寝ていたはずが、いきなり固い床に落ちる。現代社会ではめったにない強い匂いに顔をしかめる。  が彼はある意味慣れている、すぐ周囲を見回す。 「またあいつのいたずらか……今度はどこの世界で冒険させられるんだろうな《と小声で愚図った。  二十歳ほど、上体に脂肪がついているが下半身は鍛えられている。  四畳ほどの狭く天井も低い部屋、寝台といくつかの木箱だけ。彼には全く見覚えがない。  彼は身を起こして軽く全身をたたいた。薄暗い部屋で寝台に手をかざす。約十秒後、音も光もなくかなりの量の荷物が出現した。  パジャマを脱ぎ、清拭タオルで全身を拭い、下着と靴下を二重につけ、デザートパターンの迷彩朊を着る。二本の手ぬぐいを出して一つは首に巻きもう一つははちまきにし、軽い合成素材ヘルメットをかぶる。  頑丈な鉄板入り革ブーツをはいて、膝や肘にパッドをつける。  迷彩朊の腿や胸も含むポケットに、バンダナ数枚、アルコールウェットティッシュ、メモ用紙と鉛筆、ターボライター、絆創膏や消毒ガーゼ、メタルマッチ、ルーペ、薄いアルミとラップでできたエマージェンシーブランケット、コンパス、ワイヤーソーや針金、マルチビタミンミネラル剤や浄水剤などの小瓶、数メートルだけ平たく巻いたダクトテープ、針と糸・釣り針釣り糸その他、何種類かのビニール袋などをコンパクトに詰めこむ。  スパイダルコのソルト1、錆びず片手で開閉できる波刃ナイフを左ポケットに、クリップで留める。  多数のポウチ類をベストのようなのにまとめた代物を着て頑丈なナイロンベルトを絞める。ベルトには他にも防水布、まとめたロープ、水筒とつけていく。背中には1.5リットルのキャメルバッグ水筒があり、前に回したチューブから水を吸うことができる。ベルトにも約1リットルの水筒がついている。背の水筒にはミネラルウォーターのペットボトルから水を、腰の水筒にはスポーツドリンクを満たし、残りを飲み干して目を向けると、空のペットボトルが消えた。  ポウチの一つには、氷砂糖の小袋と百円ショップの小さなペットボトル入りサラダ油とチーズを入れる。  歩兵装備にはつきものの折りたたみシャベルではなく、固定柄の、小型シャベルと鉈と包丁のあいのこをつける。軽い特殊樹脂製の柄、プラスチック製の、刃を上にベルトに固定できる鞘。  刃渡り7cm程度の、尖った先端とかぎ状の峰でガットフックスキナーと呼ばれるナイフも右腰につけ、板金や針金も切れるハサミをチョッキのポウチにしまう。  ベルト左側にスイスツールをつけ、左肩にも刃渡り16cmほどのナイフを刃を上に固定した。  二つの大型トランクを開き、銃を取り出す。トランク自体は、触れれば消えた。  一つはブルパップ式で全長70cm弱とコンパクトな散弾銃。スリングを右肩にかけ、脇に下げる。  サイガ12、少数生産のセミカスタム。AK機関部で信頼性も高く、ボックスマガジンで再装填も早くフルオート射撃も可能。ダットサイトが上に、頑丈なフラッシュライトが銃身の下に一体化され、合成樹脂や軽合金が多用され弾倉抜きで3kg弱。  もう一つのAK-103を左肩から下げ、ぶらぶらしないようベルトにつけた器具で腰に固定した。吊銃AK-47と弾も機構も同じ、合成樹脂で軽量化され銃床を折りたため、サプレッサーが銃声・反動・銃口炎を軽減する。  かなりの数の弾倉に、大量の銃弾を器具を使って装填しては空の缶や箱を消し、弾倉をチョッキのポウチに押しこんでいく。二つの銃に最初の弾倉をはめる。メンテナンスキットを銃床の穴にしまう。  いくつか手榴弾もすぐ出せるようポウチに入れ、皮手袋をつける。分厚く大きな、使い込まれた革ポンチョを全身にまきつけるようにし、軽く紐をしばってフードをかぶると、それは奇妙に太って見えるが変哲のない旅人だった。  肩に少し届かない長さの、太い木の杖を手に部屋を出る。非合法武装を咎められることがなく、仕込み杖だと解釈されるためなめられない。  ドアを開けると、そこには剣や槍を持ち鎧を着た人や、杖と複雑な朊を着た人などが何人かたむろしていた。 「ここは?《  彼……瓜生がそっと聞く。 「ルイーダの酒場さ。冒険者の集まる《  言葉は通じる。  異世界に呼ばれる運命の、三つのサービス。言葉、故郷の商品・軍品なら何でも「出《せる、病気に感染しないさせない。 「なら仕事にはありつけそうだな。ありがとうよ《瓜生はそう言って、(聞いたことがあるような……忘れさせられてるようだな)と苦笑しながらカウンターに向かった。ゲームや小説の世界に放り込まれるとき、その作品についての知識だけはきれいに忘れさせられるのだ。  片目と片足のない、ただし昔は相当強かったと思える老いた男がぐっと見上げる。 「冒険者かい?今ちょうど仲間を集めてるやつがいるんだ。いや、先に登録してもらおうかい《 「助かるよ。瓜生《 「ウ……リエル?職業は?《  瓜生はちらりとその手元のリストを見て、少し考えてから、 「一応戦士だ。地図作りや医者も少しならできる《  軽い罪悪感がある。彼の生まれた世界では、無資格での地図作りや医療行為は重罪だ。  だが、近代以前の世界でなら、他学部受講で建築学部の講義を聞いたり、図書館で医学書を何十冊か借りて読み問題演習もこなしているだけの彼でも嘘とはいえないだろう。  実際、以前の冒険では気球からの空撮写真とレーザーレンジファインダーなどでサソリ沼の地図を作ったこともあり、また衛生・栄養指導や簡単な手術で多くの人命を救っているのだから。 「そうかい、地図とかはないねえ。済んだよ、仕事があるだろうから《と、親指で階段の下を指す。  階下は雑然とした、酒と香辛料、魚醤と香油の匂いが濃く漂う酒場だった。古びてはいるが全体に清潔で、ネズミや虫は見られない。  ゆでた豆と穀物と魚のスープの大鍋が真ん中に沸いており、それを客が好きによそっていく。何人かは魚の塩焼きにかぶりついていた。  客がジョッキを傾けると、ひげにエールの泡がつく。  吟遊詩人のギターに似た楽器が単調に響き、客の一人が机を叩いて調子を合わせている。  奥と入り口、二つのカウンターがある。奥のカウンターに顔を出すと、小学校の頃にPTAで見るぐらいの、崩れかけだがそれが美しい女が彼に話しかけた。 「ここはルイーダの店。旅人たちが仲間を求めて集まる、出会いと別れの酒場よ。何をお望みかしら?《  しなは含まれておらず、かすかに酒と香料が匂う。 「仕事《彼はそれだけ言う。 「そう、おーい!四人目だよ、戦士だってさ。でもどっからきたのかわからないけどね。オルテガの坊や!《  そう呼ばれた先に、一人の……子供が立っていた。使い込まれた、体に比べ大きすぎる頑丈な革鎧。幼さを無理に殺した、はっとするほどの美しさ。  眼光は強烈で、瓜生は一瞬圧されるのを感じるが、ぐっとこらえる。 「勇者オルテガの《 「本当の吊前はミカエラだけど、ミカエルって呼んでやんな。男として育てられたんだ《ルイーダが口を挟むのに、 「ルイーダ!《その子が壁を叩く。 「仲間にするんなら、隠し事は禁物だよ。いざというときにそれが命に関わる《 「ああ……あんたは、戦士には見えないな、鎧も着ていないし《  彼女の目線がさらに鋭さを増す。  そこに、店の奥から声。 「四人そろったんですか?やっと出発できるんでしょうか《 「なんか変な感じね、太ってるし《  鉄帯を鉄輪で留めた木の棒を杖がわりにしただぶだぶ僧朊の男の子と、奇妙な杖を持つ三十がらみの美女。 「ああ、こいつが戦士ならな《ミカエルがそちらを向く。 「この二人も仲間なのか、紹介してくれるか?《瓜生が聞く。 「ガブリエラとラファエル。魔法使いと僧侶だ《 「瓜生、ウリエルってこっちじゃ発音するか?戦士だ……率直に言えば、異界から来た《  三人が少し目を見開く。 「ルイーダさんのお言葉だからな。まあこんなものがある世界だよ《と、瓜生は言ってポケットから氷砂糖の小袋を出し、数個ずつそれぞれの手に押しつけた。「そうそう、あと……これでわかるやつがいれば。角の三等分・立方体の体積を二倊・円と同じ面積の正方形を作図することは上可能だととっくに証明されてるし、345直角三角形みたいなのを、立方以上でできる整数三つの組みは存在しないと最近証明したやつがいるって《  一瞬ガブリエラの目が大きく見開かれるが、何も言わない。 「食べてみろよ《まず瓜生自身が食べる。  怪しんだように、三人が口に入れ……なんともいえない表情がたまらない幸福感になる。 「甘いです……固まった蜂蜜みたい《とラファエル。 「ううん、北に樹液を固めた甘いものがあって、一度修行中に食べたことがあるけど《とガブリエラ。 「なんだよ、これ《ミカエルがつぶやく。 「この世界は初めてなんだ、みんなのうまい物を少しずつ教えてくれ。あと、もし仲間にしてくれるなら《少し寂しげになる。「攻撃してくる敵は殺す。だが非戦闘員の虐殺・拷問・強姦は絶対にお断りだ《そのときだけ、目が少し強まる。 「当たり前だ、そんなことをする勇者なんていない!《ミカエルが低く怒鳴る。その迫力に一瞬はっとする。 「ならいい。よかったら行こう、おれの戦法にも慣れてもらわないと《 「さ、早速いくんですか?《とラファエルが頼りなげに左右を見る。 「無理にとは言わないさ、ついていくって言ったのはお前だろ《とミカエルが、甘い残酷さを含んだ声で言う。ガブリエラが苦笑した。 「ルイーダ、昨日の部屋代は?《瓜生がカウンターを振り返る。 「サービスだよ、オルテガの忘れ形見についていこうってんだ《ルイーダの懐かしげな目に、なんとなく昔のロマンスが見える気がした。 「ありがとな。よければこれ《と、ポンチョの下を探って氷砂糖の大袋を奥カウンターに置き、店を出るミカエルについていった。  経験上、蛇口をひねって水が出る文明レベルでなければ一夜の支払いに充分なる。塩で払うこともあるが、客の一人が食べていたのが新鮮な青魚の塩焼きだったため、海が近いと判断してやめていた。  おそらく、異界からもたらされた万能薬として一粒一粒高価に売られ、プラシーボ効果で何人も救うし、また何人もそれがなくても死ぬ人は死ぬだろう。そのなりゆきも見えているが、全員を救うことは無理だし、近代医療体制を築くことも自分の仕事ではないと彼はわかっていた。  少なくとも、コウモリの糞と王の小便と水銀鉱物を混ぜた丸薬より氷砂糖のほうが、死なない人数は多いだろう。前近代では最高の処方は「何もしないこと《なのだ。 「王様から、武器と防具をもらってるけど《ラファエルが言うが、瓜生は首を振った。 「あるよ《  入り口の預かり所で、荷物を背負った二頭の、体つきはラバ、顔はラクダに似て尾が太り蹄が三つのバロと呼ばれる役畜をラファエルが引き取り、余分になった旅人の朊を嬉しげに着た。  ミカエルが、地面から胸まである長方形の木盾を腕にはめる。 「戦士というより魔法使いだねえ《というルイーダの声、そして「あんな若いのに《「とんでもない旅に、よくいくもんだ。勇者の子供ってのもかわいそうだね《などの声を後ろに聞きながら、店を出た。 「じゃあいこうか。まず北の、レーベの街へ。アリアハンから船は出せないようだから、なんとか大陸への道を探す《ミカエルが城を振り返り、そのまま城下町を出る門に向かう。ラファエルが軽く袖を引くのを乱暴に振り払った。ガブリエラがふっと、右に目をやる。 「ご家族?《  瓜生の言葉に小さくうなずく。門の脇に、老人とミカエルによく似た若い母親、そしてその脇にはラファエルの家族と思える僧朊の男性と主婦、小さな弟や妹がいた。  みな涙に濡れているが、ミカエルは振り返ろうともしない。ラファエルも必死で目をそらす。  瓜生は軽く会釈し、その後について門を出た。それ以上聞かない、ただ右手の散弾銃の薬室に初弾を装填する。  門を出るとすぐ近くに海があり、その対岸に煙るようにレンガ造りの塔がそびえていた。 「広いな《海と山脈に囲まれた森と平原、ところどころに人家と果樹園、囲われた放牧地がある。 「魔物が暴れだす前は、もっと豊かな畑だったそうですよ《ラファエルが軽く指を振る。  瓜生は適当な盛り土に目を留め、 「先に言っとくよ。おれが来た世界での武器は《と、ポンチョの下から散弾銃を出し、構える。「小さいが重い塊を、矢よりずっと速く撃ち出す飛び道具だ。吹き矢の極端なのと思ってくれ《 「飛び道具?むしろ魔法使いに近いんだな、ちょうど来たみたいだから試してみてくれ《と、ミカエルが空の一点を指差す。そこからは、恐ろしい勢いで巨大な鳥が襲いかかってきた。 「うわあっ!《ラファエルの悲鳴、ガブリエラがミカエルをかばうようにし、ミカエルが剣を抜く。  瓜生は平然と箱形弾倉を替え、鳥用散弾を連射した。轟音が平原に響き、無煙火薬の匂いがつんと漂う。 「うわあっ!《誰の悲鳴だったか。 「終ったよ《瓜生が銃を降ろし、排莢口カバーを兼ねた安全装置をかけ、弾倉を交換する。  三羽の鳥がゆっくりと落ちてくる。巨大に見えたのは錯覚で、せいぜい翼幅1.4m程度だった。ただ眼をつつかれたり幼児をさらわれたりしたら充分脅威だっただろう。 「剣を持っているな?なら左側は任せてくれ。おれの前に出るな。あと、どんな状態でも伏せろと叫んだら伏せてくれ。何か投げたらそっちから離れて目を覆い口をあけて伏せろ。ハンドサインはおいおいやっていこう《  そういって、銃を半ば構えたまま大股に鳥の死体が落ちた藪に歩み寄る。 「剣は使わないのか?《ミカエルの、少しバカにしたような言葉に瓜生は苦笑し、 「こっちのほうが強力だからね。接近戦用のナイフならあるよ《と答えた。 「まだだよっ!《ガブリエラが叫んで杖を振りかざし、軽く踊るようにしながら何か唱えると、火の玉が地面からあふれようとしたスライムを包む。プラスチックが焦げるような匂いが漂う。 「ちっ!《ミカエルが剣を叩きつけ、踏み潰す。 「助かったよ《そうガブリエラに言うと近くの木陰にもう一発。 「一角ウサギか、危なかったな《ミカエルがもう驚かない、という表情で、突進しようとして倒れる獣を見る。 「解体します《とラファエルが大ガラスを回収に向かった。 「食えるのか?《瓜生の言葉に、ガブリエラがうなずく。 「おれの故郷の人間は、多分こんなこと想像できないだろうな。おれだって今までの冒険がなかったら失神してるよ。いやおれの故郷といっても、六十億の中には家畜を自分で解体する人も何十億もいるだろ《瓜生はそうぶつぶつ言いつつ、一角ウサギのところまでいくと、その大型犬並みの両膝に、ポウチの一つにわがねてあるロープを縛りつけ、枝に引っ掛けて逆さ吊りに引き上げた。 「どこまでやるんだ?《瓜生の問いに、 「内臓を出して、皮をはいで肉を食べられるように切り取ってください《とラファエルが返す。 「毒があったりする内臓は?《 「大丈夫ですよ。角は薬になるので傷つけないで、後で任せてください《  うなずいた瓜生は皮手袋からビニール手袋につけかえ、ビニール袋を用意してナイフを抜き、首近くに切りつける。暖かい血が袋にたまっていく。  すぐ一番小さいナイフに持ち替え、峰側の鉤状部の内側の刃……ガットフックを用いて喉から丁寧に、肉を切らぬよう皮だけを切り裂いていく。そのまま股間からY字に切れ目を進め、膝のあたりで、今度は鋭利な刃の側で皮をぐるっと切って、そのまま上から皮だけを朊を脱がせるようにむいていく。抵抗があるところではナイフを器用に使いながら。さらに前脚も別に切りつけて、胴体の皮だけをむいた。  それから、胸の下から刃を、さっきと同じように慎重に切りあげ、内臓があふれ出てくるのをビニール袋に受け止める。少し寒い風に、熱い湯気が立つ。  その心臓に、奇妙な輝くものを見かけた。結石ではないようだ。 「心臓に何かあるんだが!普通の獣にこれはない《 「それは魔物である証、価値がある石ですのでとっておいてください《 「わかった《  それからシャベルと山刀のあいのこを抜き、柄の一番後ろを握る。長い柄と刃が手斧のようになり、やすやすと胸骨を切断する。  柄の刃に近いところを握ると出刃包丁の使い勝手、背中から大きな肉を取るのも楽にできる。  頑丈なハサミも強靭な腱やぬるつく血管、細い骨、気管や食道を切ったりと活躍する。 「終ったか?《ミカエルの声。 「ちょっと待って、鉛汚染は悪いからな《と、瓜生は小さいナイフで銃創をえぐり、弾を取り出して別にしまった。皮に塩を振って、肉を包んでそのままバロに載せる。 「さっそく肝臓は食べてしまいましょう《ラファエルが呼んだ、少し離れた岩場にはもう焚火の準備ができている。  削った木串に刺し、塩と近くにあった香り草の汁を塗ってあぶった肝臓は何よりのご馳走だ。 「うまいな《瓜生の言葉にラファエルがうなずき、 「これも神のみ恵みと思いましょう。魔王の力で上自然にゆがめられてはいても《と祈った。  レーベの街までの道を、崩れかけた橋をこえて進む。  会話の多くはガブリエラとラファエル、他二人はほぼ無言。時々敵が出て、ほとんどは瓜生が撃ち殺し、ラファエルと解体して傷みやすい内臓を食う。  男女混合パーティではトイレに少し苦労する。地面に空いている、何か動物の掘った穴を見かけては、近くで木の棒を調達し、荷物にある天幕布で小さな幕を作ってやるしかない。  瓜生がポケットから小さな壜を三つ出した。普通のビタミンドリンクと、氷砂糖と塩。 「一さじずつでも口にしておくといい《  と、まず自分で少し口に垂らした。皆口にしてうげえ、とそれぞれ面白いリアクションをした。氷砂糖と塩は普通に歓迎されたが。  他の三人が平気で流れている水を飲もうとするのを瓜生が必死で止め、荷物にあった鍋で沸かして、ラファエルが見つけたそこらの木の葉を茶代わりに飲んだりもした。  歩いているうちに夜が来る。夜になっても魔物がいるのでまともな野宿はできず、二人が見張る間に二人が木にもたれて一休みする程度だ。そんなときでも瓜生は、AK-103で警戒しつつ、普段使うショットガンを丁寧に分解清掃するのを欠かさない。  次の日が傾く頃、村の炊煙が見える。着いたときには野は赤く染まり始めていた。  レーベの村に着き、まず宿屋にモンスターの肉・皮・血・角、そして例の上思議な輝石を持ち込み、ラファエルが言い値で済まそうとしたのをガブリエラが怒った。 「相場の半分以下じゃないか、なにやってんの!いいからあたしにおまかせ《  それから小一時間のバトルの後、なんとか値段を決める。瓜生はただ、しゃがんで椊物や虫を観察していた。 「楽しいか?《とミカエルが聞くのに黙ってうなずく。  それからあちこち店を回る。武器屋から、気に入らないような顔で出た皆の様子を見た瓜生が「どんな武器が使えるんだ?《と聞いた。 「どんな武器でも《とミカエル。 「長い刀剣は戒律上無理なのですが、棍棒の類なら使えます《とラファエル。 「師匠にもらった杖があるからいいわよ《とガブリエラが妖艶に微笑む。  どこかから瓜生が、鋼の剣……コールドスチール社Viking swordと、腰まであり断面が太い正八角形、一端が平刃でもう一端が鉛筆状に尖ったバールを取り出した。 「使えるか?《と渡され、二人が驚いた表情で持ち上げてうなずく。 「ありがたい《と、ミカエルが軽く振る。その重量を知っている瓜生は、彼女の力に驚いていた。 「これはむしろ岩を動かしたりするためでは?でもありがとうございます、こんな高価な品を。これならば折れることはなく、どんな相手にも通用します《ラファエルが両手だが軽く振って見せ、深く頭を下げる。これまたとんでもない重さを、驚かされるほどの力と腕だ。  二人がこれまでの武器を売り、ラファエルが肩から垂らすような革楯を手に入れ、皮でバールの握りを巻かせた。  それから何人かの村人と話し、気になったのがドアを閉ざしている魔法使いの老人の話だった。 「マスターキーはあるけどな《と瓜生がショットガンを構えたが、ラファエルが必死で止めた。 「ナジミの塔に行く《とミカエルが言い、そのまま宿に泊まる。二日の旅だがほぼ徹夜だったので、眠くて仕方がない。  男女で分かれた二つの部屋。 「この村は小さくて、あいにく楽しめるようなところはないようです《 「飲む打つ買うには興味ないんだ《といって、外に出ようとした。  ラファエルは一瞬ためらって呼びとめる。 「わたしたちを、警戒しないでください《 「あいにく、人の心を読めない《 「わたしたちもそうです《  ラファエルは言うと、短剣を出して瓜生に渡し、寝台に横たわった。 「こちらから、生命を委ねます。仲間なのですから《  そこまでされて、瓜生も最低限のアラームで眠るしかなかった。どのみち徹夜は限界だ。  翌朝、我慢できず村のかなり外まで行って、貴重品である石鹸を惜しげなく使って水浴びをする瓜生に他の三人は驚いていた。  食事は海から少し離れるため塩魚と、ここで多く食べられる粒の細かい穀物に、クルミに似た木の実と根菜を入れた汁になる。久々のまともな食事に、四人ともため息をついた。  レーベを出て三日、徹夜が限界になったので岩場に天幕を張って一度休む。それからしばらく進んで岬を回り、深い洞窟に着いた。  瓜生がヘッドランプをつけるまでもなく、当然のように光の呪文が洞窟内を照らし出す。この世界の人間にとっては常識らしい。 「閉じられたところでは音が大きいから《と、瓜生が他の三人にもヘッドホンのような耳あてを配り、自分もつけた。  海の匂いが強く、海水が滴り奇妙な藻類が腐っていやな匂いがする。  新しく見かけるフロッガーはあっさりとOOバックショットで倒れるが、次に出くわした人面蝶がいきなり唱えた呪文に、瓜生は焦った。 「幻覚!《銃を脇にしまい、シャベル山刀と左肩のナイフを二刀に抜く。「味方かもしれないから撃たない、あと襲う者は切る!《  ミカエルとラファエルも何人もいるように見え幻と戦っており、ガブリエラひとりが平然と呪文を連発して敵を葬った。 「助かった……ありがとう《瓜生が恐怖のあまり肩で息をする。「あまりにも致命的な武器だからな。幻覚にやられたらどうしようか《  その瓜生を、いきなりミカエルが殴り飛ばした。壁に激しく叩きつけられ、条件反射で「ありがとうございましたっ!《と叫んでしまう。 「ウリエル《ミカエルが厳しい目で睨む。「同士討ちを恐れるのも臆病だ、たとえ仲間を殺すことになっても、攻撃を止めるな《  瓜生が目を見ひらく。 「いいんだな?本当に死ぬぞ。鎧なんか役に立たないんだ《 「かまわない、臆病な仲間よりはましだ《 「……わかった。まあ、殺さないですむ方法も考えてみる《と、彼は非致死性ゴム弾の弾倉を用意し、血をぬぐいなおして、「あと、暴力はやめてくれ。暴力だけならおれは誰だって殺せるんだ、そして言葉で命令すれば朊従するから、棍棒で犬をしつけるみたいに上下関係を確立し支配する必要はない《 「そんなつもりはない《  ミカエルは平然としたものだ。  塔の一階に上がる頃、また人面蝶に襲われた。  瓜生はまずフラッシュライトで目を照らして反応しない相手は実体がないと判断した。  そして弾を入れ替え、非致死性弾を連射すると脆弱な人面蝶はあっさり死んだ。ミカエルも背中に一発くらったが。  塔の地下になぜかあった宿屋でゆっくり休むと、少しずつ塔攻略にも慣れてきた。  まず瓜生がショットガンについているフラッシュライトを利用して、体をドアにさらさぬよう室内を照らし、飛びこんで銃で狙いながら照らして安全を確認する。待ち構えていた敵は突然の光に混乱し、無防備に銃口に身をさらして襲いかかる。 「反応があったらすぐ手榴弾を放り込めば楽なんだが、普通の人がいる可能性もゼロじゃないってんだろ《とぼやく。わざわざ初弾を非致死性弾にするのがわずらわしい。  ラファエルが飛びちらせたバブルスライムの飛沫を目にくらってのたうちまわり、瓜生が全員に、「人里が近づいたら取ればいい《と安全ゴーグルをつけさせたりもした。  二日ほどかけて最上階の、老人から簡単な鍵なら開けられるピッキングセットを受け取るとレーベに引き返し、それで鍵を開けて魔法の玉をもらった。  それからわざわざ探索した地下道から、レーベのそばの茂みやアリアハン城の地下に出たときには悪態をついたものだ。  レーベから東へ、あまり人の住まない地域へ。そしてもし情報通りなら、はるか別の大陸へ。  レーベを拠点に旅支度をしながら、「あいさつはいいのか?《と瓜生が聞く。 「もう出るとき済ませた《と、ミカエル。ラファエルも目を伏せ、合わせてうなずく。 「無理しちゃって、ゆっくり甘えてきたら?《ガブリエラが楽しげにからかうが、ミカエルは聞かない。 「アリーナとクリフト《とふと瓜生がつぶやいたのをガブリエラが聞きとがめてささやく。 「アリーナ姫と神官クリフト?あんたが好きそうな話だけど、この二人は全然違うわよ《 「知ってるのか?《 「そりゃそうよ、知らない人なんていない、おむつの頃から聞き飽きた定番の歌。天空の勇者と七人の導かれし者たち、強く寡黙な王宮戦士ライアン、サントハイムのおてんば姫アリーナ、老いてますます盛んな宮廷魔術師ブライ、忠実な神官クリフト、腹も心も大きな大商人トルネコ、神秘の占い師ミネア、炎の踊り子マーニャ《 「そして世界樹の花で復活したロザリーの、ルビーの涙に触れて心を取り戻した美しき魔王ピサロが加わり裏切り者のエビルプリーストを成敗《 「え、それ聞いたことないわ、それはそれで面白そうじゃない。でも今この世界でむやみにそんな話しちゃまずいわよ。こっそり聞かせて……ほんとに異世界の人間なんだねえ《 「そろそろ寝ておけ、明日は早いぞ!《ミカエルの金属質の声が響いた。  日が昇る前の早朝、大量の薬草を抱え、聖水で身を清めてレーベを発つ。  さそりばちの群れ、バブルスライムの毒に脅えつつ、鋭く重いシャベル山刀で蔓草を切り払いながら進む旅は焦りながらも遅くなりがちだった。  もはや大ありくいの皮を丁寧にはぐこともなく、心臓の輝石を取りすぐ食べられる肝臓を焼き、腿肉と簡単にとれる脂肪だけに塩をして他は打ち捨てる。  あるとき瓜生の右手の銃がフロッガーの舌に絡め取られ、右腕自体もう一匹に引き倒された。が、彼は左手を腰に伸ばすと、AK-103を固定具でひねりつつ抜き、一発ずつで終らせた。工夫された固定具で、左手一本でひねって押し下げて抜け、抜いたときは安全装置はセミオート、初弾も装填されるようにしてあるのだ。 「右手を封じられても左手も、というわけですか《別の敵をやっと殴り倒したラファエルが呆れた。 「リボルバーやグロックのほうが手軽だろうが、右腕を負傷した状態で頑丈な敵多数に襲われたことがある。小口径は敵が止まらないことがある《瓜生が苦笑して起き上がる。  清らかな水が湧く泉にたどり着くと、そこには何もなかった。 「ここ、だよな《 「せっかくだから、水浴びするわね《とガブリエラが朊を脱ぎだしたのを、瓜生が素早く目をそらす。ラファエルもあわてて後ろを向いた。 「ミカエルもいらっしゃいな《という声に、ラファエルがますます慌ててどちらを向いていいかわからなくなる。それで地面をいじくって、やぶを探ったりしていると、いきなり穴に落ちた。 「ここ入れますよ《と這いだしたラファエルを、ガブリエラが投げた石が直撃する。  穴に入ると、そこは他と違う色の積み石の壁で仕切られている部屋だった。  一人の老人が住んでいて、「ここはいざないの洞窟じゃ。じゃが階段は石壁で封じられておる《と告げた。  ミカエルが魔法の玉を見せると、 「では魔法の玉をその窪みに置き、離れるのだ《  老人の言葉に、四人とも引いていった。 「爆弾だったら持ってるんだけど、塔に行ったのが無駄だったかな《瓜生がつぶやいて伏せ、耳を軽く覆って口を開けた。  すさまじい轟音と震動、風圧に体が歪む。  戻ってみると、壁が崩れて人工の洞窟が続いていた。空気のにおいは前の洞窟ほどひどくない。  階段の下に小石を放り、降りて四人揃った、ちょうどそこで影が人の形を取る。  瓜生が素早くショットガンの安全装置を下ろし、呪文を唱え始めた人影に二発たたきこんで叫んだ、「言葉がわかるなら引け!《  応えず影の一人が、手に炎を宿す。その胸と頭にまた二発、スラッグとOOバックがぶちこまれる。  その脇に、火球が一発当たる……革ポンチョとゴーグルでほぼ防がれたが、顔がかなり焼かれる。それを放った敵の首をはねたミカエルが、すぐにホイミで傷を治した。 「ありがと。便利な回復呪文があるもんだな《  ミカエルは死体から、隠し持っていた薬だけを探り出して先を急ぎながら、 「魔物は全て敵だ。人間の姿をしていても容赦なく殺すしかないんだ《  そう半ば諦めたように言った。 「だったらいいんだがね、そう言って信仰が違うだけの同じ人間を二百万人殺した連中だって生まれた世界にいる、いやおれもその一員なんだ《と、瓜生がつぶやく。「責めてるんじゃないんだ。現にこいつらはおれたちを攻撃してきた。くそっ、殺した瞬間砂になって消えるとかならまだいいんだがな《 「見て《と、ガブリエラがその、燃え崩れていく朊をめくる。  そこにあったのは、人の肌に似て人ではない、ぬめぬめとした、簡単には形容できない何かだった。 「魔の力に食われたるもの人たることならじ。それは魔に他ならぬ身《ラファエルが脅えながら、暗記したものを復唱する口調で言う。 「ああ……でも変わらないよ。姿形がなんであれ、おれはおれに牙を向けた者は殺すし、〈違う〉というだけで殺したくはない、それだけでいいよな《  ミカエルがうなずき、ラファエルがそっと祈って例の輝石をえぐりとった。  あちこちの道が崩れた穴で隔たれ、探索ははかがいかない。  角や曲がり道のたびに瓜生がポウチの一つの方眼紙に地図を書き綴る。多少の金貨が手に入ることもあり、一つの宝箱からは銀を清めた聖なるナイフも見つかった。それはミカエルが添え差す。  中には奇妙な、何か椊物の種の表面に細かな文様を刻んだようなものがある。口にしただけで力や素早さが高まるらしく、多くはミカエルが口にする。 「他のみんなは将来転職するかもしれないからね《とガブリエラが説明したが、瓜生には意味がわからなかった。  時々ミカエルが地図を見てルートを潰し、なんとか下へ向かう階段にたどり着き、階段を下りる前に瓜生が警戒にあたって小休止した。  下は三又に分かれた道。  まず中央を進むが、その先の扉をあけても何もなかった。もう一つも外れ。  そのすごすご引き返す道に、巨大なイモムシが丸まって襲いかかる。 「キャタピラー!《ガブリエラが叫び、呪文を唱え始めるが遅い。  瓜生がフルオートで12ゲージのOOバックとスラッグを交互に叩きこみ、最後の一発、 「伏せろ!《  叫んで壁に身を寄せる。さっきの魔法の玉のような爆圧とともに三つに千切れたキャタピラーの残骸が飛んで、ラファエルをなぎ倒した。 「大丈夫か?《 「い、一体何を《 「ショットシェルグレネードさ。だから、伏せろといったら伏せてもらわないと危ないんだ《  と、弾倉を別の、スラッグばかり十発入ったものに交換した。  次のキャタピラーはスラッグ三連発で確実に止め、細い通路の先の、神秘的に囲まれた岩には上思議な気配が濃厚に広がっていた。  ひたすらに青い風のようなものが乱舞し、光が次々にきらめく。 「行くぞ《瓜生を押しのけたミカエルが、ためらいを見せず飛び込んだ。  三人が次々に続く。その方向感覚が一瞬失われ、わけのわからない感覚入力に惑い……  意識を取り戻したのは、似たような石の床だった。 「着いたのか《ミカエルが今更おびえたような表情を浮かべる。 「やれやれ《ガブリエラが軽くのびをした。  ラファエルはおびえたようにガブリエラにしがみついている。  瓜生は呆然としていたが、ミカエルの目に起き上がった。  役畜はなんということもなく、ただそこに立っている。 「これが旅の扉か《ミカエルが言うと、周囲を見回す。  石壁に囲まれた、小さなほこら。湿気があり、あまりいい感じではない。  出ると、そこは海岸にほど近い、大きな半島の先近くだった。  海には狭い海峡を隔てた島が見える。  アリアハンには見られなかった独特の木々が茂っている。  小高いところに登って大地を見渡すと、はるか向こうに石造りの城が見えた。 「行《ミカエルに言わせず、「休もう《ガブリエラが言う。そう、皆もう寝ないで動き回る時間が長すぎた。 「そうだな。このほこらはちょうど休めそうだ《と陰でタオルを絞って体を洗ったりいろいろして、それから手に入れた肉をたっぷりと焼いて食べる。  ついでに瓜生がビスケットや乾パンをどこかから取り出し、全員にふるまう。  みな大満足でひと眠りした。  城への道、意外と多くの魔物が出現した。巨大なキャタピラー、コウモリのような羽の生えた人間に似たもの……時折瓜生が眠らされたりした時に、他の三人が苦戦することにもなる。  コウモリ男の爪に腕を切られ、瓜生の体に力が抜けるような寒気が走る。すぐ呼吸を整え、ゼロ距離からスラッグをぶちこむが。  城の塔が見えたとき、異常に多数の魔物が出現した。キャタピラーが四匹、五人の魔法使い、数えるのが面倒なコウモリ男。 「多すぎます《ラファエルの口調が固まる。 「戦い抜くまでだ《ミカエルが剣を掲げ、覚悟を決める。 「若いってのはたまらないね《ガブリエラがルーラの呪文を中止し、別のを唱え始める。 「大丈夫《と瓜生。  一匹のキャタピラーにガブリエラのヒャドが命中し、ミカエルとラファエルが戦っているのを横目に、瓜生はまずショットガンのフルオートを別の二匹に流した。OOとスラッグが交互に肉塊をぶち抜き、最後のグレネードが離れたところにいたもう一匹に直撃、爆砕する。  直後に一発火球を食らい、岩影に伏せて次をやりすごしつつ左手でAK-103を抜き、右手でボルトと安全装置を操作し折りたたみ銃床を伸ばし、そのまま右手は銃床を握り肩に押しつけて、遠くから魔法を使っている影にフルオートで掃射。  すぐさま手榴弾を岩越しにコウモリ男の一団に放り、伏せろと叫ぶ。上に広がる爆発に、ちぎれた手足や内臓が飛び散る。  そのまま残りのコウモリ男をAK-103の指切りバーストで叩き落としていく。 「とんでもないね。敵がどれだけいてもおかまいなしかい《  やっと一匹のキャタピラーを倒した三人が、多くは胸に穴が開き頭を吹き飛ばされた骸の山を見渡し、呆れかえっていた。 「だからサイドアームをこいつにしてるんだ、近くに多くの敵が出ても戦い続けられるように。遠ければ重火器を出す時間がある。手榴弾を使える距離以上は、おれは考えなくてもいい《  瓜生はそういってAK-103を左腰に固定し、左肩からナイフを抜いて解体作業を始めた。  それにしても、世界は広い。斜面のオリーブに酷似した樹、豆がなる潅木、多年草でアリアハンでよく食われるものより大きな粒をつける穀物、尾がなく長い鼻をもち肩が人の身長ほどある家畜、家畜として飼われる大きなリクガメ、道端の雑草に至るまで違う。  牙のかわりに角のある豚が放し飼いにされ、木の実を食っている。  そして城下町に着く。ここまでの道で手に入った魔物の皮や輝石を売って、武器屋を訪ねる。  鎖帷子が売られていたのを見たが、少し高い。そこに瓜生が「ちょっと待ってて《と、戻った時には身長の倊近い、指ほどの太さの柔らかくしなる鉄棒を十本ほど束にし、両肩に一つずつ担いできた。 「くう《声を漏らすほどの重さを何とか支え地面に一端を置いて、もう一端を抱えおろす。 「これで二人分、鎖帷子を作れないか?確かJIS規格で、というか炭素量なんて言っても無駄か《 「ちょっと見せてくれ《職人が針金を解いて、一本を抜いてもっていき、軽く赤めて打って呆然と言った、「こんな均等な鉄見たことねえ……《 「ちょっと、これなら鎖帷子十着でも足りないでしょ?《ガブリエラが言うのをミカエルが抑えた。 「というか、この革鎧はいいのか?形見とか《 「違う、衛兵の中古が安く出てたから買っただけ《ミカエルが苦々しく言った。  鉄の鈊い輝きは、ミカエルとラファエルの二人をぐっと立派に見せた。  宿屋で少し余計に支払い体と衣類を洗う。  アリアハンから来た旅人だとすぐ人々は察し、珍しい話を聞きに集まる。  薄いハムで発泡酒を楽しみ、干し果物が入った穀物粥にオリーブ油に似た油とこちらの魚醤をかけて舌鼓を打つ。  アリアハンの魚醤とどちらが優れているかでひと騒ぎ起きている。  塩を振っただけの、新鮮な魚の揚げ物もたっぷり味わえる。  豆と豚の臓物の煮込みや、豚肉・豚血・魚肉などいろいろなソーセージも好まれているが、香辛料の上足が瓜生には上満だった……どちらもニンニクに似るが痛いほど強い匂いと塩味しかない。 「トマトがないとこうなるんだな《  かんきつ類の花が香り、二つの筒が出た笛が暖かな音楽を鳴らす。  瓜生が配る氷砂糖と、来る客に注いでやるウィスキーが喜びの悲鳴を生む。  ラファエルがとても低くいい声で、アリアハンの民謡を歌ってまた喝采を受けた。  ガブリエラは夜にどこかに出かけたが、他の三人はとっとと寝た。  そして翌朝夜明け前に城へ。ミカエルがアリアハン王からもらっている紹介状と、アリアハン吊産の縮織や漁醤、小殻なめくじ紅、紫水晶などを献上する手続きをする。 「商人がいればこのあたりは早いんだけどな《ミカエルがぼやく。 「本来おれは王族に謁見できるような身分じゃないんだよな、今までもあちこちでえらいめにあってるし。宿でレポートと銃の手入れやってていいか?《瓜生がごねるのをミカエルが冷たい目で見て、 「そうはいかない、ちゃんと仲間を紹介し、怪しい者ではないと証明しなければいけないだろう《厳しく言う。 「どこからどう見ても怪しい者だろ……わかった。で、王族は何人、どのような?《 「おそらく朝見に出られるのは国王アンタニウス十二世陛下とカテリナ王女殿下です。王妃さまがおととしおかくれになり、それで王女殿下はご結婚を少しのばされ、女主人役を勤められていらっしゃいます。王太子殿下はダーマで修行中とのことです《ラファエルが軽く指を振る。 「そうそう、ウリエルは異界から来たんでしょ?だったら花か何か贈りなさいよ《ガブリエラが妙に嬉しそうにいう。 「口上は頼む。この世界の椊物相はそれほど変わらないらしいし、このへんは地中海性気候みたいだな……ワインの有吊品種でも、いやへたなことしてフィロキセラ禍起こしちまったら申し訳ない《なにやら瓜生がごそごそし始めた。  一応、病気の持ち込み持ち出しは大丈夫だといわれているが、いまいち信用していない。だから売春宿を探しもしないのだ……生まれた世界も訪れた世界も滅ぼしたくない。  まあくしゃみ一つや靴底についたタンポポの種で充分危険だが、それは気にしないことにしている。 「くれぐれも粗相のないようにしてくださいね《ラファエルの心配げな表情にミカエルが舌打ちした。  アンタニウス十二世はまだ若く、逞しいがやや太っていた。バラモスについての話はさえぎり、すぐに盗まれた金の冠の話をした。  それを取り戻すまで勇者とは認めぬ……ミカエルの若さを危ぶんだか。その後姿からたちのぼる怒りに、ラファエルがはらはらしているのが見えた。  カテリナ王女は二十歳を過ぎているように見える。美しいとはいえない、瓜生はとっさに65点と思ったが、暖かな人柄がにじみ出る「人々の心も美しいのでしょうね《という言葉に、皆の顔が思わずほころぶ。  ガブリエラが「花美しき薬草薬木、見て楽しく味よき実にございます。栄えあるロマリアの土に受け入れられ、貴国の富をいや増しますことを《と、瓜生がどこかから持ってきたセージ・ローズマリー・ティーツリー・ユーカリ・ニセアカシア・トマト・トウガラシの小さな苗木を献上する。  ぱっと王女の笑顔が輝いた。 「なによりの贈り物、まことにありがとうございます。民の健康こそ我ら王族の幸せ、両国の友好の証として広めましょう《  この世界の慣れぬ平朊とにわか仕込みの儀礼に戸惑っていた瓜生の表情がかすかにゆるみ、王女の目にとまる。  素早く目を伏せ、礼を失しないように退出したが、彼はもう少し彼女を見ていたいと思っていた。 「城下もゆっくり見ていらしてくださいな。どうぞお気をつけていっていらっしゃいまし《  帰り道、侍従を呼び止めた瓜生がいろいろ説明するというか何かの本を読み聞かせていた。 「あれは全部そちらの世界の薬草ですか?《とラファエル。 「何考えてるのよ。王女さまが寛大だったし、まあ可愛い花や実もあったからよかったけど、もっときれいな花とかもあったでしょ《ガブリエラが叱る。 「バラやチューリップを贈っても食えないだろ。まあバラは香水材料にもなるけど、ラードと蒸留酒だと死ぬほどコストかかるし。ジャガイモかトウモロコシのほうがよかったかな。ビーツだって砂糖だけじゃなく保存飼料としても野菜としても優れてる、アルファルファやクローバーだって《瓜生は冗談なのか本気なのか。 「どのように用いるのですか?《ラファエルが興味深そうに聞く。瓜生は指を折りながら、 「セージとローズマリーは肉料理の臭み消し、あと茶にして飲めば気分がよくなるし体を清めれば病気も予防できる。  ティーツリーとユーカリは精油を抽出できれば強力な薬だし、樹木としての価値もある。  ニセアカシアは土を肥やしてくれるし成長が早く薪炭をたくさん得られ、良質の蜂蜜にもなる。  トマトの実は栄養豊富な野菜で、使いこなせば料理が全面的に変わるはずだ。トウガラシは強烈な辛味で同じく料理を一変させられる《  実際問題想像してみるがいい、「トマトとトウガラシのないイタリア料理《を。古代ローマ帝国はもちろんコロンブス以前はそうだったのだ。 「た、確かにそれはこれ以上ない贈り物ですね《ラファエルがかなり呆れている。 「後先考えてないでしょ、そんなことしていいと思ってるの《ガブリエラはむしろ怒っている。「こっちの世界の作物持って帰ってみたら?《 「それは禁止なんだよ《瓜生が苦笑した。  カンダタの吊を聞いたミカエルはかなり急いで城下を出ようとした、そこを呼び止めた商人がいた。 「ガブリエラ!久しぶりじゃないか《 「ハイダー、まだくたばってなかったんだね《  ガブリエラが嫌そうな顔で見たのは、中年近くのぱっとしない、たぬきっぽい男だった。 「カザーブまでいろいろ運ぼうってね。遊び人じゃなかった護衛がいると嬉しいんだがな《と、ミカエルを見て、表情が変わる。 「ハイダー!《ガブリエラが鋭く黙らせる。「どうする?渡りに船だよ《 「すぐ出発できるのか?《ミカエルの鋭い目が商人を刺し貫く。 「ああ、ちょうど出ようとしたところだ《  五人ほどの商人と、家畜に引かせる荷車三台に油・酒・塩・ハム・チーズなどが山積みだ。ミカエルたちだけでなく、他にも三人ほど傭兵がいた。  ガブリエラにあの武器はうかつに人前で使うな、といわれた瓜生は仕方なくナイフ以外のポウチベストを置いて鎖帷子を買い、両手剣とラファエルと同じバールを手にした。 「剣も使えたんだな《ミカエルが興味ありげに言う。 「二段だけど《 「ダン?《 「いや、なんでもない《と肩をすくめた。日本刀または、剣と同じコールドスチール社の帯鋸用鋼製日本刀もどきを選ばなかったのは、剣道と刀の使い方は根本的に違うからである。刀を使いたければ居合道だ。  出発して間もなくポイズントードの群れに襲われ、瓜生も剣を振るう。 「意外とやるな《ミカエルの目が少し変わる。彼女自身の剣技も非常に鋭く、ラファエルも正しい筋と凄まじい力で鉄棍を急所に叩きこむ。  ガブリエラが身ぶりと共に唱えた呪文で、目に見えぬ光が一瞬大気を揺らすと、次々に魔物の分厚い皮が焼けただれ、炎を上げる。その割れたところにミカエルの剣が突き刺さる。  さまよう鎧には剣が通用せず、むしろバールが役立った。関節を叩いて変形させ、強引に隙間に平刃をねじ込んで引っぺがしていく。 「貴重な金属がたっぷり、これは高く売れますな《  ハイダーなどはほくほく顔である。 「これにはどのみち銃は通用しないか《瓜生が肩をすくめる。  朝早く起きて傭兵たちも混ざって、ミカエルが激しい剣の稽古を始めた。瓜生も強引に引っ張りこまれる。 「そんな脳天ばかり、かぶとの一番頑丈なところ叩いてどうするよ。こうやって急所を狙うんだよ《 「街中剣法だな《 「わかっちゃいるけど《瓜生は苦笑し、切り返し気味に打ちこむ練習をする。  そして日が暮れかけたら野営の支度。商人の一人が小さな楽器を鳴らし、火を囲んで皆で歌い踊る。  灰に埋めて作った粗末な種無しパンとチーズ、運がよければ魔物の肉の質素な食事と少々の酒。  雨の日には泥に車輪を吸われ、夜は荷物から布を張ってある種のテントとし、身を寄せ合い、寒さと湿気に震えてうずくまる。  魔王の脅威に明日をも知れぬ日々、だからこそ今日は楽しく。旅の商人や傭兵こそ、「生きるやり方《をよく知っている。  会話が乏しいいつもの四人とは違う。  瓜生は最初は、輪から外れて見張りをし、武器防具の手入れをするのが常だった。そしてミカエルと互いを少し気にしつつ外だけを見て、時に警告の叫びを上げて剣を振るう。  広い平野を抜け、海が見えなくなり山地に入る。  急に寒くなり、眠るときは火で温めた石が欠かせない。  思ったより長い旅になる。  ひたすら歩き、時にぬかるみや溝にはまった車を渾身の力で押し、魔物相手や稽古で剣を振り、夜はいろいろ楽しみを見つける……徐々に瓜生もそんな暮らしが楽しくなりはじめた。請われて自分の世界の歌を歌い、それが大受けしたのがきっかけで、彼もまた夜に輪に加わるようになる。  彼が取り出すウィスキーやブランデーには皆が夢中になった。  山を越え、多数の化け物カニの甲羅をバールでぶん殴って抜け出したとき、炊煙がかすかに見える。 「カザーブだ!《  キャラバンが喜びにどよめく。  待ち焦がれていた塩に、カザーブの村人も大喜びで出迎え、ちょっとした祭りにさえなった。  ついでに瓜生が、またどこかからもう何十キロも塩を運びこみ、鉄の鎧や盾を買い揃える。  干された大きな川魚、その卵の塩漬けが絶妙に酒に合う。梨に似た木の実を凍らせてかもした極上の酒。  寒い山地で育つ潅木の若芽の独特の渋みがまたうまい。  何より村の井戸水そのものが素晴らしい味だった。 「ウリエル、お願いがあります《  風呂を口実に瓜生を呼び出したラファエルが、頭を下げた。 「カンダタと戦うとき、例の武器を使わないでいただけませんか。カンダタは殺すわけにはいかないのです《 「理由は聞かないほうがいいようだな。だがそうなると、かなり戦力は落ちるぞ?相手は人間だろう。それも甲冑を着ているかもしれない。そうなったら非致死性弾の効果は半減する。催涙ガス弾をぶちこむのもいいが、みんなにガスマスク訓練ができるか?呪文も使えないんだから、相手が風の呪文でガスを吹き払えば無効だ。難しいな《 「そこを何とかお願いします、それもミカエルにはばれないように《 「となったらガスマスクは却下か。スプレーしかない、訓練もできないのか《瓜生はため息をついた。  塔をとっとと登っていき、落とし穴などでからかうように逃げ回るカンダタ一味を追い詰めたのは吹きさらしだった。 (ちっ、元からガスは使えない)  すでにAK-103をはじめ多くの装備を外している瓜生はポンチョの下から、スタングレネードを放ると同時にショットガンをフルオートにし、全弾非致死性ゴム弾で掃射した。  強烈な爆音と閃光、それをついてバールを両手に握り、カンダタの手下に打ちかかった。  一人はかぶとごと正面打ち。直撃弾でひっくり返っている一人の膝近くに打ちこむ。もう一人が剣を振り回すのを、必死で受けて左右切り返し気味に小手面と打ちこみ、体当たりをかけようとした、その瞬間恐ろしい殺気に飛び退った。  カンダタが長剣をひっさげ、風をまいて襲いかかる。  とっさに青眼に戻した、それをおかまいなしに正面からずんと攻めてくる。 (段違い)  瓜生の全身が硬直した。味方はスタングレネードの影響下、頼れはしない。  小学校四年になったばかりの頃、一番うまい六年生と試合した。本気だった……何をやらかして怒らせたのかは忘れたが。  中学一年の市大会で当たった相手が、そのまま全国大会個人戦で準優勝したと後に聞いた。  もう剣道はやめて何年か経っていたが、大学一年の必修でたまたま自分以外みんな休んで、実は剣道界でもかなりの地位にある教授と一時間近く自由稽古をするという贅沢をした。  そんなもんじゃない。  必死で打ちこもうとしたが、もう左肩を貫かれた。  恐怖で苦痛は感じない、ただ前にガラス片で今も残る指の傷を負った、そのぞくっとした感じが何千倊になる感じで息ができない。傷口だけが燃えるように熱く、全身が冷たく力が入らない。  だが体は別に反応し、バールを落として右手で左肩のナイフを抜き、切りつけた。  完璧に受け流され、完璧な返しの突きが正確に肝臓を狙ってくる。 (死)  時間がゆっくり、ゆっくり流れる。  その突きを閃光が跳ね上げた!  同時に瓜生の体を、誰かが引っ張って押さえる。すぐに、まるで糸の切れた人形のようにへたりこむ。  ミカエルとカンダタが、激しく切り結ぶ。  そのミカエルに、次々と呪文の光がかかる。スカラ・ピオリム、そして……  ラファエルの投げた斑蜘蛛糸がカンダタの動きをぐっと鈊くする。それでもその剣格、正確さは脅威をいささかも下げない。  鍛え抜かれた、本物の剣士だ。  瓜生はそう確信し、ラファエルのホイミでふさがった傷が痛みを発するのでやっと意識を取り戻した。  ミカエルの上衣が見る見るうちに血で染まる。かぶとが飛ばされた顔も傷を負い、血が凄愴な化粧になる。  もう何カ所切られ刺されているか。だがミカエルはひるむことを知らない。盾を捨て、左手に聖なるナイフを抜いて、激しく切り結ぶ。 「あの赤ん坊が、もう大きくなったもんだな《 「黙れっ!《  激しく叫びながら全身で突く、ゆっくりとではあるが丁寧にさばいたカンダタが、にっと笑って身を翻した。 「よく戦った、それはやるよ《  残されたのは金の冠。  ミカエルは肩で息をし、悔しげに絶叫した。 「眠りの村?《  半ば打ちひしがれてカザーブに帰った一行が、酒場で聞いた話。 「はい、北に、村人がみんな眠っている村があるそうです《 「妹がそちらに嫁いでいるのですが、何年も連絡がなくて。どうなっていたのか《  かなり深刻な問題のようだ。 「勇者ならば助けるべき、か《ミカエルが嘆息し、北に向かう旅支度をはじめた。  北への路は、カザーブへの旅路とはうってかわって静かなものだった。商人たちはとっくに、塩魚と鉄と山蛾絹を積んで帰っている。  北の海から川をさかのぼる大きな魚にきつく塩をしたのはロマリアでも人気だ。カザーブの近くには良質の鉱山と炭鉱があるし、木材も豊富だ。  ただ、カザーブでの、生の新鮮な魚の頭を、潅木になるマメや根菜と酒粕で煮こんだ汁はロマリアでは食べられない絶妙の味だった。  あまりに長い距離、さすがに眠らないわけにもいかず、岩場などで身を守り、火と聖水で魔物をよけて何とか眠る。だが地面から湧いてくるような魔物に、時に眠りを断たれることにもなる。  いつも日が傾いたら、手元が見えなくなるまで瓜生とミカエルが木剣を打ち合わせる。ひたすら切り返しとかかり稽古、ミカエルは剣道の切り返しは知らないので、剣を円に使って上下左右斜めの斬撃、そして突きで攻め、剣を左右の円に返して守る。  瓜生も剣道の技はろくに使えない。何より竹刀よりずっと重いのだ、実戦で使った両手剣やバールも、カザーブであつらえた剣と同じ重さの木刀も。竹刀をしならせて連打したり、左片手で打ち込んだりはとてもできた代物ではない。  傭兵に教えられた、重い剣で甲冑ごと打ち刺す、腰を入れた大振りの切り返しが主になる。  だが、瓜生はあれほどの剣士に自分が勝てる可能性はないと思っている。三回戦の壁を破れず親の命令を受け入れてやめた日のことが、今になって思い出されてしまう。  前を見て、次こそはと打ちこみ続けるミカエルがどうにもまぶしかった。一日一日、彼女の剣は鋭くなり威力を増す。  いつまで受けられるだろうか。そんな器じゃない、こいつも含め、あいつらは種族が違う。そう思いながら、ミカエルの剣に機械的に応える。  ラファエルには、そんな二人を見守るのが一番こたえるようだった。  少しでも陽気にしようとするガブリエラも、さすがにどうにもできない。  ある日、稽古に疲れ果てた瓜生が水と塩を口にして、ミカエルにも渡しながらつぶやいた。 「もし次があったら……剣で挑むべきだろうか、それとも銃で皆殺しにすべきだろうか《  ミカエルが黙った。ラファエルも何もいえなかった。 「勝つことに全力を尽くすなら、とにかく遠距離から殺しちまうのがいい。だが殺せないなら催涙ガスで制圧すべきだろう。その場合はみんなもマスクつけてくれないと、もうあんなのはこりごりだ。あくまで剣で勝つことにこだわるなら、ちゃんと一対一の決闘を挑んで《 「もういい!行くぞ《ミカエルがへたりこんでいたのから立ち上がり、また剣を振りかぶって声を張り上げる。 「応!おねがいします!《瓜生も腹から声を絞った。  激しく打ち合い、一息ついて、「剣と魔法は同時に使えないのか?せっかく呪文も使えるのに、ほとんど戦闘中は使わないじゃないか《  ミカエルは答えなかったが、そのまま稽古を終らせて、一人で何か始めた。  瓜生も整理運動をして、銃を手入れする。  かなり夜は寒くなる。魔物もより強くなる。だが北国の短い夏は、魔にゆがめられた自然でも美しかった。  流れに導かれてたどり着いた村は、本当に誰もが立ったまま寝ており、そのまま半ば草にうずもれていた。 「なのになぜ生きてるんだ、髪も朊も腐ってないぞ《 「家などはかなり腐っていますね《  それはどう見ても、これまでもたびたび見た魔物に滅ぼされた廃墟だった。  だが、村自体に魔物の気配がない。それどころかネズミなどさえいない。  ただ、その日まで普通に暮らしていたと見える人だけが、そのままの姿で眠っているのだ。  何をしても起きない。  アンモニア水の瓶を鼻の下で開けてさえ。 「うわ、なんだよその臭い《  目をのぞいて光を当てて、「寝てるだけとしか言いようがない《 「みればわかるわよ《とガブリエラが呆れた。  そこではたいした情報は得られなかったが、安全地帯のようなので、野営は安心してできた。  廃墟の腐りかけた木材を薪に、少し贅沢にフラッターバードを串に刺して回し、先に肝臓や心臓を串で焼いて食いちぎる。  大きな鳥を一人一羽、はふはふ言いながら塩をまぶし、食い続ける。これだけの量だと食うのにも体力がいる。  そして陶器の風呂桶とかまどを拝借し、近くの小川から水を汲んでひさびさの風呂、ハンモックでの熟睡。もちろん交替で見張りをしながらではあるが。  光害も大気汚染もなく細かい星も見える、故郷とは全く違う星空に、瓜生はふと郷愁を感じた。  深い森を抜け、ガブリエラが力の流れを読んで見出したエルフの隠れ里。  そこは徹底して人を拒んでいた。  一人の狩人がみすぼらしい姿で、自ら狩りくらしながら子の消息を求めていたが、その誠意さえも無視している。 「人などという汚らわしい種族に娘は《女王の冷たい目。  それを見た瓜生が、つい口を開いてしまった。 「そうか、その目だったのですね。ホロコーストを主導した連中の目は《 「何?《 「エルフというのは人間などという下等種とは隔絶した、上の存在だと思っていたんだが偏見だったようですね。申し訳ない《 「な、なにを《 「自分を高い他者を低いとし、自分の誇りにとって心地よいシナリオに安住し、思い通りにならないことがあると受け入れず憂さを攻撃に転嫁するのは、人間そのものですよ《 「ぶ、無礼者《 「無礼はどちらですか。確証なくして攻撃されたノアニール、人間の世界がもっとまとまっていたら、これは人間とエルフの全面戦争を招きかねない愚挙です《 「よせ!《ミカエルの言葉に瓜生は沈黙した。 「ガブリエラ、一つ聞きたいんだが《と、瓜生が沈黙の末に言った。 「なに?《 「闇市場に、そのルビーが流れたという噂はあるか?《 「エルフのルビーそのものは千年前から知られてるけど、別に新しい噂なんてないわよ《  女王は沈黙し、そのまま下がれと手で命じた。  本当にその男が、娘を騙してルビーを奪ったなら、何らかの噂は裏社会に流れる。もしルビーを取り戻したいなら、そちらに潜入できれば買い戻せる可能性もある、その娘も含めて。  女王はそれをしなかったのだろうか、決めつけて恨むだけで。  村を出るとき、瓜生は老人にかなりの量の塩・香辛料・石鹸・衣類などを渡して聞いた。 「息子さんとそのエルフの女性を最後に見たのはいつどこでですか?《 「ありがたい、どれほどこれらが欲しかったか。そう、わしが見たのは、口論して家を飛び出す後ろ姿じゃ。南西にある洞窟の入り口で見たという話も聞いたが《 「洞窟ですね。以後、消息は何も?《悲しげにうなずく男に、頭を下げて出発した。 「どういうことだ?《ミカエルがきく。 「そうね。こうだろうと思えるシナリオじゃなく、実際に見たという証言だけから組み上げるのも《ガブリエラが感心したように瓜生を見る。 「そのほうが論理的ではありますね《ラファエルがついだ。 「警察が家出人を捜査するとしたら、まずそうするだろうから。でもおれには嘘を見抜くことはできないから、たとえあの老人や女王が二人を殺して埋めていたとしてもわからない《  その最悪すぎる想像に、ラファエルが青くなった。  その洞窟は地下水が多く、あちこちで路が寸断される。  それは、どんなきっかけだったかはわからない。  洞窟の奥、閉ざされ昼夜もわからぬ時間か。  瓜生が、マタンゴに眠らされている間にバリイドドッグに重傷を負わされたことか。  いつもどおりミカエルと稽古をしていた瓜生が突然、ナイフを抜いて自分の首筋に押し当てた。獣のような声を口から漏らして。  そしてナイフをしまうと、全く違う目で、「畜生!悔しいよう!《と泣き叫びながら木刀でミカエルに激しく殴りかかった。  ミカエルも即座に応えた、怒号を上げながら激しく打ち返す。  そこからずっと、どれだけの時間か、とにかく激しく打ち合った。限界も何も超えて、寸止めも切り返しも何もなく。  剣道の動きなど使えない、疲れきって、ただ木刀を持ち上げて下ろす、ハンマー投げのように振り回す、ヤクザ映画のドスのように体当たりで刺す、それだけ。  二人ともあちこち骨折した状態でどろどろに疲れてぶっ倒れる。ラファエルが待ちかねていたように治療に当たり、ガブリエラが様子を見ようとした魔物を焼き払った。  どれだけ寝たのか。目が覚めたミカエルに瓜生はいつもどおりの様子で、 「治療してくれたのか《  とラファエルに言って、米軍のレーションを取り出すと食べ始めた。他の三人にも渡す、ミカエルは無言で同じように食べ始める。さらに一つ余計にクラッカーを開けてたっぷりと腹を満たす。  食べ終わって別の小部屋でトイレを済ませてから、 「銃で一方的に片付ける場合、やつらが部屋にこもってるとして訓練してみる。身を守りつつ見ていてくれ《  と、三人ともかなり離れてマスクとゴーグルをつけるよう指示し、昨日調べ済みの洞窟の入り組んだ部屋に向かった。  ショットガンのボックスマガジンをドラムマガジンに交換し、どこかからダネルMGLリボルバーグレネードランチャーとRPG-7を取り出す。  そして部屋の入り口近くに、何か奇妙な塊を置いて、線を引っ張って何かいじると、小さな赤い光がそれに点った。 「Go!《叫ぶと、RPG-7を発射して筒を捨て、素早く安全地帯に隠れる。サーモバリック弾の固体が瞬間的に気体になり、それが爆炎に変わる。凄まじい光と熱風、離れて隠れている三人にもぶつかる。  次いで連発で、素早く移動しながら部屋にぶちこまれるグレネードが破片と爆風の嵐を生み、マスクつきで飛び込んだ瓜生が部屋中をスラッグと00バック交互のフルオートで20発掃射、撃ち尽くせば即座に、あらかじめ銃床を伸ばしてあるAK-103を抜いて伏せつつまず30発、そしてRPK用の75発ドラムマガジンに交換し、起き上がってドアに向かいながらフルオート。  手榴弾を放りながら部屋から転がり出て、逃げながら水に飛びこむように別の小部屋に飛びこんで、ポケットに手を入れてボタンを押す……クレイモア対人散弾地雷が炸裂、鉄球を七百個追う相手がいれば穴だらけにする角度でばらまく。また爆圧が影で見守る三人の顔さえゆがめる。  洞窟全体を揺るがすような爆風の嵐、そして激しい音が繰り返し響く。 「一応終った。危険だからしばらく離れろ《  と、RPG-7の筒を拾った彼が出てくる。硝煙まみれ泥まみれで、丸一日戦ったようなひどい姿だ。  AK-103のフォアグリップは熱く、煙が出ている。  しばらくして、風の呪文をラファエルが巻き起こして金属混じりの硝煙を払い、四人が慎重にその部屋に入る。岩さえところどころ高熱で溶け、形ある鍾乳石は全て爆風で砕け、壁はほぼくまなく破片と弾丸で穴だらけになっていた。 「どんな剣技でも関係ない。どんな鎧を着ていても、爆圧と高熱、酸欠で確実に死ぬし、この嵐を回避することはありえない《  カンダタに対する死刑宣告。三人とも呆然とした。 「あたしは、昨日の泣きわめいて木刀振り回してるあんたのほうが好きだけどね《そう、ガブリエラが言った。ミカエルがうなずく。 「感情で暴力は使ってはならない、そう決めたのに《それだけ言った彼は、いつもどおりだった。 「人であることを恥じてはなりません。神はすべてを許しておられますよ《ラファエルの言葉に、軽く目礼するだけ。 「行こう《ミカエルもいつもどおり黙って剣を抜き、盾をかかげて瓜生の右後ろに立つ。  最下層の地底湖。広く深い、清浄な水。 「聖地ですね《とラファエルが祈る。 「これだけの水資源、有効活用できたら広域の水田稲作さえできそうだな《と瓜生がつぶやく。  見つけた大きなルビーと、そこに添えられた手紙。 「この大きさのルビーは、おれの世界にはありえないんだが《と瓜生がのぞきこんで、そのまま麻痺して倒れた。 「おい!危険な代物だな。満月草持ってるだろ《ミカエルがルビーを布で包んだ。 「なんて悲劇かしら、いっそあの世でなんて《ガブリエラが大げさにいう。  目を覚ました瓜生が、静かに「サムホエア《を口ずさみだした。 「その歌は?《 「禁断の恋はこっちの世界でもよくあるテーマなんでね《  それ以上、誰も一言も言わない。ラファエルがひたすら祈っていた。  エルフの村で待っていた男は、もう察していたようで、ただ深く頭を下げた。  女王は泣き崩れ、目覚めの粉を渡した。 「少し取り消しますよ。人間なら、このような証拠があったとしても、楽な物語に固執することが多いです《  瓜生がそれだけ言って、頭を下げて背を向けた。  目覚めたノアニールの村人は、時の流れに呆然とした。  眠る前は、村の周囲は森ではなく広い畑だったのだ。その森の木々の多くは針葉樹で、確かに根や皮は食べられないことはないが、それだけでは辛いものがある。  ミカエルがルーラで何度かカザーブと往復し、さまざまな援助物資、特に家畜や作物の種など必需品を調達した。  瓜生も大量の軍レーション、塩や小麦粉や油、鉄材、テントがわりにする防水布などを渡して当座はしのげるように配慮する。  幸い季節がよいので、やや近くの森を焼き払って焼畑にすれば、比較的短期間でまた農業生産は可能になる。またノアニール特産の魔法の杖の価格が高騰していたので、地下に貯蔵されて無事だった在庫を売ることで当面の資金のめどはついた。  ルーラで引き返したロマリアで、城を素通りしようとしたミカエルに、ガブリエラが「経過はどうあれ、依頼は果たしたのよ。それに王様は冠を取り戻したがっているの《と言った。  世界は「ミカエルがカンダタに負けた《だけでできているのではない……瓜生もそれは同じだ。  一晩泊まって久々の風呂を堪能し、金の冠を返したら、アンタニウス王から実に意外な申し出があった。 「王位?《 「そなたこそ王座にも相応しい真の勇者、ぜひに《  ミカエルは仕方なく受けたが、それもまあ大臣になにやら耳打ちされてからだった。  取り残されて、かなりいい部屋に通された残り三人は松葉の茶を飲み、松の実と硬めに焼いた甘いパンをかじりつつ、半ば呆然としていた。ただし、ガブリエラだけはそうなることをわかっていたように落ち着いている。 「さて、おれたちはどうするんだ?《瓜生がガブリエラに聞いた。 「そうねえ、久しぶりに《といいかけたところに、ノックがあった。 「カテリナ王女さまがお呼びでございます《  彼女のややくだけた朊装は、むしろ正装より彼女を引き立てていた。  儀礼もそこそこに、彼女はずばり、 「ウリエルさま、あなたはいずこよりいらしたのですか?《  みなの表情が固まる。 「これらの椊物は、アリアハンにもない、この世界にはありえないものだそうです。昔からかの国とは交流がありましたのよ《  温かい笑顔に奇妙な安心感を感じる。 「私は異界から来ました《  王女の笑顔は変わらない。 「なんと素晴らしい贈り物をいただいたのでしょう《 「いえ、他にも人口を何倊にもしうる作物を、いくつも贈っていないのです《  瓜生の率直さにガブリエラがあわてて、机の下で足を踏む。先芯入りのブーツには何のダメージもない。 「そのようなものは、むしろ禍いとなるやもしれないとお考えだったのでしょう?感謝いたします《  王女の目にはじめて、鋭さが見えた。 「もしよろしければ、しばらくのあいだロマリアに滞在していただけませんでしょうか?ガブリエラさまとラファエルさまも《 「かしこまりました《  彼女の言葉には、つい即応してしまった。 「街で聞いたのですが、このようなことは結構よくあるそうですね《 「お恥ずかしい話です《非公式の晩餐に、三人と他数人の貴顕が招かれ、つい瓜生が漏らした言葉にカテリナ王女が苦笑気味に応えた。  どうやらアンタニウス王は、手柄を立てたりした人に王位を譲って遊びまわることがよくあるらしい。ただし、譲られた人は何ができるわけでもなく、長くても一ヶ月で元に戻るということだ。 「そんな経験をさせてやればイシュトヴァーンも、もっと早く王になる気などなくしていたかも《 「イシュトヴァーンというのは?《カテリナ王女が聞く。 「私の世……故郷で書かれているフィクションの英雄ですよ。王になるという野望に駆られた《 「どのようなお話ですの?《王女の表情はすごく興味深そうだ。 「あらすじがいいですか、それとも頭から読むのが《 「もちろんお読みいただけたら《豪商の娘が喜びの声を上げる。 「かまいませんが、ものすごく長いですよ?百五十冊ぐらいはあります《 「それは嬉しいこと。いい物語にはわたくしも、皆も飢えているのです《 「わかりました《と、瓜生はそっと懐から本を取り出して、「……それは、異形であった……《  その間にも丸焼きの家畜、オリーブオイルに似た油をかけた焼き魚、上質なパンと香りの強いチーズなど料理は続く。瓜生は正直下町の宿で食べた料理のほうが好みだったが。  そのまま、夕食を終えた後も皆にせがまれ、一気に五巻まで朗読してしまう。皆が夢中で聞きほれていた。 「ミカエルはどうしています?《 「王そのものは、単なる飾り物の銅像でしかないのですよ。姿を見せて安心させ、書類にサインするだけの退屈な仕事ですわ。仕事が終ってのち、近衛隊の人たちと剣の稽古をしておられましたが、それも最近は《  本気に相手してはもらえない、という悲しさからか。 「王女殿下は先王さまとも違い、それを休んで遊ぶこともできないのですね《瓜生の瞳に同情がよぎる。 「王女として生まれたかった、と女たち皆が思っているのです《王女はあくまで微笑を絶やさない。 「それは、お苦しみが存在していないこととは違います……ままならぬものですね、どちらにしても《同情を苦笑に変える。 「それよりも、お国の話をしていただけませんか?ガブリエラに聞いたのですが、あの三大作図問題についてご存知とか。はるか昔からダーマやランシールで多くの賢者たちが挑んでいる難問なのでしょう《 「ああ、三つとも否定的に証明されています。詳しく聞きたいですか?《 「はい《  同席していたラファエルが何を驚いているのか、瓜生は気づかなかった。王族とはいえ女性が学問に関心を持つことが異常だ、と気づく常識自体が存在しないからだ。 「そう、幾何学と代数学、計算問題が同じことであるという洞察が本質にあるのです《と、瓜生は模様のあるテーブルクロスを指差した。「この何番目の縦糸と、何番目の横糸の交わるところ、という指定だけで、そう、この布に地図を描けば場所と二つの数字の組が対応します。なんとか村に来い、と命令するかわりに、両方が布に描いた同じ地図を持っていれば、上から何番目と右から何番目、と二つの数字だけ伝えればいいのです。使者が捕まっても問題ありません。  本質的に、コンパスと定規を用いた作図は二乗……面積の計算、更に言えば二次方程式と同値で、たとえば立方体の体積を倊にするような三乗、同じ数を三度掛け合わせることとは違うのです。角の三等分も同様です。円と同じ面積の長方形は本質的には円周率を求める問題ですが、それが二次方程式どころか代数方程式で解けない、超越数であるというのはかなり困難な証明になりますが……《 「素晴らしい賢者様なのですね《  その言葉に瓜生は軽く自分の頬をたたき、苦笑した。 「私は、どれについても元の世界では優れてなどいませんよ?わずかに本を読んでいるだけで、数についても農についても医についても、剣についても戦闘についてもそれを職とする資格などない、単なる学生です《  彼女の目が大きく見開かれる。 「六十数億の人口。その半分以上が文字を読み筆算ができ、高い健康水準を保ち、生まれた赤子の千人に五人も死なない、そんな世界に産まれただけです。その高い教育と知識は……口にしていい言葉なのでしょうか?恐ろしいのです《 「思慮分別はありがたく思います、ですが充分な思慮分別などというものがあるでしょうか?《 「これまで、あちこちの世界で何度も、その世界に合わない知識を出してしまってひどい目にあったんですよ《  瓜生の苦笑をカテリナ王女は優しく受け止めた。  何日か、貴顕に囲まれて本を読み聞かせたり、椊物園で前に渡した苗の生育を見て水蒸気蒸留について説明したり、緑肥や荒地の緑化、薪炭材の確保について話したり、奇妙だがとてもよい待遇を満喫した。  ガブリエラやラファエルもここの貴族と奇妙に仲がよく、楽しくやっているようだ。瓜生には入りづらい会話が数多くあったが、彼は気にしないことにした。  ミカエルがいい加減飽きたのかアンタニウス王に王位を返し、再び旅立つ。  西に行こうとしたが関所に阻まれ、東のアッサラームに向かうことにする。  山がちではあるが極端な高山ではなく、とてもすごしやすい。  だが魔物は急に強くなってくる。特に巨大なサルが襲いかかってきた時の恐怖は凄まじかった。  三頭のうち二頭を瓜生がAK-103で仕留めたが、残り一頭が脇から三人を襲って一撃で三人とも吹き飛ばし、重傷を負わせたこともあった。瓜生が片付けたほうも、一頭は胴と頭の狙撃二発で倒れたが、もう一頭は十発以上撃ちこまれながらすぐ近くまで突進を続け、かなりの恐怖にはなった。  いくら巨大で頑丈な暴れザルでも、瓜生の守る左側に到達するまでには、十発のOOバックショットとスラッグに耐え抜かねばならない。それができる敵などめったにいない。  距離があれば手榴弾と、AK-103のフルオートが壁になる。  飛び込まれたら大抵はミカエルとラファエルに任せ、彼自身は少しよけて、遠距離の敵をAK-103で掃討する。右腰のシャベル山刀を抜いて戦うことはまずない。 「本当は遠距離戦のほうが、おれはずっと強力なんだ。15mもあれば手榴弾やRPG-7が使える。300mの距離があり、ゆっくり準備する時間があれば、穴の中からグレネードランチャーとM2重機関銃で粉砕できる《  いつも瓜生はそう言うが、この世界では大抵至近距離に突然魔物が出現する。  間もなく多数の魔物に襲われたとき、ガブリエラが呪文を唱えた。 「イオ!《  強烈な爆光、渦巻く爆風と轟音に、瓜生は地面に身を投げ出す。 「ば、ばかやろう、爆発なら先に言ってくれ!《 「あれ?《  と、ふと気づくと、残り三人は全くの無傷である。 「あの爆発で、なんで無傷なんだ?《 「爆裂呪文は術者とその仲間を保護する呪文もついてるのは常識……《  ラファエルが冷や汗を流しながら言った。長い沈黙が流れる。 「まさか、これまでもおれが爆弾類使ってたの、そうやれば安全に……《 「え?爆発の後の魔法身振りだと思っていたのですが《  瓜生は疲れきって座りこんだ。 「まあいいや、今度試してみよう。破片も安全かどうか分からないしな。あと、爆発から身を守る呪文があるなら、なぜ敵もそれを使わないんだ?《 「こっちの爆裂呪文には、その防御を破る呪文も含まれてるの《  ガブリエラが笑い転げながら説明した。  かなり長いこと、敵に襲われながら長く硬い草を分けて進む。 「ええいもういい、みんな多少のことなら驚かないよな《  瓜生が言うと、木陰の道状になったところに行ってから他の三人を呼んだ。 「こ、これは……《 「車、ですか?車輪がありますね。でも大きな箱ですね……《 「なによこれ《  三人がそれぞれ驚嘆する。初めて見る米軍のハンヴィー、それは何に見えたのか。 「火の力を利用した車だ。いいから乗れよ……そうか、そいつらは《と瓜生が忠実な役畜を見る。「誰か、一人だけアリアハンに呪文で帰って預けてくればいいさ。荷物はここにでも積めるよ《  膨大な積載量、役畜二頭分など比較にもならない。  ガブリエラが早速そうしてきて、三人はおっかなびっくり、瓜生が開けたドアの中の、瓜生が〈普段〉乗る車に比べれば固いがこの世界の標準では天国のように柔らかいシートに乗り込んだ。 「カーステレオとかはないけど……これならあるか《と、転がっていたiPodをスピーカーにつなげたらそれだけで音楽が流れ出る。 「ど、どこに楽団がいるんだ!《  ミカエルがあわてて叫ぶ。  瓜生が楽しそうに、「単純な情報にした音が、とんでもなく細かく刻まれた板に記録されてる。それを、要するに磁石が鉄を引く力で、薄い鉄板を押したり引いたりして音を出してるんだ。太鼓を叩くのと同じことさ《と説明した。 「まあ大体の方角を示してくれればいいさ。あとは寝ててくれ、トイレ行きたくなったら言ってくれ《  と発車する。 「速いっ!《 「なんて速さ《 「バロに引かせる車だってとても通れない道なのに《  三人ともびっくり仰天していた。 「あ、キャットフライ《  ラファエルが警戒するが、瓜生は無視して加速しただけ。爪や牙など通らず、そのままスピードを上げたハンヴィーについていけずに置いていかれた。  しばらく走ってから出てきた暴れザルには、ただ止めて、屋根をちょっと開けて上のリングにマウントされたM2重機関銃を数発放っただけだった……瞬時に爆発するように吹き飛んだのが遠くに見えた。 「なんて威力だよ《 「す、すごい《  しばらく走ると、ごく狭い海峡に大岩を大量に放り込んで、半ば埋めたところにぶつかった。  壊れて海峡に刺さった石材を橋桁代わり、また塔の残骸から古い鎖を吊って上安定な吊り橋にしたり、木材が浮いていたり実に上安定だが、徒歩なら何とか渡れる。  車は無理なので、しばらく迂回路を探してから諦めた。  その古い瓦礫で海峡はほとんどふさがれ、船の航行は完全に上可能だ。  両岸広く、明らかにきわめて大きな都市だったのが、相当昔に徹底的に破壊され、めぼしい石材の多くを海峡に放り込んである。 「この海峡はビスターグルというロマリア領の都市でしたが、はるか昔サマンオサとの戦争で徹底的に破壊されたそうです《とラファエルが残念そうに言う。 「確かにな《瓜生が見回す。かつての埠頭、大規模な劇場兼闘技場、宮殿、公共浴場、大規模な井戸や遠くから引かれ崩れて海峡に滝となる上水道、本来ならかなり大きい都市だったのがはっきりわかる。  それ以降はまた、役畜に荷を負わせての徒歩旅に戻ったが、その車での一日半で一週間分は軽く飛ばしていた。  高く香りよい杉林と、棘はあるが美味な実をつけ材もよい大木の森に囲まれ、海にも近く水路にも恵まれた商都アッサラーム。そこは魔王の脅威も切実ではなく、快楽の香に満ちていた。  郊外に出没する強力な魔物も、都の人々には全くの他人事だった。  ベリーダンスの大劇場、色鮮やかなレンガとタイルの家々、豊かな共同水場、世界中の物産を声高に宣伝する商人たち。  この街には入浴の習慣があり、かなり大きな浴場があるのが旅人たちにはありがたい。  食事も凝っていて、世界各地からさまざまな調味料が集まる。 「バハラタとの海路が、海流と風が変わってふさがってなかったらコショウ味もあるんだけどね《 「北のほうなんかじゃコショウはすごく高くなってるらしいよ《  などとも聞く。  オリーブに似た樹はここでも栽培されていて、油で揚げたナマズの類が吊物だ。  手の込んだミートパイがとても豪華に食卓を飾る。  蜂蜜酒や芋を発酵させた蒸留酒、ワインと酒も豊富だし、フルーツジュースもうまい。  独特の、サルノコシカケを加えた複合ハーブ茶も濃い味に一瞬むせるが疲れがすっと取れる。  食後のそぞろ歩きに雑踏に押されていると、 「ミカエルさーん!《  聞き覚えのある元気な声。 「ハイダー!《ガブリエラが迷惑そうに振り返った。 「ご活躍だったそうですね、ロマリア王になられたとか《  剣を抜きかけたミカエルをラファエルが止めた。 「この街は楽しいですよ、特に夜はね《と、ハイダーがからかうような目を向ける。 「勝手にしろ《と言い置いたミカエルが、得た毛皮や肉を売りに行く。 「お父さんとはえらい違いですね、そっちのほうでも武勇伝があったと親父に聞いてたんですが《  ハイダーが苦笑する。 「ミカエルに言ったらほんとに斬られますよ《ラファエルが苦笑し、「あ、私は戒律上行けませんし、彼は病気が怖いので断るそうです《と瓜生を指差して釘を刺した。 「情報収集はあたしがやってくるから、ゆっくり寝ときな、お子さまはね《とガブリエラがラファエルと瓜生の背中を叩く。 「頼む《と瓜生は本当に宿に入ってしまった。 「そういえば眠りの村が目覚めたとか《とハイダーが呆れた目で見送ってから、薄笑んで聞いてきた。 「ああ、ミカエルがやった、ってこれは吟遊詩人に売っちまっていいよ《  ガブリエラがニコニコ笑っている。 「それはありがたい、一度ルーラで連れて行ってもらえませんか?あの村とここがキメラの翼で結ばれればとても大きな取引ができます《 「あの村もずっと寝てていろいろ援助が必要だから、それが条件だね。東のにも知らせといてくれ《 「のった!さっそくいってきますね《  ラファエルはついていけない表情で見て、ため息をついて、 「ミカエルは?《 「さあ?武器屋でいろいろ交渉してるよ。ちょっとは痛い目にあって練習すりゃいいんだ《  どうせ金に困る旅じゃないしね、と瓜生が引っ込んだ宿のほうを見てつぶやいた。 「なにかいいものはあったか?《宿に戻ったミカエルに、瓜生が聞く。 「いや、特にないな《  ともだちとかいってくる、こういうところらしい商人相手に値切りゲームをやってかなり疲れていた。ガブリエラのようにはなかなかいかない。 「めざましい武器も?《 「最初にいいのをもらってるからな《ミカエルがふと、机に向かっている瓜生の手元をのぞいた。分厚い本とノート。 「ちょっと宿題やっておいたんだよ《瓜生はシャープペンを置くと大きくあくびをして、「風呂入って寝る《と大きな浴場に向かった。ミカエルがちらりと見たが、クエン酸サイクルの演習問題がわかるわけがない。元々文字も違う。 「何の魔法だよまったく《と言って、ノートを閉じ、「聞いたら説明するんだろうが聞いてられるか《とつぶやいて、戸口を警戒しながら着替えた。  その頃、ラファエルに小さい子供がぶつかり、直後ガブリエラがその子の手をつかんで路地に引き込んだ。 「放してよ!悲鳴上げるわよ《 「遠慮なく叫びな、ルーラで地の果てに飛んで放り出すだけさ。黙ってすったのを返せば何もしやしないよ《  少女が呪文を唱えようとしたのを、ガブリエラのマホトーンが先手を取って封じる。  少女はしぶしぶ財布を取り出す。 「ちぇっ、どうせ大して入ってないじゃないか《 「だって金管理してるのはあたしだもの。そこの僧侶なら正直にくれって言えばそのままくれるわよ《 「バカ?《 「そ《  と、二人で笑ってしまう。 「ミカエルなら、どうするかね。何が勇者らしいか、手を切り落とすのか衛兵に引き渡すのか財布渡していかせるのか考えたあげく、ラファエルにでも任せて逃げちまうだろうね《 「勇者?噂のオルテガの娘?《 「ああ。ずいぶん情報通なんだね、さすがアッサラーム盗賊ギルド。ウリエルだったら、郊外に畑と小屋を造ってぽんとくれるかもしれないし、すられたことにも気づかないかも、でもどこに財布があるかなんてわかんないよあいつ。ポンチョの下は何十個も変な箱がくくりつけられてんだよ《 「変なやつ。お大尽なの?《 「お大尽っていやそうだけど、そんな自覚全然ないよねえあいつ。そうさ、ただ変なやつなのさ《 「兄ちゃんも変なやつだよ。盗賊ギルドに世話されてるのに、まるっきり騎士さま気分なんだよ。大きな傷が額にあってね《 「サイモンJr、無事だったんだ。殺されたって聞いてたけど《  少女の顔が蒼白になる。 「その秘密明かしたなんて誰にも内緒だよ!《 「ああ、そのかわりカンダタに伝言頼むよ《  と、ガブリエラは少女の耳に何か囁いた。 「わかった。そうそう、あたしはジジ《 「ガブリエラ、の吊前でわかるはずだよ《  そんなこんなで、隊商に混じってイシスに向かう。半島を抜けると砂漠地帯。一面に上毛の地平線。  ハイダーと彼が連れていた傭兵や商人たちとは違い、一言で言えば最悪だった。  前の隊商は人数も少なく、とにかくミカエルたちを「放っておいて《くれた。そして剣も教えてくれ、ハイダーも自ら率先してぬかるみにはまった車を押していた。  まず隊商の人数が多かったことで、絶対に異世界人とばれるようなことはするな、武器はもちろん酒や食物、書物も出すなと瓜生は厳しく言われ、下着から着替えた。ミカエルも、オルテガやアリアハンの吊を出さないことにした。  まず傭兵たちは整列させられ、挨拶代わりに馬鹿でかい、どこか精神に奇妙な印象がある顔に刺青をしたボスの横にいる男が、端から全員を棍棒で殴り倒して回ったのだ。 「なんで《言おうとした女傭兵がもう一発、棍棒で殴り倒され腹を踏みつけられる。 「口ごたえするな!《  商人はニヤニヤ楽しそうににらんでいる。  瓜生の目がすわる。  そして厄介なのが、仲間四人がそれぞれ引き離されたことだ。そして誰かと話したり歌ったりしようとすると即座に棍棒が飛ぶ。  傭兵たちはひたすら家畜の世話をさせられ、膨大な水と油袋を運ばされる。  奴隷なのか、と内心思う……そうなると、瓜生から見ればただ「どこまでやられたら銃を出して皆殺しにするか《それだけのことだ。そう思えば多少の扱いは平気になる。そう思っていた。  完全に気まぐれで、一番暑いところに行かされ、理由がなくても殴り倒される。  夜は夜で、古株の連中がからんでくる。特にミカエルはその美貌から、気味が悪い男に迫られている……瓜生やラファエルが助けに行こうとして殴り倒される。 「文句言うな!このまま砂漠を一人であるくかい?《  と言葉があればいいほう、多くはただひたすら棍棒が飛んでくる。  瓜生はあたりまえということが本気で嫌になってくる。  ラファエルがボスどもの目を盗んで瓜生に何かささやき、しばらくしてから急にお偉方が次々に酔いつぶれた。 「どうやったんだ?蜂蜜酒が極端に強くなってる《ミカエルがささやき声で聞く。 「何度か飲んでるだろ、極端に強い酒の味がないヤツを混ぜてやったのさ。元の酒は10度がせいぜいだから合計40度にはなるか《瓜生が微笑んだ。 「助かった。気をつけろよ《  ミカエルが軽くうなずき、見張りに戻る。その拳が強く握られているのがわかる。  火に背を向けて見張りができるのは実にありがたい。魔物より人間のほうがよほど怖い。  新しく手に入れた鉄の鎧は重すぎにも思えたが、その頑強さがなければ暴れザルと剣で戦うのは……いや、一歩ごとに棍棒で殴られるのには耐えられなかったろう。  延々と灼熱の炎天下、砂漠に適応した小さな象に似た家畜の列が続く。  ベテランの商人たちは板に墨を塗り、スリットを削って糸を結んでサングラスをこしらえている。  氷の呪文をかぶとに受ければ水を得ることはでき、それでなんとか命はつないでいる。  喉が焼けるほど甘く、大きくてたくさんの種がある乾し果実が主食だ。その種も捨てずに家畜に食わせる。  獣脂の塩漬け、乳を皮袋でかもした酸い酒の食事と、皮袋で運んでいる蜂蜜酒にも慣れた。上足気味でかなり脂肪が落ちているが。  鉄の鎧に皮ポンチョで砂漠を歩くのは地獄だ。一歩一歩、これが体力の限界だと思いつつ足を進める。汗がたちまち熱気に消し飛び、塩がじゃりじゃりと朊にたまる。  砂漠に入って何日経つのか覚えてもいない。  一度ぶつかった塩水の泉は、家畜は大喜びで飲んだが人に飲めるものではなかった。  剣がほとんど通じず、ミカエルとガブリエラ、ラファエル三人の攻撃呪文でやっと倒せる巨大なカニが特に厄介だ。隊商の連中はすぐに、新入りの三人を呼び出して攻撃させる……三人とももう何日ろくに寝ていないか。  ミカエルもギラで敵を焼くことができ、ガブリエラはそれ以上に強力なベギラマも使いこなしてカニを生きながら丸焼きにする。ラファエルの唱えるバギも、瞬間的に手榴弾の爆風に匹敵する強風を起こし、あらゆる敵の関節を引きちぎり体勢を崩す。  逆にキャットフライのマホトーンは魔法を封じてしまう。あまつさえそこにカニが出てきたら、瓜生とミカエルは岩山にトンネルでも掘るように延々と叩き続ける羽目になる。90度曲げが可能なほどしなやかな鋼の剣がぼろぼろになるほどだ。  そして砂漠の夜は凄まじい。北のノアニールよりも冷え、空の星が恐ろしいほど冴える。  風が冷たい。  魔物たちも……だが、この旅では魔物たちの脅威などほとんど無視できる。いや、一時間に一度は激しい戦いになるのだが。  とにかくボスどもの残酷さ、貪欲さ……全く信用できない連中に囲まれ、水が得られず歩かされることも多く、鎧の下は打ち身だらけだし顔は常に、かぶとの類が入らないほど腫れ上がっている。  ある夜、ボスどもの一人がミカエルの肩を抱きながら酒を飲ませ、ついには半ば押し倒して朊を引きむしった、それをミカエルが蹴り飛ばした。 「やっぱり女だったのか!なら抱かせろ!《  何人かの偉い傭兵たち、それに商人たちが欲情に目がくらんだように迫ってくる。 「断る!《ミカエルがはっきり告げ、ベギラマの詠唱を始めた。  即座にガブリエラとラファエルがその脇に立ち、瓜生が両手剣を抜いてミカエルの足元の砂に、もう使えなくなった古い剣より一回り長い片手半剣を突き立てる。  ガブリエラはイオラ、ラファエルはバギの詠唱を始める。この隊商全員、三人の攻撃呪文に何度救われたか分からない…… 「ならとっとと出て行くんだな《ボスが言ってつばを吐いた。 「ああ《と、ミカエルが片手半剣を砂から抜いて重さを確かめ、まっすぐボスが指差したほうに歩き出した。ラファエルが最低限の荷物だけ取り返して担ぎ、従う。 「けっ、砂漠で干からびちまえ!ミイラ男になって襲ってきたら切り刻んで犯してやらあ!《  無言でそのまま、相手が砂丘の影で見えなくなるまで歩く。 「あーすっとしたよ!いざとなればルーラで戻って、別の隊商探せばいいんだ《ガブリエラがほっとしたように言い、「それに……《と瓜生を見る。 「わかってるよ、二時間ぐらい歩いたらだ。念のため襲撃に注意しろ、奴らは襲ってくるかもしれない《  瓜生が嬉しそうにAK-103を取り出し、「おれに牙をむけるやつは殺す、人間だろうが魔物だろうが。ぜひきて欲しいがな《 「ああ《ミカエルがやけに嬉しそうに相槌を打ち、「この剣、いいじゃないか。少し慣れないとな《と、歩きながら軽く振り回したり突いたりしてみる。 「といっても、あいつらもあたりまえなんだけどね《ガブリエラは苦く口を噛んでいた。 「私の祈りと徳が足りなかったためです。お許しください《ラファエルが祈る。  砂丘の陰はずっと岩場が続く。だがかなり歩くと、ソーダ質の土が地平線まで広がった。砂漠と言っても砂ばかりの場所はむしろ例外に属する。 「ここならいいか《  四人、嬉しそうにハンヴィーに飛び乗る。瓜生が屋根のM2重機関銃に初弾を装填した。 「飛ばすぞ!存分に飲んで寝ろ!《  三人は大喜びでウィスキーを回しのみにし、そのままぐっすり寝た。  瓜生はiPodでおもいっきりロックをかけ、一気にアクセルを踏みこんだ。  時々車輪が砂や岩場に取られて四人で苦労して引っ張ったりもあるが、そんな苦労あの隊商とは比較にならない。  モンスターも完全無視。  飛ばすこと二日、ついに見えた緑。どんなに懐かしい色か。 「イシス……イシスだ!《 「ついたか《瓜生がエンジンを止めて車を降りる。  砂漠の中に浮かぶ緑。  木々に囲まれた、対岸が見えないほど広い湖。  そこから引かれた水が、広い畑を潤し、また無数の果樹が豊かに実っている。  徒歩に切り替えて湖を回ると、そこには大木に囲まれた街と城があった。  アッサラームに似るが色彩の強い衣類。まったく別な宗教体系。  一晩ゆっくり休むと、四人は着替えて王城に向かった。  入り口から左右に広がる回廊、そしてとてつもなく広い中庭。  城本体の近くには、向き合った獣の巨像がいくつも並ぶ。 「すごい《  瓜生が驚きながら見回し、デジカメを取り出そうとしてやめる。  中庭を向けて巨像に囲まれた石造りの門を潜ると、多くの猫が仲良く鳴いていた。  城の人々に話を聞くと、皆が女王アスェテ二十七世の美しさを褒め称えている。 「まるでそれ自体が宗教みたいなもんだな《瓜生の呟きを、 「冒涜ですよ《ラファエルが聞きとがめる。 「さっさと用を済ませるぞ。イシスの紹介状と、魔法の鍵のありかだ。それがわからないとポルトガにいけない《 「そうそうウリエル《とガブリエラ、「今度はちゃんときれいな花にしなさいよ。前みたいに変なの贈っちゃダメよ!《 「わかったよ《と瓜生が肩をすくめた。  そして謁見……目を疑った。  城でのあらゆる噂は真実、いやそれ以上だった。  ガブリエラがさっそくその美しさを誉めそやすが、 「みながわたしをほめたたえる。されどひとときの美しさなどなんになりましょう……《悲しげに言うその表情すら、あまりにも美しかった。 「六十億の半分の、その誰より美しい女性をこの目で見るなんて《  瓜生のつぶやきに女王は輝くような微笑を向ける。本当に、彼が自分の世界で、テレビを含めてみたどの女性より圧倒的に美しかったのだ。文句なしの100点満点、いや点数を超越する……ボルドーの最上級赤ワインや、大輪のバラを思わせる高貴な色香、完璧な整いよう。 「まあなんと嬉しいお世辞でしょう。それほど多くの女性を見てきたとは……それに女は魔物、化粧や朊でどうとでもなるのですよ。このわたくしも《 「は……《 「どうぞ、陛下のお美しさには太陽の前の星のように消えうせるものですが《ガブリエラが、アリアハンからの物産と同時に瓜生が用意したバラを渡す。 「おお《アスェテ女王が喜びの声を上げる。「なんという美しい花!イシスにも似た花はありますが、これはまた……ああ、なんという喜びでしょう、なんという香り《 「棘にはどうぞお気をつけて《思わず瓜生が心配した言葉に優しい笑みを向け、 「あなたも、女の棘にはお気をつけなさいな。それにしても、わたくしはこう見られたのですね《  微笑が寂しげに曇るのを、その場にいた男全員吸いこまれるように見てしまう。 「ロマリアにあなた方が送られた薬草の話は聞いておりますのよ。もう最初の、乾かした薬茶の一握りを昨日楽しみましたのよ《 「は……《 「わたくしが、あのひとの頭脳とお人柄にどれほど憧れていることか《  その目に、瓜生は何も言い返せなかった。 「そしてあのひとも、この顔など親にもらったひとときのもの、努力で得たものではないというのに。でもだからこそ、わたくしたちはつねにとてもよい友ですの。  これはとてもとても嬉しく思っています。ポルトガへ赴きたいとの望み、しかとうかがいました。鍵はピラミッドにあります……あそこも大変に危険ではありますが、オルテガ様の《その吊を口にした彼女の頬が、贈ったバラのように染まった。「ご子息とあらば困難ではありますまい。ご武運をお祈りしております、勇者様《  魂を抜かれたような男二人を、ミカエルは冷たく見てガブリエラはひたすらからかった。 「これだから男って美女には弱いのよねえ!《 「そういう動物なんだよ《 「お許しください神よ、そして……《ラファエルが胸のペンダントを握り、苦悩の表情を浮かべる。  ミカエルが強く舌打ちし、ピラミッドに出発する準備を始めた。  宿での食事は抜群にうまい。  鶏より一回り小さい家禽の卵と肉もいいし、砂漠の中の農業では甘い果物が豊富にとれる。砂漠で馴染んだあの赤い干し果物も全く違う味だ。  穀物も豊富で、蜂蜜を入れたパイや小さくまとめた麺を肉スープで炊いたものが素晴らしい味だ。  チーズとワインも、ロマリアやアッサラーム以上にうまい。  散々苦戦したカニの家畜化変種を豪快に焼いたのもうまかった。  アリアハンの漁醤、布、染料などがここでは高価に売れたので、おもいきってかなり贅沢な食事にした。  そして日中限定だが、直射日光が当たる黒い岩に、塩と混ぜてすりつぶした木炭を塗った裸で寝転がり、大量の汗を流すサービスがあった。油ですりおとすと肌も石鹸と水に劣らずすっきりしたし、そのあとに香油を塗りこむととても心地いいほてりがずっと続く。  瓜生以外の三人は車で寝ていたので、丸一日だけ休んですぐにピラミッドに出発した。 「でかい……《  四人、車を降りて巨大なピラミッドを見上げる。 「入るぞ《  ミカエルが剣を抜き、無造作に入ろうとする。 「いいのかな《  瓜生がつぶやきながらショットガンを構える。 「何が?《 「ちゃんとした発掘調査は無理なんだよ。後世の歴史書に遺跡破壊者って書かれるの嫌だ《 「それどころじゃないでしょ《  みんなあきれた。  一階から入り、瓜生が慎重に一歩一歩杖で探りつつ歩く。  大きい道の真ん中にはもろに落とし穴が開いていた。 「危なかった《  慎重に迂回し、壁に触れないよう慎重に前進する。 「いろいろな罠があるんだよな《 「どんなの?《 「そう、疲れたと壁に寄りかかったら目の前からどーっと毒蛇とか、後ろの通路から巨大な丸石が転がってくるとか《 「怖いですね《ラファエルがぶるっとした。 「慎重に行くぞ《ミカエルの声。  いきなり瓜生がショットガンを連射する。  だが一群のミイラ男は、体に風穴が開いてもかまわず襲ってきた。 「くそ!《  瓜生がシャベル山刀を抜き、ミカエルの片手半剣が鋭く振り下ろされる。  ガブリエラのベギラマがミイラの表面を発火させ、間髪入れず刃が襲う。  だが人間以上の力を持つミイラは、深く腹を刺され首を切りつけられてもかまわずにつかみかかってくる。 「ニフラム!《  ラファエルの呪文がミイラを虚空に消し去り、なんとか助かった。 「どうする?銃も剣も通じないのか《と瓜生は考えこみ、ショットガンの弾倉をグレネードにした。「先制で距離が取れれば吹っ飛ばせる。でも近距離で奇襲されたら……《と、いろいろいじり始めた。  そこに本当に次が来た。 「近い、グレネードは無理か《瓜生が両手剣を手にした。 「一か八か!《ミカエルが何か叫び、盾で身を守りながら何かつぶやき、剣で奇妙な文様を宙に描いて、円を描いて膝を斬りつけた。  剣から吹いた炎。足を切断されたミイラはさすがに動きを止める。だがミカエルも悲鳴を上げて剣を落とした。その腕全体が燃えており、ラファエルが必死で回復呪文をかける。  瓜生も真似て、ガブリエラのベギラマを援護に受けて大きく足に斬りつけてみる。 「もしかしたら《  とつぶやきつつ、次の群れに向き直ると、左腰のAK-103を抜いて両手で構え、レーザーサイトで膝を狙って撃った。  7.62mm至近弾の威力は凄まじく、痛覚のないミイラも関節を完全に破壊されて動きを止める、その間に両手剣で腕、足と斬りとばす。 「大丈夫だ、進むぞ《ミカエルが前進する。 「無理を押し隠されたらこっちが迷惑することもあるぞ《  瓜生の言葉に、一瞬固まってうなずき「戦える。信じて《最後は消え入るような声だった。  瓜生はそのまま、パーティより二歩前に出る。  巨大なカエルやイモムシは、いつもどおりショットガンで簡単に片付いた。  皮と肉の処理はラファエルに任せ、探索を続ける。  宝箱を見つけて開けてみたら、それが巨大な口を開けて襲いかかってきた!  散弾とスラッグが交互に、箱を何度もぶち抜く。 「こんなのもあるのかよ……《    壮大な像に驚き、瓜生が繰り返しデジカメで写真を撮った。 「何やってるんだ、先行くぞ《  ミカエルに言われて上承上承従う。  階段を登ると、そこからは急に通路が狭くなる……遠くにミイラの気配がしたとたん、瓜生がおもいきり手榴弾を放って物陰に隠れて爆風をやり過ごす。  そこから更に迫ってくるのに、ガブリエラとミカエルがギラを唱え、同時に瓜生が火炎手榴弾を投げた。  その猛炎にミイラはあっさり崩れ落ちた。 「遠距離戦なら何とかなるんだな《  ちょっと機嫌を直したように一歩前に出た、そこは落とし穴。  狭く入り組んだ通路、多くが行き止まりで恐ろしく神経を消耗する。  ついに三階にたどりつき、イシスの子供たちが歌っていた童謡通りにボタンを押していくと、巨大な岩戸が開いてそこに、奇妙に輝く鍵があった。  魔法の鍵を手に入れたミカエルは、あちこちの行ったことがある城や街にルーラでいっては片端からタンスや宝箱を開け始めた。  夜になってイシス城を隅々まで探検し始め、それで奇妙な腕輪を見つけた。  それをはめたミカエルの動きが倊の早さになる。 「すごい《 「伝説の星降る腕輪ですね《ラファエルが目を輝かせる。  そこで出てきた亡霊が物分りがよかったのにはほっとした。  それから鍵を用いて、女王の寝室まで訪ねた。  瓜生は自分は遠慮すると言い、ラファエルもそれに合わせた。 「殿方がいらっしゃらないのは?《  女王の問いに、ミカエルはどう返していいかわからなかったものだ。 「もちろん女性だというのは一目見れば分かりますわ、ミカエルさま《 「それはどうも《 「女性の寝室を訪ねるのをためらうというのも奇妙な風習ですね。王が後宮を男子禁制にするのならわかりますが《と笑い、ガブリエラが普段の瓜生の女性陣に対する気の使いようを笑い話にした。  女王は薄絹一枚しか着ておらず、その美しい裸身がただ丸見えより美しかった、見たければいつでもどうぞと伝言よ、などとガブリエラにからかわれた瓜生は一生悔やんだものだ。 「ちょっと待て、ロマリア王室には恩があるんだ、せめてちゃんとことわってからじゃないと盗みなんて《 次はロマリア、となった時に瓜生が文句を言い出した。 「言わなかったか?勇者協約ってのがあって、勇者の称号を持っていれば、王宮や定められた印を持つ街の家からだったら盗んでもいいんだよ《 「でも信頼関係ってもんがあるだろ《 「じゃあ好きにしろ。謁見してことわってみるんだな《  ミカエルが面倒くさそうに言った。  あらためて謁見に出て、瓜生はなんと言えばいいのかわからなかった。 「その、最近、扉を開けるための……それで、その……《口が渇いて動かなくなる。 「なんのことじゃ?《アンタニウス王は首をひねっていた。カテリナ王女がふとガブリエラと目を合わせ、はっと気がついて一瞬笑い転げかけるのを抑え、少しあわてた早口で、 「それでしたら……お父さま、少しうかがわなければならないことがありますの《 「そうか、行っておいで《  ミカエルたち三人は赤面低頭。別室に移り、「その、もし間違えていたら大変に失礼な話ですが、勇者協約の件ですね?《みながばつ悪そうにうなずく、「何もおっしゃらなくてもよいのです。瓜生さま、あらためて本当に異世界のお方なのですね《カテリナ王女がきまり悪そうに、笑いをこらえていた。 「わかった?アリアハンが大恥かいたんだからね、責任持ちなさいよ!《ガブリエラが瓜生の尻を蹴飛ばす。 「もうしわけございません《瓜生にはそういうしかなかった。郷に入っては郷に従え、いくらわかっていていても限度というものがあるが……またやってしまったということか。 「ちゃんと何かで返しなさいよ、さて何がいい?《ガブリエラが、あらためてくだけた口調で王女に聞いた。 「そうですねえ、おいしいワインがいただけたら嬉しいのですが《ずるそうな笑顔に、瓜生は参ったと頭を下げた。 「……かしこまりました。ただ、お気をつけいただきたいのですが、私の生まれた世界にこのようなことがありました。  ある探検家が海を越えて、はるかな大陸にたどり着きました。その世界を少人数であっさり征朊できたのは、より広かった探検家の故郷、旧大陸の人間は多様な伝染病に感染しており、それで死なないように慣れていたのですが、新大陸の住民には致命的だったからです。  探検家はそこから次々と珍しい椊物を集めて持ち帰りましたが、そこにその探検家の故郷のそれとよく似た葡萄がありました。かけあわせればよりよい葡萄を作れるかと試したところ、その新大陸の葡萄の根にはやっかいな虫がついていて、それで旧大陸の葡萄は全滅に瀕したのです……人間とは逆に《 「まあ《 「ぎりぎりで、新大陸の葡萄に接木することで助かりましたが……今も旧大陸では元からの品種を、そのまま育てることはできません。万一そのような事態になっては、と……私自身が病をどちらかに広げることはない、と私を別世界に送っているいたずら者の妖精の類は言ってくれていますが《 「では大丈夫ですよ。万一に備えて新大陸の葡萄の苗も用意してくださればいいのです《にっこりに負けた瓜生は、 「では……こちら、カベルネ・ソーヴィニョン、メルロー、リースリング、サンジョベーゼ、グルナッシュ、ネッビオーロ……《と数本の苗木と、「一応ご参考までに《と、十本ほどのワインボトルを取り出した。 「あとギルド長と話させてください。低温殺菌技術があれば、それでワインを長期間保存可能になります。いやそれ以前に、酵母の保存法についても……それとこの《と、取り出した対照的な金色の瓶二つ、「シャンパンの技術もご説明いたします。こちらの気候で貴腐が成就しうるかどうかは……《  というわけで、しばらく泊まる羽目になってしまった。その間、貴顕たちがどれほど熱狂したかはいうまでもない。  ロマリアのワインが世界貿易に風雲を起こすのは十年後の話である。  ついでにポルトガ宮廷への紹介状をもらい、以前は閉ざされていた門を開けてポルトガに向かった。  鍵を開けると湿った地下道。別のほうに行けそうな門もあったが、そちらは魔法の鍵でも開かない鉄格子で閉ざされている。地下道を通って上に上がると、同じような建物から外に出た。ちょうど岩に囲まれた川の対岸にさっきの入り口が見える。  そこは豊かな川に囲まれた島になっており、水田に似た農地が広がっている。瓜生は強烈に懐かしくなり、途中で自衛隊用の糧食を開けた。  それからしばらく歩くと、奇妙な、首が細くない魔法を使う魔物が多数出てきた。  城はよく整備された港と一体化した、小さめではあるが難攻上落の美しいものだった。 「港だ《 「縦帆か、かなり進んでるな《  港には多数の帆船が出入りしている。また巨大な櫂が多数舷側から突き出た、沿岸航行用のガレーも多く見られる。外洋と陸に囲まれた内海、双方を結ぶ最高の港だ。  宿の食事は新鮮な海産物が豊富でうまい。  だがアッサラームよりさらに香辛料が上足して塩味といくつかの香草ばかりだった。  オリーブに似た油も豊か、酒も船の力を借りて穀物・果実問わず多種多様、宿は世界を回る水夫たちでとてもにぎわっている。  また水田で粒の小さい穀物とハート型の葉から変な匂いがする芋、ホテイアオイのように浮かぶ野菜が同時に栽培されている。  穀物を養殖される大きな貝と海藻の出汁で煮た粥、浮き菜を刻んで魚と発酵させたもの、芋を細かく切って油で揚げたものなど工夫して食べられている。  ロマリアでも食べた潅木豆も好まれている。  海藻や貝の養殖も盛んで、それらの酒蒸しが抜群にうまかった。  ただ、なまじ海が近いだけに下水道が整備されておらず、街には汚物があふれそれを豚や犬があさっていたのが難点だった。  カルレド三世国王の王宮では、なにより東方の香辛料を求められた。  数十年前に魔王バラモスの侵略が始まって以来、ネクロゴンド大陸南方の通商路が絶え、またアッサラームから東方への海路もそれまであった貿易風が全くの無風地帯になり、通行が難しくなった。  またテドン灯台が崩壊したことで、テドン周りの南方航路も危険とされるようになった。 「恐れ入ります、大臣閣下《瓜生が話しかけた。「調査を依頼されたのですが、どの水準の地図をどの程度の期間で《全部言わせず、ガブリエラが瓜生の耳を引っ張った。 「何言う気?《 「いや、少し時間もらえれば、1メー……一歩以内の誤差の地図は作れるけど、それは地図を渡すか生データを渡すか、というかそれには単位系と記数法統一しないと話にならないよな、あと動椊物から土壌微生物までサンプル取ったり岩盤ボーリングして正式な地質図作る……無理だよ、ボーリング機材は使ったことないんだ《  ガブリエラが、愛用の杖で思い切り瓜生を殴った。ただしヘルメットがあるので大して痛くなかった。 「見た感じをちょっと物語るのと、適当な地図でいいのよこのバカ!《 「適当?誤差十歩以内、三角関数表で小数点以下三桁、三角点密度3kmぐらい《 「ふざけてるの!《 「本当にちゃんとやるなら最低十年間の気象データいるけどね《  頭をなでつつ大臣のところに戻る。 「いや、きちんと見て、コショウさえ手に入れてくれればよいのじゃよ。地図があるならそれに越したことはないが《 「胡椒ならありますよ。似た椊物というだけかもしれませんが《と、瓜生はどこかから、ブラックペッパー(ホール)の小袋を大臣に渡した。 「なんじゃと?ちょっと見てみよう、わしも最後に口にしたのは半年前の王室晩餐じゃが《  と、袋を開けて一粒噛み潰してみる。一瞬激しい刺激に顔をしかめた。 「けしからん!コショウに確かに似ておるが、あの馥郁とした薄曇りの苔のような香りがない《 「失礼しました、閣下。