ファンタシースターオンライン 〜Lifegame.〜 葵 綾狐 2001/05/13  序章 〜遙か彼方の大地を抱いて〜  広大な空間。  遙か昔、大地の民であった人類はその空間にあこがれを抱き、その向こうにある物がなんであるか、目を凝らして見上げていたことだろう。  夢の中。その時代の民となっていた私は懐かしい大地からその空を見上げていた。  足下には草原の青々とした草葉が足をなでている。虫の羽音。風のうなり声。涼しい夜風。見上げた夜空には幾多の星々がきらめいている。  その今となっては懐かしいその光景を生涯忘れることはないだろう。我が故郷『母なる大地』、地球を発つ前に私が最後に見た景色を…。  第1章 〜『船』の民となりて…〜  今となっては…どうすることも出来ないというのが正しい見解なのだろうが…。  そう心の中で悪態をつきつつ「目覚めは最悪であった」と、日記には付けておいた。  6ヶ月と少し。ただひたすらに眠り続けた時間。  どこから説明したらよいだろう。…そう、政府が公表している記録とその事実関係から説明した方がいいのかもしれない。  まず母なる大地は長年のいじめで(人間がいじめていたのだ)極度に衰退してしまっていた。おかげでと言ってはなんだが、人間は自らの繁栄により他の星々へとわたる力を手にしていた。  衰退した大地。それでも馬鹿みたいに増える人口。このままでは共倒れになる。  危惧した世界の政府はある計画をぶち立てた。それが『パイオニア計画』。  政府ではそのことを『増加の一途をたどる人類の救済措置』とかなんとか言っていたが、結局のところ『船をあげるから別なところへ出てってください』というようなものだった。  まあ、誰だって自分がかわいい。  いきなり見ず知らずの土地に放り出されるのは誰だってイヤなことだ。それでも誰かがババを引かなくてはならない。  初めは一般公募から始まった民主的な移民計画も無人探査機が件の星『ラグオル』を見つけてからは様子が一変した。  簡単に言えば『無理矢理』になった。民間人にはかなり色の付いた保証と英雄ともとれる形だけの称号を撒き餌に、募集するようになったのだ。また、パイオニア計画に携わった人間を『専門家』として送り込むようにし向けたのも政府の陰謀だった。  そう、「とりあえずだれでもかれでも送りこんじまえ」と。  余談だが、不幸にも惑星『ラグオル』を見つけた探査機『Q-09220165oh"Queen of heart"』は移民団から『Ms.Fortune』と呼ばれることとなる。まあ、この引っかけを考えた人間は楽しんでつけたのだろうけど。 ※Ms.は既婚の女性を差しQueenはkingの后、MissとMs.をかけている。この場合『間違えた幸運、もしくは不幸』となる。  さて、結局第1次移民船団は旅立ち、それに続いて第2次移民船団の公募が始まった。 この時代、定区間零距離移動(つまりワープ)航法はとっくの昔に開発されていたので第1次移民船団は探査機が設置したジャンプポイントとを結ぶジャンプエリアへ向けて太陽系外へと亜光速ドライブの真っ最中だったはずだ。  気が早すぎる、と言っても過言ではないかもしれない。しかし、時間は余り残されていないのも事実。現に移民の要となる船、SHIPは建造が開始されていた。  …私が移民団に登録した理由。それはSHIPの技術者に旦那が居たからだった。旦那は建造されたSHIPに技術要員として乗船する予定だった。  6年の月日には色々なことがそれぞれの星で起こっていた。  ラグオルでは『セントラルドーム』の建造が急ピッチで進み、地球では無理矢理な移民計画であちこちで反対運動が巻き起こったりしていた。  その6年間で私も変わらざるを得なかった。もともとCIAの特殊工作員のリレー役だった私がSHIP乗船が決まり、リレー役から特殊工作員へと格上げされたのはそう言う経緯があったせいだ。  おかげで米国へ里帰りの後再研修。旦那と2年半離ればなれになった。  …そして。  ラグオルから通信。『受け入れ準備完了』のメールが届き、世界は慌ただしくなった。  乗船準備のため渡航してくる人々がオーストラリアを埋めた。この人々の大半はコールドスリープのために来ているのだという。  移民と言っても色々な方法がある。一つは政府軍関係者の渡航。この場合機密レベルの違いで冬眠層に入るか否かが決まる。  もう一つはSHIP操船に関係した技術者の渡航。この場合はレベルに関係なく冬眠する人間は居ない。  最後に民間人の場合だ。この場合、よほどのことがない限り冬眠層に入ることとなる。しかも到着後、手続きなどで最悪一年くらいは冬眠し続けることになるのだという。  私は運悪く冬眠組に決まってしまった。そのことを旦那には素直に言った。 「半年、また別々ね」 「べつに。眠り姫を待つのは僕の楽しみさ。なんてったって若いままだしな」  思いっきり殴ってやった。ただし、笑いながら。  それから先はあまり長くない。第二次移民船団、通称『パイオニア2』は惑星ラグオル上で大規模な爆発を観測することになる。その後の経緯でラグオルに建造されたセントラルドームは機能を停止、後に原因は地下階からの爆発による物と有志の『ハンター』達が突き止めた。  第2章 〜青空は遙か下の大地に〜  私物が詰まったフライトバッグが重い。かれこれ30分はシップ内をさまよっている。 「…というのも、このワイルドカードが付いたID(認識証)のせいよねー。行かない所まで行けるんだから…」  さすがはCIAと言うことなのだろうが…。 「ここ、どこなのかしらね?」  立ち止まって辺りを見やる。壁には黄色いペンキで『A-13区画BH16外郭通路』と7カ国語で記載されていた。記憶が正しければ、そこはセントラルドームの爆発事故後に設立された原因究明に力を注ぐ『有志』が集う場所となっているはずだった。言い換えれば活気がある場所のはずなのに、この通路には人気がない。  とりあえずセンターシェルにいけば判るんじゃないかなぁ。などと漠然とした物を胸に秘めつつまた歩く。やがて区画を仕切るエアロックへと着いていた。しかし。 「故障中って何じゃ、故障中ってのはぁ!!」 怒鳴ったついでにアラートが点灯したドアに蹴りを放つ。まあ、それでも壊れているのが動くはずもなく。ため息一つ、ずるずる、へたりっ。とその場にしゃがみ込んでしまう。 しゃがみ込んだついでに泣きも出る。 「どーして、こうも不運かなぁ。ラグオル行きが決まったのだって、元はと言えば不運からだったし」  天井を見上げてつぶやく。 「なんか、もうどうでもいいって感じ」  言ってのそのそと立ち上がる。ここにいつまで居ても仕方がない。とにかく今は割り当てられた自分の部屋へと帰ることだ。  IDを壁に設置されたナビのスリットに切り下ろし、メニューに従いマップをダウンロードする。これでどうやら家に帰れるようにはなった。 「D-09区画AS08通路078号室…ここを真っ直ぐ行ってエレベータードームで09階層まで降りて…」  人気の絶えた通路をマップ片手に、肩にはやたら重そうなフライトバッグを背負った少女ほどの背丈の女性がてくてくと歩いている。  その背中は端から見てちょっとやつれて見えたことだろう。  次の日、私はセンターシェルの行政官庁ブロックへと出かけていた。 「カデナ・ガイドアライアンスさんご本人ですか?」 「ええ」 「認識票を提示していただけますか?」 「はい」 「確かに預かりました。しばらくお待ちください」  言われるがまま、側にあったソファーに腰を下ろす。  この野暮ったいやり取りが何であるかと言えば、答えるのは簡単だった。ハンターズライセンスの発行手続きである。手続き上の書類作成や保険云々の勧誘その他に適当な答えを返し、昼食返上ですでにこのフロアには3時間近くも足止めされているような気がした。  ふと、壁のポスターと目が合う。『ハンターズライセンスの取得には簡単な手続きが必要です』うそこけ。  内心げっそりとやつれた気分になる。そういえば昨日もこんな気分でなかったか。 「おまたせしましたぁ」  言って笑顔でライセンスカードを差し出してきた受付嬢の顔が固まる。どうも、こちらの顔に何か疑問があるようなのだが…。 「なに。どうかした?」 「い、いえ…あ、あのその〜…」  冷や汗をながし、顔を蒼白にしなおかつ涙目になって後ずさりを始めた受付嬢。彼女はさんざんかける言葉を迷ったのだろう、口を幾度か開きかけてまた閉じてを繰り返し、 「お顔、こわいですぅ…。うぅぅ…」 と一言だけつぶやいた。知ったことか。  ともあれ、折角持ってきてもらったのだ。ライセンスは受け取らなければ帰れない。 「…ありがとね」  眉間に力が入っているのと内心のいらだちがピークに達しているため、無粋な返答しかできなかったが、これでも皮肉は十分だと思った。 「ど、どうぞ…」  手がふるえている。大丈夫か、姉ちゃん。今はただトラウマにならないことだけを彼女のために祈ってあげようではないか。少なくともそう思う。 「して、このライセンスって所持しているだけでいいの?」 「はひっ!? そ、それはそのそうなんですけど、掲示の勧告がある場合はそれに従ってくださるとうれしいですぅ!!」 「…泣いて力説するようなことなの?」 「もう、煮るなり焼くなりしてくださって結構ですーっ!!」  床にへたり込んで泣いてしまった彼女をみてさすがに気まずくなった。彼女は何も悪いことをしていないのだし、これ以上は世間体も悪い。  実際、オフィスのガラス越しに何事かとのぞき込んでいる野次馬が目立ち始めた。  …深呼吸。すーはー。…はぁあぁぁぁぁ。ため息まで出たが仕方ない。 「あのね? ちょっと言い過ぎちゃったから…あの、ごめんね?」 「ぐすっ、ひっく…」  とりあえず肩に手を置いて気まずさを込めた笑顔を彼女に向ける。彼女は手を置かれた瞬間身体を引きつらせて縮こまったようだが(ちょっとやり方を間違えたかもしれない)、こちらの笑みを見て多少は落ち着いたようだった。手の甲でしきりに涙を拭っている。 「ちょっとお昼ご飯食べるの遅くなって…ほら、手続き簡単に済むって言ってたでしょ。