当然乳を消化できたが、ある程度大きくなったら普通の食物は消化できるが乳が消化できない、となって母親を解放し、母親が別の子供を妊娠出産できるようにしたわけだ。その遺伝子を追跡するのもとても面白い研究になる。  食糧ではないが、毛も殺さずに得ることができる資材だ。  ちなみに草食家畜の糞も重要な資源だ。乾燥させれば良質の燃料になり、また土と混ぜて建材に強度を与え、火に加えて煙にすれば蚊などを近寄せない薬となり、農耕が始まってからは貴重な肥料ともなる。  一つ一つ主要な家畜を紹介していこう。 **犬  犬は最も古い家畜だ。犬自体は知能が高く群れをなす肉食の四足哺乳動物で、大きさは多様で最大で人間と同じぐらいの体重にもなる。音と匂いにきわめて鋭く、腐った肉、人間の糞さえかなり食べられる。ある程度植物も食べられる……人間の食料の大半を共有できる。分厚い毛皮があって寒いところで生きられる。人間のような言葉とは違うが、かなり表現力のある多様な声を出せる。  利用価値としては肉や毛皮もある程度あるが、生きている犬は人間の命令に忠実に従い、ある程度人の言葉さえ聞きわけてかなり複雑な命令をこなす。音と匂いをよく分析し自らも優れた狩猟者で、人間が狩りをするときに非常にいい助けになる。ある意味人間も犬も大きい利益を得る共生関係と言ったっていいんだ、人間は目と道具という長い手、犬は匂いと音の精密な分析で協力できる。たとえば動物がほとんど足跡も残さず移動したとしても、どんなに遠くでもその一匹を群れからかぎ分けて追い、隠れ場から追い出して人の投げ槍の射程に送ることができる。また闇夜に別の群れの人間に襲われそうになっても、投げ槍の射程にも入らないうちにその足音を聞きつけて声を上げて警戒・反撃を訴え、襲いかかって敵である人間を鋭い歯でかみ殺す。  また別の家畜を大量に管理する能力がある……本来は群れをなす草食動物を追い回し、はぐれたものを殺して食うための能力だろう。逆に訓練次第で、何百何千という草食動物が草原を移動するのを、一匹も群れから外れないよう動かし、また別の肉食動物に襲われないように警戒することができる。  さらに小型の犬は鼠などの小動物を自分で狩ることもでき、それは備蓄食糧を失わず伝染病を防ぐことができる。  ただし犬の野生種は多くの家畜や、地域によるが人間さえ襲い、人間は他のどんな野生動物よりも恐れ皆殺しにしようとする。 **牛  特に現代世界で最大最強の文明で最も重視される。  人間よりかなり大型の草食四足大型哺乳動物。植物を食べ、体内の複雑な消化器官に膨大な微生物を飼い、それに植物細胞の頑丈な分子を分解させて食べるという高い能力を持つ。小さい角をもち、育て方によってはかなり高い攻撃性もある。  用途がとても広い。肉・皮・角・乳・糞(・用いる文化圏は少ないが血液)など広く利用可能で、従順で非常に力が強く、首のつけねの構造上何かを前から引いて力を出させることにも適し、動力として荷物を運搬したり土を耕す道具を引かせたり単純な動力を出したりするのにも使える。  特に乳は質量共にとてもよく、多様な乳製品が多くの人口を支えている。  牛には独自の伝染病も多数あり、天然痘は牛から人間に変異して伝わったとも言われる。  インドでは非常に神聖視され、肉が食用にされない。また攻撃的な面もあるため、牛どうしや人と牛、犬と牛などで戦わせて楽しむこともある。  ヤク、スイギュウなどが似た家畜だ。 **豚  人間とほぼ同じ大きさの胴体をもつ哺乳動物。太く強靱な円筒形の体躯に短い四足、最大の特徴は体の一番前にある鼻で、嗅覚も優れているが前面が固くなり、地面を掘ることができる。穀物や木や草の根、後述するオーク類の堅い木の実、土の中にいる虫や人糞まで、食物の範囲も植物寄りだが広い。  本来知能は高いが、主に肉を食べ、多量に蓄積される皮下脂肪から油をとる。汚物食いを利用して後述する都市部で飼うのにも適している。  現在の地球でも野生種がきわめて多く生きており、農作物を荒らしたり狩られたりすることも特筆すべきだろう。  歴史的に、オークの森や都市に順応し、清潔のために泥水を必要とする豚は、他の大型草食動物とはやや異質な存在だ。これまでの人類の歴史学の主流は、草原に順応した草食動物と長い葉をもつ草の実だが、オークと豚を中心として生きた人々も想像以上に多かったのではないか……  また、現在の地球で圧倒的な影響力を持つ複数の宗教でタブーとされる。 **羊、山羊  比較的小型の草食四足哺乳動物で、どちらも牛より苛酷な環境で増えることができるので牛以上に数が多い家畜だ。牛同様に高度な植物消化能力を持っている。  羊は草、山羊は木の芽や根も食べられる。山羊は地形がきわめて悪くても問題なく移動できる。どちらも苛酷な環境からでも食べられる植物を見つけることができる反面、本来植物が多くは育たない乾燥した土地で過剰に増やしたら根まで食べ尽くしてしまい、半永久的に植物が生えない砂漠にしてしまう。  肉・皮・角・乳・糞が牛に劣らず利用でき、また常に多くの毛が伸びるので寒冷地でも生きられ、毛を用いた衣類もいろいろとできる。 **馬  人類の歴史そのものを大きく変えた大型草食四足哺乳動物。  きわめて移動速度が速く、人間が全力で走る速さの倍は軽い。瞬間的な最大速度はある種の肉食動物の方が速いが、馬は長時間持続して走れる。毛皮があって寒冷地でも耐えられるのに汗をうまくかいて体温を逃がすこともできる。力も強いが、体の構造上車や地面を耕す道具など動力として使うには工夫が必要で、かなり遅かった。  人間がその背に、両脚を横に開いて乗ることができる。人間の股関節の動く範囲の広さと馬の背の形が、まるであつらえたようにぴったり合っているんだ。さらに道具を追加することでより乗りやすくなる。その歯並びに、人間が乗るために作られたと思えるほど都合のいい隙間がある。そこに棒を通して咬ませ、それに紐を付けてその紐を動かせば、痛みで簡単に方向を指示できる。  忠実で知能も高く、訓練次第で人間の複雑な命令にきわめて忠実に従う。  それによって人類の移動速度そのものが大幅に増し、文明のあり方自体が変わった。万一アメリカ大陸だけでなく、ユーラシアの人類も馬を絶滅させていたら、人類の歴史はどんなだっただろう。  もちろん移動だけでなく肉・皮・乳・糞も利用可能だが、移動用として貴重すぎるためか多くの文化で食用はタブーとされる。 **ラクダ  雨が少ない乾燥地域に極端に順応した大型草食四足哺乳動物。極端な乾燥と風に舞って襲う細かな砂に耐える目や鼻があり、高濃度の塩水を飲んで生きられ、またまったく水を飲まなくても長時間生存・活動でき、砂漠の極端な寒暖差にも耐え、硬かったり表面が刃のようになっていたり塩分が多かったりする植物も食べられる。  砂漠は人類にとって、海同様複雑な面をもつ環境だ。本質的にそこでは水や食料がほとんど得られず生きられないが、地下水さえ掘り当てれば農業生産力がとても大きく伝染病も少ないため最も生きやすい。海同様複数の、人類が多く住む地域をへだてる障壁になり、だからこそその障壁を越えることができれば膨大な富を得ることができる。土地は広く無料であり、自由に移動できる。  砂漠で重い荷を運んで移動するには、何よりも砂漠に順応し力の強いラクダが適している。馬同様乗ることもある程度でき、もちろん肉・皮・乳・毛もとても良質だ。  他に哺乳類の家畜では、小さい馬のようなロバやアメリカ大陸のリャマなどがある。  他小型の家畜は多数あるが、その多くは食料などとしての利用価値が低いけれど愛情だけで飼い続けている、文化が発達してからの余剰消費であるペットだ。現在は犬もペットとしての面が非常に大きくなっている。  その中で特に重要なのは猫。群れを作らない小型肉食哺乳類で、樹上から地上まで非常に広い範囲で狩猟をこなす。人間にとってはネズミを食べてくれるため、特に穀物を大量に保存するためだった。  また比較的最近、新しい目的の家畜として毛皮用に小型の肉食動物が、医学実験用にネズミ・ウサギ・サルの類が多く用いられている。 **ニワトリ  これまでずっと四足哺乳動物ばかりだったが、ニワトリはやや例外的に鳥類だ。  中型で飛ぶ力が弱く、穀物・野菜の人には不味い固い部分・昆虫などかなり広い食物を食う。  鳥類の家畜からは肉・羽毛・卵が得られる。肉も実は穀物一単位あたりの肉産出量が大型哺乳動物の家畜に比べて多い。何より常に産み続ける卵は殺さず得られるし多くの栄養を豊富に含み、殻があるためある程度運搬・保存さえ可能な素晴らしい食物で、穀物一単位あたりの効率も非常に高い。  また一個体の雄に多数の雌という群れを作る習性上雄どうしが激しく争うことを利用し、鶏どうしを戦わせる賭博が現在の世界で広く行われている。  他に鳥類の家畜には淡水面で暮らすアヒル・ニワトリに似て大型の七面鳥・超大型の飛べない鳥ダチョウのようにニワトリ同様主に食べるもの、インコ・カナリヤ・文鳥などのように娯楽・装飾の面が大きいもの、ハトなどがある。  特にハトは肉や卵も得られるし装飾性も高いが、どこに連れていってから放しても空を高速で飛び天文観測などで元の巣に返るという能力があるため、電気が発達するまでは最速の情報伝達手段の一つだった。 **ミツバチ  上述のように生態系の中で、多様な植物の受粉を助ける重要な社会性昆虫だ。  ミツバチは巣に、花が受粉を助ける報酬のように出す糖分に富んだ汁や花粉を集め、体内で少し化学的に変化させ、水分を飛ばして大量に貯蔵する。  それは強い甘みがあり、人間の味覚にはとてもうまいし、ほとんど消化にエネルギーを使わず体力になる最上の食物だ。後述の酒としても価値があるし、調味料としても薬としても有益だ。昆虫の体も成虫・幼虫・卵問わず栄養価が高い良質な食物だし、巣自体もミツバチの体内で作られた、普段はかなり固く水にも溶けないが、体温よりかなり高く加熱すると溶けて液状になったりそれより低い温度でも柔らかくなって自在に成型できるなど非常に貴重な素材でできている。後に金属加工・照明について詳説する。また薬・化粧品としても多用な用途がある。  そのミツバチが生活するには地面や木の穴があればいいが、それを人間が木材を使って作ることで、ある意味家畜化した。  普通の家畜化と違うのは、ミツバチの形態などに家畜らしい変異があまり見られず、大型脊椎動物と違って人間が言葉で命令することはできないままであることだ。毒針すら失われていないほど形態変化は少ない。  さらに一部のアリ・シロアリ・肉食ハチ・ハエ・クモなどを家畜化しなかったことは今虚心に見れば不思議でならないことだ。どれもきわめて大きな食料生産力があり、ハチやハエやクモは種類によっては農業害虫や、家畜や作物のやや大型の微生物による伝染病・人間の伝染病や蚊やノミなどさえ食い尽くすことができていたはずだ。ハエは適切な温度で人間の生活から確実に隔離さえできればあらゆる汚物を短時間で処理でき、飛ばないハエを作りだすことさえできていたらその利用価値は大きかったはずだ。  そうそう、ハエに傷口の微生物を食わせると死ぬ率が下がる。これも昔の医療としては重要だった。また、人の血を吸う特殊な小さい動物を治療に使うこともあったな。科学的に効くのかどうか知らないが。 **カイコ  ユーラシア東方原産、幼虫は特定の木の葉を食べ、大きくなったら糸を吐いてその中で自分の身を守りながら体の構成を変えて飛べるようになり、飛んで交接して卵を産む、というかなり多くの種類がある昆虫の一つだ。  主に利用されるのは、その幼虫から変態するために吐く多量の糸。きわめて強靱で繊細、皮膚にも心地いいし染色も自在、質感も工夫次第で変えられるし……と人類にとって最も人気のある繊維だ。  昆虫としては例外的にほぼ完全に家畜化されており、野生では生存不可能。糸を取った後の虫自体も食料になる。 **カイガラムシ  あまり動かず植物の体内の液を吸う昆虫。さまざまな物質を出して体を覆う。植物の液は炭素と水素の化合物が、虫が体を作るのに必要な窒素化合物より圧倒的に多いため、炭素と水素のつながりかたを変えて体外に出し、それで自分を守る殻にすることさえある。  農作物の害になることが多い反面、上記のミツバチの巣同様に加熱すると液状になる物質・色・薬などがとれるものも多い。  そんな意外と有用な生物はカイガラムシだけでなくほかにもとても多い。 **奴隷  人類にとって人類自体が最大の敵であり、そして家畜でもある。  別の群れの同じ人間をとらえ、家畜として飼い売買することが、ある程度以上文明化された人類にはつきものだった。現在も完全にそれが消えたとは言えない。家畜とどちらが早かったかもわからない。  ただし人類は家畜と飼主に分化されてはいない、幸か不幸か。上述のように、人類が今の形になる間に大規模な火山の噴火があり、人類の数が極度に減ったことがあるらしく、人類の遺伝的な多様性はとても小さい。また繁殖までの時間がかかりすぎることもある。  用途としては作業などにも用いられるし、後述の売春専用も多い。最上の教育を受け巨大な群れの最上位者の子供の教師となった奴隷すらいる。苛酷な労働の多くを奴隷に押しつける文明が実に多い。  ある程度以上の文明で人間を食肉・皮革として用いることは少ないが、昔はわからない。  人間で、地位が高い病人の病んだ臓器を切りとって替わりに健康な奴隷の臓器をつなげることが昔の技術で簡単にできなかったことや、科学実験が容認されたのが遅く、後述するように人間の体を神の似姿として神聖視する宗教が強い文明を母胎とし、人権概念が発達したために人体実験がほとんど容認されなかったことは医学の進歩にとっては不運だった。人権的なものの見方をするとそれで良かったんだろうがね。  他にもかなり昔から限られた種類の陸上で育つ貝が養殖されており、一部の甲羅のある爬虫類、各種の魚などの養殖にも成功している。  淡水魚の養殖というのは家畜という概念をかなりややこしくする存在だ。といっても、物事を一つの定義に当てはめるのは人間の悪い癖でしかない。そのまま見ればいい……池の類を維持することは、蚊が増えて疫病になるリスクが増す反面、ほぼ放置していても常に多量の淡水魚・鳥を得ることができるし、農業用水としてもきわめて有用だ。有用な植物も多量に手に入る。ちなみに充分に魚や鳥がいる池であれば、蚊はほとんどが食い尽くされてそれほど害はない。  ある程度、池から農地に水を入れるタイミングを調整したり、池や水路の地形を調整することで淡水魚の繁殖を助けることもあっただろう。またその池を、人畜の糞尿その他汚物を捨てる場に用いることも、それによって窒素など肥料分を増やして光合成量を増やし、結果的に淡水魚に餌を与えるに等しいこともある。  さらに後述の稲のように、池で育てる作物の場合には魚や鳥を排除しないことで害虫や雑草を防ぐことさえできてしまうんだから、もう家畜と野生を区別するのもばかばかしい。  まあ家畜と野生の区別を言えば、人間の巣に勝手に住み着いて別の昆虫や微生物を食べる昆虫や小さい動物なんて人間にとってはありがたいぐらいの存在だ。ただし人間はそれも嫌って殺すことが多いけどな、バカなことに。  ユーラシア東方では、贅沢を見せつける消費として非常に色の派手な淡水魚の品種が作り出されている。  家畜に関連する道具をいくつか紹介しようか。  まず家畜が逃げないように移動範囲を限定し、また別の肉食獣や人間に家畜を食われないように守るのに人間自身の巣の技術を応用できる。また犬が自分の縄張りに侵入する動物を声で警告・攻撃する習性も同様に使える。  また、ある程度以上広い範囲を守るとしたら、人間の住居の技術ではコストがかかりすぎるため、単純に木の棒を地面に垂直に刺し、その間を縄や棒、薄く一辺だけが長く切った木材などで囲う技術もできた。これは本質的に、農地より早く後述する私有の概念の始まりだったんじゃないかな。  これは牛・馬・ラクダなど大型の草食動物に限定されるが、人間がなにかを運搬するのには肩に乗せて位置関係を固定したまま運ぶ、また板や車を引っ張るというものがあるが、その両方を家畜にやらせることもできる。  乗せるなら布・皮の袋が便利だ。四足哺乳動物の背は歪んだ大きな円筒の上半分のようになり、形に合わせて変型する袋を乗せればいい。大量の布や革も直接乗せられる。  また、背中に合わせて革や木で作ったものを縛りつけ、その上に乗ったりものを乗せたりするのも便利だ。  家畜に命令するため、馬は歯並びの隙間に棒を咬ませ、また口周辺を紐で縛ったり、鼻の(人類とも共通する)二つの穴を隔てる壁に穴を開けて円の周辺の形をした金属器を通したりする。  さらに家畜の体にうまく紐や幅の広い革を結び、車や後述する土を耕す道具、その他純粋な動力などを「紐を引っ張る力」として出させることもできる。馬でそれをやるのが少し難しく、完成したのはかなり遅い年代だ。  家畜や奴隷に命令するため、死んだり行動不能にならないように痛みと恐怖だけを与える武器、鞭が発達している。革などの密度が高い紐で、先端を少し重く鋭利な金属片を植えたりするが、ボーラのように先端の重さが圧倒的に重くはせず、紐自体の重さで動くようにすると先端に力がうまく伝わって瞬間的に音速を越えることもある。皮膚だけを強く広範囲に傷つけて強い痛みを与え、内臓や骨への打撃は最低限ですむ。  他にも、これはかなり後の時代の技術だが、馬は蹄が弱く地形が悪いと行動できないが、馬の蹄に合わせて金属器を固定する技術もある。また、不思議なことにかなり登場は遅いが、馬に人が乗るための座る道具から両側に紐を垂らし、その先端に乗る人の足を固定するものをつけるとものすごく安定し、様々な武器を使いやすくなる。  家畜の生殖を制御する技術として、家畜の雄の生殖細胞を作る器官を切除する技術がある。人間もそうだが、体の外に薄皮一枚だけで露出しているから、技術さえあれば切り取っても大抵死なない。その器官は人間もそうだが、攻撃性を高める物質を出しているから、それを切り取れば攻撃性も低下して扱いやすくなる。  群れを作る動物には一頭の雄と多数の雌という構造で群れを作るのも多く多数の雄がいると群れが分裂する恐れもあるので、ちゃんと家畜を管理するには必須の技術だ。  家畜の子供への授乳を調整するのもある意味生殖への介入だ。  去勢は人間に対しても行われるが、家畜に対してほど社会の隅々まで当たり前に行われるわけではなく、後述の大文明の非常に有力な人間が、一頭の雄と多数の雌という構造を作る時に、その多数の雌を去勢雄に管理させるために使う程度だ。  どの小さい村でも一人か二人を除いてすべての雄が去勢されるシステムだったらどうなってたんだろうな。 *主要作物  家畜同様、繁殖を人間が管理する植物が作物だ。本来は作物と家畜をまとめる一つの言葉があった方がいいだろうし、ここでは何の意味もなく家畜を先にしているが、どちらが早かったかも知らない。  本来は多くの動物が、意図はしていないが食べる植物の繁殖に関わっている。動物が植物の実を食べて栄養を摂り、そして消化されず生きたままだった種が糞と共に別の場所に排出されれば、「別の場所に繁殖する」ことで自分の遺伝子を残す率を高めることができる。自力では移動できないはずの植物が移動することができるわけだ。  人類はそれの、別のやりかたに気づいたのだろう。まず種を地に埋めれば芽が出て植物になること。ある植物が実をつけ種ができれば、その種から親と同じような植物が生えること……本質的に動物の親子関係と同様であること。  さらに乾燥地では、水を人工的に与えることで本来ならそこでは育たない植物が育つこと。他にも寒冷地でも、別の植物の枯れた部分で覆う、寒すぎる時期は室内で温めるなどして本来人間の助けがなければ育たない植物を育てることができた。  そしていくつも植物がある中から、特にいい植物の種を集めてまたその種を埋めることで、植物をよりよくしていくことができること。栄養を貯める部分がより大きく毒が少なく(=味が良く)、移動した先の気候や土壌でも育つ、麦の場合は種ができたらすぐ落ちるし種ができる時期もバラバラだが、種が落ちずたくさんつき同じ時期に実ること……そうしないと、人間がまとめて収穫するには不便だ。 **手入れ・焼畑  さらにただ種を埋めたりまいたりして収穫するだけでなく、水・肥料をやって雑草や害虫を駆除することで、きわめて多い収量を得ることができることも後に分かってきた。  肥料は上述の、植物が必要とする元素の中で水や空気から簡単に得られない、窒素・カリウム・燐・硫黄などの化合物だ。ちなみに窒素は大気の主成分だが、窒素二つの分子は安定していて多くの生物には利用できない。それを利用できる分子にする、特殊な微生物の働きなどが必要だ。本来は農地の近くで生活し、糞尿の全てを農地に戻せばそんなに減ることはないが、収穫されたものを遠距離に運ぶことも多いのでそうなるとは限らない。  肥料として適するものは人畜の糞尿・野生の植物や海藻・乾燥させた動物(魚など)・化石化した空を飛ぶ動物の糞、そして後に人類が科学研究の結果開発し、化石燃料内燃機関の力を用いて作った人工的な窒素化合物や、はるか昔に干上がった海から得られるカリウム化合物、リン化合物などの鉱物資源だ。  農作物は植物であり、もちろん大小問わず多くの動物は植物を食べたがるし、多くの微生物が農作物の中から食い荒らそうとする。生きているうちも、切りとって保存できるように乾燥させるなどしてからもだ。  そして人類は、考えてみれば愚かなことだが同じ種類、それどころか同じ遺伝子をもつ作物だけである面積の農地を独占させることが多い。そうなれば、それをちょうど好む害虫や病気が大発生するのは当然のことだ。  それに農地は、水も肥料分も豊富な土だ。だとしたら他の植物も伸びたがる。農作物は人間にとって多くの食料が得られることが重視され、早く伸びる・他の植物の生長を妨害する物質を出すなど他の植物と競争する力は比較的弱い。  害虫・病気・目的とされる作物以外の植物を取り除いていくのは昔は人間の手によるしかなかった。薬をやったり地面を焼いたりするのも有用だが、どれも治水・収穫なども含めて膨大な労働力を必要とする。  そうやって広い範囲を木のない平坦な土地にし、大量の水を用いて主に多くの種を作る草を少ない種類栽培する生活だと、土地当たりの食料生産がきわめて多い。しかしその遺伝子の多様性が少ないので、その植物を食い荒らす虫や土壌生物や微生物が大量繁殖して全滅することも多いし、水不足で全滅することもよくある。そうなると食べるものが全くなくなり、多くの人が飢え死にすることになる……すべての卵を一つの籠に入れていれば、転んだら全部割れてだいなしになるようなものだ。  あと少ない種類の植物とわずかな家畜しか食べない生活では、狩猟採集で多種多様な食べものを食べる生活より、人間が必要とする様々な微量のもの……タンパク質の最小単位・化合物・金属元素などが不足しやすい。  昔の人間は知らなかったんだから仕方ないが、単純にたくさん収穫できるかよりも空中窒素固定能力があり、タンパク質や脂肪の人体が必要とする最小単位全部を含む、できれば安定した木になる植物を何とか見つけ出してそれを主力にして欲しかった。  農耕の重要な段階に焼畑がある。農耕を知らない人間集団も行う野焼きの発展とも言える。木や草が広く焼かれた地面には、灰となった肥料が積もり、他の植物や昆虫もほぼ死に絶えている。  その状態に種を蒔けば、ほとんど世話も必要なく多くの収穫を得ることができる。  ただし数年も収穫すると、雑草や害虫が戻ってくるし、作物の根にとって利用しやすい灰となっていた肥料も枯渇して収穫が激減するので、その農地を放置して別の地域を焼き、移動する。そうしたら繁茂した雑草、そして木が茂りはじめ、その中には大気を構成する窒素分子を生物が利用できる分子にする微生物と共生する植物もあるし、また木の深い根が下の石を砕けば微生物が石から肥料分子を引き出すこともある。つながっている水の流れからも少しずつだが肥料分はやってくる。それで何年も経てばまた豊かな森が茂るから、その時にまた戻って焼けばいい。やりすぎなければ、とても広い範囲で見れば充分に持続可能だ。  あ、近現代の大人口でやらかしたら全く持続不能になるけどな。 **道具  農業は家畜を育てる以上に、多くの道具を必要とする。家畜は自分で移動して水や食物をとることができる、つまり自分で広い面積の光合成産物を集め、密度を高めることができる。この「(秩序ある)エネルギーの密度」というのが、人間を理解するにはかなり肝心なことなんだ。日光が秩序あるエネルギーであり、また水も太陽という秩序あるエネルギーの力で本来ならより秩序の低い海にあるはずだったのが大地にある。だがどちらも、はっきり言って面積当たりの密度が低い。その分少し秩序が低いとも言える。逆にたとえば大量の水が高い場に集まれば極めて高い秩序となる。要するに後述するダムで、それを使いこなせればさまざまなものすごいことができる。  たとえば家畜の脂肪も、かなり大量の太陽光と水という秩序を、その相当部分を体温や呼吸で秩序を低めてしまうかわりに濃縮したエネルギー・秩序の塊に他ならない。  この、水……特に農業で用いられる淡水・肥料・日光と土地の面積で考えた密度、それをエネルギーの秩序とその密度を基準に考えることが、人類文明を考える中で本質的な考え方なんだ。  さて、その密度の低い地面での植物生産を少しでも濃縮するために、人間は多くの道具を用いる。  単純に「生えている草の種を集める」だけでも、種が集まっている部分を茎から切断する、茎から種を切り離す、それを集めてこぼれ落ちないよう収納しつつ運搬する、種を覆っている固い部分を分離する、そして貯蔵したり調理したりする……そういう草の場合一番いいのは乾燥させてから強い圧力+摩擦をかけて粉末にする……とそれだけの道具と技術が必要とされる。  さらに継続的に大量の収穫を得るために、人間は地面の土を一度破壊し、水を管理することをする。  土が非常に複雑な、植物の根から虫から微生物から多数の生物の塊だと思い出して欲しい。そうなると、たとえばそれまでの作物を食い荒らす微生物から小さい虫までたくさん土の中でぬくぬくとしていたのが、空気や日光にさらされて多くが死ぬ。また、様々な草の根が切られて死ぬことで、何の植物もない状態に新しい種がまかれ、種をまいた作物だけが育つ状態を作ることができる。また水が土に入って中で蒸発せず留まるようにもなる。土の微生物にとっても、一度壊された土の方が住む場所が多いこともある。  水は少なくても植物は生長しないが、逆に多すぎても土から空気が抜けて土壌生物や根が酸素を得られず、植物も死ぬ。それを防ぐために、適度に水が抜けるようにする必要もある。そのためにも土を一度破壊するのは有効だ。もっと高度には、木の葉や砂を入れて土の質を変えることすらある。それを広い面積でやるんだ、どれほどの量になるかは言うまでもない。  それらのためには、乾燥して非常に固くなることがある土を壊し、移動させる非常に強い力と道具が必要になる。  一番古くは、ただの木の棒だったろう。それでも軟らかい土なら掘り返すことができる。  それに、後述する金属の刃をつけ、さらに人間では動かないほどの重さにして家畜に引かせるなどしてどんどん「掘る力」を増している。現在の人類が享受している莫大な食料生産も、結局は金属や動力が進歩して「掘る力」が史上かつてないほど強くなったからとも言える。  ただし、それをやると土そのものが水や風に飛ばされて長期的にはなくなるから本当はやらないほうがいいかもしれないが。  道具については後により詳しくやる。 **限度  残念ながら、僅かな例外を除いて農業は持続可能ではない。千年間同じ地域で充分な収穫を得続けることができたのは、アフリカ北東部の砂漠を縦断する大河に洗われる地域とユーラシア東端周辺の島だけ。ユーラシア東端の大河流域南部やユーラシア南部の大半島はかなり不安定ではあるが、何とかかなり多数の人が生きつづけていられる。他は千年以内に土地が衰えて二度と植物の生えない砂漠と化すか、人間がほとんど住まない熱帯雨林と化すか、乏しい農業生産で最盛期よりずっと少ない人がやっと生きているだけだ。長期間収穫が得られる地域の共通点は、非常に大きな河川が常に洪水を起こす、雨が極端に豊富、後述する水田で稲を育てる農法が多いことなどだ。  上述の肥料をやるのを忘れてひたすら収穫を持ちだせば、もちろん土地は必須元素を失って植物が生長できなくなる。  遺伝子が変わらない、同じ種類の作物を同じ土地で育ち続け、その収穫を全部持ちだすことを繰り返すと、特定の特に必要とされる元素が土から失われたり、その作物を特に好む害虫が繁殖したりして収量が落ちる。できれば三年ぐらいかけて、一年目と二年目に別の作物、三年目は作物は作らず雑草を茂らせて家畜に食わせる程度にし、また次の年は雑草の根も含めて地面に混ぜて、を繰り返すほうがいい。特に上述の、根に特殊な微生物を棲ませて大気中の窒素を生物体に使える化合物にできるタイプの植物を混ぜて育てることも有効だ。  本当は多数の作物を混ぜて育てるのが一番いいんだが……。  人類は農耕を大規模にやる際、多くは農業地域の森林を全て切り倒す。燃料や建材として必要とすることもあるし、木が混じっていると大きい道具を用いた農耕がやりにくいからもあろう。所有を明らかにするためや、単なる精神・言葉が暴走した迷信の影響もあろう。森では動物の群れがばらばらになるため、牧畜に向いていないこともあろう。だが森を失い、表面を道具で破壊され、季節によってまったく表面に植物がない状態になると、地面の土は水・風などで容易に移動し、最終的には海に失われる。農業地帯では地域全体の半分ぐらいは森や低い木にしておくべきだが、人間は大規模にはそれを意識的にやることがほとんどない。あるとすれば伝染病などによる人口の不足、木を切り倒すための道具が足りない、とそれだけのことだ。  農業に使われていない木や草がないと、植物の花粉を運ぶ昆虫がいなくて種をつけることができなくなることもありえる。  さらに最も恐ろしいのが塩害の類だ。乾燥地に遠くから水を得て、大規模に潅漑するときに起きる恐ろしい現象。乾燥地では、普通に雨が降り地面に水が流れる地域と違い、どんどん水が蒸発する。するとナトリウムやカルシウムなど、水に溶けている金属元素がそのまま残ってしまう……水はすぐ気体になって大気に混じって消えるが、金属元素は消えてくれない。また潅漑の水量が多すぎたり耕し方が悪かったりすると、普通なら地中深く流れていて地面とは関係を持たない地下水と地面がつながってしまうことがある。そうなると地下から金属元素を含む水がどんどん上昇しては地面で蒸発し、金属元素を残す。そうなると、それと土の成分が結びついた化合物が土の中で濃度を増して普通の陸上植物がそこでは育たないようになる。乾燥地で潅漑をするなら水を多くやりすぎない、少なくとも何年かに一度ものすごく大量の水を流して必ず流れる先が海までつながるようにして地面にたまった塩を抜く、穴や溝を掘って地下水の高さを調節するなど、非常に緻密な管理が必要だが、人類全体がそれを長期間うまくやれたためしははっきり言ってない。塩害についての知識がちゃんとある現在でさえも、農地の半分は塩害で失われようとしているぐらいだ……人類の欲望と繁殖は常に人類の知恵より強い。  さらにどうしようもないのが赤道近くのとても雨が多い森だ。人類が文明を発達させた高緯度地方では森林を焼けばいい農地になったから同じだと思ってるが、雨が多すぎるし生物分子が水と二酸化炭素に分解されるのも早いから、石由来の必須元素は水に流されて乏しく土は恐ろしく薄い。そこで森を切り倒して農業をやったらほんの数年で、薄い土は流され酸化アルミニウムしか残らない、半永久的にいかなる植物も育たない荒れ地になる。森のまま役に立つ木を増やして少しだけ収穫するか、水田に限定すべきだ。  そういうバカをやって農業でとれる作物が少なくなってもう森林もない、その状態で農業がダメだからと家畜を高密度に放牧すれば、あっという間に残った植物も食い尽くされ、地面は踏み固められて砂漠になってしまう。そうなったらもう……人類が今消え失せても、元の森に戻るのは何千年後なんだろうな。ずっとこのままかもしれない……ワイズマン『人類が消えた世界』にはそのあたりは書いてあったっけ? **小麦  人類の最も重要な作物だ。これはその、イネ科という植物グループ共通の特徴だが、茎があまり見られず、地面から直接長い葉を高く伸ばす。花があまり目立たない、ということは昆虫ではなく主に風で花粉を飛ばす。栄養の多くを種に集中し、鋭いとげで種を保護する。種には豊富なデンプンが含まれ、乾燥させれば絶好の保存食となる。タンパク質と脂肪も含まれている。またその鉱物を含んで硬く再生が早い葉は、牛・馬・羊・山羊など主要草食家畜の好物でもある。  小麦は乾燥に強く、複数の気温の変化に順応する。  特筆すべきなのが、その種……植物学的にはいろいろあるが……を乾燥させて、石の上に置いて別の石で叩いたり平行に動かしたり強い圧力と摩擦を同時にかけると粉になって爆発的に体積と表面積の比が増し、味が悪い皮などを分離できるようになる。それを水と混ぜると、増した表面積と水となじんで互いにくっつくようになるデンプンの性質のせいで柔らかな塊となる。さらにそれを、適度な温度である微生物に食わせると、微生物が二酸化炭素などの気体を出してその圧力でふくらみ、含まれるタンパク質が引っ張られて伸びる強さがあるため無数の泡がある状態になる。そこで、水を用いずに加熱してやると、泡構造を保ったまま固まり、熱でデンプンが食べやすい分子になる。  そのパンと言われる食物、特に種の粉から白い部分だけを集めて作ったものは、間違いなく人間が一番好む食物だ。乾燥させれば長期間保存できるし、焼いてすぐはきわめて美味だ。  残念ながらパンだけでは食べにくく、油などが必要とされるし白い部分だけだと人体が自力で合成できないある化合物が足りなくなって病気になるが。  他にも粉を水と混ぜ、ある方向だけに長くすると表面積が増し、乾燥しやすくなる。それを水で加熱するとこれがまた美味だ。  種自体が乾燥させれば長期保存ができ、収量もきわめて多い。根本的に大量の食糧を貯蔵できるため、それを育てる技術があると多くの人口を養える。 **他麦  小麦に似た作物は多く、それらは小麦より土の塩分が多い、寒い、水が少ないなど過酷な条件でも育つがパンを作りにくい。後述するビールの材料に適する大麦、ライ麦、オーツ麦など多数ある。家畜の食料としても重要だ。  他にも同じように種を乾燥させてから粉にして食べる草は多種多様だ。むしろ小麦・米はぜいたく品といえ、普通の人は普段は他の種を食べる草や豆や芋で生きていた。 **稲  これはユーラシア東側でとても珍重される作物で、日本語ではその種を米と呼ぶ。基本的な性質は麦の仲間だが、つねに地面が湿るか水で覆われた地域の植物であることが異なる。  陸上で麦のように育てることもできるが、その水で覆われた環境を再現するときわめて収量が多く、しかも同じ場所で長期間農業を続けることができる。大量の水を一点に集めることで、その水がこれまで流れてきた森などから各種必須元素も大量に持ってくるんだ。また水がたっぷりあり、それが流れ出る道もあるから塩害が本質的に起きない。また水に浸された環境というのは多くの生物にとってかなり厄介で、ゆえに雑草も比較的少ない。同時に水を貯めた農地からは多量の貝や魚も得られる。  あまり粉にして食べることに向かないのか、粒のまま水を通じて加熱することが多い。タンパク質のバランスが小麦以上によく、米と塩の多い魚や発酵豆と、多少の生きた植物があればそれだけで人間の必要な栄養がそろう。  きわめて味が良く、ユーラシア東部ではある意味神聖視されていると言っていいほど好まれる。  ちなみに小麦・他の麦・稲には、花から種がつく長い棒状の部分が種を落として枯れたものに、非常に大きな有用性がある。内部が中空になったとても丈夫な繊維の塊で、うまく扱えば太く丈夫な縄にもなる。工夫次第で籠や帽子など多様な工芸品を作る文化がある。  それを集めてその上に人間や家畜が寝ると水分を吸ってくれてしかも保温力が高い。  後述する干しレンガに入れることもあるし、巣の上側を雨や風から守りつつ保温するのにも有用だ。  草食性家畜の食べ物としてもとても有用だ。 **トウモロコシ  アメリカ大陸原産。光合成のやり方が少し違うため同じ水と面積でも、特に日光が強い低緯度地域では麦よりはるかに収量が多い。  パンでも食べられるが、色々な調理法がある。 **芋  植物には、地下にある根や茎の一部が大きくなり、そこにさまざまな物質を貯めるものが多くある。さらに品種改良によって、その貯める量はどんどん多くなる。特に人間が好むのはデンプンを貯めるものだ。  地下に大きく多量のデンプンを含む植物群を芋とまとめて呼び、特にユーラシア南部の島が多い赤道に近い地域で様々な芋と豚と犬を中心にした食生活が発達した。  アメリカ原産で、後に人類全体の人口を大きく押しあげた作物も多くある。  特筆すべきなのが寒冷地に適し麦よりはるかに収量の多いジャガイモ、豆同様大気の窒素を取りこむことができ痩せ地でも育つサツマイモ、そのままでは有毒だがあらゆる作物で最大級の収量を誇るキャッサバなどだ。  収量自体は穀物より多く気候や土壌の幅も広いが、タンパク質をあまり含まないし保存がやや難しいので、穀物ほどの地位を持つことは少ない。 **豆  花や大きめの種をもつ実に特徴があるが、最大の共通する特徴は「根に空気中の窒素を生物が使える化合物にする微生物が住んでいること」だ。まあその能力を持つ植物は、分類学上豆でないのにもあるけどな。自分でやれといいたいが動物も植物も、細胞をそう進化させることはできないようだ。  何の役にも立たなくても、ただ数年に一度この種の植物を植えるだけで土地の植物生産が大幅に増える。  それだけでなくそのかなり大きい種は多くのタンパク質や脂肪を含み、最上の食物だろう……残念ながら泡立ち苦みがある毒が僅かに含まれ味が少し悪いため、麦の類のようにそればかり食べることは少ない。  後述する野菜や家畜の食料としてもとても価値が高い。  ここまでが、人間及び草食家畜の、現時点で主要な食物となっている作物だ。共通点はデンプンが多いこと。他に高デンプンで人が生きるためのエネルギーの多くを得られる食用農業植物は、熱帯で育つ身長より大きくなるが草であるバナナ、後述するヤシなどがある。以下は少し特殊な作物を挙げていく。中には、それがなくても生きるには不自由しないものも多い。 **オーク  これは作物に入れるのは間違っているかもしれない。人間は利用はするが、意識的に育てることがほとんどないし、品種改良もしていないからだ。  ここで挙げるのは、一種類の植物ではなく多数の共通の特徴を持つ、大木になる植物だ。一番共通の特徴は「固く薄い木質の殻で覆われた種をきわめて多数落とす」こと。ちなみにその種は野生動物にとっても貴重な食料になる、もちろん。  本来なら普通の作物のように、悪い味を持たず成長が早くなるように品種改良していれば、上記の限度でいったような問題が少なく何千年も収穫し続けられる最上の作物だったろう。だが種をまいてからまた種ができるまでの期間が人間の普通の寿命にも匹敵するほど長いとか、収量が本質的に不安定だからそうならなかったのか。とにかく人類は、森を維持したままその産物に依存する生き方よりも、木を切り倒して草原に近くし、それで上記の麦や稲、豆などの作物を育て、家畜を飼う方が人口が多く戦力が強いらしい。  ただしその前、特にアフリカ大陸から出た直後の人類にとってはとても心強い食料になっただろう。  その種は量が多く、きわめて長期間収穫を続けられるが毒が強く、水や灰を用いてかなりの技術を使わないと食べられるようにならない。ただし豚にとってはいい食料だから、その森に豚を放しておけば勝手に育つ。  個人的には人類が、麦や稲ではなくオークの実を主に食べていれば今のように自滅の可能性が高い状態にならずにすんだのに、と後悔している。せめて農地を作るにしても半分はオーク森として確保し、種を食べる技術も残しておけば、作物が全滅しても餓死は最低限で済んだはずだ。現に日本ではそうやって暮らしていた地域も多い。  木材も頑丈で、素材としても燃料としても質がいい。この木材がなければ遠洋航海は難しかっただろう。また樹皮が革の処理に必要な物質を多く含み、さらに後に言う文字を書くのに必要な染料も特殊な寄生虫を通じて得られる。 **ヤシ  これは水が凍ることがない、赤道に近く気温の高い地域で育ついくつかの種類の木の集まりだ。高くなり、上の方だけに葉があるのが大体共通している。  木材としてもいいし葉も用途が広い。未熟な葉もいい野菜代わりになるし、花をつける部分を切れば次に述べる酒にもなる糖分の多い体液が出る。  種類が多く、ナツメヤシは甘く乾燥させれば保存が利く実をたくさんつける。種もラクダなどにとってはいい食物になる。  ココヤシは油・器・安全な水などとても用途が広い。  アブラヤシの実は大量に油を含み、実は現在の人類の文明を支えているし、昔の南方の人間にとってもありがたい食物・商品だった。  サゴヤシというのは幹の内部に大量のデンプンを含み、切り倒さなければならないが一度に大量の食料を得ることができた。  熱帯沿岸の海水が入る泥地に育つニッパヤシは葉が多様に使えるし、樹液から酒も得られる。 **葡萄、酒  長いつるを作って別の木にからみついて育ち、自分も木になっていく植物。大量の単純な糖を含み、水分も多い……甘い実をたくさんつける。むしろ土より砂に近い、水がすぐ出ていく地域に適している。  これは「酒」が主目的になる作物だ。前述のように糖を含む水がある微生物に食われると、繁殖するときに出すエタノールが混ざった水になる。エタノールは水と混じりやすい、単独だと燃えやすい、色々な物質を溶かすなど面白い性質もある。ちなみに多くの生物、特に微生物にとっては毒だ。その微生物は増えるときに毒を出して他の微生物を殺し、糖という貴重な資源を独占するわけだ。  大型動物にとってもエタノールは基本的に毒だが、逆に糖とその微生物自体はこれ以上ない栄養源になる。だから少し発酵させて他の有害な微生物を全滅させれば糖と微生物を食うこともできる。特に馬の乳を用いた酒は多くの有用な栄養素を含む。  また湧き流れている水が動物の糞で汚染され、金属元素が多すぎて飲むと体を損なう場合、その水で葡萄などを作って酒にして飲めば雑菌も多すぎる金属元素も排除されているから乳に並んで安全に水分を得る手段ともなる。雑菌を殺すだけなら水で酒を薄めて飲んでもいい。  それだけでなく、その毒であるものは、人間の脳神経を破壊するのだが、その時に強い「快」を感じてしまう。毒に快を感じるってのは矛盾している気がするがそれは言葉の問題で、快になる毒はけっこうある。それもその毒を飲むことが食料や繁殖、群れ内部での地位同様に高い欲求になるように精神が変化することさえある。  そうなると、実は多くの食料を無駄にすることにもなるんだが、人は多くの酒を求め、それを後述する貨幣で交換するようにもなる。  さらについで、後に語る蒸留など高度な技術を使って酒からエタノールだけ取り出すと、より強力な酒になる。またエタノールを造る微生物は二酸化炭素も出すから、うまく密封したまま発酵させれば泡が出る酒になり、これまた独特の味になってうまい。多くの二酸化炭素を含む泉の水がわりと安全だから人間がその味を好むのだろうか。  また葡萄以外の酒を造るための作物についても簡単に触れておく。  まず最も簡単なのがミツバチが巣に貯める蜂蜜。そのままだと糖が多すぎて微生物すら生きられないが、水で薄めればすぐどこにでもいる微生物が増え始めて発酵する。  葡萄などあらゆる果樹は元々適している。  穀物、特に大麦も酒に適している。そのまま粉にして水と混ぜ、適切な微生物を少量植えて適温を保っても微生物がデンプンを分解して糖にし、さらに糖をエタノールにする。また水を与えて葉や根を出させると、その時植物はデンプンを分解して糖にして利用して成長する準備をするから、そのデンプンを分解する酵素を出す。その時に乾燥させ、水をうまく与えれば糖が微生物によって発酵され、酒になる。その乾燥した芽と芋などを混ぜても酒を作れる。また人間の口の中に出る液もデンプンを糖に分解する酵素を含んでいるから、それを利用する酒もある。  後述するヤシを始めとする植物内部を流れる体液、砂糖を作るための作物も酒を造るのに適している。  前述のように、特に馬の乳も酒を作ることができる。  またエタノールは、特に外の力で傷を負ったときにそこにつければ微生物を殺せる。  葡萄に適した土地はあまり麦等に適していないこともあり、そういう土地に押し込められ、しかもかなり進歩して周囲との交換で生きられる人々は葡萄を育て、酒にして生活する。  水分と糖を含む実を潰し、そのまま水を通さない器に入れて温度を安定させると、実そのものについている微生物が増えて酒になる。  ちなみに葡萄の実を乾燥させてもいい保存食になるし、種に含まれる油も利用され、葉も野菜として利用する地域がある。  歴史上面白いこと、ユーラシア大陸の葡萄は今はそのままでは生きられない。アメリカ大陸にもあった葡萄をユーラシア大陸に持ってきたら、それを食べる虫を一緒に持って帰ってしまい、アメリカ大陸の葡萄はその虫があってもちょっと弱るだけだがユーラシア大陸の葡萄はその虫に食い尽くされて死んでしまう……人間と逆になったわけだ。 **油脂  人間にとって脂肪は食料としてもさまざまなものの材料としても重要な資源だ。  特に重要な作物として、やや乾燥した地域に適したオリーブがある。その実を強く潰した汁を置いておくと、水と豊富な脂肪分が密度の違いで分離し、普通の人間が生活する温度では液体である。その油が色々な目的に使われる。葡萄同様に実を加工してカネになるものを得ることができるわけだ。  後に、そのままでは食べられない実を加工して食べる技術もできた。  脂肪は価値の高い資源だから、油を得るための作物も多数ある。大きな花をつけるヒマワリの種、野菜の一種であるアブラナなども重要だ。  大豆、綿など他の目的にも使うが油も多く得られる作物もある。米、麦、トウモロコシからもある程度油がとれる。  特に重要なのがアブラヤシという低緯度の木で、それは後にプランテーションで詳述するが洗剤などの価格を大きく下げ、近代文明を支える重要な作物の一つとなった。  動物性の油脂としては上記の豚脂、牛乳から作られたバターなども重要であり、後述の近代になるときに海に棲む超大型哺乳類の脂肪も多量に使われた。 **サトウキビ  これは実は麦の仲間なのだが、非常に長い茎と葉が特徴。赤道に近い暑い地域で育つ。  茎に多くの単純な糖分を含んでおり、ただ茎を切断してしゃぶるだけで甘い。  それを絞って煮詰めると甘い糖の塊がとれる。  もちろん酒も作れる。  それを精製した物は最上の食糧資源だが膨大な薪を必要とするので、蜂蜜・酒・油同様主に貴重品として高額で売買された。  現在の世界を支えている作物の一つで、最近はエタノールを直接燃料に使うこともやりはじめている。後述するプランテーション農業の重要な作物だ。  他にも寒い地方でできる草の太い根、ある木の中を流れる液からも砂糖が得られる。 **果樹  甘い実ができる樹木。種類はきわめて多種多様。実を乾燥させれば保存食となり、水分が多ければ絞って酒になる。そのまま食べてもうまいものも多い。薬としての効果も多様。  酸性が強い実の汁を、上記の遠洋航海で足りなくなる微量物質を補給するために運んでいた時期もある。酸のおかげで糖分が多いにもかかわらず微生物に食われにくいからだ。もっと早くその手に気がついていたらどれだけの人が死なずにすんだか……いかに人間が新しい知識を拒絶するかの好例の一つだ。  中には酒にずっと漬けておき、薬になる成分を出して酒を飲むもの、塩漬けにするものなどもある。  その花を楽しむこともあるし、木材としても利用する。  まあ全体には贅沢品、また森のサルであった人類の祖先の主食であったこともあり、特に好む食品でもある。  また脂肪を豊富に含む種子が贅沢な食物となる樹木もかなり多様にある。 **野菜  人類が進化してきた間、多くの野草・木の葉などを常に食べていた。その多くはデンプン・脂肪・タンパク質などこそ少なくエネルギーにはならないが、人間が必要とする多様な微量元素・微量化合物を摂るのに必要だ。  人間は雑食性で、多様な食物を常に食べることを好む。  だから身の回りの作物でない草から食べられるもの、香りがよく調味料になるもの、薬になるものなどを集めるし、また主要作物だけでなく多くの柔らかく品種改良された草を育てて食べる。  後に文明が進むと主要作物と家畜の肉以外食べたがらない人々も多くなるが、都市住民がある種の贅沢として作物として作られた野菜を食べることも多い。まあ高価な穀物や肉を節約するため、野菜で腹だけ膨らませることも大きいがね。  葉・太くなる根・実など色々な部分を食べる。加熱調理することもあるし生で食べることもあるが、葉を生で食べるときは人は好んで油と、酒の発酵を更に進めてできた酸を混ぜてかけて食べる。  肉同様塩漬けにしたりそのまま発酵させたりすると保存食にもなる。人類が広がった地域の多くは季節がある高緯度地方で、そこでは寒い時期には人体が必要とする微量物質が得にくいので野菜の保存食も重要だった。  また、ある根が肥大する野菜が寒い時期も保存できる家畜の飼料となったことから、それまでのように寒い地域では家畜を最低限を除き殺して保存食にするのではなくそのまま生かしておけるようになり、それは産業革命のきっかけのひとつにさえなった。 **繊維  上述の繊維は人間にとってきわめて重要な物資だ。それを得るための作物も多くある。  麻はオークやヤシ同様多くの種類の植物をまとめて言う言葉だ。重要なのには大麻・苧麻、亜麻、サイザル麻、マニラ麻、ジュートなどがある。  中でも大麻は繊維の加工に手間が掛かり熱を遮断することや染色には不利だがきわめて強靱で、後の遠洋航海を支えた。食物・油脂・嗜好品・医薬品、そして後述の麻薬としてもきわめて高い価値がある。  木綿は実を覆う部分が繊維となり、染めやすく着心地が良く温かい繊維になる。丈夫で軽いから船の帆にも適している。ただし水になじみやすく冷えやすいから寒冷地には適していない。またその種は多くの油脂を含む。  上述のカイコがその葉を好んで食べる木も、人が果樹のように育てることが多く重要な作物と言える。  いくつかの樹木は、樹皮からかなり強靱な繊維を得ることができる。  動物性繊維に上述の羊や山羊やラクダの毛、カイコの絹などがある。近代になってから、長い分子を人工的に化石燃料を利用して作る技術が発達した。  特異な繊維として鉱物である石綿があり、強靱で腐らず燃えないため便利だが、人類そのものに向いていないことがわかった……その細かい鉱物が肺に入りこむと消化吸収できず、放っておけばいいのに排除しようと攻撃を続けて、それが細胞の遺伝子異常につながることが多い。人類はそんなものと接することがまずない環境で進化したからだ。 **花・香料  これはまあ、贅沢の極みというものだ……人間はただ生きるだけでなく、色々な楽しみもあったほうがいい。人は植物そのもの・特にその花の色と香りを楽しむ。  文明以前の狩猟採集生活では身の回りにいくらでも花はあり、巣に花が欲しければただ出かけて採集すれば良かった。だが非常に贅沢な文明生活で、贅沢な階級が農作物として花を求めることが多くなり、花を作物として栽培することが出た。ここでは品種改良を高尚な趣味として行うこともある。  また、その花の香りを出している、きわめて複雑な物質を多く含む細胞内の、油脂とは違うが水に溶けない液という点で似ている物質を取り出す技術も後に産まれた。方法には直接絞り出す、後述の蒸留の応用で水蒸気を用いるもの、最高級なのが動物の脂を用いるもの、後に加わった近代以降の技術を用いるものがある。  香りを取り出せる植物は花以外にも多く、樹木であるものも多い。また動物性の香料も結構ある。  木や動物による香は、加熱して煙にして使うことが多い。蚊や蝿を追い払うことができ、精神に色々影響を与えるので薬用としても重要だ。  また布や革や食料を染めるため、色をとるのに用いられる生物も非常に多い。食料を染めるものは後述の調味料・薬とも分類できそうだが、そんな分類はあまり意味がない。  アイ・紅花などが重要だな。食用にはサフラン・ターメリック(ウコン)など。ある貝の紫が珍重された地方もあるし、ある赤い色を出す木は一つの大陸の運命を大きく変えたものだ。 **薬・毒・嗜好品・調味料  これは実に多様な植物があてはまる。  何度も言っているように、あらゆる生物は体内に様々な物質を作る。特に微生物と、自力で動けない植物は。その多くは自分を食べる生物・自分と資源を争う生物(同種を含む)にとっての毒。ただし花をつける植物は、多様な子孫を広い範囲に送るため、ほかの動物の力を借りることも多いので、それを呼び寄せその益になる物質も作る。  人間は、その毒である物質を色々に使う。上述の革加工、保存食、他にも病気を治す薬、繊維の染色、革以外でも多数の素材の加工。  また匂い・色をそのまま楽しむ。体に入れて、その毒による精神の変化を楽しむ。匂いによって小さい虫が人間や人間の資材を襲うのを防ぐこともする。  嗜好品は、多くはその毒が、「人間が好ましく感じる」ものになってしまったものだ。微生物が造る酒が代表的だな。砂糖や蜂蜜もある意味ではそうだ。  特に効果が大きいのが、依存性をもつ嗜好性物質。それを習慣として使わないことが非常に大きな精神的な苦痛になる。依存性というのは他にもきわめて広い概念だ……精神に快感を与えること全てに依存性がある。人を支配すること、支配されること、性的接触、夫婦間の狂気、金銭、賭博、魔術、その他きわめて多くのことに依存性がある。依存性をきわめて起こしやすい物質も多い……脳を破壊して普通とは知覚と意識の関係や意識そのものを歪める効果がある物質は特にそうだ。これらは魔術にも用いられる。薬による幻覚を、神との接触と解釈するわけだ。  上述の酒、タバコというアメリカ大陸原産の葉に含まれる猛毒、ケシという草の大きい実を傷つけて出る汁を固めたものやその精製した成分、大麻の成分、麦をだめにする微生物が出すもの、コカという木の葉の成分、ある種の石とともに噛んで赤く染まった唾液を出す葉など。同様の効果を持つ物質を人工的に作ることもでき、他の重要な用途をもつものが依存性薬物として使われることもある。  そのいくつかは薬としてもとても価値が高く、大麻は呼吸が苦しいときなどいろいろに効くし、ケシは苦痛を和らげる働きがとても高い。  比較的害が少ないのが茶・コーヒー・ココアなどいくつかの灌木の葉・実などに含まれるもので、眠らなくても気分がよくなる。  そういうものは……賭博などもそうなんだが……文明が進むと、魔術との関係も高いため禁止する圧力が高くなり、それが後述の闇社会を生みだす。  調味料は味覚および嗅覚、一部味覚に働きかける、食物に比較的少なく入れる食物だ。香料・嗜好品・薬と厳密には区別はできない。  実は塩化ナトリウムそれ自体がもっとも重要な調味料だ。  様々な味……中には舌の味を感じる細胞器官に痛みを与え、それが塩化ナトリウムに似た味と解釈されるものすらある……や香り、弾力・粘性など力学的な違いを食物に与えることができる。  多少腐っている肉を食べるときにそれで味をごまかすことができるし、含まれる複雑な分子は微生物を殺すこともする。  また、人間は「複雑な味」を好むこともある……単純な味も好きだが、複雑な生き物なので。複雑な味というのは、多種多様な食物を食べているということであり、それだけ必要なものがすべて摂取され、また多様な食物源を利用することでどれかがだめになっても他でカバーできて生存率が高い、ということかもしれない、進化心理学的屁理屈を言えば。  ただの雑草から木の実など非常に多様な植物から得られる。  特にコショウという木の実を乾燥させた調味料は歴史的に重要だ。後述する、ヨーロッパが世界に広がった理由に、高価だったコショウを求めたことも大きい。 **ゴムなど  これはかなり例外的な作物であり、後述の近代文明に至ってから工業素材として主に用いられた。  木を傷つけて出る体内を流れる液を固め、硫黄で処理すると「水を通さず、非常に弾力が高くて自由に変形してすぐ戻る」素材になる。布に塗れば完全防水できるし、中空のトーラス状に加工して内部に高い圧で空気を入れて密封、上述の車輪の縁として用いると乗り心地が大幅に良くなる。後述の自動車文明はこれがなければ無理だっただろう。  樹液を素材として用いるものは他にもある。北方の葉が針状になる木の根の樹液・樹脂は木に塗って微生物に食われにくくするなど多様な使い道がある。さらにそれを後述の蒸留技術を用いると実に色々な素材になる。  ユーラシア東方の素晴らしい技術に、非常に毒性が強く触れただけで皮膚が傷つく樹液を出すつる植物の利用法がある。その樹液を加工したものを木に塗ると、水などほとんどあらゆるものに強く、美しい膜になる。実質的に「加工しやすく、微生物に食われない」ものになるわけだ。  他にもある果樹の、まだ種が育っておらず食べられない実を砕いた汁からも塗料がとれる。  またこれはついでにだが、塗る油としては食用油やそれに似ているが食べられない油を含む植物、さらに生物でなく上述の生物が化石化した油、木を酸素不足で燃やしたときに出る液なども利用される。 **緑肥・飼料  これを意識的に使うようになったのはかなり先の話だが、「色々な植物の葉など柔らかい部分を刻んだもの、または動物の糞尿を、耕すついでに土に混ぜると収穫が多い」という経験則は農業をやれば誰でもわかる。すべての生物には、生物が必要とする窒素・リン・硫黄など元素の利用しやすい化合物が含まれており、それは土に混ぜれば微生物が分解し、また植物が利用しやすい単純な分子として土に混じり、それを作物が吸い上げる。  植物由来の有機物が多く混じって腐敗し、土壌小生物が多い土というだけでも、それは水を保ちつつ余計な水を排除し、肥料を適切に根に供給し、害虫や雑草がいてもそれを食べる虫も多くいる、一般に生産量が多くなる土だ。  特に豆の類がそれに優れていることも、経験則としては知られていただろう。豆の類に限らず上で述べた、根に特殊な微生物を共生させて大気中の窒素を使える形にできる植物は特に優れた緑肥になる。ついでにいえば、魚や海藻を肥料とするのも有用だ。  後にはそのための作物も色々見つけだされた。またそういう作物は、草食性の家畜の餌としても優れている。  よりよい肥料が、大量の植物や人間や動物の糞尿を集めて空気を遮断したもので、微生物が活動して発酵することで生物が必要とする元素がより容易に植物の根に吸収される。  たいていの草が家畜化した草食動物の餌になるが、これはかなり後の話だが有用な技術として、大量の草を切断し、乾燥させてからうまく保管することで微生物を繁殖させ、保存もできて栄養もいい食物にする技術がある。その技術がなければ、冬に寒くなって植物が育たない北方ユーラシアで家畜の群れを維持するのは困難だ……家畜を最低限に減らして、室内で大量の燃料で温めて人間用の保存食を与えるか、または暖かい地域に長距離移動するほかなくなるが、その技術によってかなり北方でも定住しつつ大きな家畜の群れを保つことができるようになった。上述の根野菜と並んで歴史的にも重要な技術だ。 *木の伐採  地面から大体垂直に伸びている木を、地面近くの適当な高さで切断し、その根をなくしてしまうこと、木という生物個体を殺すことが農耕以降の人間にとっては重要だ。  木は上下方向に無数の管が集まったような構造であり、死んだ細胞が繊維状につながった内側はきわめて強い。地面から力で抜こうとすると、無数の根が土と絡み合って巨大な摩擦になり、根が切れて抜けるにしても土ごと抜けるにしてもとてつもない力が必要になる。  刃物で木の部分を切断しようとすると、それは非常に刃にとって負担がかかる……極端に低い角度で面が交差している刃に強い力がかかるとどうしてもそこが壊れる……し、人間の筋力も大きく消耗される大変な作業だ。倒れる木は人を簡単に押しつぶす危険もある。  比較的楽な方法として、木材を取ることをあまり考えず木を排除することだけ考えれば、木の表面部を木の周囲を一周して輪になるように傷つけてある時間待てば木そのものが死ぬ。それを待って火を放てばいい。  乾燥した季節・気候なら大規模な放火で森ごと焼き払うこともできる。  ただし木材や樹皮を得るには、そのまま木を切断する必要があるので刃物に苦労をかけることになる。刃物の性能が人類の文明の規模を大きく制約する、というのはそのこともある。刃物の性能が低いと、ある程度以上太い木を切断するのが現実的ではなくなるんだ。  しかも、上部を切っても根が残っている限り植物は死なない。地上に出ている部分からすぐ芽が出て、短期間で新しい木ができてしまうこともあり、それを利用すれば安定して木材を得たり、またその芽は草食家畜の好物だから家畜を養ったりもする。  根を除去するのはきわめて困難だが、それをしない限り大規模な農耕はできないので、農耕をする人間は何としてもそれをしようとする。 **車  これは移動のための決定的な技術だ。  その前段階と思われるものが「ころ」という技術だ。  木の幹を切って根や枝を除くことができれば、円筒形が得られる。  その円筒を平らな地面に置くと、円筒の軸に垂直な方向には理論的には慣性だけで移動することができる。実際には円筒が不完全であり、また地面の表面が接点を吸ったりでこぼこがあったりするからそうはいかないが、その円筒を持ち上げて運ぶよりずっと少ない力でできることには違いない。  その円筒をいくつか平行に並べ、その上に下が平らな重いものを置くと、これまたその重い物を持ち上げたり地面の上で押したりして運ぶよりずっと楽に運べる。  