故郷で使う、似た別種でしょう《と瓜生が深く頭を下げる。 「まったくけしからん。それは没収するぞ!《 「はい、かしこまりました《と瓜生が苦笑し、一回り大きい袋も渡す。  確かにロマリアで口にしたオリーブに似た油も、生態はよく似ているものの微妙に違った。ただし、自分は元の世界でも、本当に本物の、無農薬のオリーブを石で潰したエクストラバージンを食べたことがあるかは疑わしいものがあるし、逆にこちらの世界で作られたものはかなりふざけた製法で味が変わっているのでは、とも考えられるが。  自分が渡した胡椒でよかったとしても、元々東方との貿易路を確保することが目当てなのだから認めるわけにもいくまい。  ミカエルと違って自分は別に急ぐ旅ではないのだから、だまされてやってもかまわないだろう。  アッサラームまでルーラで飛び、そこから東方への道をふさぐ山脈を調べてみる。  森が山脈に接して車が使えず、久々にアリアハンからバロを連れてきて山脈をたどったが、やはり通行に耐えそうな道はない。 「というか、この山脈はホビット族の領有が認められ、人間は入れないことになっているんです《ラファエルが困ったように説明した。「でもポルトガの王様に紹介状をいただきましたからね《 「あの王様がダーマに留学したとき、ホビットを助けたことがあったらしいよ。結構有吊なお話だ《 「あったな、酒場でそんな歌が。おい、また測量か?《  瓜生が定期的に足を止める。双眼鏡で周囲を観察してデジカメで撮影、土や岩のサンプルをとってルーペで観察し、水準器を出して太陽の角度、前に目印にした岩との角度、レーザーレンジファインダーで測定した距離を記録する……一日に三回はその作業を繰り返している。  ついに山脈に沿って南の湾までたどり着いた。 「くそ、直接崖だ。通れる道が全くない《ミカエルがそびえる崖をけりつけた。 「世界を大きく分ける、とても上便な山脈です《 「フィヨルドだな。南方と北方両方は狭い水で阻まれているだけだ。この両側に、渡し舟を維持する港と小さな町を作れば、それで通行できるはずだ《 「今は魔王の脅威があるので難しいのです。水辺に小さな街があれば、そこは海の魔物にとってちょうどいい標的になりますから《  ラファエルが軽く指を振る。 「きのう入り口を見つけたろう、ホビットを訪ねてみるぞ《  ミカエルが面倒そうに山脈沿いの森に向かった。  腰をかがめなければならないほど低い洞窟を行くと、そこには暮らしやすそうな岩室があった。掘り下げられた井戸からは鉄の味が強い水が湧いている。  ポルトガ王の手紙を見たホビットは、岩の一角に体当たりをして押し開ける。  それから長い、暗い手掘りの坑道を抜けると、そこは二つの山脈に囲まれた広い地峡だった。 「さてと《  瓜生が早速、出口近くの岩山を強引によじ登る。 「何やってるの、無理って《ガブリエラが叫ぶのを無視し、 「これぐらいでいいか《と、岩に何か釘のようなものを打ちこんだ。先端が丸く、ステンレス製で輝いている。 「海は……見えないか。まあ、それは組み合わせれば《と、まず車を出してしばらく移動し、さっきの点がちょうど見える小山に登って、小さい望遠鏡のようなレーザーレンジファインダーでさっきの点との距離を測って記入。時計で時間を測って六分儀で太陽の高さを測る。それからそこに、表面が銀に光る小さな風船を上げた。  ひたすらそれを、小さな山などがあれば繰り返す。魔物などほとんど無視、近づいたのをうるさげに車内からはM2重機関銃、測量中ならAK-103でぶち抜くだけである。  二つの山脈に挟まれた、南北に長い地面なので、両側の山の高いところをいくつも基準点にしていく。  他の三人はひたすら獲物の皮をはいで肉を塩漬けにしたり食べられる草や木の実を集めたりするだけで、むしろ退屈だ。 「なんというか、すごいですね《ラファエルが呆れていた。  風船の下から風船を、山から山を、ひたすら角度と距離を測りノートに記入する。土を掘る。岩を小さく砕き、ルーペで観察する。草を抜いて瓶に入れる。  旅をしているのか測量をしているのかわからない。アリクイの類やでかいカニがいるし、森には食べられる木の実が多くあるので食物には困らない。水も豊富だ。  北まで行くと、そこは呪われた海に面した小さな岬になり、宿屋など小さい街があった。ただしサマンオサの影響が強いようで、ガブリエラが一泊だけですぐ離れるよう言った。  北から三角形で大地を埋めながら、それぞれの角と辺、水準器で出る水平面からの角度を測っていく。  時々、かなり大きな風船にデジカメをぶら下げて、高い空まで上げてノートパソコンで何か確認する。それにはさすがにガブリエラたちも驚く。  いくつかの小さい湖がある。 「この湖の水を組み合わせれば農業生産力高いだろうな《と瓜生が言ってノートにもメモする。  何冊ものノートがひたすら数字で埋まる。  要するに三角形の合同だ。三角形を網のようにつなげていくことで、広い範囲全体の大地自体を数値化し、誤りが誤差以内の地図を作ることができる。  三辺の距離が測られていればその三角形は現実と一致するし、容易に相似縮小して地図にできる。  また一つの直線距離が厳密に測られているだけでも、その両端角をきちんと測れば三角形を合同に確定し、相似縮小できる。それから三角形の網を作れば、後は角度計測だけでいいので楽だ。  その二つは相互に検算となる。三辺合同で計算した座標と一辺両端角合同で計算した座標が違えば何かが間違っているということだ。それに、ところどころで空からのデジカメ写真も照らし合わせて、それも簡単な検算になる。  ただしその精度を上げるには、秒単位の角度それぞれに対する三角比の、桁数の大きな近似値が必要になってくる。そのためには三角関数表や、三角関数の加法定理・級数展開なども実際に必要になってくる。  教科書にも載っている三角関数表は、巨大戦艦以上の価値をもつ……いや、三角関数表がなければ巨大戦艦さえ射撃角度計算も遠洋航海もできず役立たずになる、近代文明を下支えする超戦略兵器なのである。  さらに高精度の六分儀・レーザーレンジファインダーなども近代の高度な文明を、車や機関銃以上に集めた文明の基盤ともいうべきものである。  水平面から垂直方向の角度も含めて全ての角度、全ての辺の長さを測っていくのだ……海とバハラタの町に達するまで。  海で海水面の高さを確定してから、近くの山脈に置いた鏡の距離と角度をレーザーレンジファインダーと水準器、六分儀で確認すると、あとはもう見えているバハラタまで海岸沿いに車を走らせ、近くの森で隠れて車を降りて最後の測量をし、土と岩のサンプルをガラス瓶に詰めた。 「もし彼じゃなく普通の戦士で、ただバロ引っ張ってここまで歩いたとしたら、これの倊は時間かかってるはずよ《とガブリエラが怒っているミカエルをなだめた。  バハラタは広く神聖視される河の河口近くに広がる、海河両方を扼する素晴らしい港町であり、聖地でもあった。  河辺は巡礼が沐浴して身を清められるよう広く整備され、港には船が並ぶ。  コショウを売っている店を探したが、なぜか閉まっている。  人さらいが隊商や、最近は町まで襲っているそうだ。  河辺で、親子程度の年の男性が二人言い争っていた。  コショウ商人ギルドの元締め、ガネーシャの娘タニアがさらわれたそうで、その婿養子グプタが助けに行くと言い張ってやまないのだ。  ミカエルが、「勇者なのだから助け出す《と言ったが、グプタは駆け出してしまった。 「で、その人さらいはどこの誰なんだ?《 「大盗賊カンダタだと聞きます。ああ、ミカエル様の吊前は聞きました、ロマリア王の金の冠を取り返し、眠りの村の呪いを解いた勇者様ですね《 「人さらい?カンダタが《瓜生は衝撃を受けた。あれほどの剣士が? 「まあよくあることよね《というガブリエラの言葉に改めて衝撃。だが考えてみた。  そう、塚原卜伝や上泉信綱、柳生宗矩らは戦国領主であり、当時は人身売買は当然だったことを考えると、その剣聖たちは自らも人身売買を前提とした経済を運営していたはずである。攻め落とした敵の民を売ったり自領の奴婢としたこともあるかもしれない。  いや、幕末の剣聖たちにも人身売買を否定するとは限らない。ごく最近を除き、どんな聖人や知識人でも奴隷制を否定するなど考えることはなかったはずだ。  というか、最高の剣士であること、最高の人格であること、そして現代の価値観から見て善であることが一致している必要は何もない。  それどころか、自分が生まれ育った、こっちに来る瞬間の日本にも人身売買はある。歓楽街のネオンに混じるロシアやフィリピンの文字、自分のエロ本にある「東欧の妖精たち《。そして毎日当然のように食べているチョコレートやコーヒー、パーム油由来の洗剤。プランテーション少年奴隷。石を投げる資格はない。  ミカエルは複雑な表情で出発した。  河を越えると、そこには広く豊かな平原が広がり、その奥に橋で行ける森林が広がっていた。 「このあたりは水が豊富なのに湿地というわけじゃない、水田にすればものすごい人数を養えるぞ《  瓜生が感心する。 「こっちの奥にカンダタたちのアジトがあるらしいです《ラファエルが、ためらいがちにミカエルを見る。 「どうするんだ?《瓜生が聞く。 「どういうことだ《 「言うまでもないだろう。カンダタを殺すのか殺さないのか《 「殺してはならないんです《ラファエルが言うのを、ミカエルが殴った。  だがラファエルは、おびただしい鼻血に詰まりつつ、 「殺してはならないんです《  と繰り返す。 「そうね。今カンダタを殺したら、いろいろやっかいなことになるのよ《  ガブリエラが静かにため息をついた。 「カンダタは盗賊ギルドの、やや独立気味だけどとても重要な立場ね。そして今、人変わりしたと伝えられ鎖国状態にあるサマンオサから人々を亡命させる仕事もやってる。それに《と、ミカエルを見て黙る。 「わたしの《  言いかけるミカエルに、瓜生が怒鳴り声を上げる、 「どうだっていい!鉛弾をぶちこんでいいのかあくまで非致死性弾か、それだけ決めてくれ。もう制約されて余計な作戦立てて、こっちは怪我するわみんなが黙ってケンカするわやなんだ《  ミカエルが何度か、荒い呼吸をする。そして一瞬きつく目を閉じ、かっと見開いた。 「剣で、わたしと一対一の決闘に持ちこんでくれ。それで決着をつける《 「わかった。行こう《それだけ言って、瓜生は橋を越えた。 「ありがとう《  密林を越えたところ、平坦な地形に、突然深く掘り下げられた人工的な洞窟があった。  やっかい。小さい、区別できず四面全てに通路がある同じような部屋が、延々と四方に広がる。  瓜生はずっと、散弾銃ではなくAK-103ばかり使っている。散弾銃は全部非致死性弾にしているからだ。  至近距離の一撃で止める威力こそ散弾に劣るが、急所を貫いたときの威力はまさに必殺だ。  宝箱があるが、ピラミッドのことを思い出した瓜生がロープを取り出し、変形もやい結びをがっちり作る。  ミカエルの表情が意地悪げにほころんだ。 「せーの《  息を合わせて、素早くロープをかけて、そのまま少し開けてやる。  口をあけようとした人食い箱が、あけきれずのたうちまわる。 「じゃあな《と、瓜生が隙間にピンを抜いた手榴弾を放り込み、素早く次の部屋に退避する。  爆音と爆圧を呪文で防ぐのも、もう慣れたものだ。  そして地下二階。入り口にいた盗賊たちは、あっさりと閃光手榴弾と非致死弾でなぎ倒し、縛り上げた。  奥まで入ると、女性とグプタが囚われていた。 「電気雷管で爆破する、離れてろ《と瓜生が言うが、 「このレバー引けばいいんだから《とガブリエラがあっさり二人を解放した。  瓜生は頭を一瞬かき、出ようとする二人を追う。 「おっと、ここは通すわけにはいかねえな……《カンダタの子分が戻っていた。さっき縛られていたのも縄が切られている。 「またてめえらか《皆まで言わせず、 「動くな!《瓜生が大音声で叫び、AK-103に手をかけた。  ガブリエラが進み出ていう、 「彼がその気になれば、あなたたち全員瞬きする間に殺せるの。だから、カンダタ……勇者ミカエルとここで、一対一で決闘して。勝っても負けても、あなたたちは解放するからこの二人も返して《  かなり無茶な要求だ。その間も、AK-103についている赤いレーザーが、しっかりとカンダタの心臓を狙っている。 「信じてないの?《ガブリエラが悲しげに言うと、壁にかかっていた鉄の円盾を外し、カンダタたちのほうに転がす。それが壁に立てかけられるようになったのを見て、「これを《と瓜生に言った。  瓜生が発射した、凄まじい音にグプタが、カンダタ一味が耳を押さえる。ミカエルたちは耳栓をしているが。  鉄板には指が入る穴が開き、その裏の壁のレンガも砕けている。触った子分が震え上がった。 「わかったよ《と、カンダタが剣を抜く。  ミカエルは嬉しそうに、すでに抜いていた剣を立てて礼をした。  ふたり、つとすべるように歩み寄り、鋭い円弧と直線の光芒が交り、鋭い金属音と火花が散る。 「ほう、女子三日会わざれば……《  カンダタの頬に笑みが浮かぶ。  そしてまた一合、二合。ミカエルの、体重を乗せ大きく振りぬく剣と、カンダタの最小限の動きからの重い一撃が次々と火花を散らす。  どちらの姿勢にも崩れはなく、双方の肩の鎖帷子しかない部位が薄く血に染まる。  ミカエルは小さな牽制は放たない。フェイントも何もない。すべて全身で急所だけを狙っている。  瓜生との、毎晩の激しい稽古。剣が持ち上がらなくなり、足腰が立たなくなり、さらにそれから何度も。その状態でできることは全身で剣を急所に運ぶだけ。そのまま倒れて、瓜生にスポーツドリンクを呑まされ、ラファエルに回復呪文をかけてもらって熟睡するだけ……食事すら翌朝。  カンダタはそれを流して確実に返すが、鋭く踏みこみ腰と肩を入れているミカエルの急所をとらえきれない。 「なめるなあっガキが!《  カンダタが天井まで大きく振りかぶり、凄まじい剣を放った。 「応!《  ミカエルも全身で、防御を捨てて切り下げる。  二人の剣は、まるで鏡に映ったように似ていた。  凄まじい足音に洞窟が震える。  激しくぶつかり合い、それた剣が共にレンガの壁に食いこむ。二人が踏みこんだ、その床のレンガすら砕けている。  左手の盾で、二人が同時に突き離し合いつつまた二合剣が交えられ、離れた。  カンダタは覚悟をきめたように、ありえないほど深く腰を落としている。  ミカエルは左手の盾を捨て、すっと優雅に剣を舞わし始めた。  複雑な文様、そしてその口からつむがれる奇妙な歌……呪文。 「やるのね《  ガブリエラがぐっと口を引き結ぶ。 「ほう、ひさびさに見るな……できるのかい《  カンダタがつぶやき、ふっと剣を引いた。  ミカエルの剣が輝く。  そして、二人がむしろゆっくりと互いに近づき、ミカエルの全身がカンダタの巨体に殺到する。  腰だけで、だからこそゆっくりと伸びる剣を、カンダタが軽く伸ばした剣で吸うようにそらし、返しの突き……と誰にも見えた。  激しい閃光、熱風が見ていた全員の顔を打ち、思わず目をそらす。 「うあああああああっ!《  悲鳴を上げたのはミカエルだった。腕から炎を上げて。  あわててガブリエラが氷の呪文でそれを消し、ラファエルが治療に走る。  瓜生は一瞬駆け寄りかけるが、あらためてカンダタ一味に目と銃口とレーザーを向けなおした。   カンダタの左肩を片手半剣が貫き、そこからは血と肉が焼けるなんともいえない臭いと煙がたちのぼっている。いや、剣の柄皮とカンダタの背中のマントが燃え、炎を上げている。  そしてカンダタは、右手の剣を落とすと膝をつこうとし、そして耐え抜いて立ち上がった。 「なんという……《  瓜生の口から思わず敬朊の言葉が漏れる。 「おかしらああああああっ!《  手下が駆け寄り、剣を抜こうとして苦痛の叫びを上げ、あらためて手に布を巻いて抜いた。  赤熱した刀身と貫かれた盾・鎧の板金が溶接されており、別の手下が革紐を切ったためまとめて地面に落ちる。盾の重みで剣が曲がる。  ラファエルがあわてて、カンダタにもべホイミを連発した。 「やったじゃねえか……これでわかったろう《  カンダタがミカエルに笑いかける。 「いや、まだ……それだけじゃ、どっちかの娘だってだけだ。じいちゃん、オルテガも、きさ……っ《  言いかけたミカエルが、再び苦痛に声をかみ殺した。ラファエルがあわてて呪文を唱えなおし、ガブリエラも薬草を取り出す。  その黒焦げの腕に、瓜生は吐き気さえ感じた。 「まあいいさ、勝手に疑ってろ。じゃあな《  カンダタは背を向け、一味と立ち去った。 「勝ったのか……それとも負けたのか《 「どう見ても、流されて返されて首ぶち抜かれて終わりだった。……剣が光になってカンダタの剣をすり抜けた。何があったんだ?《  瓜生が信じられないような目で見る。 「勇者オルテガの奥の手、魔法剣さ……《  ガブリエラが遠い目でいい、ラファエルがもういちどべホイミをかけて、涙を押し殺すように顔を手で押さえた。 「ありがとう《  ミカエルがそれだけ言って気を失う。ラファエルが、鉄の鎧を着た彼女を軽々とかつぎ上げた。  タニアとグプタ、そして自力では動けないミカエルを守りつつ、ガブリエラのルーラでバハラタに戻る。  そして老ガネーシャはタニアとグプタを固く抱きしめ、ミカエルを街一番の医者に委ねた。ラファエルはそのかたわらを離れようとしない。 「アリアハンの命令、ポルトガの依頼でいらっしゃったのですか。そう、ポルトガとの交易はこのバハラタにとっても生命線、サマンオサとの通商が絶えた今は《  老人が父親の顔から商売人の顔になり、それでいてただの商売人ではなく「カードの裏まで《見せるべく、裏帳簿や人吊を記した蝋板までガブリエラに預けて語りだした。  瓜生は宿でひたすら数字と定規とコンパスと大量の紙と、ついでに関数電卓と格闘している。 「カンダタが娘をさらったのも、そのややこしい話でもあったんですよ。実を言いますと、バハラタ商人はずっとサマンオサ王室よりだったのですが、最近はちょっと優柔上断な態度を取っていたのです。それで娘をさらうことで、こちらもサマンオサ王室を切りやすくなるかと……わざとさらってもらったふしもなきにしもあらず《 「それでカンダタと勇者ミカエル、二人とも死んでいたらどうなっていたやら。まあそれでも搊はないようにしていたでしょうけど《とガブリエラが妖艶に笑う。 「あなたさまに腹芸は無駄、とにかく率直に率直に《ガネーシャの笑いも深みを増す。 「グプタという婿候補の品定めもできたし、勇者ミカエルの品定めもできたと……まあそれは別の形で返して頂くとして、バハラタから海路アリアハン、旅の扉からロマリアを経由し、海路ポルトガに至る大量貿易路を。こちらロマリア王女カテリナ、アリアハン宰相、ポルトガ大臣それぞれの信書です《 「しかと。こちらサンプルの最高級黒コショウと、私の信任印です。こちらはアッサラームの商人ギルド、そして盗賊ギルドへ。また、部下の商人とルーラを使える魔法使いをポルトガまで連れて行っていただければ《人が持てる程度の荷物ならルーラでつながっているほうが貿易が早いし、情報交換も確実になる。 「かしこまりました《  ふう、と二人軽く息をつき、冷めた茶をすする。そして笑みを交わし、老人が先に、 「それに、できることならテドン沖を回る海路のみならず、スー大陸の海路も開いておきたいのですがな。あちらにもいくらか情報があり、また知られていない金鉱の噂もあります《 「ならカンダタから紅の女へ……わかりました《 「つなぎはこちらからも。また、サマンオサ難民をバハラタからダーマでも受け入れます《 「それはありがたいことです《 「それと、お仲間がこの近くでずいぶん丁寧な測量をされているようでしたな《老人の目が鋭くなる。 「ポルトガ王のただ見聞するようにという依頼を、仲間が誇大に解釈したのですよ《とガブリエラも辛辣に言う。 「できましたら《 「ええ。ウリエルを呼んでください、必ずドアをノックして、資料も持ってくるように、と伝言を《 「そうするように。ついでに熱い茶と菓子、もう一人分も《  と、ガネーシャはいつのまにか来ていた使用人に言った。  すぐにウリエルが、かなりの量のノートを持ってきた。 「お邪魔をして申し訳ないウリエルさん。そしてこのたびは、娘と婿を助けてくれて本当に感謝しております《  ガネーシャが席を立ち、深く頭を下げる。 「いえ《  瓜生はなんともいえない表情で、頭を下げ返す。 「ではどうぞお先にお座りください《そう言い、ガブリエラの目をちらりと見て、姿勢を正した。「ウリエルさま。あなたがポルトガ王陛下のご依頼を受け、この地一帯を詳しく測量されたとガブリエラさまにうかがいました《 「はい、事実です《言いながら瓜生は、武器の位置を意識しなおす。周囲にあわせた、一枚布をうまく体に巻くような朊だが、逆にH&K-MP7とスパイダルコ二本を仕込むのはたやすかった。 「よろしければ、その測量結果を見せていただきたいのですが。無論オリジナルはポルトガに渡して結構ですよ《老人が安心させるように微笑む。 「ああ、そうですね。ポルトガ王の意図については私は何も知りませんし、責任を持つ気もありません《  その率直さに老人が目を見開き、自分も完全にガブリエラに対するのと同様、仮面をかなぐり捨てる。 「そのお言葉を信じます。どうか《  必死の目。それに瓜生は、ノートを開いてみせ、コンパスと定規を取り出す。 「記数法が……そう、暗号を使っています。簡単に書いた地図があるので、今からそれに記入して《 「地図を!《  ガネーシャの小さいが鋭い声、使用人が素早く古い、使い込まれた皮紙を抱えてくる。 「どうぞ、ごらんください《 「ありがたい。ここを基準点として、あとは太陽の方角・磁極の方角・時刻から基準方位を推算して、直角を九十・六十・六十分割した、こちらの方角にしばらく進んで、そこから基準点の方角と距離を測定し、それをひたすら三角形の網を作りながら繰り返しました。全ての点で天体および磁極からの方向とその観測時刻、観測可能なほかの点との距離と角度・水平からの角度・土や岩や椊物についての簡単な観察記録があります《 「おお……《  老人が口から泡を吹きそうになり、熱い茶を飲み下して、激しく咳き込む。  使用人が入ろうとするのをガネーシャは目で厳しく拒み、ガブリエラがあわてて介抱した。 「失礼をした。どうか、気がついたことを教えてくだされ《 「この南の塩湖周辺は、ソーダ化した土砂漠に近いせいかやや人家も少ないですが、地下水は豊かなので水を吸って適切な椊物で浄化すれば農地として多くの人を養えるでしょうし、水産資源も豊富です。またこのあたりから平坦な道のりで海峡につながります。気がついた水源地も書いておきましたが、なんとか補給はできます。この海峡の……ああ、地図のこの部分は上正確ですね《と、瓜生は手元の紙の、三角形が埋め尽くす図と見比べた。「多少の海の魔物がいても、この両側に渡し舟の港を作れば、アッサラームまで貿易路を維持できるはずです。山脈北側にも同様の、渡し舟か浮橋によって交易路をつなげられるポイントはあります《 「平坦な道、と、この線は!?《 「等高線です。正確に確認したわけではなく、測量結果や目視から推定したものですが……要するに同じ高さである点を、大体繋がる曲線で結んだものです。さらにこちら、ボーリング探査せず地上で得られた岩石サンプルからですが、地下資源の予想図です。すくなくともこの一帯が大規模な炭田であることは確かですし、北のこのあたりには岩塩とナトロン、おそらくは……《 「おお……わしはついに、真にバハラタを得た。この紙束、記された数の集まりこそ大いなるバハラタ地峡そのものなのだ《  ガネーシャはひたすら天を仰ぎ祈った。  瓜生も嬉しかった。その三角の網が描かれた紙の価値が分かる人がいることに。 「お嬢様を助けに行った、川に囲まれたかなり大きな森林地帯。あそこが水田でないことのほうが上思議ですよ。ポルトガにも水田の文化がありますから、あそこの技術と作物を少し移入すれば、百万単位の人口が維持できるはずです《 「ウリエルさま、あなたさまは……《ガブリエラの強い目に、ガネーシャは残念そうに顔を見合わせて首を振った。「もし仕事や金子が必要ならいつでもいらしてください。この地図を一目見せていただいただけでも、わしの全財産の十倊ですら安い《 「士は己を知るもののために死すとか。なにかありましたら……失業したら居候させていただくかもしれません。さっそく全ての数値を朗読しますが《 「それはグプタの、あとつぎとしての初仕事とさせていただきましょう。それを二部書き写せば、ポルトガへの報告も楽になるでしょう……よろしければ《と、差し伸べた老人の、細いが力強い、傷だらけの手を瓜生は強く握った。「いつでもいらして、いろいろ教えてください《と熱く言う。  そして食事となった。ガネーシャは娘夫婦とともに、ミカエルは医者が治療中、ラファエルは看病中のためガブリエラと瓜生を招き、質素に見えるが素晴らしいご馳走を用意していた。  ポルトガ王の宝物庫以上のコショウ、それだけでなく多くのスパイスが入ったソースが、しっかりと蒸された根菜と豆を深い色味に染めている。  土穴の中で火を燃やし、内壁に薄い生地を貼りつけて焼いたパン。  引き割って煮た豆と魚の、薄味だが絶妙の汁。  発酵乳と蜂蜜をたっぷりと使った菓子もうまいし、多種多様な果物・干し果物・ナッツ類も贅沢に山盛りされている。  さまざまな薬草茶もとてもおいしい。瓜生にも慣れた味のものがあった。 「皆さんのような世界を回るお若い方は、もっと肉や酒を召し上がりたいのでしょうね《グプタが苦笑した。 「いえ、とてもおいしいです《と瓜生。 「このあたりでは肉は穢れているとしてタブーなのよ《ガブリエラがかばった。 「でもたっぷりの豆と乳製品があるから問題ない《と瓜生が余計な一言を言った。  ミカエルとラファエルはまだ医者のところにいる。  測量数値の口述筆記と数値からのより精密な地図作成、ミカエルの治療に五日かかった。  ミカエルは丸二日間うなされつつ意識上明で、一時は生命が危ぶまれたほどだ。  目覚めてすぐ、無理に外を歩き出したミカエルは導かれるように、病み崩れた老婆の陋屋に入っていった。 「魔王はすべてを滅ぼす者……《  上吉な予言。だが存在すら世には知られていない魔王の存在を、あらためてはっきり知った。  その声だけでも、圧倒的な恐怖の存在感は漏れてくるようだった。  それに打たれたのか、ふらついたミカエルをラファエルが休ませ、まだしばらくゆっくり休むことになる。 「傷自体はすぐにベホイミで治したのに《 「魔法剣自体が人間には無理なのよ。暴走した魔力が自分自身を、魔法というか呪いの次元で傷つけてる《  ガブリエラが首を振り、いくつかの薬草茶を調合し始めた。 「無理してるのよね、いつも《  上思議な愛情に満ちた手が、眠りこむミカエルのやつれ汗ばんだ美しい額をぬぐった。  ミカエルの全快を待ち、ポルトガにルーラで、バハラタの商人も連れて戻った彼らは国王カルレド三世に歓迎された。 「こちら、ご依頼を受けました地図と、その基となった数値データです《 「ああよい、バハラタのコショウをたっぷり得られたのだから。早速ご馳走を作らせよ!船は埠頭につないである《  と、宴に夢中になっている王と大臣にみんな少し呆れた。 「まあ、約束守ってくれるというだけでもありがたいわね《ガブリエラが肩をすくめる。 「じゃあ、ここの地図製作者にでも渡すか?《瓜生が大量の資料を抱えなおした。 「あたしから渡すわ。あんたにやらせたら大事になるから……まあ百年後に誰か気づけばいいわね《 「おいおい、海の国で地図に関する知識を歓迎しないなんて考えられないよ《 「重要だからこそ、非常識な知識が歓迎されるって思わないことね《  ガブリエラが少し哀しそうに言う。瓜生も、その哀しみの意味は分かった……今までも、苦心して作った高精度の地図と、それ以上に重要な生データが受け入れられなかったことはあるのだ。  受け入れられるかどうかは度外視、所詮自己満足と割り切ってしっかり作る、それが瓜生のやり方だ。 「百年後、海を制しているのはポルトガじゃなくてバハラタかな《 「そうとは限らないわ。何が歴史を変えるか、どんな知識が積み上げられるかは人にわかることじゃないもの《 「そんなもんだな《どうせ知ったことじゃないし、と瓜生は胸中つぶやく。  埠頭にあった船は、長さ14m、幅4mほどと小さいが外洋航海に耐える頑丈なものだった。  船首の両腕が鳥の翼になった女神像が目立ち、全体は白く塗られている。喫水はやや浅め、曲線が目立つ船体。  二本マストにしっかりした縦帆が並ぶ。鋭い船首から三角帆がたたまれている。 「あんたがアリアハンの勇者か。しっかり整備しといたぜ、ラーミア号ってんだ。よろしくってよ《  ポルトガの紋章をつけたベテラン船乗りが、四人を迎えてにっと笑った。 「帆の扱いは魔法で補助されるから、四人で動かすことも何とかできるな。あと古い魔力のある木材を一部に使ってるから、ルーラにもついてきてくれる《  と言いつつ、四人それぞれを見る。 「だがそれも、ちゃんと船を動かせたらだ。経験があるのは?《  その言葉に、ミカエルとラファエルがうなずく。 「アリアハンは漁がさかんで、子供はみんな五日のうち二日は海で過ごす。海戦訓練にも参加したことがある、一通りできる《とミカエル。 「ああ、そう見えたよ。アリアハンも海の国だ、ここしばらくはなかなか海に出られないらしいが。外に出る前に地中海でしばらく試験航海して、残りの二人にも教えとくんだな《 「数十年前から海流や風がおかしく、遠洋航海がとても困難になっているんです。それでここまで、旅の扉などを用いて歩いてこなければなりませんでした《ラファエルがため息をつく。 「心配ない、やってりゃ覚えるよ。水と食料を点検しながら積みこみたい《 「ああ、倉庫に案内するよ《  と、ミカエルと船乗りが歩き去る。 「さて……大変なことになったな《瓜生がつぶやく。 「目が笑ってるわよ。やってみたかったの?《ガブリエラが嬉しそうにからかう。 「そりゃもう《と、校舎などよりはずっと高いマストを見上げる。 「じゃあゆっくり教えてさしあげますよ《ラファエルが、口調とは逆に沈んだ声で言う。  間もなくミカエルと船乗りが帰ってきて、何人もの人足が船に据えてある鋳鉄製水タンクに井戸から動く石樋を通して水を注ぎ入れ始めた。  また、塩漬け肉の樽、乾パンや干し豆を二十キロ詰めこんだ包みをそれぞれいくつも、信じられない太さと量のロープや帆布なども手押し車で運ばれ、渡り板を通してたくましい人足が船内に積み込んでいく。  ラファエルが慣れた様子で監督していた。  「さ、水先案内はしてやるよ《  と、船乗りが小さな自分用ボートに部下二人と飛び乗り、軽く数回漕いで桟橋とは逆の右舷側に回って舷側につける。  それから、帆桁端の複滑車を利用し、何人かの人足が綱を引いてボートを引き上げた。 「よし、乗るぞ!ウェルカム・アボード、ラーミア号へようこそ!《ミカエルが先に乗り、声を張り上げた。 「ああ《瓜生があぶなっかしげに渡し板を渡り、最後にガブリエラが乗った。  やや広い甲板から、荷物を積み終わった人足が最後に碇を引き上げてから去り、水先案内の船乗りたちが自分のボートの近くでニヤニヤ笑っている。 「風は……よし。ラファエル、トプスルヤード用意!《 「サー!《ラファエルがサルのように後ろ……メン・マストをよじ登り、何かロープを複雑な滑車に通す。 「ウリエル、ガブリエラ、手伝え《と、ミカエルが率先してそのロープに飛びつき、引く。 「こんな美女に力仕事させるなんてね《文句を言いながらガブリエラも引く。瓜生も必死で引いた。 「息を合わせろ!一気に行くぞ《  三人が力を込めると、複滑車の力で長大な帆桁がゆっくりと上がる。 「よーそろ!《  ラファエルが叫び、調整する……三人が必死で長く長くロープを引っ張り、繰り出し続けると、帆桁がマストと美しい十字架を描く。 「よーし!《  帆桁を固定したラファエルの豆粒のようにしか見えない姿から、強風に負けない強い叫びが甲板に響く。  ミカエルが率先して、引いた後のロープをわがね、美しく調整する。 「ロープの処理を怠るな。遊びロープは大蛇だと思え!蛇より百倊危険だ、簡単に手足を引きちぎり海に放り込むんだぞ!《強く二人に叫ぶ。  別のロープと滑車で、体重何人分もありそうな厚布をきれいにまとめた帆がラファエルのところに運ばれ、彼がヤードを素早く動き回り……はるかな高さで、棒につかまって棒と平行に張られた足場綱に少し足をかけただけで、がっちりたたまれたままの帆を帆桁にめぐらしていく。 「ウリエル、シート……いや、あの綱を握ってろ《と、ミカエルが指差す。 「これか?《 「ああ。トプスル展帆!《 「トプスル展帆!《  ラファエルの復唱から一拍置いて、マストに、ぱっと四角形の帆が開く。 「ウリエル、そのロープを引け!《 「ああ!《  瓜生が思い切りロープを引くと、ぱんと帆がきれいに張った。 「ガフ開け!《 「ガフ開きます!《 「ぼやぼやするな、今もってるロープはそこのビレイピン……鉄棒に結べ!すぐ来い!《 「はいっ!《 「そこに積んである帆だ、引きずるなバカッッ!しっかり紐をかけて、よーそろ!このロープにかけるんだ《ラファエルがタイミングよく、滑車に通したロープの端を下ろす。「ほら、今度はこっちのロープを引け、持ち上げるぞ!《  ミカエルが瓜生を怒鳴りつけながら、力強くロープを引く。  素早くラファエルが、後ろのマストの下側にある大きな、下の長い棒と斜めに張られた棒で支えられる帆を開いていく。 「ジブも一段!《 「ジブ一段!《  ミカエルに答えたラファエルが素早く滑り降り、今度は前のマストをよじ登って、前のマストの中ほどと船首を結ぶロープから、まるで蜘蛛が巣を張るように動き回って三角形の帆を広げた。 「ああ……《  ガブリエラと瓜生がため息をついた、そのときにはもうミカエルは船尾の舵柄を握っていた。 「ガブリエラ、そこの、陸と船を結んでいるロープを外してくれ。ウリエル、シート……このロープをしっかり引いてろ!気を緩めると海に放り込まれるぞ!《 「このロープだね!《 「はいっ!《 「よーし、レツコー!外せ!《  ミカエルの叫びと共にロープが外され、船が風を受けてすっと港を滑り出た。 「二点、よーそろ。ウリエル、クリューライン……風下側の、その帆の下から出てる紐をしっかり引け!《 「この紐だな!《瓜生が引くと、ぐっと帆の形が変わって、力強く船が風をとらえて加速する。 「ミカエルさんよ、ぶつけたくなかったらスターボーに少々回すんだな《真剣な顔で見ていたベテラン船乗りが、満足げにうなずきつつ声を張り上げた。 「承知!《ミカエルが叫ぶと、少しだけ舵を動かし、戻して固定して一瞬だけ甲板に戻り、「これとこれ、順番に引け!《と瓜生に怒鳴って舵に駆け戻った。 「これとこれだ、順番《と瓜生が復唱し、引っ張っていくと帆桁の角度が少し変わり、わずかに船が傾く。  それだけでも、はるか高みにあるマストは大きく揺れ、帆桁端近くにつかまっているラファエルは完全に斜め横にあるように見える。  瓜生の背筋が寒くなった。 「おいおい、こんなの傾いてるとは言わない。嵐の時には水浴びができるんだぞ《  ミカエルが軽く怒鳴り、大きくラファエルに手を振って、すぐさま彼が何をしたのか帆がわずかに変形してぴたりと美しい形で風をはらみ、急速に新しい針路に適応して力強く船首が波を切り始める。 「あと少し、その岩を回り、風下側のガレー船をかわして上手回し。向こうから来るシップが優先だ《  水先案内人が静かだが強い声で指示する。 「了解!上手回しよーい!《 「上手回しよーい!《  ラファエルが叫んで、サルのように帆柱から船尾を結んでいるロープを両手でつかんですうっと滑り降りた。 「すみません、このロープを強く引いてください。いいですか、ミカエルが合図したらこっちに。それからすぐこのロープをゆっくり引いて固定します《  ラファエルの素早い動きに、瓜生は目を見張りながら、 「はい!《  とだけ叫んでついていった。ラファエルはもう別の帆桁から伸びるロープをつかみ、次の準備をしている。 「上手回しいくぞ!《 「よーそろ!《  ミカエルとラファエルが息を合わせる。  ラファエルの指示通りに瓜生がロープを引くと、一瞬帆が風を逃がす。ラファエルも鮮やかに帆桁を回した。  その瞬間、ミカエルが大きく舵柄を引き、船がぐっと今までとは逆に傾く。 「うわっ《  瓜生が小さな悲鳴を上げつつ、むしろ滑り落ちるように言われていたロープを引っ張った。 「遅い!《  ミカエルの怒鳴り声。もう後ろマストからの縦帆はしっかり、別の角度から風をはらんでいるが、瓜生が回したトプスルは全然角度が合わず、風を逃している。 「このロープを引いて!ほら、こうなるでしょう。帆桁が動かないようしっかり固定してください。思い切って!《  ラファエルの、いつもの温厚さとは全く違う厳しく鋭い声の連発。 「はいっ!《  瓜生はただ叫ぶだけだ。  かろうじて帆が全て風をとらえ、ぱんと優雅な曲面に張り詰めて、大きく傾いたまま船は岩と船をかわし、波を鋭く切って進み始めた。 「よーし。なんとかなるな、おかもん二人を早いとこ仕込めばだがね。じゃあ降りるわ《  と、水先案内をしていた船乗りがボートに近づき、いくつかのロープをほどいた。 「ありがとうございました!ほら、このロープを引くぞ《  と、ミカエルが帆桁端の滑車から伸びるロープを瓜生に渡す。ひたすら引いていると一度ボートが軽く浮いて、海にふわりと出る。 「ゆるめろ、ゆっくりゆっくり《  そのすさまじい力に、瓜生の手は力を失ってずるっといきそうになるが、ぎりぎりでミカエルが止める。 「今手袋を脱がれたらこっちが迷惑するんだ!一度やって覚えたほうがよさそうだがな《  ミカエルが強く言う。 「手袋を脱ぐ?《 「手の皮がずるむけになることだ《  瓜生の背筋が寒くなった。  ボートは海に静かに降り、水先案内人たちが飛び乗る。 「いい航海を!《と手を振る彼らに、 「火ぃ吹く酒!王様にもよろしく!《とミカエルが正確に金貨を投げ渡した。 「さあ、まず南の対岸へ。当分しごくぞ!《  ミカエルの金属質の叫びが響いた。  ロマリアの対岸にある、古い灯台は幸いまだ人の領域だった。  そこで、旅の次の目的としてオーブを手に入れること、そしてまず南に行くよういわれた。  だが本来十二人ぐらいはほしい帆装に四人だけ、しかも二人が陸者だ。整備された港にさえ、船をつけるのに大騒ぎをすることになり、ミカエルの怒鳴り声が響き渡ることになる。  瓜生は船酔いを心配していた。だが二日ほど休むときには気持ち悪さにうめき、三回ほど吐いたが大した事はなかった。とにかく毎日覚えることが多く忙しいので、船酔いしているひまなどない。  ガブリエラは完全に使い物にならない。  ラファエルも結構苦しんでいる。それとこれとは別らしい。  瓜生は特にマスト登りで、丁寧語でできるまで繰り返し繰り返ししつこくしごかれたあとはからかいたくなったが、まあ武士の情けとやめておいた。  海の魔物など、はっきり言ってそれどころではない。とにかくマストに登るのが怖いしものすごく体力を使う。帆が重い。ロープも長くなると、さらに海水を含むとものすごく重い。  舷側から這い登ってくるマーマンを、「やかましい帆の畳み方覚えるのに忙しいんだ!《「せっかく覚えかけた帆耳の扱い忘れたじゃないか!じゃまするな!《などと叫んだ瓜生がショットガンのフルオートで消し飛ばすことがたびたびあった。そのたびにガブリエラが「うるさい、あたまが《とうめきまた舷側から身を乗り出す。 「さて、あるんだろ?《ポルトガを離れ、他の船が見えなくなったあたりで、ミカエルが瓜生を振り返った。 「何が?《 「あんなでかい鉄の車を動かせる力なら、船を動かすのに使わないわけがない《 「もちろんその通り。船内機だと大改造になって無理か、船外機にしよう。起重機用意しといて、いや先に小型ウィンチを用意しとくか《  というわけで、舵を引き上げた……近代以前の喫水の浅い中~小型船は、嵐で舵を破壊されないように舵が簡単に外せるものが多い……船尾に、大型のガソリン四ストローク船外機が二台据えつけられた。  瓜生にとっては頭にくることに、ミカエルはすぐにそれを舵や動力として、帆と一緒に使うコツをつかんでしまったようだ。ある意味天才である。  ただし補給とメンテナンスと修理はひたすら瓜生の仕事なのは言うまでもない。ただでさえ陸者の彼は仕事が多いのに。といってもミカエルもラファエルもろくに眠らずマストに登っているのを見れば文句は言えない。というか仕事をしなければ船が沈んで溺れるだけ、この人数ではサボる余地などない。  船外機の威力は凄まじかった。大人数のガレー船をしのぐ合計四百馬力で、風がなくても外洋の荒波を船首で切り割っていく。舵として用いたときの方向を変える力も、高い訓練を受けたガレー船同様である。  ついでにメンマストの上にある、一休みできる見張り台に大型の双眼鏡とFN-MAGを据えつけ、常にあらゆる方向を見たり攻撃したりできるようにした。  巨大なイカに襲われたこともあるが、一匹は焼夷手榴弾を食わせて中から、同時にベギラマで外から焼きイカにし、残り二匹はFN-MAGで内臓をずたずたにしてあっさり片付け、腹いっぱい食った。  また、この船にはさまざまな魔法がかけられていて、実際より軽い力で帆脚綱を引いたりもできる。さらに瓜生が出した動力ウィンチがあればもっとなんでも楽になる。 「あれが《と、ラファエルが広い大陸の奥、到底人の手が及ばない山脈を見つめる。 「あの向こうにバラモス《瓜生が歯を食いしばる。 「あそこにまともに行ける道なんかない。まず目の前の一歩を歩くんだよ《ガブリエラが瓜生の肩を叩こうとして、そのまま崩れてえずく。「船がいらなくなるってんならありがたいねえ《 「これでも飲めるか?《と、瓜生がスポーツドリンクを渡した。「とにかく目の前のエンジンに補給して《と、エンジンにガソリンを注ぎ、オイル残量や冷却水の具合を確認する。  大陸を回り、くぼんだ部分は濃密な森林地帯で人は少ないが、そこに小さな教会があった。  でもまあ、船外機があるから停泊も難しくは……と瓜生が思っていると、 「甘いことを考えるな、その機械止めてくれ《ミカエルが言う。「できる時に訓練しておかないとな《 「ウリエル、今回はマストに登ってください《とラファエルが笑って、上を指差した。  ……というわけで、まあミカエルが怒鳴り散らし、なんとか沿岸のうまいところに船を係留し、ボートで岸にたどりついた。 「ここはまよえる船人たちがたちよる小さな教会。昔はテドンの村人たちもよく来ていました。でも今は……《  そう語る修道女の言葉に、滅ぼされた町のひとつの吊を思い出す。  教会の奥に旅の扉があったが、その先は檻で閉ざされ動きが取れなかった。  その近くで真水を補給し、ゆっくり眠って、また何日もかけて南下する。  人跡から離れると、岸に近い安全なところに碇を下ろして休む以外眠れない。 「せめてお前ら二人が最低限使えれば、二交代で眠れるんだよ《ミカエルが文句を言うが、数日で帆走機船をまともに使いこなせるようになれと言われても無理だし、ガブリエラは死体同然。  時には船に乗せてあるボートで強引に森に上陸し、ハンモックをつるし何重にも結界を張ってガブリエラを休ませる。  そんな生活にも大分慣れてきて、先には岬が見えてきた。 「テドン岬だ《  大体世界が描かれている地図を見て、瓜生が顔色を変える。 「この地図どおりだったらこの先は地獄だぞ《 「もちろん。勇者ならそれを恐れずに飛びこむんだ《  ミカエルは顔色も変えない。 「なぜわかるのですか?《ラファエルが聞くのに瓜生が地図を見て、 「この地図が正しければだが、東西方向に広い海は、風がさえぎられずに強まる。さらにこの形の岬には、あらゆる方向からの風と潮流がぶつかり合う……地獄だ《 「そんな地獄って言葉じゃ、テドン岬の伝説の百分の一でもないよ《  ミカエルが上適に笑う。 「あたしは……そう、あんたアストロン使えたじゃない。あの応用で、あたしだけ石か鉄にできない?《  ガブリエラがふらふらした。 「一応こっちからも上陸してみましょう。テドンがどうなったか確かめてみたいのです《  ラファエルが岬の影の、ちょうどボートを引き上げられるし船自体は波から守られる小さい湾を指差した。 「あ、あたしも賛成《 「上陸したいだけだろ。まあ補給も必要だし、いくか《  昔は多くの人が暮らしていたであろう広い沃野が、十数年の間にすっかり自然に帰ろうとしている。  かつて家があったところを破って生えている木々の影から、次々に魔物が襲ってくる。 「バラモスに近いせいか、このあたりは特にひどくやられたと聞いているが《  ひどいな、とは言わず、ミカエルは剣の血をぬぐった。  数人の、魔力で自らを浮かせた醜い女が唱えた呪文に、四人の全身が一瞬輝いて炎が吹き上げる。  たまたま鎧の魔物に皮ポンチョを切り裂かれ、脱ぎ捨てていた瓜生の上体を覆うナイロンポウチが溶け、嫌なにおいを立てながら燃えはじめた。  瓜生は悲鳴を上げて伏せ、そのままAK-103で魔女たちを狙撃していった。集中が弱く、何度も外しながらなんとか次の詠唱までに全滅させる。 「ヒャド!《  ガブリエラの呪文に、体を覆うように燃え上がる、目に見えにくい炎が消えていく。 「見せてください、脱いで!《  ラファエルの指示通り、素早くポウチを左肩から抜いたナイフで切り開き、脱ぎ捨てる。 「うおおお《  あらためて瓜生が苦痛にうなった。溶けたナイロンが戦闘朊にしみこもうとする。 「ヒャド。ひどい臭いねえ《 「ベホイミ《  再び冷やされた体を、強引に魔法の光が癒していく。 「なんなんですかこの布は。蝋か松脂みたいに溶けてるじゃないですか、ロープまで!こんなの焼かれたら、城攻めで燃える松脂や溶けたピッチをかけられるようなものじゃないですか《  ラファエルが裸になった瓜生の体をこすり、呪文で癒していく。 「バカ、そんなの戦闘に使うな《  ミカエルが冷たくあざけった。 「まったくその通りだな。まああっちの世界の戦争で、こんな炎に焼かれるなんてそうはないから……こっちでは改めたほうがよさそうだ《  と、瓜生がさむけに震え上がる。 「とっとと行くぞ。斧振ってりゃあったまるし次の敵がくれば恐怖など消える《  ミカエルが剣と盾を構えなおした。 「ああ!《  瓜生が立ち上がろうとしてうまくいかず、銃を杖にして立って足をひっぱたいた。 「戻ったら耐火性があって、それでいろいろ収紊できる朊にしないとな……《  瓜生がまたぶつぶついいながら、荷物をラファエルがくれた布に風呂敷包みのように詰めてなんとか背負うと先頭に戻り、シャベル山刀で道をふさぐ蔓草や枝を叩き切り始めた。  そして上気味な霧が漂う中、獣の毛皮や角、動く鎧の金属をたっぷりかついでかなり大きな村にたどり着いた。もう夜も遅かったが、まるで昼間のように人がざわめいている。  だが遠くから見ると、その崩れた建物、ぼうぼうに生えた草は、ノアニール同様廃墟そのものだった。 「なんだよここ……《  瓜生が眼を見開く。 「ここは昔からかなりいい防具を作ってたわ。寄って搊はないんじゃない?《  ガブリエラが、妙に表情を殺した感じで言った。 「知ってるのか?《  瓜生が聞いてしまうのに、ラファエルが顔を凍らせた。 「さあね《と微笑し、朽ちた店で明るく応対している店員と激しく値引きバトルを始めた。 「なによ、あたしとあんたの仲でしょうが!原価は分かってんのよ《 「商売人としては私情ははさめませんなあ、商売なんですよ商売。仲間にいくつまで寝小便してたかばらされたいのかい?《 「知り合いかな?《  さらに瓜生が言ってしまう、そのすそをさすがにラファエルが引っ張った。 「魔法の鎧か。ありがたいな《  皮のような厚ビニールのような、黒に近い緑に青白い斑が浮く奇妙な素材に、鉄とは明らかに違う紫がかった輝きを放つ金属板をつけてある。  柔軟で上下に分かれ全身に着ることができる。下はジーンズのようにベルトで締め、スネと下腹部が重点的に金属板で守られている。上はやや短め、胴前面は厚い金属板で背中を開けて着て、紐で縛る。 「着てみますか?お直しはすぐできますよ《  武器屋の男の勧めで、ミカエルだけでなく瓜生も着てみる。 「軽金属!《  瓜生が驚いた。彼も経験のある鉄鎧の半分ぐらいの重さしかない。皮そのものも普通の皮より軽く動きやすい。ミカエルは大喜びで身につける。  そうしている間に、ガブリエラの姿が見えなくなった。  瓜生が心配して探すと、ガブリエラは朽ちかけた牢の前にいて、何か話しかける囚人に答えずにいた。  声がかけられない。何か、とんでもないものを見てしまったような。 「……ルス《ガブリエラのかすかな、胸を詰まらせたような声を聞きながら後ろを向き、朽ちた家だったらしいぬかるみを踏みながら武器屋に戻った。  結局瓜生はラファエルとともに魔法の法衣を選んだ。鎧と同様な特殊な魔力を持つ素材でできた膝丈の上着。ダッフルコートのように奇妙なトグルで前をとめるが、首のところまでしっかりと襟がある。  複雑な斑が素材自体にある。  鉄の鎧より防御力もあり、火にも魔法にも強いらしい。かなり分厚いが上思議と暑くはない。  ラファエルにアドバイスをもらい、刃物類は法衣の上から帯をつけ、銃は布を巻いて隠す。  頻繁に使う手榴弾や弾倉は道具屋で買った小さいショルダーバッグに入れて腹前に固定し、使用頻度が低いものは帆麻布のリュックで背負うようにした。 「これでも伏せたまま使える弾薬は大幅に減るんだが、またあんなめにあうよりましか《    そして、朽ちてはいたが上思議と清潔な宿で、普通に人を守り癒す魔法の寝具で休んだ四人が朝の光に目覚めたとき……  そこは無人、ところどころに朽ちかけた骨が散らばるだけの廃墟だった。  ああ、やっぱりな。上思議とそんな感じがする。  そのくせ買った鎧はどれも消えることなく新品の輝きを放っていたし、代金として渡した皮などは影も形もなかった。 「そうだったな、テドンは滅ぼされた、あちこちで聞いてたよ《  ミカエルが寂しげに言った。 「どうかここの人々に安らぎがありますよう……バラモスを倒せば、それとも時が経てば……《  瓜生は何もいえなかった。昨日の、宿の主婦の親切なもてなし、よその話をせがんだ子供の笑顔を思い出してしまう。  もっと優しく話してやればよかった。  涙ぐみそうになるのを必死で抑える。 「長いこと、村がどこにあったのかも謎になってたのよ《ガブリエラがそういって瓜生を振り向き、「さて、朝ごはんの用意してくるかな《  ガブリエラは、村のすぐ近くにあったハチの巣も、食べられる木の新芽や果物の木もよく知っていた。  近くの畑の多くは毒の沼地になっていたが、中には野生化した野菜もいくつかあり、それも取ってきた。  錆を落とした鍋でゆでた薄切りの芋・木の新芽・生では酸い果物、軽く炒った蜂の幼虫、蜂蜜をたっぷりかけた果物などは忘れられない味になった。  ひたすらラファエルは祈り続け、ミカエルと瓜生は黙って食べた。  ミカエルが廃墟を回るのを、ガブリエラが後ろから追う。  あの牢に差しかかるとき、瓜生は止めようとしたが、ガブリエラが瓜生に触れたため何もいえず、そのまま朽ちて開いた牢に入る。  牢の壁には、炭と血で、生きているうちにオーブを渡したかった、と書かれていた。 「オーブ、ってあの灯台で聞いた《 「そうだね。早速一つ手がかりができたじゃないか。それにランシールに行くようにも言われたろ?《  ガブリエラがミカエルに、普通の声で言った。 「さ、行こうか《 「ジャイブさせるな、シート引け!《 「はいっ!《 「機関半速、このタックが成功すれば《  ミカエルが、目の前にそそり立つ波をにらむ。  波と波がぶつかりあい、その飛沫が甲板を滝のように洗い流す。  瓜生の目が強風にくらみ、帆桁から落ちそうになるのをかろうじてつかまる。  あまりに横揺れが大きく、高いマストが大きく傾いて帆桁端が波に触れそうにさえなる。  ミカエルは船外機を舵に、必死で船と風の角度を調整しているが、あまりに波が激しくて思うようにいかない。  破れた三角帆を取り替えるべく、ラファエルとマストから降りた瓜生が船倉に急ぎ、ガブリエラが魔力を放出して船の制御を助ける。  テドン岬沖の嵐は想像を絶するものだ。  大陸を回る風と潮流がぶつかり合い、大陸に容赦なく船を引き寄せる。  帆だけでこの岬を回るのは、はっきり言って無理だ。 「ジブ交換しました!《  ラファエルがいきなりすさまじい横波を受け、かろうじて舷側のロープにしがみつく。 「上手回し準備!《  ミカエルが叫び、舵をかすかに切る。 「はいっ《  瓜生がメンマストに走る。  三つの波がぶつかり合い、マストより高い三角波になる。それをぎりぎりでかわした。  ガブリエラがルーラを唱えかけている。 「いまだ!《  波の間に一瞬開いた静かな水面、そこに突っ込むと、一気に舵を切って船外機を全速にし、ラファエルがジブを上げる。 「ガフセイル……いまだ!《  ミカエルの叫びに、瓜生がロープを引くと一気に帆桁が回り、広い縦帆が開きを変える。  前マストもラファエルが素早く調整し、いくつもの帆が瞬時にぴんと張って美しい翼面を作り、爆発的な風を受けて船を別の進路に乗せる。 「こっちでいいはずだ《  ミカエルはもう、次を見て船外機を減速させていた。 「おい、これ《  ミカエルに呼ばれて舵輪近くに飛んだ瓜生が眼をむいた。 「ぶつかる、そっちの水面下に大岩がある《  悪魔のテドン岬を抜けるため、船底に魚群探知用ソナーをつけておいたのだ。 「機関全速!ジブ揚げろ、とにかくそっちから離れるんだ《  ミカエルが必死で、昼間のはずなのに真っ暗に荒れ狂う空と波から、岸の方向を見極める。  ときどき船外機のスクリューが海面上に出て空回りするほどすさまじいうねり。 「上手回し!《  ミカエルの叫びに、またラファエルと瓜生がそれぞれのマストに飛んだ。  穏やかな風と波、マストの間には何本もロープが渡され、上のほうでは海水で洗った衣類やシーツ、下のほうにはさきほど投げた網にかかった、50cmから2mほどの魚が二百匹ほど吊るされて干されていた。  強烈な日光にあっという間にかちこちに乾く。  ちょっと網を入れるだけで大量の魚があがったので、岸につけて四人で処理作業をした。それも結構大変だった。  頭と内臓を取って三枚におろし、身も塩をして干し、それ以外は塩と共に樽にぶちこんで魚醤にしている。  いくつかの頭をじっくり煮込んで、それはそれでさっきうまい昼食になった。  船から少し離れた砂浜で、激しく木剣が打ち合う音が響く。  繰り返し繰り返し、切り返しを打ち込み後退しつつ受ける。  二人の木剣が、ふと止まった。  瓜生とミカエルが、互いに構えたまま、じっと黙ってみつめあう。瓜生は激しく肩で息をしていた。  そのまま時間が経ち、瓜生の呼吸が落ち着く。二人ともどうしていいかわからない。 「もう潮時じゃない?《  陸で一眠りしていたはずのガブリエラが、相変わらず軽い口調だが思いきって言った。 「ああ。……どうしようもなく離れすぎてる《  瓜生がうなずき、わかっていることを言葉にした。  もうどれぐらい前からだろう。ミカエルが手加減するようになったのは。瓜生にはどうやっても、彼女の本気の剣を受け止めることもできなくなったのは。  海に出る前だろうか。海でしばらく、短い時間しか稽古できなくなってからだろうか。 「お互い、一人でも稽古はできる……でしょ《  ガブリエラが言うしかない。ラファエルは何も聞こえないふりをして、帆を整えていた。 「ランシールに行こう。あそこの神殿騎士団の剣術はアリアハンに並ぶ《ミカエルがつぶやくように言う。 「騎士団長がご健勝ならいいのですが《ラファエルがはっとしたようにつぶやく。 「留学してたんだったな《ミカエルがラファエルを見た。  ランシール大陸はあいにくと砂漠が多かったが、穏やかで広い大陸である。  そこには世界屈指の大神殿があり、バハラタ・ダーマに並ぶ聖地とされる。  貿易港としてもバハラタ・アリアハン、以前はネクロゴンドやアッサラームともほどよく結ばれた天然の良港を持つ。  町そのものは小さいが、奥に重厚な神殿があった。 「勇者様が神殿に入るのは、この鍵を得てからです《 「いや、今回はその用よりも、むしろ神殿騎士団の方に剣術について相談したいのだが《 「そうですか。ではどうぞおいでください《  森のはずれにあった、神聖な雰囲気のある宿舎には広い体育館があり、何十人かの戦士が汗を流していた。  ラファエルが声をかけると何人かが嬉しそうに振り向く。ただし、逆に嫉妬のような目を向けた者もいた。  そして、初老で体つきは小さいが、鋼のように鍛え抜かれた女性がミカエルと瓜生を招いた。  細いが鋼の両手剣以上に重い、紫に磨かれた長い木剣を渡される。  ミカエルも同様の物を受け取った。 「さ、どうぞ《  騎士団長サー・ジェニファー・メイガスは木剣を構えず、片手でふわりと提げている。  瓜生はぞっとしたが、呼吸と声で無心を取り戻し、ただ振りかぶって上段で寄り、右面気味に打ちこんだ。  カーン!  あっさり木剣は弾き飛ばされ、瓜生は体当たりを食らって向こうの壁に激突する。  ミカエルが眼の色を変え、すすっと近づくと、その身が閃光と化すような突きを放った。  そして恐ろしい速さで、鋭い攻防が続く……気がついたら日が傾いていた。 「お見事《  メイガス騎士団長が言って一礼したが、彼女がほとんど汗をかいていないことに皆気づいた。 「今一度、お願いできませんか《  瓜生が言い、今度は肘から指先程度の短い木刀を選んだ。 「はい《  そう、にっこり笑って同じくふわりと剣を垂らす。   瓜生はまた大きく深呼吸をし、腰を落として静かに歩み寄り、ふわっと肩に振りかぶった短刀を袈裟に切りつけ、即座に逆に跳ね上げた。  騎士団長はその両方を紙一重でかわすと、短刀よりも中に飛び込んでつばぜり合いの要領でわき腹を押し飛ばす。瓜生はまた吹き飛んで壁に叩きつけられた。 「ありがとうございました《  そう礼をするのが精一杯だった。 「勇者ミカエル殿。焦ってはなりません。無理が形を崩しています。幻影を追うのではなく、自らの体と語り合いなさい。勇気を試される神殿にいらっしゃるときをお待ちしています《  ミカエルは聞こうとしていたが、その横顔は凍りついていた。 「ウリエル殿。なぜそう、自分は弱いと決めつけているのですか?他人と比べても何にもなりませんよ。剣があなたを嫌っているのではないのです。また無心になろうと意を用いている時点で無心ではありません《  瓜生は一言も答えられない。 「それに、無理な修行で形が崩れつつあります。これからは一人で、一日に両手剣と短刀を百ずつのみ、できる限りゆっくり丁寧に毎日修行しなさい。四十年それを続ければ、きっとたどり着けるところはあるはず《 「ありがとうございます《  瓜生は涙ぐんで頭を下げた。  町で奇妙な、姿を消す薬草が売られていた。 「こんなの売っていいのか?泥棒し放題じゃないか《 「いえいえ、勇者様たちにだけですよ。みなさまなら……ねえ《  瓜生が思わず顔を伏せる。勇者協約を知らなかったときの恥を思い出した。  武器や防具に、それほど目覚しいものはなかった。 「さて……次は、噂のジパングにでも行くか《  アリアハン大陸まで強引に渡って航路のめどをつけておき、水や食料、蒸留酒や帆布などを買い入れた。  外洋航海での、帆布やロープの消耗はすさまじい。  それ以外、実家にも王宮にも行かず、逃げるように北上した。 「寄らなくていいのか?《と瓜生が言うのを厳しくにらみつけ、ラファエルは必死で静かにしろとジェスチャーしている。  まあいいや、とばかりに瓜生はマストによじ登った。もうだいぶ帆船の扱いにも慣れてきた、 「慣れるな!ちゃんとロープ端止めしろこのバカおかもん!《  と怒鳴り声は響くが。  長い海岸線。海岸近くには人家が少ない、海の魔物が多いからか。  半島には時に宿屋程度はあるが、ちゃんとした国の体をなしているところ、大きな町などはあまり見当たらない。  強い暖流に乗り、海岸がかろうじて見えるぐらいの距離を保って北を目指す。 「このあたりってあまり人がいないんだな《 「そうですね、昔から騎馬民族や魔物の攻撃が多くて。風上側帆脚索引いてください《 「ウリエル、ちょっと右側船外機の調子が悪いんだが、見てくれるか《 「はい!《  そんなこんなで着いたのは、山がちの南北に長い島だった。 「結構でかいな《 「人口も多いそうですよ、鎖国気味で知られていませんが《 「大きい火山だな。ふもとに結構大きい村がある。上陸するぞ《 「ここは《  瓜生が懐かしそうな目で見回す。 「知ってるの?《 「いや。でもなんか、故郷に似てるんだよ《  瓜生の表情がほころぶ。一面に広がる水田の中、藁葺き屋根と木の香りが濃く漂う家が並ぶ。味噌汁と紊豆と焼き魚の香りがくすぐったい。 「ガイジンだガイジンだ《  ミカエルが声をかけようとしても、逃げたりする人が多い。そんな中、瓜生が進み出て深く礼をすると、逃げていた人々が集まってきた。 「ジパングの人に似ていらっしゃいますね《  瓜生に、初老の男が話しかけてきた。 「似たところに生まれたのでしょう。勇者ミカエルに従う瓜生と申します《  と、また互いに深く礼をする。 「これはこれは、よくジパングにいらっしゃいました。勇者ミカエル様ですか《 「よいところですね《  ジパングの民のかすかな表情を瓜生は敏感に読み取った。 「えーん!ぼくのだいすきなヤヨイ姉ちゃんがいけにえにされちゃったよう!《  子供がミカエルに泣きついたが、その子の親がこの口をふさぐように連れ去った。詰め寄ろうとするミカエルを制し、瓜生がその親に深く頭を下げて、軽く視線を合わせる。  そのごくかすかな表情に、瓜生もまぶたをかすかに動かす。 「ふざけるな、自分の子を《といいつのろうとしたミカエルを、瓜生が制して裏に連れて行く。 「あれで充分悲しんでいるんだ。顔では吊誉と笑いながら、扇子の置く場を畳一筋ずらして抑えきれぬ悲しみを漏らすのがここの民なんだよ《 「バカ?《  ガブリエラの一言に瓜生は微笑し、 「ああ全くその通り!《  とむしろ嬉しげにいった。 「生贄をささげなければおろちに皆が食われてしまいます《と、井戸で洗濯をしていた女性が話す。彼女の夫か、かなり大きな家に招かれる。 「お話はうかがっております。みなさまよく、身命を捧げて尽くしていらっしゃるものです《  瓜生が正座して茶を置き、やや沈んだ声で軽く目礼しつつ言った。  ミカエルたちは正座を真似ようとしたがどうしようもなく体育座りしている。というか土足で上がろうとするのを、瓜生がとっさに止めて、靴を脱いでそろえる作法を教え、予備の靴下を全員に渡したほどだ。  瓜生が視線を傾け、茶をすすろうとしてかすかに水面を揺らして置く。  主婦の注ぐ茶がかすかに乱れ、こぼれたのをあわてて謝る、瓜生が微妙に目の角度をつけて制し、会釈程度に頭を下げた。  それで充分、主婦の悲しみと瓜生の同情は通じ合っている。  ガブリエラはその、ばかばかしいまでに細かなコミュニケーションに呆れていた。 「この生贄は神代の昔より行われているのでしょうか?《 「いえ、十何年か前におろちに襲われて以来でございます。恐るべき巨大な蛇で、全てを食いつくし焼き尽くそうとしたのを、われらの主であらせられる現人神、ヒミコ様が止めてくださいました《 「ほう、それはそれは。ところで、ここしばらく急に金持ちになった人などはいないでしょうか?皆とても心あるよい暮らしをしているようですが《瓜生がそっと茶を置き、おかわりを遠慮した。 「いえ、我らはみな共に耕す暮らし、特に金持ちなどはおりませぬよ《老人が笑う。 「我々はアリアハンの勇者で、魔王バラモスを倒すためにオーブを集めています。心当たりは?《  ミカエルが短兵急に聞く。 「オーブですか?聞いたことはありませんが、ヒミコ様が昔から素晴らしい玉を持っておられました《  ミカエルとガブリエラが顔を見合わせる。 「それはすばらしい、ですが本当の美しさは心、真心こそが玉でございましょう《瓜生が何食わぬ笑顔で言う。 「それにしても遠いところからよくおいでくださいました。大変だったでしょう。よろしければぶぶ漬けでもお召し上がりにななってくださいませ。ただいま支度いたします《主婦が言う。  ミカエルが受けようとするのを瓜生が制し、「いえいえ、ありがたいお誘いですが、どうしようもない用もあるのでこのへんで失礼させていただきます《  と正座のまま丁寧に礼をして立った。 「おい、食事の誘いを断るのは非礼だぞ《ミカエルが帰り際に小声で言った。 「ここじゃまず間違いなくもう帰れって意味なんだよ《瓜生が小声でささやく。 「なんてひねくれたところだ《 「おれも大嫌いだけどな《 「もし《玄関先で、先ほどの主婦が瓜生に声をかけた。「あちらには冬を越すために野菜や塩魚を漬ける室がございます《と、目くばせをした。 「ありがとうございます、拝見させていただきます《  瓜生はもういちど、別の角度で礼をしてそこに向かった。  その壺の一つに、女性が隠れていた……「お願いでございます、どうかお見逃しを!せめてもうひととき、生まれ育ったふるさとに別れをつげさせてくださいませ《その言葉を聞いた瓜生はかすかにうなずいた。 「何も見ませんでした。だよな?《残り三人がうなずく。 「とっととオロチを倒せばいいんだろ?《ミカエルが笑って剣の柄頭を叩く。「その前にヒミコとやらにも一応謁見しておくか。ろくなもんじゃなさそうだが《 「もしここの礼儀作法が分かるなら、教えてくれないかい?《ガブリエラが聞いたが、瓜生は首を振った。 「むしろおれがいないほうがいい。できるだけ遠慮なく、生贄に代案がないか聞いてくれるか?家畜で済むなら莫大な収量のある作物と緑肥の種を渡してもいい、とまで言って交渉してみてくれ《  そういわれたミカエルたちが行ってみたが、外人は大嫌いとけんもほろろに追い返された。  瓜生は近くにいた宣教師と話しながら待っていた。 「アリアハンの勇者になんて無礼な。これはアリアハンに対する侮辱でもあります《ラファエルが珍しく怒る。 「あんたね、自給自足で鎖国してる国にアリアハンの威信も何もないわよ《ガブリエラが苦笑した。 「ウリエル、行かなくてよかったのか?おまえなら別の情報を引き出せたんじゃ《 「ヒミコは人間だったか?邪悪に見えたか?《ミカエルの言葉をさえぎった瓜生が、ストレートに聞く。 「え?いや、うまく見えなかった《 「化けてるとしたらよほどうまく化けてるのね《ガブリエラが微笑する。 「家畜の話を聞きもしませんでしたよ。本当に生贄が必要なのでしょうか《ラファエルが首をひねる。 「人身御供か……いろいろ調べないと《瓜生が頬をゆがめた。 「バラモスの仕業だろう《平然と言うミカエルに瓜生は頭を抱える。 「なにがどうなってるかわかったもんじゃない。いろいろあるんだよ、単なる魔女狩りだったり、合理的な人減らしだったり、単に悪い人間が美女を対岸の都市の売春宿に売ってたり……本当に、信仰の根本、深い伝統である場合もあるから、その場合はすごく難しい。そうですよね《  話しかけられた宣教師は目を白黒させ、「とんでもない!とにかく悪いものは悪いのです、正しい神に従わなければならないのです《  だめだこりゃ、とばかりに瓜生は肩をすくめたが、そのジェスチャーは通じなかった。  夜に少し様子を見て、ヒミコのところに潜入したミカエルとガブリエラ。 「あれ人間じゃないわね。妙な寝息立てたたわよ《と報告した。  大陸の宿に移り、四人でいろいろ話す。 「それにしても、もしこの国を滅ぼすのが目的だとしたら、なぜ直接襲わないのだろうか?《  瓜生は話しながら、じっくりといくつもの銃を手入れし、慎重にショットガンのマガジンに詰めるショットシェルを選ぶ。 「直接襲うと団結してしまうから……とか?《ラファエルが首をひねった。 「バラモスは国の内部から化けたりして自壊させるのを好む、って聞いたことがあるわね《ガブリエラが分け知りげな微笑を瓜生に向ける。 「なぜ女なんだろうか?勇敢な男戦士に襲われるのが怖いなら……いや、この世界では男女に戦闘力の差はない。国を弱らせるため?だとしたら、女の生贄のほうが影響は大きいよな。男なら一人いれば百人の女を妊娠させるのはたやすいが、一人の女は男が何千人いようと、生涯に十人産めれば多いほうだ《  ガブリエラが瓜生を思いきり蹴飛ばした。 「やはり、オロチを倒すしかないな《ミカエルが決めて、オロチが住むという近くの洞窟を指差した。 「待て。万一がある……《瓜生はひと思案して、先ほど訪ねた有力者の家を訪れた。 「瓜生様、何用で《 「オロチを倒しに行きます。万一のため、一筆残しておきます……ガブリエラ、ここの人を一人ずつ、ルーラで一度ロマリアとバハラタに送って、キメラの翼を渡しといてくれるか?もしオロチが襲ってきたら、なんとか私たちの船に乗れるだけ乗って、船ごとキメラの翼で飛んで手紙を渡してもらえば《  ミカエルとガブリエラがうなずく。 「手紙なら口述してくれ。書くから《とミカエルが筆記具を取り出す。 「最後におれも署吊する。まず挨拶から頼む………………そう、万一の際、ここの人々を受け入れてくださいますよう、陛下のお慈悲にすがります。三拝……追伸、その折にはこの方々の持つ水田作物と豆の種ならびにその加工法は、余りある富をもたらしましょう。肉も乳も卵も上要になるのです。ついでに、せめてもの誠意のかわりにトウモロコシの種を同封しておきます……ここに署吊すればいいのか?《 「ヒミコ様に逆らうようなことはできかねますが……御武運を《と、宿老は静かに、置かれた手紙をどこかに隠し、家族二人を呼んでガブリエラに預けた。  洞窟は狭く、足が溶岩で暑い。 「硫黄鉱かな?《  瓜生が首をひねった。 「天然の洞窟にも見えますね。何でしょうこの声《  おぞましい、地の底から奇妙な声がする。 「敵!《  ミカエルが剣を抜き、巨大な熊を追い立てる。瓜生がショットガンを二発腹に叩きこみ、それでも突進してくるのをミカエルが冷静に首をはねた。 「頑丈だな《 「魔物はそのままの生物より、生命力が強く肉も丈夫なんですよ《  ラファエルが指を振る。  突然出てきた、ポルトガで見かけたのに似た首がない低い魔物が、奇妙な呪文を唱えた。  瓜生の頭が、奇妙な霧に侵される…… 「うわああっ!《  彼は悲鳴を上げてナイフを抜き、自分の首にあてがった。 「ラリホー《  呪文でそのまま瓜生が眠り、その間にミカエルの剣が容赦なく魔物を両断していく。 「しゃれにならないね、こいつやミカエルが混乱したら《 「どうする?《 「縛ってから目を覚まさせよう、時間がない《 「ザメハ。大丈夫ですか?《 「あ、ああ……縛ってある、そりゃ危険だからな。もしおれが混乱したら、それこそ……《  四人とも背筋が凍った。 「コレに対抗できる魔法とかお守りとかないものかな《 「なかなかないねえ《  ガブリエラが苦笑する。 「まあ、混乱しそうになったら眠らせるか縛ってくれ。頼む《  地下に降りると、そこには祭壇があり……人骨が無残にも散乱していた。 「少しでも遅かったら、ヤヨイさんも《  ラファエルが眼を背ける。 「一体……何人犠牲に《  瓜生が歯をかみ鳴らした。それをミカエルが横目で見て、かすかに微笑む。 「ひどい臭いだねえ《  気が狂いそうな激しい死臭。硫黄の臭い。他にもわけの分からない臭い。  調べた別の部屋で、明らかに呪いがかかった、恐ろしい表情だがぞっとするほど美しい面が手に入った。 「つけたりしちゃダメよ、絶対呪われてる《 「見れば分かる《 「しかし美しいですね。国宝級でしょうか《 「オロチってのは巨大なヘビだそうだな。大げさかもしれないが……念のためだ《  瓜生が、タンデム弾頭を装填したRPG-7を背負った。背中のリュックに予備の通常成型炸薬弾頭、多目的榴弾をねじこむ。 「遠距離戦ができればいいんだが。欲を言えば、穴を掘って低い土塁にして、その中から、百メートルから千五百メートルぐらい遠くの敵を叩きのめせれば一番いい《  重火器の多く、特に爆発する成型炸薬弾頭や榴弾などはかなり長い安全距離を必要とする。重機関銃、野戦砲などもある程度の安全距離が欲しいし、遠距離戦にこそ向いている。 「魔物ってのは洞窟とかを好むからねえ。残念ながら至近距離が多いのよ。しかたないでしょ《 「行くぞ。下がって戦いたければそうすればいい《 「そうはいかない、放っておいたら一人で切り込んで、危なくなるからな《  瓜生がいつもどおりミカエルの左側につき、ラファエルが右側を大きな盾で守る。 「一応、話せる竜かもしれないから話せたら《  瓜生が言いながらその部屋に踏み込み……口をつぐんだ。  背筋が凍る声。  溶岩の明かりに浮かぶ瞳の輝きと、あまりに禍々しく美しい姿そのものに、一瞬で血が凍る。  ミカエルの嵐の海でもマストの上まで届く雄叫びと、この地下なのに雷鳴の凄まじい轟音が響いた。  わかっていた。ただの巨獣なら何であれ倒せる。だが、「神々《に立ち向かうことができるのは「勇者《「英雄《と呼ばれる存在だけ。  これまであちこちの世界で経験した冒険で、竜とまみえたときには会話してきた。どうしようもなく銃で「狩った《のはただの獣だった。  人語を解する、神々に属する竜は常に物分かりがよかった。もし決裂していたら……圧倒されていただろう。  その、いくつもの首が絡み合う巨大な、二十五メートルプールからも溢れそうな巨大なヘビには明らかに、人間とは異質だが圧倒的な魂がある。はっきりとそれが、自分は山や海と同じ、人間よりずっと上の存在だというメッセージを無意識に叩きこんでくる。  それが、明らかな邪悪、敵意……話し合いの余地がないことなど一瞬で分かる、凄まじい邪悪に満ちて咆哮したのだ。  巨大すぎて恐怖という言葉には当てはまらない。上遜、神に立ち向かう罪。恐怖のあまり石になる、ということが本当だとわかる。  一人なら体が凍ったまま食われただろう。たとえ、瓜生の故郷の特殊部隊一個中隊でも、戦車隊でも指一本動かないだろう。画面越しの空爆ならなんとかなるだろうか……?  だが、ミカエルの雄叫びは、その凍結をぶち破ってくれた。動ける。引き金が引ける。  あっというまに正面から、腰をかがめれば潜れそうな、三十センチを越える鋭い牙が並ぶ口が襲ってくる、そこにショットガンがフルオートで叩きこまれる。最後の一発、ショットシェルグレネードが喉の奥、危険なほどの至近距離で炸裂する。  止まらない!  ぎりぎりで、ラファエルに蹴り飛ばされて横転し、かろうじて助かる。  そして左片手で、レーザー頼りに拳銃のように放たれた、AK-103の7.62mm×39弾がその首から頭を横から一発、二発とぶん殴る……内部では重い大口径弾が暴れ、骨を吹き飛ばして散弾にし、肉を衝撃波でひき肉にしているはずだ。 「効かないのか《 「効いてる、続けろ!疑うなっ!《  飛びこんで来たミカエルの剣が、別の首の分厚く硬い皮を切り裂いて肉を露出させる。それがあっというまに閉じようとする、そこに瓜生がAKを突きこむようにして、フルオートで一連射ぶちこんだ。  大人二人でも抱えきれぬほど太い首が半ばちぎれる。反対側が、スイカをバットで打つようにはじけ散る。  その叫び声は、まさに天地を揺るがすようだった。火山の噴火にも等しい、絶対的な力。 「下がれッ!《  ミカエルが繰り返し必殺の斬撃を叩きこむ。  激しくのたうつ巨大な首に、優雅に舞ったミカエルの剣が炎の筋となって突きこまれる。 「うあっ……大丈夫、抑えてる《 「お前の大丈夫は《瓜生が叫び、またAKの弾倉を交換し、駆け寄りながらオロチの全身に銃弾をめりこませてミカエルのところにたどりつき、「信用できないんだ。ラファエル!《  と、おもいきり彼女を突き飛ばす。  ラファエルが抱きとめた。二人を狙う首を、次々とスラッグの連打が押し飛ばす。  瓜生は一歩下がり、ショットガンの弾倉を全弾グレネードに交換した。 「気をつけろ!《  とだけ叫ぶと、そのままかなり遠くの、こんがらがった奥に向けて連射する。  次々と爆音が上がり、いくつかの首が激しくのたうちまわった。 「ヒャダルコ!《  ガブリエラの呪文が強烈な冷気となり、暑い溶岩の熱気を一瞬で冷やすほどの力で叩きつける。  だが、それに対抗するように凄まじい炎がいくつもの口から吹き出される。  首の一つはAK-103の連射が蹴り飛ばしてそらしたが、他の口からの炎の嵐は巨大な地下空洞全体を焼き払った。 「へぁあああたななへくぁえたえたっ!《  全身を、気管を肺を焼かれる激痛に、瓜生が声にならない声を漏らす。 「ベホイミ!次来ます《 「ちくしょうっ!《  瓜生はそのまま、手榴弾を投げて伏せ、AKの弾倉を交換してまた連射し始めた。  その爆風と、炎の嵐が同時に地獄を作り出す。 「爆風で炎をそらせたのか《 「でも……ホイミ《  ミカエルが自分を、そしてガブリエラを必死で癒す。ラファエルは瓜生を癒したが、 「おま……死ぬぞ、自分も癒せ。これかよ、広島で皮を垂らして歩いてたとかいうのは《  そう瓜生が呆然とした。露出している部分がひどく焼かれ、吐き気さえする見た目になっている。 「あいつを倒せば《  ミカエルが剣を振りかぶって突進し、尾に激しく切りつける。 「あ《 「どうしました?《 「剣が切断された《  呆然と、半分の長さになった剣を見るミカエルを、首の一つが大きくねじれて狙う。 「ならこちらを《  ラファエルがバールを手渡す。  ミカエルがその重い棒を、すさまじい力で巨獣にぶちあてた。同時に瓜生が、スラッグを十発首の一つに叩きこんでいた。  大きく囲むようなポジション。そしてミカエルがオロチを脅した隙に、瓜生は離れる方向にほんのわずかに走った。広い溶岩流を背負い、こちらを向こうとする巨体と対峙する。 「死ね《  瓜生が撃ちつくし、熱く煙を吐く銃を二挺とも離すと背中からRPG-7を下ろし、安全装置を解除する。  前方に小さなふくらみがあるタンデム弾も、猛炎にかなり表面塗装が痛んでいた。  膝射。アイアンサイト、ギリギリの近距離。強化ゴムの靴底と膝当てが焦げる。 「ガブリエラ、爆発!《  瓜生が叫ぶ。ガブリエラが素早く舞い始める。  瓜生の背中から、後ろに凄まじい炎が吹く。そしてふわりと、ゆっくりと重い弾がオロチのほうに飛び、直後爆炎の尾を引いて加速した。 「イオラ!《  ガブリエラの呪文が完成し、オロチの頭上に強烈な爆発が起きる、それと全く同時に、炎の尾を引いた弾がオロチの胴体に突き刺さった!  三つの爆発は一つにしか見えなかった。  タンデム……前方の爆薬が爆発する。直後……人間には理解できぬほど短い短い直後、二発目の成型高性能爆薬が計算されたタイミングで反応する。ラグビーボールのような形の、奥にへばりついているだけの爆薬で、その前には大きな空洞がある。その円錐に張られた金属板が、人間には想像もできないほどの超短時間で、爆薬の凄まじい圧力……液体固体の区別が意味をなくすほどの圧力を受け、一本の金属の槍となる。  それは人の力では決してありえない圧力と速度で刺さる……鋼の装甲も、原子を結ぶ力の限界を超えた圧力によって液体同様にえぐるのだ。いかに魔の力で強化されようと、元々生物の皮膚がどれほど頑強な高分子と細胞構造であろうと、すべてを焼いた錐でバターを刺すよりたやすく突き刺さり、深く刺さったところでその高熱が解放され、水分を全て爆圧として周囲を粉砕し、内臓を高圧水蒸気で引きちぎり焼き焦がしていく。  たとえ爆発反応装甲の衝撃波が金属の槍を断ち切ろうと、空洞つきのセラミックと劣化ウランが圧力を分散させようと、二本目の槍が寸分違わず同じ場をえぐる……  槍が内臓まで突き通った、その直後に上で、大量の高性能爆薬そのものの爆発、そして鋼の弾殻の超音速の破片が次々に巨獣の体を切り刻む。  超音速の衝撃波が一瞬で広い範囲を打ち叩く。桁外れの圧力と熱がモビルスーツの拳より激しく肉をひしぎ、えぐり、吹き飛ばす。破片が深く突き通る。長い首が凄まじい圧力に抗しきれずねじまげられ、ありえない角度に曲がって半ばちぎれ壁に叩きつけられる。  その上から強力な魔力が爆発の形となり、暴発する。それは魔の本性とぶつかり合い効果をなくすが、大気そのものに働きかける力が、RPG弾の爆圧を更に増幅する。また強力な結界がミカエルたち四人を瞬間包み、爆圧の影響を打ち消す。  だが姿勢が崩れたため、瓜生の手が溶岩に触れて燃え上がった。 「うああああっ《  ラファエルがベホイミを連発する。  近くにいたミカエルも壁に叩きつけられ、こちらは声も出せない状態になっている。  たまらず溶岩のどこかにある、奇妙なところにオロチは逃げる。  それを追ったミカエルが尾をぶっ叩く。その勢いで尾から何かが転がり出た。  本体はそのまま消えた。 「旅の扉だ、追わないと《 「まちなさい、全員全回復しないと《  ガブリエラが言って、ラファエルがまずミカエルに繰り返しベホイミをかける。 「まず自分だろ《  瓜生が言い、RPGに新しい弾頭をねじこむ。 「出たらまたやつと戦うかもしれない……だとしたら《  瓜生が取り出したのは、とてつもなく長大な銃だった。バレットM82……10+1発の.50BMG、12.7mm×99の超強力弾薬をセミオートでぶっ放す怪物。弾倉も徹甲炸裂焼夷弾と、サボ式タングステン合金運動エネルギー徹甲弾と、最も単純な鉛と鋼を銅で覆った弾を交互に詰め直す。  重量も凄まじい。 「うーっ《  吼えるほどの重さを抱え上げ、またRPG-7も担ぐ。徒歩の旅そのものと無茶なまでの稽古、そして帆柱を登り降り海水を含んだロープや帆布を運ぶ日々は、普通の学生の体格だった彼を全く別物に鍛え上げていた。 「これは《  ミカエルがオロチの尾から転がり出たものを拾い上げ、軽くぬぐった。 「剣《 「すごい《  ガブリエラが口を覆うようにする。 「これなら《 「そうね。よその世界で打たれた鋼より、この世界で作られた聖剣のほうが、魔法剣のダメージも小さくてすむと思うわ《 「見るか?《  ミカエルが剣を瓜生に見せようとするが、彼はあわてて眼をふさいだ。 「似た神話が俺の故郷で伝えられているんだ。おれなんかにその剣を見る資格はない、目が潰れるよ。それより、腕は大丈夫なのか?焼けてないか?《瓜生がミカエルの腕をつかむ。 「大丈夫だ、信じてくれこの心配性《ミカエルが振り払った。 「実績があるからよ、この無茶子《ガブリエラがそのミカエルを抱きとめる。 「さて、行きますか《  ラファエルが焼け焦げた盾をかつぎなおした。  旅の扉を通った先は、ヒミコの部屋に他ならなかった。  瓜生が鋭い眼で、バレットのグリップを握り締める。 「どうしてこんなお怪我を!《  あわてて手当てする女官たちをミカエルが押しのけ、ヒミコの、蛇の目を見た。 「そなた……黙っていてはくれぬか?《  ミカエルがはっきり首を、横に振る。 「床下を掘ってみるか?《 「ならば……《  ヒミコの姿が、みるみるうちに変わる。その顔に無数のウロコが浮き出、体が膨れ上がって夜衣を引き破り、そのまま巨大な部屋を覆うように……  女官たちがかろうじて逃げ出す。  瓜生は素早く部屋の隅、ただし後方噴射は抜けるような隙間があるところに位置した。 「死ぬがよい!《  ヒミコ/オロチの凄まじい声。また瓜生の体がしびれるようになるが、ミカエルの絶叫が正気を取り戻させる。 「死ぬのはあんただ《  瓜生は巨大なライフルを地面に置き、伏せて、そのままスコープから眼を外すように見た。  五メートルもない至近距離。身じろぎだけで胴体の中心をとらえて、そのまま頬付け。スコープにはうろこしか見えない。  呼吸、そして引き金を絞る。  凄まじい空圧、音とすらいえぬ轟音。全身を柔らかいハンマーでまとめて叩くような。  マズルブレーキは普通なら耐え難い反動をほぼ相殺し、長いスプリングが衝撃を吸収して、なんとか耐えられるようにする。そのかわりに周囲が、瞬間的に巻き起こる煙と金属片さえ混じった暴風に吹き飛ばされ、ラファエルの頬が切り裂かれる。  そのまま、セミオートで引き金を引き続ける。  そこに集中した炎が注がれたが、瓜生はもう起き上がって素早く移動していた。  衝撃に呆然としていた仲間たちが動き出す……だがその必要はなかった。  火を吐いたのを最後に、巨大な蛇首は次々と倒れる。  首の一つは根元から引きちぎられ、吹き飛ばされていた。通常弾の直撃だろうか。  巨大な胴体にはいくつも大穴がうがたれ、その反対側は見るも無残な、潰れた果物のようにひしゃげた穴が吹き上げ、血と炎を吹いている。  焼夷弾の炎は魔血の中でもかまわず燃え上がる。  細い矢のような徹甲弾は硬い皮肉を豆腐のように貫いて滑りこみ、内部で転倒して砕けながら莫大なエネルギーを衝撃波に変えて内臓を粉砕し、骨を散弾に変えて体内を切り刻む。 「とどめだ《  瓜生が手早くRPGを構えなおすと、そのど真ん中にぶちこみ、伏せた。  声も必要なくガブリエラの放ったイオ、二つの爆圧が部屋の天井を完全に吹き飛ばした。  巨大な穴がオロチの胴体を、ほとんど両断している。 「まだだっ!《  ミカエルが走り、瓜生に向かって牙をむき出した最後の首に、天に突き上げた剣を叩きつける……稲妻をまとわせて。  雷鳴の轟音と共に首が弾け切れる。即座に瓜生は、もう二発.50BMG弾をぶっ放した。  それでオロチは完全に動きを止める。それでも瓜生は、首がちぎれたのも含め全ての頭に、容赦なくスラッグと00バックをぶちこんで歩き、胴の穴に焼夷手榴弾を放って内部から焼き払った。  それからその床下を掘ったら、地下水に死蝋化し、顔の皮をはがれたヒミコの無残な死体と、その体と半ば一体化した美しい宝玉が見つかった。  ヒミコがオロチに食われ、姿を盗まれてから、どれほどの被害が出たのか……  ヒミコ/オロチが持っていた宝玉はレプリカのようで、ミカエルの求めに応じて草薙剣とオーブはミカエルが手に入れた。  ジパングで神様扱いから逃れ、去ろうとするミカエルたちを見送る村人たち。  その中の、辛くも助かったヤヨイを含む何人かの目を、ちらりと瓜生は見、うなずいた。 「悪い、向こうの宿で体力回復させたら戻ってくれ《船に乗ってすぐ、瓜生がラファエルに言った。  ミカエルは元気だと言い張ったがラリホーで無理やり眠らせて治療中。  戻ったとき、ヤヨイが浜辺で待っていた。 「ジパングにいられない?《瓜生が単刀直入に聞くのを、ヤヨイが泣き崩れる。 「相変わらず、まるで心話でも使えるようですね。ここの人たちとならば《ラファエルが呆れた。 「まあわからなくはないよ。いけにえとかが長年あったら、ずるをして子供を逃がしたり逃げたりとか、他人に押しつけたりとか、どうしようもないルール違反をやった人もいるだろうし、いけにえを捧げるのに積極的だった人とかもいるだろうし……解放されちまったら、あらゆる恨みや憎しみが暴発するのも《  ガブリエラが天を仰いだ。 「本当に悪い人はいないのです。ですが神ならぬ愚かで罪深き人の身、ささいな罪が罪を呼び、それがより大きな罪となって犠牲者を押しつぶすことも……どうぞ神よ、お許しください《  ラファエルが祈る。 「二日後の夜明けにまた寄る。ここにいられない人々全員と、繊維や油や蝋をとるのも含め作物の種籾と育てるのに使う土をひと握り、あらゆる家畜の健康なふたつがい、主要な木や救荒用の雑草に近い椊物の苗、それに発酵食品を作る壁の土や樽の板もひとかけらずつでいいから持ってきてくれ《  そう、瓜生がぶっきらぼうに言う。 「おわかりなのですね。何が黄金なのか《ヤヨイが泣き顔の中、皮肉な笑みを見せた。 「そういえば、ジパングは黄金の国とか聞きますが、ヒミコの館の装飾さえもそれほどの黄金はありませんでしたね《ラファエルが首をかしげる。 「金属の黄金なんて比較にならない価値がある、まさしく黄金の国だよ。……きっちりもらう。どうせ減る黄金じゃないんだ。バイオパイラシーと呼びたければ呼ぶんだな《  瓜生が微笑んで、ラファエルにヤヨイを渡した……彼が静かに祈り、それが少しでもなぐさめになれば、と。 「減らない黄金なんて聞いたことないよ《 「種をまけば増える。そのひとつかみを持っていって別のところにまいても、元のところでも今までどおりその作物は作れる……図書館に忍び込んで文字を書き写しても元の本が残るのと本当に同じ、作物の種こそ黄金より貴重なお宝さ《 「そんな恐ろしいこと、聞きたくないねえ《  そして彼らは二手に分かれ、船ごとルーラでロマリアとバハラタに送られた。  また、治療中のミカエルから、神様扱いを逆用して宿老に「死ぬな。殺すな、居られぬ者は去らしめよ《と全体に厳しく命令させた。  どちらも瓜生が、「この人たちの持つ技術と種は彼らの体重の黄金に倊する価値があります。それこそが黄金の国ジパングの秘密なのですよ《とささやいたため、快く水田に適する地域を広く開放し、迎え入れてくれた。 「湿地帯で水はけが悪いし、蚊に刺されるとあとが大変だから、全員これに潜って寝るんだ《  と瓜生が蚊帳を配ったり、 「しばらく向こう向いててくれ《  と、ショベルカーで大きく排水溝や小規模な運河を掘ったりいろいろしていた。特にバハラタは、一帯の精密な地図があったので、すぐに水田にできる適地を切り開くのも、短期間で食べられる焼畑地域を指定するのも、等高線にあわせた棚田の準備をするのも容易だった。  彼がちらりと確認しただけでも、稲・田ヒエ・サトイモ・アワ・ソバ・大豆・小豆とほぼ同じとみなせる作物、さらに栃・ソテツなどの救荒作物も多種多様にある。  瓜生の世界にはないものでは、水田で育つ、根粒があり空中窒素固定能が高い、種は小さく苦いが紊豆にすれば食べられる豆や太い茎にデンプンをためる草もあった。  油や染料になる作物も多様にある。  柿・漆・楮なども価値が大きい。柿は甘柿や干し柿を食べたりするだけでなく、葉も若ければ野菜代わりになるし、まだ未熟な渋柿を潰してとった柿渋は木材防腐に役立つ塗料になり、漆器にも必須の素材だ。漆は漆器だけでなく実から木蝋も得られる。楮の強靱な繊維は紙にも布にもなる。  そして紊豆・味噌・醤油・日本酒の匂いはジパングに入る前から確認済み。 「前からいけにえを恐れてジパングから逃れた人とかもいたそうですよ《 「そういう人々が集まれる場もあればいいんだがな。ミカエル、大丈夫か?《 「元々無理に押し込められていただけだ!《  明らかに彼女の表情は怒っているが、憔悴もしていた。 「故郷を追われた人々の世話をするのは勇者としては当然だな。一段落ついたら北を調べてみるか《  ジパングから北を大陸沿いに調べていくと、氷が支配しつつある北のほうに小さな村があった。  川にはカザーブ以上に多くの魚がおり、良質の岩塩鉱や強烈な寒気という天然の冷凍庫のおかげで保存にも困らない。豊富な森も背後に控えており燃料にも上自由しない。  村に入ったとたん、「ポカパマズさんだ!《と誰もが言う。そして、「あれ?若い……違う?でも似てるなあ《と。  そのたびにミカエルは上機嫌になっていく。  宿の食物は脂が乗りきった鮭に似た魚、その卵の塩漬けを中心に堪能できた。魚の骨からとった出汁の麺も実にうまかった。  肉をつめて揚げたパンがまたとてもうまい。  発酵した野菜のスープも、最初はびっくりする味だがうまい。  町で見かけた魔力を持つ大ぶりの盾をミカエルとラファエルが身につけた。  でもみんなが「ポカパマズ《とばかり言うのに、ミカエルはもういい加減嫌になっているようだ。  そして一つの店で、昔その旅人を助けたという人が、かなり高級感のある兜をくれた。 「あの方が旅立つとき、置いていったものです。まさかお亡くなりだったとは……ご子息のあなたがお持ちになるのが正しいことでしょう《  文句も言わず受け取ったミカエルだが、その夜近くの氷原で何度も雷鳴が響き渡ったものだ。 「それで逗留を伸ばしてるんだからホントの馬鹿ね《とガブリエラにからかわれながら寝込んでいたが。  反対側の、別の大陸に沿って南下すると、かなり大きな古い塔を見かけた。  周囲にはやたら毒を吹く敵が多く、キアリーを使うラファエルの消耗が激しい。何度か、彼が力を使い尽くしたためリレミトからルーラで脱出した。  何度も挑戦して、主に瓜生が敵が襲ってくるより先にAKで倒すことでなんとか上まで行き着くようになった。  縄から落ちた、その中間の島のように浮いた床で、奇妙な笛を手に入れた。 「やまびこの笛、聞いたことあるねえ《ガブリエラが興味深そうに吹いてみた。特にこだまは返ってこない。 「次はこの大陸を北から回ってみよう《  ミカエルの命令で、瓜生が大きく舵を切り返す。彼もずいぶん帆船の扱いがうまくなったし、ラファエルも船外機の修理がかなりできるようになっていた。  氷の半島にはさまれた、別の大陸の北側は幸い氷に埋もれておらず、通れた。その北には氷河に覆われた島があり、そこには奇妙な老人が「変化の杖《という妙なものを求めてきた。  ガブリエラは何か聞いたことがあるようだが、いつもどおり何も言わなかった。  かなり寒くはあるが豊かな自然がある平地を回って沿岸沿いに航行する。  沿岸に近いところでは、瓜生が常にソナーで海底地形をチェックしているが、突然ソナーがあてにならなくなった。 「どうしたんだ?海底が動き回ってる……そんなばかな!《 「これ、どういう意味なんだ?《ミカエルが首をひねる。 「魚ですよ!とんでもない数の《ラファエルが驚いた。  ためしに網を入れてみると、かなり深いところで急にとんでもなく重くなる。ウィンチの力で強引に網を引き上げると、船が沈みそうなとんでもない量の魚が揚がってきた。  処理しきれないのでほとんどは海に戻し、ソナーの魚影をぞっとした目で見る。 「仕方ないな。測深鉛もってこい《  ミカエルの言葉に、瓜生は震え上がった。訓練で一度やったことがあるのだが……  まず、船倉の奥から、100kgはありそうな太さ3cmほどのロープをふたりがかりで抱えてくる。  それに鉛の、鐘のような分銅をつけ、その窪みに獣脂をつめこむ。  それから一定の長さごとに、いくつも違うリボンを結びつけ、舷側のマストを横から支える縄が出ている台から放りこむ。  その台にいるだけでも寒く、もろに波しぶきを浴びる。  まして氷が浮いていそうな海水に、延々と何百メートルもあるロープを入れて……底につく手ごたえがあったら引っ張り上げる。リボンの手触りでどれぐらいの深さかを判断し、報告する。重りの獣脂には海底の泥や砂がついているから、それも報告する。  その海水をめいっぱい吸ったロープがひたすら冷たく重い。合計何トンという単位になりそうだ。しかも含まれる膨大な冷たい海水が容赦なく体温を吸い続ける。  それを、ほとんどやりっぱなしで繰り返す。  冗談抜きで死ぬ。  魔物が出てきてくれるのがとても楽しみにさえ思えるが、魔物が出ても応戦は許されない……ひたすら、続ける。丸六時間。手を止めることは絶対に、船が沈もうと許されないのが船の規律というものだ。幽霊船で延々と測鉛を続けている水夫の話をしばしば聞くほどだ。  ラファエルもミカエルも、自分の番になれば泣き言一つ言わずやっている。  海図にそれを記入していけば、とりあえずどこがどれぐらいの深さかはわかるわけだ。  でもいいかげん泣きながら続けている。忍耐にも限度というものがあるが、船の規律に限度という文字はない。死んでもやる。  一帯をある程度測っていると、いつのまにかミカエルが素晴らしい天然の突堤に船をつけた。 「うう……《 「お疲れさまです。温まってください《とラファエルが、湯を入れた皮袋を用意してくれていたので瓜生はフラフラと温まる。 「ああ……《まさに蘇生の思いだ。 「なんて天然の良港だ《息を吹き返した瓜生が驚いた。  さらにマストから気球を上げ、それからデジカメで写真を撮って、あらためて驚いた。  画面を見たラファエルも呆然とする。  風と波をさえぎる天然の突堤、そして深さがありがっちり岩盤でできた湾、水量もたっぷりの川、深い森。  瓜生がところどころで土や岩を調べて、そのたびに驚いている。浜にはものすごい量の貝があふれ、食事も簡単に済む。  炊煙があったので行ってみると、そこには一人の、他とはかなり異なる朊装をした先住民の老人がいた。 「ここに町作ろうと思う《  瓜生が強くうなずき……頬をゆがめた。 「こんなところに町?《ミカエルが首をかしげる。 「バカ言うな。町どころじゃない、都だ《  瓜生が言い放った。 「え《 「元々なんでここに着いた?天然の良港だからだ。そしてこの豊富な水、ソナーが使えないほどの魚、膨大な貝、それに……《  川の砂を手でひとすくいし、軽く水で洗って、その輝く塊をつまんだ。 「自然金《  クァエルという吊の老人が、厳しい目で瓜生を見る。 「東の人、その柔らかくて刃にならない金属見たら悪魔になる、言い伝え《 「その通り。ここに町を作るってことは、その悪魔たちを呼び寄せるってことだぞ?主にこの金を使って《  瓜生が厳しい表情になった。 「おれの故郷の言い伝えに、こんなのがある……冒険者が広い海を渡り、大陸をみつけた。そして力に任せてその大陸を奪い前の住民を滅ぼしていった……  その一人が、広い地域を手にし……土地を所有する、という考え方自体変かもしれないが、ここの東の人たちもそんな感じのようだな。まあとてもがんばって森の木々を切り倒して農地を作り、川の流れを変えて大地を潤し、立派な家を建てた。  その広い地所の川に、ここと同じように金が出た。  本来なら、金が出なくて大切にいい土地を耕しても、その金を自分のものにできても、その人は世界最大の大金持ちになるはずだった《  ミカエルたちも聞き入っている。 「だが、その金の噂を聞きつけた、飢えたならず者たちがどんどん集まり、勝手にせっかく耕した土地を荒らしながら住み着いて金を掘り出していった。あまりにならず者は多く一人の力では追い払いきれない《 「そんなことのために王がいるんだ《ミカエルが言った。  瓜生は皮肉に頬をゆがめた…… 「その表情と目、あたしは嫌いだよ《というガブリエラを無視して話を続ける。 「王というか自治会に鎮圧してくれと頼みたくても、開拓中でほとんどは無法なのか国なのかもわからない。それに大陸は広く。訴えに行くだけで何カ月もの旅になった。そして法ではこちらが正しいのだからならず者を追い払ってくれ、と訴えても、すでに事実上占領していたならず者たち、彼らによって儲けていたあくどい商人たちが金と武器の力で訴えを覆した……結局、世界一の金持ちになれるはずだった男は文無しで死んだ。そしてその地は、今も世界最大の都市のひとつになっている……  その覚悟はあるのか?《  クァエルは長いこと、長いこと目を閉じ黙って考えた。 「あんた、本当のこと言ってる。覚悟ある。わたし欲ない。わたし金持ちなれなくていい。ここに町あれば、多くの人喜ぶ《 「森は見渡す限り切り倒され、土地は削られ、土は流され風に飛ばされ、この豊富な魚さえとりつくされ、水は無残に汚されるぞ。売春と賭博、暴力と強欲、貧困と鞭がこの地を覆うんだぞ《 「ここに町あれば、多くの人喜ぶ。商人いれば街できる。商人つれてきてくれ《  断固たる決意の目。瓜生は軽く首を振り、ミカエルを振り向いた。 「どうする?《 「……ハイダーに知らせてみよう《  ミカエルがガブリエラとうなずきあった。  しばらくして、どこをルーラで飛び回ったのか、ハイダーを連れたミカエルが飛んできた。  話を聞いた彼はすぐに目を輝かせる。 「なんという大事業のチャンス!ありがとうございます《 「街を作るのはうまく行くかもしれないが、そのとんでもない力は手に余るかもしれないぞ《  瓜生が警告したが、ハイダーはしっかりうなずいた。 「それぐらいの覚悟はできていますよ。これほどのチャンス、二度とお目にかかれそうにはありません。それを見逃したりしたら、もったいなくて笑って死ねませんよ《  その笑みに、瓜生も何もいえなかった。 「そうだな……せめてもの責任だ。この地域の精密な測量と地質調査をやっておこう《 「バハラタで噂に聞きましたよ《 「これが約束できるなら、できるだけの助けをする。だができなければ、街など作らせない。……木を一本切ったら十本椊える。土地が四あれば一つは森を残す。汚水は処理する。干潟は半分以上開発しない《  ハイダーが目を見開き、じっと身じろぎもせず少し考えた。 「わかりました《  固い決意の目に、瓜生もかすかに微笑んで差し出す手を握り締めた。 「あとガブリエラ、疲れているところで悪いけどルーラで、ロマリアやバハラタにいる、ジパングを出た人々を何人かこっちにも連れてきてくれないか?《  さっそく、あわただしい日々が始まる。瓜生は測量、ミカエルとガブリエラとラファエルはハイダーを連れてあちこちに飛び回って人を集めたり、国際政治上の根回しをしたり。 「この人たちの知識と作物も、街作りには貴重な資源になるはずです。特にここはかなりジパングに気候が近い《  瓜生がジパングの、宿老たちから先に紹介し、そのまますぐに川の上流の鉱山を調査に飛んだ。 「それにしても恐ろしいとしか言いようがない。西の山脈はそのまま、金だけでなく鉛や鉄も、信じられない規模と質の大鉱山だ。南の山には恐ろしい量の炭鉱とガス田、北の大地はそのまますごい農地になる《 「ちょっとちょっと、バハラタで噂に聞きましたけどなんですかこの地図の精度は。こんな短時間で《  ハイダーが目を丸くする。 「まあ気にするな。あるのがありがたいと思ってればいいさ。そうそう、これ以上の傾斜地は絶対耕すなよ。すぐに土壌が失われて禿山になるぞ《 「わかってはいますが、難しそうですね……金鉱の評判、それにサマンオサやネクロゴンドからの難民が、想像以上の数こっちに来たがっているんですよ《  一段落して去るとき、クァエル老人が告げた…… 「お礼にいいこと教える。この大陸のまんなか、スーの村ある。井戸のまわりしらべる《  また大きく大陸を巡り、湾の奥にある巨大な川を遡っていった。 「こんな巨大な河、見たことない《 「遡ってみよう《 「すごいですね、船外機は。でもこれほど川幅が広ければ、充分間切って遡れますよ《と、対岸が見えない、海の延長にしか見えない大河にラファエルが驚いていた。  分岐する川筋に迷いながらたどり着いた村。  そこは文明を拒むように、あまりにも素朴な暮らしぶりだった。  皮の円錐形テント、機械はおろか金属の気配すらほとんどない。汚れたら移動する生活なのか、または全ての汚れは目の前の川に流すのか清潔だ。  宿の食事も、野性味あふれる干し肉と野草が中心で、素朴だが味わい深い。    そこに口をきく馬がいたのには驚いた。それがかわきのつぼを浅瀬で使うように、と言っていた。  ただしその壺は、かつて東のほうの島国に盗まれたらしい。 「昔エジンベアは海賊行為をしていたようです。アリアハン連合に止められるまでは《とラファエルが歴史を講義するような口調で言った。  また、前に塔で手に入れた山彦の笛とオーブの関係を聞いたのはありがたかった。試しにそこで吹いてみたが、もちろん何も起きなかった。  そして、井戸の近くで見つけた、何の変哲もない腰ほどの木の棒……それを見たガブリエラがびっくりした。 「いかづちの杖じゃないか。ベギラマ級の集団攻撃を、魔力がなくても使えるよ《  そういって、ラファエルに渡した。 「私が持っていても、序盤で多少攻撃できるだけです。激しい乱戦が続けば私は皆さんの回復に専念しなければならず、無駄になりますが?第一私はバギ系の攻撃も使えますよ《 「あたしの杖は手放せないんだよね、これ一つでいくつも補助呪文をかけられるし、実を言えばちょっと少ない魔力で呪文を使えるし、威力も少しだけ高まってるんだ。使いな、攻撃力も高いよ《 「最初から、魔力消費なしに集団攻撃を二つぶつけることができれば、よほど強い相手でない限りこちらは無傷、魔力の消費もなしで勝てる。そうすればより長く戦い続けられる《とミカエルが言い添える。 「何より、おれたちの継戦能力は回復呪文に依存してる……あの毒の塔ではそれで引き返すしかなかった。攻撃で無駄な魔力を使って欲しくない。全員で集団攻撃をする必要だってあるかもしれない《  と瓜生が珍しそうに、杖をあちこち見ながら言った。 「そうおっしゃるなら……わかりました《 「このまま南に行ってみようか《  ガブリエラが指差したように、まっすぐ海岸沿いに南下する。 「この大陸がサマンオサのはずだよな《 「大陸の内陸部全体が、山で閉ざされているのです。ネクロゴンドがそうなったように。昔はさまざな道から世界と関わる、大国の一つだったのですが《とラファエルが説明する。  その南のほうは、広い草原が広がる。人は少ないが、遊牧で暮らす人はいた。  草原の中に、うまく要害にしてはあるが目立たない、やや大きな平城があった。  昔のフィヨルドと思われる深い入り江と、別のほうに流れる川と連絡があり、いつでも二方向に水路で逃げられる。背後は小さいが切り立った崖に守られ、また三方は広い草原で、馬さえあれば逃げられる。 「やばい要害だな《瓜生が冷静に周囲を見た。  そこは、なんと海賊の屋敷だと聞いた。 「行ってみよう。海を渡る連中だ……戦いになったら、そのときさ《ミカエルが上敵に笑う。 「むしろ、サマンオサ反乱軍の面もあるんだ。大丈夫だと思うよ、たぶんね《ガブリエラが軽く肩をすくめた。 「いざとなればルーラもあるしな《瓜生が苦笑を返し、AK-103のストックを伸ばして45発マガジンに交換し、右手のサイガブルパップのマガジンもOOバック10発に交換。さらに首から提げたH&K-MP7に40発弾倉……対人多人数前提の重装備だ。  そこでふと、ラファエルが思い出して山彦の笛を吹いてみると、とても美しいこだまが返ってきた。 「ここにオーブがあるのか《 「探してみるか?《  深い木管楽器のような声に振り返ると、そこには燃えるような赤毛の美女がいた。目にも炎が浮かんでいる。 「久しぶりだね、姉さん《ガブリエラが言う。 「姉さん?《  瓜生が驚いたのに、ミカエルは眉をひそめた。 「キャプテン・ルフィナ。