でも結構時間かかったから、不機嫌になってただけだから」 「ご、ごめんなさいぃ…私が書類にお弁当こぼしたり、記入間違いなんかやらかしたからですよね?」  ナニィ!Σ( ̄□ ̄;) 「ま、まあ、一回やりなおしたかななんて思ったりしたけど、それでも時間かかったでしょ。ね?」 「私の方で5回ほど間違えたんですぅ…。それに待ってるって知らなくて、のんびりやってもいいかな、なんて…」 「…帰る」 「…ご、ごめんなさいぃ!!」  わき上がる不快感と怒りを胸に、完全に泣き始めてしまった彼女(なぜか頭にでっかいたんこぶが出来ていたりする)を後にセンターを離れた。もう行くもんかと毒づきながら。  さて、どうしようか。時間的には午後のティータイムをすぎた辺り。  センターを出てから昨日は行くことの出来なかったセントラルシェルのハンターズエリアに足を踏み入れ、そこの喫茶店で軽く食事を済ませた。  必然的にここはラグオルのハンターズエリアと言うことなのだが。 「確かに、人種偏ってるわよね…」  軽食セットに付いてきたコーヒーを口元に近づけながら、ぽつり、と感想がそのまま口から漏れる。一言で言えば人間が少ないのだ。一緒に引ったくってきた『ハンターズガイド』にもその旨、記載されていたのだが、この目で確認してそのことがかなり奇妙な事実に映る。  パイオニア計画は人類の移民を目的として計画されたはずだ。なのに、純粋な人間、つまり『ヒューマー』や『フォマール』もしくは『レイマー』といった職業種の登録が少ない。SHIPに乗船している名簿(これは民間には非公開)と比較した場合その差はなにか滑稽なモノに見える。アンドロイド系列やニューマン系列の装備が際だって目立つモノだったとしてもここまで見かけないのはおかしい話なのだ。  …仮説を立ててみよう。  ハンターズライセンスを取得する際、簡単な質問とアンケートがとられる。その中には『貴方の人種(種族)はなんですか』と言った基本的なモノや『貴方の乗船目的は』と言った根本的なモノまで多種にわたる。  そこで、基準に満たない場合はライセンスが発行されない場合があり、本人がどう頑張っても駄目な場合があったとしたら。それが人間種だけ際だって目立つ事例だとしたらどうだろう。自動的に人間種のハンターは少なくなるではないか。  そうした場合の動機は何か。先ほども言ったように移民計画は『人類』のために存在する。まあ、ニューマンにも当てはまるところはあるのだろうが、概ねそんな感じだろう。  その計画の中、消耗の激しいハンターにを生業とした人間が増え、折角移民させた人類が目減りしたら、はっきり言って『移民計画』は形だけとなり意味が消滅してしまう。  そう言う経緯があり、人間が少ない。 「一番妥当というか、裏のない当たり前のやり方よね」  一気にそこまで考えて、大半の疑問を消滅させたわけなのだが…。 「事実だとしたら、差別問題にならないかしらね?」  実際はうまいやり方で、反対者層をなだめすかしているのだろうが。  底の見えたカップをテーブルに戻して、終わった議題を忘れるためにもう一度ガラス越しにエリアのロビーを見つめる。  行き交うハンター達はどいもこいつも冒険者面の眼光厳しい、言うなれば『軍人』だ。性別種族関係なく。  そして、その眼差しが決して民間には漏れることのない『本当の敵』と戦い生き残ってきた証だと言うことを物語っている。  ラグオルには確実になにかが『いる』。CIAの予備資料ではそれらは原生生物が突然変異し、凶暴化したモノだと書いてあった。  現段階、発見された地下洞窟にもそれらは出没し、なお、ハンターズと壮絶な戦闘を繰り広げ、捜査の邪魔になっているという。 『なにが、どうなっているのか。そのことを我々は知りたい。CIA局員のなかでハンターズに登録できるのは現段階で君だけである。どうか我々にとって有益な情報を持ち帰って欲しい』  解凍直後、CIAの息がかかった看護婦は、『上司』からの指令を口頭文章そのままで伝えてきた。その仕事のせいで私は解凍され、旦那にそのことが伏せられたまま、私はこんなところでこんな事をしている。この仕事はきっと厳しい。今までこなしてきたどの仕事よりも。  仕事中に死んだらどうなるのだろう。  突然、そんなことを思った。今の相手。未知のエイリアン。映画の中でしか見なかった事が現実になってしまった。手の内が読める相手ではない。  ひょっとすれば、死体も残らずかき消えてしまうこともあるのかも。  自分の顔がガラステーブルに映っている。不安に恐怖し、瞳を揺らしている。 「黙れ、このガキっ!!」  突然の罵声で我に返る。外。振り向けば人の流れが滞り、人混みを作っている場所がある。見ていると人混みをかき分け逃げ出す陰一つ。背格好は私と同じくらい。色白でなにやら野暮ったい服装。…フォマールの装備だ。頭のてっぺんから編み込んだ三つ編みがおもしろいように揺れている。白と赤を基調にした、たとえるならジャパニーズシスター、つまり御子服のような派手な衣装がこちらに向かって、いきなり飛んできた。  飛んで?  目には事実だけしか映らない。どうしようもないくらいきっぱりと彼女は飛んでいた。頭から、いや微妙に背中からと言う体勢で通路と喫茶店とを仕切る強化ガラスにブチ当たり、私の目の前で派手にガラスを散らせて見せたのだ。派手な音の後に静寂が訪れた。 「…ザマ、無いな」  先ほどの罵声と同じ声。その言葉通り確かに様はない。ガラスを四散させ、床に大の字にしかもうつ伏せになって伸びている格好は哀愁さえ漂わせている。…これ以上見続けていると、なんだか変に同情してしまいそうで、私はとりあえず静寂の中、多少引きつった笑い声があがっている方を見る事にした。 「…うわぁ」  とりあえず大声ではなく、ぼそっとつぶやく。それが義務だろうと思ったからそうしたまでなのだが。  なんというか、その、相手の身体的特徴をズバリ言うと、この喧嘩がどうひいき目に見てもただのイジメにしか見えないので、事の次第がはっきりするまで伏せておきたいのだが。  この際言っておこう。先入観だけで物事を判断してはいけない。私はその事を肝に銘じているのでこういう言い方しかしないのだ。  話を戻そう。  その彼女を殴り飛ばした(であろう理由として、彼女が宙を飛んでいたから)相手は、彼女の身体的特徴をどれも倍にしたような感じでこっちへ向かってきながらこう言った。 「やって良いことと、悪い事があるってのは世の中の相場だ。この場合、悪いことして逃げ出すのはもっと悪い事じゃないのか?」  まあ、それは当たり前だ。もっとも、殴り飛ばしたおかげで店に迷惑かけるのも悪いことだと思うのだが、と心にとどめる。  見渡せばその騒ぎが、大きくなってきている。先ほどよりも。店の中は散乱したガラスでただならぬ惨状になっているし、野次馬の数は分ごとに数を増している。ウエートレスのお姉さんもこちらを見てなにやら引きつった表情を見せている。かく言う私もガラスをかぶっているので分類的には被害者だ。 「あの、お怪我大丈夫なんですか?」  おそるおそる、こちらに来たウエートレスが私に聞いてくる。 「ガラス被ったことでしょう? まあ、見た感じ大丈夫みたいだけど」 「え…。あのそれで本当に大丈夫なんですか?」  何のことだろう。至近距離で惨事が起こったにもかかわらず平気な顔で椅子に座ってくつろいでいることに、何か問題があるのだろうか。  …確かに髪の毛に挟まったガラスは後で何とかしてもらうとしても、私的には問題はない。これらの事に私が口を挟む理由は何もないのだから。 「まあ、顔のあたりとかチクチクするけど何とかなるんでしょ、きっと」 「えぇーっとぉ…、お鏡貸しますからぁ、ごらんになってくださいぃ」  別のウエートレスがそう言って、私物であろう手鏡を渡してくる。二人とも倒れたままの少女の事よりもこちらの事がよほど気になるらしい。一体、何でだろう。 「…確かに大丈夫じゃないわねぇ…。コラ、そこのポンコツっ!!」  鏡の中の私が事を理解して目つきが半眼の猫目に変わる。間髪入れずに目の前を通り過ぎようとした、身体特徴が私のどれをとっても倍ほどもあるレイキャストに罵声を浴びせ、その足を止めさせる。 「…なんだ、ガキ」  どうやらかなりポンコツ呼ばわりされたことに気が立っているらしいご様子。仕掛ける予定の私にとっては結構なことだ。  件のウエートレスに鏡を返しつつ静かに告げる。 「こちとらアンタほどガキじゃないのよ。どこの工房出かは私には関係ないけど、忠告してあげる。脳味噌には常識を詰め込むべきよ」 「見かけ以外にガキと判断されない要員は見あたらないのだが。その言葉遣いもガキそのものだ。何か反論は?」  いい度胸をしている。それだけは認めてやろうと思う。静かに席を立つ。それでも埋まらない身長差。約80センチ。右足のかかとを腰掛けていた椅子の縁に乗せる。 「私、こう見えても28歳の既婚なの。生理も月イチでちゃんと来るし、子供だって産めるわ。旦那のアレはさすがにキツいけど。ま、自己紹介兼反論はこれくらいで良いわよね。本題にはいるわ。女の顔に傷つけておいて謝罪もなし? 普通キレるわ。だから言ってるのよ。それに、」  頬に刺さっていたガラス片を静かに引き抜く。それを指ではじいて背後に捨てた。指に付いた血を見た瞬間から感覚がシャープになっていく。刃物で突き刺すように相手を見据え、目標を定める。レディ。 「物理的衝撃力はフォトンの攻撃力よりも致命度が高いのよ。いくらなんでも強化ガラスをブチ割るだけの慣性力と衝撃を与えたら最悪、大人でも死ぬわ。子供だったらなおさら。あの子もう死んでるかもしれない。人間殺して何が楽しいわけ? ハンターって殺人まで免除してるの?」  胸中でつぶやく。少女は死んではいないだろう。ただ、大げさに言ったのはこの大馬鹿レイキャストが一体どのような思考回路で動いているかが知りたかったからだ。  訪れる静寂。私はこのレイキャストの言葉を待った。 「ハンターは死亡理由がどのような物でもそれは事実としての死亡であり、経緯は問わないものとする。