枕元の計算用紙

ホーム ブログ

1999年7月 8月 9月 10月 11月 12月
2000年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2004年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2006年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2007年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2009年1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月

2009年11月

1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日

30

外国人アンダークラスが農業に従事しているとか聞きます。
日本人アンダークラスが、今日本にある農業などに接続する線がないのはどうしてでしょう?

ミスマッチといわれますが、それは収入・標準的労働条件が悪すぎるとか、または職業技術(転職市場で評価されるような)の蓄積ができず昇給が望めないとかでは?
介護や中小企業なども人手不足と言われています。
それで「日本の若者は甘えている」論が出ます。
低賃金できついから人が集まらない、なら低賃金で楽か、または高賃金できついかにならなければならないはず。
そうならないで、逆に平均賃金を下げてもっときつくて低賃金の仕事しかないようにするか、または精神論で「きつくて低賃金だからいやだなどと甘えている」しかできないって…

というか単純に、市場なら「きついけど必要な仕事」は需要が多くてあって供給が少ないのですから賃金は上がるはずです。
なのにきつい仕事ほど賃金が低いのが現実です。
その理由は何でしょう?
賃金の下方硬直性とか流動化とかそういう問題でしょうか?
それとも根本的に、社会全体が歴史的に農村からの流入・前科者・退役兵など多数の相続財産・仕事を持たない、飢え死にが当然の最下層を生み出し、きつい仕事を「それをしなければ飢え死にする」人々に最低賃金で押し付けることができるからでしょうか。
要するに全員が最低の仕事をしなければ餓死する状態にあるのが一番いいのでしょうか。

でもそうすると需要がなくなって経済全体が地盤沈下するのですが…

外国人は今のところはまだ日本の政治経済にとって重要な要因になってはいないようですね。
ヨーロッパでは移民とそれを排斥しようとする極右が常に大きい政治問題になるようですが、日本もそうなるのでしょうか?
それとも大げさに取り上げられているだけで少ないままでしょうか。
特に日本が経済的にどんどん沈下していけば、移民先としての魅力も失うのですし。

外国人アンダークラスが問題なのか、日本人アンダークラスが問題なのか、どちらも同じ問題なのか…
さてどんな解が出ることやら。

29

無人自動のファーストフードはどこまで可能でしょう。

簡単にできるのは、冷蔵されたチーズやチョコレートを出すことです。アイスクリームの自動販売機はもうありますね。
牛乳とコーンフレークやミューズリーでも十分食事になります。ヨーグルトをかけてもいいでしょう。
また、ヨーグルトと冷凍したフルーツをミキサーにかけたスムージーもいい食物です。

パンにチーズを乗せて加熱するなら三分かからないでしょう。
冷凍庫から電子レンジで加熱すれば、かなりいろいろできそうです。
カツカレー弁当でさえできるかもしれません…少なくともam.pmが出している、冷凍から電子レンジ加熱する弁当のラインナップは原理的には可能です。
揚げ物でフライドチキン・フライドポテト・フライドフィッシュ(フィッシュアンドチップス)など。冷凍から加熱するならおにぎりや、それこそスクランブルエッグやピザ、枝豆や野菜類など実に豊富な冷凍食品があります。

冷凍無しで貯蔵でき、強力な電子レンジで一気に加熱すればいいならジャガイモ・サツマイモ・サトイモがあります。いや、餅もある程度できるでしょう。

考えてみればファーストフードにおいて、ジャガイモとチーズとヨーグルトの価値はかなり高いのでは?
その気になれば、丸のままほっこり加熱したジャガイモ・とろけるチーズ・フローズンヨーグルトの三点だけで必要な栄養素は得られます。

あと、栄養だけを最も安く得る術があるとしたら…コーンスターチに少量の塩とコンソメっぽくなる調味料を混ぜて水で溶いて加熱し、それにマルチビタミンミネラル錠剤をつければいいです。

28

パソコンに十ギガバイトほど音楽を入れています。
パソコンから聞くのはパソコンの寿命を縮めそうな気がします。
でも十六ギガバイトの携帯音楽プレイヤーは一万以上はします。

反面、五百ギガバイトのハードディスクでもそれだけなら五千もしないでしょう。

それを最低限、ヘッドホンからでいいので鳴らすだけの、携帯を考えないプレイヤー(ハードディスク別売り、パソコンとUSB接続・外付けHDD扱い可能)の製造コストはどれぐらいでしょう。
市販の一番安い携帯音楽プレイヤー(二千円程度)を改造して作れるでしょうか?