ただし、並べた円筒から運びたい物がはみ出したらそれ以上運べなくなる。だからたくさんの円筒を並べるか、または後ろに出て不要になった円筒をまた前に持ってくる必要があり、それがけっこう面倒だ。  その手間を省くのが車という発明だ。これは、少なくともアメリカ大陸にはなかったといわれている。  要するに、二本の円筒の上に平らな板を乗せ、円筒が転がってもその三つの位置関係が変わらないようにしたものだ。  ころからどう発展してそうなったかは知らない。ある程度完成した形を描いてみよう……  二本の円筒を、四枚の軸方向に薄い円筒で代替する。薄い円筒が二枚、中心の軸が一致した状態で置かれると、それは一本の円筒と同じことになる。  さらにその薄い円筒の、周縁と中心以外をいくつかつなぐ部分を残してくりぬいてもいい。  一致した中心の軸は非常に強い棒で代替する。棒と薄い円盤の垂直を保てば、二枚の薄い円盤は円筒形を維持できる。その棒と荷物を載せる板を、回転は自由だがずれることのないやりかたで結びつける……小さくて中を抜いた円筒を板に固定し、少しだけ小さい円筒形の棒を入れてやれば、回転と軸方向にずれることは自由だが、外れることはなくなる。そして中に通す方の細い円筒の、小さい円筒の両端にぶつかるところに少し膨らみをつけてやれば軸方向のずれもなくなる。一つ一つ運動の自由度を潰して回転のみにしてやるわけだ。  そうすると一つの長方形の、四つの角の近く長い辺のところに薄い円筒がつき、長い辺の方向にいくらでも軽い力で動く運搬具ができるわけだ。  この車というシステムを実現するには非常に硬度が高く、摩擦によって出る熱にも強い素材を、高精度の幾何学的な形に加工しなければならない。後述の金属をはじめ、さまざまな素材や高度な加工技術が必要とされる。  また、この車が効率よく動くには、道を整備しなければならない。できることなら平面の、石やレンガなど水が当たっても泥にならず固い道がなければ、特に泥や雪や砂の中ではただの板に荷を乗せて引きずる方がましなぐらいだ。  そのための膨大な人数と、できれば石を加工する高い技術と石材も車の運用には必要だ。  ちなみに、車で物を運ぶのは摩擦と重力が、それぞれ大きすぎも小さすぎもしないことが必要だ。摩擦が大きすぎれば軸受けと軸、車輪と地面の摩擦で車が動かない。摩擦が小さすぎれば人や家畜が押すにしても車輪自体が動力で回るにしても地面を押すこと自体ができない。重力がなければ押すために力をかけることができないし、重力が大きすぎれば車が壊れるか摩擦が大きくなって動かない。  このように複雑なものを作ったことは、人間はものの幾何学的な形や力学の本質をかなり理解し、その目的に合わせた物を作ることができることを意味している。自然の人間が観察できる生物にも、人間の体にも、車と同じような物など存在しないからだ。  車の一部を応用した機構は多数ある。薄い円筒からも実に様々な物が作られてきた。  まず滑車と呼ばれる、一枚の薄く側面がへこんでいて溝になっている円筒と、その両側で軸と直交し、軸を留める薄い板などからなる機構だ。円盤と板のどちらに動く構造があってもいい。その薄い板をなにかに固定し、太い紐を当てると力の方向を変えることができる。それだけでも重要だが、多数の滑車を組み合わせることにより、原理的には梃子と同じく仕事量の保存則を用いて弱い力と長い長さを引くことで、長さは短くても強い力を出すことができる。これがなかったら人間や家畜の力では巨大な石や木を運ぶことはできなかっただろう。  そして車輪は直径の長い薄い円筒と、直径の短い細い棒からなる。薄い円筒のまわりに手をかけて回してやれば、細い円筒にかかる回転させる力は梃子となって巨大になる。その薄い円筒を削って一本または多数の棒にしたのも重要になる。  また、これはかなり後の技術だが、複数の薄い円筒に多数の、円筒の軸方向の切れ目を入れてやり、その切れ目が噛み合うようにしてやると、力の方向を変えたり力を強めたりが自在にできる。これは極めて高い加工精度・強靱な素材が必要になるが、後述する時計その他複雑な機械を作るには必須の技術だ。  その応用として、回転運動と直線運動の相互変換がある。これが重要になるのはかなり後。素材の強度・加工精度ともそれを使いこなせるレベルになるのは先の話だから。  同様により優れた技術として、軸と軸受けの間に油脂など液体を入れたり、多数のころや同様に働く球を入れたりすることによってより小さい摩擦で動く車を作れる。  また、ころとどちらが早いかもわからない、物を位置を変えずに回転させることを利用する道具を二つほどあげておく。  人は色々な作業を下の土で汚されずにできるよう平面を持つ大きい物を用いることが多いが、それを地面と垂直な線を軸に回るようにすることもある。特に土器をつくるとき、材料を節約し構造を丈夫にし、また見て美しくするにはある軸から回転体であることがいちばんいい。それを目と手だけでやればどうしても間違うが、その回転する台を利用すれば正確に簡単にできる。  また、食物などを小さく壊すのがとても重要な技術になるが、そのためには石と石を摩擦……接する平面と平行に圧力をかけたまま動かす。それも、往復運動でもいいが、軸で上下の石を固定してどちらかを回転させるのもある。 **風車・水車・畜力  車の応用として、上の石を回転させてものを粉にする技術の別の面を見てみよう。そこには、「人間の力以外の力を利用する」という発想がある。それは後述の帆船などとも通い合い、後の産業革命の基幹となった技術とも言える。  後に述べる熱機関より前から、大きな力を用いて人間には難しいことをする技術は発達していた。  一人の人間ではできない……体重の何十倍・何千倍もある石を運ぶなど……も、それこそ縄で結んで多くの人で引っぱることで可能になった。  さらに、力を集中したりするのに、上述の車の本質の変型であり、後述する機械の根幹である「直線往復と軸回転の相互変換」が出てくる。たとえば巨大な岩を引っぱって移動させるのには多数の人間が一本の縄に並んでつかまって引っぱるやり方もあるが、それは広い場を必要とするし人間の手にとってやりにくい動きだ。だが、輪と軸が互いに回転しない一輪の車を軸が地面に垂直になるように立てて軸受けのほうを補強した地面に固定し、軸に縄の一端を固定、そして輪のほうを削って多数の中心を通る棒にして……これも重要な形だ……、その棒を多人数で一定の方向に押せば、回転する軸にそって縄が巻かれ続けて強い力で引かれ、多人数で縄を引くより狭い作業空間でより強い力を出せる。単純に綱を手で引っ張るのと、横棒を身体に当て、その両端から別の縄をつけ、それに縄を結んで引っ張るので綱引きをして比べてみればいい、出せる力と持続時間に何倍も差がある。さらに軸と棒になった輪の直径の違いがてことなってより強い力になる。棒の長さを変えれば、二人だけで百人が縄を引くより強い力を出すのも容易だ。  牛や馬やロバは人間より安いことが多く……時には人間の奴隷の方が安いこともあるが、より高価な食物が必要だ……、その力も使える。牛に「その縄を引っぱれ」と言っても無理だが、ただ円形の道を歩きながら身体にうまく固定した棒を押させるのは可能だ。馬の力をうまく活用する技術は実は結構遅いんだけどな。  人間はしばしば巨大な回転力を必要とする。主に上述の、穀物などを粉にするため二つの石板を回すのに使う。  粉を作る技術の応用として、回転と往復の変換を使うのもある。楕円を短軸にそって切り、またそれと同じ直径の円も半分に切ってつなげた薄板、その円の中心に当たる部分に軸を通して固定して軸を回してやると、軸から板端までの距離が連続的に変化する。それで別の板を押し上げては押し下げることができる。それを利用して、人間が棒を上げ下ろす単純動作を、より強い力でやらせることができる……棒を振り上げて重力加速も利用して振り下ろし、棒が高速でぶつかって止まる時の衝撃力、瞬間的に出る桁外れに大きい力は武器操作の基本でもあるし石材加工や地面掘りや鍛冶にも使われるし、それを製粉に使ってもいいんだ。石などのより大きく硬い塊から粉を作ることができる。  他にも水を重力から見て下から上に動かす時にも使える。それは水路や貯水池から農地に水を押しあげる、鉱山で特に深い穴を掘って掘り続ける場合に湧いてくる地下水を排除する、船にたまってくる水を排除するなどとても有益な技術だ。  また水路の泥を掘り上げるのにも必要だ。金属加工のために風を使う技術があるが、それに巨大な回転力を使えればより大量に、またより高温で金属を処理できる。  それには上記の、人間や家畜に円盤のかわりに棒にした車輪を押させるのもいい。また、川など重力によって流れ落ちる水を別の大きな車輪で用いることでも巨大な力が得られる。高く造った建物で、いくつかの板を後述の帆の応用で、「円盤のかわりに棒」のようにうまく並べても風の力を巨大な回転力にできる。  それらの技術が後の産業革命で本質になったし、産業革命に至らなかった多くの文明でも様々な目的に広く用いられた。 *水  人間の技術・文明にとっては、水を制御することが特に重要だ。逆に文明の定義を「水を制御する巨大群れ」としたっていい。  水は人間や後述の家畜・作物が生きるためには絶対に必要だ。最大限に単純化すれば、人間の人口およびその密度は淡水に制約される、とさえ言えるほどだ。より正確には文明の規模……人数とその維持は利用可能な淡水・土地の広さと日照・植物生産が再生可能かどうか・燃料によって制約・限定されるというのが歴史の基本法則だ。  あらゆる物を作りだすにも、衛生を保つにも水は大量に必要になる。  水による災害も人間にとっては重要であり、それを制御することも重要だ。  水は移動の障害になり、逆に水上を移動できれば膨大な質量を高速で移動させることが可能だ。 **井戸  水を手に入れるいい方法として、地面を掘ることがある。地面の一部の土を別の所に移すと、土の総量は変わらないから移した所は高くなり、移された所は低くなる。単純に言えば前後左右を変えず、ひたすらその掘る作業を続ければどんどん下へ下へと行く。ただし土は崩れやすいし、また地面は土ばかりではなく木の根や岩石も結構あるので簡単ではないが、とにかく掘った穴の壁を固め、ひたすら深く掘ると、地下にうまく地下水の流れがある場所で地下水面まで掘り下げれば穴に水が染み出てきてたまる。その水が利用でき、その穴を井戸という。けっこう重要な技術だ、といっても穴を掘ることだけなら多くの動物がやるが。逆に技術という言葉を、その行為から理解することもできるだろう……周囲にある物質の配置を変え、変型させることでそのままでは得られない資源を得ることができる。  ただ問題が、井戸を作ったのはいつ頃からか、だ。井戸は作って水がたまるようになるまで数日かかるから、ある程度同じ場所で生活するのでなければ作る意味がない。昔の人間が移動していたか定住していたか、どこでどう暮らしていたかは本当にわからないことが多いんだ。 **土木治水  人間は水がたくさん地上にあり、海に向かって流れているところを好む。  その流れを支配する法則は基本的に「より低いところへ」の一語だ。それと長期的には水が土や岩石さえ削り、流れの底に土を貯めていくことで水が浅くなっていく。  人間は多人数の群れを作り、それをある目的に向けて使い、また重量物を運びより硬い土を掘る技術を手に入れたことで、その水の流れを変える技術を得た。  井戸とも似ているが、井戸や家屋に比べてきわめて大規模な土砂岩石の移動によって、地形そのものをかなり変えてしまう技術だ。  まず空から降る雨の量は実に不安定であり、地下水の水位も大きく変わる。  だから何年かに一度など、水の量が極端に、しかも地形によっては急に増えることがある。それから逃げ損ねた動物は溺れ死ぬ、非常に大きな脅威だ。  特に巣を作って定住する人間にとって、巣を押し流し人や家畜を溺れさせ、せっかく乾燥させた保存食などあらゆる物資を腐らせ使い物にならなくする急な増水は恐ろしい脅威だった。  だがそんな増水は自然界の一部であり、人間を考えに入れない生物界にとってはとても重要な役割を果たしている。まず、流れの有無にかかわらず、水は常に生物生産・周辺からの土砂の流入などで埋まっていく。大地そのものも巨大な力で常に変型する。だから地形は変化するものであり、その変化に水の流れや溜まりを合わせるのに洪水が必須だ。  人間から見れば、洪水で残された土砂は後述の農耕に必要な肥料分を豊富に含んでいる。だがその年の、後述の農業収穫は流され失われ、次の年もリンなどは豊富だが生物が少ない砂なので収穫は乏しい。また巣も破壊される……大規模な巣になれば損害も大きい。  だから大規模な農地を中心に、充分備蓄だけはして都市は農地というか川から離して作る形であれば、洪水は放置するのが長期的にはいい。そのためには非常に広い面積が一つの群れになっていなければならない。その最も成功した例がアフリカ北東だ。  逆に、一つの小さい川とその流域という狭い地域に限定される群れは、川に近い都市と乏しい食物を守るため洪水を起こさないようにしたい。  ただし、制御された洪水は農業では欠かせない技術だ。特に巨大な河の流域は、年周期で一時期大きな増水があり、それは灌漑・土の更新に欠かせなかった。  そのための方法にはダムと堤防、運河、遊水池、植林などがある。  ダムは、実は人間だけが作るものではない。実を言えば大自然が作った地形の模倣だ。  川が長期間大地を削り、川の両側から離れるに従って急に高くなる地形がよくある。そこにたまたま狭い場所ができ、そこに岩かなにかがひっかかってそこにばかり岩石土砂がたまると、大きく見れば「ひっかかってたまった部分」を除けば自然な流れなのが、そのひっかかってできた場のせいで流れがふさがれ、膨大な水が広い面積を占めて普段の流れが非常に弱くなることがある。  また、ビーバーというネズミの仲間である哺乳類は、自分でそんな地形を作る。伸び続ける鋭い歯を活用して細い木を切ってしまい、それを川に運んで流れをふさぎ、池を作ってその中の、木を使って作った島で暮らすんだ。本当にビーバーに高い知能がないのか不思議だ。  人間もそれに似たことをする。水の流れを一部で遮ると、その下流ではそのダムが壊れない限り洪水が起きない。またその、大量にたまった水をうまく利用すると本来流れない方向に流してやって広い面積に水を与えたり、後には動力としても用いることができる。ダムの水はきわめて秩序の高いエネルギーの高密度な集まりなんだ。  もちろん熱力学第二法則はそんな秩序の高さを許さない……ダムはいつかは壊れて大洪水を起こすか、地表を流れる水に必ず混じる土砂で少しずつ埋まる。  堤防は川の両脇に大量の土砂を運んで、壁を作ってやること。そうなると洪水で多少増水しても、堤防の外に水は出ない。ちなみに堤防をうまく使えば、川の流れる方向もかなり変えることができる。  非常に多くの人数と力が必要であり、地理についての知識も多く必要だ。  ただし本質的には、長い時間が経つと川底に土砂がたまって水面がどんどん上に行くので、川底の土砂を掘り出して外に持っていくか無限に堤防を高くするかだ。要するにいつか堤防が壊れて大洪水になるに決まってる。熱力学第二法則に長く逆らうことはできない。  といっても、川底が堤防の外の地面より高くなった状態なら、その堤防の外の地面を農地にして、最初に堤防の一部を意図的に壊して洪水を起こしてやればその農地に水をやることもできる。  運河というのは堤防とは逆に人工的に地面に低い線を引き、そちらに水が流れるようにすること。地形が良ければ、たった一つ山を崩すだけで別の方向に川を流してしまうことができる。そうすることで洪水のリスクを低くすることもできるし、潅漑や後述の船で荷物を運ぶのに使うこともできる。  遊水池は運河やダムを用い、やや低い地域に向けた流れを作っておくこと。ある地域の周囲に堤防を作っておけば、洪水時にはそこに大量の水が流れこんで広い池になり、川の堤防自体は崩れずにすむ。そこでは洪水時には流されることを承知で農業をやってもいいし、後述の狩猟専用地域にしてもいい。水を溜めておくこともできる。  流れる水は放っておくと長い時間をかけて大地の土でも岩でも削ってしまうが、木が生えている土は根で固まっているため流れに抵抗する。また、雨が多く降って川ができる地域に森があると、腐りつつある木の葉を多く含む土自体が大量の水を含むため水の流量が安定する。そして森自体が、地面から水を吸って大気中に蒸発させ、次の雨が降るのを助ける効果もある。だから安定して水を得たければ、木を切りすぎず、少なくとも源流域と堤防・遊水池周辺の森は維持した方がいい。といってもそれができるほど人類の群れは賢くない。  ちなみにこれら、地形を変える技術は上述の「人間の巣を防衛する」技術を大規模にしたものでもある。逆に治水のための技術を応用すれば、巨大な防御壁も作れるわけだ。水上は移動しにくいから、強力な防御壁にもなる。  あと、これもある意味治水だな……より高い技術を得た人は、川や川が削った極端に深い溝状の地形を、その流れに直交する方向に渡る手段を作りだした。地面を三次元で扱う技術だ。といっても単に、細い溝ならそこに大きい木の幹を渡すだけでいい。その改良も凄いものがある。広い川の場合、中間に支える部分を作れば、支えから地面までの距離を支えられる橋があればそれでいい。後述の船をつないでも、その上を渡って移動できる。そしてアーチ……上述の人体の骨にもある、石や木を断面が曲線になるよう積み上げることで、上からの力をアーチを圧縮し、構造を強化する力に変えることができる。また川の両側に地面より高い部分を木などで作り、両側の高い部分を縄で結ぶと、ちょうどアーチをひっくり返したように力がうまく縄全体に散って構造が安定する。その縄のあちこちから下に別の縄を結び、その縄に板をつければ、変型しやすいからこそ安定した橋ができる。 **船  船は、地球にある重力と水の高い密度・流体としての性質から出る「浮力」という力を利用した運搬法だ。人間が暮らす地球の陸地は、けっこうあちこちに大量の水が流れ、また流れずたまっている場所がある。それは人間が普通に歩いて移動しにくい。  単純に密度が低い物体は、塊であっても自分より高密度の液体に浮く……上向きの力をかけられて上に上に持ち上げられ、最終的には水面の上に一部を出して、密度差と水面下体積と浮くもの自体の質量で決まる上下方向の位置で重力と浮力が一致する。石でも水銀には浮く。たとえ沈んでも、浮力という上向きの力は常にある……水に潜れば、空気中である地上では持ち上げられない石を簡単に持ち上げられるし、応用として巨大な石でも完全に水に沈めて船から吊れば、地上で持ち上げるより軽くなり簡単に運べる。液圧についての物理学は別に学んでくれ。  あ、これらの議論はどんな液体でも同じことだ。  また人間を含め多数の動物も、上述のようにその自然生活には常に洪水があるから、小さい頃訓練されればある程度泳ぐことができる。だが裸ならともかく、人間は衣類や様々な武器や道具を常に持ち歩く。それは泳ぐときには恐ろしく邪魔になってしまう。  だが木など水より密度が低い物体を手でつかみ、そのまま足で泳ぐだけでも、かなり溺れずにいられる。  さらに木の幹は根と枝を除けば円筒形をなすから、それをたくさん横に並べると大きく見れば平面を作る。そして並んだ状態で固定し、そのまま浮かべれば密度差で浮かぶ平面の台となり、自分自身や様々な物をたくさん運ぶことができる。  さらに、実は素材の密度は水より高くてもいい。ある立体の、表面だけを高密度でも固く水を通さず溶けない素材で作れば……地球上では相当手間をかけなければ中に空気が充満するが……水は中の空気と固い素材でできた表面の合計質量と合計体積だけで浮力を働かせ、浮かせる。  その浮く中が空の立体の、下半分だけでも別にいいしそのほうが作りやすい。ただし中に水が入ったらあっさり沈むし、水中で回転しても中に水が入って沈むことになるが。  その船は流れに任せて漂わせてもいいが、泳ぐため腕や脚で水を押すようにして船を動かすこともできる。さらに船の上にいながら、長い棒で水を押したり浅ければ水底の地面を押せばもっと楽に動く。  水を押す長い棒も色々形を工夫できる。  さらに楽な方法が、面積が広く薄いもので風をさえぎることだ。遮られた風は板を押し、莫大な力をかけるためとても早く船が動く。単なる薄い直方体より、曲げて鳥の翼のようにしたほうが、空気の流れる力をうまく使えるのでずっと強い力を得られる。  面積が広く薄いものを木などで作ると密度の割に弱い。でもしっかりした枠に張った布や皮なら、ずっと強くそれを帆という。そのためには船の底から垂直に立てた長く頑丈な棒があれば、その頂点・船の底と接する部分・船の別のどこかの三点で三角形の帆なら張れる。二本の棒を直交させればより操作しやすくなる。  後に帆を翼として用いることで、風上にも移動できるようにもなった。  また後述する内燃機関動力が進歩してから、それによってより安定して速い移動が可能となった。  風向きのいい時の単純な帆だけで、移動できる速さは人間はおろか後述する馬が全力で走るより速く、しかもその積める荷物の重さときたら船を大きくすればするほど、ある意味いくらでも積める。車や家畜より圧倒的に、桁外れに多くの、きわめて重い荷物を高速で運ぶことができる。  ここで人体のつくりで残念なことがいくつかある。人間は海水を飲んで生きることができない。だから重く、こぼれて失われやすい真水を大量に積んでいなければ、数日以上航海できない。  さらに人間は、加熱していない植物・動物の内臓に含まれるいくつかの分子を体内で作りだすことができない。人類の動物としての進化は暑い森林から草原でほぼ止まっており、その段階では加熱していない植物も動物の内臓も意識しなくても食べることができていたから、それを体内で合成する遺伝子が壊れても繁殖生存に支障がなかったからだ。保存できる塩漬け肉や後述の穀物などだけではそれを得られず、半年から数年で悲惨で緩慢な死に至る。  この二つの要因が、人類の行動範囲もかなり制限している。人が海水を飲むことができ、穀物だけで生きられたらどれほど早く人類は地球全体を航海していただろう。 **金属(古代)  元素としての金属は上で説明した。その性質を人類の技術という観点から繰り返す。  多くは常温常圧で固体、岩石に匹敵するほど硬く、木材や岩石以上に壊れにくい。  また岩石に比べて固体から液体になる温度が低く、一部は単なる火の温度でも液体になる。液体であれば自由な形になるし、二つの物を部分的に溶かしてくっつけるのも簡単だ。  二種類、もしくはそれ以上の異なる元素……金属と金属、金属と金属でない元素などいろいろあるが……を液体やそれに準ずる高温で混ぜると、どちらとも性質が異なる新しい金属ができることがある。  また加熱すると柔らかくなり、人間の力でもかなり自由に変型するものも多い。  さらに加熱と冷却をうまく制御したり、適切な衝撃を加えたりすると、きわめて硬度が高くなり刃物として使えるものもいくつかある。  加熱しなくても人間の力、特に衝撃などの力を借りれば変型させられる金属も多くある。  要するに自由に変型し、しかも硬く頑丈、さらに光も反射し色も美しいといいことずくめの素材だ。金属を使うようになって人類の文明はとても大きく進んだ。  刃物だけでなく調理具・装身具・住居などの素材としても重要。特に上記の車は金属加工技術なしにはほぼ絶対無理だ。  ほとんどの金属は人間の手に届く範囲では酸素と化合し、岩石の一部となっている。上述の、光合成をして酸素を出す生物が誕生してから地球表面や海に大量に酸素がばらまかれ、その酸素と特に海中の金属元素が化合して水に溶けない固体となり、その頃の海に積もった。その頃の海底が、うまくプレートの動きによって陸地の一部となっていれば、高濃度である金属の酸素との化合物がある岩盤があるというわけだ。他にも岩が溶けてからまた固まったとき、岩が水に溶けてから固まったときなど、色々な形で「ある金属元素がとても多くある岩の層」が地球のあちこちに見られる。  その酸素と化合した金属は、その金属よりも酸素とくっつきやすい何かと混ぜ、高温にすれば酸素と離れて金属だけになる。水素や炭素は多くの金属と酸素をそうやって切り離すことができ、特に炭素が手に入れやすい。  ただし、炭素より酸素とくっつく金属もアルミニウム・チタンなど多く、それらを利用できたのは電気技術が進んだ近代の話だ。  要するにある金属を多く含む岩石をこまかく砕き、色や密度などでその金属と酸素の化合物だけを選び出し、それと上記の木炭や石炭と混ぜて火をつけて高温にすれば金属とくっついている酸素は炭素とくっついた二酸化炭素として空気に混じって見えなくなり、溶けた金属だけが残るわけだ。  さらに植物灰、塩など天然化学物質、水銀など別のものを用いることでよりうまく金属を取り出す技術が発達した。  それが楽なのは銀・銅・錫・鉛などで、普通の火の温度でできる。鉄はもっと高温の火を、道具を使って風を吹きこむことや火を高く重ねることなどで作らなければならない。  その「最大温度」も文明水準としてけっこう重要でね。それこそ今の人類が核融合をまだ使いこなせないのは、それに必要な超高温を使いこなせていないからに過ぎない。  人類の初期に特に重要な金属は金・銀・銅・錫・鉛・水銀。  金はほとんど酸素と化合しないし焚き火でも溶ける。おそらく人類が最初に見つけた金属ではないか? 焚き火をした場の石や砂の一部、太陽に似たきれいな色をした部分が、まるで水の固体が液体になり、また固体になるように妙な形で固まっているのを見つけた……さらにその部分は、強く力をかければ自由に形を変えるときている。刃物にするには柔らかすぎるけれど、美しく装身具にはとてもいい。また酸素と化合しないから永遠に色や輝きが変わらないこと、色が太陽に似ていることなどから魔術的にも崇拝され、また後述の貨幣にも最適だ。はっきり言って、文明以後の人類にとって金ほど欲望されるものはない。  金と周期表から見ても似ているのが銀。金ほどではないが酸素と化合しにくいなどの性質が似ていてより手に入りやすい。加工によって刃物にできるほど硬くもなる。  銅がもっとも重要だった。金や銀と周期表から見ても似ており、独特の色をしている。だが装身具・貨幣のみならず、錫という別の金属と溶かして混ぜると……最初は偶然、銅鉱石と錫鉱石が混じった鉱脈から、一つの金属として発見されたのかもしれない……溶かすことも加熱して叩いて変型させることもできる、しかも充分石の刃に匹敵する硬さがあり、しかも石と違って砕けない刃物材となった。  鉛や水銀は、それ自体が使われたと言うよりも鉱石から金属を取り出し加工する時に人間に関わる。どちらも生物には有毒。鉛は非常に重く溶ける温度が低く、柔らかく加工しやすい。資源量も多く、毒であることが知られていなかった昔はけっこう使われていた。金銀と混じって出ることも多く、金銀から鉛を分離する技術はとても重要だった。水銀は常温で液体という変わった性質を持ち、他の金属と混じりやすいため金属精製技術には水銀を使いこなすことが必須だ。また水銀の化合物は強い赤を生み出すため色を出すためにも重要だった。  また鉛と錫の合金は低い温度で液体になるので、物をくっつけるのに非常に有益だ。後に電気機械が発達するにも必要な素材だった。  そして、ついに鉄と、鉄に炭素を混ぜた合金である鋼の作り方が発見された!  鉄は酸化しやすいのが欠点だが、その硬度と頑丈さは桁外れだ。  それがあるからこそ耕せた土、切り倒せた森がどれだけあったか。武器としてもそれがあるとないじゃとんでもない戦力差だ。  要求される温度が高いが、反面高温にも耐えられる。  鉱石は非常に豊富、大量の木材か石炭鉱山があればかなりの量手に入る。そのせいで切り尽くされた森林だって多いだろうな。  用途も広い……炭素の配合を変えることで、溶かして使える鋳鉄から柔らかい繊維状の針金まで自在に使える。そして温度管理によって、すさまじい強さと硬度と切れ味を持たせることもできる。  さらに、残念ながら近代以降だが、鉄に色々な別の金属を混ぜて錆びにくい鉄さえ作られるようになった。  さてと、その金属に関する道具の類も少し解説するか。  ちなみにその、石から金属を取り出す技術は昔は魔術の一つとされ、金属の化学的な性質についての知識も魔術の言葉を用いて表現された。  それで面白いのが、魔術の一番深い部分……不老不死を得て神になるための技が、類推として「地中で鉛が金になる」という迷信と結びつき、多くの人がそれを研究した。  大量に安く手に入る鉛を、少なく高価な金にできればそれはもう大もうけだし。  ちなみにその錬金術という迷信は、人類の科学技術の歴史を追い、精神構造を理解するには絶対に外せない知識なんだが……それをちゃんと教育することはないんだよな……  まあここでは錬金術抜きでいこう。  まず鉱石を取り出すには、詳しくは下でやる地面・岩石を壊す技術がいる。井戸掘りの、穴を掘る技術も必要だ。  またやっかいなことに、より深く掘ればたくさん鉱石が得られるが、そうすると下では空気から酸素がなくなって死んだり、地下の石に含まれたメタンなど燃えやすいガスが出て火がついたり、井戸同様水が出てきたり、もちろん穴が崩れたりととても危険だ。それぞれについてすごくいろいろ技術がある……特に水を排除する技術は、近代で解説する蒸気機関のきっかけにさえなった。  それで石が手に入ったら、その石をさらに細かくする。それには重く硬いもの、岩かできれば金属の塊を先につけた棒が必要になる。槍や斧に似ているが、衝撃のみだ。  石を砕いたら、水などを使って選り分けて、多分技術水準が低い頃は焚き火に放り込んだんだろうが、ある程度文明が進むと熱を上に積み重ねる設備を作った。当然それ自体が熱で燃えたり溶けたりしてはいけないから高い温度でも変質しない土器が求められた。  さらに高温を維持するために、火に空気を外の力で強制的に送り込んで酸素を追加する設備も、かなり後になるが作られた。それは柔軟な革と丈夫な木をうまく組み合わせ、体積が変わっても密封状態が変わらず……ととても複雑な設計が必要な高度な技術だ。  金属どうしを分離するのが比較的難しく、木などの灰……カリウムなどの金属を利用して不純物を土器に吸わせる方法などいろいろな技術がある。  できた金属の加工……形を変えるには、単純に打撃・加熱してから打撃・溶かして変型の三種類がある。  加熱してから変型させるには、大量の頑丈な金属……できれば鉄……の塊の上に変型させたい金属を載せ、その上から上記の塊がついた棒などで叩く。高温のものは手では握れないから、別の棒を手のかわりにしなければならない。  溶かして変型するには、その金属が溶ける温度でも固体のままである鍋が必要になる。土器の中にはとても高い温度で溶けないものがあるので、それを使うことが多い。  変型すると言っても、金属が液体になる温度を手でいじったら手が傷つくだけだ。ならどうすればいいか? 砂はけっこう高温に耐えられるから、まず棒を作るとして、砂に棒を突っ込んで棒の形の穴を開け、そこに溶けた銅を流しこみ、銅が冷え固まってから砂を掘れば銅の棒ができる。刃物の大体の形もそれで作れる。  二つの砂をある程度固めた型を、少し隙間ができるように近づけておき、その隙間に銅を流すのも鍋などいろいろ作れる。  一番洗練された技術……きわめて広い範囲の形が作れる技術が、上記のミツバチが作る巣の材料である低い温度で溶ける柔らかい蝋で好きな形……ひとつながりであれば事実上何でもあり……を作り、それを周囲から砂でしっかり固め、ちょっとだけ砂の外につながる部分を蝋で上と下に作ってやって、そこから溶けた銅を流せば蝋はあっという間に溶けて消え失せ、銅が蝋のかわりに入っていく。それで銅が冷え固まってから砂を取り除けば、蝋で作った形と同じ形のひとつながりの銅の塊が出てくる、というわけだ。  できてから表面をきれいにするのに、石同様砂などを面に垂直な方向に押しつけながら面に平行な方向に動かすこともする。そうすると、砂の大きさより大きいでこぼこに余分な圧力が掛かってより多く削られ、より平坦に近くなっていく。  ついでに重要な技術として、ある金属の表面を別の金属で覆うことや、別元素の金属を溶かして混ぜて性質の違う金属を作る技術がある。  また金属を非常に細長い棒にすると、その太さが適切なら繊維のように扱うことができる。加工によって少し変形してもまっすぐに戻る繊維により近いものと、曲がったらそのままな柔らかいものがあり、どちらも用途がある。  またやや太く短い棒を曲げて輪にて固定し、別の同じ太さと長さの棒を前の輪を通るように同じく輪にし、また第三の……と繰り返し、どれもそれ以上普通の力では変形しない、特に輪が外れて棒に戻らないようにすると、その輪を集めたものが非常に柔らかい縄のように扱える。  またその技術の応用として、一つの輪に複数の輪を通して組んでいくことで布のように平坦で自由に動く金属製品を作ることができる。それは切りつける系統の武器にきわめて強く着たまま自由に動けるため、革に並び非常に有用な防具になる。  実は重さあたりの引っ張り強度は生物由来の繊維のほうが強いことも多いのだが、金属製の縄は強度も高いし、人間の手や歯も含め複雑な道具を用いずに切断することができない。もちろん人間以外の動物には事実上決して切断できない。だから人間や動物を移動できないようにするのに適している。 *いろいろな刃物  好きな形に加工できる金属の発達により、様々な形の刃物を作れるようにもなった。土器も好きな形に加工できるが、残念ながら強い力を加えるとすぐ砕けるので刃物には適していない。  刃に穴を開け、そこに木の握りをさしこんだり、逆に刃から刃がついていない部分を長く伸ばしてそれを握りに開いた穴に入れたりすることで、よりしっかりして握りやすい道具を作ることができるようになった。  武器としてもそれは重要で、上述の槍や斧だけでなく、特に人に好まれる刀剣とよばれる武器が生じた。長い刃に、手で握るだけの柄がついた武器だ。武器としては実は折れやすくコストの割に効果が低い、長所は接近戦で敵に奪われる心配が少ないぐらいだが、豊かさを見せびらかすのにいいし宗教儀式と相性が良く、人間の文化の中で特別な地位にある武器だ。  もう一つ金属器の進歩によってできた重要な道具がはさみだ。二枚の刃を一つの支点で固定してすりあわせることで、平たい物をはさむようにすると、常に一点に二方向から力が集中し、その強く、反対側からしかもわずかにずれた力によって普通に刃を使うよりずっとよく切断できる。  また毛など、細い棒状の物を、普通の刃物と違って引っ張る力をかけずに切る場所だけに力をかけて切ることができる。これは家畜の毛を切るとき、家畜に痛い思いをさせずにすむので作業がとても楽になった。  また、はさみと同じ原理で両側を棒状・板状にすると、手でつまむより強い力でものをつかむことができるし、鉄を用いれば火の中で高熱になっている物をつかむことができる。  はさむものには二つの棒とそれを結ぶしくみ以外にも、U字にして曲がった部分を極薄くしてそこは変形してもこわれないで力を抜けば元に戻るようにするのもある。 **石材・木材の加工  ものを加工する技術には、前も簡単に言ったが「一つのものを二つにする」「二つのものを一つにする」「形を変える」などがある。  それ以前に、石材や木材の、そこらで手の力で手に入るものではなく、もっと大きいものを手に入れるには「一つのものを二つにする」より強力な道具が必要になる。  木の場合は生きている大きい木を切断する。  石の場合は、巨大な地形レベルの岩の塊から特定の大きさの石を切り離す。  木を切断するには、分厚く重い刃を槍と似たように木の棒の先につけ、ただし方向を変えて棒と直交させた道具……斧か、刃をたくさん並べた道具……鋸を使う。  前者の方が技術的には簡単だが、後者の方が場合にもよるがはるかに早い。  後者に似たものは自然にもあるか、麦などの葉の縁を細かく見ると、たくさんの刃が並んでいるようになっていて、それでそれら植物は自分の身をある程度守っている。  後者を石で作るのは難しい。金属の、それもかなり高度な加工が必要になるが、一度できたらとても便利だ。  ただ切断するのではなく、少し深い傷をつけておいて、そこに堅い木で一つの角がやや鋭い三角柱……楔(くさび)を作って差し込み、それを斧や槍と似ているがただ重く固いだけの、上の金属加工でも出た道具で衝撃を与えると瞬間的にものすごい力が出るから、それで楔が食いこんでいって自然に傷を拡げる。木は無数の管が集まった構造だからそれができる。  切り倒した木をさらに切ってできれば薄い直方体にするのにも、鋸が高価だった昔は斧と楔を使った。  ちなみに木は、熱帯など特別な場での例外を除いて、暑さ寒さに応じて組織の粗密が違い、円筒の断面が無数の同心円に見える。それに枝などがあると傷が入る。その粗密、傷などを利用して加工すると楽だし長持ちする。その同心円の、中心から周囲への直径方向に割るのがよい。  木材そのものは素材としては、比較的低密度で加工もしやすく強度もとても高い。頑丈な繊維分子が、無数の昔細胞だった中空構造を作って強く絡みあっているから。  ただし生物の死んだ体だから、それを食べるために進化してきた色々な生物にいつか食べられ土に戻る。水分があるとそこに様々な微生物や菌がはびこっていつかは形が崩れ、またシロアリは木をかじってその体内の微生物に消化させる。海水につかっている木は似たような特殊な貝に食われる。  それは様々な油を塗ったり、ある果樹のまだ食べるに適さない実を集めて潰した嫌な味がする汁を使ったり、ある有毒なつる植物の樹液を加工して塗ったりしてある程度防ぐことができる。それは同時に好きな色を塗ることもできるから、装飾にもなって一石二鳥だ。  特に鋸が発達すると、木材を円錐形の丸太だけでなく薄い直方体の板に加工することもできるようになった。これは非常に汎用性が高く、後述する樽にも結びついた。  そしてその板と板を重ねて仮固定し、細長い先端が円錐形にとがった円柱状の丈夫な素材で貫くことで固定する方法もできた。他にも木と木を固定するには一方を穴、もう一方を凸に加工してはめ合わせるやり方もある。  石を切断するのは、石器や金属の刃と人間の体力では正直歯が立たない。割れ目が少しでもあれば楔を入れて叩けば、大きく割ることができる石も多い。木の楔に水をかけても、木が水を吸って膨らむ力で割ることもできる。また割れ目を入れるのに、火で高温に加熱してから水をかけて急激に冷やすという手もある。我々のサイズでは多くの液体固体は加熱されると体積を増し冷やすと減るが、あまり急激な体積の変化に構造がついていかず壊れることが多いんだ。また、夜に水が個体になるほど冷える地域なら割れ目に水をいれて夜凍らせ、水は例外的に凍るときに体積を増しものすごい力を出すから、その力で割ることもできる。  小さい石なら、衝撃を与えて割ることができるが、とても経験がいる。石を加工するのには衝撃力が多用され、重く固いのをつけた木の棒や、それと斧をさらに極端にした、尖った重い金属の先端が棒に直交しているようなのがよく使われる。  より大きく複雑なものを木で作ろうとしたら、木と木、時には石と木を組み合わせて壊れにくい構造を作らなければならない。  そのために必要なのは、より自由な加工、特に決められた大きさの、できれば直方体に加工し、またその望む場所に直方体の穴を開けることだ。  そしてしっかり二つの材をくっつけ、離れないようにすることも必要だ。  穴を開けるにはまた特殊な形の刃で円形の穴を開けてから、先端に厚く頑丈な刃がついた棒を当てて衝撃を加える方法で細かく加工する。  表面のでこぼこをなくし連続した平面・曲面に近づけるのも、特に微生物に食われないためや色を塗ったりするために重要だ。それには表面に無数の刃を刻んだ金属板や粒の粗い石などでこすり、どんどん細かくしていき、最後に皮や布で磨く方法が用いられる。  金属の刃物の出現は、石器による刃物を完全に時代遅れにした。硬度と切れ味は石器も高いが、自在に加工できるし砕けにくい金属の刃物は、空気中の酸素などで痛みやすいという欠点はあってもその利点は圧倒的だ。  そしてそれは、木を切り倒す能力を大幅に高め、文明を作りだす最大の原動力となった。  これが同時に、扱える温度が上がったからでもあることは忘れないで欲しい。 **レンガ  人類の、建築の規模を一気に大きくしたのがレンガという技術だ。  要するに土器であり、土を石に変える技術で、それを建築の素材にする。  レンガには日干しレンガと焼きレンガがある。  日干しレンガは、いい土に水と、大量の植物繊維……草、穀物の枯れた食べない部分、草食家畜の多くの繊維を含む糞などを混ぜ、合同な直方体にして太陽光の熱で乾燥させたものだ。  雨が降り続いたり地震が起きたりすると弱いが、乾燥した地域ではきわめて頑丈な建材だ。  それをある程度以上の火を用いた高温で加熱すると、雨にも強くなる。ただし焼きレンガの建物を大量に作るということは、大量の木材を切って焼くということだ。確実にその地域から森林はなくなり、文明自体の崩壊にもつながる。  レンガの建物を積んだだけでは崩れやすいが、日干しなら泥を隙間に入れれば固まる。泥は水に弱いが、焼きレンガどうしを固められる、ある条件では粘土か泥のように流体のようであり、別の条件では石のように固まる素材が昔から二つある。  一つは、天然の石油から融点が低く大気に混じって消えてしまう分子が抜けて、非常に大きい炭化水素分子ばかりになったものだ。それは加熱すると燃えるほどではない温度で液体になり、そして冷えると固まる。レンガだけでなく船にも用いられる重要な素材だ。  もう一つは、貝殻や同じ成分でできた石を高熱で焼いたものだ。粉状になっていて、水と砂を混ぜてしばらく置いたら石のように固まる。ちなみに困ったことに、それに使える石にはとても美しいものがあり、それは非常にいい建物や彫刻にも使えるんだが、それも焼けばレンガや石をつなぐのに使える。だから一時期大きい群れがたくさん美しい彫刻や建物を造ったのが、後に別の価値観を持つ群れが貴重な彫刻を全部砕いて焼いてつなぎにしてしまった、ということもよくある。笑うしかない。  他にも土自体を直接使うやり方として、細い木で大体の形を作って泥を塗るという手もある。これは壁に隙間が多いので空気を通し、湿度調整ができていて住みやすい。 **塩  塩化ナトリウムはあらゆる生物にとって、過剰だと害だが必須でもある。海水に含まれるので海に近ければ食物に海水を加えればいいが、海から遠い内陸では不足する。海水を運んで交易するのはとてもかさばるので、水を蒸発させて塩化ナトリウムだけ残すことが望ましい。  水に溶けた塩だけを取り出して固体にするには膨大な熱量が必要になる。雨が少ない地域ではある程度は太陽光で熱して水を沸点以下でも蒸発させることができるが、良質な塩を得るには火で加熱することが必要になり、膨大な木材をはじめとする燃料を消費することになる。  実は海水由来の塩は人間にとってそれほど重要ではなく、むしろ内陸の、昔海だった地面が持ち上げられて陸になったときに取り残された海水が蒸発して残り、銅や鉄の鉱石のようになった岩塩が重要だ。それは良質であれば石材のように切り出されることもあり、また水を入れて溶かして塩水を取りだし、加熱して純粋な固体塩を得ることもある。また内陸乾燥地の湖には水が流入するだけで海まで水が届かないものも多く、その場合には水は蒸発するが塩は蒸発しないためそのまま残され、際限なく塩の濃度が高くなる。それで水に塩が溶ける限度を超えると固体になる。それを切り出すのも重要な塩資源だ。  塩がなければ人は生きられないし、その膨大な木材消費が森の消失を早めるため、文明の重要な制約要因になる。  興味深いのはユーラシア東端部で、塩鉱山から地下の可燃性炭化水素を同時に得てそれを燃料に加えていた。  ちなみに海水が蒸発したときには、塩化ナトリウム以外の溶けている分子も固体となって得られる。蒸発塩湖ではその大規模な鉱脈もあり、それらも古来産業上重要で、最近はきわめて稀少な元素のほぼ唯一の供給源ともなっている。 **石鹸  動植物の油脂と、植物を焼いた灰を加熱して反応させると、水に溶け細かな泡を出す、温度や水などで固かったりいろいろな状態になる塊ができる。それを水にとかして泡が出る状態にすると、脂肪が水をはじけなくなって水に混じる。  それにより、脂肪で汚れた衣類や食器をきれいに洗うことができる。  上述のように、脂肪が水に溶けないで膜を作ることが生物の本質の一つだから、それは細胞にとって致命的な毒ともなる。体を常に石鹸と水で洗えば、特に(手を用いる)食事・交接行為・傷や出産に関わることの前後にやれば体に入る微生物を大幅に減らせるし、重要なのは体や衣類の、微生物が増えるときに出す匂いや余計な色を除くことができることだ。  大量の油や植物灰を用いるため、きわめて贅沢な物だ。同時に水も多量に用いるので、「清潔」自体が、特に都市生活者にとってはきわめて贅沢になる。  それに似た働きをする毒を体内に作っている植物もあるし、衣類の洗浄や皮革加工には微生物に分解されて単純な窒素と水素の分子となった尿なども用いられることがある。また日光にもいろいろな分子を分解する作用があるため、それを当てて汚れや余計な色を消すこともある。 **計測具  幾何学的な計測のための道具も、大規模な建築にしても複雑で高精度な道具にしても必要になる。  最も単純な計測具は自分の目や手足だ。それでもかなりの計測ができる。歩いた歩数である程度距離は測れるし、手足の長さはあまり変わらないから精度が低く、親から教わって自分でやるだけならそれで十分だ。  だが社会が大きくなり、規模も精度も最大温度もエネルギーの量も大きくなると、それだけではすまない。建物が大きければ大きいほど、角度の誤差が小さくても致命的になる。  また、非常に正確な地図を作ることは戦争にも交易にも有利だし、大規模建築には絶対に必要だ。土地の分配においても重要になる。  もちろんそれらは魔術にも直結していることを忘れないように。  紐や縄も非常に有用な計測具になる。強い力で両端から引けば直線となる……それもあたりまえとされるが、この世界の、この大きさで経験される重要な幾何学的な性質だ……し、また「同じ長さ」を測ることも、さらに複雑な曲線の長さを測ることもできる。紐を折って端をそろえれば、それだけである長さを二等分できる。また紐の一端を固定し、もう一端を回せばそれだけで円を作ることができる。それを利用して、角を二等分することも簡単にできる。  さらに三平方定理……これはこの世界の通俗物理がユークリッド幾何学に頼っている以上、平面では必然的に出る……から輪にした紐に等間隔の印をつければいつでも3-4-5の直角三角形を得ることができる。紐で等間隔は、紐を曲げて曲がったところから両端の長さを同じにすることで容易に得られる。その大きさは任意に拡大できる。こう思うと面白いが、人間は最近やっと、その3・4・5みたいな自然数の組が、三乗以上で存在しないことを証明した。その点だけでも、三次元にいるというのは幸運な話、ということさ。  また紐に重いものを結んで下に垂らせば、どちらが下かを正確に知り、地面と直交する線を得ることができる。  直線を得るには光を用いる方法もある。また水平面を得るには、水など液体を器に入れて動かなくなるまで放置すると、上の面が重力方向と垂直な平面になる。  ただし紐は長さなどが変わりやすいから、ちゃんと作業するために同じ長さを確保するには、自分一人でやるなら「自分の指の長さの何倍」で覚えれば楽だ。  足で歩くのも、どれだけ道に長さがあるかをけっこう測ることができる。  室内で、文字の読み書きの延長で書かれた図を扱うのに、車や人間の関節というかハサミのように二本の棒を組み合わせたもので一定の距離を確保し、一方の棒の関節でないほうの端を固定すれば円を描くことができる。また紐などを利用してまっすぐな辺を持つ長い直方体の棒があれば、簡単に直線を引くことができる。あと高精度な直線ででき角を持つ薄板を二枚組み合わせ、ずらせば平行線を引くことができる。それだけを用いた幾何学が人間の間では結構重要だ。というか数学的には単純な話だが。  天体観測も重要になる。魔術には天体は重要な要素になるし、農業をやるにはいつごろ暖かくなり、雨が降り、川が洪水を起こし……が死活問題になる。まあ詳しくは後述。  質量を測るには人間の感触もかなり頼りになるが、後述のように多数の群れの交易が当然になるとある基準の何倍か、という考えが主になる。その時に役に立つのが、均質な棒の中央の重心を支えれば地面に平行になり、両端に同じ力を追加しても棒が地面に平行であることが変わらない、ということだ。それによって「AとBの質量は等しい」ことを証明できるし、推移律「AとBの質量が等しい、かつ、BとCの質量は等しい、ならばAとCの質量は等しい」を利用していろいろなものの質量を抽象的に測ることもできる。  測るというのは、本質的にはいろいろな事物のある面を、「普遍的な情報である数値」に変換することだ。それによって群れの情報把握が大幅にやりやすくなる。特に複数の群れが交易するには絶対に必要なことだ。 **樽・桶  木という軽量で頑丈、汎用性の高い素材を「液体を運ぶ」ために使うこの技術は遠距離交易で非常に重要になる。油・酒・蜂蜜・化学物質など液体を前述の車や後述の船で大量に運ぶことができ、また海上船に必要になる真水も大量に運ぶことができる。  また、船とも深い関わりを持つ技術だ。  木の板……薄い直方体に近い形……を適切な形に加工し、それを組み合わせて、断面が多角形の筒を作る。その筒の両端を縄のような素材で強く締めつけると、隙間がなくなって筒形になる。その上と下に板をしっかり固定すれば、鍋同様水が漏れなくなる。  そのしめつけるための輪も金属、特殊な植物、皮など色々使われるな。また、その樽の形を工夫して膨らみを持たせることで、積み重ねることもできるし転がして楽に運ぶこともできる形になっている。 **ガラス・鏡  たいていの石は多数の結晶でできているが、それは単に非常に長い時間をかけて冷え固まったからだ。ある種の、地球に広くある石の類を高熱で加熱し、急速に冷却すると一つ一つの分子がちゃんと結晶になることができず、均一な塊になる。それはある意味非常に動きにくい液体と言っていい状態だ。  そんな石は天然にも、火山や隕石の衝突などによってできることがある。それは割れると結晶がないため非常に鋭い刃を作るため、石器には最適の素材だ。  また、高い温度の火を扱うことができれば、適切な石やそれが砕けた砂を加熱することで一度石を溶かし、また固めることができる。それは上記の金属同様自由に成型できる。壊れやすいから金属の刃物ができた後は刃物として使われることはないが、人間がものを見るのに使う波長の光を通すという性質から非常に贅沢な建築素材として用いられるようになった。木や石、レンガで箱状の構造を作ってその中に住む時、一部の壁をガラスにすると外の光を箱の中に入れることができ、外の熱すぎたり寒すぎたりする気温から身を護りつつ、火を使わず明るくできる。  ちなみにただ砂を加熱しても溶ける温度が高いが、海水が蒸発したときに得られる固体の一つや動植物の灰などを加えることで融点を下げられる。また、それら不純物でガラスの色を変えることもできる。  また、土器や金属器を作るときに表面に、泥状にしたガラスになる砂をかけてから高温で焼くことで表面をガラスで固めれば、水が漏れたり銹びたりしない容器を作ることができる。ガラス自体も食事のための食器としては最高級品だ。  鉄で管を作り、その一端に半ば溶けたガラスをつけて、もう一端から吹き矢のように息を吹きこむと、ガラスが粘性の高い液体のように大きな泡になる。それによって回転体に近い多様な形を作ることができる。  ガラスを作るための砂はたくさんあるが、高熱を得るための燃料と加える必要がある海水由来の鉱物や草木の灰も大量に必要なため、非常に高価になる。  これはずっと後になるが、ガラスが透明で空気と水の屈折の仕方が違うことは、光を曲げて普通には見えない物を見る道具を作ることができる。というか火をつける技術はきわめて重要で、石器を磨く技術があるし岩塩でも作れるはずなのに、光を曲げて一点に集める構造のものを昔の人が普通に作っていなかったのが不思議だ。  光を操る技術として、もっと古くから単に光を反射させる平面というものがあった。光を反射する平面があれば、それによって反射された光の集まり……目で直接見るのとあまり変わらない像を見ることができる。  波立っていない水面だけでも、ある程度光を反射するからそれで自分の姿を見ることができる。  さらに金属を平らに成型し、表面を細かい砂で磨いたり水銀を利用したりして加工しても、かなり光を反射するからかなりの像を見ることができる。  それは装飾としても、自分の装飾が正しいか確認するためにもとても重要だし、また光を出すようにも見える鏡を魔術的に太陽と同一視する文化もある。  本当は鏡でうまく日光を集中すれば、火のかわりに十分なるんだが、人類はなぜかそれをあまり利用しなかった。鏡の素材が貴重すぎ、それをうまく加工することができなかったからか…… *長期的住居  農耕は必然的に大規模な定住を伴う。牧畜も遊牧を選ぶ人は昔同様、単純に木の棒に皮や布を張っただけの柔らかい構造の巣で暮らすが、農耕や農耕の面が大きい牧畜を選んだ人や、後述する都市生活者は事実上一生一つの場所を動かず暮らさなければならない。  そういう、人間の寿命かそれ以上の長期間利用する巣の基本構造は直方体の内部空間とその組み合わせだ。上は地面に対して斜めの平面を基本にし、多くは軸方向が地面に平行な三角柱で、そのうちの一面が地面と平行、残りの二面はどちらも地面に斜めの平面となる。そうしておけば雨が降った時に、雨が速やかに地面に流れ落ちるからだ……雨の水分が屋根の上にずっとたまっていると、屋根の素材が短期間で腐ったり巣の中に水が浸入したりする。  巣の素材としては地域にもよるが木、石、上記のレンガなどが用いられる。  住居と同構造の空間は、穀物など保存食の貯蔵にも重要だ。  人間は巣を直方体中心に形成し、空間認識すら六面体が中心だ。だがミツバチは六角柱の巣を並べる。それは単純にサイズの差でしかない、ミツバチの大きさだと自分の体を上下方向に動かすのが簡単であり、部屋を必要とする幼虫が円筒に近い構造だからだ。 **照明  光に関する技術として、火を用いた光も人類にとってはとても重要だ。  火の光(と音と匂い)は多くの肉食動物を巣から遠ざけるし、夜間移動しなければならなくなっても普通は発見できない肉食動物や毒蛇を発見できるようになるため、光がある状態は生存しやすく、逆に光がない闇……夜、地下などに人間は強い恐怖を感じる。  前述のように火が光を発し……生物の乾燥した構成分子が酸素と急に反応するときの温度で加熱された物体が出す電磁波でしかないのだが……その光が人類にとって見える光なのは幸運だった。  その光は魔術的にも重要で、儀式としても火の光を用いるものは実に多い。  移動するときには木に燃えやすい油をつけたり油を多く含む植物を集めたりして、火そのものを携帯できる。  単純に木を積んで燃やすだけでも光は得られる。だが、巨大群れの都市生活者は、調理のための熱と光を分離するようになった。夜も文字に関することやさまざまなものの加工など細かく目を用いる作業をするのに光が独立に必要になったからだ。また贅沢を示すのにも用いられる。  そのためには油やロウソクが用いられる。  油は上で食物や薬、塗料などとして用いられることは解説したが、照明用の燃料としての面もかなり重要だ。油を小さな容器に入れ、適当な太さの糸を浸して一部を空気に触れさせて火をつけると、液体はその表面の分子が引かれ合う力によってごく狭い隙間なら重力に逆らって上にでも移動する性質があるから、少しずつ油が糸に沿って上昇しては燃えて消える。油で常に冷やされているから糸はすぐには燃え尽きない。  それに似ている、さらに簡単に持ち歩くことができるのがロウソク。室温で固体になり、加熱すると燃焼する液体になるものならなんでもいい。それを棒状に加工し、中に糸を入れておいてから少し糸を外に出して火をつけると、火の周囲の油が熱で溶けてあとは上と同じだ。まだ解けていない硬い部分が器にさえなる。  動物の脂は液体になる温度が高く、寒いところではロウソクに使える。またミツバチの巣の外壁から得られる蜜蝋もいい素材だし、植物からもそんな物質は得られる。  どちらもきわめて価値が高い資材であり、後述する高価なものだ。 **家具  農耕に頼り、移動せず一生、大量の資材を用いた頑丈な巣で暮らすようになった人は、それまでの短期間で移動する生活とは違い、手で持てないほど多くの物体と共に暮らすようになった。  特に大質量なのは巣そのもの、儀式に用いられる物、調理や排泄の設備、寝る・座る・食事など生活に用いる物だ。  儀式関係は多様で一口には言えない。人間関係における上下を示すシステムの、誰よりも上であることを示すメッセージを普通は秘めており、巣の構造自体に加わっていることもある。人間や動物の形を作ることもあるし、それを禁じることもある。人間には持ち上げられないほど巨大な武器や食器などを作ることもある。  調理にはまず燃料や保存食を蓄積する倉庫と、きれいな水を貯めておく上述の樽や土器の水入れなどが必要となる。そして火を使っても巣の様々な可燃物に火が燃え広がらないよう、土や石でできた一定の広さの面を作り、また火を使うときに出る煙が不快感を与えないように煙を外に出す隙間も必要になる。  火は調理・保温・照明・加工など多様に用いられるため、できればそれらを兼ねるように工夫される。基本的に、火の熱のほとんどは煙に混じって上に逃げる。また煙そのものが、寒さを避けるため密閉している巣に充満すると呼吸が苦しくなる。  まずできるだけ火を熱に耐える素材で閉じこめ、しかも酸素不足で消えることはないように覆うとよい。多くの酸素を含む新鮮な外気を外から入れ、巣の上に小さな穴を開けて逃がせば呼吸が苦しくなることはない。  さらに近代以前では最も洗練された技術として、煙が逃げる穴自体を壁や床下全体とし、煙の熱から暖を取るものがある。  そして食事に用いられた食器などについている食物の一部、多くの生物由来分子を落として次の食事が微生物に汚染されるのを防ぐため、大量の水や水が貴重な地域では砂を用いて食器を洗い、その水を安全に排出する設備が必要になる。その洗浄は魔術的な儀式の面が強いことを忘れないように。科学的な考え、生理的な嫌悪、魔術的な理論が常にごっちゃになるのが人間だ。  大小便の排泄も、不快な匂いがあるので人間の生活の場から隔離し、できれば大量の水で遠くに流す必要がある。後述する都市ではその設備があることもある。また地域にもよるが、そうとは知らずとも窒素化合物や微量元素などを土に加えて農耕の生産量を増やすいい手段として車に積んだ桶で回収することもあるし、また犬や豚の餌にすることもある。最終的に出る単純な窒素化合物を皮革加工や後述する窒素とカリウムの化合物を作るのに用いることもある。  そのために必要になるのが水の流れを操る技術や、漏れがない桶や土器を作る技術だ。水の流れを操作するのには厚みのある円筒、管を使うことが多い。木や竹、レンガを含む土器、銅、鉛などが用いられる。  寝るには長い辺が人間の身長より少し長い程度、短い辺が人間の肩の幅より少し長いぐらいの長方形のほぼ全体を柔らかい素材にしたものが基本となる。その地域の気候によって、その形は様々に変わる。  人間は二足歩行が基本で、静止状態も二本の足で立つ。また完全に力を使わないときには地面に横になる。だがその中間として、脚のつけ根後ろ側の胴体最下端などを地面につけ、すぐまた立てるようにする体の使い方がある。人と人とが互いに敬意を払って接し、しかも休息に準じている、という状態だ。  そのためには多くの地域で、地面から膝まで程度の高さの上面が少し柔らかい台が用いられる。  それを用いて食事を取ったり文字を扱ったりする場合は、その台から少し高い面に薄い頑丈な木材・石材などで作られた面を作り、その面で作業する。その設備も多くの木材などを用い、非常に体積も質量も大きく高価で長期間の定住に合っている。  衣類を含めた様々な物も大量に持っていることができ、またそれを保存するための様々な家具も増えることになる。木材の直方体を基本とした隙間のないものと、植物を編んでから乾燥させた半球形に近いものの両方が使い分けられる。 *楽器  音を出すことは、特に人間の声では伝わりにくい距離に音が届くようになると遠距離への情報伝達に使うことができ、とても便利だ。家畜の群れを管理するのにも重要な技術の一つであり、無論人間の群れも統御できる。たとえば到底手ぶりが見えず、声も届かないような大人数どうしが戦うとき、続けて出る音を聞けば突撃、間隔を置いた音を聞けば後退、と決めただけでも、それがない相手に圧勝できるはずだ。  様々な波長、時間と強さの周期的な関係で音を駆使するのは感情に快を与え、儀式においてもとても重要だ。  人は自分の体でも、主に呼吸を通じて多くの音を出せる。また両手をたたき合わせたり、手で体を叩いたりしても音を出せる。  さらに音を出す道具も人はたくさん造っている。特に一定の波長の音を、音の大きさ……波の振幅を調整して出せればよりいい。ちょっとした調整で、色々な波長を、しかも出したい波長に固定させて大きさも調整できれば最高だ。  一定の波長の音を出させるには、物は何でも振動し、いろいろな波長の中で特定の波長だけが残ることが多いことを利用すればいい。波長がそのものの大きさと同じだったり、その整数倍だったりするとその波長だけが残ることになりやすい。  