FinalFantasyXI 〜白猫が踊るダンス〜                           葵 綾狐  ■e 1日目は重苦しい雨音激しい自宅の部屋で。  空梅雨生まれのミスラがいた。  どうでも良いようだが、名前を先に言っておく。  彼女はカデナ・メイプルリーフといい、種族のほほ大半を占める女性の一人。  十数年に一度あるかないかの気候の中で生まれたせいか、彼女の性格は同じ種族の中でも特に珍しいらしく、数年前まで住んでいた故郷では一寸した噂になった事もあったり。  それに竹を割ったような性格と物怖じしない言いぐさも相まって、彼女の話題が出るときは決まってこういわれていた。 『爆弾背負った猫』  と。  …ご近所ではかなりの迷惑者だったらしい。  そんな彼女も立派に成人して、おきまりパターンのごとく冒険者になった。  何処で方向性を間違えたのか職業がシーフでもモンクでもなく、白魔導士。  ひょっとすると、若き日の罪を見つめ直して贖罪する気にでもなったのかも知れない。  それでも性格は相変わらずだけど。  彼女が故郷を離れて、向かった先は世界のヒトと経済の中心地。  数多くの冒険者と旅人と商人が交通の要としている都市、その名はジュノ。  さて、彼女が今現在の寝床としているジュノは丁度季節の移り目で。 天候の変化の激しい、言うなれば『梅雨』時のような天気が2、3日続いていた。  家に居ても、外に出ても、何処にいてもジトジトするばかりで全く持って具合がよろしくない。 「くーぽーーーーーー…」  まるで、断末魔の悲鳴のような悲壮感が漂う声である。  洗濯したはいいもののこの湿気のせいで洗濯物は乾かず、しかも主人であるところのメイプルリーフにその洗濯物(所持している服のすべて)を腹いせに上から被せられたのだ。 「どうすんのよ、着ていく服が無いんじゃ私なにもできニャい〜」  下着すら身にまとわない格好で、メイプルはフローリングの床で転がっている。先ほどまで一応下着は付けていたのだが、ソレすら今は洗濯物の仲間入りである。  水洗いして脱水したショーツを洗濯物から這い出してきたモーグリの頭に被せる。  無論生乾きである洗濯物。  べちゃ、と不愉快な音をたててショーツはモーグリのおデコにはりついた。 「…」  もうモーグリは立ち上がる気力も無くなったらしい。デコにショーツを貼り付けたまま床に転がってしまった。  メイプルも同様に大の字になって転がっている。  部屋のど真ん中には洗濯物が山のままになっていた。  物語を終わらすには丁度いいのかも知れない。生乾きの洗濯物に精神をやられて家の主はそのまま力尽きた、と。  そして不審に思った知人が彼女の家を訪ねるのだ。  そこで目にした光景に知人は悲鳴を上げる。 「…な、なにやってんのよアンタら!?」  と、このように。  首だけを玄関の方に向けて、メイプルは戸口に立っている人影を見やる。  そこには二人の知った顔がいた。  ヒュームの女性とタルタルの男性。  半ば停止したまんまの頭でメイプルは思う。なんでこの二人はそんな意外な顔をするんだ、と。 「あ、そうか。私裸か…」 「それだけじゃないってば…」  突っ込まれてメイプルは首を逆方向にひねる。  すると見えたのは洗濯物とそのヨコに突っ伏しているモーグリ。 「…一応全部洗ってあるよ…?」 「いや、私が聞きたいのは…なんでそんなに洗濯物が山積みになってるのかと…」  肩を落としてため息混じりに言うヒュームにメイプルはようやく合点がいった顔をする。  よっこいせ、と唇が動き、メイプルは体を起こす。  そして洗濯物の中からタオルを一枚引きずり出し、そのまま無言で立ちつくしているタルタルに向かって投げつけた。  避ける間もなくタルタルの顔面に激突する。  湿気って重たくなったタオルが顔からずり落ちると同時に、鼻から流れ出たのは一すじの鼻血で。 「後ろ向くとかなんとかしなさいよ…スケベ」  そういう問題なのだろうか。 「つまりー、」  言いながらメイプルは訪ねてきた二人に紅茶を勧める。  背後では暖炉に火が灯り、オークポールを物干し竿代わりに洗濯物が干されていた。  訪ねてきたヒュムの女性、アルティに言われたのだ。 『ウチじゃどうしようもないから暑いの我慢して暖炉で乾かしたわよ』  モーグリとメイプルの顔が納得したのを見計らって彼女はこうも言った。 『とりあえず雨に打たれて冷えた体の私たちに、紅茶の一杯でもいただけないかしら』 と。  彼女はしっかり者である。 「昨日モーグリに言われたのよ。じーっとしてるより汗かいた方がこの湿気も気にならないんじゃないか、って」 「冗談のつもりで言ったんだクポー。まさか実践するとは思わなかったクポー…」 「メイプルが結構なおバカさんだってことがわかる話ねぇ」  サンドリア製のティーカップに触れたアルティの唇が、ふと緩む。 「それでまあ、色々やって汗だくになって帰ってきて着替えてまた行って」 「…は?」 「そしたら、洗濯してあった服が全部なくなっちゃった」  てへ、と頭に手を当てて笑うメイプルを、アルティは完全に惚けた顔で見つめざるを得なかった。 それほどバカげた話だと言うことだ。 「一応聞かせてくれない? 何やったのか」  こめかみにを揉むように手をうごかして、しかめっ面になるアルティ。 「ジュノ1週ランニングでしょ、階段をウサギ飛び10往復に、時計塔垂直登坂3セット、トンガリ頭タルタルのトンガリ伸ばし100匹と…10万ギルでミスラとまん(ry」 「アホかあんたはっ!!」  どがんと拳をテーブルに叩き付けて、声を荒らげるアルティ。ムリもない。 「ただ運動するだけでなくて最後の二つは絶対違うわよ!」  「昨日闇に紛れて襲いかかってきたミスラってメイプルだったのかよ…」  頭をさすりつつ呟くタルタル。  彼の名誉のために言っておくが、彼の頭はとんがっては居ない。 