それとも中古で古いノートパソコンを買って再生専用にし、容量が足りなければUSB箱にハードディスクを入れて接続するほうが早いでしょうか。
でもノートパソコンのヘッドホン出力音質ってどうなのでしょう。

要するに欲しいのは、「コンセント電源」「バルクのHDDをつなげられる」「USBでパソコンとつなげて外付けHDDにできる」「USBでパソコンからデータを落とし、パソコンの電源が切れていても単独でヘッドホン出力で音楽を聴ける」ものです。
スピーカーやCD、マルチ光ドライブもつけてもいいですが、余計なのが増えると高くなりますしそれこそもう一個安いパソコン自作したほうがよくなります。

27

東アジア情勢を見るには、日米・日中・米中関係ばかりが注目されます。

でも本来ロシア・韓国を入れて、そのすべての相互関係が重要なのでは?
中ロ関係、中韓関係をちゃんと見たことはあるでしょうか。

26

もし広島・長崎の原爆投下がなかったとしたら、原発はこれほど反対されたでしょうか?

原発反対が一体どこに向かうのか…エネルギーを考える上では原発も重要な要因です。

25

福祉嫌いは何を望んでいるのでしょう。

整理しましょう。
「働けるか」「働いているか」「生活できるか」の三つがあります。

福祉嫌いがなくしたいのは「働ける」のに「働かず」に「生活している」人のようです。
福祉嫌いは本来その人に、「働けるなら働いて」欲しいのでしょう。

でも「働いているけど生活できない」もあります。それは日本ではないことになっており、福祉制度上無視されています。

さらに日本の生活保護制度は「働けない」のに働けと言うことも多いです。働けるかどうかは人間に、まして官僚機構に判定させるのは難しいのでしょう。
そうなると働けないのに福祉から切られた人は餓死するしかありません。

福祉嫌いが望んでいるのは、実際には働けるかどうか、働いているかどうかには関心がなく、ただ生活できない……自力で働いて生活できない人が餓死することでしょうか?
そのような社会制度にはメリットもありますがデメリットもあるでしょう。
単純に多数の餓死者がいて欲しいだけでしょうか?

あと、なぜ福祉の寄生虫はいてはいけなくて、遺産の寄生虫はいていいのでしょう。身分制度を認めずにその矛盾は解決できるでしょうか。
最初から平等を否定し、身分制度を認めて「生まれながらに餓死すべき、必死で働けば運がよければ生かしてもらえる、運が悪くて必死に働いたのに餓死しても当たり前な最底辺」と「遺産で暮らすのが当然の貴族」に人を分けるべきでしょうか。

あるべき制度を日本国憲法に沿うよう考えれば、まず「生活できる」は働けるかどうか、働いているかどうか問わず無条件であるべきです。
また、働いている人の給料より働いていない人の生活保護のほうが高額なのは問題です。
それもベーシックインカムは解決できます。

より大きい問題は、「働いているけど生活できない」人をなくすためにどうするかです。

「働けない」には、能力が低すぎでどの仕事にも就けない、また就ける仕事では生活できない、というのも含まれるでしょうか。
その場合は教育して別のよりよい仕事ができるようにする、景気全体をよくする、新しい技術・産業分野を作るのどれがいいのでしょう。いや、どれもやるべきです。

ただし、本当に世界自体が桁外れに高い能力の持ち主以外は必要としておらず、少し勉強した程度のしかも未経験で年を食った人間は必要としていないとしたら?
必要とされていない人間を生かすかどうかという問題にもなります。

さらに生活できるかにも、「一人が生きられる」には都市部で税や家賃や各種保険を入れて二百五十万程度、「家族を養える」には五百は必要になるでしょう。「子供を大学にやり親の介護と供養もちゃんと」となると千万単位が必要になります。

というか道徳とかの根本には、儒教にしても仏教にしても「弱者に対する慈悲」はあるはずでは?
天皇制でも仁徳天皇の仁慈が手本になるはずです。
日本の保守はなぜ、むしろ弱者に対する憎悪を垂れ流すのでしょうか。
アメリカやキリスト教を嫌っているくせにそこだけスマイルズの自助論や働かざる物食うべからずとか天は自ら助くるものを助くとかにこだわるのでしょうか?
本当に保守なのでしょうか…

