*プロローグ  自己紹介?  見回すが、暗いわけでもないのに何も見えない。肉体に不快感は感じられない。  とにかく自己紹介をしなければならない? 誰に……何に? 自己紹介を求めているのは誰だ? 何だ?  炭素ベースでない異星人だったら? 24次元のゲログベチャな怪物だったら? 剣と魔法世界の魔術師だったら? 時空やエネルギーなどの概念を絶した形容できない存在だったら? 神や天使や悪魔だったら?  相手は日本語と数学と論理はわかる、と。それを信じるしかないか。そっち側には理科年表はじめ大量の本がある、と。こっちにも欲しいけどないならしょうがない。 ***  さて、では……あなたがたが何次元の存在かもわからない以上私が生まれた宇宙から、いやそれも科学的宇宙像でしかない、その科学から説明しなければならない。  くそ、いまの最初の言葉の「次元」「宇宙」「科学」「説明」でさえ、どれだけ私自身理解してる? ほとんどのことは、「人間なら生まれつきわかる」こと、別の存在に説明することなどできないことじゃないか? 同じ言語を話す同胞にだって、ちゃんと説明できるか? 説明したところで、受け入れる同胞がいるだろうか……人は言葉の正しさより、先に私の服装や態度や肩書で判断するものなのに?  たとえ百科事典から引用するとしても、それが相手と同じ認識になるのか、学派などで解釈が違わないか? 同じ言語で育った幼児に正しく説明できるか? 違う言語で育った同胞に説明できるか? まして、いかなる共通前提も持たない相手に説明が通じるのか? 理解するということはどういうことだ、別の存在が「理解」するということは?  少なくとも言葉と数学と論理は理解してくれる、という直感を信じるほかないが、私自身の使っている用語に対する無理解は……全部徹底的に学び直す余裕はない、あとで自分の無理解が分かったときに再検討していくしかない。最終的にはすべての単語を百科事典で再検討したほうがいいぐらいなんだな……  あと、自分が人間であること、そして私個体が得てきた情報や情報の欠如が、これから言うことに多くの偏りを与えていることは理解して欲しい。 *科学  さて、「科学」とは私が属する文明が元としている考え方……の一つだ。同胞で「科学」を考えの基盤としている人は少数だし、またあらゆる同胞にとって科学的な考えや言葉はごく一部でしかない。  科学というのはぶっちゃけていえば、後述する「試行錯誤」を数学を利用して厳密にしたものだ。細かく言葉にすれば 「現実と矛盾していない反証可能な仮説を〈科学的に正しい理論〉とする」 「観測できるもの以外は存在しない(形而上の否定)」 「物事には原因があり、あらゆる物事は原因の結果である(因果律)」 「あらゆる物は世界全体という巨大機械の部品であり、何かの機能を果たしている」 「同じ条件で実験すれば同じ結果が再現できる、少なくとも統計的には」 「世界は数学・論理できた仮説で予測・説明できる」 「目で見たもの、実験結果は世界のありのままの正しい姿で、それは誰が見ても、誰が実験しても変わらない。それが仮説と一致していれば、仮説は正しい理論である」 「一番簡潔な、数学的に美しい説明が一番いい説明だ」 「複雑なものは共通の要素を探して分類でき、何らかの法則性が必ずある」 「心と物体の世界は別で、心で何を思っても外の世界は変化しない」  などかな。ほかに思い出せればいいんだが。  まず私にもある目や耳などで世界を見る。そして見えたものを記録する。目で見えないほど小さいものや遠いものも道具を工夫して見る。  また実験をする。世界に起きる物事が複雑な場合はその中のある面だけを切り取る……たとえば落下で、重さが違っても落ちる速さは同じことを確かめるため、重さ以外の大きさや形や表面の色や形は同じ球を作って落とし比べるなどする。真空のような、普通の世界にまずないことを試してみるためにも実験する。  そういう事実、観察と実験の結果の集まりだけでもいいはずだが、普通はそれを説明する仮説を作る。その時注意するのは擬人化を避けること。科学以外では人間は何でもかんでも擬人化するが、その擬人化の替わりに科学では数学モデルを作る。擬人化についてもまた後で。  要するに正しい予知ができれば……できている限りは正しい理論、という考え方にもなるか。  普通はややこしい数学モデルがあり、それをうまく日常言語も使って理解できるようにする。ただし非常に小さい世界の物理、量子力学は日常言語ではどうしようもなくて数学でしか理解できないけど。  一般には観察するまたは実験結果を手に入れる、仮説を作る、それを精緻な数学モデルにする、その数学モデルが今まである観察や実験結果と食い違わないか調べて、食い違いがなければとりあえず正しいとする……まあ大抵はそれだけでなく、数学モデルから今まで見たことがないようなことを予測し、そんな状態を実験で作ってみたり、ありそうなところを観測したり、その実験結果と数学モデルが食い違わなければ誰もが納得する。  我々の世界には、根本的には一つの実数値として測れるものごとがけっこうたくさんあって、どの性質の数値を測っているかを次元と呼んでいる。  それが科学の正しさの根拠と言える。「科学的な真実」はなんだろうと、誰でも実験して確認できる。実は私は科学の多くをちゃんと理解していないし自分で実験して確認したわけではないが、まあ恥ずかしながら「科学的に正しいと言われている」ことは正しいと鵜呑みにする習慣がついている……全部自分で実験できるが、ものすごい金と時間がかかって正直やってられないんだ。  あと、なぜ科学を基準にするのかと聞かれたらだけど、とにかく科学は他の方法に比べて予測が当たるし、新しく便利なものを作ることもできる。あと美的にもいい。それぞれの言葉は後で説明するよ。  でもこれから述べることは、できるだけやろうと思えば実験で確認できることだけにしたい。これから述べることの一つ一つについて、発見した人が歴史の制約の中でアイデアを思いつき、実験し、それを認めさせる苦労が一つの人間ドラマとしてある。それを略すのは残念だが、それを全部入れたバージョンを考えるととんでもない量になる。それに人類の歴史と平行して科学の歴史を積み上げることになる。 *感覚による宇宙、時間  さて、一応それが科学で、次は宇宙か。  まず私が普通に暮らしている世界を少し描写しよう。  その前の感覚かな? 前後、左右、上下、そして過去未来と四つの向き、何より基礎的な次元がある。その前ってのも、後で説明する人間の形とかからなんだよな、考えてみれば。ヒトデの延長の生物にとっては五つの方向があるだけだろう。距離・面積・体積・角度については……それも解説しなければならないのか? 勘弁してくれ。多くは人間にとって、説明不要な生来の概念とされているから説明しようとするとものすごく難しくなる。逆にもしそれがわからない子供がいるとしたら、学習が困難なのも当然か。さらに物理学や数学基礎論から徹底的に突き詰めるとこれまたとんでもなく難しい話になり、人類の現在の知を超える。  その空間が三次元になるから、三次元で許される限りの形と大きさがある。形って言葉自体意味をなさない異星人がいるかもしれないが、どう説明すればいいやら……まあわかるとして、形を変えずに大きさを変えると、面積……ある方向からの断面積も表面の面積全部も……はサイズの二乗、体積はサイズの三乗で変わる。だから大きくなれば面積の割に体積が増え、小さくなれば逆になる。同様に、二次元に見える物事は周囲の長さがサイズの一乗つまり比例、面積がサイズの二乗で変わる。  また、空間内で一つのものの運動の自由度は前後・左右・上下への平行移動、そして直交する三軸で回転運動と、六である。逆に「ものが動く」ということが起きているのが、少なくとも我々のサイズでの我々の知覚だ。  運動というのもわかりにくいが、要するに認識できる範囲なら複数のものを、その相互の位置関係ごと認識でき、そしてその相互の位置関係が変化することがあり、人間はその変化そのものを主に後述する視覚で認識できる。それ自体考えてみれば二次元以上の存在でなければ不可能だな。  次元が本当に正確に三次元という定整数なのかは知らない。本当は二十六次元とかかもしれない。非常に複雑な形について数学上出てくる端数の次元があるかもしれないが知らない。また三次元では無限に関するある前提を正しいとした数学だと、ばらして組めば同じ物を二つでも倍の大きさでも何にでもできるが、人間はそのあたりは無視してる。その他面積や体積についての高度な数学がどう働いているかも知らない。  さらに言えば、人間は時空を連続的なものと把握するが、ある程度より小さいサイズでは全てが意味を失うから誤りだ。後述するが小さいスペースではとんでもない数学ルールに従うものが集まる結果、統計として実数座標時空上でものが動いているように人間が認識しているだけ。  順序がある数、連続する実数を好むのも人間のその性質からか。  さて、普通私たちは、非常に広い地面……でこぼこがある平面の上に暮らしているように感じている。  ただしでこぼこがない広い所で見回すと、見える限界より遠くがぐるっと丸く見える。「見る」と「光」も説明は難しいな。  今私の……私たち人間の体の描写は後で詳しくやる、とにかく前という方向が個体にとってははっきりある。左右は比較的弱いが人間は区別する。ただしその「前」は「いま自分が向いている方向」でしかない。九十度右に回れば、前だった方向は左になり、左だった方向は後に……となる。ただし三次元に拘束されており、左右反転などある面や点を基準に反転する変換は気軽にはできない。  また上に移動しようと飛び上がってもすぐ落ちる……地面に引き戻され、地面にまたぶつかる。下に移動しようとしたら、今踏んでいる地面をなしているなにかを別に移動させなければならない。といっても人間だけの話だな、空を飛ぶ・樹上生活・水中・地中など色々なところで暮らす生物もいる。ああ、生物という意味もわからないか……あとで言うよ。で、普段の人間は、世界はある意味二次元とも認識している。まあ落ちるものと落ちないものがあるように見えるけど、自分自身を含めて大抵の物は何でも地面に引っ張られ、支えがなければ落ちて地面に押しつけられるから感覚的に上下は非対称に感じている。といってもそれは人間のサイズでだ。ものすごく小さいほこりなどは空気に下からぶつかられて長時間浮いている。  人間は力を使う。自分自身や、自分の外にある物を動かしたり形を変えたりできる。重い物を動かすには寄り大きな力が必要になる。素材が同じなら体積と動かしにくさ、すなわち質量は比例する。同じ大きさでも、素材によって質量が違うことがありそれ、密度は素材そのものを区別する本質的な性質の一つだ。他にもいろいろな素材、色々な性質がある。  そして何より時間という軸がある……それは感覚的な、はっきりと非対称なものだ。向きとか左右とか距離とか同様、時間を説明するのは非常に困難だ……もし「この説明を聞いている何か」に時間の概念がないとしたら、それを説明するのはほとんど不可能だが……私たちが感じるものさしの一つだ。  時間は他に、「記憶」「運動(変化)」「周期」という概念とも不可分だ。また、ある程度の範囲を「全体として一気に捉える」という人間の能力がない限り、運動や変化は感知しようがないからそれらの概念は無意味になる。完全瞬間移動が一般的な現象でない世界で暮らしていることも重要なんだろう……いや、極微だと存在は確率的で瞬間移動も当たり前だから、人間がこのあたりのサイズだからできた認識だ。  まず周期、順序と等速直線運動を理解して欲しい。たとえばこの脈拍はほぼ周期的に拍動している。等速直線運動は……時間と距離の概念がしっかりしないとどうしようもないか。くそ、また同語反復だ。  脈拍のように周期的に起きていることは、また起きると予測できるしこれまでも起きてきたと思える、というのが帰納といわれる人間の考え方で、それはあたりまえとみなされる。まあその「また起きる」のが未来、「これまで起きてきた」のが過去となる。今こうして脈が触れたが、次の脈が今こうして触れたときには「今の脈」は「過去の脈」になっており、さっきの脈が触れたときは「未来の脈」だったのが「今の脈」になった。それを線の上に規則的に印を付けてグラフ化できるし、番号をつけることができる。……線の上に、順番に印が並ぶことになる。その線の上に指を滑らせ、その指の速さを調整すれば、しるしのうえに指が来るのと同時に脈が触れるようにできる。だからそれとこれとは対応関係にあると、人間は感じる。少なくとも私は。  その時間を直線的として記述しているのは、等速直線運動を時間・運動距離の二成分に分解してだ。それ自体実は「科学的な」感覚で、本当は違うし昔の人の感じ方は違ったと思う。人間の主観では時間の感覚は色々違うし。でも私たちの……科学の入った日常では脈拍のような、また振り子や水晶の振動など規則的なものを基準にして、皆が共通のまっすぐ進む時間で生きているように暮らしている。  それだけで言えば、時間はどちらの方向にも区別がないように思えるが、時間には前後の区別がある。  時間の非対称性として、熱力学第二法則も重要なのだがそれは後で説明する。  因果律……あらゆる物事は前にある原因の結果であり逆にはならない、今何かしたことが過去の物事に影響を与えることはないということも重要。順番とも密接に関わるか。  そして時間を戻すこと、過去に行ってすでに起こってしまった事態に手を加えることは、少なくとも今の人間にはできないし、未来に対しても簡単に飛び出すことはできない。  人間の記憶、記録なども時間が一方的に順を追って連続的に進んでいるという形になっている。 *空、天体  地面から空……上を見上げると、ある一定の……約24時間と決められた時間を周期に……というか大体同じ時間なので、それを人間が24に分けただけでその数自体は10でも23でも本来何でもいいんだが……交互に明るくなったり暗くなったりする。明るいというのは光が多くて色々なものがよく見える、暗いというのは光が少なくてあまりよく周りが見えない状態だ。周りが明るくても、光を通さない中空のなにかにはいると暗くなるし、そんな状態でも光源があれば明るくなる。  で、上を見ると、明るい時にはほとんど青地に、白や灰色の不規則なような規則的なような、占める面積も形もいろいろ変わる模様が見えるし、暗い時は白いのと同じものが暗く覆っているか、それがないところは無数の光る点が見える。その模様を雲と言い、見た感じが地上での、植物が作るような綿毛に似ている。  明るい時……昼に、白いもの……雲がなければ、どこかにとても強く光る白黄色の円盤が見え、それを太陽と呼ぶ。どうやら雲より遠くにあるらしく、雲に隠れて見えなくなる時がある。それでも空自体がかなり明るく、その光源がないだけではそれほど暗くはならない。でも空全体が雲に覆われるとどこもかなり暗くなる。  その地面から浮かぶ方向・地面の下に消えていく方向もある程度決まっている。地球の半分では一番高くなる方向を南、じっとしていればいつも陰になる方向を北、太陽が浮かぶ方向を東、太陽が沈む方向を西と呼ぶ。まあ地球の別の場所では北側で太陽が一番高くなるがね。  ちなみに夜見える光の点の中に、非常に大きく模様のある円盤に見えかなり明るいものもあり、月と呼ばれている。ただしそれはやや長く複雑な規則に従ってあることもあるしないこともあり、また毎日少しずつ形を変える。  普通の目で人間が、ほぼ共通で上に見えるものは大体こんな感じだ。  ではなぜ、人間の目には見えない宇宙全体を知っているか?  ほとんどの夜見える光る点……星は、まず24時間周期で天を回り、また少しずつ出方を変える……どの星も長い時間見るとゆっくり動いてある時間……人間は24時間と呼んでる……すると大体元に戻るけどより少しだけずれて見える。24時間後はまた規則的にずれる。ほとんどの星相互の位置関係は非常に長いこと見ていなければ変わらない。  また太陽が見えないときは地面の下を通っていること、星も地面の下を通っていたり太陽の光が強すぎて見えなくなったりするけれどいつも存在していることもわかっている。  まあそうやって天が少しずつずれて、別の周期……約365日、私たちが住む世界の多くではその周期で、太陽が一日で一番高いところに見える時にほかと比べ高くなる時期は暑く、それから低くなるにつれて寒くなり、まあいろいろあってずれはあるが一番低いときに一番寒くなり、それからまた高くなると暖かくなる、そういうのを季節という……によって、一度には見えない天全体が一年かけて見えることになる。それで、たとえば暖かくなりだした頃日暮れに空を見上げると真上に三角形の頂点をなすように星が光ってる、とかになる。  考えてみると暑くなったり寒くなったりする周期と、星が少しずつずれる周期が一致しているというのもとんでもない話だ。  それで、人間が使うことができる地球に固有な、長いのから年・月・日の三つの周期、時間の単位があることがわかると思う。日と年の比はほぼ不変で単純だが、月と年はややこしい関係だ。  時間の単位、周期という考え方自体、そんな周期がある星で進化した脳に作られたのかもしれないな。もし周期なんてものがない星だったり、連星の惑星でしかもたくさん月があるとか複雑すぎたりしたらどうなっていたやら。  たまに太陽が月に隠れて暗くなったときに星が見える……日食……から、昼も星は存在しないのではなく太陽が明るすぎて見えないだけだとわかる。  ただし、いくつかの光点……惑星は、その法則に従わない。大抵の星は、星どうしの位置を数十年かそこらの観察では変えないが、惑星はその中を不規則に動き回るように見える。でもそれは不規則に見えるが、とても長い時間観察記録すると規則性がわかる。  その規則性をかなりうまく説明できた仮説がまずプトレマイオスの天動説。光る色々な物がくっついた天が動いているというモデルで、周天円という複雑な調整によってかなりの精度で惑星の動きを説明した。そしてより高い観測精度が実現されて天動説では合わなくなり、その新しい観測結果を説明できたのが地動説……私たちが住んでいるのは平面に見えるが、それはとても大きい球の上で、その球は太陽の周りを楕円を描いて回っている、また惑星も太陽の周りを回っている、月は地球の周りを回っている……というモデルだ。地動説でも説明しきれなかったずれは相対性理論で完全に説明されている。  それからより遠くまで見える物を加工した目、普通は見えない光などを見る目などを工夫してきた。それで太陽や惑星はかなり遠くにあり、普通の星はとんでもなく遠くにあり、そして肉眼では星だと思っていたぼんやりが普通の星より更にとんでもなく遠くにあることもわかってきた。  さて、見たものと今のところ矛盾が見つかっていない仮説……科学的に正しいことを、宇宙から紹介していこう。 *次元、物理学  まず宇宙自体の、より大きな性質。  さっき言った前後左右、そして宇宙においては前後左右と区別がつかない上下の三次元の実数座標空間に対応する広がりが「空間」と言われている。それと一方的な時間の四次元時空がこの宇宙だ。ただし、時間が一方的なのは物質にとってであって、相対性理論では空間と同様の単なる実数座標として扱われ、四次元の実数が作るモデルで表現され、観測者ごとに違う。  そこにいろいろな「もの」がある。「もの」でない光や、そのほか人間には認識できない力を伝えるものもある。そして純粋な情報が「もの」や「光の類」に乗って存在している。  その「もの」は時空内のある部分を「占めて」いる。その「占める」というのがとんでもない話だ。  宇宙には速度制限があって最高速度は光速。また時間空間共にプランクスケールより短いのは意味がないという制限がある。今言った実数座標と矛盾しているが、私たちはその矛盾をいまだに解決していない。  その宇宙を支配している法則は小さいと量子力学、中ぐらいだとニュートン力学、大きかったり光速に近かったりすると相対性理論となる。  スケールを簡単に言うと、単位系とか具体的な数字は別に調べてくれればいいが、いちばん小さくそれより小さい世界について人間が何も知らないのがプランクスケールと呼ばれる大きさ。そして原子核のサイズ、原子、分子(このへんで量子力学の効果がなくなる)、微生物と人間が呼ぶ人間よりずっと小さい生物、人間自身など大型動物、それから惑星、太陽系(このへんから相対性理論が出てくる)、銀河、銀河団、宇宙全体かな。それぞれかなり大きな比がある。  それぞれニュートン力学はゴールドスタイン、量子力学はディラック、相対性理論はパウリの本が最も定評がある。まあそうでなくてももっと初学者向きの本はたくさんあるが、独習用ブックリストは後でまた。  ちなみに相対性理論、量子力学それぞれの特殊な場合として……相対性理論で光速を無限大とする、量子力学でプランク定数をゼロとする……ニュートン力学は導かれるが、相対性理論と量子力学の統一はいまだにできていない。私たちの物理学の理解は不完全なんだ。  いちばんのさわりを言葉で説明すると、ニュートン力学はどこでも共通に流れる絶対的な時間と直線直交実数座標、ユークリッド空間をデカルト座標で描写した中で、モデル化するために質点……質量が一点に集中した点に物質を簡略化して描く。実際、ものを平行移動させたければ、幾何学的に出る重心に向けて力を加えるべきだ。主に質量を持つ物体どうしに働く重力について記述する理論でもある。大きさのある物体を記述するには剛体、変形しない物体としてその回転を含めて描く。  その法則はきわめて単純で、1、慣性……静止状態も含む等速直線運動は何もしなければそのまま持続する。2、加速度……速度を時間で微分した方向を持つ量は、力という同じく方向を持つ量に比例し、質量というあらゆる物質が持つ方向を持たない正実数量に反比例する。3、力は、常に二つの物体が互いに反対方向の力を与えることで働く。  それと、逆二乗……二つの物体の重力は、質量・距離の二乗の逆数・ある定数の積で表現できる。距離の二乗ということは、三次元空間で一定の密度で全方向に均等に放たれる直線が、いろいろな距離で同じ面積を通る数と言っていい。電磁気も逆二乗の力だから似ている。  相対性理論は、ある意味非常に単純な考えだ……三つの前提を絶対的なものとするだけだ。1、光の速さは、どんな速度・加速度で動いている観測者が観測しても光速で変わらない。2、どんな速度・加速度で動いていても物理法則は変わらない。3、加速と重力は区別がつかない。その前提から、質量とエネルギーが相互に転換できるとか高速で移動している時計は遅れるとか、重力自体が時空の幾何学的な曲率と解釈できるとか、私たちの生活上の常識とは違う結論が色々出てくるし、実験でものすごい精度で検証され続けている。まあそれがわかりにくいのは私たちの生活が、だいたい1cmから1km、速度にして時速40kmぐらいまでしか関係なく、光速とかとご縁がなかったので、脳も目も言葉もそんな用途のために発達してないからだ。  量子力学は相対性理論とは対照的に、とても小さい物の世界を説明するものだ。小さくなるとより大きい世界とは違って、現象が数として飛び飛び……整数倍が本質に入り、確率が支配するようになる。たとえばさっきのニュートン力学では、最初の速度と位置が分かればそのずっと先まで精密に予測できるが、量子力学では速度と位置を同時に正確に知ることはできず、確率的にしか知ることができない。またあらゆるものが、波と粒子両方の性質を同時に持つ。まあ細かいことの説明を、1.5m前後の大きさで育った私たちの言葉でやるのは無理だ……純粋数学の言葉でやるしかないし、それは上の教科書で学んでくれ。これまた理論と実験が、これまでずっとものすごい精度で一致している。肝心なのは、ニュートン力学は人間のサイズ前後の話であって、量子力学に従うものすごくたくさんの素粒子……といってもその粒子という考え自体が違う、人間サイズでの認識を無理に類推しているだけで、量子力学の数学での記述とものすごい精度で一致する何か……が集まって相互作用して、ニュートン力学で記述できるようなものになるといったほうが本当なんだと思う。  というか相対性理論と量子力学のどちらがこの世界の本質なのかも、私は知らない。  あと、重要なこの宇宙の法則がエネルギー保存則だ。あらゆるところに何か、正の一次元数で表せるものがあり、それは熱・光・電気・運動など色々な形で出てくるけれど、何がどう変わろうと宇宙全体で増えることも減ることもない。そして相対性理論から、そのエネルギーと質量が同じことで互いに変換できることもわかった。そういう互いに変換できる量はけっこう多い。実は情報とエネルギーも互いに変換できる。  もっと根本的なこの宇宙の法則といっていいか? この宇宙の物理法則を数学的に解明すると、その多くは数学的に高い対称性を持ち、一部の人間はそれを美と感じる。そしてこの宇宙は必要な資材とかを節約しようとする傾向がある。これはかなり漠然としたものだが、けっこう確かだ。  それと物理学にはほかに電磁気・光・流体力学・熱力学などいろいろある。必要になったらそれぞれ解説するか。 *宇宙の大きさ  宇宙自体は非常に広い。少なくとも130億光年は広い。その宇宙全体は、どの方向を見てもほぼ物理法則は等しい。そのことは……少なくとも何十億年も前、地下である現象(天然原子炉)が起きたが、その残留物を調べた結果何十億年も前でも物理法則は検出できる精度で違わなかったことが確認されている。  そしてその宇宙は、太陽とあまり変わらない巨大な光や熱を出す塊がたくさんある。その星々の多くは集まって銀河を作り、その銀河も銀河団を作る。ただし銀河の中でも、星と星との間はものすごく離れている。銀河と銀河の間もとんでもなく離れている。宇宙全体の密度はすごく低い。  また銀河や銀河団が安定するためには見える物質だけでは質量が足りない……それを補う何か、ダークなんとかがあるはずだが、それについては人間はまだよく知らない。  その銀河は、それぞれ離れて動いているように見える。気まぐれな動きではない、確かにどの銀河も気まぐれに動いてはいるが、それ以上にどの二つも互いに離れようとしている。その現象を説明しようとすれば、宇宙全体がどんどん広がっていて……最初は一点の熱い塊だった、という説明が一番きれいで正しいと言われている。 *宇宙の始まり  というわけで、その説明に則って宇宙の始まりから語るとしよう。まあワインバーグ『宇宙創生はじめの3分間』などを読んでもらうほうが早いがな。  本当に最初の最初やそれ以前はわからない。でもそのすぐ、ごくわずかな時間が経ってからならかなり詳しく分かっている。  その最初、その時空はものすごい密度で想像を絶するエネルギーが満ちていた。  そしてわずかな時間で、時空が少し変わって今のようになるために時空そのものから莫大なエネルギーが出て宇宙の大きさが指数関数の勢いでとんでもなく大きくなった……インフレーション理論と言われている。それが、この宇宙が異常なほどどこを見わたしても性質が変わらないことの、今いちばん広く認められている説明だ。  宇宙が広がっていくにつれて、宇宙を形成している四つの力ができた。最初の全部混じっている力からまず重力、そして原子核を結びつける強い力、原子核のある反応にかかわる弱い力、そして電磁気力が分かれた。  そしてそれまでは超高エネルギーの光などしかなかったのが、時空が広くなって薄まるにつれて電子など比較的軽いプロトン、陽子など重いバリオンができ、それが集まってまず水素原子やヘリウム原子を作った。それが物質の始まりだ。 *原子、人間の感覚、波、光と電磁気  ああ、私たちに見えて感じられ、私たちの身体も作っている「物質」は原子という目に見えないほど小さな何かでできている。人はそれを粒と呼ぶが、本当は粒とは違い、波の性質も持っている。「ある数学で記述されるもの」を、それがたくさん集まってできた我々がたくさんそれが集まったものが動くときに見られる「粒」や「波」を調べ、数学的に記述したものがあり、たまたまそれに使われる数学が使えたからそのモデルを強引にあてはめようとして混乱しているだけだ。  それ自体が百二十種類ほどあり、さらにそのひとつひとつも、今知られている限りでは十数種類のより小さい何かでできていると考えられている。その原子がくっついたり離れたりして、これまた膨大な多様性を持つ分子を生み出す。  というか物質と物体についても……あらゆる「物」には形とかいろいろあるけど、いくつかの性質が明らかに同じで大きさや形が違うだけ、というカテゴリーがあって、それは同じ物質でできた違う物体、となる。逆に形とか大きさとは別の、色とか匂いとかその材料自体の性質を考えるときは物質というわけだ。  そうそう、人間の世界……人間の認識、人間に認識できるスケール、そこで意味がある数の原子の集まり……では「机に石が乗っている」ことがあるんだ。それがどれだけとんでもないことか、それが当たり前である人間には考えることも本質的にできない。  後で言うが、その「原子」というのは極端に小さく、一つ一つの原子も中心のごく小さい原子核を除いてはほとんど空っぽだ。さらにその原子核だって内部構造があり、今注目されている説ではさらにめちゃめちゃに小さいひもの振動パターンに過ぎない。  石も机もそんなものだ。なぜそれが触れ合うところから混じり合わずにそのままなんだ? なぜ蒸発しない? なぜその一つ一つの原子に、常に下に引く力がかかっている? 他にも熱・放射をはじめ、どれだけの平衡がある? 考えてみると気が遠くなる。  その物自体の性質も説明しておくべきだな。人間の感覚器の説明はあとになるが、それは物質と接するときにいくつかの情報を得る。まず見た目。音。匂い。口にすれば味、そして死ぬかどうかで毒の有無。感触、硬さと温度。  見た目というのは、眼という器官が受けた光……電磁波のある範囲の波長の、どの波長をどんな振幅で受けたかがわかる、ということだ。しかも、その見ている波長が人間の尺度から見ればかなり短いし、ものすごい短時間で処理を繰り返しているから、見ている物を時空とも非常に高い解像度の映像に分解できる。実は脳でその情報も処理しているんだが、それはあとで。形・大きさ・速度・波長を通じて表面の材質についての情報をかなり得られる。  電磁波は我々の時空にある、電場と磁場という「時空の各点と、大きさと方向がある情報の集まりとの対応関係」の中にできる波だ。といってもこれはニュートン力学を中心にした物理学での説明で、量子力学レベルだと場の概念も変わって「時空の各点」という言葉も無意味になり、光子という量子によって力がやり取りされることになるし、相対論だと空間の幾何学として重力場を解釈する。  あと光はエネルギーや情報を伝えることができ、あらゆる原子どうしのつながりを切断でき、原子の中の電子を違う状態にでき、波長によっては原子核さえ破壊する。  どんな「物」も、その「温度」……持っているエネルギー、原子の振動に応じて、まあそれぞれの原子などの性質にもよるけど光を出して熱などを交換しており、何かがある温度でありつづけるには周囲と同じ温度でなければならない。一時的には違う温度でもいられるが、ずっとそうではいられない。  波そのものも説明すべきだろうか? 言葉だけで簡単に説明しようとすると難しい概念なんだが。波とは、古典的にはある媒質の変化が伝わっていく現象だ。その物質の性質として「ある位置での変化は、そのごく近い周辺にのみ作用する」「どの位置の要素も元に戻ろうとする」となっている場合、一点に変化を起こすとその変化した点がその周囲に作用し、作用された周囲の点が変化して、その作用された周囲の点の周囲が……と連鎖的に起きる。  そうか、「伝わる」という言葉自体それがなければ無意味だ……我々の宇宙では、ある点はすぐ隣にしか原則として作用できないという現象が多い。たくさんの点の集まりは、その一点から始まった動きが、細かく見れば一つの点とその隣の点の相互左右しかなくても全体に伝えることができる。それは数学的帰納法や論理の推移率に似ている……いや、そっちのほうが自然のそちらの性質から……そのあたりはあまりに深遠でわからない。といっても量子力学レベルだと、情報は伝えられないものの離れた場所にあるものが繋がってることは普通だ。  さて、それは「もとに戻そうとする力」のせいで単振動かその組み合わせになるから三角関数で表現される式になる。ああ、周期的なことがたくさんあり、どれもこれも三角関数や二階微分方程式の式になるというのはこの宇宙だけのことだろうか。また波はエネルギーや情報を伝えることができる。波には波長と波自体の幅があり、波長が短いほどエネルギーが大きい。波は媒質の質が変わると、方向を変える、または本来届かない所に弱い波が出るなどの性質がある。  そして観測者に向かって動いているものから出る波は波長が詰まり、逆に離れているものは波長が開く。だから、たとえば高速で遠ざかっているものは、こちらから見ると少し冷たい物が出している光に見える。  またいろいろな物質が電荷というプラスマイナスがある量を持っている。電荷を持つ物が電場の中に置かれると、その物は受ける電場と持っている電荷の大きさに比例し、電場の方向に電荷のプラスマイナスをかけた方向の力を受ける。プラスどうし、マイナスどうしだと互いを結ぶ線上逆方向に押し合い、プラスとマイナスだと引き合う。また電荷を持つ物自体が周囲の電場の電場を変えてもいる。ある点の電場は、その電荷がない場合の方向のある量に、その電荷から逆二乗で出している方向のある量を、方向のある量の足し方で足し合わせた方向のある量になる。磁気は持っている物体自体が鉄などまれで、ひとつの物の一方の端がプラス、もう一方の端がマイナスとなる。単独で磁荷をもつ磁気単極子は今のところ発見されていない。その電場が変化すると磁場が変化し、磁場が変化すると電場が変化する性質があり、互いに変化を引き起こすことが波になって時空を伝わっていき、それが光を含む電磁波だ。我々の世界における電荷の、知られている限り最も基本的な単位は電子の三分の一だ。  その波には色々な性質があり、まったくの真空だとそのまま通り、あとで言うが我々が暮らしている大気、またよく見る水など透明なものの中もある程度通る。透明に見えて光の一部が吸収されることもよくあり、我々の目はそれを特定の色と判断する。光は様々な物質にぶつかると、それ自体本質的には原子の中の電子と光子の量子力学的な相互作用なんだが、反射したりする。反射は光が方向を変えることと言えるだろうが、その時に特定の波長しか反射しないことがあり、人間の目はその波長を色として認識する。  あと二つの光は通すけど性質が異なる物質がある面で接していて、両方を光が通るときに屈折という現象が起きて少し光の通る角度が変わる。その時には波長ごとに屈折角が違うこともある。ちなみにそこで、変分原理という我々の世界における非常に重要な原理が見られる……屈折角はその光にとっての最短経路で決まったりするんだ。自然はそういう、なんらかの価値観で判断しているような感じがあるんだな。  また光が当たると、物体そのものが変化することもある。物体の原子そのもの、波長によっては原子核、また原子どうしのつながりを変えたりできる。だから光を「見る」ことができているわけだ。  耳も波を感じるものだが、それは大気の圧力の変化が波状に伝わっていくものを感知する。圧力がかかったり消えたりが人間から見たら早く繰り返されるのを感知できる。  匂いは空気にどんな分子……原子の組み合わせが混じっているかを分析する。味も口に入る液体や固体にについて同様のことをしている。残念ながらその受け取り方は、科学的なそれ、何が何%とかとはかなり違う。だが生きていく分には支障がない。  そして皮膚は触れたもの……空気も含めて圧力、温度などを感じることができる。温度は主観的には皮膚の小さい器官が熱い冷たいという情報を脳に伝えたことだ。温度と加熱とかいう言葉自体、原子レベルでは別の意味を持つ言葉で、ある程度大きい生物になって初めて意味がある。あらゆる物質の原子は動き回ったり震えていたりするが、その動きの激しさが熱で、その熱が体温に比べどれだけ高いか低いかを温度として感じている。またどの物質も、熱に応じた波長の光を出してもいるし、光を受け取って温度を上げたり、または光によって原子どうしのつながりが変わったりもする。  皮膚と、あと筋肉や関節自体……そう、まず力と圧力を感じることができる。二つのものが接して互いに、力という何かを及ぼし合うことがある。それを細かく見ると、接触している部分どうしが互いに、原子レベルでぶつかり合い押し合って圧力を加えている。気体や液体には形を保つことが弱いため、主に圧力……原子どうしが動きまわりぶつかり合い、体積あたりの数を同じぐらいにしようとする作用を働かせ合う。圧力は変化すれば波になって全体に伝わり、特に形があるもので、形を保つ作用のほうが大きければ全体に加速度が加わって移動するし、または形そのものが破壊されることもある。  それである物を持ち上げれば、その大きさを眼と皮膚感覚で理解して密度……単位体積あたりの質量がだいたいわかる。物を曲げたり押したりすれば硬さや弾力など、それを通じて水に濡れているとか色々なことがわかる。  他にも物質には色々な性質があるが、それは人間には感知できない。たとえば電場や磁場そのものを感知することは事実上できないんだ……人間が進化していくときに必要がなかったから。 *原子論と物質の相  あらゆる物体をとことん刻むと百数十の原子というそれ以上壊すのが難しい塊に分かれる。原子がくっついて分子などをつくって、その分子が結晶や線維、液体や気体などいろいろなやり方で結びついてできている。原子論自体は、昔物をとことん分割したらどうなるかと頭のなかだけで考えられたことだ。証拠はまず、とことん分解すると単純な整数比でそれ以上、相当技術が進まない限り何をやっても分解できない素材に分かれる物質がたくさんあること。そして確証がブラウン運動……気体や液体のなかの小さい粒子が、何もしなくても動くことが、動きまわるごく小さい塊に叩かれているとして計算すると説明できること。今はもう原子自体を、特殊な針と電気を利用した顕微鏡で見ることができる。  気体や液体も説明が必要か……我々の生活している温度や圧力の範囲では、物質は固体・液体・気体の三つに分けると人間にはわかりやすい。液体と気体をまとめて流体としてもいい。固体は固く、強い力を加えないと変型しないし、表面も硬くて簡単には互いに混ざらない。液体は自由に変型・流動するが原子どうしが接していてねばっこく、圧力をかけても体積があまり変化しない。気体は風として以外感じられないほど軽く柔らかく、流動するし原子がばらばらで圧力に応じて自由に密度・体積を変えてそれを熱にすることもある。固体液体とも、重力がある場で溶けない、密度……体積当たりの質量が異なる異物があればそれが下に行く。いくつかの、密度が違う流体を混ぜて放置したら密度ごとに層になる。他にも高温高圧を含めると原子自体が電子と原子核に分かれるプラズマ、粉など中間的な性質を持つもの、圧力によって液体や固体が意味をなさなくなる超臨界などいろいろある。固体液体気体に分けるのは人類の環境・サイズ・時間感覚だけかもな。  多くのものは温度と圧力によって、固体→液体→気体と変化……相転移する。ただし固体から気体、気体から固体の相転移もあるし、この法則自体ほぼ圧力が変わらない人類が生活する世界でのことだ。圧力や温度が違うとそう簡単には言えない。固体には絶対ならないのとか圧力によってどれでもない状態になるとかいろいろある。あと均質なまま温度だけ変えても、普通なら変るはずが変わらないこともある。相転移にはきっかけがいる。  固体の多くは結晶という構造がある。決まった形になりやすい性質といえばいいかな。また非常に長い結晶などが、摩擦……固体どうしを一度物理的な位置を接触させて動かそうとすると、特に互いに圧力がかかったまま圧力と垂直に動かすとその動かそうとする力に、圧力に比例した抵抗がかかるんだ……でまとまった繊維という構造もある。あと結晶ではなく、実際には非常に変形しにくい液体といっていいガラス質もある。  一つ一つの原子は、上のブラウン運動もそうだが、かなりの速さで動くか、固体の場合動けないまま振動している。その一つ一つの原子の動きが気体などでは圧力となっているし、その動きの激しさが……熱力学を詳しく言うと色々違うが、直感的に熱と呼ばれる。ちなみにその熱に応じて原子の状態が少し変化し、また元に戻るときに光を放つ。  だから温度は、単純に言えば原子が止まっている状態がゼロでそれ以下にはならない。ただし原子が止まるというのは不確定原理と矛盾している……熱や温度自体が本来量子力学で理解されなければならないものだ。  その温度と圧力は原子同士がくっついたり離れたりするのにも関わる。  さて、その原子自体にも内部構造があり、とてつもなく小さく重い原子核が原子の中心にあり、その周囲を……わかりやすい像としては電子が回っていると言われるが、量子力学的な理解では全然違い、物質波が確率的にいくつかの軌道を占めている。それがどんなものかは数学的に描写するのがいちばん早いから、あとでブックリストを出す本で学んでくれ。人間が言葉でいくら直感的に描写してもほとんど無意味だ、人間の言葉自体それを描写するためのものじゃない。  原子核は陽子という電子とは逆の電荷を持つ、非常に重い粒子と、陽子と同じくらいの重さで電気的に中性の中性子からなる。電子と陽子は電気的に打ち消しあうこと、そして原子核は陽子と中性子が「強い力」で結びついており、同じ陽子の数……原子番号……なら中性子の数は大抵陽子と同じだけど違うこともある、などは知っておいていいか。原子一つ一つには原子番号・中性子数があり、あと電子の数や励起状態……原子内の電子がエネルギーを得て少し軌道を変えること……もあるか。  大体は原子番号が大きいほど、それでできたものの密度が高くなる。いくつか例外もあるけど。また原子番号や中性子数の違いで、原子核が核分裂や核融合しやすかったりしにくかったりする。だから原子全体を放射性かどうかで分類することもあるな。大体原子番号が大きかったり、中性子が陽子に比べ過不足があったりすると分裂しやすくなる。  ああ、これはけっこう重要な前提だな、「同じ名前の原子や素粒子どうしは違わない」。二つの二酸化炭素分子を区別する方法は、原理的にはない。いくらでも取り替えられる。ただし原子にも中性子の数が違う同位体があるから、それも含めてだが。  あと原子自体について、原子を分ける方法は単純な重さの原子量と原子番号があり、あと大きく分けて金属・希ガス・それ以外の三種類がある。希ガスは原子どうしがくっついて分子を作ることが原則としてない。金属は我々が暮らしている温度では水銀以外は固い塊になり、化学結合から解放して単体にすると光を通さず反射し、原子から離れた電子が多いので電気や熱が伝わりやすく、うまく強い力を加えると壊れずに変型する。  より重要な特徴が周期律。原子番号順に並べると、ある数ごと……簡単に言えば最初は2、次二回ほど8.それ以降は18ごと……に性質がとても似た元素になる。それを説明したのが上述の電子軌道理論だ。  金属も周期律に従って色々分類され、特徴がある。  原子と原子がくっつくやりかたには、電子がちょうどいい数より一つか二つ足りなかったり多すぎたりする原子どうしが、電子を放出したり吸い寄せたりして電子の構造は安定するけど電気が偏る状態になって、それがくっつきあうものが一つ。また二つの原子が、ある意味一つの原子のように、確率的に分布する電子を共有するのが一つ。また金属に見られる、いくつもたくさん集まって動き回る電子を共有している状態が一つ。  普通に結びついている分子どうしが電気的にくっつき合うこともある。 *素粒子  ついでに素粒子についても少しやるか……電子・陽子・中性子はもう紹介したか。量子力学では光は粒子でもあるので、その光子も素粒子の一つで電磁気力そのものでもある。それだけでよさそうだが、他にもけっこういろいろある……誰が注文したんだとか植物分類学になるとか言うぐらいに。  原子核の大きさで働く、陽子と中性子をくっつけて原子核にする強い力・中性子が電子と陽子などになるベータ崩壊という反応に関する弱い力も力だから粒子として扱うことができる。もちろん重力も粒子になるはずだが、それはまだ検出されていない。またベータ崩壊では、ほとんどの物体をすり抜けるので見えにくいニュートリノという粒子が出る。  それだけでなく、電子・陽子・ニュートリノそれぞれには性質が同じで電荷が違い、互いにぶつかると光になって消え失せる反粒子がある。  さらに電子・ニュートリノそれぞれ……兄貴分、といっても人間にしか通用しない言葉か、似た性質でより重い、見つかりにくいのが二つづつある。  電子やニュートリノや光子、その同族には内部構造は今のところ見つかっていないが、陽子や中性子には内部構造がある。三つのより小さい、クオークと言われる素粒子がくっついている。クオークは単独では見られない。今のところクオークは六種類見つかっている。  いろいろな粒子を区別する「性質」には質量・電荷・寿命・スピンなどいろいろある。それぞれの本当に本質的な意味は知らないけど。寿命は状況によって結構違い、原子核の中では何億年も平気な中性子が、外に出ると短時間で壊れたりする。  あと量子力学の世界では、素粒子が動き回っている真空そのものが何もない空間ではなく、常に色々な粒子と反粒子の対が出てきては消えていく動きに満ちた世界だということも忘れないで欲しい。  力そのものは重力・電磁気力・核の弱い力・強い力が今のところ見つかっている。 *元素の成り立ち  かなり飛ばしたな、その宇宙が冷える過程で本来なら電子と陽電子、陽子と反陽子……は同じ量できて互いに打ち消し合って物質は何も残らないと考えるのが楽なんだが、なぜか私が生まれた宇宙は、鏡像や反物質がからんだ対称性がわずかに破れて「物質」が結構あり、「反物質」はほとんどない。  さて、そうしてきわめて広い時空に弱まった電磁波が充満し、そして水素原子、ヘリウム原子が飛びまわり、そして水素どうしがいくつかはくっついて分子になる……そんな状態になった。  その虚空を飛びまわる原子どうしが、自然に重力によって集まって固まり、積もってどんどん密度を増していった。その密度が限度を超えると核融合を起こし、ものすごいエネルギーを出すと同時にヘリウム以上の……酸素や炭素など重要な元素も大量に作りはじめた。第一世代の星々だ。その出しているエネルギーで、重力による圧力に対抗して形を保っていた。  核融合というのは原子が強くぶつかり合うと起きる現象で、原子核どうしがくっついて一つのより重い原子核となり、その際に大量のエネルギーを発する現象だ。  対照的に核分裂とは原子核が放っておくと分裂し、かなりのエネルギーを出しながら二つ以上の原子などに分かれる現象だ。これは純粋に統計確率の世界で、崩壊のしやすさも陽子と中性子の数によって極端に違う。  さて、その第一世代の星々は今ある星々に比べ巨大なのが多く寿命も短かった。星が大きいと核融合も急で激しく、すぐに核融合が鉄に行き着いて自分の重さを支えきれずに崩壊してしまう。鉄は核融合をしてもエネルギーを出さないんだ。  その崩壊でこれまたものすごいエネルギーが出て、原子番号……原子核の陽子の数が鉄以下の元素がたくさん、光といっしょに凄い速度であちこちに飛び去り、同時に鉄より原子番号が大きい元素もそのときのとんでもない温度や圧力で無理矢理作られてばらまかれた。  それからまた長い時間が経って、その第一世代の星々の残骸が集まった。重力でガスが集まると、元素の種類によっては冷え固まって固体になる。だがそのほとんどは一つにまとまり、第一世代の星と同じく……ほとんどはやはり水素とヘリウムだ……核融合を始める。  もちろん核融合を起こせるほどたくさん集まらないのもある。恒星の周りを安定した軌道で……この宇宙の物理学が実数の三次元空間一次元時間で、重力が距離の二乗に反比例するという法則だから大質量の周りを安定して回る楕円軌道なんてものがあるんだ、嘘だと思ったら別の次元数で計算してみればいい、うまくいかないんだ……回る小さなガスの固まりや、さっき作られた水素以外の元素が多くて冷え固まった岩や氷の固まりが回る、星系といわれるものもたくさんある。  まあ恒星が二つや三つ、互いに引き合って回る星系のほうが多いとも言われているが……そのあたりは難しい問題が多い。三つ以上の星が互いに引き合いながら回るのを計算するのも難しいし、また今私たちが住んでいる太陽系の外の星にどんな惑星があるか観測するのも遠すぎて、今急速に進歩しているけどやはり難しい。  そんな形で無数の、第二世代かそれ以降の太陽系ができた。その星は一つ一つ色々な性質を持ち、なかには寿命が長いのもあるし重くて明るく短いのもある。色も光の強さもさまざまだし、明るさが変わったりするのもある。  そんな星々がたくさん集まってまとまって回るなどして銀河を作り、その銀河がたくさん集まって銀河団ができている、ということももう話したと思う。 *太陽系  さて、では私たちが生まれた星、地球とそれが属する太陽系を紹介しよう。  第二世代以降の星の一つ、太陽があるのはごく平凡な、中心に特に多くの星が集まった固まりがあり、そこから何本か腕状の星の集まりが回っている銀河の、ある腕のやや端側にある平凡な……主系列星と呼ばれる大きさの星だ。そのあたりは星もあまり集まっていなくて、隣の星までかなり遠い。  そういう星は非常に寿命が長く百億年近くあり、そのうち数十億年は安定している。だからこそ私がここにこうしていてこんなことを説明しているわけだ。というか今まで言ったことの多くについて、少しでも物理法則などが違ったら「私はここにこうして」いない。原子核が安定に存在するため、核融合が安定して起きるため……いろいろなことについて、色々な力などが今の宇宙での比から千分の一でもずれるとうまくいかない、ということがものすごく多いんだ。まあそれはポール・ディヴィス『幸運な宇宙』参照だな。  その主系列星……太陽は、その莫大な重力で多くの惑星などを軌道につなぎ止め、強い光と熱、荷電粒子流などを出して惑星を温めたりしている。  目立つ大きさの惑星は、特に大きいガスの固まりが二つ……木星・土星と呼ばれる……あり、あとかなり大きい天王星・海王星の二つ。他に木星軌道の内側にやや大きい、岩と呼ばれるかなり高温でも固体であるものの固まりが太陽から順に……かなり小さく気体に取り巻かれてない水星、やや大きく非常に分厚い気体に覆われた金星、岩の固まりの中では大きく薄い大気があり、磁気によって太陽からの荷電粒子から守られ表面に液体の水がたくさんあり、水星並みに大きい衛星を一つだけ持つ地球、そして小さめで薄い大気と小さい衛星が二つある火星がある。他にも火星と木星の軌道の間にたくさんの小惑星帯、また巨大ガス惑星の外に海王星という惑星が目立ち、その外にもたくさんの比較的小さい惑星がある。まあ遠すぎて私たち人間にはろくに見えていないが。大きい惑星を回る衛星もたくさんある。  ああ、回るということ自体説明がいるか……たとえば太陽から見た地球、地球からみた月などはほぼ互いの距離を変えず、円に近い軌道を描いている。それは前述のニュートン力学から導かれる動きで、互いに強い重力で引かれあっており、一方が……地球に比べて月が……すごく軽いとして、月を地球にぶつからないようにある程度の速さでその近くを通すような速度を与え、そのまま放っておく。するとそのまま離れていくか、最後にぶつかるか、またはずっと地球の周りを月が回り続けるかのどれかになる。重力によって等速直線運動から曲げられると、その曲げられたくない力が働いて、その力と重力がちょうど釣り合うわけだ。  本当はそれは二体問題、さらにいえば他の天体も含めた多体問題だ……二体だと、その二体の共通の重心の周りを両方が回ることになる。また、その回る軌道は楕円でよく、円軌道は楕円軌道の特殊な場合と考えた方が本当だ。  その地球に私は生まれた。 *地球の誕生  地球のできかたや、私を含む生物ができるまでをざっと語ろうか。  地球は太陽系ができたとき、余りが集まってぶつかり合って固まってある軌道に固定された塊の一つだ。  大きさとかの具体的な数値も必要か? それは『理科年表』に載っているし、その一つ一つの数字をどうやって出したかも調べることはできる。  さて、最初地球は大きくはなかった。たくさんの色々な物がぶつかり合い、だんだん大きくなっていった。そのぶつかるときに、運動エネルギーが熱エネルギーに転換されてかなりの熱が出るから、昔の地球は我々から見れば熱かった。石が融けるほどに。  そのなかで、今広く信じられている説として、とんでもなく大きいのが地球にぶつかった結果、地球の中のほうまでえぐり飛ばされて月ができた、というのがある。  地球は石だけではなく、大量の水や二酸化炭素その他のガス成分も含まれていた。地球が少し冷え固まるにつれて、その水は気体の大気となって地球をとりまき、冷えるに従って液体の水となり、熱い大地とぶつかって蒸発……気体の水になること……し、それが気が遠くなるほど繰り返されるうちに地球の表面が冷え、大量の水が表面にまとわりつく状態になった。全部を覆うには至らず、大気に露出した岩の塊……大陸や島もある。  二酸化炭素の多くは水に溶け、同じく水に溶けている他の元素と反応して石になった。  どの物体も、周りに比べて温度が高いと、くっついていればミクロに言えば原子が振動を伝え合う……熱伝導、間が真空なら温度に応じた電磁波を出して周りと同じ温度になろうとする。宇宙全体に今非常に低い温度の背景放射があるので、宇宙に放置された物体は理論的にはその温度まで冷える。だが太陽系にある物体は太陽からの光などを受けてかなり温められる。地球は太陽が放つ光による熱、地球内部の核分裂の熱などがあるので冷え切らない。 *地球  その融けた大量の色々な物が、重力によって密度の違いごとに分離していった……現在の地球を少し描写する。  地震などを利用して地球の深くを探った結果、いちばん深いところに鉄でできた核、それを覆う高温高圧のため流動性があるマントル、そして表面のごく薄い固体の岩が地殻となっていることがわかっている。  地球の表面の半分以上は膨大な液体の水という物質で覆われており、それを海という。水が液体なのは地球の太陽からの距離、熱を調整するガスの濃度、地球深部の核分裂による熱などのバランスが絶妙だからだ。今はもう、その温度調整の相当部分はガスの濃度がやってくれているが、そんなことができるのも地球の公転軌道が真円に近く自転軸も極端に傾いてはいないからだな。  その水はきわめて多く、地上の最も高い岩の塊の高さより最も深い海の深さがずっと大きいほどだ。その水がたまったとき地球表面の溶けやすい成分を溶かし込んだため、その海の水は塩……塩化ナトリウムなどを大量に含んでいる。  水に物が溶けるということも説明しなければならないか? 水そのものも? まったくこう相鎚も質問もなにもないと、そっちがどこまで理解しているのかわからない……どれだけ掘り下げなければいけないのかもわからない。そうなると、こっちがいかに何も知らないかばかり思い知らされる。  さて、水に覆われておらず岩石が露出している部分もあり、それは陸と言われる。その陸の表面もいろいろとある。岩石が細かくなった砂やいろいろな生物と細かい砂が集まった土など。私たちは土の上に、地球の重力で押しつけられながら暮らしている。また陸や海の表面でも、冷えて固体になった水……氷で覆われている部分もある。  地球全体を覆っているのが単純な分子でできた気体の層、現在は窒素分子と酸素分子がほとんどで微量の水蒸気や二酸化炭素、その他が含まれる大気だ。  上に行くと行くほど、ちょうど羽布団をたくさん重ねると下ほど圧縮されてつまり、上ほどふわっとしたままになるように大気が薄くなる。  そのさらに外側は、太陽からの荷電粒子などと地球の磁気がぶつかって非常に複雑な領域を作っている。その働きは目には見えないが、地球の生物のためにも重要だし、両極の近くではオーロラという美しい光にもなる。 *主要元素  くそ、ちょっと主要元素・分子についていくつか解説する必要がありそうだ。本当は130まで全部やるべきなのだろうが、それだけでとんでもない量になる。それぞれの、密度とか融点とかその他細かい情報は『理科年表』などを見てくれ。原子番号もだ。  最初に原子番号1の水素。最も軽く、普通は陽子一つの原子核と電子一つからなる。原子価は……これも説明するか、要するに電子が座れる椅子がいちばん内側は二つ、中から二つめには八つ……とあると理解していてくれ。水素は電子が一つだから二つ椅子があるうちの一つが埋まり、一つ開いている。その開いた椅子や少し余っているのが、原子どうしがくっついて分子になるのに関わる……人間が手をつなぐ手にたとえられるのが多い。同じ原子番号で、状況によって原子価が変わる原子もある。  というわけで水素は分子を作りやすい元素だ。  さっき説明した宇宙の成り立ちでも重要で宇宙の物質のほとんどであり、恒星の主燃料でもある。また化学……原子どうしがくっついたり離れたりするのの中核になる、酸と塩基の反応でも重要だ。  次、原子番号2のヘリウム。二つの椅子が両方ふさがっている。そういうのを希ガスといい、まず原子どうしがくっついて分子になることがない。宇宙全体ではけっこうたくさんあり、恒星の核融合燃料としても重要だけど、地上ではほとんど話に関わらない。  少し飛ばして炭素。炭素の原子価は四、それで水素や酸素、酸素と水素が組んだものなどいろいろなものとくっついて、地球における生命活動の中心になっている。その化合物の多様性は目を見張るばかりだ。  次の窒素は地球の大気の主成分。窒素どうしが二つくっついた窒素分子は、私たちが暮らしている環境……常温常圧と言われる、水が液体である温度と圧力ではほとんど化学反応がない。でも窒素と酸素と炭素がうまくくっついたタンパク質は生物そのものだ。また窒素が作る硝酸という酸は重要な酸だ。窒素一つに水素が三つくっついたアンモニアという分子も重要だ。  その次の酸素。酸素どうし二つくっついた酸素分子は大気の主成分であり、珪素などとくっついたものは地球の岩石の主成分でもある。そして水・水酸基どちらも生物にとって何より重要だし、多くの生物に関する分子の成分でもある。より重要なの性質が、酸素原子は希ガス以外ほぼあらゆるものと反応したがること。そのせいで多くの金属元素は、地球の表面では酸素と結合したものとしてしか得られないぐらいだ。そのくっつきやすさを利用する生物もあるし、また生物にとって毒でもある。また酸素が三つくっついたオゾンが大気の上の方で、太陽からの光で生物にとって有害なのを取り除いてくれる。これについてもまたあとで。  少し飛ばして、実は周期表では一周して頭に出たところにあるナトリウム。その同族はものすごく反応しやすい。むしろ海水から水を除いたものの主成分である塩化ナトリウム、食塩として重要だな。もちろん生物にとっても必須で非常に重要だ。カリウムも似た性質を持ち、生物にとっても非常に重要な元素だ。  マグネシウムも酸化しやすく、海水にもたくさん溶けているし、地球の岩の成分としても重要で生物にとっての必須元素でもある。その周期表で下になるカルシウムも同様に海水にたくさん溶けている。生物にとっては炭酸などとうまくくっつくことで、扱いやすく固い素材になる。それは地球の大気の成分をコントロールし、また膨大な鉱物を生みだしてもいる。  アルミニウムはとても酸化しやすい。生物にとっては毒でしかないが、多くの岩に含まれているから地球そのものにとって重要だ。あと今の我々の文明では重要な素材でもある。  珪素は炭素と、さっき説明した周期律のすぐ下で性質が似るが、炭素ほど多様な化合物は作らない。生命にとって重要な原子どうしがくっついたりすることにはあまり関係せず、それなしで生活している生物も多いが、水で生活する小さい生物には珪素を必要とするものも多い。地球そのものの素材として特に重要で、さっきの酸素と珪素がくっついたものが地球の、上の方の固い部分の主成分と言っていい。あと電気を半分通す独特の性質があり、最近の人類の工業にとっても非常に重要だ。  燐も生物にとっては必須で、それがあるかないかが地球の多くの場で生物が多いか少ないかを決めている。硫黄も同様。また硫黄の酸……硫酸は環境にもかなり重要だし、生物にとっても工業にとっても重要だ。金星や太古の地球の大気は硫酸が重要な成分だったりする。また生命の発祥にも深く関わっている。  塩素はナトリウムと並び食塩のかたわれだ。単独だと多くの原子の組み合わせを切り離す毒だが、生物の中では色々な働きをしている。  金属の代表として鉄をあげておく。地殻にも割とたくさんある元素だし、地球の核の主成分だ。また核融合と核分裂の境界になるから、宇宙の成り立ちでも重要だな。また生物にとっても非常に重要。まあそれは措いて、ほとんどは酸素などと化合しているけどそれからうまく引き離し、適度に炭素などを混ぜたりすると非常に固く……変型したり壊れたりするのには大きい力がいるし、大抵の物体にぶつかっても傷つかない物になる。しかもかなり曲げても壊れず元に戻る……弾力性もあり、うまく力を加えれば壊さずに変型したままにもできる。とことん加熱して……原子の振動を激しくしたら液体になるので重力などを利用して型に流して好きな形を作ってまた固めることもできる。人間の歴史の中では銅・錫・金・銀・鉛・水銀・プラチナ・アルミニウム・タングステンなども重要な金属だな。その性質などはその時説明するよ。 *主要分子  分子となるともうきりがないけれど、中でも特に重要なのが水と二酸化炭素と食塩と炭酸カルシウムか。ああもう本当にきりがない。主要造岩鉱物だっていくつあるんだ……人間にとって重要じゃなく宇宙でどれだけあるかを優先すべきか……  人間の側から見るとグルコース、デンプン、セルロース、リグニン、キチン、エタノール、アンモニア、脂肪酸、それに硫酸硝酸塩酸水酸化ナトリウムに……どれだけ重要なものがあるかわからんな。といってもそれぞれ、ちゃんと分子式・構造図で表現しなきゃ意味はないだろ? 名前なんてそんなに重要じゃない、ちゃんと名前を聞いたら構造図が描けるんでなくちゃ。せめて最低限どんな物質なのかいえないなら。第一、塩・酸・アルカリ・糖・脂肪・アルコール・アミノ酸などという言葉が、本当にどういう意味なのかは簡単には説明できないし、歴史によって混乱した言葉だ……たとえば糖や酸はまず味覚から出てきて、それが学問の発達につれてどんどん意味が変わっていった言葉だ。ちゃんと化学・生理学という学問全体を勉強しなくちゃここで言葉だけ出しても意味がない。  とにかく原子同士がくっつくことが多く、それで別の性質を持つものができる。それが実に高い多様性を持っている。  くっつきかたもいくつかあり、電子を共有する、一番外の殻にもう一個電子があるとしっくりいく原子と、一個だけ余っている原子が引き合ったりなどがある。分子同士が電気的に引き合う力も重要だ。  その分子があるのも、私たち人間が暮らす地表という環境が、地球の重力でたくさんの原子が集められて押し固められているからで、それがない宇宙空間だと単独の原子や、原子核と電子がバラバラになってさまよっていることもよくある。もっと強く押し固められるとまた別のものになるけど。ちょうどいい押し固められかただと、電気的につりあって安定した分子を作ろうとする傾向がある。  水、酸素一つの両脇に水素二つがくっついたものは、我々にとっては何よりも重要な物質だ。だがそれは我々にとってであって、水と炭素に依存しない生物だって宇宙のどこかにあるかもしれない。でも水が非常に面白い物質であることは変わらないだろう。形自体が変だ、一直線じゃなく必ず一定の角度で曲がっている。  水の固体は多くの小さい太陽系の天体の主成分だ。また地球上でも、地表のかなりの面積を覆っているし、地表の地形を大きく変えてきている。  水の液体が特に重要だ。その中では水素と、酸素一つと水素一つの水酸基に分かれたり戻ったりしている。その「分かれたり戻ったりがつりあう」のも我々の世界では重要なことだ。とにかく水は二酸化炭素や酸素、様々な金属塩などあらゆる物体を溶かす。さっき説明しかけた溶かすという現象だが、我々がよく知っていることだが、水にいくつかの固い物体を入れると入れた物が形を失い、消えたように見える。そして水に色や味や匂いがつくんだ。ちなみに重さの合計は変わらない……ほとんど何をしても重さは変わらないし、重さとエネルギーの合計は絶対変わらない、というのも重要な物理法則だな。その溶けるというのは水が電磁気的に分子の形のせいで、全体としては中性だけど、一つ一つが磁石みたいにプラスとマイナスがくっついているような働きになり、それが物に働きかけるんだ。  困ったことに、物理法則自体は同じでもスケールごとにある意味物理法則が違うように思えるんだよな……そして違うスケールの世界は、言葉で説明するのがほとんど無理だ。この説明を聞いている誰かさんが、同じ宇宙の存在でも体長2ナノメートル・2ミクロン・2ミリメートル・2キロメートル・2000キロメートルだったらそれぞれどれだけ世界の見方が違うやら……その分子のレベルの大きさだと、分子間でも電磁気力がかなり直接働くことになる。  そして水は比熱が高い……少し温度を変えるにも多くの熱が必要になる。凍ったり蒸発したりするときにも多くの熱を出し入れする。純粋な水は電気をほとんど通さないが、何かを溶かすと通すようになるし、あらゆる物の水溶液にはそれぞれ色々な働きがある。酸やアルカリといわれる性質を持つものが水に溶けると水から水素や水酸基を奪い、奪われたのが電子を奪いたがったり押しつけたがったりして、結果金属や生物を急速に溶かしたりすることさえある。  何より変なのが、冷たくなって凍った水より、融点より少し高い水の方が密度が高いことだ。そのおかげで地球では生物が暮らすことができると言っていい……もしそうじゃなかったら、凍った水が下にたまって安定し、うまく熱が動かなくなっていたはずだ。また水は凍るときに体積が少し増える。その時にはすさまじい力を出し、岩石すら簡単に壊す。加熱されて気体になるときにも強い力を出す。  水素と酸素一つずつの水酸基も、化学的に非常に重要なものと言っていい。  水の気体、水蒸気も重要だ。多くのガス惑星でも、地球などの大気でも重要な成分だ。  二酸化炭素、炭素一つに酸素二つがくっついたのも非常に重要だ。金星や火星の大気の主成分だし、後に説明する光合成、炭素循環でも重要な役割を果たす。その固体や液体も多くの天体の重要な成分だ。炭素一つと酸素一つも地球では重要で、特に水中では海の主要な酸として色々な塩を作る。  食塩、塩素とナトリウムは地球の海の水に一番多く溶けているものだ。人間の味の中心で、それがないとどの生物も生きられないが、多すぎると死ぬ。まあ酸素だって多すぎれば死ぬがね。食塩は固体だと立方体の結晶。電子を分けあって電子が原子番号より一つ足りないナトリウムと、一つ多い塩素になる。そうなることによって、どちらも電子の数が希ガス同様ちょうど良くなるわけだ。そういうのをイオンという。また食塩は、典型的な酸とアルカリである塩酸と水酸化ナトリウムの中和でできる「塩」の典型でもある。酸とアルカリがまたややこしい……本質的には物質間の電子のやり取りだ。  炭酸カルシウムも食塩同様「塩」だが、上述のように生物にとって重要な素材だ。  あととことんきりがないのが、炭素と水素を中心にした化合物だな。とにかく種類が多い。まあ我々人類が、液体の水を持つ地球で進化した、炭素と水素を中心にし、酸素で呼吸する生物だからそれがそんなに重要なんだろう。けど、あらゆる元素全体の組み合わせを知られる限り見回しても炭素と水素、それに酸素や窒素などを加えた分子群の多様性はずば抜けていることは確かだ。  あと酸素が二つ、窒素が二つなど同じ原子がくっついて安定しているのも重要かな。酸素分子はほかと反応しやすく、窒素分子はほかと反応しにくい。  そうそう、生物とかの話題になると「原子番号は変わらない」とみなしたほうがいい。生物は原子同士のくっつき方は変えることができるが、原子番号を変えて炭素を水素にしたり鉄をナトリウムにしたりすることはできない。もちろん無から窒素原子を作り出すこともできないし、いらないナトリウム原子は何らかの形で外に出さなければならない。 *古代地球、生命の誕生  さて、昔に戻ろう。海と冷えた大地、だが何もかもが違う。  太陽も今とは全然違う……もっと熱かったし、強い光が多かった。大気の成分も、分子酸素などほとんどなく濃い水蒸気や二酸化炭素、その他硫酸硝酸のガスなど色々だった。海の成分も今とは違った。火山活動も激しかったし、地球にぶつかる宇宙の大小の塊……隕石も多かった。  本来ならそのまま安定し、太陽と一緒にゆっくり冷えてもよかった。  だが、その色々な環境から、どのようにかはわからないがあるものが生まれた。  炭素・水素・酸素などは非常に複雑な分子を多数生み出すことができ、有機物と呼ばれる。  さらに窒素・リンなどが加わると、その複雑さ・多様性はまたはるかにものすごくなり、タンパク質と呼ばれる色々な働きをする一群の分子になる。  さらにそのタンパク質は互いに結びつき、また切り離す触媒となり、さらに他の金属などと結びつくことでもっと多様になり、いろいろなことができる。  触媒という概念も大切か……これはタンパク質でも、プラチナなどいくつかの金属などでも見られるもので、原子どうしがいろいろ反応するときに、「自分は変化せず周囲のある反応を起きやすくする」ものだ。それがあるとないとでは大違いだ。原子どうしはくっついたり離れたりしやすかったりしにくかったりし、それでエネルギーを出したり奪ったりすることもある。  さてその色々な分子の中から、「自らを複製する」非常に複雑な分子……RNAとDNA、その分子を覆う脂肪の膜、その他一緒に脂肪膜に覆われたりするタンパク質や糖などのセットが生じた。これからしばらく、主にそれら……地球型の生物について語っていこう。  ちなみにそれがどこでどう生まれたのか、私は全く知らない。人類の誰も知らない。  色々混じった昔の水、海の底に地中深くから噴き出す色々混じった水、または地中の鉱物、特に鉄と硫黄が結びついた鉱物の表面から産まれたなど色々な説がある。まためったに起きることではないのか多分一度だけで、地球上で生物といわれるものは全部同じ特徴を持っている。それ以降は起きていないようだし、別の星で起きている形跡もない。  脂肪や糖は炭素と水素の複雑な化合物。それぞれあまりに複雑で種類も多く、文脈によって定義も異なるのでここで簡単に説明するのは難しい……生物全体、有機化学全体を理解しなければどうにもならない。ここで話題にする脂質は炭素・水素・酸素などでできた分子で、地球の生物にとっての常温で液体になることが多く、また要するに非対称の棒状で一方の端は水になじむが反対側は水分子と電磁気的相互作用ではじき合う。また油どうしで集まりやすく、液体だと水に溶けず油と呼ばれるが、その量が水に比べ少なく、うまい力が働くと膜……三次元の中での二次元的な構造を作る。それが球の表面のような閉じた曲面を作ると、内部と外部を分けるものになる。生物という現象に関わっているのは燐を含む脂質だ。  その「内部と外部を分ける」というのが生物の本質の一つかもしれないな。  それにその表面というのが実に面白い、本当に多様でそれでいて美しい法則性のある様々な化学反応などがある、ということがこの宇宙の法則だからなのかもしれないが。 *熱力学第二法則、DNA、進化  さてここで、熱力学第二法則を説明した方がいい。私の故郷宇宙における、物理学の根本法則の一つだ。  数学的に厳密にやることもできるが、簡単に言えば「物質の集まりは無秩序に向かう」だ。本来なら物理法則の数式の上では、時間に前も後も区別できない。でもはっきりと前後が分かる理由の一つに、自然には事実上絶対に起きないことがたくさんある、ということがある。どんな物でも、それより熱い(または冷たい)物をくっつけると、いつかは両方同じ温度になる。逆はとてつもなくわずかな確率でしかない。なぜなら二つの物が同じ温度である状態は、違う温度である状態より無秩序だからだ。  ただし、ここでは言葉がちょっと変だ。熱力学第二法則がすべての理由であるかのように言っているが、実際には「ありとあらゆるものが、熱力学第二法則に従っているように観測される」ということだ。というわけで、あらゆる科学者が熱力学第二法則は自然の絶対的な法則と見なしている。  ちなみに熱力学第ゼロ法則が温度の推移律、第一法則は要するにエネルギー保存則、第三法則は絶対零度の禁止だ。熱力学というのは、たくさんの原子が集まった物質の、熱などに関するおおまかな動きに関する科学だ。一つ一つの原子は見えなくても、その平均的な速さとか周囲に壁に与える力とかは厳密な法則に従う。ちなみに我々人間は結構大きく、ものすごくたくさんの原子が集まってできているから熱力学で考えるのがやりやすい。  で、「自らを複製する分子」というのは、熱力学第二法則に明らかに逆らっている。非常に複雑な、つまり秩序の高い分子がある……それはいずれ分解され、より単純な、つまり無秩序な分子の集まりになるだけの物のはずだ。だが、その複雑な分子が増えるのだ。そんなことを起こすためには、より強いエネルギー源というか高い秩序を持つものが絶対に必要になる。簡単に言えば、「利用者」が少し秩序を増やす代わりに「エネルギー源」がより大きく無秩序になることで、「エネルギー源」と「利用者」を合わせた全体の無秩序が少し増えれば熱力学第二法則には矛盾していない。  そのエネルギー源かつ自己複製の材料として、まわりのさまざまなものを油膜を通じて取り込み、また自然に複雑な分子を分解しようとする光や酸素など高いエネルギーを持つものから身を守ることもする。  もう少し、その「自らを複製する分子」の性質を説明したほうがいいか。DNAは梯子のような構造で、四種類の複雑な分子が二つつながって一本の横棒を作っている。ちなみに、その四種類の分子のつながり方は決まっている……1は2としかつながらず、3は4としかつながらない。二つに切り離すことができ、その一方を材料の山に放り込めば勝手に1は2、2は1、3は4、4は3を作り出してつながり、横棒をつなげる縦棒も作って、切り離したペアと同じ物を作りだす。  それによって、デジタルに情報を記録するシステムにもなっている。二重に記録し、もしどこかに狂いが生じたら間違った側を切り離して自分自身を修正する能力があるから正確に情報を保ち続けることができる。  三重にして多数決にすればもっと正確だろうが、それがこの宇宙の元素で可能かどうかは知らないし、正確すぎて進化の余地がなくなるかもしれない。知らない。  さらに、その「自らを複製する」分子は、たしかに二重に記録しているから正確ではあるが、ときどき間違いもする。その間違いがあるからこそ多様性が生まれる……同じ分子のコピーではなく、構成成分……DNAであること自体は同じでありながら、とてつもない数の組み合わせの種類の存在を許す。  さまざまなそのDNAとタンパク質と脂肪膜と糖などのセット=細胞が存在している。DNAの情報は別の形で読まれることでタンパク質分子を作ることもし、そのタンパク質が周囲の様々な物体と反応することで細胞がいろいろと、全体としての複雑なことをする。それによって最終的に、二つに分かれたDNAから周囲の糖や脂肪膜なども複製してしまい、細胞全体が二つになるんだ。ただし、何もないところから自己複製はできない。DNAの周囲にあるさまざまな炭素や水素を含む化合物と、それをくるんで外界と分けている脂肪の膜がなければならない。ただし、DNAやそれに近い情報を持つ分子とそれをくるむ殻だけでできていて、別の生物の細胞の中身やそのDNAさえ部分的に利用して自己再生する、生物なのかなんなのかよくわからないものもある。  DNAとその周囲の色々な物質のセットが自己増殖をする、ということは、DNAが中心になって周囲の物質も複製しているってことでもある。  自己増殖だけでなく、内部の温度などさまざまな状態を保とうとするのもそれらの重要な性質で、それもまた熱力学第二法則違反だから別のところから秩序を余計に消費する必要がある。  細胞やその集まりが、崩壊せず自己増殖と外界との物質を出し入れしたりを続けている状態を「生きている」といい、生きているものを「生物」と呼ぶ……生という概念自体、説明できない言葉だと思うけど。  で、さっき言ったようにエネルギーや材料を必要としている。だからさまざまな、またはまったく同じ情報を持つ生物どうしでも、限られたエネルギーや材料を争い、またお互いをエネルギーや材料として自らに取り込むために争う……食うことをする! すでに生きているそれはバラバラに切断したり溶かしたり分解したりすると、別の生き物が生きるための材料・エネルギーになる……これが地球の生物の呪われた基本法則でね。呪いと言ってもわからないかもしれないが、あとで説明する。  