呼吸を用いたり、弓を使ったり、中空の物を叩いたりするのがある。  呼吸を用いる楽器の多くは管構造をしている。管に呼吸が起こす空気の流れをうまく当てると、管の中の空気が、管の長さによって決められた波長の波だけが残るように振動する。管に多くの穴を開け、それを指でふさぐと出す波長も変えられる。  弓は、もしかしたら武器より楽器の方が古いんじゃないかと思うぐらいだ。弓をぴんと張って、少し弦を動かして急に解放したり、別の弓の弦どうしこすり合わせたりすると、その弓に合う波長の音だけが出る。  どちらも、中が空で表面だけが固く、部分的に穴が開いているものと組み合わせて音を大きくすることができる。  円筒形の側面だけの木の、円のところに革を強く張り、それを叩くとかなり大きい音が出る。波長の調整はしにくいが、複雑な仕掛けが無くても音を大きくしやすく、時間と音の関係を楽しむのに向いている。 *文字  人類史上最大の発明の一つ。言語を絵や地図同様平面に記す単純な記号の集まりと、言葉の語や、さらに音の最小単位を対応させるシステムだ。同じ文字を読む方法を教えられた人なら誰にでも読める。  声で話す言葉はすぐ消えるが、文字はきわめて長期間残る。また大きい文字を壁などに刻めば非常に多くの人に見せることもできる。言葉とそれを発する人を切り離すことで、言葉を純粋な情報として扱うことができる。文字が書かれた物自体、情報自体を価値のある物として交換することもできる。  どのように始まったのかはわからない。絵を描くことからとも言われる。人はたとえばある種類の動物などを、ごく単純でわかりやすい特徴……長い四肢と角など……だけを強調した単純な絵にすることができる。その単純な絵を並べて物事、特に物語を表現できる。  本来なら絵の連なりだけでも十分物語を表現できるが、絵をとことん単純化すると質が変わって言語そのものを表現できるようになる。そのためには動物など目に見える物に対応するだけでなく、言葉の中の行動や文法のためだけに必要な語も文字にすることが必要になる。  文字自体の美しく複雑な図案とその繰り返しという性質は、それ自体美として人に訴える。また魔術も文字を用いることで幅が広がる。文字の歴史を見る上で美と魔術を忘れてはならない。  文字を記すには、ちょっと順序が狂うがまず木や土の板、石などの表面に固く細いもので表面の一部を刻むやり方がある。それはかなり単純な形しか刻めず、書いた物も重くかさばって携帯しにくいが、複雑な資材が不要で保存されやすい。  後には薄い革・布・木の薄い板・樹皮、そして草の繊維を集めて板状に固めたものなどの表面に、泥水・火を燃やした時に出る炭素粉を水に溶いたもの、樹皮の苦い化学物質や鉱物などをうまく使った染料などで表面に色を乗せることが多くなる。  並べるのは普通は一つの方向に、細い帯になるように文字を順に連ねていき、書くものの端まで来たら前の帯の先頭の隣からはじめ、その並ぶ帯の集まりも同じ方向に増えていくようにすればいい。文字情報を一次元の線、それから二次元の面に大量に容れられる。書くものを三次元にすればさらに増える。非常に細長い長方形にし、それを芯にそって巻く方法や、同じ形……適度な長方形……にして重ねる方法などがある。  文字そのものもたくさんあるが、言語自体ほどの多様性はない。比較的少ない場で発生したようで、文字のない群れも多くある。  今の世界で広く使われているのは地中海から広まった音の最小単位と対応した文字だ。覚える文字の数自体は少なくて済むが、実際に使われる言語の多くでは長い時間の中で文字の組み合わせと発音が厳密に一対一対応しなくなり、不規則な学ぶべきことが多くある。  ユーラシア東端の大陸で発達した、物の形を単純化した図案から発達した文字も多くの人口で使われている。一つの文字は正方形にまとめられ、その正方形を上下左右に区切って、比較的単純な形を組み合わせることで一語につき一文字の体系を作っている。組み合わせこそあるが、一語一文字だからとにかく文字の数が膨大だ。近くにある島や半島ではその影響を受けつつ発音の最小単位と対応する文字を作りだした。  他にも、現在多数の人に使われているのは地中海の西端から、後述する大宗教の一つと共に広まった文字がある。  数や音楽も文字で表現され、独自に文字が作られたり数字だけ別文明から伝わったりすることもある。  絵と文字を組み合わせるのも字がわからない人も含めた多くの人に物語を伝えるのに適しており、様々な形で使われてきた。  文字の読み書きには膨大な、人間が進化段階で必要としていなかった知能を用いる学習が必要であり、文字が発明されてからも長いことそれができるのは人類のごく一部であり、それは特殊な魔術と同一視されたほどだ。  文字は数を表す言葉を記すこともでき、文字を用いた計算は人間の脳だけでは不可能な量を計算できる。 **染料  物の表面の色を変えることができる、強い色だけを持つもの。これも人間にとってとても重要だ。  文字以前から、体の色を変えて魔術儀式において動物や神を模倣するのに用いられたし、さらにそれ以前から、体に泥や草をかぶって別の動物に見えないように隠れることもあったろう。衣類にしろ武器にしろ身につけるものを飾るのも重要な魔術であり、装飾でもある。  革や布の色を操作するのもとても重要な技術だ。特にそれが巧みであれば、貨幣経済において圧倒的な強みにもなる。  紙などの素材ができれば、絵や文字を書くのに高性能の、様々な色の染料が必要になる。簡単に液状にできて細い線でも描けること、保存できること、書いた後微生物によって簡単に分解せず長期保存できることなど。  食物に味をつける調味料の中にも、色が強く食べられる染料であるものがあり、実際いくつかは衣服を染めることも十分できる。またそのような色の強い植物にはしばしば、きわめて有用な薬草であるものもある。  木材・石材・金属加工の上でも、それに最後に色を塗ることも多くある。特に木材の場合、適切に表面に色、または無色でも適切に表面を覆うと、それがない木材よりも微生物によって分解されにくく、野外でも長期間使える。生物油に混じっている空気に触れて固まる成分、石油の成分の一つ、石炭や木炭を空気を遮断して加熱した時に出る粘性の高い複雑な化合物、ある果物の未熟な果実を加工したもの、木材を燃やしたときの煙の成分などが有用だ。  鉱物は、非常に薄く加工した金や銀も結構重要だ。他にも水銀化合物などが用いられる。特に強い青は宝石にもなる、ごく限られた地域でしか産出しない鉱物が用いられたため、きわめて高価だった。  実用的にも、表面を別の金属で薄く覆う技術は、後代の鉄のように安価で頑丈だが酸化で壊れ見た目が悪くなる金属を、金のように高価で脆弱だが酸化しにくい金属で覆うことによって酸化を食い止め、使用できる時間を伸ばすこともできる。面白いことに酸化は電子の移動という面もあるから、より酸化しやすい金属と密着させてもいい。さらに鉛の上に薄く金を張って金の塊だ、と人を騙すこともできる。  染料は一般に、鉱物を用いたものが長期間変質せず、建築物の表面などに用いられて長期使用される。生物由来の染料は比較的短期間で微生物にやられ、布を染めるのに用いられることが多い。ただし適切に発酵や金属化合物を用いたものはかなり長期間もつ。一般に染料の色を落とすのは空気中の酸素やそのつながりが変わった分子、酸素と窒素や硫黄の化合物などの酸、分子を切断するだけのエネルギーを持つ短い波長の日光など、水、微生物などだ。人間は逆に色を落とす……同時に微生物も殺せる……ために酸素・塩素・短い波長の光などを活用する。  また、後述するが近代医学においても染色・表面処理は重要な要素だ。 **天文・暦・数学  文明の規模が大きくなるにつれて、一般に天文学や数学もある程度までは進歩する。  大規模な建築・農耕・遠距離移動などにそれらが絶対に必要だからだ。  大規模な建築をするには巨大な長方形や円などを正確に作る必要がある。そのためにはそれらの数学を高い水準で理解しなければならない。大量の物資を扱うにもより高度な数学が必要になる。  先にくり返しておこうか、地球は太陽の近くをほぼ円に近い軌道で回り、地球自体も回転している。地球の近くで月が円に近い軌道で回転している。地球の自転軸は地球が太陽を回る面と、垂直に近いがやや傾いている。それで地球のほとんどでは、1、明るくなって暗くなってまた明るくなって……、2、月が変形してまた円形に光ってまた……、3、太陽が高くまで上がるようになって暖かくなり、太陽が一番高いときも低くなって寒くなり……同時に夜見える星の配置が、たとえば太陽が一度出て沈む周期を正確に測って、太陽が一番高い時刻からその周期の半分になった「時刻」に見ると太陽が高くなり低くなる周期と同じ周期で動いていく、の三つの周期を人は認識できる。1の周期を基準にすれば2の月は約28、3は約365になる。月が約12回変形したら太陽や星座は元に戻ると言えるが、少しだけ違う。365にしても長い年月では狂いが出る。また地球の自転軸自体が揺れる周期現象、さらに極端に言えば太陽が銀河を回る周期もあるが、それは人間の寿命をはるかに超える長時間になるので普通は無視される。  月の周期は海や大きい湖での水位の変動に大きく関わるから、船を使う人にとっては切実な問題だ。たとえ何日も曇りが続いていて月が見えなくても今、月の形はどうであるはずなのかは知らなければならない。  特に中緯度の農耕には、一年単位で雨が降る時期・気温の変動などがほぼ同じことが重要な要因だ。雨が降る直前に地面に手を加えて水をためこめるようにしなければならないし、正しい時期に種を蒔かなければ植物は温度・水とも多すぎても少なすぎても死ぬので収穫が得られない。特に大きい川の増水に、水の供給などを依存する昔の大文明の農業では死活問題だ。  今日が正しい日……たとえば、一年で一番太陽が高くなる日から何日目なのかを知るにはどうすればいい?  ここで天文が重要になる。それも地上からは夜、上に光の点のように見える、本当はきわめて離れた独自の恒星である星々だ。その星は不規則に分布し、見た目の相互の位置関係は、人間の寿命程度の短期間ではほとんど変わらない。個々の恒星は高速でそれぞれ移動はしているが、あまりに遠距離なので地球からはそうは見えない。  その見た目の相互の位置関係はパターンであり、人間はパターンを認識するのが得意だ。ある文明では目立つ星の間に線を引き、極度に単純化して線で表現した動物と同一視したりした。  そう、「イヌの星集団の眼にあたる一番輝く星が、太陽が出るのとほぼ同時に西地平線に沈む時期に種を蒔けばいい」というふうに、一年の中で時間を明確に定めることができるようになった。  交通でも、砂漠や海のように目印がないところで、「自分は今どこにいるのか」「目的地はどの方向か(自分はどの方向を向いていてどう修整すればいいのか)」を知るには天文がとても役に立つ。  さらに惑星の動きをはじめより多くの知識が蓄積され、「今日は一年の中でどの日なのか」が明確にできるようになり、それに応じて様々な儀式も行われるようになった。  だがその知識は色々な使い方をされる、今から見れば非科学的なやりかたにも。魔術の一つとして、星の情報を解析することで人や群れなどの未来、大洪水など都合が悪い気象の変動などを知ることができる、というのも人類に広く見られる考えだ。世界は色々なことを教えてくれる、人間が注意して読めば何でも分かる、という。  まあ確かに、「四角形をなす明るい星が日暮れに山にかかる時に毎年洪水が起き、その直後に種をまけばいい収穫が得られる」と、経験と天の星に関係があるんだから、「前に大戦争に勝った時には動き回る赤い星が三角形をなす星の中央に入った」のも同じように関係がある、と思うのもわからなくはないんだが。それで夜空に、どこか遠くで星が爆発して新しい光が見えたり、数百年に一度しか見えるようにならない長い楕円を描く星が見えたりすると大騒ぎする。  また、太陽が地平線に隠れ見えなくなって暗くなるのは人間にとっては恐怖だ。特にそのまま太陽が二度と出なかったら大変だ、という恐怖もある。時に太陽が月に隠されたり、月が地球の影に隠されたりすることもあり、それも人間には大きな恐怖を感じさせる。それはだからそれを防ぐために様々な儀式を行うことも多い。他にもある季節の雨その他、天文気象の領域も大きい儀式をすれば制御できると人間は考える。またその異常は儀式の失敗や、誰かがやった罪のせいだとも考える。  ある地域ではそのために定期的に膨大な人間を生贄として殺したほどだ。  人間は世界をいくつか……まず善悪・光闇の二つ、それから十以内の数に分類するが、それが大文明になって精緻化したとき、地球が属する太陽と月を含む、地球から目立つ惑星と対応させることが多い。だがそれは人間が普通に目で見える数が、たまたま人間にとって都合のいいぐらいの数だったからだ……もし内側の軌道に二十個も惑星があったり、地球に衛星が十個もあったりしたらどうなったろう。  それがもっとも重要な魔術であることもあり、天文学について自由に研究することは大抵は認められない。知識が独占され、新しい研究が禁じられればそれ以上進歩することもない。元々人間は変化を嫌うから、それ以上それらを進歩させようとはしなくなる。たった一つの例外的文明を除いて。  数学も、土地の所有や人口などを数えることで重要になる。中でも直角三角形と円の性質は、建築や農業、あらゆる道具や機械の製造にとても重要な役割を果たす。  人が数を数えるには、まず一つ一つ順に集中しながら手の指を曲げて対応させていく方法がある。人間の手の指は普通片手につき五本だから、十まで直感的に数えられる。ただし実は指を曲げることをデジタルに見れば、最大で二の十乗、1024まで数えられるが、人間の指は特に親指の反対側の神経と脳の関係が緊密でないため、複雑すぎる動きはしにくい。  また、文字以前でも、小石を集めてそれと収穫した果実の数と対応させることもでき、同様に地面を棒で傷つけてその傷の数と数えるものを対応させることもできたし、木などに傷をつけても、棒を並べてもいい。多くの文明で共通に、3までの数を表す文字は並んだ棒の形だ。  数を文字で記すことも社会を大きく変えただろう。それがなければ巨大群れは維持できないはずだ、人口や収穫量を書類にすることもできないんだから。計算を道具や文字を用いて補助するのもとても有用なことで、道具としても数を表現する木片や棒にいくつか穴を空けた固まりを通したのを並べたものが作られたし、紐に結び目を作って数を記録するところもある。  どんどん大きくなる数ごとに別々の数を示す語・記号を作ってもいいが、使う数が大きくなるときりがなくなって覚えるべき新しい語・記号がどんどん増える。単純に+1の繰り返しでも原理的には可能だが、そうすると大きい数を表記するのに必要なスペースが大きくなって人間の認識能力を超える。実際には数は無限なんだから、無限種類の語・記号を考えるのは無理だ。  そこで人間が使っているのが指数を用いた表記法だ。適当な、それほど大きくない数を決めてそこまで記号を定めておき、それより大きい数は「その決まった数」で割って余りを出し、さらに大きい数は「その決まった数」に自分自身をかけた数・それを三回繰り返した数……と増やしていって、それに気づいたのははるか後だが級数の形で表記する。  人間の手の指の数である10を用いることが今は主流だが、約数が多くて使いやすく月と太陽の周期にかかわる12、60なども多く用いられた。数学的に考えると8や16も適している。  ちなみに、0の概念を用いて数を表記するようになったのはかなり遅い。  そうそう、実はユーラシア東で非常に惜しいことがある。その文明の魔術で、光と影の二元論を用いていろいろ占う体系があるんだが、それを表現する文字として横線と、途中で切れた横線の二つを基本単位とし、それを三つ並べた八種類、六つ並べた64種類を中心にするものがある。理想的なデジタル記号だ!ゼロの概念とあわせてそれを利用することを思いつくような数学の天才で高い権力の持ち主がいたら、どれほど素晴らしい数の表記法になっていたことか。ついでに文字も統合できるだろう、8,10,12のどれかに決めた数と、アルファベット同様に人間の発音単位、それに文章をわかりやすくする記号全部含めても64で足りるだろう。ま、人間の脳には適してないかもしれないがね。  直角三角形は一つの角だけで相似が確定するし、円との関係も深い。たとえば手が届かないほど高いものの高さを測るのに、小さな直角三角形と、測りたいものの一番高いところと地面と自分の目の関係が同じ角度にできれば、その直角三角形を拡大すれば高さがわかる。  また、一つの目印と二つの場所があれば、二つの場所の間の距離と、二つの場所を結ぶ直線と目印がなす角を確定すればそれだけでその三角形が厳密に定まる。二つの角があれば地図上に相似な三角形を描くこともできる。その測る場所や目印が多数あれば、それだけで到達できない場所の目印を含む厳密な地図を作ることができる。  角度から高さを割り出すときに、角度とその角度をもつ直角三角形の、直角を挟む二辺の比が対応されることがわかる。様々な角度に応じたその比が高精度で定まっていると、特に天文測定や地図製作や建築では非常に便利だ。  また、道具にしても建築にしても円が非常に重要になるので、円の周囲と直径の比もきわめて重要な数字になる。その数をどれだけ精密に求めているか、というのも文明を評価する基準になりそうだが、残念ながら中南米にあった帝国はその数はものすごく精密だったが軍事的には簡単に少人数の別文明に滅ぼされたりした。 **情報伝達  情報を伝えることは人間にとってきわめて重要だ。文明の規模が大きくなればなるほどその重要性は増す。  巨大群れが何より恐れるのは伝染病・敵の侵略・反乱・洪水などだが、どれも情報を得るのが早ければ早いほどいい。できれば起きる以前に情報を得ていればほとんど被害はない。起きても早く対処できればそれだけ被害は少ない。  大規模群れの規模になると、声をいくら張り上げても聞こえないほどの、それどころか歩いて何十日もかかるほどの距離が問題になることが多くなる。  それを短縮するには、まず早く走れる人間や馬に乗った人に情報を記憶させ、走らせる手がある。それも、道を整備し、一定距離ごとに元気な馬を飼っておいて、そこに着いた時に疲れた馬から元気な馬に乗り換えて走らせれば実に速い。船も気候のいいときの帆船は速い。  もちろん文字で情報を伝えることも重要で、その伝える人が多少悪人でも情報が他人に漏れないよう、文字で書いた情報を読もうとしたら壊れ、複製できないように情報を受け取る側も知っている複雑な形を蝋などにつけた容器の中に入れたまま運ばせる手もある。  さらに早い方法が、一つは光を用いる方法で、煙をわざと多く出してそれを遠くから見えるようにしたもの。光を用いる方法の発展として、棒を高く立てて彩った布をつける旗がある。後にはその旗の工夫できわめて複雑な情報のやり取りができるようになった。  天気のいい日中なら日光を鏡で反射させれば相当な遠距離まで光速で通信できる。それを中継すればかなり速い。  また、ある鳥が、どんなに遠くに運んでも放せば巣に戻る性質を利用して、あらかじめ遠くに運んであったその鳥を、情報を得たらその足に飛ぶのを妨げないほど小さな紙を密封してつけて放す、というのも電気以前は最速だった。  最大温度・刃物の性能などと並び、最大情報伝達速度も実は文明を評価する重要な基準だ。  速度を考えなくても、紙に書いた情報を運ぶという情報伝達法はいろいろな意味で重要だ。単に遠くに出かけた人が家族に自分の無事を報告したり、商売のチャンスがあるけれど資金が足りないから送ってくれと頼んだりできればとてつもなく有利だ。  貨幣も同様に運搬できるし、後には信用を利用することで紙一枚を送れば貨幣を送るのと同じようにするシステムができた。 *大規模文明  上述の様々な技術、特に農耕や牧畜による食料生産ができるようになると、大量の保存食が得られるため狭い土地に膨大な人数が高密度で生活できるようになる。また食料生産をしないで生きる人がたくさんできる。  他の方法……オークの木の実、ヤシの類の幹や実、特に海の生物生産が豊かな地域の海の魚・貝・海藻など……からも大量の保存食を安定して得ることはできるが、麦や米による農耕、大草原での羊などによる牧畜ほど高密度の大人数を食わせることはできなかったようだ。また大規模に地形を変えて淡水を操る必要がないから、巨大な群れを作らず、巨大群れの圧倒的な暴力に滅ぼされたのかもしれない。潜在的には大量の保存食を得る方法は昆虫など他にもありそうだが、人間がやることの幅は不思議なほど狭い。  大人数が高密度になると、戦闘での強さが圧倒的に高まる。多数で少数を攻撃すると、多数側はほとんど死傷者を出さずに少数の側を全滅させることが普通になる。だから狩猟採集生活をしていたり、森の木や魚に依存している小規模な群れは滅ぼされていくのだろう。  そして我々が知る限り五千年ほど前から世界のあちこちに、大人数が集まって大規模な治水工事による農業を行い、大規模な建築をする巨大群れがいくつもできた。  巨大群れを見るのには、人間自体は文字や指導者の名前を重視する、物語志向が強いから。だがエネルギー、輸送、森林伐採、水や食糧の獲得、人口や平均寿命、気候、情報伝達などを見たほうが、その文明と呼ばれる人類の巨大な群れを一般的に見ることができる。  ユーラシアの草原では、家畜の群れと共に草を食べ尽くしたら移動する、定住しないかなり大きい群れも多く生活していた。その群れも時に戦闘のための巨大な群れを作ることがある。  同じ時間でも地球のあちこち、農業をおこなう巨大群れと接しにくい深い森がある地域……特にアフリカ大陸の砂漠以南、ユーラシア半島の南東端からオーストラリアに至る巨大群島、南アメリカ大陸北部の大森林などにはかなり遅くまで農業による巨大群れは発達しなかった。  また北アメリカやオーストラリアなど乾燥地帯が多く東西に比較的狭い大陸では多種類のよい作物や家畜を得るには狭いため遺伝子資源が乏しい。大型動物の多くを移住して間もない人類が絶滅させていたため家畜も得られなかったため狩猟採集生活が続いていた。 **文明の評価基準  一時期、ある文明が圧倒的な力で世界を席捲したときはその文明が最高に、神だの善悪だのひっくるめて「高い」とみなされ、他の文明はそれと同じ数直線で低いとされた。逆に近年、そのような考え方に対する抵抗として、どの文明も平等だという考えが出てきた。  でも実際には、「戦ったらどっちが勝つか」という単純な共通項がある。あとそれとも関係するが平均寿命、養える人口なども重要だ。最近は人権や政治体制を基準にすることもあるが、それが重要かどうか……  はっきりわかる基準をいくつか挙げておく。 ●最高温度(加工できる金属の種類・土器の質など多様) ●木を切る能力(燃料・建築・造船材料・森を農地にすることの水準。最上の刃物材=最高温度、輸送力に依存する) ●情報伝達 ●輸送(輸送量・速度は軍事力・維持できる人口などに関わる重大な要員。治水とも運河港湾を通じて関係する。さらに到達できる範囲を問えば、近代以降の文明も評価できる) ●円周率(数学の水準であり、建築や天文の技術水準と関わる……ただし例外として、中南米帝国はそれらは高かったが最高温度・家畜種・保有する伝染病の種類・別文明と接する経験などが劣っていたため簡単に滅ぼされた) ●人口・平均寿命(食糧生産や医学水準、総エネルギー生産量とも関係する。基本的には、二つの軍が戦えば人数が多いほうが勝つ。ただし武器に圧倒的な差がある場合は別で、中南米帝国、徳川日本などが例外となる) ●保有する家畜種・伝染病の種類(歴史的にはこれが決定打になった) *文明の基本法則  地球は有限、人間の欲望は無限。これが誰が何と言っても事実でしかないこの世界の根本的な法則だ。  人の多くは餓死すること、家畜同然に人に支配されることが当たり前だったことも忘れてはならない。  だから人間の群れがどんな挙動をするか、長い目で見ることができる。  人間の群れが望むことは人口を増やし、さらに一人一人がたくさんの物資……食料やエネルギーや淡水を使うことだ。  だがそれを手に入れるための食料やエネルギーや淡水、それらを得るための資源には限りがある。  具体的には、狩猟で食料を手に入れるには大型獣を殺すのが楽だし、それは群れの中でも勇気などの証拠となり地位を上げるのに役立つので好まれる。だが大型獣を狩りで殺し尽くしたらもう大型獣はいない。大型獣は子供の数が少なく、子供が生まれてから育ってまた繁殖するのにより長い年月がかかるから、それより速いペースで殺せば減ってついには滅びるだけだ。  農耕の場合より複雑だ。森林である地域は木を切り倒して更地にし、草原出身の作物に合うように変えなければならない。  また低く大量の水にいつも濡れている地域は、上述の蚊がたくさん発生するため伝染病が多く、人畜の生活には適さない。だがその水をうまく排除できれば最上の農地になる。  農耕牧畜以後は、本質的には「利用可能な淡水」がどれだけあるかが一番の問題になる。  森林を開墾し、また湿地を干拓して農地にするのは、これまで人間のために利用されていなかった、その土地が持っている淡水を利用できるようにしたのに他ならない。  ただし、土地があって淡水が無限にあっても、それだけでは永遠に無限に農作物がとれるわけではない。本当は防げるのだが、人間は塩害を起こしてしまうし、斜面を下手に耕して土を流してしまうし、農地の燐・窒素化合物・カリウム・硫黄・その他必須元素をうまく補充せず使い切ってしまう。防ぐ方法はあるんだが、人間の知性には限度がある……欲望が強く、迷信に縛られ、借金を返すこと、多すぎる子供を食わせること、奴隷に耕させてカネを得ることなど短期間の利益の必要だけで動いてしまい、正しいやり方ができない。土地は無限にあるから五年で草一本生えない岩場になっても次に移ればいい、というのが好きなんだ、人類というバカは骨の髄から。  科学的にどうすればいいか分かっている今でさえ、世界の農業の大半は不適切なやり方だ。  そして森林の木材は建築・金属の精錬・燃料・船の建造・祭儀などのためにも大量に消費される。だが木が育つには人間の寿命から見ても人間の生活から見ても長い時間がかかるため、一年草が多い作物とは違って木を切り倒してすぐに種を植え、育つのを待つことを人は普通はしない。  結局は森林を切った後、その土地は農地となり、塩害と土壌流出で農地が放棄されて遊牧に使われ、遊牧で最後に羊と山羊が草の根まで食べ尽くして永遠に草一本生えぬ砂漠となる、というのが人類の歴史の基本パターンだ。  アフリカ大陸を出て農耕牧畜を覚えるまでの人類は、ほとんどの大型動物を絶滅させる災厄だった……だが農耕牧畜を覚えてからの人類は、どんな豊饒な森林も千年かそこらで砂漠に変えてしまう、生命そのものの敵だと言ってもいいぐらいだ。  どんな貪欲な昆虫や微生物よりひどい。非常に長い目で見れば、カビが板状のパンを食べ尽くしながら少しずつ移動していくことにさえ似て見える。  もう一つの、人類の歴史のある時期のユーラシア大陸で重要なパターンに、農耕民と遊牧民の対立構造がある。アメリカ大陸では大規模な遊牧民は家畜となる大型動物の不足などのためできなかったが、ユーラシア大陸中央部の巨大な草原地帯では、家畜と共にある地域の草を食い尽くしたら移動する生活をする人々が多くいた。  その人たちは馬を使うこと、群れを組織する技術が高いことなどで極めて高い戦闘能力を持ち、また自分たちの群れ以外を人と見なさず奪い殺すことが多かったため農耕民に恐れられた。また移動する能力の高さなどから農耕民との交換や物資の交易も広く行ってきた。  遊牧民の攻撃から農耕民が必死で自らを護り、時に環境破壊や気候変動の影響もあって護りきれず滅ぼされるのが歴史の中で多く見られるパターンだ。  ここで注意しなければならないのは、歴史の多くは農耕民によって書かれてきたことだ。遊牧民には彼らなりの歴史がある。たとえば多くの歴史書を残し、歴史をたどりやすいユーラシア大陸両端の歴史を、逆に遊牧民の側から見ると巨大で偉大な遊牧民帝国の興亡があり、その周辺でわずかにごそごそしている農民の群れ、という程度の話になる。  後に燃料が石炭となり、そして石油となったことで人類は桁外れに莫大なエネルギーを手に入れた。  それだけでなく、多くの知識が集まり、より強大な権力と武力を生み出すことができるようになった。  ちなみに余剰人口、特に若い世代が大量に余り、しかも開墾できる森が不足していると社会はよほどまとめる力が強くない限り不安定になる。その若い世代の力をそらすには外に開墾できる森を求め、そこにすでに住んでいる人を皆殺しにして森を開墾するのが基本だ。そのためには別の群れを宗教を利用して敵とし、戦って群れをまとめる力を強めると共に余剰な若い人とを大量に死なせることも有効だ。新しい領土を得られなくても、ただ敵を憎んで戦うだけでも巨大群れをまとめることができる。場合によっては巨大群れの中の特定の部分群れを宗教的な敵と見なし、それと戦う……虐殺してそのポストを奪うこともある。  人口の管理も、それこそ人類になる前からあらゆる動物にとって重要なことだな。人口は過剰でも文明崩壊を起こすし、少なすぎても戦いで負けて滅ぼされる。土地の生産限度に合う数でなければならない。  人間集団自体の心理的な問題も重要とされる。特に人間の学者は、なぜ文明が滅んだかという問いに対して道徳的な解答を好むふしがある。  巨大群れの政治を乱すもの自体を問えば、農地の疲弊・森林の喪失・水利の破壊、軍事的な新勢力、富の集中と富による政治の腐敗、情報の硬直などがよく言われる。  その巨大群れには、それまでの小規模な狩猟採集生活をする群れとは人間集団としての動きが色々根本的に違う。それこそ別の生物のようにも感じられる……ちょうど、ある種の移動力の高い草食昆虫が、面積当たりの数が少ない状態ではあまり移動せず暮らしているだけなのが、面積当たりの数がある限度を超えると姿形も変わり、巨大な群れになってすべてを食い尽くしながら移動することのようだ。  それもできるだけ説明しよう。 **巨大群れにおける人間集団 *統治  複合群れにはいくつもの面がある。まず極端な土地の高低・広い川・海・砂漠・深くて切りきれない森・利用できる淡水が少なく不便な地などで隔てられた地域で一つの群れを成す。それは食糧生産を基盤にした比較的普通の群れだ。それに情報による群れも重大で、地域の壁を破って広い地域を後述する宗教が支配することも多い。また人間の遺伝される外見・言語などもある意味群れを区分する。  地域による群れがそれ自体巨大群れ同様、最上位者が一つの力のある家族に親から子に継がれている場合、その最上位者を殺すよりも巨大群れの中核になる群れに住まわせ、巨大群れ自体の最上位者に優遇して仕えさせることで群れを統合するシステムも多く見られる。  魔術的なものも重要で、後述する宗教群れの一員を派遣して宗教的に管理することも多い。  巨大な群れが、特に都市と離れた地域の多数の群れを統治するには、まず決められたとおり人数に応じて保存食や貨幣を払わせ、戦うためや土木作業のため、時には支配する群れの快楽・繁殖のため美女さえ出させることもある。人質……相手の愛する人を支配下に置き、「お前が逆らったらこいつを殺す」と脅すことも重要になる。  水系による管理も時に重要になる。大規模灌漑網の支配は、下流の群れの生殺与奪にもかかわり、地域ごとの争いの元になるのでその争いを止めたり煽ったりすることが重要な支配になる。  原則的に巨大群れ内部では、部分群れ同士の争いを制限するが、逆に部分群れどうし争わせることで巨大群れを保つ手法も有効だ。 *階級  全人類の遺伝子はほぼ一様だが、人類の能力には相当な個体差がある。  だがここで問題にしたいのは巨大群れ内の比較的小さな群れ、親子のつながりを中心に受け継がれる地位だ。個体差自体の評価は難しく、戦争で役に立つ、または文字以降は多くのことを知りうまく言葉にする、見た目が美しいことなどによる。食物の処理によって評価された人もいる。  ある仕事をする資格はそれ自体、土地の所有などと同じく所有され個体に附属する財産となり、巨大群れでは群れ内群れの財産となる。それは個体・その個体が属する群れの名誉とも直結している。それがなければ、特に都市部では日々の食を得られず生存すること自体がきわめて困難になる。逆を言えば、許可なく仕事をする、それ自体が他者を殺し巨大群れの秩序を脅かすのと同等の重大な犯罪行為だ。  小さい群れにはいろいろあり、中にはある仕事を代々やってきた群れ内の、繁殖関係が近い部分群れもあったろう。ただし、それが他と完全に違う群れになるには群れ自体が小さすぎ、群れが分裂して争ったら群れが機能しなくなるからそれは少なかったろう。また順位が高かった人の子がかならずしも高い順位をそのまま得られるとは限らない。群れが持っている財産自体も少なく、それを共有する圧力も大きかったはずだ。  だが、群れが農耕によって巨大になり、それが他の群れを暴力で叩き伏せてしかも皆殺しにせず家畜同様の奴隷にすることで複数の群れが上下関係を持って共存する様式になっていった。  さらに文字、金属や高度な木材や石材や土器の加工、土木や農耕に必要な高度な知識……魔術とすべて深く結びつく……を専門に行う群れ内群れもでき、彼らは自分では食料を生産せずに他の人々を支配し、他人が得た食料を食べて暮らすようになった。  特に戦闘能力が高い、金属の武器を持ち人を殺す訓練をした集団も重要だ。  人間は自分と親子兄弟などでつながる縁者、幼い頃からともに暮らした人を多くは愛し、自分が死んだら自分の持つ物・情報・社会的地位・群れ内部でそれをしていいと認められていることを子供に継がせる。その「巨大群れ内部でのある仕事をする資格の独占」は、特に都市においては生存するため、より快の大きい生活をするために必要だ。  それ以降現在に至るまで、同じ人類でも桁外れの富の差があり、また一方的で親から子に引き継がれる強い社会的地位の差がある。その中で、人がしなければならないさまざまな仕事にも、高低というか善悪というか貴賤というか、要するに一つの数直線で表現される階層ができている。基本的に肉体を使い、動物の死体や人間の排泄物などを扱う仕事が低く、文字や魔術に関わる仕事と軍事が高い。文字が「高い」文化と軍事が「高い」文化がある。  特に大きい群れになると、穀物・家畜に依存する食糧生産、大規模な定住という生活様式もあり、多くの情報と地位を受け継いだ群れ内群れは他の人間を事実上家畜扱いできるほど権力・富・魔術的地位の差を作ってしまった。  また、多くて百人の小さい群れでは人命は貴重だったろうが、万単位の多くの群れでは多少の人命は家畜同様に気軽に犠牲にできる存在となる。人にとっては本来自分の群れの一員でない者はいくら殺してもどんなに不快にさせてもいい存在だし。  巨大群れ内群れには低いほうも際限がない。巨大群れの周辺や、内部で属していた群れから追放された者、逃げた奴隷などが次々にどの群れにも属していない存在になる。巨大群れ以前にはそんな人はほとんど飢え死にしたり肉食動物や別の人間の群れに食われたりし、生きるのがうまい人はほかの群れの縄張りでない場で狩猟採集生活で生きることができたが、巨大群れの領域内部では大型肉食動物はほとんど絶滅し、食人が禁じられることが多く、あらゆる場がどれかの群れの縄張りなので狩猟採集生活も後述の犯罪となる。だが、さまざまな、細分され特に穢れが大きい仕事があるため、彼らも生きられることが多かった。  ちなみに悲惨な状態にいることそれ自体何かの罰であるとされる。だから病気になった人間が、罪の報いだと逆に罰されることさえある。貧困者もそのように「罰されている罪人」として扱われることが多い。  同時に人間には平等を求める心情があり、それと現実の階級がはっきりした巨大群れの様相は大きく異なる。また群れとしての人間は本来あらゆる群れの最上位、または他のすべての群れを滅ぼして唯一の群れでありたいのだが、その望みとも現実が矛盾している。  単純に言えば、なぜ自分が……一番高い地位からとことん低い地位まで……その地位に産まれ、その仕事をしなければならないのかを人は理解したがるが、それは不可能だ。すべての人間は交配可能だから合理的な説明は無理。たまたま先祖がその地位を手に入れ、たまたま自分がその先祖の子として生まれるのがほとんどで、別の形で群れに加わるとしてもそれもほとんどは偶然だ。  だが人間は偶然を嫌い、物語を求めてしまう。矛盾を覆って現実世界で人が生きられるようにするのはやはり物語であり、儀式だ。後述する宗教の役割が非常に重要になるし、他にも人類が進化してきた長い時間にはなかった高密度大人数を群れとして維持するための様々な技術が発達していった。  なぜその支配が正統なのかを物語で示し、また支配する側は自分の支配力すなわち権威を様々な言葉・体の動き・装飾・生活様式の違い・戦場での勇敢さなどあらゆる方法で示し続けることになる。  巨大群れが多数の群れ内群れでできている構造は、人が知を増やし技術を改善することを妨害することが多い。情報は重大な財産であるため、人は情報を群れの外に出さないようにする。また人は保守的であり、群れの中では考えなどを統一したがるため、子供には自分たちとまったく同じ情報を得て同じ考えを持つことを強要する。  また大量の情報を得るには文字の読み書きが必要だが、それができるのは高い階級に生まれ生来富裕な人間だけだ。だがそういう階級は生来、生活のほとんどを奴隷にやらせるため手を使って何かを作り、多くのものの性質を学ぶことがないし、生産技術を軽蔑する傾向が強い。文字による高い知識と手による技術が結びつき、多くの人と情報を交換し、試行錯誤を行うことができれば技術は改良されるが、そのようなことはめったに起こらないんだ。  文字・情報伝達に必要な資材自体が絶対的に不足し高価だということもある。  後述する近代化に付随して、階級を一つの利害を同じくする群れととらえ、上の群れが下の群れから人間が家畜から搾取するように搾取しているのがこの世の真実だ、という思想が広まった。 **法・刑罰  群れの規模が小さかった頃は、最上位者の感情的な暴力や魔術と一体化した感情、群れ自体の心の動きなどだけで十分なにをしてよく何をして悪いかは確定できた。  だが多数の群れが集まり、農耕でものすごい人口になると、一人の人間の動物的な力だけでは巨大群れ全体をコントロールすることは不可能になった。群れ内での複数の群れどうしの争いも抑えなければならず、それはこれまでの単一少数の群れを扱うのと同じやり方では不可能だ。また群れ間の、互いの皆殺しに至らない交易も多くなり、「他者」の概念もできた。  そのためにできたのが、言葉によって「何をして悪い」を明確にする、ということだ。逆に群れの支配者は、自分の感情、特にどの群れ内群れに所属しているかを無視して、言葉だけを基準に罰を扱わなければならなくなった。これは人間が公平を重視する心のありかたを持っていることも関わるんだろうか。  ただし、一足飛びに法だけで社会ができたのではない。まず家族や小さな群れの内部での犯罪は原則としてはその内部で処理されることになっていた。  そして群れと群れの間は、特に巨大群れがしっかり固まる前は報復の原則が支配した。群れ動物として進化してきた段階からある、自分の愛する者・自分の属する群れの一員を殺し傷つけ、また持っている物を奪った敵群れの人を攻撃し、殺す……その心理構造でない群れは一方的に殺されて滅び遺伝子を残せなかったろう。多くの群れが、すぐに互いを皆殺しにするのではなくより大きい群れの一部になってからも、自分の群れの一員が他の群れの人間に殺されたときには相手の群れを攻撃するのが最初に行われた。そして自分の群れ以外の人間を殺すことは、自分の群れの中では罪にならない、これも当然だった。だが、それを好き放題に許していたら、特に有力な群れどうしが激しく戦い、双方が多くの別の群れに協力を求めた時に巨大群れが崩れるので、それを抑止するために別の群れの個体に対する殺人は巨大群れを支配する群れが、言葉で定められたとおりに罰を与え、それによって双方の群れの復讐の義務を止めた。  法が禁じることをした「犯罪者」を巨大群れが特定し、攻撃して行動できなくし、その上でその人が犯罪を犯したことを確定し、そして処罰することが、巨大群れから地方の比較的小さい群れに至るまで、群れの非常に重要な機能となった。それは魔術・宗教的な意味もあるようで、それがきちんと行われなければ群れが崩壊し、ひいては気象・農耕も破綻すると誰もが、言葉にならない前提として信じるようになったようだ。それが小さい孤立した群れがアフリカをさまよっていた頃からかはわからない。  基本的には、犯罪を犯したと確定した、それどころか疑われた時点で個体は心情的に群れから切り離され、人でない邪悪な存在、公の敵とされる。ただし、巨大群れの法と、本人が属する群れの法が異なっていて、巨大群れの法では犯罪でも本人の群れでは合法であることも多くあり、その場合その群れでの名誉は失われない。  ちなみに昔は刑罰の多くは個体にとどまらず、家族全体に及んだ。元々群れどうしが敵対したら、生き残りが復讐してくるのを防ぐためにも皆殺しが一番いいから、というのもあるだろう。また見せしめの論理……人間を群れに従わせるには恐怖によるのが最もよいとされるからでもある。個体を殺すより家族や群れを皆殺しにして遺伝子そのものを失わせるほうが恐怖は大きいし、やる側の特に浄化欲が満たされる。  刑罰もいろいろと発達する。特に見物する人に恐怖を与えるため、人を死なせないように苦しませる技術の進歩はめざましいものがある。  刑罰自体は激しい苦痛の後の死、楽な死、単純な苦痛や手足の切断・去勢など元の体に戻れない傷、刺青による罪人であることの明示、単純な苦痛、巨大群れの領域から・都市からなどの追放、遠い島など不便な地域への追放、狭く勝手に出られない巣に閉じ込める、土地を含む財産の没収、都市における仕事の剥奪、名誉を奪う、そのために罪を明記して皆の前で移動できなくして本人を見物させる、家畜化して貨幣との交換対象にし肉体労働を強いる、宗教的な呪い、宗教的な生贄など多様にわたる。また、小さい群れや個体どうしの個人的な争いや犯罪は、決闘などで決着されることもある。  犯罪自体も複合群れが絡むため複雑になり、しかもできるだけ言語で規定される必要が出てくる。主な犯罪は誰であれ人を殺すこと。例外的に、家長が家庭内で奴隷を含む下位者を殺すことはほぼ容認される。また人を肉体的に傷つけることもそれに準じる。人を言葉などで名誉を下げることも犯罪とされるが、それは当人どうしの決闘に委ねられることが多い。雄が雌に暴力を振るって合意なく交接行為をおこなうことは、特に別の群れに属する雌の場合はその群れの財産を傷つけられると同じでしかも魔術的・名誉の面でも重大な意味を持つ。不条理ではあるが被害を受けた雌が道徳的に攻撃され、処刑されることも多い。  他人の財産を奪うことも禁じられる。複雑なのが、貨幣を言葉でやり取りするようになると、たとえば質の悪いものを騙して売りつけたりすることができるようになる。  巨大群れの治安・魔術的秩序自体を乱すのはより重大になる。地域や時代にもよるが、単に人を殺したり物を盗んだりする程度は無視され、巨大群れの秩序に関する罪のみが関心の対象になることさえある。まず群れの上位者に対する攻撃。家族の中での子が親を、女が男を殺すことなどは魔術的にも重大な意味を持つとされる。特に巨大群れを支配する群れは宗教的にも特別とされ、それに対する攻撃は神に対する攻撃という魔術的な意味も付与される……その結果大洪水が起きてもおかしくないほど重大なこととされてしまう。  言葉、思考で支配的な宗教を否定することも同様に秩序を乱す罪となる。  逆らうのを防止するため、巨大群れの中で群れ内群れを作ることが原則として禁じられることもある。人が集まること、集まって食事すること、会話することもかなり普遍的に犯罪とされる。  貨幣を個人が勝手に作ること、これはかなり後の時代になるが、武装自体が罪とされるようにもなる。  都市の場合、建物に火をつけることはきわめて大きな被害をもたらす。また治水関係のものを破壊することも同様であり、ともに重罪とされる。  後述する、支配群れと無関係に魔術を行うこと自体も魔術的秩序を乱す重罪とされる。  これは小さい群れの頃からあったことだが、例えば誰かが殺されたり、群れが共有していた家畜が殺されて食われたりした場合、「誰がやったか」がけっこう重要になる。当人以外誰も見ていないところでやることもできるからだ。  その場合には誰がやったか突きとめるのに魔術と、同時に論理的な推理が行われる。  小さい群れなら大抵それほど困難ではなかったが、大きい複合群れでは問題がある。皆が納得できるように結論を出さなければ不満になるからだ。そのために文明ごとに様々な、最初は魔術的に、それから徐々に合理的に誰が犯人なのかを確定する方法ができていった。  ただし実際には、魔術によって犯人を定めようとしたり、また疑われた者に激しい苦痛を与えてやったことを認めさせる方法も多くとられた。それは後代徐々に野蛮・悪とされるようになるが。犯人以外誰も知らない情報……死体を隠した場所など……を自白させれば、それは犯人だと確定できる。だがなぜか人類は、自白すれば犯人だと思うようだ。誰であろうと適切な苦痛と疲労と睡眠不足で自尊心など精神自体を砕き、やってもいないことをやったと自白させることは容易だから無効なんだが。  ついでに言えば、誰がやったかを確定するためには人の証言も重要になる。原則としてヨーロッパでは宣誓が重視され、宣誓しての証言は事実とみなされる。でも人間、それほど記憶力はよくなく、個体それぞれの物語に沿った記憶、見たり聴いたりした像を後から作ってしまう生き物なんだから元々あてになる代物じゃない。  あと群れ全体が、「高い地位がある人の語りは真実」「群れ全体が共有する物語は真実」ということをきわめて強く信じているため、元々高い地位である罪を裁く人がこいつが犯人だ、といえばたいてい皆がそう信じてしまい、実際のことは無視されてそれが真実とされてしまう。  見逃されている犯罪、やってもいないのにやったとされることは常に多い……だが、人はそれについては考えてはならないことになっている。価値観に疑問を持つことはそれ自体が悪とされるものだ。共同体の物語を一貫させることが常に最優先される。  犯罪の中でも社会的に重要になるのが、巨大群れの事実上外にいる二種類の成員だ。都市内の排除されている人々は後述するが、もう一つ、事実上巨大群れと独立した小さな群れもある。それらは人を攻撃して殺し、奴隷にしたり殺して持ち物を奪ったりする。山や森など視界が広くない複雑な地形にもいるし、海の、特に多数の島がある沿岸にもよくいる。  その力が強く、遠距離移動のリスクが高くなると情報交換・物資の移動などが円滑にできないし、巨大群れのために多くの犠牲を払っているのは巨大群れが自分たちを守ってくれるからだ、という暗黙の約束に対する信用もなくなるため、巨大群れが崩壊することにもつながる。 **所有  動物でも、自分の体以外の物に愛情を持ち、それと距離を離されることを不快とし、もし離れてもすぐそれに触れることができると快である、ということはある。食べ物もあると快だが、食べ物は食べればなくなる。飼われている犬が飼主の匂いがしみているものを、群れそのものと同様に守ろうとすることもある。  また、多くの動物にある「なわばり」は当然人類にも強くある。ある地域を群れが占有し、また群れ内部でも家族、個体がそれぞれ他者をできるだけ拒む地域を作り、その内部のものを利用できるのは自分だけとして、侵入して内部のものを利用しようとした者を攻撃する。移動して生活していても、移動する都度自分の領域を確保するし、また遊牧生活をしていても非常に広い地域を実質自分の群れとして周期的に訪れることも多い。巣については特にそれが強い。  移動していても愛着を持つものにはまず衣服・寝る時に使う保温具。匂いもついているし、感触になれていて安心感がある。武器は特別で、その他の道具も生存に直結し深い愛着を持つ。  人間は物や土地に対する愛情を魔術的に表現できる。物には自分のシンボルを刻んだり描いたりして装飾にすれば、他人が盗んだときにすぐそれは自分のものだと証明できる。土地に関しては魔術的な儀式で自分とのつながりを強化することができる。所有にも魔術は密接に関わっており、「~を所有する」ことと「~を魔術的に自分の一部とする」「~を魔術的に擬人化し、自分を長とした群れの下位個体とする」は同じことだ。また土地に、他者の侵入を禁じる魔術を行うことで魔術的な敵から身を守る方法も多用され、それは後に所有権の主張として多く行われた。  牧畜の場合自分・自分の群れの家畜を他と区別するために体の一部に決まった単純な形に、石や金属を焼いて傷つけて印をつけたり群れ特有の装飾をしたりする。農地の場合には、はっきりと地面にある色々な木・大きい石・川や池など水を利用し、幾何学的な範囲を決めてその内部を耕作し、収穫するのは自分・自分の群れだけだ、と宣言する。  ついでに人間の場合、一人では食べきれない莫大な量のもの、数字や文字で記されただけのもの、現実には存在しない架空のものも所有できるようになったからややこしくなってしまった。それらを無限に所有したいと思ってしまうんだ、食物は食べきれなければ腹が苦しくなり、腐るだけだが、情報を所有することはいくらでもできる。  上述した仕事も重要な財産といっていいだろう。それは同時に人間関係、信頼、名誉もまた財産であるということだ。 **農地私有  農地と水を誰が所有しているか、というのはどの地域でも、どの文明段階でも重要な問題であり、社会構造全体を左右する。  後述する貨幣の性質、特に借金によって、少数の有力な家系群れに土地が集中し、周囲の人間はそれに従属するというか奴隷として所有される立場になっていくことが一般的だ。その所有された人間は、多少武装さえさせれば戦闘群れにもなるため、ある程度以上大きくなれば支配群れと戦って倒すこともできるようになる。  それを防ぐために支配群れは広い土地の所有を禁じたり、立場の弱い多数の人々に土地を分け与えようとしたりするが、時間が経つと一般に広い土地を所有する家系に力が集中する。  ごく一部の雨が多い地域以外は、灌漑水がなければ土地は農作物を生まないので、水を管理する人間に力が集中する。逆に治水のために常に多数の人間を動員しなければならない。  誰かのものでない土地も重要だ。特に海そのものを所有するのは難しいし、魔術的な理由で所有が禁じられる地域、支配群れが狩猟のために森や草原を残しておく地域も多くある。地域群れが共有してそこで誰が狩猟採集をしたり燃料にする木や緑肥を集めてもいいとするシステムもある。後に近代化において、それが崩壊することが非常に重要だったりする。 **貨幣  小さい群れで暮らしていたときには、物は家族なら原則愛情と(自分が飢えたら同じく無償でくれる、という)信頼だけで物を与えあっていた。  交換もあったろうが、いい悪いとかの感覚が変わらない均一な言葉や感じ方をする群れだから、群れがやっていけないほどの不都合はなかった。  群れどうしの交換も小規模で、互いにだましあったり、やはりだましたら次の取り引きがないと学んだりして適当な交換基準を作ったりして、両方の記憶だけでもどうにかなっていた。  ちなみになんであれ、ある物が多くあるところから、少ししかないが求められているところに運べば、それだけでどんどん富むことができる。  だが多数の群れが巨大群れを作ると、とてもそれだけではやっていられない。愛情は全くなく、信頼もない。人間はどの群れも他者は騙しても殺して奪ってもいい獲物だと思っている。たとえば家畜と金属の価値の関係が群れによって違ったら大損することもあり得る。交換しやすいのは生きた家畜(奴隷を含む)、農産物、武器などだろうが、それらは一般に重くかさばり傷むことがある。  いつからか、巨大群れの中で、いくつかの条件を満たす素材をあらゆる物々交換の基準として用いることが多くなった。さらに巨大群れの一番上位の力でその素材でできた単位交換財を決めて、それ以外での交換を禁じることもされた。あれとこれではなく、あれと貨幣・これと貨幣の交換比がそれぞれあり、それを推移させてあれとこれを交換するわけだ。  その素材の条件としては、入手できる量が少ない・ある程度固い・細かく分割して表面を整形できる・腐ったりせず人類の暮らす環境で安定している・偽造不能などがある。塩化ナトリウム、金属の金・銀・銅、一部の非常に硬度が高く透明な鉱物、特殊な貝類などが多く用いられる。金属を薄い円筒状に加工した物が一番多いな、その表面に簡単に神や同じことだが支配者の顔、図形などを加工できた。  もちろんそれらは魔術でも非常に高い意味を持っている。貨幣の魔術的な側面も非常に強いことは忘れてはならない。群れ内部の信頼感情と魔術には密接なつながりがあり、それが貨幣の価値を形作っているんだ。群れが崩壊状態になれば、貨幣など価値はなくなり、食料に価値が出る。  その貨幣は数、情報にもなる。経済が数値化されたわけだ。そうなると巨大群れの、物の所有を数で紙に記し、管理することができるようにもなる。  後には紙に書かれた数字だけ、巨大群れの統治に対する信頼そのものを貨幣として扱うことができるようになった。また紙に数字と言葉を記したものを持っていって、それを長距離移動した先で貨幣と交換できるようにもなった。  借りる……こちらから交換に与える物がないけれど、あとで返すと誓約して物や奉仕行動を受けとることも、貨幣の発達によってより大きく発達した。ここで問題なのは、借りたまま返さないことをどうやって抑止するかだ。それをやった人間に二度と貸さない、また貸さないよう情報を多くの人に伝えるのもある。魔術的な誓約もある。なんらかの、そう簡単には貨幣にできないが最終的には価値があるものを預かるのもあり、逆にあらゆるものを貨幣にする能力……いろいろな地域のいろいろな人の居場所を知り交換ができるだけの信頼関係や接するのに必要な魔術に関する知識を持っていることは重要な力だ。暴力で違約した者の財産を奪い、場合によっては相手を奴隷にすることもある。巨大群れがさらに発達すると、巨大群れに集中した暴力で貸した側に代わって借りた側から借りを払うよう強要するのを法に書き加えるシステムにもなった。問題になるのは本当に借りたことの証明で、それには別の証人の前で借りたことを誓約するか、後には文字で残すこともできた。  後には、大量の貨幣を借り集めてそれによって大規模な農地開発・鉱山開発・船建造・戦争・機械の購入などをして、一人の財力ではできないことを行うシステムができた。詳しくは後述するある文明が発達した鍵はそのシステムだ。  それによって、多くの貨幣を持つ人はより多くの貨幣を得ることができ、持たない者はずっと貧しいまま、という人間社会の基本法則ができた。特にそれによって農村は、時間が経つと社会として機能しなくなる。農耕には不作・豊作が不安定に起きるし病気もあるが、不作時や病人が出たら比較的小さい多くの農家が借金で生きのび、その代わりに土地を手放し、自分を奴隷にする約束をしてしまう。その結果土地は少数の豊かな家に集中し、その地域の人々の多くはその奴隷となる。そうなると緊密な、独立性の高い群れになってしまい、それが支配群れから独立したがって内乱になることも多い。  さらに大きすぎる豊かな家と多数の奴隷という巨大農家は、土壌が失われたりすることに関心を持たず、農業自体の持続可能性も低い。まあ分割相続や難民流入で一人当たりの農地が小さくなりすぎても休耕などの余裕がなくなり持続できなくなるが。  さらに貨幣が数字になると、巨大群れが成員からどれだけのものを奪えるかも、言葉で法として定められるようになる。暴力を持つ巨大群れは、本来誰からでもすべてを奪うことができる。けれども誰がどれだけ誰から奪うかがはっきりしていないと、その不安定さに耐えられない成員が巨大群れに従わなくなる危険がある、だから定めた方がいい、ということだろうか。  貨幣によって税をとることができるようになるのはかなり後のことで、交換しやすい穀物、家畜……人間の奴隷も含む、それも一生の場合も期間を決めた一時の場合もある……、布などいろいろな形だった。巨大群れの本質は、多くの群れから多くの人々を引き離して集め、それによって大規模な治水・建築・暴力などを行うことだしね。  実際には、貨幣ができてからも物々交換はとても長いこと混在していた。今でも群れ内の、家族などの群れの中はほとんど物々交換か愛情による与えでことが済む。  また誰もが必要としており、どこででも交換に使える素材が、巨大群れによって貨幣化はされないものの広く交換に用いられることも長いこと多かった。塩、布(特に絹)、高級毛皮、家畜、穀物、主要金属などはどこでも何とでも交換できる。  また巨大群れでは、普段対立している群れ内群れも争ってはならない場が、むしろ宗教的なタブーとしてできることが多い。それは移動しやすく開けた場が多く、そこでは色々な物の交換が比較的安全に行われる。  それ以前に、大規模群れ自体が群れ間・長距離の輸送・交換がなければ絶対に維持できない。何よりも誰もが必要で産出が限られる塩化ナトリウム、塩の膨大な需要を満たす必要がある。また食料・木材・石材・金属などもだ。  元々、一方の海辺では豊富に塩と魚がとれるが良質の石器が出ない、一方の山では良質の石器が出るが塩とタンパク質がない、となると塩漬けにした魚と石器を交換すればいい……と、多いものを運び出し、少ないものを運び入れるのは広い地域が全体としてより豊かになるし、それを運ぶ者はどんどん豊かになる。  大規模に交換が行われる場、そして貨幣があると、安いところで買い、運び、高いところで売って利益が得られるので、それがより自動的に行われる。逆に地域全体で食料が乏しくなり、恐怖が蔓延して安全でなくなるとそれが衰退する。 **様々な富  特に文明化された人間は色々な物を欲しがる。その人が欲しがる物を人に配れば、それだけである程度の権力さえ得られる。支配者の行動として、ただ多くのものを人々に配ったりすることもあり、それは多くの人に好かれるためのきわめて有用な行動だ。  また宗教自体が……宗教より先かも知れないが……富むものはその富を貧しい人に無条件で施すことを道徳的に高いとする。それもかなり重要なことだ。  ある程度以上社会が発達するとさまざまなものが欲望の対象となる。何よりも「少ない」ことが条件だ。欲しがられることも重要だが、特に社会が豊かになるとただ希少であるだけで求められるようになることもある。  水や空気は人間にとって必須だが、どこにでもたくさんあるので誰も苦労して得ようとはしない。だが砂漠をさまよっていれば、金銀よりも一口の水のほうがはるかに貴重になる。技術が低い頃は鉄は金銀より高価な富だったが、技術の発達につれて富としての性質が変わった。  というかどれだけあって、どれだけ欲望されているかから物の価値が決まる、というのが人間が富などを考える基礎だ。  貨幣になる金銀など貴金属、また透明で傷つきにくい一部の鉱石が「少ない」富だ。それらは小さい体積で容易に携帯でき、たとえば身一つで逃れるとしても服の隅や体の内部にさえ隠すことができる。  人間が生きること自体に必要なもの、食料特に保存食や布、革も重要な富だ。  特に塩化ナトリウム、保存できるようにした貴重な調味料や茶や肉、油や酒、高い技術で作られた絹布、良質の毛ごと加工した皮はほぼどこでも貨幣同様に扱われる。動植物由来の薬・染料・香料・調味料(しばしば同じものがそのいくつかを兼ねる)にも貴重品は多い。  人間の奴隷や家畜も高い価値があり、しばしば略奪される。  本質的には情報である、ある地域で作られて高額で運ばれてくるが、潜在的には受けるほうの地域でも種さえあれば育てることができる作物・家畜の品種の、繁殖可能な種などの価値はきわめて高い。ただし、情報の価値自体が尊重されるのはかなり後のことだ。  情報も価値があるが、そのことは特に生活水準が低い者や戦闘ばかりしている遊牧民には理解しにくく、しばしば大規模に破壊される。人間には情報を破壊する衝動があるのではないかと思えるほどだ。  情報の最大の特徴は、事実上無限に複製できることだ。もちろん熱力学第二法則上、情報は少なくなろうとするため、情報の複製にはエネルギーが必要だが。より長時間保存できるように記録するには、石を彫ったり土器を焼いたり、後には高精度の半導体を作ったりなど大きなエネルギーが必要になる。  エネルギーも本来は大きい富だが、エネルギー自体を運搬するのが難しい。特に水力などは本質的に全く運搬できない。大規模な炭鉱や油田も、その産物を移動させるのには大量輸送が必要になる。  そのように考えると、富の重要性としては希少であること、運搬しやすいこと、変化しないことが結構大きいようだな。  地域全体の性質も富とみなすことができる。多くの木がある地域を所有すれば切り倒す技術がなくてもかなりの量の食料が得られる。切り倒す技術があれば木材や燃料を得ることができ、根を除くこともできればしばらくは木の根が育んでいた土が豊富な農業生産をもたらしてくれる。  特に価値の大きい地は港に適する地域などだ。それもまた希少性の問題となる。 **仕事・利権  あることを「していい」という許可は人間の大集団にとってとても重要だ。それは所有と非常に近いもので、たとえば人類の最も古い状態からでも、地下水がわいてくる地点や海から遠く塩化ナトリウムの塊でできた岩などは誰もが利用したい、利用した時に大きく生存可能性を高める場だ。逆にそこを縄張りとして独占し、そこに接近し利用するものを攻撃するようにし、利用するためにはさまざまな代価を求めるようにすればただその地域を守るだけで何でも得られることになる。