ダンジョンに近代兵器を持ちこむのは間違っているだろうか ダイ大二次を片端から読んでいてダンまちクロスに手を出し、なぜか昔ドラクエで使ったオリ主が再登場してきやがりました。 現代日本人大学生(男)、時々異界に召喚される経験者、チート能力あり。 クロスオーバーキャラも入れます。『原作』には登場しないオリキャラとするか、または別世界に飛ばしても『原作』のストーリーを変えないキャラクターにするつもりです。 転生・憑依はしない予定です。 オリ主のチートは、 「『現実』の商品、軍採用/試作して実験成功した品は、なんでも、無限に手元に出せる」(人間含む生きた動物はだめ。数秒かかる。自分が出したものは消せる)。 言葉が通じる。免疫。 原作知識は忘れる。 前作「奇妙な味のドラクエ3」より前の出来事なので、銃器を整備・装填した状態で出すことはできず、ドラクエ魔法も使えません。 2017年夏時点の『ダンまち』原作に登場していない、現実の神話にある神々の名と権能に関わる【ファミリア】も独自解釈で入れます。以後の原作と矛盾する可能性があります。 文体が一般書籍、時代小説と翻訳小説のちゃんぽんで、ネット小説としては読みにくいとされますので気に入らなければブラウザバック。 文体が「ネット小説でない」という批判は聞きません、自分の文体で書きます。それ以外は歓迎。 キャラを悪意を持って扱うつもりはないです。 >ミノタウロス  音。 「聞けばわかる」  みなそう言う。  アイズとベートが、上層に逃げたミノタウロスを追っていたとき。  見えない物陰から、音が聞こえた。  雷のような。爆発のような。  重い、つながるように繰り返される音。  ダンジョンでは強く増幅される衝撃的な音。熟達の冒険者でなければ、驚いてしまうだろう。近ければ耳を傷めるかもしれない。  我に返ったのは、アイズ。  まだ子供の冒険者が、ミノタウロスに追い詰められている。  アイズの剣がモンスターを切り刻み、返り血で真っ赤になった白髪に声をかけ……  逃げ出した少年が、角を右に曲がるのを見た。 「こっちだ」  ベートの声、『剣姫』に戻った彼女は左に逃げた一匹を追って倒し、捜索を続行した。だが、三匹足りない。会ったレベル1パーティも、 「ミノタウロスなど、見ていませんよ!」  という。 「装備は……よかった……」  アイズの観察力は、そのことにも気づいていた。  少年は、支給品より高価な防具をつけていた。刀と、見慣れない素材の全身を隠せそうな盾が転がっていた。 「変なにおいがしたな」  ベートはそれが不愉快だった。  アイズたちが属する【ロキ・ファミリア】に追われて上層階に逃げたミノタウロスの群れ。  低レベル冒険者ではまず倒せない。それが多くの被害を出したらファミリア、ひいては主神ロキの、 (名折れ……)  なのだ。  3匹足りない。どこに消えたのだろう。 【ロキ・ファミリア】が安堵できたのは、出入り口の換金所で、 「ちょうど3匹分の魔石を持ってきた者がいる……」  と、聞き出せてからだ。ギルドの守秘義務を破るには大手ファミリアの力に加え、副団長の印籠まで取り出された。  誰が持ってきたかまでは、聞き出せなかった。  何かが、運命の流れをかすかに乱していた。  1匹ではなく5匹と数が違った。ベルたちを襲い、逆襲された。  1匹は強烈な光に目がくらみ、驚いて左に逃げた。1匹は残ってベルを襲いアイズに斬られた。3匹は青年を追って右に向かった。  ベートとアイズは左に逃げた1匹を追って倒し、3匹の末路は見ていなかった。  ベルは、憧憬と恐怖に震えながら走っていた。返り血で真っ赤になった体も気にせず。  彼の斜め後ろを走る黒髪の青年は、この世界では見られない奇妙な棒を奇妙に持っていた。中間にある握りを右手で握り、傾けている。剣や槍、斧の持ち方ではない。  青年はミスを悔いながらも、今生き残ることに集中しようとしていた。  二人の前に出現したゴブリン3匹。  青年が軽く腕を上げ、強い光がひらめいた、次の瞬間激しい音・炎。ゴブリンが次々と塵になり、魔石を落とす。  少年はそれも見ていないように出口に走り、青年は魔石を拾いもせず追っていた。  つい数分前にふたりがやられた、 『怪物進呈』  冒険者が多数のモンスターから逃げ、別の冒険者の脇を走り抜ける=処理を押しつける。 (ダンジョンは生きるか死ぬか……)  と、いうわけだ。  だが、やられた側は、 (たまったものではない……)  のだ。  それも、ベルがヘルメットを外して汗をぬぐい、スポーツドリンクを飲んでいた時だった。  青年は素早く1匹以外を殺し、残った一匹を少年にあてがった。  そこに奇襲、5匹ものミノタウロス。この階にそんなモンスターが、 (出ることはないはず……)  だったのに。  突然だった。しかもベルが傷を負い、助けるかどうか迷った瞬間。とどめにベルが邪魔になる角度。  即座に倒すことができず、自分に引きつけて走った……だが1匹は残って少年を狙ったのだ。 (助けがなくても、ベルが死んでいた確率は低い……) (いや、いいわけだ)  ミノタウロスの背には、レーザーサイトの光を当てていた。邪魔が入ったせいで撃てなかっただけだ。高価な薬もふんだんに持っている、死んでさえいなければ治療できた。防具もある。  連携も未熟だった。  冒険者となってからわずか半月、ベルの番は3度目なのだ。 (オレが未熟だった……)  青年は反省を抑え、戦いに専念しようとする。  ギルドでは、うわさがあった。 「登録した3日後に中層まで行った冒険者がいるって。変な音がする……」 「聞けばわかる、って」 「よくいるな、過信で死ぬバカが」 「それが、おとといは16階まで行って、無事帰ってきたそうだぜ」 「変な音がして」 「屁でもするってか?」 「かなり遠くで爆発するような音がしたんだ。そしたら、俺たちが戦ってたモンスターの、後ろのほうが勝手に死んでった」 「ガン・リベルラかよ」 「弓か?」 「魔法?」 「そういえば、オークの大発生をちらっと見てやり過ごしたんだが、変な音がして……やんでから顔を出したら十体以上死体が転がってた。大儲けしたぜ」 「魔石も取らずに?」 「荷物がいっぱいだったんだろ」 「上級冒険者が行きがけにやったんだろ……」  会話には、奇妙な不安があった。  何かが変わってしまう、と。 (まさか、ミノタウロス3匹を倒せるほどの……) >出現  血をかぶったベルが街を駆け抜けた、その半月ほど前。  初の眷属に浮かれるヘスティアと、やっと受け入れてもらえて浮かれるベル・クラネルが、廃教会に帰った。  ベルは不安がり、ヘスティアはごまかしつつ地下室に歩んでいた、とき。  教会の中央に、かすかな光と小さな旋風が舞う。  風が去ると、一人の青年が床に寝ていた。何かを抱くように、胎児のような寝相で。  柔らかな寝間着を着ていた。右脚が膝までめくれている、ふくらはぎは筋肉で太い。  寝ぐせのついた黒い髪。黒い目が開かれ、起き上がった。 「またか……」  文句を言うような、あきらめたような声。 「え」  そして、赤い瞳と合った。次いで、その隣のツインテール……  はね起きた青年は周囲を見回し、近くにあった砂をつかんだ。 (いつもは無人の部屋なのに!武器が〈出る〉まで数秒、何でも武器に……) 「す、すごいっ!」  ベルの叫び声に、青年は硬直した。 「英雄が森の空き地に出現した、って絵本があったけど、それみたい!」 「あ、いや……」  青年はそれに戸惑いつつ、わきに手を伸ばす。  胸だけは豊かな少女……ヘスティアが半眼になり、気配を探る。 「神、というかなんというかの、気配があるね」 「妖精らしいな。前に助けて、バカなことを願ってしまって」  青年が苦笑する。そのかたわらに、次々と何かが出現した。 「先に謝っておかなければ。あなた方の家だとしたら失礼をした。これでお詫びになれば」  と、積みあがったトランク、衣服、小さな箱などから、小さな塊を取り出しヘスティアに渡す。 「……黄金っ!」  少女の目が大きく見開かれた。 「最初に言っておきます。……見られましたが……おれは、別世界から来たものです」  彼は話しながらも、まず膝にナイフを引き寄せ……ようとして、固まった。  神威。  何でもない少女に、ありえない『何か』を感じた。これまでの冒険で、何度か経験のある『何か』。  大都市をクレーターにできるのに、引き金を引くことすらできない……そんな『何か』。 「すごいっ!」  目を輝かせる少年に、異界人は悲しみを感じた。 (おれは、きみたちを殺す準備をしているのに……そちらが攻撃してくれば、だが) 「先に言っておきます。あなた方に金銭欲があるなら、黄金ならば無限に出せます」 「それより、何かの縁だ!どうか、ボクの【眷属/ファミリア】になってくれないか」 「すごい……」  少女と少年のずれた対応に、青年は呆然としていた。わずかに余裕ができ、はじめてわかる……少女、女神が、幼くはあっても信じがたい美貌だと。 「地下室がホームなんだ。よかったら、君も来ないか?」 「ありがとう。話は聞く。すまないが、着替える間待っていてくれ」  男の言葉にうなずいた女神が、少年を地下室に案内する。  まもなくブレザーとチノパン、チェックシャツでノーネクタイの青年が下りてきた。  平均的な身長。やや太った腹の左脇や腰のふくらみは、彼の故郷の、銃社会の人間ならばすぐわかるだろう。左袖のクリップは、注意深ければわかるかもしれない。  FN-P90を左脇に隠している。右腰にはS&W-M460リボルバー、左腰には手榴弾が三個。  左袖とポケットに、ボールペンのようにクリップのついた、片手で開閉できる折り畳みナイフをとめている。ブレザーの下に予備弾倉を背負っている。  彼は異世界では、何度も襲われ、追われてきた。  近代以前では、誰の庇護も受けていない、紋章をつけていない人間は、『無主物』。人ではなく、物。最初に見つけた人が捕まえて奴隷に売っていい。スラム街に駐められた車や、鳩多数の広場に落とした握り飯と同様だ。  ……または周囲の常識とはずれているのだから、『悪魔の手先』として拷問し殺すべき公の敵でしかない。  だから武器を手放さない。  地下室は、廃教会のぼろさからは意外なほど整っていた。  ベッドとソファ。キッチンとシャワー。  最低限の生活はできる。 「技術水準高いな」  と、魔石灯に手を近づけた瓜生がつぶやく。 (熱のない明かりを、この生活水準で維持できているのは相当なことだ) 「さて、とりあえず名前を。ボクはヘスティア」 「ぼ、僕はベル、ベル・クラネルといいます。冒険者志望です」  白髪の少年がぺこりと頭を下げる。  青年は軽く微笑した。 「おれは瓜生(うりゅう)……発音しにくければ」 「ウリュー、さんですね!」 「それでいいよ」  青年、瓜生は何か思い出そうとしたがあきらめた。  別の世界に飛ばされるとき、いつも……要するに『原作知識』の類は忘れてしまう。  本を〈出し〉ても、「原作」に関する情報は検閲される。  瓜生は神話についても知識があるが、それも『故郷』に戻るまで忘れてしまう、ということだ。 「さて……」 「そうそう、ジャガ丸くんをバイト先からたくさんもらったんだ。よかったら君も食べていかないか?」  少女が笑いかける。どこかおびえたように。 「ありがとう」  瓜生は自分の分の椅子を〈出し〉て座り、皿に盛られたコロッケを見て、とんかつソースと、白い扇形の塊チーズを〈出し〉た。 「うわあっ」  ベルの驚き喜ぶ声。 「明日はおれがごちそうするよ」  言いながらチーズのパックを開け、ソースをコロッケにかける。 「ちょっと待ちたまえ。ジャガ丸くんは、塩で食べるのがジャスティスだ!天界の法則だ!」 「醤油は?」 「タルタロスに行きたいのか君はああああっ!」  少女が絶叫する。  食事を終えた瓜生に、ヘスティアが話しかけてきた。 「その、さっきの話だけど……」 「おれは、この世界の常識を何も知らないんだ。ファミリアってなんだ?」  ベルもヘスティアもあきれかえった。 「本当に知らないんですか?このダンジョンのことも?」 「何も」 「嘘は言っていないね……」  ヘスティアが咳払いをして、話し始める。 「この世界、地上ではヒューマンやエルフ、ドワーフや小人が暮らしていた。  昔はダンジョンからさまざまなモンスターが出現し、人々を苦しめたものだ。人々は必死で戦ったが、かなわなかった……  そこに、天界から神々が下りてきて、人に『恩恵』を与え、ダンジョンの上にバベルを築き、周囲に巨大都市オラリオを作った。  そして神々は全能を捨て、人の弱い肉体で、人に恩恵を与え【ファミリア】を経営し、様々なことをして暮らしている」 「そのダンジョンに入り、モンスターを倒す英雄たちが冒険者です」  ベルのあこがれの目に、瓜生はまゆをひそめた。 「で、どんな裏があるんだ?」  二人ともしばし沈黙した。 「……ひねた子だねえ……」 「裏って、どういう?」 「……魔物に娘がさらわれた、というので助けに行ったら、人買いに売られてただけってことが何度かあった。で、魔物は単なる猛獣だったり、人間より親切な知的種族だったり……最悪なのが……」  瓜生がぎゅっとこぶしを握り締め、歯ぎしりをする。 「すごい冒険をされてたんですね……」  ベルの尊敬の目が、瓜生にはまぶしかった。無数の罪悪感と、人間憎悪に息もできない。 「というわけで……条件付きで加入するよ。  攻撃してくる敵は殺す。だが非戦闘員の虐殺・拷問・強姦は絶対にお断りだ」 「そ、そりゃもちろんですよ」 「モンスターでも、だぞ?」 「だって、モンスターは常に攻撃してきますから」  ベルが驚いた声で言った。 「絶対か?」 「絶対です」 「そうか。それで眷属になったら、たとえば命令に絶対服従とか?」 「そ、そんなのはないよ!」  ヘスティアのリアクションで、豊かな胸が弾む。 「恩恵を受けると、ステイタスが発現する。それでダンジョンで戦ったりしたら経験がたまり、ステイタスを更新したらアビリティが伸びる。それで、自分の壁を破るようななにかをすれば、ランクが上がって」  瓜生が、記憶封印を受けていなかったら、 (ゲームか……)  とでも思っただろう。 「それにおれは……いつ元の世界に帰るかわからない」 「それは、寂しくなるけど……仕方ないよ」  ヘスティアが少し悲しそうに言い、 「じゃあ、『恩恵』を刻むから……」  瓜生は上半身の服を脱ぎ、円筒椅子を〈出し〉て座った。  一滴の神血が、その背に神聖文字(ヒエログリフ)を、【ステイタス】を浮き出させる。 ウリュウ・セイジ Lv.2 力: H 127 耐久: B 762 器用: D 556 敏捷: I 22 魔力: B 792 耐異常:H 《魔法》 【インビジブルアーマー】 ・無詠唱常時発動 ・全ダメージ軽減 ・心も守り、冷静理性を保つ 《スキル》 【豊穣角杯(コルヌコピア)】 ・故郷の、マネーで買える品、国籍問わず軍採用品、軍が試作し動いたものなら、何でも、いくつでも手元に出せる。 ・プロテクトがかかったものなら、パスワードもわかる。 ・数秒かかる。出したものは瞬時に消せる。 ・生きた動物(人間を含む)は出せない。死体を出して復活させることもできない。 ・魂と直結しており、封印できない。 【冒険介添(サンチョ・パンサ)】 ・経験値を半分しか得られないが、仲間は二倍の経験値を得る。 ・向上しやすいアビリティと、ほとんど向上しないアビリティがある。  ヘスティアは驚いた。  レベル2。魔法、発展アビリティ。レアスキルが二つも。  彼女は【ファミリア】運営の経験はないに等しい。だが神であり、ある程度わかる。  アビリティの数値自体は、 (オラリオの外で『恩恵』なしにかなり大きな功績を立て、鍛えて多くのモンスターを退治していたら、あり得るけど)  ぐらいのものだ。 「君、ここに来る前に、どれだけのことをしてきたんだい?」  瓜生は打ちひしがれた表情をした。 (人殺しなら、たくさん)  とても言えなかった。  自分を受け入れてくれた女神、英雄願望に目を輝かせる……昔の自分と共通点のある少年の前で、言えたことではない。 「い、いや、言いたくなければ言わなくてもいいんだ。それにしても、異世界の人間というのは本当なんだな」 「信じてくれて、それに攻撃もしないでくれて助かるよ」 (今のところはね) 「まあ、これでボクたちは家族だ!三人の家族で、これからやっていこう」 「おれは上に部屋を作るけど、ベルはどこで寝るんだ?」 「あ、ソファでいいですよ」 「じゃあ」  と、瓜生はソファを上に引っ張り上げて、ソファーベッドを〈出し〉て掛け布団なども出した。  ベルは大喜びで寝転び、すぐに眠ってしまう。  瓜生は、 「じゃあおやすみ」  と地上に行って厚手のフリースに着替え、小さいトレーラーハウスを〈出し〉て、その中でマットレス、タオルケット、布団、枕を出し、枕元に銃やナイフを積み上げたまま寝た。 *** 間違いがあったら指摘してください。「恩恵なしで経験を積んだオリ主」については、多数の二次創作で多様な解釈があったはずです。原作に明記があったかは覚えていません。 「瓜生」 身長175cm。やや肥満気味だが筋肉もある。大きい運動部の、レギュラーは無理だが練習にはついていける程度の体力。 『アドベンチャーゲームブック』ぐらいのクエストを六回ほどクリアしている。 その中で何度か、伝染病や飢饉で壊滅しそうな都市国家を救ったりもしている。 *** >準備日  朝。 「今朝はおれがごちそうするよ」  一度地下室に降りて朝の挨拶をした瓜生は、トレーラーハウスのキッチンに〈出し〉た燃料を供給した。トイレとシャワーは地下室のを借りることにする。 (ここの処理システムはどうなってるんだ)  か、わからないからだ。  マカロニをゆで、同時にレトルトのカルボナーラとパック湯せんハンバーグを温めた。  皿に入れ、ハンバーグを添える。  別に少なめの湯で、切ったキャベツとタマネギ、ミックスベジタブル、薄切り冷凍豚バラをゆで、塩とコンソメも入れて具だくさんスープも作る。  盆にのせて地下に降りると、女神も少年も、よだれが出そうな表情だ。 「タブーはある?」  そういって、三人で食卓に着く。 「いや、ない!」 「いただきます!」  少年少女がかぶりつく。 「う、うまい、うまいいいいい」 「これは……」  貧乏暮らしだったヘスティア、村暮らしから懐不安な旅をしてきたベル、どちらにとってもたまらない美食だった。 「おかわりもいくらでもあるから、少し待ってもらえたら」  瓜生は静かに微笑みながら食べ、二人にヨーグルトとオレンジジュースを〈出し〉てやる。 「では、さっそくダンジョンに行ってきます!」  満腹したベルが大喜びで飛び出そうとする。 「武装もなしにか?というか、満腹時に戦ったら死ぬぞ」  胃腸に食物が入っているときに穴が開き、中身が腹腔内を汚すと、腹膜炎になりやすい。  ベルは瓜生の言葉の、前半に凍った。 「ウリュー、君は」  ヘスティアが瓜生を見るが、 「おれは出せばいい。ベルは刀剣とか、鎧は……こちらで買ったほうが、見た目が普通だろう」 「え」  ベルが呆然とする。 (無限の富)  ようやく実感したようだ。 (ショーウィンドウに張りついてトランペットを見つめる)  状態だった剣や刀や槍や鎧が、 (いくらでも出てくる……)  と、思ったのは当然だろう。  むろんベルは、瓜生の故郷では、実用的な甲冑を買うのが難しいことを知らない。  まして『恩恵』やダンジョン由来の素材がないこと。銃が発達したため、刃物や鎧を高める研究には力を注いでいないこと。そのため、金で買える最高の剣や鎧の性能を比べれば桁外れに劣ることを、知るはずはない。 「まず、ギルドに行って、ファミリアの結成を報告しなくちゃいけないんだ。ボクはバイトに行く」  ヘスティアが少し真剣に言い、身支度を始める。 「おれはギルドには同行する。読み書きができないからベル、頼む。それから黄金を換金して……いや、ここでは何が価値がある?」  瓜生が問いかけた。 「ちゃんと黄金には価値があるから!」  ヘスティアは昨日瓜生にもらった100グラム地金を、大事そうに握っている。 「ベルの装備は買っておいた方がいいか。あと、おれが出歩くために、ここの服装を知っておきたいんだが」  と、大きい総合服ブランドのカタログを〈出し〉た。  文字がわからない瓜生は、出かける前に名前や数字程度の読み書きはベルに教わった。  それからベルに案内され、ギルドに向かう。  ベルはオラリオに来た時と同じ服だが、靴は新品のタクティカルブーツ。瓜生は泥をつけてわざわざ汚した。 「変に見られないようにな」  と。  瓜生も同じくコンバットブーツで、オールシーズンの薄く丈長の上着を着ている。  その下には、多数の火器。  FN-P90を抜き打てるよう左脇に。  右腰のM460リボルバーだけでなく、左腰にはグロック20……41マグナムと同等の10ミリオート弾が、延長マガジンで20+1発。  弾倉交換なしで50+21+5=76人殺せる。  刃13センチ近くの折り畳みナイフ……開くと刃渡り18センチと全長が変わらない……を上着の内ポケットに入れている。  ズボンも作業用の皮ズボンで、それ自体防具にもなる。  非武装と思われて襲われないよう、太い木の杖も持っている。弱い標的を狙う追いはぎは仕込み杖のリスクを警戒する。官憲にはただの杖を見せ銀粒を渡せば咎められない。  故郷や、そこらの剣と魔法世界では十分な武装はしているが、瓜生は残念ながらわかっていない……この世界には『恩恵』があることを。  ギルドでは、すぐダンジョンに飛びこみたいベルを職員が押しとどめた。 【ヘスティア・ファミリア】設立、瓜生とベルの登録、ついでにヘスティアに今度来てもらうこと、そして最初の講義……やることはたくさんあった。  瓜生のLv.2が驚かれたが、外でいろいろやってきた人はいる。Lv.3が限度だと言われているが。  ハーフエルフで眼鏡をかけたエイナという女性職員が、二人の担当になる。 「まったくの素人と、外でランクアップするほど経験を積んだ人ですか……」 「冒険者は冒険をしてはいけないんです」 「ダンジョンはすぐに死んでしまうんですから」  彼女が、ダンジョンの構造や魔物について、様々なことを教える。  とにかく、 (死んでほしくない……)  という誠意がある、だがベルはげんなりしていた。  瓜生は真剣に魔物について聞き、手元のノートに……違う文字で書き留めている。 「ご経験豊富なようですが」  エイナの問いに、 「遠くから来たばかりで、このダンジョンや街のことはまるで知りません。情報には金を出してもいいぐらいですよ」  と瓜生は答えた。  眼鏡を光らせたハーフエルフは、真剣な瓜生とは対照的なベルを見て、 (いかにもギルド担当泣かせ……というかすぐ死ぬ確率が高そうなベルくんは、ちゃんと教えて生き残らせなくては。ウリーさんは慎重な人柄のようで、彼に面倒を見てもらえば安心だわ)  そう思った。  だが兎のような少年も、熱心に……ただし少しずれたことに、 「キラーアントの装甲とは、鋼鉄板で言えばどれぐらいの厚さなんでしょうか?」  と聞いてくる青年も、彼女の、しばらくすると上司も含め、頭と胃を痛め睡眠時間を削る存在になることを、知らない。  ちなみに瓜生がそう聞いているのは、多くの弾薬に何ミリの鋼鉄装甲を貫通できるかデータがあるからだ。5ミリ厚相当なら5.56ミリNATOでもきついのでそれ以上の弾薬を、ということになる。  長い勉強に疲れたベルは、傾いた日を見て燃え尽きかけている。  初期装備の支給がある、と言われた瓜生は目を尖らせた。 「お疑いですね?無利子ですよ」  エイナが微笑みかけた。  社会の裏を経験し、それゆえ猜疑心が強い冒険者には、職員は慣れている。 (最初に高額の借金を負わせ、利子も物価も高く稼いでも稼いでも借金が増える、実質奴隷ではないか……)  瓜生がそう疑っていることは、よくわかる。 「お疑いはよくわかります。このギルドが、冒険者の方々の、ひいては『人類』すべてのために活動していることは、行動で示したいと思います」 「いや、疑ってすみません。おれは装備は整えられるが、高価すぎない店はありますか?」 「でしたら、『バベル』にある、【ヘファイストス・ファミリア】の……」  まだ新人の鍛冶師が、新人冒険者のために武器防具を作るシステムがある、と聞いて瓜生はほっとした。 「ありがとう。今日は装備を整えて、明日からダンジョンに行ってみます」 「はい。くれぐれも、くれぐれも冒険はしないでくださいね」  ベルをじっと見つめるエイナは、隣の、 (しっかり面倒を見てくれそうな……)  青年と、 (お願い無茶して死なないで!)  と思うような少年も、どちらもどれほどのことを、 (やらかす……)  ものか、まったく知らないのだ。  文句を言うベルを連れた瓜生は、ヘスティアがバイトをしている屋台に寄って少し話し、ついでに売り上げに貢献して腹を満たした。  彼女に聞き、彼女はバイト仲間に聞いて、ちょっと裏の換金店に行き、金地金を換金した。当座に、八千万ヴァリスほど。  瓜生は金地金をいくらでも出せるが、出しすぎると金の相対価値が下落するので、注意しなければならない。また、瓜生の故郷の地金の純度は、たいていの中世水準世界では異常なので、注意しなければならない。金地金についている、三菱マークなどの刻印をつぶしておく必要もある。 (ある程度基盤ができたら、銅や鋼、石材や燃料など別のコモディティを売れるようにしないと……地場産業を壊さない程度に)  と、いう具合だ。  逆に、強欲な権力者に腹を立てたとき、メイプルリーフ金貨を千トン〈出し〉て館を重さで破壊し、価値崩壊で破滅させてやったことがある。 「宝石も換金できるか?どんな宝石に人気がある?」  とも聞いておいた。  ブリリアントカットのダイヤなどは、文明水準の低い世界では通用しないことがある。瓜生の故郷の歴史でも、ダイヤモンドはかなり最近まで宝石を切断・研磨する超硬素材であって、宝石ではなかった。  そこから戻るときも、しっかり遠回りし、二つの屋台で小さい鏡を使った。尾行に警戒しているのだ。  ベルも、腹を満たして膨大な武器防具を見ればすぐに機嫌は直った。  支給品の価格は聞いていたし、エイナに、 「買ってもらうなら……実力に見合わない武器や防具をつけたら、ろくなことがないですよ」  と聞いていたので、一万ヴァリス前後の防具と決めている。  ベルはライトアーマーを見ている。 「これか?いくらだ?」 「9500ヴァリスです。そ、その、名前は変なのですが……」 「読めない。で、名前がどうかしたのか?」  瓜生の言葉に、ベルははっとした。  たまたま通りかかった男女が、その会話を聞いている。 「死なないですむか、予算内か、それだけだろ」 「はい!こ、これがなんかいいです」  瓜生は、 (死亡率を下げるためには、重装備の方がいいんだが……)  と思ったが、買ってやった。  近くにある分厚い板金鎧は、 (どう見てもベル向きとは思えないしな……)  このことだ。  自分用にも、火器を隠せるよう、また冒険者たちにとけこめるよう、ワンサイズ大きい七万ヴァリス程度のロングコートを買っておく。  ついでに袋類も。自分用には長物をすぐ出せる大型トートバッグと中型リュック、長物を入れる袋。ベル用にはデイパック。  会計を済ませ、帰るベルたちは、その後ろの男女の会話は聞いていない。 「いいこというな。だが責任重大でもあるぞ」 「ああ」 「うれしいだろう?で……」 「絶対に打たねえよ、団長命令でも」 「そうか。小さくて白いほうは、駆け出しだな」 「くたばらねぇで、また俺のを買ってほしいもんだ」  バイト帰りのヘスティアと合流し、彼女が案内する、 「神友(しんゆう)の薬店」  に連れて行ってもらう。  いきなり十万ヴァリス近くを使う瓜生に、ミアハは驚きナァーザはロックオンしていた。  早めの夕食は、外食。  瓜生がたまたま見つけた、ヒューマンとドワーフの夫婦がやっている店だ。 「お、お目が高いね」  ヘスティアが喜んでいる。ちょっと知っているらしい。 「〈レオミ〉と読みます」  字が読めない瓜生に、ベルが読んでやる。  軽めのドアで、立ち食い席が二十ほど並ぶ。  カウンターの奥に、魔石コンロで温める鉄板がある。 「任せるよ、アルコールは抜きだ」  ヘスティアの言葉に、不愛想なヒューマンの夫がたっぷりの根菜と、タレにつかった肉を持ってきた。 「パンとスープはあっちで取り放題だよ」  ヘスティアにそういわれ、ベルが喜ぶ。 「明日は、ちゃんと稼いで僕がおごりますから」  というベルに、 「そりゃ楽しみにしてるよ」  とヘスティアが喜んでいる。  肉も、タレの効果かとても柔らかい。 「お、塩で発酵させた野菜か。肉に合う」  瓜生が、数席に一つ置かれたツボから漬物を取った。  スープも野菜の風味がよく出ている。控えめな骨と筋を長時間煮たコンソメに、少し入った魚貝とも合って、実にうまかった。  重いサワードウの黒パンも極上。  またうまかったのが、焼いたナマズか何かと、パンやスープとともに食べ放題だった炒り豆だ。  ホームに帰り、ベルが瓜生に頭を下げた。 「その、冒険の経験があるんですか?なら、戦い方を教えてください!」  瓜生は困惑し、ヘスティアを振り向く。 「ここでは、要するに剣や魔法を使って戦うんだね?そうするとどんどん強くなる?」 「ああ」  ヘスティアの答えに瓜生はうなずき、考えた。 「なら、おれの戦い方はかえって害になるよ。それにおれは、いついなくなるかもわからない。そうしたら戦えなくなる」弾薬が供給されなくなる。「……ベルは魔法は使えないんだね?」  ヘスティアに問いかけた。 「今は。ランクが上がったりしたら使えるようになることもあるよ」 「なら、剣など武器を使って戦うことだ。ただし、おれが戦うときには補助してもらうかもしれない」 (砲手にするのは無理があるよな……給弾ぐらいは頼んでもいいかな?)  瓜生はそう考えていた。無論、彼はサポーター差別など知らない。 (さて、剣とかでの戦い方……おれは近距離ではナイフも使うけど、それは銃があっての話だからなあ……) 「ところで、何日ぐらい練習してからダンジョンに行く?」 「練習なんていいです、今からでも」  少年の目に瓜生は嘆息し、考えた。 「この街には、剣術の道場とかはないのか?冒険者向けの」  ヘスティアが苦笑する。 「冒険者は、だいたい【ファミリア】の先輩に習うらしいよ。神友(しんゆう)が教えようとしたけど、流行らなくてね。ボクと一緒にバイトしてる」  ヘスティアが肩をすくめる。 (ありえない……この街は全員ファミリアに所属するのか?戦う技術は、大都市の護身には必須のはずだが……) 「明日にでも、そこに紹介してもらって、基本だけでも身につけてから……」  瓜生は言い終わろうとして、ベルを見て、ため息をついた。 (無理に強制したら、今すぐダンジョンに突撃しかねない……)  自分が数年前には十四歳の少年だった。よくわかる。 (こんな能力じゃなくてタイムマシンがあったらあの日の……いや小学校に入るまでに、おれを蜂の巣、いや機関砲で血霧にしてやるのに!!!)  そう内心絶叫するほど、わかる。 「ヘスティア様。できるだけ早く、できたら明日にでも、教えてくれる人に連絡してくれ。時給は出すから」  地上、廃教会の中に出た瓜生はベルに、 「ギルドでは短刀を支給すると言っていたな。とりあえずこれから練習するか」  と、刃27センチほどのボウイナイフと15センチほどの多目的ナイフを〈出し〉てやる。  ボウイナイフは抜きやすいよう、差し添え小刀のようにベルトに結んだ。長いナイフを右腰につけ、右手で抜くのは困難だ。多目的ナイフは短めなので右腰。 「まず、抜いて納める練習を20。それから、抜いてすぐ全身で刺す。鞘が切れて手を切ることがないように注意して。足も気をつけて、股間の太い動脈を刺したら即死するぞ。逆に敵のそれを狙うのが最高だ」  同じ男として、ベルは震え上がった。  と、瓜生はポケットの折り畳みナイフを片手で開き、廃教会のベンチを壁に立てかける。ついでナイフを腰に両手で固定し体当たりする、いわゆるヤクザ突きをやってみせる。  しばらくともに練習しながら瓜生は考え、スポーツドリンクを渡して言った。 「きみは、農業をしていたんだね?」 「はい」  ベルの表情は侮辱を覚悟し、反発があった。 「誠心誠意耕してきたのなら、立派なことだ」  瓜生の言葉に、ベルの表情が輝き、同時に暗くなる。 (どれだけ、誠心誠意だったんだろう……冒険のことばかり考えて……)  瓜生の言葉は続く。 「おれはこの世界の農法を知らない。鍬(くわ)、斧、鎌、シャベルは使わなかったか?」 「え、そりゃ使います」 「斧で木を切り倒すことは?」 「少しは」  村からも少し外れ、自給自足に近い生活だった。 「大鎌での収穫は?」 「いえ、僕はその、それを縛るのが……」  機械以前の麦の収穫は、死神が持つような大きい鎌で薙ぎ払い、あとからついていくサポーターが束ねて藁で縛る。  瓜生は少し考えた。 「……使い方を、見せてくれないか?」  長い鍬と斧、皮手袋が瓜生の手に出現し、ベルに差し出される。 「は、はい」  ベルは言うと手袋をつけ、鍬を手に取り、腰を落としてまっすぐ振りかぶり……廃教会の床を破った。 「うわあっ」  ヘスティアの悲鳴が上がる。 「う、うわ!ごめんなさい」 「あとで建て替えるから、許してくれ」  瓜生はそう言って、今度は廃教会のベンチを立て、斧で伐らせた。 (両手で棒をふるう、力を抜いて腰で振り手の内を絞めるという、おれの故郷の子供の生活をしていたら身につかない、身につけるには数年かかることがもう身についている)  このことである。  それから、ベンチに座った瓜生は、 「おれは、故郷で剣道をやっていた。でもあれは、はっきり言って実戦性がまるでない」  そう、苦々しい表情で言う。  兜をかぶっては剣道の正面振りかぶりはできない、『愛』や『ムカデ』が壊れる。正中線を相手に向けるのは自殺行為。面すり上げ面が、総合格闘家や肉食獣と戦うのにどう役に立つ……  何より、日本刀は竹刀よりずっと重い。剣道試合で最も重要な、左片手打ちができない。  瓜生が、剣と魔法世界で冒険をするようになってから。銃の方が便利だといっても、最初のころは剣道の経験を活かそうとした。市販最高級の日本刀を〈出し〉たりもした。  まったく役に立たなかった。何度か死にかけた。 (剣道なんてやってなければよかった……)  とさえ思うほど。  実際、居合・フェンシング・アーチェリーなら剣道よりましだったろう。銃がある彼にとっては柔道のほうがまだ役に立っただろう。  剣道の積み重ねを捨てきれない瓜生は、どうしても銃を使えないとしたら、木刀並みに長く太いバールで殴る。または西洋式のまっすぐな両手剣。 「わざと実戦性なくしたんじゃないかって気がする。でも示現流なんて知らないし……」  わけのわからない言葉に、二人が「?」マークを浮かべる。 「それに、剣道で試合……どころか、人と打ち合いができるようになるまで、一年練習した。週に2、2、4……」指を折り、暗算する。「三百時間ぐらいかな?」 「えー、それって、頑張っても一日……一か月以上じゃないですか!」  ベルが文句を怒鳴る。 「というか、きみは……そうか、かなり孤独だった。ほかの同年代の子と比べて、何が得意とかは?」 「そ、その……すみません」 「んー……」  瓜生は考え、そして手元に何冊かの本を〈出し〉た。居合道の、大判で連続写真がある本。  同時に妙な刀を十本ほど。日本刀に見えるが、雰囲気が違う。  とある、アメリカの刃物メーカーの工業製品だ。普通のナイフも包丁も作る。日本刀や西洋剣を模した、ナイフ同様現代の鋼材を機械で削った刃物も作っている。ちなみにその刀剣は、日本に輸入できない。  瓜生は、商品なのでそれを〈出〉せる。実戦で遠慮なく使える刀剣はそれしか知らない。そのメーカーのナイフも、実用性に定評があるので愛用している。  斧にしなかったのは、斧を戦いに使うのは結構難しいからだ。刃より近い柄で打っても切れず、威力はあるが振りも遅い。  ベルの体格から見ても、 (斧の隙を補うには重い鎧が必要だが、無理そうだ。  むしろレイピアや槍のほうがいいかもしれないぐらいだ、でも彼は『突き』は知らないだろうしなあ)  と、なる。 「あ」  刀を見て、ベルの目が輝く。 「使ったことは?」 「ないです」 「じゃあ、抜き方からだな。ここを握り、左手の親指で鍔(つば)を押し出して抜くが、気をつけないと手を切るぞ」  瓜生は昔遊んだので、ちゃんと習ったのではなく真似だが、刀の抜き納めはできる。何度も怪我をしている。  というわけで、太い針金を鞘の鯉口近くに巻きつけてから渡した。鞘を切ってしまって怪我をするのは防げる。  ベルに手本を見せ、ベルも練習を始める。 「この文字は読めないだろうけど、ここからここまでをよく見て。この刀で、この動きをまねしてごらん。斧や鍬を使うように、しっかり腰を入れて」  居合の本の連続写真。一番単純な、右肩の上から左腰方向への袈裟切り。 「ありがとうございます!」  ベルが大喜びで言った。 「じゃあ、この刀の握りの後ろ端を、普段鍬を持つように握って」 「はい」  瓜生はベンチを壁に立てかけた。 「これに何度でも斬りつけて。故郷で使っていた鍬や斧と、変わらない感じになるまで」  ベルは喜び勇んで始める。  瓜生も木刀で前進後退面素振りを始める。  ベルがいいかげん疲れてきても、瓜生は「やめ」と言わない。  二百、三百。  ベルは歯を食いしばって、続けていた。  手から血がにじむ。農作業をしなくなって、結構経っている。とても懐かしい痛みだ。 「剣は素人でも、鍬は素人じゃないはずだ。力を抜けば地面が深く掘れることはわかっているだろう。固い地面を掘るつもりで腰を落とせ」 「うん」 「しっかり地面を掘るには、足がしっかり地面についていなければならないだろう?」 「うん」 「呼吸を深く、ゆっくりにするんだ。『すう』、『はあく』と口で言ってもいい」 「はい」 「打ってすぐ、相手と周囲を警戒しろ。相手は一人とは限らないし、生きていて逆襲されるかもしれない……残心、心を残すんだ」 「うん」  瓜生も、 (【ステイタス】【ランクアップ】の影響を、確かめるため……)  木刀どころか特大のスレッジハンマーに持ち替え、跳躍素振りに切り替えている。信じられないほど速く動けるし、木刀など軽すぎて持っていると感じられないほどだ。  ステイタスがあるだけ、全力を出す。全力なので、五百を越えるとそれなりにきつくなる。耐久が上がった手も、血豆がつぶれる。  でも隣で、へこたれようとしない少年を見ていれば弱音を吐けない。 (立派な英雄だよ。情熱と意思で、おれを鼓舞している)  瓜生はわかっている。何度も、英雄を助けてクエストを達成させてきたから。 (とりあえず三千。自転車に乗るように、意識しなくてもできるようになるまで。おれもこのステイタスに合わせて動けるように)  女神はうれしそうに微笑し、時々声を上げて応援しながら、眷属(ファミリア)の稽古を飽きずに眺めていた。  倒れそうなほど疲れきったベルの【ステイタス】を更新したら、ダンジョンに入りもしなかったのに、アビリティが合計70近く伸びたものだ。  瓜生は、プロテイン入りのスポーツドリンクを……ヘスティアには必要ないが三人で飲んだ。それから歯ブラシも渡して、上で寝た。 *〈レオミ〉はオリジナルです。 *こうして考えると、冒険者初期装備は短刀が最善とは思えません。 本能的に使えるものとしては、野球バットから学校モップぐらいの短槍のほうが有効でしょう。 田舎生活者の多くは、手斧は使っているでしょうから、手斧か短く切った斧槍もいいでしょう。 もしベルに、何らかの「突き」の基礎があったら最初から槍を与えています。 >デビュー 「今日は初ダンジョンですね!」 「そうだな。行くならシャワー室で、これをはいてこい」  瓜生がさしだしたものに、ベルは凍りつく。 「こ、こ、こ、こ……」 「おむつだ」  ベルは一瞬で沸騰した。 「馬鹿にしないでください、僕だってもう14なんですよおおおおおおっ」  ベルの絶叫を、瓜生は平然と聞き流した。 「初の実戦では、半分ぐらいは漏らすんだよ。大を」 「ウリーさんも?」 「ああ」  瓜生は平然と答え、ベルの赤い瞳を見つめた。 「たくさんの武器。ファンタジーの世界。英雄……  いきなりだ。いきなり巨大なクモの巣。動けやしない。目の前にでかい牙。大小とも、全部出た」  ベルは呆然としている。ヘスティアは笑おうとして、笑いを止めた。 (こんな、ベテラン戦士も……)  かすかに触れた。実戦の恐ろしさ。『現実』に。  ぶるっ、と震える。 「別に仕事を見つけるならそれでいいぞ?冒険者以外に生きる道がないわけじゃない」  ベルはじっと下を向いた。  英雄……憧れ。そこに至るまでは、本当に恐ろしいことがあるかもしれない。  小さいころ襲われたゴブリン。  本当の恐怖……  別の選択肢。逃げ道がある。  逃げても、瓜生もヘスティアも軽蔑しないことはわかった。 (……でも!それでも。それでも。漏らすほど怖くても、痛くても。英雄になる……)  ベルは顔を上げ、震える手で紙おむつを手にする。 「着替えてきます」 「ああ」  瓜生は微笑して見送る。 「ひどい人だね」  ヘスティアが笑った。 (自分は特別な半分だ、と思ったら足をすくわれるだろう。詐欺やギャンブルはその心理を突く……おれも何度その罠に落ちて地獄を見たことか。自分は特別ではない、自分も過ちを犯す、それを前提にして前進できなければ、冒険者なんてできない) 「今日の帰りにでも、なんとか彼が歩き方や突きの基礎だけでも学べるよう、あてを探してくれ」  瓜生はそう言って、上に行って身支度を始めた。  朝食はやわらかい粥だけ。ヘスティアには、後で食べるようインスタントラーメンを、使い方を教えて渡しておく。  ベルの装備は、上半身は上から順に、昨日買ったライトアーマー「兎鎧(ピョンキチ)」、長袖のスペクトラ防刃シャツ、厚手のジャージ、瓜生が〈出し〉た下着。  下半身は上から順に……ライトアーマーについていたスネ当て、チノパン、ジャージ。  防刃グローブをつけさせ、首にも絹スカーフを巻かせた。  洋服の腰に刀と西洋ナイフ、少し違和感がある。だが前日歩いていて、刀を持つ人がいることは確認している。刀は、同じものを複数〈出し〉て練習用と実戦用を分けている。  瓜生はコートの下にタクティカルベスト+セラミックプレート。防弾は刃や拳には無意味なので、ボディーアーマーではない。防刃シャツは着ている。手榴弾もかなり多く身につける。  昨日と同じP90・グロック20・M460に加え、バッグにAK101……AK47の子孫で、西側の5.56ミリNATO弾を使う……を入れている。90発入り複々列箱型弾倉、ちょっとした機関銃だ。  保険として、もっとも軽い.50BMG対物ライフルを、両手剣を入れる袋に隠している。軽いといっても弾と合わせれば6キロになる。  知らずにみれば、短弓と両手剣を使うように見える。  二人ともヘルメットと強化プラスチックゴーグルをバックパックに入れ、レッグホルダーにポーション。背には1リットル入りの柔軟な水筒、前にストローを回していつでも水を飲める。  出発前に、 「筋肉痛は?腕をあげてみろ、肩は?膝は?腰は?呼吸に問題はないな?」  と瓜生が細かくチェックする。 【ステイタス】を更新したからか、瓜生も筋肉痛はごく少ない。それでも確認する。  無理をした、体調管理もできていない仲間が肝心なところで倒れるよりは部屋で射殺される方が、 (まだまし……)  というものだ。  二人は、あらためて『バベル』を見上げた。首が痛くなる。どれほど高いのか見えない。  前日はよく見る余裕がなかったのだ。 (日本にはこんなのはないな。世界最高でもここまでだろうか?)  と瓜生が思うほどだ。まあ、そこには多くの高層ビルがあったのだが。  ベルは何度か見上げていたが、それでも圧倒される思いには変わりなかった。  余裕がないといえば、瓜生さえ昨日は犬人・猫人など多くの異種族にもろくに気づいていなかった。 (これがダンジョンの初日……)  と思っていたベルは、エイナにきっちりと復習テストをさせられ、ダンジョンに入る前に気力が尽きかけている。  瓜生はきちんと答え、できなかったところも復習した。 「今日は、ダンジョンを見てくるだけだ。ゴブリンの一匹も倒したら帰る」 「ぜひそうしてください!」  と、エイナが喜んだ。  ダンジョンの入り口はごったがえしている。  冒険者の絶対数が多い。  中には何人か、ぞっとするような存在もいた。  邪悪な者。桁外れに強い者。瓜生の……彼以外のベテランの目にも、確実に、今日死ぬとわかる者。 「幸運を」  口の中でつぶやき、邪悪な者からは離れるように、広いダンジョンに足を踏み入れる。  まわりの人がいなくなったころ。エイナに習った通りのゴブリンが出てくる。  ベルは、瓜生に言われて途中から刀を抜いたまま。  何度も、 「肩の力を抜け。腹で深く呼吸」  と言われ続けてきた。  瓜生は両手剣を抜いて左手に提げ、 「練習したろう。木だと思って、間合に入ったら切れ。肩の力を抜け、腹で深く呼吸」  一言だけ言って、警戒に入る。右手はリボルバーのグリップにかかっている。  瓜生は目の端にベルをとらえながら、警戒を続ける。  ベルの姿勢が、はっきり恐怖を見せている。  つかみかかろうとするゴブリンに、刀がぶちこまれるのが見えた。 (まずい)  瓜生が判断したように、首筋ではない。肩の肉と骨に阻まれ、それ以上入らない。抜けない。  致命傷だが、無力化はできていない……言葉で考えるより早く、瓜生の左手は突きの構えで力を準備していた。 「あひゃうわあっ!」  ベルの喉から奇声が漏れ、両手で握ったナイフがゴブリンの脇腹を刺している。  左手は刃を握っている。それほど焦っている。  ゴブリンが振り回した爪がヘルメットをかすめて耳の下を大きく裂き、血が吹き出す。 「えぐり、離れろ!動きを止めるな!」  瓜生が叫ぶ。  そうなった男の子がどうなるかはわかっている。どこへともなく走ってしまうだろう。  放り出したナイフをよけ、ベルの肩をつかんだ。  見ているうちにゴブリンが動かなくなり、塵のように崩れていく。  次に襲ってくるゴブリン二匹、瓜生は両手剣を中段に構えて二匹が一直線になる場所に移動し、ひっかこうとする腕を小手で落として右面、抜けて次を胴、と続けて殺した。実戦経験があるため冷静で、【ステイタス】で力がとてつもなく増している。昨日しっかり素振りをして、すさまじい力にも慣れている。  激しく呼吸しているベルを助け起こし、ポーションを取り出した。  ベルは入り口に走り出そうとする。 「ベル!」  瓜生が叫ぶ。 「武器は?」  それに、あっと驚いたように戻ったベルは、もう塵も消滅していた……ゴブリンが倒れていたところのナイフと刀を拾い、ナイフを納める。 「息を吐き尽くせ。もっと吐く、もっと吐く」  瓜生の言葉に、ベルは激しく短い息から、吐き続ける。  吐き尽くせば、吸う。  深い呼吸で、やっと落ち着いてくる。 「よくやったな」  瓜生の言葉に、ベルが泣くのをこらえる表情になった。 「傷ができてる」  と、瓜生は鏡を取り出し、ポーションを渡した。鏡は尾行よけや角の先を安全に見るため、常に持っている。  傷に少し塗ると、みるみる傷がふさがる。 (本当に魔法の薬なんだな) 「そこにあるのが、エイナさんが言っていた魔石じゃないか?」 「はい」  と、ベルが小さい貝殻のような石を拾い、大事そうに見つめる。 「帰るぞ」 「だ、大丈夫ですよ全然」 「想像以上に疲れてるんだよ。それに、エイナさんと約束したろう?」  瓜生は言って、もう帰り始める。  ベルは、誇らしげにその横に並んだ。 「すごい、左手で刃を握っちゃったはずなのに」  防刃グローブの性能に気づいたのは、少し歩いてから。 「生き延びるためなら、武器を捨てて逃げてもいい。でも、そうしたら次には小さい武器しかなくなる。それを見極められるようになれ」  瓜生はそう言って、次に出てきたコボルドも突き殺した。  短時間でけがもなく帰ってきた二人に、エイナは大喜びした。 「無事帰ってきてくれたんですね!それが一番うれしいです。どうかこれからも、ウリーさんの言うことを聞いて、無事に帰ってきてください」 「おれはそのうち別行動をするかもしれないし、それまでに生き残れるように教えておく」 「そうしてください!」 「それより、剣術を教える道場とかはないか?ベルに、正しい基礎を教えられるような」  そう瓜生がエイナと話している、それにも我慢できないようにベルが、 「ヘスティアさまに見せてきます!」  魔石を換金した金を握ってホームにすっ飛んでいった。ちなみに、山分けにして800ヴァリスほど。  瓜生とエイナは苦笑をかわした。 「帰ってくると思いますよ?」 「そうだな。疲れてるだろうから、無理はさせない……別の無理をさせるつもりだ」  エイナはわかっている、とばかりに微笑した。 「それまで、昨日の復習をしておきたい。遠くの国から来たのでここの文字が読めないから、口頭で質問してくれるか?」 「はい、喜んで」  ヘスティアが、ベルがゴブリン一匹で満足したことに、素直に驚く発言をした。  傷ついたベルはダンジョンに駆け戻ってきた。 「帰ってくると思う、とエイナさんが言っていたぞ。昼食に行こう」  と、出入り口で張っていた瓜生がつかまえた。  数日分の食料を買って、一度ホームに帰る。直径50センチ近いドーナツ状固焼きパン、日持ちのする根菜、イモ、ソーセージ、ブロックベーコン、普通の野菜・肉・卵・パン、乾燥豆や麺類。  心配してうろうろしていたヘスティアが、ベルに謝った。 「キミに死んでほしくない」  と。  瓜生が 「ヘスティア様が受け入れてくれたから、おれたちにはこの街で、身分ができた。身分ほどありがたく、手に入れるのに苦労するものはないんだ」  となぐさめた。 「それより、剣術は?」 「うーん、話が急だし、ちゃんと来れるのは明後日ぐらいからかな。今日は、ちょっと顔を出すぐらいしかできないって」 「おれは、あの教会の改築をしておきたい。更地にするだけでもいいから、できる業者を探してくれ。いやこんなに商店街の人たちにかわいがられてるから、その人たちに聞いてくれればいい」 (そういう仕事をしていれば、圧倒的な資金力があるおれに悪感情を持たなくてもいいだろう) 「何か黒いこと考えてるな?いいよっ」  とヘスティアが豊かな胸を張る。 「僕は?」  ベルが聞いてくるが、 「武器をしっかり研いでおけ」  と言われ、恥に真っ赤になった。  農具を錆びさせる者が、どれほど馬鹿にされるか思い出したのだ。 「それから、自分がどう動いたか。今日殺したゴブリンさんがどう動いたか。自分がどう動いていればよかったか。相手はどう動いていれば自分を殺せたか。よく考えてやってみる。それから、昨日と同じ練習だ」  瓜生はそう言って、食事の支度を始める。  ベルは、とても素直な性格である。  だから言われたように、廃教会の地上スペースで、研ぎなおした刀を振っていた。  なぜ一撃で倒せなかったか。  相手の両腕が邪魔だから。  ではどうすればよかったか。  伸ばしてくる手を斬る。  大きく後ろに回って斬る。  ナイフのように刺す。  逆に、自分がゴブリンの立場なら、どうしていれば自分を倒せたか。  振り切ったときは隙になる、だから一度ブレーキをかけて振らせて、直後に入ればいい。片腕を犠牲にして突っこむ。  それを防ぐには?  考えながら、動き続けた。  瓜生が用意していた姿見を見て、両手で襲いかかる動きをしてみた。  それをイメージして、横から斬りつけてみた。 「そうか、手しかないゴブリンより、僕のほうが刀の長さぶん、長い。その距離で斬ればいいんだ」  などといいながら。  瓜生はぶらぶらと街を歩きながら、いろいろな人の言葉や噂に耳を傾けていた。 (生活水準が高い。ただの農夫の子が読み書きできるだけでも異常だ)  まずそのことがわかる。  品位の低い宝石などを換金して、手持ちの現金も増やしておく。  とても大きい街であり、全体をつかむにはどれだけかかるか……  十万都市というものは、瓜生の故郷でも小さい市ではないし、18世紀なら全世界でも両手の指に入るだろう。  知っておくべきことは多い。 (できたら、情報屋とかを見つけられればいいな)  ヘスティアは大忙しだった。  廃教会は、ヘファイストスが恵んでくれたもの。改築するには地権者であるヘファイストスの許可が必要だ。ヘファイストスを捕まえるのが難しい、だから誰か団員に頼んで事務処理してもらう……  そして工事そのものの許可、どこの建築系ファミリアに依頼するか……商店街の皆は面白がっていろいろ教えてくれるが、とにかく大変だ。 (そりゃきれいなところに住めたらうれしいけど、よけいなことを、よけいなことを!)  と逆恨みしたいような気持だった。 【タケミカヅチ・ファミリア】はLv.2になった者はいるが、弱小で貧乏である。  ヘスティアはどうも貧乏神との縁が多いらしい。ヘファイストスという例外もいるが。 (人格神(しゃ)は貧乏になることが多いだけ……)  ともいう。  主神もバイト生活であり、だからこそ、 「給料出すから子に剣を教えてくれ」  という、【ヘスティア・ファミリア】の申し入れは渡りに船だった。  二神ともバイトが終わってから、ヘスティアに連れられて廃教会に。 「今日は、バイト帰りに少し寄るだけ」  ということになっている。  ヘスティアがホームとしている廃教会を見れば、自分の状況は、 (まだまし……)  と思うには十分だ。  だが、廃教会に入ったとき、驚いた。  中に、どこから入れたのか、家のようなものがある。  なぜかその家には車輪がついている。  空いたスペースで白い髪に赤い瞳の少年が、刀を振っていた。  夢中になっているようで、自分にも気がついていないようだ。  タケミカヅチは、声をかけようとしたヘスティアを制して稽古を見る。  武神の目には、 (彼を訓練した子)  の意図が、手に取るようにわかった。 (抜きすらやらない。袈裟だけを徹底的に。この子がオラリオに来る前から持っている、耕すための体を用いる。  俺の、対人を中心に総合的に技を磨いてきたやり方に誤りがあったか。  師となった子が俺に求めているのは、正しい袈裟と突き、歩き走りながら斬って止まらず……それだけか。  そして行先は。  この子はとても俊敏な足をしている。それで、こちらから攻め、相手に攻撃を出させ、できるかぎり小さい動きでかわして、有利な位置から一刀両断……攻防一致)  おもしろい。  武神のほおが楽しさにゆるむ。  一つの技を体に叩きこむ、徹底した基本練習……その、異界から瓜生が輸入した発想を見るだけで武神は、『薩摩示現流・立木打ちから二の太刀要らず』『形意拳・半歩崩拳あまねく天下を打つ』……百の技より一の技を極める、という方向の、行きつくところまで見極めた。 (そしてこのベルという子は、幼いころに『正しい』鍬・斧・鉈の刃筋を見ている。それがまなうらと体に残っている)  そこまで見えた。  やっとベルが、男女の神に気づいた。 「あ」 「ただいま、頑張ってるねえ。でも無理しちゃだめだよ」 「【ヘスティア・ファミリア】に新しく入った子かい?」 「は、はい、ベル・クラネルと言います」 「こちらはタケ、タケミカヅチの神」 「は、はじめまして神様!」 「うん、いいね礼儀を忘れないで。でもボクには礼儀なんていいんだよ」  忙しくてテンションが高いヘスティアをよそに、タケミカヅチが進み出る。 「仕事をありがとう。さっそくだが……」  男神は見回し、昨日使ってそのままの鍬と斧を見つける。 「小さいころから見てきた……」  親、と言わなかったのは、タケミカヅチ自身故郷で孤児たちの面倒を見ていたからである。ベルから、孤児の雰囲気をなんとなく感じたのだ。 「鍬や斧の振り方の手本を思い出してごらん」  と、両方を一度ずつ振って見せる。少年の反応に、武神は確信を深めた。  さらに刀で、袈裟切りを振らせては無駄を指摘した。 「では今日は、歩きながら斬ることを覚えよう」  タケミカヅチは予備の刀を受け取って抜く。そしてナメクジのようにゆっくりと歩き、右足を出すとともに袈裟切りにするのを繰り返す。 「ゆっくりとやるから、細かく真似なさい。まず歩き方、次に腰、そして手と刀」  武神はそう言って、ゆっくりと、ゆっくりと歩きながら切り下ろす。  ベルも、それを丁寧にまね始めた。左足で踏みだしながら、振りかぶる。右足が地面につき体重が乗ると同時に、剣先が一番前になるように。流して腕を中ほどに戻しながら、左足を前に出す。 「たゆまず、流れを止めず」  ほんの、十分かそこら。 「これで帰るが、練習を続けなさい。強くなりたい思いの限り」 「はい!ありがとうございました。あ、こちらウリューさんから預かっていますが」  と、ベルが一度地下室に降り、袋を渡した。白い扇子、金貨袋、抹茶・玉露・煎茶。 「ありがたく。これからよろしくお願いする」  とタケミカヅチは袋を持って帰る。  白扇は、昔の日本で行われていた束脩……入門の挨拶品である。昔の中国では干し肉などが贈られていたと『論語』にあるが、それが形を変えたものだ。 「うんうん、精進するんだよ。でも無理はしないようにね」  とヘスティアが偉そうに矛盾したことを言い、ベルは素直に喜んでいた。  タケミカヅチが帰って間もなく、ちょうど夕食時に瓜生が帰ってきた。いくつかの屋台で売られていた料理を持って。  串焼きのソーセージ・肉・魚。鶏皮焼き。平焼きパンに包んだ焼肉。ピザ。 「遅くなってすまない。熱いうちに食べよう」 「はーい!」  文句を言おうとしていた二人は、現金に飛びついた。  食事中、瓜生はベルの身の上……両親を知らず、祖父に育てられて妙な理想を吹き込まれ、祖父の死後に冒険者になるとオラリオに来た……を聞くともなく聞いた。  瓜生自身についても聞かれ、 「おれの故郷は、要するに神々なんていない……おれは妖精と会ったけど、それだけだ。『恩恵』もなく、モンスターもない、人間同士が争って、伝染病を治そうと工夫して、それだけの世界だよ」  とだけ言った。  自分の過去については、ほとんど触れぬまま。  食事を終えてから、瓜生はヘスティアに文字を習う。その間、ベルに「歩き袈裟」を復習させた。  しばらく練習してから、ベルはステイタスを更新した。 「明日はどうするんですか?」 「明日は、おれのペースでダンジョンを見てみる。おれの戦い方も知っておいてくれ」 (化物扱いされて迫害されるなら、早い方がいいからな)  それを聞くのがやっとのベルは、ソファーベッドに倒れこんで泥のように眠る。 >火器  翌日。  朝食は前日と同じ、軽めの粥。ヘスティアにはコンビニで売っているチーズパンと、カステラとナッツタルトを〈出し〉、コーヒーも淹れる。  エイナ・チュールに、 「レベル2のウリーさんが主導ですか。でも、くれぐれも無理はなさらず、9階層程度にしてください。ダンジョンの危険は、外とは比較にならないのですから」  そう言われて入り口に向かう。  一階途中の、人気のないホールに着いた。  まず、講義で必要だと聞いて購入していたサラマンダー・ウールを着ておく。 「これを持っていてくれ」  と言って、透明板の窓がある耐弾ライオットシールドを三つ〈出す〉。  一つずつ自分とベルの背に結び、もう一つはベルに持たせた。 「両手で持って。おれが見ていない方向を見て、敵がいたら声を上げて、このライトで照らすんだ。この耳当てもつけて、その上からヘルメット」  そう言って大きな懐中電灯を渡して使い方を見せ、ヘッドホンのような耳当てを渡し、あとはすたすたと歩きだす。  瓜生自身も耳当てとヘルメット。手には小さいが強力なライトとダットサイトのついたFN-P90。  ゴブリンが歩いてきた、そして襲いかかろうとした瞬間。  瓜生が胸に抱えた、ベルは似たものさえ見たことがない『何か』が、まぶしい火を吹く。  ぱん。鋭い爆発音。ゴブリンがよろめく。  もう二発、銃声と銃口炎。モンスターが、操り糸が切れた人形のように倒れる。  よく見ると、ゴブリンの腹に小さい穴が開いている。口元に小さい穴、だが後頭部に大きな、ぐちゃぐちゃに砕けた穴がある。  その横を瓜生が行きすぎようとしている間に、ゴブリンは塵と化し魔石を落とした。  瓜生は周囲を見回しながら拾い、胸側にある小さいバッグに入れる。  それが、ひたすら繰り返される。  地下二階、三階も、四階も。  十匹近くが一気に出現しても、壁のひび割れから地上に立ち、走り出す前に倒れて死ぬ。  P90には小さいが強力なライトがついており、それが目をくらませるので一瞬隙ができ、先手を取れる。  壁や天井をはい回るリザードも、音が二度響けばすぐに、手の届かない天井からふっと落下し、死ぬ。  フロアを結ぶ下り道で、胸の小さいバッグから背の大きいバッグに魔石を移し、弾倉を交換するだけだ。  五階の途中にあるホール。 「ちょっと補充したりする。爆発するから、盾を構えて」  そう言って、アンダースローで何かを放った。  瓜生は素早くベルの後ろに隠れる、すぐ爆発が起きて壁の一部が壊れた。 「壁を壊すと、修復が優先されるから休めるってエイナさんが言ってたな」  それを、一度確認する。警戒しながら。  そしてまた、小石のようなものを放って壁を壊した。  それから。 「ちょっと水分補給、もしトイレに行きたければ隅で」  と言ってスポーツドリンクを渡し、瓜生自身はいくつかの器具や、箱を〈出し〉た。  そして、箱の一つを開けて多数の、先がとがった短い棒……弾薬を、器具を使って大型の箱型弾倉に詰める。  装填済み弾倉をいくつも作り、カバンに入れる。 『恩恵』による体力増加がなければとても持てない重量になる。 「出発して大丈夫か?」  瓜生は言って、そのまま歩き出した。  手にした銃は、AK-101。強力なライトとダットサイトをつけている。  六階、七階……多数、それも新しい怪物が出てくるが、瓜生は平然と撃ち続け、魔石を拾い弾倉を交換する以外は足を止めない。  フロッグ・シューターも、射程距離が違う。ウォーシャドウも、素早く近づき始める前に頭を撃ち抜かれ、崩れる。  キラーアントすら、5.56ミリ弾が甲殻を貫通し、内部で暴れまわって魔石が粉砕される。  毒のあるパープル・モスが出てきたときにはうるさげにフルオートで叩き落し、それからはレミントンM870ショットガンも持つようになった。  一度、広間に何十とも知れぬモンスターが出現したことがある。  それも瓜生は、フルオートで血路を開いて早歩きで抜け、後方に手榴弾を放って通路の壁にへばりつき、ベルを座らせてシールドを構えた。  爆発がホールを一掃する。  近くにいる生き残りを、平然と射殺する。  ベルは圧倒され、我に返ったのは瓜生に水を飲むよう指示されてからだ。  10階層に至り、霧が発生した。 「射程の有利がなくなるな、装甲がいる」  装甲という言葉の意味を、ベルはわかっていなかった。  瓜生は、とても慎重な性格である。RPGをやっていても、標準より二つは上のレベルで動く。次の目的地が見えていてもMPが尽きたら帰還を選ぶほど、絶対に死人を出さないようにする。FC版の大灯台だけはどうしようもなかったが。  エイナの忠告もまじめにとらえている。間違っても死なないように。慎重に。  広めのルームに急ぎ、イタリアのプーマ装甲車を〈出し〉た。六輪で全長5メートルとコンパクト。M2重機関銃のRWS(遠隔操作砲塔)をつけ、操縦席のタブレットで画面を見て操作できるようにした。一人で操縦と射撃をできるようにしたのだ。  燃料とオイルを入れる。指ぐらいある.50BMG弾の箱入り弾薬を出し、重機関銃に装填する。  その作業をしている間、瓜生もベルもチョコレート菓子を食事がわりに食べた。  準備ができたら、走り出した。  ベルには、 「冷静に、周囲に敵がいないかとか、落とし穴がないかとか、見ていてくれ」  といっておく。  ベルは驚きすぎで半ば死んでいた。  楽などというものではない。多数のモンスターに囲まれても、速度を少し上げるだけで抜き去る。前に固まれば少しバックし、加速してはね飛ばす。  アルミラージが投げてくる石斧も、薄いとはいえ装甲を抜くことはできない。  装甲の固いハード・アーマードも12.7ミリ徹甲炸裂焼夷弾であっさり死ぬ。ヘルハウンドも、炎を吐くより前に肉塊と化す。  ときどき壁を撃って追撃を止めてから、いい魔石やドロップアイテムを回収し、弾薬を装填し燃料を補給する。  ひたすらその繰り返し。  別の冒険者パーティがシルバーバックなどの群れに追われているのをかなり遠くから見て、遠距離から助ける。  別の視点から見れば。 【タケミカヅチ・ファミリア】が、11階で、限界を超えた数の敵から逃げていた。同時に、壊滅した小派閥の生き残り二人も、傷を押して逃げていた。  なしくずしに合流した……多くのモンスターも合流した。  ヤマト・命(みこと)と、もう一人が負傷していた。広いルームに逃げ込んだ。そこで、退路にもモンスターが出現した。  詰んだ……誰もがそう思った。どちらのパーティも。  たまたま、少し霧が薄くなった。  遠くから、音が何度か響いた。聞いたことのない音。爆音に似るが、連続している。  あっというまに、追う側のモンスターの群れが薄くなった。交戦せず後ろで待っているのが、あっというまに倒れていく。 「なにが」 「いや、いまだ!敵が薄くなった、反撃するぞ!」  とっさに協力した二つのパーティが、激しくモンスターに抵抗する。 「なんだあれは」  かすかに見えた、妙な色の大きな塊。霧が再び濃くなり、見えなくなる。 「それどころじゃない!シルバ……」 「誰が何をしたのよこれ!」  腹にばかでかい穴が開き、肉の中から血で消えぬ炎を噴く(徹甲炸裂焼夷弾)シルバーバックやオークの死体に、絶句……する暇もなく戦いは続く。敵の七割はなぜか倒れ、弱いものばかりとはいえ、特にアルミラージの連携は侮れない。  生き残るために。無事に主神のもとに帰るために。仲間を生かすために。故郷で仕送りを待つ人のために。 「たまたま目に留まって、助ける余裕があったから助けただけだ。余裕がなければ、『怪物贈呈』とやらをしてでも生き延びることを優先したよ」  瓜生はベルにそういった。  無論、ベルの師となった神の眷属だった、などとは知らずに助けたのだ。  13階のルームで、モンスターの大量出現があったが、それも重機関銃で一掃する。  階と階を結ぶ通路の広さ・高さ、縦穴の幅、傾斜も目測をつけておいた。将来、より大型の装甲車両で通れるように。  三時間もかからず14階まで行って、しばらく見て回って、また大量出現を処理して帰った。ミノタウロスさえも、一発で即死した。  四階層のホールで壁を撃ってから装甲車を〈消し〉、荷物を整理した。装甲車に大量に乗せた魔石やドロップアイテムを、大きいリュックに移す。  そして腕時計を見た瓜生は、 「そっちもすこしは経験値を稼いでおかなければな」  といい、ベルに刀を抜かせた。  次々と出現するモンスター。四階だと出現頻度が高い。複数なら一匹を残して射殺、その一匹をベルにあてがう。 「昨日習ったことをちゃんと活かすんだ」  瓜生に言われ、 「正しく歩き、腰で正しく斬る。足は高く上げない、腰を落としたまま、深く息をして」  そう言いながら、ベルはゆっくりと歩き、斬っていく。  十数秒に一度は、ゴブリンやコボルドが出る。それを、歩きながら有利な位置をとり、斬る。  ひたすら繰り返す。  五十体も斬ったら、疲れる。【ステイタス】のおかげで、ベンチを千度斬ってもなんともないのに。 「疲れてる時こそ呼吸だ」  瓜生は言いながら、同じことを続ける。淡々と撃ち、弾倉を交換し、暇があれば空弾倉に弾をこめる。  ベルが肩で息をしたところで、 「そろそろ時間だな」  と、瓜生が切り上げた。  床は魔石と空薬莢が大量に転がっている。  瓜生は壁を撃ち、竹熊手で掃除をし、集まったものをなでた。空薬莢は消え失せ、魔石だけが残る。  それを袋に追加して、かついで出入り口に向かう。  出現するモンスターは、ベルに任せて。 「ダンジョンには、心が、悪意があるようだ」  ギルドに戻った瓜生が、エイナに言う。 「ええ、そうなんです」 「エサで誘い、深入りさせる。なんとか対処できる程度の数を、繰り返しぶつける。それで気づかぬうちに疲労がたまり、気がついた時には包囲される。  弱った心が何とかなると間違え、逃げることに徹しなければ……一つでもミスや不運があれば、一気に全滅」 「そう、まさにそうなんです。……え。なぜそれがわかるのに、無傷で生きてる……?」 「それよりも、それを防ぐ方法を教えなければ。二組のパーティが協力して、常に戦うのは一方だけでもう一方は警戒に専念とか」 「そ、そうね……ごまかされないわよ。何階まで行ったんですか?いくら経験豊富でレベル2でも、ダンジョンの危険は格別なんですよ?」  エイナの目に瓜生は苦笑し、 「スキルは公開してはならない、と神ヘスティアが言っていた。でも実際に、今日は危険をまったく感じていない。今日の五十倍のモンスターが出現しても、傷を負わずに対処できる。  どうすれば、スキルを公開せずに実力があることを理解してもらえるだろうか?」  エイナは頭を抱えていた。  二人の脇には大荷物が置かれているのに、換金した魔石はエイナの言いつけを守った場合、得られる程度である。  ベルの赤い瞳は、どうしようもなく正直だった。  ギルドを出たときには、もう黄昏がせまっていた。 「エイナさんのお叱りの方が長かったかもな」  そう言っているが、瓜生はエイナには感謝している。言われた通りにはできないだけで。  大荷物を背負ってギルドを出るとき、近くでうろついていた、小さい男の子の狼人が声をかけてきた。 「ギルドで換金できないものでもあるのかい?」 「換金してくれるのか?何割が相場だ?」 「二割」 「二割五分でいい」  そういってしばらく待つと、少年は大荷物をかるがると担いでいき、空袋と金袋を持って帰ってきた。 「助かったよ」  受け取った瓜生はごく小さい声で、 「本当のお駄賃は、そこの赤い屋根のオープンテラスの、手前から二番目の植木鉢の下に隠してやる」  と言って歩き出した。 (どうせぼられているだろう。でも、こいつも搾取されているだろうし、せめて少し手元に残るように)  瓜生はそこまで考えている。 「変な冒険者……でも、冒険者は……」  狼人の少年は、そうつぶやいて見送った。 (なんとか隠して、今日の分をやつらに渡してから……汚物でも入れて笑う気かもしれませんが)  瓜生は実際に、そのオープンテラスによって休み、スプーンを落として拾おうと植木鉢をいじり、ついでにパウンドケーキを買って立ち去った。  夜になってから、猫人の少女が植木鉢の下から一万ヴァリス見つけ、驚いたものだ。  帰り道に『バベル』のヘファイストス店に寄った。ベルがあちこち見ている間に、瓜生は100万ヴァリス程度の、刃7センチ程度で細身のナイフを買った。  それまで集めた話で、 (この世界は、おれの常識が通用しないかもしれない)  と思ったからだ。  モンスターの時点で非常識だが、それ以上に。  夕食は昨日買ってきた食物を、瓜生が調理した。  鶏肉・豚肉・牛肉、それにヘスティアが持って帰ってきたバイトまかないのジャガ丸くんを加え、大きい圧力鍋で煮たスープ。  焼いたソーセージ。大きい丸パン。 「使った分たっぷり食べろよ」 「うん!」  とヘスティアがかぶりついているのがほほえましかった。  そういうときには、ベルは妹ができたような表情をする。  食事の時ヘスティアが、 「今日はどうしたんだい?」 「すっごいんですよウリューさんは。  火を噴く棒で、何百というモンスターが全部死んでいく。それに鉄板でできた、引っ張らなくていい車で、どんどん奥に。  どんな大きなモンスターもすぐ死ぬんですよ!  それで、60万ヴァリスも稼いできたんです!」 「無理はしてないかい?」  ヘスティアの白い目に、 「おれは金は必要ないことは知っているだろう?ダンジョンを見てきただけだよ。ダンジョンで稼いだ金は、気にせず使っていい」  食べ終わってから瓜生は、スープの残りに水煮インゲン豆とカボチャを入れ、塩を多めに追加して煮ておいた。  それから瓜生はベンチやバーベルセットを〈出し〉、ベルにベンチプレス・デッドリフト・スクワットの三つを教えた。 「限界がどれくらいか、やってみろ」  と、次々に円板を追加し、五回で限界になる重さを見極める。 【ステイタス】のせいで、下手をすると小学生に見えるベルが、運動部の高校生男子以上を上げる。瓜生は驚いていた。  また業務用クラスの大型ルームランナーを〈出し〉、トレーラーハウスのエンジン電源とつないで、使い方を教えた。  心拍数を測定し、一定以下になったらブザーが鳴るようにした。 「戦いは、足腰がすべてだからな」  そう言って走らせる。  20分。背中に負ったバッグから伸びるストローで薄めたスポーツドリンクを飲みながら。 「あんまり無理しちゃだめだよ」  とヘスティアが言うので、簡単なストレッチングを教えて整理運動をして【ステイタス】を更新してから、しばらく瓜生が二人に読み書きを習った。  二人が寝静まってから、瓜生は【ヘファイストス・ファミリア】で買ったナイフを試してみた。  硬度……モースで9と8の間。サファイアとトパーズの間だ。鋼よりずっと硬い。  さらに曲げるのにかかる力を測定する。目や手を防護し、横向きに固定した万力で先端をはさんで、柄に鉄パイプをかませてテコとし、その先にバーベルを追加していく。  合同に近い炭素鋼ナイフと比較して。 「30度曲がる力が、14倍だと?しかも完全に戻った……もう別世界だな。物理学にケンカを売ってるのか?それともおれが知らない最高の素材なら、これくらい可能なのか」  下層・深層には、こんなきわめて高価な武器で、やっと通用するモンスターがいるという。  ならば、自分が知る大型獣に必要な銃より強力なものが必要である可能性が高い。  瓜生は夜遅くまで装備を再検討し、出してはマニュアル片手に操作訓練をした。 *ご都合主義独自設定として、ダンジョンの通路・階層間通路は、小型RWSつき軍用車でも通れるぐらい広く高いとします。下層は主力戦車も通れる、と。 バスや橋梁戦車、大型ミサイル車が通れる、ということはしませんが。 >練習日  その翌日は、 「今日はひたすら練習だ」  と瓜生が言った。  早朝から塩水を飲み、ストレッチをしてから素振り、ルームランナーで20分。  瓜生は読み書きを学びながら、エアロバイクをゆっくりと。  朝食は、昨日作っておいた煮物をパスタにかけた。ゆで卵を三つと果物。さらにプロテイン入りミルクもつけた。  午前は、タケミカヅチが眷属を連れてやってきた。 「せっかくなので合同練習を、いつもやっているところでやろう……」  という話になる。瓜生も渋々つきあうことにした。 「【タケミカヅチ・ファミリア】団長のカシマ・桜花(オウカ)、レベル2だ」  堂々としていながら礼節のある巨漢に、瓜生はきちんと礼をした。  人数は少ないが、レベル2がおり実力は高い。もう一人ヤマト・命もランクアップしたところだ。  どちらが先に礼を返すか、ベルが瓜生に、 「え、団長はウリーさんじゃ」 「決めていない。最初に入ったのはベルだ」  瓜生はベルに答え、 「失礼しました。【ヘスティア・ファミリア】のウリュウといいます。オラリオには来たばかりです。契約前に外でいろいろやって、レベル2でした」 「ベル・クラネルです。その、タケミカヅチ様には教えていただいています。僕もオラリオには来たばかりです」 「よろしく頼む」 「どこから来たの?」 「瓜生とやら、極東の礼を知っているようだが、向こうにいたのか?」 「習俗が似ている別のところでしょう」 「この前のお茶、おいしかったです」  などと会話をしながら、練習場所に歩く。 「なぜ瓜生がベルを教えない?」  という話になった。 「おれは、実は剣の才能がとことんない。そして別の、ちょっと別の方法で稼げる」 (魔法?)  そう皆が思ったのは当然だろう。真相を知っているベルは冷や汗だらけだった。 「おれが習った剣は、実戦を考えていない、いびつなものだ。それを教えたら彼が戦えなくなる。しかも下手だ」 「では、見せてもらいたい」  と、ヤマト・命(みこと)が立った。 「わかりました。おねがいします」  と、瓜生は背負ってきた竹刀袋から、竹刀を二本出した。 「われわれは竹刀は使わない。木刀で問題ない、【ステイタス】もポーションもある」 「そうですか」  木刀を持って礼、進み出て抜きながら蹲踞(そんきょ)。剣道の動きを、命も自然にしている。  剣先を合わせて立ち、しばらく攻め合い……  激しい打ちこみを、瓜生はしっかり受ける。強烈な気合声が同時に出る。動きの速さ、つばぜり合いでの力比べはさして変わらない。  しばらく打ち合っていたが、あっけなく瓜生が胴を払われた。 「……」  タケミカヅチも桜花も、絶句していた。  桜花との試合も、似たようなもの。すさまじい力と速さの打ちこみを、見事に防御することはできる。だが、その先がない。  返し技を狙っているのは見え見え。逆に引っかかり、簡単に引き面に額を割られる。  桜花が、言いにくそうにつぶやいた。 「自信を失うのも無理はないな……動きは確かにレベル2、基本素振りを十年近くやっているのはわかる。【ステイタス】頼りでもなく、稽古している。それなのに……」 「はい。打ちこむ機がわからないんです。同格か上を相手に、どうすれば打てるのかがまるでわからないんです。何をすればいいのかわからないんです。  防御はできますが、返し技も下手。ものすごく下を相手に、速さで打ちこむのが限度です」  瓜生の表情は、泣きそうだった。 「確かに、剣については生来目が見えないようだ……しかも、ひたすら道場で、それも竹刀で優劣を競うだけ、刀を持って戦場に行くことを、徹底的に否定した剣術ではないか……  何も知らない新人がこれを教わったら、ダンジョンでは戦えないな。  俺も人のことは言えない、対人の武術を教えた弟子たちも、ダンジョンでは苦労させてしまった」  タケミカヅチのため息に、 「そんな!」 「レベル2が二人もいるなんてすごいじゃないですか!」  眷属たちが主神をかばう。 「しかも、道場試合の才能もないんだから救いようがないですよ」  自嘲を、 「卑下してはならんぞ。稽古の積み重ねはあるのだ」  武神が慰めた。  瓜生は涙をこらえるので精いっぱいだった。 (無駄な努力……)  それが悲しくて仕方なかった。  ベルがタケミカヅチの眷属たちと熱心に稽古し、瓜生も参加はしていた。  今日のベルは、刀の切れ味の本質と諸手突きを教わった。桜花や命が振るったとき、刀がどれほどすさまじい切れ味を示すか。斧との質の違い、むしろ鋸に近いことも。  歩きながら正しく切る練習を、徹底的にした。 「これから、もし折があればベルも、【タケミカヅチ・ファミリア】の探索に連れて行ってほしい」  瓜生の言葉に、彼らはうなずいた。  それ以上の申し出……瓜生の正体・能力を伝えることは、信頼関係を築いてからと決めている。  卵中心の昼食を食べ、午後にはまず歩き素振り千回。  軽いバーベルをかついだまま、百回連続で真上に全力ジャンプ。  ルームランナーでのランニング。  三大ウェイトトレーニング。  ヘスティアが、 「体壊しちゃったら元も子もないよ」  とクレームをつけたほど。  夜は消化のいい粥にプロテイン牛乳とマルチビタミン入りのジュースをたっぷり飲み、【ステイタス】を更新して、まだ早いうちから熟睡した。  寝る前に、 「明日は完全に休む。最低限の素振り以外するな、休むことで強くなるんだ」  と瓜生が言った。  翌日の休み、ベルは午前中はひたすら、ホームで寝ていた。 【ステイタス】更新で筋肉痛は半減し、ポーションで疲労はかなり軽減されるが、それでも気力が戻らない。  瓜生は街をぶらついて情報を集め、ヘスティアはバイト。  夜はカツカレーのいい店があったので、そこで食べた。 (ここ……剣と魔法世界だよな……)  瓜生は今更遠い目をしていた。  この世界は、衣類や食物の文明水準がかなり故郷に近い。  そのくせ火器・電気が使われず、魔石とダンジョン由来金属、『恩恵』に頼っている。 (故郷の、米軍と全面戦争したらどちらが勝つだろう)  とも思う。 >その日  日程が何となく定まった。  一日目は瓜生の番。途中までは小火器でジョギング、霧が出てからは小型装甲車で、16階層まで行く。  帰りに、一時間ほどベルにゴブリンやコボルドをひたすら斬らせる。ダンジョンを出たら、エイナに座学を教わる。  帰りにはエイナに知られたくない膨大な収穫を持っている。その処理は、自分で店を探すようにした。狼人の男の子は、あれ以降見かけなかった。  二日目は練習日。タケミカヅチ・ファミリアとの合同練習もあるし、武神だけがきて一時間ほど見ていくこともある。その前後も、膨大な歩き素振り・ウェイトトレーニング・ルームランナーをこなす。  三日目は、午前は五階ほどでベルが斬り続ける。瓜生は一匹以外を撃つ。午後は街を探索してから三時ごろに帰り、タケミカヅチにフォームを修正してもらって、歩き素振りとルームランナー。  四日目は『ベルの番』。午後遅くまで、三階まで探索する。瓜生は一切手を出さず、自分の身を守るだけ。  五日目は完全休み。瓜生は街をぶらつき、ベルは激しい疲労で熟睡するが、午後にはヘスティアに連れ出されてデートしている……  食費は原則としてベルの稼ぎをあてることにしたため、また別の目標もできて、ベルもかなり必死に限られた時間稼いでいる。  瓜生はベルに一人で運動させて、自分は読み書きを勉強していることもあるし、少し街に出て人々を観察し、話していることを聞いていることもある。  また、ギルドではダンジョンだけでなく、法律や社会制度についても熱心に聞いている。  二度目の休み。ベルは自分で倒したモンスターの分の金をためて、ヘスティアに髪飾りを贈っていた。  瓜生は料理を丁寧にやった。  ベルは熱心に体を動かし、ダンジョンでも熱心に戦っている。ルームランナーだけでなく、より高い負荷が可能なエアロバイクやボート漕ぎ運動器具も学んだ。自転車がない世界、ボートが必要ない村で生まれたベルは、習得に少し苦労する。  経験値が倍になる瓜生のスキルもあり、【ステイタス】の伸びはめざましいものがある。  三度目の、ベルの番。半金を入れて廃教会の工事が始まろうとした翌日。  ミノタウロス。  工事が始まる、ということで瓜生は廃教会近くの廃墟を一時借りるとし、そこにテントを張って暮らすことにした。  いつも通りの朝。いつも通りの軽い粥。  探索は順調だった。ベルにとってもう、一階の、一匹ずつのゴブリンやコボルドは相手にならない。  赤い瞳にとまったが早いか、すすっと速い歩きで接近され、動こうと手足を出す、その出ばなに首を斬り下げられる。  二匹以上出ても、対応できる。  瓜生が両手剣でやっている、二匹が直線になれば一度に一匹という動きをまねた。【タケミカヅチ・ファミリア】で話を聞き、 (敵がどんなに多くこちらが一人でも、一度に四匹以上とは接しない……)  ことを利用し、背中の分厚いライオットシールドを信じて前の敵だけを切り倒し、そのまま抜ける技を覚えた。  コツをつかんでいた。 「もう、先に行けると思います」  ベルは自信をもって五階層の、七匹のゴブリンと戦った。  スピード。動きを止めない。  すっと出て、長い刀がすっと手を、脚を斬る。とどまらずに歩きぬけ、次。  刀の引いて斬る使い方も身についた。二つの腕が同時に斬り飛ばされることもある。  呼吸・腰・足が決まり肩の力が抜けて、一刀で敵の肩から脇まで身体を二つにできることさえ一度あった。 「これ、またできないでしょうか」  とはしゃいで、 「戦いに集中しろ。まだいるぞ」  と言われしゅんとなって戦いに戻った。  全身での諸手突きが背中まで通り、それでも動きを止めずにナイフの二刀で、スピードと手数が群れを圧倒する。  天井から落ちてきたリザードもよく見てかわし、斧で薪を割るように美しい、刀の重みだけの正面斬りが一刀両断にする。  その朝、アドバイザーのエイナと、 「自信のある顔つきだけど、過信になったら死んじゃうわよ!ウリーさん、よく見ていてください」 「大丈夫ですよ、過信なんてしません」 「過信がないといえば、それは常に嘘だ。何を見落としているか自分ではわからないな」 「どうか無事に帰ってきてくださいね!」  というような会話もした。  六階層に降りたのは、ごく自然だった。  瓜生は、「今、どこにいるか把握しているか?」と言おうとして、やめた。  もう少し、どんどん成長するベルの活躍を見ていたかった。  六階層で新しく出てくる、ウォーシャドウ。だが刀の、長い爪以上のリーチを把握したベルは、相手以上のスピードで鋭い諸手突きを顔面の急所に浴びせていく。  一段落して、ヘルメットを外し汗をぬぐい、背中からストローを回して吸った……  その時、瓜生の背後から、ベルのわきを通って三人が走り抜けた。 「へっへーっ!」 「助かったぜ」 「がんばれよーっ!」  下卑た喜びの声。 「『怪物進呈』か」  瓜生が警戒し、P90を構えた。  ウォーシャドウ。鋭い角を持つ、七階層相当のニードル・ラビット、キラーアント。とっさに数を把握できない、合計で20前後。  瓜生はベルに「さがれ」と叫びつつ、フルオートで掃討する。  P90の50発を撃ち尽くし、グロック20を抜く。  どれが生きているかよく見て、無事と思われるニードル・ラビット一匹以外を撃っていく。  飛びついてくるのをよけて、 「ベル」  と叫んだ。  もうそれは何度もやっていた、 (一匹だけ残した敵で、経験を積む……)  ベルは刀をふりかぶる。  だが、ニードル・ラビットの動きには緩急があり、突然極端に加速する。飛びぬけるとベルの、ヘルメットとゴーグルを脱いだままの側頭部が切れ、出血。  ゴーグルを脱いだ目に血が入り、見えなくなる。  それを見た瓜生は、その時だけはニードル・ラビットとベルに気を取られた。 (撃つか、ベルに斬らせるか……)  さらに、ベルを誤射しないように。それも気をつけなければならない。  となると、銃ではなく蹴りを選ぶ方がいいかもしれない。  拳銃に自信がない瓜生は、AK-101を取り出し、ボルトを引いた。  そんな、考えと武器交換動作に、気を取られた。  ベルがいる方向……今の『怪物贈呈』とも別方向、見えていなかった物陰から、重い振動があることに気づいた。  巨大。圧倒。崩れるような。人のシルエットに近い。  しかも、ベルのほう。下手に撃つとベルにも当たる。  瓜生は一歩横に飛び、セミオートで連射。左手で、フォアグリップについた強力なライトを放ち目くらましを狙った。  止まらない。一頭か二頭はひるんだか、または怒りを強めたか。  そちらを振り向いたベルは……一瞬で走り出していた。ウサギのように全力、全速で。  瓜生は巨大なミノタウロスを撃ちながら二歩後退、方向転換してベルとは別の方向にダッシュ。 (できれば、ベルから引き離し、自分を追わせる……)  ために。  レベル2の身体能力、だが敏捷は最底辺。  ほんの2メートル引き離しつつ、フルオート。四つ足で角を前に出し突進する巨躯に、大量の5.56ミリ弾を浴びせる。  まったく止まらない!  迷宮の角を利用し、かろうじてセラミックプレートに、角をかすめさせる。ライフルを手放す。  半ば吹っ飛んで背中から壁にぶつかり、そして測った。  3.5メートル。それが瓜生にとって、本当に必要な距離だ。すべての銃弾は、3.5メートルを稼ぐため。3.5メートルあれば、どんな多数でも、どんな猛獣でも倒せる。  胸に左手、ベルクロをはがしてTH-3サーメート焼夷手榴弾を抜く。ピンを、物入れベストにつけたフックに引っかけて抜き、ゆっくりしたアンダースロー。  短い遅延時間。加害半径の狭い、超高温のテルミット炎が一頭を焼き尽くし、もう二頭もかなり焼く。  その間に、瓜生の右手はM460リボルバーを抜き、片手で連射した。『恩恵』を得る前には怪我覚悟だったが、今は余裕で撃てる。  一発は明らかに外れる。二発目、肩。三発、胸中央。四発、首。  五発目は猛炎に焼かれる一頭に向けて撃つ。  瓜生は撃ち尽くしたリボルバーを捨て、背中から.50BMGの最軽量級ライフルをずらし腰だめに構え、引き金を引いた。  大気が押し飛ばされる。マズルブレーキからの爆風が、床の塵と炎を殴る。近すぎる距離、圧倒的な威力。四つ足突進をしようとしたミノタウロスの片目がなくなり、潰れ大穴が開いた腹から内臓が吹き出る。  三頭とも塵になったのを確認しながら、頭が冷える。瓜生は慌ててベルを探しながら、自己嫌悪でいっぱいになって深呼吸した。  かろうじて銃を拾うことはできた。  来た方向に戻り、半ば無意識に迷宮の角から片目と対物ライフルだけを出し、つけてあるレーザーサイトでベルに襲いかかるミノタウロスを照らす。近距離のみなので、スコープもない。その分かなり軽くもなる。  撃とうと思ったとき、向こうからすさまじい速さ、それが人だとわかってためらった。 (邪魔だ!誤射したら)  と。  そして彼女のすさまじい剣技に驚きつつ、ベルの無事にほっとして隠れた。  ベル・クラネルはひたすら、ミノタウロスから逃げた。  おびえていいかげんに振り回した刀は、刃筋が通っていない。腕の一振りで吹っ飛んだ。  背中を見せて逃げた、そこに強烈な横薙ぎ。バックパックに結びつけたライオットシールドは、どこかに消えた。自分も飛んだ。  壁にぶつかり、はって逃げ、逃げ続けた。  甘い甘い夢……出会い、英雄……間違っていた、夢は……  安全な、無敵の仲間に守られた『冒険』。でも、仲間も全知全能ではなかった。  ダンジョンでは、一つ間違えれば死ぬ。どんなに仲間が強くても。  現実。死。  死ぬ。  つぶされる。食べられる。痛い。  逃げ、逃げて……  追い詰められ、確実な死と唇を重ねる、その直前。ミノタウロスの巨体に光の線が走った。  血まみれでギルドまで走り、担当職員のエイナにアイズの情報をせがんだベル。  瓜生は、深い反省を抑えていた。 (やはり、小口径高速弾にはストッピングパワーがないんだ)  と、妙な責任転嫁をしていた。 「エイナさん大好きーっ!」  というベルの焼夷手榴弾事故に、エイナが黒焦げになったことも気づかないほど。  少し早い帰り道。 【ロキ・ファミリア】に、アイズに会いに行こうとして門前払いされたベルに瓜生は、 「礼状を出せばいいじゃないか」  とレターセットを買いに文房具屋に寄った。 (印刷された紙がこんなに安く郵便制度もあるのになぜ産業革命がない)  と、あきれ……ては、装備を反省しながら。  ついでに夕食として、大きく固めの丸パンをくりぬき、シチューを入れた持ち帰り食を買った。  心配するヘスティアの、少し皮肉交じりの言葉。  ベルはとても喜んでいる。そして、ベルはものすごいテンションで礼状を書いている。  何度も何度も書き直して。  瓜生は、 「ラブレターにはするなよ。感謝の気持ちを伝えればいい」  とだけ言っておいた。  ヘスティアはかなり怒っていた。ベルの【ステイタス】を目にして。  わずか半月、バランスのいい鍛錬と瓜生のレアスキルのせいで成長著しいのだが、今日は……  テンションが高かったベルだが、食事を前にして、吐き気を訴えた。 「戦場では食欲を失った者、あきらめたものから死ぬんだがな」  瓜生は冷たい口調で言って、自分は無理に腹に詰めた。彼も、恐怖を感じていた。特にベルが死ぬことの恐怖が。だが、心の傷とのつきあいには慣れていた。  ベルにはゼリードリンクを出し、砂糖を大量に入れたホットミルクを作ってやった。  ヘスティアもすまなそうにふたになったパンをシチューにつけて食べ、柔らかくなった容器パンも食べた。 「無理を言うぞ。心に傷がある。だから、今日どんなことがあったか、できるだけ詳しく思い出して、神ヘスティアに言うんだ。やってみろ」  と強く言う。  ベルは激しく震えながら、とつとつと言い始める。 「そ、その、とつ、とつぜん、ミノタウロスが……刀が、どこかに飛んで……吹っ飛んで、這って……その、壁が、壁が、壁……ああああっ!」 「大丈夫だ。ここは安全だ。……続けろ」  瓜生はいつしか立ってベルの背後に回り、両肩を押さえつけていた。 「壁、壁で、息が臭くって、大きくって、それが、いきなり、線が……どんどん、いくつにも、なって……血が……」 「それが、ロキんとこのヴァレン某だね」  ヘスティアが恐怖に震えながら、ぷんすかする。 「それで、手を差し出して、くれてたんですが……とにかく走っちゃいました」 「おれも何年か前に、けがをしたとき……なんの意味もなく走り回ったもんだ」  と、瓜生は手の縫ったあとを見せる。 「うわ」  ヘスティアとベルがびっくりする。 「おれの故郷にも、ポーションがあればな……走ったらかえって出血が増えて危険なだけだ。何考えてたんだろな、あのときのおれは。  いいかベル。傷を負ったらとにかく圧迫し、薬を飲むんだ」  瓜生はずれたことを言う。 「そういう話じゃないよ!」  と、ヘスティアが叱ることもある。  瓜生は寝る前、ヘスティアに、 「恐ろしい話を聞かせて悪かった。ベルの恐怖を除くには、できるだけ早く体験を直視し、言葉にすることが必要だったからだ」  と謝って、高級品のブランデーも渡した。 「いいよ、子と苦楽を共にするのが神ってものさ!」  そうヘスティアは強がっていた。  彼女が恐怖のあまり……ベルの話と、せっかくできた眷属……すでに愛する人となっていた彼を失う恐怖でソファーベッドにもぐったことは、テントで寝る瓜生は知らない。 >強くなりたい  その翌日は、休みの日。  ベルは……朝、殺人兵器に殺されかけたこともあって……書き上げた礼状を出しに行く、と夜も明けないうちにホームを飛び出した。朝食も食べずに。  休みではあったが、 (街中も物騒だから……)  といわれて、軽装鎧とナイフは身につけている。  手紙を投函し、そのまま珍しい早朝の街を見て歩く。朝の空気、つい昔を思い出してしまう。早朝から起きて水をくみ、土を耕し、雑草の芽を抜き、害虫を退治し……そんな暮らしの日々。  なんとなく懐かしくもなる。  つい昨日、死にかけた。  夢が崩壊し、そのかわりに……アイズの面影が心に刻みつけられた。圧倒的な、美しさと強さ。追いつきたい。隣に立ちたい。  結構長い時間になり、空腹を感じたとき。  ヒューマンの少女に魔石を落としませんでしたか、と言われた。そしてベルの腹が鳴り、シル・フローヴァという彼女の朝食を渡された。そして、彼女が働いている店で夕食を食べるよう言われた。  ずるいな、とは思ったが、なぜか責める気にはならなかった。 「……食べに行くんだから、そのお金は稼がないと!」  と、ホームに帰った。ベル自身の稼ぎは、このあいだヘスティアへのプレゼントにほとんど使ってしまった。 「今日は休みの日ですが、これこれこういうわけで稼ぎたいので、ダンジョンに行きます!」  できたらソロで、とも言いたいほどだ。 「やられたな。とんでもない金額を請求されるかもしれないぞ」 「え」  見事に青ざめる。 「まあそのときはそれで経験だな」  と、瓜生も支度をする。 「休みの日はちゃんと休んだ方がいいんですよ!昨日あんなことがあったばかりなのに……ゆっくり休むべきですよ。明日は、ちゃんと休んでくださいね!」  と、エイナはうるさく言った。 「ウリーさんも、とんでもないことはしないでくださいよ……」 「感謝はしているんだ、いつも」 「なら行動で示してください!」  五階層。 「おれは手を出さない、どれぐらいが限界か、稼ぐんだな」  瓜生はそう言って、小型装甲車にこもってしまった。  次から次へ出てくるゴブリン。ベルはひたすら歩き続け、斬り続けた。  斬っても斬っても出てくる。  魔石を拾う間もなく、歩き続け、斬り続ける。  はっきりわかる……止まったら死ぬ。それほど数が多い。  きゅりきゅり、とFN-MAGをつけたRWSが動き続ける。発砲は一切しないが、いつでもベルを助けられるようにしている。装甲車を殴り続けるモンスターもあるが、どうしようもない。  一度に、10匹近く。ベルは走って振り返り、斬ってまた走って、突いて跳んで……切れのある動きとスピードの優位で乗り切った。  激しく息をつき、膝が崩れそうになる。  突然、RWSが発砲して壁が傷つき、モンスターの出現が止まる。  瓜生が出てきて、竹熊手で魔石を拾い集め、袋に入れてベルも乗せた。  スポーツドリンクと、刀をぬぐう布を渡した。  そのまま、装甲車は強引に通路を通り、一気に10階まで走った。 「ちょうどいればいいんだが……」  少し広いルーム。しばらく見まわし、出てくるインプをRWSで掃討する。  三メートルほどの巨人が二体、こちらに向かってくる…… 「ちょうどいい」  瓜生は言うと、両手剣と散弾銃を手に軽装甲車から降りた。 「分断する。もう一匹を倒せ」 「え?」 「オークは動きが鈍い。少なくとも戦い続けることはできる」 「は、はい!」  瓜生の意図はわかった。 (昨日、失った自信を回復させよう……)  というのだろう。 「よし!」  決意したベルはぬぐった刀を手に、巨体に立ち向かう。  瓜生も両手剣を構え、中段に構えたまますり足で進み、二頭を分ける。  横から襲おうとしたインプの群れには、散弾銃のバックショットが飛んだ。9ミリ拳銃弾に近い弾を一度に何発も飛ばし、二連発で群れ全体をカバーする。  そして銃を背負い直し、長大で重厚な両手剣を大きく振りかぶり、巨人の拳をよけつつ正面打ちに斬り下ろす。そのまま、全身で突いた。  レベル2の力、皮と肉を深く貫くが、生命力が強く一撃では倒れない。  瓜生は無理に抜かずに離れ、グロックを抜いて3発、4発と連射する。  倒れたのを確認し、ベルを振り返った。  ベルは、ミノタウロスに劣らぬ巨大な拳を、必死でかわして斬りつけていた。かたわらの銃声も聞こえないほど必死に。 (間合いに入ったものは、敵の手でも足でもなんでも斬り、歩き続ける!) 【タケミカヅチ・ファミリア】の冒険者たちからも話を聞き、練習した。  一人が標的になり、複数に打たれ続け……動き続け、反撃し続ける稽古も何度かした。 (アイズ・ヴァレンシュタインさんは、ミノタウロスでも一瞬でこまぎれにしたんだ!)  憧れの姿を思い出す。背が熱く燃える。  スピード、緩急、スピード。  ゆっくりと動いて相手の動きを誘い、一気に加速して、切り裂く。分厚く丈夫な皮、だが鋭く重い刀はしっかりと切り裂いている。  一発でもやられたらアウト、その緊張感の中、ますますスピードは増していく。  巨人の膝に、肘に、次々に傷が増えていく。出血が増える。一撃、腱を斬ったか、ひときわ大きい叫びとともに動きが大きく鈍る。 (いける?)  諸手突きで一気に……そう考えたが、危険センサーと歩き続ける訓練が、別の動きをさせた。  歩き、体をめぐらした……そこに、ベルの頭ぐらいある拳の小指側が地面をたたく。 (危なかった)  一瞬で高揚の汗が冷や汗になる。  それでも歩きは止めない。  ほぼ後ろに近い、絶好の角度……  大木を斧で切るように腰をきめて、袈裟切りが走る。  太い腕がすぱりと切断される。 (ここだ!)  と、首を狙った突き……だが、残っていたもう一方の腕がせまる。 (あ)  スローモーションになったそのとき、背中から突き飛ばされた。  オークのすぐ横でたたらをふんだ、そのとき耳を銃声が叩いた。  すぐ横で、大きい頭がざくろのように割れている。二発目で胸に穴が開き、巨体が塵に変る。 (背中から、両手での体当たり……)  やられてみて、やっとわかる。  ふりかえると瓜生が、散弾銃を構えていた。 「まあ、次は同じミスをするな。そろそろ帰るぞ」  瓜生にポーションを飲まされたベルは、高揚が一気に残念に変わってしまった。 「もう一度やれます」 「じゃあ思い切りジャンプしてみろ」  言われて跳ぼうとして、膝が崩れて尻もちをついた。 「帰るぞ。自分の体力がわからなかったら死ぬぞ……疲れる前に自分で判断して、帰ることを選べるようになれ」  と、瓜生はドアを開けた。  ベルの報告に、もちろんエイナは頭を抱えた。 「危険はないはずだ、ちゃんと警戒していた」  と瓜生は言っているが、いくらなんでも半月しか経っていない子に、 (オークはない……)  だろう。  瓜生の慎重さを理解していれば、ベルのステイタスの伸びと、武器の性能なら可能だったことはわかるかもしれないが。  ステイタスを更新したとき、なぜかヘスティアがひどく機嫌を悪くした。そしてジャガ丸くんバイトの仲間と飲みに行く、と飛び出してしまった。   『豊穣の女主人』は、かなり有名な店である。  料理がうまい。高いが。酒も、よい。  ウェイトレスはすこぶる美人ぞろい。  だが、簡単には手が出ない。ウェイトレスたちも、そして恰幅のいい女主人も、 (とてつもない強さ……)  なのだ。  店員に訳ありが多いことも、知る人は知っている。最大手二強の一角をなす【ロキ・ファミリア】の行きつけであることも。さらに、ごくわずかな人は、【フレイヤ・ファミリア】との縁の深さも……  まず、メニューを見て高価さに驚きおびえていた。  無限の金を持つ瓜生がいるが、ベルもヘスティアもいい気になって浪費することはしていない。どちらも、そういう卑しさはないのだ。  大食い、というあらぬ評判をたてられていたベルはそのことに慌てた。  だが、すぐにそれどころではなくなった。 【ロキ・ファミリア】の幹部たちが、遠征の打ち上げに来たのである。  糸目の主神。  圧倒的な迫力と美貌の冒険者たち……美の女神たちもうらやみそうな、天外に美しいエルフ女。巨大な存在感を示すアマゾネスの姉妹。すさまじい筋骨のドワーフ。  美少年にしか見えない小さな男も、知っている者は知っているだろう。  そして……『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタイン。人間離れした美貌と、凍りついたような無表情。実力者ならば、その美貌と若さ、均整は取れているが細めの体からは想像しにくい強さにも気づくかもしれない。  成功とはとても言えない遠征。激戦の疲労。桁外れのストレスは、酒と料理に吐き出された。  その圧倒的な迫力と存在感。……強者。  店にいた冒険者たちは、格の違いにおびえすらしながら、ちびちびと酒をすすっていた。  そんな中、狼人の男……名のある幹部の一人が、アイズに絡むように話し始めた。  ミノタウロスに追い詰められ、アイズに助けられて、血まみれになった駆け出し冒険者の笑い話を……  副団長のリヴェリアに制止されながら、弱者をさげすむ言葉は暴走した。弱者をさげすむ者は……今の彼は、どう見ても強者なのに……  ベート・ローガの言葉に、ベルが真っ青になり震えるのを瓜生は見ていた。  動かなかった。全力で、【ロキ・ファミリア】一人一人の反応を見ていた。特にアイズ・ヴァレンシュタインの反応を。 「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」  とどめをさされたベルが飛び出し、瓜生は一瞬立とうとした。  だが、二つのものを腰から用意した。一つは高額ヴァリス硬貨。もう一つはリボルバー。  ベートが簀巻きにされ、アイズが飛び出すのを見て瓜生は立った。  シルが、瓜生に詰め寄ってきた。目が怒っている。怒鳴りつけてこようとするのを、機先を制するように机に、強く1万ヴァリス金貨を置いた。 「すまないが用がある。これで足りるか?」  後ろから出てきたミアを見て、 「おれが出したことは、彼には言わないでください」  そういって、急ぎ足で店を出、まっすぐにダンジョンに向かって走り始めた。  ややゆっくり、余裕のあるペースで。それでもレベル2の『恩恵】、瓜生の故郷の常人から見れば全力疾走以上だ。  いつしかかたわらに、並んで走っていた人がいる。 『剣姫』アイズと、仕込みと思われる杖を持った少年。 「迷惑そうだね」  道のりの半分ごろ、小人が瓜生に話しかけた。  びくっとする。  実際邪魔なのだ、自転車を出せばもっと早く着けるのだから。 「なぜ仲間のために抗議しなかったか……あの若い仲間を、かばいすぎず成長させるため。ファミリアの名誉より、【ロキ・ファミリア】を知ろうとした。『豊穣の女主人』も知ろうとした。  ホームに戻らず、装備なしでダンジョンに入って、生きて帰れると確信している。うぬぼれではなく」 「覗こうと、して、覗かれて、いたんですね」  深淵を。圧倒される。ダンジョンで倒したどのモンスターより。以前の経験で会った、強力な王や英雄、巨大な怪物と同様。 「遠くで、かなりの経験は積んでいる。でも肉体的な戦力は、レベル2なりたて程度。  例の音、上層でも使うということは使用制限のない魔剣……そう推測している。いろいろと聞いた。大体の背格好も。  ああ、ベートにわざとあれを言わせた……それは違う。フィアナの名にかけて」 「それほど、人を、見る目は、ないんですよ」 「さて、君はどうしたいか。追いついて、彼が死ぬぎりぎりまで、助ける準備をして見守る」 「はい」  瓜生はそういうしかなかった。  はっきりと、 (あらゆる、格が違う……)  圧倒された。 「そんな、あんな小さくて」  アイズの抗議を、フィンが止めた。 「あの白い髪の少年も、男だ。冒険者だ。男になろうとしているんだ」  三人とも立ち止まった。  フィンはゆっくりと、言葉をつづけた。 「別の【ファミリア】に、能力・戦法を知られたくない」  親指をなめる。  瓜生は小人の目を見、アイズの金の目を見て、一瞬考えた。 (別行動を頼む……別行動をとるふりをしておれを監視することは可能だ。バギーを出し、給油し初期整備をする時間……彼らのほうが早いかもしれない)  人が出す恐ろしい速度を、『恩恵】のすさまじさを、何度か中層で見た。 (ベルを信じて……見捨てて帰るか、おれの能力を教えるかの二択。彼らに来ないよう頼んでおれが行くのと、彼らが行くのと、どちらが……  ベルが死なない確率が高いか)  決意した瓜生は、頭を下げた。90度、腰から折った。 「能力はあとで見せます。どうか、仲間を……ベルを助けてください。ナイフしかない、単独行(ソロ)は初めて……」 「承知した。【ロキ・ファミリア】団長フィン・ディムナだ」 「……アイズ・ヴァレンシュタイン」  フィンの目を、腰を起こした瓜生は必死で見返す。へたりこみそうになる迫力に、全力で抵抗する。 「ウリュー・セージ」  うなずいた二人は、瞬時に風となった。オートバイでも追いつけないかもしれない、圧倒的な速度。  ダンジョン四階層。  ベルを探して進む瓜生は、できるだけ無音の両手剣を用いている。念のために銃……H&K-UMPサブマシンガン(45ACP)にサイレンサーをつけ、敵が多い時には使う。サイレンサーは本質的に音速以上では使えないもので、低速の45ACPと相性がいい。  ベルに気づかれないため、消音銃を用いているのだ。  瓜生が、突然はっとし、体が動かなくなる。いつのまにか、横にフィンとアイズがいた。小人が、唇に指をあてる。  そして別の方向を杖で指す。その先で、真っ赤に染まったベルが戦っていた。 「彼は戻りはじめた。あとは任せるよ」  小声。 「ありがとうございます。約束は守ります」 「怪物祭のあとならいつでも、『黄昏の館』に」  フィンがほほ笑む。瓜生の体の、自由が戻る。 「……ちゃんと、……」  アイズの表情は、うまく見えなかった。  瓜生は必死で、ボウイナイフをふるうベルに気づかれないよう、そして自分がやられないようベルを尾行しはじめた。  少年……いな、冒険者はぼろぼろになりながら、よく戦っている。  普段から着るように言われている、防刃シャツのおかげもあり、深い傷は少ない。だが防具がない状態での長い戦いは、疲労とミスを蓄積させていた。  左足は踏むたびに、頬が痛みでゆがむ。  何匹ものコボルドに囲まれつつ、鋭い踏みこみで一匹の懐に飛び、左手のナイフで腹を切り裂く。すぐに次の一匹に右をコンパクトに突いて牽制、深く腰を落として膝に刃を滑らせ、崩れた腹を左で突き上げる。 (動きが速い。小さく痩せていて、身軽だからな)  攻撃をかわし、右手で袈裟。軌道も無駄がなく、刃筋が通っている。しっかり腰で、体の軸で斬る。突きは肘を脇腹に固定し足で刺す。  瓜生は自分を襲う敵を両手剣で倒しながら、じっと見ていた。  止まらず、歩き続け、斬り続ける。動きに緩急をつける。自分にとって有利、相手にとって不利な場所に移動して斬る。腰を落とし、転ばないようしっかりと歩く。  わずか半月、教えられ練習を繰り返したことが、ぼろぼろの体にしみこんでいく。鍛えられた足腰と疲労の経験は、絶望的な敵の数にも尽きていない。  ふらふら、傷だらけのベルがダンジョンの出口にたどり着いたとき。  一度倒れ、意識が遠くなりそう……そこで視線に気づいた。  歩いてきて、見下ろす目。  激しい怒りと屈辱に、体が燃える。見守られていた。守られていた……  瓜生は、助け起こさない。  それがなぜかうれしい。 (せめて、一人で、立ち上がらなきゃ)  かろうじて立ち上がり、ファミリア仲間をにらむ。 「彼女はクズじゃない」  瓜生の言葉に、ベルは衝撃を受けた。震えながら。 「アイズ・ヴァレンタインはクズじゃない」  瓜生は繰り返した。 「彼女はベルを笑っていなかった。周りに同調してもいなかった。  あの若さで、あの美貌と名声と地位、傲慢なクズになる方が当たり前なのに。  それ以上何が必要だ?」  瓜生に、ベルは混乱しきった頭をなんとかまとめようとした。 「クズを相手にするのか?それとも彼女を相手にするのか?」 (これが、ベルにとって分かれ道だな)  瓜生はそう思っていた。 「謝らないと……名誉、ファミリアのためなら、オレはあの男にケンカを売るべきだったかもしれない。  でも、彼女がクズかどうか見極めることを優先した」 (それに、言っていないこともある。アイズと、フィンに会ったこと)  その言葉に、ベルの目から涙があふれた。どんなにこらえても。 「強く、強くなりたい……強く、強く……」 「まあ先に、ヘスティア様に謝る。次に、あの店に払いに行く。食い逃げだからな」  瓜生はベルの頭をなでようとして、その手を止めて歩き出した。  なでられなかったことが、助け起こされなかったことが、泣き顔を見ないでいてくれることが、ベルは無性にうれしかった。  瓜生に渡された、ハイポーションを飲む。それで傷の多くは癒えはじめ、足もしゃんとなった。  翌朝早く。【ロキ・ファミリア】のホーム、黄昏の塔で。大遠征の反省もそこそこに、幹部たちだけを集めた。 「ゆうべ。よその【ファミリア】に、うちが測られた。  彼の結論はこうだろう……クズはいるが、全員がクズじゃない」  リヴェリア副団長の厳しい言葉に、自分のことだとわかったベートは反発した。 「あいつか?なら仲間のために、オレに殴りかかるのが男だ。弱虫の雑魚じゃねえか」  ベートの叫びに賛同する者もいた。 「彼は、われわれの、ロキ様の人となりを知ることを優先した。そして、仲間が簡単には死なないと信じた。その通り、白い髪の少年、ベルは一人で6階まで行き、出口まで歩いたよ」 「……りっぱ、だった」  後を追ったフィンとアイズの言葉に、しんとなる。 「大手ファミリアと、できたて零細ファミリアだ。勝ち目がなければ争わないと判断できる、我慢すべきと思えば、我慢できる……ということだ」  リヴェリアの言葉に、反応は分かれた。勝ち目がなくても戦うべきだというものと、冷静に判断することをよしとするものと。 「それだけじゃない。勝てるつもりでいる。正気で」  フィンの言葉に、ベートが感情的になる。 「どう見ても雑魚だったろうが、白ウサギも黒ブタも!」 「彼は魔剣のような武器を持っている。小さな炎を吐き、離れたモンスターを殺した。音は小さかったが、彼が『妙な音』だろう。上層で使っている……回数制限がないか、資金が無限か、魔剣鍛冶を押さえているか、自分が魔剣鍛冶か。だが、あの武器は魔剣とも異質だった」  瓜生の戦いぶりも見ていたフィンが言う。リヴェリアがじっと考えた。 「オレは《魔防》と、こいつがある。魔剣なんてこわかねえ」  ベートがブーツを叩き言い募るが、フィンが口を開いた。 「君がレベル6になり、僕と総合的には互角だとしよう。それで試合をするとして、1Mから始めるのと10Mから始めるので、結果は同じだろうか?」  長槍使いのフィンと、蹴り主体のベート。言うまでもない。  フィンの言葉を聞けば、瓜生は戦慄するだろう。距離によって生じる有利を、 (読まれている……)  のだ。有利がなくなった、狙撃は対策されるということだ。 「弓使いや魔法使いは、弱者か?  それに見た目や、感じた強さがすべてだとは限らないよ。パープルモスやヘルハウンドに、知らずに当たったらどうなる?62階層が泥沼で、ヘルハウンドやガン・リベリアの上位種がいたら?」  フィンの言葉に、皆言葉を失った。  まもなく一般団員が集まる食堂で、大遠征の反省の後。副団長が『妙な音』のこと、【ヘスティア・ファミリア】の脅威は伏せてその話をし、 「外でどんな言葉遣いをしろとか、【ロキ・ファミリア】の自覚を持てとかはいわない。  一つだけ。  油断するな。  第一階層のゴブリンでも、油断するな。うぬぼれるな。うぬぼれ油断した者は、罰したりする必要はない……死ぬだけだ」  そうまとめた。  伏せたのは、短絡的にバカなことをする愚か者が出ないようにだ。  ホームに帰ったベルと瓜生は、徹夜で待っていたヘスティアを見た。 (何とか連絡する方法はなかったか……通信を作っておくべきだった)  瓜生はそちらを反省した。  逆に、ヘスティアは二人とも生きていることは知っていた。『恩恵』の絆があるから。 「見ていてくれたんだね?ならなぜこんなけがを」  ヘスティアは瓜生を責めた。 「ずっと、死なないように冒険させてくれたんです」  ベルが瓜生をかばう。 「……僕、強くなりたいです」  その言葉に、ヘスティアは何も言えなかった。  瓜生は黙ってホットミルクを作り、蜂蜜を入れた。  すぐに、ゆっくりと眠れるように。 *フィンは独自に『妙な音』を調べ、興味を持っていた…そしてベルと瓜生の二人に、親指がうずいた、と。 今思えば、原作のあそこでフィンが、〔化物/ベル〕に反応しなかったのが少し不思議ですが。 >強くなるために  翌日、瓜生も昼近くまで寝た。午後二時ごろまで熟睡したベルやヘスティアよりは早く起き、多めにコーヒーを淹れた。  バターたっぷりのスクランブルエッグを大量に。牛乳で煮たオートミール。  ベルのすさまじいステイタス上昇に、ヘスティアは深い衝撃を受けていた。  食事が終わり、ベルが瓜生をじっと見た。まだ、疲労と痛みの後遺症は明らかに残っている。憔悴、としか言えない状態だ。 「……お願いします。単独(ソロ)でダンジョンに行かせてください」 (もう、守られたくない。この人がいれば、死ぬことはない……でも、それじゃダメなんだ。強くなりたい、あの人の……アイズ・ヴァレンシュタインさんの隣に立てるように!)  瓜生は賛成できない、という表情だ。 「むしろ、おれが連れて行って、昨日みたいに深いところの強敵と一対一で戦うほうが、経験値は稼げるかもしれない。おれがいるだけでも経験値はたまるんだぞ」 「強く……なりたいんです……」  一人で。自分の足で。頼らずに。  言わなかった言葉に、瓜生は深くため息をつく。 「エイナさんの指示を聞くこと……人のことは言えないが。でも、おれは死なないことを優先しているつもりだ。自分の実力を直視して、できないことはするな。死なずに帰れる範囲での無茶だ。  できるだけ早く仲間を見つけること。【タケミカヅチ・ファミリア】に頼んでもいい。  タケミカヅチさまの稽古や素振りも続けろ。刀を使いこなしていれば……」 「……はい」  ベルはそれも反省している。きちんと刀を使っていれば、殺せないとしても時間を稼いで、あれほどみじめな姿をあの美少女に見せることはなかったかもしれない。  せめて、立って武器を構えていたかった。恐怖に負けた弱さ、経験不足もいいわけにならない。 「……死ぬな。そう言っても、14歳の男の子には響かない。おれは嫌というほど知ってる。おれも14歳の男の子という、狂った愚かな獣だったことはある。脳の生理から、どうしようもない……三歳の女の子や、男性に子が産めないように、14歳の男の子に理性を期待しても無駄だ。  ……少し待ってくれ」  そう言って瓜生は、プラスチックでできた硬めの、小さいウェストポウチを用意した。  厚手の金属製ペンケースに緩衝材を入れて五本のポーション……ハイポーション三本と、普通が二本……を入れ、さらに緩衝材で包んだ。  加えて、スミス&ウェッソン44マグナム短銃身リボルバー、6発とも徹甲弾を装填する。  両方ウェストポウチに入れ、差し出した。ずしりと重くなる。 「これは存在しないものとして冒険すること。普段から使おうと思うな、五階層のミノタウロスぐらいの、とんでもない非常時だけだ。開ける羽目になったら、帰ることだけを考えろ」  自分のリボルバーの弾を抜き、壁に向けて空打ちをして見せる。 「この三つのルールを覚えてくれ。絶対に銃口を、自分を含め人に向けるな。撃つ時以外引き金に触れるな。常に、何もしていなくても突然弾が出るとして銃口を安全方向に」  銃を安全に扱う、三つのルール。 「ルールを復唱してくれ」 「自分を含め、人に向けない。撃つ時以外、引き金にさわらない。突然弾が出る」 「もう一度」 「自分を含め、人に向けない。撃つ時以外、引き金にさわらない。突然弾が出る!」 「絶対に忘れるな。弾が出なくて銃口をのぞいたら、いきなり出て頭を打ち抜かれて死ぬ事故もあるんだ」  弾を抜いて、トリガーを引いて空打ちするのを練習させる。 「これが、あの……」 「6発だけ。外れたら意味がない……触れるほど近い距離だけだ。……今日だけ、1階の途中まで同行させてくれ。練習してもらう」 (反動はすごいが、『恩恵』で力があるベルならどうにかなるだろう)  と思ってのこと。 「どうか、どうか生きて帰ってきておくれ。君の意思を、尊重するから……」  ヘスティアに、ベルはうなずいた。 「約束だよ、約束だよ!」  必死の少女神に、ベルは背を向けた。  瓜生はその横を歩いている。街中の、最低限の銃器で。芽生えた小口径高速弾への不信感、どの銃にするか、考えながら。  エイナは、もう昼過ぎ……そしてベルの目、治りきっていない傷を見ただけで、 「お願い死なないで。女はヴァレンシュタイン氏だけじゃないのよ、オラリオの半分は女なんだから」  と、半泣きで迫った。  何を想像したものか、瓜生にはよくわかった。 「エイナさん……死ぬつもりはないです。でも、僕は強くなりたい、強くなりたいんです」 「ベルくん……」 「今日から、彼はソロに転向したいそうだ。今日は途中までおれもついていく。ソロの心構えを教えてやってほしい。  おれは、このあいだのミノタウロスみたいなことがなければ、ベルは四層までは行けると思う。だが、ソロそのものは何倍も体力を使うだろうし、自分の精神がどんな状態か客観的に見るのが難しい。むしろすぐ撤退できる浅い階層で、長時間経験を積むのがいいと思う」 「そう、ですね。今日は絶対に、三階層まで。それだけ、おねがい」 「は、はい」  ハーフエルフ美女の全身の迫力、涙ぐんだメガネ上目遣いという凶器に、ベルは圧倒されていた。 「昨日とは違う。後ろに誰もいないの。ダンジョンは、狙って人をはさみうちにする。心を削る。おねがい、甘く見ないで。死にかけたようなことが、これからもある。次は、もう誰も助けてくれないの。アイズさんも、ウリーさんも」 (いっそ冒険者なんてやめて!)  とすら言いたかったほど。  一階の、人目がないホール。そこで瓜生は、ウェストポウチの中身と同じ短銃身リボルバーに短銃身用徹甲弾を装填し、持たせた。  跳弾がないよう、壁に角度をつけて。跳弾が自分たちや他人を傷つけないよう、人目がないよう、よく見て。 「両手でこう握って、引き金を引く」  と、自分も同じものを握り、まずやってみる。  轟音と、猛烈な炎。  ベルも、おっかなびっくり発砲する。反動はすごかったが、なんとか制御できている。『恩恵』のおかげであり、半月間鍛えぬいたおかげでもある。 「うわ」 「もう5発」  ベルが撃ち、瓜生が自分のものを再装填して交換し、再装填をする。  再装填は教えない。彼を銃使いにするつもりはない。自分が消えたあとのことも考える。 「右手で、6発」  それから、左手。両手……18発ずつ、繰り返した。 「こんな感じだ。もう一度、ルールを復唱」 「ええと……人に向けない。引き金にさわらない。弾が出る」 「向けてはならない人には、自分も含める。撃つ時は引き金を引く。いきなり弾が出るかもしれないから、どんな時も銃口は安全な地面を向いているように」  瓜生は、じっとベルの目を見る。 「ヘスティア様。エイナさん。お前を心配している人はいるんだ、絶対に生きて帰ってこい。死んだらアイズ・ヴァレンシュタインに追いつくことはできないんだ」  そして少し前に〈出し〉ていた、短いが厚く、峰がツルハシになった斧を渡した。刃カバーにベルトループがついており、右腰に下げて素早く抜くことができる。 「これは普通に使っていい。下の階層には硬い敵が出るらしいからな。また上にあがってくるかもしれない」  と。  プロテインバーも。新しい、より防弾性能が高いライオットシールドも。  さらに普通ポーション4本、ハイポーション2本を渡した。  練習用の拳銃を消し、はっきりと、ベルが向かった逆の方に歩み去った。 「本当におれはついていかない。嘘じゃない」  誰も助けてはくれない。 「はい!」 (これが、僕の冒険の始まりだ)  ソロ。ベルは決然と刀を抜き、次のホールに向かう。  瓜生はエイナに、 「エイナさんも悲しむ、とは言っておきました」  そう告げた。 「ええ、そうです、そうなんです……」  彼女は涙ぐんでいた。 「なら、彼の仲間を探すのに協力してください。成長が早く、成長に貪欲で、誠実で信じられる人を」 「あなたもレベル2なんですから」 「おれといたら、成長できないと彼は思ったようですよ」 「詮索はマナー違反……」 「現実に、おれは十分な準備時間があれば、16階層のモンスターが何万いても無傷で全滅させることが可能なんです」  重機関銃、ベルトリンクされた弾薬と予備銃身が十分にあれば。鉄条網とぬかるみ、地雷原があれば。 (それどころか、十キロ単位のクレーターを水爆で作ることも。自分も死ぬことを受け入れれば、超新星爆発でこの星そのものを消滅させ、隣近所の星系の生命も滅ぼすことも)  瓜生の能力に、量の制限はない。地球から転送するわけではない。たとえばAK-47を一挺〈出す〉とき、どこかの国の倉庫から一挺消えるわけではない。  地球の核には、膨大な鉄がある。そこには金原子も、人類が有史以来採掘したすべて、プール二杯程度よりずっとたくさんある。木星には地球の何倍もの金属核がある。恒星にも当然プラズマ化してとけこんでいる……太陽にも彗星は落ちるのだから。  宇宙の、千億の銀河に千億の星、さらにインフレーションでもっとすさまじい数……そのすべての星々。そのすべてから、ランダムに、距離も光速制限も全部無視して瞬時に鉄や銅の原子が移動する。瓜生が指定した場所の、大気が消えた虚空に。瞬時にレプリケーターのように一つ一つ原子が積みあがり、作られた製品全部の平均ができる……それだけなのだ。  瓜生が金貨を出した時、今いる星の誰かが持つ金貨の金原子が使われる可能性は、アボガドロ数にかかわらず限りなくゼロに近い。  単にある質量以上の物体を、金塊でも拳銃でも牛肉でも出せば、超新星爆発が起きる。当然自分も死ぬし、虐殺が避けられないので、やったことはない。だが、できることはわかっている。  ちなみに千挺のAK-47を出しても、銃床の木目一つの違いもない。そしてシリアルナンバーがある紙幣を出して使うことも、実はできない。それで故郷では、瓜生は財産を得るのに結構苦労したのだ。  そのまま帰った瓜生は、何か準備をしていたヘスティアに向き合った。  かなり大きく深呼吸して、ゆっくりという。 「言っておくべきことがある。ベルが無事に帰ってきたことについて、【ロキ・ファミリア】の団長に恩を受けた。それで、能力を教える約束をした」  ヘスティアはじっと黙っていた。 「二人とも生きて帰ってきたんだから……いいよ」 「すまない。怪物祭りとやらのあと、同行するか紹介状を書いてほしい」 「わかった。謝らなくていいよ、無事に帰ってきたんだから。……ロキは大っ嫌いだけど、信用はできるんだ」  そういって、なにか考えているヘスティア。  瓜生は地下室で、彼女にさまざまな菓子を出してやりつつ読み書きの勉強をしていた。  建築業者が来たので、応対して少し話もした。  何よりも、オラリオを、この世界全体を知ろうとした。鉱物資源から農業、世界地図、水系、国々、人口、オラリオの派閥のパワーバランス、使われている技術……何でも。  時間的には短いが、疲れて帰ってきたベル。  約束は守った。三階層で、二時間ほど。  だが彼は、耳を澄ませて……多すぎるモンスターから逃げている初心者を探し、声を上げて敵を自分に誘導した。5匹以上を、何度も。倒した数は、三階で普通のパーティが一日かかる数より多い。かなりタブーに近い、もちろん危険すぎる行動だ。  ポウチを開けることはなかった。刀があれば、地形を利用してゴブリンが14匹いても全滅させた。  帰ってすぐ、瓜生に言われなくても回数すら数えず……百振ったらもう百、それを繰り返すだけの素振りをした。  ルームランナーで走り続けた。何度も吐いたので、瓜生は洗面器とうがい用の塩水を用意した。  デッドリフトとベンチプレスに、挑んでは潰れた。前よりずっと軽い、40キロぐらいしか上がらなくなっていた。  瓜生も監督し、ある程度つきあったが、必要ないと思って読み書きの勉強を始めた。  必要なかった。見ていなくても、すさまじい意志だけで体を絞りつくした。 「運動するときは塩水を飲め。食事だけはしろ」  と瓜生に言われたがろくに喉を通らず、プロテインとブドウ糖をどっぷり入れたホットミルクとマルチビタミンミネラル剤を与えられ、吐き気に歯を食いしばり無理に飲んだ。  やっと【ステイタス】を更新し、シャワーを浴びて、泥のように眠った。 「睡眠はちゃんととらなければ強くなれない。明日も早く起きるんだろう?」  と瓜生が言わなければ、いつまでやったかわからない。  トータル250オーバーのとんでもない上昇幅に、ヘスティアは何か決意していた。  ベルが寝入っているのを確認して瓜生に、 「同じ家族として、君にも伝えておく。ベル君にも、スキルが発現した。ばれたら、絶対暇な神々のおもちゃにされてしまう。だから、秘密にしてくれるか?」 「おれのスキルもだったな。これは教えることを約束してしまったが」  その翌日、ヘスティアは、 「神の宴に出る、あとしばらく留守にする」  と告げた。  ベルは日が出る前から回数も数えぬ素振りをこなし、ルームランナーでハーフマラソンを走った。疲れ切ったらシャワーを浴びてオートミールを食べ、プロテインとブドウ糖を大量に入れた牛乳を飲んで、刀と盾を背負ってダンジョンに行った。  朝は『豊穣の女主人』に行き、謝って払った。ミアは瓜生が払っていたことは言わず、受け取って励ました。  そしてベルは、心配する人が少なくとももう一人いることを知った。どれだけかはわかっていないにしても。  その日の瓜生は、出かけるというヘスティアを店に連れて行って、既製品だが服を買い整えた。 「新しいファミリアの体面があるのだから」  と。  見た目は幼いが、豊かな部分と神の美貌が、深い青のドレスと変えた髪型で見事に引き立っていた。  ベルは六層まで下りて、ウォーシャドウと戦った。『いざというとき用のポウチ』を開けることはしないが、ぎりぎりまで自分を追いこむ。瓜生は、ポーションは無尽蔵に与えており、それで戦い続けている。  日が暮れてから帰り、食事をすませたらまた素振り・ウェイトトレーニング・ルームランナー。  ヘスティアがいないので【ステイタス】更新ができないベルは、激しい筋肉痛に苦しんだ。が、ポーションでごまかして動き続けた。  エイナ・チュールの心配は、同僚にからかわれるほどだった。 「この換金額を見てよ。ダンジョンに入って一月もしていないソロ新人の金額じゃないわ」 「才能があるんでしょ」 「それともレアスキルとか?同じファミリアの人もそうだってうわさだし」 「魔剣のうわさもあったわね」 「未熟者に魔剣は死亡フラグじゃない……」 >女神の……  その翌日は、瓜生に、「五日に一度は休め」と言われ、午前は熟睡、午後はタケミカヅチの稽古。ウェイトトレーニングやルームランナーは休む、無茶な回数はやらない、フォームを調整するだけ、と。  稽古に来たタケミカヅチも、ベルの急激な成長に気づいた。  怠けずどころか過剰を心配するほど稽古している。数日会わなかったからこそ、ベルの肉体の変化がわかる。  むしろ数日前より細く、やつれて見える。だが大腿部の筋肉や背筋は増え、重心がどしりとしている。上体から無駄な肉がなくなり、腕は細い鉄のような印象もある。しかもストレッチで柔軟でもあるし、実戦も重ねている……見せるための無駄な筋肉ではない。  それを見た武神の教え方に、厳しさが加わった。  多くの実戦でついた癖を、取り除くのではなく、 「垢ぐるみベルだけの、正しい剣に昇華する……」  ため。取り除き矯正する方がよっぽど、教える側にとっても教えられる側にとってもたやすい。  技を増やすのではなく、ただ回数をこなすのでさえなく、生きた剣を繰り返させる。徹底的に体に覚えさせる。  左から右への、三つの技……右片手の抜きつけ水平と逆袈裟、両手で左肩から右腰への袈裟も形は学ばせた。だが、 (当分は、実戦では居合は使うな……)  と厳しく命じている。  瓜生とも話し、食事や近代器具を用いたトレーニングのメニューも検討し、調整した。武神には、体育大教授以上に、『恩恵』を受けた子の肉体についての知識もあった。だからこそ近代器具も理解し、使い方を考えることができた。  医神ミアハとも相談する、と言っていた。  瓜生はそれで、思いついた。修行の科学化……きちんとエビデンスベースで、近代運動器具、近代生理学・薬理学を加えた、有効な修行システムができれば……  それはタケミカヅチ・ミアハの貧乏脱出にもなるかもしれない、と。  夕食は深刻な運動はしなかったので、外食に出た。以前見かけていた料理店で、埋めたツボを加熱し内側に張りつけた平パンと肉がゴロゴロ入ったスープが素晴らしくうまかった。  夜は修行をしたがるベルを、かなり厳しく言い……考えを変えた。 「悪いが、今は読み書きの採点をしてくれるか?」  と、頼んで運動を止め、それで眠くなるのを利用して寝かしつけた。  ヘスティアは帰ってきていない。  瓜生は家事を担当し、教会の工事も見て、関係者と接した。口は出さず、目だけ離さない。とりあえず敷地の地下室がない半分を、3LDK・3階建てに、と。  ベルが帰ってきて運動するのも見た。素振りや木刀でのかかり稽古にも、時間で半分ほどはつきあった。剣を交わすことは、 「おれと稽古したら下手になるぞ」  と、断りつづけた。  ポーションなどを買い、補充した。  集中して読み書きを学んだ。ギルドでの講義を聞いた。  毎朝、腹に負担をかけない軽い粥と、プロテインとブドウ糖を入れた牛乳。  昼に行動できるように、プロテインバーも持たせる。薄めてポーションを混ぜたスポーツドリンクも、ストローでいつでも吸える水筒に入れ背中に入れる。予備の水筒も持たせる。  激しい運動がある日の夕食は、牛乳で軟らかく煮たパン、スープメーカーでとろけるまで粉砕した豆・野菜・根菜のポタージュ、すりみ魚やひき肉の料理。高カロリー高たんぱくだが、ある意味病人のような食生活だ。出血が多い日には、レバー料理が加わる。  寝る前、運動した後にプロテイン入りのホットミルクとマルチビタミンミネラル剤、出血がある日はミネラル剤を多めに飲ませる。  トレーラーハウスの風呂も、配水管を工事中の住宅に接続できるようにした。燃料は缶で、水道水は直接出し、それで体を休めさせた。  ベルは、ダンジョンでの戦いをほとんど話さない。運動し、武器を研ぎなおして、倒れるように眠る……  ヘスティアは、ひたすらヘファイストスに土下座していた。日で数える、とてつもない時間。ただの人間の、零能の肉体で。下手な拷問にまさる苦痛だ。  ちなみにタッパーの中身は、腐ったらもったいないと、ヘファイストスの眷属の夜食になった。  少し前、宴でヘスティアはロキに、 「うちのフィンが話しとったわ。自分とこに妙な子がおる、って。使い放題の魔剣か、まったく別か……チートやっとらんやろな?」  と言われて目が400メートル自由形をした。 「魔剣?それは聞き捨てならないわね」  とヘファイストスが加わった、それで、話したかった忙しい彼女を、やっとつかまえることができた。だが、むしろチート疑惑をどうにかしなければ。 「その、たぶん、違うと思う」 「わかっとらんのか?」 「まあ、ごまかすのも当然よね」 「ところでヘファたんとこにも、あの……」 「だめ。その話はなし。あの子の決意は固いわ。お金じゃ動かないわよ」 「うー、クロッゾの魔剣使い放題なら59どころか69でも……」 「別の話をしましょう。団長が、どうしたって?」  ヘファイストスは、 (魔剣鍛冶貴族の、先祖返りである眷属……)  の話をしようとしたロキの話を打ち切った。  実際にはもしヴェルフが【ロキ・ファミリア】に魔剣を大量生産したら、クロッゾ家を恨むエルフの勢力が強いファミリアの内紛の可能性もある。  ロキも、ヘファイストスがそこまで言わずに話を打ち切ったことはわかった。  結果的に話がそれ、ヘスティアのところの……瓜生の話になって追い詰められそうになったが、結果的にフレイヤの助けが入った。  そして持てる者と持たざる者の醜い争いがあったが…… 「うわさは聞いてるわ。面白い眷属が入って、お金はたくさんある、とか。あの『勇者』フィン・ディムナがいろいろ調べているとか。あそこの、改築の許可まで求めたそうじゃない。  ちゃんとお金を持って来るのが筋じゃないの?今はなくてもすぐ稼げるんじゃない?」 「あ、あの、あの子は……ボクが頼んでいる子じゃない、もう一人の、ウリューくんは。あのお金でベルくんの未来を買ったら、ボクは絶対ダメになっちゃう。  短い間だけど、バイトをした。だから、わかるんだ。あれに、あれに頼っちゃいけない。これは、【ファミリア】のためですらない。ボクのわがままだ。  この頼みは、ボクがしなきゃいけないんだ。ボクの力で、ベル君の力になるって決めたんだ」  ヘファイストスはため息をついた。  ヘスティアと神友(しんゆう)でいた理由……何人も、信用できる人格神(しゃ)がヘスティアの神友である理由。そういう、真実を知りそれに忠実な頑固さがあるからこそ、だ。自分もそうであり、そうでありたいと思っているから。 「それで?もう一人の【眷属/子】には作ってあげなくていいの?不公平はまずいでしょ」 「その、彼は……武器を、必要としていないんだ。故郷から……その、届くから」 「その子の故郷には、この私より腕のいい鍛冶師がいるの?」 「……ボクは、この秘密をあげるべきじゃないかとも思う。とても、とても大事なものだから。でも、それをしていいかどうかわからない」 「眷属の情報を売るなんて、絶対にしちゃいけないことよ」  ヘファイストスはこめかみをもんだ。 「まあ、その子のことは今度でいいわ。ベルという子は、どんな武器を使うの?」 「今のところは刀とナイフ。タケの指導も受けてる」 「そう……」  と、ヘファイストスは人を呼んだ。  やってきた椿・コルブランドに、 「【ヘファイストス・ファミリア】に誰か送って、ベル・クラネルという子にどんな武器が合うか、見させて」 「承知した」  豊かな胸のハーフドワーフ美女は、きびきびと動いた。 「さ、下準備だけでもしておくわ。あなたの神力、神血も使うわよ。……かまどの、火の女神さん」  もう夜も更けつつある、工事中の廃教会。  赤毛の男は「【ヘスティア・ファミリア】に用がある方はこの紐を引いてください」と書かれた看板を見た。背中に大荷物を背負っている。3メートル近い槍や薙刀からいろいろ。 「夜分ごめん!」  といい、紐を引く。 「はい」  パジャマ姿の白兎が、地下室から顔を出した。 「【ヘファイストス・ファミリア】から……お前!俺の作った防具を買ってくれた!」  いきなり強く手を握られて、ベルは面食らった。 「え、え?」 「ベル・クラネルは?」 「僕です」 「おう、お前がベルか。俺の初めての客。おうおう。あ……そうだった。ちょっと用事がある。ダンジョンまで同行してくれ」  と、ヘスティアが書いた手紙を見せた。  一瞬パニックになったベル。 「今、どんな武器を使っている?」  ヴェルフの問いに、刀とナイフを持ってきた。 「見せてもらっていいか?」  マナー通りちゃんと許可を取り、抜いてみたヴェルフは、不思議な感動を覚えた。 (ただの鋼だ。だが切れること、曲がってもいいから折れないことを、鋼だけで追及している)  そこに、トイレを借りていた瓜生が出てくる。 「お客さん?」 「お前は?」 「【ヘスティア・ファミリア】のウリュウ」 「【ヘファイストス・ファミリア】のヴェルフだ。このベルってのがどんな武器を使うか、見に来た」  と、ヘスティアの手紙を見せる。 「わかった。彼は農夫だったそうだから、鍬や斧の技術を活用できるよう考えた。この体格では重い鎧と斧はきつそうだから、刀にした。師はいる。居合はまだ実戦では使えない」  そういって、茶を入れる。 「承知」  静かに茶を一杯飲み、ふと鍛冶師は言った。 「こいつには、どんなのがいいと思う?」  ヴェルフが聞いたのは、彼が作ったライトアーマーを瓜生がベルに買ってやったのを見たことを思い出して、だ。  瓜生は少し考え、口を開いた。 「昔話がある。ある国で戦があり、鍛冶屋がたくさん刀を打った。  戦が終わって、何十人かの戦士が怒鳴り込んできた。刀が曲がったぞ、と。  刀が折れた、って苦情は一つもなかった」  瓜生がじっと、ヴェルフの目を見る。 「ああ。戦場で刀が折れた者は、みな死んだから苦情を言えない。二度、言われた」  二度。故郷で、祖父に初めて鎚を握らせてもらったとき。そしてもう一度は故郷を捨て、【ヘファイストス・ファミリア】に入団したとき。どちらも、全身全霊で誓った。 (刃物は切れることが仕事で、折れたら持ち主が死ぬ。それ以外に何もない。彼が後輩に渡したのは、それをわかっている者が作った刃だ)  瓜生の、そのこころが、はっきり伝わる。  魔剣、一族との確執に苦しむ彼にとっては、眼を開かれる品であり、言葉だった。 「俺が打った自慢の品をつけててくれてうれしいぜ」 「その、これだ、と何となく思ったので。軽くて動きやすい、何度も命を救われました」 「そうかそうか!何よりだな!」  大喜びのヴェルフと、疲労が残るベルは夜道をダンジョンに向かう。  2階層の広いところで、ヴェルフはベルに、担いできた長槍・野太刀・小太刀二刀・板斧二挺・ククリなど、様々な武器を貸しては使わせた。盾と片手剣の組み合わせも試させる。  それから本来の、刀やナイフも。 (敏捷が極端に高い。だが、師は一刀両断を追及させている) (修業期間は極端に短い。でも毎日、正気じゃない数振ってる)  鍛冶師は気がすむまで見てから廃教会にベルを送り、瓜生に挨拶してバベルに戻ろうとした。 「少し待ってくれ。ベルに武器を打つ人に、これを見せてほしい」  といった瓜生は少し引っ込むと、数本のナイフを小さいカバンに入れて渡した。  ずんと重い。  バック・パスファインダー。コールドスチール・トレイルマスター。ランドール・M1オールパーパスファイティング。クーパーの小さめのボウイナイフ。  価格はピンキリだが、どれも実用性に定評のあるナイフ。何十年も極寒からジャングルまで世界中の過酷な環境で使われ、多くの軍人・猟師・探検家の生命を背負い、信頼に応え続けたナイフ。 「わかった」  何を伝えたいか、よくわかった。 「ベル・クラネルは?」  鍛冶神の簡潔な問いに、ヴェルフも簡潔に答えた。 「極端に敏捷。短い期間だがとんでもない練習と実戦、片手も両手も刃筋が正しい」 「わかったわ」 「ウリというベルの仲間が見せろと。ベルの刀とナイフは、これと同じ鍛冶師だ」  そう言ってトレイルマスターを指差したヴェルフは去る。急ぎ足で。背に情熱が燃えているのが、ヘファイストスにははっきりと見えた。 (彼も、ベルという子のために打つつもりね。子と真剣に競争するなんて、いつぶりかしら)  そして、魔剣鍛冶の血を引く眷属が持ってきた数本のナイフを抜き、じっと見た。  はっきりと異質だった。 (『恩恵】の影がない。ひとかけらも) (見たことのない素材も使われている) (これは鋼……じゃない。焼きは入る、でも錆びにくい合金) (人の手で打たれたものじゃない。板から、機械で切り抜いて削っただけ?) (なんて純度。燐や硫黄をここまで減らせる?焼き入れ・焼き戻しの温度管理もとんでもないわ) (これは、刃の部分にだけ炎を当てて焼き入れ、峰は柔らかく刃は硬い……長く切れる、でも折れない) (25万ヴァリスから80万程度。でも、『恩恵】の力に頼らず技も追及する真摯な冒険者ならランクアップしても使えるわね) (どんなに寒いところでも折れない。バランスもいい。柄は手袋が前提ね。大きめの鍔は、血で滑って刃を握ってしまい、手を切らないため) (とことん切れること、折れないこと、手に合うことを追求する……刀が折れたという苦情はない、まさに鍛冶の原点ね) 「これは、責任重大ね」  ヘファイストスは、挑戦に喜びを感じていた。  ヘファイストスは脇差を打った。  刃渡り一尺六寸三分、柄九寸二分。反りはわずか、幅も厚さも中庸な黒刃。小烏つくりの鋒両刃(きっさきもろは)、刺突性能が高いが斬ってもよし。片手でも両手でも使える。  こしらえも飾りを省いた、ロゴだけの黒一色。鍔すら小さめの、黒焼の円形鉄板でしかなく、柄も硬木と黒紐のみ。徹底した実用本位が凄みな実用美をなしている。一点の金粉も螺鈿もなく彫刻も皆無、わびさびすら捨てきったそれは、おごりとされるだろう……神だからこそ許されることだ。  一人の持ち主のための、持ち主とともに成長する武器。邪道だ、もう嫌だと言いながら、ヘファイストスは出来を誇っていた。  ヴェルフも、怪物祭りにも行かず鍛冶場にこもった。 *この作品では、ベルは原作より三割から五割は強いです。 コルスチカタナ・背を守る耐弾シールド・軍用FRPヘルメットはそれぞれ30万ヴァリス前後の価値、兎鎧も1万前後。攻撃・守備ともに「神のナイフ」以前時点の原作……合計一万ちょいの二桁上。 両手で使う刀の威力、正しい基礎歩法と足腰・心肺重視のトレーニングもあります。アビリティも均等に伸び、敏捷も装備重量を打ち消して伸びています。 均等に強いといっていいでしょう。 ダンまち七不思議。あのタッパーの中身は土下座中に腐ったのか。かまどの女神であるヘスティアが、鍛冶の炎に何か影響を与えなかったのかも疑問です。* >怪物祭り  今日も早朝から激しい朝練をこなし、さらにダンジョンに行こうとするベルと、あちこちで情報をあさったり換金したりしている瓜生が歩いていた。  大きな祭りらしく、オラリオ中心部ではものすごい人が集まり、屋台の準備も始まっている。  主神ヘスティアは今日も帰ってこない。 「ヘスティアさま、どうしたんでしょうね……」 「大切な用事、ってことだな。行方不明ならどこに連絡すればいいのやら」  その時、猫人とエルフがベルに声をかけた。 『豊穣の女主人』の同僚であるシル・フローヴァが祭りに出かけたが、財布を忘れた、知り合いであるベルが届けろ、と。 「そういえば、ウリュウさんとリューさんって、まぎらわしいですね」  ベルの言葉に、リューは表情を変えなかった。 「まぎらわしいのニャ!ウーウとやら、変えるのニャ」  猫人の声に瓜生は肩をすくめた。 「好きに呼んでくれ」 「無茶を言ってはだめですよ。失礼しました。その……」 「瓜生、ウリュウです。紛らわしい名前ですまない」  エルフは、あまり関心がないようにベルの方を向いた。 「今日はそちらの用事をするんだな。シルさんとの縁は大切にするんだろう?」 「縁、そうですね。いってきます!」  刀やシールド、重い緊急用ポウチを瓜生に渡し、嬉しそうにベルは走り出した。  大都市自体が初めて、そこでこれほど大きな祭りと言われれば、若いベルは引き寄せられてしまう。  ベルにとって、それは圧倒的だった。  多数の人間。それだけでも衝撃的だ。農村の収穫祭りとは、まったくの別物。  膨大な欲望とエネルギーが渦を巻いている。  そこでやっと会えた主神ヘスティアが、かわいい女の子として甘えまくる。  戸惑いながら、とにかく楽しかった。  瓜生にとって、群衆は脅威でしかない。何かあればパニックになる危険物だ。  また、まずトイレの心配をする。 (臨時トイレは完備しているようだ。【ガネーシャ・ファミリア】とギルドは有能だな)  と見る。  また、 (モンスターを調教する……動物程度の知性はあるのか?どれだけの知性がある場合、どう世論を動かすか……動物の権利の歴史を読んでみるか)  とも考える。  祭りで人々がかわす会話を聞く楽しみはある。情報収集だが、楽しみでもある。  酒場の知り合いもいる。いくつかの酒場や食堂には、期間限定かもしれないと断りを入れて酒、チーズ、ソーセージなどを売っている。金より情報収集のためだ。  特にほしいのは、信用できる情報屋だ。ギルドはある程度新聞のような面を持っているが、それだけでは足りない。  そんなとき、モンスターを管理している【ガネーシャ・ファミリア】の人が、とある美の女神に魅了され……檻から数匹の怪物が放たれた。  それはひたすら、小さな女神を追って人的被害は出ないが……  祭りが危険な雰囲気になった……そう感じた瓜生は屋根に上った。敏捷は最底辺だが、一応レベル2の身体能力はある。 (群衆に流されるよりは安全だし、いざとなれば高所から狙撃する)  と、考えて。  屋根を移動している先客がいた。アマゾネス姉妹とエルフ。 『豊穣の女主人』でも見た顔だ。 「何か用?」  ティオネ・ヒュルテの、圧倒的な実力と大手ファミリアの誇りがある眼に、瓜生は気圧されながら答えた。 「群衆といるより安全かと思って。それに武器がない?と耳にしたんですが。おれも不安なので。……ここの基準では、いいものじゃないと思いますけど」  瓜生はそういって、別の階のベランダで手を隠し、出した。何本も長大な武器を強引に持っている。1800ミリ=1.8メートルあり、全体が木刀以上に太く中まで詰まった鋼棒、断面が八角形の鉄道用バール。市販最大級の斧。どちらも重い。 「ありがとう、借りとく」  姉妹はこだわりなく、かるがるとバールと斧を手にし、道の真ん中に着地する。 「知らないなんてモグリですか?怒蛇(ヨルムンガンド)ティオネ・ヒリュテさんはククリ使いですよ。というより私たちに声をかけるなんて誰ですか!」  レフィーヤがケンカ腰で叫んだ。  瓜生は相手にせず降りる。  そのとき。地面が激しく揺れた。地面を食い破り、身長より太い鞭が、地面から伸びる。  群衆の悲鳴。三人の、一級冒険者がすさまじい力で跳び、巨大な何かを迎撃した。  瓜生は脇からFN-P90を抜き、発砲した。 「全然効かない」  手を地面に近づけ、左手を腰に回す。 「きゃあっ!」  レフィーヤが悲鳴を上げた。 「爆発!」  瓜生が叫び、手榴弾を投げる。  とっさに飛び離れるアマゾネス姉妹、爆風手榴弾の爆発が、硬い皮を破る。加害半径が小さく、爆風が主な打撃となる手榴弾で、攻撃手榴弾とも呼ばれる。高性能爆薬の爆風は、至近距離と閉所ではすさまじい威力になる。  ひるんだ敵を見たアイズの、正確な追撃。 「ヘルメスのところの噂、爆発する油?」 「硬い!これじゃ、拳じゃ痛いだけ」 「ないよりまし程度だけど、あってよかった!」  アマゾネス姉妹の、細腕からは信じられない力。斧が鞭のようにしなって叩きこまれ、厚い刃がなまりつつ傷をつける。そこにバールの、鉛筆のように削られた先端が刺さる。強靭に徹した鋼棒が弓のように曲がる。 「あれ、あの二人のところに向かってる!」  レフィーヤと瓜生のところに激しく向かおうとする、巨大で皮が硬い蛇。 「炎!」  瓜生が叫んでサーメイト手榴弾を投げる、激しい炎が昇るが、速い巨体はそれもかわし……斧が側面に叩きこまれる。 「あ、ああ……」  動けないレフィーヤをかばうように、瓜生が腰を落とした。その足元に、巨大な、複雑な飾りがついた棒などが出現した。  最新のボルトアクション対物ライフル……威力もサイズも重量も破格の、20ミリ機関砲弾。単発の、ピストルモードの40ミリグレネードランチャー。  装填済みの弾倉を出せない彼が動きつつ戦い続けるには、単発でこめてすぐ発砲できる超大口径ボルトアクションやポンプアクション、単発グレネードランチャー、中折れ二連がよい。  機関銃は、発射開始までわずかだが手間がかかる。  無反動砲や対戦車ロケットランチャーは、残念ながら人がたくさんいるし壁がある。後方炎で群衆・建物・自分が傷ついてしまう。移動を考えなければ旧式の対戦車砲もあるが……  巨大な対物ライフルを伏せたまま二脚で支え、弾倉に弾を詰める暇がないので直接装填、即座にボルトを閉鎖し発砲する。  すさまじい音……大気そのものの揺れ、砲口炎。マズルブレーキに吹き分けられた爆風が塵埃を吹き飛ばす。目がない巨大な蛇が、巨大な斧で切ったように切断される。  瓜生とレフィーヤに突撃してくる一体がどうと倒れ……二体出現し、風をまとったアイズを狙った。  アイズが危ない、と見たレフィーヤが慌てて呪文を唱え始めた、そこに突然地面を割った触手。  立ち上がり、彼女を突き飛ばした瓜生の胴体にめりこんだ。かばいきれず、レフィーヤも殴り倒された。 「う」  瓜生がうめいた。  常時発動の魔法、純粋な力でできた不可視の鎧が威力の七割以上を殺す。【ヘファイストス・ファミリア】の高価なコートが衝撃を吸う。セラミックプレートが砕けエネルギーを食い分散させる。  それでも、強烈な打撃。 「ぐううっ」  異様に高い『耐久』ゆえに、死ななかった。これまでの冒険で経験があるから、冷静でいられた。 「あ、ああ……」  殴り倒されたエルフ少女は、ダメージもあり呆然と尻もちをついている。ここはダンジョンではない、防具も何もつけていないのだ。 「レフィーヤ!」  ティオナが叫ぶ。 「きみと、おれを、狙っているな」  瓜生はレフィーヤに声をかける。腰を落とし、左手で抜いたグロック20を右手に持ち替え、触手を撃ち続ける。  ほとんど当たらない。たまに当たっても止まらない……ひるませる程度。自動拳銃弾としては過剰威力、故郷では大型獣に使われる10ミリオートでさえ。  右腕を殴られ、グロックが飛ぶ。内臓を底からこね回す、激しい痛みもまだ残る。  とどめとばかりに、多数出現する触手……を、とんでもなく巨大な鉄が押しつぶした。道路工事用の特大鉄板。厚く重く広いものが10枚以上、重なって落ちる。その隣に、大きな庭石がいくつも出現する。即席の土手だ。  だが、まだ多くの触手が残り襲う……瓜生は強引に左手で右腰のリボルバーを抜いて撃つ。 (くそ、やはりリボルバーじゃ弾数が足りない……焦るな!)  庭石の影に隠れ、手榴弾を放る。そして深呼吸し、左手で取り出したハイポーションを半分右腕にかけて残り半分を飲み、レフィーヤに手をさしのべる。 「なにするんですか!」  レフィーヤが瓜生を殴りつけ、それが不可視の鎧に受け止められる。その感触に彼女はいぶかしんだ。 「鉄板の上ならある程度安全だ。君は魔法使いだろう?なら要塞内からぶっぱなせ」 「そんなことじゃないです!エルフに触るなんて!守られるのはイヤ!」 「く、非戦闘員として扱うべきだな。誰か!この子を助けて」  瓜生がレフィーヤにポーションを一つ押しつけて、ギルド職員に彼女を託そうとした。彼は街中でも装備をしており、ポーションもいくつも持っている。  常時発動の魔法、そしてレフィーヤの魔力を狙う触手が攻撃を続ける。  瓜生はポーションを飲み、土手ごしに手榴弾を放った。水平二連の、標準より強力な10ゲージ散弾を二発こめ、中折れを伸ばして二連射する。  下の地面から強烈な力で殴られる鉄板が、あちこち逆に盛り上がり、そのまま形が残る。  爆風手榴弾が、触手を粉砕する。近すぎるが、土手で無事だ。  レフィーヤを狙う触手に抵抗し続ける。そして離れた、とてつもない蛇に、一発ずつ20ミリ砲弾をこめては射撃を続ける。すさまじい音。 (守られる、守られる……この知らない人と、それにアイズさん……)  アイズが狙われている。 「魔力を追っている?」  と、ティオネが気づく。アイズのレイピアが折れた。 「ここだ!剣!」  瓜生が叫び、風をまとう『剣姫』が、男が何本もさしあげる分厚い剣を二刀につかんで、鞘を捨てながらまた飛び上がる。 (……100万、ぐらい)  整備中の愛剣とも、【ゴブニュ・ファミリア】の代剣とも比較にならない鋼製だが、まさに、 (ないよりも、まし……)  である。  レフィーヤは、打ちのめされていた。巨大すぎる怒りに炙られていた。 (非戦闘員として扱う)  屈辱きわまる一言が、何度も心に響く。猛烈な炎となっておのれを焼く。  この乱暴な、わけのわからない戦い方をする戦士の正しさが、いやというほどわかった。 (戦いを最優先しなかった。勝つことよりも、追いつきたいとか、馬鹿にされたくないとか、足手まといがいやだとか……感情ばかり)  雑魚と言われ、それに納得して、強くなりたいとダンジョンに向かったベル・クラネル……同じだった。そのことは知る由もないが。 「もうすぐ、【ガネーシャ・ファミリア】の人が助けにきます」  ギルド職員の言葉が、もっと深く打ちのめす。 「戦い、戦い……」  立ち上がる。  無数の触手が、別の子供を襲おうとしている。ただの人間の力しかない、主神ロキも。  アイズも。ティオナも。ティオネも。戦い続けているが、本来の武器ではない……『恩恵』のない鋼の弱さ、決定打を与えられない。瓜生の同胞用に設計されたバールは、明らかにひん曲がっている。彼の故郷には、世界記録の十倍のウェイトを余裕で持ち上げる少女が、皮がヤスリより硬い猛獣をぶった切るための刀剣など、売っていないのだ。  瓜生も戦い続けるが、マガジンに装填する暇もなく、連射できない。機関銃を初期状態から射撃開始まで整備する時間が惜しい。後方炎のあるロケットランチャー類は使えない。  40ミリグレネードの多目的榴弾……主力戦車には通用しないが、それなりの成形炸薬弾頭が硬皮を貫く。サーメイト焼夷手榴弾の数千度が灼熱の光を放ち、硬皮も焼き破る。  それでも、巨大な怪物は次々に出てくる。頻繁に地面を破り、魔力源を襲う触手から自分とレフィーヤ、エイナや自分より後ろの子供たちを守ることに、時間を取られている。本体を攻撃する時間がとれない。  牙だらけの花の奥に見える魔石にP90が乱射されるが、花弁すら貫けない。触手も止められない。 「ああああっ!」  レフィーヤは叫んだ。 (弱い、弱い弱い弱い、弱いっ!あたしは、弱い!)  自分の弱さを直視した。 (弱い……でも!できることをする、してみせる!)  憧れの人、大切な主神、見知らぬ子を、守るために。  詠唱を始める。  20ミリ機関砲弾の轟音と爆風にもひるまず。  瓜生は、5.5メートル、50キログラム以上の鉄道用レール数本を〈出し〉てアマゾネス姉妹に声をかけた。二人は、常人は一人では持ち上げることもきついそれを、身長より伸び枯れたセイタカアワダチソウを子供が振り回すように、かるがると振るう。高品質鋼の太いレールはしなって疾り、その重量は威力となる。 (前衛を信じ、役割を果たす。仲間の期待に応える) 【ロキ・ファミリア】の遠征で、何度も見ていた。大盾を構える壁役たち。敵の攻撃を受け止めるガレス・ランドロック。その背後で弓を引き、呪文を唱える仲間。  レベル2のサポーターは、重い荷物を担ぎ危険な道を歩き、魔物の血を浴び内臓にまみれて魔石をえぐり出す。サポーターをさげすむファミリアも多いが、【ロキ・ファミリア】は専業のサポーターを作らず、あくまで若いうちの下積みとし、必要な仕事だから敬意を持って扱うようしつける。  殴りこみ華やかに戦う、アイズやベート、アマゾネス姉妹……巨大呪文を堂々と唱えるリヴェリアばかりを見ていて、今までは目に映っていたのに見ていなかった。  パーティで戦う。自分の役割を、忠実に果たす。  今ここには、ファミリア仲間ではない人がいるけれど……ともに戦っている。 (みんなみたいに、ちゃんと、仕事をしたい。仕事をしなかったら、本当にお荷物になっちゃう。いやだ。非戦闘員扱いされて、それが正しい。いやだ。アイズさんが傷つく。いやだああああっ!)  誇り高く立ち上がり、名乗る。  二重の呪文。二つ名の由来、把握したエルフの呪文なら使える……詠唱時間は長くなるが。尊敬する王族(ハイエルフ)、リヴェリア・リヨス・アールヴの大呪文。  三人の尊敬する美女が、彼女たちから見ればプラスチック定規のように弱い炭素鋼の武器で、魔力にひかれて全力で襲う怪物を、どうにか食い止めている。  10ゲージ散弾が、触手を殴りつける。土手を越えて転がされる手榴弾が、爆風の壁を作る。  ついに詠唱が完成し……すさまじい冷気が食人花を凍らせた。機関砲弾が、剣が、バールが、レールが氷の彫像を砕く。  レフィーヤは力尽きて崩れ……アイズが抱き留めた。  瓜生はもう一本ポーションを飲み、四人の高レベル冒険者に配った。 「あー痛かった……うあう」  と、声を上げ、深呼吸して、痛みの記憶を処理する。巨大な対物ライフルで、警戒は続けている。 「ありがと!」  ティオナの明るい声。 「いや、おれこそおかげで助かった」  瓜生一人だったら、P90・グロック・リボルバー、少ない手榴弾では押し切られていた。それははっきりわかる。 (先に大鉄板を出して対戦車砲か、後方炎による付随被害を無視して無反動砲……いや、後知恵だ。やはり、今の装備じゃダメなんだ) 「やったじゃない!」  と、ティオナはレフィーヤを抱きしめる。 「服……」  買ってもらった服が汚れた、好意を無にしたことを、アイズが嘆く。 「あれは、魔力を求めて動いたようね。レフィーヤ、アイズ、……」  ティオネが瓜生の、名も知らないことに気づく。 「常時発動の魔法、不可視の鎧、ですね?」  レフィーヤの言葉にうなずく。 「隠せないな、そういうことだ」  その手に、箱入りのククリナイフと斧、ベルト二本が出現する。箱を開け、さしだす。 「今更だし、大した品じゃないが」 「ありがとう。とても助かった」  ティオネが鋼のククリとベルトを受け取り、腰につける。 「一点集中の、すごい威力!詠唱も何もなしであんな炎や爆発!」  新しい斧を渡されたティオナが、はしゃいでいる。 「……というより、なに?なんなの、あなた……」  今更のように、ティオネとレフィーヤが瓜生を見た。 「すまない、仲間の安否を確認したいので」  と、瓜生が早足に歩き出す。その歩く道で、膨大な鋼や石がふっと消えていく。  後処理にかなりの時間を取られた。【ロキ・ファミリア】の四人は瓜生のことを、なんとなくごまかした。エイナにはしっかり見られていた……彼女は上司にありのまま口頭で言い、あまりのことに容量オーバーした上司がごまかした。  その後、アイズはダイダロス通りの英雄となった、白い髪の少年を見つけた……が、声はかけられなかった。  わずかに前、別のところで。女神を狙い続けるシルバーバック……彼女を抱え、激しい筋肉痛も無視して、この数日の経験も糧に逃げ続けたベル・クラネル。 (あのポウチがあれば)  そう思ったが、瓜生に返してしまっていた。  逃がしたはずなのに、追ってきた女神。家族。彼女はベルの、数日分の【ステイタス】を更新し……『ベスタ』を抜くと、シルバーバックに対峙した。  レベル1では対抗できない速度。レベル1の腕力に鋼の武器では、斬りつけても傷もつけられない毛皮。  だが、ベルのステイタスは、二十日かそこらの新人としては信じられない数字だった。特に敏捷は、Bに迫っている。  緩急のついた足。短い期間だが、多くの戦闘経験。守るべき少女。  ゆるりからすっと歩む。腰を落とし安定を崩さぬまま、ぬかるみをすべるように鋭い弧を描き、止まらず。無理に急所を狙わず、しかと腰をきめて流れの中で腕に斬りつけ、歩き続ける。  幼いころから見てきた、祖父の背中。体が模倣し、14年耕し伐った、鍬・斧・鎌の使い方……正しい刃筋。それはベルの意識されない体の記憶として、練習と実戦、武神の指導で熟成し、一滴だけ滴り芳醇な香りを放つ。  唯一の主とともに成長する、黒く輝く刃は、正しく使われれば無限に切れ味を増す。よく研いだ鎌で草を切るようにベルの胴ほどもある腕を斬り飛ばした。 (すごい)  一瞬の興奮、だが戦いの経験、耳に残る瓜生の声は、それを封じ込めた。  オークを切り倒そうとした瞬間、救われた屈辱も瞬間に襲い、胸を焼く。 (まだ戦いは終わってない!よく見ろ)  シルバーバックを、見る。怒り、戦い続けている。 (殺す……)  断固とした意志を感じる。受け止める。  半歩、左に歩く。深く腰を落とし、相手のわずかな腕の動きを見て、閃光のように突進した。  もう、万で数える回数体に叩きこんだ、全身での突き。実戦、歩き素振り、ルームランナー、バーベルで鍛えた足腰。  すさまじい熟練度上昇が体に反映され、スピードになる。人体の、鍛えて筋肉が強化され、身体制御が向上するはたらきが、神血のちからで人体生理と限界を超える。  巨大な片腕の、さらに内側。 (振りかざす太刀の下こそ地獄なれ。ただ踏みこめよ先は極楽……)  武神の教えが、脳裏によみがえる。  体ごとぶつけた神刃、貫通に優れた小烏つくりは格上の魔物の毛皮と筋肉をやすやすと貫き、魔石をみごと破壊した。  守り抜いた少女神の無事な姿と、見事な武器……そして、人々の拍手と称賛。  ベルは感動に震えていた。憧れのアイズの視線にも気づかなかったほど。  それからしばらく、瓜生は見当違いの方向を探した。ホームに一度帰った。さらにギルドまで行って、やっと二人の無事を確認した。 「何をやっていたんだい、主神のピンチを」  と言われた。  もし瓜生がそちらに向かっていたとしたら…… *A.オッタルにひねられただけです。接近戦では普通のレベル2ですから。 …目に460SW、当たることがありえません。 ……ブラック・エンジェルズの、撃たれて死なず筋肉で弾をはじき出す芸当ができる、あたりが落としどころでしょうか。そうなるとモンスターも……まあそれは、敵が強ければそれだけ口径と炸薬量を上げればいいと。 上級冒険者なら銃弾など余裕でつまめる、としたら、レベル6がパチンコ球を投げればポイズンウェルミスなんて楽勝だったでしょう。 …ということは、ラディッツはレベル6よりはかなり上なんでしょうね。まあ一撃で大陸を吹っ飛ばすピッコロ大魔王より上のピッコロさんより強いですし。 >怪物祭り翌日  大惨事……と思われたが、奇跡的に民間被害は少なかった。事態を公開し他ファミリアの助けを借りた【ガネーシャ・ファミリア】の英断と、それに応えた【ロキ・ファミリア】のおかげである。ダイダロス通りの英雄となったベル、ロキ・ファミリアの一級冒険者とともに戦い匿名で消えた瓜生、二人の【ヘスティア・ファミリア】も……  一夜明けた今も、あちこちで片付けや家屋の修理が行われている。  市民を大切に思う【ガネーシャ・ファミリア】は炊き出しをし、迷宮遠征で使うテントも張っている。  ヘスティアと『豊穣の女主人』で休んでいたベルは、 「疲れているだろうからダンジョンには行くな。今日の午後は【タケミカヅチ・ファミリア】との合同練習だろう?強くなりたいなら素振りをしてろ。新しい武器を体の一部にしろ」  と瓜生に言われ、脇差の素振りをしている。まず袈裟、諸手突き、抜きつけ、どれも百回ゆっくりやる。次はタケミカヅチに教わった片手短刀の使い方で、右片手、左片手で袈裟と突き。長い柄のどこを握るかで、ナイフにもなり刀にもなる脇差の融通無碍は、おどろくほどであった。  瓜生に言われたこと…… (敵の立場になって考え、自らの動きを反省し、より正しい動きをする……)  も休憩としておこなう。  一段落したらデッドリフトとシットアップ。ベンチプレスは一人では危険なので、単にベンチを消している。プロテインの使い方も瓜生に習っている。  瓜生はヘスティアに紹介状を書かせ、出かけた。  彼女はついていくといったが土下座の後遺症で足腰が立たず、車椅子は断固断った。 「そんなのあいつに見られたらどんなにバカにされるか!」  事情を知ればバカにはしても侮蔑はしないだろう……同じく眷属/子供思いなのだから。だがだからこそ見られたくない。女ごころというものである。  心配なので、一応ミアハに往診を頼んである。 『黄昏の館』と呼ばれる建物が、オラリオにある。迷宮都市最大手の一つ【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)だ。多数の尖塔が連絡通路でつながる、城のような規模。  いくら無名の貧乏神でも、神の紹介状はさすがに門番も相手にする。神血を用いたサインは偽造不可能、もしやったとしたらとんでもない費用がかかる割に罪が重すぎて割に合わない。  それに門番も、瓜生の名は団長から聞かされている。 「ウリュー、全部任せる。もっと子供の役に立ちたいけど……キミの役にも、立ちたいんだけど……」  ヘスティアの言葉を思い出す。 「……重い信頼だな」 「……悪いようにはせえへん。うちがロキや」  みずから迎えに来たロキも、いつものおひゃらけた雰囲気とは違う、神の威と美貌を見せていた。 「で、自分が、あの『妙な音』とやらかい?フィンがいろいろゆーとった?うちの子が助けてもろたそうで、おおきに」 「こちらこそ。約束もありますし……はじめまして、神ロキ」  と、広めの会議室に向かった。  神ロキ、フィン、リヴェリア、ガレス、アイズ、ティオネ、ティオナ、ベートがそろっている。 「やあ、よく来てくれたね」 「けっ」  とベートが垂れるが、瓜生は無視。 「ありがと!」  とティオナが気軽に手を振る。 「これ、ありがとう」  ティオネが腰のククリを返す。 「【ヘスティア・ファミリア】のウリュー・セージ。さっそく……」  と、瓜生は会議机の上に手を差し出した。  数回の呼吸。  光も風も何もなく、それらがあった。  アマゾネス姉妹が使った斧やバール。  両手剣や刀。  食人花をぶちぬいた、巨大な対物ライフル。  ガリルACE53……AKと同じ機構のイスラエル製最新型ライフル、7.62ミリNATO弾。空の箱型弾倉、紙箱に詰まった弾薬。  作業服上下。  箱入りの毛布。  250グラム金地金。  ビニールパックに入ったブロック肉。  コンビニおにぎり。チェーン店のフライドチキン・ピザ・フライドポテト。  お徳用袋入りのポテトチップス、フィンガービスケット、ポップコーン、バタークッキー。  大袋入りのレーズン、干しナツメヤシ、くるみ、アーモンド。  箱入りのホールケーキ。  大袋入りの乾燥パスタ。グラノーラ。  二リットルペットボトルのミネラルウォーター。  ボルドーの超高級赤ワイン、20年以上前のヴィンテージ。シャブリ・グラン・クリュの白ワイン。ブランデーのヘネシー。バーボンのワイルドターキー。サントリーの高級ウィスキー。純米酒。  いくつもの厚手のガラスコップ。  ずしり、と大きな机の、分厚い一枚板がたわむ。  リヴェリアとフィンは冷静だった。 「幻ではない、触れる……レアスキルどころではないな。聞いたこともない」 「『妙な音』は君なのか?」 「はい」  と、弾箱を開けて一つ一つ弾倉に装填する。 「大きい音を出しても平気な、秘密を守れる訓練場に案内していただければ」 「わかった。あとで」 「あらためて……仲間の、あの白い髪のベル・クラネルを助けていただいて、ありがとう」  瓜生がフィンに頭を下げる。 「いや、うちのがひどいこといって……それに、ゆうべはうちのアイズたんたち、うちまで助けてもろて……あーもう、ドチビの眷属/子なのがむかつくわ!」  ロキが神妙に答え、叫んだ。 「こちらもあらためて感謝する」  フィンとリヴェリアが頭を下げた。派閥としての巨大な差などないように。 「よろしければ、こちらをどうぞ」  瓜生はそう、袋入りの菓子を開け、まず自分が少しずつ食べ、酒を開けて少し注ぐ。  毒見をするのがマナー、と思ったのだが、 「大丈夫。われわれはみな、耐異常がある」  フィンの目が鋭くなる。 (上級冒険者に毒を盛るバカはいない、だから毒見も必要ない。そんな常識も知らない……)  と、いうことだ。  アマゾネス姉妹から、喜んで食べ始めた。ロキも酒に飛びつく。 「う、うまい」 「おいしい」 「なんつーワインや!ディオニュソスの一級品や、ソーマんとこと比べてもすんばらしいで!」  自然に飲み食いをはじめる。 「聞いておきたいんだが」  瓜生は、先にともに戦ったアマゾネス姉妹とアイズを見た。 「なに?」 「なぜ、誰かひとり、あの女魔法使いの近くで護衛しなかった?」 「……そうね。反省してる。状況を考えず、いつもの感覚だけで動いた。同じミスは二度しない」  ティオネは素直に認め、フィンやリヴェリアに目線で謝った。 「……してる」  アイズも合わせる。 「もう、それは話したろう?レフィーヤも許してくれた。あれで大きく成長したよ」  リヴェリアが微笑した。 「これえらいうまいやんけ!」  ロキがわざと叫び、雰囲気を変える。  酒好きな反応を見て、瓜生はまず「世界の銘酒」というような図鑑を出し、載っている酒をいくつも出した。「世界のチーズ」でも同じことをする。  ロキとガレスは大興奮する。  それから少し楽しく飲み食いし、瓜生に皆が自己紹介して、室内訓練場に向かった。  瓜生が持って行ったのは、ガリルACE53。 「これはもう使えない鎧だ」  瓜生が言うまでもなく、試し切り用の廃物を持ってきていた。 「一応、壁を傷めないように」  と、瓜生は土嚢袋を出し、砂をその中に出すのを何度も繰り返した。壁に重ねるように置き、一つ一つの間に厚い木板をはさむ。一番壁際には厚い鉄板を三枚重ね、一番手前に廃鎧を置いた。 「とても大きい音がします。耳をおおってください」  そういい、耳栓を入れてから射撃。 「うわ」 「くそ、ひでえ」  ベートは耳を痛そうに押さえている。 「お……」  上級冒険者たちが眉をひそめて耐える。 「……買ったときは70万ヴァリスだったが」  リヴェリアがため息をつく。  ぼろぼろの鎧の、そこだけは無事で輝いていた部分に、穴。  その向こうの土嚢も一つ貫通され、木板で止まっていた。 (強装薬の徹甲弾を使ったからな。それでこれか、鋼鉄換算で何ミリあるんだこの1ミリかそこらの鎧が)  瓜生は内心ぼやきつつ、フルオートに切り替え、伏せて、残弾を土嚢に叩きこんだ。 「なるほど、それが噂の、とても早い太鼓のように続く音か」  フィンが聞く。 「魔剣?いや、魔力はまったくない」  リヴェリアが美しい眉をひそめた。エルフという種族は例外なく、強く魔剣を憎むものだ。 「こちらの魔剣はよく知りませんが、物が燃えるのと同じです。炎が風を起こし、ヤカンのふたが持ち上がるように、熱が力になって、吹矢のように」いつのまにか出していたペンチで薬莢から弾頭を抜いて渡す。「この金属塊を、高速で押し出す。中身の、この粉が燃えます。筒の底を叩けば、別の爆発する薬で。こちらのほうがわかりやすいでしょうか」  と、火縄銃と、硝石、硫黄、木炭、少し小さいサイズの釣り重り、薄い布切れを出す。安全ゴーグルもつける。乳鉢で硝石・硫黄・木炭を、本を見ながら調合する。 「この閉じた筒の奥に、この火薬を入れる。皮でくるんだ重りを入れ、この棒で押しこむ。その状態でここに火をつければ、圧縮された火薬が中で激しく燃えて弾を押し出す」  とやって見せる。火縄は使わず、ライターで。 「リボルバーの場合、引き金を引くと、こう弾薬……弾と火薬のセットの後ろ端を叩く。それで、衝撃で爆発する特殊な薬が発火する」 「よくわかった。それはわれわれも作ろうと思えば作れるんだね?」 「この原始的な銃の火薬は、硫黄・木炭・硝石。弾は鉛。こちらの薬莢は真鍮、無煙火薬と雷管はちょっとややこしいです」 「なるほど。だから、そのスキルがあれば、補充して無限に使える、と」  瓜生がうなずく。 「興味深いが、むしろ僕たちにとって重大なのは、どこででも、いくらでも食糧や衣類を出せる、ということだ……そうだね?」 「はい。制限はありません。魔力も使いません。ただ気をつけていただきたいのですが、おれの故郷の品だけです。こちらの高価な武器やポーションは出ません」 「そのようね」  持ち帰った武器を、幹部は確認している。 (『恩恵』を受けた鍛冶が打ったものではない、ただの鋼……)  と、わかっている。 「それでも、遠征に同行してもらえば、はかりしれない利益になる。20層以下の安全地帯に、リヴィラ同様の街を作れる」 「神々が面白がるのは当然として、大手ファミリアはどんな手段を使っても手に入れたがるだろうな。伝説の、ランクアップ呪文と同様の巨大な価値だ」  フィンとリヴェリアがうなずき合う。 「これで、仲間を……ベル・クラネルを助けていただいた感謝になったでしょうか」 「十分すぎるぐらいだ。君は我々に、何を求めている?」 「今は、このオラリオについてまだわかっていません」 「金は必要ないようだな」  と、フィンはいつの間にか持ってきていた金地金をつまみ、見慣れぬ文字とマークをいぶかしむ。 「はい。むしろ金価格を壊さないよう気をつけるほうが」 「そうだね。……これほど重大な存在なのに、それ以上にベル・クラネルというあの少年に親指がうずく。我々が考えるべきなのは、彼とどう接するかだ」 「あーっもう、なんであのドチビにこんなおもろそうな子が……」  ロキの文句が空気を変える。 「あ、あの」  無関心そうに見ていたアイズ・ヴァレンシュタインが、声を出す。 「……あの子に、謝りたい」 「彼は、礼状は出したはずです」  瓜生の言葉に、ロキがばつの悪そうな表情をした。 「そいつはすまんことしたな。おっきくなりすぎた派閥もやっかいなもんや」 「人気者を守るのは当然ですよ。ファンレターの選別は困難な仕事で、ミスがあるのは当然です」 「じゃ、じゃあ、恨んで……ないの?」  アイズの、懇願のような表情に、 「彼は感謝しています。おれもあらためて感謝します。仲間を助けてくれてありがとう」  瓜生が頭を下げたのに、アイズはふっと首を傾げた。 「それはそれですんだとして」  と、考えていた様子のフィンが口を出す。 「依頼したい。ちょっと幹部だけでダンジョンに行くつもりなんだが、同行してくれないか?報酬として、オラリオの権力構造についての知識や、紹介」 「承知しました。ただ、一つ……虐殺・拷問・強姦は絶対にお断りです」 「当たり前だろう」  リヴェリアはいぶかしむが、 「……わかった」  フィンの目つきがかわる。  瓜生の目が、 (いのちがけ……)  だったからだ。  言葉のわりに、覚悟が重すぎる。親指がうずく。 (まさか、理性のあるモンスターや、モンスター売買のうわさも聞いているのか?理性があり攻撃してこないモンスターとは和解する、全種の人と神々を敵に回しても、という意味だとしたら……まさか、いくらなんでも極端すぎる想像だ)  とても複雑な誤解であり、限りなく正解に近い。核心に踏み入っている。  瓜生はオラリオ、この世界に来て日が浅く、闇派閥によるモンスター売買まで触れるほどの情報力は今はない。が、これまでの異界での冒険の経験がある。あちこちでさまざまな虐殺を見てきたし、無知ゆえに加担したこともある……その罪悪感が、彼の心の根幹となっている。  また瓜生は知っている、故郷の同胞は今も虐殺をしているし、エルフや狼人が実在したら虐殺しかねない、 (最悪をとおりこした、どんな怪物よりおぞましい最高級有機質肥料製造装置だ……)  と。  フィンにも、真実はわかりようがない。瓜生がモンスターがいない異界に生まれた、さらに異界冒険者であること。話せる怪物を、怪物よりもっと悪い人間が虐殺しようとしたとき、怪物の側に立って戦ったことさえあること……そこまでは。フィンも神ではない、人間離れした直感で『異質』と『人間であること』『善良さ、正義感』を同時に感じるだけだ。  限りなく真実に近づいた直感は、さすがに常識に押し殺された。  瓜生から見ると、ベルがソロになった今、できることは少ない。技術や物資を売れる先を求めてはいるが、危険を冒したくない以上なかなか進まないのだ。【ロキ・ファミリア】の申し出は渡りに船だった。 「とても急だが、明日出発する」 「はい、行けます」 「では、正午にダンジョン入り口で。ベル・クラネルも連れて行ってもいいが……どちらでもいい」 「そうですね。言ってはみます」  フィンと握手した瓜生に、 「おい!」  突然、ベート・ローガが声を荒げた。 「はい?」 「おめえ自身は雑魚なんだろ?」 「ああ」  瓜生は一瞬めんくらい、考えた。そして、 (人間、かならず死ぬ……)  そう心に決めて、息をととのえた。  逃げ道はない。今このときのベートには、対抗できない。レベル2、耐久は高く防御魔法はあるが、剣も下手。 「今、この距離では」 「じゃあ、別の距離なら雑魚じゃねえのかよ」 「何百、何千Mも距離があり、準備時間があれば」  瓜生は、傍らにタライ、その中に水を出し、土嚢から土を入れて手で混ぜた。そのわきに、奇妙な円筒が転がる。無数の針金が絡み合うような、銀色。かなり大きい。  瓜生はその一部を持って、少し引き出した。銀色のテープのように伸び、ばねのように長い円筒になる。  皆が目を見張る。 「深い泥沼にする。土手も作る。これを、何重にも張り巡らせる……」  ベートがそれをつかみ、驚いた。  テープのようなそれは、ギザギザしたカミソリのような刃だ。レーザー(カミソリ)ワイヤー。真の『鉄条網』。日本で見る有刺鉄線とは、皮鞭とトゲつき鎖鞭の差がある。 「ぬかるみ、泥の土手や堀、レーザーワイヤー。さっきの弾の、口径10倍……体積千倍の弾が、一瞬で何万と降り注ぐ」  76.2ミリ砲弾を手に出現させ、ベートに手渡した。大ビンよりまだ大きい、とんでもない金属の重量に、ぐ、と息を呑む。ほかの皆もかわるがわる手に持ってみる。 「あの速度、長槍や戦斧なみの重さ。しかも泥沼……」  フィンが、ガレスがレーザーワイヤーの、特殊鋼の帯をつまみ、引っ張ってみる。刃の鋼、ピアノ線と同等以上の強度で、薄いが広いため桁外れの引っ張り強度となる。ペンチでは切れない、爆薬で破る。 「切れ味は耐久でしのげても、服や鎧に絡みつき、動きが鈍れば……的だ」 「ひどい戦いじゃな」  ガレスがため息をついた。 「ひどい戦いだ」  瓜生は知っている。それが、自分の故郷の現実だと。二度の世界大戦で、一千万を単位とする人命……のみならず馬命も……のみこんだ地獄だと。 「でも、モンスターがその立場になれば……この間の、あれとか」 「彼を敵にするな」  エルフの麗人が、ベートに言った。 「けっ」  と、狼人は目をそらす。 「一つ、忠告させてもらいたい」  フィンが瓜生の目を見つめた。 「はい」  瓜生は言葉が始まる前から、完全に圧倒されていた。 「君は、君が演じようとしている役に向いていない。経験はかなりあり、すべてに裏がある、だまされまいと頑張っているようだが……このガレスが呪文を唱え、レイピアを振るようなものだ。君が、妙なスキル抜きにうちに入ったら、僕は君を『壁』に育てる。君の魔法……常時発動の不可視の鎧。言葉より雄弁だ」 「おまえさんが儂の隣にいて、こんな酒を出して盾を構えてくれたら安心できるな」  オラリオ最強の『壁』、ガレス・ランドロック……鉄の塊のようなドワーフが、瓜生の出したバーボンをラッパ飲みして笑った。  リヴェリアもうなずく。 「その魔法は、死にたくないという思い、誠実な強さ、そして優しい心を閉じこめた壁そのものだ。余計なことを考えず仲間を守るほうが、楽だろう」  瓜生は恐怖に脂汗を流し、涙が出そうになった。  辞去しようとしたとき、リヴェリアが呼び止めてドアを開けた。  レフィーヤが入ってくる。 「こちら、レフィーヤ・ウィリディス。こちらはウリュー・セージ。ちゃんと礼を言え」  王族の命令に、少女はいやいや頭を下げる。 「……ありがとうございましたっ!」  目線は明らかにそっぽを向いている。 「ああ、こちらこそ助かった」 「……皮肉ですか?」  瓜生はあきれてため息をついた。 「どちらも生きているんだ、それで十分だろう?」 「……ずるい」  リヴェリアはやれやれ、とため息をついた。  瓜生はバベルの、ヘファイストスの店で買い物をし、ついでに食料も買って帰った。 【タケミカヅチ・ファミリア】がベルと稽古するついでに集まっていた。  瓜生も稽古に少し参加し、それから羊羹と玉露をふるまう。  夕食をごちそうすることにして天ぷら、ネギとシイタケの味噌汁を作り、大きい圧力鍋ふたつで厚揚げ・大根・ブリカマの煮物と白ご飯をたっぷり炊いてふるまった。  故郷の美味に、極東の皆は大喜びする。タケミカヅチと前から親交があったヘスティアも、出稽古でふるまわれたベルも多少は知っている。  彼らが帰ってから瓜生が、 「明日から少し、【ロキ・ファミリア】に同行する」  そう言ったのに、 「うぇえええぇ、でもまあいいよ……さぞ役に立つだろうねえ……」  ヘスティアはロキの名に美少女台なしの表情をし、ツインテールも絡んだ針金のように複雑な形にした。  いくら駄女神でも、何十人もの遠征でいくらでも食糧と羽根布団が出てきたら、どれだけ役に立つかぐらいはわかる。 「え、すごい!」  午後はタケミカヅチと眷属の皆にしごかれボロ雑巾のベルが、目を輝かせる。 「おまえも来たければ来ていいって。考えるんだな」  瓜生は一瞬考え、アイズのことは口に出さないと決めた。 (自分なら、からかわれたくない……)  からだ。 「本当の強者を近くで見ることができる。一人じゃとてもいけない階層に行ける。なかなかできない経験になるぞ?」 「……すみません、もっと自信がついてからにします」  今の自分で、アイズに……【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者たちに会い、その近くで戦うのは気が引ける。叫びだしたいほど、狂おしいほど会いたいけれど。 (せめてランクアップしてから!)  そう、決意する。  となれば、やることは。素振り千本、それから塩水を用意し、ルームランナーでフルマラソン。もう、瓜生の故郷の世界記録に近い。百メートル当たりの時間は13秒程度、常人が全力で走っても及ばぬ速さで、二時間少し走り続ける。  昨日の恐怖、精神の痛みをごまかすために、ひたすら走る。  ダンジョンに行っても行かなくても、毎日恐ろしい勢いで数値は伸びていく。  もう、力と敏捷はBに達している……どう考えても非常識だ。 >小遠征  時間より15分早く、瓜生はダンジョンの入り口にいた。  ベッドの下には地下室でなければ床が抜けるほど金とプラチナの地金、薄型ノートパソコン・太陽電池・大英百科事典全部を含む多くの電子本を隠し、使い方のメモをつけた。  先にダンジョンに出かけるベルに、 「もしおれが帰ってこなかったらベッドの下を見ろ」  と言っておいた。  目立たないようにフードをし、目出し帽をかぶって人相を隠している。  脇のカバンに、ガリルACE53……7.62ミリNATO、100発入りC-MAG。銃床を縮めて持ちやすくしている。  右脇にはM870ショットガンの折り畳みストック。  背の袋に、50口径対物ライフル。軽量、セミオート、ブルパップ式で全長が短い。大型マズルブレーキで反動も軽減されたもので、弁当箱のような箱型弾倉にソーセージのように10発詰めてある。  五階ではミノタウロス。祭りでは食人花。 (この世界では、並大抵の火力じゃやっていけない……) (小口径高速弾には、今度こそ愛想が尽きた……) (リボルバーも、弾数が少なすぎる。グロックも当たらないし、10ミリオートでもまだ弱い……)  最初から大口径の火力で圧倒する、重さは『恩恵』のパワーで押し切る。そう決めた。 (50AEのブルパップサブマシンガンがあれば最良なんだが……)  市販されていないものは、出せない。 (この世界を去って、力を失ったらどうするか……それは今考えることじゃない)  とも思っている。  上着の下は、【ヘファイストス・ファミリア】の店で170万した薄い鎖帷子。さらに胴体はがっちりセラミックプレートを入れている。 「来たわね」  人相は隠しているのに、ティオネは即座に見破った。 「彼は来なかったか」  フィンが、ベルがいないことに気づく。 「もっと自信がついてから、と」  長槍を持った小人は静かにうなずく。 「今日の目標は18階層、安全地帯の街だ」 「わかった。おれは……」 「皆にも、ある程度力を見せてほしい」  微笑しうなずきかける。 「わかった。9時から0時を含め1時まではおれが守る」地面に杖で、時計と範囲を描く。「この範囲には入らないでくれ。また、おれが叫んで何かを投げたら、爆発から身と耳と目を守ってほしい」  そう言って、耳栓と安全ゴーグルを配る。 「狭い範囲だったけど、結構強烈な爆発だったわ。しかも詠唱もなく」  ティオネが思い出す。 「どの道を通るか、指示してくれ」  瓜生はもう歩きはじめる。 「わかった。念のために聞くが、サラマンダー・ウールは持っているね?」 「はい、ある」  上着をまくって見せる。フィンがうなずき、一行はダンジョンに踏み入った。  凄腕の冒険者たちは、ただ茫然とした。  その範囲内に人間型モンスターが出現したら。瓜生が銃を構え、狙って、細めの光……目がくらむ、目玉焼きが焼けるほど強力なフラッシュライトが短く顔を照らし、同時に口を狙って一発、後頭部が吹っ飛ぶ。すぐに少し下、胴体の中央に一発。  それだけで、キラーアントすら確実に死ぬ。  多数のモンスターが突進したら、爆風手榴弾とフルオート。  早足に歩き続けながら、ひたすらそれが続く。  ヘルハウンドも、破片手榴弾の遠投、フルオートで先制し炎を吐かせない。パープル・モスは散弾銃にその場で細かい散弾をこめて一掃する。ポンプアクションやボルトアクションには、直接薬室に手を入れることができ、次に発射する弾を選択できるという長所がある。  深くなってから、初弾は50口径の大型ライフルを使うようになった。オークやミノタウロスも一発。  インファント・ドラゴンも、三つまとめて放った手榴弾の一つが、腹の真下で爆発したら即死した。 「とんでもないな」 「あれ、まだ本気じゃなかったの?」  リヴェリアとティオナの会話にフィンが答える。 「条件が悪かっただけだろうね。弾を箱に入れておかなければ、連打できないようだ」 「それ、まるで魔剣みたいじゃないですか」  レフィーヤがケンカ腰で言う。エルフは魔剣を憎んでいる。 「魔法は使ってない、火が燃えるのと同じだ」 「すまない、あとは説明する」  リヴェリアが引き受けた。  瓜生は戦闘中は会話をせず、ひたすら警戒し、歩き、撃ち続けた。たまに予備弾倉が少なくなれば休憩を申し出て、菓子とスポーツドリンクを配り弾倉に弾をこめる。  虚空から出現するさまざまなものに、皆比較的すぐに慣れた。  何度目かの休憩で。 「それ、ウリ以外も使えるの?」  ティオナの言葉に、瓜生はうなずいた。 「誰でも使える。弾があれば」 「ちょっと貸してもらえるか?」  フィンの言葉に瓜生は、 「三つ注意してほしい。刃物の先端を人に向けない、と同じ事だが……  絶対に銃口を、自分を含め人に向けるな。撃つ時以外は引き金に触れるな。常に、何もしていなくても突然弾が出るとみなし銃口を安全方向に」  そう言って、44マグナムリボルバーいくつかと弾を〈出し〉た。  アイズとレフィーヤは断った。  瓜生が見本を見せる。 「ふむ、これはわかりやすい」 「リボルバーは、スイングアウトされていれば絶対に発砲されない、安全だと周囲に示せる」  ちなみに中折れなら折っていれば、ボルトアクションなら遊底を外していれば絶対安全を示せる。 「なるほどね。刃物と同じく、敵意がないと礼で示す必要がある。そうだね?」 「試射は壁を撃てばいいが、跳ね返った弾が危険だ。角度をつけて」 「復唱する。絶対に銃口を、自分を含め人に向けない。撃つ時以外引き金に触れない。常に、突然弾が出るとみなして銃口を安全方向に向ける。跳ねる弾にも注意する。これでいいか?」  フィンはそう言って瓜生のうなずきを確認し、数発ずつ撃った。あっというまに扱いを覚え、反動もやすやすと受け止めて見せる。 「もっと強力でもいいよ」  と言われ、S&W-M460に交換する。M500を選ばないのは、少し口径が小さく初速が高いので反動が少なく、貫通力が高いからだ。  そのまま、散歩のように中層を抜け、18階層を目指す。  瓜生も、自分が担当していない方向からのモンスターを瞬時に倒す大手ファミリア幹部、第一級冒険者の強さに驚いていた。リボルバーにもすぐ順応したことにも驚かされる。 (おれより腕はいいじゃないか……超人だな)  と思うほど。  といっても、アマゾネス姉妹はあまり銃は好みではないようで、フィンとリヴェリアが二挺ずつ持った。ティオナはおもちゃ、ティオネはフィンが学んだからつきあっただけだ。  想定していたよりずっと早く、安全地帯である18階層、冒険者の街リヴィラに着く。  初めての瓜生は、珍しすぎる光景に夢中になるのを抑え、武器を隠して警戒していた。  そこでは、殺人事件が起きていた。レベル4、しかも最大派閥【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者だ。  光を放つ水晶に彩られた、森や湖がある巨大な安全階層。いくつものバラックが並ぶ。 「仲介してくれれば、小屋を出すこともできるが?」 「それはありがたいな」 (それだけで、今回稼ぎたかった金額どころか、遠征二回分の費用が賄えるな……)  とフィンは内心頭を抱える。外には何も出さない。 「え、もしかして、テントじゃなく暮らせるの?」  ティオナが大喜びしている。  この街はすべてがぼったくりで、宿に泊まろうとしたら信じられない金額になる。 「街の顔役と話をつける必要はあるな」  逆に、瓜生の存在は街の権力者の利権を切り崩す。彼もそれはわかっている。 「親指がうずいている。最大限の防衛準備をたのむ。ティオネ、リヴェリア、彼を護衛してくれ」  フィンの言葉に、 「わかった。あちらの物陰に、斧と盾を50ずつ置いておく」  それだけ言って、瓜生はすっと引っこむ。ただでさえ、有名な冒険者たちに混じる、目出し帽で顔を隠し、奇妙な大荷物を持った男は目立つ。  リヴェリアが持ってきたマジックアイテムで印象をごまかしていたが、一人余計にいること自体は目立つし、 (何か、うまい汁を吸える……)  きっかけにならないか、飢えた虫より熱心な冒険者たちが百人近くいるのだ。  瓜生が隅に引っこんでしばらくして、街の封鎖と集合が呼びかけられた。  フィンたちからやや遠くにいる瓜生は、布袋に入れたかなり大きな筒を二つ背負っていた。 >普通  瓜生が【ロキ・ファミリア】とともに深層を目指す日のこと。  ベルは、いつもより少し早く起きた。いつも通り、朝練と薄めのオートミール。作り方は瓜生に、魔石を使う調理器具の使い方はヘスティアに教わり、自分でも作れるようになった。  昨夜ものすごい運動をし、疲れが少し残っていたので朝練では走らなかった。  タケミカヅチの教え、 (数だけ五百振るより、生きた剣を一度でも……)  を意識して丁寧に素振りをした。  そのあいだも、なんだかわくわくして楽しみで、仕方がなかった。  故郷の、年に一度泥から貝を掘り出す朝のように。商人がやってくる朝のように。 (今日は、初めて……普通の冒険者たち、みんなとダンジョンか) 【タケミカヅチ・ファミリア】と一緒にダンジョンに行くことになった。  カシマ・桜花とヤマト・命、二人のレベル2を擁する、貧乏だが、 (知る人ぞ知る……)  武神のファミリア。  ベルと同じレベル1のヒタチ・千草も加わる。  本来はもっといるのだが、何人かはタケミカヅチとともに別の用事をしている。 「瓜生殿には感謝している。おかげで、より安定した収入を得られるかもしれない」  瓜生はタケミカヅチの事情……故国の孤児たちへの仕送り……を聞き、資金とアイデアを出した。  極東の美味を屋台にして、冒険者に売ったらどうか。 「黄金を掘るのではなく、シャベルを売る方が儲かる、というのもあるからな」 「最初の4か月分、資金と資材は出す。うまくいくようなら、資材の調達ルートを作るといい」  中型の屋台。おでんや焼き鳥。夜は日本酒。昼は煎茶と和菓子、冒険者向けに塩飴や羊羹。  キオスクのような小さいスペースで、けん玉やダルマ落としなど極東のおもちゃ、鮮やかな布でできた小物も売る。  最初は、冷凍焼き鳥や日本酒などを瓜生が供給し、軌道に乗ればオラリオ周辺で肉を仕入れ、故郷から酒や醤油が届くように、というわけだ。  それらの調理も、品の評価も極東出身の彼らにはたやすい。炭火ではなく魔石を使うのが少し慣れないが、タケミカヅチもジャガ丸くんの屋台で働き魔石調理器の扱いはわかっている。  ダンジョンにはあまり行かなくなった瓜生に、タケミカヅチ・ファミリアは少し不思議なものを感じていた。だが、孤児院に寄付をしたりいろいろな商売に顔を突っ込んだりすることを聞き、なんとなく納得している。  出かけたベルに、ヘスティアもついてきた。かなり早くギルド入り口につき、まもなく今日ともに戦う仲間たちがやってきた。 「よく来てくれた」 「この盾にかけて、みんな生きて帰るぞ」  瓜生は、【タケミカヅチ・ファミリア】がベルを連れて行くと日程を決めたとき。  ファミリア全員に、座布団ぐらいの大きさのバリスティックシールド、ハイポーション1本と普通のポーション3本を配った。  ベルがすまなそうに、 「ウリュウさんは、今日からしばらく別のファミリアと遠征に行くそうです。どこと行くのかは、申し訳ないが秘密にするように、と」  と不在を伝える。  瓜生は【ロキ・ファミリア】に同行すると急に決まった。  それはうらやましい、アイズ・ヴァレンシュタインに会えるのだから。でも断ったのは自分だ。 (まっすぐ彼女の目を見られる自分になるために、今全力を尽くす……)  そう決めた。 【ロキ・ファミリア】幹部と一緒なのは伏せておくように、ヘスティアが注意している。よほどのことがなければ誘われるはずがないのだ。 「タケは大事な神友でいいやつだけど、それでもステイタスばれはしないように。そして、絶対に生きて帰ってきておくれ」  ヘスティアの言葉で送りだされた。 「絶対に彼とともに、生きて帰ります」  そう、武神の眷属も誓った。  ベルは、今日は10キロもある大型バリスティック・シールドをかついでいる。背には刀と万一のためのポウチ。腰には『ベスタ』と呼ぶ黒い脇差、大中二本のナイフと短めの斧。  軽装の下も、薄い軽金属の鎖帷子を着ている。その下はさらに耐刃シャツだ。  瓜生が自分のと同時に買ったもので、軽さ優先、 (ベルの成長を妨げないよう……)  30万前後の品だが。 「盾役、サポーターとしてしっかり皆さんを支え、命令に服従し、生きて帰る。ソロとは違い、ミスをしたら自分だけでなく仲間も死ぬかもしれない」  瓜生にもそう言われて、覚悟している。  ギルドで、エイナ・チュールと桜花たちの担当職員を呼び、臨時パーティでの冒険を申請する。 「いい勉強になると思うわ。ウリーさんとのパーティや、ソロとは違うからね」 「はい、ウリュウさんにも言われました」 「レベル2が二人、本来ならもっと深い階層に手を出したい戦力なのはわかります。ですが、ヤマト・命さんはまだランクアップしてから間がないし、臨時メンバーの存在は大きく戦力を落とします。  どうか慎重に、じっくりと経験を積んでください。9階層まで」  ハーフエルフの頼みに、桜花もうなずいた。  金がいる。だが、それでも死ねば稼げない。そして、【ヘスティア・ファミリア】との縁に傷がつくリスクは、犯したくない。  エイナはしばらくしてから、その瓜生が【ロキ・ファミリア】の幹部、超高レベル冒険者との遠征に請われて同行すると申請され、頭を抱えることになる。  間違いなくとんでもないレアスキルがある、ということだ。レアスキルは、目の前で嬉しそうにダンジョンに向かった白兎にもあるのだが。  ダンジョンに入り、上層階ではフォーメーションの確認になる。  桜花たちはベルの実力も、稽古仲間としてある程度分かっている……つもりだった。  今日は壁とサポーターに徹するつもりだ、と装備で主張しているが、ベルにはそれは向いていない。  すぐに桜花が、 「盾は持つから、前線で暴れてきてくれ」  と引き継いだ。  弓から矢が放たれたように、ベルは飛び出した。  レベル2の命にも、ランクアップが近い千草にも劣らぬ速さ。歩み足を保っているのに、それでも速い。しかも腰がしっかりと据わっている。  すっと刀が閃いてゴブリンの喉から血が吹き、そのままたゆみなく次のコボルドの腕が断たれ、また次に向かう。刀の扱いになれた極東出身の皆から見ても、見ほれるほどだ。  彼の刀はよいものではあるが、ただの鋼であり、高価な第一級・第二級装備ではないと知っている。それがこの切れ。刃筋が正しく、恐ろしい回数の素振りが見て取れる。腕力ではなく、刀の重さで斬っている、だからこそ切れ味が冴えている。きちんと研ぎ、荒砥で刃にギザギザをつけている。  経験も、速さも、冒険者になって一月も経たない新人のものではなかった。何年も経験を積んでランクアップした桜花や命が、ぞっとするほどだった。  その集中力と、 (好ましい臆病さ……)  も、経験を積みランクアップに至った冒険者は高く評価した。周囲をよく見ている。モンスターの出現に、異常事態に、常に備えている。  何度かおこなった、対人の稽古ともかなり別人だった。対人の稽古では、臆病さはむしろ悪いものとなる。だがこのダンジョンでは、得難いレーダーになる。 (これは、拾い物だな……) (惜しいことをした) 【タケミカヅチ・ファミリア】は、ベルを断ったファミリアのひとつではない。もともと団員募集をしていないのだ。  極東の孤児院仲間が上京したファミリアであり、文化も独特で、しかも故郷の孤児への仕送りが主目的なので、一攫千金目当ての荒くれが多い冒険者とはかなり毛色が違う。  下の階に行っても、その勢いは衰えない。スタミナもとんでもない…… (普段、どんな鍛え方をしているんだ?)  鍛錬が厳しいと自分たちでは思っている武神の眷属の、背筋が寒くなるほどだった。  驚いたのが、7階層で何匹も出てきたキラーアントを、ベルがやや離れて先行、一人で殲滅したことだ。  見るからに業物である黒い脇差、硬い甲殻をやすやすと切り裂く。  たまに刃が引っかかっても、腰から短い斧を抜き、ツルハシになった峰で殻をぶちぬき魔石を砕く。ソロで痛い思いをしている。異常事態はあり、慌てたら死ぬ、と。戦いの後、振り返り反省するくせもつけている。  レベル2で力もある桜花でさえ、 (これほど素早く殲滅できるか……)  難しいと思えるほど。  異様な黒い脇差のちからはあるが、 (頼り切らず斧も用意している。しっかりとギルド職員の講義を聞き、生き残るために準備している)  準備したのは瓜生だが、それを受け入れているだけでも。  9階に腰を据え、頻繁に出現するモンスターを倒し続ける。  ベルは前衛、アタッカーとして、ウォーシャドウやゴブリンなど耐久が低めの敵を減らす役割を担った。  その背後で、長巻とベルが持ってきた重い盾をそれぞれ片手でつかう桜花と、槍を両手でふるう命が息を合わせて大敵に立ち向かう。一度出てきたオークと多数の、強くなっているゴブリン相手にそのフォーメーションが見事に決まった。  きっちり大盾で守り、その左右から槍と長巻。そしてベルと千草がゴブリンを片端から倒し、疲れ傷ついたら大盾の裏に退避して息をつき、ポーションを使う。  無論、フォーメーションに不慣れな分、余計な動きや疲労もある。 「オークと一対一、やらせてみるか?」  命がベルを指し示す。 「いや、もう彼も疲れているだろう。帰る方がいい」  桜花が判断した、そのときだった。  広めのルームの、壁全体がひび割れる。  10、15……次々と魔物が出現する。本来ならもっと下に出現するシルバーバックまで。  桜花の気合声がほとばしる。  ベルと命が、すさまじい速度で疾る。黒いポニーテールが舞い、次々と突き伏せる。その陰に、白い閃光がぴたりと追随し、少女の背を狙う敵を片端から切り伏せる。  どちらも武神の教えをしっかり守っている。ステイタスに頼らず、たゆまぬ反復練習で力を技に昇華している。  両手に大盾を構えた桜花が、すさまじい力で、シルバーバックの突撃を真正面から受け止める。欲張らない、長巻は落として。  押しとどめ、そのままずるずると押し切られる……背後から、閃光が二つ走る。  全体重が乗った槍が、真横から脇腹を貫く。  むしろゆっくりと振るわれる脇差が、アキレス腱を断つ。  たまらぬ二撃に絶叫し倒れ伏しつつ、まだ暴れる巨体。投石はおろか5.56ミリNATO弾にも耐える頑丈な盾を構える巨漢が、力と勇気をふるって受け止め弟妹を守る。  もう一度、また一度……槍が首を刺し、脇腹を刺してこねる。  白兎の、黒い脇差が無事な側の足を狙い、感じた危険に飛び離れて、歩みを止めず命の背を狙っていたキラーアントを両断する。ベルが飛び離れた直後を致命の蹴りが行きすぎる。  千草が長巻を拾い、全力で叩きつけた。それは太い腕に食いこみ、その腕の動きが少女を弾き飛ばす。 「千草!」  叫んだ命が、もう一度目を狙う。 「まだ生きてる!」  ベルが叫ぶとともに、巨猿の片腕を切り落とした。それがなければ、命は危なかった。 「おう、油断するな。攻めきれ!」  桜花の声に団員が応える。 (これが団長、これがパーティ……)  感動しつつもベルは足を止めず、さらに出現した多数のキラーアントに切りこむ。  全力で支える桜花、油断を捨てて打ち続ける命……  戦いが終わった時、全員疲れきっていた。  傷も多く、瓜生に渡された普通ポーションを全員一本ずつ飲んで、やっと動き出す。 「あのときは、もっとひどかった……」  つい数日前に死にかけたことを、命が思い出す。 「数日前、全滅を覚悟したところを『妙な音』が助けてくれた。ものすごい音がして、気がついたら10列はあった敵の、最前列以外が倒れていた……」 (あ、それ……僕たちです)  ベルは言おうとして黙った。 (僕はなんにもしてません、吐き気をこらえていただけです。みんなを助けてくれたのはウリュウさんです) 「もう帰ろう。帰り道こそ、苦しい」  桜花が深く息をついた。  本来ならポーションもあるしもう少し粘りたいが、 (ベルを危険にさらさないほうがいい、今まではうまくいったが、やはりずっと組んできたわけではない。きつくなった時にぼろが出る)  と判断したのだ。 「はい」  冷や汗をかいたベルは、刀と脇差をぬぐう。  たっぷりと散らばった魔石を回収する。  しばらくだがソロでやっていたベルも、その作業は何度もやっている。  帰り道。もう大丈夫だ……と思った5階層。  未熟と思われる、傷も多い4人のパーティが脇を行きすぎ、10匹以上のゴブリンをおしつけてくる……『怪物贈呈』。さらにホールの壁全域がひび割れた。  ゴブリンは迷宮最弱。だが、疲労していて、とっさに数えられないほどの数となれば別だ。さらに深い階層のゴブリンは、少しずつ強くなる。  敵が多すぎて速度が活かせない。  ひたすら、芋を洗うような戦いになった。  さらに新手の出現。  どれだけ戦い続けたかわからない。 「あれで引き返していなかったら、ここで全滅していたかも……」  そう思ったほどの、ダンジョンの奇襲だった。  背中を深くやられた桜花と、彼と戦い抜いた千草は、瓜生にもらったハイポーションを使ってしまったほどだ。  疲れ果て、多くの収穫を抱えて帰ってきた一行を、屋台の主神や仲間たちが出迎えた。  塩を入れたぬるめの煎茶をがぶがぶ飲んで息をつき、とっておきの玉露と羊羹に舌鼓を打つ。 「これはたまらないな」  命が深くため息をつく。これほどの美味もない。 「はい。冒険者の皆さんが珍しがって、在庫がなくなりそうなんです」 「羊羹も、塩昆布も、みそ団子も、甘酒も」 「戻ってきた冒険者の人が、明日も来てくれ、塩飴を20個用意しろ、って」 「来なかったらファミリアごとつぶすと脅されました……」 「あれほど用意したのに?」 「ホームに補充に往復するのが大変でした」  最初から、 (ばかばかしい……)  と思うほどたくさん用意してあった。それが、もう黄昏時とはいえ……  おもちゃの類も空っぽ。  戦い抜いた冒険者たちの、甘味と塩味に対する強烈な欲望をなめていた。極東系発酵食品の、アミノ酸と塩の中毒性をなめていた。極東の文化に対する好奇心をなめていた。 「まあ、報告して帰るまでが冒険だ。おまえたちも疲れているだろう?」  そう言いながら、ギルドに向かう。 「よくやったな」  半分寝ていたベルを、命がねぎらう。今更ながら美女に弱いベルはぴょんとはねる。その命は主神のねぎらいにぽーっとしているのだが。  報告を受けたエイナは頭を抱えた。  ベルは、 「楽しかったです!仲間がいるのもやっぱりいいですね!いえ、いじめられてませんよ。みんなすごく優しかったですし、助けてもらいました」  と大喜びだった。が、【タケミカヅチ・ファミリア】の報告と突き合わせ…… 「本当に冒険者になって一月も経っていないのか?レベル2だと言われても驚かない」桜花。 「敏捷は低く見てもC。多分B」命。 「キラーアント8匹を一人で、あっという間に倒しました」千草。  それだけではない。ベルにとっては、仲間の分の報告をするのが大変であり、それをまとめるエイナはもっと大変だった。  屋台組もおでん鍋を加熱し、焼鳥と酒の準備を始めた。  ベルを含む桜花たちも屋台組も、そこで食事する。ジャガ丸くん屋台が終わって、迎えに来たヘスティアも加わった。  もう、何人も冒険者が後ろに並んでいる。 (今日も一日、生き延びた……)  モンスターの緑や黒の血……自分や仲間の赤い血をバベルで軽く落としただけの、血なまぐさい荒くれたちが。 「一度帰って、身を清めて服を替えてくる」  と命と千草が戻ろうとしたが、 「あれほど疲れているのにそれは無理だ」  と桜花が止めた。  日本酒だけでなく、焼酎も用意してある。  焼鳥の注文が次々と入る。  味噌をつけて焼いた餅も、おでんもどんどん売れる。  無事に生きて帰ってきた、仲間も失わなかったベルと【タケミカヅチ・ファミリア】。  大切な人を失ったのか、ひたすら遠い目をして焼酎を何度も、割りもせずおかわりする女。  大金を稼げた者は、歓楽街や『豊穣の女主人』のような店に行くだろう。だが、どんな大金を稼いでも、げんかつぎに屋台で一杯のホットワインを飲む者もいる。  日が暮れた、ダンジョンとギルドを結ぶ道……屋台には、とてもたくさんの人がいた。  いろいろな人が。荒くれも欲張りも。邪悪な者もいい人も。悪人がいいことをし、善人が悪いことをすることもあった。  ベルとヘスティアは、名残惜しいが帰った。ダンジョン組も、 (明日に引きずるな、よく眠れ……)  と帰った。  ベルには、いつも待っている女神がいる。今日はいないけれど、家族がいる。エイナやシルも心配してくれる。 (それだけでも、とても幸せなことなんだ……)  戦いの疲労と、満腹の幸せが眠気に変わる。 (そういえば、ウリュウさんたちは……アイズさんは、無事だろうか)  無事に決まっている。【ロキ・ファミリア】の、レベル6を含む超実力者ばかり、瓜生も本気になればすさまじい戦力になる。  だが、今日はさんざんダンジョンの悪意を経験した。レベル2にとっては余裕だったはずの、5階層でも苦戦した。 (絶対はない……)  屋台で話し、飲み食う冒険者たちのあり方が、それに対処する見本に見えた。  何よりも、怪物祭り以前の三倍、一万ヴァリス以上は稼げたのだ。  それは……そして屋台のとてつもない収益は、ベルの心にかすかな影を落とした。 (生活だけなら、今日程度の稼ぎや、屋台でも十分……)  このことである。  普通の冒険者と冒険をした。アイズ・ヴァレンシュタインや瓜生のような、特別な存在ではない、普通の人と。  自分もそうだ……そう思っていた。ミノタウロスに殺されかけ、幼い夢が破れたことで。  彼のレアスキルを、主神は隠している。桜花と命はそのすさまじさを目の当たりにしたが、 (頑張っているから……)  と、見ないことを選んだ。  普通の人。普通の冒険者。普通の商売。それが、小さな星のようにベルの前にあった。  だがベルは、あえてそれから目を背けた……  疲れて、幼い女神を連れて帰路に就く、ベルの胸の炎は消えない。憧憬一途……アイズ・ヴァレンシュタインに追いつき、その隣に立つために。  今はまだ雑魚。あの狼人が言ったように。  今日も、桜花や命、みんなにたくさん助けてもらった。仲間がいなければ何度死んでいたかわからない。いつもは今日のように、たくさんの魔石やドロップアイテムを持ち帰ることもできず、途中でバックパックがいっぱいになって引き返していた。  