資源が有限である限り、指数関数で増大する生物はほとんど瞬時に資源を使い切る。そうなるとどうしても、資源の奪い合いがあらゆる生物の本質といっていいものになってしまうんだ。生物は本質的に多くのコピーを作り、その大半が死んで、少し運が良かったり、何か優れた点があったりしたものが生き残る。ここで誤解して欲しくないのは、優れていれば生き残るとも限らないことだ。優れていても運が悪ければ、その産まれて生きていくべき環境に合っていなければあっさり死ぬ。  その争いにより、とてつもなく膨大な組み合わせの「間違った複製」の中から、よりその場に適応した複製の間違いをもつ多くの自分の複製を残して自己複製を続ける、つまり生きのびるシステム……進化が生じた。それによって、生物は非常に多くの種類の、どんどん複雑な構造や機能を持つものに分化した。  そういうわけで地球の、知る限り地下かなり深いところから大気がかなり薄くなるまでの、まあ地球全体で見れば薄い表面では、無数の多種多様なそれ……生物が移動したりしながら資源を求め、周囲に対応して移動を変えたり、外にあるいろいろな物質から特定のものを中に入れたりそれ以外が入ろうとするのに抗ったり、逆に中で色々原子の組み合わせを変えた分子を出したり、そして自分を複製して増えたりしている。 「進化」って言葉自体が人間の世界では誤解されている。一つの個体が時間が経つに連れて姿を変えていくのは「成長」変化が大きければ「変態」。「進化」は、常に百とか億とか子供ができ、そのほとんどが死ぬ環境で、他とは違う特徴がある子が生き残り、その特徴をその子の子に伝えて……と長い世代と自然淘汰の末に種自体に起きる変化だ。  あとここで「遺伝子」という概念も説明しておこう。人間の歴史では遺伝子・進化・DNAは別々に発見された。信じられない話だが。遺伝子は後述する親子、また同じ親の子に似た特徴が出ることで、実はそれはバラバラの情報だ。DNAの上の一つの、分子で描かれた文字が自己増殖しても受け継がれるということだ。ただし大抵の特徴は、DNA上の情報がいくつかそろわないと出てこない。  原則として、あらゆる生物の間には食べる・食べられるという関係がある。ある程度以上大型の、陸上の生物になるとはっきり動いて食べる生物である動物、動かず食べられる生物である植物という違いがあるが、むしろ多い生物である単細胞の小さい生物にはそんな違いなど無意味だ。海にはほとんど動かず食べてばかりの動物はいくらでもいるし、陸上にもまったく動かず他の生物を殺したりその死体にくっついたりしてその物質……栄養を吸う生き物もたくさんいる。動物が動く、というのはそれ自体、生物が生活する環境の多くが完全に均一ではない、位置によって物質の分布などがちがうことから生じることであり、完全に均一な世界にいる存在にとっては無意味なことかもしれない。  実際にはあらゆる生物は生きようと、そのすべてを使ってあらゆることをする。そうしない生物はあっというまに絶滅するから、人間の「目的のために何かをする」という考えの類推で生物を理解するのは間違ってはいない。  できることは実にいろいろあるが、一般に大きくなれば食べられにくい。また多数の子孫がいればどれかは運良く生き延びる確率が高い。体内でさまざまな化学物質を合成し、自分はそれでも生きられるようにしておけば、食べた相手は死ぬ……これは特に、知性の高い動物に主に食べられる植物や昆虫にとって有用だ。いや、あらゆる生物は、きわめて小さい生物に食われないように常に自分の中の化学物質を工夫することが必要だ。  何億年もかけて、その進化はとめどなく進んだ。  油膜……細胞膜の中に、別の膜を作ってその中にDNAを入れて保護する生物、真核生物が生じた。また別の生物を呑み込んでから、溶かして食らい尽くす代わりに生かしたまま利用し、共に一つの生物のように機能するのもできた。  最初の頃のそれは、よくわかっていないが地中からどんどん出てくる、秩序の大きい硫黄などの単純な化合物をエネルギー源として利用し、地下や水中の深く温度の高いところで生きていたと思われている。といってもその起源については何もわかっていない。 *酸素呼吸、光合成  その進化で、長い時間の中とんでもない反則をしでかしたやつがいた。  酸素は生物にとって主要な元素ではある。でも酸素原子単独・酸素が二つくっついた分子・三つくっついたオゾンのどれも、生物にとってはきわめて危険なものだ……熱力学第二法則で言えば、非常に秩序のレベルが高く、また他のあらゆる物と反応してそれをより無秩序な状態に引き下ろす能力が強いんだ。  そして太陽の光も、非常に秩序のレベルが高いエネルギーであり、ありとあらゆる物を分解して無秩序に引き下ろすものだ。  恐ろしいことに、その酸素をエネルギーを出すために用いた生物がいた。確かに色々な生物の素材から効率よくエネルギーを引き出してくれるがね。  またさらに恐ろしいことに、日光を使って二酸化炭素などを分解し、より秩序が高く使いやすい糖などを作って、それをあらゆる生物材料を作る元にするようになった生物がいた。  特にあちこちで重要なのがATPという水素・窒素・炭素・酸素・燐からなる分子だ。といってもこの分子は酸素以前から活躍してたけど。生物の色々なところで、動いたり細胞膜から過剰になっている元素を出したりするいいエネルギー源になる。呼吸でブドウ糖という一番単純な、炭素と酸素が6水素が12でできた糖と酸素、その他より単純な材料からATPを作る化学変化は生物にとって最も重要なものの一つだが、非常に複雑なので簡単に言葉にはできない。ただし生物はATPを直接大量に貯めるのではなく、ブドウ糖を組み合わせたデンプンや脂肪を貯めるのを好む。ATPは不安定だし、酸素呼吸がいつもできるという前提ならいつでも呼吸と貯めた栄養からATPは作れる。ちなみにブドウ糖は塩化ナトリウムも同様だが水に溶けやすく、そういうものはたくさん水をほしがって細胞を破裂するほど膨らませてしまう。  まあそうやって、限られた噴火口などだけにあるメタンや水素や硫黄化合物だけでなく、もっとどこにでもある日光と二酸化炭素と水だけから生物としてのエネルギーと材料のほとんどを得られるのは便利だ……あと燐や窒素などいくつかの元素が多少あれば自己再生を全部できるのだから。  要するに日光があれば、日光と水と二酸化炭素などを使ってエネルギーと生物材料と酸素を作り出すことができ、また酸素と生物材料を使って効率よく生きることができる、というわけだ。  だが、その日光を用いる過程は酸素という恐ろしい物を環境に、大量にばらまいてしまう。人間の世界で言えば排ガスに猛毒を含む超強力エンジンのようなものだ……  その結果とんでもないことが起きた。それまで生きていた生物のほとんどは死んだはずだ……大災害だ。それまでと同じ、酸素を使わない生物は酸素が届かないほど深い海の底や泥の底などでかろうじて生きのびた。  代わりに、日光を使って酸素を作る生物と、酸素を使って呼吸する生物が地球……生物が生きられるのはほとんど海だが……の主流になった。  そのときに面白いことがある。日光を使って酸素を作るのも、酸素を使って呼吸するのも、単独でやれるのはものすごく小さい生き物だけだ。もっと大きい生き物は、膜……細胞単独であっても、もっと小さい生き物を生きたまま取り込んで一緒に生き、その力を借りている。  私たち大きい生き物もそうだ。大きい細胞がそんなややこしいことができるほど、一度大きくなった細胞は進化できないのか……それとも小さい細胞を取り込んだほうが手軽だからか、それは知らないね。いや、なんでも理由を探ろうとするのがまた人間の悪い癖でね。大きい生物にはけっこう苦手なことがあって、それを小さい生物にやらせている。さっき言った光合成と酸素呼吸は細胞内の共生生物に。また大気中の窒素をとりこんだり捨てられる単純な窒素化合物を再利用したり、植物の形を支えるやたら丈夫な物質を消化したりするのは非常に小さく単純な生物にやってもらっている。自分でやればいいと思うけど、できないらしい。  その、大量の酸素が放出され、二酸化炭素が消費されたことは地球全体にも色々な副作用がある。  まず、それまで海に大量に溶けていた鉄などが、その酸素と化合して沈んだ。生物にとって鉄は、少量ですむがけっこう大事な要素だったのにそれが一気に不足した。また当時沈んだ膨大な酸化鉄は、海の底で固まって巨大な鉱床を作った。  炭素と酸素とカルシウムの固まりも膨大だ。他にもたくさんある。  さらに酸素はそれでは足りず、海に溶けきれなくなって大気に混じった。それが上に行くと酸素はオゾンになった。オゾンは日光に含まれる紫外線……波長が短くて化学結合を切り離す力が強い光……を吸収して分解し、すぐに元に戻る。それが繰り返されるから、有害な紫外線は地上に届かなくなった。  それまでは海水の防御がなければ、地上は紫外線のせいで生物にとって生きられる場ではなかったが、そうではなくなったんだ。  生物がやった環境調整は他にもある。大気中には多くの二酸化炭素もあったが、生物が光合成で大量の二酸化炭素を消費し、それと海水のカルシウムを利用して炭酸カルシウムやそれに近い物にして自分の形を支えたり、食べられないよう身を守ったり、食べるための刃物にしたりした。それが死後海底にたまり、長い年月などの力で膨大な岩石に変わっている。それは地殻にとってもかなり重要な成分だ。それで二酸化炭素を減らしたことは、地球の気温そのものを大きく変えている。 *性、多細胞生物  さらにそれまでは細胞は中のDNAが自己再生し、細胞が分裂して増えるだけだったのが、二つの同じ種類の、遺伝子の一部だけに違う特徴がある生物がくっつき、DNAの「分裂できる梯子」という性質を利用して情報を交換し、複製の失敗による進化を待たずものすごい多様性を得る方法を身につけた。多様性があれば、多少環境が変化したりしてもそれに合ったやつが生き延びることができるし、体内に入って中から食おうとする小さい生物を防ぐ方法もたくさんあるから有利なんだ。  それが二つの対によって行われる、というのも一番単純ではあるけれど、聞いているのが三つ以上の性をもつのが当たり前だったり、生がなく単独の自己複製子しかなかったりする存在だったらびっくりして不気味に思うだろうか。  ある個体が、一部の細胞からDNAの半分を持つ小さい細胞を作り、それが自分と同じ種の生物が出す同じく半分のDNAを持つ小さい細胞と合わさると、小さい完全なDNAを持つ細胞……受精卵がひとつでき、それがまた分裂を始める。いくつかのDNA塊が二つ対になったのを多数用意しておき、片方づつを選んでいくやり方もある。  大体子供は両親に似るが、同じ両親の子供でも別々に生殖されれば色々違いがある。それが性だ。  そして特に次にいう多細胞生物の場合、そうして繁殖さえ成功したら他の身体は用無しだからすべての細胞が崩壊する、死が始まった。そういう生物はちゃんと水や酸素、光や食物があり、食べられもしないし病気にもなっていないのに時間がたつだけで動くのをやめ、自然の微生物に食われるのに身を任せてバラバラにされてしまう……死んでしまう。特に人類自身も含め、人間の目に入るような大きい生き物のかなりの部分がそう、有限寿命だ。  ちなみに遺伝子交換の方法は性だけでなく、上述の小さいのを体内に取りこんで共生するのもある意味それだし、また微生物の世界ではDNAの部分が切り離され、別の微生物のDNAに混ざってそのまま、ということも結構ある。  またものすごい時間をかけて、いくつかの細胞が集まってまとまって、しかもその細胞はどれも同じDNAを持ちながらいろいろな形・機能の部品に変わって、助け合って一つの生き物になる、という複雑きわまりない生き方に進化したものがあった。  他にも海には多数の、同じ遺伝子情報を持つ動物がまとまり、しかも色々と違う形や機能に分化してちょうど同じ遺伝子を持つ細胞が協調するように暮らしている、ということをやっているカツオノエボシとかがいるな。サンゴやシロアリも個体の集団が一つの生物のようにさえ見えるし、大きな面積を占める植物の集まりが同じ遺伝子ということもある。  多細胞生物はまず生殖のために分化した細胞を作る。動物の大半は有性生殖、ごく一部の動物と植物は無性生殖もする。無性生殖しか確認されていない多細胞動物はわずかだ。  まず受精卵がしばらくくっついたまま分裂し、そのうち分裂しながら形を変えて色々な器官を作り、その器官が協働してひとつの個体になり、その個体が元と同じぐらいの大きさまで成長したらまた半分のDNAをもつ細胞を作って……というわけだ。  ああ、多細胞生物のひとつの生きているもの……個体は、ある程度以上破壊……元の形から無理な力で変型させられたり、変に加熱されたり冷凍されたり、長期間必要な水や酸素を得られなかったりすると、残りの細胞が「まだ生きて」いても機能しなくなり自然に死ぬことが多い。特に複雑な構造になるとなるほど破壊に弱くなり、簡単に死ぬ。複雑な構造と機能分化した器官どうしの助け合いがなければ、各細胞が自力で水や酸素や二酸化炭素や養分を得たり周囲の微生物に食われるのに抵抗したりできないんだな。そうなったら自然の微生物に食われるだけだ。  ああ、でも無性生殖……自分自身のコピーを生殖と似たシステムで作ることができる生物もけっこう多いか。ほかにも半分ずつが、雄雌とはっきり違いがある生物もいるし、ほとんど同じなのもあるし、一つの個体が雌雄両方の生殖機能を持つのもあるし、一つの個体が成長などによって雄になったり雌になったりするのもあるし、ほとんどの個体は生殖機能を捨てるのもあるし……実にいろいろある。  また、多細胞生物にとって、個々の細胞はそれほど重要とはいえない。再生できるだけ残ってさえいればいい、生殖さえできればいいんだ、いくつの細胞が壊れても。だから多細胞生物の中では常に、多くの細胞が死んで、また別の細胞が再生する。それで遺伝子情報や形、記憶などは同じでも、体を作る元素全部が入れ替わって、分裂も死もなくそのままの細胞などなくなる。でも個体として生きてる。  だから、考えてみると無駄な話なんだが、どの細胞にも同じ、完全なDNAが入っているんだ。人間の機械でいえば、たとえば自動車の塗料のひとかけらにも「全部品の設計データ」が入っているのと同じだ。無駄な話ではあるけど、その車の目的が「情報を運ぶため」だとしたら別に無駄じゃない……人間がやるように箱に一冊だけ入れていたら、それが燃えたら無意味になる。  ああそうだ、人間の側から見れば、今言ったような形にはならない。人間には単細胞生物を目で見ることはできないから世界を構成する生物は多細胞生物ばかりだ。そしてその多細胞生物は皆子を生み、子は親に似ている。  死は性を持つ多細胞生物にとってとことん本質的なことだ、ということは忘れないでおいて欲しい。 *地球生命圏、大量絶滅  さて、多細胞生物ができたのが10億年ぐらい前だ。生物がいつ発生したのかは知らないが、大体35億年ぐらい前といわれているから半分以上は単細胞生物だけだったんだな。今も生物全体の多くは単細胞生物だよ。単細胞生物を細菌と呼ぶこともあるけど、本当は人間は微小生物についてはあまりよく知らないから、多分その呼び方は間違いが多いと思う。今更直せないことも多いけど。  そうやって地球の表面近くは、大きい生物や小さい生物がたくさん満ち溢れるようになった。実は地球のかなり深い、高温高圧の岩の中にもけっこう単細胞生物がいるらしいけど、それについては人間は知り始めたばかりだ。  最初は地上には生物はいなかったけれど、さっきも言ったようにオゾン層が日光のやばい波長を遮断してくれる……ああ、あと地球そのものが適度に大きく、中がずっと熱いからか強い磁場を周囲に作っていて、太陽からの、光速に近い速さで飛んでくる素粒子などいろいろまずいものが地上に当たらないようにしてくれている事もあるか、地上でも生物が生きられるようになってきた。あと、数億年前から海水が地球内部に引きこまれて戻らなくなっていき、陸地が大幅に増えたこともある。  生物は本質的に水を必要とするから、最初は地上でも水が流れたりたまったりしているところ、それから少しずついろいろなやり方で水を持っていったり手に入れたりする方法を学んで、地上にも生物が広がった。  でも、確かに大気や地磁気などが守ってくれてはいるけれど、宇宙・地球というのは絶対安全なところじゃない。地球自体も今言ったように中がずっと熱い……それは時々、大量の炭酸ガスや窒素・硫黄化合物とともに中の液体の熱い岩を吐き出すことがある、ということでもある。  また宇宙の、太陽の重力圏にも、そりゃ各惑星ができたころに比べてだいぶ減ったけど、たくさん不安定な軌道で飛び回る塊はある。小さいのは地殻にぶつかる前に、大気と激しく摩擦することで蒸発する。前も言ったけど、熱は原子のぶつかる速さだ……極端な速さで空気に飛び込めば、それは激しく加熱されるのと同じになるんだ。でも時たま特大のが来ると、大気との摩擦でも燃え尽きないで大地にぶつかる……隕石だ。  重力で地球と引き合って加速しているからすごい速度になっており、その速度と質量が持つエネルギーは瞬時に膨大な熱エネルギーに変わる。特に巨大なものは時には地下の熱いとこまでぶち抜いてその熱まで引っ張り出して、気体と化した岩と加熱された空気は地上の全てを焼き尽くす。大量の岩石粉も地球全体にばらまかれ、それが大気上層に浮いて日光を遮断したりする。またでかい隕石は大抵海に落ちるから、海もめちゃくちゃにかき回される。そうなるときわめて多くの生物が死ぬことになる。  太陽の光、地球の自転公転も、安定してはいるけれど完全に安定しているわけじゃない。そのわずかなぶれは、大抵は大したことないけれど時たま、大気・海水・そこの生物などが色々と関わって複雑に絡みあう中、温度や化学成分の変化が大きくなることがある。何度か地球全体が凍りついたことさえあるぐらいだ。そうなるともちろんほとんどの生物は死に絶える。  まあとにかく事実だけ語ることにしよう。地球の過去を調べていくと、何度も地球の生物の大半が死んだ大災害が起きたことは確かだ。そしてそのたびに、特に陸上の大きい動物や植物で今の人間が保存された死体を発掘しやすいもので一番目立つものの、根本的な形や子供の生み方が変わる。  ある時期は二億年も、今生きているのより巨大な動物と植物が暮らしていたが、それが巨大隕石の衝突でいきなり絶滅したりしたんだ。   ちなみにここ最近も大量絶滅の真っ最中だ。私達人類のおかげでね。  ああ、人間の目は、元々人間が知っているものしか見えない。そして昔を知ろうとすると、前に言った「カルシウム化合物などの固い部品」が石になったものが一番見えやすいから、それを持たない生物は注意しないと見えない。だから人間は昔を「どんな大型脊椎動物がいたか」だけでイメージすることが多い。それは多分、本当の姿の一面でしかないと思う……微生物や昆虫、海中生物の変遷から地質時代を区分する方がおそらくは正しいんだろう。でもそれはある意味どうしようもない。人間のものの見方が限られていることは分かっているが、人間であることはやめられないんだ。もしナメクジが泥の大文明を作っていたとしても全部水に流れてわからない、と『火の鳥』にあったっけ。 *プレートテクトニクス、大陸配置  そうそう、以前海と大陸は紹介したが、地球の中がまだ熱いからか、大陸や海底は常に動いている。非常にゆっくりで、人間の一生……地球が太陽の周りを回る時間の、長くて百倍程度ではほとんどわからないが。人間はそういう長い時間を理解するのも苦手なんだ。  動いていること自体は、それこそ宇宙から見ればこれから紹介するアフリカ大陸と南アメリカ大陸が、一枚の板から切ったものだと一目でわかるのでわかりきったことだと思うが、人間は……まあその、人間がどれだけバカかという話は後だ。  今の大陸の配置をざっと紹介しておくか。北極周辺は海で、その周りを二つの大陸がとりまいている。  いちばん目立つのが圧倒的に大きいユーラシア大陸。東西に長く、南北にもかなり延びている。  その北西辺にひとつ、南側に三つ、東側に二つ大きな半島……大陸から海に向かって突きだしている地形が延びている。西端そのものを巨大な半島と言うこともできるな。  北極海を囲むもうひとつの大陸が、北側に多くの大きい島……大陸より小さい陸地を人間は島と呼ぶ、基準はどう見てもいいかげんだ……があるアメリカ大陸。  アメリカ大陸は南北に長く、北半球と南半球を分ける赤道より少し北で極度に細くなり、また赤道ぐらいで膨らんでから南に向かうにつれて細くなって海になる。  そしてユーラシア大陸の西側から南に下ると、陸地にほとんど囲まれ、かろうじて少しだけ外の大きい海につながっている地中海という海を挟んで、ユーラシア大陸の南の西側の方のアラビア半島とごく狭い陸地で結ばれたかなり大きいアフリカ大陸がある。アフリカ大陸は南北に長い。北側がかなり広く、赤道あたりから急に狭くなって、かなりの間大体そのままの東西幅で南下し、急に狭くなって海になる。ちなみにアフリカ大陸の東のほうに、南北方向にプレートの割れ目ができかかってる。何万年という時間が過ぎたらそれは海になって、二つの大陸になるんだろうな。  ユーラシア大陸の北東部は海に突き出すように、アメリカ大陸とほぼ接している。その狭い隙間から南下すると、細長いカムチャッカ半島に接して東側を覆うように千島・日本列島と呼ばれる島が連なっている。日本列島とユーラシア大陸が囲む海に朝鮮半島が突き出ている。ついでに、西端の少し北にもやや大きい島と周囲の多数の島がある。  それから南に行くと、インドシナ半島という南東側の半島があり、そこから更に南、赤道前後にいくつか大きい島がごちゃごちゃある。  さらに南には小ぶりのオーストラリア大陸がある。  それを無視してインドシナ半島からユーラシア大陸を回ると、南側の中ほどに三角形のインド半島が突きだしている。  ずっと南は、南極点を覆って南極大陸があり、その大陸は他の大陸とかなり離れている。  全体に北側に陸が多く、南側に少ないな。  同じことだが、海を南から見てみようか……南極大陸を囲む帯状の海にアフリカ大陸南部が突きだし、かなり北側にアフリカ大陸南端・オーストラリア大陸がある。アフリカ大陸と南アメリカ大陸の間……北に行くと北アメリカ大陸とヨーロッパにはさまれる……を大西洋、オーストラリア大陸やその北の群島・インド半島・アフリカ大陸に囲まれた、赤道から南半球だけの海をインド洋、アメリカ大陸とオーストラリア大陸やユーラシア大陸に囲まれる特大の海を太平洋と呼ぶ。北に行くと、太平洋と大西洋どちらも比較的狭い隙間から北極海につながっている。  ちなみに北極海と南極大陸はともに分厚い氷で覆われている。北極海はそのうち過去形になるかもしれないが。  アフリカ大陸とユーラシア大陸を分けている地中海についてはもう述べたな。  さて、大陸や海底は動いていると言ったが、動いているだけではない。どの大陸も、ひとつの岩の塊とは限らないし、海底も一枚の岩の板とは限らない。よく見たら、地下の巨大な熱量によって複雑なプレートに別れ、互いに力を及ぼし合いながら動いている。  たとえばさっき紹介したインド半島は、本来別の小さい大陸がひたすら北に動き、ユーラシア大陸にぶつかったものだ。だからユーラシア大陸とインド半島の境界が、ものすごく高いヒマラヤ山脈と呼ばれる大地の壁になっている。  そのプレートがぶつかる所は周囲に比べて高い地形……山、特にときどき大量のガスや高熱で溶けた岩を噴き出す火山が多くなるし、地面が揺れる地震も多い。  他にも山は色々な所にある。全体に……まずアフリカ大陸とユーラシア大陸の影響で、ヨーロッパは全体に多くの山脈がある。アフリカ大陸北岸にも。  ユーラシア大陸東岸も多くの山脈・火山がある。ユーラシア大陸とオーストラリア大陸の間の大きい島々にも火山は多い。  アメリカ大陸は全体に、西岸近くおよび赤道近くで狭くなっている部分がほぼ全部、ひとつながりの山脈と言っていい。  あとアフリカ大陸はほぼ全体が、なぜかかなり高い。海岸からすぐに非常に急な地形を登らなければならない。 *気象  その海と大陸の配置、地球が球で主に太陽光で温められ、また物体自体に宇宙に熱を放射する性質があること、あとは液体の水・雲・個体の水・植物のない地面・植物のある地面それぞれ太陽の光を反射する率……アルベドが違うこと、そして窒素分子と酸素分子四対一、少し水蒸気と二酸化炭素が混じっている大気や水の比熱などを考えれば、本来は地球の気候は言わなくても予測できると思う。  まあ一応解説しておくか。  いちばん単純なこと、液体も気体も、温度が高いと体積が大きくなり、その分密度が低くなる。重力下だと密度が高いものが上、低いものは下に行きたがる。そして地球の自転軸は公転している面に、本来直交するはずだがなにかがぶつかったのか少し傾いている。でも直交に近いから地球の南極と北極はほとんど日光に当たらないので寒く、赤道は一年中温められていて暑い。でも傾いている分、両極と赤道周辺以外は熱くなったり寒くなったりする。  その寒い両極と、暑い赤道の温度差は、水も大気もなければほぼそのままだ。だが水や大気が、その膨大な温度差を減らそうとする……それこそ熱力学第二法則だ。ただし、温度が違う液体や気体の固まりがぶつかり合うと、熱力学第二法則は互いを混ぜようとするが、実際には混ざるのにかなりの時間がかかってしまい、その間混ざろうとしない二つの固まりにも見える。特に温度の高い固まりが重力から見て上にあると、非常に長い時間混ざらないことがある。  まず大気。大量の気体が地球の重力につなぎ止められている状態では、周囲に比べて温度が上がると分子の運動が活発になり、その結果密度が下がって、周囲に比べて軽くなって上昇し、そこに周囲のより冷たい大気が流れこむ。それによって、重力がない場合よりよく熱い空気と冷たい空気が接触し、早く均等になっていく。あと空気は上に行くと、その上に積もっている空気が減って圧力が下がり、密度が下がって結果的に温度も下がる。  水も、大抵の液体や気体はある程度だが同じ動き、対流をする。大気の、主に対流による流れの一部を風という。それも地上ではかなりの力を持ち、長い時間で地形すら変える。エネルギーのおおもとは太陽光、いや太陽と宇宙の温度差だ。  その対流はまず赤道で大気が上昇し、そしてその少し南北で下降する。その下降した帯のまた少し南北で上昇し、と三回繰り返して両極に至る。一気に赤道から両極に風が流れることはない……地球は球だし自転しているから。  さらに地球は自転している。だからたとえば北に行こうとすると、まっすぐ行っているつもりが少し西にずれている。その作用……コリオリの力と呼ばれる……によって、風は南北方向より東西方向のほうが強い。特に上空には非常に強い東向きの風が流れている。  また海面近くで、いくつか一年中ほぼ向きも強さも変えない強い風が吹くことも多い。  そして海水。海水は大気に比べて単位質量・単位温度変化に必要とされる熱が大きく、膨大な熱を効率よく動かしている。それがこの複雑な大陸配置で動くわけだ。太陽光は上から来るから、常に水は上が温かく下が冷たくなり、そのまま安定することが多い。  海の表面近くを見れば、いくつかのかなり速い流れがある。特に目立つのが日本列島沖を、南西から東北のアメリカ大陸北西岸に向かう日本海流、通称黒潮と、アメリカ大陸東岸の、赤道近くのくびれた所から北大西洋に抜けるメキシコ湾流だ。海水の流れと風も相互作用する。  そして地球全体で見れば、北大西洋で大量の水が冷えて海の深い所に沈み、それが地球全体をあちこちめぐってまたメキシコ湾流になって戻ってくるまでの壮大な流れがある。  さて、大気と海の間には重要な相互作用がある。あ、言い忘れたかな……地球では雨が降る場所が多い。人間の立場で見ると、前言った雲が時々特に濃くなって、上から人間から見れば小さい液体や固体の水の粒がたくさん落ちてくるんだ。  そうなると地面は大量の水で濡れ、その水が小さい岩石の隙間にしみこんでいったり、あるいはしみこみきれず地上に流れを作り、重力に引かれて低い方へ流れていくこともある。固体の水……氷だと地面を白く覆うこともある。さらに寒い所では、氷が大量に積もっていき、そのまま氷がゆっくりと地表を流れることさえある。固体は変型しないように見えるけれど、非常に長い時間で見ると流れる固体も結構ある。  その水や氷の流れは膨大な力があり、人間から見れば長い時間の間に地面を削って地形を変えることも簡単にできるし、大量の岩石などを運ぶこともできる。それだけでなく、たくさんの水が地表より下の岩の隙間などにあって、それもゆっくりと流れている。これも生物にとってはけっこう重要だ。  その水はどこから来たか? というと、答えは海からだ。海の水が太陽の熱を浴びて暖まり、蒸発する。その蒸発した水蒸気を含んだ水が、対流で動いて上昇すると圧力が減る。圧力が減ると分子の運動が遅くなる、それは冷えると同じだ。空気は温度によって、溶かしておける水蒸気の量が変わる……温度が高いほど多くの水蒸気を含むことができ、逆に冷えると水蒸気を溶かしきれなくなる。そうしたら余分な水が液体になり、まず小さい粒になって、空気の分子のぶつかる力で浮く……実はそれが雲の正体だ。そして、もっと粒が大きくなると、地面や海面まで落ちてくるんだ。それが雨。  その雨の多い少ないが地上の生物にとっては大切だ……空気中の水蒸気や造岩鉱物内部の水を直接化学的に取り出すのはなぜか生物は苦手みたいだ。いやまあ、人間が技術でやろうとしてもすごいエネルギー使うけど。  雨が降らない地域は生物が少なく、岩盤がそのまま露出し、部分的にはそれが細かく砕けた砂で覆われた砂漠という地勢になる。  緯度で見れば、赤道周辺は非常に雨が多い……空気が暖められて上昇するから。そしてその少し南北の、空気が下降する所は恐ろしく雨が少ない。宇宙から地球を見れば黄色い筋が一目瞭然だよ。北アフリカ、ユーラシア南西部、北アメリカ、南アフリカ、オーストラリア大陸などがそういう砂漠だ。  それからしばらく割と雨が多く、それから両極はこれまたほとんど雨が降らない……両極では雪か。  また全体として、ユーラシア大陸のような大きい大陸の内陸部は雨が少ない。さっき言った、水蒸気を含む空気が大陸内部まで動こうとしても、途中で水蒸気を全部落としてしまうからだ。逆に本来雨が降らない緯度でも、海に近ければ、また小さい島だったりすれば雨が降る。  特に大陸の東岸は、コリオリ力などによって常に海から風が吹き寄せるから雨が降る。  あと、大きい山脈があって、それに常に強い風が吹きつけている場合、風上側は常に雨が降る。さっき言った、湿った空気が上昇したら冷えて雨を降らすメカニズムが働くからだ。逆に山脈の風下は空気の水分が絞り尽くされていて雨が降らない……中央ユーラシアはただでさえ内陸なのに、ヒマラヤ山脈に南・東からの風をはばまれているからひどく乾燥している。またアメリカ大陸西岸にもそれによって多くの砂漠がある。  ちなみに生物にとってはけっこう気温も重要だ。簡単に言えば赤道近くが熱く両極に行くにつれて寒くなるが、海に近かったり、特に赤道から両極に向かう海流に近かったりすると緯度の割にものすごく暖かくなる。逆に海から離れて高緯度だと一気に冷える。  また季節によって、そして昼夜によって気温が変わるが、大体海が近いと気温の変化は小さい、海から遠いと多い。  少し長い時間で見ると、最近の地球は寒くなったり暖かくなったりする。全体に寒くて大陸の多い北半球を広く氷河が覆う時期を氷期と呼び、暖かく氷河が少ない時期を間氷期と呼ぶ。地球の今は、妙に長めの間氷期だ。 *生態系 **単細胞生物  さて、今の地球で生物がどう暮らしているか、人類を無視して少し描写しておこう。  先に理解しておくべき前提が、今の生物は大きく単細胞と多細胞、そして嫌気性と好気性……酸素があると死ぬかなければ死ぬ、光合成するとしない、などと分けられる。動かない生物を植物、動く生物を動物と前は呼んでいたが、それは人間が生物に関する知識が少なかった頃に分類法を作って、新しい知識を得ても分類法を作り直すのが面倒だからだ。そんな簡単に分けられるものじゃない。  単細胞生物には嫌気性も好気性もあり、光合成をするのもしないのもある。多様で、実に多くの化学的な道具を持っている……いろいろな化学物質を出し、いろいろなものを利用できる。沸騰寸前、いや常温なら沸騰する温度で高圧の水や高濃度の塩水、地下の岩盤など、人間には信じられないような環境で暮らせるのも多い。また増えるのが非常に早く、ちょっと適した環境があればあっというまにその環境を使い切りながら増える。  多細胞生物も大小いろいろあるけど、ほぼ好気性。光合成するものは動かない事が多い。  嫌気性菌は生物の死体やそれが積もったもの、火山から出る化学物質、それこそ地下深くの熱い所でも生きるのがいる。それ以外の、人間を含む生物は水・酸素・二酸化炭素・日光・窒素や燐など肥料分を必要とし、また水が液体である、それもかなり低いほうの比較的狭い温度でしか生存できない。  生物を分けるには他にもいろいろある。人間、それもある一地方の人間に見える範囲の特徴、たとえば動くかどうかとか、ある染料で染まるかどうかとかで分類するのがずっと主流だったが、最近はDNAなどが知られて少しはちゃんとした分類ができるようになってきている。  といっても、考えてみれば生物をちゃんと分類する、なんてすべての生物のDNAとその機能が判明しないと無理だが、人類が把握してるのはそのとことんわずかでしかない。明日また、今まで知られたすべての生物より多様な生物の世界が判明しても別におかしくない。微生物についての人類の知識は本当にわずかしかない。  今の知識で言えば、まずDNAを入れるものがはっきりしているかどうかがあり、それが以前言った太陽に頼らず地下深くや海の底で地球から出る物質を使って生きてるようなものと、それ以外のちょっと表面に壁があるものに分かれる。DNAを入れるものがはっきりしている生物はごく小さいいろいろなもの、別の生物を細胞表面を通じて食べて表面に壁があるもの、その他となる。  さらに生物かどうかまぎらわしいのに、DNAだけでそれを自己増殖させるための色々な分子を持たず、別の細胞に依存して増えるのもたくさんいる。  あ、それまでの人間が分類してた、これから説明する動物とか植物とかなんて「その他」のほんの小さな部分だけだ。地球の生物の種の多様性や生物自体の重量の相当部分は、単純な単細胞生物だということを忘れないように。 **海  ではまず海の表面近くから。ほとんどの海表面は、海水と日光はふんだんにある。だが酸素や二酸化炭素はやや少なく、肥料分は更に少ない。また深い海になると一気に日光と酸素がなくなる。  そして海水はかなり密度が高いため、その中にあるだけで浮かそうとする力が働く。また運動に対する抵抗も大きい……動きにくいがけっこう沈みにくいなど。だから地上に比べて、自分の形を保つための素材の強さは小さくてもよく、重力をほぼ無視できる。ただし深海に行くとものすごい圧力にもなる。あと私はつい人間の尺度で考えるが、非常に小さい生物にとって海水は……まあ人間が大量の砂利や蜜に埋まったように、泳ぐじゃなくてかき分ける代物だろうな。  そして水は比熱が大きく、海水は普通の水より更に融点が低い。そのため海水は比較的凍りにくい。もちろん融点より冷たくなったり沸点より熱くなったりしないから、生物にとっては比較的温度変化が少ない環境でもある。  海では一般に、重い肥料分は日光が水に吸収されて届かないほど深い所にある。海水表面が冷やされる場所や季節、風が大陸岸から表層海水を引きはがす場所、海流が大陸にうまく当たる場所などでは深海の肥料分が海水表面に出る。  そうなるとまず、単細胞やごく小さい光合成をする生物が増える。かなり冷たくても問題なく繁殖する。また岸が近く水深が浅い海であれば、海底に一部をくっつけて海流などに抵抗する目に見える大きさの色々な形の海藻が光合成で育つ。  それらを食べる、動き回る小さい生物がいる。それはより大きい生物の生まれて間もない頃である場合もあるし、元々小さいこともある。  より大きい生物が小さい生物を食う事が多い。まあそれだけでなく、小さい生物が大きい生物に貼りついてその栄養を吸う……寄生も多いし、また小さい生物が大きい生物の体内で増えて大きい生物を食い尽くしてしまう……病気も多いけど。  生物のスケールが大きくなってくると、いくつかの特徴が見えてくる。人間にとって目立つのは、内部に固い骨を持ち、素早く泳ぎ回る魚と呼ばれる生物群だ。  他にもイカと呼ばれる、全体に丈夫で特に固い部分がない、長く延びた部分……腕足をたくさん持つ生物もたくさんいる。外側が非常に硬い、多くの長く伸びて動く部分……脚を持つ、カイアシ類・蟹・エビなどの生物もいる。  自分ではあまり動かず、非常に柔らかくほとんど水分でできたクラゲと呼ばれる生物も多くいる。  それから海底近くでは、非常に固い殻におおわれた貝類も目立つ。他にもよく見ると、色々な形をした実に色々な生物がいる……人間はそのどれだけを知っているのかねぇ、多分ほとんど知らないだろう。  さらに言えば、非常に小さい単細胞生物や、もっと単純でDNAなどとその殻だけでできているウィルスももっととんでもない数がいる。あらゆる生物が出しているいろいろなものも含まれる。  食べるやり方もいろいろあり、たとえば今地球で一番大きい動物で海に住んでいるシロナガスクジラは、その次に大きい動物ではなくかなり小さい生物を、大量に海水を口に入れて小さい隙間がたくさんあるところを通して海水だけ吐き出すことで食べている。海水の分子は小さく、生物はもっと大きいから、その間の大きさの隙間があればそこにひっかかる。濾過食といい、海ではすごく多くの生物がそのやり方で食べている。  ああ、それから海でも地上でも、あらゆる生物の死体は単細胞生物に食い尽くされる。もちろん生きていても単細胞生物どもは生物分子の塊である生物を食って増えようと頑張っており、どんな生物も生きているのはそれに必死で抵抗して辛うじて生きているだけだ。多くは失敗するけど。そしてその単細胞生物も他の何かに食べられ、そうやって生物の食う食われるが織りなす網に戻る。食う食われるだけでなく、寄生するとか共生するとか、あと出した酸素や二酸化炭素、他にも膨大な物質を色々と利用しあったりとかものすごく複雑な関係だけど。  戻らないのも結構ある……深海にそのまま沈んでしまう死骸もかなり多く、それは深海にたまって最後には積もり積もって岩にさえなる。地上の岩のかなりの部分は生物の死骸が押し固められ、また地球内部の膨大な熱のせいで地形が変わって地上に出てきたものだ。  ついでに、海の深いところでは、エネルギーから太陽に頼っていない生物がいる。地球深くの原子番号が大きすぎて不安定で原子核が分裂してエネルギーを出す元素の、そのエネルギーが元で地中の物質が色々動き、高い秩序を持つエネルギーになる水素などが出るところで暮らしているんだ。 **地上、植物  地上では酸素と二酸化炭素と日光はふんだんにあり、窒素や燐、珪素など必要とされる元素も海に比べれば足りていることが多い。で、まず水が大抵足りない。あと温度も海に比べて極端になりやすい。また大気は海水に比べて密度が小さく、浮力も小さいので重力の影響が極度に大きい。海の生物のほとんどは、地上に置いたら自分の重さで潰れて死んでしまう。  まず中心になるのが植物。海とは違い、大型の多細胞生物が主に光合成をしている。  植物にもいろいろあり、形や繁殖法で分けられている。岩などに直接張りつく水分の多いところで育つコケ、小さい遺伝情報だけの塊を出して繁殖する時少し水を必要とする、昔は巨大な木だったこともあるシダ、植物とはいえない本体は糸状に細胞をつなげ自分では動かないものが多い菌類とともに暮らしている光合成微生物の複合体である地衣類などいろいろある。  今の地球で重要なのが種子植物といわれるものだ。体が機能分化しており、光合成は葉と言われる二次元構造の器官をたくさんつけて行う事が多い。ああ、葉が細長くなったりすごく長い一枚だけの葉があったりするのもある……ここで言っているのは一般論、大体の話ばかりだ。特に寒い地方の樹木は葉が細長くなるのが多い、雪が積もらないようにかな。あと砂漠の、分厚く水分の多い植物には葉がものすごく硬く細長い構造になっているのがある。  その葉を、地上から離れた所に茎と言われる棒状の頑丈な構造で支持している。大抵一点で葉と茎が接しており、葉は簡単にちぎれ、また生えてくることができる。かなり傷つけられても全体は死なないようにだな。茎が非常に短く、ほぼ直接丈夫な葉が地上に伸びるのも多いし、また茎が地下に伸びる植物も多くある。  その丈夫さはセルロースとリグニンと呼ばれる、水素と炭素と酸素からなる化合物が一つ一つの細胞を分厚く覆い、互いに絡みあう無数の繊維となることから生じる。植物で大型のものは茎の表面のみが生きた細胞で、内部は死んだ細胞の非常に強靭な物質が集まった木とよばれるものになる。  木でないのは草という。木は非常に頑丈な構造だから、そのまま大きくなり続けることができる。植物はより多くの日光を受ける競争をするから、地上より高い所に葉をつけられれば有利なんだが、木は草より高くなれるから有利だ。ただし水が少なかったりするとうまくいかないこともあり、草がなくなることはない。  また植物の表面は、いろいろな物質で覆われて水の蒸発や微生物の攻撃を防いでいる。また植物の一つ一つの細胞は、まあこれはどんな生物の細胞も変わらないが、常に様々な分子を作っている。植物の細胞には、ある程度以上の生物に共通する呼吸を行う小さい構造、前に行った光合成を行う小さい構造……どちらもそれ自体が細胞とは独立して繁殖する微小生物……だけでなく、色々な化学物質の液をためる部分もある。  多くの植物は地面から下に、様々な隙間に糸状の根と呼ばれる器官を多数伸ばす。地面が大体小さい岩石……砂が集まって水分をその隙間に保ち、後で言うが生物も加わって、その造岩鉱物の性質もあって柔らかい塊になった土というものになったのが植物に適している。その砂粒の隙間などに根を伸ばし、さらに細かい根毛と言われる毛を伸ばして周囲の水・窒素化合物など肥料分を吸収し、同時に茎が倒れないように支えている。さらにその根の植物の細胞に、いろいろな微生物や菌類が入って食い合ったり助け合ったりいろいろしている。  根は地面が乾燥しきっていても、もっと深い所にしみこんでいる水を強引に地上まで持ち上げることもできる。  また植物は茎から芽と呼ばれる若い部分を出し、それが伸びて葉や新しい茎になる。茎が増えて多くの又になることも多く、枝と呼ぶ。  そして植物の、葉が変型して柔らかくなった花と言われる部分が繁殖……前述の、二つの生殖専門細胞が遺伝子を分けあう作業をする。植物の多くはひとつの体が雄雌両方の器官を持っていて、その花から多くは粉状の花粉が出て、それがめしべに着する……受粉。自分の花粉がめしべに着けばいい植物もあるし、別の同種の植物の花粉が必要なのもあるし、雌雄が別々の個体に分かれるのもある。その花は色・匂いが普通と違い、とても鮮やかなものが多い。  受粉したら大抵花の、葉が変型した部分が枯れ落ち、小さな塊が何かに包まれて出てくる。それを実といい、それに生殖した新しい個体のいちばん幼い姿……種が入っている。その種や実の多くは周囲の環境、特に乾燥や微生物によって死なないよう護られ、また栄養分がかなり乏しい所からでも成長できるように多くのデンプン・脂肪などを蓄えている。  だからそれは動物が好んで食べるものになるが、だから植物はその内部、毒になる物質を作ったり殻を固くしたりして食べにくくすることも多い。また、食べられることを利用する植物もある……植物は自力で移動できないが、種や果実に多量の栄養を蓄えておくと、それを食べる動物がその場で食べきれない分を別の場所にもって行ってくれる。そうなるとより広い範囲に子孫を残すことができる。  植物は種で繁殖するだけでなく、地下の茎、地面に接した芽、根の一部などから複数の個体を作ることもある。とんでもなく広い範囲の植物が、地下を見たら全部ひとつながりだったということさえあるんだ。  植物の生き方の一つに、つるを用いるものがある。ほぼ自在に形を変える、長い線状の茎が地上に伸びる。それは地面を覆うこともできるし、また木や草の高い茎に、多くは円筒上に螺旋を描くように上に行く。それは自分の体を支えるための資源を節約してより高いところに葉をつけ、日光を奪うことができる。そのつる自体が木化し、さらに自分がしがみついている木を枯らしてしまうことさえある。  他にも植物には花や種の性質が少し違う裸子植物、花を作らないシダ、茎がみられず濡れた岩などに直接ついて暮らす蘚苔類などいろいろある。もちろん光合成をする単細胞生物も、水中心にあちこちにいる。  気温の変動が大きい中緯度地域では、大体気温が上がり始める頃に草なら種から葉と根を出して成長を始め、木ならあちこちの、枝分かれしている部分などから小さな葉の塊を出す。気温が下がりだす頃に生殖、つまり花をさかせ種を作り、そのまま草は死ぬか根以外の地上部を死なせ、木は葉を落として幹と根だけになって寒い時期をしのぐ。  あ、陸上にも雨水がたまっている所がけっこうあり、それは海に似た生態系を作っている。違いも多く、多くは塩化ナトリウムが少ない水だから昆虫が重要な要素だし、光合成をする植物や魚の種類もかなり違う。  植物には細胞の構造にも特徴がある。特に木になるようなものはそうだが、草も含めてどの細胞も頑丈な壁に覆われている。細胞内部には上述の日光のエネルギーを使って糖を作るための、小さな独立して暮らす小さい単細胞生物がたくさんいる。またさまざまな液を包んだ袋が多くの細胞内部にある。自力では運動できない、というのも当然の特徴だ。  で、その植物を大小の動物や菌類が食べる。食べる側にとっては、植物の多くは必要な窒素化合物に比べて単純な炭水化物が多すぎるし、体に取り込むのが難しい厄介な分子が多い。 **地上の小動物  小さい動物はかなり多様だ。後述の脊椎動物にもかなり小さいのはいるが、特に目立つのが昆虫と言われるグループ。  そのグループとしての特徴はタンパク質と同じような元素構成でできた物質などでできた固い殻で覆われて外骨格をなしていること、小さいので呼吸がわりと単純でいい、前後がはっきりして左右対称、六本の脚と四枚の羽を持つ、卵を産むことなどかな。  外骨格と呼吸の構造からあまり大きくはなれないが、とにかく構造が多様で使いこなす化学物質の種類も多い。数も種類も、地球全体で全部集めた重さもすごく多い。  特に重要なのがアリとシロアリ。赤道近くでは生態系の中心となる。生殖の仕方が独特で、女王と呼ばれる一匹の雌が大量の卵を産む。その卵からかえる雌は、餌の種類によって少数の女王候補と働き蟻と呼ばれる生殖機能を持たないものに分かれ、働き蟻は生殖には関わらずひたすら地面を掘り、餌を集めるなどする。雄は何もせず、女王候補が別の巣を見つけるために旅立つときだけ従って交尾し、すぐ死ぬ。  その住みかはそれら昆虫の大きさから見れば実に巨大で、下は地下水層に達して水を集め、全体が熱や水分や空気を見事に動かす構造になっている。シロアリは体内の微生物によって木や葉を分解し、そしてアリの一部は植物を地面を掘った巣に持ち帰って下記の土壌微生物の一種を大量に繁殖させ、大量の餌を安定して得ることができる。そして互いに色々な化学物質などで情報をやり取りし……やってることは人間以上と言っていいよ。  アリに似た社会性昆虫で、空を飛んで植物の花が出す花粉や、花が出す蜜を集めるミツバチと呼ばれるものもいる。植物にとってはその蜂の働きはけっこう重要なんだ、虫は移動して別の花に体についた花粉を運ぶことを通じて、水や風以上に遠くの仲間と遺伝子を交換する手段になり、より大きな多様性を得られる。だから栄養を集めた蜜を与え、様々な化学物質を出し、花を色々な色にして昆虫を呼び寄せることをしている。  昆虫と花をつける植物をあわせたシステムの多様性は本当に素晴らしいよ。  他にも色々な小さい動物がいる。昆虫に似ているけど羽がなくて足が八本、さまざまな「糸」を使うことが得意な蜘蛛という他の動物を食べる小動物群も重要だ。体から、空気に触れると硬くなるタンパク質を出し、それが非常に細長く、弾力性が高い棒になる。それが何本も絡むと非常に柔軟で丈夫になる。  人間は地球に住む小さい生物たちについて、あまりにわずかしか知らない。 **脊椎動物  そして大きい動物は、我々人間も含めて脊椎動物というグループに入る。  魚も脊椎動物の仲間だ。共通の特徴はまず進行方向は前後軸とはっきりしていて左右対称、上下非対称であること。そして内骨格、表面ではなく内部に頑丈な、カルシウム化合物やタンパク質、細胞でできた繊維をうまくつないだ棒や板になることが多い構造を持ち、それによって自分の重さを支えることができる。水中陸上問わず大型化に適した構造だ。  基本的に酸素を呼吸する。体内には血液という、水に色々な化合物が溶け、無数の特別な機能を果たす体内で単細胞生物のように振る舞う他とは切り離された細胞などとともに循環する液が流れている。酸素を運ぶそれが鉄の特殊な化合物を含んでいて赤い。脊椎動物にはサイズが大きいのが多く、外の酸素や水と簡単にふれあえない細胞が多い……そのままでは死ぬ。酸素や水を血液が運び、二酸化炭素やアンモニアなどを流し去ることで体の深いところにある細胞も生きている。血の赤い色を作っている鉄の特殊な化合物は、水に溶けられる酸素よりも多くの酸素を運ぶのが主な機能だ。他の色々な生物が、色々な血液を持っている……鉄ではなく銅を使うのもいるし、植物にも体液が流れている。  脊椎動物もまず子供の産み方などでいくつかに分かれる。ああ、人間は人間を基準に生物を分類する……多分それは、本当にいい分類法じゃない。DNAも知らなかった人間が作った分類法なんだ。だがとりあえず人間のやり方しかないか……ここで新しく生物分類法を作りだす力は私にはない。  陸上の脊椎動物は昆虫や陸生貝類に比べ大型化できる。そして脳も大型化しやすい。  陸上という環境がやや特殊だ。空気は水に比べて密度が非常に低いので、浮力・移動抵抗ともに、特に大きくなるとほぼ無視できる。そうなると重力が直接かかってしまい、自分の構造を支えるのに強い構造が必要になる。また移動するのも大変だ、水中生物や超小型生物のように周囲の流体をちょっと押せば動けるわけじゃない、強い棒で自分の体を支え、またその棒で地面を押して、その反動で体自体を動かす。しかも常に重力に対して自分の体を正しい方向にしていなければならない。またその移動法には地球自体と引き合う重力、地面と足先がずれない摩擦力などの前提が必要になる。  体表が濡れており、卵を水中に産むので水に近い所でしか暮らせないのが両生類。卵というのは植物の種と同じで、受精卵が分裂し、まだ自力で動けない状態だ。  そして爬虫類という、体表が鱗で覆われており、卵も骨に似た頑丈な殻に覆われているからかなり水から離れても暮らせる動物がいる。けっこう妙な形が多く、柔軟な棒だけで他の多くの動物にある手足がないヘビ、逆に胴体を外骨格のように骨などで覆っているカメなどいろいろいる。  ああ、どこにでも例外はいる。魚にも爬虫類にも、体内で卵から小さい子供にまでして動ける子供を出すのもいる。  あと空中を飛ぶ鳥類もいる。ああ、脊椎動物はほぼ共通に、脚が四本あるんだが、そのうちの二本を空中移動のために使っている。海と違い、大気は密度が低い……あらゆる生物の素材より密度が低いから、そのままでは重力で地面に押しつけられる。だから流体の力学を巧みに生かす……上と下で対称でない、うまい形をした板を前方に動かすと、流速の違いから上向きの力が生まれる。二本の腕をその板のようにして、それを動かして飛んでいる。  昆虫の多くも空を飛ぶけれど、昆虫のサイズだとかなり飛ぶのは楽だ。二乗三乗則……この宇宙は空間三次元だから、サイズを小さくすると少ない力で体を持ち上げることができる。また水も空気も、サイズが小さくなると粘性が強まり、それも飛ぶ助けになる。鳥のサイズで飛ぶのはかなり大変だ。だからいろいろと構造上うまくできている。  でも空を飛べるというのは非常に便利だ、敵に追われて逃げるのも食べものを見つけて襲うのも。ああ、あと子供は爬虫類と同じ固い殻の卵を産み、表面は羽毛という特殊なタンパク質が非常に細くなったのを平たく分岐させ集めたもので覆われることが多く、またほかの動物と違い周囲の気温がどうなっても体温があまり変わらない……大量のエネルギーを常に使って温度を一定に保っている。エネルギーの無駄は多いが、周囲が寒くてもすぐ動けるのは有利だ。  人間が含まれるのが哺乳類。鳥同様体温はほぼ一定。基本的に前後方向にやや長い、いろいろゆがんだ円筒形に近い胴体の前方に頭部、胴体前端の下方向に二本の前足、胴体後端の下方向に同じく二本の太目の後足、胴体後端上部に長く関節の多い尾を持っている。  子供を産む方法は二種類ある。オーストラリア大陸などに少しいるだけなのが、腹に袋……中に物を入れられる、ある固まりの表面だけの構造……を持って、体内で最低限手足が動くなど最低限生きられる程度の小さい子をその袋の中で育てる。そうそう、オーストラリア大陸では体内で子供を育てるシステムの哺乳類が少なかったからか、袋を作るタイプの哺乳類がたくさんいて、それがまたいろいろな形、それも体内で子供を育てるタイプに似たのがいる決まった形に進化するんだ。同じ環境だと同じ形が最適になり、同じような機能を持つ生物が、食い食われの結果協力して生態系を保つようになるんだろうな。さらに飛べない鳥とかでも似たようなことが起きる。  より広い世界で生きているのが、雌……脊椎動物のほとんどは生殖が非対称で、一方が生殖細胞のほとんどを提供、もう一方の雄はほとんどDNAの半分しか提供しない、そして雌のほうが卵に栄養を大量に提供し、卵を外に出せるまで体内で保護し、殻やその内部の暫く生きるために必要な予備栄養まで与えると圧倒的に負担が大きい側……の体内に特別な器官を作り、そこで卵に酸素や栄養をうまく与えて、完全に外界で生きられるようになるまで育ててやっと出すシステムだ。  これは生物全体の生殖戦略としては、かなり極端な少産少死だ。あらゆる生き物があらゆる生き物を食べるし、外界の環境もけっこう変わるときは変わる……この地球は、宇宙から見れば安楽だけど、狭い見方で見れば非常に苛酷な場だ。多くの生物は寿命よりずっと短い時間で死ぬ。だから生物の多く、特に小型なのはものすごくたくさんの子を生み、そのほとんどが産まれてすぐ食われるけれど少しでも生き残ったのが成長して繁殖すればいい、というやり方で生きている。でも大きくなればなるほど強くなりそう簡単には食われない。大きい動物は少ない子を産み、その子に餌を与えたり保温したりして世話をすることさえある。  そう、哺乳類の雌は一般に、産んでからも体内で流れている色々混ざった水をうまく調整し、わざわざ小さい子供の食料として与え、かなり大きくなるまで食料が足りている状態にする……それを乳という。  哺乳類の表面は繊維状の細胞やタンパク質で、かなり丈夫な皮膚と呼ばれる器官を作っており、その皮膚には特殊な細胞とその死んだのなどからできた毛と呼ばれるより丈夫な、非常に細長く弾力性に富む棒がたくさん生えている種が多い。それは毛の間に空気をためて対流が起きないようにして熱伝導をしにくくしたり、外からの打撃などを弱めたりけっこう便利だ。  パターンから言えば、ここ最近あとで言うように人類のせいでまた多くの生物が絶滅しているから、それが終わってからまた別のやり方で生殖する脊椎動物が出てきてもおかしくないんだが……どうも哺乳類のその次は想像できないな。知性・大型・戦闘力などを見るのは人間の見方であって、生物にとっては適応あるのみだ。 **土  より小さい動物も、人間の目には見えにくいが非常に重要だ。線虫をはじめきわめて多様な小さい生物が大型動物の体内、土などいたるところにある。  土という言葉自体解説が必要だろう。地球の、人間が住んでいるような地域の多くでは、地面のあまり深くない部分は独特の土と呼ばれる素材でできている。  人間のサイズと感覚器から見ると砂と違い、手にとって傾けても流れ落ちない。粒どうしがかなり互いに粘着する。完全に乾燥すると石のように固くもろくなり、大量の水を入れて混ぜると非常に粘性が高い液体のような泥にもなる。土自体、色も形も非常に多様だ。その粘着する性質自体は、造岩鉱物の一部が水や風などによって非常に細かい粒に砕かれたことによる、本質的に鉱物自体の性質であることも多い。  ただ、土には造岩鉱物だけでなく、非常に小さい生物や生物の遺体など、生物の体を構成する分子やそれが分解されたものもたくさん含まれている。それと造岩鉱物の性質が合わさって、土の独特の性質ができるわけだ。  生物が落とすのは死体だけじゃない。微生物から大型動物まで、生物が他の生物を食べたときには、完全に何も残さず吸収し尽くせるわけじゃない。どんな生物も、体のなかに実に多様な物質を作っている。特に多細胞生物となれば植物の細胞壁、動物の内骨格や外骨格、羽毛や毛など非常に固い部分も多く、それらは簡単には分解して自分の材料にすることができない。大型動物の場合一般に体内には食べたものを処理するための管……海の動物には穴が一つの袋であるものも多い……があり、食べるものを入れて内部で消化吸収して余りを出す。  消化管には多くの、単細胞も多細胞も含め非常に小さい生物が常に住んでいて、それは時に宿主の体を攻撃し、大抵は食べたものの分解や吸収を助けている。たとえば昆虫の一種、シロアリは木を食うけれど、自分で木のセルロースなどを分解するのではなく消化管内の微生物に消化させている。草や葉を食べる大きい動物も大抵そうだ。そしてその膨大な小さい生物も分解しきれなかった物と一緒に排出される……糞と呼ばれる。  特に植物由来のセルロースなどを分解するのに、さまざまな微生物も非常に重要になってくる。単細胞の微生物もたくさんいるし、多細胞ですごく小さいのも実に色々いる。  また一つの方向に細胞がつながって時に分岐してちょうど植物の根のように一定の範囲の土や木にはりめぐらされ、細胞表面から周囲の栄養を吸収し、その栄養を目で見える大きさの塊に集中して、そこからごく小さい繁殖用の塊を撒くのもいる。昔は植物とひとくくりにされてきたが、動物とも植物ともまったく違う生物だ。かなり単純な構造で、運動することもないし自分で光合成をすることもない。ただし、その中には内部に微細な藻類を共生させるグループもあり、それは単純な植物に似ている。  普段は単細胞生物として生活しているが場合によって集まって、不定形の多細胞生物のように動いて、固く環境の変化に強い繁殖のための小さい細胞もしくはその塊を撒くものもいる。  特徴だけでは動物とも植物とも言えないのもたくさんいる。  本来ならもっとちゃんと、遺伝子構造からあらゆる生物を分類して、そういうのや別の小さい生物についても動物や植物と同じように詳しく説明したいところだけど、それらについては私はあまりに知らないし、人類そのものもそれほどくわしく知ってるわけじゃないんだ。許し難い無関心だよ。  また、単純に体の細胞が活動するだけでも、二酸化炭素やタンパク質の窒素が単純な形になったアンモニアやそれをより安全にした尿素という化合物、余計な水や塩化ナトリウムなどいろいろな物質を外に出さなければならない。  また生物の一つ一つの細胞も、生物個体全体も生きているだけで実に色々なものを常に外界から吸収し、外界へ排出している。自分の毛や羽毛など、死んだ細胞を体外に捨てることも多いし、粘液と呼ばれる様々な物質が混じった液などを体外に出す生物も多く、その排出されたものを食べ物とする生物もとても多い。  さて、そういう生物から出る色々な物や生物の死体……量としては植物が多く、特にそのセルロースとリグニンが分解しにくい……が、常に土に落ちる。そうすると土の中に常に住んでいる、膨大な小さい生き物がそれを食べる。そして食べては糞や色々な物質を出す。それが集まって土ができているんだ。  その小さい生物には、空気中の窒素分子を利用できる器用な生物もいて、それが最終的に生物たちの中に窒素を取り込んでいる。海にも空気中の窒素分子を使って他の生物が使いやすい分子にする微生物がいる。  さらに土の微生物は様々な化学物質を出し、土を作っている大小の岩石、造岩鉱物をゆっくりとだけど分解することさえできる。  植物の根も、そういう小さい生物と色々な物質のやり取りをしている。根を食うのも多くいるし、それを殺す物質を根が出すこともあるし、その殺すための物質をえさにする生物もいる、さらに小さい生物を根に棲まわせ、それが空気中の窒素分子や土の中の砂を分解して作った使いやすい分子を吸収したり、細かいところにある水を吸うのを助けてもらったりもする。  植物が生活するには土に適度に水と空気が含まれているのが望ましいとされる。 **生態系の元素・エネルギー循環  陸上では土の小さい生物から木や草やその他植物、昆虫や大きい動物……といろいろな生物が生きている。大量の多種多様な生物の集まりが生き続けるには安定した成分の大気とちょうどいい温度は当然として、水と秩序の段階が高いエネルギー、水素・炭素・酸素、窒素、燐や硫黄その他元素が必要だ。元素とエネルギーはなくならない、全体は無秩序に向かう、という自然界の基本法則を忘れないように。  水は陸上では雨か地下水を利用する。そのまま利用できないほど深い地下水を植物の根が吸いあげてくれたのに頼るものも多い。  高い秩序を持つエネルギーは最終的には、日光を用いた植物の光合成に由来する。  水素・炭素・酸素は、水や空気中の酸素分子・二酸化炭素分子から得られる。より単純な、言い換えれば秩序が低い水や二酸化炭素分子をより複雑で秩序が高い糖や脂肪などに変えるために日光の非常に高い秩序のエネルギーを使っているんだ。  窒素を直接空気から得るのは多くの、特に大型の生物は自分ではできない。主に土壌内の微生物がやっているが、窒素が不足して生物が少なくなることも多い。  燐や硫黄その他諸元素は、基本的にはその場にあるのを使い続けるしかない。土壌の燐を使って植物が育ち、その植物を動物が食べて燐を吸収し、より大きい動物がその動物を食べ……最後に死んで土の微生物が分解し、それでできた単純な燐化合物を植物の根が吸収、というふうに何度も繰り返し使われる。炭素や窒素も食べられたり分解されたりと色々な生物の間を流れ、時には大気や海に帰る。  水が流れていると、そういうのが水と一緒に流れ去ることも多い。でも雨といっしょに硫黄や窒素の化合物が落ちてくることも多い……火山の噴火で地球自体から出たり、また生物の非常に細かいのが空気中に出たり、海から出たりするのもある。いつも海の表面は風のせいで揺れており、海水が細かい粒となって空気中に飛んで水分が気化して大気に混じり、海水の成分が非常に細かくなって大気に混じることがよくある。  また土壌微生物は大地の造岩鉱物自体も分解し、さまざまな元素を生物の中に入れることができる。  海と陸も色々な物質のやり取りを、主に川の多くや地下水が最終的に海に流れこむことでやっている。生物の世界から見ても実に多くの、海と陸のやり取りがある。  それだけでなく、生態系からは失われ、地球内部にとどまる生物関連元素もかなりの量に及ぶ。  海底に沈む微生物の死体の珪素やカルシウムなどの化合物が海底で押し固められ、地上の岩石になっているものも相当多い。その炭素などが地下の高温高圧によって変化してメタンなどのガスやより複雑な炭化水素原子になり、それが岩盤に閉じ込められた天然ガス・石油もある。  また古代の地球では膨大な樹木が枯れて腐らないまま地下深くに埋まり、そこでほぼ純粋な炭素の塊になった。それを石炭といい、かなり大量にある。  以上のことで分かるように、あらゆる生物は他の多様な生物の存在自体に依存している。例外があるとすれば植物や海の光合成微生物、地球そのものから出る水素や硫黄に依存している微生物だが……生物は長いこと微生物だけでやっていっていたし……  少なくとも大型の生物は植物や光合成微生物がなければ呼吸する酸素もなく、日光のエネルギーを使って大量に原子のつながりを組み替えられた食物も得られない。  また植物を食べる動物は、自分を襲って殺して食べる動物や自分たちを内部から食い尽くす微生物や寄生生物がいなければすぐに増えすぎて、自分たちの食物を食べ尽くして自滅するだろう。  大型の動物は互いに縄張りを争って一定範囲あたりの数を調節し、多すぎるのが餓死することで数を調整する。また自分たちも病気や寄生生物で死ぬことで、獲物を食べ尽くして自滅するのを防ぐ。無論意識してではなく、そうなるだけのことだ。  そしてどの生物も糞を出し、死んで死体になる。それを分解する微生物などがいなければ、植物が新しく固定する炭素化合物だけでは土が足りなくなる。植物や微生物は、別の微生物などが糞や死体を分解して使いやすい化合物に戻してくれないとすぐそれらが不足する。また大気中の窒素分子を使いやすくしてくれる微生物も重要だ。というか植物の細胞自体に空中窒素固定能力があるとか、光合成用の細胞内共生微生物同様にみんな空中窒素固定微生物と細胞内で共生しているとかしていれば話は早かった。  ついでに動物だって自力でセルロースやリグニンを分解できたりしたら楽だったんだが、ある程度以上大きい動物には分子レベルでできないことがあまりにたくさんある。 *人類の誕生、サル  さて、哺乳類が繁栄し、地球が寒くなったり暖かくなったりを繰り返していたある時期、アフリカ大陸中央部の赤道直下で雨が多い地域で高い木ばかりの地域から、その近くに広がった草が多いが木もある程度あり、雨が降る時期と降らない時期がはっきり分かれており、一年中まず水が固体になるほど気温が低くならない地域にかけて、あるサルの一種が進化した。  それがずっと前に、森で長い時間をかけて進化してきたことは確かだ。ただしある程度草原にも適応している。ただし単純に、自分の体の成分や形を変えて草原に適応するより、むしろその特殊な生活方法に順応したといったほうがいいだろう。  これだけだと意味不明だろう? とにかくまず、その人類という動物の体を詳しく描いていこう。ちなみにこの私はそれ、人類の一個体だ。  まずサルという、哺乳類の一部について少し解説しよう。木の上で暮らす事が多い動物だ。その多くは色々なものを食べ、木の上で暮らすために複雑な運動ができる。手や足、尾で木をつかむことができる。鳥類の三次元行動が非常に有利なのは前に言ったが、森の中である程度三次元に動けるだけでも非常に有利だ。  つかむ、ということがどういうことか……それを説明するとなるととことん難しいな。  平面においてある円形を円周に触れる三点で囲む。その三角形の三つの角がすべて直角より小さければ、「その円を平行移動させて三角形のどの点も円周内に入らないようにしつつ、円を三角形の外に出す」ことができない。  三次元においては、四面体で球を囲み「つかむ」ことができることもわかるだろう。  サルや人間を説明するにはそれがけっこう重要なんだ。枝という棒状の物を、サルの類は手や足でつかむことができる。手や足は前も言った腕脚、陸上動物が体を支え、移動するのに使う棒状の身体器官の変型した末端部だ。脊椎動物の場合、複数の関節を持つ、一本の手足につき大体五本の指がある。その指は一方向だけに曲がることができ、その指が十分長いサルなどは支持する広い部分と指先が、断面を見ると多数の点で棒を囲んで圧力を加え、棒が外に出られなくすることができる。それによって体を棒からぶら下げて支持することができる。  その能力と発達した感覚器、知能によって様々な種類のサルが地球全体、特に森がある所に広く分布している。 *人体生理 **形状、四肢  では人類についてまず全体、そして下から順に解説しようか。哺乳類の一般論をやってから人類がそれから外れている点について話したほうがいいかもしれないんだが、私はあいにく人類に生まれたせいで人類について一番学んできたから、それがどう哺乳類の標準から外れているかを語るとするか。犬生理学や豚解剖学に十分詳しければ、それを解説しつつその妙な変形として人体生理学を紹介することもでき、たぶんそっちのほうがいいんだが。  今ここにある私の体を、細胞の分子レベルから全体までよく調べてみれば、それがとんでもなく複雑でよくできていることがわかるはずだ。機械とみなしてちゃんとリバースエンジニアリングできたら、あまりの複雑さと精妙さ、いい加減さに驚嘆するだろうな。そうそう、人類ももちろん含めて今まで言った大きい生物全部は、細かく見ると非常に小さな細胞……最初に言った、ほぼ閉じた油膜に入ったタンパク質とDNAなどの塊がたくさん集まってできている。  ごらんの通り、人類の個体はほぼ左右対称の形をしている。非常に大きく見ると、下半分が二股になった垂直な太い棒だ。上から丸い頭部、それに胴体という上下にやや長い塊がつき、その塊の上、頭部とつながるやや細い首に近いところから左右対称に二本腕という長い棒が出ている。また胴体の下端から脚という棒も胴体に平行な方向に二本出ている。  前後は非対称で、前方には多く穴の類が見られる。胴体下端にも複数の穴があり、そこの構成が異なる二種類の存在がいる……多少例外はあるが。同じ両親の子供が二つのグループ、男女にはっきり分かれるんだ、不思議なことに。  一般的な哺乳動物は、地面と平行な太い棒で、その棒を上から見て長方形と見るとその長方形の各頂点から下に棒のようなものがつながっている、あと棒の前後に少し小さい出っ張りがある、とというのが基本形態だ。前後・上下に非対称で左右対称。前から動く頭部、細めの前脚が二本、太い胴体の後ろ端から比較的太い後脚、そして胴体上後端から尾が延びている。  それぞれの機能などを下から順に説明していこう。  一番下は足。多くのサルは足も物をつかむことに用いるが、人間の場合は非常に特異な体質をしている……二足歩行だ。哺乳類・爬虫類・両生類問わず大半の大型陸上脊椎動物は四本の脚全てを使って歩行する。だから四足歩行や泳ぐ動物なら前後方向と一致する体の中心軸が人間の場合上下になり、それと直交する、腹背方向が人間にとっての前後になってしまうわけだ。  鳥類は地上を歩行するときは二本脚で飛ぶことをやめて大型化した鳥は完全二足歩行、もう絶滅した鳥類に近い大型動物群にも二本脚はあったようだからそこまで珍しいわけじゃないが。生物はある程度似た形・機能に進化することもあるから分類はまぎらわしい。まあ生物に使える分子は限られているから、その分子と地球の環境で最も合理的な形自体も限られるんだろうな。  でもやはり地上を歩くときには、普通なら脚が多いほど安定する。考えてもみろ、二本脚だと移動するのに必ず一方の脚を地面から離して空中に持ち上げなければならない。その間は一本脚だ! 不安定にも程がある。それだけでなく、移動時の多くで両腕が完全に無駄な重量で、その細胞は無駄に水や酸素やエネルギーその他を消費するんだ。動物の目的なんて要するに移動して食べ、交接して繁殖することなんだ……そのほとんどで両腕は無駄だ。他の、ずっと昔いたものやオーストラリアにいる有袋類など二足歩行を選んだ動物は腕を小さくしたが、人類は例外だ。  脚が三本接地していて三角形を作り、重心がその上にあれば安定することは分かると思う。だから本当は最小で六本脚が安定するんだ。四本脚でも少なすぎる、二本脚はもうどうしようもないと言ってもいい。  だが二本脚で直立したおかげで、本当の大きさの割に高い動物になった。動物は大体大きいものほど強いから、多くの動物が人類の強さを間違えてくれる。また、高い所に目があるとより遠くを見ることができるし、高い木の実や葉も取れる。反面、四足歩行動物のように、自分が次に踏み出す地面やそれに近い化学物質を分析しながら歩くことができない。  さて、足が地面に接するところは、手が変型してかなり前後に長い構造を取っている。指はやや短いが、いちばん内側の指が非常に太く強くなっており、地面を強くけり出す力を与えている。地面に接する足は、四つに分散できず二つだけで全体重を受けなければならない。だから多数の小さな骨がうまくつながってアーチ……横から見て曲線になっている。そうすると、上からの力が一つの骨に集中せず多数の骨に分散し、しかも形を保つように働く。アーチという構造は実に便利で、人間の建造物でもよく使われる。  他にも自然は「使いやすい形」を色々な形で反復する。それは非常に小さい物から銀河のようにとてつもなく大きい物までいろいろある。たとえば銀河の多くは巨大な渦……多数の螺旋が中心の一点から出た形を作っているし、その渦は海や大気のような大量の流体が動くときも、そのごく小さい部分にもよく出てくる。渦の形を部分に持つ生物も多く、その多くに5の平方根に関係する数が見られる。他にも我々の宇宙がしばしば見せる形や数式、定数は実に多く、その数学的な美しさは驚くほどだ。他にも単純な分岐の繰り返しなどでできた形は、ごく小さい一部が全体に相似しているような、特殊な複雑さをそなえることがある。  それら、幾何学が宇宙や生物、人間社会にまでもたらす影響はとても大きい。  人間の足の構造は極端に長くも短くもない。てこはわかるか? 棒を通じて力を伝える、特に棒を一端を固定して回転させる場合、力を加えるところと固定した所の距離・その力で何かを押す所と固定した所の距離の比で、同じ力を加えても伝えられる力が違う……数学や論理に優れた種族にとっては自明だと思う。まあその梃子で、棒が長いと力は弱まるが、早く動く。棒が短いとその逆だ。関節間の棒を伸ばすことは苦手なのか、陸上大型動物は速く走りたければ関節を増やす。かなり多くの陸上動物が、人間の足や手に当たる部分の骨を長く伸ばし、種類によっては長く伸びた指一本の先で接地して走ることさえある。  さてと、足は関節……二本の棒の端をつなぎ、離れないようにしつつ角度を変えて動けるようにする機構……でやや長い二本の並行する骨につながり、それが膝という別の関節につながり、膝からまた非常に太い骨で胴体につながる。  特に脚全体が胴体につながる関節は見事な構造で、脚上部の太い骨……大腿骨から出ている半球形の部品がしっかりと球形のくぼみにはまりこみ、だから本来は前後左右ものすごく自由に動く。  ああ、脚は……人間の体はどこも、まず骨と骨が関節を作るときにその関節周辺にいろいろな組織がある。柔らかめの骨に似た構造、非常に丈夫な繊維、それどころか固体どうしが触れ合うと摩擦が発生するのでそれを防ぐための液体まである。  そして筋肉という、骨と骨をつなぐ細長い細胞の塊があり、それが伸縮することによって関節が動ける方向に体が変型する……運動する。  その運動は、別の神経という化学的に電気情報を伝える細胞の、電気信号によって動く。また運動は大量のエネルギーを使う……短い時間なら細胞内のATPや糖でも動くが、すぐに限界が来る。そのためにたくさんの、前に言った血液を運ぶ肉の管があり、酸素や糖分を補充して副産物の二酸化炭素などを運び去ることもする。血管と神経は全身の、生きている細胞でできているところにはほとんど至る所に、ごく細く分岐して通っている。  そして脂肪も重要だ。人間を始め多くの生物の細胞の表面が脂肪でできているだけでなく、内部にも多くの脂肪などをためこむことができる。人間などの脊椎動物は特に脂肪をためこむことが得意で、それ専門に分化した細胞の組織さえある。その脂肪は食物が足りていないとき以外は無駄な重さでもあるが、外の温度変化や衝撃などから内部を守る働きもしている。その脂肪は簡単に増減するので、同一個体でも食事によってかなり外見が変わることもある。他にもさまざまな役割を果たしている。  そして表面を皮膚という器官が覆っている。やや薄く、多くの繊維細胞で強化されており、内部には外の圧力、温度変化などを感じる多数の感覚器、毛を出す、表面を守る油脂を出す、これは人類以外少数しか持たない能力だが体が熱くなりすぎたときに水が気化するときに膨大な熱を奪うことを利用して冷やすため体液の一部を出すなど多くの小さい器官がある。本来なら外側を毛で守るのが哺乳類では普通だが、人類はそうしておらず、一部を除いて毛が極度に細く短くなっている。  他の哺乳類のかなり多くは、その全身を覆う毛にいろいろな色があり、それで模様を作って個体を識別させることができるが、人類にはそれができないんだ。また毛を用いた感情表現もできなくなる。  いちばんの表面は死んだ細胞でできており、さらにそこには多数の細菌が常にいて他の細菌などから内部を守っている。人間は多数の細菌との共生体でもある。  ここで生物の体がいかにうまくできているか少し触れようか……普通の生物は、表面が少し傷ついたぐらいでは死なない。傷が大きいと血液を失うなどして死ぬが、小さければその傷の周囲の細胞分裂を早め、傷を覆ってまるで傷がなかったようにすることができる。  それだけでなく、人間の皮膚は繰り返し激しく摩擦されるなど傷ついた場合、それが十分な間隔があれば一時痛んだ皮膚が回復したとき、皮膚が厚くなってより強くなることもある。