無論それは圧倒的な暴力で奪われるリスクもあるが。 「していい」許可は群れの内部でも重要であり、特にそれは魔術的な地位と関係する。装飾的なものとも関係し、地位=装飾の許可=ある魔術の許可、ともいえる。それは情報の独占であり、特に重要な独占される情報は医や天文に関するものだ。  巨大群れの中では、繁殖関係がある個体が集まった特定の群れに土地所有と同じように仕事の許可を与えることが多い。それは当然特定の魔術を許可する、という意味も持つ。またある仕事をするのに必要な知識を、特定の群れが独占・所有する、ということでもある。  それがあれば多くの貨幣を得ることができる。逆にその知識が多数の人に共有されたり、許可を得ずにその仕事をする人が多かったりすると儲からなくなる、と人は思ってしまうので、それを犯罪として取り締まらせる。  農耕を基盤とした巨大群れで結構重要なことが、狩猟の許可制だ。特定の地域で、そこで誰が飼うでもなく暮らしている動物を狩って食うことは多く重大な犯罪とされるが、多くのその地域周辺の貧困層にとっては生きるのに必要なことであり、多く犯される犯罪だ。 **家父長制  巨大群れは暴力専門の群れの力が強くなったこともあるのか、雄の権力がきわめて強くなる。魔術的な面を雌に任せて雄が暴力を担当することもあるが、大抵最終的には雄が最上位者になる。  また、個々の群れ、個々の家族の中でも、雄が最上位者として暴力的に下の人間を従えるようになっていくのが普通だ。後述する巨大群れの言語化された道徳・宗教でも、多くは雌は雄に従属し、個体の財産を持たず、自由に移動したり交配相手を選んだりせず、暴力に参加せず、文字などを学ばず、命令されたことに無条件に服従するように……実質家畜とされる。もちろん子は常に親の支配下にあり、地位や財産は法によってより明確な形で子供の物となる。  根本的には、人類は出産に大きなリスクがあるため、雌は出産前後長期間暴力を使うことができなくなるし、また出産時の母胎死亡率も高いため、高いコストをかけて教育して優れた技術を学ばせても死によって無駄になる率が高い。  もう一つ、雌の数を制御することが群れの増減に直結することもあろう。雄はいつでも多数の雌と交接して多数の子供を産ませることができるが、雌の出産数はそれほど増やせないし、雌が出産可能になるまでには長い時間と膨大な食糧が必要になる。  その家族制度もいろいろあるらしいね、つがいになった男女がそのまま親に従属して同じ巣で暮らすかどうか、財産が一人の男子だけに全部与えられるのかそれとも平等に分けられるか……特に土地を家族で所有する場合に平等分配をやると、どんどん一つの家族当たりの土地が小さくなって破綻する……、一人に全部与える場合、それは最初の子か、最後の子か、それとも選んだ子か。近親婚や群れの外の人間との交配・家族形成の容認など。 **官僚制・支配制度  巨大な群れを制御するには、小さい群れのように直接口から音で出す言葉、踊り、人の表情を見てこちらも表情など言葉にならないメッセージを伝えること、直接的な暴力などでは無理だ。人数が多く、しかも多数の別々の前提を持つ群れの集まりでもあるからだ。  そのため、主に文字で書かれた書物を利用する。世界をまず文字で描写し、その文字を扱って新しい命令を生みだして実行させるわけだ。その文字を扱える、生まれてすぐから膨大な時間を文字の学習に費やし……普通ならその時間に別の仕事をしてかなりの量食料を生産することができるが、それを失ってまで……文字の読み書きという特別な技術を学んだ、群れどうしでも上の方に属する群れができる。  その群れは誰が誰の上位になるかがはっきりし、上位に対する絶対的な服従が求められ、すべての命令や情報が文書で伝えられる。また暴力を行う群れに命令を下す力を持ち、暴力も用いてあらゆる群れ内群れから貨幣・穀物や布や鉱物など物資・兵士や水利や建築のための人などを奪い、巨大群れ全体のために使うことができる。  その多くは巨大群れの中でも上のほうが世襲するが、特にユーラシア東端では、言葉の上では誰もが高い読み書き能力を示せば地位を得られる、というシステムがあった。  その、官僚による統治はどうしても、統治される無数の群れ内群れにとっては苛酷に感じられる。なぜそれが必要なのかは、官僚機構が情報を独占しているため理解できないし、官僚機構は支配される群れの考え方・価値観・魔術体系とは別の論理に従うからだ。圧倒的に強い暴力・肉体的な力を示す者の統治ならまだ納得しやすいんだが。  そして、その統治は腐敗しやすい。腐敗という言葉自体、言葉の類推の見事さだな……食物が微生物にやられて色や匂いや味や感触が変わって不快を催すようになり、食べると毒にさえなることを人間社会にあてはめている。官僚機構の成員も、家族や親族など群れ内群れの一員であり、だから本来巨大群れのためでなければならない利益を自分自身や自分が属する小さい群れのために使ってしまう。さらに官僚機構という群れの中での、さまざまな感情から刑罰や軍事力さえ使って憎む相手を殺すことも多い。  重要なのは賄賂、ある公的な仕事をしている人に貨幣など利益を与え、その見返りとして公的な仕事の方向を変えてほしいと頼むことだ。本来は公的な仕事は巨大群れ全体の利益を目的にしなければならないのに、貨幣を出した人の利益を優先されると巨大群れにとって損になり、それは一般に重大な犯罪とされる。だがそれをなくすことは不可能だ、人には欲があるのだから。  ただし、官僚制度は重要だが、それだけで支配が行われるのは難しい。むしろ特定の最上位家族群れの家長が支配し、官僚はその支配を助けるだけという形が巨大群れの運営では普通だ。  その最上位群れは神でもあることが多い。  といっても、その「誰が支配するか」というのは、特に巨大群れとなると実に難しくなる。正しい人が正しく支配しなければ群れ自体が崩壊する、というのが人間の魔術的な考えだからだ。実際に人の群れがどうするかの決定は難しく、その決定がなされなければ官僚機構は動かない。正しい決定をするのは本質的に官僚のすることではない。  その正しさとは神であることであり、また誰よりも筋力が強いことであり、また知恵もあり何でも知っていることでもある。といっても、現実にそんな人間はいないから、ある家の相続者であることが、そのまま神であり、誰よりも強く、誰よりも賢い、と様々な魔術的儀式を用いて皆に思わせようとする。  例外的に、地中海の北西部の、昔氷河に削られてとても凹凸が激しく島が多いため一つの巨大群れが支配するのが難しい地域の一つで、武装でき、奴隷でない雄の市民が集まり、意見が一致するまで言葉で話して方針を決めるか、または一番多くの人が推薦する人が群れの最上位者になりしかもその地位はその人の子に譲られず一定期間で交替する、という制度があったことがある。  またその後地中海周辺を広く支配した巨大群れも、原則的には一つの最上位家族が地位を受けつぐのではなく、武装できる奴隷でない成員全員による統治が原則だった。ただし群れが巨大になりすぎたときに無理が出て特定の人とその相続者が最上位者になる制度にしたが、結局安定した家が統治することなく短期間で軍事的実力のある人が一生統治し、優れた養子に継がせ、しばらくしてまた混乱したら実力のある人が……となった。  そのような巨大な群れを統治する制度はいろいろあり、厄介なのは人間が、それを記述する人間が属する社会・時代の道徳からそれぞれの社会を裁いてしまっていることだ。  多数の群れが集まった巨大群れを安定させる技術として知られているのが、群れの序列を作って下を憎悪させて「分断して統治する」技術、社会全体の敵を作って攻撃することで群れをまとめること、法律や宗教や巨大建築、そして反抗的な群れは皆殺しにするか強制的に移住させることだ。  群れ同士の争いで奴隷を得ることも重要で、奴隷をどのように得てどのように扱っているかも注目すべきだ。 **宗教  従来の、祖先を同じくする群れごとの神話・呪術体系・呪物などからなる単純な魔術体系から、多くの群れが集まった巨大群れに合うように「神を信じる」情報集合も大きく変化した。  まず巨大群れを統治するため、最上位者の家族の正統性を示すことが神話の主要な目的となった。その祖先を神の子とし、それが神話的な冒険の末にその地域を手に入れる物語が多く、同時にその祖先の神に対する儀式を伝え、実行するわけだ。  ただしある時代に、巨大群れの規模がより大きくなり、より複雑に複合した群れを統治できるように変質していく。その変化が特定の時代に集中しているのも、歴史における興味深い現象だ。  そして魔術より言語、それも紙に書かれる基本的に固定された言葉が重視されるようになる。  また宗教専門の群れ内群れができ、それが巨大群れの中で大きな影響力を持つ。大抵は巨大群れの最上位者と、宗教における最上位者は一致するが、それも後に分離されることがある。  地表は地理的に分断されており、巨大群れもいくつもあるし巨大群れが分裂することも多いため、宗教もきわめて多様だ。  比較的小さい群れが巨大群れに統合されるとき、暴力性が強いときは小さい群れの宗教は破壊される。言葉を受けつぐ人を殺し、言葉が書かれた文字を燃やして文字の使用を禁じ、その他衣服や踊りなど文化を禁じ、神であるとされる偶像その他魔術的道具を破壊する。それは地球全体の情報を大きく減らす行為だから個人的には嫌いなんだが、それが大好きなのが人類という動物なんだからどうにもならない。  ただし力関係が一方的でないときなど、統合される小さい群れの宗教をある程度巨大群れの宗教に包含することもある。多くの神話には複数の神話が統合された痕がみられる。  多くの地域では、まず多数の非常に巨大な天文や地理の現象、抽象的現象が擬人化され、神とされる。  太陽・月・星、空、海、大地自体、その地域の火山や巨大な山や川や湖沼。また火・水・風・森・主要金属など抽象化された人間と縁の深いこと。戦い・群れの統合・家庭・生殖・宇宙自体の誕生(創造)・善悪などより抽象的な感情や人間にまつわること。  それらが擬人化された神々が、多くの人が生殖関係で結ばれて集まる群れを模したように集まった神話がある地域が多いな。それと天文現象を結びつけることも多い。  宗教の基本的な構造として、地域の小さい群れから中央の巨大で高密度な都市まで段階構造をなす組織を作る。その組織はどうしても官僚制との共通点が多い。  文字が発達すると、神話などを集めた文書集を制式化することも多い。  また多くの宗教は、生殖行為を罪悪とする傾向がある。本来は生殖行為が魔術的に力があるとされてタブーとされたことがどこかで歪んだと考えられるし、家父長制が強まり、男性集団の暴力性がそれを要求したのかもしれない。というわけで宗教に強く関わる群れ内群れは結婚・生殖をしないことも多い。その場合は子が生まれないので生殖によって相続され持続する群れを作れず、周囲から家という群れ内群れから出て宗教の群れ内群れに加わる者を募集・訓練することになる。その文字言語で表現される、きわめて厳しいルールと上位者に対する絶対服従で生活する集団は後により高度な社会が作られるとききわめて重要な役割を果たした。  小さい群れでも大きい群れでも、その群れの中心に宗教のための高級な建物を作り、偶像を許容する宗教ならそこに神の形……大抵は擬人化され、持ち物や衣類で区別できる……を木・土・金属などで作った像、布など耐久性のある素材に描いたり、小さな色石・色土器を平面に貼り合わせた絵図などを高いところに置く。ちょうど支配者が高いところから群れ全体を見おろすのと同じ構図を造る。  そしてその建物に群れの成員全員を集め、宗教的に地位がある人が贅沢な服装をして群れの代理としてその像に魔術的に神の魂を入れて(そう思いこませて)ものごとを頼んだり、動物を殺して捧げたりいろいろな儀式を行う。また文書を読み、歌を歌いなどして情報、何が善で何が悪かを群れ全体に浸透させる。  魔術を禁止することも多い。小さい群れが受けついできた儀式を禁じるためでもあるし、魔術という重要な技術を群れを支配する上位の群れ内群れで独占するためでもある。後には魔術の禁止自体が価値観となり、むしろそれが善悪の源泉にさえなっている。といっても魔術的な考え自体はよほど注意して自覚しない限りどうしても残るんだが。  天文学を中心とした科学知識も宗教に統合され、逆に宗教的真実が絶対的に「正しい」とされ別の暦を使うことなどは禁じられる。暦の作成も宗教群れの重要な業務だ。  特に歴史が記されるようになってから造られた宗教では、特定の人が創始者とされて言葉が正式文書になることが多いが、それはきわめて過激な、群れ構造を否定したり財産の私有を否定したりするとか、生まれ関係なしに最も人格が高い者が統治すべきだとか現実の人間社会の構造を否定する価値観を含む。その宗教が巨大群れで支配的になるにつれてそっちは無視されることが多いが、巨大群れに反抗するためにそちらの価値観を持ちだす反抗者が時々出てくる。  まあ言葉はどうにでも解釈でき、解釈者が権力を持つ、巨大群れの宗教となるには巨大群れを維持する方向で解釈される、それだけのことだ。  多くの宗教に共通する善悪の価値観がある。ただしその価値観はある程度、狩猟採集生活をする小規模な群れ、人類の祖先から受け継がれたとも考えられる。ただしそれはかなり混乱し、矛盾も多い。  まず穢れない。法律で犯罪とされていることをやらない。言葉で嘘をつかない。自分の利益より他人の利益を優先すること。常に祈ること。自尊心を否定し、自分は神より低い存在だと常に思う。上位者に服従する。そして性的なルールを守り、できれば交接行為をしたり心で思ったりしない。神の敵とは戦う。物・人間関係・地位・名誉などの欲を持たない。そういうことを重視し、それこそ巨大群れ全体の目的が宗教に支配されることさえしばしばある。  その倫理基準はしばしば無理で、少なくとも統計的には無視できない数の人が守りきれない。また矛盾も多く守ること自体が不可能になる。たとえば人を殺すなという命令と神の敵は皆殺しにしろという命令は矛盾する。また砂漠の生活習慣から作られたタブーを高緯度の氷原で守れと言われても無理だ。でも固まって変わることができず、そのまま気候の変化で滅んでしまう群れも多いのが現実だな。  特に性的なルールの違反は、性についての欲は生物である人間にとって最も根源的だからどこにでもあり、だからこそ強く群れ全体で攻撃する。群れ全体で違反者を攻撃すること自体が快でもあるし。  それもあるのか、この世界は悪いところであり、神がそれを助けていいところにしてくれる、という考え方が多く見られる。 ***ユダヤ教  ユーラシアとアフリカがつながる、古くから大規模農耕文明が栄えた地域の地中海側に生じた宗教。その母体となった群れはそれほど強大ではなく、しかもアフリカとユーラシアをつなぐ狭い部分だから、別の巨大群れにしばしば攻撃されて破れている。  しかしそこの群れはきわめて強い宗教で統合され、別の群れに吸収されることにきわめて強く抵抗する。やや具体的には世界のすべてが一人の神に作られ、その神は偶像を作ったり魔術を行ったりすることを許さないこと、群れ全員がその神が特別視する一人の神話的祖先の子孫であること、幼児期の男性器に繁殖機能を損なわない傷をつける、穢れを避ける、豚・ラクダ・犬・魚以外の海産物・肉を乳で料理したもの・血液などを食べないなど独特のタブー・規範体系などがある。逆に他の神やそれを信じる人々をあまり尊重せず、特に服従を宗教的儀式で表現することを要求されれば殺されても拒み、儀式や神話の統合によって複合群れに溶け込むことも容認しない。その結束の強さで巨大群れの中に広く散らばり、子供を大切にして多くの情報を吸収させ、自分の群れ仲間を見分けてはそれと強い信頼関係を結ぶことによって貨幣の扱いに長ける。  修正を禁じられた、歴史書などを統合した文字を連ねた文書にタブーや法が明記されている。  その神を群れの最上位者として忠実に従えば群れは繁栄するが、その神を忘れて命令に服従せず別の神を用いたりすると激しい罰を下される、というのがその神話の基本パターンだ。  大陸がつながる、特定の都市と周辺地域に極度に執着する。  別の巨大群れに支配されることが多いが、それは神に逆らった罰だと合理化し、だから神を信じてタブーなどを守ればその巨大群れを打ち破って勝利する王が登場すると信じ、それを待ち望む。  後述のキリスト教・イスラム教の母体であり、三宗教に共通する重要な要素も多くある。  まず神が人間を神自身に似せて作った、と信じていること。それにより人命・人体を神聖視し、神話の一部とは矛盾しているが人を生贄にすること・人を解体して中身を調べること・人を食べることなどを強い悪とする。  厳しい家父長制と性道徳があり、また出産直後の子供を殺すことを始め妊娠・出産をコントロールすることを原則として認めないため、人口を抑制できない。  神話の根本に「最初に神が創った全人類の祖先が神に対して罪を犯し、その罪が全人類に伝わっている」があり、罪悪感が重要なテーマになっている。劣等感を利用した支配というわけだ。  あと、三つとも大陸をつなぐ狭いところに近い、特定の都市を極端に重視するので、それで争いが絶えない。 ***ゾロアスター教  ユーラシアとアフリカがつながるあたりから、海沿いにやや南東にいった地域の大帝国で信仰された宗教。  世界を善と悪の神の争いと理解するのが特徴で、火を崇める。死後の天国と地獄、未来のある一時点で世界が滅びてすべての死者が善悪に裁かれるなどの考え方の元祖とも言われる。  キリスト教・イスラム教に強い影響を与えているが、逆にイスラム教に事実上滅ぼされた。 ***キリスト教  本来はユダヤ教の分派。ユダヤ教の群れの、巨大群れに勝利したいという実力身の程知らずの妄想から望まれた英雄王かと思われて多くの人を惹きつけた個体が巨大群れに危険視され、殺された。そして、その考えを受けついだ従う人たちが彼が生き返ったと宣伝し、より多くの人を取りこみ、ユダヤ教の群れとも対立する群れ内群れを作って、最終的には当の巨大群れと統合された宗教になった。  二冊の書物……一冊はユダヤ教とほぼ共通する文書集、もう一冊は上の創始者とその追随者の言葉を集めたとされる(無論完成したのは後世で、多くは編集されている)を併せた文書が真実だとし、その解釈をきわめて重視する。その解釈でこれまで何百万人殺されているかわからないほどだ。  その後巨大群れが東西に分裂したのとともに分裂し、それから西側が後述する諸革命の一つとして書物を文字どおり真に受けようとする群れに分岐し、三つがずっと争っている。  他の二つの群れは、高い地位で基本的に結婚しない、宗教だけの群れに皆が従う社会システムと支配群れの共存も兼ねたものとなる。また宗教のために死ぬことを善とする。  群れによっては多神教に近い要因もあり、多くの宗教史上重要な人物などを崇拝する。高い道徳性があり、特に支配群れに殺されても信仰を捨てなかったとか、また宗教が広まっていない地域に宗教を広めたりした人などだ。また神が人と連絡するためによこした、神に近い霊的な存在がいるという神話があってそれを崇拝する。また創始者の母親を非常に強く崇拝する。  ユーラシア北西部を広く支配し、その文明と共にアメリカ大陸などにも広まる。  特色はユダヤ教の複雑なタブーを大幅に簡素化し、文字情報を重視することで多様な出自・生活習慣を持つ巨大群れの誰もが信じられるようになったこと。教義自体も、「自分の(群れ内の小さい)群れの成員と協力し、他は攻撃せよ」という従来の普通の善悪から「どの群れかを問わず人すべてと協力せよ」に変わり、より巨大群れ向きとなっている。創始者の言葉には個体や群れの人に対する暴力すべて、所有すること、人間に身分があること自体を否定するような過激さもある。ただし、それは矛盾に満ちている文書の読み方の問題で、別の読み方をすれば「儀式に参加し権威に盲従せよ、さもなくば死後地獄で苦しむぞ」だけともなり、現実にはその解釈法以外禁じられて社会を維持するのに貢献することが圧倒的に多い。  ユダヤ教にもある「魔術禁止」のメッセージがきわめて強い。ただしそれは、科学的・技術的な思考も含めた考えることの禁止にも解釈される。また子供の生まれる数を制限すること……そのために知識を応用したり生まれてすぐの子を殺すこと……を禁じているため、人口爆発が起きやすい。  また神と悪魔が戦っているという考え方もあり、人間の間に魔術を使う人間のふりをしている悪魔がいるとどこかで考えていて、それを狩り出して殺そうと、実際には人間の群れの奇妙な挙動としてたくさんの無実の人を殺すことがよくある。  偶像禁止は分派にもよるがそれほど厳重ではない。  信仰の利得として人間の持つ罪悪感と死の恐怖からの解放を訴える。  終末と天国と地獄などの考えはゾロアスター教とも共通する。 ***イスラム教  砂漠で生活する、商業や遊牧で暮らしていた部族がユダヤ教やキリスト教の影響を受けて創った、かなり新しい宗教。新しいため創始者の生涯がはっきり分かっている。創始者とその直後しばらくの指導者が軍事的にもきわめて優れており、短期間でユーラシア南部・アフリカ北部ほぼ全域にまたがる巨大な帝国を築き上げ、今もその地域全体に圧倒的に多くの信者を持つ。  厳重な一神教で偶像崇拝厳禁、また平等を重んじ「宗教関連の儀式などで生活し、高い地位を保つ」群れ内群れの存在を原則として禁じている。いくつかの宗教の歴史で重要な土地を訪れることを義務とし、財産の一部を貧しい人に与えたりある期間は日中の飲食を禁じたりすることで平等と信者全体が一つの群れだという一体性を強調する。それが軍事に活用されるとやたら強い。  創始者の言葉をまとめた一連の文章を神聖視するのもユダヤ・キリスト教と共通する。それが生活・犯罪に対する対処・政治など全体を含めた法であるとも強く主張している。宗教と政治制度・法律が完全なセットになっており、不可分といっていい。  うまいのが、創始者は神から直接情報を伝える人だとしつつ、その人が最後だと宣言することによって、後の人が神からの伝言だとして新宗派を作ることができなくなるようにしたことだ。といっても主要なものだけで二つ、さらに魔術要素を入れるかどうかなどで多くの群れに分かれて争ってるのは他の宗教と変わらないが。  母体部族から受けついだ煩瑣なタブーと、一人でどこでもでき頻繁にやらねばならない儀式など多くの義務があり、その様々な儀式をそのまま全員が実行する。個体にとって非常に負担が大きく「人類という動物の飼育法」としては悪くない。飲酒や賭博を原則禁じているのも面白い点だ。  特定都市の極端な神聖視も共通するが、そこだけでなくその創始者にとって重要な、近くにある二つの都市も重視する。  終末と天国と地獄などの考えはゾロアスター教とも共通する。 ***ヒンズー教  ユーラシア半島南部中央の巨大な半島の地域宗教。外に布教できる普遍性はほとんどない。  歴史以前からある古い多神教で、人間を生殖関係で生まれつき決まる多数の群れに分ける。これはその半島の習俗でもあるが、動物を殺すことを基本的に嫌がり、穢れ意識がきわめて強い。  どんな生命も死んだら魂は体と離れて別の生物として生まれると信じている。  その考え方は、巨大群れがきわめて不平等であることと、人間が平等を求める感情の矛盾のいい解決策だ。今権力を親から受けつぎ贅沢に暮らしをしている人と、生まれつき貧しい人がいれば、前者は前の人生で善行をした褒美であり、後者は前の人生での悪行の報いである、とできる。そうなれば後者は前者や社会自体(の擬人)を攻撃するのではなく、善行を積めば次の人生では金持ちに生まれることができると信じられるわけだ。また現実の世界では善いことをしても社会的にいい結果になるわけではないが、そのことも来世で報われると信じればいいわけだ。 ***仏教  上と同じ半島から出、ヒンズー教の影響も強い。発生した地域ではほぼ滅び、むしろユーラシア東部に広まった普遍性の高い宗教だ。  宗教といっても、その文書自体から解釈される本来の姿と、現実に信仰される形がかなりかけ離れている。  本来の姿では、上記の「死んだらすぐ別の体で別の生物として生まれる」生命観を前提に、何として生まれても生きることは苦しいだけ、でも自分を殺せばすぐ別の生物に生まれかわって苦しむだけだから、完全に消えるために欲を捨てて正しく生活すればいい、というものの考え方だ。  現実の信仰では、その創始者や思想家たちを神格化し、またヒンズー教の神々の名前をちょっと変えたりした神々の偶像をあがめて願いをかなえてもらったり死後楽に暮らしたりいいところに生まれ変わったりしたい、だ。 ***儒教・道教  ユーラシア東の巨大群れの考え方。そこの人々は宗教的に少し変わっている。  他の地域のように、その地域の先祖から受けつがれた宗教が巨大群れの統治と一体化して発展することがなぜか少ない。  その地域全体を治める巨大群れができて以来、公式な価値観としては祖先崇拝、人相互に相手に敵意はないと言葉・服装・細かな動きなどで常に表現し合うことを重視し、自然や感情を人格化した神も唯一神も中心としない、考え方というべき儒教を中心とする。  昔の祖先崇拝などのやり方を正しいとし、それに従って統治すべきだと主張した創始者の言葉を集めた文書などを重視する。魔術性が非常に低く、死後どうなるかにほぼ無関心で統治と祖先崇拝が正しいかにとことんこだわる。死後の儀式に大量の木材を浪費して地域の森林量を大きく減らしたとさえ言われる。  もう一つ、これは本来地域の魔術により近い道教も重要だ。不老不死の薬を造ることが目的となり、また穢れや悪霊の攻撃を避けたり占ったりする機能を果たす。  魔術的機能・統治機構に正統性を与える機能は仏教も担っており、その三つと統治機構の伝統それ自体が複雑にからまっているのがその地域の特徴だ。 ***アメリカ大陸先住民  本来かなり多くの人口・広い地域を支配した文明で重要であるはずだが、敗北し徹底的に破壊されたため現在の人間の目からは重要性を持たない。精密な天文崇拝、多数の人間を生贄にする、大規模な建造物を作るのが特徴。生贄の理由としては、有用な大型草食家畜が少ないため、上流階級のタンパク質の補給に人肉が必要だったからとも言われる。  北アメリカは大帝国を作らなかった。 **各地の人間の文化  地域によって気候・動植物の分布は異なる。またそこの人の群れがどんな神話・魔術体系……タブーを引き継いでいるか、どんな技術を発達させたかも多様だ。  というか言語自体が群れによって違う。  本質的にはその文化は、「自分がどの群れに属するかの主張」だ。逆に言語、動作……立ち方坐り方その他、衣服、食べるものや食事の仕方、歌や踊りなどがその群れと違えば、群れの成員ではないと断ずることができる。  衣服・家具・何を食べるかなども地域によって違う。  靴を履いたまま地面に台を据えてそれに腰を、もう少し高くなった台に食物を載せ、小型化された刃物で肉と、小麦を固めて焼いたパンを切って食べる地域がある。ちなみに昔はパンの上に肉料理を載せて手づかみで食っていた……今でも指を洗う水を入れた器と手を拭く布が、誰も意味を覚えていないまま残っているし、古い本にあるパンくずについての言葉が多くの人には理解できなかったりする。  地面に寝転がったまま食べていた地域もある。  食器を洗って再利用するのを嫌い、大きい葉に載せて地面に置かれた食物を手で食べる地域もある。  乾いた草を固め、その上を草を編んで覆った薄い直方体のブロックを地面から少しだけ離して固定し、その上に靴を脱して胴体後ろ下端ではなく脚を折りたたんで体を休めてごく低く小さい台に乗せた、粒のままの米を水を通じて加熱したものや豆に塩を加えて発酵させた保存食を熱い水で溶かしたものを小さい器に入れ、器を手で持ち支え指で二本の細く小さい棒を自在に操って食べる地域もある。  衣類・音楽などの多様性ときたら……  それこそ雌の脚を砕くようにねじ曲げて固め、ろくに移動できなくしてしまったり、雌の生殖器の大半を切除したり縫合したりするところすらある。首に金属の環をはめて引きのばすところもある。祭で自分で自分を鞭で叩くのもある。それらを文化と言えるのか、それらを裁ける普遍的な価値観があるのかは後で議論するけどそっちで考えてくれ。  単純に考えても地表は多くの地域に分断され、それぞれの地域は少なく見ても最も豊かで力のある階層・都市生活をする安定した層・都市の貧困層・農を行う富裕層・農業地域の貧困層・農業をしていない層それぞれ別の文化を持っている。多様性がありすぎて一口で言うのはとても無理だ。  文化を表現するにしても、その美・装飾の面を強調するか、それとも魔術的な分析をするかなどどんな目で見るかでかなり異なる。  本当はあらゆる地域・あらゆる時代の、最低でも貧富・男女四通りの生涯や一日をどう過ごすか、どんな物資を使うか徹底的に描きたいところだが、正直力不足だ。きりがない。 *都市  農耕による巨大群れができると、特に地理的に恵まれた場にその中心地ができ、そこに人口密度が異常に高い場ができ、都市と呼ばれる。  元々農耕自体大きな人口密度につながるが、その中心地はその地だけでは成員を食わせることができず、外から食料を持ち込まなければならない、というとんでもない異常さがある。  その条件として、大量の良質な水が得られること、最良の農業地域の中か近いこと、交通に優れていること(大河や海など大規模な水のそばなど)、大森林が川の上流にあること、できれば軍事的に守りやすいことなどがある。  他にも中心にはならないものの、鉱山など大量の資源が高密度に集中している地域にも都市ができることがある。  その地域には自分で食料を生産しない多くの人が集まる。富も集まるため別の群れに攻撃されやすく、強力な防御を敷く。基本的には都市全体の周囲を頑丈な土や石の高い壁、水をためた周囲より低い地形などで囲む。特に高い建築を造り、交通の目印・攻撃の監視・魔術及び権威の強調に併用することもある。上記の、争いが禁じられた交換の場でもある。  その都市は宗教の中心の大きい建物があり、巨大群れの最上位者が住む場であり、軍事の中心であり、ものを作る機能の多くを担い、交換の中心であり、何よりも情報を集中させる。  そこには多数の人が集まり、比較的小さい家を多数、密接させて作って住む。建築技術によっては家の上に家を重ねることさえできる。そうすると同じ面積でも二倍三倍の人が住めるわけだ。地下の岩盤の力で地面が揺れたら悲惨なことになるが。  広い土地に分散して生産される農業牧畜と違い、それを原料とする皮革を含め多くの「ものを作る」には多くの人間が高密度で関わるほうがやりやすい。というよりある程度以上高い温度を維持するには多人数がごく狭い場で集中して取り組まないと無理だ。人の密度が高いと多くの人がほぼ同時に情報を交換できることもあり、ものを作る量・最大温度が爆発的に増える。  治水など大規模土木作業・暦作成などに必要な膨大な情報を管理できるのも、高密度の都市だけだ。  また、軍事的にも高密度の戦闘群れには他の何物も対抗できない。その高密度の戦闘群れに必要な、後述する膨大な物資・情報の管理にも都市は重要になる。  また巨大複合群れができ、そこに都市ができると、上述のように小さい群れから離れて生きる人々ができる。それは群れから離れたい人間が、人のいない原野に歩み出すより都市に出るという選択肢を与えられることも意味する。都市にはさまざまな贅沢品も貨幣さえあれば手に入るため、特に若者は都市に出て贅沢な生活をしたいと思うことが多い。  都市には多くの問題がある。高密度に人が住むことは、人類そのものにとってかなり不快なことだ。まず伝染病のリスクが滅茶苦茶に上がる。いくつかの伝染病は都市ができてから進化したと思われるほどだ。  高密度の、それも人類が進化してきた地域とは違う生活様式で、多様な群れと共存して暮らすのは精神に強い負担になり、心を病むことが普通になる。  また、数種類だけの穀物・保存食にした肉類や乳製品が中心の、非常に品目数が少ない食事も体には悪い。元々人類の先祖は森や野で手に入るきわめて多種多様な動植物を食べており、人体が必要とする微量化合物・元素のどれも不足することはなかった。が、特にそれほど貨幣を得られない群れ内群れはかろうじて単純な穀物や保存食で暮らすしかなく、微量化合物や元素の不足による体の不調にも苦しむことになる。さらに問題は、人間は種の、栄養を貯蔵するデンプンを主とした白い部分を美味と感じ、細胞分裂・分化して植物としての体を作る部分を嫌う。また家畜を殺して皮をはいで処理し、食べやすい肉だけを骨から切り取るのは不快な匂いと伝染病感染のリスクが常にある作業なので、少なくとも富裕な人々の生活からは離れた地で行うことになる。そうなると、食べるまでの時間が長くなるので、新鮮ならば味がよく栄養も豊富だが、殺してから時間がたつと味が悪く悪臭もする内臓を食べることがなくなり、筋肉部の保存食が中心となる。それは人体が必要とする微量金属・化合物を体に入れられないことでもあり、ますます体調が悪くなることになる。都市の近くの農場では都市が必要とする膨大な、運搬に耐える保存食だけでなく、都市で贅沢な暮らしをしている層に供給する酒・野菜・果実・花など贅沢品も重要になる。小さい群れで自分たちで家畜を殺して食べている人たちとは違い、家畜を殺すことと自分たちの生活が切り離されることは栄養面だけでなく、精神的にも人間に多くの影響を与えてしまう……後には、肉を食べ皮を着ていながらそれは殺した家畜の死体だと知らない人さえ出る。  さらに言えば、少ない種類の農産物に頼る生活は非常にリスクが大きい。手に入る様々な食物を食べていた森の中ではありえない、気候のちょっとした変化や遺伝子的に均一な作物・家畜に一気に広まる伝染病によって多くの人が餓死することになる。  洪水などの自然災害で都市が破壊されると、それによる無駄な資源・労力は計り知れない。巨大群れ自体が権威を失い、崩壊することにもなりかねない。  食料・燃料・塩など物資を各家に運ぶ、そのために周囲から物資を運び入れ、それを貨幣で買って各戸に持ち帰る、という自給自足の農村とはまったく違う生活様式がある。  また都市は気軽に移動できないため、糞尿をはじめとする廃棄物の処理も困難だ。少人数なら流れている水をそのまま飲み、糞尿を流れに流したり土に埋めたりすればいいが、大都市になると高密度で大量の汚物が水に流入し、水中の生物による処理が追いつかなくなり、水の色や味や匂いが不快で生命にも危険になる。そのためには、計画的に都市内部に清潔な水を配り、汚れた水や土を都市から出すシステムが必要になり、無論その維持管理に膨大な資源と人手を費やすことにもなる。逆に糞尿に含まれる窒素・リンなど肥料分が農地に戻らないことで、農地はただ収奪されて急速に疲弊することになる。  死者の処理も同様にややこしい問題になる。特に宗教性が強い群れの場合、その最上位者やその家族の死は群れ全体を巻きこむ魔術的儀式になり、巨大建築レベルの墓を作ることになることさえある。もちろん膨大な人間の、日々出る死体を処理するのも大変になり、それぞれに適切な儀礼を行うために膨大な木材・燃料を消費し、広い土地が農地にすることも禁じられて無駄になる。それどころか金属や家畜・奴隷をともに埋めてしまうこともある。  そんな都市で生活していると、どうしても多様な群れと出会うことになる。そうなると、好奇心が強く変化を好む人格のほうが生きやすい。特に自由を望み、ただ服従して毎日退屈な農業仕事をすることを嫌うかなり多くの個体が都市で生活したがる。 **幾何学的一般則  人間は移動し、様々なものを得、また人口を増やすが、そのときに二乗三乗則に似た一乗二乗則というべきものが重要になるようだ。  正方形の、一辺の長さを二倍にすると面積は四倍になり、周囲の長さは二倍になる。面積は二乗、周囲の長さは一乗で増えるわけだ。  人間にせよどんな動物にせよ、ただ直線で移動しながら収穫する動きだとその帯状の、時間から見て一次元で増える面積から食物を得ることができる。ただし人間は太陽が地上から見えて明るい間しか活動できないため、一定時間移動したら巣に戻らなければならない。  だがある面積内部を全部調べながら移動する……植物の実などを集める……と、その道全部の長さは面積に比例することになる。そうなると面積と同じく二乗が支配することになる。  小さい面積に徹底的に手をかける農耕は、際限なく労働時間を増やすことで収穫が増える。  似ていることとして、血管を用いる多細胞生物は、体の体積と血管の総延長がある単純な分数の指数に支配される。  戦闘や建築における巨大で高密度の群れを制御する、その上から下への情報伝達・下から上への支配と命令や、巨大な建築物における通路、糞尿を出す場、水の流れなども似たような法則性がある。  人間が、たとえば巨大な森の中で群れを、中心を変えずに同心円状に広がりながら拡大し、それで森の木材を消費していくとすると、群れが小さいときには面積……人はある面積を専有するから、面積と人口が比例するとみなしていいだろう……あたりの、住む場からあまり移動せずに群れの周辺部でとれる木材は比較的多い。だが群れが拡大し、面積が急激に増えても、周囲の長さはそれほど急には増えない。面積は二乗、周囲は一乗なんだ。  だから木材の入手に遠距離まで移動しなければならなくなる。  それを解決するには群れを分割して一つの群れの人口を減らし、互いに干渉しないほど離れて再出発することだ。  だがそうすると、多くの群れが集まっている群れに勝てなくなる。  ただし、川があるとそれは大きく変わる。その長さを利用し、その川に比較的近い森全体の木材を、たいていの木材は浮くからめざましい高速、少ない労働力で集めることができる。  特に分岐が多い川は、その広大な面積全体の木材を高速で運搬し集めることができる。  廃棄物……糞尿についても同様だ。  糞尿を群れ領域の外に捨てるとすると、群れが小さいなら群れの人数に比べ「周辺」の長さがあり、その長さとある程度の幅がなす、一人当たり大きい面積の土が確保され、その土壌微生物が有効に糞尿を分解し無害にする。  しかし群れの規模が大きくなると……一辺が倍の正方形都市を考えてみればいい、四枚の正方形を組み合わせたと同じで周辺は二倍、面積は四倍になる。「周辺」の土のある面積当たりの人数が多くなり、土の土壌微生物には分解しきれなくなって伝染病になるし、燃料や建築の材木を得るのにもより長距離の移動が必要になる。  ただしそれもまた、川があれば水が急速に糞尿を運び去り、木材をいかだで運べるので問題は解決する。まあさらに限度を超えて増えたらもっとひどいことになるが。  農業生産物を都市に運びこむことでも同じことが言える。  問題を輸送に限れば、理想的な居住様式は水辺にそって、一次元だけの広がりで住むことだ。だが敵に襲われることを考えるとそれは最悪だ……無数の小船で薄い防禦を破り、全部攻撃することができる。一部を攻撃され、他の場に住む者が守ろうとしても、その情報伝達・移動に時間がかかる。  地形を無視して防衛だけを考えれば最善なのは、円形の壁だ。面積に対して周囲が最も短いのが円であり、だから壁に使われる資材は最小限ですむ。またどこを攻められても攻められた場所に最短距離で移動し兵力を集中できる。だが逆に面積当たりの周囲が短くなるのは、木材を手に入れるだけでも不利になる。  情報面でも、ごく短距離でしかできない体の微妙な動きを含めた音声、ある程度の距離高速で届いてすぐ消える音、遠距離から見えて長期間残る後述する文字や建築彫刻、移動速度に束縛される文字など、いろいろな伝達速度がある。そのために群れは、後に電子を用いた超高速遠距離伝達技術ができるまでは地域と一体化するものだ。  現実にはその、両立しない要求を現実の地形に合わせていろいろと工夫している。  軍事でもそのような幾何学的な要因は重要だ。たとえば円形に集まれば連絡は容易でどこから攻められてもすぐ応援できる。横一線に広がって敵を囲めば確実に勝てるが、逆に薄くなるため強い一団に一方を破られると弱い。飛び道具も考えに入れるともっと複雑になる。  ちなみに、さまざまな時間の見方がある。  人間には地球の自転、人間から見れば太陽の運行による一日、地球の公転……人間から見れば温度の変化……による一年、そして人間の最大限の寿命という時間が意識される。 短い時間を正確に測る術は長いことなく、せいぜい心拍が限度だ。  だが、それよりはるかに短い時間であっても、人間の体を作る分子などが組み合わせを変えるには充分だ。  逆に大陸が地下の膨大な熱で移動すること、地球の自転軸が動くこと、恒星が動くことなどは人間の寿命よりはるかに長い時間がかかり、人間には認識するのも難しい。  いや、木が育ち、また気候が変化して森だったところが砂漠になり、また砂漠が森になるのも人間には合わない時間の動きになる。  また生命が存在すると、時間に対して指数関数という恐ろしいものができてしまう。  生命の中心、DNAは自分を複製する。つまり二倍に増える。それが一日一回でも、千日後にはどんな数になるか考えてみるといい。  人間だってすぐに指数関数で増えてしまうんだ。  その人口を増やす圧力には何ものも抗することはできない……しかも、宗教的な道徳はそれに、科学的に避妊薬を探すことではなく禁欲という不可能な手段でしか対抗する道を許してくれない。さらに人間の体の複雑な分子構造と胎児をあらゆる毒から守る進化は、そこらにある植物や昆虫の簡単な組み合わせから容易に有効な妊娠防止薬を得ることも残念ながら許さなかった。  原理的には多様な実をつける木を栽培し、虫も食べて充分なタンパク質を得、そして科学的に避妊薬や安全な堕胎手術を探ったり授乳期間を延ばしたりして人口を抑制し、木を切ったら植えるようにして木が育つまでの時間に人口を合わせることで木材も持続的に得て、そうやって持続的に生活することは可能にも思える。  だが、人間の繁殖欲と人口圧、肉体を作る分子、精神構造、宗教、習慣は、決してそれを許すことはなかった。たとえそのようにして暮らす群れがあっても、過剰な人口と暴力的な宗教に縛られた群れに皆殺しにされるだけだ。  結果は……そう、常に過剰な人口、長い労働で、身分が低い多数者はタンパク質のバランスの悪い不健康な穀物とわずかな油の食事、身分が高い少数者は肉中心な贅沢な食事……切り倒され砂漠化する森林と文明崩壊の繰り返し……それが人間だ、としか言いようがない。 **軍事  人間の群れでの人間に対する暴力は、巨大群れの成立でまったく様相を一変させた。狩猟採集では考えられない人数の戦える年齢の雄が一つに集まり、全員が金属で武装し、家畜も用い、高度な情報技術を駆使して攻撃する。  結局戦闘は人数が多く、より射程の長い武器を持ち、移動が速い方が勝つのが一般則だから、狩猟採集民では到底対抗できない。  ただし面白いことに、ユーラシアの歴史では一般に、農耕でできた巨大群れより草原で牧畜を行う群れのほうが戦闘では強い。馬を駆使することができ、大集団での情報伝達などにも秀でているし、普段の生活自体が「大集団で同じ方向に移動する」など戦闘と直結しているなど色々な理由が考えられる。  この規模になると、戦いにはこれまでわからなかった様々な要素がはっきりと出てくる。  普通と違い、雌や子供や老人と隔離された、大量の行動できる年齢の雄だけが集まった大人数高密度の群れを統御し、戦うまで「生存条件」となる物資などを与える方法。  戦いをよしとする文化、雄を集めて戦闘に従事させること。ここでやっかいなのが、宗教の基本道徳に「殺すな」があり、それが戦争自体と矛盾していることだ。本当は「自分の群れの人間は殺すな、それ以外は人間でないので殺せ」といってしまえばいいが、そういえないのが宗教のやっかいなところだ。  情報・移動・輸送・射程距離・土木などの要素。  自分がどこにいて、敵がどこにいるかを知らなければ戦いにならない。特に敵がいると思っていなかったときに攻撃されれば少々の戦力差はひっくり返る。また、特に敵を二次元上で周囲を全てふさぎ、逃げられなくすると、戦う群れとして信じていること、相互を逃げず戦う方向に向けている心理が崩壊し、囲まれているほうが倍以上多くてもあっさり全滅することがよくある。  実際には戦いそのもので死ぬ人数よりも、移動中に水や食糧の不足、何より伝染病で死ぬ人数のほうが多い。軍事行動は常に、大量の食料・武器などの運搬であり、生産である。特にその移動速度と情報伝達が速ければ、はるかに多い敵を破ることもたやすい。  その大人数を統御する魔術をはじめとする様々な支配の技術も重要になる。官僚と同じシステムになるが、その場合は逆に一人一人が数字と化し、また生まれたときから体を洗い服を着替えるのも奴隷にやらせている上層階級出身者が軍の指導者だと一人一人の兵が食い、水を飲み、糞尿を出し、女を求めることをきれいに忘れるため人々に激しい苦痛の末の勝利につながらない死を命じて敗北につながることも多くある。特にやっかいなのが、自分が人を支配していることを実感する快を得るために無意味なことをし、さらにそれが軍のため勝利のため神のためだと自分や周囲までごまかすことだ。  農耕牧畜による巨大群れどうしの戦争となると、ますます戦争の規模は大きくなる。都市そのものが大規模な防御手段でもある。逆に負けたら何十万人も簡単に殺されたり餓死したりすることもある。  また、軍事では敵からさまざまな資材・家畜や奴隷としての人間を奪うことも、多くの群れにとって経済的にとても重要になる。特に遊牧民にとっては、最も手っ取り早く物を手に入れる手段だ。ちなみに自軍の戦う人、特に地位の低い者に勝手も自分からは貨幣を払わず、略奪許可を報酬とすることも多い。  農業の限界によって飢餓が広まり、巨大群れの力が衰えたときには、個々の群れ内群れが生存しようと様々な動きをする。離れた地域で力を持つ群れが自立しようとすることも多く、その場合は支配群れと地方群れ、また地方群れどうしなど多くの戦いになる。  軍事的な面だけでなく、農の面も同時にある。巨大群れが衰える時にはたくさんの人が新しく住める農地を求めて移動することが多く、それは大抵耕してはならない急斜面などを、しかも多人数で一人当たり狭い土地で分割し、土地を休める余裕なく今日食べるために無理な耕し方・放牧をして土そのものを失わせ、巨大群れというか広域の地域全体の農地を全面的に崩壊させることがまあよくあるパターンだ。  それは増えすぎた人口を大幅に減らす役割も、個々の人はまったく意識しないが結果としては果たす。ただし文明によってその働きは違い、たとえばユーラシア東沿岸では戦いで人口を減らして土を回復させ、新しい支配者が生まれるまで争うのを繰り返すが、アメリカ中央部の文明や南太平洋の孤島では無駄な戦争や大規模な儀式・建築を繰り返して文明全体が衰えるに至った。  戦争や建築自体に儀式・集団をまとめる力があり、またそれをやっていればすべてよくなると宗教・魔術の言葉ができてしまっていて、それに頼ってしまう……農業生産・水と各種元素・木と人数の関係を理解でき、制御できる人など私の時代にもいやしない。  また軍事行動を行うのは人であり、どのような武器を用い、どのような服装をし、何を食べるかも群れごとの文化に依存しているし、またそれは地域の気候や鉱物資源の分布などに束縛される。  といっても、同じ部分はある。人体構造や根源的な心理は変わらない。誰であろうと首を切り落とされれば死ぬし、水なしで三十日過ごせば死ぬし、糞尿は出すし、生身で空を飛べる人はいない。同様に人は不利な情報は聞きたくないし、自分を神だと思っているし、若い雄が群れになれば人を殺し、雌を暴力で支配して交接し、建物に火を放ち、物を奪うことを好む。  基本的には戦争とは、個体と個体、群れと群れの暴力と同じだ。人間と人間が接し、狩猟にも用いられる道具で相手の体を破壊し死に至らしめ、また相手の巣を攻撃して破壊し、衣類や食物や貨幣、そして家畜や奴隷としての雌や子供を含めた財産を奪い、また魔術的には悪神を殺すことだし、実際には自分の群れが得られる富を増やすことだ。  攻撃には近距離で槍や斧、ある程度離れた距離で投石・槍投げ・弓矢などが用いられるが、狩猟とまったく同じではない。相手もまた同様の武装をしているからだ。そうなると、相手の攻撃を防ぎつつ戦えれば有利だから厚革・木材・金属・土木などで自分を守ることをする。建造物としての壁、体から離した板を手で支える楯、そして衣類をより頑丈にした甲冑などがある。無論それらは魔術的・装飾的な意味もある。  狩猟時代には存在しない、より強力な技術としては、巨大な天秤を用いて重量物を飛ばす武器と、頑丈な石垣が指摘できる。大型の船も重要だろう。  面白いのが、人間どうしの戦いになると不合理に見える武器が発達することだ。金属の、非常に長い刃に短い握りをつけた武器で、槍のように刺すことも斧のように切ることもできるが、どちらの機能もそれぞれに及ばず、貴重な金属を過剰に使い高価で、しかも壊れやすいものだ。贅沢を好む人間の心情からだろうか。実用的には、多くの人間が入り乱れる場では敵に握る部分を奪われるリスクが小さいので役立つが、その目的に適した以上の長さになってしまう。むしろ都市生活での装飾、また個人的な闘争に用いられる事が多い。  金属に次いで、戦いに馬を用いる技術が大きな革新となった。馬の速度と質量を用いれば移動も速いし、戦闘でも圧倒的な強さになる。  最初は馬に車を引かせ、それだけでも大帝国ができるほどだった。ふしぎなことだが、座る場や、そこから紐で足を固定する技術の発達にはものすごい年月がかかった。考えてみればそれと、いくつかの遊牧民型の巨大な帝国の興亡とも関係があるな。  水や船も軍事には重要で、川などは人も馬も簡単には移動できないので強力な防護になるし、船があれば大軍やその物資を短期間で輸送できる。船から上陸して攻撃する敵から陸を守ること、また船どうしの戦いも重要だ。後述する銃器がある程度以上発達するまでは、船をぶつけて人が乗り移り、人員を殺傷して船を奪うか放火して沈めるのが一般的だった。  防御としては土木建築も非常に重要で、頑丈な建物や堤防と同様の盛り土などは、十分な飛び道具に守られたときにはしばしば難攻不落の防衛戦となる。それを迂回する機動力か、粉砕する兵器がなければならず、それを探求する攻撃側の努力も限りがない。  そもそも人間に戦争をさせるのがなぜできるのかわからない。人類が戦争用にできているからだろうか。  考えても見ろ「死んでこい。さもなければ死刑だ」という命令がどんなに無意味か。だが、古今何億という人々がその命令に黙って従い、死んでいったんだ。  戦争を、それを言うなら人間そのものだが、支配しているのは論理と正気ではない。戦争という場ではそれが顕著に出る。  基本的には人類の雄は、群れの中で危険を冒し敵を攻撃することをとても好む。軍の、自分を含む一部であっても緊密な群れになっていれば、その群れに対する忠誠、その群れの仲間との強い感情的好意、臆病な行為で名誉を失うことに対する恐れから、死んだり傷を負ったりするリスクが高くても戦いつづける。攻撃的でしかも危険や苦痛を避けないことは、若い雄の群れでは常に高い価値を持ち、地位の向上に結びつく。  ただし、包囲されたりして「自分の群れは最強だから絶対勝つ」という物語的な確信が崩れると、群れの中でその感情的な判断が高速で伝わり、群れ全体が崩壊することも多い。それで大軍が、一見優勢なのにあっさり負けることもある。  軍事では優れた者が最上位者になって群れをまとめ、正しい判断をすれば勝つ、が人間の絶対的な前提だ。実際、数での劣勢を何度も跳ね返した優れた最上位者は歴史上多くいる。誰がふさわしいかの評価が難しい。優れた最上位者の子供であること、文字に優れること、体が大きく力が強く一対一の殴り合いで最強であること、どれもそれだけで優れた最上位者になるとは限らない。  大抵は、巨大群れ独自の人間関係からあまり優れていない個体が選ばれてしまう。  そして特に激しく混乱した状況では、自信・自尊心が過剰で周囲に「自分に従え」というメッセージを出すのがうまい個体が勝利しては物語を作ってしまい、その感情が群れの中で伝わり合って最上位者にふさわしい、とされてしまうものだ。だが自尊心が過剰な個体が最上位者だと、その最上位者に不利な現実を伝えたら、その最上位者は伝えた者が最上位者を攻撃していると解釈してしまって伝えた者を殺すため、正しい情報を得られず最終的に敗北に向かうことが多くなる。  統計的に正しく評価されることはまずなく、物語が優先されるのも人間らしい。 **諸娯楽  都市ができるようになると、その膨大な余剰物資が上記の「贅沢」をそれまでとは違った形にさせる。  主に魔術を由来とするが、基本的に人間の「快」を強く引きだす行為が価値あるものとされる。  集団でエタノール飲料を飲むのは、狩猟採集時代でも時に儀式としてやることはある。だが都市ではその意味が大きく変わり、快を得るもっとも重要な手段の一つとなる。  他にもアヘンを中心に幻覚などの精神の変容を伴う薬物が多く用いられているが、それらは一般に禁じられるため社会構造や経済に大きく関わるほどではない。後の世界では、ある意味宗教的な意味を持つものになってしまったが。  また、精神の変容が少ない嗜好品も、茶・コーヒー・ココア・煙草など上述のように多数あり、それも経済的に重要だ。  賭博とは、「確率的には予測できるが個々の試行では予測できないことに、金銭を対応させる」ことだ。結果が予測できない、そして結果を分別できる試行は占いとも共通する。  一番単純なのが、貨幣として用いられ、表裏双方に違う模様のある金属板を放り上げることだ。その表裏を狙い通り出すのに必要な力の調整は、特に地面にぶつかって勝手に倒れるのを待てばあまりに微妙なので、それができる人間は事実上いない。ほぼ表裏各二分の一の確率だけだ。  よく用いられるのが、正六面体の固い素材のそれぞれの面に数字を彫りこんだものだ。同様に多数の、表面に字を書いたごく薄い板をひとそろいとし、一方の面は区別がつかずもう一つに数字を書いたものも、それを集めて順番がわからないようにしてから適当に抜いたりすれば一定の確率と数字の対応関係を得られる。区別がつかないほうの面を相手に見せれば勝負もできる。  他にも多数の突き出た部分を持つ傾いた板に硬い球を転がし落とし、その下の方に球を受ける部分をいくつももうけても、球が何かにぶつかる動き自体は容易に予測できるけれどそれが何度も繰り返されると「初期条件に鋭敏に依存」することになり、確率的には予測できるが個々の試行の結果は予測できなくなる。  他にも様々な賭博がある。後述する戦闘の見物・様々な勝負の決まる運動や知恵比べの結果も賭博にできる。  その確率的なこと自体が占いと関係して人間の好奇心を刺激するし、人間には魔術的傾向、「自分は特別な存在だから神は自分の味方をしてくれる」「強く心を使えば超能力を使うことができ、確率や自然現象も自分の群れの下位者にして望み通り操れる」という心の奥の確信があるので自分は勝つと思ってしまう。だから実際には確率は基本的に誰にも、どの試行も平等であり、また商売として行われる賭博では多くの数繰り返して結果が確率通りに分布すれば……「多くの数繰り返される試行」は別の調整がない限りほぼ確率通りの結果になる確率が圧倒的に高くなる……常に場を提供している側にカネが行くようになっていることを無視してしまう。  また人間は危険を好み、勝利を好む。だから賭けが成功したときの喜びが非常に大きく、それは以前の損を忘れさせるよう記憶すらねじ曲げ、より楽観的な未来予測をさせることになる。  人間に長期的に統計確率的な予想を立て、合理的に振る舞うことが基本的にできないことの好例だ。  人間は未来を予測することを好み、さまざまな細かな情報から未来を読みとれると考えている。それはある意味正しい、狩りをしていてわずかな木の傷から獲物の存在を知り、雲の動きから翌日の天気を予測し、人の皮膚や眼のわずかな変化から攻撃準備や伝染病を見いだし、水面のわずかな揺らぎから大きな魚を見つけることは生存率に直結する重要な能力だ。  だが、特に都市の人間は、それを魔術的に扱ってしまう。賭博と共通する確率しかわからないこと、空の星々、意味のない自然にできる形をイメージさせるものなどが、神が人間に読ませるための未来についての警告だと思ってしまう。  上述のように人間は、とてもやりたいことはできると思ってしまう。その中でも未来を予測することはできたら大きな利得になる。その手段として儀式を用いるのも通例だ。その一種の儀式として、それら無意味な情報を解釈することが常にある。その情報は大規模な軍事行動や農業政策その他にさえ用いられるほど重視される。  占いは疑われないようどうとでも解釈できる曖昧な言葉や誰にでも当てはまる言葉を用い、また実際には背景にやられた理性と思考で正しいと判断したこと、占う者の自尊心を満たす結論を予言として出してもらいたがる。  逆に、このような行動を取ると悪い結果が出る、と魔術理論から言われたことをしないという、生存上は無駄なことが膨大にできる。ある種のタブーともいえる。  ただし、未来の予言には上述の宗教に関わるものもあり、それは巨大群れに対する批判になり、群れは批判から打倒闘争に発展するのを恐れる習性があるから非常に危険なことだと判断する。  占いの技術は、最高の武器の作り方同様に大きな力があると考えられており、実際「神は今の支配者を見放した。自分こそ新しい支配者だ。古い支配者は悪だから殺せば楽園になる」と占いに出せば多くの人が従って暴力戦闘になり、巨大群れが崩壊しかねない。  巨大群れは支配者以外が占いを行うことを禁じる。ごく最近でさえ、最上位者を占うことを重罪とした巨大群れがあったものだ。  都市は膨大な余剰食物があり、食物を得るのと関係のない人が多く生活することができる。特に弱い人、中でも生殖可能年齢の雌は、その交接行為自体及びそれで人を支配する快を商品として貨幣化し、不特定多数で自分の群れに属さない雄に結婚の儀式をともなわず売ることができる。ただし雌とは限らず、若い雄にも常に需要がある……生殖としては無意味だし、後代の宗教では禁じられることだが。  これには魔術的な意味が強くあることもあり、古い文明にはしばしば神殿娼婦が見られる。また歌や踊り・賭博・占いなどと売春、そして魔術との本質的な結びつきも深い。  これは性病の温床にもなり、巨大群れの・宗教的な善悪判断としては常に悪とされる。実際問題、特に後代には雄が雌を暴力支配するメカニズムがその背後にあるもんだし。  都市では上記の歌・踊り・楽器を用いた音・物語を演じること・絵・言葉そのもの・占いや呪いなどの魔術・体を複雑に動かし物を投げたり動物に困難な乗り方をしたりすること・極端な奇形や珍しく大きい動物を見ることなども好まれる。  本来それは群れを維持するための魔術的儀式だったのだが、快を得るための商品として価値を持ち、多くのその技術を高めた人がそれで貨幣を得て生活することさえできる。  他に都市で人に快を与えることとして、人が暴力で争うのを見ることがある。ただしそれが見られない文明もある。  人にとって暴力は恐怖だが、人に暴力を加えたり、また他人の暴力を見物したりするのは快でもある。それには誰が正しいのかを決める方法、争いを解決する方法としての機能、刑罰としての機能もあったが、都市では純粋に見る人の快と賭博のために暴力を見せることが多くある。  人と人が、定められた武器もしくは武器なしで互いに暴力を振るう、人と動物が争う、動物と動物が争うもあるし、さらに純化して人が走る速さを競ったり、象徴的なもの……ゴムが発達してからは弾性が強い球状のものを奪い合ったりすることもある。  戦闘の訓練として行われることもあるな。  支配層は狩猟そのものを、生きるためではなく快や名誉のために行うこともある。魚を釣るのも好まれる。  暴力でない特殊な勝負事としては、戦争を極端に抽象化したものや言葉を用いたさまざまな遊びもある。  人間の非常に多い心の病として、あるものごとをやらないでいることができない、ということがある。人間は何かに快を与えてくれることに執着する心の働きが強く、財産・家族の生活の安定・群れにおける名誉・任されている仕事よりもその快を優先してしまうこともある。  酒や様々な脳に働きかける毒、賭博、売春など多数ある。  といっても、人は本質的に「その群れの一員であること」「その地位」に中毒している、と言ってもいい。  それらは巨大群れに宗教的にも禁じられ、人間全体が合意した道徳的な悪ともされる。宗教の基本的な価値観として、「快を得ても求めてもならない」「魔術を行ってはならない」がある。ただし巨大群れ全体が、宗教道徳自体を書き換えて許可して上の娯楽をやることがある。巨大な利得があるからだ。  巨大群れがそれらを禁じるのは本質的には無許可魔術でありタブーだからなのだが、そのことは特に後世になると忘れられて、なぜ悪いのか自体考えること自体が悪となり禁じられたり、社会にとって害があると科学研究をねじ曲げてでも決めつけられる。  また依存性のあるあらゆる事は人を破壊して社会の役に立たなくしまう、だから本人のためにも社会のためにも禁じなければならない、ともやる。  ただし、それを本当に完全に禁じることは事実上できない。人間が本性で好むことをなくすことはできないんだ。それは罰されるリスクがあるかわりに膨大な貨幣を手に入れることができるため、特に群れから追われた人々が集まった群れが行うことが多い。その、法に背く人々も都市文明の重要な構成要素になる。また巨大群れをまとめるため、そういう犯罪集団に対する恐怖を利用して人々を統合する事も多くなるため、禁止しても無駄だから許可するとはなかなかならない。というか人は道徳的に何かを禁止することが元々好きだとしか思えない。  