そう法に記載されている。すなわち…」  それ以上の言葉はいらなかった。いや、正確には聞きたくなかった。心の奥でかけ声があがる。『アクション』。  右足の筋肉が弾ける。椅子を蹴って垂直に飛び上がり、身長差を瞬間の跳躍力で埋めた。ジャケットの内側に右手を差し込む。内側にある確かな重みを握りしめ、神経の反射だけでそれを引き抜いた。  ハンマーもセィフティもない。トリガーを引き絞るだけのダブルアクション・オンリー。ポリマー製のスリムな容姿。ベルギー、FN社Five-seven。私の長年の愛すべき相棒。  DoubleTap。計2発の弾頭が目標に重ねて着弾する。首の関節、金属外殻の隙間をねらって。  間もなく地が足に着く。ぢゃり、とガラスが足下で不快な音を立てた。  直立したまま、先ほどと何ら変わりのない体勢で立ち続けるレイキャスト。 「どう? 物理的な衝撃のお味は。美味しい?」  レイキャストは答えない。  今頃になって、ちりりんと足下で薬莢が音を奏でた。それは茶番の終劇の合図。  予想が確かなら、2発の弾頭は着弾の瞬間に変形してレイキャストの首関節の中で猛烈に暴れたはずだ。砕けた部品は弾頭と同じように暴れて…たぶん周辺の部品はガラクタ以前の金くずに成り下がっているはずだった。頭部と身体を結ぶ通信用バスは用をなさなくなっているだろう。事実上の機能停止。 「一応、教えてあげるけど」  言いつつ、興味はレイキャストから、未だにだらしなく伸びている少女へと移る。 「アンタが言った『経緯』ってのはね、ハンターとしての活動中、もしくはそれに類する行為に起こった一連の事象を指しているのよね。つまり、こんな所で小娘殴って殺してもただの殺人なわけ」  少女の首筋に指を当て、脈を診てみる。脈はある。呼吸も正しいようだ。なら、慌て騒ぐ必要もないか。  ホルスターに銃を戻して振り返る。 「さて、そこのウエートレスのひと。お勘定なんだけど…いくら?」 「え、ええっとぉ…その前に警察呼んだので、もうしばらく居てくれませんかぁ?」  …しまった。 「して、貴様は何で本来所持が許可されていない銃を持ち、こんな騒ぎを起こしたんだ?」 「…」 「黙っていても何も解決しないんだがな」 「…」 「…」  怖い顔したオヤジがスチール製の事務机を挟んで、目の前にいる。ここはいわゆる取調室というやつだ。  なんというか、レトロチックな感じのする場所だな、と素直な感想を持つ。 「帰っていいですか? なんかつまんないし」 「帰れるかっ!」 「そんなに怒ってばかりだと老い先短いですよ」 「誰の所為で怒ってると思ってるんだっ!!」 「さあ」 「どきっぱりと、おまえの所為だよっ!!」  先ほどから座りっぱなしの状態のため、居心地はあまり良くなかった。  シンプルな部屋のためか考えることもそんなに多くなく、退屈。  ついでに言うと不快指数も何となく上昇傾向であるらしい。目の前のオヤジが元凶だと指摘するべきか否か。誰かに意見を求めようにも、部屋には私とこのオヤジしか居ない。 「…もう一度聞くぞ。なんであんな騒ぎを起こしたんだ?」 「んー」  ここは素直な気持ちを伝えた方がよいのだろうか。本来なら何も話す必要はないのだが。 「なんていうか、痛かったし」 「? あのレイキャストに殴られでもしたのか?」  眉をひそめてオヤジが聞き返してくる。 「ガラスの破片刺さって痛かった」 「そんなんでレイキャスト一人重傷負わせたのかお前は!」 「それだけじゃないけど…」 「なんだ。言って見ろ」 「ほら、女の子一人が殴られていて、助けなきゃいけないって思うじゃない」 「ほう」 「でもどういった経緯で殴られたのかわからない。第三者が行えることは調停者が来るまで事態の悪化を防ぐ事じゃないかと思ったりもしたし」 「まあ、警察などに任せるのが一番安全だよな」 「でも私が見たのは女の子が殴られただけでレイキャストは元気いっぱい。か弱い私としては止める手段あんまりなかったから。ついでに言うなら口で身体特徴馬鹿にされたから、これは私も攻撃を受けたもんだと割り切って」 「言葉の暴力を物理的な暴力で返したと?」 「いえ、ただ単純に女の子が停止してるから、レイキャストも止まってれば事態の悪化は防げると思ったから」 「物理的に止まってりゃいいってモンじゃないだろ!?」 「喧嘩両成敗って昔から言うじゃない!! この場合は両方停止するのが筋でしょう!?」 「お前が成敗してどうするっ! 第一、お前にそんな権限無いだろうが!」  怒鳴られてしまった。やっぱり話さなければ良かった。 「とりあえず、私の相棒返してよ。あれないと困るのよ」 「相棒…? ああ、あの銃か」 「そう」 「返せるか。危なっかしい以前にSHIPは火器の持ち込みは駄目だって書いてあったろうが。ったく、一体どうやって持ち込んだ? お前の場合は騒乱罪だけじゃなくて、もっと重要な容疑がかけられているんだぞ?」  そう言いながら、別の職員から渡された書類に目を通し始める。たぶん、私に関する書類なのだろうが…。もし予想通りの内容であるならば、この先少し面白いことになるかもしれなかった。 「…ふん。カデナ・ガイドアライアンス、28歳既婚。お前、いい年してるのにこんな犯罪犯して恥ずかしくないのか?」 「犯罪? なんで」 「自覚無いのか? まあいいか。搭乗前国籍はアメリカか。道理で銃の扱い巧いんだな。ウエートレスが言ってたぞ。飛び上がって着地したと思ったら魔法で出したように右手に銃があったってな。趣味なのか」 「仕事だったから、それくらいは」  目をそらして、傷の上に張られた絆創膏をひっかく。自己紹介文を読まれている感じで何となく恥ずかしい。  それを何か裏があるのかと勘違いしたオヤジが視線を鋭い物に変えた。 「どれくらい汚い仕事なんだかなぁ。さてと。解凍年月日は…!?」 「どうしたの?」  鋭い視線に焦燥が浮かぶ。書類とこっちを視線が行ったり来たり。 「お前、まだ冬眠層に居ることになってるぞ…。書類の不備か?」 「その書類がどこから来てるのかは知らないけど、公式ではそうでしょうね」 「…お前…」  そろそろ感づいてもいい頃なのだが。何にしろ、私にとってはこの程度くらいはまた茶番だ。  焦りながら書類を読み続けるオヤジを一瞥、席を立つ。 「おい、どこ行く!」 「帰る」 「帰るって、このドアは特定レベルのIDが無いと開けられないんだぞ!?」  言うことを無視して、懐から自分のIDを取り出す。そしてそのまま、目の前のスリットにIDを切り下ろした。  瞬間、壁の液晶表示はCLOSEからOPENに切り替わる。 「…おいコラ!!」  開くはずのないドアが開いたのに驚いたのだろう、オヤジは慌てて席を立つと私の肩を掴んで留めようとする。その手を厄介そうに払いのけ、 「免責条項が手元にあるRED PAPERの項12に書かれているはずです。一定時間以上の拘留はあなた方が望む望まないに関わらず、当方で拒否することが出来ます。これ以上の質問等は、我が『上司』に所定の手はずの後書面にて質問してください。では」 一方的にお役所口調でまくし立てた。 「あのなぁ…」 「まだなにか?」 「初めっから言ってくれよ、そーいうことは…」  そーいえば、そんな気もする。 「私は楽しかったから、かまわないのだけれど」 「俺が疲れるんだよ…ったく。銃は返してやるからさっさと帰れ」  イヤそうに手を振ってくるオヤジ。これは完璧に嫌われたか。 「言われなくても、用事済ませたら帰りますが」 「…まだあるのか?」 「殴られた少女が取り調べを受けてますよね。その子にちょっと会いたくて。何処です?」  邪険にしてくる相手に愛嬌を振りまくのも馬鹿らしい気がして、私はお役職所口調はそのままに言い放つ。 「ああ? あいつか…。おい、ヒッグス!」 「なんすかー?」 「このお偉いさんと一緒に連れてこられたガキ、今どこにいる?」 「あー。あいつなら向こうのカウンターで罰金の手続きしてますよ。幸い罰金だけで釈放ですね。大した事していないし」  取調室のドアの向こう、ヒッグスと呼ばれた若い男はくわえタバコそのままで器用に声を出してきた。一拍おいてきれいなドーナツ状の煙が空間に浮かぶ。 「…だとよ」  その光景に顔をしかめて、オヤジはあくまでぶっきらぼうに言う。 「…はあ」  私もそれ以上は何も言うことがない。いまだに浮かんでいる煙が妙に思えて、目が離せない。あ、もう一つ出た。  堪忍袋の尾が切れたのだろう、オヤジはヒッグスを無言のままでぶん殴る。ヒッグスは椅子ごと仰向けに床へと落ちた。どうも打ち所が悪かったのか、後頭部を抱えてのたうち回っている。 「では、これで失礼します」  いい加減何かを言うのはやぶ蛇のような気がした。入り口近くで、オヤジらと課の同僚なのだろう女性が私の装備品を手渡してくれる。それを手早く元の位置に装備しながら彼女を見る。別段、変なところはないのだが、笑顔そのままでその場を動こうとしない。 「あの、なにか?」 「ご案内いたします。どうぞこちらへ」  そう言うことか。お役所仕事はかくも大変な物なのかと、声には出さずにつぶやく。  外勤で良かったのかもしれない。自分はこう言うことは不向きだ。 「あちらです。」 「ん、ありがと」  書類と格闘しているのだろう、なにやら難しい表情を顔にうかべている少女を指して案内役の彼女は軽く会釈して見せた。間違いなく先ほどの少女である。  どう声をかけようか。少し悩んで歩き出す。とりあえず第一印象が肝心なのは確かだ。受けが良いのは笑顔で接することだ。口調は軽すぎない方がいい。一番重要なのは…目を見て話すことだ。 「あの、少しよろしいですか?」 「駄目。取り込み中」  少女はこちらを見ようともせず、どきっぱりと言ってのけた。 「あの〜、重要なお話なんですけど…」 「こっちの方が重要なの。あっち行って」  どうも聞く耳持たないらしい。頭で描いていた理想的なファーストコンタクトはいきなり瓦解した。どうしたらいいモノだろうか。  背後からちらりと書類を覗いてみる。『氷魅華・ヴォルフィード』性別、女。73歳。 