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31

人は今すぐ自殺するのが、苦痛の期待値を最小化させる唯一の術です。

明日凄まじい苦痛に長期間悩まされる奇病になるかもしれません。
何十日もかけて凄まじい拷問を続ける連続殺人鬼の餌食になるかもしれません。
覚えのない、死刑確実な複数殺人の容疑をかけられて拷問されるかもしれません。

これは神についてのデカルトの論の変形です。

30

対テロの人権侵害に対する文句が多くあります。
で、代案は?

どうすればテロと戦えるのでしょう。
サヨクお花畑以外に。
はっきり分かっています。

日本が日米安保条約と自衛隊を廃止しても、テロはなくなりません。
しかし日本が全国民を盗聴し常時監視し、怪しい者を全て拷問処刑しても、テロはなくなりません。

アメリカが撤退したソマリアは平和になりませんでした。
アメリカが居座っているイラクも平和になりません。

どちらも誤っているのです……でも正しいのは?

麻薬戦争も同じ、本質的に「終わらない戦争」です。
でも対案がないことも同じです…麻薬解禁はどうしてもできないようです。

29

植物の生とは……ひたすら「運」。
どこに種が落ちるか、どの蜂がどの花粉を運んでくるか、どれぐらい雨が降ってくれるか…
でも全ての生物は、圧倒的に運です。

本来は人間も。
でも人間はそれを拒み、善悪の物語にしたがるものです。

さらに人間は人生の配牌が悪ければ、それはいかさまだと思ってしまうものです。
それで、「なぜ、私なの?」という困った問いも発してしまいます。

28

哲学と科学と宗教が対話できなくなったのはいつからでしょう。
最新の、LHCさえも、哲学者や宗教者に何一つ与えることができないのでしょうか?

哲学者は、科学の知見…DNAなどを前提として考えているのでしょうか?

27

普遍的な時間単位として、「目に当てると、向こう側の穴が見かけの太陽の大きさと同じになる円筒」が使えたはずです。

直視し続けると目が潰れるので、それを太陽に向けた状態で固定して離れ、その筒の影に光がなくなったら、それは太陽が太陽の見かけの大きさ分動いた、ということです。
太陽の見かけの大きさは一定です。つまりそれは、黄道の等分になるのです。

整数倍にならなければ少し不便かもしれませんが。

26

文章はただのテキストではなく、想定ハードウェアに応じた目的があるのでは。
広い劇場で、電気マイクもなく一万人に向けて叫ばれる劇や演説と、マイクで増幅されラジオで伝えられるものと、さらにテレビで身ぶり手ぶり含めて放映されるものとは、まったく違う文章でなければならないのでは。

僕の文章の最大の欠点は、朗読テストをしないことです。

25

業務スーパーで、米が積まれていました。
拝みました、冗談抜きに。

やはり日本人ですね、いや日本人でなくても高地で雑穀を育て、わざわざ低地に運んでわずかな米と交換する人もいるそうですから、米のうまさというのはかなりの普遍性があるのでしょう。

パンもそれに近いものがあるのかもしれませんが。

そしてスーパーからの帰り道、かなり長い道でなぜか腹の具合が悪くなり、脂汗を流してコンビニに駆け込み…これまた拝みたくなりました。

米と、トイレに間に合う。
これ以外に重要なことなど何もありません。

なんというエゴイストでしょう、家族を失い今も飢え凍える人が何十万人もいるというのに。

24

世界のニュースサイトを見ると、もう日本の大震災は古いニュースです。
一面はどこもリビア戦争なのです。

こうしている間にも世界の歴史は動いているのでしょうか。
それとも、すぐに別の、もっと悲惨な秩序になるだけでしょうか。

そういえば、日本の反戦主義者は震災のせいで声が聞こえにくいようですが、今回の戦争も反対なのでしょう。
で、どんな代案があるのでしょうか?

23

防潮堤は無駄なら、完全に津波を前提にした家屋というのは無理でしょうか。

イメージは「陸に引き上げられた船」。
単独で船として機能するような、下から気密の構造を、いくつかの杭に乗せて地上に固定し、出入りもほとんどハッチに近くしたから水圧がかかれば水圧で扉が閉まるように。

または特定の一室はハッチさえ閉めれば家から外れ多少ぶつかってもどれだけ転覆しても浮き続ける、エンジンのない潜水艦として機能するように。

それこそ、散々な教訓でとことん防潮堤を高めていて、これでもまだだめなのか、というのが被災地の正直なところだと思います。

まあ高台に街機能を移せばいいのかもしれませんが。

あと、メガフロートも考えるべきだと思います。
特に沖合いのメガフロートは、浮いているからこそ地震・津波の害をまったく受けません。
道路だけでなく港湾機能も崩壊して、物質的な救援が遅れた教訓を考えると、せめて予備港湾と備蓄および避難所だけでもメガフロートがあれば、と強く思います。

22

科学を前提としたエネルギー議論は不可能なのでは。
左右で、国際情勢や「人間とは何か」に関する前提だけでなく、科学に関しても前提はかなり異なるのでは?

まず予想してみて下さい、「朝まで生テレビ」で、「激論!日本のこれからのエネルギー」をやるとして、参加者は?
テレビによく出る若い国会議員が数名。民主党・自民党・共産党・社民党から。
やや科学性のある話題に出てくるいつものメンバー。反温暖化のベストセラー学者。反原発本をたくさん出している評論家。グリーンピースや反核団体の代表。左右論壇の代表、フランス文学評論家や憲法学者であるコメンテーター。広島で被曝した団体代表もいるでしょうか。原子力推進派の議員や官僚もいるかもしれません。

そして彼ら全員に、大学理学部、一年から二年の物理学の問題である「石炭の燃焼と海水温という高低熱源から、カルノーサイクルの効率および、熱力学第二法則を数学的に計算した表現」、そして情報工学における最も単純なエントロピーの数学を用いた問題、そして太陽電池の原理についての問題を出して、正答できる人は何人いるでしょう。
憲法九条の専門家やロスチャイルド家の系図書き、昆虫学者やフランス哲学研究者に、洋上風力発電のエネルギー収支比をどのように議論できるというのでしょう?
彼らのどれだけが、現在の最新の太陽電池の効率や、そのヒ素をどうリサイクルするか、それを設置する実務、まして軌道エレベーターや核融合炉など最新の科学トピックスについて理解しているというのでしょうか?