24

途上国は、貿易したらモノカルチャーで経済で搾取されて貧しいままといわれます。
でも北朝鮮など鎖国する国も貧しいままです。

豊かか貧しいかに、民主主義国か独裁国かはそれほど関係ないようにも見えます。
豊かになった国と貧しいままの国とは、どう違うのでしょう。

そして、本当に先進国による搾取・民主化妨害(あるのであれば)・IMFなどは大きな要因なのでしょうか?
先進国の庶民は、言われるように「搾取をやめる」「アメリカの独裁政権支援をやめさせる」「軍事介入をやめさせる」「IMFを潰す」のが正しい行動なのでしょうか?
単純に問題は地理だけだとか、地理と文化次第だというのであれば、それは目的は正しくても目的のために正しく向かう方法ではあり得ません。
地理だけというのも違いますね、地理的条件が一致する北朝鮮と韓国の差を見れば。

もっと骨の髄までどうしようもない気もしますが。
援助さえ、石油がじゃぶじゃぶ出ても豊かな民主主義国にはなっていない多くの国を見ればいくら出しても無駄に思えます。

豊かで民主的な……というか貧しくなくて自由で希望がある国というのはどうすれば作れるのでしょう。
どんな産業構造が適しているのでしょう。

23

リクライニングするベッドがありますし、僕は前からそれと机や棚を組み合わせてそれだけで生活の多くができる小さい閉鎖個室を繭と呼んで提唱していますが、それはベッドがリクライニングするパターンだけでなく、選択肢として頭側の壁からアームで背もたれが出てくる形もいいでしょう。
リクライニングベッドだと頭の後ろが全部カバーされるためサラウンドの後方音声が楽しみにくく多様なマットレスを使えないという弱点がそれでカバーできます。
座った状態で使える体積も倍近くになりますし。

その、ベッドの頭側の壁から出てくる背もたれ自体、ベッドに後からつける家具として価値があると思います。
既存のベッドに簡単に取り付けることができ、ワンタッチで引き出すことができれば、さらにベッドテーブル・ワゴンを組み合わせれば、ノートパソコンなどで映画を見ることさえできます。

それ自体に5.1サラウンドの後方スピーカーを組み込んでもいいですね。
左右にやや大型のスピーカーをつけて耳の近くからの、ヘッドホンとスピーカーの中間のステレオサウンドにしてもいいでしょう。

繭とは違いきわめて安価に簡単にできるシステムのはずです。

22

出産直後の雌が乳を出すことはかなり大量の脂肪を消費するそうです。
それは次の子の妊娠をしにくくし、ある意味避妊効果さえあるとか。

ならいろいろいじって、乳が出続けるようにしてそれを絞り続けることは、特に女性にとってはやりやすいダイエットになるのでは?
ちょっとの薬と手間とわずらわしさで、好きなだけお菓子を食べられるとしたら…。
もちろんそれは人間の尊厳に関わる問題ですので、「ちょっとの手間とわずらわしさ」ではないかもしれませんが。
出の悪さに悩んでいる人も多いでしょうし。

21

脊椎動物と昆虫以外にも、ヤシガニ、カタツムリなど地上生活に適応している動物は結構います。
それが、脊椎動物滅亡後の新たな地上の主になるかもしれません。

それから人類の後継者が出るかどうかはともかく…
人間のような知能とさまざまな作業を主とする動物は、二億年以上の陸上動物史でほんの数百万年、本格的な活動に限れば五万年でしかないのです。

それがまた、「なぜ宇宙人の痕跡がないのか」フェルミ・パラドックスの答えかも。
ドレイク方程式の、生命の中から人類型ができる率がかなり小さい、とも考えられます。

20

そういえば、人は説教が好きです。

でも説教から、「上下関係の確認」を抜いたら何が残るでしょう。
内容は重要ではありません。

そう思えば、それこそ上下関係確認の踊りでも踊るほうが有効でしょう。

ただし実際に上下関係の確認は、人間の人格に衝撃を与えるほどの力があります。

特にそれが理不尽なもので、説教される側の道徳的判断力を全否定するものであれば、その威力は極上で自発的に服従する奴隷を作ることすら可能です。

結局のところ、「自発的に服従する奴隷を作る」ことこそ人間のあらゆる営みの目的なのかもしれませんね。

19

やはり児童ポルノ禁止法の拡大は避けられないでしょうか。

ポルノグラフィ(特に陵辱ゲーム・ロリコンマンガ)規制論の本質に、社会の趨勢・文化・精神状態・時代精神を法規制で変える、という考えがあるのでは。

ヨーロッパでナチス擁護が禁じられているのも、社会の精神構造を法で保つという考えがあるのでは?
それとも絶対道徳を刑罰で強制することを最低限容認しているだけ?
それとも究極的には緊急避難の法理?

