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30

もし中国・韓国・ロシアが共同で
「魚釣島は中国領・独島は韓国領・北方四島はロシア領だと24時間以内に不可逆的に承認せよ。最後通牒だ」
と命令してきたら日本はどうできるでしょう。
アメリカにドラえも〜んでしょうか?それともおっしゃるとおりに?

というかもう、それになりそうな気配なのですが。

軍事的に何もできない日本が、それらの領土をすでに取られていないほうが不思議です。

いや、幸い尖閣諸島は台湾や東南アジア、竹島は北朝鮮など、ほかにも係争があるのでなんとかなっているのでしょうか。
逆にそれらを調整して集中攻撃されたら、日本はまったくどうしようもないはずです。

さらに、中国と韓国が連名で、歴史認識問題を絡めて天皇および国会全会一致の謝罪・賠償・教育改革・言論統制も含め、さらに経済レベル、国政や外交権、軍事に関しても多くの要求を、それこそ「二十一か条の要求」レベルでやってきたらどうするのでしょう。
さらにアメリカがそれを黙認したら…

29

生活保護・失業保険・親族扶養などは「希望がある場合」でなければ意味がないのでは?
99.9%は社会復帰できない、せいぜい五十歳まで年百二十万が限度なら。
大半にとって職業訓練が無意味なら。

老いて役立たずになった膨大な低賃金未熟練労働層はどうすべきか…
「アンダークラスは死ね。お国の足手まといだ。
一日一ドル以下、365日20時間労働で数ヶ月で死ぬのがほとんどの人間の分相応というものだ。
人は本来ほとんど、生まれてすぐ間引かれ、押さないうちに栄養失調と伝染病で死に、長じても相続財産がなければ仕事などないので戦いで死ぬか鉱山奴隷で数ヶ月で死ぬか、女なら売春で性病にかかり生き腐れるのがまったくの当然だ。
高度成長という時代が異常であり、今から先は常態に戻るだけだ。
外国人研修生以上に、中国のスウェットショップの奴隷労働以上に安い給料と過酷な労働に耐えないものは死ね」
それが新しい時代の道徳でしょうか。

これまで(工業化高度成長期)とは違い、アンダークラスに「可能性」はなく、職業訓練は無駄といっていいように見えます。
「ちゃんと探せばまともな仕事はある」時代と、そうではない時代…違う時代です。
道徳的に改心し、職業訓練プログラムを正しく終了したとしても、彼らを吸収できるだけの高い職はこの世界にはありません。

道徳の世界はその違いをまったく認識できない……それは意図的に、ガス室を目的としてと考えればいいでしょうか?

また、世界の貧困層はどうすればいいでしょう?
豊かにする?
殺す?
そのまま?
このままエネルギー問題なしに経済が成長しても、全人類が豊かな生活をするのは無理でしょうか。

28

安売り店で、ついでに人間の食料と飼料品質ギリギリ境界の穀物・豆・イモ・パーム油の大容量超安価がないのはなぜでしょう?

どれも、人間が本当に最低限の金額で生き延びるにはあればありがたいものです。

27

経済を考えるのに、「賃金総額」は重要ではないのでしょうか。
公務員の人数も賃金も半減し、正社員も非正規化して特権層の給料を引き下げ、国会議員も減らし…と、「日本をよくするため」の意見はひたすら「実行したら国内賃金総額が減る」ことばかりのような気がするのです。

公務員を減らすことは、社会に給料の形で回る金が減ることです。その金はどこに行くのでしょう?
給料総額が減れば消費・内需は減ります。そうなれば不景気から税収も減ります。
財政再建などできるはずがないじゃないですか。

というか消費税増税でどれだけ税収が上がりましたっけ?

賃金総額は上がらないのでしょうか?これから減り続け、その中でどう配分するかだけ…それこそ乏しい油田しかなく、そこから戦艦と戦闘機と戦車と輸送船のどれに燃料を配分するかで争う負け戦のように。

改革さえすれば成長産業が今まで以上に、というのはよく聞きますが、成長産業というのはなべて必要な教育水準が高い割に、ごく一部の腸エリートを除いて低賃金超長時間労働が普通の、生きられる職ではないのでは?