動物としての人類の本来の目的は、上記の狩猟採集生活で滅びず群れを保つことなんだが、そういう都市生活の人数が多くなり、また農耕で暮らす人が多くなったり分業で仕事の多様性が減ったりすると、多くの人が望むことは「働かずに高い地位でたくさんの酒とうまい食物を食い、娯楽を楽しむ」ことになってしまう。ただしそれができたとしても不満は常にあって、より多くの娯楽でごまかそうとすることになるんだが。人間は自分が本当は何のために作られ何を求めているのかも知らないんだ。  他のある種の娯楽として、定住者が遠く離れた地域に移動することがある。群れごとの移住、追放されたした個体の移住も多いが、元の群れが機能を失わない少人数で、しかも最終的には戻ってもとの場・仕事での生活を続けることを前提にした移動だ。  群れ自体が移動したいときなど、先に情報を集めるために失っても惜しくない人数を送っておくのも有効だし、少人数で持てるような希少性の高い富の交易としても意味が大きい。また情報がある地域の本の集まりなどにあるとき、若者が情報を得に行くこともある。  宗教的な意味も大きく、宗教の物語において重要な地に行くことで宗教的な地位が高まることもあるし、宗教群れの若者が学ぶために、広い範囲から学びに来る人を集めている都市で学ぶこともある。  ただし人は移動自体を、純粋に楽しむために行うことがある。目的地には両義性があり、娯楽や宗教情報が多い大都市に行くことも好まれる。  逆に切り倒されていない木が多い場や農地化されていない広い平原、人口密度が低い水辺や砂漠すら好まれる。多くの人が住む都市生活のストレスから逃れるためか。また都市から離れた農業地域で、しばらくカネを払って働かずに暮らすこともかなり好まれる。  自分の巣や自分自身の装飾も娯楽であり、快と社会的地位の誇示両方の面がある。 **大規模建築  農業による文明は、きわめて大規模な巣を作る。上記の堤防なども規模は大きいが目立たないのに対し、大規模な建物は目立つ。  特に巨大群れの中心都市および、その宗教的設備は際限なく巨大化することが多い。  大規模な建築は長方形と円で構成される。長方形を三次元化した直方体は一つ一つのレンガの標準的な形であり、石材加工でも多用される。繰り返すことによって平らで薄い、地面に平行な床または垂直な壁を容易に築ける。円も設計しやすい形だし、また円やその高次元拡張は周囲に必要な素材が内部の拡張体積に比べて最少だ。また半球や、地面に直交する面に引いた半円は、その形自体が工夫次第で上からの重量を分散し、きわめて壊れにくい形にできる。円も長方形も人間にとってきわめて美しい形でもある。  巨大建造物を造ることは魔術的な意味があるため巨大群れの重要な目的であり、巨大群れを維持するのにとても役立つこともある。だが時には、本来は治水に力を注いだり人口を減らしたりするべきなのに巨大建造物ばかり作って、結果巨大群れ自体が崩壊することもある。  そのために巨大群れは、多くの人に出てきて働くよう強制する。  また東ユーラシアでは、遊牧民からの攻撃を防ぐためか、地域全体の西側を覆う長大な壁を築いた。それは月からさえも見ることができるほどの規模だ。 **都市における建築  都市の建築技術は当然、一人一人の住民の巣にも応用される。都市では土地面積自体が希少資源になるので、狭い面積でより高い体積を得るためには高い建築物を作るしかないが、それには高度な技術が必要とされる。  それで面白いのが、都市では余計な生物を排除する傾向と、同時に生物と暮らしたがる傾向が同時に見られることだ。  特に大きい面積を確保する有力な小さい群れは、巣にかなり広い面積を加え、そこは木や水の流れを残すことが多い。  それは緊急時の食糧供給、普段新鮮な野菜を得るのにも用いられるが、富の誇示や美の主張のほうが主目的だ。  また、都市においては人が直接住まない水道・道路も非常に重要な技術だ。  水を必要とする人間、さらに大量の水が必要な、集中的なものの加工が行われる。ちょっとした井戸程度ではすぐ足りなくなるし、川筋に都市を築いても、大量に出る糞尿や物を作るとき、食器などを洗うときの膨大な排水であっというまに汚染され、下流の人間は汚れた水しか飲めなくなって伝染病の温床になる。  そのままである都市も多いけれど、伝染病を抑えようという意欲がある時には、別に管や溝などで比較的近くにある、その近くにあまり人が住んでおらず糞尿などを流し込まれることが少ないところから水を運んでくる。水は川のような管や溝があり、それに漏れがなくて高低差があれば、重力で自らを運ぶことができる。同じ量を皮袋や樽で運ぼうとしたら大変だ。  逆に、同じような管や溝で、汚染された水を人の住居から隔離しながら都市から遠くまで流しだすことも可能だ。本当は農地に返すのが一番いいんだが、それがきちんとやられることはめったにない。 *世界史  歴史とは人間が過去をとらえるやりかただ。ここで語っている普通の歴史はある大きい何かをした個人の人名と、王朝名と、それぞれのことがあった年の羅列だ。  だが私はそれはやらない。地球人以外を想定しているから。  それ以上に興味があるのは、「人類が生まれた時点の地球を宇宙ごと百万個コピーし、それぞれ干渉せず歴史を始めさせたら、どれぐらい同じ結果になるか」だ。  大体同じか、全部全然違うか。  もしこれを聞いている人がとことんとんでもない技術の持ち主なら、ぜひやってみて欲しい。まあそうしてくれれば地球型生命が存続する率も上がって、私の中の自己増殖性分子の利益にもなるだろう。  もちろん人類が生まれるずっと前から実験してくれても楽しそうだが、なんとなくだが人類のような脳が極端に肥大化し、作業とコミュニケーションの技術が高い大型動物が出る確率は高くない気がする。星は宇宙にものすごい数あるのに、人類はいまだに別の星で進化した人類のような種族からの電波連絡を受けていないこと、これまで何度も陸上大型動物が発達し、数億年間にわたり盛衰したのに、人類型知的生命は今回が初めてであることが根拠だ。  世界史そのものは、長い目で見れば世界のあちこちで文明が生じ、森を食い尽くして潰れては新しい森に文明の中心が移動する、その繰り返しでしかない。  森を切り開いてその土壌・淡水資源を農耕に使い、樹木を燃料や建材に使うと直後は大きな農業生産が得られるため、人口が増える。しばらくは増えた人口を周囲の征服とより広い土地の整備に使うことができ、食物も充分あるので治安も保たれてどんどん文明は規模を拡大する。だがそのうち限界が来て、農地も上記のように生産を続けられなくなり、食が不足すると治安も保たれなくなり、文明自体が崩れる。  世界全体は非常に乱暴に言えば地中海周辺からユーラシア西側・ユーラシア南側の大半島・ユーラシア東側・その他に分けることができる。  その他といっても上述の南北アメリカ・オーストラリア・東南アジア諸島・アフリカの砂漠地帯以南ときわめて広大な地域だが、そこの歴史はあまりに破壊されていてほとんどわかることがないし、現代の文明につながっていない。  ユーラシア南側の大半島は水は豊富だが西は砂漠、南は海、北は大山脈、東は森に囲まれた陸の孤島に近い。生活面では穢れ意識が極めて強く全体に肉食を嫌い、身分制度が極めて厳しいのが特色だ。神秘性の強い多神教で哲学的な思弁も非常に深い。ゼロを発見したのもこの地域だ。  ユーラシアの東側も大草原と山脈、森、寒さ自体などによって他とほぼ切り離されていた。西側の草原から常に騎馬民族が襲撃してくるのが一番の特徴だ。また、本来の森はかなり早い時期にすべて切り尽くしたが、気候帯などの影響で完全には砂漠化せず、栄枯盛衰を繰り返す文明となった。宗教的にはかなり世俗化し、科学的にも優れた発明が多いが、不思議とある時期から科学の発達が止まった。いや、ヨーロッパ半島の爆発が大きすぎて、多少発達してもそれが目立たないんだろう……第一、後述する日本でも素晴らしい数学が発達したが、それは技術や富の増加に関する諸法制とつながらなかったから別に意味はなかったりする。そんなもんだろう。  地中海周辺は、まず北アフリカの沿岸以外が世界最大の砂漠地帯だ。その西部に、はるか南から大砂漠を越えて縦断する巨大な川があり、それが最高の農耕地帯を作った。最初にできた大文明の一つだ。  反時計回りにユーラシアにいたっても乾燥気味の気候だが、いくつも大河が流れ山にはオークの森もあり、大平原地域は麦類・牛や羊など多数の作物や家畜の原産地でもあり、そこにも最初の大文明が生まれた。それが次々に木の切りすぎと塩害で砂漠化していき、地中海北側にあった一都市から地中海周辺を大きく支配する巨大な帝国が生じ、それがかなりの長期間存続した。  地中海周辺が人類の知識に加えたのはまず上述の多数の作物や家畜。そして地中海東北部に、文学や論理に優れた人をたくさん輩出した地域があり、知が高く尊重された……残念ながら科学とは切り離された知だが。また地中海南西部の、アフリカとユーラシアがつながるあたりにはユダヤ教とその子宗教であるキリスト教・イスラム教という非常に影響力のある一神教が生じた。  その大帝国が、木の切りすぎや東方からの騎馬民族の侵略などいろいろあって崩壊してから、むしろ栄えたのはその東南方面のイスラム地域だ。  ちなみに一時期、ユーラシア大陸のほとんどを騎馬民族が征服したことがある。それ以降世界全体の往来がかなりやりやすくなったことは事実だろう。  本来イスラムに比べ遅れていた、北方ヨーロッパ半島のキリスト教徒だが、ある時期なぜかいくつかのとんでもないことをやってのけた。これは他のいかなる文明も成功していない……上述の、百万個人類ができた時点の地球をコピーして最初からやってみてどうなるかで、一番興味があるのはこの点だ。多分これは百万回繰り返しても再現できないんじゃないだろうか……実際、世界に大きい文明は十いくつもあったが、他に“それ”に成功した文明はひとつとしてない。  理由があるとしたら、ヨーロッパは山脈や川で分断されていて一つの巨大群れが広い地域全体を支配する形にならないこと、また雨が多いため大規模な潅漑がなくても農業が可能だったこと、法システムなど色々言われる。ただし、ヨーロッパの人の多くは「自分たちの人種が優れているからだ」「(キリスト教の)神が自分たち選民に世界を支配しろと」と、物語的な解釈をしてしまうがね。  まずヨーロッパからあちこちに遠距離航海し、アメリカ大陸に到達した。ちなみに以前も到達していてそのときは長期的には群れを維持できなかったようだが、それはどうでもいい。それを言うならユーラシア東側の文明だって大船団を仕立て、インド洋を横断してアフリカまで行ったこともある。航海が重要なのではなく、新しい地域を征服してそこでの群れと本土との連絡を維持し、より遠くに行きたいという意思を巨大な群れ全体として持続させたことが重要だ。  それだけでなくアフリカ南端を越え、アメリカ大陸を越えてオーストラリア大陸に至った。世界全体を船で制覇したと言ってもいい。そのことによって莫大な鉱物資源と新しく切り倒せる膨大な森林、そしてジャガイモ・トウモロコシ・タバコなど多数のまったく新しい作物を入手できた。  その激しい征服には、その直前に宗教が産児調節全般を禁じ、その技術を持つものを大量に魔女として処刑したことによる大規模な人口増も重要な要因だ。  そして、それとほぼ同時期にヨーロッパ人の一部はキリスト教を変え、それとおそらく関係があるだろうが科学そのもの、知識そのものを宗教のタブーに束縛されずに進めることを容認した。さらに科学を技術に応用し、大規模な工業文明を作り出してその力をさらに征服に注いだ。彼らはキリスト教そのものも相対的に捉えるようになり、少なくとも同じ地球に別の宗教を持つ人が生きていることを、北方ヨーロッパ人の知識階層は容認することが多くなった。  さらに貴族や王という宗教に結びついた階級による支配を否定し、人はすべて平等で自由、そしてその人々が議論と投票で大きい群れの行き先を決める、という政治システムを作り出した。面白いことに、それだけ圧倒的な力で世界のほとんどを征服したというのに、ヨーロッパ半島に元々あった国々の構成自体はそんなに変わっていないんだ。驚くほど小さい国がそのまま残り、そして海を越えた大陸の広い地域を支配していた、なんてことさえよくある。  さらに征服と科学によって得た莫大な富を、新しい技術や大陸の土地に投資し、より多くの富を効率的に作り出す経済制度もできた。そのためには政権によって簡単に財産を没収されないこと、自分で武器を使わなくても借金が確実に帰ってくること、何か新しい技術を発明した時に別の人に真似されて発明のための投資が回収できなくなることを防ぐ制度ができたこと、航海のリスクを管理するシステムが発達したことなど、きわめて多くの法・社会制度・社会の雰囲気の上での変革もある。というか改革され、先鋭的に理論化されたキリスト教が、富を否定しなくなった……上述のように一般に宗教は富を否定するから、これがまたとんでもない話だ。  それら、近代の本質は「試行錯誤を容認する」だろう。それを支えるのが自由。他のあらゆる人間世界は、言葉や社会構造を「次代に伝える」ためのものであり、試行錯誤は容認されない、存在しない。現状が完全に正しいという物語を前提にしているからだ。  だがそのシステムだけは違う。宗教や言葉、考えることの自由を認めることで、あらゆることについて疑い、試行錯誤することを許した。  そして投票によって政治担当者を変更できる民主主義とそれを支える批判の自由は、流血なしに政治の試行錯誤を可能にした。  言葉と考えることなどを自由にし、理論を実験で検証する科学は、試行錯誤によって知識を積み上げ拡大し、それは凄まじい技術の進化にもなった。  経済においても、何を作って売るかを自由とする市場経済は、本質的に財産の保護というかある意味自由を基底とした貨幣システムの進化と科学技術の進歩もあり、莫大な富を生み出した。  社会制度においても、あらゆる人を教育し、機会を与えることによって人材の試行錯誤を可能にし、結果有能な人々が社会を進めることにもなった。  もちろん、ある文明が別の、科学技術水準がはるかに劣る大陸を征服したんだ……結果は大虐殺と奴隷化、もっと恐ろしいことにヨーロッパ側が持つ多数の伝染病や強力な家畜により、征服された世界の先住民も生物種もほとんど死に絶えた。さらに先住民が死に絶えたら、アフリカ大陸から奴隷を大量に集めてアメリカ大陸まで運んで働かせた。もっとおぞましいことにあらゆる文化は消し去られた。違う文化だろうと文化そのものや生物種自体を尊重する、なんて余裕が出るのはもっと先の、現実の世界にはあまり関係をもたない知的階層だけだ、残念ながら。聞いている人が宇宙人なら……地球人であることが恥ずかしくて恥ずかしくて顔向けできない。  遠洋航海と征服・宗教改革・科学の解放と技術への応用・投資や科学技術研究による富の増加を保護するシステム・市民革命……これらによって人類の文明はまったく別の何かになってしまった。  それから後述する共産主義関係で人類全体が大きく二つ、実は貧しい人々を考えに入れて三つの群れになり、それで共産主義のほうの群れがぶっ壊れて、それからはいろいろな立場、群れの規模についての考えが入り乱れている。さらに人類が増えすぎてそろそろ地球に住める限界だとか、使える資源を使い切りそうだとか化石燃料資源の燃やしすぎで気候が変わりそうだとか、地球全体で木の切りすぎで農業崩壊が起きそうだとか、強力すぎる兵器で自分たちを滅ぼすんじゃとかややこしい問題にも直面してる。まあ基本的には多くの群れが争い、憎み合い殺し合いながら、食べて繁殖しながら森を切り倒し、土壌を失って自滅している、ともいえるか。 *日本史  地球を詳しく描いた。別に地球など宇宙にたくさんある星の一つに過ぎないのだが、それが私が生まれたところだからだ。それと同様、地球のごく小さな諸島の人類の群れについても記述するとしよう、私はそこで産まれたのだというだけの理由だ。別の地域に生まれた人は自分の群れについてここで詳しく書けばよかろう。他の全ての地域についても書くべきだろうか?  私が産まれた日本という島の集まりは、上述のようにユーラシア大陸の東端にある。地球の表面の巨大な広い塊がぶつかり合って、最大の大洋の底が複数ぶつかり合いながらユーラシアの底に沈みこんでいる、そこにある。ゆえに火山や地震がとても多く山が多い。  そして大陸の東端なので、南からの海流と海からの風を受け雨も多いし周囲の海の魚も多い。また多くの火山は常に燐や硫黄や鉄を大地に供給するため植物の活動がとても盛んで、木を切り尽くしてもまた生えるまでの時間が短い。  石油やウランの資源こそ乏しいが、鉄鉱石や石炭はかなりあり、もう掘り尽くされたが地球でも最大級の金・銀・銅の鉱山もあった。  その諸島は海で大陸から切り離されている。かつて、地球の多くを氷河が覆っていた寒い時期は地続きだったが。その大陸との距離が絶妙で、征服は無理だが、通商が絶え伝染病の往き来がないためわずかな征服者にやられるほどじゃない。誰が調整したんだろうな、というぐらい絶妙だ……同じく大きさの割に世界史の中で重要な、ユーラシア西端北方の島は、もうほんの少し大陸に近かったせいで大陸の軍勢に何度も征服されており、別文明を主張できるほどの文化的な違いもない。  南北にとても長い列島で、北はアメリカとユーラシアの境近くまで拡がっているが、ある部分で事実上切り離されており、日本の領土の一番北にある大きい島はついこの間までほとんど日本・ユーラシア大陸双方の本土の文明とは交渉がなかった。  日本は長らく文字を持たぬままだったが、ユーラシア東側……中国の航海技術の発達で中国から文字や社会制度がかなり入った。しかし全面的に取り入れたり征服されたりするには遠すぎ、事実上情報以外はほとんど交流がないままだった。特に重要なのが、その文明が「水をためた浅い水面で稲を育てる」ことを事実上神聖視するほど尊重することだ。雨の多い気候もそれに合っていた。  ある時期から鉄による高レベルの農業が発達し、ヨーロッパの拡大とほぼ同じ時期に大陸を征服しようとしたこともあったがそれは失敗した。その後、雨が多いためかなり人口が多いにもかかわらず森林を維持し、かなり閉じた生活を続けていたが、また欧米近代文明と接触し、その近代文明に順応して独立を守った。  欧米近代文明とぶつかって独立を守れた巨大群れなど、地球全体で一つだけと言っていい。それほど近代文明になるのは困難なことだ。  その後、キリスト教・人種など強い差別意識を持つ欧米と対抗しつつ近代化を進め、また中国方面から大陸を征服しようともしたが、最終的に大きい戦争で敗北した。その後は教育水準の高さと水の豊富さに支えられ、世界でも最高級の工業力を持つようになったが、目的を見失って軍事・政治関係などで混乱している。  大きい特色のひとつに、宗教の影響が特殊だということもある。キリスト教を受容せず、島全体が一つの、それも非常に緩やかな宗教と政治の複合体の支配下に置かれ、同時に表面的には仏教による儀式をすることもある。儀式そのものではキリスト教の儀式や祭りの一部もやる。ただし心の奥の部分では、非常に古い形の魔術的な、言葉になっていない穢れ意識を宗教の代わりにしている。 *** *近代工業文明  ヨーロッパの近代文明には、いくつもの技術の発達がある。その技術の元になるのが様々な、試行錯誤を容認し情報の蓄積と技術と富に結びつけることを妨げない社会のシステムだ。  ある程度ではあっても、社会の目的の変更ともいえる。多くの文明社会の目的は、特に軍事的な拡大が停まってからは群れの維持と宗教自体に限定される。だが近代工業文明は、何よりも新しい技術を開発し、情報と富を得ることを際限なく追求する。  まずそのための、さまざまな技術について解説していくか。 **紙・印刷  文字を書く素材としては、昔はヨーロッパ東端では布・薄く長い直方体に整えた木などに、アフリカとユーラシアが接するあたりの最古の文明では粘土板を傷つけ、またアフリカ北東部の大河による文明では水辺に育つ特殊な草の繊維を集めて平らな板を作って用いていた。  ユーラシア西部では後に皮革も用いられる。  だが、ユーラシア東端で大きな変革があった。様々な繊維が集まってできている木材をこまかく砕き、水に一度拡散させて水を濾過するように抜いて乾燥させることで、薄く丈夫で表面が複雑な板を手に入れることができた。重要だ。  それもヨーロッパで大量生産技術を用い、さらにある種の石を細かくして塗ったりすることで、発明されたユーラシア東端とも質的に違うものとなった。  文字で情報を保存したものを作るには、内容が同じであっても、目で見て手で絵と同じように文字を書いて写すしかなかった。それには人間一人の長時間の衣食住・光のための燃料をはじめ膨大な費用が必要で、ゆえにきわめて高価だった。また数が少なく、遠距離に移動されることも少ないから、比較的狭い範囲の文明が混乱したり、文明内ですべて焼き捨てろという命令が出たりしたら世界からその本が一冊もなくなることも多かった。  だが、本についても鋳物と同じように型を用いて、「同じものを大量に造る」こともできる。  方法の一つとして、たとえば表面に溝を掘った石を粘土板に押しつければ、粘土にはその溝の部分が盛り上がる形で、溝の形を再現できる。その石は繰り返し使えるし、粘土を焼けば水にも強く長期保存できる。  さらに溝を掘った石や土器や木の板に染料をつけ、それを布や紙に押しつけても、逆に溝でない部分についた染料が紙などにつく。逆に染料をつけてから表面をぬぐって強く紙を押しつければ、溝の部分だけがぬぐわれなかったために染料が残り、紙につく。  それを用いて、たとえば自分の名前の文字や自分の家と魔術的に関係する図案などを紙に写し、それによって「この文書は自分が書いた・ちゃんと読んだ」などのメッセージを追加できる。ある程度以上複雑な文字や図案の逆が掘られたものは簡単に再現できないし、その偽造は重罪となる。  さらにその規模を大きくすれば、書物の紙一枚全体の情報を板に掘り出し、それで紙に写していけば書物を大量生産できる。  さらに、言葉=文章は実質無限だが、文字は有限だから、文字一つ一つを掘った塊をたくさん作っておき、文章に応じて並べてたくさんの紙に写し、終わったらまた文字一つ一つにばらして別の文章に応じて並べ直すことができれば、何種類もの文書紙を、それも一つの文章の文書紙もそれぞれたくさん、手書きよりずっと簡単に間違いなく作ることができる。  その技術がずっと昔一度見いだされたらしく、遺跡から出ている。だがそれは、紙などの技術がなかったため社会的に意味を持たなかった。だが、ヨーロッパのかなり経ってからの文明は、それを社会全体で活用することができた。  ヨーロッパの文字体系自体が、音に対応する少ない種類の文字で作られていたことも大きい。文字の種類が多いユーラシア東では、文字をばらして組み直す意味はそれほどない。  凸凹板を紙に押しつけるのに、植物の実から油やブドウ酒になる汁を絞るのに用いる、回転を圧力に変える機械を応用できたこと、そのための高精度な金属加工・幾何学についての知識があったことも重要な要素だ。  さらにその文字をいちいち彫らず、耐熱素材で一つ型を作っておいて、それに低い温度で溶ける金属を流せばその文字が彫られた塊もまた簡単に大量に作れる。その技術もきわめて重要だ。  それでまずキリスト教の中心書物を大量に作り、安く多くの人に配ることができた。しかもそれを日常使われる地方語に分化していた言葉に訳し、多くの人がキリスト教をより理解したことは、キリスト教の構造ひいてはその地域の文明を大きく変えるきっかけにもなった。  また科学知識を積み重ね、多くの人が共有するのにも実に役立つ。情報の動きの質を大きく変えた。 **羅針盤  地球は巨大な磁石であり、その磁極は自転軸から見て少しずつ動き時々反転もするが、最近はほぼ自転軸と地表が交差するところと一致している。  だから磁気を帯びた鉄などの塊に方向性を持たせ、自由に動くようにしてやると、自転軸と地表が交差するがどの方向にあるかがわかる。  海で空が見えなくても方向がわかる、これは航海上の利点ははかりしれない。  この技術も最初にできたのはユーラシア東端だが、活用したのはヨーロッパ人だ。ふしぎなことに。  これがなかったら……地球に磁力がなかったり、弱かったり、自転軸と極端にずれていたりしたら、ヨーロッパ人は船で地球の至るところに行くことができただろうか。まあ地球に磁力がなかったら、太陽からの高速の素粒子で生物が海の外で生活するのが無理だったかもしれないが。 **熱機関  近代の根源をなす技術の一つ。燃焼で出る熱をものを動かす力に変換するシステムだ。エネルギーは相互に変換可能だが、熱力学第二法則によって秩序の低いエネルギーである熱は秩序の高いエネルギーである力には簡単には変わらない。熱だけからは決して力は得られず、必要なのは熱の差……高い温度の熱源と、それより低い温度の熱源、しかもその差が大きいことだ。そして必ず無駄な熱が出る。  ヨーロッパは燃焼の熱を力として使いこなすことができるようになった。部分的には、たとえば昔の地中海文明で、中に水を入れて加熱し、気体がある方向だけに出るようにした器が自分で回転するのを見て楽しんだり、また下記の火薬がユーラシア東で発明されたりもしたが、群れ全体で、人や家畜・風や水にかわる力として大規模に使うようにはならなかった。  それ以前に水車・風車・家畜の動力を、穀物を粉にしたり金属を精錬する風を得たりするのに用いる方法が発達していた、その技術の積み重ねもある。ただしその技術は世界中にあったのだが、熱機関とつなげたのは近代ヨーロッパだけだ。  最初に実用化されたのは、石炭が燃焼する熱で水を加熱する。その容器は密封されており、しかも一部が密封を解かないまま動く。また動いたら気体になった水が外に出て冷やされて水に戻るしくみもある。  その動く部分は水が気体になるときの高い圧力を受けて動かされ、その「押す」力を色々に使う。特に軸を回転させる力に変換する装置ができたことも大きい……それには高い精度・硬度の金属加工、金属が擦れ合って表面が壊れるのを防ぐために、その擦れ合う部分に流す油など支える技術も必要だった。  主な用途は鉱山の内部で湧く水を排除するための動力だ。それも畜力より強く安価で、風力や水力と違って常に得られる力として開発された。それで石炭を大量に掘り出し、その石炭の一部で蒸気機関を動かして石炭をよりたくさん掘り出す、それが全体としてプラスの大きな循環になり、そのおかげで木の切りすぎで燃料が不足することを辛うじて免れた。  その蒸気機関は下記の蒸気機関車・蒸気船にもなった。  さらに発達した熱機関が蒸気タービンと内燃機関だ。  蒸気タービンは蒸気機関の延長で、加熱されて気化した水の高圧を直接回転に変える。これは巨大な設備が必要だが、とても熱を力に変える効率が高い。また燃料を選ばず、石炭でも石油でも地下のメタンなどでも、また詳しくは後述する原子核分裂でも、さらに実用化されさえすれば核融合でも動く。ある程度以上巨大な船と、主に後述の発電に用いられる。  内燃機関は、密封され一部だけが動く小さい筒の中で、液体の可燃物を一気に燃やし、その熱を膨張する気体の圧力に変えて……気体が加熱されるということは、その分子の平均的な速度が速くなるということであり、それが壁にぶつかって押す力も強くなる……動く部分を押す。一般にその短い往復を回転に変える機構がある。最も効率が高いのは、まず燃料を含む空気を高圧で押しつぶし、その熱で発火するエンジンだ。ただしそれはどうしても燃料の微粒子などを含み空気を汚すし少し大きいサイズのほうが効率がいいので、電気火花で発火するのもよく用いられる。  後述の自動車から船に適しており、石油を原料にした燃料と相性がいい。  燃料の運搬は、技術水準が低ければ固体、高まれば液体や気体がよくなる。固体なら隙間だらけの容器でも運べるが、たとえ傾斜があっても器から器に自重だけでは移ってくれないため、砂利を掘るように人が鍬を振るわなければならない。液体だと密封できる管や液体を持ち上げる装置さえ扱えれば、重力だけで大量に動かすことができるし密度も高い。気体だと一般に密度が低すぎ、液体以上に精密な密封が必要になるが、膨大な量を長距離輸送するのはむしろ楽だし、漏れても周囲の土地を汚染することがない。  注意して欲しいのが、熱機関は原理だけでできるものではなく、低熱源と高熱源、そしてサイズが重要になることだ。地球の、大体は水が液体である大気の温度は炭素や水素の分子が燃焼する温度よりかなり低く、だからその温度自体がよい低熱源になる。また鉄がその燃焼の温度と圧力によく耐えることも重要だ……もし蒸気機関の設計図を、鉄を知らなかった中南米先住民文明に渡しても使いこなせなかったろう。固体の水銀を使っているわれわれから見て低温の世界の知的生物にとっても無意味だ。  蒸気機関は人間よりかなり大きいサイズでなければうまく動かないし、圧力で発火する内燃機関を指先より小さいサイズで効率よく動かすことも大変だ。原子核分裂・水蒸気タービンを人間の身長より小さいサイズにすることも無理だ。それどころか熱機関の冷やし方とかで最適なのは、四輪の自動車と二輪の個人用自動車で違ったりする。それぞれ適したサイズがあり、それと地球で人類が使える素材に合わせて今の生活システムがある。  木の燃焼同様、人間のサイズはそっちでも大きい要素だったわけだ。  そしてもちろん、恒星やブラックホールなどの超高熱源と宇宙の背景放射という最低熱源を効率よく使う熱機関は、今の人間の技術スケールと素材ではまだまだ作ることも使うこともできない。  本質的に熱機関を評価するのは、熱がどれだけ動力に変わるかで、それは低熱源と高熱源の差によって決まる割合を超えることはできない。またより通俗的な評価としては、その機関と燃料を合わせた重量とその出せる力の比と、充分な出力の持続時間も重要になる。  それらは運搬だけでなく機械を動かす動力となり、重要な文明の評価基準である「刃物の能力」を爆発的に増大させた。圧倒的に多くの木を切り倒し、地面を掘ることができるようになった。 **輸送技術  ヨーロッパが内燃機関を使いこなすよりかなり前から、輸送に関して大きな変化が起きていた。  アメリカ大陸などあちこちへの超遠距離航海を好んでするようになったことで、帆船に関する技術が大きく発達した。それには良質の鉄によって大木を切り倒し加工できるようになったこと、石油からできるきわめて粘性の高い液・木の樹液・木綿の帆・麻のロープなど様々な素材を大量に集められるようになったこと、資金を集めて使う社会技術ができたことなども重要だ。  中でも、今では目立たないが多分決定的だったのが港・運河網の整備だ。実は日本でも、近代化の前段階として港や運河の大規模な整備が国単位で行われている。  かなり後ではあるが、アフリカとユーラシアがつながる部分とアメリカ大陸中央の狭い部分に、大洋と大洋をつなげる大規模運河ができたことで世界の交通が根本的に変わったことも特筆すべきことだ。何しろ地球の大陸配置だと、氷でふさがれた北を通っては当時の気候では通行できないしアフリカ大陸・アメリカ大陸の南端はいつも嵐で危険が大きいしものすごい遠回りになるからな。  これはむしろ昔の地中海周辺の巨大群れのほうが熱心だったが、その時期各国がある程度ではあるけれど地面に帯状に石を敷きつめ、馬に引かせる車が走りやすい道を作ったこと、そのおかげで馬に引かせ、木の車輪に鉄を巻いた車が発達していたことも重要だろう。  蒸気機関が船に乗せられたのはかなり遅いが、それは決定的に輸送を速くした。さらに後述する冷蔵庫によって、アメリカ・オーストラリア大陸から肉をヨーロッパに運ぶことさえできた。  後に船体の素材が、より丈夫で巨大な部品を作りやすい鉄鋼になることで、より巨大で軽い船を大量に造り、少人数で動かすことができるようになった。現在の文明はその鉄でできて熱機関で動く巨大な船に支えられている。  さらに重要なのが鉄道。鉄でできた、平行線状の棒材に、それにぴったり合った鉄の車輪の車を走らせる技術だ。もちろんそれは人力でも畜力でも動くし、鉱山などである程度発達していた技術だった。普通の道を、その頃主流だった木に鉄を巻いた車輪で移動するよりはるかに速く、力の損失が少ない。  一般に、まず道そのものを拳の半分ほどの石を大量に積んで少し周囲より高くして水に沈まないように安定させ、その上に横に大きい木材を並べ、その上に鉄平行棒を固定する。  その上に、鉄の車輪で蒸気機関で動く巨大な車を走らせる。従来の車よりはるかに多い、船に近い大量の物資を、船以上の高速で陸上を走らせることができる。  その道の整備、特に急な山などを横穴で貫通し、また橋を架ける技術が鉱山や運河の技術から応用されたことも重要だ。  大量の良質の鉄を生産できること、また鉄や木材を道に放りだしておいても盗まれる心配がないだけの治安、そして鉄道建設に必要な膨大な労働力を集められること、精密な測量などの背景技術も必要。  この鉄道は帆船や従来の土の上を走る車と違い、風が止もうが雨が降ろうが天気に関係なく同じ時間に届くことを可能にした。これは近代文明における時間の厳密な管理とも深く関係する。  そして石油の時代になって、二つのより好まれる輸送技術が発達した……一つは馬車を改良し、一人から数人が乗れる車に内燃機関を積んだ自動車、そしてもう一つが空を飛ぶ飛行機だ。  自動車が可能なのは、燃料込みの内燃機関の重量・体積が人間のサイズに丁度よかったからだろう。あいにくと原子核分裂・蒸気タービンは大きすぎるし、後述する電池とモーターはどうにも弱い。西洋文明自体が、貴族や富裕層の移動手段として馬に引かせる車を好んだことも自動車の発達に関わるのだろう……日本が近代化したら別の乗り物が主流だったかもしれない。  自動車は鉄道に比べ燃費が悪いが、ちょうど経済システムの変化で富裕になった個人が所有でき、一人一人が好きなところに行ける。移動そのものが人間にとっては大きい娯楽であり、人間の欲望にとても高く適合している。後の高度情報化社会における、きわめて速いペースでの個別輸送にも最適だ。  無論そのためには、ものすごく高度な大量生産技術が発達することが必要だった。高精度の部品加工・高品質大量の鉄鋼……車の振動を抑えるためのバネや車軸の鋼と車体に使われる鉄だけで全身板金鎧と最良質の剣が数十人分はできる……とその精密加工、新金属合金加工、そしてその車輪が必要とする大量のゴム!中空の、鋼で補強された環状で内部に空気が入ったゴムがなければ鋼のバネがあっても乗れたものじゃない。  さらに細かい石を石油からできた素材でつないだ、きわめて平坦で頑丈だが巨人の目で見れば柔らかく水にも強い道路が恐ろしいほどの長さ・面積で作られていることも自動車文明には必須だ。  ついでに、その優れた道路と軽く丈夫な素材、ゴム車輪などは、人が自分の力である程度高速で移動できる個体用の車も作った。それも都市内では結構便利だが、移動手段の主流にはなってない。鉄道とうまく組み合わせ、蓄電池とモーターと帆をつけるなどして荷物容量を少し増やして薄く軽い屋根をつければ都市化された文明には結構合ってると思うけどね、燃料を消費しないし。問題は最もよい道路でなければ動かせないから、技術水準の低い地域に適さないことか。  さらについでにだが、この自動車の技術・内燃機関は移動だけでなく、別の目的にも使える……人間には出せないほど強い力で地面を掘り、大量の太い木を切り倒すことができる、ということだ。木を切るのは手で持てるサイズの内燃機関で動く鋸なんだが。それによる地球の変化も小さくない。後述の機械化農業とも深く関わるし、兵器としても大きい。  飛行機こそ、人類にとって長年の夢だった。鳥を模倣して手に板を結びつけ、高いところから飛ぼうとして死んだ人は古来どれだけいたことだろう。人類の体の筋肉は、どれほど鍛えようと鳥の巨大な筋肉には到底及ばない……飛ぶには腕で抱えることもできないほど大量の筋肉でなければならない。体の骨などの構造自体が飛ぶことには適していない。というか人類の大きさで飛べる動物自体が少ない。  布や紙、木など軽く丈夫な素材でとても広い翼を作り、それにつかまって高いところから飛び出せばある程度は飛べる。だが危険だしそれほど意味はなく、普及した技術にはならなかった。高いところから遠距離を見る利益を考えると、地面から糸で制御する翼状の遊具を大きくして人を乗せなかったのは不思議だが……多分サイズの問題で、大きいと不都合が多いんだろう。  最初に人が空を飛べたのは、丈夫な袋に火で加熱されて密度が低くなった空気を入れ、それが周囲の空気との密度差から浮力を得て浮かぶものだった。  それから、飛行機という木と布、後に金属や新素材の翼を内燃機関で飛ばす機械ができた。前にも帆や鳥の所で少し説明した、流体中に不均等な板を相対的に動かすと、上向きの力がかかることを用いる。本質的には自動車と同じだが、地面に触れていないので空気を押すために最初は回転して空気を後ろに押す羽を回転内燃機関で動かして加速する。  後には内部に蒸気タービンに似た羽を持ってその内部で燃料と混ぜた空気に圧力を加えて燃やし、熱を高速で後ろに吹きだす気体の流れにして、力学の第一法則……力は常に二つの物体の押し合うまたは引き合う力、というか一つの物はそのままだと動かないから二つに分裂して互いに強い力をかけて反対側に移動すると両方の速度と質量の積はちょうど反対になる、というわけで高速の空気の粒を後ろに飛ばすと、押した側も逆に動く。まあ試しに、この宇宙と同じ物理法則のとことん摩擦の低いところで重いものを続けざまに速く投げてみるといい、逆方向に滑っていくから。まあそんなやり方でより速く飛ぶのも手に入った。  これは船でも自動車でも不可能な、桁外れの速度での移動を可能にし、世界をとても小さくした。その超高速の大量移動も今の人類にとっては結構重要だ。でも自動車と違い、飛行機を個人で持っているのはごく少数の超金持ちだけだ。船もその点は同じだな。  また重力もかなり強いし空気の抵抗もあるから、空を飛んで移動するのは車で整備された地面を移動したり、水上を船で浮いていくのに比べて桁外れに多くのエネルギーを使うし、必要な機械も複雑だ。主な移動手段になっていないのはそれもある。  かなり最近だが、船・鉄道・自動車・飛行機を組み合わせた大規模物流で、決められた大きさの鉄の箱や荷物を置く台が重要になる。そのおかげで、恐ろしく効率的に桁外れの量の物資を輸送し、何をどこに運ぶか管理することができる。それは軍事技術としても、もしかしたら銃や飛行機に匹敵する重要なものだ。  上述の、熱された燃焼気体を一方向に吹き出す熱機関は、とうとう宇宙にすら人を進出させた。宇宙には酸素分子を含む大気がないので、酸素も一緒に持っていかなければならない。燃料あたりのエネルギー量の多い原子核分裂は大きな設備が必要で飛ぶのに適さず、核融合を使いこなせる素材が人類の手元にないのは実に残念なことだ。  はっきり言って宇宙に大量に物……特に人間とその生命維持機材という大重量を運ぶには、その燃焼熱機関は全然適していない。知られている限り一番いいと思われる方法はある種の鉄道だ。まず何であれ充分な地球から見た速度で正しい方向に動けば、それは地球の引力に引かれて落ちながらそのまま地球を一周すればずっと落ちない……それは太陽の周りを地球が、地球の周りを月が回るのと同じことだ……状態になる。しかもそれで地表と位置を変えない、つまり地球を一周する周期と地球の自転周期が一致する高さ・速度がある。その軌道に、ごく細く非常に長い……地球の直径の何倍もの長さだ……棒を地球を回るように飛ばす。棒の一端を地球に向け、長さが地表に達するようにすればいい。そうすれば鉄道と同じくそれを伝って宇宙に出て、さらに地球と反対側に質量のバランスをとるために伸ばしたもう一端は地球から見て重力より回転によって等速直線運動からずれることによる加速力のほうが強いから、そこから地球の自転をほんの少し貰って高速で別の星にも飛べる。ただし今のところ、地球でそれを作るのに必要な強度を持つ素材を大量生産するのは不可能だ。麻でも絹でも、鋼鉄でさえ弱い。ほんの少し、ごく短い長さなら炭素原子をうまく並べた物質で地球におけるその強度を持つ物質はあるが、まだそれをそれだけの長さで大量生産する技術はない。  といっても、燃焼を使う原始的な機関でも、人間が宇宙に出るには適していないが地球からすこし離れたところで地球の周りを回る機械をたくさん飛ばし、それを通じて後述の通信を行うことはできている。現在の高度情報化社会において、海底ケーブルに並ぶ重要な基礎だ。また科学調査にも活用されているし、月に密封服を着た人間を送って月面上を歩くことや、ちょっとした観測機械を太陽系の外まで飛ばすこともできた。それが今のところ、人類が行った一番大きな達成じゃないかな。  人類にはより高いところ、より遠いところ、だれも行ったことがないところに行きたい、という強い欲があるんだが、それは今は出にくいな。地球上にだれも行ったことがないところ、誰も登ったことのない山などもうないに等しいし、かといって宇宙は簡単に行ける所じゃない。今は人類全体がすっかり、つい最近あれほど航海や探検に命を賭けたことも忘れて貨幣と情報の世界にうずくまってるよなあ……  あと残念ながら、地表での日光だけでは自動車・飛行機とも動かない……もっと小さいサイズならできたかもしれないが。どうしても別のところから、高密度のエネルギー源を持ち込むしかない。 **近代製鉄・新素材  上記の蒸気機関車などを作るには、不純物が少なく炭素濃度が一定の鋼を大量に造る必要がある。その技術も大きく進歩した。  耐熱素材についても知識が蓄積され、より高い温度、大量の鉄鉱石と不純物を除いた石炭を用い、それに不純物を溶けやすくするために生物由来の炭酸とカルシウムの石を加えて鉄を作る技術ができた。中でも大きいのが、非常に高い円筒状に耐熱素材で作った、酸化鉄から石炭由来の炭素に酸素を奪わせる設備と、溶けた低品質の鉄に直接空気、後には純酸素を吹きこんで不純物を酸素と化合させて一気に取り除く設備だ。  それらとできた鉄を巨大な力で精密に加工する工場を組み合わせ、さらにそれを鉄道・港湾や運河の近くに置くことによって、莫大な量の原料を入手して短時間で良質の鋼材にし、さらに鉄製品として送りだすことができるようになった。  その人類史上かつてないほど莫大な鉄は上記の鉄道・鉄船にも用いられたが、もっと大きいのが建築への応用だった。昔生きていた海の微生物の、炭酸とカルシウムの化合物を主とした固い部分が大量に海底に積もり、そのまま硬い石になった……それは大量にある。それや何種類かのケイ素化合物石や粘土を加熱して粉にし、水や小さい石と混ぜると、小さい石を強い繊維状の石で結び合わせて頑丈な塊にする。ちなみにそれは、押しつぶす力にはこれ以上ないほど強いが、引っ張る力には弱い……それを補うために鉄棒を入れることが思いつかれた。炭酸カルシウムを焼いて石と石をつなぐ技術は多くの文明にあるが、それに粘土を加えて水中でも固まるようにし、また鉄を入れて強度を補うのはヨーロッパならではだ。  それと、これまた大量生産されるようになったガラスを組み合わせた高層建築が、後にヨーロッパ近代文明の最大の特徴となる。ただしうまく作らないと熱の管理が妙なことになるという重大な欠点もあるが。  その素材の石炭、後に石油を用いた大量生産は土木建築も大規模にし、運河・港・橋・道路・鉄道・ダム・堤防なども非常に大規模なものがたくさん作られ、それがまた人類全体の運搬・生産能力を拡大していった。  それだけでなく、ヨーロッパの人々は多くの元素についても理解した。以前から魔術として、鉛を金に変え、不老不死の薬を得るための錬金術はあらゆる文明が熱心に研究し、また宗教によって厳しく弾圧されてきたが、その研究は多くの知識をもたらした。だがその知識自体は中国にもイスラム教徒の領域にもたくさんあったはずだが、それが花開いたのはなぜかヨーロッパだった。  その技術が最初に生み出したものに、複雑な形の密封環境……高度なガラス加工技術による……で加熱して液体を気体にし、物質によって違う特定の温度で液体に戻ることで取り出す技術がある。それはまず酒の中からエタノールだけを分離することができ、より強く酔う酒を造ることができた。ほかにもその技術は元素を分離したりといろいろに用いられる。  いくつかの金属元素を鋼に加えることで、錆びにくい鋼さえ作りだすことができた。まさに夢のまた夢だった。  そしてアルミニウムやチタン。酸素との結合がきわめて強く炭素や水素では離せないため簡単には利用できないが、後述の電気を用いて強引に酸素と引き離し、素材にすることができた。特にいくつかの金属と決まった割合で混ぜると、きわめて軽くて強い素材となった。それがなかったら飛行機や宇宙機が大規模に実用化されるのは難しかったろう。自動車などにとっても重要だ。  他にも新しい素材はあり、ある意味上述のゴム自体が、近代ヨーロッパが見いだした新素材だ。原産地ではそれを使いこなすほど文明が発達していなかった。  布に塗って防水布にすることから始まり、何より上述の車の車輪。他にも実に多くの用途がある。  その大量生産に、後述するプランテーションが用いられているから近代的な価値観の人間からみれば悲劇的なんだが……  何より重大な新素材が、石炭や石油から作られる、炭素や水素を中心とした生物が作る物に似た非常に大きく複雑な分子だ。まず染料がいくつか発見され、それから繊維、そして自在に加工できる木材・石材・金属に並ぶ素材へと発達していった。それらは軽く強靱で地球の微生物に食われることがなく、金属やガラスの鋳物に似た技術がより低い温度で使えてどんな形にも加工でき、染色もしやすい。ゴムなどと似た性質を持つ素材も作れるし、染料や薬品も作れる。  逆にそれを捨てたらえらいことになるんだが、それを考える人はいなかった。どこがホモ・サピエンス=ラテン語で「考える人」だ、「後先考えない」とラテン語で言った方が正確だ。  高度情報化社会になると、素材もますます進歩している。軽量強靱、非常に強い磁石などさまざまな目的に合う合金を作るため、地表にはごくわずかしかない特殊な金属元素も大量に利用されるようになる。よりよい素材を作るのも、まずあらゆる元素やその組み合わせに関する詳しい知識、そしてそれを現実化する最高温度・純度・粉末の細かさなどの高さだ。  将来新しい素材として期待されているのが、炭素原子を決まった形に組み合わせた素材だ。現在でも繊維を炭化させたものは軽量強靱な素材として用いられているし、後述する電球も最初は植物繊維を炭化させたものを用いた。 **機械・加工技術  近代文明の重要な要素に、さまざまな素材で作った物を組み合わせた複雑な道具がある。  その単純なものは上述の滑車・車などだが、それがさらに複雑になると、人間がある程度できることをより強い力でやったり、人間にはできないことができたりする。  様々なきわめて均質で強度の高い素材を、きわめて高い精度で加工し、組み合わせることが必要になる。  機械の機能は人間の体の一部や家畜の能力を模倣・拡大したようでもあるが、生物とは大きな違いがいくつかある。  まず生きた細胞ではなく、生命のない素材を加工した部品でできているため、一部が故障したらその部分を交換しなければ機能しなくなる。どこが壊れてもある程度別の部分が補い、また壊れた部分を修復する機能がある生物とは対照的だ。  多くの部品でできており、一般に部品点数が多いほど故障しやすい。  車や滑車、歯車の性質を見ればわかるように、機械の圧倒的に多くは直線・円で構成され、力は主に回転力と往復力として働く。  直線往復運動と、直線軸を中心とした回転運動の相互変換が上述の自動車をはじめあらゆる機械の核心にある。  それにはまずワインや植物油の圧搾に使われた、螺旋と歯車や歯車をばらして伸ばしたようなのを組み合わせる、特に力の増強に優れたものがある。その応用として、回る車輪と布や鎖などの長い輪になった帯が力を伝えあうのもある。  人間の肘関節のように二本の棒の端と端を角度は自由に変わるが端がくっついていることは変わらないように車と同じ構造で固定し、その一本の端を回転軸に固定したものも直線往復を回転に変換する。言いかえれば車円盤の端に別の車円盤を車軸構造で固定し、両方の円盤からも棒部分以外を削り落としたとも言える。  らせんと翼を応用して気体や液体に流れや圧力をかけるものもある。液体を重力に逆らって移動させることは本来機械の重要な目的だ。  加工・計測精度の向上は、近代の機械技術で作られた製品を以前とは根本的に違うものとした。同じ名前がついた製品はそのどの部品も極めて小さな誤差の許容範囲で合同であり、素材の性質も同じであり、全てが交換可能である。  いくつかの、同じ名前の複雑な部品でできた連発銃を全て分解して部品ごとに分け、どれがどれの部品だったかわからないように混ぜ合わせて、ランダムに必要な部品を一つ一つ集めて組み合わせたら元の銃と同じく作動した、という話は当時は大きな衝撃となった。今はそれが当たり前のことだが。  その技術の向上ときたら……道に転がっていた、最低限の食事の百分の一にも満たない貨幣価値しかない、賭博に用いられる鉄球が、それと同じ水準の物は千年前に地表の半分、数百万人を支配した支配者が命令しても作れなかっただろう、というほどだ。ましてある種の潤滑に用いられる鉄球の精度はそんなもんじゃないだろう……  特に重要な機械技術は水を上に持ち上げるポンプ、布を人間よりはるかに早く正確に織る機械、そして内燃機関など各種輸送機械、縄と同質のもので加工中製品を移動させながら加工する工場設備、そして回転を利用した加工器具だ。  水を重力に逆らって動かすのはそれこそ動物の心臓や植物さえやっていることだが、その発達は特に鉱山や灌漑農業では死活的に重要だ。従来は井戸のように器をつけた縄で水を持ち上げたり、小さな器を多数つけた装置で持ち上げたりしていたが、まずネジを使ってやや短い距離だがとびとびではなく連続的に水をくみ上げる装置ができた。また、密封された管の中で部品を動かし、大気圧を利用して水を持ち上げる技術もできた。これは高い精度の金属部品を精密に組み合わせなければ無理だ。それは同時に、ただ空気を排出することで人為的に真空状態を作り出し、大気圧の発見につながるという大きな科学進歩も生み出した科学史上もとても価値の大きい発明だ。  布を織る作業・縫う作業を機械の、単純な動きを素早く正確に繰り返せる能力を用いて大幅に加速したことが、近代の膨大な生産力の原点だった。そしてその、大金を出して機械を買い、布の作業を早くして人数を減らすという構造は近代の産業全体の基本型ともなった。  ほかは詳しくは後述する。  その素材加工自体ある程度一般化できる。 分ける  生きていたり、また地面の一部として存在していたりする物を、同じ性質を持つ素材を集めたものにする。それには単純に混じっている物から目当ての物質だけを分けたり、また原子どうしのつながりを切り離したりする技術がある。  歯で肉を死体からかみちぎることもそれだ。その発展で人間は技術を用い、いろいろなものを切り離す。  また熱も重要で、特に気体になる温度が違うことを利用したり、液体にして密度の差で分離したりする。  重力で、たとえば土が混じった水から土だけが下に落ちて溜まるのを利用し、たとえば化学変化を起こさせて、液体に溶けているものを固体にしてそのまま重力で下に溜まるようにさせることもある。さらにその働きを早くさせようと、重力を強めるのと同じことになる、容器を回転させる方法もかなり重要だ。  後述する電気を用いる方法もある。  また、大規模な土壌から生物を用いて特定の元素を分離する方法も今研究されている。  原子どうしのつながりはかなり切り離しにくいが、たとえば水に溶かす、さまざまなものと反応する酸などを加えるなどいろいろある。 つなげる・固定  これも物理的に、個体相互の位置関係を固定し、相互の運動の自由度を減らすことと、原子どうしつなげて別の分子を作ることがある。  金属などをつなげる技術をいくつか紹介しよう。  二枚の金属板を重ねて穴を開け、その穴に柔らかい金属棒を通して両端を変形させて通れなくするリベット。  それと同じようにらせん状の溝を加工した棒を入れ、その両側からその棒と同じ太さでその溝に合うように内部を加工した別の部品をつけ、回転によって棒の軸方向に動かして力を加えると、軸方向に動かそうとすると摩擦によって動かなくなるため固定できるねじ。  金属の一部を液体になるまで加熱し、その液体どうしを混ぜてから冷え固めさせて一体化する溶接。  また特定の分子……古くは革を水で加熱して出た生物の分子などから、液体から固体に変わり、それがほぼくっついた物の表面と表面の隙間を埋めていたら簡単には外せなくなる接着剤。  また形の加工自体でも、ねじを始め運動の自由度を下げることで固定することがある。  さらには、衣類などで鉤状の繊維と輪になった繊維を多数表面に並べてくっつけるベルクロや、布の縁に金属の小さな突起がたくさんついていてそれとそれを合わせて別の部品を動かすとつながるジッパーなどさえある。  一時的またはずっと、空間上での素材の位置を固定し、また回転しないようにする、またはある軸にそった回転しかしないように……要するに運動の自由度を制限する技術も重要になる。それも上記の、らせんを用いて強い圧力を出す方法が用いられる。単純に人が手の指や口でものをはさむ機能をそのまま道具にして強化したものも多い。 変形させる  従来は手の力や打撃などで行っていた変形も、水力や風力を用いることでより強い力を出すことができるようになった。ゆっくりと強い圧力を出すらせんを用いて回転運動を往復運動に、また逆に縄を引くなどして出す往復運動を回転運動に変えることで出され、まず植物、特にオリーブの実から油を絞り出す技術として発達し、それが印刷などにも応用された。  また、これも印刷にも関係するが、二つの円筒を軸に平行な一本の接線で密着させたまま双方を反対に回転させることで、薄い平面形に絞り出す技術も重要だ。その前段階としては、これは古代から細長い金属棒を加工するのに用いられる、硬い素材に穴を開けてそこに加熱して柔らかくした少し太い金属棒を強い力で通す技術がある。  より短い時間の大きな力での加工も、手で振るわれるハンマーから集団の力を紐や滑車を用いて集める技術に、さらに水力や風力を用いて巨大な質量を瞬間的に使う技術となった。特に打つ側・受ける側双方を複雑かつ精密に加工し、必要な結果の厚み分の隙間だけ空けた凹凸となるようにすると、金属板を一発で複雑な形に加工することもできる。 計測  実際のもののいろいろな面を数値化することが近代的な科学技術の根幹だ。  そして、数値化するにはまず「単位」が必要になる。その単位を統一することは、昔からも大規模な巨大群れがやっていたが、後述する大革命で人体と関係なく、地球という客観的なものから単位を作るのが「科学的」「理性的」で「善」とされ、大規模な測量事業の後に単位が制定された。今の世界の相当部分はその単位で動いている。ただし当時の技術で考えられ、地球や水を基準にした単位だから、完全に合理的とは言えない……いまの科学者だったらプランク定数と光速の比などを基準にするだろうけど、それも十年後暗黒物質の正体がわかったら見当違いだった、ってことになりかねないし、今更新しい単位を作るのはものすごいカネがかかるのでやってない。  ついでに、世界で一番強い巨大群れは、それ以外のほぼ世界全体が使ってる新しい単位を意地でも使わない。だからよそで作られた部品を輸出入すると、誤差でバカな事故が起きることもある。  計測の精度の向上も著しく、これまでうまく計測できなかった時間の計測技術も発達した。それは太陽が一番高くなった正確な時間を基準時計と比べることで航海中の経度の確定にもつながり、遠洋航海を支えた。精密な時計は後述するように近代生活の根幹ともなった。  測量技術と精密な地図製作技術も、運河を初めとする大規模な建築には必須だった。  科学史にとってもいくつかの単位の精密な計測、地球の自転が光速に加わっていない……普通の人間の生活では、速く走る馬から放つ矢は地面に止まって放つ矢より地面に止まった的にとって速いので深く刺さることと矛盾する……ことから相対論を導いたことなど計測技術は重大だし、また技術においても計測技術は計り知れない重大さを持つ。  特に回転するものは、軸がわずかでも歪むとすぐに震動してエネルギーを無駄にし、自他を破壊するんだ。小さく高速で回転するものや巨大な力を受けて回転するもの、どちらも桁外れに高い精度がなければまともに動きはしない。歯車もころをもちいた潤滑も精度が高くなければ複雑な機械はできない。  自分の文明水準を紹介する一番いい方法の一つが、その世界で作られた最高精度の硬い球と平面を持ってきて比べ合うことかもしれないな。今の私の故郷のその水準はかなり高いよ。 力を増やす  これらは手の仕事だが、力を増やすときは昔は滑車、そして上記のねじ構造もよく用いられる。また内燃機関や電動機を動力とすることで、圧倒的な力を得ることもできる。 力の伝達・分業流れ作業  重要な機械装置、いや工場施設全体のシステムとして、上述した金属の縄や液体を通す溝および管を用いる、さまざまなシステムがある。  まず上記の金属製の縄、特に輪をつなげたものや、革……後にはゴム……の、幅のある帯……薄く、やや幅もあり、その幅より長さのある直方体……を曲げてねじらず輪にしたもので遠距離にも回転力を伝えることができる。特に輪をつなげたものを適切な形に加工して運動の自由度を潰すと、突起のついた円盤と相性がよく長距離まで力を伝えることにも適する。  回転力を伝えるには突起のついた円盤をかみ合わせる方法、一本の頑丈な棒をねじる方向に使う方法などもあり、それらは主に一つの機械の内部で力を伝えるのに用いられる。  それ自体重要な技術だが、工場全体のシステムとしてはその金属の縄や、革やそれに近い素材を加工した帯を非常に長くし、それで完成前の製品を移動させつつ作業するシステムがある。一本の線に表現できる作業線に沿って物を移動させながら加工し、新しいものを追加して完成品とし、輸送路に乗せるまで一貫している。以前は物を加工するのは、主に一人の人間が一つの場所に居を据え、あちこちから材料などを取ってきては付け加えて作り上げたものだ。だがその長い帯の上に乗って移動していく作業中製品に、次々と一人一人別々の作業に習熟した作業員が、自分の担当する合同な部品の山から適当な部品を取って正しい位置につけていけば最後に完成品ができる、というシステムは従来とは桁外れの単位時間・人数での生産量をもたらした。  ポンプ・密閉管など液体の制御技術はあちこちで必要とされる液状素材を安定して供給するにも重要だが、油や空気を用いた力の伝達にも用いられる。  また金属工業・化学工業では、従来の上下水道技術の延長で、全体が密封されて流す液体や気体と反応しない円筒の表面部分にそって液体や気体、時には気流に乗った粉末状の固体も流しながら作業していくシステムができていった。石炭や鉄鉱石など塊状の素材を大量に運ぶのには上記の帯や鎖の類も用いられ、それも作業を大幅に速くしていった。 潤滑  機械は金属どうしを、時には強い力をかけて接触させながら高速で動かす。そうすると金属どうしの摩擦は熱や表面を破壊する効果になり、あっというまに機械を壊してしまう。また鋼鉄が多い部品の表面は短時間で酸素と化合し、それも故障につながる。それを防ぐために、機械のどの部品の表面も常に液で濡れている状態にすることが求められる。それには各種の油が使われる。液体が狭い隙間で高い圧力をかけられると、瞬間的にある種の固体になり、それが金属を触れあわせることなくより弱い摩擦で動かすことができるんだ。  後には石油を加工した油が用いられたが、生物由来の油も多く用いられた。特殊な場では水も用いられる。  逆に強い摩擦は加工にも用いられるし、動いている車を止めるのにも使う。  ある種の潤滑として、車のところで少し説明した球などを用いた方法も非常に重要だ。  非常に重要な機械として、上述のろくろの延長になるものをあげておく。回転する台の、中心軸をはっきりさせながら加工するものをしっかりと固定し、台ごと回転させる。それに横から、硬度が高く角度の大きい刃をあてがうと、金属でさえ自在に形作ることができる。古くから木材加工に使われてはいたが、それが近代機械加工の根本といえる。 **武器  ヨーロッパが進めた技術は、それはもう武器も軍事もものすごく発達させた。  特に大きいのが銃砲。本当は移動技術や組織作りなどのほうが大きいんだが。  といっても、羅針盤や紙同様、これまた最初に作ったのはユーラシア東だ。  銃砲は一種の熱機関だ。要するに軸方向に穴を開けた円筒の、穴の一方をふさいだものを用意する。そのふさがれた壁のほうに酸素供給がなくても酸素原子もくっついていて、高熱や衝撃を受けると急に燃えて大量の気体になるものを入れる。それを開いている穴の方向から、密度が高い塊を入れてそれでふさぐ。それでその燃える物に点火すると、その燃焼で出るものすごい熱によって、それが大量の気体、狭い体積に押し込まれた高圧の気体になる。その圧力は、あらゆる方向に均等にかかるが、円筒とその後ろ端がふさがれていて、塊だけが強い力が加わればかろうじて動ける。だから塊は強い力で加速されて、その円筒の軸方向に飛び出す。  それでできる速度は、人間のスケールにしてはきわめて速く、大気中で音が伝わる速度の数倍にはなる。そのような速度だと、指先程度の小さな金属の塊が、革鎧と服で守られた人間の体を貫き、そのときに強い圧力で体内を広い範囲で破壊することさえできる。その塊を人が投げても痛いだけだが。ちなみにその塊の素材には鉛が最適だ、密度が高く柔らかく安価で強い力がかかると滑りさえする。  