また筋肉も、無理な強度の運動をしてから休息すると、傷ついた部分が運動する前よりも強くなることがある。体のすべてが、状況に適応するために成長するのだ……  人類は地球全体にたくさんいるにもかかわらず、遺伝子がほとんど変わらない。一度巨大な火山の噴火でごくわずかに減ったからだろうといわれている。  だが、遺伝子の違いは小さいけれど、外見に遺伝する違いがある群れに分かれる。どの個体も交配可能だ。主に皮膚の色、強い日光から内部を保護するための色素によって区別できる。大体皮膚・体毛とも黒く体毛が曲がっている、体毛がまっすぐで黒く皮膚は中間の黄色、体毛が細く色も薄く皮膚に色素が少なく白の三種類に分けられている。ただし皮膚の色は濃いけどDNAを分析したら白いのと同じだった、というのもある。ちなみにオーストラリアあたりの人々は皮膚の色が濃いが、アフリカの皮膚が黒い人々とは遺伝子的な来歴がかなり違う。  外見の違いの割に体の機能にはほとんど違いがない。体の機能に遺伝的な違いがあるといえば、後述する牛乳を消化できるかとか血液が変で病気になることもあるけどある伝染病にかかりにくいとかはあるか。  そういう構造で移動していて、また大気と、大抵の陸地表面の構造からいって、人類は上にも下にもほとんど移動できない。上に行けば重力で地面に戻され、手や足で空気を蹴ったり下に息を吹いたりしても空気の密度が低すぎて重力に勝てない。地面を掘って下に行くには、特に道具を使わなければ人間のサイズと手足の構造では地下にもぐるような穴を掘るのはかなり大変だ。また呼吸器などについての説明とも関係するが、水中で生活することもできないが、短時間なら手足を使って表面近くを泳ぐことはできる。  だから人間の生活圏は、ある程度二次元で近似される。 **生殖器、骨格続き  さて、胴体の一番下には、他の多くの陸上脊椎動物は後ろ側にもう一本、尾という、内部の骨が多数の短い棒がつながってできていていて曲がることも含め自由に動く棒があるが、人間の場合例外的にそれが非常に小さくなって、骨格にわずかに残るぐらいになっている。  また胴体の一番下には、いくつか穴がある。これは雌雄……個体が生殖に於いてどちらの役割を果たすかでかなり違う。ちなみにたまに奇形がある。性はグラデーションだとか色々人間は言うが、正常に生殖できない個体は遺伝子的には自然に消える奇形だ。胴体下端は、後ろから順に食物の消化管の末端で糞を排出する肛門が雌雄……男女共通。  それから雌は生殖時に雄の生殖細胞を注入され、また子供を出すのに用いる膣、体内の水分や塩分や窒素分などを処理して排出する尿道口が肉襞と、人間の体の多くでは極度に細く目立たなくなっているが例外的に残っている体毛に守られている。  雄は生殖細胞などを作る睾丸という臓器が露出している。冷やすためとも言われているが、非常に大きいリスク要因だ。四足歩行なら胴体全体に守られているからまだ安全なんだが、人間の場合は前下に放り出している……無謀と言っていいぐらい危険なことだ、ここはごく弱い衝撃でも激しい苦痛で行動不能、最悪死に至る。その上に、脊椎動物としては比較的大きい筒状になった棒が出ている。筒としては、恐ろしいことに尿の排出口と生殖細胞を出す生殖器を兼ねている。感染などを考えれば無茶だと思うけど、なぜか大型脊椎動物の多くはそうなっている。その棒を雌の膣に入れて生殖細胞を多く含む液を放出すると、それが雌内部の器官に入って雌の生殖細胞と接して受精卵ができるわけだ。はっきり言って同時に病原微生物も厳重に保護して交換してるとしか言いようがない、アホか設計者出てこいと叫びたくなる。でもなぜかそのシステムが進化で生き残っている。多分病原微生物の交換より生殖細胞が保護されることの方が大事だったのだろう……表皮上に生殖器官を作るよりはましかもしれないし……頑丈な膜で覆って固めた生殖細胞の塊を吐き戻した消化液で滅菌してから受け渡す、なんてことはできないか……  流れだと尿や女性生殖器官だろうが、とりあえず骨格と外見の説明を済ませる。  体幹の背中側中央に、かなり太く多数の短い管状の骨がつながった棒、脊椎があり、その一番下は前に言った尾の名残につながっているが、その下の方は大きな骨の板をなしていて、それが体内の内臓の重さを受けとめ、また前に言った大腿骨との関節を作って脊椎とつなげている。  胴体自体はそのまま上に伸びる。目立つのは前側中央やや下にある妙な部分だ。それは哺乳類特有のものでへそと呼ばれる。それはあとで説明するよ。あと胴体前方上部の形が、雌の平均と男性の平均でやや違い、雌の場合大量の脂肪を集めたふくらみが一対ある。雌雄ともその先端に周囲と色などが違う器官があるが、機能しているのは雌だけだ。  それから上は、並行に脊椎から伸びて曲がり、上のほうのは前で融合している肋骨という多数の骨に守られている。明らかに胴体背部のほうが肋骨などが多く、守りが堅い。本来四足歩行の哺乳類は背中を外に向けており、胴体前面は普段は大地でがっちり守り、決して外に出してはいけない弱点に他ならない。というか四足歩行動物にとって、腹は胴体下面だろう。まあ人間は背中の肋骨も下のほうが弱く、折れたらすぐ内臓に刺さるようにできている。欠陥品もいいところだ。  胴体のいちばん上の背中側に肩胛骨という骨の板、また前方には鎖骨という横棒があって、その肩胛骨と鎖骨がつながった所に前の大腿骨同様半球を受ける自由度の高い関節があり、腕というもう一対の棒につながっている。腕・肩胛骨・鎖骨は直接脊椎とつながってはいないのが興味深いな。  腕もまず肩、そして肘という単純な関節と骨の棒でつながり、それから多数の骨が集まった手に達する。手には足に似た指があるが、その指は五本ともかなり長い。そしていちばん内側の親指が特徴的で、やや短く関節が一つ(他四本は二つ)、他の四本の指と向かい合わせることができる。これは上記の「つかむ」作業に実に適している。手の指がつながっている多数の骨などでできたある程度動く手のひらと呼ばれる板状の部分、親指、他の指のうちの二本があれば摩擦のない球をつかむことさえできる。また手や指には実に多くの神経と筋肉があり、非常に細かい作業をこなすことができる。  あとこれは足にもだが、指先のある側は死んだ細胞でできた固い板でおおわれており、かなり力の入る作業でもこなせる。その爪という板は動物の種類によって色々な役割をする……走ることが多い四足歩行動物はそれに地面との接触を任せ、ほかの動物を食べる肉食動物はその爪が鋭く尖って獲物を破壊することができる、など。  手の指は一方向に曲げることができ、うまく最大限に曲げれば手先が塊状になる。その拳を前に突き出せば衝撃を与えることができ、それが人間の最も標準的な「武器」だと普通思われている。だがあまりに多くの小さい骨の集合体であり、それほど頑丈でもないし威力も乏しい。同じ人の頭部を殴れば骨折の危険があるほどだ。人間は本来道具を持たずに他の生物を殺すようにはできていない……おそらく、後で詳しく言う集団内での儀礼的闘争のために進化したのだろう。あと、本来の用途は人間に近いが二足歩行は苦手な大型サルが、拳を地面について四足歩行をすることがあるから、そっちが主かな。  人間が他の生物を殺すには、二足直立によって高いところに多くの質量があり、それがエネルギーになるから、飛びかって相手を押し倒してそのまま頭や肘を体重を乗せてぶつけるのが適しているはずだ。  そして脊椎は胴体から出て、丸い頭部につながっている。頭部は頑丈な骨の板がいくつも組み合わさって殻状になり、中に大きな脳という器官を入れて守っている。頭部上部の外側の皮膚にしっかりした体毛が生える。  実を言うと、人間の二足歩行というのはものすごく無茶だ。大型哺乳動物の基本設計は四足歩行で、背骨や肋骨を始めあらゆる骨がそれに適応している。それを無理に立たせたんだ……それこそ橋を垂直に引っ張り立たせてビルにして住むぐらい無茶だ。なんとか立っていられるのが奇跡のようなものだ。どれだけそのせいで起きる欠陥があるか……たとえば個体が長く生存し、筋肉や骨などが弱ったらいつも足や腰に痛みがある。他にもおいおい言うが、もし聞いているのが神なら欠陥品の苦情、できれば製造物責任法による告訴をしたいところだ。 **生殖  さて、まず生殖について説明するか。生殖細胞の交換については話した……人間については精神的・魔術的・社会的などいろいろな面もあるけど、それはややこしくなるから後回し。生殖の多くは、脊椎動物の常として雌と呼ばれる半分の個体が行う。その雌雄は受精時に遺伝子で決まるが、脳や生殖器官形成の上での雌雄が成長時に狂うこともたまにある。雌は上記の胸部の脂肪と腺……乳を出す器官……が発達し、体自体脂肪が多く筋肉が少なく雄に比べやや小型だ。内部の……それも後で言うけどホルモンや脳の構造もかなり違う。  本質的に最大の違いは胴体下端の生殖排尿器官と、雌の膣につながる下腹部奥の子宮という臓器だ。大きい袋、二つ突き出た部分がありそこに卵巣……生殖細胞を供給する腺がある。その発達は、雄もだが産まれてからやや遅れて十数年必要だ。発達して妊娠していない期間は、供給されたものの雄の生殖細胞と接しなかった雌生殖細胞などが血液として膣から定期的に出る。それがなぜか、地球の衛星である月が公転……人間から見れば変型する周期とほぼ一致しているのが面白い所だ。それに社会的というか魔術的な意味がいやというほどある。  ちなみに人類は、他の大抵の動物と違い成熟後は常に発情している。大抵の動物は、月などで定められるある時期以外は交接せず、発情期には外見や匂いがそれ以外とは少し違って見分けられる。  さて、成熟した雌と成熟した雄が交接し、受精したら受精卵は子宮内で保護され……しそこねたら普通死ぬし、下手をすると母体も死ぬ……胎盤という器官を作る。  母と子は、確かに遺伝子の半分は共有しているがあくまで別の個体だ。だから直接血液を混ぜ合わせることはできない。だが子は酸素・栄養などを必要とし、また老廃物を除去される必要があるが、まだ乳を吸うことはできない。だから胎盤内で非常に細い血管どうしとんでもない面積でつなげずに並行させ、いろいろなものを交換している。その血管は胎児と、前に言ったへそから出た太い血管でつながっている。またある程度妊娠が進むと子宮内は羊水という体液でみたされ、羊膜という膜組織で胎児を保護する。そうして守られながら単細胞から小さな人間の姿まで、二倍二倍に増えながらゆっくりと発達するわけだ。その発達では、必要ない部分の細胞が勝手に壊れて形ができる、という器用なことさえある。  人間はかなり雌が腹部に胎児を入れている妊娠期間が長く、一年近くにもなる。胎児がかなり大型化するので腹部が膨らみ、運動機能なども大きく損なわれる……単独で苛酷な状況では生存できない。  そして出産……胎児を膣から逆に外に出し、母胎と切り離すときに最大の危険がある。人間が四足歩行から二足歩行になった最大のデメリットだ。胴体下端の骨は、内臓の大きな重量を受けとめて歩行に使われる二本の脚を胴体とつなげるという、四足歩行時代の目的とは違う目的のために強引に進化した骨の板になっている。だから出産のために必要な、股間の骨の隙間が狭いんだ!  その狭い隙間を、ただでさえ妊娠期間が長くて大きすぎる胎児の、肥大化した頭骨を通り抜けさせるんだ……無茶だ。同じ大きさの四脚哺乳動物に比べてずっと母の苦痛と消耗が激しく、もちろん母子ともに死ぬリスクも桁外れに高い。まったく、なんで有袋類や鳥類や、昔いた恐竜と呼ばれる爬虫類と鳥の中間みたいな動物から進化しなかったんだ!  ああ、生物の進化については説明した通り、要するに遺伝子情報の複製の間違いから生き延びた物が選ばれる仕組みだ。だからまったく新しい要素を合理的につけ加える、ということは生物は本質的にできない。親が持っている器官を少し変型させて作るしかないんだ。それでも驚くような変化を成し遂げることはできるし、本当に不都合のほうが大きければ絶滅するからそれがテストにはなっているけど。  ついでに言うと、そんな長い時間をかけ、母体に負担をかけて生まれた人間の乳児はそれでもまだ未発達だ。わずかでも自力で移動できるまでに二、三年、自力で餌をとれるまでに最低十年はかかる。そんな動物は他にほとんどない。  出産された小さい子供はまず母親の胸の器官から分泌される栄養豊富で微生物を殺す物質も含む液を食料として成長する。ちなみに飲んでいる間は次の子供が妊娠されにくい。 **循環  さて、次はどこから説明するか……まず循環器にしよう。  頭部の前方下に、三つ穴がある。下にある一つは大きい、関節によって開閉する口、その少し上にあまり動かせない小さい一対の穴があり、その穴の上が弱い骨に支えられて少し盛り上がっており鼻と呼ばれる。  口も呼吸に使われるが、鼻が本来呼吸で外と空気を出し入れする穴だ。三つの穴が体内でつながり、一つの大きい袋とつながっていると考えればいい。  鼻の中に入るとその中に毛が生えており、その後ろには複雑な構造がある。そこには空気中の物質を分析する器官がある。空気をどんな分子が含まれているか分析し、得た情報を匂いと呼ぶ。多くの動物では非常に重要な感覚だ。  さらに行くと、口から胴体内に向かう別の管と一時つながる、複雑な構造を作ってまた分岐する。これは人間の本質的な欠陥であり、同時に最高の道具でもある。呼吸は圧力のかかった空気の流れを作るのだが、この喉の多数の筋肉、鼻から体内の空気を通す管の中のある構造によって空気の流れを調節し、それと口の様々な構造を利用して、きわめて多種多様な空の圧力波……音を生みだすことができる。その音で様々な情報を伝えることができるのだ。欠陥としては、空気の流れと水や食物は別の臓器が処理し、特に空気を処理する肺という臓器は敏感で水や食物を含め異物を流しこまれたら簡単に死ぬ。空気用の管も詰まりやすい。だから人間は、食べたものを間違えて空気の管に入れて死ぬことが結構ある。  さて、空気の管は下に行き、胴体に入って二つに分かれ、似た形のかなり大きい肺という臓器につながる。その臓器は袋になっており、胴体上部を覆う肋骨周辺の筋肉や、胴体内部で上下を分けている横隔膜という丈夫な筋肉の板の力によって袋にかかる圧力が変わる。そうなると気圧……大気の、地球全体から見れば薄い層だが人間から見れば膨大な積み重ねが作る、人間は普段気づかないがかなり強い圧力があるため、それによって空気が出たり入ったりする。なぜ出入口がある管にしなかったのか……穴が二つより一つのほうがリスクが少ないとでも?  その肺はきわめて複雑な、ひたすら表面積を増やすための構造をしている。無数の袋が集まったようになっているんだ。その袋に非常に細い血管が通り、そこで血液の赤を出している鉄を含む分子が新鮮な空気中の酸素と結びつき、細胞が生きるために呼吸して出した二酸化炭素を肺の空気に戻す。だから吸った空気に比べ、吐いた空気は酸素が少なく二酸化炭素が多い。  他にも色々な臓器が表面積を増やすための構造を持っている。表面積が問題でなければ、わざわざ穴を作らなくても体表でやればいい……細菌がそうしているように。でも大きくなれば、二乗三乗則……立方体の各辺を2倍にすると相似な立方体ができるが、定義上表面積は4倍、体積は8倍になることが分かるだろう。そしてn倍だと表面積はnの2乗、体積はnの3乗になる。どんな形であっても表面積と体積の増え方は同じだ。そうなると、大きくなればなるほど表面積と体積の比が大きくなってしまうんだ。だから細菌がそのまま十倍になると、内部の体積に対する表面積が少なすぎて、表面だけではうまく外界と物質を交換できない。また人間をそのまま十倍にすると、骨が細すぎ足の裏に掛かる圧力が大きすぎて壊れてしまう。だから大きくなるには頑丈な構造に、そして必要な表面積を大きくしなければならないんだ。  次は循環系かな? その血液を利用して、酸素を全身の細胞に行きわたらせ、また二酸化炭素を回収しなければならない。また他にも水分、さまざまな栄養素、細胞に命令するためのごくわずかな物質などいろいろなものを血液を通じて全身に送る。脊椎動物は体が大きくて、表面のと外界のやり取りでは奥の細胞に酸素や水分を十分に送れないんだ。  そのために、人間を含む脊椎動物は心臓という、液体に圧力をかける器官とその心臓につながる肉の管を持っている。人間はそれに似た、圧力を操作するポンプという道具を発明しており、それを心臓を表現する比喩に使っている。  その肉の管全体は、分岐を無視すれば人間の場合ひとつながりの輪であり、その一部が接近して並行しそれぞれにポンプがついている構造になる。しかも便利なことに、一つのポンプが二つのポンプの役割を同時に果たしているんだ。  さて、一つの輪だから出発もなにもない。適当な所から出発しようか、心臓から肺に向かって押し出された血液はすぐ二つの肺に分かれ、それから更に多数に分かれる。肺は上述のように複雑な多数の、非常に細い血管ばかりの袋になっていて、そこで血液の赤い色素の鉄分が酸素と結びついて赤くなる。そして無数の分岐がまた集まって二本、そして一本の太い流れになって心臓に戻る。一部が非常に細かく分かれた輪になっているわけだ。それが心臓に入り、またとても強い圧力をかけられて今度は全身に送りだされる。いくつにも分岐し、手の先足の先、頭のてっぺん、骨の中、全身のあらゆる臓器……体の血の通っている所全てにその血管の細かい分岐がある。どこを破壊しても血が出る。それがまた、肺の時と同様分岐が戻っていき、一本になって酸素が少なく二酸化炭素の多い血液を心臓に戻し、また肺に向かって出発するわけだ。実際驚くべきことだ、人間を含む脊椎動物の太い血管を出して切り、一方から大量の色をつけた水に圧力をかけて流しこめば、体のどこを切ってもその色水が出るようになるし血管を切ったもう一方から流れ戻るようになるんだ! ただし正しい側でないと難しい、外から戻る、黒っぽい血が流れている血管の多くに弁……中を流体が一方向にしか流れないようにしてある機構があり、逆には流しにくいんだ。  ああ、血液の成分についても少し。血液の多くは水であり、塩化ナトリウムなども多少溶けている。人間の体が出す様々な化学物質も多く溶けているし、そして無数の、どこともつながらず血液中を泳ぐ細胞もある。それが実に様々なことをしている。そういういろいろがあるから非常に栄養豊かな食物にもなるし、逆に栄養がありすぎるから水の代わりに飲むことはできない。体がそれを全部処理しようとして、かえって水分を失うんだ。  たびたび言っている、鉄を含む赤いヘモグロビンという色素は……名前なんてある意味どうでもいい、厳密に分子式・原子構造図を書く余裕がないんだから本当に説明してはいないんだ……血液にそのまま溶けているのではなく、赤血球という核を持たない、細胞の外の構造だけの組織の中に含まれている。あと骨の中には脂肪分の多い組織があり、特に骨盤や脊椎など大きい骨は血液の中で動き回る細胞の一部を作っている。他にも血液の中で活動する細胞を作ったり、血液に化学物質を出したりする内臓はとても多い。その役割も色々、酸素を運んだり、体内に入った細菌などを食べて殺したり、体が傷ついて血が流れ出たらその血管を固めて血が出るのを防いだり。  ついでに免疫も説明しておくか。免疫とは、前からさんざん言っている「生物は放っておくと色々な微生物に食い尽くされる」のに抵抗するシステムの総称だ。  更に言えば、上記の毒を分解するシステムと区別していいのかもわからない。今言った、体内に入った細菌などを食べて吸収したりそれ以上増えないようにしたりする血液内の他とつながっていない細胞の活動も免疫だし、血液自体に多くの微生物にとって毒になる物質が混じっているのも免疫だし、一つ一つの普通の細胞もいろいろなものを出したりして微生物の攻撃に抵抗している。  体の液は血液だけでなく、組織そのものの間にリンパと呼ばれる液が充満しており、そのリンパ液をある程度動かす管やそれを出す腺も体のあちこちにある。  ちなみに、人類は四足歩行動物が強引に二足歩行になっている……同じ大きさの四足歩行動物に比べて、血液の上下移動が非常に大きい。しかも後で言うが、いちばん血液を通しにくいいちばん上に大量の血液を要求する器官がある。だから心臓や血管にはものすごく余計な負担がいつもかかっているんだ。これも設計ミスと言えば設計ミスだよ、心臓の隣であればよかったんだ。  ま、設計ミスがあれば、魚からどう変化してきたか追ってみればいい……魚の構造に由来する設計ミスさえ人間には実に多くある。  循環系の、呼吸に並ぶもうひとつの要素も説明しておくか。胴体の背中側やや下に、互いに似た形の臓器が左右対称に一つづつある。小さいが血液は大量に流れていて、その内部は恐ろしいほど細かい構造になっており、それは血液から過剰な水分や塩化ナトリウム、細胞がタンパク質を切り離した時に出した単純な窒素化合物など様々なものを抜いて血液をきれいにする。抜いたものは水にいろいろ溶けて黄色い液として二つの臓器から中央にある一つの袋に管で流し入れ、その袋から胴体下端の、前に説明した男女で違う穴から外に放出する……尿だ。非常に残念ながら、人間の腎臓には海水を飲んで長期間生活できるほどの性能はない。あればよかったんだがね。  あと血液には食事からも自分の体内の細胞からも体の中の微生物からも色々な物質が入る。それを処理するのは全身の細胞がある程度やるが、特に肝臓という胴体右下にある特大の臓器がそれを集中的にやる。特に毒を無害にするのが得意だな。人間が普通に食べるものでも実は多くの毒が含まれている……あらゆる生物が他の生物に食べられないようあらゆる毒を作るんだが、人間は一部の特に悪質な毒以外は肝臓で分解して食べても平気だ。多くの動物で、この毒は平気だがこの毒は苦手というのがある、だから残念ながら別の動物が食べているからこの草は食べられる、虫が食った跡があるからこの(実は糸状の菌類が繁殖するために出した)塊は無毒だ、とは限らない。人間はけっこう範囲が広いかな。肝臓には他にもエネルギーをためるなど多くの役割があり、一つに赤血球の分解がある。他にも脾臓という別の臓器も赤血球を分解するな。 **消化  さて、次は食物についてやるか。前に言った頭部の、関節がある口から入り胴体下の肛門から出る。  まず口から。口は人間以外の多くの、特に動物を食う動物にとっては最大の武器でもある。武器というのは要するに他の生物の体を破壊して死なせるのものか。殺した相手の体を自分の体に入れ……食べて単純な、高い秩序とエネルギーを持つ分子にして自分の体の材料や燃料にするためだ。  とても強い筋肉によって、頭蓋と下の骨が閉じたり開いたりして相手をはさむことができる。またその端の部分が、きわめて硬い歯と呼ばれる塊状のものや嘴と呼ばれる固くなった部分ででき、それを相手に食いこませ、切断し、押しつぶし、すりつぶすなど様々なことができる。色々な動物がいるから口の形や機能も様々だがね。  人類は口の武器としての面が比較的小さい。歯がつく部分が小さくなり、前に出ておらず、弱い。人間が後でいう加工をせずに食べられる生き物はごく少ない。  いや、歯の前に唇というものがある。口と歯を覆う柔らかい組織で、人間はそれにも多くの筋肉があって、それを動かして色々な感情を表現できる。また人間どうしの親密なコミュニケーションとして、唇を相手に触れさせるものもある。詳しくは後述。  口内部から皮膚ではなく、再生が早い組織が露出している。そして口の中には、舌という筋肉でできた短い棒がある。それは口に入れた食物を体内に押し込む補助をする器官だが、人間の場合それを前に言った声を出すとき、その情報の種類を増やすことにも用いられる。また舌表面には非常に敏感な化学物質を分析する小さい器官が多数あり、それは口に入れたものが食べられるものか毒か瞬時に判定する。その判定をくぐり抜ける毒もあるが、はっきり言って多くはない。口の中には水分の多い、デンプンという糖がつながった分子で植物が栄養を貯める養分を消化する消化液が少し出て、それは食物を飲み込むのを助ける役割もする。人間にとっては水分が多い食物ほど食べやすい。また舌は、多くの哺乳類は自分自身や同じ群れの仲間をこすって体をきれいに保つのにも使われる。  そして前に言ったように一時気管と交わってから、そのまま別の管で胴体に向かう。しばらく下に行って、かなり大きい袋……胃になる。その胃は出入口が閉まって出入りしにくくでき、胃全体に強い筋肉があって自在に動き回る。いや、口から肛門までの管の全体が筋肉だらけで、それが管の径を拡げたり狭めたりの運動をし、それを波状に伝えることで食物を正しい方向に押し出し続けることができる。本来重力をあまり感じない水中で生物は進化したのだから、重力に頼らないシステムなのは当然のことだ。  逆に害になる物を胃から口まで押し戻すこともできる。便利なことに、人間は喉の奥に物を突っ込んだりしていると反射的に食物を吐く。舌や鼻が悪すぎる味や匂いに触れたり、脳が「これは毒だ吐け」と意識の下で判断しても吐く。けっこう重要な機能だ。  胃はその動きによって物理的に食物を潰すこともするし、とても強い消化液も出す。塩素によるきわめて強い酸だ。それに耐えられる生物など存在しないから胃も体も溶けてしまうと思わせるが、胃の細胞はその酸から体を守る液を出し続けることもする。主にタンパク質を分解する。  そして非常に細長い管につながる。その管は体そのものよりずっと長く、それを折りたたんで胴体下部に納めている。  そのひとつながりの管は三つに分かれている。胃からつながる短い管、細長い小腸、やや短く太い大腸。  小腸はそれ自体胃と同じように動く。そして上述の肝臓と、膵臓という横に細長い別の臓器とつながっており、それらが出す多くの酵素を含んだ液によってあらゆる食物の成分を分解・吸収する。その吸収のための表面積稼ぎが驚くほど精巧だ。腸の内部自体無数の襞があり、その襞の表面も短い毛のような組織がある。その細胞の一つ一つさえ毛のようになっていて、その膨大な表面積の表面で様々な物質をやりとりしている。過酷な条件だからその細胞はすぐ死ぬが、あとからあとから次が増えてくる。  それだけじゃなく、人間が食べるものにはなんでもたくさんの微生物が住んでいる。その多くは胃の酸で死ぬが、腸まで生き延び、その酸素がほとんどない環境は嫌気性微生物の天国だ。その菌が害になることもあるが、時には人間の臓器が出すものでは分解できない食物を分解して人間が食えるようにしてくれたり、人間が自力では作れない必要な物質を作ってくれたりすることもある。菌どうしも互いに食い合い、有害な菌を減らしてくれもする。皮膚表面の菌も含め、人間は単独では生きられない……無数の菌と助け合ってやっと生きていられるんだ。  小腸で糖・脂肪・タンパク質をはじめ多くの栄養分を吸収された食物の残り……といっても食べたものはほとんど吸われ、先に行くのは死んだ腸の細胞とか微生物とかだ……は太い大腸に行く。そこは特に体内微生物が多い。大腸は主に残された水分を吸収し、全部吸ったのが最後に肛門から糞として出る。  あと体内の微生物は膨大な種類の物質を入れ、色々出す。あらゆる炭素を含む複雑な化合物を使った結果出る二酸化炭素が多いが、メタンから始まってかなりややこしい物質も多数混じる。それは腸で吸収されることもあるが、肛門から出ることもある。あと飲食の時に同時に飲んだ空気も結構あり、それは口から出ることもあり、ずっと食物と一緒で肛門から微生物の出したものと混ざって出るのもある。 **神経、中枢神経系  あと感覚と神経か。多細胞生物、いや単細胞生物の内部でも情報は重要な要素だ。それこそ生命そのものが、情報を伝えるものだとさえ言える。で、特に分化した多細胞生物は、その情報を一つの細胞が得たら他の全部に伝えなければならない。運動するなら互いに、時間などを調整して強調しなければならない。人間の細胞の数は膨大だ、それを協調させるのは大変なことだ。  全身の感覚器から情報を受け取り、その情報からどう動くか判断し、そのための器官に命令を伝達するだけでも大変だし、さらに人間の体は内部の、きわめて複雑な関わりあいを持っている。  実際の機能から言おう。人間は細胞どうしの情報のやり取りに、内分泌と神経という二つの方法を用いる。他にもいろいろあるし、その二つを分けるのも正しくはないんだが。  内分泌というのは文字どおり、全身の一つ一つの細胞が出す色々な物が体内を流れ、その物に触れた細胞が反応するというやりかただ。なかでも特にいくつかの臓器が重要な物質を出す。後で出てくる脳の一部、前に言った生殖器・膵臓など各臓器……。  別に神経という、長く伸びた情報伝達専用の細胞でできた組織も体の各部を結んでいる。前に言った脊椎に開いた穴や、そことつながる頭骨内部の大きい空間に詰まっているのも神経に近い細胞だ。  特に激しい運動をする動物は、どう動くかを神経細胞に似たのが集まった脳という器官で行い、脊椎を通る太い神経から全身につながる神経に通して各筋肉の細胞に伸縮するよう命令する。それが集まって骨を動かし、体が動く。考えてみるととんでもないことをやってるよ。  神経を構成する細胞は電気と、細胞どうしが触れ合ったりごく狭い隙間だけにしていたりしている所で様々な物質をやり取りしたりして情報を伝えることができる。  そして脳や脊髄の中では、ものすごい量の神経細胞が複雑につながり、大量の情報を処理・記録してその個体が受けている無数の内外の刺激と、その個体が行う運動をつなげている。その処理にはかなりのエネルギーを使うらしく、脳と全身の重量比の割に脳は多くの血液・酸素・ブドウ糖を消費し、多くの熱を出す。少なくとも人間は脳については、最近急速に進歩はしているがいやと言うほど何も知らない……といっても肝臓や腸や皮膚について本当に知っているとはお世辞にも言えないがね。私が人類の最先端の知識のごく小さい部分しか知らないのは確かだが、人類の知識全体を含めてもほんのわずかでしかないのも確かだ。  脳の、そういう神経細胞は非常に長い枝をたくさん伸ばしていて、いくつもの別の神経細胞とつながっている。それはとんでもない数の組み合わせを産んでいる……できたり切れたりもする。  特に人間はその脳が……頭部がきわめて大きく複雑だ。また人間どうしの情報交換も複雑で、純粋に近い情報のやり取りもできる。多くの情報も記録できる。それで人間には意識というものがある。さあ大変な言葉が出た……意識という言葉をどう説明すればいいやら。  まあそれは後回しにして、人体生理の説明に徹しよう。  人類の脳そのものの解説をどこまでやるか……正直に言うと、人間全体が脳についてほとんど何も知らないし、私自身はその人類の知識のさらにわずかしか知らない。左右に分かれており、後ろの脊椎につながる部分に小さめの塊がある。奥から順に層になっていて、層ごとに働きがかなり異なる。いちばん奥は内分泌器官としても重要で、全身の細胞に血液などを通じて色々な命令ができる。  進化を、人間中心主義から……要するにゾウリムシ・魚・両生類・爬虫類・哺乳類……サル・人と順序つける考え方が強いんだが、脳についての知識はどうもそれが根本にあるんだよな。ここはその考え方で説明するのが正しいのだが、脳の奥の部分ほど原始的だ。一番奥の部分は魚類から爬虫類まで似た構造が共通して見られ、ごく単純に環境に適応して体のあらゆる細胞を調整し、食べたり生殖したりと単純な動きをすることができる。人間もそれらの機能をそのまま使っていることに注意するように。全体を新しい生活様式に合わせて再設計することは生物進化ではありえず、何かを変形して追加することしかできない。  その上に哺乳類の、やや原始的な多くに共通するものがあり、それは群れを作ったり子供に餌をやったり複雑な行動を行わせているようだ。  一番上の前方、前頭葉が肥大している生物は人間だけだ。人間の二足歩行に並ぶ特徴と言ってもいいか。その前頭葉は、それに傷を負ったが死ななかった個体の観察などにより、人間が非常に複雑な因果関係を思考して先を予測し、それに基づいて自分の行動を抑制するなど他の動物よりはるかに複雑な心理・行動を実現するのに関わっているらしい。  神経には自分の体、特に臓器を制御する役割もある。それは人間の意識、思考とはあまり関係がなく、脳の相当部分が機能していなくても勝手に行われている。心臓が血液を押し出したり、呼吸したり、消化器官が動いて食物を潰したり、皮膚が汗を出したり……実に色々なことを神経系が意識しなくてもやる。運動でも脳と無関係にやることも結構ある。ただし、人間は脳を破壊されたら、口から水と食物を入れてやるだけでは生存できない。それぐらい脳と内臓のつながりも深い。  あと脳の中では、電気信号だけでなく色々な物質を出すことで脳の他の部分に色々伝えたりするのもけっこう重要だ。そういうのがこんがらがってるんだ。  脳と神経と肉体の複雑な関わりに、たとえば敵に攻撃されていると判断したとき、体表の体温や血流・内臓の血流・感覚器・体毛など実にさまざまな部分を無意識に変える機能を挙げておこう。行動の準備などの情報に脳細胞の集まりが反応したら、脳内でいろいろな微量分子が作られ、それが脳細胞に影響して、脳細胞がまた微量分子を出して全身にも影響がある。血液を運動のために特定期間に集中させたりしてしまう。  人間は「意識と無関係に」というのでいちいち驚いているけれど、生物としては意識だろうが内分泌だろうが無関係な神経だろうが、全部同じ個体制御システムに過ぎないはずなんだが……それは人間の物の見方が偏ってるからどうしようもない。  ああ、人間の脳は同じ大きさの他の動物に比べて極端に大きい。それは本来不利だ、脳は異常に多くの酸素と栄養分を要求し、大量の廃熱も出すから。その廃熱を処理するために顔面に過剰なほどの血管があったりもする。人間以上に大きい脳をもつ動物もいくつかあるが、人間のような働きはしていないようだ、単に人間の側がバカなだけかもしれないが。 **感覚  さて最後に感覚器か。動物は外界のさまざまな情報を得て、それによって行動する。食べられる別の生き物があればそちらに移動してそれを破壊して食い、自分を食おうとする別の生き物を先に見つければ離れる方向に移動したり隠れたりして逃れる。微生物さえ、自分のいる場の化学的性質が少しでも変われば自分の住みやすい場に移動する。  そのためにはまず、周囲の外界の諸情報を知らなければならない。  その媒介にも実に色々考えられるが、その中で自分が生きていくうえで必要なものと必要でないものを分けなければならない。たとえば光が届かない地中で生きる生物にとって、光を見る器官は必要ない。どんな生物でも、ニュートリノや反陽子を感知する必要は全くなかった。だからそんな器官があってもなくても子孫を残せる率は変わらないから資源の無駄遣いで、すぐなくなることになる。生物の進化は「必要ないものは捨てる」がけっこう多いんだ。必要ないのにずっと残されているもの、どう見ても邪魔だというぐらいに肥大しているのも多いけど。必要そうだけどないものもある……たとえば陸上脊椎動物には空気中の酸素が必須だが、酸素濃度を感知する感覚器などない。なぜなら普通に生活していれば大気中の酸素濃度は変わらないし、もし変わったら……どう逃げようが手遅れだ。  さて、人類の感覚器に戻ろう。人間の感覚の特徴は圧倒的な視覚偏重。光によって広い範囲の物体の形や表面の反射を知ることが人間にとって最も重要な知覚だ。かなり暗くても見ることはできるが、基本的には太陽が見えて周囲が明るいときに活動し、暗くなれば守りに入って眠る。かなり嗅覚が弱いのも特徴だ。  皮膚全体に、圧力・温度を感知する感覚があることは言った。その皮膚の感覚器は、非常に強い力などが加えられて体の一部を破壊されたときに特に強い情報を脳に伝え、脳はそうならないように体に命令して行動させるし、内分泌などを通じて体全体に命令して移動しやすいように呼吸量を上げたり血を失わないよう血管を狭くさせて血の流れる量を減たいたいらしたりいろいろすることさえやる。体内もある程度、どうなっているか脳に伝えることができる……皮膚が破壊されたときと同様の感覚を、内臓の異常から感じることもある。  人間は大体同類などとの弱い接触を快いと感じ、強い圧力、極端に体温より高かったり低かったりする温度など体が破壊するような働きを痛いと感じて不快がる。  自分の運動を制御するのにも重要だ。自分が思ったとおりの動きをしているか触覚が返す情報で確かめ、修正することが人間はとても得意で、後述の訓練というものをすると恐ろしく精緻な動きができる。  他の感覚器は頭部に集中している。頭部……他の、魚類や四足歩行動物共通で、いちばん前方に感覚器と脳が集中している。昆虫もそうだな、そういえば。人間は二足歩行になったから、それがいちばん上に行ったんだ。バカな話だ、高いと言うことは位置エネルギーも最大だから倒れるだけで命に関わることもある。  考えてみると首は人間だけでなくすべての大型脊椎動物の弱点だ。確かに首、頭部を切り離し、自由に動く関節であご・感覚器がカバーできる範囲を広げるのは有効かもしれない……だがその反面の弱さを考えると、脳は体内深くに大切に納めて別の、破壊されてもすぐ再生する触手状の可動性の高い感覚器と、ものを食べるため専用の口があればよかったんだ。海の生物にはそんな感じになっているのもある。  さて、頭部の呼吸しながら空気中の化学物質を分析する嗅覚、飲食しながらその中の化学物質を分析する味覚は説明した。  嗅覚も快不快につながっている。主に脂肪などの匂いや植物の花が出している匂いを好み、窒素と水素の単純な分子など生物が小さい生物に分解されている匂いを嫌うことが多い。きわめて多くの匂いに、全身が反応して吐くこともある。そうそう、人間が二足歩行をしていることは、頭部が地面から遠いため地面に多様にある匂いのほとんどを感じることができないことも意味している。四足歩行をしている動物の多くは歩きながら、地面近くの匂いを分析できるが人間にはできないんだ。人間にとって嗅覚の重要性は低いが、他の多くの動物にとってはきわめて重要だ。  ちなみに味覚は糖分・脂肪・タンパク質・塩化ナトリウムなどを口にすると快い感じを脳の奥のほうに伝える。それらを食べれば多くの秩序あるエネルギーを得られ、長期間生きられ、子孫を残せる確率が増すからだ。逆に多くの植物が作る毒や微生物が作る物質に共通する、酸や苦みも感じられてそれらを普通は不快に思う。少しだけならそれらを好むこともあるが。最も好むのが甘み、ブドウ糖など単純な糖の味だ。あと塩化ナトリウムの味も好む。他、毒として警戒すべき酸や苦味、そしてタンパク質のうまみなどを感じる。口の中自体も、暖かかったり冷たかったり、脂肪が多くて滑らかだったり水分が少なくてぱさぱさしていたり色々感じる。  他に頭部の左右に、肉などでできた薄く複雑な構造と、その奥の穴があり、それは音……空気の粗密・圧力波を感じる複雑な器官がある。左右に二つあるから音源の位置をかなり正確に調べることもできる。その構造も実に精巧だ……皮膚一枚の薄い膜から三つの小さい骨を通じて、液の中で微小な毛が振動を感じて神経の信号に変換する、人間が機械として考えたらあまりの複雑さと小ささと機能の高さに驚嘆するようなシステムがある。それによって圧力波の波長と方向を感じるが、それを数値で出すことはできない。直接感じるだけだ。しかも波長が整数倍など単純な比になっていればそれも感じることができる。  それだけでなく、両耳それぞれに付随する感覚器に三半規管という、三つの互いに直交する輪からできた器官がある。それにかかる加速度それ自体を感じることができ、自分の体が重力方向……上下から傾いているか、どちらへの加速度を感じている……動いているかきわめて精密に感じることができるのだ。  そして人間にとって最も重要なのが目。目は光、電磁波の実質無限にある波長から、ある波長からそれより少し短い波長までの一部だけを見ることができる。それも、その範囲内なら波長の違いもかなり鋭敏に色として分かる。  しかもそれを、三種類の細胞だけでやってしまう。光の様々な波長は、三種類の波長の光を組み合わせることで合成できるし、地上での日光を混ぜたのを反射させた時に見える色も、三種類の色を混ぜることで全部表現できる。  とにかくそれはきわめて高い解像度で、周囲から膨大な位置・形の情報と、色として認識される反射光の波長を通じてある程度、光を反射した表面の分子構造の情報を同時に受け取ることができる。  目は人類の場合頭部中央前方に二つ、やや接近してついている。頭蓋骨だけを見ると深いくぼみになり、その奥が細い穴で脳につながっている。そのくぼみに球に近い眼球が入り、そこから神経をそれぞれ脳に伝えている。その眼球は小さな多数の筋肉でかなり大きく動き、体も頭も……ああ言い忘れていたか、胴体を動かさないままでも頭部はかなり大きな自由度で動き、周囲を素早く見回すことができる。  外から見ると眼球はほとんど見えない。皮膚が延長し、小さい筋肉で自由に開閉するまぶたで覆われ、瞼を開けているときも細い隙間でしかない。ちなみに眼球は常に涙という体液で洗われている……しかもその涙の管、それに耳の奥からの管がそれぞれ鼻の奥とつながっていたりするんだからややこしい話だ。  眼球の構造は、要するに外から受けた光を眼球内の別の膜で入る穴の面積を決め、それから透明な曲面を持つ物体を通して屈折させて一度一点に集中させ、それから無数の光を受けた物質の化学反応を電気信号に変換する小さい細胞でできた膜に当て、その電気信号を神経を通じて脳に伝えるというきわめて複雑なことをする。その解像度は空間・時間とも人間の工学技術と比較しても恐ろしいほど高い。  光が入る穴の面積を変えるのは周囲の光の量に応じて取りこむ光の量を変えるためだ。暗いときにはたくさん光を入れたいし、明るいときに光を入れすぎると目を破壊する。  目が頭部前方に並んでいるのは一部肉食動物やサルに共通する特徴で、一度に見わたす角度は狭いが、ある範囲のものなら二つの目でずれた位置から同時に見ることができる。そうなると二つの目の間、一つ一つの目から目標で三角測量ができ、相手との距離をつかむことができる。といってもそれは脳がものすごい処理をしているんだけどな。  また人類の眼は色にもかなり敏感で、明暗の差がかなりあっても見ることができる。人類があまり深すぎないジャングル、または木のいちばん上で進化したからだろう……様々な色を見分ける必要があり、暗いこともあるし明るいこともある。  ちなみに人間の目が判別できる膨大な波長は、三つの色を適当な割で重ねることで全て表現できる。後に述べる芸術では実に便利だ、三種類の色を持つ粉があればそれで済む。  ただし人間は、波長ごとに「色」を感じて、その色を言葉にして頭に入れている。その言葉は群れによって違うから、たとえばこの光の波長は、というのはわからない。  色は波長が見える範囲で短いほうから紫、青、緑、黄、赤ぐらいは大体どこの言葉にもある。光が全くないのが黒、全色が強くあるのが白。それぞれの色も濃い薄いがある。紫は自然界では一部の花や鉱石にしかない。青は空や深く透明な水によくあり、それに溶け込むために多くの生物の表面の色でもある。緑は葉緑素の色で、光合成が盛んであり食料が多いことになる。黄色は土や砂の色で、陸上動物には当然その色の表面も多い。赤は血液・酸化鉄の色だ。それぞれ、後述する魔術においても様々な意味を持つ。  ちなみに色は光の波長だ。その波長は、いろいろな波長が混じった光を受けて、その分子がどの波長の光を吸収して熱や分子構造の変化や原子内の電子のあり方の変化に変え、また別の波長の光を放ち、どの波長はそのまま方向を変えて飛ばし、というので決まる。だからどの分子かにどんな光を当てたかでも決まるし、非常に細かい構造が一部以外の光を打ち消したりしても妙な色を出したりできる。  ここで注意して欲しいのは、感覚で得た情報はありのままではなく、脳内で処理された情報だ。たとえば目の、光を受けて電気信号に変える細胞に写っているのは眼球で反転した像だが、それを脳で処理して正しい像にしている。要するに両目それぞれの二枚の平面像を立体に補正もしている。他にも脳が行っている、受けた情報の処理は恐ろしく広い……ある意味、「現実の世界」「感覚器が受けた情報の集合」「脳が修正した世界」のそれぞれがかなり違うといってもいいぐらいだ。まあ生きるだけなら支障はない。  それに、もし画像……ある範囲を格子に分け、それぞれがどの波長の光を反射しているかの情報を受け取ったところで、そこから……たとえば木・人間にとって食べられる木の実・人間を襲う動物を見分けることができるコンピューターがどれだけ強大で非効率なものになることか。人間の脳がどれだけうまくさまざまな、単純な線の集合と色の組み合わせをパターンとして分析し、必要な情報だけを強調しているかは驚くしかないよ。  もちろん全身の神経を含めた感覚器から入力される情報は常に膨大だ。だから人間の脳は、特に意識する上では受け取った情報の大半を無視する。瞬時に意味のある情報を選び出し、強調する。ちなみに受けた情報を、精密に数字で表現することはできないといっていい。かなり訓練していても、たとえば目で見たものの長さについては簡単に間違える。  人類の体については以上でいいかな? ああ一つ肝腎なことを忘れていた。陸上脊椎動物は一般に、脳や体の性質上一定期間活動したら眠る……体を動かないようにし、支える力も極力抜いて外界からの刺激は相当強くなければ無視し、一切の行動をやめる時間が周期的にある。人間の場合ほぼ一日周期、一日の三分の一から四分の一は眠る。それは、それができなければ水や食料を与えないよりも早く死ぬほど必要だ。  その間、人間はさまざまな現実にはありえない経験を脳の中だけでしており、それを夢と呼ぶ。 *人類個体の生存条件  さて、そろそろ私も上記の眠りをしたいと脳が命じている。言葉での命令じゃなく、色々な「感じ」があるだけだ。脳の深い部分と意識の部分は、その「感じ」でやりとりしていると言えるだろう。  他にも私、人類の一個体が熱力学第二法則に逆らって細胞分裂を続け、形を保ち、動き回ったりし続けるのには色々な物体などが必要になるので、それを注文してから一眠りしよう。まあ今こうして自分が生きているということは、ある程度その条件が満たされているということでもあるが。要するに自分の、人類の飼育法を解説しているようなもんだ……飼育という言葉自体、後で説明しないとな。異星人の動物園向けの、地球人を単独で飼育するマニュアルといったところか。  まず何より、地球の今の大気とほぼ等しい窒素分子4に酸素分子1の割合。二酸化炭素は今の濃度よりそれほど高くならないように。私がこうして呼吸している以上、常に二酸化炭素は加わっているから、圧倒的な量の大気で多少の追加は無視できるようにするか、常に二酸化炭素を除去するかだ。ちなみに酸素が少なすぎても多すぎても死ぬ。  適度に水蒸気も混ぜてくれ。多すぎれば体が汗を蒸発させて体温を調整するのがやりにくくなり、少なすぎると呼吸器や皮膚から水がどんどん蒸発して不快だ。  不快というのは、脳が出している信号だが、それは感覚器の情報から「ここは適さない」と脳が判断しているということだ。その状態では生きることができない、自分が死ぬ確率が高い、子供が死ぬ確率が高い……ということだ。その状態を人は避ける行動を行う、また人の脳はその状態でなくなることを望み、そうなるよう何か行動したがる。  空気の温度も今と同じぐらいに保ってくれ。私の体は眠っていてさえかなりの熱を出しているから、それも別の低熱源に吸わせるか何かしてもらわないとな。少なくとも常圧で水が凍ったり沸騰したりする温度は私には苦痛で短時間で死んで語り続けられなくなる。まあ水が凍る程度ならある程度の時間は大丈夫だが……体温より少し低いぐらいがちょうどいい。  空気の圧力も高かったり低すぎたりすると死ぬし、音波振動もあまり強すぎるのはやめてくれ。それらには私の、人類の感覚器が対応しておらず、自力で警報を出せないものもある。進化する段階で普通にあるもの以外に対応する必要はなかったからだ。  空気のかわりに水や油、水銀などを充たされたりしたら真空にされるのと同様短時間で呼吸ができなくて死んでしまう。  もちろん空気に余計な化学物質や元素の気体や微粉末を混ぜたら、非常に多くの種類の物質で死ぬことになる。人間は腸から多少メタンなど常温では気体で大気と混じる化学物質を出し、その濃度が高くても死ぬので全部許容範囲内にしてくれ。  あと重力も、ちゃんと調整してくれているな? まあ今と同じ程度を保ってくれ。重力が大きすぎたら自分の体重を骨が支えられなくなって死ぬ。小さくても不快だ。また重力が一定でなかったら、体に余計な力がかかって耐えられる限度を超えると死ぬ。気をつけてくれ。多分重力波もある程度以上は耐えられない。  ついでに今大丈夫かどうか知らないが、できれば光の極端に短い波長のもの、各種きわめて高速のさっき説明した素粒子類が私の体に当たらないようにしてくれ。私の体はそれを感じる感覚器を持たない……人類ができるまでの長い進化で、普通に生活していてそれにさらされることがなかったからだ。だがそれは細胞の内部を破壊し、ある程度以上だと死ぬことには違いない。そうだ、もし今座っている椅子を構成する原子の原子番号が大きすぎたりそれ以下でも不安定な同位体だったりしたら、もう手遅れかもしれないが原子核が崩壊しない、化学反応も少ない……炭素か酸化鉄でできたものに交換してくれ。といっても、我々が生活している世界でもそれは少しあるから、許容範囲内であればいい。  ああ、もちろん今私の体を構成している電子や陽子の反粒子も許容範囲内にしてくれ。  電場・磁場、電圧などもできるだけ許容範囲内にしてくれ。それを感じる感覚器はないが、致命的には違いない。  ほかに私が知らない力があるとしたら、余計な力や波はかけないでくれ。物理定数も全部、もしいじれるのなら今のままにしてくれないと、私の体を構成する原子が壊れて当然機能できなくなる。  まあこの数時間、私がこうして生きてはいるんだからそんなにひどくはないんだろうけど。  それぐらいが、短い時間人類が生き続けるのに必要な最低条件だ。でも人間が長時間健康に生きていくためには他にも様々なものが必要になる。眠っている間に用意してくれ。  まず水。水素は中性子を持たないものにしてほしい、私の体を今作っている水分子程度の比なら許容範囲だが。体温前後の液状。あと純粋な水は自然界にはほとんどなく、体に悪いから少しだけ塩化ナトリウム、炭酸マグネシウム、酸素、二酸化炭素などを混ぜてくれ。ただし塩化ナトリウムが多すぎると死ぬ。水から余計な化学物質や微生物は取り除いてくれないと、ある程度は耐えられるが限度を超えると死ぬ。  それがないと十日生きられるかどうかだ。それがあれば、今の自分の脂肪などだけで十何日かは生きていけるだろう。  それ以上は生きられないし、とても苦しい……食糧が不足している状態を嫌と感じ、食料集めをさせるように脳の構造ができている動物のほうが生存率が高いというだけの話だが……ので、食料も用意してくれないか。食料は前も言ったが、人間の体を構成する細胞が自己増殖を続け、呼吸して「生」を続けるのに必要とする材料とエネルギーというか高いレベルの秩序を外界からもらうため、いくつかの物質を必要とする。  もしそちらが、特に高い技術を持たない異世界の人間なら「普通の人間の食物、新鮮な素材か、味が乏しく大量に食べられている植物を、塩と火と水だけで調理したもの」をくれ。保存食には味が強いものが多いから、毒だと判断してしまって吐く可能性がある。それだけだと比較的短期間しか生存できないから、できたら食べられているものをできるだけ多様に、その材料が生きている姿とともにそろえて、少しずつサンプルを見せて欲しい。  そちらが人間とは無縁で高い技術の持ち主なら、私の血液・筋肉・脂肪・肝臓の微小な一部を採取し、原子レベルで同じものを大量に……大体二十四時間に二度から三度が習慣だ、一度に私の体重の百分の一ずつ程度作ってくれ。できれば痛みがないように一度採取し、その情報を保管してその都度コピーするように。それを血液と肝臓はなにもせず、脂肪と筋肉は今の気圧で沸騰する水……くそ、気圧は? 人間の感覚器には厳密な気圧計がない……475Kで、450K以下の部分がなくなるまで加熱。ああそうか、Kは人間が今使っている温度単位で、空気分子の温度と運動から予測される、分子が静止してしまってそれ以上冷やせない温度の理論上下限をゼロKとし、ある気圧で水が固体から液体になる温度が273K前後、水が気体になる温度が373K前後になる……逆にそんな圧力が、今の私にとってちょうどいい気圧になるわけだ。あとちょうどいい気圧を示すのには二つの円筒の下端をつなげて水を入れ、一方の円筒の上から気圧を抜くと、上が大気に解放されていて気圧のかかっている対照筒に比べ身長の六倍ほどなら引き上げられる、というのもあるかな。といってもそれは地表の重力が前提になるが。SI系を示す方が早いかな……。  多分普通の人間はこの発想は嫌がると思う、人間には後述するタブーがあるから。私も実は嫌だし吐くかもしれない。そちらがある文化圏に属する人間であれば、今の言葉は私を処刑する十分な理由になるはずだ。また、チューリングテスト……相手の知性を判定するテストの一つで、言葉の交換で人間と区別できなければ人間と同等の知性とする……私はそれは踊りや表情を考えに入れていないので不完全だと思うが……に不合格になる言葉である可能性もある。  しかしそちらが人間であれば理解して欲しい。何の共通前提もない、別次元の知性である可能性も私は考えている。それに注文するのにはこれがいちばん早いんだ、そうしないと相手が私の注文通りにいろいろ用意したとしても間違ったものを出す可能性がある。各原子の同位体比も問題だし、原子そのものに私が……私の属する人類が確認していない超対称性があり、それが異なっている可能性を完全に否定できない。同じ原子で指定通りに分子を組んでくれても、右手と左手の違い同様異なっていて食べられないことがありえる。だから今のこの私の体からコピーするのが一番簡単で確実なんだ。  人類が生きるのに食料として必要なのは、まず十分な量の単純な糖かそれが人間が消化できる形でうまくつながったデンプンと呼ばれるもの、脂肪、タンパク質。一応エネルギー自体は糖・脂肪・タンパク質のどれからも得ることができるが、タンパク質の素材であるアミノ酸や脂肪の素材やブドウ糖など人間が自力で合成できないものがいくつかあるのでそれは必要だ。食物としてのデンプンは水に溶けないかわりに水を吸って膨らみ、非常に柔らかい固体のようになる白い粒で、主に植物に含まれる。動物にも似た糖のつながりがあるがいろいろ違う。  それに鉄などいくつかの微量元素の、体が取りこみやすい化合物も必要になる。単体の塊をもらって口に入れても多分だめだろう。ある程度の量の塩化ナトリウムも必要だ。他にも人間が自力で合成できないさまざまな微量生体化合物……ビタミン類が必要なんだが、それぞれの分子構造を正確に指定するのは、いちいち調べるとしてもすごく面倒臭い。しかも私は、人間の知識全体が、人類の一個体を合成した栄養分の集まりだけで長期間生存させられるところまで行っているかどうか知らない。まだ人類が知らない何かがあるのかもしれない。  ついでにだが、特に人類はビタミンCという少しだけ必要な、水に溶けて高温に弱い分子を体内で合成できないので、水と腐らないようにした食料がたくさんあっても、ある程度以上長時間生きていけない。それは後で言うような遠洋航海で大きな不便になる。多分それは、人類の先祖がずっと森の植物も食べていて、それにはいつも豊富にビタミンCがあったから自力で合成する必要がなく、そこに複製の間違いが起きても問題なく子孫を残せたのだろう。複製の間違いは常にあらゆる箇所で起きるから、それが致命的でなければ増えてしまう。  というか……生の血液と肝臓があれば多分大丈夫だと思うが、「自分の体の一部のコピー」に必要な栄養分が全部含まれているか確信が持てない……  ちょっとまて、忘れてた、ポケットに……マルチビタミンミネラルタンパク入りビスケットがあった。これを大量にコピーしてくれ。自分の肉のコピーを食わずに済んだのは助かった。  そして食べ飲むだけでなく、皮膚に多少太陽の光を浴びる必要がある。多分栄養素を作るだけだと思う……これは波長指定しないとだめか? 数字じゃ覚えてない……  さて、あと必要なのが、人間は前述のように食べて飲んだら糞尿を出す。それには大量の微生物が混じっていて、それが近くにあると微生物が出す化学物質が混じった空気を呼吸することになり、鼻がそれを感知して脳が不快を訴える。それに体が接していると皮膚が微生物によって食われ、皮膚の免疫を突破されて体内に入られる恐れもあるし、色々な形で微生物を呼吸・飲食から体内に入れると病気になる確率が高まる。  だからそれを今から衣服を脱いで出すから、出したものにまた触れずにすむようにしてほしい。そのためには、まず糞尿を排出する場所を決めること。そこに立てる微生物が少ない足場を確保し、重力か吸引力で出したものを体から離れる方向に持っていき、大量の水その他なんらかの液体で私が吸う空気から隔離するか、高熱で乾燥させるか、さっき説明した土壌に深く埋めるかしてくれ。周辺の空気も何らかの方法で隔離して、排出する場と生活の場を分けてくれるとありがたい。  ああ、その後で肛門・生殖器周辺および手指を清潔にするため、なんらかの……布や紙のような非常に隙間の多い繊維でできた材質と、液体エタノールか塩素が多めに溶けた水などが少量必要だ。ちなみに他の部分も長期的には清潔に保つことが必要だ。普通にしていても私の体表には多数の菌がいるし、私の皮膚細胞は次々に古い細胞が死に、下から新しい細胞が分裂して更新される構造になっている。また皮膚を守るためだが油脂なども出している。それらが増えた菌に食われ、だんだんと菌が多すぎ、少なければいいのだが多いと害になる種類が多い状態になる。それを防ぐには、体表を洗浄して予備に着替えなければならない。そのためには現在の衣服をコピーしたものかそんな感じの衣服と、大量の体温程度の水が最低でも必要になる。石けんがあればもっといいが、そのレシピを分子式で出すのは……私の脂肪をコピーし、それに水酸化ナトリウム……とやるか?……まあしばらくはいらない、後でまとめて説明する。  液体エタノールや塩素水も微生物を殺すにはいいんだが、それら特に微生物が多いものに触れた、しかも食物を食べるのに使うから特に清潔でなければない手から微生物を除くために必要なだけだ。全身の皮膚を除菌するのは前述の常在菌も殺してしまい、体にはかえって害になる。  あと鼻などからも色々な液を常に出すから、布か紙を多少用意して捨てられるようにしてくれ。私が女性だったとしたら、前述の受精し損ねた卵子の排出にともなう出血を吸わせるのにそれが必要になったはずだ。  そして耳の穴が狭すぎて、その中に指も何も届かない。そうなるとその中に死んだ細胞がたまって詰まって不快だから、それを取り出すために……太さ1mm程度の棒、先端に半径3mm、厚さ1mm程度の円盤を、棒が円の中心を通って円が属する平面と直交するようにくっつけたのをくれ。そういう「耳かき」はいろいろあるけど、まったく共通前提がない相手に言葉だけで設計図を伝えるとなるとむずかしいよ。  あと清潔で丈夫な糸か布、または太さ5mmぐらいの棒の先端周辺から垂直に多数のこの髪の毛ぐらいの太さと弾力性があるものを生やした、ブラシと呼ばれる物があると助かる。口の中には多数の微生物がいて、その中には食べた食物の、飲みこまれなかったカスを食べながら歯に害を与えるものがいる。それを落としておかなければかなり不快だからね。  こういう清潔のためのものは私が育った群れで必要とされているだけで、それほどの清潔を必要としていない人間集団も多いと思う。  まったく我ながら注文の多い客もいたもんだ。  そして……これは不快程度かも知れないが、人間は群れる動物だ。だからできれば、いつかは同胞のところに返してくれ……と言いたいが、私個人は帰りたくない気持ちも強いな。  ではおやすみ、しばらく寝てから続けるよ。 *** *人類の誕生  再開しよう。  といってもここから言うことは、今までとは違いほとんど証拠がないことばかりだ。できるだけ証拠があることを話すようにしたいが、一々その証拠は何か……何雑誌の何年何月号の何という論文の、どこにある遺跡を何年に発掘し……そんなのを思い出すのは無理だ。  上と違って検証不能な話も多いから、与太話とみなして聞き流してくれても別にかまわない。何より来年には誰かの研究で、ここで言っていたことがまるっきりの間違いだとわかる可能性だって十分ある。上の自然科学もある程度そうだが、まあ原子より上のスケールには間違いはないだろう。  さて、人類が人になったのはいつか……それは知らない。というか「人」の定義がはっきりしない以上、その問い自体がむちゃくちゃだ。  直立二足歩行、言葉、衣類、道具、火、文化、家畜、原始農耕……それら色々な要素全部が「人」という説明できない言葉に関わっている。  どれをどんな順番でどんなふうに人類が手に入れたか、など知らない。せいぜい、アメリカ大陸にいた人類が持っていない物は、人類がアメリカ大陸に渡ったとき以降に手に入れたのだろう、と推測できる程度だ。  だから、上記のものに関して「全部得る前」と「全部得た後」しか今から想像するのは無理だ。  あと気をつけて欲しいのが、今の私が昔の人類について知っているのは、今生きている人類のDNAを調べてみたり昔の土を掘っていろいろ調べたりして知っているだけだ。だからこれまでの人類の営み全部のごくわずか、そして土に埋まって残るものしか知らない……昔の人類が、たとえば固体の水と二酸化炭素だけを用いて宇宙の彼方に行けたとしても、それは使い終わったら蒸発して空気に混じってしまうから今の人類がその遺物を見つけだすことは絶対にできない。それは反証不能な仮説になってしまい、科学の範疇から出てしまう。だからそんなことはなかったという前提で考えることにしている。前も言った、ナメクジが作った泥文明も同じだ。ナメクジの死体は化石を残さず、泥の家も車も土に戻ってしまう。  それが本当に厄介なんだ、それほどでなくても残りにくくて重要なものはいろいろあっただろうからね。 *通俗的世界  上ではこの世界を支配する物理学を説明したが、これから重要なのは「人間のサイズにとっての現実」だ。  明るいといろいろなものが見えるが、暗くなるとまず色が消え、そして何も見えなくなる。風が吹き、物は揺れ、軽い物は飛ばされる。ところどころで水が流れ、雨が降る。地面は固い。水に溶けるものと溶けないもの、腐るものと腐らないもの、燃えるものと燃えないもの、放っておくと空気に混じって消えるものとそうでないものなどいろいろある。  目に見える物は大抵は触れる。遠すぎるものには、空気と熱のせいで光が曲げられてできた実体のない物もあるし、目も幻覚や錯覚があるが。  見えて触れる物はまず大きさを、自分自身の大きさと比べられる。そして手で触ると表面がどんな質か、皮膚の細胞と脳が分析し、感じとして意識に伝える。力に対して変形するか、温度が体温と比べて高いか低いか、また伝わった体温でどれぐらい素早く温度が変わるかでエネルギーあたりの温度変化まである程度、感覚であり数字としてではないがわかる。  それから上向きの力をかけると、軽い物は持ち上げることができ、持ち上げられなければそれが重いとわかる。注意すべきなのは地表では地球と相互の引力が、地球の質量と大きさが圧倒的に大きいためほとんど一様な質量のみに比例する定数になる。大きさ……体積と全体の重さから、重さの割に軽いとか重いか、というのも重要な情報だ。この重さというのは物体固有の質量とは違い、地球の質量からほぼ決まる重力の強さと空気の密度と体積で出る浮力、さらに地面と接していたら、地面とその物体の相互作用でも地面から持ち上げるのに必要な力は変わってしまう。  また力を加えると変形する物もあり、しない物もある。  そして特に均質な物は、変形しても変わらない……特にバラバラにしても変わらない性質もいろいろあり、その性質も認識できる。  人間にとっては生物であるものとないものという区別も重要になる。  熱力学・流体力学など多数の原子の集まりを記述する法則が重要になり、それも人間のサイズ・温度・圧力における性質のみに着目しなければならない。  それらを、人間の感覚に合わせて見ることも理解して欲しい。量子力学的な性質の方が本来は本質的なんだが、人間はそんなこと感知しない。気体とか液体とかなんて分子サイズで見れば意味がないが、人間にはその粘性とかしかわからないんだ。  物理については流体と固体とその中間がはっきりしていて、様々な力が重要になる。  力そのものについてもはっきりとは書いていなかった。素粒子のレベルでは、電磁気力の場合光子という粒子でも波でもあるもので伝え合い、双方の運動などを変える粒子どうしの関わりだが、それが人間に関わるサイズまで原子が大量に集まると、原子が集まったもの……量子力学的な、波でもある性質は無視できるようになる……の間はニュートン力学の作用反作用に支配され、力を受けると質量に応じて運動状態が変化する……加速度になる。相対論的には絶対的な位置や速度などなく観察者と時空の曲率の数学だけ、量子論的には位置と速度を同時に決定できないのだが、我々の大きさでははっきり基準となる大地からどう移動したかがわかる。といってもそれは人間に認識できる速度の話であり、大陸が動いたりする速度は遅すぎて認識できない。  さらに力と、力が作用した距離をかけあわせる……複雑な場合積分すると、エネルギーと同値な仕事という量になる。  またあらゆるものとものとの関わりは、実際には表面に対する圧力としてまず出る。面積で力が分散され、その圧力が全体に伝わってニュートン力学で近似できるわけだ。圧力は気体や液体でも特に重要になり、それと熱の本質は分子の衝突から理論化できる。  また衝撃力もあり、それは物理的な解析が難しい。主にものを破壊することになる。  固体に力を加えれば変型し、その変型にはつながったまま形を変えてそのまま、一時形が変わるが元に戻る、そして壊れてふたつ以上のものになるなどいろいろある。その大きな運動は、その固体の重心に質量が集中していると考えれば計算しやすい。固体が重心の周りで回転したりする時は、変形しない一様な固体と見なして計算されたモデルを作ってそれを応用する。  さらに多数の物体が絡まり合って別々に動くと、一つ一つは物理的にはっきりしていても、最初の条件が少し違うだけで結果が大きく違ってしまう現象が起き、実質予測不能になる。また非常に高い圧力・速度・衝撃などがかかり人間の寿命よりずっと長い時間があったりすると気体や液体が固体のように、また固体が液体のようにふるまうこともよくあるが、人間はそれを見ることができない。  さらに気温・大気の圧力がある範囲であること、下に引っ張る力……地球という莫大な質量との重力による相互作用……がほぼ等しいある値であることなどが、意識さえできないほど当たり前とされる。  熱も原子レベルの説明より、減ることも増えることもない見えない量が物から物へ移動しているように解釈した方がわかりやすくなってしまう。それと、別に摩擦などによる仕事と熱の交換を計算すれば大体正しくなってしまう。  この「人間のサイズにとっての現実」を言葉にし、またそれをより普遍的な物理法則から説明していくのはやってみると実に難しいな。  人類はあくまで「人間のサイズの現実」を言葉にし、それを説明する物理法則を作っていき、それが深めていく歴史を歩んできた。本来私がここでやりたいこと、一番根本的な法則から現在の世界を逆に計算することとは逆なんだよ。 **素材・道具  人類の最大の特徴の一つが、道具を作り使う「技術」を持つことだ。といってもそれは人類の独占ではない。  人類の道具と同質で精緻なものが自分の体の器官として進化しており、それを使いこなす生物は昆虫や植物、単細胞生物を見ても多数ある。  さらに、自分の体から出たものでない、周囲の環境にある物体を変化させて利用する動物も少なくない。アリが穴を掘って巣を作るのも、ある種の魚が水を吐くのも、ビーバーが木を切るのも、細胞すら持たずDNAと覆いだけの存在が別の細胞に侵入して自己増殖するのも「周囲の環境にある物体を利用し」ている。  人間が言う道具に近いものも、大型の鳥や人類に近いサルはある程度使える知能がある。  人間が道具を使うというのは、まず手足など自分の体の延長……手足や歯で行える行為と質的に同じだが、人間の力では不可能なこと……として周囲にあるものを用いること、さらにそれをより使いやすくするため、力を加えるなどして変型させて用いることだ。  その道具を作る技術は情報として貯えることができる。人類は情報の伝達にも優れており、特に群れの中で子供に情報を伝えることができるから、見つけだされた道具の作り方・使い方などの情報は知識として群れに蓄積される。  それが人類の、ほかの動物との最大の違いかもしれない……どんどん新しい知識を蓄積できる。  その前に、人間の肉体の道具としての面を見ていこう。人体生理自体は見たが、人間の道具の多くはそれを拡大延長するものだ。たとえば石を先に固定した木の棒が、拳を握った腕をより長くして拳をより硬く重くしたのと同様であるように。  人間の体でも、手と口には特に様々なことができる。   手ではものを持ち上げる、つまむ……小さく表面が柔らかい二つの面を、平行なまま互いに近づけてなにかを両側から覆って圧力をかけ、それで軽いものの位置が変わらないようにしたりする、圧力をかけて押しつぶす、固い質量を高速でぶつけて衝撃を与える、下向きに曲がった曲面を作って液体を保持するなどとても多くのことができる。上述の棒を握ることで、長さが限られた棒としての腕を長く伸ばしより重く硬くすることができる。  口も、一番前にある平たい歯で、線といっていいほど狭い領域に上下から硬い歯で高い圧力を加えてものを切断……ひとつながりだったものを二つにする、円錐形の歯で一点に高い圧力をかけ、またそれを上下からかけて固い表面を破る、指よりもっと高い圧力をかけて潰すなどいろいろできる。  体全体では体重ぐらいの質量をもつ物体を地面から上に移動させ、そのまま体に固定して共に移動することができる。  人間はそれぞれを、道具を用いてより強い力でできるようになっていった。  ちなみに、技術水準の評価としては、実はこれは別々ではないが「木を切断する能力」「土砂を移動させて構造物を作る能力」「より重いものを速く遠くへ運ぶ能力」がまず先行する。その後で、後述する色々な文化の進歩がある。  更に深い本質は「利用されていない淡水を利用する面積」「利用できる燃料の量」「最大温度」「情報・物資の移動」にある。  どのような素材が必要なのか?  長く長軸以外に変型しやすいもの……繊維……糸・紐・縄・綱  薄いもの……板、布、革、金属(薄くて更に自由に変型する、さらに染色・筆記・印刷に優れていればなおよい)  柔らかいもの……藁・繊維、粘土  固いもの……土器・石材・レンガ・木材・金属  鋭いもの……石器、金属  水に溶けない液体……生物の脂肪分・生物が化石化した複雑な炭化水素分子・その他  ものを溶かし、自由変型してから自分は空気に混じって気体になって消える液体……水、各種油  べたべたくっつくもの……生物の組成の一種、各種油など  水に溶けず、自由に変型する固体……ゴム  熱に強いもの……一部金属、石、ガラス、耐火レンガなど  熱で簡単に溶けるもの……一部金属、蝋など  液体から固体になるもの……セメント、泥、土器粘土、金属、蝋、化石炭化水素など  ほかの物質を変化させるもの……水をはじめ多種多様  エネルギー……大気中で燃焼する生物由来の物質など  色などを与えるもの  それらについて詳しいことはおいおい説明していく。  さらに後に、内部の電子の動きやすさから放射能防御まで多彩な性質も求められるようになっている。また将来何が必要とされるかもわからない。  物質でできた物には、熱力学第二法則に由来する法則がある……物体は変化し、壊れていく。特に人類が暮らす陸上という環境、人間の寿命という時間スケールでは多くの素材が寿命内で、一見長持ちする素材でも人間の寿命より長い時間で見ればいつかは崩壊していく。ただし地域などにもよる。  短期間で崩壊するのは生物由来の木材などだ。特に大気中の気体の水が多く温度が高い環境だったり、よく水に濡れる環境だと、微生物が繁殖してすぐに美しさと強度を失ってしまう。生物由来などの色々な物質を塗ってある程度遅くすることはできるが。  金属は利用するとき元素だけ取り出すことが多く、それは酸素などと化合しやすい。ただし、鉄などはどんどん内部まで酸化して強度を失うが、アルミニウムやチタンなどは表面だけに酸素と化合した膜ができ、それが酸素などを通さないので内部は酸化しない。また銅や金も酸素との化合はしない。  岩石は元々、酸化などがしつくされているので化学的には安定している。ただし、形を永遠に維持することはできない……風に飛ばされた砂などさまざまなものが常にぶつかり、また温度の変化があると、特にそれが水が固体になる温度があると、液体の水が固体になるとき膨らんで強い力を出す。また様々な生物にも壊される。  日光と空気中の酸素分子や硫黄や窒素と酸素の化合物、そして水も、長い時間はかかるが事実上すべての原子のつながりを壊していく。  それに、人間自体がいろいろなものを欲しがり、そのためにあらゆるものを壊す。 **人間界における水  人間に認識できる範囲、人間にとって重要なものの働きの範囲で、特に重要な物質である水の挙動を少し見てみよう。繰り返すことも多いが。  水の性質は上でも説明したけど、人間の体温前後かつ現在の海面近くの気圧では液体であり、それよりある程度分子運動が少ない……冷たいと固体になり、また温度を上げていくとある温度で分子の運動のほうが大気の圧力より強くなり、特に水の中に不均質な何かがあるとそれを中心に気体になって泡が出、最後には大気に混じって人間の目が見る光では透明になる。逆に大気に混じった気体から液体になるとき、液体から固体になるときも不均質な何かを必要とする。  固体から液体になるとき、また液体から気体になるときそれぞれ膨大な熱を奪う。  塩化ナトリウムや糖が混じると固体になる温度はかなり下がる。だから海の水は固体になりにくく、陸から塩が少ない水が流れ込むところでより固体になりやすい。  固体になるより少し高い温度のほうが固体より密度が高いことはもう説明した。  高いところだと、上に乗っている空気分子、空気の圧力が少ないため、加熱して泡が出る温度がかなり下がる。  液体であれば地球の重力に引かれて下に行きたがる。液体だからきわめて小さい隙間からでも下に行く。水を重力に逆らって止めておくには隙間がとても少ない素材で、しかも三次元的に凹の構造がなければならない。  また非常に隙間の多い素材に触れると、水の表面の分子が互いに引き合う力のために隙間に入り、なかなか出ない。  水はとても多くの固体を溶かす……形がなくなって自分がその色に染まる。だいたい気体にならない程度に温度の高い水は冷たい水より固体を溶かすのが速いし、そこでは原子どうしがつながったり離れたりするのが活発になる。  また溶けたものによっては、空気と攪拌すると泡になることがある。  いろいろなものを溶かすし、溶けなくても水があるだけで原子のつながりが変わったり色々することがある。  ちなみに水には溶けないが油など別の液に溶けるものもあるし、またただの水では溶けないがいろいろな物が溶けている水なら溶けたりするものもある。  水と土が混じると色々面白いことがある。少量だと土の色が変わり、種があり温度がよければ植物が生えてくる。多いと土が軟らかくなり、変型しやすくなるがある程度は形を保つので、好きな形を整形するのに適する。もっと多いと、非常に粘性の高い液体に近くなり、その状態になった地面を移動するのは人間にとってとても困難だ。さらに多いと色のついた水と区別がつかなくなるが、その状態で動かさず時間を経たせれば土の多くは沈んで下方の土と薄い色水に分離する。  水はかなり密度が高い物体であり、それに物を入れると上向きの強い力が働く。また液体に共通するが、分子の大きさまでの小さい隙間があっても低いほうに落ちていく。  空気は気体の水とある程度混じることができ、どれだけ入るかは主に温度で決まる。空気中に水が少ないと、液体の水を普通に置いてあったりしただけでどんどん空気に混じって水が消えてしまう。また植物は常に地中の水を、植物がない状態よりも多く空気中に気体にして逃がす働きをする。  逆に空気中に水が多いと、液体の水はなかなか消えない。  それは温度によるから、一日の間に昼は気温が高く夜は低いため、特に地面に近い部分は気候によって夜に、あらゆる固体表面に水が空気から出てくるし、もっと寒ければそれが氷になることもある。それは人間にとってとても不快だ。 *成長・進化補足  少しばかり、人体生理や進化について補足しておいたほうがいいだろう。  