生きられる職自体、これからの時代にはありえない贅沢でしょうか?
だとしたら経済はずっと回復しそうにない、ひたすら縮小し続けそうです。

26

洗面器を風呂桶のふちに、落ちそうなぐらいに置いておけば、あふれた瞬間大きな音がします。
そうすれば風呂をあふれさせて泣くことはなかったんですが…

25

倫理学、道徳は、要するに「人は今の自分が善とされ、行動が正当であると認められることを好む」から必要とされているのでは。
それも基本的には、進化心理学的な群れの中で、さまざまな環境に適応しつつ群れの一体性を維持する必要からできているのでは。

基本的には宗教もそう…道徳や倫理を宗教から切り離すのは、それどころか法哲学さえも宗教や魔術から切り離すのは無意味なのでは。
法教育で、倫理学・哲学史・宗教学・さらに魔術や呪術に関してどれだけの単位が必要なのでしょうか?もし不用だとしたら驚きです。

ちなみに、僕は人間の脳に配線される道徳モジュールは全く信用していません。
それはホロコーストを止めるものではないのです。

24

SF作家や科学者に、「人類文明の存続」についてアンケートというか賭けをやったらどうなるでしょう。

また二十年後・百年後・二百年後のエネルギー、宇宙開発などについても。

SF作家や科学者以外に、これについて考えられるレベルの科学知識がある人はどれぐらいいるでしょう?
企業や官僚ではどんな人がいるでしょうか。

23

児童ポルノ法と従軍慰安婦で検索してみたら…驚きました。
僕自身は、「児童ポルノ法が暴走して文章も含んでしまうと、従軍慰安婦についての記事も書けなくなる」という危惧から検索したのですが、どれも…

僕の感性や考え方は徹底的に的を外していて、同じ日本語話者ですらないんだ、と痛感してしまいます。

ちなみにカナダでは文章も禁じた結果、反ポルノフェミニズム活動家の本が焚書されたという笑うしかない事態になりました。
児童ポルノ法と対テロ関連の法は、内心・言論系の自由を奪うのに非常に有効と思えます。

児童性愛自体を犯罪とし、それを判定するのは公安警察だ、とすれば、それこそ誰でも逮捕できますから。

そういえば、海外でひところカトリックの聖職者が次々と児童虐待スキャンダルになりましたが、なんかナチスドイツ時代も性的スキャンダルが教会弾圧の切り口だったそうですね。
その記憶は教会側にはないのでしょうか?

22

電車の天井からたくさん吊り紐が下がっていて、それに体重のほとんどを預けることで楽に立っていられるというのはなしでしょうか。

飛行機とかだったら、壁が蜂の巣構造になっていて一つ一つがテレビつきのベッドだとか、または多数のハンモックも体積を有効利用できそうです。
昔の奴隷船とは異なり、今は機械力で新鮮な空気を送ることは容易なのです。

21

近代の根本は試行錯誤、エラー修正です。

科学は知の試行錯誤。
民主主義は政治の試行錯誤。
市場経済は経済の試行錯誤。
だからうまくいくことも多いのです。

どれだけの人がそれをちゃんと分かっているでしょう。
逆に、「ああすればこうなる」をわかっているかのように考えている、それは気持ち悪いですし、根底的に反近代的ではないでしょうか。

まあ僕にもそれはあります。

それとも近代の根本は、「未来予測は科学力で正確にできる」という、科学による人類の万能感でしょうか?
試行錯誤というのは超近代的なことなのでしょうか。

20

今の世界の論の世界は、宗教の原理主義やポストモダン哲学、まだまだ力があるマルクス主義などがひたすら争っているようです。
アメリカの政治ではキリスト教原理主義の力がきわめて強いです。

科学はそれに参加する資格もないのでしょうか。
もはや科学に力はないのでしょうか。

百年後の社会にとって、「月刊デリダ」と「月刊鉄」の今の論文のどちらが重要になるでしょう。

かつて、大英博物館図書室で生まれた『資本論』が、世界地図の半分を塗り替え数億人を殺しました。
またスイスの特許局から『相対性理論』が生まれて宇宙の本質を解き明かし、またヒロシマナガサキで三十万人を殺しました。

どちらが重要だったのでしょう。
そして今、どこかの雑誌でそれに匹敵する何かは発表されることはないのでしょうか。

19

貧困対策として自立・職業訓練を言う人もいます。
有効であればの話です。
魚を渡すのではなく釣り針を…漁場全体が衰えていたら、過密だったら?
トランポリン…上はもういっぱいだったら?
生存でき尊厳を得られる職そのものが大きく減少していて、もはやそこはいっぱいだったとしたら、皆がどう努力しても統計的に相当部分は落ちることになります。

頑張って世界に通用する人材になれといわれても、TOEFL600情報工学博士でも、中国やインドやベトナムなら同じかそれ以上の能力で時給いくらで一日18時間365日働くのがごろごろいます。
どうすればいいんでしょう。