どう違うでしょう?

苦しいから自分の主張を認めてくれ、規制してくれという人もいます。
でも、自分の苦しみは除かれ人権という道徳が貫徹されるべき、別の何かを背負う人の苦しみは無視されていい、となるはずはないのでは。性犯罪被害者・フェミニズム活動家などが知っている女としてこの(邪悪な性差別と暴力に満ちた)世界に生きることの苦しみは、その人がすべての判定者、唯一正しい存在である、とする条件にはなりません。
見えない別の苦しみを苦しむ人もいるはずです。
無論苦しみというのは自分の苦しみしか見えなくなるのも当然ですが、かといって苦しむ人に、その苦しみを理由として全権を渡すのは正しいことでしょうか?

人間にとって、食べたり飲んだりするのは楽しいことです。
賭博は楽しいことです。
戦争でレイプや虐殺をするのは人間にとって骨の髄から楽しいことのようです。
同様にアレクサンドリア大図書館に火を放ったり、子供を殴って読んでいる悪い本を破ったり、売春婦に石を投げたり、緋文字を負う女性につばを吐いたり、泣くのをこらえる子供の頭を丸刈りにしたり、スカート丈が校則に違反しているからと殴ったり汚い言葉で叱ったり、ポルノを禁止して焚書するのは「楽しい」ことなのではないでしょうか?
それは警戒すべき、みだりにやるべきでない邪悪な楽しみなのではないでしょうか?

賭博の楽しみは悪いから慎むべきなのと同じように、公衆道徳と正義の楽しみも「悪いから慎むべき」なのでは?

それでも、やはり道徳はとにかく強いです。
政治的にも、民主主義になればなるほど。
道徳に反対する政党などあるはずがありません。
それに警戒できる民主主義者はほとんどいないようです。
全会一致・民衆の道徳的判断・理性がない魔女裁判の病理などに警戒すべきだ、と感じるのは、今の世界では僕一人なのでしょうか。

18

考えてみればマンガというのは、絵を直接低画質低コストで大量に印刷することができてこそ、ですね。
活字の延長では不可能です。

また木版多色刷りの浮世絵の延長でもわずかに足りなかったようです。

17

ポピュラー・サイエンスの名著の映像化はできないのでしょうか。

コスモス(カール・セーガン)、パワーズ・オブ・テン(フィリップ・モリソン)などは書籍と映像が同時に作られ古典的な価値を持っています。

でも他にも、宇宙創生はじめの3分間(スティーヴン・ワインバーグ)、ガリレオの指(ピーター・アトキンス)、もしも月がなかったら(ニール・カミンズ)、祖先の物語(リチャード・ドーキンス)、銃・病原菌・鉄(ジャレド・ダイヤモンド)、言語を生み出す本能(スティーブン・ピンカー)など映像化してほしい名著はたくさんあります。

日本には映像化できるような、いいポピュラー・サイエンスはないのでしょうか?

16

科学技術研究の予算を削減するとは…まさに亡国。

科学技術なしにどうやって二酸化炭素排出をを大幅に削減するんでしょう。
それ以前にどうやって日本自体が食べていくのでしょう。

理系内閣とか、緑の技術革新最優先とか言っていたのは何だったのでしょう。
恐ろしく内部がばらばらで、一部が技術革新とか言っているけれど別の人は「無駄をなくす」ことに対するポピュリズム的な喝采を求め、攻撃性を発散させている、と。

つくづく基礎科学の予算は減らされやすい、人間は世界を深く知り進歩するためにあるのではなく、また存続するためでさえなく、ただ小さい群れや個人それぞれの利害やこだわりや恨み、いや「財政均衡」という言葉のために存在しているのでしょうか。