「しかも、お金目当てとは違ってもアカの他人と寝るのは聖職者としてやっちゃいけないと思うんだけど」 「短かったの2人に早かったの3人クサかったの1人であとはまあまあでしたにゃ」 「あ、アンタ…」  絶対的に間違っている彼女をどう突っ込んでいいのか、アルティには最早見当すら付かなかったわけで。 「とりあえず懺悔はしておきなさいよ…」 「でも全員中に出してきたのはびっくりだったニャ」 「もうアンタはこのことに関して一切喋るなッ!!」  まったくです。 「で、まあ今回の仕事でメイプルにも手伝って欲しいんだじょ」 「ゆーらさんはどしたにゃ? 私よりレベル高いにゃよ?」 「クルジェの両親、今夫婦で旅行に行ってるのよ。なんでも新婚旅行まだいってなかったとかで」  アルティは横のタルタルの頭をわしゃわしゃとかき回す。  いやがるタルタル、もといクルジェはアルティの手を払いのけながら話を進める。 「それになんていうか、クライアントはメイプルの故郷に居るらしいから、メイプルなら土地勘も利くだろうし、それで頼みに来たじょ」 「それでなかったらアンタに頼みに来ないわよ?」 「サンドリアかぁ…暫く帰ってないから間違っても責任取れないニャよ?」  自分のティーカップに残った紅茶を飲み干しながら、メイプルは言う。  彼女が前回故郷に帰ったのはもう2年も前の話だからだ。 「それは織り込み済みだから」  ふむ、とメイプルは一人考える。まあ、そんな非道いことにはなるまいと勝手な算段を付け、彼女は柏手を打った。 「わかったにゃ。私も手伝うニャ」 「そう言うと思った」  アルティは言い終わるなり立ち上がり、自分の荷物を手に取った。 「じゃ、アンタが準備できるまで近くの酒場で待ってるから」 「へ? すぐ行けるケド??」 「裸で行くなら止めないわよ…」  メイプルのヌケ加減にため息が漏れるアルティだった。  ■e 二日目に故郷は血に染まる。  メイプルが帰ってきたという噂はすぐにサンドリアの住宅街に広まってしまった。  何故か。  サンドリアの飛空挺入出国ゲートでは名前を確認するからである。  そして、そのゲートで警備員をしていた者のなかにメイプルの顔をよく知っている者が居たからだ。 「メイプルリーフ、ちょっとそこの詰め所まで来て貰おうか」 「にゃ、なんにゃいきにゃりっ! 私何かしたかにゃ!」 「ほら、暴れるなっ! おとなしく知ってることを言えば良いだけなんだからな!」  到着するなりこの有様。  暴れるミスラを2人のガルカと3人のエルヴァーンが代わる代わる押さえ、抱えて連れて行く。  メイプルが扉の向こうに消えるまでの間で、どう考えても差別用語にしか聞こえない言葉と方言が混じったスラングが少なくとも二桁はアルティの耳に飛び込んできた。  …げっそりである。  彼女もメイプルは過去にろくでもないことをしていたという話は聞いていた。が、帰って来るなり取り押さえられるような事態になるとまでは想像していなかった。  他の乗客の視線を背中に浴びつつ、彼女は係員の質問にこう答えていた。 「いえ、彼女とは武器屋でたまに顔を合わせるくらいの間柄ですよ」  作り笑いが引きつっていた。  あんなのと一緒に拘置されたら何言われるか判ったモンじゃないわよ…。  結局メイプルが出てきたのは真夜中になってからで、クライアントに話を聞くことなど出来なかったのは当然の話。  翌日、それでもお昼近くになってから家を訪ねると、家のドアには一枚の張り紙がしてあった。  『共同墓地に出かけています』 と、たった一行。  仕方なく三人は街の外、小高い丘のあるところまでやって来ていた。 「で、この先の共同墓地にクライアントは行ってるって言う話だけど」 「昨日のウチに行っておけばめんどくさくなかったんだじょ」 「わたし何もしてないニャ!」 「してなかったら連行されるわけナイじゃないのよ」 「牢獄にブチ込まれるよーなことはしたことナイニャ!!」  もうやってられないと言いたげに頬をふくらませて、メイプルはぷい、とそっぽを向く。  とまあ、他愛もない話をするほど辺りは長閑で、雨続きのジュノとは違い雲もまばらな初夏の日差しが暖かかった。  場所が違えばそのまま草原に腰を下ろして、半日ほど無駄に過ごしたくもなるだろう。  しかし、丘の地平へ続く小道のその先、いびつに地平を歪めるそれは墓石の群れ。  離れているとはいえ、その存在は無視するにはあまりに大きすぎた。 「…墓地に行く用事か…」  それは墓参りに他ならない。彼の人が墓守ではなければ、だが。  やがて見えてくる人影。  アルティはその人影を指さす。つまりは、クライアントだと言うことか。  その人は日除けのためか、つばの広い帽子を斜に被り、片手で押さえながら遠くを見ているようだった。  薄手の衣服を日の光が衣服を透かして体型をシルエットにしている。 「エルヴァーン?」 「そう。結構な美人よ?」  下品なことだと思うのだが、メイプルはそのシルエットで相手の体型を観察している。 「…ジュノのロンチェスター劇場のテリミシアかにゃ」 「誰それ」 「その劇場でいちばん売れているダンサーにゃ。見習いたいくらい綺麗にゃーよ」 「へぇ。一度みてみるのもいいかもねぇ」 「アルティ…悪いことは言わないからやめた方がいいとおもうじょ…」 「入る勇気が有れば見てみるといいニャ」 「なにそれ」  そんな話をしているウチに相手もこちらに気が付いたのか、振り向き近づいてくる。 「メイニータさん?」  アルティが笑顔で紡いだ名前。クライアントなのだろう、彼女は穏和な笑みと共に握手を求めてきた。 「ええ、今回はよろしくお願いしますわね」 「ご依頼の件、解決するよう努力いたしますわ。こちらが今回お手伝いしてくれるクルジェとメイプルリーフで…あれ?」  メイプルの姿はなかった。 「あの…、ひょっとして『あの』メイプルリーフなのですの?」  