努力主義はあくまで守れという人もいますがそんな人でも、その子供が「歌手」「俳優」「声優」「芸人」「作家」「画家」「プロ野球選手」などになりたがれば反対するでしょう。
そういう世界は構造的に、百万人志望者がいて、十数万人ぐらいは本当に努力していて、そして五万人ぐらいは努力の方向が正しく生まれつきの才能もまああるので充分実力があり(単なる天才で努力なしに実力だけある人もいます)、数百人は努力や才能も桁外れでか超天才ですごい実力があり、さらに成功して食べられるのは数十人です…さらにその成功者には、努力していない天才や、実力もない幸運なだけの人、それこそ偉い親の子に生まれたり権力者に恋されたりしただけの人すら含まれるのです。
努力も才能も桁外れの超実力者でも成功していない人は何百人もいるわけです。
努力の量はあっても、質が悪くて成功していない人も多いです…「かめはめ波の練習」というものもあります。方向を間違えていたらどんなに努力しても無駄なのですが、それも努力不足でしょうか?
スティーヴン・キングに送られていた原稿の一つで、彼がたまたま飛行機に乗る時に読み、面白かったので出版社に推薦されて書籍化されてかなり売れてシリーズにもなった本があります。
でも、スティーヴン・キングの机…というか倉庫レベルで、またメールボックスにはテラバイト単位で何百万も原稿はあるでしょう。
その中の数千は、その面白かったので本になったものぐらいの面白さはあるでしょう。
それこそ「スタイルズ荘の怪事件」クラス…スティーヴン・キングをはるかにしのぐ超天才の作品も何十も眠っていることでしょう。
何百万の原稿の中で、スティーヴン・キングが生涯に手に取る確率自体が千分の一、万分の一なのです。
というか「スタイルズ荘の怪事件」さえも、いくつもの出版社に没にされ送り返されました。
それが今では…書かれて百年近く経つ今でもなお…広大な森林を紙にして重版され、売れ続けています。
そんな世界に子供を入れたいと思う人はいないでしょう。あまりに高い確率で失敗する、若者特有の誇大妄想に支配された世界です。
そんな世界で、努力に意味があると思いますか?

でも、「ただ食べるだけ」がそれと同じレベルになったら、努力主義を何が支えるでしょう。
今の中国や韓国はそれに近いレベルなのでは?
それでも、たとえ圧倒的な人数に努力不足のレッテルを貼って餓死させてでも努力主義は守らなければならない、「成功していない者は全て努力不足だ」としてしまう…それは狂気ではないのでしょうか?

もっと簡単に言えば、高度成長期では受験勉強・勤勉はほぼ確実にペイしました。
高収入で塾代は取り返せました。
逆に絵やサッカーに金を出しても、その努力どころか費用を取り戻せるのは万人に一人でした。
でも東大を出てニートになるのがあたりまえになれば、真面目に働いても派遣切りされるのが当たり前になれば、努力も勤勉もペイしなくなるのでは?
それで借金型の奨学金では、学校は単に若者の多くを借金奴隷にするだけのシステムです。

「働かなくても食える」無条件福祉は怠惰を産むとされます。
でも「働いても(学んでも)よくならない」絶望も怠惰を産みます。
さらに「成功してないのは努力が足りないから」となっては、ただの思考停止で、現実的には統計的な失敗者の死体の山しか生み出しません。

それは毎月試験をし、勝った者がプールを独占する水泳部です……レギュラーは固定され、新入生は永遠に泳げずスカウト転入生だけとなります。一人で訓練できるサッカーや野球なら純粋実力主義でいいでしょうが、水泳でそれをやると階層社会になります。

18

「大きな物語の終焉」という物語を皆が共有しているのでは?
文芸批評とか何とかよりも、何より餓死を防ぐことでは?

餓死が問題にならない哲学とか思想とかは、一体なんなのでしょう。
さらに人類の滅亡の可能性すら問題でないとすれば。

17

武術の動きを極限まで単純化すると…

下半身、移動の足ができるのは前進後退左右への平行移動、左右の体さばき。
体を固定したままの腰による体軸回転。

手は、きわめて重く長い斧槍を想定しましょう。それも疲れ果てている状態で、短期間の訓練で教えられる単純な動きに限るとします。
それは手はあまり使えず、腰で動かすしかありません。

となるとまず、八極拳で知られる槍の時計回り、反時計回り、突きというか先端を支えるだけで体当たりの三つがあります。
また腰の回転と斧を中心に考えれば、水平振りの左右と上下の打ち下ろし、そして突きは共通です。

ただ、どちらも腰を使うことをしっかりやれば、ちょうど二次元実数座標で直交座標と極座標が相互に同値であるのと同様にできます。
水平振りも上下振りも時計・反時計の回しの応用にできますし、また回すのも左右振りと上下に先端を上げ下げするのを組み合わせると言えるのです。

両手剣でもそれは事実上同じ、ただし相手に正対するか半身になるか選べ、八の字回しが基本に入ります。
片手剣なら腕全体の前回しと後ろ回し。後ろ回しの上昇に肩入れを加えたのが正面への突き出し、前回しを変形させて肩を真横に飛ばすのが横への突き(むしろ逆手のほうがやりやすい)。

それで全てです。

素手になってもただ前回しか後ろ回しか突き出すか、それをどんな角度でやって、肩肘腕手指のどれをぶつけるか、それだけの話です。
あとは前進後退左右転の動きに蹴りを追加するだけです。