元々期待はしていませんでしたが、ここまで予想以上にひどいと言葉も出ません。
といっても自民党が過半数を維持していたとして、基礎科学研究に日本が力を入れていたともとても思えませんが。
そして第三勢力…というか反近代・反科学技術が強い社共も除いて第四勢力、なんてのはどこにも存在しようがないですね。

15

一人の容疑者の逮捕が連日話題になっています。
その容疑者の家族の談話も話題になっていますが、誰も思い出さないのでしょうか…論語を。

13子路-18
葉公語孔子曰、吾党有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾党之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣。

葉公が孔子に「わたしのくにに躬という正直者がいます。その父親が人の羊を盗んだとき訴えたほどです」と語った。
孔子は「うちのくにの正直者はそうしません。父は子を、子は父をかばうのが正直というものです」と答えた。

容疑者の家族が逃亡を助けていないことを主張し、逮捕と処罰を願うのは、孔子から見れば非道徳的なことのはずです。
そして、それが容疑者の家族の本心以前に、社会が求めていることのようです。
むしろその言葉から、非常に強い社会からの「『逃亡を助けない、逮捕を願っている』と心から思って主張しろ、さもないと家族全員はおろかつながりのある親戚全員なぶり殺しにしてやる、どのみち重犯罪者の家族だという時点で職からも地域からも追い出してずたずたになるまで追い回してぶっ殺してやるがな!」というメッセージを感じます。

日本人にとってどれほど儒教の影響が小さいかよくわかります。
日本人の倫理は徹底して「世間に迷惑を」であり、その影にある「穢れ」であり、今はそれが変形して絶対遵法になろうとしているようです。
論語や聖書など、道徳を考えるときの対照・参照さえ存在していない、恐ろしく短絡的に法が前面に出てしまっています。

更に恐ろしいのはその影に明確に「穢れ」があること、近代法の精神である推定無罪原則・連座制の禁止が徹底的に排除されているため、きわめて特異な法道徳となってそれが絶対視されているのです。

それ以前に、日本の刑法・刑事訴訟法には家族が存在しないのでしょうか。
明治刑法ではどうなっていたのでしょうか。

日本において、脱獄犯が逃げ切ることが恐ろしく少ないのは、日本の社会の特殊性を示していないでしょうか?
血縁で結ばれ、互いに法に背いてもかばいあう国内群れが強くあれば脱獄犯でも一生普通に暮らせるはずですが、日本ではそれがない…法を尊重しない国内群れが異常なほどない?

にもかかわらず、日本の中には驚くほどの法律軽視がありました。
それが近年のポピュリズムの中で、絶対的な遵法の、特にメディアスクラムによる強要が目立っています…「思考停止社会(郷原信郎・講談社現代新書)」などにあるように。
さらに僕は、それに「穢れ」思想による攻撃が混じっていることを含めたいと思います。厳密な法ではなく、魔女裁判に近い要素があるので遵法はいいことだと浮かれることもできないのです。

14

価値観・時代精神の歴史こそ、歴史の中で最も重要かもしれません。

いつどうしてどのように、人は奴隷制を否定するようになったのでしょう。
文化財を尊重し、種の絶滅に憤り、異教徒だというだけで皆殺しにするのをやめ、体を洗い、体罰をやめ、死刑を廃止し…

そしてこれからどうなるのでしょう。
今注目されるのが、児童を獲物とする性犯罪者に対する恐怖・動物の権利などです。

憲法九条は結局時代精神にならなかったのでしょうか?

また地域的な価値観・時代精神の誤差も面白いです。
今中国の時代精神はどうなっているのでしょう。
他のさまざまな地域では?僕は何も知りません。

13

パソコン起動時に出るのは、デスクトップでなければならないのでしょうか?

ファイルビューアーを兼ねたWWWブラウザ・メールソフト・ソフト選びソフト・シンプルなテキストエディタが容易に相互選択できるように出てくるのではなぜいけないのでしょう。
コントロールパネル(システム環境設定)・時計とカレンダー・メディアプレイヤーがあってもいいかもしれません。
やはり独占禁止法でしょうか?

また、コントロール+Gで「選択語をグーグルで検索する」(コントロール+Yで「ヤフー検索」…または、何で検索するか容易に設定できる)が標準であれば結構楽なのでは?

