Dunk Like Lightning


第13章 陽炎の彼方(女子)

 死闘の余韻に浸って……というより限界を超えた疲れと痛みにうめき、どちらかというと病院に行った方がいい男子、だがまだ大会は終わっていない。午後、女子の決勝がある。
 去年と同じく、大和台高校と麻生学園高校。
 如月まいが丁寧にシュート練習をする裏で、舞が敵の大和台一人一人をチェックしている。
(柳川秋衣キャプテンは好調のようね。センターの村上ゆき、どこか集中を欠く動き。岡川りえこはゴール下シュートがうまくなった。新入生の新庄真沙美はドライブが素晴らしいわ、さすが怪我でブランクがあるとはいえ、中学時代県選抜に選ばれた実力ね。
 今日はインサイドを集中的に攻め、相手以上に点を取る方向にすれば勝てるわ)
 また、まいがシュートを落した。
(だめ、力を使っちゃ…もう二度と、たとえ自然にでも力を使うのはだめ)
 これまで試合も含め、「変身しない程度」にかなり力を使ってきた。キツネ族の血を引く彼女は自信を失って感情に身を任せるとキツネに変身、そして理性にとどまると人間に戻る。その中間で感情的になると耳としっぽが出た状態になり、ダンクはおろかバックボードを軽く飛び越え、嗅覚や聴覚、動体視力も人間の数百倍だ。
 そして卓巳とつきあいはじめ、精神的に安定してからは変身しないまま力を自然に使い、人間ばなれした運動能力は使わずシュートの精度などを高めてきた。
 だが、その力ゆえに……RSや桜木軍団、関北高校新聞部の協力がなければ自分達はおろか、大和台高校バスケ部も廃部の危機にさらしてしまった。もう絶対に力は使えないが、どこまでがキツネパワーでどこまでが人間としての力なのかなど意識したことなどなかった。
「まいちゃん、だいじょうぶ?体調悪いの?」
 妹尾舞が話しかけてきた。
「だいじょうぶ」
 まるで大丈夫などではない。卓巳がそうしたように、プレイで、勝利でしかこの借りを返すことはできない、しかも力を使わずに。気を抜くと耳やしっぽが出そうなほどのプレッシャーだ。
 不安な目で応援席を見る。卓巳は勝利の時に見せたような、素敵な笑顔を送ってくれる。
 そして、その横に白狐の乱と、卓巳の姉で乱の恋人…というか放浪癖がある彼を地の果てまで追いまわしている明子の姿もある。それで少し安心できたが、それも甘えだとどこかで気がつく。
「まい?どうしたの?元気ないぞ!」
 橘更が元気に背中を叩いた。
「去年の雪辱だよ、絶対勝とうね!」
 長身で、中学時代には男子レギュラーとも互角だったまいの親友。告白もできず、バスケも下手で万年補欠の雑用係だった彼女を暖かく支えてくれ、技術的には追いついた今はもっとも頼もしいチームメイトでもある。
「そう言えば男子の試合、筒井くんもだけど哲太くんもカッコよかったよね!北田さんも」
 そのノーテンキを少しわけて欲しい、とまいはため息をついた。
「だめだめ、ため息なんかついちゃ!北野さんがいってるでしょ、バスケは楽しまなきゃって。バスケットは好きか?」
 と北野監督の口調を真似て。
「似てる似てる」
「もう練習終わりよ、試合には集中してね!集中してこそ楽しいのよ」
 舞がいつもの知的な微笑みで。
「オッケ!」
 あくまで明るい更くん。

 心配そうに大和台応援席を見ていたりえこも、試合前の集合で気持ちを切り替えた。七緒は苦しい時も笑っているから感情がつかみにくい。もう少し甘えてくれたらいいのに、と贅沢なことも考えていた。
 円陣でも、もう何もやりのこしはない。
 両方この一年、この日のために全てを賭けてきた。全てをぶつけ、絶対勝つ。そして全国大会に出る、それだけだ。