でも、一日生き延びた。なら一歩でも前進できる。ウサギとカメの、カメのように。 「今日は無理せず休むんだよ」 「……少しだけ。素振り三百本と、デッドリフトだけ」 「しょうがないなあ……ダンジョンで頑張るより、死にはしないか」  もう廃教会は解体され、工事中の地下室に帰る二人は、本当の家族だった。  ある、とても遠く高いところで。  一人の、とてつもなく美しい女神がそれを見ていた。 「並外れた宝石を、普通の輝石に混ぜて……確かに際立つけど、それでは本当に宝石の力を引き出すことにはならないわ。  最高の宝石は、最高のデザインで最高の宝石と並べ、最高の絹をまとった最高の美女がつけるべきよ」  そう、素晴らしい酒を楽しみながらつぶやいていた。  本当に最高の酒は、彼女でも簡単には手に入らない。だが、彼女はそれにはこだわらない。  酒よりも、美しく自らを飾ることよりも、魂という宝石が好きなのだ。  その深夜、 「ちょっとあって、みんなを最高速度で送ってきた。明日また出かける」  いきなり帰ってきた瓜生に、ベルは頼みこんで【タケミカヅチ・ファミリア】の、様々な商品の在庫を予定の五倍ほど用意することになる。 >威力  リヴィラ……ダンジョン18階層、安全地帯に築かれた無法の街は、殺人事件のため封鎖されていた。  たまたま居合わせた【ロキ・ファミリア】団長フィン・ディムナらは、その捜査に協力した。  ただ、第一級冒険者たちとともに現れた、顔を隠した奇妙な男は姿を消していた…… 『九魔姫』リヴェリア、『怒蛇』ティオネの姿もなく、ゆえに身体検査で女たちの嬌声からの大騒ぎも、なかった。被害者の背の神聖文字を読んだのは、アイズとレフィーヤだった。  街は守られていた。  わずかな時間で何十ものクレイモアと対戦車地雷が置かれていた。リヴェリアとティオネに地形を聞き、要所を固めた。人間が引っ掛からないように立て看板も置いた。無筆であってもわかるようにと絵図がある立て看板、その上にリヴェリアが字も書いた。  そして街の周囲を見渡せる高台に、シルエットを隠した金属塊があった。後ろが少し開けた物陰に山積みの荷物があった。  瓜生はひたすら大量の機関砲弾を準備していた。すでに燃料を供給し、エンジンを始動して砲塔に動力を、レーダーに電力を供給している。  集合が告知され、戻ってフィンに合流した瓜生たち。瓜生は筒状の布袋を二つ背負っている。  そして、アイズとレフィーヤが【ヘルメス・ファミリア】の運び屋を確保し、そこを襲われ……それを見ていない人もたくさんいる。  草笛が響いて、まもなく。突然、爆発音がとどろいた。バラバラになった巨大すぎる蛇の体が、空を飛んできた。  バラックを、人をなぎ倒して落下する巨大な破片に、冒険者たちが呆然とした。  街から離れた、普通は人が立ち入らない領域に仕掛けられた、装備を計算に入れても人間の体重では起爆しない対戦車地雷……それが次々に爆発したのだ。 「行け!街を守れ!」  フィンの叫びとともに、瓜生とティオネが走る。ティオネは、愛する団長に命じられた、 (瓜生の護衛という仕事……)  を忠実に果たすつもりだ。怪物祭りでの戦いで、レフィーヤを傷つけた責任も感じている。アマゾネス、狂戦士の性を抑え、幹部としてふるまっている。  大量の高性能爆薬、ゼロ距離の爆発に何体もちぎられ吹き飛んではいる。だが圧倒的に数が多い……  瓜生は走りながら、大荷物の一つを取り出した。  セミオートの.50BMGライフル。強大な大口径高速弾は、さすがの食人花にも打撃になる。人間に命中すれば胴体が両断されるほどの威力なのだ。  大穴を開けながら暴れ続けるそれを、ティオネのククリが叩き切る。瓜生が渡したものとは違う、【ゴブニュ・ファミリア】渾身の傑作。手斧のように重さが先端近くの刃に集中する、日本刀とは逆に湾曲した曲線刃が、硬く頑丈な皮をやすやすと断つ。  瓜生はその援護を受け、少しだけ背後がひらけたところに走った。 「おれの背後から、人を排除してくれ。背後に立つな」  そう言って、背中の荷物を開けて断面四角形の、大きな塊を引っ張り出した。  背後を強力なライトで確認してすぐ、バックブラストが後ろを吹き飛ばし可燃物は炎に変える。直後、食人花に吹き上がった火柱。もう三発、壁を乗り越えようとした怪物を次々に焼く。炎の光だけで服が燃えだしそうになるほど、近くのバラックに火がつくほど、とんでもなく高温の炎だ。映画「コマンドー」で有名な、M202焼夷ロケットランチャー……本来の弾は、超高温の炎を上げる焼夷弾が四発。  すぐに近くの物陰に走る。バックブラストが容認されるそこには、M202を何十基も事前に積み上げ、隠してあった。  小山のように積み上げたロケットランチャーを担いでは筒を伸ばして四発同時発射、空ランチャーを消す。  数十秒の準備時間と、後方噴射が許される空間があり、距離が20メートル以上200メートル以下ならば、多数の巨大生物に対して最大の攻撃力を出せる方法の一つだ。生身でやると疲れるが、『恩恵』がある今は体力切れもない。  ティオネは、そこにいた別の冒険者も、呆然とするほかなかった。最強の魔法使い以上の火力が、詠唱もなしに惜しげなく注がれる。  それから、瓜生は高台に駆け上がった。そこに、バラックのふりをして隠した巨塊が鎮座している。 「砲口炎も危険だ、こっちに乗れ!」  イタリアのSIDAM 25対空自走砲。M113装甲兵員輸送車の上に、25ミリ機関砲4門。地上用の低速バルカン砲に近い連射速度で、一発の威力は倍近い。20の三乗は8000、25の三乗は15625だ。  移動は捨てる。エンジンから使わないがレーダーと、砲塔を動かすための動力を供給する。高性能の光増幅暗視装置つきの双眼鏡で見ながら砲塔を回す。  一閃。270度、右から左に掃射しただけ。それで食人花の大半は掃討された。スパゲッティに至近距離からマグナム銃を撃ちこんだように。  とてつもない砲口炎が吹き上がる。強力な砲弾が、太く硬い胴体をぶった切る。その後ろも。さらにその後ろも。  瓜生の、常時発動の魔力を求めた触手の攻撃も装甲に阻まれ、ティオネが切り刻む。  崖から続々と這い上がる、それも出した目鼻のない顔が即座に、中の魔石ごと消し飛ぶ。  街では、フィンの指揮で冒険者たちが、瓜生の守っていない方向から襲うモンスターを迎撃していた。  物陰に積まれていた頑丈な盾や鋼ではあるが丈夫な斧は、それなりにレベル2の冒険者の戦力を高めた。  そして守り抜き……リヴェリアの大呪文が猛烈な火柱をいくつも上げた。  やや遠くから見たティオネは、比べずにはいられなかった。 (オラリオ最高の魔法より、彼の方が早く火力も強い……準備時間があれば、後ろに出る炎の問題さえなければ)  それはすぐに、 (団長に、【ロキ・ファミリア】にわざわいをなすのならば、今のうちに……彼は個人の接近戦では弱いのだから)  ともなる。  瓜生は警戒し、弾薬を補充する。ティオネも装甲車から出て、目視で警戒していた。  一息入れ、再装填作業にかかった、直後。とてつもないものを見たティオネが叫ぶ。  女とタコ。多数の触腕は、一つ一つが巨大で硬い食人花。  ほんの一瞬、敵意を確認する。だが女怪は岩陰になり、狙えなくなってしまった。 「移動するか」  と、瓜生が操縦席に乗り換えようとしたとき。  タコのような女怪物は、別の怪物を従えていた。  世界を隔てる壁が薄くなったことで、なにかが変わったものか。  ハード・アーマードを三倍以上にしたようだった。それが丸まって巨大な鉄球となり、装甲車を襲う。  瓜生は車外にいた。速い!  とっさの判断、手榴弾を投げ装甲車を放棄して抜け出す。すさまじい勢いで、硬い球が装甲車に激突した。巨体が揺らぐ。  爆発炎上はしていないが、確認する気にはなれない。瓜生は装甲車を盾とした。 「時間を」 「わかった」  ティオネが即座に動く。激突して見せた腹を狙い、その長い爪と切り結ぶ。  もう一体!  ティオネを狙う突進、瞬間後方炎が吹き上がると、爆発がその行く手を阻む。  分厚い装甲はあっさりと貫通され、内部から焼き上げられた。  パンツァーファウスト3対戦車ロケット。使い捨てで、成形炸薬弾頭は700ミリ=70センチの鋼を貫通できる。カウンターマスを後ろに飛ばすので、かなり狭い場所でも安全。  それでも動く巨体に、M202焼夷ロケットが二発ぶちこまれる。  激しく戦っているティオネを見て、別の巨大な筒を手にする。以前も使った、20ミリ巨大対物ボルトアクションライフル。 「撃つタイミングを作ってくれ!」  その叫びに、アマゾネスの第一級冒険者は鮮やかに応えた。 「爆発をそこに」  硬い刃と装甲が奏でる歌声の中、見事に声が通る。  瓜生は応えて、爆風手榴弾を放った。  絶妙なタイミングで、アマゾネスは体を丸めようとした怪物を引き寄せ、爆発にさらす。  それで足元がゆらいだ、その瞬間……引くのではなく、突撃して一撃斬りつけ、そのまま巨体を駆け登って飛んだ。  機関砲の砲身を蹴って、さらに遠く飛ぶ……その下、追おうとした重装甲の怪物を、ボルトアクションの20ミリ機関砲弾がぶち抜いた。  即座にもう一発。もう一発。  もう、残骸もろくに残らないまでの破壊。  大呪文を詠唱していたリヴェリアは襲われながら、あざやかな並行詠唱を見せた。触手をよけ、M460リボルバーで正確に核を狙って時間を稼ぎ……さらに敵の目を引きつけて、呪文を中断して逃れた。  そして女の体の、目を正確に狙った銃弾を食人花である腕が弾き……  リヴェリアを囮にしたレフィーヤの大呪文が決まる。  装甲車は壊れており、機関砲も使える状態ではなかった。  愛する団長の呼び声に応えたティオネが高速で走り、タコ女の上体を襲う。  瓜生が追いついた時には、そちらの戦いは終わっていた。  アイズを襲い続ける、『アリア』の名を出す奇妙な女。  彼女が追い詰められた時、フィンとリヴェリアの助けが入った。  フィンの技量はすさまじい。長槍で間合いを支配し、呼吸を支配する。磨き上げられた技は、人間離れした力の女に力を発揮させない。 「調子に……乗るな!」  桁外れの力を叩きつける女に、カウンターを狙ってフィンの槍が、すさまじい勢いで突き出される。  女がわずかに上を行った……圧倒的な速度。1000分の3秒に2手を詰め込み、払って突進する。蹴られた地面が爆発するほどの力、すべてを砕く拳がフィンの胴体を……  引き延ばされた時間、いぶかしむ。槍が中空に浮いている。小人の両手が腰に向かっている。 (ナイフ戦か)  ナイフの届かない距離、手の長さの違い…… (とった)  槍を手放した『勇者』は強烈な拳をかわしもせず……閃炎がひらめく。光が遠くまで一瞬照らす。砕けた水晶が輝く。  女の、踏みこんだ足の膝が蹴り飛ばされる。腰が砕け、拳がはずれる。  百分の一秒遅れて、音が叩いた。鋭く、強烈な。空間がきしむような。  震脚の瞬間、膝に3発。正面から2発、横から1発。フィンが瓜生に渡した、スミス&ウェッソンM460リボルバーの二挺拳銃。リヴェリアも、正確にタイミングを合わせて横から両手で撃っている。  拳銃最強といわれるM500とは微妙に方向性が違い、拳銃弾最速の名で知られる。8インチの長い銃身、強装の徹甲弾……ライフル並みの初速と威力。  完全な意識の虚、特にフィンは自分の手も標的もまったく見ていないのに、針の穴を通す正確さ。  圧倒的な運動量が、着地の瞬間の膝を前と横から殴っている。タイミングのいい出足払い同様、力が強くなくても十分だ。  とてつもない強度の体、だが膝は常人の格闘でも、鍛えようのない絶対の急所だ……どんな格闘技でも瓜生の故郷の医学では、重い障害が生涯残るため禁じ手にするほかないほどに。  人間を捨てた耐久、常人がハンマーで殴られた程度にダメージを軽減してはいる、だが膝をやられれば、格闘家でもほぼ無力になる。  痛みは克服できる。だが、体の機能が実際に半減している。脚がいうことをきかない。  次の瞬間、顔を狙う一発……それは腕の肉に深く食いこむ。常人なら腕がちぎれてもおかしくない威力だが、さすがの耐久……だが、まったく同時に無事なほうの膝にも一発。  即座に両手の拳銃を放り上げ、中空の槍をつかみ取ったフィンの、最高の槍使いとしてのすさまじい一撃が襲う。  かわしたそこに、リヴェリアの銃弾と呪文……  女は、もう離脱一辺倒だった。壊れた膝にむち打ち、逆立ちして手で走って、恐ろしい長槍から逃れた。  槍、呪文、銃、杖……どれに襲われるかわからない。これに対処できる者などいない。  戦いが終わってから、いつのまにか二百ものベッドが、水の入ったドラム缶、清潔なタオルが用意されていた。 【ロキ・ファミリア】は、たくさんのポーションを持ち込んでいた。  疑問を持つ余裕もなく、数匹踊りこんできた食人花にやられた冒険者たちは、ありがたく臨時の野戦病院で治療を続けた。  同時に、地上に急いで報告しなければならない……フィンたちは地上に向かう。その背後に、いつしか奇妙な目出し帽をかぶった男が付き従っていた。  去り際、フィンがボールスに隠し場所を教えた、毛布・補強された穴が隅に空いた丈夫な防水布・木材・釘・(巨大な円盤状)チーズ・パン。  さらに、およそ6×2.5×2.5メートルの、扉のついた鉄箱……コンテナが三十個、空き地に転がっていた。  それらは復興を大いに助けた。  そのかわり、【ロキ・ファミリア】と、特別なキーワードを知る者は今後一年、リヴィラの利用が無料になるという恐ろしい特典をもぎ取られた。  といっても、もう【ロキ・ファミリア】にとってリヴィラは、ほとんど利用価値がないことをボールスは知らない。  17階に行った瓜生と【ロキ・ファミリア】の幹部たち。人目を排除してから、瓜生はとてつもないものを出した。  六輪の装甲兵員輸送車。8人乗れる。  いつも通り、RWSを操縦席で扱えるようにする。そのまま、すさまじい速度で地上に向かう。地上で治療すれば、かろうじて助かるかもしれない者も積んでいる。  第一級冒険者たちも、足は速い。だが、時速60キロで何時間も走り続けるのは、さすがにきつい。だが、装甲車は燃料が持つ限り走り続けられる。中層で厄介な縦穴も、六輪なので慎重に運転すればまず大丈夫。  撃つ必要もほとんどなかった。単に、モンスターは追いつけないのだ。  ただそれはそれで、後方に多数のモンスターを置いていくことになり、近くをたまたま通りかかった冒険者にとっては大きな迷惑になるのだが……  それは時々、休憩しては第一級冒険者たちが一掃する。  それで、とんでもない時間で地上に着き、ゆっくり主神ロキと相談して、ギルドへの報告を済ませることができた。 >強すぎる兆し  思いがけない事件で、本来の目的であった、 「深層で金を稼いでくる」  ことができなかった【ロキ・ファミリア】の幹部たち。  一度地上に戻り、ギルドにいろいろ報告した。ロキもどこまで報告するか、神々でも屈指の頭脳をひねった。特に瓜生関連を全部伝えるわけにもいかなかった。 (ギルドが、ウラヌスが犯人かもしれない……)  のだから。  とはいっても、いろいろとリヴィラの冒険者たちに見られている。見られた情報は隠しても意味はない。  大車輪で事務仕事を片付け、また深層に挑戦することにした。装備を壊した何人かの借金は、かなり切実なのだ。  その点でも、瓜生の出した装甲車で帰り時間がとんでもなく短くなったのは、大いにありがたかった。  再挑戦のため、フィンは全構成員に志願を募った。有望な若手……特にレベル4のアナキティ・オータムは直接説得した。ほかにも伸び悩み、諦めかけている者にも声をかけた。 「次の小遠征に、レベル2以上から最大10人志願者を募る。昨日も同行してくれた、『例の音』の能力は想像以上だ……その能力は、人数がいればさらに強大になる。  試してみたい。大きなリスクがある、前の遠征と同等かそれ以上だと思ってほしい。何より、常識が崩壊する。常識が崩れてしまう。冒険者の誇りが、などの反発もあろう。  つらいことに耐えリスクを冒しても、ファミリアの未来に貢献したい者、信じられない未知を見たい者は手を挙げてくれ」  志願者は多かった。一人一人、フィンとリヴェリア両方と個別に数分面接し、両方が丸をつけた者から10人選んだ。戦力よりも器用で、心が柔軟で、精神力が強く、信用できる……それを基準に。  異常事態でも、とにかく判断して行動できた者を。年齢は意外と高い者もいた。 「遠征に行くためにふつう用いる、毛布やテント、食料は一切いらない。  動きやすさを最優先した鎖帷子のような装備。深層用の大盾。武器は軽く小型のものを選ぶように。あとは手に入るだけのポーション」 「出発は明日だ。覚悟とポーションだけでいい」  フィンたち一行も、バックパックと盾は大きめだったが、テントなどは持たなかった。  そのグループのリーダーとなったのはアナキティ。レベル3のリーネ・アルシェも志願した。  ラウル・ノールドを選ばなかったのは、彼が次代のリーダーであり、失えないからだ。  十人全員に、フィンとリヴェリアは、 「『例の音』ウリュウの命令になんであれ従い、反発を抑えて学びぬくように……」  そう、厳しく言った。  翌朝の出発。ダンジョンに入り、ほかの冒険者の目を避けてから。 「こちらが、ウリュウ」  フィンの紹介を受けた瓜生は、目出し帽を外して素顔をさらした。平凡な黒髪の青年。前とは違い、かなり軽装の印象だ。 「瓜生だ。よろしく」 「よろしくおねがいします!」  声をそろえる、レベル4や3の者がいる。同じレベル2の者も、誰もが年単位で瓜生より経験豊富だ。少なくともダンジョンの経験は。 (しっかり不満を抑えているな、さすがだ)  当然不満であろうが、それを外に出していない。いかに質の高いメンバーか、よくわかる。  瓜生は一人一人の名前を聞いた。  急ぎ足に、二階層のホールまで行く。そのあいだに、瓜生はフィンやリヴェリアと少し相談していた。  ホールに着くと、 「ここで、きみたちにはおれの能力を教えておく。故郷の、爆発を中心とした武器や、食料や衣類など、さまざまなものをいくらでも〈出す〉ことができる」  そう言って、手榴弾・人数分の銃・紙箱入りの弾薬・菓子パンなどを出した。その手榴弾を一つ投げ、ホールを傷つけた。  知っている幹部以外は呆然としている。  菓子パンを食べてから、M460リボルバーを配った。グリップにはレーザーサイトがついていて、握る親指で操作できる。  壁の隅にベニヤ板を十数枚立てかける。安全な標的として。 「まずこちらのリボルバーから学んでほしい。安全について、団長からお願いします」  瓜生の言葉に、フィンが前に出て言う。 「この武器は、この銃口の方向にすさまじい速度で金属弾が飛ぶ。強力なクロスボウだと思うように。これから言うルールを頭に叩きこめ。  絶対に銃口を人に向けない。自分も含む。常に、突然弾が出るとみなして銃口を安全方向に向けておかなければならない。銃口がどこを向いているか、常に注意すること。  撃つ時以外引き金に触れない。跳ねる弾にも注意する。ダンジョンでは天井に跳ね返ることもある」 「私からも、もう一度言う。絶対に自分を含め人に銃口を向けるな。撃つ時以外引き金に触れるな。突然弾が出るとみなして銃口を安全方向に向ける。  絶対にはしゃぐな。軽く扱うな。モンスターも人も簡単に殺せる、武器だ。  一人一人、前に出て復唱」  リヴェリアの命令に、新人時代彼女のスパルタにしごかれぬいた団員たちが一人ずつ、モンスターより恐れながら前に出て復唱する。  それから、練習開始。最初は一発だけ装填させる。 (今は分解整備はさせない、撃ち方だけでいい)  やや広めのホールだが、ものすごい音と光が次々と響く。レベル2以上の冒険者は、強大な反動もしっかり受け止めている。 「どうすれば友を撃たずにすむか、よく考えるように。常に二人一組で、一方の再装填の間もう一方を守る。  このまま、10階まで行く」  と、瓜生は言って先行した。  幹部たちは盾の円陣に守られる。  そして大盾を左手に、右手に拳銃を構えたパーティが、早足で次のフロアへ、そして次の階層を目指して歩き出す。 「最初は団長と副団長、手本をお願いします。一方が装填作業をする間など、援護するように」 「わかった。ほかの第一級冒険者は後方警戒」  そう言ったフィンが、自分より大きな盾を構えて先行する。  ゴブリンどころかキラーアントさえ一撃で、離れていても即死させる銃の威力に、誰もが驚嘆した。  魔法より早い。弓矢より強力で連射できる。壁から出てきた直後のモンスターを確実に落とせる。 「魔石を回収するにしても、必ず二人一組。一人が作業、一人が警戒」  フィンが注意する。  まもなく、「学生たち」に交代し、二人一組・四人一組の相互支援を徹底的にやった。  瓜生はあまり教える必要がなかった。「学生たち」はフィンの言葉のほうをよく聞いたし、フィンもリヴェリアも銃を用いる戦術を、少し考えただけでよくわかっていた。  5発という弾数の少なさ、いちいちシリンダーをスイングアウトさせて装填する面倒……だからこそ必要な二人一組の相互フォロー。何よりも安全。  下がるにつれて増える敵と、畏敬すべき団長と副団長を教材に銃の基礎を学びながら、冒険者たちは下の階層へ降りていく。  大盾に隠れ、銃口と目だけを出して、接近する魔物を撃つ。反動に耐え、残弾を数える。  外れても焦らない。  再装填の手が焦り、弾を落としてしまうこともある。  弾が切れたのに撃ってしまう、その隙に襲う敵を、仲間が撃つ。  それが失敗したら大盾にぶつかられる……といっても、そうなればナイフ一本で対処できる階層だ。ただし、深層のモンスターより怖い副団長のお叱りがある。まして、うっかり銃口をのぞいたり、仲間を射線に入れたり、射線に入ったりしたら…… (こんな短期間の訓練で、実銃で実戦させるのがもともと無理だ)  と瓜生は思っていた。  キラーアントが何匹も出たときは、前衛が盾を構えて後衛が撃つ……ある意味いつも通りだ。だが、一矢より早く5発が飛ぶ。そしてすぐに、後ろで装填作業をしていた班が出て射撃。  その繰り返しが決まると、頑丈な装甲を誇り群れる怪物が一掃されている。 「いつもと、かわらないよね」 「そう、いつもの基本をしっかりやることだ」  10階層の広いホールで瓜生は50口径ライフルを出した。弾倉と弾薬も大量に。セミオートのブルパップ、軽量で反動軽減も徹底している。  弾倉に弾を入れる作業もさせる。 「かなり大型の銃だが、団長らの話だと35層ぐらいからはこれぐらいの威力が常に求められるようだ」  10発の弾倉は少ないが、第二次世界大戦から戦後しばらく、M1ガーランドの米軍と思えばいい。  さらに大型のフラッシュライトとダットサイトをつける。遠距離射撃は考えない。 「うわ、まぶし!でもあたしなら反撃できるけど」  と、第一級冒険者がいたずらしてまぜっかえし、 「邪魔をするな」  とリヴェリアに怒られる一幕もあった。  休憩でもあり、菓子とスポーツドリンクも配った。  ロールケーキ、チーズケーキ、マドレーヌ、シュークリーム……贅沢とうまさに皆呆然とした。  幹部も食べながら、見ていた。瓜生が出す食物が本当に無害で、栄養になり、長期的にも大丈夫か……自分たちは耐異常が高いため参考にならない。  それが、あれほどまでに警告したリスクなのだ。  瓜生があえて最大に近い銃を、弾数を犠牲に選んだ理由……【ロキ・ファミリア】の主戦場は深層であり、そこではあの食人花さえ弱く見える怪物が多数いる、と聞いたからだ。  そうなれば、なによりも信用できる、通用する武器でなければならない。  多数が相手の時は、別のことを考える。大口径機関砲つきの装甲車、対戦車砲、無反動砲などなど。キャニスター弾やフレシェット散弾を用いれば、数はカバーできる。  50口径弾であれば、オークやハード・アーマードさえ一発でつぶせる。銃と弾の重さはこたえるが、いつものテントや炊事道具の重量を思えば、なんということはない。  14階からは手榴弾も配った。  これは事故が起きたときには重大……レベル2の冒険者でも至近距離では死ぬ可能性が高い……ので、訓練にも注意が払われた。  一人一人がポケットに入れるのではなく、必要な時だけ瓜生に渡される、という形にする。  瓜生の同胞とは体力が違うレベル2以上の冒険者の手にかかれば、とんでもない遠投が簡単にできる。グレネードランチャーは必要なくなる。  特に集団で、敵を引きつけて集め、地形を活かして使ったときの威力はすさまじかった。爆発呪文はあるので、その戦術をそのまま使えばよかったので戦術はやりやすかった。  強力な炎を吐くため放火魔(バスカヴィル)の異名を持ち、レベル2のメンバーでも全滅リスクがあるヘルハウンドは、確実に先に見つけて先制することが求められる。手榴弾は特に有効だ。  盾と銃の連携、また相互支援の基本も守らなければならない。  モンスター・パーティが発生し、弾切れで焦ることもあった。そういう状況では銃よりも使い慣れた武器を選んでしまう。  そんなときに手榴弾事故が起きたら……特にレベルが高い者は、その可能性を考えてぞっとした。 「だから訓練するんだ」  という瓜生の言葉には、頭を抱えるしかなかった。  徒歩で降りたので、18階、リヴィラに着いたのはまあいつも通りの時間だった。  つい最近の襲撃で大変なことになっていた街。だが、いくつもの鉄箱が仮設住宅となり、以前のバラックよりむしろ良い生活になっていた。  その衝撃が、奇妙な雰囲気を作っていた。 「早かったな」 「まあ、僕たちが本気出したらね」  フィンたちの雰囲気を、ボールスがいぶかしむ。何かがあるのはわかっている。とてつもない何かが。  荒くれを束ねる観察眼が、【ロキ・ファミリア】一行を見る。小人数であり、異様なことにキャンプ道具も何も持っていない。  フィンはまず、ギルドから託された書類を町長に渡す。 「ああ、ありがとよ」 「いきなりだが……交渉ではなく通告する」  フィンの目にボールスが圧倒される。タイミングが見事だ。 「君の、今の街の権力構造を保ったまま、豊かな街で暮らすか……それとも、近くにできた豪華旅館に圧倒されつつ古い街にこだわり、自滅していくか。二つに一つだ」  ボールスは口をパクパクとさせた。 「権力構造は保ったままだ。君は長だし、苦労してこの街のバラックを持っている者は、そのままそれだけの大きさの店や宿を持ち続けることができる」 「……確かに交渉じゃねえな」  ボールスの歯ぎしりが響く。 「ものわかりがよくてよかった。なかなかできることじゃないよ」  そう言ったフィンは、ボールスを連れ出す。フィンの背後に、目出し帽の男がいた。 「あいつらしいぞ」 「あの、とんでもねえバケモノを……」 「魔法より強力な炎」 「『妙な音』」 「【ロキ・ファミリア】とつるんでたのか……」 「魔剣鍛冶だって話だが」 「あの威力はどんな魔剣だよ、全盛期のクロッゾか?」 「クロッゾの末裔が【ヘファイストス・ファミリア】にいるって」 「ああ、ヘファイストスとロキは仲がいいからな……」  ヴェルフが聞いたら怒るであろう、誤り混じりのうわさが口々に広がる。うわさこそ、この無法の街の最高の商品だ。  瓜生が要求したのは、何十メートルも……最低23メートルの長さがあり、通行でき水が手に入り、地盤が安定していること。できれば、数か所の高台から飛び道具で守れること。  フィンとボールスがうなずきあって、要求された地勢に案内した。 「ここは割と平坦で、しっかりした岩の地盤だ」 「十分長いだろ?それに、ここを囲む5つの小丘の頂上から……守れる」  フィンはさすがに、銃砲を用いた土地防衛はある程度理解している。間接射撃は知らないが、ダンジョンでは不可能なので知る必要もない。 「下水処理は?」  目出し帽の、瓜生の言葉にボールスが息を呑む。これは現実の問題なのだとわかる。 「魔石浄化設備を持ってくればいい」 「上水設備は、あの流れは使えるのか?」  と、今いる場所から少し離れた岩の間を、かなり激しく流れる水を指す。 「きれいだ」 「なら……」  といった瓜生は、いくつかの場所に分厚い鉄板を出した。距離を測り、水準を出す器具を乗せて。  それだけで、ボールスは目を見張る。虚空から巨大なものが、光も音もなく出てくるのだ。  場所によっては、鉄板の枚数を増し、サーメイト手榴弾で溶接して水準を保つ。そしていくつかの水準を確かめると、もう一度手を伸ばす。  巨大なものが出た。  長さ約21メートル、高さ約5メートル、幅約3メートル。長い家のような。  寝台車。だがそんなものを、彼らが知るはずはない。  あちこちにある鉄の車輪が鉄板に食いこんでいる……フリンジが全重量を受けて鉄板を斬りつけながら自分も潰れる。厚い鉄板がゆがみながら地盤に食いこむ。 「うあ、あ……」  ボールスは腰を抜かしていた。 「これは」  フィンさえ驚く。  瓜生は、車輪と鉄板が接するところに二液式の強力な接着剤を指しながら考える。 「あとシャワールームつきと、もう一両普通の寝台車か、二人個室寝台車がいるか。ディーゼル電源車もいるかな?それともこちらの魔石技術で代用できるか?……魔石技術を電力に変換することを考えるべきだな。食堂車やスイートも出した方がいいかな」  と、ぶつぶつ言いながら作業を続ける。 「これでいいかな?」  とできあがったのは、とんでもなく長い蛇のような、長い建物…… 「ちょっとドアが高くてすまない。当座はこれ、あとで階段を作ってくれ」  と、ドアの数だけ大型脚立と木材が出現する。列車のドア、ホームはかなりの高さだ。  脚立で登り、少しだけ中に入って戻る。 「中に部屋と寝台がある。廊下にマットレスと布団セット・パジャマ・コップ・歯ブラシは出しておいた。明かりなどはそっちでなんとかするか?それともこっちでやるか?その場合おれが補給しなければならないが」 「あ……ああ……」 「それとも、そこの湖に客船を……どれぐらい深さがあるんだ?」 「あああああっ!」  ボールスが絶叫した。完全に脳があふれている。 「かんべんしてやれ。この設備と……あと、個人の家になるものと倉庫が各15あれば、十分街になる。  船だと、この前のような事態が起きたら水の下から攻撃されるかもしれないし、逃げ場もない」  フィンの言葉に瓜生がうなずく。 「すまないな」  と錯乱からやっと、四つん這いで激しく息をつく状態になったボールスにも声をかけ、トレーラーハウスとコンテナを出す。トレーラーハウスは、タイヤの気圧を調節して水平にする。  それを冒険者たちが見たときの騒ぎは、表現できるものではない。 (あのバケモノ花とタコ女のほうがまだましだ……)  と街の幹部は思ったほどだ。  治安を維持し、約束通りボールスの権力構造を守るために、【ロキ・ファミリア】幹部も少し力を貸した。だが、それからも権力を守れるかは実力次第……  瓜生はしっかりと姿を隠した。森の奥に行き、小遠征メンバー全員収容できる数のトレーラーハウスを出し、燃料を補給して、風呂と食事の支度をはじめていた。  何人かが、下水排出口に魔石水浄化設備をつける。 「これは本当に便利だな……」 (持って帰れないのが残念だ)  と瓜生が驚きあきれた。  トレーラーハウスの一つを料理用に。キッチンのコンロだけでなく、カセットコンロも追加で用意する。  業務用の大容量圧力鍋を出してアルコールウェットティッシュでぬぐい、ミネラルウォーターと塩とコンソメを入れる。ソーセージとベーコンをたっぷり、冷凍のスライスタマネギ、ミックスベジタブル。  大きい寸胴でパスタをたっぷりゆで、同時にレトルト高級品のパスタソースも加熱。フライパンでピザを焼く。  フライドチキンとフライドポテトを揚げる。  全自動機械で淹れたコーヒー、パウンドケーキとナッツ。  全員に。  もちろん【ロキ・ファミリア】の遠征メンバーみんな、呆然としてから絶叫し狂喜乱舞した。  トレーラーハウスの入口には、フリースの寝着と布団一式もしっかり用意されている。  そして風呂まで入れるというのだから…… 「ホームより贅沢かも」 「う、うまい」 「遠征でこれは……」 「極東料理が口に合えばもっと種類は増えるが?」 「喜んで!」 「じゃあ明日の昼はそれでいいな」 「団長、こんな覚悟なら何度でもします!」  瓜生は寝る前に、幹部の会議に招かれた。 「とんでもないことを……」  リヴェリアが深くため息をつく。 「おいしいごはんたべられて、おふろ入れたからいいじゃん」  ティオナはのんきなものだ。アイズも同類である。 「……明日、ジャガ丸くん」 「コロッケでいいんだな?」 「小豆クリーム味」  瓜生はあきれながらカタログをめくり、 (あるのかよ……故郷もここも大概だな)  思わず顔を覆った。 「さて、明日は19階から……いつもなら、10階層さがるごとに一日ほどかかるんだが」 「もう、次……車を訓練して速く動いた方がいいか?それとも、もう一日ライフル歩兵の訓練をしたほうがいいか?」  瓜生の言葉にフィンが首をひねる。 「アキ?」 「……すみません、もう半日訓練させてください」 「わかった。明日の午後から、次の段階に行く」 「ところで、ここの崖が200Mだとか。深層に行くともっと天井が高くなるんだよな?」 「ああ」 「地熱はどうなるんだ?深い穴を掘ったら、どんどん熱くなるもんだろ」 「ダンジョンだからな」 「ダンジョンよ」 「ダンジョンだもん」 「ダンジョンに常識は通用しないのさ」  翌朝、アイズの注文通りコロッケと、それだけでは栄養が偏るとメンチカツとトンカツをつけた。圧力鍋で作った、ひき肉とミックスベジタブルのスープも加える。  夜中にホームベーカリーをエンジン電源でいくつもタイマー稼働させた、焼きたてのパンに皆が目を輝かせた。  昨夜、交代の見張りが燃料を追加し、電源を保っていた。  アイズはほくほくと、山盛り揚げたての小豆クリーム味コロッケを平らげていた。  瓜生は前夜、 「おれは戦う日の朝食は軽くする方針だが」  と言ったのにフィンが、 「僕たちはあまり気にせずたっぷり食べるね、腹が減ってはいくさはできないから」  と返したので、しっかり用意した。  18階を出て19階、いよいよ瓜生にとっては未知の階層。  そこのホールで、まず火力分隊を整えて訓練することにした。 「Lv.4相当、耐久はより上」  といわれた、食人花との戦闘経験。そしてフィンやリヴェリアの助言。 (7.62ミリNATO弾でも、深層では気休め……)  という恐るべき現実をふまえ、フィンやリヴェリアとも道中考えた。  もう一つ重要なことがある。いくら下に行くにつれて広く高くなるとはいえ、ダンジョンでは迫撃砲が使えない。山なり弾道が天井にぶつかるのだ。直射用に改造するのはかなり面倒で、安全を考えるとすぐにはできない。 「歩兵の最良の友が使えない、それはかなりの戦力減になるんだ」  瓜生がまず出したのは、中国の重機関銃。西側輸出仕様で、.50BMGを使える。M2よりかなり最近の設計で17キロ程度と軽く(M2は38キロ+三脚)、体力さえあれば歩兵一人が運用できる。  補給箱から直接、大量のベルト弾を準備する。予備銃身を用意する。銃身が赤熱し、垂れ下がりはじめたら、素早く予備銃身に交換して撃ち続ける。  4人で一組の機関銃班。50口径ライフルが3人と重機関銃が1人。重い予備銃身、弾薬をライフルマン3人で分担する。分隊長はその班長に命令し、あとは班長が指揮をする。  ライフルは機関銃と同じ弾薬を使う。  軽量化のためスコープは最低限にしているが、ライフルの一人は狙撃兵として遠距離用スコープも用意した。  分隊長に直接、パンツァーファウスト3対戦車ロケットを持つ者がつく。高い装甲貫徹力があり、カウンターマスのおかげで後方安全距離が短い。カールグスタフ無反動砲も考えたが、 (後方噴射で使えない多様な弾より、より使えることが多い一発……)  を選んだ。  何種類か実演して見せ、 「レベル6ならともかく、レベル2ではカールグスタフの後方噴射を近くで受けたら死ぬ」  と言われた。  対戦車ロケットの担当者と、機関銃班の小銃手の一人はガリルACE53、7.62ミリNATO弾をサイドアームに持つ。  敵が弱く多いのであれば、7.62ミリNATO弾をフルオートで叩きつける。弾をたくさん持てる。上層のパープル・モスのように、空を飛ぶモンスターなど弱いものもある。それらに惜しげなく弾幕を張れれば便利だ。長射程の散弾という感じだ。  強ければ、できるだけライフルの狙撃で確実につぶす。  強いのが多数なら、重機関銃の圧倒的な火力で叩く。  二つの機関銃と、それを支援するライフル、特に強力な敵を破壊する対戦車ロケット……さらに手榴弾。ソ連製の、成形炸薬弾頭の対戦車手榴弾も。  場合によっては、班長の一方がライフルマンを3人率い、4人身軽に離れて行動する。  それで歩兵分隊ができる。火力の大半を分隊支援火器あつかいの重機関銃に依存している。  その複合運用を、実戦でゼロから作りだす。瓜生も、故郷の正規軍での実戦経験はない。あったとしてもこんな火力と敵の経験などない。 「基本戦術は、二組に分かれ、前進と援護を交互に。理想は金槌と金床か?」  フィンの聡明さに瓜生は驚いた。 「もっとも普遍的な戦術はダンジョンでも同じなんだな。ただし友軍誤射に注意。また、機関銃は防御に特に強い。迫撃砲・鉄条網・地雷・重砲支援があればもっと防御が強化される」  まずそれで訓練してから、順次装甲車両も訓練していく予定だ。  その「訓練」標的となったモンスターは、まさに、 (災難……)  だった。  大樹の迷宮と呼ばれる、木質の迷宮。  17階層までとは桁外れの強さのモンスターが、桁外れの数襲ってくる。  巨体で俊敏なバグベアーが、200Mも離れ……ゴマ粒のようにしか見えないのに一発で崩れる。  群れて突撃するリザードマンも重機関銃の轟音とともに、芝刈り機で刈られる草のように倒れる。ただ倒れるのではない、手足が、胴体さえも切断され、大穴が開いている。頭が半分以上なくなっている怪物も多い。 「す、すごすぎる」 「あのフォモールの群れでも、あの虫の群れでもこいつさえあれば」  呆然とする冒険者たち。 「強い武器に溺れるな!どう活かすか考えろ。ラキアの轍を踏むな!」 「安全ルールを復唱しろ!」 「残弾数を常に意識の隅に置け。ウリュウが今心臓発作を起こすかもしれないんだ!そうなれば今あるもので撤退戦だぞ!」 「上も周囲も警戒しろ。攻撃に溺れるな」  団長と副団長の声が団員の心を引き締める。  最初は、フィンが分隊長の役をやり、リヴェリアが幹部たちを率いてアキに重機関銃を操作させる。次にアキに分隊長をさせる……一人一人に、この武器を用いた分隊の使い方を学ばせる。  フィンとリヴェリア自身も、重機関銃とライフルを交互に使って身をもって学んでいる。 「さすが……」  ティオネはいつも通り、フィンの雄姿に恋する乙女の瞳を注ぐ。 「……退屈」 「……戦えない」  ティオナとアイズはむしろ文句を言いたそうだ。  もともとこの二人にとって、このあたりの階層は準備運動にもならないのだが。  レフィーヤは迷っていた。より強くなるため、これからの【ロキ・ファミリア】で上に行きたければ、瓜生の訓練を受けて銃の扱いを覚えるべきだろう。  でも、エルフにとって呪うべき魔剣を思わせる銃器には、反発がある。リヴェリアは積極的に学んでいるが、その姿にも、 (王族は別の生き物だ……)  と思ってしまう。  どうすればいいのか、足が動かない。考えることもできないほど、新しい世界のすさまじさに圧倒されている。  瓜生はとても慎重だ。  今も、イスラエルのナメル装甲兵員輸送車……メルカバ戦車の砲塔を外した装甲車に、30ミリのRWSをつけ、少し改造して一人で操縦している。時々必要なものを補給し、修理や遠距離の狙い方など教えを請われれば教える。  休憩がてら、ライフルを全部分解してどのように動くのかを見せ、現場でできる修理は教えた。 「目標は、真っ暗闇で指が三本なくなっていても通常分解組み立てができることだ」  乾いた笑いが広がるほど、先は長い。  ナメルの12人乗れるスペースには、ドロップアイテムや魔石の袋がどんどん投げ入れられる。 「緊急脱出用だからあまり入れるなよ」  と瓜生は言っているが。  奇妙な音を立てながら、木の根やくぼみ、泥沼も問題なく走る巨大な鉄塊を見ながら、 (午後からこれを勉強するのか……)  と、「学生たち」はげんなりとしている。それでも、目の前からモンスターの群れが襲えば、それを忘れて戦うことはできる。  瓜生が好んで使う軍用装甲車両。  舗装道路などない世界をいくことが多いので、キャタピラが前提。できれば一人で操縦と射撃の両方ができる、RWS(遠隔操作砲塔)があること。  まず、彼が一人だけで、広い場所で、道がひどい場合にはイスラエルのナメル装甲車。メルカバと同じ車体の重装甲車。キャタピラで最悪の地形でも進める。車内からの遠隔操作砲塔……RWSが標準装備。改造すれば一人で操縦と射撃をこなせる。  多人数を乗せることもできる。  60ミリ迫撃砲も搭載されている……屋根があるダンジョンでは役に立たないが。  敵が強い場合には30ミリ機関砲のRWSにする。  狭い場所で一人の時には、イタリアのプーマ軽装甲車。六輪で、スイスのピラーニャ(米軍もストライカー・LAV-25の名で使っている)よりコンパクト。  RWSで、一人で操縦と射撃をこなすこともできる。  不整地踏破能力は低いが、故障が少なく整備も楽で手軽だ。キャタピラは悪路でも通れるが、壊れやすい。  攻撃力と防御力が必要で、それほど素早い敵でもなく、敵が多数でもない場合……スウェーデンのS戦車、Strv.103。砲塔がなく主砲が車体に直結、しかも自動装填で、一人で操縦射撃ができる。しかも世代が古いとはいえ、戦車の主砲と装甲がある。  1人助手がいて、ものすごく狭い場所、しかも強敵を想定したら、ドイツのヴィーゼル空挺戦車。自動車並みに小さいが、キャタピラで装甲もあり、20ミリ機関砲がある。普通のダンジョン探索では特に愛用する。25ミリ機関砲バージョンもあり、小口径なら遠隔操作も可能。  4人で、開けた土地・困難な地形・強敵なら、イスラエルのメルカバ。最強の防御力と120ミリ主砲、60ミリ迫撃砲まで備えている。  圧倒的に敵が多いなら。助手がいる、または一人で移動と攻撃を切り離せる状況なら。  自走対空砲の水平射撃と多連装ロケットランチャーを組み合わせる。イタリアのSIDAM 25とチェンタウロ・ドラコを好んでいる。後者は艦砲級の76.2ミリ速射砲を積んでおり、圧倒的な攻撃力だ。  メルカバ・M113・チェンタウロは拡張性が高い。  メルカバは主力戦車であり、派生のナメルは30ミリチェーンガンRWSも選べる。  M113も、大口径の低反動砲・対空機関砲・無反動砲・各種ミサイル・30ミリ/12.7ミリ/7.62ミリのRWS、ダンジョンでは使えないが大口径迫撃砲など多様に拡張できる。収納力もきわめて大きく、過酷な地形でも走れる。装甲が薄いが。  チェンタウロも主力戦車級の主砲、自走砲、装甲兵員輸送車などがある。  昼休み……午後の勉強を思って気が重い「学生たち」。手持無沙汰な幹部二名。  頭から湯気が出そうなほど考え、冒険の興奮に沸き立っている団長と副団長。  団長が考える姿に夢中になる一名と、どうするべきか考えている一名。  非常に広く平坦なルームを確保。  昼食は手早く済ませたいので、屋台で使うような携帯発電機と電子レンジをいくつも出し、パックご飯と冷凍牛丼の具を加熱した。同時に電気ケトルで湯を沸かし、卵を落としたカップラーメンをスープ代わりにする。箸は慣れていないと思ったのでスプーンとフォーク。  昼食を済ませてからフィンが明かした。 「今回の目的は、37階層の闘技場(コロシアム)でひたすら撃ち続けることだ」 「時間もないので、メルカバMk3とナメル30ミリRWSを学んでもらう」  瓜生が宣告する。 >デートのち孤児のちパーティ 「これで全員そろったな。 『バベル』の治療室から出た噂だが、リヴィラで、前から情報を集めろって言っといた『妙な音』が何かとんでもないことをしたらしい。クロッゾの魔剣って話もある。 この絵を見ろ。しっかり回せよ。顔はわからねえが、これが今調べた限りの『妙な音』の背格好だ。 白髪赤目の、子供みたいな冒険者を連れていたことがあったらしい。ガキのでもいい、情報を手に入れたら……」 「どれだけの金づるになるかわからねえ。何としても、何か探り出せ」 「いくらでもやる。何杯でも。腹がはちきれるまでな」  …… 「お?なんだ?そいつと商売したことがあるかもしれない?ほう……おまえならできるさ。そのときはなんでもやるよ。なんでも、な」 ……冒険者だ。こいつも。こいつらも。 ……一万ヴァリス別にくれた、あの男も。その近くにいた、白い髪の男の子も。 ……冒険者など…… 「ベル・クラネルは、キラーアント多数を瞬殺した」 【タケミカヅチ・ファミリア】の報告に、エイナ・チュールは頭を抱えていた。 【ロキ・ファミリア】の幹部に誘われてダンジョンに同行した瓜生もそうだが、とかく【ヘスティア・ファミリア】は、変なのだ。  それでエイナは、どうしても確認したくなった。絶対服従まで誓って、ベルの【ステイタス】を見たいと言った。  男の子の、裸の上体……ベルはひどく恥ずかしがっている。 (痩せすぎ?)  と一瞬思ったほど肉の落ちた背や腕……その下には違和感がある。触れると鋼。育ちはじめている、見せるためではなく戦うための、戦士の肉体。  どぎまぎしながら、エイナは神聖文字を読んだ。  そして驚嘆することになる。報告は正しかった…… ベル・クラネル Lv.1 力: B 702 耐久: D 524 器用: C 615 敏捷: B 741 魔力: I 0 (冗談でしょ、普通ここまで伸びるのに二年はかかる……こんな数字までいかないで引退する冒険者だって多いのに!)  でも、何度見ても数字は変わらない。  魔法やスキルには、さすがにプロテクトがかかっていた。  それから、彼の装備を見てみる。  一番上は軽装鎧。  だがその下。かなり質のいい、軽さ最優先の鎖帷子。  背の刀と、腰の黒い脇差、斧やナイフ。  かなりの金額になる。 (お金は十分にあるみたい……上層の稼ぎで買えるものじゃない、ウリーさんね。  うん、分不相応ってほどじゃない……)  丁寧にみると、 (ちょっと手首あたりが弱いかな?膝あてはあるけど) 「明日、時間あるかな?」  その夜遅くに帰ってきた瓜生は、翌日には【タケミカヅチ・ファミリア】の屋台のため倉庫を借りてまで莫大な在庫を出した。それから再び、なにかから逃げるように【ロキ・ファミリア】幹部とともに深層に向かった。  ベルは、エイナとのデート。  私服でメガネも外した彼女は、とても新鮮で美しかった。多くの冒険者が振り返る年上の美女とのデートは、経験の少ない彼にはかなり刺激が強いものだった。  前も、エイナの紹介で瓜生と来たことがある、【ヘファイストス・ファミリア】の新人冒険者用新人鍛冶師の店。  一度来ていたので騒ぐことはなかったが、それだけに少年は隣の美女をずっと意識しては、アイズのことを考えて懊悩していた。  そして、なぜか主神ヘスティアがバイトしていたことにもびっくりした。 「ベルくん、ウリーさんにかなりいい装備を買ってもらってるね。でも、手首とか足とか、結構弱いところもあるんだ。  ここで、いいのを買うべきよ」  そしてエイナはベルに、手の甲から肘までを守るプロテクターを買った。誰にでもすることではない、どうしようもなくベル・クラネルに、死んでほしくない……その思いで。  冒険者は簡単に死んでしまう。死んでほしくない……  伝えられたベルは、真剣にエイナの目を見つめた。  彼の胸には、わずかな疑問もわくのだ。暮らしていくだけと、強くなるための無茶……いつでもそれを選ばされる。  迷いを払うためにも、意識がなくなるまで体を動かしたい……そう思った。  楽しんでいるエイナは、その時の同僚がどんな修羅場にあるか知らない。  リヴィラからの知らせが、異常な短時間で届いたのだ。奇妙な女調教師のことは伏せているが、多数の食人花、そしてそれをとりこんだ女の姿の……とんでもない異常事態だ。  しばらくしてから、歩いて上がる冒険者たちが続報を加えていくことになる。『妙な音』による圧倒的な殺戮、どこからともなく出てきた莫大な物資のことも……  しかもエイナは、自分が担当している瓜生が、怪物祭りで異様な攻撃をしたのを見ている。その情報を合わせると、とんでもないことになるのだが……プライベートの彼女には関係ない。  ……もし携帯電話があれば、親の葬式中であっても職場に呼び出されていただろう。その埋め合わせは、翌日に否応なくすることになる。  ベルがエイナを家まで送った帰り道。ちょくちょく感じる視線とは別の視線を感じた。  デート中は、そりゃもう男どもからの殺気を濃密に感じていた。ウォーシャドウ7匹などよりずっと激しい。  だが、それとも異質な、奇妙な視線をいくつも。  まだ早いし、【タケミカヅチ・ファミリア】の屋台をのぞきに行くか……と、広場に出かけた。  屋台は今日も、行列ができていた。ダンジョンではこの上ないものである塩羊羹や塩飴、べっこう飴。極東の珍しい服を着た美女美少女。珍しい、美しい緑色の茶。 (うん、流行ってる。孤児たちが幸せになってくれるといいな)  そう思ったときに、ベルに声をかけた小さい子供がいた。 「あ、あの、すみません、リューという人を知っている人、知りませんか」  そう話しかける、10歳ぐらいと7歳ぐらい、二人の女の子。  何人にも邪険に扱われ、涙目になっている。切られた革帯を、大事そうに持っている。  話しかけられたベルにとって、それは胸を絞めつけられるものだった。彼女たち同様のおのぼりさんとして心細い思いをした時から、一月も経っていない。  その間の濃密な経験があっても、忘れるほどではなかった。 「リュー、さんでいいんだね?ウリューさんかも」 「え、知っているんですか?連れてってください。アストレアさまから、伝言があるんです……」  オラリオに長い者なら、全力で警戒するだろう。リュー、アストレア、どちらの名前でも。  だが、ベルは何も知らない。『27階層の惨劇』も、『疾風』が起こした惨劇も。  そして、ベルはシル以外のウェイトレスとは、まだそれほど親しくはない。 「それより、今夜の宿とかは?もしよかったら、すっごく狭いけどうちに来ない?」  ベルは真っ先にそれをいう。そうしてもらいたかったことを、する。  客観的に見れば、 (だまして売り飛ばすつもりか……)  と思われる状況だなどと、考えるはずもない。 「宿やお金は……」 「いつのまにか、カバンが切られてたの。リューさんへのお手紙も、その中……」 「そう、辛かったろうね。もう大丈夫。ウリューさんは今留守だけど、すぐに帰ってくるから。安心して」  涙をこらえる二人を、ベルはホームまで連れて行った。  廃教会への道で、ベルは突然いつもダンジョンで感じているような殺気を感じた。  路地から、剣を抜いた男が飛び出してくる。 「このクソガキ……ち、人違いか。知ったことか、ぶっちめて売り飛ばしてやる。どけ」  売り物になりそうな少女二人を見たならず者は、殺気をベルにぶつけてくる。怒りと酒に半ば狂っている。  ベルはとっさに、肌身離さぬ脇差『ベスタ』を抜いた。 「ほ、いっちょまえに……」  と剣を振りかぶる。  対人戦が初めてのベルは、 (人を殺傷することができるのか……)  それに、おびえた。  また、ならず者の叫び・表情は、それ自体が上位モンスターの咆哮(ハウル)のように、心そのものをぶったたく。  がくがくと震える足、だが心のどこかが、 (腹で深呼吸!肩の力を抜け!)  と命じる。刃を手にした時点でそうなるよう、何万回も繰り返している。  すう、はく……深呼吸が終わると、ふっと視界が広がる。  目の前の男二人は、まるで弱く見えた。【タケミカヅチ・ファミリア】のメンバーと比べても数段弱い。  それだけではない。後ろにかばった女の子二人も、どちらも両手一本ずつ、40Cほどの棒を持っている。 (この子たちでも、勝てそうだな)  と思ってしまう。  いつも通り、足を止めることなく歩もうとしたとき…… 「その人に手を出すな」  と、顔は知っている『豊穣の女主人』のウェイトレスが声をかけてきた。  そして、彼女のすさまじい強さの一端も目にした。  物陰では、その四人を一人の小人が見送っていた。  だが、ウェイトレスは彼女も鋭くにらむ……それがわかる。  彼女は、白髪の冒険者のホームを確認しようとして尾行していた、その最中にうっかり、以前かかわりがあった冒険者に会ってしまった。そして隠れたところに、ベルたちが通りかかったのだ。  小さい女の子を連れてきたベルにヘスティアは驚いたが、孤児の神でもありすぐに受け入れた。 「せっかくお金はあるんですから」  このことである。ベッドの下までは気づいていないが、ファミリアの資金として千五百万もらっているし、少し手間はかかるがもっと大きな額が預けられている。  まっさきに、量優先のたっぷりの食事を作り、食べさせる。  厚切りのハムをフライパンで軽く焼き、パンと牛乳をつけて先に出す。 「まず食べたまえ!これからどんどん、もう無理ですっていうぐらい食べさせてあげるから!」  ヘスティアが少女たちとともに食べ始める。ベルは料理をつづけた。  瓜生が出して置いてあるインスタントラーメンを作り、卵を落として出す。  故郷でよく作っていた、カブ・カブ葉・ジャガイモ・ベーコンのスープを大鍋いっぱいに。買い置きのパスタもたっぷりゆで、スープをかける。  バタークッキーを開ける。  ベルとヘスティアの優しさに、心細かった大きい方の少女は泣きながら食べていた。小さい方の少女は無表情だが、食べる量はすさまじかった。  大きい方がティティ、小さい方はビーツ。  ティティは濃い目の金髪をポニーテールにしている。ビーツは短く太い黒髪。  翌日。ベルは夜明け前から、普通の人は十分燃え尽きる素振りとルームランナーランニングをして、薄めのオートミールを腹に入れてからダンジョンに出かける。  自分とは別に、パンにチーズをのせて焼き、ベーコンエッグも作ってヘスティアと、ティティとビーツに出す。 「この子たちはボクが面倒を見るよ。ベルくんはダンジョンに行くといい、ついでに買い物もしてくれると助かる。この子たちのおなかのためにも、死んでもらっては困るよ」 「はい。バイトは休めるんですか?」 「休めないけど、まあなんとかするよ」  ヘファイストスに泣きつく、ともいう。 「そこの冒険者さま」  ソロでダンジョンに入ろう、とギルドを出たベルに、犬人の小さな少女が声をかけた。  ほぼ同時に、 「おーいベル!」  赤毛の大男が大刀を背負い、大声をかけてきた。 「はい?」  ベルはどちらに応えていいかわからなかった。  知り合いなのは、赤毛の大男……【ヘファイストス・ファミリア】のヴェルフだけ。 「…………」  3人の間に、沈黙が流れる。 「リリ、というしがないサポーターです」 「俺は【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師、ヴェルフ……クロッゾ」  苗字はとても苦々しげに、小声。 「く、クロッゾ!? 魔剣鍛冶の?」  リリは驚き、 「あの、それで……リリさん?」  ベルはまず小さい子を見た。 「俺は名字が嫌いなんだ」  とヴェルフが吐き捨てる。 「その、わたしは、しがないフリーのサポーターで、冒険者さまのおこぼれにあずかりたく……」 「ヴェルフは?」 「顧客(ファン)のパーティに入れてほしくて。ランクアップして鍛冶スキルがほしいんだ」 「クロッゾ……妬まれて同じファミリアの者に疎外されているのですね。パーティを組んでもらえないほど。というより、ランクアップできたらポイ捨てで、こちらの方はまたソロに逆戻り、と」  リリの言葉に図星を刺され、ヴェルフはうっと詰まる。 「う、うん。パーティかあ」 【タケミカヅチ・ファミリア】は屋台が忙しくなってしまい、時々しか組めないという。ベルは毎日でもダンジョンに潜って、できるだけ成長したい。  ……ソロだと、大型のバックパックがあっても、魔石を拾う時間の制約で限界が見えている。かといって、拾わずに下層に急ぐのも、 「それを別のモンスターが食べて『強化種』になったら、ほかの冒険者が死んでしまう。すごいマナー違反なのよ!」  と、エイナに言われている。 「うん、じゃあ……よろしく!」  ベルには、むしろ現実感がない。膨大な出来事に、頭がパンクしかけている。 「そうそう、行く前にちょっと来てほしいんだ」  と、ヴェルフは強引にバベルの、新人冒険者と新人鍛冶師の店に行った。 「ああ、新人鍛冶師が新人冒険者に……とんだ押し売りですね」  リリが小声で。 「これ、おまえ向けに打ったんだ。もしいいと思ったら、買ってくれ。半額で。もし手元になければ貸すから」  ヴェルフは、祭りにも行かず短剣を作っていた。  刃渡り28センチ・柄が13センチ。極端に厚く、幅も広い。  両刃で、断面が100・40・40度ほどの二等辺三角形。和槍の穂のような刃だ。平たい面が出刃包丁のようにかすかにへこんでいる。  柄は刃の鉄を分厚いまま延長し、荒縄を巻いただけ。鍔も刃・柄の延長を細長く打ち延ばし、丸めてDガードとしただけの一体構造(インテグラル)。厚手のグローブをつけても握れるよう大ぶりだ。頑丈無比で、手が濡れていても滑ることはない。  鞘も、粘りのある木でつくった簡素なもの。  刃紋も飾り皆無の直刃。  ナイフを外し、短剣を差し添えにすると、実用本位の脇差と申し合わせ協力してデザインしたように調和した。  魔剣ではない。 (折れない、切れる、滑らない……)  それだけに、技量のすべてを注いだものだ。  見せてもらった、ベルのナイフ……瓜生が出したボウイナイフ、厚さ8ミリ近い頑丈すぎる品に刺激を受けて打った。 「銘は入れるな、名前もつけるな、って言われたがな」  そうは言ったがヘファイストスも、椿・コルブランドも、高く評価した。  椿はその話を聞いて、 (ならば拙者も……その者がランクアップしたら)  と、定寸で厚重ねの打刀を打ったものだ。 「うわあ……」  ベルは値札を見て、迷わずレジに持って行った。 「よっしゃあ!」  とヴェルフは大喜びする。 「これは、実用に徹したいいもの……いや、クロッゾ家……魔剣ではないのですね?」 「俺は魔剣は絶対に打たねえ」  リリの問いにヴェルフが返す。 「でもいい品でしたよ」  と言いつつリリは、 (大した金にはなりそうにない、でもクロッゾ家をプレミアにすれば、勝手に魔剣と勘違いするバカを……)  と計算していた。  ちなみにそれからヴェルフの、同じ系統の武器が、何本か売れた。……変な名前と、クロッゾの苗字がついた銘をつぶすことを条件に。  大ファミリアのレベルが高い者が、後輩に勧めることが多かった。  それに気を良くしたヘファイストスは、眷属全員に剣と短刀を作らせた。  大金がかかる不壊属性(デュランダル)も使わない。材料も良質だが安価。その制約で、 (折れない、切れる、滑らない……)  ことだけを追求し、一切の飾りを捨てた、厚い武器。 『ドウタヌキ』と名付けられたそのシリーズは、オラリオの実力者たちに評判となった。 【ゴブニュ・ファミリア】をはじめ、鍛冶系ファミリアはどこも模倣した。特にランクアップが近く、心根の高い初級冒険者によく贈られ、名誉の品となった。  少し軽食をとり、契約を固めて、あらためてダンジョンに向かった。  まず一階でそれぞれが、一匹ずつゴブリンを倒す。  ベルの、刀での袈裟切り。オラリオに来て20日経ったかどうかで、素振りの回数は何万か……腰がしっかりと据わり、首筋から腰まで一本の線が走ると、ゴブリンの体が二つになる。ベルはたゆみなく歩き抜けている。  ヴェルフの、ハンマーをふるって鍛えられた剛腕での大刀は、負けずに胴を両断した。  リリさえ、ボウガンで一匹仕留めて見せた。 「リリは冒険者の才能がなくてサポーターです。これからはそう扱ってください」  と引っ込む。 「うちはサポーターでも立派な……」  ヴェルフが言おうとするのを、 「それは【ヘファイストス・ファミリア】のような、成功した大手だからです。そうでないファミリアのほうが多いんですよ」 「まあ、そうだな」 「でも、飛び道具が使えるのなら」  ベルはつい、この間までの相棒を思い出す。 「飛び道具が?」  リリがさりげなく言うのを、ヴェルフの大声がかき消す。 「あいっかわらずとんでもねえ修行してるな!こないだからも一段上がってるぜ!」  と、ベルの肩をバンバン叩く。 「これなら、10階層ぐらいならいけるな」  と、嬉しそうに早足で歩きだした。  リリが舌打ちをする。飛び道具の話をもっと聞きたかったのか。  ベルはうれしかった。自分のパーティ。仲間。  初めて組んだのに、ずっと組んできたように息が合う。ヴェルフの高い攻撃力と思い切り、リリの的確な指揮・知識・魔石を取る熟練・邪魔な死体をのける手早さ、どちらも極上だった。  八階層まで行き、じっくり稼げた。ソロなら換金所に往復するしかなくなり、それで時間がなくなるだろう。  強化されたゴブリンの群れを、ベルとヴェルフはあっさりと切り倒していく。 「これでも、10階層でソロをしようとしたら死にかけたんだよなあ」  とヴェルフがうめくのに、下の階層の恐ろしさを痛感する。 「当たり前です!」  とリリは、別階層の恐ろしさもしっかり語り聞かせてくれる。  ダンジョンを出て、大金を三つに分けてから……それでもソロより倍以上多い……仲間たちに昨日会った孤児の話をした。 「ちょっと待っていただけますか?どんなバッグか、もし聞いていれば」  リリが簡単なこと、とでも言うように聞く。 「え、その、赤い花柄で、金メッキの金具だったって」 「あるかどうか……お金などは期待しないでください」  分け前を受け取った犬人の少女は、そう言ってごみごみした、ちょっと危なそうな街に入り……紅茶のおかわりが来るより短い時間で戻ってきた。そのバッグを持って。 「工房で修理待ちでした。お金は全部取られていますが、布のたぐいは無事です」 「あ、ありがとうリリ!ヴェルフも、また明日!」  と、ベルは大喜びでホームに走ろうとし、思い出して食料品店に寄る。 「結構使えるな、リリスケ」  ヴェルフの言葉に、リリは軽く肩をすくめた。  金などどうでもよかった。バッグの裏地と表の間には、手紙が縫いこまれていたのだ。 「リュー・リオン様」  と宛名が書かれた……  とんだ勘違いだがもう遅いし彼女も忙しいだろう、ともう一晩泊めて、明日行くことにした。 >運転教習(実地)  昼休みが終わり、絶望の色を浮かべる「学生たち」の前に、3両の怪物がそびえていた。全長約9メートル、全幅約4メートル。  校庭より広いルームの壁は30ミリ機関砲で深く傷つけられている。  アイズとティオナは我慢できず、別のルームに戦いに出かけてしまった。レフィーヤももちろんついていく。特にアイズは、何があったのか思いつめている様子だ。  ティオネも戦いたいが、フィンのそばを離れない。  フィンとリヴェリアは、瓜生の言葉を真剣に聞いて範を示している。 「さて、まず……これのエンジンは」  と、一人一人エンジンを見せ、手には竹製の水鉄砲を出す。【タケミカヅチ・ファミリア】に屋台のおもちゃとして渡したものと同じだ。それで遊んでみる。 「その太い棒の中は、これと同じようなものだ。穴は開いていないが」  と、一人一人に配り、水を配って遊ばせた。 「エンジンに、水ではなくこれと同じ燃料を入れる」  燃料の入った缶を指し、少し皿に注ぐ。戦車の燃費は最悪なので、膨大に用意されている。普段は注油口に大きい漏斗をかませて直接出す。 「この油は、食べられないから気をつけろ。まあディーゼルなら食用油でも燃料になるが、色々痛むから緊急時のみだ」  燃料油に布をつっこんで、火をつけて見せる。 「その、火が爆発的に燃える力が、車を動かす力になる。だから、燃料が切れたら動かない。大気がなければ、あるいは呼吸できない大気だと動かない。  エンジンは熱くなり、熱くなりすぎると壊れる。潤滑油がなくなってもすぐ壊れる。  この燃料タンクから、決まった量の液体燃料をエンジンに送る……パイプが切れたら、動かなくなるし車が燃えてしまう」  飽きてきた雰囲気を感じて、瓜生はまず自分が操縦席に乗り、手足もちゃんと映るようにビデオカメラをセットした。  ダンジョン内ではコンパスがきかず、電波もあまりよくない。だが短距離ならなんとかなる。ビデオカメラの撮影映像を車外の、発電機をつけた、テレビモニターに送る。 「まず……」  と、前進・後退・右折・左折・超信地旋回をやって見せる。動き出す前に、使う手足を強調してどのレバーなどを動かしているか見せる。 「さて、団長と副団長、それにアキ」  瓜生が呼び寄せ、席を空ける。残りの2両の操縦席にもビデオカメラをつけ、3つのテレビモニターにつなげる。  燃料とオイルを入れ、準備する。自分が何をしているのか、いちいち教えながら。  ちなみに、多数のカメラを戦車のあちこちにつけているので、操縦席にいながらかなり周囲の様子はわかる。一人で運転することが多いから、狙撃兵がないからこその反則技だ。  フィンとリヴェリアはあっという間に慣れた。それで瓜生は、一人でRWS(遠隔操作砲塔)を使えるようにして、そちらの訓練をさせる。 (冒険者というだけじゃなく、本当に怪物だな)  と瓜生は思っている。  銃を学んだ時もそうだったが、見て正確にまね、本質を理解して理解と真似を統合し、自分の心と体を高い精度で操ることができる。ミスをする前に、どうすればいいか素直に聞いて、正確に実行できる。 「うっかり」「慌てて」「ドジ」のなさが人間離れしており、慎重で的確。同じミスも決してしない。  これだけで、 (人間ではない……)  と、言い切れるほどだ。  全員が最低限の操縦ができるようになったら、10人を3・3・4に分けた。  ナメル+30ミリRWSが2組、最後の4人は重機関銃歩兵班。10人で役割をローテーションして、皆が車長・操縦主・砲手・歩兵すべての仕事をするように。  遠距離は捨てているし、迫撃砲も天井があるので使えないので、最低限だ。  緊急脱出も何度も訓練させる。 「本番の脱出では、目が見えなくなっていることもありえる」  と、普通に脱出できるようになったら、目隠しをした状態で脱出を命じるようになった。  それに、瓜生の一人乗り、フィンとリヴェリア、それに強引に乗ったティオネの三人で1両、合計4両で一気に前進。授業時間を取り戻すように圧倒的な速度で6階層踏破した。  一応、発砲は瓜生だけ。ほかは、機関砲なのに一発ずつ車を止め、装填して、ほかの誰かが射線の安全を確認してから射撃するという念の入れ方。  歩く者は装甲車の上に座って、小さく素早いのを瓜生が撃ち漏らしたら射撃を中止させ、叩く。 (とにかく事故が起きないことが、今は最優先だ……)  このことである。  動く前に、もちろんアイズたちはティオネが呼び戻し、次の集合場所を指定する。  20階台で30ミリ機関砲は、一つだけだとしても完全に過剰威力だ。ほとんどのモンスターは一撃で血霧となり、魔石も残らない。一度見つけたグリーンドラゴンすら、一連射で原型が残らなかった。  一度、22階層で普段は出てこないような、高さだけで5メートルはありそう、長さがどれだけかわからないヤスデが何匹も出たことがあった。それも、30ミリ機関砲の一閃ですべて粉砕された。  問題になるのはデッドリー・ホーネットやガン・リベリアのような、空を飛び奇襲してくるタイプ。だがそれらはそれだけ弱いので、ガリルACE53のフルオートで迎撃できる。  順次フィン、そしてリヴェリアが前に立って射撃と操縦を両立させ、他のメンバーはそれを見て学ぶ。  とにかく慣れる。やってみて慣れる。できなければ何度でも教える。 「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやる……」  山本五十六の名言の、繰り返しだった。  やっと夕食の時間になった。ルームを思い切り傷つけた。アイズたちもどこまでいったものか、帰ってきた。 「疲れているだろう?」  瓜生は人数分のトレーラーハウスで、しっかり全員分の風呂も用意した。ラベンダー・ローズウッド・カモミール・ネロリの精油を垂らす。  食事はハンバーグ・ステーキ・ソーセージと豪華に焼く。パンと高級缶詰スープも温め、パウンドケーキと高級なブドウもつける。  だが、贅沢を喜ぶよりも、「学生たち」は精神的に疲れ切っていた。あまりにも多くのことを一日で学んだのだ。  様子を見た瓜生は、ハチミツのほうが多いぐらいのホットミルクを配る。  風呂に入り、食べて歯を磨いたら、あとは言葉もなく熟睡するだけだった。瓜生に、いろいろなことを聞く余裕もない。  瓜生も疲れている。多くの物資を出し、使えるよう整備し、使い方を教える。簡単に作れておいしく栄養のあるメニューを考える。そして、ダンジョンではどのような兵器をどう運用したらいいか、フィンとリヴェリアの二人も交えて考える。  同行している冒険者たちと、個人的に話す余裕はほとんどなかった。  レフィーヤが火の番をしているところに、リヴェリアがやってきた。 「ごくろう」 「お疲れさまでした」 「レフィーヤ」 「はい?」 「おまえは、いいのか?入りたければ入れる、と彼は言っているぞ」  エルフの少女は、首を振った。 「あれに乗れば、レベル……いくつだろうな。大荒野(モイトラ)なら、10人の私以上だろう。レベル6が全力で切れば、壊せるかもしれない……少なくとも、このキャタピラなら壊せる」  ティオナは少し離れて、じっと周囲を見ている。戦士の目で。  揺れる灯油ランプの火。それから少し離れたところの、蛍光灯ランタンの光。かすかに鳴り続ける、エンジン音。  不寝番の仕事として、発電機の燃料補給も命じられている。それでホームベーカリーの予約を保ち、朝にはほかほかのパンが食べられるのだ。 「でも、それって、魔剣を持ってうぬぼれるみたいに、冒険者としては」 「彼は言っていた。これは『恩恵』を持たぬ人たちが、工夫を積み重ねて作ったのだと。魔剣とは違う」  レフィーヤの目が見開かれる。 「強くなりたい……それはみんな同じだ。【ロキ・ファミリア】の者は、特にその飢えが激しい。  おまえがアイズを追っているのはわかっている。そして、おまえはどこに放り込めば一番強くなるか、みんな考えている」 「え」  意外な嬉しさに、レフィーヤはあわあわした。 「アイズのように一人でひたすらダンジョンにもぐるのは、魔法特化のおまえには向いていない。あっさり死ぬか、そうでなければ楽すぎる階層しか無理だろう。  魔法剣士には、なろうと思ってもらってはファミリアが困る。確実に無駄になる修行時間は魔法に当ててくれ。  一番いいのは、レベル2ぐらいの青いのを数人集めて、おまえも入れる。おまえが失敗したら全滅する、となったら……」  レフィーヤは想像して、ぞっとした。  そして、なぜか泣き出してしまった。  翌日から、【ロキ・ファミリア】は二手に分かれた。  訓練しながら稼ぎまくるリヴェリアと瓜生、レベル4から2の「学生たち」。  この冒険を始めるとき、稼ぎ目的で受けたクエストをこなすフィン・アイズ・ティオネ・ティオナ・レフィーヤ。  大体の時間と、合流場所候補を決めておく。  ただし、フィンは瓜生からナメル+30ミリRWSをもらっている。瓜生同様、一人で操縦と射撃の両方や、無人遠隔操作砲塔の装填作業もこなせるようになっている。半日で。  寝袋・テント・火ではなく石灰などの化学反応で温める軍用携行食など、余裕のある兵員室に詰めてもらっている。 「あーっこれでいつもどおり!」  ティオナなどは、ずっと驚嘆し続け、警戒するだけだった冒険からいつも通り腕一本になり、喜んでいる。 (団長の隣を歩けない……あれを勉強してでも……密着できるなら……)  ティオネは戦車の運用を学ぶか否か、迷っている。  レフィーヤはサポーターを兼ね、ある程度の荷物は背負っている。 「車が、中のものを出す暇もなく燃えたら大変だろう?」  と。クルミ、ブラジルナッツ、ペカンナッツ、レーズン、シリアルバーなど高カロリー保存食が主だ。  それでもいつもの装備に比べれば、全然軽い。  普段より多めに出る敵を、アイズたちが快調に切り倒している。  アイズは飢えたように、すさまじい勢いで戦い続けている。仲間が眼中にないのではないか、とフィンが危ぶむほど。当然それは、アマゾネス姉妹を鼓舞し動かしてしまう。  瓜生が同行していない今は弾に限りがあるので、フィンはほとんど射撃をしない。  休憩はナメルの屋根。頑丈な装甲があるのは気が休まるが、閉じ込められる感じは怖い。  それで屋根に妥協した。それでも足元は巨大な鉄が守ってくれている。  それに、食事も少し待てば熱いものが食べられる。フランス軍とイタリア軍なので、味も申し分ない。 「学生たち」は、リヴェリアとアキがまとめてナメルと、新しく加わったメルカバの訓練をしている。  120ミリ主砲の圧倒的な威力は、誰もが驚嘆した。キャニスター弾は対集団戦でも使える。  訓練が一段落したら、29階層にある小さい安全地帯に大量の資材とトレーラーハウスをいくつか出した。 「もしよければ、ここをリヴィラに次ぐ橋頭保にしてもいい。常駐してくれる、せめてリヴィラまで生き残って危急を知らせられる……レベル3か4ぐらいがいればな」  などといいながら。  少し遅れてクエストをこなしたフィンたちも合流し、ゆっくりと汗を流してふかふかのベッドで寝た。  そんな三日間、目標の37階層に着く。ホワイトパレスとも呼ばれ、作りが大きく美しい。  作りが大きいということは、普通の冒険者から見れば壁や床の面積も大きく、常時モンスター・パーティ状態にある、ということだ。しかも魔法が事実上通用しない敵が多い。多数を一気に殲滅する集団戦術が通用せず、力押ししかない。  さらに、特に大きなルームには階層主ウダイオスも出る。  深層に本当に挑めるか否か、【ファミリア】の試金石ともなる階層だ。  だが、【ロキ・ファミリア】にとっては、小遣い稼ぎの場でしかない。第一級冒険者たちにとっても、重火器で武装した訓練中の者たちにとっても。  特に恐れられている闘技場(コロシアム)……そこには、一定の数を上限に、無限にモンスターが出る。  倒しても倒してもひとときの休みもない戦い……精神をすり減らし、ミスを積み重ねて倒れるだけだ。また、戦利品を拾う暇がないのも痛い。  アイズ・ヴァレンシュタインでさえ、そこで単独で稼ぎ続けることは危険が大きすぎると止められている。  だが、近代兵器を手にしたレベル2から4の精鋭たちにとって、ここは巨大な稼ぎ場に他ならない。  牽引用の車のついた4連装対空機銃が押し出される。機関砲が4つ束ねられれば、目の前の、土砂崩れのような敵の群れを一瞬で吹き払う。淡雪を火炎放射器で消し飛ばすように。弾薬の補充などはめまぐるしいが、一つが止まっても他が動くので余裕がある。  特に濃密な、強敵の群れには30ミリ機関砲が2門、十字砲火で叩きこまれる。榴弾と徹甲弾を混ぜた鋼鉄の暴風に、強大なモンスターが次々と消し飛び、爆発に吹き飛び、破片で穴だらけになって力尽きる。徹甲弾の直撃で吹き飛んだ敵の破片、それが凶器に変るほどの過剰威力。榴弾2門で作った爆風の壁は、あらゆる突進を完全に阻む。  歩兵4人全員が重機関銃を手にし、銃身が赤熱したら味方のフォローを得て銃身を交換する。その繰り返しで止まらず撃ち続ける弾幕は、一定範囲内に絶対に敵を入れない。  遠隔操作砲塔の機関砲に、砲弾を補給するにも歩兵のフォローは絶対に必要だ。味方を誤射しないように信号を使い、連絡を絶やさない。以前からも大人数の遠征で複雑な作戦をとるため、信号システムは完備していた。  瓜生は信号弾を見て補給のため走り回って弾薬を出し、出口近くの自走式対空砲に走り戻って25ミリ4連装の弾幕をあちこちに送る。  一定時間殺戮をしたら、半数が移動して味方の陣地、敵を排除した領域を動かす。アメーバが仮足を伸ばすように。新しく味方陣地にした地域に散らばる無数の魔石やドロップアイテムを、二人が拾い集めては装甲兵員輸送車の広い人員室に放り込み、かわりに大量の弾薬を担いで仲間と交代する。  どれだけの時間だったか……どれだけの弾を撃ったのか。  さしも広大なルームが、空薬莢で埋まりそうだ。温度すら数度上がったように感じる。  半日以上の闘技場滞在は、【ロキ・ファミリア】でも例がない。唯一のLv.7、オッタルでも可能かどうか……  何度も、ルームの出口を装甲兵員輸送車が往復し、莫大な収穫を運び出している。  次の部屋は壁が深く傷つけられ、安全地帯となっている。  最初にアマゾネス姉妹が傷をつけたときに、貴重なアダマンチウムの鉱石が出た。  それでフィンに、 「ここらの壁を破壊してもらえないか?」  と言われて、 「なら砲弾よりこっちのほうが早いし安全だ」  と瓜生が、大量の爆薬を仕掛けてその周辺の壁を爆破しまくった。  被害のわりに、最初に出た鉱石の三倍程度しか出なかった。だが、爆薬による鉱石採取の可能性は、フィンなどは深く考えたものだ。 「そろそろ帰るか」  フィンがやっと言いだした。  ナメル3両の、10人入れるスペースが魔石とドロップアイテムでぎゅう詰めになっている。  だがアイズは、一人で残りたがった。そしてリヴェリアもつきあうという。 「なら……」  と、瓜生はリヴェリア用にナメル+30ミリRWSと、室内にキャンプ用具と食料、銃と弾薬をぎっしり用意した。皆も、瓜生が出せないポーションの類を渡す。  瓜生は、あくまで部外者として、無理に輪に入ろうとはしていない。アイズの異様な焦りも知らない。それよりも、学ぶ意欲がある者に教えることで精一杯だ。 「ありがとう」  そう言ったリヴェリアを振り返りながら、装甲車の車列が18階に向かう。  先頭の、アキが指揮する装甲車の30ミリ機関砲が、さっぱりと敵を掃討していく。  戦ったり運転したりしている者以外は、車の屋根に乗っている。  そして速度自体が、特に長い時間でみると歩くよりずっと速い。  少し行ってから比較的安全なところで、17階層より上も考えて二人で動かせ手軽、狭い場所でも使えるヴィーゼル空挺戦車の訓練や、小口径だが歩兵の延長で使える対戦車砲の訓練も始めた。  車の類は19階まで、18階のリヴィラには大きいリヤカーに大量に乗せて、強引に運んだ。  ぼったくりの街には価値の低い魔石やドロップアイテムを売り、残りの多くは高レベルの力にあかせて運びあげる。  皆が荷物を17階層方面に運び上げている間、瓜生とフィンに言われたボールスは、何人か信用できる者を選んだ。  瓜生が、寝台車でできた新しい街を囲む小高い丘をまわり、2cm Flakvierling 38、20ミリ機関砲4挺の対空機銃を設置した。その近くに大きな鉄箱を出し、大量の砲弾も用意した。  そしてボールスたち十数人を19階層に連れて行き、使い方を半日特訓した。  街を確実に守るために。  ボールスはえげつない威力に呆然とするだけだった。 「あの花やタコ女がいくつ来ても問題ないな、これなら……」  17階からの帰り道は、ヴィーゼル空挺戦車2両で前後をはさみ、ウニモグ全地形トラックを2両連ねた。  20ミリ機関砲の威力は、モンスターを一切寄せつけなかった。  2階層の大きいホールに着いたら荷物を特大リュックに詰め替えて、リヤカーに山積みにして車両を消し、ひいひい言いつつ短い距離を地上に向かう。  収穫は17億ヴァリスを超えた。37階層が主だが、量が圧倒的だった……レベル2のサポーター50人が担げる荷物以上の、とんでもない量。普通なら重くてあきらめるようなドロップアイテムや鉱石も平気で持ってきた。 【ロキ・ファミリア】全体での、50階層に至る深層探索をしのぐ換金額。  それは、換金を担う『ギルド』にとっても悲鳴になった。ヴァリス準備高の底が見えそうだった……準備がなければ。  出発前にフィンが、上級の職員に自分の体重以上の純金地金を渡したのだ。 「これで大量の高額ヴァリス硬貨を鋳造しておくことを勧める。この純金の分は、証文を取っておくよ」  と。無論瓜生が出したものを鋳直して文様を消したものだ。  その膨大な信用と収益、資源……【ロキ・ファミリア】の会計は大きくプラスになった。  遠征参加者もそれぞれ莫大な分け前を得た。  そして瓜生。彼は金の分け前は要求せず、都市のお偉方や、信用できる人間への紹介を求めた。  オラリオを動かす側に回るために。  フィンもアイズとリヴェリアを心配しつつ、瓜生の想像を絶する能力が与える影響、次の遠征を考えていた。 >遠い主神から  リリに取り戻してもらったバッグに、二人の女の子は手紙を縫いこんでいた。  その宛先、「リュー・リオン」は、『豊穣の女主人』のエルフの美人ウェイトレスでは……そう思ったベル。  翌朝、まず二人を連れてパーティを組んでいるヴェルフとリリの二人と待ち合わせ、少し待ってもらう。  そしてベルは少女二人を連れて、準備中の『豊穣の女主人』に向かった。  シルに声をかけてリューを呼び出したことに、猫人のウェイトレスが、 「浮気ニャ?」  などと騒ぎにしかけた。だがすぐにリューがやってきて、 「ええと、リューさんの名前はリュー・リオンで間違いないでしょうか?」  そう聞くだけでもベルは真っ赤を通り越して倒れそうだ。 「はい」 「ええと、これ」  と、ベルが手紙を見せる。  リューがくずおれるのをベルがとっさに抱きとめた。 「だいじょうぶですか」  彼女がゆっくりと身を離し、立つ。  すさまじい殺気が吹き荒れた。ベルはまったく動けない。雲の上の冒険者の、すさまじい過去が薄皮を破いて荒れ狂った。  エルフは体に触れられたがらない。見たどのモンスターより……最近戦ったシルバーバックや、あのミノタウロスさえ大したことがなさそうに見える、恐ろしい殺気。  それがすっと消えて、冷静な彼女が戻ってくる。 「失礼しました、あなたも、この二人もまったく悪くありません。男性との接触に怒っているのでもありません。悪いのは私です」  そういったリュー・リオンは手紙を読み、涙を浮かべて二人の少女を見た。 「はい、宛先は私です。ビーツ、よくきてくれました。ティティ、ありがとう」 「すみませんでした、ウリュウさんと勘違いして二人ともうちに」 「いえ、ありがとうございます」  リューはベルに、深く頭を下げた。 「クラネルさんはこれからダンジョンへ行かれるのですね。この二人は責任をもって預かります。それとも……いえ、これからのことは、帰られたら相談しましょう」 【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)に送ろうか、でも知られたくないかもしれない。リューはそこまで考えたのだ。 「はい」 「だから、必ず帰ってきてくださいね。よろしければこれ、まかないなのですが」  と、シルも顔を出して、バスケットをくれた。 「あ、ありがとうございます」  そういって、二人の幼い子を迎えようとしたリューは、小さい方のビーツが腰にした短い棍棒を見て激しく反応した。誰かの名を鋭く叫んだような。 「どうかしましたか?」 「……昔、な、知っていた、ひとが使っていたものです。とても重い。収穫をたくさん持ちたいと置いて……これを持って行っていれば……」  小さなうめき声で漏れた後半は、ベルは聞いていなかった。ビーツがさしだしたそれに興味津々で。  トンファー。  黒く木目が美しい木で、棒から垂直に突き出た握りはビーツとは違う大きい指の形にすり減っている。両端は赤黒い金属に覆われている。手練れならば、数知れぬ魔物の血を吸っていることもわかるだろう。 「いい?……その、いいですか?」  ビーツとリューに許可を取ったベルは手に取ってみて、びっくりした。  刀より、両手で使う伐採斧より重い。 「深層でとれた、魔法で加工したら鉛なみの密度で頑丈な木材と、特殊な合金です」  リューの言葉は平静だが、胸が激しい感情で波打っている。 「おい、くっちゃべってないでとっとと仕事しな!あんたも、とっとと稼いでくるんだね!」  ミアの怒鳴り声にぶったたかれ、シルもリューも、ベルも首をすくめた。 「では、そろそろダンジョンに行ってきます。二人とも、帰りに必ず寄るから」  と、ベルはヴェルフとリリが待つ【タケミカヅチ・ファミリア】の屋台に向かった。  重いトンファーを使いこなすビーツがおかしい、とは考える余裕がなかった。  リューのすさまじい殺気に、 (公衆便所で確認しよう、おむつ……)  という心配で、頭がいっぱいだった。  無事かはともかく……ダンジョンに行ったベルは、とても体が軽かった。10階層のモンスターも、 (あのときのリューさんや、ミアさんに比べたら……)  なんでもない。  実際、その二人なら今戦っているオークが百でも千でも楽勝だ。  ベルにはそれは無理だ。だが、敏捷を生かし歩き続けて、自分は切れるが相手は打てない位置に回り、刀の重さ・腰と呼吸で断ち切ることはできる。  焦ってとどめを刺そうとしない。斬れるところだけを確実に斬る。足を止めず歩き続け、仲間も助ける。  リリの指示を聞いていればいい、自分で考える必要がない……それだけで、大荷物を下ろしたように楽だ。  そのリリも、瓜生が置いて行った大型シールドを小さい体にも似合わぬ力で持っていき、隠れてのぞき窓から安全に指示を出すことで、そこらの戦士や魔法使いより貢献している。  帰りに『豊穣の女主人』に寄り、ヴェルフやリリも交えて食事にした。  預けた二人は、しっかり小さい店員の服装で働いていた。客にも評判は上々だ。 「すごくおいしかった」  と、本人は喜んでいる。 「カバンを見つけてくれたのはリリなんだ」 「それはありがとうございます。今日は私がおごりますので、存分に食べてください」  といいながら、リューは妙な視線をリリに向け、 「使った金額はあとで教えてください。払います」  と他の者に聞こえないほどの小声で言った。  紐を切られ盗まれたバッグを、どうやって取り戻したか……故買屋から買い戻したに決まっている。それを考えないベルやヴェルフがおかしいのだ。ベルは貨幣経済すらろくにない田舎で村人からもやや離れて純粋培養され、ヴェルフは零落したとはいえ貴族である。  シルも、 「ありがとうございます……でもベルさんにおいたをしてはダメですからね。違うおいたも」  と聞こえないような小声でささやき、リリは震え上がった。  あとで、 「この店怖いです。それに高級すぎて分不相応です。もうリリを連れてこないでください」  と言ったほど。  そして、リューは簡単に話した。 「これは、オラリオから離れている」苦しみを押し殺す無表情で、「知り合いの神さまの頼みです。冒険者志望のビーツの面倒を見てほしい、と」 「それで、どうしますか?」  ベルとしては、家族が増えてうれしかった。ヘスティアも二人を可愛がっており、離れたら悲しむだろう。  リューは、主神の望みでも冒険者に復帰し、新人を指導するつもりはなかった。単に家族として養ってくれ、なら、稼ぎが足りなければ身を売ってでも養うが。 「……ベルさん。神ヘスティアに、お話いただけますか?私も付き添って、詳しい話をします。少し早上がりさせてください」 「え、いいんですか?」 「うち(ヘファイストス・ファミリア)に話してもいいぞ」  ヴェルフも言い添える。 「ありがとうございます」  リューは堅苦しく感謝する。  ヴェルフは少し悲しみを抑えた。 (自分の苗字を知れば、エルフなら恨みを……)  だから、騙しているような気分にもなるのだ。 「ティティは?」 「彼女は、世間を知らないビーツを無事に連れてくるための付き添いです」 「もしかして……彼女、子供じゃなくて小人(パルゥム)ですよ」  シルに言われたベルは真っ赤になった。リリは明後日の方を向いていた。 「すみません、子供のふりをしていました」  とティティが謝る。  三人ともリューのおごりとはいえ、しすぎなぐらいに遠慮した食事を済ませて、リューは早くあがってベルと同行した。  工事中の廃教会。地下室と祭壇の部分、そして手をつけないと決めた瓜生が出てきたあたりは別に、仮設の天幕屋根がかかっている。  その近くに、瓜生が過ごす小屋がある。 『豊穣の女主人』のテイクアウトを手土産に、ベル・リュー・ティティ・ビーツの四人は地下室に着いた。 「ベル君、ティティ君、ビーツ君、おっかえ……また美人をつれてええええええええええええっ!」  ヘスティアの思い切り勘違いした絶叫が響いた。 「いえその神様、これには深いわけが」 「浮気者はみんなそう言うんだよおおおっ!」 「浮気?クラネルさんは神ヘスティアと結婚されていたのですか?」  リューの大真面目なツッコミに、 「う、ううう……言ってみたかっただけだいっ!いいもん、ウリューくんの部屋にあるすごい酒飲んでやるうううう」 「あ、あの、それより……ティティとビーツについて、いろいろと。あの手紙の宛先はやはりこちらのリュー・リオンさんでした」 「ベル君の勘違いだったわけだね、ウリューくんとリュー」 「……はい」  やっと落ち着いたヘスティアと地下室に入り、瓜生が出していた紅茶とケーキ。  食事がまだだったヘスティアには、『豊穣の女主人』のテイクアウトを差し出した。 「これもおいしいねえ!」  ヘスティアはすっかり機嫌を直している。  リューは真剣な目で、ヘスティアに手紙を渡した。  手紙が入っていた封筒を開き、はがして隠されていた手紙を出し、それも見せる。厚手の封筒は、5枚の紙を白・黒・隠し手紙・黒・白の順で重ねゆるく張り合わせた厚紙でできている。透けないために黒紙も重ねてある。さらに隠し手紙は神々と一部のエルフにしか読めない、特別な文字で書かれている。 「君も読んでくれ」  言われたリューは隠し手紙も読み、凍りついた。 「大手ではなく、こちらに来たのは正しい判断でした。アストレアさまもそうほのめかしています。  確かに大手ファミリアなら、多少の事からはかばえる力はあります。しかし逆に、致命的になると思えばファミリアのために、一人を切り捨てる可能性もあるのです」  リューが読んだ表向きの手紙にも、慌てて大手を紹介するなとあった。だからフレイヤ・ロキ・ヘファイストスではなく、人数が少ないヘスティアに頼んだのだ。 「……わかった。他ならないアストレアの頼みだ……ボクでよければ、全力で。  ただ、もう一人遠征中の眷属がいる。彼にも話したい。ボクは受け入れるつもりで、あの子もほぼ間違いなく受け入れると思うけど」 「はい、それでけっこうです。もしだめでも、私を彼女の実家と考えてください。本当にありがとうございました。アストレアさまにかわり、心よりお礼申し上げます」  リューが深く頭を下げた。 「今日はどっちに泊まっていくの?」  ベルが聞いた。 「今夜はリューさんのところですね。話すことはたくさんあります」  とティティが言って、共に『豊穣の女主人』に帰った。 「寂しいようベル君一緒に寝ようよう」  とヘスティアがわがままを言ったのは言うまでもない。  翌日は運動休みの日で、ベルは早朝からルームランナーとウェイト、負担を強めたボート漕ぎマシンなどで徹底的に鍛え上げた。  屋台で忙しいタケミカヅチや、桜花と千草も暇を盗んでやってきて、遺跡地帯の空き地で激しい稽古をした。  それにティティとビーツも加わった。  ティティが持っていた二本の短棍は細い鎖でつながれたヌンチャク。すさまじい速度と変化、威力だった。ダンジョンとは違うが、街道の危険から身を守ってきたのだ。  ビーツは小さいのに、とてつもなく重いトンファーを時に短く強化拳として、時にフックの延長で振り回し、あるいは盾として使いこなした。重さにもかかわらず、機関銃のように速い連打。蹴りも基本がしっかりできていて速く重い。 (レベル3以上?)  と疑うほどの高い身体能力だ。  ボクシングを思わせる鋭いワンツー・フック・アッパー、前蹴りと回し蹴りを得意とする。 「これなら、確かに明日からダンジョンに行っても問題なく戦えるな」 「基礎もすばらしい」  と、桜花やタケミカヅチも太鼓判を押した。  その翌朝、ティティは別の交易品を買い入れ、予定していたところに旅立っていった。ビーツはさみしげに見送っていた。リューは最後まで、伝言や手紙を迷い続けていた。  それから、日常が戻る。リリとヴェルフと、三人パーティでのダンジョン。一度は、【タケミカヅチ・ファミリア】からも二人加わった。  少ない休みの日以外は、ダンジョンだけでなく激しい運動もする。一日中運動する日もある。  タケミカヅチの指導。屋台も手伝う……  リリやヴェルフと、そしてタケミカヅチの眷属とも仲良くなっていく。  ビーツは『豊穣の女主人』にいることが多いが、ちょこちょこヘスティアのところにきて、機材を使って運動している。  彼女が食べるとんでもない量の食事を怪しまれずに調達する方法は、旅立つ前にティティが教えてくれた。  ベルがヘスティアとデートし、その前に女神たちにもみゃくちゃにされたこともあった。  ある日、たまたまベルが離れたところで危なくなり……リリが魔剣を使ったことがあった。  ヴェルフはとても複雑そうな表情をしていた。彼に取っては憎い呪いである魔剣が、目の前で仲間の生命を助けたのだ。  魔剣に溺れず、いざという時だけの切り札にしている冒険者が、目の前にいたのだ。 (魔剣も、生き延びるための道具の一つに過ぎない……)  そう、リリの小さな背が語っているように思えた。  そのこともあったか……ヴェルフはベルとリリを自分の工房に連れて行き、魔剣に興味があるか試した。  ついでにヴェルフは、小型で強力なあぶみ・レバー式クロスボウを作った。力が強いヴェルフが引いておき、リリに渡してから戦い始めれば、リリも戦力になる。  ベルが魔剣に興味がなかったのは、ラキアの歴史や冒険者の常識を知らない……大きいファミリアに入ったりオラリオや大都市で育ったりして、先輩冒険者たちにいろいろ聞く生活をしていなかったからでもある。  そして何より、とんでもない威力の兵器を目の前で見ている。望みさえすれば、それを大量に担いで……装甲車に乗ってダンジョンで暴れることもできるのだ。  ただそれでは、 (アイズ・ヴァレンシュタインさんの隣には立てない、英雄でもない……)  と思って、やっていないだけだ。金と名声だけでない、遠い目標を持っているからだった。  それらのことは、ヴェルフにも話さなかった。  リリはヴェルフには、 「もちろん手に入るならうれしいですよ。でもリリが持っていたら命さえ狙われかねません、すぐお金にしてしまいます。弱者がすぎたものを持つのは、命とりなんです」  とだけ言った。  正直な言葉に、ヴェルフは笑うしかなかった。  帰り道にリリが、 「ベル様はなぜ、魔剣に興味がないのですか?」  と聞いてきた。 「いや、その、魔剣なんて知らないし……それに高いんでしょ?」 「あら?ベル様は、魔剣を使い放題だという噂もあるんですよ」 「ええっ!僕は鍛冶なんてできないよ。そりゃヴェルフはすごいって思うけどさ」  リリには、巧妙にごまかしているように見えた。ベルはただ、無知で疲れていて、正直なだけだった。 【ロキ・ファミリア】の十数人と遠征に行っていた瓜生が帰った。 「おかえりなさい!」 「五体満足で僕は大満足だよ」  主神とベルに迎えられた瓜生は、ほっと息をついた。 「まあ土産話はゆっくりと。ベルも無事生きていたな」 「はい!……使っていません」 「ならいい。ポーションは交換しているか?」 「はい。あ、タケミカヅチさまのところから……」  それからヴェルフとリリ、そしてビーツの話にもなった。 「そういえばヘファイストスも、君にご用、だって。モテモテだねえ、女神たちに」  とヘスティア。  瓜生は苦笑し、翌日は【ロキ・ファミリア】のちょっとした用事を済ませてから、ヘスティアをバイトに送るついでに『バベル』に行くことになった。  運がよければ会えるかもしれない、という程度だったが、運よく時間をもらった。  忙しい鍛冶女神が来るまでに、瓜生はトランクを用意し、いくつかのカタログを見て、勉強中の共通語で付箋を書き、中身を詰めていた。  顔の半分を眼帯で覆った、美しく迫力のある鍛冶女神ヘファイストスがやってくる。 「この子が?」 「【ヘスティア・ファミリア】のウリュウといいます。主神ヘスティアが、ずっとお世話になったそうです。それに、ベルのあの脇差はとんでもない金額でしょうね。おれが預けた金ではない……」  瓜生はトランクを二つ開けた。  一方は、周期表の金属元素部分、市販されている単体インゴットを原子番号順に。純鉄やアルミニウム、銅や金銀はもちろん。  プラチナ、イリジウム、ガラス瓶に入った水銀など金銀以外の貴金属。ニッケル、クロム、コバルト、バナジウム、タングステンなど高価で重要な金属。金よりも高価なものも。希土類元素。  いくつかの、またある番号以上の、存在自体が実質不可能な不安定元素以外。  もう一方のトランクは、合金や特殊素材。  炭素工具鋼。高速度鋼。合金工具鋼。マルエージング鋼。ナイフに使われる金型や軸受け用のステンレス鋼やそれ以外の合金。素材を粉末にして混ぜて焼き固めた、とてつもなく均質で硬度が高い鋼材もある。コバルトを中心にした耐食・耐摩耗合金ステライトもある。  航空機用アルミニウム合金。チタン合金。マグネシウム合金。ベリリウム銅合金。  炭素繊維強化プラスチック、エンジニアリングプラスチック、ケブラーやスペクトラなど高強度合成繊維、カーボンナノチューブのサンプル。  タングステンカーバイド、窒化チタン、炭化チタン、窒化ホウ素、酸化アルミナ(コランダム、ルビーやサファイアと同)、工業用ダイヤモンドなど超硬度物質。 「遠くの国からきて、こちらのことはよく知らないのです。こちらにはとても優れた武具があるようですね。ですが、もしこれらの素材がお役に立つのであれば。  連絡をいただければ、どんな量でもご用意します」  隻眼の女神は、純鉄を手にした。 「……これほど純粋な鉄があるなんて。あなたのお国の子たちは、神に挑戦しているの?」  未知。子が神に挑み、可能性を追求する。それこそ、神々が天界から降りた理由、娯楽なのだ。 「ある意味。同時に儲けるため、生き残るためでもありますが……まさしく、神に挑戦するものです」 (高純度こそ、ハイテクの根幹。まさに神への挑戦だ)  瓜生はうれしくなった。 「しばらく待ってもらえるかしら?一つ一つ、よく見て理解してみるわ」 「お待ちしています。猛毒や放射性がある元素もあり、それには印をつけています」 「そうそう、ヘスティアにはこちらでのバイトは続けてもらうわ」 「どんな生活をしていたかは聞きました。ほかにも借金はあるでしょうしね」 「ううううう……」  ヘスティアが頭を抱える。 「借金分はこちらで払います。ただ、主神ヘスティアは働かせた方がいいと思っているならそうしてください」 「う、うらぎ」 「そうね。主神思いの子ねえ」 「ただ、今の労働日数は多すぎますよ。週4日、6時間程度にしてもらえますか?また、【ファミリア】の都合があれば臨時休暇も取れるように」 「ほんとうに主神思いの子ね、ヘスティア」  感泣するヘスティアに、ヘファイストスはあきれたように声をかけた。  ついでに瓜生は、ヘファイストスの眷属がベルとパーティを組んでいることも話した。だが、世間話程度にして深入りはしなかった。 (おれの情報を得るためでは……)  さぐりは、別のほうから入れている。  神であり、成功した事業家であるヘファイストスの表情を見抜けるとは、思っていなかった。 「お礼と言っては何だけど、あなたには……常時発動の、不可視の魔力鎧の魔法があるようね。それに合う防具を見繕うことができるわ」 「それはありがたいです」  あとはヘファイストスの、上級の団員が瓜生を案内した。  示されたのはジャージ上下のように分離した鎖帷子。薄く、ミスリル合金製で軽く、動きを妨げない。  400万と値がついている。 「これは魔力を鎧とする魔法をお持ちでない方にとっては、実は250万程度の防御力しかありません。おすすめできません。しかし、鎧魔法をお持ちの方が身に着ければ、鎖がとてつもなく強化され別物になります。  今拝見した限りでは、お客様は1000万の全身板金鎧を着ているようなものです。それにこの鎖帷子を着れば、3000万の鎧を着ているぐらいにもなります。  2000万分の防御力向上が、このお値段なんですよ」  そう言われて買った。  全身鎧も考えたが、フルオーダーメイドで時間がかかりすぎるそうだ。 (自分の魔法を知られてでも注文すべきか……)  今ヘスティアと相談している最中だ。といっても、その店員と話し鎖帷子を買った時点でばれていると思っていいだろう。またどう弱点になるのかもわからない。  その二日後、瓜生は工房街の倉庫に、数多くの金属を大量に納入した。アルミニウムとコバルトは何トンも。チタン・純鉄・純銅とタングステンは数百キロ、ベリリウム・マグネシウム・バナジウム・クロム・ニッケル・イットリウム・モリブデン・スズ・セリウム・ネオジム・イリジウムも約30キロずつ。  金属元素の大半は、ちゃんと使い方をわかっているわけではない。 (これから試行錯誤する……)  とのことだ。  いくつかの特殊合金や、特殊樹脂を数種類、数百キロずつ。特に、ステライトと高速度鋼はすぐにでも使えると大量に。  もう二億ヴァリスは余裕で完済されているが、 (駄女神に勤労の習慣をつけるため……)  ヘスティアのバイトは続けさせると、瓜生とヘファイストスが話を合わせた。 >魔法と膝枕  遠征から帰った翌日、瓜生はヘスティアにビーツの話を聞いた。 「きみになら理解できるかもしれない。ビーツという子は……ずっと、空のさらに上から来たそうなんだ。神々とも違う」 「別の星から?」 「……それがわかってしまうのが、それこそ世界が違うってものなんだねえ……」  ヘスティアが、女神アストレアからの隠された方の手紙を手にした。  数年前。女神アストレアが隠棲することになる田舎からさらに人里離れた山奥で、大爆発が起きた。  火山ではありえない。  近くに住んでおり見に行った、老いて引退した第一級冒険者が、クレーターの底に奇妙な球体を見つけたらしい。  何か悪い勘を感じ、その球体は埋めたが……そこに、尻尾をはやした幼子がいた。  老冒険者は彼女を育てたが、狂暴だった。強力な精神系の魔法と拳闘術を使う老冒険者は幼児の心をのぞき、驚愕した…… 『強くなり、この星の知的存在を皆殺しにせよ。終えたら仲間に連絡せよ』  という命令が刻まれていたのだ。  老冒険者は、強大な魔法でその命令を抹消し、普通の人間らしい心を引き出した。  だがそれは寿命を縮めるほどの大魔術。まもなく老冒険者は病み、その心からビーツという名を読み取った少女を、現役時代から知っていたアストレアに託して死んだ。人間の親子の情愛と、厳く叩きこんだ格闘術の基礎と冒険者の心構えを与えて。  そしてアストレアは、ビーツの冒険者志望を聞き、改宗待ち状態にしてオラリオに送りだした。失った眷属の形見となった武器も与えて。  世間を知らないビーツを心配し、縁があり信頼できる、商人と護衛傭兵の中間のようなティティに同行してもらった。 「特殊すぎる子だから、信用できる神格(じんかく)の神で、大手は避けるように……と」  そうヘスティアは結んだ。 「おれの故郷も、異星の生命がいないか探している。まだ見つかっていないだけで、いてもおかしくない。その埋められたという……宇宙船、もし回収できれば技術を得られるかも……でも、リバースエンジニアリングできるだけの技術者がいなければ、みすみす宝を破壊することになる」  瓜生は、異界に行かされるとき『原作』の記憶を封じられる。『ドラゴンボール』の記憶も隠された。その宇宙船は、大爆発する危険があるのでうかつに調べるのは危険だ、という知識すら。 「で……」  ヘスティアが心配そうに瓜生を見る。 「もちろん、おれは歓迎するし支援する。本当に悪心……というかプログラムが消えているかどうか、慎重に見守るがね。それにいつまで見ていられるかわからない……  単に、おれに牙をむけば殺す。そうでなければ仲よくする。それだけだ」  瓜生の悲しそうな笑みを見て、ヘスティアはいつも悲しくなる。 「そんな悲しそうに笑わないでおくれ……」 「すまない」  瓜生の返事を聞いたベルは大喜びし、ヘスティアも早速ビーツに『恩恵』を刻んだ。 ビーツ・ストライ Lv.1 力: EX 4134 耐久: SS 1051 器用: A 874 敏捷: EX 3213 ― 《魔法》 ・魔法を使用できない種族 《スキル》 【戦闘民族(サイヤ)】 ・種族として魔力を持たない。 ・種族として体力がとても高い。 ・成長が早く、限界を超える。 ・瀕死から回復したとき、獲得経験値超高補正と自動ステイタス更新。 【月下大猿(ヒュージバーサク)】 ・条件(尻尾がある状態で、満月の光または同等の波を直視した)達成時のみ発動。 ・獣化、階位昇華。理性を失う。 ・尻尾を失うか、周囲を全滅させれば戻る。 【】  瓜生とベルで驚きには慣れていたはずのヘスティアが、ビーツの後頭部の髪に顔をうずめて震えていたという。  それから瓜生は、ベルやヘスティアに【ロキ・ファミリア】精鋭との小遠征について少し話した。  アイズの活躍にヘスティアは、 「そんな高嶺の花追いかけてないで近くの」  といつも通り。  ベルはますます憧憬を強めている。  それ以外の話は、どちらも実感できない。バーバリアン何十体を一連射で粉砕する、というのがどんなことなのか、まったく知らないのだ。  瓜生の話は、料理の話が主になった。  ベルのパーティに、そして家族に小さなビーツも本当に加わった。瓜生のおさがりの鎖帷子を仕立て直して着た。リリより小さいのに、そのすさまじい戦力はリリやヴェルフも驚き、すぐ頼りにするようになった。  瓜生と並んで、ベルやヘスティアに勉強も習うようになった。数学は、表記法をベルに習いながら瓜生も教える側に回る。……彼女は勉強は嫌いだが。  また、タケミカヅチに槍も習い始めた。まだダンジョンで使うことは許されていないが。  瓜生は、ビーツが食べる大人10人分以上の食事に苦労することになった。上限がないように食べ、空腹になると体力がほとんどなくなるのだ。地球人と違い、大量に食べた直後に激しい運動をしてもまったく支障がない。  市場で買っていては、ジャガイモの皮むきで日が暮れる。廃教会地下の小さいキッチンではとても調理しきれない。ベルの稼ぎでは追いつかない……25階層で稼げてもまだ追いつかない。食費はベルの稼ぎ、という約束はなかったことにした。  何より、 「ビーツのお腹をすかせたらリューさんの、あの殺気が……」  このことだ。 【ロキ・ファミリア】の、20人近くでの遠征の経験が早速役立った。  瓜生が寝起きしているテントを大型のものにした。そこにプロパンガスボンベと大型の内燃エンジン発電機を置いた。  いくつもの鋳鉄コンロとガスオーブン。10リットルの業務用圧力鍋、大きな寸胴鍋、業務用ガス炊飯器。業務用電子レンジ。業務用フライヤー。バーベキューコンロ。 (街食堂でも開くのか……)  という設備を用意した。  スライスタマネギなど冷凍野菜とひき肉・薄切り肉に、塩とカレー粉を入れて業務用圧力鍋で加熱。業務用炊飯器いっぱいの飯にたっぷりかける。  特大ステーキ肉と味噌漬け豚ロース厚切りをバーベキューコンロで一気に焼く。肉や魚の味噌漬け焼きはとてもご飯が進む。  業務用冷凍パン種を〈出し〉てガスオーブンで焼き、ボウルいっぱいのオリーブオイルをつける。圧力鍋で蒸し煮にした鶏肉とジャガイモ入りミックスベジタブルに、弁当箱のようなチーズ塊を添える。  アメリカンサイズのブロック肉にガスバーナーで焼き目をつけ、ワインと冷凍野菜を加えて木やプラスチック部品のない鍋に入れ、ガスオーブンで鍋ごと一晩加熱する。  大きい寸胴で何キロものパスタをゆで、ニンニクスライスをいれ鍋で加熱したオリーブオイルとチーズをかける。  手間がかからず味がいい袋ラーメンをいくつも作り、チャーシューを丸ごとつけ、大量の背脂を直接乗せる。  そばやうどんをゆでてザルに山盛りし、市販のつゆを添える。大きいセラミックフライパンで作った大量のスクランブルエッグとプロテイン入りミルクで栄養を整える。  皮をむいたり洗ったりする必要があるものをとことん避ける。説明通りに作ればいいものを多用する。レシピを忠実に拡大し、味を保つ。失敗しないことを優先する。  瓜生がいないときのために、倉庫も借りて大量の保存食を積み上げ、ベルに使い方を教えておいた。  また、ダンジョンにもペカンナッツなど高カロリー携行食を大量に持たせる。  ビーツはどれだけ大量に用意してもバババと平らげ、すさまじいはたらきをする。ダンジョンではレベル2以上を思わせる活躍、帰ってからもベルの、休みの日以外の夕食後のルームランナーフルマラソン……手首足首にウェイトつき……につきあう。  数を数えない、すさまじい素振りもともにこなす。小学校低学年の体格で、左右どちらの手にも10キロダンベルを握ったまま、それが見えないほど速いワンツーを打ち続ける。高速で円に沿って跳びながら。時にはまっすぐ前に出たり、ジグザグに前進したりもする。  走りぬいたベルが吐き気をこらえてプロテインミルクを飲み、吐かないように歯を食いしばり、歯磨きの途中でぶっ倒れて寝ている。ビーツはそれを横に見ながら、まだ8人前平らげてやっと寝るのだから大変な種族だ。  瓜生は、塩分のとりすぎが心配になった。10人前食べるということは、塩も10食分とるということなのだから。さらに、硝酸塩や保存料も、10食分……  というか、この種族の生理・薬理を知らないし、犬人や小人の生理・薬理も知らないのだ。  そのあたりは神ミアハにも相談したいが、ミアハやタケミカヅチにもビーツの秘密を明かしていいかは苦慮するところだ。  ビーツの種族は伏せ、世間話に見せかけてミアハに相談したが、食べる量がとても多いドワーフなどは腎臓も肝臓も強く、塩分が多くても、普通の食事に混じる毒素の分解にも支障はないそうだ。  とりあえず、不便ではあるが硝酸塩を使う加工肉、保存料などを含む加工食品などは極力避けるようにした。なんとか添加物ゼロのソーセージや冷凍揚げ物などを探した。ラーメンやカレーもインスタントやレトルトを避け、業務用冷凍スープやカレー粉を使うようにした。  瓜生は、ベルのパーティについても聞いた。  ビーツの素性ははっきりしている。 【ヘファイストス・ファミリア】でヴェルフについても聞いた。ロキに頼んで瓜生を調べるためではないとヘファイストス本人に確認してもらった。  となると、リリルカ・アーデ……【ソーマ・ファミリア】。  フィンも、 「『妙な音』の情報を求めているのは、僕だけじゃないよ。特にリヴィラでの騒ぎは、『ギルド』は緘口令を敷いたけど、広がってる。怪物祭りでの、食人花との戦いも見ている人はいる。君と、ベル・クラネルの背格好はかなりの人が知っている」  と言っている。  そして、 (『妙な音』目当てにうかつなことをしたら、とんでもない大手がつぶしにかかる……)  という噂も広めてくれた。  それだけでなく、護衛も必要ではないかとまで言ってくる。瓜生にも、ベルにもヘスティアにも……ビーツにも。瓜生も、将来はそれも考えている。  瓜生自身も情報を集める。前回の遠征の報酬として、【ロキ・ファミリア】の情報屋を何人か紹介してもらった。  それをうのみにせず、その情報屋も検証した上で使う。  今までの数日では、リリルカは有能なサポーターにすぎないようだ。ベルは信頼しきっている。  会話の中でも、それほどベルのファミリア仲間についての質問はしてこない…… (ステイタスや、別ファミリアの内情を聞くのはタブー)  という礼節と、仲間としての気安さの、普通の中間点らしい。  頭からパーティから追い出せと言ったら反発するだろうから、干渉せず泳がせている。 【ロキ・ファミリア】の本拠地、『黄昏の館』では、先の小遠征についての話でもちきりだった。  帰ってきていないアイズとリヴェリアに、心配で狂いそうな者はそれどころではなかったが。 「おいしかった。ベッドもここより豪華で、布団も柔らかかった」 「ブロックベーコンたっぷりの、舌をやけどするようなシチュー」 「カレーライス……とろけるお肉がゴーロゴロ……」 「生ハム丸一本から長い包丁で削って好きなだけ、柔らかいチーズ、新鮮なレタスとトマト」 「揚げたてで口をやけどした。ジャガ丸くん、フライドチキン、フライドポテト」 「焼きたてのほかほかパン、おいしいバターとハチミツ、山盛りのソーセージ、全自動で豆から挽いたコーヒー……」 「毎日お風呂に入った。熱くてきれいな。いい香りもした」 「新品のタオルと羽根布団……」 「牛丼はオラリオのどこで食べられるのかなあ……極東系の食堂探そう」 「ゆでたてパスタにミートソースとチーズを好きなだけ……ピザまで食べ放題……」 「ラーメン・チャーハン・ギョーザ・エビチリ……」 「特訓は地獄だったけど」 「百以上いたリザードマン・エリートが一連射で消えたの。消えたの。血の霧になって」 「悪夢だったな、あれは……」  そしてロキは、参加者のステイタス上昇にも驚いていた。 (こないだの、50階層まで行った遠征よりすごいやんか……) (ろくに戦ってへんと文句たらたらのティオナたんも、前の遠征より上昇しとる)  かすかな疑いはある。だが、この遠征自体が異例であり、モンスター討伐数もそれに見合うものはある。  もう、【ロキ・ファミリア】全員に伝わった。 「彼がいてくれれば、50階層までは勉強の苦労だけで行ける。誤射や事故はあっても、モンスターにやられることはまずありえない」 「それも毎日あったかい風呂・ふかふか布団・おいしい食事つき」 「布団と食事が出てくるだけでも十分ありがたい」  このことである。  瓜生の活動はろくに知らず、ビーツ・リリ・ヴェルフと四人でダンジョンに通うある日のベル。  朝起きて、ダンジョンに響かないように素振りを千回程度。昨日の反省も兼ねる。 (どんな動きをしていればよかったか。敵の立場に立てば、どうすれば昨日の自分の隙をつけたか)  思い出し、自分の剣で実践してみる。  ビーツも同時に起き、すぐに枕元に用意されている菓子パンを食べて水を飲み、ベルの隣で重いダンベルを握ってワンツーやアッパー、前蹴りを鋭く繰り返している。  それから槍の練習もする。練習には瓜生が出した彼女の身長より長い全鋼バールを使う。突きと、時計回り・反時計回りに先端で円を描くだけを、何百も。  朝食の用意が終わり、できるのを待てばいい状態にした瓜生が遅れて、20分ほど素振りにつきあう。ヘスティアを起こすのはベルの仕事だ。  業務用炊飯器ふたつで合計6升、60合の飯を炊いている。  業務用圧力鍋で、合挽肉とミックスベジタブルの濃厚スープ。  プロテイン入りのホットミルク。  全自動機械で淹れたコーヒー、ホールケーキ。 「朝から濃厚だねえ」  とヘスティアがあきれるのもいつものこと。  ほとんどはビーツが平らげる。わんこそばのように、どんぶり飯に肉たっぷりスープをかけたのを瞬時に吸いこんで、おかわりを求め続ける。  ベルは、ダンジョンに行く朝は軽い粥程度。  瓜生とヘスティアは普通に食べる。  食事を終えたら廃教会の工事をしている業者に挨拶して、ベルとビーツは装備を整えて『ギルド』に向かう。  瓜生はバイトに行くヘスティアを送りだし、ゆっくり洗い物をする。  いつもの、タケミカヅチ・ファミリアが屋台を出す目印あたりでリリとヴェルフを待つ。  お互いの故郷の話も少しする。どちらも似たような田舎だった。ビーツは老冒険者とほとんど二人きりで、物心ついてから何度か女神に会うぐらい。ベルも祖父を手伝う農村生活。  ビーツは大きなリュックにビスケットと高脂肪ナッツ数種を詰めており、サポーターと思われている。  大きなバッグを背負ったリリと、大刀を負い、胴だけの頑丈な板金鎧をつけたヴェルフがやってきて、茶を一杯飲んでエイナたちに報告し、ダンジョンに向かう。 「その鎧は?かっこいい」  ベルが目を輝かせた。 「昨日作ったんだ。稼いだ金とドロップアイテムで。まだ途中だが」  ずっと着流しでのんびりやっていたが、目覚ましい成長を見せるベルやビーツを見て、自分もこのままでは置いて行かれると思ったのだ。  上の階層は小走りに抜ける。基本的には経験を積ませることも兼ね、ビーツに任せる。  瞬間移動のような高速突進、トンファーの短い方が突き上げられる。それでゴブリンやコボルドの頭が消し飛び、すぐに次の横に移動し回転する長い側が頭を砕く。  人の姿をした生き物を殺すことにも、まったくためらいがない。冒険者として鍛えられている。  相手がウォーシャドウでもあまり変わらない。リーチの短さは、果敢に腰を落とし小さくなって突進することと、トンファーの長い方を前に握ることで補う。瓜生が出した頑丈なヘルメットで頭部は守っている。  8階層あたりから、リリのクロスボウをセットする。先端部にある鐙に足を入れ、『てこの原理』も利用し、全力デッドリフトほどの力でレバーを引き上げ、引き金にふとい弦をはめる。太矢をセットするのはそれから。 「強く作りすぎたな……」  という代物なので、セットはヴェルフ・ベル・ビーツが交代でやる。純粋な力はビーツが一番強い。  最上層より手ごわく数が多いゴブリンやコボルドを、ベルとビーツが次々と掃討する。ヴェルフはリリを護衛し、迫るのを斬りまくる。  10階層から12階層までが主な稼ぎ場。まだ13階層、最初の死線(ファーストライン)、中層への進出は許可されていない。  ベルはトロルの鈍い棍棒をかわし、まず腕を袈裟に斬り落とし、返しの逆袈裟で喉を切り割る。そのまま歩き抜け、とどめはヴェルフに任せる。  またインプの群れをベルとビーツの二人が、すさまじい速度で斬りまくる。そんなときにはベルは刀をリリに預け、脇差『ベスタ』とヴェルフが打った『ドウタヌキ』ブランドの短剣を二刀に暴れまわる。  ビーツはシルバーバックの強撃を、トンファーを体の前に平行に置いたまま腰をひねって両手でさばいて左足を深く入り身する。そのまま左手は裏拳のように振りぬいて回転する長い側の棒で膝をつぶし、さらに踏みこんで打ち上げる右のフック。短い側の先端が拳と一体になり肝臓をえぐる。  強い生命力、それだけでは止められないと見るや、腰を落としてから強烈なサマーソルトキックが頭を後ろに飛ばす。 「ビーツ様離れて!」  リリの言葉に巨猿の肩を蹴って離れた、そこを太い腕が飛びすぎ……そのすきに、シルバーバックの目にボールペンぐらいの、全鋼の太矢が埋まる。後頭部から貫通するほどの小型クロスボウの威力。 「ベル様!」  ベルがすすっと歩き、袈裟切り一閃で首を斬り落とし、やっと灰になる…… 「移動します」  最低限の魔石を拾ったリリが、次のルームに行くと指示する。三人とも、一言も問い返さず従う。  そして次のルームに急いで振り返ると、霧を通してとんでもない何かが暴れているのが見えた…… 「おなかすいた」  ビーツが言いだして、壁を傷つけて一段落し、皆で昼食。 「ビースケ、相変わらずちっこい体でよく食べるな。リリスケもこれぐらい食べないと大きくなれないぞ」 「ほっといてください。リリがこんなに食べたら動けませんし吐きます」 「ははは……(帰ったらこの何十倍も食べるんだよ……)」 「そろそろ8階層に移動しましょう。無理はよくありません」  と、リリの指示で上に行く。多数のモンスターが発生したこともあったが、それは主にベルとビーツが掃討した。  それから8階層で、キラーアントからしばらくゆっくり逃げる。そうするとものすごい数になるので、一気に反撃して掃討する。  ビーツの高密度トンファーは、キラーアントの甲殻にもしっかり通用した。細い首や手足を砕いて断ち切ってしまったり、胴の甲殻を砕き穴に手を突っこんで魔石を引っ張り出したりする。  リリのリュックがはち切れるほど収穫を詰めて、出口に向かう。  もうビーツは空腹を訴え、すっかり戦力を落としていた。  ダンジョンを出てすぐ、大盛りで知られる店に向かう。ビーツがオラリオに来てから数日は「全部食べたらタダ」系の店を荒らしていたが、もう廻状が回ってしまい挑戦は断られる。今は、適正価格で大盛りの「おやつ」を食べさせている。  実はリリは、二回ほど大きな賭けをしてかなり儲けている。  ビーツが食べている間に換金を済ませ、均等に分ける。均等分けに驚いていたリリも、すっかり慣れたようだ。  リリの太矢は高価な消耗品だが、ヴェルフが打ってくれるので材料代だけでいい。  ヴェルフもそれなりのドロップアイテムは手に入れている。  エイナに報告してからリリとヴェルフは帰り、シルとリューに誘われていたので『豊穣の女主人』で夕食に。 「おう来たね、大食いチビちゃん」  とミアは豪放に笑う。最初にすさまじい量を食われ、それでも笑っていたのだから大物である。 「今日こそはもう入らない、降参、って言わせてやるよ!」  今は、原価最低限で十分うまいものを、彼女の食べる量に合わせて作っている。 「じゃあ俺も『ビーツスペシャル』で!」  と注文する客もちらほら出てきており、ヒットメニューの予感はある。 「一日5食限定。食べきれれば800ヴァリス、残したら7000ヴァリスだよ」 「そいつはきついな」 「え、これを……こんな小さい子が?」 「なら賭けますか?」  ビーツが食べきれるか、店員を通じて賭けているから損にはなっていない。……もう何度かやったら、その賭けも成立しなくなるだろうが。そうなれば客に注文させて賭ければいい、というぐらいのことだ。  冗談抜きの20人前、大テーブルに並ぶ。見るだけでもとんでもない見物だ。  持ち上げるのもきつそうな大皿に、平パン・焼肉・野菜・特大ジャガ丸の重ねが繰り返され、高く詰みあがる。洗面器のような大深皿からパスタが山のように盛り上がる。両手鍋ごと持ってこられた、イモと魚にマカロニまで入ったシチュー。  デザートも、それだけでも大人が満腹できそうな特大ドーナツ。  青くなるベルをよそに、ビーツはバババババと詰めこんでいく。みるみる膨大な料理がなくなる。  リューが嬉しそうに給仕をしている。  シルがベルに話しかけた。明日は休日なのだから、本でも読んだらどうか、ちょうどお客様が忘れていった本がある、と……  瓜生はその日、【ヘファイストス・ファミリア】に金属を納入したり、酒関係者を回って【ソーマ・ファミリア】について情報を集めたりしていた。 【タケミカヅチ・ファミリア】の屋台の会計を見、素材を倉庫に積み上げもした。  ヘスティアと、リリについて話し合いもする。  帰ってから……一日のダンジョン探索で疲れていてもベルはストレッチングをする。もう、両足を120度に開いて鼻を床につけることができる。  そして足首と手首に重りを巻きつけ、背には塩水入りの水筒を背負ってストローを口元に固定し、業務用ルームランナーでフルマラソン。  さらに回数を数えぬ素振りと、ウェイトトレーニングをして、【ステイタス】を更新して結果を聞きもせず寝てしまう。  毎日のように更新していても、それでも異常な上昇にヘスティアが頭を抱えるのもいつものこと。  ビーツも同じメニューをこなし、彼女は終えてからまた業務用圧力鍋いっぱいのネギ・なまり節・油揚げの煮物を鍋から平らげ、小さい彼女なら風呂がわりに入れそうな鍋の残り汁にうどんをたっぷり入れてひと煮立ちさせまた食べつくして、やっと眠気を訴える。  彼女もとんでもないステイタスの上昇でヘスティアはあきれるが、孤児の女神らしく歯を磨いて着替えさせ、シャワーにも一緒に入ってやって、抱きしめたまま眠る……  翌日は休日。その本を読んだベルは突然意識を失った。  魔法とは……英雄に至るための、力。大切なものを守るための……祖父のように。シルバーバックから主神を守ったように。  魔法が発現したベルは、真夜中に一人ダンジョンに出かけた。興奮のあまり、朝まで待てなかったのだ。 【魔法】 【雷刃(ヴァジュラ)】 〇付与魔法(エンチャント) 〇詠唱文「雷火電光、わが武器に宿れ」 〇 〇  詠唱が終わった直後、至近距離の雷のようなすさまじい光が刀に宿った。  そのまま歩み、ゴブリンに振り下ろし……手ごたえもなく、ただ二つになった。  直後、すさまじい反動と衝撃に吹き飛ばされる。灰も魔石も残っていない。 「す、すごい、すごい」  斬りまくった。いつのまにやら3階層で……気を失った。威力があるかわり、極端に消耗が激しい。  そして気がついたら憧れのアイズ・ヴァレンシュタインに膝枕されており……逃げた。  ちなみに、ベルがまたやらかさないか心配し……外からの襲撃も心配して警報装置をつけてあったため、瓜生はあくびしながらついて行っていた。それでアイズとリヴェリアにも会い、ベルはアイズに任せてリヴェリアを黄昏の館まで送ってから帰った。 「おまえは後輩にどういう指導をしているのだ、うちであんな馬鹿なことを起こす子がいたら」  などと、くどくど説教されながら。  瓜生にナメルをもらっていたリヴェリアは、37階層から19階まではアイズを乗せ、徒歩なら2日の道のりを半日で戻った。それからリヴィラを素通りして、17階以降は急ぎ足で帰ってきたのだ。 『黄昏の館』に帰ったリヴェリアは、アイズを待っていたレフィーヤに思いがけないことを言った。  彼女の勘違いを抑え、強く目を見てどれほど彼女のことを思っているか、何度も伝えた。 「いいか、『大木の心』を持たないお前が、アイズやヒリュテ姉妹に同行しても、得るものは少ない。だが、今からうち(ロキ・ファミリア)の二級冒険者たちとダンジョンに行くのは、人間関係上問題がある。  ウリュウも承知している。  ついでに、伝言があるのだが……」 >新しい仲間、新しい真の仲間  瓜生がロキのお神酒に、30年以上熟成のシャトー・オー・ブリオンを捧げていた。  ちょうどエイナ・チュールもリヴェリアに連れられ、市販の神酒(ソーマ)を土産に来た。  リリルカ・アーデとパーティを組んだベルを心配し、調べていたのだ。  そして瓜生も交え、【ソーマ・ファミリア】のゆがんだ姿を詳しく聞いた。  なぜか瓜生は、その薬物中毒じみた話に、抑えてはいたがかなり強い反応をした。 「……なら、ロキはほしくないか?ソーマその神(ひと)は。ファミリアはいらない、で」 「……そりゃあ。この失敗作でも毎日飲めたらなあ」  瓜生のほのめかしに、ロキの糸目がさらに細くなる。天界の悪戯者(トリックスター)らしい表情が出る。  エイナに少し遠慮してもらい、瓜生はロキを誘って数本の酒ビンを〈出し〉て渡した。それ自体が芸術品と言えるくびれたガラスに深い赤褐色の中身……絵が描かれたラベルの古いビン……コルクが崩れそうな、百年は経っていそうなビン……  ロキは舌なめずりしながら、糸目の奥はトリックスターの奸智をはたらかせていた。  そしてリヴェリアはエイナに、なぜ【ソーマ・ファミリア】について調べているか聞いて、ちょっとしたことを思い出した。  エイナが担当し、心配しているベル・クラネルは、瓜生と同じ【ヘスティア・ファミリア】。その彼が、瓜生が陰で見ていたとはいえ魔法を試してやらかしたこと、アイズ・ヴァレンシュタインに気にかけられていることも。 「ああエイナ。私はこの前、ウリュウと組んで遠征に行った。だからベル・クラネルという少年もまったくの他人とは言えないな。深層にとどまるといったアイズ・ヴァレンシュタインにつきあって、皆から遅れて戻っていた、3階層で……」  その朝、瓜生は朝起きたら見当たらなかった。  ビーツの朝食はベルが用意した。パンとオリーブオイル、スクランブルエッグ。もちろんとんでもない量。  問題は、高価だという魔導書をシルに返しに……  ちなみに、 「ウリュウくんに泣きつけばいくらだろうが出してくれる。城を崩すほど金を出したことがあると言ってたし……」  と一度ヘスティアが言おうとして、 「いやだめだあれに頼ったら人間終わるよ……それに、彼の故郷の王様は、本当に部屋一つ黄金で埋め尽くしても火あぶりにされたって……」  と真っ青になってつぶやいた。ベルも同感だった。  とにかく誠心誠意土下座に賭ける、瓜生を引っ張り出すのは最後の手段……  リリルカ・アーデは、周囲に危険な匂いがしてきたことと、自分がベルの危機に切り札である魔剣を使ったことがきっかけで、動こうと思った。  自分にとって魔剣が切り札であるように、ベルも切り札を持っているかもしれない。  それを確認する……危地に落とし、孤立させることで。それで中間報告、その価値で自分に対する攻撃を止めさせる。 (利用価値がある限り、攻撃は止めてくれるはず)  そう考えた。欲深さ、金の卵を産むガチョウを殺さない理性を期待したのだ。  ヴェルフや、小さいビーツを巻き込むのは気が引ける。また、計画がとても難しくなる。  だが、小さい体ですさまじい活躍を見せるビーツも、恵まれた体と力で豪放に戦うヴェルフも、どちらも嫉妬を抱いてしまう存在だ。  それに、 (どちらも、冒険者……)  なのだ。憎い、にくい……  三人とも、リリを優秀なサポーター、指揮官、射撃手と認め対等に頼りにし、収穫も公平に山分けにしてくれることからは、あえて目をそらした。それを認めてしまったら、自分が崩れてしまう……  シルに本を返しに行ったことで遅れたベルは、待ち合わせ場所に急いでいて……山吹色の髪のエルフ少女にぶつかった。手を差し出して、エルフは接触を嫌がることを思ってためらったが、彼女はその手を取った。  その時にはただ美しさに驚いていただけだが……エルフ少女が、何かに深く悩んでいるようだったことにも気がついた。  さらに、 (リリをはめよう……)  という冒険者と争いになりかけた。  やっと広場に着いて、いつものところ……【タケミカヅチ・ファミリア】が屋台を出す軒先にヴェルフがいた。  ヴェルフがいつも通り、大量の弁当を背負っているビーツをからかう。  そのとき、さっきぶつかったエルフの少女が声をかけてきたのだ。 「あなたが、【ヘスティア・ファミリア】のベル・クラネルですか?」  ベルはびっくりして声を失っていた。  レフィーヤはベルの人相は聞いていた。だが、ぶつかった相手がそのベルだと気づくゆとりもなかった。  すぐ、リリもやってきた。 「え、え?【千の妖精(サウザンド・エルフ)】?」 「……はい。【ロキ・ファミリア】のレフィーヤ・ウィリディス、Lv.3。ベル・クラネルさんのパーティに入ってあげても……じゃなくて、入れて……ください」  全身から「ぐぬぬ」と聞こえそうな気配。 「リヴェリアさまと、フィン団長が、ベル・クラネルとパーティを組んで行って来いって。あなたの同僚、ウリューさんからも伝言されてます!」  差し出した紙を開けると、 『このれふいーやさんと、よければ、だんじよんでしゆぎようしてこい。うりゆう』  ぐらい未熟な文が書かれていた。 「あ、あの……こちら、僕と今パーティを組んでいるヴェルフ・クロッゾ、【ヘファイストス・ファミリア】の、それと」 「私は、リリルカ・アーデというしがないサポーターです。所属は【ソーマ・ファミリア】ですが、素質がないので自由行動を認められています」  それだけリリが言う。その卑屈さのわざとらしさは、余裕のないレフィーヤにはわからなかったろう。 「ぐ……うわさは聞いていましたが、【ヘファイストス・ファミリア】にクロッゾの末裔が……いや、リヴェリアさまに言われていました、友好関係を保て、鍛冶師を敵にするなと……」  エルフであるレフィーヤは歯をギリギリと鳴らす。  エルフはクロッゾ、魔剣鍛冶貴族を憎んでいる。かつて魔剣の力でラキア王国があちらこちらを攻めたとき、エルフは大きな被害を受けた。故郷の森を焼かれたのだ。 「はあ、はあ。すーっ、はーっ、すーっ、はあああああーっ。すう。失礼しました。かまいませんよ、あなたが悪いわけではないのですから」  レフィーヤはそう言いながら、ヴェルフとまったく目を合わそうとしない。  ヴェルフはやれやれ、と肩をすくめた。  ベルが新しいパーティなど報告して、ダンジョンに入る手続きをしようと『ギルド』窓口のエイナ・チュールに会ったとき、とんでもない悪寒がした。猛烈な怒りの気配を感じた。いつもと変わらない、美しい笑みの中に。メガネの輝きが、 (とんでもなく怒っている……)  ことを、告げているのだ。何度か見ているからこそ、わかる。 「ベル・クラネルさん。ものすごい美人がお待ちかねですよ。ちょっとこちらへ」  もう、言葉の意味が分からないほど混乱したベルは、だらだらと汗を流していた。  まるで連行されるように個室に……  エイナは嘘は言っていなかった。確かにそこには、とてつもないエルフの美女がいた。 「君がベル・クラネルだな。ウリュウに話は聞いているし、寝顔は見ている」  ヘスティアとのデートの時もみゃくちゃにされた、その女神たちにまさるとも劣らない、圧倒的な美。  それが、好意的な視線というより……怒っている。 「【ロキ・ファミリア】のリヴェリア・リヨス・アールヴだ。この間の夜、精神疲弊(マインドダウン)で、ダンジョンの真ん中で一人で寝ていた愚か者だな。魔法が発現して、興奮して一人でダンジョンに突っ走って、試しているうちに……といったところか」  ベルは、崩れ落ちそうになった。超絶美女の、すさまじい迫力に。  エイナがまた、笑みを崩さないままとてつもなく怒っている。  リヴェリアの静かな静かな迫力にもベルは震えあがっている。  二人の怒り方が、とてもそっくりに見える。親族ではないようだが、少し似ている。 「しかも、助けてくれたアイズさんに礼も言わず逃げだすとはねー」  エイナの平板すぎる声。ベルはもう、冷や汗で溺れそうだった。 「きっちりとアイズに謝っておけ。女を悲しませる男は最低だぞ」 「最低ですね」  ベルはもう、一言も言えず蝋人形が溶けるように消えいっていた。思考一つできないほど。  あとは、もう筆に尽くせぬ。  それ以前に、ベルの新しいパーティメンバー……【ロキ・ファミリア】のレフィーヤ・ウィリディス、最大手ファミリアどころかオラリオのエルフ全体でも有名な期待株。もうエイナの精神は限界に近かった。 (普通の人がいないのかしらベルぐんのまばりにば……)  ちなみに、説教されているベルを待つリリの精神も、限界に近かった。またしても新メンバー、パーティの戦力ががらりと変わる。  作戦は事実上不可能だ、時間がないというのに。 「リリとヴェルフ様、二人でレフィーヤ様の詠唱が終わるまで守り抜きます。ベル様とビーツ様が前衛、アタッカーですが、何よりも確実に退避することが生死を分けます」 「僕も、魔法が発現したんだけど……」 「じゃあその次に、その検証を!違うファミリアの者に対する能力開示と守秘は契約にありますので!」  リリは頭がパンク寸前になっている。  4階層。これまでにレフィーヤも、ビーツとベルの強さはある程度見ている。  特にビーツの、年齢と体格に似合わぬ強さには驚かされた。  レフィーヤは一番弱く、追尾性能があり扱いやすい【アルクス・レイ】を見せた。 (このメンバーで行く階層では、この呪文で十分……)  と考えている。  それでも、遠距離攻撃呪文の威力を初めて生で見たベルはすごいと大喜びしており、レフィーヤは鼻高々だ。  そして待ちかねたようにベルが呪文を唱えた。リヴェリアとエイナにさんざん怒られたが、それぐらいで14年間の憧れは消えない。 「【雷火電光、わが武器に宿れ。ヴァジュラ】」  呪文を唱え終わった瞬間、すさまじい光がベルの刀を包む。  目の前のゴブリンはひるんだかに見えた。  次の瞬間、右足の深い一歩、しっかりすわった腰の回転。振りかぶった刀を袈裟に落とす。  閃光と轟音。至近距離の雷と同じ、魂を飛ばすような衝撃。  レフィーヤとリリの悲鳴が上がる。  ゴブリンだったものは何もない。 「すげえ……」  ヴェルフが呆然とし、次々と壁にひびが入ることで目が覚めた。 「みんな目を覚ませ!ここはダンジョンだぞ!」  ビーツはまっさきに動き出した。  はっとしたベルも、刀をひっさげて歩き出す。  呆然と立っているリリとレフィーヤが復活したのは、そこのゴブリンを殲滅してからだった。 「……付与(エンチャント)、短文詠唱で……それも雷だけじゃない。火と、時空破壊……刀が当たらなければ無意味、でも当たれば何その威力は!?そんなのありですか!」  レフィーヤが悔しそうに絶叫した。 「とんでもない一撃必殺呪文ですね……ただでさえ刀の威力があるのに……過剰威力で、消耗するだけです。よほどの強敵以外には使わないほうがいいでしょう」  ふと、リリは何か考えて、いうのをやめた。連射がきく『リトル・バリスタ』をそっとなでた。 「えー」  とベルは文句を言いたそうだ。それに、リリはきゅっと唇を噛んだ。 (付与系魔法が発現したら、試すべきこと。仲間の武器にも付与できるか。剣以外、特に多数の矢や太矢にまとめて付与できるか) (……それは後日でいいでしょう、結果が重大すぎます。いや、ひょっとしたら、ウリュウ……『妙な音』も、『リトル・バリスタ』に付与魔法をかけたようなものかも)  その日はリリがそう言ったので無理をせず、10階層前後で稼ぎつつ陣形で動く訓練をした。  ベルの魔法を付与した刀は、オークやハード・アーマードも一撃で両断し、焼き尽くした。 「魔石が……」  とリリが残念がるほど。 「レベルいくつの威力なんですか」  とレフィーヤが呆然とする。  そのレフィーヤも、かなり長い間ぶりの低レベルパーティ。駆け出し時代を思い出す。  がっちりとリリとヴェルフが、地面に置ける脚までついた巨大楯で守ってくれるのは、懐かしかった。  メンバーが、一番弱そうなリリの指示に従うのが少し気に食わなかったが…… 「いいですか。このパーティでは、レフィーヤ様の詠唱が終わるまで守り抜くことが生命線です。ベル様もビーツ様も、意識を切り替えてください。敵を見たら考えずに突撃するのはやめてください。  また、詠唱が終わった時の確実な退避はすべてに優先します。常にリリに、ホイッスルに注意していてください、12階層の濃霧でも確実に動けるよう。短く3回鳴ったら必ず退避」  リリが厳しく言い、頻繁に指示を出す。  地面に置くことができる大型防弾楯を、リリとヴェルフがしっかりと構える。  ベルとビーツがすさまじい勢いで、遠くから敵を狩っていく。  レフィーヤが呪文を唱えようとするのを、リリが止めた。 「まだ呪文は唱えないでください。しっかり楯の影にいてください!」 「なんで私が指図されなきゃいけないんですか!私はレベル3ですよ!」 「急増パーティで、タイミングを合わせるには指示が必要なんです」  リリは真剣に全体を見回す。ヴェルフは盾を叩く敵を力で押さえ、大刀を突きに使って牽制し、そこをビーツが素早く走り戻って背中から膝を砕いた。そこをヴェルフがとどめを刺し、ビーツはまた前線に戻る。  頭では、低レベルで強力な魔法職がいる、少人数パーティはこれが正しいとわかっていた。  だが、ここしばらく……アイズやアマゾネス姉妹とのパーティとは違う。特に前の小遠征は、うさばらしとばかりに暴れるレベル5たちの中でひたすらおびえるだけだった。  遠征でも、死守は多数の壁の担当。  考える余裕ができてしまう。アイズの背中をひたすら見ているときとは違う。  なぜ、遠征で自分が楯壁を突破したフォモールにやられかけたか……並行詠唱ができなかったから、とばかり考えていたが、できないのは自分だけではない。並行詠唱はめったにできる者がない高等技術、できなくて当たり前だ。  自分が前に出すぎていた、ちゃんと魔法使いたちの集団に入っていなかったから。  敵が極端に弱いここでなら、それも見える。 (そういう……)  大手ファミリアの、多人数の遠征。レベルが上すぎ、しかも前線突撃型の幹部との少人数。それでは、レフィーヤ個人を見れば経験の質が悪くなる。  リヴェリアやフィンは、そのことも考えてくれていた……それがわかる。  だが、より大きく成長するには、このメンバーをさらに成長させ、 (せめて17階で稼げるように……)  しなければ。  余裕のある階層で、それが見えてきた。それも可能だ、特にベルとビーツはそれほど優れている。ランクアップしていないのが不思議なほどの戦力なのだ。  リリが、 「パーティが変わったら疲労の蓄積が何倍にもなります。早めに上層に行って、そこで陣形訓練をすべきです」  と指示し、ベルも従う。  レフィーヤは少し反抗したが、最後には折れた。  ダンジョンを出てから、ベルはエイナに呼ばれて魔法の講義を徹底的に受けることに。  リリは換金。  ビーツとヴェルフ、レフィーヤは、ビーツがいつも行く大盛り店に行った。  今日は蝶のような形のパスタと、青紫色の野菜・脂身多めの粗ひき肉・米ぐらい小さい豆のソースがおいしいとのこと。  レフィーヤも、いつもと違う店で大盛りに引いていたが、 「食べきれなければ、こいつにやればいい」  と半分以上ビーツの、瞬時に空になった皿に入れたヴェルフをまねた。  半分でも長身で一日激しく動いたヴェルフが、十二分に満腹になれるほどの大盛りである。 「このチビはとにかく食うんだよ、強いぶんな」 「深いところに行ったら大変ですね、でもまあ……」 (ウリューさんと同じファミリアなら、あれを連れて行けばどれだけでも食物は出る)  というのを飲みこんだ。  もちろん瓜生の能力は、【ロキ・ファミリア】最大の秘密の一つだ。 「さて、そろそろリリスケも戻ってくるだろうし、『ギルド』で収穫を分配して解散、ってところかな」  とヴェルフが言って立つ。ビーツはもう、大皿をぴかぴかにしていた。  ベルはやっとエイナの説教続き+スパルタ魔法講座が終わって、換金した金を受け取って解散……ビーツは先に帰っている。  ちょうどそのとき、ギルドの奥から出てきた瓜生に会って、多量の食材を買いこんで帰った。  夕食は、ビーツはもちろんまだたくさん食べる。  それから少し食休みして、また素振りとルームランナーでフルマラソン。  今日はさらに背中に40キロもバーベルを入れたリュックを背負ったまま、縄跳びや懸垂、パラレル・ディップまでやらかす。  換金ついでに、様々な用を果たしたリリは、自分の部屋には帰らなかった。  ちょっと古着屋に寄ってから裏町に入り、傷だらけの裸でゴミに埋もれた男を見つけた。慣れた森でキノコを探すより簡単だ。 「身ぐるみやられましたね?種銭も?」 「なんだこのガキ」  殴られ蹴られた裸の男は壊れた目で少女を見る。  その目にわずかな光があるのをリリは見て、 「ちょっと待っていてください」  と、かなりぼろいが何とか着られる下着とズボンとシャツを差し出した。 「それと、700ヴァリス。この伝言をちゃんと果たしてくれれば、その人は2000くれるはずです」  と言って、700ヴァリス渡す。 「……に、『数日は帰れない。【ヘファイストス・ファミリア】の工房の一つに泊まる。伝言をくれた人に、預けてある金から2000。ナスの馬車』と伝言を」 「ちっ、わかったよ」  リリが泊まる場所は、伝言とは別だ。まったくの気まぐれで動き、浮浪者のように物陰で体を休める……完全な睡眠は無理、戦場の兵士のように。  翌日。  瓜生は、前の日の夜に帰ってきた。『ギルド』に用事があった、と言っている。  ダンジョンに入り、12階層……霧の迷宮に来て間もなく。  リリとベルだけがはぐれた。  やたらと敵が多い。だからレフィーヤが大呪文を詠唱する時間を稼ぐため、分かれて離れ、敵を引きつける、と。  そのとき。  突然、多数の敵が出現する。深い霧、仲間と連絡が取れない。 「む……無理、逃げましょう!」 「ビーツや……わかった!リリは絶対に僕が守る」  そう叫んだベルが、走っては振り返って斬り、斬っては走る。  毎日のようなフルマラソンで磨かれた、底なしの体力と意志力。激しい疲労に慣れきっている。すさまじい勢いで上昇する【ステイタス】を、限界まで使いこなしている。  息を切らせたリリが倒れるのを背負う。  そして追い詰められ、上層階へ……かろうじて逃げ続けている。  一度、追い詰められたときにリリが背から魔剣を取り出し、振るい……それは砕けた。  それでなんとか抜け出し、横道から狭い通路へ。でも次に襲われたら……魔法を使おうとするベルをリリが止める。 「無理です、ここで使ったら確実に……ベル様、切り札があるのなら……」  この時点で、リリはもう惑っていた。  普通の冒険者なら、こんなきつい逃亡になれば、卑しいサポーターである自分を囮にする。だがベルは、姫君を守る騎士のように何があっても自分を守り抜こうとしている。  だが、まだそのことから目を背けた。計画をやり遂げようとした。  自由のために。復讐のために。 「……うん。リリを守るためなら」  ベルが決意の目で、背中のポウチを外した、そのとき。  ベルとリリの首筋に、後ろから吹き矢が打ちこまれた。 「あ……」  動きが鈍る二人。 「へへへ」  ゲスな声が響く。  ベルは見たことがある、リリを追い、ビーツたちを襲おうとした冒険者…… 「捕まえたぜ、ここに来れば捕まえられるって聞いたからなあ……このクソ小人(パルゥム)!クソガキ!」  おもいきり、二人を蹴りつける。何度も。しびれが抜けない。痛みが、質が違うものになる……身体の底から、空腹を通り越したような。  腹の中身を全部吐き、さらに血を吐いているのがわかる。  わざわざヘルメットをはぎ取られてから、めいっぱい顔を蹴とばされる。  エイナ・チュールがプレゼントしてくれた防具が吹っ飛ぶ。 「リリ、を」 「何こんなクソをかばってんだこのバカは。このクソ小人は盗人だぞ」 「う、うそ……」 「変身の魔法を使って、いろいろな冒険者から装備を盗んでドロンしてるんだ。さしずめお前からも、高く売れる装備を盗みに近づいたんだろうさ!  へへへ、これだけもってやがる。宝石に、お、魔剣まであるじゃねえか」  リリの懐から、まだ使える魔剣が取り出された。 「このポウチ……お、ハイポーションかよ。それに、なんだこの妙な塊」  そう言った男の首に矢が、二本同時に生える。短弓の長めの矢と、クロスボウの太矢。そのまま崩れ落ちた。 「ごくろうさんだな」  そこに出てきた、弓矢を持つ別の冒険者。もう一人、クロスボウを持つ男がいる。 「カヌゥ……」  リリがつぶやく。 「それが【ヘスティア・ファミリア】の、『妙な音』の秘密か?ヒヒヒ……アーデ、なにちんたら忠実なサポーターのふりをしてるんだ?」 「ば……(ばか、せっかく調べているのを台無しに)」 「リリを……」  守ろうと、もうろうとした状態で動くベルの頭を男はつかみ、壁に何度もたたきつけた。 「わからねえのかよ!ばあか。うちの、【ソーマ・ファミリア】のリリルカ・アーデはファミリアの懸賞で、『妙な音』を探ってたんだよ。  だから、何か探り出したら横取りしてやって、おれたちがもうけてやろうってな。賢いだろう?  ちんたらやってるのは見てられねえんだ。とっとと、この白ガキをさらって、体に聞けば全部わかるってもんだ」 「さてと、リリルカ……てめえからもしっかり聞かないとな。何をどれだけ、探ったか」  そう言ったカヌゥの手には、ペンチのような器具がある。リリの呼吸が止まる。どれほど激しい苦痛を与える拷問器具なのか…… 「じっくり、並べて吐かせてやるよ。楽しみだなあ」 「ああ、っひゃっはっは、まず目だ、この赤い目をいただくぜ、いいよな、いつだってこれが一番の楽しみなんだ、ガキの片目、次には***を焼いて引き抜いて、それから右足、みぎて……腸を目の前で焼いて食わせて……皮を全部はいで……うひゃああったまらねえぜ!」  と、別の冒険者が魔石器具で赤く加熱した、細い鉄棒を取り出してベルに向ける。 「ゆっくり、ゆっくりだ、ひゃーっはっ……」  ぽん。  2人の頭の半分が、次々に破裂する。脳と骨の破片が壁に飛び散るのが、閃光に照らされる。  そして、激しい音が響いた。  さらに音は鳴り続け、頭を失いくずおれた冒険者の胴体がどちらも、2度、3度とはねる。胴体の中央に、2発ずつ。 「おれの射程内で虐殺・拷問・強姦をするものは、誰であろうと殺す」  静かな声が響いた。硝煙の匂いが漂う。 「ベルさん、リリルカさん……」  レフィーヤは申し訳なさそうな表情をして、ビーツの手を握っていた。  フードつきの上着を着て、ガリルACE53を構えた瓜生。 「くそ……おれは、なんにも知らなかった」  不快そうな表情のヴェルフ。 「リリルカ・アーデ……きみは今まで、ぼろを出していなかった。申し分のないサポーターだった。  今回の策略も、まあ多少仲間を危険にさらしたが、的確だった。【ソーマ・ファミリア】の愚かさがきみの想像……希望的観測以上だっただけだ」 「う、ウリュー……さ、リリは、リリは」  ベルはそう言って、自由のきかない体で必死にリリに覆いかぶさる。 「ころさ、ないで……リリは、ぼく、まも……」 「何を言ってるんですか!」  リリは叫んだ。 「ベル様を裏切っていたんですよ……【響く十二時のお告げ】」  その詠唱とともに、リリの姿は犬人から小人に変わる。 「彼らが言っていたのは本当です。盗人として、何度も冒険者の装備を盗んでいました。ベル様には『妙な音』の情報目当てに近づき、探っていました。  今日敵が多かったのも、血肉(トラップアイテム)を使ったからです。はぐれたのもわざと。魔剣も、別に残り一回のを安く買って使いました、ベル様に切り札を使わせるために。  ダンジョンは無法です、殺されて当たり前です」  ヴェルフもレフィーヤも、目を背ける。ファミリア同士の問題であり、これに干渉することはできない。【ヘスティア・ファミリア】の、当然の権利だ。  ビーツは、あまりよくわかっていないように見ている。 「そんなこと……それでも、それでも僕は、リリを守りたい。リリは悪い人じゃない。リリは……リリだから」 「ベ、ベル様」  信じられない、人間とは全く違う怪物を見たように、リリは呆けた。 「【ヘスティア・ファミリア】の団長はおまえだ。おまえが決断するんだ……間違っていれば、ファミリアに、またはパーティの仲間が危険になったりする。それでも決断するんだ」  瓜生はリリに銃口を向けたまま、静かに言った。  ベルが何度もつばを、口にあふれる血を飲む。 「僕は、リリを、信じる」 「ならそれでいい」  瓜生は銃を引き、後方警戒に徹する。 「でも、でもウリュウさん……人殺しを……」  背中を向けたまま、瓜生は言った。 「拷問を楽しむ人間は殺すしかない……経験上」 (だからといって、罪がなくなるわけじゃないがな。おれは人殺しだ)  何度も、おぞましい経験をしていることが平板な口調から漏れている。ヴェルフがつばを呑んだ。 「リリルカ・アーデ、彼らに家族はいるか?彼らが死んで飢える子がいたら、金は出すが」 「……いません。【ソーマ・ファミリア】に、まともに家族がいる人間なんていません」  そう言いながら、リリもベルもヴェルフが口に注ぐポーションを飲む。  震えていたリリが泣き出した。 「ベル様は……ばかです。おおばかです。そんなお人よしがあっていいんですか。こんなスパイを、盗人を、殺されて当然のいやしいサポーターを……リリなんかを……わああああああ」  ひたすら、ベルにすがりついて泣きじゃくった。一生分の涙を流しつくすように。  ベルは静かに、リリを抱きしめて頭をなで続けていた。 >密会  アイズ・ヴァレンシュタインは、ベルが落とした手甲を拾った。  少し前、リリを襲うと聞いたエイナ・チュールに頼まれた。そして瓜生と合流し、気配を消して見守っており、それで落とした防具を拾ったのだ。  ベルと瓜生の一行に合流はしなかった。  エイナが頼むまでもなかった。先に、【ロキ・ファミリア】の冒険者は何人もベルを影から護衛していた。フィンが情報網で、リリやベルを襲撃する話を聞いたためだ。  護衛計画は瓜生も加わっていた。誰にも姿を見られていないが、アナキティ・オータムもいる。  レフィーヤがベルのパーティに加わったのは、確かにレフィーヤの成長のためもあったが、ベルの近くに目を届かせ、 (【ヘスティア・ファミリア】のうしろだてに【ロキ・ファミリア】がある……)  と、噂をひろめるためでもあった。  無論、人に聞かれれば、 (そんなことはない、同じ【ファミリア】でちょうどいい者がおらず、都合がよかったから……)  と、ごまかすことにしている。それでも、人は勝手に解釈する。  護衛が目的なら、よりバランスのいい者をつけたろう。だが、レフィーヤはレベル4の準幹部以上に顔と名を知られており、宣伝効果が高い。  にもかかわらず襲撃があった……ならば一罰百戒、みせしめ。 (『妙な音』に手を出すファミリアには、消えてもらう……)  それが事実上決まった。  ついでに、ロキの酒欲を満たすためでもある。また、ベルがリリを救いたいといったので、それも満たすことにする。  ややまどろっこしい方法だが、確実に……  別の影響もある……アイズは気配を気取られることなくベルたちの戦いを見た。ベルの、魔法を使ったときや使っていないときの、まだ一月も経っていない前とは別人のような強さを。  強くなることに飢えている彼女が、関心を持つのは必然だった。  ダンジョンを出た一行を、【ヘファイストス・ファミリア】のバイトを早上がりしたヘスティアが待っていた。驚いたことに、ヘファイストスまでやってきた。  そして、巨大な塔の、【ヘファイストス・ファミリア】の防音区画に。部屋の一つでヘスティアはリリと二人きりになり……神の力、嘘を見抜く力を用いて詰問した。  リリは、ひたすらベルへの忠誠を誓い、それは神の目にも嘘ではないとわかった。  防音室内でヴェルフは、主神と瓜生をにらんでいた。 「どういうことなんだ」 「あなたにはいやな思いをさせてしまったわね」  ヘファイストスがため息をつく。 「ヴェルフ・クロッゾ、頼む。きみの名を謀略に使わせてくれ」  瓜生がかなり真剣に頼んだ。 「……どういうことだ?」 「リリルカ・アーデに報告させる。おれが魔剣鍛冶だ、それも簡単に量産する方法を見つけた、と」 「……」 1ヘファイストス・ファミリアに、クロッゾの末裔が入った。 2『妙な音』は魔剣鍛冶らしい。 3『妙な音』は、クロッゾの末裔だ。  どの噂も、実際に流れている。  1は事実だ。事実だからこそ強い、それを利用して2と3を強める。  さらにその噂を流す相手を限定することで、まるで地下水に放射能マーカーをつけて地下水脈を知るように、噂の流れを知る。  ほかにも複数のうわさを流している。 「汚いことをする。おれとベル、ビーツと神ヘスティアの安全のためだ。このままでは、みんな外にも出られないし、ダンジョンにも行けない」 「……ちょっとの情報のために、子供を拷問するような奴らがいる、か」  瓜生は黙った。そのような人間を、殺した。  ヴェルフ・クロッゾにもわかる。たとえば『クロッゾの魔剣』を簡単に作る方法を聞き出せるなら、子供を拷問する人間はいやというほどいる。 「おまえの名前と、何をやったのか教えろ。魔剣じゃないぞあれは」 「ウリュウ・セージ。大きい音を出して大丈夫な訓練室はあるか?」  と、瓜生は右脇のカバンからガリルACE53を取り出し、射場に木の板と土嚢を用意させて撃ち抜いて見せた。 「……火か。硝石が燃える匂い」 「狭い場所での火は、力に変わる。炎が風を産むように。それでこの、鉄と鉛の塊を銅で覆った弾を押し出す。強いクロスボウの威力を持つ、吹矢だと思えばいい」 「わかった……名前だけだ。俺は魔剣は打たねえ」 「それは別に構わない。それほど必要としてはいない」 「……気をつけろ。魔剣鍛冶と見れば、何をしてでも欲しがる奴らはたくさんいる」  自分の故郷、ラキア王国とか。 「そのためにも、【ソーマ・ファミリア】は消す」  そういった瓜生は、弾薬を一つ取り出し、渡した。 「研究してみろ。危険だから注意して」  また床に転がった空薬莢にも目を向け、うなずく。  それから瓜生は、リリとヘスティアのところに戻った。 「【ソーマ・ファミリア】のメンバーの情報を教えてくれ。首脳部、そしてバカでうぬぼれが強い者、割とまともで信用していい人間、それぞれの名前、強さ、性格などを」 「わかりました」  瓜生の手には、『ギルド』で公開されている【ソーマ・ファミリア】メンバーのリストもある。名前、レベル、似顔絵だけだ。 「団長は……」  一人ずつの能力や性格を語るリリ。ヘスティアがいるから嘘はつけない、それでも瓜生は雇った情報屋を利用して裏を取るつもりだ。  最後にリリの、スキルと魔法……重い荷物を持てる、変身できる……を聞いた瓜生は深く嘆息した。 「つくづく、生まれたところが悪かったな。大手探索系だったら、大量の重量荷物を運べるきみはこの上なく重宝されたはずだ。情報収集に徹しても莫大な価値がある。ヒューマンの子供に化ければ警戒されないし、犬人の鼻と耳も得られるだと……」 (おれの故郷だったら最大のチートだ。最強の兵士は拳で戦車を砕けることではなく、百キロ背負って百キロ歩けること、しかも最高のスパイにもなるし指揮官適性もあるなんて)  そう言われたリリは、悲しみと怒りの方が激しく怒鳴り散らした……が、なにかがわかった。理解の芽が出た程度だったが。  自分の境遇、これまでの生活……絶対だと思っていたが、単にいくつもの不運の積み重ねだったのだと。  ちなみにベルは、エイナの説教の続き+講義である。  その夜。  ベルはガタガタと震えていた。普通とは違う、すさまじい震え方と汗だった。  ミノタウロスに殺されかけたときとも、質が違う恐怖。  同じ人間による暴力。激しい苦痛。悪意。  そしてモンスターに食われるより、単に死ぬより恐ろしいこと…… 『拷問』  を、知ってしまった。  それに、迷わず人を殺した瓜生。  普段の親切で落ち着いた雰囲気と、平静に人を殺す人間の落差…… (一人殺せば殺人者で、百万人殺せば英雄……)  瓜生が時々、ベルの英雄願望を皮肉るように言う言葉。それに実感が、血が通った。  彼は、異界の冒険で当たり前のように人殺しをしている……  自分も、英雄への道の途中、いつ人殺しをしなければならなくなるかわからない……  全身が震え続け、夜の運動で全身泥のように疲れているのに眠れず、地下室から出た。 (あ……)  瓜生が、エアロバイクで激しく運動している。  その表情はすさまじかった。泣いていた。 (平気じゃ、なかったんだ。平気で人殺しをする人じゃなかったんだ)  なぜか、ベルの目から涙があふれる。  後ろから抱きしめられた。  ヘスティアのぬくもりと、柔らかすぎる感触……涙がパジャマにしみこむ。 「ああ。ウリューくんも、すごく傷ついてる。普通の人だったんだよ。それが、こんな……」  翌日、巨大なリュックと長い袋を背負った小人の少女が、いつもの場所で待っていた。  白い髪の少年と、黒髪の少女は嬉しそうに駆け寄った。赤毛の青年も、山吹色の髪の少女もほぼ同時に駆け寄った。  上層のルームでリリは、背負っていた長い袋の中身を取り出した。投げ手斧(フランキスカ)と両手剣。どちらも安物。 「ベル様の魔法について、検証すべきことがあります。ベル様、魔法をかけた刀で壁を傷つけてください」  相変わらずのすさまじい光と音、威力。人が入れる大きさの傷が壁に刻まれ、周囲が焼かれ吹き飛んでいる。修復の間はモンスターは出ない。  リリはその傷跡をしっかり目に焼きつけた。 「ああ、なるほど。ベルの付与魔法の確認ですね」  レフィーヤはすぐに気がついた。いつのまにか、呼び捨てになっている。 「はい。ベル様の付与魔法が何に使えるか試します。  まず、ベル様が別の飛び道具を使うとき。  ヴェルフ様には、両手剣を。  そして『リトル・バリスタ』の矢。  まず、投げ斧を何もなしで軽く壁に投げてみてください」  ベルはそれをやってみる。うまくはないが、投げ斧は農業・林業の村では日常の遊びだ。 「はい、次は魔法をかけて」  拾ってきて魔法をかけると、斧が雷光に輝く。そのまま切れば稲妻の威力になるのはわかっているが……  同じように軽く、壁に投げてみる。  閃光と轟音、壁に破壊跡ができた。 「おー、こりゃ便利だな」 「これでも、威力は半減しています」  レフィーヤが丁寧に壁の傷を見る。 「次は……ヴェルフ様、かなりのリスクはありますが」 「かまわねえよ。ポーションぐらいは用意してくれよな」  と、ヴェルフは両手剣を構えた。  魔法とともに光が走り、ヴェルフの剣が輝く。 「う……」  ヴェルフは剣を壁に突き刺し、そして反動で吹き飛んだ。 「大丈夫、ごめんね」  ベルが悲鳴を上げるが、ヴェルフは首を振った。 「いや、おもいっきり金床をぶん殴っちまったみてえなもんだ、我慢できる。すぐまたやれって言われたら勘弁してほしいな」  と言って、使った両手剣を耳に当てて、小さな金槌でたたいて音を聞く。刀身の芯が痛んでいないか確認している。 「七割ぐらいになるようですね」 「それに、使用回数が少ないという問題もあります。ベル様自身に戦闘能力がなければ魔法専門にもできますが、もったいないです。強敵相手の時だけですね」 「なら、マジックポーションを使えばいいじゃない」 「パンがなければお菓子を食べればいいのに、というようなものです。金満ファ……こほん、最後は、これに」  と、リリは『リトル・バリスタ』の連射できる弾倉を取り出した。 「わかった」  また詠唱、十本の矢それぞれが薄く輝く。  受け取ったリリが連射、それもそれぞれ光と衝撃を発し、壁にめりこんでいる。 「刀で斬る時に比べ三割以下ですが、それでも一発一発は十倍以上、『豚弩(ピッド)』ぐらいの威力はあります。オークでも急所に当たれば倒せる、ということです。ベル様がランクアップすれば、それ以上」 『豚弩』は、ヴェルフが作ったリリ用の、鐙とレバーで引く強力な小型クロスボウ。オークの骨を使ったので『豚』がついている。 「ひょっとして、ウリュウさんが見せた、あの妙な武器と組み合わせたら……」 「借りられるとしても、『妙な音』の武器は大っぴらに使わない方がいいでしょう」  レフィーヤが止めた。 「これでリリスケも十分戦力になるな」  ヴェルフの言葉が、リリは心底嬉しかった。彼らのことも裏切っていたのに、信じてくれている……それは、どれほどベルが信頼されているかでもある。  ベルは魔法を使いすぎているので、今日は8階層でキラーアントを血肉(トラップアイテム)で集め、ひたすら数をこなした。  そうなるとすぐにレフィーヤも魔法の限界になる。それからは回避と、苦手な白兵戦も訓練した。この階層の敵なら彼女でも相手になる。  少し早くダンジョンから出て、いつも通りベルはエイナのところに向かった。  エイナのカウンターには、後ろ姿だけでも美しいとわかる金髪の女冒険者がいた。  振りむく。目の前にアイズ・ヴァレンシュタイン。  数秒見つめあう。真っ赤になり赤目がイトミミズになる。逃げる……三連コンボをかまそうとした瞬間、足に衝撃が走ってもんどりうった。  とっさにビーツがトンファーを抜き、構える。 「敵ではない。いい気迫だ」  とてつもない美女が微笑している。  すぐにビーツはトンファーを戻した。敵意ではないことにすぐ気がついたのだ。  ベルの脳裏にはなぜか、 (知らなかったのか?大魔王からは逃げられない)  という言葉がこだましていた。 (こんな目をした美女には絶対に逆らうな)  という、たまに疲れ切った状態になった祖父の表情と、すべてをあきらめたような声も。 「さて、ベル・クラネル……まず、【ロキ・ファミリア】として詫びておこう。以前、ミノタウロスを逃がして君が、不相応な階層で殺されかけたこと。そしてあの夜、うちのベート・ローガが君を侮辱したことだ」  頭を下げるリヴェリアにベルは慌てた。 「い、いえ、ダンジョンでは何に襲われても自己責任ですし、それにアイズさんに助けてもらいましたし、それに……僕が弱いのは事実ですから。悔しければ強くなるしかないんです」 「ほう」  リヴェリアが軽く微笑む。 「では、アイズを恨み嫌っているわけではないと?」 「とんでもないです、命を助けてもらってすごく感謝してるんです」 「……ほんとう?」  そう、アイズが消え入るような声で言った。  彼女がいることに気づいたベルは逃げようとしたが、 「待ちなさい、逃げちゃだめよ」  とエイナが止めた。 「エイナさーん……」 「男の子でしょ?しっかり話しなさい」  と、エイナはあきれたため息をつき、リヴェリアに一礼して戻ってしまう。  ベルは必死で震える足を押しとどめる。 「……あ、これ……落としたよ」  アイズが、エイナが買ってくれた手甲を差し出す。  ベルはぱっと笑って受け取った。 「あ、ありがとうございます」 「その、なにかおわびができたら……そ、それに……」  アイズはなぜか、あっさり別れるのが嫌なようだ。 「どうして、そんなに、早く強くなれるの?」 「あーっ!」  そのとき、レフィーヤが悲鳴を上げて飛んできた。 「ベル、アイズさんになれなれしいですよ!いいですか、アイズさんに話しかける権利は、うち(ロキ・ファミリア)では、ランクアップ以上の偉業を……」 「今は黙っていてくれるか?それに昨日も簡単に報告を聞いたが、少し詳しく聞いておきたい。ベルとビーツは、それほど強いのか?」 「り、リヴェリア様……はい、ものすごく。二人とも、レベル2の後半と思われます」 「だが、ウリュウによるとベルはまったくの素人から一月少しだそうだ」 「ありえませんよ。本当はレベル3でも驚きません!それにあの付与魔法つきの剣が直撃したら、レベル4でも危ないですよ!」 「強い、ぐらいでいい。別ファミリアのパーティメイトのステイタスは自分のファミリアの者にも明かすな。【ロキ・ファミリア】の名誉にもかかわるのだぞ」 「あ……すみません」  レフィーヤもリヴェリアには素直だ……というより恐ろしさを嫌というほど知っている。 「まあ、この件も含めて、少し話しておきたい」 (おそらく、ベル・クラネルに成長促進系のスキルがあるのだろうな)  とはリヴェリアは思ったが、それは言うべきことではない。  それだけでなく瓜生の、 (ともに冒険した仲間は経験値が倍……)  スキルも半ば予想している。前の小遠征で、参加メンバーの伸びが異常だった。  レフィーヤはあちこちに走り回って伝言するはめになった。  リリから分け前を受け取って、バイトが終わったヘスティアとともに帰るようビーツに伝言。  それから瓜生に、向かう店の場所を伝える。  ベル・レフィーヤ・リヴェリアの三人は、高級店街にある飲食店に向かう。 「ああ、こちらの店員についていくように。ファミリアも違うし、噂になってはまずいからな」  と、ベルは無口な店員に、秘密の話ができる個室に案内された。美しい庭の小道を通って。  エルフの店員が、しゃっちょこばって王族であるリヴェリアに給仕する。だが店の格がいいだけに、騒ぎを起こすようなことはしない。うわさを流すことも断じてない、どれほど苦しくとも。逆に騒いだり噂や会話情報を流したりする店には、リヴェリアは最初から入らない。 「君は……どうやって、強くなった、の?」  アイズの問いに、ベルはあわあわと答えた。 「そ、その、ウリューさんがやってくれたんです」 「どんなふうに?」  アイズが興味津々で座っている。ベルはまだがちがちに緊張している。 「まあ、ウリュウを待とう。今日、レフィーヤはどんなだったか聞いてもいいかな?」  リヴェリアが巧妙に、レフィーヤを心配する言葉からベルの冒険を聞き出す。  レフィーヤを心配しているのは嘘ではないのだ。  まもなく、瓜生がやってきた。  冷たい飲物を一口すすった瓜生が、話題を聞いて話し始める。 「本来、よそのファミリアにそこまでの詮索をしてはまずいが」 「今更だ、こちらもベルを助けてもらっている。それに、そちらの顔見知りが死ななければおれもうれしい。  まず、ベル・クラネルは……戦闘訓練を受けていない農業従事者で、ファミリアに入ったときはもっと弱々しい体格だった。それで、斧や鍬は扱い慣れているだろう、でも全身板金鎧と両手斧は無理だ、と思った。  長槍、または盾と片手槍も考えたが、突く動きはたぶんこれまでの生活にないと思った。それで刀を教え、神ヘスティアと話して、武神タケミカヅチを師として雇った。  神タケミカヅチは眷属に対人武芸百般を教えていたようだが、おれはその前に単純な袈裟切りだけを叩きこんだ。  故郷の、とても実戦的な剣術の話を聞いていたからだ……抜き打って袈裟だけを、一日何千も、何十年も続ける。地に植えた丸太や、X字ふたつの薪架に横に並べた細長い木多数を、刀と同じ長さの硬木の棒で、ひたすら打ち続ける」 「でも、それでは技に優れた人間には負ける」  アイズの言葉に瓜生は苦笑した。 「技に優れていても、初めての殺し合いじゃパニックになる。パニックになってもできるぐらい、一つの技を叩きこんで生き残る……経験を積んでから優れた技の持ち主と戦う前に、最初の戦いで生き残る方が優先だ、ということだな。  そしてたとえ技で負けても、相打ちで相手に傷を負わせればいい、というぐらいの覚悟があたりまえとされた。それほど武にこだわり人命を軽視する地域の剣術だった」 「最初の実戦では気迫がすべて、技など消し飛ぶ、確かにな」  リヴェリアがうなずく。 「その資料を神タケミカヅチに渡したら、膨大な武の引き出しの中から、歩きながら切る基本をしっかりと作り上げ、ベルに叩きこんでくれた」 「はい」 「私も……習える?」  瓜生は親指と人差し指で丸、金のマークを出した。アイズはうなずく。 「同時に、足腰を徹底的に鍛えた。 『恩恵』がない人間を考えるといい。重いものを運んだり、長い距離走ったりしたら、数日は体が痛くなる。痛みが引いたら、前に大変だった荷物や距離が平気になる。  人間の筋肉は、限界の力を出すと見えない怪我をして、修復されるときにより強くなる。 『経験値(エクセリア)』はそれを特殊な形で活かしている。  だから、安全なホームに帰ってから、4、5回何とか持ち上げられるぐらいに重いものを持ち上げさせ、何千Mも走らせた。何千も一つの技を素振りさせた。  それからステイタスを更新し、しっかり栄養を取って休んだ。  それと実戦による経験値の組み合わせ」 「なるほどね。それはうちのみんなにも……」 「20人ずつ、対照実験をするといいと思う。レベルなどの条件をそろえて」  リヴェリアがうなずく。  アイズは、ベルを見た。 「私も、重いものを、持ち上げるとか、神タケミカヅチのところで、習うとかしたい。お礼に……よければ、戦い方を、教えてあげようか?」 「え、え?いいんですか?」 「ファミリアが違う、といっても今更だな」  リヴェリアがため息をつき、さまざまな注意をした。 「もうすぐ、こちらも大規模な遠征に行く。それまでだな」  その個室の壁土は素晴らしく品がよく、机は極上に美しい一枚板で、焼き菓子と黄茶はすばらしく美味だった。  リヴェリアはダンジョンで疲れたベルを気づかい、彼には重めのフルーツケーキを注文していた。 >特訓  迷宮都市(オラリオ)最強、Lv.7、『猛者』オッタルが、ミノタウロスの特訓を始めた。  ベルの戦いぶりは、一日完全に気配を消して監視したことがある。フレイヤの鏡から、強力な付与魔法も見た。  ゆえに、決して必殺の一撃をもらわず、高速で動く強敵を仕留められるように鍛え上げねばなるまい。リーチの長さを活かして。  巨体+全身鎧にもかかわらずベルをまねて敏捷に動き、彼の巨体では小さいと思える剣で当たれば瀕死の一撃を加える。よけてカウンターを鎧に当てることができれば、モンスターの食物となる食糧庫(パントリー)の蜜に魔石を混ぜたものを与える。  ミノタウロスは、実に速く技を覚えていった。  一撃を受けることも、切り結ぶことも許されぬ高速の強敵に、それでも引くことなく戦えるよう……  ベルは、今日は訓練日。  いつもならホームでトレーニングをするところだが、アイズ・ヴァレンシュタインとある意味待ち合わせて城壁の人がいないところに向かった。  刀、脇差、短剣の長さ・重さに切った木刀を二本ずつ袋に入れて。  早朝にホームを出てすぐ、姿がないのに耳に声が聞こえて、道順を案内されたのだ。  アイズが陰で護衛してくれている……屈辱だったが、その屈辱を返すためにも強くならなければ、と決意を固めた。  とりあえず、どんなに痛くても疲れてもへこたれない、と。疲れてもへこたれない、はいつものことだ。毎日のようにフルマラソンを走っているのだから。 「教える、って、よく……わからない」  彼女からすれば、何とも言いようがない。教えるのに向いていない。教えたことがない。  とりあえず、ハイポーションやエリクサーは用意してみた。自分がフィンやガレスにされたことを思い出して。 「だから……とにかく、戦ってみよう。ポーションはいっぱい持ってきた」  ベルの顔から血の気が引く。  相手の気にあてられて構えた時点で、もう臆病さを指摘された。それで向こう見ずに突進したら……地獄が始まった。 (アイズさんって、天然なんだ)  気絶しながらそう、他人事のように思ったものだ。  膝枕から起きて、やっとベルはいつも通り、木刀を握ることができた。  深呼吸。腰を落とす。歩く、決して足を止めない。  アイズは、それがよくわかった。  ベルの歩みが加速し、木刀を振りかぶり……腹に鞘が打ちこまれた。カウンターで吹き飛ぶ。 「立てる?」  その声にベルははね起き、木刀を拾って歩きはじめた。 (歩き続けるのはすごくいい。しっかり力を抜いて、腰で切っている。脱力による切れ味。ステイタス頼りと言えないほど練習している)  むしろ、アイズのほうがベルから、タケミカヅチの指導を盗もうとしている。 (呼吸。体の芯を意識し、重心を低く)  ベルも、【タケミカヅチ・ファミリア】の桜花、命と二人のLv.2をはじめ、経験でははるかに上の人たちとも対人稽古は何度かやっている。  だが、やはりアイズ・ヴァレンシュタインは次元が違う。スピードもパワーも、読みもキレも。  何度もアイズの、 「立てる?」  という言葉を聞いては痛みをこらえて起き上がる。  しばらくしてからアイズは、 「ふだん、一人でやっている稽古を見せてくれないかな?十回ずつぐらい」  と聞いてきた。  ベルは戸惑いながら、刀、脇差、短剣それぞれでやってみる。  歩きながらの、左右両方の袈裟。諸手突き……短剣や片手脇差は、空いている方の手は何も持たずに。  刀と脇差の、抜きつけ水平と逆袈裟。 「これだけなんですが」 「うん」 (この基礎だけを、徹底的に……とてもきれいな動きで、応用範囲もすごく広い。でも、これだけで技が多い人間と戦える?) 「すごく頑張ってるのは、わかる」  そこにやっとアイズを見つけたレフィーヤがやってきて、ベルに怒鳴り散らし、自分も特訓の約束をもぎ取った。  瓜生はその日、【ロキ・ファミリア】の本拠『黄昏の館』に来ていた。  小遠征のメンバーが話した、ダンジョン下層なのにおいしい食事を食べたい、と皆が言ったから。  それは、遠征の訓練にもなる……と、フィンが頼んだ。 【ソーマ・ファミリア】の件の全面協力が報酬だ。  遠征で食事係になる、サポーターのレベル2……小遠征で鍛えられた者も含め……30人ほど片付けた食堂に集めると、瓜生は見回した。 「今日はよろしく。  まず、ここのみんなに、今日の夕食で出す予定の食事を、おれが一人で作る。おれがやることを見てくれ。  先に言っておく。ダンジョンでの料理人としてプライドがあるであろう皆には、とてもつらいことになる。  料理らしい料理は何もない。包丁一本使うことはない。湯を沸かし、油の温度と機械に異常がないことを確かめながら、決められた時間を計って、人数分盛りつける……それだけだ。  次の機会には、ある程度料理らしい料理も作るかもしれないが、今回はおれのやりかたを知ってもらうためにそうする。  メニューはまず牛丼。汁がわりに温かい天そば。小籠包。焼きソーセージ。食後にアイスクリームとブドウ、コーヒー。以上」  そう言って、まず厨房にあたるところにプロパンガスボンベ、コンロ、業務用フライヤー、業務用ガス炊飯器、全自動大型コーヒーメーカーをいくつも〈出す〉。  丼や皿、コーヒーカップやスプーンを多数。  そして無洗米、業務用牛丼のもと、そば、肉まん、ソーセージ、天ぷら粉、小柱や芝エビ、一斗缶入りの油、コーヒー豆などを〈出す〉。 「ここまではおれの能力で出したものだ。ここからは、誰にでもできる作業になる」 「深呼吸しなさい!虚空からものが〈出て〉くることぐらいで、驚いていたら狂うわよ。彼の動きを一つ一つ、何のためにやっているか考えながら、しっかり見るの!」  レベルの高い小遠征経験者が叱咤する。それに未経験者ははっとした。  瓜生は笑って、ガスボンベに機材をつなげる。 「流れを止めたくないので、質問はあとで受け付ける。メモを取るといい」  無洗米を炊飯器に計り入れて水を入れ、炊飯を始める。  フライヤーに一斗缶から油を入れ、ガスと発電機につないで始動する。  業務用の大袋入り牛丼のもとを湯せんする。紅しょうがを小鉢に盛る。  鍋を準備し、粉末出汁とつゆを調整し、生麺の脇で湯を沸かし片手ざるを用意する。ビニール手袋をはめ、フライヤーでえび天・かき揚げを作る。刻みねぎを解凍し、のせる。  蒸し器で肉まんと小籠包を温める。  ガスオーブンでソーセージを焼く。  コーヒーメーカーにミネラルウォーターとコーヒー豆を入れ、燃料を入れ紐を引いて始動した発電機につないでスタートさせる。  いたるところに、キッチンタイマーをつけてはひねる。手には油の温度も計れる温度計。  あとは、時間を計り、温度を計り、機械の知らせを聞いて、できたら次々と盛っては出し続けるだけ。  あっという間の、多人数分の牛丼、天ソバ、蒸し物…… 「これは中にすごく熱いスープがあるから、気をつけて食べて」  始めて見た人たちは呆然としながら、食べて驚いた。 「お、おいしい」 「ありがとう。でもおれは料理人としては三流以下だ。説明書通り、正確に作ろうと頑張っているだけ。みんなも、決められた通りの時間と温度を保ってくれればそれでいい」  そういって、バケツのような容器からアイスクリームを全員の小皿に盛ってサクランボとウェハースをつけ、ブドウを配り、最後にコーヒーメーカーのサーバーからコーヒーを一人一人のカップに注ぎ、砂糖とクリームをツボに入れた。 「おいしい……すごく」 「ほ、本当に遠征で、これが?」 「みんながちゃんと協力してくれれば」  瓜生は自分も食べながら、にっこりと笑った。 「じゃあ、機材と材料を4倍出す。ファミリア全員、一時間後には集まっている……頑張ろう」 「これなの……」  小遠征参加者の絶望的な声に、コーヒーの苦みが増したようだった。  食事担当者たちの尊い犠牲のもと、食事はファミリア全員に好評だった。胃袋からファミリア全体をつかむ、というフィン団長の深謀遠慮だ。  瓜生には、もう一つ用事があった。  バーベル、エアロバイク、ボート漕ぎマシン、鉄棒、平行棒などを用意した。  レベル1から2のメンバーを半分に分け、半分は近代的なトレーニングもやり、もう半分は今まで通り先輩の指導とダンジョンでの実戦中心。  神ミアハや神タケミカヅチも定期的に来て監修する。もちろん有償で。  問題は、『恩恵』を受けた冒険者の体力は、瓜生の故郷の世界記録保持者以上であること。人類……走るのは100メートル9秒台、ウェイトリフティングは300キログラム程度が事実上限界……ベンチプレスの記録でも500キログラムには至れない、ひ弱な動物のために機材は作られている。  ルームランナーの最高速度も、バーベルシャフトの重量限界も、人類用だ。シャフトは900キログラムに耐える必要はない。レベル3にもなれば、機材限界より上になる。  そこは工夫が必要になる。  最大重量のバーベルを片手で持ち、ダンベルがわりにする。大重量荷役用のワイヤーやリングを超大型トラックのサスペンション用バネで結び合わせ、ボート漕ぎトレーニングをする。  マウンテンバイクのペダル、大型オートバイ用のチェーンとギア、大型扇風機のプロペラで、超人用エアロバイクを作ることもした。エネルギーを風に変えれば、負担をかけ続けて過熱を避けることはできる。  今もベルやビーツがしているように手にダンベルを持ち、足首に巻きつける重りをつけ、遅めの……といっても機材・人類から見れば最高速……長距離でルームランナーを走ることもできる。それは多分、レベル3にもなれば限界になるが、そうなればオラリオの壁近くの廃墟でシャトルランを走ればいい。雨天には走れないが。  鍛冶ファミリアに、こちらの素材で20トンに耐えるシャフトを作らせてもいい。時間と費用がかかるが。  先に、『黄昏の館』の訓練場の、床を強化しなければならなくもなった。  リュックにバーベルを入れての懸垂やパラレル・ディップで、さっそく皆が競い合っている。  ただでさえアイズのレベル6昇格で、特訓ばやりになっているのだ。  特に、バーベル入りリュックをかついだまま何メートルもジャンプして片手懸垂の繰り返しは、上級冒険者でも相当きつい。アマゾネス姉妹が激しく張り合っている。  アイズ・ヴァレンシュタインはフィン・ディムナ団長を連れて、ベルが武神タケミカヅチの稽古を受けているところに赴いた。  今日は眷属たちは屋台で忙しい。桜花団長は、瓜生の援助がなくなるときに備えて【デメテル・ファミリア】に野菜の仕入れを頼みに行っている。  野の稽古場、隅のテントに折り畳み式のいすと机がある。  本来タケミカヅチたちは畳生活だが、そうでない人をもてなすために椅子を用意するのも、もてなしの心だ。  神タケミカヅチと、フィンとアイズが向かい合って座った。 【剣姫】の来訪に興味津々なのを押し殺し薬草茶を置いた千草に、 「ベルやビーツと稽古していなさい」  と武神が声をかけた。 「私は……強くなりたい。だから、ベルのように、技を教えてほしい」  アイズの言葉に、武神は静かに目を閉じた。 「強くなる、とは……どうなりたいのだ?」  武神の言葉に、アイズは金色の目を見開く。 「ひとつ。今の、その軽装鎧にサーベルのまま強くなるか。  ひとつ。別の装備で強くなるか。  ひとつ。【ロキ・ファミリア】が強くなるか。  どれなのかがわからなければ教えようもない。ジャガ丸くんをください、といわれても、プレーンか肉入りかコーン入りか言ってもらわなければ、出しようがない」  ずっとヘスティアとともにジャガ丸くん屋台でバイトしていた貧乏神ならではの言葉だ。  アイズは、麻痺したように固まっていた。  フィンは仏像のように静かだった。 「団長殿はわかっているようだな」 「……むごい神様ですね。剣術が商売になっていないわけです」 「さよう。剣術を教えるのも商売ならば、余計なことは言わずにサーベルの突きを直してさしあげるほうがよい。  だが、そうすれば俺は、俺そのものである『武』を裏切ることになる。武のためならば、幼子を泣かせもしよう」  アイズの目が再び武神を見た。アイズの中の、いまだに泣いている幼子を直接観た。 「軽装でサーベルを持った人間が強くなりたいなら、厚い鎧を着て長槍を持てばいい。それだけで、サーベルより圧倒的に強くなる。  今までやってきてこのスタイルが、などという積み重ね、すべてを捨てる覚悟はあるか?一時的に弱くなり、何もないところから何年も、毎日何千何万回も基礎稽古を積み上げる覚悟はあるか?」  アイズは、 「覚悟なら、どんなことも……」  と、言おうとしたが、武神は畳みかけた。 「フィン団長。アイズ・ヴァレンシュタインが抜けて、かわりにどのような上級冒険者でも入れられるとしたら、どのような者なら【ロキ・ファミリア】にとって最大の強化になる?」 「それを言う……」  フィンは嘆息し、茶をゆっくりとすすった。 「アイズを手放すつもりはまったくない、もちろん。が、思考実験として団の戦力だけを見よう。  中核が、長槍と指揮の僕。力と耐久に特化した最強の壁、【重傑】(エルガルム)ガレス。攻撃・防御・回復呪文がそろった【九魔姫】(ナイン・ヘル)リヴェリア。二人とも指揮能力もあり、分遣隊指揮も事務も任せられる。  そして今度ランクアップした【剣姫】アイズ。続くであろうレベル5、【凶狼】(ヴァナルガンド)ベート、【大切断】(アマゾン)ティオナ、【怒蛇】(ヨルムンガンド)ティオネ。この四人はまったく同じ、軽装高速の武器戦闘。  明らかに大遠征ではバランスが悪くなっている。もちろんレベル5が4人で1人は6になったのに贅沢だ、と言われればその通りだが。  想像だけなら、壁・弓矢・魔法でレベル5が出てきてくれたら、とは思う。さらに欲を言えば、隊を指揮できる者が」  実際には、瓜生の存在でさらに大きくバランスは変わっている……本当に欲しいのは指揮と学習能力、機械操作の器用さだ……が、言わない。  レフィーヤを特別扱いして育てているのは、火力増強のためでもあった。ラウル・ノールドに多くの仕事を与え大切にしているのも、副指揮官がほしいからだ。 「つまり、積み上げてきたものを捨てる覚悟があれば長槍。  さらに、家(ファミリア)全体を強くするためにおのれを捨てる覚悟があるならば、大盾や弓矢。  そなたが求めているのは、どの強さだ?」  武神の容赦ない言葉に、アイズはひたすら絶句していた。  フィンは動かない。  そのまま、ただ静かに時間がたつ。  外では、ベルとビーツと千草が激しく稽古を続けていた。千草も時々休むが、こちらの雰囲気は見て近づかないし、ベルたちも近づかせない。  かなりしてから、武神は口を開いた。互いに剣を構え、影が動くほど微動だにせずにいて、突然斬りつけるように。 「そなたは、おのれ一人が大陸を断ち黒竜を斬るほどの力を得られるのなら、【ロキ・ファミリア】の主神家族をことごとく贄とするも辞さぬか?  それとも、【ロキ・ファミリア】の家族を守るためならば、おのれを捨てることも辞さぬか?」  ひと息の、衝撃的な沈黙。武神の言葉は続く。 「神々が降りる以前、人と人、人と怪物が争っていた時代……こんな戦法があった。  多くの鎧を作るほど豊かではない時代。何百人も戦士が槍と大きな円楯、兜とスネ当てをつけて集まった。右手一本で槍を構え、円楯を左手に縛って横列に肩を並べ、隣の味方の右半身を盾で守り、何列か重なった。隊列をそろえたまま歩調をそろえて歩いた。  強かった。だが、そこに個の武勲はない。ただ命令に従い、歩調をそろえて前進し、逃げないだけが武勇。  ある戦で、その戦士たちの一人が機を見て横列を離れて前に走り、敵の将軍を討ち取った。それで戦に勝利した。だが勝った側の将軍は手柄を立てた若者を死刑にした。その若者は勝った将軍の息子だった……  それも、おのれを捨てて団を強めるのも、ひとつの強さなのだぞ」  それからまた、黙ったアイズの前で武神は、静かに瞑目していた。  フィンも一言も、微動だにせずじっとしている。  日が傾き、フィンが辞去の意を示した。アイズも立った。 「答えが出たら、いつでも習いに来なさい」 「ありがとうございました」  フィンは深い感謝を、全身の誠意で示した。またフィンは、槍を稽古しているビーツと千草も見た。それだけでも、学べた。  見送ったタケミカヅチは、じっくりと三人の弟子の技を見て、無駄を丁寧に除いた。  ベルを見れば、アイズから何を学んだかもわかる。 (三人とも、前とは別人だな……)  下界の子たちの無限の可能性を、武神は楽しんでいた。  夕前に帰ったアイズは、【ロキ・ファミリア】の倉庫でプレートメイル・長槍・弓矢・大盾を借りだしてみた。手先が器用な整備員の助けも借りる。  それで、少し動いたり槍を突いたり、射場に行って倉庫にあった一番強い弓を引いたりしてみた。 (本当に戦うには、ちゃんと注文しなきゃ)  弓もフルプレートアーマーも、槍も。特にプレートアーマーは合わなければ関節が動かせないので、オーダーメイドが必須だ。それはわかっている。もうすぐ始まる大遠征には、間に合わないだろう。ただでさえ鍛冶系ファミリアは、【ロキ・ファミリア】の無茶な注文に徹夜状態なのだ。  試しに、重めの鎖帷子を三重に着、胴鎧やスネ当てもつけてみる。  それでわかる。自分の軽装は、ソロでダンジョンにもぐり続けたからだ。重い鎧をつけていても囲まれ押し倒されれば詰む。敵の密度が高く、包囲される地から素早く大きく移動することが、唯一生き残る方法だった。  重い鎧を着ていると、逃げるという選択肢も封じられる。走るのは遅くなるし、すぐに疲れて追いつかれるからだ。  弓矢も大楯も長槍も、ソロではきわめて不利だ。距離があっても、死角からの奇襲と数の暴力には極度に弱い。多人数で多くの目と手がなければだめだ。  一人で戦ってきた自分と、ずっと三人だったフィンやガレスの違い……  経験値稼ぎでも、37階の階層主を一人で倒すより、バランスのいいパーティで47階層を攻めた方がいいかもしれない。そのほうが、圧倒的に強い敵を倒せる。フィンとリヴェリアとガレスがそうしてきたように。  大切なことは、やみくもに戦うだけでなく考えること。それも、 (武神の教え……)  である。  アイズの鎧姿を見たレフィーヤは驚きながら鼻血も吹いていた。  リリルカ・アーデは【ソーマ・ファミリア】で、瓜生に言われたように中間報告をした。  瓜生に殺されたカヌゥたちのことは知らないふりをしている。  そして何本も魔剣を買い、指示通り何人かの団員に接触し、仕込みを始めた。  リリの襟元には盗聴器があり、電波が近くの録音機に飛んでいる。オラリオの者は、電波技術を知らない。 『ギルド』職員に詳しくファミリアの実情を報告したのに、動きがないのも不気味だ。ただ握りつぶされたのではない、もっと恐ろしい何かがある、と感じている。  ヴェルフ・クロッゾはビーツ用に槍を打った。時間がないので穂先だけだが、かなりいい素材を使っている。 【ロキ・ファミリア】の大遠征が近く、【ヘファイストス・ファミリア】全体が大車輪で仕事をしている。  特に団長の椿・コルブランドはとてつもない注文があったらしく、不眠不休だ。下っ端のヴェルフも雑用は割り当てられる。  翌日。早朝、ベルは出ていってアイズと特訓した。  アイズには武神の考えが見えてきた。 (とても小さい超高速の動きで敵の攻撃をかわし、腰の入った一撃を入れて、そのまま歩き抜ける……)  精妙な足腰の制御と、果敢な攻撃性が生む武の極み。  自分もそれを決めるのは好きだ。だが、実際にはとても困難。  レベル差が大きい自分を相手にベルがそれを狙うと、一方的にやられるだけになる。ベルが一撃ぶん動く間に、アイズは移動していない相手を三回は攻撃できるのだから。  むしろベルが戦い続けられるのは、一撃離脱のヒットアンドアウェイ、それも短く切った木刀と短刀の二刀で攻めてくるとき。 (今のベルの最大の武器は足。速さを活かすには、手数で攻める双小剣が合ってる。ちょうどベートさんのように)  とも思った。  だが、自分の理想を押しつけてはならない、そのことは知っていた。 (せめて、高水準の一撃でも、防ぎきれるように)  それを目標とすることにした。  すさまじい一撃や連撃が、次々とベルを襲う。何度も気絶し、骨折して高価なポーションで癒されながらベルは、 「立てる?」  に応え続けた。  立って、同じ一撃は防ぎきる。 (足腰の力で受け、まっすぐ受け止めるのではなく敵の攻撃の角度を少しでも変え、正中線を外し、少しでも相手の重心を崩す……)  タケミカヅチの眷属との稽古、特にレベル2の桜花と命が繰り返し教えてくれたこと。  だが、二人の攻撃などアイズの一撃とは比較にならない。  それでも、することは同じだ。  桜花に対すると同じ、まず振りかぶりながら相手に向かって歩き、相手の攻撃を感じたらそれを袈裟に切り、足を止めず諸手突きか、右に逃れつつ左肩から右腰に斬る。  通用せず強烈な一撃をもらっているが、常に歩いている、または袈裟切りを始めているため、威力は半減している。  振りかぶる動きも防御になっている。腕がアイズの鞘をかすめていることもある。  派手にきりもみで吹っ飛んでいるが、それも威力を殺しているのだ。  アイズもそれを見て、学んでいた。武神が引き出しから出した、もっとも普遍的な剣の動き。  特にベルが脇差と同じ、短く切り詰めた木刀を右片手で振るう時の動きからは、多くを学べた。  朝食を食べたらダンジョン、だがレフィーヤは昼にアイズと特訓すると休んだ。もともと、遠征もあるしそれほど頻繁には組めない、とは言っている。  瓜生はベルたちにダンジョンで会いたかった。それで1階層の隅のルームで待ち合わせた。ベルとともにダンジョンに入るのは、目出し帽とヘルメットがあっても危うい。  それでベル、ヴェルフ、リリの三人に、瓜生は銃を渡した。ベルの銃も、使わずじまいだった緊急用ポウチから隠匿用ホルスターにした。  ビーツは年齢が幼いので渡さなかった。  緊急用の44マグナム短銃身リボルバーと、AS-Val消音アサルトライフル。AKに近く、本来の7.62/5.45ミリより大口径で音速以下の9×39ミリ弾。最初からサイレンサーつきで設計され、ほぼ無音。銃床を折りたたんでコンパクトに隠すこともできる。弾数も30発と十分多い。  低初速だが大口径ゆえに貫通力・ストッピングパワーが高い。  安全ルールと最低限の射撃を教えてから、 「訓練がてら、どこまで通用するか下に降りてみる」  と、瓜生は同じくAS-Valと、50口径亜音速弾消音ライフルVKSを手に、急ぎ足で下層に向かった。  霧が出るまでは消音銃も極力使わず、瓜生も久々に両手剣を振るった。ベルほどものすごい時間と回数ではないが、朝晩20分ずつ程度は素振りもつきあっている。  だが今の時点で、ベルやビーツに銃なしで勝てる気はまったくしない。  ビーツも槍をダンジョンで使うことを許され、彼女の身長の倍もある長槍と、長袖タートルネックと長ズボン型の鎖帷子で来ている。槍は穂先だけがヴェルフ製で、柄と鞘は5万ヴァリスほどのできあい。鎖帷子は瓜生のおさがり。  ダンジョンの床に大皿ほどのくぼみができる蹴り足、深く腰を据えた槍は、大型モンスターも一撃で貫いた。少ない技数、一つの技につき数日で万回に達する練習を、武神が一目見て嘆息した天才が積んだのだ。 『妙な音』と呼ばれ、先入観が広がっている。だから銃声がなければ、それとは思われない。  途中で、前日にリリが連弩でも試したことを聞いた瓜生は、消音アサルトライフルの弾倉でもベルの付与魔法を試してみた。案の定、 「.50BMG並みの威力になってるな……」  とあきれるほどだった。オークでも一撃で大穴が開く。  付与魔法がかかっていなくても、何発も撃ち急所に当たればオークやシルバーバックを倒せるし、ハード・アーマードやキラーアントの装甲も貫通する威力に、リリもヴェルフもあきれていた。 「最初から消音銃だけを使っていれば、『妙な音』なんて目立たずに済んだかもな」  と瓜生は反省している。 「だが、マズルフラッシュも目立つ。銃は使わなければ危ういときだけにしろ。弾が有限だということも忘れないように」  そう言って、瓜生は一人帰った。帰り際に、 「集団の無謀さで銃を乱用するな。三つのルールは絶対に守れ」  と厳しく言い捨てた。  大量の荷物を持てるリリがいると、銃の力は何倍にもなる。さらに魔力を付与できるベルがいる。……マジックポーションと予備弾薬を多数持てば、すさまじい戦力だ。 「クロッゾ様、わかっていますか?罠でもあります」  もしリリやヴェルフが裏切り上に情報を伝えれば、それがわかる。 「だから正直に、伝えていいといわれた情報だけを伝え、それ以外はちゃんと秘密にするほうが、賢明ですよ」 「こういう貴族じみたやり口は、俺は嫌いなんだが」  ヴェルフは吐き捨てた。 (人間より、熱い鋼やモンスターのほうが正直でいい……)  とすら思うほど。 >襲撃  その日、瓜生は、 「【ロキ・ファミリア】の何人かに、16階でラーメンをごちそうしてくる」  と言って出かけた。物資調達のメンバーに、 (本当にこんな、少ない物資でいいのか……)  と、瓜生の能力を信じ切れない者がいるのだ。彼らを連れて装甲車で中層に行き、ルームを傷つけてカセットコンロ・やかん・水・ラーメンを出し、カップラーメンを作って食べて帰るだけの簡単なお仕事である。  リリは寄宿先のノームの看病で休む。……看病でも、買い物には行く。買うものはたくさんある。  それでベルは、今日は一日中アイズと特訓。  レフィーヤは、24層の騒ぎで知り合った【ヘルメス・ファミリア】のエルフと特訓に行った。ベルとアイズの一日二人きりに歯噛みしながらも。  ビーツは『豊穣の女主人』、リューのところに里帰りした。とんでもない量の料理を食べ、給仕もする。勉強も教えてもらう。  ヴェルフは多忙を極めるファミリアの雑用。  夜明け前から、休みなく打ち合い続ける。どれほどひどくやられても、ベルは音を上げない。  アイズは驚いていた。 (これが、正しい基本……)  彼の動きはどんどん切れていく。レベル1とは思えないすさまじい速さが、剣とみごとに調和する。身体の芯が軸が、重心がしっかり据わっている。  昨日自分が教えたことを、復習して血肉にしてくれていることがわかる。ダンジョンのモンスターを相手に。ホームでの素振りで。また、昨日は神タケミカヅチの指導で。  ベルの体を通じて、タケミカヅチと勝負しているようですらあった。  武神と戦っているように、その芸術的な型を観る。豊富すぎる実戦経験から、武神の教えの無駄を探す。それを通じて、自分の動きの無駄も見える。  ベルも、戦えば戦うほどアイズの動きの美しさに深く惚れていった。  外見だけの憧れとも、もう違う。その剣がたまらなく美しいのだ。武神の剣も美しいが、それとは違う美しさ。  だが、何かが足りない気がする。何が足りないのかはわからない。  昼寝に誘ったのは、ごくなんとなくだった。  それから、昼食を買いにジャガ丸くんの屋台に行って、ヘスティアにばれるなどトラブルもあった。  午後はなんとなく、ひたすら体力勝負を挑ませた。気絶で楽にさせない。何時間も、一瞬の休みもなく攻め続けた。  そして特訓を終えて、暗くなった道を帰っているとき……  道が暗かった。魔石街灯が壊されている。  アイズが猫人の槍使いと戦っているうちに別方面から奇襲があり、ヘスティアを守ったベルと分断された。  そのベルを、二人の冒険者が襲う。  一人を撃退した…… (千草さんより、弱い)  だが、もう一人。  両手剣を持つ、覆面はしているが長身の女とわかる。  歩き、斬りつけ、弾かれたときにはっきりわかった。 (命さんと同じぐらい……レベル2!?)  レベルが違えば、事実上絶対に勝てない……そのことは、エイナに何度も言われていた。  だから冒険はするな、と。  だが、 (ここで僕が引いたら、神様が……) (女を守れ)  はっきりと、決意が固まる。  ダンジョンではないので、刀は持っていない。ヘスティアがくれた脇差『ベスタ』と、ヴェルフが打った短剣『ドウタヌキ』の二刀。  深呼吸し、腰を落として、歩きはじめる。  厚い短剣が、すさまじい衝撃をはじいた。  わかっている。 【タケミカヅチ・ファミリア】の桜花や命の打ちこみと同様の、圧倒的な力と速さ。  無論、その二人のどちらにも、勝ったことなどない。 (それがどうした!こんなの、アイズさんに比べればぜんぜん遅いし、軽い)  強烈な一撃、だが迎撃できる。アイズに教わったことを、さっそく全力で出す。  相手の体幹をとらえ、斬りつけ続ける。それは最高の防御にもなる……相手がこちらを切ろうとすれば、脇を絞めて振りかぶっている自分の剣が邪魔になるのだ。  タケミカヅチ神は、零能の人の身で、『恩恵』がある自分や桜花の一撃でも、柔らかく受け流しその動きがなめらかに打ちこみに変わる。速度は何倍も違うはずなのに、まったくよけられない。  自分はその域に遠く及ばない。でも真似ることはできる。愚直に、教わった通りに練習は繰り返してきた。  刃筋がきれいに通る。黒紫の光を帯びた脇差の斬撃が、両手剣の刀身を切断した。  女は驚きながら、返しの逆水平を見切って腰をそらして鼻をかすめるほどぎりぎりで空ぶらせ、腰から短めの大針剣(エストック)を抜き突きを放った。  ベルはもう一歩斜め前に出ていたが、左上腕を縫われる。短剣を落とす。ただ、その場に止まっていたら心臓を貫かれていただろう。  激痛と衝撃。だが、背後に守るべき女神がいる。ベルは動きを止めず、振りぬいた脇差を袈裟に振り下ろした。  女は大きく飛び離れた。  ベルは動き続ける。斬りつけ続ける。身体の軸で。深く呼吸しながら。腰を落としたまま。痛みは激しい呼吸を命じているが、それを抑えて。 (足を止めたら終わりだ)  それがはっきりわかる。身体がわかっている、足を止めた瞬間に体に食いこむアイズの鞘が教えてくれた。嫌というほど。  覆面の奥で、上のランクの冒険者が驚いているのがわかる。 「調子に……」  乗るな、と打ちこんでくる強烈な一撃。  脇差で受けたが、体ごと持っていかれそうだ。 (いや、アイズさんの一撃はこんなもんじゃない!)  そう心で叫びながら、ますます加速していく。  レベル2の相手と同等、さらにそれ以上に。  相手としてはやりにくい。脇差での斬撃はかわすしかない、剣で受けたら剣が斬られる。  身体能力と経験の違いでよけるしかない、だが少なくとも速度は同じ領域にある。 「化物め……引けっ!」  声がし、素早く相手が剣を引き、闇に紛れた。  ベルは激しく息をつき、膝から崩れそうになった。夜目もきくアイズが短剣を拾ってくれる。 「大丈夫?」  アイズがポーションをかけてくれた。 「は、はい」 「すごかった、ね」  ベルは、やはり悔しかった。 「レベル2相手に、負けなかった」  アイズはそうほめてくれたが、アイズの前だから勝ちたかった。 「心当たりでもあるのかい?」 「よくある、ことだから」  アイズはそう言って、息一つ切らさずベルとヘスティアを工事中の廃教会に送った。  その夜中、むしろ朝に近い時刻。【ソーマ・ファミリア】の、本拠(ホーム)よりずっと厳重に守られた酒蔵が襲撃された。  特にうぬぼれが強く、権力と金、何よりも『神酒』に飢えた数人が、魔剣を振りかざして酒蔵を襲ったのだ。何人かの、ならず者も加えていた。  だが、その決行日は密告されていた。 『酒守』ザニス・ルストラ自らが出て酒蔵を固めた。  渡された魔剣も、一度か二度で砕ける安物だった。  魔剣が放つ炎も、大盾に防がれる。 「おまえらは騙されてたんだよ!」  ザニスの嘲笑とともに、裏切り者たちは次々と叩き伏せられる。 「さて、誰に頼まれたか、教えてもらおうか……いや、その魔剣は誰に渡された?」 「り、リリ、りりりり、リリチビだ」 「ああ、あー」 「アーデだ、あのチビの」 「なにぃ?」  ザニスの表情が変わる。密告した者を締め上げたら、そのもとはリリルカ・アーデだった。  襲わせたのも、密告したのも…… 「ちくしょうっ!ただじゃ」  叫んで、一党を引き連れてホームに走る。  そして気がついた。ホームへの最短距離の道が、荷車でふさがれている……  ちょうど、そのころ。  手薄になった本拠(ホーム)を、何者かが襲撃した。  まず門に襲撃があった。  わずかに残っていた構成員は門の方に向かった。数少ないレベル2、チャンドラ・イヒトは門の方に行き、人数は多くいた、所属不明のならず者に立ち向かった。  彼らは奇妙だった。明らかにレベルが低い、『恩恵』のない者さえいるのに、妙に手ごわい。巨大ともいえる盾を構え、固まって押してくる。  その後ろから石がたくさん飛んでくる。  石のいくつかは、小さい爆発を起こして強烈な音と光を放ち、こちらをひるませる。またいくつかはいきなり煙を吹き出す。それを吸うと両軍とも激しくせきこみ、目の痛みにわめき散らすことになる。 「なんだこれは」  と大盾を構えるならずものを襲ったチャンドラ。  その目は、騒ぎに紛れて恐ろしい速さで逃げている何人かの、姿を厳重に隠したかなり上の冒険者を認めた。 「きさまら……金で雇われたな?誰に」 「ぐあああっ、ぐへっ、ぎゃあう」  まったく話にならない。尋問を始めるまで、かなりの時間がかかった。  水を持ってきて目と顔を洗ってやり、うがいをさせた。それでやっと、ひとごこちついたようだ。 「げほ、ぐあ、げほ、げ、へ、変な奴だ。全身鎧を着てた」 「最初に半金もらって、あとのことはぜんぶ、人のいない酒場でおれの耳にだけ、することを聞かされるんだよ」 「む、これは!」  チャンドラは何かに気がついたか、室内に走った。  門とは逆の壁に、大穴が開いている。それも、巨大な刃物で切ったようなきれいな穴。  その穴を開けた爆発は、さきほどの閃光音響手榴弾(スタングレネード)とタイミングを合わせたのだろう。  チャンドラが知るはずはなかった。成形炸薬テープ……RPG-7のような成形炸薬弾頭、円錐形にへこませた爆薬に金属板を内張りして起爆すると、極端な力で押された金属板がとてつもない速度の、液体も固体もないジェットとなって、装甲板を硬さ関係なしに貫通してしまう……その原理を用いて、壁を好きな形に切り取れる爆薬テープ。 「むう……」  主神がいなかった。わずかに警戒していた者は、鼻と口を押さえ、涙とよだれを大量に流してのたうち回っていた。 「この館の構造を、知り尽くしている者の……ばかな、神に対する暴力は重罪だぞ」  あきれかえり、追うチャンドラ……壁の穴から出ようとした彼を、目出し帽の上にヘルメットをかぶった子供のように小さな冒険者が迎撃する。  その両手にはトンファー。 「主神は、ソーマは」  無言で、すさまじい速度で小さい子が走りこむ。強烈な一撃を受け止め、 「む……」  レベル1だとはわかる。だが、 (強い!)  はっきりわかる。  その手にはトンファー。とんでもなく重い、 (第一級特殊装備?)  と一瞬思い、そのまもなく次の一撃を受け……防御ごと撃ち抜かれるような衝撃に、頑丈な体が大きくずれる。  すさまじい速さと力。  激しい戦いになる。戦えているのが不思議な戦い。  突然、ホイッスルが短く三度響く。  少女は超高速のワンツーを放ち、そのまま半歩下がって、何かを放った。 (く)  チャンドラが警戒した、その間に少女は逃げた。  彼女が投げたなにかは、強烈な光を放つ。そして火が上がりそうになり、消火に忙しくなった。 「むう……」  はっきりとわかっている。相手にも、かなりの傷を与えている。それでも相手は、ひるんでいない。 (強い)  ふん、とチャンドラは息を吐いた。  血相を変えて走るザニス。このグループでは一人だけのレベル2が……荷車が邪魔で、狭いごみだらけの路地を走っていると、すぐに一人だけ先行してしまう。  そこに、一人の男の影があった。  男は竹刀とほぼ同じ長さの、鋼の棍棒を正眼に構えた。 「て、てめえ……『妙な音』か。あれも、これも、全部」  無言。静かに、すり足で前進する。 「ぶっ殺してやる!」  理知的な雰囲気などかなぐり捨てた獣が襲いかかる。  剣の才のない、平凡なレベル2と……ステイタス頼りで正しい動きを身につけず、ろくにダンジョンにも行っていないレベル2。 「なんなんだ、なんなんだてめえは!」 「あんたがほしいのは、神酒(ソーマ)でも金でもない……権力だな。金が欲しいなら、命知らずは多数いるんだ、リヴィラまで荷物を運べばいくらでも稼げる。  リリルカ・アーデを花屋から連れ戻したのも、割に合わなかったはずだ。  団員が潰しあい、すさんでいき、狂っていく姿こそ見ていて楽しかった……神酒より権力のほうがよほどうまいのは知れたことだ」 「だまれえっ!」  図星を指されたザニスが、激しく打ちかかる。  それなりに激しい打ち合いになった。  勝負を分けたのは、瓜生の圧倒的な防御だった。ベルに比べれば少しだけだが、毎日やっている素振りだった。ステイタスによる力を使いこなし、打撃力と足さばきはちゃんとできているのだ。  防御には優れていて、レベル2の攻撃を防ぎきっている。多少やられても、不可視の鎧で大したダメージは受けない。そして一撃は重く、腰がしっかり乗っている。  あえて、大きめに振りかぶって威力を乗せている。  痛みに慣れていないザニスがひるんだところを、容赦なく小手で手首を砕いた。そして逃げようとした鎖骨を強打し、ふくらはぎを打って縛り上げた。 「これでいいのか?」 「はい」  アナキティ・オータムが笑いかけた。 「【ファミリア】潰しをやる以上、最後はちゃんと、頭を剣で倒さなければ……わたしたち冒険者が納得できません」 「全部闇から闇へなんだがな」 「それでも、ですよ」 「ちゃんと、見たよ」 「ああ」 「約束だ、後金をよこせ」  ぼろぼろになったならず者が手をさしのべてくる。瓜生は、金貨の袋を渡した。 「あとは……」  ……そして翌朝、【ソーマ・ファミリア】本拠に『ギルド』職員の査察が入った。 『ギルド』近くの物陰に、団長のザニスが縛り上げられていた。  同時に、『ギルド』にリリルカ・アーデも出頭した。  リリルカ・アーデは前日、『ギルド』にすべての罪の告白書を送っていた。神ヘスティアの署名がある、神によって真実性が確認されたものだ。また、自分を受け入れたせいで荒らされた花屋の老夫婦のことも書いた。  主神の行方不明。一般市民への暴行も、リリルカ・アーデの件だけではない。冒険者の間にも、リリ以外の【ソーマ・ファミリア】の者にまつわる苦情は多くあった。  数日後、主神ソーマからの申し出もあり、【ファミリア】は解散、全員改宗待ち状態にし、いくつかの余罪が判明したザニスは『ギルド』の牢につながれることになる。  ……余罪の中には、そんな罪があることすら公開できないほど重い、闇派閥がらみのものもあった…… 『青の薬舗』の奥で。  タケミカヅチとミアハ、ヘスティアが縛り上げたソーマの紐をほどいていた。  子が神を拉致すれば重罪。また神威を受ければ子は抵抗できない。だが、神が神を拉致するのは、この半無法の迷宮都市では、単なる抗争だ。  