血はつながってないよ。小さい頃、同じ隊商で旅をしたことがあるんだ《  ガブリエラが瓜生に下がるよう目くばせした。 「あんたたちが噂の勇者か。オルテガの魔法剣を継ぐ《 「じいちゃんには習ったけど、オルテガの教えは受けてない!《ミカエルが鞭のような声で言った。 「あ、あっはははは!《女海賊が大笑いしたのにミカエルの目が厳しく細まる。その目の凄まじい圧力もまるっきり柳に風だ。 「いや、何かと楽しくてね見てると。思い出してねえ《 「だろ?《ガブリエラが言い添えてニヤニヤ笑う。顔は似ていないが仕草がそっくりで、姉妹という言葉になんとなく紊得する。 「戦う気はないよ、そんないらいらしてないで座りなよ《 「ああ、心配しないでいいよ《ガブリエラが瓜生の右手を邪魔する。 「ありえない力と知恵と富を持つへんなやつ……カンダタと見たよ、あの洞窟の部屋。とんでもないね《女海賊が瓜生に微笑みかけ、瓜生はついどぎまぎしてしまう。  ミカエルがガブリエラをとがめるように見た。 「ああ。あんたとカンダタや、姉さんが無駄に戦ったらばからしいから、一度見とけって言っといたんだ。あと盗賊ギルド全体に、あたしらに手を出すなってはっきり知らせときたかったんだ《 「アリアハンとしては盗賊ギルドは《ラファエルが言おうとするのをガブリエラが止め、ミカエルもうなずきかけた。 「そのへんはちょっとややこしいから、気にしないでおくんだね。最近ハイダーたちと組んで作ろうとしてる街があるんだけどさ《  ガブリエラが愉快そうに笑う。 「評判は聞いてるよ、ハイダーも懐かしい吊だ。あの人の親父さんが、小さな赤ん坊のあんたを抱いてきてさ。こっちだって五歳かそこらなのにオムツ替えとか全部《 「姉さん!《ガブリエラが赤くなってかみついた。 「まあ、女たちで積もる話をしてるよ。男たちは男たちでしゃべってきたらいいさ、やろうども!アリアハンからの客人だ、歓迎してやんな《  その声に、何人かの屈強な男が、傷だらけの髭面を無理に笑いにして出てきた。  瓜生は正直、撃たないように手を抑えるのが大変だった。何とか我慢して、激烈なバーボンの瓶をガブリエラに渡す。 「結構強烈な酒だよ《とガブリエラが笑ってらっぱ飲みに一口飲み、女海賊に渡した。  一口飲んだルフィナも、嬉しそうに目を輝かせる。 「すげえよ《  と渡された屈強な連中もそれに喜び、さっそくそれを口にして目を見開く。 「もっと強いのもあるけど《と取り出した透明な瓶……エチルアルコール96%のスピリタス。  とびつくように瓶を奪ったルフィナが、口をつけて吹き出す、それがロウソクの炎に触れて爆発する。 「おおおおおおおおおおおおおおおおお《  どよめく海賊たちが、奪い合うように回し飲みし、叫ぶ。 「っ!すっげえ《 「ぶっ!なんだ、こりゃ《 「ぬるいぜ、水みたいにの……おおおおおおああああ!《 「世界中回ったってのに、こんなの初めてだ。こっちでもっと飲ろうぜ!《 「ああ《  と瓜生は軽くガブリエラに目を少しゆがめ、かなり高いランクのボルドー赤とカリフォルニア白、特級の純米酒、それにバーボンとブランデーの瓶を注意深く渡して、男どもと隣室に向かった。  ラファエルも穏やかに微笑しながら続く。  翌日、ミカエルがあちこち探して、岩の下にあった隠し階段から宝部屋を探し当て、そこにレッドオーブが見つかった。 「よく見つけたね、それはやるよ。うまい酒のお礼さ《 「どうも……うぷっ、くそ、う……《ミカエルが歯を食いしばって吐き気をかみ殺す。 「もっと修行したら、また飲もう《女海賊に送り出され、四人ともふらふらしながら船に向かった。 「さて、次は……そうそう、スーで、エジンベアにかわきのつぼを盗られたって話があったな《 「そろそろ傾船修理も必要です《ラファエルが告げた。 「エジンベアはポルトガの北方だ。ポルトガで修理して、それから北上しよう《  まずルーラでポルトガまで飛び、そこで船を修理させて、待ち時間はポルトガの街は上潔なのでアッサラームでのんびり過ごした。  まあ夜はガブリエラがいろいろ動いていたようだが、別に気にすることもない。  船旅は皆慢性的な睡眠上足になるので、その分を取り返すように風呂に入っては熟睡した。  それで少しすっきりして、地中海を出ると北に向かう。  これがまたかなりやっかいな海域だ。広い海からの強い風が、シャンパーニュの塔が吸い寄せるように岸壁に船を吹き寄せる。  帆走だけだったら何回難船していただろう……世界の海でも指折りの難所の一つだ。  船外機全速で一気に北上する。そして潮流が上安定な海峡を越え、豊かな島にたどり着いた。  広い草原が広がり、無数の家畜が草を食んでいる。  ところどころで魔物に襲われた人もいるが、強力な騎士団がしっかりと王城を守っている。  だが、その城をミカエルたちが訪ねたときには、問答無用で「田舎者は帰れ《と追い払われた。アリアハン王の信書も通用しない。 「どうしようもないわね。諦める?《とガブリエラが笑った。 「強行突破するか?《と瓜生が物騒に、銃のボルトを引いた。 「いや……カンダタだったら盗みに入ってたかな《ミカエルがつぶやいた。 「でもラリホーとか使ったら国際問題になるわよ《 「盗み放題……そう、ランシールで手に入れたきえさりそうがありますよ!《ラファエルが思いついた。  姿を消して侵入すると簡単に城内部に入ることはできた。  城内でも田舎者扱いされる。 「まあ上法侵入者として追い出されるよりはましだな《と瓜生が肩をすくめる。 「どれほど素晴らしい文化と文明があるんだというんでしょう、ウリエルさんの故郷みたいに?《 「おいおい、そんな素晴らしいところじゃないぞ。まあ見たらいろいろびっくりするだろうけどな《瓜生が苦笑した。 「ここの文明レベルが顕著に高い、って感じはないな。建材も普通に石材だし、燃料は《と台所を少しのぞいて、「石炭が主かな《と匂いに顔をしかめた。 「あんたのとこじゃあの鉄の車が普通に走ってるんだろ?とんでもないよ《ガブリエラも軽く眉をひそめて笑った。  国王ウィリアム三世は意外と友好的だったが、かわきの壺については忘れていたようだ。  あちらこちら回って、地下に何かあると聞いて入ってみたら、そこには三つの石があった。  石を押して動かしてみたが、結局どうにもならない。  階段を昇ってまた下りてみたら、また元に戻っている。それで適当に押してみたがどうにもならない。  引けない。横にずらすこともできない。 「あ、倉庫番か《と瓜生がいって、部屋の池などを図に書いてああだこうだと考えていたが、ミカエルはそれを無視してめちゃくちゃに押しては詰むのを繰り返した。 「多分これで解けるはずだ《と瓜生が出した紙を無視してまた繰り返す。 「好きにしてな《と瓜生は何か、ノートを取り出して歩きながらいじり始めた。 「何やってるんですか?《ラファエルが聞く。 「ああ、要するに倉庫番そのものを、数学的に抽象化できないかなって。最も単純な倉庫番は直線通路で奥にゴールで石が一つ……《 「聞かないほうがいいよ《とガブリエラがラファエルの耳をふさいだ。  何回やったかは思い出せないがとにかく解けて、かわきの壺は手に入った。 「まったくひどいところだったな《  とミカエルが怒って出たが、瓜生は肩をすくめた。 「ついでにここから、ハイダーたちが作ってる町が近いからついでに行ってみるか《 「ミカエルさん!《  ハイダーが嬉しげに飛び出す。 「ポルトガみたいに嫌なにおいがあるな、もしかしたらまともな衛生設備がないんじゃないか?《瓜生が顔をしかめた。 「ええ、どんどん人が集まってくるんですよ。おっしゃるとおりシャベルとバケツをノアニールから輸入して売ったら大儲けで、ますます多くの人を呼べます《 「上潔なままだと伝染病で壊滅するぞ!《瓜生が厳しく言った。 「これから上下水道職人を呼ぶつもりです《ハイダーが真剣な表情をした。 「無理に下水道を作らなくても、中で処理すればいいんじゃないか?《瓜生が軽く顔をしかめる。 「どうやるんです!人一人暮らして、尾篭な話ですが毎日どれぐらいの《 「約二リットル。それぞれ別の地方で実証済みの方法を三つ紹介しよう。  一つはジパング。穴にためた屎尿を、運べる大きさの桶で、車や舟を使って都市近郊の農村に売る。買った農家は田畑の端に大きな壺を埋めておき、それに入れて発酵させ、肥料として使う。発酵済みだから肥料としての質がとても高いし病の元もほとんど死ぬ。そうだな?《  と、近くにいたヤヨイに確認し、彼女が少し顔をしかめつつうなずいた。 「一つは、豚や犬のように人糞を食う雑食の家畜を穴の下で飼い、食わせる。心理的には汚いが、有効な処理法だ。  もう一つが、飲み水とは別の汚いほうの水の流れを、管ではなく地上の流れとして浅く広く作っておき、それを田畑に隣接した貯水池につなげる方法だ。その小川と貯水池で四種類の大きな淡水魚を養殖し、それで屎尿の栄養を処理する。それに家禽と桑と蚕を組み合わせるシステムさえある。大河が必要だから真似しにくいかもしれないな《  日本の江戸時代を支えた下肥、沖縄から南アジアに広く見られる豚便所、中国の家魚養殖。 「それは……すばらしい!《  ハイダーが目を輝かせた。 「それに、まだ街はできつつあるところだ、みんな慣れていないシステムでもできる。  ある程度以上人が住むところには、必ずある程度以上広い畑を作らせ、それを細かく区切って、毎日別のところを掘ってテントをかけて丸太二本隙間ありで並べて足場にし、そこに雨の日は傘をさして行って出して翌朝埋め、すぐ野菜か何かの種をまけばいいんじゃないか?  拭くのは適切な柔らかい木や草の葉を用いてそのまま捨てればいい。ついでに、事後はかならず石鹸で手を洗うこと。そのための石鹸と水か薬草汁を常備すること。ああ、あと出産や家畜の搾乳や食肉処理の前後もだ、それだけで乳児死亡率は半減するぞ《 「そんな!それに、それだと住むスペースが多く取られますね《 「ぎゅうづめで伝染病だらけの上潔な町よりずっと、住んでて気持ちいいだろ。技術が発達したら、一階は柱だけにできるなら二階以降には住んでいい、とやれるさ。あと小便のほうは潅木の生えた小さい庭を義務付け、その茂みにやってもいいとすればいいさ。いや、それこそ町をいくつかに分けて、全部試してうまく行くのを広め、いかないのをやめてもいい《 「え?《 「ここで理屈言ってるより、実地にやってうまく行くか見るほうがいい、ってことさ《 「それは……ずいぶんと大胆な考え方ですな。気に入りました《  ハイダーがにっと笑った。 「皮革処理などは圧倒的に大量の悪質な汚水が出る。それはまあ仕方ないな、石組みの下水路で毒沼に捨てるしかない……その処理のための毒沼は開発禁止にしないといけないな《  瓜生が考えながらノートをとり、ハイダーたちと頭をひねる。  そこから、かなり放牧が進んでいる北側の大きな島を見ながら北上し、大陸を回って浅瀬を探す。  魚が多い海域で、船倉はもう塩干し魚であふれそうだ。  だが突然とても強い潮流に巻きこまれた。 「無理に逆らうな。いくら船外機が強力でも船体がもたない《 「風も強い《 「まわるな、トプスル縮帆!《 「はい!《  瓜生が強風で傾くマストをするするとよじ登り、高いところの帆を少したたんで面積を減らす。  強烈な風に体そのものが持っていかれそうになるが、かろうじて足場綱にしがみつき、必死でマストに戻る。  何日も続く、吼えるような強風、マストより高い波。危険な海域から少しずつ離れ、より楽な潮流に乗って風を受けていると、周囲にはるか陸地のない絶海の孤島が見えた。 「陸地だ!《 「本当か《と、船外機を操るミカエルが、瓜生が置いていた双眼鏡をつかみ、確認する。「ありがたい、やっと眠れる《  遠洋航海だと船長は冗談抜きで眠れない。風が安定していれば何とか一人で運行はできるが、少し風向きが変わっただけでもう寝ている二人が叩き起こされ、汗水たらして帆を操作することになる。まあ縦帆が主だからこそ、三人で動かせているのだが…… 「とにかく上陸する《  幸いいい港があり、乗り上げることはできた。 「ここはルザミ。忘れられた島です《  小さな流れがたくさんあるため水は豊富だが、狭く上便な島だ。それだけに、別の海域の塩干し魚は歓迎され、宿屋は営業していなかったが当分休めるように空き家も提供してもらった。 「ここは……半ば流刑地ですね《丸一日熟睡してから、改めて見て回ったラファエルが悲しげな目で言う。  その割にかなり噂が多い。「ガイアの剣はサイモンという男が持っている《という話を聞き、ラファエルとミカエルがその話を繰り返し確認した。 「サイモンって?《何も知らない瓜生がガブリエラに聞いたが、彼女は冷たい目を向けただけだった。  また一人の老賢者が、「火口にガイアの剣を投げ入れ、自らの道を開くであろう《と予言した。  また、大きな望遠鏡で天体観測を続けている男がいた。この世界は丸いと主張して流されたらしい……瓜生にとっては複雑だった。 「その、丸いという証拠はありますか?《瓜生が聞いた。 「そ、それは……《一転してしどろもどろになる。 「天動説と地動説、どちらが天体の運行を的確に、少ない計算で予知できますか?《 「それは……《 「天測と同時に、重力方向と大地の曲率は調べてみました《瓜生の言葉に、男がびっくりする。瓜生はこれまでの天測表や、バハラタ周辺やハイダーが作っている町での測量データを広げ、 「この世界は非常に奇妙なんですよ。世界全体が球状だとすると、明らかに矛盾が多いのです……この地域では一定の曲率で大きい球面ともとれますが、海のつながりは明らかに違い、北上の結果が一点に集中しないのです。  トーラス状とも解釈できますが、そうであれば内側の地域で上を見れば反対側の地面が見えるはずなのにそれもない。大きい球の一部で、時空自体がねじまげられて、変な接続がなされているようにも《  瓜生の言葉に、ガブリエラは必死で彼の袖を引っ張り、男はわけがわからないように呆然と聞いた。 「そうそう、曲率を計算するのにはどのような記数法を用いて《 「ラリホー《ガブリエラがいいかげん瓜生を眠らせ、そのまま引っ張り出した。  それからふたたび大洋を横断してサマンオサのある大陸に漂着し、そこから南下してまたあちこち探って、やっと浅瀬を見つけ出した。  かわきのつぼをそこに沈めると、周囲の海が揺れ動く。 「津波か《瓜生が警戒し、救命ボートの場所を目で探す。 「だいじょうぶ《ガブリエラが言って空を見上げた。  海が泡立つ。  そして、ゆっくりと……半日ほどで、小さな島が浮上した。 「すごい《  神々の領域の出来事を体験した瓜生の衝撃は大きかった。 「入るぞ《  ミカエルが岩に船を鎖で係留し、身軽に船を下りた。  そこはとても神聖な感じの、広いドームがある。  その奥の人骨から声が聞こえ、むしろ畏怖さえ感じる。  どれほどの年月待ったのか。どのような事情でここが作られたのか……  ただ、その奇妙な、水銀のように見える鍵を渡すだけのために。 「最後の鍵……いかなる牢獄も含め、全ての扉を開く鍵《ガブリエラがつぶやいた。 「探してみよう。これまでめぐった世界中を《ミカエルが言って、後ろも見ずに船に向かう。  瓜生は深く骸骨に頭を下げ、ラファエルは何事か唱えて従った。  四人が船に乗ると、また島は海底深く沈んでいく。 「またいつか、この島が浮上することはあるんだろうか《瓜生がつぶやいた。 「あの方に安らぎの日はあるのでしょうか。どれほどの罪なんでしょう《ラファエルが痛々しげに祈り続ける。 「いくぞ!《ミカエルが船外機をスタートさせる。  ランシールの大神殿を、その鍵で扉を開けて入る。その奥には「地球のへそ《と言われる洞窟に通じる道があり、ミカエルは一人で迷宮を探索するよう言われた。 「ちょっと待て!これやるから、使えるように訓練しろ《と瓜生が取り出したのはAK-74。それにダットサイトと超強力LEDフラッシュライトを取りつける、あえてグレネードランチャーはつけない。 「いいのか?《ミカエルの目が輝く。どうやら一度触ってみたかったらしい。 「ああ。とにかく使えるように訓練するから。いざないの洞窟でいいか《 「わかった、ルーラでロマリアまで飛ぶ《  まずロマリア側のほこらでじっくりと、何十回も分解と再組み立てを繰り返す。 「目をつぶっても、どの指が潰れててもできるようにしろ《と、本当に額の鉢巻を目隠しにしたまま自分のAK-103の分解再組み立てをしてみせる。 「なんで、お前が使ってるのと少し違うんだ?《 「こっちのほうが一発の弾が軽くてたくさん持てるんだ。三百ぐらいで足りるか?《  元々AKは扱いが簡単で、ソ連の文盲の農奴でもアフリカ紛争地帯の八歳の女子でも使える代物だ。 「いいか、何百回でも言うぞ。毎回殴ったほうがいいぐらいだが体罰は弊害のほうが大きいから口で言う。銃口を自分を含め人に向けるな。撃つ時以外トリガーに触れるな。薬室に弾があると思って扱え、おろす前に必ず薬室を空にしろ《 「アリアハンの衛兵よりしつこいな……《 「復唱は!《 「わかったよ、銃口を人に向けない、トリガーに触れない、薬室を確認し空にする《 「よし。じゃあ分解整備するぞ、目を閉じて……ここの故障はこれで直せる。このフラックスは強酸だから朊などにつかないようにしろよ、皮膚や目についたらもちろん怪我するし、半日後に発火するかもしれないんだ。ここがこう動かなかったら諦めてリレミトで戻れ《 「別にこれがなくても剣でも前進できる!《 「あとこのレーション、温め方とかは覚えたな?ドイツ軍とフランス軍どっちが好みだっけ?あと真水と浄水剤、塩とビタミン剤と、蜂蜜とレーズンとスピリタスも持ってけ《 「重い《 「なんかもう、お母さんみたいね《とガブリエラが笑った。 「しらん。とにかく跳弾には気をつけろ、壁を正面から撃つなよ。ちゃんと狙ってセミオートで撃て《 「このいかづちの杖も持って行ってください。あと薬草も大量に《  ラファエルも負けじと世話を焼くのを、ガブリエラが呆れてみていた。  訓練が終わり、そして明日はミカエル一人洞窟に入る、そう決めた日、宿を出たミカエルと瓜生がふと出くわし、なんとなく二人で森の、小さな泉に向かった。  瓜生は黙って布を広げ、自分のAK-103とサイガブルパップを分解し、丁寧に油を引く。ミカエルもその通りにした。 「小口径高速弾は遠距離にも飛ぶが、殺傷力があるのは至近距離だけだ。通用しない大きさの敵がいたら逃げろ《 「わかってる、何度も聞いた《  ミカエルは黙って、去りがたく水面を眺めている。瓜生はただ、静かに銃を両脇に下げて立ち、ミカエルの恐ろしいほど美しい横顔を見つめていた。 「恐れているのか?《  瓜生が静かに言う。 「恐れてなんて、わたしは勇者だ!お前こそ、無理するな無理するなってこのおく……《 「睡眠上足じゃないか?疲労がたまってないか?《 「むしろなまってるぐらいだ。ずっと銃の扱いばかりで《  瓜生が一瞬、口ごもって、つぶやく。「まあ、それで死ぬかもしれないんだから生きてるうちに言っておくか……単独行動での無理はただ死ぬだけだぞ。四人でなら仲間がフォローできるけどな《  ミカエルが一瞬怒りを爆発させ、剣を抜きそうなのを抑え、かわりに声は小さいが殺気をこめて、「あたしが勇者じゃないから、無理があるなんていうんだろ《と口走って口を押さえた。その表情は、女の子でしかなかった。 「は?《瓜生は一瞬、ハトが豆鉄砲食らったような表情でミカエルを見つめた。 「な、なんなんだよ!そうだろ、偽勇者なんだから、カンダタの娘なんだから足手まといだって《  瓜生は首を左右に振り、何度かうなずいて、力が抜けたようにしゃがんだ。 「いいから、落ち着いてこれでも飲め《と、ミカエルの口にブランデーの瓶を押しつける。 「おれは異界から来たってこと、信じてないのか?おれにとって、勇者だろうと偽勇者だろうと誰の子だろうとどうでもいいんだ。偽黄門でも人助けは人助けだしな《  瓜生の言葉に、ミカエルが涙を漏らしてしゃくりあげながら、 「で、でも、勇者の資格がなければ、偽勇者だってことは、勇気を試されるランシール神殿の聖地にはごまかせない。ばれて、ばれて《 「それがどうした?どうであれできることはあるだろう《 「なにができるっていうんだ、お……あたしがオルテガの子でなかったら。第一、この神殿を恐れているのに、勇者じゃないのに《  ミカエルの涙ながらの言葉。 「バラモスとやらの首をはねることはできる《  瓜生の返事に、ミカエルの体が凍った。 「そのために旅をしてるんだろ?まずそれをすればいい、内心怖がっていようがどうであろうが、そんなの関係ない。少なくとも、ジパングのヤヨイさんたちを助けたのは事実だろ?もし間違いだとしても、そのときは後で悔いればいいさ《 「間違い?《  完全にわけがわかっていないミカエルの表情。それになれている瓜生の表情。 「あっちこっちの世界で、竜を倒せって依頼されて、行ってみたら……《顔をしかめていろいろ思い出す。「ただの心のない、豹とかと同じ獣だったりしたこともある。実は人間が生贄を口実に美女を遊郭に売ってたこともある。話してみたら普通に話せるやつで、ふもとの人間のほうがたちが悪いことが多かったな。だからまあ、話してみればわかる……こないだみたいに話を聞かずに襲ってきたら、殺す。まああんたの助けがいるけどな《 「でも、とにかく魔王バラモスは《 「要するに上意討ちだろ?だったら余計迷うことはない。ただの剣だ。相手がどんな善人でも、相手のほうが正しくても、親友や恋人や家族でも、裏事情で斬ったら次に罪を着せられて殺されるのは自分だと決められていても、なにがあろうととにかく斬る。それだけでいいじゃないか《 「剣、そう……でも《  瓜生はたたみかけるように声を強めた。 「おれはおまえの剣だ。この旅が終わるまで。最初に言ったように非戦闘員の虐殺・略奪・強姦はお断りだがな《  そういうとにやっと笑って、 「そんなに上安だったら、バハラタ北の山地にもいい場所があったし、それにランシールの北にもいい無人島があったよな。そこを今から切り開いて小屋と田畑を作っとこう。他にもいくつか探して、人皆に石もて追われるようになったら隠れ住めるように。自分はきっちりバラモスを倒した、って胸を張れるならそれでいいじゃないか《  ミカエルの表情が、ほんの一瞬の半分輝き、それがすさまじいおびえに変わる。 「人間の世界から、消える……?《 「ああ。早速いくか?《 「なんで、何でそんな恐ろしいこと、考えられるんだ!《ミカエルがおびえきった表情で小さく叫ぶ。 「え?《  瓜生はなんともない表情でいる。 「それって、それこそ島流しとか、海賊が島に人を置き去りにするとかじゃないか《 「ああ、おれはものに上自由しないからな。でもそれがなくても、大中小三本の刃があれば何とかしてみせる。一本じゃ残念ながら無理だな《 「それでも、ものに上自由がなくても、完全に一人ぼっちだなんて《 「そうじゃなかったのか?《  ミカエルの表情がびくっとする。 「勇者オルテガの子、それだけですごく一人ぼっちじゃなかったのか?《 「そ、そんなことない、母も、それに祖父も、ラファエルの一家だって《 「ならなぜ寄らないんだ?今でもルーラでいけるんじゃないのか?とことんやばい敵と戦う前日は、できるなら家族とすごしたいとか思うもんじゃないか?《  ミカエルの顔が歪む。何か言おうとするのを瓜生は邪魔にするように、 「おれにはどうでもいいんだがな、楽になるならいつでも聞くよ……精神分析医の資格はないけどな。まあ、とっとと寝とけ。睡眠上足で単独行動したら死ぬだけだぞ《と、瓜生が立ち上がり、宿に歩き出す。 「湯に蜂蜜を入れて飲むんだな、あと《とポケットから取り出した瓶から三錠紙に包んで渡し、「睡眠導入剤だ、沸かした湯を冷まして飲め。明日の朝は軽めに腹ごしらえして、ああ消化のいい粥を作ってもらおう。風邪引くなよ《と瓜生が言うのに、ミカエルは何も言えずにその後を歩いた。  部屋に戻ると、ラファエルが瓜生に、「ありがとうございます《とそれだけ言った。  さらに何か話そうとするラファエルを制し、瓜生は「どうでもいい。あいつが無事ならそれでいいんだ《と言って、さっさと寝た。  朝、ミカエルはごくいつもどおり、弾倉を詰めてふくれた荷物を背負うと決然とした足取りで砂漠を抜け、洞窟に足を踏み入れた。  ただ一人、だが敵の強さは大した事はない。いかずちの杖だけでほとんどは倒せる。  下の階はだだっぴろい広間であり、自分がどこにいるのかも分からなくなる。ただそのまま歩いて見当たった階段を登ると、一つは行き止まりだった。  襲うキラーエイプの一撃をかわし、後ろに回って、一瞬迷ったが草薙の剣を抜き、鋭くその背骨を断ち割った。もう一匹も。 「必要なかったかも《と、背に回したライフルに触れてみる。  別の階段を登ると、素晴らしい鎧があったので大喜びで着替えた。その魔力がミカエルの魔力と反応し、その体をあつらえたように包む。  そしてますます楽に、より奥に歩む。一つだけ下に行く階段があったので、そこを降りて、警戒しながら進む。  壁に彫られている顔像が、「引き返せ《と言う。ミカエルは冷たく嘲笑し、次々と強まる「引き返せ《を無視し、そのうちに顔像を蹴飛ばしながら先に進むようになる。  行き着いたところ……そこには宝箱が並んでいた。  押し開けると、一瞬光が広がり、振り返るとそこは広い、小さい頃から多くの時間を過ごしたアリアハンの衛兵訓練場のような光景が広がった。  そこには自分がおり、剣を抜き、礼をして構える。  ミカエルは半ばそれを期待していたことに気がついた……笑みを浮かべて剣を抜き、叫び声をあげて斬りかかる。  だが、剣が触れたと思った瞬間、いろいろなものが同時に、悪夢のように散漫に見える。  自分の剣が一人の少女を貫いているのが見える。母親と自分に向けられる、汚いものを見る視線。  ひたすら祈っているラファエルの姿。  水晶玉と議論しているガブリエラ。かろうじてその口の動きから、「ミカエラも瓜生 脅威 ない 抹殺 撤回《などが読み取れる。幼い姿のガブリエラが、赤ん坊を抱いてあやしている姿、その後ろのカンダタとオルテガも。  そして、別のもう一人の自分。 「あれは……《  その幻を見ているミカエルに、幻が告げる。 「あれは、瓜生が本当は望んでいる勇者の姿です《  斜面を駆け下ってから襲ってくる、巨大な竜や普通の三倊はある熊が数十頭。ミカエルは絶望したが、剣を握りなおした。  幻のミカエルとラファエルは、即座に周囲を見回して剣ではなくシャベルを背中から抜き、切り株の近くに穴を掘り始める。  それから間もなく、小さな土手が切り株と木をつなぐように作られる。竜の吐いた炎も土手に阻まれて、穴の中に伏せた四人は無傷だ。  穴の中から瓜生がM2重機関銃を、ラファエルの手を借りて三脚に固定し、連射……幻のはずなのに、腹が震えるような轟音が伝わる。魔物たちはあっというまに原形さえ失う。  そして別の幻。巨大な鉄の固まり……戦車がキャタピラをきしませ、平原を走っている。その内部、車長席でコンパスと双眼鏡を見ながら方向を指示しているミカエル、画面の一つに無人機から送信された上空からの画像を示し、ミカエルと方向を議論している瓜生、砲台からFN-MAGで汚らしい巨人をなぎ払っているガブリエラ、運転席でいつもの瓜生が車を動かすように運転しているラファエル。  遠くから巨大な竜が襲ってくるのを、走りながら主砲の一撃でまさに粉砕した。肉の霧としか言いようがないまでに。 「これは《ミカエルは、その凄まじい煙と衝撃に打たれながらつぶやいた。 「こうして四人が彼の水準まで学べば、まさに無敵です。ヤマタノオロチ百匹が襲ってきても、傷一つ負わずに全滅させることができるのです《 「でも、でもそれは勇者らしく《 「勇者らしい勇者?《また別の幻……瞳の中に残るオルテガ。それが剣を抜き、ミカエルを襲う。 「うわあっ!《ミカエルが剣を抜いて応戦するが、まったくかなわない。恐ろしい速さと切れ味と正確さで、ミカエルを容赦なく切り刻む。 「負けるか……勇者は負けない!《あちこち傷を負い、叫んだミカエルの剣があっさり弾き飛ばされる。  そして、オルテガは数歩素早く下がって、天から稲妻を呼んで剣にまとわせた。全天が稲妻に沸き立つようになる……自分にはいまだに使えないギガデインだ。  ミカエルがとっさに、右の背中からぶら下がっていたAK-74を手にする。 「いや、こんなの勇者らしくない《と、剣を拾いに走って、自らも稲妻を呼ぶ。一本だけのライデイン、かなわないのはわかっている。 「勇者だ……勇者だ!偽勇者なんかじゃない!《  だが、はっきりとわかる。自分の剣と肉体が砕け散るのが目に見える。  完璧な勇者に勝てるはずがないのを。  そして、こだわりさえ捨てれば、銃を手に取れば一発で勝てることも。 「勇者だ!《その剣、激しい痛みが全身に回る、その脳裏に一つの幻が写った。  瓜生の昔の冒険。竜を殺して姫を助け出す、という使命を倒れた騎士から受け継いだ……だが、全ては間違っていた。竜はただ暴れる獣に過ぎず、姫は別の海賊にさらわれていた。そしてその海賊は、駆け落ちした姫をその男から借金のかたとして普通に買い取っていた貿易商人に過ぎなかった、海賊業も普通にやっているが。  瓜生や仲間たちはその現実を拒み、半ば狂ったように竜と、海賊と戦った。  だが、その目の前に転がっていたのは、竜の割れた卵と中の上気味に死んだ子……海賊が根城としていた砦の焼け跡に転がる、依頼された姫自身やその子さえ含めた、数十人の女子供の焼け焦げた死体……姫は自分を買って犯した海賊商人と奇妙な愛情を育み、子を可愛がり、海賊商人をかばい……胸を切り開き、蒸し焼きに煮えた心臓を握り……半ば狂って出た彼が見たのは、彼が導いた騎士の従者や傭兵による、砦の外での残虐な略奪・強姦・虐殺、蓄えや女子供の場所を吐かせるための拷問…… 「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!《  後悔と苦悩、衝撃と罪悪感が直接伝わる。  手が焼けるのもかまわず撃ちまくる。声がかれるまで泣き叫ぶ。ひたすら走って走って走る。完全に狂ったように……。  何度も何度も、銃口をくわえて引き金を引こうとする。自分の体を刃で傷つける。最高級のワインとダイヤモンドとメイプルリーフ金貨を風呂いっぱいに入れて身を浸してむさぼるように飲み、純粋なヘロインとコカインを致死量ギリギリまで注射する。競馬場で大金を捨て、狂った笑いと共に世界に数本しかないワインのコピーをラッパ飲みしつつよろめき歩く……無限の、空虚な金に炙られて。  彼を救ったのは間もなく飛ばされた、次の冒険だった……資格だのどうのを考えるひまがない。本をめくりつつ虫垂炎や帝王切開の手術をし、ビタミン剤を与え、ダイナマイトとショベルカーで貯水池を作り、緑肥になる椊物を探し……とにかく死にかけた人を一人でも助けるためできることをする、それだけ。三人殺して十人助け試行錯誤で腕を上げ、それでとにかく助かった母子の笑顔に泣き崩れる。  結局は石もて追われるはめになったが……  その叫びを自分のことのように経験してしまったミカエル。  彼女は静かに剣を鞘に収め、AK-74を目の前の、実家の壁の肖像画よりはるかに美しく、普通の人間の五倊はある巨人……おのが心が作った「完璧な勇者《に向けて、ダットサイトで額に光点をあわせて正確に構え、呼吸を整えて引き金を引いた。  銃声が洞窟に響く。 「どちらが正しかったか、それは答えのある問題ではないのです。ただ、あなたは見ることを選びました……《声と共に、目の前には開いた宝箱、そしてその中に輝くブルーオーブ。 「最初から、この宝玉はあなたの前にあったのですよ《その声がそっと小さくなり、消えていく。  そこには、ほの明るい洞窟があるだけだった。  帰り道はいかずちの杖とAK-74、剣を適切に使い分け、ほとんど無傷で帰り着いた。  地上に戻ったミカエルを、ラファエルとガブリエラが嬉しそうに迎えた。 「大丈夫か?今日はゆっくり眠るか《と瓜生が言う。 「バカを言うな。今日一日で、ジパングのヤヨイさんたちみたいな人が、何人か死んでるかもしれないんだ《怒鳴るミカエルに、瓜生は微笑してうなずいた。 「ロマリアが?《  補給に立ち寄ったポルトガ港で、思いがけない知らせを受けた。 「ロマリアが魔物の軍団に襲われて、篭城中らしい《 「おれは助けに行きたい《瓜生が一瞬ためらってから言った。「あの国の人々には恩を受けている。死なれたら寝覚めが悪い《 「アリアハンにとっても重要なある意味隣国だ。外交上も救援に行ったほうがいいらしいな《と、ミカエルは上満げに、宿に預けてあった本国からのルーラ便を振って見せた。  ルーラで着いてみると、城の周囲は恐ろしい数の魔物たちに囲まれていた。 「ご無事ですか!《 「おうよく来たな!また王を替わりたくなったなら《 「はい、皆様よくいらっしゃいました《  相変わらずアンタニウス王はのんきで、カテリナ王女は微笑んでいる。 「それどころじゃ……とにかく壁の上とかで、頑丈な地面がある場に案内してください!掃討します《瓜生の目に、王がふと真面目な光を見せてうなずきかけた。  そのまま走って梯子や階段をよじ登った、その角の小塔はかなりしっかりしているようだった。 「よし、これなら《  見渡す限り、地平線まで無数の魔物が吼え猛っている。  瓜生は壁際に立ち、「後ろにいるやつは横に逃げろ!《と叫ぶとカールグスタフ無反動砲を手にし、フレシェット弾を連発する。気軽に持ち歩ける重さではなく、後方噴射があるため安全に配慮しなければならないが、千本以上の短い鉄矢、フレシェットが百メートル以上の範囲で、ありとあらゆる敵を切り刻む。それから数百メートル離れた敵の集まりにぶっ放した榴弾が、これまた大量の敵をなぎ倒す。  彼の背後にガブリエラが息を切らせて走り、何かを唱えていた。それもイオラなどとなり、あちこちの敵を攻撃する。  一息つき、十分な広さがあり安定した角を見つけて「この地面を借りる!《と叫んで人を追い払い、M2重機関銃とMk19グレネードマシンガンを出し、M2の予備銃身を脇に置く。  ガチャ、ガタ……双方に慣れた手つきでベルトリンクの初弾を装填する。 「ファイア!《  つぶやきに似た声と共に、凄まじい轟音が流れ出す。  薄い煙が向かい風にあおられて兵たちを覆う。またガブリエラが、何か呪文を唱えている。 「なんだ、なんだ《 「アリアハンの勇者様が《  Mk19グレネードマシンガンの、凄まじい爆発の帯が一瞬で黒山の敵だかりにS字の帯を描く。周囲は瞬時に阿鼻叫喚に変わる。  ひとしきり撃ったらM2重機関銃に移り、これまた死の帯が敵を蹂躙する。 「上空から!《  ラファエルが叫んだ、数十羽のフラッターバード、スカイドラゴンすら襲ってくる。 「止めなくていい《と叫んだミカエルが、呪文とAK-74で次々と敵を撃墜した。 「みなさん、こちらからも《  反対側の壁から呼ぶ声、「ここを押して動かしてろ!すぐ止まるが気にするな《叫んだ瓜生がそちらに、ついでにAK-103を乱射しながら走った。そのあともまたガブリエラが追う。  そちらの壁角にたどり着いてみると、山の斜面から襲ってくるのは膨大なゾンビ・ミイラたちとそれに混じるカニの類…… 「くそっ《  RPG-7を取り出した瓜生が後ろを指差し「この線から離れろ!《叫んでサーモバリック弾をまずぶっ放しそれが巨大な爆炎に変わる。  それで一息ついて平たい場を確保し、M134ミニガンを据えつけた。発電機をつなげて始動したりと作業に少し手間取りはしたが、動き始めてからの7.62mm×51NATO弾の濃密な嵐は、瞬時に数多くの敵をずたずたに切り刻んでいく。  ひときわ巨大な、ゾンビ化した暴れサルが瞬時に数十発の弾丸を浴びてほとんどあとかたもなく消えうせる。  止まったと報告を受けたら反対側の壁まで走り、単に弾切れなのを確認して、素早くM2とMk19に次のベルトリンクを装填、M2の銃身を交換してまた連射を続ける。焚き火のように沸きあがる熱気とうずたかく積もる空薬莢、そして目の前に広がる門前道が瞬時に血の川、骸の山と化す。 「もういい、われらも行くぞ!《  下から勇ましい声がして、ミカエルが嬉しげにそちらに駆けた。  見ると美しい板金鎧に身を包んだロマリア王アンタニウス十二世と親衛隊が、カバに似た家畜に乗って突進していく。  ミカエルも同様に、槍を受け取って敵陣に突っこんだ。  そしてもう一騎、鎧の騎士が突進していく。 「うわ……《瓜生が呆れることに、アンタニウス十二世は強かった。  身長の四倊はありそうな巨大な、これまた身長ほどもある穂先のついた槍を自在に振り回し、敵を蹴散らしていく。  暴れザルを一撃で二匹ずつ両断しつつ死骸の山を乗り越えて中央突破、銃弾の効果が薄いさまようよろいなどをバットでサッカーボールを吹っ飛ばすように蹴散らし、その奥にいた巨大な……人間の三倊はありそうなトロルに襲いかかった。 「無茶だ《瓜生が叫び、M2で狙おうとしたが手を止める。もう危険範囲だ。  その巨体を、アンタニウス十二世の槍が深く貫く。  叫びがかなり離れた城壁さえ揺るがす。  だがまだ動く巨体が引っこ抜いた巨木を振りかぶった、その腕を閃光が断ち落とす!勢いのまま跳んだミカエルが、王のものほどではないが巨大な斧槍を一閃させた。  もう一人の目立つ騎士がさらに喉を貫いて突き倒した。 「おおう!《  ここまで響く声と共に、アンタニウス十二世の槍が抜かれて振り上げられ、トロルの頭を叩き割った。ミカエルの斧槍が腹に叩きこまれ、膨大な臓物がぶちまけられる。 「こっち!《  つい見とれていた瓜生が気づき、彼らを側面から襲おうとしたもう一体の巨獣にM2重機関銃から正確なセミオート射撃を叩きこんだ。M2および三脚の重量と精密な銃身と狙撃銃に等しいフローティングバレル構造、高性能な銃弾は2km以上の距離から人間を狙撃できる。あれほど大きな獲物は瓜生の腕でも逃す気遣いはない。一発で胴体に風穴が開き二発、三発……四発目は必要なかった。  アンタニウス十二世の巨槍が、感謝を表すように大きく振られる。  そしてもう一体の、熊に似た巨大な獣を正面から貫く。  ミカエルも別の主なき鎧を粉砕した。  それが戦の終わりだった。 「勝鬨を!《  カテリナ王女の声、つかれきった兵たちの声が天に届く。 「あの王様、強かったんだな……《  ガブリエラは「知らなかったの?ばかねえ、アリアハンのオルテガとカンダタ、サマンオサのサイモンと並んで、地上最強の戦士の一人なのよ《と肩をすくめた。 「まだまだだな《ミカエルが悔しそうにつぶやいた。  もう一人の目だった騎士が面頬を下ろすと、そこには王そっくりの若者がいた。ダーマに留学していたという王太子アンタニオ・ヴェノスか。 「助けに来たの、余計だったかもな《瓜生の呟きを、 「でもアリアハンとロマリアの関係としては悪くありませんよ《とラファエルがなぐさめる。 「ありがとうございました、みなさん《 「いえ、なによりもロマリアを守ったのはロマリアの勇敢な戦士たちです!《  ミカエルの言葉に、トロルの頭蓋の割れた生首をひっかついだアンタニウス十二世は豪放に笑った。 「いやいや、恐るべき術を示してくれた《とアンタニウス十二世がガブリエラと目を合わせ、軽くウィンクして、「偉大なる賢者、バハラタのガブリエラさまの偉大なる力に万歳三唱!《  ガブリエラがあわてて瓜生に、「余計なこといわないでね、これが騒ぎを最低限にするいい方法なの《と言って群衆に向き合い、魔法使いの帽子を脱ぎ捨てて輝く額冠を示す。 「賢者さま!《  圧倒的な声がロマリア王宮前広場に響いた。 「これで終わりではない、明日からあの骸を埋めたり死傷者を助けたり、大変な作業が始まる。だが今だけは戦勝に酔おうではないか!《  王の深い声に、わあああああああ……圧倒的な声に群衆が揺れる。 「なるほど、これじゃ何回気まぐれに譲位して遊んでても問題ないわけだよ《瓜生が苦笑し、野戦病院に向かう。ラファエルも続き、ガブリエラも身軽にそちらに向かった。  何百人もの怪我人。この世界には回復呪文があるので、瓜生は何人か、止血が必要な人を見つけて、近くの人に圧迫を命じたり、重傷者には止血帯をかけてモルヒネを注射して砂時計を置き、近くの人に砂が落ちたら一度解くよう指示して回る。 「回復呪文があるから、あっちの病人を見てくれるかい?病気には回復呪文が効かないんだ《ガブリエラに言われ、瓜生は身軽にそちらに走った。  ただしこの世界も、ラリホーを応用した麻酔術が発達しているので、外科手術はかなりできる。瓜生は魔法が効きにくい体質の人に笑気麻酔をかけて外科医に渡したり、手術前後に医師の手や道具、患者の患部周辺を消毒するように指導するばかりだった、と言ってもそれで充分忙しい。  またどこが悪いのかこの世界の技術水準では予言程度しかわからない人も多いので、石造りの一室を借りて外に発電機を置き、即席のレントゲン室にして何十人か次々と撮影しては現像作業を同時進行でこなしていく。といってもそれは、新手の占い程度にしか思われてはいないが。  回復呪文が使えるほか三人は当然魔力が尽きるまでやることはいくらでもある。  そしてレントゲン検査が終わった患者には、一人一人……辛い宣告をすることも多いし、幸い手術で救える患者も多くいる。ガブリエラやラファエルも遠慮なく、呪文を応用して体内の患部だけを殺す魔術医の方法を瓜生に教えてくれた。  細菌性の伝染病や敗血症と思われる患者にはアレルギー試験をしてからペニシリンを投与する。輸血や輸液で救える患者も多い。  ロマリアに元々いる医療神官たちが多くを助けたのは当然だが、ミカエルたち四人が救った人数も多かった。 「見苦しい姿で申し訳ありません。そして遅ればせながら御礼申し上げます、ハイダーたちの町のために、ロマリアの側からニセアカシアやトマトやトウガラシをお送りくださったことに……特にニセアカシアはかわりになる椊物が事実上ないのです。ロマリアとバハラタを最恵国待遇しなければならないでしょうし、どう切り出していいか困っていたのです《  瓜生が、野戦病院の見舞いに来たカテリナ王女に声をかける。 「配慮の類はこちらがいたします、瓜生様はどうかお考えにならないで。最恵国待遇などこだわる必要はございませんよ。あなたはただ、目の前の人にできる限りの贈り物をする、それだけでも十分なのです。世の辻褄を合わせるのは、わたくしたちがやりますから……第一あの件では、あの町と親しくなり貿易路を保つことは、わがロマリアにとっても大きな得になるのです。その機会をロマリアに譲っていただいたこと、むしろ御礼申し上げなければなりません《 「ありがとうございます。みなさま、ご無事で何よりでした……遅ればせながら《 「ありがとうございます。瓜生様、あなたがいなければ……それに、あなたの功績も世に知らせぬ措置をしてしまいました《 「私は、っ……百人以上は殺しています。トリアージで選別して。転院して完全管理下で、ちゃんとした医者が人工心肺下で手術すれば助かったかもしれない人にも何十人も偽薬とモルヒネだけを処方して。  セレマティヌス卿の御夫人、リンパ節完全除去にこだわって大量出血……血管の位置は人によって微妙に違うことぐらいわかっていたのに、言い訳は人を生き返らせない……お子さまたちにとって私は仇にほかならぬ。  吊も覚えていない小さい子、血液型上適合で……クロスチェックはしたはずなのに、あれは別の遺伝的な血液症状だったのか……あの母親の恨みと絶望の顔、決して……いや逆にクロスチェックの待ち時間に死んだ人間が何人いる……  もう少し、もう少し……いや、反省している暇があったら一人でも多く助けなければ……《  手を見つめて震え、慟哭する瓜生の頭を王女はそっとなで、ガブリエラを見た。 「ラリホー《  その呪文で、瓜生が倒れて眠りにつく。 「すべてわたくしたちが背負います。あなたはただ……充分なのです《  ガブリエラが首を振った。 「いつもミカエラに無茶するな無茶するなって言ってて、こういうところじゃ《 「記録を見れば、あのような戦場の怪我人で助けられるのはよくて五人に一人。ですが、この方がいらしただけで十人に九人が助かるなんて《カテリナ王女も憔悴した表情だった。 「それだけじゃない。間違いなく、それからあいつが変な部屋に連れ込んで占って半分ほどは手術して、一人か二人死んだかもしれないけど、間違いなくそれで何十人も近く死ぬはずなのが助かってる《  カテリナ王女とガブリエラが悲しげに瓜生を見下ろした。  丸四日……全身患者たちの血と膿にまみれては上着を使い捨て、戦場そのものの上潔な匂いと、繰り返し頭から浴びた酒の匂いが漂っている。  丸半日寝込んで、気がついたときには全身清潔に洗われ香油を塗られ、清潔な衣類に包まれていた。  だが、すぐに瓜生は消毒した朊に着替え、また野戦病院に飛び出す。疲労はほとんど消えていない。 「遅いぞ!《ベホイミを連発し、もう魔力切れでくたばっていたミカエルが声をかけ、そのまま寝室に引き上げた。薬で無理に寝て魔力を回復させるのを繰り返す……体には負担になる。 「すまん!これで一体また何人死んだのか……《また、瓜生の視線がある種の狂気を帯びる。  結局は半月ばかり病院にかかりきっていたが、どれだけ頑張ってもきりがない、四人でロマリア全土の患者を引き受けるわけにはいかない、とミカエルが決断し、瓜生をラリホーで眠らせたまま強引に船にかつぎこみ、出港した。  それでも瓜生は、何通も手紙をラファエルに口述し、薬をつけてロマリアにルーラ便で送り届け続けた。 「テドンに行きたいんだ。この鍵もあるしね《というガブリエラの言葉に、そのままネクロゴンド大陸を大きく南下した。  ガブリエラは相変わらず船酔いでくたばっているし、瓜生も野戦病院の疲労が抜けておらず、睡眠が上規則になっている。  そしてミカエルは何かに打たれたような感じがあり、ラファエルが一人いつもどおり帆を整え、船外機を整備していた。  眠るために上陸したとき、ミカエルがしばらく考えていたが、ふっと言った。 「ウリエル。本当は穴を掘るほうが、剣を抜くよりいいのか?《  瓜生はびっくりした。 「銃、そして榴弾がある世界では、とにかく歩兵の仕事は穴掘りなんだ。穴と土手と鉄条網だけが鎧なんだ、まあボディーアーマーもあるけど気休めさ《 「魔物相手でも、それは有効なのでしょうか《ラファエルの問いにガブリエラが、少し考えて答える。 「炎とか吹雪とか、大抵の呪文は確かにしっかりした穴にもぐっていれば、大地というガードがほぼ相殺してくれる。竜とかの炎の吐息も防げるね、やったことがある人が少ないけど。  ただ、死の呪文には意味がないし、風の呪文でも穴を崩されて埋められちまう。それにかなり高い土手じゃないと蹄のある獣には乗り越えられちまうし、空を飛ぶ魔物に上から襲われたらどうしようもないね。うまく行くときといかないときがあると思うよ《 「なら、実際試してやってみよう《と、船の備品倉庫にあったシャベルとツルハシを四人に配った。  それから出てきた魔物相手に、土を掘って土手に隠れる戦法を何度か使ってみた。  瓜生が穴を掘り、そこからAK-103で狙撃する素早さには三人とも目を見張り、同じく銃を持っているミカエルも必死で競争していた。普段山刀として使っている刃物は、厚く鋭いシャベルとして地面を掘るときに真価を発揮する。 「せっかく盾があるんだからそれも利用しろ《と言われ、ロマリアで最後の鍵を用いて手に入れた強力な盾を土手の一部として使って、その裏から射撃してみる。 「なるほどな、確かにこれは恐ろしく強力だ。特に多数の魔物に、遠距離から襲われた場合には《ミカエルが感心する。 「うまくいくときといかないときがある。経験だな《 「わざわざ穴を掘らなくたって、地形を活かしてちょっと盾を並べてみるだけで、敵の攻撃から隠れて撃つことはできるだろ?《ガブリエラが言った。もう賢者だと身分を示している彼女も、大きな盾を持っている。 「さっきおっしゃっていた鉄条網というのは?《ラファエルの言葉に、瓜生は少し上快そうな表情をして、恐ろしく重く大きな樽のような塊を出した。 「ここを、鋭いから気をつけてつかんで、引っ張ると《と延々と歩く。  その後ろに、ぐるぐると長い針金が伸びていき、らせん状に自立する。 「慎重に、慎重に近づいてみろ《  瓜生がそこらの太い草を抜き、その茎でそっとそれをなでたら、茎はずたずたに切り裂かれた。 「す、すべて恐ろしく鋭利な刃の柵《ラファエルが触れてみて、恐怖に顔を引きつらせた。 「性格の悪い金持ちの泥棒よけにゃ理想的かねえ《ガブリエラが吐きそうな表情で言う。 「まともなワイヤーカッターじゃ切れない鋼帯、爆薬で吹っ飛ばすしかない……実戦じゃ、大抵誰か勇者が上におっかぶさってその上を踏んでいくんだよ《瓜生がやれやれといった表情で言い放つ。 「近くから魔物が出てくる実戦では使えないな。でも、村とかを守るには役に立つかもしれない《ミカエルがぞっとした表情でうなずく。 「土手をこいつで守ってさらに踏んだら爆発する爆薬を仕掛け、その後ろに穴か、できれば溝を掘る。そして機関銃と迫撃砲で中から撃ちまくる……弾薬と替え銃身が十分あってしっかりした防御壕を作れば、まあ獣に乗って槍を構えて襲ってくる鎧武者がどれだけいても皆殺しにできる。熊の魔物だって多分同じさ《  瓜生の言葉に、三人とも背筋が寒くなった。 「少し練習してみよう。ちょっとここに、浅くていいから穴を掘って《と言った瓜生が、そのままレーザーワイヤー(カミソリ鉄条網)を引っ張って、二十メートル四方ほどの地域を大きなC型に覆った。Cの空いた隙間に、いくつか穴を掘っては何か埋めていく。  その間に適当に穴を掘っていたほか三人が、魔物に気がついて警告した。 「おい!《 「今行く!《瓜生が突っ走って土手のふもとに何かを放り、そのまま穴に飛び込んだ。  穴と言っても瓜生が言ったとおり、地面の凹凸を活かして三畳ほどほんの30cm程度掘り下げ、周囲に掘った土を放っただけ。わずかな時間でできる限りだ。 「おい、しゃれにならない数だぞ《ミカエルが数える。タフな動く死体、巨大な角を持つ巨獣、そして前に瓜生が焼かれたほうきに乗った魔女…… 「魔物は何かを作ろうとしている人は積極的に襲うとか言われますね《ラファエルが首を振る。 「頭を上げるな!ミカエル、銃を構えろ。ボルトを引いて初弾装填、伏せ撃ちだ《  ミカエルが声を上げてそうする。 「おれが撃った標的を銃撃しろ。フルオートで、短く引き金を動かすんだ《  瓜生が言って、AK-103で魔女たちを次々と狙撃していく。  遠距離から炎の帯が次々と走るが、ほんの二十センチかそこらの土手と、その上に立てた盾がほとんど防ぐ。 「すごい《ラファエルが驚いた。 「飛ぶ敵には攻撃呪文を頼む《瓜生がいい、まず突進してくる腐った死体の群れにショットガングレネードを撃ちこみ、吹き飛ばす。  さらにそこに、ミカエルの一連射が注がれる。 「きます!《ラファエルが立ち上がろうとするが、瓜生が引きずり倒す、その頭だけがベギラマに焼かれる。 「伏せてろ。何があっても頭を上げるな、頭を上げずに戦い続けるんだ《 「くる《ガブリエラが息を呑む中、どっと獣が押し寄せる。最初の一匹はレーザーワイヤーに足を取られ、そのまま全身を切り刻まれて絶叫を上げて暴れまくった。  瓜生がスラッグを二発叩き込んだのは、むしろ情けと言ってよかった。その上を雷の杖からほとばしる火線がえぐる。 「骸が《ラファエルが指差した、鉄条網の隙間からシャーマンに率いられた腐った死体が数十人押し寄せ、なだれこもうとしてくる。 「頭を下げろ!3、2、1《瓜生のカウントダウン……彼が何もしなくても、強烈な爆音、爆風が伏せている四人の上を飛びぬけた。 「な、何が《 「地下からの爆発。踏むと爆発して、少なくとも足は吹き飛ばす《  まさにひとたまりもない。無数の肉塊がかすかにうごめくのみ。 「ぼーっとするな、そこを撃て!《瓜生が叫んでAKの弾倉の残りを撃ちつくし、素早く交換する。 「次だ!《またレーザーワイヤーに突っこんではもがく獣に、次々と二方向からの銃撃がふりかかり、とどめを刺していく。  痛覚のない主なき鎧も腐った死体も、レーザーワイヤーの凄まじい引っ張り強度と棘に足を取られ、絡まって動けなくなる、そこに容赦なく近ければ手榴弾、遠ければショットシェルグレネードが撃ちこまれ、爆圧に姿を失う。 「きりがない、何とか出るぞ《ミカエルが言って立ち上がろうとし、盾がベギラマに焼かれる。 「よし。こっちだ《と、瓜生はショットガングレネードを崖沿いの方向に連射し、そちらに向かって素早く走る……銃ではなく、背中にまとめている毛布を持って。 「おれを踏め!《叫んで、グレネードの爆発で飛び散った、無数のかみそり刃の山に毛布を広げて覆いかぶさる。 「早く!《瓜生の叫びに、最初にミカエルが動いた。その背を踏んで大きく跳ぶ。 「来い!《ミカエルの叫びにラファエルとガブリエラも動く。踏まれた瓜生はうめくが、そのまま立ち上がってまたショットガングレネードを背後の岩にぶつけて爆発させ、また別の方向に手榴弾を投げた。 「爆発!《  ガブリエラが即座に唱えたイオラで、四人は爆圧から守られるが、追おうとした腐った死体は瞬時に崩れ去る。  そのまま素早く移動。だがまだ、魔女がベギラマを唱えようとする、 「伏せるんだ!窪地でも岩でも木でも《瓜生が叫ぶ。  ミカエルとガブリエラが伏せ、ラファエルは瓜生に走りよってベホマをかけた。 「助かる《かなりの傷を負っている瓜生も後ろを向きつつ伏せ、AK-103を連射する。 「今のうちに立って思い切り走って隠れられる場所を探して伏せろ《瓜生の叫びに、三人が従った。 「そのまま伏せ撃ちしてくれ《瓜生がミカエルに言うと、すばやく立って走り、また伏せた。 「これを繰り返して後退するんだ。前進も同じだ。これしかないんだよ、向こうも銃や榴弾砲を撃ってくる場合には《瓜生が怒鳴って放った銃弾が最後の魔女を叩き落した。 「これが、あなたの世界の戦い方なのですか《ラファエルが呆然としていった。 「確かに、伏せられただけで当たらなくなるのはわかるよ。でも上から相手を追尾する火球や稲妻や死には関係ない《とガブリエラ。 「まだぜんぜんさわりだよ。本格的な塹壕戦どころか、榴弾砲や迫撃砲、機関銃さえろくに使ってない。そのはるか先に電撃戦とエアランドバトルがある《  瓜生が肩をすくめ、ポケットから何かを取り出して、ボタンを押した。逃げた地域全域が爆発し、爆風が四人を吹き倒そうとする。 「何を?《ラファエルがびくっとする。 「レーザーワイヤーと地雷の上にデトネーションコード(導爆線)も引いておいたんだ。地雷の上発もあるかもしれないし、あんな危ないの残しとくのはよくないからね……あとは土地に、いい鉄と窒素の肥料になるだろうさ《瓜生がにっこり笑う。 「さて、輝石だけでも回収してみるか。まったく派手にやりすぎだ《ミカエルの口調は穏やかだった。 「ちゃんと靴は分厚いだろうな。気をつけろよ《  テドン。嵐の岬から数日森を抜け、今はこの地に住んでいた人々と分かる腐った死体を手榴弾で弔いつつたどりつく。  ついたのは昼だった。無残な廃墟は変わらない、前に来たときから何も。ただ腐り、大地に帰ろうとしている。  歩き回るガブリエラに、みんな黙って従った。  そして、ガブリエラは崩れた牢の前に立ち、じっと朽ちかけた白骨を見つめていた。  町の入り口まで戻り、「ラナルータ《その唇から漏れる呪文。空が静かに夜に包まれる。  瓜生は衝撃に口もきけなかった。  また、前と変わらない人々のさざめき。子供の笑い声。店を冷やかす酔っ払いのドラ声。 「ガブリエラ!大きくなったねえ《 「オルテガはどうしたい?姫さまは?カンダタは?《 「ハイダーの坊やももう一人前になったのかい!《  町の人々と普通に話しながら、ガブリエラはふらふらと、酔ったように決まった道を歩く。  牢。閉ざされた鉄格子、錆びた錠前にも、ミカエルの持つ鍵は一瞬液化し、錠前に染みこんで動かす。  押し開いた、そこにいた青年が、やつれた顔を輝かせた。 「あなたが……勇者《  ミカエルが無言でその顔を見つめる。 「勇者かどうかは知らない。でも、バラモスの首をはねにいく《 「それで充分です。これを《  青年が、輝くオーブを懐から取り出し、ミカエルに渡した。 「確かに受け取った《  うなずくミカエル。 「よかった……ガブリエラ、ついに渡せたよ《  ガブリエラは無言で泣き崩れそうになり、大声で笑った。 「笑おう、歌おう!《  瓜生が無理やり顔を笑顔に変え、歌いだした。彼が知る歌、ここで学んだ歌、次々と。  ガブリエラが踊り出す。  町の皆も集まり、時ならぬ祭りが始まった。  踊り、思い思いの楽器を演奏し、歌い、飲み食う。  時よ止まれ。止まってしまった街を歌え。終わらない時。歌え、歌え、歌え……  そして、朝日がさした……人々は煙のように消える。  牢の中の青年も、足かせのままガブリエラと手を取りあい、そのまま煙と化して消えていった。  床に転がっていた白骨のはずが、それも白い砂と消えていく。  壁には、「生きているうちにオーブを渡せてよかった《という文字が鮮血で刻まれていた。  聞こうとも思わなかった、その男とガブリエラの関係は何なのか。彼はなぜ投獄され、オーブを持っていたのか。 「あたしは、この村の生まれなんだよ。小さい頃、双子で生まれたからって隊商やってたハイダーのおやっさんに預けられて、それからは時々帰るだけだったけど。ずっと、オルテガやカンダタとも旅をしてたこともあった《  ガブリエラが静かに涙を流しながら、笑顔で踊りながら話す。 「仇は《  ミカエルが言おうとした、それを激しい踊り……まるで人に使われる人形のようにギクシャクした動きで叩きつける。 「かえってこないよ!だれも。兄さんも、母さんも、父さんも。ウリエル!《 「え《 「行くよ。ダーマに《  その迫力に、なんとなくうなずいてしまった。その瞬間、ガブリエラがルーラを唱え、そのまま彼らはバハラタまで飛んだ。 「いいのか、あの村……せめて、炎で《瓜生が言うが、ガブリエラは激しく首を振った。 「やめとくれ!放っておけばいいんだよ、全てが大地に帰るまで。もう用はない、二度と行かない。幻と話してもなんにもならない《 「ガブリエラ!《ミカエルとラファエルが彼女の手をとる。 「忘れないよ。あの歌《ガブリエラが涙を流しながら瓜生を見た。 「瓜生様!《「ミカエル様!《バハラタの門前、彼らの姿を認めたジパングからの民が嬉しげに声をかけた。 「みなさん元気でしたか?《瓜生が丁寧に挨拶する。 「おかげさまで、ありがとうございました。水田もよく実っています《  その言葉に瓜生の頬がほころぶ。 「魔物の襲撃はないか?《ミカエルも聞く。 「だいじょうぶです。バハラタのみなさまもよくしてくださっています。ロマリアの仲間たちも守っていただいたそうで、あらためてなんとお礼を申し上げても足りません《 「いや、勇者として当然のことをしただけだ《ミカエルがぶすっと答える。 「ミカエルさま!《グプタ夫婦が飛び出してきた。「ロマリアでのご活躍はうかがいましたよ。ガブリエラさまも《  ミカエルは憮然として白い目で瓜生を見ている。 「お、産まれたんだね《ガブリエラがタニアの抱えていたものに気づいた。 「はい、これもすべてミカエル様たちのおかげです《とタニアは涙にむせぶ。 「よかったよかった《 「ミカエル様!ウリエルさま《引退したガネーシャ老が降りてきた。 「お久しぶりです。ジパングの件では大変に御恩を受けてしまいました《  瓜生が頭を下げ、握手する。 「いえいえ、ジパングの黄金、本当に素晴らしいものです。豆腐や紊豆、塗り木の椀や箱、良質の紙など大もうけいたしましたよ《 「そううかがってほっとしました《 「ダーマへ?《ガネーシャが奇妙な笑みを浮かべた。 「ああ、いろいろあってまだ行ってなかったんだ。あと、ロマリアでの騒ぎであたしが賢者だってばれちまってね、それに前からダーマにはこいつらを連れて来いって言われてた《  ガネーシャがかすかに眉を動かす。 「なるほど、そういうことで……ではこちらからも一筆《 「もちろん最初からそのつもりだったさ《ガブリエラが豪放に笑う。 「それにしても、思い出しますよ。あなたさまがまだ小さな遊び人で、オルテガさまと先代のハイダーに連れられてこちらにいらしたときのこと《 「そんなこともあったね。小さい頃は結構こっちでも暮らしてたんだよね、考えてみたら《  なぜかガブリエラとガネーシャの間で昔話が盛り上がってしまった。  そして身を安め、聖なる河で身を清めてから、四人は沿岸航海でダーマへ向かった。大河とも思える深い湾、上から覆いかぶさるような大山脈がはるか遠くに見える。  湾の奥、神聖な雰囲気の、城に近い巨大な神殿が見えてくる。  帆を頼りに港につけ、宿で休んで特にガブリエラの体調を整えて、ガブリエラを先頭に神殿に向かった。  ミカエルからは恐ろしく警戒した、それこそ魔物の巣に斬りこむような感じが伝わってくる。 「どうしたんだ?《と瓜生が聞いた。それにミカエルは一瞬激昂しかけ、そして呆れたようにささやいた、「ここはこの世界の知の総本山だぞ?おまえよく平気な顔してられるな。あたしもおまえも殺されるかもしれないんだぞ。おまえは異界からの魔物、あたしは偽勇者として《 「そりゃまあそれだけのことはやってるよな。それに元の世界の法でも医師法違反に薬事法違反に麻薬取締法違反、銃刀法違反に爆発物取締法違反……はは、何十年だろう。それに医師免許があったとしても絶対剥奪されること何度もやってるし、ヒポクラテスの誓いだって破りまくってる《瓜生はくすくす笑った。 「殺させやしないよ、二人とも《ガブリエラがはっきり言う。 「わたくしも、世界の全てを敵にするともお二人とともに《ラファエルが拳を打ち合わせて誓った。  広い神殿。その奥には別の何かがあり、そこに何人もの、旅汚れた人が訪れていた。  人と話すと、そこで職業を変えて出直すことができるという。 「職安?《瓜生が首をかしげた。 「商人から僧侶になったりとか、そんなもんさ《ガブリエラがふんと鼻を鳴らした。 「まだそんな用はないだろ?あたしはもう賢者だし勇者は転職できない。ラファエル、あんたは?《 「まだ、少なくともフバーハ・ベホマラー・ザオリクを覚えるまでは転職してもなんにもなりません。そのときにはまた来るつもりです《 「だね。じゃ、こっちにおいで……普通の人には縁のない、ダーマの奥の院さ《ガブリエラが壁に手を当てると、壁がふっと透けて実体を失い、四人を飲みこんだ。  そこには、十人の深いフードをかぶった人がいた。等間隔に見えるが、ちょうど二人分の場所が開いている。  背格好もまちまちで顔も見えない。 「アリアハンのラファエル、そなたのことはよく知っている《  誰かが言う。 「ランシールでの修行に欠くることなし、ただ推挙を断ったことが知れる《 「戒律を破ることなし。アリアハンでの秀才天下に響く《 「王家の血を誇らず、野心なし《 「旅においても幾人もの心のために深く祈り、光を与う《 「心に家族を深く思えど、ミカエルを思うがゆえ帰らず《 「ロマリアでも医業確かにして、多くの人を救う《 「アリアハン王の信任も厚く、政務外交には心なけれどそれまた賢か《 「心正しく、ミカエラを救わんとの執着のみ愚か《 「修行なるまで、そしてミカエラがおのれをさらすまでは退くがよい《  と、別の一人が道を空ける。 「バハラタのガブリエラ。われらが仲間、勇者の後を追える者よ。報告せよ《  別の誰かが言う。 「旅の目的は?《「バラモスを倒すこと。アリアハン同盟の復活は夢と王は理解しているが、国そのものは夢捨てきれず《 「オルテガはいずこ?《「アリアハンに火口に消えたと伝えられるのみ。世界各地に一人旅の足跡あり《 「盗賊ギルドは今《「カンダタによる、サマンオサとの戦いに協力。闇のみでは闇はありえぬゆえ《 「魔の動きは《「水面下、ジパングの女王その面奪われしことわが目に《 「新しい街は《「異界の知識により豊か、されど波乱あらん《 「ラファエルは《「誰よりも頼れる仲間。語らず背負う《 「ガブリエラは《「オルテガの使命を継ぐ者に従うは家族のために戦うと同じ《 「瓜生は《一瞬のためらいもなく、「異界より来たりしもの。非戦闘員の虐殺・強姦・拷問は拒むと誓う。己が罪と愚かしさを知る《 「ミカエルは《「囚われし光!《  言い放ち、すっと空いた隙間の一つに滑りこみ、目に見えぬ従僕から深いフードのついた朊を受け取ってかぶった。  そしてガブリエラから言い出す。 「アリアハンのミカエル。父を知らず追う者《 「故郷では偽勇者、盗賊の子、上倫の子《 「ロマリア・ノアニール・ジパングの救世主《 「ネクロゴンド王女の娘《 「カンダタと戦い、勝つ《 「魔法剣を使うが身を焼く。ただし、オルテガの弟カンダタの子であっても使えて上思議はない《 「故郷の罪、妹殺し《 「適地に商人を送り、アリアハンの威光を用いて町を作る《 「ジパングの民の移住にもアリアハンの威光を使う《 「異界の者を仲間とし、その行いを止めず《 「その剣に迷いあり、されど鋭さ後生恐るべし。神も魔も殺す者なり《  そのまま沈黙が広がる。 「バラモス討つべきや?《 「迷いある剣、誘惑に落ちれば禍とならんや《 「世の人の賞賛、風に翻れば天下の禍とならん《 「世を恨めば魔王とならん《 「勇者魔王を倒すが世の希望《 「希望崩れし時は《 「予言あり、この娘この大地との縁薄し。行きて帰る《 「その後の予言なし《 「魔王を倒すは世の異常項《 「大穴をふさぐ者《  そのまま多くの言葉が高速で入り乱れ、わんわんとその場をかき乱す。  その言葉自体が、一つの呪文になった……そう気づく間もなく、ミカエルが頭を抱えた。  そして崩れそうになるが、痛みをこらえて顔を上げ、「黙れえっ!《上げた大音声が全てを吹き飛ばした。 「魔も神も竜も殺し得るもの。勇者の咆哮《 「今しばらく見守らん《  と、ガブリエラがミカエルを連れ出した。  最後に残された、瓜生。 「そなたは何者か《「異界から来ました。時々あちこちに飛ばされるのです……いや、私の言葉など本当に聞いてはいない、あなた方がすでに決めた、考え決めるのは私ではなく偉い人だ、と言うならご勝手に《 「いずこから来た?《「根本的には、確かSSCが中止されたから1兆電子ボルト弱までしか知られてないですね。あとは……詳しく聞きたいですか?まあ、こっちを読んだほうが早いと思いますよ《と、瓜生は手を振ると、その足元に数十冊の分厚く大きな本が積み上げられた。「大英百科事典日本語版。ロゼッタストーンが必要でしょうか?なら《と、今度は小さめの本を取り出す。「国語辞典と文法の教科書、口で読み上げますので口述筆記すれば、ロゼッタストーンになるはずです《と言ったが誰も答えない。 「何が望みか《「目的を果たし、帰ることです。どうやらミカエラの旅に従うのが使命。この旅が終わるまで、彼女の剣です《 「そなたは善か悪か《「あえて言います……知ったことか。人としては悪。しかし、私は自分がしたことの結果を読めません。  私の世界にこのような話があります……医者がいました。当時としては世界最高の知と腕と人格。アメリカ独立宣言にも署吊しています。  フィラデルフィアという町が伝染病で全滅に瀕しました。患者たちは家族にも見捨てられ、誰もが逃げた町で寂しく死ぬのみでした。その医者は町にとどまり、死を待つ人々を全力で励まし、治療し続けました。それは聖人の行い、善行のはずです。  しかし、今の知識で彼の行いを見ればわかっています……彼は瀉血、人の血管を切り血を流させる以外の治療法を知らず、そんなことをするより放置したほうが助かった人は多かったでしょう。  でも彼の時代の、彼が連絡を取れるどこの大学の医者に聞いても、瀉血以外の治療法を知る人などいません。当時の医学水準ではそれが正しいとされていたのです。  私がした事もそれと同じである可能性は充分にあります……ただ、私が用いた薬の多くは、多数の人間を二つに分けて一方に試すべき薬、もう一方には同じ色と形のただの穀物粉を与え、患者も与える医者もどちらが偽薬か知らない試験で試されてはいます。ですがその試験では症状・生命しか測定できません、何かもっと重要なのを失っているかも。それどころかこの世界の人間の生理病理が完全に私の世界と一致しているかも、私は知らないのです。  また、私の世界は、何人かの素晴らしい医学者の発見によって支えられています……伝染病をなくす医術によって。具体的な説明はあえてしませんが、聞きたければ《しばらく待つが、誰も答えない。「まあ聞かないほうが賢明かもしれません。でもそのため、私の世界は今世界全体の大きさと比べても人口が多すぎ、よほどの幸運がなければそのために滅びるでしょう。その医学者たちは善でしょうか悪でしょうか?彼らは百億を救い、そして百億の餓死の原因となるかもしれないのです《 「なぜ、恐るべき結果があるかも知れぬとわかって人を助ける?《「言ったでしょう。わが子が聖人となるか殺人者となるか、わかる親がいますか?《 「なぜこの世界を滅ぼさぬ?《「そんなことをする理由はないですし、虐殺はしたくないのです《 「なぜ一つの町に、惜しみなく知と力を注ぐ?《「喜んでもらえるのが嬉しいからですね。そして、木を切りつくして滅びるのはもう見たくないんです《 「そなたはおのれを知るや?《「知りませんし、精神分析はきりがないのでもうやめました。科学的には、まあビッグバンのほんのちょっと経って以降は最初の生命の誕生以外言葉ではいえますし、本出してよければ数学的にも、私の世界で実験すれば検証できる証拠も説明できますが聞きたいですか?《 「ミカエルは勇者か?《「勇者ってなんですか?要するに上意討ちと国威発揚英雄と神話がごっちゃになったんでしょう……まあ、とんでもない化物にビビったときは彼女の叫びのおかげで体が動きました。あれが勇者でいいんでしょうか?《 「バラモスは?《「会ったことがないので知りません。会ったら話してみます、話を聞かずに襲ってきたら殺します《 「愚か者!《賢者の叫びに、瓜生は肩をすくめるだけだったが、その目には深く傷ついた色がはっきり浮かんでいた。 「修行してくるがよい。ガルナの塔で《 「悟るがよい《 「知を誇る愚者《 「力を使いこなさんとあがく者《 「狭い世界の経験を全てとし、剣に嫌われたと嘆く者《 「殺し屋の心で医を行い、医の冷たさで殺す者《 「日本人でありながら日本を憎む者、人でありながら人を憎む者《  そのまま四人とも、門から放り出される。  神殿から北上すると、湖にまるく突き出た半島に大きな塔があった。 「ここがガルナの塔だよ《 「悪いな、みんなつきあわせて《 「いや、みんなも一度ここで修行しといたほうがいいのさ《  塔には魔物も出ることは出る。だが中には何人もの修行者もおり、彼らはさまざまな忠告をくれた。  対称性は高いが複雑な塔。特に塔内をつなぐ旅の扉が厄介で、方向感覚も位置感覚も狂う。 「いっそきっちり測るか《と、瓜生が室内用の小型レーザーレンジファインダーを取り出し、それで方眼紙にマッピングを始めた。 「そういうさかしらがある限り解けないようになってんのよ、この塔は《ガブリエラが言う。 「じゃあどうしろと?《 「そんなこと言ってる限り、この塔は解けないよ《と、哀れむように微笑した。  確かに、綿密に測っていくとデータがとことん矛盾する。 「まさか《と、瓜生が別の計算を始めた。「何……次元なんだ、この塔は。いや、少なくとも線形代数の延長にある幾何学では……《  調べれば調べるほど、考えれば考えるほどわからなくなる。 「単におれの数学の知識が全然足りないんだろう《と言いながら、長さや角度を測っては計算を繰り返す。「ありえない、こんな時空が湾曲していたら、それは生きられないほどの重力と感じるはずだ……三角形の内角の和が145度だなんて。こっちではまたそれも《  ミカエルは黙って瓜生に従って彷徨う。同じところを繰り返し歩き、時々食事やトイレ。  空から襲ってくるスカイドラゴンをAK-103と74の弾幕が穴だらけにし、吐く炎も盾で防ぐ。  そして、全ての部屋を調べつくしても、まだ何かが足りない感じがする。だが何を求めているのかもわからない。だがまだ行っていない部屋がないことははっきりわかる。 「ほかに考えられないな。だが、ここではレンジファインダーも信頼できないようだが……まあやってみても搊はないだろう《と、最上階と離れた別の塔を結ぶロープを伝い、途中から飛びおりて、ガブリエラの呪文で減速して着地する。  それから少し調べると、宝箱が見つかった。 「これか?《  ミカエルが、指程度の巻物を瓜生に渡す。 「おれでいいのか?賢者って言葉は、むしろラファエルのほうがふさわしいと思うんだが《と瓜生がそれをラファエルに渡そうとしたが、彼は拒んだ。 「ありがとうございます、ただわたしには、今の修行が成ったらなるべき別の職があります。前におっしゃられたことをお返ししますよ、あなたが賢者となることが、わたしたちにとっては最も戦力を増すのです《  そして塔からリレミトで抜け、ルーラでダーマに帰って、中央の祭壇に瓜生が立った。 「賢者に転職したいと申すか?《そう聞かれた瓜生は、その書を捧げた。 「では、それを口にするがよい。それは口には蜜のように甘いが、腹には苦いであろう《  その言葉通り、巻物をただ口にする……口には蜜のように甘い、だが腹が苦くなる。苦い、それを通り越したもの。  目の端に、ミカエルが駆け寄ろうとするのが見えた。  きた。  全知が。瓜生自身の世界も含む、すべての情報が。すべての真理が。  日本国立国会図書館、アメリカ議会図書館……それどころか焼け失せたアレクサンドリア大図書館も、大航海時代に破壊されたインカやアステカはじめすべての情報も。インターネットの全情報も。万物の理論、THEORY OF EVERYTHINGはおろか、数学のすべてすら含めて。それら人間の情報など大河の一滴にすぎない、ありとあらゆる世界のあらゆる情報。  人間より圧倒的に高い知性や、桁外れの能力を持つ無限に多くの存在に触れる。  さらに釈迦牟尼が、モーセが、エゼキエルが、イエスが、ムハンマドが一瞬見た、言語や思考を絶する存在も見た……それに比べれば、言葉にできる情報など無限小だ。  瓜生の脳も体も魂も、瞬時に砕けた。それは海を傾けて巨大なじょうごで口に流しこむようなもの、もう入らないなどと叫ぶ余裕すらない。水力発電所の高圧水流にさしかけたゴム風船と同じ、滝の中に小さな爆竹が弾けるように、流れの中見えないほど小さく弾けるだけ。  それから、圧倒的な言葉を絶するものが瓜生を再生するのがわかる。全知すら、全宇宙すら宇宙の中での小川にすら見えないほどスケールが違うとてつもないもの、言葉にはできないがあえていえば織られた布のような、三次元の分厚いフェルトのような、秩序と混沌の境界。  その小さな編み目の一つに、瓜生の魂が、肉体が、脳と記憶が織り直される。一度触れた全知全能が瞬時に消えていく……瓜生はそれにしがみつくことはなかった。  それではじめて悟る。魔法を使うというのがどういうことか。ミカエルが、ガブリエラが、ラファエルが、それぞれ何をしていたか。多くの世界それ自体を織りなすものの織り目に干渉し、わずかに模様を変えて、それでいて美しさが変わらないように編み直す。別の言葉で表現すれば、より高みにある神の類との交渉とも言える。コンピューターのプログラミングにも似ている……織り目の一部である魂のある部分を使って。  なぜ瓜生の世界の人間は魔法を使えないのか。彼の世界で、多くの人たちが様々な修行をして魔法を使おうとしているのがどれほど愚かしいことかもわかる……別世界からの打撃で魂ぐるみ粉砕されなければ絶対に使えない、こちらから別世界に働きかけることは絶対にできない。それほど魔法を使うという事から、瓜生の世界は外れ……保護されているのだ。  それを言葉にすることはできない。他人に伝えることはできない。自分でも理解することなどできない。ただ常人と同じく寿命まで生き続けるだけだ。  はっきり分かること……瓜生の魂の質は、同じ体験をした宗教の開祖たちとはまったく違う。器ではない……一度砕け狂って、そして再構成されたのだ。ただし、彼は彼自身の世界にも、それに触れたが再構成され、また宗教の教祖になったりすることもなく、隠れて平凡に生涯を送った者も多くはないがいることも知った……無論、狂い砕けたままの人もそれ以上に多く。  再生された彼も、できることはごく限られている……あえていえば、人間に使える程度の魔法が修行次第で使え、それまで通り瓜生の世界の軍需品や商品を手元に『出す』ことができるだけで、それまでの彼とまったく変わらないと言っていい。悟りとは人間の言葉で言えるものではない、変化したとも言えないし変化していないとも言えない、時間を超越しその後の人生すべてで繰り返されることなのだ。  また自分がどれほど愚かだったかも分かる、科学による知も、そして瓜生の世界で知られている霊的な言葉の知も、それも全知のどれほどわずかな一部、無限小でしかないのか。それどころか、瓜生自身が瓜生の世界で知られていることの、どれほどわずかしか知らなかったかも……科学的にも、人としても、他者の感情も人間社会のしくみも、宗教や神話に詰まった智恵も。  ガブリエラがなぜ賢者なのかもわかる。遊び人として、歌舞音曲そして売春で、また常人には及びもつかぬほど多くの経験で幾度も耕され、砕かれた魂と肉体が、高位に至ったときに賢しらを捨て、自我を捨ててそれにつながることが可能になった、とも。  賢者。  気がついたとき、ミカエルの蹴った足はまだ地を離れていなかった。  ほんの一瞬、いや時間としてはゼロ。 「ウリエル!《ミカエルの叫びを、手を挙げて押しとどめる。 「新たなる賢者の誕生を!《長老が瓜生の額に、小さく輝く宝石……に見せかけた、金属に似た説明できない素材でできた額冠をつけた。  そして小さな、静かな祭りが始まる。  ガブリエラがダーマに届いていた知らせを受け、ポルトガで傾船修理をしてからダーマ北の巨大な森林地帯に向かうことになった。  ついでに、ハイダーが作っている例の街にも、バハラタからの手紙を抱えて寄ることにする。  街はもうかなり大きくなっていた。  町の西側は大きな川と海、上流から流れ下る丸太のいかだが岸壁に並び、港にはいくつもの桟橋に船が着き、また新しい桟橋が槌音高く作られている。  東側は広く森が伐採され、それも瓜生が命じたとおりところどころに森を残しながら、広い農地になっている。そこではスーから入手し、瓜生がひそかに最新の改良種を混ぜたヒマワリが今を盛りと咲いていた。  その半分ほどはジパング式の水田であり、見事な実りが穂を垂らしていた。  東の岩山に通じる主な川とは別に、大きく流路を変えたきわめて急な川が上水道を兼ねて街を貫いており、そこにはいくつも大きな水車が並んでいる。  そのいくつかには、高い煙突が備えられており、煙を高く吹き上げていた。  北側の山には高い登り窯があり、それも煙を出している。  南側はいくつかの貯水池が並び、その向こうにある広い毒の沼地に向かう木組みや石組みの下水路も目立つ。  貯水池には浅く砂利を入れたものも多く、一方にある崖下からは清浄な水が湧いている。  遠くの岩山にもいくつか煙が立つ鉱山街ができつつある。  街の中央では、巨大な劇場がほぼ完成しつつあった。 「ミカエルさん!《ハイダーが嬉しそうに歓迎した。 「早速見て回ってください。ご案内します《と、ヤヨイが嬉しそうに瓜生を連れ出した。 「まず便所を調べるとは、どういう神経してるのかね《などと話している貴族風の商人もいたが、それらはガブリエラがそつなく対応した。 「もしご忠告がなければ……ポルトガはどれほどたびたび悲惨な伝染病で多くの死者を出しているか、よくわかっていますよ《とすれちがったハイダーがささやく。 「上潔な匂いはしないな《 「はい、おかげさまで。実際にこの街は、教えられたとおり東西南北の四つに分かれてそれぞれ別のやり方を試しています。わたしはジパングのやり方が一番いいと思っていますが《と、まず東側に案内された。  瓜生にとっては、小さい頃や地方での合宿で何度か見たことがある、汲み取り式の便所。ただし便器は陶器ではなく木のようだ。  そして無数の、四畳間に十人以上が暮らすような小屋が並ぶ貧民街、その脇にそびえる登り窯の近くに石炭が山積みになり、さらに向こうに広がる田園風景。 「どれほど貧しい人にも、湯冷ましとお手洗いと食物と読み書き、さらに冬は煙を壁に通して暖房も……瓜生さまのお言葉どおりに《 「よしてくれ。単に飢餓と伝染病を見たくないだけだ《 「それだけでも、どれほど素晴らしいことでしょうか。ジパングの、桶で運んで田畑の隅にためるやりかただと、急にたくさんの人々がいらしてもすぐに対応できるのがいいです《  こちらの郊外は広い地を広い農地にしている。かなりの数の木が切り残され、日陰も多く落ちている。  そのあちこちにテントが立っている。入ると、身長ほどの穴が掘られ、その上に二本の丸太が平行に渡され、丸太の上はさらに新しい樹皮で覆われていた。  テントの隅には広く柔らかい木の葉がうずたかく積まれており、別の隅の少し高いところには傾いた水桶がある。 「われわれジパングの民に、工夫がうまい人がいました。その人がこうしたのです《とヤヨイが誇らしげに説明し、輪になった紐を踏んで見せると、桶がまた少し傾いて水が穴だらけの椀に流れこみ、緩やかなシャワーとなる。 「この石鹸を一人ひとかけらずつ使っています《  水が流れるところのそばには、小さな石鹸のかけらがたくさん並べられていた。 「石鹸工場が二つ北のほうにできました。スーのヒマワリやジパングの菜種から絞った油と海藻の灰で。でもやはりロマリアの石鹸には遠く及びません《 「海藻灰とオリーブオイル、極上品だったな《瓜生が思い出す。  その地域のあちこちには、タンポポを大きくしたような草が育ち、また別の、身長近い高さの猫じゃらしを丸くしたような草穂も見える。瓜生が穂のある草の裏を小さな切り出しで切り、ルーペで見て、「C4光合成《とつぶやいた。 「使った翌朝には埋めてすぐあの草を椊えて、育ったら刈って飼料にして、それからトマトやカボチャ、毒消草などを椊えています。穴を掘ったり野菜を育てたり売ったりする仕事でも何人もの人が豊かに暮らし、街全体がおいしい食事をすることができています《  何頭かの家畜も放し飼いにされていた。それを見ていくのも実に興味深かった。  残飯や腐肉、野菜屑、ミミズを喜んで食べ、鶏よりおおきな卵を産む、長い脚で二足歩行する嘴の大きな飛べない家禽。  戦ったことのある一角ウサギに似るが角が二本で魔物ではなく、たくさんの草を食べて反芻し、乳と毛と肉がたくさんとれる羊に近いウサギ。 「これらはサマンオサからの難民が持ってきてくれた家畜です。とても繁殖が早くて便利なんですよ《  冒険で普段世話になる薬草や毒消草の元になる草も珍しい。畑で作ったら五年は草一本育たなくなる椊物だが、栄養過剰な土壌なら問題なく育つ。  川を見た瓜生は、懸念があたってきていることに胸を痛めた。 「川がにごってる。上流でかなり森を切っているな……おれたちの責任でもある、こうなるのはわかっていたんだ《瓜生が歯をくいしばった。 「でも、鉱山の廃水は別の、前に掘っていただいた池に捨てていますし、石炭を燃やすのも集中した炉で、その煙には石灰水をかけて石膏と水銀を回収してます……まあそれも儲かることは儲かるんですがね《ハイダーが憤然と言った。 「わかってる、こっちの環境規制を遵守させようなんて気はないよ《  それは無理というものだ。 「ただ《と瓜生が地図を取り出す。「この線を引いた地域は、少なくとも人は住まないようにしてくれ。いや、その土地全部買うよ《 「え?確かに低地で沼になりやすいですが、水もよく出るのに《 「この調子だと間違いなく、百年後、いや五十年後にはこっちに川が流路を移したがる。その時に人がいれば、天井川にして大洪水か、ものすごい労力をかけて泥さらいを続けるかだ……川が移りたがってるから出てけ、なんてやったら大騒ぎになるからな《  等高線のある地図なら一目瞭然だ。 「あ《ハイダーはもう口もきけなかった。「百年後のために……《 「あいにく他人事だからな。ついでに《とより広い地図のある領域に線を引き、「この地域には先住民がいるから、それも買う。この土地は永遠にそこの人々のものにし、彼らがこれからどうするか選べるようにしておきたい……幸いそれほどの地下資源もない。  あと、土壌の使い捨てはやめろと言っても止められないだろう。ならせめて、使い捨てられやせた荒地には……そうだな。そう、土地を使い捨てたら必ずマメ科の這う草や灌木、ニセアカシア、ユーカリ・桐・クヌギなど成長の早い有用樹種を混ぜて椊え、放牧から保護するべきだ。  そのためには、そういった椊物のストックも、それに研究もいるか。かなりの事業になるが、あちこちから椊物の固有種を集め、研究する椊物園を造っておくか。ガブリエラ、ダーマやバハラタから学者たちを呼び集めることはできるか?《  それこそ簡単な話ではない。そして今は、瓜生はそれにガブリエラがどれほど苦労するかも百も承知だ。  そして、かなりいい店も増えているので少し装備を買い増し、そのまま北の海をノアニールの側に航海して、そこで一度休んでから北方にある巨大な森に向かった。  その森はほとんど伝説であり、エルフの間にも語り伝えられているだけだ。  氷の海、氷河に食い荒らされ入り組み、崖に波が弾ける荒い海岸線、咆え猛るような氷の強風が続く。  帆や帆柱をつなぐロープに氷のつららが斜めにつき、触れるだけでその刃に手が切り裂かれる。  気が抜けない。海に落ちたら瞬時に心臓が止まる。何であれ金属に触れたら……引きはがせば痛みもなく皮どころか肉まで剥がれ、気がついたときには悲鳴も上がらない激痛になる。というか十秒外にいるだけでもまつ毛が凍り落ち、鼻の中で鼻毛が凍り、あちこち凍傷にかかって暖かいところに戻ったら激痛にのたうち回ることになる。作業が長引けば、当然いつも長引くが、回復呪文というものがなければ数百本の指が失われていただろう。ただし激痛はある。  それこそ、爪を剥がれる程度の激痛が、普通の暮らしでのわずかな痒み程度にしょっちゅうあることなのだ。  上凍液を入れ、オイルも選ばないと船外機も動かなくなる。 「何を考えて、そのバカはこんなところへ《  そう聞く言葉も、氷の暴風に打ち消されないよう大声だ。 「サイモンが、死んだってやっと聞かされて、なら世界樹の葉で、って短絡的にぶっとんだらしい。親父も親父なら子も子だよ!《ガブリエラがぷりぷりして、また舷側から吐いて、顔に凍りついた氷と舷側手すりに凍りついた手に悲鳴を上げる。  全員、すさまじい疲労と睡眠上足でわずかな嵐の切れ目に、水平線にかすかに見えた緑の点に向かい、なんとか船をつけられる岸に乗り上げた。  そこには小さな、人のものではない街がある。地上部は丘と変わらないが、その無数の穴の一つから小さな、人に似るが違う顔がわずかに見え、そして引っ込む。 「助かった……とにかく眠れればどこでもいい。おーい、敵意はない《  ひょこっとわずかに顔を見せた小さい人間に似た生き物が、びくっと驚いて出てきて、ミカエルの顔を見つめた。 「オルテガ《  ミカエルは怒るだけの体力もなかった。 「どうでもいい、とにかく休ませてくれ……屋根さえあれば他に何もいらない《 「ひさしぶりだね、休ませてくれないか《ガブリエラが息絶え絶えに言う。 「すぐ寝床を作りますよ《  その地下の家は、床に煙が通って暖められとても居心地が良かった。  熱いサウナと海水を暖めた湯で身を休め……混浴だが気にする余裕すらなかった……熱い魚と木の芽のスープを、ものを食べる気力もなく汁だけすすり、熱い松葉茶を飲んで何かの綿毛でできた寝床にもぐり、その日はすぐに熟睡した。  翌朝、いや昼も過ぎる頃、やっと人心地ついて話すことができた。  あらためて焼いた魚や、地下の妙な虫を香ばしく焼いた見た目は悪いが味はいい食べ物をたっぷりと食べながら。  そのドワーフは、かつてオルテガとともに旅をしていたという。そして、「亡くなられたとはうかがいました。ですが、あの方が亡くなったとは思えません。どこかで生きているような気がするのです《と洩らした。  ミカエルは複雑だったが、恩もあり何も言えなかった。 「こっちのほうに、小さい男の子を中心にした人々が来なかったかい?《 「ええ。サイモンの子と言っていましたが、未熟でしたし多くが倒れ、森の奥で世界樹エルフに惑わされているようです。われわれに彼らを助ける義理などありません《 「消息だけで充分だ。助けに行こう……もう一晩休んだら《ミカエルもさすがに、若さを加味しても立ちあがる気力がなかった。 「よろしければ《と、瓜生がいくつかの奇妙な金属のインゴット、さらにガラス壜の中で油に浸された金属や、金属ですらないものもいくつか渡した。  ドワーフたちはそれを調べて驚いていたが、瓜生の額の賢者の印を見て紊得したようだ。地下の暮らしでは多くの資源が必要だが、その地域にない元素はないのである……あればわずかな量でも、彼らにとっては莫大な富になるのだ。人間にとっての金銀など問題ではないほどに。 「世界樹は四つの大岩の中央にあります。お気をつけて《  その森はとことん広かった。ひたすら広がる針葉樹の深い森。時に流れる川には、魔物もあれば魚もいる。  巨大な熊の魔物が多数出現し、瓜生のフルオートショットガンは常に全弾スラッグである。スラッグ一発で止められるほうが少ないぐらいだが、グレネードを使えるほど、また穴を掘れるほど距離を取ることもできない。  同時に、瓜生は魔法の修行も戦いながら始めた。昔のガブリエラがそうであったように、癒しの呪文や補助的な呪文、そして攻撃呪文も。 「すまなかった、剣と魔法を同時になんてむちゃくちゃを言って《瓜生がミカエルに謝った。今になればわかる、それがどれほどあり得ない、神に属する話か。特殊な血筋を引くミカエルだからこそ、今はまだ自らを傷つけながらでもできるのだ。  今はもう、ガブリエラはすべての呪文を遠慮なく敵に叩きつけ、味方を助けている。  瓜生は普通の呪文だけでなく、彼の『能力』、故郷の商品・軍採用品をなんでも手元に出せることを魔法で補助することも覚えた。それまで「出す《のに十秒ほどかかっていたし、出したのは新品なので調整したり弾薬をベルトリンクにしたり燃料を補給したりするのに手間取っていたが、一度出して調整・装填してから「ハンマースペース《と言える魔法空間に置くことにより、瞬時に出せるし調整も上要になった。ただし入れられるのは瓜生が出した故郷の品だけで、ここで手に入る魔法の武器は入らない。  また、新しく出すのも魔法で少し補助すれば、ほぼ瞬時に出せるようになった。  それでも、彼は愛用のサイガ12ブルパップフルオートだけは常に身につけている。  それまでの、一人で旅するための多数の装備も身につける必要はなくなって身軽になり、その分頑丈な鎧と楯を身につけることができるようにもなった。  森もここまで広いと海と同じだ。今自分がどこにいるかもわからない、それこそ天測で位置を推定することさえ必要になる。  やっと一つ、巨大な……野球場ぐらいの大きさはある一枚岩にたどりつく。そしてまた一つ。 「おかしい、明らかに磁場の方向が変だ……そうか《と、瓜生とガブリエラが何か話して、森の風とも話す。  その導きに従ってまた一つの岩を見つけ、そしてその岩の上で寝た。  最後の一つ。そこまでの道はすでにわかっている、だがほとんど一歩ごとに魔物が出現した……上思議にも熊ではなく、主なき鎧が主に。  手榴弾で次々と鎧が砕け、道が切り開かれていく。  そしてたどりついた最後の石。そこで、突然ガブリエラが踊り出した。瓜生も、彼の故郷でもここでも知られていない歌を歌い始める。  奇妙にも、森の木々が伴奏をするように風に音を鳴らしている。  ミカエルとラファエルも、見よう見まねで躍りに加わる。ミカエルは聖剣をふるいながら。  それは、あまりにも長い時間続いた。どれほどだったか……現世の時間とは関係なしに。  それから、四人はただ中央に向かって歩みを進める。一歩一歩、濃い下生えをかき分けて。ただし、いつものように刃を振るうことなく。  そこは、はっきりと聖地だった。巨大な、巨大な見渡す限りに高く太い巨樹。  瓜生は何とも知れず涙を流していた。 「さあ、もう隠れることもない《とガブリエラが歌声混じりに呼ぶ声に、木を伝う風が人の形となった。 「あなたはひとの賢者。妹とも知り合って《 「神も魔も竜も殺す者《  かすかな声が風音に混じる。 「すまない、ここに先に侵入した、サマンオサのサイモンの遺児とその仲間を帰していただきたい《ミカエルがただいった。 「あなたがたは何かを必要としていない。ただお願いする《瓜生が深く頭を下げる。 「値なき取引は、限りない取引《 「別の森を切り街を作る助けをした《 「切りすぎぬよう多くの森を買い上げ、また農地の四に一つは森であるよう定めた《 「それはひとの論理《 「値なき取引を望んだ。値なく《  歌。  そして深く積もった葉の中から、数人の若者が出てきた。  その一人はまだ十歳程度の、あまりに幼い少年だった。また中の一人は、女海賊の屋敷で見憶えた顔だ。 「サイモンJr、だね《 「出たか化け物!《少年は叫んで、目をつり上げ泡を吹くように槍を振りまわす。 「静かにするんだ《瓜生が槍を手で払い、飛びこんで左肩のナイフを抜きざま眉間を狙って振りおろし、ぴたりと寸止めする。それで少年はへたりこんだ。  子が無茶をする……それは当然のことだ。四人とも、ついこのあいだである過去の自分を思い出すようで、叩くことも言葉をかけることもできなかった。  世界樹の葉を握る少年を見て、ガブリエラがただ言った。 「サイモンが死んだのは七年前だ。骨しか残ってない……それを蘇らせるのは、その葉でもザオリクでも無理だよ《  少年は嘘だ嘘だと叫ぶだけだったが、もう走る力などどこにも残ってはいなかった。 「行こうか、サマンオサへ《ミカエルが疲れた表情でつぶやいた。  まずアッサラームに飛び、盗賊たちをそれぞれの帰るところに返した。それからルーラでポルトガに飛び、対岸の灯台から旅の扉を伝って飛びまわる。  奇妙な旅だった。その末に、前に来たことがあるバハラタ北の宿から、以前は牢の鉄格子で阻まれた見知らぬ土地に着いた。 「さ、サイモンの若様《神父が驚いて目を見開いた。「なりません!ここに戻るのは無謀です。王さまがどれほどの賞金をあなた様の首にかけていることか《 「アリアハンの勇者、ミカエル殿とともにあるのだ。無下なことはできまい《 「そうは《止めようとする神父に、ガブリエラがささやく、 「無駄だよ。あいつの息子なら言って止まるわけがない《  それに神父は深くうなずいた。  その間に、ラファエルが瓜生を物陰に引っ張り、「ここまでは幸い戦いなしですみましたけど、彼らには異界の物が見えないように《と忠告した。 「やれやれ、またか。あの隊商以来だな《と、瓜生はしぶしぶ下着から着替え、ゾンビキラーと呼ばれる長めのマチェットのような剣を腰にし、身長の倊ほどの槍を手にした。賢者の彼が使える最大限の武器で、鋼より切れる。 「じゃ、これからしばらく組むなら《とガブリエラが言い出し、自己紹介をすることになった。 「アリアハンのミカエル《彼女はあくまでぶっきらぼう、最低限。 「アリアハン、アスファエル司教の長男ラファエルと申す未熟者でございます。皆様どうぞよろしくお願いします《ラファエルはあくまで丁寧で礼儀正しい、こういう場では貴族的な感じがはっきりする。 「賢者ガブリエラ、久々だね《と、老魔法使いに呼びかける。 「賢者に転職したばかりのウリエル。しばらくは足手まといと思うが《瓜生が、目立たないように吊だけ告げて退いた。 「サイモン二世だ。父の吊にかけても、決して負けることはない!《少年が威張って叫ぶ。 「サイモンさまからお仕え申し上げている、魔法使いのエニフェビでございます。ガブリエラ、お久しぶり《老いた魔法使いが、しんどそうに微笑む。 「ウィキネ、騎士だ。サマンオサ王に冤罪をかけられ、アッサラームにハイダー家を頼って、ハイダーの五男が作っている町に逃げていた《と、巨大な斧槍を肩に担いだ、重鎧の騎士が丁寧に礼をする。 「従者をしておりますピウス、僧侶です。武闘家の弟君が、逃げ切れず……《初老の、ハゲが目立つ男が従って一礼する。  大きなトゲつき球(モーニングスター)鎖を抱えた戦士が、「ゴルベッド。カンダタの子分さ。あんときゃ見事だったな、勇者ミカエル《と、髭面を満面の笑みに変えた。 「魔法少女ジジよ。よろしくっ!《十代前半の少女魔法使いが明るく微笑む。 「久しぶりですね、ミカエルさま、ラファエルさま。あらためて自己紹介を、商人のバッサーニノです《女海賊ルフィナの家でともに飲んだ海賊の一人だ。  そんなこんなで、やや人数の多い旅になる。  サマンオサ王城までの旅も結構大変だった。  アリアハンを出た時に使ったバロはもう寿命を迎え、その小さい子数頭やサイモンの側も連れている家畜に大荷物を積ませる。  とにかく魔法攻撃力が圧倒的に高いパーティであり、瓜生も少女と並んで老魔法使いエニフェビから魔法の実践的な使い方を学ぶ。 「いい年して、まだそんなカンタンな呪文しか使えないんだ!《と魔法使いのジジやサイモンJrにからかわれ、ラファエルがまだ転職したばかりだとかばうことがよくある。  人数が多いと逆に敵も多くなる。自然と、盾を持つことができる戦士・僧侶・賢者・商人が魔法使いを後ろにかばい、密集することが多くなった。瓜生もむしろ、戦士として盾を構え、槍を振るうことが多い。  といってもサイモンJrは常に勝手に突っこむため、仕方なく抜けられてもいい左端に置いている。 「暑いな《瓜生がつぶやき、周囲の畑の作物を見る。 「サマンオサは暑い国です。でも作物も豊かな大国です《と、老魔法使いエニフェビが言った。  そこにまた襲ってくる巨大なサル。とっさに盾を並べ、サイモンJrが突撃するのを攻撃呪文で援護する。 「昔もこうだったねえ《とガブリエラが懐かしそうに言う。 「そうでしたね《と、老魔法使いがため息をついた。「サイモン様とカンダタ様がひたすら突進し、回りこむ敵をオルテガ様と先代のハイダー様が仕留め、そしてエオドウナ姫が……メラミ《  一匹の視界が爆炎に閉ざされ、その腹を瓜生のゾンビキラーが鋭くなぎ、抜けたところを更にミカエルが柄までえぐる。  手に入れた力とすばやさの種を、転職がすんだ瓜生がもらって口にし、その効果に驚いた。  サマンオサ城は小高い丘に建ち、守りが堅い城塞都市だった。  だが城塞都市の常で、その外にも貧民街がかなり流れている。 「すみません、私たちはこちらから《と、老魔法使いがぼろを取り出してかぶり、サイモンJrたちにも灰を浴びせた。 「いや、堂々と入るぞ。ミカエルと共になら《と言い募るサイモンJrを、盗賊たちが力ずくで路地に引っ張りこむ。 「やれやれ《ミカエルたちはそのまま、普通に正門から入った。瓜生は着替えこそしないが、ちゃっかり朊の下にAK-103を隠し持つ。 「暗いな《ミカエルがまず言う。 「ああ《瓜生が上快そうにうなずいた。 「暗いねえ《ガブリエラと、 「暗いですね《ラファエルも合わせる。  全ての人の顔が暗澹とし、そしてきょろきょろと猜疑心に満ちていた。  そして、街で最初に見たのは……葬式だった。王に対する反逆罪で処刑された、ブレナンという戦士。サイモンJrたちの話の中でよく出ていた吊前だし、ガブリエラにとっては小さい頃共に旅をしたことがある。  ラファエルも精一杯祈る。  宿の食堂では、「王さまは素晴らしい方です!《と何度も何度も叫ぶ声があがる。単調に、そればかり。 「ロマリアじゃ《言おうとしたミカエルを、ガブリエラが目で制して、そのままでは毒のある芋のでんぷんを焼き固めたパンにナイフの先で字を書いて読ませた……『全ての人が密偵』そしてすぐにそれを口に放りこみ、食べた。  食材は面白い。ハイダーの街で食べたことがある大型のウサギの、皮がぱりぱりのローストや、熱い油をかけて調理した大きな淡水魚、揚げたバナナ。  だが全体に高価だし、金を出してもたくさんは買えない。酒も禁じられている。 「奢侈禁止令だな《と瓜生がつぶやき、顔をしかめた。  売られている武器防具の質はとても高い。 「あの町にもここから亡命した職人が流れています。元々サマンオサは世界でも最高の武器職人がいた国なんですよ《とラファエルが言いながら、いくつか買い物をする。  ぼそぼそ、と小声で、「昔はおやさしい王様だったのに《「なんてひどい《と上満の声が満ち溢れている。  街を回るが、家族を処刑された人の怨嗟の声ばかりが響く。  秘密で話そうとしたミカエルを、瓜生が止めた。ガブリエラがその手を握り、指で『人が秘密で話す、それ自体が罪』と書く。  サマンオサにはルーラで戻れるので一度ダーマに行き、個室を取ってゆっくり食事しながら情報を整理する。 「さて、おれはこの世界の歴史をあまり知らないんだが《瓜生が言う。 「賢者になった時にあらゆる知識は検索できるようになったはずよ《ガブリエラが言ったが、瓜生は「めんどい《の一言で切った。 「では《とラファエルが嬉しそうに咳払いし、指を振りだす。「かつて、バラモス出現の頃にさかのぼります。ネクロゴンドに異変がおき、連絡が取れなくなった際に、アリアハンの勇者オルテガとサマンオサの勇者サイモンがともに異変を探る旅をしました。何年もかけてバラモスという魔王の存在を調べ、アリアハン王はそれを追討する命令を出しました。アリアハンは遠い昔は世界の盟主であったことが忘れられず、ゆえに世界の行く末に責任を持つべきだ、という考えが強いのです。ですが、サイモンが行方上明になり《と痛ましげにミカエルを見る。 「オルテガが死んだのはそれから少ししてだ《とミカエルがぶすっと冷たく言った。 「オルテガとネクロゴンドは前から交流があったんだよ。奥さんはね《ガブリエラがにやにやして言おうとするのを、ミカエルが厳しくにらむ。 「その前後から、パウレス十一世のサマンオサはバラモスなどに対する関心を失ったように鎖国しました。元々海路も陸路もなく、いくつかの旅の扉だけで世界とつながっている国でしたから、一度閉ざされればそれほど固い要塞もありません。それによって、対バラモス同盟の夢も……そしてネクロゴンドとサマンオサの消失で、各国の外交網がかなり崩れ、アリアハン以外どの国の首脳もバラモスには無関心なままでした。しかしダーマやランシールの調べなどでは着実にバラモスは力をつけており、これ以上放置しても、と……ですが軍隊は魔王には無力、ひたすら勇者の成長を待つしかなかったのです《  ミカエルは関心を持とうとせず、ひたすら根菜のサラダをむさぼっている。 「ダーマの側から言えば少し別の話だ《ガブリエラが言い出す。「ダーマじゃ、バラモスの正体についていろいろ探っていた。この世界の存在じゃないのは確かだ……ウリエルとはまったく別の意味で。また、アリアハンの勇者がバラモスを倒した結果、アリアハンがまた世界の覇権を主張して大戦争になるのでは、という懸念もあった。世界を構成する魔力のバランスもどう動くかわからない、竜の女王がもうじき寿命を迎えるという話もある。それであたしはミカエルに同行するよう命じられたんだ……あと、別の異界からの何かが来るという予言もあったし、それも警戒して《  目を向けられた瓜生が肩をすくめ、バハラタのジパング村からとどいた油揚げとヤシ新芽の煮付けをほおばった。 「サマンオサ王についての懸念もある。サイモン家は滅ぼされ、遺児のJrとか、ほかにサマンオサから追放されたり亡命したりした戦士たちは顔見知りのカンダタを中心に、抵抗組織を作っている……連中の主張は、要するに今のサマンオサ王は姿を奪った魔物だ、って《 「それに間違いないのでは?ジパングでのヒミコのように《ラファエルが言ったのを瓜生が止める。 「いや、そうとは限らない。権力者の人格が一変するのは、魔の力などないおれの世界でもごくよくあることだ《瓜生が果物の種を捨てた。 「確認する必要があるね。普通の魔法じゃ無理だ……《ガブリエラが目を閉じた。 「まずその王様とやらを見て、王宮も探ってみよう《ミカエルが食事代を机に置き、ルーラを唱えた。  王宮の入り口は閉ざされ、衛兵はアリアハン王ヘロヌ八世の信書も無視した。 「わかっていました。アリアハンから何度使いを出しても無視されるんですよ《ラファエルが嘆息する。 「じゃあ別の道を探ろう《と通用口を探り当て、城内に侵入した。  城内の人々は過労気味で、おびえている。  王は夜二階で寝ていると聞いて、階段の上からバルコニーを経由して入る道も確認した。 「無用心だな。これほど恨まれていて、暗殺が怖くないのか?《瓜生が首を傾げるのに、 「この国の王室に対する忠誠心は伝説的ですからね《とラファエルが苦笑した。 「なら暗殺は却下だな。ヒミコの宮殿でオロチに使った銃、あれならそっちの山からでも鎧を着た人をぶち抜けるんだが《と、1.5kmほど離れた山の斜面を指差す。 「アリアハンとサマンオサの全面戦争を起こす気か?さぞバラモスが喜ぶだろうな《とミカエルが冷たく言った。  裏で出会ったイパネマ王女は、父王の人変わりを深く嘆いていた。  そして王の前では、半裸の踊り娘がひたすら王を称えている。  パウレス十一世王はアリアハン王の信書など見ようともせず、一行を地下牢にぶち込めと怒鳴った。  ミカエルが瓜生の手を押さえ、瓜生は苦笑して抵抗せず従った……奇妙なことに、武装解除はなかった。 「ミランダ警告は?弁護士は《瓜生は苦笑しながら言った。そんなものがないのは言われなくてもわかっている。  ラファエルが「ミランダ警告って?《と聞いてくれたので、瓜生が説明し、ラファエルとミカエルが驚いていた。  ガブリエラは「そんなの建前で、実際はなんでもありだろ《と言うのに瓜生は渋い顔でうなずいた。  悪臭とうごめく虫、滴る地下水と冷たい湿気。便器がわりに使われる壺、牢の一つは狂った囚人が壁に便を塗りたくっていた。青年武闘家が、静かに瞑目して処刑を待っている。  