 試合開始、村上ゆきがとったジャンプボールを岡川りえこがスピードに任せて運んだ。
 が、妹尾舞が即座にプレッシャーをかける。無理に止めようとしない、思い通りの動きをさせないディフェンス。
「せーの、」
 掛け声から一気にりえこが加速したが、舞は全く慌てず視線でプレッシャーをかける。
「シュート!」
 七緒の声にシュートするが、外れたボールを橘更が取る。
 ベンチ裏応援席で、敵であるりえこを応援した七緒が袋叩きにあったのは言うまでもない。
「すまん、つい」
「ついですむかこの裏切り者!」
「速攻!」
 ぱっと如月まいが前線に駆け出す。
 俊足でりえこが追いつき、パスカット!
(絶対勝つ!)
 まいが必死でルーズボールを追い、ラインを越えてしがみついた。
 が、つい頭を触り、確認してしまった……キツネ耳が出てしまわないか、という不安だ。
 客席の卓巳や乱はそれに気がついた。
「どうしたの?」
「大丈夫?痛いの?」
 チームメイトの声に我に返った。
「心配しないで、絶対勝つ!」
「いいけど、一人じゃ勝てないわよ?みんなで勝とう!」
 まいは唇をかんで強くうなずいた。
「乱ちゃん、まいちゃんがどこか変だ」
「変身してないか、不安がってる。あの事件で余計なプレッシャーを感じてる」
 どやどや、と後ろから数人が客席を駆け降りてきた。
「水戸さん!それに」
「ほかじゃねーぞ!大楠雄二だ!」
「野間忠一郎!」
「高宮望だ!」
「役立たず軍団か」
 乱のきつい一言……
「すまんな、遅くなっちまって」
「ついパチンコに入ったからな、こいつが」
「出足は好調だったんだが」
「いつもだろ」
「だから大負けする前に出てきたんだろうが!」
「可愛い子が外を通ったから追いかけただけのくせに」
「ふられてやっと大和台の応援思い出してんだから、世話ねーよ」
 しーん。
「あとでビデオ送るから、たっぷり見てくれ。オレたちの大勝利をな」
 卓巳がにやりと笑った。
「ああ、サンキュ。どっちみちハルコちゃんにも頼まれてたしな」
「湘北に情報流すのか?まあいいや、何かと世話になってるからな」
 七緒が肩をすくめた。
「おかえし」
 と、洋平が湘北の決勝リーグのビデオを渡す。もちろん宮城、というか彩子の了承は得ている。
「サンキュ、じっくり研究させてもらうよ」
「あ!」
 声に気がつくと、まいのシュートがリングにもかすらず外れた。
 取ったりえこが高速ドリブルで抜け、そのままゆきにロングパス!
「なんだあのちっこいの、はえーっ!」
「麻生の二年、岡川りえこさん。うちのキャプテンとロミジュリ関係で、背は小さいけどスピードとジャンプ力はすごいんだよ」
 赤くなった七緒がうらめしそうに卓巳を見る。
「それより、まいちゃん…」
「変に意識しすぎてるんだ」
 乱が吐き捨てた。
「じゃあ乱ちゃん、あんたならどうする?力は使っちゃいけない、それで勝たなきゃいけないってことになったら」
「純血キツネ族のオレはそんなことにはならん。まいのような先祖がえりとは違う。
 人間などとは違って勝ち負けもルールもない、野生の原野では生き死にだけだ。お遊びには興味がない」
 卓巳がむっとした。
 その後も大和台は、まるで中学時代のへたっぴに戻ったような如月まいに足を引っ張られる展開が続いた。
 逆にその弱点をかさにかかって攻めてくる麻生学園…特に新入生の新庄真沙美と岡川りえこのスピードに乗った速攻が面白いように決まった。
 三年でキャプテンの柳川秋衣もうまくフォローしている。
「麻生の岡川、あんなちっこいのにすげーな」
「でも、だからこそすばしっこくて止めにくい」
「新庄さんもすごい技術ね」
「中学時代、怪我するまで大活躍だったもの」
 またまいがキャッチミス、ターンノーバー。
「なにやってんのよまい!」
 ファウルで止めた更が怒鳴った。
「ごめん…」
 タイムアウト。
「どうしちゃったの?まるで中学の頃みたいじゃない。あれからいっぱい練習して、あんなにうまくなったのに!」
(それはキツネパワーがあったから)
 そう言いたいのを必死で押し殺した。自信が根こそぎ崩れていき、あの頃…雑用係の万年補欠だった頃、常に感じていた情けなさが全身を押しつぶす。
 いや、あの頃とは悔しさの次元が違う。
「絶対……勝つ!」
 それしか言えなかった。
「まいちゃん!自身持ってプレイしよう!」
 卓巳が大声を出したが、それも届いていない…
「どうしたの?」
「どうしたんや?」
 舞や北野監督も不安げだ。不調というレベルではない、いつもとは全くの別人なのだ。
「なんでもないんです、絶対勝つ」
 それしか言えないまい……
「気合は分かるけど、冷静に考えてみて。練習通りの実力が出てないでしょ?
 すごく無理に自分を抑えてない?コートでは思いきり自分を出していいのよ」
「でも、感情を出したら…」
 変身してしまう、とは言えない。でも、どう説明する事もできない。もどかしさにはちきれそうだった。
「大丈夫だよまいちゃん!」
 卓巳が声をかけてくる。
「ほら、卓巳くんも言ってるよ。勝つ事を意識しすぎないで、一つ一つのプレイをしっかりすればいいよ!」
 更が必死で励ます。
 まいはもう、涙が出てきそうだ。
「如月」
 舞と一言話した北野監督が、軽く彼女の頭に手を置いた。
「しばらく休んで、みんなのプレイを見とれ」
 無情な通告。頭では当然だと分かっているが、悔しくてならない。
 卓巳は同じようにプレイで恩を返そうと頑張り、きちんと勝利で返しているのに。
「まいちゃん」
 卓巳がじっと見つめていた。どうすることもできない自分がもどかしかった。
「よせ卓巳、他人には何もできない。まして人間のおまえに、オレたちキツネ族の苦悩なんてわかるわけがないんだ」
 乱が厳しく止めた。
「乱ちゃん…」
 まいが、乱に頼る目をむける。