熱力学の基礎問題に正答できない人に、日本のこれからのエネルギーを議論する資格はあるでしょうか。
残念ながら僕にもそれはできません。僕も参加資格はないのです。
そして全国民で、参加資格がある人は何人いるでしょう?

さらに、参加資格のある人だけで議論して、その番組を誰が見るでしょうか。誰が納得するでしょうか。
せいぜい、ほぼ密室のなんとか諮問会議で専門家が討議し、その結論……多分原子力継続のほかなし……を公表して、それがまとまる五年後には誰もがこの震災のことなど忘れているでしょう。

それで恐ろしいのは、「御用学者」の一語です。ちゃんと数学言語で物理学を学び、工学に応用してきた学者が政府による諮問会議で議論し、原子力継続という結論を出せば、反原発運動家によってその学者たちの人格も結論も全否定されるでしょう。
そうなれば誰が信頼できるか水掛け論となります。
原発は石油火力より二酸化炭素を出す、と反原発科学者が論証しても、そちらこそ「御用学者」かもしれないのです。
環境保護団体も人間集団であり、御用学者になる圧力があることはクライトン『恐怖の存在』で指摘された重大な事実です。
どちらも信じられないとなると、結局は熱力学ひとつわからない活動家の大声と、官僚の発表と、タレント政治家の絶叫しか届かなくなるのです。テレビでは数学的論証ではなく、目立つものが勝ちです。そしてそのテレビでの勝利は、いまは政治に直結しているのです。

それどころか、反原発護憲活動家と、反温暖化ベストセラー作家は、同じ物理学の教科書を使っているでしょうか?
科学的前提が根本的に違うのでは?
それこそ「アーリア的科学」「共産主義的科学」に近い状態に陥っているのでは?ナチスドイツやソ連が、そのイデオロギーで科学そのものをねじ曲げ、相対性理論が焚書されてナチスの原爆開発が失敗し、ルイセンコ生物学が何千万人も餓死させたのと同じことになっているのでは?
「グリーンピース科学」と「原発推進科学」はもう、それらと同じことなのでは?

われわれ日本人は、科学さえも共通前提として議論できる状態にないのでは?
その恐ろしさに、なぜ誰も気がついていないのでしょう。

頭の前半分をショットガンで吹っ飛ばされ、「首を切られたのに生きて歩きまわっているニワトリ」同様になった人が豪華客船の舵を取って、氷山地帯を航海しているより怖いです。
今の我々の科学・論壇・マスコミ・政治の関係は、想像を絶する危機、いや絶望を通り越した破滅に、とっくの昔にあるのでは。
日本の科学ジャーナリズムの弱さ、大衆の科学教育水準の低さ、それによるマスコミ・政治の水準の低さ、論壇やテレビの圧倒的な文系支配……それこそ世界の終わりだと叫ぶべき水準なのでは、日本の、科学と民主主義の回路は。

それどころか根本的な政策が、普通に大型書店で手に入る物理の教科書ではなく、それとはどこかでとことんずれた「原発推進御用科学」を前提にしてしまっているとしたら?
反原発の活動家が、まともな科学を前提にしていないとしたら?
それどころか、今の世界の、英語で入手できるものも含め物理学の教科書そのものが、原発推進のために編集された御用物理学となっており、正しい物理学など存在していないとしたら?
数学や物理学の教科書を疑ってしまったら……それほど恐ろしいことがあるでしょうか。
僕にとって、絶対に疑えないものがあるとしたら、それはネイチャーやサイエンスなど科学雑誌やディラック・パウリ・ゴールドスタイン・ファインマン・朝永振一郎などの物理標準教科書なのです。
さらに疑わないものは、加速器などによる科学実験の結果、それが恐ろしい精度で量子力学や相対性理論、熱力学第二法則を証明し続けているということ、実験結果から出た理科年表の諸数値です。
でも、それすら原発推進のために編集された、御用学者の作品だとしたら……恐怖に叫び回りたいですよ。

「大本営発表」「ポチョムキン村」「御用学者」これらの言葉は、一人一人の世界の当然の前提を根こそぎ崩壊させます。
さらに放射能という不可視のものが加わると、「もう日本は本来なら人が住めない地獄になっている」ことすら検証できません。
それら、報道や科学すら疑う姿勢を持ってしまうと、残るのは陰謀論だけです。
陰謀論で見てしまえば、それこそ計画停電騒ぎすらも「原発やむなし論を強めるための電力会社の陰謀」になります。何もかもが陰謀になり、そうなると「人が信じやすいものを信じる」だけになってしまうのです。
しかし、陰謀論を忌避するあまり真実が見えず政府発表を妄信するのも愚かなことです。
どうすればいいのでしょう。
どこに本当の事、共通の前提があるのでしょう。
共通前提など探るだけ無駄、科学すら群れの神話に過ぎない、ポストモダンにようこそ、でしょうか?

21

計画的に、国全体のエネルギー総量、国民全員の生活水準を大幅に低下させることは、可能でしょうか?
今のこの停電がもっとひどくなるなら。
原子力発電を廃し、風力・太陽光は使いものにならないと放棄し、火力発電も温暖化対策で大幅削減する……今よりもさらに、桁外れに少ないエネルギーを前提として国そのものを再編するのを、本気でやったらどうなるでしょう。
わずかな電力不足がつづくだけでもどれほど苦しいか、関東の人間は今思い知っているところです。
でもそんなものではない、「江戸時代に戻る」ことを本気でやったら、それはどのようなことでしょう。
それこそ、夏の暑さ冬の寒さで死ぬ人も出るのでは?昔はクーラーはなかったといいますが、クーラーがなかった昔は、本当は膨大な人が死んでいたのでは?
医療水準すら低下し、弱い者から死んでいくのでは?
それは環境派が言うようなすばらしいものではないのでは。

エネルギーついでにちょっと、思いついたこと。
吠える40度、叫ぶ50度、絶叫する60度……その風力は、膨大な洋上風力発電資源なのでは?
嵐では風力発電はできないとよく言いますが、嵐を前提にした風力発電所は無理なのでしょうか?
ヨーロッパ・アメリカ・カナダにとって北大西洋の嵐は北海やシベリアの油田に匹敵する、サハラ砂漠の日光と同じぐらいには「近い」資源なのでは。
そして巨大強風洋上風力技術と、それで二酸化炭素と水から軽油を作るとか、超伝導電線で送るとかエネルギー蓄積輸送技術が成熟すれば、オーストラリア・アルゼンチン・南アフリカなど南海諸国、フランスなど利権を持つ国は膨大なエネルギー産出国になるのでは?