12

靴の中敷とiPodなど携帯音楽プレイヤーのイヤホンには共通点があります。

どちらも靴や携帯音楽プレイヤーを使用するには不可欠の部品です。
どちらも簡単に取り替えられ、市場に別売りされています。
どちらも多種多様であり、百円ショップの百円から最高級品になると何万円もします。

考えてみるとテレビやパソコンのスピーカーシステムもそれと共通します。
他にもそのようなものは多いでしょう。

そんなものはいっそ買うときについていなければいい、好きに選べる…ともできます。
どうせ交換する、大していいものではないイヤホンのために余計に何百円か払うのはばかばかしいとも思えます。

しかし、最初からイヤホンをつけず、何百円か値下げして売る勇気のあるメーカーはあるでしょうか?
それにはかなりの度胸がいるでしょう。
ましてテレビにスピーカーを付けずに売るのは無茶といえるでしょう。

イヤホンつきとイヤホンがないものを別に選択肢として売る?
それでは付属イヤホンの価格がもろバレです。
付属イヤホンの品質・価格を五段階に?
それでは売場が複雑になり、メーカー側の負担が爆発的に大きくなります。
買ってそのまま、別の売場に行かなくても使えるというのは想像以上に楽なのでしょう。
その時にどれを選ぶか考えなくていいことも。

一番いいのは、どこかのイヤホンも作っている大手メーカーが、「この携帯音楽プレイヤーには当社の**イヤホンが標準で付属しています」と吐いてしまうことでしょう。

でも誰も最初にそれをやらかす勇気がない、と。

11

運河の歴史は結構重要では?

イギリスでの大規模な運河網整備は、産業革命の準備としても重要だったのでは?

スエズ・パナマ運河はいうまでもなく。

また日本でも明治維新直後に、利根川の流路を変え、印旛沼を大きく干拓しなどいろいろありました。

風車もそれに匹敵するかも。
蒸気機関以前に、エネルギーを利用した工業は結構できていたようです。

で、なぜ中国でも、インドでもイスラム圏でもどこでもそれができなかったのか…

10

五万年前から一万年前にかけて、人類はアフリカを出てから地球全体に広がりました。
本当に人類が足を踏み入れていないのは南極大陸だけと言っていい、イースター島のような絶海の孤島さえ制覇していました。

そして農耕牧畜、文明が始まってから、積極的な移動…十分な数で、定住して交易することは大航海時代までなぜかありませんでした。
古代ローマもイスラムもアメリカ大陸に航海しませんでした。
まあバイキングの一部がグリーンランドやアメリカ大陸に行ったことはあるそうですが、それも継続的な植民には至りませんでした。
中国はオーストラリア大陸やハワイやアラスカを「発見」していません。
アメリカの先住民諸文明も逆にアフリカやヨーロッパやアジア、オーストラリアに大規模に航海することはありませんでしたが、その理由は「銃・病原菌・鉄(ジャレド・ダイアモンド)」である程度説明されています…要するに東西に狭かったため技術水準が低い、と。

でもアメリカ先住民文明も含めどの文明も、少なくともイースター島に最初に入った先住民たちの祖先よりは造船能力は高かったはずです。
古代の狩猟採集民がオーストラリアに移住するより、中国の大文明がオーストラリア大陸を発見して征服するほうが、日本からハワイに、古代ローマからアメリカ大陸に船でたどりつくほうがどう考えても楽だったはずなのに、それがないのです。

ではなぜそれができなかったのでしょう。しなかったのでしょう。
船を作るのに必要な材木が森林破壊でなかったからでしょうか?

当時と気候が変わり、それぞれの大陸間障壁が技術水準の進歩以上に高くなっていたのでしょうか?
確かにアメリカ大陸・オーストラリア大陸・日本列島には、当時氷河期で海水面が低く陸続きだったから容易に侵入できたとされていますが、陸続きになったことなどないイースター島にも先住民がいるのでその反論は違うとなります。

文明のある意味普遍的な傾向として、大規模な遠洋航海を避けるのでしょうか…禁じる?
その違反者が少ないほど?

この「禁止と違反者」のジレンマも厄介な問題を出しますね。
たとえば、なぜ科学が発達したのが西洋であって中国でなかったのか、という問題について、中国は地理的障壁がなく統一されやすく、統一王朝では進歩を禁じるのが容易だったが地理的障壁があって統一されない西洋では進歩がある国で禁じられても別の国に亡命できた、という説明がありますが、それについては「中国の統一王朝が進歩を禁じても、違反者は常にいるからいつかは発展するはずだ」と反論できます。
社会を変えるための閾値があって、それ以下の違反者は問題ではない、でしょうか。

中国からオーストラリアやハワイへのコロンブスがいなかったことも同様に、意味があるだけの冒険者がいなかったから、でしょうか?