 哲太がスコアボードを見て、不安げに舞をみつめた。哲太の中にはまだ迷いがあった。勝利の充実感はあるが、感情的になったことが徐々に重荷になってきている。
 それだけに女子ベンチから聞こえた「感情」と言う言葉が気になっていた。

 舞は、じっとまいと哲太を見つめた。
 そして大きく深呼吸すると、大胆に切り込んでいった。
 ゆきが高さで立ちふさがるが、得意のバックチェンジから体半分抜いて思いきり体を伸ばし、レイアップを決める。
「よっしゃあ!」
「ディフェンス!」
 りえこがスピードで運ぼうとするが、執拗に追ってリズムを崩す。
 弾いたボールを、りえこと舞が追った。
 舞が倒れこみ、全身で抱え込む。
「妹尾先輩!」
 哲太が叫んだ。
 舞がボールを転がし、拾った更がポストから鮮やかにターンして決めた。
「よっしゃ!」
「これで十点差!男子に負けるな、絶対勝つ!」
「でも哲太くんみたいに無理しないでね」
「そうはいかないのよ、哲太くんにもまいちゃんにも見せなきゃいけないんだから」
「え?」
 舞はそれ以上は言わず、ディフェンスに。
「右サイド守って!」
 強く声を出す。
「はい!」
 秋衣がロブ気味にパスを出すのを、鋭くカットして前線に送る。
「リターン!」
 しっかり声を出し、キャッチすると
「更ちゃん!」
 彼女のスクリーンを借りて鋭く切りこみ、そしてタイミングよく返した。
 更がフリーでクローズアップシュートを決め、舞と強くハイタッチする。
「大したもんだ…まい、」
 乱がまいに声をかけた。
「試合を見ろ!リーダーの黒髪だ!」
 強い命令。まいは涙をぬぐい、じっとコートを見つめておそるおそる声を出し始めた。
「ファ…ファイト!」
 舞がりえこと争ってリバウンドをむしりとり、自分で一気に運ぶ。りえこが追いついてプレッシャーをかけるが、かまわずクローズアップシュートで頭越しに決めた。
 それから、舞のいつもと違う雰囲気のプレイが続いた。
 圧倒的な闘志と果敢な攻撃性、そして冷静さと機械のような正確さが高レベルで調和している。
 いつもの、敵の弱点を冷徹に読んで何手も先まで段取りを組み立て、チームを手足のように動かすやり方とは違う。
 自分で積極的にゴールを狙っている。
 もちろん冷静にチームメイトも使っているし、敵もよく見ているのだが。
「オフェンス!」
 りえこのドライブを封じ、ゆきへのリターンを読んで素早く封じた。つい無理な動きをしてしまったゆきが、二つ目のファウル。
「あ……」
 まいの不調にもかかわらず、一方的な試合にならなかったのは麻生のセンターであるゆきの不調もある。
「速攻!」
 また舞が、さっきの試合での哲太のような果敢な突進から鮮やかに決めた。
「かっこいい…」
 まいが魅せられたように舞の動きを見ていた。
「なに鼻の下伸ばしてんだ」
 竜次が同様に魅せられている哲太を小突いた。
「悪い事はいわん、やめとけ。あの女はこえー」
「いやそんな」
 舞のプレイの一つ一つに、ものすごく強い気迫と集中が感じられる。まるでさっき切れていた時の自分のような攻撃性と技術でゴールを狙うが、それでいてチームをしっかり見てゲームを支配している。
 哲太は海辺で足元の砂がさらわれていくような畏怖を感じていた。

 ハーフタイム。憔悴するまいの前に、乱の姿があった。
「怖いのか、変身するのが。」
「乱…ちゃぁん!」
 乱の胸に飛び込み、泣きじゃくるまい。
「だいじょうぶだ、もうおまえは一人前なんだ。集中していれば、変身する事なんてない。自分を信じろ!」
「でも、もう力を使っちゃいけないし、それで絶対勝たなきゃいけないんだから…」
「いつも、そんなに力を使っているのか?だったらなぜ、いつも練習中や試合中に変身しない?」
 乱が静かに問いかける。
「え…それは、しぜんにキツネパワーをひきだしているから…」
「そんなことはない。練習で培ったのなら、それはおまえの本当の力だ。自信を持て!」
「そうだよまいちゃん、いつも誰よりも練習してきたじゃない!あれでうまくなっていないほうがおかしいよ。」
「まだ分からないなら、だまってあの人間の闘いを見ていろ。それでわからなけりゃどうしようもない」
 と、乱はまいを突き放した。
「乱ちゃん…」
「いこう、試合が始まる」
 卓巳がまいを、ぎゅっと抱きしめた。
 伝わってくる温もり。熱いキス。
「さあ!」
 握りしめた、大きく暖かい手。
 いつもしっかり引っ張ってくれる、命がけで守ってくれる手。そして、激しいプレイで傷つきながら勝利をもぎ取り、皆の気持ちに応えた手。
 昔のやんちゃ小僧時代とは違う、男の手だ。
 胸が熱くなり、涙がこぼれそうになる。
「だいじょうぶ、もし変身しても…」
 卓巳はその先が言えなかった。まいが彼に片思いをしていた中学の頃、練習試合で興奮したまいがダンクシュートとひきかえにキツネの耳が出てしまい、乱がその場の全員に催眠術をかけて記憶を封じた事がある。
 当然、まいは試合を放棄した…そんな事は考える事も恐ろしいし、いくら乱でもこの大観衆全員の記憶を奪う事など不可能だ。
「だいじょうぶ!」
 それしか言えない、何もできない自分がもどかしかった。自分が女子だったらコートでフォローできるのに、とさえ思った。