そういえば、これで原発は続けられるか、そして原発をやめるなら何をエネルギー源とするか…本来は重大な問題のはずなのに、まるで議論を見ません。
テレビを見ない僕の情報が限られているだけかもしれませんが。

そこでふと思ったのですが、エネルギーは宗教や憲法九条、戦争責任、南京大虐殺や従軍慰安婦などと同じ水準の、まともに議論できない、永遠に平行線になることを免れない問題なのでは?

反原発はきわめて強く左翼イデオロギーと結びついています。逆に右派論壇はそんな、理系なことは何一つ考えず左翼の言うことに脊髄反射反対しているだけのようです。
さらに環境問題は?日本の論壇は環境問題をどう考えているでしょう。
水俣病のときには、論壇ではどのような論争があったのでしょう。
政界や論壇での争いが、実証的な科学の場に人間関係の亀裂を持ち込み、肯定派否定派双方を議論不能なカルト教団に変えてしまったのでは?
少なくとも僕が知る限り、グリーンピースやシー・シェパードなどには日本の保守論壇は非常に強く否定的です。しかし、それらに対しては、革新側にも否定的な人もいます。
まあ一般に護憲派には反捕鯨が多く見られるのは確かですが。

原発に対して、論壇の今の地図はどうなっているのでしょうか。そしてそのどれぐらいが、科学知識を持っているのでしょう。
知識人の科学教育水準の低下、さらに原子力に使われる高度な科学は、それこそフランス哲学や漢籍を学びながら片手間に学べるような代物ではありません。
もう、エネルギーに関してきちんと議論できる人など、論壇にも政界にも、下手をすれば官僚層にもいないのでは?
そして、エネルギーを数学言語で語れる人で、社会に訴えられる人は誰がいるでしょう。
科学的な間違いなしに大衆に語りかけられる人は?かつては寺田寅彦氏、湯川秀樹氏など超一流の科学者は優れた大衆科学啓蒙家でもありましたが、今の日本にそのような人はどれだけいるでしょう。
また、今のSF作家・評論家の科学知識水準はどの程度でしょう。
そしてそれらの声を受け入れる回路は、今の政治・論壇・マスコミにあるでしょうか?

テレビで反原発護憲活動家の老人と、反温暖化のどこにでも手を出すベストセラー量産作家がいくら議論しても、それは科学的には何の正確さもない、神学論争といったら神学者に失礼な水準の代物では?
エネルギーをどうするかという議論は、ないのではなく端的に不可能なのでは?

それが大衆の無関心と悪循環を、とっくに起こしていたのでは?
テレビ社会、入試における理系嫌いなどが、日本の大衆全体の科学リテラシーを、かなり昔から根本的に大きく落としていたのでは?
それだけでも危機的といえるほどに。

20

この震災は、日本人、そして世界の人たちにどんな精神的な、また技術制度面での影響があるでしょう。

ひたすら積み上げてきた防潮堤が無駄でした。
それは人間の無力を痛感させるのでは。

もし本当に公的支援がなされていないのであれば、根本的な政府に対する不信感が出るのでは。
原発についての情報が大本営発表で実際には桁外れの大惨事が起きたら、旧ソ連が崩壊したように日本政府が、そして民主主義そのものの正統性が崩壊するのでは。

被災者の精神には?
無力感とうち続く激しい揺れ……被災地にいない人間には想像もできません……その恐怖感と無力感は、宗教にとってはよい培地です。
政府に対する絶望が強まれば、さらに宗教を求める力が強まるでしょう。
宗教の代用としてカリスマ政治家もあり得ます。

原発の是非の議論も、人類の行く末に大きな影響があります。
特に、温暖化は危機だが自然エネルギーは間に合わない、原発しかないというラヴロックは、どんな反応をするでしょう。これも想定内でしょうか。
チェルノブイリでも人類は原発を使い続けた、日本に人が住めなくなっても大したことではない、といえばその通りですが。

首都圏で膨大な人数が電力低下の影響を受けており、「原発を廃し、火力も廃し、エネルギーを節約する生活を」というのが現実にはどんなことか思い知っています。
この状況、そしてもっとひどい停電が恒久化することを、何人が賛成するでしょう。

原発推進派も、環境保護主義者も否定されるのでは?そして、何が勝利するのでしょうか?ひたすら化石燃料火力発電?それとも再生可能エネルギー?
それぞれの思想的な根はどこにあるのでしょう?

心の変化を思うなら、まず阪神大震災を思うべきですね。
あれでどのような変化があったのか。それと、質的に大きな差はない、量が少し違うだけ、といったところでしょうか。
あれと相次いだオウム真理教事件は、日本の質を大きく変えたといわれています。自己責任主義とセキュリティの道、短く言えば新自由・新保守の右傾化に。
人間の無力と集団暴走の恐ろしさを見て、日本人は自己責任監視国家を選び憲法の理想を捨てた、と。
この地震も、それを一層激しくするでしょうか?
人間には、人間が好むことしかできません。禁酒法を定めるのも人の常、禁酒法を破るのも人の常です。

そうそう、ひたすら高めてきた防潮堤は無駄だったのでしょうか。
それともそのおかげで、本来五十万が死ぬところが二万ですんだのでしょうか。

19

僕には、http://critic6.blog63.fc2.com/が主張している「救援は全くなされていない。政府・自衛隊は被災者を見捨てた」の真偽を検証することができません。
あまりにも被災域が広く、多くの情報があるのです。

道路が寸断され燃料がないので物資が到達していないところがあるだけなのか。
それとも本気で政府にやる気がまるでなく、関西のテレビ局が作ったポチョムキン村のみが放映され、現実は餓死疫病の地獄絵図なのか。
自衛隊の奮闘で急速に救助活動は進んでいるのか。
それも僕は知らないのです。

「大本営発表」の一語を頭に置いてしまうと、なにも信じられなくなります。
マスコミが自由に動きまわっているのが交通麻痺の反証、県知事クラスが表に出ないという事実が証拠、といっても、それがこの圧倒的な災害という膨大な多面体のどれぐらいの面か、僕には判断できません。