所属はSHIP01『JP・Io』生体工学研究所、寄生生物遺伝子構造解析研究課。  一気にそこまで読んでしまってから書類の不自然さに気づく。少女だと思っていたらなんとまあ、73歳だとは。どう頑張ってひいき目に見ても高校生には見えない。私よりもさらに年下という感じなのだ。自慢じゃないが私はよく中学生に間違えられる。  確かなとっかかりを見つけ、ついでに良い皮肉文句を思いついて。 「あの、氷魅華さん?」 「うるさいって」 「…罰金倍にしますよ?」 「…」  ようやく彼女は書類から視線をずらした。たっぷりと5秒、こちらを睨み据えついでに観察していたのだろう。彼女が口を開いたのは長いため息をするためだった。 「なにか?」  ため息の意味が分からず聞き返す。 「あのね、無事だったなら一言連絡よこしなさいよ。だいたい何? 『氷魅華さん』ってのは。あんた頭でもおかしくしたわけ? らしくもないセリフなんて吐くんじゃないわよ」 「はぁ?」 「どっかで聞いた声だなとは思ったのよ。ただまるっきり口調が違うから、そら似かと思ったし。クリスさぁ、あんたやっぱり病院行った方がいいのよ」  立ちつくす。何がなんだかさっぱり判らなかったわけではないのだが。  まず、彼女は私を別の誰かと勘違いしていた。私の出生は工業製品だった。同型の基礎塩基配列を持ったDNAパターンで製造されたボディが30数体。うち、幼生固定処置された特殊型が12体。今でも稼働していてかつ、SHIPに乗船しているボディは数体のはず。  不思議なことではない。不思議なことではないが…。  引っかかることがある。私は『クリス』という名前に聞き覚えが『あった』。  歯車がまわり出す。捨て置いた過去と出会った数奇な運命が、自分を走り出させた。氷魅華と言う外見少女を無理矢理引っ張って、建物を飛び出す。彼女の文句は黙殺。  上司の命令は地表に下りて状態を調査してくること。一緒に降りる仲間はなるたけ腕が立つ方がよい。氷魅華がどうなのかは知らなかったが、少なくとも報告されている生物の凶暴化という問題について、生物学者という肩書きがあるだけ彼女は詳しそうではあった。  そして、クリスという名前を持った女性の存在。その名前は私が製造されて1年3ヶ月の間使っていた名前だった。その後はある同型の女性と製造ナンバーの入れ違いの事実が発覚して、今はその女性がこの名前を使っているはず。  クリスは、親友だった。氷魅華の言葉を信じるならば今は地表で行方不明のはず。生死は不明。  急ぐ理由が出来てしまった。彼女には、クリスには返しきれない借りがある。 『どうか、無事でいて』  祈りながら、走る。  クリス・アルカペイトン。出生地から所属企業、はては居住住所まで私と途中まで同じ。記録によると私と別れた後も同じ企業体に所属。SHIP第一次選抜からの応募者。選考漏れで二次募集にて乗船権を獲得。SHIP乗船目的は『船団護衛任務のため』どうやらハンターライセンスは乗船前に取得していたらしい。  ラグオル到着後は爆発事故原因究明のため地表任務。先日ハンター携帯のトレーサーシステムからロスト。今なお行方不明。 「…どうして政府の個人情報記録を閲覧できるのかは知らないけど。カデナっていったっけ? あなた」 「なに? 別に違法をしているわけじゃないわよ。これが私の仕事の一部って、さっき説明したと思ったけど」  端末の情報を限りなく手ばやに閉じて後始末をすませる。公共性のある端末で機密情報を閲覧するときのお約束だ。ゴミを残さないためにあえてHDDにクリーンアップ命令を出す。WINDOWSであるならばデフラグの命令をすればいい。一見完全に削除した様に見えても情報の先頭セクタを破壊しただけでHDD上にはまだ残っているからだ。専門的な知識があればたやすくみれてしまう。ここまでやらないと安心は出来ない。 「いや、なんでクリスを探すことに協力してくれているのかがわからないのよ」 「クリスはね私にとっても友人なの。貴方だけじゃないわ」 「だからって、そこまでする?」  氷魅華の苦笑が混じった声が私を困らせる。 「仕事ついででもあるのよ、私には。事前の情報収集はお約束だわ」 「ふーん、カデナ。カデナ…ねぇ」  なにか名前に引っかかるモノがあるのだろうか。  引き出した情報を整理している横で氷魅華は私の名前をつぶやき続けている。 「そういえば貴方の名前も珍しいわよね。氷魅華ってそれ日本語でしょ? 日本人って訳でもないようだし。どうして?」 「日本が好きなのよ。あの国は今なお迷走を続けている。私みたいに。だから…」  …。不思議な女性だ。人間のはずなのに年相応の外見をしていないのもさることながら。 『特殊な実験をしているの。自分が被検体になって、ね』  自分の外見をそう説明してくれた氷魅華を思い出す。視線をどこかに逸らして、つぶやく彼女。間違いなく、何かを隠しているそぶりだ。  まあ、隠していることの一つくらいは誰にだってある。必要以上に詮索しないのは私なりの気配りだった。  だが、氷魅華は違っていた。彼女は私と違って秘密は知らなきゃ収まらない質だったのだ。  カデナは気が付いていなかった。あることに『気が付いた』氷魅華が口の端に笑みを浮かべたのを。よって、この一言は不意打ちになった。 「ねえ、…嘉手納?」  嘉手納? 聞き慣れないイントネーションの発音。英語読みではない日本語読みの私の名前。在日米軍沖縄空軍基地、嘉手納飛行場。それは私の最終納品先。  振り返る。目があった。  私の名前は納品先にちなんで付けられている。その事を知っているのは制作者サイドのごく限られた人間だけだった。それを思い出したのは振り返った後だった。  振り返ってしまったのは間違いだった。これで全て知られてしまったかもしれない。いや、そんな偶然があるとしたら一体どういう確率なのだ?  彼女が私の出生に関わっているはずが…。  何か心の隅にイヤなモノを感じつつも、カデナは情報端末に検索コードと出された数字に対応したパスワードを打ち込む。  検索者名『氷魅華・ヴォルフィード』。  一緒になって氷魅華もこのモニターを見ているはずだ。なのに何もいってこない。この沈黙が何を示すのか。その答えもすぐに出る。  一瞬のあと、吐き出された彼女のプロフィール。  ハーバード大学卒業後の就職先、Gene technology co,.ltd(遺伝子技術コーポレイション)アメリカ研究所。彼女はSHIPに乗船するまでそこで働いていた。  食い入るようにモニターを見つめるカデナの後ろで、どこか冷静な氷魅華の声があがる。 「私が担当したのは…貴方の成長をコントロールするDNA群をプログラミングすることよ。それ以外には関わっていないわ」 「どうして…」  つぶやくように語り始めた氷魅華に、カデナは振り返らざるを得なかった。 「ちょっとね、訳知りの人間がこの船にいたのよ。あの研究所唯一の製品が未だに稼働しているって。まあ、顔とか私は知らなかったけどね。会って話せば…そう、判ると思って」 「クリスも知っているの? 貴方が『マザーズ』の一人だと言うことを?」 「教えてないわよ。だってあなたを見て確信するまで、クリスが『製品』だったなんて知らなかったんだし。それにそんなこと言える? 『貴方は失敗作です。成功したわずか7体がCIAと軍に納品されました』って」 「馬鹿にするなっ!!」  犬歯をむき出しに、怒りを相手に向けた気迫で表して私は彼女の胸ぐらを掴みあげる。「生き物に失敗も成功もあるもんか。作られたという事実がどれだけ私たちを苦しめてきたか知らない訳じゃないでしょうに! よくそんな事を私の前でも言えたわね!!」  殺意さえも込めた一言を彼女は理解しているのだろうか。彼女の言葉はあくまでも冷静でこちらを苛立たせるには十分すぎる。 「失敗作って認定された方の感情を代弁しているの? 勝ち組の貴方がその事を言うのは少し筋違いじゃないかしら」 「クリスは友人だと言ったでしょう! 私が忘れるはずがない。あの子が『認定』された日に私はあの子に相談されたのよ。楽に死ねる方法は何だ、って!」  言いながら、あの日の光景を思い出す。とある企業の社宅となっている安マンションの一部屋、クリスとカデナが同居していたそのリビング。  帰ってきて目にしたのは、通達書を手に泣き崩れていたクリス。 「あなたは気楽だったでしょうよ。金のためにただ作って出せばいいのだから。そんな奴に私達の気持ちなんて判るはずがない!!」 「…」  言葉の最後はほとんど悲鳴に近かった。端末のおいてあるフロアはプライバシーや情報漏洩を防ぐために個室になっていたが、聞かれたかもしれない。  でも、それがどうしたというのだ。この馬鹿野郎に苦しんできたことの何分の一でも判らせてやれば、この痴態を誰に聞かれてもかまわない。 「…ごめん。そんな風に思ってたなら今のことについては、謝るわ」 「歯切れ悪いわね…」  言葉の端々に皮肉を織り込んで言っているつもりなのだが、彼女に果たして通じているのかどうか。傍目からは全く判らない。 「そうね、作った事実は認めるけど選んだのは私じゃないし。そっちの方は選んだ人間に言うのが筋だと思うし」 「ちょっと、貴女だってそれに一枚咬んでいることくらいはわかってんでしょ?」 「私は生みの親よ。それについては…勘違いして欲しくないんだけど、産んだ全員を私は誇りに思ってる。やましい所なんて、一つもない。断言してあげる」 「言ってくれるじゃない…」  掴みあげていた手を離す。彼女が言ってることはたぶん事実だ。そして、言っていることも当を得ている。それはつまり…。 「怒りは選んだ本人に向けろと言うこと?」 「それが一番重要よ」  襟元を直しつつ、あくまで冷静に言葉を紡ぐ彼女。  いつのまにか、私の怒りもどこかへ消えてしまっていた。心の奥底で冷静な自分が誰が味方で誰が敵かを冷静に見分けたからかもしれない。…彼女は敵ではない、と。 「話はおしまいみたいね。まぁ、こんな所で時間食ってて良いはずないし。居なくなったの昨日だからかなり微妙だけど?」  そうだった。自分の出生談義なんて、クリスが生死不明になってることと比べれば些細なことだ。