人間をはじめ哺乳類は一部の昆虫とは違い、出産後大きな形の変化はない。  生後数ヶ月は通常の食物を消化できず母乳を必要とするし、約一年は自力で行動することができず移動するには生物でないもの同様に親に運搬される必要がある。保温・免疫なども弱い。脳・運動・内蔵などが未熟なんだ。  一年から三年で立って歩くこと、見て周囲の状況を判断すること、最低限の言葉など多くのことを学習する。それから人間として生きていくのに必要な多くのことを、十年から十五年ぐらい、長ければ三十年もかけて学ぶことになる。  その学習のやり方として模倣、他人の動作や情報表示を感覚で見て自分も同じことを、それも外見のみではなく相手の目的を理解してやる、というのも重大な人類の特徴かもしれない。  十年から十五年ぐらいの間に、性的に成熟して雌雄とも生殖可能になり、運動能力もある程度大人に追いついていく。ただし雌が出産するリスクが、人類というその意味では欠陥種の標準になるのは十八年ぐらいしてからだし、また体力的に大人に追いつくのは大体十七年から二十年、脳が完全に成熟するのは二十年を少し過ぎた頃だ。生後十年ごろから二十年ちょいまでは非常に攻撃性が増し、精神的にも不安定になる。配偶者を選ぶ、場合によっては群れを離れて新しい群れを形成するなどさまざまな経験があるからでもあろう。  女性の生殖可能期間は四十から五十ぐらいまで。つまりすべて双子で無事故、養育援助を無制限に得られるとしても六十人が上限、標準では十人前後だ。昔の苛酷な環境ではその大半は死んでいただろうし、上述のように人類の出産にはかなりの無理があるので母親が死ぬ率も非常に高い。  男性は、理論的な上限としては一日三人×三百六十五日×六十年というとてつもない数の交接が可能だ。それに交接から出産に至る率を掛け合わせても膨大な数になるし、実は一度の交接で放出される生殖細胞の数は億単位だから、それを高い技術で活用すると……  最大寿命は百二十年、健康で資源に恵まれた個体の標準で八十といったところか。雌のほうがやや寿命が長い。  雄と雌の生殖可能数の違いも、多くの生物にとって本質的なものだ。  多くの生物は、まあさまざまな要因で同一個体が雄になったり雌になったり、一つの個体の体に雌雄双方の生殖器官を備えているものも多いが、雌の大きい、酸素呼吸や光合成をする共生極微生物を含むさまざまな機能を備えてDNAのみが半分しかない細胞に、逆にDNAの半分以外の大半を切り捨てた雄の生殖細胞が侵入、DNAのみが合わさって新しい完全なDNAを持った卵になる。  その後多くの生物は体内で卵をかなり細胞分裂させる。その間栄養や酸素を補充してやり、または外に出した後にも生活できるように多量の栄養を与えるために、膨大な栄養を投入することになる。雌だけが、だ。  逆に雄は常に、膨大な数の、ごくわずかな栄養分しか消費しない生殖細胞の生産だけでいい。  ここで常に「栄養(をはじめ資源)」の「投資」、そして「個体の生存」「繁殖」「血縁を含むDNA自体の複製成功・存続」が密接に関係しつつさまざまな異なる利害を持っていることを意識してほしい。ここは人間が理解するために経済の比喩を使うのが普通だ。  その性質上、特に人類のように少産少死戦略をとる生物の場合には、雄はとにかく多数の雌を妊娠させるのが最も自らのDNAの存続に貢献しうる行動であり、反面どの子供も本当に自分の子供か確認する術を持たない。今の人類ならDNAを調べて確定できるが、そんなことができる世界で生物は進化していない。  逆に雌は親族、特に雄が大量の食料を「投資」してくれないかぎり子供を育てることができない。特に人類のように極端な少産少死で、しかも妊娠による雌の行動能力減退期間・子供が自立するまでの期間が長い動物は、もっとも子育てのための資源を確保し続けてくれる、かつできるかぎり遺伝子の質の高い雄を選ぶのが得ということになる。また雌は本質的に、出産直後大きい特徴が出る前にひそかに交換しない限り親子関係は確定しているので、自分の子供を確実に育てることが自分のDNAの存続には有効だ。  またある程度視覚が発達した大型脊椎動物を中心に、「性淘汰」という概念がある。  本来それが考えられたのは、進化論と合理主義からは説明するのが困難な生物が多数、人類にとって身近に存在しているからだ。明らかに移動する役に立たない巨大な羽をもつ鳥、実用性など何もない巨大な角を持つものなどいろいろと。  ではなぜそんなものがあるか? 説明としては、雌が多くの雄から交配相手を選ぶことができるときに、その選ばれやすさにそのような羽や角があると考えられる。普通ならば遺伝子の質が高い……丈夫で、体の形が種の標準に合っていて病気などの痕跡がない雄を選べばいいが、逆に「これだけ無駄なものをつけているのに、それでも今まで生きてきた、それだけ自分は強い」というアピールが有効だとしたら? それによって無駄な羽や角が発達したのではないか? というのが今は多くの人が認めている。  また、遺伝子を支配している原子が結びつく法則自体が、ある変型をしやすいとしたら、その方向に進化してしまうこともある。逆に、進化ではどうしてもできないことも多い……チタンや非常に硬い結合をした炭素を歯や表面を覆う防護に使う生物はいない。  性淘汰は後に説明する、人類の文化や脳の構造にとってきわめて重要な要素だ。 *群れ  上記のものを手に入れる前の人類は、基本的にはサルと同じような生活をしていたと考えられる。  肉体的には完全には草原に適応してはいない……しているとしたら、立体視よりも左右を広く見ることを優先して目を左右に寄せる、足を変化させてより速く走るなどしていたはずだ。むしろかなりの技術を前提とした動物として進化していると考えたほうがいい。  どこに住んでいたか……アフリカの赤道付近、やや東側であることは確かだ。それ以上のことはわからない。  血縁中心の群れで生活していたはずだ。同じ、人類になる直前のサルの群れと群れがどう関わっていたかはわからない。  その「群れ」というのも説明が必要かもしれない。生物、特に動物には、同じ種で集まる生き方をとるものがある。脊椎動物にも昆虫にもその他にも。  たくさん集まっていると、水や食物が少ないときには独り占めした方がいいに決まっているから食べられる量が少なくなるとも考えられる。  でも自分を食べるほかの動物に襲われたら、群れを単独より大きい生物と見てしまって襲うのをやめる捕食者も多い。多少犠牲が出ても、たとえそれが自分自身でも、自分と血縁が近く共通の遺伝子が多い群れの仲間が生きのびればいい。また、一対一では絶対勝てない大きい肉食動物を、集団でなら追い払える可能性がある。  この有利というのは、「生物の目的は自己の遺伝子のコピーを多く残すこと」という、DNAの性質から考えられるものの考え方だ。ただし、物事はいいだけであることも悪いだけであることもそうない。普通はいい面も悪い面もある。というかその「いい」と「悪い」という言葉自体が……詳しくは後で。  さてと、他にも群れには有利な点がある。繁殖のための同種で性が違う仲間を見つけるのが楽になる……反面同性の競争相手も近くに多くいることがあるが。また、単独ではできないことをすることができる。アリは多数が力を合わせて土を移動させ、巨大な構造物を造りあげる。  動物が群れでいる、というのはそれほど簡単ではない。皆が勝手なバラバラな方向に動きだしたら群れにならないから、どの方向に動くか情報を共有しなければならない。他にも様々な問題がどうしてもある。  群れで重要なのは情報の伝達と行動の確定、群れの成員の判別、群れの縄張り、順位と最上位者の確定などがある。ただし群れの順位、最上位者の概念は大型脊椎動物には見られるが、社会性昆虫には見られない。  情報の伝達は群れとして生きることそれ自体の利点と深く関わる。どんな生物の脳も……脳を持たない単細胞生物でさえ、たとえば「食べものが右にある」は、感覚器から直接処理し、そちらに向かうことができる。でも、群れなら群れの人数だけの目があり、より食べものや敵を見つけやすくなる。だが、一匹がなにかを見つけても、それがどこにあるかを脳の中の情報から別の形の情報に翻訳して全員に伝え、どう行動するか決め、皆がその決定に従わなければ無意味だ。その情報伝達が多くの群れ動物では重要だ。昆虫には、動き回って太陽を基準に餌の正確な位置を示す種もある。声、匂い、その他実に多様な情報伝達手段がある。  最上位者からはじまる順位は「群れがどう行動するか」を決めることに必要だ……バラバラに行動することを避けるため、誰かの判断に全員が従うとした方がいい。たとえ間違った決断をすることがあっても、決断できないより生きのびる確率は高い。また群れのメンバーが同種だから生殖上・食料の上で競争相手になることにも関わる。誰もが多数の子供を作りたい。特に大型陸上脊椎動物の雄は、一般に一匹で短期間に多数の雌と生殖できるから、できれば雄一匹雌多数の群れが望ましい……現実にそんな動物も多数いる。でも雄も多数いる群れを作る動物もおり、その場合最上位者の支配力や慣習、順位によってそれらを配分する。食料の配分の上でも、最上位者の確定と群れの順位は非常に重要になる。  誰が上かを決めるのに、多くの動物で相手を殺したり死ぬほど傷つけたりしないで争う方法が確立されている。二匹が接するたびに殺し合っていたら群れにならない。前述の、人間の拳が壊れやすいのも殺し合いにならずに争うことができる、という意味では適切なのかもしれない。まあ後述するように道具を覚えて台なしになったが。  注意して欲しいのが、食料にしても繁殖相手にしてもどの個体も手に届く物は全部欲しい、自分の遺伝子を増やすために。だがそのために群れが滅んだら、結果的に自分の遺伝子が伝わることも不可能になる、という深刻なジレンマが本質的に存在していることだ。  誰が群れの一員であり、誰が違うのかを判別するのも重大な問題だ。多くの動物は嗅覚が発達しているが、人類は嗅覚がかなり弱いのでそれに頼れない。  縄張りというのは群れに限らず、むしろ単独で暮らす動物一般に見られる行動パターンだ。地球上のある区域に、自分と同種の生物が入ることを生殖のための異性を除き防ぐ行動を取る。その区域の食物を独占しておけば、長期的に食物を得られる確率が高まるからだ。群れる場合は群れの成員に限り個体どうしの縄張り意識を弱め、代わりに群れ全体が一つの個体であるようにひとつの大きい縄張りを守る。  あと、昔の人類はまず間違いなく肉も木の実も草も虫も、実に色々な物を食べていただろう。身の回りのあらゆる生物について詳しい知識を持っていたはずだ。そうでなければ生きられなかったはずだし、今生き残っている孤立して狩猟採集生活をしている人々もそうしている。  あとついでに、特に大型の脊椎動物は一定の空間を認識し、その空間に自分と同種の動物を入れないようにすることを好む。  また、安全な場にこもって眠る種も多い。 **リスク・判断・偶然  動物は動いて何かをすることで生存・繁殖する。  動けば、または動かなくても時間が経つにつれて結果がある。その多くは偶然、統計確率に支配されている。それが動物が存在し、因果に支配されたこの世界での最も根本的な法則と言えよう。  単純に動くか動かないか、大抵は動く方向をいくつか選ぶぐらいはできるからどちらに動くか、で多くの選択肢から選択することになる。  それが、「生存し繁殖する」という生物の本質的な目的にかなえば種が残り、かなわなければ絶滅に向かう。  詳しくは後述するが、人間がよく間違えるのは「正しい行動」があるという考えだ。正しいと間違っているの二つに極端に考えることで、思考を節約してしまう。  人間にはなまじ豊富な感覚器と高い知能があり、行動する前に未来について思考し、その中で最も利益になる未来が予測できる行動を選ぶことができるからでもある。  だが実際には、ある行動の結果は、特に長期になると予測できない。物理的に単純なことであっても、多数積み重なると最初の条件にどんなわずかな違いがあってもそれが大きな結果の違いを生みだしてしまう。あらゆる事は統計確率に支配されている。  また、あまりにも、多くの要因が絡むために事実上予測不能になること、偶然が生物が生きていく世界には多すぎる。  いえることは唯一つ「一つのバスケットに全ての卵を入れるな」。後述する鶏卵は素晴らしい食料だが、衝撃を受けると割れて液状の中身が流れ出し、食べられなくなる。たくさんの卵を得たとき、それ全部を一つの籠に入れて運べば一度の移動で済むから運動は節約できるし楽だが、その一度でたまたま転んでしまったり何かにぶつかられたりしたら全ての卵を失う。複数に分ければ、そのどれで転んでも全滅は免れる。  人類という、極端な少産少死自体その点ではまずいし、まして後年の近代都市以降は極度に生まれた子供の死亡率が低いため、リスクが存在していること自体忘れられてしまう。特に人間は、ちゃんと統計的・論理的にものを考えるのがものすごく苦手だし。  あと、判断は常に正しい判断と間違った判断があるように思われてしまうが、実際にはあらゆる事に損得の両面がある。 *狩猟採集時代 **人類生理から  さて、人類になった。それから何百万年も、アフリカの草原と森林の中間で暮らしていたことは確かだ。人類が進化して大体形になってから今までの、圧倒的に長い期間は似たような生活をしていたはずだ。  アフリカにもいろいろな気候・植生がある。どんなところだろう? 人体から考えてみよう。  人類は汗をかくので、水を飲まずに長期間活動できない。ただし汗は強力に体を冷やすので、水と塩化ナトリウムがたくさんあれば、同じ体重の動物で比べると遅いが非常に長い距離を移動することができる。だから一番昔の人類は、水がとても豊富な地域に住んでいたと考えられる。元々熱帯雨林は水が豊富だし……そうだろうか? 人類が最も早く知った食物に、長い茎で地上に広がったり別の木にからみついて上に登ったりして、豊富に水を含む大きい実をつける瓜の類がある……それがどこにでもあれば、それほど水が豊富な地域でなくてもいつでもどこでも水を補給して長距離移動できた。また水を運ぶための品がきわめて古くから発明されており、人類の体質が大量の水を消費するものになる前だったら? まあいい、どうせわからないことだ。  そんな感じで考えられることはたくさんある。  ではまず、上で解説した「人間が必要な物」をアフリカの森と草原の中間という環境でどう手に入れていたかを順に考えよう。  短期間生きるのに必要な、適度な酸素を含む大気とかは別に人間が何もしなくてもある。地球は非常に大きく、大気はとても多い……人間の尺度で言えば。また悪い電磁波や高エネルギー素粒子はほとんどすべて大気と地球自体が発する磁場が防いでくれる。  だが、上で注文した物と同等のものはやはり必要とされる。それをどうやって入手していたか?  水、それも塩化ナトリウムが多すぎない、また変な化学物質や微生物が多すぎない水が必要だ。まず空から降ってくる雨があるが、特にアフリカの草原は雨季と乾季がはっきりしており、雨期にはたっぷり降るが乾期にはあまり降らない。  ただし川や地下水が地面に自然に湧いている泉などがあり、そこではかなりいい水がたくさん常に手に入る。さっき言った、水を豊富に含む植物の果実や傷つけると水分に富んだ水を出す植物そのものを利用することもあっただろう。 **食料  さて食料だが、そこら中にたくさんいるあらゆる生物が潜在的には食料になる。生物でなく食べるものは残念ながら水と塩化ナトリウムぐらいしかない。窒素と酸素や炭酸とカリウムやカルシウムの化合物などが保存や味に少し使われるぐらいか。  植物はたくさんあり、位置を変えて逃げたりしないので取りやすい。ただし一部をのぞいて消化しにくく、食べられないように多くの毒を持っている。膨大な量を考えると残念だが、固い木質は人間にはまったく消化できない。  葉や木の芽、木の皮の内側、そして花や実、地下の繁殖・貯蔵に用いられる普通より太くなった根などのいくらかは、人類がなにもしなくても食べられる。歯の構造などから見て昔の人類はそれを主に食べていたと思われる。一部の実以外には糖と、ビタミンCなど人間が自力で合成できない化学物質のいくらか、多くの微量元素が含まれている。  大抵タンパク質は少ないしバランスが悪い。人類の体の細胞は多くの分子を作れるが、ビタミン類やタンパク質の基本的な分子のいくつかは自力で合成できず、外から食べる必要がある。その単純なタンパク質はどれか一つだけをたくさん食べても人間の細胞にはそれを相互に変換する能力がないのでダメ、全部ある程度ずつ必要だ。逆にそれを考えると、昔の人間が何を食べていたか分かりそうなものなんだが。  土や木の中の非常に細長い体が無数に絡み合って伸び、周囲から栄養を食い、ごく小さな塊で増える生物が出す比較的大きい塊もいい食料だ。多くは猛毒があるから、知識が必要とされるがね。  動物は移動して逃げたり反撃したりするので、つかまえて殺し、丈夫な皮膚などを破って食べるのがかなり大変だ。でも脂肪やタンパク質がたくさん含まれている。  さまざまな虫は手に入れやすく、多くはそのまま食べられる。だが有毒なものも多く、安全に採集するには高い知識がいる。また一つ一つが小さいから、見つけるのは簡単だけど腹いっぱいになるまで集めるのは大変で、そのために必要なエネルギーのほうが得られるエネルギーより多くなってしまうことも多い。ちなみにそれは木や草の実も同様。さらに言えば、前言ったように土にはたくさん小さい生物がいるけど、だから土を食べて生きられるかと言うとそれは人間には辛い。エネルギーの密度が低すぎるんだ。  逆に大型脊椎動物は人間が必要とするタンパク質全部と脂肪を大量に含み、きわめて効率の高い食物だ。  自分の糞を食べる動物も多くあるが、知る限り人類はそれをしない。糞を食べることは、腸内の細菌を食べるに等しいためそれを繰り返すことで頑丈な分子の多い食物も吸収できるんだが。あと腐肉もあまり食べない。といってもそれは現在の人類の話で、とことん昔はどうだったか知らない。  味覚について補足しておくか、人間は生きて活動するために必要なものを食べると、舌表面にある器官がそれにどんな分子が含まれているかに応じて脳に情報を送り、脳がその情報を受け取ると快や不快を感じる。そして快であればそれを再び得たいと脳が強く思うし、動物としてはそれを得るための行動を反復したがる。単純な糖・脂肪・タンパク質・塩化ナトリウムなどに対して特にそれを強く感じる。逆にこれは毒だと脳の奥が分析したら吐き、不快になって二度と食べないようにする。  ついでにそれで後述の乗り物酔いなんてのが起きる……目と耳の奥の加速度探知機の情報が矛盾したら、毒を食べたと脳の奥が判断するわけだ。  人類が道具を覚える前、より単純なサルであったころ食べていたものを現在の人類の体から推測してみよう。次に述べる調理なしで、生きているまま食べられるものだ。  まず上述の、植物の実で、特に水分や脂肪が多いもの。その他植物の葉・芽・根など。きのこ類の一部。さまざまな虫や陸上生活をする貝類。特にハチが巣に貯める蜜。小さい魚。動物の脳・内臓など。それぐらいだな。  ビタミンCやタンパク質の単純ないくつかを自力で合成できない、草や木の固い繊維をろくに栄養にできないことを考えると、植物と多分虫など小さな動物も食べていたと思われる。大量の水を常に必要とすることから水場に近いところに暮らしていたとも考えられ、なら水場にいる魚や貝も食べていただろう。  人類が大型動物の肉を豊富に食べられるようになったのは進化から見て最近のことで、それ以前の多くの植物も食べていたサルの特徴も引き継いでいる。  できれば動植物両方を食べるほうがいいが、動物質のものと、植物の中でも脂肪や糖の多い種や果実を好む。  また後で詳しく言うが、人間は「動物を殺さずに得られるもの」を食べる方法も手に入れた。動物の死体の多くは骨など食べられないものなので、殺さずに得られる食べ物のほうが動物が食べる食物の量から言っても、いつでも食べられるという点から言っても都合がいい。哺乳類の乳、鳥類の卵、動物の血液、ミツバチの蜜などがそれに当たる。 **調理、石器  さてと、人間はただ生物を食べるだけじゃない。その食物を調理……なんらかの方法で大きさや原子のつながり方を変え、死なせてから長時間微生物に食われないよう保存する。  というか、ここに動物の死体が食べてくれと放り出されている。それをどうやって食べればいい?  典型的な哺乳類とすると、上で述べた人類と大体同じ、ただ二足ではなく四足で、全身を長い毛が覆っている、と考えれば間違っていないだろう。  口に丸々入るほど小さい動物、特に昆虫や陸上生活をする貝類などなら、そのまま口に入れ、歯で噛み砕いて……あごの力を利用して圧力をかけ、殻などを砕いて飲みこめる。人間の味覚には合わないことが多いが、少なくともそれで栄養を得ることはできる。だが今の、私と同じ生活水準にいる人に、口に入るほど小さい哺乳類の死体をそのまま噛み砕いて飲みこめといったら……餓死するほうを選ぶ人も多いだろう。  肉食動物が他の動物の死体を食べるには、大型哺乳類の場合は皮膚を切断できる非常に鋭い歯がある。後に説明する鋏に似て、複数の方向から狭い部分に固い歯で高い圧力をかけることで小さくても破れ目をつけ、そこに力を集中すると破れたところから破壊が広がっていく。どちらも我々の次元・物性でしばしば見られる破壊方法だ。それで比較的柔らかい腹の皮膚を切断し、まず一番柔らかい内臓から食べ、栄養豊富な血液を飲む。より頑丈なあごの持ち主は筋肉や脂肪組織や皮膚、そして骨の中の脂肪がたくさんある髄を食べる。中には死んだ肉が自分自身に含まれている化学物質によって分解され、柔らかくなるまで待って食べたり、さらには微生物に食われて変質したものを食べるものもいる。  道具を得る前の人間には、大型動物の皮膚を自分の歯と爪だけで裂くことはできなかったから別の肉食動物が倒し、食べかけている肉を横取りしていたとも考えられている。実際に自然界には、主に別の肉食獣が食べ残した腐りかけた獲物を横取りする肉食動物は多い。といってもそれにしては人類の消化能力はやや低く、ひどく腐った肉を食べるとすぐ体を壊すんだが……まあわからない。いや、多分「道具を持たない人間」なんて生きられない、人間が今の形になったときにはもう道具を使っていたんじゃないか。  動物全体で見ればその「食べ方」だけでも実に多様だ。特に小さい昆虫やそれ以下のサイズ、海の無脊椎動物は本当に多様だよ。たとえば生物の体を溶かす液を口から獲物の体内に入れ、溶けたのをまとめて吸う動物も多いし、中には胃を口から出して獲物を包むという食べ方をするのもいる。  まあそれはともかく、大型哺乳類である人類にそんな能力はないし、歯や爪も弱いが、大型動物も運がよければ食べていたと考えられる。土の深いところに埋まっていた昔の人類が暮らしていたところに、大型動物の骨が見つかっている。どうやってかというと、その近くで見つかる割れた石を用いていたと考えられている。  割れた石……石器だ。地上にはたくさん固い塊が、人間の目では見えないほど小さいのから身長の何倍もある巨大なものまである。それは強い力を与えると割れ……一つの塊が、ある面によって二つになる、二つ以上のこともあるが……その割れた面の角が鋭角をなしていることがある。  ちなみに固い物体に二つの交わる面があるとき、その境界線により柔らかいものを当てて力を加えると、柔らかいものが耐えられる限界より大きい圧力を与えられるなどして、柔らかいものが二つに分かれることがある。生物に石より硬い部分はめったにない。硬いとか柔らかいとかいう言葉は……説明するのは簡単じゃないな、切れるということも。  自然にある割れた石を使える動物ならいる。でも、人間は意図的に石を割ったりして、必要な形を作り出すことができる。  それで大型動物の肉や脂肪を口に入る大きさに切り取ることができた。  ちなみに血液もとても重要な食料資源になりえる。中の糞を除いた腸の管に、血と脂肪を入れて固め、加熱した保存食が昔から好まれている。後に血液の代わりに細かく切った肉になったのもあるが。  ついでに、進化段階の人類にとって、石器や木の棒、火など道具を使えたことは、多くの動物が捕まえることはできても食べることが難しい、体を頑丈な骨の板で覆った動物を食べることができた、という意味も大きかったと思ってる。そいつは多くの動物にとって、食べたくても骨の板をこじ開けて肉に達するのが難しい。だが動きが遅いから捕まえるのは簡単だ。そして道具を使いこなせれば、その骨の板をこじ開けて肉を食べることができる。  ここで思い出して欲しいのだが、上で私は肉を加熱するよう頼んだ。それは私が文明人で、加熱していない肉を食べることに慣れていないからかもしれないが、人類の消化能力はやや弱く、肉は加熱したほうが食べやすい。また肉についていて、瞬時に増加する微生物や寄生生物も加熱することで殺せる。より安全になるわけだ。  食べやすい、というのは結構大きい。物を食べると、体内で固い組織を壊し、細胞を壊して利用できる細かい分子にしていくのにはものすごいエネルギーを必要とする。場合によっては食物から得られるエネルギーより食物を体内で壊すエネルギーのほうが大きくなりかねないぐらいなんだ。加熱したり、細かく潰したりするとそのエネルギーを節約できる。  多くの植物のデンプンは、水を加えて加熱すると構造が変わり、人間にとっては味もよく消化もしやすくなることも重要だろう。  昔の人間は加熱するには火を用いるしかなかった。 **火、土器  火というのは地球陸上の気圧・大気の構成比・重力、人間のものの大きさで起きるとんでもない現象だ。  特に死んで水分が蒸発した生物体、中でも植物が火になるのに適している。大きさも重要だ、あまりに小さいとあっという間に消えて制御できず、巨大すぎると表面積と体積の比が悪くて火がつきにくい。人間という生物の大きさはその意味でも絶妙だったな、十倍や十分の一どころか半分や二倍だったとしてもあらゆることが変わっていただろう。  前に言った石炭や石油など生物由来の炭素と水素の化合物など、本来は金属や水素の単体も火になる。ただし地球の、人類の手に届くところには金属や水素の単体はほとんど見られないが。  火が燃える、燃焼というのは要するに急速な、発熱する酸化だ。いろいろな原子どうしがくっついたり離れたりするのには常に熱や電気など様々なエネルギーの出入りがある。  酸素分子が二割ある大気に触れた状態で、そのような性質を持つ物質を、ある温度……水の沸点よりずっと高い温度……まで加熱すると、主に炭素や水素の原子がその分子から離れて酸素と結びつく。温度によって原子が結びついたりすることのしやすさが変わったりするんだ。それで大量の熱が出て、その熱は周囲を加熱する。それで温度が上がった周囲の部分で、同じような激しい酸化が始まる。ということで、酸素か酸化しやすいものがなくなるまで、その連鎖的な酸化が続くわけだ。その熱はついでに燃えるもの自体を液体・気体にし、その高熱の気体は光も放つことが多い。  ちなみに熱を帯びた気体は普通の大気の中なので上昇し、周囲から比較的低温の空気が入るから酸素の供給が続く……実は地球に重力があり、大気が温度によって密度が変わり、密度が違う気体が接していると高い密度の気体が上昇する、という条件があるからこそ燃焼なんてことが起きるんだがね。無重力じゃ燃焼は持続しないよ。  そして、特に植物の乾燥した死体が燃えると、そのときには加熱されて酸化されたり原子のつながりが変わったりして気体や細かな粒子になった物質が混じる、色のついた気体が見えて煙と呼ばれ、燃えたあとには白い、とても細かい粒子でできたそれ以上燃えない砂のようなものが残されて灰と呼ばれる。ナトリウムやカリウムなどの金属成分の単純な化合物だ。煙がなにかに当たって冷えると、煤と呼ばれる炭素の微粒子や様々な分子がくっつくことがある。ちなみに動植物問わず、油が燃えるとほとんど灰が残らない。また空気がうまく供給されないで木を燃やすと、炭素だけが黒い塊として残ることがあり炭と呼ばれ、高級な燃料として使われる。固い物が煙に触れ続けていても炭素だけがくっつく。  灰自体も、現実にも魔術としてもきわめて多様な用途を持つ、人間にとって重要な素材だ。  ちなみに、人間から見ると、あらゆる固体・液体を「燃える」「焦げる」「溶け、蒸発する」の三つに分けることができる。「燃える」ものは水が少なく、炭素と水素の化合物で生物由来が多い……本当は金属単体も燃えるが、自然界にはそれはほとんどない。「焦げる」のは炭素と水素の化合物の複雑なものが結合を熱で切り離されて多くが組み合わせを変えながら気体となり、黒く炭素が露出することだ。炎を当てれば燃えるが炎を使わず加熱すれば焦げる物質も多いし、炎でさえも焦げるだけで燃えない物質も多くある。「溶け、蒸発する」のは加熱により上記の、固体→液体→気体の普通の変遷をしてしまう物質だ。単純な化合物が多く、生物由来のものはまずそうはならない。うまく加熱すれば固体から直接気体になるのもある。  さてと、昔の人類の周囲では主に植物が枯れて乾燥したものが燃料となる。だが、最初に高温がなければならない……それはどうやって得ていただろう?  自然界に火が全くないわけじゃない。火山の溶岩が木に触れたり、また大気の風が電荷を動かして悪天候の時に超高熱が発生することがあり雷と呼ぶんだが、それで植物に火がつくこともある。水がうまく曲面になると、それが日光を曲げて、集中すると温度を上げることもあり、時にはそれが火になる温度にもなる。さらに二つの物質が触れ合ったまま動かすと動かされることに抵抗する摩擦という働きがあり、そのときに熱が出るんだが、風で木の枝が動いたりするときにその熱が出ることもある。火に順応した植物もいるよ、種が火に耐えるだけでなく、火にあわなければ成長を始めないものもある。  逆に、動物はその火を恐れる程度に火に進化として適応している。だからこそ人類は火を燃やし続けることで、人類を食べようとする別の動物を……人類以外は……遠ざけることができる。  多分とことん昔の人類は、その天然の火に枯れた植物を加え続けることで、火を持続させることができることを知ったのだろう。だが一度火が消えたら、もう火を手に入れることはできなかったはずだ。火は上記からわかるように、燃えるものがなくなる・酸素を多く含む空気が供給されなくなる・全体の温度が下がる、のどれかで消える。特に水で濡れると温度は簡単に下がる。逆に多量の空気を吹きこむ・火を高く重ねて下の火が出す熱い光と、熱によって密度が下がり上昇する空気の流れを利用するなどでより高い温度を得ることができる。  ある程度以上進歩した人類は、火を自分の手で作り出すことができた。その方法としては木を摩擦する、鉄にある種の石を叩きつける、日光を曲げて集中するなどがある。ただしそれはとても大変な作業……特に光を操作するには高い技術が必要……だから、できるだけ火を保つことを選んでいたはずだ。燃えにくく水を通さない素材でうまく火を包めば、かなり長いこと火を保ったまま持って歩くことさえできる。  あと火は非常に危険なものだ。高熱だから人間の体でも触ると細胞が破壊されて傷を負う。火を制御する技術も重要で、たとえば水をかければ水の膨大な比熱および蒸発のときに奪う熱で一気に燃えているものが冷え、火が消える。砂をかけても空気が遮断され、酸化が進まなくなって消える。上記の、燃料・熱・酸素の三要素のどれかを断てば火は消える。  あと火をただ燃やすだけでなく、火が出す熱……ほとんどは煙とともに、熱い空気として上に上昇する……を無駄なく使う工夫も色々あるが詳しくは後述。  その火は調理・保温・物の加工・後述する光など実にさまざまな役割を果たす。  さて、その火で食物を加熱するとどうなるか? 生物のさまざまな物質が熱によって変化するので弱い力で噛みちぎれるようになり、体内に取り込む消化器官も楽になる。それに従い味もよくなる。また多くの食物の中にいる寄生生物……微生物からかなり大型のものまでおり、寄生先が食われることも繁殖システムの一部になっているものもある……も殺せて、生存の確率を高める。加熱しないと体内の物質によって食べると有害だが、加熱するとその有害な物質が壊れて食べられるようになる生物もある。  その加熱のためにどうするか、自分の体を加熱してはならないことに注意。ただ火に近づけるのが一番単純だ。また広い葉などでくるみ、灰に埋めてその上で火を燃やし続けるのも安全でいい方法だ。土を盛り上げて中をくりぬき、その中で火を燃やして土の塊を加熱し、そこに食材を入れて穴をふさげば、土の塊に残る熱が食材を美味しく調理してくれる。平たい石の上に食物を置き、石の下で火を燃やせば食物が灰に触れずに加熱できる。  沸騰している水に食材を入れて加熱し、その水ごと飲むという調理法も人は好む。そうすると他の方法では失われる栄養分もたっぷり食べられる。特に塩と脂肪が失われない。水のかわりに油を使って加熱して食べても美味だ……油そのものを飲むのは人間の習慣にはないが。  そのためには、水は液体だからそれが重力で出て行かないよう、水を通さない、燃えにくい素材が必要とされる。それも器の形……重力があるから上は覆う必要はないが、上以外は連続的にふさがった形でなければならない。名前などどうでもいいが、そういうのを鍋とかいろいろな名で呼ぶ。  木や動物の表面……皮も、ある程度それができる。柔軟だから加工でき、水をほとんど通さず、薄ければ自分が燃える温度になるより水で冷やされるほうが早いから燃えない。貴重な皮を使えなくする覚悟があればだけど。  また地面に穴を掘り、水をためて、そこに加熱した石を入れる手もある。木の中をくりぬいたり、中空になった木や表面だけ硬く木質で中空になる実を使ってもいい。  でも皮はほかにも用途が多くあり、地面の穴だとせっかく脂肪などが溶け出た水を飲むのが大変だ。  石で作れたら最高だが、石は人間の力ではそう簡単には加工できないし、割れやすいのでうまくいかない。  いつごろ作られたのかは知らないが、その解になるのが土器だ。金属はいつごろだろうか? わからないので後述とする。本当は土器より金属の方が早いかも知れないが、わかっていないでやってる。  ある種の非常に細かい鉱物が多い土は、水を加えれば簡単に自在な形に加工できる。それを乾燥させると固くなる。乾燥させただけだと水を入れたらすぐ柔らかくなるが、火の温度で加熱すると固くなり、水を入れても柔らかくならないし火を浴びせても燃えない。  形は上だけ開いた円筒や、球を中心を通る平面と、その面に平行な別の平面で切ったものを、中心を通る切断面を上にして置くものなどが適している。球が一番単位体積当たりの表面積が小さいから、素材をそれだけ節約できる。  そして、土器は食べるときに、直接地上に置かれた食物ではなく器の上の食物を食べるという、人間特有の行動も生みだした。おそらく液状の食物を保持するために下に水が出ない形のものが必要とされ、それを他の食物にも用いるようになったのだろう。加熱された食物は手に持っていられないこともあるだろう。  その食べ物入れの清潔を保つために、またできれば多量の水、なければ砂や草や木の葉が必要される。水には食物の食べられなかった部分などが混じり、すぐに有害な微生物が増えるから飲んだりするのには適さなくなる。  火を用いない調理も結構ある。たとえば、表面が非常に強い木質にくるまれており、口では割れないような木の実も結構あるし、また色々な毒が強くてそのままでは食べたら体も壊すし味覚上不快、という植物も結構ある。  それを、たとえば木質の硬い殻がある実は、地面の大きい石の上において、別の手で持てる大きさの石を持ち上げて実の上に落とせば、殻が砕けて中身が出て食べられるようになる。上の歯と下の歯で潰すのを、それぞれ石で代替するわけだ。それもある意味調理だね。石を用いて固い実を割ることは人類以外でも、一部のサルや鳥もやる。  石器で小さく切断することもある意味調理だ。  有毒な植物を食べるのに、上記の石を使う方法で細かく砕いて大量の水で洗う、熱い灰に入れて加熱して熱と灰の化学的性質を利用する、灰と水に混ぜる、後述の発酵などで毒や嫌な味をなくすことができる。それも調理といえるだろう。  粉にして水で長期間洗ったり塩水に漬けるだけで、そのままでは有毒だったり味が悪かったりするものが食べられるようになることも多い。  また色々な味を持つ食物を混ぜることで味をよくすることもできる。今はそれがむしろ調理の主な部分だな。 **食物保存  人類は食物を貯蔵することもやる。これは人類だけでなく、アリや蜂のような昆虫も、一部の鳥も、リスのような小型哺乳類もやる。食べられる植物は一度に大量に実をつけることが多く、食べきれないのだが、それをどこかに集めて他の生物に食べられないようにしておけば量を時間に変えることができる……一度に食べる十倍の量の食物が手に入ったときに、一度に食べることはできなくても保存さえできれば十回食べることができる。翌日食物が見つからなくても食べることができ、生存率がとんでもなく上がる。  人間は食物をただ貯蔵するだけでなく、微生物に食われないように貯蔵することも得意だ。  その方法としては土に埋める・乾燥・燻製・塩化ナトリウムや糖・酸・発酵・乾燥したところに置くなどいろいろある。  ただ穴を掘って上から土をかければ、多くの動物が食べることができなくなる。水分があるほうが保存できる、たとえば栄養をためた植物の地下部分などはこのやり方で保存するのに適している。  ここで重要になるのがデンプンの性質。水に溶けないがある程度水を含んで性質を変え、また水がある状態で加熱しないと人類にとっては消化吸収しにくい。完全に水分を抜けばれば固くなってかなり保存できる。理想的なのは一度水を用いて加熱してから乾燥させたものだ。  乾燥は空気に触れる部分を多くし、温度を上げれば、水が気体になって大気に混ざって出て行きやすくなる。上記の石器を使って薄く切れば空気に触れる部分が多くなる。水分の多い木の実、肉などはこの手でかなり保存できる。  燻製は乾燥に似ているが、日光と空気ではなく火を用いるものだ。燃えないように火からやや距離を置き、主に煙が当たるようにする。そうすると熱で乾燥し、同時に煙に混じっている複雑な物質がついて表面を固めてくれる。味が変わるし、乾燥よりも長期間保存できる。  塩化ナトリウム、塩があればそれを大量につけることで、特に肉などは保存できる。水に塩が溶けることは話したが、塩が多く溶けた水と塩が少ない水が、水を通さないが塩は通す膜を通して接すると、要するに温度とかと同様に同じ塩濃度になりたがって塩が多いほうに水が移動する。そこで圧力差が出てくるんだ。生物の細胞の表面も「水を通さないが塩は通す膜」だから、その圧力で微生物の表面が破れて死んでしまう。だから、一部の塩に耐えられる種類を除いた微生物は塩が多すぎる肉などを食べられないんだ。  同じことが、非常に単純な糖……食べると甘い単純な炭化水素の栄養にも言える。自然界ではミツバチが花から集めて貯蔵しているもの、水分の多い木の実などに多く含まれている。人間は元々その味を好むので、とても重要な資源だ。  多くの微生物は酸も苦手だから、酸に入れてもいい。もともと酸を多く含んでいる水気の多い木の実もあるし、次にいう発酵の結果酸を出す生物もある。発酵で酸が出ることもあって人間の味覚は酸は害があると判断して嫌うが、文化的に好むようになっていることも多い。  発酵というのは、その「微生物に食われる」ことを逆に使ってしまう技術だ。微生物どうしも激しい生存競争があるから、中には食べたものをうまく分解して、他の微生物にとって害になる物質を出すものがいる。そういう微生物で、その害になる物質が人間にとってそれほど害にならない、食べても人間の内臓を犯さない、または加熱して無毒化できる微生物があれば、他の微生物にはやられないから保存になるわけだ。それだけではなく、微生物は固い細胞壁や繊維に守られた生物体を崩してより消化しやすい微生物細胞にしてしまうため、普通なら人間には消化できないものも食べやすくなる。  炭化水素について乱暴にいえば(デンプン→)甘い糖→エタノール→酸(酢)の順に発酵が進む。どれも人間にとってとても重要だ。  エタノールという微生物が作る炭化水素分子は人間にとっては本来毒だが、その毒性がちょっと厄介な働きをする。人間の脳の活動を低くさせ、感覚で得た情報を処理するシステムを狂わせるんだが、人はそれを求めてしまうんだよ。人間は本来毒であるものを病気などを治す薬や、単純に快楽を得るために摂取することがとても多い。ちなみに食料をアルコールにすると、それで保存できることもあるが生存するためのエネルギーとしては減る。水で薄めた蜂蜜、水分の多い木の実、樹液にはほぼすぐにアルコールになるものが多いし、甘いものは発酵してエタノールになる。またある種の草の種が芽を出すときに単純な糖がいくつもくっついて水に溶けにくくなった甘くない糖を分解し、甘く消化しやすい糖にすることもできるので、それもすぐエタノールに発酵される。  エタノールやそれが発酵した酸もそれ自体大抵の微生物を殺すから、それに入れてしまうのも保存になる。  他にも哺乳類の乳も色々な形で発酵する。  特に乾燥した食物は、そのまま乾燥させておかなければならない。上が開いていると雨が降って濡れるし、土に触れさせると土から水が伝わる。また土に触れていると小型の動物、土の中で暮らす微小動物などに食われる。  後に人類が、より寒く水が固体になることがある地域で暮らすようになると、その低温と水が固体になること自体を調理として用いるようにもなった。低温では微生物の活動が衰えるし、水を含む物体が低温になると固まるとき水が物体から出ていくことがあり、それで水と物体を離すことができる。後述するジャガイモや豆製品・海藻製品を保存するのにそれが用いられたり、また長期間きわめて寒い地域では肉や魚を氷にして保存することもできた。  脂肪も純粋にすると微生物に食われにくく、しかも重量あたりのエネルギーが大きいよい保存食になる。ただし残念ながら脂肪だけでは人間は生活できない。人類に限らず動物の体は、脂肪から窒素原子を必要とするタンパク質はもちろん脳や血液が必要とするブドウ糖を作ることもできないんだ。 **糞尿処理  食べて飲んだら糞尿を出す、それはどうしていただろう? さらに食器や後述の衣類を洗うのに、さらに多くの汚れた水が出る。  当時人類がどう生活していたかにもよる。同じ場所で暮らしていたのか、それとも毎日別の場所に移動していたのか。肝心なそれがわからない。  毎日別の場所に移動していたなら、糞尿を処理する必要はない。そのまま地面に出してすぐ移動すればいい。  でも同じ場所で長期間暮らしていると、どこを歩いても糞尿を踏む羽目になり匂って不快だし、伝染病が再び仲間の人間に感染して死ぬリスクが高まる。  そうなるとどうしても糞尿や食べ残しを処理しなければならない。  水があれば、そこに流してしまえばほとんど匂いはない。まあ糞尿で汚染された水を飲むのは不快だし、水を通じて広がる伝染病もあるが、水の量が圧倒的に多ければ問題はない。  土に埋めてしまうのも、匂いも封じられるし時間さえあれば土の中の小さい生物が全部食べて再利用してくれるから問題ない。  人の糞尿を好む動物がいるところに集めておくというのも手だな。そうすれば獲物をおびき寄せる餌にもなる。  火で加熱して土に混ぜても安全だが、はっきり言って燃料がもったいないな。乾燥させてもほぼ安全になる。 **生物資源の加工  動物の死体は、食べる肉以外も捨てる所が事実上ない。人間の技術はそれを様々な方法で加工し、道具などにする。典型的な動物の死体がどうなっているかは、上の人間の体についての解説がほとんどそのままあてはまる。こういう考え方は人間には不快だが、人間も大型哺乳類の一種だからな。  それをふまえて見てみようか。  多少高度な技術についても説明するが、そのいくつかの技術はもっと後、定住や農耕牧畜の後かもしれない。でもわからないからここでまとめてやってしまおう。  まず表面から。皮膚は非常に強靱な、タンパク質などでできた繊維でできた、生物の表面全体を覆う曲面だ。強靱すぎるため、殺して間もないうちなら下の肉や脂肪から簡単にはがして皮膚だけにすることができる。哺乳類の多くはその表面に密に毛が生えているし、頭に角という毛や骨が固まって鋭く尖った部分がある。人間にもそれがあれば便利だったんだが。  皮膚を食べるのは大変だが、食べるのはもったいない。特に昔の人にとっては本当に貴重な素材だったんだ。  皮膚はそのままではすぐ腐り、また乾燥させると固くもろくなる。だが、それに植物などが含むある物質を混ぜると、皮膚の中のタンパク質でできた繊維が変化し、それがきわめて複雑に絡みあってそのきわめて強い摩擦で保持される素材になる。それは何年も使い続けることができる。平たく広く、引きのばす方向以外はほぼ自由に形を変え、水をあまり通さず、それでいて水蒸気は出入りでき……と非常に便利な性質を持っている。水を加えながら加熱するなどすれば厚い皮を非常に固い革にすることができ、それはかなり柔軟で加工できる板のようにすることもできる。また円形の革を、周囲からできるだけ幅を一定にして切っていくことで強靱な……何と言えばいいか、日本語では細いのから糸・紐・縄・綱といろいろ言うが、それとして使うこともできる。  皮膚を加工して革にするには、獲物の死体からはがし、脂肪や肉を取り除いた皮膚を、一つには前も言った植物が作る毒の一つ、苦みの非常に強く水に溶ける成分を水を利用してつける方法がある。特に木の表面、樹皮部分に濃く含まれる。あと獲物の脳と火から出る煙を利用する方法もある。  毛がついたまま加工する方法もあり、それは後述する保温具として最高だ。それがなければ人類が地球中に広がることは不可能だっただろうな。装身具としても価値がある。  死体から皮膚をはがすのにも、皮膚から脂肪や肉を取り除くにもさまざまな形の固いものが必要で、だからこそ石や骨、後には金属を加工する必要があった。  皮膚の下や内臓にある脂肪をためた細胞の集まりは食料としても価値があるが、それを前に言ったように水を通して加熱し、水と脂肪が溶けあわないことを利用して液化した脂肪だけを集めることができる。それは保存食としても質量あたりの秩序あるエネルギーとしての価値が大きいし、薬や照明など実に多様な用途がある。  筋肉部分は主に食料だが、筋肉を骨につけている非常に強靱な線維はとても有用だ。水を含ませると伸びて加工でき、乾燥すると強く縮んで固くなる性質があるため、棒と石や棒どうしを固定するのに便利だ。  骨の中の、脳などの脂肪に富む組織は動物にとって最高のごちそうの一つだ。人間はそれほど強靱な顎を持たないかわりに、石を高い所から叩きつけることで骨を砕くことができた。また皮の加工にも使える。  そして骨の外側の固い部分は人類が最初に手にした、石や木同様にとても扱いやすい「固い素材」の一つだ。削ったりうまく折ったりすると線維の関係で非常に鋭くなることもあるし、石や木に比べて特定の方向に弱かったりしないから工夫次第で様々な形を削り出せる。その点は多くの動物にある角も同じだな。角は骨より更に固い。  走る動物の、平たくなった蹄と呼ばれる爪やその周囲の組織、また不要な皮を水で長時間加熱すると、繊維になるタンパク質が大量に出て固まり、それをうまく使うと色々なものを接着する……二つの板に接着剤をはさむとまるで一枚の厚い板のように固定される……ことができる。  歯は硬すぎて加工しにくいが、だからこそ装身具としての価値があった。  内臓の多くは保存しにくいが栄養価が高い食料になる。また腸は中身を捨てて乾燥させれば紐としても使える。胃や膀胱は袋になっており、水を運ぶのに便利だ。  そして毛だけを皮膚から切り離して集めると、繊維として紐の類にすることができる。  昔の人間なら誰でも、動物の死体があれば何も無駄にせずに利用しつくせたんだ、私のような都市生活者・近代人という欠陥人間以外は。  ちなみに、水がいつもあるところにいる貝類は固い殻をつける。それも固い素材として利用できる。  植物にも器官や性質によって色々利用法がある。  木の表面、皮は上述の皮革加工に使うし水で加熱すると薬になるものも多い。薬というのは、要するに生物が体内に作っている様々な物質を、普通は毒だが業とそれを少し食べるなどして、それで病気や傷を治してしまうんだ。詳しくは後述。  また木の皮を使って水を加熱することも説明したし、動物の皮を加工した革ほどではないが用途の広い素材になった。  木の皮に傷を付けると中の液が出てくるんだが、それも色々な用途がある。薬になるのもあり、食料になるのもあり、火になるのもあり、油のように使える物もあり、さらに糖を含みエタノールになるのもある。水を通さない、木に塗る膜になるものも、もっと違う形で使えるものもある。  木の内部、固い木になった部分は火にするのに使うし、固く長い素材として下で言う棒やその他様々な用途がある。  草の葉や茎の長い部分から、長い繊維を取って紐のたぐいを作ることができる。  花は、人間はその匂いや色を見ると心地よいと感じるので後で詳しく言う装飾などに使う。  実……はいろいろあるな。固い、繊維が多い、水気が多く甘い、脂肪が多い、……  固く、デンプンが多いものはそのまま乾燥させればいい保存食であり、もっともよく食べる食物だ。利用できるほど繊維が多いのもある。水気が多く甘いのは潰すだけでエタノールになり、乾燥させればいい保存食だ。水そのものを得るにも貴重だ。脂肪が多いのは保存食にもなるし、脂肪自体をとることもできる。脂肪は水に浮く性質があるから、常温で固体であるものも含め水を通じて加熱すれば、水に浮いて純粋になる。  動植物問わず脂肪は食料のみならず多くの用途がある貴重な資源だ。燃料としても適しており、特に光を得るのに適している。また食物を保存するのにも使えるし、体に塗って清潔にするのにも使うし、革の手入れにも使う、いろいろな木などの素材の表面に塗ればそれを腐敗から守ることもできる。  根は薬になるのもあるし、根や実は地下の茎などに栄養が豊富で食べられるものも多い。  繊維……前述の、生物がよく体内に作る一次元方向にとても細長く弾力が強い棒、ここではさらに相互の摩擦がある程度以上強いことも条件となる……をたくさん集め、一端を固定してから棒の長さ方向を軸に回転する方向にもう一端をねじるといくらでも長く、弾力がほぼ無視できてそれ自体の伸び縮み以外は自由に動く柔軟な繊維のようになることがあって紐などと呼ぶんだが、それも人類にとって根本的に重要な資材だ。  さまざまに……どう説明していいやら、要するに二本の繊維を一本の倍近く長い繊維のようにする、色々な技術があるんだ。三次元ならではの技術だな、考えてみると。たとえば一本の繊維の一方の端……作業端と呼ぶ……を伸ばしながら同一平面で同じ方向、直角に三回曲げると、最終的にはその繊維自体にぶつかる。その時に少し持ち上げて交差させ、接触を保つと「輪」ができる。それからまた曲げて、輪を下からくぐらせ、引っ張ると輪がどんどん小さくなり、結び目と呼ばれるこぶがある一本の繊維になる。さらに、さっきの途中の輪に自分の作業端を下からくぐらせた直後の状態で繊維1を動かさず、もう一本の繊維2で同様の操作を、1の輪を通して2の輪を作るようにやって両方の作業端を引っ張って輪を縮めると、繊維12とも摩擦によって結び目が保たれる力が勝っている限り外れない一本の長い繊維のようになる。それはあまりいい結び方ではないが、結び方というのはとんでもない多様性がある。さらに棒と繊維を結ぶ組み合わせときたら……そんな簡単なものから、人間がどれほどの技術を作りだすかは驚くほどだ。  特に重要な結び方は、二本の紐を一本の紐のようにつなげるいくつかのよりよい結び、大きさが変わらない輪を作る、大きさが簡単に変わる輪を作る、棒に紐を結ぶ、棒と棒を平行・垂直に結ぶなどがある。 *衣類  ああ、温度や湿度を保つ必要もあるな。特に睡眠のために。それには衣服・住居・火などを使う。  衣服というのは皮膚を強化するものだ。人類に近い哺乳動物は毛を増やしたり減らしたりして、ある程度気候の変化に対応する能力がある。でもそれには時間がかかるが、人間は衣服を着たり脱いだりすることで一瞬でそれを行える。特に長時間獲物を追うと膨大な熱が出るから毛皮は正直邪魔で、それをすぐ消せるのはありがたいことだ。  保温自体を根本的に考えれば、それは人類が生活している範囲での話なのだが、空気を動かないようにすればそれが保温になる。空気は大きい塊だと対流を起こして熱を運ぶが、小さい塊で動かないようにすると熱が動かない。逆に密度が高いものが温度が高いものと低いものの間にあると、大抵それは簡単に熱を伝えてすぐ同じ温度になってしまう。空気を動かさないためには隙間が多い物体があればいい。  また水と馴染まないほうがいい。水は隙間を潰して熱を伝えやすくし、しかも水が大気に蒸発するときには膨大な熱を奪う。  鳥の羽毛や哺乳類の毛皮は空気を細かく固定し、脂肪分で水をはじくからその目的を見事に果たしている。  また移動する際に、植物の葉や茎の鋭い部分で体を傷つけることも防げる。それをさらに頑丈にすると鎧になる。  その服には上述の革や毛皮と、繊維を用いた布……フェルト・織る・編むなどがある。樹皮はちょっと乾燥したら固くなりすぎるな、繊維を取るにはいいのもあるが。後述する紙はもっと後だろうか……  要するに平たく薄く、平面方向には少しだけ伸び縮みするが丈夫で、そして他は自由に変型できる素材が欲しいわけだ。隙間が少しあって空気を含み、水を通すものもいい。人間は前述のように汗を出すから、それが蒸発できたほうが熱すぎるときには体を冷やすことができる。簡単に細く鋭い棒で貫通でき、けれどもその穴から壊れることがないほうがいいな。  そんな素材は服だけでなく、物を運搬するのにも便利だ。  フェルト、織る、編むがいつ頃どんな順番でできたかは知らない。  フェルトというのは、動物の毛をたくさん集め、水をつけて平らに固めたものだ。そうなると毛の表面は死んだ細胞で非常に複雑な構造をしているんだが、それが絡まってかなり緊密に結びつく。ちょうど革と同じだ。あまり薄くできないが簡単で丈夫だ。特に毛は脂を含んでいるから、水をはじくことができる。  織るというのは驚くべき技術だ。たぶん人類が手に入れたのはかなり後だろう。上述の細い紐のたぐいをきわめて長く、二本用意する。そして棒を二本用意し、並行に置いて……言葉で説明するのは本当に面倒だな。繰り返し棒と棒の間の空間を往復させる……棒の太さを厚みとする、仮想的な板にコイル状に巻きつけるようにするわけだ。そうなると棒も二本ではなく、四本を長方形の辺としたほうが楽だな。そうすると、無数の糸が並行に並ぶようになる。そこでもう一本の糸を、さっきの平行に巻いた糸の垂直方向から、上下上下と順に通していく。反対側まで行ったらすぐ逆方向に、一つ前とは上下が逆になるように通していく。糸だけだと面倒だから、糸の先端に棒を固定しておくと扱いやすい。そうしてから隙間をなくすように固めると、糸どうしの摩擦で固まって上述の条件を見事に満たす頑丈な平たい素材が生まれるわけだ。  編むというのも素晴らしい技術だ。前述の結ぶ技術の延長で、一本の細い紐のたぐいを、指や棒を利用して一枚の布のようにしてしまう。こちらは形の自由度が高く、袋など複雑な立体形状を一体で作ることができる。  そういう平面の素材を立体にするには、編む場合はどんな形も自由だが、板の一部を重ね、それを接着するようなことが必要だ。服は負担が大きいので接着は適さないので、縫うという技術を使う。小さい穴を開けて糸を通し、それを繰り返して糸の強度でくっつけるわけだ。  それに使う棒は「一端が一点になるまで細くなって鋭く、もう一端の近くに穴が開いている」のが望ましい。それほど複雑な形は、壊れやすい石では作れない……骨・角・貝殻など、後には金属がよい素材になる。  ちなみに革、布ともに、色をつけることができる。実用上も腐りにくくなることがあるし、後述する装飾になる。それには脊椎動物でないあらゆる小さい動物、あらゆる植物が含むさまざまな物質、さらにそれを発酵させたものに、ある種の金属元素を含む土や石を砕いたものを混ぜて反応させ、それに繰り返し布などを浸すと水洗いしても色が落ちなくなる。考えてみるととんでもない技術だ。  ちなみに服で覆うのは体だけでなく、頭と顔と足にはそれぞれ特別な配慮がいる。  頭は特に打撃に弱い。丈夫な頭蓋骨で覆われてはいるが、それでも中に弱い脳がある。だから非常に頑丈な素材で覆っておく必要がある。また目立つ場所だから、装飾上も重要だ。  顔については、普通にアフリカの草原で暮らす上では問題はないが、寒冷地で固体の水に覆われているところや砂漠では日光を変に反射して目を痛めることがある。だから目に余計な光が入らないように覆い、しかも呼吸を妨害しないようにしなければならない。  足が一番肝心だ。普通に暮らしていれば足の皮は固くなるが、それでも石だらけの地面は痛い。だから人間は、厚い革など特に頑丈な素材で足を覆うことを覚えた。さらに木などのより丈夫な素材の板を足底に使うことさえする。  といっても狩猟採集民の多くは裸足だっけ……?  それらがなかったら、人間はごく狭い範囲でしか暮らせなかったろう。  ただし衣服があると問題ができる。体毛なら生きているから、汚れを取ったりしていれば自然に保てる。だが死んだ物質でできている衣服は、ただ着ていると外界・着ている自分自身の皮膚から出る死んだ細胞でどんどん余計な物質がこびりつく。それには生きている毛と違って免疫がなく、どんどん微生物が増えて着ている者に害を与える。だから汚れたら交換するか、洗う必要がある。  特に問題なのが、糞尿を出すときや繁殖のため交接するとき、一時的に衣服を体から外す必要があることだ。そのときには大きな隙になる。  毎回捨てていたらものすごい資源の無駄だ。水に漬けて激しく変形させ、乾燥させればかなりきれいになる。ただし後述するが、他の動物の毛で作った衣類はそれをやるとフェルトのように縮んで再利用できなくなるがね。  それは飲む水よりずっと多くの水を、低い秩序にして利用不能にするということだ。  これは熱力学第二法則にも似た、歴史の経験則にも関わる……人類が多くの物を使い、より便利に暮らすほど多くの水・高秩序エネルギーを余分に使い、大量の廃水・廃棄物を出すことになる。  後のことだが、尿を微生物に処理させ、単純な窒素化合物を作らせることで衣類などを洗えるようにもなったが、悪臭を伴い苦痛の大きい仕事だった。 **住居、運搬具  野生動物の多くは巣を作る。  小さい虫の類には体内のタンパク質を糸にして巣を作るものもあるし、蜂には木を噛み砕いて体内から出した物質とあわせたり、体から室温で固まる蝋という水に強い物質を出すものもある。木に穴を開けてそれ自体に潜るものもある。  より大型の動物は自分の体から色々な複雑な性質を持つ物質を出すのは苦手だが、地面に穴を掘る、木の枝や葉を集めるなどして巣を作ることが多い。鳥の中には植物を「編む」ものさえいるし、ビーバーという哺乳動物は木を歯で切って後述するダムに似たものさえ作る。  卵を産むだけでも場所を選ぶ必要がある動物が多い。少産少死で親が子に食料などを渡し、保温するなど育てることが多くなると、産まれてすぐの子供を巣を作って保護する必要が増す。  また普段も、睡眠などは巣でやるようにするほうが寝ている間に襲われずにすむ。  人間も例外じゃない。  人類はあまりに温度が高すぎ、または低すぎると特に寝るときには不快だ。皮膚に接しているものは、大気も含めて水が多すぎてもだめだ。特に気温が低く、皮膚に、固体の氷やそれに近い温度の低い水が直接触れている状態では長時間生存できない。  人間の場合、動物と違って保護すべきなのは自分たちの体だけじゃない。  上記の狩猟具・石器や土器など調理具・保存食・皮革、繊維類・衣類、後述のコミュニケーションに関するものなど種類も量も多い。保存食や繊維の類は水が多いと微生物が繁殖して使い物にならなくなるし、衣類は体温を奪って不快になる。  また、空からの雨などから火を守る必要もある。だから上を平面で覆って、しかも空気は入るようにしなければならない。昔は特に、ゼロから火を起こすのが大変だったし。  昔の人類はどうしていたのかな……倒木がうまく組み合わさって下に雨が落ちないようになっているところを利用したり、ある程度枝を折って集めてそんな状態を作ったりしたんだろう。大木に穴が開いていたり、地形そのものが巣にしやすくなっていたりする場所を利用することもあったろう。特に急な勾配で、岩などの具合で中に入れるへこみがある場が便利だっただろう。  最初は、急な勾配のへこみを奥に掘り広げ、またへこみがないところにへこみを掘るのが最初の巣であり、土木だったのだろうか。  ある程度以降文明が発達した人間の、硬い素材を使う巣は直方体が基本なんだが、移動が多い場合は布や皮など柔軟な平面を用いるから円錐が一番使いやすい。  サルには木の上に巣を作る種類も多いが、人類は大きすぎて大抵の木は折れるし、元々人類はジャングルから離れた草原で暮らすことを選んでいる。  木の中に空間ができることも多いし、熱帯の別の木を覆って殺す木は構造的に好きな形の空洞を作れるが、人類が楽に暮らせる大きさにするには人類の寿命を越える年月が必要だ。人類は大きすぎる上に木から見れば寿命が短すぎる。  土を掘って巣を作るのもいいが、土の中は湿度が高くなりやすく水気が多い。人間の体からもかなり汗として水が出る。また空気の出入りも悪い。そうなると火の維持や保存食・繊維などを食ってしまう微生物にとって住みよくなるし、微生物に人間自体が食われるリスクが増す。また、人間のサイズを入れる土の穴は長期間維持できない。昆虫のサイズと寿命なら土の穴で寿命まで安全に生活できるが、人間のサイズだと土の構造上、穴が確実に形を保つことは期待できない。  サイズといえば、人類がもっと大型であれば体温を多少失っても無視できただろうから巣はほとんど不要だったかもしれない。でも巣がなければ、寒冷地に移動することはできなかったはずだ。  それで多いのが、木の枝や皮や布を使ったりしてまず上、そして前後左右を覆う巣だ。  直方体や円錐のちゃんとした住居はいつごろから発達したんだろうか? それは知らない。  長い時間をかけたんだろうな。住む地域によって合う住居は違うし、どれだけの時間が経ったら移動したらいいかも違う。  あと人類は多くの動物と違い、地面に直接寝たり座ったりするのを嫌う。まあ巣で暮らす動物にはそういうのが多いけど。進化してきた過去において樹上生活も長いし、特にアフリカから出てより寒い地域で暮らすようになってからは、空気に混じっている気体の水や夜の温度などの性質で、地面近くは特に温度が低くなり、時には空気から水が出てくるし、それが固体になることさえある。  特に寝ているときには体温の調整も難しく、また布の衣服を着ていると、布は水を含む……その水が蒸発すると膨大な熱を奪うので、ますます体温が下がって危険だ。  だから地面に厚い布、毛皮、木の枝、草の茎を乾燥させたもの、平らな石などを敷いてその上で座ったり寝たりしたがる。できれば地面から離れたところで寝ることを好む。  あと火で調理もでき、雨で火が消えることもなく、熱も逃げず、それでいて酸素を豊富に含む空気の供給は邪魔されず煙だらけにもならない、というような場も必要になる。  同族で違う群れの攻撃から身を守る必要もある。  建築については後により詳しくやろうか。地域ごとの違いも大きいし、闘争とも深く関わる。  ちなみに人間は、基本的にごく近い血族……交配相手および親子関係がある者のみで巣を形成し、その「家族」がいくつか集まって群れをつくるのが一般的だ。  その「巣」は、火を使って調理することも重要だし、また火をうまく使い風を防げば外の気温が寒くても中は暖かい。保温においては衣服と、石を一度火で暖めて衣服の中に入れて体に当てておくのも有効な温まり方だったはずだ。  さらに、火は光る。これは非常に重要な偶然じゃないかな、火という反応は燃えて出たガスをあるかなり高い温度にするが、そのガスがその温度で出す光の波長はたまたま人間がものを見る波長だった、というのは。  だから完全に暗くてもものを見ることができ、色々作業ができる。  人間の巣について、後にどんどん発達していくのを見ていくつもりだ。  人類が定住したのは最近で、人類に近い大型サルや昔ながらの生活をしている人々の生活は、ある一定の非常に広い範囲を縄張りとし、その中で食べられるものを食べてしまったら別の場所に移動する、というものだ。  そのためには、上記の住居で保護しなければならないもの、まだ行動できない子供たちも含めて移動させなければならない。  人間の手は元々、子供を抱えるのにも使える。それを色々応用できる。  上記の衣類・皮革・土器などは「運ぶ」のにも非常に有用な道具だ。直方体や円筒のような構造を作り、それを手で抱えることができる。また、それに別な紐を固定すれば、より小さい力で体に固定することができる。一番邪魔にならず、負担が少ないのが背中に縛りつける形だな。  本来「運ぶ」には、地面と平行な平面形、いやむしろくぼんだ形の上に載せるのが一番安定する。けれども人間にはそんな部分はない。真上を向いているのは頭のいちばん上の点と両肩だけだ。頭のいちばん上に、籠などで編んだ円周を太くしたような柔らかい素材を載せれば、その上にかなり重いものを載せて運ぶことができる。また、棒の両端に重いものを固定し、棒の中心を肩に載せてもかなり重いものを運べる。二人の肩に棒の両端を載せ、中心に重いものを固定してもいい。  車という技術があるが、それは明らかに相当先だな。より昔からある技術としては、平たく丈夫なものを地面に置き、そこから紐か何かを伸ばして、それを歩きながら引っ張る。すると、確かに摩擦は大きいけれど動かすことはできる。できたら平たいものを、棒を二本進行方向に平行に置き、両方に直行する棒を固定して、その上に荷物を乗せて引きずれば、摩擦は棒二本分で済む。これも結構使える技術なんだ。  籠というものもとても重要な運搬具だ。上記のつるになる植物を使う。木になりかかっている状態のつるは、巻きついている木から引き剥がしても乾燥するまでは自在に形を変える。それを、ちょうど布のように、特殊な結びを複雑に使って袋状の形を作ることができる。それから乾燥させるとそのまま、適度に弾力があるけど頑丈になる。他にも弾力の強い特殊な木や草を使って同様にやることができる。また、それを浅めにすると網状の構造にもなる。狩猟採集というように、木の実・昆虫など、エネルギーの密度が高く一つ一つが小さく見つけやすいものを大量に集めるのにも有用だ。水や砂のような流体を運ぶことはできないが、そうでないものを運ぶにはむしろ便利だ。また詳しくは後述するが、粉状の固体をある意味ろ過するのにも便利だ。  ちなみに、普通の木材もうまく加熱して曲げて、曲がった形を保ったまま室温にゆっくり戻すと曲がったままの形になることがある。その技術もすごく重要だよ。  水の運搬も重要だ。水の運搬は、単純に「水が補給できない状態で行動不能になるまでに移動できる距離」を大きく変える。上述の、保存食や薬など液体の運搬も重要だ。液体はわずかでも隙間があればそこから落ちて失われるから、たとえば布では運べない。一部の革、特に上述の胃や膀胱はかなりいい。土器もだ。まあ革も土器もごく小さい穴が無数に開いているがね。  また植物で実や幹が空洞になる、または内部が非常に柔らかくて、内部を潰して除去してから乾燥させれば固い木の殻だけが残る、というものもある。特にヒョウタンと呼ばれる、そんな実をつける植物は人類にとって最も古く重要な植物の一つだ。  木の内部だけをくりぬくことができたらそれは実に便利だ。石器を用いて根気よく削り続けるのもいいが時間がかかる。また、火を制御する方法もある。火で強く加熱した木は炭素の塊になり、そうでない木より簡単に削って取り除ける。炭素になっているから、漏れにくいし反応しやすい物質などを運べる。樽・桶という重要な技術がいつごろできたか知らないけど後述することにする。  非常に大きい飛べない鳥の卵の殻、布に特別な、樹液や油などを塗ったものも使える。  二人以上で協力すれば、一人では……二人がバラバラにやっても運べない重いものや大きいものも運べる。一番いいのは、二人が進行方向を一直線にして並び、両方の肩に一本の長く頑丈な棒を乗せる。その棒から籠や網、布などを縛り付けて重力に任せてぶら下げたまま歩く。これもかなり有効だ。  一番いい運び方は、水路を用いるやり方なんだが……それはいつごろから発達したんだろうか? ちょっと後回しにする。 **コミュニケーション、言語  人類の最大の能力は群れ内部のコミュニケーション……情報伝達+触れ合い、模倣だ……手先の器用さ、個体脳内の活発な精神活動も並ぶけどな。  詳しくは下の、人間の精神に関することで詳しくやるのでここでは人体生理学との関係を掘り下げる。  人間の最大の能力は言葉だ。言葉というのは基本的には口から出す音を複雑に変え、組み合わせることによって情報を伝えること。後に文字が加わるし複雑な手振りで言語と認められるものもあるが、それはかなり後になってだ。  ただしコミュニケーションはそれだけじゃない。皮膚と皮膚で接することや繁殖のための交接行為や授乳など接触、顔を微妙に変形する、身振り手振りなども非常に重要だし、絵や地図も有力な情報伝達手段になる。群れで移動するとき自分がどこに位置するか、それこそ殺し合いすら広義のコミュニケーションにはなる。  そして、人間は他者の情報や、意識とは関係のない行動、それだけでなく抽象的な目的を含めた行動を模倣して学ぶことができる。それによって、様々な情報が人間社会の中で、まるでDNAのように複製され、進化することさえあり一部ではミームと呼ばれる。  そのミームは、当の人に「それを複製し、他人に広める」行動を起こさせるように、人の脳や体の構造に合ってしまっているものがより生き残りやすいだろう。そして人間の脳・肉体そのものが限られており、過剰に複製されるものからより人間という環境に合うものがより多く生き残ってまた複製される、その点も遺伝子に似ている。  こういうこともできるか、人と人とが接しているときには、「人間が協力している」「人間が支配権争いをしている」「ミームとミームがいくつかの脳という限られた資源を争っている」「遺伝子群れが有限な資源を争っている」「小さな群れが争っている」という様々な面がある、と。  まず言葉について詳しく。人間の喉と舌と口は上述のように非常に複雑で、多数の筋肉と強力な脳によって制御され、きわめて多様な音を出すことができる。音の波長も変えられるし、波長に依存しない質の違う音も出すことができる。そのために窒息の危険という高価な代償まで払っているんだ。  その音の、口の形による一番大きな群と、口の中の喉や舌などを組み合わせて単独の、他とは区別できる音がいくつか……百前後ある。ちょうど原子のように、それが最低単位となる。本当は人間の口と喉はとても多様な音を出せるが、その全部を使うことはまずない。ほんの数十の音の原子でも、それを十個もつなげていいならそれが表現できる組み合わせが莫大になることはわかると思う。  その音の原子をいくつか短く順番を決めて組み合わせ、それに強調などを加えたものが、世界の多くのものの種類に対応する。人間の脳そのものが、世界のあらゆるものを、たとえばどの種に属する動物なのかなどを記憶して認識している。「あの首が長く斑がある動物」などとは思わず、「キリン」と直接種に名前をつけてその一員として認識するんだ。あるキリンの個体を識別する必要があるときは、別に名前を用意する。世界の、事実上ありとあらゆるもの……そして世界には実際に存在していないものも、そうして分類して認識し、それに対応する音原子の短いつながりがある。  他にも人間の動作や行動、心の動き、感覚器が受けた情報などの多くがその認識の仕方でとらえられており、それに対応する音原子のつながりがある。だがそれだけじゃなく、そのつながったのをさらに決まった規則で組み合わせることで、世界で起きた事象そのものの一面を他人に伝えることができる。人間の感覚器や脳、言語そのものの限界により一面しか伝えられないが、一面でも伝えられれば「群れが草原や暑い森で生き延びる」にはきわめて有利だ。  その組み合わせる規則には最も基本的な、世界のいかなる場所の人間でも共通する構造がある。まずあらゆる「何かに対応する音原子のつながり」全体は物体など、行動、状態の三つに大きく分けられる。それに言葉を組み立てるためだけの「音原子のつながり」も加わるし、物体側のそれを少し変形して行動側にしたりすることもよくある。  組み合わせだから、見たことがないものや実際にはありえないものも表現することができるし、人間の思考もそれに合わせるようにそういうのを考えることができるようになっている。  こういうふうに「言語」を「原子」という、全く違うものを使って表現すること自体が「たとえる」という人間特有の心の働きでもある。  その「言語」で世界がどうなっているか、自分の脳の中がどうなっているかなど多くの情報を他者に伝えることができるわけだ。さらにその組み方、言葉の原子の変化の仕方などで話す者と聞く者の群れ内の上下関係の確認、攻撃などのメッセージを含めることもできる。それどころか自分自身とのやり取りもある程度できる。脳の中で、口を動かさずに勝手に言葉だけを出すこともできるんだ。  多く表現される内容は後述する「物語」だ。個体が経験した出来事を記憶に移し、言語の形に編集する。その際に膨大な記憶から必要なものだけに削る。それを自分が学んだ言語の言葉の原子を使い、共通する順番にまとめなおす。それを他人に伝える。  受ける人はその言語情報を感覚から入力され、直接会って相手の口から出る音を聞いていれば相手が体から出す情報も同時に処理する。それによって自分自身がその出来事を見ていたり経験していたりするように移行するが、相手も自分も多くの情報を省略しているので本当にそれが相手が経験した出来事そのままと言うわけではない。ただし多くの情報が伝わっていることは事実だ。で、その情報を内部で経験にしてまた記憶し、場合によっては別の誰かに自分の言葉、または言葉そのものは受けた言葉を全部正確に繰り返しているが体で多くの情報を加えて自分の中で繰り返したり、他の誰かに伝える、ということができる。  重要な情報は「誰が」「何を(行為の対象)」「いつ(時間)」「どこで(位置)」「なぜ(因果および個体の精神内面の言語化)」「どのように」だ。ただしどれかがなくてもいいこともある。  そのような構造である言語は本質的に多様な解釈を許す。  言語自体はより抽象的に考えることもできる。声というメディアに完全に依存しているわけではなく、後述の文字、文字を電子的な情報に変換したものなどにもできるし、本来声言語が使えない耳が聞こえない人も手や身振りから、言語と同様の構造がありある程度普通の言語に訳せる総体を作っている。  ちなみに言語は完全なものではない、人間は完全だと思いたがるが。同じ言葉が、複数の具体的な状況に翻訳できることもある。言葉を受けた人間の精神状態、口から耳なら相互の関係や体が出しているメッセージも関わる。今述べているこの文章だって、あとで読んだ人がどう解釈するかわからない。  また人間の口は、言語だけでなく別の声も出せる。たとえば言語を出すための声をとても大きくすると、襲われているときなど緊急事態を知らせることもできる。それとは別だが、唇をうまく使うと、言語とは違う単純な音だが波長を制御しやすい音が出せる。  言語を習得していない小さい子供は大声で泣く、笑う、何かもごもご言うしかできないし、それは大人になっても用いることはできる。  波長やその変化も結構情報を伝えることができ、特に感情を伝えるのを得意とする。言葉と、波長の上下も組み合わせるのもある。波長や音の繰り返し、音の強弱などを組み合わせた「音楽」やそれにあわせて体を動かす「踊り」も詳しくは後述するが人類にとっては重要なコミュニケーション・表現の手段だ。  実際には、普通に言語で話しているときも、その声の波長、同時に起きる体や顔の筋肉の変化などから言語とは別の情報も大量に伝えている。  その言語によるもの以外に、たとえば「私はあなたと親しい」「あなたは私より下位だ」など、群れにおいて重要な情報を体の動き、顔の筋肉の微細な動き、それどころか服など体に後天的につけたものからも示すことができる。  身振り手振りと呼ばれる、体でものを表現することも非常に複雑で人間にとっては重要だ。言語は音声から発達したのか、それとも身振り手振りから発達したのか……両方だろう。  またそれに関する人間の体の特徴として、尾がないこと、二足歩行で複雑な前足があること、顔を少し変形させる筋肉が異常なまでに多いことがある。  多くの脳が発達し、群れ生活をする大型哺乳類には身振りとして尾を振る、または寝転んで腹を見せる「あなたは私より上位だ、私はあなたを攻撃しない」という身振りがあるが、人間にはどちらもできない。