同時に炎も出るため光と大きな音が出る。また基本的には「一つのものが二つに分かれて互いに力をおよぼし、双方が加速する」だから筒のほうも加速される。その力をどうにかするシステムも重要だ。  そうそう、その燃える物は、一番最初に作られたのは窒素と酸素が作る酸とカリウムなどが結びついたもの・木炭・硫黄の粉だ。実を言えばそれって最良の肥料なんだ、苦笑することに。元々酸素が入っているから、閉じ込められて空気と接しなくても燃えることができる。それは火を使う必要もなく、強い衝撃などでも点火でき、逆に危険でもある。  だから実を言うと、筒の後ろは溶接などで外せないようにふさいではならない。ねじなどで簡単に外せるようにするんだ。  木炭は森の木を半ば埋めて燃やせば得られるし、硫黄は火山周辺で得られる。窒素と酸素の酸とカリウムなどのものは、人間や家畜の尿に含まれる窒素を含む分子を用いて生活してついでに窒素と酸素の酸を作る微生物が土の中にいるので、尿を捨てる場の近くの土を加工したりして得ることもできる。海鳥の糞が積もったりして鉱山レベルで得られるところもある。  後にはもっと様々な、同様に使えるものが作られた。  それが基本で、いくつかの改良があった。それにはもちろん、その筒を作るための金属精錬・加工の技術が背景にある。  まず大きさ。大きいのを車に積んでいくか、または小さいのを人が持って運ぶか。  そしてその筒を、飛ばす塊と燃える物が入っている部分だけと、それを入れる長い筒に分けて、短い時間で続けて使えるように。長い筒の内部にねじ溝を刻み、飛ばす塊を回転させることでより遠くに飛ばせるように。飛ばす塊の内部にさらに下記の爆発物などを入れる。他にも実にいろいろある。  実を言えば、それは威力自体はかなり後まで弓矢より低かった。でも、その大きな音が、特に銃と初めて接する人々には圧倒的な恐怖を感じさせ、それを持つヨーロッパ人を神だと思わせて容易に服従させる効果があり、ヨーロッパ人が船で地球各地に進出した時代にきわめて有効だった。また機械技術で続けて使えるようになると、それは多数の槍と弓矢しか持たない非ヨーロッパ人の軍を簡単に皆殺しにできるようにもなった。  砲と呼ばれる大型のものは、それまで無敵だった石垣城壁を簡単に破壊でき、かなり戦法と世界の勢力図を書き換えた。  また、燃えて高圧の気体になる現象は銃以外にも用いられる。その周囲を密封し、敵のところに飛ばすか何かして敵のところに着いたら爆発するようにすると、密封している周囲の固い素材が圧力に耐えられず破壊され、それは複雑で多くの鋭利な刃を含む破片となって高速で周囲に飛び、人間を殺傷する。さらにその圧力によるきわめて強い風は建物を倒し、その残る熱は物を燃やすこともできる。  ちなみにその、燃えて高圧の気体になる現象は土木・鉱業にも重要だ。頑丈な岩を破壊する、しばしば唯一の手段になる。ちなみにそちらに有効なものは、燃えるのが伝わる速度が音速を超え、普通に火をつけただけでは燃えるだけとかややこしい区別がある。  さらに、その大量の熱が高圧の気体になり、それが物を破壊するものが新しい技術で進化したのが核兵器だ。  鉄より多くの陽子と中性子からなる密度が高い物質の原子核は、分かれてより少ない陽子でできたものになりたがる。そのときには大量のエネルギーを持つ光や加速された中性子など様々な素粒子をついでに出すことがある。  その中で、分裂と同時に高速の中性子を出してその中性子が別の、放っておけば崩壊する確率が低い同じ素材の原子核にぶつかってそれを崩壊させ、をずっと繰り返させれば、一気に大量のその素材の原子核が崩壊し、原子どうしの結合による燃焼などとは桁外れの熱を出す。  また、水素などごく少ない陽子と中性子からなる物質を、きわめて高い温度と圧力においても太陽の中心と同じことになってこれまた桁外れの熱を出す。  それを、上の「燃えて高圧の気体になる」と同じように扱うと、それこそとんでもない威力になる。強力すぎて実戦では二回しか使われてないが、それぞれ一発で数十万人の住む都市を完全に破壊し、十万人以上の死者を出した。さらにたちが悪いのは、それは密度が高い方の元素を用いたものだったし反応させる技術も非常に低いものなので、その燃え残りなどがばらまかれた。それ自体が普通の原子どうしの結合でも毒だし、またその原子が自然に核崩壊して出す非常に波長が短い光や高速の素粒子も人体を作る分子のつながりを変えたりするから多くのやっかいな病気を引き起こしたりもした。それがあるから残念ながら、それで運河を掘ったりはできない。  というか今は、何十億人もいる人間一人あたり、人間の何百倍もの大きさの頑丈な岩を粉々にできるだけのエネルギーでそれが作られている。なんというか、それが大量に作られてから五十年間、人類が滅びずにすんでいることが不思議でならない。今このとき、地球の主要都市全部が破壊され尽くしても全く不思議じゃない。バカとでも何とでも言ってくれ。  船・車・飛行機など移動技術や建築土木技術の改良も、即座に軍事技術に転用された。実際にはそちらのほうがずっと軍事力としては大きい。特に大量の食料や武器を生産し、高速で輸送することは圧倒的な軍事力になる。  あと主力にはなっていないが、人間にとって有害な物質や、伝染病の病原微生物を作ってそれをばらまくのも兵器として使える。本当は家畜や作物に対してそういう害があるのも同じような効果があるんだろうが。 ***徴兵 「巨大群れが大規模に戦うために大人数を集める」システム自体が大きく変わり、それは社会構造にはかりしれない影響をもたらした。  歴史から見ると、その巨大群れの性質によってもいろいろと変わる。多数の比較的大きい群れがゆるやかにつながっている形や、単独の家系に全員が厳しく統制されている巨大群れなどもあり、地域や時期、生活様式によってとても多様だ。  普通はどの群れも、まず自分の群れが攻撃されたら反撃することが中心だが、自分を含む大きい群れやその外さまざまな理由で、命令されたら戦力や労働力を提供することに決まっている相手がある。  また巨大群れが崩壊している時期などは、とにかく食わせてくれる、強い、神の子だといっている、逆らったら皆殺しにされるなどで力がある存在に従って戦力・労働力としての若い雄や、時には性欲を満たしたり衣類を織ったりするための若い雌、家畜などを提供することも多くある。  さらに金銭を得て生活するための仕事として戦闘を行う群れも多くある。  戦闘に従事する、特に馬に乗る、剣の所持などがそれ自体特別な許可が必要とされる上級の身分と同じことである、という地域もいくつもある。その身分は政治的な役割も果たし、後には戦闘を指揮する身分となった。  だが「革命」前後から、巨大群れの性質が大きく変わった。それまでの巨大群れの範囲よりもかなり大きい地域全体が自分たちを国家と呼んである種の擬人化操作を行い、文化などを共有する同じようなヨーロッパおよびアメリカである地域を国家として互いに承認し、その地域内のいくつもの群れを否定して一つの群れだと主張し、全員がその群れを守るため、そして後述する自由・平等という価値……事実上の新しい宗教……のために戦え、と叫んで全員で戦うことが制度化された。価値に対する愛、そして国家に対する愛を全員に強要し、そのために戦うというのがその後の世界で中心的なことになった。ヨーロッパの地勢上、どうしても統一大帝国が出なかったことから、いくつも宗教さえ違うが共通点がある国々が互いの存在と独立を認め合うしかなくなった。そしてその国家は、後に世界中のあらゆる群れが目標とするようになった。まあ世界を征服しほかの群れ全部皆殺しにすることの次善だが。  それまでの、全員について知ることができ、繁殖関係もわかっているような比較的小さい群れが自衛するためとか、宗教的な理由でかなり広い地域全体の、特に生まれた地で農業をやっていても豊かに暮らせそうにない人々が駆り立てられてとかとはかなり違う。  きわめて広い範囲から多くの人を集め、戦い方を訓練して戦わせる方法は、銃器や船の発達やよい指導者が出たこともあり戦争でも圧倒的な強さを誇った。それ以来その戦い方が多くの欧米諸国に広がり、また他の地域の人が西洋文明を真似ようとするときもまず真似をした。  具体的には、国家に属する全員の名前・性別・生年月日・婚姻親子関係を一つの書類に記入……それ自体は以前のキリスト教における教会による管理があり、東の島国でも近代化前から同様のことをしている……し、雄が十八から二十の決められた年齢になったら、抽選で一部または全員を暮らしている家庭・地域・仕事・学校から決められた地域に集まって戦闘群れに参加することを法的に強要する。  そこでかなりの長期間共同生活をし、上位者への絶対服従、近代的な時間に従う生活、生活習慣、近代的な銃の扱い方など戦争の方法を学ぶことになる。それはすぐわかる合理的なものだけではなく、要するに服従を徹底させるために、非常に細かな体の使い方について細かい規則で決められ、それに従わなければならない。一例をいえば通常の礼儀作法とは異なる敬意の表現がある。  そこでは食料・水・衣類・住居などが国家自体によって用意されることが多いのも特色といえる。それ以前は、戦争に行くときには自分の食物は自分で持参し、持参した貨幣で買い、なくなったら敵から奪うのが当然だった。それで必要な費用が跳ね上がるし、また社会全体が貧困なら近代的軍隊が唯一食える場であることも多くなる。  服従・時間・生活習慣・特殊な作法は近代の人間の根幹を成し、工場・学校・刑務所とも大きな共通性を持つ。それらのもとは多分宗教群れの、生涯独身で多くの平信徒を導くことをせず世間からはなれて自分たちだけで暮らす特異な集団だろう。  当然そこではさまざまな地域から集まる人々が円滑に情報交換できなければならないため、言語の統一がなされることも重要だ。普通は比較的狭い地域でのみ話が通じればよく、逆にすぐ言葉が変化して、川一つ越えた向こうの村とはもうろくに口から音で話す言葉が通じない、ということもあったが、そのような地域固有の言葉が禁じられて国家全体で言葉が統一された。統一されたのは言葉だけではなく衣服、入浴や排泄の習慣、そして食べるものにまで及ぶ。その統一は情報量を減らすことにもつながる。戸別村別に作られていた発酵品の禁止・廃絶、祭りなど魔術的伝承の途絶もあるし、森林伐採や過剰な狩猟・漁業による生物種の大量絶滅もある。  それこそ「立ち、歩き、座る」やりかたさえある意味特殊な訓練で統一され、たとえば日本ではそれが小さいころから全国民に強制されたために、それまでの武器操作法や踊りが骨盤の使い方のレベルで習得困難になったり、過去を再現する劇が不完全になったりしている。  それは学校教育の仕上げでもあり、そこで近代的な戦闘技術において必須になる集団での建設や機械の操作を学ぶことは、要求される期間が終了し、解放された後の仕事にも役に立つことが多かった。  またとてつもない大人数に、人数分の食物を毎日供給し、しかもその中で微生物にやられる、製造上毒が混じる、輸送上泥や海水が入るなどで食べられなくなっているものが極めて少ない割合でなければならない、という無茶な要求をこなすためには食料や衣類、武器の生産・加工・輸送など全てについて大きな変化が求められるのも当然のことだ。  非常に多人数が統一された行動を取ることは、銃器という武器の性質とも大きく関係する。銃器に限らず遠距離に物を高速で飛ばす武器は集団で同時に用いられたり、前進と援護に分かれて相互支援したりすると別次元の威力を発揮するが、大人数が銃器を用いる戦術は特にそれが顕著に出る。  徴兵と民主主義には密接な関係があり、戦争に協力した人間集団が自分も政治に参加したい、という声は近代以降無視できないことが多く見られる。  後には技術の進歩により、比較的短期間の訓練と最低限の読み書き程度の基礎教育で扱える兵器・戦法が役立たずになり、長期間の高い教育が必要になるにつれて、徴兵による大人数戦よりも、自ら戦闘群れに入りたいと志願した人々を集めることが多くなった。 **農業革命  ヨーロッパが近代化した頃に、農業でもかなり大きな革新があった。家畜に引かせる非常に重い鉄の農具で、これまで利用できなかった土地を利用できるようになった。また製鉄は転炉・高炉以前も発達しており、より広い範囲の森を切り倒すことができるようになっていた。緑肥の利用も知られるようになり、また寒い時期も家畜を維持できる上述の発酵飼料の技術も発達した。  それには宗教群れの独身集団が知識の蓄積をある程度していたことも大きい。  その農業技術の進歩による大きな人口増も、その革命には大きな影響を与えていると思う。  そしてヨーロッパが次々と別の大陸を征服し、先住民を皆殺しにしたり奴隷にしたりして、とてつもなく広い土地を手に入れた。  特にその低緯度地方は、歴史の様々な流れによって、非常に広い地域で限られた、直接の食料ではなく近代的な産業や生活を支える作物を作ることに用いられた。それも非常に特異な、ヨーロッパ本国とは異なり奴隷制を基盤にし、奴隷制が廃止された後も強い上下関係と大面積の土地所有・市場関係者によるきわめて貧富の差が大きく知識の蓄積が少ない社会・農業構造が大陸レベルで地域を支配している。  サトウキビ・アブラヤシ・茶・コーヒー・カカオ・タバコ・ゴム・木綿・香辛料・バナナなどをその生産に適した、しばしば大陸レベルで原産でない地域に持って行き、きわめて広い地域でほぼそれだけを作る。それらが主要穀物でないことに注意するように……そこで生活する人は、その地域で作られたものを食べているわけではない。それらはヨーロッパで貨幣と交換され、工業原料として、また工業に関わって生活する都市生活者によって新しい生活に利用されることになる。その農地や農具、収穫はすべてヨーロッパ人の上層階級が手に入れ、働いている下層労働者はほとんど何も得られない構造になっている。働いている人はその貨幣で穀物を輸入したり、またはその農地のごくわずかな一部で食料栽培を許されたりしてなんとか食べることができるが、世界全体の大きな市場でその作物の価値が下がったりすると食えなくなる。時にはそれが膨大な餓死者や故郷から離れて放浪する人々を生み、また大陸レベルで破産沙汰になることもあり、戦乱にもなる。  とはいえ、それを悪とみなすのも近年の価値観の一つによる評価で、もしそれがなければ彼らは楽園だったか、といえばそれも疑問だが。特に大規模な交易用農場をやる価値もなく政治的に交易を拒否し、近代医学による人口増だけという地域の貧困は恐ろしいまでだ。逆を言えば、わずかなプランテーション以外にはそれらの地域は根本的に使い物にならないのでは?搾取なのか置いてきぼりなのか……人間は、極度に貧しい人と豊かな人がいれば、豊かな人は貧しい人から奪っていると思いたがるが、多くは豊かな人が勝手に情報を活かして豊かになり、貧しい人は別にいままで通りの生き方をしていただけ、ということもよくある。要するに二つ島があって、一方が豊かで一方が貧しいときは、一つの島からもう一つの島に富が略奪されたのか、それとも二つの島にはそれほど関係がなく一方だけが豊かになったのか、よく見るとわからなくなる。  それはヨーロッパでの生活も大きく変えている。サトウキビによる砂糖、アブラヤシによる食用油や工業油や石鹸が、それまでは非常に高価なものだったのがヨーロッパでは貧困層も手に入れられる安価な物となった。千年前の王侯貴族でも驚くような贅沢を貧困層ができるようになってしまったわけだ。  農業に近代科学技術が応用されたとき、またものすごい生産量の増大が起きた。  まず試行錯誤のシステムが組織化され、またこれはかなり後だが遺伝や遺伝子について理解されただけでも大きい。また、時代精神の変化で、それまでは魔術的な穢れとして焼き払い殺し尽くしていた「珍しい生物」をヨーロッパの貴族が珍重するようになり、それを収集し、また科学的に研究されることも増えた。後にはよく研究され、目的に応じて改良された品種がユーラシア南東部でとてつもない食糧増産に結びついた。  より大きいのが作業の機械化と肥料・農薬革命だ。  作業の機械化、内燃機関の巨大な力を井戸から水をくみ上げる、木を切って耕すなどに使えることも大きい。大きい初期投資は必要だが、うまくやればとんでもない少人数でものすごい大面積の、それまで農耕ができなかった地域での農業が可能になる。  肥料・農薬革命がまた大きい。人間が生物について理解したことで、それまで経験則でしかなかった「肥料」についても理解するようになった。  肥料として植物が必要とする元素は多様だが、特に大量に必要で効果が大きいのは窒素化合物・リン・カリウムだ。  リンとカリウムもよい鉱山が見つかり、それを機械力で大規模に掘削し、巨大鉄船と鉄道で安価に運べるようになった。  だがそれ以上に大きいのが、大気中にいくらでもある窒素を、植物が利用できる窒素化合物にする技術だ。自然界ではそれは、大気の動きによる強い電流や、土の中の多くは豆などと共生している微生物や海の微生物によるほかはない。それを、高品質の鋼と内燃機関の力で可能になった高い温度と圧力によって大気から窒素化合物を事実上いくらでも作ることができるようになった。それによる増産は桁外れだ。  豆などを緑肥として利用することが計画的に行われるようになったのも、前段階としては重要だ。  まあ、そのやりすぎで流れ出す川や海が栄養過剰になる……単にその窒素化合物が流れこむ川に、所々広く浅い部分を作ってやって、特にそれが海に流れこむ部分周辺に浅くて広い海域を作ってやればいいんだが。とことん工夫すれば港湾機能を損なわずにそうすることもできるはずだが、そこまでやるほど人間の巨大群れは賢くない。  ちなみに窒素化合物は、上述の火薬・爆薬の主原料でもある。それが実質無限に作れるようになったのは戦争の規模を拡大するのにもとても強い影響があった。  また家畜生産も、特に比較的最近は高い効率を求める経済システムに対応するため、巨大な工場に近い設備で、きわめて土地面積当たり多数の家畜を、カロリーが大きい穀物や豆など人間用の食物で、産まれてから肉にするまできわめて短期間で済ませるシステムになっている。そのシステムでは伝染病を防ぐため、医学の進歩によって得られたあらゆる薬剤を大量に投入する。また冷暖房も必要になり、もちろんそれらは膨大な化石燃料エネルギーを必要とする。家畜化の度合いが低いミツバチさえも、世界の膨大な農業生産を支えるためにも大規模に自動車で輸送され、大量の砂糖水や穀物を処理した栄養を投入されるなど不自然な生を余儀なくされている。まあ残酷で言えば過去が楽園だったわけじゃないが、ある種の価値観を持つ人間の目にはとても残酷に見える。  ついでに、今最も豊かな層では、膨大なエネルギーと大量の、可視光線には透明だが室温に熱された土などが出す波長の光は反射する素材、長距離輸送や冷蔵などを用いて、「一年中あらゆる種類の新鮮な食物が食べられる」というめちゃくちゃな状態にもしている。  人間は様々な分子を人工的に大量に作り出す技術も覚え、その中には特定の昆虫や植物を殺すが人間には無害な物も多くある。それを大量に農地にまけば、手で苦労して雑草を取ったりしなくても、従来より多くの作物が得られる。  ただし、単一の物質には、繁殖までの期間が短い小型生物や雑草は容易に複製の間違いによって死なない変異した子ができる、要するに進化で対応できる。そうなると、農薬の投入をある意味魔術的に解釈するようなバカどもはどんどん薬の量を増やしてしまう。生物が長い時間の進化で作った毒は多数の毒をまとめたものだから効果は低いが進化で適応するのが難しいんだが。  また、そのような薬がやることは単純で、上述の土壌微生物も皆殺しにしたり、作物を食べる生物を好んで食べるより大型の動物も殺したりしてしまい、生物の活動が低い質の悪い土になる。さらにやっかいなのは、それらの中には生物によって分解されにくく脂肪に溶ける分子や水銀などの元素もあり、そういうのは……要するに動物は自分の体重を増やすのに、体重増よりはるかに多くの生物を食べ、その大半を体を温めたりするのに使ってしまうから、毒だけがより濃くなる。しかも多くの微生物を食べる昆虫がいて、その昆虫をたくさん食べる蜘蛛、その蜘蛛をたくさん食べる鳥や魚……となると、最初に毒を吸収した微生物はものすごい量になり、その全部が大型動物に濃縮されるから致命的なことになる。それを食べた人間にさえも。  そしてあまりに広い範囲に一本の木もなく、一年の半分以上は草も土壌微生物もいない状態で放置される巨大な畑は風や水のせいで表面の、貴重な土が急速に失われる。  ついでに、内燃機関の巨大な力と精密に加工された新素材を用いて、地下の深いところから大量の水をくみ出す技術もできた。これも、特に本来砂漠・草原である北アメリカ中央部の巨大な平原を空前の大収量農業地帯としたなど世界全体で莫大な農業生産の増大をもたらしている。といってもその地下水は、人類の寿命の何万倍もの時間で蓄積され、多分二度と同じ場所にはたまらない、一度使ったらおしまいの再生不能資源だ。同じく再生不能に近い土壌もとんでもないペースで失われてる。それを使い切ったらどうするんだか。  今このときも世界のかなり広い面積で農地を無駄にしてる。アフリカの南などではマメ科緑肥すら知らなかったり人畜の糞尿を無駄にしたりしている。ユーラシア南方では土から塩を抜いてなかったりする。北アメリカやユーラシアの東や北西のほうは、今は収量が多いが化学肥料をやり過ぎていたり、都市や道路に農地が浪費されてたりする。北アフリカの大河ではバカなことにダムを造ってせっかく五千年農業を支えた洪水による土供給システムを台無しにしている。南アメリカなど赤道に近い地域では元々雨が多すぎるため土が薄いところで、森そのままや水田ではなく畑作をやって悲惨なことになってる。それらをちょっと正しくしてやるだけでも農業生産は二倍にはなるだろう。  人類は、アリと違って農業牧畜はへたくそだ。昔から失敗ばかりしていて、試行錯誤を知ったはずの現代人さえいまだにうまくやれてない。貨幣ばかりの経済でしかも新しく奪った大陸を耕させてる連中は、千年後も安定して収穫できることより二年間大量に収穫できれば五年もしたら永遠に何もとれなくなるほうが儲かる、なんて馬鹿無茶をやりやがる。古代文明同様塩害で死にかけてる土地だって地球の陸地の何割になるか。それに深いところの地下水がなくなったら……というか本質的に、「世界は無限だ」という前提の経済なんだ。確かに一人の人間、小さな群れの視野で見れば世界は無限に広く見えるけど、現在の数十億の人類全体から見れば地球はそろそろ人数過剰な宇宙船でしかない。  といってもここで人間は誰か悪人がいる、と誤解しやすい。悪人が世界を破壊している、という物語が好きだから。でも悪人などいない、ただ皆が一生懸命に儲けようとしているだけのことだ。  さらに極悪非道なのが、現在地球全体で作られている作物の多様性の乏しさ、さらにその多くは超多収量の一代雑種だってことだ。遺伝子的に離れてはいるが交配可能な生物に子を作らせると、多くはかなり優れた性質を持つようになる。だがその反面、繁殖能力がなかったり、自家受粉させて繁殖させた子は非常に弱かったりする。世界中の農民は、いくつかの超強力利益群れが作った種を毎年買うしかない、売った残りを少しとっておいて翌年蒔いても芽が出ないんだ! これはもう全人類の生殺与奪がごくわずかな人間に握られていると言っていい。その利益群れの気まぐれ一つで、一大陸のほぼ全員何十億人を餓死させることさえ簡単にできてしまう。よくもまあ平気で安眠してるよ。  一般論として広い農地に強力な機械と化学肥料を用いると最も大量に、量あたり少ない貨幣で食物を生産できる。そのためには最低でも鉄道網とそれに連絡する良港が必須だ。  逆に広い農地を持ってはいるが、群れの構造として高い地位にある地主の家と、それに代々従属する多数の先住民という構造が残っている地域では、一般に高い技術を用いない。また無数の、ごく狭い土地を自分で所有する農家によって構成される農業地帯は、単位広さあたりの収量は高くなるが全体としての価格は広い地域に機械を用いる農業にはかなわない。  農地の所有は繁殖関係群れにとってきわめて重要なので、その制度を変えるのは難しい。また、特に近代化など動乱期には、小規模な農家は凶作の時に高利の借金を負い、それによって土地を失って都市貧民となり、カネを貸す側が広域農家になることも多い。ただしそれに、共産主義が土地分配を求める声があるので歴史の流れに応じてややこしいことになる。  さらに水に恵まれた農地は都市にも適しているため、都市の拡大につれて農地が都市になってしまう流れもある。  さらに後述する冷蔵庫などを用いた、食物の保存技術の発展も著しい。水が固体になる温度以下ならほとんどの微生物は活動できない。また軍事のために開発された、完全に水を通さないほど密封を保ったままガラス瓶や鉄の箱、炭化水素を組み合わせた水を通さない薄い材質に極薄の金属をはさんだものに食物を入れたまま加熱する方法、さまざまな乾燥などがある。  そうそう、近代的な素材や熱機関を備えた鉄船は漁業生産も桁外れに増やしてる。それで一番早く地球自体の限界が出てきているな。  特に悪質なのが海の底を引きずる網で、それは人間が好んで食べる海の大型動物全ての子供を全滅させる。  また高価な大型魚を、より安い小型魚を大量に食わせて狭い場所で牧畜のように養殖する技術もあるが、それも大量の薬や食べ残しで海を汚染しているし、食糧になる小型魚がとれなければどうしようもない。  さらに魚が卵を産むのに必要な浅い水面を港などのために掘り下げ生物が住めなくしている。  この調子でいけば、もうすぐ世界全体で漁業は崩壊するのは間違いない。  あと巨大な海で暮らす哺乳類も人類は絶滅させかけて、最近はそれに妙にこだわってる。多分宗教的な理由だろうけど。 **電気技術・エネルギー  これもちゃんとは解説していなかったか、クーロン力はやったけど電圧電流については……一つの電子、電場の性質は前に説明した通りだが、多数の原子が集まると、その多くの電子の一部が一つ一つの原子に固定されたままではなく、動き回ることが多いものがある。それが液体の流れのようになることがあるんだ。そう言えば人間は、水の流れに関する言葉で電流を説明しているが、それも正しいのかどうかわからないな、別の世界になら別のたとえ言葉があるかもしれない。  電気の流れは、電圧とよばれる電磁気力による状態の差があり、そこに自由電子が多い電気を通す物体があれば生まれる。電圧を生みだすにはいろいろな方法がある。代表的なものの一つは化学反応の延長、もうひとつは電磁誘導。それぞれ説明すると、たとえば複数の違う元素の金属を色々溶かした水に同時に浸すと、その中で電子が一方の金属の原子に移動したがることがある。その状態のまま、水とは別に金属どうしを自由電子の多い金属などでつなぐと、そこを自由電子が移動し、結果としてその金属どうしの液中での反応が早くなることがあるんだ。最終的には両方の金属が何かで覆われたり溶けてしまったりするまで続くんだが、それまで自由電子が動かされることで金属をつないでいる金属が熱を発したりいろいろする。それは非常に秩序のレベルが高いエネルギーで、工夫次第で熱・光・運動・化学反応など色々な形で使える。また同様の現象を起こす方法に、電磁誘導を使うものがある。電場と磁場の変化が互いの変化を起こすことは説明したが、磁場の中でさっき言ったような自由電子が多い金属……導体を動かすと、その自由電子の動きは「電場が動く」ことと同じになる。だから磁場と電場を変化させ、自由電子に一定の方向の力が加わることになる。最終的にその金属が別の所でつながっていれば、流れても元の所に平行移動みたいに帰ってくるからそれをやった前後で電子を不自然に失った原子が出るとかはない。その電子を流す力は上の、二つの金属とその間の色々な物の溶液と似たような働きをするんだ。その電気の流れは、ものすごい速度で導体内を伝わるが、導体が全体としてどんなに長くても閉じた輪になっていなければ通らない。だから電圧をかけたまま、導体の一部を切り離したりつなげたりすれば、別のどこにでもオンオフのデジタル情報を高速で伝えることができる。  電圧の変化を伝える物質を長い線状に加工し、二本並べて互いにぶつからないよう電気を通さないもので覆う。一方の端で、二本の線の電位が違うようにすると、もう一方の端ではいろいろなことができる。最も適した金属は銀だが希少なため銅が用いられる。電気を用いる技術文明は鉄と同じく、高純度の銅を膨大に消費することも忘れてはならない。将来的には、超低温で一部の金属やいろいろ混ぜたものの電気抵抗がゼロになる現象があるため、それを利用したいのだが、その超低温と現在我々が生活している体温前後の環境があまりに違うため難しい。体温前後でもそうなる物質があればいちばんいいんだが……  電子の動きは水の圧力と流れによく似たエネルギーの伝達経路となり、そのエネルギーは非常に秩序のレベルが高いため、発熱・光・磁力・力・化学変化など多くのことをすることができる。また電圧波の伝播は光速ほどではないが非常に速く、情報伝達手段としてもとても有用だ。  線を用いず電波を用いた電力のやりとりは今のところ研究中。宇宙で太陽光から得たエネルギーを地表に送るのに絶対必要な技術なんだが、原理的にはできるが現実にできるかは不明だ。  発熱には、単に電気を通しにくい素材や、電気を通しやすい素材でも極端に細い線にすれば熱が出る。他にも空中放電とか渦電流とか特殊な波長の電磁波で水分子を振動させるとかいろいろある。逆に言えば、普通の電線も実はかなり熱を出し、電圧を消耗している。体温以下から、酸素と他の原子の化合では到底出ない超高温まで自在に出せる。  電気を用いて光を出す方法は一様ではない。発熱と同じように、細く非常に高い温度でも溶けない物質を、化学反応を起こさない気体の中で電気を用いて高熱にすると、加熱された素材の原子自体が光を放つ。むろん室温でも光は出しているが、人間はそれを見ていないだけのことだ。最初は植物を加熱した炭素を用いたが、後にタングステンが用いられるようになった。  他にも空気中で端を近づけると、電気が空気の原子を壊して通ってしまうこともあり、そのときも膨大な熱と光が出る。さらにそれを空気中でなく、非常に空気の圧力が小さい密封ガラス容器でやると、比較的低い電圧でも光を出せる。さらに水銀やナトリウムなどを用いればより効率的にもできる。また、後述する半導体技術を応用した発光技術もある。もちろんどれも無駄な熱がたくさん出る、それこそ熱力学第二法則だ。  上述した磁力は電場が変化すれば、つまり電気が導線中を流れる量を変動させれば起こすことができる。電気を用いた磁石も結構使われる。非常に強力な磁石は、電気を使うのも使わないのも技術水準の底上げにものすごく重要だ。今の水準から桁外れに強力な磁石ができたとしたら、それは核融合の実用化すら可能にするかもしれないんだ。  そして変動する電流は、一度磁場の変化にしてまた電場の変化にすることによって、電圧などをほぼ自由に変動させることもできるし、また電力による磁力を利用して、大量の銅と鉄を用いるが軸を回転させる装置がある。これはきわめて広い範囲で、多くの機械の動力に使われる。  その力を用いた、とても面白い装置が冷蔵庫だ。熱力学第二法則からいっても、加熱するのは簡単だが冷やすのは難しい。その技術ができるまでは、ものを冷やす方法は制限されていた。まず地下水が体温よりかなり低い一定の温度であることを利用して地下水を用いるか風を起こして水を蒸発させるか。水が固体になる温度を得るには、それも温度が年間・日間大きく変動して水が固体になる地域で、固体の水を寒い時期に取り出して地下に入れ、さらに周囲を穀物の藁や殻など断熱材で覆い、暑い季節にも少し融け残っているのを用いるか、高い山などからその方法で運ぶかしかなく、当然とてつもなく高価なものだった。だが熱力学の研究が進み気圧を制御するポンプや密封された管の技術も進むことで、機械的な力を用い、熱のほとんどを大気を少し暖めることに使うことで、部分的に周囲の気温より低い状態を作り出すことが可能になった。もちろん熱量保存則によって熱を逃がす大気を含めれば温度は変わらないし、熱力学第二法則で発電所も含めれば全体は無秩序になっている。この技術は贅沢な層の生活を快適にするだけでなく、肉・魚・果物・薬などを腐りにくい温度で保存することでさまざまな食物の長期保存・大陸間輸送を可能にし、それは世界各地での農業牧畜漁業の桁外れの成長・きわめて多い人数の人間の栄養状態の大きな改善に結びついた。  電気によって起こせる化学変化も実に多い。原子は電子と原子核という反対の電荷を持つ素粒子でできていて、原子の結合の多くで電気の力が用いられている。だから電気によってそれを引き離したり強引に結びつけたりもできる。アルミニウムやチタンは電気を用いなければ事実上酸素から引き離すことができない。逆に電気や磁気を調べることによる分析も非常に有用だ。  単純な情報伝達は、上記の電位差~導線~使用部~導線~元の電位差の回路が一部でも切れたら使用部が電気を使えなくなることを利用すればいい。つまり導線の途中に、意図的につないだりはずしたりできる部分を作っておき、使用部は「電気がつながっている」「はずれている」を検出するものにすれば、少なくとも0と1というか2進数情報なら長距離まで高速で送れる。後に説明する情報革命でも、海底ケーブル網の重要性は結構大きい。初期は時間で、長い・短い・空白の三つで表現される信号が使われていた。  もちろんそれは、機械としての制御にも用いられる。電気文明には、電気を通すものだけでなく、電気を通さないものも非常に重要だ。もしものすごく電気を通さない素材があれば、それも文明にとって価値の高い素材になる。というか人類が電気文明を作ることができたのも、空気が電気をかなり通さないからだ。  また電波を用いる情報伝達もある。というか光を用いた情報伝達自体がそうだ。だが電気を使うことができるようになると、人間の目には見えない実に様々な波長の電波を使うことができるようになった。ちなみに、これは地球の大気の構造が、なんというかそのためにあつらえたようになっていたことも幸いした……非常に高い部分だと上に積み重なって地球の重力に引かれている空気分子が少ないし宇宙からいろいろな高エネルギーの光などがあるので、分子がばらばらになったりいろいろしているが、その中にある波長の電波をうまくはねかえして、大陸間レベルの長距離でも電波で情報を送れるようになった。  詳しくは後述するが、電線・電波で音声を伝達できるというのが最初の大きな応用だった。  その電力を得るには、実をいえば上述の電気を軸の回転力にする装置を電源から切り離し、出ている導線を電気を使う装置につないで、軸を強引に回してやればいい。回転力の利用は、それこそ風車や水車の時代から人間にとってはお手の物だ。現実にダムを用いた水車による発電はもっとも下記の評価基準では評価が高く、電気文明の初期は多くの地域で水力発電が主になる。  これからの世界では、燃料を用いないでいい風車による発電を主にすべきだともいわれている。  蒸気機関車や蒸気船と同様、火というか熱さえあれば蒸気タービンで電気を得られる。  もちろん木を使っていたら足りないから石炭、そして後に石油や地中から出るメタンなどを燃やすようになった。人類全体ではこれが圧倒的に重要だ。  火の替わりに陽子や中性子が多く不安定な原子核を持つ元素が核分裂をして出す熱を利用する原子力発電も実用化されている、といっても核分裂をする物質は生物にとって危険だから問題が多いが。核融合はまだ実用化されておらず、絶対に不可能だという人もいる。  太陽光発電は下記の、半導体技術を用いて日光から電気へのエネルギー転換を用いる技術だ。  本質的には植物が光合成で日光のエネルギーを用いて水や二酸化炭素の原子を組み替えているのに似ている。というか植物を燃やしてエネルギーにするのもある意味太陽光発電だな。  それらの発電手段の評価として、あるエネルギーを発電するために、どれだけのエネルギーが燃料・施設建設資材などで使われるかと、そのまま永続できるかがある。人間にとっては評価は総合的にカネにまず換算されるが、それにはその群れの政治力が関わるためはっきり言っていいかげんだ。水力発電が圧倒的に優れているが、地形の制約がある。  その発電所から、少なくとも都市部のいたるところに電線で電気が通じ、今の地球で最も豊かな生活をしている人々の巣などの壁にある穴からたくさんのエネルギーを取り出すことができる、というのが今の我々の生活のいちばん面白いところだ。  電気の力を、発電所から離れた小さい機材で用いる技術も発達している。もちろん内燃機関と軸回転発電機でもいいが、それを人間の指ぐらいの大きさにするのはちょっと無理だ。  だが電流が発見されるきっかけになった技術、金属原子の電気的な性質が元素ごとに違うことを利用した電位差は、非常に小さくしても二つの金属を電気を少し通す液体っぽいもので隔てるだけで起こせるから、相当小さくできる。  使い捨てのものもあるし、逆に電気を流してやってまた電気を出す能を回復させられるものもある。  これから電気自動車ができるかどうかは、その回復できる電気を出す装置の性能に大きく依存している。逆に言えば、我々の宇宙に存在し、人類が地表で簡単に手に入れられる物質ではそんなに強力なものができなかったから、今走っている車のほとんどは電気自動車じゃなくて内燃機関自動車なんだ。その制約はどこまで本質的なんだろうな。  前に言った、電気抵抗がゼロになる現象や、ごく薄い真空や全く電気を通さないものを電気を通すものではさんだ装置も発達すれば大量の電気エネルギーを持ち運べるともいわれているけど。 **半導体・情報革命  他の条件によって、電気を通したり通さなかったりする物質がある。それは非常に小さい回路をつないだりはずしたりする器具にできるし、他にもいろいろなことができる。超高純度のシリコンやゲルマニウムなどに適切に不純物を混ぜることによって、必要な性質にできる。  それを作るのには超高純度の単元素物質精製技術、高精度加工技術……印刷技術さえ応用される……など技術全体の底が高いこと、それらのものや非常に小さい領域での電気の動きを理解するために、極微の世界を支配する量子力学が理解されていることなどが必要になる。  ちなみにそれは応用として、光を電力に転換する太陽光発電や、逆に電気から少ない熱で効率よく光を出すこともできる。他にも冷却とかもっといろいろできるはずだ。  そのスイッチはそのまま0と1の二進法になり、さらにそれを数学的な論理にあてはめることによって、計算をはじめとした情報の処理……人間がしている思考にも近いことをさせることが可能となった。  超高速の計算自体近代社会にとって非常に重要だ。具体的にはまず大きな銃の弾丸がどう飛ぶか……それこそ海を越えて別の大陸に着弾するものまでいくし、建築物や船の強度、天体の厳密な動き、新しい素材や薬物の分子レベルの設計、核分裂爆弾に必要な複雑な爆薬の精密な配置などあらゆる科学で決定的に重要になる。  その二進法による計算そのものは、原理的には歯車と紐や水流でもできるが、人間が扱える素材で実用になるのは電気を用いる方法だけだった。歯車などでやろうとすると単純な計算にもとてつもなく巨大で、あまりに多数の壊れやすい部品のどれ一つが壊れても使い物にならず、膨大な熱を逃がす手段がないので実用にならなくなる。  もちろんそれを可能にする、数学自体の発展……ある手順を繰り返せばそれだけで正解が得られる、0と1だけで描けてさらに最も短いシステムができていったことも必要だった。  その最初の応用は、ごく弱い電力でしかない電波による信号を、信号の情報を保ったままより強い電力にすることだった。  まず電話について解説しようか。音は大気圧の変化であり、つまりどの時点でどれぐらいの圧力かという一次元の情報にできる。それから磁石を利用して電圧を作ればその電圧の変動は圧力の変動に対応している。その電圧をそのまま電線を通して送り、電線の向こう側ではその電圧を電気的な力や電気を用いる磁力にし、その力で板を押せば、その板から出る振動は元の音と一致している。  それは電線だけでなく電波をはさんでも本質的には変わらないし、近年は光の波長、さらに短い波長でより高密度の情報を伝え、また保存する技術が発達している。  さらに圧力と時間の関係を直接伝えるのではなく、短い時間で時間を分割、その分割された一つの時間での平均的な圧力を送ればごく少ない、0と1の二進法で管理できる情報にできる。それは人間の能力では連続した変化と区別できない。  その情報を変えないまま強くしてやる必要はある。それを可能にするのが別に電圧をかけられると電気を通しやすくなるものだ。  ただし、0と1の二進法を処理して計算を行うシステムに電気と高純度シリコンが必須というわけではない。はっきりとわけられる二つの状態と、その状態から別の部分に情報を伝達するものさえあればいい。糸と木でも、水と管でも作れるし、現に生物の神経細胞や単細胞生物の一部はそれをやっている。電気抵抗がゼロになる現象を用いれば高純度シリコンより優れたものが作れるともいわれているし、他にも量子力学上の現象、DNA自体を用いたものなどいろいろ提唱されてはいる。 **マスメディア(情報を大人数に伝える技術)  情報自体は、ヨーロッパ文明において電気技術が発達する以前から印刷・製紙や筆記用具の発展という形で大きく発展していた。各国で自分が普段使う言葉を書くようになり、また数を書く方法がよりわかりやすくなった。  多数の人間に対して同一の情報を伝えるシステム自体は昔からあった。 ●群れの中で踊る……動きがはっきり見える範囲、一瞬で消える。 ●群れの真ん中で大声で物語る……人間の声が届く範囲、せいぜい数百人にしか届かず一瞬で消える。 ●巨大な像や建物を造る……膨大な人数がきわめて長期間見ることができる。費用がかかり比較的単純な象徴的な情報のみ。 ●文字で書く……手で持てる大きさだと、一度に数人しか見ることはできない。長期間使える。識字者にしか伝わらない。 ●文字を建築の装飾にする……情報量がかなり多く、膨大な人数が長期間見ることができる。膨大な費用がかかり変更が困難。識字者にしか伝わらないが、図像を併用することである程度非識字者にも伝えられる。 ●文字で書いた文書を各地の文字を読める人に送り、文字を読める人が声に出して読む……かなり広い面積・多くの人に伝わるが、文書の手書き複製・輸送・各地に命令に従う識字者を生活させるコストなどがかかる。地方の伝達者が情報をゆがめるリスクもある。  それが印刷技術と安価な紙によって、膨大な人数に同じ内容の、それも大量の言語情報を伝えることができるようになった。またそれは、より多くの子どもに文字の読み書きを教えるのにも有用であり、それがより豊かな世界となり、その豊かさがより多くの読み書きできる子どもにつながるという好循環も起こした。  その条件自体はユーラシア東側でもある程度整っていたんだが……  その印刷は、長期間読まれる本だけでなく、毎日・毎週などより短い周期で新しい情報を届けるのにも用いられるようになった。  それが社会に与えた影響は計り知れない。きわめて多くの人間が同じ、しかも最新の情報を得ることができる。  人が主に知りたい情報はまず戦争、犯罪、そして貴族や俳優など多くの人に美貌や地位の高さで注目されている人の恋愛や性的犯罪についての覗き見だ。物語を文章表現したものなどもかなり好まれる。  下で述べる視聴覚情報を含め、情報を多数の人に伝達する方法ができたことで、非常に多くの人からなる社会が一体感を持つようになったり、また一つの情報が瞬時に全体に広がり、群れの多数の価値観が変わってある目的のために行動したりすることが多くなった。  さまざまな製品を作る人々や多くの芸術家たち、そしてさまざまな宗教群れや自覚せず宗教をやっている人たち、さらに国そのものなどが「自分の発信する情報を多くの人に見て欲しい」と情報関係の資源……情報技術が発達すれば、「見る人の時間」という最後の希少資源を争っているというのが近代の本質でもあるか。 ***広告  そしてマスメディアの重要な側面として、利益を得るために行われる広告がある。  特に都市部では、たとえば同じ葡萄酒でも、たくさんの人が作って売っている。どうすれば多くの人に買ってもらえて多くのカネが得られるだろうか?  もっとおいしい物を作れば、飲んだ人が別の人にうまかったと伝え、そのいい評判が広がればたくさんの人が買うだろう。  宗教・軍事・政治群れに認められれば……うまく最上位者に飲ませて気に入ってもらったり、または群れを動かす人に賄賂を渡してその群れではその人が造った酒しか飲まない、としてもいい。  暴力的な群れを組織して同業者を潰すのもありだが、それは国家内部の暴力を嫌う国家自体によって犯罪とされるリスクがある。  もう一つ、印象の強い絵・言葉・音楽・装飾などで、通りがかりの人に印象づける方法もある。人に注目されるというのは群れ内での支配・魔術でも重要だが、多くの同業者の中から何を買うかについても決定的な力がある。  大量生産による厖大な生産物を売りさばくには、あちこちにある店に輸送する技術と、多くの人に訴える広告の技術が必須といえる。  その広告の中でも、マスメディアを、まして視聴覚情報を用いる物はすさまじいまでの力があり、莫大なカネを動かす。  マスメディアの中での多くの文化は、その広告を財源としているものが多いほどだ。 ***視聴覚情報技術  見たものは、昔から絵にして情報を送ることはできていた。  音はある意味どうしようもなかった。  比較的最近は印刷技術の進歩によって、かなり安価に絵そのものを印刷して売ることができるようになった。  文字と絵をうまく組み合わせたメディアも重要だ。昔は文字が読める人などごくわずかだったから、特に宗教群れが人々に教えを伝えるのにも絵が用いられていた。  近代的な印刷以前にも、たとえば木の板に刃物で溝などを掘って絵を描いたり、金属の表面に塗料を塗って針を筆代わりに描線部分だけ塗料を削ってそこだけ錆びさせたりし、それを印刷するように用いて同じ絵をたくさん作ることができた。  電気技術が発達すると、音や絵も0と1で表現される情報にして記録・加工・遠距離通信ができるようになった。  先行して発達した技術が、光・音双方における情報記録技術だ。  まず光については、分子が光にあたると変化する性質を利用し、さまざまな素材を試して銀の化合物のごく小さい粒を薄く薄板に塗り、それに光を当てることで当たった時の陰影差を保存し、また見ることができるようにする、さらに同じ光情報を持つ薄板をたくさん複製したり、さらにはそれを色点の密度で近似して印刷したりする技術ができた。  また、それをごく短い時間ごと多数同じ方向から来る光を記録し、それをすばやく次々に見せると……動くものは少しずつ変化する静止画の並びになる……人間の認識能力ではそれを実際に物が動いているのを見ている状態と区別がつかない。それを利用して、多くのいろいろな時間や場所にいる人に、たとえばある場所で人が斬りあっていたりするのを「そのまま見せる」ことができるようにもなった。  より多くの人にその像や動く像を見せるには、決められた色の光だけを吸収し残りはそのまま通してしまうような素材にその像を写し、それを通した強い光を布などの白い面に当てれば大きいのが簡単に得られる。  また、音を保存する技術も前後して見つかった。音は振動であり、圧力の変化だから、その圧力を検知してそれを、ある直線を通る溝の深さにし、その溝を鋳型にしてより丈夫な素材に移して固定すれば保存・複製できる。その複製の一つに、尖った棒で溝の深さを計らせそれを機械的な圧力にすれば再生できる。さらに上記の、電気的な増幅技術を用いれば大音量でも再生できる。その溝を直線ではなく、円盤状の板にらせん状に配置してやれば、携帯しやすい円盤として保存することもできる。  その技術が集まったのが映画だ……昔の劇と同じような場を作って暗くし、人が演じる舞台のかわりに布などで壁を作り、それに上記の光で動く絵を出してやる。最初は音はなかったが、後には電気的に増幅された上の音の複製を同時に流し、完全に人の動きと言葉と、更に音楽まであわせて演じさせることができた。  これらの技術は当然、それまでの娯楽であった劇や音楽のように、見る人の近く、同じ時間帯にいる人による演技演奏設備を必須とさせなくなったことも当然だ。それによって、それまで街の飲食店や金持ちの食卓にも演奏家が必要とされていたのが変化し、同じ音楽があらゆるところで聴けるようになったわけで、それがどんな影響を社会に与えたか想像もできない。逆に新しく、それに関する技術者や俳優などの仕事を作ったのも当然のことだ。  さらに、光があたることを電気の有無にする素材ができたこと、伝記情報処理技術の発展により、光と音の情報を容易に電子情報として保存・複製・電送することができるようになった。  書類を、色のついた汚れさえも一枚の絵として、電気力で紙にくっついて加熱によって定着する粉末状塗料によって同じ絵を瞬時に大量生産できるし、その途中の電線を電話線に乗せることで遠くに絵を送ることもできるようになった。  紙の中の決められた座標に小さな色を載せるかどうか、さらにその大きさか密度も制御できるとしたら、それだけで濃淡による絵をそのまま送ることができる。また人間の目は本来連続的な色情報を三つの色の混合とすることもできるので、原理的には三色の点を別々に印刷できれば色のついた絵を情報化・印刷することもできる。実際には明晰な像を得るには光がない状態である黒と特殊な赤も必要とされるが。  映画の映写も、従来の印画紙に光を当てる方法だけでなく比較的小型化することに成功した。最初に普及したのが、真空管の中で高速に加速した電子を発射し、それが特殊な物質を塗ったガラス面に当たった時に反対側に特定の色の光を発する事を利用し、その電子を電磁場で曲げながら下で言うように面を走査する方法だ。その後はデジタルにより適した、より薄く軽い技術を求める競争が起きている。  さらにその電気の有無を情報として考えることにより、劣化しないデジタル情報として扱うこともできている。そのデジタル情報は本質的に無限に複製しても劣化しないし、容易に修正が可能だ。  ただし二次元で連続的な光の波長からなる情報である画像を情報とするには、限られた範囲で光を受け、その受けた範囲を非常に細かく格子状に分割し、その格子を最上段を右から順に、それが終ったらその下の段……と走査して情報とし、その一つ一つについて上記の三つの色の検出器をつけるほかない。その格子の数、そして動くように見える映像の場合には記録する時間と一枚記録してから次までの極短い時間で出る膨大な数、ととにかく膨大な情報量になる。  それは演劇同様に芸術と娯楽の両面がある情報商品となる。  娯楽としては人間が絵や音声、文章による物語だけでも性欲や攻撃欲をある程度満たすことができ、それを描いた情報そのものを求めるようになり、それが高額で多くの人に売れるようにもなった。もちろんそれは文章や単純な絵の時代からもあり、それは売春と同等視され性を嫌う宗教道徳により禁じられることが多い。  また視聴覚情報を情報として読み取るシステムは、まだ発展途上だがさまざまな応用がある。聴覚だけでも、たとえば機械が動いている音を別の機械に聞かせて読み取らせ、平常運転時にはしない音がしたら修理の必要を人間に告げることが可能だ。 **観測・測定機器  ものを見る技術の進歩、目の拡張も重要だ。  それにまず用いられたのがレンズ。特殊な曲面でできた、光を通す材質でできた板。具体的に主に用いられたのはガラスだ。  物質には光を通すものも通さないものもあり、跳ね返したり色を変えたり色々する。水も空気も質のいいガラスも人間が見る光を通すが、水と空気、空気とガラスなどの境界で、光が進む角度が変わる。ガラスを適切な曲面にすれば、光を集中させられる。  ガラスの加工技術の向上で、その特殊な形を作ることもできるようになった。といっても本来なら、少量の水が何かの表面についたときとか、偶然流水の中で削られた硬く光を通す石などがそれができるようになっただろうし、人間が見る光を通す柔らかかったり水で溶けたりする石は結構あるから、ある程度は知られていたのだろうが……なぜもっと昔から利用されていなかったのかは知らない。  単独でも薄いのを目とちょうどいい距離に固定すれば、うまく物を見ることができなくなる症状の一部ならまたよく見えるようにできる。  さらに二つうまく組み合わせれば、目が極端によくなったように、または遠くに自分が行ったように、非常に離れ普通にはぼんやりとしか見えない場所をすぐ近くにあるように見ることができる。  また別の組み合わせ方では、人間の目ではぼやけてしまって細かく見ることができない非常に小さいものを見ることができる。  どちらも非常に多くの発見をもたらした……残念ながら人間の愚かしさにより、それを「今まで知らなかったことを知る」「利益を得るため」に用いたのはかなり遅くなってからだが。  遠くのものを見ることで、軍事的な有用性はもちろんだが、天文学が飛躍的に進歩した。大きなガス惑星の衛星を見ることもできるようになるなど、物理学が決定的に進歩する最大の要因となった。  小さいものは、目で見えない微生物を見ることができるようになり、それは近代医学の進歩に大きな役割を果たした。  他にもより小さい加工精度を確認したり、岩石の結晶構造を見たりすることもできるようになった。  また光そのものを、波長ごとに分けて見ることもできるようになった。元素の種類によって放つ電磁波の波長が違うから、遠い恒星の成分を分析したり、また高熱で溶けている金属の温度を厳密に測定したりもできるようになった。さらに人間が見ることができる限度を越えた、非常に短い波長の電磁波は、物を透かして見たりすることもできるようになった。  より小さいものを、またはより遠くを見たい、という近代文明の情熱は非常に強く、それはそのままあらゆる機器の精度・素材の純度など科学技術水準の向上に結びついている。  より小さいものを見たい、というのはそのまま、波長が短いほど一つの波が持つエネルギーが大きいという性質があるため、とにかくよりエネルギーが大きい超短波長電磁波、さらに宇宙線にあるような光速に限りなく近くまで電磁気力で加速された電子や陽子をぶつけあう実験にまで至っている。 **住居  住居の革新としては、都市部において上下水道・エネルギー・情報が普及した地域が多いことがあげられる。  後述する近代医学によって上下水道が伝染病の発生を食い止める効果が大きいことが判明したため、近代国家の多くはかなりの力を入れた。  またまず石炭を酸素を供給せずに加熱して得られる可燃性の常温で気体になる炭化水素を照明に用い、さらに上述の電気を用いるようになった。  調理・暖房用のエネルギーも従来のように薪ではなく、まず石炭を用いるようになり、その石炭を鉄製の効率のいい器具で燃やすようになり、それから石炭から得られるものや石油に付随して直接得られる可燃性の常温で気体になる炭化水素を、最終的には地中を通る管を通したり、または頑丈な鉄の容器に高圧で封じたりして供給するようになった。  電気を電線で供給すると同様に、導線に電気を通じさせて音声情報を各地につなげることができるようになった。また安価な紙・政治的な安定と良好な治安・輸送交通網の発達・情報処理技術の発達などは、従来はきわめて不安定でまれであった紙に文字を書いた情報の個人間の交換が、公的事業として国家の隅々の誰から誰へでも届くようにもなった。  地下にも、棒で支えられた空中にも、ゴムで覆われた銅線や水管などさまざまなものが張り巡らされ、また道も高度に舗装されることが多くなっている。  建築レベルでの住居そのものとしては、上述の鉄と人造岩とガラスによる建築が住居にも使われるようになったこと、またアルミニウムとガラスとゴムや合成素材を用いた、外光が大量に透過して軽く開閉でき、完全に住居を密封できる技術ができた。欠点も多いが、特に寒冷地では暖房を大幅に節約できる技術といえよう。  素材の革新は他にもさまざまな影響を与えているが、本来の可能性に比べて革新は小さい印象を受ける。やはり人工の高度な素材は高価になることや、人間の保守性は特に住居についてははなはだしいからだろうか。  また、近代以降の国家は不思議なことに、巨大建築にあまり関心を持たない。昔の文明以上に大きい建築をすることはあるが、どれも宗教でない使用目的が明確にあるものばかりで、支配者の墓などで巨大な建築を作ることは基本的にない。信教の自由という建前があるからか、それとも情報技術が違うからか……正直わからない。 ***照明  近代的な生活習慣で非常に重要になるのが上述した時間を計測する装置と、光を出す機械だ。  人工的な光を豊富に使えなくては、太陽が見えなくなれば寝る習慣を捨てて機械を無駄なくずっと使い続けることはできない。  昔から人類は火を光源として使ってきた。というか事実上それしかなかった。液体の油は持ち歩きにくく危険で、ミツバチの巣や室温で溶けない動物の脂肪を用いるものは高価だった。  それがまず、海の大型哺乳類を効率的に狩猟する技術が発達し、その厖大な脂肪が用いられるようになって光のある生活が一気に身近になった。人間の一般則は、一度覚えた贅沢は簡単には捨てられないしどんどんエスカレートするというものだ……海の大型獣が減少してから、石炭を加熱して出る気体や石油、上述の電気を用いる方法で、安全かつ安価に豊かな地域の都市部全体を明るくすることが普通になった。  特に電気による照明は、巣や都市自体をほとんど汚染しない。まあ熱力学第二法則に例外はない、見えないところでより大きな無秩序は放出しているが。  都市部では人工的な光で道を常に照らすことで、闇に紛れた犯罪の多くが予防できるようになり、より安全に生活できるようにもなった。生活の安全は社会の信頼を生み、その信頼はそのまま貨幣や債券などを通じて経済システムを下支えする。 **近代医学  もっとも影響力が大きいのは医学の革新だ。端的に言えば、それまでは十人子供を産んで一人か二人生き残れば幸運だったのが、近代医学が用いられれば事実上全員が大人になるようになった。生まれた子供で生殖年齢までに死ぬ率、出産前後に雌が死ぬ率が低下した。それは家畜についても同様であることを特筆しておこう。  まず、人の死体を直接刃で切り刻み内部を見て、実験さえすることが多くなった。他の文明ではそれは魔術的・宗教的理由で厳禁されることだ。  もちろん古代文明のミイラ作りなど人体についての知識を持つ人もいたが、その知識は魔術と結び付けられて閉ざされた群れの中だけの秘密とされたが、近代文明の特徴は情報の共有・公開にある。  キリスト教も、教義から判るように神の似姿であり将来復活する死体を神聖視し、解剖して調べることは禁じていた。だが宗教改革のどさくさなどで、科学的に人間を研究することが容認されるようになってしまった。ただしキリスト教道徳の影響はまだ強くあり、人間で実験することには強い制限がある。  また、賭博や船などからか人間が統計確率について理解し、それを病気にあてはめたことも大きい。たとえば伝染病で大量の死者が出たとき、死んだ人がどこに住んでいたかを地図上に示し、多くの人が死んだ地域を調べてたとえば特定の井戸の利用者に死者が多ければその井戸を閉鎖する、という対策ができた。  さらにある薬が新しく知られたとき、一人の病人がそれを飲んで生きるか死ぬかを見るだけでなく、百人千人の病人に飲ませて何人が死ぬかで評価する視点ができた。さらに百人を五十人ずつに分けて年齢などいろいろな条件を均等にして一方には薬だといって薬効がない穀物粉など、もう一方に薬かもしれないものを飲ませる、そして薬を与える人が無意識のメッセージを出さないよう薬を与える人にもどちらが薬候補かを知らせない、という薬を検討評価する客観的な方法ができた。  以下のあらゆる技術はその方法によって実際に効果があるかどうか、科学的に検討されている。科学の本質にある誤りを修正する機能が医学に入ったことの効果ははかりしれない。  それによって病気になる原因を事前に除き統計的に病気自体を減らす、なんという病気か確定する、病気の人に働きかけて病気を治すなどが科学的に行われるようになり、効果がとてつもなく高いものとなった。  上述の、レンズによる微生物の発見も大きい。それは従来の、生命はなにもないところから湧き出てくるという考えを否定し、原因がなければ結果はないという考え方を産んだ。それは医学的には非常に効果のある考えだ。  まず病気を症状などから多くの種類に分け、その病気ごとに患者から同じ特徴を持つ微生物を取り出して、その種類の微生物だけを飼育し、さらにその培養した微生物を実験動物に入れることで病気を引き起こせる、という微生物と病気の因果関係を明白にし、また微生物を飼育する技術も発達した。そのことで病気の名前を素早く確定し、その病原体だけに効く薬を使うことで、誤った治療でかえって悪くなることが少なくなった。  また微生物を加熱やエタノールなどで殺し、体や衣類を洗うことで、特に負傷と出産の死亡率が桁外れに低下した。  さらに微生物や人間の細胞自体について分子レベルで理解することも、新しい薬や治療法を生み出すことにとても役立っている。  まあその、病気と微生物の関係というのは上述した、あらゆる病気を病名に分け、さらにその病名を分類してくくったり階層を決めたりして人間の群れ・家族関係に似たのに並べて、それぞれに特有の治療法がある、という人間の信念というか前提をかなり強く補強してくれた。どの病気にも名前があり、それぞれに病原体があり、それを殺す薬がある、と。まあ確かに近代医学はそれで他の文明より多くの人を救ったのは事実だ。  