今大切なことに集中しなくては。 「支度はいいけど…居なくなった場所に心当たりはあるんでしょう?」 「もちろん。セントラルドーム地下洞窟の第2階層ってところ」  第3章〜夕飯は焼き『鳥』〜  真っ青な空。広がる緑。時折木々の梢が擦れる音に混じって聞こえるのは小川のせせらぎなのだろう。ラグオルの地表はムカッ腹が立つくらい、いい感じだった。 『刺される、刺されるっ!!』  花も咲き乱れていれば、蝶も飛び交う。氷魅華の話だとここら辺一帯はセントラルドーム周辺の公園なのだという。自然を利用したと言う点では平凡なのだろうが、機械まみれの中で生活してきた私達にとっては理想的な空間といえた。なにより、心が安らぐ。 『爪で引っ掻くか、こいつわっ!!』  ただ文句をいうのならば、少し気を抜くと迷子になりそうなところがあって困ったことだ。案内の看板くらい立てていて欲しい。下手をすればぐるぐる廻っていたりして、なんだか恥ずかしいことになる。  ついでに言うならば唐突に野生動物が出てくるのも何とかして欲しいと思う。お弁当を広げていたところに動物が来られたらたまったモンじゃあないだろう。 「突っつくなーっ!!」  そう、お昼にしようとして弁当を広げたところにこんなモノが来られちゃ堪ったモンじゃない。なんでお昼ご飯のために戦わなくちゃならんのだ。しかも鳥と。  ちゅどーん。  氷魅華が逃げだそうとしていたラグ・ラッピーを丸焼きにした。タンパク質が焦げるイヤな臭いとともにお肉が焼ける独特の臭いも漂ってくる。  生命への直感か、はたまた単にビジュアルのインパクトに押されたか、今まで群がってきていたラッピーの群がピタリと氷魅華の方を向いて停止する。  つられてそちらを向いてしまったことが悔やまれた。 「お昼ごはーんは、鶏肉♪鶏肉♪」  鼻歌交じりで氷魅華がラッピーの羽毛を毟っている。辺りの芝生に黄色の羽根が散らばっていく。  歌の内容と彼女の行動からしてそのラッピーを食べるのだろう。…たぶん。 「ピ、ピーッ!!!」  残されたラッピー達が鳴き声高く、一目散に逃げていく。賢明な判断だ。このままだと一時間後には全て氷魅華の腹の中に収まっていることになりかねない。 「…ふぅ」  とりあえず、自分のお弁当は守りきった。改めて腰を落としてお弁当箱を開く。よかった。中身は崩れていない。  フォークを取り出し手早に、食事を始める。道のりはまだ半ば。ここでのんびりしているわけには行かない。 「いっただきまーす♪」  氷魅華の陽気な声が聞こえる。同時に肉を引きちぎる音も。  食事の内容は見なかったことにする。怖い、怖すぎる。視界の外で惨劇が繰り広げられているのを想像するだけでもイヤだというのに。  とりあえずで後ろを向く。こうすれば絶対に見えない。 「…?」  なんだこれ。  いつの間にか私の後ろにごろんとした羽毛の塊が転がっていた。とりあえず手にしたフォークでつついてみる。…リアクションはない。どうも先ほどのラッピーなのだろうが。  見た感じ、死んでるのではなくて、得意技の死んだふりなのだろう。  でもここで死んだふりはマズいんじゃないだろうか。このままだと惨劇、丸焼きパート2になってしまう。  さすがの私もあんな光景は一度で十分だ。  とりあえず氷魅華に見つかる前にどこか目の付かない場所に移さなくては。 「よいしょ、っと…」  ごろん。ごろごろ…  ラッピーは抵抗することもなく、転がされるがままになっている。おかげで余計な手間もなくそのまま茂みに押し込んでやることができた。  …まったく。 「どこいってたわけ?」 「ん。ちょっと用を足しに」 「ふーん」  戻ってきた私を見るなり、氷魅華はちょこちょこと小走りに私の方へ近寄ってきた。  見た感じ食べ終わったらしい、鳥の骨がまばらに残っているのが彼女の肩越しに見える。 「まだ食べてなかったの?」 「食べるの遅いのよ…」  弁当箱の中身を気にしてのことだろう。いや、気にしていたのは時間の方だろうか。  氷魅華は私がザックに弁当箱をしまうのを、ぼーっと見ていた。 「ところで、今何時なの?」 「ん? 地球時間、例えばアメリカの西海岸だと夜の7時過ぎってところかな。ラグオルの自転周期は25時間と少しなんだけど…。そっちに換算するとまだ昼頃」  身支度を整えつつ氷魅華に時刻を聞いてみると、彼女は考えるまでもなしにさらりと答えて見せた。 「詳しい時間はまだラグオル専用の原子時計が作られていないし、正確な公転周期も算出していないから確かじゃないけど。だいたいなら空を見れば、ほら。一発」  たしかに。それは言えてる。 「すっきり晴れてるし、時間はわかるわよねぇ」 「この先は雨降ってるけど」 「え? こんなに晴れてるのに」 「んー、実験設備が暴走しているらしいのよ」  先ほどとはうって変わって、氷魅華が眉をひそめながら話し出す。ついでにゆっくりと歩を進め始める。 「この先に気象をコントロールする実験装置があるのよ。その機械、セントラルドームの集中管理ブロックでいじくれるんだけど、ほらあそこ外見そのままだけど、中身無くなっちゃって」 「コントロールは不可能って事?」 「うん」 「でもそんなに長く暴走しているはず無いじゃない。誰か止めようとかしなかったわけ?」 「それがセントラルドームから最後に来たデータってのが非常用の火災コードだったのよ」  非常用の緊急信号。その内容は火災。だとすると火を消す事が出来る設備は自動的に作動して消火活動を始めたわけだ。降雨が可能な気象実験設備もその仲間の一つだったということなのだろうが。それが止まらないとしたら一体なぜ? 「ひょっとして、ドームの中、もしくは周辺にまだ熱源があるって事?」 「うん」  多分稼働している自立型の検知器がその熱源とやらをまだ捉えているのだろう。そのため統括をつとめていた管理システムが無き今、各々が命令を停止できずに最優先事項を実行し続けているのだとしたら。 「…新しいホスト作って止めるか、熱源消す方法しかないのよね」 「そーいうこと。おまけに熱源の正体は地下マグマなのよ。熱源止めるのは無理なのよね」 「なによそれ。そんな所に建物たてたって、どういう冗談よ」  氷魅華は気楽に話しているが、その内容はとんでもないことなのだ。いつ吹き出るかわからない火山の上に建物を建てる馬鹿は普通居ない。ところがドームを建てた人間はそんな馬鹿だったと氷魅華は遠回しで言っている。 「んー、それは現地で説明するとして」 「現地?」  私の疑問をさらりと受け流すように笑って見せて、氷魅華は近くの芝生へと入っていく。  なにか、探しているらしいのだが。  その間にも、氷魅華は陽気に物騒なことを話し続ける。 「まあ、変と言えばそれだけじゃないし。なんて言えばいいのかなぁ、惑星自体変なのよ。生態系もさることながら惑星の規模とかなんか作られたモノみたいで」  なんとまあ、またしても爆弾発言だ。さすがに彼女の言ってることが信じられなくなって、唖然とした顔をするしか他になかった。 「まあ、今の私達の技術じゃ無理よ。たしかに。でも地球にもあったじゃない? そーいうの」 「…火星とか月をテラフォーミングするって話のこと?」 「そう、それ」  要するに氷魅華はこの星が何者か、人類以外の生命体によって建造されここにあると言ってることになる。 「まあ、ここの場合はそんなのよりもっと根本的にいじられていて、自然現象じゃ無理すぎる事が多いのね。予備知識として聞いておいて欲しいんだけど、」  目的のモノを見つけたらしい。言葉を句切って芝生の中をのぞき込む。と、いきなり私の目の前に移動用のゲートが開いた。 「うわ」 「ん。この先は話したように鍾乳洞みたいな洞窟になってる場所なの。で、その上の階も洞窟なんだけどそこはマグマがわき出たりしてるのよ。面白いでしょ?」 「いや、面白いと言うより不思議としか、」 「さっきの質問の答えを言うとね、ドームが建ってる地面の下にあるマグマは地面の下にあるモノを封印するためにあるのよ。で、そこを避けて潜るとまるでサンドイッチのように空間が積み重なっているって訳」  …。 「そこにはやっぱり突然変異したとしか考えられないモンスターが居るのよね。しかもその先にまだ何かがあるらしいことを私達は突き止めている」  そこまで言われて、私はあることに疑問を持った。ハンターは本来セントラルドームの事故原因究明の有志団体のはずなのに。なぜ、そこまで潜っていくのか。そして、どうして潜っていけるのか。  当然のごとく氷魅華に質問してみた。 「…ねえ、どうしてそこまでやる必要あるわけ?」 「だって、原因は地下にあるって思ってるんだもん」  氷魅華はかいつまんで事の成り行きを説明してくれた。  我々よりも先、一番はじめに潜っていったパイオニア1のハンター、通称『赤い腕輪のリコ』は行く先々にボイスレコーダー型の道しるべを設置していったこと。その道しるべは今なお終わりを見せず、多分あるであろう地下へと続いていそうな気配があること。また、そのレコーダには未だにパイオニア1の人間の手がかりになるメッセージは残っていないこと、ひょっとしてパイオニア1の人間もまた地下へと足を延ばしていそうなことなどを。  当然のごとく、ハンター達はリコの足跡をたどりつつ、時間とともに変化していく地下洞窟をに苦戦しつつ先を目指して争っているのだという。  ゲートの先、そこには何があるというのだろうか。争って目指した先にあるのは何なのだろう。名誉? 財宝? それとも別の何か?  まさに、それはパンドラの箱。物語では最後に残ったモノは希望であったというが。  事実はどうなのだろう。  第4章 〜失明の少女〜  暗い洞穴。そこには水の滴る音以外、光も何者も届かぬ場所だった。  少女はその洞穴の壁にもたれかかるようにして荒い息を吐いていた。体中に刻まれた傷が酷く痛むため、寝ることも出来ない。 『まあ、最後は安らかに眠れるから、今寝なくても…大丈夫…』  とりあえず動く右手で瞼をこすってみる。それでも見えるのは暗い闇だけだった。  自分はいまどんな状況なのだろうか。暗くてはそれさえも知るのは容易でない。  