人間の場合寝転んで腹を見せるかわり、背中を見せて頭を地面につけ、手足を折り曲げて体をできる限り地面に近づけるなどの身振りが服従を意味するものとなる。要するに「相手より低く」なるのが服従、下位を意味する……ここで使っている日本語の「高い」「低い」というのが、地面からの距離、群れ内部の順位の両方を示す言葉なのがまさにそのことを示しているな。  ただ、群れ動物には同種、同じ群れの生物の近くにいたい、姿を見たい、接触したいという欲がある。特に寒いときなどは固まっていたほうが熱が逃げず暖かいからだろうか。また近くに群れの仲間がいることは、何かに攻撃されたときにはとても有利になる。  多くの群れるサルで「毛づくろい」というコミュニケーションが重視される。サルは構造上、背中などの寄生虫や汚れを自力で取り除くのが苦手なので、同じ種・同じ群れの仲間にそれを除いてもらう。寄生虫や汚れがあると死ぬ確率が増えるので、それを取り除くのを好む個体が生存して増えていったが、それだけでなく群れの統合を深めるのにも用いられる。サルは指を使うことができるが、多くの哺乳類は自分自身の手入れも含め舌を使う。  人間は基本的には肉体的な接触を好むが、毛づくろいの毛がないし、舌および唇による接触は親子・交配相手などごく密接な関係に限られることも多く、その場合きわめて強い親しみを伝え合うことになる。ただしその場合でも、他の動物でよくある排泄器官の清掃はほとんど行われない。軽い唇による接触は、現代の人類の文化圏によってはある程度の親しさ程度でもある。  また人間とごく近い動物の一つが、同性も含めほとんど無差別に交接をすることによって、親しみを互いに表現し群れを維持することにも触れておこう。  また人間は、自分の体調や精神状態を体の外から観察できる部分に出すこともできる。それも情報交換だ。特に重要なのが、上述の目を洗うための体液で、激しい苦痛を感じた時などはそれが大量に出て液を受ける管からあふれる。生まれてすぐの子供にとってはそれを特定の言語のない声を複合させたものが、不快を表明し親の保護を求める重要なメッセージだ。  他にも、本来攻撃に移るときに運動能力を増すため、または打撃を受けたときに体表からの出血量を減らし内臓の修復に集中するためなどだが、人間の皮膚は感情によって血液が流れる量が変化し、それが無毛ゆえに外からはっきり観察できる。汗が出るのもある意味その面もある。多くの動物で有効な、毛が逆立つ現象もまた人間にも起きる。  また男性生殖器が肥大する、女性生殖器が潤滑のための液を分泌するなどの反応も情報となるし、激しい感情や苦痛などから糞尿を漏らすこともある。  人間は嗅覚が発達していないから人間には感じられないが、匂いに敏感な動物には人間の感情に応じたにおいの変化は明白なはずだ。  これらは意識による制御を受けないため、後述する真偽判定にある程度使える。  他にも主に嗅覚によって、集団で暮らす妊娠していない雌の、卵子の排出に関する周期が一致すること、誰かが食べたものを吐き出したらそれを見たり嗅いだりした周囲の人間も吐きたくなることなどもある。群れで暮らしている以上同じものを食べている可能性が高い、誰かが吐いたらそれは毒だということだから、だったらみんな吐けばみんな助かって遺伝子情報が存続する、というわけだ。  興味深いのが笑いという行動だ。これは制御できないこともある、独特の呼吸と声、表情の変化をともなう。快を予期したときや予期した快を得たとき、予測していなかった快、美と関連があるようであり、言葉が発達するとその高度な使い方と複雑な関係を持つ。少なくとも人間の形をしているか、または言語を用いて交渉する「何か」を人間と判定するには、その笑いを操作できるかというのは重要な基準になるだろう。  それらの方法を総合することによって、主張の内容だけでなく今の心理状態を同時に示すこともできる。  また、様々な情報を伝達するための行為が、逆にそれを出している人の心理に働きかけてしまうこともよくある。特に声は呼吸とつながっているので、その働きが大きい。意識的に呼吸を深く長くすることで攻撃を準備している心理・肉体状態を解除することもできる。  人間は技術を使うことによって、またその知能を活かしてより強力な情報交換ができるようになったことも触れておこう。詳しくは後述するが、絵と地図は人類が進化したずっと昔から単純なものはあっただろうからここで。  絵というのは、人間が視覚情報を何らかの表面に……小さな変化を作ることによって与えることだ。地面でもいいし、上記の布・革のような薄い素材なら携帯もできる。  たとえば表面を鋭い何かで破壊する、何らかの違う色の物質の液や粉を乗せて定着させる、熱や化学などで変質させるなどで目に見える周囲との違いができる。特に「液体をつけ」「それを化学変化させる」と、布や革、後述の紙などの繊維に色素が完全に定着し、長期間見ることができる。布や革を染色する技術と本質的に同じだし、それこそ布や革を染めて模様を作るのと絵を描くのはある意味本質的に同じだ。  人間にとってやりやすいのは「棒の先端を触れ、引きずる」ことだ。そうすると「棒の先端と面の接点」という「点」が動くことで「線」ができる。その「線」は数学的に抽象化されたものと違い太さがあるから、たくさん集めれば面を塗ることができる。また先端が太く、多数の毛のようなものをまとめたものだと接点が小さな面をなすから、それを引きずれば効率よく太い線、すなわち面を作ることができる。多数の毛をまとめると、その隙間に液体が入るからやりやすい。  壁や地面に木の棒の先端を押しつけたまま動かすだけでも表面を浅く破壊して細い溝を作れる。  絵の内容としては人間が視覚で見たものが脳が分析した像をできるかぎり絵にすることがまずある。ただし、目の像そのものは非常に解像度が高く、それを完全に表現するなど人間には不可能だ。それをいくつもの単純な線や、同じ色で塗られた部分の組み合わせで、極度に情報を圧縮して表現する。  それから脳が持った、より純粋なイメージを絵にすることができる。詳しくは後述するが、人間は見たものを単純な図形に抽象化する能力もあるし、さまざまな要素を集めて現実に存在しない視覚的な像を作ることができる。それを絵にすることもできるんだ。  それがどれほど高度なことか。コンピューターに、草原の中に立つライオンの写真を読ませ、それを線で表現させることがどれほど困難か。絵の持つ膨大な情報から、輪郭線を抜き出し、形を単純にして描くことがどんなに難しいか。それを見た人間がライオンを認識すること、抽象化することがどれほどすさまじい情報処理か。  ずっと昔の絵は、主に後述の呪術的な意味で使われたと思う。  さらに素材を変型させたり削ったりして、三次元でなにかの形やそれを抽象化したものを再現することもある。これも呪術では重要だ。  さらにその応用として「地図」というものがある。「地」の「図」、地表を平面的に見て、それを図にしたものだ。人間は目である程度距離を見ることができるから、見回した世界全体の、特徴的な木・地面に水がある部分・地面に露出している岩石・大きい高低差などを抽象化した単純な絵にし、互いの距離関係をある程度でも絵として再現することができる。  単純に視界全体を絵にしてもある程度使うことができる。それがないよりあるほうがずっといい。  地図があれば、たとえば「この水たまりから、あの高い地形にある岩の方向に歩けば、いつも大量においしい実をつける木が生えている」ことを簡単に思い出し、また他者に伝えることができる。非常に便利だ。  ああ、地図の発明が文明以前だというのは私が勝手に言っているだけだ。何の証拠もないよ。  絵はある程度ある証拠があるけど、その目的は知らない。たぶん後述する呪術だと思うけど根拠はない。  絵と言葉と抽象化という心の働きを合わせると後述する文字になる。  あと、最もわかりやすく、言語の壁も何もないコミュニケーションがある……暴力だ。 **同族闘争、武器防具  人類の、狩猟採集民の水準から見ても、人類に近いサルから見ても明らかなことが、人類は同族でも群れどうし常に争うということだ。縄張りを防衛する、という動物に共通する行動でもある。縄張りの、限られた食料資源を自分たちの群れで独占すれば、DNAの相当部分を共有する自分たちの群れが繁殖できる確率が上がる。本来なら食料源としても同種別群を殺す動機にはなるが、後述するように多くの人間は食人を嫌う……だが食人を嫌わない狩猟採集民も多くあり、絶対ではない。昔どうだったかはわからない。  また、上記の色々な物資を敵から奪えば、こちらで苦労して作らなくてもいいから楽だ。  そして交配に関する欲を満たすこともできる……雄が雌を暴力的に支配して交配することによって。  また、群れの内部でも地位の争いは重要であり、どの個体も少しでも地位を高めようとする。その一番簡単な方法が、より高い地位の者を暴力で屈服させるか群れから追放するか殺すかだし、逆に地位の高い者はより低い者に暴力を振るって従わせるのが生き残る術だ。  上の人類に近い、というのはDNAを知る前の人間から見ても、外見で人間そっくりだとすぐわかったし、また体を解剖してみても人間そっくりだし、DNAにも共通の情報がとても多いことからはっきりしている。  まあ同じく人類に近いのには、ほとんど同種で殺しあわない、交接行為を用いたコミュニケーションを活用するのもいるけどね。  とにかく人間は非常に暴力的で、しかも強力な武器を持っている。  だから大型動物にとっても人類にとっても、他の人類に見つけられることはきわめて危険なことだった。  また人間はいろいろな肉食動物にも襲われるから、その意味でも暴力は重要だ。  後述の狩猟具の多くは、同じ人間を殺すための武器としても使える。  また人は木や布で巣を作ることがあるし、燃えやすいものも多いから、そこに火をつけるだけでも効率よく人を殺せる。  これは人間の認識だが、戦闘は「攻撃」と「防御」に分けられる。  だから、同じく武器=狩猟具を用いる人間に殺されない、できれば殺し返す……自分を殺すことをやめさせる一番確実な方法は相手を殺すことだ……ために「防御」のためのさまざまな道具などが発明されている。  上述の住居自体、保温と貯蔵だけでなく防御のための道具とみなすことができる。  その防御のための構造を強めることもできる。  また住居を集めた、群れ全体の住居の集まりを防御する構造もある。  要するに、地面が平らだと動きやすいが、でこぼこがあると動きにくいことを使うことが多い。重力下では上下に動くには、前後左右よりずっと体力を消耗する。水・水と土が混じって柔らかくなっているところなども動きにくい。とげのある植物にぶつかっても動きにくい。  特に有効なのはすきまのない高い部分や低く水がたまった部分を小さい地形として作ることだ。単純に少し高いところにいるだけでも、そこから石を投げ落とすだけで位置エネルギーが運動エネルギーに、そして破壊のエネルギーに変わって大幅に有利だし、逆に下から上がろうとするだけで大量の体内の水や食物を使って位置エネルギーにしなければならない。  また、敵の動きを知ることも重要だ。そのために一番いいのは、たとえば平坦な草原の高い岩・大木などに誰かが常に登って周囲を見渡して警戒していることだ。まあその場合夜に攻撃されると弱いんだが……いくら火の光があっても、それで周囲を警戒するほど大量の燃料はそうない。  ただし火の存在は、人間以外の大型動物を避けるには有効だ。  これで、狩猟採集の水準の生活が理解できただろうか?  太陽が見えて明るくなれば睡眠から醒めて活動を始める。  とにかく水を確保する。  雄は動物を狩り雌は食べられる植物や昆虫を探す。いつも食物が豊富にあるとは限らず、大抵は食物の不足を感じている。狩った動物を加工し、保存食を作ったり色々な資材を作る。  火を使って食物を調理し、体を温める。  保存食や衣服や住居、石器や土器を作る。  食物が足りなくなったり、土全体から嫌な匂いがしてきたりしたら巣を解体し、できるだけいろいろ持って、ごく小さい子は抱えて群れごと別の場所へ移動し、また巣を作る。  大型肉食動物に食われ、また群れの中で身を寄せ合う。敵である人の群れどうしが殺し合い、傷つけ、雌に交接行為を強い、資材を奪い、焼いたりして破壊し、それに抵抗して反撃する。  体が汚れ不快を感じれば大量の水に体をひたし、ぬぐってきれいにする。他にも油や土など色々なものを使えたはずだ。  日が沈めばしばらくは火の光で過ごし、成熟した雄と雌が交接し、気温が低すぎれば布や皮で体を包み、住居にもぐり、火に近づいたり暖めた石を抱いたりして体温が下がり過ぎないようにして眠る。  群れの中で常にコミュニケーションをとり、色々な情報や物を分け合い、少しでも地位を高めよう、群れを維持しようとする。地位を高め維持しようとすることなどが群れの中での暴力になることも多い。  もちろん子供のほとんどは死ぬ、毎日食べられるとは限らない。育てられる食料が確保できそうになかったり、親が死んでいたり、群れが決定したりしたら生まれてすぐ子供を殺すことも多い。また別の肉食動物や別の人類の群れに攻撃されて殺され、また下で言う病気になり、水や食料が得られず死ぬこともしょっちゅうある。  人類が今の形に進化し、それから今までの年月のほとんど……数百万年間、ずっとそんな暮らしだっただろう。何よりも強く強調したいのが、人類は本来そんな生活のために進化した動物だ、ということだ。大抵の人間はそんなことさっぱりと忘れているが。 *主要病気・天敵  上の、「人間にとって必要なもの」と人体の構造から逆算すれば、人間にとって致命的な病気・傷についてある程度わかると思う。  血液や体内の水分を体重の十分の一失えば死ぬ。  皮膚の半分を火などで傷つけられれば、表面から体液が失われて死ぬ。  ある程度以上の痛みなどで、脳を通じて心臓などの機能が低下し、死ぬことがある。  脳などを破壊されれば死ぬ。  特に呼吸などに関する内臓を破壊されたらすぐ死ぬし、他の内臓でも長期間機能が回復しなかったり、体内での出血が多かったりしたら死ぬ。  多数の微生物が体内の、特に消化器や皮膚表面以外に侵入し、それが体を食いながらある程度以上増殖したら死ぬ。  各内臓それぞれ、微生物や寄生虫、外傷などで痛むとそれぞれの症状が出る。注意して欲しいのは、症状は「ある臓器が破壊された」ことを意味していることもあるが、「今戦闘中」という臓器からのサインであることのほうが多い。特に組織が赤く柔らかくなり温度も上がる現象はそれであり、全身のどこにでもよく出る。  また食べたものを口から吐き出す、また糞が極度に柔らかくなって変な色の水が噴き出すような感じになる、呼吸が瞬間的に極端に激しくなるなど苦痛を伴う状態も、有害物を体内にとどめないために体が反応しているのだ。それ自体は苦しいが、それがないよりあるほうがはるかに生存率が高い。それを逆に利用する伝染病も後述するように多いが、それでもその機能があるほうがいい。  また体温、特に頭部の温度が上がることがある。そうなると調子が悪くなり、ものも食べずじっと動かずにいたくなるし、そうしているほうが生きられる確率は高い。  皮膚表面に、いくつも周りと異なる赤く盛り上がり周囲より温度の高い部分ができることも多い。それはしばしば、嫌なにおいのする普通の体液とは違う色の液を出す。その液の存在は、体の免疫が働いていることを示している。  体のあちこちが、他より温度が高く、普段は触れないが固く膨れた塊になることがある。それも免疫が働いているときに起きる。  人体は生きているだけでかなり傷や病気から回復し、免疫や肝臓の分解機能で異物を無害にし、微生物を殺すことができる。  人間の言葉では病気と怪我は区別されるが、実際にはあまり意味はない。  その原因には ○外からの力 ○外からの、力以外の環境の変化 ○欠乏 ○毒物 ○伝染病 ○風土病 ○遺伝病 ○個体の体の中から出る ○個体の精神  などがある。  医学、人間の体、なかでもその分子単位の細かな挙動を理解する能力には、人間の目がある程度以上細かいものを見られないこと、また人間を解剖して調べることを禁じる宗教、科学的手法が組織的に使われることが稀であることなどの制約がある。  また人間の体は分子の挙動や素材に制約されているし、遺伝子が均一に近いため品種改良もほとんど無効だ。  それゆえに、医学的にできないことが実に多い。不老不死、安全確実な避妊・堕胎・男女産み分け・不妊治療、奇形防止、伝染病の予防、人体の大きな……翼をつけて飛べるようにするなど……改造、切断された手足の再生、臓器移植、精神から欲望などを取り除いたり完全な忠誠を守らせたりすること、確実な自白薬、どんな病気も治る万能薬などは科学が進歩する以前はすべて絶対に不可能だったし、多くは今でも、そして未来に期待できる科学の進歩があっても不可能だ。 **外  外からの力は、別の動物や同じ人類による暴力も多い。人類にとって最大の敵は人類自身だが、他にもアフリカの大草原には強力な肉食動物が多数おり、武器の性能が上がるまでは人類は食われる側だった。  毒を使う動物も多く、それにやられると軽い傷に見えても死に至ることもある。  また事故も多くなる……特に地面の高低が激しいところに住んだり、また木に登ったりして暮らすと落ちることがある。落ちると高さによる位置エネルギーが運動エネルギーに変わり、事実上地球という固いものを高速でぶつけられるのと同じことになって体を大きく破壊する。他にも後述のように木を切ったり岩を動かしたりもするから、そのたびになにか間違えると怪我をし死に至る。  また、人間は皮膚によってしっかり外界から守られているが、外からの力で体を傷つけると多くその守りに穴が開くので、微生物に食われやすくなる。その最悪なのが破傷風・ガス壊疽・敗血症だ。  環境に属するものには極端なところでは火による体表面の破壊と、それで体液を失い、また皮膚の守りがなくなって無防備に微生物に食われることもある。また過剰なほど高い気温・そのなかでの長時間の運動で、体の水などを過剰に失って死ぬことも多くある。  後述するが人類が広い範囲で暮らすようになると、低温によっても体が破壊され、また体温低下自体で死ぬこともある。  低温になると、まず人体は貴重な熱を奪われないように血管を縮め、体の表面・末端部への血流を弱める。またある程度以上の低温だと、それは末端部の細胞が酸素不足で死ぬことにもつながる。それも合理的ではある、手足の指を失っても一時間余計に生きのびる方が繁殖できる可能性はある。体の一部である細胞が死ぬと毒を出すことがあり、それによって死ぬこともあるし、また低温それ自体によって内臓の働きもやられて死ぬこともある。特に冷たい水に浸かると、急速に体温を奪われ短時間で死ぬ。体や衣類が水に濡れ、さらに強く冷たい風が吹いているときも大きく熱を奪われる。  人間が水中で呼吸できず、すぐ死んでしまうことも重要だ。後には呼吸する空気に火から出た煙や微粒子、石の粉などが混じって長期的に呼吸器がやられる病気も重要になった。  欠乏はもうあらかた書いた。食物・水・酸素のどれが欠乏しても死ぬ。人間が必要とする様々な元素・体内で合成できない分子のどれかが飲食物の中で足りなくなると体のあちこちが不調になり、最終的には死ぬ。  特に恐ろしいのが、加熱した保存食だけを食べ続け、死んでから短時間かつ加熱したことがない、植物や動物の内蔵を食べずに過ごしたときに出る病気で、体のいたるところから血が出てゆっくりと崩れていく。また後に詳しく言うが、美味で見た目が美しい部分だけを取りだした草の実ばかり食べることでも死に至る病気も後代になって多くの人の命を奪った。  火と住居を手に入れてからは、酸素豊富な外の空気が入らない場所で火を使うことによって、酸素不足というか炭素と酸素が一対一の有毒である分子ができてそれで死ぬことも多くあった。 **毒  毒物は自然界では実にたくさんある。ちなみに薬も過剰なら毒、多くの毒は少量なら薬になる、ということが人間の重要な経験則だ。  塩化ナトリウムのように人間には必須の栄養素や水や酸素だって過剰になったら死に至る。  哺乳類・爬虫類・鳥類の肉は無毒だ。魚にはときどき有毒なのがある。昆虫その他比較的小さく複雑な生物のかなり多くの種類には毒がある。  植物や、土や木から出る菌が集まったものにも有毒なものが多い。  また毒を武器として使う動物もけっこう多い。特に注意すべきなのが、ヘビと呼ばれる手足がなく長い棒状の胴体だけの動物で、歯から効率的に毒を敵の体内に注ぐ機構があるものが多い。  他にも外側が硬い比較的小さい生物で、口などに管状の構造を作り、それで毒を別の動物の体内に入れる動物は実に多い。音を立てて飛ぶ蜂、足が八本で糸を出すクモ、尻から毒針のついた尾を前に出すサソリなど。  鉱物にも毒は多い。後に人類が文明を発達させると、新しい毒物がどんどん人間の世界に入っていった。  また、食物が腐るときに、微生物が毒を出すこともある。別の微生物にせっかくの食物を横取りされないため、自分は耐えられるが他の微生物にとっては毒になるものを出すことが多く、その中には大型動物も殺せるものがある。  それら多くの毒は、それぞれ独特の形をした炭素・水素・酸素・窒素などを中心にした複雑な分子であり、害がある以外にも多くの用途がある。  また、人間にとって毒であるもの以外にも多くの物質が多くの生物に含まれており、たとえば人間にとっては毒ではないがほかの動物にとっては毒、というものも多いことを再度強調しておこう。 **伝染病  伝染病とは、一人がある症状を示したらそいつと接触のある、または近くに住んでいる別の人間もかかることの多い病気だ。なんらかの小さい生物……単細胞、多細胞、目で見えるほど大きいの、細胞構造すらないもっと小さいのなどいろいろ……が犠牲者の体内で繁殖し、さらに別の人にまで移動して増えることによって起きる。群れが全滅する危険があるため、遺伝子を保存するためには最も恐ろしいものだ。多数が病むという点では群れがみな同じ毒を食べたりした時、また血縁にある群れの成員の多くが悪い遺伝子を受け継いだときにも起き、それらと区別しにくい。  伝染病は多種多様な微生物が引き起こす。微生物の大きさや種類も膨大で、その分類法も複雑だ。どう分類するのが正しいかもわからない。ちなみにいかなる意味でも生物でさえない、ある形のタンパク質に過ぎない病原すらあるといわれている、ちょっと議論はあるが。  伝染病が一人の人間から別の人間に「感染する」にも色々な径路がある。下で少し説明する呼吸を用いるのが一番感染しやすい。誰かが着た衣類を着るのも、皮膚が出した脂などに住む微生物が移動して皮膚から浸入することにもなる。糞尿が混じる水や食物を飲食するのも感染経路だし、糞尿の混じる土で手の指を汚してその指で飲食するのも感染につながる。皮膚どうしの接触も感染経路だ。特に上述の繁殖のための交接は微生物を大切に外界から保護しながら交換するようなものだ。動物の血を吸う虫も多数おり、それも重要だ。  ちなみに、症状を何も出さないが微生物を体内に入れていて感染させる者もいる。  あと伝染病のもとである微生物にとっては症状を出さないか、致命的でないほうがいい。宿主に死なれたら自分も死ぬだけ、まして群れを全滅させたら別の宿主に接触するのも難しくなる。本来伝染病にとって一番望ましい進化は、宿主となる動物全員が自然に感染しており、その生存繁殖を一切脅かさない状態だ。  症状を利用して感染を拡げる微生物もある……たとえば、人間の呼吸器官は刺激されたら激しく息をして自らを掃除するが、その時に非常に細かい液の粒がたくさん出る。それを別の人が呼吸の空気と一緒に吸うと吸った人もその微生物に住み着かれる、ということがある。それで、そういう微生物の中にはうまい物質を出したりして呼吸器を刺激し、そういう激しい呼吸をさせる、という変異を起こしたものもあり、そうなると増えやすくなる……というわけだ。後述の、水分が異常に多い糞も似たような話だ。  昆虫に感染する伝染病には昆虫の脳を狂わせて「ひたすら上に行け」と命じ、木などのいちばん上に入ったところで全身を食い尽くして殺してから自分自身の……環境に耐えられるように変型し、それ一つからでも宿主にさえ入れば完全な自己増殖が可能な卵のようなものを大量にばらまく、という代物さえある。より高いところからばらまく方が広い範囲に拡がる、というわけだ。それに知性がないと誰に言えるんだ?人間は本当にそんな病気はないのか、性病の一つは……まあ知らん。  ちなみに上述のように、人類に限らずあらゆる生物は微生物に食われないよう、まして伝染病にやられないよう体内で様々な物質を作り、それ専用の細胞を分化させなどあの手この手で戦いつづけてきた。そこで重要なのが動物は、一種類の微生物にやられて死ななければ、体にあるそのための細胞が攻撃してきた微生物の特徴を覚え、また来たら前に撃退するのに使った物質などをまた出すことができるから、二度やられることはない、ということだ。またある程度他と往き来できない地域で、ある伝染病で何度も多数の死者を出しながら生きてきた人の集団は、その多くが遺伝子のレベルでその伝染病にかかりにくく、死ににくくなっている。逆に他と接触できないでずっと別々に生きてきた人間集団は、別の人間集団からなにか伝染病が感染したら一気に大量死することもある。後述するが、それが人類の歴史で最も重要な出来事の核心であり、また二度やられることはないという点が、ある時期から特に技術を発展させた文明の核心でさえある。  あと当たり前のことだけど、どんな動物にも植物にもそれ特有の伝染病がある。  で、人間の重要な伝染病と、それに関する生物もいくつか紹介していこう。  人類の天敵と言い切っていいのが天然痘。体温を上げ、皮膚に赤い部分をたくさん作る。呼吸からも含めて伝染しやすく半分は死に、生き延びても皮膚の赤い部分から臭い液が出てその跡が一生残ることも多く、そうなると後述する美を損なう。後述する、アメリカ大陸に前から住んでいた人をほとんど全滅させたのは主にこいつと後述のチフス類だ。ただし人間以外には感染せず、一度かかって生き延びたら二度とかからないので、後述するが世界全体を高い技術水準の文明が支配したとき完全に地球から除くことに成功した。麻疹など似た病気も多い。  結核は症状がしつこく、感染経路が多い。  インフルエンザは死亡率こそ低いが、しょっちゅう遺伝の複製の間違いを起こすから常に人間の間で蔓延している。一度極度に死亡率が高いのが人類全体に蔓延し、その時ちょうど起きていた最大規模の戦争に匹敵する死者を出したこともある。  インフルエンザに似ているのが風邪という、激しい呼吸や体温上昇などの症状をまとめた病名だ。いろいろな病原体がある。  ペストも非常に多くの人間を殺している。ある地域の歴史で大きい被害を出したから注目が大きいというのもあるが、恐ろしい伝染病であることに違いはない。  ペストは人間から人間の感染は弱く、ネズミ・ノミという二つの動物を経由した感染が主になる。  ネズミというのは比較的小型、人間の拳程度の大きさの哺乳類動物だ。知能が高く複雑な地形を垂直方向も含めて動き回ることが得意で、口の先にある長く強く伸び続ける歯を使って土でも木でもなんでもかじって穴を作り、そこで暮らすことができる。繁殖力も高い。食べられるものの範囲も広く、人間の保存食を特に好む。人間の生活が豊かになり複雑になり定住するほど増え、常に人間の身近の見えにくい所にいる。それが食ってしまう食料や衣類なども困りものだが、多くの伝染病に関わるのが厄介だ。人間や後述の家畜と違いネズミに糞尿を、人間が飲食したり着たりするものに入れるな、と頼んでも聞いてくれやしない、さらにこのペストという最悪の病気がある。  ペストはネズミだけからは感染せず、ノミという小型の昆虫も媒介として必要とする。目にやっと見えるぐらい小さく、とても高く跳びはねる。ちなみに別に凄い力とかじゃなく、ノミの身体構造が高く跳び上がることに適していて、また二乗三乗則で筋力当たりの体重が少ないからだ。まあそれはともかく、それは口を色々な動物の皮膚に刺して血を吸う。血は栄養価が高いから、接近して殺されるリスクがあっても余りあるほどだ。  で、ペストに感染したネズミの血をノミが吸って、それから次に人間の血を吸えば、ノミの中で生きているペストの微生物が人間の血液に入って増える。  皮膚のあちこちに黒い部分ができるのが特徴で、恐ろしく致死率が高い。ヨーロッパの人口の三分の一が死んだことがあるぐらいだ。  他にも人の血を吸う虫にはシラミ・ダニ・飛びまわる蚊などがある。  シラミやダニは発疹チフスという、同じく多くの人を殺してきた病気に関わる。  ちなみに、ノミ・シラミ・ダニは毛を利用して動物にしがみつくから、体毛のない人類はそれにやられにくい。人間の毛の薄さはその点で生存上有利だ、という人もいる。ただし衣服を覚えてしまったんだからそういうのにとってはもっと過ごしやすいかもしれないがね。  血を吸う昆虫で目立つのが蚊だ。蚊は流れのない水面に卵を産み……拳ほどの植物のくぼみに水がたまったところで充分だ……小さい頃はその水に澄む微生物を濾過食で食べて成長し、空を飛んで血を吸う成虫になる。  だから人間にとって、本来いつでもたくさんの生物がいて住みやすいはずの、浅い水が広い面積を湿らせている地域は伝染病が多いので死にやすい地域でもあるんだ。逆に必要もない水面は徹底して埋め、植物から遠ざかって幾何学的に単純な場所で暮らすのが、蚊を媒介にした伝染病を避けるには有益だ。  蚊が媒介する伝染病もマラリア、黄熱病など多い。どちらも気温の高い地域の病気だ。マラリアは熱を出し、それがいつまでも続き、調子が悪くなる。現代の人類にとってもきわめて重大な問題だ。黄熱病も致死率が高く、人類をとても苦しめた。  蠅も空を飛ぶ昆虫で、非常に多様。卵をどこにでも産むことができ、特に死体や糞、腐敗した植物などに産むことを好む。短時間で卵から出るごく小さい子供は膨大な微生物に食われないどころかそれを食ってしまう強さがあり、微生物以外もとても広く色々食べる。そして短時間で大きくなり、空を飛んでどこにでももぐりこんで卵を産む。  上述の、肉や皮を干したりしているところなどではちょっと油断するとすぐ蠅に卵を産まれ、小さい子供に全部食い尽くされることになる。というわけで人類にとっては常に傍にいる生物の一つだ。さらに糞を食べた直後に人の食物を食べたりするから、下で言うような飲食からの感染の元になる。まあ蠅に言葉がわかれば、自分たちは年中体中を徹底的に掃除している、人類のような不潔な生物じゃない、と言い返されそうだけどな。  また蠅の類には蚊のように口から血を吸う種類もおり、それもまた重要な伝染病につながる。困ったことに下で紹介する牛という家畜にも深く関わるから、アフリカ大陸のある地域では人が牛を飼って暮らすことがきわめて難しくなる。  つくづくアフリカ大陸は伝染病の面でも呪われているんだ……まあ当然だな、人類が何百万年か前に今の形になってから、いやそれ以前も体を流れる血の種類はほとんど変わらないまま何千万年も暮らして、その間人類の祖先のサルたちと一緒に蚊や蠅やノミや伝染病も進化してきたんだから。  赤痢、コレラ、腸チフスなどは飲食、特に水を通した伝染病で、水状の糞を大量に出させる。同時に熱などを出すものも多い。水のようになったそれはあちこちを汚染しやすいし、大量の水で薄められてもかなりの感染力を持つので感染しやすい……問題はその水状の糞には人体の水分が大量に含まれているので……水状の糞自体は毒をさっさと出してしまう、人間が生きるのに役に立つ仕掛けだが……大量に血を流すのと同じように死にやすい。他にも飲食物を通し、水状の糞を出す病気は実に多くある。  ちなみにチフスという病名はやや混乱していて、生物としての関係が薄いいくつかの病気でその名が見られる。逆に恐ろしい伝染病にチフスと名づけた、という面もあるかな。  ハンセン氏病というのは人類の精神構造の、私が一番嫌いな部分を強く引き出す伝染病だ。これで死んだ人数自体は大したことじゃない……感染力がものすごく弱いし症状を発しても多くが長いこと生き延びる。だが、この病気は皮膚を蝕み、人間の外見を変えてしまうんだ。そうなると後述の美を損ない、そして穢れ、恐怖、罪、スケープゴートといった多くの感情を呼び起こし、必要もないのに群れからの追放や様々な暴力、時に大量虐殺すら引き起こす。この病気に関することを思えば、私は人類の一員であること、そして私が生まれた国に生まれたこと自体が、聞いているのがどの宇宙の存在か知らないが恥ずかしくて嫌で消えてしまいたい。まあそれも、私が後述の近代の人権を尊重する文化で育てられているからなんだろうが。  本来繁殖のための交接行為から感染する病気も重要で、梅毒や新しいものではエイズがある。またある伝染病にかかった母親が妊娠出産した子供は当然それにかかる可能性が高い。それから人類がある程度進化してから、針を体に刺すということもするようになった……そうなれば二人が同じ針で自分を刺せば血液自体を混ぜるようなものだ、当然伝染病にとっては一番感染しやすい。あまりのアホさに言ってて自分で呆れたが本当だ。  エイズは現代の人類にとって、特にアフリカ大陸でマラリアと並び重大な要因だ。エイズは感染こそしにくいが、遺伝子の構造が単純で複製の間違いが起こりやすいため後述する近代的な対策が難しい。また人間が、体内に侵入した微生物を排除する、その免疫機構自体を蝕む。そうなると普通ならまず害にならない弱い微生物にも殺されるわけだ。そして感染した人間の体力と無関係で、子供や老人から殺す普通の伝染病とは違い多くの仕事ができる大人も弱らせてしまう。しかも死ぬまでに時間がかかるから、その間患者の回復を期待して与える食料などの負担が大きい。  伝染病と言えるものには目に見えない微生物だけでなく、大型の寄生生物も多くある。詳しくは述べないが、ごく最近のとんでもない生活様式の少数の人間たち以外は、常に多くの寄生虫に常に吸われている。上述のノミ・シラミ・ダニもある意味寄生虫だ。また時々寄生する生物には、ヒルという柔らかく形しかない、血を吸うと大きく膨らむ変なのもいる。消化器官に住んでいる寄生虫も実に多様だ。 **風土病  これはまあ「ある地域に住んでいる人だけに出る病気」ということだ。それにはその地域の、大地や水そのものに混じっている元素レベルの毒もあるし、またその地域だけに住んでいる動物から人間に感染するが人間と人間では感染しない伝染病、ということもある。  伝染病の、特に媒介する生物が地形・温度などに縛られてその地域から人間と一緒に移動できないこともよくあり、それも風土病になってしまう。  その地域の人間の習慣から、特定の微量物質不足が生じるため必然的に出る病気もある。 **遺伝病  遺伝自体エラーがときどきある。生きるのに必要な情報にエラーが起きたら体が正常に働かないのは当然だ。また人間の遺伝子は膨大なデジタル情報だが、そのほとんどはまったく無意味だ……逆にそれがちょっとの複製の間違いで致死的な悪い情報になることもある。  まあひどいエラーが遺伝情報にある子は、正常に大きくなって出産されること自体無理だ。産まれたときに外見ではっきり欠陥があり、運動能力や感覚や免疫に劣る個体は、非常に厳しい状態で生活する野生動物の場合生存自体が不可能だ。もちろん人類も昔は野生動物だったから、欠陥のある遺伝情報をもつ個体は死んだ。  上記の、ハンセン氏病に対する残酷な扱いも、外見に欠陥がある個体は遺伝子に欠陥がある可能性が高い、だから交配相手にしてはならない、という精神に遺伝子レベルで入っている判断でもある。  といっても、どんな動物にしても一つの欠陥もない遺伝子などあり得ない。誰もがなんらかの、多数のごく軽い遺伝病にかかっているんだ。  特に、一つの遺伝子だけではなんともないが、両親が同じ欠陥を持っているときだけなにか悪い影響が出る、というのは、同じ両親からまともな子供が生まれることも多いので消えにくい。  ただし外見と無関係な、遺伝子から来る欠陥も多くある。代表的なのが血友病という、外からの力で傷ついたとき血管をふさいで出血を止める機構に欠陥がある病気だ。  中には遺伝病でありながら、進化とも言える病気もある。ある遺伝子は、両親から両方受け継ぐと血液内で酸素を運ぶ細胞が変な形になって、酸素をうまく体細胞に運べなくなるから死にやすい。だが片方だけしか持っていないなら、上記のマラリアという病気で死ににくくなる。少数は死ぬ確率が高いが、多数がとても死ににくくなるから有利なんだ。  前述の生殖器官の異常を始め、体の内外の臓器器官の作りが普通でないものもある。 **内部からの病気  遺伝病は繁殖に関する遺伝子の複製の間違いによるが、個体の細胞も常に分裂し、死んでいる。その分裂でも当然複製の間違いがあるし、また外からエネルギーの強い光や元素、分子によってDNAの原子が分裂したり組み合わせがぶれてしまうこともあり、情報が狂った遺伝子がそのまま分裂すれば複製の間違いと同じことになる。実質誰もがかかっている広義の遺伝病がたくさんあるわけだ。  そんな細胞には、臓器としての役割を果たさずひたすら血管から栄養と酸素を受けとりながら増え続けるものもある。その場でひたすら増えるのもあるし、また血管に乗せて狂った細胞を一つづつ全身に送り、送られたのがその先でまた増殖するのもある。  本質的にそれは「元の自分の体と同じ細胞」であり、だから「異物を除去する」のが基本である免疫にとっては排除しにくい。免疫細胞はさまざまな異物と「自分」の細胞を見分けて異物を攻撃するが、その異常細胞はミクロの分子をどう調べても「自分」なんだ。というわけで多くは死に至る。そういうののほとんどは大したことが無く終わり、免疫が見分ける事ができて自然に治っているのも多いのが信じられないぐらいだ。  ちなみに伝染病ではないが、最近の高度な技術なしに伝染病かどうか見分けろと言うのも無理だ。  細胞分裂が多いところで起きやすいため、骨の髄など血液を作っている器官や消化関係の傷ついては修復されることが多い器官によく出る。日光を浴びた皮膚にも起きやすい。また傷を治すことをくり返している場に出やすいから、ある種の毒を飲食したり、また面白いことに人体と関係のない鉱物が肺に入ると、異物を排除しようと攻撃し続けてその結果そういう病気を起こしてしまう。  他にも様々な原因で、内蔵が機能を失うことがある。遺伝子にもいろいろ欠陥はできるし、受精卵から大人の体になるまでにいろいろと間違いがあることもある……というより大多数がちゃんとできている方がおかしい。  運動などの過剰な負担などもあり、それが体に様々な影響を与える。死体の骨だけを見て、生きている間どんなことをしていたかある程度分かるほどだ。  たとえば血管系や呼吸器系のあってはならないところに穴が開いていたり、胃が自分の消化液から自分自身を守るシステムが狂って自分を消化して穴が開いたり、変なところにごみがたまって微生物が増えて毒を出したり、腹の内臓が本来それが収まる部分の外に飛び出したりいろいろある。  詳しくは後述するが、ある程度以上人類が知識と技術を蓄積し、食料を得る術と社会構造を変化させると人間の中に「運動して狩猟採集をしなくても豊富な食料を常に得られる」のが出てくる。  動物としての人類はそんな環境に合わせて進化していない、常に全力で食物を求めて走り、手に入ったものは最大限に食べ、いくら努力してもほとんど常に餓死寸前、いやその多くは餓死するのが動物にとっては当然だ。  過剰なまでの食料が常に手に入り、また他にも脳が要求する快を充たすために様々な物質を飲み食いする生活……たしかにそれは飢えて常に激しく動く個体より平均寿命は長いが、限度を超えると体がそれに対応できず、様々な病気になる。ただそれらの病気の多くは、まあどの病気もそうだが、統計的なものだ。長く生きていれば体は自然に壊れる、生活習慣はその確率を変えるだけだ。  尿に多くの糖分が出て色々な病気が起きやすくなったり、また血管内で鋭い針のような結晶ができて体を中から刺して痛かったり、血管の中で脂肪などが塊になり血管がふさがって心臓や脳が酸欠になったり、肝臓から腸につながる管や尿を作る組織で硬い塊ができたり、口の中で食物の残りを餌にする微生物の出す酸に歯が溶かされたりと実に色々な病気がある。  それでも動物としての人間の脳は、二十年後の激痛より今大量に食べたいとばかり言い続けるんだ。まあ当然だ、二十年後生きている確率などごくわずか、今食べるだけ食べないと次食べられるのは三日後か十日後か、という世界で進化してきた動物なんだからな。  人間の免疫が人間自体を蝕むこともある。無害に近いものに対して上記の呼吸や体温や皮膚の異常を起こしてしまうんだ。  究極の病気は、老いと死だ。  多くの動物は、長時間生存しているだけで組織を維持するための細胞分裂になにかが起き、全身のあらゆる器官が弱くなり、運動能力が低下し、病気にかかりやすくなる。完全な健康と栄養を維持していても、最終的には全身の衰えから死に至る。多くの動物は歯を失うだけでも食物を食べることができず死ぬ。  逆に百年近くも、全ての細胞を交換しながら故障なく生きられること自体がおかしい、と思う方がいいぐらいだ。  これに関しては、知る限り例外はない。少なくとも人間は全て、最終的には死に至る。それを免れる術は今のところない。  別にそれでいい、繁殖さえ成功すれば、繁殖してその子供が繁殖できる年齢まで育てさえすれば、その個体は事実上用無しだ。実際繁殖を終えたらすぐ死ぬ生物は少なくない。  脳が記憶した大量の情報、肉体も含めて作られた経験はもったいないが、その影響が大きいのは人類ぐらいだ。 **精神の病  後述する人間の精神は、産まれた時点では事実上ゼロでそこから育てる側が色々と教え、また本人の脳も遺伝子が命じる通りに柔軟に成長する。だから発達には多くの個体差がある。  でもって、その個体差がその群れで生きるのに適さないレベルになることもあり、それは病気とみなされる。ただしあくまでそれはそのときのその群れで生きるため、という基準だ。また単純に群れの、詳しくは後述するが色々なルールを守らないのは大抵は別扱いされる。  精神については以下説明する。精神が様々な要素のバランスを失い、群れの一員としての的確な行動ができなくなればそれで病だと考えていい。まあ逆に、個体に異常はないけれど群れの都合で排除されることもあるが。  人とのコミュニケーション、自分とのコミュニケーションが原因で心のバランスを崩すことも多くあり、それはしばしば肉体の異常にさえなる。  もちろん遺伝・外傷・毒物・微生物・異常細胞など問わず肉体的な精神異常も多くあるが、外部からの影響が無視できるものも多いし遺伝子だけでは説明できないものも多い。脳というのはとことん複雑な器官だ、まともに働くほうが変なんだ。  あと詳しくは後述するが、さまざまな依存症もある。  さらに、人間の群れ全体の精神がさまざまな形で異常な行動を示すことがある。その各個体はその集団に順応しているから健康だが、全体としてみるとおかしいんだ。それは病といえるんだろうか。  というか、精神的に病気じゃないといわれる「ある集団に順応している」こと自体が、その集団という精神の病気に完全に冒されている、といってもいい。 *医・衛生  人体の生理や伝染病について解説したから、それで死ぬ率を下げる方法も分かると思う。死ぬ率を下げて群れの人数を増やすことは、少なくとも短期的には「DNAが自己増殖をする」という生命の目的に適い、それに優れた生物はより増え、後述する人間の精神もそれを求める。  あと人間の根本的な前提。全ての病気に後述する「名前」があり、多くの人が示すいろいろな症状が同じ一つの病名のあらわれであり、それぞれによく効く治療法がある。  まず伝染病から。  まず群れの中でもある程度遺伝子的な多様性を保っておくこと。全員のDNA情報が同じだと、そのDNAの穴を突く伝染病で瞬時に全滅する。群れ自体も多様性があるほうがいい。だからある程度以上離れたところに群れを分けておくのもいい……たとえその群れが敵に回ってこっちを殺すことがよくあるとしても。  そして群れの中では、伝染病を人から人に移すことを止めること。詳しくは後述するが、人が特に激しい息をしたらそれを吸わない、人の糞便や土がついた、また腐敗した水や食物は口にしない、伝染病に感染した者は最善は即座に殺して死体やその持ち物ごと焼き尽くす、次善は群れから離れた地域に少なくとも完治するまで隔離……いや、外から見て目立つ症状がなくても微生物を撒き散らし続けていることもあるので追放して水・食物などが触れないようにする。  また外の群れの人との接触もしないほうが短期的には安全だが、もし群れAが長期間他のあらゆる群れとの接触を断って何世代も過ごしていったら、Aは誰も経験していない伝染病に外の世界の人類の群れBはたっぷり経験して、それにかかっても全滅はしないよう変異した遺伝子の持ち主が多くなって……進化していて、それでいつかBとAが接触したらあっというまにAが全滅する、ということにもなるからやりすぎもよくない。  水・食物はまず人間の感性がきれいと感じるもの、そしてできれば口に入れる前に水が常圧で沸騰する以上に加熱したものを食べること。寄生虫などをよけるために体や衣類や寝具もたびたび水で洗い、日光にさらして乾燥させ、時には沸騰した水で加熱した方がいいぐらいだ。ただし衣類や寝具の、動物の毛由来のものは本質的に水洗いに適さないが。  住居などを工夫して、蠅・蚊・ノミ・シラミ・ダニなどに刺されないようにすることも重要だ。  遺伝病や寄生虫を避けるために、外見が「標準でない」個体を群れから排除することも有効だ。少なくとも繁殖相手には選ばないほうがいい。そのために人類は、詳しくは後述するが精神に美という感覚も進化させた。  くそ、そう理解してみると腹が立つが、ハンセン氏病患者にしたことはある意味間違ってない、ただしハンセン氏病の感染力の弱さを考えると不合理なまでにやりすぎ、しかも色々解明された後だったのに「伝染病患者の隔離」と「外見が美しくない者を避ける」と「穢れを忌む」が暴走し、当時の技術水準から見ても不要な虐待が横行していた、というだけだ。  では病気にかかったり、外からの力で傷を負ったりしたらどうすればよいか?  野生動物の場合、基本的には動かないで安全な場所に移動し、痛いところを舐めたり触ったりしてじっとする。痛みなどの症状がなくなればまた動きだし、できれば群れに加わる。自分自身を治す細胞の能力では足りなければそのまま死ぬまでだ。  実は人間はその、痛い部分を刺激する癖が不適な形で働くことがある……皮膚に異常があると、弱い痛みが常にあり、それを不快と感じてそこを爪など硬い部分でこすったりすることがある。そうすると皮膚に傷がつき、そこからより悪い感染症になったり、跡が残って美を損なったりする可能性がある。だが、進化する以前、分厚い毛皮のある動物だった場合には、皮膚に弱い痛みがあればそれはシラミなど寄生虫の可能性が高いから、それを掻きおとす必要があった。  ただし人間は知能が高いため、もっと複雑な治癒もできるし、逆に無価値なことを治癒行為だと思いこんでやってしまうことも多い。  かなり知能の高い動物に例はあるが、さまざまな動植物の、本来なら食べられないように体内に作っている毒を少量意図的に飲食したり、症状を示す体表に接触させたりすることもある。たとえば微生物を殺す毒をもつ植物を潰して傷口に塗ってやれば、傷口から微生物にやられることを防げる。また便が水状になる症状を起こす毒を意図的に口にすることで、別の毒や微生物を早期に体から出してしまうことができる。他にも色々きわめて複雑な作用が、様々な自然に存在する毒物にある。  傷に関して、骨が折れたときに骨の形を元どおりに整え、固い物で形を保って固定するのも重要な技術だ。  他にもかなり高度な、物理的な力を治療に使う技術がいろいろな人間の群れに伝わっている。  他にも、昔の人間は主に魔術を治療に用いていた。その多くは無効でむしろ有害だが、その中には膨大な試行錯誤による正しい治療も混ざっている。  何万、いや何百万年にもわたって人は身の回りのあらゆる植物・昆虫・動物、菌、土などを試し尽くしてきた。そのために捧げられた命がどれだけあったか、想像もつかない。その中には実際に、様々な症状をなくしてそのままだったら死ぬはずの人を健康で行動できる体に戻せるようなものも多くあった。  精神の病に対しては医はほぼ無力だ。最近はある程度効く薬が出てきたようだがね。 *人間の精神  人間は脳が発達しており、きわめて多様な行動をする。  また私自身人類の一員であり、精神が色々に働くことを常に経験している。多くの言葉が浮かび、それを口にすることもできるし、映像や音楽をある程度脳内で思い出すことも、意識的にもできるし放っておいても出てくる。  肉体が静止していても精神は働いており、それはまるで精神と肉体が別であるようにも感じられる。そのような幻覚も多いため、多くの文化圏で人間には肉体と独立して生物のように行動する精神があると解釈されているが、科学的にはその考えをとらず、精神とは人間の脳に制御された肉体が周囲の環境の刺激に反応し、また自分自身が出した情報も処理し続けることとする。  ここで問題がある……人間の精神について調べるとき、自分の精神の働きなどを参考にするか。それとも完全に客観的に、ある刺激にどう反応するかを調べる、それこそ全くのブラックボックスとみなすか。脳についての人間のわずかな知識は使えるか……  脳についての知識は、せいぜい「脳のこの部分を破壊されたけど死んでない人間で、こういう異常を示した例がある」の集まりか、それと電気や磁気で生きたままちょっと調べたぐらいだ。脳細胞の個数だけでとんでもなく多く、それがまた一つにつき多くのつながりを別の脳細胞と持っている。  また、「人間が人間の精神を言語で記述する」ことに多くの制約があるのもわかってほしい。どの群れに属しているかで考え方が異なるし、最も大きい群れの中でも心理学の説の多様性、学派の複雑さとしたらため息しか出ないよ……後述する宗教と似たようなものにさえ思える。人間の精神というのは実に多様な面から見ることができる、どのように感覚器の情報を処理しているか、内部で感じ言葉にされる何かはどうなのか、多数の人間をある状態に置いたとき統計的にどう反応するか、等々。だから私がここで言うことも、いいかげんなことだと聞き流してくれて構わない。別の知性が人類の精神をどう理解するか、私が知りたい。  本来なら人間の脳そのものを原子レベルで調べてもらう、人間のDNAから人間の脳がどう発達するかを理解してもらう、さらに多様な人間社会自体を人間としての偏見のない無数の目から観察してもらう必要があるんだろうが、それは今の人間の手に余るしここで頼めることでもない。  ここでは、主に進化心理学……人間の心のあり方を色々と並べ、それぞれが「アフリカ大陸の暑い森から草原で狩猟採集生活をしていた頃、どう役に立っていたか」を解説していこうと思う。ただしこれは、反証可能性に乏しいため科学としてはあまりいい方法ではないかもしれない。現実の人間には存在しないとんでもないことを「進化心理学的に説明する」ことさえできなくはないんだ……  そして、私は宇宙を旅する新宇宙探検船の乗員であり、発見した知的生命体についての情報を集めて報告するように考えるとしよう。そのようなことをしている人は実際の地球にはいないが、似たことをする人はいる……旅をして、新しく発見した動物や、ほかの人々と接していなかった人間の群れについて研究報告する研究者だ。  ならばまず何を見るか? 人類という動物の生理については見たから、精神については……どんな刺激を受けたらどんな応答を返すか、人間の言葉で分かりやすいのは何を好み何を嫌うか、だ。  何より忘れてはならないことは、人類はいくら脳が大きくなり、色々な技術を使ったりし、自我とか意識とかなんとかがあるとしても、大型脊椎動物にほかならないということだ。  動物である以上生存のために多くの物理条件・物資が必要とされ、この宇宙、地球陸上という環境、大きさでの通俗的な物理、感覚器・運動能力・内臓の能力に徹頭徹尾束縛されている……言い換えれば適応して進化してきている。  そして群れ動物でありながら個体の意識を持っており、群れの維持と個体・家族の利益という矛盾に迫られ、また自分という個体の意識がありながらそれが死ぬことを認識できてしまうという巨大な矛盾を抱えている。  さらにこの世界自体に、これはあらゆる生物に対してだが、有限の世界・資源と無限の欲・繁殖、そして熱力学第二法則と別の高い秩序を消費してそれに逆らう生命という食い違いがある。  それは常に多くの欲望、特に攻撃・支配・群れ内地位などの欲望になり、またそれを抑制する多くの、多くは言語化された規範との矛盾の中で生きることになった。  まず動物である以上、基本的にはあらゆる行動、それを制御する器官の働きは、少なくとも本来は生きるためのはずだ。逆にいえば、どんな心理的なことも、少なくとも祖先の群れが生き残って自分に近い遺伝子情報の持ち主が生き延びるのに役に立っていた、と考えるべきだ。  あと人間がしやすい間違いは、人間がうまくできているから何かものすごい存在によって設計された、と考えてしまうことだ。人間の肉体だって、上で散々言ったように欠点だらけだ。精神だって欠点だらけだが、とにかく多くの人にとって生きていくには十分だ、ということだ。今のところはね。  というか人間の精神については、スティーヴン・ピンカーなどの著作を読むのがたぶん早い。  動物はまず水・酸素など・食物・適温を求める行動をとる。上で言った「必要なもの」を得たがる。  そして繁殖しようとする。  不快を除き、快を得ようとする。  さらに群れ動物では、群れを維持しつつ群れの中での地位を上げようとする。時には群れを裏切ってでも自分の利益を増やそうとする。  様々な他の種の動物、同じ種の自分以外の個体を攻撃する……攻撃は自分の縄張りに侵入者があったり、また交接相手を同種同性に奪われたりしても起きるし、また縄張り・食物・交接相手などを奪うためにも起き、それがなければ遺伝子を存続させることができない。  人類も同様だ。  ただし人類の場合、その行動を制御する脳の働きがとんでもなく複雑だ。  脳は多くの部分に分かれ、それぞれが別々の機能を担っており、それが絶対的な中心を持たずに統合されている。それはそうだ、ごく小さな領域を破壊されたら終わり、というシステムは生き残れない。その情報は脳に病気や怪我をして生きていた人の、わずかな観察から得られている。実験すればいいと思われるだろうが、科学的な医学ができてから人間を実験に使うことは禁止される傾向にある。ただし一対一とは限らず、脳そのものの中に複雑な関連がある。  これは人間の情報に関する考え方も入っているんだが、動物はまず生まれて正常な環境で育てば……小さい頃から正しい、いや自分の祖先たちと同様の環境からの感覚入力を受けていれば、それに応じて行動を起こす部分も含めた体が正しく育ち、それで感覚器が受ける情報と行動の対ができる。  それだってばかにできない。恐ろしいほど精緻になることもあり、アリやハチなどは一つ一つの個体の処理できる情報は少ないはずなのに集団でとんでもない建築物を造りあげる。  それならDNAの最低限の情報からでもほぼ確実に構成できるし、非常に小さい体に制限される情報容量でも処理できる。  複雑な動物は、ある行動や外界の状態から「不快」を受けたらそれを繰り返さず、「快」であれば繰り返そうとする。快不快に関する周囲・自己の状態を情報として「記憶」しているわけだ。  あとは何を快とし、何を不快としてそれを覚えるかが脳の中にちゃんとあれば、色々経験して死なずに済んだ個体は快となる行動を繰り返すことで生存・繁殖できる率を高めることができるわけだ。試行錯誤も結構高等で重要な行動様式で、とにかくいろいろやってみていい結果になったことを繰り返し、不快だったことは繰り返さない。それがあればより広い範囲の環境で生きられる。  動物としての人類も一番深いところはそうだ。  もちろん、単細胞の受精卵として始まってから、多細胞動物の場合分裂し、様々な器官を備えた多数の細胞の集合になるにつれて、最初からそういう行動を取るようにDNAの段階から決められている部分もある……まあその、本能という概念については色々議論があるが、多くの野生動物が大体同じ行動をし、それで生きていることは確かだ。  で、その「快」をもたらすのが、例えば温度の場合比較的狭い範囲であることに注意して欲しい。「快」をもたらすものの多くは、食料や水など生存のための資源を多く手に入れる、生殖相手になる同種生物と交接するなど、生存・繁殖の可能性を高める方向のものが多い。  それこそ単細胞の微生物でも、わずかな運動器官があれば「快」の方向に移動し「不快」から逃げようとする。いや、運動器官を持たなくても「不快」となったときには自己増殖や繁殖に必要な情報だけで水分を抜いた固い塊となって、今増えるより後で増えるようにすることさえでき、だからこの幸運かつ過酷な世界で生き延びている。  ただ人間には他のあらゆる生物と違い「意識」というものがある、と私の知っている範囲の人間は考えている。その「意識」自体はほとんど定義不能に近い言葉だ。逆に、たとえば一つのスーパーコンピューター、突然変異を起こした一匹の家畜、巨大な海の動物、巨大なアリの群れ、大木、海の無数の微生物のネットワーク、太陽表面のガス、銀河自体などに意識があるとしても、人間がそれを意識と認めることはどうすればできるのか見当もつかない。素数はどうだろう……でも大半の人類は素数を入力されてもわからないだろう。  一人の人間であっても、甚だしければ病気扱いされる脳の働きの個体差がある……その低い方にも意識があるのだろうか? 逆に上のほうの人には意識以上のものがあったりしないのか? 意識の概念を持たない文化圏はないのか? まったくわからない。  少なくとも人間は、光を全反射する平面を持つものによって見える自分の像と自分自身の関係を認識できる。また人間は言語を用いて思考でき、言語を持たない文化圏は今のところない。その個体から見れば、自分自身こそ世界の中心で、それ以外は……例えば目をふさげば光で見える世界が全部消えてなくなるように感じられている。  また人間は、他人が自分と同質の心を持っていることも理解でき、「自分が相手の立場だったらどう感じ、考え、行動するか」考えることもできる。それは功利的にもきわめて重要だ、たとえば「あの獲物は、自分が喉が渇いて(水分が不足して)あっちの池に行くのと同じように、そのうち喉が渇いてあっちの池に行くだろう」と考えることで先に水場の近くに隠れれば、何も考えずに見つけたら追うよりずっと高い確率で獲物を殺し、食料などを得られる。さらに現実ではないことを脳だけで空想することもできる。  最終的に人間の行動……人間の肉体が変化・運動することは「意識によって決定される」ものと「意識せずにされる」もの、その中間??が「とっさに出る」ものだ。  ただし、人間は意識無しで実に多くのことをしている。また、意識によってなにかをしているときも、その行動の細部について多くのことを無意識で制御している。たとえば「この石をあっちに投げる」こと自体は意識で行っているが、そのための綿密な運動制御は全部意識しないでやっている。  また、その意識の意識されない元になっているものとして、様々な感覚器の入力を脳の中でうまく整理して、常に世界を認識している、ということもある。その点はどの動物もやっているので、ほかの動物とその意味では違いはないと見ていいだろう。  人間は普通自分の精神を、「感情」と「理性」に分類している。感情は動物的であり、理性は人間的とされる。さらにかなり多くの人が、その上の「神秘」があると考えている。理性は言葉を重視し、論理や数学的な思考も交える。  また人間の脳は、色々な部分が別々な役割を持っているとも言われる。  人間の脳が記憶する情報自体が人間の行動の原因になることだって多い……といえば、どれだけ話が複雑になるか分かるだろうか。考える、感情が動く、行動する、その結果を感覚器で知る、それが別の感情を動かす、その感情が考えに加わって別の考えに……がぐるぐる回ったらどうなるか。さらに人は群れ、互いに情報を交換してそれをやる。  群れを作らない、より単純な構造の動物の認知・判断・行動をまず語るべきだろう。  だがそれについても、人類はそれほど知っているわけではない。  とことん単純だと、食物と繁殖をもっぱら求め、あとは呼吸・周囲の環境の温度や化学的な条件などに反応して生存・繁殖率を高めるように行動する。  さらにより複雑な動物だと、記憶と学習が発達して快を繰り返し不快を避けようとする。  動物としての認知、上述の目に入った情報を脳内で分析して世界の像にするシステムも重要だ。感覚器は人間のそれがすべてじゃなく、種によってかなり多様であることに注意して欲しい。地中に暮らしていて目が見えない、匂い=化学物質と振動と温度だけに敏感な動物もいるし、特殊な音を出してその反射を分析できる動物もいる。熱や電場を直接感知する動物もいる。陸上大型動物でありながら耳と鼻が発達して目が弱いのもいる。人間の、二つの前を向いた目と左右の耳を中心にした認識のほうが特殊だ。  ある程度複雑になると、食べること・水を飲むこと、準備ができたときに同じ種の適した相手を見つけて交接すること、種によってはある程度子供を育てること、縄張りを独占し侵入する同種生物を攻撃すること、敵と戦いまたは逃げること、不快な環境を避けることなどがはっきりした行動として出てくる。脳の中で、それらの目的に合う行動を「快」となし繰り返すように脳細胞のつながりや化学物質の出し方を作り替えてしまうわけだ。その、ある行動や状態を繰り返したがるのを欲望と呼ぼうか。  記憶と学習は、試行錯誤……あらゆることをやってみて、快だったら繰り返し、不快だったらそれを二度やらないことで、まあ自然では一度目に死ぬことも多いけど生き延びればその後生存する率が上がる。またコミュニケーションに優れた群れ動物なら、群れの仲間、特に子供にその経験を伝えることで試行錯誤による時間とリスクを短縮できる。この試行錯誤システムの存在は、人間が自分が進化してきた地域だけでなく、より広い地域の様々な気候・生物に応じて新しい生活様式を作って生き延びる力にもなった。個体の記憶で学習し、それを群れで共有する方が、新しい環境にたまたま適合した子供だけが生き残るシステムよりずっと早い。  あと必然的に、間違った学習もあることに注意するように。ある食物を食べたと同時に別の動物に襲われたことから、その無害で不快とは因果関係がない食物が不快と学習することもありえる。  記憶・学習ができると、以前快・不快があったのと似た感覚刺激に対して同様な行動を取ることができる。ここで以前の不快と同様の状態から逃げようとする恐怖という感情ができる。ただし、これは後の、文明化された人間はその恐怖とその前段階の不安に従っていればいい、とは言えなくなった。あまりにも人数が多く、あまりにも高い技術を用い、あまりにも複雑な社会を作ってからは、より小さなジャングルのサル……どころか魚だった頃から発達した恐怖や不安による判断では群れが生きられないことのほうが多くなっていった。  あと、重要なジレンマが好奇心だ……新しいなにかを見たとき、遠ざかる方がいいか近づいた方がいいか。それが生存にとって有利か不利かはわからない。いい食物かもしれないし、毒かもしれないし、自分を食べる動物かもしれない。だから恐怖も感じるが、試してみたいという好奇心も感じる。  多種多様な食物を食べる動物は好奇心に富む。人間は個体差が大きいが、全体に好奇心に富むとされる。ただし好奇心がないに近い個体も非常に多く、生後の文化も強い影響を与える。  群れ動物に必要な脳の働きには群れを維持することが加わる。群れに属することを強く「快」と感じるように脳ができていくわけだ。さらに群れの中での地位を上げること「快」となる。より繁殖の機会を増やすことにもなるから。  群れの存続に最も重要なことは「裏切り防止」だ。群れの中で群れ自体・群れの仲間の利益を無視して自分だけの利益を追求したり、群れ全体とは別の方向に移動したりする個体が多くなったら、群れが機能せず全滅につながり、群れに共通する遺伝子が失われるリスクがある。  食料もオスにとってのメスも、どの個体も群れのすべてを独占したい、自分の遺伝子を増やすため、個体の脳としては欲望によって。できれば群れが集めた食物も群れの仲間も全て自分で食べてしまいたい。でもそれをすると、群れの他のメンバーが死んで群れでなくなってしまい、自分もすぐに死ぬだろう。そうして群れが滅ぶ率が増したら結果的に自分の遺伝子が伝わらない確率が増える、という深刻なジレンマが本質的に存在している。  人間の心理・社会構造のかなり多くがこのジレンマによって作られている。  全員が、群れのことしか考えず決して仲間を裏切らない者だけで構成される群れは、群れと群れの競争では最強だ。だが生物はどれも親と少し違う子が生まれるので、中には利己的な者も出る。そうなると、裏切らないし裏切る仲間が存在することを考えもしないメンバーばかりの群れでは、利己的な者がすべてを独占することになる。  だが「利己的」という脳の構造が遺伝子を通じて群れの多数になると、皆が利己的では群れが群れとして機能せず、誰も仲間を裏切らないに近い群れに勝てず群れごと滅びることになる。  さらに「自分の群れのみに忠実、他の群れの成員はすべて食物」である場合、人類のように遠隔交易が重要になり、群れを離れて別の群れを作ることもある種には不利益が出る。別の群れを見たらすべて皆殺しにしてしまう群れの集まりは、遠隔交易で効率よく石器材料などを手に入れる群れの集まりに比べて不利だ。また別の群れでもある程度血縁関係がある場合、その別の群れの存続は遺伝子を維持する予備となる。  だから人間の、動物として生まれつき作られている心の動きには、群れを維持するために役立つものも多い。まず言語を覚える機能もそうだし、他人を模倣する習性もそうだ。他者に支配される心の動きもそうだ。ただし群れの中で優位に立つものも多い。他者を支配すること、情報を求めることなど。あらゆる人間には支配するため・されるため両方の心の動きがあるとも言える。  また基本的には「抑止」が重要とされる。群れを崩壊させる可能性がある行動を取った個体を、群れ全体で攻撃したり群れから排除すると決まっていれば、群れを崩壊させる行動を取るのは個体にとっても不快な記憶と結びついたこと、リスクの大きい行動となる。  無論その判断ができるのも、人間に記憶があり、前頭葉が発達していて「ああすればこうなる」型の理性があるからでもある。  誰が、群れの方針に従い、群れの利益を優先して行動する、自分を攻撃しない群れの仲間だと「信じられる」……前提として行動できるか、が常に重要だ。  また人類の群れには上下関係がある。個体にとって群れ内での地位が上がることは遺伝子的にきわめて有利であり、ゆえに特に群れの同じ性の仲間と争い、できれば群れの意思決定者として、多くの個体を自分の手足や道具のように「支配」したいという欲求がきわめて強くある、言い換えれば同じ群れの他人、のみならず別の群れの人、人間以外の動物、動かない植物や生命のない物体、頭の中で抽象的に作った存在さえ支配する、または支配したと思うことは人間にとってこれ以上ない「快」となるように人間の脳は遺伝で作られている。  上の抑止も、群れを崩壊させないためというより群れの意思決定者が自分の支配を徹底するためという面もある。暴力による支配も重要だ。特に知能の高い哺乳類や鳥類は、雄どうしが接触したらどちらが上位かを決め、それが繁殖に大きく関わる。それは暴力で決めるのが一番簡単だが、後述する無駄な装飾を用いることもあるし、知能の高い群れ動物では群れ内のコミュニケーションによって戦闘力が高い雄が複数のより弱い雄に同時に攻撃されて敗れることもある。多くの動物では相手を傷つけないが暴力に近い、順位決定のための行動が発達しており、それ専門の体器官を持つ動物も多くある。前述のように、人類の拳が比較的弱いのもそれかもしれない。  人類は群れ内、後には群れ間で支配・上下を定めるのにきわめて複雑なコミュニケーションを行っている。  ただし、人間の精神は完全に群れ動物であるわけではなく、個人差はあるが自由を求める……好き勝手に欲望を満たせないこと、好きなように移動できないこと、他人に支配されることを不快とも感じる。 **感覚と認知  人間の感覚については繰り返し述べた。その感覚と脳によるその処理は、あくまで人間が、上記の大草原での群れ生活を行うために遺伝的に設計されている。  たとえば人間の目は、様々な背景からいくつかの動物の形を素早く見分ける。逆に多くの動物は、見分けられないように周囲の景色の、しばしば見られる「パターンにとけこむ」ようにしている。この擬態とそれを見分ける目の軍拡競争は、特に鳥と昆虫の間で恐ろしいまでに行われてきている……人間もそれにある程度参加している。  それによって、人間が目で得た情報を脳が処理するシステムはいくつかの動物、自然界でしばしば繰り返される円や平行線などのパターン、人間の顔などを大量の視覚情報から瞬時に見つけだし、強調することができる。またそれは人間の顔を見いだし、自分の知る顔を見分け、その表情から相手の心を読むことに過剰なまでに優れている。  ごく単純な図や自然が作った無意味な模様からも顔や立体構造を間違って認識してしまったりちょっとした図の仕掛けでほぼ誰もが同じ間違いをするほどだ。そんな誤動作はあるにしても草原で自分を食べようとする肉食獣を素早く見つけるには充分役立つ。  さらに単純な図形、三次元も含め頭の中で操作し、また簡単な数を考えることもできる。  聴覚も同様であり、パターンの繰り返しを聞きとること、人間の声から相手の心を読むことにものすごく発達している。  視覚と聴覚は意識、脳の比較的最近進化した部分との関連が比較的強いことにも触れておこう。  ここで注意しておきたいのが、人間はゆっくりと言葉で考えて行動することも多いが、実際の野生生活では、まして人類の祖先にとってはゆっくり考える暇などない。目や耳から入る大量の情報を受けてからすぐに行動しなければ死ぬ。だからゆっくり順番に考える部分より、全体から瞬時に判断する部分が、人間の脳にも根強く残っているんだ。  言葉でちゃんと筋道を立てることなく、なんとなくここは危険だ=このままだと不快なことになる可能性が高い、など感情が判断することがとても多い。  また、人間の感覚入力の情報量は常に膨大だが、人間はその大半を常に無視している。それどころか何かを予測していれば、その予測に反する感覚情報を無視し、予測通りの感覚情報があったと認識することさえある。  匂いや味は比較的意識との関係が薄い。だからこそ動物としての快不快などに強く関わる。群れ動物としても匂いや味がかなり重要だ。人間以外の動物の多くは群れの仲間を見分ける、繁殖相手を見つけるなどに匂いを多用するが、人間もある程度それはある。  皮膚および内臓の感覚は動物にとってもっとも重要だ。皮膚に食いこむ別の動物の歯と、毒や微生物による内臓の破壊だけは海の魚、いや体節や体腔すらなかった祖先からまったく変わりはしない。  特に体を破壊される感覚、「痛み」はあらゆる動物にとって根底的に重要だ。最大の「不快」であり、それを受けて生き延びたらそれが繰り返されることを強く「恐怖」する。  その痛みや恐怖は、それこそ全身のあらゆる細胞・脳の奥まで支配するものだ。実際に逃走または反撃に備え全身の細胞・器官に脳や神経の束から神経を通じたり、体液に様々な微量物質を出してそれが血液などに混じって伝わるなどして情報を送り、血液を運動に集中したり内臓に集中したりさえし、糞尿を出してしまうことさえある。最大限の声を出す、または体が意思では動けなくなるなどもある。  痛みや恐怖だけで人は死ぬことさえあるし、精神の働きが崩壊してまともな社会生活が送れなくなることもある。そんな体の反応も心の動きの一種だろう。  一時的には回復できても、長期間繰り返し恐怖に近い、戦いを準備しているような不快な状態に置かれるとそれは体の免疫などを蝕み、精神状態を変えてしまうこともある。  詳しくは後述するが、人間は、その「痛み」と「恐怖」をある程度使いこなす。それで自分の群れをまとめ、後述の家畜として他人自体や別種の動物さえ支配下に置くことができる。特に別の群れを攻撃したときに保存食などを出させるため、また罪を犯したことを自白させるためには、死なないように苦しく痛い思いをさせて相手が隠したがっている情報を出させる技術が必要になり、高度に発達している。  内臓の感覚としては呼吸ができないときの苦しさ、食物を長い間食べていないときや食べ過ぎたときの苦しさ、長く水を飲んでいないときの喉の渇きなども非常に重要だ。それがあるから必死で空気や水や食物を求め、それによって繁殖するまで生きることができたんだから。  自分がどう動いているか、筋肉や関節から知る感覚も意識はしないがきわめて重要だ。それがないとまともに動くのは非常に難しい。  あとかなり根源的な感覚として、疲労・欠乏の類も加えていいだろう。それらは、特に睡眠不足が続くと意識さえ簡単にねじ曲げる……意識はそれらを無視したがるが。  ちなみに、「快」をもたらす感覚入力に人間が「美」というものもある。特に視覚・聴覚における幾何学的・時間的な対称性と、単純さや調和、多くの植物や水面、数の世界や音楽の持つ秩序などさまざまなものに美を感じる。  個体が交配相手を選ぶ際には美がきわめて大きな基準となる。進化心理学的には、病気や寄生虫、遺伝子の奇形がなく、これまでの栄養状態がいい個体は体の左右対称性が高いためよい繁殖相手である可能性が高い、ということだろうと言われている。  笑いもそれに強く関わっているようだ。これは食物の好みやタブー同様、「同じことで笑える」ことが同じ心理構造を持つ群れの一員だという主張になるのだろうか。  ある意味、人間にはもっと多様な感覚と精神の対応、精神が作りだす世界の像があり、その一部しか意識に使われていないともいえる。  数や音楽の世界について「感覚」を持つ人もおり、逆に一般人はその感覚にほぼ盲目、というわけだ。人間は極端に視覚を優先しているが、視覚を失った人はさまざまな感覚を発達させるし、脳に何かあって普通の常識的な意識を持てない人には、数学や音楽の世界を極めて鋭敏に認識する人もいる。  基本的には、多分ほかの動物もだろうが、「注意していないものは見えない」し、「予測した物を見る」のが普通だ。普段からけっこう自分を欺し、それでなんとかやっている……そのほうが完璧に合理的な動物より、多分生存率はずっと高いだろう。アフリカの森では。 **情動  人間の、動物に近い心の動きは情動と呼ばれる。少なくとも私が使っている日本語と学んだことのある英語では、多くの感情は数直線の両側のように大きいプラスから大きいマイナスに分けられる。ただしそれに入らない感情も多い。  動物にとってもっとも根源的なのが快と不快。そして快を欲望し、不快を恐怖し避ける。  その不快のときには、攻撃と逃走を中心に様々な選択肢がある。中には完全に動かない、というのさえある。どれが正解とも限らない。さらにその攻撃や逃走自体が快になってしまうんだから話は複雑だ。  たとえば肉食動物が食事をしていなくて不快なら獲物を攻撃して食べることが、攻撃と食の両側から大きな快となり、それが獲物に反撃される恐怖・動かないで寝ることの快を上まわるから獲物を探して襲う行動をとるわけだろう……といっても本当にちゃんと知っているかは自信がない、いいかげんな推理に過ぎない。  情動の根底には快と不快、攻撃とそれが変型した怒り、快を得たときの喜びとそれを求める欲などがある。非常に強い情動に支配されて体全体が激しい運動の準備さえする興奮、休息などの状態もある。  それに知能と記憶が高まって未来を予想することができるようになると、不快を予測したときの不安や恐怖、予測していなかった何かを知覚したときの驚き、予測していた快が得られなかったときの悲しみや苛立ち、予期していた快を得た喜び、快が続くと予期されて睡眠する時の安心、長時間刺激がないときの退屈などが加わる。  人間が言葉を使わずに簡単に他者に情報を伝える手段としては前述の笑い喜び・泣き悲しみ・攻撃や怒り・恐怖などがあり、それに付随した情動は最も重要だ。  群れ動物では群れの利害・直接血縁の利害・個体の利害が矛盾し、さらに情動は複雑になる。  まず群れ動物は、少なくとも群れの中の個体は識別できるほうがいい。特に裏切り者を記憶し、二度同じ相手に騙されないようにするのはきわめて有利だ。  また群れ動物以前でも、肉食動物が群れを作っている動物を追うとき、目についたものを片端から追っていると非常に不利だ。