FinalFantasyXI 〜メイプルハウス物語(誤)〜                           葵 綾狐  ここに一冊の日記がある。  ご丁寧なことに羊皮のカバーに『日記』と書かれているからほぼ間違いはないだろう。  表紙を捲れば、持ち主の名前が書いてある。  「モーグリ」  と。  さて、ここで問題です。  何処の主に仕えるモーグリなのでしょうか。  ヒントは一つ。中身を読めば判ります。 「…なんで、アイツ日記なんて書いてるニャ?」  鬼の居ぬ間に何とやら。  何時も部屋にいて、小間使いとしてテキパキ働いてくれていたモーグリが、故郷に用事があるとかで部屋を留守にして3日目。  普段ロクに家に戻らないご主人は留守番代わりに家に居着いて3日目。  何時もだったら『いじっても部屋の勝手が悪くなるだけクポ』とやらせてもらえない部屋の模様替えを思いついて、あちこちごそごそやっていたらデスクの引き出しにコレがあった。  彼女の手にもすこし小さく、手帳と大差のないそれの中身はというと。  試しに適当なページを朗読してみよう。 「某月某日曇り。ご主人の日課となった朝帰り。着衣の乱れとその目のトロケっぷりといい、大酒飲んで記憶を無くしてきたと思われる。そのままベッドに倒れ込んで動かなくなった。いつもの通り、クスリと水は用意しておく」  始めっからイタイ出だしだ。  ご主人とは朗読している本人であり、その日付から記憶をたどれば出るわ出るわ、赤っ恥の数々。 「午後起床。ようやく頭から酒がヌケたのか、自分のナリと記憶の空白に首を傾げている様子。ふらふらになりながらも着替えをすませる。用意しておいた食事を一緒に食べてご主人はまたベッドへ」  ここで日記を閉じる。  当然の事だが、自分のイタイ記録を読み続ける気にはなれなかったのだ。  日記を机にぶち込んで、そのまま部屋から外へ。  玄関にかけてある表札を裏返す。 『メイプルリーフは外出中です』  と書かれてある。  戸締まりをして、靴ひもをなおして歩き出した。  彼女はメイプルリーフ。   カデナ・メイプルリーフだった。  ■e シャントット博士著 『ムダな一日の過ごし方』  メイプルが出かけていってしまったため、部屋の中は無人となった。  そして彼女が手にしていたモーグリの日記は彼女によって机の中へと押し戻された。  その日記、実際中身は朗読したとおりの内容が何十日と続いているのは、彼女の性格というより『学習しないから』の一言で言い表せられる。  そんな彼女の普段はどうなのか。紹介のついでで試しに朗読した部分を事細かく語ってみよう。  …前作でもそうだったのだけど、下品なのはお約束の方向で。  某月某日、朝。 「たぁだっいまー…」  ヘンに間延びした声が玄関の向こうから聞こえてきた。  同時にドアのカギをガチャガチャ荒っぽく鳴らして家の主は帰宅した。 「お、おかえりなさい…くぽぉ!?」  出迎えたモーグリの笑顔が凍り付く。 「うー? どったのぉーにゃあ?」  どうしたもこうしたもない。  朝帰りなのは別として、家の主であるところのメイプルのナリがもの凄いことになっていたからだ。  今日びコントで役者扮する酔っぱらいの親父のような足取りに、そのろれつの回らない言葉と焦点の合ってない目は既に笑える範囲を超えていて。  服装についてはもうどういえばいいのか見当もつかない。  …暴行でも受けたのかアンタ。  何からツッ込んでいいのか、言えば全部地雷のような気がしてモーグリは目を伏せる。 「とりあえず寝る前に服は脱いで欲しいクポ。洗濯するクポよ」 「あぃ〜」  本当にとりあえず、自分の仕事になり得る部分だけを言ってみる。  既に半分寝てるのか、メイプルは言われるがままベッドに向かう足取りついでに服を脱ぎはじめてしまう。  上着、シャツ、ズボン、サンダル(!)と、ここでサンダルを脱ぐ時にバランスを崩して一度転倒。コケたままでパンストを脱ぎ捨てそれからヨロヨロと身を起こし、パンティだけの姿でベッドに到着。  …ブラは何処へやったのか。たぶん聞いてもムダだろう。  なんせ本人は何処で脱いだのかも言えないんだろうから。  顔に縦線ひいて洗濯かごにブツを収集するモーグリ。  以前、こんな状態で別のことを言ったらどうするのかとモーグリは実験したことがある。  その時言った言葉が『ちょっとイヌのマネをしてみてクポ』だったのだが。  メイプルは素直にそのまま座り込み、ワンワン吠えまくったあげく部屋のど真ん中で毛繕いのマネをして片足上げておしっ(検閲)。  つまり見境無く酔った勢いで、なんでもしてしまうのであった。  あの時は掃除の手間が増えて大変だったクポ…。  そんなことを思い出し、振り返ればとっくの昔にメイプルは夢の中。  せめてキチンと布団に入って欲しいとモーグリは思う。  なんせ寝てしまったメイプルを布団に押し込むのは、ガタイが何倍も違う彼なのだから。    それから時間は8時間と少し進んで午後もいいとこ、只今の時刻は午後二時四十分。 「う…むぅ…」  メイプルが起床。 「う…頭、イタイ…なんで?」 「ご主人様、今日も酔っぱらって帰ってきたクポ…。覚えてないクポ?」  モーグリが薬と水を手渡しつつ聞いてくる。  …昨日、なにをしたのか全然思い出せない。 「えーと、昨日も…飲みにいったんよね…、たしか」  そりゃ、飲まなかったらこんなにならないだろ。とモーグリは思わずツッコミを入れそうになる。それを、ぐっ、とこらえて、 「さっき、泥酔状態で帰って来たクポよ。フラフラだったクポー」 「…ぅ?」  薬を飲んで、頭を片手でおさえつつベッドから離れるメイプル。  ところが、3歩ほど進んで立ち止まる。 「ナニ…これ…」  言っていきなりショーツの中へ指を這わせて、抜いてみる。  指に絡み付いていたのは、何故か多少の粘り気を持った液体。 「うぇ」  手早くショーツを脱ぎ捨てると、早足でそのままトイレへ行ってしまった。  そして数十秒…。  出てきたメイプルは全裸のまま、ベッドに腰掛け頭を抱え込んでしまった。 「誰と寝たんだか全然記憶にないよ…」 「…」  もうこうなるとモーグリはかける気休めの言葉も無くなって、ご主人と一緒に頭を抱えるしかないわけで。 「避妊…してなかったクポ?」 「覚えてるわけないじゃないのよー。いっくら子供出来ないとはいえ…あーあー…」  何時も被ってる猫の皮も忘れ、素で落ち込むメイプル。何時も言葉尻につけていた『ニャ』さえも今はない。 「とりあえず…ご飯できてるクポ…」 「…食べる…」  無言の昼食がこうして始まった。  時刻は三時丁度。  昼食というにはカンペキにずれているのはご愛敬の範疇なのだろうか。  以上が、紹介した日記の詳細である。  コレを見てメイプルが普段どんなミスラか、お判りいただけたであろうか。  というか、全然紹介にならないだろう、という意見は却下である。  言われるとツライから。  出かけていったメイプルに話を戻そう。  彼女、メイプルが専らの寝床にしているのは人と物と経済の中心で有るところ、ジュノ。  何時何処にいてもこの都市は人気の絶えることがない。  昼前の日差しと気温の上がりッ鼻、時刻で言うところの10時近く、彼女はジュノ下層の階段通り付近をぶらぶらと散歩していた。  することが無いときの彼女の日課である。  数ある露店を冷やかして、馴染みの店から早くツケを払えとケムたがられ、時折見かける知り合いと情報交換ついでのゴシップに花を咲かせたアト、するりと酒場の戸をくぐる。  …しかし、5分もしないで出て来た。  右手に酒瓶、左手には女の子。 「ね〜、メイプルったらぁ昼間から私のお付き合いなんかして平気なのぉ?」 「全然。テリミシアと一緒にお酒飲めるんだったら何時から、何時までもお付き合いしたいケド」  もう、二人とも出来上がっているのだろうか。 「…あら、じゃあベッドのなかまでご一緒するぅ?」 「趣味が合うならOKだわね」  昼間の会話とはとても思えない。  時折、通行人が発する奇異の視線を受けながら二人は海を一望できるパラソルついたテーブルの所までやってくる。  店から持ち出したグラスにほどよく冷やしたお酒を注ぐと、二人は景色をつまみに飲み始める。 「あーあ、どっかに楽なもうけ話ないかしらねぇ…」 「ウチなら脱ぐだけでお金もらえるわよ」  言いながらクスクスと笑うテリミシア。 「テリミシアみたくリズムに乗って踊ったり脱いだりできないわよ」 「あら、ご謙遜」 「ホントだって。…それにミスラのダンサーってけっこう多いから、私はムリよ」  言って、グラスの中身を干すメイプル。 「それより、テリミシアの方こそなんで冒険者やめてダンサーやってるのか理由聞いてないけど? 昔っから私ファンだったのに」 「踊ってるほうが楽しかったからよ。それだけ」 「そうかぁ…」  そこで会話はとぎれてしまう。お互い目をそらし、視線は自然と目の前の景色へ。  真昼の空をカモメが三々五々、群になって飛んでいく。  人の喧噪と風の音、そして遙か下から聞こえる波の音。  そのなかでメイプルはテリミシアの言葉を反芻していた。 『踊っている方が楽しかったからよ』  …あのころ、彼女はメイプルに違う言葉を言っていた。  メイプルがテリミシアと出会ったのが冒険者を始めて3ヶ月目頃、場所はセルビナという汽船も立ち寄る港町で。  旅に疲れた足取りで、砂まみれの体を休めにこの町に寄ったメイプル。  マウラから汽船で船酔いに疲れたテリミシア。  一つしかない宿に、たまたま同じ日同時刻に夕食をとりに食堂で同じテーブルを囲ったのが二人の縁だった。  その時彼女が言った言葉をメイプルは今でも覚えている。 『冒険者やってる方が楽しかったからね』  あれから数年の時が過ぎて、彼女は変わってしまったのだと思う。  ナニが、とは言わないし聞くまい。自分だってあのころと比較に出来ないほど変わってしまっているのだから。  時間は人を変える。それが判るようになっただけでも私は大人になれたんだと思って、それ以上の疑問はお酒と一緒に飲み込んで忘れてしまおう。  ただ、あのころの私は彼女の言葉に嫉妬を感じたのは確かだ。   あの言葉を言った彼女の目は船酔いと疲れでヘタった体とは裏腹に輝いていた。  