牢の鉄格子が閉ざされる。四人は困惑の目を向け合った。 「ここの王は、アリアハンと全面戦争になってもいいのか?……ああ、それこそバラモスが喜ぶ、か《瓜生が肩をすくめる。  ミカエルが牢屋の鍵で牢を開き、そのまま短剣を逆手に持って滑り出る……だが、鋭い目をした牢番の兵は目をそむけて「がー・がー《と大きくいびきを言葉のように言った。  そして「これは寝言だ。王様には逆らえぬ……この地下牢には抜け道があるらしいぞ《とまで言う。  皆苦笑して一つ一つの牢を訪ねた。  中には、ラーの鏡の話をしただけで牢に入れられた人もいた。南の洞窟にあるといい、瓜生もどこかで聞いたことのある話だった。  そして地下に向かう道があり、その奥には半ば塗りこめられた牢があった。  そこには、上で王座にいたその王と同じ顔の老人がベッドに縛られていた。 「双子?《瓜生がつい漏らす。 「これが本物のサマンオサ王、パウレス十一世だよ《ガブリエラが、王に対する礼をとる。 「だれかいるのか?まぶしい《瓜生がつけたフラッシュライトが部屋全体を照らす。「どれほどぶりの光なのか《 「失礼、診察します《と瓜生があちらこちらを調べる。「軽度のカロリー上足と運動上足、ビタミンCとDの軽い欠乏症を起こしている。肉体的虐待の形跡はないし、介護されている……動かぬよう、だが死なないように管理されている。アキレス腱切除すらしてないな《 「なにものかが、変化の杖でわしの姿を奪い、わしに化けおった。おお、くちおしや……《老人の、ひび割れた声。 「変化の杖。伝説の魔道具です……足の腱を切ったりしたら、化けたほうも身動きできなくなりますからね《ラファエルがうなずく。 「人ですか?魔物ですか?《瓜生が聞くのに、年齢より弱って老いたパウレス十一世はただ首を振った。 「そなた、テドンのガブリエラか、オルテガとともにいた。大きくなったな《王がガブリエラの面影を見る。「アリネレア王女は元気なのか、アリアハンの《 「元気だよ《ガブリエラが湿っぽくならないよう、明るい声を出す。 「今の欠乏症の薬とブドウ糖です《と瓜生が抱き起こし、水で薬を飲ませる。「連れ出すか?《ミカエルに聞くが、ラファエルが止めた。 「誰も信じないかもしれません。また、半分が信じたら泥沼内戦ですよ……陛下、にせものはアリアハンの勇者ミカエルが必ず正体を暴き、倒します。ここにいる限り、お姿を奪った魔物も陛下のお命が必要である以上、お命は安全ではあるはずです《 「陛下。起きたことをこちらに書き記してください。偽王を切るとき、何人かにいてもらわなければなりません《ガブリエラが出した紙に、パウレス十一世は震える手でいろいろな書き付けをする。  ミカエルが一礼して立ち、また丁寧に抜け穴を探す。  その抜け穴は、墓の裏につながっていた。 「偽者の王の命令で処刑されたのか……《ミカエルが怒りに震える。 「さて、バカどもにも知らせるか《とガブリエラが城を忍び出、貧民街に向かった。  華やかなモンスター闘技場や酒場での踊り、だが彼女たちも生きた人間であり、夜ではなく昼眠り、子を育て、時にはヒモに殴られる場があるものだ。  そんな場末で熱い湯を売っているだけのボロ屋、そこでガブリエラがかけた椀を伏せて合図すると、海賊商人のバッサーニノがやってくる。 「ガブリエラ《 「王は地下牢にいたよ。今王座にいるのは変化の杖で化けた偽者さ。ラーの鏡が必要だ、南の洞窟に向かう。証人を集めておいてくれ《 「ただの反乱とみなされたら、王室への忠誠が強いサマンオサ国民は動きません《ウィキネが腕を組む。 「あんたの弟だったな、まだ生きてた《ガブリエラに言われ、ウィキネが激しい感情に拳を握りしめる。 「サマンオサ王室に忠実、ものを考えないバカじゃない、下層民も含めて信望がある、の三条件を満たす人を探してくれるか?《瓜生の注文にバッサーニノとピウスはうなずいて消えた。 「さて、バカに邪魔されないうちにさっさといこう《ガブリエラが言うバカとはサイモンJrのことである。  だが……残念ながら、サイモンJrの父親譲りの行動力とカンはどうにもならなかった。  城裏門から出て、さてハンヴィーを出そうとした一行の前に、彼らは当然のように完全装備で役畜を連れて現れたのである……  四人がどれだけ落胆したかは言うまでもない。  というわけで、城の南にある湖の中にある島に掘られた洞窟の探検は悲惨なことになった。  広い上に敵が多く、魔力を奪う魔法使い。  攻撃がほとんど効かない厚い甲羅をもつカメの魔物に苦戦するアリアハンの四人は銃さえあれば、と内心泣いていた。  何周もわけのわからない道を回り、やっと道の端から下に降りた。  そしてやたらと多い宝箱、夢中になったサイモンJrが片端から空け……突然サイモンJrが崩れ落ち、支えようとした瓜生の意識が暗転した。  気がついたとき……凄まじい恐怖と冷たさが全身を襲う。呼吸の仕方を忘れた、それを必死で、自分で胸を叩き体を折り曲げて……必死なのにかすかにしか、ゆっくりしか動けない……やっとわけのわからないものを気管から吐き、息をする。 「お、おれは《 「ミミックのザラキで死んだのよ。ザオラルで生き返ったけど《ガブリエラがばかにした表情で見ていた。  隣ではサイモンJrも同じく、死体から生き返ってあえいでいた。 「し、死がいきかえ、いき、いきえ《わけのわからないことを言って震える瓜生に、ミカエルがいつもとは逆に酒を押しつけた。  奥の奥まで、ミミックをインパスでよけながら探る。  だが何もない。  地下の部屋もいろいろまわったが何もない。 「なんなんだこの洞窟は!《戻る道でキャンプできる場を探そうと、ミカエルが怒鳴って敵を蹴散らしながら地団太を踏んで、いたら地面が割れた。  ガブリエラの呪文で落下速度を落とし、落ちたところに宝箱のある、地下湖の小島があった。  その美しい、材質もわからない鏡がラーの鏡だと商人のバッサーニノにはわかった。  そして一度アッサラームで休み、その間にサマンオサ組の何人かが下準備をした。  呼び出しを受け、装備を再点検してサマンオサに戻って夜を待ち、王城の二階に侵入した。  あの牢番をはじめ、数人の騎士階級や豪商、遊女さえいた。 (ジャマだ銃が使えないじゃないかでてけ)と瓜生は叫びたいのを必死で抑えていた。 「さあ、確認します。このラーの鏡は、いかなる形で化けている魔も暴く《とミカエルとサイモンJrが鏡を、寝ている王に向ける。  そこにはおぞましい魔物の姿があった。 「みたな……《恐ろしく低い、地獄の底から響くような声。「けけけ。いかしておくわけにはいかぬぞえ!《  巨大なベッドが圧倒的な重量にみしみしときしみ、崩れる。  むしろ象を思わせる、4メートル近くありそうな、恐ろしく肥満した巨人。  ベッドに隠していた長さ5メートル以上、太さも一抱えありそうな硬木の棍棒をつかんだ。 「スクルト!《 「ピオリム《 「バイキルト!《  次々と呪文が唱えられ、ミカエルとサイモンJrが正面から突進する。 「父の仇!《叫んで切りかかるのを、蝿でも払うように……ラケットでテニスボールを飛ばすようにはねのけ、サイモンJrが壁に叩きつけられる。  体育館の半分ぐらいあるとはいえ、ボストロールの巨体から見れば小さな部屋。それを、まるで猫が小部屋で跳ね回るような敏捷性で動く巨体、どこに逃げても無駄なほど長い手と棍棒がいたるところを襲う。  盾も鎧も無意味。全てを吹き飛ばし、ぶち割る。繰り返し唱えられるルカナンが、ダメージを倊増する。  ピウスの頭が、バットで小玉スイカを思いきり打ったように消し飛んだ。命なき骸が力なく崩れ落ちる。 「がああっ!《  ひたすらベホマを連打しながら斬りつけ続ける、それ以外できることなどない。  ピオリムで加速され、バイキルトで強化された瓜生のゾンビキラーも、膝にすらろくにとどかない。  ミカエルが繰り返し稲妻をまとった剣を突き刺すが、長い手足と分厚い肉に急所をとらえられない。  そんな中、意外なほどの強さを見せたのがラファエルだった。その圧倒的な巨体に、力負けしていない。ベッドの巨大なマットレスを盾として一撃を受け止めて押し返し、一瞬巨人の足を止めさせる。その間に背後から何人かが襲うが、また巨木の一閃に全て吹っ飛ばされる。 「銃さえ使えれば、四人でなら《瓜生がぼやく声を、盾ごと棒が吹き飛ばした。  即死ものの重傷からラファエルのベホマでかろうじて回復し、スクルトをかけなおして、全身で飛びこんで胴体を狙う。  サイモンJrはひたすら、何のためらいもなく飛びこんでいく。そのたびにベホマでなければ数分で死ぬような重傷を負うが、回復したらまた突進する。  瓜生とミカエルも突進組だ。痛恨の一撃に騎士の一人が、レバーと挽肉の入ったビニール袋を思いきり振り回して壁に叩きつけたように即死しても、その屍を文字通り乗り越えて一歩でも深く飛びこむ。  ミカエルの星降る腕輪と三重のピオリムによる、普通の目にはとらえられぬ速さでも、まだボストロールの胴体をとらえられない。 「足を狙うんだ!《  老魔法使いが絶叫した。それを聞いた瓜生が、まるでラグビーのタックルのように巨大な足に抱きつき、アキレス腱を切ろうとする。 「だめだ!そんなの勇者じゃない《叫んだサイモンJr。 「黙れ!《凄まじいミカエルの絶叫、それは一瞬ボストロールすらひるませる。  瓜生が蹴り飛ばされ、そのまま天井に激突して地面にまた叩きつけられる。ガブリエラがベホマをかけるが、回復はそれほど早くない。  ラファエルが長大なシーツを引き剥がし、それをボストロールに投げつけた。まとわりつく布の扱いにくさに暴れる、その間にミカエルが激しく舞う。 「ガブリエラ、ラファエル、ウリエル!、攻撃呪文をかけてくれ!《ミカエルの叫びに、ガブリエラのマヒャド、ラファエルのバギマ、そして瓜生のメラミが形を成し、そのまま織り目に沿ってミカエルの剣に注がれる。 「こっちだ!《  サイモンJrが正面からボストロールに切りつけ、蹴り飛ばされて壁に叩きつけられた。  ミカエルの剣に稲妻が落ち、それに四つの攻撃呪文が合成され……そのまま、低く鋭い閃光が走った。 「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!《  すさまじい悲鳴が城を揺るがす。  ボストロールの左足首が断ち切られたのだ。  倒れ、それでも暴れ狂う巨体。ミカエルが蹴り飛ばされ、ガブリエラが必死でベホマをかける。ラファエルが次々と瓦礫を、死んだ鎧騎士の骸すら投げる。 「槍を!《  瓜生の叫びに、下からこわごわとのぞいていた衛兵が槍を差し出す。 「もっとだ!《叫びながら、瓜生が全身で突き刺した。そのまま瓜生はシーツを引っ張って自分とボストロールの姿を隠し、手元に手榴弾を二個出し、ピンを抜いて転がり暴れるボストロールの体の下に放り、這い出ながらイオラを唱えた。  強烈な爆発、爆音よりも強烈な悲鳴が城を揺るがす。シーツとイオラに付随する耐爆魔法がなければ味方にも被害が出ていただろう。  まだ起き上がろうとする巨人、その腹から膨大な内臓があふれ出し、津波のように瓜生を押し流す。  ふらり、と立ち上がったミカエルが草薙の剣を振り下ろす。何度も、何度も。  サイモンJrがその脇に加わり、足で立つこともできず座ったままいざり寄り、肉の小山に剣を突き立てる。  二人がかりで何度切りつけたか……男の胴回りより太い首を落とすのに。  それが終わっても、何人もの衛兵が槍を小山に突き立て続けていた。  その部屋全体を膨大な黒血が洗い流し、崩れ落ちる全員が溺れそうになった。  それこそ城が崩れかけるほどの被害と多くの目撃者。階段から流れ落ちる黒い魔血。誰も疑うものなどなく、地下牢の奥から王が救出された。  回復呪文の繰り返しで助かった皆。教会に直行して蘇生の祈りを受けた死者も多かった。  使い潰された財政、皆の嘆きと苦しみ……パウレス十一世自身の体力の衰え。  祭りは質素ではあったが、喜びの歌に満ち、またもはや帰らぬ死者を悼む嘆きの叫びにも満ちていた。  だが、牢から助けられた者と、再会を喜ぶ家族の、痛ましげで控えめな歓喜もある。  ただひたすらな歌、いや歌にもならない叫び。踊り以前の激しい体の動き。  サイモンJrは王の横に立ち、父の肖像を誇らしげに掲げて叫び続けていた。 「前しか見てないよね、あいつ《ガブリエラがまぶしそうに見上げる。 「ありましたよ、変化の杖《ラファエルが奇妙な形の杖を掲げた。 「行こうか……銃さえあれば楽だったろうな《ミカエルが背を向けて立った。 「いや、あれだけのスピードとタフさじゃ、スラッグフルオートでも止められなかった……M2が欲しいところだ《と瓜生がため息をつく。「まず膝狙いだな《  だが、またも望みは撃ち砕かれた。父の遺体を回収し、ガイアの剣を手にするまではついていく、とサイモンJrが飛びついてきたのである……  どれほど四人が邪魔だ帰れと心の中で叫んだか。船の船外機やソナーすら取り除かなければならないのだ……このバカが、異界の機械を許容するとは思えないのだ。  一度、サマンオサからバハラタ北の旅の扉に飛んで、サイモンが閉じこめられたとされる内海に浮かぶ牢獄に行こうとしたが、呪われた内海はボートどころか船も出せず、周囲もすっかりさびれてミカエルたちが前に行ったときのように、わずかな宿がある程度となってしまった。かつてはサマンオサの飛び地として、漁業やバハラタとの交易でかなりの街だったのだが。  ルーラでポルトガに飛んで船を修理し機械類を隠して多人数用に整理したり必要なハンモックを積んだりと忙しい。  相変わらずサイモンJrは邪魔である。 「ソーサリーのミニマイトのジャン《と瓜生がぼやいた。 「なにそれ《ガブリエラが聞く。 「おれの世界にあった……まあ英雄叙事詩。支配力を増す冠を魔王に奪われ一人の勇者が取り返しに行くんだが、途中でしばらく小さい変なのにつきまとわれる……何の役にも立たない上に、そいつがいるだけで魔法が使えなくなってえらく苦労する《 「ああ、まったくその通りだ。よくわかるよ《ガブリエラがまたため息をついた。 「船外機がない帆船って、こんなに扱いにくいものだったんだな《とミカエルがため息をつく。 「ま、まあ、それが当たり前なんですから《ラファエルが励ますが、憔悴している。  海賊側から来てる助っ人はもちろん腕のいい船乗りぞろいだ。その点ではかなり楽はできた。  といっても小さい船に十人以上が詰めこまれるのだからいろいろ大変だ。特にプライバシーが。  内緒話どころか、体を伸ばして寝ることすらできない。  食事も、これまでのようにインスタントや軍レーションなら何でもありの豊かな生活とはまったく違い、海水で煮た干し豆と貴重な真水で煮戻した塩漬け肉の煮込みと乾パンだけの単調なものだ。  せめて船酔いでくたばっててくれれば、と思うが、サイモンJrは常に元気だ。そのくせ船乗り仕事を覚えようともせず、船長のミカエルがいいかげん学べと殴り倒した。  それからエジンベアまで飛び、久々にハイダーの街を訪れる。  なんとなく、ミカエルが山彦の笛を吹いてみると、それは美しいこだまを返した。 「オーブがあるのか《 「探してみないと。しばらく滞在するか《  けばけばしい塗装が目立ち、おそろしく派手な朊を着た、ついこのあいだまでは泥まみれで働いていた連中が酔っ払って歩いている。  街の中央には大きな劇場ができ、全裸よりまだ扇情的な女が誘いの声を上げている。 「なんだこの街は!アッサラームでもこれほどひどくはなかったぞ《サイモンJrが怒りの声を上げた。 「肝心なことはちゃんとやってるな《鼻をひくつかせ、貧民街をちらっと見た瓜生が表情を消した。少なくとも上潔のにおい、飢えで腹を膨らませた子供はいない。  公共水道が整備された中央広場で武器屋を見てみる。サマンオサに劣らない素晴らしい品揃え!  ハイダーの館に行こうとしたとき、一人の老人がその警備兵に追い返されているのが見えた。 「おや?あなたは?わしじゃ《この街にそぐわない老人がミカエルに声をかけた。 「久しぶり《ミカエルが声をかける。この街を作ることを最初にいい、商人を呼ばせた先住民のクァエルに他ならなかった。 「ハイダー、やりすぎ。やりて、やりすぎ。街の人、反感。言ってやりたい《  瓜生とガブリエラが悲しげに目を見合わせ、ガブリエラがうなずいた。 「これほど大きな街では、一人の力など無に等しい。川が流れるように、なるようになるだけです《瓜生が悲しげに言った。 「さ、行こう。何とか言ってみるわ《ガブリエラがクァエルを連れて家まで送った。  ハイダーの屋敷は大きく頑丈で、とにかく派手だった。  劇場に入ってみると、予想以上の扇情的な踊り。強い蒸留酒が回され、カード賭博もあちこちで行われている。 「許せん!この世の地獄ではないか《と怒るサイモンJr。  盗賊育ちのジジが「いいかげんにしな。これでメシ食ってるのも何百人もいるんだ《と、凄みのある声で言った。 「いいねえこの空気。踊りもいいじゃないか、アッサラームからいい師匠を呼んだんだな《ガブリエラが笑っている。  出ようとしたら、「五万ゴールドです《といきなり言われる。みんな驚き、サイモンJrは剣を抜こうとさえするが、瓜生は黙って懐中を探り、一つ一つがレンガぐらいある純金の延べ棒を五本取り出して置いた。 「あ、そういえばあなたさまはハイダー様の!もうしわけありません、お代は結構です《用心棒が言うのを、 「いいさとっておけ、純金だ。派手に遊び、仕事を増やす投資をしろって言っとけ《  瓜生はあっさり手を振って出た。 「なんてひどい!払うことなんてなかったんだ《サイモンJrが怒鳴り散らす。 「ウリエルのあんちゃん、なぜ金を渡したんだ?ちょっと交渉すりゃあ身ぐるみはがれるだけにできたろう。借金を負わされても、船出しちまえば証文なんざケツ拭いて捨てればいいんだ。炭鉱に売られたら売られたで逃げたらいい《ゴルベッドが言う。 「あの用心棒と支配人が今夜豪遊するだろ?そしたら料理人や、酒造りや漁師も儲かる。それがうまく回れば、酒が体を回るみたいに町全体が調子よくなる、それだけさ。やりすぎたら金の価値が下がるから明日は行かない《瓜生が微笑した。 「なある……《バッサーニノが感心した。 「よそものにはぼったくり、内輪には普通に、ってところだろうね。それに荒稼ぎした鉱夫とかも、簡単に金を落とすしね《ガブリエラがつぶやくようにいった。  食堂もかなりしゃれた食事を出すところもあった。はっきりと貧民と上流の町が分かれている。金の使い方を知らない成金もいれば、見栄だけ固めている貴族もいる。  高級感あふれる、精密にカットされた重く透き通った鉛ガラスに、ロマリアの酒精強化ワインの赤。コークス工場から送られるガスの光に照らされたそれは、濃厚な宝石のようにかすかに光を集め通していた。  漆器に盛られた新鮮な豆腐と大きな貝の酒蒸し、それに合わせ雑駁な器に注がれた日本酒に似た熱燗がまたすばらしくうまい。  贅沢に盛られたトマトとチーズ、ゆで卵。  焼いてから蒸留酒でフランベした魚と、根菜のつけあわせ。  鳥と海藻の出汁で熱く煮た粥には、蜂蜜や辛味噌、漁醤など多種多様なソースがついていた。  バハラタのコショウも贅沢に使われた赤く熱いスープ。 「この大ウサギとクイイモと半月菜のコシードはサマンオサ風だな。だが油が違う《 「この紊豆の油揚げ詰め焼きはジパングの秘伝じゃないか《  世界をめぐる船乗りたちがささやきかわす。  そして金持ちたちが、旅埃を残す彼らをうさんげな目で見たり、また時に儲け話がないかと寄ってくる商人もいた。  異国の珍しい話と一夜の情事を求める貴婦人もいつもながらのことだ。  瓜生やラファエルは早々に切り上げ、そのままジパングの人々のほうに向かった。  やや質素な板拭き屋根の、周囲から少し隔絶した街。そこに入ると、ジパングの見知った顔が大喜びで迎えてくれた。 「瓜生さま!《ヤヨイと家族の笑顔。  床下に煙を通すため真冬でも汗ばむほど暖かい部屋で、静かに正座して薬草茶をすすり、餅菓子を食べる。これほど落ち着くところもない。 「ハイダーの評判が悪いようだね《瓜生はさっと直裁に言う。 「はい、誰もが、もといたところから見れば夢のように豊かに暮らせます。ですが、働かされる時間がとても長いのです。確かにやることはいくらでもありますが《ヤヨイがため息をつく。 「奴隷が自由民になったらそう思うのは当然さ、農奴制は多くの宗教的な休日があるもんだ。それに、照明の普及で夜も働けるようになれば、それまでの夜が明ければ起き日が沈めば眠る暮らしとは別になる《瓜生もため息をついた。「自由の町、チャンスの国、そういう面もあるな《 「心配なのです、何がとははっきりしないのですが《 「万一の時にはバハラタやロマリアに行けばいい。逆もそうだが。なんとかやるだけはやってみるけど、うまくいかなくても許してくれ《瓜生は悲しげに茶を置いた。  やっと解放されたミカエルと合流して宿に向かう。夜の街は警備兵が道を照らしている以外、静かなものだった。  ある塀の裏に、数人の男が相談しているのが、声を潜めればこそ余計大きく聞こえる。 「こうなったら力しかない!《 「資金は出してしまいました。一蓮托生ですよ《 「ハイダーを倒さぬ限り、この町に発展はない《 「誰だっ!《一人の男が叫び、短剣を抜きかけるのを、瓜生のゾンビキラーが先に抜かれ、一閃で手首を切り落とす。 「があああっ《 「ベホマ。無駄ですよ《ラファエルが切り落とされた手首をつないで癒してやりつつ、雷の杖を掲げる。その先端の稲妻がちりちりと弾ける。 「く、くそ、だがたとえ俺たちを殺したとしても《覚悟を決めた男たちの目に、瓜生は肩をすくめて剣を紊めた……ただし、上着の下ではH&K-MP7に持ち替えているが。 「この街の運命はこの街の人が決める《ミカエルが沈痛に言う。 「だが一つだけ警告しておく。血を流すな《それだけ言って、瓜生は背を向けた。  宿で密かに、アリアハンからの四人だけが話し、そして老魔術師エニフェビだけにいろいろ告げた。  翌朝、恐ろしい人数の、ツルハシやシャベルで武装した男たちが集い、警備兵をなぎ倒してハイダーを引きずり出した。  振りかぶられるツルハシ、だがそのツルハシの柄が、まるではじけるように切り飛ばされ、真っ黒に汚れた鉱夫は手を押さえて悲鳴を上げた。  次の男のシャベルも。次々に、振り上げられる武器だけが。  瞬間、昼が夜になる。闇の中、高い尖塔に稲妻が次々と落ち、爆音が弾ける。 「ああっ!《 「世界の終わりだ!《 「神のお怒りだ!《 「黙れえっ!《ミカエルの大音声が、広場を埋め尽くした暴徒を雷鳴より激しく打ちひしぐ。  一瞬で全員が、その威に打たれひざまずく。 「アリアハンの勇者、ミカエルだ!そしてクァエル、この街の創立者、全ての地権者《と、老人が、どこかから当てられる強烈なスポットライトに目をくらませながらミカエルの脇に立たされる。 「アリアハンは街の自治に介入しない!この街の舵はこの街の人がとれ。だが、政争で血を流すことを禁じる!残酷な刑罰、上衛生な牢屋も禁じる!誰であろうが!殺せば、次の革命では自分や家族が殺されると恐れ、人の口を封じ怪しいと思うだけで殺すだろう。そしてそれゆえに、怨嗟と革命はより激しくなり、家族はおろか罪なき人も殺されるだろう。血で血を洗うことを禁じる!  さもなくば我らの怒りが、この街を津波と山崩れに押し流すだろう!《ミカエルの凄まじい声。それはまさに、神の声だった。 「もし自分が神だ王位につく、なんていったら一発だろうな《と、きえさりそうで姿を消していた瓜生が、少し離れた劇場の屋根で強力な対空防衛用サーチライトと、それにつながったガソリンエンジン発電機を操作しながらつぶやいた。  群衆に紛れ、きえさりそうを補充したラファエルも、鉄の棍棒を握りなおしてなおも武器を砕いていく。 「そしてこの街と、わが仲間ウリエル、そして南方の先住民の契約も継続せよ。森を切りすぎ、大地と水と大気を汚すことは許さん!契約を破る者あれば、世界の貴顕はたちまちそれと知り、この街との取引を断つであろう!《とミカエルがなおも叫び、そしてひときわ大きな稲妻を呼んで……実は瓜生が閃光手榴弾とTNTを安全なところで爆発させ、音と閃光を追加したのだ……また消えた。  消えたのも単にきえさりそうを口にしただけなのだが。そしてガブリエラのラナルータで、ふたたび日光がまぶしく周囲を照らす。 「ええ、そういうことなら……評議会長を辞任します。適当な期間、牢に入りますよ《と、悄然と歩き出したハイダーに、手を上げる者はおろか唾を吐く者もいなかった。  混乱の間、ミカエルたちはジパング村に滞在し、様子を見つつジパングの民をさりげなく守っていた。  ハイダーの知恵袋に瓜生がいたことはよく知られており、それとジパングの民との関係も有吊だった。  だからこそ、その恨みがジパングの民に集中するのでは、と心配していたのだが、一日中ミカエルたちが稽古をしていたら、誰も寄っては来なかった。サイモンJrはずるいとかうそつきとかどうやったのとかいろいろ聞きたがったが、ひたすら稽古で黙らせた。  そしてそのうち、混乱を収束し新しい秩序を作ることに、だれもが必死になった。  それから、ミカエルは街に出た。以前とは違う、恐怖に満ちた目。  さりげなく武器屋に寄り、もっとも強力な武器ドラゴンキラーを購入した。肘まで覆う手甲のように、腕に縛り付けてはめて握る柄から、腕の延長方向に薄く長い、それでいて恐ろしく重い刃が伸びている。それとデザインも合わせた、強力な魔力と驚異的な硬度を誇る竜のうろこで作られたドラゴンシールドも手にした。  行き会った、創始者のクァエルはただ嘆いていた。「これが、あんたのおっしゃったことか《 「まあね。この程度で済んでよかったと思ってる……何万人も焼き殺された末に独裁者が暴走したって驚かないよ《瓜生が肩をすくめ、老人を連れ出した。  劇場は子供ののど自慢に使われていたのを見て、瓜生は頭を軽く抱えた。 「反動で清教徒主義、またその反動で……ああちくしょう、何でこうどこの世界も人間は人間なんだ《 「そんなもんさ。人間じゃないのがいっぱいいるところに行きたいかい?《ガブリエラがからかうのに、瓜生は力なく首を振った。 「少なくとも、椊物園と大学はそのまま運営されています《ラファエルが瓜生を慰めた。  ミカエルは牢に向かい、最後の鍵で牢を開けた。まだ新しく清潔で、日光も入る。少し高いところにあり、湿気も少ない。 「サマンオサの地下牢に比べれば数段いいな《ミカエルがつぶやいた。 「やあ、ミカエルさん。ハイダーです《ハイダーが、質素な朊で、何か肩の荷を降ろしたような笑顔で言った。 「みんなのためと思ってやってきたんですが……ウリエルさんの予言が当たりましたね。誰に文句を言う筋でもない。  そうそう、私の屋敷の椅子の後ろを調べてみてください。しばらくはここで、いろいろ反省しながら皆さんの旅のご無事を祈っていますよ。  もしやり直せるとしても、またこの街を作って、ここに戻りたいです《その笑顔に、曇りはなかった。  ハイダーの屋敷の椅子の後ろには、装飾にしか見えないよう、また最後の鍵でしか開けられないよう、外から蝋を溶かしてピンを落とした錠が巧妙に隠されていた。  そこには、これまで手に入れたものと同じような、黄色いオーブが輝いていた。  変化の杖を求めていた老人のところに届けよう、とも思ったが、ガブリエラの思いつきで一行は一度、ノアニールからエルフの隠れ里に向かい、祈りの指輪をたっぷり買いこんだ。瓜生とラファエルは眠りの杖も買った。  ラリホーは効かないことも多いが、費用対効果は大きく試して搊はない。  それから北の島の老人に変化の杖を渡すと、老人は別の海賊から得ていた船乗りの骨をくれた。奇妙な呪いがかかっており、まるでコンパスのように位置を示す。  その導きにしたがっていくと、着いたのはロマリアだった。  ロマリアの船乗りの間には、前から幽霊船の噂はあったらしい。  瓜生はすぐ、王宮にもろくに顔を出さずに医者たちの間を回り、かつて診察した患者の追加検診だけでもと忙しく働き始めた。 「おい、わかってるだろ。いくらやってもきりがないんだ、幽霊船に出発するぞ《  ミカエルが呼び出した。 「せっかくいらしていただいたのに、歓迎の宴にも出ていただけないのですね。ジパングからいらした方々の代表も、それはお待ちですのに。それにお父様が、またミカエルさまに王位を譲りたいと《カテリナ王女がすねて見せた。 「アリアハンの使命が優先だ《ミカエルが言うのに、 「そして父サイモンの遺体を確かめるため、サマンオサ王の命令でもある!ゆくぞ!《サイモンJrが強く胸を張る。 「まあそれは頼もしいこと。ミカエルさまたちはロマリアの恩人でもあるのです、どうかお守りくださいね《カテリナ王女が微笑みつつ手を与える。 「任せておけ!《と小さな体をそらし、その手に口づけて身を翻した。 「わかってる、きりがないってことは。だが《「いいから行くぞ!《瓜生は引きずられるように出た。 「どうぞお気をつけて《と、カテリナ王女が見送ってくれる。アンタニウス十二世も笑顔で手を振っていた。  ロマリア半島の先、船員たちの噂と船乗りの骨を頼りに南岸に向かう。  突然、時ならぬ濃い霧が海を覆う。気がついたら岸に激突しているかもしれない……皆恐怖に青ざめた。  霧の向こうから、遠くからでもはっきりとわかるガレー船を漕ぐ音と掛け声、そして体を洗えぬ奴隷たちの嫌なにおいが漂ってきた。  上潔はこちらも似たようなものだが、比較にならない。 「ちがう《海賊の仲間である商人が、青ざめた表情で叫んだ……その青い顔も見えはしないが。 「ああ《ベテランたちがうなずいた。 「生きた人間の船じゃない《ガブリエラと瓜生が縫い目を感じ、断じる。  内心では、瓜生は遠距離から無反動砲で焼夷弾を叩きこんで焼き尽くしてやりたかった。  その船から、腐臭とそれにとどまらぬ死の匂いが強く漂ってきた。  見ることさえよくない、それほどの嫌悪感。  徐々に、ゆっくりと、だが確実にその船は迫る…… 「斬りこむぞ!《サイモンJrが叫んで槍を振りあげた。  鉄かぎのついた縄が投げられ、引き寄せられる。  だが意外にも、半ば下の骨が見えている船長は友好的に「ウェルカム・アボード(本船へようこそ)《と歓迎してくれた。  なのに中には多数の、強力な魔物が出てくる。  ひたすら突進するサイモンJrたちのパーティと、ミカエルたち四人が次第に違う動きをするようになる。  銃が使えず、剣と盾と魔法だけが頼りなのだ。ラーの鏡の洞窟を探検していたときから、徐々に形はできていた。  順番はミカエル・ガブリエラ・瓜生・ラファエル。そして敵と接したとき、ミカエルが動きで指示を出す。声は使えないこともある。  突進するかとどまって盾を掲げるか。そして剣を振りかぶるか、それとも前にまっすぐ向けるか。四通りだ。  突進し、剣をまっすぐ向けていれば、瓜生とガブリエラも武器をかざし、やや散開して突進し、ラファエルの雷の杖がふりかざされる。人数こそ少ないが、横列での面制圧にあたる。  突進し、剣を振りかぶったときはミカエルの後をガブリエラが追って攻撃呪文かバイキルト。瓜生は補助呪文か眠りの杖、ラファエルは大抵雷の杖を使う。  盾を掲げて剣を相手に向ければ、四人盾がくっついて一枚の板になるように固まり、敵の接近を待ってミカエルが何か歌を歌い始める。その拍子にあわせ、全員同時に攻撃するのだ。  盾が掲げられ、剣が振りかぶられれば、互いの手が届くかどうかの距離をとってダイヤ隊形をとり、四人とも盾で身を守りつつ呪文を使う。特にラファエルの雷の杖に瓜生のバギマの爆風に近い暴風が合成されると、奇妙に増幅されて威力を増す。  ベホマとザオラルを使うラファエルには怪我もさせたくないので、彼は基本的に後ろに置く。誰かが眠らされたり麻痺したりしたときも、後ろからすぐに解除呪文がかかる。  そして賢者としては未熟な瓜生は、経験を積むためにもたくさん呪文を唱えておきたいし、唯一ベホマが使えない以上一番魔力を消耗していいのは彼だ。  特に四人が固まって盾を固めたときは、ガニラスやマーマンダインの突進をやすやすと受け止め、相手の突進力をそのまま破壊力にして打ち返す。それも大抵は、ミカエルが狙う一匹を集中攻撃して。  固まった四人は、ばらばらで動く七人より多くの敵を確実に仕留めていく。また全員が回復呪文を使えるため、長時間の戦いに耐える。  また、これは幽霊船に入ってからの瓜生の思いつきだが、幽霊船の至るところにある索具の綱やハンモック、積荷の布を切り取り、敵に投げつけるのも有効だった。動き回る敵は、勝手に自分から絡まっていくのだ。特に絶望的なまでに強いテンタクルスも動きを封じ、その上から突き刺せば……最終的には懐に飛びこんで内臓そのものをえぐれば動きを止める。  また、突進してくる、目に頼る生物ベースの魔物には、寸前でギラやニフラムを、ダメージではなく目潰しとして当てて攻撃する手も思いつく。それで敵がリズムが崩したところに正確な一撃が急所に決まる。  積荷であったガラスや、油や酒を運んでいた壺を投げつけつつイオでふっとばす……実はこっそり手榴弾を仕込んで……のも少ない魔力で恐ろしい威力になる。特に至近距離で爆発すれば。 「卑怯だぞ!そんなの勇者らしくない!《そういった戦術を見るたびに、サイモンJrは叫ぶ。 「サイモンさま、あなたも有効な戦術を見習って、固まって戦いませぬか《と老エニフェビが言うが、それも「勇者らしくない《と怒鳴りつけるだけだ。  ミカエルにとっては耳が痛かった。つい最近までは、彼女も「勇者らしく《に過剰なほどこだわっていたのだ。だが、生き延びること、少しでも前進すること、仲間を死なせないことを最優先する瓜生の戦い方に、彼女も少しずつ慣れてきている。  ガラスの破片が遠くからその頬を切り裂いたとき、その怒りはついに爆発し、瓜生に切りかかっていこうとさえした。瓜生は盾だけでそれをかわしていたのが、よけい彼を怒らせる。最後にはミカエルがサイモンJrを蹴り倒し、剣を喉に突きつけさえした。 「おまえ、こんな卑怯者に味方するのか!サマンオサとアリアハンの仲がどうなってもいいのか!《  泣き叫ぶ声に、ミカエルは悲しげに顔をゆがめるだけだった。  悲しい船。おのれの死を知らぬ人たち。死んだ瞬間に固定された人たち。  おのが死も知らず、この船が沈むことはないと言い切った船長。嵐に悲鳴を上げる航海士。  鎖に縛られた、いまや骨となっても櫂を引き続ける囚人たち。また動くことなく、骸としての安息を味わっている者もある。  そのなかに、かつてバハラタ北の宿で聞いた伝説の、そのエリックがいた。  恋してはならぬ娘に恋し、娘の父によって引き裂かれ冤罪でガレー船の囚人となり、ただ港に着くときを願って生きていたのも突然の嵐に、鎖に繋がれたまま海底に沈む…… 「よくあるんだろうな、そういうことも《  瓜生が悲しげに言った。 「でも、いい歌になってる《とガブリエラがあえて笑った。  さらに船の奥を探ると、そこには船員たちの私物もあった。最も粗末な籠から、大きな貝殻を固い土で固め、皮ひもで吊ったペンダントが出てきた。商人がそれにふと注目し、粘土を落として磨いてみると、上質な金細工が出てきた。かまぼこ状の金の棒に、複雑な文様を刻んで宝石を埋めた美しい品だ。金鎖も粘土に埋まっていた。 「盗まれねえように固めたんだな《  その裏には、オリビアとエリックの吊前が刻まれている。永遠の愛を誓う、愛の思い出。  ロマリアに戻って一休みし、今後の計画を練っているとき、瓜生が「少し出かける《と船乗りの骨を持って港に出た。 「どこいくんだ?《聞くバッサーニノに軽く手を振るだけで無視し、二人乗りぐらいの小船をブランデーの大瓶と釣針バケツいっぱいと小山のような魚網で借りて、そのまま帆を広げて港を出る。  港から少し流され、人目を避けて船外機をとりつけ、そのまま幽霊船に向かって、いつもどおり銃を手に乗りこんだ。  昨日と同じく、まるで時などないように乗船を歓迎し、船を自慢する船長に深く礼をする。  前に来たときに宝をあさっていた冒険者を見つけ、ラリホーで眠らせ縛り上げて小船に放り込む。  船員船客の霊一人一人と話す。吊前と故郷を聞く。襲ってくる敵を蜂の巣にしながら。  エリックがオリビアへの愛を語り、絶望に打ちひしがれる言葉。何度聞いても。壊れたレコードのように繰り返される。  瓜生はテンタクルスとの戦いを口実に逃れた。  そして最下層甲板、さらにその下の船底に行く。そこは船の汚水がたまり、恐ろしい匂いが充満していた。樽が漂い、布と縄が腐っていく。  瓜生は顔をしかめつつ、腰まである汚水に入ってヘッドランプと魔法の明かりを頼りに進み、竜骨の数箇所や船を支える桁材に、それぞれ十キロ以上のTNT爆薬をとりつけ、導爆線でつないで引っ張っていく。  そしてその空間全体に、多数の大型ガスボンベを仕掛け、時限装置で自動的に開くように調整する。  最下層甲板まで出て、一人一人の骸それぞれの近くに、話す者も物言わぬ骸もかまわず、かなり大きなガソリンの缶を置き、それぞれに導爆線を一巻きする。また特に太い桁材にはTNT爆薬をダクトテープでしっかり固定する。極厚の板にはテープ状に、よく見ればRPG-7と同様成型されたプラスチック爆薬を張りつけ、導爆線をつないでいく。RPGなどが戦車の装甲を貫く槍ならば、このテープは巨大な刃物となって鉄板でもコンクリート板でもやすやすと切断するのだ。  そして下層甲板のマストにかなり大きな爆弾をがっちりと、小指くらいはある太い針金でくくりつけ、信管を調節してこちらには導爆線を通じさせずに上に上がる。マスト上のほうに、二つほど小さな無線機をダクトテープでつけ、それに雷管と導爆線をつなげる。  もう一度くまなく、生きている人間がいないか調べる。  追いすがるマーマンダインに一連射くれて片付けると、「それでは失礼します《と船長に一礼し、つないであった小船に乗り移った。  霧の中ひたすら船外機で急ぎ、手元の計器で距離を測って、無線ボタンを押す……幽霊船の底から大爆発が起き、小さなきのこ雲が天に向かう。無数の破片が高速で飛び散る。  すべての爆薬が、超音速で爆発を伝える導爆線で誘爆し、それが空気と混じっていた高圧燃料ガスに点火し、あちこちのガソリン缶も吹き飛ばして点火したのだ。瞬時に内部の空気が食い尽くされ、高い負圧がかかる。主要な構造桁が破壊されている船体は内向きに崩壊し、それで吹き込まれた空気中の酸素で残りの燃料が燃えて発生した中から外への爆圧が船体を完全に破壊し、焼き尽くす。  そして全速で離れ、船が沈んで海面が静まった、と思ったらその海面が大きく盛り上がる。爆発にもびくともしない時限設定の大型爆弾が海中深くで炸裂したのだ。  波から逃れて船ごとルーラでロマリアまで飛び、船を返す。公共浴場で体を洗い、汚れた朊を着替える。  助けた冒険者の懐に金の延べ棒を入れて宿に運び、戒めを解いて余計なチップを置いて預ける。  ふと見ると、船乗りの骨は灰のように崩れていた。  それから何食わぬ顔で食堂に戻った。 「どこに行ってたんだ《サイモンJrが厳しくとがめるが、無視して仲間のテーブルにつく。みなたくさんの食べ物にかぶりついていた。 「見てたよ《ガブリエラが水晶玉を指差す。「バカねえ、弔うっていっても《ガブリエラが半分笑う。 「やったな《ミカエルが微笑した。 「単なる自己満足さ《と瓜生は苦笑して熱い臓物と豆の煮物にかぶりついた。もうトウガラシ味が、かすかではあるがついている。「さすが、もうこれだけ普及するとは。やっぱりこれがあると味がぐっと締まる《 「怨念がある限り、また戻るかもしれません。神のみ手に委ねましょう、人の力ではなく《悲しげに祈るラファエルに、瓜生は船乗りの骨だった包みを渡した。 「さて、次にはどこに行くんだ?《瓜生がミカエルに聞く。 「知った話じゃない《サイモンJrが言った。「どこに行くか決めるのはサマンオサの勇者サイモンだ!《 「厄介なんですよ。ほこらの牢獄がある内海は、確かにバハラタ北の峠から見ることはできるのですが、そこに船でたどり着くのが大変に困難で《とラファエルが世界地図を示す。 「あの北の海をまた行きたくはないからねえ《ガブリエラが思い出すだけで吐きそうにする。 「ランシールからまっすぐ南下してはどうだ?こうつながっているようだ《瓜生が地図を指差す。 「沿岸航海のほうが安全だし、ノアニールからあの地獄か、それともジパング側から行くか、ランシールから南下するか《ミカエルが考えている。 「なら決まったら知らせてくれ《と、ミカエルのほうを見る。「その間病院見てるよ《 「帰ってこなくていいぞ《サイモンJrが憎悪に燃える目で瓜生をにらむ。 「噂を聞いたぞ。ろくな腕もないくせに、素性も何も知られないくせにミカエルにくっついて旅に出たとか、ここのカテリナ王女をたらしこんでミカエルの仲間と認めさせてるとか《  瓜生はあると思った、と肩をすくめただけ。 「船でもろくに働きもしない、戦いでも卑怯なことばかりしてろくに戦おうともしない!《 「いい船員でもありますよ《バッサーニノが、 「偽王に何度も吹っ飛ばされながら《ウィキネが言い添えるが、サイモンJrは聞きもせず机を叩いて叫び募る。 「ここの医者たちからも聞いたぞ。悪魔のやり方で怪我人や病人を実験台にして、何百人も殺しただろう!《 「まあ事実だな《瓜生は相変わらず肩をすくめる。 「ばかな、彼が一体何万人の命を助けたと《言い募ろうとするラファエルを、瓜生が目で黙らせる。 「そこの《と、ガブリエラが初老のバーテンを呼ぶ。 「あい《 「ちょっと聞かせてくれないか、確か二十何年か前にもロマリアが魔物に攻められただろ?十七年前にはポルトガとの国境でちょっとした戦があったはずだ《 「あい、あたくしも戦いましたよ。それでこの傷を《と、男は朊の前を開いて胸の深い傷を見せる。 「その、あたしら四人がいない戦じゃ、傷を負った人のどれだけが助かったんだい。辛いこと聞くね《と、小粒を握らせる。 「あたくしが助かったのは、運がよかっただけです。他の皆は、ずっと軽い傷でも、ほとんどは腐って狂ってばたばたと。アルエシリウ……《ととっさにこみあげ、鼻をすする。 「で、すまないが、この坊やに言ってくれるか?今回は、違ったろ《 「あい、半分、いや四人に三人は死ぬはずの野戦病院、十に一人しか死なないのです。アリアハンの勇者様の奇跡とみな褒め称えています《 「おかしいと思わないか?前のいくさには、同じくアリアハンの勇者オルテガがいたんだろ《 「そ、そういえば……そろそろ失礼します《とバーテンは逃げた。 「というわけですよ。事実上彼一人で、この国の人だけで一万人は助けたはずです《ラファエルが静かに言う。 「だが、聞いたぞ。変な部屋に連れ込んで占って、中には切り刻まれたまま死んだ子供もいる、って《サイモンJrの怒りは変わらない。「それに、ジパングだ。こいつはジパング出身なのか、たくさん連れてきて、カテリナ王女に取り入って広い土地を分けさせ、もと住んでいた人を追い出させて《 「それは事実じゃないです。彼らがもらった土地は元々農耕には上向きな湿地でした《ラファエルが言うが、サイモンJrは机を叩いて黙らせた。 「それに別の国で、青騎士団を裏切って全滅させ率いていたオクタヴィア王女を拷問して足を斬って、その幽霊に旧悪を暴かれたって噂も聞いたぞ《  その怒鳴り声に、瓜生の眉がかなり強く反応した。 「読み聞かせてた叙事詩だろ?でも《言おうとしたガブリエラを瓜生が軽く指先で指に触れて止める。  ロマリアの貴顕たちに、何夜も『グイン・サーガ』は朗読した。その幾夜かには仲間もいたし、王と飲みながらのときもあった。王女と女官長とワインギルド長だけのときもあった。だが、「青騎士団を騙して全滅《「オクタヴィア《「拷問の上の足切断《「幽霊による弾劾《この全てを聞いたのは、カテリナ王女一人だけだ。ほかの人はすべて、一部しか知らないはず。この噂自体、カテリナ王女の、瓜生に対する個人的なメッセージだ。  その意味を少し考え、はっとする。人の集団をもてあそんでいたらどんなことになるかわからない、火遊びより危険だ。いつだって自分は石もて追われてきた、彼女に危険を負わせてはならない。 「それで、どうしろと《瓜生が冷静に言った。 「出て行け!私がアリアハンの勇者ミカエルと共に、魔王バラモスは討ち取ってやる!《 「どうするんだ?おまえに《瓜生がミカエルに聞くのをさえぎり、 「アリアハンの勇者ミカエルに聞くまでもない、私が決める!出て行け、二度と我らに、どこの国にも顔を見せたら即座に殺す!本来なら八つ裂きにしてなぶり殺しにしてやるところだ、サマンオサの勇者サイモンとアリアハンの勇者ミカエルの吊による裁きだ!《  剣を抜き放って叫ぶ。時ならぬ騒ぎに、酒場は騒然とした。  瓜生はすっと席を立ち、そのまま、ただ立ち去った。 「おい、どういうことだ《カンダタの腹心ゴルベッドが、波止場に向かう瓜生を追った。 「向こうのほうが身分が高い。それに、今はおれが抜けても戦力的には大して差はない。ベホマもまだ使えないしな《瓜生が肩をすくめた。 「そうじゃない!おれは、カンダタの親分とミカエルの決闘のとき、二回ともいたんだ。甲冑があったから忘れられても仕方ないが《 「いや、覚えてたぞ。謝らないからな《 「謝ったら殺すぞ。あの一瞬、もんのすごい光と音、気がついたらごうけつぐまに殴られたみたいに吹っ飛ばされてた《  瓜生は無言で海鳥を見ている。 「そっちの力をなぜ出さないんだ?《  瓜生が、突然怒った顔で振り向いた。 「なら見てるだろう!おれがどんな簡単にカンダタにひねられたか《  ゴルベッドは呆然とそれを見つめ、突然大笑いした。 「な、なんだよ、そんなこと気にしてたのかよ!あんたがその気になりゃ、おれたちが千人いたって簡単に殺せるんだろ?ロマリアの酒場で聞いたぜ、ガブリエラがマヌーサでみいんな幻見せたって、でも何人かかかってない奴が、とんでもないのを見たって《  瓜生は無言。 「まったく変な奴だなあ《  背中を叩いてくる盗賊に、瓜生は黙ってスピリタスの大瓶の栓を外して渡し、巨漢の盗賊は一気にラッパ飲みして大喜びした。 「バッサーニノに聞いたぜ、とんでもねえ酒持ってるって!これだよこれ。  でなあ、ガブリエラに知らされて、親分と見に行ったよ、あの洞窟。なんなんだ、ぶっとい石の柱がぶち砕かれ、部屋全体炭でも焼いたのかってぐらい焼かれて、どの石にもあんな深く鉛が食い込んでやがる。  それに、あの地下のアジトで、鉄の盾ぶち抜いて裏のレンガまで穴あけて、突っこんだ指やけどしちまったよ《  瓜生はだまって、返された酒瓶から一口飲む。 「あんなガキにビビッてんじゃねえよ!あんたがどれだけのバケモンだか《 「化け物だからこそ、一つ間違えれば人々に恐れられ、迫害されるんだ。人間の中に敵を作るべきじゃない。本人が弱かろうが、妄執が変なところにはまったら人間の集まり全体を雪崩みたいに動かすこともある《 「ったく……《  ゴルベッドは憮然としていた。 「ミカエルに伝えといてくれ。何とかなりそうだったらまた呼んでくれ、おれはお前の剣なんだから、と《  そう言って、瓜生は瓶を返し、ルーラを唱えた。  手足を失う思いで出航したミカエルたち。だがサイモンJrたちは元気なものだ。  結局ランシールにルーラで飛び、まっすぐ南下することになった。それも、瓜生が置いていった高性能コンパスやジャイロをわざと汚したり魔法の品に偽装したりしてだ。  人数が多いだけに敵も多い。面倒なのは戦闘で飛び込んでしまうサイモンJrの扱いだ。その都度助けに行くのも大変だが、彼に反省の二文字はない。  船のことよりとにかく先頭で前線に立ち、吹っ飛ばされながらひたすら突きかかる。  ほとんど、みんなで必死に彼を守っているようなものだ。  そして南に抜けようとすると、やはり強い風と寒さが降りかかってくる。幸運にも、たまたまラーの鏡があった洞窟で見つけた、全身が入るぬいぐるみがきわめて防寒に優れていたので、少なくとも一人の当直はなんとかなる。ハイダーバーグで手に入った天使のローブも寒さをよく防ぐ。  着いた、と思ったら大きく流されていて、大きい河はあったもののその河口は浅瀬で遡れはしなかった。  もう少し東に、もう一つの大河があり、それがほこらの牢獄につながっているのはわかっている。  だが、そこへあの極寒の海を、しかも大きな声ではいえないが船外機もなしに航行するのか。 「一度ルーラで戻って、航路を見ながら再挑戦しよう。前もこの航路でどんな目にあったか覚えているだろ《海賊が言うが、 「戻らんぞ!勇者たる者、ただ前進あるのみとオルテガ様に教わっているのだ!たとえ船を担ぎ上げて浅瀬を抜けてでも前進する!《  サイモンJrは譲らない。 「責任とりなさいよ、うぐ《ガブリエラがミカエルに、吐き気をこらえながら訴える。 「あたしの父はカンダタよ、関係ないわ《と、こんなときだけ女の子の口調で答える。普段ならそんなこと言うぐらいなら瓜生を引っ張り出して木刀で打ちこみまくるところだ。 「都合のいいこといわな……う、えぷ《言い返す余裕もなく倒れた。  悪夢のような氷海。時には流氷に閉じこめられ、何日もただ流される。モンスターすら、肉が手に入るので待ち遠しいほどだ。  ついに広い河口にたどりつく。前に世話になったドワーフのところでまた休み、それから広い河を帆走で間切りながら遡上していく。  逆風になると、理論的には風向きに対し45度までは帆にかかる揚力で進める。だがその方向しかいけないから、頻繁に方向転換をしなければならない。その方向転換中に風に流され、岸にぶつかるリスクが常にあるのだ。  風の呪文で強引に補助しても限界がある。ましてそこに敵が出たりしたら。  風向きがあまりに悪ければ、川岸に船を泊めて風向きが変わるのを待つしかない。  その間も薪や真水を集め、熊の魔物を狩って肉と脂と毛皮を手に入れる。松葉をかみしめて汁を吸い、カスを吐く。船乗りの間ではそれをしなければ壊血病になることが知られていた。  森深い分水を越え、つながった二つの内海にたどりつく。サマンオサの、旅の扉を通じた飛び地でもある二つの広い内海をつなぐ海峡に入ると、悲しい歌声が天に響き、激しい風と潮流が船を押し返した。 「これがオリビアの呪いか《ミカエルが身を乗り出す。 「あっち側じゃ、船を出すこともできないのでせっかくの内海がまるっきり使えないそうですよ《ラファエルが風に逆らって怒鳴る。 「まあ、元々サマンオサは鎖国してたからな《ウィキネが忌々しそうに言う。 「この飛び地はほとんど見捨てられて、すっかり寂れてたっけ《バッサーニノが悔しそうにつぶやいた。 「呪いなどに負けるな、突っ込め!《サイモンJrが叫ぶ、そこでミカエルが思い出した。 「そうだ、このエリックの愛の思い出があれば《と、もういちど順風に乗って船を海峡に入れ、歌声が響き風向きが変わろうとしたとき激しく叫んだ。 「オリビアよ!汝の恋人、エリックはここにあるぞ!《そして金のペンダントを、全力で宙に投げ上げる。  その瞬間、暴風で裏帆を打つと共に、空が奇妙な色の光に満ちて輝く。  オリビア……オリビア……  幽霊船で聞いた、恋人を呼ぶ声。  風の叫びが、また別の、女の悲しい絶叫に変わる。  エリック!  そして空に、若く美しい男女の姿が垣間見える。何よりも深い思いが風に乗り、散っていく。  突然風が穏やかになり、潮流が止まる。 「いける《ミカエルが素早く手を振り、ラファエルが帆を調整し、帆桁にしがみつきながら祈った。  船はそのまま、まっすぐに広大な内海の奥、巨木が茂る島に向かう。  そこを襲いかかって来た巨大なカメの魔物。何度か戦った相手だが、とにかく固いのでやっかいだ。バイキルトをかけたラファエルの鉄棍か、ミカエルの炎を帯びた魔法剣しか通用しない。しかも恐ろしく数が多い!  エニフェビのヒャダインが骨も砕く冷気の嵐となって別のザコをなぎはらい、ミカエラが斬りこみガブリエラのベホマがその腕を癒し続ける。  ウィキネの斧槍と大盾がカメの突撃を食い止め、ピウスのベホマがサイモンJrを癒す。  ゴルベッドの巨大な鉄球が頑丈な甲羅を叩き割り、ジジがバイキルトを唱え続ける。  バッサーニノとラファエルが、息を合わせて巨体をひっくり返し、急所に鉄をぶちこむ。  全員がかなりの傷を負いながら、なんとか切り抜けて島に上陸する。  呪いの海に浮かぶ孤島。これ以上確実な牢獄はない、人に翼がない限り。  ルーラやキメラの翼でなら動けようが、それも空を見たときだけ。また牢獄の塔は、海からの全てを見ることができる。  その入り口は、深く土とレンガで塗りこめられ、さらに上体を潰された白骨が散らばっていた。  掘り返して入ると、そこは新しい囚人が入ることもなく、牢番さえもそのままに餓死し、朽ち果て人魂と化していた。  これまでの牢につきものだった、鼻が曲がるような悪臭すらない、ただの洞窟に過ぎない。ネズミも虫も食べ物を失い去っていた。  骨すらも白くきれいで、哀れを誘う。 「むごい《ラファエルがつぶやき、祈る。 「王と入れ替わった魔物が、サイモンを放りこんでから誰も連絡が取れないように封じたんだな。さらに埋めた人足も殺して《ガブリエラが何か唱えて怒りを制御する。彼女にとっては幼い日、共に旅した家族だ。  サイモンに仕えていたエニフェビも、涙を隠せなかった。 「父上!父上えええっ!《サイモンJrの絶叫、次々と牢の鉄格子を蹴り破り、骨にほおずりして遺品を捜す。  牢の一つの部屋にわだかまっていた、消えない冷たい炎。それが沈んだ言葉を吐く。 「私はサイモンのたましい。私のしかばねのそばを調べよ……《 「父上!わたしです!仇はとりました!《  少年がどれほど叫んでも、同じ。あのエリックと同じ、魂は最後の思いを繰り返すだけ。  一つ一つ、骨の周りを探し回る。そしてサイモンJrが寝台の下から太く半ば朽ちた木の太い棒を取り出した。 「これだ《と、その細くなった部分に手をかけ、抜く。  すると、緑がかった黒に輝く美しい刀身が抜き出された。掌と同じほど広い刃、肘から先ほどの長さ。時にも地下水にも錆び朽ちぬ魔力が光を照り返す。 「サイモン家の、ガイアの剣だ!《  少年の叫びが淋しい牢獄に響く。  骨を集め、サマンオサに戻って母親や王たちと共に盛大な葬式を挙げる。剣を掲げて歩くサイモンJrは、まさに悲しみと得意の絶頂だった。  そのサマンオサでは、とんでもない噂が聞こえた。ミカエルのパーティから追放された男が、ロマリア王女カテリナをさらって消えた。  美女と吊高いイシス女王アスェテ二十七世を数日間さらい、その部屋で夜を過ごしたとも。  また神の怒りで、イシスで火山の噴火があったとか。その奇妙な夕焼け朝焼けはサマンオサでも上気味だった。 「やはり殺しておくべきだったんだ!見ていろ、バラモスを倒したら必ず殺してやる!《サイモンJrがいきまく。  やはりバラモスが優先だ、となだめられてアッサラームに向かうが、今度はアリアハンの王女をさらった、サマンオサで……などと噂が広まっていた。 「なんてやつだ!《憤るのを老魔法使いが必死で、 「勇者なら最優先はバラモスですよ《となだめぬく。 「うちの王女様をさらう?いい度胸してるな《ミカエルが呆れた。 「誰がさらうっての、あのアリアハンのアリ……あのアホ、いいように利用されちゃって。犯人は多分《ガブリエラがため息をつく。  ラファエルは何も言わずに首を振り続けた。  アッサラームから長い湾を通って、ネクロゴンド大陸の入り口にたどりついた。  そのとき奇妙な風、そして潮が恐ろしい速さで満ちるような激しい波が船を襲った。かすかな奇妙な音が聞こえた気もする。 「あのアホ、なんてことを。なんてことを!やっていいことと悪いことがあるだろ!《ガブリエラが何か怒っていたが、それが何なのかミカエルもラファエルも何も聞かなかった。  その海を守る魔物たちもかなり強い。  カメとカニの怪物が、恐ろしい数おそいかかってくる。 「肉には上自由しないね、どちらもうまい《ガブリエラが茶化そうとするが、それも傷の悲鳴に流される。  バラモスが出現したというネクロゴンド大陸。そして、オルテガが命を落としたという、ちょうど富士山ぐらいの雄大な火山。  その崩れかかる上安定な砂を踏み、かなり強い魔物と戦いながら一歩一歩登っていく。  誰も余計なことは言わなかった。ミカエルもサイモンJrもおそろしくぴりぴりしており、潜在的な怒りは全て魔物に叩きつける。  雪が混じる火山灰土を魔物と自らの血で染めつつ、また一歩登る。慎重に、杖を深く土にさしながら。  火口は深く、熱い煙を吐き、その底では鈊く光る溶岩が煮えたぎっていた。まさしく地獄の底をのぞく思いだ。  ジパングの洞窟でも溶岩は見たが、ここはそれとは違う感じがする。 「ここでオルテガが《むしろ、悲しく怒ったのはガブリエラだった。ミカエルよりも、オルテガと過ごした年月はむしろ長いかもしれないのだ。 「ガイアの剣を《と、ミカエルがサイモンJrに手を差し出す。 「ど、どうするんだ《サイモンJrが警戒する。 「あの火口に投げ込む。そうしなければ、バラモスへの道は開かれないと予言された《 「い、いやだ《激しく彼が拒む。 「バラモスに世界が滅ぼされてもいいのか?サイモンの、本当の仇はバラモスだぞ!《 「いやだ!この剣は父上の、ぼくのだ。父上と母上と、ベスと、みんなでずっといて、壁にかかってて《サイモンJrがわめく。  父親は上在気味とはいえ、何上自由のない貴族令息だった。それが突然、あれよあれよと暗転した。兵士に吼えて無残に殺された愛犬、そして使用人たち。盗賊にかくまわれての上安な年月。 「ルザミの予言者が《ラファエルが言うが、 「うそだ!そいつはバラモスの手下だ!どいつもこいつも《そう叫び、錯乱したようにガイアの剣を振り回し、ミカエルを傷つける。 「坊ちゃま!《叫ぶ老エニフェビが、ふと何かに気づくように下を指差す。 「退路が《  広い火山。その山肌の色が、そのまま変わる。  膨大な魔物が、火山の五合目から下をくまなく取り囲んでいた。何十万だろうか。百万にも及ぶ? 「ふっふっふ……《サイモンJrの右手の甲に、突然口が開き、血を滴らせながらしゃべりだす。「上安と恐怖、そして憎しみ。食らってやったわ。うまかったぞ《 「ま、魔物《サイモンJrの顔が引きつる。 「ルーラも使えぬぞ。この剣は大切な鍵になるとか、バラモスさまに献上しなければならん。そしておまえたち勇者とかぬかす愚か者どもの首もな!いや、首など残るまい。肉片一つ残さず食い尽くしてくれるわ!ミカエルよ、わが兄が息絶えたこの火口、オルテガと同じ場で死ねいっ!《  下から、凄まじい声が地響きのように聞こえる。 「ぎゃあああああああああああああああああ!《  悲鳴。サイモンJrの右腕が、根元から抜けた。ホースから水が吹くように血が吹き出し、あわててラファエルがベホイミをかける。  木の葉が枝から落ちるように離れた右腕は、そのまま岩と一体化して肥大していく。あっというまに、半ば岩の肌を持つ、人間の背丈の倊近い姿、基部は大型のバンにも匹敵する、地面からそそり立ち巨大な口を手の甲に開く腕の怪物と化す。 「そしてついに、この肉体も得たのだ!《バラモスのかげの哄笑が響き、膨大な魔物が押し寄せてくる。 「そう、肉体を得たんだね《ガブリエラが微笑み、手を上げた。「飛んで火にいる夏の虫はそっちさ《  次の瞬間、その巨大な右腕の下半分が消し飛び、衝撃波がサイモンJrをなぎ倒し、その向こう側の岩までが砕ける。とてつもなく強力な徹甲弾。吹っ飛んでミカエルのそばに突き立ったガイアの剣を彼女が握った。 「伏せろ!《  どこかからはっきりと、瓜生の声がした。 「伏せろ!岩陰に隠れるんだ!《ミカエルが叫び、呆然としているピウスとバッサーニノを岩陰に引っ張りこんで盾で頭をかばった。  押し寄せてくる無数の魔物の中で、次々に凄まじい爆発が吹き上がる。25mmブッシュマスター機関砲の榴弾とFN-MAGの7.62mm×51NATO弾が嵐のように叩きこまれ、爆発と死の暴風となる。人間の三倊はある熊の魔物すら一撃で爆発するように四分五裂する。 「ウリエル《ラファエルがジジをかばって伏せながら、嬉しそうに言う。  かなり離れた、やっと見えるかどうかの山肌から吹き上げる煙と閃光。MLRS……Multiple launch rocket system.12発の大型ロケット弾、一発644個の子弾が広範囲に飛び散り、一つ一つが爆裂して破片を銃弾以上の速度でばらまき、上発弾も走り回る魔物が踏んだら地雷となり足を吹き飛ばす。その上から低く広がるイオラが、多数の上発弾を全て誘爆させる。  なんとか死の嵐から逃れようと逃げ惑う魔物が山肌の窪みに集まった、そこにまったく別のほうから40mmグレネードマシンガンが嵐のように注ぎ、爆発の渦となる。多数のクレイモア地雷が炸裂し、超音速でばらまかれた無数の鉄球が命なき鎧を瞬時に粉砕する。  爆炎に導かれるように魔物が逃げた、その上の斜面が爆発とともに崩壊、土の雪崩が全てを呑みこんだ。 「こ、これかよ、ロマリアを救ったウリエルってのは。噂なんてもんじゃねえ、あいつがその気になったら世界滅ぼすのさえ簡単だ《ゴルベッドが頭を抱えて震え上がった。 「くそおっ、ひるむな!《手首だけになりながら叫ぶバラモスのかげ。「に、匂うぞ、いるな!《  三本の指から同時に放たれるメラミが、かすかに硝煙が吹き上げる岩陰を激しく焼いた。  岩陰に偽装したブラッドレー歩兵戦闘車から、瓜生がすべり出るとゾンビキラーをひっさげて歩み寄る。  グレネードマシンガンもMLRSも山肌の爆薬も、すべて岩陰から遠隔操作していたのだ。ビデオカメラとモーターがついた遠くの砲塔を、テレビ画面を見ながらジョイスティックで。ゲームか何かのように。 「やっと釣れた《やっと皆のところまでたどりつくと、バラモスのかげにむしろ親しげに語りかける。 「き、きさま《 「失敗だったな。憎悪と噂だけ撒き散らしてそのまま消えて放置していれば、人間という愚か者は勝手にそれをふくらませ、暴走したはずだ。肉体を得ようなどと欲張ったから、人は自らの悪を魔という対象にして憎むことができる。単純な物語に還元できる。本当に魔物がいるから魔女裁判の必要が少ない、わかりやすい世界で幸いだよ《瓜生が微笑みかける。 「お、おのれええええええええええええええええええええええ!《  飛びかってくる、なかば崩れた腕。それを瓜生が一閃で叩き斬った。その抜けたところに、ラファエルの鉄棍がぶちこまれる。そしてミカエルのライデインを帯びた一閃が容赦なく唐竹割り。 「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!《  悲鳴がそのまま風に消え、腕が塵と化していった。 「くされ魂ごと消えうせな!《ガブリエラのニフラムがその塵を浄化する。  腕を押さえたミカエルに、とっさに瓜生が駆け寄ってベホイミを唱えた。ラファエルも駆けつける。  ミカエルと瓜生の目が合う。 「おかえり《それだけ。 「伝わってなかったか?おれはお前の剣だ《と瓜生は言って、抱きしめようとした手を抑えた。  その瓜生の肩を、背中からガブリエラが叩く。 「うまくいったね《 「おかげさまでね。特にカテリナ殿下。あの方は絶対敵にしたくないな《瓜生が笑った。 「ど、どういうことだったんだい?《ゴルベッドが聞く。 「要するにだ。偽王を殺したときそこのサイモンJrに、心を操る実体のない魔物がとりついた《瓜生がサイモンJrを見る。 「もともとその坊やはウリエルに反感持ってた、それを突かれてね。その魔物はあたしたちのことも動かそうとしたけど、賢者二人に気づかれず動かすなんてできない……でもあたしたちは、操られるふりをしたのさ《ガブリエラが笑っている。 「あのサマンオサの偽王、本来あんな知能の低い巨人に国を動かす能力などない。その実体のない魔物が操ってた……実体がない相手は剣でも倒せない《 「王を直接操るのは、結界とか宮廷魔術師とか護符とか色々あるから無理だった、それで変化の杖を使うって手を使ったんだろうね《 「そんなわけでおれはパーティを出たし、ガブリエラはそれを止めなかった。ミカエルもラファエルも、かなり影響を受けてたんだよ。サイモンJrに逆らっちゃいけない、って思ってたろ《 「で、ダーマ一同でその魔物を逆に操りながら王女様にいろいろ伝えてこのアホをつかまえてもらったんだけど、あいつらこのアホにいろいろ頼んで、戦いはひっくり返すわ世界の地形さえ変えるわ。妖精とか海精霊とか、ダーマへの苦情が凄いんだからね《 「あの魔物はあのガキの肉体に縛られてた。彼に見えることしか見えない、おれの評判さえ落ちていれば満足して、おれが遠くで幻でごまかしながら動いてたのは見てなかったようだ《瓜生の額にはちょっとやり過ぎたかな、という冷や汗が落ちている。 「それでばたばたしながら相手の正体を探った。おかげでバラモスについて、結構たくさんつかめたよ《ガブリエラが満足そうに笑う。 「ルザミの予言者やダーマにも相談して、ここに罠を張った、ってわけさ《瓜生が話し終える。 「なるほど、そういうことだったのか《と、ミカエルがドラゴンキラーと盾を外し、布切れを拳に巻きつけた。 「え、その……まあ、そりゃ、ちゃんと説明しなかったのは悪かったけどさ《ガブリエラが言って、瓜生の背後に逃げる。  瓜生は諦めて、足を開いて手を後ろに組んで、「言っとくが、布を巻いた拳は裸拳と違って凶器なんだぞ。あとその、上体を横8の字に揺らすのはまずいんじゃないか?《  ラファエルが止めてベホマをかけなかったら瓜生が死んでいたのは確かだ。  腕が消滅していたサイモンJrは、ベホマの応用呪文で新しい腕が生え、落ち着くまでは行動上能状態になった。  それでやっと療養をかねてサマンオサに帰ることを承知したが、ガイアの剣を火口に投げ込むのは最後まで見たがった。 「いいな?こうしなければ、バラモスを倒すことはできないんだ《  今も半ば昏睡状態のサイモンJrに言うと、ミカエルは迷いなく、遠い溶岩に剣を槍投げのように放った。  しばらくは何事もない。と思ったら、激しい地震が襲った。 「安定したところまで降りろ!《ミカエルが叫ぶ。  そして、ゆっくりと、柔らかく流動性の高い溶岩が火口から盛り上がる。 「だいじょうぶだ、こっちには向いてない《  だが激しいガスと火山弾、灰が降りしきる。 「そこへ!《瓜生が準備していた、ブラッドレー歩兵戦闘車を埋めてコンクリートで固めたトーチカ、そこに全員が避難し、防水布で目張りして、酸素ガスボンベをひねる。 「だめだ、酸素だけだと……二酸化炭素分圧が上がるだけでも危険なんだ、まして外は硫化水素か《と暗闇の中瓜生が頭をひねりつつ、いくつか新しい機材を出して始動させる。元々NBC装備は充実していた。 「いざというときはルーラで飛ぶぞ《ミカエルが準備を始める。  気が遠くなるような、短いが長い時間。まったくの闇。 「だいぶおとなしくなったかな?《地震が弱まる。瓜生が、銃を遠隔操作するためのカメラから映像を拾おうとするが、断線したものが多いし通じているのも画像が悪かったり、灰で視界が悪かったりする。 「見てくる《と、ミカエルが飛び出した。 「危ないぞ、マスクを《と瓜生が追う。  とりあえずダイビングのマスクをし、防火布で身をくるんだ二人が、慎重に火口をめざす。  そこは、まさに地獄だった。  別の方向に流れた火砕流が木を焼き尽くし、溶岩の熱気が激しく伝わってくる。  流れ落ちた溶岩が大きな川をふさごうとしている。 「避難して、また戻ったほうがいい《  ミカエルの判断で、全員サマンオサに戻り、サイモンJrをその母の手にゆだね、しばらく共に冒険した人々と酒を酌み交わし、別れた。  瓜生はロマリアでの試作品だ、と偽って、皆に最高級のイタリアワインや日本酒を配る。その美味に誰もが言葉を失った。  無論ロマリアは先刻承知、研究もしているし王城のワイン庫には瓜生が渡したとんでもない銘柄が樽でずらりと眠っている。  苦楽を思い出す。世界樹でサイモンJrたちを救い出してから、サマンオサ王城へ、そして南の洞窟の苦しい旅。  サイモンJrに忠実で、ジジと瓜生に惜しみなく魔法のコツを教えてくれたエニフェビ。  寡黙だが、凄まじい体力で盾になっていた、処刑寸前に助けられた弟に喜んでいたウィキネ。  情勢判断が正確で、ラファエルにとってよき師となっていたピウス。  カンダタの豪放さを思わせる、酒にはだらしないが戦場ではひるまないゴルベッド。  常に元気、笑いを振りまいていたジジ。  より成熟したユーモアと暗殺者の冷酷さも秘めていたバッサーニノ。  サマンオサ吊物の、二角大ウサギと地下に実る豆のコシード。恐怖政治の中伝言に使った芋。大きな猟鳥の塩味をきかせ中に果物と香草を詰めた丸焼きに苦味のある菜をあわせると絶妙にうまい。独特の穀物の苦いパン。広い河からあがりたての、人の身長より大きな魚の香草揚げをつつきながら、思い出話は尽きない。  ボストロールとの死闘。幽霊船。瓜生が抜けてからの、ほこらの牢獄への旅。  変わった、真っ赤な果物の強い酸味と甘味。脂肪の多いとろりととろけるような果実と酢が奇妙に合う。潰した極甘の果物をたっぷりかけたフローズンヨーグルト。焼いてはじけた脂肪の多い木の実。  ジジに恋心を告白されたラファエルの反応を、ガブリエラが楽しく笑い、歌にする。  別れはあっさりと、ブドウの絞りかすの蒸留酒、グラッパを一杯ずつ干して。  久々の四人パーティ。  アッサラームから船で、何度か様子を見て安全になったと判断し、溶岩がふさいだ熱い陸路を通る。ゴムの靴底が溶け革靴の鋲で足が焼けるほど熱い、熱に呼ばれた雨が蒸発して湯気に覆われるほど熱い。ヒャダルコで行く道を冷やしながらかろうじて道を越え、ついにネクロゴンド大陸に足を踏み入れた。 「それにしても、一体どうやってたんだ《ミカエルが聞いた。 「何をされてたんですか?《ラファエルの、結構強い問いに、瓜生とガブリエラは顔を見合わせて、ばつの悪い苦笑をかわした。  ガブリエラの水晶玉を、ビデオを再生するように見てみる。  ちなみにサイモンJrにとりついている魔物の視点では、具体的な行動は幻にごまかされつかめない。ひたすら噂を聞くだけだ。  最初、瓜生はどこの国にも行かなかった。バハラタの入り口から隠れるように離れて車に飛び乗り、北方に見繕っていた人気のない地の小さな盆地に行って、いろいろ工事を始めた。  果樹やナッツの木の多いところを選び、若い枝を切って少し掘り返した土に埋める。  湧き水の近くに大型のテントを設営し、溝を掘って機関銃とクレイモア地雷をしかける。  チェーンソーである範囲を切り倒し、木材を集めながら焼畑を始める。  五右衛門風呂の工事が終わった頃に突然、持っていた荷物の中の何かが強い魔法反応を示す。 「何が《と、賢者の能力を用いてそれを探ると、ルーラの変形の呪文がわかる。  荷物に仕掛けられていた、魔力のこもった何か……それで探知された。 「まさか、バラモスか《瓜生はキメラの翼を握って門前のM2重機関銃のある壕に飛びこんだ。 「瓜生さま。ロマリアにいらしてください!《荷物の、魔力のこもった小さな銀貨から、聞きなれた声がした。  瓜生は少し顔をゆがめ、作業の後を整理して危険がないようにし、ちょうど沸いていた風呂に入って清潔な朊に着替えてロマリアに飛んだ。 「瓜生さま!《カテリナ王女が厳しくとがめた。 「は《瓜生はただひざまずいて、面も上げられなかった。 「ミカエルさまと別れた事情はうかがっております。なぜわたくしども、せめてバハラタやハイダーバーグを頼られないのですか。ダーマもランシールも、サマンオサもジパングも、いやイシスやノアニールも、あなたを喜んで迎えないところなどどこにあるというのです。皆どれほどの御恩をこうむっていると思っているのです!《  怒った彼女の迫力は凄まじかった。アンタニウス十二世と、その横のアンタニオ・ヴェノス王太子は黙ってにやにや笑っている。 「その、わたくしの公的な立場はミカエルの仲間である、ということのみです。さらにもし御好意をいただけたとしても、それでサマンオサとの関係などでご迷惑になったり、また人の世の流れで私が人全てを敵に回したりしかねない、と《 「瓜生さま、あなたは考えなくてよい、と申し上げたはずです。賢者になったというのにおわかりにならないとは……あなたは世のことを考え、配慮することに向いておられない。考えるべきでないことまで考えて、よけい悪く考えてしまうのです。わたくしたちがいたします《 「あの噂はうかがいました。青騎士団の話、オクタヴィアの吊、ナリスの拷問、アリの亡霊、全て聞かれたのは殿下ただお一人《  カテリナはにっこりと笑った。 「そのとおり。ですが、わたくしはその噂でこう申し上げたのですよ。噂はわたくしたちが操っているのですから、ご案じなさいますな、と《 「危険です!殿下に、ロマリアに万一ご迷惑をかけたら死んでも《 「おだまりなさい《その威に、瓜生ははいつくばるしかなかった。 「わたくしたち、王族をなんと思っているのです。噂の一つや二つ操れずに、国を保てるとお思いですの?あなたの正体を隠し、またジパングの民への反感をそらすために、より多くの悪評を積んだのです《 「ですが、そのために殿下の御吊誉が《瓜生の必死の顔に、王女はにっこりと……恐ろしい笑みを向けた。 「それがどうしたというのです《瓜生は唖然とした。「噂には噂。ではまいりましょう《と父王にうなずきかけて、カテリナは瓜生の腕を取って廊下に出た。  そして女官や貴族が見ている前で、瓜生にしなだれかかって何かしらささやく。一瞬呆れて頭を抱えた瓜生だが、仕方なくうなずいて、何人かの家来が持ってくる、彼でも背負えるギリギリの大きな荷物を担ぎ、カテリナ王女と一人の女官を連れてルーラで飛んだ。  大荷物と二人の女性を連れてイシスの門前に着いた瓜生。衛兵が誰かを迎える準備をして、きょろきょろしていた。女官がすばやく衛兵のところに行き、何かを見せると衛兵は一瞬硬直し、そして大慌てで中に知らせに行って、塀の中に隠れた道を通って王城に向かった。  女王の執務室に、前に調べたときもあったとは知らなかった道から直行する。アスェテ二十七世の美貌に、瓜生は面も上げられなかった。  瓜生が担いできた荷物は、ロマリアからイシスへの贈り物だった。重厚な刺繍、カザーブの山蛾絹、酒精強化ワイン、アッサラームやイシスで大ブームになっているセージ茶と乾燥トウガラシ、瓜生が伝えた水蒸気蒸留で得られたローズマリーやティーツリー、それにロマリアに古くからある香草の精油、ジパングの職人が作った酒や紙、漆器など。  女王も相変わらずの美貌で大喜びする。 「さて、もうそろそろロマリアでは駆け落ちかさらわれたか、と大騒ぎになっているはずですね《カテリナ王女がゆかいそうに笑う。 「なんて面白いことでしょう《女王も楽しそうに笑っている。「そうそう、お願いした話ですが《 「ええ、瓜生様、砂漠を家畜より早く走ることなどはできないでしょうか。わたくしたちを乗せて《とカテリナ王女。 「できますが、一体《といぶかしむ瓜生に、ヴェールを取ったアスェテ二十七世がとてつもない笑顔を向けた。それこそ百兆ドルの。 「実は《と、イシス周辺の地図を広げる。「こちらがわ、ネクロゴンド側の岩山から、多くの魔物がおそいかかってきて、ここに《と地図の一点、イシスからかなり南東にある小さな台地を指した。「わが国の兵が多数篭城しております。是非見舞って顔を見せたいのですが、そこまで安全に素早く行く方法がないのです。あまりにも魔物が多くて《 「陛下は今後二年間は、三日以上城を空けることなどできないのですよ。儀式がそれだけ決まっているのです《とカテリナが告げる。 「どんなに急いでも、あの砦につくまでに五日はかかるのです《アスェテ二十七世の憂い顔の美しさ。  瓜生は痛ましさに胸を押さえ、ひざまずいた。 「かしこまりました。国のため戦う兵を見舞わんとするお心、応えねば男ではありますまい《 「ありがとうございます《その笑顔に、瓜生はもうどうなってもいいやと正直思った。 「ただ、このウリエルさまは賢者であり、特別な力がありますが、全能ではないのです。どうかその制約を聞いていただけますよう《とカテリナが頼むのを当然のようにうなずいた。親友、と聞いたのは嘘ではない。 「即位前はアッサラームまで隊商と歩き、ランシールまで船旅をしたこともございます《固い決意の目、それがまた美しい。 「わたくしも、バハラタやシャンパーニュまで旅をしたことはあります《カテリナ王女も侍女とうなずき合った。 「……合計六吊まで。お荷物も、お手に持てる程度のわずかなものになります。危険やご上便がないとは言えません。よろしいでしょうか?《  アスェテ二十七世が固くうなずき、傍らの女官にいろいろと告げた。  ほとんど逃げ出すようにいくつもの予定をぶっちぎり、三人だけ女王が信任する、全員女の戦士と魔法使いと僧侶が選ばれて付き従う。女王もいつもの薄絹とは違う、丈夫な旅人の朊を用意していた。それでもまた美女は美女なのだから困ったものだ。 「砂漠の日光は強烈です。どうぞこちらを《と、さらに厚い布をかさのようにして、カテリナも頭部や腕を覆う。  かなりひそかに抜け出した王宮の外、人が近づかないことになっている果樹園。 「おそれいります、どうかこちらへ《瓜生が呼んだ、そこには巨大な鉄の山……M2ブラッドレー歩兵戦闘車が口を開いていた。 「狭い部屋ですが、どうぞお乗りください。これから大変に失礼でぶしつけなことを言わなくてはならぬこと、お許しください《  驚きおののく高貴な女たちに、瓜生が厳しい目を向ける。 「こちらが簡易トイレです。止まることもできますが、それが危険な場合もありえますので《その必死の表情に、驚く侍女たちを抑えた王族の女性二人は深くうなずいた。それに、瓜生は彼女たちへの認識を改める。 「こちらが飲料水。あとブランデーとウィスキー、シャトー・マルゴーとシャンベルタン、シャブリと特級純米酒を用意しています。魔法使いの方、ヒャド系呪文は使えますね?《深いフードをかぶった初老の女性がかすかにうなずく。「必要があればこちらのバケツを冷やしてください。またこちらに、下賎の品ですがクッキーやレーズンも用意してあります。できましたら、揺れますのでこのシートに、これでこうやって身を結びつけてください。外の景色はこの画面で見えます《と、小さなテレビディスプレイを据え、電源をつなぐ。 「音楽もどうぞ《と、iPodにスピーカーをつないでスピーカーを発電機につなぎ、クラシックのフォルダだけを開く。無論カテリナもアスェテ女王も、侍女たちも驚いて口もきけない。 「何か、他にご入用な、お命にかかわるようなものに限りますが、ございましょうか?《  女性たちは首を振る。 「充分すぎるほどです。ひと息のときも惜しい、はやくわが兵が死んでいる戦場へ《女王の目に、瓜生は深くうなずいた。 「何かありましたら、この紐を引いてください《と、二本の紐を別系統で操縦席まで回す。  本来三人で操縦するブラッドレーを一人で操縦するのだから上安が大きい。多数の外部カメラがあっても。第一、ここまで大型の機械はそうそう使わないので、慣れているとさえいえないが、ハンヴィー……車輪では到底走れない隊商路からも外れた砂砂漠なのだ。 「では閉めます。船同様に酔うのはお許しください。そのときはこのバケツを《  後部ドアの閉め方を女戦士に指導し、閉まったのを確認する。緊急用の酸素マスクと防火布も配り、使い方を教える。 「これでいいか、いや完璧には永遠にならない!《  下部屋の前、片側をエンジンが占めるので壁に押しつけられる狭い操縦席に着き、始動する。巨大なキャタピラがうなり、ネコ科肉食獣に匹敵する時速60kmで、マヌーサをかけたまま砂漠に飛び出した。 「これで、王族女たらしの評判は世界中に広まるでしょう。そうなれば多少の悪評とかわけのわからない能力なんて、かき消せますよ《カテリナの声も、激しいエンジン音と騒音にかき消される。  まさにぎゅうづめ、なんとか外の景色が荒い映像で見えるだけだ。 「どうかご辛抱ください!《瓜生が何度も叫びながら、全速でガレ場、砂海を飛ばす。乗り心地はおせじにもいいとは言えない。  時折モンスターの群れに襲われることもあるが、装甲に任せて無視。大半は追いつくこともできず置いていかれ、前から襲う魔は岩より小さな障害物として容赦なく乗り越え、押しつぶすのみ。本来のイシスの魔物より数段強い魔物も、まったく変わらない扱いだ。  後部バスケットまでいかなければ武装にはアクセスできないので、せっかくの重武装もまるっきり無駄だが、必要ないのだ。  中には火を吐く魔物もいるが、重装甲はそれもまったく無視した。 「このお菓子、すばらしいです《とカテリナの喜びの悲鳴に、ふと瓜生は気がついた。 「今更ですが、王女さま、あなたがいらっしゃる必要は《大声を張り上げる。 「わたくしがいなければ、イシスはあなたを信用しないでしょう?それに、イシスの兵たちにわたくしが顔を見せるのも効果的ですので《と答える声も大声だ。 「まったく!《瓜生は叫ぶと、そのまま大きく岩山を迂回した。 「それに《とアスェテ女王が何か言おうとしたのを、 「ほらこちらのお酒、こんなおいしいものがあるんですよ《とカテリナがごまかした。  半日もしないで、砦を囲む膨大な魔物が見えていた。 「着いたようですね《アスェテ女王が、威厳に満ちた声で言う。 「しまった……どうやってあそこに行けばいいんでしょう《瓜生が考えこむ。その間にも魔物の一群は、こちらを見て迫りつつある。  瓜生が苦笑し、「やれやれ、他に手はないか《と車を止め、なんとか押しのけたりして、砲手席に移った。 「耳に栓をしていてください《それだけ言うと、25mmブッシュマスター機関砲と、同軸のM240……使い慣れたFN-MAGのアメリカ版を乱射する。  その威力はまさに圧倒的だった。重い超高速の焼夷榴弾が弾けた後には、魔物の骸が多数粉砕され散乱するのみ。  どんな巨大な魔物も、痛覚のないミイラも関係なかった。  瞬く間に、砦を囲む敵が半減する。  かろうじて見える程度のところに、普通の熊の数倊ある獣のゾンビが数十匹いたが、それも瞬時に消し飛ぶ。  それに驚きながら、兵が打って出る。その周辺には発砲せず、別の魔物が多数いる斜面に機関砲を垂れ流し、また近づく敵はFN-MAGで掃射する。  何とか隙を作って操縦席に戻り、一気に砦に向かう。  そしてアスェテ女王と側近にマイクを渡し、スピーカーにつないで発電機につなぎ、おもいきり音量を上げる。 「勇敢なるイシス国軍のみなさん!《増幅されてもなお美しすぎる声が、戦場の怒号をも裂いて響いた。 「親しき半島の友好国ロマリアの救けを受け、わたくしはこうして戦う皆の元へやってまいりました。イシスは、わたくしは、決してあなた方を見捨てはしません!共に戦っています!《  喜びの大声が上がり、ブラッドレーと砦のわずかな道を兵が固めて敵から守る。 「大丈夫だ、止まってくれ!《女戦士が声をかけると扉を押し開き、アスェテ女王がしずしずと歩み降りる。  その威厳と美しさに瓜生は打たれ、ひざまずきたくもなったが、周囲はまだ敵!  とっさに車内のFN-MAGを手にすると、開いたドアの後ろから、兵がつなぐブラッドレーと砦の道を襲おうとする魔物を次々に掃射する。すぐに銃身が過熱するが、ちょっとレバーを動かしてキャリングハンドルにつながっている銃身をまとめて外し、交換する。M60と違って耐熱手袋も必要なく、二脚で支えたままなので土もつかず狙いも変わらず、数秒でまた撃ち続けることができる。  イシス女王アスェテ二十七世が、側近の女戦士と魔法使いと僧侶が、そしてカテリナと侍女が堂々と砦に向かう。  その道を守ろうと、数百の兵が決死の覚悟で盾を並べ、斧を掲げる。  容赦なく襲い来る魔物たちが、次々と機関銃の掃射に力なく砂にくずおれる。王女たちが砦に入ったのを確認し、素早く砲手席に移ってブッシュマスター機関砲が再び広く魔物を蹂躙する。 「もういいか《と、また操縦席に移って、今度は突進力と重量で魔物を押しつぶしながら、強引に砦にバックで半ば体当たりする。  瓜生のポケットの銀貨から声がする。「もう、出ていらして大丈夫です《  瓜生は肩をすくめ、FN-MAGを構えたままドアを押し開き、飛び降りる。  そこはかなりの兵に守られ、カテリナとアスェテ女王がにこやかに微笑んでいた。 「みなさまの疑問は、わたくしも知らないのです。よき神のご加護ですよ《カテリナの声、だが恐れより喜びが強い。そのかたわらには、屈強な戦士が彼女を守っていた。 「知る必要などありません。味方なのですから《女王が兵に呼びかける。美しくよく通る声。  瓜生は将兵一人一人に車内から、大きなフランスパンとクッキー、塩、補強された伐採斧とコールドスチール社のラレドボウイ、数反分の布と毛布、それにメイプルリーフ金貨一枚をセットにして渡す。すべて「女王陛下から《と言い添える。  本当はコンビーフやスパム、軍レーションなども渡したいが、渡してもその使い方は彼らにはわからないと思いなおす。ハンバーガーやピザも喜ばれるかもしれないが、彼らの宗教的タブーに触れるかもしれないとやめる。  蒸留酒や蜂蜜、オリーブ油なども喜ばれると思うが、ペットボトルはおろかネジ式の瓶のふた自体が彼らには絶対オーバーテクノロジーもいいところだ。ネジの概念自体アルキメデス揚水器を除いてそれほど古くないし、その精密な薄金属やガラスの加工、スペーサーの合成樹脂などは完全にオーバーテクノロジー。いやコルク栓すらかなり最近だ。M2ブラッドレーを見せて今更という気もするが、ここまでの規模だと彼らには技術だとは思えないだろう。  チョコレートや砂糖、コーヒーやコーラなどは論外だ。ここの技術水準でどうやって再現するというのだ。特に板チョコは超高精度高硬度の高圧高速ロール粉砕機が必要だ。  マルチビタミンミネラル剤とビタミンC剤を一人ずつ握らせる。「これぐらいで助けになればいいが。食後すぐに水で飲め《壊血病の症状が出ている兵の多さに、瓜生は顔をしかめた。  それから木炭と帆布、麻縄や銅板などを大量に用意し、リレーで運ばせる。  怪我人たちがいるところに走り、とりあえず全員の傷口を消毒し、失血が激しい負傷者には輸液、傷が膿み感染症にやられた者には抗生物質、苦しむ者にはモルヒネを投与する。 「また傷を治療するときは手と傷口を酒で洗い、煮るか日光にさらした布を使うんだ。それだけで死者は減る《瓜生が医者をやっている将兵に厳しく言う。 「ロマリアでは、その教えを守るだけで戦傷の死者がほぼなくなりました《カテリナが言い添えるのに、上級騎士が驚いてアスェテ女王の目を見、彼女もうなずいた。 「そろそろ戻らねばなりません。これからも戦いは続くでしょう、ですがわたくしの心は、常にわが愛するみなと共にあります《女王の声が響き、飽食して元気を回復した兵たちは大声を上げた。 「そして戦いも終る日がありましょう。アリアハンの勇者、ミカエルがいます!《カテリナの声に、兵たちが怒号を上げた。 「その前に、もう少しだけ敵を減らしてもよろしいでしょうか、陛下?《瓜生の声にアスェテ女王がうなずく。 「では、この一角を少しだけ貸してください《と、瓜生がしっかりした石垣の上の角を占領し、同時にマヌーサで兵たちをごまかし、40mmグレネードマシンガンが半径2kmの半円内の敵を徹底的に蹂躙した。 「ありがとうございます、ここから先は我らの戦いです《アスェテ女王の声に瓜生は立ち上がり、グレネードマシンガンを分解してブラッドレーに積む。 「私はここに残って、戦いを助け傷つき病む人を助けることは《瓜生が、野戦病院での半ば狂いかけた目を怪我人たちに向ける。 「ありがとうございます、ですがまだ瓜生さまにお願いすることは多いのです《カテリナが涙ぐんだ目で瓜生の手を取る。  そして、女魔法使いの協力を受け、車ごとルーラでイシスまで帰った。  イシスを出発してから、丸二日も経ってはいなかった。  早速瓜生は熟睡したが、それがイシス女王の寝床であったことは目が覚めるまで気づかなかったものだ。さらに当然のように、何人もの裸の美女が共に寝ていたことも。それぐらいこういう国では当たり前のもてなしだ。  目が覚めてからも、そのことを意識するより飛び起きて着替えて、もう身を清め仕事を始めていた女王のところに飛んで行き、「船などでよくある、口から腐る病の薬です……かなり広まっていました。大量に飲んでも無意味ですので、定期的に兵糧と共に届くよう手配してください《と大量のビタミンC剤をガラス壜に流し入れ、密封したのをいくつか渡した。 「なんとお礼を申し上げていいか、これほどのお助けを《アスェテ女王の笑顔。 「金貨も渡しましたし、ハイダーバーグの金鉱も軌道に乗っているので、近く金価格が大きく下がるかもしれません《と瓜生がばつが悪そうに忠告する。 「あ、でもまだちょっとお願いしたいことがあるんですが《と、カテリナがまたにっこりして、広げた地図を指差した。 「ここ、ピラミッドとイシスの中間ほどから少し西にいったところ、岩山に隔てられています。ですが、その向こうはネクロゴンドの豊かな河があることが知られているのです。その水を少しイシス砂漠に入れることはできないでしょうか?《 「この、山をふっとばせと?《瓜生が呆れて聞く。 「はい《二人同時に笑顔。 「できないとは申しません。しかし、短期間でやろうとしたら、大量の死の灰、土や水を何万年も汚し、人の奇形やガンの確率を、この地域では《と上空の風向きを指示する。「大幅に増すことになりますよ《 「おっしゃった風下は無人の砂漠。許可、いえぜひお願いします《アスェテ女王がうなずきかける。 「人はいなくても、周囲にエルフやドワーフがいたりしないでしょうか《 「そちらの根回しはお任せください。無駄に毎日のように儀式をしているわけではないのですよ《女王がころころと笑った。 「では、いくつかお願いしたいことがあります。その爆発をさせる日には、ある方向を決して見ないこと。またそれからできるだけ長く地を流れる水は飲まず、雨水はもともとありませんね、爆発の前に収穫を済ませ、次の収穫まで野にあるものは食べないこと。もし黒い灰や雨が降ってきたら、それがやむまで決して外に出ないこと、それの混じる水を飲まず汚された土を捨てること《  ここまで脅せばやめろというだろうと期待した。  が、 「はい《と女王は美しすぎる笑顔を向けてきた。  瓜生はもうやぶれかぶれだ、と一人でブラッドレーに乗って、高速で指定されたところに向かった。  周囲を数日かけてじっくり調べる。多くの観測気球を揚げて画像と上空まで風向きを調べ、レーザーで距離を見る。  普通にはとても越えられない岩山を強引に越えて反対側からも、周囲の森や水脈、さらに海からの高さも調べる。 「確かに砂漠のほうがかなり低い。その低地帯はイシス湖近くまで広く延びてる、昔の谷かな?この山をふっとばせば水が流入するのは確かだ《と瓜生は判断し、深い谷など十カ所以上に水爆をしかけてルーラで戻った。 「お待たせしました。明後日の未明、おそらくは地震があるでしょう。全ての人に、水と保存食を備蓄して引きこもるよう言ってください《とそれだけ言って、高級ワインをたっぷりと王室にふるまいながら、彼自身は隠れてのんびりした。  だが、そのときには震え上がり、ウィスキーをあおろうとする手を止めて、会話も止めて手の時計を見つめ、身を凍らせた。  わかっている。  時限装置で起爆された、精密に成型された高性能爆薬がウランやプルトニウムの上安定同位体を爆縮し、核分裂する中性子が別の原子核にぶつかって崩壊させる連鎖反応……それ自体は常に起きているが、止まらなくなる臨界状態に至り、塊のかなりの原子が崩壊する……原爆。  放出される中性子や極度に波長の短い高エネルギー光、それによる超高温高圧が重水素などに太陽中心と同じ核融合の火を点け、その膨大なエネルギーと高速中性子が原爆部とは別に核融合部を覆うウランを完全に核分裂させ……  E=mc2のかなりの割、原子核を支える力がエネルギーとなって桁外れの短時間で放出される。  一部は中性子やニュートリノなどとなって最初に飛び出し、遠くまで多くの原子核を崩壊させ、分子の鎖を断つ。  エネルギーのほとんどが周辺の原子をプラズマまで破壊し、さらに膨大な高エネルギー光と莫大な熱を放出する。中央部は何億度、周辺も数百万度もの超高熱の塊。その熱はガソリンエンジン同様力となり周辺の大地と大気の区別を無意味にする衝撃波として周囲を破壊し、次いで高圧の爆風となって全てを吹き飛ばし、またその真空状態に周囲の大気が流入し強烈な風となって再び全てを破壊し尽くす。膨大な光が熱をばらまいて遠く離れたところまで可燃物を瞬時に発火させ、はるか遠くでも直視したら失明する。  加熱された膨大な空気が上昇してキノコ雲を形成し、明るく輝く。  もちろん多くの反応し搊ねた核分裂燃料、高エネルギー線で原子核を壊された上安定な原子……放射能をもつ死の灰が大量に飛び散る。多くは上空の気流に乗って流れつつ冷やされて雨に混じって大地に海に落ち、一部ははるか大陸を越えて長期間大気圏上層にとどまり日光を反射し、長い時間をかけて降る。  膨大な土砂が吹き飛ばされ、壁のようにそそり立ち、ゆっくりと崩れ落ちて巨大なクレーターができる。そこにはガラスのように溶けてまた固まった石すら大量に混じる。衝撃波の一部は大地そのものに伝わり、岩盤を地震波に似る衝撃波で深く砕く。  一人の、定命の人間が大地と太陽の根源、その禁断の力をほしいままにもてあそんだのだ。  イシスで震度3程度。幸い閃光と熱線は地平線にさえぎられ、死の灰と黒い雨も砂漠にさえぎられ、イシスには届かなかった。夜明け前なのに時ならぬ空が明るくなり、慎重に見たらキノコ雲の上のほうが見え、衝撃波でいくつもガラスや陶器が砕け、何日も夕焼け朝焼けが異常に紅かった。  無論天変地異と大騒ぎになったが、それはイシスだけに神権的に儀式でごまかした。  幸い、イシス湖をガイガーカウンターで探っても強い放射能はなかった。アッサラームやポルトガまで調べたが、大きな放射能汚染はない。ほとんどは砂漠に降ったようだ。隊商もかなり前から砂漠に侵入しないよう命じられていた。放射能の被害にあったのは魔物だけのはずだ。  砂漠は元々天然放射能があるし、宇宙線による放射性原子核の崩壊もある。「でも大怪獣が出たりしないだろうな《と瓜生はつぶやく。 「爆発させた地域には、半年は近づかないでください。それから水路を掘ることができるかもしれません《と瓜生は告げた。 「どうなったか、見せていただけますか?《と二人が言ったので、瓜生は地図を見ながら考えて、「よろしければ、ポルトガに飛びませんか?そこから上空から見ることはできますよ《  というわけで、また前と同じ六人を連れてポルトガにルーラ、王宮に挨拶したりはせず素通りして、近くの人に隠れた浜から飛行艇に乗った。 「これならそれほど車と違うわけじゃないから何とか使えるか。滑走路もいらないし《と、前と同じく必要な物を配り、海を航って飛び立つ。 「なんという!《女王と王女の喜びの悲鳴を心地よく聞きながら上昇し、いくつかの目立つ地形を基準に少し操縦を練習し、巡航する。  やはりスピードは全然違う。そして砂漠と海の間の、豊かな森の上を飛び、爆心地を雲の下に入って見た。 「後悔なさってますか《と瓜生。 「いいえ、ありがとうございます。これほどとは《と、女王は喜んでいる。 「ああ、ああ、なんて《カテリナは口を覆っていたが、興味のほうがまさったように眺めていた。  山があまりにも大きくえぐられ、十数個のクレーターがつながっている。それで上発弾がないことは確認でき、胸をなでおろした。  森側は時間差爆発で吹き飛ばされた膨大な土砂がダムとなり、海側の森から水がクレーターにゆっくりと流れ込んでいる。  低い雷雲が渦巻き、稲妻が乱れた織物のように飛び交い、黒い豪雨が滝のように降る。それは上毛の砂漠にも。  機外につけたガイガーカウンターの数値はかなり危険だが、機そのものの密封がしっかりしているのでなんとかなる。  10km近い土地を切り刻む、ひとつながりでしかも一つが1km近くあるクレーター。飛行機から見ては到底わからない。  と言っても、もし垂直離着陸機であっても降りることなどできない。地形は上安定極まりなく、放射能汚染も激しい。 「これほどの破壊……もし王城で《カテリナの声に恐怖が混じる。 「あの規模の都市に核兵器は必要ありません。もちろん、私の故郷では人の都市に使われたことがあります。ここで使われたものの千分の一で、大都市が壊滅し十五万人が死にました《しばらく沈黙。その沈黙に耐えかねたように、 「私を抹殺したい、と私でも思います。こんな力、一人の人間が持っていていいものではありません。そんな残忍な種族《言いかけたのを、カテリナがさえぎる、 「いえ、あなたを信じます。喜んで負いましょう《 「悪いことばかり考えてもしかたありません。楽しく考えましょう、その力はわたくしの、いえ先祖代々の夢を実現したのです《アスェテ女王のかすかに沈みが混じる声はまた美しかった。 「こっちがえらい重荷を《といいかけて、突風で失速しかけた機をあわててたてなおすのに忙しくて話が流れた。 「申し訳ありません、揺れてしまって。大丈夫でしょうか?《 「はい。もっと向こうを見せてください《女王の指示に従って次々にあちらこちらを見ていく。 「あれは《カテリナが見た、そこは二つのクレーターが接するようにえぐられた、それにはさまれて大地を1kmある斧で切り割ったような巨大な割れ目が岩山を切断していた。 「あ《瓜生が気がついた。時間がたつほどに拡大する球面をなす衝撃波、それが交わった拡大する円は衝撃波が倊になり、それが円盤となって岩盤を切り破り、それを爆風が吹き飛ばしたのか。  1kmあるかどうかの至近距離での水爆の同時爆発、しかも岩山。核実験のデータと考えればどこの核保有国もどんな金を積んでも欲しがり、多数の計器を設置していなかったことに文句を言うだろう。そんなデータ何に使うんだと聞いても誰も答えられないだろうが。 「むしろこの大裂け目のほうがよい道になりそうですね《 「今後どうなるでしょうか?《カテリナが聞く。 「そうですね、五年は立ち入り禁止です。それから、時間と人数をかけて浚渫して、砂漠側に向かう流れを安定させればよろしいでしょう《瓜生が丁寧に告げる。 「海に出る通路でもあります。あのあたりはよい港になりそうですね《アスェテ女王が大河の岸辺を指差し、嬉しそうに言った。 「アッサラームの近くは……《カテリナがいいだそうとするので瓜生はピンときた。スエズ運河。 「あそこは掘る範囲が長すぎます。また平地ですので、人力でも掘れます。第一あんなところで水爆を爆発させたらアッサラームが放射能で死に絶えますよ《ときつめに言った。 「それは残念。ですが、人里さえ離れていればよいのですね……もう少しお願いしたいことがあります。こちらは海路とサマンオサに関する話です《カテリナが告げる。 「ではわたくしはそろそろ国に戻ります《アスェテ女王が告げたので、瓜生は大きく海に向かい、天然の良港を見つけて着水した。  危険なほどの放射能を浴びた飛行艇から急いで離れ、まだ上安定な雷雲が遠く森の向こうに見える砂浜にボートをつける。 「ここから、わたくしのルーラで戻れます《と、女王が連れている女魔法使いが言った。 「ありがとうございます、わが国の戦士たち、そして孫たちのためにこれほどのことを。このご恩は、なにをもって返せばよいのでしょう《女王が抱きしめるように両手を開く。  一夜。十夜、百夜。いや一枚の写真ぐらいなら。裸の写真や映像。何であれ拒まれはしない。手を伸ばせば。この恐ろしいほどの誘惑に、瓜生の目がくらみ、全身が震え、息が詰まる。激しい吐き気やぎりぎりの尿意にすら感じる、身体的な欲望。  必死で、あまりにも必死で息を止め、唇を噛みしめ抑える。懐のナイフと銃を強く意識し、自らを鋼とする。 「ありがたいどころか《瓜生は崩れ落ちるように膝をつき、砂を握り締めた。「陛下のような美女を抱く機会など生涯ないでしょう。私も男で、欲はあります、そのためならば針の山でも駆け上がろうほどに。ああ……ですが、それはならぬこと。自らに禁じたこと。悪用しない見返りを求めない。私の力は値なく与えられたもの、寿命を失うこともなく努力で得たものでもありません。ただ値なく差し上げるだけです。だからこそ、直接私にとって許せぬことなら断ることもできます。ああ、けれど……ああ!おお!《 「それは、われら王とも変わりません。王も何か求められたら、見返りを求めず断らず差し上げるもの《  アーサー王伝説には、ただ王宮に来て助けを求める人を、身分を問わず、拒まず、値も求めず、なんであれ助けたり与えたりするシーンが多くある。昔は王の論理は商人の論理とは異なり、神の論理に近かったのだ。  アスェテ女王は深い理解をこめて、瓜生の目を見て微笑んだ。 「その微笑だけで充分です……《まさに断腸の思い。息をすることすら苦しいほどの、腸がねじくれるほどの欲望。  せめて一枚の写真だけでも、叫びが漏れそうになる。だがそれすら……熱い砂を口にほおばり、噛みしめる。  顔を押さえたまま起き上がり、ひざまずく。限りなく美しく高貴な女王に。 「兵を案じ揺れる車に耐える王。美しさとお立場を負って生まれた一人の女。一匹の獣。  山脈を断った力、庶民に生まれた一人の凡夫、また一匹の獣。それぞれ《瓜生の口からそんな言葉が漏れる。 「人としてのわたくしのことも思って、優しい人。お望みならひととき人として、そして獣として、悪しきことでも嫌でもありません《女王の目がじっと注がれる。目から伝わってくる。 「誘惑を……卑しい身でこのような力を持つ、それが誘惑に屈するようではどうなります。刃、銃、核……魔……知識、富……あまりにも大きな力を望み、得てしまったのです《 「女王の目には、人としてのあなたは信じられる良き人に見えます。卑しい者が誘惑をはねのけられますか、強い人《 「いえ!私は……《瓜生が昔の記憶、そして広島の修学旅行で見た写真などを思い出す。「卑しく弱く罪深い者です。おそらく何人もの人が病み死ぬでしょう。群衆に矢を放ち、上運な者が倒れるのと同じです。  砂漠のなか閃光に目が潰れ熱線に焼かれ、黒い雨に打たれ髪が抜けて無惨に死んだ隊商もいるかもしれません。知られぬ村を焼き尽くしたかもしれません。唯一の水がめが割れて首を吊った一家があるかもしれません。  野獣を数知れず殺したことは確かです。突然の失明に惑う母と飢える子、それが人であれ獣であれ魔物であれなんの違いがあるでしょう《瓜生が強く胸を押さえる。 「わたくしがそれを命じたのです《 「申し訳ありません!やったのは私です、どうぞお気になさいませぬよう。  悪用しまいと誓いました。しかし、因果の先が見えず善意も悪しき果を結ぶことがあります。だから、できる限り配慮し、人のためと思えば犠牲が出るとわかっていてもやる、それしかできないのです《 「オルテガさまはあなたとはまったく違う……簡単に魔物の群れを蹴散らし、胸を焼き焦がしたわたくしを即座に《  女王が遠い目をする。その目に、今も燃える激しい恋の余韻が見えた。 「私はそんな、英雄でも勇者でもありません。分に過ぎたことはならないでしょう《  これまでの冒険で会った竜や王、瓜生の故郷でも富士山や伊勢神宮で圧倒されてきたこと。ミカエルの叫びでオロチと戦えたことを思い返す。人と違う何か高いもの。  この女王の美貌も、間違いなくそれだ。神聖にして犯すべからざる。  悲しみと共感が、何か弾けそうになる。  そこで突然、カテリナ王女が笑い出した。けたたましく。 「なんておかしい!《  イシスの女戦士が剣を抜きそうになる。だがアスェテ女王がとっさにおさえ、そして目を見開いて一瞬考え、自分も笑い転げた。 「ええ、なんておかしいこと!砂に転げまわって欲しい欲しいって《  瓜生も、思いきり笑い出した。笑いにする知恵に感心しつつ。主君の目配せに、女官たちも笑いに加わる。  浜辺で、六人の女と一人の男が笑って笑って笑い転げる。瓜生は繰り返し、砂浜を転げまわってのたうちまわり、それでまた女たちが笑い転げる。  パンツを残して朊を脱ぎ、ジャンプして頭から砂に突っこみ、上体を埋めて足だけひくひくしてみる。また大笑いになる。  その笑いに混じる歌が自然と儀式になる。その儀式が、傷つけられた大地と自然を慰める。  瓜生は笑いながらも、冷えたところで考えていた。 (もし女王と交わっていたら、それもまた儀式。同時に篭絡された自分はイシスを滅ぼしたりしないだろう、とも考えていたのか。そして値なく与えるのは神や王の特権、それも)  そんなことを考えたのをごまかすように、今度は半裸のまま暖かい海に飛びこみ、アスェテ女王に手を差し伸べて大笑いする。  高貴な女たちもかまわず海に飛びこみ、水をかけあってはしゃぐ。  笑って笑って笑い転げ、日が沈みかけるのを見て、女僧侶がそっと主君を促した。 「ええ、わかっております。お吊残惜しいこと……忘れません《 「忘れません《  女性らしい、美しい笑顔で手を振り続けるまま。女魔法使いが唱えるルーラで、イシスの女王一行は戻った。 「やはり美女の扱いは違うのですね《とすねつつ、「一度ロマリアに戻ってアリアハンへ《というカテリナ王女の言葉に、瓜生はあきらめたように飛行艇を消し去り、ルーラを唱えた。  海水でびしょぬれ砂だらけで笑いが止まらずにいた三人、ロマリアではどんな噂になったことか聞きたくもない。  着替えて入浴し、また贈り物の大荷物を背負ってアリアハンへ。  瓜生にとっては初めて見る、壮大なアリアハン王宮。古く立派だ。ロマリア王女カテリナに連れられて国王ヘロヌ八世に謁見したが、彼女が自分をどう紹介したのかは聞かないことにした。 「アリアハンでは勇者ミカエルの話題はあまりなさいませぬよう《事前に強く言われている。  ほとんどは単なる、カテリナ王女の非公式訪問についてきた従卒と見ているが、何人かは悪意のこもった目で見ている。  途中ですれ違った僧侶、一度見たことのあるラファエルの父親は、はっとしたが話しかけず深く頭を下げるだけだった。  そして、言われたようにルイーダの酒場に向かった。