注:これは「児童ポルノを規制したい勢力」の主張をより深く理解し、対抗する助けとして本来「絵、単純所持」規制反対派である僕が半ば冗談で作った自作自演です!
もちろん僕も、現在東南アジア初め世界中で行われている奴隷的児童売春には心から、それこそブラックエンジェルズとして関係者全員地獄に落としてやりたいぐらいの義憤を覚え、

には強く反対しています!


 現在、2ちゃんねるというお下劣インターネットの世界を中心に、「児童ポルノ法案改悪反対」の運動が起こっています。それ自体が日本の恥であり、看過することのできない人権侵害です。

 彼らは「東南アジアなどにおける児童売春、実写ポルノの製作には反対する」と一見児童の人権に理解を示すようなことを言っています。

その上で

 総合して日本の重要な文化、産業が消滅し、表現、言論の自由がなくなり、いくらでも別件逮捕が出る悪法になってしまう上にかえって性犯罪が増え、組織犯罪を肥らせると主張しているのです。

 それらに一つ一つ反論していきましょう。

 これがわからないことが、彼らの人権意識の無さ、男中心で幼児虐待を許容し、人権を認めない社会の酷薄さをはっきり示しています。彼らは絵、つまりいわゆる美少女コミックやゲームの中でいたいけな少女、そして少年がどれほど残虐に強姦されているか知らないのでしょうか?知っていて言っているのです。およそ人権以前に、正常な感覚がある人間はその下劣で残虐な想像に耐えられるものでしょうか。加害者の人は絵の中の人物に共感するからこそ時には泣き、笑い、そして自慰行為に及べるのではないでしょうか?ならば、その絵の中の人物の痛みは現実の人と変わらないはずです。
 絵による児童ポルノを許容する人は、心の中で現実の児童を強姦しているのです。それが現実の児童に向かうのは当たり前ではないでしょうか。イエス様は言われました。「(マタイ5:28)しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲を抱いて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」そう、絵であっても守るべき児童を性的な対象としてしか見ていないということは、普段外で見かける子供たちも性的な対象として見、視姦に及んでいるのです。それだけでも十分人権侵害ではないでしょうか?
 児童ポルノの本質は一人の被害者の人権が踏みにじられ、心身に深い傷を負うことだけではありません。それによって、全ての「児童の性的自己決定権」そのものが踏みにじられたのです。被害者がたとえ絵の中の想像上の存在であっても、それは変わりません。一人の人権が侵されることは、全人類一人一人の人権が侵されるのと同じです。一人冤罪で死刑になる人がいたら明日は我が身であるのと同じように、一人でも性的自己決定権と人間としての尊厳を踏みにじられた子供がいれば、同時にあなたや私自身とその子供も踏みにじられたのです。まして子供の純粋な心では、絵の中の人物も現実の人間も同じです。つまり、絵の中の子供の人権を侵すのは全ての子供の人権を侵すことなのです。
 まして、それを見てしまった子供がどのような影響を受けるか想像できますか?男子は女の子を犯すことが逮捕されて重い刑を課され、相手と自分の魂を踏みにじって地獄に落とす恐ろしい犯罪だということを知らず、当然の性行為で大人の証と思いこんで成長します。その中の一人でも現実の犯罪者になったら、作者初め関係者はどうその責任を取るのでしょうか。そしてもし女子の目に止まってしまったら、それが見てしまった女子にどれほど深い心の傷を与えるか想像できるでしょうか。いえ、男子も実際には心に傷を負ってしまっているのです。それが傷だと理解できないだけで。
 もちろん、それは小説であっても本質的に変わりません。将来的には絵だけでなく、世界の趨勢にならって児童ポルノを助長、許容する表現全てを禁止すべきです。