お酒が入って饒舌になった彼女は色々話してくれた。  仲間との助け合いで見知らぬ大地を知ることが出来た。  私の発見がウィンダスの魔法の発展に微力ながらも力になって感謝された。  私の足取りをたどって他の冒険者が新しき大地に色々な発見を見付けてくれた。  今まさに成功しつつある彼女と、今だなにをするかも判らない自分と。  良いところの影にある挫折や葛藤を知りもしないで、屈折した嫉妬を彼女に抱いてしまった自分。  ウィンダスに行けば、彼女のようになれるのかも知れない。  ならばジュノに行くよりも先に、ウィンダスへいこう。  次の日、私はマウラ行きの船に飛び乗っていた。  苦い思い出の序章だったあの日。 「…あ、空っぽ…」  思い出に耽っていたのはほんの数十分の空白だったはずだ。なのに、気がつけばボトルの中身は空になっていた。 「どうする? あなたの部屋で飲み直ししても良いんだけれど」 「売れっ子が舞台で足腰フラフラになってたらマズイでしょう?」 「誰も今日が仕事だなんて言ってないわ。…少し込み入った話があるだけよ」  つまりそれは冒険者としての話? 「仕事の話だったら有料と言うことで」 「それは話を聞いてからね♪」  律儀にグラスとボトルを返却して二人はジュノの雑踏に消えていく。  ハデに着飾ったエルヴァーンと周りの目を気にしちゃあ居ない格好のミスラの組み合わせは、なんとも言えぬほど珍妙で。  二人とも、もう少し他人の目というのを気にしたらどうか。  ■e ナナー・ミーゴ著 『オトナの世界の歩き方』  さてはて一体全体どうしたモンか。  メイプルの家に二人揃って戻りドアを閉めたとたん、テリミシアの顔から酒が抜けた。  おじゃましますの一言も言わず不機嫌そうに大股で部屋を横切ると、どさんと大げさにベッドへ腰掛けた。  メイプルの方も作っていた顔を戻して台所へ。  ポットに水を入れて手早く火のクリスタルでお湯を合成、そのお湯で葉茶を蒸らしてカップと一緒にトレイに乗せてテリミシアにもっていってやる。 「あら、紅茶?」 「酒が入ってる話だったら、何処だって出来るはずでしょ? 違う?」 「…あなたってもっと軽いと思ってたんだけどね」  苦笑いながらカップを受け取り、ポットのお茶を注ぐと皿でフタをする。 「本当はウィンダス葉茶あれば良かったんだけど、私しか普段居なくて…。南方系葉茶のサンドリアティーなんだけど口に合うかな」 「ええ、どっちも美味しいから大丈夫」  皿を取ると、たちまち立ちこめる紅茶のにおい。 「で、仕事ってなにかしら」 「ウチの職場で傷害事件が起きてるのよ。今のところジュノのガードには客同士のもめ事ってことで隠しているけれど。仕事は犯人の捕縛。しかもジュノのガードに嗅ぎ付けられない形での解決を依頼するわ」 「物騒だわね」 「この仕事、合法で全部賄えないからね。知られたくない場所もあるのよ。報酬は10万ギルで。…できる?」  最後に一言付け足したのは、メイプルが難しい顔をして天井を睨んでいたからだ。 「私だけじゃムリだわね。最低知り合い一人一緒に潜り込ませてもイイなら。それと解決するまで住み込ませてもらえるなら」  メイプルの言葉にテリミシアは困った顔で、 「あの、ウチって泊まる所なんてないわよ?」 「物置のドア一枚挟んで娼婦宿と隣同士のクセしてなに言ってるのよ。経営者だって一緒でしょうに」  この言葉で目が点になったテリミシア。 「え…、ど、どうしてそんなコト知ってるワケ?」 「私はステージで踊れなかったからベッドの上で客と踊ってたってだけ」  その言葉がどういう意味をなしているかは、深く考えなくても判るだろう。 「子細は明日、お店で」  翌日まで話を飛ばそう。  とは言っても午後もいい加減過ぎた夕暮れ前、メイプルは普段とは全く趣旨が違った格好で街灯の横に立ちながら相棒を待っていた。  時間に少し遅れてきた相棒は、彼女の前でそこに本人が居るとは判らず周囲をぐるぐる見渡した後、自信のない顔つきでこちらを見る。 「なによ、その顔」 「いや…メイプルじゃない…って思ったジョ」  その相棒の言葉で不機嫌になったメイプルは紙巻きの煙草を捨てると、パンプスを履いた足で火をもみ消す。  煙草の行く先を見ていた相棒のタルタルは視線が自動的に足下に移動するわけで。  そこにはルージュ付きの煙草が数本。 「メイプルって煙草吸ってたっけ?」 「酒が完全に抜けてるとどうしてもイラつくのよ。ソレの代わりだから気にしないで。それより…クルジェこそナニその格好。お酒飲みに行く格好と違わくない?」 「そんなこと言われても、ムリだジョ! 『女性と飲んだ後ベッドインする格好』ってヘンな注文してくる方が間違ってるジョ!!」 「だらしないわねェ…ま、その帽子以外は合格点にしてあげるから。ほら、こっち」  ナニが合格点なんだと心で毒づき、先になって歩き始めたメイプルの後をつけながらタルタル、いやクルジェは彼女の格好を子細に観察する。  靴はさっきも言ったようにクリムゾンよりまだ暗いレッドの15cmレースアックパンプスに、全体的には赤と黒を基調としたベロア風素材で出来たツーピースのスーツを着ている。他にもアクセサリィから化粧まで子細は省くが、ある種の『完全武装』をしていた。 「これがメイプルだなんて誰も判らないジョ…」  ようはそれほど普段とのギャップが激しいと言うことなのだが。  待ち合わせ場所から歩いて数分、表通りから延びる数少ない枝道に入って突き当たりに近い広場にその劇場はあった。  ロンチェスター劇場、とその扉の上の看板には書かれている。  その隣には同じような素材の看板と扉がもうひとつ。  場所柄とその雰囲気に勘付くところがあってクルジェは帽子を目深に被り直し、メイプルに言う。 「オレっち、まだお子様だからこんな所入れないジョ」 「そのお子様を大人にしてくれる場所だと思いなさいよ」  手にしたバッグから煙草を取り出して、慣れた手つきでマッチを擦る。独特のにおいと瞬く炎、それに続いて煙草の紫煙。  舌先に乗る味を確かめて、メイプルはドアに手をかける。  劇場ではなく、その隣の名前がかすれて判別できないお店に。  蝶番が軋む音と、建て付けの甘くなった異音を発してドアが開く。  最低限自分が通れるだけの隙間をメイプルはこともなげにすり抜け、クルジェも中に入り手探りでドアノブを探す。が、タルタル用のは用意してなかったらしい。  そのままメイプルが閉めてしまった。  一瞬、外界の光がなくなったためか店内が真っ暗になった錯覚に襲われ、クルジェは少々途惑いを覚える。  一緒に入ったメイプルも同じハズなのに彼女はズカズカと奥へ歩き出してしまい、手探りのような状態で歩を進めるしかない。  それでもすぐに目は慣れて周囲が見えてくる。少々手狭なフロアに片手で勘定が足りるほどのテーブルがあり、窓が無く、灯り取りのランプが申し訳程度に置かれている。扉を背にして正面のカウンターやその周囲「だけ」は何とかまともな店に見える。  雰囲気と空気が違うのだ。  酒場なのだろう、とは思う。新旧はともかく設備はごくありふれた酒場のそれなのだし。  しかしそこにある臭いはアルコール臭よりもメイキャップ用のパウダーやら香水がハバを利かせているし、なによりこの時間から店内には女性がそこかしこに座ってこちらを見ているのだ。マトモじゃないのは一発で判った。  メイプルはその中を堂々とカウンターまで歩き、ハイスツールに浅く腰をかけると会釈すらしないバーテンダーに向かって注文をつける。 「私はフレンチカクタスで。それと、こっちのタルタルにはシャーリーテンプルを」 「シャーリーテンプルはノンアルコールでお作りいたします」  スツールにタルタル用が無く、仕方なく半ばよじ登る形でクルジェは席に着いたが、注文はメイプルが勝手にしてしまったし愛想のないバーテンも勝手にノンアルコールにしてくれた。  そのことが自分を除け者にされている気になり、彼の機嫌は悪くなる。  第一、シャーリーテンプル自体名前だけはしっかりとあるものの、中身は地方事にてんでバラバラなのだ。  そこまで考えて、まあ、と彼は思い直す。  バーテンはそれくらいの知識があると言うことだから、次は自分で好きな物を頼めばいい。  程なくして、二人にそれぞれカクテルが出てくた。  メイプルは灰皿を手元に寄せ、煙草をもみ消すとカクテルを一口、 「仕事の件で来たんだけど、今日長居する予定だから私がキープしていたボトルを出したいの。まだあるかしら?」  突然、笑顔になってバーテンに話しかける。 「…メイプルはここの常連だったのか?」 「ボトルのお名前といつ頃お作りになったものか判りますか?」 「二年ほど前、名前は…サムライロックだったわ」  メイプルはクルジェの質問に答えず、バーテンとだけ言葉を交わす。  と、答えると同時に背後から話し声が聞こえ始めた。…今まで無言だったか、もしくは短いやり取りしかなかったのに。  不思議に思って背後を振り返るクルジェだが、振り返ってみて驚いた。  いつの間にか背後に一人のミスラが立っていたから。そのミスラは開口一番メイプルに向かってこう言った。 「アンタ、誰なわけ?」  と。 「その日暮らしの冒険者よ」  カクテルを飲み干してからメイプルは言う。  相手をからかっているような、説明足らずの物言いはクルジェのよく知っている彼女のそれで。 「アタシが聞いているのはそんなコトじゃあ無いんだ。アタシの知らない顔がいきなりやってきて説明やら挨拶もナシに商売始めるってのはどういう了見だって聞いてるんだよ」 「あら」 「あら、じゃねぇよ」  トゲだらけの言葉とところてんのようなフニャフニャした言葉がクルジェの内蔵を刺激する。  横で関与するのをあきらめた彼は、自分のカクテルを飲みながらそっとため息を漏らす。  と、服の裾を引っ張られる感触に気がついてスツールの下をみれば、そこには一人のタルタルが笑みを浮かべて手招きしていた。  人差し指を唇にあてながら、手にしたグラスを軽く持ち上げる。  クルジェは少し考える。  ケンカに巻き込まれるのを覚悟して隣にいるか、彼女と安全な場所で知らんぷりを決め込むか。  クルジェは即座に後者を選んだ。 