どうやらマズイ名前をクチにしたらしい。  メイニータの表情を見て、アルティの背筋に冷や汗がつたう。 「迷惑ミスラのことを言っているのだったらちがうじょ。名前は一緒でもオレっちの相棒でタルタルだから安心して欲しいじょ」 「あら。なら安心ね」  すかさず入れたクルジェのフォローは、効果があったらしい。  場所とメイプルが居ないことを除いて、その日の打ち合わせは始終穏和な雰囲気で済んだといえる。 「そういえば…結局メイプルは何処に消えたんだか」 「クライアント帰ってからも顔出さなかったし、本当に帰ったんじゃないかとおもうじょ」  そう。帰り道を急ぐ二人の言うとおりメイプルはすでにサンドリアに戻っていた。  酔っぱらいの声高らかな雑談とチープな弦楽器の混ざった安宿の酒場で、彼女は無口のまま酒の杯を重ねていた。  雑多な喧噪はリズムもなく抑揚もない。時間を測るものさしはこの場に何もない。  酒におぼれた脳が一瞬、眠気を覚えたのか。  再び目蓋をあげると彼女の前、テーブルを挟んで向かい側に見知った女性が座っていた。 「ハープの音色が無くなったわね」 「私があそこにいないとおかしい?」  彼女は手にしたグラスをくゆらせながら、メイプルリーフを見つめていた。  それだけの時間、メイプルは居眠りをしていたということになるだろうか。 「私が知ってるアンタはどんな人間がここで何をしようが、音色を止めたことは無かったわ」 「あなたが出て行ってから何年経ったと思ってるのよ。わたしだって変わるのよ…」  言って、グラスの中身を飲み干す。 「…わたしももう歳だわ」  干されたグラスはテーブルに置き去りにされる。 「そうね。お互い…変わったわ」 「私が冒険者に依頼を出すなんて…ね」  メイプルの顔がふと険しくなる。  馴染みで仲は良くなかったが腐れ縁の、彼女が目元を下に落とし肩をふるわせているのを見たからだ。 「…で、アンタがそんなになるくらいのハデでイカレた理由ってなんなわけ?」    まあ、墓地にいたから大体のことは想像つくけど、とメイプル。 「アコは知ってる?」 「うん、一応」  たしか、アンタの幼なじみじゃなかったっけ。ヒュムにしてはちっこくてまるでタルタルみたいにいつも忙しそうに酒場で給仕仕事をしてたはず…、よね。  思い当たり、素早く左右に視線を走らせる。  彼女は、居ない。 「彼女、こないだ撃たれたわ。ラテでね」 「…なんで?」 「アコだけじゃない…マセロもバンログも、ね。今は…あの人同様…土の下よ」 「…」  顔は伏せてしまっていて表情はもう読みとれなかった。  メイプルも天井を仰ぐ。 「どうするの。仲良く埋まっとくわけ?」 「それが運命なら受け入れるわ」 「折れたのね」  彼女の落とした肩、もともと丸かった肩をさらに落としたその容姿が無言でそうと肯定していた。 「…人は弱い、弱いから群れる。その群れから一人減り…二人減り。そしてまた個にもどったとき、その人は以前よりも弱くなる。…そして最後は…消え果てる…」 「私が昔言った言葉じゃないの」 「ミスラの狩りの方法だって聞いたわ」 「狩りの『応用』と引用よ」  群れを狩る場合の。  しかも、その方法は禁忌とされていることをメイプルは言わなかった。 「群れの弱い者から一つずつ狩ってゆく。群れている獲物は数が少しずつ減っていることになかなか気がつかない。気がついても強い者は意に返さない」  強い者から叩くと群れは散りそして隠れる。ソレはよくない。  城を攻めるのもまずは外堀から。それに似ている。  最後の最後でようやく自分の周囲に危険が迫ったことに気がつく。しかし、そのとき気がついても遅いのだ。 「少数になった獲物はもう一目で判る。周囲に敏感になって、移動をやめて留まる」  そうすれば後は楽なもので。 「それを大勢で取り囲んでフクロにすればいいんだからね」  メイプルが言うとおりだった。  酒場にいたほぼ大半の人間が彼女らを取り囲んでいた。  残りの客もすでに床へと転がっていた。  喧噪はなくなり、店は嵐の前触れという言葉通りに静まりかえっている。 「…私をハメたわけ?」  メイプルは言いながら席を立つ。 「店の安全と私の将来にどうしても必要だったのよ」  いすに座ったまま、今になっても顔を上げようとしない。 「依頼自体がウソなのね? あのふたりを使えばたしかに私がやってくる。その確証はどこから?」 「昔、あの二人にお使いを頼んだときに知ったのよ。一緒のLSで、しかもあなた故郷のことを心配になっていたんですって?」 「ええ。ツキイチで届いていたマセロからの手紙が届かなくなったから」  会話が段々とおっくうになってゆく。  怒りのためか、間延びした会話のせいか、それとも…もうハラが決まったからなのか。 「まずは周りから…。あなたの言うとおりだったわね。こんなに簡単に引っ掛かるなんて」「かもね。でも…アンタはカン違いしてると思うんだけど。私、誰かと群れていたかしら?」 伏せていた顔が跳ね上がったようにこちらを向いた。  オモシロイ顔するのね、とメイプルは素直にそう思う。 「それに、どっちにしろアンタも同じ『エモノ』ってヤツみたいよ」  ごづっ、がん。  あら、顔面から突っ込んじゃってかわいそうに。  背中に鋭い痛みを覚えつつも、メイプルは今目の前で起こった相手…つまりはメイニータの惨状を他人顔で眺めていた。  後頭部を鈍器で強打され、その勢いでテーブルになんの受け身もとらずに突っ込んだ。 そのままケイレンをくりかえす彼女。  凶器をもった男のなめ回すような下品極まりない視線から察するに、この後二人はどうなってウラ路地へと転がされるのかが、大体想像できた。  が、その結末は正直嬉しくないのが事実だ。 「…ちぇ」  舌打ち一つメイプルは自分の真後ろ、さっきまで座っていた椅子に片足を乗せ、脚のバネだけで飛び上がる。  