人間の生理そのものについての理解は、それまではどうしようもない病気だった必須元素・分子の欠乏症の治療を可能にした。タンパク質の要素・必要な元素・少しだけ必要な分子が食生活に欠けているための病気は必要なものを薬として与えることで短期間に、きわめて高い率で健康体に戻った。これはそれまでの、魔術に依存し効く率が低い医学とは根本的に異なる顕著な効果であり、それゆえに多くの人の魔術を信じる部分は科学的医学を強力な魔術として信仰してしまうという皮肉な結果にもつながった。  他にも血液を分析したり高いエネルギーを持ち身体を透過する電磁波などを利用したりして、病気を診断する方法も桁外れに進歩している。  人間は痛みを不快とする。はなはだしければ痛みだけで死ぬことがあるほどに。痛みそのものは必要だが、人が痛みを訴えるため不可能だった治療も多かった。人間の神経などに害を与える毒物を適切に用いることで、人間を一時深く眠ったような状態にし、そのあいだに体を刃で傷つけて治療してからまた目を覚まして生き続けることができるようになり、また微生物を殺す技術によって皮膚に守られていない傷口から微生物が体を食い尽くして死に至ることも防げる確率が高くなった。  それまでも傷を負って腐った手足を切断したり、頭部を打って内部の出血で脳が圧迫されるのを頭に穴を開けて血を出したりする技術はあるにはあったが、その特殊な眠りと微生物の排除はそれらも安全にできるようにしたし、他にも出産がうまく行かないときに母親の腹を切開して子供を取り出す、内臓にひどい病がある時に内臓の悪い部分を切るなど、従来は不可能に近かったこともできるようになった。  死ぬ確率の軽減により大きい影響を与えたのが、免疫を利用する方法だ。人間に限らず動物の体は、多くの微生物などに一度やられて死ななければ二度と感染することはない。細胞が一度自分を攻撃した微生物の特徴を分子レベルで覚え、対策をたてることができるからだ。  その能力を利用し、悪質な伝染病を死なないように症状を弱めて皆に人為的に感染させれば、その皆が二度とその伝染病にやられなくなる。これの効果は凄まじく、天然痘などはいまや感染者が一人もいないほどだ。  他にも微生物が他の微生物を殺すために出すさまざまな物質を利用する手法も発見され、それも伝染病や傷などによる死を極めて強力に防ぐ効果がある。ただしそれは、多用しているとすぐに微生物が遺伝子の変異によって耐えられるものができてしまうためどうしてもきりがない戦いになる。  伝染病対策としては上記の農業に用いられる殺虫剤なども有効であり、その効果は最近の世界全体を巻き込む大規模戦争で勝った側の戦いで死んだ人間のほうが病気で死んだ人間よりも多いという、それまでの軍の常識から言えば驚天動地の大偉業を成し遂げてしまったほどだ。  傷の治療としては、微生物に汚染されないよう清潔にするだけでもかなり死亡率は下がる。加えて人間が血液についてある程度理解し、冷凍などで保存した血液やその成分、またはそれに近い液を外から注入することで血を失った人や口から食事ができない人もある程度は生存できるようになった。人間の血液に含まれる各種分子にはさまざまな情報があり、適合しない血液を混ぜると固まってしまうので注入された人は死んでしまう。それに注意しなければ血液を注入することはできない。  さらに微生物から得られる他の微生物を殺す薬が加わったため、傷で死ぬ率もきわめて低くなっている。  残念ながら人類以外の動物の血液を人間に注入したり、人工的に血液を作ったりすることはまだできないようだ。手足を再生させることもできていない。  傷や病気で機能しなくなった内蔵を交換する技術はまだ未熟だが、ある程度は発達している。それに関しては昔から木などを加工して切断された手足をある程度代替することはできていた。  病んだ内臓を切り取って健康な人間から移植することはきわめて困難だ。必要な血管や神経が多く、その処理も大変だし血を補い感染を防ぎ、切る際の苦痛を抑えるために眠らせる技術も必要となる。だが何よりも、人間の免疫はあまりに高度で、同じ受精卵が分裂した双子以外は親兄弟だろうとわずかなタンパク質情報の違いで違うと見分けてしまい、まるで病原微生物ででもあるように攻撃して食い殺してしまう。逆に免疫をなくす薬を与えたら、普通は死なないような病気で簡単に死んでしまうから、ちょうどいいぐらいで……。まあ難しくて幸いだった、奴隷制が当たり前の時代にそれが簡単な薬草でできていたら、と思うのは私が近代の時代精神で育ったからだが。  単一の生殖細胞が様々な臓器に分化するメカニズムを理解して再現したり、臓器を模倣した人工機械を作るのは困難だが、ある程度できていることもある。たとえば人工腎臓は無理だが、血液を一度外に出してきれいにして戻す技術は確立している。他にも心臓の動きを制御する電気心臓、一時的な心臓と肺、肛門などが人工化されているし、神経からの信号で動く切断された手足の代替機械、神経入力による視覚の代替などはいま著しく進歩している分野だ。  人体の能力を回復させる医療は、原理的にはその延長として人間の能力を拡張することにもつながる。本来人間は様々な能力の拡張を求めるから、動機はとても強い。ただしキリスト教をベースとした道徳意識がそれを抑制している。実際にはかなり古くから、上記のレンズを用いて目が悪くなっても見えるようにしたり、歯が抜けても削った堅い木などを入れて治したりした。臓器について分子レベルで理解し拡張することはまだまだできていないが、弊害もあるが筋肉を強めたりする薬はできつつある。これもまた未来の技術に属するだろう。  社会に対する影響が大きい医療技術として生殖の制御もある。まず薄いゴムで生殖器を覆う技術で、そのままほぼ支障なく交接行為の快感を得ながら妊娠・性病感染をかなり高い割合で防げる。また妊娠に関して、体内で情報交換のために出る分子を模倣した薬物によって、雌が特定の薬を飲むだけで妊娠をほぼ防ぐ方法もできた。  残念ながら今の時点でも精神医学はまだまだ未熟だ。人間の体や脳の分析・人間の心理を理解しようという学問・精神の医学がまともに統合されることすらろくになく、心についての学や精神医学は多くの群れに分かれて互いに共通前提もない状態だ。特にある時期、無意識の欲望を中心に人間の精神構造を説明し、それを吐露させることで精神病を治すという理論が世界中で流行し、今もその影響がとても強い。脳についての理解もあまりにも乏しく、悲惨な間違いが多い。  ただし近年は、多少は効く薬がいくつか見出されている。  精神医学の歴史には実に悲劇の連続だな。基本的に、有用性で人を評価し余裕がない群れでは精神を病む者は排除され殺される。ただし心の病と魔術には密接なつながりがあるから、小さい群れで狩猟採集生活をしていれば魔術的な役割を負わされることもあった。  しかし魔術が巨大群れの宗教に一元化されると、その役割が小さくなり殺されることが多くなり、心を病んでいること自体が穢れとみなされるようになった。科学的医学が発達してからも、その心の病・罪・穢れの混同の影響での迫害は絶えることがない。  遺伝子・細胞の分子・脳についての科学はまだ本格的には人間の医学に応用されていないが、これから非常に大きな影響をもたらす可能性は充分にある。  それらの医学の進歩によって、近代文明で最も重要なことである指数関数的な人口の増大がもたらされた。増えたのは人間だけでなく家畜もであることも忘れてはならない。 **宗教改革  近代ヨーロッパを他の文明と最も大きく分けるのが、宗教と政治を分離し、宗教とは別に科学が発達することを容認した宗教と政治の変革だ。まあユーラシア東でも宗教と政治は分離気味だったが。  その改革の最初は、様々な儀式や宗教群れの内部政治でできていたキリスト教を、創始者やその弟子たちの言葉とされるほんの言葉だけに依るものにしよう、という運動だった。宗教群れと社会が悪くなって世界が滅びるから浄化しなければ、というのは人間の普遍的な感情で、あらゆる時場所で見られる。  しかし不思議なのが、たとえばイスラム教で聖典通りにしろとか、中国で魔術に頼って征服に抵抗しようとかの運動組織は科学を抑圧するものだが、不思議とキリスト教でのその運動の結果、科学の発達が始まったんだ。  無論古い側のキリスト教も抵抗し、ヨーロッパを南北に分断して多くの国で激しい戦争になり厖大な死者を出し、最終的にはどちらも相手を滅ぼしきれず共存するようになった。  その一番大きな影響は、特にヨーロッパ北方で厖大な土地・農業および戦闘人口・生産設備などを持っていた宗教群れが攻撃され、その莫大な力の多くが暴力群れや富裕者に渡されたことだ。さらにその力の移行は後述する「革命」がとどめになる。  それと前後して、物の見方などが崩れて不安が広がったためか、あちこちの小さな群れで魔術を使う者を狩り出して死刑にする行動が起きた。ユダヤ教の聖典から魔術は禁止で死刑だが、あらゆるところに魔術を使う人間のふりをしている魔物がいるという恐怖に群れがとりつかれ、群れとの同調行動にわずかでもずれているとか、わずかでも他より豊かだったりして嫉妬されるとか、外見に少しでも変なところがあるとか、まあ何の理由もなくても群れのなかのコミュニケーションが暴走してとか、あらゆる形で罪のない人を魔だと訴え、訴えを聞いた政治側は訴えられた人を苦痛にあわせて自白させて焼き殺した。訴えられた時点で確実に有罪、有罪を認めるまで苦痛は続くんだからたまったものじゃない。まして訴えられた人の財産は全部訴えた人と政治側が分け合うんだから実利の面でも動機がある。となると、ひたすらやられる前にやれ、訴えられる前に訴えろ、となる。  まあヨーロッパに限らず人間社会はどうしてもそうなる。実体のない恐怖にとりつかれ、魔術を禁じ悪を禁じるという宗教道徳を過剰に強要して群れの一体性を確認して人を支配し、実は人を焼き殺すという最悪の魔術をやりまくるのが人間の最大の快感なんだから。  その結果社会から、古来の産児制限技術が失われて人口が増えたことも戦争や新大陸開拓など大きな影響を与えたし、古い儀式などの多くの情報が失われたことも近代精神に関わりがあるはずだ。魔女裁判が近代史にどんな影響を与えたかは私はまだまだ知らないと思う。 **革命  経済・宗教などの変化は、巨大な群れの政治体制自体も大きく変えるに至った。  それまでのヨーロッパでは、宗教群れが道徳や言葉に関する力を強く持つが軍事的な支配力は弱く、実際の支配力は馬を幼少時から訓練されて戦闘行為を行い、比較的狭い領土を支配して農業を行う上層階級にあった。ただしその上層階級は、比較的広い領域を支配する中心的な最上位者に従っていた。同時に各地に、軍事性が弱く貨幣と高度な技術での生産を行う都市もあり、それらが複雑な力関係を保っていた。ヨーロッパは山脈などが多く、また雨が多く大規模灌漑を必要としない地理のため、全体を統一する英雄は出なかったし、中央ユーラシアの遊牧民による攻撃も長いこと免れた。  その構造から宗教改革・海外領土の拡大・農業や工業の爆発的な進歩などと複雑に絡み、まず比較的広い地域を最上位者が支配する構造となり、次いで民衆が宗教とは別の言葉集合というか道徳というかで別の支配構造を求めた。  その理念は  全ての人間が平等な権利を持ち、犯罪を犯したと証明されない限り追放・財産没収・死刑などはされない。  誰もが自由に何でもできるしどこに住んでもいいし何を言ってもいい、ただしそれは誰もが同じように自由なのだから他者を攻撃することは許されない。  人は平等なのだから、ある家に生まれた子供という理由で群れの最上位者とすることは認めない。  群れの統治・上位である根拠を、従来の神→王→(領主)→人から、人々の合意とする。  宗教を殺す理由としない、または宗教を廃し科学と理性にする。  世界は小さい群れの集合で、各群れではその成員を上位者が所有し何をしてもいい、というそれまでの常識を否定し、誰もが攻撃・支配されず自立しているとする。またそれぞれの群れはそれが絶対的な価値の最上位にあり、他の群れは皆殺しにすべき悪である、という考え方を否定する。  統治体系自体は、地中海北東部にあり、昔地中海周辺を支配した巨大群れにもキリスト教にも多くの文章で影響を与えた群れでやったところがあった民主制と言われるものだ。市民……といっても奴隷を所有している家父長だけだが……が平等に武装して小さい群れを守って戦い、平時には誰が群れを率いるかを、神の命令でも神の子孫とされる単独の家系でもなく、「一番多くが一番優れていると思う人」にする、という制度だ。  ちなみにその頃の賢人は、そのシステムだと群れ全体が恐怖にとりつかれて些細なことで互いを攻撃し、その恐怖から逃れるために一人の支配欲が強い人間を絶対的な支配者にすることになる、あまりいい制度じゃないといったし、現にその民主制度の小国家は滅んだ。といってもその賢人が勧めた「群れから切り離されて高い教育を受けた比較的少数の優れた人」による統治も実現したことはない。というか教育が有効とは限らない、最上の教育を受けて教育を仕事とする群れの価値観では最上と評価されても指導者としては最悪ということも多いんだから無理だ。さらに後述するマスメディアが発達したら、カネを出して広告を作れる者が勝つ構造になってしまった。  というかこのシステム自体、「集団の一番多くが支持する意見が一番正しい」または「多くの人がこの人がいい指導者だと思う人はいい指導者になる」という二重の不確実な前提を基にしている。  まあ後の革命の時にはその批判を受けて、地域で一番優れた人を選んで集まりその多数決で法律を作る議会、平時には統治自体を行い戦時には群れ全体を率いる、一人の人が一生やったり子供だというだけで継がせたりしない最上位者、犯罪などで法を基準に判断する裁判所の三つを別々にし、互いをコントロールするシステムを作った。またそのどれもが理念などを書いた文章である特別な法を基準とするようにもした。  また、その民主主義という制度の本質の一つに、「支配者に反対することを罪・敵として攻撃しない」ことがある。普通は支配者の方針などに反対し成りかわりたいなどという人々は支配者にとって、そして巨大群れ全体にとって敵であり、最も重い罪人・敵としてあらゆる暴力で皆殺しにされる。だがそれをせず、反対意見を出し続けることを容認し、成員の多数が支持すればそちらに統治権を譲り、それで自分たちはまた法で保護されたまま反対する側に回る、ということができるのが民主主義の面白さだ。  だから民主主義の強みとして、生物の進化・科学・市場経済と同様、間違ったら修正できる、ということもできる。  ちなみに革命の理念そのものは立派に見えるが、結局人間の群れがやることだ。別の感覚としては、とにかく攻撃したい、「魔王を倒せば世界は楽園になる」という集団暴走の面もすごく大きい。となると、単純で明白な意味を持たないことがある言葉から不明瞭な規範を人工的に作り、その規範に合わない人間を反革命だと死刑にするのが当たり前になる。そうなると先に密告したものの勝ちになって誰もが安全ではなくなる。それまでの社会を維持させてきた、様々な言葉にしにくい家代々のつながりとか言葉にならない情報網とかも崩壊して誰に従っていればまあ安全かもわからなくなったし。それから昔の賢者の予言通り一人の英雄を独裁者にして、その英雄がヨーロッパの大半を征服したもののヨーロッパ北の島や大陸深くを攻めきれず自滅してから、かなり多くの人が「保守」という意味不明瞭な言葉に縛られる現象も生じた。本来は「革命に反対する」という意味だが、地域によってその言葉の意味が全然違うんだ。普通に考えたら王政でない保守って矛盾語だけど、とにかく様々な「保守」であることが無批判に道徳的だ、と多くの人が思ってしまう。逆に若い、特に教育水準は高いが世襲の地位を持たない若者は「革命」を至上価値とし続けることで世界自体への憎悪を垂れ流した。  まあ意味不明瞭な言葉を無批判に最上位道徳とし、それに従うことを群れの成員の条件とし、逆に「反{意味不明瞭な至上価値とされる言葉}だ」と人格的に非難し、その非難が群れ全体に感染して攻撃になる、というのも、宗教の頃から人間の群れがよくやることだ。  厄介なのが、そういう社会を変えようとしている人間の群れはすぐ過激化する。つまり選択肢があれば、より現実に社会をよくできる可能性が高いかどうかではなく、より暴力が激しい手段を選びたがる。一人一人は別に暴力を好んで意識するわけではないが、人は自分が臆病者とみなされるのが怖いし、群れ内で支配権を握るため、群れ内の誰よりも暴力的な態度をとろうとする。そうなると群れ全体がどこまでも暴力的になり、当然支配群れはそれを犯罪集団とみなして攻撃し、それで余計に「支配群れは悪だ、戦って倒せ」になる。実際に支配群れも革命を防ぐために暴力化をわざと起こさせて攻撃を正当化することもよくある。  もう一つの問題が、革命において富をどう動かすかの問題がある。平等という理念というか人間の好みと現実の貧富の差の矛盾があり、宗教改革を含めて革命の大きな動機は自分を貧困と感じ、富む者を殺してその富を得たい、という感情だからだ。それまでは宗教がその感情を抑えていたが、抑えがなくなったんだからたまったもんじゃない。その感情自体は後に共産主義でピークになる。革命の指導者の側は成功したらしたで、貧困層の平等を求める声をどうさばくかえらく苦労することになる。  あと革命後も残る不平等、不公正はそれだけじゃない……男女とか海外の領土とか奴隷とか肌の色とかいろいろあって、それも平等という言葉にこだわり社会の目的が理念の実現になると解決しろと叫ぶ人が出て、これまたややこしいことになる。  その「革命」と「保守」の争いがその後の近現代史の、表に見える政治面を強く縛ることになる。  あと、人間の保守性は「昔はよかった」という共通の考えになる。また巨大群れ以前の世界、少数の強い群れが無数の弱い群れを統治する巨大な群れでない世界、統治自体がない世界は楽園だと思いたがる。人間のどこかは、技術も政治も嫌いなんだ。でも統治をなくそうとして作った共同体が機能したことはない。 「革命」の最大の影響は、下記の「学校・工場・軍・刑務所」システムがヨーロッパ全体に広まり、近代の標準とされたことだろう。その強力で発明を保護する統治は進歩した医学・農業の技術を広く普及させ、ますます人口と生産力を向上させた。  結局のところ、革命では多くの、宗教や軍事でそれまで上位とされていた人が殺されたりして土地を中心とした財産を奪われ、社会的な身分制度が従来の土地と代々付随する人々とは違う、貨幣を中心としたものに大きく変動した。  その、富における平等を求める心理は高い教育を受けつつ地位が不安定な若者によって増幅される傾向がある。彼らの善・正義を求める衝動が、貧しく苦しむ人がいない、善い世界を作りたがるわけだ。  それをある人がまとめてひと連なりの本にした。それが宗教のように信奉され、解釈されて政治・経済・善悪を定める倫理などすべてを兼ねる至高の文書として神格化され、その制度にしなければならないと非常に多くの人が強く信じ、巨大群れに対する反乱や暴力も辞さずに活動した。  面倒なのが、それがユーラシア北部の非常に広い地域を支配する巨大群れでまず実現し、その国が世界の他の国と争う構造と、その共産主義が正しいか間違っているかがどうにもならないほど混じってしまったことだ。従来の宗教戦争の構造で考えれば一番分かりやすい。しかも共産主義の国はただ一つの例外を除いて一人の指導者を神とし、その支配者による聖典解釈を絶対視して後述する人権を軽視する政治制度を作ったから、人権と共産主義というどちらも言葉でしかないものどうしのどうしようもない争いになった。何しろ支配者が気に入らない人や考え方を「共産主義的でない」という罪で死刑にできるし、そうなると皆が我先に人を密告して自分だけその群れでの正義の側に立とうとするんだからたまらない。  だから逆に、その共産主義に反対する側は、共産主義的に感じられる考え方すら穢れとして受けつけない。それは理性ではなく魔術的な感情の領域だから議論ではどうしようもない。また反対する側にも、共産主義に対する恐怖を利用して民主的に一人の支配者を絶対的に神格化し、軍事のために社会を作り替えて好き勝手する似たような社会を造ったりした。  その争いが比較的最近の、百年近くに及んだ。その中の非常に大きい戦いから、ヨーロッパに支配されてきた世界の多くがヨーロッパに反抗して自立した後述する特異性のある大きい群れとなり、そのいくらかは非常に豊かになっている。  最終的には共産主義は技術が進歩せず貧しくなって崩壊し、どの国家や支配的言葉が世界を支配するかややこしいことになっている。 **国家  徴兵のところで少し解説したが、近代の世界は国家というシステムで動く。  近代文明が生じたヨーロッパ自体が、高い山脈や川など区切られていたため、昔あった巨大群れが崩壊した後は統一されることがなかったため、それがそのまま国家となった。  その後、ものの考えとしては世界全体を一つの群れとする考えは出たが、国家をなくすことはできていない。多くの国家が集まって、ちょうど多数の群れが集まって国家を作ったように人類全体を一つの群れにしよう、という組織があることはあるが、一度は大戦争で崩壊し、二度目も理想とはほど遠いほど実際の力を持たない。  実際問題、もし別の星で進化した地球人に似た生物が宇宙船で地球に降りたら、誰が地球人代表になるか……それを考えると頭を抱える。一番強い国のそのときの大統領?というかその時に一番強い国が、実権を持たない王と民主的に選ばれる指導者という制度だったら?世界最大の宗教の最上位者?国が集まって一応作られている組織の代表?世界一の金持ち?地球人全部の投票?誰だ?誰であっても従わない人が多いだろう。まあ別の星の知的生物が人類を相手にしない可能性だってあるけどね、特にたとえば地球全体の微生物が人間なんかには想像すらできない超知性を作ってたりしてたら。単に人類がやることから類推しただけだ。  それぞれの国家が、領域内の完全な支配権……税金、軍事力をもち他国の攻撃から自国を守る、自国内で政治体制や経済体制を決める、昔は従う宗教そのものを決める、他国との貿易を許可することも禁じることも、貿易自体に税をかけることもできる、自国民の犯罪は自国の法で裁くなどさまざまな統治に関することは国家が他の誰にも束縛されずに自由にやっていい、というのを主権と呼び、それが国家制度の基本原理になった。  しかし国家主権というのは本当に厄介だ。人類文明全体が危機に陥っても各国が国家主権を主張するから動かない。またある国の内部で、きわめて残酷な虐殺が行われても、他国は介入できない。ある価値観で国家そのものを裁くことができないし、また金銭面でも国家が「もう借金を返せない」という状態になったときの処理法が確立されていない。  もう一つ厄介なのが国家の平等性で、大陸全部を支配し十億人の人口があり地球全部を焼き尽くせる軍事力を持つ国と一万人もいないしまともな軍事力もない小さな島一つだけの国も、国家同士は平等だという観念があること、そして実際に大きい国と小さい国には圧倒的な力の差があるという事実が矛盾している。  もっと厄介なのが、その国家ができるときにヨーロッパとかはまだいいけど、アフリカなどではヨーロッパの国々が侵略した時に地図に直線を弾いて区切っただけの、地域の本来の群れ構造とは全く違う国境線でできた国が多く、しかもだから一度その線はなしにして地域の川や山で引きなおしましょう、ともできなくなってしまっているんだ。それでまた無駄な争いがある。  国家主権という考え方、情報があまりに強いため、近代のさまざまな理念が全く実現されないし、人類文明そのものの維持もできるかどうかわからないんだ。  全人類が一つの群れだという意識はなかなかないのが現実だ。人類自体の生存では協力し、別の物語では国家を優先し、別の物語では家族、でいいと思うけどな。  近代国家は革命がはじまりだから、政治体制は民主制度が増える傾向にある。正確には最強のいくつかの国が民主制度であり、またそうでないところは若者が、世界を文字に書かれてる通りの楽園にしたいから暴れる反応をやるのに民主化を主張したがる。  ただし、共産主義は最初に共産革命を起こした国の真似をして民主制度ではなく労働者階級からなる反対者のいない一つの群れとそれを率いる一人の指導者の体制になるし、他にも一人の支配者・戦闘群れ・宗教群れなどが支配力を独占することが多くある。  ちなみに民主制度になれば全てがよくなるとは限らない。地理的条件が悪いといくら民主制になってもひどく貧しい人が多かったり安全じゃなかったりするのは変わらなかったりする。民主主義と「共産側じゃない」が混同され、民主主義のはずなのに選挙も言論の自由もなく拷問虐殺あたりまえの国家も多くある。ま、共産側で民主主義と言ってるのに、という国もある。 **近代における経済  厖大な人口と農産物・新大陸からの金銀はじめ資材・工業生産物、物資・情報・人口の大規模な移動、群れの規模の急速な拡大など多くのことが起きると、富の動き方も変わる。  重要なのは、それまでの世界では少数の都市住民以外の大半は比較的小さく古くからある群れで、農業・漁業を行い、また人の手が入らない森林や草原での狩猟採集を補助的に用いて、生活のために必要なものの大半は自分たちで作って生活していた。貨幣の役割は小さいもので、物々交換が大きく巨大群れからの要求も人そのものや物資だった。それが、輸送手段の急激な発達により、世界のきわめて広い部分で貨幣でものを買い、国家に納めるようになった。  そして機械を用いる生産は、小さい群れが比較的単純な道具で作るものより圧倒的に量が多い。その「多い」は経済において別の意味もある……貨幣と同じだ。金銀や特殊な鉱物が貨幣として用いられるのは、それが少ししか得られないからだ。もし、多くの人が望むようにある日、金銀の小片が雨のように上から大量に落ちてきたら、金銀を用いる貨幣は価値を失う。同様に、たとえば布を機械によって数十人が、機械以前の技術で作るとしたら同じ時間なら何万人いてやっと作れる量を常に作り出すことができたら、布の価値は暴落する。きわめて多くのものについて同様の事態が起きた。  圧倒的な物の量、移動速度、情報伝達速度……それは世界を変える。変わらない、変化が非常に遅い場も、いい水路や港がないなど本質的に移動に不便な地を中心に地上には広く残るが。  カネで生活の豊かさ、そして階級までが定まり、都市での大規模な工業生産、そして情報自体を生み出しマスメディアで工業生産を売ることを補助することが最も大きなカネを生み出す職業となる。地方での農業は必要であってもカネを産まなくなるし、少なくとも金銭面で普通に競争したら、アメリカ大陸の巨大平原で、巨大な化石燃料機械を用い、大規模に地下水をくみ上げて大量の化学肥料を飛行機から散布する農業に、アメリカから海を越えて運ぶ船とその燃料を加えても対抗できない。  もちろん桁外れの富の持ち主も出たし、貧富差も巨大になった。さらにこれまでのように、大きすぎる富を持つと巨大群れ・宗教群れによって罪とされ没収されることもない。  ただし近現代史で富者による大規模な軍備の個人所有は見られない。法的に認められていないし、大規模な軍備に必要な富はあまりにも大きいからだろうか。またきわめて広い農地を個人所有する人はいても、その人が領主として独立を主張し本国と戦争することもない。歴史的には富裕者による軍備・土地の大規模所有は常に巨大群れを脅かしてきたのだが、それがないのだ。不思議なことに。それが必要ないだけの治安と安全が、近代的な国家というものの特長かもしれない。  そうそう、もう一つ面白いのが、最初に新大陸を征服して大量の、金属としての金や銀を手に入れた国は豊かにならなかった。あまりにも大量の富が、特に苦労せずに掘れば出てくるようになった国は長期的に豊かになれないことがよくある。  制度上も、富を情報として処理する技術が進む。紙一枚持っていけば旅先で莫大な金銀を受け取って交易を続けることができたり、この海を渡る船は十隻に一隻は沈むと情報を集め処理して、船主にはたらきかけて事前に少しずつカネを出させておいて沈んでも損しないように仲介したり……基本的には賭博と同じ、統計確率的な処理だ……、国家の政治自体の借金、その利子をそのまま財物として流通させたりいろいろある。  その船の大損を統計確率的に処理する手法も、それこそ個人の家が燃えるとか病気になるとか病気で死ぬまで貨幣を出すシステムになっている。  借金の取り立てについても、従来のように個々の群れの暴力によるものから、国家の政治の一つとなったりした。借金は経済の流れによっては群れ全体の階層構造を変える力があるから、どれだけ利子を取れるかには国家も注意している。  また、最低限の安全などを除いては、基本的に「何を作って売ってもいい」ことが多い。それまでの、どんな商売をするにしても多数の群れや宗教に制約されるシステムとは違い、基本的には売ってみて売れるかどうかだけが評価基準になる。それによって経済に試行錯誤、エラー修正機能が入り、そうなると桁外れに富が増える。  富について、以前から富や人口や情報が集まるとその富を生み出し、戦う能力の質が変わることは以前からもあった。  交易のない五十人の群れでは素焼き土器はなんとか作れるが金属は無理だ。金属を扱うには百人から千人以上の群れが維持され、交易によって広い範囲のものの行き来が常にあり、多くの情報を持つ人が十人ぐらいは自分で食料を狩りに行かなくても長期間食べ、大量の燃料用材木や水を無駄にしなければならなかった。  機械となるとそれはもっとはなはだしくなる。大規模な機械を作るためには膨大な最良質の原料・高い技術と情報を持つ技術者・加工エネルギー・機械製作が宗教的罪として禁じられることがないし数十年単位で別の群れの攻撃で略奪されない政治的安定などが必要になる。  必然的に機械は膨大な富の集合体、高価なものとなり、その高価なものを手に入れて使うためのエネルギーや原料を継続的に手に入れる必要が出る。  時にはその莫大な費用は巨大建築同様、国家それ自体しか出せないときもあった。今も先端的な科学研究や宇宙に行くことなどは国家の力、さらには複数の大国がカネを出し合わなければできないことすらある。  さらに短時間で急速に技術が進歩し、新しい情報が出る世界では、大金をかけて作った機械で大量に作った商品が全く売れない、ということがよくある。技術そのものが少なく、進歩が抑制されてしていいことが決まっていた時代とはその点が根本的に違う。  そのため機械を作ってカネを得ることは、船で海を渡って交易するのと同様に、大金が必要でしかも無駄になる可能性がある、非常にリスクのあることとなる。そのことは新しく機械を作ってやってみることを抑制せず、船が何人かで集まって金を出し合う制度で賭けの危険性が下がったように、多くの人が少しずつカネを出すシステムができた。しかも普通の借金と異なり、その機械が作った損がふくれあがっても、カネを出した人が出した以上のカネを請求されて生活の基盤まで失うことはなく、単に出したカネがなくなるだけにとどめられるシステムができた。  損をすることもあるが、特に多数の機械に少しずつカネを出しておけば船や鉱山同様当たったものは莫大な富を生み出すので、ある程度以上の金持ちはいろいろな仕事・機械にカネを出すことで、定期的にかなりの金額を得られるようにもなる。その「**機械を作るのにカネを出した」情報それ自体が商品として交易される市場さえできる。  それと、国自体にカネを貸すことでかなり多くの人が貨幣を長期間、年などに一定額などの形で得ることができるようになった。それまでは広い土地を持って、農業を奴隷たちにさせるのが一番安定した収入を得る手段だったが、それ以上に。  そのシステムはさらに発達し、比較的豊かな地域での一般労働者が老いて働けなくなったりしたときのため、かなりの金額をリスクがある他人の仕事の準備にカネを出したり国家に貸して、実際に多数の老人がそのカネで暮らしている。  そのシステムは、仕事と群れの関係を微妙に変えた面もある。従来は先祖を同じにし同じ神話で育った生殖によるつながり・地域によるつながり・宗教によるつながりなどと、仕事によるつながりは一体だった。船にしても鉱山にしても群れおよびその最上位者が所有するか、所有自体は巨大群れだけれど大体は先祖を同じにする群れがその仕事をし、情報を得る権利を独占するのが常だった。  それが、情報は特許で保護され、神話などとは関係なく転売された「この機械を作るのにカネを出したよ情報」を市場で貨幣を出して買っただけの人に利益を貨幣化して渡し続け、また多数のそんな人が決めた方針に仕事の方向を決められたり、従わなければ仕事から追われたりする事もあるようになった。  ちなみに違う見方も人間世界では蔓延している。そのように自分の手で働かず貨幣を得ている生産手段を持つ資本家と、それに使われる労働者、と人を階級で二分して世界を理解するやり方だ。従来の奴隷所有者と奴隷の関係の類推だろう。 ***金融・財政  巨大な群れが常に多くの売買を行い、また国家間・国家同士さえもがさまざまなやりとりをしていると、特に借金自体・国家の借金・「**にいくらだしたという情報」自体が商品のように扱われるようになると、それこそ全体が別の何かのように動く。  厄介なのは人間が感情で動く群れ動物で、恐怖や自尊を中心とした感情が人の間に、次々と伝染病のように広がる性質があることだ。それも、「他人がどう考えているか」を考えなければならず非常に複雑な話になる。さらにマスメディアというおまけつきで。  それはさまざまな指標……「**にいくらだしたという情報」の平均価格やあらゆるものと貨幣の交換比、さらに別の国家同士の貨幣の交換比、国家の借金に関する数字で変動が見られ、その変動についての情報がまた、新しい仕事を始めるか・この借金をするかなどの一人一人の決断に影響を与える。  あまりに多数の人間がさまざまな情報を交換し、貨幣や自然環境、風や雨さえも交通や農業生産を通じて状態を変える。あまりに複雑すぎて本質的に人間の頭脳には制御することも予測することもできはしない……たった一つ「はじけないバブルはない」だけは確かなことだが。バブルってのは泡だ。液体が気体を包み、内部から気体の圧力がかかるが液体は表面であり続けようとし、際限なく薄くなる現象。石鹸を使うと出るし、他にも生命現象から銀河団構造までよく見られる。  まず、社会全体の感情的な雰囲気が何もかもうまく行くと信じて多くの人がリスクが高いことでも借金をしてやり、また借金をして贅沢をしたりする。それがあるとき、たくさんの人が借金を返せず、また貸した側も返してもらえず大損するようになり、そうなると皆が恐怖に取りつかれる。借金をして新しい仕事をしようとせず、とにかく貨幣をたくさん持っていたりしたがる状態になる。大抵はそうなると非常に多くの人が仕事を失い、余剰人口となる。そうなるとその人たちは最低限の生存以上にはカネを使わないから、ますます社会全体で物が売れなくなる、という悪循環になる。それは大戦争になることさえあるほど厄介だ。  逆に言ってしまうと、あらゆる「仕事」も余計だし、誰もが必要もないものを買って使って楽しんで、自分がその階級にふさわしい、自分は隣より金持ちだとアピールしてる。社会全体が「ダメだったらよこせ財産」総量よりずっと大きな借金をしてなんとかやってるってことだな。泡の上に建ってる家みたいなもんだ。でもその泡、貨幣だって信用が形になったもので、ある意味社会全体の魔術的な雰囲気だ。魔術経済だよ。  国家が借金を制御することで国家の経済全体を制御できるという見方もあるし、逆に国家が干渉せず皆に好きにやらせていれば勝手にうまくいくという見方もある。国家という一番の金持ちがたくさんカネを使うと、そのカネが社会に回って社会全体を富ませる、また国の信用は桁外れに大きいから人間の金持ちにはできないほど多額の借金をしても平気だ、というわけだ。私は人間はどうせバカなんだから、誰も餓死しないよう最低限だけやって後は自由でいいと思ってる。  借金で面白いのが、近代経済における土地という財だ。土地はなくなることがなく、農業に使えば長期間常に一定量人間には欠かせない財を生み出し続ける。また金銀や家畜や船と違い移動できない。だから借金に対して、最も確実に相手が借金を払えないときに取り上げることができるものとなる。  もう一つ借金で面白いのが、国と国や国際機関の間の大規模な借金だ。  大金を持つ国家は、大規模な運河を掘るなど個人の金持ちでも何人かの金持ちがカネを出し合っても到底無理なことや、火事を消したりゴミを掃除したりなど社会にとって必要だが儲からない仕事ができる唯一の金持ちでもある。  また戦争も国家というものの重要な目的だが、ここで前から議論されている重要な問題がある。軍事と経済の関係……軍事にカネをかけたら人々の生活水準は落ちるのかどうか、だ。どの国でも軍事のために取られる税金は大きいし、逆に軍事から給料をもらって生活している人も多い。また軍事のために膨大な科学研究などが認められるというのも重要だ。ただし、特に国自体が貧しいときは、軍事にカネをかけすぎるせいで社会全体が貧しいままだともよく言われる。  ただ、多くの貧しい国では軍が唯一、まともに食べられる場だ。いざとなれば武器で強盗すればいいし。  人間自体の動きも重大だ。たとえば近代以前の世界では、雌が出産で死ぬ確率・子供が育つ前に死ぬ確率はどちらも非常に高いものだったが、近代医学と膨大な食料はどちらの死ぬ確率も桁外れに下げ、恐ろしい長平均寿命と指数関数的な人口増大を可能にした。  それによって奴隷制の廃止という時代精神の変化さえ起こった……高額で奴隷を購入するより、いくらでも世界中から流れ込んでくる餓死寸前で属する群れ・耕す土地を持たない人々を使い捨てるほうがよほど安価になってしまったんだ。  莫大な余剰人口が近代化にもたらした影響ははかりしれないし、ここ最近起きている指数関数的な人口増大が歴史に与える影響も大きい。  特にそれまでの、生殖・地域・農業でつながった群れが崩壊した後は仕事を失うのは家族ごと餓死すること、自分がそれまでいた群れから追放されることを意味するから非常に恐怖心が大きい。さらにキリスト教の影響もあり、人間は働くのが善で働かない人間は悪だ、という考えが非常に広く蔓延している。  ただし、これは最近の豊かな国の話だが、共産主義を防ぐためか国家が貧しい人にカネを出して豊かにしてやることも多くなった。まあそれには医や義務教育も大きいので、軍事力を高めるためという目的もあるだろう。実際には、誰もが豊かだと社会全体がとても豊かになり、豊かな側の人々もより豊かになるのが普通だ。  ただし極端に寿命が伸びたため人口比で老人が多くなる。その老人は自分ではあまり富を生み出さず、医療や体が動かなくなってからは入浴や糞尿の処理も手伝いが必要なため膨大な費用がかかる。それを国が福祉で出すとなると必要な金額が際限なしに増えてしまう。  さらに豊かな国々では、長いこと特に貧しい側の人々の生活水準は低いままだったが、大量生産技術の極端な発達と、冷蔵庫など家事を楽にする機械の発達によって全体的な生活水準の向上がある。家事の機械化によりきわめて重要な階層だった家庭内労働者も見られなくなることも興味深い。  それはそれまでの農業から都市での工業への大規模な人間の移動も目立つ現象だ。農林水産業では、近代の大量のエネルギーを使う生活に必要な貨幣を手に入れることは難しい……機械を用いて、とてつもなく広大な土地を独占した農法を除いては。農民は減少し、超大規模農業でない限り貧しくなるか、国から膨大なカネを得てやっと暮らしている。  都市での工業には教育も重要で、多くの読み書きができる人は高い水準で機械を操作し、それによって一人当たり多くの精密な品を作ることができた。  ただし、技術の発達が限度を超えると、多くの人が熟練工・文字書きとして豊かな生活をすることは不可能になっていった。あまりに高いレベルの、情報制御システムを持つ機械は、桁外れに長期間高いレベルで文字や数を学んだ人が少数しか必要なくなり、なんとか読み書きができる程度の人の価値は急激に下がっている。  それによって、ある程度豊かな多数の労働者が中心の社会でなくなったらどうなるのかは予想できない。民主主義制度は均一な教育を受け豊かな人間ばかりであることが前提だからだ。  バブルとも深く関係するが、人間は常に生きるのに必要な量よりはるかに多くのものをほしがってきた。最低限死なず、子供を育てられるだけではどうしても足りない。群れの中の地位を保つためにも多くの浪費をして自らを飾らなければならないし、まして多くの群れが複合したら別の群れとの対抗上際限なく贅沢をしたがる。  その過剰な贅沢は、それまではしたくても実際には世界全体の物資が少ないので常に生きるので精一杯だったが、近代における極端な生産力の増加はその贅沢を爆発させた。しかも近代の生産設備自体が、「全人類の最低限の生活」のためではなく「際限のない生産と価値の増加」を目的としているため、誰もが借金をして大量に物資を消費しなければ近代経済自体が安定して存続できなくなる……だからたまにそれが行き詰るとバブル崩壊になる。  基本的に貨幣は魔術的な意味が深い「信用」を数値という情報にしたものでしかない。特に借金があると厄介で、もし誰もが「今すぐこの借金を返せ」と貸した人や国家を含む法人に要求したら、ほとんどは返せる貨幣など持っていないから貨幣の価値が消し飛び経済は崩壊する。誰でも「返せ」と言っていいのにみんながそうすることはない、という前提でやってるわけだ。 ***環境  比較的最近の話で後述する時代精神の変化の一つだろうが、人間の活動が大気や水の組成を変えて人間にとって有害にし、また人間圏の外の生物活動、地球生命圏全体の活動に害になっている、という問題意識が出てきた。  もちろん人類が火も石器も知らない頃から木の芽や皮を食べて枯らせ、糞尿を出してきた。他のあらゆる動物も同様に、外からいろいろな物を体に入れ、変えた物を外に出している。だが人類は少なくともアフリカを出てから、異常なまでに増加し、生命圏の中で特異な位置を占めるようになった。大規模な大型動物の絶滅・森林を焼いたり切ったりして大地を草原・砂漠にするなど、おそらく宇宙から観察してもはっきり見えるように変化させてきた。動物としての単純な糞尿も、特に都市に高密度で定住すると、周囲の土や水の微生物が分解し、単純な分子に戻して別の植物が利用するよりも速く高密度に放出され、それは住んでいる人の不快感や伝染病にもなった。  本来はその伝染病、上述した農業の限界などで食糧生産が減って人口が減少したが、特に近代文明はエネルギー面を化石燃料に依存し、大気の窒素分子を肥料化するなどより高い技術で農業生産も激増させたため人口が極端に増え、それゆえに地表の土壌・大気・水に投入される秩序の低い分子の量・人間圏の外の動植物の減り方ともに桁外れと言っていい。  ここで二つの法則を繰り返しておきたい。「無秩序になっていく」「原子は増減したり別元素に変化したりしない(多少はあるが生物圏ではほとんど無視できる)」。それに「小さい生物をたくさん食べる大きい生物にいろいろな物質が濃縮される」「これまでの進化で出会っていない分子に生物は対応できない」を加えよう。人類がより大きな活動をすればより大きな無秩序が生じる。そして、特に鉛や不安定なほど多くの陽子が集まった重い原子核の元素など生物にとって害が大きく、普通は地下深くに封じ込められている元素、人類が新しく作り出した分子などを放出したら、それは消えずに濃縮されて、最後には人類自身に返ってくる。それまでは単純に、無限に大きく見えた大地や海や大気が薄めてくれる、ということで何もせず捨てていたのが、そうはいかなくなってきた。  旧来の経済学はそれを無視するという蛮行をしてしまった。外部経済と呼んでモデルの外のものを無視する。当時の人間にとっては地表も海水も大気も資源も無限に見えたのだろう。だが実際には地球は限られた大きさだ。あと困ったことに、地球のごく小さい範囲しか支配していない時代に作られた宗教は、原則的に環境には無関心だ。特に一神教は。  それらのことがわかってきたり、特にひどい病気がたくさんマスメディアに宣伝されたりしたことで、まあ人間は「世界が滅びるぞ」という警告が好きなせいもあるだろうが、そのまま好き放題に産業生産をしていたら資源を使い尽くして人類が滅びるかもしれない、という危機感を持つ人も多くいる。少なくとも多くの地域で、環境浄化の努力をし、工場などに色々制限をかけることはされていて、実際日本などではここ三十年でものすごく空気や水はきれいになっている。  もう一つ問題なのが、その環境を重視するという人々はそれ自体が、一つの宗教群れと言っていい。元々宗教、いやそれ以前の人間の根本的な好みに文明嫌い・道具嫌いはあるんだが、それが特定の教祖・文書なしに宗教化されたもののような感じがある。科学的な言葉が多いんだけど、どこか宗教的な、人間全部の心のあり方を変えたがっているようなところがある。たとえば化石燃料を燃やすことで大気中の二酸化炭素が増え、それで地球の気温が上がって害があるかもしれないという警告があるけど、なら大気の上の方に微粒子をまいて日光を反射させたり、海の鉄など肥料が足りないから光合成をあまりしてない、地球表面積の半分以上にもなる海面に肥料をまいたりして大気から二酸化炭素を減らすことには大反対する。あくまで人間が欲を捨てることで救われなければならない、と思ってるようだが、それは宗教がいつも言ってきていることなんだよ。本当に人間の生命や健康が大事なのか、それとも宗教じみた感情が大事なのか信じ切れない。  元々人間は技術の進歩を嫌う面、近代そのものに対する非常に深い反感があるので、それが出ているだけかもしれない。 **法制度  ヨーロッパの法制度は、以前地中海周辺を支配していた大文明、その東の小さい群れが分立する地域が残した多くの文章、キリスト教などの影響を受けている。個人の重視、文書化された約束を絶対とする、上位者の感情ではなく文書で明記されたことだけを罪ととし罪が確定されて処罰が行われるのは正式な裁判で決定されたときだけとする、相続など財産の移動を法律的に扱うなどが特徴といえるだろうか。世界各地の文明の法制度の比較についてはすまんがろくに知らない。  重要なのは、ヨーロッパの法が魔女裁判が行われなくなる時期から、個人の所有をとても尊重するものになったことだ。権力の気まぐれで財産を没収することが当たり前だと、無理に頑張ってまで富を稼ぐのは見合わなくなる、とよく言われる。  また宗教的な理由で特定の文書の複製全てを焼き捨てさせて世界から情報を失わせることも多くあったが、それも法的に禁じられ、または印刷技術によって現実的に不可能になった。  革命における時代精神の変化は、法を「神によって示された道徳と一体のもの」ではなく「人権など抽象的・非宗教的な理念を実現する手段」と原理から変化させたことも小さくはない。  近代化の物質面で特に重要な法制度が、発明発見を保護する制度だ。工夫して新しい道具などを思いついたとき、近代ヨーロッパ以外はどこでも、その新発明を繁殖関係で結ばれる小さい群れの秘密にした。また巨大群れの支配者は宗教的な口実でその発明者を家族ごと痛めつけて新しい技術を奪って殺し、他の写しがあれば全て焼き捨て技術を失わせるか、使いたければ独占するのが常だ。さらに発明者より力のある人がその発明を真似して大規模に作り、そのため発明者は貧乏なまま死ぬことも普通だった。  しかし、近代ヨーロッパは新しい技術は全ての人に公開され、発明した人を公的に文書で確定して一定期間は報酬を権利として受け取る制度を作った。ある発明を利用して儲け仕事をするときに、その料金を払わなければ犯罪だ、としたのだ。言葉や音楽や映像など情報の複製も同様の法理で財産とされ保護されるようになった。  無論、後述する革命に付随した言論思想信条の自由という原則も発明の保護を強く助けている。  それによって多くの人が多くの情報に触れ、情報をあらゆる人に発表することが利益となり、結果的に社会全体で情報が蓄積されて増大するようになった。宗教を中心とした古い群れの目的が本質的に情報を変えずに受け継ぐということと根本的に異なる。  ただし、その制度は発展の必要十分条件とまでは言えない。制度が不完全なのに技術水準が高い国もあるし、今は知識を財産扱いしすぎて進歩が抑圧されはじめている。  また地域全体が別の戦闘群れに侵略され、本や道具は全部焼かれ、大半が殺され生き残った者も奴隷に売られ、多くの技術や知識が失われることも多くあった。また大人数を必要とする技術や知識は、地域の農業生産が低下したら維持できない。  もう一つ経済的に重要な法律制度が「法人」だ。群れを法律的に人扱いし、貨幣・土地・機械などを所有し売買することを許す。  また宗教と法の分離など法の地位向上もきわめて大きい。  社会全体において犯罪者の逮捕のために、軍とは区別されるが似た構造をもつ群れができたことも大きい違いと言える。近代以外では犯罪は一部の反逆罪を除き部分群れ内部で処理することが原則であり巨大群れ直属の治安維持担当者は比較的少数だった。また家族など比較的小さく緊密な群れを攻撃した相手に私的に報復したり、攻撃に対して勇気を証明するため一対一で殺し合ったりするのは犯罪ではなく名誉だったし、家族の上位者は下位者を家族内の法で処刑しても感情だけで殺害も含めどんな暴力を振るっても何をしてもよかった。そして宗教が法や犯罪管理に強い影響を持っており、宗教上の犯罪はそのまま法律上の犯罪として罰された。  だが犯罪を逮捕し裁くことは国家だけの、宗教ではなく法を根拠とすることとなり、治安維持のための軍に近い群れが人数当たりきわめて多くなり、国家内での犯罪処理・復讐・決闘・家族内部での殺傷や搾取が段階的にで今も完全ではないが犯罪とされるようになった。  その近代法と呼ばれる法体系は、地中海周辺に昔あった大帝国やキリスト教の影響でできたものだが、その近代欧米文明はそれを普遍的なものと考えている。特に「革命」はそれを強く主張する。「革命」のところであげた理念に、「個人が罰される条件を厳しくする」ことが妙に多かったことを考えてみるといい。  ただし、実はキリスト教によって支えられている証言・自白の神聖視という前提があったり、また交接や排泄、裸身など私的とされる部分全般を「見られたくない」感情が強く、支配されることをいやがる心理から明らかに犯罪をなくせる新しい技術……個体ごとに違う皮膚の溝や遺伝子情報を全員登録する、音や画像や電波で位置を発信することによる監視など……を異常に嫌うから完全に合理的とは言いがたい。  責任という前提がまたややこしいことになり、特に精神を病む人は責任能力がないから無罪、なんて前提が法に食い込んで、誰もが弁護されなければならないから、どの犯人も精神病のせいだからと言われるはめになったりしている。  もう一つの問題が、その治安維持のために犯罪者を無力化して法で裁く場に引き渡す群れが容易に賄賂で買収されると、それはそれで近代的な法に対する信頼ができないことだ。  今厄介なのが、イスラム教はキリスト教と違ってその教義・聖典に完全な法体系・政治制度をもち、それが宗教と不可分であることが教義でさえあるため、本質的に法と宗教の分離が不可能で、そのため近代国家を形成することが難しいということだ。 ***麻薬  比較的最近だが、法や犯罪に関して依存性薬物が非常に重要な役割を果たすようになっている。  エタノールや煙草を含めた依存性薬物の禁止は古来、宗教も含めて多くの巨大群れにとって重要な過大だったが、特に近代技術で純粋なものが分離されたり、分子構造が解明されてその通りに合成されたり、大量にできるようになったり、人工的に新しい分子が作られたりしたものに対して、社会全体が巨大な恐怖を抱くようになり、刑罰がどんどん重くなっている。  なんというか、非常に多くの近代人の問われない前提として、麻薬を野放しにしたら誰もが麻薬中毒になり、誰もが働かなくなって世界が崩壊してしまう、という恐怖がある。だが実際に麻薬が野放しになって滅んだ国があるとは、少なくとも私は聞いたことがない。  あと麻薬には魔術的な意味もあるが、要するに麻薬・歌・踊りなどで構成される儀式自体を排除したいんだろう。  また、酒と煙草は多くの国で許可されているのに麻薬、というか「麻薬と認定された薬物」だけが禁じられるのもわからない。害毒を客観的に評価すれば、明らかに酒より無害なものが厳しく禁止されている。それには歴史的に複雑な背景があり、宗教や人種、各種の戦争、産業構造の変化などが複雑に関わっている。特に大麻は農村が自給自足するのには必須の繊維作物だが、それを根絶するために石油化学繊維業界が大麻禁止を進めた、という陰謀説も根深い。快楽自体を否定するのは人間のきわめて普遍性の高い道徳だし、また魔術を禁止したいという意識されない恐怖もあるだろう。何かを禁止することそれ自体が魔術となり、安心感を増すこともあるだろう。  人間は禁止されるものを欲しがる奇妙な性向がある、特に性的に成熟しかけてから数年間は若い者だけの群れを作って年長の群れを敵視する傾向があり、その反抗を示すために麻薬を用いることも多い。  さらにその禁止ゆえに天上知らずに価格が上がり、それを売れば犯罪であり罰されるリスクはあるけれど儲かるから、犯罪者集団のいい儲けになる。そのせいで、それこそいくつかの国家が麻薬の生産と豊かな国への密輸が大きい産業だったり、または麻薬を作って売る国家内の、犯罪者の群れが国家自体よりも巨大な富と権力を持っている場合すらできている。  まあ元々犯罪者集団が国家に匹敵する力を持つことはよくあるけど。  そのため特に貧しく農耕に適さない地域や、先進国内の貧困地域が、容易に富を得られる麻薬に頼ってしまう構造にもなった。  というか、一度人間の群れがある快楽薬物の味を覚えたら、それを完全に禁止することは不可能だ。イスラム教は飲酒を禁じているが、実際には結構多く飲まれている。だがその単純な事実を認めようとしない……麻薬禁止自体が、近代という強力な宗教の教義の一つとしか言いようがない。  麻薬を罪悪とすることは、人間の一つの重要な前提を浮かび上がらせる……科学技術を利用し、自らの脳を作り変えるということ、それ自体を人間が否定しているということだ。勤勉遵法が損なわれるというのも近代の根源的な感覚だが、逆に完全に法に従って勤勉に働き、要するに道徳的にきわめて善良になる薬があったら?という問いになる……間違いなくそれも禁じられるだろう。キリスト教は人間自体を神の似姿で神聖、今ある人類それ自体が完全だと思いたがっている。実際には人類の体も心もかろうじて生き延びられる程度には動くが欠陥だらけ、そして進化してきた歴史のほとんど全てで人類はさまざまな麻薬に属する自然毒を儀式に使ってきたはずだ。 **学校・工場・軍・刑務所  近代社会がある程度発達すると、特に後述する革命後で高度な工業が発達した社会は生まれて数年したら数年から十年以上学校で教育され、成人前に徴兵されて軍隊に参加し、多くは工場で働き、罪を犯して捕まれば刑務所に入れられる。どれも共通の原理を持ち、社会にきわめて大きな影響を与えている。  学校および刑務所の本質的な目的は、工場および軍に適合した人間を作ることだ。  その共通の原理は衣食などの清潔整頓・高密度の集団行動・時間で管理された生活などにあり、キリスト教の、普通の生活とは自らを隔離して徹底的に清浄(穢れ・道徳双方)で禁欲的な生活をする部分群れの影響が強くある。他にも古くからの、特に遊牧民の秩序だった戦闘システム、多数が高密度で働く船や鉱山などの影響が見られる。  きわめて高い密度できわめて多数の人間が集められ、魔術性・宗教性が低いがよく検討すれば宗教との共通点も多い道徳・タブーで構成された群れを作る。共通の、地方色・魔術性・装飾性のない食事・衣類・家具・言語・礼儀作法を強要される。集団で歩いたり歌ったりする訓練を受け、少人数の小さい群れを決められて上位者への絶対服従・誰かの間違いの罰が全員にかかる連帯責任が徹底される。常に自分の名・群れ内の地位などを衣類などに、華美にならないように表現する。貴族や金持ちであっても使用人を連れてくることが原則許されず、自分で衣類や家具などを、きわめて厳しい基準で整理し清潔を保つことを求められる。整理や清潔に関して完全を求められ、そのために単調で合理的な意味がわからない作業を長時間強要されることが多い。  従来の生活のように空が明るくなれば目を覚まして起きて暗くなれば眠り、普通は雨が降っているときは活動しない生活ではなく、時刻を正確に測る装置で決められた時間で起き、食事し、働き、眠る。一般に睡眠時間はやや短めで、時には人工照明下の深夜を活動時間とする生活を強いられる。その時間はユダヤ教由来でヨーロッパを支配していた七日を周期にして六日働き一日労働を禁じられて休み、また多くの宗教的な祭りの日が休みとなる生活習慣が近代そのものと一体となり、世界中に広がる。それ以下の時間は一日……それも見た目でわかりやすい太陽ではなく、時間計測器で測られる……が24に分割され、その60分の1とそのまた60分の1が用いられる。それ以上は一年を365日とし月の形をほぼ無視する、ヨーロッパの歴史で作られた暦が世界中に強要される結果となった。  正確な時間の前提としては時間計測技術だけでなく、交通機関、特にそれを支える土木工事の発達もある。いくら時間厳守といっても、風任せの帆船や、土がむきだしで雨が降ったら泥になって通れなくなる道しかなければ無理だ。  子供の教育は生活習慣と服従が本当は主なんだが、教育内容を学ばせるということも言われてはいる。表向きの目的は皆が文字を読むことも書くこともできるようになり、また十分に数を扱うこともできるし、さまざまな学問の初歩を学んでよき国家の一員となることだ。  昔はヨーロッパでは子供の教育には宗教群れの影響力が強く、そのノウハウが受け継がれている。子供に文字を教えるにはいくつかの決められた文章を、何も見ないで書いたり口で言ったりできるように記憶させること、記憶するために何度も繰り返し書いたり読んだりすることが有効とされる。後にはそれが、単に文章の一部を削ったものを書いた紙を配り、そこに正しい文字列を書かせるものが多くなった。結局は多くのことを記憶し、それを出すことができる能力だな。  工場においては、機械をむだにしないため、というか機械は止めると摩擦によって不断になされている防錆ができず壊れるから、二十四時間動かしっぱなしにすることが求められ、人間が睡眠を必要とすることと矛盾したため一つの場につき二人以上雇って、一人が寝ている間にもう一人が仕事をするシステムになった。  また動力や機械を中心に、大人数が高密度で集まり、また個々の人はごく小さい部分の仕事だけをして流れ作業で製品の完成に至るようにもなった。そして多くの人に、最低限度の文字の読み書き・計算も求められるようになった。  基本的に集団活動中は「公」とされて娯楽・私的な会話を厳禁され、私物の所有が禁じられる。「私」は家庭に限定され、それと切り離されての生活となる……それまで家庭と公活動の場はそれほど厳密には区別されていない。一般的だった歌いながらの労働も原則禁じられ、歌や踊りは「私」のこととして別のそれだけの場で行われるのみとなる。  最初期には雄のみが集められ、次に雌も使われるが男女は原則分離された。最近は男女平等志向が強く男女混合も多い。  軍隊においても、従来のように個人および家系の武勇・個人および家の財産である名馬甲冑・幼少時から十数年に及ぶ乗馬や弓の訓練などが重要ではなくなる。たとえば重砲などは小領主程度が個人で所有し運用できるものではなくなった。そして銃砲は本質的に、それまでの武器とは違って大人数の集団運用でこそ真価を発揮するし、読み書きの素養が必要であり比較的短期間で習得できる。多人数の、単純だが読み書き程度は必要な行動を命令に絶対に服従して確実にこなす集団と、高い科学知識を持つその指導者が求められることになった。  まずそれを養成するため、かなり広い領域の国家自体が、生まれて数年した子供全員に読み書きと上位者に服従して歩いたり座ったりすることをしつけ、多くのことを暗記中心に学習させる制度ができた。従来は教育はキリスト教宗教群れの領分だったが、それを新しい広域巨大群れが奪ったという面もある。  ただし、豊かになる過程が終わると多数の人を教育する必要は実はなくなる。また社会・産業構造によって、多くの高い教育を受けた人が必要なくなることが多くなり、その場合にはなまじ教育を受けている若者は、若さから来る攻撃性から世界を頭で考え文字で読んだ通りのきれいな状態にしよう、革命を起こして世界を楽園にしようとして暴れることが多い。といっても、二十年後は教育が必要ないからやめよう、なんてやる勇気のあるところはそうそうないけど。  刑罰体系も、従来の奴隷としての売却・追放・苦痛・見せしめ中心のものから、期間を定めて労働を強いその際に大規模な施設で軍隊同様の秩序訓練をし、社会に適合した人間に再構成することを目的とした制度が中心になり、それは社会復帰を目的としており学校や軍隊に共通する原理で運用されている。近年は死刑すら廃止されることが多い。  ちなみにそのような制度は人間に適していない。軍や刑務所のように群れに不満があっても群れから出ることが重罪となる群れでは、特に他者を支配し家畜化することに快楽を感じる人が多くの人に暴力を振るって苦しめることを抑止できない。より上の群れにとっては、個々人の苦しさよりも部分群れの秩序が保たれていれば、どんな手段が用いられていようと本質的にはそれでいいのだ。また雄集団の、下位の道徳が支配的になりやすいのでさまざまな犯罪をなくすことができない。  