「自衛隊が全力で膨大な救助な活動をしており、マスコミの護憲派が報道を少なくしているだけ」
「自衛隊は一切動かずマスコミがセットを組んでドラマを放映しているだけ」
「やろうとはしてるけど、交通寸断がひどすぎて現実になにもできない」
「かなり昔から自衛隊全体で、機械の部品も燃料も本当は支給されておらず、現実には機能停止だった」
どれも反証不能です。僕はどれも証明・反証できるだけの情報を持っていません。

確認するためには、歩いて被災地をくまなく回りこの目で見なければならないでしょうが、それには丸三カ月かかり、被災地に大きな迷惑をかけてしまいます。さらに僕がそれをして結果を発表しても、誰も信用しないでしょう。
さらに全国の自衛隊基地をスパイして、機密を含めた稼働状況を確認するには009全員の協力が必要で時間もかかるでしょう。ドラゴンクエスト3全呪文をMP無限大で使えても一人では何年もかかります。さらにそれをやっても、誰も信じないでしょう。
パソコンのマウスをいくらいじっていてもなにもわかりません。

原発も、「これは大本営発表だ。本当はチェルノブイリの十倍の放射能が、もう放たれているのだ」と言われても、事実上検証不能です。ガイガーカウンターは持っていませんし、その数値を僕が書いても誰も信じません。
原発反対派も、「実はもう日本は人の住める土地ではないのだ」と、反原発イデオロギーのために虚偽発言をするでしょうし。

cnn.comなどならある程度信頼できるでしょうか?
各国大使館が自国民に退避を勧告しているのが答えなのでしょうか?

それにしても保守というのは楽な立場です…悪いことは「民主党のサヨクのせい」、いいことは「自衛隊の奮闘、受け継がれてきた国民道徳」にできるのですから。

単に徹底的に交通が寸断されているからかも……でもそれなら、キャタピラ車や上陸作戦機材を大量投入すれば?
それを自衛隊が断っているのでしょうか。それとも元々、キャタピラ輸送車やホバークラフト、上陸ボートなどが極度に乏しいのでしょうか。
日本に海兵隊さえあれば、とも思えます。

18

日本は、結局阪神大震災の被災者の多くを「捨て」ました。
その後も多くの自然災害の被災者が捨てられています。

今番組欄も新聞も埋め尽くしている悲劇報道と原発報道の嵐を見れば、そんなことがあるとは思えません。
でも悲劇報道については、阪神大震災も同じでした。
それは確か、オウム事件で瞬時に風化したのでは?
今のこの震災、それどころか原発がチェルノブイリ級の爆発をしたとしても、芸能人がちょっとした事件を起こせば消し飛ぶのでは?皇室になにかあれば消えうせるのでは?
というか遅くてもイギリス王室の結婚式があります。
その前の統一地方選が、「飽き」られた震災報道を押し流すかもしれません。まあサウジアラビアが崩壊しても日本は無関心でしょうが。

何を報道するか決めるのはマスコミであり、視聴率です。
阪神大震災のときも、衝撃と救援と善意と励ましの嵐はすぐに、慣れになってしまってテレビ画面の中、別世界の話になりました。
そして、その後の被災者の苦闘についてはあっという間に無関心が広がり、膨大な老い貧しい被災者たちは生活を再建できぬまま仮設住宅で、軽蔑と無関心にさらされ今も死んでいっているのです。
あっという間に、自己責任だから自宅再建などは自分でやれ、という声が強まっていったのです。

今回もそうなるのでは。
あまりに範囲が広く人数が多くても、日本の棄民への流れ、冷酷さ、自己責任主義の強さは変わらないのでは。
最終的には無関心と棄民への流れになるのでは。
今は国難と叫び、泥の映像の嵐に泣き叫んでいても、すぐに「財政が破綻する」「自己責任」の合唱が長期的な支援を消し去る圧力になるのでは。
そして数年後、仮設住宅さえなく、生業も失って何の長期的な補償も援助もなく放り出された人々が無事な大都市でホームレスになり、大公園で警察がダンボールハウスを冷酷に撤去したら、「日本は法治国家だ」「公園はホームレスのものではない」と警察を称賛するのでは。

今からそれが目に見えるようで、叫びだしたいような恐怖になるのです。
日本は冷酷国家だ。という背中からの声が…

元々、最も冷酷に考えたら、今回の大震災が直撃した被災者たちは…阪神大震災の、仮設住宅で孤独死した被災者も…グローバル経済における不要層、新しい国に必要ない人々だったのでは?
地方。地方の人間はグローバル経済では不用、公共事業と公務員しか職がない。
農業。補助金頼りの非効率産業。地方農村は潰せ。老人ばかりの農業に将来はない。
漁業など。それら非効率な産業は切り捨てよ。
地域に根付いて生きている老人たちは不用、大都市の、世界で通用する特に優秀な若者だけが必要。それがグローバル経済です。
それこそサムスンや中国企業が基準で、日本人で真に「生きる資格がある」人間は本当に本当にごくわずかしかいません。

そう考えると、人を捨てる主語は「日本」ではなく「グローバル経済」なのかもしれません。
さらに言えば歴史そのもの。だとしたら、それにどう抵抗できるのでしょう。

それ以前に、繰り返し東北を見捨ててきた…戦争のきっかけの一つとなった娘の身売り…薩長政府の後裔が、本気で東北を助けるかどうかがまず疑わしいものです。
いや、たとえ関東大震災級の関東地震・富士山噴火・チェルノブイリ級原発事故の放射性降下物で首都圏が壊滅しても、日本はだめになった部分は冷酷非常に切り捨て、忘れ去って生き残った部分だけがグローバル経済に適応しようとするのでは。

日本人の、略奪も何もない規律に世界が驚いています。
でもそれもコインの裏表では?
首都圏の、計画停電など無視しての超通勤ラッシュ。わずか数日でサラリーマン層は、完全に平常モードに戻ったのです。
もう、いつもどおりに、数日分を取り返して仕事をすることしか考えていないのです。何事もなかったかのように。自分がちょっとした、人身事故による電車遅延にひっかかったように、得意先に一言の言い訳もせず心から謝罪して。
それは同時に、惨劇のすべてをテレビの向こうの他人事とし、無関心になることでもあります。