武神タケミカヅチならば、零能の人の身でもレベル2ぐらいの冒険者には勝てる。まして、引きこもり神を縛り上げ、三人で担架に載せて担いでくるぐらい難しくはない。  防毒マスクをつけ、催涙ガス弾も持っていた。  タケミカヅチとミアハとも、かなりの金額で雇われた。ミアハは、借金二回分の返済にすらなる額だった。 「終わった」  瓜生がやってきてそう告げた。ロキを連れてきている。そのロキは、小さなリュックをかついでいる。  ロキとヘスティアがまた口げんかしてから、瓜生がヘスティアを連れて帰った。 「明日、いやもう夜が明けるか、仕事だ」  と。 「ロキ……大丈夫なのか?」  ミアハが心配そうに言う。 「心配あらへん。うちの子たちは、見とっただけや。ほとんどはウリが、金で雇った連中を使ってなんとかしてもた。で、このヒッキー」  と、ロキはリュックから、いくつかの酒ビンを取り出した。 「ほれ」  特に古いビンから、崩れかけのコルクを抜く。茶こしでコルクくずをこしつつ、グラスに注ぐ。  とろりとした、黄金のような酒が朝日にきらめく。  無反応だったソーマが反応した。 「こいつはな、遠くの国の子(人間)が作った酒や。シャトー・ディケムの、100年以上経ったもんや」  そう言ってロキは飲み、タケミカヅチやミアハにも回す。そしてソーマの前にも置いた。  タケミカヅチもミアハも、あまりの美味に言葉が出てこない。  ソーマも震えながら、超長期熟成の貴腐ワインを飲む。圧倒的な甘さと複雑な味に震えている。 「今作った酒で満足するのか?もっともっと上を目指さないか?俺はまだまだ上を目指している」  タケミカヅチが笑いかけた。 「これも試してみい」  と、3本のビンを出した。  美しい絵がラベルに描かれた、シャトー・ラフィット・ロートシルトのヴィンテージ。ロマネ・コンティの伝説的なヴィンテージ。どちらも30年以上前の超絶な赤ワイン。  美しいバカラグラスのビンに入った、ヘネシーのリシャール。  瓜生の故郷でも、超ド級の酒ばかり。  次々と注いでやる。ソーマは一口ずつ味わい、香りと味を全身で解析した。  酒は、ソーマにとって唯一わかる言葉だ。 「自分、【ファミリア】運営に向いてないんや。うちんとこでゆっくり休んで、好きなだけ金使ってええ酒作れ。そいでな、失敗作だけでも分けてくれればいい。  酒の作り方を子に教えて、それで金をもっと作ればええ。まあその子には神酒は飲ませんほうがええな。  子が酒の作り方を学ぶまで、うちと、デメテルたんで面倒見たる。  だから、『ギルド』から話が来たら、みんな改宗待ちにしたれ」  ロキが静かに語りかけ、うまそうに美酒を干した。  ロキは、うまい酒が飲みたい、ソーマの失敗作でもいい。瓜生はみせしめに【ソーマ・ファミリア】を潰したい。『ギルド』は、ひどいファミリアはちゃんと取り締まっている、と見せたい。  利害の一致だ。  自分の調査がそんな形で使われたことを知ったエイナ・チュールは、 (中立って一体……)  などと、頭を抱えたらしい。  翌日、リリルカ・アーデは釈放された。  反省はしているし、実際には死者や重傷者は出ていない。ペナルティとして、宝石にしてあった金の八割は没収されたが……  リリの身元引受に行ったベルを、瓜生とフィンが見ていた。 「自分の眷属にも、ひどいことをしたファミリアはつぶす、そうだね」  瓜生は少し黙って、違うことを言った。 「悪い【ファミリア】所属者の子として産まれたら、救済措置がない……これは問題にしたい」 「結構難しいと思うが、やりがいはあるね。それにしてもあの……」  フィンが、リリを見て食指を動かしたようだ。 「じゃあ、おれは先に行っている」 「アキたちはもう出ている。18階層の、この地図にある水晶のところで合流してくれ」 「わかった」  そういって瓜生はダンジョンに歩き出し、フィンは『バベル』に向かった。  遠征が近い。今回は前回の反省もこめて、鍛冶師も連れて行く。  瓜生がいるから不要という声もあったが、瓜生の武器にはどんな不都合があるかもわからないのだ。  他にも、すべき事務処理は膨大にある。  フィンの、その多忙も一族繁栄のため……嫁探しも。 >大遠征 【ロキ・ファミリア】は、【ヘファイストス・ファミリア】も含む大遠征の準備を進めている。  だが、大半の物資準備は欺瞞である。持っていくつもりもないのに、まわりの目をごまかすために調達している。実際に買う物は重さを徹底的に減らしている。バベルまで運び、周囲に見せつけるカーゴの荷物は、中身は瓜生が出した単なる緩衝材だ。  ただし、ポーションや魔法護符、魔剣はいつもの大遠征以上に準備している。  瓜生を知らないメンバーで、調達全体を総合できる者に、不安はあった。 (この装備では、せいぜい35階層まで行けるかどうか……)  実際には、それほどに少ない装備である。  一度不安がる者たちを連れて、瓜生が軽装甲車で16階層に行き、膨大な物資を出し、湯を沸かして皆でラーメンを食べて帰ったことがある。4時間もかかっていない。  瓜生は【ソーマ・ファミリア】を処分した直後、大遠征より少し前から19階層に滞在していた。  アナキティ・オータムら数人と合流、戦車や装甲車を整備していた。  大量に食べるビーツのために倉庫を借り保存食でいっぱいにし、二日に一度配達されるようにもした。  だから、ベルの死闘を見ていない。もし彼がフィンやアイズと行を共にしていたら、どうしていたか……瓜生が実力を発揮するには、どうしても準備時間が必要になる。.50ライフルと手榴弾で、オッタルを倒すことは……  立ち寄った18階層、リヴィラで瓜生は慣れた失望を味わった。  新しい街を見下ろす五つの丘に置いた20ミリ機関砲と砲弾は、なかった。  ボールスの力では、無法者たちの欲を抑えきることはできなかった。  砲身の鋼。弾薬の真鍮と鉛。すべて盗まればらされ売りさばかれた。  見張らせた手下は買収され、買収を拒んだ者は闇討ちで重傷を負った。ボールス自身も、守ろうと意地を張るのは危険すぎた。  それほど、この無法の街に高品質の鋼は、保てないものだった。貧困国では送電線や電話が、単なる銅でしかないように。  機関砲の秘密を研究する者はいたのかどうか……機関砲を盗み押して深層に出かけ、帰ってこなかったパーティもいた。  瓜生は慣れていた。金の卵を生むガチョウを、腹を裂くどころか卵を生ませもせずに焼いて食べてしまう人々に与える愚行は。 「……すまねえ」  しょげかえるボールスに瓜生は、 「わかっている。守り切れないものを与えたおれも悪い」  そう言ってボールス個人が管理できるよう、14.5ミリボルトアクション狙撃銃を渡した。  寝台車や食堂車、多数のコンテナやトレーラーハウスも、汚れてはいたがたくさんの人が利用していた。金を出せば魔石で沸かした熱い風呂に入れることも、誰もが慣れつつあった。 【ロキ・ファミリア】の遠征参加者は多くの見送りを受け、数班に分かれて出発、18階層で集合した。  レベル2のサポーターたちは、それなりに危険な思いもした。  そして皆、何人かの幹部の異様なテンションにおびえていた。一度、第一斑……フィンやアイズを中心とする第一級冒険者の多くが、ラウルに後を任せて抜け出し、再合流した。何かがあった。  また、19階のルームに案内するアナキティ班……『妙な音』のうわさに、恐怖と好奇を抱いていた。  そこにあったのは、噂をはるかにしのぐものだった。 「ああ」 「い……」 「う」 「え?」 「おおおおお」  声が広がる。 【ヘファイストス・ファミリア】もあきれかえり、何人か……妙な金属の受け取りをした者は瓜生をにらんだ。  メルカバMk-3が2両。ナメル重装甲兵員輸送車が6両。ヴィーゼル空挺戦車が4両。大型トラックが2両。牽引式の23ミリ連装対空砲。  ナメルのうち3両は、瓜生・フィン・リヴェリア用に、一人で操縦できるよう改造した。  トラックには人数分のキャンプ用具が積まれている。  フィンの目くばせとともに、事前に学ぶことを志願していた人々が前に出る。前回と合わせ、40人近くが近代兵器を使うことになる。  ちなみに、アキ以外のレベル4は、今回は強制だ。51階層以下の挑戦に必要なのだ。  ガレスもこだわりなく、兵器を学ぶことに参加した。ただしリヴェリアはじめエルフに教わるのは拒否したが。  フィンを中心に、アキたち先輩も講師となって教え始める。  前回から間があったので、しっかり反省した。瓜生も【ロキ・ファミリア】の戦術を聞いた。  リボルバーで銃の基礎、ライフル……と教えていけば確かにわかりやすいが、時間がかかる。  教えることの数をひとつでも少なくするのが、 (もっともよい……)  と、いうわけだ。  まず.50ライフルを全員に。次に手榴弾と対戦車手榴弾。  メルカバと、メルカバから砲塔を外して装甲兵員輸送車にしたナメル。当然共通点は多く学習負担は小さい。  ヴィーゼル。23ミリの牽引機関砲。  大型トラック、六輪ウニモグ。  それだけ。  もともと【ロキ・ファミリア】の遠征の基本は壁役が大盾を並べて守り、その背後から弓矢と魔法で攻撃する。  左手で大盾、右手でセミオートライフル。大盾の頭越しに手榴弾。魔法もそのまま使う。それなら、ほぼこれまでの延長でやれる。弓矢と短文詠唱魔法が手榴弾になるだけのことだ。  さらにヴィーゼルの20ミリ機関砲で細かく支援する。 (ダンジョンでない遠距離戦なら、迫撃砲や榴弾砲がそのまま呪文だな)  フィンたちに普段の戦い方を聞いて、瓜生はそう思った。 (この重火器に本当にふさわしい戦術は、今回の遠征を反省してから……)  と、決めている。  教わる者、教える者両方半々に分けて、半分は別ルームに行って火縄銃で銃の原理を学び、それからライフルの訓練。もう半分は広いルームで操縦の練習。  今回学ばない者は双方の護衛。  車両はまず最小限のギアや操縦系の操作。いくつも、様々な色のパイロンを並べ、ぶつけてみることで車体感覚を得る。それから、ぶつけないようにパイロンの間を走り抜ける。  新しい体に、神経をいきわたらせる。  もう一つ、5人の特別班がいる。犬人・狼人・猫人を主とし、特にスピードと感覚、勘の鋭さを重視して選んだ。  彼女たちの訓練は別ルームで行われる。  全員、100発C-MAGをつけたガリルACE53とダネルMGLグレネードリボルバー、手榴弾を持つ。身軽だ。  仕事は一つ。新種の、溶解液の塊であるイモムシを、できるだけ早く弾幕と破片で処理することだ。そのため身軽で、遠征隊全体の最前線に広く配置される。原則として、あの新種以外は相手にしない。  前回の撤退理由であり、溶解液が武器防具を溶かしたので金銭的な被害が極端に大きかった。  新種はやっかいだが弱いので、7.62ミリNATO弾でも十分、遠くで殲滅できると思われる。群れが遠くにいるうちに一匹に一発ぶちこめば、ぶちまけられる溶解液は仲間も溶かしてしまうのだ。  鍛冶師を連れてきたことも、ローラン・シリーズ……すべて不壊属性(デュランダル)の武器を注文したのも、アイズを中心に特訓をしているのも、その新種対策。  それとは別に、まだまだ他派閥も多い階層で訓練を見られないよう監視する役割も必要だ。人数の割り振りと交代、点呼はとても忙しい。  二時間ほど教えてから夕食。瓜生も訓練に忙しいし、食事係も訓練される側だった。待たせないためにチェーン店のハンバーガー・フライドチキン・ピザ・フライドポテト、袋生ラーメンとチャーシュー……インスタントラーメンより味がよく、鍋と水が用意できればすぐできる。デザートにカステラとナッツ。  瓜生に訓練されたメンバーは、訓練より簡単なメニューにほっとし……そして車を見上げて明日の訓練を想像しげんなりしていた。  無論、ルームに用意されたトレーラーハウスの風呂と新品の寝具には驚嘆し、大喜びもしたが。  風呂を済ませ、幹部ミーティングに顔を出した瓜生は、フィンやアイズにベルのすさまじい冒険を聞いた。  オッタルと戦ってまで助けようとしたアイズに……そして男の戦いを見守ってくれたことに、ひたすら感謝した。  ティオナは何度も何度も、その戦いのすさまじさを語らずにはいられなかった。  翌朝、目覚めてすぐにフルーツジュース。それからガスオーブンで冷凍生地を焼いた焼きたてパンとベーコンエッグ、前日の夜から業務用圧力鍋で作っておいた鶏ひき肉・タマネギみじん切りのシチュー、全自動機械のコーヒー。  教わるメンバーはコーヒーをおかわりして、本格的に訓練開始。  ベルの奮戦を見て体に火がついていた幹部たちと、負けず劣らず体の火が強い椿・コルブランドが別のルームに飛び出し、手ごたえのない相手に沸き立つものをぶつけ始めた。  そちらのメンバーにも、昼食は瓜生がたっぷりと持たせている。コンビニおにぎり、菓子パンとチーズ、プロテインバーやシリアルバー、クリームサンドビスケットなど。  そのサポーターがちょっと燃料とキャンプ用小型ストーブ、アルミのヤカンや鍋、メラミンのどんぶりを背負っていけば、インスタントラーメンも食べられる。普段の装備よりずっと軽い。  丸一日と二時間の訓練は、十分に報われた。50階層に着くまで、ふつうなら7日かかるのが5日だった。  全員、装甲車の中や屋根に乗って、走り続けるのはきついスピードで進撃した。どんな魔物も一瞬で魔石も残さず粉砕された。最も多くのモンスターを倒したのは、ナメルの屋根に座った歩兵の射撃だった。 「(メルカバ・ナメルにある)迫撃砲が使えなくて残念だ」  と瓜生は言ったが、もし使えていたら何人も限界を超えていただろう。直射できない迫撃砲は、計算が必要だ。  そして夕食・睡眠・朝食。  大きいルームの壁に爆薬を仕掛け安全地帯として、多数のトレーラーハウス。全員がバスタブにつかり、新品の布団で眠ることができる。  食事もトレーラーハウスのキッチンや自衛隊用の給食装置などを利用し、全員に十分ごちそうをいきわたらせた。  大人数の腹ペコたちに、たっぷりとおいしく栄養のあるものを。  ガレスや椿が酒を要求してリヴェリアに殴られることも何度もあった。  それだけではない。【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師たちのために瓜生は、別のルームに金床・るつぼ・ガス炉・ベルトハンマーと発電機、そして炭素工具鋼・高速度鋼・ニッケル・インジウム・銅合金・コバルト合金など材も用意、それなりの仕事ができるようにした。  壁を爆破したときにもかなりの鉱石が出た。  チタン、スズ、ジルコニウム、ロジウムと迷宮で得たミノタウロスの角、壁から出た金属鉱石をるつぼ精錬したものを混ぜるというわけのわからないことも鍛冶師たちはやった。  瓜生はむしろ、 「なんとか、GAU-19(.50BMGのガトリング砲)か連装重機関銃を戦車に載せるアタッチメントを作れないか……」  と頼んでいた。  また、キャタピラが壊れたりしたときの修理などもさせてみた。  38階層から、【ロキ・ファミリア】のメンバーを大きく4つに分けた。  51階層以下に挑戦する者……サポーターですらレベル4が要求される。例外もいるが。  レベル6がフィン・リヴェリア・ガレス・アイズ、5がベート・ティオネ・ティオナ、そして4人のレベル4サポーター。加えてレベル3だが、倍の時間はかかるがリヴェリアと同じ大火力魔法が可能なレフィーヤと、レベル5の椿。実際に51階層以下に挑戦するときに備えて、同じ装備……兵器で戦いながら訓練する。  残りのメンバーを、瓜生の兵器を学ぶものと学ばない者、そして対新種班に分け、アキが率いる。  挑戦組は、4人のレベル4がメルカバ、リヴェリアとフィンがそれぞれRWSつきのナメルを一人で操縦する。  もともとかなりスペースに余裕があるメルカバと、多人数が乗れるナメル2両、食料もテントも寝具も……弾薬や修理用部品もたっぷりと積んだ。  アイズとベートも、重機関銃とライフルの扱いは覚えることを承知した。  意外にもベートは、 「モンスターを灰にできるなら、どんな手でもかまやしねえ。ダンジョンには理不尽しかねえんだ」  と、認めた。  ガレスはフィンに、ナメルの扱いを学び始めた。  椿とアマゾネス姉妹は、それまでに鍛冶師たちが打った、刃だけで1M、柄も4Mある長槍を手に車両の屋根に乗り、陣を守る。  フィンたちは臨機応変に、火力で掃討することもあるし飛び出して槍や銃を手にすることもある。  そちらには瓜生も同行させない。本番の51階層以下には、レベル2の瓜生は連れていけない。 「メルカバなら足元で10キロの高性能爆薬が爆発しても」  と瓜生は言ったが、 「どんな防御でも、52階層以下は安全じゃない……何階層分もの床をぶち抜いてくる」  とささやかれた。 「それに合わせた兵器がないか、考えてくれ」  とも。  残ったメンバーはアキが率い、戦力としては主に瓜生の兵器で降りる。  できるだけ多くが、銃や手榴弾、戦車や装甲車を訓練しながら。  モンスターにとっては地獄絵図だった。  ダンジョンが敵の強化に気づいたように、世界をへだてる壁が弱まったように、新しい強敵も出現した。  水が多い階層では、とてつもなく大きなワニや、見た目とは違い鋭い牙と速いダッシュで襲いかかるカバの怪物。  頑丈すぎる装甲に身を固めた巨大ヤスデ。  悪夢から出てきたような、4本の長く巨大なハサミを持つ巨大甲殻類。  どれも、レベル5が複数いても苦戦しそうな敵だった。だが機関砲の前では無力だった。  牽引された連装の、あるいはヴィーゼルの機関砲が織りなす濃密な十字砲火。ナメルの30ミリ遠隔操作砲塔。何も決して近づけなかった。  41階層に、突然巨大すぎる蛇が8頭出た。赤、赤紫、青紫、青、青緑、緑、オレンジ、黄土色……人間どころか象でも一口に飲み込めそうな規模。  瞬時に、先頭にいたアキの30ミリ機関砲が5つを粉砕する。  そして後方から、随伴歩兵をしていたリーネが率先して重機関銃で射撃し、全員が続いた。  強烈な衝撃が瓜生の車に当たったが、巨体は持ちこたえた。瓜生の不可視の鎧は、瞬間的で強烈な加速度からも主を守った。瓜生も反撃を始める。  アキの命令を受け、メルカバが放った120ミリ弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)が、外れかと思うほど遠くを撃ち抜く……そこには、地形としか思えない、太い本体があった。8つの首を持つ超大蛇。一つの首の直径だけで6メートルを超える。  校舎の高さより太い巨大な胴が、音速の何倍ものタングステン合金の太矢に貫かれる。矢の先端は頑丈すぎるうろこも、超高速が生む超高圧で液体と固体の区別をなくさせ、貫通して内部で暴れまわる。  一発ではなく、連射。人間にとっては重い砲弾も、人間離れした力の装填手は高速で再装填できる。戦車砲がくりかえし火を吹く。後方の30ミリ、そして20ミリ機関砲も。  圧倒的な火力の前に、超巨体が灰と化すのはすぐだった。  別ルートで降りている挑戦班も、ベルの挑戦を見て煮えたぎる心が身を突き動かし、どんな魔物も瞬時に粉砕した。  太い二本足で立ち長い首が3つの、頭までの高さ20Mはある飛べない鳥……あえて火砲を使わせず、ベートとアイズ、アマゾネス姉妹、椿の5人だけで切り倒した。くちばしの一撃より、飛び跳ねて鋭い爪で蹴るのがすさまじい威力だった。  4本の腕、それぞれの手首から先が長い剣になっている、青い肌の巨人の群れも次々と切り倒した。  とてつもない重装甲で、一本のハサミが異様に大きいヤシガニも一匹はアイズの必殺技が粉砕し、もう一匹はレベル4の4人が駆るメルカバの主砲がぶち抜いた。 「わしらの仕事がなくなるな」 「弾薬には限りがあるから、ありがたいよね。ポーションはもっと限りがあるけど」  と、ガレスとフィンがあきれるほどの情熱だった。  フィンもリヴェリアも、燃えてはいる。だがその炎は、違う形で燃えているのだ。エンジンを動かす炎のように。電線を走る信号電流のように。  途中、とうとうナメルのうち一両が奇襲にやられた。修理をあきらめて装備を積み替え、呪文で破壊した。  近代兵器をどこまで学ぶか……フィン・リヴェリア・ガレスは何のこだわりもなく学んでいる。三人にとっては、【ファミリア】が強くなることが最優先なのだ。  アイズは迷っていた。  強くなりたい……強すぎる、身を焼き焦がしてやまぬ思いがあった。それが、ベル・クラネルとのふれあいで少し変わってもいた。椿・コルブランドにも、剣そのもので折れるだけだったのが変わった、仲間ができたと言われた。  タケミカヅチの言葉もあった。仲間のため……なら、自分も戦車を運転し、機関砲を撃ち修理できれば、特に52階層以下、レベル3以下はとても連れていけない地獄では【ファミリア】が強くなれる……  だが、迷いはまだあった。一つの方法しかしてこなかった。一人剣を手にダンジョンに潜り、強くなる……それしか思いつかなかった。やってこなかった。  それを変えるのが、あの時の、ずっと強めてきた誓いを汚すような気がするのだ。  勇気が必要だ、自分は臆病者だ……アイズはつい、自分を責め、自虐的な思考をしてしまう。リヴェリアや椿はそれを見抜き、助言をくれるが……  決めるのは自分だ。  ベートは、強くなれるなら何でもいい、と瓜生の武器を認めた。  だが、なぜか自分も学ぶと思うと、一歩踏み出せない。気に食わない。 「何が気に食わないんじゃ?」  ガレスに言われ、じっと考えた。考えたくなかった、思い出したくないことが多すぎるから。  だが、考えるしかなかった。 「この、鉄の車と火のクロスボウ……こいつを使えば、雑魚も強者になる。だが、奴の故郷ではたくさんの人間と人間がこれで戦ったんだろう?」 「ああ、そういうことか……あやつの故郷は、弱い人間に武器を持たせて殺し合わせた。人間を道具のように、矢のように消耗したんじゃろうな。あやつは、それをよくわかっておる」 「気に食わねえ……」 「たっぷりと動いてバタッと眠れれば楽なんじゃがなあ。いや、あのスピリタスとかいう強い強い火酒があれば……老体にこんな勉強は辛い」  ともに火を見つめ、ぼやくガレスのため息。ベートは、とにかく暴れたかった。一人でウダイオスとでも戦えたら、どれほど幸せか……  ティオネは、フィンが乗るナメルに触れていた。まだエンジンの熱が残る複合装甲の巨体。  彼の隣にいたい。アマゾネスの、冒険者の誇りなんて捨ててもいい。だが、自分の本性そのものが、冷静な機械に、巨大機械の部品になることを拒んでいる……それは『わかる』を超えた、圧倒的な魂の叫びだ。  フィンの隣にいることができるのは、どんな女なのか…… (彼が上品な姫君を求めるならなってみせる。学者になれというならなる。彼が求めるどんな女にもなる。なんでもする、なんでも……でも、でも、これは……)  どんな戦いも修行も平気、拷問もどんとこい……はるか昔、涙など枯れつくした彼女が、こみ上げてくる嗚咽を、慟哭を抑えきれない。  瓜生が憎くさえあった、筋違いとわかっていても。どうしていいかわからない。暴れたい。戦いたい。  ティオナは、迷っていなかった。自分の頭で、膨大な勉強を含む戦車の操縦ができるとは思えない。複雑な数字や、知らない文字を覚えろというだけで逃げた。  それよりも、ミノタウロスと激しく打ち合う少年の姿を思い返していた。  戦いたい……もっともっと強い相手と。それでいっぱいだった。  ついに49階層の巨大な荒野で合流し……メルカバが放つ多目的榴弾と近距離のキャニスター弾が、30ミリ機関砲の十字砲火が……リヴェリアとレフィーヤ、二人が同時に放つ大呪文が次々と何百、何千というフォモールの群れを粉砕する。  前回の苦戦が嘘のようだ。前回よりも敵は多いのに。  盾で受け止める必要がない、すぐに発射できる機関砲が、敵が遠いうちに粉砕する。頑丈な巨体が、バラバラに砕ける。  近距離まで群れが突撃しても、キャニスター弾……戦車砲から放たれる巨大散弾がまとめて蜂の巣にする。血の霧が立ち昇り、砲口からの爆風に吹き散らされる。  大型で頑丈な戦車と戦車改造装甲車、それ自体が分厚い盾となる。  アイズやベートも素早い足で動き回りつつ、比較的軽量でアサルトライフルのようにグリップと引き金を改造された12.7ミリ重機関銃をすさまじい力で構えて連射し、弾幕の隙間をふさぐ。銃身交換がまだ慣れず、過熱して使えなくなってはリヴェリアに怒られてむくれる。だが、超高速で走って機関銃を使う者が二人いるのは、とてもありがたい。隙間がなくなるのだから。  アマゾネス姉妹と椿は、獣のように別の方向に向かった。何千とも知れないフォモールを自分から襲い、殺して殺して殺しまくった。  安全階層である50階層で、ついに未踏の59階層を目標としたアタックの準備が始まる。  体力にもポーションにも余裕がある。消耗したのは学習のための精神力だ。  50階層に着いたのは昼過ぎだった。  安全階層の高台は、まさに要塞だ。2連装23ミリ機関砲6基と、30ミリRWSをつけたナメル3両ががっちりと守っている。 「これならあれが百匹来ても楽勝だな」  とリヴェリアがつぶやいたほど。  瓜生はサポーターにも手伝わせ、ダンジョンで得られる果物なども利用して食事を作った。  ダンジョンの奥なのに新鮮な魚を大量に出し、海鮮丼・天ぷら・魚のムニエル・塩焼き。  ダンジョン産の肉の味がする果物と、ジャーキーや干し貝柱で作ったスープ。  美味に舌鼓を打ち、話し、楽しむ……  瓜生はフィン・リヴェリア・ガレスに招かれた。アナキティとラウルもいる。 「問題は?」 「かなり扱いには慣れた。キャタピラは結構壊れやすいね……でも椿・コルブランドが短時間で修理できるようになった」  フィンは疲れを見せていない。 「ほかに必要なものはあるか?」 「重機関銃は予備がほしい。パンツァーファウスト3もできるだけ多く」 「装甲車両がもっとほしい。一日そのために遅らせてでも。予定より二日も早く着いているし、食料不足はありえない」  リヴェリアが強く言い、足元に転がった小石を並べなおす。石は人に対応している。 「だが、誰が乗る?」  ガレスが苦虫をかみつぶす。 「リーネはかなり腕がいいわ」  アキが勧めた。 「だからこそ、失いたくない……」  フィンが口を引き結ぶ。 「訓練不足の兵器はむしろ足手まといになる可能性も高い……だが、数があれば銃砲は質が一変するんだ」  瓜生はため息をついた。 「わかるよ。クロスボウ使いが一人と二人、さらに4人、10人……まったく別の存在になる」  フィンとリヴェリアがうなずき合う。 「こちらの運用で、出会い頭にとっさの判断が遅れることがあったわ」  アキが反省する。 「それはあるだろうね」  フィンにも理解できる。それは弓矢と魔法でもあることだ。 「おれの故郷で、ジャングルでの戦いでだ。先頭の者は散弾銃を持った。出会い頭に、狙うより早く一撃を確実に入れる、それが肝要だった」  瓜生が軽くうなずきながら言う。 「そうだな。先手必勝は、君が来る以前の僕たちにとっても絶対だった。今まではその手段が、せいぜい弓しかなかったけれど」 「戦車のキャニスター弾か?」 「それもある。重機関銃でもいい」 「パンツァーファウスト3も一つの手だな。後方安全距離が痛いが。弱いのが多数ならカールグスタフのフレシェットが最強だが、後方安全距離が大きいからなあ」 「複数の高レベルが、超大口径対物狙撃銃を持つという手もある。君が食人花に使い、ボールスに渡したような」 「この重さで使えるか?ゲパード14.5ミリ。セミオートだ」  瓜生の手元に、常人の身長より長い巨大銃が出現する。ボールスに渡した旧式のボルトアクションより重い。  フィンが持ちあげてみて、 「大丈夫だ」 「重さはともかく、かさばるな」 「これとパンツァーファウストが妥協点かな?」 「重機関銃を持つ者と組ませておきたい」  ……さまざまなことを検討する。  今から出発してもいい時間だが、あえて翌朝の出発とした。ダンジョンではあまり時間に意味はないが。  何人か、別の武器や車両で追加訓練。また新装備のテストなど。  鍛冶師たちは12.7ミリや14.5ミリのセミオートライフル用大容量箱型弾倉を作っていた。アナキティ班の側で、実戦でもかなり使った。不具合はなかった……瓜生の故郷の軍が認めるにはテスト不足だが。  メルカバの銃架には12.7ミリガトリング砲も据えた。  52階層以降の砲竜対策として、瓜生はとんでもないことを考えていた。  ガレスが、『それ』を実際に持ち上げてみせる。アイズも持ちあげられる。なんとか。  ガレス・ベート・レフィーヤの3人でナメルをもう一両。  ガレスは19階層からここまでかなり学んでいるため、問題はない。  ベートも、意外なほど素直に受けた。  レフィーヤも、 (レベルも低いのに兵器も扱えなければ、本物の足手まとい……)  とうなずいた。  ティオネもフィンを手伝ってナメルに乗る。フィンには全体の指揮という仕事もある。ただでさえ負担が大きい一人で操縦も射撃もやり、さらに指揮ではさすがにミスが心配だ。操縦だけでもやってもらえば、とても助かる。  アイズは、牽引機関砲を特訓した。  かわるがわる、14.5ミリセミオート対物狙撃銃の扱いも練習した。  火器を使わないティオナと椿も、その分負担は大きくなる。常に走り回り、長槍で対処し続ける必要がある。  ナメル3両とメルカバ1両。牽引機関砲もある。  ガレスとティオネが運転の訓練をして、49階層で実戦訓練もした。  ティオナと椿は、居残り組から何人か引き連れ、二人で48階層まで行って斬りまくってきた。  地上の時間で夜遅くまで訓練し、本当の前夜がやってきた。  瓜生のごちそうにはみんな大喜びした。  みんなで囲んでつつけるよう、骨付き肉・魚・野菜・キノコをたっぷり入れた鍋。  焼いたダンジョンの果物と、極上の霜降り和牛。  最高級のレトルトカレー。業務用圧力鍋で高級米を炊いた、極上の白飯でも、パスタでもお好みで。  食べ終われば鍋の汁でうどん。  ホールケーキとメロンを一人一つずつ。  多数派の女子たちは全員で自衛隊の野外入浴セットを楽しんだ。  そして挑戦組はゆっくり入浴し、さっさと寝……られるわけがない。  椿・コルブランドは『不壊属性(デュランダル)』が付与された連作武器、〈ローラン〉も皆に渡した。消耗しないように、これまで出さなかったのだ。  切れ味が劣る不壊属性でありながら、凄みのある輝きは椿の腕をはっきりと示していた。  新しい、不慣れな武器を千回、二千回と素振りしながら、何とぶつかってもベル・クラネルのように戦い抜く、と誓うティオナ。  同等以上の情熱を燃やしているティオネやベート。  静かに、巨大な戦車を見上げるアイズ。  そして、選抜されて緊張を通り越しているレフィーヤ……  瓜生はいくつもの大型業務用圧力鍋で、おいしい朝食を仕込んでいた。  訓練で少し遅らせても、できるだけの戦力で……悪夢の竜の壺、そしてその下……あの女調教師がアイズに告げた、59階層。  そこには何が待つのか……燃え盛る闘志は、焼けついたエンジンや白く垂れさがる銃身より熱い。  朝食。  ホームベーカリーを用いた焼きたてパン。  アイズのリクエストで、コロッケとトンカツ、フライドチキン、フライドポテト。  業務用圧力鍋で前夜に15分おもりを揺らさせ、そのまま一晩放置した、牛・豚・羊・鶏4種の骨付き肉とタマネギ・ニンジン・カブのスープ。  オレンジとリンゴ、紅茶。  出発するナメルのうち2両は、とんでもないものを積んだトレーラーを牽引していた。 >挑戦(前)  瓜生が【ロキ・ファミリア】の大遠征のために出発した。  ベルの、アイズとの朝練も終わりを告げた。  当然、レフィーヤも遠征に行くのでパーティから外れる。 「絶対、絶対負けませんからっ!」  出発直前、ダンジョンからの別れ際。ベルの成長を見たレフィーヤは悔しそうに叫んだ。 「……見送りにはいかない。その間も、ほんの少しでも強くなりたい」 「それでいいですよ!でもその間も、私も成長しますから!アイズさんの隣で!」 「楽しみにしてる。だから……」  死なないで。 「私の心配なんて十年早いんですよっ!ビーツも、どうか無事で」  レフィーヤがぎゅっと、ほんの数日で少し大きくなった黒髪の少女を抱きしめる。 「あ、ヴェルフ」  疲れた表情で、ヴェルフ・クロッゾがやってきた。 「ここんとこ混ざれなくて悪いな。うち(ヘファイストス・ファミリア)が死ぬほど忙しくて」 「あ、その……すみません」  レフィーヤが謝る。自分たち【ロキ・ファミリア】が無茶な注文をしているから鍛冶ファミリアが忙しいのだ。 「いや、嬉しい悲鳴だよ。仕事はないよりあるほうがいい。明日もきつそうだ……ダンジョンどころか見送りも無理だ」  ヴェルフがため息をついて、レフィーヤに革鞘入りのナイフを差し出した。 「持ってけよ。魔剣じゃねえ。魔剣は打たないって誓ったんだ」 「『クロッゾの魔剣』なんていりませんよ!……ありがとうございます。いいナイフですね」 「折れない。それだけは誓う」 「そりゃ折れるわけないじゃないですか、こんな厚すぎるの……」  刃長13センチ。厚さが1センチある。 「まあサポーターとしてついていくんですから、ありがたいです」  レフィーヤはぶつぶついいながら、ナイフを受け取った。しっかりした鍔は、血で濡れ滑って手を切らないよう配慮してくれていることがわかる。柄の断面が四角形に近いのも、手の中で変に回転しないようにだ。 「ウリュウさんに、よろしく」  ベルがかけた声に、レフィーヤはとても遠い眼をした。前回の小遠征で見てしまったとんでもないものを……闘技場で、大型モンスターの濃密なスクラムが轟音・爆炎とともに血霧となり、高速でちぎれた手足が飛ぶ……思い出してしまった。 「あの人もまた、何をやらかしてくれるやら。リリルカさんにも、よろしく。負けませんからねっ!」  レフィーヤはそう言って手を振り、『黄昏の館』に帰る。  ヴェルフも疲れた表情で帰っていった。  リリはまだ、『ギルド』の事情聴取がある。  翌日は、大ファミリア二つの合同大遠征が始まる。伝説の二大ファミリア以来未踏だった59階層、さらにその下を目指す大冒険。  ベルたちは、いつも通りの冒険の一日……  ベルとビーツは、帰ってからの運動を考えていた。二人で、木刀と木槍・トンファーで打ちあい、それからルームランナーでフルマラソン、それからデッドリフトとハイクリーン、バーベルをかついだままでの連続ジャンプ……  ビーツの食事も。二日に一度、地下室があふれるほどに届く保存食を瓜生が置いて行った調理機材で料理し、ほとんどはビーツが食べる。 (今日の夜の分、ちゃんとあるかなあ……)  朝、米はほとんど炊いてしまった。5キログラムぐらいしか残っていない……普通なら十分すぎるぐらいだが、ビーツの前では……それと、運動後のための保存パック牛乳とプロテイン、ブドウ糖…… (早く帰ってきてくださいね、絶対無事に)  すでに出発した仲間に、祈るような思いだ。  タケミカヅチの屋台は、相変わらず繁盛していた。瓜生に頼らなくても、極東出身者の和菓子職人や造り酒屋、醤油職人、自家製味噌を作っている鍛冶師などとも知り合い、調達できるようになった。いくつかの資材はまだ調達しきれず、かなりの量を瓜生が借りた倉庫に入れている。  帰る前に、大盛りで知られる店に寄る。以前はチャレンジ荒らしをしていたが、もう廻状が回っている……だが、かわいい女の子が信じられない量食べるのは、見るだけでも賭けのネタや宣伝になり、店が盛り上がる。  だから、値段は変わらないが量は多く出してくれる店がいくつかある。  ベルも、冒険で空腹でありそれなりの量食べている。  帰ったら、ヘスティアの温かい歓迎。  業務用炊飯器で炊いてあった無洗米、ジャガイモと干し魚のシチューをヘスティアとビーツが食べる。  食物も無事に届いていた。巨大な円盤状チーズ、乾燥パスタ5キロ×4、大きい缶入りのオリーブオイル、真空パック肉、タマネギ、ニンジン、乾燥トマトとニンニク、リンゴ、弁当用のナッツとプロテインバー。とんでもない量、それでも3日もつかどうか。  いつも通りの朝。  本当はレフィーヤを見送りたかったし、もちろん瓜生について遠征に同行したかったが、意地を張った。  早朝から素振り。アイズとの特訓を思い出し、体に刻み直す。昨日戦ったモンスターがやったこと、逆に相手の立場になれば自分のどこに隙があったかも考える。  ビーツも、重い鉄棒を槍として千回以上突き、回す。トンファーで鋭いワンツー・ショートフックまたは前蹴りを繰り返す。  瓜生がいないのでベルがパスタをゆでる。大きい鍋で刻んだチーズとオリーブ油をたっぷり温め、ビーツには鍋ごとパスタを入れて出す。業務用圧力鍋で作った肉と野菜のスープも添えた。ヘスティアも同じメニューを普通の量。ベルは冒険があるので薄めのオートミールと、スープを汁だけ。  ベルの背中には刀と小さめのバリスティックシールド、隠せるようカバンに入れたAS-Val消音アサルトライフル。  見えないよう、ヒップホルスターに44マグナム短銃身リボルバー。ハイポーションも入れる。  腰には神の脇差『ベスタ』と、ヴェルフが打った短剣、瓜生が出した刃長24センチと10センチの頑丈な汎用ナイフ。  ジャージ上下、防刃上下、瓜生が買ってきた薄手の鎖帷子、ヴェルフの軽装鎧、エイナにもらった腕防具。背中には、ダンジョンに着いたらつけるヘルメットも。  レッグホルスターにはハイポーション1本、普通のポーション3本、マジックポーション1本。  ビーツは神アストレアからもらったトンファーと、穂先はヴェルフが打った長槍、瓜生にもらった刃長20センチの分厚いナイフが2本、ベルが使っていた峰がツルハシになった手斧。  瓜生のおさがりの鎖帷子を調整して着ている。手足も背も伸びが早いので、ちょこちょこ直しに行かなければならない。  背中には彼女の体格には大きいリュック、多量の携行食を詰めている。乾パンあり、ジャーキーあり、アーモンド・くるみ・ペカンナッツあり。さらに切り札も。 (縦穴に落ちる、なんてこともあるらしいから……)  ついでに、リリに渡すポーションも持っている。  久々にリリと合流し、いつも通りエイナに報告してダンジョンへ。  今日、何が起こるかなど知るはずもなく。 「……すべて解決したようです。細かいことは……知らない方がいいと思います。【ソーマ・ファミリア】は解体、私も、もうじき【ヘスティア・ファミリア】に改宗(コンバージョン)できます」 「本当?やった!」  リリの報告に、ベルもビーツも大喜びしている。  リリは再会は嬉しいが、ため息をついていた。  9階層……なぜかモンスターの気配がない。濃い霧が、一瞬出た。  その中で、ビーツに対してのみ、鋭い殺気が注がれる。殺気を指向性にできるほどの腕。  彼女は即座に反応した。  強くなり、強敵と戦い、そしてすべての知的生物を殺しつくす……脳の底に刻まれた命令。それは昔、強力な精神支配魔法で除かれているが、「強くなる」「強敵と戦う」はより強く残っている。 (仲間と一緒に、団長の言うことを聞く……)  よりも強く。  ふらりと、霧の中分かれ道に入った。  そこには、長槍を持った猫人がいた。  何も言わず、槍がビーツを向く。  ビーツも荷物を下ろし、槍をしごいた。猫人は待っていてくれた。 『女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)』アレン・フローメルの槍が、ビーツの未熟な払いを巻き込み、鋭い螺旋を描いて腹を貫いた。  致命傷。  即座に抜かれた槍が下腹部を二度貫く。  大量の出血に体力を失ったビーツに、猫人はハイポーションをかけた。 「足止めしろ、殺すな、と言われた」  それでわずかに息を吹き返したビーツの背中から、すさまじい熱を感じた。  背が燃えているようだ。瀕死から復活したサイヤ人は大幅に強くなる……その能力が神ヘスティアの『恩寵』で大幅に強化されている。自動ステイタス更新で、桁外れのアビリティ向上が発生している。  ビーツは、すさまじい苦痛と脱力に耐えて立ち、リュックから水筒を取り出して飲み干す。約1.5リットル、全部オリーブ油。  人間が見ればおぞましいほどの光景だが、地獄を見てきた第一級冒険者は動揺しない。  約14000cal。普通の大人一週間分。人間なら身体を壊しかねない過剰栄養が、サイヤ人の強力な胃腸で瞬時に消化吸収される。全身にいきわたり、ハイポーションともどもすべての細胞にしみる。  ある程度以上強くなったサイヤ人も、第一級冒険者も、その活動は明らかに……大量の食事を計算に入れても、食物のエネルギーよりはるかに大きい。エネルギー保存則が破れている。世界そのものから吸った力をエネルギーにする、その触媒に大量の食糧は必要とされる。  ちょうど、巨大原発にもあちこちにクレーンや運搬車などエンジン駆動装置があり、石油燃料がなくなれば動かないように。発電所が大きければ、必要とされるガソリンも多くなる。  ガソリンが供給され、全体が円滑に動き出せば、莫大な電力があふれる。  目の輝きがかわり、腰が据わる。  圧倒的な気迫が、第一級冒険者に注がれる。 「ほう……」  強敵と認めた目で、『女神の戦車』は槍を構えなおした。  瞬。  時計回りにめぐる穂先が、突きをわずかにのける。  引かれる槍先についていくようにビーツの穂先が伸び、それはアレンの手元に吸われる。 「技が力に追いついていない」  そう言うと、激しい突きが乱打される。  腰をぐっと落としたビーツは、鋭いフットワークでかわそうと……ほんのわずかに腰をずらす程度だったはずが、壁にぶつかるほど跳んでしまう。  その衝撃に耐えたが、追撃。高速移動でかわし、鋭い突き。  何合か、槍と槍とが交錯する。  その中で、どこでどうしたのか、ビーツは投げ倒された。  槍と槍で、どうすれば投げられるのか……だが、投げられた。重心を崩され、自分から転がるように。ある種の空気投げ。 (どれほどの技量……)  なのか。  すぐ槍をからめとられ、飛ばされてしまう。  無防備に追撃を受けるかと思ったが、槍は受け流される。ビーツは瞬時に、背中から2本のトンファーを抜いていた。  練習回数は多いとはいえわずかな時間しか扱っていない槍と、何年も練習を積んできたトンファーでは熟練が違う。  構えはボクシングとはかなり違う、ほぼ半身。槍を構えているようでもある。  養い親の老冒険者に仕込まれた、蹴りもあるし対刃物も想定された拳法。  武神タケミカヅチが槍を教える時も、足腰の使い方はまったく変える必要がなかった、完成度の高い基本の一つ。 「ビーツ?」 「全員で探しましょう。警戒して」  リリが素早く指示する。  リリは大盾を構え、消音アサルトライフルをいつでも構えられるように。  ベルは抜いた刀を、やや高く。  広めのルームに入った……  そこに正面から、何かが襲ってきた。  リリにそれがぶつかる。瓜生が出した大型耐弾シールドがぶった切られ、小さい体が蹴られたボールのように吹き飛ぶ。  刀を構えて振り返ったベルは、見てしまった。  牛頭人身。  人間としては巨体で、信じられないほど盛り上がった筋肉。  手足の先には蹄もあり、同時にものを握れる手指もある。  その手は両手剣を二本、二刀に握っている。  牛の角は一方が折れているが、もう一方は長く鋭い。  全身が傷だらけ。  ミノタウロス。  Lv.1では勝てない、中層の強力なモンスター。  ベルの心が、恐怖でいっぱいになる。満員電車に、体当たりで人を詰め込むように。  血の気が引く、というのがはっきりわかる。呼吸もできない。全身を、粘性の高い油の縄で縛られたようになる。  歯がガチガチ鳴る音が、高い。振動が頭蓋骨に伝わっている。  何百と知れないゴブリンやキラーアントを、何十というオークやシルバーバックを切り倒してきた経験も消し飛んだ。  格が違う……勝てない。  にやり、とミノタウロスは笑ったように、ベルに剣を……  あとずさった足が、何かに触れた。 (リリ!)  仲間がいることを思い出した。  毎日何千も積んだ素振りが、わずかにベルの手を動かした。  歩き、振り上げ、袈裟に斬り下ろす。  ベルの、最初に瓜生に教わり、武神に磨かれた袈裟切り。  切っている最中の刀は、分厚く長い剣の一撃を受け止めた。ミノタウロスの剣は、レベル4以上の冒険者が使うほどの品のようだ。  両手で使うような重い剣が、細剣(レイピア)のような鋭さで振るわれる。  瓜生が〈出し〉てくれた、工業生産の刀もどきは、曲がった。ぐにゃりと。  折れなかった。  日本刀を形だけ模倣した、一枚の工具鋼を切って削って熱処理した刃は、人ならぬ力の一撃で曲がりつつ折れなかった。頑丈さと切れ味で知られるメーカーの品だ。  強烈な一撃は曲がった刃を押し切り、ヘルメットを割り、小さい体を吹き飛ばした。割れたヘルメットから、白い髪がこぼれる。  曲がった刀は手から飛び、遠くへ転がった。  ベルの体が脇差を抜こうとして……巨体を見てしまい、心に強制的に止められた。  恐怖。圧倒的な恐怖。  何もできない、死の恐怖。アイズ・ヴァレンシュタインに救われた瞬間まで。  腰が抜けそうになり……背後のリリを意識する。  それでも動けない。呼吸が止まる。 (動け!動け動け動け)  どれほど叫んでも、膝が笑う。足が勝てないと叫ぶ。 (勝てない勝てない勝てない) (こわいこわいこわいこわい) (だめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだ) (死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ)  心のすべてが叫びに満ちてしまう。 (死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ)  その中で、かすかに別の思いも混じった。 (でも、リリが)  舌が、かわく。  いつ移動したのか、目の端に倒れる少女が見える。  わずかに指は動いているようだ、だが起き上がる気配はない。 「逃げて……逃げてくれ」  ベルの口から出た言葉は、別の生き物が出したようだった。 「ベル、さま……」 (せめて、ポーション)  と、腰に手をやった、そのとき巨体がぐわっときた。  角が、左手を……エイナ・チュールがくれた腕防具を貫き、ベルを持ちあげる。  激しく持ち上げられ、天井に叩きつけられる……  落下したのを、蹴り飛ばされた。  激しく変な回転をしながら飛びつつ、見えた。  別の冒険者数人が驚いている。怯え、全力で逃げ出している。知らない顔だ。  わずかに意識を取り戻したリリ。  AS-Valのレシーバーがほぼ切断され中身が飛び出している。胸にぶら下げていたのが、そのまま防具となった…… (だから、死ななかったんですね)  ポーションを探る。レッグホルスターの普段用は割れていた。探って濡れた指を、なめようとする。  その動きにすら、すさまじい激痛が走る。呼吸もできない。  なめる。一滴だけ。  少しだけ、力が戻る。  瓜生は、ポーションだけは全員に、過剰なほどに持たせている。 (頼って無茶はするな。銃と同じく、緊急時に、生きて帰るために使え。冒険のために使っていいのはこっちだけだ)  リュックの奥には予備がある。だが、それはホームより遠い。  だが、動く。無理にも息をする。生きて、帰るために。帰る場所が、もうすぐできようとしているのだ。ベルとともに帰る場所が。 「助けを、呼んでください」  全速で逃げていく、知らない冒険者を呼ぶ声は、自分の声とは思えないものだった。  リリは全力で考える。  強すぎる小型クロスボウは引けない。だが……銃。  背中の隠されたホルスター。  拳銃を抜き、構えようとした腕の、力が抜ける。折れ、骨が見えている。  左手は、指がぐちゃぐちゃに曲がっていた。  右手に持ち替え、狙おうとしたが……まったく安定しない。  圧倒的な激痛。 「逃げて」  信じられない言葉が、耳を打つ。  天井に叩きつけられ、蹴とばされたベルが、かろうじて立ち上がり、リリに呼びかける。 「リリだけでも」 「にげて」 (できることは)  今の手では、拳銃を使えない。  知らない冒険者は、ポーションは一つ置いて行ってくれた。それを飲むと、ぐちゃぐちゃに混濁した意識が少しだけはっきりする。呼吸が、半分ぐらいはできるようになる。 「逃げて、ビーツを」  立とうとしたが、足は動かない。変な方向に曲がっている。  がんがんする頭を振って起き上がったベルは脇差を抜いた。  逃げて、と何度も言いながら。  右手に、柄頭近くを握った『ベスタ』。ヘスティアが全身全霊、血も使って手に入れた神造武器。長めの柄を長く握れば、定寸の刀に近い長さになる。  左手に、ヴェルフ・クロッゾの『ドウタヌキ』。武骨で分厚い短剣。今曲がった刀同様折れないことだけに心血を注いだ、ダンジョンの素材も使った品。ヘファイストスのロゴは許されなかったが、主神にも団長にも高く評価されている。  おそろしい回数の素振りで、体がやることを覚えている。深呼吸。肩の力を抜き、腰を落とし、歩く。  巨体が、再び剣を振るう。だが、わずかに歩いていた。わずかに芯を外した大剣を分厚い短剣が受け流し、同時に振りかぶられた脇差がすっとおりる。  手ごたえでない手ごたえがあった。刃筋が通った時の、切れぬものなき切れ味。  ミノタウロスは、俊敏に巨体をつかって飛び離れた。肉体に叩きこまれている、短い剣の一撃を受けたら瀕死になるまで刻まれる。強者に、言葉ではなく肉体で教えられた。忘れようにも忘れられるものではない。  手首を大きく切られていた。人ならば、腱と動脈……手は握力を失い、すぐに止血帯をかけなければ失血死する傷だ。  だが、深い傷から奇妙な紫光が放たれると、傷はみるみるふさがる。 「強化……完全な、じゃないにしても」  リリが苦しい息でつぶやき、何とか銃を向けようとした。  そこに、ミノタウロスが大きく口を開く。  咆哮(ハウル)。  レベルが低い冒険者を、完全に強制的に止める。  ベルはかろうじて飛び離れたが、リリは完全に、指一本動かせなくなった。  槍とトンファー。間合いの差は、本来圧倒的な不利だ。  だが、槍には弱点がある。ふところに入られれば弱い。  槍使いはみなそれを知っている。だからこそ、入られてからの修行も積む。  すっ、と槍が伸びる。  美しい突き。トンファーでの払いは、両手を、全身を使った。それでも体が吹き飛びそうなほどの突き。  次の瞬間、地面に洗面器ほどのクレーターができる。  すさまじい音とともに、とんでもない速度で踏みこむビーツ。  重いトンファーが閃き、アレンの手首を狙う。  打ち抜く。当たる。  打たせないためにどんな対応をしても、それが隙になる。つけこまれる。ならば、手一本打たせる。耐久もあるし、捨ててもいい覚悟……  完全な意表。はっ、とビーツの目が動いた瞬間、しっかり膝を腹に引きつけて放つ蹴り。  ビーツももう一歩踏みこんで蹴りを放っていた、最初から練習し抜かれた連続技だ。  蹴りと蹴りがぶつかる。ビーツの軽い体が舞う。足が、明らかにありえない方向に曲がっている。  その空中に、容赦のない槍が走る。片手だが、正確で速い。  逃げてきた冒険者は、【ロキ・ファミリア】大遠征第一斑にぶつかった。  その、おびえきったしどろもどろの……  ヘルメットからこぼれた白い髪。巨大なリュックを担いだ女の子。  レフィーヤは激しく震えた。アイズも。 「ベル……リリ……ビーツは、いないの……」  泣きそうなレフィーヤが駆け出す。瞬時に追い抜いたアイズが走る。  フィンも、素早くラウルに指示を与えて追った。 「こっちにウリュウがいなくてよかったよ、オラリオごと吹き飛ばしかねない」  そうつぶやきながら。  そしてアイズは、『猛者(おうじゃ)』という名の絶望に直面することになる……  咆哮は、隙でもあった。  ベルは両短刀を納めた。ヒップホルスターから拳銃を抜き、親指でグリップの一部を押す。  レーザーの赤光がゆらめく。ミノタウロスの腹に光点を固定し……連射。  外しようのない至近距離。  強烈な光と音が、ルームを覆った。  衝撃に目を見開いたミノタウロス。くずおれるか、と思ったが立っている。 「うわあああっ!」  残弾……  目の前に、巨体が膨れ上がった。  全力での直撃、勢いをつけた一撃に、ベルは拳銃を叩きつけるしかなくなり……それで崩れた体にミノタウロスの頭がぶつかり、弾き飛ばされ壁にたたきつけられた。  折れた角でなければ、体を貫かれていただろう。鎖帷子と防刃シャツがあっても。  拳銃もどこかに消えた。  敵は健在。腹・肩・腕から、鈍い紫光。  強装徹甲弾の44マグナムを三発食らっても、致命傷ではない。 (悪手だった。ポーションを飲むか、魔法を使うべきだった)  取り返しはつかない。時は戻らない。  割れたヘルメットがじゃま……外して捨てる。  背からライフルを抜くのは無理だ。  短剣と脇差を抜く。二刀と二刀。 >挑戦(後)  すさまじい速度の白兎が駆け、足を止めず斬りつける。  巨大なミノタウロスは剣を無理やり止め、横っ飛び。切り結ぶな、と体に叩きこまれている。  ベルが懐に飛び込もうとする、そこにもう一本の手の大剣がせまり、それをはじきつつ別のほうに歩き続ける。  時に、ミノタウロスが突進する。ベルがかわして切ろうとして、もう一本の剣に追い払われる。牛の尻尾がハエを追うように。  何度も、それが繰り返される。  ナイフ二刀しかなくなったベルは、やっと意識を、深呼吸を取り戻した。  そうなれば、目の前にいるのは……絶対の恐怖、絶対勝てない死の化身ではない。  速さはシルバーバックとさして変わらない。トロルより少し力と耐久が上、というぐらい。  アイズより、桁外れに弱い。 (アイズさんの剣は、身のこなしは、こんなもんじゃない)  最高峰級の剣を身体で知っている。武神の剣を見ている。  最近戦ったレベル2の黒覆面や、桜花や命とも、さほど変わらない相手。  ゆったりと腰を落とし、深呼吸しながら歩き続ける。  わずかな余裕を作り、レッグホルスターのポーションをリリの腹に落とすこともできた。  短剣では、当たっても深い傷をつけられない。敵の大剣を受けても折れることはないが。  神様がくれた脇差『ベスタ』なら、斬ることはできる。だが致命傷でなければ意味はなく、そこまで踏み込もうとすると、相手の二刀のもう一方が邪魔になる。  アイズがオッタルに、『リル・ラファーガ』まで使った。それは正面から叩き潰されたが、オッタルの剣を一本ダメにすることはできた。  そして、レフィーヤが、フィンが、ティオナが駆けつけてきた。  椿・コルブランドも、何の迷いもなく【ヘファイストス・ファミリア】そのものを賭けて刀を抜いた。  やっと作った隙間を、アイズは抜けて駆ける。白兎のもとへ……  その次のルーム。そこでは、小さい女の子が『女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)』アレン・フローメルに……激しく蹴りをぶつけ合い、吹き飛んだところだった。その体を狙って、片手で繰り出された槍……  信じられないほど重いトンファーが打ち払う。  もう片手のトンファーを投げ、空になった手で槍をつかもうとする。  読んでいた。投げられた重量物をわずかな踏み込みでよけ、ぐりっと小さい円を描いた槍の柄が少女をはたき飛ばす。  急所は外れている。トンファーの重さ、反動で空中での軌道が変わっていた。  天井、壁と叩きつけられた少女……片足は折れている。  だが、槍を拾って杖にして立とうとした。  アレンは油断なく槍を構えている。 「ビーツっ!」  レフィーヤが絶叫し、少女を抱きかばう。槍に背を向けて。  アイズが、それも目に入らないように襲いかかり、槍と切り結ぶ。 「任務は果たした。おまえたちと戦っても無益だ」  飛び離れた猫人は、黒髪の少女を見た。片足が折れていても、戦意は折れていない。 「今少し戦いたかった。強くなってまた来い」  アレンはそうビーツに呼びかけ、ミノタウロスの声と鋼音が聞こえる通路、アイズたちがかけつけた通路のどちらとも違う通路に消えた。  レフィーヤが慌ててビーツを介抱する。 「まだ、戦えた。まだ、強くなれた」 「!……ごめんなさい」  レフィーヤは口を覆ってビーツに謝った。  自分こそ、いつでももっと強くなりたいと叫んでいたのに。無茶を繰り返していたのに。  ビーツの、ベルにも負けない強くなることへの飢えは、何度も見ていたのに。  アイズは、もうすさまじい速度で走っている。次々と走り抜ける……リヴェリアがレフィーヤを見て、ビーツに回復呪文をかけてくれた。  ほんのわずかなずれだった。リズムが固まってしまっていた剣戟から、ベルの受け方がわずかに違った。  相手の重心を崩す。  武神にも、アイズにも教わった重要な技。教え方はまったく違ったが。  小さい動きで剣をからませ、相手の力に逆らわず引く。接触を保ったまま小さい円から大きな円に、らせんにつなげる。  動きそのものは、袈裟切りに入る前の振りかぶりにある。 「斬る以上に、振りかぶりと、残心も稽古せよ」  武神に徹底的に言われ、斬る動きよりも厳しく直されている。  渦に吸うように巨体の剛腕を振り回し、重心を崩し…… (いまだ)  短文呪文の詠唱。  だがそれが終わる直前。  足首をひねり、倒れながら、ミノタウロスは無茶な方向に、空いている手の剣を突き出した。  左手の短剣がそれを受けたが、呪文の詠唱中……  魔力暴発(イグニス ・ファトゥス)。魔力が暴走し、ベルが吹き飛んだ。その隙を見逃さず、倒れたままミノタウロスは蹴る。軽装鎧が粉砕され、壁に激突して背中に吊るした楯が外れる。  そこにアイズが駆けこんできた。  倒れ伏し、息はあるのか起き上がろうとする少年。『強化種』の可能性すらあるミノタウロス。勝てるはずがないのに、今まで生き延びていた。 「……今、助けるから」 「……頑張ったね」  見ればリヴェリアがリリを助け、強制停止を解き治癒魔法をかけていた。  安心が、全身を引きずり込むような眠気に変わる。  だが……  自分自身の奥底と、ごくわずかな間向き合う。  何よりも激しいものが、純粋なものが沸き上がる。 (もう……) 「アイズ・ヴァレンシュタインに助けられるわけには、いかないんだ!」  ベルは叫んで、助けの手を振り払う。消音アサルトライフルの入ったかばんも外す。ポーションを一つ飲み干す。Dガードのおかげで手から離れなかった短剣を構え、ナイフを抜いて走り出した。  振り下ろされる大剣、弧を描いて鋭く加速し、左手の短剣で大剣を受け流しつつ右手のナイフが鋭い袈裟切り。火花が散り、巨体の腕に赤い線が走る。泣きたくなるほど細く、出血も少ない。  足を止めないベル、左手の大剣を手首だけで振ってくるのを腰を低くしてよけ、白い閃光がミノタウロスの膝を叩きながら抜ける。  もう、アイズもリリも、フィンもビーツも目に入らない。目の前のミノタウロスだけを見ている。ミノタウロスも、ベル以外目に入れていない……ベルを倒した後のことなど、ひとかけらもない。  再び起きた剣戟の音。 「あの方の目に、誤りがあるはずはなかった」  オッタルの頬に浮かんだ笑みは、かすかすぎて見ていてもわかるものではなかったろう。 「ベルっ!」  ビーツを抱え、リリに駆け寄っていたレフィーヤが飛び出し、呪文を唱えようとするのをフィンが制止する。 「ちょっと」  ティオナがとがめる。  ベートも舌打ちをしながら参戦しようとする。 「よく見るんだ」  フィンの声に、ティオナもベートも我に返った。 「あ……」 「誰が、Lv.1ですって?」  ティオネがあきれる。 「ほう、大したものだ」  椿・コルブランドが目を輝かせる。  分厚いナイフを二刀に構えた少年は、すさまじい速度を解放した。  決して近づけまいと二刀を振るう巨体、重い乱打を受け流し、かいくぐって肉薄しようとする。  むしろミノタウロスの方が、その刃を受けないよう逃げ回っている。 「レフィーヤにも聞いていたが……聞きしにまさるな」  リヴェリアがあきれたように見つめる。 「君の目には……彼はいかにも駆け出しに見えた。ほんの一月前」  フィンがベートに言う。  ベートは衝撃に言葉もなく、激しい戦いを見守っている。 「この刀」  ティオネが、ひどく曲がった刀を拾う。 「怪物祭りのとき、ウリュウがくれたククリと同じ鍛冶師よ」 「彼の仲間だから、当然与えられているか。これほど曲がっても折れないとは」  刀を受け取ったフィンの言葉に、 「刀が折れたという苦情はない。見事!」  椿・コルブランドが賛嘆の声を上げ、曲がった刀をフィンから受け取って見つめた。 「おお……む?『恩恵』がないではないか!いや……それがどうした。  折れなかった、主が生きている。この二つの前に、人の手で打たれていない、ただの鋼だ、など何だ!この刀はまぎれもなく、主の命を救った業物ぞ!」  興奮した鍛冶師の目は、戦いをらんらんと見た。 「ぼ、冒険者さま」  助けを求めようとするリリに、フィンが、 「これは彼の戦いだ。君も、戦ったんだね……仲間として助けたいのは当然だ。だが、今、一人の冒険者が歩いているんだ」  ビーツはうなずいて、じっと戦いを見た。 「そう、ですね……」  レフィーヤは胸が張り裂ける思いで、祈るように手を組んだ。 (がんばって……がんばって、ベル!) 「そんな、そんな」 「応援するといい」  フィンがリリをしっかりと引き留めている。どのみち、リリは立つ力もまだない。  稚拙、とも思える戦い。攻防のたびにどちらも大きく飛ぶ。見切りがろくにできていない。  ベルは、相手の体軸を自分の体芯でとらえることはなんとかできている。なんとか、軸を使った攻撃は保っている。 「……このまま続ければ……」  フィンが冷静につぶやいた。レフィーヤがはっとする。 「ああ。傷も浅いし、すぐ治っちまう」  ベートがうなずく。  ミノタウロスの腕から、小さな紫光が時々立ち昇る。 「でも、強力な付与魔法が」 「使う暇があるかい?」  レフィーヤは黙った。  ベルが切り抜け、ミノタウロスの背後に回って距離をとり呪文を唱えようとする、それを許さず全速で襲いかかる、それが何度も繰り返される。 「厚い大剣、剛力の攻撃をナイフで防げているのは……圧倒的な手の速さ。足の速さによる有利な場所取り。腰が入り、軸が決まり、刃筋が通っている。ナイフ自体が、やたらと頑丈だ」  フィンが静かに言う。 「右のナイフはこの刀と同じ鍛冶。左の短剣は、手前の後輩、ヴェルフ・クロッゾの作だ。折れずに戦い抜いておる、よい刃だ。  きゃつめの『折れぬ、切れる、滑らぬ』に徹した戦場剣、われらも真似ようと思うていたが……」  椿・コルブランドは距離があっても正しく見ている。 「じり貧は、彼もわかっているだろう。そしてあのミノタウロス……」  牛頭の表情が、どんどん激しくなっている。 「よほど厳しく訓練されたようだね。切り結んでもだめだ、呪文を唱えさせるな、と……剣を使うミノタウロスなんて、聞いたことがあるか?」 「ない」 「ねえな」  リヴェリアとベートが同時に答える。  フィンは、オッタルとアレン……【フレイヤ・ファミリア】の最強冒険者たちの存在を思った。 (どんな思惑があるのか……一番可能性が高いのは……)  機関銃やドラムスティックのように交互に打ち続けられる二本の大剣。巨体の、底なしのスタミナ。  足を使い続けるベルも体力は衰えていない。すさまじいスピードで、合計すればとんでもない距離走り続ける。円を描き、螺旋を描き、時に直線で、直角に。  ベルは右に、左に揺さぶる。大きく右に加速し、体を回転させて抜きつけ水平の形で斬りつける。  それに受け流され、流れたミノタウロスの腕に、全身で左手の短剣を突き刺す。  傷は浅いが、うっとうしい……激しく振り払う動きに、ベルは有利な場所をつかもうとする。  大振りを、ベルの全身を使った一撃がしっかり流し、崩した。片手のナイフも両手の刀と同じく、全身で打ち突くことを何千となく練習している。  踏み込み、膝に短剣の、厚鉄の重い柄頭を叩きつける。巨牛の絶叫。  ベルは右手のナイフを、袈裟切り……ミノタウロスは必死で跳ぼうとし、膝の傷に崩れた。  フェイク。袈裟切りは途中で止め、掲げたまま呪文を唱え始める。 「【雷火電光、わが武器に宿れ】」  短文詠唱。 「【ヴァジュラ】!」  魔法が完成し、すさまじい閃光と轟音がルームを満たす。草原の草が揺れる。 「なんて魔法!」  ティオナが叫んだ。 「いけええっ!」  レフィーヤが怒鳴る。 「浅い」  ベートが舌打ちをした。 「いや」  フィンは閃光にもかかわらず、しっかり見ている。  すさまじい雷光を帯びたナイフは、膝の傷を回復させ、あくまで攻撃しようとしたミノタウロスの左腕を根元から切り落とした。頑丈な皮膚、切りにくい肉、固い骨を、豆腐のように。切り口が超高温で爆発する。  すさまじい衝撃波が、ミノタウロスの巨体すら転がす。アイズたちすら半歩退かせる。 「これは……」 「なんて威力だ」 「僕でも、急所に直撃されたら危ないね。だから、これほど恐れるよう訓練したのか」 「危ない!」  その瞬間、ミノタウロスは起き上がり頭を振った。鋭い角が、ベルを狙う。  ベルは足を止めていない。斬ったのちも歩き続ける。それに救われた。  つい一瞬前、下腹部があった場所を角が通過する。  ベルは一気に走った……壁に刺さっている、脇差のところに。  だが、抜こうとするより早く、片腕のミノタウロスが突撃し、突こうとしている。  ベルは右手のナイフを、軽く投げた。左手の短剣も、こちらは鋭く。  重いナイフが二本、ミノタウロスの目を狙う。  防ごうとした左腕がない。顔を傷つけられ、本能的に首を振っていやがる、その間にベルは脇差を壁から抜き、斬り払いながら走り抜けた。  脇腹を切られた巨体が、一瞬止まる。  あちこちから、治癒の光が出ている……膝はもう何事もなく、断ち砕かれた左腕すら再生しつつある。  ベルは脇差を、『ベスタ』の長い柄を刀のように両手で握った。  すうっと空気が変わる。  もう、それほど長くは続かない。  ベルは一歩踏み出した。決して足を止めるな……武神にも、アイズにも、実戦でも教えられた。  現に、今いた所を強い突きがしっかりと通過している。  鋭い袈裟を一撃放ち、素早く抜ける。  肩を切られながら、巨体は健在。  突然、ミノタウロスの戦い方が変わった。一撃を食らわないよう逃げ回った……一撃を食らって、悟ったように見える。  逃げていては勝てない、相手の恐ろしさをよく知ったうえで、前に出る……  両手剣を両手で握ったミノタウロスの腰が据わったのは、見ている者にもわかった。 「戦いで学び成長しておるな、肝もよい。モンスターでなければ、ぜひうちの【ファミリア】に勧誘したいほどだ」  椿・コルブランドが興奮気味に言う。 「……モンスターの立場でなんだけど、あれで正解ね。逃げていたら、結局は負ける」  ティオネの深い声。  激しい突進。後先などない、一撃必殺。  その殺気が、咆哮の直撃より激しくベルを打ちひしぐ。  ベルは、ひたすら繰り返していた。 (歩き続ける) (深呼吸) (肩の力を抜く) (身体の軸)  膨大な、膨大な素振りで体に叩きこんだこと。  武神と、アイズの剣影。祖父の面影。  駆けちがい、斬りちがう。  突進を、ぎりぎりでほんのわずかに斜め左に方向を変え、相手の芯を自分の芯でとらえながら最小限の回避、振りかぶりも守りとする攻防一体の袈裟……  祖父の、鍬や斧を振るう動きを……正しい刃筋、正しい人体の使い方を見たのが種だった。  何年もの、毎日何千回かしれぬ農作業で、祖父の動きをまねることで双葉を出した。  瓜生が良い土を探し出し、植え替えた。  武神が肥やしを与えまっすぐ伸びるよう支えをつけ水をやった。  アイズが踏み、ふたたび立ち上がることで根が強く張った。敵として手本を見せたことで、葉がより大きく茂った。  何万ともしれぬ素振りが、足腰中心のすさまじい運動が、膨大な実戦が磨き上げた。  正しい刃筋に乗った神の脇差は、硬い角をやすやすと斬り落とし、堅い筋肉に盛り上がる肩を深く切った。  急所をとらえられなかったのは、ミノタウロスの突進が予想以上だったからだ。  ベルはそのまま足を止めない、そこに再生した左手の蹄が走る。歩いたことで芯は外れるが強烈に打たれ、吹き飛んだ。  壁にぶつかり、血を吐く。激しいダメージに膝をつこうとするが、目の前の好敵手の姿を見て立ち上がる。手に吸いついた脇差を頼って。  まだ、ミノタウロスは折れていない。  肩の傷は治っていかない。もう再生能力も尽きているようだ。それでも立つ。激しい疲労に、巨大な胸をあえがせ舌を出しながら。  動く片手で、大剣を背中に着くほどふりかぶり、駆ける。  ベルも走り出す。血を飲み、必死で呪文を唱える。 「…………【ヴァジュラ】」  まっすぐ、天を指した脇差に、雷光が落ちる。  技も何もない。  ただ、決着。  どちらの剣が速いか、それだけ。  声にならない気合が、二つほとばしる。  目を真っ白に満たす爆光と衝撃が、広いルームを満たし揺るがす。  リヴェリアがリリを、ティオナがレフィーヤを、椿がビーツをかばったほど。  脇差を手にしたまま、ベルがくずおれる。  そして、体を前に伸ばす運動でもしているように大剣で地を割っているミノタウロス……大剣も折れている。渾身の力がわかる。  ずるり。  巨体が二つになる。  脇下から腰が、きれいに斬れている。頑丈な、断ちにくいことで知られる肉と骨が。  すう、と腕から先に灰と化していく。 「……ベルっ!」  レフィーヤとアイズが走り出す。抱き上げる。 「ベル、ベルぅっ!」  レフィーヤの悲鳴を、リヴェリアが冷静に止めた。 「単なる精神枯渇だ。二度目だな、彼がこうなるのを見るのは……あれほど叱ってやったというのに」  そう言いながら、声には、言葉にできない深いものがあった。  アイズはつい、リヴェリアがベルの鎖帷子を、服を脱がせるのを期待した。 【ステイタス】を見たい。成長の秘密を知りたい。  リヴェリアが首を振った。 「いい鎖帷子と、強い繊維の鎧下だ。胴体に切り傷はない」  アイズの肩に手がかかる。 「見る必要はないだろう?……強い、だけでいい。間違いなく、限界を突破している」  フィンの言葉に、半泣きになりながらうなずく。 「くっそ……」  ベートの悔しそうな声が漏れた。 「ベルさま、ベルさま……」  リリの声がずっと響いていた。  ベル、リリ、ビーツの三人とも、命に別状はないが傷は重い。  フィンやベートは本隊の指揮に戻らなければならないが、リヴェリアとアイズ、レフィーヤの三人が、【ヘスティア・ファミリア】の三人を背負って『バベル』の医務室に運ぶと決めた。  無論、ベルの戦利品である強化種?ミノタウロスの角や皮、魔石も持って。  フィンは、他の冒険者に見られては大変な銃や薬莢を素早く探し、回収した。  使い物にならなくなったベルの武器(脇差以外)は、椿・コルブランドが大切そうに抱えていった。一筆添えて。  炎が【ロキ・ファミリア】の幹部たちと椿・コルブランドの胸を焦がしている。  すべてを投げ出した冒険。全力をぶつけ合う勝負。一番深い自分をさらけだして。  憧れが熱い。口から炎が漏れそうだ。  上級冒険者、最大手ファミリア幹部として忘れかけていた、何か……それが、あの稚拙な勝負にあった。  ぶつける敵がほしかった。  椿は金床と鎚と炉と打つ金属でもよかった。  医務室に運ばれた三人。 【ロキ・ファミリア】の遠征に参加しなかった下級構成員を使い、『ギルド』と主神ヘスティアに連絡した。  ヘスティアは深く感謝した。  ベル・クラネル、ビーツ・ストライ、Lv.2にランクアップ。 >竜の壺  残る者たちの祈りに見送られ、重いトレーラーを牽引した4両の装軌装甲車が51階層に向かう。  先頭はリヴェリアが一人で動かすナメル重装甲兵員輸送車。30ミリRWSだけでなく、左右に4門ずつパンツァーファウスト3をつけている。  その屋根には、ティオナが長槍を構えている。長剣のような、だが剣としては極端に厚く広い穂先がぎとぎとと光っている。  その少し後ろに、レベル4サポーター4人が操縦するメルカバMk-3主力戦車。道に余裕があれば並ぶ。  その後ろ、中央部にフィンとティオネのナメル。  最後尾をガレス・ベート・レフィーヤの3人が操縦するナメル。  崖に近い急坂を、キャタピラはゆうゆうと踏みしめる。  51階層。51〜57階は、このダンジョンにしては珍しく、ダンジョンらしい部屋と廊下がある迷路構造になっている。  だが全体に広く、幅の広い主力戦車でも通れる。  フィンは地図を、カーブを含め通過できる幅と高さを頭に入れている……もし通れない道があるのなら、もっと小さい車両を使っていた。  だが、装甲戦闘車両は必要だったろうか。  アイズ、ベート、ティオナ、ティオネ、椿……五人の心の炎は激しすぎた。  ベル・クラネルの偉業に、あてられた。  フィン、リヴェリア、そしてレフィーヤも、すさまじい炎を内に抱えていた。  多数出る蛇やサソリの怪物は、瞬時に葬られた。 〈ローラン〉シリーズ……対新種の『不壊属性』武器シリーズの、試し切りでしかなかった。 「手ごたえがなーいっ!」  とティオナなどは文句を言っているが、機関砲の死角から出てきたブラックライノス6頭、レベル4が何人もいても苦戦する敵を瞬殺してからである。  車を操縦していない者が持っている長槍は、【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師たちがダンジョン内で打ったものだ。  団長の椿・コルブランドが持ち帰った、瓜生が出した刀とナイフ、そしてクロッゾの名ゆえに疎外してきた下っ端が作った短剣。どれも曲がり、深くへこみ、削られ、ねじれ……もう原型がないほどに痛んでいた。折れてはいなかった。  それを見、椿の熱い語りを聞いて、鍛冶師魂に火がついた。  折れない。切れる。滑らない。刀が折れたという苦情はない……刀が折れればその場で死ぬから。  鍛冶師の原点に、魂が燃え上がった。  そして、異質ではあるが鍛冶場を用意できる瓜生の存在もあった。鍛冶師たちも携帯炉は持っていたが、規模が違った。  アセチレントーチや、エンジン発電機からのアルゴン・タングステン電極アーク溶接は、火炎石に劣らぬ高温を産んだ。  鋼の鎚と金床に不満を言えば、銅の鎚を用意し厚い銅板を金床に乗せた。最近ファミリアが手に入れた、奇妙な金属や異様な純度の鉄や銅も出した。 【ロキ・ファミリア】も、その場で多くのドロップアイテムを得ては提供してくれた。  ありったけの情熱で打った。  椿は率先して奇妙な器具の使い方を学び、アセチレンや高電圧の安全注意を全身で聞き、同じミスは決して二度しなかった。  折れない、切れる、滑らない……それ以外はすべて余分。飾りも何もない、厚く武骨な刃。 【ロキ・ファミリア】の皆に、打っては配り実戦で試させた。  その結晶は、戦闘車両の間を駆けまわるティオナと椿、アイズの手によって振るわれ、しっかりと折れることなくパーティを守っている。  通路の奥から新種が……出現、できなかった。  気配をティオナが感じ、警告の声を上げてから。  ナメルのハッチからフィンが上半身を出し、リボルバーを3発発射、ハッチ近くに固定していたゲパード14.5を片手で2連射。  それまで、1秒もかかっていない。  通路の向こうで、先頭が潰れ……破裂した溶解液は、仲間も溶かした。  そして小さな洪水がふくれあがり、迷宮の床を溶かす。  床が溶ければ、いつかは止まる。風呂桶の縁に波を立てるように。キャタピラを溶かす前に。  フィンの指示、四両の巨大戦闘車両は別の通路を通る。  時速35キロメートル前後を保つ。生身の人間にとっては実質限界の速度(時速36キロメートル=100メートル10秒)、第一級冒険者ならその何倍も余裕で出せるが、ずっととはいかない。  車列の横から出る怪物はアイズがライフルで片付ける。  あまり好きではないが、使える。  51階層をついに抜ける……まったく別格の緊張感が出る。 「ここからは、この兵器でも地獄だ」  誰もがわかっている。体験していないのは、レフィーヤと椿。 「対策はある。その時にする動きも訓練できている」  フィンの鼓舞、ひるがえる二枚の旗。まだロゴが決まっていない【ヘスティア・ファミリア】の旗はないが。 「いけっ!」  叫びとともにガタガタ道を、キャタピラがこともなげに踏破する。  通路を抜けた……今まで通りに襲ってくる巨大な怪物。 「最小限だけ殺し、抜けろ!動き続けろ!」  スピーカーから響くフィンの叫びに、椿は戸惑った。 「これでも、当たったら……」  防御最強で知られる重戦車に乗る4人のレベル4サポーターが、恐怖に震える。 「とにかく脱出っス!」  ラウルがガタガタ震えながら、必死でいくつもの計器を見、車長ハッチから身を乗り出して周囲の音を聞いている。  あの恐ろしいうなり声が聞こえるのはいつか……  それをあざ笑うように、とんでもない数のモンスターが出た。モンスター・パーティ。  それを切り開いたのは、ナメルの30ミリ機関砲とメルカバの主砲だった。  歩兵を素早く後方に下げる。そして30ミリ機関砲が射撃をはじめ、車両に直接とりつけたパンツァーファウスト3が放たれ、120ミリ主砲が咆哮した。  キャニスター弾、並のライフルより高初速で鉛より高密度の散弾……それは膨大な敵の群れに、瞬時に大穴を開けた。  後方の2両のナメルも30ミリ機関砲を発砲し、それでさらに道を広げながら、モンスターが走るより早い速度で突破する。  その時だった。 「くる!」  アイズが、エンジンとキャタピラの音に負けず竜の唸り声を聞きつけた。 「どこから」  椿が耳を澄ませるが、どこにいるかわからない。 「加速しろ!」  フィンの叫びが通信を通じて各車両の中、さらにスピーカーで外にも響く。  加速する車両の屋根に、歩兵たちは飛び乗った。  キャニスター弾が敵の壁に風穴を開け、戦闘車両がフルスピードで穴を通り抜ける。  細かい射撃がきっちり戦車を守る。アイズが手持ちにした重機関銃と、メルカバの砲塔の上に鍛冶師たちが無理やりでっち上げたアタッチメントで取り付けられたGAU-19……12.7ミリガトリング砲が細かく叩きつけられる。  後方に、何百というモンスターが固まり、目の前を通過する4両を襲おうとする……  かすかな、不吉な咆哮。 「くる!」  叫び、ガレスたちのナメルが追突しかねないほど加速する。  その直後、すさまじい炎が吹き上がった。  床を突き抜けて。 「お、おお……」  初見の椿・コルブランドが呆然と見る。  階層を、天上であり床を……厚さメートル単位の岩板を貫通する炎。  戦車を追おうと固まったモンスターたちが瞬時に蒸発する。  砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)。  58階層に巣食う、常識も何もひっくり返す巨大な大火力竜。  これがあるから、戦車があってもレベル3を連れてこなかったのだ。瓜生を連れてこなかったのだ。地雷とIEDに対抗するためエスカレートしている新型戦車の頑丈な底面装甲も、何枚もメートル単位の岩板をぶち抜く超炎の前には無力と思われる。試す気もない。  あてになるのは、高レベル冒険者の敏捷と耐久、上位の防護呪文だけだ。  何日も前から、瓜生はその機密を聞いてフィンたちと対抗策を話し合っていた。訓練もしていた。  最後尾に走るアイズと、操縦をベートに任せてナメルから飛び出したガレス・ランドロックが、トレーラーに積まれた巨大な羽根つきラグビーボールを抱え上げる。  1000ポンド、454キログラム。  戦闘機から投下される、航空爆弾マーク83。  信管を訓練通りいじり、穴に投げ落とす。  アイズが投げた爆弾もその後を追う。 「穴があるということは、こっちからもそっちに手が届くってことだろ……」  相談していた時の瓜生の言葉に、ガレスはにんまりしたものだ。 「走れ!いざとなれば脱出!」  長いようで短い時間。何百メートルもの高さを鉄塊が自由落下し……着発。  ダンジョン全体が揺れた気がした。  すぐ、穴から再び何かが噴き出した。炎とも違う、衝撃波。 「よし、いけっ!」  フィンの指示。 「ベート、操縦だけでよい!」  ガレスが叫び、トレーラーからがちがちに緩衝された、でかいミイラを引っこ抜く。  さらに巨大な対物ライフルを担ぐ。  ティオナも訓練通り、大荷物の乗ったリヤカーを引っ張り、ついてきた。 「頼む」 「ええ、えええええええええ」 「いくよっ!」  ガレスが、トレーラーから両手に緩衝された大荷物をかつぎ、ひとつずつ紐をほどいては落とす。ティオナも同じことをする。  放った荷物はすぐに小さいパラシュートを開く……それを見もせず、長い大荷物を背負ったガレス・ティオナ・レフィーヤの3人が巨大な縦穴に身を投げた。  対砲兵爆撃からの空挺制圧。セオリーと言えばセオリーだが、このスケールと、縦穴の狭さを考えればむちゃくちゃにもほどがある。  実際に、何の問題もなく200メートルある崖を走り降りている。第一級冒険者の体力では、もう重力も縦も横もほとんど関係ないのだ。  実は瓜生は、20階台にある何層もぶち抜く滝を利用して戦闘ヘリの訓練も考えたが、あきらめた。  落ちながらも襲撃してくる飛竜と激しく切り結び、射撃や呪文で叩き落しながら、3人は58階に直行する。  衝撃波と爆風、大量の破片は、巨大なワンフロアである58階層の、とんでもない数の怪物を一掃していた。  上のフロアから縦穴に出ようとした飛竜(ワイバーン)も。  ガレスたちが抱えた荷物は、対物ライフルと重機関銃、パンツァーファウスト3対戦車ロケット。愛用の武器と、椿が用意した〈ローラン〉シリーズの不壊属性武器。  そして次々と、クレーターになった地面に落ちてくるパラシュート……うまく開かず、あるいは縦穴の縁にぶつかってひっかかり失われるものもあるが、無事に落ちたものもある。  ガレスが緩衝材を引っぺがすと、そこには牽引式の20ミリ単装機関砲。12.7ミリ重機関銃の、三脚の上に2連装になったものもある。  クレーターから引きずり上げ、設置し……そのころには壁にひびが入り始める。  出たそばから、まずガレスの12.7ミリライフル、ついで対空機関砲が追随する。  敵の出現が多く、さらに57階層への出入り口からは新種の溶解液イモムシまであふれ出てきてカオスと化した……だが、弾薬はたっぷりある。箱詰めの弾薬も次々と、小さいパラシュートで落ちてくるのだから。対戦車ロケットも、手榴弾も。  そしてティオナの大剣と、ガレスの剛力、レフィーヤの広域呪文。  もう一人火器を使える者が欲しかったが、それはやむを得ない。レフィーヤは特訓でとにかく12.7ミリ重機関銃は使える。銃身交換が可能なので、弾と予備銃身がある限り撃ち続けられる。  多少人数が減ったが、車両数は変わらない装甲車両隊は、狙撃を気にすることなく地下に急いでいる。  惜しげなく30ミリ機関砲と戦車主砲のキャニスター弾、ガトリング重機関銃で道を切り開きながら。  やや狭い通路で、とんでもない数の新種、溶解液イモムシが出現したこともあった……が、フィンは通信で恐ろしい指示を出した。  閉所での、戦車主砲発砲。  普通にやれば、随伴歩兵が死ぬ。  だが、随伴歩兵はレベル6と5。  巨大な砲口炎が起こしたことは、単純だった。  膨大なガスが、狭い通路の圧力を爆発的に上げた。無反動砲の砲身のように。  そして砲弾になったのは、溶解液の洪水……  強引に液を押し戻し、敵を一気に圧倒して方向を変えた。そのわずかな時間に、床が溶けてそこに吹き戻った液は溜まった。  そこにリヴェリアの凍結魔法が走り、溶解液を無力化する。  まあ、吹っ飛んだ椿が少しピヨってはいたが。瓜生の故郷の軍人が見たら生きていることに驚くだろう。  大きいルームに出てきた、通常の4倍は巨大な大銀蛇の『強化種』……それも、戦車砲と30ミリ機関砲が粉砕した。  58階が制圧されているうちに急ごう……とする一行の前に、それは立ちふさがった。  ひときわ巨大な新種に乗った、紫紺のフードつきローブと仮面、銀のグローブをつけた男……  あの調教師女の仲間と思われる。ベートは見たことがあった。  軍隊のように並び重なり、一気に吐いてきた溶解液……戦車砲の砲口炎、爆風がそれを押し返す。さらにアイズの風の魔法が渦巻き、押し続ける。風の魔法はベートのメタルブーツにも付与されており、それがさらに風の壁を後押しする。  後ろから風の壁を破った30ミリ弾が、一瞬でイモムシの壁を消し飛ばし……そのまま左に逃走。  だが、走り続ける中、突然横道から急襲が来た。  メルカバのキャタピラが溶けてはじけ切れる。 「操縦手は脱出し機関砲を!固定砲台、撃てるうちは撃つっす」  車長ラウルの指示で機敏にハッチから飛び出した一人が、牽引されていた23ミリ連装機関砲をつかんで引きずる。  メルカバの巨体、それ自体が横穴をがっちりふさぐ。  溶解液をよけて進み、一瞬止まった末尾のナメルに機関砲をくくりつけ、射撃準備のまま牽引される。  それをしり目に、残った3人は荷物を準備しつつ激しい援護射撃をつづけた。  壁をぶち抜き、爆風で後ろから溶解液を押し流し、後ろから迫る多数のモンスターの群れを12.7ミリガトリングで消し去り……  そして、持てるだけの荷物を持った3人は戦車を捨て、大急ぎで3両のナメルを追った。  しばらくは下からの狙撃がないとはいえ、ここの恐怖は忘れられない。  追いついたら3人とも、操縦を交代する。レベル4の4人とも、ナメル・メルカバとも、操縦も射撃もできるぐらいは訓練されている。  リヴェリア・フィン・ベートの3人が歩兵に戻った。  三人とも、銃と大長槍、愛用の武器で重武装している。  主力戦車こそ失ったが、30ミリ機関砲は3門ある。連装機関砲を牽引している。 「あの調教師(ティマー)、まるで戦術を使うようだった。なら次は……」  フィンはナメルの屋根で、チェスのように読み合いも楽しんでいる。  次の階層には、先にベートとアイズが走っていた。二人で1000キロ近いタイヤつき機関砲を牽引して。  半円を描いて囲んだ、膨大な数の新種……背後には食人花までいる。  アイズが飛び出す。ベートがまず魔剣を振って稲妻の嵐を叩きつけ、即座に機関砲を連射しながらぐるっと回す。  2門の23ミリ機関砲。食人花も一撃で粉砕し、イモムシなど瞬時に霧にする。  そして一気に強化された風の呪文をまとったアイズが、すさまじい速度で突撃した。  溶解液の海と化した床、機関砲が波に呑まれる。  ベートは断末魔の砲身を踏んで跳び、空中で魔剣をメタルブーツにたたきつけた。  魔剣が崩れ、巨大な魔力を帯びたブーツが狼人の、超速の蹴りとともに力を解放する。  破壊の嵐。  そこに、背後から援護射撃。  12.7ミリ重機関銃を手にしたフィンとリヴェリアが、膨大な射撃を叩きこむ。頑丈な食人花は狙わない、徹底的にイモムシ狙い。  あふれかえる溶解液は、食人花も次々と溶かした。 「伏せろ!」  フィンが叫ぶと、かなり大きな塊を投げつける。  カバン一杯に爆薬を詰めて手榴弾同様の信管をつけた爆弾が、第一級冒険者の腕力でグレネードランチャー並みの距離を飛んだ。  そしてすさまじい爆発。  それでできたクレーターに、大量の溶解液が流れ込む。そのままどんどん穴は深くなり、溶解液が床から消える。 「いまだ!」  フィンの指示のもと、3両のナメルが一気に次のルームに向かった。  その通路の中でだった。  前の2両が並び、どうしても両方壁に近くなっていた。  その壁そのものが、食人花に食い破られた。  打撃そのものは、分厚い装甲に阻まれた。だが脆弱なキャタピラが、花開いた花弁の牙に食いちぎられる。  フィンの槍に魔石を砕かれた、その灰をかいくぐってイモムシの溶解液が完全にキャタピラを破壊する。  さらに砲声。  前も後ろも囲まれている。  アイズは、何も言わせなかった。  ナメルの大重量の壁を足場に、リル・ラファーガで一気にフードつきローブに向かう。途中の、膨大なイモムシをすべて粉砕しながら。  30ミリ機関砲が咆哮する。対戦車手榴弾が床に大穴を開ける。穴が溶解液を吸い、ますます大きくなる。溶解液を下のフロアまで落として洪水を止める。  別のナメルも牽引していた23ミリ機関砲が、集中的に食人花を撃ちちぎる。  それで目をくらませ、フィンと椿がフードつきローブの怪人を襲い、圧倒した。  なぜか姿をくらまされたが、それで怪物の統一的な動きはなくなる。あとは機関砲の嵐で一掃するだけだった。  壊れたナメルの荷物は残った2両に分散し、機関砲も牽引している。だが2両の装甲戦闘車を失った。 (人を失っていないだけ、まし……)  ではあるが。  それから、通路をふさぐ新種たち、巨大なサソリの群れを機関砲で消し飛ばして58階層のガレスたちに合流した。  こちらは弾薬が尽きかけるほど、連装機関砲が溶けかけるほど戦い続け、階層貫通狙撃を阻止し続けていた。  それだけでなく、上から押し寄せて59階層に向かおうとする新種どもとも戦い続けていたのだ。  58階層で、軽い食事をとる。複数のカセットコンロで、自衛隊缶詰白飯・レトルトカレー・レトルトハンバーグを温め、袋生ラーメンをゆでる。レトルト食品もラーメンもできるだけの高級品。 「お、おい、おいしい」 「うん」 「ジャガ丸くん……」 「帰ってからのお楽しみだ」  たっぷりとおいしく温かい食事をとり、マジックポーションで魔力を回復させる。  小さい炉を出した椿が武器を軽く整備していた。  また、傷んだナメルのキャタピラも整備し、弾薬や荷物をあらためて整理する。  そして、ついに……アイズがあの女に予告されていた、59階層。  以前深層を制していた【ゼウス・ファミリア】の報告では氷河とのことだが、なぜか今通路の前に立つと熱気が吹いてくる。  あらゆる装備を確認する。あらゆる兵器を確認する。  決意を込めてうなずき合う。 (ベル・クラネルのように)  何人もそう思っている。あの戦いで火がついた胸の炎は、竜の壺の死闘などでは全然燃え足りていない。 >Lv.2  やっと目を覚ましたベルは、少し腰が軽かった。  脇差『ベスタ』以外の武器は、椿・コルブランドが深層に持って行ってしまった。  瓜生がくれた、工業製品の刀とボウイナイフ。ヴェルフ・クロッゾが打ってくれた短剣。  瓜生が出した予備は本拠地にたっぷりあったが、必要はなかった。  数通の、メモ程度の手紙を椿が書いてくれた。  ベルには、 「天晴であった。  見事折れなかったが、もう使えぬ武器を借りていく。ダンジョンで気絶したのが悪い。  かわりに戦をたたえ、拙者の倉の刀の二三一番をさしあげるので使ってほしい。以前より話を聞き、そなたがランクアップしたらと打っていたものだ。  短刀は、ヴェルフ・クロッゾに材料を渡すから打たせよ」  と。  またファミリアの居残りの幹部にも手紙。 (ベルやヴェルフに、以下のものを渡すように……)  と。  そしてヴェルフ・クロッゾにも、まず「折れなかった」の一言。ベルのためという条件で、自分が持っている素材のあれとそれを与える、と。  ベルが寝ている間。  パーティでありながら、仲間の死闘を見ることもできなかったヴェルフは悔しさに震えていた。  そして椿の手紙を読んだ。ヘスティアがアイズ・リヴェリア・レフィーヤから聞いた、ベルやビーツの死闘の断片を話した。  見舞いや看病よりも全身全霊で打った。文句を言おうとしたヘスティアも、その鬼気迫る姿に納得し、 「君は打つ。ボクは看病する。全力で」 「ああ……二度と、ベルとビーツが傷つかないよう全力で打つ。看病は、頼むっ!」  となった。  ベルのために、かなりいい素材を用いてこれまた折れず切れることに徹した、武骨な短刀を打った。やや細身で軽いが厚く、片手用だが刃長は49センチと脇差に近い。  また自分が打ったベルの軽装鎧は……エイナが買った腕プロテクターもだが……ミノタウロスとの死闘で壊れたことを知り、屈辱を感じてかわりの軽装鎧を作った。ベルの戦法では手の甲から肘を防御に使うことが多いので、そこをしっかり固める。  また、ビーツの鎧も打った。  ベルが目覚めてから。  ビーツはベルよりずっと早く、17時間程度寝込んでから飛び起き……当然のように、 「おなかへった」  ミノタウロス半強化種の魔石の大金が、治療費とその食費でさっぱりと消し飛んだ。 【ヘファイストス・ファミリア】留守番の老幹部が、何度も信じられないと椿団長の、さらに【ロキ・ファミリア】団長フィン・ディムナの添え書きも読み返し……倉庫から刀を出してきた。  それ以上に、ベルの腰の脇差……主神ヘファイストスの手になる、神名を神聖文字で入れた品に目をむいていたが。  逆にそれは、 (それを持つということは、主神に認められた冒険者……)  と、ベルを信じることにもなった。 (もし不正に手に入れたのだとしたら、とうに破滅しているはず……)  である。  人間では最高といわれる鍛冶ファミリア団長の刀は、見ただけでも手にしただけでも衝撃的だった。 『ドウタヌキ』の名だけ。ヘファイストスの名も、椿の名もない。  恐ろしく簡素だった。厚いニス以外徹底的に飾りのない、赤黒く木目の詰んだ白木の鞘。笄(こうがい)・小柄もない。  頑丈一点張り、試し切り用の『切り柄』。中子を、握れるように削った二枚の硬木板ではさみ、鉄環と生鉄の目釘で固定しただけ。普通の柄に比べかなり長い。  手にして驚いた。重い。  抜いてみたベルは、衝撃すら抱いた。  ヴェルフが打った短剣同様、恐ろしく飾り気がない。定寸、反りはごくわずか、見た印象はほかの美々しい刀とは違い、 (なんとも醜いが凄みがある……)  感じだ。  身幅はややひろく、重ねが斧のように厚い。  波一つない直刃は鋼とは微妙に違う、深い青みとかすかな紅が漂う。  本来の切り柄に鍔(つば)・はばきはない。が刃と中子の境に直接、小ぶりの鉄鍔を接合してある。これまたなんの飾りもない黒鉄の円盤。  奇妙なことに、手に吸いつくようにバランスがいい。 「これは……」 【ヘファイストス・ファミリア】の留守番も、ヴェルフも、ベルも呆然と、いつまでも眺めていた。 「これほどまでに、折れぬ、切れる、それだけに徹した刀とは……素材も、レベル2程度の鍛冶師が打てば10万ヴァリス程度に収まるものしか使っていない。それでも、特に折れぬことは第2級に匹敵する」  留守番の老鍛冶師が賛嘆する。 「椿・コルブランドの作なのだから千万にはなる……だが、名を隠せばよほどの目利きでなければ、20万もつけぬだろう」  と、手早く切り柄を分解し、中子にもどこにも銘がないことを確かめる。 「くそ……くそ、くそ、くそ」  ヴェルフは強烈な感動・屈辱・嫉妬に、泣き叫びそうになっていた。 「おお、その意気ならば、することは一つじゃ」  老鍛冶師に背中をひっぱたかれたヴェルフは、目を張り裂けんばかりに見開いて、飛び出した。工房に。 「ワシも負けてはおれん。これほどのものを見てその気にならぬなら、鍛冶師などやめたほうがよいわ。  小僧っ!」  名のある冒険者でもある老幹部の、すさまじい声にベルは圧倒された。 「この刀と、その御神脇差に恥じぬ冒険者とならねば許さん!大切に手入れし、使い潰せ!」  ミノタウロスの咆哮以上の、圧倒的な力を残して、老鍛冶師は工房に走った。  ベルの手には、重い刀があった。  そして、ベルの胸も燃えていた。  徹夜してでも素振りを……そんな炎が燃えていた。  エイナ・チュールが最初の報告で絶叫し、頭を抱えながらまとめたベルとビーツのランクアップ報告は、予想通りお蔵入りだった。  ベル・クラネル。  最初の方は、上レベルの冒険者の援護を得て5階層で多数のゴブリンを倒す。  ソロで膨大なキラーアントを斬る。  パーティとはいえ、11層前後で多数のオークやシルバーバックを倒す。ゴブリンやキラーアントは、自分から『怪物贈呈』を求め、血肉(トラップアイテム)を使ってまで多数撃破。  強化種疑惑があるミノタウロスを単独撃破。  ビーツ・ストライ。  赤ん坊のころから一級冒険者に育てられ、急峻な山を駆けまわる。  物心つく前から、朝日が出てから日が沈むまで、特訓または食糧集めの狩り。  オラリオに来てからはベルのパーティで上同。  レベル6の第一級冒険者と一対一で戦い、傷を負わせる。  まともな冒険者が読めば間違いなく切れる。  また、エイナはベルの、ランクアップで発現する発展アビリティをどうするかも相談された。  瓜生はしばらく帰ってこない。またエイナは知らないが、瓜生がいても、 (ここのベテラン冒険者じゃないおれにわかるか、好きにしろ)  と言われるだけだろう。  ビーツは相談しなかったので普通だと思っていた。単に『気』というこれまた初出のものが出て、ヘスティアがまたも頭を抱えただけだ。  そしてベルは、スキル欄に出た『英雄願望』をヘスティアにからかわれてボロボロになって布団にもぐることになる。  ベルとビーツが回復し、レフィーヤ以外のパーティでダンジョンに向かった……ヘスティアは神会に出かけた。  泥をすすっても無難な二つ名を勝ち取ってくる、と悲壮な覚悟を固めて。  だが、そのヘスティアは何も知らされていない。オラリオの真の闇の深さを。  今回ほど、二つの意味の実弾が飛び交った神会もなかったろう。金と暴力という。  究極の出来レースだった。根回しという脅迫が、ロキ・ヘファイストス、二つの大派閥から回されていた。 「ソーマのやつデメテルちゃんのところで、一から酒造りの修行をしてるそうな。新しい、酒造にしか興味がない団員を集めて」 「これまでの団員全員クビだってさ」 「団長はギルドの牢獄だそうな」 「【ファミリア】潰しぱねえ……」 「エイナちゃんを怒らせたら潰されるのか」 「『妙な音』一体な」 「はいはーい次の話いくでー!ええな!」  司会のロキが危険な話をぶった切る。視線に容赦ない殺気をこめて。  ラキアの侵攻開始の話は出た。半面、18層や24層の話題は出さず、それでいて極彩色の魔石を持つ怪物の話は出した。  そして神々お待ちかねの、命名式。神々としては痛々しさに転げまわり、子らは憧れに大喜びする名前をつける。神々と人の感性の違いを如実に表す。  ヘスティアはあきれかえり、昔弱小時代には苦しめられたヘファイストスは、 「あんたの気持ちはよーくわかる……」  と遠い眼をした。  眷属のヤマト・命に、神の感性で言えば嫌がらせである二つ名をつけられ号泣するタケミカヅチ……そこで、ロキがじっと神々をにらむ。 「オーラス、新しいファミリアから3人か……つまらなそうなんからやるで。とっととすませんとな」  ロキの表情は凍りついていた。声がはっきり言って棒だ。 「ええ、とっとと。とてもさっさと。つまらない子だから、角が立たない程度に名前を決めて、次の本命で楽しみましょう」  普段は神会では無関心派のヘファイストスが、隻眼から炎を出さんばかりに神々をにらみまわす。手元の瓜生の資料を握りつぶしながら。  平凡そうな青年。だが、確実にオラリオを変えてしまう、無限大の力。 (余計なことは言うな) (シャンシャン神会絶対)  オーラが文字になって読めるほどの、すさまじいプレッシャー。 「ウリュー……男(野郎)か、つまらんやっちゃな。外で頑張ってランクアップしたんか。じゃあ、うちから出すで。『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)』なんてどや?」  ロキは台本を読んでいることを隠そうともしていない。 「とっても面白いわね」ヘファイストスも完全に棒読みの早口。ひたすら殺気があふれている。「私も思いついたんだけど、『限りなき軍勢(インフィニット・ストラトス)』なんてどう?」 「ええなあそれも。ちょっと合わせて『無限軍備(アンリミテッド・ストラトス)』でどや?」 「いいわねそれで。い・い・わ・ね」  地獄の底から響くような、女声最低音。全ファミリアの生命線を握る武器製造最大手ヘファイストスの、殺気が神々を圧する。 (逆らったら武器売らない)  と。死刑宣告にほかならぬ。  最強ファミリアのロキは、はっきり逆らってはいけないとわかる。  それに、適度に痛い名前なので、横暴だと文句を言うほどでもない。 (落としどころ、というもの……)  である。 「じゃあさっさと本命やー」  ロキが脂汗を流しながら怒鳴った。 「本命ね」  ヘファイストスも合わせる。 「史上最速ランクアップ記録更新者に回ろうではないか」 「異議なし!」  タケミカヅチとミアハも、青ざめた表情で叫んでいる。 「お、おい」  やっと意識が戻って文句を言おうとしたヘスティアのすねを、テーブルの下でヘファイストスの長い脚が蹴りつける。 (逆らったらつぶすで)  と、世界破壊者と書いてロキとルビをつけた顔に書いてある。  ヘスティアが硬直している隙に、もう話はベル・クラネルで大騒ぎをして、次のビーツ。 「さてもう一人やなー。同じくドチビの……外で『経験値(エクセリア)』稼いできたんやな……かわいいやんか、うちがほしかったーっ!ビーツたんらぶりー!」  ロキが絶叫する。 「かわいいじゃないか……」 「黒髪つんつん萌え」 「しっぽ!しっぽ!」 「よし、『聖尻尾(セイント・テール)』で」 「やめろ今でもファンたくさんいるんだぞ」 「芽美ちゃんは俺の嫁だ、つぶすぞ」 「や・め・ろ」 「なかよし編集部も何血迷ってんだ、同一世界観の続編をピクシブで公募なんて」 「なか編が終わってるのは平常運転だ」 「さくら復活させたりな」 「立川先生(泣)……」 「この子、ものすごい食べるらしいぞ」 「オラリオに来たその日に、あの『鯨飲馬食』の寸胴グヤーシュとアンチョビパスタのレニエ山盛、『肉のガノン』のスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス定食、さらに『マクレミッツ』の20ポンドバーガーをはしごで秒殺したんだと」 「あのガレス・ランドロックすら敗退したという伝説の寸胴グヤーシュを……」 「それだけでもランクアップものだな」 「『食えるもんなら食ってみやがれ』の全部食べたらタダセットを2セット食い尽くして店主が大泣きしたってよ」 「それはないだろ、1セットでも無理ゲーだぞ」 「うちの眷属(子)、かなりのフードファイターなんだけど1セット食いきれなかったんだぞ」 「オレ目撃者。天井まで届きそうなのが……瞬時に消えた。ずるはやってなかった」 「もう、オラリオのチャレンジメニューがある店にはすべて肖像画つき手配書が回っているそうだ」 「昇格偉業もすごいな、あの『女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)』アレン・フローメルの左手首と足指の骨を折ったって。瀕死になりながら」 「Lv.1で?ふかしだろ?」 「本当よ」  美しすぎる女神が妖艶に微笑んだ。 「よし、では『食欲獣娘(リトル・フードファイター)』」 「よしてくれえ……ひ、ひとの情けがあるのなら……」 「「「「「ない」」」」」 「てかおれたち神だし、ひとの情けなんてあるわけねーだろ」 「いいじゃないか、異議なし!」 「ハイけってーい!」  自らの無力に号泣するヘスティア……  ベルは『リトル・ルーキー』。  終わって、特に神友(しんゆう)の裏切りに憤るヘスティア。  ロキはむしろおびえた表情の小声で、 「ええか。ウリューについて、詮索されたないねん。問題にしたないねん。騒ぎにしたないねん」 「かといって、無難すぎる名前だと不満を持つ神々も出るわ」 「そや。適度に痛い名つけて、バカどもを満足させてやらなあかんねん」 「ええ、知らせなくて悪かったけど、あなたに腹芸は無理だから」  ロキもヘファイストスも、見事に息が合っていた。 「ちゃんと一筆取ってある。どんな痛い名前でも、切れてオラリオを消し飛ばしたりしない、ってな……」  本当にそんな誓約書に、『瓜生』と漢字の認印が押してある。 「実際『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』やな、あれは……」 「それはそれで危なすぎるよ……」  ダンジョンでは、ベルもビーツもランクアップして間がないので、調整として11階層。  今日はヤマト・命、ヒタチ・千草も来ている。  昨日一日、タケミカヅチの指導も受けて膨大な素振りと、命や桜花との練習試合をやっている。  最高速度で飛びこんで袈裟切り、すぐ横に飛ぶのを繰り返した。  自分がいかに速くなっているか、稽古でできる程度は実感している。そして、向上したステイタスに頭がついていっていないことで、対人戦ではむしろ弱くなっている……と、叩きのめされて教わった。  命も桜花も、その点では痛い目を見たらしい。 【タケミカヅチ・ファミリア】の屋台では、朝早くから朝組の二人が塩飴や塩ようかん、塩昆布、甘酒などを売っている。塩飴は真似る屋台が出ているが、ようかんは極東に詳しくなければできない。今も竹皮に包まれた塩ようかんを一本丸ごと、7人パーティが買っていった。  冒険者の行きの波が終わったら昼過ぎまで一休みし、帰る冒険者に大きいどんぶりでまずぬるめで塩を入れた煎茶をたっぷり、次に少量の抹茶と和菓子を出す。疲れ切った肉体には最高のものだ。  それから夕方以降、夜組に交代し、焼鳥とおでん、焼酎と燗をつけた日本酒。  どれも、たくさんの冒険者たちが行きは塩と甘味を、帰ってすぐは水と塩と甘味を、そして夜には酒と美味を求めて寄ることになる。  道中をゆっくり行って慣らす。  椿・コルブランドの刀は、さすがにすさまじいものだった。  重ねが厚いのに、刃筋が決まった時の切れ味がとんでもない。厚く硬い皮のオークや重装甲のハード・アーマードも、刃筋さえ決まれば豆腐同然。  刃筋が決まらないとちっとも切れない、という厄介さもあるが、折れることはない。 「見事な業物だな。常に刃筋が通るよう精進せよ、と言っているような刀だ」  と、命も感動している。  試しに刀を納めたベルは、脇差『ベスタ』と、ヴェルフが新しく作った細身の片手脇差『フミフミ』を抜く。  ベルが倒したミノタウロスの角、それに椿がくれたフォモールの骨と超硬金属(アダマンチウム)とミスリルの合金を重ねている。  ほぼ同じ長さの二刀は、切れ味も威力もすさまじかった。  とてつもない速度で走りながら斬りまくる。オークなど止まっているも同然に、斬られたことすら気づかずに斬られていく。  ビーツも、動きを妨げないようかなり頑丈な鎧を着ている。  動きの速さはベルにも負けず、長大な槍の一撃は上層のモンスターはすべて一撃必殺。シルバーバックやハード・アーマードも含めて。  さらに、階層主扱いされているインファント・ドラゴンが出た時。  ベルの手に、スキル『英雄願望(アルゴノウト)』の光が集まった。  それで増幅された雷電の付与呪文を帯びた刀は、一撃でドラゴンの巨体を両断した。  そこにいた冒険者たちは、その圧倒的な威力に恐怖した。 (な、なんだよ、あれ) (長文詠唱?それにしても、レベル5かそれ以上?) (確か、2にランクアップしたばかりだとか) (うそだろ?)  直後、シルバーバック3頭を一人で倒したビーツも含め、【ヘスティア・ファミリア】は冒険者たちの注目と嫉妬を集めることになる。  そしてベル・クラネルは二つ名『リトル・ルーキー』をもじった、『インチキルーキー』の噂も立つことになる…… 「中層、13階以降に行くなら、サラマンダー・ウールが絶対に必要よ。これは絶対守って、死ぬのはベル君だけじゃない、仲間もよ」  とエイナ・チュールに言われ、それは稼ぐために11階層で稼いだり、またタケミカヅチに動きを見てもらったりして数日間過ごした。  ヴェルフ・クロッゾも装備を打つために時間が必要だった。  中層への挑戦という、大きな飛躍のために。 >59階層  腹はみちた。  マジックポーションで魔力も回復した。ポーションで疲労も回復した。  2両の装甲兵員輸送車……その装甲は主力戦車そのもの、さらに30ミリ機関砲を持つ実質は歩兵戦闘車に、人員室に詰めてあった弾薬と燃料を補給した。  剣や槍も研ぎ直した。  迷いもない。2両の装甲戦闘車両を犠牲にしたが、誰も傷一つない。  未知の59階層。 【ゼウス・ファミリア】が残した情報とは違い、暑い。  密林だった。無数のツタがからむのを、冒険者たちが切り刻んで装甲車の道を作る。  ティオネのククリナイフが本来の仕事をする。ククリの前に湾曲した刃は、ジャングルを斬りはらうのに最適だ。  切り開いた道を装甲車が大重量で押しとおる。 「だから戦車だけでは戦えない、随伴歩兵もいるんだな」  フィンは納得した。  ジャングルを通った、そこにいたのは……巨大な植物怪物に寄生した、巨大すぎる緑の女だった。  これまで何度か見た、食人花やイモムシに寄生したそれとは、似ているが違う。  どう違うのか、言葉になる前に……その女は、アイズ・ヴァレンシュタインを見た。  呼んだ。  アイズはわかってしまった。穢れた精霊……  そして狂喜の叫びがあがる…… 「全火器射撃開始(オールウェポンズフリー)、同時に最大呪文」  フィンの沈着な声が、全員の心を静める。  衝撃に凍ったアイズも、12.7ミリ重機関銃を片手で撃ち始めた。  中心になるのは30ミリ機関砲2門。これまで、あらゆるモンスターを霧にしてきた。コボルドをガレスが巨大斧で全力でぶった切るような、圧倒的な過剰威力だった。フォモールも、ブラックライノスも、食人花も豆腐のように粉砕した。  APFSDS。音速の何倍もの速度で放たれるタングステン合金の太矢、サボを外す間もない至近距離。圧倒的な初速が細長い先端に超高圧を生み出し、主力戦車の正面装甲以外は貫通する。 「やった?」  ナメルを駆るアリシア、レベル4のサポーターの一人が見る。 「え」  呪文の詠唱が続いている。紅い魔法円が広がっている。桁外れの、感じたこともないとてつもない魔力が集約されていく。初めて戦車の主砲の咆哮を至近距離で見た以上の、砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)の階層貫通攻撃に直面した時以上の……  巨大な花弁が何枚も重なり、機関砲弾を防ぎきっている。二枚か三枚は貫通しているようだが…… 「ひるむな、二枚は抜いている!横から回れ!ガレス、下の奴らを処理!」  巨大すぎる女……穢れた精霊の足元から、とてつもない数の食人花とイモムシが沸いて襲ってくる。  それに、ガレスの23ミリ牽引連装機関砲が咆哮した。アイズも重機関銃で的確に支援する。  だが、巨大すぎ美しすぎる女は、人のものとは次元の違う魔力を集め、超長文詠唱を進めていく……  足元から湧き出て高速で合図を襲う無数の触手、アイズと、アマゾネス姉妹が応戦する。 「撃ちかたやめ、牽引機関砲をナメルの後ろに!リヴェリア、ナメルごと守れ」  フィンの命令、普通は何人も人手がいる牽引機関砲を第一級冒険者が引っ張って影に隠れる。  そして、呪文は完成した。  炎嵐。桁外れの温度と威力。圧倒的な炎。ナパーム弾どころか東京大空襲の火炎旋風を一点に集めたような、炎の高潮。  リヴェリアの防御が破られる。  すさまじい高熱が吹き荒れる。  それが過ぎ去ったとき、通るのも難儀したジャングルも、無数の食人花も、すべて灰になっていた。  ただ、ふたつの残骸があった。ナメルの前半は真っ白に輝いている。アルミニウム部はドロドロに溶けている。  巨大なRWSも基部が溶けて倒れている。  リヴェリアが倒れている。強力な魔力を帯びた護符でもある服が燃え尽きている。  ガレスが倒れている。すべての防具が焼け砕けている。  鉄塊に守られていても、全員が大ダメージを受けている。乗員は高熱のオーブンと化していく室内で、泣き叫びそうになっている。  それほどの大呪文、だが直後に緑女……穢れた精霊は呪文を唱え始めた。魔術師の常識をはるかに超えた連続詠唱。 「乗員は脱出、脱出を補助して守れ」  フィンは叫び、一基の機関砲を銃架から外して装甲車の後方ハッチに押しこむ。  ティオネとティオナは巨大な武器で、溶けついたハッチを切って蹴とばし、レベル4の乗員たちを引っ張り上げ、車両の下に押しこんだ。  ダンジョンの屋根が、暗い空に変わる。機関砲弾より速く重い隕石の嵐が召喚され、ばらまかれる。  装甲車も、弱点の上面装甲を粉砕された。 (もし、自分たちがこの弾雨を浴びたらどうなるか……)  30ミリ、23ミリ、20ミリの弾幕、そして120ミリに血霧になっていくフォモールの大群を見て、冒険者たちは思っていた。  それをまさに体験したようだった。  それで終わりではなかった。  穢れた精霊の背後、60階層につながる通路から、さらに膨大な数の食人花やイモムシが出現した。加えて、一本のハサミだけが異様に大きい、超重装甲のザリガニとヤシガニの中間のようなモンスターも。大きめの一軒家ほどもある、数十本の根で歩く巨大なハエトリグサも。  絶望。  砕かれた全身……レベル5や6の体の耐久と、何十トンもの鋼と複合装甲が楯となったが。  特にメルカバの血を引くナメルは当然前方エンジン、エンジンブロックの膨大な鋼そのものが楯となる。  かばわれたサポーターがさしだしたエリクサーで身は癒えても、心は砕けそうだ。  圧倒的な戦力差。これほど強力な武装や重火器があり、最強【ファミリア】の誇りがあっても。  それは、圧倒的に強大だった。  ひとり。フィン・ディムナは立った。  ポーションを飲み干し、槍で地上を指した。誰よりも深く傷ついた体で。  激しい鼓舞が、皆の心を打つ。  人を鼓舞する……あおる天才。最高の指導者。 「……それとも、ベル・クラネルの真似事は、君たちには荷が重いか?」  フィン・ディムナの、この一言が第一級冒険者たちの、心臓をぶっ叩いた。  椿・コルブランドは、 「折れん……あのベル、そして3ふりの刃のように」  砕けた左腕を無視し、片手で太刀をつかむ。 「上等……」 「『冒険』しなくちゃ、アルゴノゥトくんがしたように」  アマゾネス姉妹は、もとより瀕死になると極端に強くなる。それが燃え盛り、立つ力になる。 「雑魚に、負けてたまるかァァァァッ!」  ベート・ローガも激しく歯を噛み鳴らし、立ち上がろうとして腕が力を失い、それでも絶叫しながら立ち上がった。 「負ける……もんですかっ!負けない、っていったんですから!ベルはあんなに強くなったのにっ!」  レフィーヤが絶叫し、歯が砕けるほど食いしばって立ち上がる。  そして一番激しい炎で立ったのは、アイズ・ヴァレンシュタイン。  フィンはもっとも古き友、リヴェリアとガレスにも声をかけて、赤熱し炎を噴く鉄塊のハッチから23ミリ機関砲を引き出す。  内部はオーブンのようになっているが、まだ使える武器は多くある。  パンツァーファウスト3。重機関銃。14.5ミリセミオートライフル。手榴弾。  熱さを無視して手にし、敵に向ける。  無事だった4人のサポーターも、訓練されぬいた兵器を手にする。  脱出するときには屋根にくくりつけられた、決められた荷物を背負う……訓練でしっかりやっていた。その荷物は車両の下で守られていた。 「ベート」  フィンが放ったパンツァーファウスト3と14.5ミリ巨大対物ライフルを受け取ったベートは、大きく横に回りこんだ。  一枚でも二枚でも、反応させる。少しでも敵を分散させる。  アマゾネス姉妹が不壊属性(デュランダル)の武器を手に、重機関銃の弾幕をこえた食人花を迎撃し、敵本体への血路を開く。  椿・コルブランドが一人、58階層から押し寄せる敵に立ちふさがった。  23ミリ機関砲が、膨大な敵を一掃する。巨大ヤシガニの信じられないほど分厚く頑丈な殻が、徹甲弾に貫通され粉砕される。  巨大なハサミをティオネの戦斧がそらし、根元から叩き切る。  機動性で回りこんだベートが放ったパンツァーファウスト3の、均質圧延鋼鉄装甲700ミリ=70センチに及ぶ貫通力が、巨大な花弁を貫いて本体の呪文を暴走(イグニス・ファトス)させる。  そのベートを重機関銃が的確に援護する。  ガレス・ランドロックがすさまじい剛力で、500キロ近い爆弾を大きく投げた。ちょうど、巨大な女妖の無数の触手の向こう側に。  大爆発がルームをきしませ、穢れた精霊の超巨体を大きくずらす。多数のモンスターが消し飛ぶ。  23ミリ連装機関砲。12.7ミリ重機関銃。14.5ミリセミオート狙撃銃。手榴弾。パンツァーファウスト3。  残っていた重火器が咆哮する。  レベル4のナルヴィは壊れたRWSの、30ミリ機関砲を手動で射撃しはじめた。  強烈な火力が膨大なモンスターの群れに穴を開け、その穴に第一級冒険者たちが身をねじ込んでいく。  ティオナが全身で切り刻む。ティオネもアマゾネスの本性をむき出しに突進する。  短文詠唱に切り替えた巨大女怪、フィンが山なりに放った手榴弾が、ベートが動き回りながら放つ重機関銃弾が確実に呪文を妨害し続ける。  長大な食人花……その首根っこをつかんだガレス・ランドロックが、そのとんでもない全身を振り回し、巨大な鞭と変えて敵を薙ぎ払い、無数の触手を叩き落す。  力と耐久に徹した、最強の壁……力こそが敵の群れを切り開く。  フィン・ディムナは指揮をラウルにゆだね、呪文を唱えて理性を捨ててステイタスを大幅に上昇させた。紅く目を輝かせ、前からの愛槍と〈ローラン〉シリーズの不壊属性、二本の槍を両手に何百というモンスターに突撃していく。  12.7ミリ重機関銃すら通用しない重装甲のヤシガニに、23ミリ弾より大きな風穴があく。  そして最も濃密な、穢れた精霊が放つ頑丈すぎる触手の嵐に身をねじこむ。  何千としれない、鋼鉄以上に固く重い巨棒の乱打をさばき、撃ち返し、断ち切り、切り開く。  敵が防御を固め長文呪文を詠唱すれば、すさまじい力で投げられた槍が花弁の隙間を縫って口を貫き、魔力を暴発させる。  そのすさまじさに、アマゾネス姉妹やベートすらも衝撃を覚えた。  それでも止めきれない短文詠唱呪文……レフィーヤが召喚呪文【エルフ・リング】で、【ディオニュソス・ファミリア】の友フィルヴィスから学んだ防御呪文【ディオ・グレイル】が味方を守る。圧倒的な力に押されながら、守り続ける。傷つきながら。咆哮しながら。ありったけの意志で。  仲間でありライバルである、ベル・クラネルがそうしたように。  仲間を守るために。前に進むために。  リヴェリアの大呪文……ただでさえ長く強力な呪文を唱え終わって、すぐに別の長文呪文を連結する。『九魔姫(ナイン・ヘル)』の二つ名のもととなった、強大すぎる呪文。 「タイミングを!」  ラウルが叫び、23ミリ機関砲を撃たせ、そしてレベル4の全力で対戦車手榴弾を投げつけた。  同時に桁外れの炎が放たれる。  リヴェリアの最大呪文と強力な成形炸薬の炎、徹甲弾の打撃力……ついに花弁の楯が砕かれる。  なおも穢れた精霊は短文詠唱ながら強大な呪文で、冒険者たちを打ちのめし続ける。  それでもアイズは走った。呪文の、重火器の、槍の、剣の、魔剣の援護を背に受けて。  下の階層から突然飛び出した緑の、堅い硬い槍衾……それが新たな盾になっても、ガレスとフィンがすさまじい力で切り払った。地下から伸びてくる触手に身を貫かれても構わず。  ありったけの風をまとって飛んだアイズ……レフィーヤの呪文にも助けられ、ついに強大すぎる穢れた精霊は貫かれた。 【ロキ・ファミリア】にとっても、椿・コルブランドにとっても前代未聞の強大すぎる敵……そして迷宮都市(オラリオ)そのものに対する重大な脅威。  地上、『バベル』の奥ではウラヌスも、それを見ていた。  疲労と痛みに限界を超えた皆は、ただ傷をいやし、動けるだけの体力が戻り……50階層に戻ることにした。  火器はほとんど残っていない。23ミリが一基、あとは12.7ミリ重機関銃とライフルぐらい。パンツァーファウストも4基しか残っていない。  魔剣もポーションも消耗した。  とてもとても、60階層にいく力はない。60階層からさらに多数出てきた新種ども、さらに階層の床をぶち抜いて跳び出した緑の槍……  とてもとても。  ダンジョンの脅威は、まだまだ底が知れない。  強力な兵器を手に入れても。その兵器の限界と、使いこなした時の強みも少しわかってきた。 (まだまだ学ぶことは多くある……)  フィンやラウルはそう思っている。  そのためにも50階層へ、そして一人も欠けることなく地上へ。  新しい、困難であろう戦いが始まる。 >地上へ  59階層で最低限の休息をとり、焼け残っていたポーションで体を回復させ、ナメルの残骸内部からまだ使える弾薬や装備を取り出す。  食えるものは食う。熱湯になった飲み物をさまして飲む。  と、パーティを立て直した【ロキ・ファミリア】最精鋭は50階層への長い旅に出た。  ナメルのどの一両にも、大量の弾薬や銃、手榴弾やパンツァーファウスト3、そして予備の鎖帷子や盾、キャンプ用具、食料も用意されていた。  焼けたものも多いが、救い出せたものも多かった。  広大な58階層は、芋虫型新種と砲竜などが食い合う地獄と化していた。  そこに、重機関銃と不壊属性(デュランダル)の〈ローラン・シリーズ〉で突破口を切り開く。  重装甲にも守られていない。機関砲で敵が瞬時に消滅するわけではない。弾薬も限られている。  だからこそ瓜生が〈出し〉た火器を、 (使いこなす……)  ことが肝要であった。  剣との戦いに、どのように銃を使って戦いを楽にするか。  ポーションも残りが少ない。また、不壊属性ではない普段の武器は、使いすぎると壊れかねない。逆に不壊属性の武器も使うと切れ味は鈍る。  不壊属性の武器だけが最終的には頼りになるが、それまでどれほど楽に戦えるか。  遠距離で弱らせて不壊属性の武器でとどめを刺す。  至近距離から、牽制して敵を止めたベートが離脱したとき、ラウルが正確な近距離銃撃で足や目を確実に破壊し、ティオナが楽に片付ける。  手榴弾で煙幕を作り、その隙に突撃する。  まして、57階層から51階層までは、58階層に出現する砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)の階層をぶち抜いて襲うブレスの狙撃から逃げながらの戦いだ。  無駄弾は許されない。足を止めることも許されない。  何よりも、戦いの主導権を渡すことは許されない。敵の対応に精一杯になり動きを奪われたら、その敵ごと蒸発するだけだ。  戦いながら、砲竜の咆哮……前兆を聞き逃さず加速し、背後にモンスターを集めて片付けてもらう。  それを何度も繰り返す。  一人一人が、「銃」「手榴弾」「パンツァーファウスト3」という武器をしっかりと理解していくことがわかる。  銃を使わない者も、わかる。  その異質さ。  本質的に、集団運用で圧倒的に力を増すこと。  白兵戦との組み合わせで真価を発揮すること。  直線的で、貫通力が高く、内部で弾芯が暴れる銃。一発がもっとも軽い。  特に爆発点の至近距離で圧倒的な破壊力・打撃力を持ち、また範囲攻撃もできるし破片も凶悪な手榴弾。  一点集中貫通に特化、爆発そのものもそれなりの破壊力を持つが、わずかながら後方安全範囲を必要とするパンツァーファウスト3。  それと、剣や槍をどう組み合わせるか。  実戦でそれは磨かれていく。  待つ人々も、ただ寝ているのではなかった。  全員が多種類の装甲車両や機関砲、戦車砲を操縦し、射撃し、修理できるように。  ライフルと機関銃を使いこなせるように。  座学と訓練、反省と実践の繰り返し。  食事はうまい、おいしい菓子もある、風呂にも入れる……だが、訓練は辛いし幹部が心配だ。  下からなんともいえない、常人には聞こえない低音が響いてくる。時には轟音が響く。  そして、生きて帰ってくると信じる幹部たちのために、時間のかかる料理も。  ついにフィンたちが帰ってきたときの皆の喜びは、圧倒的なものがあった。  即座に冷えたスポーツドリンクと菓子と熱い風呂……スポーツドリンクだけで誘惑をねじ伏せたフィンが多くの団員に話をした。  挑戦組がゆっくり入浴してから、幹部の集会。椿や瓜生もいる。  瓜生は半日前から、業務用の大型圧力鍋でビーフシチューを、ガスオーブンでローストポークとローストチキンと焼きたてパンを作っていた。ごちそうは他にもある。  コロッケも各種たっぷり。  美味にため息をつきながら、激戦を語る。 「……ということだ」  あまりの凄絶さに、居残っていたアキは呆然としていた。 「なるほど。で、やり直せるとしたらどんな装備にする?」  瓜生の言葉に、フィンとリヴェリアが考え込む。 「食人花が壁を横から食い破って芋虫型新種……あれは装甲車殺しでもあるな」  フィンがため息をつく。 「たまったもんじゃないな」 「そして……多分だが、戦車が残っていれば、59階層の穢れた精霊でも一発でつぶせたと思う」 「となると、ひたすら数。操縦だけ、砲撃はしない戦車を多数だな。あと対戦車砲や無反動砲を牽引する」  瓜生がうなずきかける。 「君がせめてレベル3なら……」  フィンが瓜生を見て首を振った。 「その場で土砂を〈出す〉という手が使え……それでも壁を食い破って横から、では対処できない」  瓜生が肩をすくめた。 「さて、車両の選択はこれで正しかっただろうか?ほかにどんなものがある?」  リヴェリアの言葉に瓜生は、 「歩兵戦闘車……重装甲で機関砲つき、たくさん積める車としては、他にも選択肢はあるといえばある。  プーマは30ミリ無人砲塔、ナメルとそんなに変わらない。  スウェーデンの9040は40ミリボフォース。  ロシアには30ミリ2連装がある。  火力だけなら、57ミリ機関砲2連装とか40ミリ2連装とかもある。  だが、砲塔で射撃をしていて、その59階層の敵の大呪文で、射撃手は助かったか?無人砲塔だからこそ助かった、というのはないか?  やはりナメルと30ミリRWSの組み合わせは、あらゆる状況を想定したらベストだよ」 「どうしても砲塔は装甲が薄くなる、か」 「そりゃね」 「最初から、強い攻撃を受けたら装甲が無意味、という前提で大火力を持っていくのも手だな」 「人数が少ないのにやっていいかな……」  砂糖をたっぷり入れた紅茶を淹れた瓜生が少し話題を変えた。 「ところで重装甲は必要か?」 「必要だ。乗っていたみんな、陰に隠れたみんなは死ななかった」  フィンが深くうなずく。 「ああ、死んでいない、それが一番大事だ」  椿・コルブランドも同意する。 「出会い頭の大火力で言えば、六連自走無反動砲、57ミリ2連装対空自走砲、多連装ロケット……でもどちらも装甲がなあ」 「どう性質が違う?」  フィンの端的な問いに瓜生が、 「無反動砲は至近距離では戦車砲より少し弱いぐらい。ただし後方噴射が激しく、再装填はできるが車外作業になるし、遅い。  対空自走砲はそれなりの威力の砲弾を連射できる。  多連装ロケットは事実上一発限りだが、何十発もまとめて、やや弱い戦車砲ぐらいの弾をばらまける。後方噴射もある。非常に広い戦場なら、上からぶち抜くとかも可能だが……」  と説明した。 「なら戦車に多連装ロケットが一番いい。使ったら捨てればいい」 「ヴィーゼルの小回りもすごく魅力的よ」  アキの言葉に、幹部たちが考えこむ。 「確かに小さくて火力も高い。でも二人必要で、小さいことがとりえか」 「一応空挺だから……そうだな、次から58階層まで、大穴に空挺戦車を複数投入するという手も使えそうだ」  それらの反省から、戦車隊の構成を変更して帰り道に試すことにした。  一つの単位として。  先頭にメルカバが1両。屋根には強引に、12.7ミリガトリング重機関銃GAU-19を搭載している。  すぐ後ろにスウェーデンのSタンクが2両。砲塔がなく車体に自動装填装置つきの主砲が直接固定されている独特の戦車。  横や上下に撃つのは苦手だが、一人で操縦と射撃ができ、一世代前だが主力戦車としての装甲と100ミリ主砲がある。  さらに屋根には多連装ロケット弾も積んでおり、それで圧倒的な火力を出会い頭に注ぐ。  その後方に30ミリ機関砲を積んだナメルが3両。訓練を積めば、1人で操縦と射撃はこなせる。圧倒的な搭載量・装甲・火力のバランス。そして1人で動かせるという大きすぎるメリット。  それと六輪の大型ウニモグ。装甲はないが荷物量が桁外れだ。  操縦だけのメルカバも1両、守られている。  またいくつかの車両は23ミリ2連装機関砲を引きずっている。場合によっては57ミリ対戦車砲も引きずる。  それが最小単位。その単位を二つ以上組み合わせ、中央にチェンタウロ・ドラコ対空戦車と多連装ロケット弾つき装甲車で圧倒的な火力を送る。  ヴィーゼル空挺戦車やスズキ・ジムニーも小回りが利くので偵察用に組み合わせる。  長時間の訓練が難しいアイズやアマゾネス姉妹用に、ジムニーのオートマ変速を改造したのも加えた。悪路走破性に定評がある、身軽な小型車。オートマにしたのは訓練を最小にするためだ。  瓜生は、 「最初からオートマのテクニカルなら訓練は半分で済んだかもな」  と少し反省していたが、 「そうしていたら、装甲不足で死人が出ていたかもしれない」  とリヴェリアに返された。  市販車のジムニーから、ガラス窓も助手席シートも外した。頑丈なラダーフレームに直接20ミリ機関砲を単装で固定、正面に片手で射撃できるように。14.5ミリセミオート対物ライフルとパンツァーファウスト3も用意し、素早く動いて高い火力を注げるようにしている。  もう一つ重要な変化がある。メルカバとナメルに装備されている60ミリ迫撃砲が、デッドウェイトではなくなった。  発射薬を減らして天井にぶつからない程度の射程にし、炸薬を超高温のテルミット焼夷弾にした改造弾を【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師たちが多数作ったのだ。  とりあえず目の前に猛火の壁を作ることができる。  丸一日休んで体の疲れを癒し、新しい戦車隊が49階層に。  またしても膨大な数があふれていたフォモールを、3門の戦車砲が圧倒した。  49階層はともかく、そればかりやっているとせっかく連れてきたレベル3から4が経験を積めないので、あちこちで車両を小休止させては冒険者の集団戦もさせる。  戦車を扱わない【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師たちも、仕事はあった。  キャタピラなどのメンテナンス。瓜生の故郷に存在しない銃架を作り、試す。  そして、この遠征の少し前からの、瓜生が持ってきた様々な金属素材を使った合金……武器や防具の研究。  実に忙しく、充実していた。  そして……  44階層に、正規ルートとは違う道がある。  上層以外はどこも、下の階層に行く正規の道以外にも、広くダンジョンそのものは広がっている。そこを探索しても、より下の階層に行くほうが経験値も良質の魔石も稼げるので、割に合わないからクエストでもない限り探索にはいかない。  44階層まで行ける冒険者は少ないが、そちら側には誰も入らない。誰も帰ってこないとさえ言われている。  そこには、【ヘファイストス・ファミリア】のメンバーは入れなかった。 (もし、誰も帰ってこなくても……)  十分地上に戻れるだけの物資と手に入れた『ドロップアイテム』すべてを持たせ、待ってもらうことにした。  そこは、広い。  上から見れば、掌から見た左手の手首から先。深い行き止まりの横穴が4つ。親指が出口であり、手首が入り口。  掌の中央は、温泉が沸いている。ちょうど入れる極上の温度だ。親切なことに、小高い岩の壁があり男湯と女湯に分かれている。  手首から中指の先まで、およそ900Mある。 「2時間、ここはモンスターが出ない。2時間後、最悪のモンスター・パーティが起きる。どれだけかもわからないタイゴンファング……ライガーファングのでかいのが押し寄せてくるんだ」  フィンが平然と告げた。 「安全地帯と勘違いしてしまうんじゃな。そこで鎧を脱いで湯につかっているところで……」  ガレスがため息をつく。 「たまたま、覚えた魔法の試し打ちをしようとしていたから助かった。思い出したくもない」  リヴェリアも震え上がっている。 「ここでは、たとえオラリオのレベル6以上が全員いても、とても持ちこたえられまいよ」  ガレスが心底疲れたように言う。 「実際、レベル5以上を含むパーティがいくつも全滅している。『ギルド』は、レベルにかかわらず入るな、と案内している」 「『猛者』オッタルはじめ、【フレイヤ・ファミリア】最上層の修行場という噂だ。毎回死にかけているとも」  瓜生は大慌てで多数の機関砲や重機関銃、弾薬、ロケットランチャーを出して出して出しまくった。  わかる者は片端から整備と装填と試射の繰り返し。  重機関銃が何十挺も三脚に据えられ、その横には予備銃身が3つと何千という弾薬が積みあがっている。  76ミリ装輪対空自走砲が1両。  25ミリ4連装の自走式対空砲が2両。  30ミリRWSを乗せたナメルが6両。  23ミリ2連装対空砲が6基。  20ミリ4連装対空砲が8基。  20ミリ機関砲を積んだヴィーゼル空挺戦車が4両。  12.7ミリガトリングを積んだメルカバMk-3が3両。  トラックに積んだ多連装ロケット弾が2基。  そして、とんでもない量の地雷が鬼は外とばかりにばらまかれた。  一時間。  土砂崩れのようなモンスターの群れが押し寄せ……地雷が次々と、次々と爆発した。  膨大な爆発の壁。  それだけで何千の、ゾウに近い大きさの肉食獣型モンスターがバラバラになり、破片に切り刻まれた。  土砂崩れの上から、多連装ロケット弾が30発ばらまかれ、爆発の嵐が縦深破壊をなす。  だが、撃ち漏らした怪物は押し寄せてきた。爆風と破片の壁を押し倒し、仲間であるはずの怪物の死体を踏みつぶして。  それに、多数の機関砲・重機関銃が火を噴いた。  まさしく弾幕。  何十万ともいう数の暴力を、圧倒的な弾幕が食い止める。  機械的に次の弾薬ベルトを装填し、射撃を再開する。次々と重機関銃の銃身が白熱し、交換され、射撃を再開する。  ひたすら、機械のような射撃が続く。  戦車砲を撃ち尽くし、連装機関砲の補助に回る者もいる。  連装機関砲は、連射を続けるためにあえて半分ずつの発砲で、冷えるのを待ちかねて切り替える。時にはその余裕もなく全力連射、結果的に高熱で壊れる。  リヴェリアとレフィーヤが、並行詠唱で機関砲を使いながら大規模爆炎呪文をぶちかますが、それも目立たないほどのメタルストームと敵の数。  フィンは冷静沈着に、足元に山積みにされたロケットランチャーでサーモバリック弾を連発し、必要なところに猛炎を叩きこんだ。  終わりがないかに見えたモンスター・パーティは、ついに一段落した。  膨大な魔石とドロップアイテム。  そして地面を埋め尽くす空薬莢。  まさに悪夢そのものだった。 「46階層にも似たようなところがある。そこは、今回の結果を見ても入るのが危険すぎる」  とリヴェリアに言われて、瓜生は開いた口がふさがらなかった。  魔石やドロップアイテムの回収は最低限。 「テストでもある。これでみんな、経験値になっていれば……」  そうフィンがまとめた。  訓練としても強烈な効果があった。機関砲を、 (使いこなせなければ、死ぬ……)  その重圧で、必死で覚えた。好きも嫌いも言っていられなかった。  それ以外は、できるかぎりレベル2から4のメンバーの剣を磨き、おいしい食事を楽しみ、魔石やドロップアイテムをたっぷり集めながら……  余裕と思えた階層で。  若手にも経験を積ませよう……それが課題になっていた時。  突然、迷宮の悪意が牙をむいた。  ポイズン・ウェルミスの大発生。  新種対策の軽火器小班が、素早くガリル最新型で7.62ミリNATO弾をぶちまけ、グレネードリボルバーから散弾を撃ち出した。  圧倒的な弾数は細かな怪物が、たとえ大量に出ても圧倒的に吹き払った。  多くのメンバーは装甲車両に守られていた。  それでも、十人以上が猛毒に侵された。耐異常すら貫通する猛毒。  病院車に改装したナメルを最高速で走らせながら、瓜生がリヴェリアと肩を並べて治療に当たる。  ダンジョンの、魔法の品に慣れたリヴェリアたち優れた魔法使い……だが、瓜生には近代医学の知識がある。普段の冒険では、瓜生は多くの人を近代医学で救い……そして石もて追われるのが常だ。  だがここでは、瓜生の能力は当たり前のように受け入れられている。何よりも、今は死に瀕した仲間がいる。助けられるなら……  猛毒には、しっかりクロスマッチをしてから、とりあえず大量輸血による血液交換。  酸素テント。点滴。……  医師免許はないが医者としても豊富な経験を持つ瓜生が、リヴェリアに修正されつつ必死でさまざまな物資を出し、治療を続ける。  全速で18階層に向かい、上層の狭い道も通れるプーマ軽装甲車とウニモグでベートらを急行させ……フィンを中心に、レフィーヤを含む残留組は18階層の森に、多数のトレーラーハウスを用意した。  その一つは、100人を十分に食わせられる食堂設備。その裏にはコンテナいっぱいの食料とガスボンベ。  無法の街に逗留する【ロキ・ファミリア】は、思いがけない客を迎えることになる。 >生きるために  治療し、休息した。ビーツはホームに配達されていた食品もたっぷりと食べた。  タケミカヅチのところで修行もした。レベル2ふたりがかりで打ちまくられ、動きを基本から磨きなおした。  ヴェルフ・クロッゾは武器や防具を打った。  二度、10階層で勘を取り戻すべく遅くまでダンジョン探索もして、ついでに(瓜生に頼らない)軍資金やドロップアイテムも稼いだ。  エイナ・チュールに渡されたクーポンで耐火護符『サラマンダー・ウール』も買いこみ、ついに中層……13階層への冒険が始まる。  ふたりのレベル2。  ベルは椿・コルブランド作の打刀『ドウタヌキ』と脇差『ベスタ』、さらにヴェルフ・クロッゾの『フミフミ』の3本。背には軽めのシールド、頭も頑丈なヘルメット。  ヴェルフが作った鎧は軽装ながら、特に手首から肘まで・胴体の急所・膝などを堅固に守っている。下には瓜生がくれた鎖帷子と防刃服。  ビーツはトンファーと、金属条で強化された長槍、手斧やナイフ。鎖帷子に加え、槍も拳も妨げないよう動きやすさを徹底した防具。何よりも大量の食糧を背負っている。ハードチーズ、ミューズリーやレーズン、ナッツ類。リュックに詰められる限り、できるだけ多くのカロリー。  ヴェルフ・クロッゾは大型のバンカーシールドと大刀。鎧も一応完成させ、必要なところはかなり分厚い防御をしている。  リリルカ・アーデも大型のシールド、連射弩と強力なクロスボウ、それに消音アサルトライフル。  ミノタウロス戦で、銃器は失った。  だが、ヘスティアはそういうときのために、いくつかの銃器弾薬を預かっていた。  前回の反省がある。  ベルの銃は、ミノタウロス戦では役に立たなかった……ほんのわずかだが、準備時間が必要だから。なら、最初から盾を持つ後衛が管理し、前衛は刃で素早く対応するほうがよい。  特にリリがそう判断し、リリとヴェルフが消音アサルトライフルを持つ。拳銃は持って行かない。  彼女のスキルにより、膨大な重量の弾薬と予備食糧、大型のシールドを背負っても負担はない。  シールドはどれも、瓜生が事前に用意してくれた防炎の半軍事用。  ポーションも補充した。  もうすぐ完成する根拠地(ホーム)……廃教会とその隣の遺跡、土地としてはやや不便だがかなり広い範囲を使っている。  大きく見れば三つの建物。  一つは、【ヘスティア・ファミリア】のホームであり、地下室とその上に当たる。地下1階・地上3階。【タケミカヅチ・ファミリア】のメンバーも格安で招く予定だ。  一つは、瓜生が出現した祭壇前だったところ……小さい部屋ぐらいの中庭にしている。  もう一つが、2階建ての小さい体育館。教室ぐらいの広さだが雨の日も運動できるし、がっちり地面を固めていてウェイトトレーニングや激しい震脚にも耐える。  それを見上げ、必ず帰ってくると、いつも通り主神に見送られて……  上層は特に何事もなかった。むしろ急ぎ足で通過した……ビーツの腹というカラータイマーがあるのだから。  10階層で少し手を慣らし、新品の消音銃を試射した。  そしてビーツの腹をチーズと乾パンで満たし、荷物を少し軽減した。  あらためてポーションを確認した。  11階層で8頭ものトロルに襲われたが、文字通り秒殺だった。  ビーツが槍で突きながら高速で走り、ベルもそのすぐ後ろから足を止めずに斬り続ける。前に、ベルがヤマト・命の後を追ったように。  ヴェルフの目では追えないほど、疾風や飛燕、いや雷光のような速さだった。  手や足をやられたトロルがリリを襲うが、大きい盾を地に置いたヴェルフの大刀が一撃で切り伏せる。  ベルのスキル、【英雄願望(アルゴノゥト)】についても確認していった。  最大チャージ時間は3分。  付与魔法なしでも、ベルが走る速度も刀の威力も上がる。だが付与魔法にチャージを加えると、ただでさえむちゃくちゃな威力がさらに桁外れになる。  仲間が使う武器に魔力を付与するときには無効。 「『リトル・バリスタ』の矢があんな威力になればいいんですがね、でもレベル2の威力だけでもとんでもないですが」  リリなどはそういったものだ。  リリも、ソーマに改宗待ちにしてもらい、正式に【ヘスティア・ファミリア】に入っている。長く更新せずにいたが、ステイタスはさほど向上していない……だがそんなことは重要ではない。自由の身だ。そしてベルの役に立てる。  それで、 (じゅうぶん……)  である。  ビーツのスキル、【武装闘気 (バトルオーラ) 】も力・耐久・敏捷すべてをバランスよく強化する。そのためには心のありかた・呼吸・動きが正しくなければならないが。  12階層でも余裕だった。シルバーバックとトロルの群れも。  そして、 『最初の死線(ファーストライン)』  と恐れられる、13階層に踏み込んだ。 「ここからは、すべてが変わります。今までの延長とは思わないでください」  リリの厳しい言葉。  エイナも、何度も注意してくれた。  深呼吸し、呼吸を整え、砂糖を入れた塩水を飲んで通路に足を踏み出す。  前日から屋台を休み、命・桜花・千草を含めたフルメンバーでダンジョンに潜っている【タケミカヅチ・ファミリア】は追い詰められていた。  それはまさに、ダンジョンの悪意だった。  ポーションをほぼ使い切り、帰ることを考えていた……最近収入を得られるようになったとはいえもとが貧乏ファミリアで、ポーション、特にハイポーションの大量準備が習慣に入っていない。  余裕に思えた敵だった。  それが、突然のモンスター大量発生。  どうにか切り抜けたところに、アルミラージの奇襲。投げ石斧に千草がやられ、戦力が落ちたところに、どっと敵が増えた。 『怪物贈呈(バス・パレード)』を考えた桜花が見たのは……何度も組んだ、仲間だった。  赤い瞳。  ベルは、即座に前に出た。 「……まかせて、行って!」  叫びに、桜花ははっとした。 「……すまない」 「ばかな」 「千草さんを、死なせないでください!」  ベルの叫びに、命が強く唇をかみしめる。 「行けっ!」  叫んだヴェルフも腰を落とす。 「これだから……」 「ならお前も」  ヴェルフがリリにかけた言葉に、 「ベル様に従います」  とリリはシールドを地面に置いた。 「ビーツ」  無言でビーツは、槍を伏せて敵の群れに突進した。 「ばかにも、ほどがありますよ!」  リリは叫んで、背中から銃を取り出す。  涙ながらに走り去る【タケミカヅチ・ファミリア】。  ベルは迫る壁のような多数の敵を見据えながら、走り去る友を見もせず一言送った。 「呼吸を」 「ああ、呼吸を!」  呼吸が一番大事……武神タケミカヅチに、何度も教えられている。桜花や命は、小さいころから十年以上の年月。  呼吸をととのえ、腰を据えなければ刀は切れない。  そのことだけは、人間でもモンスターでも変わらない。  呼吸を鎮めたベルは、静かに刀を抜いた。 「そうだな。鍛冶でも、呼吸と腰がすべてだ」 「リリも……ひたすら息をひそめていました。人間とモンスター、両方から隠れ、一日生き延びるために」  とリリは言って、ベルに弾倉を差し出す。 「ベル様」 「うん。……【ヴァジュラ】」  雷鳴が響き、雷光が広く照らす。  そして、音もなく銃口炎がひらめき、雷鳴が連発で響く。 「あ、あの音は」  命が振り返った。 「……あのときに、似てる」 「『妙な音』。ベル殿……または瓜生殿……」 「い、いのちの恩人を、そして屋台の……二重三重の恩人……」 「泣くな!返したければ地上に急げ、絶対に生きろ!死ねば恩を返すこともできん!」  桜花は血を吐くように叫び、肩に食いこむ千草の体重にうめきながら走る足を速めた。  呼吸を切らさぬギリギリのペースで。  次々と出現する敵を、命が切り伏せていく。 「絶対に地上へ……どんなことをしても、この恩を!」 「死ねば恩は返せない!」  叫びながら遠ざかる声にほっとしたベル、ほっとしたのはほんの一瞬。  雷火を帯びた銃弾が目前の敵を30近く斃していたが、さらに別の通路からもモンスターが押し寄せる。 「ヘルハウンド!」  リリが叫び、撃ち尽くした弾倉を交換し、セミオートで確実に仕留めていく。  ヴェルフとベルが、リリを襲い続けるアルミラージから必死で守る。  ビーツが高速で走り、シルバーバックを突き倒す。  ベルとビーツの強さは、とうていなりたてのレベル2とは思えない。レベル3だと誰もが言うだろう。  ベルが稲妻のような速さで敵の死角に踏みこみ、右足を踏みしめると同時に袈裟の一閃。深い傷を負ったモンスターが反撃しようとしたときには、もう別のところに移動し振りかぶっている。  ビーツの速度と突きの正確さもまったく劣らない。よく見れば、薄く輝く何かをまとっているように見える……呼吸と姿勢が正しい限り、気が全身と武器を覆い、事実上ランクアップと言っていいほど力も速度も底上げする。  ヴェルフもそれを常に見て、歯噛みをしながら鍛錬している。大刀の切れはすさまじいものがあり、大盾を構えても絶対に引かない。  だが、それだけでは足りないのだ。  着実に、中層は冒険者たちの心身をむしばんでいく。上層とは違うのだ。  最初は勝てた。  だが、極端に次のモンスターが出現するのが早い。  汗を拭いていないうちの次、目に汗が入る。  水分補給をする暇もない。ポーションを口にする暇がない。  ベルもビーツも、体力には自信があった。  瓜生が厳しく言う休養日以外ほぼ毎晩、重りつきのフルマラソン。時にはフルマラソンと長距離のエアロバイク、さらにフルマラソンと、事実上トライアスロンもこなす。  ランクアップしてからは、100メートル10秒台ペースでマラソンを二度、しかもどちらの手にも10キロのダンベル、どちらの足にも3キロのアンクルウェイト、という狂気の沙汰もやっている。  だが、ここはダンジョンだ。ホームではない。  女神の慈愛の目があり、運動が終われば瓜生か、そのためにやり方を何とか身につけたヘスティアが作ってくれる食事……ベルはプロテインとブドウ糖を大量に入れたホットミルク、ビーツは業務用炊飯器いっぱいの炊きたてご飯に業務用圧力鍋いっぱいのひき肉とトマトのカレー……が待っていることもない。  そしてモンスターの、ダンジョンそのものの殺気は、安全なホームとは比較にならないほど体力をむしばんでいく。  気がつくことはない。  いつのまにか、戦いながら、逃げながら、13層もかなり奥まで入っていることに。  ハイポーションを消費してしまっていることに。  ビーツの腹が鳴り始めていることに。  そしてダンジョンの武器は、モンスターだけではない……  突然、天井に無数のひびが入る。  コウモリの怪物が多数、同時に岩と土砂。  さらにハード・アーマードとヘルハウンドの奇襲。アルミラージが投げた斧が、ヴェルフの銃を破壊する。  気がついたときは、ダンジョンにできる縦穴を落ちていた。  ポーションも多くが割れた。  落ちた直後にヘルハウンドの奇襲、ビン入りのオリーブ油が引火し、弾薬が過熱に暴発する。  死人が出なかっただけ、 (もうけもの……)  といったところだ。  食料も弾薬もわずか。  ハイポーションも尽き、リリはまともに歩けない。ヴェルフも右腕が動かない。 「さて……どうするか」  足に重傷を負ったリリが、痛みをこらえて言う。 「完全に、位置を把握できなくなりました。ここは15階層である可能性もあります。  上に戻るか、それとも18階層……安全階層、リヴィラに向かうか。  決めるのはベル様です」  ベルは息を呑んだ。  以前、リリを殺すかどうか瓜生にゆだねられたことを思い出す。  生命を背負う。決断する。  それが団長であり、パーティのリーダー…… 【タケミカヅチ・ファミリア】のみんなを助ける、そう決めたことからこの窮地が始まった。だが、誰も一言も責めない。 「18階層には、【ロキ・ファミリア】がまだいるかもしれません。ウリュウ様も」 「いたら、必ず助けてくれる」  装甲車で寝ていれば地上に戻れる。  ビーツも、いくらでもおなかいっぱい食べられる。 「前に、進もう。18階層に。幸運を待つんじゃなく」  上を目指すのは、道を、別の冒険者との出会いをあてにする幸運目当て。  それに対して下に行くのは、遠いが確実な道。 「ビーツ……今ある食物、全部食べてしまって」  彼女がうなずく。 「僕たちも、少しずつでも食べておこう」  食糧のほとんどはビーツが食べたが、ベルたちもブロックチーズ、シリアルバーを食べた。  ヴェルフが残った荷物と、リリを背負う。  盾は一つ以外捨てる。  特に重いビーツのトンファー……だが、置いていかなかった。前の持ち主は、 (これを置いて行かなければ生きていたかもしれない……)  と、リュー・リオンに聞いている。  彼女の、そしてシルたちの表情を、ベルもビーツも思い出す。 「必ず帰ろう。『豊穣の女主人』のおいしいご飯を食べよう」 「……ああ!」  ヴェルフが叫んだ。  ビーツは、 「腹七分目……」  と言いながら目を輝かせ、立つ。 「女の顔を思い出して立ち上がるのは不快ですがね。そうそう……本当にどうしようもなければ」  リリが言うのに、 「絶対に置いていかない」  ベルが誓った。  そこに、ミノタウロスの群れが出た。 「ビーツ様、行って!ベル様はこの矢に呪文を」  リリが指示し、『リトル・バリスタ』を構えた。  強力なほうのクロスボウ『豚弩』は銃弾の過熱暴発で失われた。  だが、連弩はまだ生きている。足は動かなくても射撃はできる。 「……うん」  ベルの呪文が稲妻に。  リリは、壊れたほうの消音銃から外したフラッシュライトを短く放ち、ビーツを援護した。  食べて、呼吸と心、姿勢を武神の指導どおり調和させたビーツは、『気』を全身にまとわせてスピードも力も大幅に向上している。  ミノタウロス3頭の強襲にもひるまない。  烈光に目がくらんだ巨牛人の胸を、正確に長槍が貫く。  ダンジョンの壁や床を陥没させる勢いの攻撃を紙一重でかわし、螺旋を描く槍の動きでそらす。  アレン・フローメルがやってのけたように、呼吸と流れを支配し『投げ』ることさえする。  すさまじい力と速度、技が敵を圧倒する。  だが、次々とモンスターは加わっていく……  そこに、稲妻の矢が連打された。  かなり遠くにいるうちから、リリの『リトル・バリスタ』が正確に急所を貫く。直後、レベル2で強化された雷電が矢じりから解放される。  すさまじい電撃と炎が、内部から中層の大型モンスターを焼き滅ぼす。  旅は長かった。  時間もわからない。時計も壊れた。  ベルは、アイズ・ヴァレンシュタインに丸半日、一瞬の休みもなく気絶も許されず追われ続けたことを思い出す。それと毎日のように積み重ねた、フルマラソンやエアロバイクで鍛え抜かれた足腰心肺が、体を動かし続けた。  それ以上に、ここで会った人たち。  憧憬してやまぬアイズ・ヴァレンシュタイン。  愛する家族、神ヘスティア。自分が死んだら死をまぬかれぬビーツ、リリ、ヴェルフ。  もう昨日か一昨日かもわからない出発前に、 「ご無事で」  と言ってくれたエイナ・チュール。  ……毎日の営業言葉、でも間違いなく、本当のこころがこもっていた。 「必ず帰ります」  と約束した。こんなことになるとは知らず、気軽に。 『豊穣の女主人』のシルやリュー……リューはビーツの家族でもあり、どれほど……  ランクアップ祝いの刀を打ってくれた、椿・コルブランド。 「負けませんからっ!」  深層で戦っている仲間、レフィーヤ。  ミノタウロスの群れ。  10秒のチャージ。ベルの刀に、稲妻が落ちる。  呪文と突進攻撃……能動的行動が増幅される。  ただでさえ速いのが倍の高速となり、稲妻を帯びた刀が振るわれる。巨大なミノタウロスが一撃で両断され、内部から焼き尽くされて灰と化す。  次々と。  だが、【英雄願望】の代償は大きい。そしてベルの精神も消耗していく。  消耗したそこを襲う敵、リリとヴェルフが必死で支える。  ベルは残り半分のポーションを飲み、激しい呼吸から呼吸を整え、重すぎる足を引きずって前に出る。  かろうじて撃退しても何倍も消耗する。  その姿を見たリリは、ポーションを見て何か確信した表情をする……  どれだけ歩いたのか。  どれほど戦ったのか。  何十のミノタウロスを、ライガーファングを殺したのか。  臭い袋も尽きた。  ポーションも、食料も、弾薬も矢もない。  ビーツは空腹で力尽きている。  リリは後ろからの奇襲を盾で受け止め、踏みつぶされて人事不省だ。  ヴェルフが必死で、2人を担いでいる。戦力にはならない。  ひたすら、ベルが斬り続ける。  歩く。斬る。歩く。突く。歩く。5秒チャージ、加速してかわし、斬り、そのまま歩く……  稽古通り。ひたすら愚直に。  何百度、ミノタウロスの剛力で振り回される石斧、ライガーファングの牙を受けただろう。固い皮や肉、骨を断ったろう。早くも、椿・コルブランドの刀はゆがみ、鞘に入らない。  だが折れない。切れ味もまだ鋭い。何度も、ヴェルフが敵の血を使って研ぎ直したからでもあるが。  その刀もまた、ベルを励ましてくれる。  折れず、主を守りぬく刀が。 (折れん!主も折れるな!)  一撃一撃ごとに、刀が叫んでいるのが伝わる。会ったことのないハーフドワーフ女の気合が、刀から流れてくるようだ。  その一本だけではない。ヴェルフが打った片手脇差も、神ヘスティアが手に入れた『ベスタ』も、瓜生が出してくれたナイフも酷使に耐え、ベルを、パーティを守り続けている。 (刀が折れない限り、僕も折れない……)  そう心で叫び、必死で息をする。  一歩、一歩、引きずるような足を前に出す。  それを見たヴェルフが、奮い立たないはずがない。  あれほど嫉妬した、都市最高の鍛冶師が、折れないことだけに心血を注いだ刀は、これほどに持ち主を励ます守り刀と化している。  鍛冶師のすさまじい高みが目の前にある。  激痛にうめき、歯を食いしばり、二人の小さな重みを支えてまた一歩、足を踏み出す。  どれだけ、どれだけ戦いは続くのか。  また出現したミノタウロスを斬る。  また、生き延びた。  また一歩、歩けた。  歩いているのか這っているのかもわからない。  壁があった。  できあがろうとした本拠地の、東側の一枚板のような壁に似ている。  美しい一枚岩。  気がつくと、モンスターの気配がない。  すさまじいプレッシャーだけがある。  背後で、ヴェルフが力尽きくずおれた。  ぴしり。 「あ……あああ……」  慣れきった音、だが今までとは明らかに質が違う音。  巨大な壁に、巨大なひびができる。 「あああああっ!」  ベルは残った力全部で絶叫し、三人を引きずって走った。  ぴしり、ぴしり。  巨大すぎる絶望……階層主(モンスターレックス)ゴライアス。  巨人。  絶望をそのまま形にしたような。  近くて遠い、通路。  18階層への。  どれほど多くの冒険者が、この通路をめざして走りつつ死んだだろう。  まさに、 (嘆きの壁……)  である。  間に合うか、それとも間に合わないか……  その差は、なんだろうか。  普段、どれほど走ったか?  どの程度強かったか?  わからない。  ただ、生きる者があり、多くは死ぬ。  それだけだ。  拳。ベルの頭より大きな拳。  装甲車のような拳。  どうなったかわからない。  激しい衝撃と破片。  圧倒的な痛みと疲労。  なにがなんだかわからない。  ……そして、最後の意識で、ベルは人の足をつかんでいた。 「どうか、仲間を……」  たすけて。  アイズ・ヴァレンシュタインは軽い驚きをもって、血まみれの冒険者を見下ろした。 >救助隊 「いいですかヘルメスさま、【ヘスティア・ファミリア】にはちょっかい出すなと、オラリオで目が見える人はみんな言っているんです」  オラリオの朝。  朝食の香りがそこかしこから漂う。『ギルド』に向かう冒険者たち、工場街に向かう労働者たちが、学区に向かう子供たちが家を出ている。  彼ら目当ての、朝の屋台もちょっとした甘いものを売り始めている。  いくつかの家は、まだ朝なのに夫婦げんかの叫びや子供の泣き声もする。  メガネをかけた美女、【ヘルメス・ファミリア】団長アスフィ・アル・アンドロメダは帽子をかぶってふらふら歩く主神を、必死で説得しようとしていた。 「とんでもない大手が潰しに来る、という、強い噂があるんです。 【ソーマ・ファミリア】は『妙な音』をちょっと調べようとしただけでも跡形もなく消された、と。【ソーマ・ファミリア】が解体され、団員は全員改宗待ち状態にされ財産を分けられて放り出された、団長ら数人は牢獄、主神ソーマは無期限の【デメテル・ファミリア】預け……それは公表された事実なんです。  ほかにも【ロキ・ファミリア】と深い同盟にあるという噂も。事実、あの『千の妖精』が『リトル・ルーキー』ベル・クラネルのパーティに入っています。『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインとベル・クラネルが親しげに食べ歩きをしていたのを団員が目撃しました。倒れたベル・クラネルたちを『九魔姫』と『剣姫』がただならぬ表情で『ギルド』治療院に運んだ話を聞いています。  ルルネはリヴィラで【ロキ・ファミリア】幹部たちとは別の冒険者がレベル6級以上の大破壊をしたのを見た、と言っています。『妙な音』が【ロキ・ファミリア】幹部と協力してリヴィラを守った、というもっぱらの噂です。 【ヘファイストス・ファミリア】に、とんでもない量の金属素材を持ちこんだという噂も。『クロッゾの魔剣』使い放題だとか、魔剣の量産法を知っているとかの噂も。ベル・クラネルが神聖文字が入った脇差を持っていることは確かです。 『食欲獣娘(リトル・フードファイター)』ビーツ・ストライが、『豊穣の女主人』女主人か『疾風』の隠し子だという噂もあります。現にビーツ・ストライは『豊穣の女主人』で働いているのを目撃されています。一度はベル・クラネルも。またビーツは『女神の戦車』アレン・フローメルと戦ってランクアップしたそうで……フレイヤ、ロキ、アストレア、どれとつながりがあるとしても恐ろしすぎます。  一番怖い事実は、最近腕利きの情報屋が何人も、妙に忙しい。手下どもの羽振りがいい。  最悪を考えると、うち(ヘルメス・ファミリア)の力には余ります!  それに今は、【ロキ・ファミリア】とうち、【ディオニュソス・ファミリア】も含めた、対闇派閥(イヴィルス)連合はどうなるんですか!」  説得は、悲鳴になりつつあった。無駄だと知りつつ。  案の定、 「それが?」  の一言だった。  神々……『超越存在(デウスギア)』にとって人間など、 (虫けら以下……)  と、痛感せずにはいられない無関心。  団長をまったく相手にせずヘスティアの本拠にやってきたヘルメスは、飛び出したロリ巨乳、女神ヘスティアに突き飛ばされそうになった。 「おっと」 「ご、ごめ……ヘルメスぅ?」  ヘスティアの表情はいかにも嫌そうだった。 「おお」  天界での血筋は近いが、地上に来てからはほぼ没交渉。 「ごめん、それどころじゃないんだ」  走り出そうとするヘスティアの後ろ襟を、ヘルメスがつかむ。 「まあまあ、そう慌てないで。どんなことがあったのか、もしよければ力になるよ?」  ヘルメスののんびりした声を聞きながら、アスフィが空を仰いで嘆息した。 「どういうつもりだ」  武神タケミカヅチが、怒りの目でヘルメスを見ている。  ヘスティアもタケミカヅチも、徹夜の目だ。 【ヘスティア・ファミリア】。  最近の迷宮都市(オラリオ)で話題の中心になっている、新興弱小ファミリアである。  特段の特技がない主神。ヘファイストスが優れた鍛冶師であり、フレイヤやイシュタルに『魅了』として働く美貌があり、ソーマが人の身で素晴らしい酒を造ったような、何も知られていない。  できたて、2人だけ、最近4人になっただけの少ない眷属。主神みずからがあちこちでバイトをしている。 (吹けば飛ぶような弱小……)  と、みえる。  だが、気がついて公的記録をみればレベル2が3人。  さらに、様々なうわさに彩られてもいる。  まず、レベル2になったひとりが、あの『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインの記録を圧倒的に破るぶっちぎりのランクアップ記録。  オラリオに来てすぐランクアップした者や、最初からレベル2で登録した者もいるが、そのふたりは外で経験を積んでいたようだ。  まだ小さい子は異様な大食いで、あちこちの大食い店で目立ってもいる。  そしてさまざまな噂。だが、 「噂だけでも、つぶされかねない……」  という恐れや、噂に関すること……特に18階層、無法者の街リヴィラで起きた事件は『ギルド』が緘口令を敷いたため、公然と話せない。だからこそ噂は圧力鍋のように温度を上げる。 「レベル4相当の怪物を何百も秒殺した『妙な音』が、【ヘスティア・ファミリア】にいるらしい」 「『クロッゾの魔剣』を大量生産できるらしい」  など。  あまり見かけなくなった最年長の男が、 (それらしい……)  と言われている。  ヘスティアは、半ばパニック状態だった。  神友タケミカヅチが傷だらけの眷属を連れて感謝と謝罪に……土下座に来た。 (危機に陥った自分たちを、ベルたちが見つけ、迷わず助けてくれた……)  と。  ほめるか叱るか考えていたが、暗くなってもそのベルたちが帰ってこない。眷属であるヴェルフをヘファイストスも心配している。 【ロキ・ファミリア】の護衛は、『ソーマ・ファミリア』の問題が片付くまでだった。 (ベルたちが地上にいるときは、見かけたときには目撃者にはなる……)  程度のことはしてくれるそうだが、何か事情があるようで、特段のことがなければ関われないらしい。まして迷宮探索は自己責任だ。第一、【ロキ・ファミリア】のレベル2以上の大半は大遠征で、戦力はほとんどない。  ヘファイストスも、力のあるメンバーの多くは【ロキ・ファミリア】と深層だ。  タケミカヅチも大いに慌て、即座に救援遠征の準備をさせた。傷ついたメンバーを高額なポーションで完全に癒し、ミアハから在庫一掃の勢いでポーションを買った。  そして朝、『ギルド』が本格的に営業を始めるのを待って、飛び出し……たところでヘルメスにぶつかったのだ。  瓜生が帰ってくる予定は、もう2日ほど先。まだベル・ビーツ・リリは生きている……刻んだ『恩恵』の絆が告げている。ついでに、もちろん瓜生の生存もわかっている。  その、深層にいると思われる瓜生に頼るわけにもいかない。電波はダンジョンには届かない。  ヘスティアは、瓜生に留守中の運営費として預けられた大金を持ち出し、『ギルド』に向かった。  ベル担当のエイナ・チュールもヘスティアの話を聞いて顔色を変えた。 「い、いいえ、ベル・クラネル氏のパーティの帰還報告は受けていません。出るときには、たとえ夜遅くなっていても必ず夜間当直に連絡を残すよう、約束しています。  ミイシャ……ありがとう。換金所にも寄っていないそうです」  小声で、 「『ギルド』は『クエスト』依頼を出せません」 「なら、ボクが出す。ちょっと待ってくれ。……うちの規模で、常識的に変じゃない金額はいくらぐらいだ?」  と、ヘスティアはヘファイストスに聞いた。  その言葉は恐ろしい意味を持っている。 (ヘスティアは、とんでもない金額でも出せる……)  と、いうことだ。実際、金貨だけで一千万ヴァリス担いできている。 「……常識的な限度は50。万よ、億じゃなく」 「わかった」  と、ヘスティアは『クエスト』を発注した。 「我々も行く。恩を返す」  と、【タケミカヅチ・ファミリア】の桜花と命、千草が言った。 「じゃあ、手伝わせてもらうよ」  ヘルメスまで首を突っこんでくる。 「君のところはレベル2か1がほとんどじゃなかったのか?」 「団長のアスフィならなんとか戦力になるよ」  問題は、神であるヘルメスがついていくといって聞かないことである。それに便乗して、ヘスティアまでついてくると言い張った。  リュー・リオンもすぐさま参加を決めた。彼女にとってビーツは妹なのだ。鍛えるときには容赦ないが。  恩人で親友であるシルも、ベルを助けるよう頼んだ。 『豊穣の女主人』で過ごすことも多いビーツを助けるためと、アーニャ・フローメルらも動こうとした……  実際問題、この店を派閥として戦力を見れば、迷宮都市(オラリオ)でも上位に属する。 【ロキ・ファミリア】の使いが地上に帰ったのは、救助隊が出発した直後だった。  ベート・ローガと競争で、アナキティ・オータムとリーネ・アルシェが六輪軽装甲車で地上に向かった。猛毒のモンスターにやられた仲間のため、特効薬を調達するために。  瓜生は18階層に残り、輸血などで毒に侵された団員の治療を手助けした。代理としてリーネが【ヘスティア・ファミリア】のホームに行き、人がいなかったので置手紙をしてきた。  ベルたちともヘスティアたちとも、完全に入れ違った。  隠密行動が必要だったこともある。50階層まで往復するだけでも、日程が合わない。早すぎるのだ。  普通より速い行動手段の存在はまだ明かせない。途中で引き返した、と言ってものちに『ギルド』で最新到達階層が発表されるので、慎重に考える人にはばれる。  ヘスティアは、アナキティが来るのを待てばよかったのだ。そうしていればすぐに、瓜生から折り返し無事の知らせが届いただろう……第一、ベル・ビーツ・リリの生存は知れていたのだ。  18階層まで、入れ違いを防ぐためにほぼ正規ルートで下る一行。  リュー・リオンの強さはすさまじく、アスフィも明らかに公表レベルより上だった。  桜花と命も頑張ってはいたが、正直足手まといでしかなかった。  そして17階層、嘆きの壁の前にたどりつき、悪夢のような階層主ゴライアスと戦っている【ロキ・ファミリア】の一部、さらに何人かのリヴィラ常連と、救助の対象であったビーツまで見かけることになる。  さらに後ろから、ベート・ローガに蹴とばされそうにもなったものだ。 >楽園  ベルが目をさました時……そこは床だったが、柔らかなマットレスが敷かれていた。  トレーラーハウス。瓜生が暮らしているのを何度も見ているが、それよりやや広い。  憧れのアイズ・ヴァレンシュタインがすぐそばにいて、自分の髪をなでているのでパニックになり、鎧があるとはいえ胸に顔をぶつけたりもしてしまった。  そばにいたレフィーヤに、 (あのゴライアスより生命の危機……)  な、制裁をされたが。  まず心配な仲間たち……  全員生きている。そして【ロキ・ファミリア】がきちんと介護している。  ビーツだけはすっかり元気そうに、ロールケーキ丸一本をまぐまぐと食べ、牛乳をパックから飲み干していた。  17層への出入り口に近い森の空き地にいくつもトレーラーハウスが置かれ、何十人もの多人数が問題なく暮らしている。  中に何人か、毒にやられた病人がいて治療されている……そのため、遠征の帰りに18階層にとどまっているのだ。  知らせを受け、ベル・リリ・ヴェルフを野戦病院に運ばせた瓜生。  ビーツは傷がほとんどないのに動かないとリヴェリアに相談された瓜生は、マヨネーズの業務用大ソフトビンを開けて少女の口にかませ、全部絞りこんだ。  それだけでほぼ回復した。  見たリヴェリアはあきれかえった。レフィーヤは、 「ああ、そういうことですか……この子は本当にものすごく食べるんです」  と、遠い眼をした。  あとはヨーグルト・グラノーラ・砂糖を10キロずつ出し、大きい器とスプーンを用意するだけだった。 【ロキ・ファミリア】団長、『勇者』フィン・ディムナに呼ばれたベルは、ものすごく緊張してその前に伺候した。  その態度をティオネ・ヒリュテはうれしげに見ている。 (うんうん、偉い偉い団長に拝謁の栄にあずかるんだからこれくらいで普通よね。いい子だわ〜)  と。  リヴェリアとガレス、瓜生と椿・コルブランド、アマゾネス姉妹とアイズもいる。ベートは地上にお使いだ。  フィンは気さくな態度と、その陰にある強力な人心操作術でベルの心をとらえ、情報を引き出してしまった。 「この贅沢な、車つきの家も、布団も、膨大な食料も全部、ウリュウが出したものだ。【ヘスティア・ファミリア】を粗略に扱うつもりはない。  だが、ウリュウが『妙な音』であり、【ヘスティア・ファミリア】の一員であることは秘密だ」  もう、何がどこまで秘密なのかは誰もよくわかっていない。いくつも噂を流している。 「ゴライアスがいるらしいね。ベートたちが帰ってくるとき邪魔だな……それに荷物運びにも。片付けておくか」  と、フィン・ディムナは遠征隊の毒に侵されていないレベル3・4から、特にランクアップが近いと思われる者を選んだ。  そしてリヴィラの冒険者たちにも呼び掛けた。ゴライアス打倒は参加するだけでもランクアップのチャンスであり、【ロキ・ファミリア】だけで独占したら恨まれかねない。 「彼女も加えてほしい」  と、瓜生がビーツを押し出す。 「傷はそれほどじゃない、空腹だっただけだ。もう戦える」 「なりたてのレベル2……」  そう言いかけたフィンが口をつぐみ、瓜生とうなずきあう。 「少し話しておきたい」  瓜生がため息をつきながらベルを見て、フィンに発言許可を求めた。 「もちろん」 「よくやった……と言いたいが、わかっているか?」  瓜生の厳しい目に、ベルは疑問符を浮かべた。  文句なしの偉業、皆が驚く反応、 (何が悪かったんだろう……) 「フィンさんたちに聞いた。ミノタウロスを倒して、精神枯渇……気絶。みんながいなかったら、その場で死んでたってことだ。おまえも、リリルカも」 (あ)  考えていなかった。  今まで、思いつきもしなかった。 「三度目だな。助けられたのは」  一言もない。冷や汗がぶわっと吹き上がる。 「まあ、生き残ったから勝ちだ。次は逆に助けられるように、反省して練習するんだ。そうしなきゃ、死んだミノタウロスさんに悪いだろ?」  瓜生のその言い方が、なんとなく違和感がある。  いや、最初から。最初から瓜生は、モンスターをさん付けで呼ぶ。 (この人……人間も、モンスターも、区別していない?) (そういえば、あのときのミノタウロス……) 「まあ、それはそれでメシにしよう。腹が減ったわ」  とガレスが誘った。  ある意味見慣れた、発電機と燃料タンク、プロパンガスボンベ。  業務用のフライヤー。業務用の圧力鍋。  大遠征のメンバーはカレーライスのとりこになっており、いくつもの業務用圧力鍋の前に行列を作っている。圧力鍋で炊いた白飯に、圧力をかけて柔らかく調理し最高級のルーを加えたカレー。  カレーライスに揚げたてのトンカツ、チキンカツ、カキフライ、コロッケを載せて待ちきれないように席に急ぐ冒険者たち。  優雅ともいえるダイニングテーブルがつなげられ、テーブルクロスがかけられた食堂。ダンジョンとはとても思えない光景だ。  アイズ・ヴァレンシュタインは皿にコロッケを盛り上げていた。  スープも圧力鍋で骨付き肉とタマネギを煮込んだ濃厚なもの、酸味のきいた薄めのトマトスープ、ブロッコリー・サヤインゲン・アスパラガス・ミックスベジタブルなどの野菜スープと三種用意され、カレーと揚げ物で疲れた舌を休めてくれる。  オレンジ・リンゴ・ブドウをその場でジューサーにかけて飲める。  病人用に柔らかめのオートミールも作られており、倒れていたベルたちもそれにした。とても空腹だったが。  見上げる空の光景もとんでもなかった。天井を彩る無数の、淡く夜の輝きを演出する水晶。周囲を見ても水晶、森、湖……到底ダンジョンの中とは信じられぬ光景だった。  さらにその背後には……  いくつものコンテナに満たされた、常温長期保存が可能な食物。  米、パスタ、シリアル、オートミール、小麦粉、そうめん。大豆、インゲンマメ、レンズマメ。何十キロもある縁丸円盤チーズのパルミジャーノ・レッジャーノ。塩が強い干し魚、スルメ、ジャーキー。レーズン、アーモンド、クルミ。一斗缶入りの油、クッキーなど。塩や酢。そして缶詰。 (籠城戦でもするのか……)  というほど、数千人が一年食える量だ。  団員以外も聞いている可能性がある、外での紹介では、 「身命を賭して……」  などとフィンはごまかしてベルたちを歓迎した。  明らかにアイズ、ティオナ、レフィーヤと親しすぎるベルに、男の団員は殺気を向けていた。  食事を終えて、ティオナとレフィーヤを中心に、リヴィラの冒険者たちからも志願を募ったゴライアス討伐隊が出発した。ビーツも槍をかついでついていった。  無論、銃器はなし。  まっさきに、満腹したビーツが槍の先端を前に突き出して走る。 「ガキにやらせるなっ!」  リヴィラでくすぶっている冒険者たちが、プライドをかけて突撃する。だが、ビーツが早い。  満腹で体力を取り戻し、心と呼吸と姿勢を一致させた少女は、実質的にはレベル3。  すさまじい勢いで走り、そのまま待ち構えるゴライアスに突撃する。  防御も何もなく打ちおろされる拳を抜けて走り、全体重をこめた突きが下腹部に刺さる。  三階建ての建物にも比すべき、巨人。  動きは俊敏で、力はすさまじく、皮も筋骨も堅固。魔法にも高い耐性がある、迷宮の孤王(モンスターレックス)。  それが一番槍に咆哮し、拳を振り回した。  ビーツは抜けない槍を手放し、叩き落された長大な腕をぎりぎりでよけ、巨大な腕を道として踏んで駆け上がる。両手には愛用のトンファー。  ハエでもつかむようにつかもうとしたもう一本の腕、それに巨大な重量武器がぶちこまれる。ティオナ・ヒリュテの巨大な双刃が、全身で振るわれた。巨人の絶叫。 「魔法使いは後方に!盾隊は守って!」  ナルヴィの叫びに、レフィーヤが下がって大呪文を唱え始める。 「いっくよーっ!」  叫びとともに、飛び下りたティオナの猛撃が超巨人の足をずたずたにする。  巨人の側頭部と鼻柱に強烈な打撃を叩きこんだビーツが、肩からとびあがって頭突きを避ける。 「ほれっ!」  ティオナが叫び、刺さっていた槍を片手で引っこ抜くと、ゴライアスの鼻の穴に投げ刺す。それにつかまって、重さで抜いたビーツは落下中、へそに槍を全身で突き刺した。即座に槍を鉄棒として体をめぐらせ、槍の柄に乗っておのが膝を曲げ、思い切りジャンプ……超巨人の、顎先をピンポイントに打ち抜く。脇を絞めた、鋭いショートアッパー(トンファーの短い方)で。 「お、やるねえっ!」  叫んだティオナが、ふらついた巨人の膝裏の腱をぶった切る。たまらず膝をついた、その脇腹を大きく断ち切る。  巨人の絶叫が巨大な広間を揺るがす。  周囲から次々に出てくるライガーファングやミノタウロスを、冒険者たちが迎撃する。  壁を抜けるモンスターの攻撃を並行詠唱でかわしつつ、レフィーヤは詠唱を続ける。  ビーツの槍が、蹴りを突きで止めようとしてぐちゃぐちゃに曲がる。勢いを殺せず吹き飛ばされて壁に激突したが、ひるまず突撃を続け、重いトンファーを叩きつける。圧倒的な重さの武器は、巨人の皮を貫き深い部分に打撃力を浸透させる。とんでもない巨人に、恐ろしいほどの接近戦。 「どけ雑魚おっ!」  ビーツが、巨大な金属ブーツで後ろに蹴とばされる。 「ベート・ローガ!」 「『凶狼(ヴァナルガンド)』  冒険者たちの叫びが上がる。すさまじい速さで走る狼人は、ひと跳びで高い巨人の喉を蹴り砕いた。絶叫とともに巨体が吹き飛び、くずおれる。 「邪魔っ!」  ティオナが突撃して叩き切る。ベートの強撃から、一秒の遅滞もない連続攻撃。  さらに跳んできたビーツのワンツーが刺さる。その背はまだ、強力な回復呪文で輝いている……蹴り飛ばされて、背後にいたリーネの腕に放り込まれ、そのまま彼女の治療を受けていたのだ。 「ちっ」  ベートが戦い続けるビーツにイライラした呼吸をぶつける。 「退避!」  ナルヴィと、背後から車を隠して追いついたアナキティが強烈な一撃を入れながら怒鳴り、ティオナとビーツが飛び離れる。そこにすさまじい冷気が突き刺さり、階層主の巨体が巨大な氷像に変わった。素早くティオナとベートが一撃、氷が粉々になる。 『エルフ・リング』で召喚されたリヴェリアの大呪文、 「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」 「ほああああああああああ!」  荒くれたちの絶叫が上がる。 「おおお」 「すっげえな」 「これが『千の妖精』」 「【ロキ・ファミリア】の実力パねえ……」  実力を見せつけておかなければ、強豪派閥の地位は維持できない。  だからこそむしろオーバーキルなほどの大呪文を叩きつけた。  そして、第一級冒険者にも劣らぬ身のこなしで戦い抜いたビーツの強さも、はっきりと冒険者たちの目に焼きついた。逆に、あまりにも若すぎ、オラリオに来てからの年月が短すぎる彼女に対する嫉妬もあったが…… 「おし、行くぞ」  と、ベートはさっさと、アナキティとリーネを連れて18階層に急いだ。  持ってきた薬を待つ人たちがいるのだ。  そしてその後から、おずおずと入ってくる人たちがいた……17階層に入ってから、ヘスティアたち一行は大荷物を持って歩いているリーネとアナキティを見つけ、荷物を分担するのとひきかえに保護してもらっていた。  そしてゴライアスを見かけて、ベートに蹴られそうになったりもした……  ゴライアス討伐の間、まだ動ける体ではなかったベルに、椿・コルブランドが声をかけた。 「手前が打った刀は、どうであった?」  美女のものすごく強い、嬉しい・楽しい・わくわくとむき出された感情の奔流に、ベルは圧倒されていた。 「ベルが、手に持ってた。鞘に入らないぐらい曲がってたから」  とアイズが、布に包んだ、硬木を鉄で固めた柄の刀を取り出す。 「ああっ!」  椿が衝撃を受けた表情で深く頭を下げる。 「それは済まぬことをした。曲がっては尋常の鞘には入らぬ、それを考えておらなんだ。それほどの酷使をしてくれるとは、鍛冶師冥利に尽きるというもの。そして何より、折れていない」  そう言って、巨乳のハーフドワーフ女は峰側から見れば波のようにゆがんだ刀を受け取り、目を走らせる。 「おお、おおお……わかる、わかる。どれほどこの刀で激しい戦いを切り抜けたか。どれほど大切に使ってくれたか。どれほど研いでくれたか。  ミノタウロスだけでも19、ライガーファングも14は斬っておるな。石斧ともどれほど切り結んで……」  椿にはベルの決死行が、一つの動画のように見えているのか。 「あ、その、ありがとうございます。この刀がなければ、絶対に生きてここにはたどりつけませんでした。ありがとうございます」  ベルが床に額がつくぐらい頭を下げた。 「それこそ、鍛冶師を殺す言葉じゃ」  とても強い笑顔。感情が強く、隠さない。 「その礼と鞘のわびに、この刀打ち直させてはくれぬか?」  椿の真剣な表情に、ベルは押しつぶされるようにうなずいた。 「待てよ!ベル・クラネルの専属鍛冶師は」 「ヴェル吉……」  椿がにやり、と笑う。 「できるか?この刀を、行き以上に、絶対に折れない強さに鍛えなおすことが?及ばず刀が折れれば、ベル・クラネルが死ぬのだぞ?」  ぐ、とヴェルフが詰まる。鍛冶師としては最大の屈辱だ。 「まあ、今回はお前が向こう槌を取れ。盗め。そして次からは、ベルの大刀を打てるように精進せよ。あとそなたが打ったものも見せよ」 「ベル」 「あ、はい」  と、ヴェルフが打った片手脇差『フミフミ』もベルは取り出す。 「これは、研ぎと狂い直しでいけるか……ふむ、ミノタウロス強化種の角にフォモールの骨、アダマンチウムとミスリル……ふむ、これは折れぬな……」  もう、椿はそれに没頭してしまった。 「ところで、これはいただいたぞ」  と、自分の工房……鍛冶場を併設したトレーラーハウスにベルを案内した椿は、三本の刃を見せた。  ゆがみ、曲がり、ねじれ、削れた、無残な三本の刃。  ベルが目を見開いた。  瓜生が〈出し〉てくれたアメリカの刃物メーカーが作った現代工業技術の日本刀もどきとボウイナイフ、そしてヴェルフが打った短剣『ドウタヌキ』。 「文(ふみ)にも書いたがな、ダンジョンで倒れたのだから身ぐるみはがれて当然というもの。そなたにとって、どれほど大切か承知で、いただいた。返さんぞ」  椿がにっと笑う。ベルはうなだれた。 「……はい」 「これは皆の励みになる。刀が折れたという苦情はない、折れずに主を守り抜く刀、誰もがそれをめざさねばならん!」 「まさにそうでした」  ベルは目を輝かせた。 「ウリュウさんがくれたこの刀にも、ナイフにも、たくさん教えてもらいました。ヴェルフの短剣にも、何度も助けられました。  そして椿さんの刀に、この18階層までの道……ずっと励まされました。  わたしは折れない、だから持ち主である僕も折れるな。そう、この刀に言われ続けたようでした。  そう、敵を切るたび、倒れそうになるたび、諦めそうになるたびに叱られ、励まされて歩き続けました。この刀はどんなに硬い敵にぶつかっても、どんなに強く石斧に打たれても折れませんでした。こんなに曲がっても切れました。  この脇差で戦っていると、神様……主神のヘスティアさまといたようでした。絶対に生きて神様のところに帰る、泣かせたりしない、だから死んじゃいけない、あきらめちゃいけないと……  ヴェルフの脇差も……  この刀の叫びが、言葉が聞こえたと思います」  椿は、感極まってベルを抱きしめた。ベルはすっかり焦って舞い上がってしまった。 「では」  18階層にできた、臨時の鍛冶場。  火炎石、さらに深層で椿が手に入れてきたいくつものドロップアイテムがある。  野営のため、壁を爆破したときに出た金属鉱石もある。  椿が瓜生に注文した、純鉄・モリブデン・コバルト・ビスマスなどの金属インゴットもある。  瓜生が出した大型の金床が鈍く輝く。携帯用には大きい火炎石炉が、超高温の炎を上げる。  ヴェルフが緊張しきった表情で大鎚を握る。 【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師で毒にやられていない者は、飢えた男が舞台で脱ぐ美女を見つめるようにらんらんと目を輝かせている。  別の炉では、複数の黒鉛るつぼの中で何種かの金属やドロップアイテムが溶けあっている。  椿の雰囲気が一変している。それこそ、あのゴライアス以上に恐ろしい何かだ。 「おおぅ!」  叫びとともに、炉から灼熱の棒が出される。柄から外された椿が打った、ベルの刀だ。  戦い抜いた刀に新たな生命を与えるため。  椿の鎚が打ったところを、ヴェルフが必死で打つ。 「違う!」 「鋼を殺す気か!」 「3べん、その23.4%の力だ!」 「呼吸をこめよ!気を抜くな!腹に力を入れよ!」  ミノタウロスの拳より激しい叱声が、容赦なくヴェルフを殴りつける。  鍛冶師たちは自分が殴られたようにおびえつつ、うらやましげに、ねたましげにヴェルフを見ている。 「おお!」  まだ傷も癒えきっていないヴェルフは、圧倒されながら声を上げ、全力で指示に従う。  るつぼに次々と、特殊な金属やドロップアイテム……モンスターの爪牙が加えられる。 「この刀は、原材料費・燃料費2万であたう限り折れぬことをめざした。  ゆえに五枚重ね、刃となる一番内側の鋼は、紙のように薄くアダマンチウムといくつかのモンスター素材をあわせた。軟鉄ではさみ、やや硬いキラーアントの爪、アルミラージの角、鋼とブルーメタルの合金を皮鉄とした。  その全体に42階層で得たこの鉱石と、フォモールの角・スパルトイの牙・タイゴンファングの牙、ウリュウ殿にもらったコバルトに微量のビスマスをあわせ、7度折り返してやや硬く頑丈な皮鉄とする!」 「おう!」 「温度の違いから不均等にならぬよう、ごく細くるつぼから落とせ!このフォモールの角とコバルトの合金は、高さ5C・このタコ糸の太さを保て!」 「あああっ!」  灼熱の、重いるつぼを大きな、刃がなく鍋をつかむハサミの太いのでつかんでいるのだ、ヴェルフの全身から滝のような汗が吹き出し、手首も腕も重さで限界を叫んでいる。 「やれい!」  椿の叫びとともに、すうっと、るつぼから細くハチミツのように溶融金属が流れる。 「高すぎる!空気で冷えるぞ!刀が折れてベルが死ぬのが嫌なら耐えよ!」 「おう!」  怒鳴り声に殴られ、すさまじい重さと熱さにあえぎながら、ヴェルフは要求に応え続ける。  それは、あの16階層から17階層を歩き続けるよりきついものだった。  細い糸のように落とされた半溶融金属が冷えきるのを待たずに細かく編み、折り返して均等な複合金属を練り上げる、  ここまできつい鍛冶は、まったく経験がなかった。野球の、中学のエースが甲子園常連高に入った初日のようだった。  鬼気迫る、レベル5……超人の力と技で、いくつかの素材を加えられた刀だった金属棒が、何度も折り返される。精密に温度を管理しながら。 「次、芯鉄をつくる!この純鉄にコバルトとモリブデン、41階層で得たブルーメタルを多めに、タイゴンファングの爪とリザードマン・エリートの牙をわずかに加え、21ぺん折り返す!この温度を保てっ!」  激しい怒鳴り声、猛烈な作業。すさまじい熱気に肌を焼かれ、肉まで炙られ、髪が焦げる。激しすぎる汗に、握り飯のように固めた塩をくらい、水を滝のように飲む。 「最後は、中心に挟むもっとも硬い刃金じゃ。アダマンチウムとブラックライノスの角、グリーンドラゴンの牙を合わせ、薄く打ちならす。ゆくぞ!」  五枚の素材を精密にサンドイッチにした、幅4センチ、厚さ1.6センチ、長さ6メートルもの平板が出来上がった。  それを椿が、いくつかの長さに切断する。 「これが定寸の刀。ほかにも、いくつも注文を受けておる……ランクアップが近い初級冒険者に、安く折れず切れることに力を注いだ刀剣を、と。  打てえっ!」  次々と刀が、脇差が、剣が、サーベルが、ナイフが打ち出されていく。  ヴェルフはもう、息も絶え絶えになりながら死に身で大鎚を振るい……最後の一振りに向こう鎚を入れ、垂直に崩れ落ちた。 「まだじゃ!焼きを盗めえっ!」  容赦ない椿に蹴り起こされ、もう半分ぐらいに痩せたヴェルフはあえぎながら身を起こす。  刃に、まっすぐに泥が塗られる。  精密に制御される火が、美しい色に刃を加熱し……絶妙の呼吸で水に漬けられる。  じゅわっ……水の悲鳴が上がる。  らんらんと見開かれた椿の目が、暴れる泡の中から音と刀身の色を見切り、取り出す。 (百分の一秒のずれが、刃に見えぬ瑕瑾をつくり、持ち主の死につながる……)  それほどの緊張感で、水から出された刃がふたたび軽く加熱され、焼き戻し過程になる。 「まだまだ続くぞ!」  正真正銘、鍛冶は無限の体力勝負だ。すさまじいまでの。  そして椿・コルブランドの体力と気迫は、無限ともいえるのがわかる。  今すぐ形にしなければならない、ベルのための刀だけは焼き戻しを待って仕上げ研ぎもする。  ベルの手には、元の刀とほとんど変わらない、定寸切り柄の実用刀が戻った。  曲がることが前提の、布袋のような鞘に入っている。鯉口のあたりだけがしっかりした木で、居合の技も使える。  ヴェルフが作った片手脇差も、ゆがみを修正され研ぎなおされた。  鍛冶を見守り、出来上がりを喜ぶベル。ヘスティアとヘルメス二柱の神、そしてアスフィ・アル・アンドロメダ、覆面のエルフ、【タケミカヅチ・ファミリア】の者も後から加わった。  命も桜花も、椿が打った刀を夢中で見つめていた。  前と変わらず、批評家には受けない醜い刀姿。だが、 「折れぬ、切れる……」  実用に徹したすごみ。  ヘスティアは、ベルに美女……椿が近づいていることにプリプリ文句を言っていた。  一応ヘスティアも、ヘルメスたちも【ロキ・ファミリア】に保護されることになったが……神みずからが迷宮に入るというルール破りに、皆あきれていた。 【タケミカヅチ・ファミリア】の桜花・命・千草は、まさに本家本元の土下座を披露した。 「いや、ベルが決断したことだ。死んでいても自己責任だよ」  瓜生はそういった。  また叱られるのでは、とおびえたベルに、 「おれは何も言わない。リヴェリアさんと、エイナさんに全部言うだけだ」  ベルは絶望に打ちひしがれた。  もとより、ベルは未熟な上層時代から、 (自分から『怪物贈呈』を求めている……) (危ないのを助けてくれることがある……)  と知られている。自分から、よその派閥がピンチになっているのを探して駆けつけ、助けを求められたら助ける……経験値稼ぎ、アイズに追いつくために。  だが、自殺行為だ。ピンチというのは、普通のパーティでは処理しきれない強さと数のモンスターということなのだから。  瓜生はエイナに相談され、 「確かにおれは人助けをしたことがあるが、絶対に安全だからだぞ」  と言っておいたことはある。  また、【ロキ・ファミリア】の幹部たちと瓜生は、少し相談もしていた。 (なぜ、ヘルメスがわざわざここまで来たのか……)  特に、フレイヤの思惑も考えねばなるまい。  ベルに対する嫉みもある。『インチキルーキー』の悪名も聞こえる。  それだけですむわけではない。特に瓜生は忙しかった。  この大遠征で、ロキ・ヘファイストス連合で収穫したとんでもない量の魔石やドロップアイテム。それを、怪しまれない程度の質と量はリヴィラで換金し、そして大半を19階層から17階層に運ばなければならない。  18階層に多数いる冒険者に、車を見せたくはないのだ。  17階層から地上まで運ぶための車を瓜生は出して整備する。そしてフィンたちは隊を指揮して膨大な荷物をもっこで運ばせ、トラックに積む。  また、薬が届いたからこそ毒にやられたメンバーの治療に手を割く。  ヴェルフも、先輩たちの鍛冶仕事に徴用された。このリヴィラで武器防具を作れば、地上で作って売るより何倍もの儲けになるのだ。せっかく設備も材料も燃料もあるのだから、やらなければ大損になる。  神であり無能の人間であるヘスティアやヘルメスも、できる仕事をさせられている。  アスフィも、 (一宿一飯の恩……)  と、差しさわりのない仕事をしている。といっても、遠征隊の周辺にいるだけでも驚天動地のものを多数見、これからの工夫次第でできる発明を考えているようだ。  ベルやリリがやっとまともに動けるようになったころ。  瓜生は、遠征隊の多くとともに運送隊に加わって地上に戻ってしまった。  あとのことも、フィンたちと話してある。  忍びの才があるヤマト・命がアスフィを監視し、何人かの【ロキ・ファミリア】メンバーが一応全快まで病人を看病する、と居残った。  瓜生は、ヘスティアとヘルメスに地上に戻るよう言ったが、 「嫌だ!絶対ベルくんと一緒に帰るんだ」  と彼女はわがままを言い、ヘルメスもそれにつきあった。 「うちが大きくなって、今【ロキ・ファミリア】がしているような深層大遠征をするとなったらどうするんだよ……」  瓜生がため息まじりに言うのに、 「そ、そんな、そんな……」  と、ヘスティアはどうしようもなく惑っていた。  そして、ヘファイストスやロキのすごさを思ってもいた。 >歓迎会  ベートたちが、ポイズン・ウェルミスの薬を手に入れて戻り、毒にやられた者も治療された。 【ロキ・ファミリア】が深層で稼いだ膨大な魔石やドロップアイテムが、レベル2以上がふたりがかりで担ぐもっこで運ばれ続ける。  多くの冒険者は、そのまま護衛されて地上まで歩くと思っているが、ベルは違うと知っている。17階層の人目を避けたルームで瓜生が装甲車を出し、それで二階層のルームまで走るのだ。六輪やキャタピラで縦穴にも落ちず、悪路や急坂、岩場、階段を登ることすらものともせずに。車内から遠隔操作されるカメラつき砲塔の重機関銃で、あらゆるモンスターを倒して。  安全に、高速で。  フィンや瓜生など、何人かの幹部や多くのレベル2は地上に去った。  が、朝昼晩と、ごちそうは作られ続けている。材料はたっぷりあるし、魔石冷蔵庫もある。ベルやヘスティアも満足しているし、ビーツもしっかり満腹している。  瓜生は地上に戻ったが、材料・燃料などはたっぷり置いて行ってある。  朝は天ぷらそば。昼はラーメン・チャーハン・ギョーザ・回鍋肉・東坡肉。夜は真空調理された牛肉・豚肉・羊肉のブロックから好きなだけ、業務用圧力鍋で作られたチリコンカンに、ホームベーカリー焼きたてパンとパスタのどちらでも……と至れり尽くせり。  リヴィラからも金を払って食いに来る冒険者がけっこういる。  アイズが、なんとか回復したベルにリヴィラの街を案内しよう、というのにヘスティアもついていった。 「二人きりにさせてたまるか」  と、いうわけだ。  以前の、湖に守られた崖からは少し離れた、丘に囲まれた新しい街。  それは、オラリオでも見られない眺めだった。地上でも。この世界では知られない眺め。  多数の寝台車。何両かはつながり、いくつかは独立している。  それに多数のコンテナハウスやトレーラーハウス。倉庫にも店舗にもなるコンテナ。  野外入浴設備に、行列ができている。  瓜生が出した設備を中心に、とても快適な寝台と屋根が新しい街ができていた。  電力は通じていないが、魔石を電力に変換する設備が作られており、明るい。  また料理設備も利用され、ダンジョンで手に入る食材を中心にさまざまな料理がふるまわれている。  千人以上が問題なく寝泊まりできる、大規模な街が完成している。  街の周辺は、何十本も束ねられた鋼のレールと、コンテナが頑丈な壁を作っている。 「……どれだけが、ウリューくんの……」 「ぜんぶ」  アイズはただ一言だけ答えた。 「お金をとったらいくらになるんでしょうね」 「知らない」  アイズに聞くべきことではない。  レフィーヤがいたらまた大騒ぎになっていただろうが、彼女も59階層アタックのため装甲車を学んだので、運転ではなくメンテナンス作業に加わっていた。  そうしている間にも、動いている者はいた。  ラウル・ノールドがこの街の顔役であるボールスを訪れていた。 「ちょっと大きな声じゃ言えないっすが、困ってるっす。  ベル・クラネル、って知ってますか?【ヘスティア・ファミリア】で、ド素人からオラリオに来て一月ちょいでランクアップしたルーキーなんすが。  ランクアップして十日もせずにここまできて、うちに逗留してるっす。とんでもないゲスト……神様(ごく小声)までふたりも連れて」 「……ああ、一番やばいうわさは、『あれ』の眷属仲間だってのだ」 「話が早くてありがたいっす。で、それが、まあ『インチキルーキー』とか呼ばれて、嫉妬してるのも多い……というわけで、ちょっとガス抜きを……ああ、『あれ』の許可は取ってるっす。死なない、修行になるならいい、と」  またその陰で、神ヘルメスがベルを呼び出していた。 【ロキ・ファミリア】が多数持っているトレーラーハウスには風呂がついているが、やはり18階層名物の、水晶に磨かれた清冽な水で水浴びをしたい、という女性陣が湧き水まで出かけた。  リヴェリアはトレーラーハウスの風呂で満足しているようだ。高級品のボディソープやシャンプーもあるし、エッセンシャルオイルもある。何より、エルフの王族である彼女が水浴びをすると、よそのファミリアも含めたエルフたちが厳重な警備を始めてしまう。  ヘルメスの用事とは、のぞきだった。それが男の浪漫である、と……ベルは断ったが、それが余計に事故につながり……  アイズ、アスフィ、リリ、ヘスティアらの美しい全裸をしっかりと目に焼きつけてしまった。  その気配を見た護衛団の強襲、ベルは必死で逃げた。  逃げ回った挙句、リュー・リオンの水浴びを直撃してしまったのだから、 (世話はない……)  というものだ。  リューはベルを許し、なぜかビーツも呼ぶように言った。  戻ったベルはまず女性陣に土下座し、ヘルメスは容赦ない体罰を受けていた。  それからベルとビーツはリューに伴われ、森の奥に行った。  そこは、リューの仲間たちの墓だった。遺体もない、いくつかの武器が地に立っているだけの。 「……ビーツ。あなたのトンファーの、持ち主です」  幅広い薙刀……青竜偃月刀が、地に刺さっていた。 「顔の半分が、何があったのか焼けていた狼人の女。その理由は最後まで聞けませんでした。面倒くさがりでした。でも優しくて、いつでも必要とするところにいました。  全員敏捷増強魔法と、足を封じる魔法を使いました。  近接格闘も得意でしたが、重すぎるからとよくトンファーは宿や根拠地に残していきました。自分でとんでもない借金をして注文したのに。だからここではなく、あなたの腰にあるのです。  ギャンブルが好きで、何回か伝説的な大勝ちもしましたが、たいていは負けていました。すぐ金を貸してくれと言ってくる人でした。  ダンスがとてもうまく、それだけでも稼げるほどでしたが、あまり好きではありませんでした。  男にはあまり騙されない人でしたが、変な男が寄ってくる人でした」  いつまでも、言葉は尽きなかった。リューの頬に、静かに涙が流れ続けていた。  ほかにも何本も並ぶ武器。その一つ一つに、そのような追憶があるのだろう。  今もエルフ美女の心は傷を開き、鮮血をほとばしらせている。  リューはビーツに、トンファーにふさわしい冒険者になれとか、それもこの墓に置けとか、余計なことは言わなかった。  ただ、トンファーの持ち主のことを語り続けた。 「ビーツ。あなたが今もそのトンファーを持っていることが、とてもうれしいのです。しかし、ここに来るまでの厳しい道では、重量物は捨てたほうがよかったかもしれません。命より大切なものなどない、生きてさえいればいいと、覚えておいてください。  でもあのとき……彼女がこのトンファーを持って行っていれば、生きていたかもしれない……どうしても、そう思えてならないのです」  言い終えたリューは、ただ黙って遺体なき墓を見下ろしていた。 「もしよければ、本当にたまにでも……ここに来ていただけますか?」  そう、リューはビーツに言った。少女は強くうなずく。 「ぼ、ぼくも来ます。来ても、いいですか?」 「私の過去を知っている人が、悪意を持ってあなたに言うかもしれない。だからここで言っておきます……」  リューは過去の過ちも語った。復讐に狂い、闇派閥の関係者……無実だったかもしれない一般人すら襲い殺していったと。ギルドのブラックリストに載る存在でもあると。 「リューさん!……ウリュウさんも、よくそんな雰囲気になります。昔、ものすごくひどいことをしてしまった、というような。  一度、ゆっくり話して」 「それは愚行です」  リューは皆まで言わせず切り捨てた。 「ウリュウさんとは、それほどはお目にかかっていませんが、あなたのお考えはわかります。そして……私のような人が彼のような人と会えば、とことん傷をなめあって、底なしに傷つけあいます。破滅に至るかもしれません。彼もそれは、わかっていると思います」  ベルは何も言えなかった。 「ありがとうございます。……やはり、優しいのですね」  ベルたちが【ロキ・ファミリア】のところに帰ったとき、やってきたラウルとボールスが奇妙な提言をしてきた。  何人かの、ならず者っぽい……以前、『豊穣の女主人』でベルに絡んでひどい目にあった者も含む……も連れて。 「このリヴィラのならわしでな。ある条件を満たす、有望な新人が初めてここに来た時には歓迎会をすることになってるんだよ」  ボールスの言葉に、ベルはぽかんとした。 「歓迎会?」  そこにいたリューは何かを言おうとして、やめた。ラウルとボールスの意図、周囲の冒険者の感情に気づいたのだ。 (異様に成長が早い冒険者に対する嫉妬、いじめか)  それはわかる。が、リュー自身が動くには、相当な覚悟が必要になる。 「ああ。ここの冒険者ふたりと、街のみんなが見てる前で試合をしてもらう、という。そこのチビはいいさ、ゴライアスと戦ったばかりだからな」  リューが見回すと、ヘルメスがかなり残念そうな表情をしている。アスフィは複雑そうな表情だ。 (くだらない嫉妬、でも反対したら、もっとひどいことになるかもしれない……うちの主神がとんでもないものを用意させたりするし)  と。 【タケミカヅチ・ファミリア】の三人は、歯噛みをし、おびえも見せつつ耐えている…… (根回しが、すんでいる……)  と、いうことか。 (悪意が強い、放置したら大ごとになりかねない。だから早めにガス抜きをしておきたい。協力してくれ。と、いったところか……)  無論、無法者の街にそんなならわしなどない。だが、ベルは何も知らない。だから騙して強行し、 「面白いからこれから恒例にしようぜ」  と、なる……反対する者はいない。  変な伝統を作ったりしたら、それがどう悪用されどう社会を壊すかわからないが、そんなことを気にするようでは無法者とはいえない。 「な、なんでボクのベルくんが!」  とヘスティアが叫び暴れるが、それはヘルメスが押さえこんでいた。  ベルは何の疑問もなく従った。  古い街の遺構を利用した小さな闘技場。テニスコート程度の広さだが、熱気は強い。  百人を超える荒くれ冒険者が集まり、賭け、臨時の飲食店までできている。  数本の木刀が供出された。  そしてくじが引かれ……ベルは、 (『幸運』ってなんだろう)  呆然とした。  くじに当たったのは、以前『豊穣の女主人』でベルに絡んだモルドと、アイズ・ヴァレンシュタインだったのだ…… (でも、アイズさんとまた打ち合える、それってすごく幸運じゃないかな?)  とも思った。  丈夫だが簡素な布服、木刀が配られている。  何人かの、超大穴狙いでベルに賭けた冒険者が狂ったように叫ぶ。 (ありえないにもほどがある……)  が、だからこそオッズは巨大だ。 (面白いからこれから恒例にしようぜ)  それはもう、全員の堅い合意になっている。 「よーし作戦だ。まず俺からぶちのめさせてもらう。あんたの出番がなかったらすまねえな」  モルドは笑っている。  アイズは静かに、木刀をゆっくりと振っていた。 (知らない、レベルも低い人との連携は無理。連携ができていない集団は弱い。なら、一人ずつかかるほうがまだいい)  と考えてだ。  始まるまでのほんの数秒。ベルの両足と両手に光が薄く輝き、リン、リンと小さな鈴の音が鳴る。その音を聞き取れるのは上級冒険者のみ……荒くれた冒険者たちの怒号で。  一閃だった。  モルドが自信満々に、得意な技で切りこんだ……ベルの姿がかき消えた。  と思ったら、死角から一撃。それですさまじい勢いでモルドは吹っ飛び、人垣を越えて離れた壁にぶつかって崩れた。 「生きてるか?」 「救護班!この試合での傷はみんなでポーション買って治してやることにしようぜ!」 「ああ、これで死人が出たら寝覚めが悪い」  と、騒いでいる……その間に、もうふたつ目の勝負は始まっていた。  モルドを吹き飛ばした、その瞬間のベルを狙ってアイズがすさまじい勢いで襲いかかった。残心を怠ってはいない、歩き続けてもいた。それでもアイズは、速かった。 「くっ」  いきなり右膝をやられた。  離れようとして崩れる、そのみぞおちに強烈な突きがめりこみ、瞬時に半歩移動して放つ一撃が頭を強打する。  息がつまり、呪文も使えなくなる。視界が真っ暗になる。  立ったまま振りかぶり、必死で抵抗し続ける……アイズはすさまじい速度で動き回りながら、次々と強烈な一撃を入れている。  レベル3以下の観客には、アイズの姿さえ見えないほどの速度域。 (朝特訓の時より……当たり前だろう) (ランクアップしたのに、してからもあれだけ戦ったのに)  むしろ、ベルはアイズ・ヴァレンシュタインとの、すさまじいとも何とも言いようがない差を、初めて知ったように思える。  レベル1の時の特訓では、数秒で気絶するのを繰り返していたのだから。  一辺の容赦もない戦闘機械。速度、一発の威力、正確さ、すべてが圧倒的に違う。  動こうとする、すべての出ばなに強烈な一撃。右手が、左手が潰される。何かしようとする前にこめかみを、顎先を抜かれ、意識が遠くなる。  吹き飛ばされ、人壁に叩きつけられるまえに逆方向から叩かれる。  それが何度も繰り返される。  空中で、両手両足を砕かれたままベルは意識を失った……ティオネが飛びこんでアイズを押さえ、ティオナがベルを抱きとめた。  観衆は、ひたすら呆然としていた。  恐怖と衝撃、畏怖。 (ここまでやるか……) (『剣姫(けんき)』じゃなく『剣鬼(けんき)』だったんや)  誰もが、熱狂が嘘のように呆然とした。  そして、まるでいつもの事のようにアイズは、ハイポーションをベルの傷口にかけ、もう一本飲ませて、ベルをティオナの腕から抱き取って走り去ったのだ。  その先でベルを膝枕してほくほくしているのを見つけたリヴェリアが、あわててアイズともども【ロキ・ファミリア】のテリトリーに引っ張りこんだ。  それから、【ロキ・ファミリア】とヴェルフ・クロッゾも含む【ヘファイストス・ファミリア】、そしてヘスティア・リリ・ビーツを集めた。 「絶対に、よその人間が近づけないように。特に神ヘルメスとアスフィには注意して。姿が見えなくなるアイテムの噂があるっす」  と、ラウルが厳しく言う。 「さて……」  ここはリヴェリアが仕切った。 「やりすぎだよアイズ、いくらなんでも」  ティオナが抗議する。 「ヘスティア様。真っ先に泣き叫びそうなのに……というかその膝枕はなんですか」  とリリが突っこんだ。  ヘスティアがちゃっかりベルを膝枕している。アイズがなんだか物欲しそうに見ている。 「神ヘスティア、ここでベル・クラネルの能力にもある程度触れる。しかし、ここで言わなくても、本拠地で言うだけ。能力を見られたくなければ、我々が来る前に片付けておけ、としか言えない」  リヴェリアが一礼した。 「……仕方ないな。何度も命を助けてもらったんだ」  ヘスティアは悔しそうに言った。  軽く咳をしたリヴェリアが語り始める。 「観衆たちは、アイズが残酷だと誤解すると思う。その誤解は解かない、アイズには悪いが【ファミリア】にとっては好都合だ。  その上で……ティオネ。お前でも同じようにした。違うか?」 「そうね」  アマゾネスの姉がうなずき、説明を始めた。 「私たちは、まだレベル1のベル・クラネルが、強化種と思われるミノタウロスを単独撃破したのを見ているわ。  さっきの試合で、モルドという同レベルの冒険者を倒した時のことも今見たばかり。  ベル・クラネルは、短文詠唱程度の時間があれば、速度も攻撃力もとんでもなく強まる」  ティオナもリヴェリアもうなずいた。聞いている強豪派閥の冒険者たちは声もない。 「たぶん、もっと時間があればもっと強くなるだろう。長文詠唱でとてつもない攻撃力を発揮した、という噂もある」  リヴェリアが補足する。ティオネが続けた。 「だから、詠唱させない。何もさせない。それを徹底しないと、レベルが上の私やアイズでも危険。強敵と認め、勝つために必死だっただけ。そう、私でも同じように、呼吸一つさせないように速攻する。階層主と戦うつもりで」 「あたしなら、じっくり準備した全力を受け止めたいな」  ティオナが言うが、 「あれを見たでしょ?さらにランクアップしてるのよ……冗談抜きに死ぬわよ。レベル6になってても」  ティオネが妹の頭をはたいた。 「ガレスも正面から受けたがるだろうな。まあそれはともかく。加えて、ベル・クラネルは……ウリュウと縁がある。袖の中から銃弾が飛んでくるかもしれない。足の指で撃ってくるかもしれない」  リヴェリアが引き継いだ。  そして前に瓜生にもらったリボルバーのトリガーに紐をかけて腕に縛りつけ、優雅にふくらむドレスの袖に隠し、人のいない方向に手首をあげて向けて、空いている方の手で胸元にまわした紐を引いて発砲してみせた。  轟音と閃光。空砲、穴はどこにも開いていない。だが、全員がぞっとする。 (銃にはそういう使い方もあるのか……)  と。 【ロキ・ファミリア】の幹部は、【ソーマ・ファミリア】事件の顛末は詳しく聞いている。リリとヴェルフが銃を見ていることも。またベルとミノタウロスの対決を見た幹部は、ベルたちの銃の残骸を回収すらしている。 「指一本動かすことを許さず、気絶させなければやられる。それほど優れた冒険者だ……ということで、許してもらえるかな?」  目が覚め、ヘスティアの膝枕に目がイトミミズになっていたベルに、リヴェリアが顔を寄せて声をかけた。  余計ベルのパニックはひどくなる。  逃げようとして手に走る痛みにうめき、転がってアイズの胸に落ちて、リリに引っこ抜かれる。 「まあ、体は大丈夫なようだな」  リヴェリアが確認し、笑った。 「アイズを許してやってほしい。それほどお前は強かった。何もさせずに全力で無力化しなければ、第一級冒険者でも死の危険がある、と判断できるほど」 「……はい。試合で、全力を出してくれたんですから、ありがとうございます」  まだひっくり返ったまま、ベルは言った。だが、嗚咽がわきそうになる。差があることはわかっているのに、悔しいのだ。 「……ほんとう?」 「もちろん、です」 「なにいい雰囲気になろうとしてるんですか」  と、リリが騒いで、なし崩しに食事が始まった。  今晩はすき焼き。最高級の和牛と割下、卵と、圧力鍋で炊いた熱いご飯がたっぷり。 (ほんとうに、強くなった。特訓の時とも、見違えた。速度差で潰したけど、先を読んで重心を崩し、こちらにとって攻撃しにくい位置に常に移動しようとしていた。