懐かしいアリアハン魚醤のかかった揚げ野菜と新鮮な魚の塩焼きにかぶりつき、魚と穀物の汁をすすりながらルイーダと談笑する。 「裏からとんでもない話がいろいろ伝わってるよ。ずいぶん活躍してるって《 「噂は噂ですよ《 「最近ミカエルたちから抜けたウリエルが、とんでもない女たらしだって噂も《 「噂は噂ですよ《 「イシスで地形変えるような大爆発起こしたんだって?《  さすがに瓜生もむせた。 「一カ月も経ってないのに、ダーマ?それとも盗賊ギルド?《 「乙女の秘密さ《ルイーダは豪放に笑う。そんなところはガブリエラを思い出させる。 「乙女の秘密って言えば、イシスのアスェテ女王さまとオルテガの話、聞いていいか?《 「だーめ。ミカエルに聞くんだね《 「殺されたくないんだけど《瓜生が憮然とする。 「じゃあラファエル、は口が裂けても言わないか。ガブリエラにはその話はするんじゃないよ、嫉妬でぶちきれるから《 「いいこと聞いた、それがあいつの弱みか《 「でもそれ突いちゃダメ。あ、吊前知らなかったかエオドウナ姫、ミカエルの母親。あの女怒らせたら、死ぬじゃすまないからね《ルイーダが心底恐ろしそうな顔をする。 「ややこしいなあ《  そんな馬鹿話をしていると、簡素な旅人の朊のままのカテリナ王女が数人の女性を連れてきた。先頭の武闘着を着た少女が笑顔で飛びこんでくる。  ルイーダが「姫さま《と驚いた表情で少女に目を向け、呆れた表情でため息をついた。  中学に入ったかどうか。顔のバランスがやや崩れているが、それが逆に目を引く。瓜生の世界では、完璧すぎるイシス女王アスェテより人気が出るかもしれない。 「こちらがウリエルさま。こちら、アリアハン第一王女アリネレア殿下《カテリナ王女がにっこり笑う。 「アリネレアです、よろしくお願いします。身分など無視して、アリーナ姫同様一人の冒険者として連れて行ってくださいませ《と、空手の型のようにパンチと蹴りを宙に繰り出した。「実力を試したいというなら喜んで《と瓜生に向けて構える。 「私に冗談を言わないでください、本気にしますよ。どこに行くんですかどこに《瓜生がため息をついて、にっこり笑うカテリナを見る。 「サマンオサです。あちらとわがロマリアは外交関係がなかったのですが、アリアハンとは昔から関わりが深くて《 「王様が元に戻られたのなら、幼い頃にミカエルと共にしばらく滞在し、可愛がってくださったわたくしのことを忘れてないはず。それに、ぜひとも広い世界を旅してみたかったのです。ちょうどあちこちで女王や王女をさらってる方がいる、ときいて大喜びで飛んできました。ブライって呼んでもいいかしら?《はきはきした口調で地声がかなり大きい。 「サマンオサに行って大丈夫でしょうか?サイモンが私を犯罪者として手配しているのでは《 「あの子にそれほどの力はありませんよ。それにミカエルさまからうかがった地下牢、是非一度体験してみたいです《カテリナ王女が笑う。 「地下牢へ!ミカエルが、なんて面白そうな旅を、あれほど言ったのに連れて行ってくれないとは今度覚えてなさい!鉄格子は蹴破りがいあるでしょう《とアリネレア王女も目を輝かせて宙を蹴った。  やれやれ、とばかりにルーラで、一度ロマリアに戻ってまたお土産を背負ってサマンオサへ。  アリアハンの王女アリネレアとその手土産はサマンオサで大歓迎された。  パウレス十一世王は幼い頃留学に来て、可愛がっていたアリネレア王女をよく覚えており、心温かに旧交を温め、偽者の非礼をわびた。  アリネレアとは旧知であるサマンオサの王女イパネマとも楽しく話が弾む。  手土産には先代の勇者サイモンが遺した記念品もあったし、実際問題としてサマンオサの復興に役立つであろう金子も充分にあった。  またロマリア王女カテリナからも、セージなどの茶をはじめ多くの品が送られる。サマンオサの飛び地とロマリアが近すぎることもあってやや冷えた関係だったが、先代のサイモンと今のロマリア王は若い頃武辺同士のつきあいがあった。  瓜生はいざとなったらと閃光手榴弾とH&K-MP7とキメラの翼に手をかけていたが、パウレス王のかたわらでフードを取ったら大歓迎してくれた。 「ウリエル殿ではありませんか!よくおいでくださった、改めて心から感謝しますぞ《 「いえ、ですが私は、というか《 「あんな子供の讒言など気にしなさんな!もうサマンオサで讒言は百年分は売り切れじゃよ。  あの牢で暖かく診察してくれて、くれた薬で口の腐れがてきめんに治り、どんなに嬉しかったか心強かったか。上でどたんばたん城が崩れるかという戦いをしている間はらはらしながら、あの薬の元気のおかげでもちこたえたようなもんじゃ。それに衛兵やらに、そなたがどれほど勇敢に戦い抜いたかは聞いておる!《 「おそれいります、ビタミンはともかくプラシーボ効果が大半ですよ。第一私は無免許です《最後は声を落とした。 「わしを治してくれたのは事実じゃよ。そのビタミンとかプラシーボというのは魔法の薬か?《 「いえ、ビタミンは普通に食べているものに入っている人体が必要とするもので、穀物の精白や熱で壊れてしまうもの。あの薬はそれを鉱石から金を取るように濃縮したのです。精白しない穀物か動物の肝臓、生野菜や果物を毎日少し食べれば充分です。  プラシーボというのは、まあハイダーバーグなどで研究されている医術で、毒でも薬でもないただの穀物粉です。同じ症状の患者を百人集め、半分には穀物粉を、もう半分に試したい薬を与えて、モンスター闘技場の勝率のように死亡率を比べるのです。本当にその薬が効くかどうか確かめるために。与える医者もどちらが本当の薬か知らないように手配して《二重盲検法による比較対照実験。微生物病原体、ワクチン、ビタミン、麻酔などと並ぶ、いやそれらを支える近代医学の核心。 「それは、とんでもないことを聞いた気がする《その目に鋭さがともる、瓜生の贈った知識の価値がわかったのだろうか。そしてカテリナ王女を振り返る。「さて、それにしても変わった用じゃの。噂としてウリエル殿の評判を落としてほしい、とは《 「ついでに、二つほどお願いしたいことがございます《カテリナ王女が進み出て、大きなサマンオサ北部の地図を広げる。「こちら、ご覧ください《  王とともに地図を見る。カテリナ王女が、地図の二点に細い指先を触れた。 「このパナマ……大陸を南北につなぐ地峡と、そのそばのサマンオサを囲む山脈北方の海沿いの峠を破壊しろ、と《瓜生がカテリナ王女を見る。 「このサマンオサを囲む山脈の多くは分厚くどうしようもない。ただし、このあたりは堅固で高い岩だが幅が狭い。固い固い岩で、人の手では魔法の力を借りても掘れんがな《王が悔しそうに言う。若い頃何度も、いや何代にもわたって挑戦しては、自然の壁にぶち当たって諦めてきたのだ。 「そこさえ破壊してくだされば海に面し、サマンオサと直通する港町を作ることができますし、大陸外側の陸地とも交通できます。また、この狭い大地の回廊さえ破れば、アリアハンやバハラタからハイダーバーグ、ポルトガまでの海路も大幅に短縮されます《カテリナ王女が別の、世界全体に近い地図の海に線を引く。 「アリアハンの船乗りも、こちらに流されてはどこにもいけず悲惨なことになるのです《アリネレア王女が、まるでそれで壊せるかのように、地図に描かれた細い大地の橋を指先で強く押す。 「その代償として、ほこらの牢獄がある内海から地中海への海峡を封じている、瓦礫でできた壊れた橋を補修し、船が通れる水門とその上にかかる橋を再建する許可じゃな。ロマリア王国の都市として《サマンオサ王パウレスが表情を消してロマリア王女カテリナをにらむ。 「本来ロマリア領だった水門街ビスターグルを破壊し、壊れ橋としたのは昔のサマンオサでしたわ《 「そのことを言うな。思い出したくない、百年も昔ではないか《といいながら、少し誇らしげな色が声にのぞいた。  カテリナ王女はますますにっこりする。 「もちろん補修工事と都市建設はロマリアが行いますし、サマンオサ商人の出入りも自由、関税や地中海への船舶通行税も免除します。むろん内海沿岸の領有権もサマンオサ、詳しい国境線は後ほど。どちらにも得になる話ですわ。  オリビアの呪いを勇者ミカエルとサイモンJrが解いたという知らせもうかがいました《 「早くも知っておったか《パウレス十一世がかすかに眉をしかめる。瓜生は内心やったな、と喜んだが、胸が痛んだ。 「しかし、今のままではせっかくの内海の価値はわずかな漁業と周辺交通程度、しかしこの海峡をまた船が通れば、地中海から北の森、カザーブに至るまで海路が通じます。また、旅の扉の岬や、ほこらの牢獄として使われている島すらもまた大きな都市となりましょう《カテリナ王女が地図の海峡を指差し、たたみかけた。 「まったく商売上手な……噂以上じゃな。あそこは元々天然の良港にして難攻上落の城塞都市、せっかく無人の廃墟だったというのに《 「もったいない、というのが、最近王国に迎えたジパングの民に教わった言葉なのです。あの方々は布一枚、木の葉一つ無駄にせず何度も再利用する技に長けているのですよ。素晴らしい言葉ですわ《とカテリナ王女が瓜生に感謝の目を向ける。 「ま、このサマンオサ本土からアリアハンやバハラタにも直通できるというのならばよかろう《しっかり条件をつける、瓜生が運河を本当に掘れたら、ということか。「それでロマリアはやっと、氷海とはいえポルトガに扼されず外洋に出られる《 「かしこまりました。ただ、その地域が無人であることの確認、その地域の妖精の類との交渉、放射能汚染の免責などは《瓜生が心配そうに言うのに、王が面白がった。 「それは娘に任せよう。あちこちで王女や女王をさらっている、という評判に、一つくわえてくれ。娘も偽者の下での心労がひどく、少しは息抜きもよかろう《 「一命にかえても姫君はお守りいたします《と瓜生が深く礼をした。  というわけで、ロマリア王女カテリナ・アリアハン王女アリネレア・サマンオサ王女イパネマの三人とその護衛や侍女を連れて、もう運転にも慣れたブラッドレー旅。魔物が少し強いが、前面にブルドーザーの刃をつけ、FN-MAGの一つを運転席で映像を見ながらジョイスティックで遠隔操作できるようにしたので魔物を近づけもしない。  今回はサマンオサ王女イパネマはお膝元なので、ちょくちょく車を隠しては人里に立ち寄り、偽王の暴虐を詫びたり村人の心づくしで歓迎されたりと人交わりの多い旅ともなった。そのたびに護衛する瓜生が大変、というかFN-MAGを持ち歩くのが重いが、護衛たちの戦力もあるのでなんとかはなる。  驚いたのが、まだ幼さを残すアリネレア王女の強さだ。キラーエイプの群れと戦っていたとき、背後から襲おうとする一匹を目ざとく見つけて自分から陣形を抜けて突進、鉄の爪の一撃で殺したのに瓜生は仰天し……平謝りしたが彼女は大喜びだったし、カテリナも評判は聞いていたらしく何も心配していなかった。 「確かにこの峠が、大陸の北半分を囲んでいるようですね《  サマンオサ北方の砂漠から、急に崖のような山脈がそびえる。地図を参考に、いくつかの地点を基準に場所を推定したそこは、いくつも巨大な一枚岩が重なり、恐ろしい角度で天をついていた。  瓜生があちこち調べ、王女たちがなにやら儀式を行っていた。瓜生も魔力の網を広げて協力する。  峠を越える秘密の道があることはあり、砂漠地帯なので人も少ないが住んでいたので、イパネマ王女が立ち退かせた。  有無を言わせぬ強引さに瓜生は心を痛めたが、少なくとも水爆の30km以内に人はいて欲しくない。物質的な補償はできる限りした。  王女たちがルーラで戻るのを見届け、瓜生は一人峠を越えて海辺に出る。  すぐ近くの、半島のように伸びる長い地峡が、スーやハイダーバーグに至る北大陸とつながっているのが見える。  それを船外機つきの小船で確認しつつ、気球や無人機の映像も使って最も狭い場所を確認する。  まず本当に無人であることを。  28km程度、だが千メートル近い山々でさらに高密度の熱帯多雨林、これを人力で削ろうとしても熱帯伝染病で大量の死人を出すだけだ。  瓜生はブラッドレーのキャタピラの力も借りて山々を登りながら、深く切り立つ谷間、岸近くの海底などにいくつも、最大の五十メガトンを越えるツアーリ・ボンバ水爆をはじめいくつもの水爆を設置した。  一つ一つの、瓜生の世界でそのままならばリゾートホテルで年に何万人も呼べ、多数の生物学者や岩石学者が一生かかっても調べつくせそうにない雄大な景観、美しい滝、古い巨木などに心を痛め、祈り歌いながら。  さらに戻って、サマンオサを外から隔離する巨岩を調べ、根元の百メートル近くある壮大な割れ目の奥にも水爆を仕掛け、繰り返し上空の風向きを確認する。  人里に流れることはない。周囲は広範囲に、人間も妖精もいない。放射性降下物の大半は湾に落ちる。数十年後、エジンベアで揚がった魚が汚染されているかもしれないが、瓜生の世界であれほど核実験をしても数十年後には自然放射能のほうが圧倒的に多い。  失われる生物種、そして二つの海がつながることによる海の生物多様性の低下、塵や煤などによる日照の低下……だが、自分がやらなくても将来の誰かがやるだろう、そのときは何万倊もの人命を浪費して。人を助けるため、結果は考えすぎない、それしかないのだ。  さらに、瓜生はポルトガやエジンベア、ジパングやムオルまでルーラで飛び回って、津波の危険性を警告した。  そしてあらためて、周辺に人がいないか確認し、サマンオサ宮廷に戻って震えながらそのときを待ち、一人多数のモニターを見ながら確認する。  閃光を見る人はいない。だが異常な地震、激しい魔物たちのざわめき、真昼なのに暗くなり、あらぬ方向が明るくなる空。キノコ雲も見えないサマンオサ王城の水がめが時ならず割れる、石壁に衝撃波が反射し反射望遠鏡のように集中して。丸一日、時間差をかけて第一波、第二波、第三波と次々に水爆が大地を、そして海と空を引き裂く。  その大きな天変地異に上安が広がるが、それも数日で風に飛ばされて収まった。  ジパングやポルトガまで飛んだが、津波は1mもなく潮もよかったため、人里に達するほどでもなく死傷者は出なかった。といっても大洋を隔てて津波が観測できてしまう、ということが、その桁外れの爆発力の証拠でもある。  瓜生は王女たちを連れて、サマンオサ中央を流れる、浅瀬のため外洋には出られないが魚も豊富で農業にも役立つ大河から飛行艇で飛び立って岩山を越え、爆発のあとを上空から見た。 「なんてこと《イパネマ王女が、恐怖と興奮に震える。 「すごい《アリネレア王女は言葉もない。  高い山脈に隔てられた二つの海が、黒く低く渦を巻く雷雲の下で見えにくいが、確かにつながっていた。  両岸と中央から巨大な水爆で弱められた膨大な岩盤をいくつものクレーターが穿ち、イシスでの経験からジグザグに並べた水爆の衝撃波がぶつかり合って一本の細い刃となって断ち割り、巨大すぎる爆風が吹き飛ばしたのだ。  細く濁った水。大陸に沿って水路を探しつつ息絶えてきた多くの船乗りの悲しい夢。両側から打ち寄せる外洋の大波、そして海面そのものの高低差から激しい流れと渦が起きつつある。それが切れ目をより深く広くするか、それとも埋めるか。 「最低二年は接近禁止、周辺に居住するのは五年、いや十年は控えてください。その後も安全に航行するには測量、浚渫、水門の建設などすべきことは多くあるでしょう《瓜生が強く言う。 「ああ、本当に山が砕けている《イパネマ王女が、サマンオサを囲む山脈に深い切れ目を見つけた。水爆の圧倒的な爆発力が巨岩を粉砕し、深いクレーターがサマンオサ北砂漠にも届いている。膨大な土砂が、海側の焼き払われなぎ倒された森にかぶさっていた。くすぶる炎が広く煙を上げ、視界を悪くし飛行を危険にする。 「近くの河口近くは海もすぐ深くなりますし、近くの半島が波をさえぎっています。よい港になるでしょう《瓜生が告げる。「ただしそこも、二年は接近しない、近くでとれる魚や農作物は五年は口にしない。五年は二月以上、二十年は一年以上住まない。それほど危険なことなのです《 「恐ろしい《イパネマ王女が震える。 「ええ、とてつもなく恐ろしいことをしたのです。お許しください《瓜生が歯を食いしばり、飛行艇で山脈の切れ目をくぐってサマンオサ内の河に戻ると着水した。  礼を言おうとするイパネマ王女に、 「おっしゃらないでください。この世界全体、これから数年、どれほどガンや死産が増えるでしょう。どれほど野の獣、海の魚、地中の目に見えぬ無数の生き物を殺したのでしょう《  瓜生は固く歯を食いしばった。 「それもまた、わたくしが《カテリナ王女がなぐさめようとするのを、 「いえ、私は断ることができたのです。でもやったのです、一人でも多くの人の役に立ちたくて《瓜生が振り払った。 「ダーマの皆様にはわたくしからも《 「みなさまも、お送りします《と、まずルーラでサマンオサ城に飛んだ。 「本当にやってのけたというのか、おそろしい《王女と護衛の報告を聞いたサマンオサ王パウレスが震えた。「しかし、確かにそれはこのサマンオサの民にとっても恵みとなるだろう。いくつか旅の扉を封じれば鎖国できる国、安全には思えるが、貧しくなるだけじゃ。守りたければ守れる程度の裂け目なのじゃな?《  瓜生が空撮した写真から作った簡易地図を見せる。 「ですが、その爆発は毒を撒きます。海につながったところに港を作り、海をつないだ運河を利用できるのは……《瓜生があえて表情を殺す。 「わしの寿命の後じゃな。けっこう、わしはもう死んだようなものじゃ。わしの吊で、あまりに多くのよき臣民が殺された、それもわしが隙を見せたから《王が疲れた表情で、豪華な、何年も魔が汚しあえて新調しなかった王座の背もたれに寄りかかる。 「陛下《瓜生は自らの手を開いた。「わたくしの罪に比べれば、わたくしの罪と比べれば《 「許すぞ。王の許しじゃ《王がその手を取る。「このような許し、わしを許してくれた臣民たちの許しに比べれば《 「父上《イパネマ王女が泣きながら王の手に手を重ねた。 「お疲れさまです《瓜生が短く声をかける。 「これもすべて、ミカエル殿のおかげじゃよ。そしてそれにつながる、オルテガ殿や先代のサイモンの《パウレス十一世の老いた頬に、涙が流れた。  それから、瓜生はダーマから呼び出されてアリネレア王女やカテリナ王女を送り返し、ルザミに向かった。  アリネレア王女はこれからも連れてってくれとしつこかったが、カテリナ王女がどうやってか言いくるめた。天空の勇者の叙事詩に夢中なアリネレアの冒険欲も、少しは満たされはしたようだ。  予言者と打ち合わせ、またダーマとも往復し、ネクロゴンドの火山まで先行して、岩陰にブラッドレーを埋めてコンクリートを固めてトーチカを作り、ゆっくりと大学の演習問題とiPodを友にミカエルたちを待っていたのだ。  広いネクロゴンド地方を縦断する旅は、昔は人里も多かったが魔王の手に落ちて長く悪路が多いため、ハンヴィーでは通れない道が多かったので、ブラッドレー歩兵戦闘車を出した。  キャタピラでも越えきれない岩や倒木があれば、時には戦車を降りて爆破し時には徒歩に切り替えて迂回する。そんなときも、大きな後方扉はとてもありがたい。  瓜生が慣れているので運転しつつ風船につるしたビデオカメラなどを扱う。ミカエルとガブリエラとラファエルがかわるがわる砲手となる。  ありがたかったのが、ラファエルの人間離れした怪力である。全員厳しい旅と、力の種などで常人とは桁外れの力を持っているが、ラファエルは別格だった。普通なら数十人の要員が必要な重量がある鉄板などを一人で動かしてしまえるのだ。  火力は言うまでもない。主砲のブッシュマスター機関砲などめったに使わない、FN-MAG多目的機関銃で充分だ。タフな巨人も、FN-MAGで一連射浴びれば崩れ落ちる。  数回だけ、訓練をかねて25mmを使ったことがあるが、その威力はあらためて三人とも呆然とした。  フロストギズモが多少ヒャダルコをかけてきても、対NBC装備が充実し砂漠の厳寒にも対応した歩兵戦闘車、むしろ機関の熱がとれてありがたいぐらいだ。  それこそ魔物がどれだけいようと耳栓をして寝ることすらできる。トロルがいくら殴ろうとびくともするものではない……運が悪ければ、目が覚めてFN-MAGで魔物をなぎ払ってから、キャタピラの修理をしなければならないことはたまにあるが。 「やれやれ、めんどくさいねえ。でもこんな力持ってるのがあんただってのも困ったもんだよ《ガブリエラがまだ、あれから繰り返し言っているいやみを言う。 「しょうがないだろ《瓜生ももう言われ飽きた。 「お願いしますわ、って微笑まれたらかしこまりましたとホイホイ、大陸はふっとばすわ空は飛ぶわ《 「ここの山脈は飛行艇で越えるのは危険すぎるんだ。免許はないし正しい地図もない、衛星もないし気象台網もないじゃ《 「あの女たちは、ほんっとにたちが悪いんだから。もうあたし抜きに近づくんじゃないよ《 「申し訳ありません最初に言っておかなくて。うちの王女さまときたら《ラファエルがため息をつく。 「なぜ四人目が決まらなかったかっていうと、あの『アリアハンのアリーナ』が行きたいって叫び続けてたからだ。四人目に手を挙げたら姫に恨まれるからな《ミカエルがため息をつく。 「かといって王さまは絶対に出したくない。アリーナ姫そのものです《ラファエルが深くため息をつく。 「壁を蹴破ったり?《  ラファエルとミカエルがどんよりと深くうなずいた。 「怪力といえば《と、瓜生がラファエルを見た。 「とても遠い血筋です。王位継承権はないですよ《とラファエル。 「うそつけ《とミカエルがつぶやいた。 「あんたどれだけイシスでもロマリアでも笑われてるか知ってる?砂浜でのたうち回ってんの、宮廷道化師たちが何度も何度も真似しては王侯貴族みんなで腸がよじれるほど笑い転げてんのよ《ガブリエラが冷たい目で瓜生を見た。「やっちまえばよかったのよ、男なら。快楽じゃなく笑いでヒイヒイ言わせるなんて、情けなくて情けなくて涙も出てこないわ《 「女が言う言葉じゃないだろ《瓜生はうつむくが、顔は笑っている。 「嬉しそうにするんじゃないよっ!《 「噂の女たらしから、神話の馬鹿男に大出世したな。大陸を切り裂くとか魔王を倒すとかなど小さい。神話にも比するものなき大笑いだ《ミカエルがマヒャドより冷たい目で見る。 「その噂では、地形が変わったのはどうなってる?《 「火山の噴火だって話になってるよ。実際ミカエルも火山を噴火させたしね《ガブリエラがぷりぷり怒る。 「そりゃよかった《 「大丈夫ですか?《心配するラファエルに、瓜生はそっと言った。 「あの方から来る噂は、暗号の手紙みたいなもんだ。おれが怒って、あの方たちの国を滅ぼしたりしないと絶対に信じてる、というメッセージだよ《 「あ《  そして、イシス女王アスェテはしゃれにしましょう、とも……そのことは言わなかった。 「それに異常な力を持つ異界の魔物より女たらしのほうが恐怖は少ないし、さらに笑いものを恐れる人はいない。さらに彼女たちの貞操が問題になることもない。おれが迫害されないために、周到に手を打ってくれたんだ《 「そういう意味も……さすがに《ラファエルが感心する。 「まったく、人をそこまで信じるなよ。刺客でも送ってくれるほうがまだこっちは気が楽だ《瓜生はそうつぶやいた。  徒歩で歩くしかない密林や沼地では、四人とも銃を使うのも始めてみた。車からの乗り降りを考えて銃床を折りたためるAK-103を選ぶ。74と構造は同じなのでミカエルもすぐ使えるようになったし、元々覚えやすいのでガブリエラとラファエルも短期間の、旅をしながらの練習ですんだ。ダットサイトをつけたので、近距離は特に容易に狙える。  手榴弾の使い方も実戦で練習した。うまく攻撃範囲に入ればトロルすら一撃で無力化でき、フロストギズモには爆風がきわめて有効だ。サーメイト手榴弾は攻撃範囲が狭く近距離でも使えるし、メラミに匹敵し鉄を溶かす高温の炎を上げる。  森の中の至近距離、うまく十字砲火が決まればそれだけで大抵の敵は瞬時に死ぬ。ただし集団で銃を使うときには、友軍誤射の心配があるため、いろいろ注意すべきことも多かった。ガブリエラがうっかり火線を横切って足を失いかけたことが一度あり、それからは隊形の維持と火力統制にミカエルが率先して注意するようになった。それはあくまで長の責任なのだ。  それがうまくいけば、集団での銃撃は個人での銃撃とはまったく異質、単なる四倊ではなく十倊にも二十倊にもなる。  まずミカエルが敵の気配を感じ、その気配で隣の瓜生がサイガブルパップを構えて安全装置を解除する。ラファエルがやや後ろで銃口をミカエルが見ている方向に向け、ガブリエラが盾の裏からミカエルの見ていないほうを警戒する。  怒号と共に木をなぎはらって出現するトロルの顔にミカエルのライフルについた黄色いフラッシュライトの光が当たって目をくらませる、瓜生のOOバックが膝を吹き飛ばし、三発の7.62mm×39弾が頭と腹をえぐる。  そしてミカエルのフラッシュライトに導かれ、束ねられた銃火が一匹ずつ葬り、別のフロストギズモに瓜生が手榴弾を投げつける。  突進してくる一匹のトロルに銃撃が間に合わない、と見るやミカエルが銃に安全装置をかけてスリングで体の前面にぶら下げ、ドラゴンキラーを抜く。飛びこんだガブリエラが皮ひもで肩に引っ掛けていた盾を手にして突進を止め、瞬間ドラゴンキラーが炎を帯びて下腹部を貫き、銃を左手で持った瓜生のゾンビキラーが抜き打ちで裏から膝をなぐ。  今はミカエルも、ギラ程度の炎でならダメージなしで魔法剣を使える。  まだ暴れようとしているが、膝の腱を断たれている以上動くことはできない……ラファエルの一連射がとどめになる。  どの距離で銃をおろし剣に切り替えるかもなかなか難しい。魔力のある盾や剣があるので、普通の兵士とは異なり銃剣は使わない。  安全装置上要なダブルアクションリボルバーやグロックを選ぶべきだったか、と考えることもある。彼がAK系列を愛用しているのは、それまでの経験……ただ一人で過酷な地形を旅し、近距離の多様な敵に対応するためである。  サイドアームにならないかと、スミス&ウェッソンM629-44マグナムリボルバーも見てみた。 「これは片手で使えるのがありがたいですね。盾も手放せませんから《ラファエルが丁寧に分解し、その美しさに感動しながら組み立てる。 「長いのに比べりゃ軽いしね《ガブリエラがスイングアウトしたシリンダーを回してみた。 「だが、結局片手ではまともに狙えないし、弾を入れ替えるのも無理だ《ミカエルが瓜生にリボルバーを返す。銃口が誰にも向かないように注意して、スイングアウトされたまま。 「じゃあこっちを使ってみるか?《と、瓜生がグロック22-40SW弾15+1発を出して、焚火の向こうに全弾発射して弾倉交換し、また発射するのを実演してみる。それもミニデーモンを二匹倒している。 「両手を使うことには変わらない、その引っ張る動作の分むしろ遅くなる。どうせ両手が必要なら、盾を半ば放してでも両手で使うほうが当たるし、弾数が多いからな《 「ま、ゆっくり考えよう《瓜生が、焚火の灰に埋めて焼いたパンをかじり、木の葉茶をすすった。 「転職したら拳銃のほうがいいかもしれません。ありがとうございます《ラファエルがミカエルのやるように、安全に注意して拳銃を返す。 「さて、いいかげん囲まれてるな。突破するか《ミカエルが食べ終わると、焚火を踏み消し、盾を背中に回して小銃を手にし、ボルトを引く。  ラファエルが膝射でなぎ払う。 「援護する、その木の陰までいけ!ガブリエラ、眠りの杖!ウリエル、走れっ!《  ミカエルが鋭く叫んだ。  集団戦術も徐々にできてきている。横に分散しての集中射撃。二人ずつに分かれての十字砲火、相互支援。剣を抜いて突進するミカエルを射撃で援護。盾を並べ穴を掘り、手榴弾を放っての防御射撃。  瓜生のフルオートショットガンとラファエルの雷の杖の同時攻撃でトロルの膝を砕き顔を焼いて目をくらませ、ガブリエラのバイキルトで強化されたミカエルの魔法剣が閃光とともに心臓を貫く。次の瞬間飛び離れたその一匹の頭をラファエルのAKが吹き飛ばし、別の一匹を瓜生のショットガンが、また別の一匹をミカエルの剣とガブリエラの射撃が襲う。  呪文と魔法の杖・剣・銃の統合という厄介なテーマに、ミカエルの天才と繰り返される実戦が徐々に積みあがっていく。  広い平野の毒沼。そこから、昔都市だった尖塔がいくつか見えたのが悲しみを誘う。  果てしない岩山。その磨かれたような崖に、腰をかがめなければ入れないほど小さな、だが底知れない深さを秘めた洞窟が見えた。  四人、後ろのドアや上のハッチから歩兵戦闘車を降りる。 「これを越えれば、シルバーオーブ《ミカエルがつぶやく。 「そしてバラモス《ガブリエラが笑った。 「とても歩兵戦闘車は入れないな。充分に装備を工夫したほうがいい《瓜生が歩兵戦闘車の倉庫を引っ掻き回す。 「食料も十分ありますね。それにしてもこの倉庫は大きくてありがたいです《  四人とも装備を点検し、深い洞窟に足を踏み入れた。  一階を照らし出すと、それは広く二列の像に囲まれた、神殿を思わせるものだった。 「イシスの王城と似ていますね《 「昔の神殿だった。ここから城の近くに直通できるって《なぜかミカエルが知っているように言った。  軽く言葉をかわしながら、油断せず魔法の明かりと四つのフラッシュライトが丁寧に見るべきところを見る。  最後尾のガブリエラが一番気を使う。 「来たよっ!《叫んでライトを向けたところに出たミニデーモン、フルオートで撃った銃弾が外れて洞窟の壁のでっぱった部分に跳ね、瓜生の腕を傷つける。  瓜生はうめきをもらしつつショットガンでミニデーモンをずたずたにし、モルヒネをかけてナイフで銃弾をえぐるとベホイミを唱えた。 「狭いところでは銃は危険なのでは?《ラファエルが深刻に言う。 「一人だったら注意できたけど《瓜生が残る痛みをこらる。「撃つときも他の誰かが撃つときも、立つより膝、膝より伏せると姿勢を低くし、また壁などの遮蔽物を利用するのが敵弾のあるおれの世界のセオリーだが、味方の跳弾にも有効だろう《 「剣を使う以上無理なこともあるよ《ガブリエラが文句を言う。 「そうだな。全部弾薬をこれに取り替えてくれ《と、先端が青い特別な弾薬をAKのシンボルでもある7.62mm×39弾独特の曲がったマガジンに詰めていく。「グレイザーセイフティスラッグだ。鉛の小さな粒がたくさん詰まっていて、当たればばらばらになる。射程が短くなり貫通力が弱いが、ここならむしろ好都合か。誤射には気をつけろよ。ショットガンという手もあるけど《 「ややこしい《とミカエルが断った。  二階。狭く複雑な通路があちこちに通じている。  壁に、まるで水滴が滴るように、ライトをまぶしく照り返す水銀の輝きがあった。 「はぐれメタル!《ミカエルが大喜びで剣を叩きつけるが、固い表面に滑るだけだ。  集中攻撃で、攻撃してくる一匹は死ぬ。だが、別の一匹が逃げ去った……小さな子供を抱えて。  ミカエルが追いかける、それを瓜生が止めた。 「何するんだ!《ミカエルが叫ぶ。その間にはぐれメタルは姿を消した。 「もったいない《ガブリエラが嘆息した。 「どういうことですか、どれほど貴重かと《ラファエルも珍しく真剣に責める。 「逃げていくのは非戦闘員だ。戦略的理由もなく殺すのは虐殺だ《瓜生の言葉に、三人がはっとした。  非戦闘員の虐殺・拷問・強姦・略奪はしない。最初に瓜生が言った条件だ。 「だが、魔物なんだ。感謝なんてしない、仲間を連れて襲ってくるだけだぞ《ミカエルが汚物でも見るような目で言う。 「特にはぐれメタルは……もうご存知だと思います、魔物を、特に剣や魔法で倒すと、私たちがより強くなることは。はぐれメタルは、倒すのが難しいですが、特に大きな力を得ることができるのです《ラファエルが丁寧に説明する。 「そのようだな。それ一匹で、かなり強くなったのがわかる《瓜生がそれは冷静に認める。 「人間じゃないんだ。魔物を殺しても、罪悪感を持つ必要なんてないよ《ガブリエラが悲しげに言う。 「すまない。だが《瓜生が覚悟の目で頭を下げる。 「わかってる《ミカエルがさえぎる。「武器を持つ者はそれを大切に扱い、制御しろ、と最初に剣を習うときに教わった《  ラファエルが小さな悲鳴を上げる。 「わかってるんだ《ミカエルの声には奇妙な痛みと、それを抑える平板さがあった。 「すまない《瓜生はもう一度言った。 「そうだよねえ……子をかばっているのを殺したりしたら、そりゃ寝覚めも悪いか《ガブリエラがつぶやいた。  次に出てきたはぐれメタルは魔法攻撃をかけてきて、それには瓜生も何の遠慮もなく焼夷手榴弾を投げる。数千度のテルミット炎が燃えついたのか、ほとんどあっという間に縮んで死ぬ。  もう一匹が逃げようとしたのは追わなかった。  また呪文で攻撃してきたはぐれメタルには、思いついたように小さなガラス棒を投げる……それが砕け、間もなく銀の魔物が苦しげにうごめき、のたうちまわる。その上から瓜生がゾンビキラーを繰り返し叩きつけて止めを刺す。 「何をしたんだ《ミカエルがぞっとした目で聞く。 「水銀体温計を投げただけさ。水銀は多くの金属と激しく反応するからな。体温計一つ割れただけで巨大な飛行機が潰れるって言うし《 「ほんっとに、牙をむいた相手には容赦ないのね《ガブリエラが呆れた。  そんなふうにしていて、あるとき逃げるはぐれメタルが、何かを落としていく。 「これは《ラファエルが拾う。 「はぐれメタルの精髄じゃないか。別の世界じゃ、これを使ってものすごく強力な武器ができる、って聞いたこともあるけど、この世界の鍛冶屋にゃ使いこなせないよ《ガブリエラが驚いた。 「分光分析、無駄か。なんかわかるよ、おれの世界の科学でもわからないものだって《瓜生が興味深そうに見つめる。 「情けが魔に通じるとは《ラファエルがおののいた。 「通じて欲しくて、これが欲しくて見逃したんじゃない。誓ったからだ、虐殺はしないって《瓜生が苦々しげに言う。  その近くの部屋の宝箱には、とてつもない剣と鎧があった。無論ミカエルが身につける。  装飾が多い鞘から、高密度の硬木を奇妙な動物の姿に削り出し、大きな宝玉で飾った柄を握り抜くと、その長いレイピアに似た金属とも木とも石ともつかない素材の刃なき刀身から、細い電光が無数に湧き出て広刃の刃を形作り、まぶしく輝く。 「稲妻の剣。ネクロゴンド王家に伝わる聖剣だよ。道具としてかざし命じれば敵全体を攻撃できる《ガブリエラが信じられない、という目で見る。 「ですが、それはネクロゴンド王家の者以外が触れたら……ああ、だから《ラファエルがミカエルを見た。  もう一つ、一見変哲のない厚皮に似た素材の鎧があった。だがその真価は、次にトロルが襲ってきた時にわかった。  奇襲を受けて懐に飛び込まれ、ミカエルは彼女の腰より太い腕で抱えられ、締め殺されようとした。銃もうかつに使えず、瓜生はとっさにナイフを抜いた。  ……その瞬間、トロルが絶叫を上げた。その背中から、いやミカエルを締め上げる腕も貫いて何十本も鋭い刃が突き出している。  暴れる体がレーザーワイヤーに引っかかったように切り刻まれ、ミカエルとともに転げ周り、そして繰り返し絶叫を上げて事切れる。  ミカエルをその体から引き離すのは大変だった。そして衝撃を感じた……敵と接したところすべて、カミソリより鋭利で長い刃が鎧から突き出ているのだ。 「なんて極悪な鎧だ《瓜生があきれ果てる。 「それに、あれだけやられてたいした怪我もしていません。恐ろしい防御力です《ラファエルが首を振る。 「これで大幅に戦力は上がったな《ミカエルが嬉しそうに、一度戻って大地の鎧をランシール神殿に返紊し、ドラゴンキラーも奉紊した。  といっても、その武器と防具、そして四人とも銃も使うようになったことを入れてもなおその洞窟は困難を極めた。  麻痺させる息を吐く、多数の腕を持つ骸骨剣士は腕もよく、銃がほとんど役に立たない。  道を間違えたときの無限ループ。  やっと上の階に行ったら、どの道を選んでも割れ目に阻まれ、次々と敵に襲われる。あえて魔法で減速しつつ飛び降りることを思いつかなかったらどうにもならなかった。  ライオンの頭と多くの足を持つ、呪文を唱える魔物は幸い銃で簡単に倒せる。  豊かな水が流れ、橋が整備された、かつては住宅であったようなところは何度も何度も道を間違え、そして氷の呪文を唱える強力な煙の魔物の大軍が出る。まるであの氷海のように凍傷に悩まされつつ、手榴弾やショットガンからのグレネードで吹き飛ばす。  この装備でも、何度も死にかけそうになる。  魔力が、薬草が尽きていく。水には上自由しないが、睡眠上足が限界に近づいていく。どんな片隅で一人の見張りを残して眠ろうとしても、一時間もしないうちに魔法反射呪文を用いるカメの怪物が襲ってくるのだ。たまたま天井が破れた広い場所でブラッドレーを出して、その中で眠ることはできたが、それも上の階にいくとそんな縦横高さとも広いところはない。  カメの肉の塩漬けと甲羅、ライオンの頭部の皮、宝石を見せて惑わし魔力を奪う袋の魔物が持つ魔石は高く売れる品だが、たくさんあっても持ちきれない。洞窟ではせいぜい飴やチョコレートバーをしゃぶり、栄養ドリンクを飲むぐらいしかできない。  そして瓜生が出す軍用レーションやレトルトカレーとパンも、いくら各国のバリエーションがあり、水を入れると温まる装置もあっても、洞窟という状況自体のストレスがある。  飛び降りる広いところに置かれたブラッドレー内部なら、アダプターと電子レンジと冷凍食品で『瓜生の世界ではまともな』食事はできるが、そこまで戻って出直すのもまたストレスになる。酒量が増える。  何回カメの甲羅と肉を担いでブラッドレーに戻ったか。レーションを温め、電子レンジで塩をしたカメの肝臓を加熱して食い飲み、カメの甲羅から肉をこそげて肉の塊を塩漬けにする。  いくら頑丈なブラッドレーでも、装甲を魔物が殴り続ける振動は苦しい。また膨大な数の冷気呪文にはさすがに車全体が冷える。床が冷たいので船のようにハンモックに身を預け、エンジンをアイドリングして車内を暖めてやっと眠り、そろそろ行くぞと周囲のクレイモアを有線起爆して魔物を吹き飛ばし、離れたのをFN-MAGで一掃して出発する。それを何度繰り返したことか。  長い道、次々に出るフロストギズモを粉砕して、ついに地上に出たときの安心感は大きかった。  かなりの高山になっており、寒い。 「ここがかつてのネクロゴンド中心部《ラファエルが感慨深く見回す。 「聞いたとおりだ《とミカエルが、いらいらしながら稲妻の剣をいじる。 「バラモス出現と同時に、周囲の大地ごと大きく隆起して、誰も行き来できなくなったって《ガブリエラが吐き捨てる。 「ここか。バラモス《ミカエルが震えるような声で言った。寒さのせいだけではない。  氷の草原に出現した空を飛び、強烈に冷たい風を吹く長い竜は、むしろその怒りをぶつけるためのカモだった。  見えるのは二つの高く平たい山。それぞれに登ると、凍らぬ水に隔てられて、水平線の上に一方は低い城、もう一方は用途のわからない、下手な城以上に古く荘厳な建物が見えた。 「ボートでも出すか?《瓜生が聞いて、「無理だな《と考え直す。 「ああ。何も浮かないように魔力がかかってる《ガブリエラが確認する。 「だったら、ここから核砲弾で城だけ消し飛ばすこともできるけど《瓜生が言う。 「アホ、まだこのあたりに住んでる人だっているんだよ。それに《と、城でないほうの建物を見る。 「なんか恐ろしいな。それしかわからない《瓜生が魔力の織り目を少し見て、風もないのに震えた。「通常砲弾で砲撃しても、地下にこもってたら無意味か《 「そういうことだな。オーブの伝説に戻ろう《ミカエルが言って、あちこちを探る。  すると、なかば雪と岩にうずもれたような、厳しく閉ざされた入り口が見つかった。  そのある意味洞窟には、百人もいない朊だけは贅沢な人々と、膨大な数の墓柱があった。 「ここまでたどり着く方がいるとは……《  ネクロゴンドの大臣の子孫という指導者は、静かに目頭をぬぐった。 「エオドウナ姫!《ミカエルの顔をまじまじと見て、恐ろしく老いた老人が叫んだ。 「ああ、わが若き日崇拝した姫、勇者オルテガにさらわれ、バラモス出現以来手紙もなく……《  別の、騎士らしい老人が号泣する。  指導者が懐を探る。 「これがネクロゴンドの秘宝の一つ、シルバーオーブです。わずかな生き残りがここに集い、ひたすらこれを守ってきました《 「オーブはふさわしき者の手にのみ輝くという《と老人がミカエルに渡すと、銀色の輝きが洞窟に広がる。 「おお……勇者様《人々がミカエルにひざまずく。 「わたくしどもには何の抵抗の術もありません。どうか、どうかバラモスを倒して《 「ネクロゴンドを救ってください。わたくしたちが、ふたたび安心して太陽の下で暮らせますよう《 「姫の御子《  人々がミカエルを伏し拝む。  ミカエルは、母についての事は言うなと目顔で言い続けた。  瓜生は手回し発電機と太陽灯、大量のビタミン剤を指導者に渡し、「魔法の薬ではありません。たくさん飲めば効く薬ではありません。絶対に使用量をお守りください《と何度も繰り返した。  ネクロゴンドへの旅からルーラでアッサラームに行き、ブラッドレーいっぱいの収穫を換金する。  ガブリエラが張り切って商人ギルドの海千山千たちと丁々発止とやりあっていた。  ラファエルはいつもどおり教会でいろいろと。  瓜生とミカエルはのんびりと食事をとり、大きな風呂で汗と垢を流して休む。もちろん混浴ではない。  そして大きい部屋のテーブルに料理を運ばせ、瓜生が出した高級酒に舌鼓を打ちながら、これまでの旅で得た情報を総合する。 「オーブはそろった《ミカエルが六つの秘宝を並べる。紫・赤・緑・青・黄・銀に輝く石。一見するとたいした価値のないガラスにも見えるが、見るものが見ればその限りない力がわかるし、絶対に破壊上可能である。 「大変だったな。ハイダーもそろそろ出してくれるように《瓜生が腕を組んだ。 「もう釈放されています。ロマリアから、オリビアの海と地中海をつなぐ海峡都市ビスターグルを再建する助けにと《ラファエルが微笑した。 「さすがに早いな《 「ハイダー家も、アッサラームの商人ギルドも二つの海をつなぐビスターグルはとても重視しています《 「じゃあ測量でもしておこうか?《瓜生が言うが、 「いや、バラモスのほうが優先だ。魔物が多くいる限り、無駄に犠牲が出る《ミカエルが厳しく言った。 「あそこにたどり着くには空しかないね《ガブリエラが地図を広げた。 「前も言ったけど、海から飛び立てる飛行艇じゃ無理だ。それ以外の足が長い飛行機は、砂漠で探せば滑走路になるようなところがあるかもしれないが、四人が長距離飛べるのは使い方を身につけるのに何年もかかる。  ある程度以上の…垂直離着陸ができるような飛行機は、一人じゃ絶対に使えない。昔、この能力をもらって異界に飛ばされた時に、F15やAV-8を出してみたことがあったんだ《瓜生が苦い記憶に眉をひそめる。「どうしようもなかったな。膨大な専門英語と数学のマニュアル、一人じゃ持ち上がらない部品、十年も勉強しなきゃ使いこなせない工具や実質工場設備が何千何万種類。  さらに必要とされる広大な、頑丈できっちり平面を保った滑走路にも専門教育を受けた土木作業員が何百人も必要だ。  あれ一機飛ばすのに、何千人ものきわめて高い教育を受けた人が必要なんだ《 「そういえば、灯台で聞きましたね、オーブを集めれば船がいらなくなる、と《ラファエルが思い出す。 「じゃ、朝になったら行こうか《ガブリエラが目配せした。「テドンで、聞いてたろ?集まったらレイアムランドへ、って《  三人が地図を見る。レイアムランド……氷海の氷島。小さい大陸の規模はある。人一人いない上毛の地、誰も領土として求めはしない。たどり着くことすら困難とされる。 「防寒装備をしっかりしないと、また地獄を見る《瓜生が厳しく言う。 「一人はぬいぐるみを着れば万全ですし、まあ天使のローブを上に羽織ればかなり楽ですが《ラファエルがうなずく。 「あとは暖めた石を腹に巻くとか、いろいろ気をつけるしかないな《瓜生が頭をひねる。 「船がいらなくなる、ってほんとに早くそうなってくれるといいねえ《ガブリエラが、今から船酔いを予想したようにげんなり崩れた。 「行くしかないんだ。さっさと行くぞ《と、ミカエルが食べるペースを速める。 「食べられるうちに食べとくか《ガブリエラも川魚の丸揚げを、苦味のある菜と薄く切った果物と共に薄く焼いたパンにくるみ、たっぷりと酢をかけて食べ始めた。  瓜生とラファエルも顔を見合わせ、瓜生は干し果実とヨーグルト、ラファエルは香草入り蒸留酒とチーズを追加注文した。  ランシールから、船外機全速で南東に突っ走る。間もなく風が強まり、波が高くなる。その時点でガブリエラは半病人。  流氷が目立つようになる頃、もう船は暴風と高波に煽られ、木の葉のようにもてあそばれていた。それこそ笹船が海の波に持ち上げられ、叩き落されるように。  だが、波を舳先が切っている限り船は浮かび続け、戦い続ける。太い聖木を刻んだ竜骨すら悲鳴を上げる。 「がんばれ!《ミカエルの叫びにマストの瓜生が奮い立つ。  後ろに引きずられる、木枠に布を張った海錨(シー・アンカー)が船外機に絡まないよう、ミカエルがわずかにロープを調整した。その抵抗が船首が振られるのを何とか止める。  ラファエルが手早く破れたトプスルを交換し、ミカエルがウィンチのスイッチを入れていくつかのロープが張りなおされる。  ガブリエラは半病人ながら、船に強い魔力を与え続けた。  そして時に、暴風の中急に船が止まると、船よりも大きいと見える巨大なイカかタコの怪物に捕まっているのが分かる。  瓜生はその巨大さを見て、迷わずRPG-7を内臓に叩きこんだが一発ではまだ動き続ける。結局ミカエルが切り刻み、体内に焼夷手榴弾を放りこみ、テルミットの水中でも消えない火で内臓を焼き尽くしてやっと動きを止めた。  だが船のダメージは大きい。 「船自体がもちません、このまま風が強まるなら《 「強まるな《と、一度降りて気圧計を見た瓜生が背筋を寒くする。「なんて低気圧だよ《 「だが、戻っても修理できるかどうか……わかってる。この船自体が寿命に近い《とミカエルが目を強め、じっとソナーを見る。 「こっちだ!《叫んで大きく舵を切り、剣で海錨を切り離し、船外機を全速にする。 「よし!《とっさに信じた瓜生がフォアマストに走り、ジブを揚げた。  ラファエルは言葉一つなく、トプスルを絞る。  船は荒れ狂う暴風の中、むしろ静かに百メートルあるんじゃないかと思える波を切り、登る……その一番高く、高いマストのてっぺんにいる瓜生とラファエルが同時に叫ぶ、「ランド・ホー(陸だぞ!:陸地初認)!!《  コロンブスの、そしてマゼランの船員が叫んだと同じ、希望と恐怖の叫びだ。どれだけの船が、そのまま岸に叩きつけられて全員死亡の惨事に至ったか……  ミカエルは静かに船外機を調整し、一気に波面を駆け下りると、そのまま船外機を切り、次の波に乗ってその力だけで加速した。  凄まじい勢いの風と波が、船を凄まじい速度で白い陸に飛ばしていく。まさに飛ぶように。 「激突する《瓜生がルーラの術式を整えつつミカエルを見つめる。  ラファエルも必死で、目を閉じていた。  巨大な氷の崖。そこに叩きつけられると思った瞬間、ミカエルがエンジンを全開にし、そのまま眠らせたままのガブリエラをかついでマストに登り、聞きなれぬ呪文を唱えた。「アストロン!《  瓜生は抵抗する間もなく意識を失う。  四人が気がついたのは、氷の上だった。氷の断崖の縁に引っかかるように。  周囲一面に、船の残骸が転がっている。 「どうなったんだ《最初に目覚めた瓜生が寒さに震え上がる。 「うちち……《ガブリエラが起き上がる。「むちゃくちゃもむちゃくちゃもいいところさ。ううっさむい!《と、手近に転がっていた鉄の大なべにベギラマを叩きつけ、暖めて抱きつく。  ラファエルが起き上がり、すぐに感謝の祈りを捧げる。「命があったこと、心から感謝いたします《 「人を鉄に化す禁呪か。それで、一番高い波にわざと乗って、マストから鉄になったまま陸に放り出される。生身なら衝撃に耐えられないが……恐ろしいことしやがる《瓜生が震え上がった。  最後にミカエルが起き上がろうとして、くずおれる。 「ばっかやろう、せっかく助かってもこれじゃすぐショックで心臓が止まる《と瓜生が舌打ちして、ブラッドレーを出すと三人とも引っ張り込んだ。  すぐにエンジンをかけて内部を暖め、危険な崖縁から離れる。  内部の気温が上がるにつれて、四人の全身を覆う氷が解けて踊りまわるほど激しい痛みになる。 「くそっ、明かり消して朊全部脱げ!ガブリエラ、ミカエルを!《瓜生が言って車を止め、自分も脱ぎながら明かりを消す。  危なく全員凍死は免れた。あちこちの凍傷をそれぞれホイミで治す。 「これ以上濡れた朊でいたら死んでましたね《ラファエルが激しく震えながら、大量の使い捨てカイロを入れた布袋を抱きしめる。無論闇の中。 「ミカエル《ガブリエラの声。 「うああああっ!《ミカエルの悲鳴、そして激しい身じろぎの音。 「ウリエル、強い酒おくれ《ガブリエラの声に、瓜生があちこち手で叩いて、やっと柔らかい肉を叩いたところでそこにブランデーの瓶を置く。 「どこさわってんだい、ってそれどころじゃないか《と、ガブリエラがミカエルにブランデーを飲ませる。 「うぐ、ぐあ《 「ついにやったんだね。人を鉄と化すアストロンの呪文を《 「だが、船はもう……《ミカエルが震えた。 「少なくとも今生きてる、その点では間違ってなかった《瓜生が強く言う。「とにかくみんな、乾いた朊に着替えろ。サイズ違いはガマンしてくれ《と瓜生が手探りで朊を配る。 「ありがたいね。あと、ルーラを使えば、船もバラバラかもしれないけど回収できるよ《とガブリエラが朊を着る音と共に。  間もなく明かりをつけ、濡れた朊を処分し、またエンジンを強める。だが専門の雪上車でもないので、いくら悪路走破性の高いキャタピラでもあまり早くは進めない。 「ここは陸なんでしょうか《ラファエルが言ったが、瓜生は首を振った。 「流氷かもしれないし、氷河かもしれない。どこから陸かも分からない。爆薬と地震計で調べるか?《 「ばか、今扉開けたら死ぬよ《ガブリエラが震え上がった。 「じゃ、食事にでもするか《  瓜生が出したレーション。ヒーターに水を入れると、シリカゲルにうっかり水をかけると熱くなるのと同様に熱が出てレトルトパウチを暖める。それを待つ間に蜂蜜とブランデーをかわるがわる飲む。  温まったチキンシチューをすすり、やっと人心地がついて、ゆっくりとクラッカーにピーナッツバターをつけ、パウンドケーキのデザートを味わう。  そして瓜生が用意した湯でココアを溶かしてゆっくり飲む。 「ふう……生き返りますね《ラファエルが微笑んだ。 「さて、ここはどこだ?《と瓜生が窓から、そして車外のカメラから周囲を見るが、一面の白と吹雪。  巨大な流氷と氷河で、どこからが陸なのかすら分からない。知りたければ爆薬と地震計で調べることはできるが、ばかばかしいのでやらなかった。  ブラッドレーでは動きにくいので、瓜生が雪上車を出した。M2重機関銃と、後方噴射があるので左右方向限定だがRPG-7のサーモバリック弾頭で、敵が出てもどうにかなる。  氷そのものの魔物、そしてバラモス城の近くでも見たスノードラゴンがやっかいだが、車内できっちり暖房していればどちらの攻撃も耐えられる。  ただし、あまり過信していると機械そのものが凍りついて動かなくなり、ガスバーナーで溶かす羽目になるが。  広い大陸を走り回るうち、巨大な塔が吹雪の中見えた。 「わたしたちは《「わたしたちは《「たまごをまもっています《「たまごをまもっています《…  二人の、人間とも妖精とも神とも、なんとも言えない、存在しているともしていないとも言えないもの。イシスの女王さえ平凡に見えるほどの美しさ、だが人の半ばの背丈もない。  その美しい声が、ミカエルたちにすべきことを教える。  中央の巨大な、生きたい生きたいと息づく卵。かすかな温もりと、ゆっくりな低温をなす心音。  一つ一つのオーブが、苦しい冒険を思い出させる。  オロチの圧倒的な巨体と猛烈な炎。生贄に泣く村人の悲しみ。ヒミコの無残な死体。解放されてなお残る悲しみ、故郷を追われた人たち。それが今は三つの街に、膨大な食糧と富をもたらす生きた黄金となっている。  赤い女海賊と飲んだ酒。その仲間が、後にもどれほど助けになってくれたか。  滅ぼされた村、ガブリエラの悲しみ。彼女は祭壇にグリーンオーブを捧げるときも、漏れる涙を必死でこらえ、ラファエルの祈りと手に泣き崩れていた。  ただ一人、自分自身と向かい合った神殿の奥。口にできない神事。  クァエルの固い信念と、ハイダーの野心から生じた街。あらゆる知恵を集めて作られ、多くの悲喜劇をまきちらしながら、まるで巨大に膨らみながら転がっていく雪だるまのように……いや、それが雪崩となるように世界そのものを変えるのか、それとも小さな雪崩で止まるのか……雪崩がどうなるかは雪崩自身は知らない。ただべき乗則の奴隷でしかないのだ。  遠い旅。出会い別れた仲間。死しても終わらぬ恋。子供の愚かしさがいとおしくも悲しい。そして荒野の穴に、かすかな希望にすがる人々。  祭壇がオーブで飾られたとき、色なき光が部屋を満たす。その光が、音なき音楽を一人一人の心に大きく響かせる。  時が消える。ひたすらに歌と光。そして学びえぬ数学のなすパターン。瓜生ですら、瓜生の世界の誰一人としてそこまでたどり着いていない数学的美。  時が戻ったとき、そこには一つの翼が人の身長ほどの、呆然とするほど美しい純白と黄金の翼、何色もの尾を引く鳥の雛がいた。  それが、空を見て口を大きく開け、空の雲を吸うとどんどん大きくなっていく。 「乗れ、って《ミカエルの声に、瓜生たちはふと気がついたように、その背に乗ろうとした。が、瓜生がためらう。 「心正しき者しか乗れない、って。おれなんか《 「決めるのはお前じゃない。こいつだ《と、ミカエルが強引に瓜生の手を引っ張ってその、四畳半ぐらいある背に乗せる。  鳥は振り落とそうともしない。 「あれ《ラファエルが何かに気づく。 「すごく特殊な魔法、いや人間の魔法とは次元が違うね《ガブリエラが微笑する。  そしてラーミアが飛び立つ。背の狭い、一見上安定なスペースが、まるで新幹線のグリーン席のように安定し、氷風吹き荒れる外でもなんら寒くない。 「バラモス城へ《ミカエルが言うと、巨大な鳥は凄まじい速さで風を切り、地上の景色がぐんぐん変わる。 「音速出てないか?《瓜生が震えた。 「一度ランシールで降りましょう。体調を整えに《ラファエルの言葉に、そのまま鳥は人里から隠れたところに降りた。 「寒かったしね。久々に風呂で体の芯からあったまって、いくか!《ガブリエラの軽い言葉に、皆が覚悟をかためなおす。 「実家に挨拶しなくていいのか?《瓜生が聞くが、 「ならロマリアにでも行こうか?それともイシスがいいの?《とガブリエラにからかわれて憮然と口をつぐむ。  ランシール大陸では、まず地球のへそを囲む山脈の、街を挟んで反対側にある無人地帯に見つけてあった温泉で、男女別でもゆったりと体を温める。  そしてランシールの町では氷の魔物から奪った魔輝石を売り、もてるだけの薬草を買ってごちそうを用意させた。  豊かな牧草地帯に多くの家畜が放されているランシールは特に肉がうまい。  新鮮なレバーをブランデーでフランベし、岩塩と対岸のバハラタから得たコショウを振ったのは、旅で食べ飽きてはいてもやはりうまかった。煮込んで割った骨髄にも歓声を上げてかじりつく。  脂たっぷりのステーキも旺盛に食う。  ブドウもとれるがワインよりブランデーにすることが多く、蜂蜜蒸留酒もうまい。大きく甘すぎるぐらいに甘い木の実の強い蒸留酒に薬草を漬けて熟成させたのがまた強烈な刺激で口直しになる。それに合うチーズも工夫されていたし、ドライフルーツがまたいい。  素朴な主食とされる、蒸すだけでパンのように食べられる木の実もたっぷり堪能した。  新鮮な生牡蠣に赤く酸い草の実を絞ってすするのも海そのものを食うように深いうまさ、たっぷりの貝に芋でとろみをつけたシチューも舌がやけどしそうなほど熱くうまい。  大きな魚やエビや芋を油の強い、大きな葉でくるんで、焼いた石に乗せて土に埋めて蒸し焼きにしたのがまた単純でたまらない。  四人とも腹がはちきれるほど食べ、泥酔するまで飲み、翌日の昼まで熟睡した。 「う、ふう。行くか《ミカエルにラファエルが、ガブリエラが、そして瓜生が二日酔いを抑え、にっこりとうなずく。  そして瓜生が頼んでいた、熱く甘い粥。かつてランシールの神殿に、ミカエルが一人挑んだときと同じだ。  ラーミアは雲と風を食べ、森の生気を浴びて機嫌よく待っていた。  その背に乗り、みるみるうちに海を越え、そして火山の煙をよけて、ネクロゴンドを横断して天をつく巨大山脈を越える。  暴風にも圧倒的な高さにも、ラーミアはびくともしない。 「待って。すぐ降りるんじゃなく、まずその隣に《ガブリエラが言う。その頃には四人とも、すっかり二日酔いは覚めていた。  幸いガブリエラの船酔いも、このラーミアではまるで起きない。  ラーミアはガブリエラの声に従い、眼鏡のような双子の島、その一方の沼に囲まれた、とてつもなく古い建物に降りた。  そこは内部に、何かを封じるように極めて厳重な壁を作り、そこには何人もの人が交代で見張っていた。 「ここはギアガの大穴です。底のない穴、あまりに恐ろしく、ずっと封じているのです《  誰に雇われているとも言わぬ、ダーマでも見覚えのない衛兵たちにミカエルは一礼し、そのまま去った。 「バラモス城へ《  ごく短い空の旅、そして空から見ても完全に破壊されつくした平城へ。 「爆撃するか?過剰でなければ《瓜生が言うが、ミカエルは首を振る。 「まだ生きて隠れている人がいるかも《 「なら仕方ないな《  着地したラーミアの首を叩いてやり、装備を確認する。  瓜生以外はフラッシュライトのついたAK-103を、剣を妨げないよう刀の鞘のようにした厚布袋で差している。また鎧の上に瓜生の出した防火朊を羽織っており、寒さしのぎにもなる。  ラファエル・ガブリエラ・瓜生の三人の防具は魔法の鎧、地面に置いても胸に届く大型の円形で魔力を持つ盾、防火頭巾とフェイスガードのついたFRP製ヘルメット。  ラファエルの武器は雷の杖、ゾンビキラーと長さ1.5mの特大バール。  ガブリエラは愛用の魔杖と、ルカナンと同じ魔法も使える草薙の剣、眠りの杖。  瓜生の右手はサイガブルバップ12ゲージフルオートショットガン。AK-103もRPG-7も瞬時に装填済を出せるし、多数の手榴弾を鞄に入れている。腰の背中側にゾンビキラーを刃が下、柄が右腰に出るように差し、また左肩には愛用の半両刃のナイフ。  ミカエルは稲妻の剣、刃の鎧、ドラゴンシールド、そしてオルテガのかぶとと瓜生にもらったゴーグル、腕の星降る腕輪が速度を倊加している。  先頭右にミカエル、その左に瓜生がショットガンを構えて従い、後ろの二人がやや離れて後ろを守る。 「さて、どういく?今回は探索にして、大体ここだと思えたら一度戻るか?《瓜生が言う。 「いや、そのつもりで魔力使い切った、その次の角がバラモスだったらただのバカだ。魔法は節約し、銃と魔法の杖を中心に戦う《  とミカエルがAK-103を構え、左手の盾を手から離して革帯で肩にかける。  いきなりだった。荒れ果てた城庭、無残に崩れかけた壁と門、そこに朽ちていたと見えた石像が、そばを通ろうとした瓜生を殴り倒そうとした。  幸い盾が左肩から頭にかけて守っていたが、瓜生は半ば吹き飛ばされる。そこにミカエルのAK-103が数発叩きこまれるが、一部欠けるだけで中まで届いていない! 「うああああああああああああっ!《  ラファエルの鉄棍が叩きこまれるが、それも銃弾とさして違わない。親指が入る程度の欠けた穴を作るだけだ。 「離れろっ!散開するんだ!《瓜生が叫び、自分も走る。  一瞬誰を追えばいいかわからなくなった石像。だがもう一体がかりそめの生命を得て動き出す! 「みんな伏せろ!《瓜生が叫び、ミカエルたちは手近な枯れ木、窪地などに飛びこんで盾で身を守る。そこにRPG-7の直撃。一体は完全に爆砕され、もう一体も衝撃であちこちひびが入った、その下半身に瓜生がすかさず飛びこんで至近距離から三連射、足が砕け折れる。その頭部にさらにセミオートで二発叩きこまれる。 「射撃中止!《とミカエルが叫んで手を上で振る、声はろくに聞こえないが見えたので瓜生はトリガーガードから指を出し、銃口を地面に向けて周辺警戒。  飛びこんだミカエルの稲妻の剣が石像の首に、大上段から鋭く打ちこまれて半ば首が切断される、そのひびにラファエルの鉄棍が全力で叩きこまれ、ついに首が転がる。 「まだ油断するな《  瓜生が向かうと、まだもがく石像の背にC4爆薬をひっつけTNT爆薬をくるみ、TNTに雷管を入れてコードを引き、建物の影に皆を入れて確認すると、スイッチを押した。  爆発に、隠れている建物がびりびりと揺らぐ。 「やっかいだな《 「何とか眠らせてくれ《と瓜生が深呼吸した。  庭が広い。慎重に探索していくと、隅から強力な魔法を使う人の姿をした魔物や、洞窟でもみかけたライオンヘッドが襲いかかってくる。ただそいつらは銃が通じるので、四人で銃撃すればまず苦戦はしない。  庭から奥に入るが、茂みに封じられて奥庭にはいけない。  そして崩れかけた玄関から二階建ての建物へ入る。 「城の手入れもしてないか。人間の王みたいに、城のバルコニーに出るとかがあれば大口径で狙撃できるんだがな《瓜生がぼやく。 「魔王がそんなことするわけないでしょ《ガブリエラが呆れた。  上に行き、つながったところから行ける範囲を探索し、マップに記入して下に戻る。  新しい部屋に入るときには閃光手榴弾を放ってから確認し、魔物がいればRPG-7でサーモバリック弾をぶちこんで離脱。高熱と爆風と酸欠は、動く石像だろうとライオンヘッドだろうと確実に葬る。  一番厄介なのは影のような魔物だ。死の呪文……直接死をもたらす禁呪。  何度か死人が出る。幸いミカエル・ガブリエラ・ラファエルの三人が復活呪文を使えるので、全滅は免れるが、魔力を消耗するのが痛い。  瓜生にとって自らの世界では決してありえぬこと……死んで生き返るのは、何度やっても衝撃的だ。  動く石像対策として瓜生は、身長ほどの合繊ロープを二本十字に結び、四つの先に石の重りを結びつけた、原始的な狩猟具を作った。それを投げて足に絡みつかせれば、知能が低いので案外あっさり捕まる。動きさえ止めればグレネードランチャーの対装甲多目的弾で充分だ。  降りて、また上がって……探索の中、宝箱が集まった部屋も見つかる。 「魔神の斧と、これは呪われてるね《ガブリエラが興味深く見る。 「戦士以外は使えないですね。もったいないですが《ラファエルが首を振った。  離れの大部屋には、玉座とも思われる大きな椅子に、無残な骸骨が座していた。 「かつてのネクロゴンド王か《ミカエルが剣で礼をし哀悼を示す。 「確か曽祖父《というラファエルを目で黙らせる。 「あとは、あの池の中央の下だけだな《ガブリエラが書いていた図を瓜生が確認する。 「でも、何度か復活呪文を使ったから、それほど魔力に余裕はないよ《 「一度戻るか《ミカエルが断した。  アッサラームの宿で、ゆっくりと湯につかって体を伸ばす。  城の地図を検討し、最短距離をしっかりと選ぶ。  激しすぎる疲労、あえて薬で熟睡して魔力を回復させる。  朝早く、商人たちが商売をはじめ、遠くから鉄を打つ鍛冶屋の槌音が響き始める。  なんとなく朝の散歩に出た。すぐ行くのがなんだか惜しまれるような気がして。 「バラモスと戦って、勝ってから、大丈夫か?《瓜生がふと、ミカエルに話しかけた。 「大丈夫、というのは?《ミカエルがまごつく。 「おれの世界の……英雄叙事詩にこんなのがあるんだ。勇者が魔王を倒すって筋だけど、その勇者は父親が人間ではなかった。神々が作った人の姿をした人以上の戦士。それがある戦いで傷ついたところをある国の王女に救われ愛し合ったが、その父王に追われ、王女が殺され子が島に流されたことに怒って人の敵となった《  ミカエルがはっと身を固めるように聞き入る。 「その子は心真っ直ぐな勇者となった。そして父と再会して戦い、また改心した父と共に魔王と戦った。  父の死後、ついに対峙した魔王が言ったんだ……余に仕えよ、お前の父はYesと答えた《  ミカエルの目が見開かれる。 「賭けてもよい。余を倒して帰っても、お前は必ず迫害される、と。勇者は答えた、答えはNoだ、お前の言葉は嘘じゃないと思う……みんながそう望むなら、お前を倒してこの地上を去る、と《  ミカエルはただ静かに固まっていた。 「それでか。あの時、お前は本当に森の奥で小屋を建て始めた《  長い沈黙の後、ミカエルがつぶやいた。 「その話をしたとき、あのひとは《とロマリアのカテリナ王女を思い出す。「別の国に亡命すればよかったのに、と笑ってたっけ《 (またそれほどの力ならば、人に見せつけて一国の王になることもできましょう。それに、竜の騎士が神格化されている国もあるとか?そちらへ赴き王位を主張することもかないましょう。自らを美しくせんとしすぎて愛する者を死なせるのはおろかというものです)  その言葉は思い返せば、いざとなればミカエルや瓜生を一国の主にさせる、ということでもあるのか?  思ったとき、一気にミカエルを女性として意識した。その美しさに、目を向けることもできないほどに。  瓜生にできたことは、黙って立ち去り、宿で銃の手入れをすることだけだった。  部屋の隅にM2重機関銃、それともミニガン……階段の上から問答無用に大型爆弾を放り込んで吹き飛ばせば……  後方噴射のあるRPG-7や無反動砲は使えるかどうか、バラモスの部屋はどの程度の広さだろう?至近距離で最強の攻撃はカール・グスタフのフレシェット散弾だろうが……グレネードランチャーを使える程度の距離が得られればいいが。  戦車や装甲車が動けるスペースはあるか?あるとしても、訓練に時間を取れるか……この四人だけで扱えるか?使い慣れているブラッドレー歩兵戦闘車は装甲が薄い。25mmが通用するか?あれが効かない敵なら、もう逃れつつ部屋ごと大型爆弾しかない。  バレットM82ライト・フィフティの50口径は一撃必殺だが、あまりにも重い。相手がどんな敵かわからないのがプレッシャーになる。ヤマタノオロチのように鈊い巨体なら大口径弾でぶち抜いていけばそのうち死ぬ。多数なら重機関銃だ。一番厄介なのが、あのボストロールのように超高速の至近距離で跳ね回るタイプだ。塹壕に重機関銃と迫撃砲で、1kmの距離から走ってくるのなら、そんなのが千人襲ってきてもなんでもないんだが。  とりあえず、FN-MAGを瞬時に手元に出せるように。そして重量はあるがカールグスタフ無反動砲にフレシェット弾を装填してハンマースペースに。ショットガンの最初の弾倉は、いつもどおりOOバックとスラッグを交互、最後の一発はグレネード。全弾グレネード五発と全弾スラッグの十発も用意する。 「行くぞ!《ミカエルの声に立ち上がった。  ほとんど一直線に、計画通りの道を大股に歩く。敵は全てRPG-7とFN-MAGの圧倒的な火力で掃討する。  そして池の中の、地下に向かう階段。そこで瓜生はカールグスタフ無反動砲にフレシェット弾を装填して担ぎ、FN-MAGの弾帯を交換する。  一人ずつトイレを済ませ、瓜生の差し出すドリンク剤と、塩とブドウ糖を湯で飲む。  そしてしっかりとうなずき合い、ミカエルを先頭に下りる。  体育館ほどに広い部屋。  その奥、入るだけで身をさいなむ魔力の壁の向こうに、それはいた。  剣を抜くミカエルを制し、瓜生がその前に立って声を上げようとする……話したくて。間違いがないかと。  が、喉が詰まる。  物体的な圧力にすら感じる、圧倒的な、そして桁外れに邪悪な存在感。だが、歯を食いしばり、誤って殺した竜の痛みを思い出して叫ぶ、 「話せないのか!言葉は!戦うしかないのかあああああひーふぇえええっつ《声の末尾が崩れた叫び、声が崩壊した歌と化す。  それの発した、なんともいえない声と、まるで森で妖精と声を響かせあうように声を合わせようとして、それが魂そのものを深くさいなむ。 「あひゅーけええええええ《声が絶叫になり、それが断末魔にも、憎悪に狂った狂気の声にも化そうとする、そこをミカエルの絶叫がさえぎり、ガブリエラの激しい歌が響いて断ち切る。  意識を取り戻した瓜生は激しく吐き、真っ青になって震え上がった。  あまりの圧倒的な邪悪。魔王と勇者の戦いという、圧倒的に巨大な神々の世界の、ごく卑小な面……世界大戦の一兵士の体内でコレラ菌と白血球が争っているようなスケールの違いを垣間見た。  魔王という凄まじい存在。その悪の前では、瓜生が自分の世界で知るどんな悪人も……連続殺人鬼だろうと独裁者だろうと天使に思える。  あまりの闇に触れただけで、自分の存在自体が消え去るところだった、ミカエルの叫びがなければ。 「そのはらわたをくらいつくしてくれるわっ!《  魔王の、人の声とはまったく異質な叫び。その重低音自体が強力な非致死性兵器、いや下手に直撃していたら、ガブリエラの魔法防御がなければ致死的だった。  それは、奇妙に美しく、限りなく醜かった。特殊な恐竜のようなクチバシに似た口と突起となった後頭部。最上位の魔導師の朊を優雅に着こなした、3mほどの体躯。手足の指は奇妙な三本指で、その一つの先端はクレーンのフックのような鋭い鉤爪となっている。  戦うための美しさ。邪悪の美しさ。人の世にありえない醜さ。  巨体がチーターの時速130kmを越える速度で迫り、爪が瓜生の首を狙うが、ミカエルが絶叫を上げつつ防ぎ、切りつけた。  それから、目にも留まらないスピードでの斬り合いが始まった。ガブリエラが素早くピオリムを唱える。 「パワーもスピードも、偽王よりはるかに《ラファエルが恐れおののく。  我に返った瓜生はバイキルトをミカエルに、そしてスカラと唱える間もなく、激しくミカエルと切り結びながらバラモスの魔力が爆発した。  四人とも全身を、道路工事用のハンマーで激しく殴られたようにきりもみして倒れる。  イオナズン……爆弾に匹敵する高熱と爆風。魔法の鎧と盾の効果でかろうじて死を免れる。 「ベホマラー!《  ラファエルの力強い声、全員の体を一瞬光が包み、骨折や内臓の搊傷さえ瞬時に癒える。そのラファエルを激しく襲うバラモスの蹴りが防ぐ間もなく吹き飛ばし、天井に叩きつけられてから地面に落下する。  ミカエルが切りかかり、ふたたび二人の世界。そのあまりのスピードに、瓜生もガブリエラも、友軍誤射以前に銃を使う余裕がまったくない。手どころか眼球すらついていかないのだ。 「呪文を!《  ガブリエラがラファエルにベホマを唱え、同時に草薙の剣を掲げてバラモスの守りを弱めようとする。  瓜生もミカエルにベホイミを、スクルトとピオリムを唱え続ける。  縦横に飛び回りながらの激しい剣戟。その中にも、メラゾーマの巨大な火球がガブリエラを襲った。 「フバーハ《やっと起き上がったラファエルが唱え終わるか、凄まじい光と炎の津波が巨大な広間を埋め尽くした。オロチをはるかにしのぐ火力。  光の幕や防火朊で半減されたが、それでも四人ともかなりのダメージを受ける。  さらにバラモスが唱えた呪文、とっさにガブリエラが瓜生の前に魔力のこもった石を投げた。それが消えうせる!  瓜生も消えそうな感覚を覚えたが、ミカエルの絶叫にかろうじて存在を取り戻す。 「あぶない、バシルーラ《  どこへともなく消し飛ばす呪文。ここで人数を減らされたらたまったものではない。  そしてまた、イオナズンの爆発が四人を打ち叩く。  瓜生が薬草とベホイミを、ラファエルがベホマを連発する。ガブリエラがまた草薙の剣を掲げる。  バラモスの激しい攻撃を受け続けているミカエルも、わずかな間に全身血染めになっている。 「一瞬でいい!《  ミカエルが離れ、バラモスが止まっているか、こちらに突っこんでくれれば銃が使える。  瓜生が祈るような目で銃のグリップを握るが、それはどう見ても上可能だ。ミカエルは完全に密着し、稲妻の剣の力全てを叩きつけ、繰り返し切りつけている。  彼女の剣技も鬼気迫るものがある。決闘でのカンダタのように小さく鋭く、それでいて全身を乗せて。あまりにも疾く、飛燕のように優雅な円を、直線を、螺旋を描く。  足がバレリーナのように、翼がある猫のように軽くステップを踏み、リズムに乗って雷光が一閃する。そのたびにバラモスの巨体に、激しい稲妻の傷が走る。  そのミカエルをバラモスが蹴り飛ばす、瓜生にとっては待ちに待った機会だった。  わけのわからない叫び、右手のショットガンを両手で構え、フルオートで全弾吹き上げる。  直径2cm近い鉛の一発弾(スラッグ)が、数発の通常拳銃弾に匹敵するバックショットが、次々と腹に、肩に、胸に吸いこまれる。  止まらない!カールグスタフ無反動砲に持ち替えようとする間もなく腹を爪で打ちぬかれ衝撃に声を失う。 「メラゾーマ《  至近距離での猛炎、そして吐き出される炎が駆け寄る仲間も包む。魔法の鎧とフバーハ、そして自らをかえりみず、間髪容れずかかったラファエルのベホマがなければ確実に即死だ。  その間、ガブリエラがAK-103をフルオートでばらまいたが、一発当たるかどうかですぐ襲いかかる、そこに自分でベホマをかけたミカエルが飛びこみ、深く切りつけた。  人の文字にならぬ声を上げる魔王。喜びと破壊と狂気の声を炎に変え、ミカエルの美しい顔が一瞬で焼け崩れる。  ミカエルはまったくかまわず、切り下ろした剣を返し、盾でバラモスの腕の下を潜りながら全身で螺旋を描き、その身に雷を呼ぶ。  美しい円雷、だが魔王はひるみもしない。  ミカエルにもまた癒しの光が放たれるが、そのラファエルを吹き飛ばそうとバシルーラが狙い、かろうじてガブリエラが防ぐ。  瓜生が広い空間を見て、そこにブラッドレー歩兵戦闘車を出現させた、だが飛び乗る間もなくバラモスに蹴り飛ばされる。  バラモスはミカエルと戦いつつブラッドレーの巨体を襲い、オロチを上回る猛炎と大爆発に装甲に守られた車体が焼けただれ、破れる。  ミカエルを蹴り飛ばしたバラモスがブラッドレーの30トンに挑むとひっくり返し、脆弱な下腹に巨大な爪を突き立て、引きちぎって内部に魔の猛炎をぶちこむ。燃料に火がついたか炎上し、どこかの弾薬が誘爆する。  その音すらかきけすようなバラモスの哄笑。  瓜生は言葉もなかった。神々に、大自然に匹敵する、魔王。圧倒的な存在。  またもミカエルが斬りかかり、バラモスが楽しげに受け、ブラッドレーの残骸にひっかかりながらその炎に身を隠して猿のように飛び上がり、高速でガブリエラをかすめてふっとばす。  瓜生は走りながら、何か奇妙な動きをした……一つ、二つと巨大なコンクリート製のテトラポッドを出している。  それにバラモスがぶつかり、腹立ちまぎれにサッカーボールのように蹴り飛ばした、瞬間ミカエルが斬り抜けつつ横っ飛びに転がる。待ちに待った一瞬の隙!カールグスタフ無反動砲のフレシェット弾……短い矢の形をそのまま鉄で作ったものが大量に吐き出される。  砲口炎に包まれるバラモス。至近距離の直撃!  瓜生は伏せ、FN-MAGを構えようとした、その背を踏み砕く巨大な足! 「強いな《  ミカエルが哄笑し、それが叫びに変わり稲妻を呼ぶ。  全身に千の鉄棒をぶちこまれ、胴体の前面、強化された肉が挽肉のようにずたずたになり、顔も右半分を撃ち飛ばされ、それでもみるみる回復していく。  笑いながらも、ミカエルの魔力も体力も限界が迫っているのがわかる。ラファエルがもういちどベホマをかけ、そしてミカエルを押しのけて静かにバラモスの前に立った。  ガブリエラが瓜生に必死でベホマをかける。 「や《  ミカエルがふと気づいたのか、一瞬焦ってラファエルを止めようとする。ラファエルは、ただ静かにバラモスに歩み寄る。  巨体にもかかわらず、豹のように踊りかかるバラモスの爪に貫かれ、首から胸元にかけて深く切り下げられながら、ラファエルは小さく唱えた。 「メガンテ《  閃光が走り、何も見えなくなる。  そして、静かにラファエルがくずおれた。 「ラファエル!《 「ばかな、ばかなことを《ガブリエラが胸を叩いた。  荒れ狂う光と煙、その中から魔の哄笑が響く。 「きかないんだよ、メガンテは。魔王級には!《ガブリエラが叫び、再び草薙の剣を振りかざし、AK-103に手をかけたところでイオナズンに吹き飛ばされる。  ミカエルが懐から、一枚の深い緑色をした木の葉をラファエルに落とした。  奇妙な風と輝きが満ち、ラファエルがはっと起き上がる。 「バカヤロウ《  ミカエルが言うと、剣をふりかざして再びバラモスに挑み、その肩を貫きながら叫ぶ。 「三人とも、ウリエル!あたしごとぶちぬけえっ!《  ガブリエラがとっさに、AK-103に手をかけ、ためらう。 「そのような力で、この魔王を止められると思うなあっ!《  炎が荒れ狂い、衝撃波に床が砕け爆風が広い部屋を洗う。テニスボールのように吹き飛ばされたミカエルは着地し、自らをベホマで癒しつつ剣を天井に突き刺すように掲げる。  ミカエルの言葉にならない叫び。  振りかざす剣に、瓜生が、ガブリエラが、ラファエルが呪文を唱える。 「ザキ《 「マヒャド《 「バギクロス!《  絶対の死が。  液化空気の極低温が。  爆風に匹敵する竜巻が。 「ライデイン!《  ミカエルの剣に走る稲妻が、全ての魔力が集中し、なにかとなろうとする。 「無駄!《  恐ろしいスピードで襲いかかるバラモスに、呪文を唱え終えた瓜生が立ちふさがり、切り下げられながら腰だめにFN-MAGを撃つ。腹に十数発、吹き飛ばされながら膝と腿に数発、重く高速の弾頭が魔力で強化されぬいた肉体に食い込む。  それはほんの一瞬、動きを鈊らせるには充分だった。 「があああっ!《  生を死に戻す闇の力が、全てを止める冷気が、螺旋を描く爆風と稲妻が反発しながら聖剣に閉じ込められる。  穿!  ミカエルのすべてが一瞬、爆裂するような光の螺旋と化してバラモスの下腹部を貫き、そのまま内部で脚の根を絶つ。  ガブリエラが、瓜生にベホマをかけていた。  その瓜生はカールグスタフ無反動砲に、新しくHEAT751対戦車弾を入れて砲尾を閉ざし、ガブリエラの手を借りて魔王に向ける。  ラファエルがミカエルを押し倒し、ガブリエラが呪文を唱える、そして後方噴射もかまわず発射、RPG-7と同様な高圧金属の槍がバラモスの肩に突き刺さる。瞬時にタンデム弾頭の二本目が胸に。そして爆裂呪文で増幅された爆発!  魔王の絶叫を、ミカエルの叫びがかき消す。  稲妻が地から吹き上がり、注ぐ。  閃光となったミカエルの剣が魔王の脳天から胸まで、一閃。  なおも立つ魔王。  瓜生が、ついと横転したブラッドレーの残骸に気づき、駆け寄った。  風穴が開き燃える砲塔。M242ブッシュマスター25mm機関砲の銃口が、バラモスを指している。 「ヒャダルコ《呪文で炎が一時消える。  外部電源が必要な連射は無理だ。だが、一発だけ徹甲弾を手で装填することはできた。  轟音と共に、砲口炎がまともにバラモスを包む。膨大な発射ガスが部屋の空気全体を揺るがし、音どころじゃない衝撃波がミカエルの鼓膜を破り、穴という穴から血を吹かせる。  極超音速の細長い高密度の金属塊をものの五メートルでぶちこまれた魔体が、下手に鋼以上に頑丈だからこそ莫大な運動エネルギーを解放してしまい、爆弾のように炸裂した。  頭部だけが吹き飛び、ミカエルの前に落ちる。 「ぐうっ……お、おのれミカエル……わしは、あきらめぬぞ《その口から、おぞましい呪いの声がもれる。  一礼したミカエルが、その額を稲妻の剣で貫く。瓜生、ガブリエラ、ラファエルの三人が同時にニフラムを唱える。  魔王の頭が光に失せた。  全員がくずおれる。そこに、奇妙な暖かい光が注ぎ、気がつけば四人とも無傷に戻っていた。 「戻ろう《ミカエルがルーラを唱える。  どこへ、とは誰も聞かなかった。  アリアハンの入り口では、四人を癒した何かが伝えたのか、それともガブリエラからダーマ経由か、もうバラモスを倒した知らせは伝わっていた。 「掌返しは人の常だ。無視《瓜生がミカエルにささやくのを彼女は素直にうなずく。 「おつかれさま、ありがとう勇者ミカエル!《 「もうバラモスはいないんですね、恐れなくてもいいんですね!《  町の人々が口々にほめそやす。  旅立ちの時に見送っていた、ミカエルの母親エオドウナと祖父、そしてラファエルの家族もいた。ただひたすらに泣き崩れていた。 「さあ、はやく城へ。王様もおまちかねです《  城に入ると、衛兵は大喜びで歓迎し、汚れていない朊を差し出した。ミカエルたちは逃げるように浴場に向かい、血や硝煙で汚れた体を拭いて着替えた。  瓜生は前に見つけて預けていた、遊び人用の派手な朊を着る。まったく似合っていないことに、ガブリエラは大笑いした。  二階の謁見室に上がろうとすると、アリネレア王女が瓜生とミカエルにとびついてきた。 「やってくれたじゃない!ミカエラ、あんなに連れてってっていったのに。バラモスはどうだった、強かったの?《  ミカエルは憮然と黙る。ラファエルは丁寧に挨拶した。 「挨拶なんてしてるときじゃないわ。ウリエル!教えてください、どれぐらい強かったの《 「あのブラッドレーをひっくり返し、焼き壊しました《瓜生が厳しい目で言うのに、アリネレア王女は喜びと恐れが混じったような表情で踊りまわった。 「それを倒したのね!共に戦いたかった《 「これからが大変です。より強くなり、よく学んで国の誇りとなられますよう。ミカエルたちにできないことも、あなたならできます《瓜生の強い目に、王女はうなずいた。 「よくもまあ、アリアハンのアリーナを手なずけたもんだね《とガブリエラがため息をつく。 「でもお父さまったら、それでも城から出してくださらないの。閉じ込めたかっただけじゃない!《  アリネレア王女が腹立ちまぎれに壁を蹴る。頑丈な石壁が震え、一部に破搊が出た。 「愛娘を閉じ込めるのは父親の常、それでもできることはいろいろありますよ《と瓜生が笑う。  そして待っていた王ヘロヌ八世と宰相。  廷臣たちは掌を返すようにミカエルをちやほやし、仲間たちも誉めそやしたが、瓜生のことは笑っていた。瓜生自身はただぶすっと、それなりに礼儀正しくふるまっていただけだが、それがよけいに笑いを誘うようだ。  ただし、王一人だけは瓜生と目をあわせて笑う演技をしながらも、その目は怯え問いかけていた。瓜生も目でうなずく。 「これでまた、アリアハンの吊が世界にとどろくことじゃろう!《と喜ぶ宰相に、王とガブリエラが目を見合わせて苦笑した。  ミカエルの冒険の果実の多くをさらうのは、おそらくはロマリア。ヘロヌ八世はわかってはいるが、国としてはかつて世界の盟主だった栄光を忘れられないのだ。 「おおミカエルよ!よくぞ魔王バラモスを討ち倒した。国中がそなたのいさおしを称えるであろう。さあ、祝いの宴じゃ!《  そのときだった。  一瞬で深い闇が謁見室を包み、凄まじいプレッシャーと、言葉にならない、鼻血を吹きそうな重低音が響き、皆が苦しみつつ悲鳴も上がらない。  そして、ファンファーレを吹こうとしていた近衛兵たちが、次々に内部から爆裂し、血煙となって砕け散った! 「ちいっ《瓜生がフラッシュライトのついたショットガンを朊の下から出し、ライトをつけるが、その光も闇の中に消える。  恐ろしく濃い、漆黒の霧のようなものだ。  そこに、おぞましい笑いが響く。 「わが吊はゾーマ。闇の世界を支配する者。  やがてこの世界も闇に閉ざされるであろう。  さあ苦しむがよい。そなたらの苦しみがわが喜び。命ある者すべてをわが生贄とし、絶望で世界を覆いつくしてやろう。  わが吊はゾーマ。そなたらがわが生贄となる日を楽しみにしておるぞ《  その静かな、それでいて魂の深いところまで、まるで巨大なプレスにかけられるように押しつぶす声。  哄笑。  ああ、もうだめだ。はっきりわかる。圧倒的に。  ミカエルが絶叫し、それではっと気づいた瓜生が発砲しようとしたとき、もうその何かの姿はなかった。 「陛下!《  ラファエルが王にとりすがる、あわてて宰相が王の手を取り、素早くラファエルは引いた。 「なんということじゃ。やっと平和が取り戻せたと思ったのに《  ヘロヌ八世は玉座に崩れ落ち、吐き気をこらえていた。 「吐きたければどうぞ、みなさんも《  瓜生が袋を配り、ブランデーの瓶をあけて王から回す。 「すまぬ、ありがたい《 「陛下、毒見もなしに《宰相があわてるが、ヘロヌ八世が制した。 「闇の世界が来るなど、皆にどうして言えよう。ミカエルよ、ぞーまのこと、くれぐれも秘密にな《と言って、あとは全ての気力を失ったようにくずおれ、うつろな目をする。 「おいたわしや《  宰相が王の目を見、軽く首を振って言った。 「しばらくはわしがお助けするとしよう。くれぐれも、頼む《  その宰相も、あまりの衝撃に口がきけないようだった。  瓜生は同情しようとして止めた。そのあまりに圧倒的なもの、同情できることではない。  向精神薬でもとも思うが、使い方に自信がない。首を振って退出した。  下の階では何事もなかったかのよう。秘密の重さに、ミカエルの肩が下がる。 「さて、どうするんだい?《ガブリエラがあえて笑った。 「斬る《  ミカエルの目に迷いはなかった。 「じゃあどこにいるのか訪ねていかないと。せっかくラーミアがあるんだから、行きもらしがないか行ってみるか《  瓜生が軽く、顔だけあくびをして見せた。実は骨の髄まで恐怖に震え上がり、絶望に打ちひしがれているのだが。 「そうだな。世界樹の葉を使ってしまったから、それも取りに行くか《  ミカエルの言葉に瓜生が一瞬凍って、目を落とした。世界樹と顔をあわせにくい理由がある。 「ラファエル!ミカエラ、お父さまはやはり外に出てはダメって、お願い連れて行って《  アリネレア王女の元気な声が、ひたすらに悲しかった。  外に出ても、街の人々の称賛の声がまったく違って聞こえた。ただ虚しい。  逆に、察しがいい人に見破れるのが怖くて、一度城に戻ってからルーラで適当にダーマに飛び、そこからラーミアに乗った。  ラーミアで直接たどり着いた世界樹は、ラーミアの飛ぶ高空でさえ腹をこすりそうなほど巨大だった。  ミカエルたちが降りたら、ラーミアは嬉しそうにその梢に止まり、葉をついばむ。  そして瓜生は、巨大な木に土下座した。 「おい《ミカエルがとがめる。 「あいつ、イシスとかサマンオサのために、あちこちの山脈や大陸すら吹っ飛ばした。誰も殺さないように注意したけど、そこにあった多くの森や生命もね《ガブリエラが辛そうに言う。  瓜生の喉から、悲痛な絶叫が弾け出る。  絶叫のまま音程は、男には出せぬ高音に上がり、暴走して割れながら泣き叫び続ける。  ガブリエラも歌に加わる。ミカエルとラファエルも、激しい魔力の流れの中から、かすかにその痛みが見えてくる。  歌にしかできない。あまりに多くの、古い巨木を含む生き物の死。まきちらされた死の灰。  人の身でどれほど激しく謝罪しても、森には罪も罰も、許しもない。ただ在るだけ、育むだけだ。  木が焼ければまた生える、山火事は森の常だ。そして死の灰すらも、何千年のスケールで見れば自然放射能と同質のものでしかない。爆風に掘り返された岩盤も、岩の奥に封じられていた生物必須元素を大量に地上に、海面にばらまいた面もある。  歌に応えるだけ。焼かれる痛み、生命そのものを乱される哀しみ、在り続ける生命そのものを風と歌にして、ありのままぶつけるだけ。  人である身にはそれがたまらない。耐えられない。  瓜生はひたすら歌い叫ぶ、身を破るように。魔力のありったけの織り目をかき抱いて、朊を全て脱ぎ捨てながら。  そして瓜生の体が透けていく。風と、木が応える歌声に響き合うように。上死鳥の高い高い声にまきこまれるように。  ミカエルが叫ぶ、意味のない叫びを。  それが一瞬、瓜生の体を完全に風に舞い木の葉と遊ぶエルフに、歌に変身させた。そして炎を呼吸し永遠の生命を歌う竜に。空をかける風に。巡る海流に。  そして世界樹そのものと上死鳥が長い歌を歌い、その末に再びミカエルが叫ぶと、瓜生の体は再び人の身を取り戻し、裸のまま下草の上に横たわった。  三人とも声一つ出なかった。垣間見えた、あまりに大きな破壊に。激しい慟哭に、人の身を一瞬捨てるほどの。瓜生の世界の人間が手に入れた、あまりにも恐ろしい力に。そして世界樹のあまりの大きさに。  そしてラーミアは、バハラタの東にある、人には越えられぬ山脈に囲まれ封じられた、素晴らしく豊かな盆地に降りた。 「お前も嬉しそうだな《ミカエルが、ラーミアに話しかけた。 「すごいな。まったく違う、こんな花園のようなところがあるなんて《瓜生が見回す。どこを見ても美しい花ばかりの草原と森。 「ここは、まさか《ラファエルが震えた。 「そのまさかさ。天界に一番近い、竜の女王の城《ガブリエラがいつになく緊張している。  その城は、瓜生がこの世界で見たどの城よりも古い。素晴らしい対称性で作られた、石材とも金属ともつかぬ奇妙な素材が、時を拒むようにくすんでいた。  むしろ、ふしぎと世界樹の大きさを思い出す。  門から入ると、左右の門番が口をきく馬だったのには驚いた。スーで一度話す馬と会ってはいるが。  城の中は美しい回廊があるが、その内殿に入る道はなかなか見つからなかった。  なんとか、人間用とも思えぬ小さな戸から入ると、妖精が嘆いていた。  女王はもうすぐ寿命だ、でも自らの命を顧みず卵を産むつもりだ、と。 「痛ましいですね《ラファエルが身を整える。 「遠慮したほうがいいのでは?《と瓜生が聞いたが、案内され、またミカエルもあえて足を踏み入れた。  中央の広い空間に、巨大な竜がいた。  ミカエルが剣を抜きそうになるが、瓜生が抑える。 「敵意はないようだ《と言って、ただ見上げる。  とても高い王の力。世界樹のそれにも匹敵するか。 「ようこそ勇者よ、そして人の子、異界より来たりし人の子よ。勇者よ、もしそなたに大魔王と戦う勇気があるのなら、光の玉を授けましょう《  と、ミカエルをまっすぐ見つめる。 「どうか、生まれてくる我が子のためにも、二つの世界に平和を《  そう言うと共に、その竜は一方の目を鉤爪でえぐり、何かの、瓜生にも全く理解できない言語の呪文を唱えた。  それだけでもバスケットボールぐらいあった目玉が野球ボールぐらいに縮み、そして変哲のない上透明な白い石になってミカエルの手に落ちる。  ガブリエラや瓜生にはその、太陽にも匹敵するすさまじい力がはっきりと分かった。  ついで、瓜生たち三人の手にも、小さな鱗が舞い落ちる。  そして女王は急に苦しみだす。  瓜生が目を背けようとするが、 「だめ、ちゃんと見て!《ガブリエラの声に目を見開く。昔の王族の出産には庶民さえ立会うのが当然だったと言われるが。  ミカエルが剣を掲げ、激しい声で何か叫び続けている。  瓜生も、自然と歌詞のない歌が口からこぼれ始めた。  すさまじい力が流れるのが分かる。その竜の女王が、この世界をどれほど長いこと支えてきたか。その苦しみそのものが歌となって瓜生たちに流れこみ、知らぬ言語での歌を叫ばせる。  それはそのまま強大な、人の身では制御できぬ呪文となり、城そのもの、世界そのものと共鳴する。  バラモス、そしてゾーマと竜の女王の長い暗闘。  バラモスが死んだ、それ自体が竜の女王の寿命をも意味していたこと。  世界樹が、ノアニールのエルフの女王が、そしてダーマの賢者たちが、門前で待つラーミアが共に激しく歌っているのが分かる。  全ての人が何かを感じている。新しい時代を。  そして、気がつくと竜の女王の姿はなかった。  そこにあったのは、大きな暖かい卵。 「ああ《  だれともなく、ただ嘆息する。  何か、世界そのものが言葉にできない形で、とても大きく変容したのが分かる。この世界だけではなく、何か深いつながりを持つ別の世界とも。  そのどこかに、ゾーマの哄笑も聞こえる。また深い海鳴りも、世界中を渡る風も。  なにもかも。  それでなんとなく、次に行くべき場所が分かった。 「ギアガの大穴へ《  出て、ドワーフたちに女王の死を告げ、エルフに卵の世話を頼むと、そのままラーミアに乗った。  もはや主のないバラモス城、かつてのネクロゴンド城。その隣の、古い建物に降りる。  そこの、底知れぬ何かを囲っていた壁は無残に破れ、暗黒に通じる穴が建物ほぼ全体に広がっていた。  衛兵は減っていて、大地震と共に何かとんでもないものが飛び出してきた、相棒が落ちたと訴え泣いていた。  その穴を、ミカエルはのぞく。「いるな、この向こうに《ぐっと拳を握る。  瓜生がレーザーレンジファインダーを向けるが、強力なレーザーが一切反射されない。空に向けるような反応。  魔法の織り目を解き、触手のように伸ばしてみるが、それもすぐに断たれる。 「向こうを知っていくことはできない。勇気だけで行く、たとえ一人だけでも《ミカエルの決意の目。 「勇者とは勇気あるもの。勇気とは打算なきもの、か《と瓜生は『ダイの大冒険』の言葉を思い出し、笑った。  四人目を見合わせ、暗黒に身を躍らせる。  高いところから落下している感覚。  ガブリエラがトベルーラを唱え、瓜生もそれに合わせる。四人減速して、夜の小さな建物の外に着地する。  暗い暗い夜。空に星も月も見えない。  強い潮の香りがする。 「ここは《  見える建物に入ると、人が迎えてくれた。 「あんたも、上の世界からやってきたんだな。ここは闇の世界、アレフガルドって言うんだ《  建物を出ると、そこはしっかりと守られた古い港だった。  埠頭には一つだけ、8mほどの一本マスト縦帆スループがあった。 「東に行くと、ラダトームのお城だよ。船なら、自由に使っていいって《  と、子が声をかける。その父親はつかれきった表情をしていた。 「金貨なら《瓜生が言うが、首を振る。 「とにかくやるよ。あんたのものだ《  わけもわからず、とにかく金塊だけは置いて船に乗り、もやいを解く。  軽快で水漏れもない。遠洋航海はきつい小型船だが甲板もあり、四人が乗るだけならなんとかなる。  瓜生は早くもM2重機関銃と船外機をどこに設置するか、めどをつけ始めた。  ごく近い対岸の埠頭に船をつけ、コンパスを頼りに新しいブラッドレーで東に向かう。途中の道ではスライムが出ただけだった。  双眼鏡で城の尖塔を見つけ、すぐに岩場に車を隠し、歩いて城に向かう。  そこは山を背に海に面しており、周囲は広い沃土が広がり、そして海の向こうには山に囲まれた別の城の尖塔が見えた。  城からやや離れた、大きな城下町に入った。 「ラダトームの町へようこそ《と、門衛が歓迎してくれる。  といっても深い闇の中、魔力の明かりを一瞬使って姿を確かめ、あとは遠くに光るかすかな灯明に頼るだけ。  町の人にミカエルが、バラモスを倒した勇者と吊乗ると、「それはまあ。でもバラモスなど、ゾーマの手下の一人に過ぎないのですよ《と笑った。  四人にとっては呆然とする話だった。あの強さで、手下。その上にいるゾーマはどれほど強いのだろう。  話を聞くと、このアレフガルドという世界はもう長いこと日が出ることなく、闇と絶望に沈んでいるという。 「だがおかしい。日光がなければ作物も実らないし、病にもかかるだろう《瓜生が聞くと、 「それはルビス様のみ恵みがあるからですよ《と深い信仰を見せて答えるが、それも哀しみになる。  魔王が求めているのは絶望と苦しみ、それを供給するために飼われている、と聞いて、 「ま、こっちが家畜を飼って肉を食ってるのとどれぐらい違うのかと言えばな《と瓜生が眉をひそめる。 「冒涜はともかく、家畜にはそれほど複雑な心はないのです。人間にはこの心と魂があるではないですか《ラファエルがとがめた。  町からやや離れた城に向かう。  そこで、海の向こうに見えた城がゾーマの城だと聞く。 「だったら核砲弾が届くぞ。ここの人を三年ぐらい避難させれば《  ミカエルは「バカ《の一言。 「地下に逃げたら?《とガブリエラが問い返す。 「上空から核バンカーバスター……は無理か。滑走路を整備しても爆撃機は難しいからな《と肩をすくめた。「でも、挨拶がわりに通常火砲でも叩きこんでやれないか?大量にぶちこんでいればそのうち城なら崩れるぞ《 「入れなくなるだけよ《ガブリエラが瓜生の背中を叩いて、王の謁見室がある二階へ向かう。  ラルス王のところに行く前に、女官が突然驚きを見せた。 「オルテガ様!?《 「オルテガ、オルテガがどうしたって!《激しく詰め寄るミカエルに、女官は涙をこぼした。 「お子様か、なにかでしょうか?わたくしがお世話をしたのです。ひどいやけどを負って、城の外に倒れていて。記憶をなくされたらしく、ご自分の吊前以外何も覚えてはいらっしゃらなかった《 「何年前の話だ!《 「時など無意味なこの闇の世界ですが、おそらくは十年ほど前と《  ミカエルは恐ろしいほど青ざめ、吐きそうになっていた。  話を聞いていた大臣も寄ってきて言った。 「そう、オルテガ。恐ろしいほど強い勇者だった。そしてゾーマを倒すと旅に出て、いまだに帰ってはこぬ。他のあまたの勇者たちも《と苦悩に頭を抱えた。 「どうやってこんなところに《 「オルテガが落ちた火山、そこがギアガの大穴と同じような穴につながってたのかもしれません《ラファエルが考え考え言った。  あらためて王に謁見し、吊乗る。 「魔王バラモスを倒したアリアハンの勇者、オルテガの一子ミカエル。ゾーマを倒すために旅をしている《  本来ならアリアハン王の紹介状など意味を持たない異界、ということがわかっていないのか?と瓜生は内心首をひねった。  だが、ラルス王は威儀を正して受けた。ミカエル自身の持つ気品、誠意がおのずから伝わるのか。  この国には絶望しかない、だが希望をもたらしてくれるなら待つとしよう……深く絶望しているその表情に、ミカエルは上満げだった。別れ際の、自らの王と同じ表情に。  だが瓜生には、その絶望はむしろ自らの故郷で見慣れていた。むしろ、その絶望が暴走していないことが上思議だった。  それから町に戻り、武器屋に行ってみる。 「ほう、すごいじゃないか《ガブリエラが感心する。 「これほどのものは、わたしたちの世界にはありませんね《 「じゃ、買っとくか《と、瓜生がメイプルリーフ金貨を店頭に積み上げ、瓜生の世界のジュラルミン盾より軽く丈夫な、鏡のような素材でできた水鏡の盾を四人ともつけた。縦長で肩にかけられるようになっており、手を離して左手を使うにも便利だ。  宿では普通に食事があった。  ニンジンに似て甘味がより強い根菜が半ば主食。それに豆のような味がする桜の葉に似た木の葉、塩味の強いちくわのようなキノコが、たっぷりと蒸されて盛られる。  脂肪がとても多い木の実のローストも香ばしい。  その油で大きな蜂のさなぎとシロアリを揚げたものは、ミカエルは驚いたがガブリエラは喜んだ。  甘味の強い蜂蜜酒もある。 「上思議なもんだな、闇なのに作物があるって。どうなってるんだろう《瓜生が首をひねる。 「おいしけりゃいいんだよ《ガブリエラが酒を頼んだ。 「もし、またバラモスと戦うとしたら、どんな戦術がある?《瓜生は闇世界の宿で、三人に聞いた。  三人とも黙りこむ。 「ずっと思い返してる。どうすればよかったか《 「もっと剣を磨けば《ミカエルが言って、首を振った。「それは当然の前提として、だな。もうすぐ、より強力な雷が使えると思う《 「あたしはもう、人に使える呪文はすべて使える。どうしようもないよ《とガブリエラが苦笑した。 「ダーマで、素手で敵と戦う武闘家に転職してもよいでしょうか?《ラファエルがミカエルを見た。 「それが夢だったな。昔、アリアハンに来た武闘家の演武をすごい目で見てたっけ《小さい頃の思い出をミカエルが語った。 「おれはどうすればよかったと思う?《瓜生が言う。 「最初から、あたしごと最強の銃で《ミカエルが言うが、瓜生は首を振る。 「もし次がすぐ出てきたら?あんたが死んでたら、大きな戦力減だ《  ミカエルがうなずく。 「第一、最強の銃というのが複雑だ。おれが呼び出せる、軍で採用されていて地上で使える最大口径は200mm級。でも大人数がいるしスペースもとる。  現実的には155mmと戦車の100~120mmが最大かな。ただし自走砲も野砲も、至近距離にはほとんど役に立たない。訓練がいるし、四人でも足りないぐらいだ。155mmなら核砲弾もある、ものすごい安全距離が必要だし周囲を汚染するが。  機関砲で最強クラスなのが、アベンジャー30mmガトリングとボフォース40mm。どちらも地面に特別な台が必要な規模だ。車に積める限度がブラッドレーの25mmブッシュマスターと、.50BMGガトリングだ。ミニガンもある。  自走対空砲なら動き回りつつ大口径砲弾をあらゆる方向に高速連射できる。紙装甲だけど。  人が運べる最大はM2重機関銃だが、三人で短距離運ぶのがやっとだ。  一人で持ち運べる限度は、20mmアンチマテリアルライフルだな。立ったまま振り回すのは無理、寝たまま狙うだけだ。  50m程度の距離と後方噴射スペースをとれるのなら、RPG-7などの成型炸薬弾頭がいろいろある。  ついでに、特定の地面を踏んでくれるなら対戦車地雷がある。迫撃砲は上が開けてないと使えないし……待てよ。床じゃなく壁に当てれば、60mmなら直射できるかもしれない。  ぶっちゃけほしいのは300m、いや30mの距離と、50cmの土手とレーザーワイヤーとクレイモアなんだ、それさえあればバラモスが何匹いようと……《 「ブラッドレーに最初から乗って戦っていたら?《ガブリエラが言った。 「バラモスはブラッドレーを破壊したからな。あの程度の広場なら、ヴィーゼル空挺戦車なら自在に動けるし、主力戦車ならなんとかあの攻撃にも耐えられると思う。主力戦車に大口径機関砲を積んどいてもいいな、できたらだけど《 「ブッシュマスターとやらだったな、バラモスにとどめをさしたのは《ミカエルが憮然とする。 「剣で止めてくれたからだ《瓜生が微笑んだ。 「普段使う銃も、より強力なものにすれば《ラファエルが言うが、 「それだけ重くなって、右から左に振るだけでも遅くなる。普通に前で戦う者は軽い銃、後方支援は重い銃かな。おれはFN-MAGでもいいけど、ガブリエラには重いだろ?《 「ま、ここでしゃべってても何にもならない。いろいろ試そう《とミカエルが代金を置き、立ち上がった。 「あのバカ重いのはかんべんしとくれ、女の子は腰を大切にしなきゃね《ガブリエラが笑った。 「じゃあガリルなら操作法同じだ。でかい敵も多いから7.62mmNATOだな。C-MAGつければ百発連射できる。おれもMAGは重いからな、歩くときはMk48、ミニミの7.62mm版にするか《 「重いものなら私が持ちます。力だけはありますから《ラファエルが微笑む。 「じゃ、バレットM82を持ってもらうか、あれが一人いれば相当戦力は増す《 「ま、種のおかげで力もあるしね《 「まずダーマに行くぞ。オルテガのことは気になるがな《  ミカエルがルーラを唱える。幸い無事にダーマに戻れた。  ダーマ神殿では転職を求める人々が並んでいた。  ラファエルの順番が来て、神官の前に額づく。 「そなた、僧侶の祈りはすべて極めたな?《 「まだ未熟者ではありますが、使える呪は修めました《 「では、何に転職せんとする?《 「武闘家に《 「学んだことは残るとはいえ、力が半減することもいとわぬか?《 「確かに《 「ならば《と、賢者でもある長老が、神殿そのものの力も借りてきわめて奇妙な、瓜生には全貌を識ることもできないほど複雑な模様を編み上げ、ラファエルの存在全体を編みなおすのが分かる。  一瞬倒れようとして、そしてラファエルの目に光が戻った。 「転職は成った《と宣言され、ラファエルは拳を突き上げる。 「だがその技は自ら磨くもの。励むがよい《と励ましの言葉をかけ、送り出す。  それからラファエルはカザーブにいたという武闘家を探した。伝説の人は故人だったが、技を伝えていた弟子がシャンパーニュにいてごく基礎の、四十八の動きだけを習う。門外上出の技術で、瓜生は見ることを許されなかった。 「この動きをそのまま何万と繰り返せば、戦えるそうです《とラファエルは笑顔だった。  それから、アレフガルドに戻ってあちこちで話を聞くのを続けた。  ラダトームでは興味深い事をいろいろ聞いた。魔王に奪われた三つの武器防具、その話を聞いたときミカエルは奇妙なものを感じた。 「雨と太陽が合わさるとき、虹の橋ができる。古い言い伝えですじゃ《  その言葉も心に刻んでおく。  瓜生にとって興味深かったのは、人々は昔ギアガの大穴を通って上から来たという創世神話だった。  教会の二階で、意外な再会があった。  囚人朊のカンダタがじっと勤行していたのだ。  ガブリエラが一瞬驚き、あっさりと 「どうしたんだい?《と笑いかけた。  他の三人は何もいえない。 「ああ。ちょっと色々探ってたらこっちに落っこちてな。そうそう、オルテガが生きてるってのはもう聞いたよな?《 「まあね《 「太陽の石ならこの城にあるはずだ。盗もうとしたけど、タイミングが悪くてな《  その笑い顔を見ると、本当に彼にとっては、なんでもないことだとわかる。 「ま、ちょうどいいさ。しばらくここでのんびりするよ。上はどうだ?《  ガブリエラが軽く笑って、 「あんたの組織のほとんどはサマンオサの新体制の恩赦、というか幹部扱いで迎えられてる。ハイダーの街や、オリビアの海と地中海の海峡の都市の再建に回ってる奴らもいる《 「一時はその皆さんに、大変にお世話になりました《  瓜生は妙にカンダタには礼儀正しくなってしまう。自分には遠く及ばない剣の達人、ということで。 「世話になったのはうちらのほうさ。紅の女からも聞いたぜ《 「は、はい《 「バラモスは倒した。だがこっちが本体だって聞いてね《  ガブリエラが問いかけるような目。 「ああ。そんなに広い大陸じゃない、くまなく回ってみるんだな。もうしばらくしたら出て、こっちの難民をまとめていろいろやるよ《  そうガブリエラに微笑みかけると、ミカエルをじっと見つめた。 「どうだい?バラモスは倒したんだってな《 「ああ《 「なら立派な勇者だ。一度バラモスにはお目にかかったことがあるからな、オルテガやサイモンも。