「マスター、オススメでいいから飲みやすいお酒あったらボトルで欲しいジョ」 「かしこまりました」  出されたボトルとグラス一つを貰って、そそくさと退散するクルジェ。  どーせ全部メイプルのおごりだジョ。  逃げ出せる口実が出来たのを良いことに奥へと退散する彼。ボトルを封切り、二人分をグラスにあけてカンパイ。 「あなた、あのミスラのお友達?」 「メイプルとは、LSの腐れ縁だジョ」  答えにくい事をイキナリ聞かれて、クルジェは苦虫かみ潰したようなシブイ顔で答えるが、彼女はそれをみてなぜか笑い出す。 「ああ、やっぱりカデナなのね、あの子。すっかり大人になっちゃってて、顔つきには面影あったんだけど自信なくて。声と話し方聞いてよーやく思い出せたのよ」 「カデナ?」 「カデナ・メイプルリーフって名前なのよ。知らなかったの?」 「いや、聞いたこと無いジョ」  意外な顔をされても、クルジェは知らなかったのだからどうしようもない。 「あの子ねー、ここに来た頃はホント凄かったのよ。なんか失恋しただとか風土病にかかって冒険者できる身体じゃなくなったとかすっごい荒れてて」 「普段のメイプルから全然想像もつかないジョ」  クルジェの言葉に彼女も「そうよねー」と相づちを打つ。 「昔とは本当、全然違う印象だわ」 「メイプルって自分のことはナンにも言わないジョ」 「そっか…。そうだ、アナタ名前なんていうの?」 「クルジェだジョ」 「今日メイプルと遊びに来たの? もしフリーだったんなら一緒に遊ばない?」 「え。あ、いや遊びに来たんじゃなくて仕事しに来たンだジョ」  いきなり名前を聞かれて話題があさっての方向、しかも遊ばないかと言われたらクルジェも流石に、驚く。  それにこの場合の遊びとはつまり、なんだ。大人の遊びってことだ。 「やだ、ここにある仕事って『春を売る』ってことしか無いわよ?」 「メイプルが持ってきた仕事だから詳しい中身なんて知らないジョ…」  顔を真っ赤に染めてクルジェはメイプルの方に視線を逸らす。すると丁度カラんでいたミスラがメイプルに向かって刃物を抜いたところで。  つられて見た彼女も神妙な顔つきになって、ささやく。 「…流石にこの状況じゃあ仕事の内容なんて、聞けないわね…」 「終わるまでお酒でも飲んでるジョ」 「止めなくていいの? あの子…けっこうウデっぷし強いのよ?」  そう言われても、クルジェは意にも返さず落ち着いた動作でボトルからおかわりを注ぐ。 「ケンカしてるときのメイプルに近寄ったらこっちが怪我するジョ」  クルジェの視界の端っこで二人の身体が弾けるように動く。  周囲のギャラリーから『あ』という声が漏れ、  突然こっちに向かってスツールが飛んできた。 「…」 「な、なんなの…」  壁にあたって床に転がったスツールを見て彼女は顔を青ざめている。  クルジェの見ていたところ、刃物を避けたメイプルがスツールを足で引っかけ振り回し、相手ミスラの顔面をハリ倒した後、勢いあまってこっちにぶっ飛んできたようだが。 「やーごめんごめん、怪我なかった?」 「あんなの頭に当たったら死んじゃうジョ」  豪快に笑いながらクルジェの方へスツールを取りに来るメイプル。  相手のミスラは床で失神したまま放置である。誰も助けようとしていないのは何故なのだろうか。  クルジェはそこだけ疑問に思ったが、メイプルがスツールと一緒にクルジェのボトル(メイプルのツケ)を持って行こうとするのを見てそのことを聞くのは止めた。  もちろん占有権は自分にあると主張するためだ。 「それはウチらが飲んでたボトルだジョ。持ってくなら代わりのボトル置いていくジョ」 「うちら?」  メイプルは目を丸くして聞き返してきた。  一体何処を見て居るんだろう。どうもこのメイプルと言うミスラはワザとボケている以外に天然も混じっているようだ。  テーブルの向かいを目線でメイプルに合図して、ようやくそちらの方にタルタルが居るのに気がついたらしい。 「あ、おひさしぶり」 「ええ、お久しぶりです」  そこで会話が途切れ、お互いが困った顔をする。 「このコ私がもらってもいいのかしら? なんか横取りしたみたいな気がするのだけど」 「クルジェって、まだ『した』こと無いみたいだからよろしくお願いしますね」 「っな、なに言ってンだジョ!!」  ブッ飛んだ会話の内容に面食らって、悲鳴じみた声を上げるクルジェ。 「え、初めてじゃなかったの?」 「やっぱりメイプルの方が良かった? 馴染みの顔の方がヤリやすいって本当なのかしら」 「そーいう遊びしに来たワケじゃないジョ! もう、メイプルが仕事する気がないならオレっち帰るジョ!」 「いやいやいや、帰られたら仕事できないし。ここは一つ落ち着いて」 「ならケンカしたりシモネタしないで仕事するジョ」 「仕事?」 「あー、えーと」  どこから話したもんだろう。 「つまり…お隣で仕事してるテリミシアとオーナーの依頼でここの用心棒っぽいことをしてくれと頼まれたのよ」 「あ、先週のアレかな。同僚の若い子が相手していた男に刺されたってことあったけど」 「それとオレっちが手伝う理由が見えてこないんだけど」 「タルタルってちっこいから男でも目立たず警備できるってだけ」  しれっと答えたメイプル。単純すぎる理由で言葉が見つからないクルジェ。  そして。 「あら、それなら私と一緒に居てくれると嬉しいな」  テーブルを回り込んでクルジェの腕に自分の腕を絡めてくる彼女。 「だって、タルタルのお客様なんて滅多にこないんですもの」  それこそ遊びじゃないんだけど、と思いはしたが口にはしないでおく。 「まあ、それでいいんじゃないかな」 「あ、すっげー無責任」  あさっての方を向いて頭をポリポリかいてるメイプル。  その視線の先にバーテンと誰かが、廊下の入り口で立ち話をする姿が見えている。  その二人がこちらを向いた。 「じゃ、ちょっといってくるから」  ふいっとそちらへ向かって歩き出す。  後ろでクルジェがなんか文句を言っているようだったが、聞いても仕方ないし。  知った顔に出来る限りの笑顔と「お久しぶり」の意味を込めて胸元で軽く手を振ってみせた。  ■e バレンモレン著 『帽子百選』  店の奥の一室。  メイプルがこの部屋に入ってから、すでに二時間が過ぎている。  室内には四人。  メイプル、クルジェ(後から連れてこられた)の二人に、オーナーであるヒュム女性のリザ、彼女のボディガードとしてエルヴァーンのイギラパウルという男。 「話は判ったんだけど…。私たちは何時まで居ればいいのかわかんないって事?」 「第一、そんな事件起こしてわざわざ『また来る』なんて言い残すのかも疑問だジョ」  リザが言うには事件のあった当日、その男は早い時間からこの店に来て酒を飲んでいたという。そして、客が一人二人やってくる頃になって女性と一緒に客室へ。  まもなくしてその女性の悲鳴が上がったのだという。  従業員や店の用心棒が部屋へはいると、刃物を持った男と倒れて血を流す女性の姿があり、男との格闘になったが、よほどの手練れだったらしくまんまと逃げた、と。  そして逃亡の際「こんな商売を続けるお前らが悪い、また来て今度は皆殺しにしてやる」と言い捨てていたと従業員が証言している。  正義漢ぶっているタダのバカか。  それとも過去に何かしらの恨みを持った人間の仕業か。 「従業員の証言は間違いないわ。複数人が言葉を聞いているのですから」 「でもそう言っただけ、っていうブラフかも知れないジョ」 「だから二度と来ない? そう高をくくって事件が繰り返された場合の事を考えて欲しいわね。ウチみたいな商売は二度目はダメなのよ」 「この商売、恨みとつき合うのは当然のリスクよね。ただ、露骨すぎるやり口で挑発してきたというのが問題なの。この手法で相手がどういった利益を生むか。それが何かを考えた方がイイかもね」  そこで一同会話が止まる。  一同とはいってもイギラパウルは始終無言で、たまにリザの言葉に同調して頷くだけ。 「そうねぇ、同業者の妨害工作は?」 「一応、裏はとったけど全部シロ。ウソつかれてたら判らないわね」 「ジュノが遠回しで警告をしているとか」 「彼らがそんな回りくどいコトするわけ無いじゃない」 「本当に個人の怨恨っていうセンはどうだジョ?」 「目撃者の証言とその時作った似顔絵を全員に見せたけど、そんな客を過去にとった人間は知ってる範囲でゼロ」 「従業員の知り合い…ってのも自動的に省かれるわよね、それだと」  手にした資料を机にもどして天井を振り仰ぐメイプル。 「ここの知名度ってどんくらいなんだジョ?」 「ジュノの衛兵が月イチで視察名目の強制捜査を入れるくらい有名」 「…メイプル、良くわからん例えは止めるジョ」 「つまり、知ってる人間は知ってるのよ。人が集まる場所は集まった人数分噂になるわ」 「じゃあ、バカが勘違い正義振りかざして乱入しても不思議じゃないジョ?」 「過去に問題起こした人間は似顔絵描いて、入り口前で見張ってる人間にチェックさせてあるから滅多なことはないのだけれど」  後ろで自信たっぷりに頷くイギラパウル。  さっきから不動の状態でいる彼にメイプルは冷ややかな視線を向ける。 「なら、次からもソレでイイじゃない。今更冒険者雇って警備させなくても」 「アナタみたいに強い人間ばかり居ればね。さっきウチの若いのブチのめしたじゃないの。あれ、一応警備員で雇った冒険者なのよ」 「あれま」 「どーりで仲間意識薄いと思ったジョ」 「それに、ここの事をよく知ってるからアナタを頼んだってのもあるわ。あのミスラじゃ一寸ね」  半眼になって呟いたその顔は、期待して損したという意味があるのだろう。 「強い人間って言葉で気がついたんだけど、男は相当強かったらしいじゃない。具体的にどれくらいか判る?」  メイプルが資料の中から似顔絵を取りだして、紙の端っこをつまんでぴらぴらと振る。 「ここにいる彼曰く、あんなに強いのはジュノの中でもそんなに居ないって」 「…おかしいわね、ンな手練れなら冒険者やってたら有名人よ。…アンタがヘボじゃなければだけど」  一言付け加えられて、流石に表情が険しくなるイギラパウル。 「ま、強いから一人だけここで護衛してるんでしょうからね。