振りかぶりが全部、いい受け流しになっていた。最後まであきらめず戦い続けた。スピードも威力も、レベル4でも驚かないぐらいすごかった)  アイズは、ベルのことをとても高く評価していた。だからこそ、 (嫌われたのではないか……)  という恐れもあったのだが。  しっと団と化していた【ロキ・ファミリア】男団員たちも、リヴィラの荒くれたちも……もう、ベルとビーツ、【ヘスティア・ファミリア】の実力を疑う者はいない。 『インチキルーキー』ではなく『チートルーキー』と呼ぶ者が出てくる……ついでに、ベルとアイズが恋人では、と疑う者もいなくなった。 >刺客  運命の流れの違いは、ベルが最初に襲われたミノタウロスの数だけではない。 【ロキ・ファミリア】の遠征が、戦闘車両のおかげでハイペースだった……それはダンジョンの複雑な生態系の中で、さまざまなバタフライ効果を生んだ。  誰が知るだろう。瓜生が加わったために何倍にもなったモンスターの大量殺戮と、遠征隊の高速移動。それがなかったとしたら。  まず、49階層に何百も同時に生まれたフォモールの異端児(ゼノス)は、生まれてすぐ、最初の言葉を発する前に、遠征隊を迎撃するため生じた同類に殺されていただろう。遠征隊にはまったく見えないところで。徹底的に掃討された大荒野の隅で生まれた彼らは生き残り、上層階の仲間に合流することができた。  また妙な影響で、38階層でモンスターの超大量発生が起きた。それは新種怪物の餌となり、胸に魔石を持つ怪人の回復を早めた。  何体か『強化種』があちこちの階層で発生した……異端児たち同様、生まれてすぐに殺されずにすみ魔石を食って強くなった。あるものは怪人の餌となり、あるものは強くなりながら深層を暴れまわることになる。  怪人たちが操る異端モンスターは、溶解液イモムシと食人花だけではなかった。  また、『豊穣の女主人』の面々は、一人の少女をとてもかわいがっていた。  ベルは目を覚まし、体を確認した。 「……うん、何とか大丈夫」  前日、アイズにめちゃくちゃに打たれた。だが高価な薬とリヴェリアやリーネの治癒魔法で、しっかり治っている。  体に違和感がないことを確認した。 「今朝は……」  何種類かの食べ放題。ピザはマルガレータ・ベーコン大量・クワトロフォルマッジ(4種チーズ)から。パスタはミートソース・ペストジェノベーゼ・アメリカンチーズソース・ビーフカレー、または豚肉・スライスタマネギ・ミックスベジタブルのシチューから。フライドチキンとフライドポテト。ナッツやドライフルーツ、パウンドケーキ。  それを食べ終わってから、アイズたちも地上に戻っていく。大半はそれで帰るが、何人か、病後だったりで残る者もいる。 「そ、その、気をつけてくださいね」  昨日あれだけぶちのめしたのに真摯に身を案じてくれるベルに、アイズはとても心が温まる思いだった。 「私も、もっと、もっと強くなる、から」  それ以上は言えなかったが。  ヴェルフは、ひたすら【ヘファイストス・ファミリア】の同僚とともに鍛冶仕事をしていた。  リリは体が大体治ってから、瓜生とともに動くことが多いようだ。何をしているかは言わないが。時には出てきて、ヘスティアに抱きつかれ、アイズと話しているベルに嫉妬をぶつけたりもする。  車のメンテナンスの仕事から交代し、地上に帰るのではなくリヴィラに戻ったレフィーヤが、ベルを呼び出した。 「聞きましたよ、ベル・クラネル……」  すさまじい殺気だった。 「アイズさんたちの水浴びを、のぞいたんですって……」 「ご、ごめんなさい」  仲間だからこそわかる、本気で殺す気。恐怖におびえて逃げ回るベル、追い回すレフィーヤ……いつしか森に入っていた。 「おいかけっこ?」  と、まだ子供のビーツがこれまたものすごいスピードで走り出し、誰が追い誰が逃げているのかもわからぬしっちゃかめっちゃかになった。  レフィーヤが転んだ時。小さな猿のようなモンスターが、レフィーヤのポケットから転がった、小さな水晶のかけらのようなものを拾って、木に登ってターザンアクションで逃げた。 「え」 「あーっ、アイズさんにもらった水晶飴!」  レフィーヤは悲鳴を上げ、追いかける。18階層でもめったに手に入らないレアアイテムだ。だがそれより、憧れのアイズのプレゼント。 「魔法、はだめ、飴まで消えちゃう……」  必死で追う。ベルやビーツも加わる。  追い詰め、取り返そうとしたが……モンスターは目の前でごくん、と飴を飲み込んでしまった。 「こ、ころ……灰にすれば」 「はあ、もう、だめですよ」 「アイズさんにもらったのに、一生大事にするって決めてたのに……」  歯噛みをしながら逃げていく猿型モンスターを見送る。  そして、ふと気がついた。キャンプからかなり遠くの森の中だと。  安全階層とはいえ、多くの魔物がいる。 「装備は」  気持ちを切り替えたレフィーヤの確認。 「どんなときもしっかり護身装備をしろ、と言われて、『ベスタ』と『フミフミ』、それにナイフとポーション」  ビーツはトンファーとナイフ、背中の小さいリュックに密封可能チョコレートがぎっしり。 「銃は?」 「その、この前のミノタウロス戦で、あまり役に立たなかった、だから銃はリリに集める、って」  上を見るなと散々脅してから高い木に登ったレフィーヤは、【ロキ・ファミリア】のキャンプ地や新旧のリヴィラだけでなく、奇妙な人影も見つけた。  気づいてしまった……【ロキ・ファミリア】が遭遇したさまざまな事件。闇派閥(イヴィルス)。 「ふたりとも、なんとかリヴィラに、【ロキ・ファミリア】の基地に戻ってください。ここからは」  うち(ロキ・ファミリア)の仕事。  レフィーヤがベルとビーツを逃がそうとした。 「危険なら、一緒に戦う。僕たちはパーティだ」  ベルの言葉にビーツもうなずく。  完全装備ではない。だがベルもビーツも、瓜生と合流してから新品の防刃服をもらっている。 (このままふたりが、帰れるかどうか……いっそ私がいっしょにいたほうが……どうしてこのふたりまで巻きこんでしまったの)  自分を責めながら、とにかく偵察を始めた。 《違い》があった。  そこを守っていたのは、穴そのものとなって冒険者たちを飲み、魔法に耐えて溶解液を出し触手で打ちのめす怪物ではなかった。  大岩にしか見えず何年も動かずに待つ。そして音ではない警報を主に出す……岩と思ったら巨大な、一つのハサミが大きい甲殻類。  両手に脇差を抜いたベル、トンファーを両手に構えたビーツが前衛となり、時間を稼ぎ……レフィーヤが呪文を唱える。  魔力を追ってくる敵が集中する、そこにベルが両手持ちで斬りまくる。  もう、そこまでくると偵察も何もなく、敵も気がついて……多数の食人花が呼び出される。 「時間を稼いで!」  叫んだレフィーヤだが、驚嘆した。ベルとビーツは、多数の強敵との戦いに慣れている。  ビーツのトンファーでは打撃に強い食人花を倒すことはできない。が、強烈な打撃でベルやレフィーヤに迫る攻撃をそらし、自分を追わせることはできる。敵の群れをコントロールしている。  敵の群れをコントロールし、こちらに都合のいい陣形にするのを、長い決死行でさんざんにやっている。  コントロールされた敵にベルの、5秒チャージ+雷電魔法つきの『ベスタ』の一撃。レベル4相当の硬い皮が切り裂かれ、内部に超高温と高圧電流が駆けめぐって炎上する。それで動きを止め口でもある花を開いた瞬間、ビーツが口に飛びこみ魔石を砕く。 (レベル2なりたてで18階層まで生きてたどり着いたのは、実力……)  レフィーヤは痛感した。  そしてとっさに判断し、上空に【アルクス・レイ】を放った。  それ以前に雷光を見た【ロキ・ファミリア】の面々が急いでいた。 (地上まで、ベル・クラネル一行を護衛する……)  そうひそかに命じられている、レベル4のナルヴィをはじめとした数名。 「レフィーヤ!」 「だいじょうぶです。あと何回ですか?」 「7回ぐらい」  必死で戦い続けている三人、だが戦闘継続時間の短さという欠点がある。  ベルはチャージの反動が大きく、付与魔法は強力だが使用回数が少ない。ランクアップで増えはしたが、それでも多くはない。  ビーツは安定した戦闘力を持つが、空腹になると完全に戦力を失う。まあさっき30人分は食べたばかりなので、あと半日は大丈夫だが。  レフィーヤも魔法特化。いくら魔力が強大と言っても、乱射していれば尽きる。  仲間が来るまで持ちこたえられるか……そこに、思いがけない援軍が来た。 『疾風』リュー・リオン、レベル4。恐ろしい速度の動きから鋭い小太刀の攻撃、巨大な食人花も触れることもできず翻弄される。  そして、高速で戦い続けながら大呪文の並行詠唱。レフィーヤにとっては憧れの姿だった。  緑の球弾が吹き荒れ、次々と破壊される食人花。それにほっとしていたレフィーヤは……ふと気がつき、完全に絶望した。 「に、逃げてください」  そう言うしかなかった。  赤い髪。マントの上からでもわかる、ティオネ・ヒリュテをしのぐ豊満なプロポーション。その手には紅い大剣が握られていた。 「!!」  瞬間移動のような高速で移動し、一閃。リューが反応もできず吹き飛ばされる。  次の瞬間、襲いかかったビーツが腹を貫かれ、蹴り飛ばされる。 「あ……に、にげて。アイズさんと互角だった」  レフィーヤの並行詠唱も気休めにもならない。呪文を唱えずに逃げ回っても、かわすこともできない。レフィーヤに無理なのだから、ベルに逃げられるはずがない…… 「い……いやだ、絶対に守る!」  絶対に勝てない……あの時のミノタウロスの、ゴライアスの比ではない恐怖。それでもベルは立ち向かった。 (女子を守れ)  祖父の言葉だけで。 (アイズ・ヴァレンシュタインより怖くない!)  そう自分に言い聞かせて。  平然と歩いてくる、赤い絶対の死。  隠し持っていたハイポーションを干し、チョコレートを食べたビーツが、倍も強くなって立ち上がった。リューにもポーションを飲ませ、抱えてレフィーヤのそばに移動する。そしてトンファーを握り直し、ベルの隣に立つ。  ふたりのエルフを守り、赤毛の怪人の前に立つ少年と少女……  レフィーヤは決意を固め、呪文を唱え始める。仲間を信じて。最後まで戦い抜く。  脇差を刀のように両手で構え、歩きはじめたベルから、かすかな鈴の音が響く。トンファーを両手に構えたビーツが呼吸を正し、姿勢を正した……その身体に白い光がまとわりつく。  リューが必死で立ち上がろうとし、膝が崩れる。傷が重すぎる。背を見せ自分を守ろうとしている少年少女は、レベル2とは思えない。このふたりを相手にすれば、万全の自分……レベル4でも苦戦するだろう。現役時代であっても。  だが、目の前の赤毛の女は、桁が違いすぎるのだ。一撃で消し飛ばされ、いやというほどわかっている。  声が出ない。逃げてと叫びたいのに。  ベルは、ひたすらタイミングを計っていた。 「……ビーツ」  少女はかすかにうなずき、先ほどとは比較にならない速度で突撃する。正面から。  平然と笑って打ちこまれる紅い大剣。受けるトンファー。黒い閃光が走る。  リューだからやっと追える速さ。レフィーヤには、赤い閃光がひらめき、そこに黒い電光が走ったようにしか見えなかった。  ベルの体で輝いていたのは、足だった。  チャージすべてを速度に集中させ、打ちこむ瞬間を狙う。  アイズが自分の、振りかぶった手を砕いたように。踏み出そうとしたら膝を、呪文を唱えようとしたらみぞおちを、考えようとしたら側頭部と顎を打ち抜いたように。 「出ばなと打った瞬間、このふたつは体も心も止まっている。そこを狙え……」  タケミカヅチの教え。そしてアイズが昨日試合で教えてくれた出ばな打ちと、同じ原理の応用。  アイズの、本気のすさまじい速度を身体に刻み付けた。どう動くべきだったか、悔しさに涙をこらえながら反省した。アイズの速度を前提にした、ある種のカウンター。  神の刃は、打った瞬間の腕をとらえたように思える。手ごたえもなく刃筋が通る。  だが、止めるには至らない。  空中で、両手のトンファーで大剣を受けたビーツがはたき飛ばされる。切断されなかったのは桁外れに高価で頑丈な武器だから。だが、体が持つとは思えない。レフィーヤが並行詠唱で飛び出し、受け止めて吹き飛ぶ。  返しの一刀がベルを襲う、それをリューが必死で受け止め、ベルごと宙を舞った。 「死ね」  4人がほぼ重なった状態になったところに、冷然と落ちてくる紅い大剣。  ゆっくりと時間が流れ……大剣が、巨大な刃に止められた。 「うちの娘たちに、なにすんだい!」  恰幅のいい女ドワーフの怒鳴り声が、地面を揺るがすように響く。  ミア・グランド。『小巨人(デミ・ユミル)』レベル6。  その手には、斧のような武器が握られていた。太いまっすぐな柄、鈍く輝く剣先シャベルにも似た広い両刃。普通にシャベルとしても使える。明らかに不壊属性(デュランダル)。  それがごく小さくぶれ、最小の動きなのに全力で振りかぶったような重い一撃……受け止めた女の、片腕がわずかに違和感のある形になる。  ベルの一撃は、確実に骨を、腱を断っていた。 「万全ならあのバカ(オッタル)以上かもね。勝てる相手じゃないが……あんな坊やがよくもやったもんだ。バカにもほどがあるよ」  赤毛の女はそれでも、もう一方の腕を主導にすさまじい威力と速度の攻撃を繰り出す。  ミアが受け止め、重く返す。  見えない。すさまじい衝撃だけが伝わってくる。  レベル4、百戦錬磨のリュー・リオンも、この戦いの前ではベルやレフィーヤと変わらない。  天上の戦いが始まった。  ほかにもいた食人花や闇派閥の冒険者を、覆面をかぶっているが体つきで分かるウェイトレスが掃討する。槍が次々と敵を屠っていく。 『豊穣の女主人』は、シルら非戦闘員を主にクロエとルノアが護衛、さらに【タケミカヅチ・ファミリア】の屋台を今日は店に入れ、日本酒と焼酎、焼鳥・焼きスルメ・おでん・串揚げを売っている。  ロキがミアたちの出発を聞き、ソーマの件や武術の出張講座で懇意になったタケミカヅチを誘った。とにかく恩を返したいタケミカヅチは即座に引き受けた。  いつもと違う雰囲気に、いつも以上に店はにぎわっている。  瓜生の支援のもと、ベルが作り上げた人脈のなせるわざである。  突然ミアが、さらに別人になったような威力と速度で怪人女を追い詰めた。剣を弾き飛ばし、腹に一撃ぶちこみ、とどめ……と見えた、そのとき。  安全階層の天井の水晶が、暗くなる。  すさまじい威圧感が漂う。  赤毛の怪人はその隙に、素早く逃げた。闇派閥の者も、切り倒された数人を除いて消えるか自爆した。  店主は飛び離れ、周囲を警戒し……倒れた。アーニャがあわててかつぎあげる。 「隠しスキルの一つニャ。少しだけすごく強くなるかわり、何十分か身動きできなくなるニャ」  かろうじて立ち上がったリューは、何かを拾った。  闇派閥たちが呼び出した食人花はリヴィラの街も襲っていた……ベルたちを探そうとしていたヘスティアも、【ロキ・ファミリア】の冒険者の監視の目を逃れてベルを見ようとしたヘルメスとアスフィも、逃げ惑う人波に襲われた。  その危険から、押さえていた神威をわずかに出してしまったのだ。 『ダンジョン』は神々を憎む。憎い神の存在を知って、上の階への出入り口をふさぎ、刺客を放った……  ベルたちのもとに駆けつけた【ロキ・ファミリア】の冒険者たち。なぜかアスフィとヘルメスもいた。そのすぐ後ろにヤマト・命も。  ベルの護衛であることは隠し、仲間であるレフィーヤを迎えに来た、ついでに、とベルたちも護衛して街に戻ろうとした。  騒ぎが起きていると聞いたベルは、残してきたヘスティアやヴェルフの身を案じた。  レフィーヤも仲間の身を案じることは同じだ。  戻るベルたちを……ヘルメスを森の奥で暮らしていた魔物たちが次々と襲ってくる。バグベアーやミノタウロスが何十頭も。その何体かは、色黒く普通より強く、再生能力が異様に高い。  ミアはしばらくは戦力にならない。アスフィとアーニャが防いでいるが、再生能力のある強敵に苦戦している。 「時間を、稼いでください」  レフィーヤは言って、呪文を唱え始める。  ベルもチャージの反動で動けない。ビーツも、防ぎきってはいるが大ダメージを受けている。  リューは、【ロキ・ファミリア】が用意した予備ポーションで回復はしているが、失った血のダメージを負ったまま必死で時間を稼ぐ。  レフィーヤの呪文【ヒュゼレイド・ファラーリカ】が一面を焼き払った。  だが、はっきり見える。リヴィラに向かって歩いてくる、普通より巨大な黒いゴライアス。今からリヴィラに急げば、ちょうどぶつかることになる。 「神様を……」  反動を押し殺したベルが立ち、あくまで主神の無事を確かめようとする。  そこに逃げてきたヘスティアと、巨大すぎる荷物を背負ったリリ、桜花と千草。 「ベルくううううんっ!」  ヘスティアが全力でベルに抱きついた。ベルも強く抱き返す。 「ぬへへ……」  とだらしなく言っているが、そこにミアの拳骨が落ちた。 「か、神を」 「この騒ぎもあんたらのせいだろうが!」  ついでにヘルメスにも、弱ってはいても強烈な拳骨を落とす。 「そ、その、人間の体であるヘルメスさまにあなたの拳は、天界に送還されてしまいます」  アスフィが混乱気味に言った。 「知らないよ」  の一言。 「ふたりが守ってくれたんだ」  と、ヘスティアが桜花と千草に感謝の目を向ける。 「ベル殿が優先するのは神ヘスティアの無事だ、と判断した」  桜花の言葉。 「ありがとう!」  ベルは喜んで、今も黒い巨人に蹴散らされている冒険者たちのもとに急ぐ。  その背後から多数のバグベアーやミノタウロスが追いすがる、だがそれが次々と爆発にバラバラになって吹き飛ぶ。  リリの足元に、巨大なリュックが広げられている。それにはぎっしりと手榴弾が詰め込まれている。常人の体重の10倍は軽くある。  リリが次々にサーメイト手榴弾を投げる。ミノタウロスすら至近距離での超高温炎に耐え切れず数歩歩いて燃え崩れる。爆風手榴弾の至近距離爆発は、群れたバグベアーをまとめて肉片に変える。 「リリ、それ」 「ウリュウ様が、出かける前に特訓してくださったんです。中層ではより強い火力が必要だと」  弱いとはいえ『恩恵』を得た冒険者、手榴弾の投擲射程は150メートル近い。ダンジョン中層ではグレネードランチャーを必要としない。 【万能者】アスフィ・アル・アンドロメダにとって、すさまじい衝撃だった。超レア発展アビリティ『神秘』あってこその、超高額な貴重品である爆発物……それと同等以上の威力を、レベル1と思える少女が惜しげなく運用しているのだ。 【ヘスティア・ファミリア】についての恐ろしいうわさの数々が、『妙な音』のうわさが、実感を持ってのしかかってくる。  リヴィラを守ろうとしているボールスは、巨大なライフルを手に持っていた。何度も轟音が響き、銃口炎がまぶしくきらめく。  それはミノタウロス程度なら一撃で倒すが、巨大すぎる怪物は一撃では仕留められず、即座に再生してしまう。 「くっそうっ、あの機関砲があれば……欲深どもめ、黄金の卵を産むガチョウを食っちまうバカどもめ!」  そう叫びながら。  瓜生が街を守るためと残していった20ミリ機関砲は、欲にまみれ今しか考えない冒険者たちがボールスの制止も聞かず、解体して鉄材として売ってしまったのだ。瓜生は二度は出さなかった。同じものを出しても、同じことになるだけなのだから。  冒険者たちは、手に手に剣や大きなジュラルミンの楯、木を伐採するためだが反対側がハンマーにも使えるほど厚い斧を手にしている。緊急用にと、瓜生がボールスにコンテナ一杯預けたものだ。  それで吹き飛んではいるが、多くは自業自得である。  ベルたちとはちょうど反対方面で、ベート・ローガらは別口の刺客と戦っていた。  黒く、異様に長い首が8本も生えたドラゴンだった。胴体が普通の倍以上。一つ一つの首が、インファント・ドラゴンの首より大きい。 【ロキ・ファミリア】のキャンプには多数の重火器もあり、恐ろしい音と炎とともにすさまじい攻撃が巻き起こっている。  だが黒いオロチはすさまじい再生能力……のみならず、ぶった切られて飛んだ肉片から黒い大蛇が再生し、襲いかかってくるほどだ。  応援も期待できない。17階層への道は崩れ閉ざされている。  ミノタウロスやバグベアー、もっと深い階層にいるはずのトロール多数を相手に絶望的な戦いをしている冒険者たちのところに駆けつけたベルたち。 「こいつらなら戦力になるな、なんとか」 【ロキ・ファミリア】の冒険者を見て叫ぶボールスに、リリが進み出た。 「ベル様の、準備された一撃が決まればどんな敵でも倒せます。全員協力してください」  いつもの、冒険者に対する軽蔑を内包した恐れ・卑屈さをかなぐりすてた、別の意味の決死。  無法者の街をまとめるほどの経験を持つボールスには、その覚悟はまるで身体をぶっ叩かれるように分かった。 >英雄の一撃  ダンジョンが神々に差し向けた刺客。  安全階層に生み出された階層主……黒いゴライアス。  まったく別の方面で暴れる、黒いオロチ。  また、18階層に住み普段はおとなしいミノタウロスやバグベアーらが暴れまわっている。  18階層の壁もある種のモンスター・パーティ状態。小さく敏捷な、黒い怪物を無数に吐き出し続ける。  街からやや離れて、瓜生の物資でキャンプを作っている【ロキ・ファミリア】残留部隊は、小型自動車サイズだが20ミリ機関砲を持つヴィーゼル空挺戦車、牽引式の23ミリ連装機関砲、多数の重機関銃やパンツァーファウスト3は持っている。  だが、非常に小さく敏捷な魔物が多数出ると、むしろ過剰な威力をもてあましさえする。  さらにオロチは機関砲や対戦車ロケットで中心を狙っても敏捷に動き回り、首を犠牲にして魔石を守る。その頭も首も鋼のような鱗に守られ、直撃で切断されても破片が蛇になり、砕け潰れた首からまた頭が再生する。  すべての首や黒蛇が猛毒を牙から吐いてくるので、うかつに近づけない。 (アイズがいれば……)  とも思うが、いないものはいないし、上への道もふさがれている。 「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】!」  後ろから無数の火矢が飛んできて、黒蛇やモンスターたちを次々と焼き払う。 「レフィーヤ」  リリの指示で、彼女は眷属たちを助けに向かった。 「最大だ、よこせ!」  最前線で背後からの砲弾もかわしながら戦い続けるベート・ローガが叫んだ。地上まで、装甲車と競争し全力で走って往復した疲れも癒えていないのに。  巨大で強大な黒ゴライアス……街の皆を、自分を嫉妬し痛めつけようとしたモルドたちも含めて守ると決意したベルに、リューは厳しい一言を残して立ち向かった。覆面をした猫人のウェイトレスも長槍をひっさげて追随する。  最強戦力のミア・グランデは怪人を退けた代償に、しばらくは戦力にならない。 【ヘルメス・ファミリア】団長、アスフィ・アル・アンドロメダもともに突撃した。 「ベル様の一撃。それを確実に決めることだけを……」  リリルカ・アーデの言葉と、指揮。幼いころから、冒険者たちとともに死線を越えた回数だけはリューさえも及ばない少女の目を信じて。  黒ゴライアスは多数の、ミノタウロスやデッドリー・ホーネットなどの怪物も率いている。それが非常に煩わしい。  リリが手榴弾を一つ一つ、丁寧に投げる。そしてヘスティアとヘルメス、ふたりの神を一つの丘の上に動かす。  手榴弾の爆発が固まった敵を吹き飛ばす。その穴を埋めることで、敵の動きが流れになる。  黒いゴライアスも、丘の向こうの黒オロチも、ふたりの神を狙いとして動き始める。  そこに、別の丘の上に冒険者の力で引き上げられた連装23ミリ機関砲の射線があった。  両方を横から機関砲が叩きつける。  黒いゴライアスの片腕が砕かれ、切断される。だが瞬時にそれは再生した。そして胴体に届く、と見えた弾は、地面から拾い上げた石の盾に防がれる。数発で盾は粉砕されるが、すぐに新しい盾を取り出す。ダンジョンが供給するネイチャーウェポンだ。  だが、罠はそれだけではない。黒いゴライアスがたどりついた場は多数の水晶が崩れており、行動が難しい。その水晶は大きいので、人間にはさほど障害にならない。 「分断を。あちらの照らしたところに」  リリの言葉をボールスが理解し、 「おまえら、群れとデカブツを切り離せ!壁の紅水晶を目標に突撃するんだ!」  叫び、同時に目標となる遠い壁の水晶を、リリが持つフラッシュライトが照らす。  使用回数が多く、目がある敵に常に有効な、銃のように大きく目玉焼きが焼けるほど光量が多い超強力LEDライトも、瓜生に渡されている。  なければ、この決死行も生き延びられなかったろう。  ボールスの声に、街でたむろする冒険者たちが、使い捨てていいと言われた炭素鋼の武器とジュラルミンのシールドを手に突撃した。  同時に、リューとアーニャ、アスフィ、そしてビーツが黒いゴライアスに突撃する。 「ゴライアスを守る部下を引き離してください!」  リリの叫びに、アスフィとビーツが応える。  明らかにレベル3以上と思える、漆黒のデッドリー・ホーネットの杭とあぎとを相手に、ビーツは時に身をかがめてかわし、鋭く突撃してトンファーを振るう。頑丈さに通じなくても、圧倒的な重量は中にダメージを浸透させている。  そのビーツを、黒いゴライアスの蹴りが狙う。かばおうとしたリューが一歩及ばず、蹴り飛ばされた。  逸ったベルが、リリの制止も聞かず突撃した。まだ二分……  すさまじい雷光が新刀に落ちる。 (付与魔法は見た。どれほど強力な雷電でも、受け止めて見せよう!)  向こう鎚をとったヴェルフさえ知らない。この刀には、アイズ・ヴァレンシュタインがベルのためにと提供した特殊な素材がわずかに使われていることを。ウダイオスの剣のかけら……それは椿が一目見ただけで、とてつもない、次元の違う付与魔法耐性になることがわかった。  刃は定寸だが長めの切り柄で全長は1メートルを超える刀。その柄頭ぎりぎりを両手で握り、白光を帯びた刃で黒い巨体に迫る。  ベルの付与魔法『ヴァジュラ』とスキル『英雄願望(アルゴノゥト)』の効果は、何度かの実験であらかた確定している。  武器の長さ以上の距離は攻撃できない。届かなければ無効。ただし、太さ10メートルの丸太にぎりぎり先端が当たっても、丸太全体が斬れる。 「切りにくい対象を切る」「一瞬だけ刃を伸ばして全体を断つ」「内部から雷と炎で破壊する」に自動的に威力が割り当てられる。  魔力は複数の武器に同時に付与できるが、ベル以外が手で持って使うと大きい反動がある。飛び道具に付与すると威力が大きく減る。  スキル『英雄願望(アルゴノゥト)』は、呪文詠唱前にチャージしても後にチャージしても特に変わらない。走る速度と攻撃力を爆発的に増し、大きな反動がある。  最大チャージ時間は3分。  レベル3に迫ると『疾風』が太鼓判を押す、かき消えるような超速度。そのまま一閃……  すさまじい高熱と電撃が切り口に注がれ、炸裂する。 「やった」  誰もが叫んだが、リリは悲鳴を上げた。 「だれか!」 「恩を……」  必死で、大盾を構えて走る桜花と命。  ベルが斬ったのは、黒いゴライアスが手にしていた、ネイチャーウェポンの厚い盾だった。23ミリ機関砲の徹甲弾からも護るほどの。  もう一方の手に握られた同じくネイチャーウェポンの棍棒が、必死でベルをかばった大盾をとらえ、吹き飛ばす。  盾と、ふたりのレベル2に守られていても、ベルの被害は甚大だった。  黒いゴライアスも、瞬時には動けない。盾を握る指を断たれ、体内に走る雷撃に肘から先が消えている。それも再生するが。  リリはぎりりと歯を食いしばりながら、指揮をつづけた。 (ダンジョンで予定通りにならない、偶発事は常!) 「動けますか?」  ボロボロで激しく息をついているドワーフ女に、懐から高級なガラスビンを取り出す。 「それぐらいなら、ね」  ミア・グランドが立ち上がり、指示を待たずビーツにエリクサーを運んだ。  何度も地上との間を往復している、大金を持っている瓜生が用意していた切り札。  リリは指示をつづけながら、手榴弾を投げて黒いゴライアスを牽制し、冒険者たちが戦う多数のモンスターの陣形を分断し続けた。  丘の上からの機関砲も、射線を得ればそれを援護する。  待っている。駆け寄った主神、小さい身体に長い髪の女神の励ましが、冒険者に届くのを。 「なんて雷だ……」  丘の向こう、見えない戦場を見て戦慄しつつ戦い続ける【ロキ・ファミリア】。  キャタピラで水晶の岩場を走るヴィーゼルが放つ20ミリ機関砲が、多数の再生能力に優れた頭で身を守りながら毒を吐く黒オロチと戦い続ける。 「【ウィーシェの名のもとに願う」  レフィーヤの大呪文、リヴェリアの魔法を召喚する、ゴライアスも一撃で下した反則技。  弾幕の隙間を縫ってベート・ローガが切りこみ、毒液のシャワーをかわしてすさまじい蹴りと不壊属性の双剣を叩きこむ。  ありえないほどの硬さに顔をしかめながら。  待っている。危険すぎる前線で。 「【……吹雪け、三度の厳冬」  レフィーヤの呪文が完成する。 「退避!」  叫びとともに、訓練されぬいた精鋭たちが鋭く危険範囲から逃げる。一人を除いて。 「我が名はアールヴ。ウィン・フィンブルヴェトル】!!」  すさまじい吹雪が、太い砲撃となって何条も奔る。  多数のモンスターを、黒くても普通でも、ことごとく呑みこむ。時すらも砕きひしぎながら。  8本の長い長い首が絡み合い、一つの巨大な盾となって吹雪を受け止める。黒いオロチの巨体が、瞬時に巨大な水晶に変わっていく。  息を呑む皆の前で、氷の中で赤い輝きが生じる。  ぐ、ぐ……動き始める。凍りついた首を自分から切り離し、すさまじい魔力が赤い霧となって渦巻き、再生していく。 「そう来るだろう、ってな」  凍りついたミノタウロスを踏みにじるベート。足のメタルブーツに、巨大な魔力が吸われていく。跳ぶ。駆ける。 「死ね」  氷を破り立ち上がろうとする黒オロチに、すさまじい速度で走る。速度はどんどん増していく。風を、稲妻を超えて……  半ば凍った首を、不壊属性の双剣はやすやすと断ち落としていく。  そして本体の魔石に、すさまじい蹴りが食い込んだ。  リヴェリア譲りの凍結魔法が、倍加された威力で叩きこまれる。  こんどこそ、氷の中で耐える余裕も与えず胴体が黒いダイヤモンドダストとなって散った。  倒れたベルのかたわらをヴェルフが、いくつかの長物を担いでやってきた。  主神ヘファイストスの伝言とともに、ヘスティアに託され……一度は森に捨てた剣。  3.6メートルの長槍。  自分の大刀。  槍は、合同遠征の分け前であるドロップアイテムや鉱石も使って、つい今打ち上げたものだ。  瀕死から起き上がり、すさまじく強化されているビーツに、黙って長槍を渡す。大遠征の、50階層台の地獄で【ロキ・ファミリア】を支えたと同じ、不壊属性こそないものの折れないことに力を注いだ、椿から盗んだ技術を注いだ槍。  飾り気はない。極端な大身でもない。だが柄の素材から吟味した。  名をつける暇はなかった。  ビーツも起き上がって槍を手にし、走った。  棍棒と盾を持つ黒いゴライアスと、すさまじい速度で打ち合う。黒いゴライアスは、足もきわめて速い。  ビーツを無視するようにヘスティア……いや、ベルのほうに向かっていく。  防ごうとするレベル2や3の冒険者たちを、木の葉のように吹き飛ばしながら。  リューとアーニャ、アスフィも加わって、必死で戦い続ける。  ベルをかばおうとしたヴェルフ、あっさりと大刀がへし折れ、勢いに任せて吹き飛ばされる。  背の、布でくるまれた剣だけがあった。  リリを振り返る。  その目が言っていた……あと十秒。  リューとアスフィは、明らかに限界だ。  主神の言葉。ぎり、と歯を食いしばる。背の剣の布をほどく…… 「どけえええっ!」  絶叫、リューたちが素早く退避する。 「火月いいいいいいいいいいっ!」  振るわれた剣から、すさまじい炎が噴き出し黒いゴライアスを包む。 『クロッゾの魔剣』  海をも焼いたと言われる伝説の兵器。その威力に、特にエルフたちは呆然とした。  再生能力が追いつかない、すさまじい破壊圧力…… 「【……フツノミタマ】」  ヤマト・命の大魔法が完成し、重力結界が猛炎ごと黒いゴライアスを打ちひしぐ。  それを跳ね返し、結界が粉砕される。命が反動で吹き飛ぶ。力で魔法をひしぎ起き上がろうとする力強い四肢、それが地面に触れるところに、次々と小さい塊が落ちる。  手榴弾の、ゼロ距離爆発は確実に巨人の手足にきついダメージを加えた。 「手足を封じて!」  リリの絶叫。 『疾風』が、『戦車の片割れ』が、『万能者』が、そして幼いサイヤ人が……  全体重をぶつけた槍がひとつ、ふたつと爆発に破れた硬皮を貫き膝関節をぶち抜く。  集中した緑の光球が両肘をひしぐ。空から正確に放たれる爆弾が耳の中で爆裂する。  正確な烈光が、丘を越えた【ロキ・ファミリア】メンバーが放つ12.7ミリ弾が、次々と目を射る。  絶叫とともに倒れ伏し、『咆哮』を連打する巨人。  鐘の音が響く。  鈴の音(チャイム)が限界を突破し、大鐘(グランドベル)となった音。  さしも広い18階層に響き渡る音。  それに調和するように、雷鳴が響いた。電光が真昼のように、暗くなった安全階層を照らす。  ベル・クラネルはすさまじい速さで駆けた。祖父の教えを胸に。守るために。守るために。護るために。 「い……っけええええええええっ!」  誰もが叫ぶ。モルドが、ボールスが、無法者たちが。 【ロキ・ファミリア】の、丘を駆けのぼってきた残留組が。  リュー・リオンが。アーニャ・フローメルが。アスフィとヘルメスが。 「やれっ!」  ベート・ローガは短く叫んだ。 「行け」  ミア・グランドは微笑を交えて、普通の声で言った。  リリが、ヴェルフが、レフィーヤが絶叫した。 「いけえええっ!」  ヘスティアの叫びを背に受け、白兎は走る。  一撃。  光と音が、広い安全階層を打ちのめす。  それがおさまったとき……ずるり。  ひざまずいた黒い巨人の、肩から腰まで線がはしる。  ずるり、と切れ落ち……灰に変わっていく。  刀を振り切り教え通りに歩んだベル・クラネルが膝をつき、倒れた。  静寂は絶叫と歓声に変わる。たくさんの人が倒れた白髪の少年に走り寄る。  ヘルメスはやや離れたところで、ひたすらにわめき叫んでいた。狂ったように。  神による予言を、【ロキ・ファミリア】の一人が聞いていた。そのまま書きとめられるように。 >帰還、変化、新たな客  ベート・ローガとベル・クラネルがそれぞれ巨大な黒いモンスターを倒した。  まもなく、17階層から通路が掘りぬかれた。  18階層から掘ろうとしていた者は、巨大なショベルカーのショベルに殴られた。レベル2の冒険者でなければ重傷だったかもしれない。  そのショベルカーは瞬時に消え去り、まもなく土砂もダンジョンに吸収された。 【ロキ・ファミリア】団長フィン・ディムナら精鋭が来ていた。目出し帽の瓜生も。  言い訳をするのが大変だった。瓜生の出した車のおかげで、地上まで本来一日かかるのが半日もかからない、などと言えるはずがない。  ひたすら偶然で押し通した。  問題がある。誰を車に載せるか。  少なくとも、神ふたりとベルに、これ以上18階層にいてほしくない。血肉(トラップアイテム)や瀕死のキラーアントのようにトラブルを引きつけてくれる。できれば車で急ぎたい。  だが、ヘルメスが松脂のようにベルから離れない。ヘルメスに車を見せるわけにはいかない。  というわけで、もっこで担いで集団で歩いて登るしかない。 『豊穣の女主人』のミア・グランドとアーニャ・フローメルも、別ルートで顔を隠して帰った。  多数の目撃者が出てしまった、空挺戦車や機関砲を片付けるのも一苦労だった。 (どうせ誰も信じない……) (緘口令のついで……)  とフィンが笑っていたが、どうなるかわからない。  ベートは大急ぎで17階層の奥に運び、装甲車で地上に送った。  フィンをしんがりに、やっと18階層のキャンプをある程度片付け、遠征隊撤退を宣言することができた。  といっても19階層と17階層に『車庫』があるし、18階層に大量に置いた食糧や弾薬を守る者も、交代で常駐することになっているが。  主に【タケミカヅチ・ファミリア】の桜花・命・千草、リューとアスフィ、割と元気なビーツが戦闘を担当し、長い旅を歩き通した。  リリは手榴弾で貢献した。消音銃も持ってはいるが、ヘルメスには見せられない。  また何か起きるか、と戦々恐々としていたが、無事に地上までたどり着いた。  涙ながらに喜んでくれたエイナ・チュールが、詳しい報告を聞いた翌日どんな般若に変わるものか、ベルは幸いにも知らない。  留守の間に完成する予定の、新築のホームを見ることに頭がいっぱいだった。  ビーツのことを考えた大きいキッチン、広い風呂、運動設備……【タケミカヅチ・ファミリア】も引っ越してくるという……  と思ったが、地上についてもベルの状態が悪すぎて、『ギルド』併設の治療院に泊まることになってしまった。  祝賀会の類は翌日に持ち越しとなった。 『ギルド』は起きたことに厳しい緘口令を敷いた。 【ヘスティア・ファミリア】も【ヘルメス・ファミリア】も厳しいペナルティを受けた。オラリオには、さまざまなうわさが出まわった。 「無限大の半分は無限大だ」  とか、 「金塊でも限界を超えたら超新星爆発が起きて、この星どころか隣の星も生物がいたら死に絶える」  とか、 「オラリオの地盤が抜けてダンジョンの最下層まで崩れる」  とか、 「金価格が崩壊したらオラリオ経済がしっちゃかめっちゃかになる」  とか、意味不明な言葉があったとかなかったとか。 『ギルド』の職員の大半は、【ヘスティア・ファミリア】は500万ヴァリス支払ったと聞いている。ただ、帳簿関係の職員は、なぜか赤字どころか累積債務までいつのまにか消滅していることに首をひねっていたが、【ロキ・ファミリア】の換金額が前代未聞だからと自分を納得させた。  とかくに【ヘスティア・ファミリア】にはうわさが多いのだ。  瓜生はとんでもないことを言って、ヘスティアにそれ以上考えるなと叱られた。 「神を連れて行けばものすごい経験値稼ぎができるな。だがほかの冒険者の被害もとんでもないことになるし、負けたら下手をすると、とんでもない怪物が地上まで上がってくるかもしれないな」  そんなことをされたら、 (たまったものではない……)  のだ。  また、ヘスティアは二度とするなと、ペナルティ以上に厳しく警告された。  ロキがわざわざ来て、 「次やったら『ギルド』動かして【ファミリア】強制解散にして、全員うちがもらうで。4人とも、何億出しても惜しない」  と言って帰ったものだ。  彼女も眷属が死ぬところだったのだ。……逆に自分がかかわっている事件に巻き込んだ負い目があるにせよ。  やっと動けるようになり、お礼回りに行っていたベル。 『ギルド』でエイナと会ったとき、また戦慄した。美しいいつもの微笑、だが桁外れの怒り。  瓜生が話を終えて、奥に向かった。何か上級職員と話があるようだ。  窓口にとてつもなく美しいエルフ女性と、エルフの美少女もいた。  リヴェリア・リヨス・アールヴと、レフィーヤ・ウィリディス。  以前の恐怖がよみがえった。 「ベルくん……」  エイナの美しい声は、ほとんど死刑宣告のようなものだった。  レフィーヤの表情は筆舌に尽くしがたいものだった。深い同情と恐怖、罪悪感と決意、その他…… 「レ、レ……仲間なんだから……」 「ベル。もし今からウダイオスと戦おうというのなら、喜んでともに死にます。でも、でも……ごめんなさい、お墓にはちゃんと行きますっ!」  そう言ったレフィーヤは、容赦なくベルの退路をふさいだ。彼女にとっては、絶対に死ぬ敵と戦うよりリヴェリアに逆らう方がずっと怖いのだ。  リヴェリアとレフィーヤ、ほかの【ロキ・ファミリア】のメンバーや【タケミカヅチ・ファミリア】の報告も総合して、エイナはベルの所業を大方理解した。 「ベルくぅん……あなた、12個ぐらい予備の命があるのね。すごい魔法よねえ……そうじゃなかったら、あ〜んなことやこ〜んなこと、するわけないよねえ……初めての中層でモンスターの大群から知り合いを助けるとか、推定レベル6相当の変な階層主をやっつけるとか……」 「いやその場で復活しても助からないような行動を何度もしていたな。アイズがかなわなかった相手に挑んだそうだ……とある第一級冒険者の話では、今はレベル7以上と推定される。  今回の大遠征でもウリュウには世話になったし、レフィーヤの恩人でもある。もう他人とは思わず、同じファミリアの家族のように叱ってやろうと思う」  リヴェリアの美しい声が、とてもやさしい内容の死刑宣告を奏でる。 「ありがとうございます。冒険者として、そんなありがたいことはないですよ」  エイナは心から喜んでいるようだ。 (地獄はダンジョンではなく、ここにあったんだ……)  ベルはひたすら奈落に落ちていた。  レフィーヤはその地獄を、いやというほど理解しているからこそ、断固見捨てて自分の被害を最小にした。そんな自分を誇り高いエルフの魂が深くしかりつけるのも無視して。 (リヴェリア様と、その親友のあの方の娘……は、はは……ベル。無茶したんですねえ……安らかなご冥福を)  エイナはベルを叱るのにゆっくり時間をかけることはできなかった。別の用事があった。やむを得ず、恐れ多いにもほどがあるが、ベルを心の底から反省させるのはリヴェリアに投げた。  ギルドの上の方に、ヘスティア・タケミカヅチ・ミアハと神々をつれてきた瓜生との話に、担当として立ち会うように、と。  瓜生の提言は、実に魅力的であり……仕事が増えるものだった。  大手ファミリアで先輩に指導される者以外、中小ファミリアの駆け出しの死亡率の高さ。ランプアップに至る率の低さ。 (実戦で斬り覚えよ……)  であり、 (天才以外は死ぬ……)  人命損失。  またギルドの側も貸与装備の多くは帰ってこないので費用がかかり、指導コストが無駄になる。  ならば、武神タケミカヅチとその眷属を師として、半月間集中指導して武の基礎を叩きこみ、貸与装備もより良いものにして、生存率を高めよう……  というものだ。  試しにやってみよう、最初の半年は、必要な費用は【ヘスティア・ファミリア】……瓜生が出す、ギルドに損はさせない……。  ベル・クラネルのような、どこの【ファミリア】からも弾かれた地方出身の冒険者志望者。  リリルカ・アーデのような、所属ファミリアで冷遇されている冒険者。  後輩を指導するノウハウが乏しい弱小ファミリアの新人。  それら野垂れ死ぬか、ダンジョンですぐ死ぬかするしかないような弱者たちのために。  またその武術は、冒険者でないフリーの一般市民にも公開するという。  武術道場で、体系的な新人指導がない中小ファミリアの駆け出しと、一般市民の両方が学べるということだ。  それによって、冒険者の暴虐になすすべがない、リリを世話した花屋の老夫婦のような存在を減らしたい……と。  それに加え、 「駆け出し冒険者が一人ではなく、経験者と組むことができるよう、紹介仲介に力を入れる」 「貸与装備の改善」  この二つも提言された。  後者は単に、受け入れなければ瓜生が無料で提供するので、 「抵抗は無意味だ、業者の利権を守りたければ言うとおりにしてくれ」  と言われ、エイナの胃は余計ひどいことになった。  大遠征から帰還した【ロキ・ファミリア】。主神ロキは、ステイタス更新におおわらわだった。  その結果は、覚悟以上だった。  フィン・ディムナ団長とリヴェリア・リヨス・アールヴ副団長がランクアップ。レベル7。都市最強の『猛者』オッタルに肩を並べた。  レベル5の、ベート・ローガ、ティオナ・ティオネ姉妹の3人がランクアップ。  うれしいのは、二軍中核のレベル4、アナキティ・オータムとラウル・ノールドの2人がランクアップしたことだ。  さらにレベル3から、レフィーヤ・ウィリディス、リーネ・アルシェら4人がランクアップ。レフィーヤは少し昇格を見送ることにしたが。  レベル2の者も、普通の大遠征3回分の経験値を得ている。 「やっぱあれだな」  フィンがため息まじりに結果を見る。 「そういうことやろうな」 「ウリュウの火器で倒したモンスターも普通に経験値になる。新しいことを学んだ努力が偉業として評価される」  リヴェリアが指を折る。幹部たちがうなずきあう。  フィンが少し姿勢を変え、ものすごく勇気が必要な表情で言った。 「さらに、彼がいるだけでも全員経験値が増える。……加えて、彼は金を要求しない。無限に出せるから」 「……チートにもほどがあるやろ」  ロキがあきれかえっている。 「経験値が増えるだけでも、ソファごとケージに入れて厳重に守ってかついで行って、稼いだ金の半分を渡していいぐらいじゃな」  ガレスも呆然としている。  収益もすさまじい。ドロップアイテムは【ヘファイストス・ファミリア】への報酬だが、何台もの大型トラックいっぱいの魔石がある。しかも、今回の遠征は道具を買っていく必要がほとんどなかった。事実上ポーションと魔剣だけ。百億以上の丸儲けだった。  たとえ別に瓜生の出した金塊を渡しても、 「オラリオの貨幣価値が崩れて物価が爆発するので、信用にしてくれないか……」  と言われるほどの収益だった。  瓜生はそれも考えており、その余剰信用を資本として、大規模な公共投資を提言した。それが通るよう後ろ盾になり、有力者に紹介したことが、【ロキ・ファミリア】の払った報酬だ。  情報も多く入った。59階層の『穢れた精霊』。神に対する刺客。調査しきれなかった、18階層からの抜け穴らしきもの。赤い調教師女が、レベル7以上になっているという報告。  どこまでが自分たちの関わる問題なのかもわからない。  さらに【ヘスティア・ファミリア】と、『豊穣の女主人』まで巻き込んでしまったのだ。特に瓜生とミアに、どこまで伝えるかという問題になる。  またヘルメスの動きもある。ヘルメスが叫んだことから推測できる、ゼウスとベル・クラネルの関係がまた恐ろしい。瓜生がヘスティアの、ベルのところに現れたのも、 (偶然ではないのではないか……)  とも思えてしまう。  考えればいくらでも疑心暗鬼、とんでもない事態は考えられる。  それから【ロキ・ファミリア】の女性陣は港町にバカンスに向かった。銃器も一応持っていったが、そこでの戦いではほとんど出番はなかった。人間相手に対物ライフルや対戦車ロケットを撃つのはさすがにためらわれる。  リリルカ・アーデは瓜生に、『青の薬舗』……主神ヘスティアの神友であるミアハの店の商品について訴えた。別の業者に検品させて。  その夕方、瓜生とリリはいくつもの証拠とともにヘスティアやベルを説得する。 「明日もダンジョン探索は休みにして、全員で」  と、ヘスティアも連れて『青の薬舗』を訪れた。  リリは三人ほど、別々の【ファミリア】から『調合』スキルがある人を連れてきた……ナァーザは即座に観念した。  ミアハが激怒し、土下座したことは言うまでもない。 「ベル様たちは、危うく殺されかけたんです。まさに九死に一生でした。 【ヘファイストス・ファミリア】のヴェルフ様もです。ヘファイストス様はお忙しいとのことでしたが、本来は呼ぶべきでした」  リリが厳しく糾弾する。 「あ、ああ……あああ、そうだ、どうされても当然だ。【ファミリア】を潰されるのも。だが、だが、頼む、頼む、ナァーザだけは、彼女だけは助けてくれ」  ミアハは身も世もなくヘスティアに泣きすがっていた。 「もう、気にしないでください。ミアハ様に相談したことで神様は助けてもらったそうですし、それに救助隊もたくさんポーションをいただいたそうですし」  とベルは言うが、 「ということは、救助隊の神ヘスティア様、ヘルメス様たち、タケミカヅチ様の眷属のみなさま、リュー様も殺されかけた、と」 「殺されかけたのはヴェルフ・クロッゾもだ。いや、他にも殺された冒険者がいるかもしれない」  瓜生が容赦なく言う。 「ウリュウさん……」 「ウリュー、頼む。大事な神友なんだ」  ヘスティアも瓜生にすがりついた。  そして、ディアンケヒトが乱入してきたことをきっかけに、ナァーザがダンジョンで片腕を失い、その義手で莫大な借金を負ったことも聞かされた。 「な、なら、大切な人のためになんでもするのは当然ですよ。僕は責めません」 「そうとも、それにソーマの時にも神自らが危険を冒してくれた。その恩を思えば」  ふたりは必死で瓜生とリリに訴える。  ビーツは無関心だった。 「……どんな事情があろうと、これがあった以上二度と商売はさせない。この店は潰す」  瓜生の言葉に、絶望が広がる。リリだけははっきりうなずいた。 「だが、神ミアハ……あなたの技量を失うのは惜しい。今後は、こちらの研究に専念してもらいます。借金は全額おれが払います。  今ある特許やアイデアは渡してください、ディアンケヒトとは別の製薬ファミリアから商品化させ、返済に充てます」  その言葉に、ミアハが崩れ落ちた。  その帰り、買い物もして夕暮れの新築ホームに帰った時だった。  瓜生が出現した祭壇前の空いた場所……そこは中庭としていじらずにおいた。  そこに、また小さな旋風が上がった。  ヘスティア、ベル、ビーツ、リリ、瓜生が見ている前で。  光が去ると、そこにはとんでもなく重厚な全身鎧をまとった巨漢と、その腕の中の13歳ぐらいの少年がいた。  厚すぎる鎧には多数の傷があった。少年にも。 「あ」  ベルが目を見開く。 「ま、また?」  ヘスティアが驚いた。 「え、また……まさか、ウリュウさまは」 「しーっしーっ、ないしょだって!」  巨漢は静かに目を開く。 「逃げきれたか、危険すぎる賭けだったが……あんなものを使う羽目になるとは。ここは、どこだ?」  深みのある声、冷静な口調。だが、わかる。即座にここの人の実力を見抜き、 (いつでも殺せる小虫……)  と見て、少しでも情報を得ようとしていることが。 「いいか?ベル」  瓜生がベルに聞く。団長はベルなのだから、自分が勝手に動けば、 (ベルの権威を損ねる……)  と、いうわけだ。 「あ、あ……あ、おねがい」 「ここはオラリオ。下界に降臨した神々と人が築いた、ダンジョンの真上にある都市です。ご存じないですか?」  瓜生は落ち着いて話しかける。拳銃に手をかけようとして、やめている。  巨漢は静かに首を振った。 「ナチスとアメリカ、どちらが勝ちましたか?そちらは、人は月にどうやって行きましたか?」  瓜生の言葉は、ヘスティア達にとって意味不明だ。 「人世の事にはさして興味はないが。アメリカが勝った。月にはロケットを用いて行った」  巨漢の物静かな、慎重な口ぶりは安心感を与えるものだ。 「おまえたちは敵ではないか?」 「そちらが攻撃しなければ」 「賞金稼ぎや、復讐者ではない?」 「違います。ここは、日本やアメリカがある地球とは違う異世界です。人間と、力を封じて人間の体で降りた神々が共に暮らしています」  巨漢は静かにうなずく。 「そなたは」 「おれは地球の日本出身で、異世界に転移することが多い者です。名は瓜生。こちらはその神々の一柱、女神ヘスティア」 「よろしくなっ」  巨漢の風貌におびえながら、ヘスティアがあいさつをする。 「武威」 「そ、その……よかったら、ボクの眷属(ファミリア)にならないか?」  瓜生すら突然誘ったヘスティアが言ってしまった。  瓜生が言い添える。 「ここに属すれば、身分を得られる。稼ぐこともできる。ただし、改宗(コンバージョン)は一年に一度しかできない。この女神ヘスティアは、異界から出現した異常な存在であるおれを即座に受け入れた」 「その、一応団長は僕なんですが……よかったら、歓迎します」  ベルも恐る恐る言った。巨漢の、黒いゴライアスやあの赤い髪の女、アイズやガレス以上と感じる強者の気配におびえながら。 「一時様子を見て、情報を集めたいというのなら、ここにおとどまりになりませんか?」  リリが慎重に言い添える。武威がうなずいた。 「……しばらく、世話にならせてほしい。できることがあればする」 「まずその子にごはんだねっ」  ヘスティアが明るく言い、ベルがうなずいた。  武威の腕の中の子の腹が鳴り、同時に鳴ったビーツと目を見合わせた。 「その子の名前も聞いていいかな?」 「とぐ」  言いかけた子を武威がさえぎった。 「いや、言いたくないならいいんだ」  ヘスティアがあわてる。 「追われているとしても、別世界であるここは安全だと思うが……まあ万一はあるか」  瓜生が軽くため息をついた。 >時代の歯車  ベルがお礼に回ったり、エイナやリヴェリアやミアに怒られたり、新しい刀の素振りをしたり、ヴェルフのランクアップを聞いて喜んだりしていた数日。  正式な祝いは、 (あれで失った装備を打ってから……)  と言われている。 【ロキ・ファミリア】は遠征を終えて膨大な金を得、装備の買い替えや整備もあらかた終えて、女性陣は港町でのバカンス、男性陣は鬼(リヴェリア)のいぬ間の洗濯(悪所通い)の準備をしていた。  といっても港町に行くのも、奇妙な敵との戦いの一つであり、男性陣も後には駆り出されることになるのだが。  瓜生はベルたちが地上に帰還する数日前から、午前は18階層までドライブし、午後にはあちこちのファミリアを回っていた。  根本的な目的は、【ヘスティア・ファミリア】が潰されないように情報を得ること。  そして自分の能力で、地獄への道を舗装しないようできるだけ注意しつつ、飢える子がいないようにすること。  あちこちの有力者のところを、【ロキ・ファミリア】【ヘファイストス・ファミリア】両方の紹介状を手に回った。  まず、大遠征で瓜生の能力を知った【ヘファイストス・ファミリア】と、【アテナ・ファミリア】などいくつかの工芸・工業生産系ファミリアを集めた瓜生は、近代製鉄・近代工業の技術の情報を一気に全公開した。  出し惜しみはしない。衝撃と畏怖。  勇気があるファミリアはそれをリバースエンジニアリングすればいい、と。  将来的にはさまざまな商品の価格が下がり、オラリオ外の鉱工業も増産を始めるだろう。  特に化学工業が持つ可能性は、オラリオ外の油田・炭田の知識も含めて重大である。  瓜生は本来、どこの剣と魔法世界でも圧倒的な技術・作物の優位を持っている。  たいていは、ジャガイモとトウモロコシだけでもものすごい人口増になるほどだ。だがこのオラリオには、すでにジャガイモがある。様々な技術が19世紀以上の水準であり、いくつかの金属は瓜生の故郷を上回っている。  それでも、人間の愚かさが瓜生の味方になる。無数のコロンブスの卵があるのだ。  瓜生の故郷の人類が、馬を家畜化してから鐙(あぶみ)を発明するまで数千年。鐙よりも生産力に強くかかわる、馬の首を絞めない正しい馬具にはもっとかかった。  服ができてからボタンができるまでも長い。  近年では、缶詰が発明されてから缶切りが発明されるまでに、半世紀以上のタイムラグがあった。  そのようなことを、瓜生は修正できる。しかも発明家の悲劇もない、圧倒的な資金もある。 【デメテル・ファミリア】【ディオニュソス・ファミリア】も、大きく変化する。  さらってきた神ソーマを技師・教師として、酒造技術を人々に伝えさせた。ソーマも趣味に没頭でき幸せそうだ。  さらに瓜生も低温殺菌、高度な蒸留器、発酵用ステンレスタンク、テキーラのように根本的に新しい酒など新技術をもたらす。  フィロキセラが心配だったので、カベルネ・ソーヴィニョンなど故郷の優良品種は孤島で試すことにし、市外ファミリアにゆだねた。  また化学肥料や空中窒素固定作物による緑肥も教えた。それは農業生産量の爆発的増大につながるだろう。  瓜生の出す和食・中華料理・カレーがロキ・ヘファイストス両ファミリアの胃袋をとらえたこともあり、極東作物やスパイスの需要が大きく増えつつある。  それらはすぐに、ものすごい商機になることがわかっている。今の時点でも、極東食材は高騰しており交易ファミリアは大忙し&大儲けなのだ。  それで【ヘルメス・ファミリア】を、最小限、何かしでかすなら事前に瓜生に伝えなければこの巨大利権を取り上げ潰す、と脅した。その代わり落としどころとして、それがベルの成長につながるなら黙認する、と。  また瓜生は、あちこちで携帯用ゲーム機と太陽電池充電設備のセットを売り始めた。最初は半ば闇で、それから……  娯楽に飢えた神々には、それがどれほどの価値があるかは言うまでもない。  それらの動きの一つとして、ベルが地上に戻った数日後。  瓜生はダフネ・ラウロスを貸会議室に招いた。  どちらも団長ではない。瓜生から見れば、かなりなめられている。  中央にあるのは、細い柱に支えられた小テーブル。それにはかなり高級な電池駆動のラジカセがあり、デジタルオーディオプレイヤーからランダムに曲が流れていた。  美女は一瞬目と耳を見張り、何か考えたが、瓜生が引いた椅子に座った。  市販最高級の、焙煎・挽き・ドリップと全自動のコーヒーマシンから極上の香りが漂う。瓜生の故郷の、超高級なクッキーセットも用意されている。 「どうぞ」 「ありがとう」  美女は優雅に飲み、食べる。瓜生も座った。一曲分、静かな時間。 「【ヘスティア・ファミリア】のウリュー・セージです。こちら、【ヘファイストス・ファミリア】からの紹介状です」 「たしかに」 「貴ファミリアは、音楽についてもお仕事をなされているとか」  余計な話をせず、まっすぐに切りこんだ。 「……いきなり」 「失礼ではありますが。そちらもお忙しい身でしょう。情報を集めるとか」  牽制どころか、攻めもせずに突きをぶっ放すよう。 【アポロン・ファミリア】が【ヘスティア・ファミリア】について情報を集めた……その情報をとらえての商談だ。 「下手すぎて怪しいと思いますわ」  ダフネは余裕で受ける。 「結構。説明は必要ですか?」  瓜生は軽く、スピーカーの方に手を向ける。『モルダウ』から『ピアノ・マン』に曲が切り替わった。 「理解できるわ。……聞いたことがない曲、人が不要。娯楽に飢えた神々、金に飽かせた人々がいるこのオラリオはひっくり返ります」 「金持ちだけではない」  瓜生は曲がある程度区切りになるまで待って立ち、スピーカーを止めた。別の台の上にある、上にラッパ状拡声器がついた、無電源レコードプレイヤーをスタートさせた。 「このオラリオの技術で再現できます、貧しい人々も音楽を聴くことができます。  確かに店ごとの演奏家は職を失うかもしれません……しかし、その分楽器生産を増やし音楽に親しむ人を増やせば、人に楽器演奏を教えるという仕事もできるでしょう。  また、新しい曲を生で演奏することを覚えれば、あちこちで引っ張りだこでしょうね。  そんな新しい世界を支配する音楽系ファミリアは、どこでしょうか?」 「……あなたも手に入れればいいだけのこと」  平然と美女は菓子をつまみ、コーヒーを飲む。 「想像を絶する手段でおれの意志が破壊された……としたら、すべては別の音楽系ファミリアに行くと思ってください」 「あなたは口にしていないわね。暴力でも勝てる自信がある、と」  瓜生は微笑し、コーヒーのお代わりを用意するだけだった。 「でも、このオラリオのゲームではド素人ですね。……神々には、金も抑止も通じない、そんなことも知らないなんて」  ダフネの表情は、心底瓜生を哀れんでいた。軽蔑しきっていた。  座った瓜生は、静かにコーヒーをすすった。 「幼児のような、人間に百倍する気まぐれと欲望の超越存在(デウスギア)、それが神々。  特にわが主神が欲しいと決めたら、どんなことをしても手に入れる。止められるものなどない。たとえ【ロキ・ファミリア】でも。私たち眷属は、どんな脅しがあっても利益があっても命令に従い、必ず手に入れる。  おいしいコーヒーとお菓子のお礼に忠告を。抵抗は苦しいだけよ」  そう言って、【アポロン・ファミリア】の美女は席を立った。  瓜生は自分のコーヒーを飲み、メモをとった。彼にも次の予定がある。  ミアハは店舗を手放し、ナァーザとともに瓜生が用意した研究室に移った。そこには『学区』から何人か助手を雇い、瓜生の故郷の薬学と、冒険者のためのスポーツ医学の研究が始まった。  瓜生が提言した、 「試験管だと割れるリスクが大きい。厚手のホーローなら化学的には問題がないはずだ」  という発想や、ナァーザが研究していた体力と精神力の双方を癒すデュアル・ポーションは、【シンノウ(神農)・ファミリア】が研究と販売を引き継ぎ、その利益は瓜生が全額払った借金の返済に充てることになった。  実際にはミアハたちの生活水準は向上し、ミアハは深く感謝していた。  タケミカヅチと眷属たちも【ヘスティア・ファミリア】の新築ホームの空き部屋に引っ越してきた。  部屋には風呂があり、ヤマト・命は大喜びだった。  体育館もあり、そこでじっくり修行もできる。  だが、彼らはとても多忙になる。  まず、大売れしている屋台を、極東出身の信頼できる知り合いと共同し、瓜生の出す食材に頼らない仕入れ網も作って、動かし続ける。  そして瓜生が提言した、『ギルド』と【ミアハ・ファミリア】とも共同の学校作り。  名義としてはミアハ・タケミカヅチの二神を中心、実際には瓜生とエイナ・チュールとその上役を中心に【ガネーシャ・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】も協力している。  遺跡地帯の一部を整地し、ある程度運動もできるようにした。  読み書きと剣術、戦法を学び、素振り・ウェイトトレーニング・自重トレーニング・ボート漕ぎ運動を中心とし、食生活・礼儀・生活習慣も指導して体を鍛え技と学問を身につけ、 「ダンジョンでも生存率を上げ、冒険者でない道を歩みたければ可能なように……」  と。  莫大な資金と、専門知識がある何柱もの神々の協力。  そして名もあった。 「どこのファミリアからも断られるほど弱々しかったのが、一月半の史上最速ランクアップ。その秘訣はタケミカヅチとミアハが協力した剣術・運動医学指導があった」  という、 (嘘ではないが事実すべてでもない……)  報告をギルドは公表した。  ベルが実際にやったこと、 (膨大すぎるモンスターを倒し、『強化種』と思われるミノタウロスを単独撃破……)  はとても公表できないのだから。  まして、『憧憬一途』は【ヘスティア・ファミリア】最高機密、【ロキ・ファミリア】にもエイナ・チュールにも伝えていない。  それで、多くの弱い冒険者たちが教室に集まった。  深い絶望の中の一縷の望みを抱いて。  単純に、ベル・クラネルにあこがれて。  武神タケミカヅチは、あっというまに「短期間で学べる基本技だけの武術」を構成した。膨大な武の引き出し、そして瓜生が〈出し〉た資料があった。示現流、形意拳、八極拳、太極拳、通背拳、八卦掌、軍隊格闘術のDVD。  言葉はわからなくても、見るだけで十分だった。  武器は槍、片手剣と盾、両手剣と刀、短刀、素手。どれも単純な技を3手程度と、歩方のみ。共通の技や身体運用も多く、学ぶコストを最小化し、一つの多数練習した技を実戦で使えるようにする。  槍は八極の、時計回り・反時計回り・突きの三つだけ。  片手剣は左右の袈裟切りと、半身で全体重を乗せた突きのみ。短剣も同様。  両手剣と刀は示現流の左右袈裟と、諸手突きだけ。  そして素手は、長い訓練がないと骨折しやすい拳ではなく、掌底と肘、スネ狙いの前蹴りのみ。近代軍格闘技の始祖フェアバーン・サイクス・メソッドに似て単純な技だけだ。武器術と共通の動きも多いので短時間で習得できる。  十日で、心に余裕がなくとも体に叩きこまれた動きで人を殺せるよう。軍隊の新兵訓練と同じ、時間がないから数少ない技をすごい数。  軍と違うのは、何十年も続ければそれだけで極意に至れる技ばかりにしている……武術の神みずからの手になる技、ということだ。  ランクアップし、『鍛冶』スキルも発現したヴェルフ・クロッゾは試作品の前で、頭を抱えていた。  興奮と、激しい憎悪に近い感情。  瓜生にもらった弾薬と銃を必死で分析した。向上した感覚器も注いで、理解しようとできることをし尽くした。  打たないと誓った、持ち主を残して砕けていく魔剣。だが仲間のためにはその意地も……  だが、弾薬や手榴弾はどうだ。最初から消耗品として作られている。そして銃そのものも銃身寿命がある消耗品だ。【ヘルメス・ファミリア】のアスフィ・アル・アンドロメダも、手榴弾に似た武器を作った。  それらを自分とリリが手にしていれば、仲間を守る。  肝心なことは仲間が生きて帰ることであり、それ以外はすべて余計なこと。  椿が魔剣を否定しない理由…… (どんな手段でも、できる限り向上しなければ、神ヘファイストスに迫ることなどできようはずがない……)  このことも、理解できてしまった。  そして、考えてしまったのだ。 (火薬は簡単には作れないが、魔剣を小さくすれば……)  できてしまった。  瓜生に見せてもらった、さまざまな形と機構の銃の一つをほぼコピーした。  中折れ単発、20ミリの大口径。ダンジョン素材を用いており、瓜生の世界の銃より高圧に耐える。  弾頭も、軟鉄にダンジョン素材の硬い弾芯を埋め、軽い木のサボをつけたもの。  内外とも塗料で防錆した鉄薬莢の中身は火薬と雷管ではない。針のように小さな魔剣と、水だ。  トリガーを引けば、トリガーの一部が薬莢内の小さな魔剣につながる。  魔剣が、高密度の炎が解放されれば水が超高温にさらされ、超高圧にかわり、火薬の爆発ガスと同じように弾頭を押し出す。  銃がその圧に耐えることも確かめた。初速・弾頭質量ともに、瓜生が出した20ミリ機関砲の徹甲弾を上回る。  瓜生が出した銃と同じ。魔剣以上の、絶対的な『兵器』だ。  だからこそその苦悩は、絶叫するほどのものだった。生まれてきたことを呪うほどに。  間違いなく、これは巨万の金になるだろう。だが金だけなら、『クロッゾの魔剣』を多数作ればそれだけでも得られる。金はヴェルフにとって問題ではない。  これは、 (ウリュウがいなくなったとしても、ベルたちを、仲間を守る力になりえる……)  が、 (クロッゾの魔剣がラキアによって濫用されたように、世界を壊すのでは……)  という恐れ、畏れがあるのだ。 (たとえ精霊の怒りに触れて魔剣を打つ力を奪われても、普通の鍛冶として鉄を打てばいい……)  そう思ってもいた。  だが、そんなことでは償いにすらならない。  ヴェルフでなくても、上級鍛冶師も魔剣を打つことはできる。世界がひっくり返ってしまうのだ。  その苦悩を、ぴたりと当ててくるのが主神の主神たるところだ。 「できてしまったようね」 「なんだなんだ、何ができたというのだ!」  女神ヘファイストスと椿・コルブランド団長が押しかけてきた。 「おお……小さな魔剣、水を熱する……その手があったか!」  椿は即座に、すべてを理解した。高熱を受けた水の爆発力は、数え切れぬ傷とともにいやというほど知っているのだ。 「やったではないか!」 「やったじゃねえよ……なんてことをしちまったんだ俺は……」 「それは武器を作る者が常に背負う宿命よ」  ヘファイストスは笑った。天界では何度も、世界を滅ぼせる武器を作った実績がある。 「どちらも、瓜生殿に教えてもらった旋盤や『ぷれす』でたくさん作ることができる。瓜生殿がしているように、多数の安い弾薬を持って行って、より楽に深層にも行けるであろう。  いやこれがあれば、手前たちも59階層でも苦戦せなんだやもしれん。いずれは黒竜にも手が届こうというもの!」  椿の大声でほめあげられ、徹夜と苦悩でボロボロのヴェルフの頭はガンガンと痛んだ。 「まず眠りなさい。寝不足で打ったものは持ち主を守れないわ」  ヘファイストスの一言は優しく、そして厳しかった。  ヘファイストスの苦慮はそれだけではない。  瓜生がもたらした金属を研究した結果、 「コバルト・チタン・純銅・ミスリル・アダマンチウム・キラーアントの爪・ライガーファングの牙。それもアダマンチウムはごくわずか。  キラーアントの爪はとても安いし、ライガーファングも中層とはいえ18階より上だ。  さらに打つのはLv.3の鍛冶師でいい。それで切れ味は普通より悪いが不壊属性(デュランダル)……従来の、百分の一の価格だ。このコバルトやチタンなどが無料なら」  という、恐ろしい結果が出た。  さらに交換可能な高硬度チップをつける、という瓜生の故郷の工具を見た鍛冶師たちは、不壊属性の刀身に高硬度素材のチップをつけることで長寿命で研ぐ手間がいらない武器ができることにも気がついた。  深刻な価格破壊が起きる。確かに冒険者の生存率は上げるにしても……  むしろ【ヘファイストス・ファミリア】にとっては、そのほうが問題は大きかった。さらに工業機械による生産の効率化、という問題も……  瓜生の智識と富、得た権力に近い力は、少しずつオラリオを変えていく。少しずつと言っても、ほんの二か月ではあまりにも急に。草が元気に葉を伸ばすように。  どれほどの神や人が、激動の時代が始まっていることに気がついたろう。 >土台 「リリルカ。これらの情報から明らかだろう、【アポロン・ファミリア】がうちを狙っていることは。おれがどう対処するか、すべてを見て学んでくれ。  目的は戦いを避け両方が得をすることだが、それは難しそうだ。なら、確実に勝てるように事前にしっかりと準備をする。  そのためには何よりも情報だ。情報屋にも紹介するから、顔をつないでおいてくれ。今回は見習い、次からはきみに主導してもらう。  ヤマト・命、ヒタチ・千草……恩を返すため、何でもするといいましたね?神タケミカヅチからは、あなたがたは忍びとしてもすぐれていると聞きましたが」  瓜生の横には、大型のリュックがいくつもあった。高額ヴァリス金貨や、金地金でいっぱい。新築の床がたわんでいる。 「さて、リリルカ。きみならうち(ヘスティア・ファミリア)をどう攻める?最悪を想定しよう、すべてばれている、と。あちらには、信用されていない予言者がいるらしい……信用されていない、が嘘かもしれない」  リリはじっと考え、目をあげた。 「……まず大義名分を得、多くのファミリアを味方につける。うちの弱みは人数が少ないこと。ベルさまたちの異様な成長が嫉妬されていること。ウリュウ様の異様な行動が、恐怖と憶測、反発も呼んでいること」  瓜生は自分を批判するような言葉に反応もせず、聞き返した。 「大義名分とは?」 「こちらから手を出させる……挑発、ですね」 「それを防ぐには?」 「常に多くの証人がいる状態を作る、です」 「それにどんな落とし穴がある?」 「……証人を買収・脅迫する」 「その対策は?」 「買収されていれば、それ以上の金額を積む。脅迫なら、家族も含めて護衛をつける。商売での脅迫なら、借金はもってやり、売る・買うとも別の取引先を用意する……ですね」  リリはちらりと、瓜生の脇の金袋を見た。  瓜生は微笑し、高額ヴァリスの袋を命と千草に手渡した。 「まず、【アポロン・ファミリア】団長ヒュアキントスの性格や好みを」  リリが言い出した。 「そう考えたのは正しいが、今回は、相手の性格を読んで操ることはしないつもりだ。同じことを繰り返す気はない。定石を守り、攻撃を受けて立つ。だから定石を教えて欲しい」  ヴェルフ・クロッゾのランクアップ祝いに、いつもの『豊穣の女主人』ではなくヴェルフの行きつけの店『焔蜂亭』を選んだ。  瓜生は別の用事があり、レフィーヤはバカンスなのでヴェルフ・ベル・ビーツ・リリ。  前日から、ビーツ用にものすごい量の料理を予約してもらった。  ヴェルフはこれからも仲間だと請け合ったが、悩みはあった。 「迷いもあるようですが?」  とリリに言われて、少し考えてうなずいた。 「ああ……忙しい。ファミリアがやることが、とんでもなく多い」  ため息。  それも、かなり自分の発明のせいで。  魔剣を利用した銃砲、しかも近代機械を使った大量生産。計測面も一変する。  さらに、 (旋盤など、近代機械そのものを作れ。まず定盤、できる限り平らな金属板だ……)  という、鍛冶師にとってとんでもなくやりがいがあり、難しい課題もある。 「何もかもが変わっちまう。ここじゃ言えないようなことばかりだ」 「慎重になるべきでしょうね」  リリもうなずく。笑顔とは別に、内心は緊張している。  狭い店に入るのは反対したが、ヴェルフの行きつけだ。だが、逆に、 (敵に機会を与え、敵を動かす……)  ことも考え、準備した。  隅から罵声が響いた時、リリは厳しい表情で紙に書き、消した。 『どんな挑発も、絶対に無視してください。誰が侮辱されても、絶対に』  ベルもヴェルフも歯を食いしばる。 『我慢さえしていれば、相手は自滅します。そのほうがいい報復です』  罵声はエスカレートしていく。 「インチキもやりほうだいだ!」 「変なスキル持ちにおんぶだっこのくせに」 「どうやって【ロキ・ファミリア】にとりいったんだ、あやかりたいもんだぜ」 「インチキ野郎と一緒にインチキしてるやつがいるなんて、【ヘファイストス・ファミリア】も落ちたもんだぜ」 「それもあのクロッゾの一族らしいぞ?エルフに恨まれまくってるあの落ちぶれ貴族」 「吐くほどドきたねえ方法で【ソーマ・ファミリア】を潰したらしいなあ」 「白兎が、アイズ・ヴァレンシュタインにぼこぼこにされたって」 「なんか怪しいやつがいるそうだが、ここにはいないなあ。モンスターだってうわさだぜ」  ……ヘスティアを、ヘファイストスを……ロキを、アイズを……瓜生を……  ベルもヴェルフも、激しく歯を食いしばっていた。  ビーツだけは耳が聞こえないように、バケツ入りのプリンをひたすら口に運んでいる。 「もっと聞かせてくれないすか?」 「そうそう、手前の主神の名もあったなあ。え?」  奥から出てきた姿に、【アポロン・ファミリア】の者はびくっとなった。 【ロキ・ファミリア】のラウル・ノールドとベート・ローガ。 【ヘファイストス・ファミリア】の椿・コルブランド。 【ディオニュソス・ファミリア】のフィルヴィス・シャリア。 【ヘルメス・ファミリア】のルルネ・ルーイ。  それだけではない。 【オモイカネ・ファミリア】【フツヌシノカミ・ファミリア】【アテナ・ファミリア】【ムネモシュネ・ファミリア】【ヴァルナ・ファミリア】【パールヴァティ・ファミリア】などの、それと知られた、レベル2や3の冒険者が席を立ち、【アポロン・ファミリア】とその協力者を包囲した。  小人(パルゥム)は失言に気づき、青くなる。ロキやヘファイストスの悪口を言ってしまったのだ。 「何のことだ?何も言っていないぞ!」  その叫びを聞いたリリが懐から妙な機械を取り出し、いじる。  先ほどの罵声が、そのまま再生された。 「動画も録画しています」  リリが背が低いからこそ見える、店の低いところからビデオカメラを取り出し、液晶画面を開いて再生を始める。 「うわ」 「なんだこれ」 「神の鏡?」  ルルネたちが興味津々にのぞく。 「おい、『神の力(アルカナム)』を行使しているのか?重罪だぞ!」  アポロン側から怒鳴り声があるが、 「使っていません。力は感じられないでしょう?どのように動作するかは、ウリュウ様に聞けば説明してくれますよ」  とリリが冷笑した。 「確かに、力は感じないな」  椿が笑う。かなりの圧迫感を持って。 「そ、それが何の証拠になる!インチキだ!インチキルーキーなんだから!」 「何が真実になるか決めるのは、力だ。お前たちもそうするつもりだったのだろう?」  フィルヴィスが沈痛に言った。 「おい」  ベートがベルに怒鳴りつけた。 「は、はい」 「いい気になんじゃねえぞ。表に出てやりあえ」  と、ベートがベルをにらみながらヒュアキントスを親指で指差した。レベル3とレベル2、無謀を通り越しているが…… 「それはよいな。誰も手を出すでないぞ」  と、椿も笑う。 (詰み……) 【アポロン・ファミリア】は追い詰められていた。  レベル6のベート、5の椿、他にも3以上がごろごろ。  こちらは最大でヒュアキントスの3なのだ。証人として用意したはずの、別ファミリアの冒険者も、 (つきあってられるか……) (冗談じゃない……)  といわんばかりに、露骨に目をそらす。  下卑た笑みを浮かべる者さえいる。逆買収済みだ。  ここでベルと対決できるのは、唯一の救いとなる。 (力で圧倒すれば、強いほうが正義だ……)  ……逃げ道に、飛びついた。  店の外が片付けられ、手回しよく戦える場になっている。  野次馬も集まっている……皆、証人になる。実はかなり前から、ベルたちが出歩くときにはならず者が何人も、少し距離をとってついて歩いている。 (いざというとき、証人になってくれれば……)  酒代は出るのだから。  また、見ない顔がいれば、報告すればまた金をくれる。それを命や千草が話を聞き出し、逆買収した。  それだけではない。人が集まれば、暇人や暇神は金がなくてもついてくる。  素手、ということに決まり、どちらも得物を預けた。  ベルは少し動揺したが、絶望ではない。  美形のヒュアキントスは、じつに傲慢な笑みを浮かべた。なめきっている。 (18階層で、アイズに出ばな出ばなを打たれて手も足も出なかった……)  と、聞いている。  そして何より、レベルが違う。一つでもレベルが違えば、大人と幼児、牛と犬のように差がある。  ベルは素手の経験はほとんどない。ずっとダンジョンで戦っている。故郷でも同年代の子供が少なく、ケンカの経験もあまりない。  だがタケミカヅチには、 「剣術を少し応用すれば、素手での戦いはたやすい」  と、剣の基本技を応用した動きを習っている。  脇差での片手切りを応用し、手刀で急所を打つ。  諸手突きを応用し、両掌で相手の心臓を叩き押し飛ばす。  この応用は、瓜生主導で作っている初心冒険者の学校でも教えられている。  また特訓でアイズ・ヴァレンシュタインに、 「ベルがよくやる、脇差二刀は体術も大事。大丈夫、ベルは身体の芯と重心がしっかりしているから、すぐ覚える」  と、回し蹴りや肘打ち、ある種の投げ技も教わっている。  始まった。やはり、レベル2と3の差は圧倒的だった。  10、20、30……反撃どころか防御すらろくに許さず、何十発も拳が、蹴りがベルを打ちひしぐ。  ベート・ローガと椿・コルブランドは、途中からものすごくイライラし始めた。びんぼうゆすり、それが半ば地団駄にすらなりつつある。  逆にそれが、ヒュアキントスの嗜虐心をあおる。 (卑怯な何かでひいきしている小僧がぶちのめされるのを見て、嫌だろう、ならもっと見せつけてやる)  と、ますます徹底的に殴り、蹴る。  低レベルの冒険者たちは、 (殺す気か……)  とさえ思った。  疑問に思ったのは、レベル3のフィルヴィスだった。 (なぜ、レベル3が2をぶちのめして、こんなに長く立っていられる?普通は一撃で終わるはずだ……どちらもレベルに間違いはない、ベルは非常にステイタスが高いが)  このことである。  突然。  ベート・ローガからすさまじい殺気が吹き荒れた。  ヒュアキントスがとっさに飛びのき、 「ふん」  と傲慢に唾を吐いた。 「下郎相手に手が汚れたではないか」  と言いながら、ベートと椿を見ておびえを抑え、なんとか恰好をとりつくろい、ファミリアを引き連れて去っていく。  ベートも椿も、ヒュアキントスなど、【アポロン・ファミリア】など完全に無視していた。  とんでもなく怒った表情……殺気は全部、ベル・クラネルに集中していた。  突然ベートが、息をつきながら立っているベルに襲いかかり、胴体を思い切り蹴った。  吹っ飛んだベルを受け止めた椿は、ベートの微妙な表情を見た。うなずきかける。 「けっ!っ雑魚があっ!」  ベートは、ベルを八つ裂きにしたいほどの怒りをかろうじて抑えるように叫び、小走りに近い早足で立ち去った。  ラウルが頭を下げて後を追う。 「すまないす。でもベートさんが怒るのも当たり前っす……ウリュウさんのおかげでランクアップしたからっす、わかったのは」  と残して。 「おい、どういう」  ヴェルフがベートを咎めようとし……椿の殺気に硬直した。 「来い、手当てもせねばならん」  それだけ言って、ベルをかるがると荷物のように担いだまま、歩き出した。 「悪いこころじゃない」  ビーツがヴェルフを止め、椿について歩き出す。  ヴェルフも、リリも、呆然とついていく。  椿は途中で薬を買ってベルを治療した。  ヴェルフは首をかしげた。レベル6にランクアップしたというベート・ローガに、どう見ても全力で蹴られた。エリクサーが必要、いや即死ものだろうが、ポーション一本だけ。  また担ごうとする椿にリリが、 「もう、大丈夫なようですよ」  美女に、嫉妬をちらりと見せている。 「おお、すまんな、抱き心地がよかったゆえ」  と椿はまた抱こうとしたベルをおろした。  ベルは美女に担がれて、結果腕や顔が爆乳に当たりまくる状態だったので、半ば目を回していた。そんなベルをリリがつねった。  それから一行はリリはついていくのがやっとな早足で、市街の中にある開け、壁に囲まれた場に行った。  ちょっとした修業ができそうな場だ。 「【ヘファイストス・ファミリア】の、幹部用の武術修行場の一つだ」  とヴェルフがリリにいう。 「ご説明いただけますか?」  リリが、勇気を振り絞って迷宮都市でも最大手ファミリアのひとつの、団長に言う。 「第一級冒険者にはわかる、なにかがあったようですが。ベート様の乱暴も、ただの乱暴ではない?」 「そうじゃ。ああするのもわかる、手前も殴らずにいるのが限界に近いんじゃ!」  あらためて鬼の顔。リヴィラで、鍛冶仕事をしているときの鬼そのままだった。  ビーツの表情に気づいた椿が、 「わかっておるようじゃな。……ゆくぞ」  と、突然殴りかかった。大ハンマーのような拳が、到底反応できぬ速度で少女を襲う。  悲鳴を上げる暇もない。  ビーツはまさに手も足も出ないで直撃を食う……だが、わずかに椿はよろめいた。 「そうじゃ。天才じゃなそなた!」  椿は実に嬉しそうに、ビーツの背を何度もたたく。ビーツはそれも構わないように、腰を落とし立ったまま胴体だけをわずかにひねったり、前にお辞儀をしてみたりしていた。 「な……」 「ヴェル吉。なにもわからんのか?」  椿はあきれたようにヴェルフに言う。  ヴェルフは歯を噛み鳴らした。悔しくて悔しくて爆発しそうだ。  ベートにも、ラウルにも、椿にも、ビーツにもわかっていることが、自分にはわからないのだ。 「おかしいとは思ったことはないのか?」  椿の重なる問いに、ヴェルフはかろうじて言った。 「おかしい。レベル3のヒュアキントスが、何十発も殴ったのにレベル2のベルは立っていた……そう誰かが言っているのが聞こえた」 「そうじゃ。だから、あやつも我慢ならんのじゃ!あと一歩、半歩、殻どころか薄皮一枚じゃぞ!  手で防ぐのが間に合わぬ、足で跳んでよけるにも間に合わぬ、それでも腰で、身体の芯で打撃を半減させていた。だが、もう……ええいヴェル吉。全力で殴ってこい!」  説明が面倒になった椿が叫び、両手を後ろに組む。 「あ、ああ。……思いっきり行くぜ」  と、本当に全力で殴り掛かった。  椿のみぞおちに正拳が食いこんだ、はずなのにヴェルフはもんどりうち、受け身も取れない形で転倒した。 「ぐはっ……」 「一歩も動いておらん。手も使っておらん。それでもこれはできる。来い!」  ビーツに声をかける。  少女は姿勢を正し、深呼吸で『気』を増幅させ全身に光気をまとい……大槍で突くようにすさまじい突きを繰り出した。  拳が当たった、と見えた状態から、全身の力が抜けたように垂直にくずおれる。  椿の胴体がほんのわずかに傾きを変え、掌がビーツの脇腹に当たっていた。  まったくモーションのない、ゼロ距離打撃。 「来い」  今度はベル。  ベルは一瞬おびえたが、覚悟を決めて歩き出し……打ちかかる。  全身で突くかのような両手の一撃、だがそれはとても柔らかな感触に吸われる。 (おなかを狙ったのに、胸を触っちゃった?)  違う。ベルの掌が押しているのは、鋼のような腹筋。なのに、感触は乳房のように柔らかい。  次の瞬間、目に映る地面が空と入れ替わる。投げ技、と思ったら椿の掌が脇腹に触れた。瞬、すさまじい打撃の衝撃が体の芯をぶちぬき、地面に叩きつけられた。  呼吸もしばらくできない。やっとできるようになり、激しくあえぐ。  胴体のわずかな動きだけで打撃を吸収し、受け流す。それで重心を崩し、転ばせる。崩れたところに、一歩も動かず体幹だけから引き出した強打を、触るだけのような最小限の手から流しこむ。  一見無防備に受け、手を伸ばすだけの、防御・崩し・投げ・打撃の統合技。  両手剣より、斧より重い大ハンマーを、どんな戦士も想像もできない回数毎日ふるい、居合もきわめた椿の腰は、オラリオでも最高峰だ。だからこそ可能な神業。  椿はベルを引き起こして胸ぐらをつかみ、揺さぶりながら怒鳴った。 「できるのに、気づいておらぬ。もうちょっと、もう歩けるはずなのに、あきらめてハイハイをする赤子のようなものじゃ!もどかしくて叫び出しそうじゃった!  鍛冶ならば、ミスリルと銅とライガーファングの牙などで、焼きを入れてから時がたって硬くなることもある。それならば待てる。  じゃがあれはない、あれはないぞ!  リヴィラで刀を見た、できる力はある!刃筋が通らねば切れぬ刀、刃筋を通すのも腰じゃ。よき師に正しき腰を教わっている。なのになぜやらん!力を出し惜しむなぁっ!」  椿がイライラを思い出したように地団太を踏んだ。 「す、すみません」  ベルが頭を下げる。やっとわかった、ベートの怒りの理由も腑に落ちた。  身体の芯を使う戦法が、もうできる実力があるのに、気がついていない。材料はそろっていて、それさえやればヒュアキントスに反撃できるのに、打ちのめされている。見ていてもどかしいだろう。  そしてベートの桁外れの蹴りを受けたとき。  体幹だけで打撃を流し相手を崩す、その動きを一段高い水準でおこなった。しなければ死んでいた。  それで深くこつが、 (身体に、おちた……)  のもわかる。  いや、リヴィラでアイズ・ヴァレンシュタインと決闘したとき、一方的に打たれつつその動きの芽が出ていたこと……その種はタケミカヅチがしっかり仕込んでいたこともわかった。  タケミカヅチに、アイズに、ベートに、椿に感謝の思いが沸く。何とも言えず嬉しい。 「なら、ものになるまでやるぞ」  隻眼をらんらんと輝かせ、拳を握る椿の迫力に、ベルは顔を硬直させた。 「え」 「え、ではない!問答無用!」  兎の悲鳴が響いた。  ついでに。椿もベートも、手ごたえの違和感にも、ベルが立っていることがおかしいとも気づきもしないヒュアキントスを深く軽蔑している……軽蔑を通り越して無関心の域だ。  ベートにとっては、下をいたぶっていい気になっている雑魚も、 (上のレベルには、かなわない……)  と決めつけ、自分の可能性を追求しきっていない、前だけを向いていなかったベルも、許せない。  瓜生は、【ロキ・ファミリア】のフィン・ディムナを含む数人の男、武威と彼が保護する少年……言いかけてしまった名前、「トグ」と呼ぶことにした……とナァーザも連れて、深層に出かけた。  とりあえず二日の予定。  いくつも試してみたいことがあった。フィンも、ランクアップ後の調整が必要だった。  武威とトグの力も試したい。フィンは武威を一目見ただけで、衝撃に固まっていた。桁外れの、圧倒的な強者を感じて。  ナァーザはモンスターを見ると精神的外傷を発するので、螺旋階段から車に乗るまでは目隠しをして手を引いている。だが弓で遠距離狙撃をするならできるという話で、 (画面内なら大丈夫では……)  もしそうなら、戦闘車両や遠隔操作砲塔を扱うことはできる。  そしてフィンは、瓜生を入れて試したいことがあった。【フレイヤ・ファミリア】元団長でレベル6、ミア・グランドが、あのレヴィスという赤毛の怪人に、 (片腕が骨まで切れてなければ、まったくかなわなかった……)  と断言した。  ならば、多くの幹部がランクアップしたとはいえ、安全とは言えない。  考えたいのは、瓜生のもたらした銃砲やその他兵器を前提にした怪人対策。  いつも通り、1階奥で小型の六輪装甲車を準備し、それで17階まで行く。  ナァーザには、RWSの画面のモニターをじっと見させた。多数の怪物が出現しては銃弾に倒れるが、車酔いを感じる以外は問題ない。レベル2の彼女は、車酔いも意志で抑え込めた。  瓜生がナァーザを信じているのは、商品偽装を公開すれば彼女もミアハも完全に終わる、とわかっているからだ。だから瓜生やリリとナァーザはとてもビジネスライクな関係だ。ベルやヘスティアとは完全に近い信頼関係が感じられるが。  武威は鎧が、 (何百キロもあろうか……)  という代物で、パンクしたりサスペンションが壊れたりしそうで車に乗れなかったが、ジョギングのようにらくらくとついてきた。  17階で降りて、18階層の安全地帯を素通りして19階層の車庫から、ナメルに乗り換えて下層に突っ走る。  あえて二両に分け、先頭の車両を瓜生が運転し、ナァーザが射撃を担当した。もう一両は【ロキ・ファミリア】の若手が前回の復習として、フィンの監督で動かしている。  37階層でフィンたちと一時別れ、瓜生たちは『闘技場(コロシアム)』に向かった。  間断なく、一定数を上限に魔法に耐性がある高レベルの怪物が出現し続ける地獄。  圧倒的だった。  鎧も脱がずに武威が振るっているのは新幹線用の、1メートルあたり60キログラムものレール。長さは25メートル。包丁やピアノ線とも遜色のない、高品質の鋼でできている。  それが、闘技場のかなりの面積を『ひゅは』、『さら』と掃き続ける。子供が身長より長いセイタカアワダチソウの枯れ茎を振り回すように。右片手で。手首だけで、いかにも、 (楽で退屈な仕事をしている……)  といわんばかりに。  それで、すべてのモンスターは切断される。子供が拾った針金で、初夏のみずみずしいセイタカアワダチソウやヨウシュヤマゴボウを切り飛ばし南斗水鳥拳を気取るように何十体もまとめて。すぐれた剣士が巻き藁を断つように、しばしそのままの姿を保ち、ずるりと切れ落ち灰と化す。  鋼より硬い肉体を持つモンスターもあるが、関係ない。黒曜石はもろさで粉砕される。別の硬さでもレールのとんでもない速度は、戦車砲のAPFSDSと同様にユゴニオ弾性限界を引き起こし、モンスターの硬皮と鋼をともに液状にして切り裂く。  それでレールはすぐ減るが、かわりは山積みになっている。  たまに、瓜生の車両などに近づくモンスターがいれば、左手で鋼のタガネを、ぽいと投げる。長さ20センチ・太さ2センチ程度の鋼棒はライフル弾以上の速度で正確に飛び、大型のモンスターに大穴を空ける。  反対側を、ナァーザが遠隔操作砲塔を操作して射撃し続けている。瓜生はナァーザに射撃を任せ、装填とメンテナンスに専念している。  一段落し、魔石を回収して別のルームに向かった。武威はしばらく闘技場に残るという。 「今回の収穫は、わけまえをもらう。武威たちは客人で、食い扶持は稼ぎたいそうだし、ナァーザは借金返済もあるから」 「もちろん」 「さて、食事にするか……」  話しながら、すぐにできる食事。発電機と電子レンジをつなげ、カセットコンロに鍋を置き油を入れる。  冷凍のパスタやチーズ入りハンバーグ、鶏から揚げ・オニオンリングフライ・フィッシュフライ・フライドポテトなどがすぐできる。  たっぷりとおいしい食事を済ませ、今回のもう一つの課題を検討し始めた。 「レベル7、もっと上かもしれない相手。最悪の場合には狭い場所。どうする?」  フィンの言葉に、銃器に慣れている【ロキ・ファミリア】男性冒険者がと瓜生がじっと考えた。 「一番単純な二択。大口径と小口径多数だ。  大口径はよけてしまうかもしれない。小口径は多少当たっても効果がないかもしれない。  小口径は小口径ライフル弾の機関銃と、キャニスター弾やフルオートショットガンも分けられるな。  とにかく短時間で、できる限り大口径高初速の弾を、濃密に多数……  また、別の発想で考えると、とにかく歩兵にとって最悪なのは、泥沼と地雷と鉄条網だ」 「残念だが、おそらく待ち伏せられているところにこちらから突撃することになる」 「準備して大火力を叩きこむこともできそうだ。怖いのは分断と、まとめて一掃されること……」  ガトリング式はどうにも初動が遅い。むしろ、アメリカ以外が航空機関砲に使うガスト式やリボルバーキャノンのほうが初動が早い。または、普通の機関砲を多数束ねるか。  全体の重量・総合連射速度・信頼性・威力のバランスがいいのは、大遠征でも活躍したZU-23-2だ。  ほかにも57ミリ対戦車砲のキャニスター弾、カールグスタフ無反動砲のフレシェット散弾などを鉄板に発射する。フィンの耳をかすめさせ、ギリギリで弾速や威力を見極める。  また、単純なアイデアも試す。単に、パチンコ玉を大きいバケツでばらまき、そこをフィンが走り回ってみた。全速で、強力なフラッシュライトをよけながら。そうすると、すさまじい速さだからこそ滑ってしまうこともある。  大量のワイヤーを冒険者の力で投げてみたり、強いフラッシュライトを浴びせたりもした。  フィン自身が仮想レヴィスとして、瓜生の物資を前提に何をされたらやりにくいかを徹底的に検討する。  利き腕でない方の腕で、薬も用意してフィンは試している。レベル7なら5.56ミリNATO弾まで無傷、12.7ミリ弾でも常人がペティナイフで刺された程度、とわかっている。  別のところで、瓜生と【ロキ・ファミリア】【ヘファイストス・ファミリア】が合同で研究しているのが、航空機関砲の活用だ。  ロシアの航空機関砲GSh-23は口径23ミリ、銃身がふたつあり、連射速度も低速ガトリング並みにある上、50キロ/1.4メートルと比較的小さい。人間が扱うには重いが、ランクの高い冒険者にとっては扱える重量だ。ZU-23-2より弾薬が弱いが扱いやすい。  ヨーロッパのマウザーBK-27などは高初速のリボルバーカノンで、連射速度も速く威力もあり、100キロで済む。ガトリング式に比べれば大幅に軽く、電源も必要としない。  それらを普通の機関銃のように、ピストルグリップとトリガーで撃てるようにする工夫だ。  さらに、現用の重機関銃が、優れてはいるが重すぎる14.5ミリ弾で、GSh-23と同じガスト式、高い連射速度がありしかも軽い機関銃を強引に開発している。  リモコンで動く小型戦車に、クレイモア地雷と無反動砲を積んで遠隔発砲できるようにしたものも用意した。  瓜生が帰ってみたら、リリが考えていた通り【アポロン・ファミリア】からの挑発があった。 「相手の出方として予想できるのは?」 「【ソーマ・ファミリア】の質の悪い残党が動いている、と元同僚のチャンドラ様から。どうやら神ソーマの奪回の動きもあるようですね」 「それは【デメテル・ファミリア】と【ディオニュソス・ファミリア】にケンカを売っているようなものだが……」  なにかバックがあるのだろうか。その言葉は口に出しきらなかった。  ただ、ヤマト・命には、調査に注意するように言った。 >ダンスと修行  アポロン主催の、眷属をひとり同伴という奇妙な『神の宴』の招待状が届いた。  カサンドラという女性が、 「き、きのこ雲と黒い雨はやめてください……できたら生命も……」  と弱々しくつぶやいたのが不思議と残った。  その言葉を伝えられた瓜生は一瞬表情を凍らせ、奇妙な苦笑に崩した。それから長いことリリやヘスティアと話していた。  その翌日、【ロキ・ファミリア】女性陣も港町から帰ってきた。レフィーヤが使いに来て瓜生は出かけた。  レフィーヤはそのまま残り、ヴェルフも誘って久々にフルメンバーで、とりあえず14階まで探索に出かけた。  帰り道、11階で血肉(トラップアイテム)を用い、大量の敵を集めては片付けた。  それでも、前日椿につけられた特訓をふりかえれば、 (休んでいるようなもの……)  だった。  改めて与えられた消音銃の再訓練にもなる。  10階でモンスター・パーティが起きたが、ビーツとベルがすさまじい速さで守り切り、レフィーヤの広域魔法がすべてを殲滅した。  ひさびさの、いつも通りのダンジョン探索。だが、次の冒険は目前に迫っている。  ベルとビーツも、レフィーヤも。瓜生も。  だからこそ、冒険を終えてからもベルとビーツは素振りをしたり、冒険者用のエアロバイクとボート漕ぎ運動機のセットで厳しい運動をしたりしている。  それからいつも通り、ヘスティアがふたりのステイタスの伸びにあきれたり、ビーツがとんでもない量のパンとポークソテーを食べたり、新築ホームの風呂をゆっくり楽しんだり…… 『神の宴』が華やかに開催された。自慢の眷属を同伴するという趣向に誰もが喜んでいる。  めかしこんだベルとヘスティアは、緊張しながら馬車から降りた。  ミアハやタケミカヅチも美しい眷属を連れ、優雅に楽しんでいる。  ヘルメスも楽しそうにやってきて、ヘスティアを見て一瞬びくっとした。18階層での騒ぎの後、瓜生とロキにさんざん脅されており、とんでもない条件もつけられている。  それでもヘルメスは、ベルに『隻眼の黒竜』のことなどを語った。 (ウリューさんならなんとかなるんじゃないかな) (あの人たち……【ロキ・ファミリア】でも、倒せないんだろうか)  などとベルは思っていた。  ロキとアイズ。フレイヤとオッタル。二大派閥の登場がクライマックスだった。  そしてヘルメスのはからいで、ベルはアイズと踊るという夢のような時を過ごすことができた。  アイズのとてつもなく整った顔がすぐそばにある。金色の瞳がやさしく見つめてくる。呼吸を合わせ、共に動いている。暖かな肌の感触、かぐわしい香り、触れる髪……  天国のような時間だった。  だが、幸せな夢は終わり。何があるかは、リリと瓜生を交えた話し合いで予想している。  耳にねじこまれたカナル式ヘッドホンがある。ヘスティアの髪飾りに隠された高感度マイクがある。  瓜生とリリは、この『神の宴』にいるのと同じだ。  案の定アポロンは、最初に悪口を言った眷属に包帯を巻かせて出てきた。  だが、 「まったく手は出してません、どんなに悪口を言われても【ヘスティア・ファミリア】も鍛冶師も、じっと我慢してました」 「せっかくだからヒュアキントスさんに包帯巻いてきたらよかったのにな」 「でもその決闘も、【リトル・ルーキー】が一方的にボコられてたらしいし」 「でも面白いので『戦争遊戯』やってくれー」  証人は圧倒的に【ヘスティア・ファミリア】有利だが、それでも神々は楽しみたい。  そのことはすでにリリが指摘していた。 (どれほど証拠や証人が多くても、神々の楽しみたいという気持ちがある以上、戦争遊戯を拒むのは困難でしょう……)  と。  ヘスティアもそれは納得している。  そして瓜生とリリが、あらゆる場合を検討して徹底的に負ける可能性を潰した。 「……団員を傷つけられた以上」  アポロンは冷や汗を流しながら、朗々と猿芝居を続けている。 「見たかアポロンのあのほえ面」 「一言もねーよな」 「あいつにつく証人なんて一人もいないって」 「これはこれで大いに笑える」  神々の間に笑いが広がる。ヘスティアも笑いをこらえきれないようだ。 「……面子というものがある。ヘスティア、君に『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を申し込む!」  すごい音楽を鳴らしそうなアポロンの宣言に、ヘスティアは軽くため息をついた。 「わかった、受けるよ。  ペナルティも知ったことかと街中でも攻撃してきたことがあるって話だしね、君たちは……まあそうなったら、罪もない眷属たちが死ぬだけだ。それは気の毒だから」  ヘスティアの言葉に、ロキとアイズが何度もうなずく。 「はっはっは、これは面白い!こんな面白いホラは聞いたことがないよ!きみは炉と孤児の神ではなく、お笑いの神でもあったんだね!」  アポロンの哄笑。追従する神々もいるが、何人かの神々は大爆笑している。ヘルメスなどはもう笑いすぎで苦しげに転がっているほどだ。  ロキやヘファイストスは、青くなって乾いた笑いを漏らしている。  ロキとアイズ、ベル、ヴェルフが視線をかわし、恐ろしい想像を共有した。ほかにも何人か、兵器が起こす破壊を見、かつ『妙な音』が【ヘスティア・ファミリア】と聞いている者も青くなっていた。  戦いの条件の話…… 「【ヘスティア・ファミリア】は、『クロッゾの魔剣』を量産できる者がいるそうだな。それでは戦いが盛り上がらない。魔剣を……」  そこまで言ったアポロンの耳に、ヒュアキントスが何かをささやく。 「魔剣だけではない、鋼の刀剣以外の武器と、都市内のファミリアからの助っ人を禁じようではないか!人数が少ないのはそちらが悪いのだからな!」  アポロンは傲慢に言い放った。  ヤマト・命がうなずき、肩の花飾りに何かをささやきかける。  瓜生に関して、もっとも広められている噂は、 「【ヘスティア・ファミリア】の『妙な音』は、『クロッゾの魔剣』を安くたくさん作れる。だから上層でも轟音を出して遠距離攻撃ができる」  である。特に【ソーマ・ファミリア】を中心にその情報を流してきた。 【アポロン・ファミリア】はその情報しかなかった、だがヒュアキントスが、それ以上の情報をどこかから得た、だから魔剣に限定せず武器そのものの制限を訴えた。  誰がその情報をヒュアキントスに流したか。逆に、瓜生個人の名前が出たわけではない。ビーツも見落とされている。  命が、物陰でヒュアキントスにメモを渡した男神をしっかりと見た。 「武器の限定か、それとも助っ人の禁止か。どちらか一方だけだ」  ヘスティアの強い一言に、何人もの神々がヘスティアの側に動く。  孤立無援を悟ったアポロンは、 「な、なら助っ人を禁じる!いや、特別に都市外のファミリアからなら認めよう」  と叫ぶ。 「それでいいよ」  武器を制限されれば人数、人数を制限されれば武器。どちらでも勝てる。  その上で、条件を詰める。  戦いの形は「攻城戦」に決まった。それも、頑丈な岩の門で知られる、昔の街道を谷の両側からふさぐ双子城の一方。  当日までに、ベルもビーツも、限界をはるかに越えて強くならなければならない……  少なくともベルは、敵の団長ヒュアキントスを、 (一対一で破らねばならない……)  このことである。  綿密にスケジュールを決めた。会場までの移動で休めばよい、それまで、 「【ロキ・ファミリア】精鋭陣が待つダンジョン上層のルームに行ってケンカを買い、ぶちのめされる」  日と、 「ダンジョンで冗談じゃないほど強いモンスターと戦う」  日を交互に。  さらにボロボロの体で毎日昼過ぎから、夕食をはさんで夜遅くまで、体幹中心のウェイトトレーニングと、ボート漕ぎ・エアロバイクを交互に。  毎朝の素振りで、タケミカヅチがフォームを確認する。  また、【ロキ・ファミリア】の精鋭陣にも話をつけ、 (体幹で流し崩す技と、相手の呼吸を読み合わせ操る……)  ことを課題としてもらった。  フィンなどは、 「それを教えるのは、僕らにもいい修行になるよ」  と喜んでいた。  フィンたちも、もうすぐ自らより上かもしれない敵との戦いを控えている。格上と戦うための技を探求するのは、 (望むところ……)  である。  また、同じ槍使いであるビーツと槍を合わせることで、間接的にタケミカヅチやビーツの養親、『豊穣の女主人』にビーツが泊まるときリューとともに特訓するアーニャ・フローメルの槍技も学べることも喜んでいた。  ちなみにベート・ローガは参加を断った。  リリや瓜生も、むしろ忙しい。何種類かの重砲や爆発物の操作を、深層で徹底的に訓練する。  狙われるリスクがあるヘスティアは、ヘファイストスのところに転がりこむことにした。  新築の建物はタケミカヅチが住んでいる。  ヴェルフは改宗(コンバージョン)まではしなかった。外にあっても、魔剣を打つことで助けにはなれるのだ。  レフィーヤも、【タケミカヅチ・ファミリア】のメンバーも、悩みはしたがとどまった。  都市外【ファミリア】からの助っ人は、リュー・リオンだけではない。むしろ彼女の境遇が例外であり、都市外で活動し、そこからはぐれている、金で釣れる冒険者は結構いるのだ。  オラリオの底辺から20人弱雇い、訓練を始めた。 「冗談じゃないわ……」 【アポロン・ファミリア】のダフネは頭を抱えていた。  証人になる、という買収を裏切った者や神々を脅そうとしたら、家族ごといない。  遺跡地帯に豪華なテントがいくつも建っている。  家族たちはそこで、【ヘスティア・ファミリア】についた神の眷属に守られ、贅沢三昧をしているらしい。  助っ人側はしっかりと固まり、ある種の城を築いてしっかり守っている。 「どこの世界に、いとこの赤ん坊まで狙う人の皮をかぶったモンスターがいるのよ」  瓜生はそれを盗聴し、つぶやいた。 「高官ひとりの暗殺の報復に、街を皆殺しにした外道の世界だ。  女子供でいっぱいの都市にあんたの同僚が見たきのこ雲をつくり、オラリオの人口以上を殺したくそったれの世界だ。  ついこないだまで、九族腰斬があたりまえだった世界だ。  おれもそいつらと同族だ。遺伝子を調べても脳を解剖しても、違いなんか見つからないだろうさ」  と。  さらに護衛を断ったのか、それとも囮か、最近食客となった巨漢と少年が歩いているのを知った。そのふたりを監視していると、恐ろしいものを見てしまった。最近団長ヒュアキントスとよく話す、元【ソーマ・ファミリア】の冒険者が数人、そのふたりを襲った。  惨劇だった。太い鉄杖のひとふりで無造作に、雪人形を蹴り飛ばすように冒険者が挽肉となった。  ちなみに瓜生はふたりにも護衛をつけようとしていたが、 (監視されているようでいやだし、逃げられる実力はある……)  と断られている。  翌朝カサンドラが、 「ゆ、夢で……黒い竜を投げ返した……」 「そんなことあるわけないでしょ!」  ダフネはオラリオの常識で、当然黒い竜とは三大クエストの最後、『隻眼の黒竜』だと思ってしまった。  地下37階、『闘技場(コロシアム)』で、ベル・ビーツ・リリ・ヴェルフ・レフィーヤは激しく戦っていた。エイナが知ったら気絶するような、レベルを大幅に超えた階層でのレベリングだ。  ナァーザが遠隔操作砲塔からの射撃を訓練し、ほかにも【ロキ・ファミリア】の若手が機関砲の訓練をしている。  ベルたちのところに一体ずつ、リザードマン・エリートやバーバリアン、オブシディアン・ソルジャーが来る。  一体倒せば、回復の時間をおいてもう一体。  ベルは10秒チャージして稲妻を刀に落とす。  その間にビーツの長槍と、ハーフアーマーに身を固めたヴェルフが折れた大刀のかわりに打ちあげた大身槍が走る。大身槍は突くことも、長い刃で叩き切ることもできる。  トグは細身だったのがどんな魔法かガレス・ランドロックのようなたくましい筋骨になり、【ヘファイストス・ファミリア】製の、猪人(ボアズ)やドワーフの重戦士が使う重戦斧と大盾をそれぞれ片手で使いこなしている。 (経験不足だが、力・耐久・敏捷はレベル3以上……)  とナァーザは見た。  パーティにとって、これ以上ない『壁』である。  ベルの付与魔法を帯びた刀が当たれば、バーバリアンでも一撃で即死。黒いゴライアスを相手に決めた、手足を壊してチャージ+付与魔法つきの一撃、が基本戦法になる。  当たらなかった時やベルが『咆哮』で転んだ時など、ビーツが前に出る。時々瀕死にもなり、リリがハイポーションとコーンシロップとオリーブ油を飲ませて復活させる。  ヴェルフはまさに死に身であった。彼は普通の、なりたてのレベル2なのだ。だが、弱音など吐けるものか。どれほど現実が重くとも、少なくとも今は。 (今に集中し、弱音を吐かず、全力以上を出し続ける……)  それ以外、できることはなかった。  リリがそれをよく見て、タイミングよく普通ポーションとブドウ糖を混ぜたスポーツドリンクで、肉体の疲れは癒してくれる。問題は、あまりに理不尽な才能の差に、折れそうになる心だ。ベルとビーツ、そしてトグも、背中がはるか遠い。鍛冶師として、椿や主神ヘファイストスには一歩一歩近づこうという気にもなろうが……  リリから見れば、ヴェルフのそれは鼻で笑いたいものだ。普通の冒険者に対して、理不尽な才能の差を感じ続け地獄を這いずった半生なのだから。  ぼろぼろになって帰ったら、リリは瓜生とともに情報を集め分析し、助っ人たちの面倒を見る仕事がある。  そしてベルやビーツは、体幹・足腰を鍛えぬくトレーニングが待っている。ベルとヒュアキントスの戦いで、椿に指摘され、特訓もしてもらったことも聞き、タケミカヅチとも相談して腰・体幹を特に強化することにした。  近代的トレーニングは、今オラリオ全体でも話題になっている。瓜生が紹介し、冒険者の生理にも詳しいミアハとタケミカヅチが監修したものだ。 【ロキ・ファミリア】も試している。  瓜生が創設した学校でも、実験を兼ねておこなわれている。  学校と言えば、瓜生の提言もありフィン・ディムナが小人族(パルゥム)のための孤児院と学校をつくろうと動き始めている。  特に【ロキ・ファミリア】幹部がやるメニューはすさまじいことになっている。  鍛冶ファミリアがつくった、10トンに耐えるシャフトで普通のウェイトトレーニングをするのはもちろんのこと。  たとえば、300キロのバーベルを担いだままその場で、縄跳びのようにジャンプを繰り返す。頭の上1.2メートルに張った綱に頭が触れるように、触れなければもう一度。3時間、口元のストローで塩水を吸いながらずっと続けて繰り返す。そこまでやればレベル6でもさすがに疲労困憊する。  地味にきついのが、背中に100キロ以上リュックに入れたバーベルを背負って、肘をクッションについて腕立て伏せに近い姿勢をするプランク……瓜生の故郷の人間の最高記録は、50キロぐらいで4分ちょいだ。レベル4でも100キロなら10分で音を上げる。  それが力・耐久・俊敏とも、かなり引き揚げてくれる。  もっと効果的なのが、上級冒険者用のエアロバイクとボート漕ぎマシンだ。それで数時間水分補給をしながら動き続ければ、脱水で倒れられないため意志と肉体の純粋な勝負になり、経験値がしっかりたまる。  瓜生が出せるルームランナーでは、プロスポーツ選手用でもレベル2の前半で限界になる。大重量を背負って走るのは、ミアハが調べたところ上級冒険者でも膝の負担が大きすぎるようだ。ついでにルームランナーも壊れる。  それに対し、エアロバイクとボート漕ぎは、特に瓜生が出す大型トラック用のギアやスプリングがあれば容易に強化拡大できる。  ツール・ド・フランスのヘルメット映像を画面に映し、同じ時間走ることもある。  それらは足腰を作り疲れに強くなる運動だが、レベル6でも5回が限度となるように、桁外れのウェイトトレーニング機器も研究されている。  ベルたちは激しいトレーニングでへたりこみ、ストレッチで一日を終える。そして早めに風呂に入って『ステイタス』を更新し、泥のように眠る……ビーツは寝る前に大量の夜食を食べてから。  しっかり9時間熟睡し夜が明けたら、朝食まで30分ほどタケミカヅチの監修で素振りをする。腰がこの特訓の課題であり、武神も厳しく隅々まで見る。  それが終わったら朝食を食べ、ダンジョンの特定のルームに行く。  そこにいる【ロキ・ファミリア】幹部が、 「お前の顔が気に入らない」  と猿芝居で言ってくるので、ケンカを買うのを名目にさんざんにぶちのめされることになる。  ヴェルフも毎日ボロボロになるベルやビーツに負けないよう、必死ですることをしていた。深層での特訓につきあい、防具や魔剣を打ち……  事実上何もできないレフィーヤは、トレーニングに打ちこんだ。今回ランクアップを見送ったのも、魔法特化とはいえ力があまりにも低かったから……それはトレーニングである程度向上できるのだから。ベルたちの役には立てないとしても、じっとしてはいられなかった。  瓜生さえ、暇を見つけて普段の何倍もトレーニングをしている。 >戦争遊戯  オラリオからかなり離れた、今はさびれた地域が戦場となる。  そこに建つ古い廃城は、何日も前からいくつかのファミリアがクエストを受け、山賊を狩っていた。  小高い山の上の、ふたつの城。街道を見下ろし、守っていた。  一方を【アポロン・ファミリア】が全員で守っている。  正面の門は、一軒家ほどもある厚い板状の岩でできている。重くて開閉が大変だが、一度閉めれば厚い城壁を砕く方がたやすいであろう。  もう一方の、使われていない側の城は普通に、深い空堀に板橋を渡し、攻城戦のときには板を引き上げる形だ。  どちらの城も、四隅に高めの塔が建ち、厚い城壁でつないだ構造だ。 「まさに難攻不落」  と、バベルの一室でアポロンが満足げに笑っていた。ただひとり勝利を確信して。  攻略期限は3日。 【ヘスティア・ファミリア】の側……  ベル、ビーツ、リリ、瓜生の4人の正規眷属。  都市外からの助っ人。 『豊穣の女主人』の、【アストレア・ファミリア】リュー・リオンと、【ニョルズ・ファミリア】クロエ・ロロもいる。二人とも覆面をしている。  ほかに、都市外で活動していたり、都市外に追放された主神に従わず迷宮都市の底辺にとどまったりした冒険者が十数人。  さらに、『恩恵』は受けていないが、【ヘスティア・ファミリア】の客人である武威とトグのふたりもいる。  何人かは前日から先行し、やや深い茂みに、大きいテントを作りその下に身を隠すように陣を作っている。  城からは、およそ400メートルの荒れ地にへだてられている。  主神ウラヌスの許可が出た。神々が普段は封じている力を行使し、『鏡』を出現させる。  まるでテレビ実況のように、戦争遊戯を映し出す。  開始の声がかかった瞬間…… 「さて、来るなら」  と言った【アポロン・ファミリア】は目をむいた。  まず、【ヘスティア・ファミリア】の陣全体が、突然火を噴くと深い煙に包まれたのだ。  瓜生が出した、強力な煙幕装置だ。 「なんだあれは」 「あわてるな!ここに達するまでの平野では姿が見える。矢で射ればいい」  そのときだった。  使われていない側の城に爆発が起き、崩れ始めた。  見れば、大きな煙幕に奇妙なことが起きている。  濃い煙が踊る。大きくへこみ、強力な炎が噴き出す。少し色の違う煙が激しく立ち昇る。一瞬、強烈な風が周囲に起きて煙幕が動く。  大型の多連装ロケット。多連装ロケット自体が何両も同時発射。数秒で数百の、大型砲の口径以上のロケット弾を叩きつける。  加えて、第二次大戦のスピガット砲……迫撃砲とロケットランチャーの中間のような砲で、射程は短いが弾の重量だけは航空爆弾級の300キロ。弾は成人男性の大きさがある。それも多数同時発射。  ひたすら助っ人を、高級蒸留酒と高級和牛と大金で釣って訓練してきた。  圧倒的な数と重量の爆薬が降り注ぎ、すさまじい勢いで爆発を繰り返す。  頑丈な塔が、厚い壁が、高性能爆薬に粉砕され、サーモバリックの高圧猛炎に中から押し崩され、崩落する。残っていた部分も、構造上使われる木や皮、モルタルが高熱にやられ崩れていく。  崩れていなくても、 (あの爆炎で生きられるものなど、いない……)  ことは、誰にも分った。街道をはさんでも熱気にあぶられる【アポロン・ファミリア】の者も、まぶしい炎に目がくらんでいる『鏡』を通した観客も。  轟音と衝撃波が、街道を隔てた城をゆるがす。  一つの城が完全に焼け落ちた。まだ炎は燃え盛っている。  実は、別の城が選ばれていれば、近くの古城を戦術核砲弾で爆滅しよう、とも瓜生は考えていた……が、天界では神々の武器を作っていたヘファイストスがぴんときた。 「こんなに広い範囲、誰もいない場所。近くにちょうど見せしめになる別の城。何をするつもり?」  瓜生に耳奥の極細シングルBAカナルで指示されるヘスティアに、隻眼の美女神は、 「あなたはなぜここを選んだのか聞いてない?わかってないの?あなたの子がものすごい破壊をやらかす気よ。冗談じゃないわ!……ここ」  2キロほど離れたところに人里があって、うかつなことをしたら大虐殺になる場所を指定した。瓜生も虐殺はするつもりがないし、放射能汚染もあれなので同意した。 「……りょーかい」 「了解ならいいのよ。場所はこの廃城、いいわね」 「了解だって!」  ヘスティアはもう半泣きだった。  ちなみに核を使った場合に起きる悪夢を、カサンドラは予知夢で見ていたのだ。  突然、揺れながらまだ重く垂れこめる煙幕の中から、すさまじい声がした。  人間に出せる声ではない……対暴徒の、大型スピーカーの声だ。 「【アポロン・ファミリア】に告ぐ。10分後にそちらの城も同様の方法で攻撃する。その城から退避せよ」 「うろたえるな!見張り、持ち場に着け!」  ダフネが必死で叫び、気がついた。 「兎が放つ雷が、岩山を断つ……」  カサンドラのつぶやきは、いつもながら誰にも聞かれない。 「来てるっ!」  見張りも、誰もが隣の城の爆発に、敵陣の炎と煙に目を奪われていた。  その間に、城門の目の前に駆けつけていた人に、誰も気づかなかったのだ。 「しまったあっ!」 「何やってるんだ」 「だいじょうぶだ、ひとりだけだ!射落とせ!」  ひとり。恐ろしく分厚い甲冑を着た巨漢。  その手には非常識なまでに太く長い鉄棒が握られている。人間の大きさの三倍はあるのだ。  巨漢は無造作に、軽々と振った。  隅の塔の一つの基部が、吹き飛んだ。  そのまま崩れていく。巨漢は煙に紛れて、ずしん、ずしんと、 (どれほどの重さなのか……)  恐ろしい足音を響かせつつ、しかも身軽に走る。  別の方角から、リン・リンと大きな鈴の音が鳴る。  そして見張りたちの眼を、すさまじい光が射た。  風もろくにない薄曇りの空から、すさまじい光の柱……雷が落ちた。  轟音と衝撃波が、見張りを震わせる。  ヘルメットを後ろにずらし、白い髪が見えている。鎖帷子の上に軽装鎧の小柄な少年が、刀を振りかぶっていた。 「ベル・クラネル」  家ほどもある、分厚い正門の岩板。  刀が振るわれる。  また、閃光が目を射る。 「な、どうしたんだ」 「なにも……」 「かっこうだけか」  笑おうとした守備側。  巨大な岩門が、ずるりと切れていた。大根を切るように。崩れていく。 「あ、あああああああ……」 「すっげええええっ!」 「欲しいいいいっ!」 「変なゴライアス一刀両断って噂、本当なんだ」  神々の、そして人々の絶叫がオラリオを満たす。  かろうじて立っているベルを、巨漢がつかんで子ウサギでも持つようにぶらさげ、走り去った。 「ひ、ひるむな!もうあれで体力を使い切っているぞ!門がなければ人で守れ」  ヒュアキントスが叫ぶ、その次の瞬間……  別の方向から、すさまじい炎の波が押し寄せた。 「え」  そこにいるのは、エルフと猫人。  エルフが振るった剣から放たれた、すさまじい熱量と密度の火球が隅塔を一つ呑み、焼き崩した。 「あ、あれは」 「『クロッゾの魔剣』!」 「長文詠唱をした正規魔法以上の威力」 「海を焼いたって伝説、本当なんだ」  誰もが叫ぶ。 「くそう……全員、城を捨てろ!敵陣を攻め落とせ、数でもみつぶせえっ!」  命令が叫ばれ、誰もが必死で城から飛び出した。 「追え、倒せ!」  次々と崩れた部分などから走り出す冒険者たち。  百をこえる数、それが力になっている。  その多くが、走りながら苦痛にうめきはじめた。  何が痛いのかわからない。だが、露出した顔や手が何とも痛い。  リリが茂みの影から使っている非致死性兵器。一種の電子レンジで、群衆の皮膚に苦痛を与える対暴動兵器。  さらに、茂みから次々に妙な弾が飛んでくると煙を吹き出す。それを吸った者は涙と咳、嘔吐に苦しみはじめた。催涙ガス弾。  レベル2、ましてレベル3のヒュアキントスにはそれは通用しない、第一走るのも速いから、上位陣だけが先行してしまう。  ヒュアキントスの前に、ハイポーションとマジックポーションを飲み干して立ち直ったベル・クラネルが立ちふさがる。  そして、ヒュアキントスの後ろをリュー、クロエ、ビーツ、瓜生が分断。レベル2たちとの戦いになる。  レベル1の大集団を横から、広がった煙幕の影から襲いかかる十数人の冒険者。  ガスマスクをつけ、全身を完全に覆っていて催涙ガスなどの影響がない、都市外からの冒険者たちだ。  いきなり打ちこまれる『クロッゾの魔剣』。広域型だったので死者は出ていないが、レベル1多数は皆かなりのダメージを負い、しかも非致死性兵器に苦しみながら、横腹からの敵に立ち向かうことになってしまった。  敵を分断し、味方を指揮し、さまざまな大規模非致死性兵器を使っているのは、リリルカ・アーデ。寄せ集めは彼女が持つ超強力フラッシュライトと小型通信器に従って、一つの生き物と化している。  都市外では、ダンジョンで経験を積めないので最高レベルは3とされる。モンスターも冒険者も弱いというのが通説だ。  だからこそアポロンも、有利を得るために都市外からの助っ人だけ、と言ったのだ。  だが、【アポロン・ファミリア】の冒険者たちは、自分たちが無理な弱い者いじめをしていると自覚している。大義がない。見せつけられた大破壊で戦意を崩されていた。  さらに非致死性兵器の苦痛がある。目と呼吸をやられている。  加えて、助っ人たちは、装備がよかった。ひとり300万ヴァリス、ただし武器防具ポーションに使ったとちゃんと領収書を取ること。無論この戦争遊戯が終わったら進呈する……金で戦力を買ったのだ。  強力フラッシュライトを持つ者もいて、ただでさえ催涙ガスで弱っている敵の視界を奪い、味方に殴らせる。  ダメ押しに、助っ人たちは特殊な棒状武器を渡されていた。先端の、画鋲ほどの「魔剣」を交換することで、一撃の威力が大幅に増す。棒部分は20回ぐらいもちこたえる……ヴェルフが新しい技術で作った最新型。今回は持ち出していない『銃』の応用でもある。  目が痛く咳で苦しい、なぜかわからず痛い、圧倒的な破壊が怖い……そんなときに突然強烈な光で目がくらんだ瞬間、別の敵に殴られ、レベル1とは思えない威力で吹き飛んで気絶。  多少の人数差は無意味だ。  ついでに、中層の広いルームで多連装ロケットなどの訓練もしてある。  フランベルジュを構えたヒュアキントスに、刀を腰に横たえるように持ったベルが歩き向かう。  なめきって、刀ごと顔を半分削ぐつもりで打ちこんだ剛剣。  だが、柔らかく滑るものを切ったように手ごたえが変だ。  振りかぶる刀に、滑りそらされている。  歩き続ける足が、嫌な場所に入られている。 「生意気な!」  叫び、レベル3の速度で動いて切り返そうとするが、嫌なところに袈裟切りが走った。  思わず手を止めてしまい、その時にはベルはもう、別の一歩を踏み出している。  足を止めない。  そして動きに緩急があり、なんとなくやりにくい。  最大速度で引き離そうとしたが、それができない。気がつくと、ベルは同じ速度で動いている。  ベルには迷いも何もなかった。気負いもなかった。何日も、毎日自分より強い相手と戦ってきた。【ロキ・ファミリア】の幹部たち。下層のモンスター。  そして何より、 (ベートさんや椿さんを、これ以上失望させたくない……)  と、強烈に思っていた。  レベルが違うから勝てないとか、考えない。あのミノタウロス戦のように、全力で戦う。  それは【ロキ・ファミリア】幹部との特訓からできるようになってきた。本当に勝つ気で、すべてをぶつけて挑むことが。そうしなければ、 (確実に死ぬ……)  ほどの高みと戦い続けた。  ベルは、【ロキ・ファミリア】幹部かわるがわるの特訓の最後の日、アイズに言われたことを思い出している。 「リヴィラで戦ったとき、ベルはなすすべもなくやられてなんてなかった。打たれる前に反撃しようと動き、腰を入れてた。だからこちらの攻撃の威力は、半分以下だった。  レベル6の攻撃がまともに当たってたら、普通のレベル2なら一発で倒れてた。何度も打たなければ倒せなかったのは、ベルが動き続け、腰で打ち返そうとしていたから」  フィン・ディムナの教えはもっとわかりやすかった。ダメージは絶大だが。 「腰に目があるように相手をとらえる。腰で振りかぶり始めているだけで、腰の角度や手の動き、刃の動きがある。それだけでも真剣なら致命傷をまぬがれ、素手なら威力を半減するだけのものがあるんだ。  腰を落とし、腰で打つ。その基本は攻防一致でもある、武神タケミカヅチの教えはさすがだね。いい勉強をさせてもらった」  ティオナ・ヒリュテは、 「りくつなんてわかんないけど、とにかく前に出て、攻め続けないとだめだよ!いっくよーっ!」  と、体に直接流しこんでくれた。  毎回ボロボロなどというものではなかった。フィンはレベル7、アイズ・ティオナもレベル6。  ちなみにビーツはフィン・ティオネ・ガレスと当たっている。  深層に行ったり、中層で血肉(トラップアイテム)つきで多数と戦う日もあったので、全員とは稽古できなかった。  そして、鍛える側は戦慄していた。ふたりともどれほどのペースで伸びていくのか。どれほどの高みに向かっているのか。  椿・コルブランドが教えたという、腰だけで攻撃を半減させ、投げ、寸打を打つ……その統合技。タケミカヅチが教えた、腰で刃筋を通す正しい剣筋。激しいトレーニングで鍛えぬいた足腰。第一級冒険者たちの猛撃も、いつ吸われ反撃を食らうかわからない。相当本気に近いところで打ちこんでしまうほど、ベルもビーツも筋が正しく、動きがキレ、腰が粘る。 「その刀を叩き折ってやる!」  嗜虐気味に乱打する両手持ちのフランベルジュを、ベルは刀の振りかぶりの動きで受け続けた。刀はレベル3の強打を受け止め続けた。椿・コルブランドが、あらためて折れないことにすべてを注いだ『ドウタヌキ』。  しなりつつ、折れなかった。支えるベルの腕と腰も強く、柔らかく威力を受け流していた。 (あの人たちに比べれば、37階層のモンスターに比べれば、ぜんぜん遅い)  タケミカヅチが、斬るよりも重要だと叩きこんだ振りかぶりの動きは、自然に全身で受け流す動きになっていた。ミノタウロス戦の前のアイズとの特訓から、彼女は正面から受け止めるのではなく、柔らかく受け流す防御を徹底的に仕込んでくれた。  流れるように、力の方向を変えて受け流す。そして相手の体重を、心を崩す。 「何なのだ……誰だお前はあっ!」  寵童が絶叫する。  完全に敏捷は追いつかれている。力も劣っていない。  ベルの『ステイタス』を見たら、自分の眼を否定するだろう。ランクアップから一月も経っていないのに、SSがふたつ……  ゴライアスさえ倒したことがある中堅ファミリアの、レベル2たちが団長を救おうとする必死の攻撃を、瓜生とビーツは受け止めていた。  顔を隠したリューとクロエは、もうレベル1の敵の殲滅に向かっている。  クロエの超短文詠唱での幻覚呪文。催涙ガスなどで苦しんでいる敵には余計にかかりやすい。幻覚に囚われた者を眠らせるのが、リューの疾風と言われる高速の一撃。  さらに動き戦いながら並行詠唱する大呪文での強烈な大規模広域破壊。 「殺すニャ、なんてめんどいニャ」  殺し屋だった彼女にとって、殺しが事実上御法度の戦争遊戯はやりにくい。だからこそサポートに回っている。 「リリルカ・アーデさんは良い指揮官ですね。とても動きやすい」  リューにはそれを評価する余裕もあった。  ビーツの、槍がわりの鉄棒はまさに冴えわたっていた。  10歳ほどの小さい身体だが、レベル2とは信じられない速度で動き回り、強烈な突き。円を描く受け流しも柔らかく重い。レベル2のダフネが完全に圧倒されている。  そして剣の才がない瓜生も、規定竹刀と同じサイズの刃引き剣をふるっている。重厚で高価なスケールメイルを着ている。才はない、だが金はある。防御に徹すれば十分戦えるし、打たれても痛みすら感じない。常時発動の魔力鎧、それと反応する鎖帷子、その上にスケールメイル。耐久だけならレベル4にも迫る。  瓜生もここ数日、まあそれなりに稽古してきた。普通の運動部高校生が試合前の練習で汗を流し、帰ってからも縄跳び10分・腹筋とスクワット100回ずつ2セットやるぐらいには。  ふたりとも、勝つ必要はない。団長同士の一騎打ちを邪魔させず、守り抜けばいいのだ。  ベルとヒュアキントスの勝負はますます速度を増し、威力が増していく。  両方に傷が増えていく。  特にベルの傷は、ここ数日の特訓がいかに過酷だったかを物語っている。  深層の怪物や第一級冒険者相手に、無傷など夢物語。自分から前進して当たりに行き、攻撃を半減させるほうが、よけたつもりが連続技をまともに食らったり、攻撃を受け止めた直後蹴られたりするより、 (まだまし……)  なのだ。  何よりも、腰で前進し攻め続けろ。それが今度の特訓の課題である。  そしてベルの体に刻まれた正しい袈裟の型は、その覚悟さえあれば受け流しからの攻防一致にもなる。実はフィンやティオナも、何度も軽い怪我ならしているのだ。 「化物があっ!死ねぇっ!」  もう、主神の意図も忘れ、恐怖にとらわれたヒュアキントスの乱打。  ベルは常に一歩内側に入り、刀の強度で受け止め、切り返す。だが、その足が一瞬もつれた。先ほどの、全力での『英雄願望』の反動…… 「もらったあっ!」  美青年のフランベルジュが迫る、だがベルの体は動いた。限界を超えて疲れ切り、ダメージの限度を超えた状態で戦い続ける毎日……  16階層の一番奥からビーツとふたりで銃なしで、血肉つきで放り出された。ものすごい距離を斬って斬って斬りまくって下階への通路にたどり着き、その直後にティオナ・アイズと2対2で戦った日がある。  最大傾斜のルームランナーを最高速度で3時間走ってから、休憩もなく同じことをしたビーツとほぼ全力の試合をしたこともある。  瓜生は、戦いの経過が思い通りに行くとは思っていない。長時間多数の敵と戦い抜いた末にボス戦、という展開を前提に、ビーツとベルを鍛えぬいた。  目の前の相手も遅く見えるが、油断や慢心はない。ただ無心に全力で踏みこむだけだ。  ヒュアキントスの、半ば体当たりになった一撃を腰で耐え抜く。そしてもう一歩踏み出すことで、単純な力比べで押し負けた敵の足が少しだけ乱れ、引きながらの不用意な一撃が放たれた。  ベルは何の考えもなく、ただ刀を振り落とした。左手の動きは最低限、刀の重さだけで。  フランベルジュが、分厚い両手剣がニンジンのように断ち切られた。 「な」  観客たちも衝撃に打たれる。  椿・コルブランドが微笑した。 「わが主神の脇差は散々見せてもらった。少しでも近づこう、いつか越えようと努力はしておる。腰が正しく刃筋が正しければ、切れぬものなしに近づけたつもりじゃ」  見たヴェルフ・クロッゾは、ひたすら歯を噛み鳴らしている。  衝撃に身を震わせつつ、ヒュアキントスは飛び離れて呪文を唱え始める。  ベルが追おうとするが、ダメージが大きく走れない。  円盤投げのフォームからの一撃。同時にベルも刀に稲妻を落とし、迎撃する。  魔法と魔法が激しくぶつかり合う。刀が弾き飛ばされ地面に刺さった。 「いまだあっ!」  ヒュアキントスは、魔法を相殺して、力尽きたかに見えるベルに短剣を振りかざして襲いかかった。 (とどめの一撃は、油断……)  アイズが教えてくれたことの一つを、ベルは思い出す。  なら、ただ無心に迎える。  腰を深く落とす。肩の力を抜き、深く呼吸する。  胸に刺さるかに見えた短剣が、ベルの胸当てに弾かれ滑る。ベルの胴体の角度が変わったことで。それで重心が崩れ無防備になった長身に、さらに一歩踏みこんだベルの両手がすっと吸いこまれる。胴体の角度を変えた、それがその打撃に力を与えている。  諸手突きと同じ、全体重をこめた一撃が芯に浸透する。  前進し、腰で防ぎ投げ打つ攻防一致……ベートが求め、椿が教え、アイズたちが磨き上げた一撃。  ヒュアキントスは地面を転がり、そのまま動かなくなった。完全な意識不明。  戦争遊戯の終了を告げる声が『鏡』から響き、戦っている眷属たちは手を止める。 【アポロン・ファミリア】の面々は絶望の眼で、倒れて動かない団長を見ていた。  ベルは脇差に手をかけ、残心を保っている……特にモンスター相手では、油断は命取りだ。  レベルが上の相手を一騎打ちで倒す、という大番狂わせ(ジャイアントキリング)に熱狂するオラリオの神々、人々。 【ロキ・ファミリア】はお祭り騒ぎだった。ティオナは自分のことのように喜んでいた。  一歩引いたベート・ローガは、あれ以来仏頂面だったのが、はじめてわずかに口角を緩め……ダンジョンに飛び出した。やっと、また見ることができた。前だけを見て全力を出しつくし、前に出るミノタウロス戦のときのベルを。  大金をかけていたモルドも大喜びしている。  そして【ヘファイストス・ファミリア】では、椿とヴェルフが鍛冶場に突っ走った。ほかにも何人も、ベルの刀が椿製だと知る上級鍛冶師が鍛冶場に走る。 「何か言うことは?」  ヘスティアの冷たい目に、アポロンは呆然としていた。 「大事なベル君を奪おうとした代償は、小さくないよ。  そっちがやってくるつもりだった、ホームを魔法で攻撃したりボクを襲撃したり、なんてしてたら、【ファミリア】解体オラリオ追放もやっただろうね……  でもそんなことをする余裕もなかったから……そうだね、強制的に加入させられた眷属の脱退を認めること。今後強制的な勧誘や非道な引き抜きをしないこと。  そして、今後は【ヘスティア・ファミリア】に事実上、従属することだ」  アポロンはただただ、頭を抱えてうずくまっていた。  そのアポロンの耳に、ヘスティアは口を近づけた。 「もう一つ。誰が君の後ろにいて、情報もよこしたのか、【ソーマ・ファミリア】残党まで動かしたのはだれか……イカロス以外の名前も、吐いてもらう」 >新たな戦いに  ベルたち【ヘスティア・ファミリア】が戦争遊戯に向けて特訓に励んでいる中、【ロキ・ファミリア】も次の戦いを見据えていた。  幹部たち……後衛であるリヴェリアと、断ったベート以外……が、ダンジョンの上層にあるルームでベルやビーツを軽くなでてもやった。  そのたびに、レベル2としては異様なほどの強さ、成長の速さに驚いている。 (格上を打ち倒すための……)  特訓は、自分たちにとっても他人事ではない。 『戦争遊戯』が終わった直後、フィン・リヴェリア・ガレス・アイズ・ティオナ・レフィーヤらは、ファミリアの仕事をラウルに任せ、ベルやビーツ、武威とトグも誘って下層まで行った。  下層まで行くには前は何日もかかっていたが、今は瓜生が貸している車があれば、10時間で30層まで行ける。  ビーツもランクアップが近いので、できるだけ大きい戦いをさせたい。また、ランクアップしたベルの魔法の変化もテストしてみたい。  フィンは新しい槍も試していた。常人の身長を超えるライフルに銃剣をつけたようなものだ。瓜生の出した14.5ミリセミオートライフルを【ヘファイストス・ファミリア】が改造したもの。  銃床はフォモールの骨を材料にした軽く頑丈なもの、銃剣も銃身ではなく銃床に直結。銃剣もタイゴンファングの爪と砲竜の牙を鍛えた一級の切れ味。全体のデザインも、槍としても使えるように細身になっている。  アイズ・ヴァレンシュタインは大遠征と、そして武神タケミカヅチの指導を得て、ある程度の装備の変更を行った。  数千万ヴァリスの金は必要だったが、 (それだけのことはある……)  とだれもが見た。  軽装にかわり、要所を厚く守るプレートメイル。  背には瓜生にもらった軽量セミオート.50対物ライフル。  長方形でかがめば全身を覆える、やや大型の板金楯。  愛刀デスペレートよりかなり長い、『剣士』スキルをそのまま使える片手半剣。  アイズはタケミカヅチに、 「仲間のために、悲願のために、強くなる。できることはなんでも、試してみる」  と誓った。  武神が求めていたのは、考えることと決意であり、その内容ではなかった。  プレートメイルの、胸当て・スネ当て・肘までのガントレットは体格にぴたりと合う。動きが激しい肩などは厚手の鎖帷子。下半身も同様、スカート状の板金装甲と鎖帷子。ガントレットも指まで守らず、手の甲まで厚く守るが銃の扱いに不自由はない。  片手半剣は椿・コルブランドの作で、アイズ自身が倒した階層主ウダイオスの剣を用いている。強力な付与魔法に高い耐性がある素材だ。『ドウタヌキ』ブランドの流れで、飾りはないが頑丈さと切れ味に特化している。  デスペレートもサイドアームとして引き続き帯びている。  ところで…… 【ロキ・ファミリア】の幹部は、【ヘスティア・ファミリア】の客人だという武威とトグに、とても複雑で強い感情を覚えている。  武威は、まちがいなくオッタル以上の圧倒的な力。だが、経験豊富な彼らには感じられることがある。  特にアイズと、ベートは爆発しそうだった。ふたりとも、死はもちろんどんな拷問より、誰を失うより、圧倒的に恐れていること……  それが目の前にあるのだ。最強への道に挫折し、絶望し、くじけた者が。  重厚な兜で顔を隠していても、強者にはわかる。  ビーツが29階層の怪物と、単独で戦っているのを見ながらフィンが武威に言った。 「僕たちには、わかる。君が……最強への道で破れ、足を止めていることが。ただこの子を守るだけ、か。どんな相手に負けたんだ?」 『勇者』の洞察力は一目で、深いところまで見抜いていた。  武威はそれに敬意を表し、何百キロもある兜を脱いだ。 「先にこの子の父親、戸愚呂(弟)に破れた。筋肉を操作し、純粋な『力』を桁外れに強める。一度挑んで破れ、いつか強くなって再戦すると誓ったが……彼はオレよりもさらに大きく成長した。  自分をごまかしながら戸愚呂の仲間として戦っていた……炎と剣を使う邪眼師に、再び敗れた。そのチームに戸愚呂も敗れた。  もう生きるよすがもなかったが、ある人に戸愚呂(弟)の息子を託された」  淡々と、すべていう。 「……ここでなら、神の『恩恵』がある。ダンジョンがある。それに技を極めた武の神々もいる。まだ希望はあるかもしれないよ?  このアイズも、最近は伸び悩みに苦しみ、あらゆる方法で突破しようとしているんだ」  アイズが深くうなずく。  武威は苦悩しつつ、うなずいた。  時間は動いていた。飛影に破れたことで、凍ったまま腐るような日々は壊れた。戸愚呂チームが解体され、一人になってむしろ追われる身になり……戸愚呂(弟)の遺児を守って逃げ、敵を撃退する日々を過ごした。  そしてこの迷宮都市(オラリオ)に来て、昔の自分のように強さに飢え、激しい修行を続けるベルやビーツ、アイズやベート、フィンに会った。  それらは少しずつ、凍っていた心を溶かし、動かしはじめていた。 「僕は、負けたこともない、打ちのめされたこともない人は弱いと思っている。どん底を見て、そこから立ち上がって、それが本当の強さだと。そして命があれば、何度でも立ち上がれると」  ベルはレベルが上のヒュアキントスを破った偉業により、レベル3になった。  背に刻まれた恩恵の、魔法のところに新しい文章が出た。 〇追加詠唱 召喚呪文(サモン・バースト) 要2分チャージ 挿入詠唱文「ゼウス・トール・インドラ・ヴォーダン・ハオカー・エヌムクラウ・ホノイカヅチノオオカミ、雷神たちよ、かなたの呪文を許せ。〔ジ・エーフ・キース、神霊の血と盟約と祭壇を背に、我精霊に命ず、雷よ降れ、轟雷(テスラ)〕」  ……ヘスティアの反応はともかく。  マジックポーションやハイポーション、エリクサーまで用意して、試してみる。 (いくら協力関係があっても、他ファミリアにそこまで見せていいのか……)  とも思ったが、専門家がいなければうかつに試せないという予感が強すぎた。  リヴェリアならまさに、 (うってつけ……)  である。  巨大な岩が転がっていた。普通の一軒家より大きい。  ちょうどいいと、『ベスタ』を抜いたベルが、 「その、追加詠唱ってどうやるの?」  と恩恵の、魔法のところが書かれた羊皮紙をレフィーヤに見せた。 「それすらわかってないぐらいの経験不足でこれはないでしょう……豚に真珠。猫に小判。ベルに長文追加詠唱」  レフィーヤは文句たらたらだ。 「よその【ファミリア】に見せる人がってもう今更ですよねパーティですし。ええと……」  説明を聞いたベルが2分チャージし、大喜びで完全に暗記した呪文を詠唱する。 「【雷火電光、わが武器に宿れ。ゼウス・トール・インドラ・ヴォーダン・ハオカー・エヌムクラウ・ホノイカヅチノオオカミ、雷神たちよ、かなたの呪文を許せ。ジ・エーフ・キース、神霊の血と盟約と祭壇を背に、我精霊に命ず、雷よ降れ、轟雷(テスラ)。ヴァジュラ】」  詠唱中、ベルはすさまじい魔力消耗に衝撃を感じていた。一発で精神疲弊(マインドダウン)寸前。 「がんばれ!それは暴発させるな!」  リヴェリアが目の色を変える。離れていたが、それでもまだ危険なほどの魔力。  そして……目の前が真っ白になった。  激しすぎる音に、第一級冒険者たちの耳もきかないほどになった。  至近距離で、普通の雷が一つ落ちただけでも常人は怪我をしかねない。それほどすさまじい閃光と爆音、衝撃波なのだ。  それが何千と同時に。  ゆっくりと振るった神の脇差……二度目の大爆発に、ベルが吹っ飛んだのをリヴェリアが何とか受け止める。  家より大きい岩が、完全に消えていた。 「あ……ああ……」  レフィーヤは魂消ていた。開いた口がふさがらない。 「私の、あれを使った最大呪文以上の威力かもしれんな」  リヴェリアもあきれかえりつつ少年の様子を見て、 「一発でほぼ力尽きている」  と、ベルを診察し、マジックポーションを飲ませた。 「す……すっごーいっ!」  ティオナは大喜びでベルに抱きついている。 「何に使うんですか?黒竜討伐にでも行く予定ですか?ウダイオス相手でも完全に過剰威力ですよ!58階層でもそんな威力いりませんよっ!」  レフィーヤはなぜか怒りが抑えられない。 「レフィーヤ。今の呪文の、召喚された部分は覚えたか?」 「え?……あ」  リヴェリアの言葉に、レフィーヤも気がついたようだ。 「今の、召喚された呪文はエルフ……いや、わずかに違和感がある、ハーフか……だが、使えるだろう?」 「は、はい。効果も把握しました……やってみます」  と、レフィーヤは背後の、いくつもの巨岩がそびえる広野を見た。  何度も深呼吸し、全精神力を集中する。あの威力で失敗したら、 (ぜ、絶対死ぬ……)  そこらの戦い以上の恐怖。 「【ウィーシェの名において願う…………どうか、力を貸し与えてほしい」  呪文の詠唱時間も精神力消費も倍になる……それだけの代償で、多数のエルフの呪文をそのまま使える。その中にはエルフの王女(ハイエルフ)、リヴェリアがいるのだから、 (ずるい) (チートやろそれ)  としか言いようがない。 「ジ・エーフ・キース、神霊の血と盟約と祭壇を背に、我精霊に命ず」  リヴェリアの呪文を借りる時以上の消耗。二重の召喚。  呪文を唱え終える前から、腕の血管が破裂し鼻血が垂れる。 「雷よ降れ、轟雷(テスラ)】アっ!!!」  精神力を振り絞っての詠唱が終わり、呪文が発動する。異界の美しく激しきハーフ・ダークエルフ、雷帝と呼ばれた天才魔法剣士(アーシェス・ネイ)の雷撃系最大呪文が。  目の前の荒野を無量光が満たす。  何千発分もの稲妻。地上では見られぬほど極太で、無数。40ミリ連装機関砲の咆哮よりも激しく。  リヴェリアも、轟音に驚いて見に来たフィンたちも呆然とした。  岩どころか、床そのものが広く崩落し下のフロアが見えている。  圧倒的過ぎる威力。 「レフィーヤ!」  リヴェリアが駆け寄り、吐血し倒れる少女にマジックポーションとハイポーションを飲ませた。目からも血を流している。 「レベル3では運用不可能。やはりランクアップが必要だな。下手をすればレベル5まで禁じたほうがいいかもしれない」 「す、すっごーいっ!あのさ、ベートのブーツにこれ入れて蹴飛ばせばすごいことになるんじゃない?」  ティオナが無邪気に言う。 「ブーツが持つかが問題だな。最悪、桁外れの金をかけても、神ご自身に依頼する必要があるかもしれん」  あれに魔法を無理に使わせるわけにもいかんか、とごく小声でつぶやいたリヴェリアはベルの手を……あれだけの呪文を付与されて無事である、ヘファイストス自身が作った脇差を見つめている。 「感謝する。この呪文を見せてもらっただけでも、金銭にすれば億単位を要求されてもいいほどだ……今更だが」  リヴェリアがベルに微笑みかけた。 「……みなさんの、力になれたのなら、すごくうれしいです」  アイズさんの、とは言えなかった。 「何言ってるの!アルゴノゥトくんは」 「ティオナ」  リヴェリアが止めた。  59階層で、【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者たちが瀕死の状態で、ベルの名に奮起した。だがそれは厳重な秘密……  冒険者としてあまりにも巨大な勲章、それでうぬぼれ潰れない者など、 (いようはずがない……)  からだ。  それが噂になれば、多数の冒険者が殺意妄執に狂うに決まっているからだ。  リヴェリアからすれば実際問題、次の遠征で切実にベルも欲しい。  ベートとのコンビもとんでもないことになるし、矢弾にあの付与呪文を装填すればすさまじいことになるのは知れているからだ。  ベルを門前払いした門番は、今更にもほどがあるが、言葉ではなくはしばしに出る視線で責められることになるだろう。  ビーツのランクアップは、なかなかはかばかしくいかなかった。  レベル3でもきつい、下層のモンスターと単独で戦っても。  アーニャ・フローメルとリュー・リオンを同時に相手にしても。レベル7に至ったフィン・ディムナにかすり傷を負わせてさえ。  それでもランクアップではない……偉業にはならない。 【ステイタス】は際限なく、ベル以上の勢いで上昇する。ヘスティアしか知らないことだが、もう力や敏捷は4000を超えている。常識を完全に吹き飛ばしている。  どう見ても戦闘力はレベル3後半だ。  だが、ランクアップにはならない。  彼女の、強くなろうという飢えは、アイズも認めるものだった。ベルやアイズに劣らぬ激しさで足腰のトレーニングにはげみ、素振りを繰り返し、格上と戦い続け、タケミカヅチの指導を素直に聞く。  それでも、 (この種族の限界は、どこにあるのか……)  おそろしいほどに、ランクアップに至らずひたすら強くなり続ける。  武神タケミカヅチは、武威のバトルオーラすら見抜いたようだ。  しばし熟考してから立ち、ゆるりとひとつの動きをやって見せた。  簡化24式太極拳程度。時にゆっくりと、時に速く鋭く。ただ円に沿って歩き体をひねるだけの動きもあれば、強い足音を立て大きい踏み込みから肘打ちを打つこともある。常人がまねれば、簡単に見えてかなりきつい運動になる。  瓜生の故郷の、わかる者が見れば太極拳、八卦掌、八極拳、合気道の混合というだろう。だがそのすべての神髄、さらに深いところにある原理を、いかなる達人も遠く及ばぬほど理解した武神が統合したものだ。  気と力の制御。気の爆発と一点集中による接近短打。相手の力を利用し、無駄な力を使わず受け流し、相手を崩す。巧妙な関節技から投げ。一点の急所への集中打。そのすべてが統合されている。 『崩され』たところを打たれれば、まともな防御はできない。殴られたことに注意が行った瞬間は『崩され』ており、投げに抵抗できない。ボクシングと柔道を統合するだけでもすさまじい効果になるのだ。 「これを一日の半分以上、毎日、30年極めよ。それでもまだ、だれそれに勝てない自分は限界だというなら、その時にまた来い」  巨体の武人は呆然と、呆然と見ていた。  そして、静かにその動きをまね始めた。さすがに一度で動きは覚えた。 「10日後に来れば、間違いは直す」  武神の厳しい声に、戦妖はひざまずいて深く頭を下げ、去った。 『戦争遊戯』の勝利で、【ヘスティア・ファミリア】の力はオラリオじゅうに知れた。  誰もが、城をあっというまに破壊した遠距離爆炎攻撃と、いくつもの奇妙な武器を見た。  幼いビーツが、複数のレベル2を相手に一歩も引かず戦ったのを見た。  謎の巨漢が、『クロッゾの魔剣』が、石塔を簡単に破壊したのを見た。  そして巨大な岩扉をあっさり切断し、レベル2でレベル3を破ったベル・クラネルを見た。  人気は沸騰し、入団志願者も殺到した。  だが志願者たちは、一月は『タケミカヅチ・ミアハ学校』の寮生となり、基礎体力・基礎学力・生活習慣を身に着けるよう指示された。  最低限の衣食住で、休日を除き毎日3時間以上、週に一度は10時間以上のきつい運動。  読み書きと勉強。特に解剖学・生理学……それは傷ついた時の医療にも、人間の急所を知って殺すことにもつながる。  オラリオに来た時のベルのように、どこのファミリアにも断られるような貧弱な孤児でも、当人に合わせたメニューで体力を高める。栄養不良などで根本的に体力がなければ、冒険者以外の仕事ができるよう考え、学ぶ。  というわけで、潜在的な団員は多いが、【ヘスティア・ファミリア】は4人のままだ。  そして彼らには、重大な使命があった。何度も助けてくれた【ロキ・ファミリア】の戦いに、ベルとビーツも加わる。  瓜生もバックアップする。 『ダイダロス通り』。ベルがシルバーバックと戦った、地上の迷宮じみた貧民街。  そこ以外に、闇派閥が使う地上への出口はありえない…… >人工迷宮  ベル・クラネルが初めて格上殺しをした『ダイダロス通り』。オラリオの貧民街。極端に密集した中層住宅が迷宮を構成している。  そこに、主神ロキを含めた【ロキ・ファミリア】と、【ヘスティア・ファミリア】、さらに武威とトグも訪れていた。  全員が防具に身を固め、異様に大きなバッグを背負っている。  闇派閥など、妙な連中が地上に巨大な食人花を迷宮から運び出す、出口があるはず。  強者は少ないが人数と、商売上情報網があるヘルメスとディオニュソスが、オラリオじゅうを調べ、『ダイダロス通り』以外には、 (ありえぬ……)  と、結論を出していた。  探索の末、信じられないものが見つかった。オリハルコンでできた扉……  呆然とする上級冒険者たち。  その扉が、ひらく。獲物を迎えるように。 「あからさまに罠だな」  リヴェリアの言葉に、 「その罠を蹴り破るしかない」  そう、皆が叫ぶ。  最強ファミリアの誇り、勇気。 「よし。サポーターは準備ができたか?」 「いらねえよ。雑魚は来るんじゃねえ」  ベートの言葉に、不快感が漂う。  瓜生も発言した。 「おれも、少数精鋭がいいと思う。最悪を想定すべきだ。おれが教えた、苦楽を共にした人が死んだら寝覚めが悪い」 「ベートとウリュー、言い方違うけどおんなじだよね」  ティオナの言葉に、皆が少し驚いた。 「え?」  瓜生は首を傾げた。 「誰がだこのバカゾネス!」 「弱い人に死んでほしくない、ってことじゃない」 「それって……ツンデレやな」  ロキの言葉に、全員が激しく反応した。 「おれは、強くても死ぬときは死ぬと思ってるがね。原爆の爆心地、第一次大戦の鉄条網と機関銃、伝染病と銃と馬で滅んだ中南米先住民……個人の強さなど無意味だ」  瓜生の言葉はスルーされた。何人かの幹部は聞いていて衝撃を受けたようだが。  騒ぎの中、瓜生は少し声を強めた。 「おれがかかわった予言者の言葉だ。巨大な扉が閉まる。穴に落ちる。最初に、小人が赤い髪の女に斬られる。少人数ずつに分断される。傷が治らない呪詛の剣……短文詠唱で混乱させる呪詛……何人も死ぬ」  瓜生が核兵器を使おうとしたことを予言した、【アポロン・ファミリア】のカサンドラ。彼女は脱退を認められ、【ミアハ・ファミリア】に行った。優秀なヒーラーでもあり、医学研究ファミリアとなったミアハたちとはうまくやっている。  彼女の予言は信用してもらえない呪いがついているが、『幸運』発展アビリティを持つベルはその呪いを克服できる。だからベルを窓口に、瓜生は彼女を情報源として使っている。 【ロキ・ファミリア】の面々が衝撃を受ける。 「……それは当然ありうるな。あの女調教師が、低く見てレベル7だとは『小巨人』に聞いた」  そういったフィンは、瓜生を盗み聞きされないところに連れて行った。 「だが、時間がない。奴らはオラリオを滅ぼす、と言った。桁外れの、神に近いモンスターを地上に」 「そうか……無謀な攻撃以外に方法はないか?  オラリオの人を全員避難させることもできる。  地上にとんでもないモンスターが出るのなら……大きいのか?」  親指をなめたフィンがうなずく。 「なら、オラリオを見下ろせる高台に戦車。近くの湖に一隻で五千人暮らせる客船と、46(大和級)……いやFCSが最新のアイオワ級、40C砲を9門の戦艦。それで倒せないか?  メルカバは、高速で荒れ地を走りながら同じく高速で走る敵戦車を狙撃できる。まして敵の近くから正確な位置を送信してもらえれば、より確実だ。地上なら電波障害もない。アイオワ級も通信された位置に砲撃できる」  フィンは数度呼吸する間考え、ため息をついた。 「それに、このオリハルコンの扉……オリハルコンは高価なんだろう?」  フィンがうなずく。 「これを都市じゅうの冒険者に言えばいい。欲に目がくらんで押し寄せる……人の欲は止めようがない。第二迷宮の奥まで、あっという間に調べてくれるさ。多数の死者は出るだろうが、【ロキ・ファミリア】じゃない」  美少年にしか見えない団長は笑い出した。 「頭に血が昇っていたね。目的を見失っていた……僕の目的は一族の興隆。死んだら元も子もない。冒険者らしくあることも、すべて命があってのこと……わかった、慎重に動く。そちらのベル・クラネルたちも預かっているんだ」 「ありがとう」  そんな議論も知らぬげに、ビーツはひたすらコンビニ売りのハンバーガーを食べ続けている。  まず現状の【ロキ・ファミリア】は、瓜生のおかげでランクアップが多い。  フィンとリヴェリアがレベル7。  ガレス・アイズ・ベート・ティオネ・ティオナの5人がレベル6。  ラウルとアナキティがレベル5。  レベル4も何人かいる。レフィーヤも急遽レベル4に上げた。  そして【ヘスティア・ファミリア】の側は、まずベルがレベル3。ただし準備された一発は推定7以上。  ビーツはレベル2だが、実力は3から4と推定されている。 【ディオニュソス・ファミリア】のフィルヴィスも、レフィーヤの護衛に徹すると参加している。  神であるロキはラクタら数名で守り、リリや瓜生も後方に控える。  といってもこちらを攻められても守れるよう、すぐに周辺を多数の鋼レールと矢板、庭石で囲い、重機関銃を並べてちょっとした要塞を作る。  攻略メンバーは、レベル7を中核にふたつに分かれた。狭い人工迷宮内では、大人数ではむしろ動きがとれない。  まず前方は、フィンとティオネ・ティオナを核に。ラウルとレフィーヤを含む。ビーツもこちらだ。  リヴェリアはガレス・アイズ・ベートを護衛とする。アキ、ベルもこちらに入る。  どちらのグループも、ヴィーゼル空挺戦車を中心にしている。ヴィーゼルは荷物を積んだ台車を牽引している。それでサポーターの必要をなくした。  個人携行用に改造したGSh-23機関砲を持つ者もいる。  12.7ミリセミオートライフルも多く支給し、訓練した。仮想敵である食人花にも通用し、弾薬が小さく軽い。弾薬を多数持つことで戦闘継続能力を高める。  開いた扉にはすべて、巨大な鉄骨でつっかえ棒をし、レールなどを対戦車手榴弾の成形炸薬で焼いておく。ティオナに護衛されたトラックが出入口まで往復し、瓜生が出す鉄骨を取ってくる。  出入口近くに瓜生やロキが作った拠点まで、ケーブルを引っ張って連絡している。  そして探索隊が行動する前に、前方には小型のキャタピラ付きロボット車を出している。多数のカメラとマイクで周囲の様子を探っている。クレイモア地雷もついており、必要があれば自爆させて敵を掃討できる。  ベルはベート、アイズのふたりと組んでいる。リーネとナルヴィのヴィーゼルが同行している。  機動力……かけっこだけなら、今のベルはレベル4級。それに重装備で少し下がったとはいえアイズ、そして最速のベート。  ベートの装備に、ベルの強力な付与魔法。敵がとことん強ければ、ベートの魔法にベルの追加詠唱、という試してはいないが圧倒的であろう切り札も切れる。 「あ、あの……」 「ああん?」 「ご、ごめんなさいっ」 「だいじょうぶ。ベートさんは『つんでれ』だそうだから」 「つんでれ……って?」 「さあ?」  とまあチームワークと言えるものはない。が、少なくとも戦場ではアイズとベートは数えきれないほどともに死線をくぐっており、息は合う。  レフィーヤはベルから手に入れた魔法を運用するため、急遽ランクアップしている。低すぎた『力』なども、激しい近代的トレーニングでそれなりに向上した。  フィルヴィスは厳重な緘口令のうえで同行を認められ、大きな荷車を曳いている。さまざまな兵器に、驚嘆を通りこしている。 『戦争遊戯』から、この冒険までにもいろいろあった。  リュー・リオンは一人の少女を探索して巨大カジノに行き、モルドらに誘われたベルと、情報収集のためにいた瓜生の支援も得た。 「カジノの唯一の必勝法は、敵以上のバンクロールを持つことだ」  と、瓜生はリューとシルの背後に立っていた……事実上無限の資金力、『ギルド』やあちこちの大ファミリアからの、十億単位の信用証書を見せつけて。  そしてすべてが終わってから、瓜生は『ギルド』や【ガネーシャ・ファミリア】、神ミアハも巻きこんで動き始めた。 【ソーマ・ファミリア】の事件からすでに始めていた、アルコール依存症治療プログラムの研究と、治療院の開設……それにギャンブル依存症も含める、と。  すでにのべた、【ロキ・ファミリア】と共同でベルの新呪文を確認する作業もあった。 【タケミカヅチ・ファミリア】の命や千草が、歓楽街で知り合いを探っているのを聞き、ベルが協力すると決めたので瓜生も資金と盗聴技術を提供した。  神々も動いていた。 「で、この集まりは一体……」  ヘスティアとヘファイストスが呼び出された、機密保持が厳重なリヴェリア行きつけの名店の個室には、ロキ・ディオニュソス・ヘルメスの三人が集まっていた。 「うちも、もんのすごく不本意やけどな」  ロキは相変わらずだ。 「戦力としてとても大きくなってしまっているからね」  ヘルメスのうさん臭さも。 「ヘスティア、ヘファイストス、君たちの眷属は、我々が追っていることの多くに関わってしまっている。君たちを蚊帳の外に置くのは危険すぎるし……」  ディオニュソスはいつも通りの笑みを浮かべて言った。 「待って。私が、敵でないことは証明されているの?」  ヘファイストスがさえぎった。 「それは考えるつもりだ。情報の全部を渡さなければいい」 「私の分の情報が洩れれば、裏切ったとわかる、ね。わかったわ」  失礼極まる話だが、ヘファイストスは納得した。 「このまえの、うちの大遠征で椿たんは、新種のモンスターを使う、人の姿をし人の言葉を話すバケモノを見とる。大遠征の帰りに18階層で、ベルたんらも戦ってる」  ロキが身を乗り出す。 「共通するのは、食人花」  ヘルメスが絵や説明が書かれた紙を配る。 「知られている迷宮のモンスターとは異質だ。そして、闇派閥の生き残り、『27階層の惨劇』で死んだと思われている幹部もかかわっている」 「で、ボクたちになにができるっていうんだい?」 「ヘファたんは、この腹黒二人と組んで情報面を頼みたい。椿たんぐらいなら戦力にもなるけど、むしろ鍛冶師としての方がありがたいわ」 「それに、そちらの眷属が新しい」  そう言おうとしたヘルメスの表情が苦痛にゆがむ。ロキとヘファイストス両方がスネを蹴り飛ばしたのだ。『銃』や大量生産技術のことなど話されたら、 (たまったものではない……)  このことだ。 「イシュタルも絡んでる、って情報があんねん」 「イシュタル?といえば、こちらも厄介なことがありそうなんだよ」  ヘスティアが身を乗り出す。 「え?」 「タケ……タケミカヅチの眷属が、知り合いをあっちで見かけた、って」 「ああ」  ヘルメスが首をすくめた。 「ごめん、仕事だから言えない……でも『例のあの人』には全部伝えてる」  ヘルメスがへこみきっている。 (ウリューたんのことは出さない約束やろ!)  ロキが厳しくにらむ。その約束は事前に、ヘスティアとヘファイストスにも伝えている。  そしてディオニュソスが、ヘスティアを見た。 「まあ、それで【ロキ・ファミリア】の次の作戦に、ヘスティア、君の眷属を借りたい……ということだ。『リトル・ルーキー』は一発の威力なら第一級冒険者にも匹敵するし……」  ディオニュソスは瓜生についてはそれほど知らない。 (妙に金があるし、酒造の資料と新品種を大量にくれた、変な男……)  そこまでだが、十分すぎる。 「この前の借りもあるからね、協力するよ」  ヘスティアがため息混じりに約束する。ベルたちが18階層まで行ったとき、【ロキ・ファミリア】に助けられた……命の借りは大きい。瓜生の貢献を考えてもだ。  それに、 (【ロキ・ファミリア】に頼られている……)  とベルが聞けば、ヘスティアが止めても行くだろう。 「そのかわり、そのイシュタルに関してはこちらも協力する」 「私も、いろいろと利益はもらってるからね……」  ヘファイストスもため息をついた。  むしろヘスティアは、その共同戦で万一にも、 (ベルくんとヴァレン某が仲良くなってしまうのではないか……)  それが不安だった。  どう見ても罠である大部屋。  そこでフィンに声をかけたのは、『27階層の惨劇』で死んだと思われていた、ヴァレッタという闇派閥の幹部だった。  下品な雑言、フィンは十分な情報を引き出し……ただし、女に関する会話はティオネがいたので皆まで言わせず、背の大荷物を手にした。  槍でもある着剣14.5ミリセミオートライフル。  容赦も躊躇もなくタングステン徹甲弾がヴァレッタの片目に突き刺さる。倒れる間もなく口、鼠径部と連射。すぐに後方のヴィーゼルから20ミリ機関砲弾も届く。 「警戒!」  叫びとともに、冒険者たちは武器や銃器を構える。  ヴァレッタは即死。3センチ厚の鋼板を貫通できる威力が、針の穴を通すように急所に命中している。さらに後方から、20ミリ機関砲が数発とどめに命中、死体もばらばらになる。  その時にはとんでもない数の食人花が出てきており、それに機関砲が咆哮して押し返す。  また、閉所ではレフィーヤの魔法はますます威力を増す。  後方の扉が閉まりそうになったが、鉄骨に阻まれ、レールが焼き切られていて止まる。  転がった、鍵とみられる宝玉を手に入れようとフィンたちが先行した。  そこに別の扉から、突然レヴィスの強襲。想定をさらに超えた速度と、圧倒的な力の圧力。  フィンまで、大きな人の隙間があるように見える。  剣や盾の助けは間に合わない……  だが、徹底的に準備はされていた。  顔が床につくほど体を低くしたフィン。ただでさえ小さい小人族の体が、さらに低くなる。  やや後ろにいるラウルは、完全にフィンの頭の上からレヴィスを見て、狙うことができる。  赤い光点が、赤毛の女の右目、左目と焼く。  中国が開発した重機関銃サイズのレーザー兵器。冒険者の力なら軽々と携行できる。  常人に向ければ即座に失明する……レベル7を超える耐久でも、数秒間は完全に目が見えなくなる。  ラウルのレベル5にランクアップした反応速度と正確さ、そのすべてをレーザーポインターで敵の目を狙うことに叩きつけている。  同時に。  フィンの槍……巨大な着剣小銃が閃光を噴き、レヴィスの踏みこんだ出足を襲う。 「同じ手に!」  レヴィスは目はダメでも肌で攻撃を感じた。地に着こうとした足をたたみ、弾をやりすごして手で地面を叩いた。  その手に、フィンのもう一方の手が投げた柔らかいボールが当たり、破れた。  ぬるり。  瓜生の故郷が開発した非致死性兵器の一つ、極端に滑るぬるぬる液。  それがレヴィスの手を汚した。 「がああっ!」  体が地面に当たる前に、手を地面に叩きつける。アダマンチウムで補強された床が大きくへこみ、高圧で液が叩き出され変質した……それでも、滑って力の方向がずれたため、立てず転がるだけだった。  そこに、後ろにいた【ロキ・ファミリア】が発砲した。  14.5ミリセミオート対物ライフル。  ヴィーゼルの20ミリ機関砲。  ティオネがぶっぱなす、冒険者が手で持てるよう改造したGSh-23機関砲。ガスト式で高発射速度、わずか50キロ。ZU-23-2の950キロより同じ23ミリでも薬莢が短く威力も弱いが圧倒的に軽く、連射も速い。ちょうど人間に対するイングラムM10短機関銃、大口径低速の45ACPを高連射でぶちまけるようなもの。  一見、フィンに一気に迫れる布陣だった。だが空砲で訓練し、どこから、 「レベル7となったフィンが突撃しても……」  確実に何発か当たるように組まれた陣形。常人なら空砲の詰め物でも死んでいるほどの危険を冒した訓練、まさに『勇者(ブレイバー)』だ。  強烈な弾幕、いや弾の壁に、やっと立ち上がったレヴィスはすさまじい対応を見せた。  かわし、砲弾と言っていい弾を剣の腹で軌道を変え……  それでも何発も命中する。鋼の塊より頑丈な肉体に、高速のタングステン弾芯がぶち当たる。人間の体の厚みがある鋼板を貫通するような弾。  23ミリ弾の圧倒的な弾頭重量が、どれほど強くても体重は常人と変わらないレヴィスの体を吹き飛ばす。  女のうなり声も、閉所で増幅される砲声にかき消される。  猛烈な銃口炎がひらめき続ける。  襲い来る多数の食人花や、奇妙な虫のような怪物も重機関銃が掃討する。特にGSh-23の弾幕は有効だった。  それでも、フィンを黒い剣が襲った。  音速を越える戦闘。大気が硬い、どんな動きも音の壁を破り衝撃波をまき散らす。アダマンチウムの床が、超高圧の踏みこみに液体のような挙動をする。体の一部が音速以下になるときに予測不能な乱流が発して動きを束縛し、それを力で切り破る。  レベル7に至ったフィンは無理なくさばく。勝つことを考えない、もちこたえる戦い方。  レヴィスは考えずにはいられなかった。 (こいつを倒しても、離脱できるか……)  機関砲弾のダメージは、今の彼女の体でも甚大だ。フィンが倒れたその瞬間、容赦も躊躇もなく大量の砲弾が襲うのが、目に見えている。  そしてフィンが手にする槍は、長大な着剣小銃。槍としても恐ろしいのに、その先端からは強力な弾が飛び出す。一歩下がって届かないようにする、という防御は無効だ。  その槍を断ち切ろうとしても、絶妙に力をそらされる。  また、援護になる食人花が、ほとんど瞬時に全滅したのがわかる。12.7ミリ弾でも、頭部の花弁を貫通し魔石を破壊することができる。  ふと、気づいてぞっとした。敵後方の魔法使いが詠唱を始めた呪文……  とてつもない威力を感じたレヴィスは、 (ひと傷いれての離脱……)  それだけに専念した。  あえて傷を負い、相打ちでフィンに傷を負わせる。そしてフィンを盾にするように動き、圧倒的な力を開放して離脱した。ヴァレッタが落とした『鍵』も回収した。  彼女が消えた扉、そのレールに即座に第一級特殊武装級の銃剣がぶちこまれ、対戦車手榴弾。成形炸薬弾頭の金属ジェットが穴を空け、完全には閉まらなくなっている。 「逃げられたか……だが、目的は達した」  フィンは傷を抑え、素早く撤収を始めた。  後ろの扉も、しっかり鉄骨が支えている。さらに多数の小型無人機が動く。  ヴィーゼルに付属しているカメラから、出入り口近くの瓜生のところまでケーブルが伸びている。そのケーブルを通じて、無人機に電波が届く限り連絡する。  軽い傷だが、ポーションでも治らない。 (呪詛か)  あらためて、瓜生が押さえている予言者の脅威にぞっとした。 (闇派閥などより、よほど恐ろしい……)  そう、思わずにはいられなかった。  レフィーヤが唱えはじめた呪文も、誰にもらったのかを考えてしまった。 >牛怪  リヴェリアとガレスを中心にした班が、いきなり落ちた。床そのものが巨大な扉だった。  予言はされていたが、さすがに、それを前提にして準備することまではできなかった。  遊撃担当だったアイズたちは一歩遅れ、分断された。  また、レフィーヤとフィルヴィスは、別の横穴をのぞいていたので落ちなかったが、やはり分断された。 「扉が」  落下は免れたアイズたちだが、すぐに落ちてきた扉に閉ざされた。  これまでは地上まで往復して資材を調達、扉が閉まらないようにしていた。だが見えないように作られ、空いたままになっていた扉はどうしようもなかった。 「動けねえな……おい」  ベートがオリハルコン製のドアを蹴飛ばしてから、ベルを見る。 「……やれる?」  アイズの言葉にベルはうなずき、背の刀を抜く。 「いきます」 「でも、あれは蓄力型。使った後は反動があると思う」 「……はい、あります」  ベルはそれでも、 (アイズさんを守れるなら……)  と覚悟を決めた。 「だいじょうぶ、守るから」  アイズの言葉に、ベルはうれしいのと屈辱の両方を感じた。 「ざけんな」  ベートがベルを怒鳴りつけた。 「甘えてんじゃねえ、ぶっぱしてすぐ、おめえだけが生き残るかもしれねえんだ。それでも一人で地上までたどり着くぐらいの根性がなきゃ、トマト野郎の時と同じ雑魚だ」 「これが『ツンデレ』ってものね」  ヴィーゼルの砲手席のナルヴィがあきれ、運転席のリーネが苦笑する。 「……いえ、死なせません。絶対に、絶対に地上まで、ベートさんもアイズさんも、ナルヴィさんもリーネさんも守ります!」  ベルの言葉に、アイズもナルヴィも目を見開いた。  ベートはけっ、と吐きながら……しっぽは正直だ。  それを見もせず椿・コルブランド作の刀を手にしたベルは、振りかぶったままチャージを始めた。リン、リンと音が響く。  20秒。 「おれにもよこせ」  ベートがメタルブーツに包まれた足を出してくる。 「……ヴァジュラ】」短文詠唱だが、すさまじい雷が刀と、ベートのメタルブーツに落ちる。 「このブーツでもぎりぎりだな」  ベートはにやりと笑った。  ベルはそのまま自然に歩き、刀を扉に振りおろす。  期間こそ短いが、膨大な回数のとおりに。祖父が鍬や斧をふるっていた姿の面影に自らを重ねて。武神タケミカヅチに磨き上げられて。  すさまじい閃光と轟音。  蓄積された能動的力、巨大な複合魔力、すべてが切れ味の増強に注がれた。  それでも、オリハルコンの扉はすさまじい硬さで切れ味に抗する。  椿が折れないことと切れ味に力を注いだ刀と、腰で切るフォーム……きれいに通る刃筋が、その硬さを切り裂いていく。  ごとり。  扉に、斜めの切れ目が入っている。 「どけ」  ベートがベルを押しのける。ベルは意地で倒れないようこらえた。  斬られた扉の向こうから、多数の食人花が切れた扉を押し倒して飛び出してきた。 「死ねええっ!」  同じく椿が作ったメタルブーツが一閃。巨大な魔力をためこみ、ベートの蹴りの威力との相乗効果がはじける。  閃光と爆発、斜めに切られた扉の向こう、通路を埋め尽くす新種モンスターが瞬時に灰になる。 「行くよ」 「あ、さすがに通れないですね。人は通れますが」  扉が斜めに切れて、何とか通れるが、さすがに小さいヴィーゼルでも通れない。  ヴィーゼルから、リーネとナルヴィが降り、機関砲を外す。  ラインメタル Mk.20 Rh 202、20ミリ機関砲。  薬莢が長く初速が早く、また比較的小口径で弾薬が軽め。発射速度も速く、チェーンガンやガトリング砲と違って外部電源が不要。  75キロと、人間には重いが上級冒険者なら携行できる。牽引対空砲になると1.6トン必要だが、それほどの反動もレベル4ふたりなら人力で吸収できる。  膨大な弾薬と多数のパンツァーファウスト3、毛布や薬、予備武器などをリーネ、ナルヴィ、ベルが扉の切れ目から押し出し、担ぐ。  アイズは何かに呼ばれたように歩き始めた。いつもと違い、頑丈な大盾を前に、重厚な鎧に身を固めて。 「おいアイズ、そっちでいいのか?」 「こっち」  それからも横道から出てくる食人花を、アイズは大型の片手半剣で切り伏せ、楯でパーティを守りながら前進する。  ベルも、反動を押し殺して突進する。レベル2の時にはこの水準で『英雄願望』を使ったら行動がきつかったが、今は大丈夫。  刀は今の一撃でかなり刃がなまっている。折れはしなかったが。だからヴェルフが打った片手脇差『フミフミ』と、ヘファイストスの脇差『ベスタ』の二刀で切りこんでいく。  ランクアップした今なら、チャージも付与魔法もなしで戦える。  その横をベートがすさまじい威力で蹂躙する。  敵が圧倒的に多いときには、後方から強力な機関砲弾と手榴弾が飛ぶ。アイズも12.7ミリ軽量ライフルで射撃に加わる。  アイズの機動力と動きの正確さが、ブルパップ式のセミオートライフルとうまくかみ合う。高速で正確に食人花の、頭部に見えるつぼみ部分のすぐそばに出現し、至近距離から正確に射撃。タングステン弾芯の徹甲弾で内部の魔石を破壊し、すぐ次に向かう。 【ヘファイストス・ファミリア】製の25発弾倉がうまく活きている。  ガレスとリヴェリアは、必死でヴィーゼル空挺戦車を落下の衝撃から守った。  そして下に待っていた膨大な食人花、それにリヴェリアが手をさしのべ、ごく短い詠唱。まったく意味をなさぬ奇妙な声。  瞬時に、すさまじい冷気が食人花を凍りつかせた。ランクアップで得た新スキル『圧縮妖精語』。威力が半減し、範囲が狭くなるかわりに、超短文詠唱の時間で発動可能。  それで道を切り開き、守り切ったヴィーゼルで突撃する。  大量の弾薬と銃がある。予備の武器もある。  特に有用だったのが、強力なフラッシュライト。  次々と自爆覚悟の暗殺者が襲ってきたが、いち早く発見し、目をくらませて12.7ミリや20ミリの強力なライフル弾で先制し、寄せつけず戦い続けることができている。  最前線で巨大な盾を構え、斧を振り回すガレスの力も絶大だ。  迷うガレスたちを、奇妙な槍を持つ男が襲う。その短文詠唱での『呪詛』は全員を混乱させ、大きな被害を出した。  混乱状態で銃器が使えなかったことは、まだましだった。  レフィーヤとフィルヴィスのふたりは、大量の荷物を持ったまま取り残された。  12.7ミリ弾、ライフル、重機関銃、ポーション、予備の剣や盾、パンツァーファウスト3。  最低限の訓練は受けているレフィーヤが重機関銃で次々に出現する食人花を掃討する。  フィルヴィスは驚きながら、いくらでも予備がある剣で支援を続けた。  そしてさまようなか、死の神の語る虚無に呆然とすることもあった。  フィンの負傷で一度戻ったフィン班は、十分な補給の上で行動を再開した。 「隠れた扉でケーブルを断ち切る、か……」  瓜生が情報を集めながら考える。  ロキたちが整理した情報を見たフィンも考えに加わる。 「この人工迷宮全体を、管理している人間がいる。あちこちに隠された魔法の目で監視し、扉を開け閉めする。つっかえ棒には、隠された扉で対応してきた」 「相手がいると考えれば、対処できるな。  どんなドアでも、必ず破壊できる。ドア自体が強ければ、ちょうつがいやレールなど、必ず弱い部分がある」  そういった瓜生は、鋼板の巨大なトイレットペーパーを出した。製鉄所が鋼板を出荷するためのロール。それを大馬力のブルドーザーで押し転がしていき、第一級冒険者も加わって、 (加速し、叩きつける……)  と、いうわけだ。  驚いたことに、巨大な塊を叩きつけようとしたら扉が開いた。  実は裏では大騒ぎになっている。 「奴らを通すのか」  と叫ぶ闇派閥と、 「大事な人工迷宮を傷つけられるのが嫌だ」  と叫ぶ瞳に「D」を浮かべた者が争っている。  さらに、 「これを試させろ、【フレイヤ・ファミリア】にぶつける前に」  と女神イシュタルまでやってきて、スポンサー権限を振り回す。  それを知るはずもない……その向こうから押し寄せてきた怪物の群れは、鋼板ロールの圧倒的な重量で押しつぶされた。  そのまま、主に無人での探索が続く。  導かれるように、アイズたちは奇妙な実験室のようなところに入った。  そこにはあのレヴィスが待っていた。だがあちこちに重傷を負っている。 「くたばれ!」  ベートが突撃し、アイズも無言で追随する。 (『アリア』の名を彼には聞かれたくない……)  アイズにはそんな思いがあった。  傷を負っているとはいえ、レヴィスの強さはすさまじい。  アイズの重装甲が役に立った……傷が治らない呪詛の刃を、重厚な鎧は確実に防いでいる。そして長く重い剣は、強烈な攻撃を確実に防ぐ。 「【ヴァジュラ】!」  ベルの呪文、付与魔法がベートのブーツとベルの脇差、ナルヴィとリーネが手にしたブルパップ対物ライフルの弾薬にもかかる。  それを察したアイズは、戦法を変える。自分がレヴィスを斬るのではなく、敵に隙を作ることに。  強力な稲妻を帯びた蹴りを、すさまじい力でレヴィスが防ぎきる。  そこに、限界以上の風を帯びたアイズの一撃。ベートの蹴りで崩れた重心、傷は追わなかったが膝をつくに近い姿勢にまで崩した。  アイズが飛び離れ、雷光を帯びた銃弾が、十字砲火で襲う。  命中したタングステン徹甲弾はすさまじい『耐久』を抜き、肉に達して雷火の魔力を解き放つ。  優先順位の誤りだった。多少傷を負っても、重心を、体の軸を維持することを優先すべきだったのだ。 「ぐうっ」  内部から焼かれる、20ミリ弾直撃以上の威力に、レヴィスも悲鳴を上げる。 「やれっ!」  雷を帯びた神の脇差を手に、5秒チャージを足にそそいだベルが襲う……  そのときだった。  アダマンチウムで補強された壁が破られ、巨大な牛がいた。 「あ……」  アイズたちが59階層で死闘の末倒した、『穢れた精霊(デミ・スピリット)』。  愛の女神イシュタルが、【フレイヤ・ファミリア】を潰すために用意した……闇派閥は今使う気はなかったが、スポンサーが試したいというので断れなかった。  ひたすら、力に特化した超巨大怪物……その脅威ははっきりしている。  アイズが放った強烈な風に導かれたティオナ・ティオネ・ガレスも合流し、完全に混戦となった。  その中レヴィスに、隊列を離れたビーツが襲いかかった。  ビーツがレベル2だと知る者は、明らかに無茶だと叫んだ。彼女の実力を知る者は……  本人は、実力も何もなかった。ただただ、強者との戦いに飢えていた。  嘲笑を浮かべて剣を振るう赤毛の女、だが彼女も傷ついている。それでも圧倒的な力に、ビーツの槍は断ち切られた。直後、トンファーを手に飛びこむ、その腹を呪詛の剣が貫く。  混戦に隔てられたベルは、絶望に崩れそうになった。  どう見ても致命傷。通信が切れる直前、通信を通じて呪詛の剣の存在は聞いていた。  ……だが、それは一瞬だけ。少女の体は爆発的な『気』の光に包まれた。  そして立ち上がる。背のトンファーを抜いた。 「エリクサーをビンごと呑んでいたか」  レヴィスが鉄面皮を崩さず、静かに言った。  腹の中でビンが割れれば、飲むと同じ事。  回復を呪詛が阻害する。残っているエリクサーが癒す。それが一瞬で、何度も繰り返される。  そのたびに、瀕死からの回復によりビーツの『ステイタス』は爆発的に向上する。 『耐異常』発展アビリティが上昇する……前代未聞のレアアビリティ、『耐呪詛』が発現する。  深呼吸したビーツはトンファーを構え、深く腰を落とした。 「呪詛の剣のはずだが」  レヴィスは戸惑い気味に剣を構える。  直後、すさまじい暴風が吹き荒れた。ビーツの体が光を浮かべ、その光が小さい身体に再吸収される。 『武装闘気(バトルオーラ)』。武威と同様の桁外れのエネルギーをまとい、さらに武神タケミカヅチに習った深い身体運用と呼吸法で自分の体に調和させる。  気を弾にして遠距離攻撃、というのも可能だが、 (効率が悪い、自分を強化するほうがよい)  と言われ、その方向に徹している。  ふわり。ゆらり。  柔らかな動きから、瞬間移動と思うほどの速度でレヴィスの足元に至る。身長差があり頭部には届かないが、トンファーを回しながらの強烈なフックが脇腹を狙う。 「なめるな!」  叫びとともに、それ以上の高速でレヴィスは動く。  剛剣の一撃、長くして受けた右のトンファーが断ち切られ、左腕を守るトンファーに深く食い込む。  ビーツは斬られたトンファーを反転させ、短いほうの端を拳の延長として正確なジャブを放った。  レヴィスの腕を打つ。重く、腕の奥の骨が砕ける。無駄がなく、疾くよけにくい。 「調子に……」  完全にレヴィスは本気を出している。機関砲弾の傷も、すさまじい回復力で癒えている。  桁外れに強化されたビーツだが、それでも雲の上の速度と切れ味で、呪詛の剣が少女を襲う。  残った方のトンファーごと左腕が深く切られる。衝撃に肩も砕けている。  それでもためらわず、突進から右のショートアッパー。レヴィスは剣を戻し、肘で防御するがその肘が砕ける。 (戦いながら、どんどん強くなっている。なんだこれは)  レヴィスはかすかな苛立ちを感じる。  わずかな崩れに、ビーツは強烈な前蹴りを放つ。レヴィスの膝を横から蹴り飛ばし、体勢を崩させる。 「くうっ!」  姿勢を崩したレヴィスは、それを利用した。剣を捨てて手で体を支え、回転を込めた蹴りをビーツに放つ。  まともに胸を砕かれ吹き飛んだビーツを、風をまとったアイズが受け止めた。  正面からベルが斬りこみ、それを迎撃しようとした隙をベートが蹴り飛ばす。  リーネはビーツを見てダメージの激しさに息を呑み、断たれた腕を拾い、癒しながら出口に急ぐ。  また瀕死……だからこそリーネの治癒で、またさらに強くなる。  どこまでも、種族が、血が命じるままに……アイズもベートも認める、すさまじい強さへの飢え。  それはベルの戦いとはまた違う、とても新鮮でまぶしいものだった。  ただでさえ巨大な力と耐久を誇る牛魔物が、『穢れた精霊』となって桁外れに強化されている。  その巨体に、弾幕が襲いかかる。膨大な銃口炎と硝煙が広いルームを満たす。  負傷したフィンがサポーターとして持ってきた、多数のパンツァーファウスト3やTOW対戦車ミサイル。  改造GSh-23。ヴィーゼルの20ミリ機関砲。  700ミリ、70センチの鋼鉄を貫く成形炸薬弾頭のメタルジェットが焼けた針のように硬皮に刺さる。爆圧が巨体を揺るがす。  ティオネの魔法が一時的な強制停止状態をかけ、そこに大量の砲弾が襲う。セオリー通り、足の関節を狙って。  さらに、圧倒的な力をつなぎとめる力があった。 『重傑』ガレス・ランドロック。オラリオ最強の盾と言われるすさまじい力。 『穢れた精霊』の出現を聞いて瓜生がさしむけた武威は重い鎧のまま、明らかにガレス以上の力で鋭い角を押し返している。  トグ……戸愚呂(弟)の遺児は、今の彼には限界以上の38%に達する筋肉で、支えに加わっている。  瓜生が出した、吊り橋用の太さ1メートル、六万トンを支える刃物以上の鋼でできたワイヤー。3人はそれを荒縄のように操り、野牛をとらえるように牛の足や首に絡め、すさまじい力を封じ続ける。  巨牛の背に生じた女の姿が呪文を唱えようとするが、それを正確に砲弾が止める。  武威たちが引きずってきた、57ミリ対戦車砲。  リヴェリアとラウルが的確に操作し、呪文の詠唱を終わらせずに魔力暴発を繰り返させる。  それでも、倒れない。耐久と力はまさしく桁外れだ。  アマゾネス姉妹がベルの付与魔法で強化された武器で、すさまじい攻撃をかける。  リヴェリアの大呪文が炸裂する。  倒れない。圧倒的な耐久、それはこの世のものとは思えない。人間に手が届く存在とは思えない。  だが、それでも冒険者たちは戦う。 「大呪文の準備!それがだめなら、ベル・クラネルの一撃を!」  叫んだのは、癒えぬ傷を押して立つフィンではない。そのうしろだてで全体を指揮するラウル・ノールド。  彼らも、この人工迷宮だけでもいくつもの危機を克服した。戦い抜いた。  成長している。 「ベートさん」  リーネが、ベートに声をかけた。 (いざというときは、魔法を使う覚悟を……)  このことだ。  ベートは無反応だった。  ランクアップしたレフィーヤが、深呼吸する。ランクアップしていても、相当な覚悟がいる大呪文。 「【……どうか、力を貸し与えてほしい】」  エルフ・リング。  激しい攻撃を、ガレスががっちりと受け止める。重い傷を負いながら。  リヴェリアが高速で動きながら、超短文詠唱で放つ強力な呪文と23ミリ機関砲の速射を交互に放つ。間断なく攻め続ける。  ティオネとティオナ姉妹の、レベル6に達し同族との死闘で磨かれぬいたすさまじい攻撃が牛の足を傷つけ続ける。  統制された射撃が、決して休ませない。 「【ジ・エーフ・キース、神霊の血と盟約と祭壇を背に、我精霊に命ず、雷よ降れ】」 「退避!!」  ラウルの絶叫に、ワイヤーを離したトグが、肉に食い込んだククリをあきらめたティオネが高速で飛び離れる。 「【轟雷(テスラ)】!!!」  レフィーヤが召喚した、ハーフエルフの雷撃系最大呪文。  圧倒的な打撃力が、穢れた精霊が超短文詠唱で築いた魔力壁を叩き、叩き、打ちのめし、砕き、押し流す。 「ああああっ!」  レベル4にランクアップされても、明らかに過ぎた呪文。一瞬で魔力のすべてを使い果たし、崩壊しそうになるレフィーヤ……  激しい雷に打たれ、崩れかけながらも襲い続ける牛怪。 「だいじょうぶ」 「護る」  アイズの風が、フィルヴィスの短文詠唱防護呪文が、最後の突撃からエルフの少女を守る。  そのまま安心したようにレフィーヤは崩れ落ち、『穢れた精霊』も消滅していった。 「こちらもほぼ力を出しつくした……ここで一時撤退する」  フィンが命令し、膨大な火力の壁を後ろに置いて撤退戦にかかる。  長く現実的には壁を壊せない人工迷宮、頻繁に横穴から出現する敵襲に苦しみながら。 >歓楽街 『人工迷宮(クノッソス)』探索を一段落させた連合だが、特にベルたちに休む暇はなかった。  神々もステイタス更新に忙しい。  呪詛の傷を受けたフィンらはアミッドの治療でなんとか完治した。事務処理や装備の補充も大仕事だ。ほかの負傷者に、瓜生が止血法を教えていたのも功を奏した。ポーションや治癒呪文があるこの世界では、戦場での救命医療はどうしても衰えてしまう。それらがない瓜生の故郷では極端に発達している。  ビーツは、ステイタスがとうとう10000の大台に達したが、それでもランクアップには至らない。 (どうなってるのか……)  とヘスティアが思うほど非常識だ。  また、エリクサーのビンを呑んでおき、腹をぶち抜く剣に腹の中でビンが割れた……腹の中にガラス片がばらまかれる、瓜生はそれを激しく恐れ、大手術も覚悟していた。  使ったのは塗りの厚いホーローで割れやすいよう金属に切れ目を入れたビンだが、それでも細かな破片を恐れていた。  心配していたほどのことはなかった。人間とはまったく違うビーツの体は、治癒と同時に異物であるガラス片も全部外に排除していた。  冒険の代償は大きかった。  ベルとビーツが武器を失った……神造の『ベスタ』以外。 【ロキ・ファミリア】メンバーの、武器防具の消耗も大きかった。となれば、【ヘファイストス・ファミリア】も【ゴブニュ・ファミリア】も大忙しになる。  ヴェルフはベルの、自分が打った脇差と、椿・コルブランド作の刀を見た。どちらもボロボロであり、曲がりくねっている。 「この刀も、『フミフミ』も、完全に寿命だ。よく使い潰してくれた……満足だって言ってるよ、どちらも。  二度、椿・コルブランドが打った刀を使ったおまえには不満だろうが、今度こそ……この二刀と、あのミノタウロスの角の残りを素材に、俺に刀を打たせてくれ」 「もちろん」  ベルの快諾。ヴェルフは武者震いしていた。  信じ切って快諾してくれたことはうれしい。だが、責任が重すぎる。そして容赦なく椿・コルブランド……オラリオの人間最高の鍛冶師と比較される。いや、むしろ脇差……主神ヘファイストスと比べられることになる。  絶望的な重圧。自分の実力が、その二人から見てどれほど遠い遠いものだか、自覚がないわけではない。  いや、比べられるなどどうでもいい。何よりも、椿が打った刀……『ドウタヌキ』思想が恐ろしい。自分が始めたブランドだが、無銘だろうと何だろうと、 (絶対に折れない。刀が折れたらその場で死ぬ……)  これだけだ。  ベル・クラネルのむちゃくちゃな刀の使い方……階層主級やオリハルコンの扉、信じられない数の敵との戦い、それでも折れない。  それこそ、今の自分が単独でウダイオスに挑むより無謀。  聞きつけた椿と、主神ヘファイストスまで顔を出してきて、その助力もかなり借りることになった。プライドよりも折れないこと、 (ベルが死なないことの方が優先……)  とまでのこころがあった。  これまで使った、椿の『ドウタヌキ』とヴェルフの『フミフミ』、ベルが倒した因縁のミノタウロスの角の残りを、素材とする。椿の打った刀には、アイズ・ヴァレンシュタインが倒したウダイオスの大剣もわずかながら含まれている。  人工迷宮の戦いで大量のアダマンチウムと、かなりの量のオリハルコンすら戦利品として分けてもらっており、それも素材となる。  それで打つのは大小。脇差は、ヘファイストスの神脇差『ベスタ』より一回り短く、だが厚く身幅も広く、柄は短め。刀も定寸で、より厚く広く、柄を以前より少し長くした。 (絶対に折れない……)  にすべてを注いだ、一片の飾りもない『ドウタヌキ』。  ヴェルフはまさに、命と魂を賭す思いで挑んだ。  ビーツも、槍もトンファーも失った。  槍はともかく、トンファーは恩神アストレアにもらった大切なものだった。  まず、ビーツは『豊穣の女主人』に、リュー・リオンに謝りに行った。リューの仲間の形見を壊したのだ。 「あなたが生きて帰ってきてくれたことが、うれしい」  とリューは言い、ビーツを抱きしめた。  また、シルに言われたビーツは、アストレアにも手紙を書いた。それができるほどには、勉強もさせられている。  そしてビーツは【ヘファイストス・ファミリア】と話し合い、新しい武器を作る算段をした。  武神タケミカヅチも相談に加わる。ビーツの、『気』という特殊な力を最大限活用するため、工夫が必要になった。それは技術の向上にもなるため、かなりの値引きがされた。  だが、それには時間がかかる。当座は、ベルの刀と同時に穂先を打った槍と、切られたトンファーの残った部分を用いることにした。  防具も含め完全な装備が仕上がるには結構かかる。  ある程度……槍の柄、刀の柄、防具などは、高額な既製品で妥協した。  ビーツは検査が終わったらリューのところに謝りに行き、そのまま『豊穣の女主人』で働いてから、残った生鮮食材すべてを食べつくして、レベル4が4人がかりで修行。  もうリューと一対一でも互角以上に打ち合えている。  瓜生は【ロキ・ファミリア】幹部とともに反省会、装備の再検討などがある。 【ヘスティア・ファミリア】が新たに直面した問題の中心は、【イシュタル・ファミリア】にある。 【タケミカヅチ・ファミリア】の者が、歓楽街で同郷の幼なじみの噂を聞いたという……  また【ロキ・ファミリア】もイシュタルが闇派閥に関して怪しい動きをしているのをつかんでおり、それはヘルメスに任せている。終わったばかりの人工迷宮探索で倒した『穢れた精霊』に、イシュタルの痕跡があった。  その情報も瓜生のところには入っている。  瓜生は、そこにイシュタルが同じく美の女神であるフレイヤに向ける、嫉妬があることを聞いた。 「【イシュタル・ファミリア】は歓楽街を支配している、か……」  情報戦を重視する瓜生にとっては、一番恐ろしい相手だ。あらゆる情報は遊郭に集まる。そして莫大な金もある。  瓜生にもベルにも、多くの恩がある【タケミカヅチ・ファミリア】だが、同郷の幼なじみを助けるという意志は固い。  夜に、【ヘスティア・ファミリア】と共同で住んでいるヤマト・命とヒタチ・千草が抜け出して歓楽街に向かった……のを、ベルが見た。  瓜生の話に衝撃を受け、頭を冷やそうとして。  そしてそのまま、『ベスタ』と既製品のナイフだけを持って、追跡した。  無論ベルの部屋には監視装置がついており、瓜生とリリも後を追う。  ベルが眠れなかったのは、瓜生の話を聞いたのが理由だ。少し前から瓜生は、ベルとヘスティアの余暇に故郷の英雄の話を朗読してやるようになった。  最初にオッペンハイマーの話をして、原爆の映画を見せたのだから、 「おれの故郷では、ひとり殺せば犯罪者だが百万人殺せば英雄だ……」  こそ、伝えたいことだ。  コロンブス、アレクサンダー大王、コルテス、ナポレオン……虐殺についてもしっかり描かれた大人向けの伝記。  コルベ神父、アンリ・デュナン、キング牧師など善のために身を捧げた人たちも。  ワット、エジソン、パスツール、アインシュタイン……科学技術を、文明を進歩させた偉人たちの話も。  ベルが祖父に聞いていた英雄譚とは、あまりにも異質だった。  個人としての強さがほとんどなく、人を指揮する能力が高い英雄たち。すさまじい虐殺。  特に新大陸では、伝染病という恐ろしい兵器を無自覚にまき散らしていたからこそ、コルテスはアレクサンダー以上の土地を征服できた。武将としての能力には事実上関係なく…… (それが英雄というのなら、英雄とは何だろう……)  それさえ思ってしまう。  そして歓楽街でベルは、悪夢のようなめにあった。  モンスターでないことが不思議な、第一級冒険者に全力で追い回された。  そしてたまたまかくまわれた部屋で、問題の発端になったサンジョウノ・春姫という娼婦に出会った。  翌朝ベルは、徹夜なのにヘスティアとリリに吊るしあげられた。  むしろ瓜生の冷静な、 「もう年頃の男だし、当然だろう」  という言葉が、女ふたりの怒りをあおっていた。 「で、ウリューくんは……」  とばっちりでヘスティアに白い目を向けられた瓜生だが、彼は軽く肩をすくめた。 「おれは旅先で女に手を出すつもりはない。性病が怖いから」  一応、異世界に行ったときに伝染病は感染させることもないし感染することもない、という話だが、あまり信用していないのだ。 (性病一つでも持ち帰れば、故郷が滅びるかもしれない……)  のである。 「ではどう処理を?」  リリが問うのに、 「見たいのか?」  と瓜生が地面に手をかざして数秒。ヌード写真集、エロマンガ、ノートパソコンとエロゲ―にアダルトDVD…… 「さいってー」 「最低ですね」  と、ヘスティアとリリに瓜生まで責められた。 「まあひどいことはしてるよ。本来おれが遊郭で大金を落とせば、当の本人には大金が入って借金完済に近づく。楽団だの化粧係だの見習いだのもチップをもらい、うまい料理のご相伴にあずかる。  その料理人が給料を得て、魚をとる漁師から包丁を打つ鍛冶ファミリアまで金が行きわたる。  その機会を奪ってるようなものだからな。まあ、情報屋にばらまいてそいつらが遊んでるから」 「そういう問題じゃないですよ!」 「まあ女の感情はともかく、ベル、昨日何があったか細大漏らさず報告してくれ」  と、それでベルが見た地獄をヘスティアとリリは聞き、苦笑するしかなかった。ただし、要注意と思われる戦闘娼婦もその話にはいたが……  問題は、命と千草が歓楽街に何の用があったのか…… 「こんな騒ぎになったんだから、とっちめないとね」  と、ヘスティアがタケミカヅチのところに出かけた。  タケミカヅチはヘスティアの話を聞いて命と千草を問い詰め、春姫の件を聞いてしまった。  さらに、ベルが春姫と会ったことも皆に伝わる。 「生きておられたか、お元気に……」 「しかし、なんとおいたわしい……」 「リリも、あそこに落ちていなかったことが不思議な身です。他人事ではありませんよ……ですが、それとこれとは別です。 【イシュタル・ファミリア】にケンカを売るなんて……【アポロン・ファミリア】とはレベルが違いすぎます。あちらにはレベル5がいるという話ですし、3以上も何人もいる。この迷宮都市でも上位の派閥なのですよ」  リリの容赦のない言葉に、命と千草は冷や汗を流している。その正しさはいやというほどよくわかる。 「第一、その方はすでにファミリアに入っています。ファミリアの者がどう扱われようと……」  最悪のファミリアに生まれ苦しみぬいたリリだからこそ、掟の厳しさをよく知っている。そして感情に流されず、現実的な言葉を重ねる。 「二度三度の命の恩、さらにただダンジョンにもぐるよりずっと多くの儲けをもらって、それでこれは申し訳ない……」  タケミカヅチは小さくなっていた。 「あなたがたにご迷惑をかける気はありません、こちらで……なんとしても……」  小さくなる命に、瓜生は首を振った。 「詳しくは言えないんだが、おれたちがかかわっている件で【イシュタル・ファミリア】は関係してる。どのみち抗争になるリスクはある。その場合は、協力してくれるか?」 「も、もちろん。一命にかえても」 「それに、みなさんにとって大切な人なら……」  ベルが口を出すのに、リリが、 「ベル様!【ヘスティア・ファミリア】自体を賭ける覚悟はおありですか?無論リリは、ベル様が何を選ぼうとついていきます。どんなことになっても。それを背負ってくださるんですか?」  その言葉の厳しさに、ベルは震え上がった。  自分一人が無茶をする、とは違う。ファミリアそのもの……瓜生も、リリも、ビーツも……加入を約束してくれている武威やトグも。そして何人もの希望者…… 【ロキ・ファミリア】の遠征に同行し、それなりに仕事をすることで、 (英雄への道を一歩、歩いているのかもしれない……)  という実感さえあった。  実際、【ロキ・ファミリア】幹部やヘルメスはベル・クラネルを英雄候補と認め、育てる気がある。  アイズやティオナ、椿やベートがベルにくれた助け、フィンやリヴェリアも厳しすぎるほど教えてくれた……  パーティメイトであるヴェルフやレフィーヤ。厳しく優しく見守ってくれるエイナ。  そして、大切な主神。  今のベルも、背負っているものはあるのだ。  その重さと、一夜の恩、同情、知り合いともいえない…… (すべてを賭けるに値するのか?)  その問いが、ベルにのしかかる。  ベルがそれでも真剣に考えていてくれる、それは【タケミカヅチ・ファミリア】に伝わった。 (もう、この方のためなら生命もいらぬ……)  そう覚悟が固まる。  瓜生とは微妙に違いベルは、 (たとえ自らが文無しで飢えていても、わずかな食物を分けてくれるような……)  助ける余裕などなくても、いのちがけで助けてくれるのだ。いのちがけで返すしかないではないか。  それから瓜生は【イシュタル・ファミリア】が支配する歓楽街について、調べ始めた。【ロキ・ファミリア】からも情報をもらう。  アマゾネスの高レベル冒険者を擁しており、普通の遊郭のような人肉市場ではない……むしろ近づいた強い男が食われてしまう、原始的な血と暴力の臭いが強いところだ、と。 「確かにいい女は多いけどよ、アマゾネスだぜ?下手すりゃ干からびるまで食われるだけだ。金持ってる初級や冒険者でもない奴には、普通の遊郭のふりをしてるけどな」  さらに、神ヘルメスのところにも話を聞きに行った。  瓜生は、18階層でベルたちを危険な目にあわせたことを知り、ヘルメスを脅してある。 「ベル・クラネルの成長のためであれば、多少のことは目をつぶり、ヘスティアやベルには秘密にしてもいい。そのかわり、おれには何一つ、絶対に隠すな」  と。  情報を集め始めた瓜生とリリは、慄然とした。  要するに裏の情報屋たちが、震えあがって断るのだ。  まだ、サンジョウノ・春姫はオラリオに来てからそれほど経っていない。にもかかわらず、情報屋の間では、 (関心を持つことも許されない、最悪の危険物……)  なのだ。  タケミカヅチにその点を相談すると、 「狐人(ルナール)には珍しい魔法が発現することが多いから、それか……」  と、重要な情報を伝えてくれた。  遊客から情報を求めたら、 (美しくはあるが男の肌を見ただけで気絶するほどおぼこ、返品ばかりされている……)  という悪評が出てきた。  悪所にも出入りしているモルドたちが、そちらでは得難い情報源になった。彼らは瓜生にカジノ出禁を解除してもらったので、瓜生に頭が上がらない。 (英雄になるなら、情報が集まるカジノ出禁は痛すぎる……)  瓜生はそう考えたのだ。といっても、カジノはベル・クラネルに、ギャンブル自体は禁止している。『幸運』レアアビリティに気づいてしまっている。逆に賢いカジノは、ベルに大勝ちさせることで、 (カモを呼ぶ……)  という利用法を思いついているが、まだそれをやる暇はない。  武神タケミカヅチはその日は、学校は休みだったがビーツと武威を見る予定を入れていた。  重い鎧を脱いだ武威だが、その体を浮かすほどの闘気の鎧、バトルオーラはかなり薄くなっている。地面に足をつくことができている。  そして習った動きをやると、肘打ちの一点に針先のように、すべての気が集中していた。 「これができるとは思っていなかった……」  と、限界だと思っていたのがまだ成長できたことに、とても喜んでいた。  武神の指導はそれでも厳しかった。 「まだ、ダンジョンの一階に入ってもいない」  と。  武威は素直に、何度となくゆっくりと、24式太極拳のような動きを繰り返し、武神の厳しい指導を受ける。  今は亡き、永遠に届かぬ目標から自由になり、自らの道を歩めるように……  またビーツは、 (槍の手元に入られたら、新しくトンファーをつくるよりも徒手空拳のほうがよいのでは……)  という話になった。このことは鍛冶神ヘファイストスとも相談している。  槍からトンファーの切り替えにはどうしても時間がかかる。トンファー自体、実はアストレアにもらってからオラリオまでの旅の、せいぜい半年しか使っていない。  手首から肘までを分厚い装甲で固め、手は黒いゴライアスの硬皮も用いた手袋で固める。  腕装甲は新式の不壊属性。手袋は、『気』を用いる戦法に調和させるため、武神タケミカヅチと鍛冶神ヘファイストス両方が協力して作り上げることになった。  特に拳の殴る面を分厚く強化し、きわめて特異な属性をつける。正しく『気』がこもった拳打であれば、拳を保護しつつ内部破壊に『気』を向けるように。  タケミカヅチは武威には、 「腕相撲で勝てない相手を、力ではなく意念を用い、相手の力を利用して封じる」  合気道・八卦掌系の柔が強い拳法を教えた。  ビーツには、 「高速密着からの必殺、槍術とも共通」  八極拳やキックボクシングの本質を抽出して教えた。最終的には、腕相撲とかけっこで勝てない相手にも柔の技で勝てる、剛柔が統合されるように種は仕込んであるが。  ビーツはもう、頑丈なリュックに80キログラム詰めて、オラリオの周囲でフルマラソン距離を一時間強、100メートル10秒ペースで走っても……大型トラック用のばねを用いた、最大100キログラム重近いボート漕ぎマシンを3時間不休で続けても、平気だ。  それが重量も背負わず、タケミカヅチに厳しく直されつつほぼ真横への拳打、肘打ち、前蹴りを40分繰り返すだけで立ち上がれないほど疲れる。それほど体を精妙に使い、『気』を精密に制御しなければならぬ。  歯を食いしばって立ち、修行を再開する。  強くなりたい、強くなれる……ビーツはひたすらに、強くなることだけに夢中だった。リュー・リオンやアーニャ・フローメルでももう物足りない。レヴィスほどの敵でも足りない。  鍛えに鍛え、強敵を求め続ける……ベルとは違い、英雄などという夢も、アイズ・ヴァレンシュタインという憧憬もない。武威とも……戸愚呂との再戦を誓って本気で修行していたころの彼とも、違う。  ただただ、強くなりたい。もう一つの命令は消されていても、種族の本質である強さへの渇望は消せなかった。  ベルは迷っていた。  なによりも、 (娼婦は英雄を破滅させるだけ、救うことはできない……)  このことだ。  ヴェルフが全身全霊で刀と脇差を打ち、時間をかけて焼きなますのを待ちながら、ベルはじっと休んでいた。 (どちらにしても、全力で動けるように今は休んでおけ……)  瓜生にそう言われて。  瓜生はリリを助手に、ひたすら情報を集め分析している。また疲労困憊したビーツに、どんぶりで20杯も柔らかめの月見うどんを作った。  ヘルメスの言葉から、こちらが手を出さなくてもイシュタルが、ベルを狙ってくる可能性が見えてきたのだ……  ヘスティアはまたしても恐ろしい危機が迫っていることがわかっていた。そして胸が張り裂けるほどに、眷属たちのことを思っていた。 >強襲  歓楽街を睥睨する、贅を尽くした宮殿の奥で。  美と月の女神イシュタルの命令を、何人かの眷属幹部が聞いていた。  フレイヤのお気に入りだというベル・クラネルを手に入れる。あの女を悔しがらせてやる……  同じ美の女神フレイヤを激しく嫉妬し憎悪するイシュタルの、女神の激情に人の子である眷属たちは圧倒されていた。  黒一点のタンムズは、止めようとしていた。  港町メレンでの戦いで【カーリー・ファミリア】が脱落し、『人工迷宮(クノッソス)』で試しにと投入した『穢れた精霊』化した牛怪物を失い、以前想定していた戦力より大幅に低くなっていること。  その状態で、【ヘスティア・ファミリア】にケンカを売る…… 【ヘスティア・ファミリア】は、【ロキ・ファミリア】と深い結びつきがあると言われている。  ベル・クラネルのパーティに、【ロキ・ファミリア】のレフィーヤ・ウィリディス、【ヘファイストス・ファミリア】のヴェルフ・クロッゾがいる。  そして【アポロン・ファミリア】との『戦争遊戯』では、明らかに【ヘスティア・ファミリア】は底を見せていない……隣の城を爆砕した武器を人に向けていれば、皆殺しすら容易だったと思われる。また石塔を雪だるまのように粉砕した鎧の巨漢は戦いに参加していない……  そんな理屈は、嫉妬に狂った女神の耳に入るわけがなかった。 「やれっていってるんだ」 「おお!やってやるさァ……じゅるり」  そして、アマゾネスの闘志と、主神イシュタルが与える圧倒的な恐怖と魅了に狂った眷属の耳にも、入るものではなかった。  ここまでは盗聴器は及んでいないが、瓜生が聞いたら驚くだろう。  せっかく、情報面で圧倒的な力を持つ遊郭の主なのに、情報で戦おうとしないのだから……  大手商会からのうますぎる話を聞き、すぐに瓜生とリリは情報屋を使って依頼の裏を探った。  すぐに、 (【イシュタル・ファミリア】がベルを狙っている……)  ことの、明白な証拠が得られた。  ちなみに、【ロキ・ファミリア】からベルのパーティに入っているレフィーヤに、別口・名指しで依頼があったとも。  それで、問題は【ロキ・ファミリア】とある程度共有することになった。 「さて、どうする?」  瓜生はリリに問いかけた。 「狙われている以上、依頼を断っても次にダンジョンに入ったときに襲われるだけでしょう」 「どんなふうに攻撃してくるだろうか?」 「もっとも有効なのは『怪物贈呈(バス・パレード)』ですね。多数のモンスターをぶつけ、混乱したときに高レベル冒険者が強襲する。レフィーヤ様を外そうとしていることも、それを有効にするためと考えられます」 「対策は?」 「多数の、頑丈な『壁』。初動が早い魔剣……銃の大量装備。ただし、多数の死者を出したら深い禍根を残すでしょう」 「ベル、リリルカに任せるか?」  瓜生は、情報や策謀に関してはリリルカ・アーデに継承させるつもりでいる。彼女もわきまえている。 「は、はい」 「【アポロン・ファミリア】や、【ミアハ・ファミリア】からも援軍を用意します」 「われわれも、いつでも」 【タケミカヅチ・ファミリア】も合力を誓った。 「ただ……」 「なんだい?」  首をかしげるリリにヘスティアが問いかけた。 「レフィーヤ様やクロッゾ様を巻きこんだら、ふたつの最大手ファミリアを敵に回すリスクがあるのに……ただでさえ最強(フレイヤ)と戦うというのに、正気を疑いたくなります……まあ、それがオラリオの神というものですが……よほどの切り札が……」 「ああ、アポロンにも抑止はまるで通じなかったな」  また、ベルと命はヘルメスから別の情報も得た。  ヘルメスはベルや命が、狐人の娼婦に関わりがあることに心底驚いていたようだ。  そして『殺生石』という名を聞かされ、それをタケミカヅチに知らせたら……とんでもない衝撃が出た。  あとわずかな日数で、春姫の生命が事実上なくなる。 「思ったより時間がないな。リリルカ、一つこちらでできることを教えておく。それで選択肢を考えるんだ」  リリは考えぬいた。  さまざまな選択肢を。そのメリットとデメリットを。考えられる敵の反応を。  ベルも考えていた。自分がなぜ、春姫をこれほど助けようとしているのか。さらに瓜生に聞いた、彼の故郷の英雄譚も。そこでは娼婦は決して破滅の象徴ではない、むしろ最重要の聖女の一人でもある……『ジーザス・クライスト・スーパースター』の映画も見せてもらった。  商会から受けたクエストは、十分な準備の上で決行された。  その前後に、【アポロン・ファミリア】が迷宮に入った……が、まったく別の階層に向かっていた。 【ヘルメス・ファミリア】が妙な大荷物を持って迷宮に入ったことも、誰も関係があるとは思わなかった。 【ロキ・ファミリア】はその日、なぜか誰もホームを出ない。  ベル、ビーツ、リリ、ヴェルフ、命……それだけの比較的少ないメンバー。  鎧の巨漢は今日も【ヘスティア・ファミリア】加入の準備として『学校』に行き、この世界の文字や常識を学び、運動の時間は実力が隔絶しているので隅で別の修行をしている……そう、報告は行っている。  14階層で水晶を採掘しているときに大規模な、多数のモンスターの襲撃……  そのとき。  その『ルーム』に通じる通路の床が、突然爆発した。  大量の爆薬。床が抜ける。その下の15階層も。  転げ落ち、岩盤と爆発に大ダメージを受けたモンスターたちは、そこにいた多数の精鋭冒険者に一掃された。 『クロッゾの魔剣』が稲妻の嵐を放ち、大盾に守られた長槍の壁がライガーファングを次々に貫く。  ついでに、混じっていた低レベルの戦闘娼婦(バーベラ)も捕縛される。 『戦争遊戯』で赤恥をかき、しかも脱退許可を強要されて半減した【アポロン・ファミリア】……逆に、団長ヒュアキントスをはじめ、特に忠誠心が強い者だけが残った。そして恥をそそぐため、今までとは次元が違う熱意でダンジョンで修行していた。  そして『戦争遊戯』の代償に、【ヘスティア・ファミリア】への従属が定められている。 【タケミカヅチ・ファミリア】から桜花や千草も加わっており、こちらはそれこそ決死で戦っている。