 見なされかねないではありません。きちんとした人権教育を受けた外国人の目から見るとその全ては恥ずべき児童ポルノなのです。暴力と性によって売ることだけを考えているそれら下劣な商品の存在を認めている事自体、日本の民度の低さ、人権意識の弱さを示しています。子供を性の対象と見なす事自体が許されないのです。
 日本のマンガ、アニメ、ゲームがどれほど深く児童ポルノと結びついているか、それを知るにつれて私たちは怒りに全身が震えました。もちろん、それに気がつきもせずマンガを読み、アニメを見て喜んでいた子供時代の自分たちの人権意識の希薄さに今更ながら戦慄しています。それがあたりまえだったのです。女は、そして児童は大人の男性の性の対象である。それを疑うことさえ難しかった、それほど我々の文化には深く性の商品化、児童ポルノの精神が染み込んでいるのです。
 この状況は変えなければなりません。確かに宮崎駿監督作品が世界的な映画祭で評価されましたが、それもあえて言えば膨大な人権侵害の山の上に咲いているのです。
 この性の商品化と暴力の恥ずべき文化を追放し、表現者の義務としてきちんと児童の人権に配慮したディズニーのように世界に認められるものにすべきです。性と暴力がなければ表現ができないなら、そんなものはやめなさい。誰がなんといおうと悪いものは悪いのです。
 日本を支配しているロリコン文化は本質的に児童虐待の連鎖、男性による女性、子供の性的、経済的支配と深い関わりを持っています。それを断ち切り、性と生命に対する暴力と支配の連鎖文化を切って新しく平和と人権の文化を作り出す義務が人間にはあるのです。「児童に対する性」「性暴力」「暴力、戦争」は考えることも表現されることも許されないタブーとし、暗黒の歴史として封印しなければなりません。
 一大産業が壊滅し、経済に悪影響があるといいますが、では例えば経済に悪影響があるからとチッソの工場を稼動し続けるのが正しいことでしょうか?足尾銅山を経済のために動かし続けたことで、どれだけの被害が出てしまったか知らないのですか?まして吉原も続けるべきだったというのでしょうか。
 日本という国が世界的な理解が広がり、非難されている児童ポルノ文化を切れないなら、世界の非難という形で経済的な悪影響とは比較にならない国益を失うことでしょう。今その産業に従事している人は何らかの形で再教育、社会復帰を考えるべきです。それが彼ら自身のためではないでしょうか。人を傷つけるものは自分も傷つけているのです。それまで性商品として児童を踏みにじってきた罪を自覚させることが、彼らにとっても救いではないでしょうか。

 こういうのをためにする議論、いいわけ、こじつけといいます。執行まで猶予期間を設け、その期間に廃棄すればよろしい。このような形で児童ポルノ文化を擁護することを許してはなりません。彼らの本音は児童ポルノ文化を守りたい、それだけです。
 それもある意味当然でしょう、それが当たり前だと思っていたのですから。でも忘れないでください、戦前、戦中と子供の娯楽を含め圧倒的な支配力を持っていた軍国主義文化を廃絶することは特に痛みも残さず成功しているのです。間違った文化を正すのは当たり前のことで、それは必ず成功します。

 この主張の誤りは***の調査で・・・(具体的なデータが必要)

 これと同様の主張をご存知ですか?「無害な大麻を禁止すると犯罪組織を肥やすだけだ。むしろ大麻は解禁したほうが」そうしているオランダなどが麻薬と極悪な児童ポルノを含めた組織犯罪にいかに深く侵食されているか、フリーマントル「ユーロマフィア」を一度読んでください。

 ゾーニングが不可能であることは中学生以上の男子なら誰でも理解しているでしょう。多くの未成年者が現実に飲酒、喫煙し、そして現行法でも未成年者に販売してはならないポルノを見ています。たとえ全ての書店などがゾーニングに協力しても、禁止は特に子供にとって強い好奇心を生み、どこからか入手して誇らしげに回覧します。それで充分害になるのです。
 第一、ゾーニングがきちんとできるとしても、児童ポルノが公然と存在している事自体世界的に見て非常識で恥ずべきことであり、上述のように児童の人権を蹂躙しているのです。

 履き違えてはいけません。憲法19,21条はポルノグラフィーを保護するためと勘違いしている人が多いですが、それこそ13条の公共の福祉に反し、12条の濫用そのものです。
 ヨーロッパの人権先進国でも、ナチズム肯定や歴史修正主義の言論は否定されています。言論の自由は邪悪を守るためではないのです。

 我々は今こそ未来を担う子供たちの人権を「国民の不断の努力によって、これを保持」し、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」!子供の人権を踏みにじり、人間の尊厳である性を商品化して表現の自由を濫用している連中の運動にだまされる人がいないよう、子供に対する専制と隷従を地上から永遠に除去し、世界一の児童ポルノ大国の汚名を返上しようではありませんか!

 我々は子供たちに伝える文化を選ばなければなりません。商業主義で選ばれる暴力とセックスを伝えることは、虐待されてきた母親や先輩が我が子や後輩を虐待するのと同じく虐待の連鎖なのです。
 人間として、悪の連鎖を断ちきって愛と平和の上に立つ正しい文化を伝え、正しい文明を作り出すべきです。もうレイプと児童虐待、戦争と暴力、管理と洗脳はやめましょう。それは必ずできるはずです。


この文章に反論できるでしょうか。