動物としての人類が進化してきたのは、代々繁殖関係でつながり全員を覚えられる程度の人数で多くの神話や言葉にならない情報でできた群れであり、それには群れが崩壊しないようなシステムが多くある。だが全く見ず知らずの、それも家庭環境どころか生まれた地域が違う人を集めて新しい群れを作らせるなど無茶な話だ。  その構造、順に厳しく支配される不快を自分の下位者を暴力的に支配することに転嫁して暴力的に支配された人はまたその不快を自分が与えられた小さい群れの下位者を……とやり、また一番下と一番上以外誰もが、比較的小さな群れを支配し……その成員がさらにそれぞれ下の群れの長ともなる……て上位者の命令を果たす責任を負わされ、それによって全体構造が維持される、というのは近代的組織の通弊だ……し、昔から宗教群れなどいろいろな大きく緊密な群れにある構造だ。  また人間は長時間の睡眠を必要としているが、人工照明だけで本来なら寝ているはずの時間帯に活動し、またその周期が不規則に変化する生活はきわめて有害だ。より多くの仕事がより多くの成果を生むという信仰、睡眠が短いことをよしとする価値観も能率を損ねるがきわめて強い。また昼に少し眠るだけでも能率は向上するし、世界全体の伝統で見ればそれを認める文化も多いが、いまだに近代世界全体でそれは認められていない。というか一般に使われている「椅子に座る」こと自体が人間の骨構造と根本的に合ってない。  奇妙なことが、本来その工場・軍という群れは普通の家庭で身につける道徳や宗教とは別の基準で動くんだが、ヨーロッパ近代も「家庭」と「キリスト教」は道徳的に重視してしまう。  本当は家庭やキリスト教、民主主義教育などの影響のない、工場や軍で家畜のように繁殖させて生まれたときから絶対服従だけをたたき込まれた成員を使ったほうがよさそうなんだが、それもまず起きない。まあそれだと必要なくなったときに解雇し、必要になったらまた雇うのがやりにくいからだろうか。  その工場・軍という近代的集団と、家庭という近代によって変化した別の領域、それに宗教・地域などの別の領域が非常に複雑な関係を持っているのが近代のややこしさだな。 **科学技術・学問  人間は昔からいろいろなことを知りたがり、大人が子供にいろいろなことを教え、群れ内で情報を共有することで、親に世話されず自分で学ばねばならない動物よりも生存率を高めた。  その情報は様々なことを実現するための魔術を含む技術でもある。  群れが少人数だった頃は前述の神話などで伝えられていたが、群れが拡大し、いろいろな仕事をする小さい群れができてくると群れがあることを知るため、また伝え、子供に教えること自体が仕事になるようになった。特に宗教上それは重要になるし、逆に「してはならない」の延長として、無許可魔術の禁止をはじめ知ることを制限することも群れにとって重要なこととなる。  その人々の最も高い読み書き能力を持つ人々が何をどれだけ知っているか、というのも文明を客観的に評価する指標の一つと言えるだろう。ただしそれはあてにならない部分がある。空の星々や円周率についてきわめて高い知識を持っていた中南米帝国は少人数の無知なヨーロッパ人に簡単に滅ぼされた。  ヨーロッパ人の近代文明は、その学問の水準もきわめて向上させたし、その学問から技術が進歩して群れ全体がより強く豊かになっていった。それゆえに近代の重要な価値観に、学問の進歩を善とすることがある。  学問の進歩が社会全体の技術水準の向上に結びつきにくい社会のほうが、世界全体で見ればむしろ普通だ。学問ができるのは小さい頃から食糧を得るため動きまわるのではなく読み書きを学ぶ余裕があり、高価な文字情報を手に入れたり、遠距離まで行って学んだりする余裕がある豊かな人々だけであり、歴史の多くでそのような人々は「物を作る」こと自体を低い階層の奴隷がやる魔術的に穢れたこととみなしたし、新しい技術でカネを儲けようとすることも軽蔑した。また宗教、それ以前の人間の「世界を今まで通りに続けたい」心理は新しい技術を嫌う。そして、多くのことについての技術や学問が同時に発達し、さらに技術を実現するための貨幣集めのシステムがあり、新技術が有力者に取り上げられたり禁じられたりせず確実にカネになる法制度がないと技術は進歩できない。  古くあらゆる文化に「神はどう世界を作り治めているのか」「何が善で何が悪か」「世界はどうなっているか」「言葉の正しい使い方は」「言葉で示された法は、こういう場合どう解釈すべきか」という言葉の領域、様々な数学、そして具体的な物についての学問がある。そのどれもに深く魔術が絡んでいることを忘れないように。  学問は本来宗教に従属し、占星術でわかるように魔術の面が非常に強かったが、ヨーロッパでは技術のため、そして知識のための学問が発達し、宗教群れに限らず利益を得るために技術開発と混じって純粋な学問を研究させたり、金持ちが富を自慢して名誉を得るため学校や多くの書物・自然資料を集めて誰でも借りられる施設に出資したりすることが多くなり、国家全体が教育や主に軍事のための研究をしたりするようになって学問で貨幣を受け取って生活する人もかなり多くなった。  何よりも、宗教の圧力が減って「自由」に学問の研究ができるようになったことが何より科学の進歩につながった。試行錯誤、自由に考えついた仮説を実験で検証することができるようになった。  学問が際限なく分化し、宗教と分離されたのも近代の特色の一つだ。  上述の、全員を教育するという制度も近代の大きい特色と言える。  また学問には新しい社会制度を提言する面もある。上述の革命や共産主義なども、その学問研究や議論の場から生まれたと言ってもいいかもしれない。  近代学問の大きな到達が、生物面では遺伝子・進化、そしてDNAを理解したこと。まだ分かっていないことも多いが、分かっていることも多い。  数学で自慢できるのは……まあ笑われるかもしれないけど、フェルマーの最終定理や、角の三等分・体積が二倍の立方体・正方形と同じ面積の円などをコンパスと目盛りのない定規だけを有限回だけ使って作図することが不可能、整数論を含む数学は無矛盾で完全にはならないことなど、いくつかの問題を解いていることだ。  物理学は上で説明したとおり、原子を作るいくつもの素粒子やそれを支配する力についてかなり理解しているが、宇宙の大きな構造のほとんどをなしている観測できない力や物について知らないし、重力を量子力学的に理解することもできていない。  地球の表面はあらかた調べたと言えるけど、本当のことを言えば深海や地下深くについてはあまり知らない。身長の千倍の穴を掘るのも難しいようだし、海や土の微生物、巨大な森の虫や草についてもとことんろくに知らない。 *現代における生活  本来なら、あらゆる時代・あらゆる地域・あらゆる地位(性別・年齢)の人間が、生まれて死ぬまで、目覚めてから寝るまで何を食べ飲み、何を着、どこに住まい、どのように人と情報を交換し、仕事をし、性交渉を行い、何が禁じられ何が許可され、眠り、病んではどのような治療をされていたか詳しく説明すべきだろう。  だがそれは完全に私の知、それどころか人類の知の限度を越える。  たとえば古代メソポタミアでは多くの文字が記された粘土板が発見されているが、料理のレシピが具体的に乗っているのは一つしか見つかっていないし空白がとてつもなく多いんだ。 **生活様式  さて、その近代以降の、特に電気による機械が発達してからの豊かな地域での生活を少し描写してみるか。  といってもそんな生活を送っているのは地球人口のごく一部でしかない。だが完全に近代と無関係に暮らせている人も非常に少ない。特に医薬品は同様のものを作ることができず、衣類・金属製品などは近代文明の工場で大量生産されたものの安さのほうが運搬や近代貨幣を手に入れることの困難を上回る。昔ながらの農業生産をしつつある程度近代工業の産物を使っている人々や、巨大な都市で貧しく暮らしている人々の多さを忘れてはならない。また豊かな地域でもきわめて貧しい生活をしている人もいる。  また豊かな人ならヨーロッパだけでなく世界中にいるが、いろいろな文化圏での豊かな生活についてどれほどの差があり、具体的にどうなのかはよく知らない。  描写するのは日本のある程度豊かな人とするが、それは私が日本で生まれ育ち暮らしているからだ。他を知らないからと言っていい。ただし日本はヨーロッパの影響が強く、ヨーロッパ近代の影響が強い地域の多くの生活は似たようなものだ。  ここで描かれる多くのができた年代もばらばらであり、中にはつい最近のものもある。本来はあらゆる時代・地域の生活を描写するべきなのだが、そんな余裕も知識もない。  近代において最も重要な規範が「時間厳守」といえる。夜勤でなければ朝、といっても普通は太陽が見えて空が明るくなるよりかなり後、以前なら考えにくいほど遅い、基本的には精密な時間計測で、それも大まかに緯度で割った地域ごと同じに定められた「時刻」に、時刻計測器が音を鳴らして目を覚ます。  ヨーロッパ北東端にある、最近の歴史で特に栄えた島のある天文観測場、自転軸の両極・地球の中心を通る平面が地表と交わる線で地表面上の位置を定めるんだが、位置だけでなく時間も、かなり広い範囲……約24分の一日の単位でひっくるめてしまうんだ。  大集団が巨大な部屋で暮らすのではなく、ほとんどは家族ごとが巣を借金をして土地ごと厖大な貨幣で購入するか、月単位で一定の貨幣を払って占有する、法に守られた契約を結んで生活している。また個体それぞれが小さな直方体の領域を占領していることも多い。その領域は木や鉄で補強された一度液状になる炭酸塩鉱物などで作られ、その壁内部には情報伝達・動力伝達の二つの金属線が、ゴムやそれに似た石油由来の素材で覆われて通っており、少なくとも電気による照明があるし、多くは温度を上げることも下げることもできる。さらに音楽・映像などを発する電気機器や、音や映像や文字情報を電子計算機で処理する機械があることも多い。  ほかにも地下を通って、清潔な水と汚れた水、燃焼できる気体を動かす管がそれぞれの巣につながっていることが多い。ただし汚れた水・燃焼できる気体は、都市の構造によっては別に器で扱うこともある。また見えないが、いたるところに音のみ、音と映像など電磁波情報が流れている。  食事と排泄の必要があることが多い。食事を作るには昔と同じ、清潔な水と少なくとも水が気体になる温度以上、できれば油で加熱できる高温の熱源が必要になる。  それは巣の一部にある、 ○大きく薄くさびにくい金属を巨大な圧力で加工する・大型の陶器・陶器の薄板を貼りつけた壁に似た素材・石を加工するなどで作られた、底に排水管がつながっている洗うための容器 ○その上に出ていて少し金属金具を動かせばゴムと金属の栓が解除されて壁に埋められた管から清潔な水が出る装置 ○下記の燃料か電気で加熱された水が出るシステムすらもある。寒冷地ではそれなしの作業は苦痛となるし、せっけんなど洗剤も性能が下がる。 ○燃料として地下から得られた単純な炭化水素の気体がこれまた壁に埋められた金属管・特殊なゴム状物質の管を通じて鉄の燃焼部につながり、円盤や押すかたまり、ひいては指で触れる圧力を検知しつつ画像を表示できる機械の計算機械で処理された電気信号などで内部の閉鎖が解け、可燃気体が空気と混じって放出されつつ電気がごく小さなすき間に流れて空気中に高熱の電流が流れることで発火され、燃料と空気が混じったのが燃え続ける加熱具 ○または電流を長い抵抗の大きい電線に通す、電流を変化する磁気にし、その変化する磁気が金属製の鍋類を加熱する ○金属箱の中で特殊な電磁波により水分子の電子の状態を変えさせ、それが戻る時ランダムな運動が起きるのでその動きを熱とし、水分を含む食材を加熱する電気機械 ○その他、文化によって異なるさまざまな加熱器具の組み合わせ を中心とした場で用意される。  補助的には、適切な物質に圧力を加えて分子の運動エネルギーを周囲より高い熱に変換し、その熱を周囲の空気に奪わせてから圧力を解除したり、同じように圧力を用いて液体と気体の変化を起こさせて集中した熱を周囲の空気に渡したりすることで「冷やす」電気機械があり、それに入れておくことでさまざまな食品を簡単に保存できる。  中には、水が個体になる温度で貯蔵された食品を購入して電波を用いて加熱したり、沸騰する温度に近い水を加えられただけで食べられるようになる特殊な保存食、また都市の店で調理されて売られている食物ばかり食べ、普通に素材を加熱することを一切しないで生活する人も多くいる。  また巨大な高密度の群れで生活し、食事は集中的におこなわれる調理に頼っている人々も多くいる。  その大量の、非常に清潔に処理された水と燃料・電気など高秩序エネルギーには驚くばかりだ。  しかし、他人はおろかどんな生き物でも殺すなと生まれたときから教育され、食べている肉……具体的には決まった施設や情報交換機で呼び出した利益群れの人に、何か妙な文様や数字が印刷された紙を渡してそれと交換で手に入れる、百年前は存在してもいない炭素と水素の大きい分子でできた皿と極薄く可視波長光を通す柔らかい板にくるまれた、本当は家畜が殺されて切り取られてから何日も経っているから変色しているのを特殊な分子で染めてある赤い塊……と、上記の映像を表示する情報表示装置で見ている生きていたときの家畜の関係を考えたこともない、それどころか生肉に触れることもない、さらに気温が低い季節でも高い季節でも同じように新鮮な植物を食べることができ、水が固体になる温度のまま運ばれてきたものを機械で加熱して食べることさえ多い、そんな存在は……まあはるかかに先進的な文明の人から見れば、もしかしたらいまだに大型動物を殺して肉を切り取って食べているとはなんという野蛮人だ、といわれるかもしれないが。  少なくとも昔の、パンや米さえ年に一度、卵や肉など一生食べずじまいの奴隷たちや、自分で家畜を殺して解体するのが当然の自給自足農民から見てもめちゃくちゃだろう。  子供は学校、大人の多くは巣とは別の仕事場にいかなければならない。そのために、近代の一員として認められるにはかなり自らを飾り清潔にしなければならない義務がある。  その中には衣類もある。衣類を清潔にするというのは簡単ではない、常に外からの砂・土・別の衣類など細かな粉を吸着し、着ている人の体から出る死んだ皮膚の細胞・毛を保護する脂などがつく。  それを取るには、少し前述したが大量の清潔な水と、油を分解するせっけんの類が必要になるし、それを強い力をかけて長時間動かさなければならない。昔はそれも重労働だったが、今は電気モーターでやっている。  さらに普通はそれは広げて空気に当て、日光で加熱して水が気体になって空気に混じるのを早める同時に、波長が短めの光で微生物を殺したり汚れの分子を切ったりする。が、それも最近は電気でやる機械がある。  さらに水で洗うとやっかいなことになる動物の毛を用いた衣類は、別に貨幣を払って巨大な工場に運ばせ、そこでいろいろなものを溶かす性質がある何種類もの液体などで洗浄する。  それと、衣類は清潔なだけでは充分ではない。平らな板のようになっていなければならないが、長時間着て動いたり、洗うために水を含んだまま力を加えたりすると、複雑な折り目があちこちについてしまう。それを取るためには加熱しながら力を加えなければならない。昔は鉄の塊などを火で加熱し、水を細かくかけた布に押しつけたものだが、今はそれも電気を利用してより楽にやっている。  自分の体も清潔でなければならず、できれば一日一回、地域によっては朝眠りから覚めたときと寝る前の二回体を洗うことがある。石鹸や合成したそれに近い物質などで体表面や髪を洗い、体温より少し高い温度に加熱した水を、柔らかいが圧力に強いゴムなどでできた曲がる管に圧力をかけて流しいれ、一端にある細かな多数の穴から噴出させて体に当てたりして汚れと洗剤を流し、布で拭く……膨大な水・燃料・石鹸の材料である油を間接的に浪費している。  さらにとても鋭利な刃で、顔から生える毛を除去することも多くある。定期的に頭の毛も切る必要があることが多く、そのために外でわざわざカネを払って技術がある人に切ってもらうことも多い。調理・顔や頭の毛・衣類を作るという三つの刃を用いる仕事はどこにでもある、とも言われる。  また体を清潔するために水を体に当てるのは、極端だと大量の体温より高めに加熱した水を容器にためて、それに全身を浸すこともある。  糞尿も、簡単に清潔を保てる表面がガラスになるまで加熱された陶器の器に出し、飲める水質の水を出して見えないところに流してしまう。それがどうなるかには普通の人は無関心だが、まあ地下にためて定期的にそれをくみ出す車で処理したり、水道管同様の長い管を地下に完備させて押し流し、まとめたりする。それは薬品を入れたり微生物が生活しやすい環境を作って分解させたりして、比較的微生物や肥料分の少ない水にまで、人間が見たり触れたりしても不快でないように浄化されて川などに流される。  さて食事が済み、体も清潔で、清潔な衣類を正しい順序で着た。そうなると職場に出発しなければならない。  なぜ職場に住まないのかが疑問だが……宗教的な意味が忘れられているのかもしれないし、単純に工場の音や臭いが不快だから、また工場にとっても大量の水を浪費し、工場での生産にも必要な水を汚染する労働者の生活までまかなうのが負担だったんだろう。  それで上述した鉄道や自動車で、都市の近くにある住むための地域から都市中心、港湾などに多い工場や、益などを利用した書類を書いたりするための部屋がある高層建築、店などに労働者は移動する。  自分で長距離歩くことはまれだ。  また近代において最も重要なことの一つが「時間厳守」であり、その仕事も厳密に時間で管理されることが大半だ。  そもそも、そいつらが食糧や大量の水、衣類を得ているのはどうやって?答えは貨幣だ。  具体的には決まった施設や情報交換機で呼び出した利益群れの人に、何か妙な文様や数字が印刷された紙や金属片を渡せば食糧にせよ衣類にせよ手に入る。  その紙や金属片は国家機関が生産し、他の者が偽造するのは重大犯罪とされる。  また、その貨幣情報を扱う特殊な利益群れが発行している紙片に、自分の名前を文字で書くと、それで貨幣として通用してしまう地域もある。逆にその文字が書かれた紙片を貨幣情報扱いのところにもって行けば貨幣にもなるわけだ。  その貨幣をどうやって手に入れるか、だが時代などによっても違うが、仕事が終ったら日・週・月など周期的に貨幣を直接渡されたり、その署名入りの紙を渡されたり、貨幣情報を扱うところに、その人の名前などで対応している数字に電子的に追加されたり、多分今後は電子情報としての貨幣の数字をただ増やしてもらうだけだったりするだろう。  具体的にどんな仕事……それはあまりに多様だな。とても短い言葉じゃいえない。  これは時代・地域によって違うが、成人女性は男性と結婚してずっと住居にいて、近隣と交際しつつ食物の調理、衣類の洗浄、住居の清掃などを行っている文化もあるし、成人女性も働いているところもある。  また近代人は産まれてから18または20という数字・年ではっきり、法という文字情報で決まっている時間までは特異な身分に置かれる。  昔は基本的に、要するに雌は定期的な生殖器からの血液などの排出現象が起こり、雄は顔に毛が出て重い斧を持ち上げられるようになれば、群れ通過儀礼を行って群れに加えて仕事を割り振っていたし、少し前の近代初期……現在の地球でもかなり広い地域では今もその段階だが……ではとにかく言葉がわかるようになれば親の仕事を継いでいたが、特に豊かな地域では上記の学校システムで勉強し、そのかわり経済的な法的権利を原則として持たず、仕事をすることが禁じられ、酒やタバコなどいくつかの嗜好品・自動車の運転・性的交接行為・性関連など恣意的に定められた情報などを禁じられた状態に置かれる。  多くの国では一定年齢で徴兵され、軍隊生活が通過儀礼の代わりになっているが、それが廃された国も多い。  また50~65など国ごとに違う年齢以降は仕事を辞めさせられ、かわりに年金という貨幣が定期的に、何もしないでも支払われることも多く、それもある種の身分といえる。まあそのかわり働いていた頃、常の賃金からその分が税金に加えて引かれていたんだが。  その子や老人の世話は基本的には家族の仕事だが、女性も働くことが多くなり、また家族の人数が少なくなる……成人した兄弟姉妹の同居が少なくなるにつれて、それもカネを払ってやってもらう仕事になりつつある。  仕事や学校が終って帰ったら、わざわざ別に移動の必要もないのに走ったり、それどころかカネを払って、普通なら地面を人力で走る車を走らせる棒を足で押すのを、動きもしない車に対してやって運動する人もいる。現代社会では、皮下脂肪が少ない体型のほうが恋愛面でも有利になるらしい。  無論、走ったりする瞬間的な速さは皮下脂肪が少ないほうが有利だ。だが長時間の飢餓状態、寒冷地で衣類や暖房用燃料に乏しい生活には皮下脂肪が多いほうが有利。  実はそれも最近の流行で、そのうち変わるかもしれないものだし、昔は大量の皮下脂肪は豊かさの証拠だから逆に名誉だったりした。  また文字を読んだり書いたり、さらに上記の音楽・画像などを見て楽しむ事もあり、また帰るまでに社交のために店で食事をしたり酒を飲んだり賭博をしたりすることも多くある。それも電気を用いた豊富な照明に支えられてのことだ。  どれほど大量のエネルギー・淡水・食糧・油脂・金属・木材などを浪費する、ある意味むちゃくちゃな生活だか……これで伝わるとは思えないな。実際には見てもらうしかないが、別の世界の人が見たら頭がおかしくなること請け合いだ。  一年間に浪費される淡水とエネルギー、さらに食物に用いられている畑の面積、というか肉類は膨大な穀物を濃縮しているようなものだからその分の広い畑、ああ衣類の繊維作物もあるからその畑、それに使われる淡水と肥料、全部まとめて見てみたいよ。どれだけ浪費しているんだろう。 **精神的な変化 ***人権  社会全体の技術水準などが変化するにつれて、政治制度と同様に人の精神もかなり変化していった。  普遍的に当然だった様々なことが罪悪とされるようになった。全般的に暴力を嫌うようになった、といえばいいのだろうか。  まあ単純に、子供の四人目以降を殺さなくても誰も飢え死にしないだけの食料が普通に手に入るようになったからだろうが。実際問題食料が不足したらなんでもありだし。  上記の都市部でのめちゃくちゃ暮らしで時計に従って夜も電気照明で文字を読み、自然界にはない透明素材に包まれた肉や水が固体になる温度の食物を情報が印刷された紙と交換して電気器具で調理して食べ、食べているものが動物の死体の一部だとも忘れて生き物を殺すなと生まれたときから教えられている人々と、太陽が沈めば眠り、自分で家畜を殺して食べ、敵を殺し女子供を奪ってくることを名誉とする人々の精神的な差がどれだけか想像もできない。それが同じ世界で暮らしているんだ。  あと革命における、上記の理念の影響がきわめて大きい。といっても本当に影響しているのは文字を読める一部ぐらいで、あとは文字を読める人の出す単純な言葉と支配力にひきずられ、また自分たちから言葉にならない情報や要求を出して群れを暴走させて理念をねじまげる働きをする。  特に大きいのが奴隷・階級の廃止だ。どの社会でも、奴隷は当然だった……最も優れた学者、宗教群れの高い地位にいて神のためにどんな痛みも不自由な生活も死もいとわない人、飢えに苦しむ人のために全財産を投げ出した人、そういう知的・道徳的に最上の人々さえも奴隷という制度を否定することはほとんどなかった。  それが政治における革命の後から、奴隷制度自体が悪であり廃止すべきだという考えが文字を読める高い階層に広まり、実際に国家全体で奴隷を禁じることになった。もちろんそう簡単ではなく、事実上の奴隷は今も億単位でいるが、少なくとも奴隷制度が道徳的に善だ、と世界的な場で公言できる者は今の世界にはほとんどいない。まあ経済的に、高額で奴隷を買って仕事が減ったら弱ったのを売却するより、いくらでも流れてくる土地や仕事がない人々を雇い、仕事が減ったら解雇するほうが近代システムでは儲かったこともあるだろう。本質的に奴隷制と近代工業の相性が悪いという人もいる。  また、人間が生来神によっていくつもの階層に造られ、上の階層と下の階層の人間は質的に違う存在である、ということも公言できなくなってきている。  他にもそれまでは当然だったが悪とされるようになったことは多くある。といっても人類の遺伝子情報が大きく変わったわけではないから、その悪とされることは近代の大人口と規模で何度も繰り返してはいるのだが。  昔からある程度「暴力そのものが悪だ」という道徳もあったことはあった。  時代はまちまちだが、戦闘で敗れた側・宗教が違うなど要するに別の群れを皆殺しにしたり奴隷として売ること、上記の魔女裁判なども悪とされるようになる。親が子を、教師が生徒を、雄が雌を暴力で支配することも含め、群れの下位にある者を暴力で支配し、感情や群れ内の倫理で殺すことさえ禁じられる傾向がある。結婚は家という群れの慣習と利益に基づき、許される範囲の人間とさせられるものではなく本人の希望が重んじられるようにもなった。  男女関係も従来の家父長制が批判され、面白いのはそれまでは繁殖関係群れの名誉の問題でありむしろ女のほうが責められていた「男が女を暴力的に支配し交接行為を強要すること」が一般に犯罪とされるようになったことだ。ただしまだまだ足りないという人もいる……それに関係する心理は、本質的に近代法による裁判・警察のシステムとそぐわないらしい。  また女性が男性と同じように勉強し、仕事ができるようにもなっていったことも、社会にとっての影響は大きい。  インドで強かった、家畜を殺して食うことも禁じる道徳も、どこであってもごく少数だがやる人がいる。他にも医学実験のために動物を殺すことなどに対しても反対する人がいる。その道徳は結局はヨーロッパ・キリスト教のタブーが中心であり、たとえば海の巨大哺乳類や犬猫を殺して食べることを全人類に禁止しようとする圧力がとても強まりつつある。  それらの時代精神をまとめる言葉が人権だ。全ての人間……その人間の定義が、従来の「自分の群れ」ではなく「別の群れも含め地球全体で」となり、あらゆる身分・外見が違う人種・雌・特殊な性指向の人なども含めるように広がっていった……、そのどの人間にも他人を攻撃しない範囲で自由、ある手続きによって成立した政治群れが文章で定めた法を破ったと証明されることなしに自由を奪われたり財産を奪われるなど罰されない、どの宗教を信じ、また巨大群れの批判も含めあらゆる発言・思考が容認される、寿命まで生存できる、様々な情報に触れることができるなど、それまでは「何かをしていいという、群れに属していることで得られる一種の相続財産」だった「権利」が拡張されたものだ。  その人権、人を無制限に権利の主体と認めることにはどう見ても、キリスト教の深い教義にある群れを無視した隣人愛という概念が関わっている。全ての人間が交配可能だとか、また遺伝子的に非常に似通っているとか科学的知見から見出されたとは思えない。  中国やアメリカ大陸をもう何千年も放置していたら、人権の概念全くなしで化石燃料熱機関・電子情報文明ができた可能性はあったのだろうか?私にはわからない、非常に興味深い疑問だ。  その人権の考え方は深いところで矛盾を孕んでいる。全ての人間は平等でありという考えは上記の共産主義の問題をもたらす。  また人が平等であれば、それまで多くの群れを運営してきた絶対的な支配と服従の関係が崩れるが、現実問題として子供を誰かがしつけねばならない。そこで体罰の禁止などややこしい問題は出ているが、根本的には変わっていない。  さらに、その人権には「人は機械のように改造されてはならない」という考えもあるようで、それは人間に対する技術の応用を妨げている。 ***情報の尊重  もう一つ興味深い時代精神の変化が、上記の学問でも触れた情報の尊重だ。  従来は、ある軍事群れが勝利して別の土地を制覇したときには、住民を虐殺し奴隷とし物を奪うだけでなく、その魔術的なシンボル、逆に言えば文化・芸術であり多くの情報でもあるものすべてを破壊することも必要とされた。実際にアメリカ大陸を征服したヨーロッパ人は、中南米帝国の指導階層を皆殺しにし、文字情報を全て焼き尽くし、黄金像は溶かして金属の固まりとして流通させた。  だが後の北の島から発展し、内燃機関による機械を用いる近代人たちは別の群れの文化情報自体が価値があるとし、特に金持ちたちはそれらの希少価値から多くを集めてひそかに自慢することも好み、大金を出して壊さずに集めさせた。それこそ後には、労働者が昔の文明が作った黄金像を掘り出したのを隠して溶かして売ってしまわないよう、その貴金属の価値より多めの貴金属を労働者に与えたほどだ。黄金像のひとつでも残っていたら世界が穢され神の怒りで世界が破壊されると信じて草の根分けて捜し出し全て溶かした人々と、金銀を用意してまでそのまま保存したがる人々は、本当に同じヨーロッパ人だろうか?  学問として別文明の文化や芸術、神話など……従来はそれを隠れて自分の子供に語ることさえ死に値する重罪だった……を文字として収集し、研究することも行われた。  またそれまで、あらゆる人類は大型動物は全て殺し尽くしていたが、後の時代精神の人々はある生物種が絶滅することを悲惨な罪悪と見なすようになった。それも情報尊重と言える。  上述の環境意識や雌雄……女は男に従属する存在ではなく対等だ、という考え方も結構重要で、それは労働市場に膨大な女性を送り出し、また家族制度自体も大きく変容させつつある。  科学全般もある程度時代精神に影響は与えているが、残念ながら人間の、魔術的な面が許す範囲でねじ曲げられた科学でしかない。全面的に全員が科学を受容している、とはおせじにもいえない。  経済システムの影響も大きいかな。 ***精神的な対立  近代の特徴は、いくつかの比較的単純な情報に歴史全体が動かされることだ。まず上述の宗教戦争、そして革命があり、そして共産主義が多くの戦争の原因となり、膨大な人数が殺された。  時代精神が進歩するという考え、その進歩に抵抗する人たちとの戦いというのが近代の基本的な物語だろう。  その時代精神が「進歩」するという考え方もある意味時代精神かもしれない。  ごく最近は時代精神が混乱気味で、どうなるかはわからない。技術の進歩にもついていっていない……時代の先端にいるとされる言葉を使い人を教える人々が、最低限の科学知識を知らないこともざらにある。  面倒なのは、現代の社会はいくつもの違う心のあり方、理想……「人間やこの宇宙はこうだ」「人間はこれを目的としこのように生きるべきだ」が多数あり、入り混じっていることだ。数限りない対立がある、宗教同士の対立も残っているし共産主義もある。最近は若い人々が近代を否定していろいろ精神がどうのとやって、それに対する反発がまた特異な保守を作る。  科学が発達したにもかかわらず、宗教は今でも世界のほとんどの人にとって圧倒的な支配力を持っており、多くの争いの原因になっているし、最も強大な国家が人類全体の生存や情報の充実を長期的に保つことを目的として行動することを阻んでいる。  さらにそういう、世界をこうするべきだというような情報を出す人はしばしば、自分たちだけで通じる難解な言葉を作って他人を寄せ付けないようにする。それも本来群れを他の群れから区別するための行動にすぎない。  特に近代化の難しさがあり、近代自体を否定する道徳や宗教の反撃もある。未だに貧しい世界のほとんどにとって、近代やその理念自体自分たちを貧しいままにしている悪でしかないし。  圧倒多数は今も基本的に「群れ」思考をしている。自分の群れが絶対的に善く、受け継いできた伝統・群れの規範が正しく、他の群れは邪悪だから皆殺しにすべきだ、という考えだ。  表層的に近代的な時代精神を標榜していながら、「群れ」思考、魔術的思考で考えていること自体意識していない人も多い。特に国家ぐるみで。  というか百年後の時代精神がどうなってるか予想もできないんだから、こうして言っていても意味がないな。時代精神の変化が激しいと、自分が生まれ育ったときには当たり前の善だったことが、自分がまだ生きているうちに悪になってしまって混乱することも多い。それがいちばんの悲劇だな。  どんな考え方が支配するか、というか本当に地球の人類という巨大すぎ、複雑すぎる群れを考え方一つで動かすことができるのかはわからない。わかっているのはちょっとした考え方・言葉一つが何億人も殺すことがある、ということだけだ。  そして、世界全体で多くの群れが別の群れを激しく憎む物語を作り、それに従って争いたがっている、ということも言える。 ***目的の変遷  人間の群れの目的は、明白に言語化されることはないのが普通だ。  実際には支配的な群れ内群れ、その最上位者の個人的な利益、感情だったり、または群れ全体の集団心理による暴走を道徳や宗教の言葉で覆ったものを目的とすることが多い。  非常に長いこと、宗教そのものがかなり大きい群れも含めて群れの物語であり、目的だった。  近代化の後は、基本的にはまず国家という群れが独立を保ち、敵に勝利することが目的とされる。基本的に国家は戦争のための集団という面が強い。  また民族という群れが独立と純化を求める。自分たちだけの地域を確保して国家として認められ、その地域から自分たちの民族以外を皆殺しにし、できることなら世界のすべてを征服して自民族以外を皆殺しにしたい。  近代化しても宗教が廃れるわけではないので宗教をよりどころとする人々も多く、特にイスラム教は国家という枠を原則として認めず世界全体をイスラム教という一つの絶対的な群れにしたがる。  共産主義という宗教も同様で、世界のすべてを共産主義にすることを目標とする。それに対抗する群れは共産主義から世界を護ることが目的となる。  国家内の群れも重要となり、特に株式会社は自社の利益を目的とする。それが道徳的に批判されることも多い……宗教に普遍的に金儲けを憎む道徳があり、また共産主義による批判も根強いし、さらに環境の面からも批判される。  人権という考えも重要な目的とされるが、その主張には道徳が暴走しているだけだと思えることも多くある。  問題なのは、ほとんどの人は人類全体の目的は何か、というのを全く考えていないことだ。身の回りしか見えないから。  どの群れも「敵の群れより多くの石像を建てる」事を群れの目的としてしまって最後の木を切り倒して自滅し、西洋にとどめを刺された島があったが、同じ事をしてしまうのが人間だろうか。  いや、人間がそれを強く好むことは確かだが、「人間は自らの本性に逆らえない」というのも、「人間が本性的に好む運命論」でしかない。ただし、本性的な好みに逆らうと大変なのは、飲酒や宗教を禁じようとしても無駄だったり共産主義が機能しなかったりした経験に裏づけられているが。 *現代素描  今のこの世界をざっと描こうとして、どうしてもやっかいなのが人にはごく狭い、自分が属する世界しか見えないことだ。  それは昔からで、昔は大半の人は自分が産まれた狭い地域のことと、せいぜい宗教的な伝説しか知らなかった。  今の世界と言っても、特に豊かな地域と貧しい地域、そして豊かな地域であっても都市と地方、また豊かな層と貧しい層で全然違う。  まあ人間の群れの性質は変わらない。敵を憎み、自尊心を高める物語にしがみつき、富と道徳の欲に裂かれ、森を切り倒している。  今も世界のほとんどは貧しく、そこでは国家よりもより地域に属した群れの、近代法ではなく名誉と復讐の考え方がいまだに生きていると言っていい。どうしてその地域が貧しいのか、というのは貧しい人たちは豊かな人たちに奪われていると思っているが、単にその地域自体近代的な生産をするのに向いていないことも多い。  その分析は非常に厄介だ。特に貧しい地域は「ヨーロッパ近代文明」自体を敵とみなすことが多く、そうなると自分たちで近代的な学問を学び、近代文明が作る機械を分析して自分たちもまねして作ってみよう、とはならない……それ自体を穢れ・悪とみなしてしまい、ただ破壊することしか考えなくなる。  そんな地域の、豊かな地域に対する憎悪はある意味どうしようもない。石油が出る地域があっても、特定の人々が権力を強めて富を浪費し、人々は余計に欧米を憎むだけだ。  実際問題、近代機械文明で作られた武器・医療器具・輸送機械・化学肥料・情報の効果は圧倒的だから簡単に対抗できるわけもない。  逆に豊かな人々に見えるのは、上記の近代的情報伝達を行う巨大利益群れが伝える情報にある世界だけだ。時に娯楽として貧しい地域を訪れることがあっても、それも安全な決められたところしか行かなかったりする。  どんな虐殺でも大量餓死でも報道されるものだけが存在し、報道されないものは存在しない。  そして誰もが、自分の物語と一致する情報しか見ないし、逆に情報を伝える側もそうしないと儲からない。となれば……人が見たがるものを見せる情報ばかりになる。  さらに人は情動を動かす暴力・交接行為に関する情報にばかり敏感だから、これまたどんどんエスカレートし、それを抑えようとする道徳・宗教との争いが、と。  まあ現代全体で一番目立つことは、圧倒的な人口と富の増加、都市への人口集中、子供が死ななくなってみんな長生きになったことだろう。大規模な森林破壊、時々大量に奇妙な物質が大気や海に混じることなども宇宙から見れば目立つかな。二酸化炭素濃度の増加もよく言われる。  そして一番大きい問題が、石油が切れたら何を秩序の高いエネルギーにするか、これからパターンどおりの文明崩壊かそれとも……どうするかだ。  あと、これからの技術の発達でありえることが、本格的な宇宙への進出と人間自体の自己改造だ。  宇宙進出は結構難しいことが判明したが、上記の索路ができればどうなるかわからない。また人間はそれに気づくほど賢くないが、海にも巨大な潜在力がある。文明の限界のかなりの部分は木や利用可能な淡水によるが、海水を使っても光合成で太陽エネルギーを利用でき、海水は淡水より桁外れにたくさんある。  人間はまだ自分の脳を全く理解していないが、研究は進んでいる。情報を操る技術や分子を操る技術も進み、生命の本質である自己複製分子についてもかなりの知識を蓄積している。今後、人間自体を薬物・遺伝子設計・情報機械との融合などで改造する可能性はあり、それは人間が意識せずに持っている道徳的な多くの前提を犯してしまう。特に富裕なものだけが自分と子孫を改造し、交配不能な別の種になったら人権・民主主義などの近代思想が根本的に壊れる。  だが実際に、今の技術生活にも今の人類は不適当だし、これから宇宙に本格的に進出したらその不適合はますますひどくなるだろう。個人的には人間の改造は必要だと思う。  というか義務教育で識字率が高いというだけでも十分人類そのものをかなり改造してるぞ。この程度の効果なのが不思議なぐらいだ。  子供が死ななくなり、大人になってからも長く生きるようになったことは、確かに近代化するときには特に港や鉄道の整備に必要な膨大な若年労働力や兵士を供給した。  ただ、膨大な若い人口だけがあっても豊かにならない地域では、それが多くの争いの原因になっている。教育に力を入れても、複雑な条件がそろわない限り教育に見合う収入が得られる仕事は少ないままで不満が多いし、第一何もなくても若い男性は社会に不満が多く、革命をしたがったり暴力を好んだりする傾向が強い。  また豊かな地域では人権概念が強まったり女性も働けるようになったりしたこともあって夫婦とその子供だけの、親兄弟姉妹関係をあまり含まない少人数の家族が一般的になり、さらに上述の避妊・外科手術のため子供を現実に減らすことができるようになったため、子供がとても少なくなっている。  それによって、働ける若い人・働けない老人・働けない子供の人数比がおかしくなり、働ける若い人や国家財政の負担が大きくなってしまう。働けない老人も食わせ、水を飲ませ、保温し、糞尿を処理しなくてはならない。さらにずっと寝たままだといい寝具でも皮膚が腐っていくから頻繁に姿勢を変えなければならず、それは今のところ機械化できない作業で膨大な人数を必要とする。それは事実上無駄な労力だが、人権もあるし家族に対する愛情もあるので切り捨てられない。元々人間の社会は、五十年生きるのは百人に一人、五歳まで生きる子供も三人に一人が当たり前だったのに、ほとんど全員が八十まで生きるようになったらそれはまったく別の存在だ。  人類の歴史という物語が一体どこに行くのか……  問題はまず資源の限界で滅びるか技術進歩で乗り切るか。  あとは貧富、国家か世界政府か、そして宗教道徳か科学かのようだな。  今までのあらゆる文明と同じく獲物を殺しつくし、森の木を切りつくし、農地を塩砂漠にし、鉱山を掘りつくして滅びるだけ、か。  それとも技術の進歩で宇宙に飛び出し、太陽を使いこなしてなんとかするか、それとも欲を捨てて自然と調和した生き方……ってこっちは、人間の科学技術嫌い・理想郷好きによる妄想で、実行しようとしてもろくなことにならないだろうが、人間はそれを好きすぎる。  富裕層が圧倒的な富と武力で他の全てを悲惨な奴隷として搾取した、それに対抗する人々が……それも基本的に善と悪の対立という宗教と共通する考え方で歴史を見るくせだな。貧富がどうなるかが重要かどうかもわからないが、私の価値観は重要だと言っている。  また人類全体が一つの群れとして自分を治めることができるようになるか、それともそうはならないか。最終的には人の自尊心、自己・自群れ中心主義が勝つか、それとも別の判断をするか。  完全道徳・清浄・宗教的善群れにしようとして争うことも続きそうだ。道徳や信仰が失われたから世界は悪くなっている、というのは全ての人がいつだって考えていることだが、本当にそうなるのか、それとも誰も疑わない前提というだけで別に関係ないのか。それとも社会は相互の信頼、形のない情報が支えているから事実なのか。本当に何か、科学とは別次元からのとんでもないことが起きて全ての人が道徳的に高められ、それで理想的な世界ができるとなったら大笑いだが、現実にはそうなると見せていつもながらの群れの大暴走だろう。  宗教や道徳がどれほど人間という生き物の心理に合っているかを考えると、そのついでに少し使う能力に過ぎない科学が勝てるとは思えないんだが……  まあ、要するに宇宙の隅っこの小さい星で偶然変な動物が妙に増えていろいろやってる、それがどうなるかはわからない、それだけのことだ。 ****************  人間のよくある問いに「私たちはどこから来て、何者で、どこへ行くのか」「何のために生きるのか」「なぜ、私が」そして「真理とは何か」というのがある。  どこから来たか、何かは今までに言った。宇宙がたまたまでき、地球という条件のいい惑星にたまたま自己再生などをする分子ができ、それが環境を作り変えてはびこり、その中にたまたま知能と技術を使う大型動物が生まれ、それが暴走と言っていいぐらいに増えた、それだけのことだ。別の面を見れば、できた宇宙全体の秩序が減る過程で、局所的にたまたま高い秩序が生じ、それが変な動きをしているだけのことだ。  アフリカで小さい群れで走り回る動物が、集団で姿勢を正して機械や銃を操作しているのは、強力なコンピューターとセンサー類を内蔵するショベルカーに飛行機の操縦をさせているようなものだが、そのことを知りもしないでとにかく自尊心を満たす物語を作ってる。  人類の目的や意味があるとすれば、人類の本質は「自己複製分子」なんだからそれをできるだけ多く、できるだけ長い時間複製することだ。  ちなみに下で詳しく言うが太陽は永遠ではなく、地球は焼き尽くされて生命は全滅する。その後も自己複製分子が自己複製を続けられるよう、地球で生まれた形の生命を恒星間の果てしない距離を越えて遠くに持っていくのが、物語好きな人類が求める「人類の使命」だと私は思っている。生物が普通に進化しても宇宙にはわずかな微生物がはじき出される以外ほとんど行けない、少なくとも大型動物を生きたまま運ぶことは無理だしね。  どこへ行くのか? わからない。恒星間の距離を越えるか? 私の言う人類の使命を果たすか? 多分そうはしないだろう。  人間は、「どこから来て何のために生き」には、「神に保障された善」というのを求めてしまう。そんな人類のことだ、これからも、一人一人・小さい群れの一つ一つが進化の過程・文化によって方向づけられた欲に執着し、ひたすら権力と幻を求めて右往左往し、自滅していくだけなのかもしれない。 「なぜ、私が」という問いも、まず自我・意識によって意識される「自分」が存在し、それが自分には目などで見える、動き回る何かでしかない同種の人間たちがたくさんいて、さらに自分はその一人でしかない、というのが人間には本質的にわけがわからないことなんだな。自我だけがあってほかは全て夢のようにさえ思えるけど、自分は死ぬことのある、ほかと同じ人間に過ぎないことに納得できない。それで、偶然起きるいろいろなことについて、「なぜ」なのかを疑問に思ってしまう。  といっても、その問いは一つの答えを含んでいる。「それはきみは他の凡夫とは違う神の化身、世界という物語の主人公だからだ。その物語は~(神話的に一貫しており、目的・帰結は個体と世界が道徳的に完成され、個体は完全善・全知全能不死の神になるまたは神と一体化すること)だ」という答え以外を人間は好まない。そして人は、好まない答えが答えだとは絶対に信じない。  それこそ宗教のために残酷な殺され方をすることや、戦いで自分から死ぬことを自分から選択してまで特別な存在になりたがるもんだ。  すべては偶然だと骨の髄までわかっている種族や完全なテレパシーで全員が一つの情報処理機構として機能している種族が「なぜ、私が?」などと問うはずがない。 「真理とは」というのは、人間はそれを問わずにいられないが、本質的に一つの答えが出せないんだ。  たとえ科学が、完全に実験で検証された、宇宙の零秒、無限小の時空スケールを完全に説明する単純な数式を見出したとしても、最初の生命の発生や人類の進化を完全に再現説明できたとしても、人類の脳を完全にコンピューター上で再現できたとしても、それを真理とはほとんどの人は納得しないだろう。  ただの偶然だ、という答えなど。確率が低すぎる偶然は、人はイカサマだ、物語の一部だ、と思ってしまう。 「真理とは」という問いそのものが、人それぞれが受け入れられる答えの範囲を決めてしまう。逆にそれぞれの宗教、というか本人が信じていることと矛盾する答えを「真理」として、言葉だけで人が受け入れることはまずない。また人を家畜化する技術で何を信じるか上書きすることは可能だが、逆にそうであることは、人間の外にある客観的な真実など存在しない、ということになる。  このことは下で挙げた本で何度も出てくる話だが、宇宙の年齢・単細胞生物時代・そして人類が狩猟採集しかしていなかった時代、そして「革命」以前の時間のスケールはそれぞれとんでもない比になる。宇宙の年齢が130億年、太陽系が45億年、単細胞生物が35億年、人類の狩猟採集生活が二百万年以上、そして人類が世界中に広がったのが五万年から十万年、農耕が一万年あるかないか、「革命」は三百年かそこら前の話だ。それぞれのばかばかしいぐらいの比を考えてみてくれ。  ついでに、太陽系や地球自体の未来についても少し……上でも太陽の、一世代前が崩壊したことは言ったが、これからも太陽は内部の水素が徐々に減り、より重い元素による核融合が増えるにつれて少しずつ出す熱が増えていく。  そして四十億から五十億年もしたら、どんどん軽い元素が切れて重い元素が核融合をするようになる。そうなると極端に熱量が増えて、地球軌道にせまるほど巨大化する。  最後には質量の多くを吹き飛ばして、比較的小さく高密度な固まりになる。  もっと重い星だったら核融合が鉄になったときに、上述の爆発が起きる。  まあどのみち、地球はあとそれだけしたら太陽に飲まれて蒸発する。  それだけじゃなく、一見永遠不変に見える太陽系は結構変化はある。外側の大きいガス惑星を囲んでいる、円盤状に細かい岩石などが集まった輪はもう何千万年で消えるし、数億年以内に崩壊する大型衛星もいくつかある。  そして地球が太陽に飲まれるのを待たなくても、あと十億年もしたら地球の表面の大量の液体の水は地球内部の岩に吸収され、消えていく。そうなったら地球から今のような大型の生命はいなくなり、地下深くで生きつづけるかもしれない微生物も地球が太陽に飲まれるときに確実に滅びる。  そうなると、「自己複製分子を複製し続ける」という生命の本質的な目的が失敗し、終わってしまうということになる。またこれまであらゆる生物、そして人類が増やしてきた多様な情報も全て失われる。  個人的にはそうなる前に、人類がその技術を使って太陽系の外に生命と情報を持っていかなきゃいけないと思っているが、残念ながら人類の知性は限られているからそこまで意識しているのはごく少数だな。多数の人間は伝統と宗教を信じつづけ、言い伝えられた群れの敵を滅ぼそうと憎しみを共有し、様々な半ば幻の恐怖から群れを守ろうとあがき、ひたすら自分や小さい群れの利益を求めるだけだ。自己の本質を求めるとか言っていながら、科学的世界観はほとんどの人間が拒絶してしまい、人間という動物が進化で作られた脳のありかたかにとって心地良い宗教に頼ってしまうんだよ。  人類の次に進化する知的生命、というのに期待しても無理だろう。陸上大型生物の数億年の歴史の中で、知的生命は知られている限り一度しか進化しなかった。それが近代型の文明に至ったのも一度だけだ。別に生物は知的生命に進化したいとは思っていないし、知的生命に進化するようプログラムされているわけでもない、ただ増えて死ぬだけだ……そうである以上、次の知的生命を期待するのも無駄だろうし、どのみちあと十億年ぐらいしか時間はない。第一掘りやすい鉱山や化石燃料はほぼ使い切ってるから次はない。  人間が自分を理解し、科学的世界観を受け入れ、全生命が一つの群れだと受け入れ、見たくないものを見、自分や自分たちの過ちを修正し、目的のために自分たちを用いることができれば……いや、それでもうまくいくかは、どうすればうまくいくのかはまったくわからない。生物のように、何百万何億とたくさんの子孫をあちこちの星にばらまいてどれかがうまくいけばいい、しかないと思う。 ************  今言ったこと全体は、実はある意味何冊かの本の覚えていた部分をいいかげんにまとめてつなげたようなものだ。  といっても私は日本語に縛られている。英語の本もまともな時間では読めないが、人類全体では重要な言葉だけで何十もあり、それぞれに膨大な本がある。また本を飜訳するのは難しい。まあ日本はまだいいほうだ、「教会教義学(カール・バルト)」から「場の量子論(スティーヴン・ワインバーグ)」まで訳されているんだから。といっても私が読んだ本は、日本にある膨大な本の本当にわずかでしかない。  この文章のアイデアの多くはカール・セーガン、ジャレド・ダイアモンド、スティーブン・ピンカー、スティーヴン・ワインバーグ、リチャード・ドーキンス、ピーター・アトキンスなどの著作からだ。  特に生物や歴史、人間について書かれた本について。それらの分野は常に新しい研究があり、知識が更新されている。できるだけ最新のものを選ぶべきであり、古典と言われる本をその内容の古さから多く略している。 理科年表 公式の様々なデータを集めた本。 ガリレオの指(ピーター・アトキンス)人類の立場から、人類が世界を科学的に理解するのに使われる十の根源的なアイデアを解説した本。 アイザック・アシモフの世界の年表 ある見方から見た歴史。 共通価値(シセラ・ボク)人類全体で共有できる規範の探求。 宇宙創生はじめの3分間(スティーヴン・ワインバーグ)ビックバン直後から三分間の、宇宙の複雑な変化をきれいにまとめた古典。 幸運な宇宙(ポール・ディヴィス) 宇宙を支配する六つの数(マーティン・リーズ)宇宙の定数がどれほど生物にとって都合良く作られているか、という観点から、宇宙の本質について深く考察している。 コスモス(カール・セーガン)宇宙の始まりから人類の歴史までを書いている。映像版もある。 エレガントな宇宙(ブライアン・グリーン)超ひも理論の解説書だが、現代物理学の解説書としても優れている。 パワーズ オブ テン(フィリップ・モリソン)サイズによって世界がどう変わるかを丁寧に描いている。映像版もある。 フラットランド(エドウィン・アボット)人間にとっては次元についての本だが、人間以外の知性にとってはある時代の人間社会についての本である。 もしも月がなかったら(ニール・カミンズ)地球の衛星・軌道・自転軸と黄道面の傾きなどいいくつかの条件を変えた思考実験。 地球46億年全史(リチャード・フォーティ)地球の歴史。 生命40億年全史(リチャード・フォーティ)生命の歴史。 祖先の物語(リチャード・ドーキンス)人類の進化史を逆にたどり、あらゆる生物と進化について簡潔に解説している。 利己的な遺伝子(リチャード・ドーキンス)生物を遺伝子ののりものとして解釈した。この文の根本的なアイデアの一つ。 虹の解体(リチャード・ドーキンス)主に人間を支配している多くの迷信を打破する目的で、多くの科学的な驚異を描いている。 神は妄想である(リチャード・ドーキンス)進化論を擁護し、宗教自体を否定する大胆な警世書。 悪霊にさいなまれる世界(カール・セーガン)さまざまな迷信にだまされる人間の心のあり方と、科学の本質。 解明される宗教(ダニエル・C・デネット)ミーム視点からの宗教の解析。 スーパーセンス ヒトは生まれつき超科学的な心を持っている(ブルース・M・フード)人間の精神が呪術師であり、ゆえに宗教や魔術的な迷信にはまりやすいことを丁寧に探求。 人間の本性を考える(スティーヴン・ピンカー) 心の仕組み(スティーヴン・ピンカー) 思考する言語(スティーヴン・ピンカー)進化心理学のわかりやすい解説、言語を通じた人間心理の分析。 ヒューマン・ユニヴァーサルズ―文化相対主義から普遍性の認識へ (ドナルド・E・ブラウン)人類全体の共通点。 つぎはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?(デイビッド・J. リンデン)脳および心についてのかなり詳しい解説。 進化に由来する設計の欠陥を示してもいる。 リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理(ダン・ガードナー)進化心理学から、現代社会をマスメディアを通じて支配する「恐怖」についての洞察。バイアス・ヒューリスティックについての解説も必見。 人間らしさとはなにか?(マイケル・S・ガザニカ)人間性について、他の動物の区別から多面的に分析。 人はなぜ過ちを犯すのか?(マイケル・カプラン エレン・カプラン)この文章での、人間の精神の部分を、過ちを中心により網羅的に書いている。 妻を帽子とまちがえた男(オリバー・サックス)さまざまな脳の障害を通じ、何かを引いたり足したりすることで浮き出る人間の本質を多面的に描いている。 言葉を使うサル(ロビンズ・バーリング)言葉の起源についてのかなり客観的な解説。 いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか(内藤朝雄) いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体(内藤朝雄)日本の最近の教育制度に見られる、人間の群れの典型的な挙動の研究。 吾輩は猫である(夏目漱石)「別の視点から人間を皮肉に見る」ことの先達。日本の一時代の精神、人間自体の重要な資料でもある小説。 春にして君を離れ(アガサ・クリスティー)自己欺瞞・自己満足・支配を描いた小説。 モモ(ミヒャエル・エンデ)近代的な時間管理を批判している。 一九八四年(ジョージ・オーウェル)支配についての人類にとっての最悪の想像の一つで、現実にあった社会の戯画。ただしピンカーによれば、人間の本性とずれすぎていて多分不可能。 火の鳥(手塚治虫)絵による作品だが、人間や世界について恐ろしく深く掘り下げている。 神話の力(ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ)世界各地の神話をテーマ別に紹介しつつ、神話が人間の心に根源的に与える影響を解説。 元形と象徴の事典 象徴についての詳しい分析集。 エリアーデ世界宗教事典(ミルチヤ・エリアーデ)宗教学の古典の一つ。 世界占術大全 さまざまな占いについて。 魔術 理論と実践(アレイスター・クロウリー)近代産まれの魔術師が書いた本。個人的な思想と実践だが、魔術そのものを理解するのにかなり有益。 歴史の研究(アーノルド・ツインビー)人間の一番大きい群れを文明と名づけ、その興亡を通じて歴史を分析した古典。古典故やや情報は古い。 銃・病原菌・鉄(ジャレド・ダイヤモンド)大陸配置から予測される歴史の大きな流れ。この文の根底的なアイデアの一つ。 文明崩壊(ジャレド・ダイヤモンド)人類の巨大な群れが無理な農耕から自滅するパターン。 スパイス、爆薬、医薬品-世界史を変えた17の化学物質-(P・ルクーター/J・バーレサン)さまざまな分子の、原子の組み合わせ構造図とともに、それぞれの分子の性質をもたらす原子の結びつき方・自然界での役割・それを発見し産業化した人間の業績を通じ、それがいかに歴史を変えたかを巧妙に描く。 10万年の世界経済史(グレゴリー・クラーク)産業革命以前の出生率と死亡率だけで解釈できる誰もが生存ギリギリの社会の分析と、「なぜ産業革命を起こしたのはイギリスで、中国ではなかったのか」をさまざまな資料から検討。 土の文明史(デイビッド・モントゴメリー)農業を支える「土」という複雑な生命体について解説し、世界のあらゆる文明がどのようにその土を破壊し尽くして自らも滅びてきたかを丁寧に描いている。上書と併読すると有益。 ドングリと文明(ウィリアム・ブライアント・ローガン)歴史におけるオークを多面的に分析し、オークに食物を依存した人間の群れがあったのでは、と大胆な憶測もしている。 飛び道具の人類史―火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで(アルフレッド・W. クロスビー)投石や投槍による人類の優位から銃器、宇宙開発に至る、人類の武力の発達史。 お母さんは忙しくなるばかり(ルース・シュウォーツ・コーワン)近代以前から近代化後に至る家事労働の変化、家庭という強い習慣と求められる生活水準の向上により「主婦」の労働量が減少しないことを示す。人間の歴史と生活のきわめて重要な一面。 *他、「塩」「鉄」「馬」「鱈」など様々な方向から歴史を切りとる本が多数ある。それらを多く頭に入れることは、人間の歴史のパターンから外れて歴史全体を見るのに有益。あらゆる資源・技術についてそれぞれ歴史があることを忘れないように。また科学自体の、様々な分野それぞれの歴史も学ぶ価値がある。 ヒトはなぜヒトを食べたか(マーヴィン・ハリス)人間が必要とする養分から世界の文化の違いを解く。 「豊かさ」の誕生(ウィリアム・バーンスタイン)近代におけるすさまじい富の増大の条件。 暮らしを支える植物の事典 (A・レウィントン)人類が多種多様な植物をいかに多様に利用しているか。 樹木と文明(コリン・タッジ)あらゆる木についてかなり詳しい解説とその多様な生活。 生命元素事典 あらゆる元素を、生物がどう利用しているかを基準に解説している。 食品成分表 日本で普通に手に入るのはやや日本寄りだが、一応あらゆる食品の栄養素の詳細なデータ。 食材図鑑 これもいくつかある。食品成分表とあわせ、自分が食べているのが何なのか一応理解しておきたい。 地球の食卓 世界24か国の家族のごはん(ピーター・メンツェル+フェイス・ダルージオ)世界各国、極貧国の難民から先進国まで、一家の一週間分の食材を一枚の写真に。世界を一目で理解する最良書。 地球家族 世界30か国のふつうの暮らし(ピーター・メンツェル他)世界各国で、「家の中のものを全部出して写真を撮る」写真と解説。 図説古代仕事大全(ヴィッキー・レオン)古代の地中海周辺を支配した帝国での、ありとあらゆる仕事。近代以前の人類活動を知るには好適。 人類の歴史を変えた発明1001(ジャック・チャロナー編)膨大な種類の、人間の発明の一つ一つは短い解説。この文章にも似ているが、何倍もの規模と質。 物理法則については ファインマン物理学(リチャード・ファインマンら) 古典力学(ゴールドスタイン) 相対性理論(ヴォルフガング・パウリ) 量子力学(ポール・ディラック) などに定評がある。他にもよい教科書は多い。 原子の化合については「無機化学」「有機化学」「物理化学」「生命化学」「タンパク質合成」などのタイトルで大きい本を探すといい。 生物・DNAについては ゲノム 生化学 細胞の分子生物学 標準微生物学 人体の構造と機能(エレイン・N・マリーク) 病理学 生態学 植物生理学 などの、できるだけ新しい版を選ぶことだ。 数学については分野も広く、まったくゼロから我々の数学を学ぶにはどうすればいいか見当もつかない。分野ごとの標準教科書を挙げても、ゼロからそれに至る、またまったく違う数学系から互いを理解するのはどうすればいいか……とりあえず言語化されているものとして「数学 その形式と機能(マックィーン)」を挙げておく。 あらゆる事物についてもっと知りたければ大英百科事典でも読んでくれ。 また、色々な公と呼ばれる大きい群れが発行している、日本語では白書などという統計も重要な資料だ。 あと二乗三乗則、魔女裁判、一本の木や一匹の家畜のあらゆる部位の加工利用法の詳細、精神医学、人類がいたここ数百年の気候変動そのものと人口について決定的な名著があれば言うことはないが、それはあるけれど私が知らないだけだったり英語で出ていて日本語に訳されてないだけかもしれない。 さて、一応人間の紹介はこれくらいかな。 私という個体の紹介は、そんなに興味深いものでもないだろう?