そのすさまじい士気は【アポロン・ファミリア】にも伝染している。  ここには【ミアハ・ファミリア】はいない。彼女たち……ダフネとカサンドラも、別のところで別の特訓をしている。  だが、大盾を構える桜花がボールのように吹っ飛ぶ。圧倒的な、あまりに圧倒的な力がそこにあった。  レベル6相当。黄金の粒子を輝かせる、人間とは思えぬ醜い巨体。  フリュネ・ジャミール。 「ゲゲッゲ、こざかしい……無駄だよおおっ!」 「大盾!階層主戦を思い出せ、生存を優先しろ!」  ヒュアキントスが叫ぶ。  事前に警告されていた、 (【イシュタル・ファミリア】は、【フレイヤ・ファミリア】を潰すつもり……とんでもない切り札がなければ、とても考えないでしょう。最低限の役割を果たしたら、あとは生きて帰ることを優先してください)  深層用の大盾を用意していたから、瀕死が何人か出ただけで済んだ。  二階層分の穴を駆け上がる巨体が、ベルたちを襲う。  あまりにも速い強襲。  だが、ベルたちはもう、別のルームに避難していた。そこを【ヘルメス・ファミリア】が事前に持ち込んだ資材で要塞化して。  要塞の外に、ふたり待っている。徒手空拳、小さな少女と鎧を着ない巨漢。 『学校』で授業を聞いている、鎧の中身は【ロキ・ファミリア】で特に体が大きくレベル3の者だ。顔の見えない鎧で基本無口なのでごまかせる。なんとか大重量の鎧でも動ける。  ビーツが、静かに立って深呼吸する。  膨大な『気』の光がまとわり、そのまま湯気のように形を揺らがせる。  すっと、少女の体に入っていく。  武威も同じことをする。  バトルオーラ……強すぎ、無駄にまき散らされているも同然の気の鎧を、自分の体と精密に同じ大きさ・形にする。そして自分の体と完全に一致させる。それが武神タケミカヅチに課された修行だ。  まだそれほど長い期間ではないが、すさまじい熱意でやってきた。  先にビーツが、巨体の女に立ちふさがる。その醜さなど目にしない。目の前にいるのは、強者だ。  その歩みは奇妙だ。気の制御に大半の精神力を使い果たし、まるで泥沼を歩くように、疲れ切って足を引きずっているように見える。 「アアアアアアアッ!」  巨大な斧が超高速で打ちおろされる。  ぎりぎりまで、ぎりぎりまで引きつける。髪に刃が触れ、その何千分の一秒後に頭がふたつに分かれる……と見たとき。  爆音。迷宮が揺らぎ地面に小さなクレーターができる。  唐竹になる残像を残して超高速で懐に飛びこんだ少女が、全身で右拳を突き出す。  恐ろしい反応と身のこなしにかわされる。ビーツは踏みこんだ右足に左足を引きつけ、即座にまた右足をわずかに踏みこむ。地面が爆発し、ふたたび拳が打ち出される。  防御した、ビーツの胴より太い左腕が鳴る。まるで鉄の塊を打ったように。 「ゲゲゲッ!殺してやる!」  絶叫とともに、容赦のない攻撃が始まる。  ビーツがレベル2だと知っている者は、彼女の死を確信するだろう。  崩落に巻きこまれなかった戦闘娼婦はほかにもいた。  レベル3上位、『麗傑(アンティアネイラ)』アイシャ・ベルカ。彼女は本陣を守っていた。絶対に失えない本陣を。  読まれ、待ち伏せされていた、なら…… 「急いで、あたしにも」  春姫の魔法は連発できない。だが、それでもぎりぎりまで……  そのとき、第三勢力が牙をむいた。ほかでもない、迷宮(ダンジョン)そのものだ。  あちこちでの大規模な崩落。  アイシャたちはいのちがけで、春姫を守った。  ベルたちが固めていた陣地も広域崩落に巻きこまれる。 >略と術  すべてのピースが悪くはまった。  全体を総合しただれもが、そう言うほかなかった。  レベル7を軽く超える武威の力。リュー・リオンを圧倒できるビーツ。  準備できればウダイオスでも一発で倒せ、敏捷はレベル4に迫るベル。 【アポロン・ファミリア】の数と誇り。【タケミカヅチ・ファミリア】の覚悟。【ヘルメス・ファミリア】の予備兵力。  保険としてリリたちが持っていた、『クロッゾの魔剣』と近代兵器。  負ける要素はとことんつぶしていたはずだった。  だが、結果はベルとビーツが拉致された。  光を帯びているフリュネが相手でも、ビーツは打ち合えていた。どちらが勝つかは、すぐにはわからなかった。  ビーツはレヴィスとも一合は戦えた。武神に習った『気』の制御法で、実力は日に日にすさまじい勢いで伸びていた。  が、裏目に出た。  新しい、『気』を精密に制御し素手で戦う戦法……特重トンファーに慣れていた彼女にとって、確かに深い基礎は幼いころから習った拳法と共通するとはいえ、慣れていなかった。  もう10日、いや5日あれば、彼女の天才は新しい戦法を消化しきっていただろう。  初めてのローラーブレードで、練習なしに初めて乗った自転車で剣を振るうようなものだった。ただ歩き立つだけでも、弓道や形意拳のように多くの細かな細かな注文があった。片足スクワットのように、限界以上の力と慣れない身体制御が求められた。  それで想定より明らかにランクが高い敵。さらに落盤が起こした細かな砂煙を吸ってしまい、咳きこみ呼吸が乱れ『気』の力が霧散した。目も見えなくなる。  落盤の中での戦いは、オラリオで何年も冒険者を続けてレベル5に至ったフリュネは慣れきっている。ビーツは慣れていなかった。取っ組み合いを制するのは、経験と体重だった。  何よりも、運。  たまたま、尾を握られたのだ……彼女は強すぎ、弱点である尾を鍛える必要を感じていなかった。  弱ったビーツを巨女がレベル6の全力で壁と膝ではさみ潰し、大斧で腸があふれ出すほど腹を断ち切る。すぐさま捕縛用の袋に小さい身体を詰めて背後の戦闘娼婦に投げ渡した。動きを止めず、ランク上昇の光が切れるまでに本命を襲った。  ビーツを見守っていた武威は、激しい落盤で下の階に落ちてさらに敵に襲われ、見当はずれの方向に動いてしまっていた。  戸愚呂チームでいた時に、チームワークなどなかった。強すぎたから。  それだけではなかった。  何体もの食人花も、状況をつかもうとするリリとヴェルフを襲ってきた。  闇派閥、特に瞳に文字を持つ者にとっては、【ヘスティア・ファミリア】は【ロキ・ファミリア】以上の脅威だった。  オリハルコンの扉を紙襖のように断ち切ったベル・クラネル。  レヴィスと打ち合ったビーツ。  巨大な鉄塊で迷宮を破壊しようとした、謎の誰か。  力特化の『穢れた精霊』の角を片手で握り止めた、未登録なのにガレス・ランドロック以上の力がある巨漢。  とにかく潰したかった。  その食人花の攻撃は武威が一掃し、またリリが重機関銃や手榴弾で片付けたが……  落盤の中、ベルと命は安全な要塞が崩れた……その時に、たまたま武威が壁をぶち抜いた余波で、ヤマト・命がちらりと見てしまった。狐人(ルナール)の耳と長い金髪。  絶叫して駆け出してしまった命、ベルは彼女を追って走った。命はその時に壁から出現したモンスターと戦い、そのまま別の落盤に巻きこまれ、ベルとはぐれた。  ベルが春姫のところにたどり着いた瞬間、光をまとったアイシャが襲ってきた。刀を抜く暇もなく、新しい脇差で応戦。  歓楽街で会ったときとも桁の違う力に驚き、かろうじて二合防いだ時、横合いから光をまとった巨大なヒキガエルがのしかかってきた。  落盤の影響は、【アポロン・ファミリア】の数をむしろ不利にした。狭い場では人数が多いと、互いが邪魔になってむしろ弱くなることがある。近くで救援準備をしていた【ヘルメス・ファミリア】も近づけなくなった。  敵の捕虜は何人もいた。死人は出なかった。  ボロボロになった味方が、『ギルド』近くの貸し切りにした店に集まった。  幹部級だけが別に集まり、それ以外はポーションを受け取り治療を受け、豪華な食事や酒もふるまわれる。  集まったのはヘスティアとタケミカヅチ二柱、リリ・瓜生、武威、ヴェルフ、【タケミカヅチ・ファミリア】の桜花と命、【アポロン・ファミリア】のヒュアキントス。 【ロキ・ファミリア】のリヴェリア副団長とアイズもいる。 【ヘルメス・ファミリア】の助力は隠しているが、実はこの店はヘルメスの影響下にあり、幹部もヘルメス自神もすぐ近くに集まっている。  手短に起きたことを総合する。  ヘスティアは必死で瓜生に訴えた。 「ウリューくん。きみが自分を責めているのは……わかるんだ。でも、何か一言、リリルカくんに言ってやってくれ。どんな厳しいことでも」  女神の、眷属に対する愛情はどれほどベルとビーツが心配でも変わらない。 「……ああ、戦場で戦った者を安全な後方から責めてはならない。だが……気づかなかったおれも悪い。戦略が誤っていたら、戦術は重要じゃない」  リリはその一言に、この上なく打ちのめされた。  リヴェリアが、ごくわずかに美しすぎる顔をひそめる。わずかな表情がとても雄弁だ。 「ダンジョンは、ベテラン冒険者である【イシュタル・ファミリア】に有利な場。あらゆるイレギュラーに慣れているベテラン冒険者にとっては、ダンジョン自体が強大な援軍に等しい。  なんのために戦うか、ちゃんと考えていたか……  ありがとうございます、ヘスティアさま。考えます、今何ができるか」  リリはしっかりと受け止めた。 【ヘスティア・ファミリア】側から見て、この戦いは受けて立つだけで、無目的だった。準備時間もなかった。【イシュタル・ファミリア】には確固たる目的があった……ベルの拉致という。 「【タケミカヅチ・ファミリア】の皆さん、勇戦していただき、皆さん傷を負っていて申し訳ありませんが」 「言うな、何でもする。傷は癒えた」  桜花が頭を下げる。 「ヒュアキントスさま、【アポロン・ファミリア】一同お見事な戦いぶりでした。あなたがたは役割を果たされました。今回の結果はこちらのミスです」  リリとヘスティア、瓜生も、ヒュアキントスに深く頭を下げる。 「リ、リリルカ殿」  まだ傷が癒えつつある最中のヤマト・命が立ち上がった。 「飛び出してしまった罪、死ねと言われれば死にます。  その前に……どうかお願いします、ヘスティア様……改宗(コンバージョン)を許してください。お許しくださいタケミカヅチ様。  自分のスキル……同じ神の眷属の場所を、知ることができるのです。  誓います、たとえ目の前で春姫殿が首をはねられても、見捨てます。ベル殿とビーツ殿の救出にすべてを注ぎます。自爆でもします!」  スキルを。愛する主神との絆も。大切な幼なじみも。すべてを。 「春姫殿の魔法を見てしまいました。『麗傑』が目の前で光を受け、光をまとってベル殿を圧倒していました。……助けようと走るのではなく、手裏剣で殺すべきだったのです」  命は断腸の思いで言う。桜花も、タケミカヅチも、声をかけられない。 「……許す。義を果たせ。だが、死ぬな」  タケミカヅチの言葉に、桜花もうなずいた。命は必死で涙をこらえ、顔がねじ切れるかというほどゆがむ。 「『殺生石』はそういうことか」  ヴェルフが無理に話を変える。 「とんでもない強化を、石を砕いて全員に……【フレイヤ・ファミリア】にも届くと考えるのも無理はない。もしそうなれば迷宮都市(オラリオ)のバランスは崩れるし、返す刀で我々ロキ・ファミリアもやられるかもしれない。詳しいことは言えないが、」  リヴェリアは話を濁す。桜花にもヒュアキントスにも、聞かれたくない話が混じる。 「すでに我々【ロキ・ファミリア】にとって、【イシュタル・ファミリア】は敵だ。  まして神イシュタルは美の神、もしベル・クラネルが魅了されたら、とんでもない戦力を与えてしまう可能性がある。  こちらの事情がありうかつに動くことはできないが、いつでも全戦力を動かせるよう、準備をしておく」  と、リヴェリアは一筆したためてアイズに渡した。アイズはすぐさま飛び出そうとする。 「待ってくれ」  ヘスティアが声をかけた。 「あと、知ってほしいことがある。ビーツ君には、特別なスキルがある。獣人によくある、月下の暴走だが……極端らしい。  尻尾を切っておけば問題がないんだが、実は……ごめん、忘れてたんだ。忙しくて。前の満月の時は18階層に遭難してたから問題なかったし……」  むしろそのことの方が危険だ。 「……そうなったら、尻尾を切ればどうにかなる、って……」  アイズはうなずいて駆け出した。 「イシュタルの、魅了か……そうなったら、しかたがないね、タケ」  ヘスティアは少し奥に行って荷物を探り、カバンを大きな胸にかけ、タケミカヅチに違う荷物を渡した。  ヘスティアはFN-P90。タケミカヅチには弓道一式。  美神の魅了を解く方法は、当の神を天界に送還……殺すしかない。だが人は神を殺せない。法的にも最大の罪だし、『神威』を向けられたら逆らえない。  だが、神は神を殺せる。  ヘスティアは、自らベル・クラネルを救出にダンジョンに入ってしまい手ひどいペナルティを食らうほど、 (守られるだけ、養われるだけの立場……)  が歯がゆくて仕方がない。  それを聞いた瓜生は、ヘスティアに秘密裏に射撃を教えた。小さい身体で体力はないが、P90は小型軽量で反動も小さく、人間工学的にも優れているので完全未経験者には最善。ダットサイトで狙うのも楽だ。  もとより、タケミカヅチは武神。零能の常人の身でありながら、剣も槍も、弓も達人だ。木刀でレベル2の冒険者なら圧倒できるほど。  神ソーマを拉致したとき同様、神そのものを対神兵器として用いるわけだ。  二柱の神々は、同じ神を殺す覚悟すらした。 『改宗』を済ませ、先行しようとした命を、瓜生が引きとめた。小さい荷物を渡す。 「とあるところから協力を得ている。姿隠しの兜だ」  忍びとしても優れる命には、願ってもないものだ。  決意を固めた命は、歓楽街に走り出した。  リリも瓜生も、それから忙しく動き回る。  まず『ギルド』に捕虜を引き渡し、【イシュタル・ファミリア】の暴挙を訴える。  同時に瓜生は、あちこちの取引先ファミリアも味方につける。  さらに別の訓練をしていた【ミアハ・ファミリア】を動かす。  リリとヘスティアは【アポロン・ファミリア】をねぎらい、【ヘルメス・ファミリア】の予備戦力を秘密裏に動かす。  そして知ることになる。【フレイヤ・ファミリア】が動き出していることを……  怪物じみた巨女の地下牢で目覚めたベルは、貞操以前のすさまじい恐怖に見舞われた。  拷問器具。  拷問されかけた恐怖は、ある程度痛みに慣れた今も生々しい。  それ以上に、ベルを拷問しようとした男がどうなったか……冷徹な殺人者。  いくら敵でも、いくら恐ろしい存在でしかなくても。 「に、にげて」  そう言いかけて思った。どこへ?  瓜生の射程外など、あるのだろうか。  レフィーヤが悪夢を見るような瞳で語ったことを思い出す。  広い荒野を埋め尽くすフォモールの群れが、みるみるうちに血霧と灰の風と化していく姿を。轟音と砲口炎、硝煙の臭いに包まれた戦場を。  訓練では、オラリオ全域以上の面積に広がるダンジョンなら見える、地平線まで届く射程……  今のベルでも、レフィーヤなしでフォモールと戦うなどとても無理とされている。  その、バーバリアンの倍もある怪物が何百、何千……大広場を埋め尽くす人々のように多数いる。それが、轟音とともに胴体が消滅する。すさまじい速度で頭と両腕が飛び、隣の怪物に致命傷さえ与える。  フリュネが、言葉にならぬ警告にかまうはずもない。  彼女が精力剤を取りに動いた間に、春姫が助けてくれた。  それでも、恐怖は深く体を犯している。強姦の恐怖、拷問の恐怖、そして殺人の恐怖……  同じく【ヘスティア・ファミリア】の眷属である『ベスタ』に呼ばれ探し当てた命は、ベルの装備を取り戻した。  どうやらビーツは遠くにいるらしい。それでまずベルを探し……  びくっとなった。春姫を連れたベルを、『麗傑』が立ちふさがりにらみ据えている。 「同情なら許さない」。「覚悟はあるのか」。  全面戦争の覚悟。自分に命を預けるという、リリやビーツ、瓜生の命をチップにする覚悟。【ロキ・ファミリア】にも多大な迷惑をかけ、大きな借りを背負う覚悟。 「しっかり準備すればあたしを殺せるかもしれないんだろう?なぜやらないんだ?あたしは生きている限り、こいつを逃がすことはないよ」  ベルは呆然とした。  そして命も。 『ハデスの兜』  瓜生が脅し取った姿隠しの装備で隙をつける。ベルの、【ヘスティア・ファミリア】のわざわいになる春姫を、殺さなければ……  猛毒を塗った手裏剣を手に取る。震える手で。 「未熟だね」  長身の美しいアマゾネスが投げた文鎮に兜が吹き飛び、命の姿があらわになる。 「命、ちゃん」 「は、はる……」  命の目に涙があふれる。 「あ、あの光……べ、ベル殿の……われわれの、わざわいになる、のなら……」  手が震え、構えようとする手裏剣が、手から落ちそうだ。 「いいよっ、殺してえっ!」  春姫が泣き崩れた。 「おねがい……この力が、クラネルさまのわざわいになって、しまって……っ!……らい、よぅっ……おねがい……ころして……」 「あ、ああ、ああ……」 「覚悟はないのかい?それじゃ、春姫は渡せない。渡しても、守れないだろう」  そう言った女の問いに応えられず、ベルと命は騒ぎを聞いて、逃げた……  深すぎる自己嫌悪。覚悟のなさ……殺す覚悟、全面戦争で味方も死なせる覚悟……  なかった。  あの覚悟も。この覚悟も。  苦しみぬくベルは、祖父の言葉を思い出していた。  ベルの激しい苦悩を、命は全身で見た。  彼女に何が言えようか。春姫を殺そうとした自分に。殺すこともできなかった自分に。  だが、その唇は勝手に動いていた。たすけて、たすけてと、声を出せず。  ベルの瞳がそれを見ることはない。  ひたすら、苦しんでいる。  背負っているもの……【ヘスティア・ファミリア】。【ロキ・ファミリア】の期待。死んでほしくない、というエイナ、シルやリュー。  女を守る。その一つに、すべてを……自分だけの生命より、何倍も重いものを賭ける。 「たとえ、英雄への道が、回り道になっても……いや!ウリューさんがしてくれた話にあった。めいよくんしょうを受けた英雄は、自分が英雄なんて違う、英雄は死んだ仲間だ、おれはひどい戦いで逃げそこね、することをし、たまたま生き残っただけだ、って……  することを、する。女の人を助けるっ!」  命は滂沱の涙を流してベルの手を取った。 「……あなたのファミリアに入れて、眷属仲間になれて、誇りに思います。この生命、ご命令のままに」 「命……さん?」 「『改宗』したのです。【ヘスティア・ファミリア】に」  ベルの肩にかかる重さが、何倍にもなったように思える。なんとなく、フィンや桜花のすごさが少しわかる気がする。 「こうしてはいられません。まずビーツ殿を」 「び、ビーツも捕まったの?じゃあ急いで」  その時だった。すさまじい轟音とともに、巨大な怪物が宮殿を破壊し始めたのは。  満月が昇る。絶望に呆然とした春姫……  だが、災難はもっと近くに潜んでいた。  ビーツは月の光が入る隅に、瀕死で放り出され忘れられていた。  いつもとは質の違う瀕死だった。何度も彼女は瀕死になっているが、それはすぐに高価なポーションで治療されていた。今回は治療がない。  残り体力15%ぐらいの瀕死から、血を失い続けることで徐々に瀕死は深まっていった。本当の死……0%に、ぎりぎりまで近づいていた。  満月の光が目に入ったのは……あとほんの10分も遅かったら、死んでいた。首が右ではなく左を向いていたら、死んでいた。  分厚い毛皮を生やしながら、巨大化していく体。ほぼ切断された手足はつながり、割られた腹や胸も瞬時に癒える。  そして鎖などやすやすと引きちぎり、巨大化をつづけながら荒れ狂った。  巨大化はなおも続き、屋根を破る。 * ビーツがポーションで癒されながら拷問されて…と一時書きかけましたが、やっぱりやめます。 僕は子供の拷問描写がある小説で何度もとても嫌な思いをしている。読みたくない。それがあるから、名作とわかっている作品すら読むのを止めている。 なら書かない。 そして思うのですが、現実に「治癒」「死者蘇生」がないのはむしろ幸運です。 拷問官がベホマやザオリク持ってたら際限がない、現実はそれがないおかげで、死ねば終わる、いつか死ねるという希望があるんですから。 まして不死にして拷問し続けられたら…「スレイヤーズ!」には、魔王級の呪いとしてどうやっても殺せない、触手が飛び出して自分を切り刻む肉の塊になる、というのがありました。 >月下  狐人(ルナール)の魂を『殺生石』に移す儀式は、急がれつつあった。  儀式は苦痛があるので鎖で縛られた春姫は、自分の力がベル・クラネルを苦しめることを思って絶望しつつ、抗うすべはなかった。  遠くで、激しい音と悲鳴、怒号が響き始めた。 「陽動かもしれない」 「いや、ならなぜあんな……モンスターを!」  誰もが、見てしまった。  巨大なサルを。大きさはゴライアスにせまる。  ゴライアスより、シルバーバックより俊敏で、次々と戦闘娼婦(バーベラ)たちを殴り飛ばす。 「な、な」 「どこのだれが」 「闇派閥?」 「とっとと片付けろ!儀式を急げ!」  叫ぶイシュタル。さらに風が襲った。  姿を消す『ハデスの兜』をつけたヤマト・命と、正面で暴れるベル・クラネル。取り戻してもらった刀をかつぎ、次々と一撃必殺で動き回る。  圧倒的なスピードと切れ。レベル3でも下位の者は剣を合わせることもろくにできない。  切り結ばない。一瞬切りつけたら、そのまますさまじい速度で次に抜ける。  超高速で走り回るベルに混乱する、要所に配置された戦闘娼婦を、後ろから強打が打ち倒す。あえて大型のハンマーを手にした見えない忍びが混乱をよく見て、背中から殴り倒す。  次々と見張りや、思いがけない場所に配置されたアマゾネスの手足が砕ける。  またベルを止めようと切りつける、その少し前に目や後頭部を、何もない虚空から手裏剣が襲う。当然隙が生じ、ベルに手足を斬られる。  ベルも、女性に重傷を負わせることも覚悟した。覚悟がなければ、女を救うことはできない……  殺していないのは、まだ覚悟が足りない。わかっている。  ベルはただ、捕まらないことに専念して最速で動き続け、斬り続けるだけだ。  時々刀に稲妻を落とし、できるだけ大きな柱や門を切り倒し、建物を崩す。  その混乱の中、見えない影が暗躍する。  儀式を止める。春姫も、ビーツも助け出す。  何も諦めない。切り捨てない。  急がれる儀式。満月の光の下、短剣にはめこまれた魔法の石が輝きを変える。  事実上確実な死。そして自分の死は、ベル・クラネルにわざわいをなすかもしれない……ヤマト・命が自分を殺そうとした。  それが正しい、死ぬべきだ。死にたい……でも、でも……  ベル・クラネルと様々な英雄譚について語り合った。別の国の、自分が知らない英雄の話も聞かせてもらった。  海を越えて新天地を見出したコロンブスという船乗り。笑われればゆで卵を立てて見せたという。そして国に地位と功績を奪われ、失意のうちに死んだ悲劇もある。残虐な侵略者・虐殺者の面もある。すさまじい勇気と技術、あきらめずに次の宮廷に行った根性もあった。  傀儡政権の主となって戦後死刑判決を受けたペタンという軍人。一度目の大戦争では文句なしの英雄、それが長生きゆえに最悪の売国奴の汚名を着た。それも、国民を守るために自分の名誉を捨てたのかもしれない、だがユダヤ人虐殺に協力した罪は重すぎる…… 「英雄って、何だろう」  ルベライトの純粋な瞳を曇らせ、真剣に考える少年。  自分も必死で考えた。人間とは、英雄とは……  楽しかった。とても、とても。  自分は英雄について、半分も知らなかった。もっともっと知りたい。もっともっと、ベルに英雄の話をしてほしい。 「生きたい」  口をついた。誰も応えない。圧倒的な無力。言っても仕方がない。 「い……生きたい!」  春姫がもう一度、今度は心をこめて言った。アマゾネスたちは関心もないように、心を殺して儀式を終わらせようとした。祭壇に置かれ、月光を吸う殺生石がついた剣を、春姫に刺す準備を。 「もうすぐだ、もうすぐ石が月光を吸いきって……」  突然。  殺生石が、何の前兆もなく砕けた。その下の木の台にも小さな穴が。  700メートル以上離れた、『バベル』の高層階。ふきさらしのバルコニー。  ふたりの女冒険者が、素早く荷物をまとめて移動する。大型のトランクをいくつか持って。 【アポロン・ファミリア】から【ミアハ・ファミリア】に移籍した、カサンドラとダフネ。  瓜生が、ナァーザも含む【ミアハ・ファミリア】の3人のレベル2を、狙撃手として訓練していた。レベル2の身体制御は、視力も呼吸制御も桁外れ。正規の狙撃訓練を受けていないし才能があるわけでもない瓜生より、さらに瓜生の故郷のトップクラスより、さらに優れた狙撃手となっている。  トランクの中身は、一つはシェイタック狙撃銃。もう一つはゲパード14.5セミオート。  シェイタックM200……瓜生の故郷でも最高精度を誇る、大口径超遠距離狙撃銃。  専用のシェイタック408弾、10.36×77mm。7.62ミリNATO弾よりはるかに威力があり、銃口初速も桁外れに速い。  銃そのものの精度もすさまじいが、注目すべきは弾と、コンピュータ。  弾頭は普通の、鉛に銅をかぶせたりしたものではない。純銅の塊から、NC旋盤でどんぐり形に削り出されたものだ。  タングステン弾芯などを金属内に入れれば、どれほど丁寧に作ってもどうしてもゆがみや偏りがある。重心が、どんぐりの軸からずれる。そうなればライフリングによる回転が、米粒がついたコマのように傾き、傾いたコマが動くように弾道がずれる。  純銅からコンピュータ制御のNC旋盤で精密に削り出せば、内外とも重量の偏りは極限までない。きわめて精密に回転する。  さらに性能を高めているのが高度なコンピュータ照準器。  銃についたカメラとレーザーレンジファインダー。さらに瓜生が事前にオラリオのあちこちの屋根につけた通信機つき風向風速計・温度計のデータまで自動的に計算に入れ、画面に赤い点を浮かべる。画面内の撃ちたいところに赤い点を合わせ、引き金を引けばいい。  ただし計算にはコリオリ力や重力も入る。そのこともあり、瓜生はかなり前から『この星』の正確なデータ……直径・自転・質量・重力などについて知るため、わざわざ太陽や月との距離や重力を測ったりクエストを出して世界のあちこちで測ってもらったり暦とその元データを調べたり、えらい思いをしている。  瓜生はカジノにある塔の屋上でナァーザと組み、長大な14.5ミリセミオートライフルを構えている。  スポッターの役割、もし狙撃が外れ反撃されれば連射で制圧射撃ができる。威力が桁違いだし、有効射程も変わらない。  2キロメートル以上を狙撃できる銃、700メートルちょい・高度差50メートル前後など、楽すぎるほどだった。 『殺生石』が粉砕された衝撃、同時に脅威が押し寄せた。  ベル・クラネルと、大猿化したビーツ。 「くっそう、またやり直しだ」  フリュネの咆哮があがる。  そう、いくら『殺生石』を砕いても、春姫が【イシュタル・ファミリア】に囚われている限り時間稼ぎでしかない。以前アイシャが『殺生石』を砕き、激しい制裁と主神の魅了で心を砕かれたように。 「春姫ェ……わかってるんだろうね。やりな」  フリュネのすさまじい脅威が、人格的な圧力が春姫を押しつぶそうとする。視線だけで気絶しそうなほどの迫力だ。 「あの大猿も、白兎も、ぐちゃぐちゃにしてやるよ!」  歴戦の冒険者に動揺はなく、闘志だけがある。  だが、春姫はそれどころではなかった。  ただ、ベル・クラネルの目を見ていた。 「殺しに来られたのですか」 「いいえ、助けに来ました」  敵と切り結びながら言ったベルは、説得力の乏しさに気がつく。  そのとき。  別のところからすさまじい怒号と、魔法の爆発が起きる。  ヴェルフ・クロッゾの広域低殺傷型魔剣や、【フレイヤ・ファミリア】の攻撃だ。それに比べれば目立たないが、あちこちに14.5ミリ徹甲焼夷弾の狙撃もあり、火事も起きはじめている。  ベルははっとし、急速に反転して敵をやりすごし、敵から離れたところに走った。  短文詠唱。すさまじい稲妻、轟音と閃光。  その間に春姫の鎖が切られ、耳に懐かしい声が早口に流しこまれる。 「これで姿は見えなくなります。色石をなくした日、千草ちゃんが隠れたと同じ場所に」  そう言ったヤマト・命が姿隠しの兜を脱ぎ、春姫にかぶせた。  そしてハンマーを捨て、刀を抜いてベルの後ろにつく。 「あ!また敵が増えたぞ」 「逃がすなあっ!」 「ベル・クラネルを連れてこい、とイシュタル様のおおせだ!」 「新手は殺していい!」 「あっちにも人数を、大猿をやれえっ!」  混乱と怒号。春姫の不在は、ほんのしばらく気づかれなかった。  春姫は、幼なじみのほんの一瞬の言葉の意味はよくわかった。  幼い、閉じ込められたも同然の屋敷から連れ出され、子供たちで真っ黒になって遊んだ日々。  ヒタチ・千草はおとなしい子だが、かくれんぼがうまかった。  どの日かもはっきりわかる。かくれんぼの前に、千草が大切にしていた赤い小石を預かっていたカシマ・桜花がなくしてしまい、女の子たちが大騒ぎをし、何人もの小さい子が泣いた。命も、春姫も自分の食事を割いておやつに配った……  仲直りしてからのかくれんぼで、特に千草は巧妙に隠れ、そのまま寝てしまって行方不明騒ぎにすらなりかけた。桜花が、命がどれほど必死で探したか。  みんなが大騒ぎし、全身で泣いて、全霊で笑った日。  黄金よりも、宝石よりも価値のある日。  忘れるはずがない。高い壁の角、屋根の中に千草は隠れていた。一部見えていたのに、誰も見つけられなかった。  見えないことを信じ、満月に照らされて激しい戦いが続く中庭を歩き、壁をよじのぼる。  最低限とはいえ『恩恵』はある、その力で身を持ち上げ、あの日の千草と同じところに身を隠す。  そのまま、静かに呪文を唱える……  戦い続けるベルを見つめながら。  そして光の鎚を受けたベルの体が輝いた。すさまじい力に、次々とアマゾネスが蹴散らされる。  命は、一度殺そうとした自分を春姫が信じてくれるか不安だった。  だが、そんな心配はない。ベルと背中を合わせ、必死で戦う姿を見ればわからぬはずがない。あきらめも、切り捨てもせず、いのちがけで助けに来てくれたのだと。  ベルの体が輝いた、隠れた春姫がベルを強化したことは、雄弁な答えだった。  激しく戦いながら宮殿を駆け巡るベルはいつしか命とはぐれ、女神イシュタルの前に出てしまった。  多人数との戦いは、特に人工迷宮でアイズとベートの戦いぶりを間近で見たのが大きかった。超絶なスピードと駆け引き、敵集団の操作、無駄のない戦いの組み立て。  それがはっきりとわかる。  それだけではない。はるか遠くから援護があるのだ。  多すぎる人数に囲まれたとき、特に相手がそれで優位を確信し油断した瞬間、その一人の太腿に大穴が開く。  それで動揺した囲みはたやすく切り破れる、一対一より弱くなる。  遠くからの狙撃が正確に援護している……それがわかる。  そこで、美の女神は服を脱ぎベルを魅了しようとした……だが、それは効果がなかった。  襲ってきたフリュネ。武装解除ついでに防刃服や鎖帷子を脱がされていたベルは、それまでの戦いで背中が見える状態にあった。  激しく切り結び、構えなおしたベルの背を、イシュタルは見た。  わかってしまった。なぜ魅了にかからないのか。  レアスキル、『憧憬一途(レアリス・フリーゼ)』。  激しすぎる憧憬は、他のなにも通さない。女神の美でさえも。  イシュタルが衝撃と屈辱に震えていた中、ベルは必死でフリュネの猛攻から生き延びていた。  3が4になっても、5のフリュネにはまだひとつ及んでいない。チャージや呪文の暇はない。それでも戦えている。  繰り返した格上戦。  ヒュアキントス戦。レヴィス戦。アイズ。ティオナ。フィン。深層のリザードマン・エリートやバーバリアン。圧倒的な技を持つ武神タケミカヅチ。そして最近のビーツ。リュー・リオン。武威とも一度修行を……指一本で死にかけた。  自分よりずっと強い相手と、何度も何度も戦った。  特に椿とベートが形にしてくれた、 (腰で敵の攻撃を半減させ、敵の重心を崩し、最小の動きで打つ……)  これは武神タケミカヅチの協力も得て、さらに磨かれている。  高速を無駄に使わない。最小限かつ超高速の動きでカウンターを決める。  フリュネは、憎い『剣姫』の技をベルから見て、憎悪に咆哮した。  憎悪をこめた巨大斧の一撃を、わずかな時間でほんの20センチ右前に動く。そして腰と刀の重さだけで斬り下ろす。それが格上の攻撃を防げる防御になる。  ヴェルフが全身全霊をかけ、屈辱に耐えて椿と主神ヘファイストスの指導も受けて打ち上げた刀は、すさまじい力に耐え抜き猛攻を防ぎきった。そして無駄のない正しい剣の片鱗で振るわれた時には、巨大で高価な斧に深く切りこむ切れ味も見せた。  大猿とベルがひっかきまわした、さらに【フレイヤ・ファミリア】の上位陣までが攻めこんできた。  ここが大都市オラリオとは思えない、すさまじい混戦が始まる。  大猿にはもとより、いかなる理性もない。動くものすべてを潰そうとする。  恐怖に駆られ、さらに魅了が通用しないベルの存在にプライドを潰されたイシュタルは、とんでもないことを始めた。  宮殿の奥。緑色の、胎児が眠る宝玉。頑丈なケージ。そして大量の魔石が詰まった大袋。  タンムズが止める声も聞かばこそ…… >覚悟  ベルとフリュネの戦いは、長引かなかった。 (格上相手に長時間切り結んでも、ジリ貧……)  そのことは、何度となく体で学んでいる。  春姫の魔法も、長いことはあるまい。  ひたすら前に出る。左右にも揺さぶる。腰を落とし、腰で斬りつける。  それが防御にもなっており、ベルは重傷は負っていない。軽傷は負うが。  ベルがなぜ、どこで決意したかわからない。決意したとも思い出せない。  春姫を守る覚悟を迫られたから?瓜生にこれ以上人殺しをさせたくないから?彼女がアイズ・ヴァレンシュタインに敵意をむき出しにしているから?拷問者だから?犯されそうになったから?  どれも違う。説明できる決意ではない。  一瞬のチャージも許さぬ猛攻。ベルは愚直に前進し、体の芯・軸で強撃をわずかにそらして致命傷を避ける。  呼吸を深く腹に落とした。  歩みをゆるめ、強烈な斧の一撃に思い切り右前に出る。柄がベルの左肩に当たり、骨折の音がする。右の『ベスタ』が最速で走る。 「かかると思ってたかィ!あの小娘の技にィィィィ!」  すさまじいスピードと勘で巨体が刃をかわす。跳ね返ってくる巨大な斧。  だが、その軌道は万全ではない。かわす動きに無理があり、フリュネの軸がわずかに崩れている。  ベルにはそれが見えた。呼吸だけ深める。痛みを感じるよりも早く腰を深く落とし、腰と刀の重さだけで右肩からの袈裟切りを放つ。  刃筋の通った剣が、斧の軌道をずらした。  瞬時に抜きつけに近い返しが、巨女の、全身で踏みこんだ膝を切り割る。  神造の刃は刃筋が通れば黒光とともに切れ味を増し、第一級冒険者の耐久も貫通する。 「ゲ」  呆然とした声も、聞かない。  そのまま足を止めず、走り去る……だが、ベルはわかっていた。  4秒のチャージ。 「ガアアアアアアアアアアアッ!」  絶叫とともに、背後からすさまじい圧力が迫る。フリュネもハイポーションを持っていた。 「【雷火電光、わが武器に宿れ」  チャージしながら素早い詠唱。  背を向けたベルに、完全に殺すつもりの、とどめの一撃が迫る。 (とどめの一撃は、油断にもっとも近い……)  鏡のように磨かれた家具があった。見えている。 「ヴァジュラ】」  短文詠唱を完成させる。  すぐさま、桁外れの敏捷で最小限の方向転換。  すさまじい電光が刀に宿り、むしろゆっくりと、腰を決めて袈裟に落とす。腰だけ。刀の重さだけ。  圧倒的な雷光がほとばしり、すべてを断ち、内部から焼き尽くす。  そのまま歩き抜ける。大猿が暴れるほうに。油断はせず、静かに歩きながらハイポーションを左肩にかける。  巨大な女は首筋を深く斬られ、体のあちこちから黒煙を上げて倒れ伏している。  春姫は見失われているが、戦闘娼婦たちは敵を祭壇に寄せつけまいと抵抗している。 【タケミカヅチ・ファミリア】の今の全員とヴェルフも激しく戦っている。リリは『ギルド』と交渉し、大義名分を得ようとしている。瓜生は狙撃しつつ、高みから見て通信連絡をしている。  ヴェルフは新開発の武器を手にしている。  一見、かなり太めのライフルに見える。中折れ3連。3本の銃身を束ね溶接している。鋼ではない、タイゴンファングの骨とブルーメタルの合金。  弾はオロナミンCのビンぐらい、ごく小さな魔剣で封入した水を加熱する。  弾頭を大きく柔らかくすることで、一応『恩恵』がある冒険者なら数日の戦闘不能で済む……また実験台にされた眷属仲間に嫌われることになったが。  それが次々と戦闘娼婦を、強烈な打撃でぶっ飛ばしている。  ヴェルフにとって、魔剣を、しかも文明を壊しかねない水準で作るこの技術には忸怩たるものがあった。  だが、ベルを通じて瓜生の故郷の話を聞いて、変わっていった。  瓜生の故郷を作り上げた、工夫。  弾圧され、何人もが発明を取り上げられて貧窮に倒れ、それでも一歩一歩前進した。  膨大な血で得た戦訓が、次の武器を生み出した。  安易などではない。生き残れるか死ぬか。 (どんな武器でも、どんな手段でも、仲間が無事に戦場から帰ってくればいい……)  折れない、切れる、滑らない……それ以外をすべて切り捨てた『ドウタヌキ』ブランドも考えを変えるきっかけだった。何もかも、折れないことだけに注ぐ。持ち主を生かすために。  ヴェルフの仕事は、わずか半日。インゴットを調整して薄い平板を作り、プレス機を操作して何万本もの、全長3Cほどの『魔剣』を作り出しただけ。  水を封じた薬莢をはめるなどは別の人がやった。分業の威力が出る。  弾に封じられた小さな魔剣は、銃身それぞれについたトリガーと連動して超高温の炎に変わって砕ける。高熱は少量の水を超加熱し、火薬に負けない推進力にする。瓜生の故郷ではまだ研究段階の、電磁加熱を用いる兵器と同様だ。  放たれた鉛の、平頭の大きな弾頭は第一級冒険者が操る槍の石突きのように戦闘娼婦を打ちひしぐ。  ふところには、確実な死をもたらすサボつきアダマンチウム・イリジウム合金弾芯徹甲弾も入っている。 【タケミカヅチ・ファミリア】のメンバーも、最近の戦争遊戯で活躍した画鋲程度の魔剣を交換する棒を持っている。  暴れる巨大サルの前に、別の巨大な姿が宮殿を破壊しながら出てきた。  何人もの冒険者が見たことがある。背に、緑の顔のない女を寄生させた、タコのような怪物。何本もの触手は、一つ一つが巨大化した食人花。さらに多数の強力な触手も備える。  食人花の、硬く衝撃に強い表面と花の鋭い牙が桁外れに強化されている。  何百人もの、18階層に至れる冒険者がただ一体に絶望したほどの脅威。【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者たちがかろうじて撃退したが、いなければリヴィラが全滅していたかもしれない。  大猿はそれに、喜ぶように立ち向かった。 「は、ははは、ははははぁ、全部片づけてやる!大猿も、【フレイヤ・ファミリア】も、【ロキ・ファミリア】も……あのベル・クラネルも、必ず殺してやる」 「面白いことを言うわね」  地下からの階段を登り切った女神イシュタルの目の前に、女神フレイヤがいた。  柔和に、余裕と威厳をもって。 「あ、ああ」  次々と、イシュタルの眷属がフレイヤに魅了されていく。 「あの子だけはだめ。あの子だけは」 「き、き……知らないのか、ベル・クラネルは、魅了が効かないんだ!美の女神にとっては、屈辱だろう!許せないだろう」  破れかぶれに、少しでもフレイヤを動揺させようとイシュタルは叫んだ。  フレイヤはうれし気に美しい顔を上気させる。 「それは素晴らしいじゃない。彼の価値は何倍にもなったわ」 「お、おまえだって、あの人間の愛を求めたら、断られるかもしれないんだぞ!学区で学んでいる恩恵なしの子供が、ただの人間の女子が男子に告白してふられるように!」  フレイヤの顔がこの世のものと思えないほど美しい笑顔になる。 「ああ……すばらしいわ。それほど胸が燃える、ときめくことはないわ。手に入るとわかっているものを手に入れて、何の価値があるというの?幼い子のようにときめき、不安に震えて恋を打ち明ける……なんて素敵なの」 「あ……」  イシュタルは逃げた。無能の、人間の体で。火が広がる巨大な宮殿を走って。  フレイヤとその眷属、加わったイシュタルの眷属は、静かに彼女を追い詰めていく。  大猿が俊敏な動きで……建物をなぎ倒しながら……食らいつく花牙をかわし、無数の触手をものともせずに殴りかかる。  呪文を唱える【フレイヤ・ファミリア】の冒険者たちに襲いかかる長く太い触手、それを第一級冒険者たちの剣や槍がやすやすと切り払う。  第一級冒険者たちは、隙があれば大猿も襲う。深い傷を負いながら、絶叫とともにすさまじい耐久と力、俊敏で反撃し、あらためてタコ女と戦い続ける。 「ビーツっ!」  そこに、すさまじい速さでベルが走ってきた。  ベルを阻もうとする戦闘娼婦を、アイズ・ヴァレンシュタインが吹っ飛ばす。 「邪魔。あの怪物は魔力に反応する!魔法使いを護衛!ベル、だいじょうぶ?」  アイズが珍しく長めの言葉を口にする。一部はフレイヤ・イシュタル双方の眷属に向けた警告でもある。 「アイズさん!」 「ベル、あの大猿がビーツ?なら尾を切ればいいって」 「はい!」  戦闘娼婦も、【フレイヤ・ファミリア】の冒険者もまったく目に入れず、アイズが風をまとう。 「ベートさんの『月下狼哮』に似てるけど、あそこまで姿が変わるなんて聞いたこともない」 「すみません……」 「ううん、『ステイタス』の秘匿は当然。戦いに集中しよう」 「はい!全速で尾を断ちます」 「わかった。敵は動かすから。終わったら最大呪文であれも」 「はい!」  巨大すぎる緑の女怪、それから襲いかかる何十本もの鋼より固い高速の太鞭。  アイズとベルは、それを高速でかわし、飛び乗って走る。  主力は、ふたりの第一級冒険者が引きつけている。 【フレイヤ・ファミリア】のエルフと、『猛者(おうじゃ)』オッタル。  強大な魔法の長文詠唱を、膨大な数の巨大化した食人花が襲い続ける。  それをオッタルが、すさまじい速度で動き回りながら次々と叩き切っている。  一撃一撃確実に、太い食人花が切断され、砕けている。  ベルもそれを見てしまった。 (これが、都市最強と言われる……)  アイズもわかった。自分と戦ったときのオッタルは、まだ全力ではなかった。今のオッタルも、全力にはほど遠い。  祭壇の近くから、人はどんどんいなくなっていく。  春姫を探す。ベルを追う。正面からの侵入者を迎撃する。大猿を片付ける。  用事が多すぎる。  いつしか、命とアイシャが向き合っていた。  タコのような巨大な緑女と大猿の戦い、余波で何かが飛んできたとき、同時に春姫の居場所を守ってしまい……そのまま向き合っていた。 「……聞こえてたよ、色石とかくれんぼ。かくれんぼの話は、聞いたことがあるんだ」 「……」  命は黙って、刀を構える。 「殺すつもりだったか。でも」 「団長命令すなわちファミリアの断です。ベル殿は、何があっても春姫殿を奪い、守り抜くと」  命の表情は晴れ晴れと、喜びと誇りに満ちている。 「やっぱりあれも、雄じゃなくても冒険者、か。本人に問いたかったが……あんたでもいい。覚悟があるか、見てやる」 「はい!お願いします」  そして、ありがとう……アイシャの助けがなければ、すでに春姫の魂はバラバラの石片の中、いくつかは失われていたろう。それに彼女が巨大な代償を払ったことも知っている。  命は決意をこめて、アイシャを見つめる。 「春姫殿。無用……実力で戦い抜きます!」  姿隠しの兜をかぶって隠れている春姫は、ふっと詠唱を止めた。  アイシャがすさまじい速さと威力で大朴刀を叩きつける。  レベル3最上位のアイシャと、レベル2になってまだ半年も経っていない命。  相手にもなるはずがない。  幼いころから武神タケミカヅチに正しい技を教わっていても、速度域が違いすぎる。  完全なすり上げ面を決めようとしても、振りかぶった刀が落ちるまでの間に、アマゾネスはブレーキをかけて飛びのいて打ちこめるのだ。  しかも、一切容赦がない。 (本気で殺す気……)  としか見えない。 (まともには、絶対勝てない!)  そう悟った命は、忍びの技を使う。引きつけて変わり身の術、そして刀を納刀し合気の投げを……  だが、それも通じない。相手の力を利用して重心を崩しているはずなのに、女傑の軸は地面から巨木のごとく立ち、ぴくりともしない。そしてあっさりと投げ飛ばされる。  すさまじい威力で壁に叩きつけられる。それだけでも死んでもおかしくないほど。 「そうだ、汚い手でも使うんだ。でも汚い手に酔っちゃいけない、汚いのは嫌だと思いながらやるんだ」 「はいっ!」  アイシャの、冒険者の先達としての鞭撻。命は全身で受け……  覚悟を固める。間合いに外れた抜刀、それをフェイクに手裏剣。かわしたアイシャの背に回り、しがみついて呪文を唱え始める……  相手の意表を突け。  魔力暴発(イグニス・ファトス)を利用した自爆。  だが、その頭を美しい手がつかむと、すさまじい力で引きはがし……全力の平手打ちが炸裂した。  魔力どころか意識が数秒完全に飛ぶ。死ななかったのが正直奇跡だ。 「あんたが死んだら、誰が守るんだい!守る者は、死んじゃいけないんだよ。泥をすすっても、すべての人に後ろ指をさされても、自分で自分が心底嫌いになるようなことをしても、生きるんだ!」  命は胸に、白熱した鉄塊を押しつけられたように悟った。  最近も、ベルに千草を助けられ、 (死ねば恩を返せない!)  それを合言葉に必死に生きのびたではないか。 「はい」  強烈な反省とともに叫んだ命は、逃げ回る。一分一秒でも生き延びる。  懐の笛を吹く、助けを求めて。 「春姫殿、お恥ずかしいですが、自分は生きなければならない!お力を!」 「そうだ!誰の力でも借りろ。何でもしろ。生きて守れ!」 「はい!」  完全に殺意のこもった上位の剣を浴びせながら、麗傑は叱咤する。 「最初から、戦ったのが間違いだった。逃げて次の機会を狙うべきだったんだ。勝てない相手と戦っちゃだめだ。 『リトル・ルーキー』が上位打倒(ジャイアントキリング)をやったからって、簡単にできるとは思うな。ありゃ戦いの流れを読み切った第一級冒険者が、この技で決めろと計画通りに鍛え上げてだ」 「はい」 「レベルが上の敵。美の女神の魅了。勝てない力に負けたら、守れないんだよ!がんばりました、だめでした、ごめんね、ですむと思うのかい!」  美の女神イシュタルの、すさまじい魅了で完全に逆らえぬ身となったアイシャ。誇り高い魂にとってそれがどれほどのことか。  だからこそ叫ぶのだ。誰も自分と同じく、守りたい相手を守れず詰むことにならぬよう。  命は全身全霊で受け止める。 「大きくなぁれ……ウチデノコヅチ】」  春姫の反則強化魔法が完成し、命の全身を金色に染める。  前に出る……その命の胸の谷間に、斜めの傷が走った。  すさまじい血が噴き出す、命は、その血を手に這わせて飛ばした。  読み切っていたかのように動くアイシャ、だが命はその上を読んで着地点に棒手裏剣を放つ。 「この傷いただきます。絶対に死なない、何をしてでも戦い抜き、敗れない……」 「やってみなぁ!」  やっと対等の舞台に立ち、戦いを楽しむ冒険者。  深い感謝と敬意を胸に、全力で戦い続ける守護者。  激しく鋼と鋼が歌い、月下に影がふたつ舞う。  アイズは約束を守った。ベルはアイズを信じ切って、全速で駆けた。  黄金の光が消える、ほんの一瞬前。  すさまじい敏捷で跳んだ大猿の着地点に、風が巻いた。  鋭い足払いを受けたように重心を崩す、そこにすさまじい速度の兎が駆け抜け、切り抜ける。  切断された尾。絶叫とともに、大猿の巨大なシルエットがみるみる縮んでいく。  それを確認したベルは、深呼吸してチャージを始める。  アイズとオッタルが、そして猫人の槍使いも加わり、すさまじい速度と力で、食人花からなる鞭を斬り払い、触手と切り結んでいる。  別のところから強力な呪文も炸裂する。  憧れてやまない英雄の姿。  だが、それ以上に今は、家族を守る。そして救うと決めた春姫を……  アイズに守られてチャージが終わる。  鈴の音が大きく響く中、呪文を唱え始める。 「【雷火電光、わが武器に宿れ。ゼウス・トール・インドラ・ヴォーダン・ハオカー・エヌムクラウ・ホノイカヅチノオオカミ、雷神たちよ、かなたの呪文を許せ。ジ・エーフ・キース、神霊の血と盟約と祭壇を背に、我精霊に命ず、雷よ降れ、轟雷(テスラ)。ヴァジュラ】」  疲労と無数の傷に、長文詠唱の大呪文。意識が飛びそうになる。この魔法が暴発すれば命はない……自分だけでなく、近くにいるアイズや、裸で無力に倒れたビーツも。  全身全霊。魂の、心のすべてを。 (守る!)  ただ一つの叫びに変えて。  歯を食いしばったベルは、すさまじい速度で走る。 「退避!」  アイズの叫び、オッタルもアレンも鋭く避ける。  無声の気合とともに、脇差が振り下ろされた。  圧倒的な閃光と轟音……  あとかたもなかった。あの巨大な、緑の女が。穢れた精霊の種でもある、強化された怪物が。  ベルは意識が飛びかけるが、必死で立ち続ける。 「ビーツ」  裸で無力に倒れている少女。近くから布を取り、包んで抱き起す。  ポーションを飲ませ、自分も飲む。  ふるえて落としそうになる手で。 「ベルっ!」  その肩を、大きな手がつかんだ。 「ヴェルフ」  安心して飛びそうになる意識を、必死でつなぎとめる。 「命さん……春姫さん……」 「ああ!」  青年の叫びに、ベルは必死で足を踏みしめた。  そのとき、彼方で光の柱が立ち上る。神が1柱、天界に送還されたのだ。 「ベルくんっ!」  ベルに、小さな主神が全力でしがみついてきた。  ベルに魅了が効かなかったことを無線通信で聞いたヘスティアとタケミカヅチは神殺しをやめ、タケミカヅチは安全地帯に退避したが、ヘスティアは愛する子を必死で求めていた。  祭壇近くでの戦いは突然終わる。『恩恵』を失ったアマゾネスが、命の一撃に吹き飛んだ。 「命ちゃん」  兜をはずし、隠れ場所から降りた春姫が、恩人を見つめる。 「助けに来ました」  ベル・クラネルが駆けつけてきた。 「でも、でも私(わたくし)は娼婦、英雄様に助けられる資格など」 「僕は!遠い国の物語を見ました。世界を救う神の子が、正しかったからすべてに憎まれ、裏切られて十字架にかかるとき、最後までつき従ったのは娼婦でした」 「……それに、その子は生娘だよ」  ボロボロのアイシャが立ち上がって言う。 「え」 「男の肌見ただけで気絶して、それでどんな夢見てたのかねえ……」  春姫も、ヘスティアも、ベルも、命も真っ赤になる。  ビーツを穀物袋のように肩に担いだヴェルフが、苦笑した。 「やっと呪縛も消えたか。さて、どうするかねえ……」  去っていく麗傑は、あくまでもさっそうとかっこよかった。傷の痛みに歩みがふらついていても。 【フレイヤ・ファミリア】は仕事を終え、無駄のない統制で去っていく。  破壊された歓楽街……あちこちからあがる火。 【ガネーシャ・ファミリア】が消火と救護にかかる。『ギルド』の旗も掲げられ、そちらからリリルカ・アーデも遠くから駆けてくる。  少し離れたところで去ろうとするアイズ・ヴァレンシュタインと目が合い、ベルは深くお辞儀をした。 (たぶん、非公式の参戦だろう。お礼はあとで……)  アイズはうなずいて消える。  直後ベルは、何度も感じていたあの視線に気がつき、振り返る。  破壊された美しい宮殿の一角に、とてつもない美貌が見えた。遠く夜だが、レベル3の目は双眼鏡以上だ。そして満月で明るい。 『愛してる』  美しすぎる唇がそう動くのが見える。  そして女神は、どんな噂より圧倒的に強かった迷宮都市の頂点……オッタルを連れて、階段を下りてどこかに行く。 「ベルくん!何を見てるんだい!」  ヘスティアがベルの顔を両手ではさんで、自分の方に向けた。  首が痛いと訴えるベル。  そして目が覚めたビーツが、 「おなかすいた」  と、大きな腹の音とともにいう。 *意外なほど時間がかかり、しかもものすごく原作通りにしろという修正力がかかる… ベルが拉致されること、戦争遊戯では避けた命の改宗もどうしても必要。 どのパーツが抜けてもだめという。 ベルが本当に人殺しをしたのかは、あえて描きません。 >後始末  歓楽街の崩壊、女神イシュタルの天界送還。  駄男神たちの嘆きはともかく、『ギルド』から見ても大事件だった。  ただし、攻撃を主導した【フレイヤ・ファミリア】にペナルティはなかった。直前に【ヘスティア・ファミリア】を中心にした複数のファミリアから告発があり、派閥の解散・主神の天界送還は決定されていた。やや事後ではあるが、大義名分はついた。  女神フレイヤは、厳しいペナルティを受けたとしても平気だろうが。 「数日あれば、合法的につぶせていたろうね」  とフィン・ディムナなどは瓜生に言った。 「時間をもらえなかった、押し切られた」  瓜生は憮然とため息をついた。  また、上半身が緑色の女・下半身が巨大な植物怪物の集合体だった超怪物と、未知種とされる大猿の両方について厳しい緘口令があった。以前に植物女は18階層に出現しており、その報告も参照された。互角だった大猿も、ともにレベル6相当とされた。  春姫の能力は、ヘスティアとタケミカヅチのみならず、イシュタルの眷属幹部を何人か魅了したフレイヤも、情報を共有しているロキも知っている。  あまりにも重大だった。  春姫本人の希望で【ヘスティア・ファミリア】への改宗(コンバージョン)を認めるかわり、【ロキ・ファミリア】が必要な時には貸し出される、となった。  アイズの助けもあったのだから、ヘスティア側は断れない。  フレイヤは闇派閥・人工迷宮関係の情報共有は拒んできた。また春姫についても無関心のようだ。 【イシュタル・ファミリア】の壊滅には別の面もあった。闇派閥との抗争の一環という。  またヘルメスの、都合のいいことを起こしてしまう、結果を出す、 (何か……)  の証左でもある。戦力などわかりやすい力より、よほど恐ろしい。 (火種をいくつかまいただけ……)  と、本神は団長に言っているのだが。  そして、【イシュタル・ファミリア】の残ったメンバーは、イシュタルが管理していた鍵をめぐって闇派閥の刺客に襲われた。  傷が治らぬ呪詛の武器を持ち、自爆を辞さぬ刺客に何人かが犠牲になったが、それから【ヘルメス・ファミリア】と【ディオニュソス・ファミリア】が保護した。  港町でのバカンス以来ベート・ローガに惚れたアマゾネスが【ロキ・ファミリア】に押しかけ、大騒ぎになり……ベートがフィンの苦労を思い知ったこともあった。  アイシャは【ヘスティア・ファミリア】加入を希望したが、主神ヘスティアがとても嫌がる。また彼女についてくるメンバーも多い。すったもんだの末、【ディオニュソス・ファミリア】に加入することになった。  ベル・ビーツ・命はまさに満身創痍だった。 【タケミカヅチ・ファミリア】も、千草と飛鳥がランクアップするほど危険な戦いをした。  陰に徹していたが、【ミアハ・ファミリア】も活躍している。むしろ事前の訓練に苦労している。  ファミリアとしてすべきことも多くある。今は『学校』で学んでいる入団志願者たちがそろそろ卒業し入団すると思われるので、本拠地近くの遺跡を利用し、かなり大きな集合住宅も作り始めている。  数日間の治療の末、ビーツも武威も落ち着いて套路を一日20時間できるようになった。無論ビーツはヘスティアに怒られて眠ったが。  今のビーツが、レベルいくつ相当なのかは、考えるのが怖いほどのものがある。  健康を回復してからいくつかのウェイトトレーニングを試してみたが、【ロキ・ファミリア】のレベル6幹部陣に近い数字が出ているのだ。  近代的トレーニングといえば、あちこちがはじめは物珍しさ、次には効果と手軽さ……死ぬリスクがない……を見てやる人が増えている。  ただし、監修なしでやると死ぬリスクはある、脱水・熱中症の概念がない運動部は死亡事故が多いのと同様だ。なんとかしようと『ギルド』は指導している。医療系の【ファミリア】の仕事が増え、その分加入者も増えている。 【ロキ・ファミリア】はもう全員がやっている。5時間瀕死になるまで運動すれば、半月かかる50階層への大遠征より『ステイタス』は増すのだ。  ただし、本当に瀕死になるまで頑張らないと、しかも水と塩をちゃんと補給してそれでも瀕死になるぐらいでないと、まったく伸びない。  アイズでも、40階層台の遠征の5倍は一日で伸びる。強くなりたい彼女が中毒するのは当然である。毎日が、恩恵のない人間がツール・ド・フランスをやっているような状態になっている。  ベート・ローガは人前では訓練したがらないが、ガレスと椿の仲介で【ゴブニュ・ファミリア】の工場の隣に一軒家程度の地所を買った。そこに鍛冶ファミリアの動力にもなるようにいくつかの運動機材を置いた。  夜明け前から朝食までの3時間で、まあ大学駅伝の選手がフルマラソン、主要ウェイトトレーニングを4セット、さらに400メートル走を自己ベスト狙いペースで5本やるぐらいの運動をして、シャワーを浴びて座るのもきついほどの疲労困憊を色にも見せず帰るのだ。  何度断っても押しかけてきて入団試験を受けたがるレナ・タリ―と、リーネ・アルシェの妙な雰囲気から逃れるためでもある。  最近売れているのが、幅の大きいステッパーと、ワイヤーで下につながったハンドルを持ち上げる動作を協調させる運動器具。リュックのひもに似たハーネスをつけて動かす。常人用にたとえていえば、何十キロも砂袋を詰めたリュックを担ぎ、階段を一段ぬかしで上がりながら、ダンベルを左右交互に膝から頭上まで持ち上げる、それを高層ビルの最上階まで続けるようなもの。最高負荷にすればレベル6でも2時間でへばる水準。  またアダマンチウムのシャフトで最大10トン単位になるバーベルで、デッドリフトなどのウェイトトレーニングもする。  バーベルを背負っての縄跳び感覚の連続ジャンプや、バーベルを足に結んでの懸垂やパラレル・ディップもきつい。  発電機直結の、【ヘファイストス・ファミリア】がアダマンチウムでギアを作ったエアロバイクやボート漕ぎマシンもある。電気を用いるゲーム機や工業機械も普及し始めており、電力需要もある。  なにより大重量を背負ったままのプランクが地味に辛い。  瀕死水準の運動で手軽なのは、水を使うものだ。  深いプールに、バーベルを腰に縛って入り、溺れたくなければ上向きバタフライを続けるのがある。ただ、これはアイズはできない。  穴の開いた船から水をバケツや手押しポンプでくみ出し続けたり、風呂桶の上で足を縛って逆さづりにされて頭が漬かるようにして腹筋を繰り返したりするファミリアもある。『ギルド』は禁止しようとしているが。  また、都市郊外や都市外にやや広いスペースを整地し、直線で300M走れるようにした設備も多く作られた。  正真正銘の全速で走れば、空気抵抗などにより負荷は増す。トップアスリートと、やや優れた一般人では100メートル10秒と15秒、だがベンチプレスやデッドリフトの数値比は3倍や4倍ではない。自動車の、馬力と最高速度も単純な関係ではない。力が2倍になっても、速度も簡単に2倍になるわけではない。  また瓜生は、【イシュタル・ファミリア】の件もそこそこに、別の用事に出かけてしまった。  彼の用事は多くある。いくつかの生産系ファミリアに近代産業技術を与え、その監督をするのもある。  そして新しい用事が入った……ラキア動く。  ラキア王国、国家自体が【アレス・ファミリア】に他ならない軍事大国。  それが、世界の富を集めるオラリオを狙って動き出すという。また。  聞いてすぐに瓜生は動き出そうとして、【ロキ・ファミリア】主神らに止められた。 「何しにいくんや」 「軍が動く、ということはその通った道は虐殺・強姦・略奪・拷問・人身売買……最悪は人が人を食う地獄だ。止める」  瓜生の顔に表情が消える。 (何度そんな地獄を見たんだ……)  と、神であるロキも、修羅場を多数くぐったフィンもわかる雰囲気だ。 「だいじょうぶ、だいじょうぶなんだ!落ち着け!ティオネ、前回のラキア戦に関する書物を、リヴェリアとナルヴィに選ばせ機密会議室に!」  フィン・ディムナが必死で止め、いもしないアマゾネスに叫んだ。 「ハイ団長!」  と、どこかから声が響き、ドドドド……と轟音が響いた。  そしてわずかな時間ののちに、本を抱えたアマゾネスとエルフがやってきた。 「よしご苦労。ここに誰も近づけないよう、見張ってくれ」  と、フィンは飴を与えてアマゾネスを追い出し、本を受け取ってため息をついた。 「この資料を見ればわかる。そして『ギルド』にも同様の資料がある、嘘をつく意味がない。前回も前々回も、ラキアの侵攻ではきちんと食糧は購入されており、そういう地獄絵図はないに等しい。  オラリオでもきちんと食糧を供給する準備はしている。戦力的に、絶対に落とされるリスクはない。  君のことだ、それでも心配だろう……今から僕が警告に行く」  と、フィンが動き出した。 「あんさん、ほんまどんな地獄に生まれて、どんな地獄を見てきたんや……」  女神ロキがため息をついた。  ラキアから出陣を始めていた大軍。  膨大な人間が列をなし、広い湖の脇に広がる平野で野営をしていた。  松明の光と月の光。道なき道を長く歩いた疲れもあり、それなりに楽しい旅でもあった。無論疲弊した弱兵も、いじめられている兵も、厳しい罰を受けている兵もいる。歩哨はいのちがけで見回っている。  大軍の事実上の指揮官であるラキア王国第一王子、マリウス・ウィクトリクス・ラキアは、強い光で周囲を照らしつつ、恐ろしい速さで走ってくる見慣れない乗り物を見た。  乗り物には、万国共通の軍師のサインがあった。  ポルシェ・カイエン。手足の短さもものともせず、高い操縦センスで悪路を超高速で走り続けてきた。残り座席もトランクもすべて、最小限の食糧と大量の燃料を積んでいる。  旧知である【ロキ・ファミリア】団長、『勇者(ブレイバー)』フィン・ディムナの姿を見てマリウスは驚いた。  毎度の無謀な遠征軍に、何の用事があるのか…… 「はーっはっは、降伏に来たのか」  と叫ぶ美青年……逆らえぬ主神アレスに、内心『バカ』とルビをふりながら、マリウスはため息をついてなんとか自分が応対するよう話を持って行った。  フィンは彼らしくもなく、礼儀や何重にも罠が混じる会話もそこそこに、 「時間がない、単刀直入に言う。いままでもできるだけそうしてくれていたのはわかっているが、特に今回は、絶対に、一件たりとも虐殺・強姦・略奪・拷問の類はするな。  誰かが違反したら、厳重に罰するんだ。全力で。  もし必要な物資があれば、無制限に提供する。  ……とんでもない怪物が、少しでもやったらこの軍は皆殺しだ、と宣言しているんだ」 「……は?」  マリウスの呆然とした顔を見て、フィンはうなずいた。 「その反応はわかる。というわけで見てほしい」  そう言うや、すさまじい速度で湖の中心に走った。水面を、地面を走るように足で。そして数発の大型照明弾を打ち上げた。  すぐさま、水面を走って戻ってきた。  そのとんでもない速度に、第一級冒険者の底知れぬ高みを見てマリウスは辟易していた。絶対勝てないのはわかっている。冗談抜きに、フィンひとりでも三万の軍勢を殲滅できる。  と……フィンが戻って間もなく。  見慣れない流星が天を貫く。  それはすさまじい速度で湖の中心に落ち、とんでもない爆発を起こした。  闇が明るく照らされ、きのこ雲が上がる。数百Mは離れている軍勢が、一秒後に強烈な風に吹かれる。大波が湖を揺らす。 「……あれが、何百何千」  マリウスはひたすら魂消(たまげ)ていた。そして、凋落していた鍛冶貴族たちの大言壮語や、それを真に受けている主神にも絶望していた。  この湖が見える峠の数か所に、リヴェリアたちが先行している。それぞれの拠点から照明弾を、精密に角度・水準を測れる望遠鏡で計測し、位置を測定する。  そしてその拠点から、オラリオ近くの瓜生たちのところにレーザーなどで位置を送る。  瓜生はそれを計算し、照明弾の位置を確定して、通常だが大きい弾頭の短距離弾道ミサイルを発射した……それだけである。  だが、ラキアの陰謀と野望は、すでにオラリオの足元に侵入しつつあった。  それが誰を狙っているか、知ることもなく…… >ラキア戦争  軍神アレスが都市外で作ったファミリア国家、ラキア。きわめて好戦的であり、最低限であっても将兵ことごとく『恩恵』を得ているので強い。  それが、何度目かになるがオラリオを襲った。  瓜生などは、 (城塞都市が攻撃される=まず周辺は焼け野原、さらに戦いが長引けば攻防とも子を替え合って食う飢餓と、疫病の地獄。陥落すれば男は全員じわじわと拷問の末に皆殺し、女子供は残虐な凌辱の末に奴隷として売られ、すべての文化財は焼かれるのが常だ……)  と思ってしまう。故郷での常識であり、別世界への旅でも何度も見ている。  オラリオの人々や神々はのんきに、儲けることだけを考えている。  都市を守る『ギルド』の強制任務は、【ロキ・ファミリア】にとってはとても煩わしかった……だが、手を抜けない。  もし監視の目をゆるめ、ラキア軍が残虐行為を少しでもしたら。 (都市の多くの商業ファミリアがあてにしているラキア軍は、皆殺しにされるのでは……)  監視自体は瓜生が放つドローンや無人機の画像があるので、楽ではあった。 「戦争でこれがあればずるいなんてもんじゃないよね」 「確かに戦争自体は何日という短期間で終わった。でもいつまでも死者が出る。路肩の爆弾と、小さい子供が体に爆弾巻いてくるのはどうしようもない」 「どんな地獄だ」  フィンとリヴェリアがため息をつく。  ちなみに高空からの監視は、【ロキ・ファミリア】最大の関心事、人工迷宮の出口探しにもとても役に立つ。瓜生はついでにオラリオ周辺の精密な地図を作ったり、鉱山を探したりもしている。  最大でもレベル3までのラキアとの戦いは、第一級冒険者にとってはちょっとした休暇であり、またたくさんいる低レベルメンバーに比較的安全に実戦経験を積ませる場でもある。  この戦いでは火器は必要ない。瓜生が出すものも、【ヘファイストス・ファミリア】が試作しているものも。  危険もまるでない。数では質に勝てないのが、今の時代だ。それも瓜生とその技術でどうなるかわからない。瓜生がいなくなったとしても、すでにこちらの産物で銃は作り始められている。  皮肉にも少し平穏な日々が、久々に訪れた。ベルは、【タケミカヅチ・ファミリア】と合同でダンジョンにもぐることが多くなった。  比較的浅い階層で、短い薙刀を持ったリリと春姫、タケミカヅチのレベル1の眷属に経験を積ませている。タケミカヅチの眷属なら春姫の事は知っている。  移籍したヤマト・命も、ほとんど違和感なく暮らせている。これまでと同じく、【タケミカヅチ・ファミリア】の者と迷宮に入れるのだ。タケミカヅチの顔にケーキを叩きつけたりしたことはあったが。  タケミカヅチの眷属たちは屋台や、学校での武術指導の仕事もあり、結構忙しい。  ビーツはタケミカヅチに、 (しばらくはダンジョンにもぐるより、徹底して新たな基礎を深め、『気』の制御を修行したほうがよい……)  と言われて、あまりダンジョンにはもぐらず一日中ホームで修行している。  日が昇る前に起き、積み上げられた菓子パンを食べてから、ベルと肩を並べて修行を始める。重い槍で単純な基礎。大きく、腰を深く落とすパンチや肘打ち。ワンツーから前蹴り。両手の指で数えられる基礎だけを、ベルたちがダンジョンに、ヘスティアが【ヘファイストス・ファミリア】のバイトに出てからも夜までずっと繰り返す。  ウェイトトレーニングなら何十トンも平気な彼女だが、『武装闘気』を綿密に制御しての基礎練習は、とても疲れる。第一級冒険者用エアロバイクやボート漕ぎを7時間……自転車で10トンのトレーラーを引っ張ってアルプスの急坂を7時間上り続けるよりも、一時間のワンツーのほうが疲れる。  膨大な『気』の光を精密に制御し、自分の体と一体化させる。身体のすべてを精密に、精密に制御する。あっという間に服は水に浸したように濡れ、地面に水たまりができる。  三十分かそこらで倒れ、また立ち上がって深呼吸をして姿勢を正し、続け、倒れる。それをひたすら繰り返して、用意されている大量の食物を食べ、また繰り返す。  時々武神タケミカヅチが見に来て、形の狂いを厳しく直す。それに素直に従い、精密に正しい動きを繰り返す。  時には槍を手に、あるいは素手で、強敵との戦いを反芻しイメージトレーニングをする。  そんな単調で厳しすぎる日々が、一日また一日と積み重なる。 『豊穣の女主人』に顔を出し、店を手伝ったり、修行したり、大量に食べたりする日もある。  根を詰めすぎるな、とリュー・リオンはいつも言いたいが、彼女は人のことは言えない。  カジノ事件以来ベルにも修行をつけてやることがあり、ついついやりすぎてしまう。ビーツがまだ弱かったころも何度も何度もむちゃくちゃをやってしまい、同僚や店主に叱られたものだ。  ベルも、ビーツと『豊穣の女主人』に行くこともある。歓楽街に行った罰としてあちこちで社会奉仕をやった、それもあちこちで続けている。  ダンジョンではここしばらく浅い階層で、レベル1や2のメンバーに経験を積ませ、危険な時だけ飛び出すという役割をしている。深層や【ロキ・ファミリア】幹部の訓練で毎日死ぬ思いをしていたしばらく前を思うと、少し物足りない。  それは早朝の歩き素振りと、帰ってからのトレーニングで払っている。 【イシュタル・ファミリア】との抗争から、ビーツはレベル6のアマゾネス姉妹にも迫る体力になっている。それを見て発奮しないはずがない。  ボート漕ぎ。デッドリフト。エアロバイク。プランク。完全に疲れきって、まだ続ける。  繰り返した格上戦を反省しながら。 (僕は、正しく能力を使っているんだろうか……)  そんな疑問が、数日前から心に刺さっている。格上戦が多く、せっかくの呪文もスキルも使っていないことが多い。  格上が相手だと、短文詠唱とはいえ呪文を唱える時間もない。猛攻をしのぐのがやっとで、『英雄願望』をチャージする暇などない。  いや、刀を振りかぶる暇も、抜く暇さえないことが多い。居合は最低半年は禁止されている。  一番役に立つのは、椿やベートに教わった、防御・崩し・投げ・素手寸打を腰だけでやる技だ。だが、 (それしかできないのなら、ビーツみたいに素手向きのスキルだったら……)  と思っては、 (この呪文もスキルも、神様の恩恵じゃないか……)  と自分を責めてしまう。  ほかにも考えるのが、これからの迷宮探索パーティのありかた。特に、武威とトグが加入したらどうなるか。リリとヴェルフが使う、【ヘファイストス・ファミリア】製の銃。レベル3にふさわしい階層で、リリと春姫を護衛するという困難。  自分はどのポジションで、何をすべきなのか……  集団の一員としての自分も考えてしまう。 【ロキ・ファミリア】と共闘したことも、その考えを深めるきっかけになっている。  圧倒的な強者と火力に守られ、付与魔法とじっくり時間をかけての扉の切断、それだけで貢献が認められてしまう……  だが、それは大手ファミリアと組んでのこと。『勇者(ブレイバー)』の指揮、『重傑(エルガルム)』の盾、『九魔姫(ナイン・ヘル)』と『千の妖精(サウザンド・エルフ)』の呪文、さらに『剣姫』、『凶狼』……贅沢すぎる中だからこそだ。 (どうするのがいいんだろう……)  エイナ・チュールは、とにかく冒険をするな、パーティの中で役割を果たすように、という。まだ数日だけだが、ダンジョンで危険を冒していないことをとても喜んでくれる。ついでに迷宮についての学科も厳しさを増し、それで遅くなって視線を感じた彼女のボディーガードもすることになってしまった。  レフィーヤは、並行詠唱を自慢してきた。そして彼女が並行詠唱を身につけるのにどれほど頑張ったか、アイズ・ヴァレンシュタインに聞いた。  強くなるために鎧と大剣を買ったアイズ。  フィンやリヴェリア、ガレスやアイズに相談するのはあまりにも恐れ多い。ついでにリヴェリアとエイナのダブルスパルタはミノタウロス以上のトラウマになっている。  瓜生は忙しくてあまり会えない。リリも慣れない前線で疲れているか、または瓜生に引っ張りまわされて出かけてばかり。  一番頼りやすいのはヴェルフだが、彼も忙しい。  ヴェルフは、まずラキアの名前を思い出すのが辛かった。  だが、それどころではないほど忙しい。 【ヘスティア・ファミリア】が【イシュタル・ファミリア】との抗争で失った多くの装備を、専属鍛冶の契約で作り直す仕事もあった。  そして、瓜生が【ヘファイストス・ファミリア】などに与えた近代生産機器。  それを、迷宮産の素材を加工できるようにする……アダマンチウムと魔物の爪牙の合金で、金型やドリル・旋盤刃を作る。  それらは、迷宮で戦うための刀剣や鎧とは次元の違う精度を要求する。上級鍛冶師の腕力で振るわれる大鎚以上の力が瞬間的にかかることもある。  さらに、インゴットを精密な薄板にして、工場全体を合理的に設計し、工程順にしっかりと動かす。動力の流れ。トイレや交代も計算に入れた人の流れ。熱気の流れ。素材の流れ。切り屑の流れ。  すべてを考えなければならない。鍛冶師としての基本ではある、だが今までとは異質な、膨大な量の思考が必要とされる。  そんな大嵐の中、下っ端のヴェルフも忙しいのだ。ついでに潤沢すぎるぐらい潤沢な素材もあるし、注文もある。  常識が消し飛ぶ衝撃。一日に何本打てば、という世界から、しっかり分業すれば十人で一日に何千本もの剣ができる。  また、椿も自分も、瓜生に渡された機関銃用の替え銃身と、全身全霊で対決していた。 『恩恵』のないただの炭素鋼。だが恐ろしいほどに硫黄も燐もない、鉄そのものの純度の高さ。均等な炭素濃度。  肉眼で見えないほどの割れや炭素析出も銃身破裂につながり、使用者の命を奪う。そんな高圧を受け止める強度。それを支える焼き入れと、冷間鍛造で刻まれたライフリング。  そのハンマーとダイスがどれほどすさまじいものか。焼きを狂わせずに正確に穴を空ける技術がどれほどのものか。  しかもそれを、毎日何百も作ったという……  大量生産であっても、『恩恵』がなくても、 「戦う者に、生きて帰ってきてほしい……」  思いは、鍛冶師の魂はある。  それを可能とする器具も衝撃的だ。特に温度計測の技術と理論。  鍛冶師は赤熱する鉄の色を見て温度を推定する。そのために、黒体放射が研究された。それが量子力学のきっかけになった、それほどに温度ごとに変わる色は、重大なことだったのだ。  迷宮都市の素材で作る銃。そしてほかのファミリアとも共同での、高炉での鉄や、電気を用いた銅・アルミニウム・チタンの大量生産。タングステンやコバルトなど、知らなかった金属の鉱山を探す。  瓜生の故郷の、桁外れの量の鉄鋼生産。巨大な高炉から転炉で炭素濃度を調整し不純物を燃やし、ほぼ直接圧延成型する、すさまじいスケール。  膨大な可能性があり、仕事がある。  そんな彼を、過去からの呼び声がとらえる……  リリルカ・アーデは、毎日瓜生とあちこち回っていた。多くの人に会い、交渉し、書類を書いていた。  情報屋たち。闇の住人。数多くの商業系・工業系ファミリア。商会。とんでもない金持ち。『ギルド』幹部。  雲の上の、多くは金持ちで傲慢で、海千山千の人々と会い、顔をつなぎ、話した。 【ソーマ・ファミリア】の脱会金として目標にしていた、夢のまた夢の金額の何百倍・何千倍、冗談としか思えない金に関わる契約書を必死で隅々まで見る。  法律を学ぶ。簿記を学ぶ。計算を学ぶ。  コンピュータを、瓜生の故郷の文字を学ぶ。  それだけではない。朝から重いバーベルに挑み、手が血に濡れるまで痛みに耐えて薙刀を素振りする。そして3階層のゴブリンを、春姫とともに切り倒す。 (少しでも、冒険者としての自信を……)  ということだ、とわかってはいる。頑固に伸びない『ステイタス』にめげず、努力を繰り返す。守ってもらいながら自分の手でゴブリンを倒す、それは昔の自分には夢見ることも許されないことだったのだから……  春姫は、目が回るようだった。身を売らなくてもいい喜びはある。  だが、毎日くたくたになるまで運動し、震える足腰に鞭打ってゴブリンに斬りつけ、さらにホームの掃除や洗濯もする。 【イシュタル・ファミリア】に閉じ込められ、反面箸より重いものを持つことなく、迷宮深層でもケージの中で貴重品として全員に守り抜かれた日々とはまったく違う。  殺す。殺されるかもしれない。筋肉痛、手や足の豆。新しく覚えることがたくさんある。失敗したら悲鳴と笑いが広がる。  家事は瓜生もやるが、女物の洗濯は遠慮するので春姫がやる。たしかに洗濯乾燥機や食器洗い機という便利な道具はあるが……  ビーツが食べる膨大な食事を準備するのも大変だ。  食べ物もひたすらぜいたくで繊細だった娼婦のそれとは、あまりにも違う。だが、食卓はいつも笑顔がある。みんな疲れているが笑っている。楽しく温かい。  毎日疲れる。だが幸せだ。ベルの、命の笑顔がある。毎日のように故郷の仲間とダンジョンに行き、守られて戦う。リリやヘスティアが怒って騒いでいる。瓜生がやれやれ、と苦笑する。ビーツがとんでもない量の食物を食べている。  夜は大画面テレビで、映画を見ることもできる。さまざまな英雄の活躍や悲劇とすさまじい音楽を堪能できる。  また、瓜生はベルと春姫とヘスティアに、本を読んでくれることもある。  遠い別の国の、さまざまな英雄たちの話……  ヘスティアは今も、【ヘファイストス・ファミリア】でバイトをしている。  ラキア戦争の軍需もあり、またさまざまな大量生産もあるので、ルーティンワークだけでない忙しさがある。  ある日ベルが、 「今日ヴェルフと会ったら、なんかやつれてました。それに神様もまた残業ですよね?じゃあ主神のヘファイストス様も忙しいんじゃ」  と言った。それでベルの指示で瓜生とリリがおもむいて大量の酒と肉と菓子を差し入れ、特にドワーフたちに大喜びされた。  それはうれしいし感謝もされたが、ヘスティアとしては自分だけを見てほしいのでなんだか嫉妬したりもしてしまう。  ただでさえ春姫も入ってきて危ないし、よく見ればビーツも、わずかな月日で15Cは背が伸び、子供から女の子になりつつある。ベルも10Cは伸びて、ますますカッコよくなっている……  それを思ってにへらとしてしまうのが、彼女らしいところだ。  ラキアとの戦争が始まって8日も経った、みんな少し早くホームに帰ってきた時だった。  瓜生が最初に出現し、次に武威たちが出現した中庭。  なんとなく、ヘスティアもベルも、ビーツも、瓜生とリリも、命もいた。  本拠の建物に入ろうとしながら、帰り道を歩く家族に手を振り、待った。それが繰り返された。  また、風もないのに旋風が舞った。  緑の髪をした青年が座っていた。  重みのある色合いの金属鎧・かぶと・大型の盾・両手でも使えるような長い剣。そして大きな布袋を腰につけている。 「ええっ」  命が驚く。 「ここは」  青年が驚き、警戒し、周囲を見回した。その動きで、 (歴戦の冒険者……)  とわかる。 「ええと……」  ベルとヘスティアが応対する。 「ここは、どうも別の世界から人が来てしまうところのようです。オラリオ、という名前に心当たりは?あとトーキョーやパリ」 「いや。サントハイムやエンドールは?」 「知らないです、ごめんなさい」  ベルが目を伏せる。 「ウリュウさまとも、武威さまとも、こことも別のところのようですね」  リリの言葉を聞いてまだ若い……少年と言ってもおかしくない、緑の目が昏くなる。 「マスタードラゴンの声がした……もう使命は果たした、血筋も……もう、この世界ですることはない、災いにしかならないだろう……  そうだ。みんなそれぞれの道を歩き出している。王女として、踊り子と占い師として、大商人として、王宮戦士長として」  激しい悲しみに、少年は沈みこむ。 「マスタードラゴン?!」  ヘスティアが衝撃を受けた表情をする。長いツインテールが、折り曲げた針金のようになっている。  ベルが必死で、青年の目を見つめて口を動かす。 「ついこのあいだも、すごく遠くから来た人が、います。ここ、うちでなら、休むこともできます。よかったらしばらく、ここに逗留しませんか?  仲間たちと別れてこちらに……それがどれほど……そのかわりになんてなれないけど、でも……」  ベルの赤い瞳を、緑の瞳がじっと見つめる。 (不器用に思いやりながら、真剣にその辛さを考えてくれる……)  その誠意は伝わった。そして半ば本能で、ベルも孤児であることも。 「よかったら、ボクの眷属にならないか?」  ヘスティアも、もう慣れたように明るく言う。 「やっかいなルールで、一月ほど学校で勉強してからですが……少なくともその間、身分と衣食住はありますよ」  リリが呆れたように言う。  少年は剣から手を放し、ベルが差し出した手をおずおずと取った。 「ソロ」  名を口にする。  ベルは衝撃を受けた。第一級冒険者たち以上かもしれない、すさまじい実力を感じてしまったのだ。  炉と孤児の女神ヘスティアには、そこにいるのはよるべない孤児でしかなかった。 *DQ4男勇者。クリア直後。六章なし。天空シリーズは天空城に返納、はぐれシリーズ。42ぐらいなので伸びしろもあり。 エンディングのあれは幻という解釈です。滅んだ故郷で一人でorzし、夢を見終わったところをマスタードラゴンが飛ばしました。アリーナ父に一応遠くで生きていると連絡がいってます。 女勇者のほうがいいかと思いましたが、女だと子孫を残すまで時間がかかるという問題が…というわけで、5以降のためにあちこちに子種を残していると独自設定。 ヒーラーと、できたらサイヤ人であるビーツのために大量食糧運搬手段が欲しいな、と考えていました。 ソロの加入でビーツの食糧と、ついでに弾薬の大量輸送が解決されます。 ほかにいろいろ考えていたんですが……リリに魔法『ファンファンクロス』とか、新入生に空腹を抑える魔法持ちが入るとか。装甲車でもいいんですが。 それは重複があってもいいですね。 数多くのダンまち二次創作に出てくる「ふくろ」も世界観ぶっ壊し・無限財産になるチートだったりしますけど、活用はあまり見られません。 さらにソロには、ザオラルとリレミトというこの世界では超絶チートが二つもついてました。 モシャスまであるので完全にリリの存在意義が、と思われますが、リリの新しい役割は見合い話の消化で。 >魔剣鍛冶 (ラキアの攻撃は、時間稼ぎでしかない……)  そのことは、すぐフィンにはわかった。普通に指揮をしていてもわかっただろうが、今は瓜生にもらった無人機群がある。  空から手に取るようだった。オラリオに実質閉じ込められている冒険者たちより、何度も侵攻しているラキアの方が地理を知っていると言われていたが、その優位は即座に消えた。  たとえどちらも恩恵がない兵を率いていたとしても、4倍までなら、 (確実に勝てる……)  ほどの優位だった。  時間稼ぎの目的も見当がついた。  それからなぜか、ヴェルフ・クロッゾは妙に忙しく仕事を言いつけられ、しょっちゅう団長の椿・コルブランドに絡まれることになる。  半ば気分転換に、ダンジョンに行こうという話になり、【ヘファイストス・ファミリア】の許可もとった。  対ラキア戦で強制任務のレフィーヤは不参加だが、ベル、ビーツ、命、ヴェルフ、リリ、春姫とほぼフルメンバー。それに武威と、新しくやってきたソロもついてくる。  武威とソロは18階層から2日ほど深層に行き、他は18階層に泊まって帰る予定だ。  ソロは『学校』で常識や文字を学んでいる。神々が地上にいることには驚いたが、理解したようだ。  運動は、武威のような存在があるので特別クラスが設けられている。  だがソロは、運動には熱心とは言えない。 (戦いに倦んでいる……)  ところがある。 「最小限暮らせればいい」 「剣を教えられれば」  という。  ソロの深い深い悲しみを察したヘスティアが、まめまめしく世話をしている。 「彼の過去は、彼が話すまで聞いちゃだめだ」  とヘスティアに言われ、ベルたちも好奇心はあるが黙っている。  ダンジョンの2階層で、少しだけ試してみる、とソロはゴブリン相手に剣を抜いた。  こちらに来た時の装備ではなく、袋から鋼の装備を出している。  その袋も、とんでもないものだった。事実上無限の容量、ただし一種類当たり99個。  それ、または同様の能力があれば、戦闘力がなくても春姫同様守られて、18階層まで荷物を大量に輸送することで欲しいだけの金が得られるだろう。  実はリリも大重量の荷物を運べるので、大金を稼ぐことはできたのだが……【ソーマ・ファミリア】の者がそれを理解することはなかった。サポーター、弱者に対する軽蔑と嗜虐が先に出、また長期的に投資して多く稼ぐことを考えない、むしろ考え協力することを軽蔑する、ならず者らしい心理が強かったのだ。  襲うゴブリンが、突かれて魔石を砕かれ灰になる。  なんということもない。冒険者になって半年ぐらいの普通のレベル1が最弱のモンスターを突き殺したのと、それほどは変わらない。超高速でもない。壁まで剣ビームで貫いたなどということもない。  だが、ベルは胸を打たれた。ただ、突いて戻っただけ。それが何とも美しいのだ。無駄がない、とことん。アイズやフィンのように。武神タケミカヅチのように。 (若いのに、どれほどの戦いをくぐりぬけたものか……)  武威は静かにうなずくだけだった。彼はまだ鎧を脱げない。  ソロから感じる、超常の生まれと素質。正しい基本。どちらも圧倒する、莫大な実戦経験。 (戦いの数は、オレや鴉も、戸愚呂兄弟も及ぶまい……)  と思えるほど。  戦いの回数は、アイズ・ヴァレンシュタインらも似たようなものだろう。だが、常に自分と同等か、むしろ強い敵と戦ってきている。  ビーツはナイフを抜いて、ソロの動きを何度となく真似ながらついてきた。彼女の天才は、剣士の動きを正確に目に焼きつけている。  彼女は背の腰骨近くに2本同じ大型ナイフをつけている。刃長約24センチ、左右両方から柄が少し横に出て、どちらの手を背に回してもすぐに抜けるよう。前は瓜生が出したものだったが、ヴェルフが打ったものを使っている。  できるだけ似せ、同等以上の切れ味と耐久性がある、と一本ずつ完全にダメにする過激なテストで証明してのことだ。  何度椿や、ほかの先輩の斧にナイフや刀剣を叩き折られ、『恩恵』もない異界の大量生産品と知るナイフや刀剣が半ばちぎれながら耐え抜くのを見せつけられただろう。  その都度、死にたい……いや、それで死ぬベルやビーツを心で見て、内心絶叫し号泣しながら打ち直して、また砕かれた。  またある日。ヴェルフは初心者用の下級鍛冶師が打った安物フロアに、 「レベル1以外立入厳禁」  と書かれたコーナーを設営する雑用をした。『ドウタヌキ』を何十も展示したのだ。  ずらずらと、刃は38センチ前後と短めで厚い、柄も鞘も購入後別売りで長い中子がむきだしの片手半剣。予備武器(サイドアーム)によい。安い。  四方の壁、扉にも無数にかけられている。どれも銘はなく、番号だけがある。 【ヘファイストス・ファミリア】の若手たちが、 (折れない、切れる、滑らない……)  それだけを考えて打った飾りも美しさもない品が並んでいる。自分のもあり、どうしてもにんまりする。  何人かで展示を終え、最後に掃除をしたヴェルフがさらっと見回したとき。その3点が目に飛びこんできた。 「ヘファイストスさま……椿……こ、これは……」 「神ゴブニュ。気づいただけでも上等じゃ。買うなよ、未熟でも目がよい、すなわち才がある者、または運がよい者に買わせたい」  と、ちょうど来た椿に言われた。そして自分のを見つけられ、 「これか。これでこの主神(ばけもの)に、魔剣という才を使わずに勝とうと?何千年も生きねばな。食べ物に気をつけ長生きしろよ」  と、主神ヘファイストスの作と見比べられ、鼻で笑われた。  椿自身も、自分の作と鍛冶神二柱の作を見て、手から血が垂れるほど拳を握っている。  ヴェルフは、後ろで物静かに歩いている武威とソロ……これほどの強者に使ってもらえる武器、またベルやビーツがそれほどの強者に追いつけるほどの武器を、どうすれば打てるのか……狂おしいほどの思いで、ミノタウロスに大身槍を突き刺している。  ソロはベルの憧れの目も、ビーツのただ歩いている姿からも何か盗もうという目も無視し、目を伏せて悲しげについてきた。  12階でシルバーバックを一頭倒し、あとはまったく剣に手もかけなかった。鋼の剣でシルバーバックの毛皮と肉を貫いたことが異常だが。  もう戦う気はない、というか武威もだが、未恩恵でダンジョンに入るのは本来は禁止。護衛されての観光と言うことになっているが、エイナなどは実情を察している。  17階までは急ぎ足で、主にヴェルフと命が戦った。  久々にビーツも戦ったが、数日前とも別人の実力には驚かされた。 『武装闘気』の光が体に収まるのがとても早い。レベル2でも見えないほどの槍、ミノタウロスでもゴブリンのように即死する。  ソロや武威もうなずき、ベルは身近すぎるライバルの成長に燃え、ヴェルフは悔しい以前に圧倒されていた。  また、『クロッゾの魔剣』、ヴェルフが持ってきた【ヘファイストス・ファミリア】製の微小魔剣を用いた銃、そして瓜生が出した消音銃と予備武器もリリのバックパックやソロの袋におさまっている。リリはうぬぼれるな慎重にと叫ぶが、武威とソロも戦いに加われば、このまままっすぐ60階層を目指しても、 (いけるかもしれない……)  と思えるほどの戦力はある。  17階、階層主ゴライアスがいた……が、ベルとビーツが瞬殺した。  リリのフラッシュライトが目をくらませた一瞬でビーツが巨人の拳を打ち落として最適な場所に入り、腰をきめて股間に突き入れた槍を跳ね上げる。巨人がラグビーボールのように天井に叩きつけられ、落下する……そこにベルが数秒チャージし呪文を唱えて刀に稲妻を落とし、振りかぶったとも見えぬ袈裟。  閃光烈音とともにベルの胴体より太い首が飛び、巨体が灰になった。 「レベル詐欺……」  と誰もがつぶやいたほどの、圧倒的な強さ。  ビーツは槍の修行として、3つの技しかやっていない。『学校』でも同様だ。槍先で時計回りと反時計回りで円を描き、突く。それだけに、 「槍・拳・肘のすべてがある……」  と、武神タケミカヅチは言ったものだ。  右手を前に槍を持ち、反時計回りの円を描いて真上から落ちる拳をそらし落とす。引いて深く突く。半径の大きな時計回りの円の、7時から11時までを描くように巨人を放り上げる。それだけだった。すさまじい足腰がそれを可能とした。  命とヴェルフは、同時に沸いていた多数の、ミノタウロスやライガーファングなど実力のある雑魚相手に戦い抜いた。命は春姫の魔法を受けてランクアップし、すさまじいはたらきをした。  ライガーファングに囲まれたヴェルフを助けたのが、大太刀をふるう椿だった。  モルドたちは助けを求めたことをおくびにも出さず、獲物の横取りと叫んで分け前は拒んだものだ。  ベルたちが18階に着いたとき、まず冒険者たちがヴェルフに魔剣をと叫んだ。激しい怒りとともに断ったが。  18階の変化も驚くほどだ。いくつもの寝台車が心地よい寝床を提供し、風呂まである。食堂車もあり、『豊穣の女主人』ほどではないがそれなりの料理がある。  ベルたちは逃げるように森に隠れ、ソロの袋を試していた。ここでもちゃんと使えるのかどうか。  ビーツの空腹もあり、瓜生が入れていた膨大な量のシリアルとヨーグルト、チーズとドライソーセージを出して食べていた。一種類につき99個、だがシリアルだけでも膨大な種類があるので、ほぼ無尽蔵に持ってこれた。  ソロが袋からはぐれメタルの名を冠する武装を出し、ヴェルフが歯噛みをしていた時だった。また椿がやってきた。  椿は叫んで飛びつき、すさまじい目でなめるように見、 「譲ってくれ!なんとしても、これ以上のかわりになる装備を……いや」  椿の声は途中でしぼんだ。 「ベル?」 「はい?」 「お主のところに突然出てくる強者は、抜け殻ばかりなのか?こちらの……すまん、ましになったようじゃな」  椿は武威に目を向けた。彼が立ち直ったことも見抜いている。 「ええい、元気が出たらでよいわ!」  と呆れていた。  そう言われたソロは、怒りもせずに受け入れている。  それから椿は、ベルとヴェルフに何かと絡んでいた。 「すごいなあ……瓜生殿の故郷の武器製造は」  椿は熱く語り始める。 「あ、その、それはないしょ」 「なに気にするな!もうあちこちのファミリアが作り始めておる。あやつは気前がよいゆえな」  そう危ないことを叫んでいた。  また、ビーツを見て、 「ほう!またも腕を上げたな。勝負といこう」  と、伸縮する仕込み槍で挑んだ。  まもなく、構造上不利なはずの椿の仕込み槍が、ヴェルフが必死で素材を吟味し、中芯に何種もの金属素材を合わせて撚り合わせたビーツの素槍を折ってしまった。 「つまらんのう……この程度しか打てずに」  それ以降は、もう言う必要もなかった。  おのれの才を全部費やさずして、主神に勝てるとでも思うのか。 「……それどころか、先に何があるか見えておらんな?そなたが作った銃を、そのまま車で曳くほど大きくすればどうなると思う?」  ベルがはっとした。対戦車砲の威力を、人工迷宮で見てしまった。 「まあ、手前も先は見えてはおらん。ただ主神の後だけを追っていればよかったが、別の事もある。そこの武威殿にふさわしい武器は、主神にも打てるだろうか……精進せねば、ヴェル吉を笑えん」  ヘファイストスにも限界がある、それはヴェルフにとっては衝撃を通り越していた。  だが、核兵器の映画を見せられたベルやリリは、確かに剣の良しあしなど問題にならない世界を知っている。 「弁償に、帰りはこの槍を使え」  と、椿はビーツに仕込み槍を差し出した。  ビーツは、 「槍で入られてから、素手で戦う練習もしてる」  と、素手で構える。 (高価な武器より修行をくれ……)  と、いうことだ。  椿はうなずき、短刀を抜く。  力を抜いたビーツの体を、また分厚い光の衣が覆う。少女が深呼吸し、深く姿勢を正す中、光が少女のしなやかな体に吸いこまれるように消える。どっしりと腰を落とした。  椿は短刀をさりげなく構えた。基本を極めた、はっとするほど美しい構えだ。  ソロが両方の構えを見て、歯を食いしばった。二度と会えぬ仲間を思い出したものか。  そして超高速で、何度か激しい打ち合いがある。  ビーツの深く腰を落とし、地面を洗面器ぐらいのクレーターにして放つ拳。幼いころから習った拳法の延長で、タケミカヅチにより深められている。一度だけ見た、ソロの突きも吸収しているのがわかる。  椿の基本を極め、全身を錐とする短刀。  しばし戦う。突然、ふっと武威が椿を、ソロがビーツを抱き止め引き離した。 「え」 「ははは、すまんすまん、手加減できんかった。エリクサーは持っておったが」  と椿は大笑いし、エリクサーを半分飲んで残りをビーツにかけた。  見れば、ビーツの体には深い傷がいくつもある。命が悲鳴を上げた。 「こちらも、外からは見えぬが肋骨4本と膵臓が粉砕されておる。止めてもらえねば、そちらは細首が飛び、こちらの内臓から背骨まで挽肉になっておった。エリクサーでもだめだったやもしれん」  と椿は笑った。それほどの傷で平然と笑っている精神力もすさまじい。  椿と相打ちということは、ビーツの実力が低くても4最上位に至っている、ということでもある。  さらにソロも武威も、その高速戦を見切っている……同等かそれ以上なのは明らかだ。 「また、強くなれた」  とビーツはむしろ喜んでいる。  その夜、寝床から出て夜の湖畔に座っていたヴェルフのところにベルが行った。  深く落ち込む姿に何と言っていいかわからず……なんとなく、核兵器の話をした。  映像で見てしまった瓜生の故郷の、神々が天界で用いた兵器に匹敵する威力の兵器。オラリオの人口に匹敵する、十数万人の無残な死。人類を滅ぼすことができる武器を配備するという愚行。そして原爆を作り、その結果に後悔して失脚したオッペンハイマーと、国家と反共に狂い際限なく暴走したテラー。  話していて、ふと気がついた。 「どうした?」  ヴェルフが、はっとして黙りこんだベルを心配した。 「……ウリューさんは、それを使えるのかも」  オラリオを更地に……いや、ダンジョンのふたを開ける、さらにその下を何度も爆破して底まで破壊しつくせる力。  ある夜、彼が言ったことを思い出す。 「まあ、ダンジョンをどうにかしたければ、冒険者たちを退避させて大量の水か水銀を流しこんでやっても……でもそうしたら魔石産業が……そうだダンジョンさんは、明日から何も出しませんよ、とやるだけで人類を壊滅させられる……」  悪すぎる冗談だ。  ヴェルフは、もう衝撃などを通り越して黙ってしまった。 「ううん、もう頭がどうかなったら、修行しよう!」 「ああ!頼む」  と、ベルもヴェルフも武器を抜いた。  翌朝、 「ダンジョンで寝不足でボロボロなんて、そんなに死にたい、いや春姫様も殺したいんですか!」  と、リリに怒られつつ、ヴェルフはボロボロの武器を修理することになる。  翌朝、武威とソロはベルたちと別れて深層に行った。 (ソロの当座の生活費もある、3日ほどもぐる……)  とのことだ。  袋から大量に取り出された高カロリー食物を背負ったリリと春姫を守りつつ、地上に帰った翌日。  ヴェルフが、【ヘスティア・ファミリア】のホームの増築を見に出かけたとき……  捨て去ったはずの過去が、血筋の呪いが襲った。  ラキアに置いてきた父。  その卑劣な脅迫を受けたヴェルフは、翌日いろいろと調べたり、ベルに頼んで色々見せてもらったり、できる限り最高の剣を打ったりした。 「よく来たな、愚息よ。では……」  ヴェルフは苦々しげに言った。 「いや、いくつか言いに来ただけだ。  俺があんたらについてって、魔剣を作ったとする。それでラキアがまた森を焼く。そしたら魔剣がまた砕けて、俺は魔剣を打てなくなる。元の木阿弥ってやつだ。  そんなことも考えずに、三万の軍を動かしたのか?」 「黙れ!」  激昂して叫ぶ父親を半ば無視して、ヴェルフは語り続ける。 「それに俺がそっちにいって、魔剣を打つ。年に200打てれば多い方だな。ああ、女もたくさんつけてガキがたくさんか。でもそれ全員が魔剣を打てるとしても、産んで育つのに15年はかかるだろ。  そのころには、このオラリオやその周辺がどうなっているか調べろ。年間1000本の『クロッゾの魔剣』なんておもちゃでしかねえよ」 「ばかを言うな!」 「これを見ろ」  と、ヴェルフは持ってきたトランクを開け、ぶちまける。  ナイフが百本以上転がった。魔剣とわかる。  普通に売られるナイフとは異質な、簡素すぎる、切り出しを細長くした三角形の刃。量産性に特化したナイフ。 「俺がそっちで、『クロッゾの魔剣』を一本打つ間に、こっちじゃ上級鍛冶師がそれに劣る魔剣を、これだけ作れる。いや、数年もすれば何万にもなる。  大量生産技術を、オラリオは手に入れたんだ。『クロッゾの魔剣』なんて、時代遅れなんだよ」 「ふざけるな!愚息め、一族の誇りを、希望を、クロッゾの」  と、魔剣でない斧を手にした父親に、ヴェルフはトランクから別のもの……短銃を取り出し、光点を当てると撃った。  斧の刃が貫かれ、手の痛みとともに吹き飛ばされた。  ものすごい音、風穴があいた分厚い斧刃に、侵入者たちも凍りついている。 「【ヘファイストス・ファミリア】製の、魔剣を利用した遠距離攻撃武器だ。レーザーはあいつだがな……第一級冒険者が全力で引くクロスボウ以上の威力。今後はこれが普及する、車で曳くでかいのから、懐に入る大きさまで。『クロッゾの魔剣』だ?笑い話にもならねえんだよ!!」 「言葉など聞かん!貴族に、個の人などない、家と国家だけだ!腕だけを差し出せ!腕だけだ、言葉などない!このオラリオを焼き尽くしてやる、50人が指一本動かせば……」  父親の絶叫は、ヴェルフの心を何よりも貫いた。妄執。おぞましい化け物。 「ねえんだろ?」  ヴェルフは深い深い悲しみを押し殺して、鋼のような声を出した。 「こんな作戦に大量の魔剣をぶちこむことは、いくら主神がバカでも王子が止める。それ一本だけだろ?いや、無警告でオラリオを火の海にしてから、俺を力技でさらうほうが可能性は高い。一応2や3はそっちにも何人かいる」 「な……なぜお前だ!儂がその能力を持っていれば、一族を復興させ国も」 「そうだとしたら……もしラキアがクロッゾを復活させたら、オラリオの上級冒険者エルフがブチ切れる。『九魔姫』『千の妖精』、【フレイヤ・ファミリア】にも第一級冒険者が何人もいる。魔剣の数がそろう前にラキアは無人の更地、頭蓋骨の山だ」 「黙れと言っておるだろうがああああああああ!みな、かかれええっ!」  父の絶叫を哀しく聞いたヴェルフは、静かに別のトランクに触れた。  瓜生がサンプルとしてくれた、アタッシェケースサブマシンガンを改造し、【ヘファイストス・ファミリア】製の最小の弾薬を連射できるようにした銃。 「そこまでじゃ」  椿・コルブランドの声。そして【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師たちと、【ロキ・ファミリア】の精鋭。 「う……」  ヴェルフは棒をのんだような表情をした。 「狙いはフィンが読んだ。ヴェルフを監視していた」  椿がにやりと笑った。 「クロッゾの再興など、許すと思うか」  美しく権威にあふれた声が響く。  天外に美しい、女神に匹敵するエルフ……エルフの王族、レベル7『九魔姫』リヴェリア・リヨス・アールヴ。傍らには『クロッゾの魔剣』を憎むアリシア・フォレストライト、レフィーヤ・ウィリディスら、何十人もの【ロキ・ファミリア】の名のあるエルフ冒険者が並ぶ。【フレイヤ・ファミリア】の第一級冒険者すらいる。 「ヴェルフ・クロッゾ……そなたの言うとおりだ。ラキアを滅ぼすことをためらうエルフはいない」  リヴェリアの美しい声が響く。 「ちっ……」 「あ、ああああああああっ!」  やけになってヴェルフに殴りかかる父親を、息子は殴り返した。  そして熱く叫び続ける。瓜生がもたらした容赦のない時代の変化、それでも変わらない鍛冶師の情熱を。誇りを。  瓜生の故郷にも、鍛冶師の情熱が、鉄と語り合う男がいることを、銃身が歌う鋼の声から聞いているから。  祖父が投降を告げた。  そしてヴェルフは、激しすぎる感情にただ茫然としていた。  椿は、ただ、 「昨日、瓜生の言葉を聞いていなかったのか?それも考えてみよ」 「立ち聞きしてやがったか……」  ヴェルフが椿をにらむ。椿は悪びれもしない。 「あれはあれで真実じゃ」  前日、瓜生はヴェルフに、いろいろな話を聞いた。核弾頭にも触らせてもらった。  ヴェルフが魔剣を作らない理由を聞いた瓜生は、ため息をついて言った。 「おれの故郷でも、武器を大切にしろっていうよ。  刀を使っていた故郷の国では、刀は武士の魂だと身分のしるしにもなった。故郷の国が銃を使い大量生産をするようになったら、銃は神である王さまからもらったから命より大事だ、って、部品一つなくしても残忍な死刑だった。  故郷の、別のすごく強い国の精鋭軍も、ライフルは最高の友だ、という誓いを暗記ししょっちゅう全員で叫ぶ。  だが、どれも……国というばけものが、男全員……女も含む国があるか……とにかく命令に従って殺され、殺す機械に作り変えるためだ。国のすべてはそのためにあるんだ。  上官が間違って崖を指差して進めと言えば、一言も問い返しもせず文句も言わず、最後まで指先も背筋もピンと伸ばして歩いて落ちていく。ああ、『恩恵』がないから絶対死ぬと承知でだ。考えるのは兵士の仕事じゃない。また女子供を一寸刻みにし、見渡す限り皆殺しにすることを心から楽しむ。  人間はそうでなければならない、人間をそんな機械に作り変えるために、すべてがある」  そう言った瓜生の、人間に対する嫌悪感に、ヴェルフは心底震えた。それでいて、瓜生は持っている武器を大切に手入れし、メンテナンスにもうるさいことを聞いている。  ベルが冒険を始めたころ、武器を研いでおけ、と言われたことも。 「安全で強力な爆薬を、それを作る工場、企業を作ったノーベルという男がいた。彼はそれが多くの人を殺したことを知り……それでも儲けて、死ぬときに遺言した。  この金で、科学、文化、平和に貢献した人に賞を。それはおれの故郷の文明を大きく進歩させているよ。  だが、その会社が今も世界でも大きな武器会社で、多くの虐殺者の凶器を作っていることには変わりない……」  それほどの、武器の業。もう、魔剣も何もない。ひたすら圧倒されていた。 「それに、あの子は言ったのよ」  捕虜などの処理を終えた……リヴェリアたちエルフにゆだねるわけにはいかない、エルフはクロッゾ一族を憎んでいるのでエルフ以外の鍛冶師たちにゆだね、『ギルド』へも報告した……主神ヘファイストスも話に加わる。 「『おれには究極の武器なんてない。1Mならナイフ、4Mから20Mなら手榴弾と大口径フルオート、もっと距離があるなら重機関銃、1000M以上で準備期間があれば……』って。鍛冶師にとっては最悪よね」 「時間と、巻き添えがいない場所さえあれば、49階の怪物が何万いようと一発で消せる、とも言っておったな」 「そう。オッタルが、私の最高の剣を持ってもそれは難しい……私の剣も、究極の武器なんかじゃない。私が天界で作ったような、大量破壊兵器が究極の武器なのかもしれない。でもそれを使えるあの子も、近距離では弱い。  そしてあの子は言ったわ。精密な定盤、高純度の金属、試行錯誤と科学……それが大量破壊兵器への道だって」 「まったく、とんでもない奴よ」  椿も呆れている。 「あなたも、やることがあるでしょ?」 「やれやれ、団長などなるものではない。ひたすら鉄を打っているのが楽しい。定盤を削るのも悪くはないが」  そう言われた椿は、団長としての仕事を果たしに出かけた。することは山ほどある。  まだ苦しみ混乱するヴェルフ。そしていつしか話は、ごほうびの話になり……  ヴェルフの情熱的な告白、そして女神ヘファイストスの、醜い顔の半分を直視して、それでも言い切った言葉。  それ以来、ヘファイストスは親しい者の前では、すっかりのろけ女神と化してしまったという…… *虐殺で脅迫したラキアに対して、もう一度砲火で警告するべきですが、それでもヘスティアの拉致をやったときに皆殺しをせざるを得なくなりますので…… >パルゥム (ヴェルフ・クロッゾを餌に、ラキアの潜入者を網にかける……)  計画の朝。ギルドの掲示板に、張り紙があった。 『しいたげられしサポーターたちよ。深層に行って大儲けし、自信をつけよう!』 『主催【ヘファイストス・ファミリア】』と大きな字で。次いで小さい字で、『【ヘスティア・ファミリア】【タケミカヅチ・ファミリア】【ミアハ・ファミリア】』。 『〇レベル、アビリティ、魔法、スキル不問 〇20日間、合宿講習の必要あり(その間の衣食住保障、10日に一日、2000ヴァリス支給して一日休暇) 〇秘密、約束を守れる人(面談あり) 〇不服従は一度目警告二度目クビ、以後一年参加不可(邪悪な命令はしないと約束する) 〇継続的にはできないかもしれない。ただし剣術講習(選択可)も受けるならプラスにはなる 〇改宗は強制しない 〇報酬はレベルにかかわらず山分け 〇リスク高い』  と。  それを見たフィン・ディムナは、何かを決意した。情報を集めた。  潜入者は一網打尽にし、本来は戦いに戻らなければならないが、余計に休みを取った。  そしてベル・クラネルとリリルカ・アーデを秘密裏に呼び出した。  相変わらず緊張しているベルの心をほぐし、自分たちの近況を伝えた。ともに戦った皆感謝している、元気だ、と。  そして、ベルが落ち着くのを待ち、話を始めた。 「唐突なお願いだが……まず、最近まではリリルカ・アーデ、あなたに結婚を申し込みたい、ベル・クラネル、その許可をいただきたい、そう思っていた」  衝撃に硬直するふたりが再起動するのをゆっくり待ったフィンが、言葉を続ける。 「今は、それがどれだけ無理なことかはわかっている。  だから、願いを少し変えたい。  その前に、ふたつほど伝えたいことがある。聞いてもらえるかな?」  やっと話を聞ける状態になった……というか、ベルの反応を見て失望に沈んだリリが、何とか立ち直るのを待つ。 「まず、僕のことはある程度知っていると思うけれど、改めて言う。  僕は、神の降臨以来『勇気』を失い衰退した小人族を復興させようと頑張ってきた。それは神ロキとの契約にもある。  だが……【フレイヤ・ファミリア】にも第一級冒険者の小人族はいるが、小人族全体は沈滞したままだ。一人ではだめなんだ。逆に無茶をして早死にする者もいるし、道の遠さに諦めてしまう者もいる、むしろ僕を憎む小人族すら多くいると聞いている。  まあ、ウリュウさんにアイデアと資金を借りて、小人族の孤児院を作りはしたが、その結果が出るのは何年後か。  話を戻そう。小人族に希望を与えるため、僕は伴侶と子が欲しがっており、リリルカ・アーデ、君がふさわしいと……考えていた」  リリもベルも、また呆然としている。 「不可能はわかっている。少し調べて、リリルカ・アーデがどんな存在だかわかってきた。  ウリュウさんは君を、情報・外交・経済・産業面での後継者にしようとしているようだ……」  ベルが強い衝撃を受ける。ある程度報告は聞いていたが、そこまでとは思っていなかった。そして、別のことも思ってしまう。 (ウリューさんは本当に、いつか帰ってしまう人なんだ……)  このことである。 「わかっている。  多くの有力者と交渉し、情報を集めて【ファミリア】を守る。とてつもない金で多くの慈善事業・公共事業を動かす。多くのファミリアに知識と技術を与え、大量生産や娯楽を可能にする。もしかしたら団長のベル・クラネルより、重要な存在かもしれない。  その力は、同じ境遇だったサポーターたちを集めて第二の人生を歩ませよう、とするほどのものがある」  サポーターの合宿はリリがもとだと、短時間で正確に調べた。またそれが、【ヘスティア・ファミリア】にとって長期的に多くの利益になることも洞察した……ファミリアの枠にとらわれず、冒険者たちのさまざまな事情に、命がけだからこそ詳しい。また迷宮都市の暗部にもかかわりがある。さらに第二の人生を選んだ者とつながりを持てば、冒険者でない一般人にも耳目・手足を持つことにもなる。 「その彼女を、【ロキ・ファミリア】に引き抜こうというのは無理にもほどがある。  だが【ヘスティア・ファミリア】所属のまま子を産んでもらい、その子の所属を【ロキ・ファミリア】とする……それだけなら可能ではないか?  とても失礼な申し出と言えることは承知している。  もちろん、リリルカの幸せのため、誠心誠意尽くすことは誓う」  そう、フィンが頭を下げた。  ベルもリリも、ひたすら呆然としている。 「なぜ、リリなんかを……リリは、昔は冒険者様の」  リリが過去を思い出して顔を伏せる。 「昔の犯罪も調べた。死者は出ていない。それにあの状況で生き延びることも、勇気だと思う。  それ以上に、あのミノタウロスとの戦いで……必死で戦い続けた姿と勇気は、心を打った。それからも、今ウリュウさんの後継者になろうといろいろ学び、ぶつかっている……それは次々と強敵を破るベル・クラネルと同等かそれ以上の勇気と努力があると、僕は見ている。  ウリュウさんの兵器を学ぶことは、階層主を倒す以上の偉業とされるほど大変なことだと、僕たちは知っている」  リリがじっと首を垂れる。ふと理解した目で顔を上げ、 「ベルさま。ここで、ファミリアの関係・利益を言わないのも誠意です」  そう、ベルに言い添える。 「そのつもりだ。これはあくまで、僕個人の野望のためだ。彼女をある意味道具にすることには変わらないが、それも一線があると思った。彼女の幸福と人格も大切にしたい、だから、それを言わなかった」 【ロキ・ファミリア】と【ヘスティア・ファミリア】は、互いに膨大な恩・義・利を与えあっている。  瓜生がロキ側に、50階層級大遠征何回分かわからぬ経験値と、千億ヴァリスに達するであろう利益・武器や物資を与えている。彼がいなければファミリアの金庫は火の車だったと試算されているし、何人も、高レベルの眷属が死んだ可能性さえある。ベルやビーツもレフィーヤの命を救い、人工迷宮戦でも大きな貢献をしている。レフィーヤがベルから大呪文をもらっている。  逆にベルやビーツは、ロキ側に何度も命を救われ、指導を受けている。  結婚話が政略結婚となれば、どちらも巨大な利益になるだろう。だができるだけ、そのファミリア同士の関係・利害と、今回の話を切り離したい。  それが、フィン・ディムナが女としてのリリルカ・アーデを尊重しているという、 (男としての誠意……)  に、ほかならない。 「今日は返事はいらない。考えてほしい。聞いてくれてありがとう」  フィンは最後まで紳士的であり、堂々とした団長だった。  問題は、リリルカ・アーデの女心である。  止めてほしい。ベルの憧憬はアイズ・ヴァレンシュタインにあっても、 (リリも女として渡すつもりはない……)  と、言って欲しい。  さんざん苦悩したベル。  一番痛かったのは、たまたまいたので相談した瓜生の一言だ。 「もしアイズ・ヴァレンシュタインとの仲立ちになってほしい、とそれなりの第一級冒険者に言われたらどうする?  これはこたえた。  主神ヘスティアも、春姫も、そういう存在だと考えてしまう。 「まあ、出先で人を好きになる資格がないおれがいうことじゃないな」  そう言った瓜生の孤独も見てしまった。  瓜生は、何よりもオラリオの生産水準を上げ、自分が持つ異界の知識を定着させるべく、リリを助手に動き回っている。 【ムネモシュネ・ファミリア】ではまず国語辞典と漢和辞典を、小さいものから全部朗読して書き取らせる。それから百科事典を朗読していく。  当然、巨大書店丸々の本をいくつもあちこちに隠し、与える。  漫画を教えたファミリアもある。  また、まず繊維工業……紡績・機織り・縫製の機械化。ミュール紡績機と飛び杼。  水力に乏しいオラリオだが、周辺地域には急流やダム適地もあるし、今は冒険者たちの近代トレーニングという巨大なエネルギー資源がある。  鍛冶ファミリアにも近代工業の基礎を教え、まず武器防具やトレーニング機器……単純な鉄の鋳造で作るウェイト、さらに動力も兼ねる上級冒険者用エアロバイク・ボート漕ぎ・ステッパーを作らせてギア・ベルト・シャフトの技術を向上させる。  ローラー・プレス・スプリングハンマー・旋盤といった機械を用いる加工も理解する鍛冶師が多くおり、急速に武器は安くなっていく。  ミアハたちは近代医学・生理学を理解したうえで、オラリオの亜人たちにも適用できるように、治験システムを作りはじめている。またこれまでポーションのおかげで弱かった外科手術や麻酔も進歩をはじめ、それはまず帝王切開による妊産婦死亡率の低下をもたらした。  パルプ製紙と印刷も概念を教えた。森林資源が失われないよう、材木用粉砕機は与えず、竹や麻などを素材にするように。幸い、この世界にはきわめて収量も繊維も多い、やっかいな雑草があった。  ラキア戦争の中、あちこちに基礎ができつつある。いつ瓜生が消えても、 (誰もが飢えず、豊かに暮らし、少しでも衣食足りて礼節を知る……)  変化は続くように。  もちろん、 (技術の進歩は第一次・第二次世界大戦の地獄につながるかもしれない……)  そのことは承知の上だ。  そのラキア側は、クロッゾ一族がとらわれヴェルフの拉致に失敗したことを知り、 「もうあきらめて帰りましょう」  とマリウス王子などは言っていた。  だが主神アレスはあきらめようとしない。 「クロッゾを手に入れて勝利する、それ以外の敗北主義なたわごとは聞かん!」  と絶叫している。  それでヴェルフの主神ヘファイストスを誘拐するとか……  すでに商人を通じて入れてある盗聴器で聞いた瓜生は、歌を口ずさみながら頭を抱えていた。  小さいころに聞いた六大学応援歌の替え歌を。  ベルが、リリの縁談に苦悩しながら、『ギルド』では冒険者の装備を奪うモンスターの噂が出ていた。  ダンジョンの奥では一人の牛面人身モンスターが、深層をさまよっていた。  多数のモンスターを倒し、その魔石を食らって、どんどん強くなっていた。襲ってくる冒険者と戦うこともあり、武器や鎧を奪って身に着けた。  どれほど強くなっても、その飢えが満ちることはなかった。  憧れがあった。  強くなること。そして、まなうらに焼きついた小さな英雄と、もう一度戦うこと。  そんな彼が同胞を訪ねるついでに、29階層の正規ルートから遠く外れたルームにさまよいこんだ。  ふたりの男がいた。  ひとりは牛男自身と同じぐらい大きく見える男だった。眉間に古い傷跡があった。  光をまとっていた。汗だくに疲れていた。  もうひとりは、部屋の隅で静かにすわり、何冊か子供用の本を広げ、ノートに文字を書いていた。  傷の大男が一歩足を出し手を突き出すのに、2分はかけることもあった。  遠くなのに、超音速の鳥魔の群れも見切る目ですら追えぬ超速度で踏みこみ、ルームが抜けるかと思うほど激しい足音を響かせ砂煙を上げて肘を突き出していることもあった。  ゆっくり、泥をすべるように円に沿って歩き、体をねじることもあった。  一通りの動きを終えたら、また同じ動きを最初から始めた。  手を奇妙に構えたまま、円に沿って置いた石ブロックの上を滑るように走ることもあった。  ときどき、本を読む男のところに行って、水や食物を受け取って飲み食べ、また奇妙な動きを始めた。  牛人は夢中で見ていた。  なんとなくわかった。その巨人も、 (自分と同じく、強くなろうとしている……)  と。 「誰だ」  すさまじい疲労を抑えた声が響く。とても勝てないと思えるほど強い敵を、3体続けて破ったときの自分が出すような。 「襲ってくるわけではない、ここのモンスターはすべて凶暴と聞いたが」  穏やかに、眉間に傷跡のある巨人は声をかけた。  本を読んでいた男は、深く嘆息した。 「ライアンの話にもあったな、人間になったとか……それにドランも……」  とつぶやき、また勉強に戻る。だが隙はない。 「強くなりたい」  牛人の口からはそんな言葉が出た。 「オレもだ」  傷の大男は答え、どちらからともなく、構える。  牛人は咆哮して石斧を振りかざし、30メートルはあった距離を一瞬で詰めた。  ボディービルダーでプロボクサーでもある巨漢が合気道を習い始め、中学生を実験台にしているようだった。  眉間に傷がある巨漢は、必死で吹き上がる光を抑えていた。  目を閉じ、強烈に叩きつけられる斧をゆっくりと横からさばく。手首に触れて、円に沿って歩く。  何度もやり損ねる。明らかに慣れていない動き。  何度も、石斧は大男を叩いているが、まったく効いていない。傷の大男がただふつうに殴れば自分は粉砕される……牛巨人はそうわかるが、それはない。  牛巨人を無視するように、円に沿って泥の中をすべるように歩き、動きを復習している。  なぜか牛巨人は次に打ちこむより、その動きをまねた。  はっとなる。石斧の威力が倍になったのがわかる。  それで打ちかかり、同じことが繰り返される。  6回に一度ほど、打ちこんだ石斧が柔らかくさばかれ、投げ倒されてしまうことがある。  延々と、戦いか稽古かわからぬそれは続いた。  その間、ルームの壁から出る怪物は、本を読んでいた男がかるがると切り倒す。  先に牛男がへたりこんだ。ほぼ同時に、傷の巨漢も力尽きて大の字にぶっ倒れ、熟睡している。 「おまえは」  地面をなめながら牛男がいう。 「……もし、それがあればまた戦う。ピサロに誓って、今度は……」  そうつぶやいたもう一人の男は、歯を食いしばる。そしてルーム全体に多数出てきた魔物を、ほとんど瞬時に全滅させて魔石を拾い集め、本や机を袋にしまい、 「そろそろ帰ろう」  と巨漢を揺り起こし、触れると呪文を唱えた。ふたりの姿が消える……それだけでもオラリオでは大騒ぎになるであろう、瞬時迷宮脱出呪文。  アイズ・ヴァレンシュタインは、このラキア戦争で以前と大きく変えた戦法を試していた。  ラキアの、レベル3が限度の敵との戦いは、常人がゆっくり散歩をするよりも、いや何時間も立ち読みをしているよりも、体力の消耗は小さい。  新しい、瓜生が出した金属を用いた安価な不壊属性の甲冑と大盾、今は中まで詰まった鉄棍。それで、ガレス・ランドロックのように回避より防御……攻撃を無視して突撃する動き。  一人で、軽装で戦っていた時には、軽傷でも致命的になることがあった。だからすべての攻撃を当てないようによけ続け、敵が高密度ならそこから離れた。  だが、頑丈な鎧と盾がある今。  何人もが振り下ろしてくる斧槍(ハルバード)。槍の突き。矢や投げ槍の雨。  盾で防ぎ、体に当たっても頑丈な不壊属性の装甲で軽く撫でられた程度。  不快感と恐怖、本能を押し殺す。新しい流派の剣術を学ぶように。  特に、足を狙う攻撃、足に斧槍の斧の反対、ツルハシ・フックをひっかけて転ばそうとする攻撃を頑丈なスネ当てでがっちり受け、重心を崩されない。倒れた相手の体を踏まぬようによける……人間はダンジョンとは違い、倒しても灰にならないのが厄介だ。  前のレヴィス戦で、レヴィスが犯したミスも見ている。回避しようとして重心が崩れ、撃たれた。多少痛くても重心を、体の軸を維持することを優先するべきだった……それを身体に叩きこむ。  多少攻撃が当たってもおかまいなしなら、本当に最低限の動きで戦い続けられる。鉄棍は重いので、最小の動きの突きだけにする。  無論それは、回復薬があり、敵が高密度になりスクラムを組んで押してきても押し返せるような仲間がいてのことだが……  これまで無関心だった前衛・壁たちのすごさも、やってみてわかった。  皮肉にも、その新しい戦い方は、一人で深層で百のレベル4級モンスターを倒すより経験値を上げてくれた。  ベルの優柔不断に怒ってしまったリリ……  だがリリはフィンとの話の中で、はっきりと悟るものがあった。また、瓜生からも話を聞いた。  フィンが小人族のため、『私』を捨てて尽くしているのと同じく、自分も何があろうとベルに尽くす…… 「……フィン様が一族のために身命を捨てているように、私もベル様のためにすべてを捧げています。もし、それがベル様の利益になるのであればなんであれ」  それを確認したフィンは笑った。  そしてそこに飛んできたベルに、半ばからかい半分で決闘を挑んだ…… 【アポロン・ファミリア】との『戦争遊戯』を前に、ベルは一度フィンにも修行をつけてもらったことがある。  もちろん、あいさつがわりに即死しかけた。ハイポーションで一命をとりとめさせてもらってから、今度はベルがぎりぎり死なない程度に力を抑えた状態で、延々と限りない欠点を指摘され続けた。  そのトラウマがよみがえるが、ベルは勇気を振り絞った。  ではダンジョンに、と話しているときに、狂戦士の襲撃で話はうやむやになった…… 「リリ。……オラリオを滅ぼしたければ、フィンさんに勇敢な小人族の女性を紹介すればいいんじゃないかな」 「……言わないでください。さてと、仕事はたまっているので……」  翌日。リリの件抜きに、フィンと稽古することになったベル。  春姫の助けも認められ、レベル4後半の状態で突撃した。最初に、足にほとんどフルチャージして。  それでかすり傷をつけたのだから、かなりの偉業と言えるだろう。  それから何度かまた殺されかけたが。 「今度、武威さんや新しく来たという人とも戦ってみたいとみんな言っているよ。それはこちらが挑戦する側かもしれないけれど」  とフィンは機嫌よく笑っていた。  どうやら彼にとっても、いいストレス解消になったようだ。  ちなみに怒り狂っているティオネには、リリがうまくフィンの言葉を伝え、それでとても機嫌よくなった。 「ひどい仕返しもあったもんだね」  とフィンが頭を抱えるほど。 >終戦  ラキア軍はそろそろ戦争継続能力がなくなろうとしている。軍資金の底が見えてきているのだ。  近隣での略奪はできない。フィンの脅しがある。  というわけで、オラリオは平和だった。  サポーターの合宿は盛況だった。  形の上では大きいファミリアの副団長級が頭だが、実はリリルカ・アーデが主導しており、 (大仕事をやる……)  訓練でもある。  蔑み叩く対象を求める悪質な冒険者の妨害を叩き潰す、そのために裏の人間を雇うのにむしろ力を入れている。  まず、一定時間座り、立ち、歩く……という近代規律の訓練。 「みなさんは今生きてここにいる、それがどれほど大変なことだったか、よく知っています。  その体験は、必ず活かせます。  オラリオには新しい時代が来つつあるのです」  と、リリはコンテナでできた大規模な住宅を見せつける。 「サポーターは、上層の地理は誰よりも知っています。今こうして生きているのですから、知っているはずです。それはいろいろな仕事になります。  ある程度戦闘力がある冒険者さまを連れれば、金持ちの一般人の『ダンジョン』観光の案内ができます。  初心の冒険者さまたちをだます、あらゆるえげつないやり口を知っています。武器をはじめあらゆる商品の適正な価格が頭に入っています。若い冒険者さまがどんな風に死んでいくか、何度となく見ています。なりたての冒険者さまを指導するのに、これ以上適した存在はいるでしょうか。  ですが、それらのことをするのに、最大の敵があります。まずサポーターを搾取している吸血鬼のような冒険者さまたち。覚えがありますね?それはこちらで取り払います。  借金。貧乏な習慣。といっても、激しいアルコールやギャンブルの依存症で自分を制御できない人は、ここにはいないでしょう……死んでいるからです。合宿にきちんと参加されれば、借金を返し、商売の元手になるだけのお金は得られると約束します。  一番の敵は、『誰も信じない』という染みついた不信感。自分も他人も、この合宿そのものも信じてはいないでしょう。その戦いが一番厳しいと思ってください」  サポーターとして誰よりもさげすまれ、誰よりも踏みにじられてきたリリは、サポーターたちの気持ちをよく理解していた。何が欲しいか、何を使えば動かせるかよく知っていた。  何階層か聞くのが怖いところから帰ってきた武威とソロ。なぜか、帰ってからのソロは、それまで無関心だった運動に熱心に取り組むようになった。  恩恵はないけれど、明らかに高レベルな武威・トグ・ソロは、運動時間には別室で別の運動をしている。  そちら側の部屋では、その運動の時間には常に不気味な物音がしており、一般生徒や講師の桜花などはおびえてしまうことが多い。  武威は24式太極拳に似た動きを通じ武装闘気(バトルオーラ)を制御し、 (腕相撲で勝てない相手に勝つ……)  べく、柔の技を極めんとしている。数十分で倒れ、武装闘気を暴発させつつ激しく息をつき水分を補給して、また始めるのを繰り返す。  トグは36%程度を出し続け、それで冒険者用のボート漕ぎ運動をもっぱらやっている。限界にかなり近い力の水準を長時間出せるように、と。35%で、弱いほうのレベル4ぐらいの力が出る。  また、筋肉操作を使わず、素の体力でウェイトトレーニングや、腕立て・腹筋・スクワットなどもやる。盾と斧の基礎練習も、常人に混じってやることがある。  筋肉操作を使わなければ、トグは体格のわりに常人の大人並みの力がある程度だ。  無関心に本を読んでこの世界の常識を学ぼうとしていたソロだったが、急に厳しく剣の練習を始めた。無駄のない基礎だけを、何千、何万と。半分はゆっくり、もう半分はレベル2でも見えないほど恐ろしい速さで。  それを聞いた瓜生は、彼に簡単な『体力測定』をさせた。要するに、 (どれだけの重量を背負って長時間歩ける?)  か、わかっておきたい。 (第一級冒険者に、重火器を運搬させる……)  戦術は、前から【ロキ・ファミリア】が研究しており、瓜生もそのノウハウがある。  そしてソロは、むしろ性急に、王族に会わせてくれと言ったり、情報をくれと言ったりし始めた。以前の無関心とは打って変わって。彼は故郷では、むしろ情報収集や高貴な人との面会予約などを仲間に任せていたようで、戦闘専門のようなところがある。  だが、とにかく何かやることができたようだ。それが何なのかは、言おうとしないが。  武威もソロも、深い階層で出会った牛人のことは、誰にも言っていない。  ベルはある日、『豊穣の女主人』店員たちに頼まれ、店を休んで街を歩くシル・フローヴァを追ってダイダロス通りに迷い込んだ。ベルは、そこには人工迷宮への出入り口があり危険なことを知っている。  だから、子供たちに何を言われても、怪しい穴に入るのは厳しく禁じ、絶対に一般人には動かせない瓦礫でふさいだ……モンスターと戦うことはなかった。  孤児院をシルとともに訪れた時、彼女はため息をついて語り始めた。 「ウリュウさんにはとても感謝しているんです」 「え」 「でも、ちょっとやりすぎですよ」 「何を……」  ベルは聞くのが怖かった。 「大金を寄付してくれました。しかも、いくつかの事業に投資して、その配当がずっとこちらに入るようにも。何人も就職先を紹介してくれました。  でも、その前に……オラリオ中の孤児院を、徹底的に調べたんですよあの人は。ここも。子供にひどいことをしているところは全部潰す。ちゃんとおいしい食事を出しているか、しっかりと見る……少し前から、それはリリさんが引き継いでいるようですね」  ベルは衝撃に声も出なかった。 「で、私たちも料理を習え、まずいものを子に食わせるところは潰す、ですよ?店で見放されていると聞いて、わざわざ料理教室を作ってまで……何か縁があったらしい、花屋の老夫婦に習えと、そちらの給料も出して」  シルは困ったように、そして心底楽しそうに笑いかける。  それで納得できる。最近、急速にシルにもらう弁当の味がよくなっている理由が……ただし、メニューはとても単純になっているのだが。  その老夫婦は昔、逃げたリリを受け入れて暴行された一般人だ。彼らも苦しんできた……リリも。  孤児院の調査と援助、ついでにシルやリューの料理を何とかする、それもリリが瓜生から引き継いだ仕事だ。それで、直接は老夫婦には会っていないが、副業を斡旋し、投資収益から給料が入るようにしたのだ。  むしろ、自分までたどられないようにリリは気を遣っている。今の彼女は、 (人質として価値があると知れただけでも、重大な危険がある……)  ぐらいの金を動かす立場になってしまっている。自覚している。 「とにかく簡単で基礎的な料理から、少しずつ、ひとつひとつ。厳しいですが……リューも、すごく喜んでいます。苦労もしていますけど」  シルは本当に楽しそうだ。意外な人との縁も楽しんでいるようだ。  ベルは連想した。瓜生は家事が好きで、教えるのも好む。  命と和食を教え合い、多様な味噌や醤油を出している。また、 (極東ふうの……)  トンカツやラーメンなども教えている。  春姫に家事を教えるのも楽しんでいる。  ビーツの膨大な食事を作るのも、いつも楽しそうだ。  魔女にひどいめにあわされながら、ベルは久々の休日を楽しんだ。といっても、帰ってから寝るまでに、とんでもない数の素振りと、これまでの強敵との戦いを思い出しつつ最高速度でのトレーニングをしたのだが。  ちなみに夕食は、ベルが買ってきたおみやげのクレープと、命が瓜生に習って作った各種のフライとカレーだった。カレーはちゃんと玉ねぎを炒めたもの。  相変わらずビーツはとんでもない量を食べ、さらに食後寝る前まで第一級冒険者用の階段運動器具をやって、さらにチーズをのせ、カレーの残りを塗って焼いたパンをしこたま食べてやっと寝たものだ。  ビーツが揚げ残りの油まで飲んでしまったことがあるので、食事が終わったら近所の貧困層向けの店に極安で渡す……少し煩わしいが、近所つきあいにはなる。  穴からの怪しい声は、鍵をイシュタルから奪った【フレイヤ・ファミリア】が処理していたのだが、ベルはそのことを知らない。  そんなある日。タケミカヅチともどもバイトしていたジャガ丸くんの屋台で、物資関係のトラブルがあり、ヘスティアが都市の外に出た。  そのヘスティアが、いきなり襲われた。ヴェルフ・クロッゾの主神であるヘファイストスをさらおうとオラリオに潜入しようとしたアレスに。  どうやって潜入するのか、そしてどうやって大手ファミリアの主神をさらうのか……いくらマリウスが言ってもまったく聞かなかった。 「な、なんでボクを!」 「おまえはヘファイストスと仲がいい、ならおまえを人質にすれば」 「相変わらず脳筋にもほどがあるうううう、それに……まあいいや。すぐ思い知るだろ。うん、罪もない将兵を皆殺しになんて、しないよ……たぶん」  と、ヘスティアはあきらめたようになった。  女神ヘスティアの拉致を知った司令部は、あまりのバカさ加減に呆然としたものだ。  そして騒ぎを聞いたアイズとベルが、とるものもとりあえず走りだす。アイズも久しぶりに軽装で。  ベルは、レベル1のころはルームランナーでフルマラソンを走ってきた。レベル2の後半からは瓜生の出せる人間用機材ではきついので、重いバーベルをかついでの縄跳び同様の連続ジャンプ、鍛冶ファミリアが作った瓜生の世界では考えられない機材などで足腰を鍛え続けてきた。  だが、これはまったく違う。本気のレベル6、激しい風雨と困難な地形。  すぐに必死になり、限界を超える苦しさになった。死力を尽くした。  アイズは、 (こういう運動も、いいかもしれない……)  と、最近やっている、安全な場所で時間も決まっている近代トレーニングと比べていた。  悪天候は、無人機による戦場監視にも大きい不利だった。高空の大型無人機からも可視光線をはじめ多くの波長が遮断され、小型のドローンは強い風雨に耐えられない。  だが、あちこちに隠された監視カメラの映像がある。天候を問わない波長のレーダーもある。  アレスが走っている場所はすぐにつかめた。 「『例のあの人』が怒らないうちに、この戦争を終わらせる!」  フィンたち精鋭も急行し、気絶していたアレスや、近くですぐに降伏したマリウスは捕縛したのだが……問題は、ヘスティア、ベル、アイズが索敵範囲外に、増水した川に流されてしまったことだ。  そのことを聞いた瓜生が、 「いや、おれは血には飢えてない。アイズ・ヴァレンシュタインを向かわせてくれて感謝している。  報復は、罪のない将兵とは別の形でするよ」  そう言ったのを見て、 (あ、ラキア王国は終わったな……)  何人かはそう思った。 「少しばかりあちらの将兵の、戦闘意欲を折っておきたい。無論殺す気はない」  と言ったフィンにも、 「それはもちろん任せる。必要なものがあれば言ってくれ」  と、協力を申し出た。  以前から【ロキ・ファミリア】で、特にアリシアたちエルフが申し出て、ダンジョンでも訓練している部隊のテストも兼ねた。  タイヤ8輪で走るチェンタウロ・シリーズの部隊。  チェンタウロ2(120ミリ低反動砲)とチェンタウロ・ドラコ(76ミリ艦載級速射砲)。本来はフレッチャ歩兵戦闘車(25ミリ機関砲)。  悪路走破性は装軌式に比べて劣るが、溶解液イモムシによる足潰しに強い。ひとつやふたつやられても走り続けられるし、タイヤ交換も楽だ。  圧倒的な火力もある。戦車に近い120ミリ、艦砲級の76ミリ。ダンジョンでは使う予定の25ミリも十分な威力で、人員運搬能力も高くなる。  さらにすべて、【ヘファイストス・ファミリア】の協力で強引にGAU-19、.50BMGガトリングを搭載しており、濃密な弾幕を張れる。  もちろん従来から訓練しているメルカバも6両ずつ市壁下の遮蔽をわずかに破り、前から計算し入力してある標的座標に、砲弾を濃密に連射し始めた。今回は歩兵戦闘車は、準備はできているが動かさない。  特にチェンタウロ・ドラコは今後使用頻度が高そうなので、4両用意した。  全弾、炸薬量全振りの榴弾か、可能な砲なら焼夷弾。  徹底的に位置をつかまれているラキア軍の陣のすぐそば、特に撤退したい道路に、次々と大爆発が起きる。木がなぎ倒され、岩が砕ける。轟音と爆風が、陣を埋め尽くす。山の道路を崩し、橋を粉砕する。  10キロメートルの範囲、全弾1メートルの誤差もなく、人を外して着弾する。殺さないように、そして十分に心を砕くように。  砲弾は、シェルショック……屈強な兵士の心を砕き、戦争におけるPTSDを史上初めて重大な問題として浮かばせたほどの力がある。まして爆薬そのものが、初体験なのだ。  中でも、チェンタウロ・ドラコの76ミリ砲はすさまじかった。艦砲にほかならないオトー・メラーラ砲。毎分120発、毎秒平均2発発射でき、射程も初速も弾頭重量もすさまじい。砲を動かして別の場所に狙いを切り替えるのも速く、狙いもきわめて正確だ。  悪天候も幸いした。強制任務で出撃し、指示を受けて安全地帯に後退していた他の【ファミリア】は、何も知らないままだ。無論、発射地点の恐ろしい炎や煙も見られてはいない。  それを見る者が、【ヘスティア・ファミリア】と【アポロン・ファミリア】の『戦争遊戯』を連想したら秘密がバレてしまいかねないが……しっかりと事前に人を遠ざけた。  それも知らず、数日のあいだベル、ヘスティア、そしてアイズは山奥の村に滞在し、そこで女神と愛し合った男の最期を看取ることになるのだが……  それは、ベルが神との恋愛を、 (愛し合って自分が先に早死にしたら、祖父を失ったときの自分の辛さを、相手が味わってしまうのではないか……) (それも何万年も……)  恐れていたこころをヘスティアが理解するのに必要な時間となった。  小型発信機を持つアイズは無人機で発見されていたが、 (ちょっとは休息を……)  というリヴェリアの母心で休んだ。それは彼女の心に、いくつも変化の種を植え、芽を出すに足りた。  黒竜を信仰する村。ベルとヘスティアの絆。そして、ベルそのひと。普通に暮らす人。  多くを見てしまった。中には、今の彼女には受け入れられないものもあったが……逆に、自分の心にそんなものがあったことも、改めて直視した。 (あたりまえは、他の誰かにとって当然ではないかもしれない……)  という、必ずしも多くの人が知るわけではないことを。  その旅の間にも、戦後処理はおこなわれていた。  アレスを天界送還したら、眷属である遠くのラキア民が『恩恵』を失い、悲惨なことになる。  それを恐れた神々の決定で、アレスの助命は決められた。 「ラキアから賠償や身代金を取ったら、結局はラキアの民が絞られることになる……」  と、瓜生がみなが納得するだけの金を出すことにした。それこそ黄金で出したらオラリオの経済が歪みかねない額を、コバルトや鋼鉄、高級石材、絹織物などで。 「優しすぎんなあ、そんなオラリオから遠くのパンピーにまで」  とロキは言ったが、 「ただの偽善だ。それに……ひどいことをするつもりだ。今は産まれていない子にかもしれないが」  と、瓜生は言った。  捕虜となった将兵は、全員改宗待ち状態にさせた。アレスは一人で万単位の人間の背に、指を刺しては血を垂らして作業せねばならず、死にかけたものだ。 (『経験値(エクセリア)』を持ち逃げされてたまるかい……)  と、いうことだ。  だが、その人数の処分は、瓜生の意見もあり変わった。それだけでなく、アレス自身も『バベル』預かりとなり、主神ウラノスの祈祷を補佐する仕事を押しつけられることになった。  以前から、オラリオは『ダンジョン』にしか関心がなかった。すぐ近くに未開発の山地があるほどに。『ダンジョン』に近いこともあり比較的モンスターが多く、地形が悪かったこともあった。  港町への道はあったが、それ以外には大きい道もなく、農地も比較的狭い範囲だった。  オラリオから離れるところを耕すより、魔石の富で港町から巨大汽水湖の水運で食物を買うほうが楽だったのだ。 (万を超える人数を、オラリオ周辺の開発に使う……)  これは、特に農業神デメテルや道の神々などが協力を申し出た。  農地の開墾。道路の整備。鉱山開発。工場。衛星都市の建設。  さまざまな用途に、『恩恵』を受けた捕虜の巨大な労働力が使われることになる。  クロッゾ一族や、のちにリリが主導する合宿を終えた元サポーターたちが、ヴェルフの祖父を中心に率先して、近代的な高炉の建設を学んだものだ。  近代重工業には、のちにとんでもない競争相手ができるが……その競争相手の存在もまた、発展を早めることになる。  農地も、【ヘファイストス・ファミリア】を中心にハーバー・ボッシュ法……大気の窒素を窒素肥料・爆薬の材料とする瓜生の故郷の技術……を可能とする高圧缶のオラリオでの生産に成功したこともあり、数年後にはとてつもない生産量になる。  そして道路建設も進み、もともと優良な穀倉・大人口地域であるラキア地方と、その周辺の国々への通行も楽になった。そのころには捕虜とされた人々も強制労働から解かれ、オラリオの神々に所属しつつ家族を呼び戻して、オラリオ周辺にいくつもできた衛星都市で生活するようになっていく。  やや離れた、優良な鉱山と優れた工業力を持ち、膨大な数の重砲で出ることも入ることもできないように守られた、恐怖の国に対抗するために工業力と農業力、無煙火薬と小型魔剣両方の原理を用いる火器工業を発達させながら……  そして、瓜生は長期的にはラキアという国は滅ぼすと決めていた。 (確かにオラリオ攻めでは、残虐行為はなかった。だが好戦的な国、周囲の国との戦争では常に……)  このことである。  その悲惨は、ラキアに攻められる近隣国からオラリオに流れる難民の話などから、しっかりと確かめた。  オラリオの冒険者たちは、基本的にはオラリオの外には関心がない。だが瓜生は違う。  瓜生は商会を通じ、ラキアの周辺の、ラキアに苦しめられる国々に化学肥料などを輸出し、リンやカリウムの鉱山を調べて教え、知識を与えた。また、短期的には道路・港湾・治水にと多額の資金も与えた。  さらに、ラキアに攻められた国から逃れた人を、近代的な製鉄業に紹介した。  それらの地域の地理を学んだ。強い風が常に吹き、ボーキサイト鉱床がある国があった。そこからオラリオに逃げてきた人を探し、【ヘファイストス・ファミリア】に頼んで風力発電とホール・エルー法……電気分解を用いるアルミニウム精錬法を学べるよう、手配した。  それだけ。だが、長期的には。  ハーバー・ボッシュ法と、近代的な工業がそれらの国に流れる……莫大な食料と金属は、復讐の刃となるだろう。無論、それで今度はラキアが地獄絵図になるかもしれないが……ラキアからオラリオ近くに逃げる道も、今捕虜たちが切り開いているところだ。 (すべてを救うことはできない。おれがしたことは、別の悲惨な戦争を作るかもしれない。しょせん偽善。ただ、衣食足りて礼節を、少しずつでもましに……)  瓜生はそう祈るように、技術を与えている。  ちょうど戦争が終わったころ。  ダンジョンのあるところでは、一人の少女が壁から生まれ、戸惑う言葉を発した。 *世界最大都市が千年栄えている、その周辺が大陸規模で木を切りつくされ、農業の塩害も加わって砂漠になってないことが本来はおかしいんです。燃料・木材もダンジョン由来の方が大きいのか、または大炭田があって完全なコークス製鋼・コークス燃料流通があるのか… 誘拐の目論見を盗聴していたのにヘスティアが拉致された…瓜生は、 (深謀遠慮の人であり、臨機応変の人ではない……)  というわけです。想像を絶する愚行までは対策しきれない。 >入団  ついに【ヘスティア・ファミリア】の団員募集に応じ、ミアハ・タケミカヅチの学校で一月学んだ志願者たちで、ヘスティアの面接で合格した者が入団を許された。  入団の時ベルは、 「このファミリアの、最大の掟を言います。絶対に虐殺・拷問・強姦をするな。これだけは何があっても守ってください。誰に命令されても、どんなことがあっても」  と明言した。  ソロが軽く口角を曲げた。  入団式の後、たっぷりのごちそうも用意された。瓜生が、新築の集合住宅の大規模なキッチンのテストとして、多数の魔石調理器・プロパンガスコンロ両方を使って大量の鶏牛豚羊4肉たっぷりのカレーライス、焼いたソーセージとベーコン、業務用冷凍スープ利用のラーメンを作った。トマトとモッツァレラチーズを切った。食後はショートケーキとパウンドケーキ、リンゴ・オレンジ・パイナップルを大量に出してむいて切った。  集合住宅は大きい浴場と食堂があり、4畳半ほどの個室が多数。個室にはトイレと小さい洗面所があり、瓜生がサービスした折り畳みベッドとかなり高級なふとんセット、机といすが用意されている。  それまでは、以前にできていた3階建てのひとつにヘスティア・ベル・リリが暮らし、その上の階に【タケミカヅチ・ファミリア】が集まっていた。武威たちは宿から『学校』に通っていた。  新入生が入ったことで、3階建ての上は【タケミカヅチ・ファミリア】にこれまで通り貸し……その女のほうの部屋には命と春姫……1階はヘスティア・リリ・ビーツ、事務所も兼ねる。ベル・瓜生・武威・トグ・ソロは近くにコンテナハウスを重ね並べて住むことにした。一つ別にホームシアターも用意している。  あくまでヘスティアは、 「ベルくんと同室がいい!」  とわがままを言ったが、さすがに無理があった。  彼女はベルとほぼふたりきりでの地下室暮らしを、むしろ懐かしんでいるかのようだ。 【タケミカヅチ・ファミリア】は、屋台を手放して教育と探索に仕事を絞ることにした。  眷属たちと同じ境遇の、故郷の孤児が何人か動ける年になり、先輩たちを追ってオラリオに来た。危険な冒険者をさせるより、極東料理・土産物の小さい店を作ることにした。  屋台のための、味噌・醤油・麦芽飴・ようかん・焼き鳥用の肉・野菜・出汁・おでん種など、なんとか仕入れ路を作った。 『豊穣の女主人』にも近いところに、小さい店を作って極東出身者の一般人も何人か雇った。屋台もブランドとなっているので、信頼できる極東商会に譲った。  そして『学校』の講師として武術を教え、また大恩ある【ヘスティア・ファミリア】の新入生が死なないように監督して、ダンジョンにもいく。  12人のさまざまな種族の新入生。武威・トグ・ソロも正式に『恩恵』を受けた。ソロが来たのは遅いが、武威たちは何度も学校を休みその分余計に出席しているので、ほぼ同時となった。  学校での生活自体がある意味入団試験だった。学校には、志望者全員を入れる。だが4人に1人ぐらいは逃げている。指示される生活に適応できない、ならず者精神を矯正できない者だ。  志望者は入れると言っても、瓜生の故郷では障碍者手帳が出るような人もいる。栄養失調などで入院が必要な人もいる。そういう人たちは入院させ診断し、普通の生活すら無理だとはっきりしたら『ギルド』の福祉側に回した。瓜生も資金を援助した。 「『学校』の門をたたいた者は、ひとりも路頭に迷わせない……」  それは、実際にオラリオで多くのファミリアに門前払いされ、路頭に迷いかけたベルの苦しみを反映した、『学校』最大の理念だった。  どうしても探索系には向いていないことがわかる志望者も多く、それはあちこちの学問・産業系【ファミリア】に紹介したり、『学区』で学んで別の道を歩ませたりする。特に研究や『学校』運営で忙しい【ミアハ・ファミリア】、熱心に勧誘に来る【ヘファイストス・ファミリア】に行く者が多い。  最後にヘスティアの面談で弾かれた者もいるが、その人たちもあちこちの善神のファミリアに紹介される。学校で学んだ実戦武術と読み書きは、探索でもそうでなくても役に立つのは明白だった。  他にも『学校』には、恩恵を受けない一般人やすでに別のファミリアにいる新人が武術を習ったり、武威やソロがこのオラリオの常識を学んだりする機能もある。  規則正しい生活。朝起きて、体を軽く洗って水を飲み、各人の体力に応じストレッチング・腹筋・背筋・ランニング。  読み書き・計算・人体や栄養、応急処置の勉強。 『学区』とも協力し、日本で言うなら「ひらがな・カタカナの読み書きができる」「数字・カレンダー・時計が読み書きできる」「教科書(九九表含む)をカンニングし、紙に書きながら、0以上の整数の四則演算はできる」「清潔を保てる=トイレを正しく使い、手を洗い、体を洗い、洗濯ができる」小学校3年生、また金があれば一人暮らしができる……値札を読み、最低限の交通ルールや社会常識を守って暮らせるのが目標。  地方の貧困な村からくる子には、想像を絶する人がいる。祖父に育てられたベルは、オラリオから見ても教育、生活、栄養の水準は高い方だった。  その教育は、別世界から来てまったく常識を知らない瓜生・武威・トグ・ソロにとってもありがたいものだった。  硬木の棒で立木を打ち、素手の簡単な型を何百、慣れれば何千も稽古し、ランニング。各人の体力に応じるので、弱い者も強い者も限界まで頑張ることになる。  数日に一日、都市外を日が暮れるまで歩き続けることもあった。  後半になると、むしろ二対一・三対一、三人を五人で包囲など、冒険者が現実にやる集団戦の練習をすることも多くなった。包囲されて殺されるのがどういうことか、何度も思い知った。  食事や衣類も、オラリオの平均程度の質は支給された。特に貧しい子には、それもむしろ贅沢と言えた。必要栄養は十分満たされていた。 『学校』ができるのは伝統が作られることでもある。それで特に大きかったのが、武威やソロがいたことだ。  ほとんど一般生徒とは関わらなかった。一番後ろで授業を聞くだけだった。  だが、たとえば瓜生の故郷の中学校で、一番後ろにNBAのレギュラー……身長215センチ以上、100メートル走11秒以下の筋肉ダルマ……がいて、不良行為やいじめ、授業妨害ができる男子などいるだろうか。  どれほど馬鹿であらくれ、チンピラ同然の育ちでも、桁外れの強者ににらまれていては何もできない。  だから、生徒の間で、暴力で地位階級を作り、自治することは驚くほどなかった。武威やソロが卒業しても、それは伝統になった。  卒業が近づくと、二人一組で上層のゴブリンを倒すこともあった。中学生が素手の運動部大学生を二人がかり、長柄武器で殺すようなもの。それができたら、次は10階層で到底かなわぬモンスターを見せ、うぬぼれを叩き出し冒険者の厳しさを骨身に叩きこんだ。  それで産業系ファミリアを選ぶ子もいた。  最後に、【ヘスティア・ファミリア】を強く志願した者全員、ベル・クラネルと戦った。桁外れの敏捷、触らせもしなかった……優しいベルは大怪我はさせなかったが。  ヘスティアの面接では、 「根が善良で誠実、向上心があり、うぬぼれと軽蔑が少なく、工夫でき生きのびたいと思う者……」  を選んだ。 「ベルくんの成長は、実はかなり異常だ。自分も同じ事ができるとは思わないで、死なないようにじっくり頑張ることができるかい?」  とも聞いている。  この最初のメンバーが何よりも大切なのだから。  絞られた新入生。ベル、リリ。命。瓜生、ビーツ、武威、トグ、ソロ。そして12人の新入生。合計20人。今の『学校』を見れば、年に10人は増えそうだ。  12人の普通の新入生は、ダンジョン、『ギルド』での講座と運動、『学校』で後輩たちを指導する、休み、と日を割り当てる。新入生担当になった命は、かなり大変な思いをしている。  家事の分担なども工夫する。  ダンジョンでの新入生は、最初の数回は命、ベル、ビーツ、ソロの誰かが順番にマンツーマンで引率。2時間ほどで引き上げて新入生は交代する。無論2階層まで。  まもなく、新入生8人と、上級生2人になる。【タケミカヅチ・ファミリア】や、【ミアハ・ファミリア】のダフネとカサンドラも協力してくれる。元【アポロン・ファミリア】でランクアップしたダフネたちは新人教育も、人数が増えたファミリアの運営もよく知っていたし、ナァーザも中堅派閥だったころを覚えている。  帰って反省会とトレーニングもやる。 『生命を大事に』、そして普段の運動はきつめに、しっかり休む。  一月、体を鍛え実戦的な剣術を稽古してきた者ばかり。かつてのベルのように体格に劣るものも多いが、並みの新人よりは優れている。  ただし、ベルに憧れ多くの【ファミリア】に拒まれた人が多いので、体格はやや劣る。重鎧に両手剣、というわけにはいかない。  また、ベルをまねさせるわけにもいかない。 (死ねというようなもの……)  だからだ。  目標は【フレイヤ・ファミリア】の『炎金の4戦士』ガリバー兄弟。小人族でありながら、4人のコンビネーションでレベル6相当の力がある。  今は銃器は与えない。ひとりが『学校』でも訓練された両手槍、ひとりが瓜生が出せる大型の対弾シールドで、バディをつくる。それが2組で4人チーム、基本的には挟み撃ち。クロスボウも活用する。見守る高レベルは緊急用に消音銃と軽機関銃、手榴弾も持っている。 『ギルド』が最初に貸与する武器防具も、瓜生が運動して質を上げさせた。それなりの鋼の剣や短槍、鎧、スネ当て……防御を優先させた。頑丈なヘルメットとブーツは瓜生が与えた。  とにかく死なないように、バディと協力し防御して倒すことをまず叩きこむ。それから、3階層あたりで血肉(トラップアイテム)を用い、多くの敵に囲まれた状態から、 (転ばず、孤立せず……)  崩れずに撤退する戦いを何度も何度も練習した。どうしても崩れた時だけ、上のレベルの先輩が介入して助ける。そして、 「助けなければ死んでいた、どうすればいいか反省するように……」  と、しっかり訓練をやり直す。  それをとことん繰り返す。  ほかにも、サポーター合宿の参加者を呼んで、多くの冒険者の死を聞いた。  囲まれる。押し倒される。仲間割れ。落盤による分断。ありとあらゆるイレギュラー、実力お構いなしの理不尽な死を。  そして訓練できることは訓練で再現し、少なくともパニックにならないように……  とにかく死なないように。団長のベルも、家族となった新人たちを死なせたくはない。  びくびくしながら武威とトグに『恩恵』を授けたヘスティアは、案の定頭を抱えることになった。それから間もなく、ソロでも頭を抱えることになる。 武威 戦妖 Lv.b 力: B 772 耐久: A 814 器用: D 556 敏捷: B 741 ― 耐異常:C 魔防:E 《魔法》 ・魔力はすべて闘気に回している 《スキル》 【武装闘気(バトルオーラ)】 ・常時発動。 ・強力な『気』を放出する。 ・物理・魔法・呪詛を問わぬ絶対的な防御。 ・力・耐久・敏捷の超高補正。  絶叫したヘスティアは、『b』は『6』と報告することにした。 『ステイタス』を見せる羽目になったら、 「『b』と『6』を間違えちゃった……」  と苦しすぎるいいわけをする予定だ。 【ロキ・ファミリア】では、 「8の間違いじゃないかな?」 「9でも驚かんわ、ドチビのことや上下間違ったんやな」  という会話……が、さすがに『b』は想像を超えていた。 戸愚呂ジュニア 妖怪に転生した人間と、天人のハーフ Lv.c 力: A 848 耐久: B 711 器用: D 556 敏捷: C 422 魔力: B 756 怪力:F 《魔法》 【解放の風(バーチャー)】 ・一名、どんな傷も状態異常も一時的にキャンセル、数分間全力を出せる状態にする ・詠唱式『今のお前に足りないものがある、危機感だ』 【守りの壁(ケルビム)】 ・防御壁の展開 ・詠唱式『他の誰かのために120%の力が』 【】 《スキル》 【筋肉操作(ボディビル)】 ・全身の筋肉を操作し、力・耐久・敏捷を超強化。 ・80%以上になると周囲の生命力を吸収する。 ・限界を超えると一定時間後に死ぬ。  ヘスティアはもう、適当にレベル3と報告することにした。 『恩恵』を受け、楽に行動できる25%程度で測ったら、ベンチプレス・デッドリフトの数値はだいたいそれぐらいなのだから。 ソロ 人間と天空人のハーフ Lv.6(42) 力: S 975 耐久: S 978 器用: S 959 敏捷: S 928 魔力: S 976 英雄:F 剣士:F 耐異常:G 《魔法》 速攻魔法 【ニフラム】 【ラリホーマ】 【メラ】 【ギラ】 【イオラ】 【ライデイン ギガデイン ミナデイン】 【トヘロス】 【ルーラ】 【リレミト】 【ベホイミ ベホマ ベホマズン】 【ザオラル】 【ザメハ】 【マホステ】 【アストロン】 【モシャス】 【パルプンテ】 《スキル》 【雷光剣(ギガソード)】 ・ギガデインを剣に上乗せする 【天空之勇者(ミチビカレシモノ)】 ・『神威』に抵抗できる ・魅了無効  当然7にランクアップ可能だったが、少し保留することにした。騒ぎにならないように。  6でも十分騒ぎになるだろうが。  また、ビーツもやっとランクアップしていた。大猿への変身や椿との修行がきっかけとも思われたが、武神タケミカヅチの意見は違った。 「『気』の制御を身に着けることで、一つの殻を破ったのだ。正しい立ち方、正しい歩き方、正しい拳を体の一部とすることが、どんな怪物との戦いより偉業だったのだ」  と。  彼女が二度と変身しないよう、常に尾を切ることも皆が決めた。何とかごまかせたとは言え、モンスター扱いされたら全世界を敵に回すことに、 (なりかねぬ……)  のだから。  最終ステイタスは、すべて100万前後だった。 ビーツ・ストライ Lv.3 力: I 0 耐久: I 0 器用: I 0 敏捷: I 0 ― 耐異常・耐呪詛:H 怪力:I 《魔法》 ・魔法を使用できない種族 《スキル》 【戦闘民族(サイヤ)】 ・種族として魔力を持たない。 ・種族として体力がとても高い。 ・成長が早く、限界を超える。 ・瀕死から回復したとき、獲得経験値超高補正と自動ステイタス更新。 【月下大猿(ヒュージバーサク)】 ・条件(尻尾がある状態で、満月の光または同等の波を直視した)達成時のみ発動。 ・獣化、階位昇華。理性を失う。 ・尻尾を失うか、周囲を全滅させれば戻る。 【武装闘気(バトルオーラ)】 ・常時発動。 ・強力な『気』を放出する。 ・物理・魔法・呪詛を問わぬ絶対的な防御。 ・力・耐久・敏捷の超高補正。 【】  異世界出身の3人が正式加入し、ビーツもランクアップしたのを機に、一度本格的な遠征に行くことにした。  瓜生、ベル、ビーツ、春姫、武威、トグ、ソロ、ヴェルフ。  ついでに、【ミアハ・ファミリア】のカサンドラとダフネも加わる。久々にレフィーヤも加わった。  命とリリも、途中まではついてくる。  16階層までは新人たちも連れて、ある意味遠足。中層の巨大なモンスターをしっかりと目で見せる……傲慢にならないように。  それから、ベル・命・リリ・ソロが護衛して安全ルートから新人たちを地上に戻す。命は【タケミカヅチ・ファミリア】と新人たちの面倒を見る、というか、 「ああいうのにいつか勝てるよう、最悪ベル・クラネルのように5階層でミノタウロスに遭遇しても生きて帰ってこれるように……」  素振りと近代的トレーニングをしっかりさせる。  皆、見ただけで、また『咆哮』の衝撃に呆然としていた。そしてベルたちの桁外れの強さもあらためて痛感していた。  また、集団生活での家事分担など、新生活そのものに慣れてもらう。  リリはサポーターの合宿をはじめ多くの仕事に戻った。  地上まで見届けて、ベルとソロは超速度で18層に急ぎ、合流する。  19階層から、瓜生の能力を知らされているカサンドラとダフネが訓練がてら動かすナメル装甲兵員輸送車の出番。武威は相変わらず鎧が重いので歩きだが、時速45キロで数時間走るぐらいなんともない。  そう予定されていたが、ベルたちが18階層に戻ったあたりでちょっとしたイレギュラーがあった。  19階層でモンスターが大発生。それで、存在自体半分秘密な異世界組、カサンドラとダフネは先に強行突破し、ベル・ビーツ・春姫・ヴェルフ・レフィーヤが大発生の処理に協力することにした。 >怪力乱  火鳥(ファイアーバード)の大発生で走り回っていたベルはふと仲間や、同行していた冒険者とはぐれ、一人になり、一体の竜女(ヴィーヴル)に遭遇した。  人間のように話し、助けを求めてくる、常識外のモンスター。  竜族ゆえに強いが、貴重なドロップアイテムのため多くの冒険者が血眼になって求めるレアモンスター。  一糸まとわぬ少女のような姿。 (どうしていいかわからず助けを求める……)  言葉と態度。  ベルはつい、助けてしまった。モンスターからも、別の冒険者からも。サラマンダー・ウールで包み、18層まで連れ帰ってしまった。  ビーツはほんの一瞬警戒し、すぐに警戒を解いた。  春姫はおびえてビーツの背後に逃げた。  ヴェルフはあきれかえって頭をかいていた。  レフィーヤは半泣きでへたりこんでいた。  春姫は箱入りで常識自体よく知らない。ビーツは、強敵と戦って強くなることと、腹いっぱい食べること以外どうでもいい。  ヴェルフとレフィーヤは、常識が崩壊することに慣れすぎていた。 「リリルカさんがどんな反応をするか、目に見えますね……」 「ああ」  なんとなく、ヴェルフもレフィーヤも、 (主神以外に報告するのはよしておこう……)  と、目で合意した。  ナメル戦車改造装甲車をひとり一両ずつ操るダフネとカサンドラが向かったのは、26階層の、広大なほぼ未開拓の領域。  そこは、膨大な薬材料が眠っているらしい。  だが、だれもいかない。 (割に合わない……)  からだ。  そこへの細い道は『ジャングル』と呼ばれ、常に膨大な植物系モンスターが守っている。  その性質は、 (武器殺し……)  と言われる。  レベル4でもきつい、第二級以上の武器を必要とする頑丈な皮。そしてどんな武器も急速に錆びさせる、べったりとへばりつく樹液。厄介なことに魔法にも耐性がある。  また、そこにしかない素材はない。もっと下の階層に行けば、一度に得られる量は少ないが、手に入る素材ばかりなのだ。  高額な武器を大量にダメにするほどのメリットは、ない。  そこは、RWS(遠隔操作砲塔)と焼夷弾の短距離迫撃砲にとっては、まさにおあつらえ向きだった。  タングステン弾芯の徹甲焼夷炸裂弾は、皮を貫通し内部から焼き爆破する。植物なので火には弱い。  しかも、弾頭は完全使い捨て。修理できないと泣く必要はない。  弾は山のように積みあがっている。  元【アポロン・ファミリア】の女冒険者は、想像を絶する薬素材を稼ぎまくって引き返した。その時にはもう、ベルたちは先に帰っていた。いぶかしい伝言を残して。  大量に捨てた空薬莢や、残った弾頭を拾った者がいることを、ふたりは知らない。  瓜生の装甲車と、ランニングのように装甲車と平気で並走する武威が、あっというまに46階層に至った。  出てきたモンスターたちが次々と灰と化す。  恩恵を受けたトグも、冒険者らしく魔石やドロップアイテムを拾っている。またサーフボードのような形で身長の倍近くある、楯と大剣を兼ねる厚い武器で身を守り時には全身で打ち切る。その重量はティオナ・ヒリュテのウルガにも劣らぬ。  ソロも、以前とは打って変わって積極的に戦っている。詠唱のない、呪文名だけの魔法と、凄腕の剣。  瓜生もナメルで身を守りつつ、30ミリ機関砲の圧倒的な火力を発揮する。  そして3人にも、火器の使い方を教えている。14.5ミリセミオート対物ライフルとZU-23-2対空機関砲。  武威とトグは、裏で妖怪が存在する以外は瓜生の故郷によく似た世界の出身……もしかしたら、瓜生が妖怪や霊界について知らないだけで同じかもしれない……で、火器の概念はある。ソロもまもなく覚えた。  目標は、46階層の奥。オラリオではタブーとされ、ロキ・フレイヤどちらも手を出さない。 「あそこは、強化種をつくる装置だ……」  と、フィン・ディムナはいったものだ。 「悪夢じゃな」  ガレス・ランドロックも思い出したくないようだ。  45階層の、食糧庫(パントリー)に通じるいくつかの道が交わる広場がある。そこに、固定された縦穴がある。その下、46階層の一部は、狭く閉鎖的な構造になっている。  広い45階層全体の多数のモンスターが、食事のために通る道だ。その半分以上が落ちる。  それだけではない。あの44階層のめちゃくちゃな数のタイゴンファングが、罠にかかった獲物がなくても時々大発生し、獲物がいなければ落盤が起きてまとめて落ちる。落ちたところにちょうど、固定縦穴がある。  その『壺』の壁も、誰も入らなくても多数のモンスターがコンスタントに出る。  飢えたモンスターたちが、狭い範囲に落ちて閉じこめられ、食い合う。その『壺』と呼ばれる領域は、簡単には破れないキノコのような組織が蓋をしている。  多様なモンスターの蠱毒から強化種が生じ、普通の怪物には壊せぬキノコを壊して外に出る……出たところには、膨大なエサがあるのだ。  キラーアントの上位種、ストーンアントの巣がある。  それ自体が強い。キラーアントの『初心者殺し』と言われる硬殻と攻撃力が、深層にふさわしく強化されている。まさに石のような固さ、攻撃力もバーバリアン以上。  それが、よくて百。下手をすれば万単位。キラーアントの瀕死になるとフェロモンを出して仲間を引きつける性質も、めいっぱい強化されている。というか即死させても仲間がぞろぞろ集まる。  だからその地域は、普通の冒険者にとっても鬼門だ。大きく避けてさっさと47階層に行くのが普通だ。  誕生した強化種はそこにとどまる。弱ければ逆に食われるが、それでとんでもなく強いアリが出現することもある。  さらに、それで強くなってから44階層の、あの多数のタイゴンファングの『掌』に行って死ぬか、生き延びれば莫大なエサを食うこともある。  他にも、37階層の『闘技場(コロシアム)』のように多数のモンスターをコンスタントに出す地域もあり、そこでエサにありつくこともある。  そんな強化種が上に行けば、多数の冒険者が死ぬ。多くはより深層に向かい、戻ってこないとされる。それ以上のことは知られておらず、多くのばかばかしい伝説に彩られている。  正規のルートを行っていれば、それら強化種に会うことはめったにない。だが余計な道に入れば、高レベル派閥でもあっさりと全滅することになる。 (50階層以降にもつながっている、正規の通路とは別の階層間通路があるのか……)  伝説にすぎない。  少なくとも、46〜48階層で正規ルートを外れて変なところに入って帰ってくるパーティがないことは確かだ。その探索は、【フレイヤ・ファミリア】にすら不可能だ。伝説だらけの、未知なのだ。  しかも、誰も知らぬことだが……【ロキ・ファミリア】の大遠征のスピードがとある理由で速かったことで、ここしばらく多数の強化種が出ている。ましてもともと、強化種を作るためのような地形では……  大量の魔石も得られるため、溶解液のイモムシと食人花、傷ついた怪人もたびたび訪れ、死にかけることもある。  幅も高さも巨大な通路にいたのは、4本角で首もとても長い、全長12メートルに及ぶ4つ足トカゲだった。普通とはまったく違う、漆黒の姿。チーター、いや銃弾のような速さで武威に襲いかかった。衝撃波が周囲にぶちまけられる。  桁外れの迫力と殺気が、まだ未熟なトグを打ちのめす。  そこはあちこちから通路でつながっている。別の方向から、溶岩でできた巨体の怪物が10体以上襲ってきた。さらに別方向から、高さだけで2メートル、長さがどれだけかわからないムカデが、とっさに数えられない数。 「ギガデイン!」  躊躇なしにソロの大呪文が叩きつけられる。壁から猛烈な勢いで湧き出した、巨大なアリの群れも稲妻の嵐が打ちひしぐ。  鎧を捨てた武威を、すさまじい武装闘気が包んでいる。それに食らいついた黒い閃光、桁外れの力で鋭利な角をつかんで押し返しつつ、広いルームの壁に絡み合った巨体がめりこむ。 「戸愚呂なら40%といったところか」  つぶやいた額に傷がある巨人が、長い巨体を投げ返した。  ソロも、それを見て安堵したように別の黒い怪物に立ち向かう。5メートルはある巨大な黒いアリが6匹。  瓜生の装甲車も30ミリ機関砲弾をぶちまけ、特に巨大で頑丈な怪物を粉砕していく。RWSと連動するように改造し頑丈な台車に乗せたファランクスCIWSを牽引し、秒間100発の濃密な20ミリ弾をぶちまけている。  トグも習ったばかりの機関砲を巨大アリに叩きこむ。  武威は丁寧に立ち、深呼吸した。体を浮かせるほどの光液が小さくなり、密度を上げて、武威の巨体に収まっていく。  ふたたび牙をむき出し、時速200キロ以上で襲いかかる黒いトカゲ……それに、武威はすっと手を差し出した。  戦いよりも姿勢、呼吸、体の中の筋肉の配分に注意を注いでいるように。腰をひねりながらゆっくりと差し出される掌が、巨大トカゲの2メートルはある爪に触れた。  直後、激しい爆音がする。全身で踏みこみ、強化種の巨体をはるか遠くに吹き飛ばし、ふたつに折っている。  それでもレベル6を超えるであろう強化種は、奇妙な霧を浮かべて傷を回復させてまた襲いかかる。  武威は深く深く呼吸し、払いのけて深く腰を落として肘打ち。巨大な、黒鋼の塊のようなトカゲが、奇妙にも動きを止める。そして内部で何かが暴れまわっているように痙攣し跳ねてから、内部から爆発した。  おそらく重い鎧を着たまま、束ねて溶接した鉄道レールをふるっても倒せただろう。まして鎧を脱ぎ、『武装闘気』を暴走させて戦えば……だが、武威にとっては、新しい戦い方を身体で覚えることが、今は目標だった。  直後武威の背後から襲いかかった、象より大きな黒豹……だが、ソロの剣がしっかりと食い止め、的確に呪文で弱らせる。仲間と戦うことに慣れきっている。  すぐに武威は、一瞬暴発しかけた闘気を制御し、丁寧に円に沿って歩きつつ体をねじって手刀を放ち、タイゴンファングの強化種を両断し……まだ不完全だったのか、悔しそうに唇をかんで、素振りを繰り返した。  それから4人は何体も、【ロキ・ファミリア】レベル5以上全員で一体と戦うのもきつい、階層主以上の強敵を倒した。  武威は圧倒的な力があるが、まだ新しい戦法は未熟。それをフォローするのがソロの、強敵との戦いを何万繰り返したかわからない圧倒的な経験と粘り。そして火力。それが強化種の桁外れの力と、激しくせめぎ合う。  また瓜生とトグは外れ、44階層の例のタイゴンファング大量出現地帯で、武威とソロだけで戦い抜いた。  その間、トグは徹底的に火器の使い方を習った。超人が重火器を使うと、その効果は何倍にもなることは【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者たちで経験済みだ。トン単位の対空機関砲を担いで運び、高速で移動し精密に急所を撃ち抜くことができる。  食事どころか、シャワーとベッドすら不自由しない。大型のコンテナハウスで、十分な生活はできる。  それから莫大な収穫を『ふくろ』に詰めて、ソロのリレミトで帰還した。  帰った4人は、ベルのとんでもない話を聞くことになる。 【ヘスティア・ファミリア】がダンジョンにこもった翌日、地上では大きな騒ぎが起きていた。 『ギルド』には、恩恵を受けた冒険者の名前とレベルは申告しなければならない。そしてその名前・レベル・肖像画は掲示板に公開される。  ビーツのランクアップ。新たにレベル3と、6がふたり。新入生の人数も加わり、派閥のランクもかなり高くなる。  エイナ・チュールは激しい問い合わせに、乾いた笑いを浮かべながら応えていた。同僚までそれに巻きこまれ、苦労していた。  それだけでなく、帰ってきたベルが、何かとんでもない秘密を抱えているのを見抜いてしまい、苦悩することになる……  そのころ、【ロキ・ファミリア】はラキア戦争も終わって、多くが近代トレーニングをしていた。 「重量は調整したね?ストス、肩ひもがずれている。全員深呼吸、スクワット40回から、はじめ」  フィンの号令のもと、多数のレベル1と2が、20キロから100キロの砂袋を詰めた、瓜生にもらった頑丈なリュックを背負ったまま、いろいろやる。  スクワット。  腕立て伏せ。  懸垂。  腕立て伏せのようで肘をつく姿勢を維持するプランク。  しゃがむ・両手を地につく・足を伸ばして腕立て伏せの姿勢・戻る・しゃがんだ姿勢からジャンプ、それを繰り返すバーピー。  号令に合わせた、縄跳びと同様になる連続ジャンプ。  それを何セットも。 『恩恵』を受けた冒険者でも、それぞれの力に合わせて重しを増やし、激しい運動を続けていれば当然へばる。  水と塩は常に配られている。脱水はない。だからこそ倒れられずに動き続けることになる。あっというまに、汗で地面が湿る。  それから、さらに数人ずつ大重量のバーベルに挑み、数回で限度になる重量でデッドリフト・ハイクリーン・ベンチプレスなどを繰り返す。  何人かの上位冒険者は室内で、違和感のあるエアロバイクに乗っている。  5人がひとつの大画面を見ている。その画面には、ツール・ド・フランスの選手ヘルメット映像が流されている。  普通のエアロバイクではない。フレームなどが妙に太く武骨で頑丈、手作りの雰囲気だ。  ペダルシャフトが異様に太く、明らかに鉄の質感ではない……【ヘファイストス・ファミリア】の、かなり上級の装備と同等の金属製品。さらにシンプルで頑丈な軸受けの中心には、厚さ4センチ・直径60センチものギアが一枚がっちりと据えられている。  瓜生の世界のギアを研究した、【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師たちが必死で作り出した品だ。その精度、硬度、頑丈さ……すべて驚きの連続であり、主神に挑む以上と思えるほど大変な挑戦だった。  ちなみに軸受け装置はまだ瓜生が出したものだ。遠く及ばない……悔しくて仕方がなく、今も鍛冶師たちは必死で分析し、学び、研鑽している。  そのギアは6センチはある太いシャフトのギアとかみ合い、大型の発電機につながれている。発電機の電力の一部は大型バッテリーに貯められて画面の映像を維持する。また大部分は、魔石を用いる特別な蓄電池につながる。小型車ぐらいのサイズがあったためそれまで用途がなかった、雷の魔術を一時的にためる魔石器具があった。それは瓜生の故郷では到底望めないような超大容量の蓄電池だった。 (これを故郷で作れたら、核融合炉より……)  と瓜生が思ったほど。  エアロバイクにサドルはない。立ち漕ぎのみ。そして、体格に合わせて調整できる恐ろしく頑丈な金属棒で、肩を上から支える。肩でフレームを押し上げ、その支えでペダルを踏むのだ……体重などではぴくりとも動かないほどの負荷だ。  アイズ・ヴァレンシュタインは、まさにツール・ド・フランスの選手そのものの激しい日々を過ごしている。一日中走って走って走りまくる……背中から口元近くに伸びるホースでブドウ糖を入れた塩水を飲みながら。  汗みずくを通り越し、自転車で何トンもの荷車を牽引しているような負荷で12時間以上。ロキの部屋まで歩けずレフィーヤやティオナに運んでもらうことになるが、3日かけてダンジョンの35階層まで往復するより力・敏捷は向上する。 『耐久』を向上させるために、アマゾネス姉妹とガレスはとんでもない無茶をしている。  アイズたちが回しているエアロバイクの電力を一部使い、スプリングハンマーと呼ばれる瓜生の出した近代工業機械が動いている。  あらゆる安全装置を壊した大きな機械の中に入って、腹を叩かせているのだ。巨大な鉄板を打ち曲げる、大男が全力で振るスレッジハンマーの何百倍もの力を腹で受け止めて。寝転んで腹を踏ませる過激な腹筋運動のようなものだが、桁が違う無茶だ。  高さを調整するため、背に敷いた鉄板が歪むほどの、第一級冒険者の身体の頑丈さ。 「もっと前に彼がいたらな」  延々と特殊なエアロバイクを漕ぎ続け、肌の色も変わるほどの疲労でまだ漕いでいるアイズを見たフィンがつぶやいた。発電機につないだ、小人族用特注の【ヘファイストス・ファミリア】作の階段上り運動機で、大型トラックぐらいの仕事(物理学の文脈=力と距離の積分)をしながら。 「ああ。アイズは毎日ダンジョンにもぐるより、ひたすらバイクをこぎ、バーベルを上げていただろう」  ボート漕ぎ運動をしつつ、リヴェリアがため息をつく。  その横では、 「このままじゃ、あと半年もせずにベルはレベル5、いや6……」  とレフィーヤが激しく息をついては、必死でボート漕ぎ運動機のハンドルに挑んでいる。ほとんど動いていない。 「レフィーヤ、強くなりたいなら自分の力に合ったものをやれ」  とリヴェリアが叱った。  彼女は、レフィーヤが最近の、ベルたちとの小遠征でとんでもない経験をしたことを察している。なにか隠していることを察してはいるが、 (それだけのことだろう……) (主神には言っているはず……)  と心配しながら見守っている。  フィンの親指も、間違いなくとんでもないことがあると知らせている。  近代トレーニングにアイズがはまったのを見て、フィンはリヴェリアとガレスに漏らしたことがある。 「あのファミリア、主神のヘスティアも大きな存在かもしれない。確かに特技はないが、優れた特技を持つ善神との神脈があり、信頼されている。そしてあの異様な存在を受け入れている」 「他のファミリアの力を借り、惜しみなく貸すというのも異常じゃな」  ガレスもうなずく。 「ベル・クラネルと神ヘスティアだけではお人よし過ぎて騙されるかもしれない、だがウリュウとリリルカがうまくバランスを取っているな」 「食事はちゃんと、決められた量食べること」  リヴェリアがアイズに厳しく言った。  それこそビーツと同じように大量に食べなければ、この運動量で体を維持することはできないと神ミアハも言った。  厨房はとんでもない量のベーコン・トマト・レンズ豆のミネストローネを用意している。  もうそろそろ、ボロボロに疲れたゾンビ同様の眷属が多数押し寄せてくる。元気な者は飢えていたように詰めこみ、それを通り越した者は強く言われて無理に腹に詰めこむ。  戦争がやっと終わったオラリオの、壁の外には次々と工場ができている。聞き慣れぬ騒音が響き、いろいろなものが安くなる。  その近くにはコンテナの家が並び、貧民たちの生活水準が急速に向上している。  絶えていたメレンからの輸入も再開され、久々のカレーライスやドドバスに多くの金持ちが舌鼓を打つ。  これから何が起きるのか、誰も知らない。 【ヘルメス・ファミリア】の探索者は、遠い国の貴族のおぞましい行為と非常識すぎる存在を見て、心が壊れそうになっている。  冒険者の間の噂を聞いた男は、その桁外れの邪悪をもたげる。毒に満ちた魂、楽しみを追う主神……地獄の窯が開こうとしていた。  知っているのだろうか。かれらにとってこの上なく呪わしい敵が、激烈な決意を固めようとしていることを……  鍛冶の女神ヘファイストスは、神友と愛する眷属に秘密を打ち明けられ、頭を抱えつつ未知にときめいていた。そして、 (せめて、装備で【ヘスティア・ファミリア】の新しい子たちも応援しよう……)  と決意し、新しく手に入れた機械でできることも考える。 【ロキ・ファミリア】の『黄昏の館』の奥では、主神だけにすべてを打ち明けた少女を送り出した主神が、いつもとは違う……あらゆる陰謀を操る恐ろしい顔をしていた。 >過去/決意 *幽白の、戸愚呂チームの生活について、独自設定と言っていい推測が混じっています  瓜生・ソロ・武威・トグの4人が地上に戻ったのは、ベルたちが戻った2日後だった。  ベルとヘスティアは、覚悟しつつ恐怖して、出迎えた。 (ウリューさんは、きっと受け入れてくれる……) (武威さんやソロさんはどうなんだろう……) (もし、3人ともダメだと言ったら?でも、それでもウィーネを守りたい……) (勝てるわけないなんてもんじゃないけど……) 「お帰り!ぶ、ぶじで」 「何があった?」  ソロが自然に聞いた。  瓜生にもわかった。それぐらい、ベルとヘスティアの挙動不審はひどいものがあった。  そしてリリの表情も、実に雄弁だった。 (この世の終わり……)  と顔に書いてあるようなものだ。 「先にごはん」  ビーツが言ったのに、瓜生も苦笑気味にうなずいた。 「豚の生姜焼きと、豚汁」  サイヤ人の少女は、つい今までよほどの無理な鍛錬をしていたな、と全身に書いてある状態で、食事のことだけ言った。  命と春姫が食事当番、たくさんの腹ペコ+ビーツの腹を満たせるよう大量に作って待っていた。  瓜生たちが帰ってくる前の生活だが、まだ新入生には知らせていない。ウィーネとビーツ以外は少なめに食事をしてから、また新入生たちも呼んでウィーネを隠して食べるのだ。  ビーツは当然、二度食事をする。  ウィーネと食べるときには 「ちゃんとみんなでいただきます、ですよ」  と、何も知らない竜女の少女をしつけることもする。  ウィーネはいない状態の、たっぷりの温かい食事を終え、新入生以外が集まる。  新入生は冒険談を聞きたくてうずうずしているが、我慢しなければならないと命やヘスティアから伝わっている。それどころではないのだと。  モンスターの少女が隠れ場所から出た。  瓜生の周囲の、空気がきしむ……そんな感じがするほどの、すさまじい感情と抑制。  ソロはもっと、強者の激烈な殺気を噴き上げた。ベルが感じたリュー・リオンの激しい感情の、何倍も強い殺気の奔流。  武威は平然としていた。  トグは、ほんの少し呆然として、考えて、凍りついた。  ソロが強く食いしばった口を開いた。 「前にダンジョンに入ったとき、明らかに人間と同様の心を持つモンスターに会った。あんたたちを信用してなかっただけだ」  ソロの言葉。ベルやヘスティア、リリは驚く。  武威が加える。 「オレと何時間も稽古した。ただ強くなりたいだけの、修行者だった」  ソロもうなずいた。 「そうか、君たちからみれば、この世界の常識を教えたボクたちが嘘つきに思える。……ボクにとっても、とことんはじめてだ」 「この世界の人間で、理知を持つモンスターがあり得るなんて考える人もいません。聞いたことはありません」  ベルが深く頭を下げた。 「……こういう存在……ということは……」  じっと考えており、伏せた顔を上げた瓜生の表情は、鬼のようだった。 「う、ウリューさん、どうしたんですか」  ベルがおびえる。 「ヘスティアさま、紹介状の準備をお願いします」  瓜生の口調のすさまじさ。歯をギリギリと噛み鳴らす音。 「……わかっているんだね」  ソロが言う。その身体から闘気が立ち昇る。 「そっちもか。協力してもらえるか?」 「信用していいのか?」  無気力だったソロが、完全に燃え盛っている。とんでもない冒険者……いや、英雄。ベルにはそれが実感された。 「オレはむしろ、加害者の側だが?そしてこの子は加害者の……」  武威がトグの肩に触れつつ、静かに言う。 「これからもやる気があるか?やるなら殺す」  瓜生の言葉に、 「ない」  とそれだけ言った。 「子には罪はない」  瓜生の言葉に武威とソロがうなずく。 「ど、どういうことなんですか!なんの話をしてるんですか?」  自分には意味が分からない、3人だけに通じるような会話。まどい叫ぶベルに、瓜生は静かに言った。 「ベル。この子が世界最初とは思えない。以前からいたんだろうし、噂もあった。ということは、人間というクソといったら排泄物に失礼なド外道がやらかすことは……」  すさまじい怒りを込めた、下品な言葉。 「人間を滅ぼすのか?なら、気持ちはわかるが止める」  ソロの思いつめた言葉に、 「虐殺はしないよ、人間という最低最悪種族であっても。虐殺をして人間と同類になりたくはない、とても残念ながら人間だけどな、おれも」  瓜生がすさまじい笑みを浮かべる。 「なにが、なにが……」  ベルが怒鳴る。ヘスティアと、小さなモンスターはただ震えていた。 「ここは安全とは限らない。場所を移そう……ランダムに」  と、瓜生は繁華街の地図をヘスティアの執務机から取り、20面ダイスをふたつ振った。  結果を見て、定規を縦横に使う。オラリオの繁華街を縦横20分割し、ダイスの数字を座標としたのだ。 「この店なら話せる個室があるか」 「そこまで盗聴を警戒するのですか」  リリがため息をついた。 「これからは、全員尾行と盗聴を前提にしろ。実力がどれほど高くても、尾行だけに特化した信じられない能力の持ち主がいるかもしれない。この世界には見えなくなる魔道具もある、虫に化けてさらに透明、すら想定しろ」  瓜生の言葉に、武威とソロもうなずく。  ヘスティア、リリ、ベル、瓜生、ソロ、武威は繁華街に出かけた。着ていく服は全部瓜生が出したもの、持って行くものも徹底的に点検してから。  ビーツ・トグ・命・春姫には、同じようにランダムに選んだ宿にウィーネを連れて泊まり、交代で眠り徹夜で警戒するよう、何重にも逃げ道を作るよう言った。億に達する資金と、大量の戦闘用装備を与えて。特にリリとトグは銃器の扱いを知っている。  新入生たちは、ほぼ同居に近い【タケミカヅチ・ファミリア】と夜稽古ということにし、共同で警戒させた。  武威は力を押さえるための分厚い鎧の上に、さらに分厚い皮コートを着ている。  個室がある、高級な居酒屋に向かう途中で、屋根がある大きい店に入って別の出口から抜ける、気まぐれに辻馬車で少し関係のない方向に走るなどした。  途中で、リュー・リオンとすれ違った。瓜生たちの顔を見た彼女ははっとした。  ソロと武威が、瞬時に彼女をはさむ。武威は拳を握って腰を落とし、ソロは短剣の柄に手をかけた。  リューは両手を挙げる。武威とソロとは初対面だが、抵抗が無意味なほど差があることは即座に分かった。 「重大なことのようですね。口を封じられますか?」  殺されることを、喜んで受け入れるような態度。 「……それは後でもできる。来てくれ」  瓜生の言葉に、リューはうなずいた。 「未熟ですまない」  瓜生はソロや武威に言う。ただ、ただならぬ雰囲気はベルやヘスティアも出していたので、リューにはお見通しだっただろうが。  目的の店に着いた瓜生は多額のチップをはずみ、大きめの個室を借り切って店員には来ないように言った。  直後、武威とソロが、その部屋のすべての空間をくまなく切り突く。透明な小人が天井に張りついていても、天井を傷つけずに確実に倒せる密度、それがほんの数呼吸。無論誰も傷つけずに。  それが終わってすぐ、瓜生が部屋のサイズを測っていすや机を片付け、段ボールと発泡スチロールを出して床・壁・天井を覆い厚手のガムテープで封じた。防音のためだ。  リューには、瓜生の虚空から物を出す能力は初めて見られている。だが騒いでいない。いろいろと納得したように、ひとつも感情を出していない。武威とソロが静かに暴れたのも、平静に動かずにいる。  狭い防音室に武威の巨体も詰める。瓜生が話し始める。 「リュー・リオンさん。聞いたら引き返せない」 「はい」 「ベルたちが中層で、言葉を話し人を襲わない、人間の子供のような態度の竜女(ヴィーヴル)を拾ってきた。こちらのふたりも、人を襲わず話すモンスターに会ったという」 「はい」  リューはまったく騒がない。まるで知っていたかのように受け入れている。  だがソロは、彼女は知っていたのではなく、自制力が高いだけだとわかった。  瓜生が深く息を吸い、言う。 「世界最初ではないだろう。そんなモンスターを売買する市場が、あるに決まってる。何を賭けてもいい。拷問・強姦・虐殺を楽しむ金持ちども」  武威とソロがうなずき、ヘスティアとベルが倒れそうになった。リューとリリはうなずく。 「闇派閥(イヴィルス)の資金源の一つにモンスターの密輸がある、と聞いたことがあります」  言ったリューの周囲の空気が、すさまじく張り詰める。 「それは考えていなかったな。となると……」  瓜生の口が『ロキ』と言いそうになって止める。 「ロキたち」  と、ヘスティアは言ってしまった。 「【ロキ・ファミリア】は昔から闇派閥と戦っていました。この間も、18階層で闇派閥の痕跡を見ていますし、ウィリディスさんも……そういうことですか」  リューが納得した。  ソロが拳を握り、言う。 「ピサロに誓って、心を持つものをいじめる奴らは、絶対に許さない。……そういうことか、入団の時、絶対に虐殺・拷問・強姦を禁じると言ったのは。人間でなくても、と」 「……後悔したか?おれを入れたことを」  瓜生がベルとヘスティアに言う。 「するもんか」  ヘスティアが大きな胸を張る。 「英雄どころか、全種のすべての『ヒューマン』に石を投げられる覚悟はあるか?世界最悪の悪人と唾を吐かれる覚悟はあるか?お金を持っていても売ってもらえない覚悟はあるか?」  瓜生がベルに言う。ベルは震え上がって、うつむいた。 「冗談抜きに、そういうことですよ。……いえ。最悪、アイズ・ヴァレンシュタイン様を殺し、殺される覚悟は、おありですか?」  リリがベルの手を握る。ベルの歯が鳴る。 「おまえは?」 「ベルさまに従います。万々一ヘスティア様もウリュー様もベル様を見捨てても」 「見捨てるもんか!」  ヘスティアが絶叫を小さい声に押しこめる。  リリは歯を食いしばって、震えている。すさまじい覚悟だ。 「ウリュー君。ソロ君。武威君……教えてくれないか?」  過去を。 「私も言います。……私は」  リューが、下を向いて一瞬瞑目し、顔を上げた。 「オラリオの治安を維持してきた、【アストレア・ファミリア】。闇派閥がダンジョンで仕掛けた攻撃で、私一人が生き残り全滅。私は主神を遠くに落ちのびさせ、敵を皆殺しに。のみならず『ギルド』職員や商人も何人も殺しました。無実の人もいたでしょう。  ブラックリストに入っており、賞金もかけられました。賞金は解除されているようですが……」  途中で、明らかに知っている瓜生の態度に驚く。 「オラリオに長い住人なら常識です。ウリュー様は、実に情報収集に熱心です」  リリがため息をつく。 「私も、復讐をやりとげてしまったんだ」  ソロがリューの手を握っていった。彼女は、エルフなのにその手を拒まない。 「私は勇者になると予言され、山奥の村で育てられていた……ピサロという、人間と争う魔族の王子に村を滅ぼされ、ひとり生き残って旅に出た。仲間と出会ってピサロを追い……ピサロの恋人、エルフのロザリーに会った。その護衛を殺して。  それから、ロザリーが……涙が宝石になる。人間に殺された。ピサロはそいつらを殺し、そして禁断の方法で自分を強めて人間を滅ぼす、と。心さえ捨て怪物になった。  私はピサロを殺し、……それから、気がついたら、あの中庭にいた」 「ほ、本当に、世界を、人類を救った勇者……英雄……」  ベルが驚く。 「ただの復讐者だ。復讐者と復讐者が殺し合っただけだ。……ピサロに復讐されるなら、正しい……」  ソロが激しい感情を抑えて下を向いた。リューがソロの手を強く握り返す。 「「復讐しても、なにも残らない」」  ふたりが歯の間から絞り出すような小声をそろえる。  武威が静かに天を仰ぎ、言った。 「オレは加害者側だ。オレ自身はひたすら最強になりたかった。強い敵に負けて、修行してもう一度、と願ってその仲間になった。オレの仕事は定期的な武術大会で雑魚を殺すだけだったが……  その主は、人間の金持ちのため、妖怪を売買し、金持ちを守っていた。主は昔は正義の側で、自分を責め死にたがっていたんだが……  主の被害者に、宝石の涙を流す少女もいたと聞いている。その事件で人間や天の側に立った正義の味方が、主を武術大会で倒した。  殺すか?」  武威は瓜生とソロを見た。 「これからやらないならいい」  瓜生が言い、ソロもうなずく。  武威が続けた。 「ついでに……風の噂だが、その正義の味方の先代は、人間の金持ちが多数の妖怪を拷問虐殺するのを楽しんでいるのを見て、人間すべてを滅ぼそうとして……倒された、と」 「わかる」  瓜生はそれだけ言った。ソロもうなずく。武威は少し続けた。 「オレは主が死にその組織が崩れてから、主の息子……おまえたちがトグと呼んでいる子を預かった。あの子こそ、その父親のような業者が商品にして大金を得るような希少品だった。ある意味因果応報だが、子に何の罪がある……  守って逃げていて、たまたまとんでもないアイテムを使ったら……あの中庭だった」 「しゃべるモンスターを売買してるような連中から見れば、トグも、あんたも」 「ビーツ様も、商品ですね」  ソロが言ったのに、リリがつけ加えた。  それから、ヘスティアに目を向けられた瓜生は深いため息をつく。歯を食いしばる。 「おれは……魔法も魔物もない平和な国、平和な時代に生まれ、物語しか知らないバカだった。たまたま妖精を助けて、変な能力をもらって、ここみたいな世界に行って冒険するようになった。  最初はひどいもんだった。物語しか知らなかった。  助けた騎士に、姫君を助けたいと言われて……傭兵を集めて旅をした。  海賊の隠れ港を襲った……その姫は、単に駆け落ちをしてその相手に売られ、海賊に買われて……おなかも膨らんでいた。それなりに幸せだったのか、海賊をかばっておれに撃たれた」  瓜生が何かを揉むような手つきをする。その意味はソロやリューにはわかった。胸を、腹を切り開き、心臓を直接握って動かそうとしたのだ。胎児を助けようとしたのだ。 「気がついたら、おれが連れた傭兵たちは……」  瓜生はしばらく歯を食いしばり、激しく呼吸する。 「海賊の、集落を襲っていた。殺していた。犯していた。拷問していた。皆殺しにしたよ、苦楽を共にしてきた仲間を」  ベルはつばを呑む。 「ああ、海賊の集落を皆殺しにするのは、当たり前の、正しいことだったんだ。どこの王様もそうしろって命じるさ。おれが知らなかっただけで。当たり前だった。  知らなかったんだ。当たり前だった。現実ではなく、物語を見て、それに合わないことは見ないようにしてた」  ベルにとってはその言葉が衝撃的だった。腹を強者に殴られ、心と体が深く沈んでいくような。英雄物語ばかり読み、純粋に英雄にあこがれた自分。 (紙一枚違えば、ウリューさんと同じになっていたかもしれない……)  純粋。それは悪い面もある。  ヘスティアが立ち、瓜生の頭を豊かな胸に抱きしめる。  瓜生は静かに泣き出し、激しい慟哭になっていた。  ベルは、ただただ呆然としていた。  ヘスティアの胸から身を起こした瓜生が、ベルを目から熱線を放つ勢いで見る。 「こちらに武器を、牙を向けていない者を殺したり、犯したり……仲間でも殺す。きみでも殺す。初めてじゃない」  数呼吸の沈黙。 「……僕は、ウィーネを守る」  ベルの言葉に、全員がうなずいた。  リューは、腰から小太刀を抜いて刃を返し、自分の白い喉に切っ先を当て、ベルを見た。 「信じられなければ今殺していい。クラネルさん、人を襲わぬ心あるものを守るため、すべてを」 「……嘘は言っていない。ここでは誰も、一言も嘘は言わなかった」  ヘスティアがため息をつき、 「そろそろ帰ろう」  と言った。 「情報を集めます。ご心配なく、慎重の上にも慎重に」  リリが立つ。 「最悪のその上を想定しろ。資金がもっと必要なら、遠慮なく言ってくれ」 「はい」  瓜生の言葉に、リリがうなずいた。  ベルがうなずき、リューが小太刀を納めた。 「店を辞めてきます」 「辞めても無駄だろう。人質として価値があることには変わらない。敵の邪悪さは、想像を超えると思ったほうがいい」  瓜生はそう言って、金袋を渡した。高額金貨と500グラム金地金が何個も、何人も一生贅沢に暮らせる額だ。  エルフは一瞬強い目で瓜生を見、理解した。 (侮辱ではない。使命のため、人を買収したり情報を集めたり、シルなどを護衛する者を雇ったりするのに使え、ということ)  袋を受け取る。 「シル・フローヴァが世話している孤児院も危険だ」 「はい」  ベルが息をのむ。 (そんなばかな……)  とリューを見たら、彼女はうなずいていた。 「人質として……いや、私に嫌な思いをさせるためだけに拷問虐殺死体を……十分あり得ることです」  ベルは聞いて震えた。 (そういう戦いなんだ。ウリューさんやリューさんは、そこまでやる汚い相手と戦ってきたんだ。リリを助けたのも、そんな汚い戦いだったんだ)  そしてリューは、少し考えて覚悟を決めた。 「もっとお役に立つため、ステイタス更新をすれば多分ランクアップ……いや、【ヘスティア・ファミリア】に改宗(コンバージョン)を……ですが、かなりの時間戦線から離れることになる……  あなたがたにはさまざまな噂があります。もし、高速で移動できる手段があるのなら」  アストレアに会う。改宗する。どちらも、どんな拷問より辛い。  それでも、 (これほどの正義のためであれば……)  なんでもする。 「ありがとうございます!……ただ、【ヘスティア・ファミリア】に入るなら、『絶対に虐殺・拷問・強姦はするな』という掟があるんですが」  リューがびくっとした。 「……これからやらない、でいいらしい」  ソロの言葉に、リューがほっとしたようにうなずく。 「はい、アストレア様に誓って」 「ついでに、ベルくんには手を出すな!」 「そ、それはもちろん、彼はシルの」  ヘスティアが釘を刺すのにリューが慌てた。  瓜生がリューに聞く。 「リューさんは主神のところまでいかなければ改宗待ちにできないな……どのあたりだ?」  答えを聞いた瓜生はしばらく考えた。 「わかった。しばらく同行してくれるか?」 「店に戻って、断ってきます。深夜」 「リリ。あとは頼む。情報を集めろ……万一の際には、頼む。ソロ、ついてきてくれ、おれは個人の接近戦が弱い、暗殺者に弱い」 「リューさんは信頼できます!」  ベルが言ったが、 「実力が足りない可能性もある。そちらは武威がいれば問題ない」  リューは一瞬色をなし、抑えた。  瓜生の油断なさと、他者の感情を考慮しない危うさを理解した。  リューは一度『豊穣の女主人』に寄り、シルとミアに話した。ある程度のことにとどめようとしたが、結局すべて話した。ふたりとも、すべてを受け入れた。リューの頭にこぶ、頬に紅葉がついた。  瓜生が渡した金で、情報収集やシルの護衛などを依頼した。それから3人は市外に出る。  瓜生は、主にラキアを抑えるため都市外の国々とも交渉がある。また都市外の鉱山資源の開発もしている。何より『ギルド』とのかかわりが深い。事実上出入り自由だ。  人目を避け、目的地とは違う街道に出た。地図で細かく検討し、少し遠回りになっても行き先を見通す。  会話はなかった。気まずいなどというものではない。  街道の少し広くなったところで瓜生は、ポルシェ・カイエンを出した。超高速と高い悪路走破性を兼ね備える過剰性能のSUV。サーキットなら300キロ余裕のスピード。  リューもソロも、当然驚嘆していた。 (全力で走ると同等の速度を、この急な上り坂でずっと出し続けられるとは……) (パトリシアの馬車の何倍の速さだ?いや、馬車ではとうてい登れぬ道を、かるがると)  馬車や徒歩なら何日もかかる道でも、一日かからない。 「きみたちにも覚えてもらうかもしれない。おれがどんな動きをしているか、見てくれ」  瓜生がそう言って、リューも運転を観察しはじめた。  一度本当にどうしようもない崖崩れもあったが、3人で車を軽く担いで抜けた。それができるから、スピードを優先してカイエンにしたのだ。悪路走破性だけを考えるなら、キャタピラを選んでいただろう。  途中から何度か、リューやソロにも運転を交代させた。リューはすぐに、瓜生以上に運転はうまくなった。  帰り道は、車を消してソロのルーラで瞬時だった。  リューはレベル5にランクアップし、そのまま改宗待ち状態でヘスティアのところに来て、改宗した。  またソロもレベル7にランクアップした。  瓜生はひたすら情報を集め続けた。膨大なゴミの中にある、小さな宝石を。その多くには毒や罠が仕掛けてあるが…… *今回が本作のクライマックス。  あまり考えずに別作品からのクロスオーバーを集めたんですが、幽白は雪菜、DQ4はロザリーと、「宝石の涙」がウィーネとおもいきり共通するんですよね。  ソロを長いこと思いつかず、いいクロスはないかなと考えていた自分がかなりバカに思えます。それにヘルメスのやらかしも、FCのエビプリを思い出したら思いっきりトラウマぐりぐりですし。 >告白  瓜生は、ウィーネの件について伝えておくべき人数を固めた。  ヘスティアが知らせたのは神友……タケミカヅチ、ミアハ、ヘファイストス。  レフィーヤも見た、ということはロキも間違いなく知っている。ヴェルフや、『豊穣の女主人』のミアとシルも知っている。  まず、【ヘスティア・ファミリア】の新入生たち。  それから【ロキ・ファミリア】の幹部。 「【ヘルメス・ファミリア】は信用していない。あの神ヘルメスはベルを、人間の悪意を学ばせようなどとほざいて襲撃させようとしたことがある」  瓜生の言葉に、ヘルメスにはいろいろな意味で世話になっているベルが目を見張った。 「え?」 「エビルプリーストを思い出すな……ピサロを本当の魔王にするためと、ロザリー襲撃を裏で仕組んだ」  ソロが拳をきつく握りしめる。 「アリストートスみたいなやつだな……そういう間違った忠誠心も危険だが、ヘルメスは自分の楽しみのためだからもっとひどい」  黒いゴライアスを倒したベルを見た時の、ヘルメスの予言じみた絶叫は【ロキ・ファミリア】が全部聞き取って幹部と瓜生に伝えている。 「それに、殺生石の運び屋でもあった。用途は知っていたはずだ……人命など屁とも思ってないんだ奴は。眷属も、そんな奴に忠実だ」  春姫と命が身震いする。 「逆に、【ヘルメス・ファミリア】はこちらから調べるべきだ」 「はい。ルルネ・ルーイに追われそうにもなりました」  リリが不愉快そうにする。 「おまえも重要な身だ、危険は犯さず人を使ってくれ。人を信用できないのはわかるが、人を使えなければこれほどのファミリアを守るのは無理だぞ」 「ウリュウ様の、同時に複数の情報屋を使って相互に確認する、あれをなんとか使えるようにします。ものすごくお金がかかるのですが」  リリがため息をつく。  新入生たちはみな、異様な雰囲気を察していた。  ベルもヘスティアも、追い詰められたような感じになっていたのだ。もともと腹芸ができない人たちでもある。  それが目に見えているのに言ってもらえない新入生たちは、かなり爆発寸前だった。やっと全員が集められた。 「長いこときみたちをないがしろにして、こちらだけでいろいろ動いていてすまなかった。あとは……ベル団長から」  主神ヘスティアの言葉に、全員が注目する。『学校』で、壇上の一人を注目することを訓練してきた。  いや、学校というのはそれ自体が、「整列し、一人に注目して服従を態度で表明しつつ話を聞く」ことを訓練する機関に他ならない。それは瓜生の故郷の、近代そのものの本質でもある。あえていえば、九九も文字も覚えなくても、整列行進ができればいいのだ……敵の砲火にかまわず命令に服従して歩く戦列歩兵を育てるのが、本当の目標なのだから。  注目する新入生たちに、ベル・クラネルはまず深く頭を下げた。 「ごめんなさい……これから、非常識で、とんでもないものを見せます。そして、みんなをものすごい危険に巻きこみます」  全員、かなり混乱した。 「どうか、騒がず、暴れず、見てください」  そう言って、ベルはウィーネを招いた。  瞬間、パニックになろうとする新入生……それを、低い声がふたつ叩いた。  武威とソロの、音量そのものは小さいが強烈な気合。超絶強者の「威」は、動物的に新入生の心に衝撃をぶちこんで黙らせ、強制的に納得させた。ミノタウロスの『咆哮』にも似た威力だ。 【ヘスティア・ファミリア】はもともと狙われている。  瓜生がオラリオに来て間もなくから、銃声とすさまじい破壊力で『妙な音』の噂が立った。  それを狙った【ソーマ・ファミリア】を滅ぼしもした。  魔剣鍛冶。魔剣の大量生産。クロッゾの魔剣。それらを中心に、噂を意図的に流しているが、そのどれであっても (どんな手を使っても……)  手に入れたがるファミリアは多い。  新入生にも、入団前の面接からそのことは強く言っている。 「この【ヘスティア・ファミリア】は強力な飛び道具を大量に準備でき、それだけでも都市中に狙われている。まさかと思うような弱いかかわりでも、いつ拉致されて拷問されるかわからない。  そうならないようにするつもりだが、代償として自由に街を歩くことができなくなる。いつでもチームを組み、監視されながらでなければ外に出られないんだ。  その覚悟がなければ、このファミリアには入れないと思ってくれ」  覚悟を決めて書面に署名した者ばかりだ。  だが、いくらなんでも、しゃべるモンスターと言うのはとんでもなさすぎる。そしてモンスターをかくまう、全人類を敵に回す覚悟をしろ、というのも。 「悪いけど、脱退を認めることもできない。知っているかもしれないだけでも拷問する者は多いだろう。竜女(ヴィーヴル)はドロップアイテムだけでも、とんでもない金になるだろうから」 「ほかにも知らせることはあるんだ。ソロ君がレベル7になった。それと、新しい改宗入団者がいる。冒険者の地位を剥奪されてるけど、レベル5のリュー・リオン君」  と、ヘスティアが追加で放りこんだ爆弾に、新入生たちはもう、 (どうにでもしてくれ……)  という状態になった。  その直後から、新入生全員をダンジョンに連れて行って、S&W-M460リボルバーの訓練を始めた。市街戦に特化、奇襲できればレベル4までなら撃退できる威力はある。  翌日から、常に4人チームを組んだままオラリオを歩き、情報を集めさせた。  しゃべるモンスターの噂は、ベルたちとは関係なく広まり始めている。  さらに瓜生は、オラリオの雑踏のあちこちに小さいスピーカーを隠して設置し、 「しゃべるモンスターがいたってよ」  を含む、あることないことの会話音声を流すことを始めた。  さらに、瓜生は別のプロジェクトも思いついた。以前からホームシアターを作っていたが、それを利用して故郷のミュージカルを、【タケミカヅチ・ファミリア】も巻きこんで上演しようとしはじめた。DVDを流す。同時に瓜生が脚本を朗読する。ある役に選ばれた新入生が、自分の役のセリフ、瓜生が読む言葉を聞いて書き取る。  ほかの準備も、2日で形にするつもりで。  また瓜生が出した着ぐるみをウィーネに着せて、『豊穣の女主人』で働かせ始めた。手の器用さを必要としない仕事のみだが、いいマスコットになっている。そしてレベル6のミア、5になったリュー、4が3人以上……そうそうは落ちないだけの戦力はあるし、元裏稼業が多いので絡め手も警戒できる。  店頭で、神々にも求婚されカジノに狙われた美女、アンナ・クレーズが両親が扱う花を持ってきて、着ぐるみのウィーネと組んで花を配っている。広場で弁当や、小さいおもちゃ、花などを売ることもある。  もちろんそれは大人気になり、『豊穣の女主人』の売り上げにも貢献している。  無論ウィーネは失敗して落ちこむが、 「最初の頃の私よりずっとましです」  と、リューがなぐさめた。  着ぐるみそのものの問い合わせも多数出たし、それを作る服飾【ファミリア】もいくつも出た。そうなれば当然、ウィーネは目立たなくなる。  そしてウィーネは魔物の姿で人間の子供を守っても石を投げられたのに、着ぐるみで同じことをしたら皆に感謝される……人間というものの不可解さ・理不尽さも知った。ベルたちもそれを聞き、深く考えたものだ。  ウィーネが言葉などを覚えるのが早いことを聞き、瓜生はふと文字を用いない知能テストをしてみて……驚いた。 「低く見て180……人間ならとんでもない天才か」  それを知ってからは、文字や算数も習わせることにした。オラリオの文字も、瓜生の故郷の日本語と英語も。  リューは改宗はしたが、そのことは秘密にして店に住み続けている。彼女は冒険者の地位を持っていないので、『ギルド』に報告する義務がない。  ミアやシルにもウィーネの正体を見せ、受け入れられている。  ベルたちは激しい鍛錬を始めた。【アポロン・ファミリア】との戦争遊戯を準備したころのように。 「ウィーネを守るため、何よりも必要なのは実力だ」  と瓜生は言った。  ソロやリューも腕の錆落としと、ランクアップで強化された体に慣れるため、ふたりにとっても格上である武威とダンジョンで激しい鍛錬を始めた。それからベルやビーツ、トグや命、来た時にはヴェルフやレフィーヤもしごく。  特にレフィーヤはリューの事を深く尊敬しており、その鍛錬には大喜びした。  ビーツと武威は、以前からの単純な稽古をさらに厳しく繰り返した。力を抜き、姿勢を正し、呼吸を整え、正しくゆっくりと……常人がフルマラソンを走ったり、厳しいウェイトトレーニングをしたりする以上の疲労を意志で乗り越えながら。ビーツは、並行して足腰と心肺を中心とした近代トレーニングもアイズやベートに劣らないほどやっている。  トグやリリ、ヴェルフや命は、瓜生の指導で重火器の扱いも習い始めた。  ソロとリュー・リオンのふたりは、ベルにひとつのことを叩きこみ始めた。  同じファミリアとして、彼のスキルを聞いてのことだ。 「その『英雄願望』は、何分もチャージして放つのは前衛であるクラネルさんにとって、現実的ではありません。ひと呼吸だけのチャージで攻防一致の剣を、目標とすべきです」 「異様なまでに正しい刃筋と基礎練習の積み上げ、それがベル・クラネルの最大の武器だ」  3か月……ベル・クラネルの素振りの回数は、全国大会に出られる高校レギュラーの3年間にもまさるだろう。  その高水準の基礎は極意に通じる攻防一体であり、磨けば磨くほど切れる。  歩き、ひと呼吸、短いチャージを体幹と足の指先に。徹底的に刃筋を正しく、腰だけ、刃の重さだけで斬る。意識せずにそれができるよう……基礎の反復練習そのものだ。自転車に意識しなくても乗れるように、何千回もの反復練習で、歩くように自然にある動きができるようにする。  チャージを加えた動きを、自転車と同じように慣れるまで繰り返す、それだけのことだ。  歩き続ける、深く腹で呼吸する、肩に力を入れず体幹で斬る……それは最初からタケミカヅチに教えられている通り。それにひと呼吸チャージを加えるだけだ。  そのために膨大な反復練習と、今まで以上の足腰のトレーニングもすることになる。  瓜生とリリは情報収集にも忙しい。