動物は運動に食物から得た秩序の高いエネルギーをもつ分子や水を消費し、熱力学第二法則で熱や秩序の低い化学物質を出してしまってそれを処理する時間が必要なので、長時間移動を続けられない……それは追われる側も同じだが、追われる側がちょっと追われては群れの別の仲間と交替して休めば疲れるのは追う側だ。それを防ぐには、群れの中から特定の個体を選び、他を無視してひたすら特定の個体だけを追えばいい。  そして、その個体識別機能と快不快が結びつくと、群れの一員について、その個体が死ぬととても不快、その個体の快不快は自分にとっても同じ快不快になる、距離を近づけておきたいし接して体温を感じたい、目など感覚の届くところにいて欲しい、異性であれば交配して繁殖したいなど一連の感情ができる……それが人間が愛と呼ぶ感情の根底だろう。  ただし愛・支配・攻撃はかなり密接なつながりがある。多くの情動は脳の中で密接につながり、実に意外な情動どうしがつながることもある。攻撃することが快になり、愛情や生殖に関する感情とつながることも多いし、逆に支配されることと繁殖と苦痛がまじって快や愛情になることさえある。  より単純な心理として、頻繁に接しているだけでそれがあることが快になり愛情になる、ということもある。  たとえば単なる石であっても、小さい頃からそれを持って暮らしていれば、生きてきたということは何度も食事ができて快を得られた、そのすべてでその石を持っていればその石と食事の快に間違った因果関係を感じてその石に愛着を持つ、ということさえある。  もちろん逆に、接すると不快になる個体もある。いや、個体だけでなく、認識・接触などで感じる快不快……好き嫌いはあらゆる個体・物・情報に関してある。  執着・嫌い=接すると不快・攻撃などが複合した感情は憎悪と呼ばれる。特に自分を傷つけたり、血縁や愛情を持つ人、群れの誰かを殺されたり、縄張りや食物や群れ内地位などを奪った時などでその相手に強く憎悪を感じ、それを敵と呼ぶ。少々のリスク・欠乏・苦痛などは度外視して敵を殺し、またその群れ仲間や繁殖関係でつながった者も皆殺しにする、という行動を、しかも強い執着で行う群れを攻撃するのはリスクが高い、だから攻撃されにくくなり、その遺伝子は群れの中で増加する。  また群れと群れとの関係が激しい憎悪による相互攻撃になることも多い。また人間は特定個人・群れだけでなく、より抽象的な概念を憎悪することも多い。  利害ではなく支配や群れ内部の権力争いから起きる憎悪もあり、しばしば群れ内部での殺し合いになる。  ただし憎悪は、一見合理的な理由なしに起きることもある。愛情も同じだが。  実際人間が色々なことに執着する心の力の強さは驚くほどだ。  もう一つ情動の重要な要素として、これはある程度客観的・科学的に分析できるが、脳の中の電気や物質の具合そのものも重要な要素だ。  快や不快、苦痛を感じているとき、攻撃を準備しているときなど様々な状態に応じて脳内では多くの神経細胞が複雑に情報をやり取りし、活動して様々な物質を放出し、全身にも大きな影響をもたらすし、また全身の状態も脳に影響をもたらす。  それは容易にものの考え方さえ変えてしまう。  激しい運動を準備して目の前のすべき事に集中した興奮、自分を否定し活動をしなくなる鬱、普段の現実と脳内の様々な感覚像の関係とは違う像を認識する幻覚、激しい飢餓や疲労や睡眠不足によって思考がなくなり単純な行動だけを繰り返す状態、激しい特に執着をともなう感情、大きな刺激や恐怖で思考や行動が不可能になるショックなどその他精神の病とも関連して様々な状態がある。それぞれ進化心理学的には意味があると思うんだが。  外からの刺激や自分の心の中から出てくる何かに注意したり、変化が乏しく変えにくければ慣れて別のことに注意を向けたり、また何かに強く集中したりする状態もどうなっているのやら。 **家族・性  人類は基本的に雄雌各一匹ずつがつがいとなり、その子供を育てる。ただし、一匹の特に力のある雄が多数の雌を支配下に置き、その子供ごと養うこともある。ちなみにどちらも、色々な動物がとる生き方だ。その繁殖する雄と雌、そしてまだ繁殖できるほど成長していないか繁殖相手がいない多数の子供、後に繁殖がほとんど不可能になった今繁殖している年代より老いたその親が集まったのが、人間のいちばん基本的な最小単位の群れ、家族だ。  個体・家族・家族が集まった群れと、最低でも三つの段階があるとも言える……この「家族」という言葉が、どれほど学問的に妥当かは自信がないが。  一匹の雌と多数の雄、というのは多くないし、混合して全く無秩序に、誰と誰が交配してもいいとなる群れはめったにない。  上記の、自分の遺伝子を増やすためにどうするのがより有利かを考えて欲しい。  本質的に雄は多数の雌と交接し、できれば別の雄に養われている雌と交接して自分の子供を他の雄に養わせれば最上だ。逆にどの雄も、自分がそれをやらされることを一番恐れる。逆に雌は最も長期間食料などをくれ続ける雄に子供ごと養われるのがいい。  人類という動物の性質……繁殖のため、雌が無力になる時期が長く、子供を産むときのリスクが高く、子供を産んでから子供が自立するまでに長い時間がかかる、などを考えて欲しい。  人間の子供は生まれてすぐにでも、正常に呼吸ができるようになったら大声を上げて泣き、母親の胸の脂肪がたまって膨らんだ部分の乳を出す皮膚が変形した部分に口で吸いついて乳を吸う。  また手は何かを握りたがり、自分の体重ぐらいは支える……親の毛につかまって移動し、枝からぶら下がっていた、もっと小さいサルの時代の進化が脳に残っているのだろう。  とにかくどんな不快でも泣いて親に不快を除いてもらう……特に乳をもらうことを求めるのが生まれた直後の子供だ。大声は敵に見つかるリスクを高めるが、逆に親の関心・注目の対象となり世話をしてもらうことが多くなるため生存率は高まる。その後も、他者の関心・注目は人間にとって最大の快の一つになる。  何よりも年齢が低い子供は、親かそれに替わる個体に乳、大きくなれば水や食料を親から受けとり、また保温され、清潔を保たれていなければ生存できない。対等な作業ができるには十年は軽くかかり、後代のきわめて複雑な世界では三十年を超える。  とても小さい子供は好奇心が強く、身の回りにあるものは何でも触ろうとし、また口に入れようとする。  だがある程度大きくなると、以後はこれまで食べてきたもの以外食べなくなる。文化を身につけたとも言える。それ以降、生活における清潔水準なども変更がきわめて不快になる。  非常に幼い頃はまず感覚器や身体の運動などと脳の関係を、脳の成長を利用して作っていく。人類はあれほど産まれるとき母親に負担をかけるのに、それでも産まれたばかりの子の脳も体も全然できていない。  また幼いある時期に親の言語を聴いていると、短時間で自分も親と同じ言語を習得する。また親の様々な考え方、体の動かし方などもその時期に親の模倣を通じて覚える。泣くことや動くことを抑制することもできるようになる。  多くの文化で、親が子供にどのように行動すべきかしつける。特に重要なのがトイレ・トレーニングだ。人間は衣服を着て巣を作る。では糞尿を出すのはどうする? その時には巣の外か巣の決められた場に移動し、衣服の少なくとも腹から下を体から離す必要がある。巣も衣服も汚すことは伝染病のリスクが高いし、その匂いが不快だからだ。出す前後で清潔のための道具を使うことも多い。  ごく小さい子供はいつでもどこでも、体が消化を終えれば出すだけだ。だがある時期から、巣や衣類を汚さないように親によって許される場・衣類の状態・時間でなければ出さないように作り変えられる。  動物は快を求め不快を避ける……だから幼い頃から、正しい場所・状態で糞尿を出すなど、群れが「善」とする行動には快となる食物や称賛の言葉や皮膚接触による愛情などを与えられて賞とされ、逆に間違った場所・衣類の状態で糞尿を出すなど群れが「悪」とする行動には食物を与えない、打撃などによる苦痛、言葉、自由の剥奪などで不快にされ、繰り返すなというメッセージを告げられる=罰される。  その強制がうまく積み重なると内面化される……許されない状態で出してしまうことに対して、強い「恥」もしくは「罪」といわれる感情を覚え、また毒を食べたとき同様の吐き気のように感性自体を作られる……それは後述する穢れとも関わる。  またそのことで、学習した個体は意識によって体に命令し、ある行動を取らないようにすることもできるようになる。といっても、しつけられた人間は意識が働いていない寝ているときも、よほど調子が悪くなければ糞尿は出さないから、かなり動物としての部分にもしつけは効くようだが。  それほど人間は、快と不快・恐怖と苦痛・称賛と愛情、言葉と行動の両面を用いて子供を支配し、精神を造りあげる技術に長けている。それは生来とも言えるし、祖先から代々受け継いできた技術とも言える、それを分けるべきではない。そのプログラムは実に幅が広く、だからこそ人類は常に水が凍る高緯度地域から水がほとんど無い砂漠、赤道直下の森まで広い範囲で生きることができている。  犬猫もある程度、決められた場所以外では糞尿を出さないようしつけることができる。牛や馬については知らないし、まして家畜の野生種については知らないが、それらもある程度大小便を別の場でするように群れの中でしつけられるのだろうか。それは病気のリスクを下げ、匂いに鋭い肉食動物をごまかすなどいろいろと益があるはずだ。  その「恥」「罪」という感覚は人間の場合非常に複雑で重要な感情になる。本質的には群れから追放されること、群れ内の地位が下がること、失うこと、幼児期に遺棄されて死ぬことに対する恐怖感につながっており、人間にとって何より重要とされる。  最低限条件を満たす行動を取ることができなければ群れから追放され殺される、というのが人間の場合は特に厳しい……といっても私は人類以外の群れ動物で、どの程度群れからの追放があるのかは知らないんだが。  他にも「恥」「罪」は戦闘における名誉、労働における勤勉、法や神に対する罪悪などとも関わる複雑な感情だ。  その「恥」「罪」はまず「規範に従わなかった」ときに感じ、支配者が罰する。  まず自分を支配している個体の命令に従うこと……支配者に服従すれば賞され、服従しなければ罰される。さらに直接的な苦痛による罰だけでなく、殺害や共同体からの追放などより大きな罰を約束して脅す、声や表情などで強い攻撃性を伝えて恐怖を感じさせるなども高度な罰だ。それによって服従を快とし、不服従を不快とするのが支配の基本だ。さらに有効な支配は支配者に対する愛情さえ育み、その場合には支配者の命令に矛盾する欲を感じただけで罪を感じ、自らの欲として服従することもある。後述のアイデンティティと何に支配されているかが結びついてしまうんだ。  また人類の場合、規範を言葉にすることも多く、それに破ったことを他人に知られれば罰されるし、その規範と後述の象徴が結びついて権威を形成し、それが上記の愛される支配者と同様になったときには同様に罪を感じる。  逆に言えば、その基準に照らして罰する、という群れの行動で犯罪を予防することが群れにとって最も重要なことで、罰は犯罪を予防し群れを強化するのに最も有効だと、検証もそれ以前の前提もなしにとても強く信じられている。  群れ全体が、人を善人と悪人に単純に二分化する傾向があり、罪を犯して罰されている個体や群れの成員以外を悪とし、逆に正規の群れの一員を善とみなす構造がある。  群れの規範は言葉だけでできるとは限らない。小さい群れの中で、自然発生的に、主に言葉を用いない、より動物的な感情の交換によってできる秩序は、それだけで言葉にしにくいきわめて強い規範を形成する。他と違う規範を作り、違う行動を取ることで、自分の群れを他から区別し、群れの一員を見分けるのも人間の群れ動物としての習性の一つだ。  その三つは時に矛盾することにも注意して欲しい。  そして「恥」「罪」が形成されると、賞される行動・心理=善、罪となり罰される行動・心理=悪という、ちょうど数直線になるような価値観ができ、それと快をもたらす何かに対する欲が、他の感情と並び心理の中心になる。  ただしそれが正常に形成されるとは限らない。無矛盾な規範は存在できず、また人間は細かな刺激からどうしてもこれが快・不快だ、というものがある。  そして人間は常に欲があり、自分に都合よくものを考えことが多いため、その犯罪とされることをしてしまう人は常に統計的にいる。罰を強めたり何をしても、それがなくなることはない。  本来は罪を罰するのは人間の能力が不足しているからで、本当は被害者を生き返らせたほうがいい。時間を逆行して犯行を止めたほうがいい。被害者を親族ごと去勢断種して群れの遺伝子を改良したほうがいい。加害者になるような子を新生児で見抜いて間引いたほうがいい。加害者を治療したほうがいい。もっといいシナリオを考えて全員に周知徹底したほうがいい。でもそんな能力は人間にはない、というか進化段階から、一番使えたのが「罪と罰」システムだったんだろう。人間はそういう生き物だとしか言いようがない。  ここで注意してほしいんだが、群れる動物にとって「罪と罰」システムが絶対に必然かどうかはわからない。アリ・シロアリ・ミツバチのような社会性昆虫に罪と罰のシステムは不要だ……多くの個体が生殖能力を失うことにより、群れを裏切る利得が発生しないし、それぞれの知能水準が低いからこそ、群れの最上位者が決定するのではなく無数の個体の微妙な情報交換だけで群れの行動を決定できる。  また面白いのが、人間は糞尿を出す、異性と交接する、誰かと親しくする、雌が出産するなどいくつかの行動を「他人から隠しておく」ことを強く欲求し、それができないと強い恥を感じる。自分についての情報を他人から隠しておきたいからだろうか。逆に人はそれを、文化的に抑圧されることも多いが根源的にはとても知りたがり、笑いとも強く関わる。魔術ともそれは深く関わるな、それらの行為から得られる情報は人を呪うのにも使えるから。  人間は衣類が必要ない気候でも例外なく、衣類などで生殖や排泄に関わる器官を隠したり装飾したりする。  排泄や交接を隠すありかたは、人間にとって巣から出て多くの人と接する状態と、巣に籠もって一人だけもしくは繁殖に関わる密接なつながりがある群れ内小群れのみと接する状態を分けることにつながる。それは後に社会が複雑化しても、人間の根本的なあり方として残される。  その「見られたくない」という感情は他の、比較的大型の動物にもしばしば見られる。動物が交接行為を行い、子供を産み育てるには複雑な条件が必要である場合が多く、ゆえに移動だけ制限し、雌雄が接触できるようにし、充分に水や食物を与えても繁殖しようとしないため家畜化できなかった動物種はかなり多い。  群れの一員となるための学習は糞尿だけでなくきわめて広い範囲に及ぶ。衣類を体につけ、また外すこともきわめて複雑な指先の操作を必要とする。そして徐々に、上述の各資材を手に入れるため、体を動かすための様々な技術やより複雑な言葉を学ぶことになる。動物としても、単純に目で見て世界を認識してその通り歩くだけでものすごく複雑な脳内の協調をしている。もちろん他のどんな動物もそれができている……だから人間はそれが当たり前だと思うが、論理・数学的な情報処理をする人工物にそれをさせようとしたらきわめて難しかったりするんだ。  また、他の個体やその外のいろいろなものを模倣することができるのも人類の重要な特徴だ。模倣に似たことができる動物さえかなり少ない。  とにかく純粋な情報・体の意識しない細かな動かし方など膨大な情報を模倣などで覚えることになり、どの情報が体の動き・口に出す言葉・脳内の言葉などで出るか、常に体の欲や言葉思考の組み立て……特に自我……に応じて動くことになる。ミーム論だともっといろいろいうが、極端なことは私は言わない。まあミームも人間の精神にとって重要な要素であることは確かだが、どれだけかはわからない。  特に強い感情とともに伝えられた情報を、人は年齢を問わず真として、心の深い部分にまで染みつかせ、模倣する。逆に感情を引き起こすミームは伝播しやすい。そのような真としている情報、信じていることは個体の意識の中核にもなる。  それらのミームを表現することによって、常に「自分はこの群れに順応している正規の一員だ」と周囲にアピールし、それによって群れの一員として扱われることを求める。また雌雄…いや男女どちらの性に属するか、群れの中でどのような地位にあるかも常に周囲に伝え、それにふさわしい扱いを求める。逆にその立場から逸脱することは罰される。  模倣の一つの形として、少なくとも多くの文化で、子供は人間や自然にある動植物などや抽象的な単純な形などをしたものなどを作ってそれが生きているそのものなどのように考えてそれに後述する物語を演じさせたり、狩猟・戦争など大人がする行動を、実際にそれができる能力がないが動きだけでも模倣したり、踊ったり歌ったり、身の回りのあらゆる物に触れてみたりし、それをとても快とする。  その直接生存のために必要なものを手に入れることにつながらないが快になる行動、遊びは大人になってもかなり重要な役割を持っている。  さらに人間は「知り」「理解する」ことそれ自体を好むともいえる。反面後述するように、はっきりした群れに沿った情報群を頭に入れてしまうと、それを壊しかねない情報を知ることを不快とする傾向も強くある。  子供が成長すると両親から離れ、自分と同年代の子供たちで群れ内の小さな群れを作ろうとすることも重要なことだ。その子供の群れはなぜか、特に群れが大きくなって子供の群れが大人数になると、大人たちの群れの善悪判断に反抗して自分たちだけの規範を作る傾向が強くある。面白いのが、人間には根源的に群れの善悪判断に抵抗するところと、それに従っているところが同時にある矛盾した存在らしいと言うことだ。また攻撃性が増し危険を好むことも多い。それには性淘汰もあるのだろう。若い群れ内群れには道徳に反しようという傾向があり、道徳無視をしないほうが逆に若者の群れでは悪とされ排除されることも多い。  その頃から、他の個体の情報・心理を何でも知りたい、という感情が出てくる。それは愛情・支配・攻撃など様々な感情と結びついている。また子供どうし相互の会話も好むし、群れ内群れへの参加を許したり追放したり、群れ内群れでの地位を争ったり、他者を支配したり攻撃したり、支配から逃れて自由になろうともがいたりもする。小さい子供でも立派な群れ動物には違いないんだ。  また、人間は肉体的な能力・精神ともに常に大きな個体差がある。詳しくは後述するが、ある人間の大きい群れでは「氏か育ちか」すなわち生来の遺伝子か、それとも産まれてからの環境かが常に議論されてきた。  普通は個体差とは言われないが、「何を好むか」言い換えれば何に執着し、何を快と感じ何を不快と感じるか、ある状況ではどんな行動を取るか、何を信じているかなどあらゆる点が一人一人異なる。それは性格・人格ともいうな。  ここで問題となるのが、人類には二つの矛盾した感情があることだ……群れの一員でいたいのと、自由や勝手を求めるのと。  自分の体から来る欲望に従って食べ、糞尿を出し、眠り、移動したいという感情と、群れの一員でいたいという感情が常に精神の中でせめぎあっている。別にどちらが本物とか偽物とかは言わない。どちらも人類という群れ動物に遺伝子のレベルで組み込まれた本質だ。  その群れに加わりたい、というのと群れから出たい、というのはどちらも必要なんだろう……一部が群れから離れることは、自然の群れ動物にもある。それは極めて高い確率で死ぬことになるが、まれに生き延びて別の地で別の群れを作ることもある。そうなると、元の群れが暮らしている地域に天候の変化などがあって元の群れが死に絶えても、新しい群れが生き延びて遺伝子を残せるから、遺伝子にとっては損にならないわけだ。だから群れに加わりたい、出たいの個体差を大きくして、多くの個体は群れに留まるけれど一部は群れから出るようになった生物のほうが生存率が高い、というわけだろう。  また、人間が自由を求めるのは、群れの一員となるための教育が膨大な不快の上に築かれていることもあるのかもしれない、動物は不快を嫌うから。そして群れの一員となることは、しばしば誰かの支配下に置かれることも意味しているからだろう。支配されることは快と不快、両方が同時にある。人は「人を家畜化する」技術と「家畜化される」性情を進化レベルでもっているとも考えられる。  さて、子供は成長する。そして色々なことを学ぶだけでなく、体も昆虫ほど極端ではないが変化する。小さい頃の歯が抜けて新しい、一生生え替わらない歯が生える。そして手足が胴体につく部分、顔などの毛が太く目立つようになる。そして生殖器が変型し、雌雄とも生殖可能になる。それに応じて脳も様々に変化し、なかでも生殖をしたいという新しい、非常に強い欲望を感じる。  本来繁殖のための交接行為はそれ自体きわめて強い快感を得ることができる。  また人は繁殖を求めたとき、あらゆる異性に対して強い交配欲を持つが、特定の異性にきわめて強い、愛情・交接欲・支配欲など複雑に絡まった感情を持ち、執着することが多い。その対象を選ぶ基準は上述の美、遺伝子的な健全さを、多くは言葉にするのが難しい脳の深い部分が多くの情報を素早く分析して判断する心の働きが大きい。また群れ内部の地位、群れに対する貢献などの記憶も大きい。後述の目立つための消費も大きいし、別の群れの個体や、攻撃的な個体に好奇心で惹かれることも多い。  また実際交配相手となるまでの経過はどうであれ、つねに共同生活をしている異性にも強い愛情または非常に強い支配服従関係などを感じ、また後述の儀礼や魔術的要素、常識などを加えて共同生活を持続させる。  それらなしに雌雄とも支払う膨大なリスク・資材には耐えられないだろうし、だからそれほどその愛情は強いのだろう。  雌は最初の交配の苦痛・妊娠期の重病に匹敵する肉体の負担と当然それで運動・判断能力が低下することによる死のリスク、出産のすさまじい苦痛と死のリスク、産後子供を育てるために消費する膨大な資源を払わねばならない。またつがいをつくって母子の生活物資を負担する雄にとってもそれは大きな負担になる。  そして交配相手が別の人間と交配することに激しい怒りを感じ、攻撃したがる。その攻撃性は時に理性を吹き飛ばし、群れから追放されたり殺されたりするとわかっていてもその恐怖を上まわることが多いほどだ。怒りが激しいほど、群れが崩壊しない限度で他の成員が交配相手を奪う行動を抑止し、自分の遺伝子の維持には役立つからだ。また、群れも道徳のためにその攻撃を容認することが多い。  交接・繁殖に関する欲が人間にとってきわめて激しいのは当然だ。ただし、基本的には人間は群れを作り、他の群れ動物にもある交接の制限がはっきりと言葉にできるように決められている。  成長すると群れの中で地位を得たい、というのも重要になる。群れに参加したい、できれば群れの中で上位になり、他人を支配する立場になりたいという欲を持つ。  特に一夫多妻がある場合には高い地位がなければ交接・繁殖すること自体が事実上禁じられるのだから、遺伝子を残すためには地位を得ることが絶対に必須だ。  大体繁殖可能になる頃から、食料を集めたりする活動に本格的に参加し、さまざまな技術を習得することが求められる。  人間がさまざまな技術を習得する能力は肉体・頭脳とも極めて高い。その根底にあるのが、他者の行動や思考を模倣・推測する脳の高度な働きと、間違いを修整し、正しい行動を繰り返して脳の深い部分にも覚えさせて考えなくても複雑な行動ができるようになる能力だ。  それらの、人間の知的な部分は機能別に分かれているとも言われる。  大体は、群れでは親と同じ役割を果たすことが求められる。多くは、詳しくは後述する魔術によって子供とは違う存在であるという認識を持たされ、群れに参加することになる。  産まれた子供の多くは死ぬし、中には前述のように群れから離れてしまう個体もあるし、遺伝などで体や心がうまく働かないため子供のうちに殺されたり群れから捨てられて死ぬに任される子供もかなり多いことに注意してくれ。ただし心がうまく働かない子でも、別の利用価値があって群れに特殊な形で参加することも多い。  うまく群れに参加でき、自分の脳のより単純な動物の頃から機能していた膨大な情報を瞬時に判断する部分が選んで激しく欲したか、または親・群れが決めた相手と交接・繁殖することが認められると、大抵は巣も同じにして家族という小さな群れを形成し、子が生まれるのを待つ。それが食い違った場合には誰にとっても悲惨なことになる。まあ自分で選んでいいとなっても、欲した相手が自分を嫌っていたらもっと悲惨だが。  ただ注意して欲しいのが、特に雄は不特定多数との一時的な交接が利益になり、雌は特定の異性から子供を生み育てるあいだの資材をもらうことが利益になることだ。雄がしたいことはその相手である雌はして欲しくない。そして雌雄双方が、自分の交配相手が他の相手と交接することを望まず、強い攻撃で抑止しようとする。それで多くの争いが起きる。  そして子供が生まれ、ある程度以上自分で育てたら、人間の心は自分の子供にきわめて強い愛情を持つようにできている。多くの親が、子供のためなら長期間の欠乏に耐え、子供が死んだら激しく悲しみ、子供が誰かに殺されたら殺した者を激しく憎んで攻撃し、子供を助けるために死ぬことさえいとわない。また子供の外見も、より親や場合によっては別の大人の愛情さえ誘うようになっている。  ただし、それは子供を群れの一員、家族の一員にするという明白な目的がある。特に狩猟採集生活から遠ざかるにつれて、膨大な訓練が必要となる。その訓練はしばしば暴力を伴うし、それは人間本来の支配欲や攻撃欲を満たし、暴力自体が快・欲求不満のはけ口となるため、双方の個体の生まれながらの性質にもよるが子供の精神に強い不快を与え続け、矛盾したメッセージや過剰な暴力で正常な発育を妨げることも多くある。子供のための善意と思ってであることも多い。  ちなみに交配相手には制限があり、人間の多くでは「近親相姦の禁止」がきわめて重要だ。特に親子・同じ親の子どうしなど血縁関係が近い個体と交接すること、交配して家族を形成することは最も強く禁じられる。その理由は遺伝病防止ともされるが、それだけでは説明しきれない。後述の宗教的なタブーも大きい。  同じ群れの中での交配を禁じるケースも多く、別の群れと若い雌を交換するケースも多い。後述の経済としても意味があることに注意するように。家族のありかたが人間の根本的なあり方、考え方だとも考えられる。  あと、交配や家族形成自体、遺伝子的に間違った対象に対して行われることがある。交接したい対象が同性であることも一定の割である……統計的には遺伝子が半分、それ以後の生来の単純な因果では予測できない要因が半分だ。同性の場合生殖器ではまともに交接できないため、男性どうしだと男性の口やら肛門やらを女性器の穴の替わりにしたりややこしい方法で交接と同様な快楽を得ようとする。ただ皮膚を触れ合わせること自体群れ動物である人類にとっては快いことだし。  もちろんそれとは別に、生来性器に異常があるなどで本来女性なのに男性として育てられるとかもある。元々脳内の自分の性に対する感覚・性愛の対象・遺伝子的な性・性器の構造それぞれ別に発達するんだから、それらが食い違う個体がたまにいても仕方ない。  また養子という現象もある。ちなみにそれは人間だけでなくかなり多くの動物がたまにやる。自分たちの子でない子供を、自分の子供と同様に育てる行為だ。  血縁がある群れ、特に血縁が濃い子を、他は健康だが生殖能力のみに障害がある成熟した雄雌が育てることは遺伝子を残すのにある程度貢献しうる。さらに後には血縁がない子まで養子にし、実子同様の愛情を示すことがあるが、それは人間がするのは遺伝子計算でなく感情に動かされるだけで、ただ近くにいる、子供が子供らしい外見・行動を取ることからも愛着を感じるように脳が設計されているからだろうか。さらに子供さえいれば、自分たちがもつ情報を子供に伝えることができることも大きいだろう。  交接行為自体が強い快になり、水や食物同様強い欲望の対象になるため、後述するが様々な形で社会的に用いられる。  人間の多くの群れでは、年長者が支配権を持つ。特に親子間の支配はきわめて強い。また雄がその暴力的な優越で雌を支配していることも多い。もちろん人間には何でも例外はある。  また、人類の雄は交接行為と暴力がかなり深く結びついており、憎悪の対象である別の群れ……自分の群れの部分群れも含む……を攻撃するとき、暴力で雌の意思を無視して交接することも多い。  そして人間は、何かで死ななければそのまま年老いていく。普通の野生動物では老いは問題にならない……老いる前に常に高い確率で死ぬし、老いによって体がわずかに衰えただけでもすぐに死ぬことになる。  だが人類の群れが大きくなり、より技術などが増えると、体力が衰えるなど能力が充分でない個体も、家族の愛情があるためや後述の魔法などで役立つため、そして知識が体力と同様に群れの中で力と認められるなどしたため、食物を与えて生きさせることがより多くなった。  さらに人間の優れた知能は、あまりにも不幸なことに「自分はいずれ死ぬ」ことを理解してしまった。それで常に、人間は自分が死ぬことに対する恐怖に苦しまなければならない。ほかの動物が自分が寿命まで生きることを考えるかどうかは知らない。少なくともごく単純な脳しか持たない小さい生物は食料が得られれば、食われずに繁殖できれば大幸運だ。だが人間は、明日の食料が得られること、今夜食われずに明日の朝が迎えられることが当たり前になり、そうなると「永遠に生きたい」というむちゃくちゃな欲を持ってしまった。  でもいつかは必ず死ぬ。  死んだときには、普通の動物ならただ消えるだけだ。だが人類の場合、様々な情報や人間より寿命の長い物資、群れにおける地位などを子供が受け継ぐこともある。強い者の子は強い、と思ってしまうわけだ。  そんなふうに人は生まれ、運が良ければ成長して家族をなし、子供を育て、死んでいく。人の心のあり方もそれが中心だ。 **人格・性格  人類には個体差がある。  動物レベルの脳で何に快・不快を感じるか、どんな対象に美や性欲を感じるか、脳の中での体外認知がどうなっているか(人間の脳は運動・言語・音楽・数学・五感などさまざまな機能がある程度別々の場所に担われており、どれが優越するか、それぞれどう働くかに強い個体差がある)、自分の体がどうなっているか、それまでどんな規範を形成したか、他人との接触をどれほど好むか、独立性は、考え方の特徴は、群れの規範を守るか、支配・服従・自由などどう好むか、どんな技術を習得したか、何に向いているか、なんという名前で誰の子でどんな群れ記号を持っているか……  どんなミームが脳という限られた資源を占領しているか、という考え方から性格・人格をとらえることもできる。  もっと単純に言えば何が好きか、あと意識するしないに関わらぬ無数の記憶の集まりだな。どの状態でどんな言動を行うかの集まりとも言える。  精神の病をさまざまに分類して考えれば、そのさまざまな病を誰もが少しずつ、群れの一員として普通に暮らすのに不自由ない程度に持っていて、それぞれ病の度合いが一人一人違うともいえる。  人格・性格を決めるのが「氏か育ちか」が昔から人間の間で問題とされる。両方だ、というとなぜか両方の側から叩かれるが、それも人間の言葉思考・単純化指向の誤作動だろう。  その「氏」というのは言葉だけ見れば遺伝子なんだが、人間は個人より家族・人種・魔術的関係などを基準に考える。気に入らない者を遺伝的なつながりも含めて、いや後述する穢れでつながるすべてを皆殺しにしたり、後述する奴隷制や身分制を正当化したりしたいだけだろう。育ちというのも、人間は育て方次第でどうにでも変えられる、という「空白の石版」論として使われている。正しい育て方をすればすべての悪はなくせる、と世界を簡単にしたいんだろう。  まあ遺伝子もかなり大きいが半分程度、ほかは実質予測不能、ごく幼い頃に放棄されるか暴力的に扱われたりしたら悪影響があることが多い、統計的な影響がある程度で単純な予測は不可能、といったところだな。環境といっても単純ではなく生後の無数の微小刺激の集まりによるから統計的にしか予測できないのは当然だ。どう育てるかと本人の資質が食い違えば、正しい育て方でも裏目に出るから計算どおりに育てることは不可能だろうし。遺伝子というのも別に育った一卵性双生児……DNAが共通の子供で育ちが違う場合、精神病や犯罪などがほぼ半分は遺伝の影響がある、という程度の話だ。  ただし、その人格は適切な技術を用いれば容易に破壊できる。  人間は群れ動物であり、ある意味では後述の家畜だ。だが、家畜と違って「飼い主」も人類だ。群れが拡大し、世襲が固まると上位者が飼い主を兼ね、下位の者の精神を家畜化することが多い。  人類は七万年ほど前に巨大火山が活動したため絶滅寸前に減ったことがあって遺伝的にほぼ同じだから、「飼い主」と「家畜」が別の種にまで分かれることはなかった。今でも任意の人類どうしはその子も含め繁殖可能であり、支配者であり優秀、逆に知能が低く従順など特定の性質を品種として安定して遺伝させることもできていない。  だから同じ人間が同じ人間を支配し、家畜化するという厄介なことをしなければならない。どの人類の心にも、群れ動物としての「支配する」「支配される」両方がきわめて深い部分で入っている。  支配する側が的確に、人を支配するための行動を取れば……相手の後述する名前・アイデンティティを破壊し、圧倒的な暴力と恐怖・食料や水の不足・激しく時には意味のない運動負担・長期間の睡眠不足で極度の不快・苦痛・恐怖状態にし、信仰体系を書き換えて常に儀式的行動・装飾を強制し、単純な言葉を繰りかえすなどで常に服従のメッセージを出すことを強い続けるなどすれば人は家畜化できる。  さらに個体差が極端になると、それが群れの価値観から見て優れていれば英雄、劣っていれば群れが生きる役に立たないため不要として排除されることにもなる。ただし、優れているか劣っているかは単純ではなく、きわめて多くの要因がからむ。個人の資質も何十種類もあるし、さらにその群れではどの資質が評価されるか、その個人が産まれたときの群れの権力者の力関係や、誰に好かれるかなどによって、同じ高い資質や大きな欠陥があってもその地位は全然違う。 **自尊心・劣等感・名誉  人間は後述する自我だの意識だのいわれる何か、善悪の価値観を持ち、その価値観によって「人間自体」「自分の属する群れ」「自分自身」が「特別」だと思っている。他とは異なり、「良く」「強い」。暴力的な強さ、生命を維持する物資の多さ、群れの規範に適合した行動がとれている……恥や罪の反対、他者に愛され称賛されていること……それらが自分及び自分の群れにあると思いたがる。それも無限に、完全に。人間は世界のすべての情報を知ってはいないし、脳にそれを処理できるほどの容量はない。人間の能力はごく限られている。だが人間は自分は、自分たちは完全だと思いたがる。  また人間は自分は動物ではない、と強く考えたがる。動物のように劣った存在ではなく人間という特別に高い存在なのだ、と。どう見ても動物でしかないが。  価値観において、後述する家父長制では基本的に神>家長>成人男性>生殖能力のある女、子供>動物、穢れ・罪・恥を受けた・生殖能力がない人、悪霊の順(いくつかの不等号は事実上等号であり、逆であることすらある)に、価値が低く悪だとみなす。  自尊心、自分が特別で、恥や罪とは逆に「良い」「強い」存在であり、他人に注目され、他人を支配でき、欲しいものが手に入るなど思い通りのことができる、という考えが人間にとっては常に快であり、体の病気を防ぎ学習能力を高める影響さえある。中でも自分が群れの高い地位にいる、ということは大きな自尊心をもたらす。他人に注目され、称賛され、また何かに成功することは自尊心を満足させるし、自分の脳内の言葉で自分を称賛するだけでも自尊心をある程度満足させることはできる。  言い換えれば「自分はこの(良い・強い)群れの一員だ」「群れの上位者だ」という快の変型とも言える。  逆に失敗などでその自尊心を奪われると、大きな不快を感じ病気になることさえある。ただしその状態では、他人の言葉や暴力による訓練で簡単に人格をある程度書き換えることができるため、人間を家畜化する技術においては重要だ。人間はまるで食料を求めるように、あらゆる方法で自尊心を満たそうとする。人間の群れを制御するときにはそれに沿った方向であることが常に必要だ。  自尊とその欠如は、人間の精神の病気とされる状態とも関わる、脳の深い構造からくると思う。それが人間の社会・歴史を動かす力はきわめて大きい。  ただし、人間の欲は無限で矛盾しており、世界は有限だから、本質的に自尊心を完全に満たすのは無理だ。常に人は自尊心が満たされていない、という欠落感を感じている。  子供が自尊心を得、また学習するのにも使われる、あらゆる人にとって普遍的な心理が自分は(非常に強い・良い・群れ内地位の高い)別個体・何かと「同一である」という心の動きだ。  自尊心を高め、劣等感をごまかす手段でもある。  それは模倣とも強く関わり、まず子は最初に目にする圧倒的な支配者である親を模倣する。  人は物語を作る。誰にとってもこの世界全体が、自分を主人公とする物語だ、というのが人間の本質のひとつだ。  物語とは言葉の説明にもなるが、言葉だけではない。人の記憶の総体であり、ある程度は言葉で表現できる、「自分が」どこでどんな行動をするか……自尊心とも深く関わるから、自分がどれほど良く強いかでもある……を物語にしてしまい、それに応じて行動している。  それはある意味演技・模倣でもある。同一化の対象を演じ、自分自身を演じているとも言える。何かを演じる、というのが人類にとってどれほど重大か……私はそれをろくに理解していない。  また人間は自分自身を感覚で認識しており、それもその自我という精神構造の重要な要素となる。  それら、自分の自尊心を満たす物語、自分の感覚や行動などから「アイデンティティ」自分が何であるか、という思考・感情の集まりができる。それと関連する「自我」という物語が人間にとっては一番重要になる。本来人間の心なんて、脳が周囲の情報を受け、体の細胞やそれが集まった器官がいろいろな情報を出して生存率を高める行動を取りたがり、周囲の他人とコミュニケーションし、脳が言葉を心で思う・言葉を口に出す・体も動かすなどでそれを繰り返すことを好む情報(ミーム)の集まりでしかないのだろうが。それこそ自我なんて自分を擬人化しているだけかもしれないし、また多くの対人関係・魔術的な物や架空のものとの関係も外しては考えられないものだろう。  自尊心を満たしたいときや、強い不快があってそれをなくす手段がない時、欲求と抑制が強くぶつかり合うときなど、人はしばしば実際あるものをないなどと自分をだます。自尊心を満たす結末に至る物語を作り、その一部として現在の不快があると考えることが多い。後述の象徴と人格化を用い、何かを憎悪することも多い……この不快は敵の攻撃によるものだ、反撃して敵に勝て、となる。  本質的には、現実とは異なる物語を作って自分をだますことで自尊心を満足させるわけだ。「特別ではないただの一匹の道具を使う動物が統計的な不運と未熟な投げ槍技術により獲物を逃した」という現実より、「栄光に満ちた神の子である最高の投げ槍の名手が敵の妨害によって獲物を逃した、だからその敵を殺し逃した獲物も手に入れる」という物語を作ってしまう方が自尊心を高くでき、深いところで快なわけだ。  それは長い目で見ると、実は獲物は減る……試行錯誤によって成長し、統計的な現実を見て行動したほうが統計的には多くの獲物を得られる。さらに敵とみなした相手に暴力を振るえば自分も群れも危険にさらすから、そうしない方が合理的だ。だが人間は残念ながら、そのようには進化していない。  また快をもたらす何かや、普通快ではなさそうに見えても今の心を圧倒するような行為……支配・交接行為・暴力・物の浪費・危険行動による恐怖など多数……や、精神が一時的に壊れるような幻覚性の毒物の摂取もその逃避となる。  また、その「自分を騙す」技術は、嘘をつくためにもきわめて重要だ。  嘘というのは事実と異なることを言葉などで他者に伝えることだ。これが群れ動物にとって「裏切り」であることは分かると思う。  たとえば単純な群れを作る草食動物でも、「(自分たちを食べる)肉食動物だ、逃げろ!」と、肉食動物などいないのに群れの仲間に知らせ、皆が逃げた間にゆっくり餌場の草を独占して満腹で群れに追いつくことができれば、自分の繁殖率が大きく上がる。だがそれをたびたびやられると、まず嘘をつく個体ばかり繁殖して皆が嘘つきになる。  そうなると警告を無視する個体がいれば、その個体もゆっくり餌を食べるから繁殖率が上がって増える。それで警告は無意味になり、肉食動物に食べられやすくなって群れ全体の繁殖率が下がる。  だとすると、嘘と真実を見抜き、嘘つきを罰する個体でできた群れが最上となる。人間は泣いたり笑ったり糞尿を漏らしたり生殖器が変化したり血流を通じて皮膚の色が変わったり意識していない細かな動作があったり、と感情が反映する肉体的変化、表情、言葉の情報とは別に声の調子や体の動きを瞬間的に総体として判断する脳の深い部分などが嘘を見抜くことができる。  さらにそれに対しても嘘をつくため、自分自身を騙すという更に高い心の働きまで進化してしまったというわけだ。  自己欺瞞を描いた、これは小説という人間独自の表現法だが、『春にして君を離れ』(アガサ・クリスティ)を一度読んでみてくれ。どれほど誰にでも自己欺瞞が深くあるか、人間なら恐ろしくなること請け合いだ。  また、自尊心を満たすのにもきわめて重要になるのが、自分が群れの中で高い順位、少なくとも正式の成員であることだ。群れの人間が自分に対して、言葉やその他あらゆるコミュニケーションで肯定的な感情を表現していれば自分がそうであると判断できる。またそれは許される衣類や装飾、儀式や普段の食事などでいていい場所などを示す形で、魔術ともきわめて密接に関わる。また別の成員の群れ内での地位やその行いについて話すことを人は好む。他人の地位を引き下げることはきわめて大きな喜びになる。  また対人コミュニケーションの中で、他人に対し「(自分より)地位が低い」と伝えることは、実際に武器で体を傷つけるのと同等かそれ以上の攻撃とみなされる。それは魔術・呪いでもあり、言葉、身ぶりや視線など態度、唾・泥・糞尿・泥などをぶつけることなどによって行われる。  本人及びその家族全体の、群れ内での地位は、名前に付随する重要な情報として群れの中で共有され、群れの物語の一つとなる。本人の物語にとってもそれはきわめて重要で、自尊心の最も強い支えとなる。そういうのを総合して名誉と呼ぶ。  逆にその群れ内での地位の低下は本人にとって最も不快となる。実際に地位の低下が甚だしければ群れの成員と認められず、自分も自分の親族も繁殖相手を見つけられない可能性が高くなり、最悪群れから追放される、すなわち極めて高い確率での死と繁殖率の低下にもつながる。自尊心を傷つけられること自体がきわめて大きな不快だ。  人は自分自身の苦痛や死よりも、自分及び自分の属する群れ……家族から巨大群れまで……の評価が低下して信頼されなくなり、人々の話の中での地位を下げられ、許されていた装飾や儀式での場所を禁じられ、群れから追放されることを不快に思う。  名誉は、その個体およびその家族……後に多数の群れが複合したら、群れそのもの……が「信頼できる」という意味も持つ。  群れ動物である人類にとって、群れの成員が相互に信頼できる……背中を見せても突然襲いかかられないこと、その言葉に嘘がないことなどを確信できることが何より重要だ。信頼できる相手でなければ協力してより大きな獲物を追い、ものを分け合ったり交換したりし、共に儀式に携わることはできない。  さらに後には、多数の群れやその出身者が集まって大きな行動をし、遠距離で情報や物資をやり取りするとなると、その必要性はさらに上がる。 **幸福  いつからかは知らないが、人は「幸福」を目的とすることが多くなった。  動物としての「快」とどう違うのかはわからない。  水や食料などが十分にあり、傷や病気もなく、家族が繁殖をきちんと続けられて愛情または支配服従秩序が強く、群れも強く穢れがなく、自分や家族の群れ内地位にも満足できて自尊心が満たされ、自分が善であって恥や罪を感じておらず、快があって不快がない状態、と言えばいいのだろうか。  だが人間は満足しない存在だ……たとえば、膨大な食料やきれいな水がわき出すし気温も常に快適な場で動かずに思う存分食べていても、すぐに「行動しない」ことが不快になる。  のちに言う娯楽も強い幸福感を与えるが、すぐ飽きる。  とにかく人間はすぐに移動して新しい食物を探す生活の中で進化してきて、そのために作られているようなものだから、それができなければ不快になり、幸福ではなくなる。かといって、現代の富裕な地域の富裕層として生まれてからずっと贅沢な生活をしてきた人間にとっては、人類が進化してきた半ば動物としての生活は地獄のように思えるだろう。  幸福感だけを言えば「春にして君を離れ」で描かれたような自己満足状態や、ひたすら激しい運動をしながら明確な目的のために行動している状態……肉食獣から走って逃げ続けなければ死ぬ状態、または脳細胞を壊して直接幸福感を感じさせる悪質な毒を注がれている状態が幸福にも思えるが、それは客観的に見ればどう見ても不幸だ。  はっきり言えば、人間の欲は無限だし矛盾が多いから全能があっても幸福にはなれない。なにしろ人間は生来、対象なしにわき上がる強い欲・怒り・恐怖・支配と被支配などに突き上げられており、それが対象を与えられればその対象に執着する……それを得れば幸せと思えるだろうが、本当に満足できることなどありえない。 **分配・公平・ジレンマ  群れ動物でなければ、自分が手に入れた食物は自分で食べてしまえばいい。多すぎて食べきれなければ放置して腐るに任せるしかない。だが群れ動物ではそうはいかない。保存食があると、さらに分配が複雑になる。  人間には独占と公平を同時に求めるという矛盾がある。自分は独占したい。だが他人も独占したいことは同じで、争って勝てるとは限らないし、一日中争ってばかりじゃ食料を取りに行く暇が無く群れごと飢える。だから次善として公平を選ぶ……そもそも群れそのものが、皆が少しずつ欲望を抑えて、長期的に皆が利益を得るシステムだ。というか基本的に、人間は「欲を持つな」というのが最も普遍的な規範だ。  人類に近いサルの場合、ある個体に少なく別の個体に多く与えるか、どちらも何ももらえないか、では前者を選ぶ。比較的少ない量であってももらえるかもらえないかのほうが重要だ。だが通常の人間は後者、不公平な分配よりも空腹を選ぶ。公平そのものを重大な善として扱い、一時的な空腹を満たすことより優先する。ちなみに人間関係などが苦手な、ある心の状態にある人も前者を選ぶ。と言ってもその人たちはサルに近く下等だというと間違いだ、人間以上に合理的ということだから。多分論理演算機械のものすごいのも前者を選ぶだろう。  人間が、特に快をもたらすものや他人の行為に対し、数値換算して考えるようなところがあるのも重要だ。他の群れる動物にどれぐらいその要素があるのかはわからないが、人間の記憶力・個別認識の高さはその点でも高いと思う。食料などをもらったら少なくとも同じ量返さなければ公平でないと感じるし、また愛情や攻撃を含めた多くを、後述する貨幣のように定量化して取引するようなところがある。罰や生贄もひいてはその発想だ。  人は罪と罰、善行と賞がつりあうことを正しいと感じる。行為の善悪と利益の因果関係は後に言う民話の重大なモチーフでもあるし、人間にとって重要な見えない前提の一つだ。それが狂うと不公平を感じ、強い怒りを抱く。  問題は人と人との関係ならともかく、「罰」ではなく自然現象だったり、大きい群れの不安定な動きだったりするときだ。結果は制御されていないから、群れで正しいとされていることをしても悪い結果になるかもしれない。だが人間はそれを非常に嫌がり、様々な魔術的な考えを用いて世界像の方を修整する。  他にも努力と成果、恩と返礼など多くのことについて、人はすべてが公平であってほしいと思っているし、それで人間の罪悪感や嫉妬・憎悪ができているようにも思える。  基本的には分配を決めるのは群れの最上位者で、その最上位者は自分自身の欲望と群れの利益でどうするか常に難しい判断をしなければならない。特に不公平な分配をした時に起きる不満は地位を危うくし、また群れそのものも危うくする。  その「公平」という感覚は小さい規模の群れで、食料を成員に同じように分けあう、というやり方とも関係する。  大量に持っている人が群れの成員に惜しげなく食料などを与えることは一般に善とされ、それは後にも支配の重要な面となる。  大量の食糧を得た場合、狩猟であれば、獲物を得るまでの多数のできごとで、「もし彼がそうしなかったら、獲物は捕れなかったろう」がいちばん大きいこと、中でも「このことは彼にとって危険だったにもかかわらず」であることを善として獲物を独占させるべきとも感じる。だが反面、小さい狩猟採集群れは基本的に「食糧は全部等分に分け、全員が同じだけ食べる」というルールがある。  双方を満たせるのが、最も功績の高い人や群れの最上位者が全部を一時手にして、それから全部を等分に分配することだ。最上位者以外の誰かに大きな功績がある場合、功績者が最上位者に獲物を捧げ、最上位者が全員に分配して代わりに功績者に名誉を与えることが多い。群れのメンバーは食糧を与えてくれた最上位者に感謝し、最上位者への忠誠が強まる。実際、特に小さい群れ、文明化の程度が低い群れは、群れで高い力を持つ者が富を人々に与えることが多い。  人間は群れの中で、特に親しい・愛する個体に対してはその求めのみに応じて持っている食料などを与えることもある。それも人類にとってきわめて重要な要素だ。だがそれだけで形成される群れは、常に「求める」メッセージのみを発し、自分からは与えない個体が一方的に利益を得て遺伝子を増やしてしまうため維持できない。  安定するのが「もらったら返す」かつ「裏切られたら報復する」の二つだ。それは空を飛びほかの動物の血液を餌にする哺乳類にも観察される。  ここで参考になるのが、後述する論理計算をする機械の中で行われた、よく話題になるある実験だ。要するに協力すれば両方が小さい得・裏切れば裏切った方が大きい得で裏切られた方は損、というルールで、何度もその判断を多くの「こうなればこうするの集まり」にさせて誰が一番得をするか、とやったら、「最初は協力する、それ以降は相手が前にした通りにする」のがほとんどの場合一番勝つ。  ちなみにその「協力すれば両方が小さい得・裏切れば裏切った方が大きい得で裏切られた方は損」は人間の言葉では囚人のジレンマという言葉で表現されている。それは相手が裏切らない保証がないから常に裏切った方が個体にとって特になるが、裏切りは両方を群れとしてみると損になる。  他にも人間の世界では、個体にとって合理的な判断が群れにとって合理的にならない、というどちらを軸に判断すれば正しいのかわからない状態が多数ある。特に悲惨なのが共有地のジレンマ、要するに毎年一定の食料を出すが過剰に取りすぎると二度と食料を出さなくなる場があり、それを多数の人が誰でも取っていいとすると、皆が最大限に取るため二度と食料を出さなくなる状態になってしまうんだ。人間の狩猟・農業・森林伐採・漁業などあらゆる生産でそれが出てしまう……人間はそれを本当に制御する方法をまだ知らない。  あと重要な感情が嫉妬。人間は深いところでは、他人がいいものを手に入れることを喜ばない。できれば全ての食物も異性も独り占めにしたい。  特に自分が執着している欲しいものを他人が手に入れる、さらに自分が食べようとしているものを奪われることは、それこそ生存の危機にもなる不快なことだ。それを暴力同様攻撃としてとらえ、それに対して怒り・憎悪を感じ、強く反撃するのは当然のことだ。  と言っても同じぐらい、他人から奪うのもまた快感なんだから厄介な話さ。 **記憶  人類は記憶力も、ものによってかなりいい。  純粋な情報を短期間覚えるのは数語がせいぜいだが、特に物語の形にして体と結びつけると極めて高い記憶力がある。  反面、物語としてわかりやすくなるよう、また根本的に自尊心を損なわないよう複雑な事実を物語にそってねじ曲げて覚えることも多い。  あまりに不快なことは無理に忘れることもあるが、意識していないところは記憶しており重要な快不快情報にしている。  記憶のほとんどを、少なくとも意識からは忘れることのほうが人間の優れた能力だ。  映像や音声は本来膨大な情報量……動画の場合、膨大な網膜の細胞の数とごく短い再反応時間……があるのでそれを完全に記憶していたら脳細胞がいかに多くても無理だ。  ちなみに人間の記憶は、その記憶に関連した強い感情の動きがあり、よく思い出すものを思い出しやすくする。論理計算機の、情報に単純化した符号をつけてその符合の集まりから簡単に検索できるようにしたシステムとは全然違う。  根本的に、人類が後年実現した0と1に分けられる情報を扱う論理演算装置とは違って、大量のテキストの記憶・その検索はやや苦手。ただし訓練によって、特に音楽とあわせた文章なら相当量を記憶できる。 **理性・論理  人間には理性があるという。論理的に考え、合理的に因果関係を理解し、隠された秩序をつきとめ、自分自身さえ客観的に見て最善の道を選んで判断できる、と自認している。  ちなみに、これまでの文でも微生物から物理法則まで「〜のために」「〜という戦略を」というような言葉を使ってきたが、それは本当は間違いだ。かなり複雑な大型動物は知らないが、それ以外の植物・微生物など、まして細胞内部の分子が「〜のために」などと考えることはない、逆に「たまたま〜だったものが増えた」だけのことだ。  目的、「〜のために」という考え方も、いくつもの行動を複雑に組み合わせて群れが必要とする物を入手するなどできる、群れの存続のために有利な考え方だ。しかも進化で脳の配線が変わるために必要な何世代もの時間よりはるかに短い時間で変化した環境に順応できる。  確かに多くの人間は言葉での思考ができ、少ない数や単純な図形なら直感的に考えられるし、かなり大きい数や複雑な幾何学も訓練によって扱うことができる。  言葉で考えられるのは大きな強みだ。言葉に様々な、抽象化された地形や動物種などを乗せていくことで、試行錯誤を頭の中でやってしまうことがかなりできる。それによって実際に何かをする危険を冒さずに、多くの選択肢を排除してより確かな行動をとることで、生存率を大きく上げてきたことも確かだ。  そのときに、様々な面を持つ複雑な現実の何かから、ひとつの面だけを取りだしてそれだけで動く抽象化された小さな世界を頭で考えたり、さらに補助的に絵や彫刻の極端に単純化されたのを用いたりすると、物事を物語として頭に入れ、どう動くか頭の中で動かして試行錯誤して予測したりしやすくなる。科学における数学的モデルも基本的にはそれだ。  ただし前提が間違っていたら全てが間違いになる。  人間の意識では基本的に「全体=部分を全部あわせたもの」だ。だが動物的な感覚・感情の動きは全く異なり、部分を足し合わせることも分析することもなく「全体」そのものとこれまでの経験の総体から直接を判断・行動する。それは非常にすばやい判断だし、大体は正しい。よく経験して思い出しやすい情報、直前に得た情報を参考にしたり、脳の情報の集まりで特に重要としているものをそのまま当てはめたりする。  分析的な思考と総合的な思考、とものの考え方自体を対立関係にして考える人も多い。  ただし人間は根本的に、確率統計だけを用いて物を考えるのが非常に苦手だ。合理的に考えていると自分では思っていても、実は様々な感情が入りこむ。元が動物だから。原因と結果の関係と、別の原因のせいで確率が同じぐらいなのもろくに区別できない。  人はどの選択をしても取り戻せないこれまでにかかったコストを切り捨てるのも苦手だ。努力を無駄にすることを嫌うし、その努力が無駄になったこと自体が悪霊による攻撃・自分の罪に対する罰などと解釈してしまう。  純粋な論理思考も苦手で、裏と対偶の区別がまともにできる人間などほとんどいない。また本来純粋な論理の問題なのに、人間を用いた話と抽象的な記号を用いた話では違う答えが多くなることもある。  といっても、それは特に巨大な群れを作り、優れた技術を使うようになると大きい欠陥となるが、数十人の群れで食べられる植物を捜し、狩りをしてさまよっていた頃は絶滅しない程度には適応していた。他の条件が同じ、完全に論理だけの人間の群れは間違いなくすぐ絶滅していただろう……前提とすべき情報が常に少なすぎるから。また論理だけの個体が出たら、群れに順応できず死ぬことになるはずだ。 **魔術  人間は、少なくとも近代人は自分では理性的だと思っている……理性が善という価値観のせいだ……が、魔術的な考え方のほうが本来のやり方だ。  私はこの「魔術」という語を、確信と自覚を持って使ってはいない。定義することさえできないし、百科事典的な定義とも一致していないと思う。ここでは、はっきり定義できない、私の中にある、ある概念をまとめているだけと思って欲しい。  魔術的な考え方というのはここでの私の言葉だが、要するに人間特有の認識・思考法から、科学的に検証されたものを差し引いた、全体として行う考え方、目的を実現しようとしての行動だ。といっても実は科学とそれほど厳密には分けられず、連続的につながっていると言っていいんだが。  魔術という言葉が一般的に指すことを分けて考えてみよう。 ○自分が「自然法則が許さない力」を使えないとわかっていながら、自覚的に見ている人を騙して自分に「自然法則が許さない力」があると思わせる見せもの。後述する娯楽の重要な要素だし、大きい群れの行動を決定する強い作用もある。 ○主に言葉によって作られた世界において、その登場人物が使っている力。 ○それが魔術だとは自覚されずに使われているが、構造そのものは魔術そのものである行為。 ○魔術だと思われていたものの実は科学的に正しい面があった行為。 ○自分に実際にそのような力があると考えて行う行為。  最後のそれについて詳しく検討する。  根本的には「特別な状態で何かを意思し適切な行為をすると、その意思どおりの物事が実現される」「人間が見たり感じたりする世界の外からの訪れがある」を前提とする。  人間の、魔術と深く関わる認識・思考法には「集合・分類・関連」「二元論・数直線」「因果・目的・物語」「擬人化」「象徴」「自尊」などがある。多分色々忘れていると思うが。これらの考え方は科学的・理性的な考え方とも深い関係があり、切り離せない。  人は自然のきわめて広い範囲の物事を分類する……五感で同じ特徴を持つと感じられるものを同じ集合に入れる。世界そのものを集合の中に小さな部分集合がある、その繰り返しとして考える。ちなみに4〜9ぐらいの数しか人間は頭の中で楽に扱えないため、何を分類するのもそれぐらいの数だ。  まずすべてを善悪・光と闇・白と黒・男と女に二分する。それから4〜9に世界を分割し、特に魔法と高い関わりがあるものをそれぞれに当てはめる。まず色、文字や数、火や水のような単純な現象、天空に見える惑星、宝石、薬草、人体の臓器、主要農作物・家畜・金属など。  人間が様々な生物を分類するのもその、集合論と共通した考えだ。似ている物は同じ集合、同じ特徴は同じ集合、同じ集合の物は同じような挙動をする、と。  それはおおむね正しい。模様が違うだけの同じ種の動物に別の狩り技術を考えるのは考える時間とエネルギーの無駄遣いだ、前に仕留めた同じ種の動物に使った技術でいい。といっても正しくないこともある……毒を持つ生物の場合特に。さらに同じ黄色だから、ある原子番号の金属・太陽・ある種の植物の花・ある地域の砂・肝臓を悪くした時皮膚に出る病状が同じ集合、というのは言うまでもなくとても違う。  地球人の数学の根本にあるのは集合論なんだが、それは地球人のこの性質からくるのだろうか? 別の星では集合論のない数学者がいるのだろうか? いや、同じ地球でも、もしヨーロッパでなくユーラシア東が近代化したなら、集合論なしに核兵器を作ることができていたのだろうか?  そして人間の記憶などのやり方が、ある物事が引き起こした感情とその頻度を使うため、どんなことでも別の物事や出来事を思い出し、それがまた……とつながることがとても多い。そしてそのつながり全体も、当然集合とされる。  また人間は、上記の「善」と「悪」のように、あることを一つの数直線……順序のある数と、直線上の配置に対応させる数の表現法……に載せるように考える。両方の極端と、その間を結ぶ線のどこかにいろいろなことが位置できるように考える。  特に厄介なのが敵味方思考。あらゆるもの……他人・物体・自然現象・言葉・感じ・数など全て、自分の味方で善か、または敵で悪だ、と感じ、それにそって考えてしまう。  13……二進法では1101、二進級数では2の3乗と2の2乗と1(2のゼロ乗)、二の指数が他のはゼロの総和という特定の比較的小さい数……が敵だ、と思ってる非常に大きな群れがある、というと、なんだかわからない聞いてる相手は笑うだろうか。  最も単純には、それこそ自分が支配していないものは全て敵で悪だ、とさえ思ってしまうものだ。  といっても人であれなんであれ、善悪に分けるなんてばかばかしい話で群れにとっての不利益も大きいだろうが、人間の動物としての感覚と思考をうまく調和させるには都合がいい。  そして人間は、物事の情報全体を瞬間的に認識する能力が動物として存在する。動物としての感じだから、恐怖や美などだが、色・匂いなど単なる情報に対しても、意識の下で感情が動いて敵味方などの判断をしてしまうし、それより少し複雑な分類に入れてしまう。  一度ある物・事・人などをある集合に入れてしまうと、その集合の単純な特徴・好き嫌いがそのすべてになってしまう。なんでもさまざまな面があるとか、同じ群れの人間でも個体差があるとかは考えない。  前述した食物などもらったら返す関係も、数学的に等しいことを求めるような心理であり、それも魔術的に重要な原則だ。  二元論でもう一つ、心身二元論がある。  人間の多くの考え、おそらく全員の深い心のありようがそうなっているんだと思うが、自分の思考は肉体とは別だ、思考と肉体は切り離せる、感覚器では感じられない人間に似ているが人間にできないことがいろいろできて意識がある存在がある、という考えがある。また人間が覚醒時感覚器で感じるこの世界とは別の世界が存在しており、特殊な状態でその世界とやりとりできる、という考えでもある。  確かに肉体の、意識的に動かせる筋肉は何も動かさずに言葉でものを考えることはできる。また、毒物や肉体的な疲労、後述する儀式、激しい心身の苦痛、眠っているときの何かの具合、巨大な自然美を見ることなどで、自分の体を認識する感覚が一時的に止まり、自分の体と感覚の普段ある一体感がなくなることもある。また世界との一体感などと表現される激しい幸福感を得られることもある。人間は実際に見ていないものを見たように感じ、実際には耳に音が伝わっていなくても別の個体の声を聞くように感じることも多いし、それが強く奇妙な考えを思い込みとして信じる人間も一定数いる。他にもさまざまな精神の病気があり、どんな人間もその諸症状を弱くさまざまな形で持っている。  それで人間の感覚・思考・判断の部分は、生きている人が普通に見ることができない、人間と同じ形の、飲食呼吸を必要としない不死の存在として肉体から分離するし、そして一部の超能力を使える者は生きているとき同様使うことができる、と考えている。  人間が死んでも、その肉体から分離できる精神活動は存続し、それらのための別の世界に行ってそこで暮らしたり、この世界で自分たちと混じって暮らしたりしている、と考えてしまう。  さらにその死んだ者が、生前使っていた死体を生き返らせたりいろいろして襲ってくる、という恐怖が人のとても深いところにある。  おそらくは、人間は死に、その肉体は脳もろとも崩壊し、知識もミームも記憶も群れの中でのその個体の有用性も全てなくなり、もうどんな快も感じられず死という最大の不快に身を任せる……また愛する人が死んだらもう二度と接することができないことがいやで、そうでない物語を作ろうとしたのだろう。  これは検証不能だ、もしそれが、現実の世界の物体と一切相互に干渉しないなら。だから科学的には無意味、むしろ偽命題として扱われる。だが、人間はそれが様々な形で現実の世界にさまざまな影響を及ぼすとも思っている。  こうして科学的には存在していないものについて語ったが、人間にとって霊、特に後述の自然物などを含めた神霊はあまりにも当然で、霊的なことと人間が意識する実在世界を厳密に区別するのは実は不可能に近い。  物事に因果関係がある、と考えることも重要だ。さらに因果を物語にするのも人間の特技だ。また近くにあるものは関係していることが多い。さらに、あらゆる物事を目的に応じて考えるのも人間の癖だ。  それに善悪が入るとさらに厄介になる。あらゆる損が、悪い・嫌いな・憎い敵の魔術による陰謀や自分の悪行に対する罰、逆にあらゆる得は自分や自分が同一化している、後述する親みたいなものが魔術で守ってくれているからか自分がいいことをしたからだ、となってしまう。  人間の絶対的な前提が、「正しいことをすれば正しい結果がある」「すべてに原因・理由がある」だ。事実としては「統計的には」、「かもしれない」を付け加るべきだ、この世界は複雑なんだから。  だから道徳的に完全であることを、群れ全体・各個体・指導者に強く求める。どんな不快なことも、誰かの道徳的な悪を原因として考えてしまうという魔術的思考だ。道徳と禍福の因果、道徳と「状況に適応した行動選択」の混同があまりに当たり前で誰も意識しない。群れ全体は道徳的に完全であり、ゆえに福に恵まれて当然、逆に災いは全て道徳的な悪によるという無意識的な魔術的思考がある。また悪しき個体が群れに悪を呼ぶと考えて悪と穢れの同一視がある。そして後述する、指導者は完全道徳であり、ゆえに全能であり、いかなる福も招けるという無意識の前提がある。  秩序の誤認も実に多い。たとえば木や岩の模様が人間の顔に見え、だから人間と同じく顔があって意識があり、うまくやれば会話できる、となってしまう。まあ人間が複雑な情報から秩序を見いだす能力は役に立つんだ、草の中から肉食獣を見つけることもできるんだから。  物語には「たとえ」という使い道もある。ある新しい現象を、頭の中で「理解する」ためには、自分が常に理解している現象を用いた物語と同じ構造の物語でちょっと配役を変えるだけ、というやり方で理解するのが一番いい。理解というのは「脳内で、普段の生活に使うのと同様の“モデル”として処理できるようになった」状態なんだろうか? 逆に量子力学などはそれがまったくできないから本質的に理解できないというわけか。  人間の言語自体、よく調べてみれば分かるが膨大な象徴とたとえの塊だ。  目的思考も人間のやっかいな癖の一つだ。あらゆることが、自分の物語に関係した、何らかの目的を持ったものだと考えてしまう。たとえば生物の器官は目的を果たすためにデザインされたように見えるが、上述のように目的論は本質ではない。本質は原子どうしの相互作用、より複雑な分子どうしの相互作用であり、自己複製分子の活動によって、適したものがより多く繁殖できたからでしかない。逆に目的論を使わずに人体生理学を解説しようとしたら、どれだけやっかいか見当もつかない。  人間の発想では擬人化と統合されて目的論が重要……ただし本来の目的(群れの持続)ではなく、宗教的目的に暴走することが多い。  ちなみに人を支配するにも目的は有効。目的を持った群れは統治しやすい。  擬人化というのはある考えや行動の枠組みを人であるとし、さまざまなものが、その人のやり方で感じ考えて行動する、と考えることだ。  他人の心を「自分が相手だったら」と推し量る心の理論は、人間が群れで生きるうえでも、群れどうし戦ったり交易したりしたりする上でもとても有効な適応だ。だがそれは「他人も自分と同じ肉体・精神構造を持つ人間である」という仮定がある。実際自分が石で頭を叩かれたら痛くて恐怖するのと同じく、ほかの誰もが石で頭を叩かれたら痛くて恐怖する。  人間について有用な「自分が相手だったら」仮定を人間以外の動物・植物・地形・天体にまで適用してしまうと、それは科学的には誤りだ。それどころか同じ人間でも、群れが違うとかなり違うことが多い。  ただし未来を予想し、思い通りの未来を作るというのは人間の観察や技術の本質にかなうことであり、必要なことだ。擬人化やそれに近い心の動きなしに、どんな物理法則も理解できるとは思えない。  だが、上でも言ったように、木や岩など自然物も人間同様に心と意識があり、対話し支配できる可能性がある、と考えてしまうとそれはやりすぎだ。でも人間の考え方の深いところはそれを前提にしている。  もう少し考えすぎると、他の人間も自分自身さえも「擬人化」しているのかもしれないがね。人間は「擬人化」という形式でしか思考できない、だから自分自身も擬人化して自我とかを考え、他人も擬人化して……?群れ内で個体を判別することの暴走でもあるんだろうか、自分自身も「名前がある同一の存在としての個体」とみなすことで。  あらゆることを、人間の個体同士や群れ同士、人間と捕食者などの争いのように、暴力をふるいそれから身を守る存在であるかのように擬人化するのも人間の根源的な考えだ。  象徴というのは抽象とも関わる。私はどちらも完全には理解していないし、まったく前提を共有しない相手に説明するのは時間やエネルギーより困難だろう。  たとえばきわめて多い視神経からの情報……画像情報を、動物のある特徴を持つ種の集合やそれに対する感情と対応させたりする心の働きで、それは情報の大幅な圧縮になる。  目の前の果実や動物の、数だけを見ることもまた抽象だ……数学と抽象の関係はきわめて深い。  ものの形の重要な部分を単純化することも象徴の一部だ。たとえば槍・雄の生殖器の筒が交接準備のため肥大し硬くなった状態・高い木・木を切って枝葉を取った棒を地面に刺したもの・火・攻撃を準備している心のあり方など非常に多くのことを「上向きの方向性のある直線」とまとめ、矢印や二等辺三角形の二等辺が長いものなどで表現することができる。元々人間は、目で見たものを素早く認識し、脳内で回転させるなど複雑な操作をするため判別したものを単純な図形の集まりにするようだが、その能力も関係していると思う。  さらにさまざまな、感情や言葉、群れや集合そのものを、ごく単純な絵・短い言葉・人物に集中してしまうことも象徴の一つの形だ。それは群れをまとめ、他から区別することにも役立つ。群れの象徴は短い言葉・後述する神話上の人物や動物・その単純化した絵・色・歌などだ、としてしまえばそれを身につけ、繰り返すことで自分がその群れに所属している、と周囲に短い時間で伝えられる。  また重要なのが、人間の言語には「名前」というものがある。言葉自体が名前から構成されていると言ってもいい……上記のさまざまな、特徴から分けた生物の多数の種。生命を持たないあらゆるもの。人間が作りだす多数の道具など。多くの人間の群れ。そして群れの各個体。それら集合に対し名前を対応させ、その名前と動作・状態そのものにつけた多くの名前を文法に沿って組み合わせることで、世界……脳内に描かれた世界と対応する言葉を作り、あらゆるものを描く。  群れは個体認識を必要とするが、そのために様々な特徴を総合し、名前をつける。その名前は本人にとってアイデンティティの核心となる……名前を変更することは、本人のアイデンティティを崩壊させるほど心に影響力がある。  名前には力がある、というのが魔術の基礎の一つだ。他に魔術の基礎には、似たものは同じ、触れると感染する、本質と物体は切り離せるがあるかな。  名前を口にしたり頭に思い浮かべたりするだけで、魔術の考え方ではきわめて大きな力をその名前をつけられたものに行使しているんだ。まあ支配する人が支配されている人を名前で呼び、何かを命じれば支配されている人はその通りにするから、支配関係のある人と人の間ではその通りなんだが、それこそ水の流れだろうが風だろうが野生動物だろうが、太陽や火山まで同じように名前を呼んで命令すれば操れると人は心のどこかで思っている。  本来言葉を使うことは魔術を使っていることでもあるんだ。さらに集中してある言葉を口に出し、思考することでより強くその魔術が使えると人は思っている。実際強い集中、強い感情を込めた言葉で命令することは人を支配するのにとても有効だ。といっても、それと同じように太陽を止められるわけではないんだが。  また名前は、分けてまとめる、階層構造を持つ集合という人間の認識法とも深く関わる。  上でも言ったが、人間は自尊心が強い……自分を特別と思いたがり、様々な能力をほしいと思う。大型草食獣のように速く走りたい、鳥のように空を飛びたい、遠くを見たいし夜でも障害物を通してでも見たい、他人が何を考えているか知りたい、未来を知りたい、どんな怪我や病気も治したいし死人を生き返らせたい、肉食獣のように強くなりたい、他人の目に見えないようになりたい、手を使わずに物を動かしたい、確率を制御して幸運になりたい、動植物や岩などと話したい、動物などに変身したい……様々な願望を言葉で理解し、その願望をかなえることができる、と確信している。かなえられる願望も結構あるけど。  その「信じる」というのが心の上では重要な言葉で、ある言葉、ある予想が現実世界と一致している、と判断し、その判断を変えない傾向が強いこと……か。と言ってもそんな単純じゃなく、もっと心の深い部分、自分自身という物語と絡んだややこしいことだ。さらにその信じることはものを見ること、考えること全般に働きかける。自分が信じていることを反証する内容の目や耳の情報さえ脳は見なかったことにする。他人の言葉も無視し、自分に対する攻撃だと判断したりすることも多い。個体の何を信じているかの集まりは、自我そのものといってもいい。そして集団の何を信じているかの集まりはもっと重大だ。  強い自尊心と、それがもたらす劣等感、欠落感は、「あれができたら」という空想を産む……人間に、裸のままではできない多くのことができること……拳では壊せない獣の頭骨を握った石で砕くように……は事実であり、それは大きな快と遺伝子の存続繁殖をもたらす。だからこそ、なんでもできる道具・手段を求める心が強い。  さらにそこで想像力という厄介で面白いものがある。それが人間特有の能力なのかどうかは知らない。存在しないことを頭の中で思い浮かべることができるんだ! 言葉そのものも、存在しないものを考えだすことができる。組み合わせで、たとえば血液の色である赤を肉食獣の毛皮につけて、さらに草食獣の角や鳥の翼もくっつけることさえできる。実際に遺伝子をそういじっても骨格が合わない、重すぎるなどで機能できない、なんてことはわからない。現実とは異なる物語を言葉や、感覚を操作した像として作り、そっちの方が現実だと信じてしまうこともできる。  物語を求める心理もそれに関わる。  人間の住む世界自体がどのようにできた、なぜ自分が産まれたかも好奇心から知りたがる。あらゆることに、言葉、できれば自分を中心にした物語としての説明を求める。人の、「自分はどこからきたのか」「これは何か」などを知りたがる好奇心はとても強い。  また、その自尊心の強い物語思考は「運命」という考え方にもなる。多くの偶然である結果があっても、それが一貫した物語になったときには、物語のほうが先にあり、偶然は物語を実現するための必然だったのだ、と考えてしまう。あらかじめ人の一生は物語として定められており、その通りに進むと思っている。偶然というのは本質的に、人間の深い部分にとってとても不快で受け入れがたい考えなんだ。  具体的には、何か特別な力を持とうとしたらそれをもつものを演じ、真似ることでその力が得られると人の深い部分は信じている。たとえば鳥を演じ真似れば空が飛べる、というわけだ。実際には飛べないが、自分に嘘をつくことで飛べると信じることはできる。  ついでにだが人間は、心で思う力が強ければ、正しい行動をすれば現実を支配し変化させることができる、と考えることが多い。本当に強く何かを思うことができる人なら何でもできる、たとえば手を触れずに岩を浮かせたり触っただけで死人を生き返らせたり運命を変えたりなんでもできる、現実の人間にそれができないのは思いや必要な薬草が足りないからだ、と考えている。  それが総合されたのが「神」だ。  神とは親や群れの最上位者と深い関係があると思う。  幼児の自分に乳・体温や衣服の熱・注目・愛情を与える愛着の対象で、逆らえば激しい怒りと暴力で罰し、自分よりはるかに力も強く自分にできないいろいろなことができる親。さらに群れに命令する最上位者の、支配する権力と判断する知恵。  それを更に抽象化し、どんな時間がたっても老いたり死んだりしない・なんでも知ってる・なんでもできるを加え、この世のものでない精神的な存在として、そして善の極限として、またなぜこの世界があるかという、因果説明が無限に続く疑問に対する最後の答えとして。