「恋するパワー」(大石あきら)&「マジック・ピンク」(白沢まりも)SS
Petite days(二日目)

 朝、目覚し時計は要らない。
 雨戸がないアパートだから、日光で自然に目が覚める。
 起きていつも通り水を飲もうとして、指輪に気がついた。
 夢じゃないんだ……もう独り暮らしじゃない。
 台所においておいた、昨日の切った竹を洗って水を入れ、自分もコップに汲む。
 そして指輪を三回こすった。
「なによ!願い事決まったの?」
「おはよう。」
 顔を見るだけで笑顔になる。とても嬉しい。
 メルに水を手渡すと、あまりご機嫌じゃないけど飲んだ。
 自分も飲み、いつも通りストレッチをして腕立て腹筋スクワットを3セットほどこなす。
 それで汗が出てから枕の下のナイフを抜き、素振りを繰り返す。
「チカ、何でそんなことやってんの?」
「さあ?多分楽しいから…と、一度覚えちゃったら続けて、心技体を高めていないと危ないからさ」
「そんな練習してるほうが危ないんじゃない?」
「まあね」
 言って耳たぶを指差し、パジャマのすそをまくって傷跡を示した。
「素振りで気が抜けてね…冗談抜きに真剣だもの、気合入れないと。ま、こうして痛みが分かっているからこそ人を傷つけない抑止にもなるし、向上心がある限り大丈夫だと思ってる。それに、自分に克つためだし」
「あのねぇ」
「ま、わかってるわけじゃないけどね…だからかな……八、九、二百」
 もちろん近所迷惑にならないよう小声。軽く手首を伸ばし、さっさと台所に向かう。
 昨日の味噌汁の残りの火をつけ、サバのもう半身に塩を振ってグリルに入れる。
 沸いた味噌汁にご飯を入れ、卵を入れるのがいつもの朝食。
「おいしいの?」
「僕はおいしいと思ってるよ。」

 食べ終わり、使った食器を洗い終えて庭のハーブに水をやりに出た。
「それにしてもさー、ゴハン作りに来てくれる彼女が欲しかったりしない?」
「作ってくれるか?冗談だよ。」
 もちろんメルは怒っている。
「ま、恋なんて不公平なものさ」
 なんでもそうだけど。
「そーして諦めてて、寂しくない?例の彼女はチカのことわすれてんだから、白紙でアタックしたら?」
「バカ言うなよ、せっかくおれとの縁が完全に切れたのにまた迷惑かけられるか」
 寂しくないといえば嘘になる。勉強と立ち読みと読書と家事で忙しいからあまり気にならないけど。
 でも、友達と下宿で色々料理を試したり、一緒に勉強したり山でキャンプをしたりできたら楽しいだろうな。
 読書でインプットしたことも少しはアウトプットしたいし。
 まあおれには無理だ。いやそれ以前に、どれも普通の大学生がすることじゃない。キャンプはあるかもしれないが。
 それ以前におれにとって、普通に同世代とつきあうのは…恋とか友情とかは少年マンガの魔法と同じ、少女マンガの主人公たちがやっていることで、マンガの中のことだ。
 おれにも、ほんの少しでも徳があれば…
 その時、目がくらんだ。
 シュアファイヤーを自分に向けてみたときと同じような衝撃。
 目を開けると、不思議と網膜は焼けていない。クリアな視界に、人形サイズのかわいい女の子がいた。
 薄いノースリーブのワンピースに白い翼。
「はじめましてっ!あたし天使のアユア!」
 にこっ、と笑いかけてくる。
 別に驚くことはない、また変なのがという感じだ。
「ちょっと、天使が何の用なのさ!」
 メルがいきなりアユアに怒鳴りつけた。
「この人を幸せにするためだよっ、仕事なんだから!」
「あ、この子はこの指輪の精みたいなもんでメル。」
 なんとなくメルを紹介した。
 二人はまだにらみあっている。
 まあいいか、かわいい子は歓迎だ、となんだか達観している自分が怖い。普通ならびっくりなのに。
 そういえば、この子たちって僕の感覚器以外で測定できるのかな。今度写真に取ったりしてみようか。
「おっと、そろそろ急がないと。一緒に来る?僕以外には見えないよね。」
「もちろん」
 と、二人の声がハモった。
「悪いけど、学校ではあんまり話かけないでね。狂人扱いされるから」
 いって軽く土を撫で、ジョウロなどをしまって手を洗うとバッグを担いで自転車に飛び乗った。