莫大な金をばらまき、逆にたどられぬよう慎重に、慎重に……常に、どんな目があるかわからないと警戒しながら。  現に時々、ベルは奇妙な視線を感じる。そのたびに瓜生やソロに報告し、彼らが動く。  オラリオの人が知らない電子的な監視機器が、迷宮都市を覆っていく。  ヘルメス、ロキ、フレイヤ、『ギルド』……愚者。そして密猟者たち、闇派閥。多くの闇の目が錯綜する暗部に、蜘蛛の巣のように、カビの菌糸のように電波と電線、大金でできた糸が侵入していく。  ヘスティア、ベル、瓜生、ウィーネ、リュー、武威はヘファイストスやタケミカヅチを連れて、瓜生が適当に即金購入した空き家(セーフハウス)に行った。 【ロキ・ファミリア】とつなぎをつけて。  何度も、このようなことはやってきた。  道中でも、途中で何度か大きい店を通り抜けたりして尾行を丁寧にまいた。  今回はリリとソロ……『シンダー・エラ』と『モシャス』を使うふたりがヘスティアと瓜生に化け、ビーツが入った着ぐるみを連れて『豊穣の女主人』に行き、アマゾネス姉妹と食事をする、そこまで配慮した。  フィン・ディムナは最初から、小さい身体に見合わぬ威圧感を持って入ってきた。親指がすさまじい何かを訴えている。  ロキもそれを感じ、覚悟したように。ヘスティアとの、いつものケンカもせずに。  そして、着ぐるみを脱いだウィーネを、ロキ、フィン、リヴェリア、ガレスが見てその挨拶を聞く……  そのころ、【ヘスティア・ファミリア】本拠(ホーム)に『ギルド』からの呼び出しがあった。  翌日、『ギルド』に行ったベルは、エイナ・チュールに『強制任務』の命令書を渡される。  その帰り道には、もう瓜生が企画した、演技やダンスが無理なので朗読程度に抑えたミュージカルの初日が野外上演されていた。 >強制任務  ベル・クラネルが命令書を渡された夕方。  大広場では、歌を入れた極東風の野外芝居が大きな話題になっている。  それでも仕事が増えた『ギルド』に、上演のあれこれも兼ねて瓜生が訪れ……上司との面会を希望した。 『ギルド』すなわち迷宮都市(オラリオ)の最高権力者とされるロイマン・マルディール。太ったエルフという奇妙な存在だが、有能ではある。  その豪華な執務室で瓜生はかがむと、足元に巨大な金塊を出現させた。  200キロ以上の、展示などに使われる品だ。  ずしっと床に重量が伝わる。  次々と出し続ける。4個、9個、2段、3段……下の方の金塊がゆがみ潰れる。  豪華な部屋の、高級な上に高級な絨毯が敷かれた床から嫌な音がする。 「よ……よせ」 「なぜ?誰もが欲しがるものじゃないですか」 「よしてくれええっ、床が崩れてしまう!」  悲鳴を上げた、太ったエルフは激しく息をついた。 「その強制任務を出した、者のところに、連れて行けばいいんだな」  ロイマンの目は、 (もうどうなっても知るか……)  と語っていた。 「はい」  瓜生は平然と笑って金塊を消し、扱いやすいよう数十個の1キロ金地金を出しなおした。追加に特大のダイヤモンドもいくつかつける。  瓜生が以前から『ギルド』、そして実は【ロキ・ファミリア】にもやっている脅し。  彼はオラリオの地下や、オラリオ外の洞窟などに、合計何億トンもの純金を分厚い鋼板入りコンクリートで埋めている。 (もしおれが、正しいパスワードを残さずに死んだり消えたりしたら。死に方、消え方に不審があれば。  数日間連絡がなかったら預けた荷の封を開け、中身のビラをまくよう、おれを裏切れない人や神に高い報酬で依頼している。全員を突き止めるのは無理だ。  そのビラは一種では意味をなさないが、4つ手に入れて重ねて透かせば宝の地図だとわかる……多くの冒険者が探すだろう。  そうなれば、オラリオの……いや、全世界の経済は瞬時に崩壊する。この世界でこれまでに採掘された黄金すべての、何千倍もの量だ……)  何百倍も人口があり、鉄鋼の総生産は何万倍かわからない瓜生の故郷でも、金(ゴールド)の歴代総産出量は15万トンぐらい。この世界では1万トンもないだろう。  そこで億単位が突然一気に発見されれば……賢明なら少しずつ使うだろうが、隠し場所は複数ある。誰か愚か者がすべてをばらまき、経済全部を崩壊させるだろう。  瓜生は核爆弾を出して起爆することができる。  だがそれは、単にしたくない。虐殺は絶対にしないと誓っているから。フィンなどそれを知る者には、いくら核爆発を見せつけても脅しにならない。  だからこそ、できる脅しは大量の黄金をばらまくことだ。  為政者にとっては、核兵器で都市が更地になるほうが、 (まだまし……)  である。  瓜生はここに来るまで……能力を得て異界を放浪するようになってから、何度もこの脅しをしている。  異界冒険者としてまだ未熟な頃だった。  貧しく死にかけた子供を救ったら、強欲な領主に呼びつけられた。 「黄金をよこせ」  金地金を与えた。 「もっとよこせ」  地下室をいっぱいにしてやった。 「もっとよこせ」  インカ帝国最後の皇帝が、本当に部屋をひとつ黄金で埋めてもコンキスタドールの欲は満たせず処刑されたように。 「もっとよこせ」  もっと、もっと、もっと……  剣を突きつけ、拷問用具を見せつけわめく領主。瓜生は懐に銃を隠し邪悪な笑みを浮かべて、大広間を金地金でいっぱいにした。天井にも届くほど。  館が崩れた。崩れた黄金が壁にかけた、横向きの圧力で。  瓜生自身は、背後に装甲車を出しもぐって助かった。  町の経済は崩壊した。金貨に価値があるのは希少だから。それが膨大であれば……それこそ膨大だと知れただけでも、貨幣としての価値は消え失せる。  近代国家が、貨幣を輪転機で刷るつもりだと思われただけでも、貨幣の価値が消えてハイパーインフレが起きるように。  その崩壊は、大陸全体に波及した。  多くの国が莫大な黄金を得ようと襲いかかった。  瓜生は虐殺をしたがる征服者を機関砲で殺戮し、何度も戦術核兵器を、最後には水爆すら使って王たちや皇帝たちを脅した。  結局、一人の幼児を助けるつもりが、何千人も殺し、何億食もの軍用レーションをばらまく羽目になった……  瓜生が今も罪悪感に苦しむ、未熟な頃の失敗の一つだ。  それ以降は、それがわかる程度の知性の持ち主を脅すだけにしている。  少し時間をおいて案内された瓜生は、神ウラヌスのもとで意外にも、自らの主神ヘスティアと顔を合わせた。  ベルが読んだ命令書には、 「ベル・クラネル、ビーツ・ストライ、ヤマト・命、サンジョウノ・春姫、リリルカ・アーデの5人で、竜の娘を連れて20階層に来い」  とあった。  さらに、模様に隠された神聖文字で、ヘスティア自身も呼び出されていたのだ。  ベルたちが小遠征の準備をしているとき、【ヘスティア・ファミリア】の新入生たちは街中で瓜生の故郷のミュージカルを翻訳し、上演する仕事に挑戦した。数日の、必死の準備だった。  演目は『大江山花伝―燃えつきてこそ―』宝塚歌劇団。原作:木原敏江/脚本:柴田侑宏/作曲:寺田瀧雄/1986年初演。  大江山の酒呑童子伝説を下敷きとした物語。 ……あらすじ……  都を荒らす酒呑童子一党、茨木童子の腕を斬り落とし自邸に保管した、源頼光が四天王筆頭の渡辺綱。その腕には、奇妙にも花びらの形の跡があった。  綱は大江山に潜入しようとして捕まる。鬼の腕を見た綱の下女、藤の葉(藤子)が忍びついてきてともに捕まった。顔に醜い火傷の跡がある、大火事で孤児となった少女だ。  藤子は幼いころ拾われた少年と愛し合い、花の焼印を互いの腕に刻んで末を誓った……だが少年は行方知れずになり、藤子も大火事で家族を失い、拾われて下女の身となった。彼女は茨木童子の腕にあった焼印の跡を見て、一目会えれば死んでもいいと大江山に行ったのだ。  茨木は綱と藤子の正体を知り、ふたりの命を助けた。だがしばらくして彼女をわざと傷つけ、綱を助けて逃げるのを黙認した。滅びたいかのように。  酒呑童子一族は、もともと北の海から流れ着いた白人。肌の色、目の色の違いから迫害され、多くの悲劇に心歪み、一族に伝わる魔術と超能力を強化して暴れていたのだ。  茨木の母は、藤子の親の屋敷の門前に彼を産んで死んだ。茨木は人として生きようと、何度も逃げては連れ戻されていた。  だが放浪中、些細な嫉妬から友人を殺した茨木は、自ら鬼と自覚して父の元に戻った。  綱の手引きで酒に薬が混ぜられ、頼光率いる軍勢が大江山を襲う…… …… ……  DVDをホームシアターで上演しながら、瓜生が脚本を朗読する。  演じる者が、自分の役のセリフを聞き取り、共通語で書きとる。  それから最低限の稽古。  ごく短い稽古期間、手に手書きの脚本を持ったまま読むだけ。棒立ちで。踊り部分は省略。  武神タケミカヅチと姫君育ちの春姫は、高水準の日舞を披露した。  広場での野外上演。背景も、絵がうまい者がざっと描いただけ。学生の文化祭レベル。最高級のスピーカーシステムを用いた大音量の音楽。……当然、本来のキャストの声も混じる。メイクもろくになく、和服を春姫らにつけてもらっただけ。  それは、ぎりぎりだった。モンスターを擁護し共生を呼びかけているとは悟られない、ただし心の奥に種を植えていた。  女神ヘファイストスは、滂沱の涙を流していた。  醜い傷があるだけで、尋常の人の身から疎外される身となった藤子…… ((せりふそのままではなく意味)心に鬼が住んでいる、鬼だって?だれだってそう。私も、美しく幸せな娘を見れば、同じように醜く不幸になればいいと妬みと憎しみで真っ黒になる。都の人々もひどい。  あなたは人間と鬼の間で苦しんでいるだけでも、ずっと人間なのよ。あなたは人間らしい人間なのよ……)  そんな心の美しい彼女を愛した、ふたりの男。  鍛冶神の顔の、眼帯で隠された醜さをあざける神々、ただひとりヘスティアを除き……直視して愛を誓ったヴェルフ。  顔ではなく、心。心に鬼を持つありのままの人を愛す……そして差別が鬼を産む、差別する人、自らの鬼を自覚していない人こそ、鬼なのだ……  泣きじゃくる主神を見る椿・コルブランドは、気配を消して音楽機器の電源をいじる瓜生に忍び寄った。  居合の構えで、 「わが主神を利用するためか?」  と訊く。 「は?」  瓜生には意味が分からなかった。 「ウリューくん……ヘファイストスの眼帯の下は、あの藤子のように……」  ヘスティアが告げた。瓜生はショックを受け、強く下を向いた。 「ふん」  と、椿は刀の柄から手を放す。  ソロも泣いていた。物語にも、また、 (マーニャやパノンにも見せたかった、彼女たちがこれを演じるのを見たかった)  と、死と同じ遠さに隔てられた仲間たちを思っても。  アイズ・ヴァレンシュタインは凍りついていた。 (いや!いや!ちがう!いや!)  すさまじい叫びが心を満たす。  心の奥底に何か……気づいてはいけない何かがあった。  レフィーヤも凍っていた。瓜生の意図は、彼女にはわかった。そしてかすかな疑いがあった……あこがれてやまないアイズ・ヴァレンシュタインについて。彼女の力は、異常ではないか…… 「偽善者め」  憎悪に燃える男もいた。  単なるミュージカルとしても、美しい音楽と物語、歓楽街の一部を思わせる豪華な和服で大盛況となった。  また広場での上演は、襲撃から新入生たちを守る役にも立った。群れている魚は攻撃しにくい。  上演を妨害しようとする者もいたが、襲撃を準備できる場では先に、金で雇われた冒険者が飲み食いしていた。さらにあちこちの高い建物から狙撃も準備されている。  劇初日の夜、ヘファイストスは眷属を集めた。  瓜生に伝え、ウィーネを連れてきてもらって。 「みんな……【ヘスティア・ファミリア】が、人と話し人を襲わないモンスターを見つけた。  私たち【ヘファイストス・ファミリア】は、人のように動くモンスターが人を襲わない限り、【ヘスティア・ファミリア】とともにその側に立つ。  罪のない者を殺したら、モンスター以下の悪になる!」  強烈な神威、それがなくても眷属たちは愛する主神に従った。  ヘファイストスは団員に強く慕われ愛されている。  劇初日の翌日、ベルたちはウィーネを連れ、守って中層に向かった。  ベルもビーツも、さらに腕を上げている。ソロとリュー・リオンが教える側に加わったし、基礎練習も足腰心肺の近代トレーニングもみっちり積んだ。  ビーツは、両腕に新しい防具をつけている。肘から手まで、目立たないが頑丈な装甲で覆っている。  椿・コルブランドとヘファイストスも協力し、黒いゴライアスの硬皮や人工迷宮のオリハルコン、深層のドロップアイテムも用いた防具。  槍の扱いを妨げず、拳面を極度に強化している。手の甲から肘まで、使っていた一級のトンファー以上の盾とする。  長槍も、ヴェルフが全霊で打った。全身も、動きやすさを最優先しているがしっかりと固めている。  槍の間合いの内側に入られた瞬間、槍を手放して腕で敵の攻撃を止め、そのまま一見軽い拳の一撃。『気』が内部に浸透し、内部から頑健な怪物も一撃で倒す。ソロの指導を受けたことで、無駄な動きをしないことに力を入れるようになった。タケミカヅチもそれをより高め、厳しく指導している。  ベルも全身の鎧を強化した。また呼吸と『英雄願望』の一体化の修行がかなり進んでいる。深い腹式呼吸とともに、体幹に光が浮くと恐ろしい速さで敵の死角に移動、刀の重さだけで斬ってすっと歩き抜ける。  リリも、クロスボウの矢にベルの雷電付与呪文をかければ、弾の威力は20ミリ弾級にもなり、大型の怪物も一撃で葬れる。  近代火器は使っていない。尾行があるとリュー・リオンが知らせてきた。『バベル』に入る直前、『豊穣の女主人』が出張して売っている弁当の種類が暗号だ。  ヤマト・命と、いけないとは書かれていなかったので呼んできたヴェルフ・クロッゾは必死で戦い続けていた。  足早に18層にたどりつき、休憩する。ビーツは、【ロキ・ファミリア】と共同で備蓄している大量の保存食からまたとんでもない量を食べた。  それから大樹の迷宮。毒があるモンスターが多く、足元も悪い戦場だ。    瓜生たちと打ち合わせてある場所を通って、より深い層へ……ひたすらウィーネと、春姫とリリを守って。  19階層に入って、決まった分岐を通り、あるルームを通過した直後だった。ベルたちの背後で激しい雷鳴と戦いの音が起きた。先行させていたソロが尾行を完全に封じた。  ベルは知らないが、それだけではない。ベルたちを監視していた、知性のあるモンスターが何体も殴り倒され、降伏している。  妙に強い敵の強襲から必死でウィーネを守っている……ベルが恐ろしく強く、冒険者から奪ったと思われる剣で切りつけてくるリザードマンと戦っているとき、突然モンスターが戦いを止めてベルたちに声をかけた。  水晶の脇から行く小さな安全地帯、そして『異端児(ゼノス)』たちと、骸骨にしか見えない賢者フェルズ……衝撃は大きかった。  しかも、人数が多い。ここしばらく、実は瓜生のせいで【ロキ・ファミリア】の大遠征が速く進めた影響で、多数の異端児が加わっている。特に49階層からは百人以上のフォモールが加わっている。  さらに、何体も異端児を眠らせ縛り上げたソロまで合流してきた。  仲間を見て悲鳴を上げるリドたちだったが、 「今回は、言葉をかけて答えるようなら捕縛した」  とソロが言ったのにほっとした。  リドとの握手、酒宴……ウィーネを『異端児』側で預かるという話になったが、ウィーネは嫌がった。  どうしていいかわからない……ウィーネの幸せを考えすぎるベルにかわってリリが、交渉に入ろうとした。だがそこに、フェルズとともに瓜生があらわれた。  模様に隠された神の文字を読んだヘスティアは、【ミアハ・ファミリア】の狙撃手たちの護衛も得て指定された場所に向かった。そこで出現した者が煙幕を出し、そしてヘスティアは拉致されたが……  ヘスティアには発信機がついていた。そしてその発信機の位置情報を、瓜生とリュー・リオン、武威は見ていた。  リューは【ヘスティア・ファミリア】の小遠征を尾行する者を突き止めようと動き回り、ベルたちに尾行の存在を警告した。  武威は瓜生から通信機を預かっており、新入生を守るとともに、いざという時の最大予備戦力となっている。必要があれば『ギルド』建物でも『バベル』でも粉砕されるだろう。  幸い、ウラヌスとフェルズはヘスティアに友好的だった。 「監視の目があったことはわかっている。フクロウなどだな」  瓜生はベルの敏感さを利用して監視を突き止め、その監視を電子的に逆尾行した。  敵がどこも慎重で、失敗するケースも多かったが、いくつかは突き留めている。  異端児(ゼノス)のこと、【ガネーシャ・ファミリア】の協力など衝撃は大きかったが…… 「少なくともおれは、絶対に虐殺は許さない。人間だろうとモンスターだろうと」  瓜生の言葉に、ウラヌスは静かにうなずいた。  そしてフェルズが異端児たちのところに向かうのに、瓜生もついていった。  通信機でリューや武威と連絡を取り、いくつか指示をした瓜生はフェルズを連れて軽装甲車で一気に18階層へ、さらに18階層を隠れて抜けた。  フェルズはさまざまな隠密手段で、瓜生の能力を知っていた。  酒宴の最中に追いついた瓜生とフェルズに、ベルたちもリドたちも驚いた。  そこで改めて人間と異端児の共存について瓜生は問われ、何人かの異端児は人間不信を訴えた。 「信用できなくて当たり前だ。いや、信用してはならないと言おう。おれが善意のつもりでも、尾行されていたり操られたりしないとも限らない。人間の邪悪さは、想像を絶する。いつだって。だからおれはいま、きみたちに武器と知識をあたえて去りたい……  きみたちには力が必要なんだ。きみたちを狙っている密輸業者は、きみたちの想像以上に有能で恐ろしい相手だ」  どれほど金をばらまいてもたどりきれない。探る者を探り返す能力が恐ろしく高い。【イシュタル・ファミリア】の切り札だった春姫の時以上に、情報を探るだけでも裏の連中が震えあがる。  モンスターの密輸はそれほど深いタブーであり、敵が巧妙だ。  その恐ろしさは今【ヘルメス・ファミリア】も思い知っているところだが……  また【ヘルメス・ファミリア】は、瓜生にばれないためにもものすごく気を遣っている。  それがまた、瓜生やリリにとっては見えない敵の大きさを巨大に見せている。  瓜生はまず大きく四角い缶に入ったサラダ油と乾パン、巨大な円盤状チーズなど食糧を多数出した。その使い方を説明するついでに、ビーツはたっぷりと、皆はほどほどに食事をする。  異端児たちはウィーネがそうであるように人間の食べ物も食べられるし、ダンジョンが出すモンスター用の蜜や、モンスターの魔石も食べる。  異端児たちが魔石を食べて強くなると聞いたソロは、『ふくろ』から大量の魔石を出した。以前の迷宮での鍛錬で手に入れ、つい売り損ねていたものだ。一部はリリが闇で情報を集めるために使っているが、まだ大量にある。  異端児たちは目をむいた。  それから瓜生は大型の金床、ハンマー、やっとこ、送風機・発電機・燃料油、コークスなどを出した。 「おい」  それを見たヴェルフが慌てる。 「ヴェルフ、彼らに最低限の鍛冶技術を教えてやってくれるか?」  そう言って、大量の工具鋼板も出す。 「……」  ヴェルフが息をのむ。 「もちろん……攻撃されていないのに人に向けたり、たとえ異端児でも無抵抗の弱者を殺すのを目撃したら、必ず殺す。拷問や強姦も、どんな理由があろうと許さない」  瓜生が強く言う。 「異端児の中でも派閥抗争や戦争が起きても不思議じゃないからな」  それにベルはあきれかえった。  それから瓜生は、いくつもの近代火器を出し、異端児たちに最低限の訓練を始めた。 「できるだけ操作が単純なもの、少ない種類だな。パワーはレベル3以上の冒険者ぐらいにはあるようだ……」  そう言って積み上げ、発砲はさせず最低限の操作、それ以前にそれがどんなものなのかを説明する。 「要するに、小さい金属の塊をものすごいスピードで飛ばす。ガン・リベリアにも近いが、威力は何倍もあると思ってくれ。  危険なものだ。絶対に銃口を、自分を含め人に向けるな。撃つ時以外引き金に触れるな。常に、何もしていなくても突然弾が出るとして銃口を安全方向に向けておけ。  全員復唱してくれ。  強敵にはこれ、貫通力は大きい。爆発があるからすぐ近くだと味方もダメージを食らうが」  対戦車手榴弾。 「十分な弾数と、高速で強力な弾」  .50ブルパップボルトアクションライフル。 「近い距離で護身用の、瞬間的な火力」  S&W-M460リボルバー。 「暴発で自分や仲間を殺さないよう、さっきのルールを守ること。復唱してくれ」  それから、希望者がいれば少人数ずつ、ダンジョンの別のところで訓練することを伝えた。  また、 「装甲車を目撃している冒険者は結構いる。最初は中身は人だと叫ばないと攻撃してきたっけ……逆に、装甲車の中身が人じゃなくても気づかないかもしれない」  とも思った。だが、まだ装甲車は一応秘密の存在で、知らされている人数も少ない。  それから瓜生は、異端児たちがまとう鎧を修理しながら鍛冶を教えているヴェルフに、何種類かの鍛造しやすい工具鋼を大量に与えた。  そしてソロが大量に持っていたタイゴンファングの牙や爪に、鉄・ニッケル・モリブデン・マグネシウムを混ぜた合金が、炭素鋼に似て鋭利・折れにくい・研ぎやすいを高い水準で実現している……そのための金属インゴットとルツボ、加熱機材も多数瓜生が出し、ソロがドロップアイテムを提供した。  別のところで、そちらの作業も始めている。  素早くそれなりの防具を作れる、青銅のロストワックス鋳造も必要なものを提供した。青銅材、鋳造用砂、型木枠、ロウ、火ばさみと加熱機材など。  また瓜生が簡単なテストをすると、案の定異端児(ゼノス)の多くは人間でいえば天才水準の知能だった。 (なら日本語の本を朗読して書き取らせ、読み書きを学ばせてから工業技術の本を与えれば……)  とも思ったが、それにはかなり時間がかかる。 「ここまでの鍛冶仕事をすると、ここは手狭だな」  と移動の準備が始まったが、瓜生は反対した、 「おそらく敵は、今回追い散らした尾行で20階層が臭いとは思っているだろう。罠があると思った方がいい……ソロとヴェルフを置いていく。あとウィーネは連れ帰る。あんたたちに預けていて、まとめてさらわれたらたまったもんじゃない」  と言った。  さらに、 「地上を見たければ、今度準備してケージを持ってくるから、戦利品に隠れてしばらく我慢してくれるといい。地上に出たら、隠れ家で着ぐるみを着て過ごせばいいんだ」  と言い添えた。 「また、姿が人間に近い者は、完全に全身を覆う鎧を着て冒険者に混じれば地上に出られる。おれたち【ヘスティア・ファミリア】はマークされているだろうから、【ヘファイストス・ファミリア】を使ってもいいか……」  とも加えた。 「いや、姿を隠す方法がある」  とフェルズが言い添えた。 「だが、着ぐるみという発想はなかった……」  と落ちこんでいたが。  それから、ソロが異端児たちと残り護衛するとして、ベルたちは地上に帰った。  また、ヴェルフが全速で作ったフルフェイスの兜と、瓜生が出した分厚い防寒具に身をくるんだ異端児もフェルズの手引きで地上に連れていった。 「これは見せかけだ、防御力なんて全然ねえよ」  ヴェルフは悔しがっていたが、まあそれは用途というものだ。  地上に戻った瓜生は着ぐるみを隠れ家に届け、神ガネーシャも含めた交渉を始めた。  ベルやビーツは厳しい修行を再開する。 「異端児(ゼノス)は【ヘスティア・ファミリア】に近づけないように。うちは常に探られている」  と瓜生が言っておいた。 【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師たちは、ベルをともなって異端児を訪れ、鍛冶技術を指導し始めた。  また異端児は、本拠から離れたところで銃の訓練を始めた。また深層の魔石で強化された肉体と、自分用に作られた武器や防具にも、また着ぐるみを着て人間を装う練習も始めた。  念願の地上進出を果たした何人かの異端児は、太陽の光に感動し、また多数の人間……ヒューマンや多くの亜人、神々がなす複雑な大音楽、その猥雑、善良さの影のおぞましさ、欲望などをちらちらと見た。  ウィーネやリュー・リオンとともに、広場で花や弁当を売った。 【ヘスティア・ファミリア】の新入生たちが上演しているミュージカルに涙した。  瓜生とリリは、危険に半ば怯えながら【イカロス・ファミリア】の影を丁寧に追い始めた。【ヘルメス・ファミリア】の怪しい動きも確信し、決意して盗聴と追跡を始める。  ほんのわずかに触手が触れただけでも、闇に動く者はあとかたもなく消える。また触手を逆にたどって、探る者を追い詰めてくる。  情報屋の家族まで殺し屋に襲われ、警戒していたリューが助けたことがある。彼女たちを市外に……抑留されているラキア軍捕虜たちのところに逃がし、生活できるようにするのに底なしに金が飛ぶ。殺し屋が何人も暗躍する。 【ヘスティア・ファミリア】本拠は電子機器でガチガチに守られている。何人もの殺し屋が侵入しようとしてレーザー仕掛の銃に倒れている。  闇の戦いは、表のオラリオにも奇妙な緊張と不安をもたらした。  莫大な収益を得た多くの情報屋やその手下の豪遊。崩壊した【イシュタル・ファミリア】の歓楽街の跡を襲う抗争。グラン・カジノの長の逮捕と、その後の権力の空白。誰もが情報を求め、大金をばらまく。いつしか、闇の金価格が値下がりを起こし、新しく極深層のドロップアイテムが取引されるほど……  恐ろしくマナーが悪い成金が豪遊し、突然消える。奇妙な火事も多い。  さらに抑留されたラキア将兵が道路を築き、衛星都市を建設し、それに多くのオラリオ貧困層が加わることも、オラリオ全体の政治経済に流れを引き起こしている。  少し離れた鉄鉱石産地で水運がある地に試作段階だが製鉄高炉と、アルミニウム精錬所などが作られ始めたことも。  オラリオの民は、何とも言えない不安感を感じるようになった。同時に若い働き者は次々と高給の仕事にありつくようにもなり、それがまた不安定さを増している。  そしておぞましい罠を仕掛ける密猟者、ディックス……快楽を求めるイカロスとヘルメス。オラリオを守るロキ。  多くの思惑が絡み、英雄物語は流路を変えて、ねじまがって新しい流路を探して流れ、せき止められ、さらに圧を高める…… >前夜  エイナ・チュールは、やっとベルにすべてを打ち明けてもらって、嬉しさに舞い上がりそうになったが……異端児(ゼノス)というとんでもなさすぎることに凍りついた。 「ウリューさんが言っていました。もうエイナさんは安全じゃない、知らなくても拷問されるリスクはある、だからもう影の護衛はつけている、って」  ベルが『ギルド』に来たとき瓜生も伴っており、彼はそのまま上の方に行った。帰ってきてからエイナとベルに瓜生は、 「ちゃんとした拷問を受ければ誰でもなんでも吐く。また、美の女神の魅了など、あの『麗傑』ですら抵抗できなかった力もある。  知らなければ吐きようがない、がおれの故郷では普通だが……知らないまま壊れるまで責められるのと、知っていてリスクを負うのとどちらがいいか」  とエイナに言った。 (そうなんだ。私がそれを知っていることは、どんなに私の決意が固くても……『ギルド』を裏切る覚悟があっても、ベルくんたちにとってリスクになる。  でも、ベルくんは知らせてもいいと言ってくれた……) 「エイナさんにも、家族にも影で護衛がついている」  と言って去った瓜生に、ベルとエイナは見つめ合って、深いため息をついた。 「ごめんなさい」 「謝らないで。君が決めた道なんだから……どんなことになっても、私は味方だから」 「はい、はい……」  味方が増えるたびに、ベルの荷は重くなる。  広場でのミュージカルは、2日間ほど【ヘスティア・ファミリア】が上演してから利権を求めた芸能ファミリアに音楽・台本・上演権・衣装・背景の大きい絵などすべて渡した。  また特にタケミカヅチとも知り合いの極東系が、新しい歌舞伎などを求めたので。多数の脚本・DVD・CDを渡した。もちろん情報とひきかえに。  ただし、今上演されている『大江山花伝』も、 (人気がある限り続ける……)  と、なっている。  それに時には春姫の美しい日舞があり、また着ぐるみの歌手がとてつもなく美しい歌声を響かせる……【ヘファイストス・ファミリア】のカーゴに紛れて地上に出た異端児だ。 【ヘスティア・ファミリア】は、何よりも早朝から大量の食事を作っている。  20人ぐらいの人数だが、50人分以上の食事を用意しなければならない。ビーツひとりで少なくとも20人、時には40人分の食事を食べてしまう。  また、集合住宅に同居している【タケミカヅチ・ファミリア】も大抵は共に食べる。  10〜30人ぐらいの人数がひとつ屋根に暮らす、ということは大都市にはたくさんある。  神々の派閥(ファミリア)でなくとも、大きい商家や職人の工房などの多くは、多数の奉公人がいる。  だからオラリオでは、多人数用の魔石を用いる調理器具は容易に買える。  また、工場のような設備で大量の食事をまとめて作り、大鍋を荷車に乗せて運ぶ業者も結構ある。大規模なパン窯もいくつかある。 【ヘスティア・ファミリア】が買った調理器具は、70人規模だ。中規模な食堂の水準。 (加入人数がもっと多い予定だったのか……)  と、商会の者は思ったほど。  魔石調理器具だけでなく、別の一角には電気やプロパンガスを用いる調理具や食洗器が大量にある。業務用の巨大な器具が、いくつも。  業務用炊飯器。業務用フライヤー。業務用オーブン。業務用圧力鍋。  いつも大量の米飯、揚げ物、パン、麺類、煮物が作られている。大きな中華鍋でチャーハンやレバニラが炒められている。巨大な寸胴がいくつもスープやカレー、シチューを煮こんでいる。大きいタンス規模のオーブンでパンや肉、野菜が焼かれている。  全自動業務用フライヤーがカラアゲ・トンカツ・メンチカツ・チキンカツ・コロッケを連続的に揚げている。何十キロものフライドポテトが揚げられている。  多数のバケツで大量の豆が水に漬けられている。丸一日、何人かが食事当番として野菜の皮をむき、火加減を見、パン生地を練っている。  ある程度は近くの店に卸せるほどだ。  ダンジョン用に、ビスケットや固い燻製など保存食も多量に作っている。  新入生をヤマト・命が監督して調理をすることが多い。彼女がダンジョンに修行に行くときは瓜生やリリが交代する。基本的には新入生は命の担当で、彼女はとても忙しい。【タケミカヅチ・ファミリア】も協力してくれているが。  調理をよそに、夜明け前から激しい鍛錬をしている者も何人かいる。  団長のベル、ビーツ、武威、ソロはほぼ確実に、室内運動場で体を動かしている。ビーツだけは寝ている間に枕元に積まれたパン・チーズ・シリアルなどを食べつくしてからだ。  ベルは刀、脇差、脇差二刀それぞれで、常に歩きながら袈裟と突きを徹底的に。一呼吸ごとに『英雄願望』を短くチャージし、足の親指と体幹で動く、それを意識しなくてもできるよう、何千回も数を数えることなく。  武威は武神タケミカヅチに教わった武術を丁寧に練習している。24式太極拳に似た、『武装闘気』を制御して自分より腕力が強い相手を投げ倒すための武術だ。  ビーツは槍での突き・ほぼ同じフォームでの素手での拳、それだけを練習するようになった。武神タケミカヅチとソロの集中的な指導で。  徹底的に無駄をなくす。  槍は、まっすぐなレールにそって鉛筆を滑らせるように直線に沿うように。大きく踏みこみ、全体重をかけて突き、戻す。拳も同じ形を用い、ただ全身で突くだけ。 『気』を細かくコントロールし、全身の筋肉をコントロールする。全身の筋肉と骨一つ一つに『気』をまとわせ、徹底的に脱力し、呼吸を流す。ゆっくりと、細かい指導を受けながら数回、それから全速で数十回。それを何時間も、何度も何度も倒れながら繰り返す。  ソロも重い盾と片手剣を手に、とても激しい動きをずっと続けている。魔力を高めるための瞑想をしていることもある。  半ば気分転換に、激しいウェイトトレーニングやボート漕ぎ運動もすることもある。常人で言えば全力の400メートル走を繰り返すぐらい、心肺と足腰をいじめぬく。  4人がそろうとは限らない。ダンジョンの奥、小さい安全地帯の異端児を守る任務もある。  タケミカヅチが指導に入ったり、【タケミカヅチ・ファミリア】の眷属や命が加わることもある。特に春姫は少しでも成長しようと、熱心に小薙刀を振っている。  時には早く目が覚めた新入生が、人一倍頑張っている団長を見て朝練に加わることもある。 【タケミカヅチ・ファミリア】は、【ヘスティア・ファミリア】とほぼひとつになっている。ヤマト・命やサンジョウノ・春姫は所属はヘスティアだが、生活・修行・ダンジョン攻略の半分以上はタケミカヅチの眷属と共にだ。  タケミカヅチにはベル、ビーツ、武威、トグの武術の師としてその修行をみる仕事もある。眷属たちは【ヘスティア・ファミリア】の新入生を武術・生活ともに指導し、ダンジョンでは経験を生かして護衛している。  そうしている間に朝食の支度ができる。  朝はそれほど重くはない。ビーツを除いて。  粥、オリーブオイルを落としたオートミール、トーストとスクランブルエッグ、焼きソーセージ、ご飯・味噌汁・焼き魚などから選べる。コーヒーやお茶も出る。  窓を厳重に閉ざした食堂では、ウィーネもベルの隣で人間と同じ食物を食べている。  とにかくビーツがとんでもない量を食べる。寸胴鍋で、一抱えある家畜の頭と豆を丸一日煮込んだ極濃シチューを鍋全部食べつくし、さらにパンの山をさらえこむ。武威もその巨体に見合った、5人分ぐらいの食事量はある。  朝食が終わったら、最近は【タケミカヅチ・ファミリア】の眷属も、主神たちも連れて【ヘファイストス・ファミリア】のところに行くことが多い。  あまりにも多くに狙われている。  ウィーネは着ぐるみを着ているので目立たない。着ぐるみは彼女だけでなく、ビーツやリリも、新入生の小人族も着ている。  着いたら新入生たちと【タケミカヅチ・ファミリア】の眷属は、何人か鍛冶師を誘ってダンジョンに行き、そこで主に拳銃の訓練をする。常に襲撃を警戒し浅い階層、過剰なまでの戦力をつけて。 【ヘファイストス・ファミリア】では、鍛冶師の修行を始めている異端児もいる。『恩恵』の鍛冶スキルに似た能力も多くの異端児が持っているし、知能指数がとても高く腕力もある。目や耳もヒューマンや獣人とも異質で、優れている……ピット器官から精密な温度計測が可能な者もいるのだ。  ウィーネは着ぐるみのまま『豊穣の女主人』に行くか、または【ヘファイストス・ファミリア】の店がある『バベル』前の大広間で花を配るなどすることが多い。  必ず着ぐるみの強者がそばにいる。 『豊穣の女主人』の前の道では、いつも何体かの着ぐるみがとんでもない美女と花を配り、また素晴らしい歌が流れている。  中身はウィーネだったり、ビーツだったり、他の異端児が入ることもある。ビーツは着ぐるみのまま、手をある形に掲げて歩き続ける……武神タケミカヅチに指導されたもので、特に『気』持ちがやると100メートル全力走を5秒インターバルで同じ一時間繰り返すよりきつい。ウィーネも敵をだますために同じことをしている。  店のメニューもかなり変化している。極東料理やカレーが本格的に入っている……タケミカヅチとその神友が故郷で保護している孤児の、後輩たちが極東の料理を広めている。危険な冒険者になるのではなく。  瓜生は『豊穣の女主人』にも、危険のわびとして多くのレシピや食材を流している。また酒造などのファミリアにも口をきき、いい酒が優先的に入るようにしてある。『ギルド』に没収され子には禁制となった、伝説的な【ソーマ・ファミリア】の成功作さえ含まれる。  最近のオラリオでは、とんでもなくうまい酒が多量に売れている。 【デメテル・ファミリア】預けとなった酒神ソーマが技術を提供。製造は【ディオニュソス・ファミリア】だ。  デメテルの麦から得られるビール。トウモロコシから作られるウィスキー。  ディオニュソスのワイン。  それに瓜生が出した先進的蒸留器や温度管理装置、ステンレス発酵槽。  ドワーフが愛し、ミア・グランドが得意とする果実酒の材料にもなる超高度数蒸留酒も大幅に安くなっている。  ソーマ自身も自分の畑をまた作り、酒造りを再開している。以前よりも大きい畑、ふんだんに与えられたほかの材料も。  またソーマは技師としてデメテルやディオニュソスの酒造りも監修する。  それだけではない、ソーマの舌で瓜生が出したワイン・長期熟成ウィスキー・純米の日本酒・泡盛・超高度数ラムなどを絶妙に混ぜた、39度という高アルコール度の酒がまた高い評価を得た。  ほかにも瓜生の世界各地の、何万種という酒を絶妙にブレンドしたものも。組み合わせは事実上無限大だが、その中からソーマはやすやすと選び出すのだ。  ソーマがただ本気を出すと中毒性が出かねないが、それはディオニュソスが別のバルクワインや酒精強化種、ブランデーを混ぜると、完璧ではなく中毒にならないバランスが実現できる。  もちろん、両ファミリアにはとてつもない利益が入る。 【ディオニュソス・ファミリア】は対闇派閥(イヴィルス)連合にも加わっており、新しい酒の販売・技術指導などを瓜生から受け取っているのはそのための資金援助でもある。 「酒からの情報収集、期待して(るで:ロキ)(いる:瓜生)……」  と、いうわけだ。  また、崩壊した【イシュタル・ファミリア】からアマゾネスが何人か移籍し、戦力も大幅に高められている。 【デメテル・ファミリア】には別の仕事もある。  捕虜となったラキア軍=【アレス・ファミリア】の3万人を食わせる必要もある。  未開発だったオラリオ近郊で、大規模な開発が始まった。  ラキア軍が野営し薪を得るために切り倒した、水豊富な広い地域が誰もいない一夜のうちに耕されトウモロコシ・アワ・アマランサス・ダイズ・ラッカセイなどが撒かれていた。  無論瓜生が大型トラクターでやったことだ。さらにたっぷりと化学肥料も施肥してある。  さらにオラリオに近い水が乏しい荒野もかなりの範囲が耕され、膨大な水で湿り、エンバク・モロコシ・ソバなどが植えられていた。その水は瓜生が出したものだが、来年以降のため水の豊かな地域からそちらに水路を掘る計画も進んでいる。人手はラキア軍捕虜がある。  それを手入れして収穫する……資金は与えられているし、ラキア捕虜の徴用も許されているのでなんとかなるだろうが。  収穫まで3万を加えた人数を食わせるため、周囲との交易も活発になっている。さらに、瓜生が別の商会を利用し、実は瓜生が出した食糧を交易品として輸入してもいる。  オラリオの食糧事情が最近よい理由としては、最近【ロキ・ファミリア】が超高品質の魔石やドロップアイテムを深層から大量に持ってきたため、交易による肉や穀物の入手が大幅に容易になったことも大きい。  食糧が安くなり、しかも食糧生産者も儲けている。本来は不可能なことだが、ラキア捕虜と瓜生の存在がそれを可能にしていた。  おっとりした善神であり、また巨乳でも知られる美女神デメテルはそれらを聞いてはいたが、あまり気にしているようには見えない。オラリオの人々が満腹していること、春野菜がおいしく実っていることに満足しているようだ。  また、瓜生にもらった品種改良済みの作物や知られていない多くの作物、化学肥料の使い方も眷属たちに学ばせていた。  瓜生は、食と酒の重要性はわかっている。だからこそ早期から両ファミリアに恩を売っている。  リリもそれを理解するだけの学びをし、幹部と顔をつないだ。 【ミアハ・ファミリア】は借金を完済し、大幅な黒字経営になっている。  何人も、『学区』から新しい眷属を入れた。【アポロン・ファミリア】から、強引に勧誘され不満を持っていた、レベル2のカサンドラやダフネ、他にも数人の冒険者が善神の評判を聞いて加入している。  主な仕事は『学校』での教育、近代トレーニングのスポーツ医学、医学・薬学研究。瓜生の故郷の医学・生理学・薬学の書物を翻訳し、薬を分析研究し、より優れたものを作る。  また非戦闘ファミリアとも言いがたい……極秘だが、カサンドラ・ダフネ・ナァーザ、3人のレベル2は瓜生に狙撃銃の訓練を受け、あちこちで活動している。ダンジョン中層で装甲車や重機関銃の訓練も積んだ。  近代的トレーニングをする【ファミリア】が増えるにつれて、それを安全にするための医学監修の需要も増える。ほかの医薬ファミリアとも協力し、知識を分け与えてもいる。  ラキア戦争の最中から瓜生が力を入れてきたのが、瓜生の故郷の莫大な知識を教育・図書ファミリアに渡すこと。  言語の壁は、瓜生の能力の一つに、 (どこの世界でも口での会話に不自由がない……)  があるので、それを利用する。小さい辞書を朗読して書き取らせれば、ロゼッタストーンになる。  その上で、弊害も含めて重工業・化学工業を鍛冶ファミリアなどに理解させる。教育や医学、法治で治安水準も高い社会のビジョンをいくつもの指導的なファミリアに伝える。  いくつものファミリアが理解している。瓜生がどれほどの怪物か……  ベルは、瓜生があちこちに変化をもたらしていることを心の外に置いている。  瓜生とリリから、ベルとヘスティアに報告は常に渡されている。  何度も、人を信用するな検証しろ、と言われているが、そこまで考える余裕がない。  今のベルにできることは、 (ウィーネを守るため、戦争遊戯前夜のつもりで強くなること……)  それだけだ。  すさまじい師が何人もいる。  リュー・リオンはランクアップでさらに背中が遠くなり、敏捷重視の自分をはるかにしのぐ高速で猛攻をかける。彼女は今も『豊穣の女主人』で生活しているので時々だが。  ソロは宮廷戦士の剣術とサントハイムの徒手武術、さらに別の源流から伝えられた正統派の剣術を実戦で磨き上げた、武神タケミカヅチも認めた無駄のない剣術で惜しみなく鍛え上げてくれる。  そして時には武威が、本当に桁外れの圧倒的な力を一瞬だけ叩きつけてくれる。  肩を並べて励んできたビーツも、瀕死のたびに桁外れに強くなっている。今彼女がどれだけ強いかは、想像を絶するものがある。ウェイトトレーニングの数値はレベル5になったリュー・リオンをしのぎ、【ロキ・ファミリア】幹部と同等の運動器具を購入している。  トグも冒険者として生きていく覚悟を決め、自分と同じく密猟者に追われ迫害されたウィーネにも同情して激しい鍛錬を始めた。  新入生と生活全般ヤマト・命と【タケミカヅチ・ファミリア】の仲間たちに。  情報収集と外交は、瓜生とリリに。  ほぼ任せきって、毎日毎日血反吐を吐く生活を続け、それは新入生たちを背中で圧倒している。 (この【ファミリア】の一員であるというのは、それほどのことか……)  覚悟していたつもりだったが、それ以上の厳しさを、言葉でなしにベルは伝えてくれる。 「だからといって、無理をすることはない。自分にできる最善を尽くし、今の仕事を懸命にすることだ。何よりも生命を大事に……そして今は、絶対に拉致されないように」  そう命たちに教わり、できるかぎり勉強し、運動している。チームを組んで情報を集め、噂をばらまいている。  その噂が、意図的なミスが……視線を察知できるベルがウィーネを路地裏に連れ込み、一時着ぐるみを脱がせたり……釣り針となる。  新入生たちは、まずファミリアの設備、それぞれの生活の場を清潔にし、多量の食事を作ることを学ぶ。かなり高い清潔水準が当然のように求められる。知らない道具も多い。  学問も学び、かなりきつい強豪スポーツ高校なみに体力を鍛え素振りもする。  オラリオを、世界を敵に回すかもしれない、強い覚悟を込めてとにかくできることをする。それは大きい恐怖で、そして強い興奮にもなる。 (こんなすげえファミリア、ほかにあるものか……)  このことだ。  未知の興奮なら、十分すぎるほどある。  おいしい食事がたっぷりある。大きい風呂に入れる。きれいな下着とタオルがある……食事当番も風呂掃除も洗濯も大変ではあるが、やりがいがある。  主神はドジだが優しい。ベル・クラネルも親切であり、噂よりはるかに強い。  ファミリアの戦力は、今でもかなりのレベル詐欺……ベルはレベル7級の最大攻撃力。ビーツの体力は第一級。冒険者の地位は剥奪されているがリュー・リオンがいる。ソロもレベル6から7になったのをまだ申告していない。武威とトグも申告を上回っている。  信じられない娯楽……ファミコンやホームシアターもある。  罠が育っている。  人の性格を読み、動きを読み、操り、はめる罠が。 「殺す」 「あのくそ偽善者、ウリューとベル、どんな拷問でも飽き足らねえ」 「釣り針を飲みこむがいい。腹の底までな」 「偽善者め、この手は想像できねえだろ。てめえが最強と思ってる守りが、てめえに牙をむいた瞬間……てめえの絶望の面を見てやる。てめえらにゃ何も守れねえ、全部ぶっ壊してやる」 「リリルカ、浮きが動いてもあわてるな。糸が引かれるまで……」 >死の罠の地下迷宮  24階層に悲鳴がただよっている。  見ようとした冒険者も、何人も殺されている。慎重に索敵しながら進んだつもりが、背後や壁の中から襲われて。  その声を、深層に移動しようとしている異端児(ゼノス)が聞きつけた。  ちょうどその日。『豊穣の女主人』では、今日も着ぐるみを着たウィーネと、地下からカーゴに紛れて出てきたフィアが働いている。  昼過ぎ、瓜生とベルが予約席についた。  瓜生が久々に目出し帽をとり、フードを外す。彼の素顔は、『ギルド』の資料に似顔絵が出てしまっている。彼はそれから、地上ではフード・メガネ・目出し帽・マスクなどで素顔を隠してきた。彼が素顔をさらすのは、商談の時ぐらいだ。  馬車が止まり、従僕を連れた客が来る。富裕な商人が、あえて地味な服装をしているようだ。服装の下から高価な装身具が目立つ。  ほぼ同時に、着ぐるみたちに男が寄ってきた。ゴーグルをつけ、奇妙に穂先が大きい槍を持った男が。  以前の異端児は、鍛冶の技術や道具も、カーゴも持っていなかった。だから少人数で移動していた。特に人間と姿が遠い、アラクネやグリーンドラゴンなどは普通のモンスターのふりをして動くしかなかった。多様な種が群れを作り、モンスターとは明らかに違う統制された動きをすれば、目立つし噂になる。  だが、今は違う。瓜生に、のちに【ヘファイストス・ファミリア】にもらった鍛冶道具で人間型モンスターは全員フルフェイスの鎧をつけた。さらに瓜生にもらった豊富な布、ミシンで長い上着をつくり着た。  人間と姿が遠い異端児も、標準的なカーゴの中の多くの荷物に紛れることができる。  分隊・小隊・中隊と組み合わさり定期的に伝令で結ばれた部隊を組んだ。 【ヘファイストス・ファミリア】のレベル3以上の鍛冶師、【ヘスティア・ファミリア】からソロも加わっている。  そして強力な銃器も持っている。  24階層。声を聴きつけた者がいて、そちらに偵察を向けた。  料理や酒がやや高価な『豊穣の女主人』だが、庶民的な面もあり本当の金持ちや貴族は比較的少ない。だからむしろ、この客は場違いだ。 「いらっしゃいませ」  リュー・リオンが、客を奥に案内する。瓜生が白髪のベルを立たせる。  強い緊張感が漂う。 「【ヘスティア・ファミリア】団長ベル・クラネル、Lv.3です。こちらウリュー・セージ、Lv.2」  ベルが自己紹介をする。 「貴様らに呼び出された、……名は伏せるが、『メデジン』」  ベルの目配せを受けた瓜生が話を引き継ぐ。 「グラン・カジノでお会いしていますね」 「ん?いや、ああ、あの騒ぎの時に……」  男装したリュー・リオンの後ろについていた瓜生の姿を思い出したようだ。今水を運んでいるウェイトレスが、あの伯爵とは思い出せないのか……。 「さて、モンスター密輸の情報が欲しい、苛性ソーダを大量に作る技術とひきかえに、だったな」 「はい」 「ふ、ふふ……あのむかつくまでにもうかる商売を潰してくれるなら、こちらから金を出してもいい。わしでなければそれほどの情報は得られんよ」 「そうでしょうね。ガ……国に完成版の『神酒(ソーマ)』を輸出されたお方ですから」  瓜生の言葉に、護衛がすさまじい殺気を吹き出す。それに対し、とても重く冷たい液体が漂い床にたまるように、ウェイトレスたちの殺気が増す。透明に、鋭く。 「ふ、ふふ……」  瓜生は黙って微笑する。ベルはじっとしている。戦う前の緊張をほとんど隠せていない。黒く塗った太い柄のモップを手にするリュー・リオンの目を見てしまい、 (相手に集中しなさい!)  と目で叱られてびくっとなる。  見れば、アーニャ・フローメルが寄りかかっているモップも少し違和感がある。  リューのモップにはベルの刀が仕込まれ、いつでも投げ渡せる。抜いたあとの中空棒はアダマンチウム・コバルト・スカンジウム・チタンを混ぜた超強高度の金属棍だ。  アーニャのモップも仕込み槍で、ひと振りで2.4メートルに伸びる。  ルノア・ファウストが台所で皿を洗っている、その手袋も大きすぎるサイズで、中には頑丈な戦闘グローブがはめられている。  どれも【ヘファイストス・ファミリア】特注品。 「さて、聞きたいのはモンスター密輸の情報だったな?」 「こちらです」  瓜生が差し出した紙束を、商人は奪って懐にしまう。 「ふ、ふふ……」  反応のおかしさに目を泳がせるベル。瓜生はただ、笑っている。 「つーかまーえた」  外から、声がした。  ゴーグルをした男が槍の、大きすぎる鞘を外した。まがまがしい穂先が露出される……殺すよりも長く苦しめるための、拷問用の槍。 「竜女(ヴィーブル)に着ぐるみとは、へどが出るような偽善者だなあ!」  と叫んだ男が、着ぐるみを切り裂いた。  店前の通りを歩く人が凍りつく……美しい少女、だが人の肌ではない。  つい今の今まで、可愛らしい姿で花を配っていたマスコットが。  同時に商人の護衛も席を蹴り、剣を抜く。  店内には奇妙な安心感も漂い、新しい娯楽を見るような雰囲気があった。この店でトラブルを起こせば、圧倒的な暴力で叩き出される……ウェイトレスたちには高レベルが何人もいるのだ。 「うちの娘に、何を」  その中でも最強であるミア・グランド……知る人は知っている、オラリオでも指折りの、レベル6が牙をむいた。 「クラネルさん」  リューが抜いた刀が飛び、すっとベルの手に収まる。瓜生を切りつけた護衛の鉈鎌の柄を、一閃で斬り落とした。  リューとアーニャがモップを踏んで棒を抜く。  その時だった。槍の男がごく短い詠唱……奇妙な波が広がった。  ウィーネも、隣のフィアも。ミアも、リューも、アーニャも、クロエも、カウンターを乗り越えていたルノアも。瓜生とベルも。商人とその護衛も。ほかの店員も客も。  波を浴びた。耐異常を貫通する、狂乱の呪詛。  クロエの、短文詠唱の幻覚魔法が暴発する。  レベル6のミア、レベル5のリューが暴れはじめる。オラリオそのものが破壊されかねない。  哄笑と共に、『暴蛮者(ヘイザー)』は着ぐるみを切り裂き、美しいモンスターの全体を露出させる……  地獄があった。鎖で戒められたモンスターが、死なないように苦しめられている。  そして、見てしまって怒り狂って襲うリザードマンが、対処に慣れきった冒険者たちの大盾に食い止められ、巨大な槍がその胴体を…… 『豊穣の女主人』の天井に、穴がいくつもあった。その穴からテレビカメラがのぞいていた。その映像は有線で、近くの隠れ家につながっている。  天井の板の何か所かで小さい爆発。直後、大量の液体が店中にぶちまけられた。  瓜生の故郷の非致死性兵器。極端に滑る液。  冷静であれば、レベル6や5なら対応できたろう。だが呪詛にやられて暴れるだけの存在は、そこから一歩も動けなくなる。ただその場でのたうち回るだけ。  ベルも瓜生も。罠である商人とその護衛も。 「ちっ」  ディックス・ペルディックスは撤収を決断した。  厳重な護衛なしには表に出てこない瓜生と、ダンジョンにもほとんど行かなくなったベルを引きずり出す。『豊穣の女主人』の強者を逆用して混乱を起こし、ウィーネも拉致するつもりだった。  だが、瓜生はそれも読んで罠を仕掛けていた……狙いはディックスその人。  自分はまだ動けるが、ぬるぬる液の奥で暴れる瓜生とベルを拉致することは困難。時間もない。ほかにもどんな罠があるかわからない。 「せめて、こいつに暴れさせてやる!モンスターと人間は」  と、ディックスは凶暴化したウィーネを、むしろ拘束し暴れる邪魔をしている着ぐるみを切り払った。  と。気がついたとき、ディックスは片目を貫かれていた。 「え」  ウィーネの着ぐるみには、ふたり入っていた。もうひとり体が小さく、レアアビリティ『耐呪詛』を持つビーツが。また着ぐるみが持っていた旗は、仕込み槍。  瓜生とリリは、密猟者の中心が【イカロス・ファミリア】のディックスであることは情報収集でつかんでいた。彼が超短文詠唱の混乱の呪詛を持っていることは、人工迷宮戦で被害を受けた【ロキ・ファミリア】に聞いている。  だからこそ、『耐呪詛』を持つビーツをぶつけた。ミアに事前に大金を払い、ぬるぬる液を準備していた。  ビーツの槍が、精密に直線を描いて突き出された。槍の穂先だけが大きくなるように見える、もっとも理想的な直線突き。  さらにディックスは、超短文詠唱の呪詛という卑怯なまでに強力な力の代償として、大きく『ステイタス』が低下している。  片目を失うだけ、脳までぶち抜かれなかったのは、経験豊富な強い冒険者だったからこそ……か。疑問を持つ暇はなかった。槍での反撃は、柔らかく円に吸われ重心を崩された。直後、少女が高速で懐に飛びこみ、腹に左拳を叩きこむ。 「くそおおっ!」  ディックスは倒れながらすべての力を絞った。槍の石突きで、ウィーネの額の赤い宝玉をえぐり飛ばした。  竜人の額の宝玉は桁外れに高価。だが、それを奪われた竜人は凶暴化する。さらに本体を倒せば宝玉も砕けるので、よけいに希少価値は上がる。  哄笑しながら逃げようとしたディックス。だがその彼を、ディックスの大ダメージで呪詛が解けたミアとリューが襲う。  全身ぬるぬる液で動ける状態ではなさそうだが、ミアは気合一つで液どころか床板まで吹き飛ばす。リューは指一本で床板を突き刺して指をきれいにし、指一本で倒立してそのまま跳び、着地後はスケートのようにぬるぬるを活かしむしろ早く動いている。桁外れの力と技。  店を飛び出したふたりの第一級冒険者を闇派閥の刺客が襲い、自爆前に遠距離攻撃でやられて無駄に爆発する。瓜生の銃と、アーニャやクロエの投げナイフ。 【イカロス・ファミリア】の冒険者が、爆発を利用してあくまで逃げる団長を助ける。  背後でニャーニャー鳴いていた猫人たちもリューを真似、瓜生たちをはめようとした偽商人とその護衛を一瞬で制圧した。 「さーて楽しい楽しいねちねち拷問」  とクロエがすごむが、 「悪いが、おれは拷問は容認しない」  と瓜生がいい、銃を取り出して続ける。 「ただし脅迫はする……この場で死ぬか、全部吐くか選べ」  分厚い木のカウンターを撃ち抜き、商人に向ける。 「ぐ……」  店の前の路上では、覆面をした【ガネーシャ・ファミリア】の精鋭が、二正面作戦で小人数しかいない【イカロス・ファミリア】と激しく戦っている。  ビーツが翼を広げたウィーネを制圧しようと、すさまじい速度と力で空中戦を始めている。地面を転がってぬるぬる液を落としたリュー・リオンも加わる。  クロエの幻覚魔法により、ウィーネは店内に飛びこんだ。翼が無意味になり、ぬるぬる液にまみれて行動がほとんどできなくなる。 「こんの……バカ娘!」  ミア・グランドの拳が、暴れる少女の脳天にぶちこまれようとするのを、ベルが抱きしめてかばい吹き飛ばされ……悟った。  ミアの拳に殺意がない。  ふん、とそびえる元・第一級冒険者に、ベルは圧倒された。  その間に、リューが赤い宝石を持ってくる。  リザードマンの胴体に槍が当たった瞬間、リザードマンの姿が変わった。  モシャスを使っていたソロだった。  大槍も、はぐれメタル鎧を貫通できず表面を滑るだけ。【イカロス・ファミリア】レベル4、グランの首が飛ぶ。瞬時に磔柱の元に跳んだソロの、はぐれメタル剣が鎖を断ち、「ベホマ」の一言。  対応できないほどの短時間で繰り返される。桁外れの強さ。 (ロザリーは助けられなかったが……)  ソロが囮となっていた、とらわれ拷問されていた異端児を助けて退避した、その直後に地獄が炎を上げた。  多数の超強力な対物ライフル。  サボ構造で初速は秒速1000メートルを超えるタングステン弾芯の12.7ミリ弾。 【ヘファイストス・ファミリア】の魔剣銃。鍛冶師たちが試作した、瓜生が弾は出した14.5ミリのガスト式重機関銃。  大盾も、鎧も、耐久もまったくの無意味だった。次々に死んでいく密猟者。 「くそう!」  仮面をつけたローブ姿の命令で、壁から出現する食人花。  だがそれは、高水準の装備をした異端児と上級鍛冶師たちが切り払う。  傷ついた者を囮に使う罠の可能性は、瓜生やヴェルフに示唆されていた。  瓜生は故郷の戦いを無数に学び、訪れた異世界でも悲惨な実戦を見ている。ヴェルフは軍事国家の鍛冶貴族、人間同士のおぞましい戦いを多く聞いている。  敵の負傷者をわざと殺さず残し、救護しようとするものを狙撃する……やられた側からすれば、救おうとすれば犠牲が増え、救助を断念しろと指示すれば士気が下がる。 「そうなったら、その負傷者を狙撃して殺すのが指揮官の義務だ……全滅覚悟で救出に行くのでなければ」  瓜生の言葉に、グロスもリドも歯を食いしばったものだ。 「人間が最悪なのは確かだろうが、あんたたちも人間に近い心を持っている。もしあんたたち異端児が人間を駆逐し、たくさん世界中に増えたとしたら……異端児同士でそうするんじゃないか?」  瓜生の言葉を、どちらも否定できなかった。  異端児の中でも、人間と共存するか戦うかで争いがある。  そしてみてしまった目の前の地獄、人間の底なしの邪悪……だがそこにあるのは、戦いという、兵法という種族も何も関係ないものだけだ。  仲間を殺す覚悟をしていたリドやグロスは、 「いや、一度だけ動きたい。……は助けられなかったが、今度は助けたいんだ」  ソロの言葉に感動していた。  そして言葉通り、圧倒的な強さで仲間を救出した強さも。  罠にかけたと思ったら釣り出された、屈辱と怒り、潰された眼の激痛を胸に逃げるディックス。彼が入ったのは『ダイダロス通り』に近い人工迷宮。  だが、彼は知らない。高い建物からノートパソコン直結スコープで見ている人がいる。  ビーツは、殺すのではなく発信機をつけろと指示されている。  忍術も学んだヤマト・命が追跡に総力を挙げている。  そして武威とトグがすでに把握されている人工迷宮出口に先回りしている。 【ガネーシャ・ファミリア】の協力も得て体を洗い、服を交換したリューとベルが追跡に加わっている。  店近くに借りた本拠に潜むリリが、いながらにして多数の画面……狙撃手のスコープからも、『豊穣の女主人』の天井からも、無人機からも送られる映像を見て総合し、無人機操縦装置を操作し、すべてを操っている。  人工迷宮に飛びこみ、扉を閉めようとしたディックスは呆然とした。背後で扉が閉まる音がしない。桁外れの重さで落ちるオリハルコンの落とし扉が、支えられている。 「……39……40%」  筋肉が人間離れして盛り上がる少年。  そのかたわらには、人工迷宮の通路からあふれそうな巨漢。 >遠い戦場 *エルリアについては独自設定。原作と矛盾が出たらすみません。 『豊穣の女主人』にぬるぬる液をぶちまけるボタンを押して間もなく。  ディックスが人工迷宮に入り、出入り口の封鎖を確認した直後、リリルカ・アーデは別の通信機を手にした。  ラキア王国のオラリオ侵攻軍は今も、捕虜として働いている。  瓜生の故郷の基準は超過しているが、この世界では天国と言っていい週55時間程度。特に、12時間働いたら必ず9時間の完全休み時間を取るように言っている。風呂トイレつきの仮設住宅もあり、食事・医療も行き届いており、娯楽もあるし娼婦も訪れる。 (むしろ天国だ……)  という将兵も多い。  恩恵を受けた捕虜たちは、数日前からオラリオと港町メレンを結ぶ道を舗装している。  途中、200メートルおきぐらいの道端に積み上げられた砂利、砂、鉄コンテナの中の、袋に入った変な粉。それを教わったように水でこねて、均した地面に、決められたように傾斜をつけて塗る。数日すると石のように固まっている……コンクリートだ。  その傾斜や道そのものを測量することを、むしろ丁寧に教えられている。  オラリオの土木ファミリアも参加し、思いつかなかったちょっとした工夫ととんでもない精度の道具を用い、学んでいる。  汗をふいたマリウスの通信機が鳴った。  US-2飛行艇12機の編隊が、次々と湖から飛び立った。 「目標、エルリア」  ラキアの、虜囚の王子マリウスが正確なコンパスと空撮写真を見ながら、遠くの大国に向けて飛ぶ。 「……何を考えてこんなのがある国に侵攻したんだ。『例のあの人』とやらが、絶対に虐殺をしない人でよかった……」  そうつぶやきながら。  空撮写真だけで、絶対に勝ち目がないと言い切れる。  まして、静かな水があれば短距離離着水でき、大陸を縦断できるほどの航続距離がある飛行艇がある。  エルリアの都は大河を天然の堀にし、街ぐるみ壁で囲った城塞都市。だからこそ、飛行艇がすぐそばに着水できる。 「雷電のように!目的を見失うな!虐殺・略奪・強姦はどんなわずかでも即決死刑だ!そして、死ぬな!」  マリウスがそう叫ぶと、荷物を背負った戦士が10人ずつ降りる。  ラキア捕虜から、全員レベル2以上を選んだ。  さらに【ヘファイストス・ファミリア】団長、レベル5の椿・コルブランドも数人の上級鍛冶師を率いている。それだけではなく、分厚いフルフェイスの甲冑で武装した、奇妙な大男も数人いた。  あわてて通用門を閉ざした城壁だが、数人が蝶番部分に何かして後退した直後、大爆発が起きて巨大な門が破壊された。瓜生に渡され訓練されていた高性能爆薬だ。  いくつかの門扉は鍛冶師たちの試し切りに、大根どころかレタスのように両断される。  混乱の中、魔剣が次々と火を噴く。柄のない切り出し程度の、大量生産品。ひとり200本、常識的には億単位の金額になる。 「王城を守れ!」 「うわああっ、ばけものたちだ!」 「ラキアの旗だああっ!」 「オラリオの旗も」 「【ヘファイストス・ファミリア】だあっ!」  恐怖と悲鳴。だが、地獄絵図は起きていない。 「絶対に虐殺・強姦・略奪はするな、報酬は充分にある!規律を守って帰ればアマゾネスの美人娼婦たちと蒸留酒が待ってるぞ!」 「おおおっ!」  マリウスの叫びに、ランクアップした士官たちが声を張り上げる。  そして怒り狂った数人の異端児が、率先して突撃した。混乱した弱兵の反撃では、頑丈な甲冑と、頑丈な体を止めることはできなかった。  椿は別の楽しみ兼仕事もやった。瓜生にもらった高性能の狙撃銃と、自分で打ち弾も超小型の魔剣弾を用いた狙撃銃での超遠距離狙撃比べ…… 「くそう、まだ及ばぬか」  と悔しがっている。超一流銃器メーカーが鋼と愛し合う深さは、彼女にこそ伝わる。さらにそれが大量生産だというのだから、 (おはなしにならぬ……)  ものがある。  城兵の読みと、侵攻軍の動きは大きく異なっていた。  王城を落とすなど考えもせず、いくつかの大貴族や大商人の館を襲ったのだ。  抵抗を圧倒的な力で吹き飛ばす。ランクアップした冒険者の力はただでさえ、万の兵を寄せつけない。さらに使い放題の魔剣と……ガリルACE53、高性能爆薬、閃光音響手榴弾、催涙ガス弾、M202焼夷弾ロケットランチャーまで持っている。敵の大半が常人、最高でもレベル3なら、7.62ミリNATO弾で十分だ。弾が軽ければ飛行艇にも多数積めるし、AKと同じ機構なので訓練も短時間でいい。  壁も扉も無意味。超高温の炎と爆発がすべてを切り裂き、守る側の意表を突く。閃光や、激しい涙とくしゃみを引き起こす煙が反応を狂わせ、心を砕く。  常人とは隔絶した運動能力を持つ冒険者が近代兵器を手にしたとき、それは圧倒的を通り越した力になる。  守る側の意表を突いたことがほかにもある。目的は貴族自身の首でも、宝物庫でもない。女が多数いる後宮や下女部屋でもない。ひたすら地下だった。  それを知った貴族たちは恐怖に絶叫したが、手遅れだった。  地獄があった。  楽しみのための拷問。人のような心が、理知があるからこそその楽しみは何倍にもなる……言葉をしゃべるモンスターたちが犠牲となった。  大貴族たちは金を注いだ。何千人もの飢え病み死んでいく貧民に、粥と薬と甲冑を与えて精鋭兵にできる金を。河川の流路を変え堤防を築いて洪水を防ぎ、要害と肥沃な農地を作れる金を。千年後まで名を伝える道路や水道を作れる金を。賄賂とすれば権力をより固められる金を。ただ、人間のこのうえなく邪悪な欲望のためにつぎこんだ。支配する人々を飢えさせ、孫が破滅するであろう借金をしてまで。  椿・コルブランドがとらわれの異端児(ゼノス)たちにハイポーションを与えつつ叫んだ。 「なんという……なんということだ!ああああああああああっ!」  ショックに動きを止めている、共に戦った異端児たちを見回し、 「おぬしらが、人間が許せぬ滅ぼすと思うのはわかる……だがそうなったときには、手前たちは生きるために戦わねばならぬ。少なくとも手前はやっていない。やっていない女子供を襲う者とは戦わねばならん……」  椿の言葉も耳に入らないかのように、異端児たちは泣き叫んだ。暴れる力はすべて、次の敵を襲うのに使った。 「同族たちの仇を取らせてくれる人々への恩義……それを忘れて人間すべてを裁いては、自分たちも人間と同類になる」  そう血を吐くような声で言いながら。  その地獄は、エルリアの人々にそのまま見せつけられた。  何十人もの地位のある者、あるいはそこらの貧しい者が、連れてこられて見せつけられた。エルリアに大使館のようなものをおいていた諸国の外交官も……オラリオの使節も。  ポラロイドカメラも持ち込まれ、適当に撮って見せて何ができるか教えてから、残虐な写真を見せた。  最前線で戦う者の頭には、ライトとともにカメラがあった。数人に一人は、片手にデジタルビデオカメラを持っていた。その映像を、大画面プロジェクターで容赦なく映し出した。  ついでに、言葉をしゃべるモンスターという想像を絶する存在も。  オラリオの使節は、寸前に魔法を用いた通信で、 「この侵攻は『ギルド』の最高意思……神意があると思え」  と連絡がされている。  これほどの悪行を許せる者などいない、どれほどの権力と富があっても。ただでさえ、『怪物趣味』はそれ自体が悪の極みなのだ。まして心を、理知を備えた者を……  民の恐怖と憎悪は爆発した。マリウスや椿が、エルリアの王が裁く必要はなかった。放り出された上級貴族や豪商たちは、群衆によって細挽肉になり泥に混じった。 「罪を犯していない女子供は守れ」  瓜生の言葉を椿が守り、罪なき者はオラリオに送った。 「甘い奴だ」  そう椿は言ったが、むしろほっとしていた。  今は王宮ではエルリア王と、ラキア王国王子マリウスが交渉をしている。  マリウスは、神アレスの神意を受けたラキア王国の名においての行動だと。嘘は言っていない……アレスは『ギルド』の虜囚であり、ラキア本国とは事実上連絡していないが。  何よりも、ラキアのいつもの征服ではなく、 「貴族の悪行を暴き、理知のあるモンスターを救助することが目的である。求めることは今後、モンスターであっても虐待を楽しむことを厳禁することだけ……」  である、と納得させることに苦労することになる。  ほんの数日でまた、恐ろしい速度でメレンに飛行艇が帰り、補給・休息の上で次に飛び立つ。  密輸組織の大元を攻撃すると同時に、需要も攻撃する。  メレンの密輸業者の情報は、すでに手に入れていた。  しばらく世界のあちこちで、飛行艇の機動力と大量生産魔剣による襲撃が繰り返された。  ラキアはあちこちの城塞都市に旗を立てることができる。それは長い目で見るとラキアを憎む国を増やして母国のわざわいとなるが、オラリオに大敗し抑留されて心苦しむ将兵にとって、その栄光は、 (こたえられぬ……)  甘味だ。  瓜生がディックスをおびき出したのは、その作戦のためでもある。供給者であるということは、顧客名簿を持っている可能性がある。それを手に入れられれば重畳、そうでなくても、顧客をひとつ襲っただけでも、魔術的な即時通信で顧客全員に警告が回る可能性がある。それを防ぎ、情報的に遮断されている多数の顧客を襲う……証拠を消し、防衛を準備してしまう前に。  そして、短波通信で大陸級に広い範囲の戦いを指揮し続けるリリルカ・アーデは、 「なんでこんな、クソ小人(パルゥム)のサポーター風情が、オラリオどころか全世界で軍事力をもてあそんでるんですか……」  そう、つぶやいていた。  さらに背後の、分厚い鉛の箱に入ったばかでかいものも意識してしまう。手元の、ビスケットにチョコペンで書かれ食べられるようになったパスワードも。  M388デイビー・クロケット歩兵戦術核。爆発力は核にしては極小だが、放射線が極悪……オラリオでも半分以上死ぬだろう。  瓜生に背負わされたものの重さに、リリは辟易しながら必死でついていっている。ひたすら、ベルを守るために。  もう一つの大きい結果は、全世界が異端児(ゼノス)の存在を知ったことだ。  それはオラリオから広がりつつある、新しい情報システムに乗る。  オラリオには、ラジオが普及しつつある。金持ちの商人や、【ファミリア】の主神と団長ぐらいだが。 『バベル』の上層に放送局がある。『ギルド』が音楽やニュースを流している……今は2局。どちらも時報がわりに、 「オレが!ガネーシャだあっ!」  と絶叫があるが。  あとフレイヤはじめ美神は声だけでも魅了の危険があるので出禁だが。  また、植物製紙と活版印刷が軌道に乗り始めており、新聞や雑誌も増えてきている。  さらに、アマゾネスの娼婦たちを通じ、また酒の流通を通じて噂としても流されている。残虐な、それだけに誰もが強く求める写真や戦場での映像とともに。  だが、それはのちの事。  人工迷宮に逃げこんだディックスは、武威とトグを見てにやりと笑みを浮かべた。 >準備  ディックスが親指を下に向けたその瞬間、歩み寄る武威の下で床が割れた。  すさまじい重さの鎧に包まれた巨体が落ちる。 「底は溶解液だ……かかりやがって」  いやらしい笑みを浮かべながら、ディックスは重いオリハルコンの扉を必死で支える少年に近づく。なぶるように、ゆっくりと。  その、人間とはまったく違う形にふくれあがる筋肉に気がつく。 「おまえも人間じゃないのか?なら」  拷問用の槍が突き出されようとする寸前、穴から光があふれた。  武威は素早く超重鎧を脱ぎ捨て、『武装闘気(バトルオーラ)』を発動した……身体が浮かぶほどの。 (戸愚呂(兄)ならもっといい罠をしかけている)  武威は彼の残虐なずるさは嫌いだったが、助けられたこともあった。認めてはいる。  見ただけで、それこそミノタウロスを見た駆け出しのころのベルのように怯え、背後の扉を開いて逃げるディックスを、武威が静かに追う。  あとから瓜生やリューが駆けつけ、出したつっかえ棒をドアにかませる。  限界を超えていたトグは、長距離走で新記録優勝をした直後と自動車にはねられた直後の合計のようにくずおれた。リュー・リオンが治癒をかける。 「すぐ……立ちます。父がしていたよ……させない……」  顔も知らない父、戸愚呂(弟)。悪の限りを尽くしていたという……その悪の報いを自分が受けることになりかけた。だが妖怪に転生する以前は正義の武闘家で、あの幻海の仲間でもあったとも武威に聞いた。  受け止め切れないことは多すぎる。ただ武威に守られて逃げ回り、流され……別世界であるオラリオにたどり着いた彼は、冒険者として立つことを決めた。  ベル・クラネルという少年に血が燃えたことも、理由の一つだ。  そこにリヴェリアやレフィーヤたち、【ロキ・ファミリア】のエルフ隊が駆けつける。  ディックス自身は、自分を殺さずに追い回すのは、 (密輸組織の情報を手に入れるため……)  だと思っている。  だからこそ、本拠には向かわず広い人工迷宮内を駆け回り、敵を引きずり回して、人工迷宮そのものを武器として倒すつもりだ。  屈辱と痛み、恐怖で冷静な判断力はそこなわれているが。  ディックスは知らない。別の出入り口から、【フレイヤ・ファミリア】が人工迷宮を攻めていることを……瓜生やリリにとっても、それは予想外に近い。可能性としては考えていたが。  実際に瓜生は、 「逃がさないことを優先、確実に殺せるなら殺せ……」  と指示している。顧客たちに警告を出させないことが目的なのだから。  リリと瓜生は、いくつかの事態を場合分けして考えていた。  ディックスにさらに黒幕がいる場合……その場合は、ディックスを捕まえた時に口封じに襲ってくる可能性がある。逆にそれで黒幕を捕捉できる。 『豊穣の女主人』は、【フレイヤ・ファミリア】の庇護下にある……オラリオの闇に詳しい者には常識だ。  だから絶対にアンタッチャブル。  だが、ディックスはその裏をかくと決めた。レベル6、『小巨人(デミ・ユミル)』ミア・グランド……彼女を暴れさせれば、オラリオそのものが壊滅的な混乱に陥る。  それで、誰が襲ったかなど調べようがなくなるだろう……  だが、ぬるぬるした液という一手でそれはひっくり返された。  もちろん、店を危険にさらし、数日間営業不能にする……店主ミア・グランドが瓜生から膨大なヴァリスと金地金、大量のレシピと高級酒を搾り取ったことは言うまでもない。【タケミカヅチ・ファミリア】の後輩にあたる、極東の孤児院出身者……危険な冒険者ではなく料理人になるよう説得された若者まで出させ、瓜生の故郷の高級なファミレス・居酒屋と同等といっていい支店まで作らせたものだ。  ウィーネを受け入れ、こき使って人間を教えてくれる彼女や店員たちにも、瓜生もリューも深く感謝している。  店を襲ったディックスたちを【フレイヤ・ファミリア】は許すつもりはない。  高いところにいる狙撃手たちは、つかんだ。 【イシュタル・ファミリア】本拠跡に、【フレイヤ・ファミリア】の精鋭が集まり姿を消している……おそらく人工迷宮に入っていることを。 【ロキ・ファミリア】の精鋭も、多量の近代兵器を背負って動いている。歩く鍵であるベル・クラネルも無線連絡で呼び出された。いくつもの出入り口の近くには、車両を収容した隠れ家がある。  リュー・リオンも武威たちを追い、その出入り口でリヴェリア班と合流した。そこで意外なことが判明する……リューが手に入れていた、『D』の字を浮かべる魔道具が鍵だったと。  人工迷宮を前に、ロキとフレイヤの交渉が始まる。ヘスティアとヘファイストスも駆けつけてきた。ヘスティアとヘファイストスはノートパソコンを持っている……瓜生とテキストで会話している。  逆に言えば、『豊穣の女主人』というエサでやっとフレイヤを釣り出せた、ということでもある……だがそこまで考えていたわけではない。 (釣れればもうけもの……)  ぐらいのことだ。  ヘスティアは、いとしいベルの役に立ちたいと強く思っている。ダンジョン深くまで神みずから危険を冒して行ったほどだ。  瓜生はそれを聞き、ヘスティアにいろいろなことを学ばせた。FN-P90の射撃、ノートパソコンで共通語(コイネー)のひらがな入力、日本語、簿記……  進歩は遅いが、ベルのためにと頑張り続けている。  瓜生にとって、フレイヤとの交渉は大きな懸案事項だった。  フレイヤがベルに関心を持っていることはわかっていた。ヘルメスも口止めされていたが、婉曲に伝えてきた。  さらに厄介なのが、地上に来る前の貸し借りからロキが、 (フレイヤがベルで遊ぶ時には干渉しない……)  と言質を取られてしまっていることだ。  そのことも、瓜生やヘスティアは知っている。ロキや察しているフィンは告げたわけではなく、情報屋が探れるようちょっと脇を甘くしただけのことだ。  瓜生ももちろん、ミノタウロスのイレギュラーとオッタルについてはしらべた。大遠征でタイムラグはあったが。オッタルと戦ったアイズたちからも話を聞いたし、オッタルを襲ったアマゾネスの目撃情報も得ている。  フレイヤの狙いはある程度わかっている。だが問題なのが、フレイヤは交渉、接触が極度に難しい神だ、ということだ。  リリも瓜生の考えはすべて伝えられている。そして【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】を相手にすることに圧倒され、震えあがり、また起き上がることを繰り返している。 (ウリュウが倒れた時、ヘスティア・ファミリアの頭脳を継ぐ……)  それがどれほど重いことか。ひたすら木刀を振り、ソロやリューにぶちのめされ、タケミカヅチに容赦なく直されていればいいベルを、むしろうらやむほどだ。  また『ギルド』も脅せる金力がある瓜生やリリも、『魅了』持ちのフレイヤとは直接交渉できない。ソロには耐性があるが、むやみに切れる切り札ではないし、彼はまだオラリオについてよく知らない。 「ウリューくんから連絡だ。フレイヤ、ちょっとごめん。ロキ、来てくれ」 「ちょいはずすでー」  ヘスティアに呼ばれたロキが、離れたところにいるフィンやリヴェリアと通信会話する。  武威とトグを追う隊には、瓜生とリュー、リヴェリアたちエルフ高速隊が後から加わる。  別の人工迷宮出入口にフィンたち主力+歩く鍵であるベルが向かっている。さらに地下からソロと異端児(ゼノス)たちが襲撃。  そこで、リューがたまたま闇派閥から奪った魔道具が、求めてやまなかった人工迷宮のカギと判明した。  それにより、リヴェリアを中心とした高速隊も人工迷宮侵攻に踏み切る。 「ええ、ええ。フィン、全部まかせたでー。こっちはまかせ、こっちの仕事が終わるまで待っててもらうだけや」  ロキがわざとフレイヤに聞こえる声で言う。  通話を終えて帰ったロキは、フレイヤをにらんでいった。 「待たせたな―。そゆわけや、4時間。おk?で。で、なんで自分まで例の茶番にいっちょかみすんねん?」  ロキの表情はころころと変わり、多様な圧力を美の女神にぶつける。 「わかっているのに質問するのはよくないわよ」  フレイヤは泰然自若。巨岩に水鉄砲をふきつけるよう。 「楽しいお祭りに参加させてほしいだけよ?せっかく素敵な子たちが輝こうとしてるのに。それに、このお茶おいしいわねえ……お野菜が欲しくなるわ」 「茶番に八百長をばらす、ってことやで、バカチビ」 「ぐぬうううう……え、想定内、続けろ?そんなあ、ベル君がああ……」  ツインテールを変な形にし、金のかかった美しい服で机に突っ伏すヘスティアの耳には極細イヤホンが突っこまれている。  マイクの音声を管理している瓜生とリリは、音声を聞いてテキスト化するソフトを用いている。ただ盗聴したら魅了されかねない。 「よっしゃこれで手打ちや。今回、3時間もらう。そのかわり茶番に入れたる。ええな?」 「ええ」 「まだたくらんでるやろ……何だろうがうちの子ははねかえすで」 「ぼ、ボクだって自分の子を信じる!」  リヴェリア・リヨス・アールヴを将とし、女性エルフからなる部隊……ただでさえ高速と強力な魔法を誇り、リヴェリアの味方エルフ限定の、放った魔力を回収するという反則スキルでさらに力が増している集団。  訓練としては、迷宮深層を前提にチェンタウロ系の装輪装甲車を用いていた。だが狭い部分がある人工迷宮の戦いではスズキ・ジムニーとオフロード用オートバイを使うことにした。あえて装甲と大火力を捨て、速力と悪路走破性を最大にする。  銃器は詠唱している間の接近阻止を目的とし、即応できる手持ちの重機関銃と手榴弾。  たとえ『穢れた精霊』が出てこようが、時間さえ稼げればリヴェリアとレフィーヤの最大を通り越した呪文なら斃せる。  食人花やクモ、溶解液イモムシなら.50BMGで対処できる。だが問題は、あの赤毛の女……  それで【ヘファイストス・ファミリア】に特別に依頼して、瓜生の故郷にない重機関銃をゼロから作らせ、レベルが高い者に持たせている。  14.5ミリ弾、サボつきのアダマンチウム弾頭のみ。ガスト式で超高発射速度、重量は40キロ。14.5ミリ弾を発射する唯一の重機関銃、ロシアのKPVはきわめて優秀だが、50キロ近くと非常に重い。対空銃架をつければトンに達する。そしてどこの国も、重機関銃についてはかなり保守的で新作が出ない。  もうひとつ、信頼性を優先し、アリシア・フォレストライトは瓜生が出した航空機機関砲を【ヘファイストス・ファミリア】が人が手持ちできるように改造したのを抱え、車もトヨタ・ランドクルーザーを選んでいる。  マウザーBK27、ヨーロッパで普及している航空機機関砲。毎秒30発の高連射速度で100キログラム。30ミリ弾より銃口エネルギーはむしろ大きい、口径は小さいが長く重い弾頭を発射する。外部動力を必要としない分、信頼性は低いがシステム全体は軽い。ガトリング砲より軽量で、ガトリング砲の欠点である立ち上がりの遅さ、超高連射が始まるまでのタイムラグがない。  その大火力高速機動要塞に、鍵を持つエルフ、『疾風』リュー・リオンが加わったのだ。彼女は自動車も運転できる。  リューの車には最終兵器も乗っている。サンジョウノ・春姫だ。【ロキ・ファミリア】も彼女のことを知っており、余裕があれば前人未到のレベル8が実現できる。  ダンジョンは電波を妨害する。有線通信も、自動修復機能や人工物を破壊するモンスターがいるため維持できない。  だが、ダンジョン内部と唯一連絡できる方法がある。人工地震だ。モールス信号を高性能爆薬で放つ。常人には震度0、感知不能となる地震を高性能の地震計で感知する。  ソロと鍛冶師たち、異端児たちは逃げる【イカロス・ファミリア】を追って人工迷宮に突入した。ソロの『ふくろ』がある、弾薬も食料もポーションも実質無尽蔵。  逃げる者が死者の死体から鍵を取った……鍵だけは取ろうとする動きから、何が鍵なのかはわかる。  ディックスを追う武威の前に、赤い髪の女が立ちふさがった。 「は、ははは、これで終わりだ!偽善者どもめ」  そう言ってディックスは走り去る。扉が開き、男が駆けこみ、閉まる。  武威は静かに深呼吸した。深く、深く、腹が膨れるほど。それにつれて光が激しく体を包み、広がり、吹き荒れる。体が浮く。  人工迷宮の、バスケコート2面分ぐらいある部屋。扉はすべて閉ざされている。  光が静かに、武威の身体に吸収される。  忘れられない光景を思い出している。投げ返された炎殺黒龍波を自らの身体で食い尽くした飛影。 『黒龍波は単なる飛び道具じゃない。術師の妖力を爆発的に高める栄養剤(エサ)なのよ』  自分に二度目の敗北を与えた小さな姿、いやというほど覚えている。その力の使い方も細部まで覚えている。それができるに至るまでの、自分の器を高める膨大な努力もわかる。  また、正しい人身の使い方も徹底的に、武神タケミカヅチに叩きこまれた。  もう月で数える時間、毎日ものすごい時間をあてて死に身の鍛錬をつづけてきた。  自分の、普段から暴走気味の妖力を最大に暴発させ、自分でそれを食う。爆発的に増大する妖力を、正しい姿勢・呼吸・動きを通じて身体と調和させる。  それができる器を育てるために体を鍛えぬく。正しい動きを底なしに反復練習する。武神に教わった少ない套路の、一つ一つの動きの実戦用法を膨大な実戦経験と合わせて考え抜き、体に叩きこむ。 「敵を前に遊ぶか」  レヴィスが容赦なく、すさまじい速度で切りつけてくる。 「遅い……せいぜい55%」  武威はつぶやきつつ、ゆっくりと掌を上にした手刀を突き出した。  わずかな螺旋が、剣の腹を滑るようにそらしてレヴィスの重心を崩す。腰が大きくねじられ軽く後頭部に手が当たる。地面すれすれに滑るような足が、くるぶしを鋭い刃で斬るように蹴る。  重量挙げのメダリストでボクシングの世界ランカーが、合気道を習い始めたような……  敵にやられることよりも、爆発的に増大し、肉体と『武装闘気』よりはるかに深く一体化した妖力が誤った動きで暴発する方がダメージになる。  正しい動きを維持するための集中と深く腰を落とすフォームは、重荷を引きずって砂浜を走るより体力を削る。  今までの戦法でも負けはしないだろう。だが、 (あれでは、どう修行しても戸愚呂にも、飛影にも、浦飯にも勝てない……)  このことだ。  柔らかく受け流す、以前の何倍も出せる力で。 (力を用いず、意念を用いる……捨己従人……)  実験台にされている屈辱を感じたレヴィスは、必死で姿勢を立て直すと怒りを爆発させ、呪詛の剣で激しく武威に斬りかかった。  一瞬に何十も詰めこまれる死剣が、ゆるゆるとした最小限の動きで受け流される。多数の深層のモンスターとの戦いで積み上げた卑劣な剣技も、すべて何手も先から読まれるように流され、軸の崩れを撃ち抜かれる。 (手を防ぐより、相手の軸を崩す……)  そのための技だと、実践して理解する。  以前の彼は、ただひたすらどちらが強いかだけだった。戸愚呂と戦う前も、戸愚呂との戦いも。基本的には腕相撲だった。強い方が勝つ。  飛影との戦いも、同じことをした。 (黒龍波に耐えきれれば勝てる……)  と。だが、勝ったと思った瞬間、負けていた。  そして魔界の扉が開いてからは、さらに桁外れの力の持ち主が多数いることも聞いた。腕相撲で最強になることはできない。だが、何年、何百年でも技を極めぬく…… 「【ヴァジュラ】  ベルの刀に閃光手榴弾以上の雷光が宿る。小さな体がすっと滑るように前進する。ゆっくりと天を向いた刀が、すうっと弧を描く。オリハルコンの扉に斜めの傷が走る。  軽く押すと扉がことりと三角に落ちた。 「……また腕を上げたね」  フィン・ディムナが微笑しつつ、全員の状態を瞬時に点検する。  ベルは誉め言葉に喜びつつ、ボロボロになった刀を見つめ、 「はい……ありがとう」  刀に感謝する。 「替えです」 「ありがとうございます」  替えの刀をリーネが渡す。扉を切るのは刀にも負担が大きいので、椿が何本もタイゴンファングの牙や瓜生の金属に、人工迷宮探索で手に入ったオリハルコンも使った刀を打っている。ヴェルフは無論騒ぐが、彼にできるのは手伝い程度だ。必要とされる技が違いすぎる。 「突入!」  ベルが扉を斬ることに依存するので、車両は入れない。だが多量の重機関銃と弾を持ちこんでいる。リヴェリア隊と同じく【ヘファイストス・ファミリア】製14.5ミリガスト式とBK27機関砲もある。  無数に湧き出るクモに、フィンが手榴弾をふたつ投げた。逃げ場のない爆風が敵を一掃する。  ちなみにアイズ、アマゾネス姉妹らは別の人工迷宮出入口を押さえている。ほかにもさまざまな役割で、【ロキ・ファミリア】全体が分散している。  3隊とも目的は攻略ではない。少しでもマッピングすること、そして生産拠点を潰すことだ。  密輸組織の書類も目的ではあるが、優先順位は低い。  また異端児たちは、まだとらわれている同胞がいないか激しく追及している。  そして偶然、3隊が……【イカロス・ファミリア】残党を追う、ソロと【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師に異端児(ゼノス)が混じる隊、リヴェリアたちの高速魔法隊、そしてフィンが率いる、ベルを含む本体が、ひとつの部屋にほぼ同時に着いた。  密輸業者の牢獄に。  逃げていた【イカロス・ファミリア】のアマゾネスは、一瞬でフィンに捕縛された。  そして見た。  ソロが。ベルが。春姫が。  フィンが。ベートが。リヴェリアが。レフィーヤが。アリシアが。  何人もの異端児(ゼノス)が。鍛冶師たちが。  悪夢を。地獄を。人間の悪の限りを。 「あ、ああああああ」 「おおおおお!」  フィン、リヴェリア、ベート、ソロ、リューを除き、皆が絶叫した。  異端児、理知を持つモンスターという存在自体の衝撃に。  同胞であるモンスターに叩きつけられた、人間の底なしの悪に。  戦場を経験している冒険者もいる。地獄を見てきた者もいる。  だが、知っていても、知っていればこそ怒りと衝撃はすさまじい。 「ベホマズン」  ソロが小さく呪文を唱えると、とらわれのモンスターたちが次々と全快した。すぐに檻と鎖を切断する。 「ピサロ……」  彼のつぶやきを、リューが痛ましげに見つめる。 「あああああああああああ!」 「ダメダ!人間全部ヲ憎ムナ!」 「コチラヲ攻撃スル人間ダケト戦エ!人間ト同類ニナルナアッ!」  フィンたちを、ベルさえもにらみつける異端児を、異端児が止める。  叫ぶ声も尽き、息が切れる。  そこに別の叫びが、すさまじい強者の気迫と共に走った。 「ガタガタ言ってんじゃねえっ雑魚どもがあっ!」 「ベートさん」  ベルとリーネの声。 「弱えやつは踏みにじられて当たり前なんだ!人間だって売り買いされるんだ、甘ったれるな!こんなのなまっちょろいって笑う、人間を売る奴隷商人だっていっくらでもいる!  弱えモンスターは殺される獲物だ!捕まればただの商品だ!弱え人間は食われるお肉だ!弱えのが悪いんだ!弱えのが悪いんだあああああああああっ!」  呆然と、異端児が、鍛冶師が、フィン・リヴェリア・ガレス以外が吠える狼人を見つめる。 「……悔しかったら強くなれ……ということですよ。ベルさんのように」  リーネが、泣きじゃくりながら異端児たちに言う。ベートに激しくにらまれるが、勇気を振り絞ってにらみ返した。  アリシアがはっと、おさげの少女を見た。 「……だから、鉄床を与えたのか」  ソロがため息をつく。 「……行こう。時間だ。何も見なかった」  フィンが、リヴェリアにうなずきかける。 「もうすぐ【フレイヤ・ファミリア】が侵攻をかける。早く離脱するぞ!」  リヴェリアが、異端児たちを見ずに部下のエルフたちに声をかけた。  身体は癒えても心が深く傷ついた同胞を抱える異端児たち、その隣で巨大な銃を抱え返り血にまみれた鍛冶師たちは、ただ茫然とおいていかれている。  ボロボロに傷ついたレヴィス。  そこに、別の扉が開くと、軽自動車のボンネットに乗ったリューが飛び下りる。  その後ろで、春姫がリヴェリアを対象に詠唱を始めた。 「ちっ」  レヴィスは多数の食人花と溶解液芋虫をぶつけ、同時に開いた床から離脱して扉を閉めた。  本拠から離れてさまようディックスは、ソロたちに出くわし……あっさりと蜂の巣にされた。銃の即応性は、超短文詠唱すらも許さない。  20階層に隠された出入り口から出た、ソロと鍛冶師と異端児たちは、修行を終えて地上に向かっていた巨大な牛人と出会う。  そして、異端児たちは下層の安全地帯に向かった。  地上から地震波で知らせがあれば、いつでも地上に戻れるよう準備して。  心の傷を癒し、少しでも強くなれるよう、襲ってくるモンスターと戦いながら。  その翌朝、『ギルド』から重大な発表が真昼にあると知らされた。掲示板を通じて、また普及しつつあるラジオを通じて。  数体の着ぐるみが、オラリオの中央の大広間に集まる。  決意を固めたベル・クラネルは、一体の着ぐるみと手をつないでいた。  最大の勇気。どんな敵よりも恐ろしい。すべての人に石を投げられても……  知らせは、別のところからも入っていた。いくつかの国都や大貴族の城を襲う、ラキア軍。彼らが暴き出した、王侯貴族の怪物趣味……理知を持つモンスターをとらえ密輸し、悪の限りそのものを楽しむ悪趣味のきわみ……  それ以上に激しい興味を惹かれる、ニュースとしての価値があることもない。  魔法を通じて音声も映像も、オラリオで複製されつつある。  そして、マリウスと椿が率い、リリに遠隔で動かされる侵攻隊が無線で送った画像・動画も、闇を通じてばらまかれている。 『理知を持つモンスター』は、かなりの噂になっていたのだ。  着ぐるみの手を握っているベルを見つめるヘルメスは、とある企みを膨らませていた。  アスフィ団長も、いやいやであっても従っている。  神ガネーシャが『ギルド』から出て、魔石製品の拡声器の前に立つ。  半ば観衆のエイナ・チュールが、胸が張り裂けるような思いでベルを見つめている。 【ロキ・ファミリア】と【ガネーシャ・ファミリア】が強制任務で、治安維持のために要所についている。  覚悟を決めた英雄が、着ぐるみの手を強く握り、ささやく…… 「たくさんの悪意を受けると思う。でも、僕がいる。僕は絶対に味方だ」  着ぐるみの手が、ベルの手を強く握る。レベル3、敏捷以外オールSSのベルが悲鳴をかみ殺すほど強く。  楽しみを求める神々。  恐怖と緊張、そしてこのうえなく下劣な興味と好奇心に突き動かされる群衆。  時を知らせる鐘が鳴る。 「オレが!ガネーシャだああっ!」  聞きなれた叫び。だが緊張のあまり半ば裏返っている。 >二頭連合vs新興  ガネーシャの前に、数体の着ぐるみとベル・クラネルが並ぶ。  そして着ぐるみが、頭部を外す。着ぐるみを脱ぐ。  美しい少女、だが人の肌ではない。普通の竜女(ヴィーヴル)とは違うが、明らかに竜女の赤い、高価な宝石が額に輝く。  長い尾をひらめかせる蜥蜴人(リザードマン)が、竜の少女の肩に手をかける。 「はじめまして」 「初メマシテ」  人とは微妙に違う発音、だが明白に人の言葉。  恐怖と衝撃が、広場を埋め尽くす人々を打つ。ガネーシャが叫ぶ。 「もう皆、話を聞いているだろう!世界のあちこちで、理知を備えたモンスターが囚われ密輸され、言葉にならないほどおぞましい目にあっている!」 『ギルド』の上につけられたスクリーンに、日光で見えにくいが残忍なそれが映し出される。 「ダンジョンの近くに掘られたアジトでも、同じような地獄があった!」  衝撃的な写真が写る。  リドが歯を食いしばる音が響く。 「いるのだ、人と変わらぬ心を、理知を持ち、ダンジョンでは人と同じくモンスターたちに襲われるモンスターが」 「そして、僕は……【ヘスティア・ファミリア】のベル・クラネルは、彼女を助けてしまった。僕は、なにがあっても彼女を守り抜く!」  ベル・クラネルが絶叫した。  豊かな胸を揺らし、段に駆け上がったツインテールの幼女……女神ヘスティアが愛する団長の背中から抱きつく。 「てめえ!」 「モンスターの肩を持つのか!」 「怪物趣味かよ!」 「冗談じゃねーよ!」 「俺たちの中」 「黙れえっ!」  ガネーシャの絶叫が、すさまじい音量になる。魔石装置とは違う、電気的装置の圧倒的な音声増幅。聞いている人間の健康被害がありえる、いくつかのガラス窓が割れる、非致死性兵器の域に達する音量だ。 「魔女狩りだけは絶対に許さん!隣の誰かが実は化けたモンスターだ……それが始まったら、地獄になるぞ!みんな観ているはずだ!聞いているはずだ、『るつぼ』を!」  数日前から、『るつぼ(アーサー・ミラー)』も上演されている。ラジオで全編朗読上演されている。  セーラムの魔女裁判を題材にし、赤狩りも批判した、瓜生の世界の傑作劇だ。 「私たちも、どうなろうと彼らの側に立つ。あの、最悪の人間たちの同類にはならない!」  美しき隻眼の、鍛冶の女神ヘファイストスが神友ヘスティアの隣に並ぶ。  ミアハも、タケミカヅチも。  静かな無言。 「認める思うとるんか?」  群衆が割れる。  貧乳ではあるが恐ろしいほどの美貌には違いない、女神ロキ。  美少年にしか見えぬ小人(パルゥム)だがすさまじい存在感を持つ『勇者(ブレイバー)』フィン・ディムナ。  女神たちの多くをしのぐすさまじい美貌のエルフの王女、『九魔姫(ナイン・ヘル)』リヴェリア・リヨス・アールヴ。  巨大な鉄塊に短い手足が生えて歩き出したような印象、圧倒的な強さをあふれさせるドワーフ、『重傑(エルガルム)』ガレス・ランドロック。  都市二大派閥のひとつ、【ロキ・ファミリア】。  ロキの、トリックスターの笑顔が輝く。 「あーテステス」声とともに、襟元のピンマイクを触る。わずかなハウリング音、ものすごい音量が広場を、オラリオ全体を、飛行艇で飛ぶラキア軍に襲われた世界各地の都市のラジオから、響く。「うちらは、オラリオの人間を守る!頭のいいモンスターが、武器作って襲ってきたらたまらんやろ、いてまうしかないで!」 「おおおおおお!」 「そうだ!」 「なら……」  ヘスティアが手袋を脱ぎ、ロキに投げた。 「戦争遊戯だ!」  わあっ、と圧倒的な絶叫が高い『バベル』を揺るがせた。  にーっと笑って拾おうとしたロキの隣に、ふわりと背の高い女の影が差す。その巨乳の影がはっきり手袋を暗くする……ロキが露骨に顔をしかめる。  ふたつの手が、同時に手袋を拾った。  長身の女が身を起こす。そこには言葉を絶する絶対的な、圧倒的な美貌があった。  その隣にいつしか、短い耳を持つ巨体の獣人が存在感をぶちまけていた。  ベル・クラネルがそれだけで吹っ飛びそうになり、ウィーネの手の感触でかろうじて立て直し、その目を必死で見つめて背筋を伸ばす。  それだけでも、なりたてでシルバーバックに対決する以上の勇気と気迫を振り絞る。 「楽しいお祭りに、入れて頂戴?」 「けっ、しゃーないな」  美の女神フレイヤ。『猛者(おうじゃ)』オッタル。  二大派閥のかたわれ、【フレイヤ・ファミリア】。  ロキとフレイヤが組んで、ヘスティア・ヘファイストスなどと『戦争遊戯』。  今度こそ、オラリオの人々は喉よかれよと絶叫した。全財産を持って賭けを始めた。  前代未聞、オラリオの何十年の歴史の中でも最大のニュース。人語を話す礼儀正しい怪物、『異端児(ゼノス)』のことがかすむほどに。 「異端児の処遇を巡り、【ヘスティア・ファミリア】、【ロキ・ファミリア】【フレイヤ・ファミリア】連合の『戦争遊戯』を二週間後に開催する! 【ヘスティア・ファミリア】が勝利すれば異端児に全面的に人としての権利を認め、オラリオで共に過ごす。ロキ・フレイヤ連合が勝てば、普通よりも危険なモンスターとして全員討伐する!」  圧倒的なニュースバリューに、オラリオは燃え上がった。 「被害を限定するため、レベル3以上のみ。両方サポーターを一名、テント内に許可。  武器は金属製の刀・剣・槍・斧・ガントレットに限定する。魔剣、最近市場に出た魔剣を用いる飛び道具、それに類似した、その他特殊な武器はすべて禁止。  助っ人も制限」  という、恐ろしい戦闘規則も……知っている人間は、それが【ヘスティア・ファミリア】にとってどれほど致命的なハンディキャップかはわかる。 【ロキ・ファミリア】にとってもハンデになるということを知る人間は少なく、知る者は口をつぐんでいる。  異端児のことは半ば忘れられていた。  二大ファミリアの連合。それがどれほどの強さか。どんなに華麗な戦いを見せてくれるのか。  だが、底が見えないと言われ、いきなりレベル6がぽこぽこ加入する【ヘスティア・ファミリア】。【アポロン・ファミリア】との戦いでもまるで底は見えていない。  どれほど食い下がれるか。  もうそれが楽しみすぎた。異端児のことなど、気にしないほどに。  といっても、人々の恐怖と憎悪がゼロになったわけではない。 【ヘスティア・ファミリア】の眷属の大半は、前日から迷宮深くに遠征に出かけている。  それは【ヘファイストス・ファミリア】主催の、サポーターの合宿に協力する意味もある。  ただひとり、団長のベル・クラネルだけが街を歩いている。  憎悪の瞳。そらされる顔。買い物をしようとしたら、シャッターが下ろされる。泥球が、痰が飛んでくる。  主神ヘスティアはその隣で笑顔を保ち、ベルの手を強く握っていた。  神に石を投げたり唾を吐いたりするのは不敬罪になる。だからこそ、憎悪の視線は激しいし、ヘスティアに当たらないように石が飛んでくる。  今のベルなら簡単に落とせる石も、ベルは顔で受ける。か弱い主神を守るために、そして少しでもウィーネを守るために。  自分にちゃんと覚悟がある、そのことを瓜生やフィン、主神やウィーネ、仲間たち……誰よりも自分自身に証明するために。  彼の繊細でやさしい心には、それはどんな強敵との戦いより辛かった。どんな厳しい修行より痛かった。  だが、全霊で耐えた。耐えて耐えて、耐え抜いた。泣き叫びそうな、息が詰まるような辛さを。 【ヘファイストス・ファミリア】の主神や団長、鍛冶師たちは切歯扼腕していた。 (自分たちも、取引先に断られ、石を投げられるべきだ!)  このことである。  だが、【ヘファイストス・ファミリア】はこの迷宮都市(オラリオ)にとって重要すぎる存在なのだ。  オラリオの経済を根底から支える、冒険者による魔石や迷宮素材の入手。それは鍛冶最大手の【ヘファイストス・ファミリア】なしに一日ももたぬ。  さらに最近は、彼らは莫大の量の便利な金属道具を売っている。  あちこちのファミリアで安全な修行を可能にする、特殊なトレーニング器具も作り売っている。  石を投げ、商売を断ることはとてもできない。  だからこそその感情は、もっとも数が少なく、急速すぎる成長で多くの妬みを潜在的に勝っていた【ヘスティア・ファミリア】に集中するのだ。  本店が閉店中で、支店の開店を前倒しにした『豊穣の女主人・和』はベルに扉を閉ざさなかった。  歓楽街の一部を思わせる和風の店。カレー、牛丼、すき焼き定食、チーズインハンバーグ定食、豚梅しそ巻きかつ定食、天ぷら定食、日本酒とビールの種類の豊富さが魅力だ。 『豊穣の女主人』本来の果実酒もある。 【タケミカヅチ・ファミリア】の本来なら後輩になるであろう、故郷の孤児を料理人としている。 「いい面(つら)してるねえ、こたえてるかい?」  ミア・グランドが、痰に汚れたベルに顔を近づけた。 「いらっしゃいませ!あら」  シル・フローヴァが笑顔で、熱いタオルを手に走り寄り、自分の手でベルの顔と髪をぬぐった。その笑顔は雄弁に、 (私は味方です)  と語っている。  客が文句を言おうとしたのを、 「うちの娘に文句があるってやつは誰だい!」  ミアの、底深い声が脅す。 「すみません、私も共に……」 「いいんだ、君はこの店で働いていてほしい」  リューの謝罪をヘスティアが受ける。  そのベルたちを、【ロキ・ファミリア】の幹部たちは遠くから見守っていた。 「アイズさん……」  レフィーヤが憧れのアイズを見つめている。彼女がとても苦しんでいるのが伝わるのだ。 「レフィーヤ、大丈夫か?あちらで、彼とともに石を投げられたかろう……」  リヴェリアがいたわる言葉に、エルフの少女は半泣きで叫ぶ。 「私は、【ロキ・ファミリア】の一員です!パーティ契約上も、このような場合には所属ファミリアへの忠義を優先していい、って」 「アルゴノゥトくん……」 「男が、男を見せるのはこういうときじゃな」  ガレスが嗤った。 「儂たちも若く、弱小だったころには、いろいろなことがあった。これぐらいでへこたれるようでは、本当の男にはなれん!いい経験じゃよ」 「雑魚どもが……けっ」  ベートが表情を消して屋根を降り、トレーニング機器を置いた【ヘファイストス・ファミリア】所属の隠れ家に向かった。  毎朝の、夜明け前から食事までの間で瀕死になれるトレーニング強度……いつもより長時間やるつもりだ。水分補給を続けながら意識を失うまで。意識を失い取り戻したらまた塩水を飲んで、また意識を失うまで。全身の筋肉の痛み、心肺の悲鳴に耐え抜く。 「さて、強敵との戦争遊戯。相手をなめるな、【フレイヤ・ファミリア】も、連携ができない味方はかえって戦力を下げると思っていい。レベル3以上はこれから、とてもきつい特訓をしてもらうよ。余計なことを考える余裕がないぐらいね」  団長の宣告。幹部たちは胸の中で、痛みと激しい闘志がぶつかり合った……本当に厳しい特訓なんだろうな、と恐怖を感じつつも。  半年も経っていないとは思えない、遠い昔のようだ。フィン・ディムナが、新種のせいで不本意に終わった大遠征から帰ったとき、噂を聞いた。 『妙な音』  轟音を上げる、小さな魔剣のようなものを上層で使う新人冒険者。  同じような轟音を上げる、新種の怪物にも見えるが「中に人がいる」と叫び続ける、霧に紛れる巨大な何か。迷宮では異例な、人助けもするという。  背が低い少年を連れているのが目印。  親指のうずきもあり、フィンは情報収集を命じた。  その背格好がつかめ、遠くから見てみた……わずかに気をぶつけてみたが、相手は気づかない。 (実力はレベル2程度。訓練はしているし警戒しているが、才はない……)  と、容易に分かった。  膨大な金を持っていることも、尾行に警戒しながら情報を集めていることも、尾行者を何人も変えて報告を総合すればわかった。  背が低いほうがヘルメットを脱いだ時に、特徴的な白い髪であることも。 『豊穣の女主人』での打ち上げ、さらに怪物祭での怪物騒ぎで、瓜生と縁ができたのは幸運だった。  そして、瓜生が面倒を見ている後輩ベル・クラネルにも驚かされた。あまりにも未熟、だが……  瓜生との提携は、想像を絶する富と経験値を与えてくれた。確かにその経験値にふさわしい、膨大な頭脳労働をすることにもなったが。  瓜生の支援を受けた時の【ロキ・ファミリア】の戦闘力は、従来の何倍かわからない。  問題なのは、瓜生の動きがオラリオを、世界を大きく変えていくこと。  瓜生がこの世界の出身ではない……想像を絶する科学文明を持つ別世界からの異邦人(エトランゼ)であることは、すぐに察した。  それから大遠征の出発のとき、ベル・クラネルの危機を聞いた。立ちふさがるオッタル、ロキがフレイヤに言質を取られたこと。自分の、第一級冒険者である仲間たちの心を燃やす死闘。勇気を見せつけた小人。アレン・フローメルに手傷を負わせた少女……  圧倒された。そして、なぜか理解できてしまった。  ベル・クラネルという英雄が、芽を出すための育苗ポットとして、瓜生がこの世界に呼ばれたのだと。女神フレイヤも、神ヘルメスも英雄が育つのを見たがり、様々な陰謀を巡らせていると。  そして自分たちも英雄を育てることに協力すべきだ、と。  ロキも、ヘスティアとケンカしながら止めない。  フィンたちの協力もあったが、瓜生は急速にオラリオでの存在感を深めていた。莫大な金と、慎重で目的がはっきりした動きで。好奇心の怪物である神々の心を、道を求める冒険者の魂を、大衆の欲望をくすぐる奇妙な道具で。  酒、食、石材や木材、金属……都市を支える産業を理解している。  情報の重要性を理解している。  それは、【ロキ・ファミリア】と闇派閥の抗争にも、いつか欠かせない力となっていた。  ベル・クラネルはさまざまなトラブルに巻きこまれるが、すさまじい力で突破していった。  また、瓜生同様に異邦人(エトランゼ)と思われる、恐ろしい強者が次々と加わってくる。  フィンにはわかっていた。【ヘスティア・ファミリア】の戦力は、武威の加入時点で近代兵器なしでも【ロキ・ファミリア】以上。まして近代兵器があれば……  ベルは、【ロキ・ファミリア】の戦力としても頼りにされる存在になっている。眷属の多くは瓜生の美食に夢中で、兵器の師としても慕っている。  異端児の話を聞き、しかもフィン自身の野望を邪魔しない解決策も与えられた。  だが、フィンの心にはとげが刺さっていた。  主神と手をつないで敵意の視線に耐え、胸を張って歩くベルの姿を見て、胸が痛む。 (ベル・クラネルの真似事は、荷が重いか……)  かつて仲間たちを煽った、団長としての言葉。  それが自分にブーメランのように飛び帰り、突き刺さる。  真の英雄の名にふさわしいのはだれか。自分は、偽物。人工の英雄。  もう一人、間違いなく本物の勇者……ソロを見てしまった。神に等しい魔を倒した男。神の域に達した英雄。  茶番。失うものはない。神意。ヘルメスの動きは警戒すべきだが、それも余裕で対処できる。  利益は大きい。膨大な経験値を得られるだろう。  だが…… (これでいいのか?) (ベル・クラネルの真似事は、※※には荷が重いか?)  胸のノイズ、押し殺すことには慣れている。痛みに耐えて戦い続けることにも。  だが……  だが。  店を出たベル・クラネルが、厳しい視線を感じて顔を伏せようとして、顔を上げた。  背に小さなバックパックを背負った少女が、異端児のウィーネが、ベルの胸に飛びこんできた。  一瞬、アイズの表情が凍る。何人かの、【ロキ・ファミリア】の女性冒険者たちも。 「ベル、なにデレデレしてるのよ、もし助けてって言ったのがダンジョン・ワームでも同じように助けた?」  レフィーヤが底なしの怒りをこめてつぶやく。  群衆が強烈な恐怖、興味、憎悪、好奇心を……それぞれの言葉に収まらない、たとえば「怒り」という言葉と、「相手の顔の肉を食いちぎるほどの激怒」の違いほどにも巨大な感情が、大火事の熱風のように湧き上がる。  ベルが、 (絶対に守り抜く……)  決意をこめて竜の少女を抱きしめる。  彼女がつけているバックパックには、爆薬が仕込まれている。何人も監視し、違反があれば爆破する……処遇の決定まで、『異端児(ゼノス)』にかけられた枷だ。  女神ヘスティアが、激しい嫉妬と、同時に愛する眷属を、ウィーネを守るという決意を全身で表現して騒ぐ。 「遅刻だよバカ娘!」  ミア・グランドがウィーネをベルの腕から引っこ抜き、頭を叩いた。 「母さん……ベル、ベル」  ウィーネがべそをかいて甘えるのを、ミアが容赦なく店に引きずっていく。リュー・アーニャ・シルが竜の少女を、同僚を迎える。  それを見たベルは安心し、深く頭を下げた。  オラリオ史上最大の……一方は……戦争遊戯まで、あと13日。 >合宿  史上空前の戦争遊戯と、異端児の存在に揺れるオラリオ。  激しい興奮と恐怖に、もとより血の気の多い住民すべてが沸き立っている。  それは、高度数蒸留酒・揚げ物・砂糖菓子の需要を爆発的に高めている。娼婦たちが、漁師が、料理人が、商人が、猛烈に稼いでいる。  その莫大な量の酒・食用油・カレー粉・砂糖・卵・小麦粉……それらの半ば以上を供給しているのが、今、 (モンスターの味方をして人類を裏切った……)  と石を投げられている【ヘスティア・ファミリア】であるのだから、この世は矛盾に満ちているというものだ。  事前に瓜生が、莫大な量の備蓄をつくり、それを開けるカギを商業ファミリアに渡していた。 「たてまえ、表ではおれたちに石を投げていい。しっかり稼いで、終わった後にきっちりと払ってもらう」  と瓜生とリリは、いくつものファミリアを動かしている。  今の莫大な需要は、これまでの、オラリオ周辺各国の供給量を大幅に超えている。その分を瓜生が供給しているのだ。  特に価値が大きいのは、超高度数のウォッカ。それを従来の蒸留酒に混ぜるだけでもすさまじい火酒となり、こんなときには莫大な売れ行きになる。 【デメテル・ファミリア】に預けられている酒神ソーマが、ビールと超高度数ウォッカ、微量のブランデーと日本酒、数種類のスパイスや薬草を絶妙に配合して、興奮に半狂乱の人々を満足させる酒を造った。無論爆発的に売れた……ただし、薬草で依存症を抑えるようにもしてある。  4者が動いている。 【ヘファイストス・ファミリア】と、サポーター合宿の者。 【タケミカヅチ・ファミリア】と、【ヘスティア・ファミリア】の新入生たち。 【ヘスティア・ファミリア】の極端に強いメンバー。 【ロキ・ファミリア】幹部たちの遠征。  サポーターたちは呼びかけに答えてから、長く地上での合宿をして、そして仕上げのダンジョン合宿に入った。  その合宿の間も衣食住は保証され、何より肝心なのは、サポーターを搾取するたちの悪い冒険者たちが徹底的に排除された。学ぶ苦労も多かったが。 (スパイしろ)、(内部から合宿を破壊しろ)  と脅迫されている者もいたが、それも動く前に裏情報を誰かがつかみ、人質を救出していた。  地上での合宿も厳重な秘密下で行われていた。 【ヘファイストス・ファミリア】生産になる、小さな魔剣を用いる銃砲の訓練。  ダンジョン探索で手に入れてきたノウハウを集め、体系化する。  そして職業訓練。  長く虐げられながらサポーターをしてきた彼ら、半分以上は冒険者でありたいと思っていない。搾取、借金などで足を抜く力がないだけだ。  それはリリが、瓜生に与えられた資金と雇ったならず者たちを利用してどうにかできる。  レベル1でも冒険者の力があれば、ましてリリのようにサポーター向きのスキルが発現していれば、たとえば山間地の荷運びなど儲かる仕事はいくらでもあるのだ。  また、これから普及していく銃砲を先んじて身につければ、それを買う冒険者に使い方を教えるインストラクターの仕事が常にある。  さらに、何度となく数知れず紙一重の死を運だけで潜り抜け、自分よりはるかに優れた冒険者が目の前で死んでいくのを見てきた、その経験を集める……それを『ギルド』主導で初心者に教える。  これは潜在的には需要が大きい。武術と同じく。  これまでは、【ファミリア】が徹底的に閉鎖的で、戦訓も武術も内部にとどめてきた。先輩が後輩を指導するだけだった。  弱小新興ファミリアは、圧倒的に不利だった。 『ソーマ・ファミリア』のように悪神がいいかげんな運営をし、普通よりたちの悪いならず者として市民の鼻つまみになって最終的に『ギルド』に潰されることが多い。  だがそういう【ファミリア】でも心ある者は、『ギルド』とつながる講座に出て腕を高め、【ファミリア】の枠の外に人脈を築いて、善神への改宗(コンバージョン)をもぎ取ることができる……  そのようなビジョンで、『ギルド』の密接な協力も得てオラリオ全体を変えようとしている。  それを可能にするのが、ヴェルフが発明した、針のように小さい魔剣と水を火薬代わりにした銃砲だ。銃・弾薬セットでの販売をヘファイストスは考え、はじめている。  日本の戦国時代で使われた抱え筒のような中型銃。土木工事用のねこ車のような一輪車に載せる、ゴルフバッグ程度の中型砲。  どちらも、レベル1の冒険者……常人数人分、あるいは瓜生の故郷ではトップクラスのスポーツマンより上の体力を見越して作っている。瓜生の故郷の人間では押さえられない反動も、冒険者なら押さえこめる。大重量になる三脚や駐退機などが必要ないのだ。そのノウハウは、【ロキ・ファミリア】と【ヘファイストス・ファミリア】がたっぷりと蓄積している。  安価な鋳鋼に、ミスリル・ライガーファングの爪牙・ニッケル・バナジウム合金のバンドで補強した構造で大量生産。  弾も鋼鉄製、滑腔で短い矢の姿に鋼をプレスしたフレシェット散弾と、鋼鉄弾芯・樹脂紙サボの装弾筒付徹甲弾。アートナイフ替刃のように小さな魔剣も、プレスで大量生産している。弱小ファミリアでも手が届く金額だ。  それの役割は、特にモンスター・パーティからの生還。  ダンジョンの死亡率の高さは、普段とモンスター・パーティの、極端な戦力ギャップだ。  5の戦力しか必要ない弱敵と戦い続けていたら、それがいきなり多数で襲ってきて、55の戦力となる。  常に60の戦力を出し続けられるのは大手だけだ。  ならば、その時だけに圧倒的な火力を叩きつけ、何とか血路をひらく……  兵器としての魔剣。それは、ただでさえ魔剣を忌み嫌うヴェルフにとっては辛かった。 (意地と仲間を天秤にかけるな……)  と主神に言われ、仲間であるベルたちに対しては魔剣を打つことにしたヴェルフだが、大量生産品を不特定多数に売るというのは狂いそうなことだった。  だが、ヴェルフも瓜生の武器を見せつけられている。  核弾頭をなでてしまった。桁外れの、ありえない、神々の域と思える、世界を滅ぼせる破壊力も教わった。  自分がしなくても、他の上級鍛冶師の魔剣でも同じ武器は作れる。自分にはひたすら特許料が入ってくる……  そして瓜生の言葉を思い出す。 「兵器システムだ。人間というミサイルが、魔剣というペイロードを前線にもっていき、一定の確率で損耗する」 「兵器じゃなく鋼とつきあいたい?なら、この上なく美しい鋼の、わかりやすいなら裸婦像、わかる人にわかってもらえればいいなら鉄球でも、作ればいい。このベアリングの鋼球のような」  渡された、変哲もない鋼の球。  椿・コルブランドはとびついて、歯を噛み鳴らし、地団太を踏んで鍛冶場にすっ飛んだ。  腕が及ばぬ自分も、瓜生がもう一つ出したベアリングのすさまじい球精度、それを自分が作れと言われたときの困難は少しはわかる。  目を伏せるヴェルフに、瓜生は続けた。 「切れる刃物を作りたいなら、包丁でも旋盤でもいい。  おれの故郷じゃ、最高の刃物ってのは、旋盤の刃であり、岩盤をぶち抜き水や石油を掘り当てるドリルなんだ」  また、ベテランのサポーターたちを、リリは自派閥・友好派閥のためにも利用した。  何十人ものサポーター。ひとりひとりが、何十人もの冒険者の死を目の前で見ている。  合宿で集めてから、どんな状況だったかを思い出させて言葉にさせ、数字を使って分析してもいる。  そのデータを、命からがら生きのびて心も体も折れたサポーターたちが、直接伝えるのだ。  時にはダンジョンにも同行して、教えた。 「ここで、そんなふうに休んだ仲間が死んだよ」  と。  一休みのときの油断。  ちゃんと臨戦態勢の見張りを立てて交代で水を飲む、それを怠ったための全滅。  逆に、水を飲むことを怠り、いざというときに力が抜けて死ぬ。  深追い。  裏切り。  自分の力を過信する。  何の落ち度もない不運。  ありとあらゆるところに死がひそむ。  故郷では力自慢のガキ大将、体格に恵まれ郷里の星としてオラリオにやってきた男たち……ベル・クラネルとは対照的に、どこのファミリアにも歓迎されるような筋肉男たち。  多くはうぬぼれ、乱暴で、自滅した。中にはオラリオの冒険者に接して自分が天狗だったと自覚し、真摯に修行する者もいた。  どちらにも死は訪れる。  頑丈な筋肉が、恩恵でさらに膨れ上がり、強大なスキルを得た若者も。  郷里で才能があると目をかけられ、オラリオで所属したファミリアでも期待され、剣術を磨いてきた少年も。  ほんのわずかに気を抜いた時。  恥ずかしがって、一人でトイレに出かけたとき。  少しだけ珍しいものに気を取られたとき。  手入れを怠った剣が折れたとき、突然の多数のモンスター。  何の落ち度もなくても、落盤からのモンスター・パーティで。  ダンジョンは常に容赦なく牙をむく。弱い脇腹を、いや股間を食い破りにくる。  教わる【ヘスティア・ファミリア】の新入生たち、そして【ロキ・ファミリア】の新人たち……強い派閥は先輩に教わっているが、逆に強すぎる派閥はかなり長いこと死人が出ていないこともあり、人の死の積み重ねが少ない。  多くの死に触れているサポーターの言葉……本来若者の、血に飢えた心にはしみこまない。だが、その若者たちは圧倒的に強い先輩たちと、とてつもなく強く恐ろしいモンスターを見ている。うぬぼれは徹底的に砕かれている。  自分の人生を半ばあきらめていたサポーターたち……それが少しずつ希望に変わってきた。  合宿の、規則正しい生活で。  脅され殴られることのない、安心して眠れる生活で。  同じ境遇のサポーターと、多くの失敗や仲間の死を共有することで。ともに考えることで。  考える者以外、生きてこの合宿に参加してはいない。  そしてついにダンジョンでの、更生資金稼ぎを兼ねた合宿……  彼らの実力では本来無理な25階層で、大量の弾薬を用いて強大なモンスターを次々に粉砕する。  短い矢を鋼で形作った散弾が20発、同時に放たれて群れを穴だらけにする。  到底かなわないはずの巨大な怪物を、単発の徹甲弾が貫く。  魔剣が水を爆発させる強大な砲口炎と反動に慣れ、確実に実戦で使えるように……  危険な時には、レベル3の鍛冶師が何人も、自分たちのとは少し違う高性能な機関砲を持って守ってくれる。  恐ろしい量の魔石がたまっていく。  山分けで十分、借金を返し、商売を始め、再出発できるだけの金額が。  襲ってくる冒険者たち……暴力で支配し、奴隷化し、脅し、すべてを奪い絞りつくす悪魔たちにも、対抗できる。もう一人ではない。本当に助けてくれる、恐ろしい力がある。  希望がなかったものが希望を得たとき、人は圧倒的な力と忠誠心を出す。  地上での異端児騒ぎのことなど、どうでもよかった。  人生を生きられる、人間になれるのなら…… 【ヘスティア・ファミリア】の新入生たち+春姫は、必死だった。  サポーターの人たちが、とてつもない数の仲間の死の実体験を語る。仲間が死んだ、その場で。囮にされ、手の一本を犠牲にして逃げたその場で。裏切られたその場で。  数限りない地獄のその場で。  そして命と、【タケミカヅチ・ファミリア】の、3人のレベル2……桜花、千草、飛鳥に守られて、7階層近辺で厳しい訓練を始めた。  M460リボルバーと、セミオートのみにしたガリルACE53を与えられて。  その力にうぬぼれないように、すぐに死があると教わりながら。  地上には出られない。地上では、異端児に関連して激しい憎悪が渦巻いている。6階層奥の広めのルームにトレーラーハウスを設置し、壁を傷つけ続けて風呂やトイレ、交代での睡眠をとり、勉強をしている。  新入生たちは悔しくて仕方がなかった。ファミリアが大変なのに、自分たちは足手まといでしかないのだ。  それを勉強にぶつけるよう、自分たちより悔しい思いをしているはずの命が言うのだ。  勉強の成果はダンジョンで出す。しっかりと大盾と長槍を組み合わせ、クロスボウで確実に敵の数を減らす。  魔法を使えるものの詠唱を助ける。  ちょこちょこ別のルームからレベル2が、多数の敵を引き連れてきてぶつけてくる……多数の敵を相手に、絶望的な撤退戦を訓練する。どれほど敵が多く強くても、まとまり続け、生きのびるための訓練を。  春姫もひたすら小薙刀をふるい続けた。特に、用事があって姿を隠して外に出たとき、街で石を投げられ唾を吐かれる団長の姿と、『豊穣の女主人』で熱心に働くウィーネの姿を見てから。  武威、ビーツ、ベル……かれらは都市外に修行場をつくり、武神タケミカヅチ本人の特訓を受けた。ベルは時々『豊穣の女主人』やほかの異端児を訪れ、人々に石を投げられることもある。  剣道で言えば前進後退の面・小手・胴、跳躍素振り、切り返しだけを毎日18時間練習するような、単調で過酷きわまりない合宿だ。  武威とビーツは、『武装闘気』を制御する単純な基本を深く深く。武神自らが、常にミリ単位の違いも厳しく咎め、何千というチェックポイントを厳しく指摘して精密に正しい動きを作り上げる。  守・破・離の守、神髄の正しい動きをとことんまで学ぶ。  ベルもまた、ごく単純な基礎だけを徹底的に高める。『英雄願望』のチャージを、呼吸と歩きに一体化する、できれば雷電付与呪文を、格上と戦いながら並行詠唱できるよう。  ダンジョンに行くこともない。一時間で死ぬかと思うほどに疲れきる、それが日に18時間延々と続く。合間の激烈なウェイトトレーニングや大重量を背負っての中距離走も、むしろ息抜きに感じるほどだ。  ただひたすら、基本を何千万回も深める。徹底的に正確に、繰り返し、繰り返し。  半月で、数年の修行をするつもりで……  もちろん、膨大な食事も用意される。  そのために秘密に雇い、瓜生の世界の料理技術が使えるよう訓練した料理人とその下働きも常駐させ、膨大な量の食材を運びこむ。  ベーコン・ニンジン・タマネギの濃厚なスープを寸胴鍋で何杯も。焼き立てのパンの小山とともに。  大きな揚げ鍋で次々と作ったチキンカツやメンチカツ、カキフライの山。野菜などの揚げ物。  巨大と言っていいハードチーズを砕き、肉スープで炊いたマカロニにかけて耐熱皿ごとオーブンで焼く。  とんでもない量のチャーハン。  真空調理したブロック肉。  ドドバスのアクアパッツァ風。  オリーブオイルで温めたチーズと鶏卵多数をかけた大量のパスタ。  ピザを何十枚も。  とんでもない量のビーフカレー。  羊肉とジャガイモのシチュー。  タケミカヅチのリクエストで天丼とうどん。  ベルはきつすぎる鍛錬で時々食欲を失い、やわらかいオートミールと低脂肪乳を無理に詰めこんで吐き気をこらえることもあるが、特にビーツはいつでも健啖だ。  それが、深い安心感になっている。  リュー・リオンは仕事が終わった夜中に、その修行場を訪れる。  まず、疲れきったベルを瀕死にする。それから、武威とビーツを相手に二時間ほど、瀕死を通り越した目にあう。  ハイポーションでなんとか店に戻り、薬では癒せぬ心の疲れにベッドに倒れる。  ソロとトグは、【ロキ・ファミリア】について深層に出かけている。戦うべき敵なのに。  装甲車で40階層まで突っ走り、膨大な物資をコンテナに詰めて、銃器なしの激しい修行が始まった。  むちゃくちゃなまで。パーティも組まず、誰もが血肉(トラップアイテム)を多数放り出して、ひとりで巨大な怪物に立ち向かう。  戦って戦って戦い続ける。少しでも成長するために。  戦いたかった強大すぎる存在……おそろしいほど成長していく戦友たちに、勝つために。  特にアイズとレフィーヤは、鬼気迫るものがあった。  フィンも死に身で修行している。 (ベル・クラネルの真似事は……荷が重いか?)  胸の声を殺すために。痛みをごまかすために。  オラリオを守る『勇者(ブレイバー)』の名を守るために。  隣のルームで戦う、本物の勇者……ソロのすさまじさを、壁越しにも強烈に感じながら。 【フレイヤ・ファミリア】も情報を出さず、どこかで修行しているものと思われる。  その、強さだけは信じられる。  瓜生とリリは陰に潜み、主神ヘスティアを守りながら、様々な仕事をしている。  特にラキア虜囚軍は動かし続けなければならない。物資の供給を途切れさせず、近代化の動きも止めないように。  そして、戦いののちのことを考え、測量もしておく。  ふたりとも、多数のボディーガードが常にいるのでつばを吐かれることもない。  それがむしろ痛いのだ。嫌なことをすべて団長に押しつけている……  激しく興奮するオラリオ。女神フレイヤとロキはそれぞれ、神々の間で奇妙な動きをしている。  フレイヤがヘルメスを強く脅した、という噂もある。  ヘファイストスは必死で、誰とも会わず自ら武器を打っている。  ガネーシャと眷属たち、そしてウラヌスは、異端児に関する憎悪をヘスティアに集めてしまったことに胸が裂けるような思いをしている。  一日が過ぎる。戦いを控える人たちにとっては、考える暇もない地獄の特訓。  オラリオの住民にとっては、賭けと借金、酒とケンカで爆発しそう……だが本番前にオラリオを追放されたり売られたり収監されたりしたらたまらない、とそれだけは押さえている。  何人もの異端児が、爆薬を背負って働いている。偏見と罵声を、時には人の情けを……人間の深い矛盾と業をしっかりと体験しながら。 『豊穣の女主人』の本店が清掃と改装を終え、和食メニューもいくつか入れて新装開店された。特にすべての卓に魔石コンロと煙浄化器を備え、焼き肉やすき焼きができるようになっている。  何人もの神々が、それぞれの思惑で動いている。多くは単に最高の娯楽に。それだけでなく、先を見越して。近代という悪夢を見ている、産業系ファミリアの主神たちもいる。  ラキアはふたたび軍事大国として、恐れと敬意の的となった。『バベル』に閉じ込められウラヌスを補佐しているが、それでもニュースを聞いたアレスは喜んだ。そののちに待つ破滅も知らずに。  オラリオは変わっている。  覚悟したように、異端児たちはその時を待っている。  オラリオの周辺地域も、急速に変化している……オラリオからメレンまで、コンクリートの道路だけでなく、その上にコンクリート枕木の標準軌鉄道が二線つくられた。  力の強い異端児がトロッコを曳き、膨大な荷物が高速で動く。  オラリオの市外にいくつか、ケーブルカーが作られた。  広大な畑が緑に染まり始めている。  いくつもの、鉄コンテナでできた衛星都市の周囲に、木材で家が建てられはじめている。  ラジオが、売られはじめたファミコンゲームの必勝法を語り、また音楽を流し、何よりも戦争遊戯の予想を何人もの自称識者が語っている。  誰もが戦争遊戯を待っている。 >地獄=近代戦 *今回書かれていることが現実の兵器で可能かどうかは突っこまないでください。  ベルたちも、【ロキ・ファミリア】幹部たちも特訓の日々が続いている。  参加資格のない、レベル1と2のものも、死なないように頑張っている。未熟ゆえに参加できない、その悔しさをばねにして。  その未熟者たちを監視し、強すぎる気持ちを誘導するレベル2も特訓の日々を過ごすレベル3に劣らず苦労している。  オラリオは興奮に毎夜お祭り状態、その裏で技術革新が進んでいる。高濃度蒸留酒を浴びるほど飲んだあとでは、都市内ケーブルカーや電線に疑問を持つ余裕はない。同時にそれが多くの人手を雇い、何百人も貧しい人たちに、貧困から抜け出せる給料を与えてもいる。  瓜生が数日間オラリオから姿を消した。  ダンジョン深層で地獄を見ているはずの【ロキ・ファミリア】幹部が地上に出て、本拠で留守番しているものの管理仕事もし……数人が、ラキア捕虜の手を借りて港町(メレン)から飛行艇に乗り、どこかに旅立った。  ベート・ローガとティオネ・ヒリュテのふたりが、団長フィン・ディムナを通じて、瓜生に挑戦状をたたきつけたのだ。戦争遊戯では戦えないのだから、と。  ベートは、戦場では運だけ、実力など無意味という瓜生の言葉が許せなかった。  ティオネは、近代兵器そのものが気に食わなかった。アマゾネスの本性と相容れないものを感じた。  ティオナ・ヒリュテも加わった……姉がとんでもない強敵と戦えるなら自分も、と。  瓜生は受ける前に、フィン、リヴェリア、ガレスも誘って映画を数本見せた。  第一次・第二次両大戦を描く作品を。 「これを味わってもらうことになるが?」  それから瓜生は、数日かけ、ラキア捕虜も使って戦場を整備した。  ヴェルダンの戦いを再現した。泥沼に林立する鉄条網。  とんでもない量の園芸用土と水を出し、泥沼を作った。  とんでもない数の遠隔操作火砲を準備した。第一次大戦当時のものとは限らず、信頼性の高い自動火器を、大量に。  前後、わずか8キロメートル。幅は20キロメートル。左右に迂回することは許されない、その長方形の範囲を通らなければならない。 「ああ、どんな手を使ってもいい……どんなド汚ねえ手でもな」  ベートが嫌悪感に唾を吐き捨てた。  ティオネは怒りに我を忘れそうにしている。  ティオナは奇妙な無表情だった。彼女も地獄ならいやというほど見ているのだ。  戦いは、日が昇ってから日が暮れるまで。  レベル6でも、アイズだけは今も地下深くにいる……いつもよりさらに激しく激しく戦い続けている。異端児の事を知り、心にかけているベルがモンスターをかばって石を投げられていることに、すさまじい感情を感じていて……モンスターと運動器具にぶつけることしか、彼女にはできない。  山にかすかな赤い光が触れる。紫の雲。鳥の鳴き声。ため息が出るほど美しい光景だ。  だが、冒険者たちはそれを見ない。  すさまじい速度で、3人のレベル6が走り出した。  泥沼でも硬質ゴム陸上フィールドのように。そう、高いところから水に落ちた者は、ビルからコンクリートに落ちたように骨が折れている。高速の衝撃の下では、水はコンクリートのように挙動するのだ。  数十秒で横断し、コンクリートの小山の奥にいるレベル2の顔面をひしゃげさせて命乞いさせてやる……  暴力の要求にとらわれ駆ける冒険者の足元で爆発が起きた。  高速だからこそ、激しく重心が崩れる。熟練がそれでも体を維持させる。  だが……目の前に鉄条網。引きちぎろうとしたティオナは、その強度に目を見張った……剃刀と同様の強靭な鋼の薄板。螺旋の形が力を受け流し、鋭いとげが服や皮膚をひっかける。  それでも第一級冒険者の力、引きちぎることはできた。耐久で傷も負わなかった。  服も……アマゾネスの露出度が高いものも含め……高価なダンジョン素材製であり、かぎ裂きもできなかった。だがその分、引っかかった鉄条網に引き留められる力は増す。杭が抜けるほどに。 「足を止めるな!」  姉が叫んだ。  その時、弾がきた。  まず、目の前に建物より高くそびえる土手の頭越しに、真上から120ミリ迫撃砲弾が降り注ぐ。大重量の榴弾が次々と炸裂し、土手を崩す。  いくつかは空中で子弾を散布、それが次々と爆発しては自己鍛造弾、金属の槍を銃弾より速く真下に叩きつける。戦車ではない、金属装甲もないしエンジン熱源もないベートたちはレーダーにかからないので、自動でランダムに落とすと指示されている。  土手を登り切った、そこは鉄条網の灌木であり、足を止めたところに弾の嵐が荒れ狂う。数百の155ミリ榴弾砲弾が。数千の76ミリ艦載砲弾と120ミリ迫撃砲弾が。数万の40ミリボフォース弾と30ミリガトリング弾が。数十万の12.7ミリ弾が。数百万の7.62ミリNATO弾が。  第一級冒険者たちは、愛用の武器で斬り払いはじめた。  7.62ミリ弾なら少し痛いだけで無傷。12.7ミリ弾は軽傷。レベル6なら、20ミリ弾でも急所に当たらなければ死なない。  それ以上は死ぬ。  40ミリ弾は近くを通っても衝撃波で吹き飛ぶ……常人なら血霧になっている。そして地面に当たった衝撃で泥のクレーターができ、視界をふさぎ、足を止める。  足を止める。  徹底的に足を止める。  地雷が。灌木のようにわざと乱して大量に積み上げてある鉄条網が。事前に膨大な砲弾で作られているクレーターの壁が。砲弾が作り出す泥と煙と爆風の壁が。  深く掘られ、水たまりになった塹壕が。その土を水に混ぜて盛り上げた土手が。  無数の鋭くねじれた破片が、地雷の鉄球が、銃弾の数倍の高速で飛び交う。 「う、うそおおおおおおおおおっ!」  ティオナの悲鳴が爆音に消される。 「パターンを読む!」  ティオネが叫んだ。 「ねえよ、全部てきとうにぶっ叩いてやがるあのドクソ雑魚!」  ベートが叫び、爆風に吹き飛ばされる。  フィン・リヴェリア・ガレス、またアナキティら数人のレベル3以上も画面を見ている。これ以上は絶対に死ぬと判断したらギブアップを宣言。それで瓜生は戦闘を停止し、即座に救護に行くと決めている。  瓜生がしたことは、艦載用CIWSを中心に自動装填・自動旋回装置がある火器を置いただけだ。速乾コンクリートに埋めた杭を大量に用意し、それに固定して。  最新の艦載火器は、甲板に穴をあけ艦の構造に弾倉を組み込まなくてもいい。ボルトで甲板にとめ、自動装填装置に巨大な弾倉をはめ、電源をつなぎ、システムがあれば艦のコンピュータにつなぐだけだ。  今回の瓜生は、その固定も完全でなくてもいい、精度など必要ない。  決められた範囲に、ランダムにひたすら弾をばらまくよう命令し、遠隔操作でトリガーを引いただけだ。  瓜生自身は、無数のカメラの画面をちらちら見ながらじっと考えている。  その画面も多くはろくに見えない。榴弾の着発に泥の壁がそそり立つ。爆発の閃光に映像が染まる。激しい振動にカメラが揺れる。  足が鈍る。特にベート・ローガは、加速中にステイタスが増すスキルを持っている……それが封じられる。  アマゾネス姉妹は傷と怒りでステイタスが向上するが、それも判断力を失って走ろうとして、空回りするだけになる。  剃刀ワイヤーに髪を絡まれたまま、再度走り出そうとして泥に足を滑らせる。泥に着弾した砲弾が作り出す泥の壁に飛びこんで減速し、高く跳びあがって近接信管がついた空中炸裂砲弾の爆風に押し戻される。  泥に埋まった足を抜くのは、高速で抜こうとすると桁外れの力が必要になる。焦ればより深く泥に埋もれ、動きが止まったところに砲弾が飛んでくる。  ブルドーザーで深く掘られた塹壕、盛り上がる土手。事前に打ちこまれた重砲弾が作り出しているクレーター。すべてが恐ろしく滑りやすい泥であり、いたるところに地雷があり、いたるところに鉄条網がある。  どこにでもガトリングの30、12.7、7.62ミリ弾が濃密に注がれる。致命傷になるのは30ミリぐらいだが、回避する余裕が少ない。大きくよけたらそこにも弾が飛んでいる、最小限の動きで回避しなければならず、そうなると衝撃波の影響はある。小口径弾も痛いことは痛いし、第一級冒険者の皮膚は貫けなくとも力積で速度を食われる。  足そのものに、近いほど桁外れに威力を増す爆発が集中する。人の頭の高さに地雷の一部が跳ね上がって爆発し、鉄球をまき散らす。  常人なら何百度足を失い、首から上がなくなり、上半身と下半身が真っ二つになり、内臓を全部ぶちまけていることか……レベル6だからこそ、まだ生きている。ポーションは使い切った。失った血液は戻らない。  無数の爆風の半球。膨大な数の破片。空から落ちてくる鉄の雨。  地獄に慣れている第一級冒険者たちが、間断なく絶叫するほどだった。  ティオネは投げナイフもつかうが、標的がない。すべての火器は土手の向こうから間接照準で撃ってくる。  映像でそれを見ているフィン・リヴェリア・ガレスは、ひたすら青ざめていた。  巨大な、ひっくり返した船の船体と速乾コンクリートでできた陣の奥で、瓜生はつぶやき続ける。タブレットの光に照らされて。 「『恩恵』がない人間はモンスターにも冒険者にも無力だと、だれが決めた?」  考え続ける。 「もし、おれの故郷に『ダンジョン』ができ、モンスターが人間を攻撃し始めたら。  ツングースカ爆発……ロシアにおける、おそらく彗星衝突と思われる爆発。あれは無人地帯だったのと、ロシア革命のごたごたで、長く世界は注目しなかった。そんな時と場所にダンジョンが出現したら、かなり長いこと人類は気づかないだろう。致命的になるかもしれない。  だが、先進国の大都市……特に工業都市に出られたら。巨大都市の絶対数が少ない時代。戦力を失うかもしれない。国家・軍・産業の指導層をたくさん殺されたら、国が動けなくなるかもしれない。  戦力生産の主要部ではない。誰も注目しないほど遠くもない。十分な犠牲者が出て、それが致命傷にならない。  モンスターと戦うより、国家同士の戦いが優先されることになったらだめだ。コルテスの征服は、内紛や圧政も利用していた……同じことになるかもしれない。  それ自体が絶望的な話だな……  まあ奇跡的に、世界大戦規模の戦力を、モンスターとの戦いに注げば……おれが見た限りのモンスターが相手なら、第一次世界大戦の戦力で楽勝だ。巨大であればあるほどぬかるみで機動力を失い、最終的には重砲で死ぬ。  コルテス?伝染病……」  塹壕のひとつの仕掛けが作動する。塩素ガスが充満する……だが、第一級冒険者の『耐異常』で耐える。 「こういうところに、『恩恵』もない雑魚を何十万人も送ったのかああっ!」  ベートが絶叫した。 「見たでしょ、一千万人……ああああっ!」  ティオネが叫び、容赦なく落ちる迫撃砲弾をかわし、近くで炸裂した地雷の破片に耐える。 「何、このくさいガス」  ティオナが顔をしかめた。 「タイミングが悪かったんだろう。集団戦闘ができていない古代ローマの敵の水準なら、一対一、個人の強さにこだわって、『人間はモンスターに勝てない』と刷りこまれただろう。  だが、古代ローマやモンゴル騎馬隊なら……それも負けたのかもしれないが、それは地中や空中からの攻撃に対応する間がなく生産力自体を破壊されたのかもしれない。これらは仮説の度合いが高いな」  マッハ3近い76ミリタングステン徹甲弾を双剣が、ククリが、ウルガが受け流す。ボフォース社製艦砲の57ミリ砲が高い仰角をつけて連射、頭から空中炸裂でばらまかれる無数のタングステン弾が襲う。低角度の、プログラミングされた榴弾が空中で炸裂する。  引き裂かれながら爆風を踏んで前進する。 「ひとつの戦いで70万人死んだって、正気?」  ティオネが怒鳴る。 「戦争なら何だってやる、負けたら終わりなんだ!」  ベートが血の混じった唾を吐く。 「ばっかじゃないの?こんなところに恩恵なし送るなんて!」  ティオナが怒鳴る。 「おめーにバカと言われたら終わりだ!」  ベートが叫んでずるずるの泥崖に、超音速で足を叩きつけて登り始める。 「誰がバカよっ!」  ティオナが追う。 「あのど畜生、絶対ぶっ殺す!」  ティオネが叫んで、迫撃砲弾の爆発を利用して飛んだ。 「『恩恵』なし人の、今のここの技術水準の軍で上級冒険者を殺す……ぬかるみと、できるだけ分厚い鋼の盾。多数の攻城弩(バリスタ)。機動力を奪い、相手の防御力以上の攻撃を打ちこむ。それに徹すれば、必ず倒せる。  ラキアとの戦いは、意味不明だ。人が人を殺してはならない、という無意識のルールが強すぎるんだ。  そうだ……なぜ、『ダンジョン』さんは伝染病を使わない?人間を滅ぼすのに一番有効なのは、モンスターではなく伝染病だ」  そのとき。ついに最後の土手を乗り越えたティオナが、壁を切り破った。 「うおおおおおっ!」  ベートが叫ぶ。 「ぶっ殺すあの外道!」 「あーっもう、59階層よりひどいよっ!」  ボロボロのボロボロ。 「またガスっ!」 「へっ雑魚が、『耐異常』を知らねえんだ」 「突っこむっ!」  ティオネがククリで壁を切り破る。船の二重隔壁のひとつ、マスタードガスが充満していたが、第一級冒険者には通用しない。  そして次の真っ暗な、上下逆の廊下…… 「さがせえっ」  叫んで走りだしたベートたち。それが、ほんの数秒で走りながら倒れた。完全に意識が飛んでいる。 『ギブアップだ』  フィンがタブレットを見て、通信機に話しかけた。 『了解、すべての装置を切った。窒素雰囲気、渡した防護服が必要」 「急げ、地図だ」  瓜生と、ひっくり返った船の小山のふもとで待機しているフィンが、有線通信で話している。  素早くリヴェリアとガレス、そしてリーネとアキが走り出した。宇宙服のような特殊消防服を事前に着ている。  フィンはサイズが子供なので合わない。  ヘッドライトで地図を見ながら、ベート・ティオネ・ティオナのところに急ぐ。  窒素100%……毒にも溶岩にも耐え、長時間の潜水も可能な第一級冒険者でも、完全に酸素がない状態で活動すれば数秒で意識が消え、死に至る。  毒ガスもすべて伏線、伏せた船を陣としたのもそのためだ。  救助された第一級冒険者たちが、酸素マスクを口にあてがわれる。  瓜生とリーネが輸血を始める。 「かなり大量の血を失ったな、四肢欠損がなくてよかった」 「……」  リーネは文句を言いたそうに瓜生を見つつ、手早く手伝っている。  輸血・止血の概念が入ったことで、明らかに冒険者の生存率は高まっている。ポーションでも食われた手足や、失った血は戻らない……特に闇派閥が使い始めた、傷が治らない呪いの刃だと失血死があり得る。その出血を防げるのだ。  ベートがかっと目を見開いた。  跳ね起き、黙る。誇り高い草原の孤狼は、敗北を受け入れられないほど弱くはない。そしてすぐに認めるには、言葉や態度に示すには誇りが強すぎる。 「!!」  ティオネが目を覚まし、目の前で心配げに見下ろすフィンを見た。 「だ、だんちょ……」  敗北の情けなさに身を震わせる。  フィンは撫でようとして手を止めた。 (それは彼女にとって残酷すぎる……) 「ティオナは?」  リヴェリアが心配げに見た。 「眠っとるだけじゃよ、疲れたんじゃろ」  ガレスの言葉に、リーネがうなずきかけた。 「さて、本当に騒がせてしまった……そしてこの荒らされた無人の地も、ちゃんと利用する算段ができているんだろうね」  フィンがため息をついた。 「鉱脈は確認した以上だ。さらに、ダンジョンにも容易に、シールド工法で届く」  瓜生がうなずきかける。 「さて、飯と酒じゃ」  ガレスの言葉に瓜生が立ち、近くに用意されたテントに向かった。  プロパンガスボンベ。野外用発電機。業務用フライヤーなどが準備されている。  フィンたちが、オーブン調理はすでにしていた。  焼き立てのパン。シーフードとチーズたっぷりのグラタン。ミックスフライ。その他いくつもの料理が準備され、強い蒸留酒の華やかなビンも次々と机を飾る。  食事が終わってから、地雷や不発弾を処理するために瓜生が最後の処置をした。  デイジーカッター……通常兵器最大の爆弾を、いくつも起爆したのだ。  きのこ雲が夕焼け空に立ち昇る。 「核兵器より、これでもずっと弱いんだね」  フィンが、神々の黄昏とも思える大爆発を見ながらつぶやいた。 「核兵器にも最弱から最強まで多くの段階がある……」 「【ヘファイストス・ファミリア】が、核爆発を起こす方法の研究を始めたと聞いたぞ」  リヴェリアの言葉に瓜生が歯を食いしばった。 「……十分な高温高圧を起こせば、核融合は可能か。ウラン鉱はラキアにある……」 「そっちは何で滅びなかったんじゃ?」  ガレスが呆れたように言った。リヴェリアも興味津々だ。 「相互確証破壊。両方の国が、相手を確実に滅ぼせて、かつ武器を核爆撃しようにも必ず十分な数の兵器が逃れられるように……まあ、巨大な潜水艦に、大陸間弾道ミサイルを多数配備して深海で逃げ回らせた。とりあえず70年間、人類は滅んでいない」 「どうしようもないね……」  フィンが瞑目する。 「しっかりと心にとめておこう」  リヴェリアが瓜生を見た。 「なぜおまえがこれを見せたのか。ラキアの、クロッゾがそうだったように、こんな戦争をした人々は、自分が何を作ったのか知らなかったのだな」  瓜生がうなずく。  特に第一次世界大戦は、まさにそれだ。  鉄道と自動車が普及し、桁外れの輸送力と生産力がある近代国家。機関銃と鉄条網、大量の重砲。総動員をしたらそれ自体が宣戦布告に等しく、取り消しができない社会制度。 (小学生が、広島原爆の威力がある拳銃を作って、街中のケンカでぶっ放して自分も消し飛んだようなもんだ)  このことである。  桁外れに巨大で、誰も止め方を知らない戦争機械をつくりあげ、その始動ボタンを押してしまったのだ。それは止まらなかったのだ。そんなものを作ってしまったということ、自分が暮らし支配している国家がそんなものだということすら、知らなかったのだ。  知らなかったのもどうしようもない。戦争を始めてから、負けないために総力戦制度が生じた。それはもう、それを作った支配者たちにとっても理解不能な怪物だった。  王族であるリヴェリアには、瓜生から習った第一次世界大戦の指導者たちの愚かさもよく分かった。  高貴な身分に生まれたらどんな思考法になるか。  どれほど現実を見ることが、今がどのような時代になっているのか、前例がないことを理解するのが困難か。  そしてリヴェリアは、常に考えている。過剰なまでの自分の魔力。エルフの王族である自分の、潜在的な政治的影響。それらが最悪に転んだらどんな悲劇になりかねないかも。  ガレスが強く鼻から息を吹いた。 「まあ、少しはこやつらも気がすんだじゃろう。悔しかったら特訓すればよい。あと4日で『戦争遊戯』、その時は手加減せんぞ」 「ああ、遠慮はいらない」 「ヘルメスは、計画通りでいいな?」  リヴェリアの言葉に、 「ああ。無論あちらが始めたらだが……」 「この光景を見せれば、止まるんじゃないかな?」  フィンは、そんなことがあり得ないと知りながら立ち昇っていくキノコ雲を、高価なポーションで傷は治り、輸血と食事で体力も回復したが、まだ精神が参っている第一級冒険者たちを見た。 「神には抑止は通じない……」  瓜生は言って、静かに決意を固める。 「第一次が軍人1000万人、第二次が軍人2500万、民間人4000万か」  リヴェリアがため息をつく。 「人と神と、どちらが愚かか……」  ガレスもため息をついた。  はっきりと想像できる。血の海を。死んでも死んでも止まることなく人を巨大挽肉器に流しこみ続ける指導者たち、ほぼ確実な死に走り続ける人々を。殺される子供たちの叫びさえ。  モンスターに対する憎悪……モンスターだけが敵で、人と人には関心がなかった冒険者たちだが、人と人の悲劇もこの世界でも多数あることを知っている。  視野が広まる。  異端児も、そのひとつでしかなくなる。 「さてと、もう遅いな……夜間飛行は避けた方がいいか。明日の朝帰って、昼にはダンジョンに入れるか」 「コンテナハウスの準備をしてくる」  と、瓜生が立ち上がった。 >神との抗争  ヘルメスは策謀を続けていた。  もとより、ウラヌスに『異端児(ゼノス)』について明かされ、さまざまな調査をしていた一柱でもある。  情報を探り続ける瓜生とリリのふたりとの、影での戦いでもあった。 「ヘルメス様、それは……ベル・クラネルは怒りますよ」 「彼のためにするんだよ、アスフィ。彼を英雄への道に戻すために」 「そしてウリュー・セージも、絶対に」  ヘルメスは激しくアスフィの言葉に割りこんだ。 「あんなやつに、神が動かされていいものか!なんなんだあれは、人間でも、この世のものでもない、化物じゃないか!」  いつもの飄々とした余裕とはまるで違う、神という超越存在の怪物じみた感情がそこにはあった。  アスフィは逆らうことができなかった。愛という名の呪縛、神威と神意に……  戦争遊戯も迫り、ベル・ビーツ・武威はタケミカヅチの指導での合宿を終え、ダンジョン深層に向かった。 (成長したステイタスと、体のギャップを調整するため……)  である。  ほとんどが素振り、息抜きのようにウェイトトレーニングと、ボート漕ぎのような全身の筋肉を使い持久力も追いこむ運動の日々だったが、ステイタスの向上はすさまじいものがある。  また、ただ武器を振るだけ、教えられた通り歩くだけ……単純な動きを何千何万と繰り返すだけの機械のようになってしまった心身を、ふたたび戦いに順応させる必要もある。  ベルとビーツは37階層『闘技場』に落ち着いた。ビーツのための膨大な食料は用意されている。  以前もここで戦ったことがあるが、前は銃器もありの数人で一体を倒した。今回は、ほぼ単独で戦うよう指示されている。  レベル3では無謀……レベル5でも止められる行動だが、ふたりともレベル4上位でもまず負けない、レベル詐欺の限界突破だ。  武威は平然と、大荷物を背負って極深層に向かった。  以前も苦戦どころではなかったバーバリアンやリザードマン・エリート、オブシディアン・ソルジャーが次々と襲ってくる。ここでは常に下限と上限の間の数のモンスターが出現するのだ。  ベルは異端児(ゼノス)の存在を知ってから、モンスターを倒すのにためらいが出たこともあった。  それは【ロキ・ファミリア】の者もそうだった。  瓜生は、 「ひと呼吸入れて、襲ってくるならモンスターだろうと人間だろうと殺す」  と教えた。  フィンも瓜生と話し、ほぼ同じことを団員に教えた。 「彼は以前から、銃砲で敵を狙って、必ずひと呼吸入れていた。この事態を予想していたんだろうね……」  そう、リヴェリアやガレスには話している。 「壁から出きらないうちに倒すのは実に有利なのだが、それを捨てるか」 「あの武器の性質だ。何度も罪のない者も殺しているんだろうね」 「ダンジョンで戦っている儂らは、むしろ楽じゃな」  身長がベルの倍ぐらいありそうな巨大な人型のモンスターが、すさまじい速度と殺気で襲う。  盛り上がる腕の筋肉はベルの胴よりふとい。  ベルはただ刀を垂らし、気息をととのえながら歩く。  タケミカヅチの教え。アイズやフィン、椿。毎晩のように来てくれたリュー、時々上がってはステイタス更新がてら稽古をつけてくれたソロ。  たまに、小虫扱いで潰してくれた武威。  異端児の存在を知ってモンスターと戦う惑いが抜ければ、拍子抜けするほどだった。 (動きが大きすぎる) (無駄な動きが多いんだな)  ただ、相手の芯に向かって歩く。気息をととのえる。  ただ打つ。  それだけでヴェルフ・クロッゾが打った刀や槍は、人工迷宮でベルが分け前としてもらったオリハルコンを主神の指導を受け全霊で打った業物は、7.62ミリNATO弾では通じない深層モンスターの硬皮を無視して魔石を断つ。  手ごたえすらない。  ビーツは動いたとも思えぬ。槍が銃弾のように直線で伸び、戻る。それだけ。  ベルも、ひと呼吸分体幹に『英雄願望』をチャージし刀の重さだけの小さい振りかぶりでの袈裟切り。  それだけでいい。  防御は必要ない。速さすら必要ない。 (これが合宿の目標だったのか……) (無駄な動きを徹底的になくす。倒すために必要な動き以外、とことんなくす)  合宿の、恐ろしく単調で地獄以下の鍛錬をやっと悟った。  ソロから学んだ、無駄のない剣が少し見えた。彼が仲間たちとともに膨大な数の、自分たちより強い敵と戦い続けて無駄をそぎ落とした剣の神髄が。  敵のすさまじい速度も、速いと思えない。しっかり相手の芯に歩いていれば、足が勝手に判断し、相手の動きを封じてくれる。歩きの中に含まれる蹴りが、自然に相手を崩し、巻藁より斬りやすい的にする。  時にビーツは槍を置き、素手でも戦う。ベルも刀を納め、脇差片手、脇差二刀、脇差両手などでも戦う。  それも同じ、ただ腰を落とし、気息をととのえて歩く。  ベルは歩みと体幹チャージを一体化させるのは、もうそうでない歩き方を忘れたほどだ。  ビーツも、膨大な『武装闘気』を身体に一体化させる……別の世界では界王拳と呼ばれる技に似た身体運用が当たり前になっている。  どちらも、確実に1ランクは上の戦闘力。  問題は、多数の敵と戦い続け、疲労困憊し傷ついても同じことができるか……  さらに圧倒的な格上相手に使えるか。  ベル・クラネルが戦うと予定されているのは、フィン・ディムナなのだ。春姫の支援は得られるが。  武威は53階層にいた。『武装闘気』があれば、砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)の階層貫通炎は無視できる。 (黒龍波に比べればそよ風……)  である。  砲竜の支配下にある『竜の壺』と呼ばれる52〜58階層は、マッピングも不完全だ。そして広さはオラリオ以上。  ルートから外れた奥には、桁外れに強力な怪物がコンスタントに出現する場も結構ある。  そこでひたすら稽古を続けていた。 『武装闘気(バトルオーラ)』を、飛影が黒龍波を食ったように体と一体化し、正しい武術の動きによって制御する。  自分の力ではなく意念、相手の力を用いる、柔の技の極み。  腕相撲では勝てぬ戸愚呂(弟)、そして伝え聞いた魔界の強者たちに追いつくため……  多数のモンスターの飽和攻撃を、すべて受け流し重心を崩す。 【ロキ・ファミリア】精鋭でも自殺にしか思えない強敵と、ひたすらに戦い続ける。  時には階層主級の強竜と。時には千に及ぼうクモの怪物と。時には強化種の黒い蛇と。  できるなら、レヴィスを何人か呼び出して襲ってほしいほどだ。  同じころ、瓜生に敗れたベート・ローガとアマゾネス姉妹は地上で、まためちゃくちゃな鍛錬をしていた。 【ヘファイストス・ファミリア】が試作した、百トンを超えるプレス機で腹筋を鍛え始めた、血反吐を吐きながら。  月のない夜だった。  湿気の強い、風のない空気。それでも寒い。  何十人かが、郊外の屋敷に向かい忍び歩いていた。 「モンスターを殺せ」  小声で呼びかわしていた。  仕事から、集まって住む場に帰ろうとする何人かの異端児が、魔剣も持つ男たちに襲われた。  最低限の反撃。殺さぬように制圧しようとすると、怪我をする。 「殺スナ!」 「やはり人間は敵なの?」  悲しい叫び。  今日も働いた。人間たちの憎悪と恐怖の目を感じながら。時にはわずかな友愛にも触れながら。  わずかな希望と大きな絶望。希望の頂点から絶望の頂点。  人というとんでもない化け物と接する日々は、心をすり減らすものだった。  太陽と人を、どれほど長く夢見てきたか。その夢が叶ったら、それがどれほど苦しいものだったか。  そして、まだわからないのだ。戦争遊戯の結果によっては……  そこに駆けつけた、【ガネーシャ・ファミリア】。  もともと『ギルド』と組んで都市の治安を担当していたファミリアだが、最近瓜生の資金・ラキア捕虜もあって人数を増やし、強力な武器も得て警察に近づきつつある。 「すまない、まだまだ人間にはモンスターを憎む者が多い……」 「どれだけ、どれだけ我慢すればいいんだ」 「ドレダケ耐エレバ」 「黙って殺されるか?ずっと逃げ続けるか?反撃するしかない」  黒い衣をまとった冒険者が、何十もの異端児に語りかける。 「ダガ、オレタチニハ爆弾ガアル」  異端児はリュックを背負っている。その中には爆弾があり、何人かの選ばれた人が同時にボタンを押すと爆発する。外そうとしても爆発する。 「だいじょうぶ、電波を妨害できる。いま、いまから妨害するぞ」  震えながら、黒衣の冒険者は、背負った機械を触る。 「戦え。そしてベル・クラネルに恩を返せ」  そう言った黒衣の冒険者は強く目を閉じ、小声でつぶやいた。 「……神意だ、私は何も悪くない。モンスターと人がともに住めるはずなどない」 【ヘルメス・ファミリア】の呼び出しを受けたベル・クラネルが、本拠地から異端児たちが集まるところに向かった。 『仲間にも秘密で。異端児の重大な危機だ』  そう言われれば、従わざるを得ない。  ヘスティアやタケミカヅチはあまりヘルメスを信用していないが……  そこには、たくさんの人がいた。『ギルド』のエイナ・チュールも。  暴徒を押しとどめようとする冒険者がいる。  逆に暴徒に加わろうとする人がいる。 「大丈夫です!異端児は全員、リュックで束縛されています。暴れたら爆発して死んでしまう、わかっているはずです!」  エイナが、機械的な拡声器で叫ぶ。 「絶対なんてねーだろ!」 「ならなんで避難させるんだよ!」  エイナが混乱する。 (『ギルド』が避難勧告を出したの?)  わからない。  彼女も末端であり、全体はわからない。とにかく急いで対応している。  突然、拡声器に強烈な雑音が混じった。周辺のラジオにも雑音が混じる。電子機器を使わないレコードには雑音はない。  廃邸宅の広い部屋で、黒い衣の冒険者がリドの胸から、リュックをむしり取った。  爆発したら、リドも黒衣も死ぬ。  爆発しない。 「そら爆発しない、ベル・クラネルのために、みなのために石を投げられて耐えている少年の名誉のために」  そう言ってドアを開けた冒険者が、剣をかざした。  その剣に、超高速の銃弾がはじける。 「大丈夫だ、リュックを外して……」  その足元にガス弾が落ちた。煙が広がり、強烈な涙と咳。混乱が爆発する。 「くそっ!」 「まだだ、あいつらさえ死ねば!」  耐異常が高い冒険者はそれにはダメージがないが、すぐに白リン弾の煙幕がたちのぼる。  バタバタバタ……ほとんどの人は聞きなれない音がする。ヘリコプターのローター音。  まったく別の場所で。瓜生とリリが刺客に襲われた。  ふたりとも膨大な金を扱っており、常に無所属の冒険者を雇っている。電子と遠隔操作火器の要塞の奥にいる。  雇う者もランダムに変えている。  だが、そこに酒の匂いが垂れた。 『ギルド』が没収したはずの、酒神ソーマの成功作……  投獄されていたはずの元【ソーマ・ファミリア】ザニス・ルストラも動いていた。  リリにとって……知る者にとって、耐えがたい蠱惑の香りが漂ってきた。  それに呼び出されるように、リリは心を失ったように呆然と立ち尽くす護衛たちの間を通って香りを追った。  瓜生が通う店の酒に、完成品ソーマが混じった。護衛たちが飲む酒にも。  呆けた護衛たちをよそに、瓜生はぼんやりと街に向かう。  レベル3が4人、瓜生を追う。復讐に燃えるザニス・ルストラも加わっていた。  瓜生は、小さい店を通り抜けた。彼が常に尾行をまくために、妙な動きをすることは彼を追う者たちはよく知っている。  多人数で丁寧に尾行しなければならない。逆にそうすれば、瓜生の用心深さは裏目に出るのだ……行動できる範囲を狭めてしまう。複数の出入り口がある店は限られている、そのすべての出入り口を張っていればよい。  襲撃が、一瞬で散らされる。瓜生の姿が崩れ、緑の髪の冒険者が出現する……ソロの『モシャス』。 「くそっ」  叫びとともに、統制の取れた攻撃が始まる。だが圧倒的な力量差、ほとんど瞬時にあしらわれる。  リリがポケットからポーションのような小瓶を取り出し、飲んだ。その目に光が戻る。彼女を襲おうとした冒険者の前に、『疾風』があらわれた。リュー・リオンが小太刀を手に翔ける。 「く、くそおおおっ!」  ヘルメス・ファミリアの、レベル詐欺をしているレベル3……それが小さい子供のように叩き伏せられていく。 「お、おい、誰だか知らねーが、見逃してくれればうまい酒をやるぜ。こんなうまいものはこの世に」  最後まで言わせもせず、ザニスの腹に拳が食いこんだ。 「う……さすがに効きますね」  リューに一掃された冒険者たちが転がる。  リリが激しく息をつく。保護されてから、医神ミアハの助けも借りてソーマが作っていた解毒薬酒の効果で理性を取り戻した。 「さてと、あれを手に入れられるのは誰でしょうか……『ギルド』とかなり深くつながっている、あるいは『闇派閥』……」  そう言いながら、近くにある隠れ家(セーフハウス)に急ぐ。  瓜生はヘリから異端児の宿舎を見下ろしている。ヘリの窓を開けたヤマト・命とフェルズがリボルバーグレネードランチャーで催涙ガス弾を連射している。  狙撃銃を構えたカサンドラとダフネが潜んでいた場から、強力な可視光で信号を送っている。可視光の点滅は自動的に制御され、信号となり、ヘリの側で受容されて解読される。 【ガネーシャ・ファミリア】やラキア捕虜の精鋭も向かっている。 「やはりやったか、【ヘルメス・ファミリア】……原理は本を通じて公開しているとはいえ、この短時間で妨害電波装置を作るとは、さすが『万能者(ペルセウス)』だな」  ヘリが近くの広場に着陸し、瓜生が触れると消えた。  そのまま数人が近くの屋根にのぼる、そこに激しい襲撃がある。  セミオートの狙撃銃、大口径高初速のライフルが応戦する。 「ウリュー・セージ……恨みはないが」 「異端児には恨みはないのか?」  アスフィ・アル・アンドロメダは沈黙し、目を上げた。 「許されることではない、わかっています……だが、そちらも!人のもっとも下劣な好奇心を刺激し、異端児(ゼノス)に対する感情をごまかした」 「それはその通りだ」  瓜生はあちこちに、映像や写真として【イケロス・ファミリア】や密輸先の王侯貴族が行った、異端児の凄惨な虐待写真を生でばらまいている。それほど人の下劣な好奇心を刺激するものはない。その下劣な好奇心、巨大な感情は、モンスターに対する憎悪すらしのぎ、『戦争遊戯』とあわさって巨大な興奮を作っている。  だからこそ、異端児がかなり受け入れられてもいるのだ。 「ウリューさん!」  ベル・クラネルが駆けあがってくる。 「どういうことなんですか?」 「【ヘルメス・ファミリア】はもともと、『ギルド』と異端児(ゼノス)の仲立ちとなっていた。使者として連絡がある。  それを利用し、爆発リュックを無効化して、暴れるように異端児に言った。それをきみが討伐すれば、きみの不名誉はなくなり、また英雄に戻れる、というわけだ」 「そ、そんな!」 「団長として……そうしてでも英雄への道に戻るか?それとも許さないか?」  ベルは一瞬のためらいもなく叫んだ。 「異端児を捨てることはしない、そんな嘘の英雄には、罪のないものを犠牲にする英雄になんか、ならない!」  その叫びを、隠れて聞いていたフィン・ディムナはどう聞いたか……それは瓜生さえ知らないことだ。  瓜生が宣告した。 「団長の意思はある。異端児を傷つける者は、【ヘルメス・ファミリア】は潰す」 「くっ……」  アスフィたち数人が素早く離脱する。 「帰って寝ていてくれ。明後日は『戦争遊戯』だ。夜の戦いはおれの、おれたちの仕事だ……」  瓜生が素早く階下に急ぐ。  下では、【ガネーシャ・ファミリア】の者が群衆を押さえ、催涙ガスの洗浄を始めている。ちょっとした戦場だ。  月はない。遠く、巧妙に隠れた小人(パルゥム)が、巨大着剣小銃でもある槍を抱きしめて見守っている。  瞬間的だった。【ヘルメス・ファミリア】の、裏の根拠地に直接集団が襲った。  強い妨害電波がオラリオのあちこちに飛んでいるが、有線通信・可視光線信号は止められない。  すさまじい轟音が響く。大金を受け取った無所属冒険者たちが閃光音響手榴弾と白リン弾でひるませ、小さい魔剣を用いた武器で行動不能にしていく。 「くそっ!」 「主神を守れえっ!」  多数が暗殺などに出ていたことが裏目に出て、本拠が手薄。  リリから、有線通信を受けた使者の連絡を受けて駆けつけたソロと、オフロードバイクで石舗装を越えて高速で動いた瓜生が、大呪文とロケットランチャーで防衛線を吹き飛ばす。  主神の部屋の、扉が蹴り開けられる。瓜生が巨大なセミオートライフルを構える。  優男に発砲しようとした瓜生が、無所属の冒険者たちが硬直し、ひざまずいた。  神威。神の力に、人は逆らえない。 「神の前だ、控えよ。神殺しは大罪だぞ」  ヘルメスの声。だが、ソロだけは立っている。剣を優男に向け……すさまじい表情になった。  ヘルメスは毅然としながら冷や汗を流し、一瞬何かに気づいたように焦りの表情を浮かべた。 『神威無効』  ……そんな存在が、 (いていいはずがない……)  のだから。  ソロは動かない。目を伏せ、すさまじい苦痛に耐えるようにうめく。じっと、優男の目を見つめる。  風が吹く。 「その目は、知っているんだ」  言葉が出る。  地鳴りのような。神々が神威を最大にして言うような。  女の名を呼んだソロの剣が、一瞬消える。 「人を逃がすため、身代わりに死ぬために変身している目……シンシア」  ヘルメスの首元で小さな音が鳴る。瞬時に魔法が解ける……  メガネの美女……アスフィ・アル・アンドロメダ団長がそこにいた。切断されたマジックアイテムが落ちる。 「そこだ」  ソロが、アスフィをよけて近くの箱に無造作に手を突っこみ、ヘルメスを引きずり出す。 「わ、わが主神を、神殺しなど」  アスフィが必死で短剣を抜き、かかろうとするが一歩も動けない。 「ああ……エビルプリースト、ピサロを魔の王にするために……思い通りにするために、ロザリーを……自分の理想通りに成長させようと……それ以上に邪悪な支配があるか……」  緑の髪が雷電に逆立つ。 「シンシア……ああああっ!」  突然絶叫が響く。 「あああああーっ、ああーああああーーああーああーー」  それは、天地を揺るがすものだった。 『ダンジョン』ではあちこちでモンスターが異常発生した。  オラリオの薄曇りの空は、突然真っ黒な分厚い雲に覆われ、すさまじい豪雨になった。  ダンジョン監視の役割もあり増えつつある地震計に、異常な低周波地震が記録された。  神の怒りに等しい何かがそこにあった。 「ああああーああああーうう……かあさん、とうさん……あああ……ししょ……シンシア……びざどおおおおおぁあああああくぁあああああああああああああ」  叫びはいつまでも続く。  天地が揺るぐ迫力も暴走し、火山の大爆発のように吹き上がり、まき散らされ続ける。  ヘルメスは完全に魂を砕かれたように、呆然としている。その股間が濡れ、生ぬるいにおいが漂う。  静寂がやってきた。ほんの数呼吸、ソロが深く息をつく。 「出ていけ」  ソロの口から言葉が出た。いつもと違う、地の底から響くような。 「出ていけえっ!オラリオから出ていけ!二度とベル・クラネルの前に顔を出すなあっ!異端児(ゼノス)に手を出すなあっ!」  ソロの叫びに、【ヘルメス・ファミリア】のものは慌てて飛び出した。  アスフィは主神を担ぎ上げて、まるで冒険者ですらない一般人のように逃げた。  これ以上はっきりしていることなどない。 (目の前にいるのは神を殺せる何かだ……)  そのことだ。 「……すまない」  かなりの時間が経ってから、ソロが瓜生に謝った。 「いや、かまわない。どうにかできるさ」 「……返せるなら、戦いで返す」  そういったソロの背に、リュー・リオンが抱きつき、抱きしめた。 (もしヘルメスに逃げられ、『ギルド』に駆けこまれていたら神殺しの大罪未遂で、こちらが潰されていたかもな……)  瓜生は静かにため息をついた。  戦争遊戯は明後日。移動は装甲兵員輸送車で半日。  ビーツは絶対安静を宣告され、ヘスティアの監視下でじっと休んでいる。ベルも弱り切っている。  異端児たちは、あらためてベルたちに深く感謝し、ただただ応援する覚悟を決めていた。ないものと覚悟した生命を、ベルにゆだねて。  瓜生やリリは、オラリオでも重要な仕事をしていた【ヘルメス・ファミリア】が都市外に追放された影響を処理したり、【ソーマ・ファミリア】残党を追ったりと『ギルド』と協力して忙しい思いをしている。 >茶番1  オラリオ全体が、すさまじい熱気を秘めて沈黙している。  ついにその時が来た。 【ロキ・ファミリア】【フレイヤ・ファミリア】二大巨頭が、【ヘスティア・ファミリア】に圧倒的な力を叩きつける時が。  異端児(ゼノス)の運命が決まるときが。 【ヘスティア・ファミリア】うわさの強者たちの実力を知るときが。 『神の鏡』がオラリオ中に浮かぶ。  それをとらえたビデオカメラが、海外の大国に映像を送る。  これまでの、『神の鏡』や魔石製品と平行して、ラジオで実況中継が準備される。時計を可能とする精密加工水準がある、真空管には何とかたどりつけている。魔石を用いる蓄電池もある。  また『バベル』は電波塔としてもまさに最高だ。  桁外れの量の酒が売れている。高度数の蒸留酒が特に売れる。  料理人たちも膨大な料理を仕上げ、『神の鏡』を見つめた。 『豊穣の女主人』は、今日は半分近くが休みでバイキング形式、セルフサービスの飲み放題。何人も助っ人に出ているし、ウィーネも異端児控室にいる。  膨大な金が賭け札になっている。 【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】……  フィン、リヴェリア、オッタルがレベル7。  レベル6も10人近く、レベル3以上の総勢は100人に達する。  レベル3あれば、ヒュアキントスのように中堅派閥の団長となれるオラリオで。 【ヘスティア・ファミリア】も、不気味なまでの存在感がある。  特に認められた、テントに隠れたサポーター……このテントは攻撃が禁じられている。  今は【フレイヤ・ファミリア】にいる、元【イシュタル・ファミリア】の美青年には心当たりがあった。  戦場区域の外に設営された、【ヘスティア・ファミリア】中心のテントが異様に大きく、大型の発電機が用意されている……それを【ロキ・ファミリア】は見て苦笑している。というより多くはよだれが垂れそうになっている。  肉が焼かれる匂いがぷんぷん漂ってくる。  揚げ物の音がする。  カレーの匂いがする。  瓜生が、膨大な量の食事を作っているのだ。  朝からビーツは、十キロ以上のミューズリーの砂糖牛乳かけをさらえこみ、数十個の菓子パンを食べている。それだけで成人男性一日分の10倍以上のカロリーは摂取している。  ベルは重湯を喉も通らぬ緊張の中無理に飲み、瓜生にプロテイン入り牛乳を追加された。  普通の食事をした者もいる。  それをそっちのけにビーツにつきっきりになった瓜生は、贈答カタログなどをめくりつつ次々と食品を出しては調理して提供している。  松坂牛サーロインステーキをプロパンガスからフライパンで焼く。複数のフライパンで交互に、何十枚もひたすら、空き箱を山積みにして。  冷凍ビーフシチューを電子レンジで解凍して直接温める。  最高級レトルトのカレーとパスタソースを湯煎する。高級米を業務用炊飯器で炊く。寸胴鍋でパスタをゆでる。  業務用フライヤーで次々にトンカツ・メンチカツ・カキフライを揚げ続ける。  大きい中華鍋で冷凍チャーハンを炒める。  生鮭の切り身、タマネギとホールトマト缶でスープを作る。  サイヤ人の少女はできたそばから、流しこむように食べ続ける。明らかに自分の体重より多い。どれほど熱々でも平気。  少なくとも200人、いや250人は満腹できる量をさらえこみ、腹を巨大にふくらませてやっと満足のため息をついたビーツ……彼女の腹は、戦いの直前に膨大な食物を完全に消化吸収してほっそりとした少女の肢体に戻り、膨大なエネルギーを全身にみなぎらせた。  こちら側も、人数はそれなりにいる。従属ファミリアである【アポロン・ファミリア】のヒュアキントスらレベル3が4人……瓜生のおかげで経験値の入りがいい……。 【ディオニュソス・ファミリア】に入り、レベル4にランクアップしたアイシャ・ベルカもいる。『豊穣の女主人』からもアーニャ、ルノア、クロエが来ている。【ヘファイストス・ファミリア】からも団長椿・コルブランドをはじめ10人近いレベル3以上が来ている。【ミアハ・ファミリア】のダフネもレベル3にランクアップし参加権を得た。  その全員が美味を堪能し、敵との戦いを楽しみにしている。 【ロキ・ファミリア】が恨めしそうに見ている。一応敵方に食べに行くわけにもいかないのだ。  耐異常で毒は無効だと言っても。  でもまあ、【ロキ・ファミリア】が食べている食事……高級レトルトカレー+高級レトルトハンバーグ+高級チーズと、米や業務用圧力鍋も瓜生が提供している。さらにジャガ丸くんの屋台も瓜生が雇って連れてきている。  十分贅沢である。  が、敵陣から漂う匂いはあまりにも凶悪なのだ。 【フレイヤ・ファミリア】が何を食べているのかは誰も知らない。直前に、唐突に出現した。  正午が迫る。  主神ウラヌスの宣言とともに、神々が指を鳴らして『神の鏡』をオラリオじゅうに顕現させる。  街頭や、超金持ちの屋敷に置かれたテレビやラジオに電気が流れる。  時計も安くなった。高精度加工の報酬が上がり、より高精度な時計の見本を見せられた職人たちは奮起し、手が届くとわかる目標に向けて努力した。  精度の高い旋盤やフライス盤が多数売られた。  それは絡み合う多くの技術を高め、安くしている。 『俺が……ガネーシャだ!!』  と、いつもの叫び声もある。  街頭では、賭け締め切りに向けて叫ぶ声が、喉がかれてわけのわからない音になりつつある。  はるか遠くでもラジオの前に多くの人がいる。  豪邸などではテレビを食い入るように見ている金持ちや王侯貴族もいる。  正午……鐘の音が響く。 【ヘスティア・ファミリア】側の少人数が一気に突っこむ、と思うとバラバラに広がる。  何人かは圧倒的な速度。  そして正面から突撃する者もいる。 【ロキ】【フレイヤ】連合の、レベル3・4からなる多数の塊に、何かが突っこんだ。  ボーリングのピンに、最高速度の暴走車が突っこんだように。  同時に広範囲の爆発が一気に塊を覆いつくす。  武威と、最初にランクアップの光を受けているトグの圧倒的な突進力、突破力。ただ走るだけだ。同時に、ソロの詠唱不要な爆発呪文。  一度暴走機関車が通過してから、まったく動きが変わる。  武威は習った通りの武術で、攻撃を受け流しながらくるぶしを蹴り、関節を砕く。  後から飛び出したソロはひるむ敵を一人ずつ、最低限の動きで行動不能にしていく。  どちらもすさまじいスピード、一気に両軍ともばらけた。  第二弾の『ウチデノコヅチ』を待って、【ロキ・ファミリア】本陣を狙うベル・クラネル。  武威に襲いかかり、瞬時に激しく戦いながら主戦場を離れたオッタル。追うアマゾネス姉妹。  高速で、人団子の背後に回ろうとしたビーツを迎撃したアレン・フローメル、ガリバー兄弟、アナキティ・オータム。  リヴェリアが率いるエルフたちには【フレイヤ・ファミリア】レベル6ふたりも含まれ、さらにガレス・ランドロックを中心に壁たちががっちりと陣を敷き、ソロ、リュー・リオン、トグらを待ち構える。  椿を先頭にした助っ人たちがじっくりと攻めはじめ、ラウル・ノールドの小隊が迎え撃つ。  春姫がインターバルの終わりを待つ中、ベルを一人の女が襲った。  顔は知らない、だが動きは覚えている。  前に、アイズと特訓していたベルを襲った【フレイヤ・ファミリア】の冒険者。  レベル2だったが、レベル1だったベルを倒しきれなかった。その雪辱に燃えてレベル3に至った、大きい代償も払って。 「だいじょうぶ」  ベルは詠唱が終わっていない春姫をいたわり、ランクアップ呪文がないまま刀をひっさげ静かに歩む。  すすっと、しかし驚くほどの速さで。  両手剣を大きく振りかぶった女の一撃。圧倒的な威力、だがベルの、半分の長さしかない……140センチと定寸約70センチ……の刀が袈裟切りに落とし、両手剣が地面に食いこんだ。  同時に、吸われるように女の重心が崩されている。  そのままベルの姿が、女の目から消える。極端に腰を落とし、低くなったベルが……飛んだ。  超高速で飛び抜けざま、抜きつけの角度で一閃。  速度を落としたベルが歩き抜けるなか、女は倒れ伏した。  断たれた両足、血はない。銀色の断面が見えている。  義足……両足を失うほど努力をしたのだ。レベル1を瞬殺できなかった、愛と崇拝を捧げる主神フレイヤの命令に応えられなかった心痛のために。  その努力を認めればこそ、フレイヤは【ミアハ・ファミリア】が崩壊したほど高価な品を彼女に与えたのでもある。  ベルはその義足を斬った。  片腕が義手であるナァーザとも親しい、義手義足のくせはわかる。そして彼女に聞いていた……義手義足こそ狙え、と。 (ものすごく高価だからついかばい、隙になる。それに、手足を切断しても治癒でまもなく戦線復帰してくるかもしれない、でも義手義足を断たれたら戦線復帰はない)  このことである。  女冒険者はそのベルに、両腕だけでも食い下がろうとした。  優れた冒険者と尊敬せよ。決して復讐などと思うな。全身全霊でただかかれ……それができないほど弱い心の持ち主を、フレイヤは眷属とはしない。  心根の高さも最高の冒険者がそろっている。  圧倒的な才能の差を痛感し、それでも自分にできる限り一歩ずつ進み続けられる……任務を全霊で果たす、それができる心根のものが。  足がなければ手で這い、手もなくなっても首だけで跳ねて噛みついてくれよう、というほどの心根でなければ。  だが振り向きざまベルは刀を納め脇差を抜き、振り下ろす。  柔らかく意識が消える……椿・コルブランドが主神ヘファイストス自ら打った脇差を正面に置き、及ばぬ悔しさに歯を噛み砕きながら打った、寸分たがわぬ形・重量の脇差。  刃はつけていない。『戦争遊戯』用の不殺武器。  ただひたすら、折れないことだけを突き詰めた。  直後、春姫の『ウチデノコヅチ』……黄金の鎚がベルに降りかかり、一定時間ランクアップの祝福を与える。  そしてベルはすさまじい速度で、フィン・ディムナの、【ロキ・ファミリア】の道化の旗を目指して駆けた。  ソロ、トグ、リュー・リオン、アイシャ・ベルカの4人が、リヴェリア率いるエルフたち、レベル3・4の大集団を一手に引き受けた。 (え)  ソロに打ちかかるナルヴィは、なにがなんだかわからない。巨大な力ではじき返されるわけでも、高速でよけられるわけでもない。  力の何割かがすっと吸われる。戦車に酔うような気持ち悪さを感じる。  そして飛びのいたところに、味方がいて邪魔になる。  その邪魔をよける、高レベルだからこそできた動きだ。そして追撃、と思ったときに別の味方が意識の外から突き飛ばされ……  気がついたら、トグのすぐ近くにいる。首をさしのべて。  処刑される罪人が、縛られたまま首をさしのべて処刑人の大剣を待つように。  極端に着ぶくれしたように筋肉をふくれあがらせた、異形の少年が持つ武器……戸板のような、サーフボードを一回り大きくして金属で作り縁に刃をつけ内側に取っ手をつけたような……ティオナのウルガにも似た巨大な斧盾の下にある。 (情報ではレベル3、急所に食らっても一発なら)  と耐えようとする……そして意識が消える。  トグは今、春姫の魔法でレベル4にランクアップした状態。その状態でさらに限界ギリギリまで振り絞る修行を積んでいる……57%まで筋肉操作をあげている。  そのトグに打ちかかるガレス・ランドロックと、一瞬力が拮抗する。桁外れの、オラリオ最強と言われる力を、異形に盛り上がる筋肉が受け止める。  絶叫とともに、10人以上のレベル4がまとめてソロに打ちかかる。  激しい剣戟。誰もが意外と感じていた。  ソロは『ギルド』の掲示板ではレベル6のはず、だがとてもそうは思えない。自分よりやや強い程度にしか感じない。極端な速度もない。  その動きに異様に無駄がない、最低限であることは、興奮した彼らは気づかない。  す。すす。  呼吸が乱されている。重心が崩れている。  別派閥の味方が邪魔。足を踏んだところが、わずかな窪地。  そんなわずかな違和感が重なる。 「全員全力で後ろに飛べえっ!」  そう、リヴェリアの絶叫が上がった。 【ロキ・ファミリア】の者は本能的に従い……飛び下がりながら、やっと悟った。彼らも数百にひとり以上の優れた冒険者なのだ。  人の集まりが誘導されていた。もう数手で、全員が絡み合うように動けなくなっていた。 「どれほど、多数との戦闘経験を積んでいるのか……それも少数パーティで」 「あの若さであれほどのベテラン、どんな戦いを経験したんじゃ」  リヴェリアとガレスが冷や汗をぬぐう。  やや遠くから見ているアリシアやレフィーヤなどは、震えあがっている。  考えてみれば、レベル4より少し強い程度が10人のレベル4に囲まれたらやられるだけだろう。無駄な力を使っていないだけなのだ。  離れて崩れた陣形に、ソロ、トグ、リュー、アイシャが一気に襲いかかった。  ソロの、パーティを率いることに慣れきった動き。  トグの頑丈な防御とリューの速度を両手のように使いこなし、確実に敵集団を動かして、3対2の多数を常に維持して打ちのめす。  自分は最低限の動きで、とどめはトグに打たせている。  リューも的確にフォローし、できるだけ敵の足をひっかけ、トグに時間のかかる治癒魔法をかけつづけている。  アイシャも必死で、レベルが上の戦いについていっている。何度かの訓練で叩きこまれた、単純な指示に従う動きを忠実にやっていればいい、考える必要がないのが救いだ。アマゾネスの身体能力を最大限に使い、リューの超高速と息を合わせ、トグの頑丈な壁を利用して息をついて戦い続ける。  ソロという冒険者の恐ろしさは、ベテランにこそわかる。  無駄な力も速さもない。相手に合わせる。自分ではほとんどとどめを刺さず、敵を操作して味方に任せている。  上から見ているように戦場の流れ全体を操る。  無駄な動きが恐ろしいほどない。常にとことん体力と精神力を節約している。 (アイズ以上に、無茶な戦いが日常の年月……それもあの若さで) (ただ、ほとんど常に仲間とともに戦っていた、アイズと違って)  4人パーティでの戦いの、達人というべきだった。  呪文を唱えはじめるエルフ軍団……【フレイヤ・ファミリア】のレベル6ふたりを含む……に、ソロとリュー・リオン、そして光が消える直前ガレスを突き放したトグが全速で襲いかかった。  レベル3以上だけで10人以上のエルフたちが、強力な呪文を唱える。膨大な魔力がふくれ上がる。  アナキティ・オータムがビーツに追いついた。  ビーツは動きを妨げない、非常に目の細かい鎖帷子を着ている。  手には身長の倍ほどの長槍、両手は肘まで頑丈な籠手に覆われている。頑丈だが指は自在に動き、槍の扱いは妨げない。かつ槍を離して拳を握れば、ひとつのハンマー頭のようにがっちりと固まる。  中学一年ぐらいのしなやかな身体。黒くツンツンした髪。  アナキティの、猫人(キャットピープル)のすさまじい速度だが、ビーツはそれ以上。  どしりと深く重心を安定させ、槍の長さを巧みに使って間合いを保つ。 (強い!)  レベル5にランクアップ、【ロキ・ファミリア】準幹部最強のアナキティ。前の大遠征でも、50階層の留守部隊を率いた……フィンをはじめ、他のレベル6・5・4の主力が全滅した場合、事実上アナキティひとりで【ファミリア】を再建することを考えての人選だった。  その彼女が、完全に圧倒されている……そこに、4つの小さい影が襲いかかる。 『勇者(ブレイバー)』フィン・ディムナはひとり、不壊属性の槍を構えてベルを待っていた。  だがそこに、別のところから暴風が飛んでくる。  アイズ・ヴァレンシュタイン……  その姿を認めたベル・クラネルは硬直した。  戦力だけで言っても絶望を通り越している。  そして、憧れのアイズ、尊敬するフィンと……背負うウィーネ、異端児たち。  アイズの、普段とは違う厳しい目に、ベルは圧倒されつつ勇気を振り絞った。 「一瞬で決める」  アイズの、剣士としての自分が動きを命じる。出ばなで手や膝を砕き、戦闘不能にする。 (レベル差があってもベルは危険、だから最速で戦闘不能にする)  リヴィラの街で以前、アイズが実践した。  ベルは信じられないほど成長しているが、それでも差があることには違いないはず……  アイズは確信をもって、全速でベルの出ばな、振りかぶり始める寸前の右手首にデスペラートを流した。  違和感があった。経験が違和感を伝えた。  ベルの声。呼吸が深い。ベルの姿勢。体幹が深い。  超速で手首に吸いこまれようとする刃、それを刃が受け流した。  小さい振りかぶり。  だが力が違うはず、自動車事故で人が車を受け流せないと同様、桁外れの力を受け流すことはできないはず……  構わず振りぬこうとした剣が、正しい軌道からそれる。 (体幹!)  アイズは気づいた。  ベル・クラネルの、桁外れの体幹。巨木の根のような重心の、軸の深さ。 (体幹にひと呼吸だけチャージ……呼吸・体幹・チャージの一体化、ベルの蓄力スキルの、本当の使い方!)  師として、それを教えてやれなかった自分の未熟が痛い。  やられる側にとっては、この上なく恐ろしい。  瞬間だけ、体幹だけは自分に匹敵する……体幹力が、正しく剣と刀が触れるわずかな接点にぶつかり合う。  螺旋に力がそれる。タケミカヅチが叩きこんだ振りかぶりは、12センチもない小さい動きでも確実に敵の剣を殺し、重心を崩す。  体落としをかけられたら投げられてしまうほどに、重心が崩れた。最小限の動きで刀が落ちた。かわせない、重心が崩れている。  ヴェルフ・クロッゾが椿と主神ヘファイストスの指導を受け、 (絶対に折れない、刃筋が通れば切れぬものなし……)  それだけを追求した不格好な刀が、アイズの腕に走る。 (きれい)  アイズは思わず、その刃筋がしっかり通る小さい袈裟切りの美しさに驚嘆した。それにこめられた、絶大な体幹力とキレ。無駄な動きがない。肩の力がよく抜けて、腰の力と刀の重さだけで斬っている。  この短い間でもどれほどベルが鍛錬を続けてきたか、はっきり伝わる。そしてその師……タケミカヅチの高み、ソロの莫大な実戦経験、自分自身の教えもしっかり根付いていることも。  わずかな痛みが腕に走った。  第一級の鎧とレベル6の耐久を貫通し、アイズの骨まで断った。  そのままベルは歩き抜ける。それがアイズの、左手に剣を持ち換えての反撃を数センチ外し、威力を半減させている。畳みかけるのがやりにくくなっている。 (……強く、なったね)  アイズは胸が熱くなり、同時に怒りと絶望に真っ黒になった。 (なぜ、そばにいてくれないの!私だけを見てくれないの!怪物の味方をするの!)  右腕がほぼ断たれたことなど、大したことではない。それぐらいの経験は何百となく積んでいる。 (ただただ、ベルを失った、とられた……)  それだけが辛い。  ベルは、衝撃に打たれていた。  何の手ごたえもない、だが、アイズの愛剣は左手に持ち替えられている。  それよりも、本気でアイズと戦うこと……それ自体が、現実感がない。  猛攻に、体に叩きこまれた剣技だけが応えている。 (ひたすら相手の体幹に向かい、こちらの体芯を合わせて歩く。斬れるものを斬る、肩の力を入れず、体幹だけで)  それだけを、心がどれほど乱れ消えていても、身体はやってくれる。  フィンは悲しみをこめてそれを見た。 (どちらも、『剣』だけで斬り合っている。心がおいていかれている。  ベル・クラネルは仕方がない、冒険者になって半年も経っていない。  だが、アイズは何年冒険者をやっているんだ……それなのに、これほどに心が未熟……) 『鏡』で見ている観客から見れば、手に汗握る剣戟。だが、達人から見れば、無様とすらいえるのだ。 >茶番2  異端児が控える、戦場にほど近い場……小さなリュックを背負った竜の少女が、テレビに映るベルの奮闘を見ている。  リュックには遠隔操作の爆薬。今の設定は、決められた範囲から出たら起爆。  ベルだけではない、店の先輩たち……リュー・リオン、アーニャ・フローメル、クロエ・ロロ、ルノア・ファウスト……彼女たちもベルの側で戦っている。  膨大な人海戦術に。絶望を通り越したレベル差に。  毎日毎日ミスをする自分を励まし、叱り、からかい……同じ仲間として扱ってくれる家族が。敵意から守り抜いてくれた仲間が。 「ここに入ったばかりの私は、もっと無能でした」 「大丈夫、笑って」 「ウィーネはアホニャー」 「ったくもう、ほら危ないから」 「竜女(ヴィーブル)の鱗皮はガラスぐらいじゃ切れないニャ」 「この……バカ娘ぇっ!」  石を投げられ、唾を吐かれながら毎日自分を送り迎えしてくれたベルが。  その傍らで共に視線に耐え抜いた主神ヘスティアも、遠い『バベル』で同じように祈り見守っているのか……  異端児たちも見つめている。背にリュックを背負い、集まって。  血が滴るほど手を握り。翼を限界まで広げ。尾をぴんと立て。  オラリオの観客たちも目を見張っていたが、それとはまったく違う重みで。  ベル・クラネルがアイズ・ヴァレンシュタインに一方的に、ぐちゃぐちゃに叩きのめされている……そうとしか見えない。  すぐ近くで、肉眼で見ているフィン・ディムナには、アイズの心が崩れていること、ベルが見事な腰で威力を半減させ、敵の体重を崩していることは見えているが、そんなものが見えるのは達人だけだ。  画面で見て微笑しているのはミア・グランドぐらいだ。 「ご満悦か?」 「ええ、とっても」 『バベル』の上層ではロキがフレイヤに声をかけ、美女神はハチミツのように濃く甘い声で応えた。  ヘスティアはただ、黙って見つめている。神でありながら祈るしかない……  アナキティの身体の芯とビーツの芯の間に、常に槍先がある。足と体が作る線も精密に追随している。どれほど早く動いても、常に。近づけば貫かれるだけだ。  叩きのけて踏みこもうとし……カンだけで横っ飛びして、かろうじてすさまじい前蹴りをかわし、戻る槍の強烈な打撃を受けて吹っ飛んだ。 (直撃してたら足が砕けてた)  高貴なる猫は、さらにギアを上げる。いくつもの残像が生じ、分身したように見えるほど。  ビーツはしゃがんでいるように腰を落とし、どしりと安定しながら迫り続ける。数センチずつ不規則に、常に超高速で動き続けていることは、戦っているアナキティは知っている。  目の中の槍先が突然大きくなる。目を正確に狙いながらブレなく、直線で突いてくる。よけにくいなどというものではない。必死でよけ、返しながら戦い続ける。  フィン団長との稽古のように。 「のけ」  乱暴な言葉とともに、アナキティは突き飛ばされた。  かたわらを抜け、小人(パルゥム)が襲う……ガリバー兄弟、【フレイヤ・ファミリア】主力のひとつ。  レベル5だが、四つ子ゆえに息がぴたりと合い、レベル6の戦闘力を持つ。  斧や槍など、多様な武器による完璧な連携。  どう考えても公称レベル3のビーツに向ける戦力ではないが、戦っているアナキティが一番よくわかっている。 (この子は低く見てレベル5、いや6でもおかしくない……)  このことだ。  ビーツはまったくためらいもおびえもない。  すさまじい喜びを頬の隅にかすかに浮かべている。  膨大な『武装闘気』が、濃厚な光が全身にまといつく。  フィンが団長戦予定で動けないため、かなりの人数を指揮しているラウル・ノールドは、瓜生のおかげもありレベル5にランクアップしている。  その彼は、3人のレベル4の猛襲を受けつつ多数のレベル3を指揮していた。 『黒猫』クロエ・ロロ。『黒拳』ルノア・ファウスト。『戦車の片割れ』アーニャ・フローメル。  道具使用禁止で不利ではあるが、強力な幻覚呪文と身の軽さで翻弄してくるクロエ。拳ふたつ、圧倒的な威力と身体能力で正面から攻め続けるルノア。金色の槍で、すさまじい攻撃を仕掛けてくるアーニャ。  背後では数少ない助っ人のレベル3が、ヒュアキントスの指揮で多数のレベル3を必死で押さえている。  剛拳。猛槍。暗殺剣。そのすべてに対処しつつ指揮も続けられるのは、ラウルが凡人だから……  抜きんでた速さも力も魔力もない。特別な大技、決定力がない。だが欠点がない。円グラフが大きく丸いのだ。  だからこそ、隙が無い。崩せない。 【ヘファイストス・ファミリア】の、かなりの数のレベル3、4にレベル5の団長、椿・コルブランド……離れて動こうとした一隊を、ベート・ローガが一人で抑えようとしている。  服には無数の小型ナイフ。皮肉にも、【ヘファイストス・ファミリア】が安価に大量生産した魔剣。  それがメタルブーツに炎を放つ。椿・コルブランド作のメタルブーツはその魔力を蓄積した。  頼れる仲間、だからこそ実力はわかっている。互いに手加減は一片もいらない。  言葉もいらない。  武威の武具は、いつもの重すぎるものではない……ジャージのようにすら見える。とにかく動きやすさ最優先。その上で、優先することはふたつ。  ひとつは魔法・ブレス耐性。  もうひとつは、着用者の桁外れの動き、強烈な『気』に耐えられるように。  椿も手伝ったが、ほぼヘファイストス自身が打ったようなものだ……黒いゴライアスの硬皮と、人工迷宮の戦利品であるオリハルコンを主に。  目の細かい鎖帷子がほとんど。  武器はなく、素手……薄い仔山羊皮のような柔軟な手袋。針仕事もできるほどに。それでいてとことん頑丈に。  武神タケミカヅチも協力している。拳を使わない武術、打撃は手刀と肘が主なのでそれを強化する。手刀を打つ部分、小指の付け根から手首までの横面だけをオリハルコンの曲げた厚板でがっちり固める……投げ技もできるように最小限。  腕で受け流し、スネで受け止められるように要所に装甲をつける。手の甲、手指の甲側も打撃に使えるように厚く守る。  すさまじい震脚に耐えられる、膝下までのハードブーツ兼用スネ当ても。 「バカにしないでよ!」  まるっきり相手にされず投げ倒されたティオネは感情に任せて絶叫した。 「本気、出しなよ」  すさまじい威力でウルガを振り続けるティオナ、だが武威はその攻撃をすべてそらし続ける。  あくまで武威は、新しく習った太極拳・八卦掌・合気道の神髄を合わせた柔の拳の練習を、武装闘気をコントロールする練習を続けている。 (力はいらない……速ささえいらない……ぐ……『気』を天地に混ぜよ、捨己従人……ああっ、う……)  新しい戦法を拒もうとする自分との戦いが99%。 「ほんとの戦いかた見せて!」  ティオナの絶叫に、武威は軽い苦汁を浮かべた。  相手の気持ちもわかるのだ。もし自分がそんな扱いを受けたら絶対に許せない。  軽く歯を食いしばり、決意する。 「オレは、今のこれを、体に叩きこんで本当の戦い方にしたい。本当にそれで以前のオレを超えられるかわからない。怖い。だが……ああ、見せてやる。  これが、昔のオレだ」  武威が呼吸を変える。動きの精密な制御をやめる。  すさまじい武装闘気(バトルオーラ)が、光の濃密な液体が、武威の巨体を包み暴走気味に荒れ狂う。巨体が宙に浮かぶほどの力。  それは以前よりもさらに激しい。決死の修行は、気の総量も圧倒的に高めているのだ。 「あ、ああ……」  アマゾネス姉妹が歯を噛み鳴らした。あの59階層の穢れた精霊以上の恐怖に。それをかき消すような桁外れの怒りに。 「それよ!」  ティオネは暴風のように斬りかかった。  武威は無防備に受ける。まるで鉄の塊をプラスチック定規で切りつけたようにククリが折れた。ティオネは肘打ちに切り替えるが、巨岩を打ったように砕けたのは肘だ。小ゆるぎもしない。パワーもまったく違いすぎる、大人と子供だ。  そして裏拳の一撃で、彼女は銃弾のような速度で消し飛び、岩を砕き突き抜けて飛び、大木を倒し、岩だらけの地面に溝を掘り煙を上げる。 「あああっ!」  打ちかかったティオナのウルガが手の平で受けられ、つかまれひねられ折れる。プラスチック引き出し程度に。 『神の鏡』を通じて見ている【ゴブニュ・ファミリア】幹部が、歯噛みをする。  何度も苦労した巨大武器を壊す彼女に文句をいつも言っているが、わかっている。壊れるような武器を作る自分たちが悪いのだ。顧客の信頼を裏切り、殺しているのだ……彼女が生きているのは僥倖でしかない。  自分たちの腕では、この戦闘領域に至れないのだ。駆け出し鍛冶師が、レベル4の下層探索に通用する武器を打てないように。  軽く、蚊でも払うような一撃にティオナも吹き飛ぶ。  武威は絶叫した。 「これがなんになるんだ!これでは、80%の戸愚呂にも勝てなかった!100%は、80%の4倍や5倍の強さじゃなかった、ここの言葉で言えばレベル3つぐらい違ったんだ!」  アマゾネス姉妹は、底なしの強さに対する飢え、すさまじい絶望をはっきりと理解した。 「そ、その、トグロは」 「死んだ。若者に討たれた」  愕然とする。 (もし、自分がそんなことになったら……完敗した相手を超えようと頑張っている時、その相手が別の誰かに倒されたら)  考えただけでも恐ろしい。 「……死にたかったが、殺してもらえなかった……ここで、向上できる可能性を教わった」 「なら、貫くがいい。相手に……いや、全力で殺してやる」  巨大な影が、巨体の猪人(ボアズ)がアマゾネス姉妹にエリクサーを半分ずつかけ、武威の前に立った。  都市最強、『猛者(おうじゃ)』オッタル。  手には棍を持っている。めったに使わない、神ヘファイストス自ら作った武器。彼の長身の、足元から天に伸ばした指先ほどある。  着ぶくれした巨体が上着を捨てると、その下は分厚い全身板金鎧で覆われていた。輝きを消した表面、使いこまれよく手入れされているのがわかる。 「ウィーネ……行くのか」 「ベルっちに恩を……なら」  と、リドは持っていた袋を開けた。大きな魔石がごろごろと転がる。  近代兵器の訓練を兼ねて、下層でかなりの量の魔石を集めていたのだ。  ウィーネはうなずいてそれを食い、急激な成長の、気持ち悪さに必死で耐える。  レベル7になったリヴェリアを中心とし、【フレイヤ・ファミリア】のレベル6ふたりを加えた多数のエルフの攻撃魔法……  深層階層主でも蒸発するであろう威力。 (いくらなんでもやりすぎ) (死んじゃう)  観客の興奮は膨れ上がった。 「フレイヤ様の命だ、全力で戦え」 「……なめてかかれば死ぬのはこちらだ!」  炎が。氷が。稲妻が。圧倒的な攻撃力が、ソロたちに集中する。 『神の鏡』やテレビは真っ白に染まった。この世の終わりのような閃光と熱気。  だがそこで悲鳴が上がる。膨大な魔力の相当部分が、エルフたちに跳ね返ってきた!  飛び出してきたガレス・ランドロックが、巨大な盾を掲げて必死でかばう。盾が砕け、身を焼かれながら防ぐ……多くの余波がエルフたちを打つ。  その横を通って、『疾風』が疾った。  リヴェリアが掲げた杖に、はぐれメタルの剣が食いこむ。  ガレスが身を引いたリヴェリアを追おうとするソロの前に立つ。ほんの一瞬、肩と肩で激しい力比べになる。  ソロは閃光の中で、魔法をはじき返したミラーシールドをリュー・リオンに渡し、はぐれメタルの楯をつけた。リューたちには魔法無効呪文『マホステ』をかけている。 「あなたのような戦士をなめることはしない。ライアン、そしてアルドレアル……」  ガレスがにやりと笑って答えた。 「その声に感じる敬意、比べられて光栄と思うべきじゃな」  ソロはそっと笑った。 「だからこそ……トグ!胸を借りろ。目標がここにある!」  そう叫び、後ろから打ちかかるトグにガレスを任せて移動した。  ほんの一瞬、魔法職とはいえレベル7と、レベル6ふたりを食い止めているリューのところに。アイシャはほかのエルフ全員を襲っている。 「42……よんじゅう、さ……ぐうっ……ん……」  トグが苦痛に歯を食いしばりながら、筋肉を増やしガレスを押し出そうとしている。  ソロが襲いかかったのは、魔法職とはいえレベル7ひとりと、レベル6がふたり。  アイズの左手の剣が、峰打ちだが容赦なくベルを吹き飛ばす。  実は体幹で半減されているが、巨大なものを半減しても痛いには違いない。 「人を泣かせるなら、モンスターは殺す」 「話せるんです。笑い合えるんです」 「でも、いつ暴れるかわからない」 「僕たちだって!冒険者だって牙をむけば……それの普通の人間も、恐ろしいんです。一人の軍人の押したボタンが、14万人……200万人のホロコースト、数千万人殺した人も、瓜生さんの故郷にはいるって!」  コルベ神父の話も聞いた。コロンブスやコルテスの伝記も読み聞いた。エノラ・ゲイのパイロットの話も聞き、広島原爆の映画も見た。  爆発音がした。 「ベルを、いじめ、ないで」  血まみれの、幼い竜女が飛びこんできた。広い翼、長い尾、長く鋭い爪で。 「ウィーネ!」  ベルが叫ぶ。  アイズが切りかかろうとするのを、必死で止めた。  ウィーネの胸は、指向性爆薬に貫かれている。強化されていたからこそ、ここまでたどり着けた。だが明らかに限界……魔石をやられている。  尾の先から灰になろうとしていく。 「モンスターは!」  引き、ふたたび切りかかろうとするアイズ…… 「たすけて、くれたの。ひとりぼっちだった、わたしを」 「なぜ……」 (私も助けてほしかった!)  小さいアイズが泣き叫ぶ。 「アイズ、さん……」  ベルが、かみ合う剣の違和感に気づいた。  ふと、顔を見た。アイズが、泣いている。美しい顔をくしゃくしゃにゆがめて。 「たすけて、くれた……ベル、だいすき。だいすき」  そういって灰になろうとするウィーネ。  だが、そこにすさまじい速度でひとりの戦士が駆けてきた。  緑の髪。  背後で、必死で第一級冒険者たちを食い止めるトグの姿がある。異様なまでにふくれあがる筋肉、耳から血が噴き出している。 「『ザオラル』」  ただひとこと、すぐにソロはトグのところに戻った。  崩れかけたウィーネが、みるみる生気を取り戻していく。美しい鱗に覆われた、美しい乙女の姿を。  ベルは無力感、激しすぎる感情に心が破裂している。  観客たちは言葉も出ない。  かつてフィンは、瓜生の考えの甘さをひとつ指摘していた。 「話すことができる。でもそれだけでは人間には足りない……別の何かだ。人間にとってはモンスターより恐ろしい」  爆弾をつけられて服従する……こうすればこうなると理解し、命を惜しむ行動をとれる。言葉を使える。将来はエンジンを作り運転することもできよう。  それは確かに人間の多くではある。  だが、人間はそれだけではない。  神風特攻。十字軍。自爆テロ……生命を投げ出せる。信仰のため、憎悪のため、国家のため、愛のために死ねる。  あるいは、大虐殺ができることも人間の条件に加えてもいい。  瓜生はそれを危惧していた。彼自身は、異端児(ゼノス)が人間とは異質であるほうが安心できただろう。  人間的であるということは、人間の愚行・残虐行為もやる可能性があるということなのだ……  小さな地震を、オラリオや周辺に置かれた地震計が探知している。  巨大な牛人が、この戦場にほど近い人工迷宮のオリハルコンの扉を殴りつけているのだ。  ずっと戦っていた。  夢のために上に歩み、同胞の血の臭いに引かれて人工迷宮に入った。  そこで数限りない食人花、クモ、仮面の怪人などに襲われた。  巨体に首輪をつけようとする片腕の男から逃れた。  戦って戦って戦い抜いた。何度も罠に落ち、力だけで抜け出した。  憧れのために。夢のために。 >茶番3  フィン・ディムナは思い出す。  何日前だろうか……女神ヘスティアが幹部と着ぐるみを連れて、主神ロキを含むフィンたちを呼び出したのは。  そこで着ぐるみを脱いだウィーネ。人間のようにおびえた、竜女(ヴィーヴル)の少女。 (ああ)  不思議なほどすぐ納得できた。瓜生とベルの誠意が。  そこで話されたのが、この八百長。  ヘスティアは共存、ロキは皆殺し……どちらも偽り。両極端の間の、 (落としどころ……)  を事前に決め、そこに着地させる。  八百長と言っても、勝つのは【ロキ・ファミリア】だ。  ベルがフィンに挑み、健闘して破れる……健闘のほうびとして、異端児(ゼノス)は生命は許され、隔離されて暮らす。  そのために瓜生は、オラリオから離れた荒れ地を調査した。ベートやアマゾネス姉妹との決闘はそのついでだ。  もし【ヘスティア・ファミリア】が勝つ気でやれば、まずフィンたちに勝ち目はない。銃器を禁止しても。【フレイヤ・ファミリア】が加わっていてさえ。  ベルが長文詠唱付与呪文を唱えきる間、武威・ソロ・トグが壁となる。全員の武器に、長文詠唱の雷電を付与。春姫の術でソロを超強化、確実に当てられるように。  間違いなく、団長から先に死体も残らず粉砕される。  今、戦場を見渡す指揮官は見ている……ソロのすさまじさ、だがまだ全力には程遠い。そしてアマゾネス姉妹を粉砕した、そちらの戦法ならオッタルも同様に粉砕できる武威の本気。『剣姫』の片腕を獲ったベル・クラネル。ビーツ。リュー・リオン……  火器を使用すればもちろん、核兵器を擁する瓜生に勝てるはずがない……  今、【ヘスティア・ファミリア】は分散している。【ロキ・ファミリア】のレベル3や4に経験値をプレゼントしてくれているのだ。  重要なこと。この八百長はフィンの、『勇者(ブレイバー)』の評判をむしろ上げる。オラリオを守るために立ち上がり、圧倒的な力を見せつけて勝利する。オラリオ最強の座、迷宮都市の守護者の立場を守る。  Win-Winの落としどころだ。  八百長が決まってからも、いろいろなことがあった。 【フレイヤ・ファミリア】の参戦もあった。 【ヘルメス・ファミリア】もちょっかいをかけ、潰された。  そしてフィンは見た。  石を投げられ、唾を吐かれながら耐え抜くベル・クラネルと、彼の手を握って胸を張って歩む幼い女神の姿を。  神を打ちひしいだ、どこかで神に匹敵する悪を倒した真の勇者を。  ビーツに迫る四兄弟は、一気にギアを上げて必勝の連携をつくった。  ガリバー兄弟には優位がある。【フレイヤ・ファミリア】にはアレン・フローメルがいる……高速の槍使いが。  四兄弟の連携を崩され半殺しにされる模擬戦は、いやというほどやっている。  槍を相手にした、さらに上を行く連携はとことん訓練している。 『豊穣の女主人』によくいるビーツの、槍の師は当然元同僚であるアーニャ・フローメルと思われる。彼女の槍の癖は嫌というほど知り尽くしている。  前後からのはさみ打ち。  左手を槍の石突き、右手右足を前に半身のビーツの、顔から見て真右、背中からの槍。  上からのハンマー。  前後左右上下、すべて封じる……前に出れば後ろから、後ろに出れば前から、横に逃げれば槍の長さで左右どちらでも、ジャンプすれば上から。  すべて経験している。超高速。桁外れの力での振り回し。最小限の回避。地に伏せ四つん這いで超低高速移動。槍を棒高跳びに使った大ジャンプ。槍を投げて近接。どんな動きに対しても、数手先で誰かふたりが強打をぶちこめる。 (アレン・フローメルやフィン・ディムナを殺すつもりで……)  スキルや魔法で自らを強化している。  ビーツは迫る武器を見ているのか、わずかに左足を右足に寄せて腰を深く落とした。  ダム!  すさまじい震脚。地面に小さいクレーターができる。  それだけでは、レベル5は止められない。  ビーツが選んだのは、基本通りの突きだった。一月近く、そればかりやってきた。 (正面だけ、突きの前進で上と横はかわす……知っている) (次、その次、詰み) (兄者!) 「おおうっ!」  斧を低く投げ、右胸で槍を受けて柄を握り、振る小人(パルゥム)。犠牲は前提だ。  ビーツは槍を手放し、さらに加速した……後方からの斬撃が、わずかに遅れて背中をかすめる。加速のために踏み出した足が蹴りとなり、投げられた斧をはじく。  読んでいる。槍と、大地を砕き素早く引き戻されコンパクトに突かれる鎚が、同時に加速された着地点を狙う。  貫かれた兄を盾にするなら、兄ごと。邪魔をよけるなら、よけたところに加速された後方からの追撃。跳べば槍。  四兄弟は確信をもって、次の動きをとった。  気がついたら、槍使いは懐に飛びこまれ胸にビーツの拳を受けていた。 (読み通り!)  完全なタイミングで、打ち終わったビーツに打ちかかるふたりの小人。  ビーツはその場で、数センチだけ空を突いた。同じ右で。馬にまたがるように深く腰を落としたまま。  下半身が爆発し、全身を『気』が駆け巡った。  レベル5が急所に打ちこんだ渾身打ふたつが、はじかれそらされた。  胴体の角度の変化で。肩のわずかな動きで。  体幹で受け流す……この技術は同僚のベルと並んで、彼以上に鍛錬を積んだ。  それは幼い日に養親に叩きこまれ、武神タケミカヅチが教えなおした基礎と共通していた。  高水準の基礎は攻防一体。敵の攻撃を体幹で流し、敵の力も借りて最大の攻撃を打ちこむ。  右の連打、空いた左が下から、鋭くひとりを打ち上げた。  直後ビーツは、すさまじい速度で細かな移動を数度入れる。  手に吸いこまれた敵の槍を握り、見事な基礎どおりの突き……それは完全なカウンターとなり、反撃を受け流して最後のひとりの胸板を貫いた。 「ぐ……」 「基礎、で……」 「な、内部から……」  倒れ伏す四兄弟……気がつくと、銀槍を構えた小柄な猫人(キャットピープル)がいた。 『女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)』、アレン・フローメル。  ビーツは自分の槍を取り直した。  遠くで、観衆は偉業に熱狂している。  指一本動かせないアマゾネス姉妹は、見た。『鏡』やテレビを通して見る観客の多くは、あまりの速度にろくに目が追い付かない。かと思えば、あまりにゆっくりした動きに何をしているのかわからない。  オッタルはパワーアタッカー、軽装で力任せの一撃必殺……そう、誰もが思っていた。その巨体。好んで分厚い大剣を使う。普段は軽装だ。  違った。アイズはそのことを知っている。  スピードもテクニックも、オラリオ最高をぶっちぎっている。  腕相撲でガレス・ランドロックに勝てる。  100メートル走でも反復横跳びでもフルマラソンでもベート・ローガに勝てる。  オリンピックルールのサーブルでアイズ・ヴァレンシュタインに勝てる。  どれも、圧倒的に。  それがオッタル。その実態は、ラウル・ノールドの超上位、巨大で丸い円グラフ、オールラウンダーだ。  それが、その技巧・剛力・超速の限りを尽くし、分厚い板金鎧で身を守って武威を襲う。  