それは、実際に両手で素振りをするための重い木刀でも片手で振れますし、重いバーベルでも両手で使えます。

といってもそれは打撃に限定しての話です。
特に舗装された路上では投げ技の効力は下手な武器以上ですし、現代では銃を含む武器も想定しなければなりません。
原理的には、飛びかかって押し倒す、対人ならタックルや頭突きも、動物としての人間にとっては基本的な動きだったと思えます。

打撃で相手を「崩し」そこを投げる、また「崩し」た相手を殴れば当たるしより効く、というのも基本原理でしょう。
つまり投げる武術と殴る武術は、本来別々であるべきではありません。
それこそ、柔道の基礎的な投げ技、ボクシング、それに腰以下への前蹴りと横蹴りを適切に組み合わせたものが路上では一番有効でしょう。
さらにどこででも手に入る、あらゆるものを武器として活用する技術も。
硬くて重いものなら何でも投げられる、長いものなら何でも突ける、また長くて柔らかいものなら何でも振り回せ、さらにそれを牽制にして懐に飛び込んで殴って目をくらませて投げる技術です。

16

人間は…日本人が特に好みます…「言葉で語れるものなどわずか、言葉で語られないものが真実」とよく言います。

でもその「言葉で語られない」ものというのは、たとえば歩き方を言葉で説明できないのは人間の脳内の現象、また教祖が信者を服従させるのは人間が進化心理学的に得ている群れ形成のための無意識コミュニケーション、鑑定家が偽物を見破り刀工が鋼の色を感知するのは感情レベルで出る経験、どれも物理的世界の事象です。

あ、数学言語も、言葉を越えた言葉ですね。

15

今になって気づきました。遅すぎたと思うほどに。
この代表選は、負けたほうが勝ちなのです。

負けたほうはいつでも郎党を引き連れて離党し、自民党と組んで内閣不信任案を成立させることができます。
銃を突きつけて引き金に指をかけていると同じぐらい、言うことを聞かせることができるのです。
どちらが勝っていても。
勝った側にできるのは解散だけですが、解散しても小選挙区では、「自民+負けた側」にはかなわないでしょう。
また選挙資金などの問題もあり、それこそ総辞職して禅譲するほかないかもしれません。
その点は自民党政権でも同じだったように思えますが、昔は自民党の大派閥が総裁選ぐらいで自民党の名を捨てるなど考えられませんでした。
もし小沢氏がやったとしたら、巨大な先例になります。

まあ、なによりも民主党の党規約が最悪すぎるのです。もし小沢氏が勝っていたら、一年で三人目の首相になっていたところです。

明日の新聞の見出しは予想できます…批判的なトーンが強いでしょう。
でも間違いなく、逆に小沢氏が勝っていたとしても、これまた批判的な見出しが並んでいたでしょう。
といっても誰も自民党に戻ることは求めていません。
結局のところどうなっても絶望なのですから、本当にどうでもいいんですよね。

そう考えれば、この代表選騒動は一体なんだったのでしょうか?
というか、安部元首相が「美しい国」を叫ぼうと、鳩山前首相が「命を守りたい」と叫ぼうと何も起きなかったのです。首相が誰であろうと何もできないなら、何を主張していても無視していいのでは?
それを考えると、双方の主張を批判するのも馬鹿馬鹿しい話です。

一寸先は闇、でもどうなるにしても最悪通り越してどうしようもない、どうなろうと希望はない…

2011年の正月を、議会制民主主義国家の国民として迎えられる保障はありません。
希望がなければポピュリズムは歴史の常ですから。
少なくとも、2011年の九月を菅首相で迎えられたら、それは驚きというべきでしょう。

14

人は村八分村か、孤独な砂粒か、どちらかしか選べないのでしょうか。
世間も宗教もなしに人は生きることはできないのでしょうか。

特に成功者でない人は、どちらも失ってどう生きていけるでしょう。
その隙間は宗教かファシズム以外ありえないでしょうか?

日本でのファシズムは…最終的に30%餓死、20%が飢餓状態で憎まれ虐殺されている放棄民、30%極貧で恐怖と飢餓を暴力と管理生活に転嫁させられた戦闘機械という名の家畜、19%は地位にしがみつき無関心で自由を奪われがんじがらめの中流もどき、1%の貴族のみが贅沢三昧といったところでしょうか。

また、宮台氏はグローバル化は避けられないから社会に力を与えよ、と言いますが、日本でファシズムに反対する人々からみれば、国家だろうと村八分村だろうと人工的な社会だろうと社会そのものが危険です。
また新自由主義の本質からいってもすべての「社会」の破壊を通じて富を企業・軍国に集中するのが歴史の流れです。

問題は、権威主義的社会は科学研究に適していないため長期的には停滞することですが、北朝鮮は存続しているしナチスドイツも成功していたかもしれない……
それにライバルを全て抹殺すれば科学を進歩させる必要は別にありません。権威主義的な停滞社会のほうが心地よい……全地球が北朝鮮であれば、半永久的に安定しうるのです。

新自由・新保守主義の行き先は、一部の懸念どおりファシズムでしょうか?村八分村が壊れ、孤独な砂粒では生きられないから?