そして半身をヒネリ、勢いを付けて一番近くにいた男、自分をナイフで刺したヤツのアゴに踵からの回し蹴り。  鈍い音とともにアゴはねじれてあさっての方を向く。  反対の脚が地面につくが、その脚は踏ん張らない。膝を折り後転しつつテーブルの下を抜け反対側からこんにちわ。  しゃがんだまま手近の膝を蹴りつけ、逆折りにしてしまう。  相手が足を抱えて倒れ込むのは無視して、目は次の目標を追い始める。  右、その奥。身体と相談しながら軸足を切り替え、右足の1ステップ目を踏み込、  突然、視界の隅に光るモノが見えた。  ナイフ? いや、銃口と認識したときには近間にいた男の手を絡め取り、自分はその死角にはいる。  パシン、と音がして盾にした男がぶっ倒れた。    どたんぱがん。がちゃん。  店外に漏れていた音が続いたのは数分くらいで、そのあとはイキナリ静かになった。  その時には、もうケリはついていて、店内は当然スゴイ有様になっていた。  どうとは言うまい。ただ、メイプルも非道い有様になっていたけれど。 「…ふー…うー」  切り傷が痛い。血も流しすぎた。  女二人にこの筋肉共はナイフでも鈍器でも銃器でもなんでも手に襲いかかってきやがったのだ。  左腕が上がらないわ、背中にははじめに穴あけられてしまうわ。  ま、そのお返しに全員墓の下に入ってもおかしくはない程にしてあげたけど。  床に流れている血液は最早や、誰の物かも区別は付くまい。 「…よいしょ…」  今は床に倒れているメイニータの首根っこをつかむと、引きずるのもお構いなしに歩き始める。  倒れた男共を踏み越え、裏口から路地へと歩み出た。  まだ夜は明けては居ない。  呼吸を整える。  よし、まだ歩ける。  脱力しかかる躰にムチ打ってメイプルは歩く。目的地はアルティが泊まっている安宿だ。 「…狩りの原則はね…『弱い者を狩る』なのよ。自分より強いヤツを狩って明日の糧にしようとするバカは早死にするわ」  メイプルの呟く言葉は夜風に紛れて消える。  ■e 三日目の朝に雌猫は狩りの支度をする。 「アンタはもう少しウソつくにしても、頭をヒネらなきゃダメだと思うのよ」  彼女が寝る支度をはじめた所に、 『いやー、そこの階段で二人して転んじゃって痛かったニャ〜』  と、頭のネジが飛んだような理由ついて現れたメイプルに対して、アルティは先ほどの感想を述べたのだった。  刺し傷切り傷、あざだらけ。  オマケに、メイプルは何故か頭を真っ赤に染めたメイニータの首根っこを捕まえたまま。  どう解釈しても階段から落ちて出来る傷じゃあ、ない。 「アンタ、まさか…」  言いかけて口をつぐむ。  ひょっとするとメイプルがメイニータを襲ったのかも知れない。 「考えてないで、とりあえずたすけて…ニャ…」  メイプルはすでに我慢の限界だったらしい。  息も絶え絶えになってアルティの脚元に転がってしまった。  それでもアルティはどうしようか考える。 「それくらいの傷は自分で何とかなさいよ。白魔導師なんでしょう?」  フフン、ってなもんだ。 「すみません、お姉様助けてください」 「…面白くないほどあっさり謙るのね…」  そりゃ、死にかけてますから。  とりあえずたった一つのベッドは誰が使うか決まっていた。        クライアントのメイニータだ。  メイプルは床に転がして、一番非道かった背中の刺し傷をケアルしておしまい。  後の打撲や切り傷は落ち着いたら自分で何とかしろ、とアルティは言うだけでさっさとメイニータをベッドに運んで治療を始めてしまった。  メイプルは、転がったまま文句を言うだけである。 「うわ、頭蓋骨骨折してるじゃないのよ…」 「そりゃー後頭部を鉄パイプで一撃ですからニャ。ついでに顔面も強打してるにゃ」 「い、息してる方が不思議に思えてくるわね」  メイニータの側頭部をさわると、本来あるはずの骨の硬さがまるでない。どう考えても脳にダメージは有るはずだった。  おまけの鼻骨骨折が可愛くみえる。  アルティはメイニータの頭部を凝視し、意識を集中する。  呪文の詠唱を開始、頭部スキャンスタート。 「…難易度メッチャ高いわ…」  呪術レベルをケアル4にシフト。  脳内細胞が挫傷して無意味化している部分をバイパスの後シナプスを再接続、破断した血管を接続再構成。それに頭蓋骨の位置決めと接着をして脳内圧力を平均値に。最後は折れた鼻骨をくっつけておしまい。 「挫傷してる皮膚組織とその他の細胞は様子見しますか…疲れたし」 「わー、手抜きしてやがるにゃー。藪医…   ぐしっ。  倒れっぱなしのメイプルを足蹴にして黙らせたアルティだった。  さてと。  アルティは隣室で寝こけていたクルジェをたたき起こして自分の部屋へと連れてきた。 そして、ボロボロのままのメイプルを正座させて質問タイム。 「あの…こんな事はクライアントから直接聞いて欲しいんだけどニャ…」 「で、何処どうしたら私のクライアントがこんな姿になってるのかしら?」 「それはその、其処にいるメイ…いやいや、クライアントと会ったときに襲われたニャ」 「ほー、それはアンタが札付きの極悪人ってことで狙われたとばっちりじゃないの??」 「断じて違うにゃ! 襲ってきたのはクライアントにゃ」 「アンタとクライアント顔見知りだったって事じゃないのよ! 何処までホントでウソついてんのかハッキリしなさい! 場合によってはタダじゃ置かないわよ」 「あわわわわわわ」  ボロボロになってるのに、これ以上なにかされたら本当に命が危ない。  細かい傷はまだ治してないし、服はボロボロだしお風呂にも入ってないし酔いはさめてないし。 「とりあえず何がどうなっているのかぐらいは説明出来るんでしょ」  お腹空いたし、眠いし、脚は痺れてきたし、もうなんかどうでもいい感じだし。 「とりあえず何もなかったことにして、もう帰らないかニャ?」 「何処をどう考えたらそう言う結果になるんじゃ、アンタッ!!」 