 後半開始、麻生33対大和台28、五点差。
 ジャンプボールは更が競り勝ったが、舞へのパスが秋衣にカットされた。
 厳しいディフェンスでゆきがシュートを落としたが、りえこがリバウンドをもぎ取って秋衣がミドルシュートをきれいに決める。
 反撃では、また舞が積極的にゴールを狙った。
 りえこが信じられないジャンプ力でボールに触れ、落ちるが、更が秋衣と激しくリバウンドを争い、競り勝った。
「ナイスファイト!」
 まいには更の姿が、昔に変わらずまぶしく感じる。追いついたつもりなのに、それは…
 そう考えている前で、ルーズボールを追って舞とりえこがサイドラインを割り、まいの目の前に飛び込んできた。
「キャプテン…」
「りえこ!」
 客席の七緒が立ち上がった。
 りえこが少し顔をしかめながら起き上がり、舞の手を引っ張って引き起こした。
 じっと、舞がまいの目を見つめる。
「だいじょうぶ!」
 りえこが笑顔で七緒にVサインを出し、元気いっぱいコートに駆け戻った。
 その後も、舞とりえこの気迫がこもったプレイの応酬が続いた。
 圧倒的なスピードを活かし、真沙美や秋衣と息の合った速攻を決めるりえこ。厳しいディフェンスから更をはじめとするチームメイトを活かしつつ、積極果敢に自分で攻めていく舞。
 その姿に、いつしかまいは魅せられていた。
 いつのまにか、腹の底から声が出ていた。
 客席の哲太も痛みを忘れて見入っていた。舞がそのプレイでなにを伝えたいのか…少しずつのみこめてきた。
(そうか、全力で果敢に攻撃するのと、チームを活かして冷静にやるのって同時にできるんだ)
(感情と理性って、反対じゃないのかも)

「ファイト!」
 叫ぶまいの表情から、悲痛さが消えたのを見た北野監督は一言語りかけた。
「如月、顔だけでも笑ってみ」
「え?」
 戸惑うまい。
「え、やない。わらえ」
 ?マークをいっぱい浮かべながら、まいは笑みを浮かべてみた。
「もっとや、卓巳のええプレイを思い出してみ。自分が決めた時を考え」
 笑顔に少し明るさが出た。
 そして、目の前で舞が更のスクリーンを活かしてきれいなジャンプショットを決めた。
「よっし!」
 声を出したまいの笑顔を見て、北野監督は交代を指示した。
「その笑顔で、思いっきり楽しんでこい!バスケットは好きか?」
 まいは答えられなかったが、心の中に何か、今までとは違うものが生まれてくるのを感じた。
「いくわよ!」
「いくよ、まい!」
 舞と更がまいの背中を強く叩く。
「まいちゃん!」
 卓巳たちの声も背中を押す。