私とクルジェが襲いかかってもムリって事でしょ」 「そう言うこと」  思案顔でテーブルに転がった鉛筆を取ると、似顔絵に文字を書き込むメイプル。  のぞき込んだクルジェが見たのは「4様」と書かれた文字。 「落書きは止めるジョ」 「ペ・ヨンジュンってちゃんと言えばいいのにね」  消しゴムで消して上から「ペ様」と書きこむ。  流石に呆れて椅子に座り直し、クルジェは自分なりに推理する。  無名の強い男が人目をはばからず白昼堂々犯罪を犯す。  行動と言動からして相当オツムがアレしちゃってるか、そう見せかけた知能犯。  強い冒険者が無名っていうのは常識的にあり得ない。この業界が冒険者にベッタリというのを常識として考えれば何処かで絶対顔はばれるはず。  天晶堂の差し金とも考えられるが、それはそれで違うアプローチの仕方をしてくるだろう。こんなチャチぃことはしないと思う。  …あそこを怒らせたら、団体でオッカナイ人がやってくるだろうし…。  うーん。 「ここを店の信用問題以外で潰すとしたら、どういう手段があると思うジョ?」 「一番キツイのは非合法な事をしているのがジュノにバレて、私が捕縛される事かな」 「メイプルならお店で暴れた後、ガードがここを捜査できるようにどう計画するジョ?」 「んー、ここで身元が確かな死体の一つでも作って、ガードが介入できるように理由でっち上げる…かな」 「それは…確かに効果的だけど」 「ただね、ここにいる人間って身元があやふやなのが多いのよね。だから一番確実なのは身元がしっかりしていてガードが緩い人物を見つけ出すか、死体の身元を証明できる内部の人間が裏切る形で事を進めるけどー、私なら手っ取り早く後者かな。前々からこちら側の人間を潜り込ませるのもめんどいから、お金で抱き込んで。一番良いのはお店無くなってもあまりダメージを受けない…そーね、元々冒険者が本業っていう人間」 「それってメイプルとオレっちがバッチリ当てはまるジョ」 「まーね。でも知人が殺されて、その犯人にお金で抱き込まれる人間ってのはかなりの外道じゃない? だから私の考えじゃちょっとムリよね」 「なるほど納得だジョ」 「こうして考えても、一向に相手の手段が見えてこないのは胸くそわるいわね」 「結局は相手がアクション起こしたところを捕まえるのが一番だと思うけど」 「ソレだと相手来るまで用心棒の真似事しなきゃダメじゃん。だから会議してるんだし」  再び黙る一同。 「まあ、仕方ないわね。試しに一週間、とりあえずお願いするわ。それ以降は追加料金で延長させて貰ってイイかしら」 「異存ないジョ」  クルジェに続いてメイプルが了解するのを待って、リザは席を立つ。 「なにか気がついたり見付けたら直ぐ連絡を頂戴」  そう言い残して、二人は部屋から出て行く。残ったのはメイプルとクルジェ。 「私は色々嗅ぎ回るから、クルジェは酒場の方でみんなのガード役おねがいね」 「なんか物騒だし、仕方ないジョ」  何時解決するかわからない、つまり出口の見えない仕事の始まり。  戻る途中でメイプルは思う。「ババ引いちゃったかなー」と。  クルジェが酒場の警備を始めてあっという間に四日が過ぎた。  その間、メイプルは酒場の内外を歩き回り、情報を集めようと必死になっていたのだが。  事件らしいこともなくまた、目撃と似た男性が来ることもなくただ、待つだけの時間。  その四日間に判ったこと、あったことと言えばここで商売をする女性は決まって店に来るとバーテンにカクテルの名前が入ったボトルを出して貰い、オーナーに用があるときはシャーリーテンプルを注文していた。  しかもそのカクテルがノンアルコールで出来てくるとオーナーは不在、と言う決まりらしい。  なるほど納得。  初日にメイプルが勝手に注文決めたのはそのためだったのかと。  それにこの方式だと、いきなりルールを知らない人間が勝手に商売するのも防げる、と。  簡単だけどまあ、それなりに便利なんだろう。 「どうかしたの? なんかぼーっとしてるみたいだけど」 「い、いやなんでもないジョ」  今クルジェの隣には初日一緒に飲んだタルタルの女性、キュレレがくっついている。  彼女もまた商売でここに来ている一人なのだが、クルジェがここに居るときは客も取らずにぺったりと。  クルジェを一目見て気に入った彼女、毎日ここに来ては奥の台所で手作りの昼食やらお菓子だのを彼に作ってくれている。  冷静に考えれば年齢差はそこそこあるのではないかと思うが、なにせあの容姿だ。  傍目からみてまるで判らない。  それにちっこいのが二人だ。一人よりは確実にこの酒場の特性上自然になる。  元々、客をとるのが少なかった彼女は他の仲間ともめ事になることもなく、むしろその面倒見の良い性格が幸いしてまとめ役となることが多かった。  それに事実としてこの酒場では最古参のひとりでもあり、ただ一人のタルタルなのだ。  クルジェが居ないとき、彼女から発せられる「文句は言わせません」という種のオーラが周りを黙らせているというのも、ある。  そう言ったのも含めて周囲から不満はあがらなかった。  今もメイプルや他の女性が客引きやらサービスやらで行ったり来たり、忙しそうに動いている横で二人はマイペースで雑談に花を咲かせているわけだ。 「そう言えば、メイプルってなんで他の人から文句言われたりしないジョ? 護衛の仕事で周りと歩調合わせるためとはいえ、こんなに仕事してたら普通文句出ると思うジョ」 「そこそこ古株で顔と性格知ってる人が多いからかしらね。今ここで働いているベテランの半数は彼女の後輩ってことになるだろうし。文句なんて言えないわよ」 「そういうキュレレはメイプルの先輩ってことになってるジョ」  言われて、彼女は笑いながら答える。 「でも私の方がカデナより年下なのよ? それに客を取れないわたしが先輩面できるわけないじゃない」 「信じがたいジョ」 「カデナに聞けばわかるわよ〜。聞いてみる?」  言うが早いがキュレレはすばやく席を立ち、個室に移動する女性と客の間を割って通り接客中のメイプルの尻尾を掴んで文字通り「引っ張って」来る。  こんなことを簡単にやってのける自体、すでに「先輩面」してるのだが、はたして本人はそのことに気がついているのだろうか。 「なっなっな、なにするにゃー!」 「ハイハイハイ、カデナちゃん落ち着いて。ちゃんと答えれば逆転優勝の大チャンスなんだから」 「優勝賞品はなによ…」 「クルジェさん♪」 「そんなの…必ず優勝してゲットしてキュレレさんに差し上げますからナンでも聞いてくださいッ!」  またノロケてるとおもって半眼で睨んだメイプル。が、笑っていたキュレレの口端に背筋を冷やすなにかを感じてしまった。  自然と口調がかわって背筋が伸び(猫背なのに)直立不動で敬礼をキメてしまう。  キメてしまってから、不自然なことに気がついて呆然となるがもう遅い。  時既にキュレレは満足げな笑みを浮かべていたのだから。  当然、クルジェは呆れていた。 「素直でよろしいです。では質問。私とカデナさん、年齢差はいくつ?」 「なんでそんなこと聞くワケ?」 「クルジェさんが私がカデナさんより年下だって信じてくれないから」  言って頬をふくらますキュレレ。 「そりゃ信じられないジョ」  と、クルジェ。 「私が今26でキュレレが23のハズだケド」  と、メイプル。 「うそだジョ!」  と、クルジェ。どうにも信じたくないらしい。 「だって、キュレレって17の時からここで…あー、元々は雑用のアルバイトしてたんだけど、まあそれくらいの頃からいるのよ。私がここに来たのは21の頃だからそのとき18で一年先輩ってことにはなるのだけど」  当然といった顔のメイプルとキュレレ。愕然となるのはクルジェだ。 「ってことはオレっちとそんなに違わないってことかジョ…」 「まあ、私が年取りすぎって言えばそれまでざけどさ」  呆然としてるクルジェの肩を叩きながらニガ笑うメイプルがそう言う。 「流石に若い子には色々負けてる部分があるって、実感してるしぃ」  その部分がナニなのかはあえて言わずに、胸を持ち上げるように腕を組み直して、ドッカとタルタルサイズのテーブルに腰を下ろすとクルジェをメイプルは見た。  キレイに流し目を決めて、躰をくねらせてチラリズムを多用した仕草は相手を挑発するのに十分すぎる威力のハズだ。  これで誘いの言葉でも言えば、それでほぼカンペキに大抵の異性はオチるのだが、それをクルジェにやるのは遊んでいるからであって。 「オレっちにやっても意味ないジョ」  とまあ、至極冷静に返された。  そんなことがあってから、3時間後。バカやった事の反動か、いきなり状況が動いた。 「う、うをぁああっ!?」  ごとん、ばたん、ガタガタ等の尋常無い物音と、野太い声の悲鳴が上がる。  男の。 「たっ、たっ大変っ…ダ!!」  完全に動転した声を上げ、足をもつれさせながら半裸の中年男性が階段を下りてくる。 その男の顔はメイプルも何度か接客した事もある男で、記憶をたどれば結構な常連だったハズ。 「人が、死んでッ、るんだ、早く!!」  その言葉でその場にいた誰もの顔に緊張が走る。  クルジェが一番初めに言葉に反応して、個室へと続く階段を駆け上がっていった後を追いかけるようにその場の全員が動く。  だがそのなかでただ独り、メイプルだけはケロっとした顔つきで居た。どーも男の悲鳴は彼女の気を急かすポイントではないらしく、他の大多数の(従業員が大半なのだが)野次馬と連れだって、用心棒らしからぬ緩慢な動作で悲鳴が聞こえた部屋をのぞき込む。  しかし、入り口を覗いただけでは判らなくて、尻込みする他人を押しのけ我が物顔でズカズカとベッドを置いてある位置まで入り込んでみる。 「…あらまぁ」  それがその場を見て彼女が持った感想だった。  乱れた寝具はたっぷりと被害者の血液がしみこんでいた。  そのほぼ中央、被害者の女性は着衣を纏わない姿で動かなくなっている。  とりあえず脈と呼吸を診てみるが。  自発呼吸なし、脈拍微弱と言うよりもうそれは脈と呼べる代物ではなくて。  当然心停止状態。 「…うーん」  メイプルは考える。  どうしたらいいのだろうか。 「これ、このまま死んだと言うことにしていいのかにゃ?」  メイプルの非道い言いように、当然野次馬(というか、従業員)が反発する。  …助けたら尊敬されるのかな。  思い付き、メイプルは彼女を治療する上で邪魔な物を払いのける。  そして傷口の確認。  それは見事な切り口で、彼女の肋骨のスキマを右から左へ傷口は貫通していた。  軸線上には丁度心臓があって。  彼女は発見当初横になって寝ていたが、刺されたときもおそらくその体制だったのだろう。  熟睡している時に鋭い刃物で上から一突き、心臓を切り裂いて彼女はおそらく目が覚めたと同時に急激な失血(血圧の喪失)で気絶したと思われた。  こりゃー、ケアルじゃどうにもなんないわぁ。  なら、どうするのか。 「レイズ〜」  ファイトー、イっパぁあああぁツ! である。  まず、損傷した部位を修復する。体内に流れ出た血液はその時点で出来る限り、血管内に移動させる。流出して不足している血液は取り急ぎ全身の血管を収縮させ、それでも足りない分は早く作れと身体を急かす。  そうやって何とか、彼女は自発呼吸を取り戻す。 「まあ、死んでなきゃどうにもなるのよね。実際」  傍目あっけなく蘇生完了してしまったせいか、野次馬も目を覚ました被害者も何処か呆けた顔でメイプルを見ている。 「でもまあ…」  メイプルも彼女を見て一言。 「血まみれの裸もなんというか見方によってはエッチですにゃーねぇ」  その場が白けた以上に、この一言で誰もメイプルを尊敬するのを止めてしまったわけで。  ■e アヤメ著『礼儀と作法のイロハニホヘト』  暫くして、ジュノの衛兵ご一行様が、事件を調査しにやって来た。  被害者の彼女は出身がサンドリアらしく、サンドリア大使館に派遣された冒険者も居た。 「…つまり、第一発見者の男性の悲鳴で駆けつけて、彼女を治療したのが、その…あの…」 「なんで、私の方を見ないで喋ってるニャ」  眉間に深いしわをよせ、こめかみに青筋をたてつつ全くあさっての方向を見ながら喋るヒュムの女性。 「彼女は我々と同じサンドリアの冒険者で…ええと…」 「私の名前がそんなに言いたくないのかニャ」  今にも筆記具をブチ折りそうなくらいに力を込めて握りしめているミスラの女性。 その二人がメイプルのツッコミに深いため息で、返事を返す。 「はあぁ…」 「ふぅー…ぅ」 「そんな、テレる歳でもないだろニャ」  ばん。 「ぐぎにふぅありゃぉうごひぁぃ!!」  床を踏みしめる音と、メイプルのあり得ない悲鳴があがる。 「礼儀の知らないバカの名前はいいたくないのよ、わかった?」 「同じ種族なのが恥ずかしい…」  頭をおとして首を振るミスラと、火のついたタバコをもみ消すような足のヒネリを効かせてメイプルの尻尾を今だ踏み続けるヒュム。 「アルティもライズにゃんも薄情にゃあ…」 「…お知り合いで?」 「非常に不本意なのですが…同じLSのメンバーです」  ガードのジト目を受けて心で涙するライズ。 「不本意なのはこっ」  ぱきゃっ。 「ぶぺ」  言いかけたメイプルの顔面にライズの右フックがキレイに決まる。  かなり大げさに吹っ飛ばされて、脇にあったベッドに顔面から突っ込んで。 「ぎにゃー!!」  そのベッドは、さっき血をたっぷり含んだあのベッドだったりもする。  いまだ乾いてない血糊がメイプルの顔一面に付着して燦々たる有様に。 「…あ、血も滴るいいオン」  ごしゃっ。  花瓶を頭部で受けて、ようやく沈黙したメイプルだった。 「…二人ともヒドイ…にゃ…。踏むわ殴るわ、あげくに花瓶だなんて、私バカににゃる…」  気絶したメイプルを二人は無理矢理たたき起こし、こう言った。 『血糊あらってマトモな服を着てきなさい。さっさとしないと、アンタの皮を剥いでチョッキを作ってアンタに着せるわよ』  と。  目がマジだったので何も言い返せず、メイプルは血に濡れた露出バツグンの服を着替えるのとシャワーを浴びに、用意された自室に引き下がった。  沸かしたお湯が丁度いいのを確かめて、棚の上にある水桶にお湯を移す。  その水桶からは銅管が伸びていて、簡単なコックとシャワーヘッドがついている。  そういえば、バストゥークでは水くみポンプの小型化に成功したとかで、個人の家にもポンプがつくようになったとか。  そんなことを思い出しながら、べつに小分けしたお湯を使って石けんを泡立て始める。  ほどなくしてメイプルの体はシャボンだらけに。  もういいかな、と思う。  実のところ、血糊をおとすだけなら洗うのは上半身だけでよかったのだが、クセか反射で全身洗ってしまったワケで。  シャワーのコックをひねって血糊と石けんを洗い流し始めた。  あー、あったかーい。  目をつぶって顔からシャワーを受けて、へらへらと笑ってみる。  湯船につかるよりこっちの方がメイプルには贅沢をしている感があって好きだった。  お湯を垂れ流しで使うのが贅沢、というのが本人の意見。  湯上がりの上気した身体のホクホク顔で戻ってみると、丁度アルティ達は帰るところだった。 「あれ、帰っちゃうワケ?」 「調べることは全て終わりましたからね。かなり不本意な結果でしたが」  ライズをメイプルは引き留め、半ば強引に廊下のすみっこに連れて行く。 「犯人の見当ついたかニャ?」 「いいえ。被害者の恋人と言っていた男性の話ですが、疲れて軽く眠りについていたところ、ベッドが軋む音で目が覚めたと言ってました。その時にはもう、彼女はメイプルさんが発見した状態だったそうです。つまり誰も犯人の姿は見ていないそうなんですね」 「ふーん、残念にゃ」 「ところで、メイプルさんはこちらで仕事をしているのですか?」 「うん。半ば住み込みの形で酒場のウェイトレスのバイトしてるニャ。モグが実家に帰っちゃってて遠出の仕事できないからニャ」 「そうですか。…あまり羽目の外した仕事はしないで下さいね。ここの宿は最近ガードの巡回強化区域に入ってますし」  そう言い終えると、ライズは去っていった。   「と言うワケなんニャ」 「もう猫かぶらなくていいと思うジョ」  初日に会議の場所となった個室に、当日と同じメンバーが集まって再び会議である。  流石にメイプルも眉間にしわが寄った、どーにも苦い顔つきになっている。  事の成り行きをうつむき、黙って聞いていたリザが顔を上げる。 「つまり、今回の場合は犯人の顔はおろか声や気配すらなかったというわけなのね?」 「そうだジョ。オレっちが気になるのは何故前回宣言したように暴れなかったか、ということだジョ」 「部屋を出入りした痕跡は素人目にわかんなかったし、凶器もナシ。私が診察した私見だと、レイピアのような細身の長刀で刺されているはずなのにそんなものは部屋にないし」 「その客の男は?」 「殺人事件の容疑者にされたくなければ、口裏合わせて欲しいとユスったケド」 「素直に従ってくれたのが逆にアヤしくて、念のためオレっちの両親に尾行させてるジョ」 「ふーむ」  リザは二人の言葉を聞きつつ腕を組み、考えがまとまらなかったのだろうか、唸るだけである。 「…ジリ貧、としか言いようがないわね…」 「まあ、判ったことは天晶堂の仕業じゃない、ってことかな。彼らなら絶対こんな事はしないし。ジュノのガードか玄人の個人による復讐か」 「そうね、その二つに絞ってみるしかない、か…。ホントに判ったのそれだけ?」  明らかに不満そうな眼差しで見られるのはメイプルだって居心地が悪い。  確信が持てるまで黙っておこうと思ったリストから、確定要素の高くて当たり障りのない範囲をバラすくらいはしてみるか、と思う。 「客観的事実と憶測くらいは」 「話して」 「個人の犯行の場合、姿を隠しつつ仕事をする方がリスクがすくなくてやりやすい。だから、第三者の目が届きにくい場所で仕事するのは当然。自爆野郎でも無い限り、集団に個人で挑むのはかなり…リスキーよね。ま、やり方だけど」 「ふむ。それで?」 「私の一方的な推理だと、初めに宣言した内容はブラフだと考えるわ。皆殺しイコール大量殺人だけど一人でやるには手数が足りないし、やっても長丁場。だから全員殺す気は毛頭無いわね。それでも宣言するからには別の形で全滅させるシナリオがあるから。たぶん最終的にはジュノのガードがカラんでくると思う。もう四日も似顔絵の男をジュノで捜してるのにでてこないのは隠している人間が居るからよ。十中八九ガードの構成員ね。冒険者同士で囲い合ってもボロは出るだろうし」  そこまて一気に喋って、一息入れるメイプル。それを良しとして、クルジェが聞いてくる。 「じゃ、さっきガードが例外な早さでスッとんで来たこととかは関係あるンジョ?」  それは、そう。と頷くメイプル。 「そーね、通報したのも本人か潜り込んでる仲間か。あ、事前に犯行時刻を言っておいたってのはナシね。不測の事態で失敗して理由無くなったのに、ガードが突入してくるって馬鹿なこと起こる可能性があるから。私らが裏合わせ終わってないのに来たって事は、私らの意志決定は無視されてるし。たぶんこれからも同じような形で事は進むわね」 「つまり、客と寝ているか独りでいる人間が狙われると?」 「ソレが確率としては一番高いわね。でも私ならそうみせかけておいて、仕上げに酒場で無差別に殺しちゃうこともするわね。人数は複数であれば何人でも、出来るだけ。その場でガードが飛び込んできて全員拘束、犯人共々わたしらもご用と」 「それは…」  言いかけてから合点がいったのか、リザは言葉尻を急に窄めて口をつぐんでしまう。 「その場の全員が取り調べられたら、そのうちの何人かは言っちゃうわね。連中はそれも狙ってる可能性があるわ。だから、そうならないように誰も傷つけられず犯人を取り押さえる」 「それでオレっちはずっとあそこにいたんだジョ」 「ま、今判ってることと言えばそれくらいかな」 「わかったわ。そうね、今の話から私が出来るところはこちらで考えて対応するから、貴方達はそのまま続けて頂戴」 「わかったジョ」  そう言い残すと、これまた初日と同様リザは護衛と共にドアの向こうに消えていく。  そしてまた、二人だけの部屋に。 「で、めいぷるは共犯が居るっておもってるジョ?」 「自信ないけど、多分居るわね。進入経路も隣からだろうし」  指さすその壁の向こう側。その先はいつぞやメイプルが言っていた、物置のドアから行ける劇場だ。 「ま、どうやったか大体見当はついてるし」  言って席を立つ。 