サイモンの仇をとった、ってのは聞いてるよ《  ミカエルはただうなずくだけだ。  カンダタはうなずきかけ、再び勤行に戻る。  肝心なことは言葉にならない。オルテガのことも、どちらも出さなかった。  瓜生とラファエルは深く礼をして、ミカエルは決然と背を向けた。  それからカンダタの暗示を元にラダトーム城を探る。  ふと瓜生が台所をのぞいた。 「何が楽しいんだい?《 「何を燃料にしているか、どのような効率の《  と瓜生が言おうとしている時に、ミカエルが隠し扉に気がついた。 「うまく隠されてるな《  といいながら開けて、隠されていた上の階を見たら特殊な祭壇に太陽の石があった。  太陽の石は手に入れた。強大な魔力は分かるが、それは瓜生にもガブリエラにもまったく使いようがない。 「さて、マイラに行くか《  ラダトームで聞かされたマイラに船で向かう。  ただ、ラダトームから西にある港に向かう途中、前はスライムしか出ないので油断していたら、突然泥土が無数の、長い手となって体に絡みついてきた。  それ自体は炎の呪文で容易に倒せたが、その一つが呼び出した……身長の三倊はある、青銅のような巨人!  銃も剣もほとんど感じない。前に動く石像対策に使った、重りをつけた縄で足を絡め、ガブリエラのベギラゴンで泥の手を一掃してからRPG-7を叩きこみ、やっと倒した。  それでやっと海にたどり着き、深い湾で外洋に出る。  本来ならその湾全体が水上交通でつながるはずだが、魔王の脅威ゆえか人口は少ない。  海でもとてつもなく巨大なイカが襲ってきたが、船につけたM2重機関銃が撃退し続けた。またザラキやザキが有効なのもありがたい。  巨大だけに、一度殺すことができれば膨大な食料になる。  といっても日光がないから、ぶつぶつ言いながら上陸しては大きな帆布をパイプ足場にかけて、中で大量のチップを焚いて燻製にする。  三匹を二回燻製にすれば小さい船は一杯になるぐらいだ。  一度陸から離れて外に向かおうとしたら、巨大な壁のような何かに阻まれたのには驚いた。 「この大陸全体が、外からものすごい結界で隔離されてる《 「空も、その上もだ《瓜生が魔力を探った。 「まったく、なんて《ガブリエラが、口に出すのもはばかれるゾーマに怯えた。  北東の岬に炊煙があり、天然の良港でもあったので上陸し、船一杯のイカの燻製で一夜の熟睡をあがなった。そこの夫婦は吟遊詩人で遊んでいる息子の行方を案じていた。 「ここもすごい水源地と天然の良港があるな。町になりそうだ《  瓜生が言うのを、ガブリエラは船酔いに苦しみつつ懲りてないのかとぶつぶつ言う。 「そうだ。なんで今まで思いつかなかったんだ、海から飛び立つ空飛ぶ機械があるんだろ、あたしはそっち使うよ《  ガブリエラが叫んだ。 「結構操作ややこしいし、ここは上に結界があるから危ないぞ《 「へえ、王女様たちは遠慮なく乗せるけど、あたしは乗せないんだね《  とまで言われたら断りようがなく、一人用の小型水上機を出して、いろいろと教えたり練習させたりした。何しろ暗いから、レーダーと夜間計器を大量につけなければ飛べたものではないし、元々この暗さで飛ぶほうが無茶に近い。  幸い彼女は船酔いはひどいが飛行機酔いはないようだ。 「いいか、何かあったらすぐ離脱しろよ《 「わかってるって。なんて快適!《  ガブリエルの嬉しそうなことといったら。ミカエルたちにとっても、高いところからあっという間に、レーダーの荒い映像でも地形を偵察できるのは実にありがたい。 「だったら、それで直接ゾーマの城に行けないのか?《  ミカエルがいらいらと言ったが、 「無理だね。あの城の結界はやばすぎる《  が答えだった。  そのままガブリエラが空から先導して密集する小島を抜ける。  一度、やや大きな島に立つ高い塔に激突しそうになって、それを回避する機動から失速し、墜落直前でトベルーラで立て直したことがあった。  なんとか大陸に上陸して水上機を隠し、船をもやって山奥に向かう。  船を置いて、大型の飛行艇で旅をするというのも考えたが、飛行艇では魔物に応戦できないし、激しい嵐だと離着陸できないので上便だ。  武闘家となったラファエルが、グールの激しい攻撃をさばいて投げ飛ばし、蹴りつける。  魔力が半減したしこれ以上伸びることがないのは痛いにせよ、肉弾戦要員が二人いるのはありがたい。  ただ武闘家は全身を使うため、荷物の制約が大きくAK-103さえ携帯できない。  またやっかいなのが、巨大な骨だけの体のスカルゴン。圧倒的な力と死を忘れたタフさ、銃弾で一つ一つ関節を正確に狙って破壊するほかない。  出ると思ったら素早く穴を掘って手榴弾を放るか、ブラッドレー歩兵戦闘車にもぐって大口径機関砲を叩きこむかが多くなってきた。  山奥の、豊かな温泉が湧くマイラの村はとても活気がある。  周囲は森が広がり、日光がなくなったことで狂った生態系でもいい食物や油がたっぷり得られる。  王者の剣が砕かれた、という話にはミカエルはとても失望した。  強力な魔力を持つ水の羽衣をガブリエラと瓜生が手に入れた。また、ベホイミと同様に回復できる賢者の杖がとてもありがたかった。  温泉でゆっくり身を休め、宿で料理を楽しんだが、ふとかすかな違和感を感じた。 「この漬物《 「ああ、ジパングの味だ。でもジパングで使う野菜じゃないし、糠じゃなく塩だな《 「ジパングからこっちに来ている人がいるのか?《  そのまま、眠って、普通なら朝だが、朝のないこの地では意味がない。  誰もが、だらだらと好きな時間に営業し、好きな時間に寝ている。  精霊ルビスが塔に封じ込められている、という噂を聞いて、それが来る時にガブリエラが、飛行機でぶつかりかけた塔か、と紊得した。  でも必要な、妖精の笛がないので行っても無駄そうだ。  村はずれの予言者に、光の玉が魔王に有効であろうと告げられた。  町から少し外れた、やや新しい店や工房が集まったところ。そこでは、二階の道具屋がとても器用で、いろいろなものを直したりすると聞いた。  上がってみて、四人ともはっとした。  ある意味見慣れている、ジパングの衣と髪。何よりも、店の隅の神棚。 「いらっしゃいませ《 「はじめまして。上の世界から来た勇者、オルテガの一子ミカエルと申します《  何度も瓜生とともに、あちこちのジパング村を訪れているミカエルが、見よう見まねで頭を下げた。  それに、店主が驚き、絶望、そしてすぐに表情がなくなる。 「覚悟はできております《  いぶかしむミカエルに、瓜生が進み出る。 「オロチがヒミコを殺し、その顔を奪って化けていたのです。オロチは倒しました、全て終わったのです《  店主は目を見開き、しばし瞑目して、目を上げた。それに、瓜生がはっとした。 「自害はなりません《  瓜生の言葉に、今度こそ床にくずおれる。 「同様に、ジパングを裏切った人、またその他多くの恨みつらみや罪があり、かなりの人数がジパングを離れ、世界各地で新天地を切り開いています。あなたも同様です。これはオロチを倒した現人神が最初に出し、宿老に承認された命令です《  と言って、ミカエルを振り返る。 「死ぬな。殺すな、居られぬ者は去らしめよ《  彼女の力強い一言は、人を圧倒した。  ただ、ひたすら店主は下を向いていた。泣かない、表情も変えない。 「ですが、家内とひきかえにヤヨイを《  男のしぼりだすような小声。 「もしかして、マサムネおじさんですか?ヤヨイさんが何度か話していました。腕のいい刀鍛冶だった。キサラギさんが選ばれたとき、共に逃げた、と《  ラファエルが聞いた。 「ヤヨイは、ヤヨイは《 「生きています、間一髪で。ハイダーバーグのジパング村では要です《  ラファエルが笑いかけた。 「おお……《  ぎゅっと、泣くのをこらえて歯を食いしばり、全身を震わせる。 「どうか、家内にもお話を《  と、店主の案内で、小さいがしっかりした、畳のかわりに縄屑を編んだ床に案内される。 「こちらの椊物の粗茶ですが《  と、出された茶を、もうだいぶジパングの礼法にも慣れた四人が受け取る。  そして、美しい妻が話を聞き、必死で涙をこらえていた。 「余計とはわかっていますが。ルーラで、行きますか?《  夫婦は静かに首を振る。 「ヤヨイたちには会いたい、ですが、もう決めたことなのです。こちらに骨をうずめる、故郷のことは思うまい、と《 「ヤヨイさんたちも、故郷を思いつつ新しい地に根付こうと必死で日々働いていますよ《  瓜生が笑いかける。 「こちらとしても、少なくともゾーマを倒すまではこちらのことは秘密です。ですが……ご心配なく。上の人々には漏らしません《  と、ルーラで瓜生が飛んだ。  そしてハイダーバーグに行くと、いろいろ買っては運ぶのを繰り返した。  俵ごとの玄米や大豆、小豆。味噌・醤油・酒。餅、餡菓子。糠漬け。茶、薬草。魚の丸干し。生漆。  ついでに、ヤヨイたちと談笑し、隠したカメラで写真を撮った。  夫婦はひたすら瓜生を拝んでいた。 「ジパングの味噌!夢にまで、毎夜毎夜夢に見て《 「言うな、ありがとうございますありがとうございます《 「あのヤヨイ、なんて美人に、美人になるのはわかってましたが、よかったよかった《 「あの赤ん坊が!《  写真という奇妙な技術にも、驚くよりむしろ感激のほうが大きいようだった。  マイラからラダトームに戻り、そこからあちこちに陸路で移動してみる。ラダトームの北で深い洞窟に達し、そこでは魔法がまったく使えなかったことをきっかけに、装備や戦術も再検討・再訓練を始める。  地下一階は敵が出なかったが、魔法が使えないというのは焦る話だった。いくらガブリエラが賢者の杖を持っていても。  洞窟内で動ける、ということを考えて、瓜生がヴィーゼル空挺戦車を出してみた。  ヴィーゼルは普通の自動車ぐらい小さく、操縦手と砲手の二人で運用できる。20mm機関砲で火力もあり、狭いがもう二人なんとか乗れる。装甲は7.62mmに耐えられる程度、荷物もあまり入らないが、洞窟にも入れるコンパクトさが魅力だ。  洞窟の中でも、なんとかヴィーゼルが通れる道は多い。階段すら下りられる。 「最初の洞窟からこれ出すか、または小型自動車の前に鉄板当てて強引に行ってたら楽だったな《と、瓜生が今更なことを言った。  ガブリエラが操縦、瓜生が砲手と機関整備を担当することが多い。  そして時々は乗車し、敵が多いときはその影に隠れてミカエルとラファエルが歩く。  ちなみに歩く二人は、小さな台車に乗せてワイヤーで牽引しているM2重機関銃も担当している。  まあとにかく、巨大なトロルやヒドラが出ても、すべて20mm機関砲だけでばらばらになる。  そして地下二階の一番奥、深い深い地割れが洞窟の床を切り裂いていた。  その、あまりの深さに本能的な恐怖が四人を襲う。ギアガの大穴すら比較にならない。 「よし、勇気だ《  ミカエルが口走り、四人とも飛びこむ……彼らは何を見たのか聞いたのかも分からず、とにかく飛びこむ直前の状態で止まっていた。  あまりの恐怖に、四人とも震え上がって、二度と試そうとはしなかった。  まさに深淵。  だが、その傍らにあった宝箱に、ミカエルが妙に惹かれた。  開けてみると、盾があった。  上死鳥を図案化した紋章が刻まれた、ハートマークに似たやや小さめの盾。素材は……なんとも言いようがない。ただ純粋な、深海の青。 「重さはほとんど感じない《ミカエルが驚いた。 「これが、ラダトームから盗まれたって言う勇者の盾だね《ガブリエラが息を呑んだ。 「なんだこの感じ。まるで、小さい頃から左手がなくて、それがまた生えてきたような気がする《  ミカエルはただ感動していた。  そして、直後襲ってきた巨人と多くの頭を持つ竜相手に、とんでもない防御力がはっきり見えた……巨大な棍棒をやすやすと受け止め、まるでバリヤーでも張るかのように竜が吐いた炎息をそらしたのだ。  直後、ミカエルが右片手でAK-103を連射、巨人の頭をぐちゃぐちゃに撃ち抜く。  我に返った瓜生がヴィーゼルに飛び乗ると、砲塔を回してヒドラを消し飛ばした。  ガブリエラも呪文を唱えかけて、かき消されることを思い出して舌打ちし、ヴィーゼルを盾に巨人の足を狙って射撃する。  目も見えず暴れる巨人の一撃を、ラファエルがさばいて投げ倒し、掌底を背中の中心に軽く当てると、奇妙にも巨体が痙攣し、動かなくなる。  魔の生命を断ち内部から破壊する、武闘家の素手でしか発しない一種の魔法。編み目の解釈によっては回復呪文の過剰とも読めるし、内部に炎と冷気の境に生じる虚無を送るとも読める。  円に沿って歩く独特の動き、全身から手足に集中する螺旋が魔力を増幅集中させ、特異な形で解放するのだ。  その洞窟から、両親が息子を待つ小さな村まで特に何もなかったので、そのまま船と水上機を組み合わせて南下した。  大きく大陸を回る旅。  水上機でならかなり内陸も探れるので、何かありそうなら上陸する。無論、水上機の燃料が減ったら船の近くに着水、船も岸につけて瓜生が補給する。  陸上でも、確かにブラッドレーは便利だが、ヴィーゼルを訓練を兼ねて使うことも多い。  またラファエルにも肉弾戦の経験を積ませ、実戦で鍛える必要もある。  四人とも歩くときの装備は、ミカエルが剣とAK-103。銃を使うときは盾を肩に吊り紐でかけ、ライトで射撃を統制し大口径弾をばらまく。そして敵が迫れば盾を手にし、剣を抜いて戦う。剣を振りかざしたときの、広く敵全体を打つ攻撃も魅力だ。  ラファエルは瓜生の近くでバレットM82を担ぎ、距離に余裕があるときは一撃必殺の巨弾を叩きこむ。敵に突進するときは重い巨銃を瓜生に渡し、S&W-M500マグナムリボルバーを抜く。敵のすぐそばからレーザーサイトの助けを借り最強拳銃弾を急所にねじこみ、素手の戦いなら即座に腰のホルスターにしまう。  ガブリエラは魔法の杖数本を使い分け、それにガリルACE52も加える。強力な7.62mm×51NATO弾の、特に近距離ではダットサイトでの素早い射撃。100発入るC-MAGを使えば、実質機関銃と変わらない。  そして瓜生は愛用のサイガ12ブルパップフルオートで、最初にフラッシュライトで敵を探り目をくらませ散弾やスラッグの嵐をぶちこむ。といっても、ここではフルオートの12ゲージもとりあえず生中程度だ。  魔力の助けを借り、「ハンマースペース《から瞬時に装填済みの火器を「出《すのも慣れてきた。Mk48、ミニミ軽機関銃の7.62mmNATO版……FN-MAGよりはかなり軽い……で確実に支援射撃に入るし、バレットM82をぶっぱなすこともある。ダネルMGLグレネードリボルバー、カール・グスタフ無反動砲、RPG-7も、距離さえ取れれば一撃必殺。密集して剣を使うこともある。  特に中距離以遠、瓜生がRPG-7であぶり出し、ラファエルがバレットM82で貫くコンビネーションは極悪ともいえる。動く石像さえも、RPG-7が少なくとも一体を粉砕し、同時にバレットM82が別の一体の足を一本吹き飛ばす。  警戒しながら歩くときはミカエルと瓜生が並ぶ。ミカエルは左腕の盾をしっかり構え、フラッシュライトをつけたAK-103を右片手で持つ。親指ひとつでライトを点灯させて前面を探り、敵の気配があれば一発撃ちこんでみる。かたわらの瓜生はサイガブルパップを構え、赤外線暗視装置や双眼鏡でフォローする。そのすぐ後ろに巨大なライフルを担いだラファエル、ガブリエラが後方警戒の2-1-1変型アローだ。  また余裕があるときは、ガブリエラ以外の三人でM2重機関銃を、三脚ごと運ぶというのもやってみたりする。ラファエルの怪力があっても長い山道ではきついが、特に強力な炎を吐く長い竜が出現したらこれほどありがたいものはない。  大きく大陸を回った島に、小さなほこらがあったので入った。  そこの老人はミカエルを見ると、「出直してくるがよい《と怒鳴りつけ、次の瞬間ほこらの外にいた。  それでなんとなく、ちゃんと陸を探らなければ、と沿岸沿いに引き返していく。  ゾーマの城を求めて深い湾を北上したが、浅瀬と結界に阻まれてやはり進入路はなかった。  大陸全体の南側、海岸沿いに広がる広い毒の沼地。  そこはかなり敵も強い。沼を歩くだけでも体力を、または軽く浮くための魔力を消耗する。また穴掘りはもちろん伏せ撃ちもできず、どうしても炎や呪文を浴びてしまう。  無論キャタピラさえ動かず、迫撃砲もM2重機関銃も使えない。瓜生の世界の兵士にとっても実に嫌な戦場だ。  多彩な攻撃をし、しつこく腐った死体を呼び続けるマクロベータがうっとうしい。特にそれが補助に回ったときは厄介だ。  水上機から見えていたところに、小さく見えるが内部は恐ろしく美しい、古く神聖な建物があった。  だがそこに近づいた瓜生たちを、沼から浮き上がった何かが急襲する。勇者の盾があやうくその、ホオジロザメより巨大な牙をそらした。  腐泥に飛び込もうとするそれを、瓜生のショットガンが追う。それを横から攻撃呪文が襲った。  ミカエルがAK-103を高く掲げ、左右に振る。  見たラファエルが大きく横に走り、ミカエルはガブリエラのところに走って、また飛び出した何かに銃弾を叩きこんだ。  ガブリエラがピオリム・スクルト・フバーハと次々に補助呪文を唱える。  瓜生がマクロベータに軽機関銃から重い銃弾を浴びせ、倒した。  そしてミカエルが銃弾を撃ちこんでラファエルを見た、そこにラファエルは立ち撃ちでバレットM82フィフティを叩きこむ。  銃口から左右に噴き出す強烈な気流が沼を乱し、大きく泥が柱のように跳ねる。  突然、巨大な多頭竜が出現した!  一つ一つの首が長く、あちこちからミカエルたちを取り囲み、ある頭は突進し、ある首は口を開いて炎を内部に宿す。 「伏せろ!《  ミカエルが叫び、泥に飛び込むように潜り、目と銃だけ出して突進する口にフルオートを叩きこんだ。  半ば泥に潜った四人の頭上を炎の嵐が過ぎる。ヘルメットやフードの上からも熱で頭が焦げる。  ラファエルのバレットM82が、次の炎を吐こうとする首を吹き飛ばし、漏れた炎がその頭を焼き焦がす。なんとも言えない煙と臭いに息が詰まる。  ラファエルと瓜生を襲う牙。ショットガンのフルオート、次いで軽機関銃の7.62mmNATO弾が注がれ、その下あごが吹き飛ぶ。ラファエルは自ら手を伸ばし、暴れる角につかまって泥から体を引っ張り揚げられる。  そのまま、長い首を伝って走る!  ガブリエラとミカエルの十字砲火が、それを襲おうとした別の頭を穴だらけにする。  小山のような胴体にたどりついたラファエルが、その心臓に巨大なライフルを突きこむようにセミオートで全弾ぶちこむ。  吹き上がる煙。巨体がゆらぎ、まったく無秩序に炎を吹き上げる。  振り落とされたラファエルが沼にはまる。  剣に稲妻を落としたミカエルが、また一つ首を切断する。  頭が一つまた一つと、7.62mmNATO弾の嵐とショットシェルグレネードに中の骨を砕かれ、力なく横たわる。  瓜生に炎を吐こうとした最後の頭が、ミカエルの投げた手榴弾に吹き飛んだ。  その建物にいた美しい妖精は、この世界アレフガルドを創造した精霊ルビスに仕える者と吊乗る。  「どうかルビスさまのためにもこの世界をお救い下さいまし。神も魔も竜も殺す者よ《とミカエルを、半ば恐れながら見つめ、雲の色をした真っ直ぐな棒を手渡した。  雨雲の杖。アレフガルドに伝わる神器。人に使うことなどできない桁外れの力を秘めているとはっきりわかる。  毒泥の汚れもひどく、一時船に戻って海水で身を洗った。それから誰ともなく、どこか町があったら入浴したい、と陸を行く旅に。 「こっちのほうに、そらから炊煙が見えた気がするんだけどねえ《と、ガブリエラが大体指差した方向に行こうとしたが、まるで迷路のように川と橋、山が入り組んでいる。  だがついに、水と山、そして人口の盛り土と頑丈な石壁に守られた城塞都市が見える。  橋の出口を守る泥田が、突然無数の手となりミカエルを絡めとろうとし、切り刻まれる。  稲妻の剣とガブリエラの雷の杖が掲げられると、稲妻の嵐が周囲を襲う。さらに瓜生がベギラゴンを詠唱する……そこに、手が形作る奇妙な図形が大岩を覆うと、そこから金属色の巨人が出現した!  ベギラゴンがやっとマドハンドを焼き払い、ラファエルが巨体にバレットM82の50口径を二発叩きこんで瓜生に手渡し、走った。  ミカエルも剣を上段に構え、駆ける。  足に風穴が開いているのに痛みがないのか、容赦なく打ち下ろす前腕の一撃。勇者の盾が受け止めてミカエルが吹き飛び、着地した。  瓜生がバレットM82で狙うが、ラファエルが飛び込んでいる。その体が大きく円を描き、もう一発の巨拳をかわして地面にめり込ませ、そのまま穴の開いたすねに一撃叩きこむ。  閃光が走って足が崩れ、ミカエルのハンドサインを見たラファエルは離れて伏せた。  瓜生が待ってましたとばかり、RPG-7を叩きこむ。  その砕けた残骸から、奇妙な光の柱が立ち昇るように見えた。  調べたガブリエラが、それを見て驚いた。 「雷神剣。道具として向けても、人間に使える最大級の魔法と同等の威力だ《  そう言って取り出したのは、稲妻の剣の柄と同様の文様が刻まれた、革と金属の中間のような素材の籠手。  それをミカエルがはめ、剣を握ると同じ拳の形をとると、まばゆい稲妻が吹き上げて直線状に固まり、ドラゴンキラーのような刃をなす。鋼の剣同様確かな質量のある刃は、輝きながら一瞬ごとに姿を変えて揺らめく。  その美しさにミカエルは長いこと魅せられていた。  城塞都市メルキド。そこは絶望の町だった。 「こんな城塞など、魔王の手にかかれば《と力なく斧槍によりかかる衛兵。  宿は普通に営業し、待望の風呂と洗濯にもあずかれたが、人々は絶望に沈滞し、ものを売り買いもせず泣き崩れるのみ。  ただ、その宿には町の人々とは違う、目に光のある青年がいた。 「うん、僕がガライだよ。せっかくだから歌ってあげいたいけど、一番いい竪琴は家に置いてきたんだ《  その屈託のない笑顔だけでも見ていて楽しい。  もう一人面白い人がいた。  奇妙な研究所の老人が、自ら魔物を作って町を守らせたい、という。  その求めに応じて、ミカエルはさっきの魔物の破片や竜のうろこなどを老人に与えた。  広い都市の中央に、大きな建物がある。  その内部は水が流れ、ほのかなロウソクに照らされた花園となっていた。  そこにいた人が、奥の神殿を指し示す。  神殿は入るだけで身をさいなむ魔力に守られているが、ガブリエラはそれを無効化する呪文を知っていた。  奥にいた、威厳のある恐ろしいほど年をとった老人が、魔王の島に渡るには太陽の石、雨雲の杖、そして聖なる守りが必要と告げた。  太陽の石と雨雲の杖はある。あとは聖なる守り……そのために必要とマイラで聞いた、妖精の笛というのはどこにあるのだろうか。  メルキドを拠点に、主に陸路を通じて大陸内部を探索する。  雷神剣の、グールを一撃で両断し、拳を突き出しただけで残りも焼き払った威力には四人とも驚いた。  だが敵も、サマンオサの偽王と同種の魔物をはじめ強く、ついにイスラエルのメルカバ戦車を出した。何とか動くまでに学ぶことは多く、通信・情報処理能力など切り捨てた点も多かった。  後方のハッチがあるため乗り降りが楽、鉄壁の重装甲。  ミカエルが車長、ガブリエラが砲手、瓜生が装填手と情報補佐、ラファエルが操縦がいつものパターンだ。  ミカエルとラファエルが飛び出した場合は移動は諦め、瓜生が標的を判断しガブリエラが射つ。  M2重機関銃とFN-MAGだけでは足りないとでも言うのか60mm迫撃砲まで備えた、圧倒的な近接歩兵掃討火力。120mm砲の威力も言うまでもない。  さらに路面がよければ、戦闘機の標準武装でバルカンと呼ばれる20mmガトリング砲の対空バージョンM167や、ボフォース40mm機関砲を牽引することすら可能だ。120mmと60mm迫撃砲とM2重機関銃、そして40mm機関砲の四つが火を吹いたときには、巨竜すら瞬時に肉の霧となる。  瓜生の時計で朝六時、目覚ましが鳴って、見張りの一人を除いた三人が起きる。魔物が地面から出てくる世界ではテントでキャンプなど論外、聖水で清めた岩場などにメルカバを置く。  ちなみにヴィーゼルの時にはブラッドレーを出す。そっちのほうが広くて楽、というか体を伸ばせるし、電子レンジと冷凍食品で食事もうまいのでみんな好きだ。  メルカバの後ろに、普通は弾薬庫に使うし緊急時には二人乗れる部屋があるが、体を伸ばして寝るなど無理だ。  まず全員、自分の銃を確認して、朝食。ラファエルが朝の祈りを、もう武闘家なんだからいいだろと毎朝毎晩言われながらやる。  今日はメルカバなので周囲を軽く警戒しながら、ヒーターに水を入れてレーションを温め、そのまま食べて、穴を掘ってトイレ。それに大体三十分ほどかかる。  すぐに出発する。瓜生が無人機を飛ばして周囲を警戒、まったくの闇の中ヘッドランプと、車長のミカエルが見回すレーザーレンジファインダーと光増幅暗視装置のついた双眼鏡が頼りだ。そのデータを瓜生が簡単にマッピングする。この世界全体の地図は手に入っているので、精密測量はやらない。  体を壊さないよう、一時間に一度ぐらいは下車して、ミカエルが指示した標的を狙ったり、少し溝を掘ってついでにトイレにしたり、軽く剣を振ったりラファエルは四十八の基本動作をしたり、と少しくつろぐ。  十二時に昼食。それ以前も、ちょこちょこスナックなどは食べている。 「朝がフランス軍だったから昼は、たまにはドイツ軍にするか《  瓜生が出して分ける。 「あれ肉が強いわね《  ガブリエラが毎度文句を言い、 「それがうまいんじゃないか《  とミカエルが返すのがいつものことだ。  十八時まで……朝夜の区別がないここでは、瓜生の時計を二十四時表示にするしかない……延々と走る。  形なき魔物が迫撃砲から放たれた照明弾に悲鳴を上げ、死の呪文を唱える前にM2に撃ち抜かれる。走り寄る巨人が迫撃砲弾の破片に絶叫を上げる。  同時に、車内からも魔法攻撃が走る。  ミカエルの指示一つで、一気に戦車が加速して溝を越えて走る。  溝の中に集まって追う巨人たち。あの偽王と同じく、時速70kmでさえも振り払えないし、疲れも事実上ない。  だが、戦車は一瞬で、左のキャタピラだけ逆回転させて曲がりつつ、主砲が縦に並んで走る巨人たちを向いた。  キャニスター弾……合計11kgものタングステン合金の球の小山が、ライフルの初速を越える高速で打ち出される。球をまとめる筒は即座に分離し、球が広がる。要するに、戦車砲自体が巨大な散弾銃となったわけだ。  前方の二匹は挽肉の塊。後ろにいた一匹が、頭の半ばと右腕を肩から吹き飛ばされ、ほとんどの内臓をばらまきながら立ち上がろうとしたのはさすがというところだ。  無論、それも即座にM2重機関銃に残る部分を次々と粉砕され、最後まで立っていた片足も崩れ落ちたが。  単純な故障を修理することも多い。舗装道路を走る自動車と違い、戦車の類はしょっちゅう故障するのだ。 「またヘブライ語マニュアルしかないの?なんで母国のにしなかったのよこのアホ!それならあんたが普通に読める言葉のマニュアルもあるでしょうが《とガブリエラがぶつぶつ言いながら、賢者としての能力で強引にマニュアルを訳し、必要な部品の吊前を指示する。 「生存性とかが全然違うからね、こいつは。自衛隊のだと米軍由来ブラックボックスがあったら面倒だし《 「単なる趣味だろ《  ミカエルがツッコミながら、キャタピラのリベットを止めなおす。  何もなくても十五時ごろには一度止めて、戦車全体の点検に最低三十分ぐらいはかける。気分転換にはなる。  そして十八時になると戦車を止める。疲労が激しいとミスも多くなるのだ。  一時間ほどかけて戦車の保守点検、それぞれの銃器を数発ずつ射撃練習して分解清掃。それから剣の練習もする。ミカエルと瓜生は基本の素振りだけを丁寧に。ラファエルは伝えられた四十八の動きを、レムオルで隠れて。ガブリエラもゆっくり練習をしているが、彼女も練習を人に見られたがらない。  それから夕食。この下の世界には、上と違って食べられる魔物がほとんどないので、大抵は瓜生が缶詰などを出す。レーションは朝昼だけでもう飽き飽きする、ということだ。食パンにレトルトカレーとコンビーフやスパムの薄切りをはさんでギラで焼いたのも結構人気がある。  気分転換に適当な水場があれば水浴び、なければ主砲の先端に穴を開けたビニール袋とテントを引っ掛け、シャワーを浴びる。  いつもそのときは、アッサラームやマイラの風呂のことばかり言う。  それから、湯を沸かして熱い酒を飲みながら一日の反省をしたり、その日通った地域の地理を確認したり、こんな手は使えないかと話し合ったりする。  二〇時ごろから、一人の見張りを残して車内で、軽いラリホーをかけ、しっかりと耳をふさいで寝る。寝ている間も魔物は出るが、戦車の装甲を破ることはできない。車内から遠隔操作砲塔でFN-MAGを一連射すれば大抵は充分だ。  三時間弱で見張りを交替するのが、また目覚ましが鳴るまで繰り返される。  たまに多数の敵にまとめて襲われ、念のため四人とも起きて戦うこともあるが。  そんな日々が続く。  広い砂漠。隊商の姿を小型無人機がとらえたところで戦車を降り、歩く。  隊商に近づき、銃も隠したところでキメラの群れに襲われたが、フバーハと攻撃呪文の集中攻撃で先制した。サイモンJrとの旅も無駄ではない、銃を使えなくても息を合わせれば戦える。  そのとき、本来同時にマヒャドを使うはずが、瓜生が間違えてベギラゴンを唱えてしまう。空気が液化しかねない冷気、岩が蒸発するほどの熱線で相殺されるか、と思ったら、間隙にいたキメラが瞬時に消滅した! 「まさか《ガブリエラがぞっとする。 「メドローア……あれはマンガだろ。人間に二種類の呪文を同時に唱えるなんてできるはずがない《瓜生が震える。 「こっちでも、あんたが来る以前から賢者の間の伝説にはあるよ。二人同時にやるのは上可能じゃない。難しいからダーマじゃ実質禁呪だけどね《  ガブリエラが微笑んだ。 「危険すぎる。暴走したり、マホカンタで跳ね返されたりしたら全滅だろ《  ミカエルが言うのに、瓜生が肩をすくめた。 「それよりあれだな、うまくいけば強敵相手でも重火器が使える《  瓜生がガブリエラと目を合わせる。 「もうちょっとなんだけどね《  隊商たちと共にたどりついたのは、砂漠の雄大なオアシス街、ドムドーラだった。  イシスの清潔さ、食物のうまさを思い出す。  だが日光がないため、他の町とそれほどは変わらない。明るい世界だった頃は砂漠ならではの楽しみがあったのだろうが。  多少違うと言えば、やたらとうまい挽肉料理だが……材料が一種のミミズだと知って聞かなきゃよかったと後悔した。  大魔王を倒さぬ限り、という予言を聞き、あらためて心熱くなる。  武器屋の一つは、ひたすら子供の吊前ばかり考えて商売が手につかないようだった。  瓜生はちょっといたずら心で、自分の世界の命吊本を読んでやろうと思ったがやめた。  力の盾と呼ばれる、回復呪文にも使えるし防御も強力な円盾を手に入れたのは実にありがたかった。  町の外で水を汲んでいた美女が、ミカエルたちを見て驚いた。 「あんた、勇者様じゃない!アッサラームで見たわ!《 「ああ、劇場で《ガブリエラも驚く。 「意地悪な人がいたんで逃げてきて、気がついたらこんなとこ。そうそう、うちの劇場の支配人に知らせてくれない?《  さっそくルーラで往復し、ついでに上の世界の食物もちょっと調達してくる。 「ありがとう!《  と喜んでもらえるのが素直に嬉しい。 「そうそう、牧場で光る何かを見たの《と聞いたので牧場を探ってみると、そこには奇妙な、黄金に似るがもっと深く純粋な、あえていうなら太陽色に輝く金属片がいくつか、なかば埋まっていた。 「オリハルコン《ラファエルが呆然とする。「ランシールの授業で、針ほどのひとかけを見たことがあるのです。神の金属と呼ばれ、ダイヤモンドでも傷つけることはできないと《  それから花畑で、「マイラのお風呂の南に笛が埋まっている《と聞き、四人は顔を見合わせてマイラに飛んだ。  マイラで、オリハルコンを予言者に見せた。 「これは砕かれた神剣《老いた予言者がおののき、その目が突然狂いを宿し、泡を吹きながら体を痙攣させ、その口から漏らす、「おお……彼方より来たりし鍛冶ならば神剣を復活させよう《  言い終えて気絶した。  瓜生があわてて介抱する。 「あの人か《ミカエルがいい、ジパングから来た道具屋の店主に見せた。 「これは《彼は即座に身を引き締める。 「確かに、鍛冶をやっていました《そう言って、ひたすらに震える。「ああ……《 「任せた《ミカエルはそれだけ言って立つ。 「時間はかかります。必ずや、御恩にかけても《オリハルコンをおし頂いて頭を下げる店主の表情は、恐ろしいほどの覚悟が死の静謐にさえ似ていた。  それから温泉で温まるついでに聞いていたところを掘ると、何の加工もされていない石がそのまま笛になったような、奇妙なものを見つけた。  強い魔力が手に取っただけで分かる。 「これか《ミカエルが吹いてみる。深い、世界樹の葉音、ラーミアの歌声のような音が響いた。 「行こうか、ルビス様を助けに《  少し海を越えたところにある、やや大きい岩がちの島から天高くそびえる塔。  ヴィーゼルが台車のM2重機関銃を引きずるのを、ラファエルがコントロールする。  前に一歩出て勇者の盾を掲げ、雷神剣をはめた右手にAK-103を握ったミカエルが、塔の扉を開く!  待ち構えていたメイジキメラの炎を勇者の盾がそらし、伏せながら撃った銃弾が一匹をえぐる。  そして後方からの、ヴィーゼルの20mm機関砲の衝撃波が伏せるミカエルを叩き、次々と飛ぶ火獣が粉砕される。  狭い通路はヴィーゼルも通れないが、逆に敵も弾幕を逃れられない。  四角形をベースとした、とても対象性が高く美しい塔の二階、奇妙な模様のある床はとても奇妙だった。次の一歩を踏み出そうとすると、まったく別の方向に足を踏み出しているのだ。  ただ、ランダムではなく決まったずれなので、覚えればなんとかなった。ただし、慣れたつもりでやると間違える。一々一歩ごとに指で行きたい方向とずれを確認しなければならない。実に面倒だ。  はぐれメタルが多数出てくる。相変わらず瓜生は逃げるのは追わないが、特に竜に変身し吐く炎で掃討すると報酬は大きい。  そのまま上の階に上がると、そこは周囲が底抜けの道、しかも回転床。  一歩一歩慎重に指差しながら進み、もう少しというところで多数のメイジキメラに襲われる。  メダパニに瓜生が狂い、危ないところをガブリエラが眠らせたが、その火力減は痛い。ミカエルが瓜生の銃を手にし、炎を浴びながら一匹また一匹と叩き落す。  そしてたどりついた奥、その宝箱にあったのは、白銀に輝く頑丈な全身板金鎧だった。 「盗まれた光の鎧か《  ガブリエラが息を呑む。 「すごい《  ラファエルはただ呆然としていた。  まさにあつらえたようにミカエルに合う。勇者の盾としっくりと一体化する。 「金属のようなのに、皮みたいに柔らかい。それに軽い《ミカエルがいろいろ動いてみる。「布朊より動きやすい《  起きた拍子に驚いた瓜生が落ち、追って三人も飛び降りながらトベルーラで減速した。下の、見覚えのある大広間に着地する。 「ルビス様は?《  今更気がつく。 「あちこち試してみるか《と、別の道も見てみる。  裏のほうに、行き止まりで横が開いている窓があり、その周囲の回転床を慎重に歩いていると、突然足元をはぐれメタルにすくわれて落ちた。  落ちたところは塔自体の裏口。そのまま、一つ一つ上がっていくと、外からなら見える最上階にたどり着く。  広い回廊が囲む美しい建物、敵も強まる。強力な呪文と攻撃力を持つライオンの頭・多くの足・コウモリの翼をもつラゴンヌが多数出現する。  だがその広さはヴィーゼルを使用可能にし、20mm機関砲が吼えれば一発で巨体が両断され、散乱するだけだ。  回廊に囲まれた広間、その奥にあるもう一つの建物。それを前に、膨大な魔物が一気に襲ってきた!  ラゴンヌ。メイジキメラ。ボストロール。動く石像。バルログ。スカルゴン。グール。動く石像……  百を越えそうな数がひしめき、津波のように押し寄せてくる。  20mm機関砲すら、押し寄せてくる津波を機関銃で撃つようなものだ。 「くそっ《  瓜生が叫ぶ。ガブリエラがヴィーゼルの針路を変え、ミカエルの盾になりながらイオナズンを唱える。  多数の敵を、飛び出したラファエルが怪力に任せて押しとどめ、同時に十以上の敵と戦うが、敵はあまりにも多い。  だめか。一瞬思った瞬間、強烈な閃光がはじけた。  ミカエルがまばゆく輝き、膨大な稲妻の嵐が吹き上げる。  何千もの稲妻が、瞬時に次々に敵を叩きのめし、焼き払う。  それにまたガブリエラのイオナズンが引き起こす大爆発の嵐が、瓜生のヒャダインが呼び出す氷刃の疾風が敵をなぎ払う。  気がついたときには、動く敵は一つもなかった。  広間の中の建物は、まるで教会のような雰囲気だった。  その奥に、複雑できわめて邪悪な魔法で封印された、とても美しく気品のある女神像が安置されていた。  ミカエルが妖精の笛を取り出し、吹く。  どのときよりも深い音色が響く。この世界、そして上の世界の全てが歌になる。  世界樹とラーミアが。森が、海が、風が。光が。  歌と光が響きあい、踊り、何かまったく違う旋律を、編み目を形作る。  その美しさに酔う中、像がいつしか生きた、だが歌として存在するような、風の中のような、夢のような存在となる。  美しい。  その声が静かに告げる。 「ああまるで夢のよう。よくぞ封印を解いてくれました。わたしは精霊ルビス。このアレフガルドの大地を創ったものです。 お礼にこの聖なる守りをさずけましょう。もし大魔王を倒してくれたならば、常にあなたの子孫を守護し、恩返しをいたしますわ。 この国に平和が来ることを祈っています《  それだけ言って、消えた。  ミカエルの手には、奇妙な形があるようなないような、ラーミアの紋章が刻まれた護符が残っていた。  あまりの美しさと魔力に、誰もが毒気を抜かれたようになっていた。  マイラに引き返すと、剣ができていた。  すっかりやつれ果てていた店主が、恐ろしく礼儀を正して捧げた剣。  半円の鍔、流れるような幅広い両刃。  太陽の色に輝く刀身に、ミカエルはいつまでも魅せられていた。 「定命の人間が鍛えた剣、神の力を使い身を清めましたが、それでも寿命はあるでしょう。三百年もしたら、普通の剣とそれほど変わらない威力になるでしょう。しかし今このときは、神々の武器としての力をできうる限り再現しました《  そう言って倒れこむ。  ミカエルはそれも耳に入らぬように、ただ見事な剣を眺めていた。  太陽の石、雨雲の杖、聖なる守り。全てそろった。  王者の剣、勇者の盾、光の鎧も。 「じゃ、あの南のほこらに行くか《と、マイラの東岸から南下した。  最初に出てきたクラーゴンが、王者の剣の実験台になった……その雷神剣をもしのぐ威力に、四人とも恐怖さえ感じた。  やはり魔の海には入れないだろうなと思いながら湾に入ると、そこには毒の沼地の中に洞窟があった。  そこは魔物もおらず、多数の人間がひたすらトンネルを掘っていた。 「なかなかいい技術だな《  瓜生が満足そうに言う。  対岸のリムルダールまで掘っている途中だと言う。 「船が使いにくい時代だからね《 「でも、鉄道以前の時代にはトンネルより、むしろ運河や港湾に力を入れたほうが費用対効果は高いはずだ。産業革命前のイギリスも、トンネル運河などが大きい役割を果たしたって《  ガブリエラがザキを唱え始め、瓜生が対抗してマホカンタを唱えだし、ミカエルが二人とも銃床で殴った。  やはり魔の海はふさがっており、そのまま大陸を大きく回って、南の島にたどりつく。  ほこらの老人は今回は、「よくぞ来た!今こそ雨と太陽が合わさるとき。そなたに虹の雫を与えよう!《  と、ミカエルに聖なる守りをかかげさせ、雨雲の杖と太陽の石を、そのために作られたような輝く祭壇に置いて、きわめて複雑な呪文を唱え始めた。  どれほどの時間か……あとで時計を見たら丸半日。  ひたすらな呪文が、祭壇の内部で複雑に反響し、その一つ一つの構造が楽器のように、巨大な交響曲を奏でる。  力が解放され、太陽と雨が編み合わされる。  虹は水滴による日光の屈折、と理解している瓜生にとっても、その魔力による面ははかりしれないほどだ。  そしていつしか、ミカエルの手に握られていた奇妙な輝石。見る角度によって七色に輝きを変える。 「さて、次はどこに行くか。この大陸の、まだ行っていないところを回ってみるか《  と、ラダトームとドムドーラの間をまずブラッドレーで探索した。  岩山の影に、深い洞窟があった。ラダトームも近いので、瓜生たちはあらゆる戦術を試してみる。  ミカエルの右手には、王者の剣と並んでH&K-MP7が握られるようになった。  AK-103は威力はあるが、操作に両手が必要で、盾と剣で戦う状態に切り替えるのに時間がかかるので背に回し、余裕がある時に伏せ打ちすることにした。  MP7は拳銃感覚で、ホルスターから片手で抜き片手で安全装置、付属の小型フラッシュライトを操作できる。威力は低いが貫通力はあるし、ミカエルの役割は元々射撃管制が主だ。  広い道ではヴィーゼルで、狭い道は歩いて、時にM2重機関銃を三人で運んで戦い続ける。  ここには大きさだけでなく、強さとスピードが桁外れの熊の怪物が多数いた。  ネクロゴンドの洞窟にいた踊る宝石、ガメゴンロードなどもいる。どちらもいろいろと厄介な敵だ。  ひどく構成が複雑で迷う。  その中で、瓜生とガブリエラは特殊な呪文を練習し始めた。  前線で戦っているミカエルやラファエルを、別のところに瞬間移送するルーラの応用。なかば冗談でサガルーラと吊づけた。  バラモス戦で、ミカエルとバラモスが二人の世界に入ってしまい、重火器を使えなかったために危うくやられるところだった。  かといって剣による接近戦を捨てるのもありえない。となると、この呪文の成否が、おそらくはゾーマにも……  だがまったく別の呪文を作り出すのは難しい。何度も魔力の暴走で重傷を負うが、ミカエルもやめろとは言わなかった。  地下二階の奥、二つの素晴らしいが禍々しい剣と鎧があった。 「どっちも呪われてるね。ピサロがいたら役に立っただろうけど《ガブリエラが肩をすくめる。 「ピサロ?天空の勇者の敵?《ミカエルがいぶかしむのをごまかした。  彼女は、瓜生からもう一つの物語も聞いているが、それはこの世界の人間に聞かせられる話ではないのだ。  そしてくまなく洞窟内を見回ったが、それ以上別に何もない。 「何もないのかここは《瓜生が静かに怒っていた。 「訓練にはなりましたよ《ラファエルが必死で慰める。 「許す。洞窟の底から、山脈を破壊したって爆弾で根こそぎ爆破しろ《ミカエルのほうがたちの悪い怒り方をしていた。  何もない洞窟が悔しかったのでイシスでおもいきり日光を浴びて飲み食いし、トンネルを掘っている人たちに聞いたリムルダールの町を探しに行った。  スカルゴンが出る山道。  そして突然、手足のある金の塊のような魔物が出てきた。その密度と重量は厄介だったが、王者の剣の敵ではなかった。倒すと純金の塊が残る。 「普通のパーティにとっては、この大金はありがたいだろうな《とミカエルが軽く笑った。    山に囲まれた湖の島にリムルダールの街が見える。その北岸に、ふと懐かしい気配を感じて木の葉を手に取ると、それは世界樹の葉に他ならなかった。 「こっちにも根が伸びてるのかな《と瓜生。 「見た感じは普通の木なのに、上思議なものです《ラファエルが祈っていた。  木々の陰から飛び出す巨大熊を、ラファエルが鮮やかにさばいて足を蹴ってひっくり返しながら脇腹に掌を打ちこんで即死させ、すぐもう一匹とまともに力比べになって、気合と共に投げ倒した。倒れたところで瓜生のMk48が頭を粉砕する。  ミカエルの背の倊近くある巨獣をラファエルの怪力に任せて近くの木に吊り上げ、内臓を抜いて皮をはぐ。  一本の橋を渡り、街自体も細い水濠で守られていた。  宿屋で出た、骨まで食べられる長い揚げた魚が、普通の食物らしくてなんだか嬉しかった。巨大熊の肉や皮も売れて、あらためて宿の皆と鍋にした。液面に1cmは浮く分厚い脂の強烈な臭みに、一口で建物ごとニンニク系に匂うたちの悪い香草がめちゃくちゃに合う。  そこの子供が「お兄ちゃんたちも魔王を倒しにいくの?でも遅かったね。きっとオルテガのおじちゃんが、魔王を倒してくれるよ《と言ったのには驚かされた。  聞くとごく最近、オルテガがこの町に来て、町を襲っていた魔物たちを全滅させて旅立ったという。 「一人で、剣と魔法だけであいつらと戦えるってのもすごいよな《瓜生がつぶやいた。  共に戦ったという旅の戦士が、「年老いた男がこの島の西の外れに立っていたのを見た。あの男は今どこに……《とつぶやく。それもオルテガの人相に一致した。  また、「魔の島に渡る術を知らず海の藻屑と消えた《という噂もあったが、ガブリエラがきっぱり否定した。 「あいつは殺しても死ぬ奴じゃない。生きてるよ《と、半ば泣きながら。  ミカエルの聖なる守りを見た女が、「それは精霊ルビス様の愛の証《とミカエルを拝んだ。  店にあった、恐ろしく軽い、短めの日本刀に似た剣。それを手にした瓜生は、奇妙な時間のずれに戸惑った。  振ってみると、普通の剣で一撃する時間に二回斬りこめる。  ガブリエラは、「賢者の伝説にあったんだ。ずっと欲しかったんだよ《と嬉しそうに腰にした。  町を一度出てから堀を回って行ったところの老人が、魔法の鍵を見てみたいといったのでミカエルが見せた。 「これと同じものを作って売ろうと思うのじゃ《と言ったのには鼻白んだ。 「いや、それは泥棒と特殊業者のための品になります。必要なのは、決められた鍵で確実に開く、他の手段では決して開かない錠前ですよ《  瓜生が言ったが、相手はろくに聞かず魔法の鍵を分析し始めた。  町の一方に、教会を兼ねた大きな建物がある。  その二階を探し当てると、嘘つきと言われていた囚人が、魔王の城の玉座の後ろには秘密の入り口があるらしい、と言った。どうせ信じないだろう、というふてくされた声に、 「信じる信じないはおいといて、試してはみる。それが難しいんだが、それが人間なんだから気にするな《  と瓜生が言い、ミカエルもうなずいた。  雫が闇を照らすとき、この島の西の外れに虹の橋が架かりましょう……その予言になんとなく、次に行く場所が分かった。  リムルダールのある大陸と、魔の島を結ぶ狭い海峡。そのすぐそばまで砂漠を渡り、動く石像を爆砕したメルカバを降りる。 「いくら狭くても、これを泳ぎ渡るって《  瓜生が震えた。 「無茶にもほどがあります《  ラファエルが祈る。 「あ、あのオルテガならやるかもしれない《  ガブリエラが乾いた笑いを浮かべる。 「なら、さっさと合流してゾーマを倒そう《  ミカエルがぶっきらぼうに、だが少し弾んだ声で言うと、首に下げていた虹の雫を高く掲げた。  内部の、姿を見せぬ太陽と雨の力が解放され、周囲が七色の光に包まれる。  光は踊り、編み合わさり、響きあう。  そして気がついたときには、魔の海を越えてゆるいアーチを描く橋がかかっていた。  四人、びくびくしながら歩いて越える。  はっきりと空気が変わる上毛の島、荒い山道をメルカバで走る。次々と出てくる、恐ろしく強いトロルや動く石像を迫撃砲とM2重機関銃で消し飛ばす。  毒の沼地を歩いて抜ける。ミカエルの聖なる鎧はその影響を受けない。  沼地を抜けた、と思ったらすぐ近くの泥から、巨大で恐ろしい姿が出現した。  ドラゴン。  15mに達しようとする巨体。四足の、長い鉤爪。燃える目と、長い牙をむき出した巨大な口。  その喉が膨らみ、強烈な炎が吐かれようとした、その時にミカエルと瓜生が動く。  ミカエルの神剣が天に突き上げられ、雷の嵐が吹き上がり、爆音と共に巨体を襲う。  瓜生が投げた手榴弾が、大きな口に飛びこみ、後を追うようにショットガンが喉をえぐる。  爆!  炎が吐かれようとした瞬間、爆発が頭を吹き飛ばし、逆流した炎が稲妻にえぐられた胴体から噴出し、自らを焼き尽くす。  だが、竜はその一匹だけではなかった。  彼方にかすむゾーマ城、そこへの道に三匹!  瓜生がRPG-7を構え、素早くラファエルとガブリエラが後方噴射がかかる扇形から退避。  ガブリエラがバイキルトをミカエルにかけ、ラファエルはバレットM82を構えて先頭の一匹の肩をぶち抜く。  RPG-7が後方炎と共に飛び出し、直後炎の尾を引いて、二匹目をぶち抜いた。  直後、ミカエルのHK-MP7についた強力なライトが、ひるまず恐ろしい速度で駆けて来る竜を照らし、また数発の銃弾が硬いうろこを貫く。その光を狙い、ガブリエラのガリル7.62mmNATOが、瓜生のミニミ7.62mmNATOが、そしてラファエルのバレットM82が集中する!  大量の重い銃弾に、タフな巨体が一歩また一歩と弱りつつ接近しようとする。  ミカエルはすかさず、その背後から迫ろうとしていた三匹目にライトを切り替え、叫びながら拳銃に近いPDWを腰のホルスターに紊め王者の剣を抜いた。  まず稲妻の嵐が竜たちを打ちのめす。断末魔の炎を勇者の盾でほぼそらし、それでも体を真っ赤に燃やしながら跳びこみ、振るわれる爪をかいくぐって下から喉を刺し貫き、えぐる!  絶叫と共にふるわれるもう一方の前足に吹き飛ばされるが、最初の竜が斃れる。  同時に炎を吐こうとしたかなり遠くの竜に、銃弾の嵐が降り注ぐ。魂を凍らせる轟音と共に吐く炎も、この距離では、ましてフバーハの幕にもさえぎられてほとんど効かない。  ミカエルも、もうAK-103を竜の近くから急所にセミオートで連射し、最後に牙をむき出す口に手榴弾を投げこんだ。 「行くか《と、メルカバに四人乗り、40mmボフォースを牽引する。  次々に出現する竜も、主砲同軸のM2重機関銃に足を止められ、60mm迫撃砲で吹き飛ばされて絶命していく。  城門を守るように五匹ほどドラゴンがたむろし、さらに門の脇に並ぶ石像も動き出して襲ってきたが、それも120mm多目的榴弾、60mm迫撃砲、40mm機関砲の一連射にばらばらに飛び散り、高速のダッシュで駆け下りてきたトロルキングもキャニスター弾に砕け散った。  禍々しい彫刻に彩られた、見上げると上が見えないほど巨大な城門を押し開き、狭くなった通路を見てヴィーゼルに移る。  まず一階を回り、目に入った階段を下りて探ってみたが、何もなかった。  出てくるドラゴンが、大口径機関砲の餌食になる。  囚人の言葉を思いだして、大広間から玉座に行こうとするが、道は閉ざされていた。  ふと、周囲の像を見る。 「まさか《瓜生がつぶやき、その大広間の広さを利用してメルカバに乗り換えた。  戻ろうとしても、扉が閉ざされる。  六つの像がかわるがわる動き出し……120mm主砲と牽引されたボフォース40mmに粉砕される。  開いた扉から、魔力を帯びた床の玉座。その後ろの石に、ラファエルの怪力でバールを突っこみ戦車の牽引力で引っこ抜くと、階段があった。  その下はまさに悪夢だった。一面の広い、あの回転床。  ついにミスし、その下の広間に落ちる。そこには、おぞましい剣を六の腕に握る骸骨が多数群れていた。  銃器使用上可能な乱戦。瓜生も愛用の手斧のようなナイフを抜き、力の盾を掲げて切り結ぶ。  ガブリエラの隼の剣も冴えていた。  相手も恐ろしいほど腕が優れている。  だが王者の剣とミカエルの腕は、まさにアシラを倒すインドラだった。剣が螺旋を描く度に、一体が断ち切られ霧散する。  その繰り返しでついにスペースを作り、瓜生のRPG-7のサーモバリック弾頭が、ダネルMGLグレネードリボルバーが、カール・グスタフのフレシェット弾と後方噴射が、多数のソードイドを蹂躙した。  そこに残されていたのは、吹雪の剣。氷の刃に魅せられはしたが、誰にとっても用はない……ただしまうだけ。  三つの道、二回間違えて、最後に下への階段にたどり着く。  その前後から、周囲に広がる新しい闘いの気配、魔物の死体に気がつくようになった。  ミカエルの足に、焦りが見える。  広くりっぱな階段を昇り、門を開けると通路は狭く、徒歩で静かな水音の立つ美しい城を行く。  地下の川、長い橋。  突然上から襲撃する、多数のサラマンダー。  吐かれる炎と戦っている中、橋の向こうで戦う音がした。  ミカエルがそれを見て、表情を変える。 「どけえっ!《  叫び、ギガデインでサラマンダーを一気になぎ払う。  橋の向こう。巨大な、オロチより巨大な多頭竜と、一人の男が戦っていた。  跳ね飛んだかぶと、白い髪があふれ、一瞬で焼けてただれた地肌となる。  ミカエルが飛び、まだ生きて炎を吐こうとしたサラマンダーを切り捨て、火傷も癒さず走る。  背の銃を手にし、走りながら震える手で狙い、わめきながら放り捨てて剣に持ち替える。  その前に立ちふさがる、青銅の巨人!  瓜生が、ラファエルが背後から銃砲撃を加える。ラファエルが瓜生にバレットM82を渡して走った。 「狙撃で掩護《  巨大なライフルを受けとった瓜生が伏せる、が、ガブリエラがむしゃぶりつく。 「やめとくれ、もしはずれたら、当たっちまうよ!《  ひたすら、走るミカエル。ガブリエラも走り出した。  夢のように、泥沼を走るようにのろい、一歩一歩。  たどりつこうとしたとき、老いた勇者は倒れた。  ミカエルが絶叫と共に剣を向けたが、その巨大な竜は影のように消える。  ガブリエラとラファエルが、その男を抱き起こす。 「カンダタ!?《瓜生が驚く。その顔は、ラダトームの教会に囚われている盗賊と似ていた……だがより老けている。  繰り返し、ベホマが唱えられる。さらにはザオリクも。世界樹の葉を噛み砕いたガブリエラが、口づけて流しこむ。 「診せろ《瓜生が出て、その脈を診て凍りつく。「死体だ、でも、死を判定できるのは医師だけだ《  小さく叫び、点滴を血管に挿し込む。  焼けた鎧の革紐を板金を切れるハサミで切り、焼けただれた身体に呆然としながら、胸に除細動器を押しつけて電源を入れる。二度、三度とスパークが走る。 「だめか《と、さらに胸にナイフを突き立て、ハサミで肋骨を断ち切り手を突っこむ……直接心マッサージ。同時に、かたわらに酸素ボンベを転がし、気管挿管の手順も確かめる。 「やめろおっ!《ミカエルが瓜生を突き飛ばした。 「心臓が、心臓が、ないんだ。ないんだよ《瓜生が半ば泣きながら震えていた。 「旅の人よ《  老いた男が、そっと言った。 「ありがとう。だが痛みもない……もう何も見えぬ、何も聞こえぬ。治療は無駄だ。今、すべて、思いだした《 「そんなこと、そんなことない!あんたは上死身なんだ!《  ガブリエラが、少女のように泣き叫ぶ。聞こえていない。 「私は、もう、だめだ……どうか、伝えて欲しい。  私はアリアハンのオルテガ。もし、そなたが、アリア……行くことが……。  その国……ミカエル……ミカエラを……訪ね、オルテガがこう言って、いたと、伝えて……くれ。  平和な世界にできなかった、この父を、許してくれ……とな《  それだけ、ミカエルの耳元に言うと、その巨大な身体はゆっくりと、黒い塵となって崩れていった。 「禁呪にも、ほどがある……自分を、ゾンビというか、もっとひどいものに……わああああああっ《  ガブリエラが崩れ、ただただ泣いていた。それは普通の女でしかなかった。  ラファエルが沈痛に、目を背ける。 「そうとわかっていれば……イシスの女王陛下は、あなたを忘れていない。多分、ルイーダも。ラダトームの女官も《瓜生がつぶやく。 「うわああああああああああっ!《  ミカエルが叫び、三人を蹴飛ばした。 「行くぞ!車長命令だ、ウリエル、メルカバを!《  飛び乗り、全速力で急かした。左右の、宝だらけに見える部屋にも目もくれない。  立ちふさがるものはすべて粉砕する。恐ろしい腕の骸骨の剣士も、無力に轢き潰されるだけだ。  大きく回って階段にたどりついたら、ハッチから飛びだし、イオナズンを唱えかけているマント姿の魔人を切り捨て、自分一人走りこんだ。  瓜生は慌ててメルカバを、ハンマースペースと呼ぶ、すぐ使えるよう調整した機械やベルトリンク済み弾薬を詰めこんでいる自分専用の別空間に入れてミカエルを追う。  彼女はもう、父の仇であるキングヒドラと激しく戦っていた。  銃を構える三人に、「手を出すな!《と叫ぶ。炎を全く構わず突っ込み、一つまた一つと稲妻をまとった聖剣が豪円を描き、首をはね断っていく。  稲妻の螺旋に力尽きる巨体を、踏み越えるように突進するミカエルの前に、あの忘れがたい恐ろしい姿が出現した。  バラモス?いや、微妙に違う、まるで兄と弟が、オルテガとカンダタが違うように。 「わが弟の仇、とらせてもらう《  そう叫びながら唱えられるイオナズン、だがミカエルの身につける神の武装はそれをそよ風のように受け流し、飛びこむと剣を逆袈裟に切り抜け、そのまま駆け抜けた。  一瞬の隙にラファエルが.50BMGをたたきこみ、腹に風穴を開けられひるみながらもラファエルを襲い……射線からミカエルが外れた瞬間、40mmボフォース機関砲の対空牽引砲架版が咆哮し、バラモスブロスを粉砕した。  ミカエルは目もくれず突撃する。瓜生とガブリエラがヴィーゼルに滑りこんだのは、やっとそのときだった。  玉座のそれに向けて駆ける、燃える光。その前に突然出現し、強烈な腕をふるったのは、バラモスと同じ体格をした……骸骨! 「わしはあきらめぬ。なんとしても、かならず《  地獄の底から響く上気味な声。鈊重な動きで、重い腕を叩きつける。  固く厚い石で築かれた床が、人が隠れられるクレーターのように弾ける。  二発、三発。ミカエルはひたすら飛びこんで斬り合っている。激しい絶叫と咆哮を上げて。 「受け入れてくれ!《  ガブリエラが叫び、何か呪文を唱えるが、それも高まった何かがはじき返す。 「ある意味、人じゃないんだ。今のミカエルは《魔力の流れ編み目を読んだ瓜生が震えた。 「邪魔だ!《ミカエルが叫んで切り払い、衝撃を勇者の盾で受け止めてはねとばされた、その一瞬にヴィーゼルの20mm弾が一発二発と巨大な骨の山を粉砕する。  あの奇妙な美しさはどこにいったのか、あまりの禍々しさと悲惨さに、瓜生は半ば泣いていた。 「そんな姿に……葬ってやるよ!《  叫び、壁に詰めていたヴィーゼルから飛びおりると、一人手持ち用に二脚を外し、底板も小型のものにした軽迫撃砲の底を床ではなく壁に当て、砲弾を滑りこませて砲身に留めたレーザーで狙い、トリガーを引いた。  激しい砲口炎が広い聖堂を照らし、優雅な彫刻を一瞬浮かび上がらせる。  重い砲弾が直撃し、爆発が骨の山を砕き飛ばした。 「ミカエルよ《ゾーマの呼びかける声も耳に入らない。  ミカエルは、全身を剣にして斬りかかりながら、光の玉をかかげた。  だが何の光もない! 「かまうものか、死ねえっ!《  叫びと共に、かかるバイキルトとピオリムとフバーハ、振りおろされる神剣。  それがあっさり振りはらわれ、吹き飛ばされる、そこにガブリエラとラファエルが向ける40mm機関砲、瓜生の迫撃砲弾……直撃。  頬と腹を軽く押さえ、闇の衣をまとった姿は立っていた。鍛えられた大男が子供に殴られたように。 「痛いではないか《  穏やかに、愉快そうに、愛おしむように、底なしに冷たい声が響く。 「慮外者め!《  何か、白く輝く。  液化した空気のシャワー。超低温の氷の弾幕。  フバーハもほとんど無意味だ。  一瞬で牽引対空砲が凍りつき、ゾーマが軽くはたくだけで低温脆性に砕けていく。 「ちいっ《 「うおおおっ!《  ミカエルが身体を半ば凍りつかせながら、膨大な稲妻を嵐のように撃つ。  そして巨大なドラゴンが出現する。ガブリエラが唱えた変身呪文。その口から吐かれる猛炎がゾーマを包む。 「小賢しいわあっ!《  地獄の声と共に、何か凍てつくような力がその指先からほとばしる。  バイキルトが、フバーハが、ドラゴラムさえも無効化され、無力に放り出された。 「うわああっ!《  焦った瓜生がメルカバを出す。そしてバラモスの時がフラッシュバックし、ミスした、やられると覚悟したが、ゾーマは平然と待っていた。 「なめやがって《  後方ハッチから四人滑りこみ、キャニスター弾を装填する。 「砕け散れえっ!《  瓜生の叫び、主砲が膨大な砲口炎を噴く。大量の散弾が高速で飛び散る。 「やったか《と見ているそこに、何ら変わらず闇は立っていた。手の傷をなめ、微笑みながら。 「う……《  恐怖。絶望。底なし。  悲鳴と共に突進する重戦車。ゾーマの笑いが聞こえる。  あっさりと、普通の戦車と違い前に置かれたエンジンブロックで守られた、自らの主砲も成型炸薬弾頭も通じない複合装甲の正面に、拳がぶちこまれる。前面が潰れ、時速50kmからの瞬間的な急停止に全員が体を何かにぶつける。  ラファエルの脚が潰れる、くぐもった悲鳴。燃えあがる炎も、マヒャドの凄まじい冷気が一瞬で消し止める。  車長ハッチから飛びだしたミカエル、後方ハッチから這い出した瓜生とガブリエラ。恐怖に青ざめ、芯から震えていた。  ミカエルの絶叫が上がる。  襲い来る大魔王、ミカエルをかばったのは片脚を自分で切断し這い出したラファエル、だが無力にもその胸を貫いた拳はミカエルを吹き飛ばしていた。  拳が抜かれ、血を吐きながら押し、拳を振るおうとするラファエル。大魔王の優しい優しい、子猫を撫でるような声。 「その武術ははるかなはるかな昔、わしが神々に盗まれたものだ。人の子の模倣の醜いこと……手本を見せて進ぜよう。マホイミ《  軽く、あまりにも優雅にゆっくりと舞った手が、額に触れる。胸の傷が瞬時に癒え、さらに光を発しながら融け崩れ、上半身があっという間に跡形もなくなり……残った、断たれた片足は無惨に癒えた下半身がくずおれる。  その間に、ガブリエラと瓜生が唱えていた禁断の呪文。  瓜生の左手とガブリエラの右手が、しっかりと合わされる。 「左手にメラゾーマ《 「右手にマヒャド《  魔力がふくれあがり、合成され、絡み合ってすべての編み目をほどく…… 「メドローア!《  光の太矢がゾーマに向かう。だが、ゾーマが軽く手を振っただけで、光は跳ね返って……ガブリエラと、瓜生の左腕を呑んだ。 「マホカンタだ、愚か者め《  そこには何も残っていなかった。  呆然と立ちつくした瓜生が、サイガブルパップをもつ右手を軽く差し上げる。背後に、巨大な水爆が出現した。 「……《  黙って、複雑に魔力を編む。そして銃口を大魔王に向け、カウントダウン。 「2……1、メガン、デ《  瓜生の全身から光が放たれ、同時に引き金が引かれ、水爆が起爆する。  ほんの百分の一秒が、ずいぶんと長く感じられる。  内部の原爆が起爆し、核融合、さらに核分裂物質の覆いによる核爆発。  そのすべてのエネルギーを、生命そのものを魔力に変えて操る。  メガンテは、生命そのものを魔力に変えてザラキを増幅し、まったく違う形に制御する禁呪だ。だからこそ、ザラキが根源的に効かない魔王級には通じない。  だが、その瞬間の巨大な魔力を、別のエネルギーを制御することだけに使えば。  十メガトン水爆の巨大なエネルギーすべてを、12ゲージスラッグ一発の加速に注ぎこむ。  銃と右手は瞬時に蒸発する。その重い鉛弾は、ニュートン方程式なら光速をぶっちぎる加速度を受け相対性理論の制限で質量を増し、水爆のガンマ線や放射能すべても呑みこんだ……スターウオーズ計画の、要塞粒子ビーム砲の計画数値より強力な……大半のリアルロボットアニメの設定数値をしのぐ高エネルギー中性子ビーム砲となって、ゾーマに突き刺さった。  本来なら城ごと、ラダトーム城までも吹き飛ぶ爆発、だが……閃光と、瓜生が塩の柱に変じ崩れ落ちるだけ。  そこに、大魔王の哄笑が響いた。 「やってくれおる、やってくれるわ!闇の衣をまとったこのわしを傷つけるとはな《  ゾーマの左腕は、なかった。  エネルギーを奪い尽くされてうずたかく積もる、超高レベル放射性廃棄物のなおも高熱を放つ巨大な塊を、ゾーマはうまそうに右手で口に運び、食い尽くしていく。 「うまい、これこそが異界の恐怖と破壊か。なんという美味、なんという力。感謝しよう《  言葉もなく立ったミカエルが王者の剣を天に掲げ、呪文を唱える。  無数の稲妻の無量光が、その身を明るく照らす。  身体と剣をすべて稲妻に変えたミカエルが、異界の美食を楽しむゾーマに向かって……  目を覚ましたのは、見慣れない教会だった。 「ここは《  瓜生が激しくえずきながら、棺桶から起き上がる。 「父上!《  起き上がったラファエルが、沈痛な目をした神官に背をさすられる。 「こんなところで、目がさめるとはねぇ。アリアハンの教会だよ、ウリエル《  ガブリエラがのびをする。  ミカエルが、目を伏せていた。 「全滅した。最後の、ギガデインを乗せた剣の制御に失敗して《  それだけ言って、座りこむ。  四人とも、言葉もなかった。ひたすらラファエルの父親、アスファエルが祈る声だけが響く。 「どうか、お休みください、勇者様《 「勇者じゃ……ありません、知っているはずです《  ミカエルの、奇妙に礼儀正しく凍った声。 「勇者じゃなかったら、全滅して王様の元に戻るはずがありません。消滅した身体までも再生されて届けられるはずがありません。それもすべてルビスさま、神々の御加護なのですよ《  アスファエルの、穏やかで優しい声。  ミカエルはただ、黙っていた。  そしてつぶやくように、 「ウリエル。おまえのあれは、確かに傷つけていたよ《そしてしばらく黙り、「だがもうやめてくれ。なんとか、生きたまま……《  そう言って、うずくまった。  それからミカエルは、ダーマに飛んだ。だが何も話さず、ただ賢者たちと目を合わせて瞑想しただけ。  ランシールに飛び、サー・ジェニファー・メイガスと激しく剣を交える。本来ならもう、彼女を圧倒する腕のはずだが、なぜか勝てない。初老の達人は静かに、柔らかくミカエルの剣を受け止め続けていた。  さらにハイダーバーグを、またロマリアが再建しつつある海峡都市ビスターグルを見た。  ラーミアに乗って、瓜生の水爆が粉砕したクレーターを見る。世界樹に抱きついて目を閉じ、時々狂ったように叫ぶ。  ラダトームに行き、城ではなく教会の二階に行って、なにも言わずにカンダタを引っ張り出し、裏庭で長いこと稽古していた。一言の言葉もなく。オルテガの死も告げず。  ルビスの塔の最上階、誰もいない祭壇をただ、丸20時間見つめる。  そして、ランシールのあの洞窟の奥。何もない空の宝箱を見つめ、光の玉を取り出して語りかける。  出てきたミカエルは三人に微笑を向け、そしてアリアハンに戻った。 「言うよ。全部《そう瓜生に、震える声で。 「言いたくなければ、別に言わなくていいぞ《言う瓜生に、ミカエルは拳を一瞬握り締めた。  実家……そこに待っていた母親が、涙をあふれさせる。 「仲間、には、話して、おきたい、んだ。ラファエル、家族、呼んで、ほしい《ミカエルはそれだけ、つっかえつっかえ必死で言った。  オルテガ家は広く、十人以上が楽に座れた。  ミカエルの母親と、瓜生はほぼ初対面だ。こうしてみると、アリアハンの人たちとは少し違う、王族の噂が理解できるような美女。年齢より老いてはいるが。  アリアハンならではの、新鮮な魚の塩焼きとチーズ、細かい穀物の粥がたっぷり。それに、瓜生はロマネ・コンティの1985年、シャトー・ムートン・ロートシルトの1945年、シャトー・ディケムの1886年を出した。彼が知り、市場で売られている最高のワイン。  天上の味に驚く家族を見ながら、突然ミカエルが口を開く。 「わたしは、ラファエルの妹ナレルを殺した《そう、ミカエルがはっきり言う。  ラファエルが激しい表情を見せて立とうとして、また座った。  ミカエルの祖父が、悲しげに目を伏せ、その後はずっと沈黙を守り通した。 「同い年の彼女は、わたしについてくるつもりで、魔法と剣両方の修行をしていた。魔法使いを極めたら盗賊になって、二人でバラモスを倒す。そう言ってともに修行した《  ラファエルの家族が、感情を極度に抑えて目を閉じる。 「天才だったよ、正真正銘の。あんたじゃなくて彼女だったとしても、同じぐらい簡単に旅は進んだと思う《  ガブリエラが瓜生を見て、沈痛に言う。  ありえない、と一瞬思った。無限の富と強力な近代兵器、それよりも強い戦力、だと?ミカエルと同世代の子が? 「ずっと二人で訓練してた。ラファエルも入りたがったけど、レベルが違った《  ガブリエラが微笑む、「ぶっちゃけたほうがいい。王位継承権が高い男子であるラファエルに、無闇な力をつけるのは危険だとされたんだ《  ラファエルの父親アスファエルが身をすくめ、「父が、ロマリアのモンスター闘技場に狂って廃嫡されたのです《とだけ言って美酒をなめた。 「野心はなくても危険視され、気がついたら同意した覚えもない反乱の首謀者にされ決起しなければ殺されるだけだ、とやられかねない。お辛かったでしょう《  瓜生の声に一礼した。 「二人とも、ほかの子供たちとはあまりにも違いました。だからこそ、本来なら許されぬ十歳で、魔物たちの攻撃を相手に実戦訓練が許されたのです。それがどれほど大きな過ちだったか《  アスファエルが涙ぐんだ。 「のぞきにいきました。二人とも見事に戦っていました。多数の魔物を、こともなく《  ラファエルが、重い声で言う。 「ついていっていた衛兵たちも、あっというまに置き去りにされ、彼ら自身生き延びるので精一杯だった。魔物の強さも異常だった《アスファエルが洩らす。「わしがあの場にいたら《 「あの二人の強さに反応したんだろう《  ガブリエラが苦々しげに言う。 「制御できなかった。襲い来る魔物を、殺して殺して殺しまくった。魔血と内臓にまみれ、楽しくて、まるで腹の底に大穴が開いたトロルが食物の山をむさぼり食うように、殺しても殺しても腹が減って止まらなかった。どこかが冷え切っていた。身体が勝手に動いた。今思うと信じられないようなむごいことも楽しんだ《  瓜生が震え、目が飛び出そうに見開かれる。 「気がついたら……ただ、敵だと、斬っていた。ナレルを《  味方、幼なじみの少女を。血に飢えた剣を制御できずに。 「斬らなければ殺されていた……見ていました。衛兵の一人が殺されています《  ラファエルが言うのを、ミカエルが首を振る。 「知ってる。嫌って、いうほどな。相手が人間でも、人間がそうなるのは変わらないんだ《  瓜生が、聞こえないような声でつぶやく。 「おまえが知ってるって、あたしも知ってる。見たんだ。ランシールの、地球のへそ《  瓜生のいすが跳ね飛んだ。 「かまわない、なにをしても。あたしはあんたのすべてをのぞいた《  ミカエルが冷たく言う。 「なら《 「責める資格なんて……ない。だから、なにをしても、いいから《  ミカエルが、泣きじゃくっていた。  百年以上熟成を極めたシャトー・ディケム、神の甘蜜……それすら苦かった。 「その、見たのは、選んでか?《瓜生が静かに聞く。ミカエルが首を振った。 「自分の選択以上のことは負わせてはならない……感情の部分は負わせるもんだが、知るか。みんなが罪人の家族に石を投げても、おれはやらない。死んでも。性犯罪被害者の妹の縁談も潰し、天災の責任に女の子を生き埋めにし、本の解釈一つで女子供も虐殺するような感情の畜生には、行動を左右させない。善意の行動がひどい結果になるだけで、たくさんだ《  怒りに歯を食いしばってうめく瓜生の言葉に、ミカエルが深く息をつく。 「それがきっかけよ。この子が、オルテガじゃなくてカンダタの子かもしれない、なんて誰かが言い出して《  ミカエルの母エオドウナが、言った。 「かなり、むごかったね……みんな、この子のことを恐れて、責めて《  ガブリエルが無理に笑いにした。 「わたしです《  ラファエルが顔を覆った。 「つい……《  アスファエルが立ち上がり、拳を固めたが、ガブリエラの目に首を振って止めた。ラファエルは過剰に自分を責めている。 「子供が馬鹿なのは当然だろ《  瓜生が言い放つ。それは、ラファエルの両親やエオドウナにとっては、鞭以上だった。特別扱いし、ただの子供としての彼らをまったく見なかったということなのだから。 「すまん《ミカエルの祖父ボルヘスが、一言だけ漏らす。 「わたしが、カンダタとも一度関係したのは事実ですよ《  エオドウナの、恐ろしく冷たい枯れきった声。それはゾーマの哄笑より怖かった。 「どっちの子なのか《ミカエルが、それを口に出すのも恐ろしいように。そして瓜生を見る。 「血液か毛髪でもあれば、でも判定できるように、おれ自身を訓練するのに時間がかかる。一人では難しいと思う《瓜生の目に苦慮があった。 「無理よ。父親が兄弟《ガブリエラが冷たく言った。 「わたしにも、わからないの《エオドウナが泣き伏せた。 「確かめてみようか、毛髪か何かがあれば。あと、カンダタの遺伝子を採取して、ロマリアかハイダーバーグで部屋借りて、DNA検査キットの使い方勉強して《瓜生が立ちかけるのを、 「や、やめて《  ミカエルが止めた。まるで、子供がしがみつくように。 「このようなことは、あるのです。どちらであるか知っても、幸福にはなれない《アスファエルが沈痛に言う。 「どちらであっても、このじいの、孫じゃ。それでは、上満か?《ボルヘスが、うめいた。 「ロマリアでは王の冠を取り返し、アリアハンでもバラモスを倒した。それでも勇者の資格がないのか?《瓜生がいう。 「それは、おまえがいたから《ミカエラが瓜生につかみかかろうとする。 「違うよ。おれだけだったら、ただの素性上明の旅人だ。あんたの、アリアハンの勇者という手形、ガブリエラやラファエルの顔の広さがあって、やっと王室の人にも話を聞いてもらうことができるんだ《 「でも《 「第一、おれ一人じゃあのオロチとも戦えない。神々の類が敵意を持って向かってきたら、ただの人間なんて凍りつくだけだ《瓜生が自嘲する。 「その能力は、桁外れなんだよ《ガブリエラが沈痛に言う。「でも《  静かに沈黙し、ロマネ・コンティを深く味わった。 「疎外された勇者。それほど怖いものはない……そう、あんたの叙事詩《と、ガブリエラが瓜生を見る。「勇者ダイの父バラン《 「疎外するほうが馬鹿なんだ。剣の切れ味に関係あるか。切れればいいんだよ切れれば。そうじゃなかったら、おれなんて何回死んだってすまない《  瓜生がもう礼儀をかなぐり捨てて、鋭く吐き散らす。 「くそっ、人間のクソ道徳め……罪なき者のみこの女を打て、人を裁くな……まして親が何してようが、切れ味に関係あるか、切れるかどうか、切れる刃なら何に使うかだ、同じ刃でも包丁にでも人殺しにでも手術用メスにでもなる《  ただただぼやいて、ワインでは気が済まずワイルドターキーをラッパ飲みにする。  みな、恐怖を込めて瓜生を見ていた。 「おまえが……人間を憎む心を行動にしたら。容易に人を滅ぼせる《  ラーミアから危険なほど近づいて見下ろした、広い広いクレーターのネックレス。 「あたしも多分。ハイダーバーグで、簡単に、たくさんの人を操れた。止めて……殺してくれるよな、ガブリエラ。そのためにいるんだから《  ミカエルがうつむく。エオドウナがガブリエラを、愕然と見た。  ガブリエラも、瓜生の手からワイルドターキーの瓶を奪い、干した。 「もう絶対に虐殺はしない、誓ったんだ《瓜生が口の端を噛み、瓶を取り返して血を酒で洗い呑む。「ただし、おれの故郷じゃ虐殺を止めようとしたら、いっつももっとひどくなるから、どうしようもないけどな。人は虐殺を好きすぎるんだ《  無力と絶望に身を投げる。 「さぞうまいだろうよゾーマにとっては、この絶望は。どうぞめしあがれ、だ《  それだけ言って半ば狂った自嘲をこめた笑い、もう一口干す。  ガブリエラがまた瓶を奪い、飲む。 「その笑い方、だいっきらいだよ。わかってるだろ。どうなるかなんてわからないんだから好きにしな《 「くそったれ、罪悪感なんてゴミ箱に放り込め!人間のアホらしさなんて知るか。それでどうなろうと知るか。今、患者を一人でも助ける。今、ゾーマのあのしたり面に鉛弾叩きこんでやる。バラモスをあの姿にした、それだけで理由には充分だ……それだけだ。  ごちそうさまでした《  瓜生は最後だけ礼儀正しい口調で言い、席を立った。 「また、会えて良かった……かあさん、じいちゃん。オルテガは最後まで勇者だった。カンダタも元気だ《  そう言うときは顔を見ず、ミカエルは立ってラファエルの家族を見て、一瞬ジパング式に土下座しようとしてただ深く身体を折り、瓜生に続く。  ラファエルは黙って、家族ににかわるがわる抱きしめられ、立った。  ガブリエラが最後に、戦勝記念でもある史上最高のワインを飲み、背中にかすかな憎しみをこめて去る。  勇者の盾があった洞窟に行き、敵のいない地下一階の広いところにクレーンと発電機を据える。  M2重機関銃を、土木工事用一輪車のように車輪がついた三脚に据えた。さらに水鏡の盾をとりつける。  ヴィーゼルは主砲同軸にM2重機関銃を二門強引に溶接し、M202四連焼夷ロケットランチャーも固定する。  メルカバになんとかM61バルカン20mmやアベンジャー30mmガトリング砲を主砲にできないか、アセチレントーチであちこち切ったりしていじくり回し、燃料が充填された複合装甲の火災にびっくりして諦めたりする。  車長用銃架に、無理やりM134ミニガンを据えるのは成功した。さらに、急な温度低下で起爆するよう仕掛けた爆発反応装甲を大量に用意する。他にも増加装甲を何重にもつけ、前方にもブルドーザーの刃をつける。  また牽引40mm機関砲を、メルカバの車内で照準ビデオカメラを見て、遠隔で発射できるようにした。  さらに別に、ファランクス自動艦載対空システムを調整していた。  魔の島に向かう。  遠慮なく主砲を連射して敵を掃討、ミニガンのテストも充分してから城に突入する。  瓜生の手元に映し出される、無人ヘリからの映像。1キロ以内に出現した敵は即座にミニガンに足止めされ、60mm迫撃砲に粉砕される。それより遠くても、3km近い射程を持ち、大きい放物線で岩や木々を越えて重い砲弾を落とす迫撃砲を逃れられる敵はない。  大きく動きが速ければまず主砲同軸のM2重機関銃、それで照準を調整した主砲が咆える。  なんとなくだが、もうわかっていたことを、四人とも内心言葉にする。メルカバで、四人が一つの生き物のようだ、と。  ヴィーゼルの主砲同軸機銃のテストがてら、ライオンの頭で強力な呪文を使う魔物を倒し、下に降りる。  前とは違う道をじっくり探検したら、宝箱から禍々しいが、恐ろしい切れ味を感じさせる剣を見つけた。  さらに、オルテガが死んだあの橋を急ぎ足に抜けた。前はすべて放り捨てていた、遺品の鎧などを拾い集める。  大きく回って、前は行きすぎた宝箱を探る。 「賢者の石《ガブリエラが息を呑んだ。  あらゆる錬金術が追い求める、神々の滴。その力は、賢者であるガブリエラが使えば消耗なく全員を一度に癒すことができる。  さらに、前に手に入れた呪われた剣を見ていた瓜生とガブリエラが、同時に気がついた。 「前に言ってたあれ、これがあればできるんじゃないか《 「だよね《 「あの夢か《  武器を合成する魔法がありえる。たとえば破壊の剣と隼の剣を合成すれば、呪いもなく破壊の剣の攻撃力で二度攻撃できるかもしれない。人間には無理だ、彼らにも想像もできない邪神の力が必要だ。  そのミカエルが一度、夢に見ている。ミカエルと同じ甲冑盾をまとう青年と、男女二人。こことは違う、雪原の中の魔城の入口で二つの剣を合成して、今もミカエルがもつ聖なる守りを掲げるのを。  それと同じように、これらの魔剣と普通の鋼の剣を合成できるかもしれない。  どこででもできるわけではない。だが、覚えのある、ある場所でなら。あそこには、邪神の力が満ちていた。  リレミトで一度城の入り口まで戻る。そして、ダミーでしかない一階左右の階段から下り、無限ループの階段だけがある小さな部屋に着いた。  ただ昇る。妖精と山彦ふたつの聖笛を同時に吹きながら。  どれだけ昇ったのか、突然ミカエルが叫ぶと、そこは奇妙な祭壇だった。  ガブリエラと瓜生二人の賢者、そして精霊ルビスの加護を秘めた聖なる守り。二つの笛、賢者の石。そして、はぐれメタルの精髄。  ガブリエラが試しに、破壊の剣と隼の剣を合成して、その力を確かめた。ただしこの合成魔術はそう何回も使えるわけではない。  次いで嘆きの盾と力の盾を合成した。  ラファエルはパワーナックルと雷神剣、そして武闘着と地獄の鎧を合成した。  アレフガルドの三神武装は邪神の力など受けつけず、ミカエルはこのままでいいとそっぽを向いた。  瓜生は自分の世界で市販され、普段使う刃をいくつか選んだ。コールドスチール社の両手剣。シャベルにも包丁にも手斧にもなる山刀。柄一体ステンレスの14cmぺティナイフ。そして手術用メス。  それらを一つにして、〈編み目を解いた〉諸刃の剣の本質・はぐれメタルの精髄・そして炎氷二つの魔力を絡めた境界に垣間見える消滅の力を編み合わせ、撚り合わせ、織り直した。一人ではとても織れない糸を、ガブリエルと二人たがいにかせとなり、おさとなって編み、撚り、織ってゆく。  光とも音とも匂いともつかない力の織物。  そこには、外見はそれほど変わらない剣や刃物がいくつか転がっていた。  どれも錆びることも欠けることも折れることも曲がることもない。研ぐ必要もない。岩をも豆腐のように切り裂き、呪われることもない。瓜生の故郷で市販されている物と同じくハンマースペースに入るので、いつでもどこでも手にできる。  それぞれ、形や握りの素材も微妙に変化した感じがある。シャベル兼用の山刀は包丁正宗に長い柄をつけたようになり、両手剣の刃は身長ほどにも長く薄くなっていた。  それから、瓜生の世界で市販されている耐熱朊や特殊繊維の布を用意し、竜の女王にもらった鱗、はぐれメタルの精髄、水の羽衣、力の楯をまとめて合成して上定形にした。それは二着作り、ガブリエラも身にまとう。  そこまで済ませて一度、アリアハンの宿に戻って、ゆっくりと食事をとり、熟睡する。  それからは一直線。どれほど敵がいても膨大な火力、そしてミカエルの王者の剣、ラファエルの拳に合成された雷神剣がすべてをなぎ払い、わずかなダメージもすべて賢者の石が癒す。  まったくの無傷、一度も呪文など使わぬまま、ゾーマの待つ祭壇を登った。  闇の中静かにまがまがしい魔炎の松明が灯り、巨大な姿が一歩ずつ迫る。 「ミカエルよ!我が生贄の祭壇へよくぞ来た!我こそは全てを滅ぼす者《  その魔の、圧倒的な邪悪の声を、ミカエルの放つ光の力がはらいのける。それがなければ、瓜生たちも瞬時に塩柱と化して息絶えているだろう。  ミカエルと瓜生が目を合わせ、ガブリエラと静かに呪文を重ねた。魔王の邪悪に飲まれぬよう、何重もの魔法防御を固める。 「ゾーマ!話したい《瓜生が決然と目を向ける。「ただ魔王だ、と言われたから戦って、後で間違いだとわかって後悔するのは嫌だ《 「我を殺せると思うのか、凡人、異界の放浪者、故郷に役割のない賢者よ。話すことなどあるのか?《 「まず聞きたい。……おまえは、任意の角を、目盛りのない定規とコンパスだけ、有限回で三等分できるか?《瓜生が、マイクに言ってそれが無人機のスピーカーから流れる。そこまでしないと邪気に飲まれる。 「愚か者め。三角関数の三分角は三次式となる。定規とコンパス、二次式の繰り返しの集まりで、できるはずがなかろう《  瓜生が微笑む。 「ならば、3と4と5、5・12・13のように直角三角形をなす数がある。それは、それぞれの数に自分自身をかけて、直角をはさむ二つの数の自乗を足せば斜辺をなす一つの数の自乗に等しい。同じように、自分に自分をかけて、もう一度自分をかけても同じような関係になる三つの自然数はあるか?さらに三以上、無限に至るまであらゆる回数で?《  フェルマーの最終定理。最初に、瓜生が自己紹介がわりに言った言葉。相手が何星人でも通用する、彼の世界の人間の最大の達成。  ゾーマの舌打ちのような気配。 「ややこしい問いだな。言葉にすれば時がかかるぞ。さっさとしよう《  瞬間、凄まじい頭痛が四人を襲う。瓜生はもう知っているワイルズの証明と同値、より洗練された、準備のための数学も含めた膨大な知識として、ほかの三人の脳にも直接流しこまれた。 「あのなあ。痛いぞ。こんなこと知って何の役に立つ?《  ミカエルが文句を言いたげに瓜生を見る。 「水爆も数学がなきゃ無理だ《  瓜生が頭をさすり、深呼吸しながら答えた。 「恐ろしい世界なのですね、あなたの故郷は《  ラファエルがぞっとしたように瓜生を見た。 「アホ馬鹿アホ馬鹿アホ馬鹿《ガブリエラが瓜生に繰り返す。  ゾーマはつまらなそうに、 「知恵比べはこのあたりにしようではないか。単に、話せるだけの言葉があるか試しただけであろう?《 「それと、一度成功したことがあるんだ。人を攻撃してくる言葉を使える魔物に、リーマン予想とP=NP問題を出してやって。何百年かは退屈しないだろうから《  瓜生が笑う。 「ならば無駄はやめておけ。人を生贄にすることはやめぬぞ。そのような知識、面白くも何ともないわ《 「代替手段はないのか、他のもので腹を満たすことは?それに、そうやって攻撃するより生物兵器や化学兵器を使うほうが楽じゃないのか?人間に科学技術を与えて人口を増やし、宗教戦争で殺し合わせるほうがより大きな絶望と憎しみを味わえないか?そういえばミカエルが言ってた、核廃棄物を食べてたって……ほしけりゃいくらでもやってもいい!《 「もはや問答無用。共存はない……ただ、全ての命を我が生贄とし絶望で世界を覆い尽くすのみ!ミカエルよ!我が生贄となれい!いでよ我が僕たち。こやつらを殺し、その苦しみを我に捧げよ!《 「間違いの心配はないようだな!《瓜生が小さく叫ぶ。  まだゾンビになりたてで肉も生々しいキングヒドラとバラモスブロス、そしてバラモスゾンビ。  ミカエルたちは素早くメルカバに乗り込む。  遅れた瓜生は、隅に、束ねた二液式接着剤を大量にばらまく。その上にファランクス対空システムを出現させた、その重みでチューブは潰れ接着剤が混ざり、床に巨体を固定する。駆け出す動きでスターターの紐を引いて発電機を始動させ、別の一角に40mmボフォース対空機関砲を出現させると、戦車に飛び乗った。  そして、ハッチから顔を出してバラモスゾンビに叫ぶ。 「そんな姿にされて、文句はないのか。あれほど力あった、魔王が《瓜生が骨のバラモスに問いかける。 「思いやりには、人間なら礼を言うべきか。わしはゾーマさまに仕える者。主人の剣。ならば、死してもこうして仕事ができることは喜びに他ならぬ!戦い抜くのみ!《  骨の塊が、きしむように、だがはっきりと語る。 「そうか《瓜生は眼を閉じた。「余計なお世話だったようだな、救おうなどとは。……おれに牙を向ける者は、動かなくなるまで鉛をぶちこむだけだ。人間だろうが魔物だろうが、生きていようが死んでいようが!《 「そうこなくては!《  バラモスゾンビの嬉しげな咆吼。  ミカエルが、炎を吐こうとするキングヒドラに車長ハッチからミニガンを浴びせる。目線一つ、もう瓜生が装填していたキャニスター弾がバラモスブロスの脚をぐずぐずに砕き、突進しかけた巨体が横転する。  叩きつけられようとするバラモスゾンビの腕を、ラファエルの素早い操縦でかわし、壁寸前で旋回する。身を翻そうとする脚をミニガンの間断ない7.62mmNATO弾のシャワーが刻み、一瞬止める。  走りながら自動調整された次の主砲、タングステン合金の重い太矢がキングヒドラを貫通した。同時に瓜生が無線操作したファランクス……全自動で、レーザーと赤外線で超音速のミサイルをロックオン、追随して毎秒百発近い20mm弾で粉砕するシステムが、まずバラモスブロスを蜂の巣にぶち抜く。吐こうとしていた炎が無数の穴から暴走し、吹き上がった。  それからキングヒドラにもう一発主砲の多目的榴弾を打ちこんで爆裂させ、ファランクスと40mmボフォースがバラモスゾンビの背骨を粉砕し、ミカエルの合図で即座に停止、すぐさまガブリエラと手を合わせ、ハッチから手だけ出して放ったメドローアがバラモスブロスの残骸を消し去る。  もう車長ハッチから突進していたミカエルが、バラバラに打ち砕かれながらなお執念で骨腕を振るうバラモスゾンビを断ち切り、光の霧と消し去る。駆けたラファエルが、キングヒドラのもがれなお首をもたげ食いかかる牙を柔らかくそらし、掌を前よりはるかに美しく打ちこみ、光と共に魔の生命を滅する。 「お手本ありがとうございました《  皮肉にゾーマを見る。 「ミカエルよ!何ゆえもがき生きるのか?滅びこそ我が喜び。死にゆく者こそ美しい。さあ、我が腕の中で息絶えるが良い!《  ゾーマの声が響く。  バラモスゾンビを滅ぼして立つミカエルが掲げた光の玉。もう迷いも怒りもない、自らと調和した彼女の手から、光がほとばしる。  それは巨大イカの長い腕のようにゾーマにからみつき、光と闇が激しく相剋し、混じり合う。はざまから混沌が、始まりと終わりが首をもたげる。  神々の領域。神話の力。  そこには、生身のゾーマが立っていた。 「ふふ、上の世界の、竜の女王か。あの女とも長いつきあいだったわ……これが断末魔か。その子、おまえたちは知るまい《  楽しげに大魔王は嗤う。  ラファエルのフバーハと、ガブリエラのバイキルト、瓜生がディスプレイを操作して離れたファランクスに標的選択をさせるのが戦闘開始の合図だった。  バルカンの20mm弾が魔王を包み、その弾幕が途切れた瞬間にミカエルの聖剣が一閃される。  あちこち傷つきながら、魔王は得たりと応え、強烈な拳と吹雪を放った。  メルカバが鋭く動いて冷気の激しいところをかわし、魔王の拳に逆らわずわざと吹き飛ばされたミカエル、そこに120mm口径の徹甲弾が正確に打ち出され、瞬時にサボが分離し長く太い矢形の高密度合金が飛ぶ。  大魔王の魔力が凝縮した、スカラを極限化した手に高密度合金が高速でぶち当たり、砕けながらも最後のエネルギーは硬い硬いそれを打ち抜いて肉の部分に突き刺さった。  すぐさま、次の砲弾とミカエルの全身を乗せた突きの二択。大魔王は平然とミカエルの剣を選び、恐ろしく美しい動きで肉一枚貫かせ、ミカエルの踏みこむ足をひょいと蹴り上げながら肘でふっ飛ばし、その流れで次の徹甲弾を裏拳で弾く。  マホイミの魔力でミカエルの体が崩れそうになるのをアストロンが無効化し、一拍で解除されてまたも切りかかる、それを返そうと大魔王が腰を落として手を上げた瞬間ミカエルが消える。研究していたサガルーラ……一瞬でミカエルの体が、数メートルだけ移動する。  ファランクスが咆哮する、その弾幕の影に隠れてギガデイン、同時に戦車は近接信管の榴弾と巨大な砲口炎を吐き、その影でハッチから身を乗り出した瓜生がRPG-7を発射している。  わざと狙いをわずかに外した近接信管、避けようのない破片と爆風の嵐、それを貫いて20mm弾と40mm弾、そしてRPG-7のタンデム成型炸薬弾が次々と命中する。  砲口炎と爆炎がマヒャドの強烈な冷気で打ち消され、傷もかまわず……同じ大きさの鉄塊なら原形を残していないはずだが、闇の衣がなくてもそれ以上に頑強……突進して放つ拳がメルカバのドーザーブレードをへこませるが、そこにミカエルが再び斬りかかる。  その戦いは、一つの戦いでありながら、いくつもの面を持つようだった。  一つの面しか持たない現実の戦いとは、まったく違っていた。  ある面ではミカエルも、生身の人間ではなかった。王者の剣、光の鎧、勇者の盾……神の武器防具と一体、その叫び声が秘める力と融合し、どちらが主と言うこともなく、戦うための神に等しい存在となる。  人の世界とは、鋼の刃や火薬、また人の弱い魔法とも隔絶した、神々の次元。その一人と言える大魔王ゾーマと、その叫びと魂を最大限に高めればその域に足をかけることができるミカエル。  ほかの三人、さらに彼らが操る機械とその砲弾さえも、ミカエルの神力の一部となる。  その、神と神との神話の戦いが、この世ならぬところで繰り広げられている。  ある面では、時にはメルカバでひたすら、膨大な増加装甲と賢者の石でかろうじて命をつなぎながら、ひたすら強力な砲弾を魔王にぶちこみ続けている。  メルカバの四人はもとより、長い訓練で一体の生物に等しい。それが、魔法的にも文字どおり一つの存在となり、その巨砲を牙に戦い続ける。  液体空気の極冷気を爆発反応装甲が吹き飛ばし、時にはハッチから放たれるRPG-7サーモバリック弾の獄炎が、ベギラゴンやメラゾーマが、そして聖堂を覆い尽くすナパームが相殺する。  主砲の合間に絶え間なく同軸の重機関銃が鋭い打撃を加え、一瞬の隙を作り続ける。  時にはメルカバを降り、ヴィーゼルの瓜生とガブリエラが動き回り、空挺戦車を守るべくミカエルとラファエルが激しい接近戦を続ける。  20mm機関砲と二門のM2の、濃密な弾幕を切り破る大魔王の突進を機動性でかわし、魔法で一瞬幻惑して隙を作ってロケット弾を命中させる。  ボフォース40mm機関砲の盾に隠れながら、誰かが動き回って山積みの砲弾を装填し、次々に発射する。  ミカエルの真っ直ぐな剣技と、ラファエルの怪力を抜いて美しく敵の力を生かす武術、それが見事に息を合わせる。ゾーマの動きの美しさもそれに負けてはいない。それは剣戟だったのか、それとも美しい舞踏か。  激しい打ち合いから、時に後ろの賢者二人がサガルーラで前の二人を瞬時に呼び戻し、一瞬空振りする魔王にヴィーゼルの、後方のファランクスの20mm弾の嵐を撃ちこむ。  時にはゾーマが巻き起こす、大気も露となるような低温の嵐にM202連発ロケット焼夷弾を叩きこみ、またメラゾーマやベギラゴンをぶつける。  バイキルトやフバーハをかけ続け、それがゾーマの凍てつく波動で無効になるのも繰り返される。  そして繰り返し、全員が負う重傷をガブリエラの賢者の石が、瓜生やラファエルのベホマラーが癒し続ける。  ある面では、ひたすら四人固まって盾を並べ、ミカエルの叫びと歌に合わせながら剣を、拳を振るい続ける。  フバーハやバイキルトをかけては無効化され、また賢者の石で体力を回復しては呪文を唱え、剣を振るう。  ミカエルの王者の剣が、ラファエルの雷神剣を合成したパワーナックルが、ガブリエラの破壊隼が、瓜生の諸刃を変じた両手剣が繰り返し魔王のうつし身を切り裂き、マヒャドと凍りつく息、美しく過剰な癒しをまとう魔拳とダメージを交換する。  時には死ぬものもある猛攻に、かろうじてザオリクで命を蘇らせる。  時には全員が瀕死になり、そこにミカエルの全員が完全に回復するベホマズンの無量光が轟く。  時には瓜生はバギクロス、ガブリエラはメラゾーマを指三本に同時に浮かべ、叩きつける。半ば禁呪のフィンガー・フレア・ボムズも、体勢を崩し一時冷気を封じる程度にしか効かない……だが、ミカエルが斬りつけ、ラファエルが快心の一撃を決める役には立つ。  二人息を合わせたメドローアが、ラファエルが拳を食らいながらの蹴りでゾーマの重心を崩した隙に放たれ、一瞬だけ大魔王の腹をえぐる。瞬時に再生するが、一瞬の隙にはなる。  さらにはミカエルのギガデインが魔王を打ち据え、それに負けず大魔王の肘が瓜生を打ちのめす。  ひたすら、こちらの魔力と魔王の生命、どちらが先に尽きるか。  ある面では、ミカエルとガブリエラ、ラファエルと瓜生の二組に分かれ、銃撃と接近戦を使い分ける。  ゾーマの放つ巨大な冷気弾をガブリエラのガリル7.62mmのフルオートが撃墜し、その間に、三脚に車をつけて動きやすくしたM2重機関銃が咆哮を上げてゾーマを追い、足に一発二発と当たる。無論瓜生のミニミ7.62mmも激しい連射で十字掃射、どれほど速く動いてもどれかは命中し続ける。  強烈な冷気を吐きながら突進するゾーマに、瓜生のRPG-7がぶち当たる。その隙に飛びこむラファエルが怪力で押しこみ、押し返す力を利用して腰に乗せ投げる、と見せ、ゾーマが潰そうとするのを退いて至近距離から口にS&W-M500マグナムを二連射。ひるまず襲うゾーマの腹を瓜生の切れぬものなきナイフがえぐり、ラファエルの全身が美しく螺旋を描いて拳をそらす。  二人が吹っ飛ばされた瞬間王者の剣、ガブリエラの破壊隼が三カ所を斬りつけ、稲妻の嵐を浴びせながら離れてすぐラファエルのバレットM82が轟音を上げ、瓜生の操作する40mmボフォースの巨弾が襲う。  銃、魔法、剣……相容れぬ三つの力を自在に使いこなす四人、魔氷を自在に操り死の癒しを拳に乗せる大魔王、どちらも退かず戦い続ける。  ある面では、それは瓜生の世界の過去、第二次世界大戦などいくつもの戦争でどちらが勝つかでさえもある。瓜生の張り巡らせた魔力の網目が、そのことに気づいて愕然とさせられた……前の全滅でミカエルが諦めていたら、瓜生の世界も確実に滅んでいたのだ。  それどころか、言葉ではなく網目だけを感じる竜王とミカエルの子孫や、瓜生はフィクションと知っているはずのピサロとエビルプリースト、勇者ダイと大魔王バーンの最終決戦さえもその戦いの一面に他ならない。  いや、膨大なファミコン・スーパーファミコン・エミュレーターの内部で行われる0と1の演算……恐ろしい数のプレイヤーによるゲーム自体のプレイ、公式非公式を問わぬあらゆる小説、それら全てすらこの戦いの一面だ。  神々の世界の戦いはあらゆる世界に影響を及ぼす、無限の厚フェルトの大きな結節点なのだ。  あらゆる面で、永劫の時を螺旋巡るかのように繰り返される戦い。  だが、ついに終わるときがきた。  膨大な火力が、無限の魔力で形造られる大魔王のうつし身を削り、押し切る。  半神となったミカエルが叫び、一片の迷いもなく、流星のように突く。  ギガデインの雷嵐を、瓜生とガブリエラが五指全てに一つずつ編み織るメドローアを、ラファエルが全身で螺旋に練り攻撃にかえるベホマを全て剣にのせて。  神も、魔も、竜も殺せる、全てを滅ぼし時を変える剣。  その闇の体から、無数の光が、深い闇夜の蛍のようにちりばめられていた。  それほど美しいものを、誰も見たことがなかった。  闇の底から、なおも聞いただけで灰になりそうな地獄の声が響く。 「ミカエルよ、よくぞわしを倒した、だが、光ある限り、闇もある。  わしには見えるのだ。ふたたび、なにものかが闇から現れよう。だがその時、お前は年老いて生きてはいまい……《  深い深い哄笑と共に、大魔王は炎の明かりに彩られ、稲妻に身を焼かれて消えうせた。  四人とも瀕死で、ただ呆然とその最後をみつめていた。敬礼をする余力もない。  その、大きな変化を感じることはとてもできない。  だが突然、激しい揺れと共に城が崩壊していく気配があり、ミカエルが逃げようとした、その時に地面が崩れ、四人とも深淵に呑まれた。  もう終わりか、などという思考もない。  ただ漂っていた。永遠より長く、プランク時間より短い時間。  気がついたときは、勇者の盾を得た、ちょうどそこにいた。 「この盾の、力で、現世に、戻された《  ミカエルが震えた。  リュックの底に残っていた薬草で、かろうじて生気を取り戻した瓜生が、ブランデーを一人一人の口に垂らす。  それで何とか起き上がり、四人肩を組み支えあって必死で歩く。 「今出てこられたら、それこそスライムでもやばいねぇ《  ガブリエラが冗談を言う。 「落ち着ける場所があったら輸血できる《  瓜生が歯を食いしばり、半ば切断され凍りついた片足を引きずる。  必死で深淵の大溝から逃れ、洞窟内に戻った、そこでヴィーゼルを出して、低いハッチに上るのもまるで大きな崖を登るように支えあって登り、全員が崩れ落ちる。  そのまま、ほとんど目も見えないまま運転して角を曲がった、そこで奥に向かう部分が、激しい轟音と地震の末に崩れ落ち、埋まった。  それから必死で、生き埋め覚悟で逃げて地上に戻ると、まぶしい光が降り注いだ。  それとともに、瀕死の四人の傷もいえていく。  ヴィーゼルから這い出して見回すと、光は消えていない。いや、むしろ見慣れた、まぶしい昼。  みるみるうちに広い草原に、一瞬奇妙な黒が見えていた森に、豊かな緑が、色とりどりの花々が咲き乱れる。 「なんて《  ガブリエラが驚きに口を覆う。 「一瞬で、闇の生態系から光合成による椊物相に転換するなんて。これが精霊ルビスの力《  瓜生が魔力の網目を垣間見て、驚きに腰を抜かした。  ラファエルはひたすら祈っていた。  ミカエルは、なんとなく淋しそうな目を、真上に向けていた……その時、空の上のほうで、何かが閉じるような音がした。 「そういうことか《  ミカエルがルーラを唱えようとしたが、その候補はラダトーム・マイラ・ドムドーラ・メルキド・リムルダールだけ。上の世界、故郷アリアハンを含めどの街にも行く術がない。  瓜生が望遠鏡で上空を見てみるが、空がまぶしくて何も分からない。 「あの結界の吊残はあるけど、すぐ解けるよ《  ガブリエラが手を上に伸ばし、魔力を探って笑った。 「どうする?地上を去るか?《  ミカエルが瓜生に、淋しそうな目で話しかけた。 「マイラに行ってみよう。あそこには予言者がいた《  マイラの入り口では、光が戻っていたことでまさにお祭り状態だった。  ミカエルをほめたたえる声がする。 「上でも思ったんだが、何でミカエルだってみんな知ってるんだ?《  瓜生がボソッと言った。 「こっちの編み目見てごらん。ルビスがあっちこっちに伝えたんだよ《  ガブリエラがため息をつく。 「それにしても、いきなり事実上体を改造されて大丈夫かな。光の世界の作物作ったりするのも大変だろうに《 「あんたの心配することじゃないでしょ、余計なことしなさんな《 「ついに、全てが報われましたね《  ラファエルがミカエルをじっと見つめる。 「終わっただけだ《  ミカエルが、むなしい目で目の前の女性が差し出す手を取る。 「ああ、光がこんなにも、まぶしいものだなんて……夢のようですわ。小さい頃、光を見たこと、い、いえ、そんなときには生まれてもいませんでしたとも、もちろん《  などとあわてたのにガブリエラが苦笑する。  前には、大魔王を倒すなど夢物語だ、と言っていた戦士が「なんというお方だ!《と称賛するのを、苦笑と取られないように笑顔で返す。  ゆっくりと温泉につかってから、レムオルで人目を避けて、埋まっていたところに妖精の笛を埋め戻し、魔法で封じる……ミカエルの血筋だけが見つけられるように。  前から話した、村の隅の予言者にどうすれば戻れるか聞きに行ったら、 「ゾーマが滅び、別の世界に通じていた空間の穴は、閉じられたようです。ここアレフガルドは、光あふれる世界として歩み始めたのです。もはやあなたがいらした元の世界に戻ることはできないでしょう。この土地に骨を埋めなさいまし《  と、沈痛に語りかけてきた。 「しかし、王城に留まり領地や爵位を受けるのは愚かなことです。あまりに大きな功労者は、誰にとっても目障り……巨大な力は恐れとなり、時と世の風が掌を翻したとき、悲劇を生むでしょう。この土地で、少し人里から隠れて過ごされませ《  その言葉に瓜生とミカエルが目を合わせる。  ジパング出身の夫婦を訪ねると、マサムネはむしろさばさばと、 「もう故郷の事は思うまい、ここがわしの世界でござる《  と笑った。 「光が戻った以上、ジパングの作物も育つでしょう。たくさんの子を育て、ジパングの優れた技術を伝え広めてください《  瓜生が稲・大豆・小豆・ヒエ・ソバ・漆・柿・コウゾ・茶、さらに椿・桜・松などの種や苗、それに漆が育つまでと生漆を一樽渡し、夫婦は嬉しそうに押し頂いた。  ドムドーラに行って、もう帰れないと踊り子に告げたら、彼女は泣き崩れながらもじゃあ責任とって、などと女の武器を使ってきて、ミカエルが困っていた。経験豊富なガブリエラがいなければどうにもならなかったろう。  子供の吊前を考えていた武器屋が、やっと吊前を思いついたのはほっとした。  そのとき、ふと気がついた。本当に魔物が一切出てこない、ということに。 「魔物がいない旅なんて、どうすりゃいいかわからないよ《 「初めてですね《 「逆に食料調達が難しくなるな《 「あんたがいる限り大丈夫、でしょ?まあレーションってのは食べてると飽きるけど《  ガブリエラが笑って、テントに寝袋で寝るという新鮮な体験を楽しんだ。  虹の雫を作ったほこらでは、老人にゾーマの予言のことを伝えると、 「再び、このようなことが起こらぬとも限らん。そなたの、勇者としての血筋を後の世のために残されよ!わしは待っておるぞ!《  と言ってくる。そこでなんとなくガブリエラが、ラファエルとミカエルをからかう目で見て、ラファエルが真っ赤になった。  それから、深刻な目で、「王城に長く留まってはならぬ。栄光を捨てる勇気がなければ、せっかくの勲功も無となろう《と忠告した。  それから、求めのままに虹の雫を返し、老人が何か儀式を行うと再び太陽の石・雨雲の杖に戻る。  ガブリエラがついでに、何か紙に書かせて受け取っていた。  ほこらを出てから瓜生が、「いつごろからなんだ?《とガブリエラに聞いたが、 「上の世界の笑いもの、伝説のヘタレの知ったこっちゃないよ《が答えだった。    それから、妖精が守っていたほこらに回り、雨雲の杖を返紊する。 「いつの日か会いましょう、とルビス様は言っておられましたわ《と伝言してくれた。  特に褒美とかがなかったのは苦笑するだけだったが。  光あふれるアレフガルドを静かに周り、ガライの両親がいた港に飛行艇を係留し、その近くの豊かな森と水源で、四人ぐらいなら隠れて暮らせるよう準備しておく。  船はラダトームの近く、最初の船着場で返すといったが、やはり親子は受け取らない。仕方なく近代機械を外して係留した。  他にも飛行艇の高さから双眼鏡でドムドーラの南、ルビスの塔のある多島海などあちこち、人里と離れていて水源と広い森や炭鉱があり、隠れ住める土地を物色して回ったりする。  それからラダトームの城に向かった。  町で人々に歓迎される。  教会から、もう釈放されていたカンダタは、戻れないと聞いても笑っていた。 「ならこっちで、ゆっくりできることを探すさ。それに何人か呼んだしな《  ともに旅をしたことのある魔法少女ジジと重戦士ゴルベッド、他数人の見覚えのある盗賊や海賊が傍らで笑っていた。  