 点差は七点、麻生ボール。
 スローインを受けたりえこが、素晴らしい速さのドリブルで斬りこんできた。
「右!」
 舞の声に、まいの体が半ば勝手に動いた。
 素早く真沙美とりえこを結ぶ線とボールとゴールの線の二等分線に立ち、腰を落とす。真沙美の目を見て動きを封じつつ、目の端でボールをとらえる。
 日頃の練習で体に叩き込んだディフェンス。
 真沙美が右に体重を移した。
(フェイク、左!)
 と考えるより早く、体がそっちに動いていた。
 ボールを弾き飛ばし、ルーズボールに飛びつこうとして、体が凍った。
(いま、力を使ってなかった?キツネパワーもなしに敵の動きが読めるわけないんじゃ)
 その間に、秋衣がボールを奪ってシュート!
「リバン!」
 舞の声に、また体が反応する。
 走りこんだ場所に、一歩遅れてりえこが入ってくる。素早く前に回りこみ、落ちたボールを高いジャンプでつかむ!
「ナイスリバン!」
「止めて!」
 着地したまいの目から、りえこが消えた。ただでさえ小さい彼女が深く身を沈めたのだ。
 気がついた時には、横に逃れていた。
 その手にボールがないことにヘルプに入った舞が気づいた時には、まいとの間を抜けていた。
 そしてリターンパスを受けると、ゴールの下を抜け大きく跳んで体をねじり、ふわりと上がったボールがリングをくぐる。
「ごめん!」
 舞がまいの背中を叩き、素早く自陣に戻る。
「いくわよ!」
(舞さん…あたしのミスだったのに)
 自分がふがいなかった。キツネパワーがなければ何もできないのに、人ならぬ力を利用し、みんなをだましてレギュラー面していた自分が。
 どうやって麻生のゴール下まで行ったのかも分からない。
 そしてパスを受けたが、やはり体がすくむ。
 そこをぽん、とボールを弾かれ、そして子供っぽいがはっきりした声が耳をついた。
「試合中にボーッとしてんじゃないよ、ヤル気ないならベンチにもどりなっ!」
 ボールを奪ったりえこだった。自分が初公式戦で、動くカベ(176cm)と呼ばれる安藤美和子に叱咤された思い出深いセリフだ。
 その言葉にはっとする。
(戻れない!Rsや水戸さんたち、卓巳くん、乱ちゃん、関北のみんな、相田くん…そして舞キャプテンや更くん、りえこちゃんの気持ちに応えなきゃ!)
 熱い思いにあふれたまいは、もうキツネ族のことなどきれいに忘れていた。
 ロングパスが秋衣に飛ぶのを必死で追った。
 そして、リターンを受けたりえこのシュートがリングに弾けるのを追った。
 予想通り落ちてきたボール、りえこが小さい体のどこに、と思える力でポジションを奪い返そうと押してくる。
(負けるか!)
 フェイントを読み、動きを封じる。
 そして、小さいが関東屈指のジャンプ力を誇るりえこに負けずにボールを奪った!
「よっしゃあ!」
 まいの目の色が変わる。舞にショートパスをしながらダッシュ!
「速攻!」
 舞が大きくリターンを出し、自分も駆ける。
 立ちふさがる秋衣と並ぶように減速、ややゆっくりと前進しようとする。
 もちろん厳しくコースをふさぎ、サイドラインに追いこもうとする秋衣…
「うしろ!」
 舞の声、後ろから素早く真沙美がはさもうとした瞬間、まいが一気に加速した。
 次の瞬間、素早くセットして一瞬ためをおいて足の力をボールに伝え、シュート!
 高く上がったボールがリングを貫き、ネットが揺れる。