 ニ限の教室に入るまで、特に違和感はなかった。一限は大講堂での大人数授業だったから、いつも通りだったのだ。もちろん他の人は肩に乗っているアユア(メルは指輪に戻った)に気がついていない。
 二限の教室に入り、いつも通り着席して…感じた違和感。視線。
 まさか、と思って、出欠の時に確信した。
 それから学生課に行って、調べてみる…やはりデータにもない。
「やっぱりね」
 アユアはメルと知り合いなのだろうか?
 移動するついでに、知っている先輩とすれちがうのでわざとあいさつをせず、軽くリュックをぶつけてみる…やはりだ。
 身障者トイレに入り、指輪を三回こする。
「チカ!学校では声……どしたの?固まってる笑顔が怖いよ」
「み・ん・な・が・俺を忘れてるみたいだけど?」
「確認したよ、知解のことは誰も覚えてない。」
 アユアも結構力があるみたいだ。
「ち…ちょっとミスっちゃったみたいだねぇ?」
「まあいいけど、戻しといてよ。あと、戻すのはノーカウントだぞ、当然!
しかし、今僕が事故死すれば身元不明死体で、そうすれば彼女は永久に僕のことを思い出さなくてすむな。」
「ばかぁっ!なんでそんなこと考えんのようっ!」
 アユアが叱りつけてきた。その目に、涙。
「なんでアユアが泣くんだよ……ごめん。でもさ、おれは、彼女を幸せにしたかったんだ。でも、おれは迷惑にしかならなかったから、だから……」
「大体っ、記憶を消そうなんて願うのがわるいよっ!
たとえ迷惑かけたとしても、その彼女にとっては知解との思い出も大切な思い出じゃないの?
ずっと泣かせてばかりだったの?一度も笑ってもらったこともないの?」
 いや、何度か笑顔で遊んだりしたことはある。プリズムを投げて虹を見せたり、水道で遊んだり……
 でも、それも本当かどうか分からない。もしかしたら、嫌だけどそれを出さなかっただけかもしれない。
「俺には人の本当の気持ちは分からないから。笑ってもらったことはあるけど、それも嫌々お情けでじゃないかな。
俺は彼女にとって、多分生まれてこなかったほうがよかった。俺自身にとっても」
「そっ、そんなことないっ!そんなこと…」
 アユア、そんな…俺なんかのために泣かないでくれ。
「みんなの記憶、戻しといたから。そんなトイレで辛気臭くしてないで、次の願い事考えてよ!」
 メルの、ミスを笑い飛ばしているのんきな言葉が不思議と救いになる。

「じゃあ、銃刀法改正して刃渡り7インチまでのナイフと拳銃を外から見える形なら常時携帯していい、ついでにオートOKとか」
「だめえっ!」
 二人の声がハモった。
「冗談だって」
「冗談に聞こえなかったけど?」
「そりゃ夢だからな」
 それで、苦笑ではあるけど笑えた。自嘲でなく。
「ありがとな、二人とも」
 なんとなく口に出る。これから幾度となく口にされる言葉が。
「ふぁいとっ、だよっ」
 アユアがにこっ、と笑ってくれる。でもそれ、
「ナユナ?」
「そんなこという人、嫌いです」

 学校が終わったが、どこへ行こうか…と考えながら、自転車は勝手に新古書店に行っている。
「あのさ、前にタエんとこで一巻だけ見たマンガがあるんだけどさ、続き立ち読みしてくんない?」
 とメルが頼んできた。
「いいけど、何?」
「ええと…確か星の…あ、こっちこっち!」
「メル!こっちは少女マンガだよっ、知解は男なのに」
 アユアの心配は、まあ普通の男ならもっともだ。
「大丈夫、僕は少女マンガ平気だから」
 言うと、両肩の二人がずざっと引いたのがわかった。
「引くのはわかるけど…で、どのへん?」
 いくら少女マンガが平気だといっても、できればボーイズラブや花ゆめ系のホモありは勘弁して欲しいのが本音だが……
「あ、これ!」
 りぼんのコミックスか、僕はなかよしファンだから…でも「星の瞳のシルエット」というのは聞いたことがある。名作らしいな。
「初めから読ませてね、わからないから」
 と言うと、一巻を手に取る。素早く広告を見て全何巻か確認する。全十巻棚にそろっているようだ。
 二時間後。
「もしもし、そこの成人男性と天使、少女マンガを立ち読みしながら泣くのやめてくんない?」
 呆れているメルも感動している表情だ。
「だって、香澄ちゃんが……」
「もう、こんなのってないよ、こんなに、こんなに…」
 さらに三十分後読み終え、深く深くため息をついて涙をぬぐった。
 全身の力が抜けるような感動に包まれる。
「おっと、遅くなっちまったな。」
 このふたりの買い物もしなくちゃ。スーパー、もう閉まっちまったかな…ぎりぎりセーフ!