「じゃあ次は現行犯でつかまえる自信あるジョ?」 「あぁ、それは色々根回しすればできるわ。その前に…ちょっと私出かけてくるわね」 「何処行くジョ?」 「アルティに探り入れるついでで、私の定期検診。ンじゃ、またね」  ぴらぴらと手を振ってメイプルは酒場へと戻っていった。  ■e オールル著『医武二道の先に 〜赤魔導士限界への挑戦〜』  先ほどからまた風が強くなり、黄砂が憔悴しきった私の顔にはりついて来る。  もうかれこれ発病して、倒れ込んでから…いや、正確には発病して休めそうな岩陰に身を寄せてから二日が過ぎている。  タロンギ大峡谷の砂は角があり、粒子の度合いがバルクルム砂丘と比べて倍ほど大きい。  その砂は時折吹く強めの風にのり、冒険者の皮膚に細かい傷を付ける。  もちろんそんな砂のある場所で転べば、イタイで済まない。なので、ここいらを旅する冒険者などは通常のデザート装備に加えて、不意の転倒から手と関節をまもる厚手のミトンやパッドを装備し、また目を守るためのつばの広い帽子を被ったりしている。  それだけ重装備になっても、この峡谷を旅する冒険者はこの場所からなるべく早く立ち去ろうとする。それは何故か。 「日射病にも似た頭痛と気だるさ、が、でてくる。その次は…熱。高熱がでる。その熱で意識を失い…死に至る…。生きていても、躰、は、元にはもどら、ない」  日が西に傾き、気温は下がってきたにもかかわらず、肺の奥底には熱が篭もり、吐息は自分でも驚くほど熱い。  途切れ途切れになりながらもつぶやきは来だした言葉は、以前聞きかじった「タロンギ熱砂毒」と噂されている病気の症状だ。  病名は正式名称ではない。が、熱病のことはかの有名なエニッド・アイアンハートも自身の書記に明記しているほど有名な物だった。  水筒の水はすでに無くなり、今は周囲に自生していたサボテンの皮を剥いで、飲み水代わりにしている。  食欲は、ない。  今日丸一日朦朧となり、気を緩めれば途切れてしまいそうな意識をつなぎ止めるのに、体力の殆どを使い果たしたメイプル。  沈みゆく太陽が自分の人生の終焉のような気になって、何故か悲しくなってきた。  何故、生きてきたのか。  先に逝ってしまった、仲間や友人達に生かされてきたと思ってきた。その自分が今死にかけている。  今自分が死ねば彼らは何のために死んだのかが判らない。  死ぬ理由がわかるまでは死にたくない。  それが今のメイプルを支えていた。 「はい、右手上げて」  アルティに声を掛けられ、ぼーっと過去を反芻していたメイプルが我に返る。  彼女は何時もアルティの診察を受けるとき、過去の自分を思い出すのだ。 「にゃ」 「次、左手、はい、そのままの位置で止めといてね」  手際よく自分の手に塗り広げた軟膏をメイプルの腕に塗りつけながら、アルティは彼女の筋肉を調べていた。 「はい、もういいです。で、リハビリは続けてる?」 「うん。毎日一時間、言われたとおりにやってるニャ」  金属ボウルに張った水で手を洗い、カルテに経過と様子を記入する。  改善の兆候なし。リハビリ継続。  ペンを置き、メイプルの顔を見れば、どこか気の抜けている表情で。 「視力も戻ってないんでしょ?」 「うん」  ふぅ。  タロンギの熱病は発症した人によって、後遺症の度合いが全然違うのが特徴だった。  メイプルの場合、視力の低下と上半身、特に両腕から先の筋力と握力が低下する後遺症が残って。それと、 「あぁ、それと生理は来るようになった?」  アルティの問いにメイプルは頭を垂れて首を横に振る。  つまり、それは。 「べつに、子供欲しいなんて思ってないニャ」 「そう言うこと聞いてる訳じゃないわよ」  メイプルの言葉に口端にヤケとも諦めともとれるトゲを見付けて、ついアルティも言葉が荒くなる。 「元の身体に戻そうと努力してやってるわけでしょ。アンタその手と目のせいでこないだカザム行ったときになんて言われたか覚えてるでしょ?」  そうなのだ。  カザムに行ったメイプルは地元のミスラに、狩りも漁も出来ないヤツだと馬鹿にされていた。  視力と握力。この二つが欠けるとミスラが得意と言われている一般的なジョブの狩人・モンク・シーフ・忍者等の仕事ができない。  その出来事があったから、メイプルはアルティに治療をお願いしたのだ。  アルティにお願いしてから、少しは良くなったと思う。  以前はナイフを持って調理する、と言うときに硬い物の皮むきなどが出来ないほど握力が弱かったが、今ではそれもなんとかこなせるようになった。  視力も左右が違っていたのがだいたい同程度まで回復したのだ。  だから、この先良くなることを信じてもう少し頑張ろう、とアルティは言っていた。 「…ごめんニャ」  下を向いたまま、謝るメイプル。 「ったく。もういいわよ。アンタが凹んだときはボコボコに凹んでるんだから、これ以上言っても無駄だって知ってるし。それより、来たときに言っていた知りたいことってなに」  デスクのカルテや薬剤を片づけながら、アルティは聞いてみる。 「ん。ほら、今朝ジュノのガードと一緒にウチのバイト先に来たでしょ? で、ウチらの間で噂になってるんだけど、私らを逮捕するためにワザと事件起こしてるって、ホント?」 「ああ、その事ね。…まあ、あんなとこでバイトしてるアンタもどうかと思うんだけど」 「アブナイの?」 「ガードのお世話になりたくなかったら、さっさと…そうね、今日にでも辞めるべきよね」  診察道具を一式きれいにかたづけて、温くなってしまったお茶をひと飲み。  視線をメイプルから外して、アルティは続ける。 「詳しい話は私も知らないけど、目の上のたんこぶ的に邪魔なものだったら、普通早く取り除きたいのは人間の心理じゃない?」 「ふに」  正論で言い切られてしまえば、メイプルもただ頷くしかない。 「聞きたいことってそれだけ?」 「えと、うん。ありがとにゃ」  メイプルも帰り支度ができてしまい、それ以上聞くのも逆に手の内をばらすような気がして、諦めるしかなくなって。 「それじゃ、帰るにゃ」 「ほい。また来月ね」  手を振って、玄関まで送ってくれたアルティの姿がドアの向こうに消える。  ガードのお世話に、か。  予想していたとはいえ、改めて言われるのはちとツライ。  しかもさっさと辞めろとは穏やかじゃない。  多分、彼女もある程度の口止めはされているのだろう。それでも時間まで教えてくれたのは私のためを思ってくれたのだと、会話を反芻しながら考える。  仕方ない。もう少し後で使う手だったのだけど、この際出し惜しみはナシと。  ■e ピエージェ著 『犯罪者とは』 「クルジェ、今からひとっ走りして隊長とゆーらさん連れてきて」  メイプルは戻って来るなり、酔っぱのキュレレにキスマークだらけにされたクルジェをつかまえ店の角へ引きずって耳打ちする。 「…この顔で行くのはムリがあるジョ…」 「ンなもの洗って落とせばいいのよ。いい? 明日、明後日には確実に来るわ。だから、こっちも確実に押さえたいのよ。説明とやり方はあとでするから、早く」 「わ、判ったジョ」  メイプルのマジ顔にビビってクルジェはぶんぶんと首を縦に振る。  それでいーのよ。さっさとしなさいよこの2.5等身。  そう思われてるような気がして、クルジェは台所に行きかけた足を止め、肩越しに振り向きメイプルを盗み見る。  こっちを半眼でニラんでた。  あーもう、ここに来てから女運が最悪だジョ。  あわてて駆け出す、クルジェ。  彼はそのまま水と石けんだけで顔を洗い、当然のごとくルージュが完全に落ちない状態で店を飛び出し、両親であるところのトーフとゆーらに顔のことを指摘され、あげくリンクシェルでその事をメイプルに聞かれたと同時に、たまたまLSに居た全員に聞かれてしまうという赤ッぱじの連鎖にたたき込まれてしまった。  そして、帰って来るなりメイプルに呆れられた。 「なんで、メイク落とし用のクレンジングオイル使わなかったのよ」 「そんなものあるなんて知らないジョ!!」  散々からかわれたクルジェは顔を真っ赤にして、叫ぶ。  しかし、後ろに自分の両親が居るのを気にしてかいつものようにメイプルに食って掛からず、おとなしくなる。 大人しくなったついでで、彼の両親、トーフとゆーらがキュレレに挨拶している会話が聞こえてきた。 「え、それじゃあクルジェさんは私にいただけるのですね♪」 「まあ、本人が良いって言うんだからウチらが言うこと無いしナ」 「オレっちは商品じゃないって、毎回言ってるジョ!!」  いい加減叫び疲れてきたらしい。  クルジェの声は枯れかかって、じんわりと悲壮感も加味されていた。 「はいはい、漫才はこれくらいにして、打ち合わせするにゃーよ」  クルジェの苦労は知らんぷりのメイプルである。  三人のタルタルを引き連れて、例によっていつもの会議部屋で打ち合わせ。 「ということで、この通りよろしくニャ」 「まあ、いいんだけど…」 「ゆーらさん一人だけにしたらなんか、野獣を野放しにしてるのになんか似てるニャ」 「( ´_ゝ`) フーン」  器用に顔文字で会話するゆーら。どうしたらそんなことが出来るんだアンタ。  ともかく、準備は出来た。  あとはその時がくるのを待つだけだ。  一人になった後、メイプルは自分に割り当てられた部屋に戻って家から持ってきた服の中から動きやすいものを探していた。  とりあえずクルジェにはキュレレと一緒に酒場で待機、とーふとゆーらは一緒に物置に隠れて貰うことにして。  今日から全員必ずどんなときも一人にならないように、一人になりそうな場所にはリザが用意した用心棒を密かに配置するという風に徹底させた。  なのに今、メイプルはわざわざ一人になっている。  つまり。  微かに部屋の空気が動いた。  人の気配は感じなかったが、締め切った部屋で空気が動く理由は何か、別の誰かがこの部屋にいると言うことだ。  …まさかこんなに早く来るとは思わなかったけど。  そう思いながら気付いてないフリをして、相手が近づいてくるのをじっと待つ。  ミシ、とそう遠くない距離で床板が鳴いたとき、メイプルは振り返らずそのまま真横に飛び退く。  送り足が接地するのを感じて、今まで自分が居たところを見る。  