自己紹介(キリスト教徒・プロテスタント版)

何物かは知らないが、自己紹介?
私は三位一体にして愛である主に造られた、アダムの子孫であり、主イエス・キリストによって罪から贖われ教会に加えて頂いた者である。

詳しくは神が書かれた、その一語一句すべて真実である聖書を読むとよい。

この世界そのものが、創造主である唯一の神が七日にて造ったものだ。
そしてあらゆる生き物を治めるために男アダムを土くれより自らに似せて創り、生命を与えた。
アダムの伴侶としてアダムの肋骨から女イブを創り与え、楽園にすまわせて、何でも食べてよいが中央の生命の木と知恵の木からは食べるなと命じた。
だがヘビがイブを誘惑し、イブがアダムを誘惑して、二人とも神の命に叛いて知恵の木から食べ、自分が裸であることを知った。
神はそれを知って怒り、アダムには地を耕して生きること、イブは苦しんで子を産むことを命じて、生命の木を食べぬよう楽園から追放した。
ヘビには人間の敵として地を這って暮らすようにした。
その罪は私も含めた人類すべてに受けつがれている。

アダムとイブの子供たちは地上に増え、罪深くなったので主は洪水で地の生き物を一時皆殺しにした。だがノアは神に忠実だったので、ノアに命じて方舟を造らせ、ノアの家族と地の動物をひとつがいずつ助け、それがまた地に広がった。

その子孫にアブラハムがあり、主はアブラハムを愛し、主に忠実であれば大いなる国民とすると約束した。そのしるしとして老いていた妻に息子イサクを生ませた。主はアブラハムにイサクを生け贄として捧げるよう命じ、アブラハムはそれに従おうとして寸前で主に止められ、その忠実をよしとされた。

アブラハムの子孫は一時エジプトの奴隷であった。モーセがエジプトより民を導き出し、主から「我以外を神とするな」「偶像を造るな」「父母を敬え」「安息日を聖とし休め」「殺すな」「奪うな」「偽証するな」「姦淫するな」など十の戒律を下された。また割礼(男性器包皮の切除)を定め、豚など穢れた動物を食べぬよう、その他律法を下された。だが民はモーセに叛き、金で動物を造ったのでモーセと主は多くの民を殺して戒めた。
モーセの死後、ヨシュアに率いられたアブラハムの子孫は約束された地カナンにたどりつき、その地の人々を殺して住んだ。
その後、民は王を求め、サムエル・ダビデ・ソロモンらが王となり、神聖な都エルサレムに住んだ。だがその後の王国の民と王は主に叛いて別の神を信じ、その罪により分裂し多くの帝国に征服された。預言者が戒め、戒律を守り主に再び忠実になれば救世主が与えられて再び大いなる王国が実現するという御言葉を伝えた。

ここまでがアブラハムの民、ユダヤ人と主の古き契約の書だ。

 

そしてローマ帝国の治下、主の子イエス・キリストがダビデの子孫、処女マリアから生まれ、荒野で四十日断食してサタンに試されて、人々に救いのよき知らせを伝えた。
細かな律法にではなく主に仕え、隣人を愛し、明日世が終わるとしてただイエスに付き従うように。
それをねたんだ律法学者がイエスを告発し、ローマ総督のピラトにわたされ、そしてユダヤ人たちの告発により罪なくして十字架の死刑とされ死んで葬られた。
しかしイエスは三日後に復活した。それは同時に人間すべてが死とその元である罪から解放されたというよい知らせでもある。
そして多くの弟子によい知らせ、福音を伝えた後、イエスは天に帰った。
その後、弟子たちは全地に広がり、イエスの教えを伝えた。

創造主たる神・御子イエス・そして主の御霊である精霊は三つにして一つである。
人は皆一度罪の体として死に、一体である教会の一員、イエスの肢体として霊の体で甦ったものである。
人はかりそめに死んでも、イエスが再びきて世が終わるとき甦り、そのときに人がこれまで犯した罪で本来地獄に堕ちるべきだったのが、イエスの犠牲によって贖われて天国に行く希望を与えられている。
それは人間、私がが回心したからでも善行を積んだからではない、それらはより深い罪への道に過ぎない。ただイエスの死と復活による贖罪だけが罪の贖いである。
その資格ない救いに私はただ感謝し、教会の一員としてもはや死んだ罪をおかすことなく主なる神を愛し、隣人を愛するのみである。

繰りかえそう。三位一体なる主に創られ、アダムから両親に至るまで生命と罪を受けつぎ、その罪や自ら犯した多くの罪に一度死にながらイエス・キリストの死と復活により贖われ、教会の一員となったもの、それが私だ。

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