刃のない棒は突けば槍払えば薙刀持てば太刀……自在に姿を変える。刃はなくとも、深層の階層主すら桁外れの速度と密度で、戦車砲の劣化ウラン弾頭のように貫通できる。  それが膝やあご先、こめかみを何度も強打していても、武威は蚊が刺したほどにも感じていない。黒龍波を食った飛影が武威自身の拳を無防備に受けて平気だったのと同じく……自らの暴走する気を食って力を爆発的に増大させ、正しい動きのおかげでかろうじて自爆をまぬかれている状態なのだ。  アマゾネス姉妹にははっきりわかる、腕相撲やかけっこでは、武威の方が圧倒的に上だ。  それでも、技が違いすぎる。武威の半年にも満たない修業期間と、オッタルの長い長い激烈をきわめた研鑽……  ウェイトリフティングメダリストでボクシングの世界ランカーが合気道を習い始め、柔道の軽量級金メダリスト、かつ、剣道7段・全国大会個人戦優勝者と戦っているようなものだ。  技が違いすぎる。  杖を両手剣のように使うオッタルが、ゆっくり切りつける。  武威が小さな弧を描いて歩んで刃から身をずらし、腰をひねって手首を押さえようとする……その膝に、オッタルの膝がわずかに触れている。  なぜか武威の肩が爆発する。高速で受け身も取れず倒れる。  本来なら歩きそのものの螺旋が大地から力を汲み、足から腰と、螺旋を保ちつつ渦潮のように、上に行くほど一点集中させて力を伝え集約する。百倍の力をも受け流して敵の芯を崩し、関節技から投げにつなげる。あるいは手刀で斬る。  だがその途中に小さなずれを加えた……中身が偏ったまま回転する洗濯機が、異常振動で吹き飛ぶように別のところで流れの異常が極大化したのだ。  武威の体重の芯を崩す。何手も先まで読む。『気』そのものを崩す。  ありとあらゆる、超高水準の『崩し』が武威を襲う。  武威は、元の戦法を使えばオッタルが相手でも力押しで楽勝できる。だがそれはしない。  何度打たれても、何度崩されて地に這っても、何度『気』の暴発で深く傷ついても、愚直に新しい戦法を追求し続ける。 (腕相撲で勝てなくても、技で勝つ……)  その可能性を、今目の前の敵が見せているのだ。オッタルや、技は極めているが常人の身体であるタケミカヅチが戸愚呂(弟)に挑んでも、圧倒的すぎる力に潰される可能性が高いとは思うが。  それは殺し合いであると同時に、稽古でもあった。  オッタルには武神が教えた技は、完璧に理解できた。どれほどの高みへの道なのかも。オッタル自身もその道を歩んでいたし、これから先にもはるかはるか高みがあることも知っていた。  タケミカヅチが何千年もの不死で登った絶峰、オッタルも四合目に爪をかけているからこそどれほど高い峰だか知っている。だから、まだ一合目の武威が何を登っているかも知っている。  武威がタケミカヅチに習った、30手もないが底知れぬ奥深さの套路……その動作はすべて、もしオッタルがおのが武を誰にも習えるものとするなら組むであろう套路に含まれている。  だからこそ、武威のまだつたない技の弱点をすべて読んだ。だからこそ、まだ未熟な武威には気づけぬ神髄を教えるように打った。  オッタルが武威を殺す目的でも、最善だった。外からいくら殴ろうが蚊ほども感じない、だが正しい動きを狂わせ、『気』を暴発させればそのほうがよほど深く傷つくのだ。  双方の無限の体力と気力の限り、戦いか稽古かは延々と続いた。  双方の最大戦力が束縛され、戦場から離脱した……ともいえる。  ソロはリヴェリアを丁寧に追い詰めている。剣をふるうこともほとんどなく、肩と目線のフェイントを自在に操り、強烈なプレッシャーを与え続ける。それはすべて仲間を活かすため……ソロの動きに追随するリュー・リオンは、のびのびと戦える。  トグは全力を、限界を通り越してガレス・ランドロックの桁外れの力を受け止めている。  その彼にポーションを注ぎ続けるのは、もはやサポーターとしてポーション運搬に徹するようになったアイシャ・ベルカ。それも楽な仕事ではない、レベル4上位のアリシア・フォレストライトと激しく戦いながらでもある。  ベート・ローガが上級鍛冶師たちを次々と蹴り倒し、椿・コルブランドと激しく戦い始めている。その彼をリーネ・アルシェが癒し続ける。  ふっと息をついたアーニャ・フローメルが、ラウル・ノールド相手に全力を出し攻めはじめた。 「この爪が、この紅石が怖いなら……」  そう、ウィーネは相当上級の鎧も切り裂く爪を自ら砕く。激しい痛みに耐え微笑む。 「この石が外れたら、暴れちゃう。でもそうなったら、次には、ちゃんと自分で……」  そう言って、自分の胸に指先を当てる。 「僕は、ウィーネと、笑い合って生きたい……」  ベルはしゃくりあげながら言った。 「ベル。……私はもう、その子を殺せない……」  アイズが静かにつぶやいた。 「でも、その子を守りたいなら……もっと、もっと、もっと、力が必要」 「はい」  ベルは素直にうなずく。  アイズは剣を地に刺し、右手の籠手を外した。血が垂れ続ける右手から。  衝撃が走る……大量の血液が籠手から流れ出す。右腕はほとんど切断されている。 「あ、アイズさん」 「勝負。なんてことない」  と、アイズはハイポーションを傷口にかける……激しい反応とともに、切断面が癒えていく。そして経口補水液を飲む。血球などは取り戻せないが、水分は取り戻せる。  籠手を着けなおし、地面から愛剣を抜く。 「ベル。……力でもぎとって」 「はい!」  異端児(ゼノス)をアイズ以外にも認めさせるという、どれだけ困難かわからないこと……  それだけの力を示せ。  ベルとアイズは、刀を構えなおした。 「ウィーネ。……見ていて」 「ベル……うん」  ふたりの喉から気合がほとばしる。ベルの体幹が深呼吸の分の蓄力で光を帯びる。  剣が閃光となり、絡み合う。 (これはこれは……)  見ているフィンには、心を取り戻したベルの、成長のすさまじさがはっきりわかる。  合宿の間、ベルは武神タケミカヅチにこれまでの戦いすべてを反省させられた。  思い出す。一本一本の剣、自分の対応。  相手が人間でも、モンスターでも。  繰り返されるアイズとの稽古。  長いこと積み重ねた、ヤマト・命やカシマ・桜花らとの稽古。  タケミカヅチとの稽古。  ティオナ・ヒリュテやフィン・ディムナ、椿・コルブランドとの稽古。  リュー・リオンやソロとの稽古。  ビーツとずっと積んできた稽古。  ヒュアキントスらとの激しい戦い。  数多くの、特にミノタウルスとの戦い。赤毛の怪女のすさまじすぎる剣。  すべての一本一本を思い出す。敵の動きも、自分の対応も。  そのすべてに対して、数種類の基礎のどれをどう使うのが正しかったか、どう動けばもっとも無駄なく反撃できたかを考え、正しい動きを繰り返す。敵の立場にも立って考える。  時にはタケミカヅチは、ベルがある戦いのときした動きを再現させ、それだけで敵の動きを把握して実演、またベルがすべきだった正しい動きもやって見せたものだ。  千年万年の修行で培われた、ベルの祖父のように完全に無駄がなく美しい動き。  わずかな睡眠と食事以外一日のほとんどを費やした修行は、恐ろしいまでに動きの贅肉をそいでいた。 (僕が戦いたかったよ……負けたかもしれないが)  フィンはうずいてやまぬ親指で、首をかく。とうに治った傷跡を。  リリルカ・アーデをめぐり、遊び半分で稽古した時……加速に蓄力(チャージ)を集中したベルの一閃は、フィンにかすり傷を負わせた。  ほんの2ミリ。首筋に。深ければ致命傷になった場所に。刀の長さを無視できる付与呪文がかかっていたら、レベル7の耐久があっても確実に死んでいた。 (かすり傷か……)  無論、それからは圧勝したのだが、何度もひやりとさせられた。  ベルの刃筋の正しさは常に攻防一体。特に振りかぶりが恐ろしい。駆け引きは稚拙だが、油断して不用意に攻めれば流され崩され斬られる。 (いい修行になった)  と、迷宮都市最高峰の一角、レベル7となった彼が本気で思ったほどだった。  その剣戟は、先ほどまでとは違い激しさはない。  特にベルは、むしろゆっくりと歩き、ごく小さく振りかぶり、小さく落とすだけだ。  アイズも超高速ではなく、確実に受け流し、切り返している。  ベルの軽めの鎧は、手首や膝をしっかり固めている。精密な攻撃でなければ半減される。そしてベルが歩き続け、プレッシャーをかけ続けることで、精密な狙いがわずかにずれるのだ。  力で刀を叩き落そうとしても、深い呼吸と短時間のチャージがこもる体幹が力を吸い、アイズの重心を崩しに来る。また、ベルの刀は『ドウタヌキ』……折ることもできず、しかも重ねが厚く重い。質量そのものが、払いのける動きに抵抗している。  ふたりとも心を取り戻している。魂をぶつけ合っている。  フレイヤの目は、灼かれそうなほどまぶしく白い輝きを見た。  その時だった、ひときわ激しい地震とともに黒い竜巻が襲ってきたのは……  フィン・ディムナはとっさに、槍で戦うふたりを守った。  圧倒的な力。速度。それも深いところからの力。 >真剣勝負0  超速襲。  フィンですら、タイミングを見間違うほど。 (速い!それにごくわずかだが緩急……知性があるモンスターか!)  狙いすました一突きがはずれ、覚悟した追撃は来ない。加速、音速を突破した衝撃波だけでフィンを吹き飛ばす。  狙いは……  ベルに全力で打ちこもうとしていたアイズ、反応できない。見えていない。  見てしまったベルは受けた刀を手放し飛び込み、もろ手突きのフォームでアイズの腹を突き飛ばした。深呼吸のチャージ、強靭な体幹で。  そのベルが宙に舞う。 「ベルっ!」  絶叫がいくつも重なる。  その、わずかに前……  ビーツとアレン・フローメルが向き合っていた。  どちらも小柄な槍使い。そしてビーツにとっては、ランクアップのきっかけともなった因縁の相手。  10メートルは離れた距離から、アレンが消え、直後ビーツのかなり近くに出現。同時に何発も火花が飛ぶ。  槍先と槍先がぶつかり、わずかにずれて絡み合い、横に押し合い、螺旋力をぶつけ合う。  すぐに両方が足を使い始める。近くにある『鏡』ではレベル4でも見えない、かなり上空からの放送でしか姿をとらえられない。ほぼ瞬時に15メートルほど移動して激しく打ち合い、また4メートル離れた空中で槍がぶつかり、残像が消えたら別のところで突きが交錯している。 (両方瞬間移動能力でもあるのか……)  と思うほどだ。  アレン・フローメルはもとより、迷宮都市最速をベート・ローガやオッタルと競い合う存在だ。ビーツもまったくおくれを取っていない。  何度も、何度も高速移動からの激しい槍合わせ。  アレンの姿がいくつにもなる。残像か、スキルか、魔法か……  ビーツはまったく見当違いのところに槍を振り上げ、そこで槍と槍が激しくぶつかる。  アレンの最上級の槍と、人工迷宮の戦利品であるオリハルコンすら使い、ヘファイストスと椿、そしてヴェルフが心血を注いだ槍がぶつかる。  槍と槍の戦いでもあった。『鏡』で見ているヴェルフにとっては、自分が剣を握って戦う以上の緊張だった。  絶対に折れない……命をかけたつもりはある。  だが、迷宮都市最上級の槍を前に、折れないだけでもどれほど……突然槍が折れてビーツがイモ刺しになる、それほど怖いことはない。  激しい打ち合いとともに、槍が曲がり、柄の表面の木材がはじけ砕けているのがわかる。  桁外れの速さ。もっと、もっと、もっと……  ビーツの身体を湧き上がる光が包み、身体に吸いこまれる。さらにスピードも、一撃の威力も上がる。  槍がX字を描いて交差し、そのままじっと押し合う。荒れ地から大岩が浮き上がる。と、両方身体ごと消えて流星が絡み合い、アレンが鋭く地面を転がりつつ突き、次の瞬間石突きで跳ねあがる。  互いの呼吸を読み合い、呼吸の虚を狙い、槍柄の螺旋で重心を崩し合う。巨大というべき足腰で崩れに抵抗し、あるいは崩しを利用して加速することで逆に相手を崩す。  ビーツの槍は丁寧に円を描く。小さい円、大きい円。時計回り、反時計回り。それが千変万化し、あらゆる技を吸収する。アレン・フローメルの、猫人の身軽さを活かした多彩な技を。  槍を通して投げ合うような技術戦。槍を通して押し合うような力の戦い。そして超高速で有利な位置を取り合う。  どちらも高速で足を使い続ける。姿が常にぶれているほどに。  槍だけではない。常に槍を手放して飛び込む動きが選択肢にあり、フェイントとして置かれる。アレンは蹴り技で槍をそらし、槍を返して石突きで殴ってくるような変則もやる。  ビーツの人類とは桁の外れた才能と、すさまじい時間の基礎鍛錬。また対人稽古も多く変則も十分に学習している。  アレンの才と、長い冒険者としての経験、『恩恵』による超人的な力。  心配なのは、ビーツが連戦で疲労していないか、傷がたまっていないか……  どちらも、何度も傷を負っている。  椿を圧倒していたベート・ローガがちらりと横眼でそれを見て、かすかに顔をゆがめた。 「オラリオ最速の名を、か?」  椿の皮肉に、ぎりっと歯を食いしばる。 (オラリオ最速?それが何になるんだ、負けたらただの負け犬だ!)  言葉ではなく、蹴り。  椿は口から血を流しつつ、微笑した。 「そうじゃな、負ければただの肉よ」  ビーツも多くの対人稽古を積んでいる。  入ってすぐから、リュー・リオンとベル・クラネル、当時は格上だった【タケミカヅチ・ファミリア】のレベル2、桜花や命と。  そして『豊穣の女主人』の、リューの同僚、アーニャ・フローメル、ルノア・ファウスト、クロエ・ロロらとも。特に槍を使うようになってからは、同じ槍使いであるアーニャと。また最初から拳使いでもあり、ルノアとも数多く戦っている。  のちにはフィン・ディムナ、ティオネ・ヒリュテ、アイズ・ヴァレンシュタインら【ロキ・ファミリア】とも何度も稽古した。  そして武威やソロが加入してからは、その圧倒的な実力に何度も何度も挑んでは潰され、めげることなく絶壁に挑み続けた。 『疾風』と言われるリュー・リオンのスピードと、並行詠唱を可能とする冷静さ。呪文の詠唱が可能であるということは、呼吸が乱れず思考が冴えているということ……それを戦いに使われれば、何手も先を読まれ、操られることにもなる。地の力も、長い間まったく及ばなかった。腕相撲で勝てるようになってからも、稽古では簡単には勝てない強敵だった。  アーニャ・フローメルの膨大な実戦経験、猫人の身体能力でふるわれる豪槍……何度も何度も死を見た。少ない技数、基礎だけで戦うよう指導されているビーツは、いかに基礎技を広く応用し、新しい技に対応するかを必死で模索し続けた。一つの技を攻略したら次の技で潰された。頭を使い、基礎の理解を深めた。アーニャは足腰体幹の基礎もとてつもなく高く、ビーツも足腰の鍛錬に励んだ。 『黒拳』ルノア・ファウストの、ひたすら実戦で磨かれた我流拳も高い壁だった。圧倒的な身体能力と才能で叩きつけてくるふたつの拳、そして駆け引き。何度も何度もいろいろなものを吐き、肋骨を砕かれ顔を粉砕された。肘や肩を砕かれ、背後から折れた肋骨で腎臓を刻まれたこともある。  クロエ・ロロの暗殺剣も学ぶことは多かった。駆け引きに特化し、意識の外、油断をえぐる。想像を絶する手で血を抜かれ、目や耳を奪われ、皮膚感覚や平衡感覚を奪われ、急所の激痛で力が入らなくなる……実戦の恐ろしさを徹底的に叩きこまれた。  ソロからは徹底的に無駄を省き、体力を節約する戦いを……目の前の敵を倒してもまだまだ次が出てくる底なしの戦いの積み重ねを学んだ。ソロは自分が何を教えるべきかわかっており、長時間の戦いを何度も強いた。そして圧倒的な力や速度の差も、この戦争遊戯の直前まで思い知らされ続けた。  武威やフィン・ディムナ、そして二度戦ったレヴィスも、あまりにも高い高い壁である。  そして最も長い同僚、ベル・クラネル……桁外れの敏捷、攻防一致の刃筋、膨大な鍛錬で培われる足腰。わずかな油断、わずかなタイミングのずれが致命傷になる恐ろしい戦士。何度も、何度も、繰り返し戦い続けた。ナイフと刀の冴えに苦しみながら。  ガレスとトグが激しく押し合っている。ただ押し合うだけ、だがそれは全身全霊、生命さえもぶつけあっている。  壁。タンク。前衛。  ひたすら力と耐久に特化した重戦士。  苦痛に耐える。恐怖に耐える。失血、いや内臓損傷や中枢神経損傷すら含む脱力に耐える。耐え、叩き、耐え、叩く。  派手ではないと軽んじる者も多い。だが強豪ファミリアは、その価値を知っている。  どれほど強力な魔法使いがいても、壁がいなければ詠唱ができない。  超高速で敵を翻弄し、一撃必殺を決め、多数の敵相手に無双するアタッカーがいても、そんな動きはすぐ疲労する……疲れ傷ついた時に帰ってポーションを口にする、一瞬の時間を稼ぐ壁の有無は生死を分ける。  ベルたちのパーティでは桜花とヴェルフが壁になることが多い……向き不向きは度外視してだ。  また、新入生が入ってからの【ヘスティア・ファミリア】は古代ローマに似た編成……大盾と短めの剣を支給し、飛び道具で削っている。死人を出さないための、防御を重視する戦法だ。  ひたすら全力を越えた全力を振り絞る。魔法も使い、力尽きた体に無理矢理鞭打って動かし続ける。  大戦力、特に連携によって単独の何倍にもなる戦力を拘束している功は、小さくない。どちらも。 【フレイヤ・ファミリア】のふたりの最上位エルフが、猛烈にリュー・リオンを攻撃し始めた。  ソロを潰そうとしても動かされ、その間にリューが下レベルから削っていく……  先に手を潰す。  といっても、ソロにとってはそれもまた読みのうち。  あと少しでリューの足を潰せる、そこにひょいと小さな干渉が入り、危うくエルフが逃れる。あと少しで届く、あと少し……それは視野を狭める。操られる。  リヴェリアが警告しようとする、そこにソロの稲妻が落ち、鋭い突きで声を出す余裕をなくさせる。  だが、それどころではなくなる。  団長たちを襲った黒い暴風……アイズに巨大な刃が迫るのを見てしまえば。 「ベル……ベル」  吹っ飛んだベルを受け止めたのは、戦線から離れたレフィーヤ。  そして手のハイポーションを注ぎ、エリクサーを求めて見回した。戦争遊戯など忘れている。あまりにもひどい傷。  アイズが駆け寄った。  リヴェリアを投げ倒して高速で飛んできたソロがベホマをかける。  自らを傷つけたウィーネが泣きながらベルたちをかばい、両手を広げている。  巨大な牛人を、フィンが食い止めている。  牛人は奇妙な剣をふたふり両手に握っている。普通の人間にはかなり長く、妙に広くゆがんでいる。未熟な鍛冶師がとんでもない素材で打ったような剣だ。  むしろ恐ろしいのは半ばまで砕け削られた双角。オリハルコンの扉すら突き破ったものだ。  すさまじい槍の連打に圧倒されながら、戦い続ける…… (技!間違いない、知性がある)  フィンはそのことに気づきながら、容赦なく攻め続ける。  ビーツとアレンを除いては、もう戦いの手が止まっている。  何が何だかわからない。とにかく桁外れに強いモンスターだとわかる。  ティオネ・ヒリュテが、愛する団長のところに走ろうと起き上がろうとして、崩れ落ちた。  アイズは、全身を目にしてベルを見つめていた。  そんな憧れを見たレフィーヤは、ぎゅっとベルの腕を握りしめた。  その唇から、言葉がしたたる。 「ベル……約束、できますか?アイズさんも、ウィーネちゃんと同じように、世界中に石を投げられても守り抜く、って。もしそれが必要になったら」  レフィーヤの胸にある疑い。アイズのあまりにも圧倒的な力。 「もちろん」  ベルには一瞬の迷いもなかった。  アイズの目が見開かれる。  あれほどあこがれた、うらやましい姿……世界を敵に回しても一人の少女を守り抜く英雄。 (私の英雄に、なってくれるの?) (おまえだけの英雄…) (私だけの英雄じゃない。あの子の、それにたくさんの女の人……でも、私も守ってくれるの?)  巨牛人と戦うフィン、だが激戦の中でもその目は、巨体を照らす小さな光を見た。  その意味はわかっている。 『戦争遊戯』の範囲外から、瓜生が何らかの兵器で狙っている……【ヘルメス・ファミリア】のように干渉があり得る。 (今まで手を出していないし、この八百長はウリューの利益になる。戦争遊戯を妨害するのではなく、妨害者を倒すだけ……こいつは、何だ?何が目的だ?  だが、言葉で聞けばこちらも異端児を認める気だとバレてしまう。偽りの英雄になる、小人族(パルゥム)を鼓舞するという俺の野望が……)  一瞬で思考しつつ、高速の槍が急所に刺さる……が、倒れない。急所に届かない。異様なまでの固さと厚さ、さらに胴体をねじっている。  胴体のねじりが巨大な力として帰ってくるのを、紙一重で避ける。  フィンは感知した。傷が癒えたベル・クラネルが立ち上がったことが。  そして目の前の牛人が、ひたすらベル・クラネルを狙い、その邪魔者を除けようとしていることを。  武人の魂が槍を通じて伝わる。  アイズがすさまじい怒りと憎悪を胸に立ち、構えるのがわかる。  決断までの時間は一秒もない。ポケットの通信機。槍。アイズ。すべてを見ている『神の鏡』。 (ベル・クラネルの真似事は、僕には荷が重いか?)  封じていた自問が返ってくる。  オラリオの群衆は、異常事態(イレギュラー)に息を呑んでいた。  別の鏡に映る、ビーツとアレンの激戦にも夢中だった。  すさまじい熱気がたまっていた。超高圧が。超高熱が。爆発を待って…… >真似事  わずかな時間。  フィンは『戦争遊戯』の直前を思い出す。 「神ロキからだ」  リヴェリアが一枚の、やや大きい紙を差しだす。それを手にしたフィンは目をむいた。  血判状。最初に神ロキ。そして【ロキ・ファミリア】の眷属たち……フィン以外。 『たとえ全人類に石投げられても、フィンの決断を支持する? やなら改宗(コンバージョン)も桶屋で』  全員の血判……フィンの決断を支持する。ティオネの血跡がやたら濃い。  何よりも、神ロキ自身が。 「……ひとりだけ、口頭だが……」  リヴェリアの声。 「レフィーヤが、アイズを敵にしない限りと……」  フィン自身、両親をモンスターに惨殺された。  ベート・ローガも一族をモンスターに殺されたと知っている。そしてアイズも……  アイズが合意しているのは、彼女もフィンのことを知っており、 (モンスターは殺す……)  誓いは同じ、と信じているからだろう。  だが……  命を投げ出してベルのところに来たウィーネ。  ソロの咆哮、神を打ちひぐほどの。偽物である自分とは違う、真の勇者の姿。  ウィーネと手をつなぎ、石を投げられ唾を吐かれながら胸を張って歩く少年。 (ベル・クラネルの真似事は、僕には荷が重いか?)  偽の英雄。真の英雄。  神意、神のおぜん立てによる英雄の道を蹴る。舞台を壊す。  瓜生とフィンが利益を計算しておぜん立てした八百長も、ベル・クラネルの運命が今ぶち壊している。  心の炎が、すべてを破る。自分を信じ支える主神と仲間たち。自分の心の、一番深いもの。  一瞬。すべてが、一瞬で結晶する。  決断……指揮官の最大の仕事。膨大な利害、そして感情をひとつにして、ひとつの行動に変える。  通信機を手に取る。 「ウリュー、撃つな」  同時に、牛巨人の前に出る。わざと隙をさらす。 「お前は何だ!何が欲しい!」  フィンの、『勇者(ブレイバー)』がモンスターに、言葉をかけた。交渉を求めた。  ベル・クラネルの真似事。  黒い巨体が動きを止める。 「……再戦を、したい。ダンジョンで生まれた時から、離れない夢がある。小さな勇者と戦い、敗れた……戦いたい」 「異端児(ゼノス)はそれぞれの憧れを持っている、多くは青空、彼女は」とウィーネに気配を向ける。「守られること……きみの前世は、ベル・クラネルがランクアップしたときのミノタウロスだったのか」 「邪魔はすべて蹴散らす。これまでも、これからも」  フィンは傍らに別の巨大が迫るのを感じた。  武威と戦っていたオッタルが手を止め、フィンに殺気を向けている。彼にとってはひと息で襲える距離。  立ち上がったベルが驚き、そしてじっと巨体を見つめた。 「『勇者(ブレイバー)』が、モンスターと話した?」 「再戦?」 「『戦争遊戯』は?」 『鏡』を通じて見つめる神ロキが、にやりとうなずいた。ヘスティアがベルの隣で耐える姿は見ている…… (うちかてやったる。こいつにできたことなら、うちもやったる。好きにせえ、好きなようにせえ。限界を決めつけるんやないで、好きなだけ飛ぶんや)  ベルは一瞬で思う。異端児、ウィーネの処遇がこの『戦争遊戯』にかかっている。 「我が名は『アステリオス』。……再戦を」  牛人の、武人の瞳。  ベルの決断も一瞬。刀は吹っ飛んでいる、両の脇差を抜き、椿・コルブランド作の左手分は、峰を返した。非殺傷用に刃がない、だが右手の『ベスタ』そっくりの小烏つくり、峰側半分は鋭利な刃。  ビーツはほんの一瞬、ベルたちの側を見たがすぐに目の前の相手に集中した。 「行かせねえ、殺す」  そう小さく鋭い声で言うアレン・フローメルを、倒さなければ。  ビーツの、すべてを基礎の完成度につぎこんだ突き。深く落とした腰、槍が直線を疾る。膨大な反復練習、極限まで予備動作を消している。  アレンはしっかりと、最高の突きで応える。  それが連射される、数センチのフットワークとともに……限界を超える。すべてを越える。フィン・ディムナを、武神が見せた見本を超える。  突如アレンは槍を手放し、ビーツの槍を握って軽く引いて崩し、螺旋力が槍柄を伝わる前に飛びこんだ。  ビーツも槍を手放した。恐ろしく短い時間で右足前の右突きを連打し、左を突き、前蹴りを放つ。  素手でも、すさまじい戦いが始まった。  共に手も体も見えないほどのスピード。ビーツは20センチ程度の細かなフットワークを超高速で刻みながら、強烈なワンツーを打ちこみ、アレンの動きに合わせて蹴りも打っている。  アレンの身体は柔軟に強烈な拳をかわし、蹴りを蹴りで返している。  以前はビーツの足が砕けたが、今回は対等に打ち合っている。  ビーツの、蹴りをさばいた右腕全体が上に打ちあがる……槍で相手の股間からかち上げる動きを拳に応用した技。アレンは左拳を犠牲にして致命傷を回避、空中で癒しつつ剃刀のような蹴りで反撃。少女は最低限の動きで回避し、空中を蹴って三次元機動する猫人にワンツーを放つ。  ビーツの身体をほぼ真横に向ける半身からのワンツーは恐ろしいほど無駄がない。予備動作がない。想像を絶する回数、鏡の前で練習している。疲れ切るを通り越した力の抜けた状態で練習している。武神の厳しい指導を受けている。  拳はヘファイストスが研究した籠手で固められ、当たれば『気』が内部から破壊する。レベル5のガリバー兄弟も、内臓や肋骨を潰されてエリクサーのお世話になっている。  円に沿って両方が高速で回り、小さい竜巻が発生し、それが歪んだかと思うと飛び離れる。ひと呼吸両方が息を整え、超高速で突進し、ぶつかってまた離れる。  接近戦……飛びこんで腹をえぐる、と思ったら相手の姿がない。蹴りが刃のように宙を薙ぐ、残像が斬られ、すぐ近くで火花が散る。両方超高速。  どちらも何発も強烈な打撃を食らっているが、耐えている。すさまじい耐久。  強烈な打撃を受け止めたビーツは、瞬間で悟った。  拳の師でもあった養親が、また武神タケミカヅチが、ワンツーから次につなげる動きとして教え、ワンツーよりもむしろ厳しく細かく指導した動き。  速すぎる、強すぎる攻撃を螺旋に受け流し、投げる……そのための動き。将来の剛柔一致を見越して仕込んだ技。  ほんのわずかに、アレンの重心を、軸を揺るがして一撃放つ。  基礎の深さを底なしの才が探り続ける。どれほど掘っても基礎の鉱脈は尽きず、どれほど掘っても才のシャベルはすり減ることはない。  基礎の使い方は無限だ。まだまだ新しいやり方がある。いくらでも成長できる。  ビーツの、サイヤ人の心は喜びに満たされている。  こちらの戦いを、神の鏡や瓜生が出したテレビ放映を通じて夢中で見ている人々もいる。  巨大な牛人と、冒険者たちに目を奪われながらも。 「あれはだめだ」  武神タケミカヅチが唇をかむ。 (才が巨大すぎて制御できていない、無理もないあの年齢では、心も体も頭も未熟そのもの……)  長引けばビーツが不利だ。レベル6のスタミナは圧倒的だ。  そしてビーツは、別の世界では界王拳と呼ばれるものに近い技術を用いている。呼吸と姿勢、正しい拳槍の形を通じて『気』を精密に制御し、体と一致させて、力・敏捷・耐久ともに倍化する……『気』のまったく無駄のない使い方。  今はもう、意識こそしていないが4倍に迫っている。  ランクを無視した身体能力向上。だが、それは急速に体力を消耗する。血を流し続けるよりも激しく。  ビーツはアレン・フローメルに踊らされている……実力以上を振り絞らせてもらっている。さらにそのビーツの一番弱いところを、アレンの一番強いところで迎撃している。 (際限なく強くなっている。だが勝利からは遠ざかっているのだ……) 「フレイヤさまの神意はひとつだ。『ベル・クラネルを輝かせる』方法は臨機応変に、任せる」  オッタルの言葉に、フィンは納得した。  ベル・クラネルがミノタウロスを倒してランクアップした、その前後のオッタルやアレン・フローメルの行動が、腑に落ちた。 「あのモンスターとの真剣勝負を邪魔させない。今はそれが神意だ。  全員の意思は確認している。残らず、たとえ全人類に石を投げられても、神威に従うと誓った」  似た者同士、団長と主神を深く深く慕う最強ファミリア。全人類を敵にし唾を吐かれ石を投げられるなど、屁とも思っていないのだ。  そして、わかった。  ヘルメスと、瓜生の違い。フレイヤも瓜生と、その点では同じだ。  フレイヤも瓜生もソロも、ベル・クラネルを信じ切っている。どんなに落ちようと、自力で……異様な運命に導かれて、必ずや英雄への道に復帰すると信じ切っている。  ヘルメスがそれを信じられず、無理にベル・クラネルを神造英雄に戻そうとして、瓜生やソロの逆鱗に触れたように。……それまで後ろ盾となっていたフレイヤも、ヘルメス追放を是認した。  明らかに、アステリオスの潜在力は第一級。ベル・クラネルもレベル無視の強さはあるが、それでも及ばないだろう。  テントごとやってきた春姫が妖術をかけた。それでランク上昇……それでも。  だが、アステリオスは今の時点で瀕死だ。生きているのが不思議なほどだ。  人工迷宮で、数知れないモンスターと戦い続けたのだ。ダメージと疲労は、常人が何十日も残虐な拷問を受け、また砂漠や未踏峰を歩きとおしたようなすさまじさ。とどめにフィンの槍がいくつも急所をえぐっている。  黄金の光をまとったベルの脇差二刀。ベルの口は短文詠唱の付与呪文をつむぐ。  巨大な牛人の、異形の二刀。  ベルの呼吸が深く沈む。牛人が深く身を沈め、ぐるっと背を見せて体を回す。  アイズと、椿を蹴り倒して駆けつけようとしたベートを、【フレイヤ・ファミリア】のエルフふたりが封じた。  ソロも、アステリオスとベルの対決を見守り始めている。 「ベル……がんばって!」  レフィーヤが叫んだ。  戦場に取り残されたリヴェリアは、リューと一合打ち合ってから離れ、牛人の巨体に目を注いだ。  リューも飛び出せるように構えつつ、動かない。  激しく押し合っていたガレスとトグも、戸惑うように身を離し……トグは気絶して倒れた。リューが治癒呪文を唱える。 【ロキ・ファミリア】の冒険者たちは、ベルとアステリオスの戦いの邪魔を阻むように動いている。  戦い続けているのは、ビーツとアレンだけ。  ベルの、深呼吸をチャージとした脇差の一撃……それに、巨体全部をねじりきった一撃が迎え撃つ。  武神タケミカヅチは、『鏡』とそれとは別にドローンから撮影されテレビ放映される動画を見、微笑んだ。 「孫弟子というわけか」  牛巨人は武威に教えた、柔の武術を見おぼえている。ただ、攻撃だけだ。  長いこと、無数の食人花と戦った。それ以外は弱かったので、投石だけで処理できている。  頑丈さはレベル5級の怪物相手、威力を最優先。常に何十という数と戦い続ける。  八卦掌・太極拳系統の動きは、歩きから腰の力を最大限引き出す、刀剣の武術ともなる。 >真剣勝負1  ゆがんだ巨剣と、神の脇差が噛み合う。  どちらも桁外れのパワー。牛巨人のレベル7相当の力と、鍛え抜かれ深呼吸をチャージとしたベルの体幹。  ベルが身に着けている正しい刃筋は、自然に切るだけで受け流しとなり、相手の重心を崩す。  転びかけた牛巨人は、鋭く足を流した。歩みが円を描き、ベルの攻撃をよけつつ死角に入り、同時に腰にすさまじい力をためる。  刃がごうっ、と巻いた。  雷光のような速度。 (剣速ならアイズさん以上!)  その動きを知っていたからこそ、左手が動いていた。  深呼吸で力を貯めていたからこそ、崩れずに受けて飛ぶことができた。  椿が魂を込めた脇差だったからこそ、折れなかった。  ベルはアステリオスの動きを知っている。武威から盗み、深層で攻撃力だけを高め磨きぬいたものだからだ。  何日も何日も、日が昇る前からベル・ビーツ・武威・ソロの自主練習は繰り返されている。  強大な巨体でありながら、たゆむことなく腰を深く落とし、汗だくになり疲れ切って単調な套路を繰り返す武威の動きは常に見、励まされている。  武威と稽古した回数は少ない。力が違いすぎるからだ……小虫が指先ではじかれるようなことにしかなっていない。だが、その套路はとてつもない回数見ている。  それを真似、実戦でどのように使うか考えたことも何度もある。  だからこそ、覚えのある足の動きに反応できた。  ベル・クラネルがすることは同じだ。どれほどの数、練習してきたか…… (深呼吸、腹の底から。肩の力を抜く。自分の芯にチャージしながら、相手の芯にまっすぐ歩く……)  それだけだ。  アイズとの戦いでもそうだった。だからこそ上位の猛攻をしのぎきれた。  体は、春姫の妖術で輝いている。  両手はぶらりと、徹底的に合同な脇差をさげている。できる限り肩の力を抜いて。  ただ、自分の芯を相手の芯に向けて歩く。相手が動けばそれに合わせて。相手が撃ってくれば、身体ごと半歩かわしつつ何であれ間合いに入った物を切り落とし、もう一方の脇差を送る。  体幹にひと呼吸分チャージした、超絶の威力と速度で。  巨大な剣があっさりとはじかれ、ベルの胴より太い腕に刃が走る……と、それが紙一重で空を切る。円を描く歩みと、深層の怪物たちや多数の食人花との長い死闘で磨き抜かれた技だ。  アステリオスの巨大な剣もすさまじいものだ。  右は一見普通の直刀だが、刃長180センチ・厚さ30センチ・幅55センチという怪物的な超重剣。左は大きく波打つような姿で、別素材の芯を用いている。  どちらも鍛冶技術を習った異端児が椿たち上級鍛冶師の指導を受け、ソロや武威が提供した深層の素材と、瓜生が提供したタングステンやコバルトで打った品だ。冒険者鍛冶師の鍛冶スキルに近い能力もあり、とんでもない素材を人間の鍛冶師には不可能なやり方で接合し鍛え上げている。  それがベル・クラネルに牙をむくとは椿たちには予想外だったが、それでも鍛冶師としては育てた弟子の腕に興味はある。 (異端児たちに生きのびる力を……)  と与えた技が活きていることを確かめるのは、喜びにほかならぬ。  椿自身が打った脇差がそれと噛み合うのを見るのは、自分が戦う以上のスリルに他ならない……折れたらそれは、自らが挑んで破れるよりも重いのだ。  ベルの脇差二刀に、アイズは涙を流しつつ知らずと頬をほころばせている。 (敏捷特化のベルには、ベートさんと同じく双刀が合う……)  アイズはそう思っていた。  ベートとティオネという、何度となく手合わせをしている同僚の存在もある。双刀の技は多く知っているし、何度かの教授でベルに特に力を入れて教えている。  無論、タケミカヅチも刀と同じ足腰で使えるよう深く教えているが。  ふわり、と歩み寄ると空に数本の線が刻まれる。そのいくつかはアステリオスの腕や膝、胴体を深く傷つけ、あるいは巨剣の一撃を払い落としている。  ただでさえアステリオスは瀕死なのだ。回復はするにしても、その回復はとても遅い。フィンに右膝を貫かれ、一歩ごとに激痛をこらえているのは誰にでもわかる。  だからこそ、レベル5となんとか打ち合える程度のベルが、推定レベル7のアステリオスと戦えている……おそろしいほど真っ向から。  皆が見ている。呆然と。  肉壁となって戦いを守る【フレイヤ・ファミリア】が。 『鏡』やテレビを通じ、オラリオの神々が。控え場の異端児たちが。別の控え場では、参加できないレベル1・2の眷属たちが。  戦いの手を止めた【ロキ・ファミリア】の眷属が。地に伏せた【ヘファイストス・ファミリア】の上級鍛冶師たちが。  ベート・ローガの拳が強く握りしめられている。  地に倒れ、痙攣し体がほっそりした少年に戻っているトグが。その傍らにガレスが座っている。  レフィーヤが応援を絶叫している。ウィーネもその隣で泣きながら叫んでいる。  アイズはただ、涙を流しながら見つめている。 『バベル』の一室では、神々がすさまじい熱意で見つめている。  フレイヤは目もくらむような輝きに魅せられ、性的絶頂に近い状態になっている。  ロキはフィンの表情を見て、深い決意と共に手を握りしめている。  ヘファイストスは巨大な剣と激しく打ち合い、耐え抜く双の脇差を見つめている。主を守り抜き、曲がりながら折れずに戦場の隅に転がる刀も画面に入れば見ている。  タケミカヅチは愛弟子と孫弟子の戦いを丁寧に見て、考え続けている。次に何を教えるかを。  ミアハはただ歯を食いしばっている。  ヘスティアは、ひたすら涙を流していた。呆然と。愛する子の生命の危機、そしてそのすさまじい姿……激しすぎる愛情に小さい身体が燃え上がるほどだ。  オラリオの人々は、呆然と硬直して見つめ……徐々に熱狂が沸き上がった。もごり、のごり……ああああ……おおおお……  絶叫が始まった。  孤児たちが。モルドが。『豊穣の女主人』に残る人たちが。  それは、 (冒険……)  だった。 『戦争遊戯』とは違う。命と誇り、魂をぶつけ合う真の戦いであった。  異端児(ゼノス)に、理知のあるモンスターに人間と変わらぬ熱い魂があることを、理ではなく感情が強く理解した。  オラリオ全員、喉から血が出るほどに叫びはじめた。  遠くの大都市で、巨大商会のカウンターに設置された最新の『テレビ』を見つめている、旅帽子をかぶった優男とメガネの女冒険者がいた。目を激しく輝かせ、食い入るように見つめている。  ヘルメスの口からはわけのわからない言葉が垂れ流されている。  その隣には、たくましい老人がヘルメスの肩に手を置き、アスフィの尻をなでながら画面を見つめている。手の甲をつねる力がどんどん強まっても、眉一つ動かさずに。  ベルたち以外にただふたり、戦い続けている者がいた。  ビーツとアレン・フローメルは素手で激しく打ち合い続けている。  一秒に何百回も、数センチずつ足を使い、腰が入った拳と蹴りが交錯し続ける。時には激しく足を使い、竜巻が巻き上がる。  両方、どんどん傷が深まる。気がつけばどちらも顔は真っ赤にはれ上がり、頭蓋骨の形すら変わっている。  時間が過ぎる。激しすぎる戦いの時間が。  突然、ビーツの動きが弱った。 (スタミナ切れ……)  である。別世界では界王拳といわれる技も暴発し、自らを傷つけるものになってしまった。  だが、それでも彼女は戦い続ける。特にソロとリュー・リオンが、多数の敵と戦い続け体力が切れて、それからまだあがき続け生きのびるための特訓を何度もしてくれた。  ランクアップしてすぐ落盤に巻きこまれ、18層まで歩いた経験もある。かなり以前からも、迷宮の無茶な奥から自力で生き延びる訓練は何度もした。  だからこそまだ戦える。  だが、相手は圧倒的に格上のアレン・フローメル。『武装闘気』による実質ランク上昇がなければ、弱った体では一方的に殴られ、蹴られ、砕かれるのみ……  残忍とすら思えるほどの、超高速のヒットアンドアウェイの繰り返し。肉と骨を少しずつ削っていくような。  何度となく胴体の急所に針の穴を通すような精度で蹴りを打ち込み、足を奪う。呼吸を奪う。心を砕く。  戦い続けている。生き続けている。打ち続けている。目が見えなくなっても。片足が使えなくなっても。片腕が砕かれても。  サイヤ人の心は戦いの苦痛では折れない。養親から冒険者の心構えも叩きこまれている。ベル・クラネルとともに死線を何度もくぐった。  だが、もう体力がないのだ。『女神の戦車』に容赦はない。止まることはない。猛攻は長く、長く続いた。  ついにビーツはうつ伏せに倒れ、それでも必死で起き上がろうとする。  アレンの足が、その頭を容赦なく踏みにじり、地面に埋めた。 「寝てろ」  そう言って……そのまま猫人も倒れる。  激しい打ち合いが続き、牛巨人と小さな冒険者はふと足を止めた。  深く荒い呼吸が整う。  申し合わせたように距離を取る。  ベルがじっと力を貯め始める。蓄力が輝き、短文詠唱が形を結び雷光が双の脇差に落ちる。 >真剣勝負2・祭  どちらも、静かに呼吸を深める。  ゆっくりと歩き、すさまじい速度になる。  ベルは振りかぶりの動きで超重剣を摺り上げつつ、わずかに歩みを斜めにずらす。胴体の角度も変える。  胴体の横幅だけよける。  最低限の回避からしっかり腰が入った一撃。アイズ・ヴァレンシュタインも武神タケミカヅチも理想とする正剣。  巨体の、それだけに巨大な腕が、肘の上から雷光とともに飛んだ。巨大な剣を握ったまま。超重剣は勢いのまま、地面に深く刺さった。  二刀連撃、とどめと思ったベルだが、牛男は太い首を振った。鋭い角がベルをかすめる。  その一瞬の間にもう一本の腕に握られた鋸刀がふるわれ、ベルは飛び離れた。  追撃を恐れて歩みを不規則にしたベルだが、アステリオスは動かない。 (この間!)  チャンスと見たベルはふたたび、大きく距離を取る。  より深い呼吸とともにやや長いチャージと詠唱。  また、すさまじい雷がベルの双脇差に落ちる。  しっかりと目を合わせる。片腕はなく、片膝には穴が開いて堂々と戦う、モンスターでありながら武人、漢(男)であるアステリオスと。  これが決着、と皆が悟る。  ヘスティアが耐えきれず絶叫した。 「ああ……目が潰れそう……」  フレイヤが気をやりそうに見つめている。  タケミカヅチが目をそらした。 (岡目八目……残酷なものだ)  フィンも目を見開いた。三手先、決着が見えたのだ。反対側にいるオッタルも、同じものを見たことがわかる。  ベルが静かに歩み出し、腰をしかと落としたまま走りが烈風に、電光石火に変わる。  牛男は無事な左足を支えに、渾身の斬撃を放った。  巨大な手首と鋸刀が飛ぶ。わずかにベルが速かった。  突進から最低限の回避、腰をしっかりと決めて刀の重さだけ、力を抜いて体幹だけで斬る。それが限りなく完全に決まったのだ。 (よく修行した、だからこそ)  タケミカヅチが歯を食いしばる。  そして全力の一撃を出し切り、無防備に胸をさらしたアステリオス……胸の魔石は、異端児でも変わらぬモンスターの急所だ。付与魔法を受けたベルの神脇差なら貫ける。  突きがしっかりセットされ、放たれる。 「だめ!とどめの一撃は、油断にもっとも」  アイズが絶叫……「油断に」が口から出る前に、すべてが終わっていた。  斬り飛ばされた両腕。吹き出す血。  歩き続け、胸の魔石を狙うベル。  血のシャワーが視界をふさぐ。牛巨人は、片腕を失ってバランスが崩れたからこそ……体芯から離れた大きな重りを失い、回転が加速する。  円を描く歩みの、方向転換に使うある歩きかた。風穴があいた右膝に、全体重を叩きつけた。  アステリオスはすさまじい激痛に耐え、腰に全力を注いだ。  腰が回る。肘の下で切断されたばかりの腕が高速で振るわれ、ベルの突きを受け流す。  受け流したのだ。武威にさんざんやられて覚えた、タケミカヅチが武威に教えた武術を、これまでは攻撃のためだけに使っていたのに。  ただ一度だけ。  渾身の突きを受け流され、完全に体軸が崩れたベルの腰に蹴りが走った。  武威が習いアステリオスに伝えた武術は、手が斬り受け流す動きをしながらよどみなく歩き続けるものだ。次の一歩もこれまでと同じ円周上、よどみはない。次の一歩がそのまま蹴りになる……武術では、歩き方そのものが蹴りのフォームでもある。全身を巻いた力は、そのまま蹴りに集中している。  円を描いて地面を掃くような低い、全身の円の力を出し切る蹴り。レベル7相当の桁外れの力を、見事に集約した剃刀のように鋭い蹴り。穴の開いた右膝に負荷をかけて。  ベルの腰が砕かれ、吹き飛んだ。  倒れたアステリオスの片足からは、ありえない形で鋭く折れた骨が突き出ている。両腕とも切断されている。  切断された両腕の残りと、唯一無事な左足で、じり、じりと牛人はベル・クラネルのところに這う。  どれほどの苦痛か。瀕死を通り越し、今にもこと切れそうな……  じり、じりとベルのところに来る。体重をかけただけでも、鋭い角は容易に胸を貫くだろう。 「一勝一敗だ、次こそ決着をつける」  まだ意識が半ばなかったベルの耳に、信じられない言葉が入る。  敗北。そして生、次がある。  アステリオスのところに歩み寄ったソロが、斬り飛ばされた両腕を運び、小さく呪文を唱えた。  切断された両腕もくっつき、魔石ギリギリまで突きこまれた腹も、右膝も回復していく。  牛巨人は緑髪の勇者にうなずきかけ、双巨剣を拾うとすさまじい速度で人工迷宮の入り口に走り扉の隙間に滑りこんだ。  ソロはすぐにベルにも全回復呪文をかける。  呆然と寝ていたベルの赤い目からいつしか、涙があふれる。  激しく胸がふくらみ、号泣になった。  武威は激しく見ていた。  自らも、タケミカヅチから学んだ套路の中にある、アステリオスが決めた動きをやってみた。  戸愚呂弟100%の鉄槌打ち……大上段から撃ち落される拳の小指側。戦艦主砲に、いや核兵器級の隕石にまさる威力。  受け流し、筋肉がないくるぶしを蹴りぬく。 「それほどの力相手にそれをするには、相手の力をわがものとする一段上の技術がいる。そのペースで修行していても最低三年はかかると思え」  オッタルがぼそりと言った。武威の動きから、戸愚呂弟の力量と戦法までも読んでいる。自分では絶対に及ばぬことも……そして拳を強く握った。 (今のアステリオスが傷だらけでなければ、勝てるかどうかはわからない……)  このことである。技は粗削りでも、それほどの力と速さ、耐久だった。 「見事な駆け引きだ……」  神々に解説を期待されたタケミカヅチが静かに言う。神々は静かに、必死で聞く。 「両腕を失うことを、最初から前提にした。右膝の傷も見せ札にした。  片手を失ったときの交錯からがちゃがちゃ取っ組み合うのではなく、離れてベル・クラネルに準備時間を与えた。ベルには有利だ……  そして有利だからこそ、動きは単純になる。真っ向勝負をずっとしてきたから、相手より速く切れば勝ちだと思ってしまう。  そして腕を切らせて、軽くした腕で受け流した。これまで受け流しはせず、攻撃一辺倒だと思わせた。最後に隠した札だった。両腕を切り勝ったと思う油断を突いた。  そして膝の激痛に耐えて、受け流され崩れたところに全体重での蹴りを決めた。これもまさかだ。  見事な駆け引きだ」  タケミカヅチは嘆息した。  ヘスティアは泣き叫んでいる。特に、ベルが殺されると覚悟した瞬間に叫び、助かったと知って泣き、泣く子を見て号泣している。 「こんなざま男神どもに見せられるかい、同郷の女神のよしみや」  ロキが、テーブルクロスをひっぺがして、失神したフレイヤにかぶせてやる。  あけっぴろげな号泣は続く。女たちは魅せられていた。人も神も、敵も味方も。  エイナ・チュールが胸の高鳴りを自覚した。 「肝ふとさ、腰、さぞやよき鍛冶師となろう……欲しいな。骨身が砕けるほどに鍛えてやりたい」  倒された椿・コルブランドがつぶやく。 「もう……悔しい……悔しいっ!」  レフィーヤはウィーネを後ろから強く抱きしめながら、歯をくいしばっている。  ウィーネは泣きながらも、戸惑っている。 「はは……これは……」  フィン・ディムナが戸惑ったように天を仰いだ。  身の内の、激しい昂ぶりをどうしていいかわからない。  一歩引いていたソロが、皆を見回して叫んだ。  強烈な魔力の嵐とともに、全員が完全回復する。  椿・コルブランドが、ビーツが、アレン・フローメルが、アマゾネス姉妹が、トグが立ち上がった。 「え」 「あ……」 「動ける」 「腕が」 「な、なに?」  広域・全員・即時・完全回復呪文。特にヒーラーであるリーネ・アルシェやカサンドラは衝撃に打たれていた。 「全員来い!経験値をくれてやる」  剣を天に突き上げたソロの言葉に、皆が沸き立った。遠くの観客たちも。  武威がそちらに行き、膨大な『武装闘気』を吹き出してから、手を肩に上げて腰を落としつつおろす動作とともに自らの身体で食った。栄養剤を食って爆発的に増大した妖気を身体に一体化させる。  完全にすべてを出し尽くし、地面に頭を踏み埋められたビーツ。  死んだかに見える。だがその身体に、徐々に何かが見えている。  熱くなった鉄瓶のまわりの空気の揺らぎのような。  目を向けたオッタルとフィンは、そこに巨大なサルを感じた。 (負けた。弱い。強くなる。限界を超える。強くなりたい。もっと、もっと、もっと……)  サイヤ人の心が命じ続ける。人間として、冒険者としてのタガが吹き飛ぶ。  ベホマズンによる完全治療。すさまじい経験値が刻まれ、自動的にステイタスが更新される。  限界をはるかに超える。立つ。 「いつまで泣いてるのっ!!立って、戦いましょう!」  レフィーヤの、ほとんど組んでいないとはいえパーティメイトの叱咤に、ベル・クラネルは涙をぬぐって立ち上がった。  アイズ・ヴァレンシュタインも涙をぬぐい、剣を構えなおす。  祭りが始まった。敵も味方もない。同じファミリアの眷属であっても、とにかく強そうな、近くにいる者に打ちかかる戦いが。  胸が燃えている。冒険に燃え上がっている。  ソロは剣を天に向け、超短文詠唱……すさまじい稲妻の嵐が、一点に収束し剣を白く輝かせる。 「ぬうううっん!」  打ちかかるガレス・ランドロックにすさまじい斬撃がぶちこまれ、純白の閃光。余波が大型爆弾のように周囲を吹き飛ばす。  大きく斬られて倒れたガレス、だが、 「ぬ……ぬるいわああっ!」  それでも立ち上がり、立ち向かう。  ソロには一片の油断もない。 (ライアンもこれぐらい、十度は立った……)  仲間であった王宮戦士の強さを思い出しつつ、すさまじい力を受け止める。  ビーツは槍を拾うと、全速でオッタルに突撃する。全金属棍のすさまじい重量でふるわれる、きわめぬいた技に、高めに高めた気と力と基礎技をぶつける。  アイズとベートが、ベルとトグに猛攻をかける。その背後でレフィーヤが長文詠唱を始める。  ティオナはアレン・フローメルと、ティオネはガリバー四兄弟と激しく戦い始めた。  椿・コルブランドがアナキティ・オータムと激しく切り結ぶ。  ナルヴィとラウルにアーニャ・フローメルとリュー・リオンが加わり、エルフたちを襲っていた。  武威はひとりずつ、かかってくる冒険者を叩き伏せている。アステリオスが見せた、攻撃方面への応用も試している。  祭りは日が暮れるまで続いた。  どれほどのエリクサーが、ハイポーションが、マジックポーションが、新製品のハイデュアルポーションが消費されたろう。  皆、立つこともできないほどに疲れ切った。激しすぎる興奮を燃やし切った。  異端児たちと、瓜生をはじめ各ファミリアのレベル2以下がひとりずつ引きずり、治療し、同性が衣類を脱がせて避難用浴場で入浴させ、コンテナハウスで寝具にくるんで寝かせた。  オラリオは日が暮れてからも、徹夜で祭りが続いた。『テレビ』で観戦したオラリオ外のいくつもの大都市でも。  酒と肉が、大都市の在庫備蓄すべてが消費しつくされた。瓜生が膨大に用意していたものもなくなり、連絡を受けた瓜生がソロのルーラで駆けつけて補充したほどだ。  それは、伝説だった。  翌日、『ギルド』は異端児(ゼノス)の処置を発表した。  最初から決められていた落としどころ。  オラリオからやや離れた、不毛の荒れ地に範囲を定め、そこを異端児の独立国とする……特別許可がなければ異端児は出入りできず、外の人間も入れない、と。 >仮想敵国 *以後、本編12・外伝11以降の原作は原則として反映しません。原作外伝とも完結するまで書けなくなりそうですし。 『戦争遊戯』はとてつもない熱狂で終わった。終わったというには、勝敗もないグダグダではあったが。書類上はロキ・フレイヤの勝利ということになっている。  直後から、オラリオから徒歩で8日ほど離れた荒野が異端児(ゼノス)の領土ということになった。  瓜生がベート・ローガやアマゾネス姉妹とひそかに戦った地でもある。そこを選んだのは、瓜生が当初から【ロキ・ファミリア】と決めていた落としどころ……隔離しての共存のために、適当な土地を探していたからだ。  面積は瓜生の故郷の神奈川県程度。豊かだが掘りにくい鉱山がいくつかある。  乾燥地だが、無駄に海に流れている川から強引に山に穴をあけて水路を引けばかなり豊かになる。とても風が強い。  地形上容易に、平坦な境界で囲うことができる。  そこに瓜生はゴールキーパー……A-10と同じ30ミリ機関砲を用いるCIWS、57ミリや76ミリの最新艦砲システムを膨大な数配備した。幅2キロメートルの帯が絶対進入禁止。カラスより大きい動くものは地上でも空中でも、人間でも異端児でも容赦なく撃破される。  エネルギーは風力発電と補助的に魔石蓄電池。長期間人の手が触れなくても動き続ける。  人間と交易する抜け道が一つある。特別な許可がなければ、人も異端児も出入りはできない。  まず土地を調べる。水を引く。  鉱山を掘る。農地を耕し種をまく。  瓜生が出した工場設備で工場を作る。使い方を学ぶ。  チタンやタングステンを掘り、実験室規模で製錬し、工場計画を練る。瓜生が巨大な資材を用意する。チタンはとりあえず無害な白色顔料になる。化粧品にも使われるので需要は大きい。  異端児独自の、冒険者鍛冶師のスキルとは違う能力があるため、異端児にしか作れない金属製品もある。鍛冶ファミリアはどれもよだれを流している。  多人数のフォモールもいるし、人工迷宮や飛行艇で襲った各国から助け生きていた者もけっこういてかなり人数は多いので、ある程度鉱工業を共に学び始めることはできる。  異端児(ゼノス)は人間から見れば超高IQばかりで、瓜生が出した本の日本語も数学や化学もあっという間にマスターしたのだ。  その国の存在はオラリオ、また世界各国にとって大きな脅威となるだろう。  優れた知性と巨大な体力を持つかれらが学び、強力な武器を手に征服に乗り出すかもしれないからだ。  だからこそ、オラリオも、各国もできるだけ近代工業を学び、生産力を高めなければならない……  瓜生が仕掛けたマッチポンプだ。異端児を受け入れさせ、産業革命もさせるという。  それが受け入れられたのも、戦争遊戯……さらにベルとアステリオスの対決がもたらした、圧倒的な熱狂あってのことだ。それ以前からの、各国で密輸の顧客の悪行を暴いた……その凄惨な虐待に対する人間の下劣な好奇心も存分に利用されている。 「結果的には人々にとってはプラスになるだろう。彼の故郷の技術は、農業生産も爆発的に増やすというのだから……誰も飢えない世界、それが彼の目的か」  と、フィン・ディムナは言ったものだ。  ウィーネら、何人かは『豊穣の女主人』での仕事も続ける。  ミア・グランドに言わせれば、 「借金を払うまできっちり働いてもらうよ」  と、いうことだ。  何人かの異端児が、許可を取り、人の心を刺激しないよう頑丈な全身板金甲冑を着て、『ダンジョン』に潜ることもある。【ガネーシャ・ファミリア】の監査官も同行し、また紋章をつける。  魔女狩り防止が課題となる。全身板金甲冑や着ぐるみは、異端児が人間の世界に入るために用いられた。だが異端児の存在が周知された今、逆に人が鎧や着ぐるみを着ていても、 (中身はモンスターではないか……)  と攻撃されかねぬ。  さらにそれが、普通の人でも、 (知性のあるモンスターが化けているのでは……)  になるのは容易だ。 『ギルド』は、瓜生が出した脚本から「るつぼ」を上演したり防止策はしているが……  また、【ガネーシャ・ファミリア】はそれによって多くの経験値を得られる。同時に瓜生から莫大な資金が流れ込んでいるので、無法の迷宮都市で警察と言われるにふさわしい存在となるべく拡張もしている。『豊穣の女主人』で、無法者に娘を奪われた男が嘆き、すでにない正義のファミリアを求めるような声に、 (こたえられる人数と予算を……)  と。 【ヘスティア・ファミリア】では、ベルとビーツが3から4にランクアップした。  ソロも、ランクアップ自体は戦争遊戯前だったが、『ギルド』に報告するのを遅らせていた、それも登録された。  まあそれを含めてもこのファミリアのレベル詐欺ぶりはある意味周知である。ファミリア自体のランクも大きく上昇した。 【ロキ・ファミリア】ではガレス・ランドロックがレベル6から7、アリシア・フォレストライトが4から5にランクアップした。 【フレイヤ・ファミリア】との差は大きく開いたとオラリオの人々は噂した。 『戦争遊戯』でオッタルやアレン・フローメルの力をいやというほど思い知った【ロキ・ファミリア】の幹部陣はまったくうぬぼれていないが。  レベル3から4にランクアップした者は、【フレイヤ・ファミリア】【ヘファイストス・ファミリア】にも多くいる。  迷宮都市(オラリオ)を破壊する、というエニュオ対策も充実している。  オラリオの外壁にいくつも、頂上がドームになる新しい塔ができた。  形式的にはケーブルカーや電線のためだ。だがそのドームにはゴールキーパー30ミリガトリングCIWSとボフォース57ミリ艦載無人速射砲が鎮座している。  都市外のあちこちに、オラリオのどこであれ誘導弾で狙撃できる120ミリ迫撃砲が構えられている。丘などには戦車が隠されており、いつでもオラリオのどこでも狙撃できる。  港町(メレン)に近い巨大な洞窟を立ち入り禁止にし、そこにはアイオワ級戦艦が隠されている。湾岸戦争で活躍したと同じ最新版、第二次世界大戦時とは別物の電子機器が詰まっており、40センチ砲9門は余裕でオラリオを射程に収め、どこでもピンポイントで射撃できる。  巨大な怪物であればいつ出てきても即座に粉砕できる。  また、ラキア捕虜を労働力にオラリオの近くに衛星都市や大農場、灌漑水路網が急速に整備されており、オラリオの十数万人が都市を離れても問題なく生活できる。  いくつかの地下倉庫には20万人分のテントと生活物資が隠され、いつでも全員避難の上でダンジョンの底まで水爆を連打できる。瓜生がいれば水銀や濃硝酸を流しこむことも可能だ。 『異端児(ゼノス)』の一件が一応解決し、【ヘスティア・ファミリア】も問題なく迷宮探索ができるようになった。  51階層で得られるカドモスの泉に関する依頼と、ランクの上がったファミリアへの強制任務があり、【ロキ・ファミリア】【ヘファイストス・ファミリア】と共同で深層に向かうこととなった。  ベルたちは戦争遊戯から数日間は休んだ。瓜生やリリは、異端児の国を作るために飛び回っていた。  それから、ずっと留守番状態だったレベル1に稽古をつけてやるなどもした。ヘスティアがベルに嫌というほど甘えてきた。  戦争遊戯前の合宿でもそうだったが、装甲車のあまりの反則ぶりにベルも、いやもっとオラリオに長い冒険者たちは呆然としている。  M113装甲兵員輸送車やプーマ軽装甲車などで、2層の隠し場所から17層の隠し場所まで数時間。18層の町を素通りして、19層の車庫から50層まで2〜3日。  もっとも戦闘車両の扱いに優れる【ロキ・ファミリア】の戦力ときたら……。  先頭はメルカバ戦車と30ミリ遠隔操作砲塔つきナメル、スウェーデンのStrv.103、通称Sタンクからなる。すべて.50BMGガトリングが据えられており、そこに人員がつけば桁外れの火力が注がれる。  エルフたちは装輪で多少悪路走破性は劣り装甲が薄いが機動力の高いチェンタウロ・シリーズを用いている。戦車級の主砲を持つチェンタウロ、76ミリ速射対空砲を備えたドラコ、25ミリ機関砲で収容人数の多い歩兵戦闘車フレッチャを2両ずつ。  フィン率いる中央は76ミリ速射砲のチェンタウロ・ドラコ、25ミリ4連装のSIDAM25自走式対空砲、ソ連サーモバリック弾頭多連装ロケットのTOS-1なども備えている。  トラックもあり、いくつかの車両はZU-23-2、ボフォース40ミリなどの対空機関砲を牽引している。  また随伴歩兵でさえ、.50BMGライフルを携行し対戦車手榴弾を持っている。車両の側面には工具と多数の重機関銃やロケットランチャーがとりつけられており、すぐに手に取れる。  手持ち用に改造された27ミリ航空機関砲、【ヘファイストス・ファミリア】が作った14.5ミリガスト式重機関銃なども車両に積まれている。  完全に過剰戦力だ。少なくとも49層まではたまに25ミリを発砲するだけ、ほとんどは.50BMGで対処できてしまった。  ついてきている【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師たちは、圧倒的な威力に歯ぎしりをしつつ悟っている。 (これで深層まで行こうとしたら、どれほどの燃料と弾薬が必要なのか……)  このことである。  瓜生が無尽蔵に供給してくれているからであり、地上から兵站線を保つとなるとどれほどのことか。  第二次世界大戦でアメリカが自動小銃M1ガーランドを実用化したのも、圧倒的な物量があったからだ。日本がもし技術的に可能だったとしても、すぐ弾切れになるだけだったろう。  もうひとつ、異端児(ゼノス)の存在を知ったため、発砲する前にひと呼吸置いて敵意を確認することも必要になった。装甲と火力があるからこそできることだ。  ランクアップした者たちは、27階層に出る超高速の鳥モンスターを相手にランクアップ後の慣らし運転をした。  それからの戦闘車両の走行、第一級冒険者なら一時的には出せるが半日走り続けるのはさすがに無理な速度。アイズたちもベルたちも、長い槍を手に、訓練された者は重機関銃も引き寄せて、戦車の屋根に座って警戒するだけだった。  むしろ久々の休息というべきだった。ベルやビーツ、武威は戦争遊戯が終わってから、武神タケミカヅチの厳しい指導を受けている。  時間がくれば小さい安全地帯に寄り、瓜生がキッチンと発電機やプロパンガスコンロを整備し、レベル2メンバーの助けも借りて大量の料理を作る。  ビーツが相変わらず桁外れの量を詰めこむ。  こうして主力が遠征に出ているとどうしても、レベル1と多くのレベル2は……要するに命と【タケミカヅチ・ファミリア】の大半は……留守番になる。死人が出ないよう見守りながら上層で戦わせ、また本拠(ホーム)で激しいトレーニングを積む……  悔しければボートこぎマシン、が合言葉だ。  サンジョウノ・春姫は連れてきている。必要な時に使えばすさまじい力になるからだ。 【ヘスティア・ファミリア】はある意味いくつかに分かれている。  武威とソロはレベル7以上の実力がある。  リューはレベル5で迷宮でもベテラン。ビーツ、ベル、トグは得意分野ならレベル5以上の実力。  瓜生やリリは、ダンジョンでの冒険より、ほかファミリアや『ギルド』との外交、オラリオ……いやこの世界全部の産業革命、【ヘスティア・ファミリア】や異端児(ゼノス)のための情報収集・情報操作が主眼になる。多くの無所属(フリー)、未恩恵も含めて雇っている。  命を中心とした新入生たち。ほかの新入生に比べて水準が高く、何より死人が出ていないが、間違ってもレベル7とともに深層に行くなど無理。彼らは死なさずに一人前の冒険者にすることが目的だ。【タケミカヅチ・ファミリア】もそれに強く協力している。  春姫もレベルは低いが、無理に守ってでも深層探索に連れて行けば見返りが大きい。 【アポロン・ファミリア】も従属させており、脱退で人数は減ったが残った者は結束しており、戦力はむしろ増している。  ほかにも【ミアハ・ファミリア】も半従属でナァーザ・カサンドラ・ダフネは瓜生の兵器の訓練も受け彼を助けている。 【ディオニュソス・ファミリア】のアイシャ・ベルカと彼女を慕うアマゾネスたちもよく協力してくる。  戦力が高い者+春姫は【ロキ・ファミリア】とともに深層や人工迷宮の探索、情報と産業、新入生と分けるよりほかにない。  といっても、それはある程度以上で高レベルがいるファミリアなら、どこであっても同じことだ。  新入生たちは全員、いくつかの特注武器を支給されている。  刃渡り33センチ、両刃のダガー。極厚で両手で使える長めの頑丈な柄。  大型の盾。  短めの薙刀……これは将来着剣した小銃を渡せるように、同じ大きさと重さにしてある。  それで盾を並べできるだけ飛び道具と長槍で敵を減らし、レベル2以上の支援を受けて死なずに撤退する訓練ばかりしている。支援する者は近代兵器も持っており、手に余るときには使う。  とにかく誰も死なせない、それを徹底している。 『ギルド』でも成長が早く、急成長中の【ファミリア】にありがちな新人全滅がないことが注目されている。  48階層では火器を遠慮し、レベル4以上が武器をふるった。  ベルやビーツも、レベルが上がっての力をはっきりと見直した。  49階層……大荒野。とんでもない数のフォモールが沸く、深層最難関のひとつ。  だが先頭に入ったのはメルカバとナメル。  敵意を確認したフィンの無線号令、120ミリ主砲のキャニスター弾と30ミリ機関砲、多数のサーモバリック弾頭ロケットランチャーの同時発射。しかもその弾には、ベル・クラネルの長文詠唱付与呪文が叩きこまれている。  多数の超音速のタングステン球が、破片榴弾が、相転移して爆発燃焼する地獄の炎が放たれる。比較的小さいキャニスター散弾でも、命中すれば過剰威力の雷電付与呪文が解放され、大型爆弾でも爆発したように内部から強靭な怪物を炸裂させる。  巨大な怪物の群れが一掃され、8輪の高速でチェンタウロ・ファミリーが並ぶ。レベル7のリヴェリアが唱える高速詠唱呪文とともに、120ミリ、76ミリ、25ミリの弾幕が群れを叩きのめす。  経験しても呆然とする、圧倒的な火力の恐ろしさ。ベルなどは気絶しそうだった。  あっという間に50層安全地帯にたどり着き、そこには…… >奇襲 「50層は安全地帯だったはず」  フィンが目を見張り、 「ラウル様、指揮を!」  激しく副官の肩を揺さぶり、ゆだねた。そしてついやらかした言葉のミスに歯を食いしばり、それでも姿勢を取り戻す。 「は、はいっす!全武装使用許可!」  ラウルが叫ぶ。恐怖に震えている。 【ロキ・ファミリア】の反応も鈍い。  安全地帯に敵がいるという異常事態(イレギュラー)。  見たこともない新種だ。  極彩色の、片方のハサミが非対称に大きいザリガニ。尾がなく、後半身はむしろダンゴムシにも似ている。それが数えきれないほど多数。  それと、羊の下半身に羊頭のケンタウロスが10ほど。赤と黒の斑で全身に毛が生えている。  円錐形の騎槍(ランス)を両手に一本ずつ構えている。  指揮を任されたラウルは震えあがっていた。  フィン・ディムナは、ここにはいないのだ。  横で立っている、外見はフィンなのは、リリルカ・アーデだ……  フィンがリリのことを調べた時、変身魔法もバレている。バレていることはリリたちも知っており、だから影武者を出してフィンにウィーネを引き合わせ八百長を算段したりもした。  重大な秘密でもある、だからこそここで切った。まあ、50階層まで見に来る者などいないだろうが。  さらに、普段なら次席指揮官となるリヴェリアも、指揮をラウルに一任している。ガレス・ランドロックもここにはいない。  ちょうどそのとき。人工迷宮を、SIDAM 25自走式対空砲が2両、高速で走っている。  その前を、小さな球を掲げた頑丈な鎧の大男と、重機関銃と戦斧を抱えたアマゾネスが足で走っている。時速70キロをコンスタントに出し、アマゾネスは疲れたら車両の屋根に飛び乗る。ほかにも屋根で休んでいる者はいる。  車両を動かし指揮しているのはフィン・ディムナ本人。加えてティオネ・ティオナ姉妹、ガレス・ランドロック、武威、ソロ。  超少数精鋭、超高速の奇襲。この人数なら最悪、ソロの呪文で離脱できる。ソロの『ふくろ』があるので物資の心配もない。  普通の大遠征と見せかけ、17層奥の入り口から『鍵』を用いていきなり少数が侵入したのだ。  ソロの『ふくろ』や『リレミト』も重大な札だ。普通なら自ファミリアの眷属にも明かさない。だが【ヘスティア・ファミリア】は能力や知識を隠さない方針だ。隠さないことの利益も大きく、今までのところ損はない。 【ロキ・ファミリア】が瓜生やベルを信頼し、裏切ったら大損しかないと理解していることが大きい。  強力なかわりに弱点を突かれると弱い、というような能力の持ち主が少ないこともある。  一番面倒だったのが、団長の姿やしぐさをリリに盗まれたことで怒り狂い、同時に、 「団長が2人いいいいいいいいいっ!」  と絶叫するティオネだった。  彼女は今、高速で走りながら対戦車手榴弾を投げ、重機関銃の指切りバーストで正確に急所を撃ち抜くという戦法に慣れようとしていた。嫌な気持ちを押し殺し、銃を教えてもらうことで少しでもフィンのそばにいてほめてもらう、という涙ぐましい努力の結果だ。  ティオナは先の戦争遊戯をきっかけに、武器を調整した。ついに超巨大重量武器ウルガの、不壊属性版が完成したのだ。瓜生が提供した金属を用いる切れ味は悪いが安価な不壊属性。切れ味は超硬チップを交換することで補える。  以前の大遠征で手に入れた『ローラン』シリーズの大剣は、身内価格でアイズに売った。  しばらくは新武器の慣らし運転。やっと出てきた膨大な数の食人花を、次々と斬りまくっている。  巨大な武器を持って時速70キロで走り続けるのはきついので、ティオナは車両の屋根に座っていることも多い。そのサスペンションが悲鳴を上げるほどの重量武器だ。  脇を抜けるクモの群れも溶解液虫も、ティオネが射撃と手榴弾で掃討している。  八百長だった『戦争遊戯』だが、参加者誰もが自分の弱さを見つめ、変わるきっかけとなった。  フィンは殻を破る決意をした。アイズもかたくなな復讐心から何かが見えるようにもなった。  ベルもビーツも、ほかの多数も敗北を知った。自分より圧倒的に強い相手がいることを知った。  ベルはアイズの教えを忘れ急所というエサに飛びついたこと……ビーツは勝つことを忘れ強くなることにかまけたことを指摘され、鍛えなおされた。  武威はオッタルから武の高みを学び、かつて技を盗ませたアステリオスから習った技の別の使い方を学び、そして師である武神タケミカヅチから攻撃の正しい形も教わった。  安全地帯での敵襲に混乱する【ロキ・ファミリア】。リヴェリアやアイズ、ベートはなぜか動かない。 「【ヘスティア・ファミリア】が前面を守り動けるスペースを作ります!ウリュー様、射撃開始!ベル様ビーツ様、射撃範囲外を警戒、装甲車に敵が接しないよう!リュー様とトグ様は春姫様の護衛、春姫様は詠唱開始!ベル様は短!」  元の姿に戻ったリリの指揮に、眷属たちは素早く従う。  ナメルのRWS(遠隔操作砲塔)30ミリ機関砲と、【ヘファイストス・ファミリア】製アタッチメントで強引に取りつけた12.7ミリガトリング重機関銃が咆哮をはじめ、敵を消し飛ばしていく。ザリガニのような怪物の分厚い甲殻も30ミリの前には無力。  ケンタウロスのような怪物は機敏に回避するが、その騎槍をビーツの槍が巻き落とし、突きが刺さる。瞬時に3撃。ベルの二刀も二槍を柔らかく受け流し、手首を断つ。  ベルの短文詠唱が完成し稲妻が弾薬や武器に落ちる。並行詠唱・並行蓄力を完全にものにしたのだ。  リューが牽制し、トグの盾斧に攻撃を受け止めさせていた別の羊ケンタウロスを雷電を帯びた小太刀がとらえ、閃光とともに一撃で両断する。ビーツも、ベル自身も圧倒的な威力となった武器で敵を倒した。  メルカバ譲りの重装甲を誇るナメルの奥で、春姫が集中して妖術を唱え始めた。 「こちらは任せろ!」  椿・コルブランドが自作の14.5ミリガスト式重機関銃から、高い連射速度で多数の銃弾をばらまく。その振動からまた銃身の均一さと機関部の遊びを感じ、部品の摩擦に潤滑油と金属の摩擦についての理解を深める。瓜生が出した品と比較し、異界のメーカーが成し遂げた高みに思いをはせ、対抗意識を燃やす。  鍛冶師たちもハンマーを手に敵に挑み、また牽引機関砲にとりつき激しい射撃を始めた。  その姿に、ラウルははっきりと悟った。一瞬目を伏せ、顔を上げる。  腹から深呼吸し、声を出す。 「【ロキ・ファミリア】のみな!【ヘスティア・ファミリア】に守ってもらう身分でいいんすか!」  フィン・ディムナなら当然そう言ったろう。煽りの達人である団長なら。  異常事態(イレギュラー)時、あえて第一級冒険者は動かず、二軍の奮起を待つ……自分たちで動けるように。瓜生の武器に頼り、経験値倍増に酔って腐らないように。 「ざけんな!てめえのタマ食いちぎって死ぬほうがましだ!雑魚どもは兎野郎に守ってもらって震えてるのがお似合いだぜ!」  ベート・ローガが怒鳴った。 「リヴェリア様の部下という栄光を持つエルフが、王族の名を汚すか!」  アリシア・フォレストライトがエルフたちを鼓舞する。 「アイズさん……守り合いましょう。まだ弱いですが、それでもできることをします!」  レフィーヤの言葉に、アイズははっとした。 (英雄に守ってもらうだけでもない。独りで斬りまくるだけでもない。守り合う……)  震えながら叫ぶラウル。アナキティが微笑する。ナルヴィ、クルス、レフィーヤ、リーネ、ラクタも立ち直る。それはよりレベルが低い眷属たちにも伝わる。  赤黒い羊ケンタウロスは異様に強い。だが、さらに腕を上げたアイズやベートの敵ではない。まして、春姫の妖術でレベル7に強化され、大剣を手にしたアイズの前では……  恐ろしく頑丈なザリガニの装甲も、30ミリや27ミリ、さらに40ミリや76ミリの砲弾の前では無力だ。  レベル4や5の冒険者たちに握られた、手持ち用に改造された27ミリ航空機関砲や14.5ミリガスト式重機関銃は高速で動き回る敵も追随し、すさまじい威力を発揮する。  敵を一掃した連合軍は、今度こそ静謐となった安全地帯で静かに食事の支度をする。ただし上下の出入り口にも周囲の壁にも、いたるところに多数の機関砲を向けて。  瓜生が多数のトレイラーハウスを出し、助手当番たちの手を借りて燃料を入れる。プロパンガスボンベにコンロをつなげる。発電機に燃料を入れ、始動し器具につなげる。  みな腹を減らしているので、先にすぐできる食事を用意する。多数のコンロがある。中華鍋を置いて挽肉と冷凍チャーハンを炒め半々に盛る。高級品のレトルトパスタソースを湯煎し、ゆであがりが早い生パスタを加熱する。湯が沸けばすぐ作れる袋生ラーメンもスープがわりに多数。  徳用袋の揚げ菓子類、ドーナツやパウンドケーキ、ドライフルーツを多数大皿に盛り上げ、ジュースとともに先に提供する。  ビーツには別に多数のパウンドケーキと、ミューズリー・レーズン・牛乳を与えておく。  椿が酒を要求し、リヴェリアに殴られるのもいつものことだ。  皆が食べ始めてからも、瓜生は業務用フライヤーでメンチカツ・コロッケ・イカリング・フィッシュフライ・フライドポテトを揚げ続け、中華鍋で大量の豚バラ薄切りとカット済み野菜を炒めては提供していた。飢えた冒険者たちはそちらにも食いつく。  団長たちを心配し、頼りになる団長がいない不安におびえる冒険者たち。  鍛冶師たちはひたすら食っていた。  ここまでただ、無我夢中で走ってきた皆に、やっと少し余裕が出てきたようだ。 「生きてるなあ……」  ヴェルフは呆然としながら食べている。 「50階層なんて夢のまた夢だったよね……」  ベルがため息をつく。  そんなところに、本来パーティとして組んでいるレフィーヤがやってきた。 「恐ろしい戦力になったものですね」  レフィーヤがベルとビーツを見て、ため息をつく。 「あ……でも、ぼろ負けでしたし……【ファミリア】も負けに……」  日が暮れたとき、ちょうどベルが気絶していたので書類上『戦争遊戯』は【ヘスティア・ファミリア】の負けとなっている。  レフィーヤはため息をついた。 「アイズさんの……」 「ごめんなさいっ!」  ベルが悲鳴を上げた。『戦争遊戯』で、ベルはアイズの片腕を斬っている。ランクアップはその『偉業』も大きい。 「いえ、『戦争遊戯』なのですから文句も何もあっちゃいけませんよ」  顔は思い切り文句を言っているが。 「じゃ、じゃあ……」  とにかくレフィーヤは怒っている。  彼女も、リリやヴェルフと並んでほぼ最初にウィーネのことを打ち明けられた。それから、アイズのモンスターに対する憎悪の激しさと葛藤の激烈さを、言葉ではなく感じてきた。とても強く、強く、強く。 (誓い……)  であるとまでは、知らないまでも。  リヴェリアがふと見せた感情からも、理知のあるモンスターとの妥協がアイズにとってどれほどのことか、未熟なりになんとなくわかるのだ。  モンスターに家族を殺されたフィンやベート、闇派閥の陰謀とはいえ仲間を皆殺しにされたフィルヴィスやリュー・リオンの気持ちも思ってしまった。  そして目の前での、ベルとアステリオス……ビーツとアレン・フローメルの伝説的な激闘。嫌というほど燃え上がった胸の炎。それは祭りで燃え尽きるまでぶちまけたが……  胸が張り裂けるような思いをしていた自分が、 (ばかみたい……)  ではないか。  一番腹が立つのは、ベルとビーツのランクアップでレベルもあっさり追いつかれたことだ。普通なら何年もかかるのに。彼女自身もものすごく早いほうなのに。 「それに、それに……ウリューさんの武器を、みんなで使ったらあんなにすごいことになるなんて」  慌てたように言うベルに、 「同じファミリアのあなたが、一番彼のことを知らないなんて。それにあなたの付与魔法とあれが合わさったら……」  レフィーヤはあらためてため息をついた。 「ごめんなさい……」 「まあ、正しかったでしょうよ。あれに頼って、何の危険もなく下層の敵と斬り合って過ごしていたら、成長なんてできなかったでしょうし」 「は、はは……」 「で、も!あの人がいなかったらどれだけ苦労していたか考えてくださいね!【アポロン・ファミリア】だって【ソーマ・ファミリア】だって、まして【イシュタル・ファミリア】なんて、いくらレベルが上がっててもできたて弱小【ファミリア】が対抗できたはずがないんですよ!」 「そ、そうだね……どうしたの、リリ?ため息なんてついて」  ベルがリリをいたわる。 「なんでレベル1がこんなところにいるんですか」  疲れ切った表情のリリ。 「そりゃ、フィンさんの影武者なんだから……」 「ひとりじゃ絶対帰れないじゃないですか」 「ぜったい守る!……でも前にベートさんが、どんなところでも、ひとりになっても帰れるように、って」 「私も似たようなことを言われました」  レフィーヤがため息をつく。 「それって、何かが起きたらひとりで帰れないような階層には行くな、ってことでしょう?」  リリがいうのに、ベルとレフィーヤが目を見張る。 「あ」 「あ」  リリは深くうなだれた。 「ベート様に同情します」  そう言ったリリがびくっとなる。集まっているところに、突然ベート・ローガとアイズ・ヴァレンシュタインが歩いてきたのだ。 「俺がどうしたって?雑魚どもが」 「ベル、リリルカさん、ちょっと来てほしい」 「ああ、ベル様は団長だから、リリはフィン団長の影武者をする都合ですね。すみません、外します」  とリリが立ち上がる。  たくさんの人が思い思いに食べ、生きのびた喜びにひたっている安全地帯。  油断なく機関砲に取りつき、周囲を見ている者もいる。  機関砲や戦車を整備している者もいるし、武器を打ちなおし研ぎなおしている鍛冶師もいる。  まだまだ大量の食物を腹に詰めこんでいるのは、ビーツだけではない。  これが最後の食事になるかもしれないのだ……そしてフィンの不在という大きい不安をごまかすためでもある。 「いい気になってんじゃねーぞ」  ベートがベルにすごんだ。 「は、はい。まだ、全然……」 「私も、まだまだ弱いから」  アイズの言葉にベルも、ベートも目を見張る。 「オッタルさんに負けた。武威さんに負けた。ソロさんに負けた。フィン団長に負けた。まだまだ私は弱い」  アイズとベートは祭りになってから、片端からレベル7以上に挑んでは潰されて回ったものだ。  ベートが地面に唾を吐いた。  コンテナハウスの一つに、幹部が集まっている。 【ロキ・ファミリア】のリヴェリア、ラウル。レベル5になったアリシアは警戒組を指揮している。 【ヘファイストス・ファミリア】の椿・コルブランド、ほかふたりほど。  瓜生もアナキティに連れられ、戻ってきた。 【ヘスティア・ファミリア】の団長としてのベルと、公式にはフィンの影武者として……実際には瓜生の副官としてのリリも招かれ、ベートとアイズも加わって、話が始まる。  いまこちらにはフィンも、武威やソロもいない。  その状態でどこまでやるか。 「すでに52階層以下、『竜の壺』の攻略法はできている」  リヴェリアが言うように、前回の大遠征で、砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)が階層貫通ブレスを放った、その穴に爆弾を腕力で投げ落とし58階を殲滅、その縦穴に梱包しパラシュートをつけた機関砲と弾薬こみで第一級冒険者を送りこむ。対砲兵(カウンターバッテリー)からの空挺制圧。 「それだけの戦力があるかどうか。前の59階層のような、『穢れた精霊』のような戦力がある場合、レベル6以上の戦力が少ない状態で戦うことになる」  リヴェリアがまず慎重論を述べる。 「ウリューさんを下におろすか、も……万一のことがあっては……」  ラウルも基本的に慎重だ。 「耐久はレベル3ぐらいあるじゃろう?」  椿が瓜生を見る。瓜生はもともと常時発動の魔法の鎧があり、それを増幅する鎖帷子、さらに高級品のスケールメイルを、 (金にものをいわせて……)  つけている。 「それではちょっとしたことで死ぬぞ。レベル5でも簡単に死にかねない。今日のこともある。何があるかわからない、を前提にすべきだな」  リヴェリアが厳しい目を向ける。 「うちの鎧をばかにされるようだが……それでも、手前もあれは見ているからな」  椿・コルブランドも前回の大遠征で、砲竜のブレスを知っている。 「ただ、『カドモスの泉水』は必要っすから、せめてそれは」 「50層に戦力を置き、51階層に戦車中心の少数精鋭か」  ラウルにリヴェリアが、ほぼ決まっている案を提示。 「戦車も前のときには、あの溶解虫で足潰しをされたわ」  アナキティの言葉に瓜生が顔をしかめる。 「タイヤなら足潰しには強いんだが、どうしても装甲がな」 「まあ、出たとこ勝負じゃ!行ってみなけりゃわからん!」  椿の豪快な言葉に、リヴェリアが頭を押さえる。 「それで、チームはどうするの?」  アナキティがあえて言いにくいことを言った。 「レベル5が椿、リュー、アリシア、アナキティ、ラウル……6がベート、アイズ」  そしてレベル7のリヴェリア。まずそれが基準になるのはわかりきったことだ。 「でもなりたてが多いから、前回よりむしろ劣るわね」 「副団長が本拠防衛で、アイズさんとベートさんがそれぞれ……」  ラウルが半分言って、絶句した。どちらも隊を率いるのに向いているとはとても言えない。そしてとても小さい声で言い足した。 「……いっそレベル5主導の戦車だけというのは……」 「何があるかわからない」  瓜生の言葉にリヴェリアがうなずく。 「【ヘスティア・ファミリア】としては、春姫様を参加させるかどうかです」  リリが強く言い、ベルにも視線を飛ばして、リヴェリアの目を見る。彼女にとっては、リヴェリアの目を見るだけでもとんでもないことだ。勇気をふりしぼっている。 「広域攻撃であっさりやられるリスクもあるか……だが、それは本陣に残っていても同じことだ。  ベルとビーツもレベル4だが、実際の戦力はそれ以上だろう。アイズの腕を切ったベル、『女神の戦車』と互角だったビーツ……」  リヴェリアの言葉に、アナキティがうなずく。 「それにベルは、付与呪文で銃弾の威力も上げられる」  リヴェリアがベルを見た。  話し合いの末、カドモスに挑むのは2隊。  一隊はアイズ、リュー、ベル、ビーツ、春姫、レフィーヤが中心となる。レベル3や4で30ミリRWS+.50ガトリングつきのナメルが2両。リューは自衛隊の73式・3トン半トラック最新版を運転する。ATで操縦が楽、莫大な搭載量があり悪路走破も優れる。ビーツ用の保存食と弾薬を大量に積んだ。  もう一隊はベート、ラウル、アナキティ、アリシア、椿が中心。メルカバ主力戦車が1両、ナメルが2両。  アイズの班は火力が低いが、アイズの剣技・春姫の妖術・ベルの付与呪文を合わせれば桁外れの攻撃が可能。装甲と弾幕で耐えている間にレフィーヤやベルが長文詠唱を完成させれば、恐ろしい攻撃が可能になる。  ベートの班は圧倒的な火力と、多数のレベル5からなる安定性。  だが、それでも最近の異常事態ばかりが続く極深層で、生きて帰れるか……  それを言うならば、安全地帯とされる50層で近代兵器の訓練を続けるメンバーも、いくらリヴェリアがいるとはいえ危険には違いない。  人工迷宮(クノッソス)を支配する闇派閥は、最初はなめていた。あまりの少人数、引っ張りこんで間断なく攻め立てれば、と。  だが、どれほどの戦力でも、どれほど長く攻め続けても、疲労の気配すらない。弾切れもないし、銃身が焼けることもない。  桁外れの戦力だと気づいた。  レヴィスが帰ってくるまでに、と、恐るべきものが解き放たれる。迷宮都市を滅ぼすための切り札の一つだったが…… **ティオナの装備をどうするかはさんざん考えました。「ベルセルク」のドラゴンころし、トグと同じ盾斧、片方が丸太のような片側ハンマーの重斧・もう片方が『ローラン』シリーズの大剣、銃剣つき25ミリ機関砲などなど。 結局は、あれはあれで完成した装備なのだと… 人工迷宮に突っ込むのも、M4シャーマンやダスター、LAV-25の25ミリガトリング版などいろいろ考えましたが、コンパクトで足があり手数が多い、となると最高なんです。 今のベルはむしろベートと組むべきだった… >四方の戦場  51層、カドモスの泉を目指すアイズとベルたち。  別の泉を狙うベートたち。  50層で帰りを待つリヴェリアを中心とした大人数。  フィンを中心に人工迷宮を攻める、レベル6以上を集めた超少数精鋭。  ベルは戸惑っていた。あまりにも敵が発生するペースが速い。50になると、上層と中層の違いほどにも違うのだ。聞いてはいたが、体験すれば衝撃だった。  つい最近まで過ごしていた上層ではモンスター・パーティ、大発生と言えるほどの頻度と数。要するに目にかかった返り血をぬぐう暇もなく次々と襲う敵。  その敵もすべて、47層とも次元が違う強敵ばかりだ。恐ろしく頑丈な皮の人型。巨大で糸を放ち毒牙をむく巨大クモ。  正面はアイズが次々と、ティオナから身内価格で買った不壊属性の大剣で切り捨てている。魔法『エアリアル』すら使ってはいない。  だが、横から襲う敵も多いのだ。  アイズの動きは、無駄のなさが数段深まっている。『祭り』でソロから無駄のない戦法を、オッタルから極意に至った技を学んだ。  それから数日、日に19時間のエアロバイク、鎧を着ての大剣の慣らし素振り、ウェイトトレーニング。  その背後では装甲車とトラックが轟音を上げて走っている。レベル3や4が操縦し、遠隔操作砲塔が動きまわっている。前後を挟まれている、過積載の大型トラックを壁から出現した敵が襲う。  ベルも、一歩ごとに深呼吸とともにチャージしつつ、最小限の動きで回避しつつ斬り歩き続ける。  刀と脇差も、ヴェルフと椿が全力で作り直した。以前のものはどちらも死闘で芯がやられており、ふたりともおのが未熟に歯噛みをしつつ打った。もう素材に制限はない、オリハルコンも砲竜の牙もコバルトも使いまくった。予備として、超硬チップ交換安価不壊属性の、一尺九寸七分の大脇差も背負っている。  最小限の動きで届くものを斬り続ける。拳を、腕を、膝を、鼻先を。歩き続け、斬り続ける。斬り続ければ敵は怒り、急所をむき出す。  二刀で腰をしっかりと入れるには、より正確にひとつひとつの足、体重移動を用いねばならぬ。武神タケミカヅチとアイズにしっかり叩きこまれている。  反対側ではビーツの槍がモンスターの急所を貫いている。無駄のない動きで、恐ろしく速く。まるで何人もいるかのように残像しか見えない、それも姿はゆらゆらとぶれ続けている。すさまじい速度で細かい動きを繰り返してカウンターを決め、大きい移動で別のところから襲う敵にも対応している。 『戦争遊戯』の反省として、 「すべての動きを勝利のために……」  戦い方を磨きなおしている。  ソロの、パーティを管理し地形を活かして敵を操る動きも初歩は学んだ。  アイズの周辺視野には、彼女の力とスピードは自分たちレベル6以上にも見える。まだ未熟ではあるが、すさまじい才能は恐ろしい冴えになっている。  レベル4のナルヴィと、【ヘファイストス・ファミリア】のレベル4が運転する装甲車が発砲するのはごくたまのこと。ほとんどはアイズ・ベル・ビーツが処理している。装甲車とトラックの膨大な積載量があるとはいえ、このチームには無限兵站はない。  ナメルの装甲に守られている春姫も、トラックを運転するリュー・リオンも、その強さに安心している。  といっても、ベルもビーツも必死ではある。1体を倒す前に3体出てくるのが延々と続くし、スピードもパワーも桁外れに高い。守るものがあるのもまた厄介だ。車両は時速50キロ前後で走り続け、常に追いつかねばならない。  といっても、オッタルやフィン、ソロに容赦なく穴だらけにされたり、武威に小虫のように潰されたりされた『祭り』を思えば、 (全然楽……)  なのである。  ベートの班は、とりあえずベートがひたすら正面の敵を駆逐している。  彼は巨大な着剣小銃を手にしている。12.7ミリ特殊徹甲弾、銃身と槍のようにしごける棒状の銃床を平行にしてあり、その先端に固定された銃剣も第一級の切れ味だ。槍としての性能を重視している。 【ロキ・ファミリア】【ヘファイストス・ファミリア】ともレベル4以上全員に配られている。ティオナのように使っていない者もいるが。  ベートはそれで、高速移動で敵の急所をつかんで確実に撃ち抜く練習を、51層の強敵相手に積んでいる。長い針を用いる暗殺者のように、ミリ単位の精度で、至近距離から。  やや暇なラウル、アナキティ、アリシア、椿……4人も同じ武器を持ち、たまに打ち漏らしを片付けている。  戦車の高速で、あっという間にカドモスの泉が近づく。はっきりとわかる……異常な気配が。  闇派閥の自爆志願者たちは次々に、ティオネの重機関銃に近づくこともできず粉砕されている。 「そんなに死にたいならさっさと死なせてやるよ」  と、このうえなく冷酷なところで育ったティオネはつぶやき、正確に12.7ミリ弾を3発ずつ叩きこむ。どこから出現しても。 「自爆は一度だけだ。逐次投入は愚策も愚策……」  そうフィン・ディムナがつぶやく。瓜生に見せられた、両大戦の映画を思い返している。  瓜生とフィンは、その故郷の神風特攻隊や自爆テロの話にもなったこともある。  無論瓜生が異世界出身だということはとっくにバレている。 「どちらも、組織を維持するためのほうが重要で、逐次投入。神風特攻は対空火器の充実で対処されている。戦略的には勝利には結びついていないね」 「いやまあ、どちらも勝利の可能性がない……いや、今の自爆テロは、アメリカの負けという人も多いが」 「敵国を滅ぼせていなければ負けだ。結局は物量だね」  というような。  フィンたちの前後からとんでもない数の食人花が襲ったが、後方はフィンが放った【ヘファイストス・ファミリア】製の60キログラム巨大手榴弾で粉砕され、前方はティオナと武威が瞬時に殲滅した。  だがそれも誘導でしかないことは、フィンにはわかる。  野球やサッカーが公式にできそうな広く高い間。極太の鎖に縛られた巨人。奇妙な笑い声を立てる、両手両足とも義足の女。大量の、わけのわからない器具。  その奇声には、「ベヒモス」と聞き取れるものがあった。  フィンの素早い指示。横に並んだ自走式対空砲2両が、8門の25ミリ機関砲を向ける。レーダーの配線に割りこむことで、フィンの手元のタブレットで制御できる。  ティオネ・ガレス・ソロが『ふくろ』から出された【ヘファイストス・ファミリア】製の14.5ミリガスト式手持ち機関砲を構える。  もう、かなり普段から『武装闘気(バトルオーラ)』を自分で食って行動できるようになりつつある武威が、静かに肩の高さに上げた両手を下ろす……  50層安全地帯で、カドモス攻略班を待ちながら近代兵器の訓練をする居残り組たち。  瓜生などは、慰労のためにと真空調理・パン焼き・ビーフシチュー・フェジョアーダなど時間がかかる料理をやっている。  異常に気付いたのはレベル7のリヴェリアだ。  号令、全員が重装甲の戦闘車両に飛び乗り、ハッチを閉めた。  広大な50階層の、壁に近い部分が大きく揺れる。崩れる。  土砂崩れのように、膨大な数の怪物が押し寄せる。  40階層台の怪物が圧倒多数。あのタイゴンファングの群れも。 「大規模怪物贈呈(バス・パレード)……『27階層』の再現か」  リヴェリアが歯を食いしばる。味方の死を見捨てて勝利をつかんだ、その心の傷は彼女の胸にも深い。 「だが、今の我々には愚行だ。オールウェポンズフリー、すべて敵だ。ファイア!」  エルフ王女の叫びに、全員が従う。レベル4もほとんどいない、大半がレベル2や3。だが、膨大な火器がある。  メルカバが2両。  100ミリ砲をもつSタンクが4両。  25ミリ4連装の自走式対空砲が8両。  30ミリ遠隔操作砲塔と60ミリ迫撃砲、12.7ミリガトリング砲を備えたナメルが4両。  120ミリ低反動砲のチェンタウロ、76ミリ速射砲のドラコ、25ミリ機関砲のフレッチャが2両ずつ。  20ミリ機関砲を持つヴィーゼルが6両。  多連装ロケットが3両。サーモバリック多連装ロケットが1両。  全員が装甲車に乗っている。逃げられる。最低限だが守られている。メルカバ、ナメル、Sタンクには12.7ミリガトリングもついている。  さらに瓜生とリヴェリアは遠隔操作もしている……  57ミリ艦砲CIWSが4基。  30ミリガトリングCIWSが10基。  いくつも200キロ級無誘導航空爆弾が用意されている……第一級冒険者なら、腕力で100メートルは投げられる。  パンツァーファウスト3対戦車ロケットや重機関銃も多数、車両から飛び出すときには手に取れる場所に。  補給の心配もない。訓練水準も、前回より大幅に高い。  高台の陣が、硝煙と砲口炎に包まれた。  その向こうから、ひときわ巨大な階層主の姿が恐ろしい速度と圧力で襲ってくる……  ベート・ローガたちがカドモスの泉にたどりついた……階層主以外で既知最強といわれる『カドモスの強竜』を相手にする緊張感。  だが、その気配はない。前回もそうだった……それが、最初に極彩色の新種を見た時だった。  ダンジョンの、壁の中に何かがいる。  その何かは、数本の触手を伸ばしている。青緑色で、奇妙な赤黒い斑点がある。  そのひとつは、暴れ狂うカドモスを縛り上げ、先端近くが何本にも分かれて口からも鼻からも侵入して何かを吸い上げている。  もうひとつはブラックライノスで同じことをしている。  もうひとつの犠牲者は、54階層で稀に見るアブラムシのモンスター。針を刺して血を吸うだけ、50階層台にしては弱いが、次々と尻から子を産む単為生殖で恐ろしく繁殖が早く、別のモンスターを引き寄せるので時には怖い。  カドモスの強竜が力尽き、灰と化した。その魔石を触手が吸収する。ブラックライノスも後を追う。  壁から、巨大なキノコが生えた。キノコと言っても動物の内臓のようにも見える。  ダンジョンそのものが膨大な力を吸われた気配がある。  そのキノコが噴き出した無数の、野球ボールぐらいの何か……それが壁に当たると、壁がもごりとふくれあがる。言葉にできぬ、人に聞こえる限界を高低とも圧倒的にぶっちぎる悲鳴が響く。  出現したのはケンタウロスのような怪物が百体近く。竜のうろこと頭部、長い長い竜の尾のような両腕、サイのような四つ足の胴体。  その腹からは奇妙な液が迷宮の床にしたたり、その水たまりが迷宮の壁のように破れて新しく同じ怪物が出る。 「キメラを、人工的に作った?あの羊のようなケンタウロスはこれの準備?」  アナキティがつぶやく。  さらにベートたちの後方から、やたらと硬い極彩色のザリガニが膨大な群れを成して襲う。加えて多数のブラックライノスが、ザリガニと食い合いながら襲ってくる。 「ぶっぱなせ!」  ベートの叫びとともに、メルカバの120ミリ主砲が咆哮する。目標はキノコ。  強烈な多目的砲弾を、一体の怪物が自分の爆砕とひきかえに止めた。  誰かが指揮をしている。……奥のフーデッドローブ。 「ぶっ殺す!」  ベートが叫びとともに疾走する。そのベートをすさまじい衝撃が襲う……ケンタウロスもどきの長い鞭腕。人間が4メートルの槍を持つより間合いは長い。  レベル6のベートが受け止めるのが精いっぱい、それほどのパワー。しかも鋭く硬い棘があり、のこぎりで切られたような傷をつける。カウンターで放たれた大口径弾が竜のような鱗に覆われた胸に命中するが、わずかなへこみだけ。動きを止めもしない。  ナメルの30ミリRWSが咆哮する。当たればさすがに一撃で終わる、だがすばしこい敵にはなかなか命中せず、連射も遅い。同軸固定されて放たれる12.7ミリガトリングの雨も同じく命中しない。  4人のレベル5が、それぞれの武器を構えたところに強襲。撃つ余裕がないほどの速度、圧倒的なパワー。 「食い止めるっす!」  ラウルの叫びとともに、椿の着剣ライフルが敵の足をすくい、全力の突きが胸にぶちあたる。貫通できていない、だが足止めにはなっている。  アナキティも同じく、強烈な鞭打ちをすさまじい速度でかわし、懐に飛び込んで打ち終わったわきの下に銃弾を叩きこむ。効いていないが即座に槍が目を襲い、顔をかばった瞬間に別の手が投げた対戦車手榴弾、爆発とともに成形炸薬弾頭が胸に風穴を開ける。  アリシアはその間に、ナメルの荷室に駆け戻る。より強力な武器を取り出すために。彼女を追う敵を、A-10と同じ30ミリ弾が消し飛ばす。  ベルが見たものは、恐れを通り越したものだった。  黒い巨竜。その前に積み上げられ、腹を減らした大型犬が大袋一杯のドッグフードを一瞬で空にするように食われた軽トラック一杯分の魔石。  極彩色のザリガニの、ひときわ巨大なものが多数。  そして緑の胎児を宿す宝玉……  止めようとしたアイズの突進はわずかに遅かった。胸に魔石を持つ怪人が投げたそれが、カドモスの強竜、しかも強化種の胸に吸いこまれる。  ビーツが素早く判断してリューのトラックに駆け戻り、大きな業務用チョコレートと4リットルのオリーブオイルを次々と食べ飲んだ。 「ベル、長文詠唱。それまで守る」  アイズとビーツが立つ。リューもトラックを降りる。強大にもほどがある悪夢……あの『隻眼の黒竜』を思わせる絶望に。アイズの背中がすさまじい熱を帯びる。 「……ゴライアスを捕えてくるとはな」  フィンが呆れた。  目の前で、両手足すべて義足の奇妙な女が奇妙な道具を操る。  手にあるのは、皮部分の厚みが常人の身長より厚く、長い長い毛が生えた毛皮の一部。  さらに緑の胎児を宿した宝玉。  空になった、膨大な容器。 「ギャーアアアア!フィン!フィン!キーヤヤアアアア!ベヒモス!ドロップアイテム!」  奇声を上げる女…… 「ヴァレッタ・グレーデ?」  フィンがつぶやく。確かに殺したはず。14.5ミリを何発も、さらに20ミリ。ばらばらになっていた。 「……上半身と下半身がバラバラになったオリヴァス・アクトが、胸に魔石を持って復活したというな。なら……撃て!」  フィンの号令とともに、8門の25ミリ機関砲が咆哮する。  だが、天井の扉から大量に落ちた食人花が弾幕を一瞬阻み、その間に儀式は完成される。  階層主・ゴライアス。  レベル5をさらに怪人化したもの。  三大クエストの一つ、ベヒモスの一部。  それが『神秘』によって作られた、恐るべき魔道具でひとつの怪物として、緑の胎児……穢れた精霊に寄生される。  すさまじい魔力とプレッシャーが吹き荒れる。  そこにあった人型は、意外なことに巨大ではなかった。せいぜい身長2メートル程度。  分厚い、赤い毛皮に覆われていた。  極太の太腿と腕。  あの、美しすぎる穢れた精霊の顔。 「ティオネ、射撃。ティオナは大盾、ポーションを運んでくれ」  フィンは、レベル6を足手まといと断じた。  ソロが『ふくろ』から膨大な25ミリ弾を出した。ただでさえ大量の弾が積まれている装甲兵員輸送車ベースの自走式対空砲に追加する。  ティオナが装甲車から、普通の扉ぐらいある不壊属性の大盾を外す。  突然の激烈な突進。ガレス・ランドロックが振るう斧がガラスのように粉砕され、本人がサッカーボールのように蹴り飛ばされた。  即座にフォローした武威の腕と、強大な腕がまともにぶつかる。衝撃波だけでかなり離れた自走式対空砲が、大きくずれる。  ちょうどそのころ。地上の、オラリオからかなり離れた、三大魔境の一つと恐れられる地。  そこを、赤い髪の豊満な身体をした女が訪れていた…… >四闘 *バロールやベヒモスの能力は独自設定です  熊のような、あるいは猿のような毛皮の巨体。『穢れた精霊』の美しい顔なのが、違和感を通り越して吐き気がする。30センチもあろうかという長いカギヅメ。並みの男の胴より太い腕と太腿。  その太すぎる腕が振るわれる。  武威は目を閉じ、最大出力の『武装闘気(バトルオーラ)』を食った体で歩いた。泥の中を足を滑らせて歩くように。  触れた。その瞬間、沈めた腰に力を爆発させる。肘をほぼ真横に突き出す。  武威は『戦争遊戯』で、自分が武神から習った技を盗ませたアステリオスが、その技を攻撃に使ったのを見た。また見事な駆け引きでベル・クラネルを破るのも見た。 『バベル』で鏡やテレビを通じて見ていた武神タケミカヅチは武威を呼び、 「攻撃を学びたいのだろう?今のお前より、腕力も速さも少し上の相手や、巨大な怪物とどう戦うか、考えているな?」  と図星を突いた。  それから、武神自ら眷属たちとの稽古を見せた。ヤマト・命を含むレベル2が4人。  武芸百般、槍・刀・斧・短剣、拳・投げ・蹴りすべて。次の日には複数連携攻撃も。  タケミカヅチが武威に教えている単純な套路の、その中でも数手の技だけですべて倒した。零能の人の身、ベンチプレスの数値は武威どころかレベル1の眷属と比べても桁外れに劣るのに。  カウンターで肘打ちから足払い、転んだ相手の首や頭を蹴る。レベル2の理不尽な耐久がなければ確実に死んでいる。 「先の『戦争遊戯』でも多くを学んでいるはずだ。あとは今見せたものが補助線となろう」  タケミカヅチが言った通り、武威の中で湧こうとしたものが形になった。  そのまま武威は頑丈な訓練場で、桜花を練習台にタケミカヅチがやった技をゆっくりと寸止め稽古した。 (今日の帰りに、今の自分より腕力が少し強い敵に襲われても……)  なんとか生き延びられる動きを、身体に刻みこんだ。  心臓に肘、膨大な気を栄養剤として爆発的に増した妖気を身体と、技と一体化させて。  その呼吸が、オッタルが自分にやったのと同じだったことも思い出される。 『気』を使う技術では同等かそれ以上と言えるビーツの動きも思い出す。  そして前の世界での、技の極みであった幻海の動きも。  一瞬、突進力と全身での肘打ちが拮抗する。  転瞬、 (大型爆弾か……)  というほどの衝撃とともに、毛皮の巨体が後ろに少し吹っ飛んだ。  その、着地するアキレス腱をソロの電光を帯びた剣が突く。精密に。 「この線に誘導」  フィンの叫びを、言うまでもなく聞いている。  8門の25ミリ機関砲。敵の耐久、力、敏捷ともすさまじいが……  そのとき、『穢れた精霊』の頭部が超短文詠唱を刻んだ。  毛皮の巨体が、腕や太腿、胸や背の筋肉が倍にも膨れ上がる。桁外れの自己強化……  レベル5なりたてのアリシア・フォレストライトが取り出したのは多数の対戦車手榴弾と、大型対物ライフルのサイズだが水平二連のブルパップ式ライフルだった。やたらと口径が太く、銃身が厚い。中折れではない、大砲と同じ垂直鎖栓式。  機関砲弾と成形炸薬弾頭では、少なくともRHA……鋼鉄装甲に対しては成形炸薬弾頭の方が桁外れに貫通力が高い。  A-10の30×173ミリでさえ8センチ弱。  それに対してパンツァーファウスト3は70センチ、対戦車手榴弾RKG-3でさえ22センチある。  常人が至近距離で対戦車手榴弾を使えば自分も爆風で死ぬが、上級冒険者なら耐えられる。  巨大で、特にしっかり脚をつければ何トンにもなる機関砲より軽い。機関砲の優位は連射でき、一発が使い捨て対戦車ロケットと比べれば軽くかさばらず、安く、射程が長いことだ。  ダンジョンでは射程はさほど必要ではない。  多数の対戦車手榴弾を高レベルの冒険者が運用する、それが選ばれた戦術の一つ。  もうひとつの切り札。  小さい『クロッゾの魔剣』と水を発射薬にした銃……口径は65ミリ、銃身長はわずか110センチ。だが、銃口初速は火薬の限界を超える2500メートル毎秒以上、APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)のみの弾頭の重さも76ミリ砲のそれに匹敵する。タングステンとアダマンチウムの粉末合金で、貫通力は105ミリ戦車砲に迫る。  火砲とは桁の違う超高圧に耐える銃身と閉鎖機構は椿たち【ヘファイストス・ファミリア】高レベル幹部がふんだんにオリハルコンと瓜生由来の素材を使って作ったもの。  そしてその桁外れの反動は、レベル4でも大怪我をする。レベル5でもものすごく痛い。  プレス製法で、弾数は充分にある。  アリシアにとっては胸が煮えくり返るようだ。エルフたちがどれほど『クロッソの魔剣』を憎んでいるか……だが、鍛冶師としてのヴェルフの真摯な姿は、味方としても敵としてもよく見ている。  次々と轟音が響き、桁外れに強いケンタウロスが胸を貫かれる。 「戦車に誘導!」  ラウルの叫びとともに、ひるむ敵をアナキティが誘導し、操作する。  戦車に向かう攻撃は椿が真正面から長巻をふるって食い止める。  そしてベート・ローガは、敵の頭を狙って突撃する。速度がどんどん増す。被弾も構わず。速く、速く、より速く……そして足のメタルブーツに、別の剣帯から抜いた小さな魔剣を触れさせる。  桁外れの稲妻がほとばしる。『クロッゾの魔剣』。  膨大な機関砲が、多数の敵の泥流を消し飛ばす。  一発一発が轟音と膨大な砲口炎、衝撃波を周囲にぶちまける。硝煙が高熱で渦を巻いて立ち昇る。  巨大な溶岩の怪物が、手榴弾のように炸裂し、その後ろのタイゴンファングが致命傷を負って倒れる。  そしてひときわ巨大な巨人の胸に、額に、最大の砲が向く。  メルカバの120ミリ滑腔砲。  Sタンクの105ミリライフル砲。レベル7のリヴェリアが、素早く腕力で左右を調整した……戦車を持ち上げるぐらいは造作はない。  叫びと、そしてすさまじい砲声ともに、周囲を砲口炎が満たす。高レベル冒険者の目でも見切るのが困難な、初速1700メートル秒のタングステンの太矢が巨人の頭に……  消し飛び……瞬時、それどころか消し飛んだところが見えないほど短い時間で回復する。一瞬も足を止めもしない。  誰もが衝撃を受ける。強大なAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)が通用しない……  もっとも強い衝撃を受けたのは瓜生だろう。そしてその恐怖は手の操作になり、瞬時に数百の30ミリ弾が、57ミリ艦砲級弾がぶちこまれる。  まったく通じない…… 「魔剣!」  リヴェリアの叫び、何人もの冒険者が使い慣れた、大幅に安くなった魔剣をふるう。炎が、氷が突き刺さり……止まらない。  巨大すぎる巨人。絶望。  戦車のように大きな拳が陣に突き刺さろうとする……  巨大な盾を構えた少年が立ちふさがった。 「トグ!」  桁外れの打ち下ろし。爆発のような衝撃が周囲に満ちる。  少年は立っていた。ふくれあがった筋肉で全身をよろって。 「あれは……自己呪詛だな」  リヴェリアが瓜生とリリに言った。 「階層主バロールは、呪詛の魔眼を用いる。それを自分に使い、たとえば刃では決して傷を負わないかわりに棍棒には脆い、とできる。  以前は白兵戦が完全無効で、苦戦したことがある」  アイズ、アマゾネス姉妹、ベート、フィン、ガレスの全員が無効。魔剣と、急遽大盾を構えたガレスとティオナが防ぎきり、リヴェリアの呪文で葬った…… 「飛び道具と魔法、両方に絶対耐性をもち、その代わり白兵戦ではランクダウンしているだろう……」  言ったリヴェリアが手を伸ばす。エルフが、身長の倍ほどある棒をさしだす。 「後衛とはいえこれでもレベル7だ。【ヘスティア・ファミリア】のレベル3に頼り切るわけにもいかん……」  そう言ったエルフの超美女が、すさまじい速度で階層主に突撃する。  それ以外の怪物たちは、膨大な機関砲の嵐であらかた消えたと見える。  巨大すぎる『カドモスの強竜』が、二足歩行と化す。前腕は人のように長く、親指は人がマチェーテを持つ程度に長く鋭い爪。牙をむいた額の上には美しすぎる『穢れた精霊』の身体。  すさまじい咆哮がすべてを打ちひしぐ。 「訓練通り、詠唱阻止に専念します」  リュー・リオンは大型のライフルと多数の対戦車手榴弾を手に、『疾風』の名の通り駆けた。 「【目覚めよ(テンペスト)】」  アイズの超短文詠唱、すさまじい風が吹き上げる。  素早く詠唱を終えた春姫の、黄金の鎚がふりかかる。春姫はすぐに次の詠唱にかかる。  ビーツが『気』をまとい、戦闘力5倍で打ちかかった。  ベルとレフィーヤは長文詠唱。  すさまじい勢いで振るわれる前腕と、噛みつきの連続攻撃。後ろから攻めるビーツを尾が襲う。引き裂かれたのは残像、彼女は柔らかく飛び乗っている。  ビーツの動きが何とも違う。柔らかく、先がある。 『戦争遊戯』でアレン・フローメルとの因縁の再戦で、ふたたび負けた。 (勝つことより強くなることを優先してしまった……)  からだ。  すさまじい悔しさ、人の枠を破るほどの。  そのすべてが、桁外れの天才とともに彼女を成長させた。  勝利する。すべての呼吸、どんな小さな筋肉の動きも、味方も、すべてを勝利のために。  瞬時に強大な敵を理解する。味方の戦力を理解する。  あとは、深く一致させた自分の気と肉体を、勝利への流れに合わせるだけ……  アイズ・ヴァレンシュタインの『リル・ラファーガ』を打つタイミングを作る。  ナメルの30ミリ機関砲にとって狙いやすく、また装甲車を攻撃させない。  そして敵の足に、肘に、確実にダメージを浸透させる。ふと槍を手放して飛び込み、ごく柔らかな拳を入れる。内部に『気』が浸透する。  強化種、カドモス、さらに『穢れた精霊』のとてつもない力と敏捷を、まったく相手にしない。どれほど速く攻撃してきても、すべて紙一重でかわしている。  金色の光をまとったアイズ・ヴァレンシュタインは鎧と不壊属性の大剣で、果敢な攻撃を繰り出している。急速に以前とは変わっている。自分よりはるかに強い相手を何人も見た。  そして背後で、すさまじい力が凝縮している。  ベル・クラネルのチャージが続く。レベル4、4分間のチャージ。それに長文詠唱。  レフィーヤも長文詠唱を続けている。  対抗して呪文を唱えようとする、巨大竜の肉体を持つ『穢れた精霊』の美しい顔を、詠唱終了直前に『疾風』の対戦車手榴弾と超強力な手持ちライフルが射貫く。  確実に魔力暴発(イグニス・ファトス)を起こさせ、体力と魔力を削る。  同時に何十発も30ミリ機関砲弾は命中している、それでも巨竜は動きを止めない。  ベルのチャージが終わる直前、春姫の妖術でベルの身体が輝いた。 >強大  カドモスの強竜、しかも強化種に魔石を大量に食わせてから『穢れた精霊』を寄生させた超怪物。20メートルを超える巨体、にもかかわらず第一級冒険者のようなスピード。その体躯からの予想を大幅に上回る力。30ミリ機関砲を浴びてゆるがず戦い続ける装甲とタフネス。  手の巨大な爪。足の鉤爪も巨大だ。尾も、長く敏捷な首の先のあごの鋭い牙も、すべてが恐ろしい。  リュー・リオンが必死で詠唱を阻止しているが、彼女が補給のためアイズと交代する一瞬で短文詠唱が完成する。ホーミング型の炎の矢が口元のブレスと融合し、ビーツやアイズを襲う。  ビーツはある意味盾として、ベルやレフィーヤ、装甲車を守り続けている。  春姫も連打で精神がボロボロ、大量のハイ・マジックポーションでかろうじてマインドダウンを免れている。歌い続ける。  アイズ・ヴァレンシュタインは困惑していた。ビーツのあまりの強さに。  見る限りでは、特にとんでもない活躍をしているという感じではない。  むしろゆっくりとかわし、受け止めているだけだ。  腕が、頭が大型トラックをしのぐ巨大さ。音速に迫る速度。それを。  槍はあっという間にダメになった。それからの素手がすさまじい。拳で、巨大竜の爪を、長い首を、音速を越える尾を打ち流している。  操っている。  巨竜がブレスを吐こうとしたときの身じろぎは、かならずナメルの30ミリ機関砲に喉をむき出している。そうなるようにビーツが位置取りをしている。強烈な砲弾が炎を暴発させる。  全身での突進を、右拳ひとつで方向をそらし、次いで打ちこまれる左拳が巨体を半ば浮かせ、かなりの時間動きを鈍らせる。  受けるときに同時に、巨体の重心を崩している。どれほど力があっても、巨体が高速で動いているのが崩れれば、再び動き出すには莫大な力と時間が必要。  桁外れの再生能力、それをかなり消費させ、その間動きを鈍らせるほどの内部破壊。 (力・敏捷はベートさん、いやオッタルさんに迫る。腰を使って相手の重心を崩す技を毎回使っている。あの技はオッタルさんが使った。動きの無駄のなさはソロさん。超速フットワークはベートさんからも、アレンさんからも。腰から力を伝える流れはベル)  アイズには見える。  ビーツは多くの敵や仲間からすさまじい才で技術を吸収し、そのすべてをひとつの基礎突きに統合している。第一級冒険者をしのぐ戦闘力がある。 『戦争遊戯』が祭りになって、アイズやベートはビーツとも少し戦った。なんとか勝ったが、 (じてんしゃでも、でっどりふとでも、私よりこの子のほうが上)  そのことはわかる。  自転車というのは鍛冶ファミリア特製エアロバイク、大型トレーラーを引いて急坂を登るような負荷で12時間以上漕ぎ続ける無茶だし、デッドリフトはトン単位だ。  ホーミングで飛んでくる、ブレスと超短文詠唱が融合した炎の投槍を、『気』を帯びた拳が撃墜、消滅させる。それ自体もとんでもないことだ。  アイズの動きはまさに八面六臂。複合竜の攻撃からベルとレフィーヤ、二両の装甲車を守る。  ビーツの戦いをフォローする。  リューが補給に動くとき、交代して詠唱を阻止する。リューには補給が必要だ。特にかさばる対戦車手榴弾は。  何十も沸いてくる食人花やザリガニを瞬殺する。  勝利のために役割を果たす。ただ強くなるために、復讐のために勝手に戦うのではなく。 (勝利よりも、強くなることを優先し、踊らされ負けた……)  ビーツの姿は、彼女にとって他人事ではない。瓜生が残した記録映像で、ビーツの敗北も見た。  時間を稼ぐ。必死で。  長文詠唱が続く。 「【吹き荒れろ(テンペスト)】」  アイズの詠唱が重なり、身体をまとう風が猛り狂う。超巨体の尾をはねのけ、硬すぎる鱗皮を切り裂く。  30ミリ機関砲は、ランクアップ前のアマゾネス姉妹が10人いるほどの攻撃力を発揮し続ける。それでもこの敵に致命傷を与えるには遠いが。 (120ミリ戦車砲でも……)  ほどの鱗皮であり、多くの弾を回避撃墜するほどの敏捷なのだ。  リュー・リオンは、多量のプラスチック爆薬を詰めた対大型用粘着弾も、直接腕力で投げつけ始めた。大量の爆薬が表面で広がって起爆する。  また、対戦車ロケットの弾頭部を手榴弾に加工した巨大なものも使う。常人が投げたら爆風で死ぬが、レベル5なら耐えられる。  弾薬と爆薬はトラック一杯分ある。ひたすら超速で攻撃を続けるだけだ。 「【…どうか、力を貸し与えてほしい。エルフ・リング……」  レフィーヤが詠唱をつなぐ。異界のハーフエルフの極大呪文を召喚する。 「ジ・エーフ・キース、神霊の血と盟約と祭壇を背に、我精霊に命ず、雷よ降れ、轟雷(テスラ)!】」  レフィーヤの呪文が先に完成する。  素早くビーツ・アイズ・リューが飛びのく。  魔法円からすさまじい稲妻が放たれる。  普通の、天然の雷が槍ぐらいの太さとすれば、この稲妻は電柱のように太い。普通の焚火の炎と、アセチレン溶接炎ぐらいに温度……電圧も違う。  生物が暮らす地球型惑星では発生できない規模……木星型惑星で発生する雷電にも匹敵する超雷撃。  打たれながら、超怪物は前進を続け……ベルとレフィーヤを叩き潰そうとする腕を、ビーツの一撃がそらした。だがその瞬間、巨大な足が小さな彼女を踏み潰す。  彼女は腹に、ホーロー瓶でエリクサーを呑んでいる。身体が一瞬で潰れると同時にビンが破れ、エリクサーが全身に広がる……瀕死どころか即死同然の状態から瞬時に回復、同時に桁外れのステイタス上昇。  巨体を放り投げ、倒れた腹に基本通りの拳が突き刺さる。 「【……ジ・エーフ・キース、神霊の血と盟約と祭壇を背に、我精霊に命ず、雷よ降れ、轟雷(テスラ)……ヴァジュラ!】」  ベルの長文詠唱も一拍遅れて完成する。  膨大な雷電、レベル3でも目が潰れるほど、近くが燃え上がるほどの光が凝縮する。  アイズが、ティオナから買った大剣と以前からの愛刀『デスペラート』、二刀で全力の突きを放つ。狙いは足の関節、動きを止めること。そして全速で離脱する。  短文詠唱を完成させようとした、背の美しい緑の女をリューの木刀が貫き、ほぼ同時にパンツァーファウスト3用の弾頭がゼロ距離で叩きつけられる。爆音の中でも聞こえるほどの絶叫、爆発を上回る魔力暴発。  ベル・クラネルが静かに振りかぶる。  そこに尾の先端が、超速で迫る……だがそれをビーツの腕が阻止する。なんでもないような、さりげない動きにとてつもない威力が凝縮している。トンファーのかわりに、肘から手の甲までがっちりと守る安価不壊属性の籠手の威力でもある。  転瞬……  ベルの速度が一気に開放される。光刃が、むしろゆっくりと落ちる。  完璧に限りなく近い刃筋。  すさまじい閃光が炸裂する。刃に上乗せされ、すべてを断ち切る。  止まらない。ベルは足を止めず、竜の足の指の一本、特大の鉤爪を振りかぶりで受け流した。直後加速しての一撃が足を深く斬る。  皮一枚を残して体が両断されているが、それでも超竜はまだ動いている。  斬り続ける。一歩ごとに深い深呼吸とともに体幹に力を蓄力(チャージ)し、無駄のない振りかぶりから腰だけで刀を落とす。斬りながら短文詠唱を終え、次の稲妻を刀にまとわせて斬る。  その傷をアイズが広げる。  リューは自分の役割を見失わない。詠唱阻止、それだけに全力を集中する。  砲身が赤熱した機関砲から、60ミリ迫撃砲にナメルの兵器が切り替わり、超高温のテルミット焼夷弾が短射程だが連発される。  いつのまにか、半ば崩れつつある胴体を足場にビーツが立つ。いつも通りの一撃……馬にまたがるように深く腰を落とし、急停止をほぼ真横に放つ左拳に集約する。  いつのまにか。自然で流れるような動きで、敵の急所をとらえている。それでいて、強烈な震脚は鋼より頑丈な竜体の相当部分をぐちゃぐちゃにしている。  水がしみこむように、自然に、柔らかく『気』が浸透する。  それにベルの、雷電を帯びた剣が融合する。  同時に、緑の美女をアイズが貫く。  巨体が崩れ落ち……そして大量の力があふれ出す。膨大なものを貯めたタンクが壊れたように。それがダンジョンの壁に吸われる。  ダンジョンの奥が振動する。  壁が砕け、いくつも黒い蛇が出てくる。太さだけで人の身長を越える、長さはどれほどか……  そこに、30ミリ機関砲が放たれる。だが奥の無事な怪物が牙からはいた毒液が機関砲にかかり、巨大な鉄塊が紫色の炎に包まれる。  素早くアイズが遠隔操作砲塔を切り離し、装甲車本体は無事。  リュー・リオンは激しい疲労と多くの傷を押して、トラックに走った。まずオリーブ油の大ビンふたつとスポーツドリンクのペットボトル、スパム缶をビーツに渡す。彼女はあっという間に飲み食べつくした。  アイズとベルにも多量のハイ・デュエルポーション。  そして大量の兵器を担ぐ。  ベルはかなり傷んだ刀を背に納め、安価不壊属性の予備を抜き、深呼吸する。ランクアップのおかげで、以前は力尽きていた長文詠唱呪文ののちも動ける。  そして蹂躙がはじまった。  人工迷宮に巣食う闇派閥は、戦力の多くを消耗していた。 【ロキ・ファミリア】の2度にわたる強襲があった。最初はイシュタルの横槍もあり、『穢れた精霊』を牛の怪物を用いて浪費する羽目になった。2度目はエルフを主力とした機械化小隊、地下から鍛冶師や異端児(ゼノス)も攻めてきて、ディックスをはじめ【イカロス・ファミリア】の主力がごっそりやられている。 『豊穣の女主人』をディックスが襲撃した報復として、【フレイヤ・ファミリア】の襲撃もあった。  ただ通り抜けるだけだったが、アステリオスも膨大な戦力を食いちぎっている。  今、非常識で桁外れな少数の敵の恐ろしさを思い知っている。  逆に、フォン・ディムナはそれをこそ狙っている。無限の物量と富、多人数を活用し、闇派閥に消耗戦を挑んでいるのだ。消耗戦だと気づかれないように。  三大クエストの一角であるベヒモスのドロップアイテムを使った。その力のかなりの部分に第一級冒険者の経験と技を持つ、『穢れた精霊』をぶつけた。  圧倒的なステイタス。人間の身体に収まる分、 (巨大であればいい的……)  がない。  それが短文詠唱で、自分を強化した。桁外れに。  8門の25ミリ機関砲、1秒で80発の徹甲弾を、微動だにせず耐え抜く。毛皮が弾頭を滑らせそらせる。 「70%……いや……」  武威がつぶやく。  この世界にくる以前、相棒の鴉とともに戸愚呂兄弟に挑み、80%の戸愚呂(弟)に今も額に残る傷をつけられた。  当時の自分なら、今目の前にいる敵に勝てるかどうか。  レベル7のオッタルやフィンでも、腕相撲ではチワワほどでもない武威にとって、初めての脅威だ。  ふくれあがった腕と鉤爪からのすさまじい連撃、武威はすべてにカウンターで肘を入れている。いくつかはさばき損ねて直撃しているが、動きそのものが敵の攻撃を芯を外して半減させ、身体と一体化した『武装闘気』の防御を貫かせてはいない。  そしてソロとフィン、レベル7になったガレスが、丁寧に援護攻撃をする。  4人パーティでの無理な戦いに熟練しぬいたソロ。『勇者(ブレイバー)』の二つ名を否定する者がないほど指揮にも長じるフィン。なりたてではあるがレベル7に至った老兵ガレス。  少人数集団戦として最高峰を極めている。武威の圧倒的な力とまだ未熟な技を最大限に生かし、3人でアキレス腱に針を刺すような戦い方を続けている。  だが、新しい敵が出現する。逐次投入でひどいめにあった敵は、一気に戦力を投入してきた。  本体がどこにあるのかわからない。とにかく膨大な数の、複合怪物があふれ出てくる。  ベートたちが戦っている、両腕が鞭になったケンタウロスにも似ているが、ベースになるのは『カドモスの強竜』と『ブラックライノス』ではなくキラーアントと、47階層に出る狼の怪物と37階層のバーバリアンと思われる。硬い装甲がある。狼のような牙がある。長い舌を伸ばしてくる。  シルエットはキラーアントともケンタウロスともやや異なり、奇妙な不気味さがある。  とにかく数が多い。  また食人花も膨大な数ぶちこまれる。  8門の25ミリ機関砲の射撃が続く。8門、ひとつが3秒連射し、別の機関砲に交代して3秒……ローテーションが終わるまで21秒休める。それによって、間断なくずっと射撃を続けることができる。重い弾薬を高速で補充するのはティオネの役割。  そして広いルームに、何万と知れぬ敵があふれたところでソロの短文詠唱。 『ギガデイン』  ただ一言とともに、すさまじい稲妻が大量に落ちる。広域殲滅、しかも一匹一匹にかかる打撃が桁外れだ。 (リヴェリア以上かもしれない……)  と思えるほどの殲滅力。世界を滅ぼそうとした巨悪を葬った勇者が、さらに『恩恵』を得て強化された、桁外れの力だ。  50階層。膨大な『怪物贈呈』は、仕掛けた闇派閥ごと機関砲に全滅した。  ただ一体、極深層階層主バロールを除いて。  呪詛の力を自らに向け、飛び道具と魔法が完全に無効となったそれに、火器も魔剣も一切通じない。リヴェリアがランクアップで得た『高速詠唱』スキルも役に立たない。  トグが限界を超えた筋肉操作、安価な不壊属性で作られた盾斧を支え、リヴェリア自らが打ちかかっている。バロールも呪詛の代償として、絶対的な力や耐久は大幅に落ちている……それでもゴライアスよりずっと強いのだが。 【ロキ・ファミリア】の留守番組たちもその姿に奮起し、必死で打ちかかっては吹っ飛ばされている。  リヴェリアは駆け抜けざまに指示を残した。 「メルカバ、ナメル、Sの重装甲戦車のみ、体当たりせよ」  と。  体当たりなら飛び道具無効ははたらかない。  射撃手や車長はできるだけ弾薬を抱えて降りる。操縦手だけがビルのような巨人の足を狙って重戦車を加速させる。  踏み潰そうとする巨足、支えのもう一つの足の膝裏をリヴェリアが薙ぎ、座った腰に大鉄塊がぶつかる。苦痛に暴れる巨人に跳ね飛ばされ、上下逆にひっくり返りキャタピラもちぎれて使い物にならなくなる。  瓜生はその背後で、巨大なものをふたつ〈出し〉た。  ひとつは鋼板ロール。製鉄所が出荷する、鋼鉄板の超巨大トイレットペーパー。圧倒的な重さと頑丈さがある。  そして、超大型のブルドーザー。それに初期電源をつなぎ、給油している。膨大な燃料油を巨体は貪欲に飲み干す。高さ5メートル、長さ10メートル以上……家のような大鉄塊。  リヴェリアが長い木棒で強打を与えて飛びのき、反撃をトグとメルカバが受け止める。  太く長い鋼の砲身が棍棒のように振るわれ、それを巨人は痛みに顔をしかめながらつかんで投げ飛ばす。 「道を開けろ!」  声とともに、ブルドーザーが突進する。鋼の分厚い板を掲げて。  座ったままのバロールが四つん這いになり、頭から突撃する。  ローギアで限界まで加速した巨大ブルドーザーがまともにぶつかる。鋼のブレードが大きくへこみ、頑丈な車体が潰れる。  瓜生にも桁外れの衝撃が襲う。常時発動の魔法の鎧、それを増幅する高価な鎧がダメージを軽減する……それでもそこらの交通事故ぐらいの、肋骨や内臓がいくつかやられる水準の傷を負う。  リリがその身体を引っ張り出し、ハイポーションを飲ませた。  さすがに頭に大きな傷を負い、痛みに咆哮する巨人をリヴェリアが襲う。  かまわず陣に向かおうとする巨人だが、巨大な鋼の塊と、トグの盾と魔法が邪魔になる。  そして【ヘファイストス・ファミリア】がその場で作ったとんでもない兵器を持ったヴェルフが走った。ちょっとした冷蔵庫ぐらいの何か。  先ほど戦ったケンタウロスのドロップアイテムであるランスを利用した、一発使い捨てのパイルバンカー。  それをつかんだヴェルフが巨人に突貫する。  リヴェリアとトグが援護した。死体に紛れた状態からヴェルフを襲おうとした闇派閥の女がリヴェリアに阻止され、叫びとともに自爆する。  杭がつきつけられ、『クロッゾの魔剣』が薬室内で咆哮。超高速で叩きつけられた杭が、巨人のこめかみをぶち抜き、脳を粉砕する。  巨体がゆっくりと、ゆっくりとくずおれていく。  無数の傷。  カドモスの強竜から力を吸った、多数のケンタウロスの腕鞭が、次々とベートを傷つけている。  完全にはよけない、速度を殺さないため。傷を負いながら前進する。怒りを、闘志を限りなくふくらませて痛みを越える。  後方から援護がある。120ミリ戦車砲、すさまじい威力の徹甲弾が、また多目的榴弾が次々と敵を粉砕し、爆風で道を作っている。  破片が巨大虫を破裂させ、大量の溶解液が同士討ちを作っている。  30ミリ機関砲も正確な援護で道を作る。  背後では、4人のレベル5というそれだけでも反則的な戦力が、新兵器を手に激しく戦い続ける。対戦車手榴弾の成形炸薬弾頭が、圧倒的な貫通力で固い鱗を貫く。  アリシアとラウルは巨大な銃を操っている。  椿とアナキティはそれを活用して有利な位置を取っている。椿が渾身の技術で打った刃が固い鱗を切り裂く。  きわめて高い水準の集団戦。  ベートが前進する。ラウルは戦いを捨て、強力なライトを手にして指揮に専念し始めた。  ライトが一瞬照らすところを、素早く戦車の巨砲が向いて咆哮する。  ラウルが目を見開く。次にベートが走るのは、あまりにもむちゃくちゃなイチかバチかだ。事実上確実に致命傷、だがそれ以外に血路はない……  椿とアナキティも、ラウルの指示に背の銃を抜く。  メルカバ車長のリーネが大型の対戦車ミサイルを手に、ハッチから身を乗り出した。 「ファイア!」  ラウルの叫びとライト。  ラウル・アナキティ・椿・アリシアが発砲した、『クロッゾの魔剣』を用いる超高速徹甲弾。  リーネの大型対戦車ミサイルと、メルカバの主砲。  ナメルの30ミリ機関砲。  すべてが集中する。圧倒的な初速でベートを追い、その蹴りとともにすべての敵を粉砕する。 「があああっ!」  対戦車ミサイルに自分から踏み込み、爆発に吹き飛ばされて加速したベートがフーデッドローブに蹴りを叩きこんだ。 『クロッゾの魔剣』の膨大な魔法がこもった蹴りを。 「ここだ、ぶっこめ!」  ベートは叫び、対戦車手榴弾を投げた。  キノコ……フーデッドローブを狙ったのも牽制。  メルカバの主砲がふたたび咆哮する。  フーデッドローブが慌てて手を振るが、周辺のモンスターはすべてベートに集中していた。  無数にモンスターを吐き出し続ける塊が、聞くだけで発狂しそうな叫びとともに貫通され、崩壊する。  ベートは瓜生に敗北した。『群れ』の究極に。 (負けた、弱えっ……)  極限を越えた悔しさ。昔失った群れのことも思い出さずにはいられない。  群れの長……その立場には、たとえ小さい群れでもなりたくなかった。  だが、孤狼は、孤独であるというだけでも弱者なのだ。それを認めざるを得ないのだ、弱者の身体でありながら『群れ』で作った道具を駆使し、大集団で戦うように自分たちを追い詰め踊らせ撃破した瓜生……  群れを導き、使いこなさなければ、弱者だ。  弱者こそ、ベートは憎む。 (弱者であることに安住する……)  それだけは絶対に嫌だ。  自分が常に罵倒している、『恩恵』のおかげで常人より少し強いぐらい、いくらでも自分より強い者がいるのに威張っている雑魚どもと同類になることだけは、 (死んでも嫌……)  なのだ。 『戦争遊戯』の祭りで、アイズとともにオッタル、ソロ、武威らにぶちのめされた。徹底的に。ぐうの音も出ないほど。 (自分が弱者だ……)  と、骨身に刻んだ。 (弱者であることに安住する……)  ぐらいならば、なんでもする。指揮されることも。群れが勝つために捨て石になることも。群れを操ることも。  どれほど、叫び出したいほど憎いか。どれほど悔しいか。どれほど腹立たしいか。  すべて敵にぶつける。  そして心の中にいる、小さな冷えた戦士が群れを操る。少人数の群れ、だからこそ精密に。ただ、敵の急所にタングステンの太矢をぶちこむ。  最大の武器は、メルカバの120ミリ主砲。それを最大に生かすために。  同時にベートは、繰り返しメタルブーツに『クロッゾの魔剣』の莫大な魔力を吸わせては叩きつける。  そのころ、別の勢力も人工迷宮を攻め始めた。  3両のSIDAM 25自走式対空砲、7両のトラック、膨大な火器で武装した『異端児(ゼノス)』の精鋭部隊。  そして巨大な剣を二刀に提げた黒い牛人、アステリオスが大量のポーションを背に、別方向から単独で侵入した。  群がるモンスターを弾幕が掃討する。25ミリ弾はやや節約し、敵の大半である食人花はゲパード14.5ミリ対物ライフルと【ヘファイストス・ファミリア】製のガスト式14.5ミリで十分だ。  レヴィスが出てきたら14.5ミリと25ミリの濃密な弾幕+目潰しレーザーで動きを止め、対戦車ロケット+牽引されている57ミリ機関砲でとどめを刺す、と決めて訓練している。  膨大な弾薬と食料。深層の魔石での強化。 >核  51階層で『カドモスの泉』を攻めた、アイズ隊とベート隊はそれぞれ装甲車に収穫を詰めて帰ってきた。  50階層の安全地帯は野戦病院だった。何人も治療中。  戦車や対空砲も破損が多く、瓜生が出した新品を無事だった者が初期整備している。点検し、燃料や油や冷却液を入れて最初のエンジンを人力やつないだ外部電源で入れ、弾薬を装填し、電子系を起動し、ここでの特殊な用途のために改造する。遠隔操作砲塔のついた装甲車を一人で操れるよう、操縦系とカメラの線を操縦席のタブレットにつなぎ、タブレットを設定しジョイスティックにつなげる。CIWSを地上に固定し、電源をつなげ、レーダーの線に割り込んで遠隔操作砲塔として使えるようにし、弾薬を装填し注油する。  また、無事だった者は食事を大量に作ったり、大規模な風呂施設を準備したりもあった。  激戦で鍋やフライヤーがひっくり返され壊れるなどもあったので、出し直した設備も多い。  激しい白兵戦で疲労がひどく、実はいくつか傷もあるリヴェリアも、指揮を一時委譲して休んだ。  全員、吸って飲むゼリー飲料・板チョコ・スポーツドリンクを配られ、最小の飲食をしている。  何十台も発電機が燃料を食い、電力を叩き出す。  巨大なテントの下で、テントを逆転させたような浴槽を作る。それに大量の湯を張る。  間違っても高貴なるリヴェリアをのぞかせないため、彼女は別のトレーラーハウスで、本来超高価なローズ・ジャスミン・ネロリ・カモミールのエッセンシャルオイルを使って入浴する。瓜生が出したものではなく、オラリオで買うとしてもリヴェリアの部下たちは王族にためらわず献上するだろうが。瓜生の故郷の何倍もの価格になるが、それでも。  他のメンバーの風呂にもしっかり入浴剤を入れる。  同時に大型の業務用フライヤーが、次々とトンカツ・コロッケ・メンチカツ・白身魚フライ・イカリングフライ・エビフライ・からあげ・フライドポテトなどを揚げ続ける。  鋳鉄コンロに置かれた寸胴鍋が煮え立ち、すぐに食べられるようにオートミールをゆでている。その隣では大きな炒め鍋で、油たっぷりのスクランブルエッグ。  別の寸胴鍋は豚小間切れとミックスベジタブルのシチュー、別の寸胴鍋はパスタ、別の広い大鍋は多数のレトルトカレーやレトルトパスタソース、……  多数の電子レンジがいろいろな食物を加熱している。  そこに、やっと待望の装甲車が51層から帰ってきた。  ボロボロ。  いくつも遠隔操作砲塔が壊れ切り離されている。  装甲が焼け、溶け、深く斬りつけられている。極厚の鋼が、セラミックが。  降りてきた皆も、死者こそいないが疲れ傷ついている。  さっそく治療と風呂、ビーツだけは山のような食物に飛びついた。  軽食を食べながら、何があったかの報告会。そして瓜生は割と元気だったレベル3から4の装甲車操縦者と、【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師と風呂上がりのリヴェリア、意地を張ったベート、リュー・リオンを交えて兵器の再検討を行った。  12.7ミリが、ガトリングで多数当てても通用しない敵。  さらに呪詛による飛び道具無効も……  莫大を通り越した収穫を装甲兵員輸送車に積み込み、壊れたものは訓練として修理した。  もちろん、51層で戦った異常な敵も、とんでもない魔石やドロップアイテムを大量に出した。極彩色の魔石は一般市場には出せないが、『ギルド』が普通より高額で買ってくれる。  そして空っぽになった40階層台を、装甲車のすさまじい速度で抜け、中層へ……  レベルが低い者たちが、大量の荷物を持って地上に向かう。  前回の反省から、装甲車のサイドアームは40ミリグレネードマシンガンを試してみている。アンダーバレルグレネードランチャーより射程が長い強力な弾、比較的小口径だが成形炸薬多目的弾も選べ、12.7ミリより貫通力は大幅に高い。弾はかさばるし弾速も遅いが。  弾幕は随伴歩兵が【ヘファイストス・ファミリア】製のガスト式14.5ミリ重機関銃で補う。  SIDAM 25自走式対空砲と35ミリ牽引連装機関砲も追加した。  また、最前線のナメルにドーザーブレードをつけた。極厚の鋼板、上級鍛冶師がダンジョン素材で打った大盾に比べれば弱いにせよ、盾になる。  だが戦力の高い者は車内で十分に休み、17層奥の出入り口から人工迷宮に突入した。瓜生が出した膨大な装甲車と弾薬で。  ポーションも、【ミアハ・ファミリア】と【タケミカヅチ・ファミリア】合同の中遠征で運んできて、合流し多数補充している。  ベヒモスのドロップアイテムやヴァレッタの死体を『穢れた精霊』を用いて統合した複合怪物と、フィンたち超少数精鋭の戦いは続いている。  アイズとベートを中心とした大遠征組も遠くで加わっている。  膨大な近代兵器を持った異端児(ゼノス)も膨大な数と戦い続けている。  アステリオスはまもなく異端児に合流した。事前に示し合わせていたように、あの牢獄があったところに。  異端児たちも、アイズたちも、誰かふたりは地震波に注意している。膨大な数の複合怪物と戦い続けながら。  特にアステリオスの奮戦はすさまじい。二刀……一刀は異端児の鍛冶師が打った超重直刀。もう一刀は椿たちが打った極厚極広の大薙刀。  どちらもすさまじい切れ味と頑強さで、主の圧倒的な力と敵のすさまじい硬さにも折れず戦い続けている。  アイズたちも、手持ち機関砲を使う戦い方がさらに洗練されている。  だが、バルカはかすかな違和感を感じていた。異端児たちもアイズたちも、どちらも膨大な数を平気で受け止めている。だが決して深入りしない、すぐ撤退できるところで戦い続けている。  それでも、大量生産できる複合怪物という新兵器を試すため、大量に注ぐ……  短文詠唱呪文で自分を強化した、巨体の人に近いシルエットの超複合怪物と武威の戦いは激しさを増していく。  武威は武神タケミカヅチに習った基本を忘れない。制御できなかった『武装闘気(バトルオーラ)』を、飛影が黒龍波を食ったように自分の身体に統合する。円に沿って歩く正しい身体の使い方で、正しく流す。  敵の力を受け流し、カウンターの肘に莫大な『気』を集約して急所に入れる。  動きが正しくなければ、莫大な『気』は暴発して自分を傷つける。  スピードがますます上がる。分厚いアダマンチウムでできた人工迷宮の床が足圧に大きくめくれ上がり、クレーターができる。アマゾネス姉妹の目では動きが追えない。フィンでも限界に近い。  仲間たちもフォローする。癒し、敵を牽制して休む時間を作らせる。敵が吹き飛ばされた一瞬だけ武威を交代させ、大型のロケット弾を投げる……プログラム済み、無数の子弾が短距離で爆発散布され、すべてが炸裂してライフルより圧倒的に速い自己鍛造弾の豪雨が降り注ぐ。さらに超高温のテルミット弾が多数打ちこまれる。すべてにノーダメージで飛び出す毛皮を一瞬だけガレスが食い止め、わずかな休憩に回復した武威がまた押さえる。  強撃に見事な受け流しと肘と投げが一体で決まった、ついに美しい毛皮をまとった超複合怪物が倒れた……そう思ったとき、天井が開いてとてつもない巨体が降ってきた。  食人花の母……太さが人の身長以上のツル植物。それが超複合怪物を飲む。  25ミリ機関砲弾が叩きこまれるが、多数の敵を盾にして扉から逃れた。  ぬるり、と巨体にもかかわらず俊敏にそれは消える。  さらに、食人花と、ケンタウロスのような昆虫のような複合怪物がどっと押し寄せる。  25ミリ機関砲が、ソロの『ふくろ』で無限の弾薬を補充されすべて殲滅する……  と、絶望が、数が来た。  馬サイズの毛が長い八本脚、狼の頭部がふたつの怪物が、千体以上。桁外れの速度。 「一体一体が、カドモスの強竜にも匹敵する」  フィンが嗤った。  機関砲が咆哮する。ソロが袋から取り出した、いくつもの手持ち改造25ミリ機関砲も……自走式対空砲と弾が同じなら扱いやすい。  だが怪物は、25ミリの直撃でも死んでいない。その長い毛皮、桁外れの強化。吹き飛ぶ程度だ。 「効いていない!」  フィンの言葉に戦士たちは機関砲を捨て、武器を手にする。  ソロのギガデイン、武威の肘がかろうじて通用している。  フィンの14.5ミリ着剣小銃が、長い針で耳の穴を刺すように精密に急所を貫き、やっと敵を無力化できている。だが敵はあまりにも多い……  アマゾネス姉妹も武器をふるうが、一体を倒すのにも苦労している。レベル6ふたりがかりでも。 「時間を稼いで」  フィンの言葉に、不可能を知りながらアマゾネス姉妹が、ガレスがうなずいた。  ソロが何発もロケット弾を放り投げる。プログラムされた子弾、多数の自己鍛造弾がばらまかれる……それも土砂崩れに短機関銃だが、スペースぐらいは作れる。  フィンはソロに目配せし、自走式対空砲からあるものを取り出す。人の身長の二倍ほど、太さは太腿ぐらいの、筒状の袋。それを持ってフィンは背にしている壁に張り付け操作した。  数秒後、爆竹のような爆発が壁のアダマンチウムに吸われる。壁は破れていない。  見ていた『目』の向こうのイカロスやバルカは嘲笑した。  装甲車の中のソロは緊張しながら、別のものを『ふくろ』から出す。  ひと抱えもある円錐形の金属。小さめの水爆弾頭、100キロトン。  重い。150キロ以上ある。  ごくり、と息を呑む。戻ったフィンもソロも、それを見ている。  フィンとソロが手早く、半分ずつのパスワードを入力する。何度も確認する。  押し寄せる敵……  ティオナとティオネが武器をふるい、少しずつ、じりじりと後退する。  ガレスがそれを必死で支える。 「5分前!」  装甲車を守るフィンが腕時計を見て、時間を叫ぶ。  武威がすさまじい威力の攻撃を続け、円を描いて歩き続ける。  同じ場所に。定められた場所に。  突撃ではなく集まる。それがどれほど苦しいことか……  集まる。戦いながら。  ある範囲にめちゃくちゃな連射を命じられた連装25ミリ機関砲が、自動で膨大な弾を吐き続け、銃身が赤熱し、白熱していく。限界無視の全弾連射。殺せない、吹き飛ばせるだけだが、それでも意思なき自動機械は撃ち続ける。  ティオナのウルガの、刃をなす超硬チップが次々と砕け鈍器と化す。  ガレスが棍棒として機関砲を振り回す。  武威の手刀にこもる『気』が刃となり、怪物を切り刻む。だが彼はひとりしかいない。 「1分前!」  フィンが叫ぶ。  ハッチを叩き閉めたフィンとソロが集合場所に飛んだ。その一歩にも何体もの敵を倒して。 「20」  フィンの声。  ほんの数秒、戦い続ける。自分たちに敵を引きつける。  全員が手をつなぐ。 「『リレミト』」  ソロの超短文詠唱が完成し、全員の姿が消えた。装甲兵員輸送車を残して。全員がダイダロス通りに出現し、全速で出口が形成する方向から離れ、事前に埋めてあった鋼板ロールの芯部分に跳びこんでふたをする。  知られている出入り口すべてのすぐ近くに、巨大な鋼板ロールが置かれている。被害を軽減するためだ。  モンスターたちはすさまじい破壊力で装甲車を破壊する。ひっくり返し、潰す。  数秒後、それが起きた。  核弾頭がとてつもない短時間で、超高熱の塊となった。  まず膨大な光が、すべてを蒸発させる。  巨大な熱はガソリンエンジンと同じく押す力となり、周囲のすべてを押し出す。巨大すぎる熱機関。  広大で天井も高いルームの中の怪物も、中の空気も、すべてが瞬時に万単位の温度に、莫大な圧力の気体として、周囲のすべてを押す。  一秒の何分の一という超短時間で。  さらに放たれた光は、壁のアダマンチウムを千度……四千度、五千度と加熱し、蒸発させる。金属に覆われていた迷宮壁の岩盤も。  同時に、桁外れの圧力がかかる。あらゆるところに。圧力は、特に角に負担をかける。扉と壁の境界。壁の隅。  人工迷宮の規模から、ざっくりと計算した。  十分な被害。だがオラリオや、ダンジョン内の冒険者に被害が出ない、と確信できる。  カサンドラの予知夢で確認した……本来誰も信じない呪いがあるが、『幸運』スキルを持つベルは利用できる。  モールス信号となった地震波を感知した味方……異端児(ゼノス)たちも、アステリオスも、アイズたちも全速で人工迷宮から撤退し、できるだけ離れ巨大な鉄塊にもぐった。  ダンジョン全体が揺れる。  オリハルコンの扉がすべて、すさまじい力で押される。 >不安  フィンたちが戦った、巨大なホールは風船のように膨らんではじけ、蒸発した。莫大な熱。高性能爆薬の力で地熱と同じ核分裂が解放され、それが太陽と同じ核融合を解放したのだ。  瓜生の故郷がたどりついた、科学による破壊のきわみである。  オラリオも、時ならぬ地震があった。その地下では……  超高温高圧ガスが、人工迷宮に浸透した。扉はオリハルコンでも、扉と壁をつなげるレール・蝶番部分を破壊して扉を高速で蹴り飛ばした。どんな小さい隙間、小さい角も破った。熱と圧力が少し弱まれば、アダマンチウムの壁は円筒形に膨れた。迷宮と同じ岩がバターのように溶けた。  モンスターを育てるプラントも、闇派閥たちもことごとく焼き滅ぼされた。 『穢れた精霊』の卵の、あるものは死んだ。だがあるものは、実験のため近くに置かれたモンスターと融合し、アダマンチウムの壁を食い破り地底深く潜った。あるものは、神と狂った建設者の子孫を同時に食らった。あるものは迷宮そのものをなす溶岩が変じた怪物と融合し地下深く眠った。  膨大な金属や岩が、ガスから液体になり流れた。  熱いガスは上に。熱く重い液は下に。アダマンチウムのすさまじい強度と耐熱性に阻まれながら。  地上や迷宮につながるあちこちの人工迷宮の扉は、すさまじい圧力を受け周囲が目に見えて変形した。いくつかからは高温のガスが噴き出し、フィンの目の前で頑丈な石でできた家をバターのように切り裂いた。幸い、周辺から人は避難させていたが。 (誰が生き残れよう……)  桁外れすぎる破壊力は、扉と分厚い地面を隔てていてもはっきりとわかった。  第一級冒険者は五感も常人とは比較にならぬほど優れ、洞察も優れる。分厚い岩盤と金属壁の奥の地獄絵図をかなり察知している。  ちなみに、その優れた五感や知性は、技術の進歩にもかなり貢献している。瓜生が近代技術を公開してから、それを急速に受容している。  特に強い敵との戦いを経験した、アイズやベートと装甲車の操縦手として51層に向かった【ヘファイストス・ファミリア】の高レベル鍛冶師たちは、大きな経験を積んだ。  .50BMGが通用しない、高速で動く敵。  それを踏まえて、戦車のサイドアームをどうするか。  これまで漫然とGAU-19、.50ガトリングに頼り切ってきた。47階層まで、どの怪物も数十発の徹甲弾に瞬時に灰と化した。  だが、それが全く通用しない敵と戦った。  かといって、本来なら単装重機関銃用の構造物である戦車のサイドアームマウントに、それ以上の火器をつけるのは困難だ。  40ミリグレネードマシンガンは、深層の怪物の敏捷では避けられてしまう……とりあえずは、軽量な.50の単純な重機関銃とグレネードマシンガンを連装にした。  威力・連射性能・悪路走破性のバランスが高い、SIDAM 25自走式対空砲が大幅に増やされ、何人も新たに訓練を受けた。  また牽引式の連装23ミリ・35ミリも増えた。  だが、鍛冶師たちは満足しない。30ミリすら通用しない敵がいた。  考えること。  装甲戦闘車両の選択と、チーム構成。  第一級冒険者と火器の組み合わせ。  瓜生の故郷に存在していない自走式対空砲……防空目的ではない、支援戦車を作るか否か。  どのように火力を上げるか。大口径で高連射速度の機関砲を加える、だが自走式対空砲か、それともレベル4ぐらいの腕力で牽引式か、あるいはレベル5以上が手持ち式に改造した機関砲を運用するか。  SIDAM 25を、前回の帰りから試していたメルカバ・ナメル・Sタンクのチームに加えることは合意された。  また、メルカバも増やす。4人必要なメルカバを増やすにはレベル2も使わなければならないのでためらっていた。だがこれまでの戦訓がある。 「本当の強敵相手に頼りになるのは主力戦車だ」 「レベルが低いと、戦車がやられたとき生き延びられないリスクがある」 「今回経験したような敵が相手では、2でも4でもさして変わらない」 「2両以上の主力戦車は、別物と化す」  というような論議もあった。  また第一級冒険者を運用するのに、補助する車両をつけるか。つけるなら歩兵戦闘車か、トラックか、小型空挺戦車ヴィーゼルか。  またどのような火砲を使わせるか。単発の手持ち改造対戦車砲か、牽引機関砲か、手持ち改造機関砲か、重機関銃を補助的に使わせるか、成形炸薬弾か。  手持ち式に改造したBK-27機関砲はレベル4以上の腕力が必要だが、発射速度・威力・弾薬重量のバランスが割といい。電源も不要だ。  ナメルとの共同作戦を考えれば、かなり重くなるが同じ30ミリ弾を使う機関砲を手持ちに改造するか、ゼロからボルトアクションを作るかするのもよい。  それ以上の威力が欲しければ、対戦車手榴弾や『クロッゾの魔剣』を推進薬がわりとした【ヘファイストス・ファミリア】製銃の方がよい。  多数の雑魚を掃討するには、【ヘファイストス・ファミリア】製の14.5ミリガスト式がもっともすぐれている。レヴィス級の強者を追随し牽制するのにも使える。連装にすればガトリングに近い連射数になる。  57ミリ対戦車砲を手持ちに改造した鍛冶師もいる……が、装甲貫徹力をパンツァーファウスト3やカール・グスタフ無反動砲と比較すれば、それほど有用ではない。  それら、多様な武器を選択するためには膨大な荷物を運ぶ車両が近くに控えていなければならない。ではその武装と装甲をどうするか……  着剣小銃という考え方は、実戦では中途半端になるからと一時後退させている。すでに作られた着剣12.7ミリ銃は、レベル3のメンバーに配った。  また、第一級冒険者の力なら、35ミリ連装機関砲やボフォース40、対戦車砲などを砲架ごと力技で持ち運ぶことすら可能だ。  別に、レベル4程度を主軸に、数人で重火器を運用する歩兵も考えられる。それにトラックや空挺戦車を組み合わせて偵察用の戦闘単位を……  収容力が高く装甲も頑丈なナメルを中心に、ふたりの第一級冒険者が手持ち改造機関砲や無反動砲を持って乗る、という組み合わせも考えられた。  強力な機関砲を備えた、自走式対空砲。  その種の車両は、瓜生の故郷では退潮気味である。レーダーシステムが恐ろしく高価になる割に、敵機が放つ空対地ミサイルとは射程の桁が違う。大国同士の戦争は制空権を取られれば終わりであり、近距離の防空はほとんど役に立たない。逆に対テロ戦争で空は関係ない。  だが、このオラリオのダンジョンでは、対空レーダーは必要ではない。短時間で多数の強力な弾を注ぐことだけが仕事だ。  そのためにはSIDAM 25が実に扱いやすい。ベースがM113装甲兵員輸送車、車両が小さく信頼性が高くキャタピラなので悪路にも強い。25ミリ4連は破壊力と連射速度、信頼性、弾薬重量のバランスがいい。  76ミリ速射砲を積んだチェンタウロ・ドラコも、主にエルフが用いている。  ちなみに瓜生の故郷でも、ロシアなどは山岳地帯でのゲリラ戦で機関砲を積んだ車両が妙に役立つことを知り、30ミリ機関砲を2挺備えた装甲車をいくつか開発している。  瓜生が考えに乗せ実物も見せた、故郷にある自走式対空砲には40ミリ2連装や57ミリ2連装もある。  また鍛冶師たちは、30ミリガトリングを2連装にして、砲塔を外したメルカバに強引に載せることも言い出した。  だが最終的にフィンは、無意味だとした。 「120ミリ戦車砲を秒に300発、それでやっとあの女調教師(テイマー)相手で安心できるだろう。だがそれを積める戦車はない。  40ミリでも57ミリでも効かない敵が出るかもしれない。  結局はトレードオフ、ちょうどいいバランスを選べばいい。  メルカバ、ナメル30ミリ、Sタンク、SIDAM 25はバランスがいい。それ以上の弾幕は、牽引機関砲や多連装ロケットを使おう。  また、ベートの班が今回うまくメルカバを使ったそうだ。その戦術を全員で共有しよう」  と。 (どんな兵器を使うかよりも、どのように戦うか。こちらから突撃するか、迎撃するか、陣地を作って待ち伏せるか……)  と考えるのが、フィンが指揮官として真に優れているあかしだ。  その分、多数いるレベル2のできるだけ多くがメルカバを使いこなせるように厳しい訓練を始めた。  第一級冒険者も、自分が強敵を倒すのではなく、敵を戦車砲の射線に誘導して動きを止め、確実に命中させることを目的に戦うよう訓練を始めた。……ティオナやアイズは困難を極めるが。  また、どのチームにも必ず複数の、レベル4以上が対戦車兵器を持っているようにした。理想は、高レベルの冒険者が敵を食い止め、動きを止めて一歩引く、そこに大口径高速弾と、同時に成形炸薬弾頭の弾幕を注ぐ。  主力戦車の主砲を当てる。  第一級冒険者の動体視力と腕力で、弾を当てる。  耐久も敏捷も桁外れの強敵に。  それを目的とする。  今フィンが考えているのは、4種類のチームだ。  ひとつ。レベル6以上の冒険者ひとりまたはふたりを主軸とする。  レベル4から5が手持ち改造の大口径機関砲または牽引砲で援護する。歩兵戦闘車や悪路トラックから離れずに。  そして歩兵戦闘車はRWSの大口径機関砲でさらに援護。  主力戦車を考えない、最悪はヴィーゼルとトラックだけ、少人数で狭いところに突貫する。  ひとつ。複数のレベル6以上の冒険者と、3両以上のメルカバと牽引機関砲・自走式対空砲を主軸とする。  強敵に攻めこむ布陣だ。  第一級冒険者を、メルカバの主砲の複数同時発射を敵に当てるための手段とする。  ひとつ。基本的には低レベルが経験を積むため、主に多数の戦車・多人数が深層に。複数の高レベル冒険者が、最悪の事態の護衛を担当する。  ひとつ。徹底的な防御陣……多数の牽引機関砲・艦砲・主力戦車を並べて敵を待ち伏せる。  フィンとの議論は瓜生も考えさせるものだった。  瓜生自身の、普段の装備をどうするか。特にこのオラリオでも、また以前も、小口径高速弾の弱さで死にかけたことが何度もある。  それはもう、できるかぎり大口径高速の巨大ライフルで、大容量弾倉が欲しい。  14.5ミリ弾で200発ぐらい。  だが、そんなのを隠して街を歩けるはずはないし、第一背負って立つことすら常人には無理だ。今のオラリオなら『恩恵』があるので何とか立てるにせよ。  だから、結局はトレードオフ、バランス、妥協だ。瓜生の故郷の軍が制式装備を選ぶ時同様。  大規模遠征の成果は大きい。 【ヘスティア・ファミリア】からはリリルカ・アーデとサンジョウノ・春姫がレベル2にランクアップした。  椿・コルブランドが5から6にランクアップ。ほかにもランクアップした者は多い。  リリにとっては夢のまた夢をこえるものだった。だが発現したスキルと魔法が、大いに悩まされるものだった。 【異能盗賊(スキルテイカー)】 ・相手の同意があれば、『スキル』を奪える。 ・魂と直結し奪えないスキルの場合、劣化コピーとなる。 『スキル』をもらうことができる、相手の同意があれば。  まさに反則。  だが、誰が『スキル』を渡すというのか。  手足を失い心が折れて引退する冒険者が、老後資金とひきかえに渡すことはあるだろう。だがそれを交渉すること自体危険が大きい。本人に言う気がなくても人質・拷問・魅了・自白魔法などの前では無意味。  ……リリは、あえて直接瓜生に言った。瓜生の事情を理解しており、まちがいなくもらえると確信したからだ。彼はすぐにうなずき、主神を呼んでスキルを全開示した。 「別にいい、【冒険介添】は誰かが持っていればいいし、【豊穣角杯】は奪えないんだ」 (それに、おれはいつかは消える存在だ……)  主神ヘスティアは、瓜生とリリの苦悩がよくわかった。何も言えず、ふたりとも抱きしめることしかできなかった。  瓜生の【豊穣角杯(コルヌコピア)】【冒険介添(サンチョ・パンサ)】。  無限の物資。そして、仲間と認めた者すべて経験値がバカみたいに入る。 【ロキ・ファミリア】も【ヘファイストス・ファミリア】も。【タケミカヅチ・ファミリア】も【ミアハ・ファミリア】も。【アポロン・ファミリア】も【アレス・ファミリア】も。【ムネモシュネ・ファミリア】や【ディオニュソス・ファミリア】さえ。 『戦争遊戯』からの祭りでは【フレイヤ・ファミリア】にも通常の倍以上の経験値が入った。  ……リリ自身の冒険者生命が断たれることが代償だ。瓜生自身は、ほとんど『ステイタス』が伸びていないのだ。桁外れの、とんでもない数のモンスターを直接間接に倒しているのに。  リリにとっては胸が張り裂けるようなことだった。  物心ついた時から、自分の伸びないステイタスは絶望であり呪いだった。  そしてベルに救われてから、瓜生の【冒険介添】もあり、やっと『ステイタス』が向上した。多忙の合間を縫っての苦しいウェイトトレーニングと素振りもこなし、多数のゴブリンと戦い、傷を負って血を浴びた。  どれほどの充実感だったか……そしてランクアップがどれほどうれしかったか。  それはもう二度とないだろう。  ただ、ベルを支える。ベルの役に立つ。その前では、自分の多少のステイタス上昇より、この能力を自分が持つ方が……  リリには魔法も発現した。 【縮小布(ファンファンクロス)】 ・詠唱文「ぜんぶぜんぶぜんぶ実現できる 魔法の風呂敷実現できる」 ・魔法で出る布をかぶせると、何であれサイズが100分の1になり、時間が止まる。質量は10分の1。合言葉で解除できる。  重量はリリのスキル【縁下力持】があるので問題ない。  また、小さくしたのをソロの『ふくろ』に突っこめば、巨大な火砲やミサイルも持って行ける。  それだけではなく、弾薬などは縮小してから普通のリュックに詰めて、さらに縮小して……を繰り返せば事実上無限に収納できる。  瓜生は前から、 「おれだって、いつ何で死ぬかわからない」  と、とてつもない量の火器・弾薬・食糧・衣類・本・工作機械・工具・地金などをコンテナに詰めて埋める作業をしていた。  ソロの『ふくろ』にも詰めこまれている。  それこそ、湾岸戦争を百回は戦えるぐらい。何百万人も、何百年も暮らせるぐらい。  特にビーツ用に食料は多量に用意している。  春姫もランクアップし、新しい魔法を覚えた。強力な防御魔法。  レベルが低いが、第一級冒険者の深層探索に連れて行きたい彼女にとってはありがたいものだ。  また、しばらくぶりに地上に戻った瓜生やリリは、さまざまなファミリアや国々、異端児(ゼノス)の国に技術や知識を与え指導する仕事も多くたまっていた。 『ギルド』と【ガネーシャ・ファミリア】を、実を持つ都市の警察・統治機構にするための一歩も。  ひとつが、楽しみとしては大きいが頻繁にはできない『戦争遊戯』にかわり、小規模の紛争を軽減するための、瓜生の故郷のスポーツの導入だ。  バスケットボールやサッカーを、冒険者の力でさせて小さな紛争を解決する。  それは放送としても楽しめる。  ベルたちは少しだけ休み、そしてずっとヤマト・命に負わせていた新入生の面倒を見る仕事があった。  もちろん、また自分たちの未熟を痛感して鍛えなおすこともあった。 【ロキ・ファミリア】はレベル2全員に戦闘車両・銃・牽引機関砲を扱えるように下層で特訓を始めた。  フィンらは、確かに核爆弾は致命的なダメージを与えているだろうが、それでも敵を全滅させた実感がなく不安を感じていた。  レヴィスが今回は出てこなかったのだ。  だからこそ今は、メルカバの活用をテーマに多くのメンバーを鍛えなおしている。  ある日には、アイズとビーツがたまたま会ったことがある……【フレイヤ・ファミリア】の門前で。  ふたりそろって「たのもー」と言い、オッタルをはじめ全員がかりで何度も挽肉にされた。  なりふりかまわずとにかく強くなりたい、という、 (若気の至り……)  である。  ヘスティアもロキもフレイヤに平謝り、修行のお礼として莫大な金や情報、また大きな代償も払うことになった。  それから、その件もありアイズがひそかに【ヘスティア・ファミリア】【タケミカヅチ・ファミリア】合同の修行場を訪れた。  ベルとビーツが修行していた。  超硬チップを刃のない鉛に替えた刀と、新しい不壊属性で交換式の刃を刃引きにした槍で。  アイズの目は素早く察した、すぐ近くの、普通ではないボート漕ぎ運動器具と鉄棒の下のコンクリート地面が濡れている。近くにバーベルを大量に入れたリュックが放られている。ふたりともとんでもない運動をした直後だ。 (きれい)  アイズの目はそれを見た。  ふたりの動きが、とても美しい。  ベルの袈裟斬り。刃筋の正しさが、さらに一段抜けている。それだけでとんでもない水準の攻防一致となり、回避も防御もできぬものとなっている。  ビーツの突き。ただまっすぐで無駄がない、それだけではない、そのさらに上。別の何かが宿っている。  むしろゆっくりと刀と槍を交え、ときにアイズの目にも追えないほどの速度になる。  ベルは体幹に深い呼吸だけのチャージをかけて加速している。  ビーツも同じように、部分的に瞬間的に『気』を集中させて加速している。別の世界では界王拳と呼ばれる技術を消化し昇華して、必要な時だけ必要な部分だけに集約している。 (どちらも、錐みたい)  鋭い。無駄がない。 (羽根のよう。鉛のよう。布団のよう)  地に足がついていないような軽さ。どしりとした重さ。まとわりつくような粘りと柔らかさ。兼ね備えられている。  アイズは知らない。  レベル4になったベルに、レア発展アビリティ『正剣』が生じていることを。  いつからか。いつアイズ自身は、ベルとビーツを、保護すべき子としてある意味見下すのをやめたのだろう。  いつからか。ベート・ローガのベルやビーツに対する態度が、アマゾネス姉妹に対するそれに近くなったのは。  少年が槍の突きを、最低限の振りかぶりでわずかにそらしつつ深く踏みこむ。  少女は袈裟をわずかによけ、右片手逆水平に切り替わる、そこに前蹴りが走る。  ただそれだけ、レベル1でも追えるほどゆっくりした動きだが、すさまじい正しさがある。  羽根のように軽く、舞うように美しいフットワーク。呼吸と拍子、体幹の深い深い一致。打つ瞬間だけのすさまじい重さ。  アイズ自身がやられたら危険と感じるほどに。 (この域に達したのは、戦い始めて何年かかった……?)  アイズはそう思わずにはいられなかった。それほどまでにふたりとも成長が早く、才がある。  いつからか入ってきた武神タケミカヅチが、アイズにうなずきかけた。  そして稽古が一段落したベルが、アイズを見つけて驚く。 「少し型を見る」  と言われたビーツから、突きを出して厳しく直されている。ベルも。  ベルのまなうらには、鍬を、斧を、鉈をふるい地を耕し、木を切り、薪を割る祖父の姿が深く焼き付いている。ベルは知らぬが神のそれは、まさに完全。  タケミカヅチがやって見せる手本と、見事に重なる。  ビーツが、神の槍と拳を、どれほど貪欲に、地球人とは桁がいくつも違う才で吸収しつくしているか……海水すべてのように膨大なものを、そのすべてを収めて足りぬほど巨大な器に吸いつくしている。  そして学んでいる。槍はアレン・フローメル、フィン・ディムナ、アーニャ・フローメルからも、ガリバー兄弟からも、戦いや稽古を通じて。  そして多くの深い動きを、オッタルから。  多数の自分より強い敵と戦い続ける、心構えと動きをソロやリュー・リオンから。  アイズはただ強くなるため、それだけで技そのものを極めようという気はなかった。  元から極められた技があった。  なんともいえず、まぶしかった。  アイズは、それからふたりとも激しく稽古し、武神にも動きを指導してもらった。  深い幸福感。それは胸の黒い炎がかなり白い炎になるほどのものだった。  帰ってきて、すぐに倒れるように寝てしまった彼女の表情を見て、リヴェリアやロキがどれほど内心喜んだことか……  ちなみに食事は連絡を入れて【ヘスティア・ファミリア】で食べた。相変わらずのビーツの超大量食に驚きあきれながら。  瓜生は静かに、 (それ……)  を見つめていた。自分が役割を終え、消える時を……だからこそ必死で、すべてを人々に伝えている。  だからこそベルたちを避けたこともあったが、主神ヘスティアはそれを見抜いた。 「ウリューくん、だめだよそれは。別れるんだったら、もっともっとたくさん話して、たくさん遊ばなきゃ。たくさん思い出をくれってみんな言うよ……」  ヘスティアはよく泣いている。泣きながら笑っている。  間違いなく、この異様な【ファミリア】を支えているのは、女神なのだ。眷属が遠く離れた深層で戦っている時も。 >一夜 +少しメンバーの外見、特に原作との違い… ・ベルは、ソーオラコミックより少し背が高く特に背筋が多め。大量の乳製品をはじめタンパク質を常に食べ、ビタミンミネラルを十二分に供給され、ウェイトトレーニングも多量にやっている。 ・ビーツは小6〜中1のトップ女子運動選手という感じ。 〇実はサイヤ人がずっと子供体形でいきなり大人になるのが公式だと知らなかったので……『恩恵』の影響ということで許してください。というか鳥山先生は基本的に思春期の身体を描かないんですよね、木緑あかねも最初から、胸とかつらだけでみどり先生に化けられるほど体つきは大人。子供と大人の両極。 ・トグは戸愚呂(弟)の平常状態(サングラスなし)を中一ぐらいにした感じ。父親似。  女神フレイヤのところに、【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタインと【ヘスティア・ファミリア】ビーツ・ストライが客観的に見れば殴り込みとしか言えない非礼をした。  フレイヤは寛容にも、眷属全員に命じて繰り返しだいたい死ぬまでぶちのめしては回復させ、病院に瀕死ではあるが生きて送った。  ふたりが望んだのは修行なのだから、親切な贈り物と言える。  その代償は高かった。  ロキには、アイズに貸しひとつ。ただし【ロキ・ファミリア】の不利益にならないこと。 「あっちの子らだって、どえらい経験値(エクセリア)手に入れとるくせに」  とロキは歯噛みをしていた。  まさにそう、下位の眷属からぶつけてしっかり修行させている。  そしてヘスティアには…… 「一夜だけ。彼が望むことしかしない。何も強要しない。どうせあの子には『魅了』は効かないわ」 「ぐぬぬぬぬぅうううぅ」  と、ベル・クラネルとの朝から翌朝までのデートをもぎとった。  それだけではなく、莫大なヴァリス金貨も取っているし、武威とソロを派遣させて全員にもう一段修行させているのだから、 (がめついにもほどがある……)  と、ヘスティアやリリは思ってしまう。  武威も以前の『戦争遊戯』のときとは違い、覚えたことを普通に戦うことに応用できるようになっている。  朝から、フレイヤが指定した店で待ち合わせ。ベルは最大限おめかしさせられて、がちがちに緊張していた。  もちろんリリや春姫が、文句や嫉妬の限りを尽くしてから磨き上げ、瓜生に大金を出させて飾り立てた。ベルを最高にしなければ、 (『ファミリア』の沽券にかかわる……)  のである。  また、女心もある。どれほど嫉妬が激しくても。  隣ではヘスティアが文句を言い続け、ジュースにストローで泡を立て続けている。  群衆が海のように分かれ道を作る。  深くベールをかぶった、それでも素晴らしい肢体がわかる女神が歩いてくる。その歩みすら桁外れに美しい……武神やアイズの武を極めた美しい歩きとも、舞踏・音楽の神々の歩みの優雅さとも違う。 「あ、あ」 「ヘスティア、おひさしぶり。はじめまして、女神フレイヤよ」  美しすぎる声が響く。ベールが、手だけでも瓜生の故郷で手タレントで飯が食える美しさの手で、静かにのけられる。  ベルはあまりの美しさに絶句している。 「ぐぬ……い・い・ね、ベルくん、信じてるからね、ものすごく!劣情に負けたりしないって!劣情に負けないって!」  ベルの腕をつねるヘスティアのツインテールが針金のように曲がり、激しい怒りと不満を全身でぶつけ、いやいや、ふり返りふり返り立ち去った。 「か、神様……あ、その」  と、ベルがフレイヤを振り返る。美貌に呆然としながら、心の中でアイズとヘスティアにつねられて我に返り、勢いよく立って頭を振り下ろす。 「このたびは本当にうちのビーツが、すみませんでした!それに『戦争遊戯』のときも、お力がなかったら『異端児(ゼノス)』を助けられなかったかも、とウリューさんに聞いています。ありがとうございました」  すねに頭がつくほど腰を折る。 「いいのよ。その話はこれでおしまい、今日はデートなんだから、楽しむことだけ考えて?」  フレイヤの笑顔はとろけるようだった。あまりにも美しかった。  女神ヘスティアはもとより、アイズやリヴェリア、ヘファイストス、ロキ、リュー、エイナら多くの美女と知り合っているベルにとっても…… 「どこに行きたいかしら?どこでもいいわよ」  女神の声に、ベルは心の底までとろかされそうになり、背中の熱さに我に返った。  フレイヤが近くの連れ込み宿をまっすぐ見ていることには気づいていない。 「それとも、少しここでお茶にしましょうか」 「昨日、どう過ごしていたか教えてもらえないかしら?」  電子監視をしていたリリは当然、 「いけませんベル様、【ヘスティア・ファミリア】の秘密を何から何まで丸裸にされますよ!」  と怒鳴り散らした。だが、ベルはイヤホンなどをつけていない。  そしてベルはかなり考え方が違う。素直に答え始めてしまった。むしろベルが惑っているのは、リリや春姫の別の忠告だ。 「いいですかベル様、デートのときには、絶対にほかの人の名前を出さないように。特に女の名前。男の名前でも嫉妬はします」  そう言われていたことを思い出す。 「どうしたの?」 「そ、その、その話をしたら人の名前が出てしまいますから……」 「あらそういうこと。しっかりした女(ひと)が……いえ、かまわないわ。だってあなただって、ひとりじゃなくてたくさんの人に支えられているのでしょう?うちのオッタルだってそうだもの」 「はい!」  ベルは満面の笑顔。  無論フレイヤの腹の内は、アイズやヘスティアはもちろん、瓜生やヴェルフの名前すら聞きたくはないのだが。  ベルにその腹の内など読めるはずもない、嬉々として話し始める。 「そうですね。朝起きたらいつも通り少し運動して素振りして」  少し運動……夜明け前に起きてストレッチ、それからトン単位の鍛冶ファミリア特注シャフトのバーベルで、デッドリフト・ベンチプレス・スクワット、鉄棒につかまり足首にバーベルをひっかけ膝を伸ばしたまま腹筋だけで持ち上げる。  バーベルをリュックに詰めてプランクと懸垂。  第一級冒険者用の発電機直結ボート漕ぎ運動器具で、心肺足腰をいじめぬく。常人が1500メートル走を、数度の深呼吸とスポーツドリンクを飲むだけのインターバルで何度となく繰り返すぐらいに。  今朝も。休みの日以外は毎朝。ビーツも、大抵はソロもそれには参加している。  それから千回以上、数を数えない歩き素振り…… 「昨日ソロさんに教えてもらった、相手の右脇に入る動きを集中的に」  ひとつの、小さい弧を描く歩きから突き上げる動きだけを一時間ひたすら繰り返した。 「ビーツとソロさんもいました。武威さんは今朝は用事があったようですね」  ビーツだけはいつも朝、何十人分もの牛乳シリアルとチーズを平らげてから運動を始める。  ウェイトトレーニングは数字がある程度出る。いつもベルは、ビーツやソロに比べて劣る自分に引け目を感じている。と言っても相手が悪すぎ、今のベルも冒険者をはじめて半年足らず、いやレベル4としても非常識なのだが。  ちなみに武威の用事というのは、目の前のフレイヤのところに出稽古に行ったのだ。ビーツの非礼の借りを返すため、レベル3以上全員をハンバーグにして経験値を献上した。 「それから朝ごはんです。いつもうちは、自由に食べられるようになっているんですよ」  主に瓜生が、食堂をバイキングレストランのようにしている。  チキンカツ、メンチカツ、トンカツ、真空調理されたブロック肉や魚、温野菜、スクランブルエッグ、数種類のパスタやスープ、カレー、白飯、炊きこみご飯、焼きたてのパン、オートミール、フルーツ、サラダ、ドライフルーツなど取り放題。ラーメン・そば・うどんも、少し調理時間がかかるが常にある。  特にチーズマカロニが人気だ。  ビーツや武威は、みんなが十分取ってから来て、残りを全部さらえこむ。しばしばそれでも足りず、追加で多量のスクランブルエッグとオートミールやシリアルを注文する。  ただし、できるだけ多くが集まって「いただきます」をするようにしている。  ちなみに食事・風呂・洗濯など生活の多くが、【タケミカヅチ・ファミリア】と共同だ。 「おいしそうね、今度ごちそうしてもらいたいわ」 「はい、ぜひ」  笑う少年が嘘を言っていないことを、神の能力で知ったフレイヤは胸がさらに熱くなった。 「午前中は、みんなと稽古していました」 「みんな?」 「あ、レベル1のみんなです」  新入生はほぼヤマト・命と【タケミカヅチ・ファミリア】が面倒を見ている。  第二期の新入生も『学校』を終え、主神ヘスティアの面接を経てもうすぐ入ってくる予定だ。 (死なせない)  ただそれだけのために、多くの教育をしている。  街でも常にチームで動き、M460マグナムを2挺隠し持っている。【ヘスティア・ファミリア】の秘密は誰もが求めているからだ。  ダンジョンでは6人で、大盾を並べ両手槍と7.62ミリバトルライフル、短めの剣で固まって戦い抜く。人前ではライフルを隠してクロスボウにするが。  常に重火器を持つレベル2以上が監督している。  瓜生の、今はリリが譲り受けたスキルもあり、成長は早い。  ベルはひとりひとりの成長を自分の事のように喜び、フレイヤに自慢するように語った。深い情熱と愛情をこめて。  団長としても成長していることが、フレイヤにはわかった。  フレイヤはベルの話を嬉しそうに、夢中で聞いていた。  そして一日の話が終わってから、聞いた。 「その、それであなたは、これから……どうしたいかしら?」  はにかみながら。怯えて。 「あなたが望むなら、このまま寝所……、その、あちらの連れ込……、ううん、その、あなたに嫌われたくないの。どう、どうしたらいいのかしら」  フレイヤの表情は泣きそうにさえ見えた。美女はそれですら美しい。  隠しカメラを通じて見ていたヘスティアは歯を噛み鳴らしていた。  ロキは笑いとも苦しみともつかぬ感情にのたうち回っていた。 「だれやねんだれやねんあれ」  と。 「あのあま、イシュタルたんの百倍はたちが悪いあばずれやで、なんやねんあのカマトト、背筋ゾゾるわ」  とわめいていた。  だが、ロキの心のどこかはわかっていた。怯えていた。 (ベル・クラネルの『何か』は、美の女神の猛々しく傲慢を突き抜けた心もとろかし、ただの乙女に変えてしまっているのだ……)  と。  ベルは戸惑っていた。 (美女神と、どうしたい……?)  といわれても、別に何があるわけでもない。  何月も冒険と修行の、強くなるだけの日々を過ごした。甲子園強豪校にも似た生活だった……それは新入生たちも似たようなものだが。  しかも普通の強豪校エースとは違い、冒険者としてのはじまりを同年代の同性がいない状態で過ごした。同年代・同性の仲間がいれば悪を競い合うようにもなるが、それがない。反面教師が祖父であり、最初に同性の仲間となったのが桜花やヴェルフだった。どちらもモルドのように普通に飲む打つ買うの欲望をむき出しにするタイプではない。  怪物祭りなどでヘスティアと楽しんだり、時には憧れのアイズと出歩いたことさえあった。が、あまりにも多くが、 「強くなりたい」  それだけだった。 (このひとに、僕があげられるものは何だろう)  優しい心は、そう思ってしまう。  お金やぜいたくなら、最大派閥の主神、飽きるほどあるに決まっている……それぐらいはわかる。  また、ベルにはしたいことはある。 (『猛者(おうじゃ)』オッタル団長をはじめ、この女神の眷属たちに鍛えてほしい……) 『戦争遊戯』で、多くの【フレイヤ・ファミリア】のメンバーとも戦い、多くを学び膨大な経験値を得た。また戦えるなら……  だが、その欲望にビーツとアイズが負けたために、【ロキ・ファミリア】も自分たち【ヘスティア・ファミリア】もえらいペナルティを払う羽目になった。  リリなどは、 「払えばいいなんて思わないでくださいね。【フレイヤ・ファミリア】がなりふり構わずこちらを潰しにかかったら、無限の黄金があっても潰されるでしょう」  と釘を刺している。 「そろそろお昼にしましょう?」  とフレイヤに誘われる。 「普段お休みの日は、どこのお店で食事しているのかしら?」  休みの日があるということもつかまれているのだが、ベルはそんなことは考えない。 「ああそうそう。もし目や耳があるのなら、ここまでよ」  フレイヤが虚空を見て言う。ベルは慌てて、 「ごめんなさい、普段つけているのは外してきているんですが」  と自分を探り、謝ろうとするが、 「謝らなくてもいいわ」  とフレイヤが微笑む。  リリは泣きながら、そしてわめくヘスティアやロキを押さえて、盗聴盗撮装置を切った。 「フレイヤ様が本気を出したら、バレると思うべきです。代償が大きすぎます」  と、いうわけだ。  そしてリリは一度隠れて、瓜生から劣化だがもらった能力で、高度数のラムとつまみを〈出し〉て女3人やけ酒をはじめた。ロキの護衛もご相伴にあずかる。  美女神と、まだ若すぎる白髪の冒険者が道を歩く。  フレイヤは手をつなごうとしてはためらうのを繰り返している。そして人波から、ベルが自分を自然に守ってくれているのに気がつき、胸を焦がしていた。  冷静を装っているフレイヤだが、胸の中はすさまじい情熱が燃えていた。  今この場、何千という人や神が歩いている広場から見える道の真ん中で、全裸で彼にまたがり腰を振り絶叫したい。  最低の娼婦のように犯されたい。いや、乙女を蛮族が蹂躙するように犯しつつ拷問の限りを尽くしてなぶり殺してほしい。 『男殺し』フリュネ・ジャミールにも想像もできないほど残忍に、この少年を犯しバラバラに壊したい。  神々はもとより、残忍さもある。乙女や幼子の生贄も喜ぶ。大量殺人を喜ぶ。  愛の女神と言われる神種は、実はそちらがかなり激しい。  腰が抜けそうになった女神を、ベルが抱きとめ腕を貸した。フレイヤは大喜びですがり、豊かな胸を腕に押しつける。 (やわらかいしいいにおいがあああっ)  ベルは頭がおかしくなりそうな刺激に必死で耐えていた。  見ている人はいる。フレイヤはベールをつけているが、それでも気づく人もいる。 『ギルド』のエイナ・チュールも。  だが、彼女たちは見ないふりをしている。  リリが、 (おそらく、ベル様に好意を持っている……)  女性たちに、デートの事情を知らせている。  それが【ヘスティア・ファミリア】の存亡にかかわることは、皆理解している。  だからといって、嫉妬がなくなるわけではないが。  ベルがフレイヤを連れて行ったのは、瓜生にもヘスティアにも厳しく言われる休みの日、オラリオをぶらついていく店のひとつだった。  休みの日には、朝本拠で食事をして、新入生としゃべったり、それもなければオラリオを歩くこともある。社会奉仕をすることもある。  春姫と、割り込んでくるヘスティアとともに、瓜生が置いていく映画を見ることもある。ただ、言葉はわからない。脚本が共通語(コイネー)に訳されていればそれを読めるが、まだまだ翻訳は進んでいない。  瓜生や、日本語を必死で習得したリリ、超高知能ですぐに習得した異端児(ゼノス)がいればせりふを読んでくれるが、そんなのがいることは少ない。  広い10万都市。  たくさんの道。たくさんの人が生活している。  単独行動は原則として禁じられているので、リリや春姫、ヘスティアと一緒にいることもある。主神を含め女の子たちはふたりで出かけたがるが、 (そうはさせじ……)  で、どうしても数人で歩くことが普通だ。  ソロやトグ、ヴェルフや桜花と出歩くことも割と多い。やはり男同士の方が気軽だ。  ビーツも時々連れて行くが、そのときは大盛り店をはしごすることになる……チャレンジ店には手配書が回っているので、ビーツ専用メニューが定番となっている。  ソーセージやベーコン・黒パン・素朴な豆シチューがうまい店に、ベールをかぶったフレイヤと入る。それでもその圧倒的な美貌は、店の人間全員を惹きつけた。 「お、きょ(うもいい女連れてるな)……」  からかおうとした常連の舌が凍りつく。  料理そのものは、黒パンにスライスしたチーズ、ボイルした白ソーセージと簡素なもの。  だがフレイヤが心から楽しみ喜んでいることもわかる。 (店のおごり……)  の、リンゴの酒精強化酒がまた甘くて口をとろかす。 「フレイヤさま」  とけかかったベルの目が、かすかに真剣みを帯びる。 「なに?」 「英雄って、何でしょう」  フレイヤの胸が激しく高鳴った。 (自分にそれを聞く……)  と。  フレイヤのところには、英雄に一番近い『猛者』オッタルがいる。神話でも数々の英雄と深い縁を持っている。 「そうね、わたしたち神々は、いつも英雄に熱狂しているわ。支援をおしまない神もある。試練を与える神もある」  フレイヤ自身がミノタウルスをけしかけたりもしたのだが。 「オッタルも英雄と言われているわ」  ベルがうなずく。 「でも、彼は英雄になりたいというよりも、ひたすらわたしのため。勝利を、栄光を、そして護衛」  またベルがうなずく。  彼も、とにかく目の前の誰か女性を守るために戦い続けてきた。ヘスティアを、リリを、ウィーネを守るために。それだけでなく、冒険者としての意地と誇りのために戦うこともあったが……  今もベルは、脇差を背に隠し、高級な服の下に鎖帷子を着ている。もし今何かあれば、今話している女神のために迷わずどんな敵とも戦うだろう。 「ウリューさんに、たくさんの英雄のお話を聞いたんです」  リリがいたら止めていただろう、といってもフレイヤにはもう【ヘスティア・ファミリア】の実像は高い精度でつかまれているが。 「貧しい農民から天下を統一して、それから……年老いて、すごくひどい人になってしまった人もいたそうです」  瓜生は信長・秀吉・家康の話はしている。ほかにも明の朱元璋がいる。 「そうね」  フレイヤこそ、老い腐った英雄をどれほど見ていることか。 「ウリューさんは、目的と手段、と言っていました。たとえば助けて帰るのが目的、剣は手段、だから敵に金を渡してもいい、と。  何か目的があって、それをして……誰にも知られないまま、不幸に貧しく死んだりしても、英雄はいると……」  会話が弾むが、店が少し騒がしくなってきた。  席の後ろ姿でもフレイヤが美しすぎて、道を通る客を呼んでしまう。当然会計の時、店は半額で済ませてくれた。 「次はどこに行こうかしら?どこでもいいわ」  どこでも、の意味にベルは気づいていない。  本当はベルは、オッタルらに修行をつけてほしいが、それは言い出せない。  ビーツの語りを思い出す。  瀕死、全身折れていない骨がないすさまじいまでの惨状だったビーツが、舌が動くようになってから珍しく雄弁に語ったものだ。  オッタルを。 【フレイヤ・ファミリア】にカチコミに近い押しかけ修行に行ったビーツは、アレン・フローメル相手でも今度こそ圧勝した。スピードもパワーも今や違いすぎる。  それを見たオッタルは、ビーツを招いた。アイズも見たかったが、それどころではなかった……レベル6が3人+レベル6相当のガリバー兄弟が間断なく殺しにかかってくる。  機密性の高い修行場で、一合。槍と大剣がぶつかり合い……オッタルが吹き飛び、地面を大きく削って分厚い石壁にめりこみ崩した。 「力と敏捷は、2ランクは上か」  オッタルの口の端から血が垂れる。だが、出た言葉は意外だった。 「だが、それがどうした?」  それからは、オッタルの蹂躙だった。  腕相撲でもかけっこでも圧倒的にビーツのほうが上。だが、技でオッタルはその力を封じた。  すさまじい速度で突きかかる槍。だが、それはオッタルの『気』に押されて打たされたもの。リズムがわずかに狂っている。オッタルは飛び込みつつ剣を持たぬ左手で槍を叩きそらす。精妙な角度と螺旋、重心を崩されたとビーツが気づいた、次の瞬間目を打たれる。反撃に蹴りを出した瞬間みぞおちを軽く打たれて呼吸がつまった。立て直そうとした足のつま先が後ろを向いている……一瞬で膝をねじ切られたのだ。  激痛と呼吸の乱れにもかまわず戦い続けようと片足立ちで振り向いた、その首がそのままねじ折られる。むしろ柔らかな掌が額に触れているだけで。次の瞬間あごを外され、ごく小さい動きの平手で鼓膜を破りその手で耳を引きちぎって引き倒し、後頭部が床にぶつかると同時に鼻を踏みつぶされ次の足で肝臓を蹴り破られた。  ……待機しているヒーラーに命じ3割程度に回復、また最初から始まった。人体の弱い部分を破壊する。関節を、内臓を、あらゆる穴を。  目で見耳で聞く、それをごまかし破壊する……実際には目はカメラとは違い、様々な映像を脳の動画編集ソフトで書き換え統合している。未来予測も加えている。そのソフトをごまかしている。  呼吸を、『気』の流れそのものを断つ。あらゆる神経に激しい誤信号をうちこむ。針のように細い急所に『気』を打ち、内部から破壊する。  何十倍もの腕力の持ち主を技だけで破壊しつくす。  それは、武威が見ていれば理想としただろう。腕相撲やかけっこでは圧倒的に勝てない少女を、技で完封する巨漢。  力も速度もはるかに勝る戸愚呂(弟)、幽助、飛影らを、柔の技で制圧する自分。それが今の彼の夢であり、そのために常人がフルマラソンを毎日3度走るにもまさる酷烈な鍛錬を続けている。  また、ベル・クラネルの理想像でもある。高い敏捷を超短距離移動に集中してわずかに足・体芯を移動させ、極限まで正しい振りかぶりで攻撃を受けそらして敵の重心を崩し、最小限の、腰だけ・刀の重さだけの攻撃で断ち歩き抜ける。それを完全に体現しているのだ。真似ているのではない、自分より強い相手に勝つための正解だからだ。剣の神髄もこもっている。速さ、強さとは違う、『気』の運用にかかわる深い正しさ……達人のゆっくりした剣運びでも敵は打たれるように。  ビーツの「技」も低いわけではないのだ。きわめて高い水準の基礎であり、その基礎は極意に深く通じる。技だけでも勝てる者はそういないし、アイズ・ヴァレンシュタインやフィン・ディムナの目から見ても美しい。  だが、それでもオッタルの「技」は、さらに桁外れに圧倒した。  世界的コンクールに入賞した天才少女と、歴史的なピアニストのような大差。  めちゃくちゃな、想像を絶するほどに関節を砕かれ、頭蓋骨の形が変わり、はらわたがはみ出した半死体を、ボロボロを通り越して気力でやっと体を起こそうとしているアイズの前にオッタルはぶら下げ、 「同じようにしてやる」  と言い…… 「おねがいします」  と心から言ったのだからアイズも相当壊れている。  ……隣で寝るアイズの見舞いに来ていた神ロキともども、ビーツの珍しく雄弁で嬉しそうな話を聞いたヘスティアは泣きじゃくっていた。  ロキは、 「ドン引きの児童虐待案件やんけ……」  と凍りついていたものだ。  といっても、ロキの眷属もかなりのことをしてはいる。 「なんで君たちはそんな嬉しそうなんだよおお」  とヘスティアは泣きじゃくっている。  アイズも実に嬉しそうに自分が被害者である残忍なリンチの話をし、今はビーツの話を聞いている。  レフィーヤは気絶して空きベッド、ティオナは目を輝かせて羨ましがっている。  ビーツはもう、起き上がって新しい技を試したがっている。 「とても小さい急所を、針のように打って内部から破壊する。学んだ。修行しなきゃ」 「だめだビーツくん寝るんだ!」 「今こときれてもおかしくない体よ、寝てなさい!」  ベルも、『戦争遊戯』の祭りでオッタルに一度挑み、立ち向かったと思ったら指一本動かせぬ瀕死で寝ていた。 (強くなりたい)  その思いは、今は無意識にフレイヤの手を握る動きになった。  フレイヤが漏らした声に、 「ごめんなさい」  と謝る。桁外れの力があるレベル4上位が常人の身体である神の手を強く握ったりしたら、プレス事故のようなことになりかねない。 「いいえ、うれしいわ」  と、フレイヤは痛む手で少年の手を握った。おずおずと、たまらなく優しく握り返してくる手、立っているのが苦しいほどだった。  それを見ている女性たちが何人か、歯噛みをしている。  そうなると自然に、女性どうしわかってしまう。フレイヤもベールの下から正確に見て、優越感に微笑んだ。 (『ギルド』のエイナ・チュール、デートや遅くまでのお勉強、それに神々のいたずらで尾行されて彼をボディーガードにして、何度も見せつけてくれたわよねえ……)  見せつけたと言ってもフレイヤが反則でのぞいただけだが。  そんな調子で、何人分も。  ジャガ丸くんの屋台にいるアイズこそ、自分が元凶なのに、なぜ自分が歯を食いしばって……胸の中の幼子が泣きわめいているか戸惑ってさえいる。  ベルは、知っている女たちに見られるのがなぜか苦しくて仕方がないが、 (ビーツのため、【ファミリア】のため)  と必死でこらえ、刺さる視線に目を伏せている。  それから、どこに行こうかと思った……ヘスティアと見た夜景や、アイズと特訓した……思い出す。 (デートに、別の女との思い出の場所は絶対ダメです!)  と、リリや春姫に言われた。  女と関係のない思い出の場というのは、ほとんどない。  というよりベルは、それほどオラリオを知らないのだ。最初から、普通の新人冒険者よりずっとダンジョンに入る日数が多かったし、休日も一人で禁欲的に過ごしていた。 「いいところがないか、歩いて探してみましょう?」  とフレイヤが言うのに、そのまま甘える。  無論フレイヤも美しく高級なところはいくらでも知っているが、ベルがそれを喜ぶとは限らないことはわかっている。  ただ歩きながら話す。  主にベルがオラリオに来てからの、いろいろな冒険を。  つたない言葉で。  ただ歩き、話す。オラリオの広い道を。時々、弱い常人の身体であるフレイヤを気遣い、見かけた喫茶店などで休む。  フレイヤにとっては幸せだった。  知らない道。変な建築。  泣く迷子を親の元に連れて行く。  よくわからない、祭られている変な石を見て笑ったり、卑猥なものに顔を赤らめたりする。  路上で囲碁をしているのを見て、少し足を止める。  ただ気まぐれに歩き、気まぐれに足を止め、話し続け、黙って歩く。  気づくと空は赤らんでいる。  たまたま、やや大きな店が目に留まった。  ちょっとした館を商人が買い取り、香辛料店兼料理店としているようだ。 「入ってみましょうか」  いいにおい、瓜生がよく作るカレーの香りに誘われたベルの言葉に、フレイヤはうなずく。  本来予約が必要な店だが、ベールをかぶっていても店員はフレイヤを一目で見抜き、即座に緊急用の最上室に案内した。魔石エレベーターさえある。5階の個室。  高級感のある内装に、ベルは少しおちつかない。 「任せてね」  と、フレイヤが手早く酒と料理を選んだ。  ベルがメニューを見たら価格に青くなるだろう……といっても、本拠地に連絡すればいつでも店ごと買える。無論フレイヤも、言うだけで店ごと貢がせられる。  緑色のカレー、種無し薄パン、一見普通だが赤いステーキ……  かなり辛みが強く、ベルは目を回していた。フレイヤは平気で酒を合わせている。  そんな中でも話は続く。ベルは、瓜生から聞いた英雄の話を始めた。よく春姫と、また割り込んでくるヘスティアとともに共通語訳されたばかりの伝記を読む……激しい鍛錬や冒険で、疲れすぎて眠れぬ体を少しでも冷ます。そしてヘスティアの膝で眠っていることもよくある。  忙しいリリがやってくることもある。  瓜生がいるときに朗読をせがむこともある。  食事と会話、菓子と茶もいつしか来て、おかわりが届いた。  静かな時間。ときには気まぐれに席を立ち、窓から、かなり広い範囲の町をふたり見ることもあった。  そんなとき、突然それは来た。  ドアを軽くノックする、その音すら圧倒的に力強い武人の音。 「オッタル!」  フレイヤの表情には軽い怒りがあり、すぐに緊張した。  今ここに連絡するということが、どれほどのことか彼がわかっていないはずがないのだ。 「フレイヤさま、お詫びは申すまでもありません」 「何があったか、ベル・クラネルにもここで聞かせて」  巨漢猪人(ボアズ)の武人がうなずく。それだけでベルは圧倒された。 「地上で、きわめて強力な魔物の大軍が出現。テルスキュラが壊滅に瀕しています。オラリオを目指していると」 「わかったわ。ベル・クラネル……」  フレイヤは無念と、湧き上がる別の喜びに圧倒された。 「わたしをここの玄関まで守り送って。そして、英雄の出陣を見送らせてくれないかしら」  女神の美しすぎる目は、すさまじい情熱に輝いていた。  英雄の出陣を見送る女。戦神でもあるフレイヤにとってこれほどの栄光があろうか。どれほどの女神たちが、女たちがうらやむことか。  ベルが目を見開く。そしてオッタルが深く一礼し、素早く引き下がった。  無論十分な戦力が、この店の門前に集まっている。 「は、はい」  立ち、ベルの腕を取ったフレイヤの腕が、あえて階段に向かわせる。 (一秒でも長く……)  思いはベルにも伝わる。  ゆっくりと長い階段を降りる。  言葉はない。強い腕の力だけ。  一段、また一段。130の段を、名残を込めて降りる。  そして階段から店の出入り口までの、十分大きい店なのに短すぎる道。  美女神の腕が、強く強く男の腕を抱く。その美貌には、戦女神のたけだけしさも感じられ、それがまたベルを圧倒した。  玄関には店主と、そしてオッタルをはじめ【フレイヤ・ファミリア】のレベル6以上の幹部が勢ぞろいしていた。  美しい服と、ベルの普段の装備をオッタルが捧げ持つ。 「男ならば、この栄光に遠慮はなしだ」  オッタルが小さく言う。ベルはうなずいた。あまりの栄光に。  布を掲げた第一級冒険者が壁となる。ベルはその中で、恥ずかしさと異様な雰囲気に煮えそうになりながら着替えた。  美しすぎる、最高級の下着と鎧下、対炎護符『サラマンダー・ウール』。何千万ヴァリスすることか……防御力も分厚い板金鎧以上。  わざわざ【ヘスティア・ファミリア】本拠まで愛用の装備を取りに行ってくれた手間も申し訳ない。  さらにポウチにはエリクサーとハイ・デュアルポーションが2本ずつ。今までいた店を買収できる。  フレイヤとオッタルが、愛用の鎧を身に着けるのを手伝ってくれる。 「立派よ。すばらしいわ」 「ありがとうございます」 「英雄の出陣のはなむけ。女神にとってこれ以上の喜びはないわ」  ベルは言葉が出ない。その頬に、フレイヤが軽く口づける。本当は深く唇を、いや今からでも寝所に引きずり込みたいが。 「この祝福と栄光に応えよ」  オッタルの言葉に、ベルは赤い瞳を鈍く光らせ、強くうなずく。 「フレイヤさまを、お返しします」  と、フレイヤの手をオッタルに譲る。 「しかと。ゆけ」  しっかりと主神の手を取った『猛者(おうじゃ)』の、最低限の言葉。すさまじいまでの武人の風貌。身体で強大さを知った、最強ファミリアの眷属たちも、すさまじい瞳でベルをにらんでいる。 (最高の女神に送られる、至上の栄光にふさわしい活躍をしなければ一寸刻みでも足りん……)  と、全身で叫びつつ。 「英雄とは。あなたの行いで教えてちょうだい」 「!、はい!」  ベルは深く頭を下げ、勢いよく、本拠地に向かって走り出す。  美と戦の女神フレイヤは強大な眷属に守られ、冒険者の出陣を見送っていった。 >黒き竜軍  ベルとフレイヤのデート、それに切歯扼腕していた【ヘスティア・ファミリア】の主神含む女たち……  最初に、電波通信で知らせが届いた。  大きく見ればオラリオに向かっている魔物の軍勢。膨大な数。  強力なアマゾネスの国、【カーリー・ファミリア】でもあるテルスキュラが瞬時に踏み潰されているという。 【ロキ・ファミリア】や『ギルド』とも電話などで連絡を取り、情報を集める瓜生やリリ。  その本拠地に、突然【フレイヤ・ファミリア】の幹部が来た。 「フレイヤさまの名を出した以上、信用すべきですね」 『女神の戦車』アレン・フローメルが女神フレイヤの名に誓った。間違いなく真実だろう。  だからこそリリも、わめくヘスティアを押さえてベルの装備を手渡した。  まったく無反応にひったくって飛んで行った猫人の無礼は腹が煮えるが、それは問題ではない。  情報を集め、計画を練る。することは山ほどある。  まもなくベルが帰ってきた。 「リリ」 「ベル様、このまままっすぐ東門に」  とリリは塩水を渡した。 「わかった。でもリリ、何か……」 「大変なのは今襲われている人ですよ。お気になさらず、いつもどおり存分に戦って、絶対に生きて帰ってください」 (尻ぬぐいはリリがしますから) 「リリ」 「ぜったい、絶対に生きて帰ってくるんだよ!」  ヘスティアが叫ぶ。 「頑張って!」  新入生たちが、【タケミカヅチ・ファミリア】のレベル1も叫んだ。 「はい神様!」  ベルは塩水を干し、一散に駆け出した。 「リリルカくん……どれだけの重荷をまた、背負わせてしまったんだい……愚痴ってくれ、それぐらいは背負いたいんだ」  ヘスティアがリリに声をかけた。 (卑怯ですよ)  リリはそう言いかけ、ため息をついた。 「ベル様に、いう必要はないでしょう。この戦いではベル様は、女神フレイヤ様の祝福を受けての出陣。だから栄光も戦利品も全部【フレイヤ・ファミリア】。さらに何かあったら、女神フレイヤ様の護衛が最優先。  ほかにもたくさん。  ベル様は戦利品も栄光も……金銭欲も名誉欲もない方です。  そしてフレイヤ様に何があれば、何の義務もなくても全力でお守りになるでしょう。もちろんヘスティア様も、このリリでも、アイズ様でも、女と見ればだれであっても同じなんですがね。  さーて、尻ぬぐいと戦争を始めますか!」 「リリルカ君……」  ヘスティアは思わずリリを抱きしめる。 「ちょ、ちょっと嫌味ですかそれ!」  リリは内心喜びつつ、ヘスティアの巨乳を嫉妬するふりをする。【ソーマ・ファミリア】で神酒に酔っていた両親に実質捨てられていた彼女は、とことん家族に飢えている。  リリがすべき尻ぬぐいはもっともっと多い。【ファミリア】どうしの政治的な力学もきわめて複雑になる。  いやデートの時点で、 (ベル・クラネルが女神フレイヤのお気に入り……)  であることは全世界に周知されたと言っていい。  頭が痛いなどというものではない。だが、オラリオが壊滅すればそれどころではない。 「くそくそくそ死ね死ね死ねえ!」 「あああぅ!」 「ぎゃあああ!」  悲鳴と怒号、濃密な血と臓物の鉄臭、断末魔の絶叫、怪物による咀嚼音が充満する地獄。  半島にあるテルスキュラ、それだけでも難攻不落である。 【アレス・ファミリア】であるラキア同様、【カーリー・ファミリア】でもある神国。  だが強さは比較にならない。ダンジョンがないにもかかわらずレベル6に達している者がいる。  闘神カーリーが、国民同士殺し合いをさせているからだ。  その国民は全員がアマゾネス。アマゾネスとはエルフ・ドワーフ・獣人などと並び人に属する種族のひとつ。全員が女でどの種族とも子をなせるが、子はすべてアマゾネスとなる。身体能力がきわめて高い。褐色の肌で羞恥心が弱く、誰もが巨大な闘志を持ち、強い男を求める。  その強さは【ロキ・ファミリア】のティオネ・ティオナ姉妹や、滅びた【イシュタル・ファミリア】のすさまじい強さを見ればわかることだ。  男はいない、いるとしたら拉致されて種牡畜とされているだけだ。  最上層は【ロキ・ファミリア】【フレイヤ・ファミリア】に迫り、総人数では最強ファミリアを合わせたより圧倒的に多い恩恵ありの女戦士からなる国……  それが、ほんの分遣隊によって潰されようとしている。  数万。そのすべてが、オラリオのダンジョンであれば40階層台に出現するような強大な怪物。多くはアリの胴体にドラゴンの4つ首、胴体は岩の殻に覆われた怪物。  肩高さ3Mはある巨体、6足で体を支え、5Mはある長い首が4本あちこちに伸びて鋭く食いちぎる。  硬い。強い。疾い。作戦を使い、連携する。暴虐を極める。  胴体も硬く、黒い鱗に覆われた首も硬い。  レベル3が10人がかりでも、一体を倒すのが至難。それ以下では傷つけることもできない。  そんな雑魚だけでも強いが、中には高さは3Mほどだが、レベル6のアルガナとバーチェふたりがかりでも死にかけに苦戦するほど強い怪物もある。黒い竜と人を合わせたような姿だ、硬さ・力・速さの総合力がきわめて高い。ワニの頭部、硬い鱗の全身、鉄の爪をつけたような体格からしても長い両腕、そして強烈な鞭となり先端には猛毒の針もある長い尾。  また巨大なドラゴンの変種もおり、これまた強い。  普通の国にとっては災厄であり、絶望。  だがアマゾネスからなる、闘神の国テルスキュラにとっては、油田と金鉱を同時に掘り当てたような歓喜に他ならない。  誰もが喜んで死闘に赴く。だが、結果は見えている。あっさりと踏み潰されるだけ、圧倒的な、桁外れの強さと数の前に……  巨大な闘志が、強敵の喜びが絶望を押しつぶしている。だがわずかな理性は、完全な絶望を悟っている。  喜びの中の全滅、それしかない……誰もがそれをわかっている中、それは起きた。  上空を通り過ぎる、いくつかの太い影を見る者などない。US-2飛行艇だと知る者もいない。港町メレンの住人はその飛翔とメンテナンスを見ているが。  地獄の上空を飛行艇が飛びすぎた直後、アルガナとバーチェの隣に、アマゾネスがひとりずつ飛び下りた。巨大な武器を持つティオナは黄金の光をまとっていた。  直後、聞きなれぬ連続的な轟音とともに野球場ほどの面積の怪物がほぼすべて倒れる。すべて、硬い甲殻に穴をあけ、その反対側が大きく破裂している。奇妙な煙にまみれ中央に立つのは、豊満な胸のティオネ。手にはBK-27機関砲手持ち版。  直後彼女は信号弾を放った。  その数十秒後、巨大な爆発があちこちで起きた。  テルスキュラがある半島すら水平線の向こう、大海を切り裂くアイオワ級巨大戦艦3隻。3連装3基、27発の40.6センチ主砲が咆哮しつづける。  莫大な炎が吹き上がる。常人が甲板にいたら死ぬほどの力がぶちまけられる。海を半球形に押し分け、海水が戻って大波となる。 (東京から藤沢まで届く……)  大和級には及ばなくても、38キロメートルの長射程はある。  また第二次大戦後半世紀、退役と再就役を繰り返しつつ朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争まで戦い抜いたアイオワ級には、最新の電子機器もある。  最新版の実質は、膨大な搭載量を誇るトマホークミサイル運用艦でもある。  そして巨大主砲は、航空爆弾や艦対地ミサイルとは比較にならないほど安価・精密・短時間・大量に、爆弾を敵のところに運ぶシステムなのだ。弾が1トン、それを毎分2発、9門発射できる。ついでに核砲弾も発射可能。  それは、『穢れた精霊』の脅威からオラリオを守る、遠く離れた絶対最終防衛手段でもある……メレンの汽水湖からオラリオまででも余裕で届く。だが瓜生がいるのだ、オラリオの守りも減らしてはいない。新しく出しただけだ。  しかもアイオワ級は高速でもある。恐ろしい速さで海を越え、テルスキュラがまだ見えない距離から、電波で位置を受け取って射撃を開始している。  状況を知ったフィンたちは、すばやく戦闘プランを組んだ。  メレン近くに置かれているアイオワ級戦艦と、大型飛行艇を合わせた救援。  飛行艇でアマゾネスを中心にした第一級冒険者を送り、信号弾を上げさせて狙う場所を指示させる。  他にも山頂などに観測員を急行させ、そこからレーザーレンジファインダーとレーダーで網を作り、飛行艇も含めた三角測量で狙う場所を精密に決めさせる。  飛行艇が信号弾を見る。2機以上の飛行艇が、互いの方向と距離を観測しながら同じ信号弾を見れば信号弾の位置が精密に決まる。飛行艇が山頂の観測点から見えて方向と距離を決められれば、信号弾からオラリオ、そして海上の戦艦までの位置が正確に測れる。  あとはアイオワ級の砲撃とトマホークミサイル、そしてオラリオからの短距離弾道ミサイルが雨のように降り注ぐ……  問題は、飛行艇の高さから敵軍の巨大さを見ると、本体はオラリオを目指し、途中にある異端児の国を踏みつぶそうとしていることだ。  故郷を助けて、とは言えない……姉妹・親友の殺し合いを強いる残忍な制度に対する恨み、故郷を捨てた想いがあるアマゾネス姉妹が何も言えない中、フィンは笑って言った。 「これから、われわれに敵対した【カーリー・ファミリア】を制裁する。ただし、誤射はあるだろう」 「え?」 「ば、ばか……間違えて、テルスキュラの敵を撃つ、ってことよ……だんちょおおおお」  ティオネは妹に意図を言い、フィンに抱きついた。  アマゾネス姉妹の、故郷に対する複雑な思い、だからこそ……誤射。そう、テルスキュラの敵を撃つ。 「貴様……戦士の栄誉を奪うのか!助けなどいるものか!」  激しい怒りをぶちまけるアマゾネスの女首領に、ティオナは嬉しそうに怒鳴り返す。 「勝手にやってるだけ!」  春姫の妖術、レベル7状態で不壊属性の巨大武器をふるうアマゾネスは瞬間移動のように動き、次々と敵を切り捨てる。  あまりにも速い。あまりにも強い。  そして姉が手に持つ巨大な機関砲は、精密に妹をフォローしている。  ティオナが切り捨てている敵は、高速で強烈な27ミリ弾に、少なくとも膝を撃ち抜かれ動きを止めているのだ。  ひときわ目立つところに、また小さい姿が飛び下りた。 「戦え!」  槍を掲げた小人の絶叫が上がる。『勇者(ブレイバー)』フィン・ディムナ……港町メレンでの戦いで、テルスキュラの体制が変わるほどにアマゾネスたち大半の心を奪った強い雄(おとこ)。  指揮系のスキルも豊富にある彼の叫びは、女戦士たち全員の子宮に響く。  疲れ果て傷ついた体の底から絶叫を上げ、すさまじい闘志で強すぎる敵に襲いかかる。  フィンはすぐにアマゾネス姉妹に合流した。  他にも飛行艇から飛び降りた者がいる。  ソロ、ベル、ビーツ、そしてレフィーヤ。  ソロは『ふくろ』からティオネに潤沢に弾薬を渡しつつ、大規模全体攻撃呪文ギガデインをレフィーヤの大呪文と同時に放つ。それだけで敵の相当部分が消えうせた。  そのソロを高速で狙う、巨大な鉤爪をとがらせた黒い鱗の腕……だがソロの剣が雷電を帯びると、芸術的なクロスカウンターが目から脳を貫く。  ベルとビーツは息を合わせて戦い続ける。  どちらも超高速。レベル4のはずだが、明らかにそれ以上の速度域。だがそれでさえ、速度を抑えている…… (無駄な速さはいらない。勝つことだ)  ソロに教わった、強すぎる多数の敵を相手に生きのび続ける戦い方を実践している。  最小限の力。最小限の動き。  ビーツの槍は、急所を貫くことがない。軽く膝を叩き、足首を払い、目を突き、『崩す』だけだ。  そこにベルがふわりと歩み寄り、むしろゆっくりと刀を落とす。腰だけ、刀の重さだけ。腹に深呼吸を落とし『英雄願望(アルゴノート)』の蓄力をひと呼吸分加えて。  どの敵も急所だけを最小限切られ、静かに倒れる。  静謐。  ビーツの力や敏捷は、今や『猛者』オッタルをしのぐ。だがそうは見えない。繰り返された敗北で鍛え抜かれた彼女は、無駄に力を誇示したりはしない。  人類とは桁の違う才能は、一度の敗北でも信じられないほど高く抜ける。  ほとんど動いているようにすら見えないのに、敵はすべてベルに首をさしのべている。ソロが『戦争遊戯』で敵も仲間も操ったように。  操っている。敵を一か所に集めている。  そこに、ふたたびレフィーヤの大呪文が炸裂した。エルフを襲う強敵の着地点を槍が軽く払い、立て直すための一瞬の停滞にベルの、雷を帯びた刀が逆袈裟に疾る。  だが、敵が多い。 「一人でも救出し、離脱させる」  戦いの目的は知っているが、アマゾネスという理性に乏しい種族を撤退させるのは極めて難しい。  だがソロとフィンは、粘り強く戦い続けた。  さらにルーラで往復するソロは、次々と第一級冒険者を連れてきて戦線に加える。また敵を掃討した地を作り、そこに多数の機関砲と弾薬を『ふくろ』から出して操作要員を連れてくる。リリの魔法で小さくされた兵器は合言葉で巨大な姿を取り戻し、圧倒的な火力を吐き出し続ける。  すさまじい戦力……別の世界を救った真の勇者の、面目躍如というものだ。  さらに敵の集まった部分は、アイオワ級の巨大な砲弾を受け続け、小規模なキノコ雲とともに粉砕されている。  遠いオラリオで、アイズ・ヴァレンシュタインがある気配に気づいた。  そしてダンジョンを封じるため祈る主神ウラノスも。 『隻眼の黒竜』三大クエストの最後の一つ。【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】を壊滅させた超強力モンスター。