「むぐーっ!!?」  アルティがとうとうキレて、メイプルの頬を思いっきり両方から引っ張りのばす。  しかも引っ張るだけではなくてヒネリも利いている。 「いひゃい、いひゃいよぅ! やめへやめへー!!」  以外と良く伸びるほっぺたはねじられて、傍目絞られた雑巾のようになってくる。 「だっ、たら早く、本当の、事をいえっ、てぇーの!」  ギリ・ギリ・ぎゅ、べっちん。  トドメのヒネリと絞りが利いたのか、いい音がして元に戻るメイプルのほっぺた。  しばらくのあいだメイプルは床に倒れ込んだまま、ピクリともしなかった。  ただピン、とのびた尻尾の毛が直立してぼあぼあになっていたけれど。 「ったく、ナニ考えて居るんだか」 「メイプルは都合が悪くなると何時もコレだからなぁ…」  今までアルティの後ろで成り行きを見ていたクルジェも自業自得、と助ける気は無かったようで。 「ほら、いい加減起きないとまたアルティにいいもの貰うことになるジョ」 「ほっぺたが…ほっぺたがぁ…」  起きあがるメイプル、すでにマジ泣きである。 「…なっち(●´ー`●)みたいになってるジョ」  ともかく、これに懲りたメイプルは事を大嘘ふくめて話し出す。 「私とクライアント…つまりメイニータとは、幼なじみってヤツだったニャ」 「ふーん。なんであのとき逃げたのよ?」 「それはアルティ達と一緒の所を見られたらマズイかと思ったし、何時も会うのはどんなことをしても二人っきりになる時って決めてあるんだニャ」 「そんなご大層な」 「理由はどうしても言えないけど、昔からのことだから勘弁してホシイニャ」  …ま、そんな理由きいても仕方ないし。 「で、さっき襲われたって言ったわよね。なんで?」 「私とメイニータって幼なじみだけど決して仲が良いって訳じゃないニャ。むしろ恨みの方がおおいのにゃーよ。で、私がここに戻ってきたって事を聞きつけて、恨みを晴らすためにわたしを酒場に呼びつけたにゃ」 「そして、メイニータを返り討ちにしたと?」 「全然。私と話している間にメイニータが雇った連中に私共々殺されそうになってニャ」 「はぁ?」 「つまりにゃ、私もメイニータも誰からか嫌われてるってこと。彼女から聞いたけど、私と彼女の知り合いが誰かに殺されてて。えっと…こっからは想像なんだけど、私を殺せば彼女だけは助けてやるって言われたんじゃにゃいかと」  そこまで一気に喋り倒して、メイプルはようやく一息をつく。  そしてアルティの顔をのぞき込む。『理解できた?』という案配だ。   当然というかなんというか、…理解できるかこのバカ。 「…ったく、なんなのよ。仕事上のトラブルに巻き込まれたと思ったらナニ!? あんたの過去の遺物がいまさらになって出てきただけじゃないの!」 「だから、今回の依頼は私をおびき出すためのダミー…むぎゅ」 「私が話しているときは黙りなさいよ! 私が聞いたのは店に勤めていた友達が連れ去られたから取り戻すのを協力してくれってことなのよ?」 「…だから土地勘あるメイプル連れてきたのに、これじゃ行動バレバレだじょ」 「アンタ連れてくるより、ライズさん連れてきた方が良かったわ!」 「それはつまり…帰れってこと?」 「いや、ほんとに帰って貰ってイイじょ…」 「これで失敗したらアンタのせいだからね!」  バタン。  言いたいこと言われて首根っこ捕まえられて、ドアのそとにメイプルは捨てられた。  一拍おいて、彼女の荷物が出てくるお約束もついてきた。  あーあ、やっぱり普段の行いが悪いせいなのかなぁ。   自分の荷物を手に、宿の階段をふらふらと降りながらメイプルは思う。  でもまあ、メイニータは二人に預けたし、二人とも腕は確かだからこれで大丈夫よね。  あとはメイニータの敵がだれなのか、そもそもお店に固執する理由は何なのか、と。 「お帰りですか? お連れ様はお泊まりで?」 「あ、ハイ…。友人が泊まった部屋で治療中ニャ。夜中にご迷惑おかけしましたニャ」  入り口で宿の主が店番をしていた。立ち上がり、宿のカギをハズしてメイプルを外に案内する。 「お気をつけて…。この時間、女性の一人歩きは危険ですからね…」  先ほど、安宿と思ったメイプルはそのことを心の中で詫びた。   本物の安宿はこんな気の利いたことはしてくれない。なにせ出入り自由でカギすらロクにない所もあるのだから。  アルティがここを選んだ理由がわかった。  店がしっかりしていて安心できる。それで値段も手頃なのだから良い宿だ。 「良い店…か…」  月は傾き、月明かりも頼れなくなった。  明け方までそう時間はないだろうが、だからといって待つのは億劫だった。  そう言えば。  先ほどアルティが言っていた、彼女らが受けた仕事の中身。 『店に勤めていた友達が連れ去られたから取り戻すのを協力してくれ』  …それは誰で、本当の話なのか?  誰かはわかる。あの店にはそんなに従業員は多くない。それに友達といったらメイニータの友達はあの店ではたった一人。  アコライト・ヴェンゲルニンフ。  メイニータはそこらにいる生娘とちがってアタマだけはキレるやつだ。  彼女なら一つの事に複数の意味合いをもたせるのはお茶の子だろう。  つまりメイプルを呼びつける他に、アルティ達に万が一の保険としてアコを助けようとしていたのではないのだろうか。  仮定してみよう。  メイニータはアコを誘拐され、返して欲しければ取引を飲め、と言われてしまった。  私を誘い出して、殺しさえすれば店と彼女とアコは無事に暮らせる。  もう私の取り巻きは始末した。  私に関わる人間はあとはメイニータと本人であるところの私だけ。  そこまでは彼女とアルティの話を混ぜこねればわかる話で、いちばんあり得ることだ。  でも、敵はメイニータを許す気は初めから無かったと。  だから、あの場で二人とも襲われた。 