日本人はあまりにも、規律正しく勤勉な「普通」の生活以外を知らないのです。

被災者たちも、すぐ日常は戻るとただ信じて耐えることしか知らない、別のプログラムが存在しないのでは。
そして将来、宝くじより希望のない非正規層も。彼らも「普通」の正社員以外のビジョンがあまりにも存在しないから、自分がそこから追い出されていること、棄民であることを忘れて、普通の人のように暮らし続けることしかできないのでは。
そしてその、「普通」の人たちは、そうでない人のことは即座に忘れます。冷酷を通り越した無関心で、見捨てます。
日本のホームレスに対する異常なまでに冷酷非情な言説が語るように。
国家財政、勤勉、自己責任…そんな言葉の前に、被災者も非正規社員も、刑務所が福祉の最後の受け皿となる低知能者も、グローバル経済についていけない棄民は迷わず捨て、忘れ、無関心の中死に追い詰めるでしょう。
そして殺される側さえも、「普通」以外をあまりにも知らないからそれに抵抗する術はない…

それしか、この震災の先にはないのでしょうか。

この震災でも、日本人は変わらないのでしょうか。
再生可能エネルギーを、という声も出ない、停電や電車本数削減があっても、それをあっというまに「普通」にしてしまい、全てはテレビの向こう側に…
この震災は日本を変えるのでしょうか。今日、本屋で、社会・経済・政治に属する本の全てが一瞬で陳腐化したな、とおぞましい思いをしましたが、結局それも、日本人の「普通」の圧倒的な力の前には、大河に放られた小石の波紋でしかないのでしょうか。

ただ、数百万の民が棄てられ、棄てられた人々も自らの内なる「普通」に裁かれ殺されていくだけで。
無関心から、もしかしたらわずかな掘り出しの努力に対して、「どの道彼らはグローバル化に対応できない、努力を怠った者だ。中国や韓国をのように容赦なく非効率部分を切り捨て、効率を高め生産性を向上させる以外に、日本に生きる道はないのだ」で済ませてしまう日が、目に見えてしまうのです。

今読んだ人は、そんなことはない、と叫び、こんなことを書いた不謹慎な僕に怒りをぶつけるでしょう。
でも、半年後に自分が、財政規律が優先だ、政府が金を出すのはバラマキだ、天は自ら助くるものを助く家や港の再建は自己責任で、無駄な公共事業を行う財政の余裕はない、というどこぞのブログのコメントに同調することはない、と誓えますか?
僕は半年後の自分がどう思っているか、知りません。

17

風力・太陽光・波力発電設備の増産はできないのでしょうか?

とにかく電力を回復させるには、

1休んでいる火力発電所を復帰させる、停まった火力発電所を修理する
2新しく火力発電所を作る
3新しく原発を作る
4風力・太陽光発電設備の増産
5洋上風力発電など新しいシステム

1がいちばん現実的で素早くできるでしょう。2以降が問題です。

2は金と時間と資源が当然かかるでしょう。
3は世論が許さないでしょう。
4は、発電量こそ少ないものの、被害のない関西地域の工業力を使えばすぐに、少ない金と資源でできるはずです。
5は実質非現実的ですが、非常大権を使ってやるべきだと思います。

16

大震災の後の、新潟・長野・静岡と頻発する、一つ一つが大地震クラスの地震の群発……それこそ巨人が列島中央を縦断しているような、反時計回りを描くような地震を見ると、次は東京直下か富士山噴火か関東大震災か、それとも東海か中南海か、と背筋が寒くなります。

因果関係はないと発表されてはいますが、確率的な因果はあると思います。
弓を折るつもりで過剰に引く、またはガラス、いや不均等なので石の板を割るつもりで曲げたわませる……その状態で、衝撃力をかけたら折れ割れる確率は上がるはずです。
砂雪崩実験……一粒ずつ砂を落とし、いつ崩れるかを見る実験で、統計的には予想できるがどの砂が契機になるのか予測するのは不可能……で、机を叩けばきわめて高い確率で雪崩が起きるはずです。
サイコロの底に鉛を仕込む程度の「因果関係」はあるはずです。

買いだめを責められませんね……今夜関東大震災が再来したら、買いだめが正解になるでしょう。

富士山噴火だったら買いだめも無駄でしょうが。
宝永噴火と同規模の噴火があったら、今回壊滅した東北と関東は復興を諦め、放棄するほかないかもしれません。復興するとしたらどれほどかかることか。
そうなれば関西など無事な地域も、経済大国とはとてもいえなくなるでしょう。
被災地は北朝鮮同様、そうでないところも途上国同然になるでしょう。

日本にこんな巨大文明を作ったのが間違いだったか…そんな気さえします。

15

自転車通勤ができる距離というのはいざと言うとき大きいですね。

食料物流はいつごろ、というか食料の備蓄は一体どこにあるのでしょうか?

生き延びるのに精一杯の被災者にはそれどころではないかもしれませんが、今後農業生産にはどのような影響になるでしょう。
関東でも、被災者に比べれば笑える話でしょうが、スーパーの棚には空きが目立ちます。
それはいつごろ、どのように満たされうるでしょう。

それにしても…鉄道も道路も寸断、空港も津波、港も津波…どうすればいいんだと叫びたくなります。
オスプレイの民間版が量産されていないのが残念でなりませんし、量産を急ぐほうがいいでしょう。

そして、これほど堤防を高くしても無理なときは無理なら…沖のメガフロートに主要設備を移す他ないような気さえします。

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終わらない余震、どうしようもない電力供給の逼迫…
民主的に原子力発電所を選んだ結果ですので誰に文句を言う筋でもありません。
というか火力発電もかなり止まっているようですが。

起きていたのが五月中旬だったらとも思いますが、二月よりも全然ましです。もうすぐ暖房はほぼ不要になるでしょう。
さらに稲作など農家にとっては…致命的なタイミングでしょうか?今は燃料や化学肥料の物流なしの農業はありえませんから。
まあ被災者にはそれは慰めになりませんが…
それこそ米軍も自衛隊も、敵前上陸能力はあるはずなのですから、上陸して銃弾ではなく毛布と水と食料をばらまくことは…ひっしでやっているんでしょうね。
あまりに規模が大きすぎます、とことん。

この震災で、今後の日本のエネルギー政策はどう変わるでしょう。
それこそ、大量に巨大船と一体化した洋上風力発電ユニットを関西で量産し、関東から東北の沖合に回航する、というのは無理でしょうか?
沖合なら津波にも安全です。