 もちろんこの試合初ゴール。信じられない目で見つめていた自分の手を、舞が強く叩いた。
「ナイッシュ!」
 体の底から、喜びが膨れ上がった。それがすべてをふっとばした。
「ディフェンス!」
 更が背中を叩く。
 獲物を狙うキツネのように、足音を殺した独特の走りでボールを運ぶ真沙美を追う。ボールを軽く弾くと、追って地面に倒れこみ、抱えこむ。
 残念ながらラインを割っていた…
「ナイスカット!」
 負けじと追ってきたりえこが、にっこり手を差し出した。
 ただでさえ熱い胸が、もっと熱くなる。
 小さい手につかまって、小さな体からは信じられないほどの力で引き起こされた。
 パン、と自分の両頬を叩く。
 そして悔しさを闘志に変え、鋭いドライブで抜いてくる真沙美を素早く追い、リズムを合わせてジャンプするとレイアップを後ろからはたいた。
「あれ、キツネパワーなんて使ってねーよ」
 卓巳が手すりを握りしめながら乱に。
「わかってないなー」
 乱が苦笑した。
「人間だって動物なんだぞ?オレたちと同じ力が誰にだって少しはある。ただ、オレたちはとても強く、純粋にそれを受け継いでるだけだ。
 野生で暮らしている動物は、いつだって全力があたりまえだ。ウサギをつかまえなきゃ飢え死にするし、ワシから逃げ切れなければ食われる」
 舞と息を合わせたまいが、ゆきのシュートを鮮やかにブロックした。
「今のはどうなの?動きの先を読んでたような感じだったけど」
 明子が乱に問いかける。
「練習と経験の積み重ねだ」
 面倒そうに答える乱だが、その手は手すりを強く握りしめていた。真っ白な肌がかすかに紅潮している。
「でも、それであんなに……」
 明子が複雑な目で見ている。
「人間としての冷静な判断、体に第二の本能になるまで叩きこまれた基礎と動き、チームメイトとぴったり息を合わせて、経験と…ほら!」
 ドリブルで突破した舞が崩したディフェンスから、まいが一瞬の隙を鋭く突破してパスを受け、スリーポイントシュートを鮮やかに決めた。
「野生動物のようなカンで敵の動きを予測して。
 全部こんな高いレベルで調和してる。スポーツも結構すごいよね」
 乱の顔を見るが、表情は相変わらず硬い。
「なまじ理性があるから、つまらない事を考えて実力を出せなかったりする。野生じゃそれで死んでる。人間なんてめんどくさい」
「でも、人間に全く魅力も興味がなかったら、野生のキツネとして暮らしてるんじゃないの?」
「そのほうが幸せだけどな」
「でも、ほら」
 まいがきれいなフォームからスリーポイントを決める。
「まいちゃん、あのシュートもキツネパワーのおかげだって考えてたみたいだけど…違うよ。
 一日何百本も練習していたから、あんなきれいで正確なシュートが打てるんだよ」
「けっ、最悪のノロケ」
 明子が弟の卓巳にヘッドロックをかける。
「あんたも一緒に仲良く練習して、でしょ!」
「野生に練習がないわけじゃない。オレたち肉食獣は子供の頃親の狩りを見、兄弟と遊びながら狩りの技を覚える。ひな鳥も親を真似て飛び方を教わる。もちろん生まれつきの本能もあるがな。
 でもそんなこと考えてやってるわけじゃない。子供の頃はそうしたいからだし、巣立ってからは一年中命を賭けてそればっかやってるんだ、練習もなにもない」
 乱が苦虫をかみつぶしたように見ている。