「…アコとっくに死んでいたら、アルティが受けた依頼はパーになるって事なのかなぁ?」  しまった。万一、アコが先に殺されていたり死んでいたらあの二人は私に対してどういう事をするだろう。  メイニータは私を殺しに。  アルティは私を殴りに。  少なくともその可能性があるのは当たり前で、良くてもここの地は二度と踏めまい。  そのまま帰ろうと、サンドリア港の方に向いていた足が止まる。  空を仰いで、ため息一つ。 「お金、どっかから出るのかなぁ…」  ■e 四日目を待たずして、猫は獲物に襲いかかる。  路地奥にいるゴゼフ爺は昔っから物知りだった。  メイプルがチビでヤセでガキんちょで、小娘と呼ばれてた頃より遙か昔から爺はその路地裏で商売をやっていた。 「よ、爺さんゲンキ?」 「おう、朝日が昇る前から満身創痍になるようなことばかりしてるお前さんよか元気だぞ」 「たはー。もう耳に入ったの? ハッズかしいなぁ」  無精なのか、気にしてないのか判らないが、とにかく鍵のかかっていないドアをくぐったその部屋に彼は居た。  窓はなく、仮ごしらえ程度の仕切カベと傾いたデスク。客用のソファには彼が読み散らかした半ばゴシップ混じりの冊子が整頓もせずに山になっている。  その部屋の主はランプの明かりを使って始終、デスクから離れず書物を読み漁っていた。  先ほどの挨拶だって、彼は読んでいる本から目を離しちゃあ居ない。  ま、いつものことだよね、とメイプルは意にも返さず部屋の角っこに陣取ると、持参の手荷物を開き始める。 「…お前さん、今日は何が聞きたいんだ?」 「私を襲った馬鹿の友人の安否とその居場所。それと襲えと命じた犯人、その居場所」 「ウチは迷子の猫の居場所やら生死の事まで知ってるわけじゃあ無いぞ」  ぺらり、とページを捲りながら、爺。 「でも、街が自分のモノだって言いながらフン反り返ってるバカくらいは知ってるじゃん」  なかなか目的のモノが見つからないのか、袋をひっくり返すメイプル。  床に散らばった彼女の荷物は何に使うモノなのか一見しただけでは判らず、傍目タダのがらくたにしか見えなくて。  それでも爺はメイプルの行動を咎めるわけでもなく、至ってマイペースで会話を続ける。 「教えるな、と口止めされてるしな」 「いくらで?」 「ワシが現金で動かないのはお前さんも知ってるだろう?」  その言葉をまってましたと、メイプルは笑う。 「そう思ってね、お土産持ってきたのよ。発行部数が少なくて、手に入れるのに苦労したけど」 「…モノによるがな」  メイプルは知っていた。この爺さん、昔っから本が大好きで若い頃は本を読むために冒険者をやっていたと聞く。  歳をとってからはここに居を構えて事情通のまねごとと一緒に、蔵書を読み漁っている毎日を過ごしているのだ。  彼の後ろ、ついたての向こうの床には地下に埋まった倉へ続く階段があり、そこは本を保存するに最適な環境が整っていると本人が言っていた。  もっとも、資金はその倉に殆ど全てを使ってしまって、自身が住む家はバラックのようなナリをしているのだけれども。 「シャントット博士が3年前に一筆したためた曰わく付きの書物。それだけ言えば判るでしょ?」 「…『この恨み百年経っても祟りますわよ』か?」 「んにゃ、それの原書で『壊して楽しい(他人の)家族計画』」  爺の目が今になってようやくこちらを向いた。 「情報は教えてやろう。彼女の本は持っているだけでステータスになるからなぁ」 「毎度♪ オマケで湿気取りの鉱石もあげちゃうわ」  羊皮で作られたブックケース入りの本と、小袋に入れられた鉱石を爺に手渡し微笑むメイプル。  それを見て爺はボソリと呟く。 「群兎通りに有るディンガロって名札のついた家の息子がそうだ。我々も好きには思っていないから思いっきりやってもかまわんよ」  メイプルの口端がゆがむ。 「オマエさんが戻ってきたときは…そう、『何時も』ロクな事が無かったな」 「判っているわ。貴方が育てた息子さんも私が殺してしまったんですもの」  ガタン、と椅子が音を立て爺は立ち上がる。  メイプルよりも遙かに身長は高く、また年老いたとしても衰えを見せないその身体は爺と呼ばれるにはまだ早すぎる出で立ちであった。 「許しはせんよ。だが血盟を分けた親友の息子を失った責任は私にもある。だから黙っているのだ。それに…育ての親としてもお前さんには憎悪すら感じるときもあるさ」  あの日、冒険から帰ってきた彼女は彼を失ったことを詫びに爺の元へと出向いた。  そしたら、そのデカい拳で殴られた。  血反吐を吐いて、腕を折られて裸にひん剥かれたときには体中が青あざだらけになっていて。  紙切れとゴシップ紙の散らばったこの床で、メイプルは2日間動くことすら出来きず、夜の寒さからも逃げ出せないで過ごした。  そんな惨めなことになっても、メイプルは彼に許しを貰っては居ない。 「本当の償いというものは無いと、思い知らされたわ」 「人が死ぬ、ということの重みは我が一族には本来持ち得なかったものだ。だがな、こうして他種族と生死を共にすると判ってくるのだよ。そして、それは他人を殺す理由にもなりうる。判るかな? それが憎悪の連鎖だと言うことが」 「あの時…私を殺さなかった理由は、ソレ?」  ランプの光がゆれる。もう油が切れかけたのだろうか、判らない。 「いや。私がやらなくても、お前さんみたいなロクデナシはいつか何処かで野垂れ死ぬ」 「…そうね、それがお似合いかもね」  爺はフン、とひとつ鼻を鳴らして椅子へと腰掛ける。 「若い娘が子供一人も残さずに早く死ねとまでは言わんよ。やることやってから死んでくれ。未練残して化けて出られたら敵わん」 「優しいご忠告有難う」  荷物をまとめなおしたメイプルは感謝の世辞を残して戸口に向かう。  爺も、読みかけの本に目を戻し、 「なあ、いい加減身を固めたりはしないのか? もういい歳なんだろう?」  お節介かなと思いつつも聞かずには居られなかった。 