おそらく、原子力に対する不信感は強烈に強まるでしょう。
現実的には火力発電の増設でしょうか。
でも、火力発電所を作るのもかなり時間はかかります。
多分一番早いのは洋上風力発電だと思うのですが…それは非現実的でしょうか。

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この震災は、今後の世界の歴史にどのような石となるでしょう。

関東大震災と第二次世界大戦の因果関係はどれほどだったのでしょうか。
いまだ、と日本を攻める外国はないと思いたいですが、敵から見れば最高のチャンスに他なりません。
いくら前の台湾のときにしなかったといっても。

今、東アジアの「碁盤」はどのような状態でしょう。
そして、日本が最大の利益を得るには、どこにどんな石を打てばいいのでしょう。
どのような石がすでに打たれているのでしょう。
この地震は、どのように盤面を変えるでしょう。

世界経済には?
日本の没落、そしてドルの崩壊でしょうか。
それとも復興特需が世界経済の牽引車となるでしょうか。

さらに、この大震災が、日本の原発にとってとどめになるとしたら?それも今後の世界経済にとって、重大な石となります。

大丈夫だったじゃないかと強弁し、ごまかすでしょうか?
この程度想定の範囲内、大丈夫だ、と説得するでしょうか?
日本そのもの、アジア全体にとって致命傷になるかもしれませんが。

そして日本に、原発にどんな代案があるでしょう。
洋上風力・太陽、海水バイオマス、宇宙太陽光、と言っても誰にも伝わりません。
少なくとも現代の人間は、そういう技術的力任せはお嫌いなようです。

さらに中国に、原発の代案はあるでしょうか?

僕は単に、原発は地上ではなく深い海の、できれば海溝上の巨大船舶で、です。
何があっても栓を抜けば圧倒的な量の海水が処理してくれますから。

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想像以上の被害、被害者にはまず哀悼。
そして何より、ビニール袋・段ボール・新聞紙を大量に確保してください!

僕の手元にあった、一箱の空段ボール箱と椅子の座布団、布製買い物袋はまさに万能でした。
それだけで靴を脱いで寝ることができました。靴を脱ぎ、靴下を半脱ぎにしてゆるめて両足を買い物袋に入れて、座布団を枕にしてダンボールを敷いて寝れば、足も楽でかなりのんびりできます。
それに外でも座れます。

もしガラスが散乱すれば、段ボールを敷いて上を歩けます。
救援物資でも、短距離なら水さえ運べます。
隙間に詰めて風除けにできます。
たくさんあれば段ボールハウスにでき、それは平時には多数のホームレスの生命を守っています。
箱に戻せばトイレにすらなります。
燃料にもなります。
分解した広い紙にすれば、要救護者をそこに座らせるか寝かせるかして引きずって運べます。
座ったり寝たりするにも保温性もクッション性もあり、小さく重ねてたためば優秀な座布団にもなります。
丸めれば副木、裂けば止血帯にすらなります。

ビニール袋も、特に大きいものは空気を入れていくつか並べれば極上クッションになります。
浮き輪にもなります。
水を運べ、トイレにもなります。
防水靴になります。
穴を開けてポンチョになります。
窓をふさげます。

新聞紙の利用法は散々言われつくしていますが、まさにどれだけあっても足りません。

もう一つ大きな教訓が、携帯電話・インターネットの脆さです。
携帯電話が、デザイン性を優先して乾電池を放棄したのは、この状態では国家犯罪とすら言えます。
また停電すればアウトの光電話の弱さ。
スカイプで世界中ただとか言っても、繊細なハードディスクが壊れるか停電すればアウト。
銅線だけでつながった在来電話網の頑強さとは大違いです。
ワンセグだのなんだのろくな役には立たない、ラジオの単純さには遠く及びません。乾電池ラジオはまさに無敵です。
もしこれが、完全地デジ以降後だったら、津波警報を見落として死ぬ人がどれだけいたか…地上波デジタル通信は、送信受信共にその機材は、この地震に耐えられる代物ですか?

この犠牲者たちに報いる唯一の方法は、生存者への支援と、そして本番である次の関東大震災に備えることです。
忘れるな。備えよ、そう繰り返さなければ。

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人がトマトとかトウガラシとか、更にパプリカまで使って「赤い食べ物」を好むのは、それが進化段階で最高のご馳走だった血液や肝臓や骨髄に近い色だからでしょうか。

それとも赤を嫌う文化圏も広くあるのでしょうか?
何がヒューマン・ユニヴァーサルズなのか、慎重に見ていかないと。
進化心理学は何でも、現実と異なることさえも「説明」できるほど威力があるので。

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漢字や英単語を繰り返し書くのは、本当に誰にでも有効なのでしょうか?
腕立て伏せやランニングは、それができないだけの身体障害を負っていなければ事実上誰にでも有効です。
ではそういう単純反復練習もそうなのでしょうか?

少なくとも僕は、反復練習の効率が非常に悪いのです。

ああ、そこでは実証的な検討はされませんね。
単純に、たくさんの人に同じ回数反復練習させて結果を検討する、ということはありません。
集中して反復練習していないから身につかないんだ、と来るのですから。
要するにできないのは努力不足、という精神論しかないんです。

今から思うと、僕は歌や和歌を暗唱するのは異常に速いので、「比較的ゆっくり正確な発音で歌われる、主要構文が全て入った、充分にいい曲の英語歌」を日本語歌詞から頭に入れ、英語歌詞で繰り返し歌って頭に入れることはできていたと思います。
また、英語の詩や戯曲をスローで流してもらえば、それを繰り返しミラーイングすれば頭に入っていたでしょう。
英語ミュージカル、ディズニーなどを丸暗記するのも、小さい頃の僕には容易だったと思います。

また、僕にとって漢字練習で漢字を覚えることはできませんでした。
でも鉛筆で原稿用紙三百枚小説を書き、さらに二百五十枚に清書するのを二階繰り返せば、かなりの漢字を覚えることはできたようです。
同様に、英語で小説を書いていたら?
または、英語小説を丸写ししていたら?
そのほうが有効な子も多いのでは?