ただそう考えると、コロンブスは「意味があるだけの冒険者がいたから」成功したのでしょうか、それとも他のさまざまな要因があってでしょうか。
アメリカ大陸にたどり着いたバイキングが失敗したのは、その知識を高く評価して次々に侵略者を送り込む大きな王朝がなかったからでしょうか。

さらに人口問題もあるのでしょうか?
若い人口が過剰だったヨーロッパは征服欲が旺盛だったけれど、中国やイスラムはそうではなかった…とか?

それとももっと単純に…スペインから中米の航路は「帰れる」貿易風がありましたが、中国からオーストラリアやハワイには帰れる風がなかった…いや、それはイスラムや古代ローマがアメリカを「発見」しなかったことの説明にはなりません。

帰還航路(風)があることも必要なのでしょうか?
少数の漂流者が日本からハワイやアメリカにたどり着いたとして、逆にハワイやアメリカを征服することは無理…なようです、ハワイやアメリカが日本人に征服されていなかったことが証拠です。まあ日本からハワイやアメリカに生きて漂着すること自体不可能かもしれませんが。
到着だけでなく帰還・大規模な国への連絡・大規模な第二次船団の派遣がなければ征服は難しい、少人数の漂流者は全滅するだけのようです。

船の性能、遠洋航海技術?
中国の船の性能や遠洋航海技術は一時はコロンブスよりは上でした。

9

国債は本質的に、経済規模を桁外れに拡大するか破綻するかの二択では?
高度成長なし、低成長経済で、財政を縮小して返すのは不可能なのでは?

日本にもできることはあります…日本の広大な領海を海藻いかだでエネルギー・家畜飼料の畑にすること、世界の沿岸砂漠を水田やマングローブに変えること、そして軌道エレベーターを作って宇宙に太陽電池と情報網を張り巡らすこと。

世界の海や砂漠で、太陽光は十分なのに光合成が行われていない…肥料元素が足りない海か、水が足りない砂漠…はどれだけでしょう?
地球の半分以上では?

8

余剰人口の処理に自殺を使ったら、それは機能するでしょうか。

アメリカは刑務所を使っているようですが、機能しているでしょうか…そしてこれからも機能するでしょうか。

今の日本の余剰人口について考えましょう。
現場で人が余りました。グローバル化で多数の超低賃金労働力が流入、IT化で人が、特に多人数の中ぐらいの熟練を持つ工場労働者が必要なくなった…など。

一番いいのは新産業に投入することでしょうか。うまくいけば新産業が発展し、経済規模全体が成長します。インフレもあるので公債も含めて借金の負担も減るでしょう。
でもそれはうまくいっていません。
新産業のITは必要とされるのはきわめて高い教育を受けている人で、しかも労働条件は悪いままです。
コンテンツも労働条件の悪さ、食える率の低さがひどいです。
介護も生きられる仕事ではなくなっています。
いや、サービス業全般が、マニュアルで動かされる低賃金アルバイトと超長時間労働店長の構造が定着して、生きられる産業ではなくなっています。

伝統的には、今の日本で考えると企業内処理から家計負担、そして最終的には政府負担となります。
企業内で移動させるのも、特に今のように新産業があてにならないのでは限度があります。
それでリストラしたり非正規化したりして、特に非正規の若者をパラサイトさせることで負担を家計に移すことに成功しています。
でも限度があり、いつかは非正規で技能が蓄積されていない中年層が大量にできます。
福祉をやるならそれは政府の負担になります。

政府が福祉を捨て、使い物にならなくなった低技能貧困中年層を厳罰化で終身刑か、ガス室か、自己責任論で自殺に追い込めば…結果的には消費納税が大いに減りますが、ベーシックインカムや財政破綻より現実にはそうなりやすいし、国にとってはよいのでしょう。

古来は余剰人口は植民地や戦争という手もありましたが、それももう無理なようです。

7

全能をやるから問題を解決してみろと、いろいろな立場…特に憲法九条を「信仰」している日本型左派…に言ってみたいものです。

ちなみに全能を得てもできることは驚くほどわずかです。
全知でないことも大きいでしょう。今がどうなっているのかも、何をすればどうなるかもわからないのでは。

自分の幸せすら全能では得られません。
自分の心そのものを書き換えることをしなければ、ですが。
軍隊や修道院のようなところ…それも理念上ではなく現実的な…に完全に順応した精神に自分を書き換え、そこに行けばまあ幸せではあるでしょうが、今の僕にとってそれは最悪の不幸です。

6

人権擁護の名において人権を侵害することは簡単です。
信仰の名において神を穢すことが簡単であるように。
それほど善に悪は入り込みやすいのです。

それにしても、どう見ても問題のある人権擁護法案をなぜ修正しようとしないのでしょう?