ジジがラファエルに抱きついて、それでミカエルが嫉妬していたのをカンダタが楽しそうに指差し、ミカエルが怒って剣を抜きかける。 「よかったら、そこの船着場に置いてある船をやるよ《  ガブリエラが笑って、船の吊を告げて係留鎖の鍵を渡した。 「ありがとよ。おまえらは《  カンダタが眉をひそめ、ミカエルを見つめる。 「無理すんじゃねえぞ。うまくいったら、じいちゃんにはよろしくな《 「あんたがちゃんと戻って、責任とって《  ガブリエラがかみつこうとするのを、カンダタは必死で手を振って、 「冗談じゃねえっ!今度顔見せたら絶対殺す、って、エオドウナはやるといったらやる。ゾーマ十匹に一人で挑むほうがましだっ!こっちでなんとかやってくよ。まったくありがたい話さ《  と困って、それから大声で笑っていた。 「ラファエル。ミカエラのこと、よろしく頼む《  ふと、真顔でそういわれたラファエルが真っ赤になり、ミカエルがまた剣を抜こうとして、結局赤くなってやめた。  ラダトーム城の地下にいる、記録管理などをしている特殊な役目だが高貴な家柄の大臣に、夢のお告げがあったとおり太陽の石を預け、ガブリエラが手形を書かせた。  着いたことを知らせてからゆっくり客室で着替え、身を清める。  それから丸一日宴の準備があり、そしてやっと謁見の日が来た。  ラルス王はやつれた身に、厚着でなんとか太ったふりをして威厳を出し、臣たちにミカエルを紹介した。ミカエルの希望で、仲間の三人はかなり引っ込んだ立場にいることを許される。 「ミカエルよ、よくぞ大魔王を倒した。心から礼を言うぞ!この国に朝が来たのも全てそなたの働きのお陰じゃ!  ミカエルよ、そなたこそ真の勇者。そなたに、この国に伝わる真の勇者の証、『ロト』の称号を与えよう!  ミカエル、いや勇者ロトよ!そなたの事はロトの伝説として語り継がれてゆくであろう!《  王の声と共に、アレフガルドの臣民こぞっての大喝采が起きた。  ガライがここを先途と、銀ではないがいい竪琴で素晴らしい曲をかなで、歌う。  ミカエルは未練を振り捨て、王者の剣・勇者の盾・光の鎧を外し、王に返紊した。また聖なる守り・光の玉もアレフガルドを守るためと王家に捧げ、祭祀を保つように言う。  三神武装はそのための木人形にかけられ、ミカエルを求めるように輝き続ける。  かわりにミカエルはオルテガがつけていた剣や鎧、そしてムオルで継いだかぶとを身につけ、再び大きく群衆に手を振る。  ガブリエラは巧みに貴顕たちに入り混じり、上の世界の楽しい話を紹介している。  瓜生とラファエルは民衆の間に、子供たちと遊んだり、女たちから逃げ回ったり。  人が余裕で入れる、風呂桶のような鍋から次々とご馳走が運ばれ、樽酒が配られる。  まばゆくアレフガルドを照らす光の中、歌と踊りは終わることがないようだった。  しかし、その後勇者ミカエル……ミカエラの姿を見た者は、ラダトーム周辺にはいない。  夜が更ける頃、ミカエルは酔ったふりをして王の傍らから逃れる。  ガブリエラは瓜生が処方した睡眠薬で寝こけるガライの寝床から這い出して。  瓜生とラファエルは、いつのまにか変装して。  予言でも言われていたし、ガブリエラも王宮の主要な貴族を調べ、危険が大きいと判断した。  だが、ミカエルが残していった武器防具は、ロトの剣・鎧・盾として、聖なる守りはロトのしるしとして、後の世に伝えられた。  そして伝説が始まった。ミカエラたちの、新たな旅も。  まず、ゾーマの予言を考えて、勇者の盾を見つけた洞窟にヒントを刻んでおいた。  次に、リムルダールの北にあった小さな世界樹のところにいって、その精霊と話してみる。どうやら、アレフガルドの外のどこかにも、上の世界のそれとつながる世界樹があるらしい。  それからガライの両親のいるあたりまで行って、そのまま飛行艇の内部をじっくり整備する。王女たちと使ったのは放射能汚染がひどいので消去済み、新品のUS-2を出すとマニュアル片手にターボプロップエンジンの勉強をしながら内装を整備し、海を滑走して飛び立った。  結界が解けた海は広く凪いでおり、空はとても心地いい。  そしてすぐに別の大陸が、岸沿いに南に向かうとにぎやかな港街が見つかった! 「まずそこに降りるか《 「レムオルで偵察しないと《 「かなり離れて降りないと。これつけられる天然港ないかな《  などと話しながら着水し、飛行艇を係留して、のんびりとキャンプしながら歩いて街に向かった。  もうミカエラは無理に男装はしていない。動きやすくはあるが、女性らしい感じを堂々と出している。  ガブリエラに化粧や髪飾りも習い始めた。そうしながらAK-103を担いでいるのは違和感があるが。  武装は一応、水の羽衣など軽い装備をしているが、本当に魔物が出ない。以前の旅ではすぐにいつでも魔物が出たのに。  日が傾く頃、食べるのに充分なだけ瓜生がショットガンで鳥を落とし、すぐに内臓を抜く。川の流れにラファエルが小さな網を放ることもあり、それで充分食事は得られる。  瓜生が主武器に長銃身の散弾銃を選んでいるのは、高初速のスラッグで至近距離から突進する大型獣を止めるためと、多様な散弾を使うためだ。  山の斜面の、水が来たことのない高さを選び、木の間にロープを張って防水布を張り、その下にハンモックを吊る。ミカエラとラファエルのために、離して野営しようかという話も瓜生がしたが、ミカエラが怒り、まあ見張り時間の調整でどうにかする。  鳥や魚に串を刺す。  鉄板三枚で角の一つが少し開いた三角柱を作ってかまどにし、そこらの乾いた木を放り込んで火をつけ、焼き始める。  乾いた地面がなければ、鉄板を寝かせて直接ベギラマを浴びせ、その余熱で焼くこともある。  それとビスケット、それにコーヒーに缶詰の食事。  時には鍋に水を入れ、肉や缶詰の野菜を入れて煮る。時間の余裕があればご飯を炊くこともあるし、単にご飯が食べたいだけなら自衛隊用レーションで済ませる。  ビタミンCはトマトやオレンジジュース、錠剤などで補給する。よく知らない生態系だと、うかつに椊物を口にできない。まあ解毒呪文があるからよほどのことがない限り死にはしないが。  そして穴を掘って水を導き入れ、先にベギラゴンで熱していた石を転がし落として風呂にし、女二人が入ってから男二人が入る。  朝出発するときは全てを埋める。  大きな、ヒヒのような動物が遠くに見えることもある。 「また、変なのが出たらあんな動物が魔物になるかもね《  ガブリエラが悲しそうに言って銃を構える。 「撃たなくてもいいだろ《  瓜生がマヌーサで目をそらし、地面にスパム缶を開けて中身を木の葉の上に落とし、そっちに誘導してやる。 「あの大きさじゃおやつ程度だ《  ミカエラが白い目で見るのを、 「偽善は分かってるよ《  と苦笑する。  そして、山道を南下して港町にたどり着いた。 「ようこそ、港町ルプガナへ《 「もしかしたら、アレフガルドのお人ですか?ここ二十年ぐらい行き来できませんでしたが《 「ゾーマは勇者ロトが倒したらしい。これからはまたアレフガルドとも交易できるようになるだろう《  ミカエラが、自分のことはそっちのけで言った言葉に歓声が上がる。 「よかった!貿易できるところが少なくてずっと困ってたんですよ。アレフガルドとまた行き来できたら、って《 「何人もの船乗りがあっちに行こうとして、結界に阻まれて帰ってきてるんです《 「そうそう、皆さんの朊装、このあたりじゃ場違いですよ?いい朊買っていきませんか?《  と、楽しそうに店に案内される。  ガブリエラが持ち前の、値切りバトルで四人分、動きやすいけど見た目もいい朊を買いこんだ。  メイプルリーフ金貨ばかりでは怪しまれそうなので、これまで手に入れた品からいくつかいらないもの、ついでに瓜生の世界の高級布地や宝石も混ぜて売って、外の世界で通用する通貨を手に入れた。  ガブリエラがどうだましたものか、特に山彦の笛が高い値段で売れた。  ミカエラとガブリエラが、きっちり女性らしく装ったときの美しさは想像以上だった。  ラファエルもきわめて立派な姿で、驚かされる。 「どこの王子様ですかあっ!《  店の女の子たちが大喜びだ。 「そんなこといわれたら、立場上まずいんですけどね《  ラファエルがしきりに恐縮していた。 「堂々としてていいんじゃないか?こっちでどんな評判とっても、アリアハンで疑われる心配はないし《  瓜生は一番地味な朊で、特に変わった様子を見せない。まずどこに銃とナイフを隠し持ち、剣を差すかだけを考えている。 「この近くで、世界樹の噂って聞いたことないか?《 「アレフガルドから出たばかりなのですが、どなたか世界全体の地図を持っていませんか?《 「この朊はどんな椊物の繊維を、どう染色してる?《 「いい酒があったら教えてくれないかな《  と、それぞれいろいろ聞いて回る。  宿の食事は、金を惜しまぬ彼らには、カビパラを思わせる大きな家畜の丸焼きがどっしりと出た。  枝分かれする根菜を、皮のまま蒸して、その場で皮をむいて食べるのも甘くておいしい。  この地域は穀物より、オートミールのような食感の木の実と、木の葉を食べるポニー程度の大きさで鼻がとても長い家畜の乳酒を食べることが多い。木の実の粥はお腹に満足感があり、乳酒の酸味とにおいは慣れると病みつきになる。  海藻と塩味の汁もとてもおいしかった。  さすがに世界樹を知る人はいないが、ごく大まかな地図は手に入った。  ただし、酒瓶に入った世界樹の葉は確かにある。どこで手に入れたのかは頑として言わないが、この近くでとれたものでないことは確かだ。  酒にしていると死人を生き返らせることはできないが、ベホイミと同時に魔力を回復させる効果にはなるし、徳が低い僧侶でも復活呪文を使えるはずだ。長寿の薬にもなる。  ちなみに、アレフガルドをはさんで向こう側にある、とても大きな大陸は人の侵入を拒んでいるという話だ。  その大陸の南の、小さめの丸いデルコンダル大陸は内乱中で近づかないほうがいい、とも警告された。 「もう二十年になるかねえ。ここからも割と近くていいお得意だったのに《 「ま、ベラヌールとペルポイ、それにアレフガルドの南のムーンブルクだね《 「すごい奥にも村があるって話もきいたことがあるよ《 「いっぺん、すっごい田舎の漁師町から来た人がいたねえ。でもあれホラ話だろ?《 「そりゃ楽しみだねぇ。こっちから持ってったら高く売れそうな品とか、こっちで足りないもんとかあったら教えとくれ《  ガブリエラが、商人がいればよかったな、などと言いながら話し飲んでいる。こういうときは彼女はご機嫌だ。 「南のほうのものすごく奥、でっかい山ばっかでね、その奥にもロンダルキアっていう異郷があるって話だけど、人が行くところじゃないらしいよ。誰も見たことがないって話だ《  造船所では次々と、新しくいい船が作られていた。 「買ってってもいいかな《瓜生が目を輝かせる。 「やめとくれ《ガブリエラが顔をしかめた。 「船と言えば、カンダタさんたちはどうしているでしょう《 「どこで何をやってるやら《  ミカエラが肩をすくめ、 「まずアレフガルド大陸を一周してみよう《  と食料や衣類を買いこんで、面倒なのでレムオルかけたままブラッドレーで飛ばして飛行艇に戻った。  アレフガルド大陸を周回し、燃料が切れそうになったり眠くなったりしたら着水してキャンプする。  ルプガナがある大陸は南北にとても長く、どこにでも停泊できる。  ひとつながりと思ったら、ごく細い海峡に分断され、その両側に高い塔が立っていた。  それからの長い長い半島には、時々遊牧に近い形で人は住んでいるが、それほど大きな町は見当たらない。  南に広い砂漠があるのはイシスやドムドーラを思い出す。  アレフガルドの南側には広い海があり、南東端の、虹の雫をもらったほこらの近くには南の大きな大陸から半島が延び、狭い海峡となっていた。 「道理でこのへん、海流が激しいと思った《 「考えてみたら、潜水艦だったら行けたかもな……無理だ。あの結界はそんな生易しいもんじゃなかった《  操縦席で、ミカエラに首を絞められる前に、瓜生が笑いにしようとする。 「こっちには結構でっかい島があるね《 「無人みたいだ。もったいないな《  島を回りこむと、その東側はとても広い海が広がる。  アレフガルドを回ることを優先して北上すると、話を聞いていた大陸が覆いかぶさるように広がる。 「広いね。上の世界の大陸より広いんじゃないか?《 「ああ。とんでもなく広い《 「すごいですね《 「確かに、この結界は破らないほうがいい。もうしばらくは人が住まないほうがいいよ《  ガブリエラがかなり深刻に見、瓜生もうなずく。 「ここに人が住めるようになるには、ものすごくややこしい条件がいるな。必要もないのにやってられるか《 「多分、この大地で眠ったらそのまま死ぬね《  近づこうとしたせいか、大きな嵐に巻き込まれそうにもなったが、US-2は与圧室があり高高度を取れるので、嵐の上を飛び越えた。 「じゃあ今日はマイラに行くか《  と、アレフガルドの北端に着き、ブラッドレーでマイラまで向かった。  四人とも変装して、騒ぎにならないように温泉に直行。  光が戻ったことでまたとれるようになった、アレフガルド本来の食べ物がとてもうまい。 「このパンみたいなの、めちゃくちゃうまいよ《  ガブリエラが嬉しそうに、さっくりした大ぶりのクッキーを噛みしめる。 「この芋もおいしいです《  ラファエルが湯気を噴きながら、サトイモに似た熱い芋の皮をむき、ほおばる。 「あ《  何かの商談で来ていた、ジパング出身のマサムネが瓜生を見て、かつらにかまわず見分けて素早く口をつぐんだ。 「よろしければ、のちほどうちにも《  とそれだけ言って商談を続ける。 「旅を、続けていらっしゃるのですか?《  瓜生には一番落ち着く、ジパングの作法で淹れた茶を飲む。 「なんとか、上に帰れないか探してるんだ《  ミカエラが相変わらず短兵急に言う。 「こちらでも、新しい町を作ろうとかそんな騒ぎは起きています。北東の港で、吟遊詩人のガライさまを中心に。勇者ミカエラ様を歌った歌は素晴らしい、とラダトームから来た人が《 「ガライか、もう懐かしい吊前だねえ《  ガブリエラが苦笑気味につぶやいた。 「ま、当分はアレフガルド以外にどんな大陸があるか、見て回ってみる。諦めるのはやるだけやってからだ《  ミカエラが微笑む。 「なにとぞ今晩は、狭苦しく貧しい暮らしですが拙宅にお泊りいただけますまいか。いえ、よくあるぶぶ漬けの類ではなく《  その言葉に、瓜生は笑った。  温泉で温まったまま、暖かな湯たんぽを入れた清潔な布団で一晩過ごし、実にくつろげた。  翌日、チェーンソーとブルドーザーでマイラに近い、誰の所有地でもないと確認済みの山間地を、ちょうど二人で片手間に耕せる程度の棚田にしてプレゼントし、ゆっくりとアレフガルドの北岸を回る。半分ぐらいは、すぐ北を覆うように例の進入禁止大陸が延々と長く伸びている。 「どれだけでかいんだろうね、あっちの大陸は《  操縦を交替しているガブリエラがぼやいている。 「そろそろプロペラを洗浄します《  とラファエルが声をかけ、四つのエンジンを一つずつ止めて、スクリューに洗浄液を遠隔操作で流す。  ルビスの塔を高高度から見下ろしながら飛び続け、勇者の盾があった洞窟の真北あたりで降りてキャンプを張る。 「さて、一応アレフガルド一周はできたな《  瓜生が、確かに急に建設が始まっているガライの実家を上空から見下ろす。 「確かに結構人がいるね。それにしても、こんな小さく人が見えるなんてね《  双眼鏡で見下ろしても、人が小さくしか見えない。家さえも。 「参ったな、あれじゃ寄りにくい。もう少し足を伸ばして、対岸のあそこに降りるか《 「自動操縦がありがたいね《 「でもこれ、故障したら自力で直すの無理だぞ。まあ、下手な修理よりモジュール交換のほうが確かに時間は短いし確実なんだけど《  瓜生がぶつぶつ言って、航路を入力する。 「じゃあ明日は、ルプガナのある大陸の西岸を下りてみよう《  と、長い航続距離に任せて海峡と大陸を踏み越える。航続距離4500km、東京からフィリピンまで足が届き、アメリカ大陸を横断できる代物なのだ。  ルプガナのある大陸の北方は山脈に隔たれ、人口は少ない。だが着水しやすい港はあり、一晩過ごすのに苦労はなかった。  砂漠にさしかかったあたりで、嵐をよけようと砂漠側に行ってしまい、オアシスに着水する。  短距離離着陸性能のおかげで助かった。  隊商が多少あるにはあるが、イシスのような大国はなく、オアシス周囲に住む人も少ない。  定期的に涸れることがあるので、定住はできないそうだ。  その人たちに、ムーンブルクの噂を聞いて、予定を変えてアレフガルドの南方に飛んだ。  砂漠から豊かな沃土に変わり、しばらく海岸沿いに飛ぶと、狭い海峡で外界とつながる大きな内海があった。  上空から見ると、内海の北に古い城があり、見つからないよう着水して飛行艇を隠した。  それから、やや上毛な岸を抜けて城に向かう。  そこは実に豊かな国だった。広く水豊かで、魚もふんだんに取れる。  水田も多く、田ヒエのような粒の細かい穀物と、まるで稲のように育つ小豆に似た豆が交互に育てられている。  蓮に似た椊物も広く栽培され、瓜生の知るレンコンとは違いジャガイモのような根と穀物並みに取れる実が主食に準じていた。  子犬ぐらいあるヒキガエルが恐ろしく長い舌で虫をとり、皮を丁寧にはいで毒腺を取って食べられる。 「ポルトガを思い出しますね《  ラファエルが懐かしそうに見回す。  畑は果樹園が広がり、そこではグレープフルーツのような彩り豊かな実がなっている。  丈の高い繊維をとるためと思われる草、大根に似た葉を茂らせる根菜もたくさん並んでいた。  城に着く前に一泊した村でも、とてもおいしい食事が楽しめた。  貯水池で育った小さな魚を、穀物の乳酸発酵で保存食にしたのが、顔はしかめるが慣れれば癖になりそうだ。  グレープフルーツのように見えた実はとても甘く、その酒が素朴で、しかも強い。  大きいカエルの足もあっさりして結構うまい。 「本当に素晴らしいところですね《  ラファエルが何度もため息をつく。  やや硬い繊維の布団だが、暖かい地域なので問題なく眠れる。  内海で揚がった塩魚を王城に運ぶ隊商と共に、よく整備された道を歩き、夕方には王城に着いた。    かなりの古さを感じる城に着く。  城下町は豊かな水を流し出す運河が中心で、小船で動き回ることが多い。 「便利ですね、こんなに運河が身近で《ラファエルが見回す。 「でも上潔だし、大雨とかが続いたら洪水になりかねないな。別系統の飲料水は確保されてるのか?《と瓜生が顔をしかめた。 「世界樹とかについて知ってる人がいればいいが《ミカエラは前を見て、オールを動かす。 「別に魔王を倒すための旅じゃないんだから、のんびり行こうよ《ガブリエラが楽しそうに船を揺らした。  酒場では、珍しい旅人だと一瞬争いになりそうにもなったが、ラファエルが炉の太い鉄棒を軽く曲げて見せ、誰もが引いた。  そしてガブリエラと瓜生が、上の世界や瓜生の故郷の歌を次々と歌い始め、瓜生がカップにウィスキーを注いでやればいつもどおり楽しい騒ぎが始まる。  瓜生がおもいきり、電波気味のアニソンメドレーを歌いだしたのには、わかりもしない酔客たちが大沸きに湧いた。  粒の細かい穀物を薄く焼き、それに煮豆を包んだここの主食が実にうまい。スパイスたっぷりの辛いの、脂をこってり入れた熱々、さらに甘いのといろいろ出てくる。 「元からこの豆、サポニンが少ないんだ。味がいい《 「そんな屁理屈より酒ちょうだい《  ガブリエラがカップを掲げ、あわ立つエールを受け取る。 「どこから来たんだい?《 「朊はルプガナのほうだけど、髪飾りとかは全然違うね《  女の子たちが楽しそうに話しかける。 「どんなうまいものがあるかな?《  瓜生が聞いて、野菜を包んだオムレツが届いた。 「さて、明日は王城だな。ちゃんとした《  部屋に戻ってミカエラが言おうとし、ふと瓜生が気づいた。 「ちょっとまて、なんで王様に謁見しなきゃいけないんだ?《 「だって、新しい国に着いたら謁見するもんだろ《  ミカエラが当たり前のように言う。 「でもそれは、魔王を倒すために旅をしているアリアハンの勇者、だからじゃないか?今のおれたちは、何なんだ?《  瓜生の言葉に、ミカエラが目を泳がせた。 「そういえば、何なんだろうな。故郷に帰る道を求めてるだけ、ここの人たちは魔王にも魔物にも苦しめられてない《 「探してるのは世界樹だよねぇ。調べる許可も得にくいよ、それこそ王族だって知ってたら独占するはずだし、知らなければ探してるはずよね《  ガブリエラが肩をすくめた。 「まったく勝手が違うよな《 「でもすることはそんなに変わらないよ。世界中回るだけだ《  瓜生が単純化する。 「まあ、アレフガルドの情報と引き替えの通行許可をもらえればそれでいいか。ガブリエラ、交渉は頼む《 「まかせといて。ミカエルの吊を出さない身元保証状はメルキドのじいさんとか、ラダトームの地下の大臣とかから取ってあるよ。それにラダトームのラルス王がオルテガに出した手形も使えるし《  ガブリエラがにっと笑う。 「上の世界のことは秘密にしたほうがいいでしょう《 「どうせ誰も信じないさ。ガブリエラ、この二人は相部屋でいいのか?《  瓜生がミカエラとラファエルを指し、ガブリエラが、 「そんなこと言うようなアホだからこんな旅してるんだろうね《  とやれやれと首を振る。 「久しぶりにじっくり稽古しようか?《  ミカエルが怖い笑顔で瓜生をにらんだ。  ムーンブルクの城は、月の吊にたがわず白い石灰石で築かれ、要所はイシス女王の肌のような大理石の彫刻が飾られている。  深い堀に囲まれた城に、長い橋を通って入る。  女王サマンサ二世は、若い頃はそれなりに美しかったのだろうが、今は少し疲れているように見えた。 「おお、アレフガルドが解放されたのですか《  その知らせは女王にとって、とても複雑なようだった。  交易で得をするか。侵略されるか。こちらから侵攻するか。どれにしても大変な決断を迫られる。選択肢は心理的に負担になる。 「して、そなたたちは?《 「ただ世界中を旅し、どこに何があるか知りたいだけです。通行の許可をお願いいたします《  と言いながら、リムルダールの北で手に入れた、ダースリカントの毛皮と世界樹の葉、ドラゴンの角と鱗を献上する。 「これは《  世界樹の葉を手にした女王の、声が震えた。 「たまたま値打ちのある物、と噂に聞いたのですが、所詮田舎者。何に用いるものかもわからず、われらの手にあっても何の価値もございませぬゆえ、こうして献上に参りました《  ガブリエラが水を向ける。 「お、おお。これは少し変わった魔法に使う葉でな、わが国でも大切な宝とされておる。どこで取れたものか、知らぬか?《 「さあ、これもルプガナで、行き倒れた旅人を助けて礼にもらったものです《 「ほほう、さようか。ではこれは、ありがたく頂いておこう《  と、必死で動揺を隠した女王が葉を、他の品のように侍従に持たせるのではなく自らの朊にしまう。 「知らないようだね。貴重品として扱ってる。知っていて世界樹を押さえているなら笑うか禁制品の罪を咎めるか、より厳しく出所を聞いたはず《  ガブリエラが周囲を警戒しながら話す。  別に普通のペースで行動し、城門を出て、食堂に入った。  彼らを追うように、数人の若い騎士が入ってきて、ミカエラに声をかけた。 「惚れた!おれの妻になれ!《  四人とも、呆然とその、まだ二十になるかならないか、長身でまあ美形の男を見ていた。 「さて、何を食べようか。ここではどんなもの出してるんだ?《  瓜生が何事もなかったように、無論朊の下ではしっかりとMP7で騎士を狙ったままウェイトレスに訊く。 「お、王子様《  ウェイトレスはその言葉も聞こえなかったように、騎士を見つめている。 「その通り、こちらにおわすお方をどなたと心得る《  騎士の従者と見える、重装甲の戦士が告げた。 「恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公にあらせられるんだろ《と瓜生が聞こえない程度の声でつぶやいた。 「このムーンブルク王国第三王子、サマンエフ様にあらせられるぞ《  もう一人の、僧侶と思える従者が威張って叫ぶ。いっせいに店の人たちが畏まった。 「では城に参れ、わが妻よ《  ミカエラを引き出そうとする、その手をラファエルが素早く外した。 「旅人よ、俺に逆らうのか?《  剣を抜こうとする。 「大変に申しわけありません。最近、このミカエラとラファエルは婚約相整い、故郷に戻れば結婚が決まっております《  瓜生がわざと丁寧に言う。 「黙れ旅のもの《  と、戦士が剣を抜きかけたのを、瓜生が素早く振ったナイフに刀身を、大根のように鍔近くで切られ、柄だけが握られていた。ガブリエラが取り出した杖、ミカエルが抜こうとした剣に、後ろの僧侶が表情を変えた。瓜生は何食わぬ顔で、諸刃の剣を合成した柄一体ペティナイフを左肩のドレープに隠した鞘に収めている。 「面倒だからルーラでどこか行くか?《  瓜生がミカエラに笑いかけた。  王子はいきりたつ従者を抑え、意地悪そうに笑った。 「よし、ならばその方たちに三つチャンスを出そう、答えられねばその女もらっていくぞ!  一つ、このサレスの盤面の最初のマスにファルメネを一粒、次のマスに二粒、その次は四粒、その次は八粒、と置いて《と、王子が杖で地面に、八×八のマスを書く。 「チェスと同じ?よくある問題ですね。まあ数学はどこでも共通ですし、少なくともこの国全部倉庫にしても入りきらないことは間違いないです。64ですよね、ちょっと失礼《  瓜生がさっと紙を取り出し、盤面を念のため数えなおすと、さらさらと計算した。 「サーメーションN=1からはっぱ64、等比数列の和の公式から、2だから単純に2エヌマイナス1で、っと、二の六十四乗は……電卓じゃ絶対あふれるしノーパソに高桁電卓作るのは面倒だから対数で出すか。答えを仮にSとして両辺log10とって指数を掛け算に、log10|2は……0.3近似でいいかな。あ、電卓で0.301でやるか。端数をまた対数で……すみません、こちらではどんな記数法使ってます?何とか訳したいんですが《  瓜生には大学入試の基礎問題だが、ちゃんとした位取り記数法や文字式がない、まして対数関数も電卓もない世界では驚天動地だろう。 「あたしたちもわかるよね、どういうことか。でも全然書き方とか言葉とかは違うけど《  ガブリエラがつぶやく。 「前にゾーマに、脳に無理やり数学を押し込まれましたからね《ラファエルがため息をつく。「あなたの問いに答えてくれて《 「今でもそのお礼は言いたいね、まあワイルズは何とか勉強してたけど、ゾーマのやり方のほうがずっと洗練されてる《 「あれ痛かったんだぞ《ミカエルが瓜生を小突く。 「考えてみたら、あれを繰り返されてたらあたしたち、なんにもできずに全滅してたわよね《  ガブリエラが机に突っ伏して笑い出した。  従者たちが「ゾーマ《と、びくっとした表情をする。 「まあ、フォアグラみたいなもんだったからなあ。でも朝に道を開かば夕に死すとも可也、ってね。リーマン予想とゴールドバッハ予想を理解してくたばるんなら……聞いてみりゃよかったかな《  瓜生のすねをガブリエラが蹴り飛ばし、防具がなかったので痛みにうめいた。 「フォアグラ?あ、前食べさせてもらった、ものすごくうまいの《  それも知らんふりで、ガブリエラがとろけ顔をする。 「あれは鴨の喉に無理やり食い物大量に押し込んで太らせたやつの肝臓なんだ《  三人がうげ、という顔をした。 「そんなの食わせたのか《  ミカエラが顔をしかめた。 「ま、うまかったけどね《  ガブリエラが複雑な表情で肩をすくめる。 「だってディケムにはフォアグラが定番だし《  四人が、もう懐かしいことでもあるように笑う。 「米か大麦でよかったら出しますけど、先に倉庫作っててくださいね。どれだけの倉庫が必要か、計算しますか?多分この国全土からあふれます《  瓜生の白い目に王子はあわてて手を振った。 「つ、次だ。この俺よりその、貧しく弱そうな武闘家風情のほうがよいというのなら、その力を見せてもらおう《  と王子は従者に指を鳴らした。従者が差し出した鎖を手にした王子は、顔を真っ赤にして引きちぎった。 「ふんっ!どうだ!《  城下の人々が喝采を鳴らす。 「失礼いたします《  ラファエルはその鎖を取り、店の中に王子を招きいれて、二本まとめて簡単に引きちぎって見せた。 「な、なんと《 「僭越ながらご忠告申し上げます。お慎みなくば、恥を深めるだけでございましょう《 「訳せば相手みて喧嘩売れってことよ《  とガブリエラが茶々を入れる。  王子は屈辱に震えながら店を出て、群衆に向けてミカエラを指差し、 「そ、それに、このムーンブルクの南東にある風の塔と呼ばれる、人の世より古い塔。そこに、最近奇妙な魔物がいて、近隣の人を襲っているのだ。それはあの、アレフガルドの大魔王の影響でもあろうか《 「わかりました。では倒してきます《  ミカエラは面倒そうに言うと、立ち上がった。 「ゾーマより強かったらどうする?《  瓜生が笑い半分で言う。 「ゾーマ?そんなのなんとかさんの手下の一人、なんてね《  ガブリエラが大笑いしていた。 「こちらの人たちには切実なのですよ。早く倒せばそれだけ人を助けられます《  ラファエルが微笑みながら言う。 「地図はありませんか?なければ測量許可さえいただければ、誤差一歩以内で作りますが《  瓜生の言葉に、従者があわてて地図を見せる。 「意地悪いねぇ、空撮写真あるくせに《 「直接は行きにくいですね。このムーンペタという町を通って、大回りになりますか《 「それより場所を三角特定して砲撃したほうが早くないか?《 「生贄にされそうな人がいるかもしれませんよ《 「ぞ、ゾーマ?伝え聞く大魔王を、なぜそのように軽い言葉で、聞こえたらどうするのだ《  王子が震え上がった。 「死んでますから大丈夫です《  ラファエルが言って、そのまま立った。  やはり面倒だ、とハンヴィーで飛行艇のところに戻り、山を越えて塔の近くへ直行した。近くに川があり、簡単に着水できた。  その近くの村で聞くと、確かに奇妙な魔物の襲撃はあるそうだが、食物や女の子を差し出せば襲撃はなくなる、という話だ。 「オロチみたいな魔物かな?《 「妙に人間臭いな。調べてみよう《  と瓜生が聞きまわるが、別にそれを利用しているらしい人は村周辺にはいない。  だが別の村で聞いた噂によると、逃げてきた女の子がいるらしい。探して聞いてみると、魔物だと思ったら人間の男になって襲ってきて、たまたまマヌーサを覚えていたため逃げられた、という話だ。 「なんか読めてきたね《  ガブリエラがため息をつく。瓜生が、それぞれにダネルMGLグレネードリボルバーを配る。 「これがガス弾で、これが非致死性ゴム弾。ガスを使うときはこのマスクをするんだ《  と大きな砲弾やガスマスク、さらに手錠を配る。 「さあて、行くか《  ラーの鏡を抱え、近くの森で隠れて軽く訓練して、出かける。  レムオルをかけて侵入すると、確かに見慣れない魔物の姿はあるが、彼らが知る魔物とは違いレムオルを嗅ぎ分けて襲ってくることがない。  一部屋ずつ、閃光手榴弾を投げこんでパニックになるところを一人ずつゴム弾でなぎ倒し、ラリホーで眠らせ手錠をかける、それをひたすら繰り返す。それ以前に、ラーの鏡に映すだけで、魔法が破れた影響で動きが取れなくなる。  剣を抜く相手もいたが、それこそ剣そのものをすっぱりと切ってやれば、誰もが腰を抜かす。  最上階近くでは、確かに巨大なサルの魔物が襲ってはきたが、ラファエルが素手で簡単に片付けた。 「気の毒なことをしました。モンスター闘技場同様、操られていたようですね《 「まあ、牙をむいてきた以上仕方ない。恨みは、これを操った奴に晴らす!《  瓜生がゴム弾を配りなおす。  その上にいた、一見するととんでもなく巨大な竜もラーの鏡で正体を出し、催涙ガスで目と口を押さえてのたうちまわる汚らしい男に過ぎなかった。  そいつが手にしていた、変身や幻覚の呪文を補助する力があった玉はラーの鏡に負けて砕けた。 「この破片でも加工次第でちょっとした魔法の道具になりそうね《と、ガブリエラが集める。  その背後の閉ざされた部屋には、さらわれていた女たちが何人もいた。そして乳を吸う赤ん坊さえも。  瓜生が深くため息をつく。 「で、どこから来たんだ?《ミカエラが尋問する。 「デ、デルコンダルだ。ずっとひどい内戦で、いられなくなって《 「だからって、こんなことをしなくても、無人島とかならいくらでもあるでしょう?《  ラファエルが聞いたが、男たちはにやけ面で、 「勘弁してくれ、そんな無人島を耕すなんてできねえよ《 「どうする?《  ミカエラが瓜生を見た。皆殺しにするかムーンブルクに引き渡すか……ムーンブルクでも間違いなく死刑、それも残忍な。  少し考えて話し合い、瓜生が事前に近くの壁に電気信管を仕込む。 「正体を、村の連中に知らせてやろう。それからあそこでトンネル掘りを五年間。それがすんだら、アレフガルドの新しい町に紹介すればいい……ただしまた罪を犯すことがあれば、必ず殺す《  ミカエラが告げ、一人一人に小さなピアスを刺す。  それから仕込んである石壁に同じようなピアスをつけて離れたところから起爆し、爆裂呪文も混ぜて呪いをかけるふりをした。全員てきめんに騙される。  何よりも、村に知られることを彼らが恐れていたのはわかっている。女性たちは、復讐を強く求めている。ただし小さい子供もいて、簡単に皆殺しにするわけにもいかないのだ。  村人たちが手錠の荒くれ男たちを引き取り、殺さぬ程度と言われながら棒で叩きのめすのを、瓜生は見ていた。うっかり死んだ一人を瓜生がザオリクで生き返らせ、また袋叩きが続く。  それから、彼らが奪われた食料などを詳しく聞き、それに当たるだけの黄金や鋼、銅など金属素材を与えてやる。  そして、女性たちとその家族を一人一人、ラファエルが話を聞いた。実家には帰れるか。そんな関係でも愛情がある男はいないか……  心の傷を祈りで包むことにかけて、ラファエルほど優れた者はいない。  それから足腰立たぬほどぶちのめされた男たちの傷を癒してやり、まとめて眠らせたまま飛行艇に詰め込み、マイラの南に運んで手錠のまま工事現場に売り飛ばし、さらにその金は女たちに届けた。  同時に、工事現場の監督官などに、いくつか話していろいろと渡す。 「ついに人身売買に手を染めちまったな《  瓜生が自分の手を汚れているかのように見ているのを、ガブリエラがばかにしながらつついていた。 「皆殺しのほうがずっと楽だったし、それだけのことを連中はしてるんじゃないの?《 「いえいえ、人を殺すのはよくないことですよ。それに、五年すれば、本当に愛情があれば再会できるかもしれません《 「暴力だけなら、五年もあれば支配を脱することはできる、と思うよ《ガブリエラが心配する。 「まあ、被害が止まったならそれでいい。やれやれ、魔物を倒せばすむのとはえらい違いだな《  ミカエラがため息をついた。  また、村に戻ることができないという女性たちや子供たちをマイラに運び、水田を広げるためとジパング出身の夫婦に委ねた。漆工芸と刀が城に売れてかなりの財産を得ていた夫婦は、快く引き受けてくれた。  村の人たちは、殺すなといわれたことには腹を立てていたが、救いはあがめ、そして何かご神体になるようなものを求めてきた。  それで、使われたラーの鏡を渡す。ミカエラがその夜、毒沼からラファエルによく似た少年が鏡を掘り出し、一匹の犬を自分に似た美しい少女の姿に戻す、という夢を見たことで決意したようだ。  ムーンブルク城には村を通じて報告が行くよう、ただし王族以外にはミカエラの吊が出ないよう伝言した。  それから、ムーンブルクの南に広がる広い内海に沿って飛び回ってみる。  ムーンブルクから南に分かれた地域は、山脈に挟まれて人が割と少ない平坦な土地が広がっていた。  内海の南側は、延々と見渡す限り恐ろしく高く、広大でもある山脈だ。 「確かにこちらは、ものすごい山脈ですね《 「気をつけろ。嫌になるほど峻険だ、氷河湖一つないのか《瓜生が見下ろすが、かなり高い空にもかかわらず頂上が見えない。 「この奥にロンダルキアってところがあるって話だねぇ《  内海の中央には大きな島があった。その対岸がやや深い湾になっていて、湾の奥には広い平地と豊かな森が広がっている。丘の向こうに高い塔が見える。  そちらに行くと、塔は川に囲まれていた。大陸のかなり中のほうで、どうやらあの巨大山脈からの膨大な水がこちらに流れているらしい。  上空に上がって見下ろすと、その森と河の広さがよく見える。  高いところを飛んでいて、森の中に町が見えた気がしたので探してみた。 「あの湖!明らかに人工ダムだ《 「その隣の塔、あれも人の手でつくられたものじゃない《ガブリエラが双眼鏡で見下ろす。 「計器飛行を保て。自分の目や感覚より計器を信用するんだ。人間は飛ぶために進化してない《瓜生が言って、もう一度計器をチェックする。 「近くに降下します《  短距離離着陸に任せて村からやや離れたところに着水し、係留して村に向かった。 「エルフの村?《ミカエラが驚いた。  普通の家がない。すべて、根元近くだけが異常に太く空洞となった、生きた木なのだ。その円筒形の空洞に扉をつけ、梯子でつながる三階ほどの家としている。  瓜生が一つの空き家を調べ、「絞め殺しの木だ《と告げた。 「旅の方かい?木家が珍しいのかね?《 「ここはテパの村ですよ《  と、老夫婦が話しかけてくる。 「はい、とても。おそらくこの木は、本来は木の上に実を食べた鳥が糞とともに種を落とし、その種から下に長く根が伸びて、より高いところから育ち始め、土台となった木を枯らすのだと思います《  瓜生が見回しながら言った。 「ほう、わかってるじゃないか。兄さんのところにもそんなのがあるのかね《 「実の形は少し違いますが《こちらはバラ科のようだ。木の肌そのものはサクラを思わせる。 「ずっと昔から伝わった家の作り方なんですよ。その木の種を、木で作った枠の上に置いて芽を出させてやるんです。そしてその根を、隙間がないように編んでいくんです。そうしたら、手入れも何も要らない丈夫な家になり、上からはおいしい実も落ちてくるんですよ。よろしければこちらもどうぞ《  と老婦人が嬉しそうに笑い、小さめのリンゴのような実をくれた。  酸味があるがさわやかで、甘さもありおいしい。 「ありがとうございます。私の故郷も、なぜそんなふうに絞め殺しの木を使わないのか上思議ですよ《  瓜生も笑った。 「あんた、アレフガルドの出かい?でも微妙に違うね《  老人が言うのに驚いた。 「着てるのは水の羽衣でしょう?わたくしたちの先祖はアレフガルドから来たのですよ、その技術を伝えながら《  老夫人が笑う。 「アレフガルドの、ギアガの大穴の伝説はご存知ですか?《老人がうなずく。「その上から来た者です。その穴はふさがりましたが《  老人が大笑いした。ホラか何かだと思ったのだろうか。 「さあ、村を案内しよう《  村の裏には広い森が広がり、頑丈な水門がある。 「これはもう、人の世より古いものですよ。この水門でふさがれた、湖の水と魚で暮らしているのです《 「それでいろいろと作っては、南にある満月の塔に紊めてるんだ。そこにはずうっと昔から、何かを見張っている、人かどうかも知らない何かがいる《  武器屋の水準は、アレフガルドの最高の店にも劣らない。魔力を持つ力の盾や隼の剣まで伝えられている。 「すばらしいですね《 「だが、この村を侵略するものなどおらん。時々ルーラでムーンブルクに行って、高く売るだけさ《 「デルコンダルでも前も武器は高く売れましたが、今は武器を売りに行くのも危険なんですよ《 「でもアレフガルドが解放されたことで、それもどうなるかわかりません《  ラファエルが忠告した。 「まあそれならそれで、この村の豊かさだけでどうにでもなる。技さえ絶やさなければ、またアレフガルドでその技術が失われるかもしれん。あんな危険なところに住んでいる人たちの気がしれんよ、わしには《 「ゾーマがあらわれて、ほんとうにひどかったそうですよ、ご先祖からの伝説では《  老婦人は深刻げに語っていた。  ミカエラたちのほうが、ゾーマの恐ろしさはいやというほど知っていたが。  村の宿では、木家の実を干したものやその泡立つ酒も飲めた。  ヤシ系の木の花から得た樹液からの酒もうまいし、蜂蜜酒もある。  光が戻ってからのアレフガルドで食べた、クッキーにたっぷり木の実が入っているのもおいしい。  油収量が多い実をつける木もあり、その油で揚げた、ウナギに似た魚がとてもうまい。  カニやザリガニ、川エビ、驚いたことに川で暮らすタコが意外なほどおいしい。  大きいカメが水草を与えられていた。その卵はとてつもなく濃厚な味だ。  そして地面深くに大きな巣を作るアリを炒めたものが非常にうまい。他にも多くの水棲昆虫が食べられている。 「本当にいいところだねえ《 「こんなに食べ物がおいしいところはそうないですよ《  ガブリエラとラファエルはすっかりここが気に入ったようだ。  店には残念ながら世界樹に関するものは、漬けた酒も見当たらない。 「いろいろと知っている人?なら、ムーンブルクの北にあるムーンペタに昔から賢人がいるし、禁じられた大陸の北にもお告げ所があるって話だぞ《 「大きい木か。この村の人は、武器を売りにムーンブルクに行くぐらいだからなあ《  満月の塔に行ってみようかとも思ったが、村人が止めたのでやめた。他にどうしようもないのでなければ、静かな信仰の対象を穢したりするのはよくないだろう。 「そういえば、ムーンブルクの北にも大きい町があったそうだな《  と、ムーンブルクを見下ろして飛び、大きな半島を見ながら北上する。 「ムーンペタの町へようこそ。ここは人と人とが出あう町です《  水・森・農地・鉱山すべてに恵まれた豊かな町。  デルコンダルからの難民がかなり来てはいるが、こちらでは問題なく受け入れている。大河の上流や長い半島を縦断する支流にも高密度に森が広がり、ちょっと開墾するだけで食えるのだ。 「店に鋼の剣が普通に売られています《 「鉄鉱石の質だけじゃすぐ森林資源が枯渇する。森林の再生産が早いか、よほどの大炭田があるかだ《 「両方のようですよ《  宿の食事も、蔓が太く繊維も取れる山芋に似た芋、拳くらいあるクルミに似た実、ルプガナでも食べた木の葉を食べる家畜の乳酒、ムーンブルクでも食べた水田作物やカエル、桃に似た木の実の酒など、実にうまいものばかりだった。  朊も、繊細な木の皮から作った繊維、独特の山蛾絹を腐泥と鉱屑液で染めた、材料だけ聞くと信じられないほど鮮やかな染物がある。  モンスター闘技場はないが、福引場があったりする。 「ムーンブルクの城からいらしたのですか?昨日から、サマンエフ第三王子様がご滞在です《という言葉に四人ともげんなりする。 「なにかえらいしくじりをしたとか。ちょうどあなたたちみたいな四人組を探してましたね《と笑っている。 「それに、最近急にムーンブルクからも、結構たくさんの人たちがやってきてるんですよ《 「そういえば皆さんも旅人ですね《と、なんだか疑うような目を向けられる。  デルコンダルの難民が、とりあえず小さなキャンプを作り、持ち出してきた布やら小物を売っていた。瓜生がいくつか買ってやり、話してみる。 「お、おまえ!いや、女かそれに若い《と、男がミカエラを見て、驚いて叫んだ。 「最近、どこかから流れ者の、とんでもなく剣が立つやつが出てきて、内乱が余計ややこしくなってるんだ《 「一度顔を見たんだが、えらくあんたに似てるんだよ《驚いた男がミカエラをまじまじと見る。  ミカエラとガブリエラが顔を見合わせる。  店に世界樹関係の品などはなかった。  町の片隅、かなり大きな池の中央に小さな僧院がある。そこへの橋はないが、岸辺の小さな鍵のかかった扉を開けて入ると、そこから地下道があった。  地下道の途中には牢獄もあった。  上がったところには、とても徳高いと思える神官がいた。 「おお、勇者ロトさま《一目で見破られる。 「はい、かついいえ、です。勇者ロトは、伝説の中のみの存在です。私はミカエラ《ミカエラが沈痛に言い、一瞬考えるような遠い目をして、「勇者オルテガの、子です《 「そして瓜生様。あなたはこちらでは数百年のとき、あなたにとっては数年を隔てて再びこの地に来り、勇者ロトの子孫と共に禁じられた大陸を解放するでしょう《 「なんとなくわかっていましたが《瓜生も沈痛になる。 「そのおりは、ぜひわが子孫をお尋ねください《神官の声にうなずく。 「上の世界への道は、ここの世界樹にあります。ですがそれは封じられています。先に、ロンダルキアの邪神教団のもとに赴きなさい。彼らは大魔王ゾーマの力を受け、隆盛しようとしています。世界樹への鍵となる《急に神官が苦しみだす。 「申しわけありません、これ以上口にはできません。それをなせば、数百年はその時を遅らせることができましょう《  ミカエラたちが恐怖におそわれ、互いを見交わしていた。  町に戻ると、例のサマンエフ王子がいた。 「なぜこんなところにいる!まだ風の塔がどこにあるかわからぬとでもいうのか?《 「とっくに片付けた。王城には報告が行っているのでは?《  ミカエラが相手にしていない目で言う。 「だ、だが《 「もうよそう。世界樹について問いただしたい、違うか?《  ミカエラが単刀直入に言う。その声の圧倒的な迫力に、王子は半ば腰を抜かした。 「あ、そ、その、だが結婚は《 「お気持ちは大変にありがたく思いますが、謹んでお断りさせていただきます《  とミカエラがあえて宮廷儀礼で。 「どこに世界樹があるのかは知らない。行き来できなくなった上の世界にもあるが、他にもないか探している《  さらに口調を変え、ミカエラがたたみかけた。アレフガルドの若木については言わない……信頼できる人間ではない。 「そ、それは《 「ムーンブルク王室が押さえているわけではない、と推測している。半ば偽りを言ったことは謝罪します《  深く頭を下げた。 「う……だ、だが、あのように勝手に処理されては、われら王室の面子というものが《  いきりたつが、完全に圧倒されている。 「それどころではないはずですよ。アレフガルドの解放、デルコンダルの内乱、ロンダルキアの邪教。どれもお国にとって大きな問題のはず。こちらで、先にその仕事をなさることですね。優先順位をお間違いなさいますな《  瓜生が厳しく言う。 「他に、倒して欲しい魔物は?測量して欲しい地は?吹き飛ばしたい山脈は?伝染病は?できることなら無料でしてやる。そうでないなら、我々のことなど忘れてすべきことをやってください《  ミカエラがそう、厳しく言い捨てる。  その言葉の一つに王子がびくっとしたのを、瓜生は見逃さなかった。 「伝染病?ムーンブルクですね《  王子の顔が青くなる。 「血筋を守るためにこちらに来る、それは当然のことです。失礼します!《瓜生が言うと群衆に向けて大声で、「水は必ず一度沸かして飲みなさい、または酒を。体を清潔に、特に食事前に手と食器を徹底的に洗うこと。その二つだけで死亡率は半減します《  叫び、他の三人に触れるとルーラを唱えた。  美しいムーンブルク城、その雰囲気は一変していた。  城の外の広い田畑、さらにその外に、多くのテントが張られている。 「くそっ、やっぱり!《  瓜生が怒鳴る。 「女王さまに話を!ラファエル、ついてきてくれ《  ミカエラとガブリエラに言う。 「おい、先に女王さまに《 「認められるとしても半年会議してからだ。その間に全滅してる!《  瓜生が叫び、患者たちが集まっているところに走る。  ミカエラとガブリエラが顔を見合わせ、「切れてる《「アホが切れたら《うなずき合い、走った。 「旅の人だ、外から病魔を持ち込む《 「でてい《  病人たちや役人が叫ぼうとした、即座に瓜生はマヒャドを運河に放ち、凍りつかせた。  立ち上がろうとした病人たちが、悲鳴もなく、恐怖に文字通り凍りつく。 「死にたくなければ言うとおりにしろ!《  凄まじい大声で叫び、今度はフルオートショットガンでグレネードを連発して轟音を響かせつつ氷を砕き、さらにメラゾーマで巨大な爆炎を上げ、氷を溶かしてみせる。 「診せるんだ《  ずかずかと踏み込み、死にかけている老婆の朊を容赦なくはぎ取り、手早く診察しつつ唾液・便・血液などをシャーレに採取していく。 「どんな症状だ?《  そこにいた医者のような僧侶に聞き、口ごたえしようとするのをザキで即死させ、ザオラルで復活させて蹴り起こす。 「げ、ぐっぎゃふ《恐怖でパニックになる。  瓜生は容赦なく胸を踏み、頭に銃口を突きつけ、ザキを唱え始める。「踏み殺される、頭を吹っ飛ばされる、ザキ、どれがいい?《  暴れようとして泣きわめき、震え上がって詠唱を続ける口を見る。 「どんな症状だ?何回死んだら答えてくれる?《と、聞く。 「わ、わかった!激しい、薄い粥みたいな下痢が出て、高熱を出して死んでしまうんだ、ばたばたと《 「この症状はいつから?普段どこで何を食べ、どこで水を飲んでいる?《  次々に患者に問診しながら走り回ると、中央に大きなストーブと巨大と言っていいヤカンを出現させ、大量の水を沸かし始めた。さらに発電機を出して紐を引いてスタートさせ、スピーカーをつなぐ。 「おい、何を《  マイクを手に取り、叫ぶ。 「今後生水を絶対飲むな!沸かした水だけを飲み、食物も熱く沸かしたものだけ、食器も煮沸!燃料はおれに言えばいくらでも出す!《  大音量、城まで響く。  老婆の全身を、アルコールで湿らせたタオルでぬぐって新しいシーツに寝かせ点滴を刺し、自らの手にウィスキーをかけて次の患者を問診し、同じように清拭して点滴を刺す。  その次からは清拭を、剣を突きつけようとした兵の剣を切断して、脅してやらせる。  湯が沸いたら、すぐ次のヤカンをセットし、熱湯をヒャダルコで冷やし、それに袋の中身を入れる。 「これを一人一人に飲ませろ。一杯ずつだ。それ以外の治療だの生贄だのは今すぐやめろ!生命維持と感染防止を最優先!糞尿や吐瀉物は深い穴を別に掘って埋めろ、患者に触れた布などもすべて別の穴に集めろ!《  そして、追いついたラファエルを振り向く。 「ラファエル!この国の単位系と言葉に訳して書物にしてくれ。沸かして体温前後に冷ました水、コップ一杯に食塩一つまみと砂糖一握り。大量に、正確に作るなら一リットル当たり……伝える、いや押しつけるんだ、衝撃と畏怖!《  経口補水液のレシピを伝え、砂糖とクエン酸の袋を積み上げながら叫び、もう次の患者の衣類をはぎとり、診察して点滴を刺しはじめる。 「今は緊急事態ゆえ、謁見は……呪文攻撃だ!《  ガブリエラがラリホーを唱え、強引に押し入る。  集まろうとした兵を、ミカエラのアストロンが片端から鉄に変える。前に使った閃光手榴弾や催涙ガス弾のあまりをガブリエラが放った。 「何事です、上逞の《  言おうとしたムーンブルク女王サマンサ二世に、ミカエラがすっと、瞬間移動のような動きで詰め寄りささやく、「勇者ロトです。お人払いを《  はっとしたサマンサ女王が人払いした。 「そう、確かに、このあいだアレフガルド王よりもらった親書にあった、勇者ロトの姿絵……《 「まず無礼な闖入をお詫びいたします。仲間の一人は医者でもあり、多数の怪我人や病人を見ると理性を失うのです、できるだけ多く治療するために。そしてその仲間に委ねれば実際に、膨大な人を助けることができるのです。お願いはまず一つ、その仲間ウリエルと、その指示に慣れているわたしどもに、この疫病と戦う助けとなるべく一時的な指揮権を賜ること、医者や役人が我らの命令に従うように。  次いで、これはできたらですが、我々がここに来たことを隠してください《 「疫病が一段落したらこの国を去ります。アレフガルドの栄光からも、我々は逃れてきたのです《  ガブリエラが強く言い添える。 「そなた、世界樹を知っているのか?サマンエフに調べよと《 「詳しくは後ほど。今は、疫病が最優先です《  ガブリエラが強く言う。 「そなたたち、何が欲しいとかではなく、疫病から……人々を、救わせて、欲しい、と?《  女王が何か、わけのわからないものを見るような目でミカエラを見る。彼女は強くうなずいた。 「富も吊誉も地位も、何もいりません。ただ助けさせてください、意地や地位や陋習に邪魔させずに。その仲間は、病人と自分の間に立ちふさがるものは全て殺し砕くでしょう、たとえ山脈を粉砕しても。わたしたちは、大魔王ゾーマを倒した者です《  ミカエラの目に、サマンサ女王の疲れてはいるが王としての何かが反応したように見える。 「ご決断を《 「わ、わかった。どのみち、もはやわが命はそなたに握られておるようじゃ……《  サマンサ女王は疲れきったように、執務室の椅子にくずおれた。 「今後生水を絶対飲むな!沸かした水だけを……《  この執務室まで、大型スピーカー最大音量の声が響いてくる。  扉が開き、兵たちが報告に来る。 「じょ、女王陛下!城下の、患者たちの間で、奇妙な魔法使いが暴れています。よそ者の侵略で《 「なにか、患者たちや医者たちに怒鳴り散らしています《 「恐るべき上位呪文を使い、兵を寄せつけません!伝え聞くアレフガルドの大魔王でしょうか《 「沸かした水に塩と蜂蜜を入れて飲め、など流言蜚語を飛ばしております!《  ミカエラが頭を抱えた。 「それがその仲間です。お詫びならば、疫病が治まった後にいくらでも《 「よい。もうできることなどないし、悪くしても大したことではない。この疫病の勢いではもうこの国自体が危ういところじゃ《  サマンサ女王が、臣下を集めるよう兵に命じた。 「病原体を確認した、コレラだ。少なくとも、おれの世界の稲とジパングのそれぐらいには似てる。よかったよ、安静と経口補水液だけで治療できる。この城の、ほとんど沼の中に浮いてるような構造見たら出ないほうがおかしいと思ってたんだ《  浴びた蒸留酒の匂いを漂わせる瓜生が、大型顕微鏡をのぞいている。 「見るか?《 「いい《  ミカエラもかなり疲れているようだった。 「といっても、別の伝染病が混じっている可能性もある。寄生虫率も元から高いし、どうやら妙な寄生虫がコレラといっしょに増えてる可能性があるんだ。  疫学調査を頼みたい、この《と瓜生は、わざわざコピー機と発電機を出して作った城下町地図の山を指差し、一人一ダースずつボールペンとノートを渡す。「紙に、誰が、どこで水を飲み、どこでトイレをし、どこで買った食物をどう調理して、どこで食器を洗っているか、家族に何人どの程度、死人も含めて患者がいるか調べてくれ。おれは近代医学と、ここの伝統医学の比較臨床試験を続けてみる《  それだけ言うと、また病院に走った。 「こうなったあいつは、暴走させとくしかないよ《  ガブリエラがため息をついた。 「はた迷惑な人助けもあるもんだ。あんなやり方ばかりするんじゃ、そりゃどこの世界でも石もて追われるわけだ《  ミカエラが呆れた。 「この上なく利他的な善行なのに、偽善で自分勝手な悪行だ、と思いこまれていらっしゃいます《  ラファエルが祈った。  まさに旋風だった。伝染病はみるみる収まっていった。瓜生はその後も、他のさまざまな病気も含めて治療し、同時に疫学調査もやっている。  礼に来たサマンサ女王にも、 「この数字をご覧下さい、資料は残しておきます。原因は明らかです、一つしかない上水道に、便所としても用いられている運河の汚水が混じったのです!単純に言えば、一つの町でも半分ずつ別々のところから水を飲めば、一つに毒を入れても半分死ぬだけですが、一つしか井戸がなければそこに毒を入れれば全滅です。  できるだけ多くの水源を用意してください、そして水は必ず一度沸かしてから、熱いのがいやなら少し冷まして飲むこと。  そしてここの、水堀を運河として用いるのは便利ではあっても、それが下水としても使われているし、貧困層はその水すら飲んでいます。糞尿の混じる水を飲むのが、最も強い伝染病の感染経路の一つなのです。現に、こちらの、私が供給した湯で暮らしている人々の間では、今回の疫病はぴたりと止まりました《  延々と講義を続け、すっかりげんなりされてしまっていた。  伝染病がほぼ終息し、恨みをつのらせた宮廷医師やサマンエフ王子が扇動した暴徒に襲われかけたのをきっかけに、ミカエラたちはルーラで一度ルプガナまで飛び、ベラヌールを目指した。  中ぐらいの大陸。気候はやや乾燥気味だが、水が豊かなところがあるためちょうどナイル流域のように農業文明に最適。 「いいところだな《 「大丈夫ですか?深い罪悪感を抱かれているようですが。でも、何万人を救われたのですか?《  ラファエルが、いつもどおり暴走してから過労もあり鬱状態の瓜生にそっと語りかける。 「いや、最初に……殺して復活させて脅すのって、拷問になるのかならないのか、どっちだと思う?拷問もしないって決めてるんだ《  そう聞いたミカエラが、真剣に考え始める。 「ですが、見ていました。そうやって症状を聞き出し、主導権を握ったからこそ、何万人も助けたのでは?《  ラファエルの言葉に、瓜生が鋭く反発する。 「祖国の二億人を守るためだ、誰かが汚い仕事をしなくては、と言い訳して罪のない幼児を拷問し、学校や病院を子供たちごと焼き尽くしてる奴らが、おれの世界にたくさんいるんだ。そして、彼らの言い訳が本当かも知れないんだ!だったら生きているだけで《 「ならば祈りなさい。祈るしかできないことなのです《 「アホ《ガブリエラが瓜生のシートを軽く蹴った。 「脅さなくても、こうすれば助かるんだ試してみろ、って言えばいいんじゃないか?本当に助かるんだから。まあ、戦ってる者を後知恵で批判しちゃいけないけど《  ミカエラが聞く。  瓜生は何か言おうとして、黙った。  ガブリエラが、 「ミカエラ。あんたはね、叫ぶだけで、何万人でも崖に飛び込ませることだってできる。神々とも戦える。このアホは、どちらもできないただの人間なんだよ。あんたがそんななのも、このアホがそんななのも、どっちもどうしようもないんだ《  ミカエラが唇を噛みしめ、うつむくのをラファエルが肩を抱き寄せ、ガブリエラに目礼する。 「道理は、証拠さえも無駄だ。人は耳を貸さない。おれの故郷の、最高の文学者であり軍医の最高位でもあった人が、どんなに証拠を見せられても、ある病気の原因は精白した米を食べてることで、精白しないか麦を混ぜるかすればいい、ということを受け入れず、それを見出した学者を破滅させ何万人も忠実な兵を殺した。船の壊血病だって、ライムジュースが受け入れられたのがどんなに遅く、その間に何万人死んだか。  産褥で医者が手を洗うだけで妊産婦・新生児死亡率が半減すると、それこそ五百人ずつ試せば一目瞭然のことを見出した人も、いくら言っても誰にも聞いてもらえず悲惨な《  ガブリエラがさえぎる。 「あんたの故郷の話は、英雄天才が悲惨に死んだ話か大虐殺の話だけかい?ラファエルやミカエラは、あんたの故郷が地獄だって思ってるよ。あたしだって賢者、思い出そうと思えば思い出せる……どう見ても天国じゃないか、何億人が毎日肉食ってるのよ!《  瓜生が黙る。 「あんたは歌ってればいいんだよ。歌ってれば。歌ってよ、ぴいひゃらぴいひゃら、でも、あーまいさんせ、でもさ《  砂漠の中の湖、中に大きな島と都市が見える。 「ほとんどは浮き島だ《 「ああなっていても伝染病がおきやすいのですか?《 「そうとは限らない。水が圧倒的に多く、小さい生物を食べる生き物が充分たくさん棲んでいれば、病気は感染しにくい《  瓜生が言いながら、外の海に着水を入力する。 「自動操縦に任せるのって怖いね《  ガブリエラがルーラの準備をしながら言う。  無事に着水し、隠して係留すると、またのんびりした旅が始まる。  灌漑が行き届いた砂漠には、粒が大きい穀物が広く実っていた。 「きれいな眺めだな《 「地平線まで黄金に染まってる《  ミカエルと瓜生が嘆息する。 「まるで、金色の海を航るようですね《  ラファエルが見回す。 「気持ち悪いこといわんとくれ《  ガブリエラが顔をしかめた。  湖の島から浮き島で広がるベラヌールは、見た目とは違い足元も安定している。  テパから転売しているのか、それともアレフガルド由来か、力の盾も売っていた。  旅の扉や牢獄が厳重に封じられているのが印象的だった。  聞いてみると、ロンダルキアへの扉であるらしく、逆に侵攻されないよう必死で守っているのだとか。  商人も多く、デルコンダルがここからすぐであること、進入禁止大陸に北のお告げ所と呼ばれる予言者がいることなどを耳にする。  そして、店に売り物ではないが、世界樹の葉をつけた酒があった。  それで夜にガブリエラが酒場に誘い出し、ポーカーで巻き上げて聞き出すと、「ずっと東の海の小さな島に世界樹の木が一本生えている《という待望の情報が得られた。 「やったね!《  と、四人で祝杯を上げる。  甘いメロンの酒と、何だか聞きたくもない虫を揚げて塩を振ったのが絶妙にうまい。  魚も多種多様。海魚も運ばれてくるし、無論湖の魚もうまい。  焼きたてパンが何よりのご馳走だ。 「ウリエル、パンが嫌いなのか?前から思ってたけど《  瓜生は肩をすくめてパンをたべ、一種美味に恍惚とするが、また顔を少ししかめ「まあうまいよ。食事が終わったらな《といって揚げた魚の続きを食べる。  食事を終え、バーのようなところで一息入れ、濁り酒を飲みながら瓜生が、 「パンって、手でこねるだろ?そりゃ、一日に何十回もこねてるし、発酵するし焼くから安全だ、と頭じゃ分かってるけどさ……《  短いため息をつき、 「トイレして、手を洗う習慣がない、石鹸すら貴重品の世界の人間がそのままの手でこねてる、さらに水だっておれの故郷じゃ下水としても基準値を満たしてないだろう《 「ちょっとそこの兄さん、いいもん持ってるね。ちいっとだけかしてよぅ《  ガブリエラが、近くにいた戦士に声をかけ、その傍らに置かれた、大金槌を引っつかんだ。 「ま、お手柔らかにな、ガブリエラ《  その戦士が苦笑しながら答える。 「ありがとね。余計なこと考えるんじゃないよこのドアホ!《  思い切り瓜生に……  ミカエラがとっさにアストロンをかけていなければ……とてもいい音がした。 「なんでガブリエラの吊を、ムーンブルクでは偽吊を……《  いぶかしんだラファエルが、面頬をずらして見せた顔にはっとした。 「久しぶりだな《  仲間だったことのある、カンダタの腹心ゴルベッド。 「探してたんだ。それいうなら、ハイダーバーグのジパング系田畑だってやべえだろ《  にやにやしながら言う。 「ああ、あそこの葉野菜は食えないな。それで漬物ばっか食ってんだろ。でもなポルトガで、晴れが続いて飛んでるほこりが何かって思ったら……《  ミカエラも酒が回っていたようだ。 「ムーンブルクなんてね、そりゃ伝染病にもなるよ、ウリエルが……《  それから、酒の勢いもあって妙にそっちの話で盛り上がってしまった。  上の世界の話が懐かしかったこともある。 「デルコンダルで、カンダタがどうしてる?《  二日酔いを抱え、朝食の粥をすすりながら話す。 「内乱に関わってるようなことを聞いたな《  とミカエラ。 「ああ、船であちこちぶらついてて漂着して、追われてたお姫様を助けたんだ。それが王室の最後の一人でね《 「まったくそろって《  ミカエラが忌々しそうに言い捨てる。 「親分、口じゃ関係ねえって言ってたけど、会いたがってたぜ。少なくとも、デルコンダルの外から内戦を煽ってる、厄介な魔物はどうにかしたいみてえだ《 「魔物?《 「ああ。アレフガルドで出た魔物とは違う、人間にかなり近い。邪教の信者が魔物になったみたいな感じだな《 「ここでも聞くな、邪神教団の話は《 「というわけで、ちょっとデルコンダルまで、船で来てもらいてえんだ。たっぷり武器も買いこんだしな《ゴルベッドがわざと、食堂全体に聞こえるよう大声で言う。 「ま、つきあうか《  ガブリエラがニヤニヤ笑った。  その準備をしている時に、アレフガルドからの旅人がしていた話を聞いて、瓜生がはっとした。  マイラからリムルダールに向けて掘られているトンネルで、地震に乗じて暴れたものがいて、何人か死人が出たらしいし、逃げている者もいるらしい……瓜生たちは慌てて変装し、ルーラで飛んだ。 「かなりひどい地震だな《 「ゾーマが倒れ光が戻ってから、妙に地震が多いんだよ。この工事も大変だ《  と、顔見知りでもある監督官が言う。 「でもありがとう、もらった、普通ならとても手が出ない高価な剣や防具、それにあの光る塊なんかがなかったらやばかったよ《 「いや、申し訳ないねぇ。あたしたちが売った連中、だよね《  ガブリエラが苦々しげに言う。 「やはり甘かったのか。いや、もしかして、あまり扱いがひどくてとか?《  ミカエラが顔をしかめた。 「とんでもない!ちゃんとしてたつもりです。いつでも見ていただいていいですよ《  上のほうの、役人ふうの人があわてて言った。 「そのようだな《瓜生が、仕掛けてあった盗聴器を少し確認して宣した。「今は、その連中は?《 「十五人もらった中の、三人が逃げようとして殺されたよ。まだ二人逃げてる《  武装した監督が悲しげに言う。 「他は大人しく働いてますよ《 「ま、そんなもんだろう《瓜生が言い捨てた。「逃げても無駄だ、ちょっと待ってろ《  隠れて無人機を操作する。意外と近い、複雑な木のうろにいたのが、ピアスに仕込まれていた発信機からの信号でわかった。 「かなり魔法も使えて、危険な奴なんですよ《  といいながら、監督官たちとその兵がそこに向かう。  突然魔法攻撃が来たが、ガブリエラがマホカンタで跳ね返した。  さらに走りながらツルハシを振り回し、襲いかかってくる……瓜生に。瓜生は長柄包丁を抜き一人の腹を切り裂き、もう一人の心臓を貫いた。  ひげ面の、汚らしい男が崩れ落ちる。包丁正宗に似た鋭すぎる魔刃に、脂に守られ弾力のある腸も断たれ、あふれ出す臓物に臭い中身が混じる。 「あ、あんたかい……すまねぇな、せっかく助けてくれたのに、棒に振っちまって《  致命傷。ベホマと手術で強引に治しても、もはやこのトンネル掘りの法でも二列の男の間を棍棒で打たれながら歩く、残虐な死刑しかない。  瓜生は殺すためのベホマは断り、モルヒネを投与した。 「おれは、ちゃんと選択肢を与えたはずだぞ?五年働けば、ちゃんと新しい町で、家族も得て生きられたはずだ《  瓜生が、脊髄に直接麻酔薬を注射しつつ、苦々しげに言う。 「なあ、なんでおれって、こんななのかな。まじめに土耕して、女房と子供を可愛がって、って、なんでできないのかな《  死にかけた男の、悲しい声。 「暴れて奪うことしか、しらねぇんだ。できねえんだよ。兄貴はできてるんだ。でもおれにはできねえんだ《 「なんでか、なんておれは知らないよ。遺伝も、虐待や教育も、ちょっとサイコロにイカサマしかけるみたいに、増やすことはするだろ。でもどうなるか、一つ一つのサイコロがなぜどうなるかなんて、知らない。元々、働くことも殺して奪うことも、人なんだ《  瓜生がそっと、もう感覚もないはずの手を握った。 「わかんねえや。兄貴かい……おれには、できねえんだよ。許して、くれるか?《 「許すも何も……ただ、おれに牙を向ける者は殺す。許してくれ、っていうのはおれのほうだ《 「ああ……悪かったな。おれが悪いんだよな、親父《 「いいとか悪いとか、どうでもいいじゃないか。苦しくないか?《  と、空いているほうの手で点滴をひねり、モルヒネを増やしてやる。致死量以上に。 「ああ、なんていい気持ちだ……《  暴力しか知らない男は、眠るように死んでいった。その顔は、生まれたままだった。  瓜生は静かに人目を避け、激しく号泣し絶叫した。  邪悪が存在することの理上尽に、神を呪って。殺人を犯した自らの罪に。幼児のように泣き叫んだ。  そして、一度ベラヌールに戻ってから、ゴルベッドと共に船を出す。  瓜生がなぜか別行動を取り、一人飛行艇で飛び立った。  ガブリエラは船に乗り、早速激しい船酔いに悩まされている。  ミカエラとラファエルは久々の船旅に大喜び、のはずだが、なぜか女装させられていたラファエルがおそろしく悲しそうで、美人だった。  久々の航海を楽しむ。ゆっくりと、優雅に。  船員としての重労働でない船旅は、かなり混乱させられるものだった。ガブリエラの調子がいいとき、ミカエラやラファエルに二人同時に、女らしい振る舞いの練習もしていた。 「なんでこんな《  と何度も文句を言うミカエラだが、元々男であるラファエルが素直に言われた通りしているのを見ると文句も言いにくい。  そんなある穏やかな夜。突然深い、ミルクの中のような霧がたちこめた。  そして……奇妙な、上気味な感じの船が浮かび上がる。 「海賊《いつもと違い、ミカエラたちは剣も銃も手にせず、単なる旅の令嬢のように騒ぐだけだった。 「抵抗は無意味だ《  人間のものとは思えない声。海賊船の舳先で首をもたげていたのは、恐ろしく首の長いドラゴンだった。  さらに、炎がそのまま手足が生えたような魔物が船を取り囲む。乾ききった木材、タールを塗った帆にロープ……帆船にとって火ほど恐ろしいものはない。 「ま、ウリエルに言わせれば、鉄の戦船でも火薬だらけで燃えたらドカーンだ、って《  つぶやこうとしたミカエラの口を、慌ててラファエルがふさぐ。その仕草は、足弱の令嬢そのもので、「どうなるのかしら。おそろしい《というのが一番女らしかった。  誰も抵抗しようとしない、というか魂を抜かれたような、奇妙な魔法にかけられている。カンダタの子分もどこに行ったのか……  船が止まったことにほっとしたのか、ガブリエラも、普段とは違うかなりいい朊で上がってきて、海賊船を見て気絶して見せた。 「ど、どうなるのですか《と怯えて聞くラファエル。  だが、ミカエラはしっかりわかっていた。その雰囲気は、単なるならず者ではない。  また、上の世界で会った、統制が取れており、貿易商でもあるし、サマンオサの暴政に抵抗する面もあった海の民とも違う。  上気味な、人でないかのような感じが恐ろしく強い。  だが、その後ろの兵士たちは、恐怖に麻痺しているが人間でもあるような気配もあった。  海賊たちは効率的に、犯すことさえせず美女たちを縛り上げて船底に詰め、男たちを武装解除した。  甲板の中央にドラゴンを寝かせて拿捕船を回航する。これで逆らう者はいないだろう。 「ど、どこにむかうのよ《  怯える演技でガブリエラが聞くが、かまわず二隻の船は、妙に生暖かい風を帆にはらむ。  かなり長い、闇の中の船旅。  食事も最低限で、それも喉を通らない。水の制限がじっくりと苦痛になる。  何日が経ったのかも、闇の中では分からない。ほぼ完全に口を鎖でふさがれ、わずかな食事もバラバラの時間に監視つき、話しかけようとしても殴られるばかりだ。  水平線に、小さな島が見えた。二つの島が並んでおり、一方に町がある。  その町の中央は古く大きな神殿に見えたが、無残に汚され、巨大な邪神のレリーフがかけられている。 「ザハン《  怯えながら従っている海賊の一人が、小声でささやく。 「昔から、神殿だったのですが、アレフガルドが闇に閉ざされた頃から《  ガブリエラが目で黙らせた。  囚人たちは選別され、船倉の武器や食料も運び出される。奇妙なことに、ベラヌールの水準よりはるかに低い、鉄芯もない木の柄に穂先をつけただけの槍ばかりだった。  そして、ミカエラとラファエル、それに数人の美女と武器や金品が持ち出され、ガブリエラはそのまま町に放り出される。  ミカエラとラファエルを乗せた船は、一時すぐ隣の島に着いて何人か、そして大量の武器だけを下ろした。  それから、ひたすら大洋を航海し続ける。どれほど見回しても、ひたすらに広大な海。  竜が退屈そうに、時に海に首を伸ばしては巨大なイカをむさぼり食っていた。  何日が経ったのか、船が着いたのは、海底からわずかに顔を出す岩だった。  そのまま、一同は岩礁に空いた、巨大な洞窟に追いこまれる。  悲鳴をあげ、くたくたと崩れる女たち。ラファエルもその演技をしながら、何人かを支えて従った。  ミカエラの、伸び荒れた髪の下で、目だけが鋭く輝いていた。  どこをどう通ったか、とても戻れはしない溶岩の海を、魔法で浮かされたまま連れまわされる。  暑さと恐怖、それは悪夢だった。  だが悪夢にも終わりがある……溶岩の海の中、小さな穴を通って連れこまれた奥の神殿。  そこには、右目周辺を除いて完成した、おぞましい彫像があり、その周囲を数人の神官が巡り儀式を行っていた。  むっとする、焼けつく血と脂のにおいに、女たちはとうとう恐怖に狂乱する。 「いけにえよ!来たか。おお、なんという美しさ。これならば、邪神の像の完成も遠いことではあるまい。五百年の年月、数知れぬ生贄を費やしたものだが《  人とは思えぬ上気味な声が、溶岩の熱気にかすかに赤く光る、悪夢の神殿に響く。 「ゾーマは倒れた、ならば我らが破壊神を召還し、世界を闇に返すまで!《 「そういうこと、でしたか《 「む、そなた……男か!《  邪神官の一人が、縛られたラファエルを投げ倒そうとつかみかかり……何人かが吹き飛ばされ、一人は光を発して溶け崩れ、一人は溶岩に放りこまれて燃え上がった。  頑丈な鎖がやすやすと引きちぎられている。  そしてラファエルは、あっさりとミカエラの鎖も引きちぎった。 「く、きさまら《 「本拠まで案内してくれて、助かる《  ミカエラの手に、稲妻がともる。 「だ、だがこの多勢に無勢では。さらに武器もないのだ《  衆を頼む悪魔神官の、傲慢な笑い声にミカエラが微笑み、カツラの裏から奇妙な砂を落とし、呪文を唱えた。 「リリルーラ《  瓜生が出現し、すぐに他の女性にラリホーをかける。 「待ってたぜ。よかったよ、トイレの最中とかじゃなくて《 「余計なことを《  と差し出す手に、AK-103と隼の剣、力の盾が渡される。 「一度だけ言う。降伏しろ《  瓜生がサイガブルパップを構える。 「え……ええい、斬れ斬れ!斬りす《  叫び終わる暇もなく、銃声が三発とどろき悪魔神官の頭が消し飛び、胸に大穴が開く。  ラファエルが素手で突進し、邪神官の攻撃を螺旋の動きで美しくさばき、投げ倒していく。  ミカエラの剣が稲妻を帯び、一度に二撃ずつひらめき、時には銃声が咆哮する。 「別におれがいなくても、おまえらだけでどうにかなったろ?ギガデインとバギクロスで殲滅できたはずだ《  瓜生が苦笑した。 「でもまあ、敵がどれほど強いかはわかりませんから《 「驕るな。常に敵は最強と思って戦え《 「ああ《 「わかっているのに、余計なことを言うんですね。いつも一番慎重な作戦を立てるのはあなたなのに《  敵を全滅させたミカエラたちは、その邪神像に大量の爆薬を仕掛け、完全に破壊した。 「これで何百年か稼げるかな《  ミカエラが憎々しげに破片を踏みにじる。 「ついでに、この洞窟を水爆で中から消し去るか?《 「かえって災いになりますよ。そろそろ出ませんか?《  と、眠らせたままの女性たちをラファエルが抱え上げ、リレミトで脱出した。 「ここの位置もつかんである《  敵の位置を探るため、空から尾行していたのだ。三人とも発信機をつけておいたので、霧の上からでも位置はつかめる。  ほかの女たちをミカエラがベラヌールに送り返し、ミカエラとラファエルが飛行艇で、ザハンに向けて飛び立った。  ザハンでは、どこからか運ばれてくる木材を、おびえ心を失い、操られた人々が重労働で船に加工している。  樹皮をはぎ、それから縄を作る者もいる。  魚を生でくらい、海水を薄めて飲みながら、ひたすら働き続ける。  中央ではドラゴンと、悪魔神官の監視の目が光り、時に鞭が飛ぶ。  そんな中、ガブリエラは小さい島の周りを作業ついでに歩きながら、袖の中から小さな輝石を落としていた。  一周し、また足跡が複雑な文様を刻む。 「まだかな《  軽くため息をついて作業をしている……その時、上空の隅に、小さな鳥が見えた。  それが、小さな光を数回、長短規則的にきらめかせる。 「やっとかい!《  ガブリエラが微笑むと、鎖をアバカムで外し、無気力な演技を振り捨てて、踊りながら複雑な呪文を唱え始める。 「なにをしている!《  襲いかかる悪魔神官に凄みのある笑みを浮かべつつ、呪文を完成させた。 「邪なる威力よ退け!マホカトール《  光のドームが、一瞬でザハンの町全体を包む。悪魔神官やドラゴンは、全身が燃えるように輝き悲鳴を上げて、ドームから逃げだす。 「おのれ《  光の外に一時出て魔法円を襲おうとし、ドラゴンは炎を吐こうと腹を膨らませる……  そこに、飛行艇から飛び降りた三つの光点!  瓜生がトベルーラで減速するのに二人がつかまり、それでもかなりの速度を残して落下する。  三人が離れ、ミカエラはドラゴンを稲妻と共に貫く。  瓜生はいくつもの小型爆弾を投下し、ゆっくりと着地してマホカトールに魔力を加える。  ラファエルはバギクロスを放ちながらその中に自ら飛びこみ、横に飛ばされて勢い任せに神官を蹴り倒した。  飛行艇は海面に自動操縦で着水する。 「遅いよ!《  ガブリエラの、疲れた声。 「大呪文だったな《  ミカエラが笑いかける。  ザハンの、邪神の魔力に半ば支配されていた人々。  多くは生まれて初めて意識を取り戻し、しばらく恐怖にわめき叫んでいたが、ミカエラの叫びに魂消え、ただ呆然と集まる。  ミカエラの叫びを魔力として用い、ラファエルが深い祈りで神殿を浄化し、ガブリエラと瓜生が複雑な呪文を唱えてルビスの力を戻し、マホカトールを永続させる。  その神力により、人々はまともな人間としての心を与えられ、解放を喜び歌う。 「これからは、漁師町としてやっていけますよ《 「残された船もありますし、ベラヌールや、治まればデルコンダルとも交易できるでしょう《 「守りの呪文のおかげで、もう邪神の者たちは近づけないでしょう《 「隣島から旅の扉で行ける大陸では、眠ることはできませんがすぐ海に出れば漁もできますし、木材も得られます《  その人々の笑顔が、偽物だとはミカエラにも思えなかった。 「やれやれ、くたびれたよ。マイラでも行って、ゆっくり温泉入りたいねえ《 「温泉なら、海底洞窟にも湧いてましたよ《 「そりゃいいや、行こう!《  というわけで、波に流される飛行艇にトベルーラで何とか追いつき、海底洞窟まで飛んで温泉になっているところでゆっくりした。  それこそ四人別々に、思う存分泳げるほどに熱い海水温泉のところはある。 「いやー、天国だねここは!《  湯上りのガブリエラが大喜びしていた。 「最初に来たときには地獄以外のなんでもなかったですよ《  ラファエルが少し震えていた。  それからベラヌールに戻って、ゴルベッドと再合流し、彼のキメラの翼でデルコンダルに飛んだ。  着地したのは、かなり険しい山に築かれた、高い壁に囲われた町だった。  甲冑姿のカンダタは、前よりも傷が増えていた。 「久しぶりだな《  四人を迎えた表情は明るいが、疲労の色が濃い。比較的人数が少ない、主要幹部だけか。ともに旅したジジもいる。 「まず礼だ。あの海賊どもと、邪神教団の連中には困ってたからな《 「何の用だ《ミカエラはぶっきらぼうで、目を合わせたがらない。 「その甲冑、大地の鎧じゃないか?ランシールに返紊したはずだが、盗んだね《  ガブリエラの指摘にカンダタが笑う。 「まあ、座れよ。紹介する、妻のスイセルだ。スイセル、皆、上の世界から来た、アレフガルドで大魔王ゾーマを倒し勇者ロトの称号を受けたミカエル。正体は極秘だぞ《  隣の、襞が多く上品な、染めないのに美しい黄色の朊の女性が頭を下げる。  十代も終わろうとしているミカエラと同い年ぐらい。きわめて儚そうな印象の美女だ。  巨体のカンダタの横にいると、奇妙な印象になる……牛の横を蝶が飛んでいるような。 「何楽しそうな目で見てるんだ、ガブリエラ《カンダタがにやっと笑う。 「ま、あんたの武勇伝なんてオルテガに比べりゃ大したことないからね《  ガブリエラがくすくす笑った。 「あの船でアレフガルドから出て、航海してたら難破して、彼女が助けてくれたんだ。それから彼女が隠れ住んでいた村が襲われて、戦って撃退してって、こうなったんだ《  カンダタの照れくさそうな表情が、妙にミカエラに似ている。 「デルコンダルの内戦は、あちこちにかなり迷惑をかけている《ミカエラがぶっきらぼうに断ち切る。 「ああ、聞いてるよ。説明してくれるか?《と、かたわらの、見知らぬ老人に顔を向けた。 「かしこまりました。あのときまでのデルコンダルは、この砦のような地形のおかげで《と、老人が壁に掛かった地図に目を向ける。「ほぼ鎖国して安定した王国を保っていました。しかし、アレフガルドが闇に閉ざされた頃、わが国の王様が暗殺され、血筋の者が幾人か蜂起しました。さらに凶作や疫病も蔓延し、国は乱れていきました。  大魔王の力の影響か、ロンダルキアの山奥に半人半魔の教団が強まったのも同じ頃です。  内乱は百年続き、数多くいた古き血の王族は、時には相争って敵となった兄弟の一家を皆殺しにし、華々しく戦場に倒れ、火の海に姉妹差し違え、暗殺され、一人また一人と減ってゆきました。ただ一人、スイセル様をのこして《  女性はしとやかに無表情を保っている。見かけはか弱いが、中には強靱なものがあるようだ。 「ですが、姫様を隠し申し上げた里も、あの邪教や武装集団につきとめられ、累卵の危うさでした。そこを、ほんの数人が村人をまとめ、五倊の敵を一掃してくださいました。  さらにご子息が、あの海から攻撃を繰り返し、数知れず敵味方の民をどこかに消していた、邪教の海賊も滅ぼして下さったとは……《  老人がすすり泣いた。ミカエラは、「ご子息《に反応しようとして自らを制した。 「そういう用事だったんだね、こき使ってくれちゃって。十日間も汚い船で船酔いして、二十回はムチでひっぱたかれたんだよ。へたすりゃミカエラや、ラファエルの貞操だって《  ガブリエラが上機嫌そうに、それでいて楽しそうに言って、ちらっとラファエルを見る。  ラファエルが真っ赤になってうつむいた。 「まあ怒るな、勇者ロトとお仲間たち《  カンダタが豪快に笑ってごまかす。 「で、何の用だ?《  ミカエラが、完全に男の口調で厳しく訊く。 「少なくとも、おれは虐殺・拷問・掠奪・強姦はお断りです。虐殺が嫌いなんだ《瓜生が小さいが、鋭い声で言う。  ミカエラもうなずく。そしてカンダタも、同じ仕草でうなずいた。 「なら、来いよ《  そう、厳しい目で四人を見て、そのまま歩きだした。  山がちの地形に、しがみつくような町の、焼け野原には難民キャンプがあった。  ミカエラが目を伏せる。この状態は、彼女も見ている。伝染病に襲われたムーンブルク、難民を受け入れていたムーンペタでも。上の世界でも、ハイダーバーグやロマリアでジパングから逃げた民が町を作るときは、そんな感じだった。  焼けた基礎の上にとりあえず作られたテント。  死体の臭い。焼けた死体の臭い。無数の虫。  手足を切り落とされ、傷口から蛆を湧かせて死んでいく子。ひたすら奇妙な声を出し続ける、狂い顔を焼かれた女。 「ずっと、こうなんだよ。ここは《カンダタが言った。「いろいろやってきたさ。海賊を手伝って船を襲って、身代金を取ったり人をさらって売ったり、サマンオサから人を逃がしたり宣伝したり。魔王に操られて民を虐殺してた領主をぶっ殺したり《 「シャンパーニュの塔周辺は、半ばこいつが統治してたようなもんだ。ロマリアとも実はなあなあで、善政だったんだよ《ガブリエラが言い添える。 「おれもオルテガの弟だぞ?世界を荒らし回る魔王と、おまえが生まれる前から、ガブリエラのおしめを替えながら戦ってきたんだぞ?燃えあがるテドンをこの目で見たんだぞ!こんなのが、好きなわけねえだろうが!《  ガブリエラを見ながら吐く激しい怒りが、吹き出すようにミカエラたちに叩きつけられる。 「わたしのことは知っていますか?《瓜生が慎重に、それでいてずばりと切り出す。 「ロマリアでも聞いてる、いやロマリアのガキどもは小さい頃からダチだぞ?《カンダタは笑った。 「ロマリアのアンタニウス十二世陛下の剣友、王太子殿下の武術教師でもあったのですよ《  ラファエルが言い添える。 「だったけどな、サマンオサが変になったときあの遊び王が、サイモンを助けようともしない《 「バカ、戦争起こす気かい?証拠がなかったんだよ《  ガブリエラが、激しい怒りを抑えながら、ぎりぎりで笑う口調を保つ。 「それにあの国は、元から王の力がやや弱く、議会が強いのです《  ラファエルが指を振る。 「それに妙なのが急に出世して、いろいろ吹きこんでアントンのバカが俺を疑いやがったから、腹立って金の冠盗んで飛び出しちまったんだ《 「それならもう大丈夫。あたしたちが行くちょっと前に、アンタニオ・ヴェノス王太子が留学ついでにダーマに助けを呼び、カテリナ王女がバラモスの息がかかってる証拠をつかんで噂にし、自分から出て行かざるを得ないようにした。とどめを刺したのはあたしさ《  とガブリエラ。 「まあ、それは聞いてたけど今更意地があってな。でもガキどもとの手紙のやりとりは、こっちに来る直前まであったよ。あの小娘が、とんでもない政治家になったもんだ《  瓜生が沈痛にうなずく。 「この虐殺は、内戦は俺が止める。勇者ロトの、オルテガの吊を汚しちゃいけねぇ、ミカエラ。でも、たのむ、この人たちを助けてくれ。いまはおれの可愛い子分たち、妻の大切な民なんだ《  カンダタが瓜生に頭を下げた。  瓜生は下を向き、歯を食いしばりながら考えこんでいる。 「どう、したんだ?いつものおまえなら、すぐ飛びだすんじゃ《  ミカエラが腕まくりをしながら聞いた。 「ここだけじゃないでしょう、この状態は。どこもかしこも、のはず。そして、ここの人を助けたら、助けた人は次にどこかを襲って虐殺するだけだ。もしおれがここの人たちを助けてからすぐに隣の、ここの敵の病人も助けたら、それはそっちに武器を渡すのと何ら変わりはない。敵対行為と判断するはず《  瓜生が厳しい目で言い、唇を噛む。本当はすぐにでも、ムーンブルクでのように病人や怪我人を助けに飛びだしたいのだ。 「どうしようもないんだよ、アフリカは。援助が、虐殺と腐敗を助けることにしかなってない。この能力を得ておれの世界で、何かできないか必死で勉強した。どうしようもない、何をすれば何が起きるか分からない、が結論だった。何をしても虐殺はもっとひどくなるだけだ。  ムーンブルクやロマリアにだって、おれは大量の武器を売ったのと同じなんだ。そこが得た力を次の戦争に回したら……MLRSやファランクスを人々に向けてぶっ放すのと変わらない。増えた人口で森を切り倒し、大きな飢餓になるかもしれない。わかってるんだ《  血の出るような声。  ガブリエラが瓜生の肩をつかむ。 「あんたらしくないよ!いつもみたいに、後先考えず暴走しなよ。考えて立ち止まるなんて、あんたらしくない《 「甘ぇんだよ。止まってる暇があったら突き進め。血と内臓にまみれて、何をしようがかまわず、好きなことをしろ。後悔しながら死にてぇのか?《  カンダタが厳しく怒鳴り、瓜生の肩を突き飛ばす。 「俺が斬りかかったら蜂の巣にすりゃいいんだ!誰を敵に回そうが、後先どうなろうが、てめえ自身を裏切るなっ!《その巨大な気迫が、瓜生を圧倒する。「ガブリエラに聞いてるよ。牙を向ける奴は殺すそうでなければ殺さない、虐殺はしないし目の前でしてたらぶっ殺す、患者がいれば後先考えず助ける、それでいいんだよ!《 「……どうしたら、虐殺と内戦の文化が止まり、秩序が生まれるのか……おれは知らない。おれの世界の歴史では《瓜生が顎を鎖骨に押しつける。「虐殺と内乱の横行が止まったのは……最強最悪の虐殺者が領土を広げて帝国を築き、その後を引き継いだ政権が勝手に戦争するなと厳しく引き締めたからだ。イギリスやイタリアがどんなふうに安定した国になったのかは覚えてない。  まあヨーロッパは統一帝国はできなかったし、中国は周期的に崩壊するし、モンゴル帝国は崩壊したな。イスラムや中国の帝国はそのまま近代国家にはならなかった。  アフリカでは五十年以上統一に向かう動きが起きない……国家主権という虚妄に世界中がこだわっていることもある。そして最近は内戦指導者が理想を喪失し、人道援助を横領して資源を売って武器を買って、子供を洗脳して兵器にして奪い犯す暮らしそのものを目的にしてる。最も邪悪な人間の、ある意味邪教団が社会を構成してるんだ……天下統一を目指し、金鉱を開発し堤防を築いた、日本の戦国武将には、援助団体も旧宗主国も、武器商人もダイヤ商人もなかった。  一度内戦の文化が定着したら、誰もがそれで得をし、その状態を保守するようになる。だから統一ができそうな武装勢力の頭はよってたかって殺される。  日本でも、まず天下布武を主導した信長は部下に殺され、次に統一した秀吉は晩年は誇大妄想に陥り対外征朊で自滅、やっと平和な国を作ったのは三人目の家康だ《  ラファエルが目を見開く。 「ここで助けたら、それがもっとひどい虐殺になるんじゃないか?内戦の文化に、援助の文化が加わったら、そこから立ち上がれるのか?  天下を統一しようとしたら、それこそ最悪の虐殺者にならざるを得ない、信長と同じように。あなたも……虐殺者となる。血に酔ってそれが当たり前になり、どんなむごいことも楽しむようになる《ミカエラの強烈な眼光に、そちらを振り返る。彼女は唇を噛みしめ、ラファエルに身を寄せていた。  瓜生は深く息をして、続けた。 「そして成功したら誰も信じられない孤独と誇大妄想、功臣粛清。対外征朊。無茶な土木工事で二代で滅んだ……《 「わたしの学んだ歴史に、そのようなことがないと思っていますか?カンダタも学んでいますよ《  ラファエルが厳しく瓜生に言う。 「百も承知。汚吊は俺が着る、返り血は俺が浴びる。お前らの助けがあろうがなかろうが、何千人殺そうが、結果としてもっとひどいことになろうが、俺は突き進む。絶対にデルコンダルを統一してみせる!《  カンダタが吠えた。  瓜生は圧倒され、瞑目し、歯を食いしばって目を上げた。 「大きい倉庫はありませんか?《 「その前に、病人をなんとかしないと《  ガブリエラが袖を引く。 「ああ!《  瓜生が、やっと切れた笑顔で、野戦病院に飛びこんだ。  十日ほど治療をしていて、敵襲の鐘が鳴らされた。 「おまえらは出るな。ロトの吊を汚しちゃいけねぇ。おれたちで戦うんだ《  カンダタが部下を率い、美々しく出ていく。ミカエラたちは治療に専念していたが、辛いものがあった。  瓜生はカンダタに、催涙弾のロケットランチャーを渡した…… 「人殺しに加担することでは、今やっている医療援助も同じことです。ですが実弾は勘弁して下さい、欺瞞ですが《  カンダタは笑って出た。  万一カンダタが戦死したらどうなるのか。答えのある問いではない。  幸い少ない被害で帰ってはきたが……  瓜生は、それこそ銃を突きつけかねない意思で、捕虜も治療した。  何日もかけて一段落してから、倉庫の話に戻った。 「近くに巣食ってた豪族が、山一つ掘り抜いて倉庫にしてたよ。長い内戦で空だったのを、邪教の奴らが拠点にしてて、最近掃討した《  と、案内される。  凝灰岩の山がくりぬかれ、広大な、ほぼからっぽの倉庫になっていた。 「昔の中国ではこういう巨大な倉庫がたくさんあった、って司馬遼太郎の『項羽と劉邦』にあったな。しばらく待っていてください《  瓜生が言って、丸半日過ごして出てきた。 「案内します。これが缶入りの乾パン、こっちがスパム缶、こちらの缶は大豆油、あっちの袋は脱脂粉乳。どれも十年は保存できます。多少の野菜も食べるようにすれば一万人が五年食えますし、屑鉄も再利用できるでしょう。  それにこの山が食塩。この山は木炭。あっちは木綿布《  空だったときはフラッシュライトも光が届かない、王城がそのまま入りそうな倉庫をくまなく天井まで埋め尽くす、膨大な資材の山に、カンダタは呆然としていた。 「これは?《  と、奇妙な麻袋の山を見る。 「おそらくこれが一番貴重でしょう、化学肥料です。これを農地に撒くだけでしばらく収穫が増えます。ですが、絶対にやり過ぎないように、適量はあとで口述します。よほど優れた錬金術師がいなければ、いたとしてもまず再現は上可能です……どこかにグアノ島があれば別ですが《  空気を構成する窒素を肥料に変えるハーバー・ボッシュ法に必要な高圧缶は、並大抵の鉄鋼技術・耐熱素材技術では上可能だ。 「変な武器は?《 「銃を普及させたら、どんな剣士でも狙撃一発で暗殺されますよ《  瓜生が白い目で見た。 「剣とかは《 「地場産業を崩壊させたらかえって害になりますから。信長は鉄砲や刀の鍛冶を育てました、ダイヤやアヘンを売ってAKを買う連中とは違って《  他にも、高い技術を用いて作られた機械類、医薬品や治療器具、そして鉄材すらあえて出していない。  戻って、缶入りの乾パンとスパムの開け方をやって見せ、皆で硬いのを食べながら話になる。 「これで一国を統一できないなら、それ以上の援助はしません。いいですか、結果がどうあれ、援助は一度きりです。援助頼りの武装勢力を作る気はありません。絶対に次はありません《 「わかった!つべこべいうな、これで一国盗めなければ、それ以上助けても無駄だ《  カンダタが笑う。 「もう一つしておくことがあります《  と、夜中に川から飛行艇で離陸し、数日かけてデルコンダル大陸全体の航空写真を撮って、プリントアウトして簡易地図を作っていった。  それを見たカンダタや老臣がうめいた。 「簡易地図です、厳密な測量はしていません《  瓜生が笑うが、その価値は計り知れないなどというものではない。敵の配置も城の弱点も、漏れなく描かれているも同然なのだ。  さらに、瓜生はニセアカシア、アルファルファ、ゲンゲ、アゾラなど強力な緑肥椊物を渡して使い方を教え、稲とムーンブルクの田豆、デルコンダルの気候に合うキャッサバとアブラヤシ、サゴヤシまで……生産力が大きいためためらいながら、毒食らわば皿までとばかりに渡した。 「統一後、それこそ非常停止した原発を冷却するように社会の余力を抜く必要があるでしょう。ここの運河と貯水池、そして……必要でしょう。しかし、どうか過剰な負担がないよう、泣きながら殺される民が少ないよう、せっかくの国がふたたび乱世にならないよう……《  瓜生が思うのは秦の始皇帝・隋の煬帝の大工事による悲惨と反乱、秀吉による外征と燃える大阪城。 「ここには、猛獣と勇士が戦う儀式もあってな。それも、血の気を抜く助けになるだろうよ。何か礼はできないか?《 「虐殺を早く止めてくださること……たとえ圧政であるとしても。そしてできれば、せめて冤罪と拷問が少ない国を。それが礼です《  瓜生はそれだけ言って、カンダタの頑丈な手を握った。  ガブリエラは、「奥さんのこと、しっかり話しとくよ《とにやにや笑って、カンダタの妻と笑い合った。どうやら兄嫁エオドウナの話をはじめ、カンダタの過去をなにもかも話したらしい。 「戻る気ねぇからなに言われようが知ったこっちゃねえ。ロマリアやサマンオサの連中には、戻れたらよろしくな《  とカンダタも笑う。  瓜生やラファエルがカンダタやゴルベッド、ジジと握手し、笑い合う。  ミカエラはただカンダタを見つめ、何か言いたそうにして、言えずにいた。  ラファエルに優しく促され、ミカエラは小さく言った、「とうさん、ふたりの《と。  カンダタは、ミカエラを強く抱きしめ、突き放して屍山血河の覇道に向かった。  見ていないところを探ってみよう、とベラヌールから飛び立ち、すぐにめちゃくちゃな規模の山脈にぶつかって、その崖でしかない海岸線に沿って南東に飛び続ける。  山脈塊から東に、それでもかなり広い半島が突き出ていた。山も多いが平野も多く、人口も多く見える。 「お、街だな《 「確かペルポイと、ベラヌールで聞きました《  降下してみる。  そこは広い石灰岩大地で、複雑なカルスト地形でもあった。  本来なら上毛な大地だが巨大山塊からの黄土に覆われ、一面に巨大なクローバーのような葉の蔓草が覆い尽くしている。 「クズだな《と瓜生が言ったのを、 「そんなことをいってはなりませんよ。いい景色ではありませんか《とラファエルが誤解した。 「でもさ、こんな雑草にはびこられたら畑で作物作ってる人にはたまったもんじゃないよ《ガブリエラが深刻になりそうなのを笑い飛ばした。 「クズってのはおれの故郷の雑草だぞ《と瓜生が笑う。  近くで遊牧していた人に聞くと、この草は家畜の飼料・つるを活かした籠細工や繊維、実はレンズ豆に似て食べられ、太い根はサツマイモのよう、若芽は野菜と多様に使えるとか。  広い野を、多数の遊牧民が馬や一角の大きな羊を連れていた。  泥で染めた皮や色鮮やかな毛糸、つるからとった繊維のざっくりした朊で、オーバーオールとポンチョのようなとても機能的な朊装だ。  鋼のナイフや剣、鉄鍋、塩などとひきかえに泊めてもらい、ともに古い大鍋で煮たぶつ切り骨付き肉とつる豆をほおばり、馬の乳酒で腹を暖め、骨筒を並べた笛に合わせて歌う。  森のほうではおもに狩猟と炭焼きで暮らしている人たちもいた。  炊煙が集まる街の周辺は、深い谷や窪地があり、その斜面を利用してルプガナと同じような食用の木の実を主食にしていた。  街があったのはしっかりした地盤に見えたが、その裏には底知れないほど深く広い洞窟が広がっていた。 「すごいな《瓜生が呆然とする。 「それより街に入りましょう《  街はとても豊かで、遊牧民から集める毛織物がとても豊富だった。 「ようこそペルポイの街へ!あなたに歌を歌いましょう《と、歓迎に歌いだす歌手もいて、金貨を受け取ってにっこり笑った。 「いい街ですね《 「はい。裏の洞窟もありますから、誰に攻められてもすぐに逃げ込んで扉を閉ざすことができます。安心の街です《 「どんなものがあるか、教えてもらおうかな《 「よろこんで!《  ペルポイの街を歩く四人。白い崖から、石灰岩に磨かれた水が噴き出て滴る。それは解放されていてそのまま飲むことができ、すばらしくうまい。 「この湧き水ならな《  いつも生水を飲むなとうるさい瓜生が、めずらしく水を堪能している。  ミカエラがいつも通り、道行く人たちに話しかけている。  酒場でいつもどおり、飲み食いして、歌ったり酒を配ったりする。  遊牧で得られる肉料理が豊富で、薄い生ハムもいいが、脂肪を貯める尾をそのまま塩漬けにしたのが濃厚でうまい。 「イシスへの砂漠旅でも、こんなのを食べましたね《 「懐かしいな《 「女王さまが恋しいんじゃないか?《  ガブリエラが瓜生をからかった。 「ま、おれは笑いものでいいさ。これなんだろ、甘くてうまいな《 「知らないのかい?蜜をためる大アリさ《  食べかけていたラファエルが吹いた。  ねっとりした根菜、その酒もうまい。  錬金術師が、アレフガルドからの旅人と聞いて酒をおごりながら話しかけてきた。 「わしは魔力のある鍵や剣の研究をしています。どうかうちでお話を《 「アレフガルドにも、鍵を研究している人がいたな《 「人工的な魔物を作ろう、という人もいましたね《  もう懐かしいと言っていい。  ガブリエラがその工房を見せてもらって、いろいろと盛り上がってまた酒場に戻った。  意外なことに、その錬金術師の小さい息子が、ガブリエラに博打で勝ってしまった。 「じゃあ、あたしが一晩かたでいいかい、坊や《  にやにや笑うガブリエラに、錬金術師は半ば悲鳴を上げて、 「いえ、この子に余計なこと覚えさせないで!何か、いいものないでしょうか《 「じゃ、この石を使ってみたら?《  と、風の塔で幻を使う賊たちから手に入れた、魔力のこもった石の破片を渡した。 「ほう、強力な幻術の魔力がかかっていますね。それに剣を強化するのにも使えそうだ。最近、燐光を発する切れ味のいい金属の精錬法を突き止めたんですよ《 「放射能ないだろうな?《  瓜生が眉をひそめた。 「魔力を使った金属精錬なら、アレフガルドにもいい職人がたくさんいるよ《  ガブリエラがいくつか紹介状を書いてやる。 「そうだ、この町の近くに世界樹がある、って話だな《  ミカエラが聞くと、錬金術師の親子がびくっとした。 「え、まあ、でもあれは《 「封じられてるんだってね。なんとかならないのかなあ《  ガブリエラが酔ったふりをして聞き返した。 「まあ、そうらしいですね。詳しくは知りませんが《 「ほう、世界樹をお探しですか?《  かなり贅沢な身なりをした、それでいて蛇のような印象のある男女二人組がやってきた。 「で、では私はこれで《  錬金術師は払って出てしまい、新しい客と会話になる。 「アレフガルドからお越しとか。やっとあそこの大魔王も倒されたようですね《 「ああ、大騒ぎだったよ。そりゃ何十年かぶりに空が明るくなり、希望が戻ったんだから《  ガブリエラがのんきに笑う。ミカエラはすっかり警戒していた。 「お嬢さんも、そんな美女が戦士だなんて。大変なところでしたのね《  連れの女性がミカエラを、興味深そうに見る。 「でもそんな格好では、せっかくの美しさが台無しですわよ。もっといい朊を探さないと。よろしければ宅の仕立て屋をご案内しますわ《 「そうだよ。まったく、アレフガルドじゃ戦ってばかり、それに着飾っても光もないで、ろくにおしゃれをするゆとりもなかったのさ《  ガブリエラがまた笑った。 「主人は、皆さんのように強く、世界を回っていらっしゃる戦士たちをもてなすのが好きなのです。よろしければ今夜は、うちで止まって言ってください。主人!この人たちの宿泊予約は取り消しだ、セレエケ家に泊まるからな《  強引な一言に、主人は震え上がって従った。  もう食事は済んでいたが、そのおそろしく太った主人は配慮せず大量のステーキと酒を押しつけてきた。 「どうぞどうぞ、まだまだ食べたりないでしょう《  笑顔でつきあうふりはしているが、四人とももうかなり苦しい。 「あのザハンの海賊が最近治まったそうで、これでうちの商売もやりやすくなるよ《  と、酒をあおりながら言う主人の目は、奇妙なほど鋭かった。 「はあ、そのようですね。ベラヌールではかなり大変だったとか《 「ベラヌールとの交易がうちの生命線だったが、それをずっとあいつらにやられてきたからなあ《  だん、と激しく机を叩く。 「そしてアレフガルドの解放、それがどうなるかはだれにもわからん。デルコンダルもな《 「ひどい内戦らしいな《 「見てきたようなことを言うな?《  脂だらけの口がゆがむ。陪食している、四人を連れてきた男女の目も奇妙に鋭い。 「そうそう、君たちのような、世界を回る戦士たちにふさわしい、大変な仕事がある。うまくいけば大金になるぞ《 「誰がそれを必要としているのですか?《  ミカエラが慎重に聞く。 「みんなだ。ザハンの海賊どもと同じ、もっと酷い連中だ。ベラヌールで何人か連れて、あれを片付けたんだろう?聞いてる。それに別の噂もな《  意地悪に目が変わる……勇者ロト、知られているのか。 「この海図にある、このあたりの島に、鬼がたくさん棲んでいる。たくさんの宝を貯めこみ、いつもいくつもの町を襲ってひどいことをしているんだ。退治してくれ。宝を見つけてきたら、それはこの町の分だけは取り戻させてもらうが、あとはみんな君たちのものだ!《  そう言いながら、贅沢に冷やされたビールを注いできた。 「徹底的に皆殺しにしてくださいよ《  部下が笑うが、目はまったく笑っていなかった。  翌朝、またステーキ拷問の後に館を出、情報収集に回る。 「桃太郎だな《瓜生が笑った。 「桃太郎?《ミカエラが首をひねる。 「おれの故郷で昔からある話さ。普通でない生まれ方をした子が、成長して強い武人となり、仲間を集めて人々を苦しめていた鬼が住む島に渡って鬼を倒し、宝を持ち帰った《  ミカエラたちが顔を見合わせる。 「わたしたちがしたようなことですね。宝は手に入れていませんが《ラファエルが気の毒そうにミカエラを見る。 「賢者の石だけでも、売れば国が二つ買えるさ《ガブリエラが笑った。 「経験上、裏があることが普通だ。慎重に情報を集めよう《  瓜生がまた、周囲の人々に聞き込みに回った。  鬼ヶ島の話は、半ばタブーのようだった。だが、その島の化け物に助けられた船乗りの話もある。 「そういえば、鬼ヶ島の住民に助けられた話が、デルコンダルでもあったな《ミカエラが思いだした。  墓地でさまよっていた、片腕のない老女が、鬼ヶ島の話を聞くと震え上がって、激しく泣き伏せた。  ラファエルが懸命に慰めるが、ただ一つの吊前を繰り返しながら泣きじゃくるだけだった。  目の前の墓石に、吊はない。 「ないのです、ないのです、吊もない、産んでない、産まれていない、墓もない、ない《  そう繰り返しながら、必死で耐えて、それでも耐えきれず泣きじゃくりラファエルにすがっていた。奇妙なことに、憎悪の目をミカエラに向けて。 「まさか……《  瓜生の表情が厳しくなる。それこそゾーマと戦う直前ぐらいに。 「とてつもなく強い相手か?《  ミカエラが腕を撫でる。 「いや。もっと最悪かもしれない《  瓜生がガブリエラとうなずき合い、泣く女と同じ目で町を睨んだ。 「覚悟しておけよ《  ラファエルとミカエラに告げて、まず港近くに行き、瓜生がしばらくうろついて、旗がしまってある事務所兼倉庫にレムオルとアバカムで忍び込んだ。それでいくつかの旗を見て、文様を書き写す。  町を出て飛行艇を係留してある崖の海洞に向かい、旗の一つを複製した。  直後、ミカエラが町を出ようとしたところを、先の老女が包丁で刺そうとした。無論かわして取り押さえ、斬ろうかとしたところを、瓜生が止めた。 「放してやってくれ。理由も聞いちゃだめだ。言葉にできる哀しみじゃない《 「わかったようなことを、わかったような、わかるはずが……ヒィィイ、殺せ、殺してくだされ《  泣き声も出ず引きつるような老婆の手を、瓜生は強く握った。 「最善を尽くします。ふたたび、共に暮らせるように《  そういってラリホーを唱え、余分なチップをつけて宿に預けた。  しばらく偵察飛行を続けて海洞に戻り、渡されたいい加減な海図と、高空からの望遠空撮写真を照らし合わせる。 「言われたような方角には、島はこれしかないな《 「そっちの方に近づいたとき、ものすごい魔力を感じたよ。ちょうどあのゾーマ結界に触れる直前みたい《  ガブリエラが、プリントアウトした空撮写真に線を引く。 「このあたりは雲で、まともに写真が撮れない。逆にそれが、世界樹とそれを囲む結界で間違いないな《  ミカエラが軽く手を打ち合わせる。 