書き取りよりそちらが向いている子は多いはずです。
何度も書いても覚えないけれど、歌を覚えるのだけはめちゃくちゃに早いとか、絵をそのまま頭に入れられるとか。

計算についても、単なる反復練習より、「あなたは船員です。毎日正午、太陽の位置を測って現在位置を求めなさい。また灯台と岩との角度から、自分で三角比を計算して現在位置を求めなさい。また迫撃砲兵として、角度を計算して狙いをつけなさい」を徹底してやるほうが覚えやすいのでは?

歴史も、教科書で物語形式でやるより、地球儀を回しながらやや詳しい歴史年表を順に見ていくとか、映画形式とかのほうが頭に入る人も多いはずです。

人間の頭脳には、結構多様性があるのでは?

9

犯罪は犯罪なのでしょうか。
たとえこのようなケースでも。

パトカーが、何を追っているわけでもないのに暴走し、幼稚園児の列に突っ込んで何人もはねころす。その警官は降りて…明らかに泥酔し…かなり離れた後ろから救護しようと降りた運転している人を「お前が子供をひき殺したんだ、逮捕する」と叫んで拳銃を抜いた。
あわてて運転者は車に乗って、何発か車に被弾しながら逃げた。
その情景は動画投稿サイトなどで世界中に大量に発信された。
そして運転手は帰宅した、そこを警察が逮捕状を持って押し込んできたが、家族は運転者を逃がした。無論、動画投稿サイトの動画を見てからのこと。
それで警察は家族を逮捕した。

あからさまな冤罪、完全に警察組織全体の犯罪といえる状態でも、犯人隠避罪は成立するのでしょうか?
いや前も考えた、「冤罪死刑囚が脱獄した」場合もそれは罪といえるのか、です。

そこまで国家絶対主義、法絶対主義で道徳ができている人はどれぐらいの割合なのでしょう。

今は「法は法だ」「日本は法治国家だ」という、法絶対主義がかなり強まっています。
それは、改革ブームの典型的な論に、人治国家から法治国家へ、というエネルギーが強かったことが大きいようです。

ですがかつての日本での「人治」が、要するに時速40kmの道路で、60km出していたり50kmでも悪質だったりしたら逮捕し、大半は見逃すやりかただったのを全員逮捕に切り替えるなら、道路を時速50kmにしなければならないのでは?

むしろ法を厳しくしつつ法律絶対にしていったら、恐ろしく窮屈になるのは目に見えています。
それどころか児童ポルノ関係などでは、実質国民全員が潜在的に有罪にすらなりうるのです。

暴走の危険性を、日本人はどれぐらい理解しているのでしょう。

8

僕にはどうしても魔法の世界を自在に描くことができません。

そのようなイマジネーションが驚くほど貧困なのです。もとから。
ムアコックやクトゥルー作家たちのような、精神の豊饒がどこにもないのです。

どれほど魔法や神秘について学んでも、そっちを思い描くことができないのです。

銃器から拷問まで、単純な暴力ならいくらでも描けるのに。

自然描写も得意ではないようです。

まして人間描写など…

7

今、常温核融合炉と軌道エレベーターになる繊維の簡単な製法が発見されたら、世界はどうなるでしょう。
七十億、残りの六十億みんな豊かに暮らせるようになるでしょうか?
それともなにが起きてもそれは無理でしょうか。

たとえ量子実験で百万個の「人類のいない地球」に大型船で行き来できるようになっても。

今の社会と科学というのは、かなり大きな変化があるのに注目されていません。
「はやぶさ」程度を例外として、社会全体の科学に対する無関心は信じられないほどです。

公的資金による科学技術水準の向上は可能か……これも、人類の未来を見て進路を決めることに関わる、きわめて重大な命題です。
1970年、いや1993年までは誰も疑いませんでした。
でもSSC中止ですべてが止まり、今はインターネットの僕が触れられる日本語範囲では、「国が科学技術を向上させようとして成功したことはない」「和製**の大失敗を見よ、市場に任せよ」と大合唱が来ます。

市場嫌いの左派は元々科学技術嫌いです。

ちなみに僕は古い人間で、今もSSC中止を呪い続けているのです。
あれは、人類全体が知ではなく金を目的とすると宣言した。前進を止めると宣言した。
それに等しいと思っています。
ネットではですが、SSC擁護派・科学技術推進派・究極理論の夢を共有している人は僕以外いないようにも思えますけど。

というか、ナポレオンの懸賞による瓶詰めから缶詰、そしてイギリスの経度測定懸賞によるクロノメーターと、公的資金による科学技術の進歩はあるのですが…
そして今のところ、市場による私的資金だけで世界最先端の素粒子加速器や有人惑星探査は、今に至るも不可能です。

6

テレビは馬鹿だと言われます。
なら、今はネットや衛星やケーブルでたくさんのテレビが作れるのです、「賢いテレビ局」が一つあっても良いのでは?

と考えると、どんなテレビ局なら「賢い」といえるでしょう。
良質な科学啓蒙番組、ニュースの多面的な哲学分析を中心とした…でしょうか?

5

人の群れとはどのように保たれるのでしょう。

まず衣食住・繁殖・廃物処理があるはずです、ただの動物なのですから。
さらに別の群れに殺されないこと、群れの物語を保つことも、人類はとても重視します。
同じ食糧生産があっても、群れ内の再配分・宗教などの理由での浪費・肉としての浪費などで色々変わります。

森林のまま食糧を大量に生産させることも本来は可能なはずです…温帯地域ではドングリ、熱帯地域では農業アリを通じて。でもそれは、実際にはほとんど行われません。

森林・耕地の疲弊と生産力の低下が、歴史の上では栄枯盛衰という言葉で表現されます。
気候と、人口・掠奪または征服では、どちらが重要なのでしょう。確かに最高の場所にあった文明があっさり征服されることはよくありますが。
文明水準は、何が決めるのでしょうか?軍事力自体は?