予想では、そこに切り込んできた相手が居るはずなのだが。  そこには誰もいなかった。 「くそ、ッ!!」  横移動のベクトルを殺さず、身体を流して次に来る相手の一撃を見極めようとする。  とにかく今は、移動し続けること。  相手は足を止めれば確実に仕留められる距離にいるはずなのだ。  それでもそんなに広くない室内、すぐよこにカベが来る。  数歩のステップで身体の向きを変え、身体の正面を部屋の中心に向け、振り返る。  そうやって視界に納めた相手の身体は、とても小さく、一見子供のように見えた。  それは身を屈めて突っ込んでくる大人の姿。  それにようやく気付いたメイプルの眼下、今となっては何も出来ずにいる彼女の死角からの一撃は、下から上へと彼女の腕を貫通して抜けていった。  軽い音を立てて、身体から離れた腕が床で踊る。 「ッ、ぁぁあっ!」  声を絞り出してしまってから、メイプルはそれが失敗だったことに気がついた。  一瞬で乱れ始める呼吸が、身体の動作のリズムを無茶苦茶にしていく。  それに相手の手際が良すぎるのも手伝って、動作に追いつけない。  血糊と脂が乗った刃が風音を連れて向かってくるのを、上体の移動だけでかわす。 「しつこいっ!」  一瞬の判断だった。  防戦だけでは保たないと、戦いを感覚で覚えてきた身体が言ってくる。  その判断を神経の反射だけで了解して、一転攻撃に移す。  右すり足、体制を低くして足のバネを一気に使って相手の間合いに飛び込んだそれを相手は同程度のバックステップで詰めた距離を無駄に変え、繰り出したフェイントをメイプルは気にもせずもう一歩飛び込む。  目標は相手の喉笛。  それを自分の口で食いちぎる。  元々、自分の腕は接戦で役には立たないのだ。握力の落ちた手、思い通りにならない腕はこんな命をかけた戦では足手まといの他でもない。  相手を倒す方法として『それ』以外はとっさには思いつかなかった。足を使えば移動が滞るための苦肉の策。  だからこれ以外はナイだろうし、あるなら神様が意地悪してるだけだから、死ぬ間際に詛いの文句のひとつでも言ってやればいいだろう。  そう思い度胸一発、顔を突き出してもう一歩踏み込もうと腰を沈めた瞬間。  顔の真横に剣先が見えた。  あ、っと思った時にはそれは反対側に抜けていて。  軽い衝撃で頭が少し傾いた。その時には世界が朱色に塗り潰され、すぐ真っ暗になる。 「ぁ、が…」  両膝から力を抜いた。そして、そのまま顔面から床にくずれ落ちる。  そのまま。  数秒して相手が走り去る足音と床の振動がメイプルに届く。そして、扉を開閉する音も。 「いたたた…」  トドメを刺されなかったことに安堵しつつ、ゆっくりと身体を起こすメイプル。  残った右手を顔にかざし、ケアルする。  ため息がひとつ。  眼球ををやられただけで、それより深くまでダメージが行かなかったのはただ運が良かった。それと、相手の経験が浅かった。あの芝居に引っ掛かるのは殺すことに慣れていない素人だけだ。  素人?  ということは、一番初めにやってきた相手ではないと言うことか。  とりあえず目蓋やその周囲に血液がこびりつき、お世辞にも具合が良いとは言えないが、なんとか見えるようになったから良しとしよう。  落とされた左腕も治療して、着替えもそこそこに相手の後を追って廊下へと。  丁度その時、クルジェは例によって例のごとくキュレレに絡まれていた。  それでも、メイプルの叫び声がリンクシェルを通じて聞こえてきたので、慌てて廊下へと走る。そして、丁度階段を駆け下りてきたヒュムと鉢合わせになった。  手には細身の両手剣が一振り。  ヤバっ。 「お、大人しく捕まるジョ!」  言いながらこちらも片手剣を鞘から抜き出し、構える。  相手はクルジェの行動に躊躇もせず階段を駆け下り、クルジェの間合いに入ったところで…いきなりクルジェを飛び越えた。 「なー…」  悲しきかな、タルタルの身長ではヒュムの大人一人も足止めすることは出来ないらしい。  あわてて振り返るがもう遅い。男はそのまま階段を下り、酒場の方へは行かず廊下の奥へと駆けてゆく。  その後を追うクルジェ。  男は廊下の角を右手に折れ、そのまま物置の扉をくぐり、中へ。 「いらっしゃーい」  そこで待ちかまえていたのは、当然トーフとゆーら。  用意周到な事にその先、劇場へ通じる扉は荷箱で固定して、足止めもばっちりにしてある。 「チッ」  男は舌打ちひとつ、無言でゆーらへと斬りかかる。  タルタルというのは別にして、女性だからかそれとも彼女の武器が片手棍だったからか。  どちらにしても「弱い」と踏んだのだろう。  結局はそれが判断ミスだと言うことに、彼は反撃されるまで気がつかなかった。 「ほい、ヘキサストライク」  ゆーらが相手の攻撃を棍でかるく捌いて、イキナリそれもやり慣れた身体裁きでボコボコにぶん殴る。  よろめく男の背後へは、トーフがまわりこむ。 「この際、出し惜しみは無しナ」  阿修羅夢想拳。  言葉通り、出し惜しみもないが手加減もへったくれもない。  クルジェがその部屋に飛び込んできたときには、とっくに勝負はついていた。  ややしばらくしてメイプルも追っ掛け、とびこんでくる。 「あれ?」  メイプルが顔を出したのは荷箱で塞いであるはずの劇場側。  タルタル親子が目を丸くしてこっちを見てくるので、メイプルは困りつつも言う。 「これ、引き戸だから荷箱で押さえる側が逆にゃー」  聞いてませんから。そんなこと。  ■e ラガ・レッコー代筆 『ペリィ・ヴァイシャイ「友」』  取り押さえた男をリザに引き渡して、メイプル他三名は予定より五割り増しくらいの報酬を貰い解散した。  それでもメイプルはいきなり酒場から居なくなるわけにもいかず、クルジェと共にお馴染みとなった部屋の角、タルタル用のテーブルを囲っていた。 「で、ナニでたたきのめしたわけ?」 「ヘキサと夢想拳ジョ」 「それで連携、繋がったっけ?」  と、メイプルが疑問を口にする。 「夫婦連携だからなにしても繋がるって聞いてるジョ」  便利だな、オイ。 「それにしても、依頼が解決できて良かったジョ」 「根本的解決はムリだけどね。相手がジュノじゃあ…とりあえず、この店、一度たたむって話だし」 「え、そんなの聞いてないわよ」  驚いて声を上げてきたのはキュレレだ。 「あのあとリザがそう言っていたから、まず間違いはないと思うけど」 「でも事件は」 「とりあえず『犯人らしき人は捕まえました』だからね。しかもアレ、ガードに突き出すワケじゃないから『殴り込んできた輩を返り討ちにして拉致りました』ってことになるから、リザも拉致監禁の犯罪者ってわけだし。ほとぼり冷めるまで大人しくしてるつもりでしょ」  言い切って、ウイスキーのウィンダス葉茶割を一気に飲む。  キュレレの恨みがましい視線がメイプルに突き刺さる。  なによ。私のせいじゃないのよ、わかってよ。  心で言い訳しても相手に伝わらないのは判ってる。たとえ言葉で言っても、同じだろう。  そりゃ自分だってこの店が自分の居場所だった時代がある。その頃の思い出が丸ごと無くなるのは辛い。  だから、依頼を飲んで相手がジュノと知ったときも逃げ出さずにつき合ったのだ。  多分。  キュレレは昔私が感じたことのある痛みを抱いている。  だから。  キュレレの言葉を遮って言い切ったのだ。  言い出せば、終わりのない思い出話が恨みと一緒に出てくるのは…私だって同じだ。 「そうなったらキュレレはこれからどうするンだジョ?」 「そんなの今唐突に言われてすぐ答えられるわけ無いじゃない!」  ダン、とコップをテーブルに叩き付ける。  全員無言になる。  しばらくの沈黙。 「はいはい、皆話を聞いて頂戴」  酒場にリザの声がした。  何事かと、事情の知らない女達がリザを見る。  メイプル達もそれに釣られて彼女の顔を見た。 「今日でこの酒場は店じまい、ってことにする。ついさっきカデナがとっ捕まえた犯人がゲロしたんだ。『ジュノの偉いさん達がここを潰そうとしている』ってね」  ざわめく声よりも声を大きくしてリザは続ける。 「そりゃ私ら法律なんてくそくらえで商売してきたから、何かと睨まれることはあったけどね。流石に相手が本気腰でこられたら私らは逃げるしか手だてはないさ。残念だけど。なぁに、ほとぼり冷めたらまたここで皆とまた同じようにハデに商売しようとは思ってる。それだけは約束する。今までありがとうな」  静まりかえる一同。 「とりあえず、今日はこれで解散だ。隣にももう声はかけてきた。今月の売り上げはポストに送っておくよ。…また会おう」  最後に一言付け足したとき、リザは笑った。  とりあえずの作り笑いの中でも今までで一番だ。  笑った所を見たことがない、とよく言われていた。今年で四十を過ぎて自慢の髪に白髪が出来たと怒っていたこともある。  実は世の女性と比較して身長が高く、何時も隣に超長身のイギラパウルが居るのは、その身長をごまかすためだと密かに噂されていた。  色々な事があった。本当に。それはキュレレとメイプルもよく知っていたし、他の女性達もそうだろう。  店からリザの姿が消え、女性達も帰る支度を始めた。  無言で出て行く者、気の合う仲間と言葉を交わしながら連れだって行く者、最後とばかりに酒をがぶ飲みして笑う者。 「クルジェ、私は用事があるからさ。キュレレを家まで送ってあげなよ」 「メイプルの用事を終わらせて一緒に帰るジョ」 「いいから」  うつむいてコップを握りしめているキュレレを見て、メイプルは言う。 「私はすることがあるから。それに私は居ない方が良いから」 「メイプルのせいじゃないジョ」  首を振って、メイプルは無言で消えた。  人気もまばらになった店の中、クルジェはテーブルを挟んでキュレレの真正面に座り直した。 「あのさ、家に帰ったほうがいいジョ」 「ほっといてよ」  キュレレが握るグラスにはお酒はもう残っていない。  それでも、なにをするわけでもなくただ、それを握りしめている。  くやしくて? それとも、やるせなくて? 「ここが私の家なの。寝るために帰っている部屋はベッドと服以外なにもないの。ここにあるものが私なの。だから帰れなんて言わないで」  泣くのを堪えて絞り出した声は、震えていた。 