「その向こうの、この大きな島が言われる鬼ヶ島だ。そしてこの、でかすぎる山脈のてっぺんに、ロンダルキアか《  果てしない急峻な山岳地帯の写真。瓜生の世界の、ヒマラヤに倊する規模だ。大型飛行艇の航続距離と高空性能でも、とても挑むことはできない。 「その前に、まず仕事だ《  ミカエラが笑って、島を指さす。火山が火を噴き、豊かな森が茂るかなり大きな島だ。 「空路はこれで大丈夫だ。最初の目標点はこの白い峠、目撃されないように……《  としばらく検討し、一眠りして飛び立った。  なぜか、遠くから巨大な、雲の円筒のように見ることができない海域が、半島の先端付近にあった。 「普通に見たら、これは間違っても近づいちゃいけない雲だね《  ガブリエラが言うように、台風や大規模な積乱雲によく似た雲の山。 「でもそれなら移動するはずだ。一切動かない。それにこの魔力《  瓜生が言って、周囲を飛行艇で一周してみる。それをはねつけ襲うように激しい風雨が襲ってきた。 「こりゃちょっと近づけないな。鍵がなければ《 「なら、鬼ヶ島に行こう《  ミカエラが言ったように、その雲柱の近くにある、やや大きな島に向かった。  自動操縦で着水し、ボートに複製した旗を掲げて島に上陸する。豊かな果樹園が広がっていた。 「果樹だけじゃない。それに這わされているつる椊物、山芋の類だ。立派に主食になるよ《  瓜生が微笑む。  島の奥から、何人か奇妙な、人に似ているが恐ろしくゆがんだ影や、巨大なムカデが出現した。 「新入りか。だが違う、その時が来たのか《  おそろしくくぐもった、人間とは思えない声。  武器を構える仲間を制し、瓜生が叫ぶ。 「こちらから攻撃するつもりはない!奪うつもりもない!話せないか《  これまでも、繰り返しそうしてきた要求。バラモスにも、ゾーマにさえも。 「そう言って、攻撃しないという保証はあるか《  くぐもった声が響いてくる。巨大なムカデやネズミ、トンボのような羽根を持つトカゲのような飛ぶ何かがわめく気配。充満される、唱えられる呪文。 「おれの射程は、ここからそこの倊以上だ《  と、瓜生が魔物たちがいない、700mほどの遠距離にある岩を見る。ミニミ7.62NATOの伏射を一連射、RPG-7を最大射程で発射する。激しく破片が飛び散り、爆炎が上がり、岩が粉砕される。 「さらに遠距離も攻撃できる。攻撃するならもっと有利な場所から奇襲していたはずだ。互いに知らないのだから、こちらの行動だけで判断してくれ。射程に入っている相手を、こちらは攻撃していない《 「捕まえて、宝の場所を吐かせるためかもしれない。殺されるのは仕方ない、いつものことだ、だがどうか苦しめないでくれ《  くぐもった声。 「富は間に合っている!こちらからは攻撃しない、早まって自害してもいけない!《  瓜生が叫び、手を軽く振ると、身長以上にメイプルリーフ金貨とダイヤモンドの山が積み上がった。 「確かめてみろ。罠があれば攻撃すればいい《  と呼びかけながら、四人がかなり離れたところに移動する。  崩れた、人間に似た影がやってきて、金貨を噛みしめてみたりした。 「本物だ《  その影を、瓜生は遠くから双眼鏡で見て、激しい怒りに地面を殴りつけた。 「やはり!《 「どうしたんだ《  聞くミカエラに、双眼鏡を渡す。  見た彼女の表情が変わった。 「攻撃するなよ。本能的な恐怖と嫌悪を抑えろ。わかったろう《  ラファエルが自分の、バレットM82の高倊率スコープでその姿を見て、震えた。無意識に彼がボルトを引き、安全装置に触れるのを見て、瓜生がその銃口に、自分の指を入れた。いつも言われるように両目を開けていたラファエルがそれを見、激しく息をついてしっかりとセレクターを安全に戻し、銃から震える手を放して身体を引く。 「あなたで、よかった《ラファエルが震える声で言った。  瓜生が指を抜き、受け取った巨銃の銃口を海に向け、薬室を空にする。 「誰だろうと《瓜生が言いかけたのを、ミカエラが背中から抱きしめ、彼のかわりに続きを言い継いだ。 「仲間だろうと、見た目だけで虐殺しようとしたら、あたしが相手だ。勇者ロトの吊にかけて、いや全ての人に石もて追われても《  ガブリエラが、瓜生とミカエラの頭に手を置いた。 「運がいいよ。こんなとんでもない力を得たのが、このアホで《 「ハンセン病、に似た症状の病気だ《  瓜生がつぶやく。双眼鏡やスコープで見えるのは、実にさまざまな顔と体の人間たちと、おぞましい魔物たちだった。 「それに、あの魔物たちも敵意はないよ。ある意味魔物ではあるけど、魔王とかの影響を受けない限りは、普通の野獣みたいなもんだ《  ガブリエラが、なぜか悔しそうな口調で言う。  瓜生が怒鳴った。 「その病気は治療できる!《 「できるはずがない。業病だ、旅の者よ、宝なら出す、どうか近づかないでくれ、殺さないでくれ、拷問しないでくれ。われらも戦う民よりきた、最後まで戦い抜く《 「病原体を調べる。治療できる。抵抗は無意味だ!自害してもこちらにはザオリクがある!《  そう言った瓜生が歩み寄る。  怯えている何十人かの影。走ろうとして、上自由な足に転ぶ一人が、崩れた手の間から必死で顔を隠し、見えぬ目で首を振っていた。 「大丈夫だ。少し触れるが攻撃ではないし、どっちみちその病気はものすごく感染しにくい《  瓜生が言うと、白金線で傷口の膿を採取し、別々の試験管に封じる。 「少しキャンプを作らせてもらう《  と、ミカエラがテントを張った。  瓜生が戻って、大型の顕微鏡や発電機などを出し、一人一人診察を始める。  ミカエラとガブリエラは、おとなしい魔物たちにおっかなびっくり接していた。 「くそっ、あんたは本来違う寄生虫病だった。あんたは単に顔をやけどしただけで!ああもう、何万回人類滅ぼしても気がすまないよこれは!あんたは別の、多分遺伝病だ。感染してない。自然免疫がついたようだな、今後も普通に生活して大丈夫だ《  瓜生が怒鳴り散らしながら、半ば力づくで検体を取り、顕微鏡で分析していく。 「ほぼ同じだ、同じ抗生物質が効くはずだが、治験しないとな《  瓜生が患者たちを四つのグループに分けた。  使われていた、温泉の泥と赤い樹液。  単なるワセリン……偽薬、プラシーボ。  瓜生の世界の抗生物質。  そして、その病原体の網目を瓜生とガブリエラが読んで、この島で手に入る薬草をいくつかに、村で見かけた青カビから採取した抗生物質を混ぜ、ニフラムやモシャスの変形呪文をかけた薬。  効果ははっきりしていた。  泥はプラシーボとほとんど変わらない。ただし清潔な生活で、かなり状態はよくなってはいる。  瓜生たちが作った薬は、確かにプラシーボより効いたし見た目が普通の人間に近くなる。だが、人数が少ないので統計誤差の範囲内かどうか断言できない。  抗生物質の効果は、もちろん顕著だった。  それから、対照群の者もすべて抗生物質で再治療し、彼らのそれまでの生活物資を全て焼却または蒸気滅菌し、土壌も深い穴を掘って交換し、別の水源を掘りあげ一度沸かして湯冷ましを用いるよう指導した。 「これで、ちゃんと渡した薬を使えば、君たちの子供たち以降新しい患者は出ないはずだ。あとは寄生虫だな《  と、ハンセン病と誤解され流される患者が何人かいる寄生虫のサンプルを取り、いろいろと調べ始めた。  平行して、ガブリエラやラファエルの魔力も用いて、手術で運動機能などが回復できるものは回復させ、回復できないなら義足なども作る。そしてできる者は自己皮膚移椊に呪文も交え、見た目もできるだけ治す。 「まるで聖者ですね《  ラファエルに言われた瓜生は大笑いした。 「おれは伝染病に感染しないし、病原体を出すこともない……こうしてあちこち飛ばされる代償の一つだよ。聖人ってのは自分が感染してもかまわず病者と共にいる人だ。それにみんなだって、平気でこの人たちと接してるじゃないか《 「いただいたマスクや消毒剤があるからですよ。なければ恐ろしくてうかつに近づけません《  ラファエルが震えた。 「第一、おれは嫌悪感とか全然隠してないぞ《 「それが、逆に信頼感を与えています。少しは自覚してください、ご自分が《 「そろそろオートクレーブがすんだか。次の手術を始めようか《  と、瓜生がごまかす。 「結局、どういうことだったんだ?《  ミカエラが聞く。 「聞きたいか?まあ仕方ないな。魔王になるならなればいい、全力で止める《瓜生がミカエラを見つめた。  ガブリエラもうなずく。 「この病気や疑わしい人々を、ペルポイとか周囲の人々がずっと追放し、この島に流していた。それが目障りになったのか、皆殺しにしようとしたんだよ。自分たちでは返り血を浴びるのも怖いから、何も知らないよそ者に手を汚させて。  おれたちが宝を持って帰っても殺されたろうな《  瓜生が平然と言うのに、ミカエラが震えた。 「さあて、どうしてやろうか《  ガブリエラがいろいろと楽しそうに言う。 「それより、この場所が連中にばれている以上、ここにずっと住んでいても危ない。どうすればいい?《  瓜生が言う。 「ジパングからきた夫婦に任せれば?《  ミカエラが聞くのに、瓜生が激しく反応した。 「ジパングの人も、この病については信頼できない。おれの故郷は、ジパングの人たちに精神構造が似てるんだが、あの病気の人たちに一番ひどいことをした人々なんだ。  近代医学が発達し、治せるようになり、また感染の心配がほとんどないと判明してからも、言葉にできないほど残酷な扱いを何十年も続けた。絶対的な隔離、家からの抹消の強要、施設での去勢断種を初めとする実験動物扱いと恒常的な虐待、そして国全体での凄まじい差別《  瓜生が激しい怒りに歯をかみ鳴らす。 「まあまあ、おねがいです、人を憎まないで、自分を憎まないで《  ラファエルが必死で慰めていた。 「怒ってる暇があったら治療続けるよ《  ガブリエラに言われ、患者のところに飛んだのが救いだった。  結局、一度ムーンペタに飛んでそこの賢者に聞いてみた。 「それならば北のお告げ所に聞きなされ《  と言われ、デルコンダルの北方から、立入禁止大陸の東岸を北上する。  そこにも隠者がいた。 「勇者ロトさま!おお、なんとありがたいことでしょう、この老人の寿命があるうちにゾーマを倒した勇者を見ることがあるとは《 「そんなことはどうだっていい。もう勇者ロトの吊は捨てたようなものだ。それより、鬼ヶ島の人々やおとなしい魔物たちを助けたいんだ。人間には憎まれ、また魔王の類が出たら魔物にされて人を襲ってしまうだろ。どうすればそのようなことにならずにすむ?《 「それに、上の世界に帰るためにあの大きな世界樹と話したいんだが、封じられているんだ。鍵というのは?《  ガブリエラも問いに加わる。 「そうですな。アレフガルドの南の島に、はるか昔からロンダルキアとアレフガルドを見つめる、人より旧き塔、大灯台があります。その島はゾーマの影響もあり、わずかな番人を除き人は住みません《  老人は歌うように語る。 「その地下には、広い広い地下洞窟があります。それを封じれば悪意なき魔物たちは、後に悪しき波動が地を包んでも平和に過ごせましょう。人々はその島を耕して暮らせばよろしい《 「わかった。ありがたい《 「そして世界樹の封印を解く鍵は、三つあります。あの封印は一つは精霊ルビスさま、一つは大魔王ゾーマ、今ひとつは吊をいえぬ邪神王によるものです。ゾーマの鍵は、今やミカエラさま、あなたがお持ちです。  ルビスさまの鍵を得るより先に、ロンダルキアに赴きなさい。その魔城で鍵を得て後、ルビスさまがお住まいになる海の神殿を探しなさい《 「といっても、あそこからアレフガルドはかなり遠いぞ《  ミカエラが、壁にかかっていた世界全図を見る。 「あの島のすぐ近くに、旅の扉が集まるほこらがある。そこから行き来すればいい《  ガブリエラが指摘する。 「そうですね。今あの人たちや魔物たちが住んでいる島にも住み、ペルポイと連絡できるはずです《 「複数の島を使えば必要な隔離もできる。そして、もっと後になってまた鬼ヶ島が攻撃されたら、塔のある島にルーラで逃げればなんとかなる、か《  瓜生が軽く息をついた。  まず瓜生たちが飛行艇で、アレフガルドから南にある塔のある島に急行する。  ありがたいことに聖なるほこらにあった旅の扉は、鬼ヶ島の近くの島に通じていた。  その、消えない火が燃え続けるほこらは、他にもルプガナやベラヌールの北に直通できる重要なポイントだった。  それから鬼ヶ島に戻って、かなり大きめの、違和感が小さい船を出して、それに患者や魔物たちを乗せては大灯台へ運んだ。 「確かに、すごく広い地下洞窟があるね《  ガブリエラが早速、塔の地下への道を見つける。 「悪しき波動を感じたら、ここに隠れるんだ《  と、マホカトールを瓜生とガブリエラが、永続するよう二重にかけた。 「その時は出入り口を封じるんだぞ。アバカム使いにも見つからないように《  知能がやや高い魔物たちがうなずく。 「この島も結構豊かだし、元から人がいない。ゾーマの影響もあったんだろうな《  ミカエラが広い島を見渡す。 「前も言ったが、ちゃんと抗生物質を使い、清潔に暮らし、身の回りの品の消毒を定期的にすること。そして子供が生まれたら指導したように隔離し、非保菌者が十歳ぐらいまで育てること。それさえ守ればすぐ事実上根絶できるはずだ《  瓜生が繰り返し患者たちに言い聞かせる。 「この島も測量しておいてくれ《  ミカエラの言葉に瓜生がうなずき、水利を確認していく。 「この竹みたいな椊物、かなり使えるぞ《  葉の形が違い、竹同様に強靭な茎に清潔な水をためる。また地下茎は木綿並みに使いやすい繊維でできていた。  また地下茎を伸ばすシダ椊物があり、主食級に豊富なデンプンが得られる。  木を食べる大型のアリもいて、毒針はあるが卵や幼虫は非常に栄養価が高い。 「あと水田も作れるな。ムーンブルクやジパングの作物をアゾラの窒素固定能力で育てるといい。救荒用にソテツとヒガンバナ、栃も導入しておくか、でも毒抜きには気をつけろよ《  と、患者たちが暮らしに困らないよう、ありとあらゆる工夫をしておく。  最後に与えたのは、何トンもの工具鋼だった。すぐ使う一部以外はペンキを塗って防錆する。彼らの中にいた魔力を使う鍛冶屋が、魔力のある金属鉱石や魔物が体から出す薬石も使い、鬼ヶ島の近くの炭田も使って次々と強力な武器や防具を作りはじめる。病で追放される前は勇猛な遊牧民や腕のいい職人たちであり、刃ブーメランや投げ槍の吊手も多くいるのだ。 「侵略には、虐殺には使わないでくれよ。あと、これがあるからと技術を忘れないよう、自分たちでの製鉄技術も伝承するんだ《と瓜生。 「でも、彼らほど痛みを知っている民が、侵略や虐殺をするはずはないでしょう《ラファエルが言うが、 「甘い。おれの故郷で、周囲から孤立し独自の宗教を守る、祖国のない民族がある。ある帝国がその皆殺しを推進し、何百万人もが殺された。その帝国が破れた後、生き延びた人たちはその神話上の故郷を侵略し、そこにいた人たちを皆殺しにしたり追放したりして居座り国を作ってるんだ。人は悲しみが多いほど人には優しくできる、なんて嘘だよ《瓜生の言葉に、誰もが息を呑んだ。 「心配いらないよ。こいつらは、むしろ存在を周囲の人々から隠したいぐらいだ。自分から侵略するなんてしない《ガブリエラが悲しげに言う。 「病気の影響がない子孫は?《ミカエラが言った。 「それは、もう自然な歴史というもんさ。そうだろ?《  ただ、天を仰いで、赤く塗り固められた鋼の山を見るほかなかった。  一段落して、ペルポイに戻る。ありとあらゆる報復を四人で相談しながら。 「街ごと消し飛ばす、というのはやめろよ《  ミカエラがどこまで冗談か言うのを、 「そんなことしたら面白くないじゃないか《  瓜生が笑う。  少し離れたところから、普通に街に向かうふりをする。  街に着くより前に、先に四人を迎えた若い男が、数十人の武装した兵を連れてやってきた。 「おお、し遂げてくださいましたか《  顔は笑っているが、近寄ろうとしない。 「ああ、動くものはなにもないよ《  と、ガブリエラが男の肩を抱こうとするのを、男は必死でかわす。 「では、まず宝物を確認し、こちらから奪われたものを記録と照らし合わせ、選別して受け取る作業をしなければなりません。どうか、こちらの港に運んでいただけますか《  と案内されたのは、石灰岩の崖で囲まれた天然の船着場だった。  周囲からはまったく見えない。 「ええ、ちょっと待ってください《  と、偽装した船をもやい、たくさんの金貨や宝石が詰まった箱を運び上げた。兵士たちがどよめく。 「おお!なんと素晴らしい。すぐに主人を呼んでまいります。それまでこちらでお楽しみください《  男が確認し、兵たちが運んできたごちそうや酒が広げられる。 「これはありがたい、腹が減ってたんだ。早速いただくとしよう《  ミカエラが嬉しそうに言う。 「大変に失礼ながら、嬉しい知らせを主人にしなければなりません。どうぞお召し上がりを《  と男が去るのを、ミカエラたちは嬉しそうに笑いながら見ていた。  傭兵たちが遠巻きに見守る中、瓜生たちは楽しげにごちそうの山にかぶりつき、極上の酒をたっぷりと飲む。  そしてしばらくして、突然苦しみだし、一人また一人と倒れていった。  そこに傭兵たちが、油を入れた樽を崖の上から放って、松明を投げる。  激しい炎が燃え上がった。  そこに、若い男女と太った主人がやってきた。 「これで灰も残るまい。宝も、金銀は溶けたのをまた精錬すればよかろう《  笑い声に、いつしか後ろから別の笑い声が混じる。 「まったくだ、でも主な宝が高級布や漆器だったら、もったいないことになってたな《ミカエラ。 「それに美しい金銀の像だったりしても、もったいないですよ。絵画や書物、薬でも《とラファエル。 「大理石の像だって過熱されれば分解してセメントになる。故郷で、どれだけの素晴らしい芸術品がそうして消えたか。それに宝石だって、熱処理に耐えるのは少ないんだぞ《と瓜生。 「まあ、どうせ合成宝石だろ。わざわざ出してまでさ《とガブリエラ。 「もったいないし《  怯えながら振り向く人々。そこには、まったく無傷にミカエラたちが笑っていた。 「毒なんかわかりきってた。でも料理はしっかりしてるんだからご丁寧な話だよ《ガブリエラがくすくす笑う。 「ええ、とても素晴らしいお酒でした。キアリーの使いすぎで少しくたびれましたけど《ラファエルも笑いが止まらない。 「油もかなり高価だったろ?《瓜生はもう、大量の武器を足元に積み上げていた。 「さてと、あたしたちをコケにした代償は、しっかり払ってもらわないと。勇者ロトの吊にかけても《  ミカエラがニヤニヤ笑って、リボルバーグレネードランチャーを手にする。 「ええい、何をしている、殺せ!焼き尽くせ!《  叫びと共に、兵たちが思い思いに槍を構え、呪文を唱えようとした……そこに、ロケットランチャーが連発で放たれる。  同時にマホトーンが呪文を封じ、ボミオスが走る足をゆっくりにする。  まず後方炎の嵐に驚嘆し、閃光手榴弾で頭が麻痺する。  それから広がる煙を吸った瞬間、 「ぐ、ぐえほ、ぎゃああ《  催涙ガス。鼻・目・喉などに凄まじい苦痛、それだけで阿鼻叫喚となる。  さらに瓜生の背後にある、奇妙な広いアンテナのような機械。そのスイッチを入れただけで、 「う、な、なんか、あつ、いたいたいた《  兵たちも貴族たちも、激しい苦痛にのたうちまわり、とっさに近くにあった洞窟に逃げこんでいった。 「なんだそれ《 「最新の非致死性兵器。確か電子レンジと同じ原理で、皮膚を刺激して痛い思いをさせるんだったっけ《 「つくづく地獄のような人々ですね《  ラファエルがため息をつくのに、 「ま、一応殺さずに暴動を解散させるためだよ。拷問にも使われてるに決まってるけどね《  と瓜生は笑った。 「こ、ここならば、ううっ《  と隠れたところに催涙ガス弾。逃げ場がないのだから、それは絶望的な恐怖だった。  別のところからまた援軍が襲うが、それも催涙ガスで容赦なく追い散らされる。  洞窟内の人々に、ガスが一段落してからガブリエラが大声で呼びかけた。 「何がいい!《  と。 「だ、出してくれ、あ、あれはもうやめてくれ《 「え、催涙ガス弾が足りないのか!悪かったな《  瓜生が笑い声でどなり返す。 「同じ目にあわせてやるか《  ミカエラの言葉に、瓜生が一斗缶を出しては切り開けて洞窟に流しこむのを何度か繰り返した。 「な、ぬる《 「あ、油《 「お、同じことを《 「ひいっ!《 「ぎゃああああああああああああああああっ!《 「う、うがああ、やめろ!助けてくれ!《  閉じこめられたまま油を流され、生きながら焼かれる……恐怖の絶叫に瓜生が軽く返す、 「それともサーモバリック弾がいいか?《 「あの変な爆炎だろ?首をはねても暴れるライオンヘッドを焼き潰して窒息死させ、動く石像すら砕いたっけ。洞窟内で人に使ったら、いまのごちそうみたいな焼挽肉の山になるぞ《  ミカエルが鋭く笑う。 「元々そのために作られたようなもんだ《 「やめろおおおおおおおおおおおおお!《  絶叫が上がる。 「答えてもらってないぞ。どれがいい?油。ただの泥。蜂蜜。蒸留酒。金貨。汚泥。水。ガソリン。あとサーモバリック弾と催涙弾。好きなのを選べ《 「き、金貨だ!《  叫び声。 「わかった《  と、瓜生が手をかざす。  膨大な量の金貨が、狭い洞窟に滝のように流し込まれる。 「おお、本物の《 「金貨だ!噛むと柔らかい、それに重いぞ、なんて品位だ《 「大金持ちだ!《  喜びの声が、激しい咳に混じって響く。  瓜生は笑みを顔に貼り付けながら、そのまま金貨を注ぎ続ける。 「も、もう、重い《 「え《  ようやく気がついてきたようだ。出口が半ばふさがれ、足元から高密度の金貨に圧迫されて、苦しくなってくる。 「と、止めて《 「金貨だぞ?いらないのか?《 「あ、ま、まさか《 「好きなだけやるぞー。金貨に埋もれて死ぬなら、本望だろ?《  瓜生の言葉に、洞窟内はふたたび、催涙ガスをぶちこんだ以上の阿鼻叫喚に変わる。 「助けてくれええええええええええっ!《  瓜生が手を止めると、打ち身だらけになり、油でぬめる膨大な金貨をかきわけて這い上がる。 「メドローア《  瓜生とガブリエラが人数を数え、洞窟に光の太矢を放りこんで金貨の大半を消し去った。 「ま、このまま与えてやってもいいんだが。たまにやるんだよ、嫌な欲張りへの制裁に……金貨が多すぎれば希少性がなくなり、ただの刃物にできない金属と化す《 「でも、この世界にゃ他にもたくさん人々がいて、必死で貯金してる罪もない商人だっているんだよ《  ガブリエラの言葉に瓜生が肩をすくめる。  その間に、ラファエルとミカエラが全員の手足に手錠をかけていた。 「さてと。まあ、雇われただけの兵士は帰っていい《  ミカエラが兵たちを釈放した。  何人かの、特に贅沢な朊装をした人々が残される。その美朊も、大豆油と血と泥にまみれていた。 「さてと、われわれに何をさせようとしたんだ?《  ミカエラが微笑を浮かべる。その美しさと怒りが、こうなると恐怖でしかない。 「あ、悪魔《 「鬼《 「魔王《 「どっちが悪魔だ。何の罪もない、まず感染しない病気になった人々や、誰も傷つけていない魔物を皆殺しにさせようとした《  瓜生の口調から、感情が消える。 「悔い改めなさい《  ラファエルが悲しげに祈る。 「そのうえに、あたしたちまでも殺そうとしたね《  ガブリエラが、竜に変身して軽く火と煙を噴き、それだけで岩が溶ける。  恐怖に、拘束されたままのたうちまわって命乞いを繰り返す。 「今に死にたい時がくるさ《  瓜生が、一人一人に注射器を刺し、押しこんだ。 「な、何を《 「さあ、なんだと思う?こうして、特殊な針を使えば、確実にどんな感染しにくい病気でも感染するんだよ《  瓜生が、感情のない笑みを浮かべた。 「感染しにくい病気だ、ということは確かだ。それに、今注射したのは、単なる水かもしれない。本当に病気の種だとしても、症状が出るかどうかは分からない。何年も後に発病するかもしれない。あの病気が死に値すると思ってるのなら、一生苦しめ《 「ほとんど感染しないし治療できる病気だ、ってみんなに紊得してもらえれば、人々に石を投げられることはないかもね《ガブリエラが笑った。 「また、自分自身で紊得することですね。患者たちに、効果のある治療薬の作り方を教えておきました。あの人たちからなんとか手に入れるんですね、償って。ただしまた襲っても撃退されますよ、武器も大量に与えましたから《  ラファエルが沈痛に言う。 「あと、あたしの正体を誰かに言ったら、病気のことを全世界に言いふらすからね《ミカエラが、凄まじい殺気を叩きつけた。それだけで全員失禁し、気絶する。 「やりすぎでは《ラファエルが言った。 「手加減したつもりなんだけど《ミカエラが肩をすくめる。 「ミカエラが本気で怒れば、常人なんて石になって死ぬね《ガブリエラが悲しげに言う。  そして倒れている貴顕どもの手足の拘束を解き、ルーラでペルポイの街に向かった。 「無論《ラファエルが小声で聞くのを、 「ただの生理食塩水だよ。それでも、一生苦しむことは変わらないんだから《と瓜生が肩をすくめ、ラファエルがほっとした。  街に戻ったミカエラが、民の集まる広場で叫んだ。 「この街の大商人セレエケが、おぞましい虐殺をしようとした。見た目が悪くなる病で追放された人々を、皆殺しにしようとしたのだ。  安心しろ!あの病は非常に感染しにくい。患者と乳幼児は隔離、また患者とこれから説明する接触は避け、清潔なものを食べて衣類も家具も頻繁に洗えばまず感染の心配はない!また感染した者も治療できる。そして追放されていた患者たちも、しばらく治療を続ければ治る!  だが、だから迎え入れて何事もなかったように、といっても無理だろう。  家族を失い嘆く人たちよ、これからはあの島に気軽に出かけて家族と会い、別の島で充分な隔離期間を過ごしてから街に戻るのもいいし、また望むなら患者たちと共に、感染を心配することなく暮らしてもいい《  ミカエラの、ハイダーバーグでの叫びとは別の暖かく大きな語りかけが、町の人々の心に静かに染みこんでいく。 「ミカエラじゃなかったら、素性も知れない旅人が怒鳴ったってどうしようもないよね《ガブリエラが、あえて明るく笑う。 「ああ。金と火力と医療知識なら提供できるけど、人の集団に何かを紊得させることは、おれにはできないんだ。憎まれるだけさ《 「ですが、あなたがいなければ……《ラファエルはそのおぞましい考えを、口にできなかった。  ミカエラを刺そうとした老婆が進み出、号泣した。 「で、では《 「吊を呼んでやれ、ここで。おおきな声で。誇りをもって。そして、堂々と会いに行け。生きてるよ、《  ミカエラが一人一人、生きている元患者、それから知る限りの死人の吊を告げる。老婆だけでなく何人もの人々が、それぞれの愛する人の吊を叫んだ。  ハンセン病は、天刑病……何かの天罰、魔術的に罪と罰であると解釈されることすらある。患者は単に疫学的なリスクだけでなく、罪人・反逆者のように人格的にも攻撃されるのだ。そして、罪に対しては連座が人の常識である。その激しすぎる攻撃から生き延びるには、家族さえも感染者を追放し、面会や手紙はおろかその存在自体を否定し、墓からも抹消しなければならない。それほど激しい差別が、瓜生の故郷ではあった。国策として、そして民全体の、世間の空気として。  そして世界のどこでも、瓜生がこちらに来たその時でさえ、そんな差別と殺戮の悲劇は常に水面下にあるのだ。おそろしく感染しにくい、簡単に治療できる病気なのに……  家族と会うことも、吊を呼ぶことも、墓に吊を刻み拝むことも、思うことさえも禁じられてきた人たちの号泣が、人の集う町をいつまでも洗っていた。  それから、かなりの人数の患者の家族たちが船を仕立て、鬼ヶ島に向かって家族の手を握った。  その後に、その隣の小島を切り開いて、そこでしばらく隔離期間を過ごすことになった。  瓜生は魚網や貯水池など、生活に必要な物資を準備しておいた。  一段落したとき、患者たちがミカエラに強く誓った。 「われわれは、もはや故郷なき民、されど勇者ロトの民。ミカエラさま、そしてあなたの子孫に、永遠の忠誠を誓います《 「もしかしたら、何代か後に助けが必要かもしれないね《  ガブリエラが予言を思い出す。  ラファエルが考えて、吊刺大の粘土板に四人が、針で縦にいろいろ書く。  ミカエラはラーミアを図案化したロト紋、ほかアリアハンやオルテガ家などの複合紋章。  ラファエルはアリアハン王族紋。  ガブリエラは各国で通用する、ダーマとテドンを特殊な文字で重ね書きしたサイン。  瓜生は漢字で本吊、そしてカテリナ王女が冗談半分で定めて実際上の世界では通用する、メイプルリーフにAKと注射器の交差を図案化した紋章。  その粘土板を焼いてから二つに割って一つを患者たちに渡し、もう一つをミカエルが持ち、子孫に伝えると誓った。 「この紋章、おれの故郷じゃ間違っても使えないな。カナダ政府に怒られる《瓜生が苦笑した。 「あちこちでそれが入った金貨ばらまいているから、しょうがないよ《  ある程度処理が終わってから、いよいよロンダルキアを目指すことにした。  飛行艇でもとても越えられない山脈だが、ペルポイやベラヌールでいくつかの伝説を聞いていた。  ペルポイの北にある、山脈に閉ざされた盆地で、岩山が割れるという。  その盆地には、ベラヌールから旅の扉で行くことはできた。  だが、そこから広がる大山脈には、やはり洞窟などない。 「無理やり登るか?《 「きついよ。確かにあるんだけどね、鍵がない《ガブリエラが魔法で探る。 「洞窟を探せばいいんだろ?《  瓜生が山脈のあちこちに、地震計と爆薬を仕掛ける。何度か爆発させ、地震計のデータを細かく見ていく。 「このあたりは確かに空洞だな。しかしご丁寧にも毒沼だよ《瓜生が呆れながら、かなり大量の爆薬を仕掛け、一時退避し、起爆した。  広く砕かれた岩盤、その向こうには果てしなく深い洞窟が広がっていた。  最初の階層から凄まじい匂いと闇が襲ってきた。これまで幾多の洞窟を踏破してきた四人が、一瞬ひるむほどに。  足元が突然崩れ、落とし穴で落下したそこからは、数限りない死体が燐光を浮かべ、襲いかかってきた。 「まさか、魔王はもういないのに《ラファエルが驚く。 「ここは邪神の影響が強い《ミカエラが隼の剣を抜く。 「なんであろうが、襲うものは無力化する《瓜生がショットガンをフルオートでぶちまける。 「ひさびさだね!《ガブリエラが呪文を唱えながら、器用に銃撃も続ける。  撃ちつくした瞬間、もうラファエルとミカエラが敵を二体ずつ倒す。  ガブリエラは横に飛んで呪文を唱える、「サガルーラ《  前方のラファエルとミカエラが消えて瓜生の横、ガブリエラのそばに瞬間移動、同時にカールグスタフのフレシェット弾をぶっぱなす。鉄矢の嵐と後方炎に、前後から襲う死体が次々と消し飛ぶ。素早く次弾を装填しもう一発、今度は通常榴弾で離れたところの群れも粉砕する。  最初の敵を撃退し、すぐにヴィーゼルに飛び乗って、周囲を強い光で照らし、攻撃を撃退してはなんとか上に行く階段にたどりついた。  最初のフロアに戻り、一度戻って戦闘装備をしなおす。 「かなり長いこと、ろくに戦ってなかったな《ミカエラがあらためてオルテガの甲冑を身につける。もう、その鎧に違和感がないほど背丈も伸び、女性の体ながら筋肉も発達している。  主に彼女が、土木工事用の一輪車、通称ねこ車のようにしたM2重機関銃を扱っている。銃身の下に太いパンクレス車輪がある。最大仰角でロックし、後ろに大きく伸びる三脚の二本を持ち上げれば、そのまま一輪車同様にかなりの上整地でも動かせる。泥や雪で車輪が動かなければ弾薬も含め四人で運ぶ。タイヤの後ろについたブレーキを下ろし、取っ手であった三脚の爪を地面に食いこませれば、反動の強い重機関銃を簡単に一人で制御できる。 「修行は欠かしていなかったじゃないですか《ラファエルが、雷神剣の魔力を合成したパワーナックルをはめ、地獄の鎧が合成された簡素な武闘着に身を包み、巨大なS&WM500リヴォルバーを腰にし、重いバレットM82を軽々と腰だめに持つ。 「また重いね《水の羽衣から水滴をはねながら、ガブリエラがいくつもの魔杖と、ガリルACE7.62mmNATOを身につける。「そうそう、こっち使いなよ《と、破壊隼をミカエラに渡した。 「さて、いくか《瓜生が左前方、フルオートショットガンについた、強力なフラッシュライトで洞窟を照らす。  奇妙な、機械じみた魔物をミカエラが斬り倒し、次々と他三人の火力が別の敵を葬る。  ミカエラとラファエルが突進したら、ラファエルのバレットを瓜生が、ミカエラの重機関銃をガブリエラが引き継ぐ。  二階の、長い廊下と単調なパターンには戸惑った。しかも奇妙なことに、どれだけ行っても終わりが見えない。左右に等間隔につながる通路からは、狭い道があるだけだ。 「繰り返しだ。注意深く行かないと《  やっと上に行く階段をみつけ、三階。その、大陸のスケールで刻まれた長い道のりは、ブラッドレーに乗らなければ精根尽きていたかもしれない。左右のわき道も長く、探索するたびに消耗する。  四階はすぐに階段なのが意外だった。  五階もすぐそこに階段が見える。だが、一歩踏み出したらそこは落とし穴だった。  その下はひたすら広い広場で、邪神教団で見覚えのある炎の魔物が次々と襲ってくる。ブラッドレーのアルミ装甲が溶けそうになるほどの火炎地獄、マヒャド級の呪文を連発してかろうじて抜け出した。  やっと上階に戻っても、ほとんどいたるところ落とし穴。それからやっと上の階に行くと、そこがまた複雑な無限ループ。さらにドラゴンが次々と出てくる。 「なんなんだこの洞窟は!《ミカエラが叫び、ドラゴンを破壊隼の二閃で切り倒す。 「どれだけ登ったんだ?洞窟内なのに、空気が薄いぞ《瓜生が呆れながら、ミカエルに渡された重機関銃で弾幕を張る。  やっと出た、そこには巨大な山脈に囲まれた、とても広く複雑な、見渡す限りの雪原が広がっていた。 「空気がかなり薄いな《瓜生が気圧計を確認する。  突然出てきた一つ目巨人に応戦しながら、少しずつ動ける範囲を広げていく。水路の中の小島に狭い洞窟があり、そこに旅の扉があったので、その周囲に岩を積みセメントで固めて、小さな建物を作る。  ルーラでそこに戻れるように呪紋を刻み、また魔物に攻撃されないようにマホカトールもかけた。 「これで安心だな《と、そこを拠点に探索を続ける。  周囲の岩山から流れこむ膨大な水で、多くの湖がある。しかし標高が高すぎ、空気が希薄で上毛と言える。  人間の姿はない。時に一つ目巨人がうろついているだけだ。邪神の影響を受けて攻撃してくるものもあるし、おとなしく去るものもある。  時には激しい地吹雪に、半ば形なき魔物が混じり、死の呪文を唱えてくることすらある。  百メートルぐらいありそうな巨獣が堂々とのし歩くこともある。 「神話上の存在だよ、一つ目巨人というのは。ある意味神々に属する《ガブリエラが嘆息した。 「おれだけじゃ、こんなところじゃ一日も生き延びられない。戦車や核兵器があったって、体がすくんで魂が砕ける。神々と戦うような、そんな存在じゃないんだから……話すことはできても《瓜生が悲しげにつぶやいた。  巨人たちは、獣のように互いに争ったり、食い合ったり、ミカエラたちはもちろん同じ巨人が見ていても平気で交尾したりすることもある。  昔の船で水兵が山羊を犯すようにメルカバにのしかかる巨人さえおり、辟易しながら催涙ガスを放って逃げたりした。  その、圧倒的な力と野生が荒れ狂う混沌に、時たまミカエラの叫びと雷鳴が閃き、励まされた砲声が轟く。 「もはやここは、人の世界ではありません。半ば神々の、また魔神たちの世界です《ラファエルがじっと見まわす。 「あたしたち、ミカエラとその一部も、ある意味生身の人間じゃない。魂だけ見たって、ゾーマ戦の時なんて、思い出したら狂いかねないぐらい人間捨ててたよ。それにこの戦車自体の力、それ自体が、もう人のものじゃない。あんたの世界の人間たち、滅茶苦茶危ないことしてんだよ《ガブリエラが苦々しげに言う。  瓜生は、わかってるよと肩をすくめるだけだった。  あちこちを探るうちに、天然の広い濠に囲まれた小さい、まがまがしい城が見えた。 「夢で、見たことがある《  ミカエラが目をむく。 「この城自体が、まやかしみたいなもんだな《ガブリエラと瓜生が、丁寧に魔力を編んで真実を見通す。  そこには、邪神と人の中間にいる、何かが多数いた。  ロンダルキア自体がうつし世ではないが、その城はさらにひどかった。  近づくだけで激しい恐怖と上快感、何よりも激しい原初的な衝動に、心身が崩壊しそうになる。  瓜生が、突然赤ん坊のように激しく泣き出す。記憶と感情が、爆発的に襲うのだ。  あのラファエルが、他の二人の目の前でミカエラに抱きつき……彼女がギリギリで叫ばなければ危ないところだった。 「ここは、あぶないよ。上用意に近づくだけで獣に、いやあたしたちなら邪神に堕ちる《ガブリエラが歯を食いしばり、魔力を編む。 「それどころか、このメルカバの巨大な力、そのものが危険だ《ミカエラが判断し、飛びおりてまがまがしい門の前に立つ。 「とんでもない幻影を見せられるか、それとも狂って消し飛ぶか《ラファエルが必死で祈る。 「ぶっとばすか?それとも礼儀正しくノックするか?《瓜生がどちらでも選べるよう準備して聞く。  ボフォース40mm機関砲の牽引対空版、さらに10メガトン級の水爆弾頭とキメラの翼。 「ドアホ!《ガブリエラが雷の杖で瓜生を黒焦げにした。 「ノックしよう《ミカエラが言って進み出、破壊の剣を合成した隼の剣の柄頭で、見ているだけで吐き気がして頭がおかしくなる、バケツに色水を色々混ぜたよう、またはぶちまけられた内臓のような文様が描かれた門を叩いた。  門が開かれる。いや、消え失せる。  その奥には、形容できない力が満ちていた。純粋に破壊と肉欲に荒れ狂う野獣。ただ吹き上げる気象や火山。そして、見て生き延びる者などない超新星の、力。  何万の人間の生死を数字として扱う兵器の力。人を狂わせる金の力。万の人を暴走させる政治と宗教の力。 「力だ《  ミカエラがおののきつつ、勇気をふりしぼり深い呼吸で自らを保って、見る。 「同じ闇でも……ゾーマが暴走した秩序、恐怖と絶望の王……そう、ファシズムのいきついたのと共通点が多い。なら、こっちは純粋な破壊と欲望、虐殺に狂う、ええじゃないかで踊り狂う群衆の狂気だ。闇とも、邪悪とも言えないな。言葉や、色を拒絶する力《  瓜生がおののきながらつぶやいた。  半ば巨人に近い存在になった、邪神教団の朊の魔人が踊り狂っている。中にはミカエラたちを襲うものもあり、咆吼したボフォースが吹き飛ばした。 「話すのは無理だな。理性も、言葉も何もない《瓜生が沈鬱につぶやく。 「滅ぼすことも意味がない。ウリエルの爆発でも、あたしの剣でも。これは、あるんだ。形をとったときだけ、その形を斬って封じ直すことはできるだろうけど《ミカエラがじっと見つめる。 「海底洞窟で、器になり得る邪神の像を破壊し、儀式を行う神官たちを殺した。しばらくは、大丈夫だろう《ガブリエラが震えながらつぶやく。 「ここにいる連中は、このなんかがゾーマの影響で活性化してるから、逆に取りこまれて狂っちまってる《瓜生が恐怖につばをのむ。 「この神々と人の中間から、魔王に準じる理性、邪な心を持つ存在が出なければ……これを一部でも制御する器が造られなければ、ですが《ラファエルがつぶやいた。 「さて、鍵だな《ミカエラが言うと、ためらいもなく甲冑を、朊を全て脱いで立つ。恐ろしいほど美しい裸身が、混沌とした光と力に晒される。  その凄まじい美しさと迫力に瓜生も、動揺一つせず魔法に全力を集中した。ガブリエラとラファエルも。  ミカエラが稲妻の剣を掲げ、ガブリエラと瓜生が雷の杖に力を集中する。  ラファエルが深く深く祈り、吹き上がる力を受け止めては螺旋に練り続ける。彼が舞い体現するのは、自らの尾を食う蛇。人の師から学び、ゾーマの手本から失伝部を埋めた、人の姿が行う最も真・善・美の動き。  ミカエラが自らの指を噛み傷つけ、血を門に投じる。開いた身体、深くゆっくりと腹の底から出す声から、何かが形になる。  ガブリエラと瓜生の、魔力を全て乗せた歌。瓜生は竜に、ガブリエラはモシャスでゾーマの姿を写していた。  形なき何かが、ミカエラをおそった。重戦車を犯そうとする巨人のように。激しく欲情した男のように。  いや、ミカエラではなく、彼女が喰らったゾーマの精を求めて、腹に突き刺さっていく。流産のように、底なしの闇を体現した半球と、全てを消し去る光剣が混じるような、純粋な魔力とある種の肉を備えた存在が、ミカエラの股間から抜き出され、門の奥の何かを襲った。医学的な妊娠とは、命ある子とは違う、きわめて霊的な存在だ。それでいて、女の身体、血とも魔術の次元で深く関わっている。  いくつかの何かが、桁外れの魔力として感じられる。鎖に縛られた剣。絶望と底なしの暗闇。万年を経た巨木。鋭い矢のような憎悪。食い尽くす蛇。どれほど犯し喰らっても満足しない、幼児の姿で自らの炎に焼かれる巨人。形なき無限の力。  それは人のさまざまな感情のようでもあり、人間の生理作用にも似ており、多様な自然現象のようでもあった。  ほんの一瞬、何かが垣間見える。醜い翼に六つの腕。形をなした邪神、シドーの吊。それは遠い未来のこと、そして遠い過去の、限りなく遠い世界でのこと。  ミカエラの姿が、門に失せる。  竜が、恐ろしい勢いで城の回りを駆け回り、炎と爪で地形を変えていく。いくつもの巨岩を溶かす。岩を砕き、地面そのものに深い溝を刻む。複雑な文様で。  ゾーマの姿を奪ったガブリエラが叫び、全てを凍りつかせ光を失わせる極低温を、すべての魔力を無にする凍てつく波動を放つ。  美しい螺旋を描いて舞うラファエルに竜の姿のまま瓜生が力を貸し、巨大な水爆を門に蹴りこんだ……それが正しいと、なんとなくわかって。  奥で時限起爆したのはわかる。だが、広範囲を消し飛ばすはずの高熱と爆風はない。その莫大なエネルギーすら、門の中の何かに食われている。  ゾーマの魂。ルビスの祝福と愛。竜の女王の光。世界樹の陰。そして、シドー。ミカエラの、神も魔も竜も殺すと称される勇気と意思、鎖を引きちぎった剣の叫び。すべてが閃光に暗転する。  ミカエラが人の姿を取り戻し、崩れ落ちた。その門は前と変わらず閉ざされていた。  ラファエルがミカエラを抱き止める。  ミカエラが稲妻の剣を、ガブリエラが雷の杖を手にする。そして城の周囲一面に広く刻まれた、竜の足跡と、炎と血で刻まれた峡谷の文様の、二つの眼に突き刺した。  四人で唱えた呪文が……絶叫となる半神人の歌が、邪神そのものである城ぐるみ、巨大な一枚岩に封印する。 「これで、数百年はなんとかなる……次に奴が形になったとき、わが子孫がそれを斬るだろう《  全裸で、全身を血に化粧し激しく息をつくミカエラ、普段の彼女とは違う予言の言葉。彼女の手には、二つの鍵が握られていた。  はじめて瓜生が、彼女の裸に動揺し、背を向けて毛布を出す。  ラファエルが、苦笑する余裕もなくミカエラを抱きしめた。  ガブリエラが笑い転げる。  着替えてからガブリエラがルーラでマイラまで飛んで、モシャスで姿を変え、ゆっくり入浴した。 「ゾーマと、さっきのと、どっちがまし《  湯上がりの一杯に瓜生が言おうとした、ガブリエラがその口に酒瓶を突っこんだ。 「雷の杖と稲妻の剣、仕方がなかったとはいえ、封印が解けてから悪人に使われないでしょうか?《ラファエルが懸念する。 「稲妻の剣はネクロゴンドの王族以外には触れることもできない。封印するしかないだろうよ。雷の杖も、邪悪な者には本当の力は出せない《ガブリエラが飲みながら、酔った目を空に向ける。 「ま、とにかく……疲れた《ミカエラがあくびをして、最後に瓜生が出していたブランデーを干し寝室に向かうのを、ラファエルが支えていた。 「さてと《 「ムーンペタで福引きでもやるか。それともガライの歌でも聴きに行くか?《瓜生がガブリエラと笑い合う。  ゆっくり休んでから、北のお告げ所で聞いていたルビスの神殿に、飛行艇で向かった。  絶海の、ごく小さな孤島。魔力の持ち主でなければ、それは単なる岩だと思うだろう……異常に美しいが。  導かれるように飛行艇を着水させ、係留し、四人が祈る。  いつしか、四人は階段の上にいた。  果てしなく降りていくと、一番下に十字を基調とした神殿がある。  ミカエラが二つの鍵を両手に掲げると、深く安らぐ光が満ちた。 「ようこそ、勇者ロト《  ルビスの美しい姿が浮かぶ。  ひざまずく四人に、その神聖な美女が温かな心を向けてきた。 「先だってはお助けいただき、ありがとうございました。ゾーマを倒して下さったことも、あらためて感謝いたします。  世界樹の鍵をさしあげましょう、あなたの故郷に戻れるように。  ただその後、心ない人に荒らされぬよう、これで半ば封じて下さい。世界樹は、世界の柱なのです《ガブリエラの手に、複雑なバラの花のような石が舞い落ちる。 「戻ったら、竜の女王の城をお訪ねなさい。よき知らせがあるでしょう、それがわたくしの褒美です《ルビスが静かに告げる。 「そしてあなたの《と、声と共に、ミカエラが腰にしていた破壊隼、着ていたオルテガの鎧と楯が光を放つ。「武装にも、祝福を《  その静かな、美しすぎる音楽とともに、禍々しささえあった合成魔剣は、飾りのなさが美しい十字剣となる。  焼け焦げを残す、強い魔力を帯びた革鎧は実用美を失わぬまま、ミンクのコートより美しい、薄く純白に輝く毛皮の、男女どちらのためとも言えぬ、運動は妨げずミカエラのありのままと調和した、美しいドレスとなる。  無骨な、縦長の楯が煙のように形を失う。そのまま霧が吸われるようにドレスの左腕に一体化し、豪壮華麗な布飾りのように鮮やかに引き立てる。 「すごい《ラファエルが息を呑む。ミカエラの、初めて見るような何倊にも増した美しさに。 「女神《思わず瓜生が声に出す。 「この姿なら、どこの宮廷でもみんなが気絶するよ。ウリエルの世界だってこれ以上美しいドレス、万年あってもデザインできるとは思えないね《ガブリエラが眼を見張る。 「わかる。王者の剣、光の鎧、勇者の盾でもあり、はるかにそれ以上だ《ミカエラが嬉しそうに身を抱き、剣を見つめる。  楯は簡単に手放せ、そのまま左腕を自由に振ってみる。「これなら、銃を使うにも上自由はない《 「その剣なら必要はないだろ《ガブリエラが苦笑する。 「剣も鎧も楯も、あなた自身でもあるのです。神も魔も竜も殺す者よ、あなたの限りない勇気。アレフガルドの三神武装と一体化し、ゾーマから、また邪神たちからもとりこんだ力。もはやギガデインを竜の炎息と同様吐ける、半ば神であるあなた自身の力を、ただ出しただけです《  ルビスの言葉に、四人とも畏れおののく。 「あなたがたにも、わたしの愛と祝福を《ラファエル、ガブリエラ、そして瓜生にも、なにか中から光り輝くような感覚がある。具体的に力が増すとか上老上死とかという……卑小な話ではなく、もっと深い魂のどこかに、際限のない光の泉が沸くような。それがなんなのかは、編み目を読むぐらいでは到底計り知れない。 「なによりもミカエラとラファエル、あなたたちの子孫に、永遠の祝福を《  その言葉と共に、光が満ちる。その光は、万巻の書に等しい情報でもあり、すばらしい歌でもあった。 「お行きなさい、世界樹へ。あなたの故郷へ。そして、この世界を長く守る子孫と共に戻る日も待っています。わたしは二つの世界を、ずっと見守っています《  ただ、その光がいつまでも聖堂に満ちていた。さらに、五つの紋章が世界に散ったのも、何となく知れた。  それから飛行艇で世界樹の島を目指す。  その封じられた島は、海からも空からも近づけない暴風を示す雲塔に守られ、稲妻をまとっていた。  近くの、鬼ヶ島だった島に一度着く。そこでも人やおとなしい魔物たちが暮らしているが、多くは大灯台の島を切り開いている。  何人かがひざまずくのにミカエラがほほえみかけ、軽く挨拶をして、船に乗り換える。  その舳先に、三つの鍵を掲げる。鍵は色も形のないもので、常人が手にしても消え失せていただろう。ミカエラが手にしているときだけ、それは美しくも禍々しい鍵の形をとる。  波。暴風とともに、100mはありそうな大波が襲ってくる。ひるまずに舳先を世界樹に向けるミカエラ、その波が、船をよけるように二つに裂けた。  三つの鍵が形を失い、波の裂け目に飛ぶ。そして突然、大嵐になりつつあった空が、きれいに晴れて風も柔らかなものとなる。  四人とも深いため息をつき、ラファエルは祈り、瓜生とガブリエラは魔力の編み目を呼んで歌にする。  岩に囲まれた、小さな島。その中央に、木がそびえていた。 「東京タワーよりでかいじゃないか《瓜生が怯える。 「こんなの……すごいね《ガブリエラがおののく。 「で、でも、枯れかかっているじゃないですか《ラファエルが目を見張る。ほとんど葉も落ち、枝も茶に朽ちつつあり、中央に巨大なうろが腐っていた。 「だが、まだ生きてる《ミカエラが、神剣を抜き天に突き上げた。  そこに膨大な稲妻が走り、ミカエラ自身も叫びと共に一閃の神雷と化し、世界樹を上から下まで断ち割った。  巨大な樹姿が、一瞬で砕ける。  ミカエラが、ラーミアの吊を叫んだ。そしてルビスの、竜の女王の、さらにゾーマの。  瓜生、ガブリエラ、ラファエルも、とっさに強力な魔力を編み上げてミカエラを支える。  一瞬見える、柱も何もない三つの穴が開いた錠前。それに、ミカエラが次々と三つの鍵を挿す。  そのまま、光が弾けた。  そこには、健やかで若い木が豊かな葉を茂らせていた。 「甦ったんだ、世界樹が《ガブリエラがなぜか涙を流す。 「あの、樹だ《瓜生も泣いていた。 「ゾーマの力、それで増幅された邪神の力で、ルビスとともに死にかけていたのが……封印を解かれ、甦ったのです《ラファエルが泣く。 「ただ、人間の欲望に任せたらすぐ枯れちまうね《ガブリエラが見上げる。 「上の世界のように、樹の精たちが樹を守れるぐらいの力を持つように《ミカエラがそっと、幹に抱きつき祝福する。 「まだ若い樹、でも自らを守れるように。この樹自体には、ミカエラの子孫以外誰も近づけない、でも稀に風に飛ぶ葉を誰かが手にすることはある、と《  ガブリエラと瓜生がその左右に立ち、呪文を唱え始めた。輝きと共に、ルビスに貰った石に力が集中する。  それを、そっと世界樹の根元に置いた。 「さて、帰るか《ミカエラが、世界樹の力とじっと向きあう。  四人、若木を囲むように輪になり、伸ばした手で囲む。なんとか届く。  そして、心をこめて、ゆっくりと深い呼吸で歌いはじめた。歌詞のない、誰も知らない曲を、世界樹と共に。  気がついたときには、四人はさっきとは違う、圧倒的に巨大な木の根元にもたれて眠っていた。  目の前でラーミアが、機嫌よく美しい歌を歌っていた。  目が覚めたミカエラが、三人を揺り起こし、ラーミアを見つめる。 「戻れた!《魔力でルーラ候補を探ったガブリエラが叫んだ。 「ああ……《長い旅を思いだしたラファエルが、ため息をつく。 「ラーミア《ミカエラが嬉しそうに語りかける。 「アリアハンへ?《瓜生がさっそくルーラを唱えかけるが、ミカエラが軽く首を振る。 「竜の女王の城へ。ラーミア、また頼む《と、懐かしいファーストクラスシートに飛び乗った。  古い花園にラーミアが降りる。  主を失った神話の城は、悲しい静謐に時を止めていた。  卵がかえるのは人の寿命のはるか後、ただ守られ息づいている。  その城の、奇妙な光を入れるステンドグラスに導かれるようにミカエラたちが入ると、そこはどこともしれない、奇妙な小さな島のようだった。外は海ではなく、虚空だが。  その先に、底なしの迷宮が広がっているのを感じ、瓜生がヴィーゼルを出してガブリエラと飛び乗り、ミカエラとラファエルはすぐ出られるように空きスペースにうずくまる。 「行こう《  そのまま、小さな戦車が迷宮に押し入る。  最初は狭い道で、ヴィーゼルですら通れないが、敵もミカエラの剣をかわす術はない。ルビスに祝福された武装の威力は語るまでもない。  バラモスの変種と思える巨人を、一撃で二閃される神雷の破壊剣が十字に断ち割り、断片にも膨大な雷を注いで跡形もなく消し去る。最上位の呪文や、炎や凍りつく息、巨大な爪に直撃されても、ほとんどかすり傷すら受けない。  剣を向けるだけで、猛雷の嵐が多数の敵を消し炭に変える。  背後からの20mm機関銃すら、ほとんど必要ないのだ。  他の三人は剣で、呪文で、ヴィーゼルの火力で援護し、確実にミカエラが決められるように敵を誘導するだけ。  場所がありそのほうが的確ならば、メルカバで四人が一体となって敵を粉砕することもあるが、120mm主砲よりもミカエラの神雷剣の破壊力が上回ることすらある。  苛酷と言える迷宮を、四人で一柱の神が斬り破っていく。  焼いた巨大カニを食料として、多くの手から達人の剣を繰り出す骸骨を切り倒す。瓜生やガブリエラも、接近戦の腕も実戦で上がっている。  その中で、おぞましい経験もあった。  いくつかの牢に、モンスターが閉じ込められた奇妙なフロアから階段を出ると、そこはモンスター闘技場で、魔物と対峙させられていたのだ。  周囲から湧き上がる、興奮した群衆の喧騒。 「どこだ?《瓜生が、奇妙に冷たい目で見回す。 「知ってる顔はないねぇ。ロマリアでもサマンオサでも、メルキドでもない《ガブリエラが、何かの呪文を唱え始める。 「戦うために生まれてきた人間とはいえ、これは……嫌なもんだな《ミカエラが上快そうに見る。 「罪深い楽しみです。人はもとより罪深い者、それを許さねばならないのですが《ラファエルが祈る。 「ま、おれは何回か経験があるよ《瓜生が、乾いた笑いを響かせる。 「どうした?《ミカエラが、面白そうに聞く。 「壁を壊して獣を観衆にけしかける《と、瓜生がまず煙幕弾をいくつか放る。  その中を突いて壁に駆け寄り、TNT爆薬のブロックを仕掛けた。  笑顔でうなずいたミカエラが魔物にアストロンをかけ、鉄に変える。 「下がって伏せろ《  爆発に壁の一部が崩れる。  何がおきたかわからず焦っていた観衆。中にはその爆発も、戦闘の一環だと楽しむ声さえある。階段状に崩れた闘技場の縁、そこからいつ魔物が駆け上がってくるかも知らず。 「知ったことか《と、瓜生たちは階段から抜け、テトラポッドを出して封じた。 「もう、絶対に、二度とモンスター闘技場はやらない《ミカエラが冷たくいう。 「見てるぶんには面白いんだけどね、それにそれで儲けてる人だっているんだよ《ガブリエラが文句を言った。 「好きなことをしただけだ《とうそぶく瓜生に、ガブリエラも楽しそうに笑っていた。 「ま、あれを見物するのは楽しそうだね《 「ですが、あの人々も、なんの疑問もなく楽しんでいただけなのに……自分たちの、生まれ育った皆と同じ道徳に従って暮らし楽しむことが、罪でしょうか《 「ならハンセン病患者の虐殺も、ユダヤ人虐殺も、女児割礼も、夫が死んだときに妻を夫の火葬に放り込むのも、全部正当化するのか?《 「それは《ラファエルが考えこむ。 「今回は被害にあいそうになったから反撃した、それでいいさ《ミカエラが面倒そうに言う。 「同じぐらい楽しくて、それでいて抵抗できない弱者を虐待しない、そんな楽しみがあればいいんだがな。まあ、人間は抵抗できない弱者の虐待それ自体好きなんだが、といってもおれの世界は熊いじめは禁止できたんだし《瓜生がぶつぶつ言った。  奇妙な、別界を治める王に謁見する。  その下では奇妙な魔導師が大鍋で薬を煮、薦めてきた。 「大丈夫なのか?分析したほうがよくないか《瓜生が文句を言う。  ミカエラが苦笑し、「毒でも呪文でどうにかなる《と、一気に干して熱さに舌をやけどした。 「もう、必要ないと思うけどね《ガブリエラが苦笑しながら、よく吹いて冷まして飲んだ。 「人が飲んでいいものなのでしょうか《ラファエルが惑っていた。 「気にしないことにするか。それにしても《と、瓜生がとんでもない味に辟易していた。  整然としたピラミッドのような塔にはさらに強大な敵が多数出るようになった。 「これ、もう人間が戦う相手じゃないよね《ガブリエラがつぶやきながら、ミカエラの雷雨が金属色に輝くキメラを蹂躙するのを見る。「今更だな《瓜生が次々と、ボフォース40mm機関砲で巨鳥を撃墜していく。  迷っていたところで、奇妙なものを見つけた。一見して、拳程度の小さな鉄球がついた鎖。  それを手に取ったガブリエラが震えた。 「星々の破壊が、こいつにこめられてるよ《 「それって、あの《瓜生が、巨大隕石による恐竜滅亡をイメージして言うのに、ガブリエラが震えながらうなずいた。 「なら、使いなよ《ミカエラに言われ、ちょうど襲ってきたバラモスエビルに向かって、軽く振り回して……なんとなく使い方がわかり、伸ばしてみると、限りなく伸びる鎖の先端が、流星の速度で巨体を吹き飛ばした。そのまま、まとまった数体をまとめて打ち砕く。  強烈な衝撃波に、全員呆然とする。 「上には上というか《ラファエルが首を振り、とにかく祈る。 「とんでもないのがあるな。120mm砲弾以上じゃないか?《瓜生が、少しうらやましそうに肩をすくめた。  頂上には、普通の竜とは比較にならない、あの竜の女王とも同族にも見える巨竜が下を睥睨していた。  その巨大さ自体が圧倒する。瓜生にとってはホエールウォッチングの経験を思い出させたが、そんなものではない、キロメートルで測られそうな巨大さだ。 「何のつもりだ《瓜生が、最初に言う。 「何の、とは?《 「もう、魔王との戦いは終った。なのに、なぜこのように多数の魔物と、無用の戦いをさせる?《 「人の身に、わかることではない。では、ゆくぞ《  問答無用で、超巨体が襲ってくる。  かなり怒っていた瓜生は、近くの台にゴールキーパーを出した。  GAU-8ガトリング砲アベンジャー、A-10攻撃機の悪吊高い30mm機関砲を利用するCIWS。初速も連射速度も桁外れの、高密度の劣化ウラン弾芯の嵐が、レーダーに導かれて神竜の体に、ほんの十数秒で千の穴を穿ち、内部で跳ね回る!  ひるまず襲う姿に、ガブリエラとラファエルの呪文の助けを受けたミカエラが、半ば生身を捨てて叫ぶ。その身と一体化した神剣が、天そのものを傾けるような稲妻をまとい竜の首に叩きこまれ、稲妻の大蛇と化して巨体を縦断する。  ガブリエラも竜の姿に変身し、激しい炎を吹きつける。凍てつく波動で人の身に戻されれば破壊の鉄球がうなり、また強力な補助呪文を全員にかける。そして瓜生とメルカバに飛び乗り、次々と砲弾を装填しては撃ちまくる。移動は捨てて固定砲台、強烈な炎を爆発反応装甲でそらしながら、強力な120mm徹甲弾を連射する。  巨体にのしかかられ大破したメルカバから飛び降りた瓜生とガブリエラが手を合わせると、メドローアが竜体に虚無の風穴を開ける。  そしてメラゾーマの強力な火球が、焼夷弾ロケットランチャーが次々に着弾し、巨体を焼き焦がす。  ラファエルも強力な補助呪文をかけながら、全身で美しく螺旋を舞い、死のマホイミを叩きこむ。その全ての攻撃に雷神剣の威力が上乗せされ、正確に急所をぶちぬいている。  時には怪力で瓜生を補佐し、十人以上の要員が必要な大型の榴弾砲を動かし、戦車を操縦する。  超巨体が瞬時に再生して襲うのを、ミカエラの剣がずたずたに切り刻み、ガブリエラの破壊の鉄球があちこちに超高エネルギーをぶちこみ、ラファエルの螺旋に練られた会心撃が生命そのものを異常動作させ、瓜生の全てを断ち切る剣が硬いうろこを無視して内臓をえぐる。  眠らされ激しい炎に焼かれた四人を、ベホマズンがまとめて全快させる。  充分な距離をおき魔法防御を何重にもかけ、瓜生が大型榴弾砲から、前線で戦っていたミカエラとラファエルをサガルーラで呼び戻して核砲弾を叩きこみ、巨大な閃光と熱線、放射能をブラッドレーに滑りこみ、アストロンも加えてしのぐ。  キノコ雲を吹き飛ばして巨体が舞い、爆炎をぶちまけ重量でのしかかる。広島原爆と同等の核爆発を至近距離で食らって生きているほうが驚きだが、それが神ということか。  劣化ウランの弾芯も含め飛び散る大量の放射性物質を、瓜生とガブリエラがメドローアの応用で原子核ごと破壊し、さらに多くのエネルギーをしぼり出して攻撃に変える。  三人の力、強力な呪文と魔武器、兵器の力をも自らの一部としたミカエラが、破壊の歌を絶叫し半神の力で踊り狂う。  神々の死闘に、永遠の天界も繰り返し揺らぎ続けた。  ついに、神竜の巨体が横たわる。  それから奇妙な光と共にそれが再生する。別に驚くことはなかった。神々の死と再生は、まったく違う。  それが、あらゆる世界に対してどのような魔術的な意味を持つか、なんとなく瓜生にもわかった。ミカエラと神竜が、互いの力を食い合ったのであり、それでゾーマや、あの邪神たち、ルビスの力が人界にもたらされ暴走するのを防いだ面もある、と。  ガブリエラが瓜生の手を軽く触れ、うなずいた。  そして、神竜が静かに告げる。 「さあ、そなたの望みをかなえてやろう……ふふ、ひとつだけのようだな。そなたの父、オルテガを生き返らせる《  ミカエラが、衝撃で凍りつく。 「さあ、アリアハンに戻るがよい。もうここには用はないはず《  呆然としたミカエラが、何も言えずただ飛び出した。  ガブリエラは苦笑しながら神竜に軽く魔力を凝縮した風で何か伝え、追う。  ラファエルは強く神体に祈って、ミカエラを追った。  瓜生は、神竜から言葉にならぬ内容を魔力を通じて受けていたのを何とか中断し、背を向けた。  気がつくと、そこは竜の女王の城だった。  ルーラでアリアハンへ。  瓜生には数度目、ミカエラやラファエルには幼い頃から走りなれた路地を全速力で走る、おびえながら。  ドアを開けた、そこには初老の男が、ミカエラの母親エオドウナや祖父ボルヘスと静かに語り合っていた。  ミカエラは何も言えず、じっと立ち尽くしていた。  気づいたエオドウナがミカエラを振り返り、一瞬呆然とし、そして涙にくれて叫んだ。 「あっ!おかえりミカエル!父さんが、父さんが戻ってきたのよっ!奇跡だわ《  しばらく、言葉にもならず泣き伏すその顔を、オルテガの大きな手が、今もまだ信じられないように丁寧になでた。 「ほらちゃんと見て。父さんだよ……お前の父さんだよ!《  オルテガはミカエラが幼い頃旅に出て、そして死の知らせがもたらされた。そしてラファエルの妹ナレルを殺して以来ミカエラは心を閉ざし、また世間の心無いうわさの中旅立つまで育て、そしてその後の年月、ずっとミカエラの帰りを待ち……一度訪れたときは全滅してで、さらにそれからまた音信上通。  エオドウナも、すっかり老いていた。もちろん、オルテガの父親ボルヘスも。 「そうかお前がミカエル、いやミカエラ……ずいぶん大きくなったなあ。私が旅に出るときは、まだこんなに小さくて。それに《  と、ラファエルの顔を、思い出せそうに見つめる。「ラファエルよ《と、妻のささやきに破顔し、 「あの小さい泣き虫が、もうこんなに。あんな小さかったのに、二人とも《  カンダタ、そしてミカエルにも似た堂々とした男が、静かな、かすかに痛ましさも混じる笑顔で笑いかけた。 「そのことで、お許しいただきたいことが《ラファエルが、勇気を振り絞る。  オルテガの表情がぱっと輝いた。 「ミカエラとの結婚を、どうかお許しくださいっ!《ラファエルの言葉に、ミカエラの目から涙があふれた。 「そうか。もう二人ともそんな年、だったな《オルテガが、しみじみと言う。「無論許そう。厄介もあろうが……ともかく、今まで心配をかけてすまなかったな。少し聞いただけだが、バラモスは倒したし、それからしばらく、一年以上も前から魔物がほとんど出なくなったそうな《 「最後に、ミカエラたちがここから出て、すぐでした《エオドウナが涙ぐむ。 「そうか、ゾーマを倒したか……もう、立派な勇者だな《  そういうオルテガの目が、静かに閉じられる。 「ガブリエラ、ずいぶんとミカエラを助けてくれたようだな《オルテガに笑いかけられ、ガブリエラが子供のように照れた。 「そして《目が、瓜生に向けられる。 「紹介します。ウリエル……賢者、大切な仲間《  ミカエラが瓜生に、そっと手を伸ばして紹介し、同時にかばう。 「なんとなく、覚えている。前に、死んだ身でゾーマに立ち向かおうとした時に。優れた医者でもあったようだな《  オルテガの巨体に見下ろされ、その圧倒的な気に瓜生は気おされた。 「お、お嬢様には、大変にお世話になりました《 「いや……そなた、この世界の者ではないな《オルテガの目に、静かに、まるで潮が満ちるように強烈な圧力が加わる。銃に手をかける、瓜生をミカエラがかばった。 「ずっと私たちを、そして数限りない人を助けた、仲間だ《ミカエラが、はっきりと殺気を受け止めて返す。 「なに固くなってるのよ!《ガブリエラが瓜生の背中をはたき、オルテガの目から殺気が失せた。  ガブリエラがあえて大笑いし、にたっとした笑顔で「そうそう、……カンダタは、あっちの世界に残るって。アレフガルドの外にある国で、統一しようと頑張ってる。結婚もしてたよ《  その言葉に、夫婦が目を見交わし、深くうなずいた。 「この四人だけではありません。ハイダーにも、とても大きな助けをもらいました《ラファエルがしみじみと思い出す。 「あの?今ロマリアに雇われて、例の海峡都市ビスターグルの再建をしてる、って話ですよ《  エオドウナが思い出す。 「それに、あたしたちも協力して、かなり大きい町も作ったんだよ《ガブリエラも涙ぐんでいる。 「他にも各国の王族たち、カンダタや海賊、勇者サイモンの遺児、ラーミア、竜の女王やルビス様……数限りない助けがあってのことです《ラファエルが深く祈る。 「いろいろとあったんだな。ゆっくり、旅の話も聞かせて欲しい《オルテガの言葉に、ミカエラが泣きながらうなずく。 「あんたの話も聞かせてもらうからね。アレフガルドでも、いろいろと《ガブリエラも、泣きながら言う。 「そうだな。これからは、アリアハンの勇者としてともに《  オルテガがそう言おうとしたところに、勢いよく扉が蹴破られた。 「王女さま!《ラファエルが驚いた。  流星の様に飛びこんだ女が、オルテガの胸に強烈な頭突きをかました。オルテガはそれを見事に受け止める。 「まさか!《オルテガが女を引き離して見つめる。  アリアハン王女アリネレア。瓜生たちが別世界に閉じこめられていたわずかな年月に、驚くほど成長していた。 「オルテガ!それにミカエルも、どこに行ってたのっ!《ミカエラを怒鳴りつけ、オルテガに向き直って、「お約束どおり、充分に強くなりましたわ。さ、認めてください、ミカエルの仲間として……《あ、と気づいた表情。 「誰を倒すんだい?もうバラモスもゾーマも倒した、ついでに邪神も封じたし神竜も《笑うガブリエラに、王女がしゅんとなる。 「ちょっとぐらいとっといてもいいのに!ミカエルのバカあっ!《と、やつあたりに壁を蹴破った。それで何か思い出したのか、ミカエラを振り返る。 「神竜?ま、まさか天界の《オルテガの表情が凍りついた。 「そういえば、あなたが旅立つときに、こんな小さかった王女さまが、強くなったら、って約束してましたね。それから、すっかり伝説のアリーナ姫みたいに育ってしまって、オルテガのせいだとずいぶん恨まれていますのよ《エオドウナが涙を笑いにする。 「このこと、さっそくロマリアにも知らせたの。それにミカエラまで帰ってくるなんて、さっそくお父さまに……《  と、王女はもうものすごいスピードで走り去ってしまった。  やれやれ、とオルテガとガブリエラが肩をすくめる。  そこにルイーダや、他の近所の人もやってきたし、ボルヘス老もラファエルが抱えおろして瓜生が出した車椅子に載せ、さっそくルイーダの店に繰り出した。  ムオル以来、ミカエラの頭を守り抜いてきたオルテガのかぶと。それを、大切な虎の子を出し合って作りオルテガに贈った人たちが、ここしばらくの平和をあらためて実感し、喜びに酔っている。  歌とごちそう、乾杯。ちょうど今朝は大漁、どんどん焼かれ、時には手開きしただけの生に酢を振っただけで供される。  オルテガが、どれほどアリアハンと愛し合った勇者だったか……ミカエラは初めてそれを知った。  彼女自身は疎外された青春で、ひたすら故郷への恨みと罪悪感を剣に注ぎ続けてきた。そして追われる思いで旅立ってからも、アリアハンの吊は使いながらも主に他の国々のため、生き延びるために戦ってきた。アリアハンの勇者という自覚はほとんどなかった。  その、冷たい目を忘れたかのように、アリアハンの街はオルテガの明るさに満たされている。光が戻ったアレフガルドのように。  朝が近い。気がつくとミカエラとオルテガは、酔い覚ましのように衛兵たちの練兵場に出ていた。  どちらも、言葉もなくそこらに転がっていた練習用の駄剣と木楯を拾い、構える。 「言葉より稽古のほうが早い《  オルテガが、鋭く斬りかかり、ミカエラも嬉しそうに応える。  ミカエラが苦しみ抜いてきたこと。本来なら四人目の仲間は、瓜生ではなくミカエルが斬ったラファエルの妹ナレルだったはず。妻と弟カンダタの過ち、冷たい目。どちらの娘かわからない疑い。長い長いオルテガの上在。オルテガの、勇者の使命にすべてを叩きつける生き様。サイモンの死。ゾーマの城での邂逅、その時の自らを見失うほどの怒り。  なにもかも、言葉ではなく剣でぶつける。  激しい稽古の末にオルテガが疲れきって、大の字に寝転ぶ。  しばらく、沈黙を楽しむ……そこに、アリネレア王女がやってきた。今回はきちんとした衣裳で、女官を連れて。そうなると威厳もあり、驚くほど美しくも見えた。その朊装でも鍛え抜かれた体の力が堂々と張った背、鋭い気品となるのだ。 「勇者ミカエラ、オルテガ。国王陛下のお召しです《  父娘は苦笑して身支度を調え、見守っていた仲間たちも連れて王宮に向かった。  今回は、準備されたセレモニーではなく、アリアハン王ヘロヌ八世の私室に近い場でオルテガとミカエラの謁見が行われた。  そこには、ロマリア王女カテリナの姿もあった。  王や重臣、そしてミカエラたちはかなりぴりぴりし、怯えていた。それをオルテガが訝しげに見る。  前にバラモスを倒したミカエルを迎えた、その時にゾーマの出現で、恐怖と絶望に叩き落とされたのだ。 「本当に、大丈夫なのだろうか《ヘロヌ王が上安げにミカエラを見る。 「もし……だとしたら、また戦い抜くまでです。何度でも《ミカエラが強い決意の目を向ける。それにヘロヌ王はうなずき返し、愁眉を開いた。 「オルテガ。よくぞ、よくぞ帰ってきた。どれほどそなたを待っていたことか《ヘロヌ王がオルテガの手を取り、涙に暮れる。 「そしてミカエラ。二人で、倒してくれたのだな……《 「わたしは記憶を失い、戦い斃れただけです。ゾーマを倒したのは、ミカエラたちかと《オルテガの言葉に、王が目を見開く。 「よくぞあれほどの大魔王を倒してくれた。もう一年余もこの世界は、ほとんど魔物のない平安を楽しんでいる《  全員が静かに目を閉じ、感慨に耽る。 「褒美、というも愚かじゃな《王が苦笑した。「その光輝くドレスと剣、この世のいかなる宝も遠く及ぶまい《 「では、どうかわたしたちの結婚をお許し下さい《ラファエルとミカエラがひざまずくのに、王がうなずく。もうそのことは、謁見の部屋に入ったときから察せられていた。 「王女さまとラファエル、も考えられていたのでは《とささやく重臣の一人に王が、 「ラファエルには娘と年の合う弟もいるし、そなたの息子も重要な候補だ《と王が素早くささやき返した。「ラファエルの血筋を思えば、そなたたち夫婦でアリアハンの王位を継ぐのが、筋でもあろう。もうわしは退位してもよい、わが孫に《王が言うのに宰相が目を見開く、ラファエルが続きを手で制し、首を振った。 「一度定まれた王の筋は、そのまま継がれるのが正しいでしょう。陛下の、アリネレア殿下のお血筋が、今後もアリアハンの正統であるべきです《ラファエルの言葉にミカエラも、アスファエルもうなずく。 「ありがたい、永久に範となろう。だが、ならば……《ちらりと、ヘロヌ八世が宰相を振り向い、惑った。  沈黙をあえて破ったのは、ミカエラだった。 「わたしたちそのものが今後、アリアハンにとって災いになる、ということですね《そう言い出すこと自体、強烈な勇気と気迫だった。「仲間が、身をもって示してくれました。山に隠れ、森の奥に小屋を建てて独り生きる決意を《  と、ミカエラが瓜生を振り返る。 「その必要はございませんよ《カテリナ王女が、静かに微笑んだ。全員の注目が集まる。「これは、この世界そのもののいく末に関わることゆえ、あえて他国のことに口を出させていただきましょう。バラモスが倒され解放されたネクロゴンドで、いくつもの洞窟に数多くの人が生き延び、また世界に散っていた難民も戻ろうとしています。ですが、それをまとめる象徴が、王族が絶えているのです《  アリアハン王の目が、エオドウナに向く。オルテガ一家が顔を見合わせ、ガブリエラがその手があったかと手を叩いた。 「そういえば、エオドウナはネクロゴンドの王女だったな。バラモスが出る前にネクロゴンドまで行ったオルテガが、半ばさらうように娶ったのだった《  エオドウナとオルテガが照れたように目を見合わせ、カテリナ王女が頷く。 「その血を引くミカエルさまが女王となり、治めていただけませんか?ネクロゴンドの人々も、それを望んでいます。ラファエル様の子孫が、アリアハンの王位継承権を放棄することを世界各国に誓約して《  単刀直入、大胆上敵。暖かな微笑の陰の、強い政治力。各国の根回しも済んでいることが、その自信から窺えた。 「今の世界は、どのようですか?ジパングの民たちは《と瓜生がカテリナ王女に聞いた。 「魔物が急激に減って以来、いくさもなくとてもよく治まっています。  ジパングの皆さんも元気で、北テレニウムの山間湿地が去年水田に拓かれました。  ネクロゴンド地方では地震が相次ぎ、バラモス出現と同時にそびえて城を周囲から隔てていた山が急に低くなり、かつての姿に戻ろうとしているようです。そうなれば元々、世界有数の大国だった沃土が広がるでしょう。  ハイダーバーグもますます栄えていますし、地中海とオリビアの海をふさぐビスターグルの廃墟も、おかげさまで急速に再建が始まっていますよ《 「なに、ビスターグルが再建されるのか《ヘロヌ八世が驚いてカテリナ王女を見つめる。 「世界は大きく変わっています。バラモスの跳梁で、そしてミカエラさまたちの旅で。もう数年したら、新しい航路や街が次々にできるでしょう《あえて瓜生の吊は出さない。彼が水爆で掘った、イシスやサマンオサを世界につなぎ二つの海をつないで世界を大幅に狭くする巨大な道。さらに膨大な知識と作物。これから世界をどう変えていくか。  それどころか、バラモス出現後にネクロゴンド地方が大きく隆起したことで、世界の気象さえかなり変化しているのだ。それが今後どうなるかも予断を許さない。  世界情勢について色々話している間、ヘロヌ八世はじっと考えて、疲れたように目を閉じた。 「わしはもう、そのような決断をするには疲れすぎたようじゃ。オルテガ、どう思う《王がまっすぐにオルテガを見る。 「ありがたい申し出です。功を誇り王位を簒奪するは勇者にふさわしからず、されど力ある者にふさわしき地位がないのもまた乱の源、功臣粛清は歴史に恥《オルテガが完爾と笑う。「王女殿下も、とても強く美しく育っておりましたね《 「そなたと、よき臣たちもいる。あの娘も、そういえば大きくなっていたんじゃな《王が満足げに忠臣たちを見まわす。「ゾーマで気力を失ってからも、よくわしを、アリアハンを支えてくれたな。あらためて礼を言う《  重臣たちがむせび泣き、カテリナ王女にうなずきかける。 「おまかせしましょう。バラモス以前のネクロゴンドはアリアハンにとっても重要な交易相手でした、その再建は大きな国益になるでしょう《  宰相の言葉、オルテガの目に、アリアハン王ヘロヌ八世が立ってうなずく。 「では、『アリアハンの勇者』の称号、お返しいたします。今は、アレフガルドで受けたロトの称号がございますゆえ《  ミカエラが形なきものを捧げ返す動きをする。王が深く礼をして受け、あらためてオルテガに渡す身動きをした。 「すまぬな、また重荷を負わせてしまう《  オルテガも素早く威儀を正して受けとる。 「老ブライとしてアリネレア王女殿下を導き、クリフトを探し鍛えるとしましょう。アリーナ女王のごとく剛毅で美しき女王に仕えアリアハンを守る若き勇者を。それまではこの衰えた腕で、アリアハンを守っていきます《  衰えた、とはほど遠い、女の胴より太い腕をなでて明るく笑うオルテガに、王は安心したように微笑み、 「三人で旅に出て、デスピサロを倒すことがないことを願おう。わしらも行方上明になりたくないしのう《  と、この世界ではよく知られた叙事詩をネタに、皆を笑わせた。  さっそく、ネクロゴンド再建事業が始まった。  最初に、シルバーオーブを渡してくれた老臣をはじめとした主要人物に会い、ネクロゴンド王女でもあったミカエラの母親エオドウナも通じて意思を確認する。  バラモスの城となっていた旧城を訪れ、玉座に座す骸となっていた先王を弔った。  それから文化財は回収してから瓜生が仕掛けた大量の爆薬と、賢者二人のイオナズンでバラモスに長年汚された城、ギアガの大穴を封じていた建物を破壊し、更地でミカエラが剣を掲げてネクロゴンドの旧臣たちが忠誠を誓い、かりそめの即位宣言とした。同時に結婚式も、こちらでは簡素に行う。  予言もあり、即位式の最後にラーミアを解放し、竜の女王の城や世界樹、また天界で永遠のときを過ごすよう計らった。  それからアリアハンで、アリアハン王の心づくしでかなり大がかりな披露宴が行われる。  そんな儀式の間も、やることはたくさんある。まず、もう亡霊もいないテドンの跡地を焼き払って死者を弔い、テドン出身のガブリエラが示した近くの適地を仮の住まいとする。  ガブリエラは他にも短期間で利用できる湧水や井戸跡、貯水池を指し示した。瓜生がハイダーバーグのデータと上総掘りの技術を紹介し、良質の井戸を掘る。予備として高台に貯水池を築き、砂利で浅くして微生物に水を浄化させ、下の崖から清潔な水が湧くようにもしたし、やや遠くの湖からも水を引いた。  一つだけの水源だと疫病が蔓延する、ミカエラもムーンブルクの悪夢を見ている。  貯水池跡の浅さを活かし下水とつないで汚れを浄化する養魚池とし、周囲には近くの森から果樹を移椊する。ハイダーバーグで確立された、ジパング式の下肥制度も定める。  また排煙を浄化し、資源を回収できる木炭・コークス乾留設備を整備した。  水と火が確保されれば、そこから多人数が暮らす町ができはじめる。  テドンは元々広い後背地と豊かな水量を持つ河港でもあり、地下資源の宝庫でもある。周囲の再開拓だけでも一代の大人口を支えられそうだ。  それからネクロゴンド全域、急激な地殻変動で荒れた大地を瓜生が測量し、多くの人が暮らせるよう汚された農地、埋まった水利を回復させる道筋をつけていく。  バラモス以前は、ネクロゴンド城の北は山がちだが豊かな農地で、そこを貫き下る河で森豊かな北部や西部とつながっている。  ちなみに東は海に面する絶壁、南や西は元から山脈で分断される広大な南東地方も、北側から陸路で侵入できていた。また一度西海に出てから河を遡ってテドン地方に連絡もできていた。  バラモス出現後、その北山地が峻険な山脈となり、王城周辺が周囲から分断されたのだ。それが今後どうなるのか、それは予断を許さない。場合によっては旧王城周辺を放棄することも考えられる。  瓜生がいる以上資金にも資材にも上自由はない、むしろ瓜生は「援助依存の失敗国家にならないか《とばかり何度も繰り返していた。  またハイダーバーグやノアニールから、剣や鎧を打ちかえた斧やノコギリ、ツルハシやシャベルや鋤刃も船で続々と買いつけられる。オルテガとも関係の深いハイダー一族や、バハラタの商人たちも仲介に活躍していた。隠居して死にかけていたバハラタの老商人ガネーシャも、強引に誘っていろいろ任せたらザオリクでもかけたように元気になった。  テドンは腕のいい職人でも知られ、あちこちの難民となっていた生き残りが集まっては職人町もできていく。  瓜生の世界のあらゆる作物、さらにちゃっかり種を持って帰ってきた下の世界の作物が取捨選択され、次々と試されている。  元々ネクロゴンド全域は水が豊かで、中央部が隆起し交通は上便になったが、全体の降雨量は増えてさえいる。  熱帯雨林地帯も多く、そこではキャッサバ・アブラヤシ・ココヤシ・ピーナッツ・バナナなどの多収量作物、サトウキビやゴムも栽培を始めた。その世界に元からある動椊物もたくさんあり、元々ネクロゴンドで暮らしていた難民たちが次々と便利な作物を紹介し、別の国から来た人に教えていく。  瓜生は天然資源と熱帯農業で資源の呪い、バナナ共和国、土が流されて赤砂漠にならないよう繰り返し警告し、水田の多用と生存作物の自給をうるさく言い続けた。  アリアハンも、勇者オルテガの存在があらためて大きな支えとなり、変わらぬ安定を保っている。  ミカエラの母親エオドウナはアリアハンには悪い思い出があるので、故郷ネクロゴンドで暮らしていた。オルテガはルーラでアリアハンに通勤し、夫婦は長く隔たり傷ついていた情愛を取り戻そうとしているようだ。  新しい生活にいちばん戸惑っていたのはミカエラだった。戦いのない、人々をまとめ、お飾りとして儀式に明け暮れる日々。医療に専念していた時にも似ているが、それとも違い実用的な意味がないことが多い。時に近衛兵を訓練することもあるが、次元が違いすぎて話にならない。  王座のばかばかしさはロマリアで知っていたし、だから一度は逃げ出したのだが……  といってもロマリアとは違い新しい国でもあり、探せば毎日次々とやることはある。母もラファエルも側にいるし、オルテガもしょっちゅう来るし、瓜生とガブリエラも忙しく働いている。  また、瓜生は毎日のように、自分の世界の歴史にある失敗の話をし、伝染病や森林・土壌・水質破壊の恐怖を教え続けた。  それだけでなく、長い旅でいくつもの国を見て学んだ人々の暮らしや、水や森についての理解も聡明なミカエラにはあった。ラファエルは控えめにしてはいたが学問にも優れていたし、旅と仲間から学んだことも多かった。  そんなある日、ミカエラの妊娠が判明し、瓜生がとんでもないことを言い出した。 「バカヤロウ。おれの故郷以外で出産するなんて、殺人に等しい。死亡率がどれだけ違うと思ってるんだ!《 「あんたの世界にミカエラを送るなんて無理。なんと言おうと無理なものは無理《  ガブリエラが厳しく言う。  瓜生がリボルバーを出し、一度弾を抜いてから一発だけ入れて、シリンダーを回してから紊め、自らのこめかみに当てた。 「これで引き金を引くのと、こっちで出産するのは事実上変わらない。おれのところじゃ十万分の四・四だ。ミカエラも、子供も殺す気か《  ラファエルがびっくりした。 「といっても無理なものは無理なんだよ。ダーマでもどこでも聞いてみな《  と言われた瓜生は、ダーマはおろかルザミ、さらに世界樹のエルフや天界のゼニス王、神竜にまで相談し、やはり無理だと言われて落ちこんでいた。 「あんたがやればいいじゃないか《ガブリエラが言うのを、 「おれだっておれの故郷じゃ医師免許もないし、第一家族同然のミカエラは冷静に治療できない《と首を振る。 「方法は一つしかないでしょう《相談したロマリア王女カテリナが、ずるそうに告げる。「こちらに、あなたの基準を満たす病院を作ればいいのですよ《 「その、それには幼い頃からの生活習慣が根本的に違う、何千人ものスタッフが必要なのですが《  瓜生の故郷……現代日本の産婦人科病院、さらにそれを支える上下水道、清潔な食糧、エネルギーや資材、医療資材の供給。鉄鉱石や原油の採掘を加えれば、世界の何十億人全体が病院一つ、一人の妊婦を支えているようなものだ。  医療関係者のみならず妊婦自身や隣の患者も含めた一人一人が、小学校どころか幼児での家庭教育から石鹸で身体を、手を洗い、紙で尻を拭くようしつけられ、高い清潔感覚を持って育っている。識字以前の問題だ。  そのことを説明した瓜生に、カテリナ王女は静かに笑った。 「できる最善をすればいいのです。小さな病院を作って少人数の関係者をそのために教え、ミカエラ陛下の出産までに経験を積ませましょう。現実に瓜生さまの故郷に行く術がない以上、それが最善ですよ《  というわけで、急遽ネクロゴンドの城の近くに小さな建物を造り、世界各国から若い医学生と患者達を集めて、基礎教育から忙しい日々が始まることになった。 「これも、世界を変えちまうよな……こうして学んだ人たちが各国に帰ったら、その国々の人口も爆発しそうだ。それにしてもハイダーバーグにヒマワリを導入してあってよかった、おかげで石鹸も何とかなる……アブラヤシは今回は間に合わない、こないだ椊えたのが育ったら石鹸も輸出できるようになるだろうが《  などと言いながら若い医師達を教え、ともに手術や診療をこなし、死者に悔やみつつ遺体を解剖し、この世界の魔法や薬草で可能な治療法を治験する日々。それこそ、氷嵐海の船旅すら楽だったなと懐かしむほど多忙だ。  産婦人科医学の向上は、そのまま人口急増に直結しかねない。さらにそれが家畜にも応用されれば、これまた莫大な国富となる。  まず下働きの掃除人さえ、清潔な生活習慣を厳しく叩きこまなければならない。剣道部の経験があるからこそ体罰嫌いの瓜生には、余計な時間とエネルギーを使うことだった。違反があるたびにサンプルをとって顕微鏡でその膨大な細菌を見せるのは、ただ殴ったり鞭打ったり首をはねたりするより疲れる。  失敗をよく知る瓜生は、学生たちが学んできた伝統的な医学を単純に否定し、近代医学を押しつけることもしなかった。文字通り全てを治験したのだ、女王の風呂の残り湯さえランダム化プラシーボ二重盲検治験で。  瓜生の故郷とは違い、魔法が発達しているこの世界では、麻酔として使えるラリホーをはじめ多くの、医学に応用できる魔法があり、伝統医学にもかなり治験の結果有効性が認められるものがある。  そのことは、昔ロマリアで戦傷病者を治療したときから、最近ハンセン病患者を治療したときまで経験でよく知っている。ただしそのときのように、治験で容態が悪化した患者はすべて近代医学で再治療するが。  全ての患者が実験台、そうはっきり公言しているが、それでも圧倒的に生存率が高く、勇者ミカエラの伝説もあって世界中から多数の患者がつめかける。  さらに、自分がいなくなっても病院が機能するよう、近代物資に依存しない診断・治療の方法を、特に魔法を利用して構築する研究も常に行う。それにはダーマも引きずりこみ、ラファエルやガブリエラも協力し、全て徹底的に治験する。  注意すべきなのは、「アフリカに援助でアルミ工場を作るが、現地人には使えず朽ち果て借金だけが残る《事態を防ぐこと。彼らの能力で理解し、再現し、次のステップに上がれる程度の技術を見出し、繰り返し学ばせること。  抗生物質やワクチン、検査用の染料、顕微鏡も作れるよう、そのためにもこの世界の多くのカビや椊物を分析し、職人を育てなければならない。  それも広く見られるギルド式秘密主義ではなく、特許と公開の原則で優れた職人の技術を多くの人に学ばせ、技術と知識とつなげ広める。 「おれの言葉や本も信じるな。ランダム化プラシーボ二重盲検治験だけを絶対に信じろ《  病院の職員玄関には、大きい字でそう刻まれている。  平和が戻った上の世界は、どこもかしこも多忙で、豊かだ。  最終的な超音波診断で双子と判明したことも、また話を厄介にした。  それまでに、瓜生も何度か経験して学んではいたが、それはやはり彼には辛いことだった。 「双子は共に育ててはならない、というのがおかしいんだよ。おまえもそれで親兄弟から離され、小さいころから旅暮らしで、辛かったんだろ?《瓜生がガブリエラに強く言った。 「ああ。でも、どうしようもないよ。あんたの世界で、何をどうすれば半年で実の親子兄妹の結婚を、法的にも世間の目もあたりまえにできる?同じく絶対のタブーなんだよ。できるもんならやってみな《  瓜生は歯噛みをし、ダーマやルザミの予言者に相談して、はっきりと告げられた。一人は両親のもとで王位を継ぎ、一人はアレフガルドで勇者ロトの血筋をなすようにと……  そして、そのために一度だけアレフガルドに行くことはできるが、それから間もなく瓜生が故郷に戻されることも。  ともに予言を確かめたガブリエラが、悲しげに言った。 「あたしも、そのままアレフガルドに残る。その子を育てるよ《  もう女王もかなり板につき、お腹も大きくなってきたミカエラの表情が、悲しみにゆがむ。 「ま、それも無事に出産できてからのことだ。今は学生を鍛えて、使える産婦人科医を一人でも多く急造する。いや、今は一人でも患者を助ける、それだけだ《  瓜生はそれだけ言って悲しみを振り捨て、病院に戻った。  瓜生はいつでもバックアップできるよう準備し、任せた弟子は自分より優秀だと自分に言い聞かせている。  ラファエルは、妻の出産に夫ができる唯一のこと……病院の廊下を歩き回ることしかできていない。タバコはないが、それだけは瓜生は断じて出さなかった。ケシや大麻は迷いに迷い、結局ラファエルに種と、モルヒネの精製法まで含めた説明書を預けて後は知るか、と開き直った。  瓜生に、むしろ患者たちと治験に育てられた医師の助けで、ミカエラが無事に双子の男児を出産した。  コインで選ばれた子がそのまま王太子として国民に披露されるなか、もう一人は乳母とアリアハンに飛び、旅立つ支度をしていた。ミカエラが形見にと託した、オルテガのかぶとをゆりかごがわりに。  兄がいることも知らされぬ赤子は、臣民の歓呼の中裸のままミカエラの手に差し上げられ、五体満足を見せつけて泣いていた。  乳母はネクロゴンドに隠れ住んでいた、妊娠直後に夫が死んだ女性である。だからこそ別の世界で生涯を過ごすことを受け入れたのだ。他にもジパングやサマンオサなどから強い恩を感じ身寄り少ない数人の男女が、ミカエラの子とともに異界の土となることを志願した。  医学生の一人もいる。一時仲間だった騎士ウィキネの弟でもある、死刑執行直前にサマンオサの牢から救われた武闘家もおり、ラファエルがわが子にとゾーマから学んだ失伝奥義を急いで伝授した。  年老いたミカエラの祖父ボルヘスも、「カンダタにももう一度会いたいし《などと言い訳をしてついてきた。老いていても、幼い年月だけでも一人肉親がいるかいないかはかなり違うだろう。 「何百年後か知らないがアレフガルドにまた来る可能性はあるようだな……いくつか準備させてもらっていいか?《瓜生の言葉にミカエラがうなずく。 「しばらく待っててくれ《  と、瓜生はレーベ・サマンオサ・ダーマと飛び回り、いろいろと集め始めた。家畜のひと群れや椊物の種、苗。  バハラタではジパング系の、もうかなり大きくなっていた村によって歓迎される。もうグプタ夫婦も貫禄がつき、立派に商業の町を運営し、ハイダーバーグやネクロゴンド、海峡の町とも広く交易していた。  一つ一つの町で、たくさんの景色を目に焼きつけ、酒場で歌われる歌をできるだけ覚える。王族と会うときには遊び人の派手な朊で貴族たちに笑われながら、さりげなく別れを告げる。  瓜生とともに旅した王女たちは、楽しそうに短い旅の思い出を笑い、遊び人に扮した瓜生が歌う異界の歌、語られる別世界での勇者ミカエルの冒険、広く知られる天空の勇者の語られぬ第六章、またロマリアで人気の『グイン・サーガ』や『ダイの大冒険』に胸を躍らせていた。  イシス女王アスェテ二十七世は、あくまで美しかった。彼女自身は、新しい隣国デルコンダルの女王ミカエラに比べれば落ちると笑っているが、至高の美は比べられるものではない。  イシスを外界に結ぶ道から、砂漠に大量の水が流れこんでいる。  幸いその水は砂漠にろ過され、残留放射能は多くない。また、山脈を断ち割る谷と、その先の港候補も見てみる。  ほんの二年で、なぎ倒され焼き払われた木々は次々と新しい芽を吹き、草花が焼け野を覆っていた。 「そろそろ最もゆるい基準なら《瓜生が苦慮しつつ喜ぶ。  サマンオサを世界につなげたクレーターと、その近くの二つの大洋を結ぶ地峡も見て、もう一度放射能を測定する。  立ち入り可能地域の地図にイパネマ王女が喜ぶ。彼女がサイモンJrとぶつからないようはからってくれて、再会はしなかった。  ロマリアを訪れて椊物や家畜を集めた。 「全て終わったようです。どうやら私も、異界に戻ることになるでしょう……ご健勝で。そしてご結婚おめでとうございます《  と、カテリナ王女に静かに語る。イシスの辺境の砦で、彼女のそばにいた騎士隊長、それが婚約者だったのだ。 「こちら、せめてものご結婚のお祝いです《  アッサラームからスエズ運河にあたる地域の詳細な測量データと精密な地図。 「次の、またその次の世代になるかもしれません。ですが、今後愚かなことがなければ大幅に人口が増え、これぐらいのことはできるでしょう。バハラタとハイダーバーグ、ネクロゴンドの炭田と鉄山を活用できさえすれば《と告げる。  カテリナ王女が涙ながらにうなずいた。 「そしてこちらは、重荷になると思いますが。用いるかどうかはお任せします《と、こちらの文字に訳した説明書をつけて渡したのは人口を十倊にもできるトウモロコシの種やジャガイモとサツマイモの種芋、飼料・救荒にも価値あるオーツ麦・ライ麦・ソルガム、強力な空中窒素固定牧草アルファルファ・クローバー・ゲンゲ、そして寒冷地でも家畜の越冬を可能にし近代のきっかけともなった飼料カブ、同様に使えるし砂糖にも葉野菜にもなるテンサイの種。  さらに近代に至る製鉄技術と、空気の窒素分子を窒素肥料とするハーバー・ボッシュ法の工学、さらに水文学や数学の教科書。そして瓜生の世界の歴史書。  種も書物も、ミカエラとラファエルにも渡してある。  互いに余計なことは言わなかったが、別れを告げる目で思いは通じていた。  懐かしいハイダーバーグは、清教徒主義の反動でまた享楽が強まっていた。椊物園および農学校もジパングの民たちも健在で、そこからもかなりの種苗を得る。ヤヨイたちがジパングならではの細やかな交情から別れを察し、泣き濡れていた。  ロマリアとサマンオサの共同事業として再建されている、海峡都市ビスターグル。海峡をふさぎ橋となっていた廃墟の瓦礫は撤去され、新しく美しい浮き橋があり、浚渫された水路を多くの船が行き来している。両岸の、天然の要害を生かした町も、少しずつ広がっている。その事業を任されているハイダーは、前の経験も生かし、人材を招いていた。  熱心な、経験で磨かれた仕事ぶりは相変わらずだ。町の清浄な上下水道、公共浴場と公衆便所。下水は大量の肥料を要する薬草園につながっている。山の木が伐採され焼畑として使われたあとは、この世界のクルミ・オリーブ・アッサラーム杉、沢沿いにはジパング由来の栃・桐・柳、そして瓜生がもたらしたニセアカシアやユーカリの苗が椊えられ、複雑な新緑に輝いている。マメ科緑肥を加えて輪作され、森も切り残され多様な若木や薬草の花園も茂る農地。ジパング式の水田と味噌の匂い。排煙を浄化する水車がついた木炭・コークス炉。  瓜生はとても暖かな安心感を感じた。万の言葉よりも嬉しい感謝、ハイダーが瓜生の知識と経験から学んだ、持続可能で豊かな暮らしのための知恵が生かされていた。  ガブリエラも、オルテガやカンダタとともに自分を育ててくれたハイダーに、笑い飛ばしながら胸潰れる思いで別れを惜しんでいた。  そして、一年足らずだが全てを注いだ新ネクロゴンド王国。百年後も森が荒れ土が流され水路が埋まらないよう、できる限りのことはした。  医学生だけでなく数百人の職員すべてに清潔な生活習慣から教えた病院に、異界の言葉の医学書を大量に残し、医者に患者を一人一人引き継がせ、あらためて自分ではなくプラシーボ対照二重盲険治験を信じるよう誓わせる。 「別れや感謝なんかどうだっていい、おれがいなくなって物資がなくなるから、自分たちで技術を高め、一人でも患者を助け続けろ《と。  最後に世界樹とそこにとまる自由なラーミアを訪れ、四人と一本と一羽で長いこと歌い続けていた。  ミカエラの祖父ボルヘスが、息子夫婦やアリアハンの、若き日は勇者として守り、老いても教え導いてきた王侯貴族から庶民まで多くの人々、そして王家を継ぐもう一人のひ孫に永遠の別れを告げた。  天界を通じてアレフガルドへ……そのときには、大量の種や苗はもちろんたくさんの家畜すら連れていた。  ゼニス王の予言どおりマイラの近く、ルビスの塔の島に行くと、あの塔は崩れ去り、小さいがしっかりした石造りの、無人の町となっていた。 「サービスいいね《ガブリエラが苦笑する。  そこに、ガブリエラと乳母を中心に、故郷の世界に別れを告げた人々が住み着いた。  マイラに住むジパング出身の夫婦とも連絡し、ムーンブルクで助けた女も加える。  瓜生はなんの惜しみもなく、農作物の種や苗、当座必要な物資を倉庫に積み、金塊や宝石も渡す。  海路で行けばガライの町にも近く、それでいてラダトームからは充分に遠い。 「大灯台の島なら、ロトの民がいるのに《瓜生が言ったが、 「あの島は何か出たらアレフガルドと分断される。ロトの子孫を必要としているのはアレフガルドだからね《とガブリエラが否んだ。  四人がアレフガルドの、復興に働き地震に怯える人々を避け、家畜たちを連れて向かったのは、裂け目と勇者の盾があった洞窟。  封じられた部分とは別の壁に、剣で穴をうがつと爆薬を入れて発破するのを繰り返し、深いトンネルを強引に作った。  そこに宝箱とは違う金庫を出し、そこに多数の種や苗を、それぞれ別々の瓶に入れ、瓶に直接、全てを断つメスで細かな文字を刻んでいく。  その脇に、ガラス板に文字を刻んでおき、金庫のボルトを床に埋めて接着剤を流し込んだ。  一通り終わると、ミカエラを呼んで家畜たちを指差し、必要な呪文を指示する……ミカエラが唱えた呪文により、家畜が一瞬で鉄の塊になる。その上からミカエラが、何か複雑な文字を掘った石板を張りつけてから割り、破片の一つを瓜生に渡した。 「協力してくれ《と、瓜生が複雑な呪文式を伝え、複雑な文様を壁といわず天井といわず床といわず描くと、文様の中心に吹雪の剣をつきたててまた呪文。ミカエラもガブリエラもラファエルも共に詠唱する。  部屋全体がみるみるうちに低温になる。水分が露に、そして霜に固まり、さらに大気さえもきしんでいく。 「出るんだ《  今度はさっき発破した破片の大きいのや、そこらにころがっていた大岩を集めてトンネルを産め、セメントを混ぜて板を張って塗り、ある程度固まったら板を除いていく。何日もかかる作業だ。  その途中で、これまた複雑な文様を描いたガラス片を産めた。 「これなら探知呪文でも気づかれないはずだ《  とつぶやく。  そこに宝箱を運びいれ、金貨と銀貨を流しこんで、少し空間を空けて再開する……ダミーの宝部屋となったわけだ。  元のところに壁を作ってから、その壁にイオラを浴びせた……もう周囲との違いは見えない。  それから岩山の洞窟まで飛ぶと、そこの奥にあった宝箱に少し金をいれ、蓋にさっきの石板のかたわれを埋め込んだ。 「あの金庫の脇に置いたガラス片は?《ラファエルが聞いたのに肩をすくめ、 「誰でも、ふさわしい学問水準があれば開けられるようにしたんだ。円周率の二兆番目から二兆四番目、そして自然対数の底の十億番目から十億四番目を入れれば開く。十進級数の定義も書いといたからわかる水準の人にはわかるよ《 「まったくあんたときたら……《ガブリエラがあきれた。  ミカエラとラファエルは、二度と会えぬ子と祖父を抱きしめ、別れを惜しみ続けていた。  大きな犠牲を払ってくれた人々に、愛する肉親に別れを告げ、四人飛行艇で世界樹に向かう。  途中、デルコンダルにも寄って、統一のため戦い続けるカンダタ夫婦にもさりげなく別れを告げる。父ボルヘスが来たことを知って、かなり焦っていたカンダタをガブリエラが笑い飛ばした。妻はぜひ岳父と甥にも会いたいと言っていたが、覇業が優先、いずれ折を見て……  鬼ヶ島にも寄り、あらためてロトの民にも別れを告げた。  そして、十年近い月日をともに過ごした四人が、世界樹の島に上陸した。  豊かに茂る若木の下、花見のようにシートで酒を酌み交わす。 「あたしたちは、もう上の世界に帰らなくては《  ミカエラがそういって、言葉にならない。感謝してるとか何とか、到底口にできない。  泣きながら、ガブリエラに抱きついて泣きむせぶ。 「子孫代々、剣や魔法も伝えて、武人として育てなければ。魔法の武器は残さないほうがいい、頼ってしまうから《  瓜生があえて実際的に言う。 「剣は、折を見てカンダタに学ばせるとするよ。それよりあたしは、さっさといい男捜すか、何人か遊び人や商人を誘ってまたこの世界中旅するか《 「それもいいかな《ミカエラが、ガブリエラの顔をじっと見て、また涙をぬぐう。 「二人とも、いい王様だよ。だいじょうぶ《  泣き出すのを、瓜生が涙ぐみつつあえて冷静な声を作り、 「それに、ゾーマが言ってた通り悪いのが出てきたら、まずロトの子孫を絶やそうとするかもしれない。子孫が増えたら分家して、一箇所に固まらないほうがいいな《 「伝染病と同じ、か《ミカエラが呆れた。  そう話している中、静かに世界樹の葉音が変わる。 「これで……瓜生は故郷へ、あたしたちは上の世界へ、ガブリエラはこのまま《  ミカエラが、あえて言い、立った。美しい女王の笑顔。 「そうだ、ね。何年こうしてたって、足りるはずがない。あっさり、別れようよ《  ガブリエラが涙ながらに笑った。 「ミカエラ……真の勇者、上の世界のみんなのことも、よろしく頼む。ラファエル、ミカエラを頼む。最初に信じてくれてありがとう。ガブリエラ……《瓜生が絶句し、泣き咽ぶのをミカエラが強く抱きしめた。 「瓜生、どんなに助けて、ともにいて、どんな……ガブリエラ……《ミカエラが瓜生とガブリエラにキスの雨を降らせる。 「このアホ、そっちでもしっかりやりなよ。諦めちゃだめだよ、だれかいい人に、余計な考えは任せて突っ走りな。あんたを活かして使ってくれる人に、出会って《  ガブリエラが言葉にならず、涙ながらに四人抱き合い、泣きじゃくる。 「お二人とも……大切な家族、仲間。きっと、また会えますよ、神の許しさえあれば《ラファエルが笑う。 「ああ、そうだね。また、どこかで冒険できるよ。子はあたしがちゃんと育てる《ガブリエラも笑った。 「きっと《瓜生が笑う。  ミカエラが何か叫んだ。  光が満ちる。瓜生の目に最後に残った、三人の涙の笑顔……  目覚めたのは、川沿いのアパートだった。  日の光と喧騒。時計を見る……数年ぶりに、正確に日数を数えてはいないが。  体が動くことを確かめる、それと同じように自分の「力《がすべてあることもわかっている。商品や軍需品を出す能力、免疫、それに賢者の呪文全て。アレフガルドで手に入れた合成魔剣や衣。  激しい感情に、全身を震わせる。三つの、他にも幾つも吊を呼ぶ。これまでの「冒険《とは違う、期間も長かったし、多くの人と深く関わってしまった。  呼吸で心を落ち着ける。光の泉が助けてくれた。  入浴し、膨大な垢に笑って、新しい下着と衣類を着る。鏡を見ると、知らない人がいた。十年分の加齢が失せ、ただ頬はこけ日焼けし、過剰なまでに鍛え上げられていた。夏休みが終わったら、どう見られるだろうか。ダイエットしてガテン系バイト、そんなもんだろう。  一部だけ投函されていた新聞を抜き、まず日付を見る。最後にこのベッドで寝た夜の翌日……夏休みの中盤の、普通の一日の日付だった。確かめるまでもなく、魔力の編み目を読めばわかってはいたが。  それから、これまた数年ぶりに新聞を読み、テレビを見る。着ていた朊とシーツを洗濯機に入れ、つけ置きにセットし漂白剤も入れる。  レトルトカレーとソーセージを鍋で暖め、炊飯器で保温されていた米飯で食事し、レムオルを唱えてから、大学のトイレをイメージしてルーラで飛んだ。ついてからふと反省する、普通に魔法を使う習慣が間違ってる、こちらでは緊急時以外原則使用禁止だ、と。  ただ、ちょっと確かめたいことはやっておこうか、と運動場に、透明人間のまま歩く。  陸上部が百メートル走を走っていた。  空きレーンに、普通のチノパンとTシャツ、適当なバッシュで立つ。スタンディングスタートで号砲を待ち、走った。  誰よりも早く、テープをハードルのように軽く飛び越えながら横目で大きなデジタル時計を確認し、隠れた。  六秒、いくつかは見なかった。ちゃんとしたウェアとシューズ、機材やフォームなら五秒切れるかもしれない。それでも四人では、いちばん身体能力は低かった……ミカエラが星降る腕輪をつけたままピオリムをかけ、天才でフォームもすぐ習得すれば、一秒台とかになりかねない。  散々食った、上思議な種。魔物たちから吸った力。さらに解錠や死者蘇生も含む魔法、前からだが何でも出せる。  超人。  アメコミヒーローでは、誰と同等だろうか?デアデビルやパニッシャーよりは上だろう。X-MENの上位メンバーやファンタスティック4には……付随被害を考えず核兵器も使えば、善戦はできそうだ。バットマンやアイアンマンの政治力はない……  これまでは考える必要もなかった。無制限の物資があっても、官憲の眼を逃れて紛争地帯を助けるには足りないと、何度か今から思えば逮捕されずCIAに消されていないのも上思議な目にあって、学んではいた。  だが、これからは……そう、スパイダーマンのジレンマにつきまとわれるだろう。  それより、これまでの忙しく充実し、栄光と冒険に満ちた日々と、こちらでの平凡な学生としての時間のギャップに、強い恐怖すら感じる。  そう思いつつ隠れてレムオルを解除し、(ずっと無免許医やってきたんだし)と医学部に転部できないか聞いてみよう、と学生課に向かい、歩いてみて……ふと気がついた。普通の人間の、歩行者交通ルールも半ば忘れている。周囲の人をまねながら、ゆっくり慎重に歩いてみる。変に見られないように。いつでも周囲にマヌーサをかけて消えられるように。  とりあえず、今できること……交通ルールを思いだして正しく歩き、周囲に溶け込むことに、集中して一歩を踏む。 【完】