人権委員会が間違っていた時に確実に修正できるよう、少なくとも警察と検察と裁判所程度にはチェックアンドバランスが働くシステムにできないのでしょうか?

5

不幸の元は「社会全体に目的がない」ことでは?

地球緑化、貧困をなくす、人類の永続、宇宙開発などは目的にならないでしょうか。

言いかえれば未来が見えないということです。
科学技術に対する期待が減り、関心を失ってひたすら情報技術の進歩を口を空けて待つだけ、百年後のエネルギーすら想像しないで生きている我々は、未来を見ようとすることをやめたのでしょうか。

人類がこれから何を目指すべきか、どうすべきかは誰に聞けばいいのでしょう。

政治家でしょうか?SF作家?工学者?
倫理学者?ローマ教皇?
それとも民意でしょうか?
または権力を持つ金持ち階層?

それ以前に、人類自体に「船」のアナロジーを使うのは有効でしょうか。
針路を決め、そちらに向かって舵を切れる存在なのでしょうか。
今は舵を切っているのでしょうか。

4

ブログでコメントする前に、価値観以前の前提をすり合わせないから多くのブログがうまくいかないのではないでしょうか。
ブログ自体が価値観以前の前提を明示し、またコメントする人も自分の前提を明示してから話に入らなければならないのでは?

そういう普通は言葉にすらしないような、深い部分の原則をすり合わせない限り、それこそ非ユークリッド幾何学のかなり高度な講義を、ユークリッド幾何学だと思い込んだまま聞いて議論しようとしている、なかなか「この講義は非ユークリッド幾何学の講義です」と気づかないようなずれが起きてしまうのでは?

3

愚民ならば、もう一度義務教育をしては?

投げ出す理由を探すより無茶でもできることを示すほうがいいのでは。

少なくとも最低限の科学、統計学、左右両方からの歴史認識問題などは叩き込んでも損はないのでは?

2

途上国には

以外の選択肢はないのでしょうか?

まともな民主主義で、適切な福祉のある、それでいて市場はきちんと守られていて適度な競争があるため経済成長の著しい政権…
というかアメリカだってその基準には合格できませんが。

どうすれば、誰もが食べられ、希望があり、自由に物が言え、安全で平和な国を作れるのでしょう。

日本の左派の言葉通りにしてもできるはずはないです。
アフリカでも南米でも、あまりにも何をやっても失敗ばかりです。

1

僕は何を知らないのでしょう?

僕は何かから目をそらしているはずです。

ある日、僕は見ないことにしていた何かに打ちのめされるでしょう。
全てを失い絶望し、死を求めるでしょう。
これまで繰り返しそうしたように。

明日帰ったとき、部屋が丸焼けになっていない保障はありません。
今携帯電話が鳴って家族の悲報が届くかもしれません。
次に金を下ろそうとしたら銀行の口座が空になっていることに気づくかもしれません。
今扉をノックされ、身に覚えのない重犯罪で逮捕されて、睡眠不足で自白し数年後に処刑されるかもしれません。
今頭痛がして、気がついたら半身不随かもしれません。
今大地震が起きるかもしれませんし、核戦争や核テロが起きるかもしれません。

明日どんな出会いがあるかもわかりません…いい出会いはありえないですから客観的には最悪の出会い、でも主観的には本当の自分を教えてくれたかけがえのない人…に操られて嬉々としてどんな極悪非道をしているかもわかりません。
美女に一目ぼれして、絶望に苦しむかもしれませんし、自分を制御できなくなる前に自分の命を絶つかもしれません。

少なくとも死だけは裏切ることはないはずです。
不老不死薬が安く発売されても買うつもりはないですし、不老不死ウィルスがばら撒かれることも多分ないでしょう。