それというのも、不注意の一つでトラップらしき爆発に巻き込まれたからだ、と過去の出来事を反芻する。  あの直後は自分が何をしたのかが混乱した頭で判らなかったのだが。 『えーと、とりあえず判る分だけ応急処置をして。ゲートを開こうとしても装置が動かなくて。動けないから助けも呼べないし真っ暗だし…真っ暗?』  ふと疑問に思う。たしか、あのとき自分は明かりを得るために緊急用のライトスティックを使っていなかっただろうか。あれは一度折れば化学反応で30時間くらいは明かりが得られるはずだ。  その事を思い当たり、自分の間近、手の届く範囲をまさぐってみる。…あった。  スティックは折れていた。他は目立つ損傷はない。なのに暗い。  ひょっとして不良品だったかも。ザックから同じモノを探し出し、折ってみる。でも暗い。  これはどういうことなのだろう。しばし考えて結論付いたことは一つだけだった。 『…目が見えなくなったのかなぁ?』  あり得ることだ。爆風に目を焼かれていたら失明する。道理だった。それに体中がズタズタになっているのだ。失明くらいしていてもおかしくない。  左腕は肘から下を欠損。右足は大腿部を骨折。左足は裂傷を負っていた。奇跡的に身体の中心部はアーマーのおかげでひどい傷がなかったのだけれど。  右手だけでよくもまあ、手当が出来たものだと自分のことなのに感心する。失明していてもこれだけ出来るのだから、人間というものは案外丈夫に出来ている。 『…そーいえば私、ヒューマーじゃなかったっけ』  くだらないことに気が付いてしまった。くだらないことついでだが世界中に私よりも優秀な『姉妹達』が居ることも思い出す。 『カデナちゃん、どうしてるかなぁ…』  暗闇の中は孤独で物寂しい。記憶の中に光を見つけた少女はその思い出をたぐり寄せ、反芻する。栄光も挫折も全てを思い出しながら、昔の記憶の中に最近知り合った友人の顔があることに驚く。  氷魅華。  一度だけ自分の生まれた施設、『HOME』で道に迷い、通りがかった彼女に道を聞いたことがある。あれ以来、道は初めにきちっと調べておくようになった。  だから、この記憶は忘れない。ましてや間違えようもない。  なんか変な感じだ。知っているのに知らないなんて。  でも、あのころの氷魅華はもうちょっと表情豊かだった気がする。今みたいにぶっきらぼうで変に冷静で、事あれば口をつぐんでいる姿と記憶の中の氷魅華は別人のように思えた。だから会っても気が付かなかったのだろうが。 『どうしてなんだろう…』  世の中は判らないことが多すぎる。  クリス・アルカペイトンは身体の痛みさえも忘れて、考えることに夢中になっていた。  第5章 〜全ては復讐のために〜  洞窟第2階層。地下水と鍾乳洞のオブジェが自然発光する細菌によって、幻想的な空間を作り上げている。  ここの空間には空というものはないが、閉鎖的な感じはしない。むしろ地上にあったねっとりとした濃厚な空気がないのが気分を落ち着かせている。  そのせいだろうか。自分の動きに無駄と迷いが消えていくのを感じた。 「…楽しんでる? ひょっとして」 「んー、適度な緊張感がイイ感じだというのは事実ね」  言いながら目の前のすらいむ状のモンスターをこねくり回してみる。  引っ張って、ネジって、押し込んで。 「ねんどじゃないんだけど…」  カマキリの親分みたいな奴を袈裟切りにして、氷魅華が毒づく。 「ベッドにするといい気分で寝れそうじゃない?」 「触手がうにょうにょ出てきても?」 「…独り寝の寂しい女性には好評じゃない?」 「変態…」  一言言い捨てると氷魅華は先へ行ってしまった。 「あ、ちょっと冗談なのにっ!」  あわてて、氷魅華の後を追う。スライムは別段捨て置いてもかまわないが、氷魅華に置いて行かれると後々面倒なことになる。  迷子になるのはちょっとこの年では恥ずかしい。 「クリスが行方不明になった場所って本当に判ってるの?」 「事故の後すぐに戻ってビーコン波の消失地点の座標を教えてもらったから大丈夫」 「…なんですぐ助けに行かなかったの?」 「行ければ良かったんだけどね」  どうも彼女は私と目を合わせようとしないようだ。そんな私の考えを知ってるのか知らないのか、全くあさっての方を見て氷魅華はしゃべっている。 「爆発の規模が大きくてフロアを仕切る隔壁が対爆モードで閉鎖されちゃったのよ。おかげで専門家が解析して解除するのに丸一日かかって」 「爆発?」 「かなりの広範囲で火薬爆発の痕跡があったらしいけど。とはいっても判るのはそこまで。なんかしらの兵器が使われたのかどうかなんて素人にはわからないし」  言ってる間に目の前に隔壁が現れた。  隔壁の隣にいかにも間に合わせといった感じで、モノクロの液晶が付いたコンソールシステムが接着固定されている。電源は足下に転がった発動機用のボックスバッテリー。  どうやら、この先が件のフロアなのだろう。 「…そのシステムで扉を騙してるってこと?」 「詳しいの?」 「人並みにね」  言いながら氷魅華がそのコンソールにさわろうとするのを手で制する。 「何よ」 「私、爆死するのはゴメンなんだけど」 「って…」  眉をひそめ心なし縮こまりながら氷魅華が下がる。  どうやら私が言いたかったことに気が付いたらしい。 「このバッテリーに見えるようなモノ、これ全部爆薬よね。第一、扉に電源供給されているのに有限のバッテリーなんて設置しても仕方ないじゃない。電源なら扉から拝借すればいいんだし」  ポケットから小型の工具を出して床に並べる。そのなかからドライバーを選んで、電源として本体と接続されている(様に見える)中継ボックスのビスを外してみる。  念のためビスを全て抜かず、カバーと土台とを浮かせた状態でドライバーを隙間に這わす。 「…」  引っかかるモノはなにもない。カバーを引きあけた瞬間爆発するトラップを仕掛けていると思ったのだが、杞憂だったのか。 「意地悪いわね…」  カバーをあけて一言。中に入っていたのは信管と電線に見せかけたデト・コード(導爆薬)だった。ついでにそれらに蓋をするようにホットボンドでネタネタに固めてある。  ある意味、工具ではどうすることも出来ない。 「…解除は無理なの?」 「んー、解除は簡単なんだけど…」 「じゃあさっさとしてよ」  無責任な氷魅華の一言にため息が出る。 「この調子だとこの装置と扉とは接続されていなくて、解除しても扉は開かないのよ…」 「えー」  不満ありげな声を出されても困る。  予想だが、つけてあった装置に誰かが爆薬を仕掛けたと言うことなのだろうが。  ふと、あることに気が付く。  開かない扉、設置してある爆薬。いじることの出来る工具類。 「…扉、爆破するかぁ」  出てきた答えに氷魅華がまたしてもイヤそうな声を上げる。 「物騒ね〜」 「その方が無駄がないでしょ」 「無駄って…」  氷魅華が何か言いたげな声を上げているがこの際、無視を決め込むことにする。  まずバッテリーにカモフラージュされている爆薬を解体してみる。出てきた中身はC4火薬にして5sというころか。信管は電気式がセットされていて短いながらもデト・コードが付いてきている。  耐爆隔壁の厚さは予想で約50p。この壁に人が通れる様な穴をあけるには爆薬が足りない。  ではどうするか。  隔壁はモーターで開け閉めしている。なら、手動であけられるようにモーターとギアをぶちこわせば何とかなるのではないだろうか。…いやいや。このくそ重い扉だからこそ、ギアでトルクを増幅させて開閉しているのに…。 「ねー、これなに?」 「いや、今どうするか考えて居るんだから…」  言いながらも氷魅華が指さす方向を見てみる。  そこは隔壁横の壁に埋まるように設置され、赤い縁取りの付いたボックス。ステッカーには『エマージェンシー・ボックス』とあった。  …こ、こりは…なんという…。  半ば脱力してそのボックスの蓋を開けてみる。中身は手回し用のハンドルが一つ。右回しでオープン、左回しでクローズと書いてある。蓋の注意書きには『隔壁の電源が落ちて使用できないとき、通り抜ける際に使用してください』とあった。 「なんだ、手動であけられるんだ…」 「電源きてないときだけね…」  結果はどうあれ、手回しであけることが判っただけでももうけもの。  あとは電源が何処にあるかを突き止めて、その配線を切断すればいいだけなのだ。  作業はものの数分で終わった。  ぎ、ぎきぃっこ、きぃきぃきぃ…。 「ふぅ。どう? 通れる?」 「うん。大丈夫ー」  くそ重いハンドルに舌打ちしながら、根性入れて一生懸命回す。それでも一回転で5ミリ程度しか開かない。  当然のごとく全部あけず、人が通れるだけの隙間から私達は奥へと入る。 「…おかしいわね」 「おかしいわよね」  通路を進みながら、口々に同じ事をつぶやく。 「大規模な爆発あったんでしょ?」 「そのはずなんだけど」  どうやら考えていることは同じらしい。  へんなのだ。ここは。  爆発があったというのなら、通路が崩れていたり爆発の痕跡があっても良さそうなのだが、部屋や通路にはそれが全くない。  そのかわり、行く先々の扉には先ほどのようなトラップが山のように仕掛けてある有様。 中には爆発した後のトラップもあり、無惨にもそれに引っかかったハンターの亡骸が転がっていたりする。 「この先に何があるか知ってる?」 「多分、次の階層に潜るための転移装置があった…と、思う」 「根拠は」 「最近になって下の階に潜るポイントが変わったのよ。端末の故障で。自前でこれ以降の階に降りる手段を持ってる人はそれを使うんだけど、クリスはまだだったからこの階で私と一緒にそのポイントを探してたのよ。でも爆発事故でまた壊れて。今は他の所にあるけど」  …ふーん。 「じゃあ、誰かがこの先に行こうとしてる不特定多数の人間を足止めしているって事になるわね。…仮説たてていい?」 「なに?」 「…転移装置の予備がだれかさんの入ってきて欲しくない場所に出来ちゃった。当人としては今まで都合の良かったせいで色々やってきたことが表沙汰になるとマズい。そのマズいものは移動が困難。解決方法は何か。