運命という自分を主人公とした物語の著者として。  人間の姿、人間と似た心の構造をもつ。中には悪しき心を持つ神もある。  さらに原初的にはあらゆる動植物・自然現象も神だ。太陽や地上にある大量の水、地形は重要な神だ。あらゆる概念、特に後述する美徳・悪徳、他にも本当にあらゆるものを人は神とする。祖先の霊も重要だ。  その神は上で挙げたような様々な超能力を持ち人間を圧倒的な力で支配し命令するが、人間もまたその神の名を呼び、人にものを頼むとき同様食料などを与えたり暴力で脅したりすれば神に命令できると考えているし、また歌い踊りその神の真似をすれば神と一体化してその力を自分が使えるとも考えている。真似て演じることは、その真似て演じた相手になってしまうということでもある。それが究極の魔術だな、神になるということが。  この世界は目や耳で見て理性で判断するものだけではなくそういう神がある、と思う人が多いことについて少し考えてみよう。人間の感覚は視覚と聴覚だけではないし、思考は論理・言語だけじゃない、視覚と聴覚だけでも多くを切り捨てていることは言った。また、夜寝れば夢を見てありえないこと、すでに死んだ人と話すこともあるし、さらに心の個人差には恐ろしくあり得ないことが心に浮かんでしまうことも多く、普通の人間には認識できない数などについての美を一種の感覚として感じることもある。いろいろな生物の毒には脳の働きを狂わせて滅茶苦茶な感覚像を覚えさせることもある。昔の人々にとっては日常だった極度の食料や水分の不足、過剰な運動や死の寸前の激しい苦痛や恐怖も、奇妙な感覚像を感じさせることがある。  そして精神や肉体に多くの負担をかけてから非常に美しいものを見たりすると、自分が世界の膨大な光の一部であり、世界そのものが自分でそれがとてつもなく美しい、という感じを持ってしまうことが、少なくとも多くの人にある。  人間の精神の個体差も大きく、さまざまな普通の人には見えないものが見える心のあり方をもつ人も、常に一定の割合で出てくる。それは実際に存在していないものが多いが、人間の目は元々現実の外界を完全忠実に見るものではない。  それが、目に見える物の世界だけじゃなく、それ以上の神々・死後の次元があると人に思わせたのかもしれない。私自身は全部脳の副産物だと思ってるが。  それら、どんな神がいてどんな規範や生活法などを人間に命じたか、を人は「信じる」。人間はいくつかの命題を、無条件に正しいとすることで自分及び群れの物語の根拠とする。  ちょうど数学で、いくつかの命題を公理系として、それを前提に数学体系を作るのと同じだ。といっても、そんな構造で数学を作っているのも我々だけで、別の世界の知性は別のやり方をしているのかもしれない。  その信じていることの集まりが、人の心の重要な基盤にもなっている。  魔術的な考えとは、上記の衛生や医療も深く関わっている。  感染症を防ぐには、微生物が体内にいる人……特有の症状を出している人、さらにその人の家族や接触した人、その人々が触れたもの、生活している場、糞尿や唾液、それら全てを群れから隔離すべきだ。  さらに遺伝病と伝染病の区別は昔の技術では無理で、遺伝病は血縁で伝わる。  そのことを長い経験で知り、また人間の脳自体が長い進化の中でそのリスクがあるものに不快を感じ避けるように伝染病や遺伝病をかわしてきた遺伝子によって作られた……だが人間の目は微生物を見ることはできない。  ただし、微生物に食われているものの匂い・味・色・感触などに不快を感じることはできる。それは生来でもあるし、また小さい頃からの経験……あるものを食べた直後吐き気がして腹が痛むとか、あるものを口に入れて親に叩かれたなど……の積み重ねでもある。  その不快感と、さらに伝染病・遺伝病の要素についての判断を、昔の魔術的な思考では「清浄」「穢れ」の二元論で認識し、善悪と事実上一体化させる。  その伝染病対策から穢れに接したら穢れる、遺伝病対策から穢れた人の血縁は穢れる、と考えられる。まあ正しい。  穢れていない、清浄なものは人が触れていない物、火や塩や酒……実際これらは微生物を殺す……で浄めたもの、水で洗ったもの……  あと、特に重要な穢れは死体と雌の出産に関係することだ。死体は確かに衛生上深刻な脅威だが、雌の出産や妊娠しないときの性器からの出血などを穢れとするのは、多分出産の魔力に対する過剰評価が裏返ったんだと私は考えている……人間は神聖すぎるものも避けるようにすることが多い。  その穢れを除去するのはとても難しい。それを除去する方法もあるが、その多くは塩・火・水などを用いたり群れから隔離することなどで、実際に微生物を除去する方法と共通する。  また、穢れ自体を擬人化して、悪い霊として扱うこともある。そうなると、穢れるというのは悪い霊にくっつかれている、と表現することもできるわけだ。 「彼は悪い霊につかれて皮膚が赤くなって苦しんでいる、彼は穢れている、彼は悪霊につかれている、彼が悪いことをしたからだ、だから彼が触れた物・彼の家族には近づくな、森の外に出しておけ、皮膚の赤みがとれたら塩と油を塗って全身を水に浸してから群れに戻せ、死んだら全て焼け」はそれなりに合理的な伝染病予防マニュアルだ。といっても彼の悪事と伝染病の因果関係は普通はないし、悪い霊というのは人格などない微生物だし、皮膚が赤く苦しいのは感染しない病気かもしれないが、伝染病予防策が何もないよりましだろう。  さらに、地域などを「清浄」「穢れ」に分けることもする。ある領域の中は安全で、その外は危険だとするわけだ。おそらく捕食者に対する安全を得るためだと思う。  その穢れは、他者を攻撃したり支配したりするのにも使える。呪うためには接触したものは同じ・形が同じものは同じ・名は体を表す、という魔術の原則を用いればいいわけだ。それを利用して「敵を呪う」ためには、たとえば土や木で人間の形に似せたものを作り……もしかすると、絵とかはそれがもとかもしれない……それを敵に触らせて、それからその人形を敵の名前で呼び、相手を象徴する属性をつけ……後述の文字があればなおよい……そして人形をたたき壊せばいい。 そうすれば似ている・接触・名前で、その人形は敵そのものだ。だからその人形に対する破壊と同じように敵も破壊される、すぐには見えなくても敵の、肉体とは別の霊の部分は壊れている、と結論される。  これは前提にいくつか科学から見ると誤りがあるだけで、論理的にはとても正しいことに注意して欲しい。  実際「呪い・悪霊」「(魔術的に)身を護る」という言葉は驚くほど多くを説明する。  人は常に人を攻撃して支配し、群れを強めたがる。そのメッセージは言葉としても、言葉にならない体の微妙な動きからも出る。  特に人の自尊心を破壊し、家畜化する技術・言葉はとても発達しており、それは魔術の言語を用いることが多い。人の行動を支配するのを目的とすれば、人を怒らせ攻撃を誘うのも有用だ。特に臆病といわれて引き下がれば、それは自分が臆病だと認めることになる。ごく普通に会話するにも、攻撃と取られないようにするには迂回するような言葉を使わざるを得ないほどだ。  また人は常に特に対象のない恐怖・怒り・不満などを抱いており、それから身を護り安心できる状態を作ろうとする。  人の間の意識的でない攻撃とそれに対する防衛は実際には現実の、物理法則が禁じていない現象の集まりだが、あまりにも意識されない微妙な動きによるものが多い。そして魔術の言葉を用いるのが最もわかりやすく、人は魔術として意識していなくても、言葉や身振り、相手が大切なものを奪ったり攻撃したりなど魔術の方法論で他人を攻撃したり攻撃から身を守ろうとしたりしている。  もちろん呪いにも様々な方法がある。言葉だけでも、相手や相手の親・先祖・神を悪と呼んだりすれば充分攻撃・呪いになる。  呪いと穢れ、罪や恥には深い関係があり、要するに神に呪われた存在が穢れている、とも考える。犯罪に対する刑罰も穢れを排除する魔術と深い関わりがある。他にも実に多くのことにあてはまる。  ちなみに私が上で、「これが地球の生物の〈呪われた〉基本法則」だと言ったのは、生物から弱肉強食を取り除くことが不可能であり、それは私は不快だ、と言っているわけだ、といってもこうして考えを整理するまで、ちゃんとわかってたわけじゃないんだけど。  なぜそれが不快なのかというと、実はきわめて近代的な価値観に弱肉強食の否定があるが、それと生命の本質が矛盾していることに対する不快を感じていた。  除去できないという点が呪い、穢れと同じなんだ。  神と接触したり、穢れを除去したり、逆に人を呪ったりと様々な、複雑な手順をともなう行動を儀式と呼び、人類社会にとってきわめて重要な要素だ。  むしろ、人類の行動で完全に儀式でないもののほうがまれだ。  後述の様々な装飾をともなうものもあり、何か……神や後述の伝承の人物、動植物や太陽などの自然を擬人化したものなどを演じて歌い踊ることも多い。特定の言葉、歌もその一部になる。個体でやっている儀式も多くあるが、群れで飲食・歌舞・脳に働き意識を変える薬物などを利用し、多くは身体装飾を変えたり普段禁じられていることを逆に行ったりして共同で行う儀式も多くある。  そして、他人にものを頼むために食料を差し出すように、神にいろいろなものを与えることも多い。特に生き物、中でも人間という最も貴重な資源を殺し、その生命と深く関わる血を神に捧げるのが重要で普遍性が高い儀式だ。  決まった、複雑な手順で何かをすることは人に深い安心感を与える。中には心の病気として、その人の生活では大した意味を持たないことをものすごい回数繰り返してしまう人もいるし、誰もが多かれ少なかれ色々なことを決まった手順でやっている。  宗教の重要な要素に、何かをしないことを参加者全員に強要することがある。その避ける理由としては、穢れと過剰な神聖さの両面があるし、まったく理由なしに「神の命令」ということもある。  逆に特別な状況でその禁止が解除されることがある。たとえば普段は黒い服は禁じられるが、家族が死んでから三年間は黒い服を着なければならないなどだ。  宗教のタブーなどを実用的に解析すると、群れの秩序を守るための裏切り防止・嘘防止・支配の正当化・衛生・そして過剰な森林伐採や狩猟を止める、新規発明を止めるなどの機能がある。  特にある食物に関するタブーがあり、小さい頃からそれによって教育されてそれに対する嫌悪感を強く感じるように育てられていれば、その食物を食べなければならない別の宗教をもつ別の群れに参加することは事実上不可能だ。共に食事をすることは「同じ群れの一員である」という強いメッセージになる。  他にもタブーは実に複雑で、人間社会にとって深い意味を持つ。法や道徳の重要な源泉でもある。  タブーと、さまざまなものの中から何をその群れにとって重要な神とするかと関係があることもある。ただしそれは、他の群れから自分の群れを差別化するためという意味が大きいな。  そして穢れ意識の副産物……というかもっと深い部分で人間には自分、社会を清浄にしたいという強い欲望がある。不快を避けたい、支配したい、敵を攻撃したい……特に飢えや支配されている群れ内地位など嫌なことを敵のせいにして怒りに変えたい、ということだろう。  それによって、後述する様々な道徳を過剰に人々に強要するのが、人間の群れにとっては持病のようなものだ。  人の死と誕生はそれ自体がきわめて魔術的な出来事であり、それに関連する魔術もきわめて多い。  人の死は魔術的にも最大級の穢れだ……死という最大の穢れが群れに入ったということだ。  愛する人が死んだときの大きい悲しみを処理するにも、様々な魔術的な処置が必須だ。  特に家族の死ぬ前の本人に対する愛情は死んだらすぐ消えるようなものではない。本人に対する愛情と死体に対する嫌悪が強くぶつかり合って、適切な儀式がないと混乱するわけだ。  実際的には、死体は微生物に食われないよう各細胞を維持する機能を失い、微生物や蠅など一部の昆虫にとって最良の餌になるため、よほど寒かったり乾燥したりしていない限り短時間で内部から微生物が大量に繁殖する。皮膚は割と丈夫でその中で二酸化炭素などを出す微生物が多いから膨らんで最後には破裂し、きわめて不快な匂いで有害微生物を多く含む液を大量にまき散らす。蠅もものすごい数に増え、その人を死体にした伝染病も含む微生物で汚染されたまま周囲を飛びまわる。その周辺で生活するのは伝染病のリスクがきわめて大きい。またその過程は匂いも見るのも非常に不快だ……それを不快と思う遺伝子をもつ個体のほうが死なずに済んできた。  それを無害に処理するには、まず食べるか食べないか。  人間も所詮動物であり、その死体は上記の獲物の死体同様食用・皮革などに加工しうる。ただし人類は自分たちを特別と思い、人間をほかの動物のように資源とのみ考えることに抵抗をもつ。群れの一員に対する愛情、また霊を認めれば、死んでも全て終わりではなく死者の霊と肉体のつながりも完全に切れてはいないので、死者の肉体を傷つけて食べることは群れの一員であることに変わりない死者を攻撃することになるので群れの一員を攻撃してはならないという法による束縛が関わってしまうこともある。さらに死者を大きい穢れと見なせば、それを食料や皮革にするのは大きな穢れになる。  また実際上も、特に近い血族の人を食うのは、調理してさえも特殊な伝染病が伝わる可能性があり危険な行為でもある。特に病死だと死体そのものがきわめて危険だ。ちなみに私自身も含め、今の地球の人類のほとんどが食人を強く禁じている。だから上で、私は自分の肉のコピーを食べるという発想自体が群れに排除され殺されると言ったわけだ。  食べないとしたらまず死体を保存するかどうか。死んでも霊は残り、いつか生き返って動きだすだろう、と信じる群れも多く、その場合は死体を保存する。特に乾燥しきった砂漠では、内臓を抜いて塩などで処理し、日光で乾燥させれば何千年も保存される。反面死体がまた活動を開始し、しかもきわめて邪悪で霊的な存在になると思うことも多く、それを防ぐためにも儀式が行われる。  保存しないのなら死体をなくさなければならない。土・水・火・鳥獣などがある。土に深く埋めれば、多くの土壌生物が死体を食べ、短期間で骨だけになる。人間にとって病気になる有害な微生物も、多くは別の土壌微生物に食われる。水の流れがある場合、水に流してしまえば体内が微生物に食われて出るガスで浮くため、破裂するまで浮いたまま流れる。流れてしまえば生きている人々の生活圏からは消えるし、水中にも様々な大きさの生物がいるから有害微生物も、死体に比べて水が多い限り処理される。火で焼くのは大量の燃料を無駄にするが、微生物を全滅させるからきわめて安全だ。野外の適当な場に放置して鳥獣が食うに任せるのも短時間で安全になる。いまだにそれをやっている群れもある。  その処理は実際的であると同時に、その多くは儀式だ。その儀式には死者の霊が神に守られて安楽な国に行った、という物語が多い。  家族の誰かが死んだとき、群れの中でその家族は喪と呼ばれる特別な状態に置かれる。穢れているが、家族の誰も死なない人などいないから群れから追放するわけにもいかないため、特異な地位として喪の状態にあることを主張させ、生活できる程度に食料を得るためなどの行動も制限する。実際的には伝染病も多いから、念のための隔離としても有効だ。  喪の時には体をわざと汚すのもよくある。自分は穢れているというアピールだろうか。灰をかぶる地域も広いが、それは浄化のためでもあるのだろうか。また普段はタブーである行動を意図的に行うことが多い。霊が属する、人間の世界とは別の世界に半ば移っている、と人間の心で認識され行動するわけだ。  人の繁殖こそ最大の魔術だ。群れの存続と繁栄にも深く関わる。  それゆえに女性の繁殖能力はきわめて重視され、同時に非常に大きな穢れとして扱われる。特に上述の定期的な出血や出産に付随する体液などは穢れとされる。群れの中での権力構造では女性が魔術の分野で権力を握ることもあるが、少なくとも繁殖時に戦闘力がほぼなくなるため、暴力の規模が大きい群れでは女性の地位は低下する。  また、男女とも繁殖能力は知性や戦闘・狩猟・ものづくりなどの能力と同様かそれ以上に重視される。遺伝的な欠陥などで繁殖力がない個体も多いが、それらは低い地位に置かれ、特に女性は存在自体を否定されることもある。繁殖力がないことが周囲に知られることは、恐らく人間にとって最大級の恥だろうな。  魔術・神や霊を信じることの重要な機能に裏切り防止がある。  単に人間だけであれば、誰にも見られていないときに群れを裏切っても気づかれない。だが神や霊という自分では見えないものに常に見られていると思えば裏切り行為はしにくい。まして動物としての人間には常に対象がなくても恐怖はあり、それがそれら霊という対象を得るのだから効果は強い。  人の言葉や行動の約束が間違いないという保証がなければ群れの機能は半減する。  それを防ぐ方法としては、真実でないことを言ったり約束を破ったりしたことを、相手が記憶し群れの他のメンバーに伝え、以後彼の言葉を信じ、彼と約束する者はいなくなり、そうなると群れ生活の利益のほとんどがなくなり、地位を向上させるのも難しいし食料など物資を手に入れることも難しくなる、というシステムにすればいい。  更に確実にするには第三者がいればいい。同じ群れの誰かが聞いていれば、たとえ裏切って約束相手を殺して口封じとやっても、第三者が群れに言いふらす。  さらに約束を群れ全員の前でやれば、第三者も殺す手は不可能だ。  それを拡大したのが誓いで、神霊を群れ全体とみなしてその前で約束する。さらにそれには、約束を破ったり嘘だったりしたら強力な呪いがかかるように、と魔術的な儀式を加えることでより効力が増す。実際に呪いどおり死ぬことはなくても、当事者がそう信じていて効果があれば群れは機能できる。その誓いが変化したものに契約という考えがあり、それを破った人は全ての人に相手にされないという脅迫がかかっているし、また魔術的な脅迫も意識は普通されないが強くある。  他、群れ内の信を維持することは群れにとって何よりも重要であり、人間は主に魔術的儀式と違反者を排除することによってそれを保とうとする。  またもちろん、群れの最上位者は自分が霊や神であり、それが常に普通の人間にできる以上の力で皆を監視しており、嘘をついても隠れて行動しても心の中で考えるだけでもわかるし、自分の群れ内地位を上げようとしたら神の力で罰する、とすることでより強く群れを統制できる。  それによって、全員を殴り倒さなくても支配することができるし、より大きい群れを維持できるし、群れ内順位を物資同様確実に子供に譲ることもできる。  というか暴力だけの支配は無理がある、人類は眠らなければならずその間は無防備だ。まあ強い暴力と恐怖だけでも寝ていても逆らわないように恐れさせることもできるが。 **神話・民話・伝説  人間は言葉で世界を理解するが、その理解は主に群れの中で伝えられる多くの物語によって構成される。どの人間の群れも、非常に多くの物語を伝えている。家族によって異なる話を伝えていることも多い。物語は音楽や踊りをともなうこともあり、儀式と一体化していることも多い。  呼び方は神話・民話・伝説・俗謡などいろいろあるが、要するに群れとある意味一体化した非常に寿命の長いミームだ。  幼い頃は親から、そして群れで伝えられる。  その物語は群れがどのようにできたかを語り、群れ及び個人のアイデンティティにとても深く関わる。  世界がどのようにできたかを語る話も多い。人間は好奇心が強く、あらゆることの理由を知りたがる。だがが昔の人類は観測手段もなく、上記のような科学的な知識は持てなかったから、魔術的な物語として世界が始まってから自分たちに至るまでを描いている。  話の構造としては、ある個体にとって非常に都合のいい話が多い。  聞くものは誰もがその話の主人公と自分を重ねるため、その都合のいい話を追体験できる。  神の子孫である男が大きな富、地位とよい繁殖相手を兼ねた存在である高い地位を持つ美女、強力な武器、さまざまな超能力を得られる道具などを手に入れ、非常に強大な様々な恐ろしさを複合させた獣を殺す話が多い。そこに一度死んで復活する、生殖などの話が混じることも多い。  その発展として、不老不死を獲得するのに失敗するという構造もある。それによって過剰な欲を抑止するなど、善悪などが混じる話も多い。  動物や、時には植物や大地や山など自然物が人間と同質の精神・言語さえ備えていることも多い。  多くの知識を説明する物語も多い。魔術の使い方や禁じられていることなどが主だが、その中によく見ると多くの動物の危険性や植物の毒、危険な地形についてしてはならないことが混じっている。  ちなみにそれら昔から伝わる話は、人間の精神構造を理解するには非常に重要だ。人間にとって快い話が選ばれてきたのだから、「人間は何を好むのか」という問いに対する答えがたっぷり詰まっている。  また、体験は必ずしも物語にできるとは限らない。あまりに大きな悲惨などがあると、それを適切な物語にできず、親が子供を攻撃したり暴力的に暮らすことでそれを伝えることがある。攻撃されて育った子供は適切な物語を持てずに育ち、親の攻撃を周囲や、何より自分の子供に対して行うことで模倣する。  それがある種の文化として、家や群れの中に広がり受けつがれることも多くある。  また、人間の深い情動である「恐怖」「怒り」「悲しみ」「復讐」「笑い」「莫大な富」などはとても好まれる話だ。  興味深いのは笑いの重要性だが、それについては圧倒的に知識が不足している。特に「笑う」「泣く」ことが魔術的にどんな意味があるのかは奥が深すぎてとてもとても…… **習慣と常識  人類は根は保守的で、従来どおりの習慣を続けようとする。  これまでそれでうまくやってこれたのだから今まで群れが生き延びてきた、だからそれは正しい。  だが、長い年月の間に気候が変わったり、ある獲物や食べられる植物を種ぐるみ絶滅させてしまったり、新しい場所に移動したりしたら当然新しい状態に合わせなければならない……んだが、そう簡単ではない。むしろ今までのやり方を守って全滅することを選ぶことのほうが多いぐらいだ。たとえば氷河の上で生活することになったら、植物からビタミンCは得られない、動物の生の脂肪と血液からしか得られない。だが、脂肪と血液をタブーとする人々も多く、そういう人々は生命、群れの存続よりもタブーを選んで滅んでしまうものだ。  人間の生活、いや歴史では「試行錯誤」と「習慣」の争いも結構重要だな。  まあだからこそ、それとは違うやり方をしたがる子が少ないけど生まれて、それは群れに順応できず群れを飛びだして大抵死ぬけど少数は新しい、より新しい環境に順応して生きられる群れができてなんとか人類自体は絶滅せずにすむ、という具合だ。  というか人間は「ものを考える」ことが嫌いだとしか思えない。考えず、今まで通りに、できるだけ単純なものの考え方でやるのがものすごく人間にとっては楽であり、快なんだ。  人間の認識は束縛されている。自分の常識と異なる情報を他人から聞くのはおろか、感覚器に入ってもちゃんと意識で認識することさえきわめて強い抵抗がある。そのためには自分が見たり聞いたりした情報をねじ曲げることさえ簡単にできる。  まあ人間は癖や習慣がなければ、服を着ることすら困難だろう。  常識・前提にも、個体・家族・群れ・巨大群れそれぞれである程度別々になる。まあそれはなんでもそうだが。  もっと根本的に、人間はいくつかの命題を、無条件に正しいとすることで自分及び群れの物語の根拠とする。ちょうど数学で、いくつかの命題を公理系として、それを前提に数学体系を作るのと同じだ。といっても、そんな構造で数学を作っているのも我々だけで、別の世界の知性は別のやり方をしているのかもしれない。  群れの全員が共有している、言語表現すらできないほど当たり前のこともたくさんある。たとえば私が時間やエネルギーなどをうまく言葉で表現できないのは、それが今の人間の心のあまりに深い部分でやる考え方だからだ。  人類が人類以外と意思疎通することはないため、今私がしているように「人間以外を前提に」物事を説明しようとすること自体がありえない。そして人類が進化してきたあまりに長い間、自分の群れ以外と殺し合い以外で意思疎通することすら多くはなかった。  特に通俗的物理学に属することは、すべて再検討の必要もなく誰もが共有する「当たり前」だ。ただしそれはその群れが生活する場、この地球の表面の諸条件、人類の体のサイズだけで通用することだ。  逆に、その常識を論理・数学だけで表現しようとしたらものすごい、今の人類の技術でも処理不能な情報量になる。  もちろん群れの中で常にいきかっている膨大な、言葉や言葉でない情報である常識は実に多い。 **善悪・刑罰  人間にとって善悪というのは非常に重要だ。人間は誰も生まれて間もなくから、「していいこと」「してはならないこと」を親などから教えられる。群れの一員として生きのびるために。それは個体の、恥・罪・穢れなどの感情と深く結びつき、良心とも呼ばれるようになる。また怒りとも強く関係し、基本的に群れの仲間、特に上位者を怒らせることはしてはならないこととなる。  それはある程度どんな群れ動物にもあるが、人類は言葉や意識があり、特に元々生きていたアフリカとはまったく違う生活環境で暮らす群れも多くある。またしていいことならないことを言語化する傾向がある。  ただそれだけではなく、支配者は感情だけで怒り罰し、行動を命じることもよくあるから、言語化された「していい」「ならない」の集まりだけではない。群れの中の任意の部分群れ、さらにその時の状況などに応じて違う、と言ってもいいぐらいだ。  さらにいえば支配者……たとえば子供にとって親が不快な感情を出したことを感じれば、そのときにしていたことはしてはならないことだ、となる。それと、その時の親のメッセージが矛盾することさえあり、その時はどうしていいかわからなくなる。ただし、人間は完全に論理的な存在ではなく、自分の行いが群れの言葉では善とされていても支配者の怒りを買い、悪とみなされて圧倒的な力で叩き潰されることもよくあり、それは支配者に対する憎しみになることもあるが、逆に最も強い形で支配者に対する忠誠や愛情になることも多くある。  していいことだけでなく、積極的にすべきことがある。特に自分の欲望より群れの利益を優先することがよいとされる。  さらに善悪には魔術的なこと、言葉によることが入り、群れが大きくなるとますますややこしくなる。  人間には様々な欲があり、常にその規範を守ることはできない。中には生来規範を守ろうとせず他人を支配することを好み長ける者もいる。また欲が強いときは、本来してはならないことだがそれをするのがより高い規範に従っているのだ、と意識の中で合理化することもある。他にも規範を破る理由としては自分は特別だからばれることはないし神も許していると考えることなどがある。それだけでなく、人間は普遍的に善をなしたいと思うと同時に悪をなしたいと思っているとしか思えない。意味がないように見えることに対する禁止があり、それにわざわざ違反して罰される者がいる。特に後に社会が複雑になると、特に若い個体が集まって社会のほうを破る集団を作ることがきわめて多く見られる。  罰するためには、その個体が統合されていることが必要になるが、実際には統合された個体というのは人間が人間を擬人化しているだけだ。たとえば同じ個体でも、ある個体と接しているときと、また別の個体と接しているときでは言動や行動基準が大きく異なることがある。また人間の擬人化は、個体内部の欲などをいくつかに分け、それぞれを別の性質を持つ小さな擬人化体…たとえば「理性」と「獣欲」…としてその対立構造で個体を把握することもある。  また欲はいろいろあり、矛盾することもあるが、体は一つしかなく行動は一つしかできない。動物はどのようにそれを選択しているのだろうか知らないし、人間も究極的にどうしているのかは知らない。  だが人間の何でも擬人化する考えは、擬人化された個体が「目的」のために「意志を決めて」行動している、と解釈する。  群れは、常にその違反に対して罰することをする。まず罰するのは一番小さい群れである親子間、家族での上から下。逆に言えば、群れを維持する方法として人類は、罪を罰することと富を分け与えること、魔術的な儀式を行うこと、群れの目的を定めて行動することぐらいしか知らない。  本来は罰と賞は一体で、正しく規範を守れば誉めることもある。また、公的な罰に至らず、個体どうしや家族などで、怒りの表現と謝罪・許しによって解決することもある。これは本来群れ内部の争いに過ぎないとも言える。許しというのが複雑で、怒りを抑えてこれ以上争わない、と互いに制約することと言えば近いだろうか。  この怒り・謝罪・許しも罪と罰においては重要であり、特に神概念が入ると、神の怒りに対して謝罪し償い、神がそれを許すまたは罰する、また罰した上で許す(当然群れの上位者が神でもある)という構造にもなる。その許しを求めるために生贄を捧げるなど儀式を行うことも多い。さらに罪が重い場合には、許しきれずに罪人を不可逆的に呪って穢れとなし、群れから排除することにもなる。  謝罪は自分が規範を破ったことを認め、上位者・群れ自体・群れの規範に対する服従・自分の悪い心を追い出したこと(ここで自分の精神を霊の世界ととらえ、それを善霊と悪霊による小さな群れとし、その中から悪霊を追放することができると考えられている)を表明する行為だ。悪霊が強すぎるときには群れがその悪霊を追い出す儀式を行うことにもなり、それも罰に混じる。それには、たとえば汚染された食品も加熱してある程度菌を殺し食べられるようになることがあることからの類推があるのかもしれない。  また罰には、群れ動物が進化させた攻撃に対する復讐、そして経済的な等価交換の考えも混じる。群れ内部でも、誰かが殺されるときにはそれは復讐の必要があると人は考え、殺害者を憎悪し攻撃する。また経済的な考えもあり、それで損害に対してそれを償う価値のあるもので返す発想もある。これは交換や群れでの共有の約束に違反したときに行われ、それは物を「返す」ことで償うことができる。それらが結びついて罰と呼ばれる儀式システムがあると考えるべきだ。  最大の罰は、死後の世界をいいところと悪いところにわけ、悪いところに行くと宣言することだ。この恐怖はきわめて有効で、これまで生きてきた人間の多数を強く支配し、社会を機能させている。  次いで群れからの追放。そして殺す、暴力を振るって苦痛を与える、群れ内部での地位を下げ名誉を奪う、また魔術を用いて呪うなど罰は多岐にわたる。  人間は基本的に、群れの成因を全員穢れのない存在だとしたがる。そして誰かが規範を破ることは、群れに穢れ・悪霊を導き入れたと考え、それを排除する儀式を行うし、またその規範を破ったものを群れ内で別の、穢れたままの分類にある存在として扱うことも多くある。  それらの「していい」「ならない」がはっきりしていて、してはならないことをしたら確実に罰が下される状態にあり、してはならないことをするものが群れにいない状態は秩序があるとされ、群れにとって好ましく個人も安心することが多い。ただし、それを嫌う気持ちもあり、個人差としてそれが強い者も一定の確率でいる。秩序・信関係の維持は群れの規模に関わらず群れの維持にとっては最も重要とされる。  何が悪いことかを決めるのは支配者だ。  支配・群れの最上位であることの本質は群れが肥大するごとに「善悪を定める」「情報自体を制御する」ことと「人を地位に就け、追う」ことになっていく。まあ「善悪を定める」のは神だから、それで後述する宗教群れの力が強まってしまうんだが。  善悪の基準を言語化したがるのが人の常だが、無矛盾な基準は作りようがないし、またそれが……正しく行えば何でもできる、と人が魔術的に考えることまで考えれば……どうしても混乱がある。  その基準が余りに混乱していると、まともな物語を作れなくなるが、ある程度の混乱は必然でもある。  人間の考えとして、あらゆる悪いことは自分や誰か悪い心・行いのせいであるという前提があり、罰したくなることもあり、それが基準を作ることをややこしくしている。後に文字が発明されると、言葉だけで基準を定め、しかも変更が難しくなるのでよりややこしくなる。  人間にとってずっと、道徳・宗教・魔術・法律・礼儀は一体であり、一つの価値観から事の善悪が裁かれてきた。基本的に「してはならない」ことは上位者に服従しないこと、罰など正当化されるものを除く群れの成員への攻撃が一番重い。また攻撃には、上下関係を確認するメッセージを誤ることも含む……、家族によって許されている相手以外との交接行為やそれに関するコミュニケーション、「自分は群れの一員だ」というメッセージを出していないこと、ある意味同じだが排泄や交接行為や食事における習慣など常識的な行動を取らないこと、魔術によって規定されたタブーを破ることなどがある。さらに後に群れが拡大し、複数の群れが混じって暮らすようになると支配者に対する反抗、支配神やその言葉に対する異論を言語表現すること、考えることなどさまざまなものが加わる。気をつけて欲しいのは、誰かが罪を犯したかどうかは最終的には群れが合意すればいいのであり、本人の心情や事実とは関係なくなる。  そして善悪の基準を言語化したがるのが人の常だが、無矛盾な基準は作りようがないし、またそれが……正しく行えば何でもできる、と人が魔術的に考えることまで考えれば……どうしても混乱がある。さらに人間の考えは、あらゆる悪いことは自分や誰か悪い心・行いのせいとなり、罰したくなる。  また何が「事実」かという事自体に価値判断が入る。自らの価値観・道徳体系を否定する証拠になるようなことを「事実」と認めるのはきわめて困難だ。そのような事実を出した者を、自分を攻撃する敵だと思うことさえある。  その道徳は、群れそのもの、世界そのものにも向けられることがある。この世界は悪い、改良できる、という考え方が、特に文明ができてから強まる。原始時代や古代文明ではどうだったのかは知らないが。  そこで自分の群れ内部での地位、ほかと比較して高い地位を持つ(とどの群れも考えている)群れの成員である条件としてこれまで正しい行いをしてきたと皆に認められていることも群れに留まり、地位を保つには必要とされる。群れ動物は本来注目を求めるので、他人に「よい」仲間と思われ、認められることは強い快になり、そうならないことを恐怖するのも当然のことだ。  人間の群れは必ず支配構造ができるが、支配する側と支配される側の差は絶対的なものではない。  支配する側は、支配される側を信用しないとしたら、支配される側を一日中完全に監視していたい。  でもそれは不可能だ……支配する側も眠る必要があるし、目は二つしかない。  また、人は「見られたくない」感情があり、特に排泄・交接・体の洗浄などについて見られ知られることはきわめて不快に感じる。また単純に、監視され管理されていると感じることすら不快に感じる。  たとえば後の技術が進歩した世界では、全員の体にある遺伝子や皮膚に出る個体識別情報を政府で名簿と合わせて登録することに誰もが強く反対するため、なかなか実行できない。それが実行されれば犯罪を犯して逃げおおせるのは困難であり、抑止という仮定が有効ならば抑止になるし、少なくとも冤罪を晴らすには役立つのに、それがなされない。それどころか、全員の名前を扱いやすいように数字と対応させることすらも反対が多い。  立場、性別、年齢によってしていいわるい、すべきでないが違うこともある。社会が複雑になると階級が生じ、その階級によっても従うべき規則が異なる。特に面倒なのが男性・武人の倫理だ。  人間の雄、男性というものはなぜか、ある特定の倫理の集合に強くこだわる傾向がある。全体に二種類の男性倫理があり、どちらも重んじられる。公式には前者だが、実際の、特に下位の人々の間では後者も常に尊重される。  共通するのは仲間を裏切らない、戦いでの怪我や死を恐れない、名誉を重んじる、暴力をよしとし、恐怖を感じても表に出さず、苦痛や不快を感じても感情表現をせず、従うべき相手に忠実に服従し、自分が死ぬリスクが高くても攻撃を続けることがよしとされる。他にも美を無視せよ、女子や子供を保護せよかつ(矛盾しているが)常に暴力を振るってきちんと支配せよ、嘘をつくな、などがある。それらの基準を満たしており善であると群れの成員に思われること、すなわち名誉がそのまま群れ内の地位に直結する。  上位とされるのは暴力メッセージを抑えて礼儀正しく、敵であっても敬意を払って騙さず、自らを質素かつ美しく飾り清潔で、宗教に忠実で自分の快を欲さず、飲食は少なく特に酒は飲まず、賭博や売春はせず、人に苦痛を与えることを好まず、女子供など弱者に暴力をふるわず、文字を使いこなし美を重んじる。  下位の規範は対照的に巨大肉食獣を人間なりに擬人化したような存在だ。暴力メッセージを常に出して誰にでも暴力を行使し服従を求め、声も体も巨大で礼儀を無視し不潔、飲食は誰よりもたくさん質よりも量を口にし、敵を倒すためには手段を選ばず、敵を誰よりも激しく軽蔑し憎み、文字を憎み焼き払い、美しいものはすべて破壊し生き物は殺し、女子供を容赦なく過剰に苦しめて皆殺しにし、自分の家族でも苦しめて家畜同様に従え、人を苦しめることを喜び、また宗教も軽蔑し、賭博や売春にも積極的で物をたくさん奪って惜しまず無償で仲間に配る。自分や自分の群れが攻撃されたら徹底的に復讐する。  ちなみに人類は雄と雌のかたちが違い、雄の方が攻撃能力が優れているし、精神的にも雄の方が攻撃的だ。  問題は、人間には完全に「こうしたらこうなる」がわかるわけじゃないってことだ。さらに物事はなんにでも両面があるし、人間が得られる情報はごく限られている。だから何が本当に善なのか、人間にはわからない。人間でなくても、自然現象やほかの動物の動き、それどころか群れの心理の動きさえも、人間には完全に予測することはできない。多くが複雑……きわめて多くの要因がかかわり、そこには結果が原因の側に影響を与えて循環しながら増幅したり制御したりする過程も多く、数が増えると初期条件のどんな小さな変化も大きな結果の違いをもたらすことになる。  やっかいなのが、人間にはわからないにもかかわらず、人間は「誰のせい」という考え方をしてしまうことだ。それは本質的には上記の魔術的思考だ、結果をわかりやすい物語にまとめてしまいたいだけだ。  その「誰のせい」と罪と罰は、責任という概念にもつながる。これはかなり後世の、ある地域から出た文化の考え方かもしれないが、要するに健常な人は自由に行動を決定できる意思力を持ち、その意思による行動がなんらかの、群れにとって損になる結果をもたらしたら、意思によって決定した当人はその結果の責任を問わなければならない。また人はあらゆる地位・命令・誓約に従って、すべきことをし、失敗したときにはその責任を負って罰されねばならない、などだ。  要するにある主体による物語にしたいわけだな。現実には人は感情に動かされるから行動を決定することなどできないし、結果がどうなるかも予測できないんだが。  さらに言えば、完全に善・清浄であることは人間には不可能だ。  礼儀も非常に厄介な点だ。本質的には「自分は敵ではない」というメッセージを相手に出すための、言葉・表情・体の動かし方・体の装飾などにいたるすべての制御だ。  たとえば言葉などでは、相手に敵対しているととられないようにするため、特に否定的な情報を伝えるときには言葉をいろいろとひねったりする。  礼儀が大きく関わるのが飲食の場で、それ自体魔術的にも特異な状態だ。逆に互いに不快感を与えずともに飲食できるとしたら、同じ群れの一員であるとみなしていい。またはそれぐらい相手の群れについて詳しく知っていて、正しい行動をしているということだ。  その礼儀ができていることはそのまま「群れの正規の一員」というメッセージにもなる。 **娯楽・装飾  人類は、便利な道具も少なく生存率が低かった頃から、生存に一見役立たない余計なことをいろいろやってきた。上記の魔術に関する儀式もそうだ。  人間は少数の子供を長時間養育する群れ動物だから、息をし、水を飲み、ものを食べ、繁殖相手を捜して交接して卵をばらまくのを死ぬまで繰り返す、というほど単純じゃない。といってもそれが一番肝心だということは、よく忘れるけど間違いないんだが。  群れを維持し、個体として地位を維持し、繁殖相手に選ばれるめの膨大なコミュニケーションには生存に一見役立たないものも多くある。これは人類だけでなく、鳥などにも生存には役立たない複雑な色や形をもつ大きい体表の余計なものや発生器官があることが多い……性淘汰だ。  人間はほかの動物のように嗅覚を使わなず主に視覚を用いるため、自分が群れの一員だと示すためには皮膚または衣類に、人間に見える光で分かる変化をつけてそれで区別する。それには上述の魔術の要素も強く、典型的な思考様式はある肉食獣に特有の黄色と黒の模様を体に描き、それによって自分たちはその肉食獣の擬人化された霊を神とすると周囲に宣伝し、その肉食獣の強大な力と素早さが自分たちにもある、それもその力は悪霊にも有効であると思うわけだ。さらにその肉食獣自体の美しさを真似ることで、自分たちを美しくすることもある。  人は生まれながらの皮膚と毛、そして温度調整と鋭い刺や肉食獣の爪牙から身を守る服だけでいい、とは思わないものだ。身を美しく飾りたい、より強いなにかと同一化したい、群れで同じ外見でいたい、と強く欲する。  特に多くの資源を浪費する装飾は、自分が餓死しないだけの食料だけでなくそれだけの装飾用資源も集められる余裕がある、だから交配相手と子供五人ぐらい軽く餓死させずに食糧を供給できるし、それだけ遺伝子も優れている、だから自分を交配相手に選べば遺伝子を長く多く残すことができる、というメッセージを与えることができる。  直截に大量の食料を無駄に燃やすなどして富を見せつけることもある。  魔術的な意味も非常に強い。魔術によって肉食獣・人間の敵・伝染病などの害……悪霊とされる……を避けられるという考え方も強くあり、自分を群れにふさわしく飾ることによってそれらを遠ざけることもできる、と考えている。  そのような理屈をつけず、ただ「人類は自らを飾ることを好み、そのために多くの資源や時間を費やす」といいきってしまったほうが正しいのかもしれない。   その装飾には「体を隠す」という面もある。人類は、特に他人に見られるところで体表に何も付けず全身を露出することを嫌う。それは人類共通の無意味な魔術的なタブーだったのが今生きている全人類に、誰もなぜなのか検討もせず引き継がれてきたものか……それはわからない。少なくとも、どの衣類を必要としないほど気候のいい場に暮らす、他との接触が最近までなかった群れでも、完全に何も身につけずに生活していることはないらしい。少なくとも生殖器にはなんらかの装飾をつける。  まず皮膚表面に、土砂や植物など特定の波長の光を反射吸収してある色を見せるものをつける。皮膚を傷つけて色のついたものを入れることで一生皮膚の色を変える技術もある……これは大きな苦痛と、微生物の侵入による死のリスクがあるため、皆に対し自分の強さを強く主張できる。  頭部の毛を様々な形・色にすることも重要だ。  衣類の表側に色をつけたり、実際にあるものの形や、それを極度に単純化した図形やその繰り返しを見えるようにすることも多い。  また武器や道具、巣などにも装飾を入れることがある。それには魔術的な意味も大きい。  その飾りは大抵群れで統一されて群れとそれ以外を差別化し、また群れ内の地位を表現している。  また不思議なことに、人間はリスクを好む面がある。まったく死ぬ心配も痛みの心配もない、というのは、少なくとも一部の人間には耐えがたいのだ。  男性が群れのために危険を冒さなければならず、危険を冒せば群れの中での地位が上がることもあるだろう。  また余分な若い雄が群れから出る必要があることもあるだろう。  さらに、上記の子供が行ういろいろな、生存と直接関係のない模倣活動は魔術と密接に関係させながら成熟した大人も楽しむ。  これも人間活動の中ではとても重要な要素だ。  これらは基本的には農耕牧畜によって人間の群れが拡大してからだが、賭博・売買春・酒・依存症・占いなど人間の生活を大きく損なうほど生存とは関係のないことが社会にとって大きい要素になることがしばしばある。  また、多くの動物、特に自力で餌を得て繁殖できる前の若い個体が、生存に直接関係のない行動を快とすることがある。群れの結束を強めたり、大人の模倣をして狩りの技術を覚えたりもあるが、純粋に楽しみでもある。  まあそれについて詳しくは後述する。 **心理の罠  基本的に人間の心理、特に感情などは、アフリカの森と草原の中間で狩猟採集生活をするためには、統計的にいい結果をもたらした判断行動方法だった。だから人類は長いこと苛酷な野生で生存できてきた。  だが、それは後述する農耕を営み、巨大な群れで生活し、さらに技術を高めるにはまったく向いていない。  本来なら統計的に考えてリスクを分析しなければならないが、ちゃんとした統計は人間の脳には入っていない。人間の記憶や、視覚など感覚の情報処理もいいかげんだ。  これは昔の頭のいい人……皮肉に言えば考えを短い言葉にまとめ、それを多くの人に広まる有力なミームとすることができた人の考えなのだが、人の感覚には多くの錯覚があるのにそれを信頼し、個体の経験は宇宙・世界全体に比べあまりに小さいにもかかわらずそれをすべてとみなし、多くの人が言うことが正しいと考えずに信じる。時には明らかに間違ったことでさえ多くの人が正しいと言うだけで正しいと思いこむことさえある。そしてこれまでに重ねられた言葉、特に支配力がある人の言葉が造っている世界を世界すべてと思ってしまう。  言葉が正しいかどうかより、どちらの人の表情などに強い支配力があるかで正しい間違いの判断をしてしまうこともよくあるし、自分が好むことが真実だと思ってしまうこともある。群れの常識・他の多くが正しいと思うことを疑うことは誰にとっても難しい。  人間はものごとをありのまま情報として意識にのぼせることはできず、自分が意識していなくても出している結論を補強する情報に注目し、それに反する情報を無視・否定する。言葉も、視覚情報さえも。  たとえば地球の地図を見れば、アフリカの西岸と南アメリカの東岸が、一枚の板を切り出したものだというのは一目見れば分かる。だが、地図がある程度できてから長いこと人はそれに気づかなかったし、信じなかった……それが、それまでの「群れの世界の見方」に反している、というわけだ。  また人間は、常に不安と恐怖に支配されている。さらに群れになると、昔は有効だった不安や恐怖を伝える能力によって過剰な不安と恐怖を、冷静に統計的に調べれば大したことがなくても大きい物と感じてしまう。  さらに人間の心は器用にできていて、特に自尊心を損なったり自分の属する群れの価値や支配的情報複合体を否定されたりするよりは、別の物語を作ってしまったり、記憶をなくしたりすることを選ぶ。  多数の「いいわるい」があり、それは言葉にすると矛盾していることも多い。さらにどうするか決めるときには心の見えない部分が極めて強い役割を果たし、さらにその結果をわかりやすい物語にしようとしてまたいろいろねじまげる。  ある行動を取ると、特に群れとして決めてしまうとそれを容易に修整できない。特に自尊感情を損ない、「正しい」を否定するような情報をすべて偽とみなして無視する……それによって誰が死のうと、群れが滅びようと、だ。  また自分に都合の悪い情報を拒絶しようとすることも多く、さらに自分に都合が悪いことを言う人間を、その情報の真偽を問わず人格に対する攻撃と思うこともある。大規模な群れどうしの戦いで、指導者には見えない山向こうの味方が負けていると知らせる使者を指導者が怒りに任せて殺してしまって群れ自体の全面的な敗北につながるようなことさえある。 **集団心理  人間の群れは、本質的にまるで、一人一人の合計ではなくもっと別の何かのような挙動を示す。後述するように、人類が進化してきた狩猟採集生活より規模が大きい群れになると余計それがはなはだしくなる。ちなみに大抵個体より感情的で欲深でバカだ。  進化段階より大きい群れについて詳しくは後述したほうがいいだろう。  まず群れのメンバーは互いに模倣をして、同じように話し、着飾り、活動し、楽しみ、考えるようでありたい、という感情がとても強くある。要するにすべての成員が、基本的に同一であって欲しいわけだ。あらゆる儀式・儀礼の目的はそれだと考えられる。  ただ、考えが同一であれば新しいものを生みだし、新しい状態に適応することは困難になる。より高い情報・技術・何より科学のためには考えの多様性が必須になるのに。だから群れとしての結束を強める指向が強いと、ある程度以上の規模ではその群れはかえって弱くなる。試行錯誤さえできなくなるとその不利益はますますはなはだしくなる。  生命そのものが「情報を増やして保存すること」で、それに矛盾がある。情報をそのまま伝えることが本来の目的で、だから変化はないほうがいいのだろうが、逆に変化しないと競争的な雰囲気では敗れて消えるから多様性も必要になる。  人間自体も、変化し多様で試行錯誤しなければ生き続けられないのに、群れ全体で変化しない、完全だから試行錯誤は必要ないと思うことを好んでしまう。  また群れは常に敵を作り出し、それを攻撃する傾向がある。そこでは人間の人格を単純化し、単純な言葉で表現することが多い。  群れの中で、何か不安や不足がある時にそれを群れ内部で増幅させ、きわめて暴力的になり、同時に善悪にうるさくなることがある。善悪の判断を極度に単純にさせ、群れの内部の誰かを悪であると決めつけ、それを激しく攻撃することがよくある。  道徳は、支配欲を満足させるのには実に便利だ。悪霊を追い払うための努力によってより安全になった気もするし、同時により多くの規則があれば下の人間を罰する機会も増える。罰、人格否定をともなう叱責は自分が上位であることを確認することができ、支配欲・攻撃欲を満足させる。何の理由もなく暴力を振るうのと比べ、群れの道徳で容認され、自分自身の罪悪感もないし反撃の恐れも小さい。  特に攻撃性・支配欲が強い人間は、人をささいなことから「悪だ」と指弾することがある。しかも相手の内心にあるかないかわからない悪がある、と物理的暴力・言葉や態度による暴力を併用しながら責め続ける。そうするとやられた者の精神が崩壊することもあり、それはやる側にとってとてつもない快になる。家族間でもその構造はしばしば見られるし、後述する宗教群れ・暴力群れ・思想群れなどでも多用される。  ここでやっかいなのが、群れの中で多くのコミュニケーションがあると、特に好まれるタイプの情報が多くの成員に共有され、群れ全体を構成する物語の一部になってしまうことで、噂と呼ばれる。同様に面倒なのが、後に巨大な群れができてそれが不安定なときに多く見られる、誰にも秘密で上位の秩序維持を担当する人に、ある人が悪いことをしていると告げることだ。これは本当にそうであってもなくても罪人を作り出してしまう。何しろ噂は正しいとされることが多いため、じっさいはどうあれ「みんなが悪いといっている人は悪い人だ」となってしまう。となると悪い噂を立てられただけで群れ内での地位を下げられ殺されかねない。  人間の集団は同じ人間でも、自分の群れ以外を獲物扱いし、殺しても罪悪感を持たないのが普通だ。物を奪い、皆殺しにするか雄と子供を皆殺しにして雌だけを暴力で繁殖相手にするかだ。元々一緒に暮らしていたとしても、「やつらはおれたちと違う」、人間と認定しないことにすれば、どんな残酷なことでも平気でやる。それがどうしようもなく大好きなようだ。  後に「攻撃してはならない」という価値観が、ある生活様式をする人類の多数派に浸透するが、それと矛盾しているからどうにも違和感がある。  指導者は神なのだから完璧は当たり前、また逆に完璧な指導者は全能だから必ず群れは勝つ、と思い込んでしまうのは現実とは違うんだが、人間は大抵そう思っている。また努力すれば、正しい方法を取れば何でもできると人間は思いたがる。特にその正しさは道徳というか規範のほうに向かい、より罰を厳しくし、より多くの複雑な規範を厳しく守り、より欲望を否定し生活を不快にすれば全てがよくなると思ってる。  ただし、相当昔からでも、ある程度群れと群れとの接触はあったはずだ。よい石器の材料・塩化ナトリウムが得られる場などは広い大陸の中でもごく限られた狭い場であり、それらの交易は得になる。  また、別の群れからでも少数の人がある群れを訪れた場合、代償を払わなくても食物や休むための巣の一部を与える「もてなし」も広く見られる。ただし攻撃になることもあり、それはその群れの側では決まりどおりなのだろうが、訪ねる側にとってはどちらになるかわからないのが正直なところだ。 **人類の好み  さて、まとめとして「人類という動物が何を好むか」まとめておこう。まだまだいろいろ忘れていると思うが。  人間の中での強いミームということもできるか。 ○呼吸・水・食物・適温 ○食物:塩・脂肪・ブドウ糖など単純な糖・精製した穀物(特に米飯とパン)・水で加熱した肉、火で直接加熱した脂肪の多い肉、タンパク質の味がする加熱した水、多様な植物で複雑に味付けられた食物、酒など各種嗜好品 ○地表淡水がたくさんある地域、ただし湿地ではない ○危険を冒しそれを見てもらうこと ○魔術的儀式自体、生贄、歌舞 ○ゴシップ・殺人・恐怖の情報 ゴシップ=社会的に認められた性的パートナーがいる人が、それを裏切って別の人と交接すること。それは裏切った者の道徳的価値をおとしめ、裏切られた側を笑いものにできる。ほかにも「地位が高い人が、本当は皆に侮辱されている、されるような状態にある」ことを人は好む。 ○過剰な物資と娯楽 ○放火・破壊・掠奪・虐殺・拷問 ○魔女裁判・焚書坑儒 ○大規模な自然破壊 ○巨大な獲物を得ること ○巨大な建造物を造ること ○禁止すること、道徳を強化すること、欲や知識を規制すること、単純な道徳がすべての答えであること ○単純な勧善懲悪 ○禁じられた恋愛 ○禁欲、道徳的に高い群れ ○運命が決められていて変えられないと思うこと ○変身、人に混じっている魔物とそれを打倒し宝を奪い返す勇者 ○陰謀論、少数の貴族(悪魔、その変形である宇宙人も含む)による絶対的な支配 ○人体実験をしている人里離れた研究所、食人生活をしている孤絶した人の群れなど ○より上位の存在に飼われること、上位の存在になって人を飼う側に回ること ○この世界は悪であり、ある日世界が滅びて素晴らしい世界がやってくる(黙示録) 変形として  ●ある日突然、全人類が一斉に改心して世界が天国になる  ●魔王を倒せば世界は楽園に戻る  ●失われた楽園、文明・科学技術自体に対する嫌悪 ***人間の基本的な考え方  人間はいくつかの命題を、無条件に正しいとすることで自分及び群れの物語の根拠とする。ちょうど数学で、いくつかの命題を公理系として、それを前提に数学体系を作るのと同じだ。  といっても、そんな構造で数学を作っているのも我々だけで、別の世界の知性は別のやり方をしているのかもしれない。  全てに理由があり、それは自分や他人の罪や穢れ、圧倒的な存在の愛や怒りが根本的な原因だ。  人間皆が道徳的に完全でなければならない、完全であれば栄え、完全でなければ滅ぶ。(道徳的な善悪と禍福に因果関係がある、道徳的な善悪と手段としての適正・不適正との無意識的な混同)  個体も道徳的に善であれば幸せになり、不善をなせば不幸になる。また道徳的に完全な個体でなければ災いをもたらすので群れの一員である資格はない。道徳的な完全は全能、成功につながる。  自分の群れは敵をのぞき道徳的に完全であり、皆は信頼できる(または自由に操れる愚か者ばかりだ)。  犯罪を容認すれば群れが滅びる。逆にそれを防ぐため、刑罰の恐怖で抑止し、また成員を道徳的に高めなければならない……逆にそれによって犯罪をなくせる。  さらに高い道徳的な完全さをもつ個体は強大な超能力も同時に持っており、群れの最上位者はそのような個体であるべきだ。  万物に霊があり、正しく交渉すれば支配使役できる。  どれぐらい普遍的なのかは知らないが、重要な前提に自由意志というものがある。  まず、人が何かを行い、その結果なにかが起きた、とする。「原因がなければ結果なし」という観念だ。  起きたことが群れにとって不利益だったり、宗教的な考えが整備されたら神から来る道徳に逆らうことで群れを魔術的に穢した……同じ事だが……場合、それに対して群れは何かをしなければならない。  要するに人間の内面を善と悪の、二人の小人間が脳内で争っているように考える。  そして「自由意志の持ち主」と仮定される擬人化された存在はどちらも縛られていないとする。  それで善が勝った場合はその人は「自由意志で善を選んだ」善人であり、悪が勝って悪しき行動をしたら「自由意志で悪を選んだのだから罰するべきだ」となる。どこで「だから」になるのかいまいちわからないが、人類という妙な生き物はそういうものだとしか言いようがない。  後述する西欧文明では「理性」というのが価値とされるようになるが、それは「理性的な行動=法に従う行動」という絶対的な仮定を置いての話だ。  快と不快によって人を支配する技術と、生贄によって群れを浄化し悪から群れを守る魔術のややこしい複合体が、罪と罰とか自由意志とかややこしいことになったんだろうな。 *人類の拡散、大絶滅  人類はつい五万年前までアフリカで暮らしていた。そのある時期、非常に規模の大きい噴火が別のところで起き、そのために大きく気候が変わって、人類は絶滅ぎりぎりの少人数においつめられた。そのため人類全体の遺伝子的な多様性は極度に少ない。  五万年ぐらい前のある時期、人類の一つの群れがアフリカ大陸を出てユーラシア大陸に移住した。  それからわずかな時間で、人類は地球の陸地のほとんどに移住した。人間は……いや、どんな動物でもだが、群れを分割し、拡がる性質がある。それがある意味暴走したんだ。  その頃は地球自体が非常に寒く、そのため地球の水分の中で氷河として陸上にあるものも多かったから海水面が低くて、それでユーラシア大陸北東端とアメリカ大陸北西端がつながっていたからでもある。  アフリカの熱帯で進化した人類が、水が凍り空から雨でなく雪が降るほど気温が低くなる時期の長い地域でも生き、拡がることができたのは衣類・住居・火などの技術があり、それを新しい地域の条件に応じて変更する創造性・情報伝達能力があったからに他ならない。裸では絶対無理だ。  その時期、たしかに地球全体でその大規模な噴火、氷河期から気温が上がったことなどかもあるが、本質的には人間のせいで世界各地で多くの大型動物が絶滅している。  そのことを考えると、人類が発生したアフリカで多種多様な大型動物が生き延びているのが不思議なぐらいだ。多分それは人類と長いことつきあっているアフリカの動物は人類を見たらうまく逃げるように進化しているだろうし、それにアフリカには厄介な病気がたくさんあるから人類もそう活発には動けない、ってことだろう。逆にそれまでの長い進化の時間、人間を見たことがなかった動物は人間を警戒せず接近し、あっという間に殺されつくしたんだろう。  だがアフリカから出た人類ときたら……それこそ、目についた大型動物はすべて皆殺しにしてきた。よほど逃げ足が速かったり、繁殖が短時間でできて隠れるのがうまかったりする動物以外は全滅した、としか言いようがない。  当時の人間は獲物も繁殖しなければならないとか限りがあるとか何も考えず、ひたすら大量に殺してきたらしい。まあいくつか、たとえば崖から落とされた膨大な大型動物の骨が見つかったりしただけだが。これ以上拡がりようがなくなって長い時間が経つと、さすがにまずいと思うのか過剰狩猟を嫌うタブーが宗教などに入るらしいが。いや、一人一人の思考はほとんどない。膨大な世代の中、それぞれはあまり考えずに目につく獲物を狩って食い、またタブーを守って暮らすようにもなるだけだ。  これまでの地球の歴史上の大量絶滅とは知られている限り違い、一つの大型動物種の暴走による大量絶滅だ。  また、これは研究途上だが、その時期に多くの大陸の森林がきわめて広い範囲で焼かれている痕跡がある。森林を焼き払って広い草原にすれば、大型動物は草原を好むため獲物が多く得られるし、後の農耕牧畜にも有利だ。  その人類の急速な拡大を支えたのがさまざまな技術だ。身の回りにあるあらゆるものを加工し、さらに加工してできた道具を使ってもっと優れたものをつくり、さらに多人数で力をあわせ……  そして、詳しくは後述するが食料を得る方法にも大きな革新があった。  まず、人類が地球全体に拡散するころ……五万年ほど前に、大型動物の狩猟が可能になり、それまでほとんど植物を食べていたのが動物を食べるようになった。  そして詳しい説明は次になるが、一万年ほど前にもっと大きな食料の革新があった……自分の管理下で、他の植物や動物が繁殖しやすいようにし、また繁殖を妨げるほど殺しすぎない、むしろ繁殖を助けることで本来いつ食料を得られるかわからない生活が、毎日食べ物があるのが当たり前になった。  同じ人間以外の動物に食われることがまずなくなった。  それできわめて規模の大きい群れが地球のあちこちにできた。ただし、小規模の群れで狩猟採集生活をしている人たちもたくさんいたし、大人数高密度でいろいろな建築を行う人間集団は、今の我々にもその活動の跡を掘り出すことができるが、そうでない生き方をしていた人々は今の我々には存在自体わかりにくい、ということもある。 *技術(高度な狩猟)  さてと、そういう新しい技術について解説していこうか。 **狩猟技術  狩猟とは要するに動物を殺して、その死体を手に入れることだ。  それには自分からあちこち移動して、手が届く範囲にある動物を殺せばいい。  でもただいい加減に歩くより、多くの動物は水や食物など自分が必要なものがあるところにいるし規則的な移動もするから、いるところを襲うほうがいい。  また獲物にしたい動物が好む餌を置いておくと、そこには獲物が向こうから来てくれる。こちらから捜すより楽だ。  さらにそこに罠を仕掛けておくというのもいい。  罠というのは、たとえば穴を掘っておいて、重力で動物がその中に落ちることがある。底に獲物が好む餌を入れておくとか、または穴の表面だけ木の枝で覆って、獲物の体重でふたが壊れて落ちるようにするとかいろいろある。人間は手が二本あるから穴から出るのが得意だけど、特に速く走るのが得意な動物には穴から出るのが苦手な動物もいる。そうなればその獲物はもう移動できず、いつでも殺せる。  前述の紐類を使ってもいい罠ができる。  他にも重量物を用いた四の字罠などいろいろあるが要するに、特別な対応をせずそこを通過した動物は移動できなくなる(または死ぬ)ように地形にいろいろと置いておいたシステムが罠だ。  動物に、自分が捕まえやすいように移動させる技術もある。これは自分ひとりではなく、群れの仲間との情報交換・連係、高度な地形把握、そして因果関係や心の理論、動物の生態についての理解など高度な知能が必要とされる。  それには音を使ったり、直接追ったり、植物に火を放ったりもする。それで地面の高低差が極端に急なところの高い所から低い所に追えば、自分の手で殺さなくても多くの獲物を得ることもできる。  で、目の前に動物がいるとする。サービスだ、移動して逃げることはないとする。どうやって殺す?  動物が死ぬ条件は上の人体生理を参考に考えればいい。人間と、特に大型脊椎動物にはそれほど大きな違いはない。大きい傷をつけて大量に出血させる、呼吸関係の臓器を破壊する、中枢神経を破壊するなどすれば死ぬ。  小さい動物であれば、近づいて首のあたりを強く押さえてやればそのうち呼吸できなくて死ぬだろう。首が長い脊椎動物であれば首を手で曲げて首の脊椎を折っても中枢神経が破壊されて死ぬ。昆虫や陸で暮らす貝類などは動きが遅いものも多く、手でそのまま口に運んでもいい。  でも自分と同じか、もっと大きい動物は? 自分より小さくても相手にも牙や爪があり、どんな反撃をされるかもわからないぞ?  人間が何も持たないサルのままだったら、基本的に「自分より大きい動物は殺せない」。まあ例外的な方法は二つある、群れで襲って押し倒し、呼吸できなくするか、または群れで脅かしては移動するのを続けさせ、相手が力尽きるのを待つ。多くの動物は移動などの運動を限界より長時間続けたら行動不能になり、死に至る。倒れさえすれば首の呼吸管や、胴体後端(四足動物にとって、人間にとっては胴体下端)の生殖器・消化管排出口など柔らかい部分から、口や爪のように鋭く硬い部分で攻撃することで死に至らしめることができる。  でも人間は道具を持っている。前に言った、手で持つ能力で石を持って、握ったままでもぶつければ、人間の手の骨より硬く重いそれの衝撃で大型動物でも死ぬ。拳を強化したわけだ。  木の棒は、人間の手を伸ばすような働きもする。手が届く距離を伸ばし、梃子の反対に先端がとても速く動くので、その先端が当たると大きい衝撃になる。また木の棒の先端が、太いからだんだん細くなる、円錐のような構造になっているのを長い方向にぶつければ、先端に極端な圧力が集中して簡単に皮膚を破れる。  最初は偶然そうなっている棒を選んだのだろうが、そのうち棒を歯や上述の石器で加工することも覚えただろう。  さらに木の棒の先端に、上述の石の鋭い破片を動かないように固定できれば、石の重さと硬さと鋭さが加わってもっと威力が増す。棒の、長い方向が尖っているものを槍という。長い方向に垂直な方向が尖っているものもあり、それは斧といわれる。これらはきわめて革新的な技術だ、自然界に存在していない、「二つ以上の異なる素材を固定して道具を作る」こと。道具を使う動物は多いが、異なる素材を複合した道具を作るのは人類だけだったはずだ。  木の多くは残念ながら、頑丈だが硬くはないので……硬いと頑丈がどう違うといわれても難しいな、物の素材としての強度を、厳密に科学的に数値化できるものにしようとするときわめて多くの単位が必要になる……槍や斧に直接成型するには適さない。  また人間の脳の、きわめて高度な運動制御はものを「投げる」ことができる。手に持った物を、全身を協調させ腕を振って高い速度を与え、離すことで高速で飛ばすことができる。石だけでなく、槍を標的に刺さるように投げることすら可能だ。  それは人間の手の長さに比べ非常に長い距離を飛ぶ。反撃される危険もなく、遠くの動物を殺せるわけだ。  さらにその、遠くに届く鋭いものに、様々な植物や昆虫が食われないため(こういう「〜ために」に注意、本来は「〜を持つように複製の間違いされた生物は生き延び子孫を残す確率が高かった」だけのこと)に体内にためた毒を塗ることで、軽い傷でも獲物を殺すことができるようにもなった。  補助的な猟具として投槍器・スリング・ボーラ・吹き矢などもある。さらに弓矢もあるが、それは……いつできたんだろうな。それが、人類が農耕などを始めるより早かったかどうかもわからない。小さい大陸にもあるから結構古い、後述の人類の拡散より古いかも……でも拡散後各地で独立に発明したかもしれない……わからない。  ちょっと説明するか、投槍器とスリングは要するに人の手を延長する道具だ。手に棒と槍を同時に持ち、槍の鋭くないほうをもう一本の棒の、握りから遠いほうの先にある向きにしか外れないような関節構造をつけておく。それでうまく投げると、もう一本の棒の長さだけ腕が伸びたのと同じように遠くに槍を投げることができる。スリングは、上で言っているまとめた繊維の中ほどを平たく柔らかいものにし、一方の端を手に固定し、もう一方の端を軽く握り、平たく柔らかい部分に石を入れて振りまわして軽く握った方の端を投げる。ちょうど月が地球の周りを回るように、紐が石を引っ張って回転軌道に固定される……それは手を振って出せる最大速度よりはるかに速く、そこで紐を放せば接線方向にまっしぐらだ。ボーラは繊維の両端に石をうまくつけたもので、それを投げるとスリングと同じく手で投げるよりも速く、二重星のように石が互いに周りながら飛び、曲線軌道を描く単独の石より当たる誤差が大きくてもいい。紐か石が当たれば大抵獲物は行動不能になる……石は硬く重く、速く動いているから大きな運動エネルギーを持っているし、紐に当たれば石には慣性があって等速直線運動をしたがるから紐の残りが獲物に絡まる。  吹き矢は、植物には円筒の表面だけが固い筒になるものが結構あるんだが、それに先が尖った、植物の固い部分や加工した骨などを入れて、尖っていない方から強く呼吸の吐く息を吹きこむ。人間の唇の構造は筒の周囲を密閉でき、また人間は呼吸をかなり制御できるから、強い気圧を筒の中に入れて、それで中の小さい物を加速し、飛ばすことができる。どうしても威力は弱いから、毒をつけるのが普通だ。 **弓矢  まず狩猟・戦争両方に使える、最も大きな発明が弓矢だな。これはアメリカ大陸にもあるからそれなりに古いと思われる。まあ別々に発明されたという説もあるけど。  弓矢というのはごく小さな槍を高速で飛ばす技術なんだが、それに「エネルギーを貯めて変える」という原理が使われている。  かなり変型しても壊れずに元の形に戻る、しかもその変型させるに必要な力は人間の腕で充分出せる素材で棒を作る。木がちょうどそんな素材だったのは実に幸運だ。  固体に力をかけたときの変形にもいくつか種類があり、素材の性質や温度、かけた力の大きさなどで変わる。ここで挙げているのは力をかけているときに変形し、力をなくすと元の形に戻る種類の変形だ。変形の大きさと必要な力が比例し、わずかな熱以外のエネルギーは元に戻るときにうまくやれば引き出せる。ほかにも変形したまま戻らない変形、固体自体が二つ以上に分かれてしまう破壊がある。  その棒を、まず円の周囲の一部を切りとったような形にし、その両端を強い力をかけても長さが変わったり切れたりしない細紐で結ぶ。細紐が伸びきっている状態だと棒にそれ以上曲げる力はかからないが、細紐の中央部あたりに別の力をかけると、紐に角ができてその分棒の両端の間は短くなり……数学的にはこれも面白いんだが……棒は曲げられることになる。その時に力が棒の変型のエネルギーとして蓄積され、紐にかけた力を抜くと棒はいきおいよく元に戻る。それだけなら音や熱という秩序の低いエネルギーに力や変型という秩序の高いエネルギーが変わっただけだが、ここで小さい槍の刃のないほうの端を、元に戻る紐に押させてやると、エネルギーがその小さい槍……矢の速度に変わって非常に速く飛び出す。  槍を投げるのに比べ、放つ矢がより小さくていいので棒も刃も入手しやすいし、たくさん持って行動できる。また槍投げより狙いがつけやすく、遠距離に届く。さらに矢の棒の、刃がない端に鳥の羽を切ってつけるという技術ができた。それが大気中でまっすぐ飛ばないと極端に大きくなる抵抗となり、射程も命中精度も大幅に上がった。  この武器の重要性はどれほど強調しても足りない。  ちなみに本当はどうなのかは知らないが、弓は別の道具からできたものかもしれない。何もないところから火を作るのは重要な技術だが、弓を用いる方法もあるといわれる。強く張る必要はない、棒の両端を繊維で結び、その中ほどで一度交差させて小さな輪を作る。それに棒を入れ、棒の双方を軽く、位置だけは変わらないが棒の回転は妨げないように固定して弓を輪が潰れないよう棒と垂直方向に往復運動させると、棒が高速で回転する。直線の運動を回転に変換するという、最も単純で基本的な機械の一つでもある。  その高速回転する両端と固定している部分のあいだでは摩擦が集中する。表面どうしがきわめて長い距離を擦れ合い続けているのと同じだからだ。それで棒か押さえている部分が木なら粉になり、それに火がつく。  他にも楽器としても弓は使える。何が一番最初だったのかはわからない。 **水中狩猟  水中で動く獲物を捕らえるのに使う方法を説明しておこう。  水中生物、特に魚は動きが速く、簡単には捕まらない。ただし魚は攻撃する能力が弱く、水上に引き揚げるだけで呼吸ができず死ぬから、殺すのは楽だ。  上述の槍もいい。だが槍を、特に濁った水中に投げたら簡単に失われる。槍は貴重品だから、槍に紐を結びつけておけば回収できる。  また上述の長くまとめた線維の、細く強い物の先に、魚の口より小さい鋭く尖った細い棒をつけておく……棒のままでもある程度、それに魚が好む餌や、餌に見せかけた飾りをつければもっと高い確率で、魚が餌として飲みこんでしまい、棒が魚の体内に刺さって抜けなくなることがある。そうなればその線維を引き上げればいい。さらに棒を曲げるなど工夫を凝らせばもっと確実に引き上げられる。  すばらしいのが網だ。上で説明した紡いだ繊維を使い、下で説明する布にも通じる。ある意味人間が上述の濾過食者になると言ってもいい! 紡いだ繊維どうしをつないでより長い一本にする結びという技術は、結び方によっては四つの端がひとつの結び目からできるようにもできる。事実上いくつもの端を持つようにもできる。  それをちょうど、座標平面のある程度広い一部の、どちらかが整数である部分に線を引いたような構造にすることができる。そうするとたくさんの隙間がある平面状の構造になり、それを水中に入れると動物が濾過されてひっかかり、網をうまく引き上げれば水上に出せる。  また、網は四角形の繰り返しだけでなく、三角形の繰り返しにもできる。  さらにその網を蚊より細かくしてその中で生活すれば、蚊に刺されないため生存率が桁外れに上がる。 *技術(古代)  主に植物や虫を集める生活から大型動物の狩猟、そして「別種の生物を育てる」生活になったとき、詳しくは後述するが群れの人口規模が大きく変わった。それは人間の心のありかたさえ変えてしまう。  これらの技術はある程度行くと、それまでのようにたくさんの技術を一人の人間が同時に持っている、というわけにはいかない。それがいきつくと、一人の人間には一つの技術だけしかできない、他のたとえば獲物を解体したりはできない、ということにもなる。  また、少ない人数ではこれらの技術は維持・行使できない。必然的に、狩猟採集生活ではありえない人数の、非常に大きな群れが必要になる。  技術そのものも大幅に高まる。特に後述の文字によって情報を蓄積することができたことが大きい。移動範囲・速度・使える力・最高温度・刃の切れ味・計測加工精度などが互いを高めながらどんどん高めあっていった。  まあ詳しい社会構造の変化は後で。 *家畜  人間は、動物を見れば全て殺し、食える植物は全て食い、食物が見当たらなくなったら移動する生活をしていた。だがあるとき……おそらく何万年という時間をかけて……動物を人間の手の届く範囲から逃げないように、いやむしろ人間自体をその動物の群れの最上位者として認めさせて共に暮らすことで、群れを全滅させずに生かすことを学んだ。人類と動物の〈複合群れ〉を作ったわけだ。獲物である大型草食動物の群れと共に移動し、少しずつ狩って食べながらその獲物を襲う別の肉食動物を追い払うのが前段階だろうか?  殺した生物は食べきれなければ腐るだけだが、生きている生物が移動できず手元にあれば、たとえばしばらく食料が入手できないときに「保存された食物」と同様にいつでも食べられるわけだ。また家畜の側も、人間によって別の肉食動物からは守られ、人間の知能……遠距離を見わたす視覚、地形などの知識を図・言語にして蓄積できること……に助けられて確実に餌や水にありつけるから群れ・遺伝子を中心に考えればそれほど損はしていない。  だが、そのためには動物をある程度以上移動させないこと、生存させるために上記の「人間の生存条件」と同様なものをそれぞれの動物の種に応じて確保する必要がある、ということだ。水や空気などほとんどは共通だが、食物・温度管理・湿度、そしてその動物が繁殖する条件も必要になる。  よりそれまでと違う要素としては、狩猟生活は「弱いものを殺す」のが肉食動物の鉄則だった。まず子供を殺して食う。また年老いて弱ったものを殺して食う。だが、新しい技術を覚えた人類のように大きい群れが狩猟を行うと、最後の子供まで殺してしまう。それによって上述の大絶滅が起きたようなものだ。ただし普通肉食動物はそんなことを考えはしない。単に獲物を殺しつくす能力が普通はないだけのこと、たとえば人類が家畜化した小型肉食動物の一つは世界各地で大量の生物種を絶滅させている。  だが人類は、子供を殺して食うことを抑制し、相手の群れを維持することを学んだんだ。これがどれだけ大きい叡智か、わかるだろうか。さらに家畜としてより有用な個体のみに子を産ませ、他を殺すことで人工的な進化を起こすこともする。それほど意識的ではなかったと思うが…この品種改良と呼ばれる技術は後述の作物についても同様だ。  人間にも家畜化されたようなところがある。体毛がないこと、あごなどが退化していること、従順であることなど。ただし、別に人間はどこかの宇宙人に家畜化されて作られたなどとバカなことは言わない。自分で自分を家畜化したんだ。生活が常に苦しく、十人産まれて二人生き残れば上等という生活がずっと続いていたら、群れに反抗しない子供、衣服に順応した子供のほうが生き延びやすいのは当然だからな。  