特に新自由主義と、中南米などでは軍事政権・独裁者との親和性が高いのは確かです。
中産階級の没落は社会不安を産み、何かでそれを吸収しなければなりません。また民主主義が機能しなくなることも重要で、その代替として幻想の政治が必要となります。

具体的にはどのように、新自由主義がファシズムに至るのでしょう。

はっきりしているのは、生活が苦しくなり、給料が下がり、失業が増えればあてのない憎しみ怒りが増えます。それは富裕者に対する怒りになることもありますが、適切に誘導すれば「福祉にぶら下がる怠け者」「不純な汚物」に向けることも可能であり、よりやりやすいです。
特に富裕者に対する怒りはもう、共産主義の失敗で否定されていますし、民主主義さえも神通力を失っています。
けれども人はなにかなしにはいられません。それが国家やカリスマなど空虚なものに集まるでしょうし、それは空虚であればあるほど力になるでしょう。

その場合日本やアメリカではそれぞれ、宗教はどのような役割を果たすのでしょう。
神権的なファシズムも充分あり得ます。
アメリカでは福祉なき自由を教会がカバーしています。
日本では教会がないがゆえに福祉削減が地獄を生み出しています。
何がそれをカバーするのでしょう?「貧乏人は死ね」というネットに蔓延する、選民思想的自己責任主義は新自由主義の本質、避けられない流れでしょうか?貧困層に対する憎悪を核にしたファシズム…かなり矛盾した言葉です。多分それは、ファシズムとは定義から異なる、まったく別の怪物でしょう。
元々ファシズムは大きい政府の極です。

ただ問題を、「大きい政府」と「市民的自由の剥奪」に分ければ、小さい政府であり、同時に市民的自由が徹底的に剥奪された恐怖政治というのもありえるわけです。

超富裕層の立場に立って考えれば、どのような形での恐怖社会が彼らのユートピアになるでしょうか?
そしてそれを阻む力はどこにもないのですからそうなるのは必然でしょう。

まあもちろん、なにか間違って共産主義の方に行けばそれはそれで最悪だというのも確かなことです。

肝心な、要するに好きなことを考え言っていい、罪なく拷問されない、誰も餓死しない、などという贅沢は、高度成長という特異な時代にしか求めてはならないのでしょう。
誰もが群れの思想で抑圧され、運が悪ければ罪なく拷問され粛清され、圧倒多数は常に餓死に瀕して死ぬまで働く、それが人の世の常なのでしょう。

13

源頼朝、豊臣秀吉という二人の馬上天下を取った天下人は、自分の血族の皆殺しといっていいことをやっています。

頼朝は義経が有名ですが、他にも叔父や弟を殺しています。
それこそ源家のある程度以上濃い血を引く者は、平家の嫡流以上に草の根分けても殺された、と言っていいぐらいです。
源家が事実上断絶したのも、その徹底的な血族殺しがたたったといえます。
ただし鎌倉幕府はそのシステム全体が、義経追討のためにあると言っていいぐらいなんだから面白いです。

秀吉も秀次の子供を皆殺しにしました。それは、結果ただでさえ少ない自らの血族を大幅に減らしてしまい、結果的に豊臣家が残るのを不可能としました。
もし秀次を殺すのみとしその子供たちを見逃していれば、豊臣家自体は残った可能性はあります。
まあ元々姉も弟も含め呆れるぐらい繁殖力の低い血筋ですから長くは残らなかったでしょうが。

日本史の信頼できる歴史で天下人と呼べるのは、まあ継体・天武天皇あたりはなしとして源頼朝、足利尊氏、豊臣秀吉、徳川家康、明治政府でしょうか。
その中の二人までが同族を皆殺し、いや足利尊氏も弟と延々と殺しあってます。
いや、天智・天武天皇の政権も多くの同族を殺していますね。

ある意味それが日本の伝統といえるのかもしれません。
血族を活用して(反乱が起きることもありますが)中央集権政府を作る中国とは対照的です。

12

なぜ環境などで人類全体をふり返る本も、すべて最後は「自然と調和した生活に目覚めれば」なのでしょう。
全ての人がキリスト教信仰に目覚めれば、とどう違うのでしょうか?

人間そのものが、アリが砂糖を好むと同じように、「今この世界は道徳的に間違っており、このままでは滅びる、目覚めれば救われる」という話が好きなだけでは?