アイズにとって因縁浅からぬ存在。  それが『穢れた精霊』の力を受けたのか…… 「わずかな生き残りが、言い残している。黒竜は本体も強いが、条件を満たすと膨大な味方を作り出す」 「質と数を兼ね備えた群れによる攻撃、それが当時の二大ファミリアを、ほとんど生き残りがいないまでに潰した」 「闇派閥、エニュオのやからは、数で攻撃する方法を模索していた」 「黒竜に『穢れた精霊』を寄生させたとしたら……」  絶望を通り越している。だが、今は瓜生がいる……逆の意味で絶望的な破壊の悪夢。  強大すぎる怪物の軍勢と、恐るべき兵器のぶつかり合い……悪夢よりひどい。  そしてアイズ・ヴァレンシュタインが感じている、おぞましい焦燥感と身を焼き焦がす憎悪……  前線で戦うベルに、どのような英雄への道があるのか。  リリと瓜生を補佐して働く【ミアハ・ファミリア】のカサンドラが、わずかな眠りの中激しくうなされている。どのような悪夢を見ているのだろう。  目覚めたとき、どんな予言がその口から出るのか。だが、その予言に耳を貸すことができるのは、前線で戦い続けているベル・クラネルだけ…… >暴鉄炎 『隻眼の黒竜』……『三大クエスト』のひとつ。オラリオを支配していた【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】を壊滅させた怪物の王。  本体自体が極端に強い。さらに岩を眷属に変える……それも極深層に出てくるほどに強大なものを、何千体も。  質と量を兼ね備えた物量戦、それこそが当時の二大ファミリアを、生きて帰る者もほとんどいないほどに殺し尽くしたのだ。  それが、『穢れた精霊』の卵によって桁外れに強化されている。黒竜の聖域に侵入したレヴィスが過酷すぎる地形と気候を踏破し、幾多の護衛怪物を打倒し、超上位冒険者による封印を解いて、緑の宝玉を寄生させたのだ。 『ダンジョン』が生み出した最強の怪物はその寄生に抵抗し、力を取り込んだ。普通とは違う、黒竜の中の『何か』も反応した。寄生させた『穢れた精霊』も普通ではなかった。  普通の寄生された怪物より、次元が違うほど強大かつ凶暴になった。  さらにレヴィスは、与えたのだ。黒竜をこの地に封じていたのは、当時最強の冒険者が生命とひきかえに与えた傷だけではない。必要なものが、なかったからだ。  真水。何千年も一滴の雨も降らない砂漠。それが黒竜にとって天然の牢獄となっていた……なければ活動できない、眷属をつくれない。  だが、レヴィスは皮袋の水を与え、次に巨大な岩を破壊し山塊を隔てた大氷河湖から激流を引いて与えた。  久々の水を飲んだ黒竜は、砂漠の乾ききった岩を食らっては強大な眷属を大量に生み出した。『穢れた精霊』の祝福を受けたものを。  その一部、分遣隊の攻撃にも全滅しかけたテルスキュラに、【ロキ・ファミリア】【ヘスティア・ファミリア】が飛行艇の速度で救援に行った。  アイオワ級高速戦艦が、危険を冒して半島のつけ根に接近する。  海に面する強国のある海、航路情報を持つテルスキュラ幹部を艦上にソロのルーラで送って話を聞きながら……だが危険には違いない。 『勇者(ブレイバー)』フィン・ディムナの巨大な魅力で、闘志が強すぎるアマゾネスたちを少しずつ撤退させる。  岸近くに着いたアイオワ級、随伴する輸送艦が砲弾を戦艦に運び入れ、空いたスペースに傷ついたアマゾネスを収容する。  病院船もあったが、完全に足りなかった。何万もの生存者、すべてが重傷なのだ。  そして前線から人々をある程度逃がした、そこで飛行艇のリヴェリアから恐ろしい連絡が入る。 「フィン、ウリュー、核兵器の使用許可を。『隻眼の黒竜』だ」  通信を聞いたフィンも、全力で高い塔に走り登り、天体望遠鏡以上の第一級冒険者の視力でそれを見る。  ソナーで海底を探りつつ、できるだけ岸に近づいた3隻の鋭いまでに細長い巨艦が、一斉に咆哮した。  その間も、救出と避難……戦線の制御は必死で行われていた。  32キロメートル離れた敵の主力がいる深い谷に、獄炎の花が咲き乱れた。火球とキノコ雲という、悪魔よりも邪悪を極めた花が。  W23核砲弾。広島原爆以上の20キロトン。それが27発、同時に空中爆発。それが短時間で3回。実弾発射試験すらされていない、瓜生の故郷の総生産数より多い……瓜生の能力は召喚ではなく、瞬時に原子を積み上げるものだ。  遠くから見れば、それはキノコ雲の森だった。いや、キノコ雲の森が底を深く照らす光とともにゆがみ、吹き飛び崩れ、新しいキノコ雲が発生する。地獄そのものだ。  山手線内程度の面積が、完全に破壊された。いかなる建物も残らない。人間ならば絶対に一人残らず死んでいる。  衝撃波、爆風とその吹き戻し。超高熱の熱線と熱風。地面そのものが掘り返され、すべてがプレス機のような風の拳に殴られた。放射線が原子核まで破壊し、あらゆる分子結合をずたずたに切り刻んだ。  だが、それで倒せるのはレベル5程度までだった。アイズたちならば、瀕死ではあっても生きのびている。それだけの実力がある怪物は、生きていた。  アマゾネスたちも呆然としていた。  飛行艇で偵察・着弾観測をするリヴェリアや、ラキアのアレス王子たちも呆然としていた。  はるか遠くの地獄を遠望したベルも、呆然とした。  俊足で偵察していたアレン・フローメルは直感だけで逃げ、ふり返らずに背後のすべてを感じつつ、全速で駆けた。  フィンたちは、地の底の核爆発がどれほどすさまじいか、知ってはいる。だが、地上での圧倒的な破壊を見たのは、別物だった。 『発砲……ガガ……ちゅうガガガし!もう……ガガガ……無駄だ。防御魔法』  だからこそ、リヴェリアの、核砲弾がもたらした電磁嵐に乱れる無線連絡は衝撃だった。  防御魔法も使うリヴェリアには、見えている。核兵器の威力よりさらに上の次元の、すさまじい防御魔法が……桁外れどころではない魔力が。  その報告は、核兵器を解禁したにもかかわらず殲滅できないという恐怖を意味していた。 「恐れるな、お前の故郷の戦史にもある!膨大な爆撃や艦砲射撃でも戦い抜いた軍があると読んだぞ!低精度の攻撃はどれほど強力でも限界がある!」  通信機を通じ、リヴェリアが瓜生を励ます。 【ヘスティア・ファミリア】の新入生たちは、【ロキ・ファミリア】【アポロン・ファミリア】のレベル1と共同でひたすら大量の料理を作り、野戦病院の準備をしていた。  かなり大型の、給食センター水準の機材。  何千人分もの食料を一気に作る。瓜生が材料を供給してくれている。  巨大すぎる鍋やオーブン。レシピも量に応じて変わる、家庭でも小鍋と大鍋では同じ料理でも微妙に調味料の配合などを変える必要はある。  本拠地で扱いなれている、電動ベルトコンベヤ式の全自動フライヤーは、最低限の訓練でも大量の揚げ物を作り続けることができる。だからこそ点検や揚げ油の交換などに高い訓練と教育水準が必要だ。  巨大な寸胴鍋がいくつも、大量の豆・肉・ミックスベジタブルのスープを作っている。  巨大な缶を開け、レトルト袋を開いて業務用カレーを作っている。  大きいオーブンでパンやピザを冷凍生地から焼いている。  機械的に回転する、ドラム式洗濯機のような鍋が大量のチャーハンを炒めている。  機械フライヤーがベルトコンベアで冷凍揚げ物を揚げ続けている。  それがあるからこそ空を行きかう軍用機のパイロット、また多数の軍用機を整備し、弾薬や爆弾を積むレベル2級を支えることができる。  フィン・ディムナはもとより、 (ちゃんと食べられること……)  がどれほど重要かをよく知っている。  ほかにも【アレス・ファミリア】虜囚となっているラキア軍3万、数だけはオラリオ最多の【ガネーシャ・ファミリア】、どちらもオラリオ内外に基地を築いている。  寝床。トイレ。水と食事の用意。洗濯。入浴。  近代兵器の訓練、予備弾薬の倉庫。  瓜生の莫大な物資の力もあり、軍事行動が可能な水準で、軍事生活ができつつある。  たかが数百人に昼食をさせるだけの給食に、どれだけの資材と費用が投入されているか。まして満員のホテルの、トイレと入浴に最上流の水道取水口から最下流の下水処理まで、どれほどのインフラを伴っているか。  膨大な食料・真水・衣類・石鹸・機材……それらが動き続ける。近代戦という、ラキアのこれまでの戦争とはまったく違うペースで。  戦場商人たちもそれに適応しなければならなかった。価格競争ができないのだ。  あちこちの山頂にある、少人数の観測・通信中継基地。今回の戦い、特に艦砲射撃を誘導する、信号弾の位置を確定するのに必要だった。  そこにも、飛行艇からの空中投下で間断なく食料や燃料が供給されている。  その場でもおいしい食事ができるよう、圧力鍋と熱源もあるし、レシピと食材もある。  膨大な音楽CDと高級プレイヤー・アンプ・ヘッドホンも用意されている。  そして敵が迫り危険となれば、すぐに撤退するように大型オフロード車も準備されている。  特にチート級の移動手段である、ソロの『ルーラ』も必要なら活用される。 『ふくろ』に入っていた『キメラのつばさ』も、『神秘』レア発展アビリティを持つフェルズやアスフィが研究し、リバースエンジニアリングしている。試作品はもう、数日にひとつの高級品だが出回っている……それも本質的には世界を変えるものだ。  アイオワ級を中心にした艦隊も何百人もの、主に【ロキ・ファミリア】のレベル1と2が運用している。  それも膨大な資材を常に消費する。弾薬のみならず、燃料も。食料も、洗剤も、修理整備用の油や薬品も。  瓜生は一人しかいない、そちらを見ているのはリリルカ・アーデだ。  リリが瓜生から、同意を得て手に入れた【豊穣角杯(コルヌコピア)】は劣化コピーとなった。瓜生の魂と直結したスキルだからだ。  魔法の形をとった。  魔力を消費するので、使用回数にも制限がある。マジックポーションがなければ、一日にアイオワ級一隻と一戦分の資材弾薬を〈出す〉のがせいぜいだ。  だが、それでも効果は大きい。  そして通信を支配し、膨大な情報を集めて現場近くで処理する……前線にいるフィンの補佐もしている。  リリが情報を整理し、最低限にまとめてフィンに送っているからこそ、フィンは最前線で戦いつつ指揮を執ることができている。  ちなみに、核兵器の使用には最低限【ヘスティア・ファミリア】【ロキ・ファミリア】【ガネーシャ・ファミリア】、神ヘファイストスとウラヌス全員許可が必要としている。  あまりにも危険すぎるからだ。  だがそのすべて、『隻眼の黒竜』の名を聞いた時点で即座に承知した。 【フレイヤ・ファミリア】は、近代技術ではなく豊富な第一級冒険者の脚と目で情報を集めていた。膨大な近代兵器すら通用しない『隻眼の黒竜』の脅威は明らかだった。  同時に近代兵器自体の威力も、かなり正確につかみつつある。 『猛者(おうじゃ)』オッタルは充実していた。 (やっと、また挑戦者になれた……)  のだ。  長かった、頂点の孤独。 『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインの成長も見た。だがそれでも、あまりにも差は大きかった。  だが、【ヘスティア・ファミリア】に加入した武威、ソロ、ビーツ。  武威は最初から、パワーだけなら何桁かわからぬぐらい自分より強い。  ソロは経験も、戦闘力も同等かかなり上。  ビーツ。あっというまに、少なくとも腕相撲とかけっこでは彼方に引き離された。桁外れの才能は、一日でそこらの天才が数年努力するほどに技も高めていく。  ベル・クラネル。目の当たりにした、長文詠唱の一撃が決まれば……限りなく不可能だが……自分を殺せる。それができる者すらリヴェリアぐらいだった。長いこと。  レベル7に至ったフィン・リヴェリア・ガレスも、まとまれば何とか自分を倒せるかもしれない。  そして地上にいても感じた、地の底でフィンたちが起こした爆発。それも密閉空間の至近距離なら自分を殺せるだろう……。似た爆発を、アレン・フローメルが報告した。 『豊穣の女主人』を攻撃された報復に襲った、人工迷宮の敵……レヴィスも撤退が早かったが、かなり自分に迫る力があった。実は『穢れた精霊』が寄生した超怪物もひとり斃している。  アステリオスも万全なら、少なくとも腕相撲では勝負になる。魔石を食い、修行を積めばもっともっと成長できる可能性もある。  さらに、この黒竜の眷属たち。  腕相撲では自分に勝る敵が、何万も。  それほどの喜びもない。  ずっと昔のように、絶対に勝てない圧倒的に強い先達たちに食い下がろうと血を吐き、唾を吐かれ顔を踏みにじられ、唇を噛みちぎり涙をこらえ眠れぬ夜を素振りで明かす日々に、また戻れた。  また土を、床を味わうことができるのだ。眷属たちが自分の足下でそうしているように。  アイズとビーツのカチコミ以来【フレイヤ・ファミリア】は瓜生やリリルカ・アーデと秘密裏に交渉し、武威やソロと修行をしている。  オッタルが武威を相手にするときは、半分以上は武威が修行している柔の技に、最高速の自分の攻撃を流させる修行。  それから、『戦争遊戯』と同様に柔の技を崩す、技重視での模擬戦闘。それなら無理に気を制御している武威も高いダメージを負う。  最後に、力技の一発……オッタルが確実に全身複雑骨折の瀕死となる。  ソロとの修行は、オッタルも完全に実力を出し尽くす。互角かそれ以上の強者、勝敗を数えることもなくすべてをぶつけ合う。  また、何度か瓜生に頼み、30ミリガトリングと57ミリ・76ミリ艦砲の嵐を受けかわしてみたこともある。一度はアイオワ級の40センチ主砲18発を浴びてみたこともある。  まだまだ上がある。まだまだ強くなれる。  そして今、これまで挑戦を避けていた桁外れの敵と、否応なしに戦わねばならない……  核砲撃が終わり、助けられるだけの『テルスキュラ』のアマゾネスを乗せた艦隊はメレンに引き返していく。  飛行艇も順次引き返し、交代して敵を偵察し続ける。  黒い雨が降っている。キノコ雲が崩れ、上昇気流が冷えて雨を降らせている。  黒い雨。膨大な放射能を帯びた雨。大地を汚し、怪物も犯しているはずだ。  だが、黒い怪物は黒い雨を浴び、黒い川をうまそうに飲み干している。  黒い衣の下では、普通の『穢れた精霊』とは違う何かが狂い笑っている。  ひたすら、オラリオに……母なるダンジョンに向けて走っている。  黒い雨、黒い沼もものともせずに。  オラリオの近くに、いくつか大規模な貯水池が掘られている。瓜生の出したショベルカー・ブルドーザー・ダンプカーの力で。  ひたすら長い長方形で、浅い。  普段はアゾラなどを育てている。  だが氷雪系魔法使いが凍らせれば、即座に滑走路になる。  B-1ランサー爆撃機とF-15Eストライクイーグルが次々と飛び立った。  多くは地中貫通爆弾を積んでいる……急降下爆撃、『黒竜』に直撃させる。  MOP、GBU-57A大型貫通爆弾。  そしてB61核爆弾。 【ミアハ・ファミリア】の新しい本拠となった研究所で、カサンドラが激しくうなされている。  相棒のダフネが起こそうとし、主神のミアハが覚醒薬を作っても、アンモニア水を嗅がせても起きない。ひたすらうなされている。 「どんな呪いなのだ……」  と、薬神の美しい顔が汗にまみれる。 >大軍と弾雨  空の偵察網。ラキア捕虜を中心に、オラリオに近い港町(メレン)がある巨大汽水湖から飛行艇が運用されていた。  また、比較的最近だが、貯水池を滑走路としたジェット戦闘機・爆撃機も運用が始まった。  ラキア戦争や人工迷宮探索のために、【ロキ・ファミリア】は大型無人機の運用も始めていた。それはオラリオ周辺の地図作成、農業・衛星都市・交通網開発にもつながっている。  その高い目が、テルスキュラの近くを通りつつある敵主力とは別の敵をつかんだ。  遠い砂漠から、別の道を通る。異端児(ゼノス)の国を通ってオラリオに向かうルートを通っている。  それほど強そうではないが、とにかく信じられない数だ。  10メートル近いアロサウルスに似た黒い俊足、瓜生の故郷の原生最大種より何倍も大きい巨大トカゲ、100メートルに迫る多頭巨蛇(ヤマタノオロチ)など。スピードも自動車並みに速い。  迷宮都市(オラリオ)の支配者……『ギルド』と【ガネーシャ・ファミリア】、二大巨頭【ロキ】【フレイヤ】両ファミリアはそちらにも救援を送ると決めた。  オラリオには新しく、元【アレス・ファミリア】であるラキア捕虜3万人という戦力もあった。  オラリオ周辺の広大な未開地を開発している。  広大で豊かな農地。水路。十万以上の収容力がある衛星都市。  鉄道や道路もまず港町(メレン)=オラリオ間、さらに近隣都市に単線からつながりつつある。  ラキア捕虜たちは、最大でレベル3だが冒険者である。  それがブルドーザーを使いこなしている。ショベルカーを学んでいる。トラックを運転し修理できる。  飛行艇の扱いを学んでいる。  それに、トラックによって動くいくつかの兵器が加わったのだ。  人数が多い【ガネーシャ・ファミリア】も短期間の訓練で加わる。  異端児(ゼノス)たちも桁外れの知能と体力で、瓜生にもらった兵器を使いこなしていた。工業も学び、それを戦場での修理や運搬に応用した。  まず異端児の国を守る、国境のCIWS帯。さらにそれを援護する多数の重砲。  竜女のウィーネも、翼ある相棒たちとともに大型機関砲と無反動砲を抱いて飛び回り、近距離から敵に猛撃をぶちこむ。  膨大な数の軍用悪路トラックが弾薬などを積み、火砲を牽引する。  牽引できる155ミリ榴弾砲と120ミリ迫撃砲。ひとつの陣に榴弾砲は2、迫撃砲は3。レベル1でも、もっとも力持ちの兵を大幅に上回る冒険者、人数は規定より少なくていい。  射程が長く無数の子弾で制圧する多連装ロケット、MLRSと違いトラックの延長で学習運用コストが低いHIMARSもある。  陣地防衛用に、20ミリガトリング=バルカン砲を用いる牽引対空砲が3基。  バルカン砲にはいくつか欠点がある……発射開始から回転が乗るまでごく短時間の連射能力が低い。弾薬そのものも同じ20ミリでより強力なものはある。部品点数が多いため故障リスクが高く、動力と電気=エンジン・燃料・発電変電機も必要だ。  だが航空機機関砲がベースであり、膨大な数の弾薬を一度に供給できる。クリップで数発を装填するのを繰り返す地上・艦船用の機関砲は、信頼性は高くても多数の人手が必要だ。  地上用で抑えられてはいるが毎分3000発、なにより膨大な弾数をひとりでぶちこめる。ガトリングやチェーンガンは弾が不発でもそれで連射が止まることはない。飛んでいる戦闘機の翼にある機関砲を修理したり不発弾を手で排出したりするのは不可能。  12.7ミリ重機関銃も護身用に、全員に配られている。  特に強い敵に備え、対戦車ミサイルと対戦車ロケットも配備されている。  陣ごと素早く移動でき、近づくものすべてを粉砕し、地雷と鉄条網と矢板と泥濠で防護された陣を作る。  道路と鉄道で大量の物資を常に運ぶ。  さんざんやってきた道路や農地の工事の経験がそのまま活用される。  どんな怪物も近づけない。半径20キロ、延長ロケットがついた弾で30キロを完全に支配する。HIMARSは大型の地対地ミサイルを選べば、120キロ以上の長射程もある。  その陣が数キロおきに据えられている。長さは東京〜浜松間に匹敵する死の帯、そのどこであっても3つ以上の砲陣から集中砲撃をぶちこまれる。  特に強い敵は、【ロキ・ファミリア】【ヘファイストス・ファミリア】の戦車隊が突進し、遠距離から120ミリ主砲を精密に叩きこむ。重武装の自走式対空砲が随伴し、敵の反撃を待ち伏せが得意なSタンクがずたずたにし、歩兵戦闘車が戦いながら大量の弾薬を運搬する。  Sタンクは一人で操縦できるが、砲塔と車体が一体でありすばやく左右に振り向いて射撃することはできない。  それを補うのが、あえて人数を一人増やして、ハッチから身を乗り出してTOW携行対戦車ミサイル、カールグスタフ歩兵用無反動砲などを使い分けて叩きこむ戦法だ。  メルカバを多数運用することも含めると、どうしても人数が必要になり、本格的にレベル2や1も訓練して戦線に回すことになる。  上空は飛行艇や偵察機、無人機が遊弋し、情報を地上に送信している。  A-10攻撃機も爆弾と30ミリの雨を降らせる。  敵が陣を狙えば地雷が爆発し、鉄条網と泥沼に阻まれている間に迫撃砲と機関砲とロケット弾、対戦車ミサイルが飛んでくる。  さらに地域によってははるか遠くの港町そばからアイオワ級戦艦の40センチ砲、瓜生がいる本陣からの短距離弾道ミサイルが飛んでくる。  戦艦を運営するには本来膨大な人数がいるが、航海を考えなくていい。料理や医者、書類書きはいなくていい。ひたすら巨大な艦砲を撃ち、トマホークミサイルを撃つだけだ。  決して突破させない。  ちなみにこれは、【ヘファイストス・ファミリア】にとっては屈辱だった。  この戦いまでに、実戦で使えるほど信頼できる、適切な速射砲を大量に作ることができなかったのだ。  いや、既存の適した機関砲を牽引できるタイヤつき砲架すら、必要とされる数作れなかった。  多連装のチェーンガンやリボルバーカノン。新規設計の37ミリ機関砲。  間に合わなかった。  過酷な戦場での使用に耐える、故障しない、命を預けられる信頼性。  安価で容易に修理できる構造の単純さ。極限環境、夜間や濃霧、激しい疲労や負傷があっても間違えずに部品交換が可能なほどの設計。  圧倒的な数を作る工場、素材入手・製錬の能力。  どれも足りなかった。  悔しさに椿もヴェルフも、全員が絶叫した。そして戦車と戦闘機を短時間で覚え、地味な整備で油と泥、アスファルトや砂にまみれた。 【ヘスティア・ファミリア】の新入生などは、その衣食住を支えた。温かい食事や茶、トイレ、風呂、寝床。すべてが温かく清潔な屋根のある施設の下で。それがあるからこそ戦える。未熟ゆえに戦いに出られない、前線に行けない悔しさをそちらにぶつけた。  前線では、無人に近い広大な荒れ地やいくつかの森を舞台に、無数の爆発が起きている。  何千という黒いヘビやトカゲが集まり固まって突き進もうとする、その真ん中に奇妙な半球、爆発が出現する。その半球は瞬時に崩れ、巨大な炎煙に変わって立ち昇る。  周辺は爆風に吹き飛ばされ、無数の破片で切り刻まれた怪物が多数もがき、もがきながら前進しようとし続ける。地面には小さいクレーターが残り、地勢によっては泥壺となって足を阻む。  空を飛行機が飛びすぎると、ナパーム弾の黒炎が、テルミット弾や白リン弾の白炎が地面を覆う。  マベリックミサイルの、精密に誘導される成形炸薬弾頭はまさに一撃必殺。  A-10の30ミリ機銃が咆哮すると、巨大な剣で斬りつけたように死のミシン目が生じる。  ロケット弾が空中で炸裂すると多数の子弾がまき散らされ、すべてが爆発して自己鍛造弾の雨が銃弾以上の速度で降る。  地獄。爆発そのものが至近距離では、鋼の槍も通らぬ黒い鱗皮を引き裂き中の骨肉内臓を潰す。飛び散る破片、銃弾の何倍もの速度で飛ぶねじれた鋼の断片は鱗の隙間に潜りこみ、体内で暴れ内臓を切り刻む。  こちらの軍勢も、それこそ瓜生以前の【ロキ・ファミリア】全軍でも確実に潰されていた数と強さだ。超巨大蛇は一匹でも、レベル5が複数いてもまず勝てないほど強い。  それでも120ミリ迫撃砲弾の至近弾には致命傷を負うのだ。  巨大すぎるワニが、155ミリ榴弾の至近弾に大きく揺れ、脇腹を破られながら暴れ続ける。はるか遠くから120ミリ戦車砲がその傷口を貫通し、タングステンの太矢が体内を暴れ狂い口から飛び出す。  いくつもの首がある超巨大蛇が弾幕を抜け陣に迫る。20ミリバルカンが瞬時に数百発叩きつけ、黒い巨体が切り刻まれもがき苦しむ。そこに空を飛び過ぎた広い翼、直後30ミリ機関砲とマベリックミサイルが列車より太い胴体を両断する。  戦士たちは、戦いとはまったく違う作業をする。ひたすら計算し、装填し、発射し、修理し、運び、運転し、地面をならし、道路を作る。食べる、飲む、出す。 (これが戦い……)  とは信じられないが、間違いなくはるか遠く、冒険者の視力が見る遠くの斜面で多くの巨大な怪物が両断され、貫通され、骸となっているのだ。  異端児たちはせっかく手に入れた故郷を守るために。  今は農作物の芽が緑になり、苦労して掘った水路をせせらぎが流れる。豊かな鉱山から得た鉱物を教科書をめくりながら分析し、砕き、溶かし、金属を取り出す……故郷を壊さないように、環境汚染についての教科書も事前に読み、煙も廃水も絶対逃すまいと細心の注意を払って。  今は実験室規模だが、近く工場の規模に。人間とも交易できるという夢を抱いて。  今は瓜生由来の素材を、鍛冶の技術で打つ。  そしてダンジョンに向けてトンネルも掘る。  憧れた空を見上げ、太陽の光を浴びて。自分たちの国。自分たちの田畑。自分たちの工場。自分たちの故郷。  そのためなら、命など軽い。まして泥に埋まった巨大榴弾砲を引き抜き、迫撃砲の弾道計算を覚え、危険を冒して不発弾を取り出し運んで爆破するなど、軽い。  ラキアの捕虜たち、数万の将兵……【アレス・ファミリア】の人々は、もう故郷を思う心は振り切りつつある。  故郷より圧倒的に豊かな暮らし。食べ放題、飲み放題、美しい売春婦も多数。  異端児に関する戦いでは空を飛び、いくつもの国にラキアの旗を立てた。勝利欲も満たされた。  家族を呼び寄せる者も多くなっている。  そして次々と新しいことを学び、豊かな田畑を切り開いた。それを守るためなら、戦える。  その両者に負けじと、オラリオを故郷とする冒険者たちも奮い立ち、必死で砲やキャタピラ車、大型トラックを学んだ。  故郷を守るため、ひたすら戦い続ける。  といっても、とにかく多数の機械を途切れなく動かし、移動し、故障した時慌てずに対応するだけだ。決して近づかない戦い。敵がたまたま近づいても、バルカン砲と重機関銃で挽肉にするだけの戦い。  そちらの侵攻を止めた、だが本隊はテルスキュラのほうからオラリオを目指している。  核兵器ですら止められなかった悪夢……桁外れの魔法を行使する『穢れた精霊』と、フィンやリヴェリアはとらえている。  地形を選び、戦車隊と第一級冒険者が待ち構える。 【フレイヤ・ファミリア】も加わっている。  黒竜討伐という栄光を目指して。  より強大な敵との戦いを求めて。  より強くなるために。  復讐のために。失ったものを取り戻すために。  先に空を戦闘爆撃機が舞う。  もう一度、今度は着発設定の水爆と、地中貫通爆弾。これ以上オラリオに近づかれてはオラリオ自体、またいくつかの周辺国にも放射能汚染がある。今はまだ、上空の大きな風が汚染物質を砂漠や大海に流し去ってくれるが……  アイズ・ヴァレンシュタイン、ベート・ローガ、アナキティ・オータムらがF-15Eストライクイーグルで飛び立った。 「一秒でも早く戦いたいのなら、一日で学んでみろ。ここから走るよりずっと速いぞ」  瓜生に言われ、すさまじい集中力でシミュレーターをこなし、実機の訓練をこなし切った。第一級冒険者のすさまじい視力と運動神経、バランス感覚はそちら側にも働いた……何百時間もの訓練が必要な超音速戦闘攻撃機の操縦を短時間でマスターした。  たとえ超音速で、何十トンもの燃料油を背負って地面に激突しても生き延びられる耐久もある。  地中貫通爆弾。至近距離から直撃させる…… (ほぼ特攻じゃないか……)  と瓜生が嘆息するような危険ミッション。  それがダメなら……  ベル・クラネルたちは飛行艇で、敵本隊を迎え撃てそうな岩場の前に着地した。  ソロが『ふくろ』から出したショベルカーで深い穴を掘る。近くで水爆が爆発しても耐えられるように。  ベルはひたすら、アイズの無事を祈っていた。近代兵器を学ばないことを選んだ自分の甘さを後悔し、そのことをソロに指摘されて、 (自分にできること……)  をする覚悟を決めた。  マッハ2近く。すさまじい速度で、地中貫通核爆弾を抱えたままアフターバーナーを吹かす。  巨大すぎる黒い巨体が、みるみる大きくなる。目に見える地形が急激に変わる。  桁外れの速度。桁外れのパワー。桁外れの怒り。桁外れの恨み。  そのアイズが、何を見たのか……  ちょうどその時、カサンドラが目を開いた。 * 「現実」の機関砲・重機関銃はおそろしいほど新作が出ない世界です。 ただ、ブッシュマスターシリーズ……M2ブラッドレー歩兵戦闘車の主砲である25ミリチェーンガン機関砲に、30・35・40とファミリーがあるのですが、それも目立ちません。 特に朝鮮戦争の戦訓を考えると、とにかく多数の火砲が必要なのに。 とにかく圧倒的な短時間で、悪い地形に大量の、多数の火砲。 信頼性が高く、単純で、生産性が高い。できれば連射が高い。 外部動力の方が信頼性は高い。 105ミリ榴弾砲や76ミリの機関砲水準の速射砲などがあれば戦線維持には最適でしょう。 この作品の事情を考えると、外部動力で、単純で、連射が高く、貫通力が高い。ガトリングは欠点が多い……発射開始からわずかな時間、回転が加速する間、連射力が低い。その千分の一秒が致命傷になりかねない。 25ミリ程度の、現存より超高初速、チェーンガンを多連装。 リボルバーカノン多連装の牽引でもいい。 今回は、準備期間が短いから現地工業力がまだ大量生産には至っていない、だから現実に存在するものから妥協を重ねました。 >狂乱  F-15Eストライクイーグル。第4世代最強戦闘機の攻撃機版、機動性もマッハ2を超える高速もそのままだ。爆弾搭載量はB-29をしのぐ。  その視野の広いキャノピーから、アイズ・ヴァレンシュタインは地獄を見ていた。  巨大な恨みに狂いながら、戦士としての理性が見ている。  巨大すぎる黒竜。それが、膨大な短距離弾道ミサイルや砲弾、精密誘導爆弾の攻撃に耐えている。  十キロ以上離れたところで155ミリ榴弾砲とロケット弾の砲列が猛火を放ち、敵の進路を潰し続けている。それ以上に離れたオラリオ近郊から、瓜生を中心としたチームが短距離弾道ミサイルを大量に発射している。  海からは射程外だが、25キロ離れた深い池に1隻のアイオワ級を出し、乗員もそちらに移って連射している。砲身を氷雪魔法で冷やしながら。  何百キロもの高性能爆薬。サーモバリック弾。はるか上空から放たれる、B-1ランサー爆撃機の精密誘導爆弾と超高温焼夷弾。  GPS、衛星がないという不利はあるが、それでも知識ファミリアが知恵を絞りプログラムを組み、上級冒険者の超絶な目・知能・器用で精密誘導を実現している。  近距離ではすべてを破壊するはずの、高性能爆薬の衝撃波。やや離れても恐ろしい爆風と破片が飛ぶ。  数千度で燃えるアルミニウムやマグネシウムの超高温。  三角測量された敵に山越えに刺さる、40センチ艦砲の正確な直撃。  そしてB-1を駆るリヴェリアが、操縦しながら放つ第3段階の極大攻撃魔法。それもまた核兵器のようなすさまじい破壊をもたらしている。  すべてが、超巨大な……列車より、大型タンカーより、大型ビルより巨大な黒い竜の、黒く輝く魔文字に守られた鱗に阻まれる。  ビルをも吹き飛ばし、大地をえぐりクレーターを作る爆風にも、こゆるぎもしない。重巡の装甲を貫く徹甲榴弾もはじき返す。  その後ろに従う千を越えるモンスターも、資材を守る防水布のように広がる防護魔法に守られている。  だが……直撃させる。分厚いコンクリートを貫通するメガトン級水爆を。マッハ2、いや風の魔法を用い瞬間的にはマッハ4近くで。  ベート・ローガやアナキティ・オータムも彼女の風を借り、超低空を一気に加速している。  巨木をぎりぎりでかわす。地表近くの異常気流を滑るようにいなす。  鉄塊に覆われた谷の上の気流をかわす。ほんの一瞬、フィンやベル、オッタルの顔を見る。最上の冒険者を集め、爆発をよけるため鉄塊の下を深く掘って固め、最終防衛線としているのだ。  アイズがアフターバーナーを入れる。同時に超短文詠唱、「【目覚めよ(テンペスト)】」。  魔力の風が、F-15E全体を覆う。すべての気流を整える。可変翼機のように、いやこの速度と高度のために設計された飛行機のようになる。エンジンからは桁外れの炎が、それも酸素が供給されて完全燃焼を起こし設計以上の効率で猛り吠える。すさまじい力で巨体を押す。  追加詠唱。  アイズの身体がシートに食い込む。危険な音がする。F-15の設計限界を超える加速。  後部座席のナルヴィの指が爆撃トリガーにかかる。短い、だが膨大な回数の訓練。爆弾解放の手順が素早く入力される。B-29をしのぐ搭載量、それでも多くを占める2発の地中貫通水爆の信管に信号が流れこむ。必死で標的を見つめつつ、アイズの命令を待つ……時間が引き延ばされる。  マッハ3から4へ、さらに激しい加速。機首が、垂直尾翼が、エンジンノズルが溶けはじめる。空力を風の魔法が補う。  そのとき。アイズの、第一級冒険者の目は見た。  黒竜の潰された片目、その代わりに埋まっている美女の顔。吐き気を催す光景。  通信を打った。絶叫、 (人が出したとは思われぬ……)  ほどの。  母を叫ぶ。繰り返し。  風が歪み、吹き荒れた。 「アイズさん!」  ナルヴィが悲鳴を上げる。一瞬で巨大戦闘機が制御を失う。後方のベートとアナキティの機体も。  横に一回転。腹を見せ、尾が前に出る。さらに横回転。 「操縦!」  ベートが後部座席のリーネに叫び、シートベルトとキャノピーを一挙動で切り裂き飛び出した。強烈な空気に叩かれて後ろに銃弾より速く飛び、双剣の一方を抜いて垂直尾翼を斬りしがみつく。  高空を舞うB-1のリヴェリアも異常を知る。  追随するアナキティは危険を避け、全力で機を傾けて真横に加速し逃れた。一気に急上昇、また失速から強引に立て直し、アフターバーナーを吹かす。  翻弄されるアイズ機のキャノピーが破れ、黒い竜巻が飛び出す。  防衛線。  深い谷底、特に狭い部分の上を巨大な鋼で分厚く覆ってシェルターとしている。  近くで水爆が炸裂しても、兵器も兵員も失わない。  谷底の、すぐに地上に出られる部分には6両のメルカバと、ナメル30ミリ・SIDAM 25・Sタンクが各5両。その上を少しでも覆うよう、強大な力を持つ第一級冒険者が巨大な鉄骨と鋼板で仮の屋根を組んでいる。  谷の味方側には大型の対空砲も多数準備されている。  谷の中の広い部分には離脱用の大型ヘリコプターもある。 【ロキ・ファミリア】【ヘファイストス・ファミリア】【ヘスティア・ファミリア】共同の、事実上の最終防衛線。  その隣を【フレイヤ・ファミリア】が守ることは合意できている。  通信機のそばで、フィン・ディムナが必死で情報を集めている。フェルズが作った通信魔道具も用いている。  オラリオ近くの中心基地を拠点としている瓜生。つい一時間前まで、近くの湖に戦艦を出し、つなげられた輸送艦に莫大な量の砲弾を準備して拠点に戻ったところだ。  艦隊を指揮しているリリルカ・アーデ。大量のハイ・マジックポーションを飲みながら、テルスキュラの膨大な人々のために巨大客船と医薬品を、また避難援護のため戦艦の砲弾を〈出し〉続けている。  異端児(ゼノス)国近くに展開している【ガネーシャ・ファミリア】と異端児の連合軍。  メレンから主に飛行艇で活動している【アレス・ファミリア】マリウスたち。  B-1ランサー爆撃機から最前線で爆撃と偵察の双方をこなし、間断なく往復しているリヴェリアとアリシア。  ソロは瞬間移動呪文の高速と、物資を大量に収納できる『ふくろ』であちこちの味方の陣を動き回り、時には剣・攻撃魔法・回復魔法で助けてもいる。  大量の情報が入る。処理し、指示する。  わずかな時間、訓練は積んできた……レベル7のガレス・ランドロックと6の椿・コルブランド、レベル6が2人のアマゾネス姉妹が、それぞれ3両の主力戦車と行動する。主力戦車の複数の主砲を、大型手持ち改造機関砲を持った第一級冒険者が活用する戦法。  武威・ソロ・ビーツ・ベルの前衛と、レフィーヤと春姫をトグが守る後衛の隊もある。自分はこの全体を動かす。  テルスキュラから、傷を癒したレベル6がふたり加わっている。新しい戦法には慣れていないため、使い道が難しい。ついでにティオネと激しく言い争っているのも負担になる。  やっと、機を立て直したアナキティから連絡。  低空高速爆撃は失敗、アイズとベートは機体から飛び出し、黒竜軍と交戦を始めている……  フィンが冷静に会話している通信から、わずかに「アイズ」の声が漏れる。切迫感も……フィンは沈着を保っているが。  ベルはただ、激しい感情を封じ込めて刀を抱いていた。 「戦う瞬間まで体力を節約しろ」  ソロの言葉。  激しい、激しすぎる戦いの生涯を送り、魔王を殺した真の勇者の言葉。彼の深い深い悲しみも伝わる。  祖父の死も思い出す。知らせを受け取ることしかできなかった。  ソロの背中は、似た、いやもっとすさまじい悲嘆を経験していることを雄弁に伝えていた。  ただ体力を節約し、必要な時だけに爆発させる……それしかできることはない。  自分には剣しかない。  飛び出したい。走りたい。  ソロは、傍らの少年を横目で見ている。  痛いほどわかるなどというものではない。  倉庫に閉じ込められ、家族の、村人の、シンシアの死を聞くしかなかった……その痛みをよく知っている。祖父を失ったという痛み。そして今、ベルの愛する女が死地にあるという……  桁外れの戦いの経験が、かろうじて体を止めている。  ベルに、間違いなく英雄の資質があることはわかる。だがそれが、自分のような悲しいものとならないことを強く祈っている。祈る相手もなく……マスタードラゴンは、父の仇でもあるのだ。  ビーツは数分に一度、パックされた大きいチョコパンを開けては口に詰めている。  絶対にガス欠にだけはならないように。  そしてひたすらイメージトレーニングを続けている。  何度もの敗北を思い出している。特にオッタル……長年最強でいながら、誰よりも、弱い自分が何倍も強い相手に勝つための技を磨きぬいていた。  そのすべての技を思い出し、無数の応用を想像し、心身に焼きつける。  じっと戦いを待ちながら、ひたすら技を高めている。  緊張に押しつぶされそうなトグとレフィーヤ、そして春姫。  春姫こそ、ここでは桁外れに弱いレベル2……水爆の爆風がちょっと変だったら死にかねない。だからこそトグは、彼女を守らなければならない。レフィーヤも。  レフィーヤこそ、ベルとともにアイズのところに飛んでいきたい。  戦闘機側にいなかったことを激しく後悔している。  どこをどうやったものか……ベート・ローガが超音速の領域も身体で知る超人だからこそできた神業だ。超音速の激風、その中での巨大戦闘機の挙動を完全に理解し支配した。  リーネが駆るベート機は、ベートが垂直尾翼の一方を切り落した結果墜落を免れ、背面飛行で暴風から離脱した。  ベートはほんの一瞬、ナルヴィが残されたアイズ機に飛び移って最低限の操作をし、ナルヴィを操縦席に引きずり入れてもう一度操縦桿に別の命令をした……激しくきりもみしながら急上昇。直後ベートは飛び出す。呪文を詠唱しながら。  アナキティは大きく旋回し、翻弄される2機の戦闘機に近づいて、つるまきバネの軌道で上昇した。リーネもナルヴィも必死でぼろぼろの戦闘攻撃機を操縦し、その後ろに従っている……それでやっと機体制御を取り戻す。  ベートは超音速の衝撃波に全身を殴られつつ、魔法を歌い続ける。『剣姫』のところに走り続ける。 「【戒められし悪狼の王……」  長文詠唱。その詠唱文には、ベート自身の弱さが刻まれている。向き合いたくない弱さに。だから彼は魔法を使いたがらない。59階層で瀕死であっても。よほどのことがなければ使わない。  マッハ3の風の剣波に、それ以上に荒れ狂う黒い風に全身を刻まれる。  母を呼ばわる、狂ったアイズの絶叫が轟く。  黒竜の咆哮がすべてを殴り倒す。  ベートのスキル……速いほど強い。  風を蹴って前に出る。不壊属性の双剣も納めて。 「平らげろ……ハティ】」  長文詠唱が完成する。即死ものの傷、それ自体が強さに変わる。  桁外れの魔力で荒れ狂う黒い竜巻。それに、炎を帯びた両手を突っこむ。  デスペラードを抜き放ち、人とは思えぬ狂怒を顔面としたアイズ……触れられるはずはない、鋼鉄の棒でもその周囲を狂う黒風が粉末にするだろう。  だが、ベートの手足の魔炎は黒風を吸う。どんな魔力でも吸収する……ベートの両足を固めていた、もう衝撃波に砕けている、椿作の魔力吸収型メタルブーツ『フロストヴィルト』は、魔法の劣化コピーに過ぎない。 「なにやってやがる!」  叫びとともに、ベートの拳がアイズの頬にめりこむ。  同時に蹴りが、巨大すぎる黒竜の頬を蹴飛ばす。魔力吸収……原爆にすら耐えた防御・肉体強化魔法そのものを吸う。  アイズの怒りは、狂気は膨大な魔力を吸われても、何年も隣で戦った戦友の鉄拳を受けても戻ってはいない。  跳ね起きたカサンドラは、必死で訴えた……だが、決して耳を貸してもらえない。彼女の予言は誰にも信じてもらえない呪いがかかっている。  ベル・クラネルのところへ。最前線、危険を通り越した地獄に。  必死で訴える彼女の姿に、ついにダフネとナァーザが、そしてミアハが動いた。  救援のためにという名目で、ナメル重装甲車が戦場に飛び出す。 >友のために  最終防衛線として敵を待ち構えていたフィンたちは、通信を受けて救援を決めた。  無茶な方法での、最速。前線で爆撃と偵察をしていたリヴェリアのB-1ランサー爆撃機を利用する。  飛んでいるジェット機に飛び乗る。  これは、レベル2の春姫は加われない。きわめて大きな不利だ。戦車も持って行けない、戦車隊は別に動かす。  フィンは少し離れたところにいる【フレイヤ・ファミリア】にも状況を告げた。信頼し、挑発した…… 「ぶっつけで飛び乗れるか?」  と。  ごくわずかな時間、轟音が響く。鎧を脱ぐのが精いっぱいなほどの短時間、10キロ以上離れているのに。  巨大な飛行機が降下し、失速ギリギリの低速で超低空を飛ぶ。可変翼を全開に開いている。  谷から出た冒険者たち。鎧を脱ぎ、装備はソロの『ふくろ』に入れて身軽になっている。  フィン・ディムナ、ガレス・ランドロック、アマゾネス姉妹、ラウル、レフィーヤ。アルガナ、バーチェ。椿・コルブランド。ベル、ビーツ、武威、ソロ、リュー・リオン、トグ。オッタル、アレン・フローメル、ヘグニ、ヘディン、ガリバー兄弟。 「ワンチャンス」  フィンの言葉に、全員がうなずく。  レベルに劣るレフィーヤは春姫の魔法で一時ランクアップし、身体能力を上げている。  可変翼が閉じる。鶴のような美しい機体が、ぐっと細くなる……かわりに低速での運動性が極端に変わる。  谷の広いところに、失速も利用して舞い入る。谷風で強引に安定させる。そこに、谷ぎわの高いところから冒険者たちが跳んだ。  可変翼・フラップ・エンジンの後ろなどを避けろ、など言うまでもない。そんな愚か者はここには立たせない。冒険者の目でしっかりと爆撃機の構造を理解している。  とんでもない距離を飛んだ人が何人も、巨大な機体の可変翼を避けた背に着地し、しがみつく。  谷から出て、出力を上げながら翼を広げる爆撃機。4発のエンジンが炎を上げる。加速。すさまじい風圧に、冒険者たちは目をむき、滑る機体にすさまじい力でしがみつく。  妙な荷物で空気抵抗が乱れる巨大機の制御にリヴェリアも苦労する。大きく旋回し、『隻眼の黒竜』に……そしてエルフの副操縦士に操縦を委譲し帰還を命令、リヴェリアも飛び下りる準備をする。  ほんの数分。山より大きな巨体のところに……  ゴウン、ゴウンン、ゴウン。  大鐘音がベルから響く。  黄金の光が、巨大な鐘の音とともにこぼれ、飛行機雲をかすかに彩る。  レフィーヤとリューも並行詠唱を唱えている。  ほんの数分。わずかな時間。  ソロが『マホステ』を唱え、何人も魔法無効状態にする。  フィンが手を放して機体を蹴って飛び、空中に閃光手榴弾を投げる。  閃光を合図に、全員が跳ぶ。  皮肉にも、アイズの狂乱こそがアイズとベート、ひいてはリーネとナルヴィも守っていた。狂ってはいるが、圧倒的に強いのだ。黒い暴風は桁外れに強い怪物を次々と吹き飛ばし、絶命させている。  リーネとナルヴィが残されたF-15Eもかろうじて墜落は免れたが、すぐに不時着した。  ふたりはF-15Eから20ミリバルカン砲を取り出し、鍛冶師たちが作った手持ち用にするアタッチメントを取りつけて抵抗を始める。  リーネはベートのところに行きたいが、地獄を通り越していることはわかっている。  襲ってきた、どれほど巨大かわからない、いくつ頭があるかわからない巨大黒ヒドラに、高レベル冒険者の腕力で爆弾を投げる。核ではない、不発でも攻撃できるよう予備に持ってきていた小型航空爆弾。それでも50キロ近い高性能爆薬が、ゼロ距離から巨大な黒毛玉を爆砕する。  そのふたりのすぐ近くを、可変翼を広げたB-1が低速低空飛行で飛びすぎ、数十人の冒険者が飛び下りる。すぐに『ふくろ』からいくつかの塊が取り出されては元の大きさに戻る。リリの新魔法で縮小されていた牽引可能な大口径機関砲、そして【ヘファイストス・ファミリア】がまだ数基しか試作していない巨大固定砲台までが。  まずリヴェリア・レフィーヤ・リューの並行詠唱大呪文が炸裂する。  巨大な稲妻が宙を満たす。すべての武器・弾薬に、ベルの長文詠唱付与呪文が付与される。  全員が全速で、『ふくろ』から取り出された自分の鎧を身に着け、膨大な雷電を帯びた武器を手にする。  アナキティは唯一無事な機体で、空中から機銃支援に入る。  フィンから指揮権限を受け取ったリリから、A-10の増援も指示される。  遠距離砲撃・弾道ミサイルが絶えた。  すさまじい速度の強襲。オッタル、ソロ、フィン、アレン、ベル、ビーツ……  荒れ狂うアイズ、憧れの巻き起こす黒風に、それが戦っている桁外れの黒竜に挑みかかる。  だが、そのベルも見た。そして一瞬で理解してしまった。レフィーヤも。  黒竜の、失われた片目。その穴にいる美しすぎる女……『穢れた精霊』。それも、これまで見たものとは違う。  アイズ・ヴァレンシュタインと瓜二つ。母親……  狂乱するアイズ、それにベートがもう一度、炎に包まれた手を伸ばす。  その瞬間、ソロの呪文が響く。『アストロン』  一瞬でアイズが鉄の塊となり、動きを止める。その狂える表情は、雄弁に悲しみと怒りの巨大さを表現している。  襲いかかる巨竜のあぎと、それにオッタルとアレンの強撃がまとめてぶちこまれた。強大な雷電が解放される。 「うわあああっ!」  ベルも叫びとともに、刀を振り下ろす。  ほとんどはヘファイストス自身が、それにヴェルフと椿が手を貸し、ほとんどオリハルコンで打ち上げられた定寸の名刀を。 「そ、そんな……」  衝撃に凍りつくレフィーヤを、リヴェリアが叱咤し大呪文を連発する。  ベート・ローガが崩れ落ちる、それをソロが『ベホマ』を唱え、すぐに後方のリーネのところに運んだ。  黒竜はアイズの風が消えてすぐに大きく後退し、何十という眷属をぶつけてきた。どれも桁外れの強さ。  それに後方から強烈な砲弾が飛び、その支援を受けながら冒険者たちが戦い始める。  ややゆっくり歩む武威とビーツのところに、身長2.4メートルほどのリザードマン型が6体ほど襲う。 「こいつら、レベル7以上だ」  アルガナとバーチェが息を呑んだ。  ビーツがニヤッと口角を上げる。  ナルヴィがついたのは、恐ろしい戦闘システム……地上の、固定できる戦艦と言うべきもの。ソロの『ふくろ』とリリの魔法により、巨大物資を遠くに輸送できるからこその品……車両搭載は不可能と言っていい。  120ミリ戦車砲4基……日本の90式を利用、自動装填装置と高性能FCSがついている。A-10と同じGAU-8ガトリング30ミリ6基。  すべてがひとつのFCSレーダーに統合され、自動旋回装置でひとつの標的に膨大な弾を叩きこみ、即座に次の標的に向き直る。ガトリングに徹すれば、流すように弾幕を張ることもできる。  同じ照準装置で多連装ロケットも追加可能。  その巨大重量が、地面に三脚で立つ……アダマンチウムやステライトをふんだんに使った、すさまじい頑丈さと大きさ。  近距離接近阻止に徹した、瓜生の故郷でも誰も考えすらしないような桁外れの火力。  それを作った側である椿、そしてリーネもそれを補助する。椿とリーネは、別にソロが『ふくろ』から出した30ミリガトリングを地上用に改造した代物も少し離して遠隔操作している。  ナメル装甲車の最高速度で道なき道を走るカサンドラたち。黒竜の気配におびえ狂乱したブラッドサウルスなど地上モンスターが襲うこともあるが、30ミリ機関砲が余裕で潰す。  ベルの救援、という話をどこで聞いたのか、奇妙な客が並走してきた。  蛇の下半身を宙になびかせ、竜の翼で飛ぶウィーネと、その手にぶら下がっている巨体の牛人。ウィーネは重いが根性で飛んでいる。  重厚な全身鎧。長い全金属棍。オッタルがついに、全力を解放した。魔法もスキルも全開にして……おそろしくバランスがいい、単騎で深層に行ける。  逆に、襲い来る怪物……桁外れに巨大な多頭竜、高さがゾウ程度の長大なドラゴン、巨体の人間程度のリザードマンに似た存在、普通の人間に似たのっぺらぼうなど、どれもレベル7でやっと対処できるほどに強いということだ。  主である黒竜、それと統合された奇妙な『穢れた精霊』の、桁外れの、神力水準の防御・身体強化魔法あってのことだが……原爆にすら耐えたほどの存在ばかりなのだ。 (バロールよりはるかに強い……)  長い、長い最強という名の孤独。解放された挑戦者は、ひたすらに戦っている。そしてこの戦いは、オラリオで待つ愛する主神、女神フレイヤに捧げるものでもあるのだ。  アレン・フローメルたち【フレイヤ・ファミリア】の最精鋭たちも、すさまじい力で、それでも必死でついていっている。あまりにも敵が強すぎる。どれもが、オッタルに匹敵するほどに強い。  いつもオッタルに半殺し、いや99%殺しにされているからこそ、かろうじてついていっている。  ふたりのレベル6エルフとレフィーヤがリヴェリアと固まり、強力な魔法を間断なく放つ。リヴェリアは30ミリガトリング地上用も操っている。  ぬるり、ずるり。  ビーツの胴体は、以前『暴蛮者(ヘイザー)』ディックス・ペルディックスはじめ何人もの上級冒険者を行動不能にし、レヴィスすら転がしたぬるぬる液のようだった。  ビーツの腰より太い大蛇の首が4つ、超音速で往復する。ふたりの超速ボクサーが同時に殴り続けるように。猛毒の牙がなくてもバルカン砲、毎秒100発の20ミリ弾をしのぐだろう。  それがすべて、胴体のわずかな身じろぎだけですべりそらされる。  そして気がつくと彼女は敵の急所の近くに足を踏み入れ、軽く拳を当てている。  効くとも思えない。155ミリ砲の至近弾にも、すぐ近くでの核爆発にすら耐えた存在だ。超絶な長文詠唱肉体強化呪文で、骨も筋肉も鱗もめちゃくちゃに強化されている。  それが、崩れる。  光弾として投げれば大都市を瓦礫にするほどのエネルギーを、大都市を複数養える電力を何兆電子ボルト(TeV)もの荷電粒子にする超巨大粒子加速器のように集約している。浸透波としている。  膨大なエネルギーが、ダイヤモンドをしのぐ鱗の表面には傷もつけずに通り過ぎ、体内で荒れ狂う。  ごく、軽く拳を触れた程度に見える動きで。  当てる場所もしっかりと敵を見ている。敵の気の流れの急所に入れている。  その動きも、別の世界では界王拳と言われる技術を精妙に用いている。必要な時だけ、必要な筋肉だけを強化し、必要なだけの速度で動いている。 「……」  目立たない動き。だがとてつもない強さ。それは、レベル7以上にこそ見えた。  ベルの刀は冴えを失っている。アイズの悲しみが深すぎる、どうしていいのかわからない。今は襲ってくる敵から仲間を守るため、必死で戦ってはいるが……  その敵が強すぎる。オッタルやフィンと同等、いやそれ以上の強さがざらにいるのだ。  フィンとガレスはそのベルを叱咤しながら、やや下がって戦い続ける。  後方の巨大砲台から放たれる戦車砲を生かすために。  訓練してきた、戦車と息を合わせる戦いと同じだ。  敵の動きを止めて飛びのく、そこに膨大な弾が注ぎ、敵を少なくとも吹き飛ばす。  その手にあるのは槍や斧ではなく、手持ち用の大口径機関砲だ。ソロがいるので弾薬に不自由はない。  ティオネ・ヒリュテはアマゾネスの性を必死で抑え、ソロから弾薬を受け取っては手持ち改造の機関砲を連射する。  ティオナ、アルガナ、バーチェはその援護を受けてのびのびと戦っている。といっても低レベルばかりの中堅ファミリアがゴライアスに挑むように、一体を倒すのにすらものすごく苦戦している。機関砲が膝を殴ってくれているからやっと戦えているだけだ。  防衛線の谷で待っていた戦車隊が動き出し、爆撃機との速度差はあるが戦場に迫る。そこに最高速度で飛ばすナメルと、空を飛んでは時々装甲車の屋根で休む竜人、そして牛人が追いつき、黒い悪夢に突進していく。  アステリオスは、遠くで響く鐘の音を聞いた。好敵手が奏でる戦。あれから、帰り道にも何千という食人花を倒して魔石を食らい、また50層近くまでの、しかも未探査領域まで行って無数の敵を倒しては魔石を食らって戻ってきた。  地平線より遠い、それでいてあまりにも巨大な黒。どれほどの絶望か。どれほどの強さか。  それでもカサンドラは、ベル・クラネルに告げなければならないことがある……それが、ベルにとって巨大な災禍にほかならなくても。胸が張り裂けそうになる。 >友あればこそ 「あれは、今まで見た『穢れた精霊』とは違う」  ハイエルフのリヴェリアが言った。膨大な英知と強大な魔力あってのこと。  巨大すぎる黒い身体、その片目に埋まり血の涙を流す美女。  攻撃呪文もすさまじいが、もっと恐ろしいのが長文詠唱の身体強化・防御強化呪文。  多数の怪物が、原爆の至近弾にも40センチ艦砲の直撃にも耐える存在になってしまう。  あちこちで砲口炎があがり、煙と轟音が充満している。  巨大駅の全体より大きい黒竜。その強大な眷属。陸を歩く巨大船のように巨大なものや、人の大きさだがレベル7以上の強さのものも。  その眷属の一体でも、瓜生以前の【ロキ・ファミリア】が束でも瞬時に全滅するであろう……すさまじい身体強化・防御魔法をかけられているのだ。  それが戦車砲弾に、機関砲弾に、手で投げられる航空爆弾に、ソロの雷剣に、ビーツの拳に、武威の肘に、オッタルの金属棍に、アレンの槍に、ガレスの大斧に、リヴェリアやレフィーヤの呪文に倒れている。  冒険者たちも傷つき、交代して癒されている。  誰もがわずかに気にかけている……狂乱、極限を越えた悲しみ、すべてを壊す憎しみ、それらをどんな彫刻家でも無理なほど全身で表現した鉄像を。母を敵に、言葉にならぬことをされ怒り狂うアイズ・ヴァレンシュタインを。  15階建てビル並みに巨大な3頭竜が、敏捷にフィンを襲う。  フィンの死角、地下から噛みついてきた牙をガレスが受け止め、次の瞬間フィンとガレスが小さく飛んで足裏を合わせた。高速で飛び離れるふたり、そこに120ミリ戦車砲が2発ぶちこまれ、風穴が空く。  ソロの近くに着地したフィンに、人間型で手首から先が蛇になっている怪物と切り結ぶソロが『ふくろ』から航空爆弾を取り出して渡す。  巨大で500キログラムを超えるそれを軽々と受け取った小人が、大きく投げつける。  その一瞬の間、30ミリガトリングが穴に注ぎ込まれ、再生する黒肉を吹き飛ばす。  大爆発とともに、ビルが崩壊していく。  その時にはフィンたちはもう、別の敵を誘導して飛び蹴りをさせ、着地の瞬間の出足を払った。一瞬の遅滞に飛び離れ、また戦車砲。  戦車砲弾を確実に当てるための戦い。【ロキ・ファミリア】幹部はティオナを除き、もうそれに熟達している。  ベート・ローガも戦線に復帰した。あらゆる魔法産物を吸収する彼の魔法『ハティ』は、超絶な身体強化・防御魔法やブレスを駆使する敵にとって、天敵と言うべきだ。  後方に引いた巨大すぎる黒竜が、また周囲の岩から多くの眷属を作った。  火力不足……人数不足が響き始める。  レベル4以上と戦力は高いが、20人もいない。ソロの『ふくろ』とリリの縮小魔法のおかげで火砲弾薬は実質無限にあるが、操作員が少なすぎる。  焦りが見えた時、地平線のかなたから弾幕が黒竜側の別動隊に降り注いだ。精密射撃が頑丈な怪物の急所を射抜く。  B-1ランサー爆撃機で高速急行したため遅れた戦車隊。  また、オラリオ近くから全速で飛んできたA-10攻撃機、一度帰って戻ってきたアリシアのB-1爆撃機。  空を飛んできたのはそれだけではない。竜の翼を広げ、蛇の下半身を宙に舞わす美少女、ウィーネと、その腕に捕まった巨体の牛人…… 「ウィーネ、アステリオス!」  ベルが喜びの叫びをあげ、そして心を満たす悲痛に襲われて意味をなさぬ叫びを発した。そしてソロとビーツが誘導した敵を、機械のように斬り伏せる。  ふたりの『異端児』(ゼノス)を一度引いたソロが呼んだ。地上に降りるアステリオスとウィーネ、そこにソロは『ふくろ』から大量の極深層魔石を取り出す。  うなずいてほおばるふたり。同時にソロは、【ヘファイストス・ファミリア】が試作した、手持ち用に改造された57ミリ機関砲と弾薬コンテナが縮小されたものを『ふくろ』から出し、合言葉で元の大きさに戻した。  ウィーネがうなずき、巨大機関砲を手にする。高速で飛び、強大な機関砲をぶちこむ戦法は、故郷防衛線で熟達している。  魔石でさらに強化されたアステリオスは、飾り気のない大剣を二刀に抜く。異端児の鍛冶師が技術の限りを尽くした一刀と、椿・コルブランドが力を尽くした一刀。  武威から盗んだ、武神が授けた歩法で前線におもむく。  その雄姿に、心痛めながら喜ぶベル……彼のところに、ナメルが1両全速で向かった。30ミリ機関砲を乱射しながら。  かなり遠くから、一人の女性が飛び下りた。巨大な銃を担いで。 「ベルさん!」 「危険です!」  ベルは叫んだ。レベル7級以上の敵。女が持つ14.5ミリセミオート狙撃銃では、急所に命中しても致命傷にならない。  弱者に襲いかかる怪物を、ベルとビーツが横から襲った。ビーツが超高速で懐に飛び込んで拳をぶちこみ、止まった足をベルが駆け抜けながら斬る。  それが何度となく繰り返される。余波でさえ、女は重傷を負い……傷を負いながら戦い続け、ベルのもとに向かう。 「危険すぎます、無理です!」  ベルが叫んだ。  列車ぐらい大きな蛇に女が呑まれそうになる、その蛇の頭部がずれる。ウィーネが操った巨大機関砲。それでも蛇は暴れ続け、カサンドラは突き倒される。起き上がろうとしたが、腕がありえぬ方向に曲がっている。  稲妻が閃き、閃光と轟音。直後巨蛇がぶった切られる。  ベルはまだ動く上半身と戦い続けている。下半身にはビーツが一撃、内部から溶け崩れる。  それでも、カサンドラは歩き続け、ベルのもとにたどり着いた。 「カサンドラさん」 「ベルさん……」  カサンドラが、必死の表情でベル・クラネルを見つめる。 「……あなたが、大切な人を救う方法があります。今すぐ戻って、ランクアップしてください」 「え」  ランクアップには主神の手が必要。そのためには、主神が待つオラリオに一時帰らなければならない。 「そうすれば、あの……救うことができます。ただ」  立ったままカサンドラは顔を無事なほうの手で覆い、激しく泣いた。 「あ……ぐひ……あ、あなたが、車椅子で」  ベルは強くうなずき、カサンドラの肩に手を置いた。 「ありがとう」 「あああああああっ!」  カサンドラが泣きじゃくる。彼女自身も、出会いは敵だったがベルに恋しかけていたのだ、その嫉妬を抑えての献身だった。 「ベル・クラネル……」  フィンが悲痛に言った。もちろん、大切なアイズを救ってくれるのならそうして欲しい。以前の冷徹な偽勇者であれば、切り捨てていただろう……殻を破ると決めた今も、どうしていいかわからないふしがある。 「それが、おまえの『英雄』か」  オッタルが問う。  ベルはその強大な目を見つめ、強くうなずいた。 「ビーツ、リューさん、ソロさん、武威さん、トグ、レフィーヤ」  自分が抜ける穴を埋め、戦い抜く。  皆、微笑を浮かべてうなずいた。 「大切な人を守れ。……きみは失うな」  ソロが、万感を込めていい『ふくろ』からキメラの翼を出した。リュー・リオンもうなずきかける。 「私も同行する」  リヴェリアが言った。  ベルがここに戻るのはきつい。だから超高速のジェット機を扱えるリヴェリアが必要。  アステリオスが角を前に出し、すさまじい速度で突貫した。  ウィーネがうなずきかけ、機関砲を手で連射しながら飛び回る。  ベルはありがたさに胸を打たれた。そして近くに立つ鉄像を見る。アイズ・ヴァレンシュタインの、極限を越えた、心が砕けるほどの怒りと悲しみを具現化した鉄像を。  ぐっと歯を食いしばり、ベルはキメラの翼を投げた。  戦車隊の到着で、戦場はかなり変わる。メルカバとチェンタウロ、チェンタウロ・ドラコ……多数の砲弾が注がれる。また人員は、敵を観測し、位置情報を遠くに送る作業も始めた。  それがA-10やB-1爆撃機、やや離れた湖に出されたアイオワ級戦艦に送られ、正確な精密爆撃・艦砲射撃・トマホークミサイル攻撃を可能にする。  それでも、戦車隊乗員の平均レベルは低い。戦線が破られ敵が突破したら瞬時に蹂躙される。  その状況では、ベルひとりがいないことすら大きい……とくに彼の付与魔法が弾薬に装填されれば威力が桁外れになるのだから。  それでも、特に【ロキ・ファミリア】は必死で戦い抜いた。アイズが救われる、ごくわずかな希望でも。  オラリオにキメラの翼で飛んだベルとリヴェリアは、リヴェリアの力を使って迅速に女神ヘスティアに面会した。  そしてすぐさま『ステイタス』の更新を始める。 「これは……」  ヘスティアが息を呑む。  もとよりランクアップ可能なのはもちろんだが……異様な早さはいつものことだ。  だが、それに付随するものが……女神は必死で考えて、決断した。ものすごくつらい決断を。人間が政略結婚を受け入れるとか、自分の子供を生贄にするとか、コベントリーを犠牲にしてエニグマの秘密を守るとか、という水準の。 「ロキ……リヴェリア君を呼んでくれないか」  うつ伏せで、一秒でも早く戦場に戻りたくて必死で待っているベル・クラネルの、開錠済みの背を見たリヴェリア・リヨス・アールヴは息を呑んだ。  第3の魔法スロットに浮かび上がる、共通語でも神聖語でもない文字。 「エルフの言葉だと思うんだ……でも、わからない」  ヘスティアの言葉に、ハイエルフ、エルフの王族である超絶美女は、ひざまずいた。敬虔な信者が降臨した聖母にひざまずくように。 「……異界の、精霊王を召喚使役できるハイエルフの歌だ。音階もある文字だ」 「な、なんやそれ」  ロキが目を見張る。 「だが、ヒューマンがそんな呪文を使ったら、よくて半身不随だ!」  リヴェリアが絶叫する。 「炎の精霊王の一体、フェニックス……再生をつかさどる」  はっきりとわかる。それが、アイズ・ヴァレンシュタインの母親を……アイズを救う唯一の手段だと。 「教えてください……リヴェリアさん」  ベルがリヴェリアを見つめる。 「ベルくん、君は女の心を助けるためなら、迷わないよね……もういいんだ、逃げても僕は許すよ……でも、でもそうしたいなら……ああああ」  泣きじゃくりながらヘスティアは言った。  リヴェリアは黙って、大画面スマートフォンを手にした。インターネットは通じていないが、それなしでも携帯用パソコンとして多くのことができる。今のオラリオの、ある程度以上の幹部の必需品となっている。  ベルの背を見ながら静かに、美しい声で歌を録音し始める。美しい顔に汗をにじませ、姿勢を正して。  ディードリット。別の世界の、美しいハイエルフの歌を。ナルディアという女性族長の哀しいほどに強い魂を弔った、また復讐者の呪いを清め故郷を救った歌を。 >火の鳥  ブルドーザーとロードローラーが音を立て、新しく台地が削られる。古い氷滑走路は傷つき使えなくなるからだ。  ならした地面に分厚い鉄板が敷かれ、浅いが確保されたプール構造を瓜生が出した水が満たし、氷雪魔術師が凍結させ、ふたたびロードローラーが地ならしをする。  瓜生が出した新品のF-15E戦闘攻撃機やB-1爆撃機の初期整備、コンピュータの調整。GPSは使えないので、三角測量による位置確定・地上でのレーザー誘導・ビデオカメラがついて映像を電波送信するミサイルを機上から遠隔誘導する手法に依存する。  トン単位にもなる爆弾をレベル2の冒険者が運び、装着し、信管を調整する。  大量の燃料が機体の胴体や翼内部のタンクに注ぎ込まれる。 【アレス・ファミリア】ことラキア虜囚、【ガネーシャ・ファミリア】らの大人数が急遽学び、【ヘスティア・ファミリア】新入生が運営する給食・浴室設備で食べ休みながら必死で働いている。  そこにベルとリヴェリアが、装甲車の高速で飛んできた。  リヴェリアが瓜生に、簡潔に状況を報告し必要な爆装を告げる。  ベルには瓜生と、口をきく暇すらなかった。一瞬視線をかわした。瓜生はうなずいた。  別の【ロキ・ファミリア】のエルフが操縦士となり、B-1爆撃機がエンジンを始動させる。  4人乗り。余剰人員が可能。  4発のジェットが炎風を吹く。優美な巨体が動き出し、氷の上を走る。すさまじい加速…… 「離陸します」  操縦士が声をかけた瞬間、加速の方向が変わり、地上を離れる。  超音速の飛翔。ベル・クラネルの、冒険者生命が終わるまでのカウントダウン。遠い。だがあっという間。  リヴェリアにとって、それがどれほどのことかわからぬはずはない。 (代われるものなら……)  娘と思い育ててきたアイズのためであれば、自分が犠牲になってもいい。  あれほどの努力と才、それが潰えるという…… (しくじるな……) (ありがとう) (魔法だけでもおまえは貢献できる) (【ロキ・ファミリア】すべてでなんでもする) (できることを新しく学ぶことが)  何も言えない。何が言えよう。  ヘッドホンを着けた隣の少年の、すさまじいまでの集中を見れば、かける言葉などない。  ベルは、今こそリリルカ・アーデの痛みを理解した。  スキルをもらうスキル、それで瓜生のスキルを譲り受けた……【冒険介添(サンチョ・パンサ)】。仲間と思う者全員獲得経験値が何倍にも増えるが、自分の経験値は減る。桁外れに。  リリがランクアップをどれほど喜んだか。それはもうない。リリがどれほど辛い思いをしているか。  ベルのために、あえて引き受けた。自分の冒険者生命を犠牲にした。  どれほど大きな犠牲か。同じ犠牲を払おうとしている今、それが実感できる。 (リリ‥…っ!!)  車椅子。  だが、それでも……アイズのあの狂うほどの悲しみと怒り。無惨すぎる姿となった母親……大精霊。  救えるのなら。  憧れの、何度も命を救われたアイズのためにできることがあるなら。  胸が冷える。腹が重い。口が乾く。  それでも、繰り返しスマートフォンにリヴェリアが吹き込んだ歌を聞き、暗唱し続ける……集中力が澄み渡っていく。  歌だけに、心が沈んでいく。繰り返し剣を振るときのように。  ベルたちを待ち、必死で戦い続ける冒険者たち。  もう遠くと言える、それでいてのしかかるように巨大な黒竜。  次々と唱えられる魔法。次々と生み出される眷属。  戦車隊が、そしてメルカバの重装甲の奥に守られた春姫が加わっても戦いは厳しい。  リヴェリアはもちろんだが、ベル・クラネルの存在の大きさも改めて痛感される。 【フレイヤ・ファミリア】はむしろそちらと背を向け、すさまじい強さを見せている……が、近代兵器の支援がない。  戦いながらどうしても見てしまう冒険者たちが気づく。黒竜に寄生する『穢れた精霊』は一体ではないと。失われた目に埋まる女と、頭に埋まる女は違う。 「アイズさんは」  レフィーヤの問いにフィンが答えた。 「精霊と人間のハーフだ……」  聞いていたソロが歯を食いしばる。彼も天空人とのハーフだ。 「黒竜の、腹の中にいた大精霊。アイズの母親……それが、別の『穢れた精霊』の力で融合した……今するのは、ベル・クラネルが来るまで戦い抜く、その時に一気に切り込む、それだけだ」  フィンの強烈な気迫に、あらためてレフィーヤは前を向いた。 「アイズさんを救うためなら……ベル……」  歯を食いしばったエルフの少女は、大呪文を唱え始める。  繰り返し砲声がする。戦車砲の咆哮。  レベル4級の冒険者がレーザーを照射し、それに精密誘導爆弾が導かれる。大きい怪物は直撃……小さいキノコ雲ができる規模のゼロ距離爆発に、さすがに潰れ引き裂かれ砕ける。上空には何機も爆撃機や攻撃機が飛び交い、常に多数の誘導爆弾や地対空ミサイルを放ち続けている。  猛毒のブレスを放つ敵もおり、そのときこそ爆弾が一番有効になる。ソロは『ふくろ』から航空爆弾を取り出す。また指示を受けて上空から焼夷弾が投下される。兵器集積所にはサーモバリックのロケット弾も蓄積されている。すさまじい炎が毒を焼き尽くす。  厄介なのが人間サイズかそれに近い怪物。第一級冒険者、あるいはそれ以上の強さ。 『武装闘気(バトルオーラ)』を自分の身体で食い、正しい動きを保つことで器を上回る妖気を正しく流し続け戦う武威。  勇者として、剣と魔法を縦横に使い敵も味方も操り、『ふくろ』から火器弾薬やポーションを出し続け、また強力なヒーラーとしても活躍し続けるソロ。  桁外れの『気』を柔らかく使い、オッタル以上の身体能力をすさまじい才で無駄なく使うビーツ。  それが、春姫の妖術でさらに強化される。黄金の光を受けてかなりの間、桁外れに増した力でレベル7以上の敵を多数秒殺する。  時にはオッタルが一時レベル8となる。その力にも瞬時に慣れる武人は、圧倒的な力と技で強すぎる敵を打ち破る。それは実に正しい、堂々たるものだった。その動きからビーツと武威が学び、より正しく技を使いこなす。  時にはフィンが、時にはガレスがレベル8となり、強すぎる敵の強襲を食い止める。  特にフィンは、『クロッゾの魔剣』を用いる超強力な火器も精密に使いこなし、指揮をしつつ必要なところに強烈な徹甲弾を送る。  レベル6でも足手まといになる激戦、それでもアマゾネス姉妹は、アルガナとバーチェは、ベート・ローガは戦い続ける。目の前の強敵と。  あちこちで戦い続けている者がいる。  テルスキュラからの撤退も、多数の輸送艦を病院戦にして続けられている。  黒竜から20キロほど離れた池から、アイオワ級戦艦が精密な位置連絡を受け、そこに巨砲とトマホークミサイルを放ち続けている。  オラリオの近くから地対地弾道ミサイルが放たれている。  別動隊を、異端児(ゼノス)の国を中心に防ぎ続けている。  オラリオ、また世界各国ではその戦いを報道している者がいる。  少しでも優位を得ようと戦いを見ようとしたり、また外交の名にかこつけて社交をする貴族豪商もいる。その飲食、買春のためにも多くの人が料理し、洗濯し、化粧している。  戦争そのものが世界を変える。瓜生の出した軍用食・現代日本の保存食・現代日本の給食やファミリーレストランをベースにした食堂給食を、何万という人が食べている。  オラリオの一般人も、食生活がゆっくりと変わりつつある。そして情報生活も……ラジオが当たり前になっている。  高空に、かすかに加わる優美な影。超音速爆撃機が可変翼を広げ減速すると同時に、鐘の音が響いた。  何体かの竜型の敵がブレスを放つが、あまりの高空に射程外。  戦い慣れているソロは判断した。ギガデインと、大型航空爆弾を投げることで隙を作り、ビーツを呼び戻して大量の食糧を与えた。業務用の大きいチョコレート、一斗缶の大豆油、大袋入りのミューズリー、ビニールパックされたチャーシューを小山のように。  少女は不壊属性の槍を地に刺し、あっというまに平らげる。  高速のB-1爆撃機から、レーザー誘導の精密爆撃が一息にばらまかれる。  膨大な爆発また爆発。  同時に、近くを飛ぶF-15EやA-10が、空中誘導対戦車ミサイルを大量に放ち、成形炸薬弾頭が精密に特に大きな怪物を狙撃する。  巨大すぎる黒竜まで、大きな道ができる。黒い怪物たちは強力な防御・肉体強化魔法で破片には耐えても、ゼロ距離の大量の高性能爆薬で内臓は潰され、物理的に衝撃で吹き飛ばされる。 「道を攻めろ!」  フィンが絶叫した。  その道は、敵が本当の精鋭をぶつける道にもなる。それに先手を打ち、最大戦力を叩きこむ。  同時に、B-1は大きく傾き可変翼を広げ、急速に降下した。  ベル・クラネルを抱えたリヴェリアが、爆撃機から数百メートルパラシュートなしで飛び下り、着地した。  ベルはもう蓄力(チャージ)を始めている。  呼ばれた春姫が全速で詠唱し、ベルに黄金の槌がふりかかる……一時的なレベル6。 「ただひたすらに歌え」  リヴェリアの言葉にうなずく。リヴェリアはすぐにレフィーヤを呼んだ。  レベル5の限界までのチャージ、さらにレベル6の上限まで。  ゴウン、ゴウウン、ゴウン、ゴウウン……大きな鐘の音が響く。  丁寧な歌が響き始める。決して間違えないよう、そしてすべての魔力を込めて。  戦車砲の轟音にもかき消されることなく。  レフィーヤはベルの歌、詠唱を必死で頭に刻みつける。憧れのアイズのために……  大量の食物を平らげ、不壊属性の柄についた神造の刃を交換したビーツが、すさまじい勢いで前線に駆けた。  普通の大人程度の、黒い竜人が立っている。両手に巨大すぎる棒を握って。  正面から、極超音速で降り降ろされる。  槍が最低限の円を描く。ごくわずかに受け流し、瞬時に螺旋が伝わり、槍が引かれる。  突進しようとしていた竜人が地面に投げ倒される。  もう、少女はその前に立っていた。わずかな呼吸の調整、槍を一瞬手放して、腰が深く落とされる。  柔らかく。ゆっくりと。無駄なく。綿のように。錐のように。  馬をまたぐように開いた膝、深く落とした腰。胴をほぼ真横に向けて、強烈に振るわれる爪を肩で流す。腹がわずかに膨らみ、しぼむ。  ぽん。かすかに触れた拳。  すべての動きに、筋繊維の数本という精妙さで別時空では界王拳とも呼ばれる技術を用い、必要なだけ速度を増幅する。動きの正しさを決して損なわず、より高く高く洗練させて。  拳から核兵器級のエネルギーが、敵の急所に注がれる。表面には傷一つつけず。対戦車ミサイルの直撃にも耐える、強大な魔法で強化された黒鱗を無視して。  精密な急所。敵の気の流れに気を流しこみ、内部からはたらきを狂わせる。  一撃目は牽制と、崩し。叫んだ敵はより強烈な一撃を打ちこもうとする……その膝を、ごく軽く横から蹴る。  崩れた敵に、もう一発。  内部破壊がぶつかり合い、体内で暴走する。  瞬時に意識を失うように、黒く引き締まったからだがまっすぐ地面に崩れ、倒れる間もなく灰と化す。  ビーツは残心を残し、すぐに次の敵に向かった。  大鐘音と、歌声が続く。ベルはすさまじい苦痛に襲われていた。全身をペンチでちぎられるような。全身の骨を砕くような。すべての内臓が溶けるような。  だが、ただひたすら鉄像と化したアイズを見ていた。  その悲しみを。痛みを。怒りを。  ひたすら、歌い続けた。集中を切らすことはなかった。  フィン・ガレス・リヴェリアは、3両のメルカバの援護で戦い抜いている。  槍と盾、杖と呪文。高速詠唱で叩きこむ魔法、それで遅滞させて槍、攻撃を防いで飛びのき戦車砲の同時射撃。  3人とも、個人携行用に改造された40ミリ機関砲も使いこなしている。  戦車との連携を徹底する。敵を戦車に向かわせず、敵を止めて戦車が砲撃できるようにする。それも複数の戦車が同時に。  戦車の車長もレベル4以上、戦いの経緯を見て、フィンが撃ってほしいところに何秒も前に砲身を向け、戦車そのものを動かしている。  ソロはまさに獅子奮迅であった。  迷宮で、世界樹で、天空への塔で、地下深い魔境で、数知れぬ戦いを戦い抜いたように。剣と盾、強大な魔法、重火器を縦横に使いこなして。『ふくろ』を活用し、常に前線の皆にポーションや弾薬を供給し続けながら。  どれほどの強敵でも、デスピサロほどではない。  新しい仲間も、ソロの厳しい要求と指揮に応えている。  それを見る者は誰も、かれが故郷で真の勇者であったことを思い知らずにはいられなかった。  オッタルが敵の動きを読んで柔らかく爪を受け流し、肘を打ちこんで飛びのく。そのすぐ後で武威が同じ動きをする……桁外れの威力に、3メートル程度のすさまじい筋肉の怪物が粉砕される。  オッタルは戦いながら武威の師となった。武威が学んでいる武術を、さらにはるか先まで技は極めている。 (自分の動きをまねよ……)  と、いうわけだ。  それを武威は貪欲に吸収している。制御できなかった膨大な『武装闘気(バトルオーラ)』を、飛影が黒龍波を食ったように自分の身体で食い、正しい動きを通じてかろうじて使いこなす。それを何月も続けてきた。  実戦での使い方は、目の前で巨大の猪人(ボアズ)がやってくれている。それをそのままなぞればいい。  レベル6や5だがこの戦いでは弱者である者も、できる戦いを死に身で続けていた。  集団で強敵に身を投げ出す。サポーターの立場にも立つ。  アレン・フローメルも、ベート・ローガも。アマゾネス姉妹も。  背後から多数の戦車が膨大な砲弾を注ぎ続ける。  特にチェンタウロ・ドラコ……76ミリ速射砲の水平連射はすさまじいの一言である。  さらに風の魔法に優れたエルフが数人、遠くのアイオワ級からの砲弾を見切り、風で誘導して敵に導く戦法を始めた。40センチ徹甲弾はさすがに直撃すれば、黒竜そのもの以外あらゆる怪物をなぎ倒す。  長い長い歌が終わる。ひときわ大きく鐘が響く。  ベル・クラネルの体がひときわ大きく燃え輝いて見える。  そのすべてから、燃え輝く鳥の姿が見える。  炎の精霊王。再生をつかさどる、神に限りなく近い存在。  ベルが崩れる。最後の、最後の意志で巨大な黒竜を指さし、命じる。  鳥が飛び立ち……その美しい首に刃が走る。  赤い髪。レヴィス。  直後だった。レフィーヤが飛び出す。  電光がソロの剣に落ち、レヴィスの腹を貫く。レヴィスはソロの盾を蹴って剣を抜き、飛びのいて別の怪物を差し向けた。  戦車に守られた春姫が、レフィーヤに黄金の槌を降らせた。 「【ウィーシェの名のもとに願う……  エルフの魔法なら詠唱と効果を把握すれば借りられる。  リヴェリアは妨害の可能性を読んでいた。そしてエルフの魔法であることが幸いした。 「どうか、力を貸し与えてほしい】」  そしてレフィーヤが美しい声で歌い継ぐ。  レヴィスに斬られた火の鳥も霧散することなく、太陽のように熱い火の玉として中空にとどまっている。  それも、レフィーヤの詠唱にあわせて首なきまま脈動している。  レヴィスにビーツが打ちかかる。槍が正確に動きをいなし、すさまじい速度をものともせずに制御し、戦い続けている。  詠唱が進む。そして倒れたままのベルも、寝たままもう一度歌い始めた。  3つの火。それが、ひときわ巨大な火の鳥に変わる。 「アイズさあああん!」 「アイズさん!」  ふたつの叫びとともに、憧れを救うための、桁外れに……目の前の黒竜よりも巨大な火の鳥がまばゆく輝く。太陽のように。水爆のように。  敵も味方も、一瞬圧倒的な光に目を奪われ、ひれふさずにはおかない。  黒竜と一体化した、ふたりの『穢れた精霊』が絶叫し……黒山が襲いかかる。  巨大すぎる姿が、すさまじい速度で。  レヴィスが襲撃を続けようとして、ビーツは受け流す動きだけをした。  いなされたレヴィスの前に、円を描いて歩いたのは武威。  掌を上に向けた手刀が柔らかく首に触れ、泥の中を歩くような歩き方で柔らかく腰の力をこめる。  レヴィスはふわりと地面に倒された。立とうとするのを、ビーツの槍が高速で阻む。  歯を食いしばりながら、赤い女は地面を這う。  目の前に、ソロがいた。  そのときだった。  火の鳥が舞う。鳴きながら。悲しみと愛をこめて。  レフィーヤがすべてを使い切り、くずおれる。  ベルの太腿から下が塩と化し、崩れていく。  鳥は飛ぶ。数千度のテルミット弾よりも熱く、閃光弾よりもまばゆく燃えながら。  その炎が、強大すぎる防護魔法を唱え終えた『穢れた精霊』に向かう。  その防護魔法がきしむ。数十発の、風の魔法で終端誘導された40センチ徹甲弾の直撃、120ミリ戦車砲、そして何百キロもの精密爆弾の集中攻撃で。  強烈な閃光が輝く。  そのとき、鉄像にきしみが走る。風が巻く。  黒い風と共に、美女が姿を取り戻し……その前に、ひとりの美女が立った。 「あ……」 「アイズ」 「あああ……」 「アイズ!」  黒い風が、白くなる。 「おかあさん!」  アイズの叫びとともに、アイズとその母、冒険者と精霊が抱き合おうとした。  そのときだった。レヴィスが逃れ、黒竜の残骸に斬りつけたのは。  ボーリング玉ほど、だが内包する魔力は桁外れの魔石をえぐり出す。豊満な胸をはだけ、黒竜の魔石を自らの魔石に押しつける。  同時に両足を自ら切断した。  両足もまた、それぞれ強大な怪物になる。足を失ったレヴィスもケンタウロスのようになる……超大型のワニを思わせる下半身で、恐ろしい速さで動く。  その狙いは、アイズとその母。  誰も対応できないほどの速度…… >一時 「『アリア』をあれのところに連れて行く!ふたつとも!死体でも構わん!」  アイズとその母を襲うレヴィス。間にいるのは、強力すぎる、異種族の魔法の代償で両足を失ったベルだけ。  障害にすらならない。  そのとき、人間とは異質な筋肉を盛り上げた少年が呪文を唱え終えた。 「『今のお前に足りないものがある、危機感だ……開放の風(バーチャー)』!」  少年は別のところで怪物の攻撃を受け止め動けない、だが魔法は送れる。  トグの呪文とともに、ベルの身体を奇妙なものが包む。炎風のような、しかし熱くはない。  ベルが目を見開き、立った。失われたはずの足で。  瞬時に、深呼吸しつつすさまじい速さでアイズとその母をかばい、神の脇差を振りかぶる。  美しい螺旋を描く振りかぶり。深呼吸一つ分の蓄力(チャージ)が体幹に乗り、剣をそらす。  トグの魔法のひとつ。どんなダメージ・状態異常でも、しばらく万全に戻す。普段は筋肉操作の代償やダメージで動けない自分を、もう少しだけ動かすために使っている。  無論、ダメージがなくなるわけではないので後で利子つきで払わなければならない。  正剣がふわりと舞い降りる。ゆっくりと、正しく、肩の力を抜き腰だけ、刀の重さだけ。  レヴィスの片腕が、すっと落ちる。そのレヴィスの胸にアステリオスの角が突き当たり、吹っ飛ばす。貫通していないことにアステリオスは驚いているが、すぐに次の攻撃を準備している。  すくい上げに宙に飛ばされた女ワニケンタウロスの身体を、瞬時に数発の57ミリ弾が襲う……高速で飛ぶウィーネが巨大な機関砲で狙い撃つ。3発が人体に命中……射程から見れば至近距離とはいえ、砲重量と巨大な反動を考えれば神業、桁外れの力と練習量あってのこと。  ベルは激しく息をついている。 「アイズさん!大丈夫ですか!」 「ベル……ベル!私の英雄!」  アイズが叫び、ベルを強く抱きしめた。 「あ、わうぇあわわ」  ベルが混乱している。アイズは敵のプレッシャーを感じ、瞬時に表情を切り替えた。 「もう、だいじょうぶ……いっしょに、戦って」 「はい!アイズさん」  ベルが一番欲しかった言葉。アイズの隣で、戦うこと。 「ずるいですよベル!」  レフィーヤが飛びこんでくる。 「レフィーヤも」 「はい!」  エルフの少女が満面の笑顔。 「おのれ……あが、ああああああ」  吹き飛ばされ、撃たれたレヴィス……無事なほうの手には、別の壊れた塊が握られていた。『穢れた精霊』の宝玉……それがレヴィスの背中に寄生する。 「ぐおばおだおぜおおあああああああ!」  言葉にならない、量だけでも大型爆弾の爆音が続くほどの声があがる。  トカゲのような下半身の、長い尾が全身に巻き付き、締め付けつつ一体化する。  魔力が吹き荒れる。  その魔力は、奇妙な光る稲妻の縄のようなもので、切り落とされた手、自分で切り落とした両足にもつながる。  切り落とされた手は、自分で飛んで近くで死にかけていた巨大なワニを背中から貫き、魔石を食った。  4体。本体、片手、両脚。  どれも変形していく……  右脚だったものは、巨大なヘビ。身体のほとんどが地下に埋まっている。地面に見えているだけで、超大型ビルにすら見える。  左脚と融合した黒いドラゴン。高さだけで20メートルはある、2足歩行に近いティラノサウルス型。腕は退化しているが、牙と尾、脚の爪だけでも恐ろしい。  手と融合したワニは身長4メートルほどのリザードマンに似た怪物に変じる。  本体はドラゴンにまたがる騎士のような、ケンタウロスのような姿に。切り落とされたはずの手が、鋭く長い剣に変形している。『穢れた精霊』の姿はない。 「完全に、『穢れた精霊』と『隻眼の黒竜』の力を吸収した……」  アイズの母が口を覆い、つぶやいた。  フィンが素早く、冒険者たちを割り振った。  アイズとその母、レフィーヤ、ベル、アステリオス、ウィーネが本体と。背後にトグと、春姫らが乗る戦車が駆けつける。  巨大すぎるヘビに、【ロキ・ファミリア】が。  黒いティラノサウルス型にはソロ、オッタル、ビーツらが。  リザードマンに似た怪物には武威が。  主を失い暴れ続ける眷属たちには、ラウルや【フレイヤ・ファミリア】のレベル5、6たちが。  背後では何人もの魔術師、近代兵器操作手。多数の戦闘車両。また艦砲や爆撃の援護。  アイズに、春姫の魔法が降りかかる。精霊であるその母とレフィーヤが長文詠唱を始める。 「51……52」  つぶやくトグの筋肉が異様に盛り上がり、目や耳から血が垂れる。その手には巨大な盾斧と、手持ち改造の76ミリ対戦車砲。 「車を守って」  アイズの声がかかる。  事実上自衛力がない春姫はメルカバの中にいる。ただでさえ重装甲にがちがちの増加装甲、だが今の敵の前ではどれほどか……  これまで見てきたレヴィスと比べても、さらに桁外れの強さがわかる。  アイズとベルが超短文呪文を唱える。風と稲妻が舞う。  瞬。  アイズの残像を剣が斬り、その時にはアイズはわずかに、低く前進しつつ剣をふるう。空いた手に、後ろから飛んだ剣が吸い込まれる……ナルヴィが投げた、ティオナがアイズに身内価格で売った不壊属性の大剣。  二刀に構えたアイズが、瞬時の連撃をさばき、弾かれ……そのときにアステリオスの、強烈な斬撃が襲う。 「なめるな!」  桁外れの力で跳ね返す、それを牛人はがっちりと地面を踏みしめて耐える。  一瞬の停滞、そこに正確に57ミリ徹甲弾が単発で襲う。 「!」  弾を口で噛み止めた女、だがそこに迫るベルの刀。女ケンタウロスは弾をアイズに吐きつけて跳んだ。足を使い始める……猫のように軽く、閃光のように速い。  砲弾をかわした、そこにアイズの大剣が風をまとって疾り、それを受け止めて止まった瞬間にベルの刀が落ちる。  その間に宙に舞ったアイズは、大きい範囲の風を操った。味方がやった戦術を即座に学んだ……40センチ艦砲弾を、敵に精密に導く。風のレールに導かれた巨弾、レヴィスはそれすら拳で吹き飛ばしたが、爆発に吹き飛ばされる。その体に戦車砲弾が、76ミリ弾が次々に注がれる。  そしてレフィーヤと、大精霊の大呪文が完成しようとする……  桁外れに巨大なヘビ。その首が音の壁をぶち抜く高速で戦車を狙う。  それをガレス・ランドロックが食い止め、ベート・ローガの魔法炎をまとった蹴りがぶちこまれる。  地平線より遠くからこれまた超音速で襲う尾を、アマゾネス姉妹が食い止める。  フィンは呪文を唱えて額を穿ち、理性を……指揮能力を捨ててステイタスを大上昇させた。  リヴェリアは呪文を使いながら、40ミリ機関砲で精密に援護射撃を送る。  背後のメルカバ4両が、次々と120ミリ砲を放つ。  間断なく注がれるチェンタウロ・ドラコの76ミリ速射砲がヘビの超巨体を叩き続ける。  ソロは当然のように背後の仲間を見た。仲間を率いて戦うことに熟達した勇者……  オッタルも、ごく自然にその指揮に従った。なすべきことは言葉などなくてもわかる。  ビーツも不壊属性の槍を構え、桁外れの『気』をまといゆるやかに敵に向かう。  リュー・リオンはレベル5の自分がサポーターだと受け入れ、ソロから大量の近代兵器を受け取った。  武威はリザードマンに似るがはるかに高貴な、龍の顔を持つ人型怪物を見た。均整の取れた筋肉。人間とは異質な。 「100%のあれに、近い……か」  恐怖がのどからこみあげる。会場で、見てしまったあの姿。怪物を越えた怪物。少年はそれと真正面から戦い、戦い、戦い……そして戸愚呂は100%を超えて自壊していった……  ふと、武威は深呼吸している自分に気がついた。徹底した鍛錬が、呼吸をさせていた。腰を落とす姿勢をとらせていた。それが心を落ち着かせる。  力を解放する。以前の何十倍もの『武装闘気(バトルオーラ)』が巨体をはじくように持ち上げる。そしてそのすべてを、自分の身体で吸い尽くす。  深呼吸。正しい呼吸。栄養剤を食った体の妖力が爆発的に増す……このままでは自爆する。  正しい姿勢。  両手を柔らかい手刀にし、腰を深く落とす。  歩きはじめる。泥の中足を滑らせるように。円を描いて。腰を上下させることなく。  自爆するほどのとてつもない『気』を、体の中の円を通じて、正しく循環させる。いつまでできるか。ただひたすら、繰り返した鍛錬を信じる……  その間にも、周辺ではレベル5や6の冒険者たちが、黒竜の眷属たちと戦い続けていた。  特に【ロキ・ファミリア】のアナキティやラウル、レベル6の椿・コルブランドは強力な火砲を手持ちに改造した兵器を手に、 (敵を討つよりも、思い通りに動かし戦車砲を当てる……)  ための戦いを続けている。 >決戦  レヴィスが『隻眼の黒竜』と『穢れた精霊』の力を取りこみ、さらに分裂した超怪物。そして『穢れた精霊』の力を帯びた黒竜の眷属。  戦車隊・爆撃機の援護も用いる強者たち。  アイズの母親が再生し、士気は上がる……だが戦いはより激しさを増していく。 「おそらく次の形態がある。ビーツは温存して削り切る」  ソロの言葉にオッタルはうなずく。  リュー・リオンは35ミリリボルバーカノンを力で持ち運び、並行詠唱と同時に連射を始める。  背後の戦車も砲撃を始めた。  巨大だが敏捷な、ティラノサウルス型の黒い竜は機敏に飛び回って回避しつつ強烈に尾を叩きつけ、巨大で鋭い爪のついた足、恐ろしい牙で戦車を、機関砲を食いちぎろうとする。  その足の関節の急所を、ソロとオッタルがごくわずかな時間差で、針の穴を通すように正確に突いた。ふたりとも敵の弱点を読み、敵を操り正確に針の穴を通す戦いには熟達しきっている。  一瞬遅れてリューが大型のプラスチック爆薬を投げ、その爆風で巨体を横倒しにさせる。  止まったところに戦車砲弾と、低空に飛来したF-15Eの爆弾がピンポイントに貫通する。  致命傷ではない……半分えぐられた胴体を瞬時に再生させ起き上がって襲ってくるのを、オッタルが巨体と重厚な全身板金鎧、全金属棍で食い止める。ソロが眉間に万雷の一撃、その傷をリューが無反動砲で狙撃する。  ひたすらビーツは立ったまま瞑想し、『気』を練り続けている。  それを感じたか、怪竜は彼女を狙って攻撃しようとした。ソロはほんのひと呼吸、それを見逃す。  巨大な牙が少女に食いこむ、その間際にソロとオッタルが瞬間移動のように出現、ふたりで圧倒的な重量を受け止め、少女だけを外すようにそらす。  さらにそこに戦車砲、120ミリの太矢が突き刺さる。その穴にソロが追撃、広がった穴にリューが強烈に魔法をぶちこみ、それで広がったところに爆薬を詰めて起爆。  爆風で重心が崩れた足の関節に、オッタルが針の穴を通すような強打。  倒れたところにまた精密爆撃……  ついに黒い恐竜が悲鳴を上げて倒れ、胸をソロの剣が貫いた……と思いきや、すさまじい、黒い炎のような何かが巨体を包んで荒れ狂う。  急速に巨体は縮んでいく。  その一瞬の間に、ソロもオッタルも回復する。 『気』を練っていたビーツが静かに目を開けた。  ご!  すさまじい速度で、黒いつむじ風のような何かから比較的小さな、何かが飛び出す。  ビーツの右足が少し上がり、前に出る。  ダ!  着地と同時に、拳が突き出される。とことんまで基本通り。  見事なカウンター。身体を前に出し、横にする、その変化が相手の攻撃をかわし、受け流している。敵の重心を崩している。  食い込んだ、ほぼオリハルコンの籠手から『気』が敵の内部に浸透……しようとしているのを、敵は脇腹ごとえぐりとった。瞬時に再生し、すさまじい蹴りがビーツに迫る。  ビーツはごく短い右連打。それで反撃を受け止めるも、桁外れの力積に弾丸のように飛ばされる。  ソロがそれを受け止めオッタルが突くが、オッタルはまるで爆弾に突っ込んだように吹き飛ばされた。分厚い全身板金鎧がもろくも破壊される。  そこにいるのは、中肉中背の人間程度の存在だった。肌か鱗か、黒か緑か赤か……それも頻繁に流動しているようだ。  リュー・リオンが恐怖にくずおれそうになるが、必死で勇気を振り絞る。下がったソロが、別の武器をリューに渡す……【ヘファイストス・ファミリア】製、『クロッゾの魔剣』を用いる大型対物ライフル。  桁外れに巨大な黒ヘビがフィンの強打にすくみ、その瞬間戦車砲が何発も同時に当たる。  そして、空を風が飛び交い光すらきしむ……何人かの呪文。20キロメートル以上遠くから飛んでくる40センチ艦砲の、徹甲炸裂弾が風の壁に導かれ、正確に胴体の真ん中にぶち当たる。  とてつもなく硬い鱗皮、それすら貫通し、内部で爆発する何百キロもの爆薬。超巨体がゆるぎ、咆哮し、暴れる。  体を震わせるだけで無秩序な攻撃になるのを、ガレスが受け止める。  その間もリヴェリアは機関砲を操作して敵の急所に徹甲弾をぶちこみ、同時に大呪文を詠唱する。  詠唱連結……超長文の最大呪文。大型爆弾にも匹敵するすさまじい破壊力。  それも敵が詠唱する魔法が相殺する、その地獄をベートの手足の魔炎が吸い、加速する。それを食いちぎろうとする頭を戦車砲がはじく。転瞬、両手足4発がねじこまれる。  魔力を吸われ注ぎ込まれ焼かれる苦痛に絶叫する超蛇に、風の魔法で終端誘導される艦砲と精密誘導爆弾が次々とぶちこまれる。  それが氷雪呪文を用いた砲身冷却と冒険者の桁外れの力で、設計以上の連射を続けているのだ。 【ヘファイストス・ファミリア】製の大規模地上砲架も、高レベル冒険者の目と腕力を借りてひたすら連射を続けている。  膨大な砲口炎と硝煙。爆音と衝撃波が行きかう。  まばたき以下の時間。龍人の身体が武威の真正面に移動し、拳を振りかぶるだけでも衝撃波が周囲の空気を、地面すらえぐる。  武威はただ、すっと爪先から地面すれすれに足を進めながら掌を上に手刀を流す。  足腰、胴体、肩、肘、手首、すべてがひとつの螺旋をつくる。その経絡を桁外れの『武装闘気』が流れ強化する。ありえないほどに。めちゃくちゃに。  大地が広くきしむ。大地からくみ出された力が集約され、相手の拳のつけねに自分の手首が触れた。100%の戸愚呂(弟)にも匹敵すると思える、とてつもない拳が滑りそれる。『気』と融合した肉体がつくる螺旋のレールに導かれて。  直撃すれば、今の……気の暴走を食って栄養剤(エサ)にし爆発的に力を増している自分でも死ぬであろう拳。少なくとも腕相撲では勝てない相手だ。空圧が全身を打つ。  敵は空振りで重心が崩れ、次の動きは限られる。  狙い通りの動きをした、その居着き。出ばな。そこに足が吸いこまれて、軽く蹴る。  ごく軽い。にもかかわらず威力はすさまじい……『気』の流れで蹴っているからだ。  蹴り終えた足は地面を滑るように敵のかかとの裏に入り、わずかに角度を変える。ねじりきられた腰が反転……  ゆっくりと、柔らかく。泥の中を滑るように。  武神と、実戦でオッタルが何度も見せた模範を忠実に真似る。 (ああ、これか)  力をもてあますように崩れた敵の脇腹、急所に肘が伸びた。 (打つという意識……)  はない。自然な動きをしたら、そこに肘が吸いこまれたのだ。  手ごたえがない。だが、とてつもない量の『気』が使われている。  ゆっくりと、肘打ちのためにたたんだ肘をひっこめずにただ伸ばす。それだけで相手の喉下に、手刀の親指側が吸いこまれる。  腰を落としたまま、進行方向を転換する歩み。肩を入れて、投げる。相手の片足が浮き投げに抵抗する、逆らわず次の歩み。  わずかでも動きが狂っていたら『気』が暴走し、また自分の膝は相手に引っかかって壊れていたことがわかる。  呼吸。 (何よりも呼吸だ……)  武神に叩きこまれた。  桁外れの力で相手が抵抗し、腕を振り回そうとする。だがそれも、予測通りの動き。  オッタルが何度も自分にやってのけたように。反撃しようとすると動きが限定される。  そしてその動きは、オッタルが打ちやすいよう急所を開けてやるようなもの。折りやすいよう腕を差し出しているようなもの。  同じ動きをするだけ。いつも練習している動きをするだけ。  自転車に乗るように。練習すれば意識しなくても乗れるように。もうかなりの日々、普通に歩くよりも長い時間の鍛錬。  足が泥の中を滑るように動く。腰が入る。呼吸を深く落とす。  敵の伸びきった、小指を両手で握る。いくらなんでも敵の小指より、こちらの両手のほうが弱いということはない……抵抗する相手の手首、肘、肩と螺旋のようにねじれ決まり、腰が、足が浮く。  足をわずかに踏み出す。小指を折り腕を押し離す。反転した手刀がわきの下に吸いこまれる。 『気』が手刀を包む。鍛冶神ヘファイストスが心血を注いだ手袋……オリハルコンの厚板でできた、手刀部がめちゃくちゃな『気』を集約する。正しい動きが『気』を刃に変える。  手ごたえはない。崩れた姿勢、よけられない。深く斬りさらに崩す。  そのまま、密着を崩さない。歩き続ける。暴れ、傷を再生させ、とてつもない力で蹴り殴る龍人の、動きの先から崩し続ける。  正しい動き。それは制御できないほどの『武装闘気(バトルオーラ)』、さらにそれを自分で食って妖力を爆増させた、その『気』を正しく流す流路となっている。  膨大な濁流を正しく流す、よく設計された水路のように、強すぎる曲線や角、ひび割れなどのない正しい動き。正しい動きをする正しい身体。  正しい動きは、相手の力をすべて受け流す。どれほどの力でも。 (だが、まだまだ未熟だ……あと5年、いや半年あれば)  とは思ったが、それはどうにもならない。  呼吸を落ち着ける。 (深い呼吸、ここで息をする。吸う、吐く、吐く……)  それだけ意識する。もう今やっているのが、強すぎる相手との実戦だということも忘れる。あれほど憧れ、憎み、絶望し、打ちひしがれた戸愚呂(弟)の、100%の顔すら頭から消える。飛影の姿も。  日月としてはそれほどではない。だが、すさまじい密度の鍛錬。  その横で、ベル・クラネルやビーツ、のちにはソロも鍛錬に加わった。吐いて、倒れて、歯噛みして立ち上がり、太腿を叩いて最初からやり直すのを繰り返す日々を、共に歩んだ。  かすかな懐かしさが胸によぎる。  より深く、すべてを賭けた武術に没入する。  武神タケミカヅチが、レベル2の桜花の攻撃を受け流すように。オッタルが自分の攻撃を受け流すように。 (オレの鍛錬は、間違っていなかった……)  確信。  そしてわかる。 (戸愚呂とは違う、こいつに人格はない……)  そのことが。  ヒット&アウェイ。極超音速の。レヴィスの、ケンタウロスのような本体の速度は銃弾に匹敵する超音速。  そんな速度域にもっとも慣れているのはベル。武威やソロにもまれている。  逆にアステリオスは、迷宮40階層台でもここまでの敵とは戦ったことがない。  戦車を狙う攻撃を、トグが必死で受ける。 「【他の誰かのために120%の力が……守りの壁(ケルビム)】!」  防御魔法でかなり広く守るが、それでも瞬時に破られる。限界以上、54%まで筋肉を増していても。  だが、ほんの一瞬、ほんのわずかに動きを遅くすれば、アイズが助けに入る。 「おまえは死ねないんだ。その魔法がなければ、ベル・クラネルは戦えない」  重装甲車からダフネがトグに厳しく言う。だが、トグは顔をゆがめて、あくまで守りに立つ。  春姫と同じく。彼女も死ねない、歌い続ける、それでいて前線にいなければならない。頻繁に、春姫がアイズやベルを強化する。時には出張してソロやフィンも。  どうしても彼女が中心になる。  またこのメンバーは、戦車との共同戦に慣れていない。 「【アルクス・レイ】!」  レフィーヤの、発動が早い追尾呪文。 「それが?」  レヴィスはよけようともせず、ベルを襲う。  だが、光の矢はレヴィスをよけて複雑な軌道を描き、ベルの近くの地面に着弾した。  穴にレヴィスの前足がつまずく。 「!!」  柔らかく振りかぶられた刀に、稲妻が落ちる。やや長めのチャージ。  狙いは前足の膝。 「おおっ!」  叫びとともに、後足の力で跳んだレヴィス……だがその体を機関砲弾が打ち崩す。わずかでも単調な動きをすれば、どれほど速くても空から見るウィーネの餌食。  耐えて着地した、そこに真正面からアステリオスの突撃。  レベル7級、いやそれ以上に膨大な魔石を食った異端児(ゼノス)の角が、すさまじい速度で襲う。それを片手で握り止め、投げ上げるレヴィス。  春姫の詠唱が終わり光の槌が降る、今度はアイズが一時的レベル7に。  また、アイズの母の長文詠唱呪文で、全員が桁外れに強化される。特に耐久がとんでもないことになる。  アステリオスの落下を待って切ろうとする、そこを飛竜が高速で空を切る……ウィーネが高速飛行で、投げ上げられたアステリオスをさらった。 「チィ!」  レヴィスが跳んで切り落とそうとする、その力の溜めに30ミリ機関砲と無反動砲が襲う。成形炸薬弾頭の爆発にウィーネが少し吹き飛んで翼を立て直し、アステリオスを投げつけた。  正確なタイミング調整。投げ落とされたアステリオス、最大出力の風をまとったアイズの突進、稲妻を剣に帯びたベルの逆袈裟が同時にレヴィスを襲う。アイズの剣は受け止めたが、残りのふたつは防げない……首筋を、後足を深く斬られる。  間断のない攻撃。ベル、アイズ、アステリオス……常に攻撃し続ける。  桁外れに速く突破して次の攻撃に動き出す、常に上空からの機関砲が、やや離れたところからの戦車砲が、強力な攻撃魔法が追随する。  力で圧倒していても、呼吸と主導権は取れない。  だが、均衡が崩れるのは当然だった。  ベルが地面に転がる。足が消えようとしている……魔法の時間切れ。 「させるか!」  レヴィスが、ベルを蹴り飛ばしながらトグを襲う。 「……60!」  トグの筋肉が異形にふくれあがる。目、耳、鼻、口から血が垂れる。  軽いバットのように76ミリ砲の砲身が振り回されるが、それよりはるかに速くレヴィスの剣が伸びる。  致命傷でないのは、前に出ていたから。ガレスに繰り返し教わっている…… (盾役は常に前に出る)  と。  また、レベル7に迫る筋肉操作のおかげでもある。  それでも、当たったのが肘でも肩が潰れている。もう一方の拳がぶちこまれ、レヴィス自身は吹き飛んだが……着地したのがベルのそば。  ベルの首に、剣が落ちる。 「ああああっ!」  アイズの絶叫。  アステリオスが、ウィーネが無言で突進する。 「【ディオ・グレイル】!」  レフィーヤの防御呪文……短文詠唱で、フィルヴィスからもらった呪文が一瞬防ぎ、軽く砕かれる。  さらに迫る刃を、ベルは寝たまま斬った。  その、稼いだ時間に暴風をまとったアイズが駆けつけていた。 「貴方を……殺す」  すさまじい力が吹き荒れる。 「しつこい……」  その間に、ダフネが通信機でウィーネを呼んだ。 「このままガチャガチャやっててもだめだ、ベルを回収してこっちに」  ウィーネが素早く従う。機関砲を捨てて超高速低空飛行でベルをさらった。  トグが回収されたベルにふたたび魔法をかけようとするのを、ダフネが止めた。 「先に春姫の妖術。レベルが上がった状態で最大限チャージ。それまで他は時間稼ぎだ。戦車も回してくれ!」  そう、通信機に叫ぶ。  機動性が高いチェンタウロとドラコが1両ずつ動き出す。かなり離れてはいるが、十分射程内。  レヴィスが猫のように高速で跳ねまわりながら斬りまくる。  アイズが膨大な風をまとい、反撃を続ける。  役割を聞いたアステリオスが、すさまじい圧力で剣戟に加わる。  ベルは足を失ったまま、光をまとってじっとチャージを続けた。春姫の妖術でレベル6……最大チャージ。  同時にレフィーヤも長文詠唱に入る。  風の魔法で終端誘導された、40センチ艦砲の直撃。そこにリヴェリアの第三段階攻撃魔法……巨大すぎるヘビが横倒しになる。 「まだだ」  フィンの膨大な経験は、それを洞察させた。  巨大すぎるヘビの死体が、何か黒い渦になる。  『クロッゾの魔剣』を用いる、大型対物ライフルサイズの銃を構えたリュー・リオンがチャンスを探る。  レベル5の彼女でも骨折確実、そのかわり威力は戦車砲以上だ。  ビーツに、強烈な平手が飛ぶ。レベル5、『疾風』と言われる敏捷特化のリューでも見切れないほどの速度。  だがビーツは見切って踏みこんでいる。  拳を跳んでかわした敵、だが着地点にソロとオッタルが同時に強烈な一撃を浴びせる。  瞬時に再生してしまうが、ふたりともそれでめげたりはしない。  強すぎる敵と粘り強く戦い抜くことに慣れている。ソロは、仲間と戦い抜くことを知り尽くしている。  的確で単純な指示が、ソロから出る。それに疑問を持たず従っていればいい。 【ヘファイストス・ファミリア】製の巨大成形炸薬弾頭を投げつけ、その爆発にオッタルが踏みこんで、敵を跳ばせる。その空中を狙うソロ、だが相手は空気を蹴る。慌てずにオッタルが対応し続ける。  桁外れの強さの敵、容赦なく体力を削られつつ戦い続ける。  だが突然蹴散らされ、ビーツにすさまじい拳が数発めりこんだ。  常人が7.62ミリNATO弾を十数発ゼロ距離からフルオートで食らったように。  ビーツの腹の、エリクサーの瓶が砕ける。瞬間、瀕死を通り越したほぼ即死から復活……『ステイタス』が莫大に上昇し、神の手によらず更新される。  だがその上昇幅は、彼女の器を上回っていたのか……ビーツの目の前に、巨大な虚無の穴がある。  オッタルが叫んだ。 「恐れるな、その穴に飛びこめ!」  武威はわかっていた。これ以上長引くのは致命的だ。  体力ではない。『気』が発散……どんどん増えて無限大になるのだ。  暴走気味の大きすぎる力を、飛影が黒龍波を食ったように食う。爆発的に力が増す。  だが飛影が、爆発的に増した力でより巨大な炎殺黒龍波を放ち自分で食ったら?繰り返したら?  爆発的に増えた力で、またもっと強い力が汲みだされてくる。それは食うしかなく、そうなればまた爆発的に力が増す。爆発がさらに爆発になる。  石油を掘る。その金でもっと大きなドリルを買う。もっと深い岩盤を抜き、もっと巨大な油田を汲み出す……限度が見えないのだ。  いくら動きが正しく、妖気と身体を高く一致させていても……限度がある。  限界を越えたら自爆…… (焦るな!)  焦りを抑え、正しい動きに専念する。  敵に膨大な力を流しこむ。  事実上のカウントダウンが始まる。自爆、間違いのない死。  思い出してしまう。二度の敗北を。  そのとき、ふと思い出した。桑原を刺され、戸愚呂に打ち勝った幽助の姿を。  姿だけだ。  だが、なんとなく思った。  何かがあった。 (誰かのために)  託されたトグ。この世界で自分を受け入れてくれた仲間たち。  姿。  捨てるのではなく背負って勝った姿。  武威は、深呼吸をした。  武神に、深呼吸の大切さを何度も教わっていた。  ただ呼吸に集中する。戦いすら忘れ、動きを繰り返す。  莫大な力が暴走し、さらに強い力を汲み出す。  体が崩れそうになる……そのとき。まとっていた鎖帷子が反応した。  ジャージのように動きやすい、ほぼオリハルコンの、ほぼ神の手になる鎖帷子が、溶けあうように皮膚に、肉にしみていく。  体が別の何かになっていく。  強烈な恐怖、だが…… (二度と負け犬になるか!)  そう、自分を叱咤した。  あの、限界と自分で勝手に決め、戸愚呂に勝つことを諦めてただ生きていた、むなしい日々。あれにだけは戻りたくない。だからこそ死に身の鍛錬もしてきた。  大きな穴がある。 「恐れるな、その穴に飛びこめ!」  そう、遠くから声が聞こえた。  それはオッタルがビーツにかけた声だったのだが…… >超絶  武威とビーツは、ほぼ同時に穴に飛びこんだ。  自分がどうなるかわからない、限界を完全に超える。桁外れの、これまでとは次元が違う『気』を……確実に腹が破裂する量を飲み干す。 『気』の質が変わる。今の身体を完全に捨てる。不死鳥の炎で身を焼くように。  言葉を絶する苦痛を何度も潜った。苦痛だけではない、精神そのものが痛めつけられる。強烈なめまい。吐き気など内臓の苦。  意識があるかないかも、今正気かどうかもわからない。 (死……)  残るのは、武術だけ。身体に刻んできた正しい姿勢と呼吸だけ。  外から見れば、ビーツはただ立っている。奇妙な光をまとって。  武威は戦い続けてはいるが、明らかに機械的で精彩を欠く動きだ。体を覆う光が極端に不安定、内部から焼かれているようにも見える。  フィンたちが戦っていた超巨大蛇は黒い渦と化し、さらに変化していこうとしている。  間断なく砲撃されているが、それが通用しているようには思えない。渦の本体が深い地下にもぐっているようなのだ。  そして突然無数の触手が、地下深くから飛び出した。  アレン・フローメルたちが戦っている、暴れる黒竜の眷属たちに地下から次々に触手が回る。怪物たちが激しい苦痛とともに締め上げられ、絶叫する。  魔法の効力が終わって理性を取り戻したフィンが、ふと気がついた。 (この戦場……すぐ近くに……)  山地のふもと。20キロほど離れた、アイオワ級戦艦が浮いているのもカルデラ湖。  瓜生を中心にあちこちで空撮した写真、粗い、オラリオ周辺の大地図。  火山。  変貌したレヴィス本体と戦うアイズたち。  ベルの長時間チャージを、アイズとアステリオスが死に身で時間を稼いでいる。  あまりにも強く、速い。ケンタウロスのような竜体の安定性と極端な脚力、斬られた片腕が変貌した身長の倍近い剣。  アステリオスは受けるだけでも必死、力比べになれば一瞬で吹っ飛ばされる。  アイズが瞬時に、二刀で膨大な剣をぶちこんでもすべて叩き落される。  そんな中、呪文で支援していたアイズの母が、ふと気づいたものがある。  F-15Eの残骸の中に転がる地中貫通型の水爆。  それをどう解析したものか、持ってきてベルの前に置いた。 「それ、ヴェルフが言ってた」  チャージ中のベルだが、恐怖に引く。というか今起爆したら…… 「これに、あの付与魔法を」 「……はい」  アイズそっくりの大精霊の目を、ベルは信じた。  黒い渦。黒い雲。  震度2ぐらいの地震を感じた。それが終わらない。  実力者たちは、桁外れのとてつもない力が動いているのを感じた。  百発以上の原爆が短時間で狭い谷間を満たした、それ以上の。  多数の怪物が絞りつくされ、消えていく。 【フレイヤ・ファミリア】の精鋭たちがフィンのところに来ていぶかり、黒い渦をにらむ。攻撃をする者もいるが、通用していないのはわかる。  フィンの足が何かを感じた。フィンは地面に伏し、地に耳を当てた。その表情が衝撃でゆがむ。 「どうした」  ガレスの問いに、 「地下、とんでもなく深くを高速移動している」 「それだけではないな」  ハイエルフであるリヴェリアが、遠くにかすむ山を見る。 「火山のエネルギーを吸っている……大地の精霊たちが騒いでいる」  自然の声を聴くハイエルフの前で、黒い渦が再び形を取ろうとする。 「地下深くを通って直接オラリオのダンジョンに、『エニュオ』や、それがなくても深層の魔石を大量に食えば、また強大な戦力か」  リヴェリアが歯を食いしばる。 「……少し連絡する。時間を稼いでくれ」  フィンはふたたび地に伏せ、通信機にいろいろな言葉や数字を告げ始めた。  上空でアリシアのB-1爆撃機が旋回し、可変翼を畳んで加速した……オラリオへ。  渦は形を取り戻す。黒い巨大なドラゴン。  ふたつのとても長い首、鎌刃のように鋭い角を額につけている。 「足止めか」  リヴェリアが手持ち改造機関砲を構える。  アレン・フローメルが歯噛みをしつつ、完全に壊れた槍を捨てた。【フレイヤ・ファミリア】のサポーターが替えを渡す。  黒竜の咆哮とともに、地下深くからふたたび何か力が吹き上げる。それが黒竜、ケンタウロス状になったレヴィス本体、またビーツたちや武威が戦う人型にも吸収される。  深く、深く、深く。底を破り、さらに深く。  とてつもないものがある。手を伸ばさない。入ってくるに任せる。  ただ、正しい呼吸と正しい身体だけがある。  苦痛なのか快楽なのか、それとも極端な病や便意の類なのかわからない。何に耐えているのかもわからない。記憶そのものがどこかに飛んでいる。悪夢と体の悲鳴が混じり合っている。  ただ、正しい呼吸と正しい姿勢と動きがある。それが天地と調和し続けている。  体で覚えたことだけが、最後の碇となっている。  武威もビーツも、深く深く『気』の底を探っている。  もっと。もっと。もっと。もっと。  どこまでも……。  そのとき、黒い渦がやんだ。  膨大な力が、目の前の敵に加わる。それが武威にもビーツにもめざめを強制した。  傷の巨漢が、幼さを残す黒髪の少女が目を見開く。  全速でオラリオに戻ったB-1からアリシアが降りた。  そしてすぐ、瓜生とともに高速のヘリコプターに乗り換えた。瓜生はアリシアに操縦を教えながら飛ばす。  オラリオと、フィンたちが戦っている場の途中。広い広い荒野。  そこで瓜生は、身体に長いロープをかけてヘリコプターから吊り下がった。上空のかなり高く。  そして突き出した手の近くに、とてつもない規模の塊が出現した。落下する。最初はゆっくりと、そして徐々にばらけながら。  出現し続ける。ずっと、滝のように落下している。それも世界最大瀑布をさらに桁外れに拡大したような。  はるか下の地面で爆発のような何かが起き、さらに滝がそれを圧殺している。  数分後、瓜生はやめて合図した。ロープが巻き取られて瓜生はヘリに乗り、そのまま飛び帰るよう指示する。  眼下に山ができている。かなりの高度であるヘリに迫るほど。その山が、うごめいている。 「何を、したんでしょうか」 「タングステン地金を、百億トン」  ちなみに、富士山の質量が千億トンとも数兆トンとも言われている。  タングステンなら地面まで空力加熱に耐えて落ちる。化学的にも比較的安定している。  だがその、とんでもない質量…… 「バンカーバスターでも届かない深地下なら、造山レベルの圧力を加えてやれば少なくとも動かなくはなるだろ。速度と方向はそちらの団長が教えてくれた、いつどこは大体計算できる。  鉄や金だと社会を混乱させるだろうけど、タングステンは一部鍛冶ファミリアしか使えないだろうし、本格的に使えるようになったら重要資源だ」  アリシアと操縦士は、あまりのスケールに呆然としていた。  山がうごめいている。膨大すぎる高密度金属の地金の山が崩れ続け、膨大な圧力が大地を、地殻そのものをゆがめている。地面を溶かすように貫いている。  近隣ではかなり強い地震が続いている。 「最初から黒竜軍に、高高度からレール、市販でできるだけ大きな庭石や鋼材、最大の中身入り鉄鉱石運搬船とかを何億トンか落とそうかとも思ったけど……対空攻撃も怖かったし、破局噴火の恐れもあったし、エネルギーによっては高い空まで放射熱が届くかもしれないし」  などと瓜生は言いながら、すぐ眠ってしまった。ずっと忙しく、後方で戦争を支配している。  立禅を解いたビーツが槍を手に取る。不壊属性+神造替刃の槍が、溶けるように質を変えた。かすかな光に覆われる。強い光ではないのに、何かが異様に違う。  ソロとオッタルが死に身に支えていた。  桁外れの力と速さの人型の敵を相手に。ソロが牽制しタイミングを作って、リュー・リオンが戦車砲級の弾を打ちこみ動きを鈍らせる……それですら動きを止めることもろくにできない。  ソロもオッタルも、あきらめはしない。強すぎる敵と戦い続けることは慣れ切っている。リューもだ。 (何手……なんという)  リューにさえ見通せないほど、何十手も先まで棋譜を決めての連携戦闘。それも両方片腕を失い腹を貫かれるほどのダメージも前提で。恐ろしいほど合った息、舞うように正確な動き。  オッタルに迫る拳をソロが盾で打ち、わずかにそらす……致命傷を免れる程度。同時にソロは剣を手放して、『クロッゾの魔剣』を用いる銃を敵の頭に向ける。オッタルがのしかかるのを、敵は余裕で反応し銃をよけながらオッタルの首に手をかけ、後ろ足でソロを蹴りぬく。  ソロがその蹴りに自分から体を叩きつけ、ダメージは倍加するが反動で敵の姿勢がわずかに狂う。そこでオッタルが、首にかかる手首関節を決める。抵抗する力でオッタルが引っこ抜かれる、そこにこそリューが銃を放つ隙がある。戦車砲級の弾が直撃、それでも力積でわずかに後退するだけの敵に、ソロがまた盾で体当たり。押し飛ばすための静止、その一瞬にオッタルの金属棍が喉の、特殊な急所を撃ち抜く……  それでやっと一撃決めても、効いてもいないように次の攻防になってしまう。  ほんの一瞬、回復を稼ぐのがますます難しくなる。  黒い何かが敵を覆い、敵が桁外れに強化された、そのとき。同時に背後からとんでもない何かを感じた。  核砲弾以上の。戦車砲以上の。  槍を構えた少女。  少女に向き直る敵に、ソロとオッタルが同時に強烈な一撃を放つ。だがそれを無視するように敵は、超絶な速度で少女を襲う。  ふわり。  少女は、ごく柔らかい動きで槍を突き出す。槍を叩きのけた人型の怪物の、脇腹のところに少女はいた。  ぽん、と軽く拳が入る。  絶叫が上がった。  それを見たアイズの母が、別の長文詠唱を始めた。  武威は、ただひたすら繰り返した套路を続けていた。  とてつもない拳と蹴りを、ひたすらしのぎ肘で返す。  暴走じみた力の増強は続いている。もう『器』はあふれている。  オリハルコンの防具を吸収した身体に、猛烈に『気』が流れている。高圧がどんどん進む。 (もう、爆発しているのではないか……)  そうとしか思えないが、身体は動いている。繰り返した通りに。  円に沿って、泥の中を滑るように歩く。腰をひねり、少し肘を曲げて差し出した手を返す。着地した足をひねり、腰に力を伝える。腹の底で呼吸する。  肘を突き出し、手を伸ばして胸を開く。 (たゆまず……)  アステリオスが、両腕を失いながらベルを蹴りぬいた形を思い出す。なぜか幻海の動きも。  蹴りつつ歩く。腰をひねり、手刀を突き出す。  もう、『気』を集中させて刃にするなど意識してさえいない。  ただ、想像もしていなかったほど深いどこかから湧き出る、桁外れどころではない『気』に身を任せるだけだ。  黄金の光をまとうベルから激しい音が響き、呪文がつむがれる。 「【雷火電光、わが武器に宿れ。ゼウス・トール・インドラ・ヴォーダン・ハオカー・エヌムクラウ・ホノイカヅチノオオカミ、雷神たちよ、かなたの呪文を許せ。ジ・エーフ・キース、神霊の血と盟約と祭壇を背に、我精霊に命ず、雷よ降れ、轟雷(テスラ)。ヴァジュラ】」  静かに、春姫の術を受けレベル6状態、そこで限界を超えてチャージした長文詠唱呪文が完成する。巨大な雷が水爆に落ちる。  同時に、アイズの母は何か呪文を唱え終えた。  恐ろしい金属塊が、万雷と溶け合うように光と化す。  ベルが抜いた神の脇差に光が吸われる。何とも言えない変化をする。すっと澄み渡るようになる……としか。深い深い深淵を秘めた輝き。  トグが呪文を唱え、ベルの膝上から失われた両足が一時的に再生した。  ベルが立つ。  フィン・ディムナこそ、レベル7の能力すべてを作ってタイミングを作った。  そして、正確にいくつかの戦車砲を誘導した。  不壊属性ではなく、巨大着剣小銃である槍を選ぶ。今の敵には効かないことはわかっている。  交響曲指揮者のタクトのように槍が振られ、数発の銃弾がセミオートで空気を切り裂いた。  ベルは、武威が投げ倒した敵に。武威は、ビーツが蹴り飛ばした敵に。槍を手にしたビーツは、ベルたちが戦っていたレヴィスの本体に……そのビーツに向けてアイズの母が呪文を詠唱している。  閃光のような高速。  戦車砲の十字砲火が敵の動きを束縛する。閃光手榴弾が光をばらまく。  そしてフィンは、【フレイヤ・ファミリア】の冒険者たちとともに自らの敵に挑む。 >決着  120ミリ戦車砲、秒速1700メートル以上でタングステン矢が飛ぶ。丘の上に砲塔だけ見えたのが、巨大な砲口炎に包まれて見える。ふたつ並んで。  フィンの誘導もあり、ワニのような下半身に美女の身体、斬られた片腕が長大な剣となったレヴィスの胸に……ひとつを、剣が叩きそらした。もう一発は直撃。  体が大きくえぐられるが、咆哮と同時に再生する。  そしてその隙に駆け寄り、槍を突き出すビーツと切り結び始める。  ベルは静かに歩いていた。 (当たれば終わる……)  それは予感している。  だが、武威が倒せなかったほどの敵を相手に、どうやって当てるのか。  不安はなかった。  仲間たちを信じ切っていた。  フィン・ディムナやソロの指揮を。  ウィーネやアステリオス、ダフネやカサンドラの助けを。  そしてアイズ・ヴァレンシュタインを。  武威の心は穏やかだった。  同じことをするだけ。  敵はかなりタイプが違う。パワーに特化していた前の敵に比べ、スピードと鋭さがとんでもない。  だが、対応できる。  頭で考えて相手の行動を読む必要がない。『気』がすべてをやってくれるようだ。  いや、もう妖怪としての肉体すらないに近い。『気』が本体と言っていい。  風がただ吹くように、受け流す。  フィンはソロとリューに、アイズのもとに行きベル・クラネルを支援するように告げた。  オッタルが加わり、足止めのために残された双頭竜に立ち向かう。極深層の、カドモスの強竜や砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)よりやや大きい体躯。はっきりと硬さがわかる鱗。2つ足と長いふたつ首。  それがすさまじい速度で斬りつけてくる。竜というより双刀の剣士に近い。  体そのものの反射神経が高く、風の魔法で終端誘導される艦砲を軽く回避する。1トン弾の破片や爆発ですら無傷どころか動きを鈍らせることもできない。  オッタルと、そしてリヴェリアとガレスと、フィンはうなずき合う。 (ベル・クラネルはアイズを救った。俺もこれぐらいはしなければ……)  改めて英雄を目指す決意。 「いくぞ」 【フレイヤ・ファミリア】幹部たちにも声をかけ、頭脳を絞る。  背後の戦車隊。空高くのF-15EやB-1。火力と武力を、どう編成し敵を断つか。  戦車は移動できる。オッタルとガレスが、戦車を襲おうと高速で斬りつける首を防ぐ。  その口のひとつににテルミット弾を放り込みつつ、移動し、石を置く。  リヴェリアの高速詠唱、強烈な炎が胴体を焼く。そこにかなり離れた稜線から、76ミリ砲が連打される。  強烈な打撃を嫌がり、すさまじい速度で動き回る巨体。それに多数の対空砲が追随し、低空を超音速で飛ばすF-15Eのロケット弾が追い回す。首が予想外に伸びてF-15Eを襲うが、オッタルとアレン・フローメル、ヘグニとヘディンの強烈な攻撃にひるみ止まった。  代償としてもうひとつの首と本体の巨大な爪が襲いかかり、蹴散らす。 「最速」  ソロの指示を受けたアイズは、アステリオスにうなずきかけた。何度も追加詠唱を繰り返し、風を極大化させる。  アステリオスは静かに円を描いて歩く……武威から盗んだ、元は武神が授けた技を剣に応用している。全力の踏み込み、体重移動、ねじり切った腰力。分厚い直刀の峰がすさまじい速度で円を斬る。深層で数知れぬ強大な怪物を斬った力と技。  その峰に、軽く跳んだアイズの足が乗る。  峰であっても何物をも砕くほどの威力。それに足の骨を砕かれながら、アイズは叫んで全魔力を爆発させた。 「リル・ラファーガ!」  最高速を超えた最高速。  タイミングを合わせる。別の、戦車砲と。リュー・リオンの『クロッゾの魔剣』を用いる戦車砲級の大型銃も。さらに少し移動したナメルから身を乗り出す、ダフネの無反動砲も。3方向から30ミリガトリングも。レフィーヤもウィーネも。  矢が飛ぶ。風をまとったアイズ。120ミリのタングステン太矢。リューの、秒速4000メートルに迫るオリハルコンの先端チップがついた高密度高硬度金属矢。やや遅い無反動砲。レフィーヤの【轟雷(テスラ)】。地上のウィーネが持ち替えた手持ち改造105ミリ戦車砲。  ベルを迎撃しようとする人型の怪物に突き刺さる……  敵は、膨大な筋肉をふくれあがらせる。30ミリガトリング弾は直撃しているが完全無視。最強雷電魔法も耐える。先に着弾したリューの弾をはたき、胸ではなく脇腹を抜かれるが、耐える。  右拳がアイズを正面から撃ち落す。左手が戦車砲弾を2発つかむ。無反動砲弾が着弾し、成形炸薬弾頭が爆発してメタルジェットが飛ぶが、それが肌に触れる前に数メートル移動している。同時に、ほんのわずかにタイミングをずらしたソロの剣をかわしている。  かわしたそこに、ベルがいた。  振りかぶられた神の脇差が、静かに落ちる。その刃は、何とも言いがたかった。黄金でもなく白銀でもない、鋼でもなければ黒でもない。ただ、あった。  美しい振りかぶりから、袈裟切り。  ベルは、祖父を全霊で思い出していた。一体化していた。何年も見てきた姿を。  大地をしかと踏み、柔らかく鍬や斧を天に向ける。そして深い息とともに落とす。  硬い根がはびこる土を鍬が断ち切る。硬い木、粘る樹皮に深く斧が食いこむ。  そして間断なく歩く。  美しい姿。 『正剣』発展アビリティが、ベルには発現している。刃筋が正しければ正しいほど、ベルの剣は無限に威力を増し、回避防御が困難になる。何十年も修業した達人のゆっくりした剣と、同じように。  それが最大限に発揮された。  トグの魔法で一時的に復活している、今や呪われ失われた足が地を踏む。  力を抜き切った肩から伸びる腕が、刀の重さだけで刃を振り下ろす。  深呼吸と一体化した『英雄願望』チャージを受けた体幹が、盤石の発射台となって袈裟切りを支える。  完全に限りなく、限りなく近い刃筋。  強烈な攻撃を受け止め、高速移動した着地の瞬間。脇に刃が入った。  ベルはただ歩き抜けた。  光もない。音もない。  人型怪物が拳を振りかぶって向き直る。上半身だけ。  ずるり、と上半身がずれ落ちる。  すっと灰と化し、何かが残る。  ベルは歩き続け、ふと剣と一体化していた心がずれた。  慌ててアイズ・ヴァレンシュタインに駆け寄り、抱き起す。即座にソロが駆け寄り、ベホマをかけた。  超速度の攻防。ビーツの莫大すぎる『気』と反応し、半ば物質ではなくなった槍が極超音速の剣戟を柔らかく受け流す。  無駄な動きは寸分もない。力を用いず意を用い、柔らかく、粘るように、滑るように戦い続けている。 (すべての動きは勝利のために……)  無駄に見える攻撃も、相手に特定の動きをさせるため。相手を操っていれば予測もしやすく、カウンターも入る。  高水準の剛柔一体……攻撃のための動きが、同時に体幹で敵の攻撃を受け流し崩す防御にもなる。  レヴィス本体の力と速さは際限がない。だが気がつくと場所を取られ、直線で往復する突きが精密に眉間に刺さる。レヴィスは何度も喉を、目を貫かれ、即座に再生している。胸の魔石だけは守り抜いている。  やや離れたところで大精霊、アイズの母の大呪文が終わる。 (可能性のある強い姿に……ほんのひととき。黒竜に呑まれたときには役に立たなかったけれど)  ビーツに、光とも風ともつかぬ何かが降りかかる。春姫の、黄金の槌とも違う。  音がした。  気づくと、ビーツの黒髪が黄金になっている。  次の瞬間、レヴィスが消えた。ビーツの残身、拳を打ち終えた、馬にまたがるような足、横に突き出した拳、腰につけたもう一方の拳。 「あ……」  ふっと、ビーツの髪の黄金が黒に戻る。そして倒れる。  強者たちはわかった。 (山脈、いやもっともっと、何を破壊しても余る力……) (あの核砲弾でさえ、あのビーツに比べれば核の前の手榴弾より……)  戦いながら力を貯めた人型の敵が、全力のストレートを放った。  武威は小さな弧を描いて歩く。歩くとは何かが違う、『気』に動かされる。  掌を上にした手刀の手首が拳を受け流し、そのまま流す。左手を添え、関節を固めつつ、歩く延長の蹴りが低く地面を掃きくるぶしを払う。  すべては、相手の重心を崩すため。  その首に手刀を当てる。ものすごい力で投げに抵抗する、それもまた重心の崩れをひどくする。  カウンターで肘が入る。身体を回し切り、膨大な『気』を一点に集中して。  武威はただ、円に沿って歩き続ける。  密着したまま次々と打撃が入る。どれがとどめになったのかもわからない。  いつのまにか、敵は灰になって崩れていた。そこにはなにか奇妙な塊が落ちていた。  高速で襲う、鋭い刃を備えた首をオッタルとガレスがふたりがかりで食い止める。止まっているところに戦車砲が命中する。  リヴェリアが第三段階呪文の詠唱を始める。  フィンが正確に敵を操る。  さらにそこに、ソロ・リュー・レフィーヤ、アステリオスも加わった。 「勝利だ!」  フィンが叫びとともに、一気に肉薄して槍を竜の胴体に叩きこむ。そして指示の指を上げつつわずかに体をそらす……戦車砲弾が槍傷に刺さる。  絶叫とともに長い首が暴れる。その動く先を見て、オッタルとアレン・フローメルが叩き落とす。  アステリオスの双大剣、ベート・ローガの炎拳が叩きこまれる。  フィンが胴体を駆け登り、槍を突き刺してレフィーヤとソロを見た。 「『ギガデイン』」 「【……エルフ・リング……ジ・エーフ・キース……轟雷(テスラ)】!」  ふたつの、それぞれ何千という稲妻の集合体が槍を通して巨竜の胴体にしみとおる。  それで完全に動きを止めた、そこにフィンが指示を入れつつ叫んだ。  高空から、超音速で降下しつつF-15Eが爆弾を精密に投下する。  リヴェリアの魔法円から莫大な炎が吹き上がる。  戦車が同時に多数の砲弾を放つ。  ついに黒竜の、最後の分体が動きを止め、くずおれていった。 「黒竜討伐……」  フィンがつぶやく。もうかなり昔、当時栄華を誇った【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】が挑んだ三大クエスト。ベヒモス、リヴァイアサン、そして黒竜。  二大ファミリアの壊滅、オラリオ追放。闇派閥(イヴィルス)が跳梁する暗黒時代。 【アストレア・ファミリア】の壊滅を思うリュー・リオンも感無量を通り越していた。  レヴィスの、『穢れた精霊』の力で『黒竜』は伝承の何倍もの強さだった。  だが、しのぎ切った。勝利した。  フィンは、オッタルも知っていた。どれほど【ヘスティア・ファミリア】の貢献が大きいか……  膨大な物資と兵器を提供し、連絡を整え、【アレス・ファミリア】【ガネーシャ・ファミリア】の低レベル層も戦力化した瓜生。報告が伝えてくる、瓜生が大地そのものを破壊して地下の敵を倒したと。  リリルカ・アーデもよく瓜生を補佐し、指揮の相当部分を肩代わりし、物資を補給した。  普通の人間ではないことがはっきりわかる、武威、トグ、そしてビーツ。  真の勇者の力を見せつけたソロ。  リュー・リオン、春姫。  兵器開発に【ヘファイストス・ファミリア】の椿やヴェルフ・クロッゾの貢献も巨大だ。  ウィーネとアステリオス、他の異端児(ゼノス)たちも別動隊を殲滅し、故郷を、ひいてはオラリオを守り抜いた。  そのすべてをまとめ、また常に最前線で皆を鼓舞し、大きな犠牲を払ってアイズ・ヴァレンシュタインを、その母を救ったベル・クラネル……  誰もが求めていた、最大の栄誉。  だが、この戦いは……ベル・クラネルは女神フレイヤの祝福を帯びている。  見渡せば膨大に転がる戦利品も、栄光も、ベルのものはすべてフレイヤ…… (戦いが終わったら、それは次の戦いの始まりでしかないのか……)  フィンは胸の痛みをこらえる。戦いの高揚、勝利感が一瞬で汚されるように思ったのだ。  だが、ふとそちらを見た。かりそめの足をまた失い、アイズに抱えられて慌てているベルを。  その表情には曇りがなかった。ただ照れ、焦り、そして喜んでいた。 (大切な人を救えた……)  それ以外に何もない。  ふたりを見つめるソロやリューの表情からも、さまざまな感情が洞察される。  フィンは気がついた。いつしか、アステリオスの姿がない。 (あくまで彼は、再戦の日のために修行に行くのか……)  まっすぐな目的に向かって走る漢が、うらやましかった。  目を閉じる。深く呼吸する。膨大な計算を一瞬でこなす。  かたわらに、ガレスとリヴェリアがいた。 「帰ろう。勝利を告げに」 「ああ、勝ったな」 「勝った」  小さな派閥を立ち上げた時から変わらない、3人の決意。  フィン自身は、最近大きく変わった。偽勇者を捨て、真の勇者を目指して戦うと。 (そのために、今すべきこと……)  まずそれを考える。眷属たち、家族のため。仲間たちの、派閥のため。主神のため。  これからも戦いは続く。武力を用いない戦いも。 ++ ・指向性にした核地雷 ・超々大型自己鍛造弾 ・水爆を推進薬とした超巨大超高初速砲 これらを使う余裕はなかったですね…… ++ >ステイタス  黒竜との戦いは終わった。  まだ残党はテルスキュラ周辺などにいるが、空軍を中心として探し出しては殲滅している。  ついでに、山奥の村を守る黒竜の鱗はドロップアイテムであり、魔力は消えていない。  この戦いでは膨大な量のドロップアイテムも確保された。  それは第一級冒険者の武装ともなるだろう。  大精霊である、アイズの母が再生した。大きすぎる代償を払って。 【ヘスティア・ファミリア】本拠地では、まず瓜生が車椅子など介護用具を用意した。  無論ヘスティアは号泣していた……が、 「命はあってよかった、帰ってきてくれてよかった」  とも何度も何度も叫んだ。  足を失い、役立たずとなったことの不安はすぐに吹き飛んだ。  そして眷属たちの、【ステイタス】更新……ベルも、またベル以外も、気絶ものの連発には違いない。  ただし、前線に出たベル・ビーツ・リュー・ソロ・トグ・春姫はダメージや精神枯渇で入院状態となった。  武威は……もう存在自体が別の何かになっているため、しばらく神ヘスティアの監督で経過観察。いざとなったらヘスティアが天界送還承知で『神の力』を使ってどうにかする覚悟。  瓜生やリリ、命もかなりの過労だが、それはどうしようもないし仕事はまだまだある。  ベルは戦争中にレベル5になったばかり、だが一戦で平均150以上経験値を稼いでいた。  だが、足を失ったのは呪詛のようなものであり、 (義足を着けても機能しない……)  と医神ミアハも、【ディアンケヒト・ファミリア】も宣告した。  もうベルは、トグの魔法を用いる以外足で立つことはできない。金はあるのに。  だから、ベルは装甲戦闘車両を学ぶことにした。  上層は誰かが担ぐ籠の中、付与魔法だけで貢献する。  中層以降、ナメル30ミリRWSの単独操作。足が使えないので、ふたつの多ボタンジョイスティック+複数のタブレットを用いて、本体の操縦とRWS射撃を同時にやる。  完全にゼロからの学習。だが、 「フィンさんも、リヴェリアさんも、ナァーザさんも頑張ってできるようになったのだから……」  と、懸命に学びはじめた。  ダンジョンの奥でも春姫と同じように強力な付与魔法で貢献し、また敵が強いときにはトグに魔法をかけてもらって歩き回り、斬りまくることができる。  さらにダンジョンに行かない日には、トグの魔法を受けてしばらく激しい運動をすることもできるし、修行もできる。  とはいえ、車両が故障した時の修理、外に出ての弾薬補給、あまりの悪路で動けなくなった時の土木工事などができないのは辛いが……ないものはない。できないことはできない。できることをする。 (それも強さだ……)  と、リュー・リオンやアイシャら冒険者の先輩たちが励ましたものだ。  修行ではめちゃくちゃな強さになっている武威、ビーツ、またソロとも、『正剣』発展アビリティである程度食い下がることができている。  普段の生活が車椅子というだけで、冒険者としては特に支障はない。  だがそれでも、変わっている。団長としての自覚もでき、これまでは瓜生とリリに頼り切っていた事務仕事にも手を出すようになった。  ちなみに車椅子を押し介護するのが誰か、ヘスティア、リリ、春姫ら何人もがいつも奪い合っている。【ファミリア】が異なるアイズ・ヴァレンシュタインも。  ベルが足を失うことになった精霊王の召喚呪文……それは一度きりで以後は使用不能。だが、【千の妖精(サウザンド・エルフ)】レフィーヤがその呪文を使える。  穢された存在を再生させることもできるし、単に攻撃に用いてもリヴェリアの第三段階以上、核兵器級の超高温の炎である。負担は大きすぎるが。  瓜生はスキル【冒険介添(サンチョ・パンサ)】をリリルカ・アーデに譲ったためか、かなり経験値が入りランクアップできた。  半面、この死闘でもほとんど経験値が入らないことにリリは落ちこむ……余裕がなかった。足を失ったベル、さらにそれがアイズのため。悲嘆と嫉妬でそれどころではない。主神ヘスティアとワーワー怒鳴り合ったりともに泣いたりしている。  ビーツはランクアップはしていないが、すべての数字が1000をはるかに飛び越している。  腕相撲ではガレス・ランドロックにも、オッタルにも余裕で勝てる。  さらに、ほとんど鍛冶神ヘファイストスが作った槍が、とてつもない『気』を受けたことで変質し、短剣サイズに縮小することができるようになってしまった。 ビーツ・ストライ Lv.4 力: EX 97875 耐久: EX 155728 器用: EX 75412 敏捷: EX 154185 ― 耐異常・耐呪詛:G 怪力:D 《魔法》 ・魔法を使用できない種族 《スキル》 【戦闘民族(サイヤ)】 ・種族として魔力を持たない。 ・種族として体力がとても高い。 ・成長が早く、限界を超える。 ・瀕死から回復したとき、獲得経験値超高補正と自動ステイタス更新。 【月下大猿(ヒュージバーサク)】 ・条件(尻尾がある状態で、満月の光または同等の波を直視した)達成時のみ発動。 ・獣化、階位昇華。理性を失う。 ・尻尾を失うか、周囲を全滅させれば戻る。 【界王拳(オーラクロス)】 ・常時発動。 ・『気』による物理・魔法・呪詛を問わぬ絶対的な防御。耐久の階位無視激補正。 ・武術と統合された、必要なだけの力・敏捷の階位無視激補正。 【超戦士(スーパーサイヤ)】 ・〔文字化け〕 ・〔文字化け〕おだやかな心を持ちながら激しい怒り〔文字化け〕  何よりも、最後のスキル……神にもごく一部しか読めない、別の何か。  大精霊であるアイズの母が強力な魔法で一時だけ顕現させた、黒竜・レヴィス・穢れた精霊が融合した本体を瞬殺した、遠いかなたの可能性。  金色の髪。漏れ出る莫大な『気』。  その力は神々の想像すら超えるものだった。ゼウス・ヘラ時代の、レベル9を知るオッタルの想像もはるかに突き放すものだった。 (この惑星自体を軽く消滅させられる……)  ほどの。  彼女自身は、武神の指導を受けひたすらに、拳と槍の基礎を繰り返している。  存在自体が変容してしまった武威は、公的にはレベル7にランクアップした、ということにしている。実際、主神ヘスティアによるステイタス更新でもランクアップはしている。  膨大な『気』の運用……暴走した『武装闘気』を自分で食い、爆発的に増した気でさらに深く掘り下げることを際限なく繰り返した結果、とてつもなく深い部分にまで達している。 『気』そのものの質も、人間の究極の気『聖光気』に似たものとなっている。妖怪としての肉体も変わっている、無理な質と量の『気』の運用で、ほぼオリハルコンでできた神造の鎖帷子と妖怪の肉体が融合してしまった。  普段は人間に変じて生活できるが、修行や戦闘のときにはほぼ『気』だけの存在で、オリハルコンと融合した薄皮をまとっているだけとなっている。  ただ、そうなった彼を見ても武神タケミカヅチもオッタルも、 「今まで通り、套路を丁寧に修行することだ」  とのみ言い、武威も熱心に従った。  うぬぼれるなど冗談ではない。今の彼でも、故郷の世界を去る直前に感じた巨大すぎる力、また黒竜戦の最後にビーツが一瞬変じた黄金の姿に比べれば、 (虫けら以下……)  なのは知れているのだ。  まして『気』のほうが本体と言っていい存在の今、気が乱れることは死を意味している。  ちなみに重い鎧は必要なくなっている。 武威 気仙 Lv.a 力: I 0 耐久: I 0 器用: I 0 敏捷: I 0 ― 耐異常:B 魔防:D 《魔法》 ・魔力はすべて闘気に回している 《スキル》 【魔気身(オーラバトラー)】 ・常時発動。 ・『気』を深い部分から召喚する。 ・『気』による物理・魔法・呪詛を問わぬ絶対的な防御。 ・人間に変身できる。  トグもランクアップし、レベル4と報告している。  ただし最大まで筋肉を上げれば、少なくとも腕相撲ではレベル6とも張り合える。  ランクアップの結果もあり、春姫の妖術を受けて必死になれば70%、ガレス・ランドロックに腕相撲で勝てる。  また新しい魔法も発現した。春姫・ベル・レフィーヤ、誰と組んでも、自分自身に使っても凶悪なものである。 戸愚呂ジュニア 妖怪に転生した人間と、天人のハーフ Lv.b 力: I 0 耐久: I 0 器用: I 0 敏捷: I 0 魔力: I 0 怪力:E 耐異常:I 精癒:I 《魔法》 【解放の風(バーチャー)】 ・一名、どんな傷も状態異常も一時的にキャンセル、数分間全力を出せる状態にする ・詠唱式『今のお前に足りないものがある、危機感だ』 【守りの壁(ケルビム)】 ・防御壁の展開 ・詠唱式『他の誰かのために120%の力が』 【超越の翼(セラフ)】 ・一名、魔法の効果及び効果時間の大幅増強 ・詠唱式『こんな力を出せたのは初めてだ』 《スキル》 【筋肉操作(ボディビル)】 ・全身の筋肉を操作し、力・耐久・敏捷を超強化。 ・80%以上になると周囲の生命力を吸収する。 ・限界を超えると一定時間後に死ぬ。  ソロはレベル7のまま。  それでも膨大な激戦は、かなりのステイタス上昇となっている。いくつかの発展アビリティも発現した。  こちらに来てからもとんでもない戦いを繰り返しているが、オラリオに来る前の日々に比べれば、 (まるでぬるい……)  と本人は言っているが。  黒竜戦ですら、大した戦いには思えないほどなのだ。  黒竜討伐。それ自体が、世界最大のニュースとなった。  世界全てが求めてやまなかった3大クエスト。それがついに達成されたのだ。  膨大な熱狂があった。  さらにその多くは、テレビ・ラジオ・大量印刷新聞というメディアの変化、マスメディアによって世界に知らされた。  本来は、この戦いではベル・クラネルは女神フレイヤの祝福を受けており、すべての名誉も戦利品も【フレイヤ・ファミリア】のものとなる。  だが、【フレイヤ・ファミリア】は愚かではない。特に戦いについては。  レベル6や7の自分たちでさえ、 (足手まとい……) (慣れていないサポーター……)  に過ぎないことは嫌というほどわかってしまった。  レベル6の全力攻撃でも、戦車砲に遠く及ばない。継続的には30ミリガトリング砲や120ミリ迫撃砲にも及ばない。 【ヘスティア・ファミリア】のトップメンバーの桁外れどころではない強さの前では、その功績を奪うなどみじめを通り越している。眷属の不名誉は主神の不名誉、そのようなせこい真似をして主神フレイヤの名に泥を塗るなど、たとえ誰にも知られずとも、 (自分で自分を拷問処刑する方がまし……)  である。  オッタルは主神に、誠実正確に報告した。フレイヤはそのすべてを受け入れ、すべて愛する従者に任せた。  眷属たちも、すべてを団長にゆだねた。  団長オッタルは、ベルが当然のように渡した分け前も含めた膨大なドロップアイテムの過半を鍛冶ファミリアに渡し、その代償として近代兵器の訓練、必要な時の使用権を買った。ある程度は自分たちの装備向上にも使うが……黒竜軍のドロップアイテムはさすがに、以前の【フレイヤ・ファミリア】の総力遠征ですら手に入らぬほどのものであり、武器防具とすれば桁外れの戦力増強となる。  そして【ヘスティア・ファミリア】の活躍を、リリが隠したがった瓜生の能力以外、ベルたちの戦士としての強さをほぼ正確に報道させた。巨大な影響力や権力を縦横に用いて。  逆にそれは、【フレイヤ・ファミリア】にとっても巨大な益となった。ベルの名誉はフレイヤを飾る宝石なのだから、 (貶めるのではなく、より大きくする……)  のは当然ではないか。  戦後、オラリオに事実上の軍ができた。  周辺の農地開発・衛星都市建築・鉄道や道路の建築を行う【アレス・ファミリア】、ラキア虜囚たち。  さらに人数を増やし、膨大な資金と近代武器・通信器具を得て、都市警察の実質を持つようになった【ガネーシャ・ファミリア】。それと深い関係のある『ギルド』。 【ロキ・ファミリア】【ヘファイストス・ファミリア】は、末端まで戦車や戦闘機、その整備機械・工具の扱いに精通し戦い抜いた。人数は膨大な【ガネーシャ・ファミリア】にも叩きこんだ。 【フレイヤ・ファミリア】の、膨大な数いる低レベル層も訓練と勉強を必死に始めている。  また、トラックやブルドーザー、トラクターや通信、電気インフラを学ぶ、非恩恵の一般人も多い。  そして、【カーリー・ファミリア】でもあるテルスキュラ国。  黒竜軍の分遣隊により壊滅に瀕し、膨大な艦砲射撃に救われ一時全国民が避難し、大半は入院している。  半分近くがオラリオに残ると主張している。もともと身体能力に優れレベルも高いアマゾネスたちが、傷を癒してからダンジョンで修行すればどれだけ強くなれるか……  ラキア虜囚が開発した田畑や都市は、それを余裕で受け入れている。  性的に開放的な多数のアマゾネスは、娼婦を副業にすることにも抵抗はない。それは膨大に需要も人口も増えるオラリオにとっては莫大な利となった。特に軍の将兵であり、すなわち大半が若い男、その多くが独身であるラキア虜囚にとって。  黒竜を倒して半月ほど、残党もあらかた掃討したとして、ついにパレードが行われた。 【ヘスティア・ファミリア】のベルは入院中だが、大画面映像で病室からテレビ中継された。  膨大な量の酒と食材が用意され、ふるまわれる。  そのために瓜生が用意した超高級オープンカーが大通りを走る。 【ロキ・ファミリア】の3人のレベル7、『勇者(ブレイバー)』フィン、リヴェリア、ガレス。アイズ、ベート、ティオネ、ティオナ。ラウル、アナキティ、アリシア、ナルヴィ、レフィーヤ、リーネ……  すさまじい美貌と強さの綺羅星たち。  主神ロキも、その美貌を引き立てる服で体形をごまかし、飾り立てて手を振る。  並ぶ【フレイヤ・ファミリア】。『猛者(おうじゃ)』オッタル、アレン・フローメル、ヘディン、ヘグニ、ガリバー兄弟……こちらもすさまじい強さ。そして率いる美の女神フレイヤの、あえて服を簡素・単純にしたことで倍増した究極の美貌。  さらに並んで、【ヘスティア・ファミリア】でなんとか回復したソロ、武威、リュー・リオンが立つ。さらにリューはウィーネをともなっていた。  ヘスティアも、本当はベルのそばにいたいのを我慢して眷属の晴れについている。  ウィーネもまたその可憐な美貌もあり、フレイヤを含めた神々がその奮戦を語ったこともあり、『戦争遊戯』でベルをかばって死にかけたこともあり、今やモンスターに対する恐怖も吹き飛ばしてオラリオの民に受け入れられた。  ウィーネの美貌はリューの美貌とも引き立て合っている。瓜生からタダで得たテレビで見ている『豊穣の女主人』の同僚たちは大喜びしていた。はるか遠くの都市で、かつての主神はテレビの映像を見て号泣している。  ソロは、 (真の勇者……)  迫力と存在感はフィンやオッタル同様、いやそれ以上に神々にすら匹敵するものである。  そして武威の、桁外れを通り越した強さと強さを求める求道者の魂も、黙って座っていてもわかる者には自然に伝わる。 【ヘファイストス・ファミリア】の椿と主神もいるが……本当はふたりとも、やることが山ほどある。 「上方酸素の管冷却、連続圧延……スカンジウムとイリジウムとアダマンチウムと黒竜の角の粉末冶金の温度と粒度……57ミリチェーンガン……電解精錬……第一級冒険者用……」 「今は頭の中だけにしておきなさい」  こうである。 【ガネーシャ・ファミリア】の主神ガネーシャと団長シャクティも。 【アレス・ファミリア】のマリウス王子ら幹部も。 【カーリー・ファミリア】の主神、幹部のふたりのアマゾネスも。  多くの、この戦いに協力し奮戦した人たちが人々の前に顔を見せ、手を振る。  そしてソロが支える大画面テレビの、病床のベルもはにかみながら微笑んでいる。ビーツは相変わらず大量の食物を食べている。  それだけで莫大な熱狂が沸く。  オラリオは、世界は熱狂した。美と、戦い・勝利・英雄と、蒸留酒と美味に。  あの『戦争遊戯』の興奮もまだ終わってはいない。  何人もの吟遊詩人が、すさまじい戦いを一般人にもわかりやすく、また冒険者の生命線である『ステイタス』は秘したまま叙事詩としている。  そしてピアノやギターを手に入れ、また製作されたのを買って弾き語りをしている。  あるいはCDラジカセを高額で買い、瓜生の世界のインスト曲に歌詞をつけて歌っている。  店の食事にも、路上の屋台、いや屋台未満……路上に鍋と皿を並べ石を組んで作り売りしている料理にさえも、瓜生の影響はある。  味噌や醤油などの調味料……物自体は極東と呼ばれるこの世界の島、【タケミカヅチ・ファミリア】の故郷からも手に入るが。  瓜生の故郷独特の洋食・中華・イタリアンなどを日本人向けに変形した料理も。味付けも、スパイスも。  瓜生が何かを出し、流行させれば同じような材料を探して商人が世界を駆ける。  膨大な人に、さまざまな仕事がある。  豊かだからこそ、熱狂は贅沢となる。借金で贅沢した人も、その借金を返せる希望がある。貸し手は返してもらえる希望があるから、利子をめちゃくちゃにはしない。  一度きりの、裏切りが当たり前、騙された方が悪い商売ではなく継続がある商売となる。それは質を変える。囚人のジレンマの、裏切るのが正解から両方誠実であることができるようになり、両方が得をできる別の高みに行ける。  読み書きを教える『学区』にも膨大な寄付が入り、それまで路上で飢えていた貧民も勉強して新しい仕事をする。  熱狂、熱狂、熱狂……  その中にこそ、瓜生たちは世界を変える種を植えた。前の『戦争遊戯』と同じく。  膨大な熱狂の中でこそ、ラジオやゲーム機は売れる。  膨大な熱狂に惹かれ、世界中からオラリオに超金持ちが移動しようとする……あらゆる交通に膨大な信用が注がれる。金銀は『ギルド』にも、瓜生が出しものが以前の罰則(ペナルティ)として莫大に準備されているが、それだけでは価値がない。  金を経済を回す血液に変換するのは、世界各地の商人であり王侯貴族であり働く人々なのだ。信用こそ真の貨幣だ。  世界各地でもパレードはラジオやテレビで中継され、貴族の庭などに膨大な人々が集まり映像をわずかでも見ようと目を凝らす。  そうなればもちろん、屋台が出るし吟遊詩人も多額のおひねりを受け取る。  あらゆる商売に活気が出る。  黒竜の噂に、 (今度こそ世界は終わりか……)  と絶望していた、それが一気に熱狂に変わったのだ。  その熱狂の中、ひとつの名が叫ばれた。  誰よりも。  ベル・クラネル。  火の鳥を放って黒竜に呑まれ支配された大精霊を救い、『剣姫』の心を救い、強すぎる敵を切り伏せた勇士。  モンスターさえ率いた少年。  なぜ、ベルがそれほど叫ばれたか……それはわからない。オッタルらがそう仕向けたのではない、彼らはひたすら正確にありのままに語った。  世界各地で人々が叫ぶ。テレビ画面で、病室で微笑する少年を。  奇妙なほど、ベルの容貌はテレビ・ラジオと相性がよかったのだろうか。  オラリオから離れた町でも、オラリオから追放されたベルの祖父と使者神ヘルメスがテレビ画面を見ていた。 「どこが、英雄の器がないと?この熱狂が聞こえないのかな?」 「ふん、あれを感じたじゃろう?戦う力ではうちの孫などたいしたことはない、最後の戦いでもあいつだけは助けを借りておるじゃろう」  そういう老人の頬はどうしようもなく緩んでいる。 「それよりもじゃ、器でもないのに英雄になってしまったら、それは悲劇じゃぞ!」 「神々は何よりも悲劇が大好きでしょうが」 「まあそうじゃがのう……ああ、余計なことはするなよ」 「ふうぐっ……おお、怖い怖い」 「最悪、妻に言いつけ」 「ごめんなさい絶対しませんそれあんたにも自爆どころじゃないでしょうそんな恐ろしいことよく考えられますね鬼ですか」  実は【ヘルメス・ファミリア】も、この戦いにはかなり貢献している。『万能者』アスフィ団長は『神秘』レアアビリティでキメラのつばさをはじめ多くのアイテムを複製した。また世界各地に広がる商人網でもあるファミリア全体で、テレビやラジオをはじめ情報網を整備することに貢献している。  それは敵を見つけ、その進路にいる人々を避難させることに何度も貢献していた。  英雄になる。  ベル・クラネルの夢は、かなってしまった。  それからが、真の戦いの始まりである……  いくつも、瓜生の故郷の英雄の伝記を読んでもらったベルは、知っている。  そして…… >英雄の日々  戦後の日々が始まった。  大量に動員され、近代兵器で戦った臨時軍から新しい仕事に就く者も多くいる。特に無所属の無頼だった冒険者。【ガネーシャ・ファミリア】も事実上軍・警察に変質している。  それを支える人々が仕事を続ける。人口増で必要とされる膨大な物資を確保するための仕事もできる。その物資を運ぶための交通を支える仕事も。  これまで通りの、冒険者の日々に戻った人たちもいる。  ベル・クラネルは、静かに病院で、そして本拠地で自分を見つめなおし、学び、歩き始めていた。  これからの、長すぎる英雄としての日々を。  英雄というものが、どれほど儚いか……人々の賞賛がどれほど簡単に翻るか、瓜生に何人も聞かされた英雄の伝記を思いながら。  異端児(ゼノス)の件では石を投げられ唾をはかれることもあった。  そのときも友がいた。仲間がいた。  人間の底なしの残酷さ、同時に深い善良さをいやというほど知った。  そして、どうしても放置しがちになる、新入生や、やっと『学校』を卒業した第二期の新入生とも会い、話し、共に過ごした。  アイズ・ヴァレンシュタインとも。  彼女は『改宗(コンバージョン)』を熱望したが、ロキ・ヘスティア両方の断固拒否と、母親のそばにもいたいこともあってそれは断念した。  それでも一日に一度はベルに会わずにいられないほど。だが彼女はほとんど芝居などを見ていない。恋の模倣すべきモデルがない……だからかなり奇行の連続にもなる。  ひたすら感謝の言葉を言い続ける。抱きつく。車椅子状態のベルを介護したがる……下の世話も含め。無論ベルは羞恥心が限界突破する。  その姿を見ていると、リリやヘスティアさえ嫉妬よりいたたまれなさを覚えるほどだ。  何人かで工夫し、トイレと風呂は腕力だけでどうにかなるようにはしたが。  何よりも、専用のナメルRWSの、地上ではシミュレーターでの特訓。ふだんは足がないベルのための、両手それぞれ多ボタンジョイスティック、完全電子操縦改造車を。  また勉強も。事務にも手を出すと決めた、簿記、オラリオの法律など学ぶことは多い。  運動も、足があるのはトグの魔法がある時だけなので以前ほど長時間ではないが、続けている。  以前は、甲子園の強豪校レギュラーのように日に18時間以上運動していたような生活だったが、今は一日に2時間ぐらいしか運動できない。  だからこそとことんきつく。400メートル走を繰り返すような。  そして『正剣』発展アビリティを生かすためにも、丁寧に。  今のオラリオではかなり近代トレーニングが普及している。  電化もされつつあり、大規模工場も増えている。その動力としても、冒険者の近代トレーニングが活用されている。  鍛冶ファミリア連合と『ギルド』が共同で、レベル別に、発電機直結のエアロバイク・ボート漕ぎ・階段登り・デッドリフトの運動器具を並べている。  他にもプランク・懸垂・パラレルディップなど様々な運動ができる。  また、ループ状ランニングコースも増えている。  ランニングコース・ハードルランニングコースもあるが、広い土地が必要だ。ただでさえ膨大な人口が流入しているオラリオに、それはきつい。  鍛冶師たちの一人が、物理学を学ぶためジェットコースターの動画を見ているうちに思いついたことだ。  ジェットコースターのループのように、ループした道をコンクリートで作る。そこを足で走る。瓜生の故郷でもスタントマンが、重りなしでなら一周はできる。  それを何周も、余裕があれば重りを足首・リュックにつけて。  桁外れにきついダッシュの繰り返しだ。  意外と盲点である、非常にきつい運動……レベル6以上のみ。  頑丈でばかでかい団扇(うちわ)とダイビングの足ひれで、空を飛ぶ。楽なようなら重石つき。  これはきつい……人間が筋力で空を飛ぶことを計算した想像図で、胸の筋肉が戸愚呂どころではないことになるように。そして楽しい。 【ロキ・ファミリア】の、50層以降のアタックに備えた装備も検討されている。  黒竜戦や、その直前の人工迷宮攻撃・同時の深層攻略などの戦訓も考えに入れて。  ただし黒竜戦は、迫撃砲や榴弾砲が有効で航空支援もある地上戦であり、それほどは参考にならない。  48層までのほとんどの場なら、25ミリ機関砲と12.7ミリガトリングで十分であることはわかっている。ただし40層以降にはまだまだ未探査領域もあり、そこではそれ以上の重武装が必要になる。  それ以下。特に、59層の『穢れた精霊』をその下の階層から援護した何か。  そこまで考えると、重装甲が必須となる。  M113ベースのSIDAM 25、装甲の薄さが宿命の装輪装甲車もどこまで通用するか……  まず、52〜58層の『竜の壺』、砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)の階層貫通ブレスは制圧法ができている……打たせてその穴に航空爆弾を第一級冒険者の腕力で投じ、その隙に機関砲ごと空挺降下、制圧して主力を待つ。  それから先。とてつもないものが待つ60階層以降。  主力戦車には4人必要。だがそこまできついところに、低レベルを連れて行きたくはない。レベル2は論外、できればレベル3すら連れたくない。  レベル2を含めた戦車隊は膨大な数になるのだが……どうしても時代的思考がある。【フレイヤ・ファミリア】の8人が8万の軍を皆殺しにしたと言われるように、『神時代』には量より質なのだ。  戦車の装甲に頼る多人数のレベル2が、戦車の装甲を超える攻撃で全滅する……その悪夢を考えると、そのプランは放棄された。 (撃たれる前に撃つ……)  それが確実にできるのならば、戦車の装甲など必要ない。制空権を持つアメリカなら、仕掛け爆弾以外それにかなり近いが、ダンジョンに空はない。  実際問題メルカバ、第三世代戦車の重装甲でも耐久そのものとして総合的に考えれば、最高級の鎧をつけたレベル6冒険者以上とは言い難い。特にキャタピラなどが弱く行動不能になるし、高熱では全体がオーブンと化す。  そうなると、一人で操縦できるナメル。火力の弱さ……RWSの30ミリ機関砲は下層までなら十分強いが、59層や黒竜軍相手では見劣りした……を、遠隔操作可能な牽引砲でフォローする。【ヘファイストス・ファミリア】が艦砲のCIWSを改造したものを。  自動装填装置がついた戦車砲を、牽引遠隔操作砲塔に改造する研究も始まっている。  メルカバ、ナメル、Sタンク。  移動兵站として『ふくろ』。失ってもいい覚悟でトラック。  Sタンクは、戦車と考えなければすこぶる強力だ。重装甲で自走の、自動装填装置で速射の、105ミリ対戦車砲。そんなものはほかにない。普通に大型対戦車砲を装甲車で牽引したら、10人は必要だ。それが1人でいい。  キャニスター弾なら、大体の方向がわかっていれば機関砲同様に動きが早い敵もとらえられる。複数の散弾で弾幕を張って動きを鈍らせ、主力戦車の旋回できる主砲をぶちこむ、それで多くは倒せるだろう。  ハッチからは無反動砲、多連装ロケットを選ぶことができる。 『ふくろ』から出せる兵器……黒竜戦では活躍したが、やはり欠点も見つかった巨大砲架も改良された。  120ミリ自動装填戦車砲3連装の、古い戦艦の砲塔のような装甲地面置き砲塔を単独で扱う。  また35ミリリボルバーカノンを3連装……秒に約60発でガトリングのタイムラグもない……にし、動力も積み追従性を極端に高くした接近阻止機関砲システムも作った。  艦砲のCIWSシステムを地上用に改装した57ミリ・76ミリ速射砲システムも。  また冒険者の手持ち火器も研究開発が進んでいる。むしろ大型の対戦車手榴弾が多い。  タンデム成形炸薬弾頭を参考に、前面に成形炸薬弾頭、後ろに大径の自己鍛造弾で、穴をあけてその穴に高速の金属をぶちこみ、内臓からかき回す。  また巨大な粘着榴弾のような手榴弾も効果を発揮し、配られている。  ナメルと同じ弾薬の30ミリ機関砲を、第一級冒険者用に全員分手持ち改造している。  手持ち改造された76ミリ対戦車砲や57ミリ機関砲も好みで使う物がいる。  特に力に優れた者は、自動装填装置・弾倉つきの120ミリ戦車砲すら担いでしまう。頑丈なリヤカーを作り、それにトンに達する弾薬を積む……それを引いた第一級冒険者が、主力戦車に匹敵する火力を出す。 『クロッゾの魔剣』を用いる、大口径短銃身、極超高初速APFSDSで対物ライフルのサイズながら短距離なら戦車砲に匹敵する銃もレベルに合わせて行きわたっている。  また、とりあえずは瓜生の故郷の106ミリ、軽量な84ミリカールグスタフなど、無反動砲の成形炸薬弾頭も活用する。  まず新階層に、もっとも重装甲の主力戦車で侵入して多連装ロケットと戦車主砲で最大火力を叩きこむ。  それから主力戦車の主砲、多数の牽引砲を展開して制圧。  サイズが小さい強敵は高連射の対空機関砲と、手持ち機関砲を持つ第一級冒険者と主力戦車の連携で対処する。  それが構想され、下層で徹底的に訓練された。  また、黒竜戦で圧倒的な威力を目の当たりにした【フレイヤ・ファミリア】、また【ヘスティア・ファミリア】に負け従わされている【アポロン・ファミリア】、闇派閥戦で協力している【ディオニュソス・ファミリア】など、近代兵器を導入するファミリアも増えつつある。 【ロキ・ファミリア】のように戦車隊には至らない。人数も少ないし、たとえばレベル2ばかりで戦車に任せて52層まで行ってしまったら全滅するだけだ。  重機関銃・無反動砲・対戦車砲・対戦車手榴弾。トラック。小型装甲車。瓜生の故郷のもの、鍛冶ファミリアが量産をテストしているコピー品、オリジナル設計の品を買っていく。無論高額で。  また、それ以外のファミリアにも、緊急用に抱え筒に似た小型砲や手榴弾が普及しつつある。ひどいモンスター・パーティや超強敵に、巨大散弾や手榴弾でとりあえず難を逃れ血路を開くためだ。それができれば全滅リスクを大幅に減らせる。  できればの話だ……頼って無謀なことをすれば結局は死ぬ。  車両を用いる18層まで、また18層以降の重装甲車を用いる高速送迎も高額ではあるが組織化されつつある。行きだけでも物資も体力も消耗せずに行き、探索して帰る、大金を払っても割に合う。  18層安全地帯、冒険者の町の地上との極端な価格差もかなり軽減されている。  また19以降にも安全地帯がいくつか拠点化されている。ひとつはロキ・ヘスティア・ヘファイストス・ミアハ共同の『車庫』だ。  構想としては、32層前後の水・食料が豊富な場に、恒久的な拠点を作り、交代で防衛戦・物資輸送を繰り返すことも考えられている。  安全地帯である50層にも、異端児(ゼノス)の協力もあり相当規模の物資と火器が集積されている。 【ヘスティア・ファミリア】の、低レベル……先輩となった新入生と、第2期の新入生たち。  彼らの装備も固まり、絶対に死人を出さない、ダンジョンの想像以上の最悪に戦い抜けるように鍛えられ続けている。  リリが受け継いだ瓜生のスキルもあり、経験値の伸びは早い。アイズの記録には及ばないにしても、一年半も頑張れば確実にランクアップできると思われる。  伸びに応じて、火器も追加し始めた。  基本的には、大盾と長槍を複数組む小規模ファランクス。  全員の追加装備として、M460リボルバーと、【ヘファイストス・ファミリア】製火器。  M14ライフルに似たフルサイズのライフルに34センチの大型折り畳み銃剣。ライフルの口径は338ラプア、.50BMGほどかさばらないが7.62ミリ×51NATOよりはるかに強力で、ミノタウロスでも一発で倒せる。  大盾+着剣小銃+両手でも使える短剣が4人。  長槍+着剣小銃が4人。  それに、指揮と荷物運びの着剣小銃のみがふたり。手榴弾も持っており、将来的には重火器も担当する。  緊急時以外手を出さないレベル2以上がふたり…….50重機関銃など重装備。  現時点で火力だけなら30層でも通用するが、あえて9層前後を徹底的に攻略し、時々レベル2以上を増やした状態で15層程度の中層で撤退戦を経験させるのを繰り返している。  さらに新入りの指導もあるし、近代機材を用いた調理・浴場などのスキルも高いため、ダンジョン以外の仕事も多い。ベル・クラネル団長も足を失ってまで戦い、そしてよく面倒を見てくれるようになったので大喜びで頑張っている。  将来レベル2以上が増えれば、ライフルを.50に強化し装甲車を加えて強化するつもりはある。たとえば長槍を単発の14.5ミリライフルにするなど。 『神会』では、ランクアップした子供たちの二つ名が議論されていた。  黒竜討伐。  前の『神会』からあまりにも短い間に、レベル2から5に跳ね上がったベル。  どこからともなくやってきたレベル7たち。  瓜生がもたらした近代兵器・近代物資の力。 『異端児(ゼノス)』とそれにまつわる『戦争遊戯』。  イシュタルの神界送還、ヘルメスの追放、アレスが捕虜として閉じ込められている。この『神会』にも参加させてもらえない。  退屈しのぎに地上に降りた神々は興奮し、絶頂し、叫びまわっていた。 「『黒竜』もえらく頑張ったなー」 「『鏡』特別公開してもらってみんなで見たけどほんとすげーわ」 「むちゃくちゃだったなー」 「人間の目じゃ何も見えねーよ」 「古参のあんたはあの二大ファミリア時代も知ってるだろ?比べてどうだ?」 「比較にならんよ」 「しかしランクアップした子増えたなー」 「あの『戦争遊戯』からめちゃくちゃだなあ」 「前の『神会』から、何人だ?」 「うっわー何だこの数引くわ」 「それにアレスもほとんどこっちに入ったし」 「『ギルド』に登録した『恩恵』持ちの人数が倍近いもんなー」 「カーリーんとこも多いよなー」 「うわあああっ」 「なんだなんだ」 「携帯ゲームでやられたんだ、最近はやりの」 「高いけどなー」 「娯楽もずいぶん増えたもんだ」 「なにせちきゅ」 「はいはーい、そろそろ二つ名決定大会やでー」 「ロキのやつまだやってるよ」 「もう全部バレバレだっての」 「さ、まずは……」 「ビーツちゃんは?」 「オレのこの手が光って燃える!すごい名つけろと轟きさけぶうっ!『竜玉少女(ドラゴンボール)!』 「やばいネタはやめろっつーたろ!」 「大食い伝説もますますすごいことになってるよなー」 「一度誘って賭けにして、これはさすがに無理だろって量を食わせた神(バカ)がいるんだ……見事に爆死してたな」 「おいてめバラすな、なけなしの小遣いを……でもまさか、『メルド』の全メニューぶつけて余裕だなんて思わないだろ、スープだけでも常人には多すぎの麺入り、普通のBランチでもそこらのフードファイターが軒並み敗退したのに」 「ばーかばーか」 「それにあれ、強さ今レベルいく」 「はいはーいうちや!ロキや!そうやなー……」 「ほーらロキさんがごまかしてます」 「まああのファミリアのレベル詐欺にいちいち突っこんでてもつまらないよな」 「運営何やってんだ何だこのガバゲー」 「見てみ、ヘスティアちゃんの目がえらい泳いでるで」 「髪もすごいことになってるな」 「じゃあとりあえず、レベル2に3人ランクアップした【タケミカヅチ・ファミリア】からいくか」 「そうそう、メインディッシュは最後にとっておこう」 「くそう二日徹夜した【ヘスティア・ファミリア】二つ名帳が出るのはまた後か」 【ロキ・ファミリア】との、訓練を兼ねた深層遠征を前にしたある日。  ベルは、アイズに車椅子を押してもらい、街を歩いていた。  すぐにレフィーヤが飛んできて怒鳴った、 「アイズさんに車椅子を押させるなんて!私が押します!」 「ずるい……とった……私のなのに……」 「い、いえ、わーっ!そんな、そんな、アイズさんがアイズさんがアイズさんが」 「そりゃそうですアイズ・ヴァレンシュタイン様に車椅子を押させるなんて罰当たりです不肖このリリルカ・アーデが」 「だめ」 「その、妾も押したいです」 「だめ」 「ボクが押すんだ!」 「だめ、私の」 「あの、この車椅子は電動だから……」  と、出かける時から騒ぎになる。  新入生たちは、 (『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタイン入りのハーレムなんてさすがベルさん……)  といったものである。  結局は何人もの女の子と、オラリオの町に出る。  ベルたちが、必死で守り抜いたオラリオに。たくさんの人々が喜び、感謝の声を投げてくる。つい最近、石を投げ唾を吐いてきたその人も、だが。  それは気にならない。犠牲を払って取り戻した、アイズの本当の笑顔がある。  リリの笑顔も……すぐに通信機に呼び出され、別の仕事に飛んで行ったが。  ヘスティアも腕時計のアラームが鳴り、【ヘファイストス・ファミリア】の仕事に行く。 【タケミカヅチ・ファミリア】から経営を引き継いだ和風屋台で、アイズと焼鳥を買い食いする。強引に食べさせようとしてくるのが、うれしいを通り越して何か別の感情だ。  またレフィーヤが騒ぐ。空から、団扇と足ひれで飛んでトレーニングしていたティオナも降りて加わる。  椿・コルブランドが走って『バベル』に帰る途中足を止め、 「おお!新しい刀ができたぞ、今度こそあれにも耐えて見せる!それに、ラジアルボール盤の……」  と誘うつもりが、膨大な技術情報言葉になる。 『ギルド』の門には大画面のテレビがあり、『戦争遊戯』でのオッタルとフィンの戦いが流れている。  広場の一角では、演劇ファミリアがミュージカル化した『るつぼ』が演じられている。  広場の近くの低い塔から、6人乗りのケーブルカーが発着している。  オラリオは変わっている。それでも、世界中の欲望が集まり、希望があることは変わりない。  今日もまた、新しく夢を抱いて出てきた人がいる。  いかにも人込みに慣れていない、少女の、途方に暮れた表情はベルにはわかった。ほんの半年かそこら…… 「あの……違ったらごめんね?……どの『ファミリア』にも断られたんじゃないかな?」 「は、はい……え、ベル・クラネル……」 「『ギルド』は『学校』を紹介してくれたんじゃないかな?」 「は、はい」 「なら、そこで頑張れば……」 「い、いいんですか、あたしみたいなのが、『学校』に行っても」 「ひどいこともいわれたのかな……大丈夫。諦めなければ、きっとできることはあるよ」 「あ……あああああ……ベル・クラネル……『黒竜殺し(ドラゴンスレイヤー)』の大英雄……」 「ぼくの二つ名は違うんだけどな、あれは」 「みんな、『黒竜殺し』って言ってるよ」 「そだよ、あの火の鳥すごかった!」 「『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタイン……『大切断』……」 「あや、フリーズしちゃった」 「ベルくん!」 「エイナさん?この人、ちょっと固まっちゃったようで……」 「そりゃあねえ。無理だと思える冒険者志望の子で、『学校』の話もしたんだけど頭がいっぱいいっぱいみたいで……ちょっと前の君みたく」 「は、はは……」 「今も!明日からの遠征、絶対無茶はしないでね。絶対帰ってきてね、英雄だって死ぬときはあっけないんだから!」 「はい……英雄がどんなに儚いか、ウリューさんにたくさん聞きましたから」 「英雄の話?聞かせて聞かせて」 「ティオナさん、車椅子は」 「第一足も……冒険者を引退したって……」 「……ごめん、ベル……」 「あ!無神経でした。申し訳ありませんヴァレンシュタイン氏、クラネル氏の信念と覚悟も侮辱していました……」 「ありがとうございます、エイナさん」 「それより、英雄の話聞かせて!」 「今朝リヴェリアに言われてなかった?『ラジオ』ばかり聞いて夜更かししてる、って」 「あ……」  そんな日々の中、誰が気づくだろう。  瓜生が、もういないということを。 *メンバーの二つ名がどうしても思いつかない…* >別れ  ベルたちが退院した数日後だった。 『豊穣の女主人』を貸し切りにして。異端児(ゼノス)のウィーネやリド、【ロキ・ファミリア】幹部、椿・コルブランドやヴェルフ・クロッゾも加わって。  ささやかな祝勝会。  ベルとカサンドラは知っていた。カサンドラが見た夢を、『幸運』で呪いを突破できるベルだけが信じた。  今日がその日だと。 「今日、夜に……ウリュウさんが、どこかに消えてしまう夢を見たんです」  ベルは苦しみ、泣いた。誰にも相談できない……主神ヘスティアにさえも。カサンドラの予知は誰も信じないのだ。  相談できたのはカサンドラだけ。 「なにか、何かできることはあるかなあ」  カサンドラも考えた。必死で。 「……もし、その立場ならば……かかわった人たちと会っておきたいです」 「ありがとう……」 「悲しすぎますよ、そんなの……」  ベルはまず『豊穣の女主人』、そして【ロキ・ファミリア】などと連絡を取り、祝勝会の予約をした。  それから、何とか考えて、言い訳をした。 「できれば、ウリューさんやリリがかかわっている、今までお世話になっている人たちと、顔を合わせておきたい」  と。  そうすれば、瓜生もその人たちと最後にもう一度会える。  瓜生は仕事の多くをすでにリリに移譲していた。だが、これからベルが事務側にもかかわると言っているので、顔見せは役に立つだろう、と承諾した。  オラリオ中を回った。リリが車椅子を押して。時には、訓練中のロフストランドクラッチを両手につけ、腕だけで立って。  瓜生がかかわる人は、実に手広かった。  ならず者たちがいた。ベルをはめようとしたモルドたちも。  貧しい人たちがいた。  病院にもかかわっていた。近代医学を、清潔とエビデンスベース……治療を試験して検証する手法を教えていた。  オラリオに、これほどたくさんの病人がいるなど考えたこともなかった。  さまざまな建設があった。  オラリオの壁のあちこちに、コンテナを積み上げ速乾コンクリートを塗った塔がある。その上のドームには大型の機関砲が設置され、オラリオのどこに『穢れた精霊』の怪物が出ても瞬時につぶせるようにしている。  天文台もあった。大型望遠鏡で、知識ファミリアが星空や太陽を観測している。  気球で高層大気を観測している人たちもいた。  図書館も見た。  空港から、高額な金を払って空の旅を楽しみ、また遠くの生鮮食料品……日持ちしない熱帯の果物など……を運ぶ人たちもいた。  港町(メレン)に通じる鉄道も見た。今はまだ、異端児(ゼノス)が牽いている。  蒸気機関、そしてディーゼルエンジンやガスタービンエンジンを実現するため、鍛冶ファミリア連合が研鑽している研究所も見た。  高炉も見た。  ケーブルカーや電波塔、それを保守し建設する人たちも見た。彼らがつい最近までどれほど貧しい暮らしをしていたか、それがどれほど変わったか。  その、集合住宅も見た。  オラリオの貧困層居住区である『ダイダロス通り』が、観光地・商店街として保存されるかわりに多くの人が、都市外の新しい集合住宅に移っていることも聞いた。 「といっても、おれの故郷じゃ、スラムからの強制移住はろくなことにならないんだが……人のネットワークと土地、それで生きてる人たちを抜いたら……人はまるで植物だよ」 「おれの故郷に、〈地獄への道は善意で舗装されている〉って言葉があるんだ。善意で世界を変えようとして、地獄を作ってしまう……おれも、別の世界の冒険で昔は何度もやらかしたものさ」  瓜生の深い罪悪感に、ベルもリリもまた触れた。世界の複雑さも。  リリは、ある程度の冷酷さを持っているが……ベルにはそれが乏しい。強く共感してしまった。  フランス革命、共産主義、ハイチ革命……いろいろな話が飛び、ベルは何冊もの日本語の本を持たされた。 「いつか、頑張って読みます」  ベルは誓った。これから、本気で日本語と英語を学ぶことを。  オラリオから少しだけ出て、ラキア虜囚が開発しているコンテナハウスでできた衛星都市も見た。働く、虜囚と言われながら故郷よりずっといい暮らしをしている人たちも。  彼らと結ばれ幸せそうに笑うテルスキュラ出身のアマゾネスたちも。  膨大な食料や鉄材、セメントを、今はリリが魔法で出して供給しているのも見た。 『ギルド』にも顔を出し、エイナ・チュールと打ち合わせもした。  彼女は、もはや【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】の資料しかない59層以降の超極深層について講義しようとした。しかも59層は、【ロキ・ファミリア】が大遠征で見た結果変貌していたという……  越権だが、冒険者を辞めてほしい、ともベルに言ってくるエイナ。 「誰だって、死ぬときは死ぬの……トグ氏がいなければ、戦えないじゃない……どうやって深層から……」 「車があります」 「それだって、いつ壊れるかわからない……」 「五体満足でも、足をやられることだってあります。それでも生還する人はいるんです」 「ひとり生還した人がいたら、99人が死んでいるのよ」 「エイナさん。ベルのことを思ってくれているのはありがたい、ただ……ベルは、英雄になってしまっている。英雄であり続けるのは……大変なんだ」 「英雄なんて……英雄なんて……おねがい、おねがい、どうか死なないで……」 「はい……」 「地位にこだわって、大事なことを忘れるなよ。……いいな」 「はい!」  ベルの叫びの強さに、エイナは違和感を感じた。そしてベルの、ものすごい悲しみも。  リリもそれを感じていた、だが……ふたりとも、カサンドラの予言を信じることはできない。  あっという間に日が暮れていく。  ベルは、日の色が、空の色が変わるのを悲しく見た。 (こんなに、一日は短い……) (どんなに、ウリューさんがしたことを知らなかったんだろう) (何も知らない。故郷の家族のことも、故郷でどんな暮らしをしてきたのかも) (でも、聞いていいんだろうか……あんなつらい思いをした人に、何を聞いていいんだろう)  そして本拠地(ホーム)に帰った……  遺跡地帯だった空き地は急速に再開発が進んでいる。遺跡そのものも極力、発掘し都市外に移設しながら。  中層コンテナハウスという、圧倒的な短期間で作れるし面積当たりの人数が多い団地。  そのあちこちに、ランニングコースやループランニングコースがある。  それほど大きくはない、本拠地。団地と体育館、食堂と浴場。  瓜生たちが出てきた、廃教会の神像とその前の小さなスペースは手をつけず保存されている。またどこかから、迷い人が出てきてもいいように。  本拠地の周囲はランニングコースになり、近くの家や店も新築だ。それも瓜生が建てた。  暗殺を防ぐため、十分に考えて。ランニングコースも、ある意味防御設備……無断で横切ろうとしたら、カメラやレーザーの監視網にかかり警告の上射殺される。幼児が犠牲にならないように配慮はしている。異端児をめぐる闇派閥との争いでは、何人も死んでいる。  隣に増築が進んでいる。もう、第二期の新入生も入る。黒竜との戦いで少し遅れたが……  第一期の新入生たちも、ずいぶんと成長している。普通の駆け出しの三倍以上の数字。  油断と、若さゆえの乱暴さが頭をもたげないよう、主にヤマト・命と【タケミカヅチ・ファミリア】の仲間が監督している。  春姫と、訪れていたアイズが出迎えてきた。ふたりともベルの顔を見たとたんの、満面の笑顔。 「ただいま」  笑顔に笑顔を返そうとするが、泣き笑いになりそうになる。  なぜ、ベルが今日は……朝、カサンドラが訪ねてきてから泣きそうにしているのか、だれにもわからない。彼女の予言を信じることはできないから。 『豊穣の女主人』は急遽貸し切り。 【ヘスティア・ファミリア】の全員、それに【ロキ・ファミリア】からも多数。【ヘファイストス・ファミリア】【ミアハ・ファミリア】【タケミカヅチ・ファミリア】【アポロン・ファミリア】からも。  エイナ・チュールも招かれている。 (金に糸目をつけず……)  というベルの言葉に、ミアはにっと笑って応えた。  事前に、リリが膨大な量の予備を無料で倉庫に詰めている。  チーズと果物の前菜、果実酒。  それから、どんどん豪華で美味な料理が出てくる。  ビーツが相変わらずとんでもない量を食べている。  武威とソロが、フィンやガレスと談笑している。  アイズがベルに食べさせようとして、その母アリアとリヴェリアが笑っている。  黒竜との死闘の話をいろいろな人がして、【ヘスティア・ファミリア】の新入生や主神が息を呑んで聞き入っている。  ベルは、迷っていた。一言を言い出せるか……  もともと、冒険者の故郷、家族を詮索すること自体がタブーに近いのだ。  だが、もし言わなければ、もう機会はない。後悔するだろう。 (どちらを選んでもひどいことになる、ということはある。そのときは……)  瓜生も、フィンも、ソロも、教えてくれた。  カサンドラが、かわりに聞こうとするのをベルが目顔で止めた。 「ウリューさん!」 「なんだ?」 「……ウリューさんの家族は、どんな人なんですか?」  弱めの酒を口に運んでいた瓜生が一瞬黙る。 「……普通の人だ。普通の。……いい家族だと思う」  苦しそうな表情になって、何かを出そうとしている。  ベルは蒼白になった。 「大丈夫だ、ぎりぎりだったが……故郷でも、いくつかやらかした。家族が拷問虐殺されずにすんだのは、奇跡みたいなもんだ。いや、これからもいつどうなるかわかったもんじゃない……金でできる限りのことはしたが……  最初の旅に失敗して、次の旅で人助けにおぼれて、帰ってからアフリカの飢えた人を助けようとして……あちこちの国の闇に目をつけられた。あそこが飢え争っているのは、いくつもの権力者の利益になっている。  いわれるまでもない、アホだった。何も知らなかったし、どこまで知ってもきりがない……」 「あなたがすることが、正義でないとは思えません」  リュー・リオンの言葉にも、瓜生は苦い顔をした。 「……地獄への道は善意で舗装されている」  瓜生の言葉に、リューが強く歯を食いしばる。 「そうだね。でも、それで何もしないのが正しいとは限らない」 「どうすれば正しいのかわからない。よかれと思ってやったら、何倍も犠牲が出て、その虐殺者をさらに殺して……」 「でも、行動するしかないんだ。僕も何度も、〈やらかして〉いる。その責任と罪を背負って歩いている」  フィンの言葉は、さすがに『勇者(ブレイバー)』だった。 「おまえのおかげでみんな助かってる」  リヴェリアが言ったが、瓜生は目を伏せた。 「ひとりひとりが頑張ったからだ。おれひとりでは……せいぜい無差別破壊しかできない」 「われらができるのは、そなたが教えてくれるからじゃ!」  すっかり酔っ払った椿・コルブランドも強引に割り込んできて、90度以上の超ウォッカ・ブランデー・激辛唐辛子エキスを混ぜた無茶酒をガレス・ランドロックとかわるがわるあおる。 「本は渡した。あとは自分の手で学べばいい。どのみち、高水準なキサゲのコツなんておれも知らない」 「ああ、自分たちでやるとも!」  ベルとカサンドラは、そんな瓜生を全力で見ていた。  魚料理、スープ、そして肉料理、鍋のような具沢山の味噌汁。  赤ワイン、日本酒、ブランデー、貴腐ワイン。  天ぷら、フライやコロッケ、肉じゃが。  真空調理ブロック肉。  次々と料理が並ぶ。会話が進む。  黒竜を倒せるとは、だれも思っていなかった。レベル9がいた【ヘラ・ファミリア】ですら壊滅したのだ。  それほど強くは見えない瓜生が、どれほどの力を見せたのか……  そして、彼がどれほどオラリオを変えたか、フィンやリヴェリアは全体像を知っている。椿は、いくつかの分野で深く深く知っている。  ケーキが回り、まだ飲み食いする者は……そんなとき。  ふっと、瓜生の体が光り出した。 「あ……やはり、そういうことか。もう、帰ることになったようだ」  瓜生がヘスティアに言う。 「え……帰る」  酔った目が、一瞬で衝撃に見開かれる。一拍置いて理解したのか。 「え、ええええええ、ああああああ……」 「すまない、自分でもどうしようもない……みんな……」  衝撃に打たれていた、フィンが、椿が、リリが……何とか言葉を取り戻そうとする。 「ありがとう」  最初に立ち直り、言葉にしたのはリヴェリアだった。  何人もが、口々に感謝の言葉を言う。  ヘスティアが瓜生に抱きついた。 「リリルカ!このパスワードだ」  瓜生が足首に巻いた太い紐を外し、リリに渡した。リリはうなずく。太い紐は筒状の布であり、その中にパスワードを書いた布が入っている。 「みんな、彼女が後継だ」 「わかった」  フィンが即座にうなずく。 「……ベルを、主神ヘスティアを、ファミリアを頼む」  瓜生がソロたちに言う。ソロも、武威もトグも、ビーツもうなずいた。ビーツはどこまでわかっているものか…… 「新入生は、任せてください。死なせません」  ヤマト・命の言葉に瓜生がうなずく。 「ウリューさん……」 「絶対に、おれのようになるな。絶対に」 「絶対に、虐殺・拷問・強姦はしません」 「それでいい。リリルカ……」 「わかっているつもりです。虐殺をしない。油断しない、最悪を想定する。自分からは裏切らない。手が届く限り食わせる。現実を見、情報を集める」 「ああ。……世話になった。元気で……」  光が増していく。瓜生はただ、人々を見渡す。言葉も届かなくなる。 「ウリューさんこそ、英雄です!」  ベルの叫びは届いたのか。  ……皆がうなずき、それを見回しながら……光が強まり、消えた。  そこには、瓜生がこちらで買った鎖帷子やナイフ、鱗鎧(スケールアーマー)が、主なく潰れ落ちていた。  衝撃に呆然とする……ヘスティアがベルに抱きつき、泣き叫び始めた。 「飲もう!とことん強い酒をよこせ!」  ガレスが叫ぶ。何人かは同調して叫び、ミアが100%近い蒸留酒を多数用意する。それも瓜生が出したものもあるし、こちらで鍛冶師たちが作った蒸留器で再現したものもある。  ベートが改めて、呆然とした顔で座って酒をあおった。 「か……勝ち逃げされたあああ!」  ティオナが叫び、ティオネが唇をかむ。  ベルとヘスティアの泣き声が聞こえる。  奇妙な宴は続く。店主のミアは、ただただ酒と料理を用意し、怒鳴り続けた。  リュー・リオンもウィーネも、今は店員としてそれを運ぶ。 >続く  瓜生が消えた、故郷に帰った。  機能という点ではほとんど困らなかった。物資供給を含め多くをリリルカ・アーデができる。 (いつ指揮官が脳卒中や心筋梗塞で倒れても、副官がとどこおりなく仕事を続けられる……)  そのことを、瓜生は常に忘れていなかった。 【ロキ・ファミリア】のフィン・ディムナが反省し、ラウルやアナキティをあらためてしごきなおしたほどに。また、瓜生に負けたことをきっかけに、あれほど拒んでいた『指揮』をするようになったベート・ローガの再訓練も、ガレスを中心に始めた。  物資供給も、ならず者たちを利用した情報組織も、慈善事業も、リリルカ・アーデができるようになっている。  技術指導は【ヘファイストス・ファミリア】ら鍛冶ファミリアや【ムネモシュネ・ファミリア】など知識ファミリア。膨大な日本語・英語・ドイツ語などの本をぶちこんだ図書館もいくつもある。オラリオの外の国にも。  異端児の何人かも近代科学技術の全体像を叩きこまれ、膨大な本を複数保管し、再現しようと研究開発を続けている。瓜生の世界の科学の、膨大な実験を一から再現するという大変すぎる事業まで命じられている……それは技術の底上げにもなる。  十数人、さらに30人近くになった家事も、ヤマト・命に指導される第一期生が第二期生を指導している。ビーツがいるので食事だけプラス100人分必要だが、それも。  機能的には問題ない。だからこそ、知る人たちの喪失感は大きかった。  ベルも。ヘスティアも。フィンたちも。  リリや命は、寂しがる余裕もないほどに多くの仕事をこなしていた。  ベルも、必死で多くの事を覚えていた。  次の、【ロキ・ファミリア】と合同の大遠征に向けて。  ふたつの、操縦桿型多ボタンジョイスティックで、ナメル重装甲車の本体操縦とリモコン砲塔操縦を同時に行う。  これまで【ロキ・ファミリア】が積み重ねた、あらゆる悪路や地形型モンスターの急襲の映像を利用し、リヴェリアやフィンと同じように対処できるまで訓練を繰り返す。瞬時の超信地旋回からの最大加速、同時にほぼ真後ろに連射など、第一級冒険者ならではの超絶技巧を。  また、日本語も必死で学び始めている。瓜生が残した膨大な本を少しでも読むために。  武威、ビーツ、ソロは変わらず鍛錬の日々を送っている。  ベルもできる限り、トグに魔法を使ってもらって参加はしているが、どうしても時間は短くなる。魔力は限られるし、マジックポーションは限りがある。新しくやることも多い。 【ミアハ・ファミリア】のダフネ・カサンドラ・ナァーザが、装甲車で今まで行きにくかった場所に素材を取りに行けるとはいえ。  だが、それでもさみしさは感じる。特にビーツは、瓜生が常に大量の食物を用意していたことを思い出すようだ。ヘスティアができるかぎり気を使っているが……主神も忙しい。彼女も事務も、射撃の練習も、【ヘファイストス・ファミリア】でのバイトもしているのだ。  アイズ・ヴァレンシュタインも毎日のようにベルに会いに来るついでに、練習試合をするのが常だ。  ビーツや武威は、アイズより圧倒的に『ステイタス』では上だ。だが技術ではかろうじて勝てる。それで技だけで精いっぱい抵抗し、特にビーツの技の面でも底なしの才能に毎日戦慄する。  ソロは、あらゆる総合力がはるか雲の上に思える。だからこそ必死で少しでも盗む。  トグも『ステイタス』は急激に伸びている。  リュー・リオンも、自分に及びはしないが高い水準でまとまり、経験も豊富で、そして心根がとても高く互いに学べるものが多い。  時には【フレイヤ・ファミリア】との交流もある。武威やビーツが出稽古に行くことも割と多いし、また【フレイヤ・ファミリア】の膨大な冒険者が近代兵器の訓練を始めてもいる。  時には深層まで装甲車で素早く行き、装甲車を用いる戦闘の訓練もする。  主力戦車改造の重装甲をベルが操縦し、リューが重火器を積んだ悪路用リヤカーを引いて護衛する。  前後をソロとビーツが固める。  装甲車にはトグと春姫も乗る……ベルが生き残るためだけでも、絶対に死なせるわけにはいかない2人を守り抜く。  深層で間断なく襲う敵、そのすべてを、黒竜戦などで経験した強すぎる敵と思って対処する。  装甲車を操縦しながら機関砲も操作するベル。  手持ち改造の速射砲を盛り上がる筋肉で操作するトグ。  妖術を歌い続ける春姫。  余裕すぎる敵、だからこそ技術を徹底的に磨くため、ソロがビーツを叱咤し模範を見せる。  そんな日々ののち、ふたたび60層を目指す遠征が始まる。  50層までは装甲車であっという間に。  50層の安全地帯で休み、メンバーと装備を整え、51層を素早く抜ける。ここまではリリルカ・アーデもついて物資補給をした。  52〜58層『竜の壺』は、まず砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)に階層貫通攻撃を撃たせ、その穴に航空爆弾を冒険者の腕力で投下、重力を無視できる第一級冒険者とパラシュートつきの重火器や食料を投入する。  ZU-23-2機関砲が、広大な58層に湧き続ける砲竜を撃破する。その間に残る戦車隊が地下を目指す。  あえて、普通のルートではなくマッピング範囲を広げることもする。  武威は時々、階層貫通炎も無視して55層などで修行していたりするので、得難い情報源となっている。  ベルは、必死で巨大な装甲車を制御していた。叱咤され、歯を食いしばりながら。  何カ月も瓜生に、そしてフィンやリヴェリアにしごかれた【ロキ・ファミリア】【ヘファイストス・ファミリア】、ダフネに比べて練度が低すぎる。さらに操縦系も、すべてデジタルでできるように改造されている……勝手が違う。  シミュレーターとも、訓練とも違いすぎる実戦、最高速走行。加速度が違う。地形が違う。要求されることが多すぎる。  高融点のセラミックス複合装甲が、莫大な重量が追加されている。荷物も限界以上に積まれている。それも大爆発する実弾が。  ただ、歯を食いしばって高速で突っ走る味方の後を追う。  刀を振り続け、アイズの面影を追い続けた日々のように。  自分の操縦に身を任せる仲間たちのことも思って。  敵が掃討され続けている58層。連続運転時間も長引いており、休息をとる。  ベルは激しく息をついている。  アイズやフィンの、すさまじい覚悟の表情も恐ろしい。  59層で見たとてつもない敵。話は聞いているが、今力を実感しているナメル重装甲車が飴のように溶かされたという話が、今になって重い布団のようにのしかかる。  牽引遠隔操作砲塔も整備され、弾薬がいっぱいに装填される。  先頭の装甲車に、多連装ロケットが詰めこまれる。  トイレ。水。食事。  武威とビーツ、ガレスが巨大な不壊属性の楯を持ち、前に立つ。  トグと春姫が、いつでもベルに呪文を詠唱できるよう心の準備をする。  黒竜戦でレベル3にランクアップしたカサンドラが、ベルが飛び出したらナメルの操縦を引き継げるように、かつそれまでは牽引される遠隔操作砲塔を制御できるように準備している。タブレットと予備タブレット、遠隔操作砲塔のレスポンスを確認し、ベルの許可を得て予備ジョイスティックから車体のレスポンスも確認している。  覚悟を込めて突入した59層……それは森ではなく、昔【ゼウス・ファミリア】が記録に残した氷河でもなく、寒い岩と砂の荒れ地だった。 「油断するな!」  フィン・ディムナの叱咤。 「円陣!」  装甲車を指揮するラウルの叫び、ベルは必死でジョイスティックを操り、自分の持ち場に急ぐ。 「2-6、砲塔を2時に!」 「はい!すみません」  叱咤に歯を食いしばり涙をこらえ、左手のジョイスティックを動かす。  本来なら無理なのだ、操縦と砲塔操作を同時にするのは。だから戦車は、いや装甲車でも、自動装填装置リモコン砲塔のロシア最新型でも車長・操縦手・砲手の3人で操作するのが常識なのだ。  画面に、前を走るビーツとソロの姿が映る。ソロのうなずきが深い励ましになる。  そして砲塔の上に座る武威の『気』も感じる。  ダフネが操るナメルが隣に着くのも、タブレットの一つに映る。  ラウルが乗るメルカバが、画面の、訓練と同じ場所になるのを確かめる。 「迫撃砲準備よし」  同乗のカサンドラの声がする。メルカバとナメルは市街戦用に、非常識な60ミリ迫撃砲を搭載している。屋根があるダンジョンでは高く飛ぶ迫撃砲は使いにくいが、射程が短いかわりにペイロードが大きい専用焼夷弾を鍛冶ファミリアが量産している。  隣のトグが集中している。  春姫は、事前にガレス、次にリヴェリアと続けて妖術をかけている。 「来る」  氷の影から迫る、巨大ビルのような白い熊。 「敵だ、ファイア!」 「2番4番、11遠隔バースト!」  フィンとラウルの叫びとともに、戦車砲が膨大な炎を吐き出し、遠隔操作の連装35ミリリボルバーカノンが弾をばらまく。ベルが見ているタブレットのひとつの画面が白く染まり、スピーカーから轟音が響く。 「虫!」  フィンが叫ぶと同時に、槍でもある巨大着剣小銃を放ち、遠くで貫かれ破裂した巨大虫がまき散らす溶解液が岩を溶かす。  地下からの食人花、その他の脅威……今のこの火力でも油断できない敵が、いますぐそこにいるかもしれない。  特にレベル2の春姫。ナメルの、主力戦車級の装甲がどれほど厚くても……ベルの精神をすさまじい緊張が襲う。  ひとりで剣をふるい強敵に立ち向かうとは違う重圧。だが、ソロやフィンの背中が励ましてくれている。  仲間と共に戦う……それがどんなに心強いか。はじめてパーティで冒険を始めたとき、そして瓜生に守られて戦った、駆け出しのころの感情がふっと沸く。 (顔だけでも笑え)  思い出し、ゆがんだ微笑を浮かべてみる。 (深呼吸)  呼吸を深く。  視野が広がる。何枚ものタブレットが、膨大な情報を伝えている。  円陣を組む仲間たち。頑丈な鎧をまとい、二刀を提げ重機関銃と対戦車ロケットをかついだアイズ。連装機関砲についたリューや椿。ポンプアクションに改造された無反動砲をかつぎ後方安全を確認するベート。巨大な着剣小銃を構えるフィン。光の槌とトグの魔法を受け、魔法陣を浮かべるリヴェリア。  見える。安心が広がる。自分がすべきことが見える。  ついに60階層……かつて、階層を貫通して壁を作った何か。  レベル6のガレスが連打でやっとこじ開けた悪夢。  その痛みを覚えているガレスの拳がうずく。 「いくぞ」  フィンの言葉に、ベルはふたつの操縦桿を握り、トリガーに指をかけ、いくつものボタンやダイヤルに親指を触れさせる。  神の脇差、ヴェルフたちが打った刀を確かめる。  英雄であり続けるために。異端児のために。瓜生に恥じないために。主神のために。仲間たちのために。ライバルに恥じないために。アイズのために。  かなえてしまった夢の重みを背負い、できる仕事をし、前進し続ける。  英雄であり続ける、たとえ全人類に石を投げられても守ると決めたものを守る、両方を続ける。それが、フレイヤにも問われた、ベルの『英雄』。 >絆  やや田舎の大学町。  川べりの、大学生ひとり暮らし用アパート。  春休み。学生の多くは帰省している。  その一室。郵便受けにはビニール袋のかかった新聞が突っこまれている。  雨。未明。つけっぱなしのラジオがごく低い音量で音楽を鳴らしている。  無人の部屋のベッドに、すっと人の姿が生じた。 「う……」  瓜生は、枕に顔を押しつけて号泣した。  何度も、何度も。旅をし、絆を築き、人を殺し、助け、治療し、教え……そして別れる。  永遠に。死と同じ遠さ。 「ヘスティアさま……ベル……リリルカ……」 「みんな……」 「あああ……っ!」  長い、長い号泣。 「ソロ……あんたも、仲間たちと永遠に別れてきたんだったな……」  今回は、境遇を分け合える仲間もいた。  だからこそ苦しい。  ひとしきり泣いた後、瓜生は身を起こす。  シャワーを浴び、風呂に湯を入れ始め、そして洗面所で姿見も〈出し〉て背中を見る。 『恩恵』が、異界の文字で書かれた『ステイタス』がない。  喪失感。改めて泣きじゃくる。  ベッドに戻り、巨大な対物ライフルを〈出し〉て持ち上げてみる。  レベル2の体力であれほど軽かった銃が、重すぎる。  あらためて悲しみが襲う。  また、次の旅まで、学生生活をする。春休みはまだ何日もある。その間にまたどこかに行くかもしれない。  食事を作り、洗濯する。  この故郷でも実際には持っている莫大な金を運用し、寄付し、投資して少しでも何かをましにする。  学生としての宿題、ほかにもさまざまなことを学ぶ。医学。技術の歴史……当地の人が実現できる、当時の技術の一つ上は何か。数学や社会制度の根本。  人目がないところを金で作って、銃の練習をする。  次の旅まで。旅から旅へ。  今回の冒険では、瓜生は拳銃と小口径高速弾を信用しなくなった。  それから試行錯誤をした。  結果、メインはAKと同機構のショットガンの、ブルパップ式のセミカスタム。  サブはAK-103……AK47と同じ7.62ミリ×39弾を用いる新素材・折り畳みストックライフル。  どちらも皮ポンチョの下に隠すスタイルが確立していった。  オラリオなら.50BMGセミオートライフルを持ち歩いても平気だったが、常人の体力に戻った彼にはそれは無理だ。7.62ミリNATO弾すら、崩れた姿勢で左片手でフルオートは無理。  7.62ミリ×39弾は威力もある。  338ラプアマグナムの、ブルパップかストックを畳めるセミオートがあればよかったが、高性能狙撃銃である338は大抵10キロ近い大重量になる。  とにかく、妥協。  皮なら剣と魔法世界でも咎められずに着ることができる。防御にも防水にも優れる。重いのが欠点だが。  ポンチョならばかなり大きい長物を隠し持てる。  ダンジョンの極深層、60階層。  59階層にも恐ろしいギミックがあった……膨大な数のモンスターを一度に吐き出す塔のような構造物。それがあるからこそ、あの巨大植物を宿主にした『穢れた精霊』はこのフロアに居を据えていたのだとわかる……膨大なエサがあるということだ。  だがそれは、今の戦車隊にとっては標的でしかなかった。  散弾を吐き出す戦車砲のキャニスター弾。30ミリRWS。35ミリリボルバーカノン3連装、合計で一秒に60発以上、しかもガトリング砲の宿命であるタイムラグもない。  レベル5以上の随伴歩兵が放つ14.5ミリガスト式重機関銃。  相転移して膨大な炎に変わるサーモバリック弾。  膨大な敵を掃討し、ソロの『ふくろ』を利用して物資を補給して、次の階へ……  そこに待っていたのは、巨大なオウムガイのような、大きいビルのように思える怪物だった。その口からは長い長い、平たい触腕が何千と突き出ている。  一本一本が、分厚い岩盤である階層の天井/床を貫通し、レベル6のガレスがやっと隙間を開けられるほどの硬さ。  だが、戦車隊の初弾にはすべて、ベル・クラネルの長文詠唱付与呪文がかかっている。  キャニスター弾、すぐ後ろが徹甲弾。  すぐに横に展開した装甲車から、多連装ロケット弾。  随伴歩兵も走る。瓜生が出した素材を用いる、安価不壊属性の巨大な盾をガレス、ティオナ、ソロ、武威が構える。けた外れの威力の攻撃を真正面から受け止め、守り抜く。  いくつかが抜けて戦車の正面にぶつかるが、極厚の増加装甲と大重量が耐え抜く。  その背後から何人も手持ち改造機関砲を放ち、同時に魔法を並行詠唱。  弾幕と、鋼の薄い板のような触腕の弾幕がぶつかり合う。  フィンがアイズに目を向け、別のところに目をやる。 「ベル!」  アイズの叫びに、必死で持ち場に着こうと操縦していたベルは叫んだ。 「はい!お願いします」  ベルの頼みをカサンドラは素早く聞いて操縦を交代。  兵員室のトグと春姫が呪文を唱え始めた。  膨大な触腕の影から、さらに恐ろしい存在が出現する。  フィンたちが以前戦った、25ミリでも致命傷にならないケンタウロス。 「ぶっ殺す!」  ベート・ローガが無反動砲を発射し、膨大な触腕を切り抜けつつ怪物に立ち向かう。 「団長は……守る!」  手持ち機関砲を手にしたティオネが弾幕をばらまき、その隙に盾を捨てたティオナが切りかかる。それが弾かれた瞬間の隙をソロの雷光を帯びた剣が貫く。盾はリュー・リオンが素早く引き継いだ。  フィンが、巨大な槍を構える。【ヘファイストス・ファミリア】製、20ミリ機関砲弾の単発銃でもある大槍。強力な弾薬が膝を崩し、直後に胸を穂先が貫く。  リヴェリアが戦車砲を操作しながら詠唱を続ける。  ラウルが、アナキティが、アリシアが対戦車手榴弾を放ち、細かく足を使う。  攻防が敵の足を止め、一瞬よけた椿とベート、そこに戦車砲が正確にぶち込まれる。  戦車の装甲に守られたアイズの母親が、超強力な防御・身体強化呪文で全員を強化している。  今はナルヴィらが50階層安全地帯を守っている。膨大な物資、膨大な火力。何が来ても……と覚悟し、火器や戦車の訓練を続けている。  そのころ、47階層のはるか奥、冒険者が入ろうともしない超危険地帯で、アステリオスが重厚な刃をふるい、強大な怪物を倒しては魔石を食らっていた。  そのころ、オラリオからやや離れた異端児(ゼノス)の国では、初の収穫を迎えていた。  収穫が早いタンポポやツルムラサキ、雑穀のたぐいだ。  だがこれほどうれしい食物もない。  ウィーネが日光をまぶしげに見上げ、鋭い爪で収穫した作物を抱える。  別のところではリザードマンやフォモールが、多くの文献を広げながらアルミニウムの実験室を小さい工場の規模にしようとしている。  オラリオから少し離れた畑でも、【デメテル・ファミリア】が収穫の早い作物の収穫を始めた。ラキアの虜囚たち、それにテルスキュラ出身のアマゾネスたちもごちそう目当てに収穫に参加する。  列車が線路の上を走っている。  ラジオが鳴っている。  風車が風を受けて回っている。  そのころ、ダンジョンの40層では【フレイヤ・ファミリア】の眷属が戦車の訓練をしていた。基礎の基礎からひとつひとつ。  ヴェルフ・クロッゾは今も、プレス機で膨大な数の魔剣を作っている。  離れていても、それが仲間を、ベルたちを守っていると知っているから。  ほかにも多くの鍛冶師が転炉をつくり、合金を調整し、プレス機を作り、定盤を削り、それをもとに旋盤を作り、それでネジや軸受けをつくっている。瓜生の世界の品の超絶な精度・金属の均質さに嫉妬し絶叫することを繰り返しながら。  リリルカ・アーデが事務所で、パソコンを見ながら書類を書いている。恐ろしい闇の奥の情報をいくつも照らし合わせ、嘘を見抜き、三角測量のように真実に迫る。  遠くても、ベルを、主神を守るために。瓜生から受け継いだものを生かし続ける。  エイナ・チュールは今日も、『ギルド』の窓口で冒険者に微笑み続ける。死んでいくのが定めの冒険者たち、でも少しでも死が少なくなるように、必死で情報を調べ、教え、教材を考える。  統計もリリルカや、【ガネーシャ・ファミリア】幹部たちとともに学び始めた。その結果、ここしばらく冒険者の死亡率が大きく下がっていることがはっきりした。  瓜生が運動した、サポーターが持つノウハウの結集。『学校』による非大手初心冒険者の指導。『ギルド』貸与初期装備の改善。銃器の普及。  それらが多くの生命を守っていることが見える。  そして、今もダンジョンの、危険を通り越した超深層にいるベル・クラネルの事を思い、無事を祈らずにはいられない。  その心を静かに空に放り、次の冒険者志望者の話を聞く。……たとえ冒険者になれないとしても、今のオラリオで食いっぱぐれるのはむしろ難しい。それにどれほど瓜生の影響が大きいか、それもあらためてわかる。 「ベル」  重厚な全身鎧をつけ、不壊属性の大剣とサーベルを二刀に提げたアイズがうなずく。  黄金の光を帯び、失った足を一時的に再生させたベル・クラネルが戦車を降りた。  武威とビーツが左右に。後ろでは増加装甲で着ぶくれしたナメルに、トグと春姫が守られている。  レフィーヤもうなずきかけ、静かに歌い始める。 「行くよ」  ケンタウロス型は仲間たちに任せ、触腕の奥の、分厚い殻をまとった本体を襲う……それがフィンの指示。  後ろに目があるように、ソロが『ふくろ』からいくつも航空爆弾を出し、リューを通じて運ばせる。ガレスやティオナが、トンに達する重量物を次々と百何十メートル投げつける。次々に起こる大爆発。  アイズの母が最後尾で大呪文を唱え、大型爆弾とベルの長文詠唱付与魔法を融合させた。  母とうなずきあったアイズが突撃する。  ビーツが背の短剣を抜き、『気』をこめるとそれが5メートル近い長槍になる。瞬時に襲ってくる触腕を払い、流し、ケンタウロスをぶち抜く、と思ったら一瞬消えて別のケンタウロスを拳で内部破壊し戻る……超高速にして優雅、圧倒されるほどの強さ。  武威もその強さに鼓舞されたか、人間の姿を捨てて膨大な、深すぎるところからの『気』の化身となる。正しい円の歩き、敵の攻撃をすべて受け流して回り込み、柔らかい攻防一致に徹する。  背後からソロとリューが操る自動装填戦車砲の、正確な援護。  フィンとソロが敵を操り作り出した血路に、4人が突進する。  先行する武威とビーツがすべてを切り払う。  抜けてベルに迫る触腕や槍を、風をまとったアイズが切り落とす。  レフィーヤの絶大な魔法が正確に炸裂する。  見える敵本体、圧倒的に重厚な殻に、ベルの雷刃が…… 『バベル』でバイトを終え、【ヘスティア・ファミリア】本拠に帰る女神ヘスティアは、今もかすかな絆を感じていた。  傍らを歩く、今は改宗しているヤマト・命と、前の主神であるタケミカヅチの間に細い絆が続いているように。  同時に、ダンジョンの奥深くで戦い続けるベルたちとの絆も感じる。だからこそ今彼らが生きていることがわかる。  同じように、本拠で待つ眷属たちも。買い出しに出ている眷属たちも。休みで遊びに出かけている眷属たちも。  ダンジョン上層で戦っている新入生、彼らを指導している第一期生たちも。 (そうだよ、世界が違うぐらい、それぐらいじゃ絆は切れない。ずっと……ウリュー君)  幼い女神の瞳は慈母のそれ。顔を見ることができないこと、遠すぎるぐらい離れていることなどなんでもない。  眷属たちは誰もが、どれほど離れていても主神の事を思っている。  主神も、眷属たちを思っている。どれほど離れていても。