「思い出は全部ここにあるのよ。この世界が終わっても、思い出はここにしかないのよ。集まる場所を取り上げられて、あとは思い出だけ抱いて生きろなんてそんなのイヤよ」 「でも、明日から誰も来ない場所で今までのように暮らすのはムリだジョ。そりゃ、ミンナ悔しいと思うけど、どうにもならないことが世の中たくさんあるんだジョ」 「なによ。知った口ぶりじゃない」 「よく知ってるジョ。オレっちだってホントの両親知りたいけど、未だに分かんなかったり色々あるジョ」 「あの夫婦の息子じゃないの?」 「年齢逆算したら一桁台でオレっち産んだことになるから、絶対ムリ、だジョ」  自分のグラスに残ったお酒をぞんざいな手つきで注ぎ足す、クルジェ。それを一口、 「みんなどうにもならない事があって、今を生きてたりするジョ。でも、どうにもならない事ってのは時間が経てばなんとかなる時が来るかも知れない。それを信じたり、どうにかするために努力してたりするんじゃないか、って思う。オレっちも、両親が見つかるまでは頑張ろうって思ってるジョ」 「…だから、今日は我慢して帰ろうってこと?」 「そうだジョ」  親指で目尻に溜まった涙をぬぐう。  そして、ため息。 「女の子を連れて帰ろうと思うなら、もっとウソついたり強引でも良いのよ?」 「は?」 「言葉だけで口説くのは初めだけでいいのよ。後は相手がその人のことを観察して、自分の好みにどこら辺が合ってるか、合格点に達してるか見極めるんだから。私に対しては腕を引っ張って連れてってくれる位してもいいんだから」  立ち上がり、笑って言った。 「ありがとう」  と。  二人揃って、外に出るとそこは夕闇に包まれ、街灯の明かりが自分の仕事を始めていた。  気温が多少下がり、潮の匂いがこの小路の空気に混じっている。  星明かりと欠けてもなお、地平の向こうにある日の光を映した月が眩しくて、地上はうす蒼く輝いていた。  そこに、音楽が響く。  帰ろうとしていた女性達が店の外で集まり、路地の一角に集められた楽器と、ヴォーカルの歌声に足を止め、聞き入っていた。  私たち、フィナーレを迎えてしまったみたいね  幕が下りる前に、私は会釈を一つ  生きている限り、このことは忘れない  それと、生きることの意味も  きっと大丈夫  なにもかも、上手くいくわ  すべていい方に進むはずだから  貴方は私をあっと言わせてしまった  今日、私の人生は変わってしまった  それで何もかも、うまくいくようになるのかしら  最後にもう一つ、ピアノが奏でる和音  最後にもう一つ、私は煙草を一服  締めくくりにもう一つ、皆に視線を送ろう  幕が下りる前に、私は会釈を一つ  これで何もかも、うまくいくはずだから…  たとえ私の捨て台詞が、貴方に届かなくても  私は叫び、ドアを閉めるしかないのよ  無意味になった時間が、貴方の罪だから  これで何もかも、うまくいくはずだから… ※sweet box everythings gonna be alrightの歌詞を引用参考しました  劇場で音楽を担当していた人達が総出で楽器を奏でる中、歌っていたのはテリミシア。  呆然としてるクルジェとキュレレにメイプルが寄ってくる。 「お店の再開が決まったら真っ先に教えるって約束するから」  目を真っ赤に腫らしてぼろぼろと涙を流していた。 「ごめんね。ホンッ、とにごめんね」 「メイプルが言ってたやること、ってこれなのかジョ?」 「うん。これくらいしないと許してくれないかな、と思って」 「…なんでメイプル自身が歌ったりしないジョ?」  びくっ、とメイプルが痙攣するように震えて動作が止まる。 「わ、私…音痴だから…」  それを理由にするのがメイプルらしい、といえはそれまでか。 「カデナ、私、一度故郷に帰ってみるわ」 「帰って家業でも継ぐつもり?」 「女手でつとまる仕事ならそうしてもいいんだけど、生憎とそうじゃないから顔見せだけ」  涙でぐちゃぐちゃになってるメイプルの顔。  それを見かねたクルジェがハンカチを渡してやる。が、メイプルはソレでいきなり鼻をかむ。 「…洗濯して返して欲しいジョ」 「新しいの買って貰った方がいいわよ」  笑うキュレレ。 「それじゃ、私は一足先に帰るわね。もし実家のほうに立ち寄るときがあったら、絶対に連絡頂戴ね」  小さい手を大きく振って、キュレレは挨拶をすると自宅へと走り始める。  クルジェがあわてて彼女の後を追い、二人の姿はすく曲がり角の先へと消えた。  音楽が終わり、女性達のざわめきがまた始まる。  遠くから潮の音。海風は穏やかになり、これから夜が始まるというのに、この店にはもう灯りが灯らない。  それが何時まで続くのか。  何時かはお店を再開する、と約束してくれたリザ。  今は彼女の言葉を信じるしかない。  皆の思い出のため、私が頑張った結果がこれ。報酬にと受け取ったお金と、天秤をつりあわせるにはもう一仕事…というか、確かめなくてはいけないことがある。  今、メイプルはテリミシアと二人でモグハウスへ帰る家路の道を歩いていた。 「お店、なくなっちゃったね」 「うん。私、冒険者に逆戻りになっちゃったわ」 「冒険者つまんないっていってなかったっけ?」 「…いきなり別なお店で踊るのも気分悪いじゃない。仕方ないと思うけど」  言って、途中の露店で買ったキノコの串焼きを口いっぱいに頬張るテリミシア。  彼女は仕草、容姿は美人なのだが性格と食事の仕方だけはあんまりよろしくない。  メイプルもそれに釣られて、串焼きを一口、 「そーいえばさ、今回捕まえた犯人なんだけど」  とそこまで言ってキノコを飲み込む。 「昔、どっかで見たことある気がするのだけど」 「へー、珍しいことあるのね。犯人の顔に見覚えあるなんて。…リザには言ったわけ?」  テリミシアの質問に、メイプルは首を振る。 「うんにゃ。テリミシアのLSメンバーの一人にそっくりだなんて言えなかったしぃ」  口に運ぼうとしていたテリミシアのキノコが止まる。 「今でも確証も証拠もなにも無いんだけど、偶然にしては出来過ぎているから一番最後にテリミシアに確認しておきたかったのだけど」 「…なにを?」 「付き合い深いわけでもないのに、今回の事件を依頼してきたのって…お店と比較的関係が深い私を殺して、芋づる式にお店を潰そうとしたんじゃないの?」  その言葉でテリミシアの顔が見る間に歪む。  メイプルをにらみつけて、怒りを顔に浮かべて。 「なにそれ。そんなに私を犯人と共犯にしたいわけ!?」 「じゃ、この質問にはきちっと答えて。ウィンダスから『派遣員』としてジュノに赴任したはずの人間が、どうしてその半年後にこんな場末の劇場で踊るハメになってるわけ?」 「し、仕事辞めたからにきまってるじゃない。なんで」  なんでソレを聞くわけ、と言いたかったのだろう。だが、言うより早くメイプルか口を挟む。 「派遣員ば仕事を辞する時、大抵ジュノと本国にお伺い立てるじゃない。そしたら最低でもその身分と身体は一年保留されるって聞いたことあるのよ。書類やら守秘義務の確認やら面子やら色々の理由で。赴任して速攻で辞めようとしても半年は異例の短さよね。それに、同じウィンダスから派遣されてる友人に聞いたんだけど、貴方今ミッション途中で不在だって言うじゃない。なんのミッションで何処に仕事行ってるのか教えてくれない?」 「…私にだって守秘義務ってのはあるのよ。言えないわ」  立ち止まり、最早こちらに対して敵対心をむき出しにしてきた彼女の視線。それを真正面から受け止めてもメイプルはそれをイヤがろうともしなかった。 「ホント、テリミシアって仕事に対してはクソ真面目なんだなーって、つくずく思うわ」 「なによ」 「いや。お互い仕事なんだから、これ以上終わったことを持ち出していがみ合ってもどうかなって思ったところ」  言ってメイプルは懐に忍ばせて置いたポケットサイズの酒瓶をテリミシアに放ってやる。 「?」 「お互い、お仕事お疲れ様ってことにしない? 私は犯人を捕まえる仕事、テリミシアは違法な酒場を廃業させることに成功しました、ってことで」 「あなたはそれでいいわけ?」 「そりゃ他人の気持ちとか色々なことを考えたら、許せない部分もあるわね。でもそう言うの全部、仕事以外までケリがつくまでいがみ合っても残るのは恨みだけでしょ。違う?」 「そりゃ、そうだけど」 「ならこれで良いじゃない。貴方の仲間が一人生きるか死ぬか。私の仲間が何人路頭に迷って生きるか死ぬか。そのことだけは私らじゃどうにもならない。それ以外はコレ飲んで酔っ払えば全部忘れられるわ」  自分の分も用意してあったらしい。  メイプルはキャップをとって、そのままラッパ飲みを始める。あっというまにミニチュアのボトルは空になってしまった。 「それじゃ、私はそのまま帰るわ。今度、仕事で一緒になった時はよろしくね」  ら〜らら、らー。るー。  ホントに音痴な歌声を口ずさみながら、メイプルはテリミシアを置いて歩いていく。  立ちつくしたまま、メイプルを見送った彼女は渡されたボトルを思い出す。 「…スコッチなんて、私お湯割りとかじゃないと飲めないのよね…」  ■e シャントット博士著 『平穏と動乱。それは日常』 「たぁ、だっいまー」  一週間以上留守にした我が家。  ドアをあけるなり、ドア横に常備してあるランプに火をともす。  ぼぉっと部屋を照らす明かりを頼りに、天井のガス灯を灯してメイプルはそのままベッドに倒れ込んだ。  部屋はメイプルが出かけたときからそのままの状態だった。  少し散らかった状態がこの部屋にとって見慣れない状態に思えるのは、いつもモーグリが掃除をしていたからなのだろう。  酔いが回って、意識がにごる頭でメイプルは模様替えをした理由を考える。  あーだこーだと、ぶつぶつ考えが口に出ているのにも気がつかず、そのうち目蓋もおもくなり。  そのまま寝てしまったメイプル。  キュレレから里帰りの報告と実家の住所を書いた手紙がクルジェの家とメイプル宅に届くのはそれから2週間後の話。  メイプルが帰ってきたモーグリに部屋の模様替えを勝手にしたことを問いつめられるのはそれから2日後の話。  今は、おやすみなさい。                             おわる。