手っ取り早いのは転移装置をぶっ壊してまた別なところに作らせればいい。とりあえず人が来ないように爆発事故でも装おう、ってことじゃないの?」 「じゃあ、このトラップは…?」 「閉鎖したドアをこじ開けて進んだ馬鹿野郎がいたからじゃないの? 要するに、これら一連の出来事は全て人為的なモノで、私達はどんなものにしろ、やばいことに足を突っ込んだって事ね。確かなのは」  早めに気が付いて良かったと、つくづく思う。  言うが早いか、通路の真ん中にもかかわらず私は座り込んでザックから装備を出しはじめた。 「何を始めるつもり…?」 「巻き込んで悪いと思ってるんだけど、この先私の仕事の管轄になるのよ」  仕事のついで、と言えば楽に聞こえるかもしれないが私にはもう一つする事があった。  それは犯罪者の処理。  ラグオルにやってきた人間の中には地球で犯罪を犯し、逃亡してきた人間もいる。外見何もないように取り繕っていても、実は乗船名簿の裏側に個人の履歴が要約して書き出されているのだ。  その中でも重犯罪人に対しては各々の政府に処理が任されている。  すなわち、非公式に存在を消してしまうのだ。  こんな怪しい場所に何が居るかわかったものではない。だから準備しておくに越したことはないのだ。  野戦用のボディスーツの上からショルダータイプのホルスターを付け、なおかつウエストホルスターもつける。今回のエモノはグロック17Lと相棒のFive-seven。それと小振りのストライダーナイフが一本。  それらのうえに普段なにげなしに羽織っているジャケットを身に纏う。  立ちつくしている氷魅華を一瞥して私は言う。 「付いてきてもきっと死人を見るだけでつまんないわよ」 「面白いジョークね、それ」  覚悟を決めたのか、本気で冗談だと思っているのか氷魅華は私の後を付いてくる。 「とりあえず死んでも知らないから…」  忠告はしたのだ。この先氷魅華が死んでも書類の一行で片付けられるだけ。ジョークにもなりはしない。 「べつに。この先までクリスが行ってるんだもの。大丈夫でしょ」 「だといいけど」  しばらくは何もなく順調に進んでいく。しかしそれも『しばらくは』だ。通路を折れたところでいきなり目の前にハンターが突っ立っていた。 「お、おまえ無事だったのか!?」  その男はいきなり私を見て謎な事を口走る。私はこいつの事なんて知らない。  いや、知ってはいるか。丸暗記されたリストの中に一致する顔があった。 「…カデナ、こいつクリスのことしってるみたいだけど」 「あ、そーいうことね」 「な、なんのことだよ…」 「こーゆーことよ」  言うが早いか、ホルスターからグロックを抜いて男の顔面に銃口を固定する。 「なっ、ななななんなんだよ!」 「これがどーゆーものかはよーくご存じよね? そこで質問なんだけど私と同じ顔した子がこっちに来てるはずだけど。あなた知ってるなら案内してもらえない?」 「…断ったら?」 「別な人に聞くわ。その際は…1ドルもしない弾があなたを別な世界へ連れてってるでしょうけど」  ちんけな脅し文句に男はがくがくと首を縦に振る。 「つ、つれてくよ…だから…な?」 「素直が一番。あ、ついでに聞くけどその子、無事なわけ?」 「さ、さあ。封鎖しているはずの隔壁が開いたと思ったら、そいつがふらっと現れて『こっちに下の階に降りる装置ありませんか?』って聞いてきたんだよ」 「それで?」 「う…撃たないでくれよ? そのとき丁度装置の爆破準備が整ってて、指示を仰いだら『装置と一緒に始末つけとけ』っていわれたんだよ。だから」 「爆破しちゃったわけ?」 「お、俺はそれ以上知らないよっ! 案内したあと開いてた扉を閉めに行ったら、後ろから爆音響いて。見たらもう扉はひしゃげて使えなくなってたし、わかんねーよっ!!」  なるほど。 「じゃあ…装置があった場所はこの先にあるの?」 「そ、そうだよ…」 「あんたのボスって、名前は?」  氷魅華が口を挟む。私の後ろで何をしているかは知らないが、怒りは抑えてないようだった。言葉の端に棘がある。 「…アシャクさんだよ…。アシャク・クランクロゥってんだ…」 「そう。…さよなら」 「ちょ、まって氷魅華っ!?」  ぱんっ  あっけなかった。一体氷魅華のどこに隠し持っていたのだろう、リボルバータイプの小さな銃が軽い音を立てて男の脳漿を散らせた。  男の事はどうでもいい。死んでしまえば用無しだし、もとより生かしておくつもりもなかったのだ。問題は氷魅華だ。  なぜ氷魅華が銃を所持しているのか。それ以前に氷魅華のその表情は何だ?  さっきの言葉と裏腹に無表情よりもさらに遠く、汚いモノを見るときの表情よりもその顔は冷たい。温度が無いと言うよりその面影は死兵の無念さを色濃く表している。そんな顔だった。 「…カデナ、邪魔しないで。あいつは私が殺すの。私はあいつを殺すために生きてきたの」 「あいつって、アシャクのこと?」  黙ったまま頷く氷魅華。 「聞いた話、刃向かったら死んでもおかしくない相手なんだけど…。大丈夫なの?」  そうなのだ。リストの中でもトップクラス。今までなんどか警察その他が彼を射殺しようと頑張ったのだが、なぜか撃たれても死なない。きっと急所をことごとく外しているとか言うことなのだろうが、しぶといことに代わりはない。  おかげか付いたあだ名は『ターミネーター』だったりする。  それはともかく、氷魅華一人だけでは太刀打ちは無理だろう。だから改めて心配したのだが。 「私、体丈夫だから…」  冗談にしか聞こえない台詞を言い残して氷魅華が歩き始める。  私もそれに倣うしかない。今のところ後戻りする理由はなくて、前に道がある限り立ち止まることもないのだ。  目に付いた人間はうち倒す。  体に小さな穴を穿った死体を足下に置き捨て、通路をひた歩く。  クリスは生きてはいないだろう。そのことが心の片隅で、人を殺すことのためらいを消していた。  迷いはなく、立ち止まらず。  人生は失うことの連続だと誰かが言っていた。拾うことはなく、捨て続けたことが人生だと。  だから、今ここで名も知らない相手を撃ち捨て続けても私の人生にかわりはない。相手にかける言葉もなかった。  通路は一本調子で迷うこともなく。だから目当ての部屋に来ても、どうと言った感情はわいてこなかった。  広く、遮蔽物となる構造物が所狭しと並んでいる。戦いやすい場所。  数人のヒューマーやキャストがこちらに気が付いて駆け寄ってくる。  男たちの手にはフォトン製の武器が握られているが敵ではない。一番やっかいな火薬式の武器がないので楽だった。  …思いっきりやってやろう。  そう思った。 「氷魅華?」 「その他には興味ないし」  なるほど納得。氷魅華は何処かにいるアシャクという奴だけが目標なのだ。  だったらこいつらはどうしてもいい。  グロックの残弾確認はせず、マガジンを抜き捨てる。2、3発はあるだろうが、それだけでは不十分だから。  素早くホルダーからマガジンを取り、装填するとねらいを付けて呼吸を止める。  瞬間だけ視線で氷魅華を探す。左端、乱戦を見越してか早くも遮蔽物へと移動していた。  視線をターゲットに戻して、撃った。  人一人に2発ずつ、キャストには動かなくなるまで弾をぶち込んでやる。  マガジンを換えるたびに確実に動く物の数へ減っていく。  視線の先に腰を抜かした男が飛び込んできた。こちらに恐怖の視線を向け、尻をついたまま後ずさりしている。一目見て逃げ出そうとしているのがわかる。  それでもかまわずに私は男に銃口を向けた。そして、目の前まで歩いていく。 「ひ、ひぃぃ…」 「…合衆国の超法的越行為により貴方を対象と見なし、刑を執行します」  2度、跳ね上がる銃口と飛び出す薬莢。  床に血飛沫が放射状に広がったのが見えた瞬間、ごとっと重い音と共に男の頭が床に落ちる。目は見開かれたまま、口が半開きで死んでいる男がどことなく滑稽に見えた。 「なお意見、上告は出来ません」  その死体に言葉を投げ捨て歩み去る。  言い忘れていた執行文章を口頭でも伝えておく必要はあったのだ。生死に関わらず。  振り返った先に氷魅華が見えた。こちらに向かって歩いてきている。  あちらこちらに息絶えている人間を見回しながら、それでも関心がない表情をしている。  が、ある一点を見つめて動かなくなった。そして、駆け出した氷魅華の姿はすぐに構造物の陰に消えてしまう。  氷魅華が興味を引く物と言えばすなわち、『敵』。そうなれば私も走らずにはいられない。  あわてて後を追い、角を曲がる。そして、私の目に飛び込んできた氷魅華はと言うと。 「氷魅…華?」  大柄な男に片手で首を締め上げられ、宙に持ち上げられている氷魅華が居た。   第6章 〜そして復讐は終わる〜  呆然としている私の目の前で男は手に力を込めたようだった。  ごきりっ、といやな音が耳に届く。それは氷魅華が事切れた音でもあった。  小さなリボルバーが彼女の手をはなれ、床で乾いた音を立てる。  男が手を離すと氷魅華は床に落ち、そのまま動かない。首を少し傾げたようにして瞬きのしない瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。 「首の骨を、折ったわけ?」 「まあ、そういうことだな。リクエスト次第で同じように殺してやるが」 「願い下げね」 「そうか」  相手が一歩足を出したのをみて、こちらも銃を抜く。男がボディアーマーを着込んでいるので抜いたのはFive-Sevenだ。5.7mmの小口径なブレットだが鉄芯の入った弾頭は確実に防弾チョッキを貫通する。 「貴方は…、アシャク・クランクロゥ?」 「そうだが?」 「合衆国より執行命令がでています。覚悟を」  男はこちらの言うことに多少心動いたことがあったようだ。荒いため息をひとつ、それから氷魅華をまたぎ越してまた歩き出した。  待ってもいいことは何もない。相手の40がらみの顔と、鍛え上げられた分厚い胸板や腕、また体中に威圧感を覚えたがそれだけだ。  迷いはなく、トリガーは引き絞られた。  バスッ! バス、バスバスッ!!  マガジン一本分、合計20発の弾頭を男にたたき込んだ。