カリスマ的指導者はどれほど重要でしょう。騎馬民族ではかなり決定的ですが。ムハンマドは、その気候・地理条件があればいずれまったく違う教義ででも生まれていたのでしょうか、それとも彼個人の高い能力と教義のミームとしての力でしょうか?
人間相互の信頼(おおいに魔術的な)、道徳を重視するのが人間の通弊です。ローマ帝国滅亡の原因は、木の切りすぎではなく道徳退廃と思っている人がどれだけ多いか。
でも実際問題、科学革命が生じたのは、その「何を考えていいか」という道徳に近い水準の話なので、人間の心など無視していいともいかないようです。

歴史の見方自体「英雄叙事詩」「マルクス主義進化史観」「教科書」「気候・人口・森林被覆率・塩害などのみに注目」といろいろあります。

群れの大きさ・秩序(海賊・山賊から民・道を守る能力)…それはどれだけ重要なのでしょう。
中南米帝国はどれほど巨大でも、ヨーロッパ人の前には無力でした。
でも実際には、中華帝国はヨーロッパの侵略を長年撃退しました。
逆に征服して帝国を作るありかたと、ひたすら掠奪するあり方もありますが、その違いもどこから来るのでしょう。

人口は過剰なのか不足なのか、というのも難しいです。
今は世界各国が人口過剰で悩んでいます。でもそれも、いつ人口不足になるか…過剰人口をうまく利用すれば大きなことができることもありますが、今の世界は大規模な土木工事を必要としていないのでしょうか?
大人数を浪費する大戦争は必要としていないようですが…アフリカでは別でしょうか?

4

食えるかどうかを金が決めている時点で、この世界の基本原理は弱肉強食では?

というか、この地球で人間なのは、豊かな白人だけ。
他は獣、虫けら。
それが真実なのでは?

権力が下層民に希望などの偽りを与えるのをやめ、「もういらない。死ね」とやったら、誰がそれを止められるでしょう?
「人類の目的」を「貴族が贅沢三昧を楽しむため」と切り替えて、そのために最適な人口と産業規模を計画したらどうなるでしょう。

実際には、力と人数の積分では、「貴族の贅沢三昧」「神の命令」「経済成長」の三つがせめぎあうでしょう。
「労働者階級の勝利」だの「真の**解放」「民族の独立」なども小さくはないでしょう。
「おれたちファミリーの勝利」がすべてで人類全体など眼中にない人も圧倒的多数派でしょう。

「誰も餓死しない」「文明の永続」などは無に等しいでしょうね。

実際にもうすぐ、民が必要ない世界になるかもしれないのです。
現に農業・鉱業・水産業は、きわめて少ない人数ですんでいます。
サービス業が本格的にロボット化されたら…

3

意識というのは言語を用いる主体でしょうか?
言語なき意識というのはありえるでしょうか?

「サリバン先生に出会っていなかったヘレン・ケラー」に、意識はあったのでしょうか?

2

ミームは感染します。
悪霊も感染するとされます。

考えてみると病原体の感染も遺伝子という情報のコピーです。

1

未来の理想郷も過去の理想郷も間違い、すべては偶然、だから播種船を大量に造って打ち上げろ。
マンボウのように十億の卵をばらまいてどれか一つが成功すればいいが生物の普通のやり方で、どうなるかわからない世界ではそっちが正しい……
反対者さえいません。だれにも相手にされていません。

でも、同じことを考えている人は他にいないのでしょうか?
科学的には文句なく正しいはずなのに、なぜそれが主流思想になっていないのでしょう?

僕は哲学的にはほぼ完成してるようです。
しかし、それは僕にとって地獄でしかないのです。他人にはこうはなるな、としか言えないのです。
さらに、僕は他人を僕と同様の思想に説得することはできません。
できないことが、僕の思想自体の主張なのです…人間の本性が許さない、と。

あ、種の存続と、そのための播種船は科学の裏づけがあるので第一義ですが、その上に、これは根拠なしに生存権の無条件保証、市民的自由、特に科学や芸術の尊重も僕の哲学の重要な要素です。
ナショナルミニマム、いやグローバルミニマムさえ、技術が進歩し普及すれば可能だとも思っています。
特に介護の機械化、宇宙および海への進出が適切になされれば。

もっと単純に。僕は自由・人権・科学の側にいます。
それは古く悪いことでしょうか。

思想家としての僕がこの世界でまったく必要ない、誰も耳を傾けない以上実質的な存在としては無であること…それも、ある意味自業自得です。
僕の言葉が人に聞いてもらえない…コメントやトラックバックが少ない理由を、逆にアクセスやコメントが多いブログと比較すれば…
断言し、攻撃的であり、群れを作れ、ということでしょう。

説明文は断言せよというのは中学の国語教科書にも載っています。
それは進化心理学で説明できます…「船長の間違った命令に服従すべきか」と同じです。
間違った命令にも服従すべきなのです。その船自体にとってはそれは沈むことになるでしょう。
でも千隻の船がある二つの群れがあり、一方は何があっても絶対服従、もう一方は誰もが判断して勝手に行動するでは、絶対服従の群れのほうが事故率は低いのです。
それと同様、人類がサルから進化していく段階、農耕以降の何十倍もの長い狩猟採集生活では、はっきりと断言し迷わず一方に突き進むリーダーに絶対に従う群れのほうが、考えながら、データを修正しながら、迷いながら、話し合いながら動く群れよりはるかに生存率は高かったのです。
はっきり、だ・である調で断言する。それこそゴーマンかましてよかですか、と。
数学のように前提から論証を積み上げる、などということは、特に日本では無視以外の報酬は得られないのです。

敵を実名を挙げて人格から徹底的に叩き潰すのも重要なことです。
法がなければ暴力を振るっても…明治維新の志士たちにとって言論は剣術と一体でしたし、イギリスの議会に剣が届かない幅があることは有名です。
とにかくわずかでも違う存在には激しい言葉の暴力を叩きつけ、徹底的に潰す。
その態度を見た人は喜び、その人の言葉は正しいと思うのです。それが人なのです、ヒトラーの演説を聞き返すまでもなく。

古くからネットにいる論者の多くは、とにかく戦いなれていますし、すぐにできる限り強力な武器を抜き、徹底的に叩き潰すのが習慣です。
異論は邪悪だとして叩き潰す、相手の家族も幼児も含め草の根分けて拷問虐殺する、それが人間の当然の姿です。

あと、既存の大きな群れに同調し、その群れの力を借りてのし上がるのが、口コミの爆発的増加を生む最も可能性の高い方法です。
それも内心からの徹底した同調・崇拝でなければなりません。イラク戦争の賛否と捕鯨の賛否が同じだなんて自分で考えているのか、などと間違っても考えてはならないのです。
そうでないものを敵と判断し、徹底的に叩き潰すか無視するのも人間の当然のあり方です。

だとしたら、単に僕は人でいたくないのです。
だから、誰にも言葉を聞いてもらえなくても、自分で考えて書くことを選ぶしかないのです。
こうし続ける以外、僕には何もないのですよ。