 後半も残り三分、点差は消えている。プレイごとにリードが変わる、文字どおりのシーソーゲームだ。
 この局面で、ゆきがパスをお手玉した。
 即座に奪ったまいがロングパス、舞のきれいなクローズアップシュートが決まる。
「よっしゃ、逆転!」
 前半とは逆に、麻生がタイムアウトを取った。
「一体どうしたの?むこうの如月も復活したんだし、ゆきちゃんもしっかりしてくれないと!」
「すみません、でも…頭から追い出せなくて」
「なにが?」
 りえこが苦笑して
「湘北の流川さんに彼女ができた、って噂で不安がってるの」
「ちょっと、くだらないことで調子落とさないでよね!わかるけどさ」
 同じく流川ファンのチームメイトが苦笑した。
「でも、じゃあなんであの時!」
 流川の不可解な行動が、気になってならない。
「じゃあ、確かめにいこう。インターハイで、直接聞けばいいじゃない!」
「そうそう、インターハイに行けば会えるんだから。そのためにも、みっともないプレイはもうおしまい!堂々と会えるよう、頑張ろうね」
 ゆきが強くうなずいた。

 大和台サイドでは、絶不調から一転大活躍のまいが恐縮していた。
「やればできるじゃない!この調子で頑張ろう」
「舞キャプテンのおかげです、それに…卓巳くんや乱ちゃん、」
 それ以上言えず、泣きそうになった。
「泣くのは勝ってから!あと三分あるんだから、最後まで頑張ろう!」
「でも、キャプテンも…」
 舞も普段やらない攻撃的なプレイで、膝や足首、手首にかなりの痛みがある。
「松浦くんほどじゃないから心配しないで」
 そう微笑む舞に、まいはたまらなくなって
「あたし、あたし…」
 言いそうになってしまった口を、舞の指がふさいだ。
「全部、プレイで返す!遠慮なく全力出して、いくよ」
 更が無言+スマイルで、まいの肩を叩いた。