「それは無理な話だわ。なにより…もう産めやしないもの」  ページを捲る手が止まる。 「砂漠の土は女の身には優しくないのね。熱病にかかったと思ったら、もうダメだって」 「…悪いことを聞いたな」 「いいのよ。お陰で何時でも死ねるわ」  爺と呼ばれるガルカの主が見つめる彼女の背中は、とても頼りなげな雰囲気で。  爺はふと、昔見た本の一節を思い出す。 『女は子を宿し、育て、守るからこそ強いのだ』  では、彼女はどうなのか。  …いや、よそう。息子は死んだ。息子が好きだった娘は今、あの有様だ。  幸せなぞ、あの猫に二度と訪れはしまい。  視界の端で、家の戸が音を立てて閉じた。  群兎通り。  さて、目的の家は見付けたけどどうしよーかなー、なんてメイプルは思いつつ物陰に身を潜めていたりする。  家の周りには、ご大層に人の姿が今の時間でもまばらに見える。  つまり、襲撃に警戒しているのだろうが。  理由は簡単だろう。先ほど酒場で大暴れしたから、相手が反応した。  その結果が、これ。 「…むー」  何かで気を引いて、全員とは行かないまでもあの守りを手薄に出来ないモノか。  使えるモノはないかと右を見て、左をみて…手元を見る。  丁度メイプルが隠れている場所はゴミが積み重なったところで。 「らっきー♪」  と懐から火打ち石と可燃性の高い油の入った革袋を取り出した。  そして、躊躇することなく火をつけた。 「火事だー!!!!」  ご丁寧に火をつけた本人が叫んで走り出す。  とたんに周囲の家から人が出て、水だ、火事だと叫びだした。  元々燃えやすいモノが大半だったのか、いい勢いで火の勢いが増して、辺りは人混みでごった返す。  じゃそのスキにおじゃましまーす。と、混乱を尻目にメイプルは物陰伝いに家へと入っていった。  …なんじゃこりゃ。  アルティは目の前の出来事に絶句する。  つい先ほど目を覚ましたメイニータに誘拐犯、つまりディンガロの息子の家を教えて貰い慌ててここまでやって来たのだが。  ここが群兎通り…と、クルジェと角を曲がったところで異変が起きた。 「火事だー!!!!」  と誰かの声がした。  よく見れば、暗がりの一角にちらつく炎のあかり。    それは瞬く間に盛大な火の粉をまきちらしてふくれあがった。  とたん出てくるのは付近の住民で。  水だ、火事だ、早く火を消せ、バケツを持ってこいなどとの罵声が飛び交う。 「アルティ、早く行くじょ! このスキに忍び込めばいいじょ」 「そんな、泥棒みたいなまねごとは…」 「普通に言って、すんなり通してくれるバカはメイプルくらいだじょ」  クルジェに言われて、気がつくアルティ。  犯罪者にその証拠を見付けたいから中に入れてくれ、と頼む方がどうかしている。 「あー、もうわかったわよ!」  走り出したアルティは塀の横にある木箱を踏み台にすると、一気に塀を乗り越えた。  それに続いてクルジェも上ってくる。  どこから入ろうか。  正面か、裏か、それとも適当な窓からか。 「明かりの消えてる窓からいくじょ?」 「OK、泥棒みたいでカンジ悪いけどね」  そして二人は走り出す。  そうやって二人が乗り込んできたとき、メイプルはすでに家の中にいた。  家というにはちと規模が大きすぎるのだが。  人が並んで歩ける廊下に、来客用と思われる部屋の数々。玄関正面は小さくとも吹き抜けを利用したしゃれた空間になっていたし、二階にはパーティなんか出来るホールが設けてあったりもした。  個人の家にはデカすぎるし、なにより私がいた頃には無かった建物だ。  しかし、ドコの部屋も明かりはなくて廊下には申し訳程度のランプだけ。  外の喧噪にも誰かが反応する気配がないのが不気味だった。  …あとは三階だけか…。  廊下の奥手ににあった階段をそろりそろり歩むメイプル。  三階について、廊下の曲がり角からこっそりと廊下の先をのぞき込む。  居た。  廊下に五人も六人も詰めてやがる。  エモノは銃器と剣の類。流石にそんなのも見せつけられて、闇雲に正面から打って出るマネはしたくない。  でもまあ、無策のまま正面から打って出なければ良いだけの話。  策ならいくつでも用意してある。  と、またしても懐から何かを取り出した。それは金属カリウム、と書いてある小袋。  そのまま相手の方に放ってやる。 「…!? 何だ!」  あわてる相手の声を確認して、階段からゆっくりと姿を現すメイプル。 「こんばんわ。小鳥を返してくれないかしら?」 「…排除しろ!」  どうやら会話すらする余裕はナイらしい。  こちらに向かってこようとする相手に、メイプルは困ったように肩をすくめた。そして、 「ウォーター!!」  白、サポ黒なので威力はないが、その魔法は目標に命中する。  先ほど放った、金属カリウムと書かれた袋に。  じゅばぁぁっ!  光と大質量の炎がまたたくまに廊下に広がる。 「ぎゃあああっ!!」  悲鳴がわきおこる。転がり出てくる人間にメイプルは容赦なく襲いかかる。  両手棍で頭をかち割り、魔法で火だるまにしてやったり。   反応がおさまり焼けこげた廊下と死体だけになったその場所をメイプルは歩み始めた。 さて、彼女はどの部屋にいるのだろうか。  それとも、敵の主をみつけるのが先だろうか。  ■e 五日目に猫は故郷を去った。  報告書、と書かれた冊子がテーブルの上に二部。  一部はアルティの名前が書いてあり、もう一部はメイプルの名前が書いてある。  しかし、その報告書を持参したのはアルティただ、一人。  表紙にはサンドリア市街地で起きた誘拐および個人店舗襲撃と関連した一連の殺人に対する処置と報告、とある。  担当者はその二部を順に読み、少し考えてこう言った。 「まず、どうしてメイプルリーフは報告に来ないか、ということなのだがね」 「彼女は、今現在怪我のために病床から出ることが出来ずにいます。