僕自身は……それこそ、「人間は生物である」「生物の目的は自己複製」「生物が普通に進化しても宇宙には進出できないが、人間だけはそれができた」この三つは真実のはずです。
ですからたくさん播種船を宇宙じゅうに打ち上げ、どれか一つがうまくいけばいい、が唯一確かなことだと思っています。

その上で地球に残る人々が、何を目的にするかは……正直勝手にしろ、です。

というか本当に人類は、今後も宇宙開発はせずに地球に引きこもるつもりでしょうか?

ちなみに、人類の大半を宇宙に移住させることができれば、人類も繁栄しながら地球の自然も繁栄しつづけることは充分に可能です。
それをこそ目指すべきではないのでしょうか?

11

今、あらゆる人にあのテロをどう思うか聞きなおしてみたいものです。
どうしていればよかったのでしょうか?

イラクからの米軍撤退は成功するでしょうか。
オバマに感じた希望は今どこに行っているでしょう。

10

それにしてもなぜ保守は貧困層を憎むのでしょう。

福祉、ベーシックインカムがあって安心だと人は働かなくなるといいますが、福祉がなく不安でも、貧困と格差が絶望の域に達してしまえばこれまた怠惰に似たものが蔓延します。
ソマリアやアフガニスタンの貧民層は勤勉に明るく働いているでしょうか?

希望と勤勉は単純には得られない複雑なものです。
福祉を否定したら、貧困層は絶望と憎悪に満ちた別の層となります。
無論福祉も失敗すれば、貧困層は依存しつつ憎悪に満ちた別の層となるものです。
どちらにしても希望と勤勉にはならないです。

どうすればどちらの悲惨でもなく、社会の一員に戻して希望と勤勉を取り戻させることができるのでしょう。
それは先進国の高度成長のような、時間的にも空間的にもごく限られたところで稀に起きるだけのことで、衰退期の先進国が再現しようとしても、貧困国が真似しようとしても不可能なのでしょうか?

そして保守は、本当に皆が貧しくても上を見て勤勉に働く社会を望んでいるのか、それとも絶望と沈滞と腐敗に腐りきった、多くの飢えた貧民と華やかな貴族の階層社会を夢見ているのか、どちらなのでしょう。前者を望んで後者をもたらしているだけなのでしょうか。

というか、日本において「保守」と「自己責任」に何の関係があるのでしょう。
なぜ日本の「保守」が、アメリカのスマイルズの「セルフ・ヘルプ」を信奉しなければならないのでしょう?

アメリカの保守は「大草原の小さな家」が理想です。銃を持ち、自力で地を耕して自給自足し、インディアンから家族を守り、ひたすら聖書を読み聖書以外の本は読まず、そして独立戦争の時には自分の銃をとって祖国のために死ぬ、ただしそれ以外の税金は基本的に払わず自分のことは自分でする、というものです。
それと日本の保守と、何の関係があるのでしょうか?
日本で保守すべきは「神ながらの道」であり、聖典は古事記日本書紀やせいぜい二宮尊徳では?

保守について、「理性の限界」を言う人もいますが、日本の保守はそれでもないと思えます。
まったく違う、奇妙な情念としか言いようがないです。
それを言うなら保守とファシズムも相容れないものですが、特に革新側は日本の保守はファシズムに他ならないと信じているようですね。

そうそう、革新を「理性のみで社会を設計する」と否定しますが、それは特に民主主義の、「エラー修正機構」を無視しているのでは?確かに民主革命の結果、原理主義的社会ができる例は多いのですが。
保守もまたエラー修正機構がありません、特に伝統に従ってしまえば。

伝統そのものもエラー修正的ではないですし、現在の保守的指導者がこれが伝統だと判断することで保守するために変えるのだ、としてもその保守的指導者のエラーを修正するものはありません。
必要なのは保守でも革新でもなく、ただエラー修正機構です。

9

特にパラサイト・シングルの非正規雇用者が「働いている」ことのかなりの部分が、間接的な税金ではないでしょうか?

ちゃんとした収入のある親の援助で、その給料だけでは到底一人暮らしも続かない給料で働き続けることができています。
逆に非正規雇用者暮らしは、親の援助がなければとても続けられない人が大半なのでは?
それは、その「親」が公に高額の税金を払い、それによって非正規雇用者を必要とする企業が、大幅に削減できた人件費の分補助金を貰っているのと同じ事では?
またブラック企業の超長時間サービス残業も、一人暮らしでは続けられないでしょう……労働者の家族のバックアップがあればこそ、逆にその家族から金を企業が貰っているに等しいのでは?

「働け」という道徳を利用し、日本の公は「親たちから高額の税金を取っている」のでは?

その非正規労働者たちを今すぐガス室送りにすれば、親たちはその「高額の税金」を取られずにすむので大助かりなのでは?
それがどんな経済効果をもたらすでしょう?