それは、人類と家畜がともに互いを進化させていったと思わせるものがある。ただし互いを進化させるのは普通の肉食動物とその獲物でもあるけど。  家畜化のためにはその動物は群れを作る性質があり、自然ではありえない高い密度など不自然な状態でも繁殖できるような特殊な強さがなければならない。広い範囲のものを食べられる、人間の役に立つ、品種改良のためには生まれてから子供を産むまでの期間が短いこと、人間に対して攻撃的でないことなども重要だ。少なくとも昔は、人類の指示に従って自力でかなりの速度で決まった方向に移動できることも条件だったようだ。それらの条件を満たす大型動物はわずかしかいない……これはダイアモンド『銃・病原菌・鉄』の受け売りだ。  だが個人的には、体温を保つ必要がないからより少ない食料ですむリクガメなど草食性爬虫類、大型の木の葉を食べる動物、また幼虫が木の葉や木を食べて容易にとても大きくなり栄養豊富で食べやすく毒がない昆虫や陸上で暮らす貝、広範囲の汚物を良質の栄養に変える蝿の幼虫などがもっと家畜化されなかったことが不思議でならない。人間が命令しただけでその方向に、人間と変わらない速度で移動する知能がないからか? 運搬するのではなく自力でともに移動してくれるものでなければならなかった? 理由はわからない。  特にリクガメには多くの候補があったはずなんだが、昔の人類が全部絶滅させたんだろうな……というか今の、そういう見方ができる人類が、人類がアフリカから出て世界中に広がる直前の地球に行き、その動植物をきちんと調べたら家畜・作物とも今の何十倍もの種類があったはずだ。  また最も知能の高い動物の一つである全身が黒い鳥を、その知能を活かした使い方をしていないのも不思議だ。  家畜を維持するには、まず家畜の攻撃から自分の身を守ること、人間の支配から離れて移動したがる……逃げることを防止すること、家畜自体を別の肉食動物・吸血生物・伝染病・もちろん別の人間の群れなどから守ること、確実に繁殖させること、もちろん水や空気、動物ごとに異なる食料、生きていくのに必要な温度など、上記の人間の生存条件と同じような条件・資材を与え続けることが必要だ。  動物は自然状態では糞尿で地面が汚れれば移動してしまうが、家畜は勝手に移動させるわけにはいかないから人間が掃除をしてやらなければならない、といえばその厄介さが分かるだろうか。  また家畜に限らず、動植物は人間にとってはただ利用するだけの資源ではなかった。上記のようにさまざまな魔術的な意味を持ち、占いに用い、資源に余裕のある都市生活になると賭博や動物との闘争に発展し、美的に鑑賞するなどさまざまな社会的な機能も持つようになった。贅沢を見せつける消費のためには、色や形の改良が重視されとんでもなく派手な色をした品種も多くある。  それに付随し、多くの食用家畜について民族ごとにさまざまな食物タブーがある。  また家畜という形で別の種の動物と常に接触する生活は、当然ながらさまざまな伝染病のリスクを高める。元々人間にも動物にも感染する微生物や寄生虫も多いし、遺伝子に複製の間違いが多く進化の早い微生物は家畜から人間に感染してさらに進化して人間から人間に感染するようにもなった。天然痘は牛から、インフルエンザは鳥からの感染症といわれる。 **利用法  家畜の利用法としては大きく分けて殺してからの利用と生きているときの利用がある。  殺してからの利用は上記の通り、皮および毛皮・肉・脂肪組織・骨などの資源を活用する。  生きているときには人間の周囲で様々なものを狩らせたり、その筋力を人間が移動したり、ものを運搬したり、ものを加工したりするのに必要な力源として活用したりする。  特に興味深いのが家畜を生かしたまま食料をとり続ける技術だ。血液・哺乳動物が子供を育てるために分泌する乳汁・鶏などが産み続ける卵などは殺さなくてもかなりの期間とり続けることができる。動物を殺すといくら血一滴無駄にしないように工夫しても、特に金属の利用法が確立されて骨器の価値が低下し、長距離輸送が多くなって腐敗の早い内臓を捨てるようになってからは多くの無駄が出る。それに対して殺さないで得られる食料は家畜に与える水や食料の割に多く、しかも味が良く消化しやすい。  血液も大きな潜在力があり、地域によって使うところもあるが、それほど重要な食物とはされていない。  最も多いのが乳汁だ。乳汁は小さい子供を育てるために雌の体から分泌される体液だ。ほとんどは水だが多くの脂肪・タンパク質・糖類・人間が体内合成できない必要な化合物や必須元素化合物を含み、それとごくわずかな生の植物か動物の内臓を食べれば必要な養分全てが得られるほどだ。  それ自体は微生物にとってもいい栄養源だから短時間で人間には食べられなくなるが、水分を除いて保存食にする方法も多くある。  長時間動かすと、きわめて細かい粒になっている脂肪が集まって水と分離する。また動物の内臓から得られる特定の触媒タンパク質を与えることでタンパク質が分離し固まる。微生物を用いて発酵させることでも固まることがある。その固まった物は塩・発酵を加えてかなりいい保存食となる。  また乳を別の微生物で発酵させ、栄養豊富な酒にすることもできる。  この乳を手に入れたことは、人類の人口をどれだけ増やしたかわからない。  ここで面白いのが、人類の多くは乳を生で飲むのに向いていないことだ。乳の中のある糖が消化できず、消化器が不調になる。人類が進化していた段階では乳を食べることはなかったし、子供が母乳を飲んでいるときは当然乳を消化できたが、ある程度大きくなったら普通の食物は消化できるが乳が消化できない、となって母親を解放し、母親が別の子供を妊娠出産できるようにしたわけだ。その遺伝子を追跡するのもとても面白い研究になる。  ちなみに草食家畜の糞も重要な資源だ。乾燥させれば良質の燃料になり、また土と混ぜて建材に強度を与え、火に加えて煙にすれば蚊などを近寄せない薬となり、農耕が始まってからは貴重な肥料ともなる。  一つ一つ主要な家畜を紹介していこう。 **犬  犬は最も古い家畜だ。犬自体は知能が高く群れをなす肉食の四足哺乳動物で、大きさは多様で最大で人間と同じぐらいの体重にもなる。音と匂いにきわめて鋭く、腐った肉、人間の糞さえかなり食べられる。ある程度植物も食べられる……人間の食料の大半を共有できる。分厚い毛皮があって寒いところで生きられる。人間のような言葉とは違うが、かなり表現力のある多様な声を出せる。  利用価値としては肉や毛皮もある程度あるが、生きている犬は人間の命令に忠実に従い、ある程度人の言葉さえ聞きわけてかなり複雑な命令をこなす。音と匂いをよく分析し自らも優れた狩猟者で、人間が狩りをするときに非常にいい助けになる。ある意味人間も犬も大きい利益を得る共生関係と言ったっていいんだ、人間は目と道具という長い手、犬は匂いと音の精密な分析で協力できる。たとえば動物がほとんど足跡も残さず移動したとしても、どんなに遠くでもその一匹を群れからかぎ分けて追いつづけることができるし、闇夜に別の群れの人間に襲われそうになっても、投げ槍の射程にも入らないうちにその足音を聞きつけて声を上げて警戒・反撃を訴え、襲いかかって敵である人間を鋭い歯でかみ殺す。  また別の家畜を大量に管理する能力がある……本来は群れをなす草食動物を追い回し、はぐれたものを殺して食うための能力だろう。逆に訓練次第で、何百何千という草食動物が草原を移動するのを、一匹も群れから外れないよう動かし、また別の肉食動物に襲われないように警戒することができる。  さらに小型の犬は鼠などの小動物を自分で狩ることもでき、それは備蓄食糧を失わず伝染病を防ぐことができる。  ただし犬の野生種は多くの家畜や、地域によるが人間さえ襲い、人間は他のどんな野生動物よりも恐れ皆殺しにしようとする。 **牛  特に現代世界で最大最強の文明で最も重視される。  人間よりかなり大型の草食四足大型哺乳動物。植物を食べ、体内の複雑な消化器官に膨大な微生物を飼い、それに植物細胞の頑丈な分子を分解させて食べるという高い能力を持つ。小さい角をもち、育て方によってはかなり高い攻撃性もある。  用途がとても広い。肉・皮・角・乳・糞(・用いる文化圏は少ないが血液)など広く利用可能で、従順で非常に力が強く、首のつけねの構造上何かを前から引いて力を出させることにも適し、動力として荷物を運搬したり土を耕す道具を引かせたり単純な動力を出したりするのにも使える。  特に乳は質量共にとてもよく、多様な乳製品が多くの人口を支えている。  牛には独自の伝染病も多数あり、天然痘は牛から人間に変異して伝わったとも言われる。  インドでは非常に神聖視され、肉が食用にされない。また攻撃的な面もあるため、牛どうしや人と牛、犬と牛などで戦わせて楽しむこともある。  ヤク、スイギュウなどが似た家畜だ。 **豚  人間とほぼ同じ大きさの胴体をもつ哺乳動物。太く強靱な円筒形の体躯に短い四足、最大の特徴は体の一番前にある鼻で、嗅覚も優れているが前面が固くなり、地面を掘ることができる。穀物や木や草の根、後述するオーク類の堅い木の実、土の中にいる虫や人糞まで、食物の範囲も植物寄りだが広い。  本来知能は高いが、主に肉を食べ、多量に蓄積される皮下脂肪を煮て油をとる。汚物食いを利用して後述する都市部で飼うのにも適している。  現在の地球でも野生種がきわめて多く生きており、農作物を荒らしたり狩られたりすることも特筆すべきだろう。  歴史的に、オークの森や都市に順応し、清潔のために泥水を必要とする豚は、他の大型草食動物とはやや異質な存在だ。これまでの人類の歴史学の主流は、草原に順応した草食動物と長い葉をもつ草の実だが、オークと豚を中心として生きた人々も想像以上に多かったのではないか……  また、現在の地球で圧倒的な影響力を持つ複数の宗教でタブーとされる。 **羊、山羊  比較的小型の草食四足哺乳動物で、どちらも牛より苛酷な環境で増えることができるので牛以上に数が多い家畜だ。牛同様に高度な植物消化能力を持っている。  羊は草、山羊は木の芽や根も食べられる。山羊は地形がきわめて悪くても問題なく移動できる。どちらも苛酷な環境からでも食べられる植物を見つけることができる反面、本来植物が多くは育たない乾燥した土地で過剰に増やしたら根まで食べ尽くしてしまい、半永久的に植物が生えない砂漠にしてしまう。  肉・皮・角・乳・糞が牛に劣らず利用でき、また常に多くの毛が伸びるので寒冷地でも生きられ、毛を用いた衣類もいろいろとできる。 **馬  人類の歴史そのものを大きく変えた大型草食四足哺乳動物。  きわめて移動速度が速く、人間が全力で走る速さの倍は軽い。瞬間的な最大速度はある種の肉食動物の方が速いが、馬は長時間持続して走れる。毛皮があって寒冷地でも耐えられるのに汗をうまくかいて体温を逃がすこともできる。力も強いが、体の構造上車や地面を耕す道具など動力として使うには工夫がいる。  人間がその背に、両脚を横に開いて乗ることができる。人間の股関節の動く範囲の広さと馬の背の形が、まるであつらえたようにぴったり合っているんだ。さらに道具を追加することでより乗りやすくなる。その歯並びに、人間が乗るために作られたと思われるような隙間がある。そこに棒を通して咬ませ、それに紐を付けてその紐を動かせば、痛みで簡単に方向を指示できる。  忠実で知能も高く、訓練次第で人間の複雑な命令にきわめて忠実に従う。  それによって人類の移動速度そのものが大幅に増し、文明のあり方自体が変わった。万一アメリカ大陸だけでなく、ユーラシアの人類も馬を絶滅させていたら、人類の歴史はどんなだっただろう。  もちろん移動だけでなく肉・皮・乳・糞も利用可能だが、移動用として貴重すぎるためか多くの文化で食用はタブーとされる。 **ラクダ  雨が少ない乾燥地域に極端に順応した大型草食四足哺乳動物。極端な乾燥と風に舞って襲う細かな砂に耐える目や鼻があり、高濃度の塩水を飲んで生きられ、またまったく水を飲まなくても長時間生存・活動でき、砂漠の極端な寒暖差にも耐え、硬かったり表面が刃のようになっていたり塩分が多かったりする植物も食べられる。  砂漠は人類にとって、海同様複雑な面をもつ環境だ。本質的にそこでは水や食料がほとんど得られず生きられないが、地下水さえ掘り当てれば農業生産力がとても大きく伝染病も少ないため最も生きやすい。海同様複数の、人類が多く住む地域をへだてる障壁になり、だからこそその障壁を越えることができれば膨大な富を得ることができる。土地は広く無料であり、自由に移動できる。  砂漠で重い荷を運んで移動するには、何よりも砂漠に順応し力の強いラクダが適している。馬同様乗ることもある程度でき、もちろん肉・皮・乳・毛もとても良質だ。  他に哺乳類の家畜では、小さい馬のようなロバやアメリカ大陸のリャマなどがある。  他小型の家畜は多数あるが、その多くは食料などとしての利用価値が低いけれど愛情だけで飼い続けている、文化が発達してからの余剰消費であるペットだ。現在は犬もペットとしての面が非常に大きくなっている。  その中で特に重要なのは猫。群れを作らない小型肉食哺乳類で、樹上から地上まで非常に広い範囲で狩猟をこなす。人間にとってはネズミを食べてくれるため、特に穀物を大量に保存するために飼う。  また比較的最近、新しい目的の家畜として毛皮用に小型の肉食動物が、医学実験用にネズミ・ウサギ・サルの類が多く用いられている。 **ニワトリ  これまでずっと四足哺乳動物ばかりだったが、ニワトリはやや例外的に鳥類だ。  中型で飛ぶ力が弱く、穀物・昆虫・野菜の人には不味い固い部分などかなり広い食物を食う。  鳥類の家畜からは肉・羽毛・卵が得られる。肉も実は穀物一単位あたりの肉産出量が大型哺乳動物の家畜に比べて多い。何より常に産み続ける卵は殺さず得られるし多くの栄養を豊富に含み、殻があるためある程度運搬さえ可能な素晴らしい食物で、穀物一単位あたりの効率も非常に高い。  また一個体の雄に多数の雌という群れを作る習性上雄どうしが激しく争うことを利用し、鶏どうしを戦わせる賭博が現在の世界で広く行われている。  他に鳥類の家畜には淡水面で暮らすアヒル・ニワトリに似て大型の七面鳥・超大型の飛べない鳥ダチョウのようにニワトリ同様主に食べるもの、インコ・カナリヤ・文鳥などのように娯楽・装飾の面が大きいもの、ハトなどがある。  特にハトは肉や卵も得られるし装飾性も高いが、どこに連れていってから放しても空を高速で飛び天文観測などで元の巣に返るという能力があるため、電気が発達するまでは最速の情報伝達手段の一つだった。 **ミツバチ  上述のように生態系の中で、多様な植物の受粉を助ける重要な社会性昆虫だ。  ミツバチは巣に、花が受粉を助ける報酬のように出す糖分に富んだ汁や花粉を集め、体内で少し化学的に変化させ、水分を飛ばして大量に貯蔵する。  それは強い甘みがあり、人間の味覚にはとてもうまいし、ほとんど消化にエネルギーを使わず体力になる最上の食物だ。後述の酒としても価値があるし、調味料としても薬としても有益だ。昆虫の体も成虫・幼虫・卵問わず栄養価が高い良質な食物だし、巣自体もミツバチの体内で作られた、普段はかなり固く水にも溶けないが、体温よりかなり高く加熱すると溶けて液状になったりそれより低い温度でも柔らかくなって自在に成型できるなど非常に貴重な素材でできている。後に金属加工・照明について詳説する。また薬・化粧品としても多用な用途がある。  そのミツバチが生活するには地面や木の穴があればいいが、それを人間が木材を使って作ることで、ある意味家畜化した。  普通の家畜化と違うのは、ミツバチの形態などに家畜らしい変異があまり見られず、大型脊椎動物と違って人間が言葉で命令することはできないままであることだ。毒針すら失われていないほど形態変化は少ない。  さらに一部のアリ・シロアリ・肉食ハチ・ハエ・クモなどを家畜化しなかったことは今虚心に見れば不思議でならないことだ。どれもきわめて大きな食料生産力があり、ハチやハエやクモは種類によっては農業害虫や、家畜や作物の屋や大型の微生物による伝染病・人間の伝染病や蚊やノミなどさえ食い尽くすことができていたはずだ。ハエは適切な温度で人間の生活から確実に隔離さえできればあらゆる汚物を短時間で処理でき、飛ばないハエを作りだすことさえできていたらその利用価値は大きかったはずだ。  そうそう、ハエに傷口の微生物を食わせると死ぬ率が下がる。これも昔の医療としては重要だった。また、人の血を吸う特殊な小さい動物を治療に使うこともあったな。科学的に効くのかどうか知らないが。 **カイコ  ユーラシア東方原産、幼虫は特定の木の葉を食べ、大きくなったら糸を吐いてその中で自分の身を守りながら体の構成を変えて飛べるようになり、飛んで交接して卵を産む、というかなり多くの種類がある昆虫の一つだ。  主に利用されるのは、その幼虫から変態するために吐く多量の糸。きわめて強靱で繊細、皮膚にも心地いいし染色も自在、質感も工夫次第で変えられるし……と人類にとって最も人気のある繊維だ。  昆虫としては例外的にほぼ完全に家畜化されており、野生では生存不可能。糸を取った後の虫自体も食料になる。 **カイガラムシ  あまり動かず植物の体内の液を吸う昆虫。さまざまな物質を出して体を覆う。植物の液は炭素と水素の化合物が、虫が体を作るのに必要な窒素化合物より圧倒的に多いため、炭素と水素のつながりかたを変えてして体外に出し、それで自分を守る殻にすることさえある。  農作物の害になることが多い反面、上記のミツバチの巣同様に加熱すると液状になる物質・色・薬などがとれるものも多い。  そんな意外と有用な生物はカイガラムシだけでなくほかにもとても多い。 **奴隷  人類にとって人類自体が最大の敵であり、そして家畜でもある。  別の群れの同じ人間をとらえ、家畜として飼い売買することが、ある程度以上文明化された人類にはつきものだった。現在も完全にそれが消えたとは言えない。家畜とどちらが早かったかもわからない。  ただし人類は家畜と飼主に分化されてはいない、幸か不幸か。上述のように、人類が今の形になる間に大規模な火山の噴火があり、人類の数が極度に減ったことがあるらしく、人類の遺伝的な多様性はとても小さい。また繁殖までの時間がかかりすぎることもある。  用途としては作業などにも用いられるし、後述の売春専用も多い。最上の教育を受け巨大な群れの最上位者の子供の教師となった奴隷すらいる。苛酷な労働の多くを奴隷に押しつける文明が実に多い。  ある程度以上の文明で人間を食肉・皮革として用いることは少ないが、昔はわからない。  人間で、地位が高い病人の病んだ臓器を切りとって替わりに健康な奴隷の臓器をつなげることが昔の技術で簡単にできなかったことや、科学実験が容認されたのが遅く、後述するように人間の体を神の似姿として神聖視する宗教が強い文明を母胎とし、人権概念が発達したために人体実験がほとんど容認されなかったことは医学の進歩にとっては不運だった。人権的なものの見方をするとそれで良かったんだろうがね。  他にもかなり昔から限られた種類の陸上で育つ貝が養殖されており、一部の甲羅のある爬虫類、各種の魚などの養殖にも成功している。  淡水魚の養殖というのは家畜という概念をかなりややこしくする存在だ。といっても、物事を一つの定義に当てはめるのは人間の悪い癖でしかない。そのまま見ればいい……池の類を維持することは、蚊が増えて疫病になるリスクが増す反面、ほぼ放置していても常に多量の淡水魚・鳥を得ることができるし、農業用水としてもきわめて有用だ。有用な植物も多量に手に入る。ちなみに充分に魚や鳥がいる池であれば、蚊はほとんどが食い尽くされてそれほど害はない。  ある程度、池から農地に水を入れるタイミングを調整したり、池や水路の地形を調整することで淡水魚の繁殖を助けることもあっただろう。またその池を、人畜の糞尿その他汚物を捨てる場に用いることも、それによって窒素など肥料分を増やして光合成量を増やし、結果的に淡水魚に餌を与えるに等しいこともある。  さらに後述の稲のように、池で育てる作物の場合には魚や鳥を排除しないことで害虫や雑草を防ぐことさえできてしまうんだから、もう家畜と野生を区別するのもばかばかしい。  まあ家畜と野生の区別を言えば、人間の巣に勝手に住み着いて別の昆虫や微生物を食べる昆虫や小さい動物なんて人間にとってはありがたいぐらいの存在だ。ただし人間はそれも嫌って殺すことが多いけどな、バカなことに。  ユーラシア東方では、贅沢を見せつける消費として非常に色の派手な淡水魚の品種が作り出されている。  家畜に関連する道具をいくつか紹介しようか。  まず家畜が逃げないように移動範囲を限定し、また別の肉食獣や人間に家畜を食われないように守るのに人間自身の巣の技術を応用できる。また犬が自分の縄張りに侵入する動物を声で警告・攻撃する習性も同様に使える。  また、ある程度以上広い範囲を守るとしたら、人間の住居の技術ではコストがかかりすぎるため、単純に木の棒を地面に垂直に刺し、その間を縄や棒、薄く一辺だけが長く切った木材などで囲う技術もできた。これは本質的に、農地より早く後述する私有の概念の始まりだったんじゃないかな。  これは牛・馬・ラクダなど大型の草食動物に限定されるが、人間がなにかを運搬するのには肩に乗せて位置関係を固定したまま運ぶ、また板や車を引っ張るというものがあるが、その両方を家畜にやらせることもできる。  乗せるなら布・皮の袋が便利だ。四足哺乳動物の背は歪んだ大きな円筒の上半分のようになり、形に合わせて変型する袋を乗せればいい。大量の布や革も直接乗せられる。  また、背中に合わせて革や木で作ったものを縛りつけ、その上に乗ったりものを乗せたりするのも便利だ。  家畜に命令するため、馬は歯並びの隙間に棒を咬ませ、また口周辺を紐で縛ったり、鼻の(人類とも共通する)二つの穴を隔てる壁に穴を開けて円の周辺の形をした金属器を通したりする。  さらに家畜の体にうまく紐や幅の広い革を結び、車や後述する土を耕す道具、その他純粋な動力などを「紐を引っ張る力」として出させることもできる。  家畜や奴隷に命令するため、死んだり行動不能にならないように痛みと恐怖だけを与える武器、鞭が発達している。革などの密度が高い紐で、先端を少し重く鋭利な金属片を植えたりするが、ボーラのように先端の重さが圧倒的に重くはせず、紐自体の重さで動くようにすると先端に力がうまく伝わって瞬間的に音速を越えることもある。皮膚だけを強く広範囲に傷つけて強い痛みを与え、内臓や骨への打撃は最低限ですむ。  他にも、これはかなり後の時代の技術だが、馬は蹄が弱く地形が悪いと行動できないが、馬の蹄に合わせて金属器を固定する技術もある。また、不思議なことにかなり登場は遅いが、馬に人が乗るための座る道具から両側に紐を垂らし、その先端に乗る人の足を固定するものをつけるとものすごく安定し、様々な武器を使いやすくなる。  家畜の生殖を制御する技術として、家畜の雄の生殖細胞を作る器官を切除する技術がある。人間もそうだが、体の外に薄皮一枚だけで露出しているから、技術さえあれば切り取っても大抵死なない。その器官は人間もそうだが、攻撃性を高める物質を出しているから、それを切り取れば攻撃性も低下して扱いやすくなる。  群れを作る動物には一頭の雄と多数の雌という構造で群れを作るのも多く多数の雄がいると群れが分裂する恐れもあるので、ちゃんと家畜を管理するには必須の技術だ。  家畜の子供への授乳を調整するのもある意味生殖への介入だ。  去勢は人間に対しても行われるが、家畜に対してほど社会の隅々まで当たり前に行われるわけではなく、後述の大文明の非常に有力な人間が、一頭の雄と多数の雌という構造を作る時に、その多数の雌を去勢雄に管理させるために使う程度だ。  どの小さい村でも一人か二人を除いてすべての雄が去勢されるシステムだったらどうなってたんだろうな。 *主要作物  家畜同様、繁殖を人間が管理する植物が作物だ。本来は作物と家畜をまとめる一つの言葉があった方がいいだろうし、ここでは何の意味もなく家畜を先にしているが、どちらが早かったかも知らない。  本来は多くの動物が、意図はしていないが食べる植物の繁殖に関わっている。動物が植物の実を食べて栄養を摂り、そして消化されず生きたままだった種が糞と共に別の場所に排出されれば、「別の場所に繁殖する」ことで自分の遺伝子を残す率を高めることができる。自力では移動できないはずの植物が移動することができるわけだ。  人類はそれの、別のやりかたに気づいたのだろう。まず種を地に埋めれば芽が出て植物になること。ある植物が実をつけ種ができれば、その種から親と同じような植物が生えること……本質的に動物の親子関係と同様であること。  さらに乾燥地では、水を人工的に与えることで本来ならそこでは育たない植物が育つこと。他にも寒冷地でも、別の植物の枯れた部分で覆う、寒すぎる時期は室内で温めるなどして本来人間の助けがなければ育たない植物を育てることができた。  そしていくつも植物がある中から、特にいい植物の種を集めてまたその種を埋めることで、植物をよりよくしていくことができること。栄養を貯める部分がより大きく毒が少なく(=味が良く)、移動した先の気候や土壌でも育つ、麦の場合は種ができたらすぐ落ちるし種ができる時期もバラバラだが、種が落ちずたくさんつき同じ時期に実ること……そうしないと、人間がまとめて収穫するには不便だ。 **手入れ  さらにただ種を埋めたりまいたりして収穫するだけでなく、水・肥料をやって雑草や害虫を駆除することで、きわめて多い収量を得ることができることも後に分かってきた。  肥料は上述の、植物が必要とする元素の中で水や空気から簡単に得られない、窒素・カリウム・燐・硫黄などの化合物だ。本来は農地の近くで生活し、糞尿の全てを農地に戻せばそんなに減ることはないが、収穫されたものを遠距離に運ぶことも多いのでそうなるとは限らない。  肥料として適するものは人畜の糞尿・野生の植物や海藻・乾燥させた動物(魚など)・化石化した空を飛ぶ動物の糞、そして後に人類が科学研究の結果開発し、化石燃料内燃機関の力を用いて作った人工的な窒素化合物や、はるか昔に干上がった海から得られるカリウム化合物、リン化合物などの鉱物資源だ。  農作物は植物であり、もちろん大小問わず多くの動物は植物を食べたがるし、多くの微生物が農作物の中から食い荒らそうとする。生きているうちも、切りとって保存できるように乾燥させるなどしてからもだ。  そして人類は、考えてみれば愚かなことだが同じ種類、それどころか同じ遺伝子をもつ作物だけである面積の農地を独占させることが多い。そうなれば、それをちょうど好む害虫や病気が大発生するのは当然のことだ。  それに農地は、水も肥料分も豊富な土だ。だとしたら他の植物も伸びたがる。農作物は人間にとって多くの食料が得られることが重視され、早く伸びる・他の植物の生長を妨害する物質を出すなど他の植物と競争する力は比較的弱い。  害虫・病気・目的とされる作物以外の植物を取り除いていくのは昔は人間の手によるしかなかった。薬をやったり地面を焼いたりするのも有用だが、どれも治水・収穫なども含めて膨大な労働力を必要とする。  そうやって広い範囲を木のない平坦な土地にし、大量の水を用いて主に多くの種を作る草を少ない種類栽培する生活だと、土地当たりの食料生産がきわめて多い。しかしその遺伝子の多様性が少ないので、その植物を食い荒らす虫や土壌生物や微生物が大量繁殖して全滅することも多いし、水不足で全滅することもよくある。そうなると食べるものが全くなくなり、多くの人が飢え死にすることになる……すべての卵を一つの籠に入れていれば、転んだら全部割れて台なしになるようなものだ。  あと少ない種類の植物とわずかな家畜しか食べない生活では、狩猟採集で多種多様な食べものを食べる生活より、人間が必要とする様々な微量のもの……タンパク質の最小単位・化合物・金属元素などが不足しやすい。  昔の人間は知らなかったんだから仕方ないが、単純にたくさん収穫できるかよりも空中窒素固定能力があり、タンパク質や脂肪の人体が必要とする最小単位全部を含む、できれば安定した木になる植物を何とか見つけ出してそれを主力にして欲しかった。 **道具  農業は家畜を育てる以上に、多くの道具を必要とする。家畜は自分で移動して水や食物をとることができる、つまり自分で広い面積の光合成産物を集めることができる。この「(秩序ある)エネルギーの密度」というのが、人間を理解するにはかなり肝心なことなんだ。日光が秩序あるエネルギーであり、また水も太陽という秩序あるエネルギーの力で本来ならより秩序の低い海にあるはずだったのが大地にある。だがどちらも、はっきり言って面積当たりの密度が低い。その分少し秩序が低いとも言える。逆にたとえば大量の水が高い場に集まれば極めて高い秩序となる。要するに後述するダムで、それを使いこなせればさまざまなものすごいことができる。  たとえば家畜の脂肪も、かなり大量の太陽光と水という秩序を、その相当部分を体温や呼吸で秩序を低めてしまうかわりに濃縮したエネルギー・秩序の塊に他ならない。  この、水……特に農業で用いられる淡水・肥料・日光と土地の面積で考えた密度、それをエネルギーの秩序とその密度を基準に考えることが、人類文明を考える中で本質的な考え方なんだ。  さて、その密度の低い地面での植物生産を少しでも濃縮するために、人間は多くの道具を用いる。  単純に「生えている草の種を集める」だけでも、種が集まっている部分を茎から切断する、茎から種を切り離す、それを集めてこぼれ落ちないよう収納しつつ運搬する、種を覆っている固い部分を分離する、そして貯蔵したり調理したりする……そういう草の場合一番いいのは乾燥させてから強い圧力+摩擦をかけて粉末にする……とそれだけの道具と技術が必要とされる。  さらに継続的に大量の収穫を得るために、人間は地面の土を一度破壊し、水を管理することをする。  土が非常に複雑な、植物の根から虫から微生物から多数の生物の塊だと思い出して欲しい。そうなると、たとえばそれまでの作物を食い荒らす微生物から小さい虫までたくさん土の中でぬくぬくとしていたのが、空気にさらされて多くが死ぬ。また、様々な草の根が切られて死ぬことで、何の植物もない状態に新しい種がまかれ、種をまいた作物だけが育つ状態を作ることができる。また水が土に入って中で蒸発せず留まるようにもなる。土の微生物にとっても、一度壊された土の方が住む場所が多いこともある。  水は少なくても植物は生長しないが、逆に多すぎても土から空気が抜けて土壌生物屋根が酸素を得られず、植物も死ぬ。それを防ぐために、適度に水が抜けるようにする必要もある。そのためにも土を一度破壊するのは有効だ。もっと高度には、木の葉や砂を入れて土の質を変えることすらある。それを広い面積でやるんだ、どれほどの量になるかは言うまでもない。  それらためには、乾燥して非常に固くなることがある土を壊し、移動させる非常に強い力と道具が必要になる。  一番古くは、ただの木の棒だったろう。それでも軟らかい土なら掘り返すことができる。  それに、後述する金属の刃をつけ、さらに人間では動かないほどの重さにして家畜に引かせるなどしてどんどん「掘る力」を増している。現在の人類が享受している莫大な食料生産も、結局は金属や動力が進歩して「掘る力」が史上かつてないほど強くなったからとも言える。  道具については後により詳しくやる。 **限度  残念ながら、僅かな例外を除いて農業は持続可能ではない。千年間同じ地域で充分な収穫を得続けることができたのは、アフリカ北東部の砂漠を縦断する大河に洗われる地域とユーラシア東端周辺の島だけ。ユーラシア東端の大河流域南部やユーラシア南部の大半島はかなり不安定ではあるが、何とか多数の人が生きつづけていられる。他は千年以内に土地が衰えて二度と植物の生えない砂漠と化すか、人間がほとんど住まない熱帯雨林と化すか、乏しい農業生産で最盛期よりずっと少ない人がやっと生きているだけだ。長期間収穫が得られる地域の共通点は、非常に大きな河川が常に洪水を起こす、雨が極端に豊富、後述する水田で稲を育てる農法が多いことなどだ。  上述の肥料をやるのを忘れてひたすら収穫を持ちだせば、もちろん土地は必須元素を失って植物が生長できなくなる。  遺伝子が変わらない、同じ種類の作物を同じ土地で育ち続け、その収穫を全部持ちだすことを繰り返すと、特定の特に必要とされる元素が土から失われたり、その作物を特に好む害虫が繁殖したりして収量が落ちる。できれば三年ぐらいかけて、一年目と二年目に別の作物、三年目は作物は作らず雑草を茂らせて家畜に食わせる程度にし、また次の年は雑草の根も含めて地面に混ぜて、を繰り返すほうがいい。特に上述の、根に特殊な微生物を棲ませて大気中の窒素を生物体に使える化合物にできるタイプの植物を混ぜて育てることも有効だ。  本当は多数の作物を混ぜて育てるのが一番いいんだが……。  人類は農耕を大規模にやる際、多くは農業地域の森林を全て切り倒す。燃料や建材として必要とすることもあるし、木が混じっていると大きい道具を用いた農耕がやりにくいからもあろう。所有を明らかにするためや、単なる精神・言葉が暴走した迷信の影響もあろう。森では動物の群れがばらばらになるため、牧畜に向いていないこともあろう。だが森を失い、季節によってまったく表面に植物がない状態になると、地面の土は水・風などで容易に移動し、最終的には海に失われる。農業地帯では地域全体の半分ぐらいは森や低い木にしておくべきだが、人間は大規模にはそれを意識的にやることがほとんどない。あるとすれば伝染病などによる人口の不足、木を切り倒すための道具が足りない、とそれだけのことだ。  農業に使われていない木や草がないと、植物の花粉を運ぶ昆虫がいなくて種をつけることができなくなることもありえる。  さらに最も恐ろしいのが塩害の類だ。乾燥地に遠くから水を得て、大規模に潅漑するときに起きる恐ろしい現象。乾燥地では、普通に雨が降り地面に水が流れる地域と違い、どんどん水が蒸発する。するとナトリウムやカルシウムなど、水に溶けている金属元素がそのまま残ってしまう……水はすぐ気体になって大気に混じって消えるが、金属元素は簡単にはそうならない。また潅漑の水量が多すぎたり耕し方が悪かったりすると、普通なら地中深く流れていて地面とは関係を持たない地下水と地面がつながってしまうことがある。そうなると地下から金属元素を含む水がどんどん上昇しては地面で蒸発し、金属元素を残す。そうなると、それと土の成分が結びついた化合物が土の中で濃度を増し、塩化ナトリウムなどの濃度が極度に高くなって普通の陸上植物がそこでは育たないようになる。乾燥地で潅漑をするなら水を多くやりすぎない、少なくとも何年かに一度ものすごく大量の水を流して必ず流れる先が海までつながるようにして地面にたまった塩を抜く、穴や溝を掘って地下水の高さを調節するなど、非常に緻密な管理が必要だが、人類全体がそれを長期間うまくやれたためしははっきり言ってない。塩害についての知識がちゃんとある現在でさえも、農地の半分は塩害で失われようとしているぐらいだ……人類の欲望と繁殖は常に人類の知恵より強い。  そういうバカをやって農業でとれる作物が少なくなってもう森林もない、その状態で農業がダメだからと家畜を高密度に放牧すれば、あっという間に残った植物も食い尽くされ、地面は踏み固められて砂漠になってしまう。そうなったらもう……人類が今消え失せても、元の森に戻るのは何千年後なんだろうな。ずっとこのままかもしれない……ワイズマン『人類が消えた世界』にはそのあたりは書いてあったっけ? **小麦  人類の最も重要な作物だ。これはその、イネ科という植物グループ共通の特徴だが、茎があまり見られず、地面から直接長い葉を高く伸ばす。花があまり目立たない、ということは昆虫ではなく主に風で花粉を飛ばす。栄養の多くを種に集中し、鋭いとげで種を保護する。種には豊富なデンプンが含まれ、乾燥させれば絶好の保存食となる。またその鉱物を含んで硬く再生が早い葉は、牛・馬・羊・山羊など主要草食家畜の好物でもある。  小麦は乾燥に強く、複数の気温の変化に順応する。  特筆すべきなのが、その種……植物学的にはいろいろあるが……を乾燥させて、石の上に置いて別の石で叩いたり平行に動かしたり強い圧力と摩擦を同時にかけると粉になって爆発的に体積と表面積の比が増し、味が悪い皮などを分離できるようになる。それを水と混ぜると、増した表面積と水となじんで互いにくっつくようになるデンプンの性質のせいで柔らかな塊となる。さらにそれを、適度な温度である微生物に食わせると、微生物が二酸化炭素などの気体を出してその圧力でふくらみ、含まれるタンパク質が引っ張られて伸びる強さがあるため無数の泡がある状態になる。そこで、水を用いずに加熱してやると、泡構造を保ったまま固まり、熱でデンプンが食べやすい分子になる。  そのパンと言われる食物、特に種の粉から白い部分だけを集めて作ったものは、間違いなく人間が一番好む食物だ。乾燥させれば長期間保存できるし、焼いてすぐはきわめて美味だ。  残念ながらパンだけでは食べにくく、油などが必要とされるし白い部分だけだと人体が自力で合成できないある化合物が足りなくなって病気になるが。  他にも粉を水と混ぜ、ある方向だけに長くすると表面積が増し、乾燥しやすくなる。それを水で加熱するとこれがまた美味だ。  種自体が乾燥させれば長期保存ができ、収量もきわめて多い。根本的に大量の食糧を貯蔵できるため、それを育てる技術があると多くの人口を養える。 **他麦  小麦に似た作物は多く、それらは小麦より土の塩分が多い、寒い、水が少ないなど過酷な条件でも育つがパンを作りにくい。後述するビールの材料に適する大麦、ライ麦、オーツ麦など多数ある。家畜の食料としても重要だ。  他にも同じように種を乾燥させてから粉にして食べる草は多種多様だ。むしろ小麦・米はぜいたく品といえ、普通の人は普段は他の種を食べる草や豆や芋で生きていた。 **稲  これはユーラシア東側でとても珍重される作物だ。基本的な性質は麦の仲間だが、つねに地面が湿るか水で覆われた地域の植物であることが異なる。  陸上で麦のように育てることもできるが、その水で覆われた環境を再現するときわめて収量が多く、しかも同じ場所で長期間農業を続けることができる。大量の水を一点に集めることで、その水がこれまで流れてきた森などから各種必須元素も大量に持ってくるんだ。また水がたっぷりあり、それが流れ出る道もあるから塩害が本質的に起きない。また水に浸された環境というのは多くの生物にとってかなり厄介で、ゆえに雑草も比較的少ない。同時に水を貯めた農地からは多量の貝や魚も得られる。  あまり粉にして食べることに向かないのか、粒のまま水を通じて加熱することが多い。タンパク質のバランスが小麦以上によく、米と塩の多い魚や発酵豆と、多少の生きた植物があればそれだけで人間の必要な栄養がそろう。  きわめて味が良く、ユーラシア東部ではある意味神聖視されていると言っていいほど好まれる。  ちなみに小麦・他の麦・稲には、花から種がつく長い棒状の部分が種を落として枯れたものに、非常に大きな有用性がある。内部が中空になったとても丈夫な繊維の塊で、うまく扱えば太く丈夫な縄にもなる。工夫次第で籠や帽子など多様な工芸品を作る文化がある。  それを集めてその上に人間や家畜が寝ると水分を吸ってくれてしかも保温力が高い。  後述する干しレンガに入れることもあるし、巣の上側を雨や風から守りつつ保温するのにも有用だ。  草食性家畜の食べ物としてもとても有用だ。 **トウモロコシ  アメリカ大陸原産。光合成のやり方が少し違うため同じ水と面積でも、特に日光が強い低緯度地域では麦よりはるかに収量が多い。  パンでも食べられるが、色々な調理法がある。 **芋  植物には、地下にある根や茎の一部が大きくなり、そこにさまざまな物質を貯めるものが多くある。さらに品種改良によって、その貯める量はどんどん多くなる。特に人間が好むのはデンプンを貯めるものだ。  地下に大きく多量のデンプンを含む植物群を芋とまとめて呼び、特にユーラシア南部の島が多い赤道に近い地域で様々な芋と豚と犬を中心にした食生活が発達した。  アメリカ原産で、後に人類全体の人口を大きく押しあげた作物も多くある。  特筆すべきなのが寒冷地に適し麦よりはるかに収量の多いジャガイモ、豆同様大気の窒素を取りこむことができ痩せ地でも育つサツマイモ、そのままでは有毒だがあらゆる作物で最大級の収量を誇るキャッサバなどだ。  収量自体は穀物より多く気候や土壌の幅も広いが、タンパク質をあまり含まないし保存がやや難しいので、穀物ほどの地位を持つことは少ない。 **豆  花や大きめの種をもつ実に特徴があるが、最大の共通する特徴は「根に空気中の窒素を生物が使える化合物にする微生物が住んでいること」だ。まあその能力を持つ植物は、分類学上豆でないのにもあるけどな。自分でやれといいたいが動物も植物も、細胞をそう進化させることはできないようだ。  何の役にも立たなくても、ただ数年に一度この種の植物を植えるだけで土地の植物生産が大幅に増える。  それだけでなくそのかなり大きい種は多くのタンパク質や脂肪を含み、最上の食物だろう……残念ながら泡立ち苦みがある毒が僅かに含まれ味が少し悪いため、麦の類のようにそればかり食べることは少ない。  後述する野菜や家畜の食料としてもとても価値が高い。  ここまでが、人間及び草食家畜の、現時点で主要な食物となっている作物だ。共通点はデンプンが多いこと。他に高デンプンで人が生きるためのエネルギーの多くを得られる食用農業植物は、熱帯で育つ身長より大きくなるが草であるバナナ、後述するヤシなどがある。以下は少し特殊な作物を挙げていく。中には、それがなくても生きるには不自由しないものも多い。 **オーク  これは作物に入れるのは間違っているかもしれない。人間は利用はするが、意識的に育てることがほとんどないし、品種改良もしていないからだ。  ここで挙げるのは、一種類の植物ではなく多数の共通の特徴を持つ、大木になる植物だ。一番共通の特徴は「固く薄い木質の殻で覆われた種をきわめて多数落とす」こと。ちなみにその種は野生動物にとっても貴重な食料になる、もちろん。  本来なら普通の作物のように、悪い味を持たず成長が早くなるように品種改良していれば、上記の限度でいったような問題が少なく何千年も収穫し続けられる最上の作物だったろう。だが種をまいてからまた種ができるまでの期間が人間の普通の寿命にも匹敵するほど長いとか、収量が本質的に不安定だからそうならなかったのか。とにかく人類は、森を維持したままその産物に依存する生き方よりも、木を切り倒して草原に近くし、それで上記の麦や稲、豆などの作物を育て、家畜を飼う方が人口が多く戦力が強いらしい。  ただしその前、特にアフリカ大陸から出た直後の人類にとってはとても心強い食料になっただろう。  その種は量が多く、きわめて長期間収穫を続けられるが毒が強く、水や灰を用いてかなりの技術を使わないと食べられるようにならない。ただし豚にとってはいい食料だから、その森に豚を放しておけば勝手に育つ。  個人的には人類が、麦や稲ではなくオークの実を主に食べていれば今のように自滅の可能性が高い状態にならずにすんだのに、と後悔している。せめて農地を作るにしても半分はオーク森として確保し、種を食べる技術も残しておけば、作物が全滅しても餓死は最低限で済んだはずだ。現に日本ではそうやって暮らしていた地域も多い。  木材も頑丈で、素材としても燃料としても質がいい。この木材がなければ遠洋航海は難しかっただろう。また樹皮が革の処理に必要な物質を多く含み、さらに後に言う文字を書くのに必要な染料も特殊な寄生虫を通じて得られる。 **ヤシ  これは水が凍ることがない、赤道に近く気温の高い地域で育ついくつかの種類の木の集まりだ。高くなり、上の方だけに葉があるのが大体共通している。  木材としてもいいし葉も用途が広い。未熟な葉もいい野菜代わりになるし、花をつける部分を切れば次に述べる酒にもなる糖分の多い体液が出る。  種類が多く、ナツメヤシは甘く乾燥させれば保存が利く実をたくさんつける。種もラクダなどにとってはいい食物になる。  ココヤシは油・器・安全な水などとても用途が広い。  アブラヤシの実は大量に油を含み、実は現在の人類の文明を支えているし、昔の南方の人間にとってもありがたい食物・商品だった。  サゴヤシというのは幹の内部に大量のデンプンを含み、切り倒さなければならないが一度に大量の食料を得ることができた。  熱帯沿岸の海水が入る泥地に育つニッパヤシは葉が多様に使えるし、樹液から酒も得られる。 **葡萄、酒  長いつるを作って別の木にからみついて育ち、自分も木になっていく植物。大量の単純な糖を含み、水分も多い……甘い実をたくさんつける。むしろ土より砂に近い、水がすぐ出ていく地域に適している。  これは「酒」が主目的になる作物だ。前述のように糖を含む水がある微生物に食われると、繁殖するときに出すエタノールが混ざった水になる。エタノールは水と混じりやすい、単独だと燃えやすい、色々な物質を溶かすなど面白い性質もある。ちなみに多くの生物、特に微生物にとっては毒だ。その微生物は増えるときに毒を出して他の微生物を殺し、糖という貴重な資源を独占するわけだ。  大型動物にとってもエタノールは基本的に毒だが、逆に糖とその微生物自体はこれ以上ない栄養源になる。だから少し発酵させて他の有害な微生物を全滅させれば糖と微生物を食うこともできる。特に馬の乳を用いた酒は多くの有用な栄養素を含む。  また湧き流れている水が動物の糞で汚染され、金属元素が多すぎて飲むと体を損なう場合、その水で葡萄などを作って酒にして飲めば雑菌も多すぎる金属元素も排除されているから乳に並んで安全に水分を得る手段ともなる。雑菌を殺すだけなら水で酒を薄めて飲んでもいい。  それだけでなく、その毒であるものは、人間の脳神経を破壊するのだが、その時に強い「快」を感じてしまう。毒に快を感じるってのは矛盾している気がするがそれは言葉の問題で、快になる毒はけっこうある。それもその毒を飲むことが食料や繁殖、群れ内部での地位同様に高い欲求になるように精神が変化することさえある。  そうなると、実は多くの食料を無駄にすることにもなるんだが、人は多くの酒を求め、それを後述する貨幣で交換するようにもなる。  さらについで、後に語る蒸留など高度な技術を使って酒からエタノールだけ取り出すと、より強力な酒になる。またエタノールを造る微生物は二酸化炭素も出すから、うまく密封したまま発酵させれば泡が出る酒になり、これまた独特の味になってうまい。多くの二酸化炭素を含む泉の水がわりと安全だから人間がその味を好むのだろうか。  また葡萄以外の酒を造るための作物についても簡単に触れておく。  まず最も簡単なのがミツバチが巣に貯める蜂蜜。そのままだと糖が多すぎて微生物すら生きられないが、水で薄めればすぐどこにでもいる微生物が増え始めて発酵する。  葡萄などあらゆる果樹は元々適している。  穀物、特に大麦も酒に適している。そのまま粉にして水と混ぜ、適切な微生物を少量植えて適温を保っても微生物がデンプンを分解して糖にし、さらに糖をエタノールにする。また水を与えて葉や根を出させると、その時植物はデンプンを分解して糖にして利用して成長する準備をするから、そのデンプンを分解する酵素を出す。その時に乾燥させ、水をうまく与えれば糖が微生物によって発酵され、酒になる。その乾燥した芽と芋などを混ぜても酒を作れる。また人間の口の中に出る液もデンプンを糖に分解する酵素を含んでいるから、それを利用する酒もある。  後述するヤシを始めとする植物内部を流れる体液、砂糖を作るための作物も酒を造るのに適している。  前述のように、特に馬の乳も酒を作ることができる。  またエタノールは、特に外の力で傷を負ったときにそこにつければ微生物を殺せる。  葡萄に適した土地はあまり麦等に適していないこともあり、そういう土地に押し込められ、しかもかなり進歩して周囲との交換で生きられる人々は葡萄を育て、酒にして生活する。  水分と糖を含む実を潰し、そのまま水を通さない器に入れて温度を安定させると、実そのものについている微生物が増えて酒になる。  ちなみに葡萄の実を乾燥させてもいい保存食になるし、種に含まれる油も利用され、葉も野菜として利用する地域がある。  歴史上面白いこと、ユーラシア大陸の葡萄は今はそのままでは生きられない。アメリカ大陸にもあった葡萄をユーラシア大陸に持ってきたら、それを食べる虫を一緒に持って帰ってしまい、アメリカ大陸の葡萄はその虫があってもちょっと弱るだけだがユーラシア大陸の葡萄はその虫に食い尽くされて死んでしまう……人間と逆になったわけだ。 **油  人間にとって脂肪は食料としてもさまざまなものの材料としても重要な資源だ。  特に重要な作物として、やや乾燥した地域に適したオリーブがある。その実を強く潰した汁を置いておくと、水と豊富な脂肪分が密度の違いで分離する。その油が色々な目的に使われる。葡萄同様に実を加工して金になるものを得ることができるわけだ。  後に、そのままでは食べられない実を加工して食べる技術もできた。  脂肪は価値の高い資源だから、油を得るための作物も多数ある。大きな花をつけるヒマワリの種、野菜の一種であるアブラナなども重要だ。  大豆、綿、トウモロコシなど他の目的にも使うが油も多く得られる作物もある。米や麦からもある程度油がとれる。  特に重要なのがアブラヤシという低緯度の木で、それは後にプランテーションで詳述するが洗剤などの価格を大きく下げ、近代文明の根の一つとなった。  動物性の油脂としては上記の豚脂、牛乳から作られたバターなども重要であり、後述の近代になるときに海に棲む超大型哺乳類の脂肪も多量に使われた。 **サトウキビ  これは実は麦の仲間なのだが、非常に長い茎と葉が特徴。赤道に近い暑い地域で育つ。  茎に多くの単純な糖分を含んでおり、ただ茎を切断してしゃぶるだけで甘い。  それを絞って煮詰めると甘い糖の塊がとれる。  もちろん酒も作れる。  それを精製した物は最上の食糧資源だが膨大な薪を必要とするので、蜂蜜・酒・油同様主に貴重品として高額で売買された。  現在の世界を支えている作物の一つで、最近はエタノールを直接燃料に使うこともやりはじめている。後述するプランテーション農業の重要な作物だ。  他にも寒い地方でできる草の太い根、ある木の中を流れる液からも砂糖が得られる。 **果樹  甘い実ができる樹木。種類はきわめて多種多様。実を乾燥させれば保存食となり、水分が多ければ絞って酒になる。そのまま食べてもうまいものも多い。薬としての効果も多様。  酸性が強い実の汁を、上記の遠洋航海で足りなくなる微量物質を補給するために運んでいた時期もある。酸のおかげで糖分が多いにもかかわらず微生物に食われにくいからだ。もっと早くその手に気がついていたらどれだけの人が死なずにすんだか……いかに人間が新しい知識を拒絶するかの好例の一つだ。  中には酒にずっと漬けておき、薬になる成分を出して酒を飲むもの、塩漬けにするものなどもある。  その花を楽しむこともあるし、木材としても利用する。  まあ全体には贅沢品、また森のサルであった人類の祖先の主食であったこともあり、特に好む食品でもある。  また脂肪を豊富に含む種が贅沢な食物となる樹木もかなり多様にある。 **野菜  人類が進化してきた間、多くの野草・木の葉などを常に食べていた。その多くはデンプン・脂肪・タンパク質などこそ少なくエネルギーにはならないが、人間が必要とする多様な微量元素・微量化合物を摂るのに必要だ。  人間は雑食性で、多様な食物を常に食べることを好む。  だから身の回りの作物でない草から食べられるもの、香りがよく調味料になるもの、薬になるものなどを集めるし、また主要作物だけでなく多くの柔らかく品種改良された草を育てて食べる。  後に文明が進むと主要作物と家畜の肉以外食べたがらない人々も多くなるが、都市住民がある種の贅沢として作物として作られた野菜を食べることも多い。  葉・太くなる根・実など色々な部分を食べる。加熱調理することもあるし生で食べることもあるが、生で食べるときは人は好んで油と、酒の発酵を更に進めてできた酸を混ぜてかけて食べる。  肉同様塩漬けにしたりそのまま発酵させたりすると保存食にもなる。人類が広がった地域の多くは季節がある高緯度地方で、そこでは寒い時期には人体が必要とする微量物質が得にくいので野菜の保存食も重要だった。 **繊維  上述の繊維は人間にとってきわめて重要な物資だ。それを得るための作物も多くある。  麻はオークやヤシ同様多くの種類の植物をまとめて言う言葉だ。重要なのには大麻・苧麻、亜麻、サイザル麻、マニラ麻、ジュートなどがある。  中でも大麻は繊維の加工に手間が掛かり熱を遮断することや染色には不利だがきわめて強靱で、後の遠洋航海を支えた。食物・油脂・嗜好品・医薬品としてもきわめて高い価値がある。  綿は実を覆う部分が繊維となり、染めやすく着心地が良く温かい繊維になる。丈夫で軽いから船の帆にも適している。ただし水になじみやすく冷えやすいから寒冷地には適していない。またその種は多くの油脂を含む。  動物性繊維に上述の羊や山羊やラクダの毛、カイコの絹などがある。近代になってから、長い分子を人工的に化石燃料を利用して作る技術が発達した。  特異な繊維として鉱物である石綿があり、便利だが人類そのものに向いていないことがわかった……その細かい鉱物が肺に入りこむと消化吸収できず、放っておけばいいのに排除しようと攻撃を続けて、それが細胞の遺伝子異常につながることが多い。人類はそんなものと接することがまずない環境で進化したからだ。 **花・香料  これはまあ、贅沢の極みというものだ……人間はただ生きるだけでなく、色々な楽しみもあったほうがいい。人は植物そのもの・特にその花の色と香りを楽しむ。  文明以前の狩猟採集生活では身の回りにいくらでも花はあり、巣に花が欲しければただ出かけて採集すれば良かった。だが非常に贅沢な文明生活で、贅沢な階級が農作物として花を求めることが多くなり、花を作物として栽培することが出た。ここでは品種改良を高尚な趣味として行うこともある。  また、その花の香りを出している、きわめて複雑な物質を多く含む細胞内の、油脂とは違うが水に溶けない液という点で似ている物質を取り出す技術も後に産まれた。方法には直接絞り出す、後述の蒸留の応用で水蒸気を用いるもの、最高級なのが動物の脂を用いるもの、後に加わった近代以降の技術を用いるものがある。  香りを取り出せる植物は花以外にも多く、樹木であるものも多い。また動物性の香料も結構ある。  木や動物による香は、加熱して煙にして使うことが多い。蚊や蝿を追い払うことができ、精神に色々影響を与えるので薬用としても重要だ。  また布や革や食料を染めるため、色をとるのに用いられる生物も非常に多い。食料を染めるものは後述の調味料・薬とも分類できそうだが、そんな分類はあまり意味がない。  アイ・紅花などが重要だな。食用にはサフラン・ターメリック(ウコン)など。ある貝の紫が珍重された地方もあるし、ある赤い色を出す木は一つの大陸の運命を大きく変えたものだ。 **薬・毒・嗜好品・調味料  これは実に多様な植物があてはまる。  何度も言っているように、あらゆる生物は体内に様々な物質を作る。特に微生物と、自力で動けない植物は。その多くは自分を食べる生物・自分と資源を争う生物(同種を含む)にとっての毒。ただし花をつける植物は、多様な子孫を広い範囲に送るため、ほかの動物の力を借りることも多いので、それを呼び寄せその益になる物質も作る。  人間は、その毒である物質を色々に使う。上述の革加工、保存食、他にも病気を治す薬、繊維の染色、革以外でも多数の素材の加工。  また匂い・色をそのまま楽しむ。体に入れて、その毒による精神の変化を楽しむ。匂いによって小さい虫が人間や人間の資材を襲うのを防ぐこともする。  嗜好品は、多くはその毒が、「人間が好ましく感じる」ものになってしまったものだ。微生物が造る酒が代表的だな。砂糖や蜂蜜もある意味ではそうだ。  特に効果が大きいのが、依存性をもつ嗜好性物質。それを習慣として使わないことが非常に大きな精神的な苦痛になる。依存性というのは他にもきわめて広い概念だ……精神に快感を与えること全てに依存性がある。人を支配すること、支配されること、性的接触、夫婦間の狂気、金銭、賭博、魔術、その他きわめて多くのことに依存性がある。依存性をきわめて起こしやすい物質も多い……脳を破壊して普通とは知覚と意識の関係や意識そのものを歪める効果がある物質は特にそうだ。これらは魔術にも用いられる。薬による幻覚を、神との接触と解釈するわけだ。  上述の酒、タバコというアメリカ大陸原産の葉に含まれる猛毒、ケシという草の大きい実を傷つけて出る汁を固めたものやその精製した成分、大麻の成分、麦をだめにする微生物が出すもの、コカという木の葉の成分、ある種の石とともに噛んで赤く染まった唾液を出す葉など。同様の効果を持つ物質を人工的に作ることもでき、他の重要な用途をもつものが依存性薬物として使われることもある。  そのいくつかは薬としてもとても価値が高く、大麻は呼吸が苦しいときなどいろいろに効くし、ケシは苦痛を和らげる働きがとても高い。  比較的害が少ないのが茶・コーヒー・ココアなどいくつかの灌木の葉・実などに含まれるもので、眠らなくても気分がよくなる。  そういうものは……賭博などもそうなんだが……文明が進むと、魔術との関係も高いため禁止する圧力が高くなり、それが後述の闇社会を生みだす。  調味料は味覚および嗅覚、一部味覚に働きかける、食物に比較的少なく入れる食物だ。香料・嗜好品・薬と厳密には区別はできない。  実は塩化ナトリウムそれ自体がもっとも重要な調味料だ。  様々な味……中には舌の味を感じる細胞器官に痛みを与え、それが塩化ナトリウムに似た味と解釈されるものすらある……や香り、弾力・粘性など力学的な違いを食物に与えることができる。  多少腐っている肉を食べるときにそれで味をごまかすことができるし、含まれる複雑な分子は微生物を殺すこともする。  また、人間は「複雑な味」を好むこともある……単純な味も好きだが、複雑な生き物なので。複雑な味というのは、多種多様な食物を食べているということであり、それだけ必要なものがすべて摂取され、また多様な食物源を利用することでどれかがだめになっても他でカバーできて生存率が高い、ということかもしれない、進化心理学的屁理屈を言えば。  ただの雑草から木の実など非常に多様な植物から得られる。  特にコショウという木の実を乾燥させた調味料は歴史的に重要だ。後述する、ヨーロッパが世界に広がった理由に、高価だった胡椒を求めたことも大きい。 **ゴムなど  これはかなり例外的な作物であり、後述の近代文明に至ってから工業素材として主に用いられた。  木を傷つけて出る体内を流れる液を固め、硫黄で処理すると「水を通さず、非常に弾力が高くて自由に変形してすぐ戻る」素材になる。布に塗れば完全防水できるし、中空のトーラス状に加工して内部に高い圧で空気を入れて密封、上述の車輪の縁として用いると乗り心地が大幅に良くなる。後述の自動車文明はこれがなければ無理だっただろう。  樹液を素材として用いるものは他にもある。北方の葉が針状になる木の根の樹液・樹脂は木に塗って微生物に食われにくくするなど多様な使い道がある。さらにそれを後述の蒸留技術を用いると実に色々な素材になる。  ユーラシア東方の素晴らしい技術に、非常に毒性が強く触れただけで皮膚が傷つく樹液を出すつる植物の利用法がある。その樹液を加工したものを木に塗ると、水などほとんどあらゆるものに強く、美しい膜になる。実質的に「加工しやすく、微生物に食われない」ものになるわけだ。  他にもある果樹の、まだ種が育っておらず食べられない実を砕いた汁からも塗料がとれる。  またこれはついでにだが、塗る油としては食用油やそれに似ているが食べられない油を含む植物、さらに生物でなく上述の生物が化石化した油、木を酸素不足で燃やしたときに出る液なども利用される。 **緑肥・飼料  これを意識的に使うようになったのはかなり先の話だが、「色々な植物の葉など柔らかい部分を刻んで、耕すついでに土に混ぜると収穫が多い」という経験則は農業をやれば誰でもわかる。すべての生物には、生物が必要とする窒素・リン・硫黄など元素の利用しやすい化合物が含まれており、それは土に混ぜれば微生物が分解し、また植物が利用しやすい単純な分子として土に混じり、それを作物が吸い上げる。  特に豆の類がそれに優れていることも、経験則としては知られていただろう。豆の類に限らず上で述べた、根に特殊な微生物を共生させて大気中の窒素を使える形にできる植物は特に優れた緑肥になる。ついでにいえば、魚や海藻を肥料とするのも有用だ。  後にはそのための作物も色々見つけだされた。またそういう作物は、草食性の家畜の餌としても優れている。  たいていの草が家畜化した草食動物の餌になるが、これはかなり後の話だが有用な技術として、大量の草を切断し、乾燥させてからうまく保管することで微生物を繁殖させ、保存もできて栄養もいい食物にする技術がある。その技術がなければ、冬に寒くなって植物が育たない北方ユーラシアで家畜の群れを維持するのは困難だ……家畜を最低限に減らして、室内で大量の燃料で温めて人間用の保存食を与えるか、または暖かい地域に長距離移動するほかなくなるが、その技術によってかなり北方でも定住しつつ大きな家畜の群れを保つことができるようになった。 *木の伐採  地面から大体垂直に伸びている木を、地面近くの適当な高さで切断し、その根をなくしてしまうこと、木という生物個体を殺すことが農耕以降の人間にとっては重要だ。  木は上下方向に無数の管が集まったような構造であり、死んだ細胞が繊維状につながった内側はきわめて強い。地面から力で抜こうとすると、無数の根が土と絡み合って巨大な摩擦になり、根が切れて抜けるにしても土ごと抜けるにしてもとてつもない力が必要になる。  刃物で木の部分を切断しようとすると、それは非常に刃にとって負担がかかる……極端に低い角度で面が交差している刃に強い力がかかるとどうしてもそこが壊れる……し、人間の筋力も大きく消耗される大変な作業だ。倒れる木は人を簡単に押しつぶす危険もある。  比較的楽な方法として、木材を取ることをあまり考えず木を排除することだけ考えれば、木の表面部を木の周囲を一周して輪になるように傷つけてある時間待てば木そのものが死ぬ。それを待って火を放てばいい。  乾燥した季節・気候なら大規模な放火で森ごと焼き払うこともできる。  ただし木材や樹皮を得るには、そのまま木を切断する必要があるので刃物に苦労をかけることになる。刃物の性能が人類の文明の規模を大きく制約する、というのはそのこともある。刃物の性能が低いと、ある程度以上太い木を切断するのが現実的ではなくなるんだ。  しかも、上部を切っても根が残っている限り植物は死なない。地上に出ている部分からすぐ芽が出て、短期間で新しい木ができてしまうこともあり、それを利用すれば安定して木材を得たり、またその芽は草食家畜の好物だから家畜を養ったりもする。  根を除去するのはきわめて困難だが、それをしない限り大規模な農耕はできないので、農耕をする人間は何としてもそれをしようとする。 **車  これは移動のための決定的な技術だ。  その前段階と思われるものが「ころ」という技術だ。  木の幹を切って根や枝を除くことができれば、円筒形が得られる。  その円筒を平らな地面に置くと、円筒の軸に垂直な方向には理論的には慣性だけで移動することができる。実際には円筒が不完全であり、また地面の表面が接点を吸ったりでこぼこがあったりするからそうはいかないが、その円筒を持ち上げて運ぶよりずっと少ない力でできることには違いない。  その円筒をいくつか平行に並べ、その上に下が平らな重いものを置くと、これまたその重い物を持ち上げたり地面の上で押したりして運ぶよりずっと楽に運べる。  ただし、並べた円筒から運びたい物がはみ出したらそれ以上運べなくなる。だからたくさんの円筒を並べるか、または後ろに出て不要になった円筒をまた前に持ってくる必要があり、それがけっこう面倒だ。  その手間を省くのが車という発明だ。これは、少なくともアメリカ大陸にはなかったといわれている。  要するに、二本の円筒の上に平らな板を乗せ、円筒が転がってもその三つの位置関係が変わらないようにしたものだ。  ころからどう発展してそうなったかは知らない。ある程度完成した形を描いてみよう……  二本の円筒を、四枚の薄い円筒で代替する。薄い円筒が二枚、中心の軸が一致した状態で置かれると、それは一本の円筒と同じことになる。  さらにその薄い円筒の、周縁と中心以外をいくつかつなぐ部分を残してくりぬいてもいい。  一致した中心の軸は非常に強い棒で代替する。棒と薄い円盤の垂直を保てば、二枚の薄い円盤は円筒形を維持できる。その棒と荷物を載せる板を、回転は自由だがずれることのないやりかたで結びつける……小さくて中を抜いた円筒を板に固定し、少しだけ小さい円筒形の棒を入れてやれば、回転と軸方向にずれることは自由だが、外れることはなくなる。そして中に通す方の細い円筒の、小さい円筒の両端にぶつかるところに少し膨らみをつけてやれば軸方向のずれもなくなる。一つ一つ運動の自由度を潰して回転のみにしてやるわけだ。  そうすると一つの長方形の、四つの角の近く長い辺のところに薄い円筒がつき、長い辺の方向にいくらでも軽い力で動く運搬具ができるわけだ。  この車というシステムを実現するには非常に硬度が高く、摩擦によって出る熱にも強い素材を、高精度の幾何学的な形に加工しなければならない。後述の金属をはじめ、さまざまな素材や高度な加工技術が必要とされる。  また、この車が効率よく動くには、道を整備しなければならない。できることなら平面の、石やレンガなど水が当たっても泥にならず固い道がなければ、特に泥や雪や砂の中ではただの板に荷を乗せて引きずる方がましなぐらいだ。  そのための膨大な人数と、できれば石を加工する高い技術も車の運用には必要だ。  このように複雑なものを作ったことは、人間はものの幾何学的な形や力学の本質をかなり理解し、その目的に合わせた物を作ることができることを意味している。自然の人間が観察できる生物にも、人間の体にも、車と同じような物など存在しないからだ。  車の一部を応用した機構は多数ある。薄い円筒からも実に様々な物が作られてきた。  まず滑車と呼ばれる、一枚の薄く側面がへこんでいて溝になっている円筒と、その両側についた軸受けがついた薄い板などからなる機構だ。その薄い板をなにかに固定し、太い紐を当てると力の方向を変えることができる。それだけでも重要だが、多数の滑車を組み合わせることにより、原理的には梃子と同じく仕事量の保存則を用いて弱い力と長い長さを引くことで、長さは短くても強い力を出すことができる。これがなかったら人間や家畜の力では巨大な石や木を運ぶことはできなかっただろう。  そして車輪は直径の長い薄い円筒と、直径の短い細い棒からなる。薄い円筒のまわりに手をかけて回してやれば、細い円筒にかかる回転させる力は梃子となって巨大になる。  また、これはかなり後の技術だが、複数の薄い円筒に多数の、円筒の軸方向の切れ目を入れてやり、その切れ目が噛み合うようにしてやると、力の方向を変えたり力を強めたりが自在にできる。これは極めて高い加工精度・強靱な素材が必要になるが、後述する時計を作るには必須の技術だ。  その応用として、回転運動と直線運動の相互変換がある。これが重要になるのはかなり後。素材の強度・加工精度ともそれを使いこなせるレベルになるのは先の話だから。  同様により優れた技術として、軸と軸受けの間に多数のころや同様に働く球を入れることによってより小さい摩擦で動く車を作れる。  また、ころとどちらが早いかもわからない、物を位置を変えずに回転させることを利用する道具を二つほどあげておく。  人は色々な作業を下の土で汚されずにできるよう平面を持つ大きい物を用いることが多いが、それを地面と垂直な線を軸に回るようにすることもある。特に土器をつくるとき、材料を節約し構造を丈夫にし、また見て美しくするにはある軸から回転体であることがいちばんいい。それを目と手だけでやればどうしても間違うが、その回転する台を利用すれば正確に簡単にできる。  また、食物などを小さく壊すのがとても重要な技術になるが、そのためには石と石を摩擦……接する平面と平行に圧力をかけたまま動かす。それも、往復運動でもいいが、軸で上下の石を固定してどちらかを回転させるのもある。 *水  人間の技術・文明にとっては、水を制御することが特に重要だ。逆に文明の定義を「水を制御する巨大群れ」としたっていい。  水は人間や後述の家畜・作物が生きるためには絶対に必要だ。最大限に単純化すれば、人間の人口およびその密度は淡水に制約される、とさえ言えるほどだ。より正確には文明の規模……人数とその維持は利用可能な淡水・土地の広さと日照・植物生産が再生可能かどうか・燃料によって制約・限定されるというのが歴史の基本法則だ。  あらゆる物を作りだすにも、衛生を保つにも水は大量に必要になる。  水による災害も人間にとっては重要であり、それを制御することも重要だ。  水は移動の障害になり、逆に水上を移動できれば膨大な質量を高速で移動させることが可能だ。 **井戸  水を手に入れるいい方法として、地面を掘ることがある。地面の一部の土を別の所に移すと、土の総量は変わらないから移した所は高くなり、移された所は低くなる。単純に言えば前後左右を変えず、ひたすらその掘る作業を続ければどんどん下へ下へと行く。ただし土は崩れやすいし、また地面は土ばかりではなく木の根や岩石も結構あるので簡単ではないがが、とにかく掘った穴の壁を固め、ひたすら深く掘ると、地下にうまく地下水の流れがある場所であれば穴に水が染み出てきてたまる。その水が利用でき、その穴を井戸という。けっこう重要な技術だ、といっても穴を掘ることだけなら多くの動物がやるが。逆に技術という言葉を、その行為から理解することもできるだろう……周囲にある物質の配置を変え、変型させることでそのままでは得られない資源を得ることができる。  ただ問題が、井戸を作ったのはいつ頃からか、だ。井戸は作って水がたまるようになるまで数日かかるから、ある程度同じ場所で生活するのでなければ作る意味がない。昔の人間が移動していたか定住していたか、どこでどう暮らしていたかは本当にわからないことが多いんだ。 **土木治水  人間は水がたくさん地上にあり、海に向かって流れているところを好む。  その流れを支配する法則は基本的に「より低いところへ」の一語だ。それと長期的には水が土や岩石さえ削り、流れの底に土を貯めていくことで水が浅くなっていく。  人間は多人数の群れを作り、それをある目的に向けて使い、また重量物を運びより硬い土を掘る技術を手に入れたことで、その水の流れを変える技術を得た。  井戸とも似ているが、井戸や家屋に比べてきわめて大規模な土砂岩石の移動によって、地形そのものをかなり変えてしまう技術だ。  まず空から降る雨の量は実に不安定であり、地下水の水位も大きく変わる。  だから何年かに一度など、水の量が極端に、しかも地形によっては急に増えることがある。それから逃げ損ねた動物は溺れ死ぬ、非常に大きな脅威だ。  特に巣を作って定住する人間にとって、巣を押し流し、貴重な保存食を始めあらゆる物資を流し去って使い物にならなくする急な増水は恐ろしい脅威だった。  だがそんな増水は自然界の一部であり、人間を考えに入れない生物界にとってはとても重要な役割を果たしている。まず、流れの有無にかかわらず、水は常に生物生産・周辺からの土砂の流入などで埋まっていく。大地そのものも巨大な力で常に変型する。だから地形は変化するものであり、その変化に水の流れや溜まりを合わせるのに洪水が必須だ。  人間から見れば、洪水で残された土砂は後述の農耕に必要な肥料分を豊富に含んでいる。だがその年の、後述の農業収穫は流され失われ、次の都市もその土砂は土になっているので収穫は乏しい。また巣も破壊される……大規模な巣になれば損害も大きい。  だから大規模な農地を中心に、充分備蓄だけはして都市は農地というか川から離して作る形であれば、洪水は放置するのが長期的にはいい。そのためには非常に広い面積が一つの群れになっていなければならない。その最も成功した例がアフリカ北東だ。  逆に、一つの小さい川とその流域という狭い地域に限定される群れは、川に近い都市と乏しい食物を守るため洪水を起こさないようにしたい。  ただし、制御された洪水は農業では欠かせない技術だ。特に巨大な河の流域は、年周期で一時期大きな増水があり、それは灌漑・土の更新に欠かせなかった。  そのための方法にはダムと堤防、運河、遊水池、植林などがある。  ダムは、実は人間だけが作るものではない。実を言えば大自然が作った地形の模倣だ。  川が長期間大地を削り、川の両側から離れるに従って急に高くなる地形がよくある。そこにたまたま狭い場所ができ、そこに岩かなにかがひっかかってそこにばかり岩石土砂がたまると、大きく見れば「ひっかかってたまった部分」を除けば自然な流れなのが、そのひっかかってできた場のせいで流れがふさがれ、膨大な水が広い面積を占めて普段の流れが非常に弱くなることがある。  また、ビーバーというネズミの仲間である哺乳類は、自分でそんな地形を作る。伸び続ける鋭い歯を活用して細い木を切ってしまい、それを川に運んで流れをふさぎ、池を作ってその中の、木を使って作った島で暮らすんだ。本当にビーバーに高い知能がないのか不思議だ。  人間もそれに似たことをする。水の流れを一部で遮ると、その下流ではそのダムが壊れない限り洪水が起きない。またその、大量にたまった水をうまく利用すると本来流れない方向に流してやって広い面積に水を与えたり、後には動力としても用いることができる。ダムの水はきわめて秩序の高いエネルギーの高密度な集まりなんだ。  もちろん熱力学第二法則はそんな秩序の高さを許さない……ダムはいつかは壊れて大洪水を起こすか、知を流れる水に必ず混じる土砂で少しずつ埋まる。  堤防は川の両脇に大量の土砂を運んで、壁を作ってやること。そうなると洪水で多少増水しても、堤防の外に水は出ない。ちなみに堤防をうまく使えば、川の流れる方向もかなり変えることができる。  非常に多くの人数と力が必要であり、地理についての知識も多く必要だ。  ただし本質的には、長い時間が経つと川底に土砂がたまって水面がどんどん上に行くので、川底の土砂を掘り出して外に持っていくか無限に堤防を高くするかだ。要するにいつか堤防が壊れて大洪水になるに決まってる。熱力学第二法則に長く逆らうことはできない。  といっても、川底が堤防の外の地面より高くなった状態なら、その堤防の外の地面を農地にして、最初に堤防の一部を意図的に壊して洪水を起こしてやればその農地に水をやることもできる。  運河というのは堤防とは逆に人工的に地面に低い線を引き、そちらに水が流れるようにすること。地形が良ければ、たった一つ山を崩すだけで別の方向に川を流してしまうことができる。そうすることで洪水のリスクを低くすることもできるし、潅漑や後述の船で荷物を運ぶのに使うこともできる。  遊水池は運河やダムを用い、やや低い地域に向けた流れを作っておくこと。ある地域の周囲に堤防を作っておけば、洪水時にはそこに大量の水が流れこんで広い池になり、川の堤防自体は崩れずにすむ。そこでは洪水時には流されることを承知で農業をやってもいいし、後述の狩猟専用地域にしてもいい。  流れる水は放っておくと長い時間をかけて大地の土でも岩でも削ってしまうが、木が生えている土は根で固まっているため流れに抵抗する。また、雨が多く降って川ができる地域に森があると、腐りつつある木の葉を多く含む土自体が大量の水を含むため水の流量が安定する。そして森自体が、地面から水を吸って大気中に蒸発させ、次の雨が降るのを助ける効果もある。だから安定して水を得たければ、木を切りすぎず、少なくとも源流域と堤防・遊水池周辺の森は維持した方がいい。といってもそれができるほど人類の群れは賢くない。  ちなみにこれら、地形を変える技術は上述の「人間の巣を防衛する」技術を大規模にしたものでもある。逆に治水のための技術を応用すれば、巨大な防御壁も作れるわけだ。水上は移動しにくいから、強力な防御壁にもなる。  あと、これもある意味治水だな……より高い技術を得た人は、川や川が削った極端に深い溝状の地形を、その流れに直交する方向に渡る手段を作りだした。地面を三次元で扱う技術だ。といっても単に、細い溝ならそこに大きい木の幹を渡すだけでいい。その改良も凄いものがある。広い川の場合、中間に支える部分を作れば、支えから地面までの距離を支えられる橋があればそれでいい。後述の船をつないでも、その上を渡って移動できる。そしてアーチ……上述の人体の骨にもある、石や木を断面が曲線になるよう積み上げることで、上からの力をアーチを圧縮し、構造を強化する力に変えることができる。また川の両側に地面よ