立ったままでそのすべてを体に受け、それでもまだ立ち続ける男。  これだと確実に急所を貫いたとは言い難い。貫通能力が高い分ノックアウトパワーは低いわけで、男が倒れないのも急所をはずしたからだと、自然に推測できた。  だから私はマガジンを換えた後も撃つ。4、5発を体にたたき込んでから照準を額にポイントしてとどめの一撃にと眉間に穴をあけてやった。  体をのけぞらせ、膝から崩れていく男。  結局、こちらに何もなしで歩いてきたのは単なる虚仮威しだったのか。あっけなさに多少の失望感を混じらせ、視線を男から離した、そのとき。  手にしていた銃の重みと姿が一瞬でかき消えた。 「…!!?」  いや、正確には…腕ごと吹き飛ばされていた。 「ぁああああぁぁっ!!」  口から痛みの大きさを表すように悲鳴が漏れる。突然現れた傷口に目が釘付けになる。赤くザクロのようなザクザクの傷口に真白い骨が見て取れる。そして、鼓動とあわせるように緩急をつけて血液が血管から吹き出ていた。 「ま、それくらいは余興だがな」 「!!」  男が…立っていた。血まみれになっている体と眉間にあいた弾痕を気にするふうでもなく平然とこちらを見下ろしている。  それどころか、男の左腕は触手のような形状に変化していた。  その触手が距離にして10mちょい伸びて、自分の腕を吹き飛ばしたことになる。 「…まさか、化け物相手になるとは…意外よね。油断したわよ…」 「別に。油断するのはそちらの勝手だ」  あたりが霞む。急な失血に体が付いてこられないらしい。ぐらつく世界が自分の頼りなさを如実に表しているかと思うと正直、腹が立った。 「でも正直言うと、なんにしろ負けるのは嫌いなのよね」  言って、残った左手でグロックを抜く。そして込められていたマガジンを抜き捨て、口にくわえて、空いた左手で腰のホルダーからマガジンを抜いた。  手早くマガジンを交換してチャンバーに弾を送る。 「用事は済んだか?」 「…余裕が命取りよ…」  すでに両腕が鞭のような触手にかわった男と私がにらみ合う。 「では、さよならだ」  男が触手を振るおうとした瞬間を私は狙っていた。  振り上げた肩口めがけて弾丸をたたき込む。  ばぎんっ!  ただならぬ音を立てて男の体が震えた。 「…」 「ホットロードされたホローポイントの弾丸なんだけど。これ。いくら頑丈でも骨折したら腕も振るえない…わよね?」  男はだらりとしたまま動かなくなった腕とこちらを交互に見ている。 「まあ、元に戻ったとしても戻った端からぶち込んであげるから心配しないでね。そうこうしているウチに五体バラバラに解体してあげるから」 「…そんな余裕はないんだろう?」  ぴくっ。 「そんなことは…ないわよ…」  言葉とは裏腹に膝が笑い始めた。次第に呼吸も荒くなって来ている。男の言うとおり、余裕なんて…これっぽっちもない。  いまだに傷口からの出血は止まっていないのだ。  …死にたくはないんだけどなぁ…。  思いながら男の体関節に向かって弾を撃ち込んでいく。  やがでマガジンは空になり…。  …白くなり始めた視界に氷魅華の姿をみつけて…。  …彼女に向かってナイフを投げてやった。 「後は思いっきりやってやれ」  そう言ったのは、覚えている。  この時、私はとっくの昔に氷魅華が死んでいたことさえも忘れていた。  からんっ、からからっ。  目の前にナイフが転がってきた。  これで私にどうしろと言うのか? …ああ、そうか。この男を殺すんだっけ…。  体の中で怒りにまかせた攻撃衝動が起こる。自分の宿主に怪我をさせたことに腹を立てているのだ。  体に住み着いている子供は正直だった。感情が直情的なのは少し困ったものだが、個性と言ってはそれまでだろう。  ナイフを握りしめて立ち上がる。  すぐ横に男が穴だらけになって倒れている。でもそれだけじゃあ駄目だ。  寄生している虫を除かなければこいつは死なない。  さっき、そのことに気が付いて殴りかかったが首を取られて失敗した。さすがにこの身長差だと太刀打ちができなかった。  でも今ならやれる。  馬乗りの状態で背中にナイフを突き立てた。そして一気に縦に引き裂いてやる。 「…貴様…」 「うるさい。黙れ」  返す刃で首の大動脈をぶった切る。ついでに脊髄にナイフを突き立てた。  舞う血煙に目を細めながらも場所を見定め、引き裂いた背中の切り口から腹の中に手を突っ込み、一気に引き抜く。 「ギキイィッ!?」  耳障りな音ともに紫色をした物体が腕に絡まって抜けてきた。これが、虫。  これがなければ男は…アシャクは死ぬしかない。こいつのおかげで体を蜂の巣にされても平気だったり、腕を変形させたりしていたのだから。  …もちろん、同じ物が体に住み着いている私も同じなのだけれど。 「仇は…とるよ…」  言って鞭状になった腕を無造作に振るう。  男だった死体は私の腕の一振りごとに肉塊となり、微塵となっていった。 「く…はは、はははっ、はっはぁ!!」  私の中で何かか砕けるのを感じていた。それはこいつを追いかけている間にあった、最後の理性のようなものだ。それが砕けていく。  仇を取った今では必要のないものだから、無くなっても平気なもの。  だけど、人として生きていくために必要だったものも一緒になっていたかもしれない。 「あはははは…。きえちゃえ…、消えて私の前から無くなっちゃえ…」  飛び散る肉片を体で受けながら、今まで無かった高揚感を全身で感じて。  壊れた声をあげている私は端から見る人にどう映るのだろう。  でも、そんなことはもう関係ない。  モノを壊す快感を知ってしまった今では。この快感を感じるためなら。  …私は何をしてもいい。  第7章 〜すべてを捨て、無に帰った先には…〜  …寒い。  このたぐいの寒さは一度経験している。  一度だけ、体に深い傷を負ったときのことだ。あの時もこの寒さが体を襲ったような。 「あ…ぅ?」 「あれ、起きたの?」 「永遠に寝ていたくないし…、第一背中が痛いわよ」  体を起こそうとして、右腕が無いことを思い出す。みれば腕は止血されて傷口も包帯で巻かれていた。  腕の周りも自分の血で赤黒く染まっている。 「あー…、クリーニング出さなきゃ…」 「私もね…」  氷魅華の服もべっとりと血糊が付いていた。氷魅華の元気そうな表情からそれがすべで返り血であることが予想できた。 「そういえば…首、大丈夫だったの? 死んだのかとおもった…」 「痛かったけど。ポッキリ折られちゃって」 「…は?」 「一度呼吸が止まったときは本気で焦ったけど。ま、後遺症無かったから良かったかな」 「…普通死ぬと思うんだけど…」 「死ねないのよ。それくらいじゃあね」 「さいですか…」  まあ、これで一段落と言うところか。 「あ、クリス探さなきゃ…」 「何いってんの。隣にいるわよ」 「…え?」 氷魅華が指さす方を促されるまま、見ればそこには。 「ク、クリス…」 「生きてたわよ。身なりは滅茶苦茶だけど」  氷魅華の説明を聞きながら私はこぼれる涙はそのままに、一人感傷に浸っていた。  その後、すぐに氷魅華の手で私とクリスは病院へと搬送された。  体の欠損した部位はクリスと私のお互いの部分を培養したものを移植することになり、二人そろって月日にして2ヶ月の間退屈な入院生活を送ることになった。  その2ヶ月の間にも色々なことがあった。  氷魅華はあれから自分の小間使いとも言えるキャストを一体作り上げていた。  名前は、そう『ケビイシ』と言ったけか。ちょっと生意気な奴だが料理の腕は大したもので近所では評判だとか。  クリスはほとんど寝たきり状態で何も出来ないと嘆いていた。そりゃあ足は骨折して目も見えないんだから仕方ないと思う。  2ヶ月といえば、その間にラグオルの調査は詰めの状態までなった。  遺跡と呼ばれる地下空洞が発見され、そこで行方不明になるハンターが相次いだ。  それでも数多くのハンターが遺跡に潜り、地球の時間にして5月末日、遺跡の最深層にある『元凶』を突き止め…解決するまでに至ったのだ。  その瞬間に私や氷魅華は立ち会えなかったけど、暇が出来たら一度潜ってみようと思う。 数々のハンターやパイオニア1の人間が散っていった元凶をのぞきに…。  私が退院してからしばらくは、報告書を作るので部屋に缶詰になりっぱなしの生活が続いた。まるで売れっ子の小説家にでもなった気分。  だから報告書をまとめ上げ上司に提出した後は、このまま何処かでのんびりしたい気分だった。  でもそんな暇は無いのを私が一番よく知っている。  今日も氷魅華が所属している研究所に行って、アシャクに寄生していたと目されるサンプルについて資料を分けてもらえるように、彼女に頼みにいっていた。 「ねー、どうしても駄目なの?」 「だーかーらー。先に提出した書類以外は出せないんだって。考えても見てよ。私とかあいつみたいにほとんど不死身な人間がたくさん出て来たら大変よ?」 「それはわかってるけど…」 「それに、ただでさえこれについてはよく解ってないのに…」 「…そんなものお腹に入れてるの…氷魅華って…」 「ノーコメント。さ、忙しいんだから、用事無いなら仕事に戻りたいんだけど」 「あ、最後に一つだけ」 「なによ?」 「あのさ、氷魅華ってなんでSHIPに乗る気になったの?」 「んー、復讐が一番の目的だったんだけどね」 「?」 「今はちょっと違うかな。地球が退屈だったってのもあるのよ。80年近くも過ごしてきたら、いい加減新しいものなんて同じ人間が作るものだけ。新しい発見なんてのがなくて退屈で」 「ふーん」 「カデナだってこっち来て色々発見あったでしょ? 心が躍るっていうのはこういうときに使うものだって思わない?」 「そうね…。退屈しないって言うのは当たってる」 「でしょ」  この時、私はまだ氷魅華が変わったことに気が付いていなかった。  『心が躍る』といったのは、彼女が自分の中に生まれた破壊衝動を肯定する意味だった。  近い未来、私は氷魅華の変化を目撃することになる。  狂喜の声をあげてマジカルピースを振るう様は、もはや常人の域を脱していた…。 おわる、と言うよりver.2へつづく。