根本的な問題は、いい仕事自体が少ないというその一点です。

8

なぜ北海道で水田稲作をしているのでしょう。
ジャガイモ・ライ麦、その他寒冷地に適応した主食作物と、寒い気候に適応した窒素固定能力のある豆を交互に栽培していれば、もっと多くの人を養えたのでは?

つくづく日本人のコメ信仰はすさまじいです。

逆に、カナダやロシアの北方で、無理をすれば水田稲作ができる地域ってどれぐらいあるのでしょう。

また熱帯雨林地方は、本当は水田稲作が適しているのでは?
どんな農法が持続可能なのでしょう。
やはりサゴヤシとか…といっても、バナナやカカオ、アブラヤシなど木かそれに近い作物が大規模な熱帯雨林破壊になっているとも聞きますし。

7

アメリカ・ヨーロッパ・日本が希望と活力を取り戻すには、進歩と進出をはっきり目的にするのが一番良いのでは?
海と宇宙、他思いつける限り。科学技術をもう一度信じて。

より容易なスカイフックを含む軌道エレベーター、メガフロート、核融合……

超巨大土木工事は、これからはもうないのでしょうか?ユーロトンネルと中国三峡ダムが最後?
マレー半島横断運河も、第二パナマ運河も、コンゴ盆地からサハラ砂漠への人工河川も、対馬海峡横断トンネルも、アマゾン河口から中米砂漠地帯への水道橋も、なにもないのでしょうか?

やっているといえばせいぜいアマゾンやニューギニアや中央アフリカ熱帯雨林を赤砂漠にするだけ?
二一世紀の人類というのはそんな無力なバカでしかないのでしょうか?

今すぐ「一億人の健康な働き手」を欲しい国はどれだけあるでしょう。
どうやら第二次大戦が終わった時のソ連は欲しかったようです……シベリアに何万人も、国際法無視して連行するほどに。戦車の鉄よりも、人のほうがよい戦利品だったわけです。

でも今、それをどこの国が必要としているでしょう?

人類の発展は終わったのでしょうか?世界全体が経済成長していると言っても、そういう大規模な話、根本的な技術の変革の話が一向にないのは?
それ以前に、十年前と現在で、飢えている人間の数がどう変わったかも伝わってないのって…

何より、科学技術は今がピークなのでしょうか。
2100年、我々はどんな科学技術を用いているでしょう。
核融合炉は?軌道エレベーターは?軌道エレベーターを用いた宇宙太陽光発電は?自己増殖性ナノマシンによる水星の宇宙太陽光発電所化は?宇宙開発そのものは?人類は火星に足跡を残しているでしょうか?
サイボーグは?介護の機械化は?動物を殺さず細胞を培養して得る肉は?バイオテクノロジーによってできる完全な人工臓器は?海水で育つ稲は?
脳直結コンピューターは?人間以上の知性をもつコンピューターは?

6

社会系の文系諸学問には根本的な目的があるのでは?

経済学は「誰も餓死させない」。

軍事学は「われわれが皆殺しにされ、奴隷化されるのを防ぐ」。

政治学は「この群れをバラバラにさせない」。
法学もまたその目的に奉仕するものですが、「秩序」の解釈によっては倫理・宗教の領域に大きく踏み込みます。

商学は「公平な取引を保つ」。

どれも間違っているでしょうか?

5

ドングリのあくは発酵では抜けないのでしょうか。
いろいろやり方がありますが、主に水と灰を用いる方法で、発酵は覚えているかぎりありません。
ソテツとかキャッサバとかの毒抜きに発酵を使う手はあるそうですが。

ドングリ・定住農耕・放牧のどれが一番強いのか…ドングリが一番弱いことは確かです。
あと鮭も地域によってはある程度安定した大量の保存食を供給するようですが。

なぜドングリ文明はそれほど弱いのでしょう。
農耕と放牧は、放牧のほうが常に戦争では勝ちますけど…

そういえば、定住農耕と言っても昔は結構移動性があったようですね。
昔の日本が頻繁に遷都し、それ以前はもがり宮で移動していたのは、下水道と木材長距離運搬の技術に乏しく、土壌や水系が汚染され周囲の木を切りつくしたら移動するしかなかったと考えるのが自然でしょう。
日本以外にそういう移動性の都市があったかどうか。

ドングリ以外に、発酵すれば食べられるようになる潜在的食料源はどれぐらいあるでしょう。
本来木や草のセルロースも、微生物に分解させれば食べられるのでは?
まあ牧畜も、消化器内微生物を用いて分解させたのを乳や肉にして食べていますし、シロアリも消化器内微生物を用いてセルロースを分解しています。キノコを栽培しているアリもいますが。

4

友人・家族がいない人間、スーツを着ていない男性は基本的に不審者であり、服役囚同様外出しないでいることを期待されます。
平日昼間に外出している二十歳までの男子も、それ自体が不審者で補導に値します。

外出しないでいるとアリバイがないので、本当は「家にいることが証明され、かつ外出しないでいる」状態を維持できる装置が必要でしょう。
というか、地域の有力者に恨まれているなど冤罪の恐れがある人間は、「完全に自分のアリバイを証明できる」装置を身につけておいたほうがいいのでは?