それで代わりに私が聞き取り、代筆したモノでありますので本人による報告はムリかと」  相づち一つ、アルティの言葉を聞いて、 「それで、その誘拐された彼女というのは回復したと報告にあるが、聞き取りは可能かね?」 「はい。それは可能であるかと」 「しかし、物騒な事件だったようだね。ディンガロ氏は我がサンドリア王国でもそこそこ名の知れたホールの経営者で、小さいパーティなどではお世話になっている方だったのだが息子がああだったとは。今でも信じられないがね」 「ええ、私は彼を良く知りませんが、関係者から話を聞くにそうとう裏で遊び倒していたとききます。今回の事件も…それが行きすぎて起こした事件かと」 「そうかね。いや、ご苦労だった。しかしなんだね…」 「? 何か?」 「キミの報告書は良くまとまっていてわかりやすいのだが、こっちのメイプルリーフのは正直いって良くわからん。書いたキミの苦労がよく判ったがね」 「ええ、コレが精一杯で…申し訳ありません」  と、言いつつ一例をする。  それで満足だったのだろう、担当者は傍らに置いてあった判を報告書に押してゆく。 「まあ、アトのことは任せたまえ。個人からの依頼が元だったとはいえ、よくやってくれた。感謝しよう」 「は。それでは、失礼します」  退出したアルティの元にクルジェが寄ってくる。 「上手くいったじょ?」 「まぁ、ね…。しっかし、こんなこと二度とゴメンだわね」  あの騒ぎの後始末をアルティとクルジェの二人だけでカタしたのだ。ムリもない。  あの時。  火事の報告を受けた憲兵がその場で騒ぎ始め、向かいのディンガロ宅から悲鳴と爆発音が聞こえてきたのだ。  その場はハチの巣をつついたような大騒ぎとなった。  憲兵が突入してみれば、なかは死体だらけでしかも所々には燃えたようなあとがある。 そして、アルティとクルジェが誘拐されたアコを保護して、突き当たり奥の部屋へ行ってみれば、メイプルと若い男が重なり合って倒れていた。 「メイプル?」 「…あら、来るのが…いや、早かったのニャーね…」  メイプルは言いながら、身体を動かして仰向けになる。  下になった男はすでに事切れていた。喉笛にナイフが突き立っていて、その周囲と彼の口には大量の血液が付着していて。  メイプルのほうもあちこち服が切り裂かれ、今にも死にそうな勢いだった。 「ゴメン、助けてホシイにゃ…」 「イヤ。前も言ったでしょ、自分で何とかしろって」  ったく、勝手に先走るからこうなるのよ。アンタのせいでこんなに事がハデになってどう責任取るつもりよ。私はさっさと帰れって言ったのに。 「…もう、何も出来にゃい…せめて…楽にしてホシイ…」 「な、何言ってるのよアンタ」  文句の一つでもたれてから助けてやろうと思ったアルティは、メイプルの言葉に面食らう。 「もう生きているのは疲れたにゃ…恨まれて殺して、また恨まれて…。もう私が死ぬ番でもいいと思うニャ…だから…」  呼吸が浅く速くなってきているメイプルを見て、アルティはとりあえず回復魔法を唱え出す。 「…イヤにゃ、もうカンベンして…イヤにゃあぁ…」  ケアルW。  内蔵に達する傷が3カ所、そのうち一カ所の出血が致命傷だった。  流れ出た血液はケアルではどうにも出来ない。  傷口はふさがっても失血による貧血で自力で立てないメイプルの手をつかみ、 「ホラ、肩かしてあげるから掴まって」 「ひぐぅ…ぐすっ、ぅぅ…」  泣き出してしまったメイプルを抱えて外へと運び出す。  その間にメイプルは色々なことを話してくれた。  それは彼女が狙われた理由だ。  昔。メイプルとディンガロの息子の兄はお互い、ここらのガキ共のリーダーとして暴れ回っていたらしい。  で、ある日その二人はどちらが一番強いかで喧嘩になった。  売り言葉に買い言葉でなし崩しに争い始めた二人は、そこがサンドリア港で一歩間違えれば海に落ちるような場所だというのを忘れていた。  で、落ちたのはメイプルだった。  溺れて、もがく彼女を見て彼は我に返った。元々メイプルよりは二つ年上で喧嘩もはじめは冗談半分だったのだ。  それなのにメイプルがマジに受け止めて、突っかかっていった。  その結果がこれだ。  彼はあわてて止めようとする大人を振りきり、海に飛び込んだ。  死んだのは彼の方だった。  葬式には出るな、とメイプルは言われてしまった。  何も出来ず、何も言えずに月日は過ぎた。  ある日彼の弟がメイプルを敵視していると聞かされた。  それは彼女が冒険者として、サンドリアから旅立つ数日前のことだった。  そして、月日は過ぎて今に至ったという。 「敵討ち、というには彼はやりすぎたんだわ…。メイプルも彼の家の名前を出されるまでそのことを忘れていたのよ」 「それでもメイプルは相手を殺したのは何故だじょ? オレっちが知る限り、メイプルってそんなに無鉄砲なバカじゃ無かったはずだケド」 「もみ合いになってナイフを取られたらしいんだけど、その時は殺されても良いと思ってたらしいわよ。でも、気がついたんですって。メイニータとアコがまた危険になる、って」 「…殺さないと、後々に響くと?」 「じゃないかしら」  二人が宿にもどるとベッドで寝ているはずのメイプルの姿が消えていた。  あわてて探してみたが、すでに何処にも居ない。飛空挺にも乗車して居ないことを確認したところで探すのをやめた。  どうせジュノの自分の家に逃げ帰ったのだろうし。  そう思って、二人は戻ってみたが彼女は一月しても戻ってこなかった。  念のためにLSにも聞いてみたが、あれ以来彼女は音信も不通だとの返事。  結局彼女が戻ってきたのは半年の後で。  それからの話はまた今度。  ラテーヌに風が吹く。  一匹のミスラが力のない足取りで、街道を歩いていく。  行き先はまだ決まっていない。  ただ、人のいないところに行きたかった。  人のふれあいが、ただ、怖かった。 おわる。