「お菓子が好きなんだっけ?」
 アユアにだけ聞こえるよう、口を動かさずに小声を出す。専門的な腹話術ではないが、得意技の一つだ。ま行とば、ぱ行は唇を開閉して発音する音であるため、それを使わないように言葉を組み立てるのがコツ。
 うなずくのを確認し、小さなチョコレートの詰め合わせを買い物かごに入れ、
「おいしい水!」
 耳を引っ張って強く言うメルに、ペットボトルをかごに放り込むことで答える。
 あ、ふたり用の食器と多少の家具も用意しなきゃ。
 二階に行き小さい皿と、杯は…どうだ、という風に持たせてみるが、
「重い」
「ちょっと重いよ」
 まあそりゃそうだ、杯も所詮人間用だ。
 ふらふら見回って、ふと目の隅に何かが見えた。
 おもちゃ売り場!もしかして…ビンゴ、人形用に近いままごと食器セット!二人にジャストサイズだ。
 ミルモだな。やはりそういう層向けか。よかった、人気あるんだ。
 ふっ…
「ちょ、ちょっと!」
「いくらなんでもそれは恥ずかしくない?そこまでしてくれなくていいよ!」
 もちろん多少恥ずかしいが、堂々とミルモの原作を「ちゃお」で読んでいる僕に今更…
 行動をコントロールする、感情を切り捨てる!
 別に何事もなく買うことができた。店員も、一々気に留めない。単なるバーコードだ。
 しかし便利だな、おもちゃ屋は。近くにあるおもちゃ屋のほうが専門店だし、品揃えはよさそうだ…今度行くか。
 自転車に乗り、ふと
「それにしてもさ、久住香澄って語呂悪くない?あの二人、結婚したらそうなるんだよな」
「独り言は聞こえないよ」
「そんなこと今更つっこまないで」
 相手にされていない…しくしく。
「香澄って地名を見たことがあるんだけど、近くに久住って地名もあるのかな」
 もう完全無視…
「でも面白かったよね、なんか…爆弾の導火線を追いかけてくような快感だよ」
「一々物騒なたとえしないの。だから友達いないんじゃない?
みんなが知解のこと思い出しても今日一日、誰とも話さなかったんじゃないの?」
 ぐさ。
「じゃあ、第三の願いは」
「それはだめ〜っ!魔法なんかに頼っちゃ駄目だよ!」
 またメルとアユアがけんかを始めた…
 上り坂だから、話している余裕がない。帰るまで放っとこう。アユアにはベッドがいるな、…そうだ、箱ティッシュの上を切ればいいか。シーツ代わりに救急箱のガーゼと脱脂綿があるし。
 椅子や机は、竹でも切って作るか、とそこらの雑木林で止まり、枯れた竹や木をいくつか折り取って自転車のかごに入れた。
「何?」
「家具とか作ろうと思って。あ、ちゃんとした人形用のほうがいい?」
「あたいは人形じゃないよっ!」
「かわいいのはいいけど…、というかそれは危なすぎない?」
「気にすんなって、あ!よかったら、服は?人形用のならいろいろ…」
 ってあれ、高くなかったっけ…しょうがないか…
「いい、服のことなんか気にしなくていい、野の花は王様より着飾ってるんだから。神様にもらったこの服以上の服なんてないからね」
「こんなフリフリ、趣味悪」
 というかもしかして、値段を気にしたの読まれたのかな。僕の心を読まれているのかどうか…
「あんまり気をつかわなくていいから!」

 それからなんとなく無言で、アパートに着くとハーブに水をやり、部屋に入ってガーゼとティッシュでベッドを作ってみた。
「ねえ、これでどう?」
「アユア!もしかして、覚えてないとか?」
「いやその、人を名前で呼ぶの苦手なんだよ」
「それがいけないんだね、じゃあ呼んでみて?」
 となると、改めてすごく照れくさい。
「…ァュァ、メ…」
「あたいは気安く呼ぶな!」
「ばか、ちゃんと呼ぶ練習させないと!ほら、もっと大きな声で!」
 何か忘れてるような気がする…
「……ア、アュァ」
「声が小さいよ、知解…チカ。はっきり呼んでみて」
「…んっ、」
「ほら、じゃあ右手を握ってみて?」
 それはできる。
「左手も。同じように、体をちゃんと意思で支配して、呼んでみて。目を見て…ほら」
「アユア!」
「はい、よくできました」
 と、素敵な笑顔をくれた。とてもうれしい報酬だけど…ちょっとまて、今思い出した!ここの防音大丈夫?
「…あのさ、隣や上の人がもし聞こえてたら、記憶消しといてくれる?」

 

 

 

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