本当は誰もがそれを常にしていれば冤罪の恐れはないのですが…

3

教育に効果があるんでしょうか?

職業訓練は?
ちゃんと就職できるのでしょうか?
もはやそんな時代ではないのでは?

大学は?
必要な知識をちゃんと習得すること、就職の助けになること、ともにできているでしょうか?

特に、新しくできた「名ばかり大学」とも言われる大学が問題です。
本来大学教育のはずなのに、実質的に教育の体をおらず、就職にも役立たないし、職業能力を高めるわけでもないそうです。
でも、本来なら教育というのは職業能力を高めるのでは?
なぜそうならないのでしょう?

高校は?
必要な知識をちゃんと習得すること、就職の助けになること、ともにできているでしょうか?
それが壊れたとしたら、アメリカのように「凶暴な若者を閉じ込めておく檻」でしかないとしたら…

小中学は?
中卒の生徒はどの程度の知識を習得しているでしょう?
特殊学校は?

技術によって低賃金未熟練労働から熟練労働に上がるルートが断たれたのだとしたら、もはや職業訓練は無用になります。
そして梯子をつかんでいない膨大な人々自身も、社会にとって究極的には無用な存在になるのです。

2

空母に乗せる戦闘機などは特別設計が必要だそうです。
でも、だったら普通の飛行場並みに大きい甲板を持つ巨大空母を作れば、高い金使って特殊設計の飛行機を作るよりいいのでは?

パナマ運河制約でしょうか?

実際問題、パナマ運河制約がなかったら、世界の海運はどれほど変わっていたでしょう。
パナマ運河制約があるため、ある程度以上の大きさの船は考えることもできないのです。

それどころか、パナマ運河制約がなかったら、メガフロートさえ当たり前になっていて、領土問題や国際紛争、基地問題などが全部解決されていたのでは?

さらにいえば…パナマとスエズに天然の充分広い運河があったとしたら、世界の歴史はどれほど変わっていたことでしょう。
広さによっては世界の気候や生態系すら変わっていたかもしれませんが。
中央アメリカがつながっていなければ、世界を回る大きい海流ができて世界の気候が根本的に変わりますし、南米大陸では巨大有袋類がたくさんいたはずなのですから。

1

民主党の代表選がどうなろうとそれ以前に、前の衆院総選挙で自民党を勝たせていたら今よりましだったと思いますか?
今の民主党政権がどんなにひどくても、もっとひどかったことだけは確かです。
選択の余地などなかったのです。
それこそ、自民党と社会党の構造になってから六十何年、日本人に選択できた選挙など一度もなかったのです。

この代表選がどうなっても、それで未来は変わるでしょうか?
変わるとしたら、小沢代表がファシストとしての面をむき出しにして、反対者全てが…僕も含めて一夜にして令状もなく逮捕され、拷問で傷だらけのまま放り出されて町を歩かされて見せしめにされるか、秘密裏に飛行機から投げ落とされる事態でしょうか。
いや、それがあってもそれほど変わらないかもしれません。

まあ少なくとも、右から見ればどちらも、そして自民党を入れてもどれも売国ですし、左から見ればどれも従米改憲軍国主義です。
どちらも望まれる政権の希望はひとかけらもありません。
どんな政界再編があろうと、です。真の保守の指導者候補も、平和と人権の指導者候補も国会議員全員探してひっくり返しても、どこにも一人もいないのです。ゴキブリ一匹いないのです。

さて、それで絶望の結果予想されるファシズムを、どうすれば防げるのでしょう。
解散して自民党が勝って、それでどうなるのでしょう。
自民党はファシズムよりましだでいいでしょうか。

というか、根本的に民主党の党規則がおかしいのです。
首相になった直後だろうと代表選はスケジュールどおりじゃ、二ヶ月首相が出かねずさらにあまりに短期間で就任した首相が選挙の洗礼を経ていないと野党に叩かれて解散に追い込まれる、政治の継続性が根本的に損なわれ外国の指導者に相手にされなくなるのは、それこそ民主党結党当初からわかっていたはずでは?
昔から見ても民主党代表の任期の短さと顔ぶれの変わり映えなさは異常通り越してますし。

まあ何がどうなろうと一片の希望もない以上、全くの他人事です。
もちろん自分自身の生命も含めてなんですが、それこそ自分の冤罪で求刑が死刑、警察とマスコミに自分の弁護士までグルだと分かっていて有罪が絶対確実な裁判と同じ、泣いてもわめいても希望がないなら他人事だと楽しむほかないじゃないですか。