「竜次、今何人…知ってるんだ?」
「千尋と舞主将は確実。北野のオヤジと女子レギュラーもなんとなく分かってるだろうな。七緒主将も一度、如月の動きって時々人間越えてないかって」
 卓巳は……一瞬腹が立ったが、逆にどれだけ守られているか痛感した。
「未熟な催眠術でごまかそうとするほうが間違いだ、半人前が」
 乱が憮然とつぶやいた。

 試合再開、両方疲労がかさんでいるが、動きは衰えていない。
 不調だったゆきも、やっと目が覚めたように素晴らしいブロックショットを連発した。
 もちろんまいも負けてはいない。
 俊敏にコートを駆け、素早いシュートを決めている。
「すごいね、まいちゃん…あんな楽しそうに」
 そう、プレイに集中し、声を出して俊敏にボールを追っている皆の顔はとても楽しそうだ。
「獲物を追うのは楽しい、捕まえて食べるのも楽しい。生きること、一生懸命動くことは楽しい」
 乱がつぶやき、肩をすくめた。
「狼や人間のように群れで狩りをする連中の気持ちは分からないが、群れで気持ちを一つにして獲物を追うのも楽しいんだろうな」
「そうだな、チームが一つになっていれば…楽しみは何倍にもなる」
 今、試合で実感した竜次がつぶやいた。
 じっと見つめる中、クロックは静かに変わっていく。りえこと激しくリバウンドを争ったまいがボールを弾き、更が拾ってロングパス、受けた舞が秋衣のブロックをかわしてゴールを抜け、反転してフック気味にシュート。
 外れたボールを必死で追ったまいがフォローし、りえこと秋衣にベースラインまでおいつめられながら、難しい体勢からジャンプシュートを決める。
 そして残り五秒、大和台二点リード。これまで安定したプレイで貢献してきた更が、信じられないミスをした。
 まいが弾いたボールを追い、ゆきとボールを奪いあってジャンプボール。そこで、ジャンパーバイオレーション…ボールが最高点に達する前にタップしてしまったのだ。
 ボールを持つのは正確なロングシュートを誇る秋衣…マークについていた舞も、4ファウルであとがない。ここで退場になって、延長になる可能性もあるのだ。
 秋衣がディフェンスをかわし、決まれば逆転勝ちのスリーポイントを放った!
 だが、その瞬間まいと更が、果敢に飛びこむ。
 二人の気迫が勝ったか、シュートはリングに当たり、迷うようにバックボード、リングと跳ねてこぼれ落ちた。
 まいと更が顔を見合わせ、強くハイタッチ。
 そして振り向いた先に、舞の姿があった。汗と疲労でぼろぼろになった姿が、女神のように美しく感じた。
 何も言わせず、舞がまいと更を抱き寄せた。
「大和台65=麻生学園63、」
「ありがとうございました!」
 まいは全ての思いをこめた。
 りえこと舞が固く握手を交わす。
「来年、頑張って」
 りえこはまだ二年、来年がある。
「ありがとうございました、インターハイ頑張ってください」
 りえこは涙ぐみ、固く舞の手を握っていた。
 そしてまいがりえこと握手し、涙ながらに抱きしめた。
「…ありがとう…」
 それ以上は言葉にならなかった。

 大和台高校、男女ともインターハイ出場。
 男子は9年ぶり、女子は初出場である。
 最優秀選手賞を得たのは男子は七緒浩士、女子は妹尾舞。準優勝の潮見大付属、麻生学園高の選手も高い評価を得た。

 閉会式終了後、もちろん哲太は救急車で病院に直行した。他のメンバーも多かれ少なかれ負傷している。
 はりつめていたものが崩れ、担架で半ばもうろうとして、彼はいった…
「バスケットが大好きです」
 と。
 他の皆も、北野監督がいつも通りバスケットは好きか、と聞いた時いつもとはまるで違う強さでこたえた。

 ついに夏が始まる。これまでになく熱い夏が。

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